固体物理学入門— 結晶の対称性から物性へ —
固体物理学の基礎は,結晶学である.本書は,東京理科大学 先進工学部 マテリアル創成工学科 望月研究室の教材として,結晶構造の記述から出発し,群論という道具を身につけ,その上で固体の物性——格子振動,電子バンド,半導体,誘電性,磁性——へ至る道筋を,一本の線としてたどれるように構成した.想定読者は,微積分と線形代数,そして初等的な量子力学(Schrödinger方程式を解いたことがある程度)を学んだ学部3年生である.
本書には,はっきりした二つの方針がある.ひとつは,群論を抽象論で終わらせないこと.群論は,定義と定理だけを並べると,恐ろしく抽象的で手触りのないものになる.しかし具体的な点群——たとえば $C_{3v}$ ——をひとつ手元に置いて,その積表を自分で埋め,クラスを自分で分け,指標表を自分で作ってみると,驚くほど見通しがよくなる.本書では,定理を述べたら必ずその場で具体例に当てはめ,例題として手を動かす形にした.
もうひとつは,数式変形を省略しないこと.固体物理学の標準的な教科書は,出発点の式と結論の式だけを示して,その間をすべて読者に委ねることが多い.本書では,その「間」をすべて書く.行間を埋めるために必要な数学は,付録Aの「数学ノート」に自己完結的にまとめてある.
読み方
- 通読する:第1章から順に読む.第I部(結晶学)と第II部(群論)は互いに支え合っているので,飛ばさずに読むことを勧める.
- 結晶学だけ知りたい:第1章 → 第2章 → 第3章 → 第4章 → 第5章 → 付録B
- 群論だけ知りたい:第4章 → 第6章 → 第7章 → 第8章 → 第9章 → 第10章
- 物性からはじめたい:第3章(逆格子)→ 第13章 → 第15章 → 第16章.対称性の議論が出てきたら第II部に戻る.
- 数学に不安がある:付録A(数学ノート)を先に眺めておく.各章から必要な節へリンクしてある.
第I部 結晶をどう記述するか
- 第1章結晶構造の表し方 — conventional cell と primitive cell 結晶の定義,格子と基底,格子並進ベクトル,単位胞の取り方は一意でない,Wigner–Seitz胞,岩塩型・閃亜鉛鉱型・ダイヤモンド型が同じBravais格子であること,格子点の数え方と $Z$
- 第2章7つの結晶系と14のBravais格子 結晶系は conventional cell の形を,Bravais格子は primitive cell の形を決める,$P/I/F/C/R$ の意味,なぜ14個で尽きるのか,trigonalとhexagonalの関係,primitive基本ベクトルの具体形と体積比
- 第3章逆格子・Brillouin域・X線回折 逆格子ベクトルの導出,Braggの法則とLaue条件の等価性,Ewald球,構造因子と消滅則,なぜ同じBravais格子なら回折ピーク位置が一致するのか,第1Brillouin域の作図,fcc・bccの逆格子
- 第4章32の結晶点群 対称操作の行列表示,回転・鏡映・反転・回反・回映,結晶制限定理(なぜ5回対称がないか),Schoenflies記号と国際(Hermann–Mauguin)表記,32点群の導出と一覧,中心対称性と誘電性・圧電性・焦電性
- 第5章230の空間群と国際表記の読み方 空間群=点群+並進,らせん軸とグライド面,symmorphic と nonsymmorphic,国際表記の各文字がどの軸を指すか($Pm\bar{3}m$ の $m$ は100軸,$\bar{3}$ は111軸,最後の $m$ は110軸),結晶系ごとの軸の取り方,Wyckoff位置
第II部 対称性を計算に変える — 群論
- 第6章群の基礎 — 積表・部分群・クラス 群の4公理,点群 $C_{3v}$ を最後まで手で確かめる,積表と再配列定理,部分群と剰余類,Lagrangeの定理,共役と類,抽象群,群論と量子力学($[\hat{H},\hat{R}]=0$ が意味すること)
- 第7章表現論 — 既約表現と大直交定理 表現の定義,可約表現と既約表現,相似変換とブロック対角化,表現のユニタリ性,Schurの補題(第1・第2)の完全証明,大直交定理(Wonderful Orthogonality Theorem)の導出,$\sum_i \ell_i^2 = h$
- 第8章指標表 — 作り方と読み方 指標の定義と類による不変性,指標の直交定理,既約表現の数=類の数,第2直交関係,正則表現,$C_{3v}$・$C_{4v}$・$O_h$ の指標表を白紙から作る,既約分解の公式,Mulliken記号の読み方
- 第9章基底関数と射影演算子 基底関数とは何か,射影演算子 $\hat{P}^{(\Gamma_n)}$ の導出,正三角形の3原子からSALCを作る,$x,y,z$ と $d$ 軌道がどの既約表現に属するか,対称性適合線形結合の実際の計算
- 第10章群論の応用 — 結晶場分裂・選択則・分子振動 $d$ 軌道の八面体結晶場分裂 $\Gamma_d = E_g \oplus T_{2g}$ の完全計算,四面体場との比較,直積表現と選択則,積分が消える条件,分子振動の既約分解,赤外活性とRaman活性,$\mathrm{CH_4}$ の振動モード
- 第11章空間群の表現とBloch定理 並進群の既約表現から $\bm{k}$ が量子数として現れること,Bloch定理の群論的導出,波数群,高対称点 $\Gamma, X, L, M, K$ とその小群,compatibility relation,バンドの縮退と接続,フォノンの既約表現
