固体物理学入門 — 目次 第II部 対称性を計算に変える — 群論 / 第9章

第9章基底関数と射影演算子

第8章で指標表を白紙から作れるようになった.しかし,実際の指標表を教科書で開くと,指標の数値が並んだ表の右端にもうひとつ列があることに気づく.$C_{3v}$ の表なら,$A_1$ の行に $z$ と $x^2+y^2,\ z^2$,$A_2$ の行に $R_z$,$E$ の行に $(x,y)$ と $(xz,yz)$ ——.この列は何なのか.なぜ $x$ と $y$ はセットで書かれ,$z$ だけ別なのか.$R_z$ の $R$ とは何か.

本章は,この問いにまっすぐ答える.右端の列に書かれているのは基底関数(basis function)である.ある既約表現の基底関数とは,「群のすべての対称操作を施したとき,その既約表現の行列にしたがって互いに混ざり合う関数の組」のことである.$x$ と $y$ が $C_{3v}$ で必ず混ざり合ってしまい,$z$ は決して混ざらない —— この事実が,あの列に凝縮されている.

そしてもうひとつ,本章の主役がある.射影演算子(projection operator)$\hat{P}^{(\Gamma_n)}$ である.適当に選んだ関数にこの演算子を作用させると,その関数の中に含まれる「$\Gamma_n$ 成分」だけがすくい取られて出てくる.第7章の大直交定理から2行で導けるこの道具は,群論を「分類の学問」から「計算の道具」へと変える.分子軌道の対称性適合線形結合(SALC)も,フォノンの基準振動も,$d$ 軌道の結晶場分裂も,すべてこの演算子ひとつで機械的に求まる.

本章の後半では,正三角形に置かれた3つの水素 $1s$ 軌道から SALC を実際に作り,それを使って $3\times3$ の永年方程式を $1\times1$ と $2\times2$ に分解する.手を動かせば,群論が「賢い計算法」であることが体で分かるはずである.

この章で学ぶこと
  • 関数に作用する演算子 $\hat{P}_R f(\rr) = f(R^{-1}\rr)$ の定義と,なぜ $R^{-1}$ が入るのか
  • 基底関数の定義 $\hat{P}_R f^{(\Gamma_n)}_\mu = \sum_\nu D^{(\Gamma_n)}(R)_{\nu\mu} f^{(\Gamma_n)}_\nu$
  • $C_{3v}$ で $z$ が $A_1$,$(x,y)$ が $E$ に属することを,行列を実際に作って確かめる
  • 射影演算子 $\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}$ の大直交定理からの導出,冪等性 $\hat{P}^2 = \hat{P}$,完全性 $\sum_n \hat{P}^{(\Gamma_n)} = \hat{1}$
  • 正三角形の3原子から SALC を作る全過程($\mathrm{NH_3}$ の3つの $\mathrm{H}\,1s$ 軌道)
  • SALC を使った永年方程式のブロック対角化と,Hückel 準位図
  • 回転群の指標 $\chi^{(\ell)}(\alpha) = \sin[(\ell+\tfrac12)\alpha]/\sin(\alpha/2)$ の導出と,$d$ 軌道が $O_h$ で $E_g \oplus T_{2g}$ に分かれること
  • 指標表の右端の列($x,y,z$ / $R_x,R_y,R_z$ / 2次式)の意味と使い方
前提:第6章(群の基礎・類),第7章(既約表現・大直交定理・Schurの補題),第8章(指標・既約分解の公式).第4章の対称操作の行列表示も使う.初等量子力学(水素原子の $s,p,d$ 軌道の形)を知っていると 9.6 節が読みやすい.

9.1 関数に作用する対称操作と基底関数

9.1.1 点を動かす操作から,関数を動かす操作へ

第4章では,対称操作 $R$ を「点 $\rr$ を点 $R\rr$ に移す $3\times3$ 行列」として扱った.ところが量子力学で扱いたい対象は,点ではなく波動関数である.$\psi(\rr)$ という関数に対称操作を施すとは,どういう意味だろうか.

まず,対称操作を関数の世界に持ち込むための演算子を用意する.行列 $R$ と区別するため,関数に作用するほうを $\hat{P}_R$ と書く.

定義:関数に作用する対称操作 $\hat{P}_R$

対称操作 $R$($3\times3$ 直交行列)に対して,関数 $f$ に作用する演算子 $\hat{P}_R$ を

$$ \begin{equation} \left(\hat{P}_R f\right)(\rr) \;=\; f\!\left(R^{-1}\rr\right) \label{eq:9-PRdef} \end{equation} $$

で定義する.$\hat{P}_R f$ は「$f$ を丸ごと $R$ だけ回した(あるいは映した)新しい関数」である.

ここで,ほぼすべての学生がつまずく.なぜ $R$ ではなく $R^{-1}$ なのか.この一点を,幾何と代数の両面から丁寧に潰しておく.

導出1(幾何):$R^{-1}$ が現れる理由

関数 $f$ が,点 $\rr_0$ のあたりで大きな値を取り,それ以外ではほぼゼロだとしよう(図9.1 左).この「山」を,物理的に $R$ だけ回した新しい関数を作りたい.新しい関数を $g = \hat{P}_R f$ と書く.

「$f$ の山を $R$ だけ回した」のだから,$g$ の山は点 $R\rr_0$ にあるはずである.そして山の高さは変わらない.すなわち

$$ g(R\rr_0) \;=\; f(\rr_0) $$

が,すべての点 $\rr_0$ について成り立たなければならない.これが要請のすべてである.

あとは変数を書き換えるだけである.$\rr \equiv R\rr_0$ と置くと,$\rr_0 = R^{-1}\rr$ である.これを上式の両辺に代入すると

$$ g(\rr) \;=\; f\!\left(R^{-1}\rr\right) $$

∎ これが式 \eqref{eq:9-PRdef} である.$R^{-1}$ が現れるのは,「関数を動かす」ことが「引数を逆向きに動かす」ことと同じだからである.

直観的な言い方をすれば,こうなる.関数の値を読み取る場所(引数)を右に $90^\circ$ ずらせば,読み取られる山は左に $90^\circ$ ずれて見える.山そのものを右に動かしたければ,引数は左に動かさねばならない.

もとの関数 f x y r₀ f が大きい R で 90° 回す 回した関数 PR f x y r₀(もとの位置) R r₀ 要請:(PR f) の点 R r₀ での値 = f の点 r₀ での値 r = R r₀ と置きかえると (PR f)(r) = f(R⁻¹ r)
図9.1 なぜ $\hat{P}_R f(\rr) = f(R^{-1}\rr)$ なのか.関数の「山」を $R$ だけ回すという要請 $(\hat P_R f)(R\rr_0) = f(\rr_0)$ に,$\rr = R\rr_0$ すなわち $\rr_0 = R^{-1}\rr$ を代入するだけで $R^{-1}$ が出てくる.山(関数)を正の向きに回すことと,引数を負の向きに回すことが同じである,という一点に尽きる.

導出2(代数):$R^{-1}$ でないと群の構造が壊れる

$\hat{P}_R$ が意味を持つためには,群の積の構造を保っていなければならない.つまり

$$ \begin{equation} \hat{P}_R\,\hat{P}_S \;=\; \hat{P}_{RS} \label{eq:9-homo} \end{equation} $$

が要る(これを準同型,homomorphism という).定義 \eqref{eq:9-PRdef} で確かめよう.まず $g \equiv \hat{P}_S f$ と置く.定義より $g(\rr) = f(S^{-1}\rr)$ である.次に $\hat{P}_R$ をこの $g$ に作用させる.ふたたび定義より

$$ \left(\hat{P}_R\,\hat{P}_S f\right)(\rr) \;=\; \left(\hat{P}_R\, g\right)(\rr) \;=\; g\!\left(R^{-1}\rr\right) $$

ここで $g$ の引数に $R^{-1}\rr$ を入れる.$g(\bm{u}) = f(S^{-1}\bm{u})$ だったから,$\bm{u} = R^{-1}\rr$ として

$$ g\!\left(R^{-1}\rr\right) \;=\; f\!\left(S^{-1}R^{-1}\rr\right) $$

ところが行列の逆の公式 $(RS)^{-1} = S^{-1}R^{-1}$ より,$S^{-1}R^{-1} = (RS)^{-1}$ である.したがって

$$ \left(\hat{P}_R\,\hat{P}_S f\right)(\rr) \;=\; f\!\left((RS)^{-1}\rr\right) \;=\; \left(\hat{P}_{RS}f\right)(\rr) $$

∎ 式 \eqref{eq:9-homo} が成り立った.

もし $R^{-1}$ ではなく $R$ で定義していたらどうなるか.$\tilde{P}_R f(\rr) \equiv f(R\rr)$ と定義してみる.同じ計算をたどると

$$ \left(\tilde{P}_R\tilde{P}_S f\right)(\rr) = \left(\tilde{P}_S f\right)(R\rr) = f(S R \rr) = \left(\tilde{P}_{SR}f\right)(\rr) $$

すなわち $\tilde{P}_R\tilde{P}_S = \tilde{P}_{SR}$ となり,積の順序がひっくり返ってしまう.非可換な群($C_{3v}$ はまさにそうである)では $RS \ne SR$ だから,これは致命的である.表現行列の掛け算と演算子の掛け算が食い違い,以降の議論がすべて崩れる.$R^{-1}$ は「そう決めた」のではなく,そう決めるしかないのである.

例題9.1 $\hat{P}_{C_4}x$ を計算して符号を確かめる

$z$ 軸まわりの $+90^\circ$ 回転 $C_4$ を考える.関数 $f(\rr) = x$ に $\hat{P}_{C_4}$ を作用させよ.

解答.まず $C_4$ の行列は(第4章の式より $\phi = 90^\circ$ として)

$$ C_4 = \begin{pmatrix}0&-1&0\\1&0&0\\0&0&1\end{pmatrix}, \qquad C_4^{-1} = \begin{pmatrix}0&1&0\\-1&0&0\\0&0&1\end{pmatrix} $$

である($C_4^{-1}$ は $-90^\circ$ 回転).したがって

$$ C_4^{-1}\rr = \begin{pmatrix}0&1&0\\-1&0&0\\0&0&1\end{pmatrix}\begin{pmatrix}x\\y\\z\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}y\\-x\\z\end{pmatrix} $$

$f$ は「第1成分を取り出す」関数だから,その引数に $C_4^{-1}\rr$ を入れれば第1成分は $y$ である:

$$ \hat{P}_{C_4}\,x \;=\; y $$

符号の検算.関数 $x$ は「$+x$ 方向で正,$-x$ 方向で負」という関数である.これを $+90^\circ$ 回せば,「$+y$ 方向で正,$-y$ 方向で負」になるはずである.それはまさに関数 $y$ である.✓

もし誤って $f(C_4\rr)$ としていたら,$C_4\rr = (-y,\ x,\ z)$ より $\hat{P}_{C_4}x = -y$ となり,符号が逆になってしまう.∎

9.1.2 基底関数の定義

準備ができた.いよいよ本章の主題である基底関数を定義する.

定義:既約表現 $\Gamma_n$ の基底関数(basis function)

$\ell_n$ 個の関数の組 $\left\{f^{(\Gamma_n)}_1, f^{(\Gamma_n)}_2, \dots, f^{(\Gamma_n)}_{\ell_n}\right\}$ が,群のすべての元 $R$ に対して

$$ \begin{equation} \hat{P}_R\, f^{(\Gamma_n)}_\mu \;=\; \sum_{\nu=1}^{\ell_n} D^{(\Gamma_n)}(R)_{\nu\mu}\; f^{(\Gamma_n)}_\nu \label{eq:9-basis} \end{equation} $$

を満たすとき,この組を既約表現 $\Gamma_n$ の基底関数(の組)という.添字 $\mu$ をパートナー添字(partner index)と呼び,「$f_\mu$ は $\Gamma_n$ の第 $\mu$ 行に属する」という言い方をする.

注意:添字の順序を間違えないこと

式 \eqref{eq:9-basis} の右辺で,和を取るのは行添字 $\nu$ のほうで,固定されているのは列添字 $\mu$ のほうである.つまり「$\hat{P}_R f_\mu$ の展開係数は,行列 $D(R)$ の第 $\mu$ 列を縦に読んだもの」である.

これは,$D$ が群の積を積のまま保つ($D(R)D(S)=D(RS)$,すなわち準同型になる)ようにするための約束である.掛け算の形で見たいなら,次の2通りが素直な形になる.関数の組を横ベクトルに並べれば $\hat{P}_R(f_1,\dots,f_{\ell_n}) = (f_1,\dots,f_{\ell_n})\,D(R)$ と右から掛かり,$\psi=\sum_\mu c_\mu f_\mu$ の展開係数を縦ベクトル $\bm{c}$ に並べれば $\bm{c}\to D(R)\bm{c}$ と左から掛かる.ただし関数そのものを縦ベクトル $\bm{f}=(f_1,\dots,f_{\ell_n})^{\!\top}$ に並べた場合は $\hat{P}_R\bm{f} = D(R)^{\!\top}\bm{f}$ となり,$D(R)$ が素直に左から掛かる形にはならない.第6章の例題6.11 が $p$ 軌道を横ベクトル $(p_x,p_y)$ に並べて右から $D(C_3)$ を掛ける形で書いているのは,この事情による.逆にしてしまうと($\sum_\nu D_{\mu\nu}f_\nu$ と書くと),係数行列の積の順序が入れ替わって $D(R)D(S) = D(SR)$ となり,群の積と行列の積の順序が逆転してしまう(これを反準同型という).式 \eqref{eq:9-homo} 自体は定義 \eqref{eq:9-PRdef} だけから従うので壊れないが,$D$ のほうが表現でなくなってしまうのである.教科書によって流儀が違うので,他書と突き合わせるときは必ずこの点を確認すること.本書は Dresselhaus の流儀に従う.

補足:1次元既約表現の場合は特に簡単

$\ell_n = 1$ のときは和が1項しかなく,しかも $D^{(\Gamma_n)}(R)$ は $1\times1$ 行列すなわち数そのもの,つまり指標 $\chi^{(\Gamma_n)}(R)$ に等しい.したがって

$$ \hat{P}_R\, f^{(\Gamma_n)} = \chi^{(\Gamma_n)}(R)\, f^{(\Gamma_n)} $$

となる.すなわち1次元既約表現の基底関数は,すべての $\hat{P}_R$ の同時固有関数であり,その固有値がそのまま指標である.$A_1$(すべての指標が $1$)の基底関数は,あらゆる対称操作で不変な「全対称関数」にほかならない.

物理的意味:なぜ基底関数を考えるのか

第6章で見たように,Hamiltonian $\Ham$ が群のすべての操作と可換であれば($[\Ham,\hat{P}_R] = 0$),次のことが言える.$\Ham\psi = E\psi$ のとき,両辺に $\hat{P}_R$ を掛けて可換性を使えば

$$ \hat{P}_R\Ham\psi = \Ham\left(\hat{P}_R\psi\right) = E\left(\hat{P}_R\psi\right) $$

すなわち $\hat{P}_R\psi$ も同じ固有値 $E$ の固有関数である.ゆえに,固有値 $E$ に属する固有関数の張る空間は,すべての $\hat{P}_R$ によって自分自身に移される.つまりこの空間は群の表現を担う.そして(偶然の縮退を除けば)それは既約表現である.

結論はこうなる.エネルギー固有関数は,必ずどれかの既約表現の基底関数になっている.そして縮退度は既約表現の次元 $\ell_n$ に等しい.だから「どんな関数がどの既約表現の基底になるか」を知ることは,「どんな縮退がどこに現れるか」を知ることと同じなのである.第10章の結晶場分裂,第11章のバンドの縮退は,すべてこの原理の応用である.

9.2 $C_{3v}$ で確かめる — $z$ は $A_1$,$(x,y)$ は $E$

抽象論はここまでにして,$C_{3v}$($\mathrm{NH_3}$ の点群)で実際に手を動かす.第6章・第8章でこの群の積表と指標表は作ってあるので,結果だけ再掲する.

表9.1 $C_{3v}$ の指標表($h=6$).右端の2列が本章の主題である
$C_{3v}$$E$$2C_3$$3\sigma_v$1次の基底2次の基底
$A_1$$1$$1$$1$$z$$x^2+y^2,\ z^2$
$A_2$$1$$1$$-1$$R_z$—
$E$$2$$-1$$0$$(x,y),\ (R_x,R_y)$$(x^2-y^2,\ xy),\ (xz,\ yz)$

群の6個の元を具体的に固定しておく.$z$ 軸を3回軸とし,鏡映面 $\sigma_1$ を $xz$ 面(すなわち $y \to -y$)に取る.残りの2枚 $\sigma_2,\sigma_3$ は,$x$ 軸から測って $120^\circ$,$240^\circ$ の方向に立つ面である.

$$ C_{3v} = \left\{ E,\; C_3,\; C_3^2,\; \sigma_1,\; \sigma_2,\; \sigma_3 \right\},\qquad h = 6 $$

9.2.1 $z$ に対称操作を作用させる

導出:$z$ が $A_1$ に属すること

$f(\rr) = z$ に,6個の $\hat{P}_R$ をひとつずつ作用させる.式 \eqref{eq:9-PRdef} により,必要なのは $R^{-1}\rr$ の第3成分である.

(i) 回転 $C_3$.$C_3^{-1}$ は $z$ 軸まわりの $-120^\circ$ 回転であり,$z$ 成分には何もしない:

$$ C_3^{-1}\rr = \left(-\tfrac12 x + \tfrac{\sqrt3}{2}y,\;\; -\tfrac{\sqrt3}{2}x - \tfrac12 y,\;\; z\right) $$

第3成分は $z$ である.よって $\hat{P}_{C_3} z = z$.同様に $\hat{P}_{C_3^2} z = z$,$\hat{P}_E z = z$.

(ii) 鏡映 $\sigma_1$($xz$ 面).この操作は $(x,y,z) \to (x,-y,z)$ であり,$\sigma_1^{-1} = \sigma_1$(鏡映は2回施すと元に戻るので自分自身が逆元).よって

$$ \sigma_1^{-1}\rr = (x,\,-y,\,z)\quad\Longrightarrow\quad \hat{P}_{\sigma_1}z = z $$

(iii) $\sigma_2,\sigma_3$.これらの面も $z$ 軸を含む($\sigma_v$ は主軸を含む面である,第4章).$z$ 軸上の点は動かないから,やはり $\hat{P}_{\sigma_2}z = \hat{P}_{\sigma_3}z = z$.

まとめると,6個すべての操作について

$$ \hat{P}_R\, z = 1 \cdot z \qquad(\forall R \in C_{3v}) $$

である.式 \eqref{eq:9-basis} と見比べると,これは $\ell_n = 1$ で $D(R) = 1$(すべての $R$)ということ,すなわち指標が $(1,1,1)$ の1次元既約表現である.表9.1 を見ればそれは $A_1$ である.∎

したがって $z \in A_1$.表9.1 の右端の $A_1$ の行に $z$ と書いてある理由が,これで説明できた.

9.2.2 $x$ と $y$ に作用させる — なぜセットになるのか

導出:$\hat{P}_{C_3}x$ と $\hat{P}_{C_3}y$ を計算し,$D^{(E)}(C_3)$ を読み取る

上に書いた $C_3^{-1}\rr$ の第1成分・第2成分をそのまま読めばよい.

$$ \begin{equation} \hat{P}_{C_3}\,x = -\tfrac12\,x + \tfrac{\sqrt3}{2}\,y, \qquad \hat{P}_{C_3}\,y = -\tfrac{\sqrt3}{2}\,x - \tfrac12\,y \label{eq:9-c3xy} \end{equation} $$

ここが決定的である.$\hat{P}_{C_3}x$ は $x$ だけでは書けず,必ず $y$ が混ざる.だから $x$ 単独では基底関数の組を作れない.$x$ と $y$ を2つセットにして初めて,式 \eqref{eq:9-basis} の形に閉じる.これが「$(x,y)$ とカッコでくくって書かれる」ことの意味である.

行列を読み取ろう.$f_1 = x$, $f_2 = y$ と置き,式 \eqref{eq:9-basis} を書き下すと

$$ \hat{P}_{C_3}f_1 = D_{11}f_1 + D_{21}f_2, \qquad \hat{P}_{C_3}f_2 = D_{12}f_1 + D_{22}f_2 $$

である(和は第1添字について,9.1.2節の注意を参照).式 \eqref{eq:9-c3xy} と係数を突き合わせると

$$ D_{11} = -\tfrac12,\quad D_{21} = \tfrac{\sqrt3}{2},\qquad D_{12} = -\tfrac{\sqrt3}{2},\quad D_{22} = -\tfrac12 $$

すなわち

$$ D^{(E)}(C_3) = \begin{pmatrix} -\tfrac12 & -\tfrac{\sqrt3}{2} \\[4pt] \tfrac{\sqrt3}{2} & -\tfrac12 \end{pmatrix}, \qquad \Tr D^{(E)}(C_3) = -\tfrac12 - \tfrac12 = -1 $$

∎ 表9.1 の $E$ の行,$2C_3$ の列にある $\chi^{(E)}(C_3) = -1$ と一致する.✓

なぜ:$D^{(E)}(C_3)$ が $C_3$ の回転行列そのものになったのか

上で得た $D^{(E)}(C_3)$ を,第4章の回転行列 $C_3$ の $xy$ ブロックと見比べてほしい.まったく同じである.転置も逆行列も入っていない.これは偶然ではない.

一般に,$f_\mu = x_\mu$(座標そのもの)を基底に取ると,定義 \eqref{eq:9-PRdef} より

$$ \hat{P}_R\,x_\mu = \left(R^{-1}\rr\right)_\mu = \sum_\nu \left(R^{-1}\right)_{\mu\nu}x_\nu $$

ここで対称操作の行列は直交行列だから $R^{-1} = R^{\!\top}$,すなわち $\left(R^{-1}\right)_{\mu\nu} = R_{\nu\mu}$ である.したがって

$$ \hat{P}_R\,x_\mu = \sum_\nu R_{\nu\mu}\,x_\nu $$

これを式 \eqref{eq:9-basis} と比べれば,ただちに

$$ \begin{equation} D(R) = R \qquad (\text{基底が } (x,y,z) \text{ のとき}) \label{eq:9-DequalsR} \end{equation} $$

である.つまり,$\hat{P}_R f(\rr) = f(R^{-1}\rr)$ という定義と,式 \eqref{eq:9-basis} の添字順序という2つの約束は,両方合わせて初めて「表現行列=幾何学的な回転行列」を実現するように選ばれている.どちらか片方だけを他書の流儀に合わせると,転置が入って合わなくなる.2つはセットである.

例題9.2 $D^{(E)}$ の6個の行列をすべて書き,指標を確かめる

$(x,y)$ を基底として,$C_{3v}$ の6個の元の $2\times2$ 表現行列を求めよ.

解答.式 \eqref{eq:9-DequalsR} により,幾何学的な行列の $xy$ ブロックをそのまま書けばよい.角 $\theta$ の直線に関する2次元の鏡映行列は $\begin{pmatrix}\cos2\theta & \sin2\theta\\ \sin2\theta & -\cos2\theta\end{pmatrix}$ である.

$$ D(E) = \begin{pmatrix}1&0\\0&1\end{pmatrix},\quad D(C_3) = \begin{pmatrix}-\tfrac12&-\tfrac{\sqrt3}{2}\\[3pt] \tfrac{\sqrt3}{2}&-\tfrac12\end{pmatrix},\quad D(C_3^2) = \begin{pmatrix}-\tfrac12&\tfrac{\sqrt3}{2}\\[3pt] -\tfrac{\sqrt3}{2}&-\tfrac12\end{pmatrix} $$ $$ D(\sigma_1) = \begin{pmatrix}1&0\\0&-1\end{pmatrix},\quad D(\sigma_2) = \begin{pmatrix}-\tfrac12&-\tfrac{\sqrt3}{2}\\[3pt] -\tfrac{\sqrt3}{2}&\tfrac12\end{pmatrix},\quad D(\sigma_3) = \begin{pmatrix}-\tfrac12&\tfrac{\sqrt3}{2}\\[3pt] \tfrac{\sqrt3}{2}&\tfrac12\end{pmatrix} $$

($\sigma_1$ は $\theta = 0$,$\sigma_2$ は $\theta = 120^\circ$ で $\cos240^\circ=-\tfrac12,\ \sin240^\circ=-\tfrac{\sqrt3}{2}$,$\sigma_3$ は $\theta=240^\circ$ で $\cos480^\circ=-\tfrac12,\ \sin480^\circ=\tfrac{\sqrt3}{2}$.)

トレースを取ると $\chi = 2,\ -1,\ -1,\ 0,\ 0,\ 0$.類ごとにまとめて $\chi(E)=2$, $\chi(2C_3)=-1$, $\chi(3\sigma_v)=0$.表9.1 の $E$ の行と完全に一致する.∎

ついでに,これが本当に既約であることも確かめられる.第8章の判定条件 $\frac{1}{h}\sum_R \abs{\chi(R)}^2 = 1$ を使うと

$$ \frac{1}{6}\left[2^2 + (-1)^2 + (-1)^2 + 0 + 0 + 0\right] = \frac{6}{6} = 1 \quad ✓ $$

補足:$z$ と $(x,y)$ が分かれたのは「主軸があるから」

3つの座標 $x,y,z$ は,もともと3次元ベクトルの成分として一体のものである.それが $C_{3v}$ では $z$($A_1$)と $(x,y)$($E$)に分かれた.理由は単純で,この群のすべての操作が $z$ 軸を軸として動かさないからである.$z$ 軸方向だけは特別扱いされ,それに垂直な面内の $x,y$ は回転で互いに混ざり合う.