第III部 固体の物性
- 第12章結晶結合と弾性定数 van der Waals–London相互作用の導出,Lennard-Jones,イオン結晶のMadelungエネルギー,共有結合・金属結合・水素結合,ひずみテンソルと応力テンソル,弾性スティフネス $C_{11},C_{12},C_{44}$,立方晶の弾性波と音速
- 第13章フォノンI — 格子振動 単原子鎖の分散関係の完全導出,第1Brillouin域に折り返す理由,群速度,2原子鎖と光学分枝・音響分枝,$\omega$ の極限形,弾性波の量子化,フォノンの運動量,中性子非弾性散乱
- 第14章フォノンII — 熱的性質 Planck分布,状態密度の数え方(周期境界条件),Debyeモデルと $T^3$ 法則の完全導出,Einsteinモデル,van Hove特異点,非調和性とGrüneisenパラメータ,熱膨張,熱伝導率とUmklapp過程
- 第15章自由電子Fermi気体 1次元・3次元の量子化,Fermi球とFermiエネルギー,Fermi–Dirac分布,Sommerfeld展開の完全導出,電子比熱 $\gamma T$,Drudeの伝導度,Hall効果,Wiedemann–Franz則とLorenz数
- 第16章エネルギーバンド なぜギャップができるのか(定在波の描像),ほとんど自由な電子模型の2×2永年方程式,Bloch関数,Kronig–Penneyモデルの完全解,中心方程式,ゾーン境界近傍の解,バンド内の状態数と金属・絶縁体の区別
- 第17章半導体 直接遷移と間接遷移,$\hbar \dot{\bm{k}} = \bm{F}$ の導出,有効質量テンソル,正孔の符号,真性キャリア濃度 $n_i$ の導出,質量作用の法則,ドナー・アクセプターの束縛エネルギー(水素様模型),不純物伝導,移動度
- 第18章Fermi面と金属 還元ゾーン形式と周期ゾーン形式,Harrison構成,電子軌道・正孔軌道・開いた軌道,強束縛近似の完全導出,Wigner–Seitz法,擬ポテンシャル,de Haas–van Alphen効果とOnsagerの量子化条件
- 第19章誘電体と強誘電体 局所電場とLorentz場,Clausius–Mossotti関係,分極率の3成分,ソフトモードとLyddane–Sachs–Teller関係,強誘電体の分類,Landau自由エネルギー展開と相転移の次数,$\mathrm{BaTiO_3}$,第4章の点群の話との接続
- 第20章磁性 Langevin反磁性,常磁性とBrillouin関数,Curie則,Hund則,結晶場と軌道角運動量の消失,Weissの分子場理論とCurie–Weiss則,交換相互作用の起源,反強磁性とNéel温度,強磁性磁区とスピン波
付録
- 付録A数学ノート Kittelが飛ばす計算をすべて埋めるための道具箱:Fourier級数と変換,周期境界条件と状態の数え方,Sommerfeld展開,Debye積分 $\int_0^\infty x^4 e^x/(e^x-1)^2 dx$,行列の対角化とトレース,テンソルと添字記法,複素数と留数,Diracのデルタ関数,Legendre変換
- 付録B結晶学の実務 — 国際表・CIF・VESTA・CrystOD International Tables for Crystallography の読み方,Wyckoff位置と一般位置,CIFファイルを自分で書く,VESTAでの構造描画・XRD計算・セル変換行列,CrystODによる対称性解析,Materials Project と ICSD,ソフトウェアを引用することの意味
- 付録C演習問題の解答 第1章〜第20章および付録Bの演習問題,全122問の解答.答えだけでなく途中の式変形をすべて書いてある.自分の答案と突き合わせて,どこで道が分かれたかを見つけるためのもの.多くの問題に「学生がやりがちな誤り」「別解」「物理的な意味」の補足を付けた
主要参考書
- C. Kittel『キッテル 固体物理学入門(上・下)』第8版,丸善出版 — 第III部の骨格.
- M. S. Dresselhaus, G. Dresselhaus, A. Jorio, Group Theory: Application to the Physics of Condensed Matter, Springer (2008) — 第II部の骨格.
- 今野 豊彦『物質の対称性と群論』共立出版 — 第I部・第II部の日本語での標準的な参考書.
- International Union of Crystallography, International Tables for Crystallography, Vol. A — 空間群のすべてが載っている一次資料.
- N. W. Ashcroft, N. D. Mermin, Solid State Physics, Saunders (1976) — より進んだ議論が必要になったときに.
- J. K. Burdett, Chemical Bonding in Solids, Oxford University Press — 固体を化学結合の目で見る.
- K. Momma, F. Izumi, J. Appl. Crystallogr. 44, 1272 (2011) — VESTA.使ったら必ず引用すること.
東京理科大学 先進工学部 マテリアル創成工学科 望月研究室
望月研究室勉強会「物質の対称性と群論」(2026年4月24日)の資料をもとに構成