もし群が $O_h$(立方晶)なら,$x,y,z$ は3つとも $C_4$ や $C_3$ によって互いに移り合うので分離できず,3次元既約表現 $T_{1u}$ をまとめて張る.どの既約表現に落ちるかは,群が何であるかによって決まる.「$x$ は何表現か」という問いは,群を指定しないと意味を持たない.

9.3 射影演算子 — 大直交定理からの導出

ここまでは「与えられた関数がどの既約表現に属するか」を調べた.実際の計算で欲しいのはその逆である.すなわち,対称性など考えずに作った関数の集まりから,「$\Gamma_n$ に属する部分」を機械的に取り出したい.それを実現するのが射影演算子である.

9.3.1 定義と導出

定義:射影演算子

$$ \begin{equation} \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu} \;=\; \frac{\ell_n}{h}\sum_{R} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\;\hat{P}_R \label{eq:9-projfull} \end{equation} $$

和は群のすべての元 $R$($h$ 個)にわたる.特に $\mu=\nu$ と置いて $\mu$ について和を取ったものを

$$ \begin{equation} \hat{P}^{(\Gamma_n)} \;\equiv\; \sum_{\mu=1}^{\ell_n}\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\mu} \;=\; \frac{\ell_n}{h}\sum_{R} \chi^{(\Gamma_n)}(R)^{*}\;\hat{P}_R \label{eq:9-projchi} \end{equation} $$

と書き,$\Gamma_n$ への射影演算子と呼ぶ.$\sum_\mu D_{\mu\mu} = \chi$ を使っただけである.

式 \eqref{eq:9-projchi} が実用上ありがたいのは,指標さえ分かれば作れる点である.表現行列 $D(R)$ を全部知る必要はない.指標表は本の巻末にあるから,誰でもすぐ使える.

導出:射影演算子が本当に「射影」であること

示したいのは次の関係である.既約表現 $\Gamma_{n'}$ の基底関数 $f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'}$ に $\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}$ を作用させると

$$ \begin{equation} \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}\, f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'} \;=\; \delta_{nn'}\,\delta_{\nu\nu'}\, f^{(\Gamma_n)}_{\mu} \label{eq:9-projact} \end{equation} $$

となる.順に計算する.まず定義 \eqref{eq:9-projfull} を代入し,$\hat{P}_R f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'}$ に式 \eqref{eq:9-basis} を使う:

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}\, f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'} = \frac{\ell_n}{h}\sum_{R} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\;\underbrace{\sum_{\mu'} D^{(\Gamma_{n'})}(R)_{\mu'\nu'}\, f^{(\Gamma_{n'})}_{\mu'}}_{\hat{P}_R f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'}} $$

ここで $R$ の和と $\mu'$ の和は独立だから,順序を入れ替えて $f^{(\Gamma_{n'})}_{\mu'}$ を和の外に出す:

$$ = \frac{\ell_n}{h}\sum_{\mu'} f^{(\Gamma_{n'})}_{\mu'} \left[\sum_{R} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\, D^{(\Gamma_{n'})}(R)_{\mu'\nu'}\right] $$

角カッコの中が,まさに第7章の大直交定理(Wonderful Orthogonality Theorem)の左辺である:

$$ \sum_{R} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\, D^{(\Gamma_{n'})}(R)_{\mu'\nu'} = \frac{h}{\ell_n}\,\delta_{nn'}\,\delta_{\mu\mu'}\,\delta_{\nu\nu'} $$

これを代入すると

$$ = \frac{\ell_n}{h}\cdot\frac{h}{\ell_n}\sum_{\mu'} f^{(\Gamma_{n'})}_{\mu'}\;\delta_{nn'}\,\delta_{\mu\mu'}\,\delta_{\nu\nu'} $$

係数 $\ell_n/h$ と $h/\ell_n$ が打ち消し合い(これが定義に $\ell_n/h$ を付けておいた理由である),$\delta_{\mu\mu'}$ が $\mu'$ の和を $\mu' = \mu$ の1項だけに潰す.結果は

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}\, f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'} = \delta_{nn'}\,\delta_{\nu\nu'}\, f^{(\Gamma_n)}_{\mu} $$

∎ 式 \eqref{eq:9-projact} が示された.

この式が言っていること.作用させる関数が (i) 別の既約表現に属していれば($n \ne n'$)ゼロ,(ii) 同じ既約表現でもパートナー添字が合わなければ($\nu \ne \nu'$)ゼロ,(iii) 両方合ったときだけ,添字を $\nu$ から $\mu$ に付け替えて返す.だから $\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}$ は「移し替え演算子」(transfer operator)とも呼ばれる.$\nu$ 番目のパートナーが1つ手に入れば,この演算子で残りの $\ell_n - 1$ 個が全部作れるのである.

導出:指標だけを使う形 $\hat{P}^{(\Gamma_n)}$ の作用

式 \eqref{eq:9-projact} で $\nu = \mu$ と置くと

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\mu}\, f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'} = \delta_{nn'}\,\delta_{\mu\nu'}\, f^{(\Gamma_n)}_{\mu} $$

この両辺を $\mu = 1,\dots,\ell_n$ について足す.右辺では $\delta_{\mu\nu'}$ があるので,$\mu = \nu'$ の1項だけが残る:

$$ \begin{equation} \hat{P}^{(\Gamma_n)}\, f^{(\Gamma_{n'})}_{\nu'} = \delta_{nn'}\, f^{(\Gamma_{n})}_{\nu'} \label{eq:9-projchiact} \end{equation} $$

∎ すなわち $\hat{P}^{(\Gamma_n)}$ は,パートナー添字を保ったまま,$\Gamma_n$ に属する成分だけを通し,それ以外を消す.まさに「フィルター」である.

9.3.2 冪等性と完全性

定理9.1 冪等性(idempotency)

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}\,\hat{P}^{(\Gamma_{n'})} = \delta_{nn'}\,\hat{P}^{(\Gamma_n)}, \qquad\text{特に}\qquad \left(\hat{P}^{(\Gamma_n)}\right)^2 = \hat{P}^{(\Gamma_n)} $$

証明:冪等性

定義 \eqref{eq:9-projfull} を2つ掛ける.積の中の演算子は $\hat{P}_R\hat{P}_S = \hat{P}_{RS}$(式 \eqref{eq:9-homo})である:

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}\,\hat{P}^{(\Gamma_{n'})}_{\mu'\nu'} = \frac{\ell_n \ell_{n'}}{h^2}\sum_{R}\sum_{S} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\,D^{(\Gamma_{n'})}(S)^{*}_{\mu'\nu'}\,\hat{P}_{RS} $$

ここで変数変換をする.$R$ を固定して $T = RS$ と置くと,$S$ が群を1周するとき $T$ も群を1周する(第6章の再配列定理).$S = R^{-1}T$ である.したがって

$$ = \frac{\ell_n \ell_{n'}}{h^2}\sum_{R}\sum_{T} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\,D^{(\Gamma_{n'})}(R^{-1}T)^{*}_{\mu'\nu'}\,\hat{P}_{T} $$

表現行列の性質 $D(R^{-1}T) = D(R^{-1})D(T)$ を成分で書くと

$$ D^{(\Gamma_{n'})}(R^{-1}T)^{*}_{\mu'\nu'} = \sum_{\lambda} D^{(\Gamma_{n'})}(R^{-1})^{*}_{\mu'\lambda}\, D^{(\Gamma_{n'})}(T)^{*}_{\lambda\nu'} $$

さらに,表現はユニタリに取れる(第7章)から $D(R^{-1}) = D(R)^{-1} = D(R)^{\dagger}$,成分では $D(R^{-1})_{\mu'\lambda} = D(R)^{*}_{\lambda\mu'}$,その複素共役を取って

$$ D^{(\Gamma_{n'})}(R^{-1})^{*}_{\mu'\lambda} = D^{(\Gamma_{n'})}(R)_{\lambda\mu'} $$

これで $R$ に関する和が大直交定理の形になった:

$$ \sum_{R} D^{(\Gamma_n)}(R)^{*}_{\mu\nu}\,D^{(\Gamma_{n'})}(R)_{\lambda\mu'} = \frac{h}{\ell_n}\,\delta_{nn'}\,\delta_{\mu\lambda}\,\delta_{\nu\mu'} $$

代入して $\lambda$ の和を $\delta_{\mu\lambda}$ で潰すと

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}\,\hat{P}^{(\Gamma_{n'})}_{\mu'\nu'} = \frac{\ell_n \ell_{n'}}{h^2}\cdot\frac{h}{\ell_n}\,\delta_{nn'}\,\delta_{\nu\mu'}\sum_{T} D^{(\Gamma_{n})}(T)^{*}_{\mu\nu'}\,\hat{P}_{T} = \delta_{nn'}\,\delta_{\nu\mu'}\,\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu'} $$

($n=n'$ のときだけ生き残るので $\ell_{n'} = \ell_n$ とし,$\frac{\ell_n\ell_n}{h^2}\cdot\frac{h}{\ell_n} = \frac{\ell_n}{h}$ が定義の係数に戻る.)

ここで $\nu = \mu$,$\mu' = \nu'$,$n = n'$ と置けば $\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\mu}\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\nu'\nu'} = \delta_{\mu\nu'}\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\mu}$ となる.両辺を $\mu$ と $\nu'$ について足せば

$$ \hat{P}^{(\Gamma_n)}\hat{P}^{(\Gamma_n)} = \sum_{\mu}\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\mu} = \hat{P}^{(\Gamma_n)} $$

∎

定理9.2 完全性(completeness)

$$ \sum_{n}\hat{P}^{(\Gamma_n)} = \hat{1} $$

和はその群のすべての既約表現にわたる.$\hat{1}$ は恒等演算子である.

証明:完全性

定義 \eqref{eq:9-projchi} をそのまま足し,$R$ の和と $n$ の和を入れ替える:

$$ \sum_{n}\hat{P}^{(\Gamma_n)} = \frac{1}{h}\sum_{R}\left[\sum_{n}\ell_n\,\chi^{(\Gamma_n)}(R)^{*}\right]\hat{P}_R $$

角カッコの中を評価する.既約表現の次元は恒等元の指標に等しい,すなわち $\ell_n = \chi^{(\Gamma_n)}(E)$ である($D(E)$ は $\ell_n\times\ell_n$ の単位行列だから,そのトレースは $\ell_n$).しかもこれは実数なので $\chi^{(\Gamma_n)}(E)^{*} = \chi^{(\Gamma_n)}(E) = \ell_n$ と書き換えてよい.すると角カッコは

$$ \sum_{n}\chi^{(\Gamma_n)}(E)\,\chi^{(\Gamma_n)}(R)^{*} $$

これは第8章の第2直交関係(列どうしの直交性)

$$ \sum_{n}\chi^{(\Gamma_n)}(\mathcal{C}_k)\,\chi^{(\Gamma_n)}(\mathcal{C}_{k'})^{*} = \frac{h}{N_k}\,\delta_{kk'} $$

そのものである.ここで $\mathcal{C}_k$ は類,$N_k$ はその類に含まれる元の個数.いまは $\mathcal{C}_k = \{E\}$ で $N_k = 1$(恒等元はいつでも単独で1つの類をなす).したがって

$$ \sum_{n}\ell_n\,\chi^{(\Gamma_n)}(R)^{*} = \frac{h}{1}\,\delta_{R,E} = h\,\delta_{R,E} $$

すなわち $R = E$ のときだけ $h$,それ以外はゼロ.$R$ の和はただ1項だけ残り

$$ \sum_{n}\hat{P}^{(\Gamma_n)} = \frac{1}{h}\cdot h\,\hat{P}_E = \hat{P}_E = \hat{1} $$

∎($\hat{P}_E f(\rr) = f(E^{-1}\rr) = f(\rr)$ なので $\hat{P}_E$ は恒等演算子.)

物理的意味:関数空間が既約表現ごとに直和分解される

定理9.1と定理9.2を合わせると,任意の関数 $F$ について

$$ F = \hat{1}F = \sum_{n}\hat{P}^{(\Gamma_n)}F \equiv \sum_{n}F^{(\Gamma_n)} $$

と一意に分解できることが分かる.各項 $F^{(\Gamma_n)} = \hat{P}^{(\Gamma_n)}F$ は $\Gamma_n$ に属する(あるいはゼロ).つまり関数の空間は,既約表現ごとの部分空間の直和に分かれる.

これは,3次元ベクトルを $x,y,z$ 成分に分解するのとまったく同じ構造である.違いは,分解の「軸」が座標軸ではなく既約表現だという点だけである.ベクトルの成分を取り出すのが内積なら,既約表現成分を取り出すのが射影演算子だ,と思えばよい.

注意:射影演算子は規格化してくれない

$\hat{P}^{(\Gamma_n)}$ は冪等($\hat{P}^2 = \hat{P}$)だが,ユニタリではないし,ノルムを保たない.$\hat{P}^{(\Gamma_n)}F$ の大きさは一般に $1$ でも $\abs{F}$ でもない.実際,次節の計算では $\hat{P}^{(A_1)}\phi_1 = \frac13(\phi_1+\phi_2+\phi_3)$ という半端な係数が出る.規格化は必ず最後に手でやる.

もうひとつ.$\hat{P}^{(\Gamma_n)}F = 0$ になることは普通に起こる.それは「$F$ には $\Gamma_n$ 成分が含まれていなかった」という有益な情報であって,計算間違いではない.

9.4 例題:正三角形の3原子から SALC を作る

いよいよ実戦である.$\mathrm{NH_3}$ の3つの水素原子を考え,それぞれの $1s$ 軌道 $\phi_1,\phi_2,\phi_3$ から,対称性に合った線形結合を作る.こうして得られる関数を対称性適合線形結合(symmetry-adapted linear combination, SALC)という.

9.4.1 設定 — 原子の位置と操作の作用

$z$ 軸を3回軸とし,3つの水素を $xy$ 平面に投影して

$$ \rr_1 = a(1,\,0),\qquad \rr_2 = a\left(-\tfrac12,\;\tfrac{\sqrt3}{2}\right),\qquad \rr_3 = a\left(-\tfrac12,\;-\tfrac{\sqrt3}{2}\right) $$

に置く.すなわち原子1を $+x$ 軸上に置き,そこから反時計回りに $120^\circ$ ずつ 2, 3 と並べる.すると $C_3$($+120^\circ$ 回転)は $\rr_1 \to \rr_2 \to \rr_3 \to \rr_1$ と位置を巡回させる.鏡映面 $\sigma_1$($xz$ 面)は原子1を含み,2と3を入れ替える.$\sigma_2$ は原子2を含み1と3を入れ替え,$\sigma_3$ は原子3を含み1と2を入れ替える.

導出:$\hat{P}_{C_3}\phi_1 = \phi_2$ を丁寧に確かめる

「原子が動くから関数も動く」は直観的に正しいが,式で追っておこう.$1s$ 軌道は球対称だから,原子 $i$ に乗った軌道は

$$ \phi_i(\rr) = \phi\!\left(\abs{\rr - \rr_i}\right) $$

と書ける($\phi$ は動径方向だけの関数).定義 \eqref{eq:9-PRdef} より

$$ \left(\hat{P}_{C_3}\phi_1\right)(\rr) = \phi_1\!\left(C_3^{-1}\rr\right) = \phi\!\left(\abs{C_3^{-1}\rr - \rr_1}\right) $$

ここで,カッコの中を $C_3^{-1}$ でくくる.$C_3^{-1}\rr - \rr_1 = C_3^{-1}\left(\rr - C_3\rr_1\right)$ である(実際,右辺を展開すると $C_3^{-1}\rr - C_3^{-1}C_3\rr_1 = C_3^{-1}\rr - \rr_1$).$C_3^{-1}$ は直交行列なのでベクトルの長さを変えない:

$$ \abs{C_3^{-1}\left(\rr - C_3\rr_1\right)} = \abs{\rr - C_3\rr_1} $$

そして設定より $C_3\rr_1 = \rr_2$ である.したがって

$$ \left(\hat{P}_{C_3}\phi_1\right)(\rr) = \phi\!\left(\abs{\rr - \rr_2}\right) = \phi_2(\rr) $$

∎ 一般に,球対称な軌道の場合,$\hat{P}_R\phi_i = \phi_j$(ただし $R\rr_i = \rr_j$)である.操作は関数を「原子番号の付け替え」としてしか動かさない.$p$ 軌道や $d$ 軌道のように向きを持つ軌道では,これに加えて軌道自身の回転が入るので,もっと複雑になる(演習9.5).

表9.2 $C_{3v}$ の各操作が $\phi_i$ に及ぼす作用.対角成分($\phi_i \to \phi_i$ となる個数)を数えれば可約表現の指標が読める
$R$$\hat{P}_R\phi_1$$\hat{P}_R\phi_2$$\hat{P}_R\phi_3$$\chi_{1s}(R)$
$E$$\phi_1$$\phi_2$$\phi_3$$3$
$C_3$$\phi_2$$\phi_3$$\phi_1$$0$
$C_3^2$$\phi_3$$\phi_1$$\phi_2$$0$
$\sigma_1$$\phi_1$$\phi_3$$\phi_2$$1$
$\sigma_2$$\phi_3$$\phi_2$$\phi_1$$1$
$\sigma_3$$\phi_2$$\phi_1$$\phi_3$$1$

なぜ:指標は「動かなかった原子の数」に等しい

表9.2 の最右列の作り方を確認しておく.$\{\phi_1,\phi_2,\phi_3\}$ を基底とする $3\times3$ 表現行列は,置換行列(各行各列に $1$ がひとつだけ)である.その対角成分 $D_{ii}$ が $1$ になるのは $\hat{P}_R\phi_i = \phi_i$,すなわち原子 $i$ が動かなかったときに限る.したがって

$$ \chi(R) = \left(R \text{ で位置が変わらない原子の数}\right) $$

$C_3$ は3つとも動かすので $\chi = 0$,$\sigma_1$ は原子1だけを残すので $\chi = 1$,というわけである.この「動かなかった原子を数える」規則は,第10章で分子振動の既約分解をするときにも中心的な役割を果たす.

9.4.2 まず既約分解する

導出:$\Gamma_{1s} = A_1 \oplus E$

第8章の既約分解の公式

$$ a_n = \frac{1}{h}\sum_{k} N_k\,\chi^{(\Gamma_n)}(\mathcal{C}_k)^{*}\,\chi(\mathcal{C}_k) $$

を使う.$h=6$,類は $\{E\}$($N=1$),$\{C_3, C_3^2\}$($N=2$),$\{\sigma_1,\sigma_2,\sigma_3\}$($N=3$).可約表現の指標は表9.2 より $\chi = (3,\,0,\,1)$.

$$ a_{A_1} = \frac{1}{6}\left[1\cdot 1\cdot 3 + 2\cdot 1\cdot 0 + 3\cdot 1\cdot 1\right] = \frac{1}{6}\left[3 + 0 + 3\right] = 1 $$ $$ a_{A_2} = \frac{1}{6}\left[1\cdot 1\cdot 3 + 2\cdot 1\cdot 0 + 3\cdot (-1)\cdot 1\right] = \frac{1}{6}\left[3 + 0 - 3\right] = 0 $$ $$ a_{E} = \frac{1}{6}\left[1\cdot 2\cdot 3 + 2\cdot(-1)\cdot 0 + 3\cdot 0\cdot 1\right] = \frac{1}{6}\left[6 + 0 + 0\right] = 1 $$

したがって

$$ \begin{equation} \Gamma_{1s} = A_1 \oplus E \label{eq:9-gamma1s} \end{equation} $$

∎ 次元の勘定 $1 + 2 = 3$ が,もとの関数の個数と合っている.✓

この時点で,答えの形は決まってしまった.3つの $1s$ 軌道からは,全対称な組み合わせが1つと,2重縮退した組み合わせが1組できる.あとは,その中身を射影演算子で取り出すだけである.

9.4.3 $A_1$ の SALC を作る

導出:$\hat{P}^{(A_1)}\phi_1$ を全項書き下す

$A_1$ の指標はすべて $1$,次元 $\ell = 1$,$h=6$ だから,式 \eqref{eq:9-projchi} は

$$ \hat{P}^{(A_1)} = \frac{1}{6}\left[\hat{P}_E + \hat{P}_{C_3} + \hat{P}_{C_3^2} + \hat{P}_{\sigma_1} + \hat{P}_{\sigma_2} + \hat{P}_{\sigma_3}\right] $$

これを $\phi_1$ に作用させる.表9.2 の $\hat{P}_R\phi_1$ の列を,上から順に全部書く:

$$ \hat{P}^{(A_1)}\phi_1 = \frac{1}{6}\Big[\underbrace{\phi_1}_{E} + \underbrace{\phi_2}_{C_3} + \underbrace{\phi_3}_{C_3^2} + \underbrace{\phi_1}_{\sigma_1} + \underbrace{\phi_3}_{\sigma_2} + \underbrace{\phi_2}_{\sigma_3}\Big] $$

同類項をまとめる.$\phi_1$ が2個,$\phi_2$ が2個,$\phi_3$ が2個なので

$$ \hat{P}^{(A_1)}\phi_1 = \frac{1}{6}\cdot 2\left(\phi_1 + \phi_2 + \phi_3\right) = \frac{1}{3}\left(\phi_1 + \phi_2 + \phi_3\right) $$

係数 $\frac13$ には意味がないので(9.3.2節の注意),形だけ取り出して規格化する.$\phi_i$ が正規直交($\langle\phi_i|\phi_j\rangle = \delta_{ij}$)と仮定すると,$N(\phi_1+\phi_2+\phi_3)$ のノルムの2乗は

$$ N^2\left(\langle\phi_1|\phi_1\rangle + \langle\phi_2|\phi_2\rangle + \langle\phi_3|\phi_3\rangle\right) = 3N^2 \stackrel{!}{=} 1 \quad\Longrightarrow\quad N = \frac{1}{\sqrt3} $$
$$ \begin{equation} \psi_{A_1} = \frac{1}{\sqrt3}\left(\phi_1 + \phi_2 + \phi_3\right) \label{eq:9-salcA1} \end{equation} $$

∎ 3つの軌道がすべて同符号で足し合わされた,節のない「全対称」な関数である.

例題9.3 $\hat{P}^{(A_2)}\phi_1 = 0$ を確かめる

$A_2$ の指標は $\chi(E)=1$, $\chi(C_3)=1$, $\chi(\sigma_v)=-1$ である.よって

$$ \hat{P}^{(A_2)}\phi_1 = \frac{1}{6}\Big[\phi_1 + \phi_2 + \phi_3 - \phi_1 - \phi_3 - \phi_2\Big] = 0 $$

(前半3項が $E, C_3, C_3^2$,後半3項が $\sigma_1,\sigma_2,\sigma_3$ で,符号 $-1$ が掛かる.)

ゼロになった.これは式 \eqref{eq:9-gamma1s} の $a_{A_2}=0$ と整合している.∎ 射影演算子は,既約分解の結果を独立に再確認する手段にもなる.

9.4.4 $E$ の SALC を作る — ここが山場

導出:$\hat{P}^{(E)}\phi_1$ から $\psi_{E,1}$ を得る

$E$ は $\ell = 2$,指標は $\chi(E) = 2$, $\chi(C_3)=\chi(C_3^2)=-1$, $\chi(\sigma_j)=0$.式 \eqref{eq:9-projchi} より

$$ \hat{P}^{(E)} = \frac{2}{6}\left[2\,\hat{P}_E - \hat{P}_{C_3} - \hat{P}_{C_3^2} + 0\cdot\hat{P}_{\sigma_1} + 0\cdot\hat{P}_{\sigma_2} + 0\cdot\hat{P}_{\sigma_3}\right] = \frac{1}{3}\left[2\hat{P}_E - \hat{P}_{C_3} - \hat{P}_{C_3^2}\right] $$

鏡映の項が全部落ちるのがありがたい.$\phi_1$ に作用させると,表9.2 より

$$ \hat{P}^{(E)}\phi_1 = \frac{1}{3}\left[2\phi_1 - \phi_2 - \phi_3\right] $$

規格化する.係数ベクトルは $(2,-1,-1)$ だから,ノルムの2乗は $N^2(2^2 + (-1)^2 + (-1)^2) = 6N^2 = 1$,すなわち $N = 1/\sqrt6$:

$$ \begin{equation} \psi_{E,1} = \frac{1}{\sqrt6}\left(2\phi_1 - \phi_2 - \phi_3\right) \label{eq:9-salcE1} \end{equation} $$

∎

導出:2番目のパートナー $\psi_{E,2}$ をどう作るか

$E$ は2次元なので,パートナーがもう1つ要る.単純に $\phi_2$ にも同じ演算子を掛けてみよう:

$$ \hat{P}^{(E)}\phi_2 = \frac{1}{3}\left[2\phi_2 - \phi_3 - \phi_1\right], \qquad \hat{P}^{(E)}\phi_3 = \frac{1}{3}\left[2\phi_3 - \phi_1 - \phi_2\right] $$

3つ出てきたが,これらは独立ではない.実際,3つを足すと

$$ (2\phi_1-\phi_2-\phi_3) + (2\phi_2-\phi_3-\phi_1) + (2\phi_3-\phi_1-\phi_2) = 0 $$

である.独立なのは2つだけで,$a_E = 1$($E$ が1回だけ現れる)と整合する.✓

しかし $\hat{P}^{(E)}\phi_1$ と $\hat{P}^{(E)}\phi_2$ は直交していない.係数ベクトル $(2,-1,-1)$ と $(-1,2,-1)$ の内積は

$$ 2\cdot(-1) + (-1)\cdot 2 + (-1)\cdot(-1) = -2 - 2 + 1 = -3 \ne 0 $$

そこで,直交する組を作る.方法A(うまい引き算)が最も速い.$\hat{P}^{(E)}\phi_2$ から $\hat{P}^{(E)}\phi_3$ を引くと

$$ \hat{P}^{(E)}\phi_2 - \hat{P}^{(E)}\phi_3 = \frac13\left[(2\phi_2 - \phi_3 - \phi_1) - (2\phi_3 - \phi_1 - \phi_2)\right] = \frac13\left[3\phi_2 - 3\phi_3\right] = \phi_2 - \phi_3 $$

係数ベクトルは $(0,1,-1)$ で,$(2,-1,-1)$ との内積は $0 + (-1) + 1 = 0$.直交している.✓ 規格化すると $N^2(0+1+1)=1$ より $N = 1/\sqrt2$:

$$ \begin{equation} \psi_{E,2} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\phi_2 - \phi_3\right) \label{eq:9-salcE2} \end{equation} $$

方法B(Gram–Schmidt)でも同じ答えになる.$g_1 = 2\phi_1-\phi_2-\phi_3$($\langle g_1|g_1\rangle = 6$),$g_2 = 2\phi_2-\phi_3-\phi_1$($\langle g_1|g_2\rangle = -3$)として

$$ g_2^{\perp} = g_2 - \frac{\langle g_1|g_2\rangle}{\langle g_1|g_1\rangle}g_1 = g_2 - \frac{-3}{6}g_1 = g_2 + \frac12 g_1 $$ $$ = (2\phi_2-\phi_3-\phi_1) + \frac12(2\phi_1-\phi_2-\phi_3) = \left(-1+1\right)\phi_1 + \left(2-\tfrac12\right)\phi_2 + \left(-1-\tfrac12\right)\phi_3 = \tfrac32\left(\phi_2 - \phi_3\right) $$

∎ 定数倍を除いて式 \eqref{eq:9-salcE2} と一致する.

補足:移し替え演算子 $\hat{P}^{(E)}_{21}$ を使う正統派の方法

式 \eqref{eq:9-projact} によれば,$\hat{P}^{(\Gamma_n)}_{\mu\nu}$ は「第 $\nu$ パートナーを第 $\mu$ パートナーに移す」.だから $\psi_{E,1}$ が手に入ったあと,$\hat{P}^{(E)}_{21}$ を作用させれば $\psi_{E,2}$ が自動的に出る.ただしこの方法は,指標だけでなく表現行列 $D^{(E)}(R)$ の全成分が必要である(例題9.2 で作った6個の行列).

実務では,次元 $\ell_n$ が小さい(2 か 3)ことがほとんどなので,上の方法AやBで済ませるのが普通である.ただし,パートナーを正しい順序で対応づけたいとき(たとえば $\psi_{E,1}$ を $x$ に,$\psi_{E,2}$ を $y$ にきちんと対応させたいとき)は,移し替え演算子が確実である.

+ + + 1 2 3 ψ(A₁) = (φ₁+φ₂+φ₃)/√3 節なし・全対称 + − − ψ(E,1) = (2φ₁−φ₂−φ₃)/√6 x と同じ対称性(節面 1 枚) 0 + − ψ(E,2) = (φ₂−φ₃)/√2 y と同じ対称性(節面 1 枚) 正三角形に置いた 3 つの 1s 軌道の SALC(円の大きさ=係数の絶対値,色=符号)
図9.2 $\mathrm{NH_3}$ の3つの $\mathrm{H}\,1s$ 軌道から作った SALC.青が正,臙脂が負,円の大小が係数の絶対値の大小を模式的に表す.$\psi_{A_1}$ には節面がなく,$E$ の2つにはそれぞれ節面(黄土色の破線)が1枚ある.$\psi_{E,2}$ では原子1の係数がちょうどゼロで,この原子は節面の上に乗っている.節面の枚数が多いほどエネルギーが高い,という直観がそのまま図9.3 の準位順序になる.

例題9.4 $(\psi_{E,1},\psi_{E,2})$ が本当に $(x,y)$ と同じ変換をすることを確かめる

式 \eqref{eq:9-c3xy} によれば $\hat{P}_{C_3}x = -\tfrac12 x + \tfrac{\sqrt3}{2}y$ である.SALC についても同じ式が成り立つか,$\hat{P}_{C_3}\psi_{E,1}$ を計算して確かめよ.

解答.左辺は表9.2 を使って

$$ \hat{P}_{C_3}\psi_{E,1} = \frac{1}{\sqrt6}\left(2\hat{P}_{C_3}\phi_1 - \hat{P}_{C_3}\phi_2 - \hat{P}_{C_3}\phi_3\right) = \frac{1}{\sqrt6}\left(2\phi_2 - \phi_3 - \phi_1\right) $$

右辺の予言は $-\tfrac12\psi_{E,1} + \tfrac{\sqrt3}{2}\psi_{E,2}$ である.これを $\phi$ で書き下す:

$$ -\frac12\cdot\frac{1}{\sqrt6}\left(2\phi_1-\phi_2-\phi_3\right) + \frac{\sqrt3}{2}\cdot\frac{1}{\sqrt2}\left(\phi_2-\phi_3\right) $$

第2項の係数を $\sqrt6$ に揃える.$\dfrac{\sqrt3}{2\sqrt2} = \dfrac{\sqrt3\cdot\sqrt3}{2\sqrt2\cdot\sqrt3} = \dfrac{3}{2\sqrt6}$ だから

$$ = \frac{1}{\sqrt6}\left[-\phi_1 + \tfrac12\phi_2 + \tfrac12\phi_3 + \tfrac32\phi_2 - \tfrac32\phi_3\right] = \frac{1}{\sqrt6}\left[-\phi_1 + 2\phi_2 - \phi_3\right] $$

左辺と完全に一致した.∎

なぜこうなるのか.係数を原子の座標と見比べると分かる.原子の $x$ 座標は $(x_1,x_2,x_3) = a(1,-\tfrac12,-\tfrac12) \propto (2,-1,-1)$,$y$ 座標は $(y_1,y_2,y_3) = a(0,\tfrac{\sqrt3}{2},-\tfrac{\sqrt3}{2}) \propto (0,1,-1)$ である.つまり

$$ \psi_{E,1} \propto \sum_i x_i\,\phi_i,\qquad \psi_{E,2} \propto \sum_i y_i\,\phi_i $$

係数が座標そのものなのだから,$(x,y)$ と同じ変換をするのは当たり前である.図9.2 の $\psi_{E,1}$ が「左右非対称」,$\psi_{E,2}$ が「上下非対称」に見えるのも,これで納得できる.

補足:重なり積分 $S$ を無視しない場合の規格化

実際の $1s$ 軌道どうしは直交していない.$\langle\phi_i|\phi_j\rangle = S$($i \ne j$)とすると,規格化定数は変わる.$\psi = N\sum_i c_i\phi_i$ のノルムの2乗は $N^2\sum_{i,j}c_ic_j\langle\phi_i|\phi_j\rangle$ だから

重要なのは,$S \ne 0$ でも直交性そのものは崩れないことである.実際 $\langle\psi_{E,1}|\psi_{E,2}\rangle \propto (2)(1)S + (2)(-1)S + (-1)(-1)S + (-1)(1)S + \left[-1+1\right] = 0$.異なる既約表現に属する関数,および同じ既約表現の異なるパートナーどうしは,対称性の理由で必ず直交する.ただしパートナーどうしの直交性が言えるのは,比較する2組が同じユニタリな既約表現行列 $D^{(\Gamma_n)}(R)$ に従い,同じ行の付け方をしているときに限る(片方だけパートナーを別のユニタリ変換で取り直すと,行の対応がずれて直交しなくなりうる).この条件さえ満たしていれば,基底の重なりの詳細に依らずに直交性が保証される —— これが群論の強みである.

9.5 永年方程式のブロック対角化 — Hückel の三角形

SALC を作って何が嬉しいのか.それを見るために,$3\times3$ の固有値問題を実際に解く.

9.5.1 素朴に解く

Hückel 近似では,Hamiltonian 行列を次のように置く.

$$ \alpha \equiv \langle\phi_i|\Ham|\phi_i\rangle \quad(\text{クーロン積分}), \qquad \beta \equiv \langle\phi_i|\Ham|\phi_j\rangle \quad(i\ne j,\ \text{共鳴積分}) $$

そして重なり積分は無視して $\langle\phi_i|\phi_j\rangle = \delta_{ij}$ とする.ここで3つの $\alpha$ がすべて等しく,3つの $\beta$ がすべて等しいのは,対称性の帰結である.原子1と原子2は $C_3$ で移り合うので,区別のしようがないからである.行列は

$$ H = \begin{pmatrix} \alpha & \beta & \beta \\ \beta & \alpha & \beta \\ \beta & \beta & \alpha \end{pmatrix} $$

導出:$3\times3$ 行列式を直接展開する

永年方程式は $\det(H - \varepsilon I) = 0$.$u \equiv \alpha - \varepsilon$ と置くと

$$ \det\begin{pmatrix} u & \beta & \beta \\ \beta & u & \beta \\ \beta & \beta & u \end{pmatrix} = 0 $$

第1行で余因子展開する:

$$ u\left(u^2 - \beta^2\right) - \beta\left(\beta u - \beta^2\right) + \beta\left(\beta^2 - u\beta\right) = u^3 - u\beta^2 - \beta^2 u + \beta^3 + \beta^3 - u\beta^2 $$ $$ = u^3 - 3u\beta^2 + 2\beta^3 $$

この3次式を因数分解する.$u = \beta$ を代入すると $\beta^3 - 3\beta^3 + 2\beta^3 = 0$ なので $u-\beta$ が因子.割り算して

$$ u^3 - 3u\beta^2 + 2\beta^3 = (u - \beta)\left(u^2 + \beta u - 2\beta^2\right) = (u-\beta)(u-\beta)(u+2\beta) = (u-\beta)^2(u+2\beta) $$

したがって $u = \beta$(2重根)と $u = -2\beta$.$\varepsilon = \alpha - u$ より

$$ \begin{equation} \varepsilon = \alpha + 2\beta \ \ (1\text{重}), \qquad \varepsilon = \alpha - \beta \ \ (2\text{重縮退}) \label{eq:9-huckel} \end{equation} $$

∎ ここまでは群論を一切使っていない.しかし $3\times3$ の行列式の展開と3次方程式の因数分解が必要だった.原子が6個,10個と増えれば,この方法はすぐ破綻する.

9.5.2 SALC を使って解く

導出:SALC 基底での行列要素をすべて計算する

基底を $\{\phi_1,\phi_2,\phi_3\}$ から $\{\psi_{A_1},\psi_{E,1},\psi_{E,2}\}$ に取り替える.まず,$H$ を係数ベクトルに作用させると便利である.

(i) $A_1$ 対角要素.$H$ を $(1,1,1)^{\!\top}$ に作用させると,どの行も $\alpha + \beta + \beta = \alpha+2\beta$ だから

$$ H\begin{pmatrix}1\\1\\1\end{pmatrix} = (\alpha+2\beta)\begin{pmatrix}1\\1\\1\end{pmatrix} $$

ゆえに

$$ \langle\psi_{A_1}|\Ham|\psi_{A_1}\rangle = \frac{1}{3}(1,1,1)\cdot(\alpha+2\beta)(1,1,1)^{\!\top} = \frac{1}{3}\cdot 3(\alpha+2\beta) = \alpha + 2\beta $$

(ii) $E$ 対角要素.$H$ を $(2,-1,-1)^{\!\top}$ に作用させる.第1成分は $2\alpha - \beta - \beta = 2(\alpha-\beta)$,第2成分は $2\beta - \alpha - \beta = -(\alpha - \beta)$,第3成分も同様に $-(\alpha-\beta)$.すなわち

$$ H\begin{pmatrix}2\\-1\\-1\end{pmatrix} = (\alpha-\beta)\begin{pmatrix}2\\-1\\-1\end{pmatrix} \quad\Longrightarrow\quad \langle\psi_{E,1}|\Ham|\psi_{E,1}\rangle = \frac{1}{6}(\alpha-\beta)(4+1+1) = \alpha - \beta $$

同様に $(0,1,-1)^{\!\top}$ については,第1成分 $0 + \beta - \beta = 0$,第2成分 $0 + \alpha - \beta$,第3成分 $0 + \beta - \alpha$ で

$$ H\begin{pmatrix}0\\1\\-1\end{pmatrix} = (\alpha-\beta)\begin{pmatrix}0\\1\\-1\end{pmatrix} \quad\Longrightarrow\quad \langle\psi_{E,2}|\Ham|\psi_{E,2}\rangle = \frac{1}{2}(\alpha-\beta)(0+1+1) = \alpha - \beta $$

(iii) 非対角要素.上で得た固有ベクトル的な関係を使えば,内積を取るだけである:

$$ \langle\psi_{A_1}|\Ham|\psi_{E,1}\rangle = \frac{1}{\sqrt3\sqrt6}(1,1,1)\cdot(\alpha-\beta)(2,-1,-1)^{\!\top} = \frac{\alpha-\beta}{\sqrt{18}}\left(2-1-1\right) = 0 $$ $$ \langle\psi_{A_1}|\Ham|\psi_{E,2}\rangle = \frac{\alpha-\beta}{\sqrt{6}}\left(0+1-1\right) = 0 $$ $$ \langle\psi_{E,1}|\Ham|\psi_{E,2}\rangle = \frac{\alpha-\beta}{\sqrt{12}}\left(2\cdot 0 + (-1)\cdot 1 + (-1)\cdot(-1)\right) = \frac{\alpha-\beta}{\sqrt{12}}\left(0 - 1 + 1\right) = 0 $$

したがって,新しい基底での Hamiltonian 行列は

$$ \begin{equation} H' = \begin{pmatrix} \alpha+2\beta & 0 & 0 \\ 0 & \alpha-\beta & 0 \\ 0 & 0 & \alpha-\beta \end{pmatrix} = \left(\begin{array}{c|cc} \alpha+2\beta & 0 & 0 \\ \hline 0 & \alpha-\beta & 0 \\ 0 & 0 & \alpha-\beta \end{array}\right) \label{eq:9-blockdiag} \end{equation} $$

∎ 完全に対角化されてしまった.行列式も3次方程式も解いていない.式 \eqref{eq:9-huckel} と一致する.✓

なぜ:3つのゼロは偶然ではない — Schurの補題が効いている

上の計算では非対角要素を実際に計算してゼロを確認したが,群論を使えば計算する前からゼロだと分かる.

(1) 異なる既約表現の間はゼロ.$\Ham$ は群のすべての操作と可換だから,$\Ham\psi_{E,\mu}$ もまた $E$ に属する関数である.一方 $\psi_{A_1}$ は $A_1$ に属する.異なる既約表現に属する関数は直交する(第7章・第8章の直交性).ゆえに $\langle\psi_{A_1}|\Ham|\psi_{E,\mu}\rangle = 0$.計算するまでもない.

(2) $E$ ブロックは単位行列の定数倍.$E$ の張る2次元部分空間に制限した $\Ham$ は,その空間上のすべての $D^{(E)}(R)$ と可換である.既約表現と可換な行列は単位行列の定数倍に限る —— これがSchurの補題(第1)である(第7章).ゆえに

$$ \Ham\Big|_{E} = \varepsilon_E \begin{pmatrix}1&0\\0&1\end{pmatrix} $$

非対角がゼロで,しかも2つの対角要素が等しいことまで保証される.$2\times2$ を解く必要すらない.式 \eqref{eq:9-huckel} で $\alpha-\beta$ が2重根になったのは,この定理の帰結だったのである.

一般に,$N\times N$ の永年方程式は,既約表現ごとのブロックに分かれ,各ブロックの大きさは「その既約表現が何回現れるか」$a_n$ に等しい.$a_n = 1$ なら $1\times1$,つまり対角化不要である.今の例では $a_{A_1}=a_E=1$ だったので,全部が $1\times1$ になった.

ε α φ₁, φ₂, φ₃ 相互作用なし(3 重) e : ε = α − β (2 重縮退・反結合性) ψ(E,1), ψ(E,2) a₁ : ε = α + 2β (結合性) ψ(A₁) 2|β| |β| 3 原子環の Hückel 準位(β は負なので a₁ が下) シクロプロペニルカチオン C₃H₃⁺ なら π 電子 2 個が a₁ に入り,閉殻で安定になる
図9.3 正三角形3原子系の準位図.$\beta$ は負の量なので,$\alpha+2\beta$ が下,$\alpha-\beta$ が上に来る.準位の縮退度(1 と 2)が,そのまま既約表現の次元 $\ell_{A_1}=1$, $\ell_E=2$ になっていることに注目してほしい.図9.2 の節面の枚数(0 枚と 1 枚)とも対応している.

物理的意味:$N$ 員環への一般化 —— Bloch 定理の芽

同じ議論を $N$ 個の原子が輪になった系に適用しよう.対称性は巡回群 $C_N$ を含み,その既約表現はすべて1次元で,$\chi^{(k)}(C_N^{\,j}) = e^{2\pi i kj/N}$($k=0,1,\dots,N-1$)と書ける.射影演算子は

$$ \hat{P}^{(k)} = \frac{1}{N}\sum_{j=0}^{N-1} e^{-2\pi i kj/N}\,\hat{P}_{C_N^{\,j}} $$

これを $\phi_0$ に作用させ,$\hat{P}_{C_N^{\,j}}\phi_0 = \phi_j$ を使うと

$$ \psi_k = \frac{1}{\sqrt{N}}\sum_{j=0}^{N-1} e^{-2\pi i kj/N}\,\phi_j $$

(位相因子の符号の付き方は流儀による.$k \to N-k$ と番号を付け替えれば同じ既約表現の集合を尽くすので,$e^{+2\pi ikj/N}$ と書く流儀でも一般性は失われない.)最近接だけが $\beta$ で結ばれているとすると

$$ \varepsilon_k = \alpha + \beta\left(e^{2\pi i k/N} + e^{-2\pi i k/N}\right) = \alpha + 2\beta\cos\frac{2\pi k}{N} $$

$N=3$ とすれば $k=0$ で $\alpha+2\beta$,$k=1,2$ で $\alpha+2\beta\cos120^\circ = \alpha - \beta$(2重)となり,式 \eqref{eq:9-huckel} が再現される.✓

この $\psi_k$ の形 —— 位相因子 $e^{ikj}$ を付けて原子軌道を足し合わせたもの —— を,よく見ておいてほしい.これはまさに Bloch 関数である.$k$ は並進群(ここでは巡回群)の既約表現のラベルであり,$\varepsilon_k = \alpha + 2\beta\cos(ka)$ は強束縛近似のバンド分散にほかならない.第11章で Bloch 定理を群論的に導き,第18章で強束縛近似を扱うが,その本質はすでにこの3原子の例に全部入っている.

9.6 球面調和関数と $d$ 軌道 — 回転群の指標

ここまでは有限個の点群を扱ってきた.しかし原子の軌道は,もともと全回転群(連続群)の既約表現の基底である.角運動量量子数 $\ell$ に属する $2\ell+1$ 個の球面調和関数 $Y_{\ell m}$ がそれである.孤立原子では $2\ell+1$ 重に縮退しているこれらの軌道が,結晶中に置かれて対称性が点群まで下がると分裂する.それが結晶場分裂である.

9.6.1 回転群の指標 $\chi^{(\ell)}(\alpha)$ の導出

導出:$\hat{P}_{R}Y_{\ell m}$ と,指標の閉じた式

球面調和関数は,極座標で

$$ Y_{\ell m}(\theta,\varphi) = \Theta_{\ell m}(\theta)\, e^{im\varphi},\qquad m = -\ell,\dots,\ell $$

の形をしている($\Theta_{\ell m}$ は Legendre 陪関数を含む $\theta$ だけの関数).

ステップ1:指標は類だけで決まるから,軸は $z$ に取ってよい.回転角 $\alpha$ が同じ回転どうしは,(回転群の中では)互いに共役で同じ類に属する.指標は類の関数だから,計算しやすい $z$ 軸まわりの回転 $R_z(\alpha)$ で計算すれば十分である.

ステップ2:$\hat{P}_{R_z(\alpha)}$ を作用させる.$R_z(\alpha)^{-1}$ は $-\alpha$ 回転だから,極座標では $\theta \to \theta$,$\varphi \to \varphi - \alpha$ という変換である.定義 \eqref{eq:9-PRdef} より

$$ \hat{P}_{R_z(\alpha)}Y_{\ell m}(\theta,\varphi) = Y_{\ell m}(\theta,\varphi-\alpha) = \Theta_{\ell m}(\theta)\,e^{im(\varphi-\alpha)} = e^{-im\alpha}\,Y_{\ell m}(\theta,\varphi) $$

つまり $Y_{\ell m}$ どうしは混ざらず,位相因子が付くだけである.表現行列は対角行列

$$ D^{(\ell)}\!\left(R_z(\alpha)\right) = \mathrm{diag}\!\left(e^{i\ell\alpha},\,e^{i(\ell-1)\alpha},\,\dots,\,e^{-i\ell\alpha}\right) $$

ステップ3:トレースを等比級数として和を取る.

$$ \chi^{(\ell)}(\alpha) = \sum_{m=-\ell}^{\ell} e^{-im\alpha} = \sum_{m=-\ell}^{\ell} e^{im\alpha} $$

($m$ を $-m$ と置き換えても和の範囲は同じなので,この2つは等しい.以下では後者を使う.)$q \equiv e^{i\alpha}$ と置くと,初項 $q^{-\ell}$,公比 $q$,項数 $2\ell+1$ の等比数列の和である:

$$ \chi^{(\ell)} = \sum_{m=-\ell}^{\ell}q^{m} = q^{-\ell}\,\frac{q^{2\ell+1}-1}{q-1} = \frac{q^{\ell+1}-q^{-\ell}}{q-1} $$

ここで分母・分子に $q^{-1/2}$ を掛けるのが定石である:

$$ = \frac{q^{\ell+\frac12}-q^{-\ell-\frac12}}{q^{\frac12}-q^{-\frac12}} = \frac{e^{i(\ell+\frac12)\alpha}-e^{-i(\ell+\frac12)\alpha}}{e^{i\alpha/2}-e^{-i\alpha/2}} $$

分子・分母とも $2i\sin(\cdot)$ の形になるので,$2i$ が約分されて

$$ \begin{equation} \chi^{(\ell)}(\alpha) = \frac{\sin\!\left[\left(\ell+\tfrac12\right)\alpha\right]}{\sin\!\left(\alpha/2\right)} \label{eq:9-chiell} \end{equation} $$

∎

検算1($\alpha\to0$).分子・分母とも0に近づくので l'Hôpital の定理を使うと $\dfrac{(\ell+\frac12)\cos[(\ell+\frac12)\alpha]}{\frac12\cos(\alpha/2)}\to \dfrac{\ell+\frac12}{1/2} = 2\ell+1$.恒等操作の指標は表現の次元 $2\ell+1$ に等しい.✓

検算2($\ell=0$).$\chi^{(0)} = \sin(\alpha/2)/\sin(\alpha/2) = 1$.$s$ 軌道は球対称なので,どんな回転でも不変.✓

検算3($\ell=1$).$\sin(3\alpha/2) = \sin(\alpha/2)\left(2\cos\alpha+1\right)$ という三角関数の公式(あるいは $\sin(3x)=\sin x(2\cos 2x+1)$ に $x=\alpha/2$ を代入)から

$$ \chi^{(1)}(\alpha) = 1 + 2\cos\alpha $$

これは第4章で求めた回転行列のトレース $\Tr C_n = 1+2\cos(2\pi/n)$ とまったく同じである.$p$ 軌道 $(p_x,p_y,p_z)$ がベクトル $(x,y,z)$ と同じ変換をすることの現れである.✓

補足:非真の回転($\det = -1$)の指標

鏡映・反転・回映も扱えなければ点群には使えない.任意の非真の回転は $\bar{R} = i\,R(\alpha)$(反転と角 $\alpha$ の真の回転の積)と書ける(第4章).球面調和関数のパリティは $\hat{P}_i Y_{\ell m} = (-1)^{\ell}Y_{\ell m}$ だから,$\hat{P}_i$ は単位行列の $(-1)^\ell$ 倍である.したがって

$$ \begin{equation} \chi^{(\ell)}\!\left(i R(\alpha)\right) = (-1)^{\ell}\,\frac{\sin\!\left[\left(\ell+\tfrac12\right)\alpha\right]}{\sin\!\left(\alpha/2\right)} \label{eq:9-chiimproper} \end{equation} $$

使うときは,$\sigma_h = iC_2$($\alpha=180^\circ$),$S_4 = iC_4^3$($\alpha=270^\circ$),$S_6 = iC_3^2$($\alpha=240^\circ$)のように,まず反転を括り出して残った真の回転の角を読む.式 \eqref{eq:9-chiell} は $\alpha$ の偶関数なので,$270^\circ$ は $-90^\circ$ すなわち $90^\circ$ と同じ値を与える.

9.6.2 $d$ 軌道の $O_h$ 分解

導出:$\ell=2$ の指標を $O_h$ の10個の類について計算する

$\ell=2$ なので $(-1)^\ell = +1$,すなわちすべての $d$ 軌道は偶(gerade)である.式 \eqref{eq:9-chiell} に $\ell=2$ を入れると $\chi^{(2)}(\alpha) = \sin(5\alpha/2)/\sin(\alpha/2)$.

非真の回転は式 \eqref{eq:9-chiimproper} で $(-1)^2=+1$ 倍,つまりそのまま:$i$ は $\alpha=0$ で $5$,$S_4$ は $\alpha=270^\circ\equiv-90^\circ$ で $-1$,$S_6$ は $\alpha=240^\circ\equiv-120^\circ$ で $-1$,$\sigma_h$ と $\sigma_d$ は $\alpha=180^\circ$ で $+1$.

表9.3 $O_h$($h=48$)の関係する既約表現の指標と,$\ell=2$ の可約表現 $\Gamma_d$
$E$$8C_3$$6C_2'$$6C_4$$3C_2$$i$$6S_4$$8S_6$$3\sigma_h$$6\sigma_d$
$A_{1g}$1111111111
$E_g$2$-1$00220$-1$20
$T_{1g}$30$-1$1$-1$310$-1$$-1$
$T_{2g}$301$-1$$-1$3$-1$0$-1$1
$\Gamma_d\ (\ell=2)$5$-1$1$-1$15$-1$$-1$11

導出:$\Gamma_d = E_g \oplus T_{2g}$

既約分解の公式 $a_n = \frac{1}{48}\sum_k N_k\,\chi^{(\Gamma_n)}(\mathcal{C}_k)\,\chi_d(\mathcal{C}_k)$ に,表9.3 の数値を(類の元の数 $N_k = 1,8,6,6,3,1,6,8,3,6$ を掛けながら)代入する.

$$ a_{E_g} = \frac{1}{48}\Big[1(2)(5) + 8(-1)(-1) + 6(0)(1) + 6(0)(-1) + 3(2)(1) $$ $$ \qquad\qquad + 1(2)(5) + 6(0)(-1) + 8(-1)(-1) + 3(2)(1) + 6(0)(1)\Big] $$ $$ = \frac{1}{48}\left[10 + 8 + 0 + 0 + 6 + 10 + 0 + 8 + 6 + 0\right] = \frac{48}{48} = 1 $$ $$ a_{T_{2g}} = \frac{1}{48}\Big[1(3)(5) + 8(0)(-1) + 6(1)(1) + 6(-1)(-1) + 3(-1)(1) $$ $$ \qquad\qquad + 1(3)(5) + 6(-1)(-1) + 8(0)(-1) + 3(-1)(1) + 6(1)(1)\Big] $$ $$ = \frac{1}{48}\left[15 + 0 + 6 + 6 - 3 + 15 + 6 + 0 - 3 + 6\right] = \frac{48}{48} = 1 $$ $$ a_{T_{1g}} = \frac{1}{48}\left[15 + 0 - 6 - 6 - 3 + 15 - 6 + 0 - 3 - 6\right] = \frac{0}{48} = 0 $$ $$ a_{A_{1g}} = \frac{1}{48}\left[5 - 8 + 6 - 6 + 3 + 5 - 6 - 8 + 3 + 6\right] = \frac{0}{48} = 0 $$

奇($u$)の既約表現はすべてゼロである($\Gamma_d$ の $i$ の指標が $+5$,つまり $\chi(i)=+\chi(E)$ なので,偶成分しかありえない).したがって

$$ \begin{equation} \Gamma_{d} = E_g \oplus T_{2g} \label{eq:9-dsplit} \end{equation} $$

∎ 次元の勘定 $2+3 = 5$ ✓.孤立原子で5重に縮退していた $d$ 軌道が,正八面体場では2重($e_g$)と3重($t_{2g}$)に分かれる.

物理的意味:どちらが上でどちらが下か

群論が言えるのは「$2+3$ に分かれる」ところまでで,どちらのエネルギーが高いかは群論だけでは決まらない.これを決めるには,実際に配位子との相互作用を計算する必要がある.

実空間の絵を描けば直観的に分かる.5つの実 $d$ 軌道のうち

配位子が負電荷(あるいは電子豊富な配位原子)なら,その方向を向く $e_g$ のほうが静電的に不利で,エネルギーが高い.分裂幅を $\Delta_{\mathrm{o}} = 10Dq$ と書く.この $\Delta_\mathrm{o}$ の大小が,遷移金属錯体の色,高スピン/低スピンの別,Jahn–Teller 歪みの有無を支配する.

なお,四面体場($T_d$)では配位子が軸の間から近づくので,上下が逆転して $\Gamma_d = E \oplus T_2$ で $e$ が下,$t_2$ が上になる($\Delta_{\mathrm{t}} \approx \tfrac49\Delta_{\mathrm{o}}$).第10章で完全な計算を行う.

正八面体配位 配位子は ±x, ±y, ±z 方向 d 軌道(5 重縮退) 自由イオン eg (2 重) d(z²), d(x²−y²): 配位子を向く t2g (3 重) d(xy), d(yz), d(zx): 間を向く Δo 重心は保たれる(eg は +3/5 Δo,t2g は −2/5 Δo)
図9.4 $\ell=2$ の5重縮退が正八面体場で $E_g \oplus T_{2g}$ に分裂する様子.分裂の「パターン」(2 と 3 に分かれること)は群論だけで決まるが,どちらが上かは配位子との実際の相互作用が決める.$e_g$ のローブが配位子を直撃するため,こちらが高エネルギーになる.

注意:$O_h$ の分裂は $m$ を混ぜる

$E_g$ の2つ $\{d_{z^2},\ d_{x^2-y^2}\}$ は,$m$ で言えば $m=0$ と $m=\pm2$ の組み合わせである.$T_{2g}$ の3つ $\{d_{xy},d_{yz},d_{zx}\}$ は $m=\pm2$ と $m=\pm1$ の組み合わせである.つまり,立方対称の結晶場は $m$ の異なる状態を混ぜる.

これは当然で,$m$ は「$z$ 軸まわりの連続回転」という対称性のラベルであり,$O_h$ にはその対称性がない(あるのは $C_4$ だけ).対称性が下がれば,もとの量子数は良い量子数でなくなる.何が良い量子数として残るかを教えてくれるのが,まさに群論なのである.

9.7 指標表の右端の列を読む

ここまでの道具立てで,冒頭の問いに答えられる.指標表の右端に並んでいるのは,その既約表現の典型的な基底関数である.列は普通3種類に分かれている.

表9.4 指標表の右端の列の意味と用途
記号正体物理量主な用途
$x,\ y,\ z$極性ベクトル(polar vector)の成分$p$ 軌道,並進 $T_x$ 等,電気双極子 $-e\rr$,分極 $\bm{P}$赤外活性の判定,極性点群の判定,$p$ 軌道の分類
$R_x,\ R_y,\ R_z$軸性ベクトル(axial vector, 擬ベクトル)の成分回転,角運動量 $\bm{L}$,磁気モーメント $\bm{m}$,磁化 $\bm{M}$磁気的性質,磁気双極子遷移,分子回転
$x^2,\ xy,\ x^2-y^2$ 等2次形式$d$ 軌道,分極率テンソル $\alpha_{ij}$,応力・ひずみRaman 活性の判定,$d$ 軌道の結晶場分裂

例題9.5 $C_{3v}$ で $R_z$ が $A_2$ に属することを示す

$R_z$ は「$z$ 軸まわりの回転」を表す量で,$xy$ 平面内の回転の向きを示す矢印(反時計回りを正とする)と思えばよい.角運動量なら $L_z = xp_y - yp_x$ である.

(i) $C_3$ のもとで.矢印を $z$ 軸まわりに回しても,向き(反時計回り)は変わらない.$\hat{P}_{C_3}R_z = R_z$,すなわち $\chi = +1$.

(ii) $\sigma_v$($xz$ 面,$y\to-y$)のもとで.鏡に映すと,反時計回りの矢印は時計回りに見える.$\hat{P}_{\sigma_v}R_z = -R_z$,すなわち $\chi = -1$.

式で確かめよう.$\sigma_1$ は $(x,y,z)\to(x,-y,z)$,運動量も同様に $(p_x,p_y,p_z)\to(p_x,-p_y,p_z)$ だから

$$ L_z = xp_y - yp_x \;\longrightarrow\; x(-p_y) - (-y)p_x = -\left(xp_y - yp_x\right) = -L_z \quad ✓ $$

したがって $R_z$ の指標は $(\chi(E),\chi(C_3),\chi(\sigma_v)) = (1,1,-1)$ であり,表9.1 と照らせばこれは $A_2$ である.∎

ここが $z$ との決定的な違いである.$z$(極性ベクトル)は鏡映 $\sigma_v$ で不変だが,$R_z$(軸性ベクトル)は符号を変える.一般に軸性ベクトルは,極性ベクトルの変換則に $\det R$ を1つ余分に掛けたものとして変換する.だから $C_{3v}$ では $z \in A_1$,$R_z \in A_2$ と行き先が分かれる.この違いが,電気的な性質と磁気的な性質を分ける根源である(第20章).

例題9.6 射影演算子で右端の列を「作る」

$C_{3v}$ において $\hat{P}^{(A_1)}x^2$ を計算し,表9.1 の $A_1$ の欄に $x^2+y^2$ と書いてある理由を説明せよ.

解答.まず回転の分を計算する.式 \eqref{eq:9-c3xy} より $\hat{P}_{C_3}x = -\tfrac12 x + \tfrac{\sqrt3}{2}y$ であり,$\hat{P}_R$ は関数の積に対して $\hat{P}_R(fg) = (\hat{P}_Rf)(\hat{P}_Rg)$ を満たす(引数を同じように置き換えるだけだから).したがって

$$ \hat{P}_{C_3}x^2 = \left(-\tfrac12 x + \tfrac{\sqrt3}{2}y\right)^2 = \tfrac14 x^2 - \tfrac{\sqrt3}{2}xy + \tfrac34 y^2 $$

同様に $\hat{P}_{C_3^2}x = -\tfrac12x - \tfrac{\sqrt3}{2}y$ なので

$$ \hat{P}_{C_3^2}x^2 = \tfrac14 x^2 + \tfrac{\sqrt3}{2}xy + \tfrac34 y^2 $$

3つを足すと,$xy$ の項が打ち消し合って

$$ \hat{P}_E x^2 + \hat{P}_{C_3}x^2 + \hat{P}_{C_3^2}x^2 = x^2 + \tfrac12 x^2 + \tfrac32 y^2 = \tfrac32\left(x^2+y^2\right) $$

次に鏡映の分.3枚の鏡映は $\{\sigma_1,\ \sigma_1C_3,\ \sigma_1C_3^2\}$ と書けるので(第6章の剰余類),

$$ \sum_{j=1}^{3}\hat{P}_{\sigma_j}x^2 = \hat{P}_{\sigma_1}\left[\sum_{k=0}^{2}\hat{P}_{C_3^k}x^2\right] = \hat{P}_{\sigma_1}\left[\tfrac32(x^2+y^2)\right] = \tfrac32\left(x^2+y^2\right) $$

($\sigma_1$ は $y\to-y$ なので $y^2$ は不変.)よって

$$ \hat{P}^{(A_1)}x^2 = \frac{1}{6}\left[\tfrac32(x^2+y^2) + \tfrac32(x^2+y^2)\right] = \frac{1}{2}\left(x^2+y^2\right) $$

∎ 出てきたのはまさに $x^2+y^2$ である.指標表の右端の列は,こうして射影演算子で機械的に作れる.$z^2$(あるいは $2z^2-x^2-y^2$)も同様に $A_1$ に落ちる.

物理的意味:右端の列の3つの使い方

(1) 極性かどうかの判定(第4章とのつながり).$z$(または $x,y,z$ のどれか)が全対称表現に属していれば,その方向に自発分極を置いても対称性に矛盾しない.$C_{3v}$ では $z\in A_1$ なので極性点群である.実際 $\mathrm{NH_3}$ は永久双極子を持つ.一方 $D_{3h}$ では $z \in A_2''$ で全対称ではないので非極性.$\mathrm{BF_3}$(平面三角形)に双極子がないのは,これで説明される.

(2) 赤外活性・Raman 活性の判定(第10章).ある基準振動が赤外活性であるための必要条件は,その振動の既約表現が $x,\ y,\ z$ のいずれかを含むこと.Raman 活性の条件は,2次形式のいずれかを含むこと.$C_{3v}$ なら $A_1$ と $E$ が赤外・Raman ともに活性,$A_2$ はどちらも不活性である.

(3) 相互排除則(mutual exclusion rule).中心対称な点群では,$x,y,z$ は必ず奇($u$),2次形式は必ず偶($g$)に属する($\rr\to-\rr$ で1次式は符号を変え,2次式は変えないから).したがって赤外活性なモードは Raman 不活性,Raman 活性なモードは赤外不活性となり,両方に現れるモードは存在しない.逆に,両方のスペクトルに同じ振動数のピークが現れたら,その分子(結晶)は中心対称でない,と結論できる.第4章で述べた「中心対称性の有無を決めるのが難しい」問題に対する,有力な実験的手段である.

9.8 まとめと演習

9.8.1 まとめ

9.8.2 演習問題

演習9.1 $\hat{P}_R\hat{P}_S = \hat{P}_{RS}$ を具体例で確かめる

$C_{4v}$ で,$C_4$($z$ 軸まわり $+90^\circ$)と $\sigma_v$($xz$ 面,$y\to-y$)を考える.

(1) $\hat{P}_{C_4}x$, $\hat{P}_{C_4}y$, $\hat{P}_{\sigma_v}x$, $\hat{P}_{\sigma_v}y$ をそれぞれ求めよ.

(2) $\hat{P}_{C_4}\left(\hat{P}_{\sigma_v}x\right)$ と $\hat{P}_{\sigma_v}\left(\hat{P}_{C_4}x\right)$ を計算し,両者が異なることを確かめよ.$C_4\sigma_v \ne \sigma_v C_4$ とどう対応しているか説明せよ.

(3) $\hat{P}_{C_4}\hat{P}_{\sigma_v} = \hat{P}_{C_4\sigma_v}$ であることを,行列 $C_4\sigma_v$ を実際に計算して確かめよ.

ヒント:(1) $\hat{P}_{C_4}x = y$,$\hat{P}_{C_4}y = -x$,$\hat{P}_{\sigma_v}x = x$,$\hat{P}_{\sigma_v}y = -y$.(2) 前者は $\hat{P}_{C_4}x = y$,後者は $\hat{P}_{\sigma_v}y = -y$ で符号が違う.演算子の順序と群の元の積の順序が一致していること(式 \eqref{eq:9-homo})が効いている.(3) $C_4\sigma_v = \begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}$ すなわち $(x,y)\to(y,x)$ で,これは $\sigma_d$ の1枚($y=x$ の面)である.

演習9.2 $C_{4v}$ の4原子から SALC を作る

正方形の頂点を対角方向 $(\pm a, \pm a)$ に取るのではなく,$\pm x$, $\pm y$ 軸上に4つの原子を置く($\mathrm{XeF_4}$ の F,あるいは平面正方形錯体の配位子を想定.これらの分子全体の点群は $D_{4h}$ だが,ここではその部分群 $C_{4v}$ に制限して考える).原子を $+x$ から反時計回りに $1,2,3,4$ と番号づけ,それぞれの $s$ 軌道を $\phi_i$ とする.$C_{4v}$ の指標表は

$C_{4v}$$E$$2C_4$$C_2$$2\sigma_v$$2\sigma_d$基底
$A_1$11111$z$; $x^2+y^2$, $z^2$
$A_2$111$-1$$-1$$R_z$
$B_1$1$-1$11$-1$$x^2-y^2$
$B_2$1$-1$1$-1$1$xy$
$E$20$-2$00$(x,y)$; $(xz,yz)$

(1) 「動かなかった原子の数」を数えて可約表現の指標を求めよ.

(2) 既約分解せよ.

(3) 射影演算子を使って,規格化された SALC をすべて書け.

ヒント:(1) $\chi = (4,\,0,\,0,\,2,\,0)$.$\sigma_v$($xz$ 面と $yz$ 面)は原子を2個ずつ残し,$\sigma_d$(対角面)は1個も残さない.(2) $a_{A_1}=\frac18(4+4)=1$,$a_{B_1}=\frac18(4+4)=1$,$a_E=\frac18(8)=1$,他はゼロ.よって $\Gamma = A_1\oplus B_1\oplus E$.(3) $\psi_{A_1}=\frac12(\phi_1+\phi_2+\phi_3+\phi_4)$,$\psi_{B_1}=\frac12(\phi_1-\phi_2+\phi_3-\phi_4)$,$\psi_{E}=\frac{1}{\sqrt2}(\phi_1-\phi_3)$ と $\frac{1}{\sqrt2}(\phi_2-\phi_4)$.最後の2つはそれぞれ $x$, $y$ と同じ変換をする.

演習9.3 $N$ 員環の Hückel 準位とベンゼン

$N$ 個の等価な原子が輪をなし,最近接どうしだけが共鳴積分 $\beta$ で結ばれているとする.

(1) 巡回群 $C_N$ の既約表現 $\chi^{(k)}(C_N^{\,j}) = e^{2\pi ikj/N}$ に対する射影演算子を $\phi_0$ に作用させ,$\psi_k = \frac{1}{\sqrt N}\sum_j e^{-2\pi ikj/N}\phi_j$ を導け.

(2) $\varepsilon_k = \langle\psi_k|\Ham|\psi_k\rangle = \alpha + 2\beta\cos(2\pi k/N)$ を示せ.

(3) $N=6$(ベンゼンの $\pi$ 系)について準位を全部求め,$\pi$ 電子6個を詰めたときの全 $\pi$ エネルギーを計算せよ.これをエチレン3分子分($3\times2(\alpha+\beta)$)と比べ,非局在化エネルギーを求めよ.

ヒント:(2) $\Ham\phi_j = \alpha\phi_j + \beta(\phi_{j-1}+\phi_{j+1})$ を代入し,位相因子を $e^{\pm 2\pi ik/N}$ でくくり出す.(3) $k=0$: $\alpha+2\beta$,$k=\pm1$: $\alpha+\beta$(2重),$k=\pm2$: $\alpha-\beta$(2重),$k=3$: $\alpha-2\beta$.6電子で $2(\alpha+2\beta)+4(\alpha+\beta) = 6\alpha+8\beta$.エチレン3個分は $6\alpha+6\beta$ なので,差は $2\beta$($\beta$ は負なので安定化).これがベンゼンの芳香族安定化の Hückel 的説明である.

演習9.4 $f$ 軌道($\ell=3$)の $O_h$ 分解

式 \eqref{eq:9-chiell} と \eqref{eq:9-chiimproper} を使って,$\ell=3$ の7重縮退が $O_h$ でどう分裂するかを求めよ.

(1) $O_h$ の10個の類について $\chi^{(3)}$ を計算し,表を作れ.

(2) 既約分解せよ.

(3) なぜ $u$(奇)の既約表現しか現れないのか説明せよ.

ヒント:(1) $\chi^{(3)}(\alpha) = \sin(7\alpha/2)/\sin(\alpha/2)$ より,真の回転では $E:7$,$C_3:1$,$C_4:-1$,$C_2:-1$,$C_2':-1$.非真の回転では $(-1)^3=-1$ を掛けて $i:-7$,$S_4:+1$,$S_6:-1$,$\sigma_h:+1$,$\sigma_d:+1$.(2) $\Gamma_f = A_{2u}\oplus T_{1u}\oplus T_{2u}$(次元 $1+3+3=7$ ✓).(3) $Y_{3m}$ のパリティが $(-1)^3=-1$ で,$\hat{P}_i$ が $-\hat{1}$ として作用するから.ランタノイドの $4f$ 電子の結晶場分裂がこの分解に対応する.

演習9.5 $p$ 軌道の SALC —— 球対称でない場合

9.4節では $1s$ 軌道(球対称)を扱ったので,$\hat{P}_R\phi_i = \phi_j$ と原子の付け替えだけで済んだ.今度は正三角形の3原子それぞれに $p_z$ 軌道が乗っている場合を考える($z$ は $C_3$ 軸方向).

(1) $p_z$ 軌道は $C_{3v}$ のどの操作でも向きが変わらないことを確かめ,$\hat{P}_R\phi^{(p_z)}_i$ が $1s$ の場合とまったく同じ表(表9.2)で書けることを示せ.

(2) では,各原子に $p_x$ 軌道が乗っている場合はどうか.$\hat{P}_{C_3}$ を作用させると何が起こるか,言葉で説明せよ.

(3) 3原子 $\times$ 3成分 $= 9$ 次元の可約表現の指標を「動かなかった原子の数 $\times$ その原子上でのベクトルの寄与」として求め,既約分解せよ.

ヒント:(1) $p_z \propto z\,f(r)$ で,$z$ は $A_1$ に属する(9.2.1節).(2) 原子が 1→2 に移ると同時に,軌道の向きも $120^\circ$ 回るので,原子2の上の $p_x$ と $p_y$ の混合になる.(3) 動かない原子1個あたりの寄与は,その操作のベクトル表現の指標 $\chi_{\mathrm{vec}}(R)$(回転なら $1+2\cos\alpha$,鏡映なら $1$)である.$\chi = (9,\,0,\,1)$ となり,$\Gamma = 2A_1\oplus A_2\oplus 3E$.これは第10章の分子振動の数え上げの出発点にもなる.

演習9.6 指標表の右端を読んで物性を予言する

(1) 水 $\mathrm{H_2O}$ は $C_{2v}$($mm2$)である.$C_{2v}$ の指標表を書き,$x,y,z$ と $R_x,R_y,R_z$ がそれぞれどの既約表現に属するかを,9.2節と同じやり方(各操作を作用させる)で決定せよ.そこから $\mathrm{H_2O}$ が極性分子であることを示せ.

(2) $\mathrm{BF_3}$ は $D_{3h}$ である.$z$ が全対称表現 $A_1'$ ではなく $A_2''$ に属することを,$\sigma_h$(分子面)を作用させて示し,$\mathrm{BF_3}$ が無極性であることを結論せよ.$\mathrm{NH_3}$($C_{3v}$)との違いはどこから来るか.

(3) 中心対称な点群では,$x,y,z$ が必ず $u$ に,2次形式が必ず $g$ に属することを,反転操作 $\hat{P}_i$ を作用させて示せ.そこから相互排除則を導け.

ヒント:(1) $C_{2v} = \{E, C_2(z), \sigma(xz), \sigma(yz)\}$.$z\in A_1$,$x\in B_1$,$y\in B_2$,$R_z\in A_2$.$z$ が全対称なので極性軸は $z$ 方向,これが水の双極子の向きである.(2) $\hat{P}_{\sigma_h}z = -z$ なので $\chi(\sigma_h) = -1$,全対称ではない.$C_{3v}$ には $\sigma_h$ がなく,$D_{3h}$ にはあることが違いのすべてである(第4章の極性点群の一覧と照合せよ).(3) $\hat{P}_i x = -x$,$\hat{P}_i (xy) = (-x)(-y) = xy$.

参考文献

  1. M. S. Dresselhaus, G. Dresselhaus, A. Jorio, Group Theory: Application to the Physics of Condensed Matter, Springer (2008), Chapter 4(Basis Functions)および Chapter 5. —— 本章の骨格.射影演算子の記法と添字の約束はこの本に従っている.
  2. 望月 泰英「物質の対称性と群論」望月研究室勉強会資料(2026年4月24日),「応用例1. d軌道の結晶場分裂」.—— 9.6節の $E_g\oplus T_{2g}$ はこの資料の計算に対応する.
  3. 今野 豊彦『物質の対称性と群論』共立出版,第4章・第5章.—— 射影演算子と SALC の日本語での標準的な解説.
  4. F. A. Cotton, Chemical Applications of Group Theory, 3rd ed., Wiley (1990), Chapters 5–7. —— SALC と分子軌道の作り方が,化学の立場から徹底的に例示されている.
  5. M. Tinkham, Group Theory and Quantum Mechanics, McGraw-Hill (1964), Chapter 4. —— 回転群の指標 $\chi^{(\ell)}(\alpha)$ とその点群への応用.
  6. C. Kittel『キッテル 固体物理学入門』第8版,第9章・第11章.—— 強束縛近似(第9章)と,結晶場分裂・軌道角運動量の凍結(第11章)の物理的背景.