変分原理はなぜ「下げたもの勝ち」なのか

講義第 3 回(He の有効核電荷)と第 6 回(Gauss 試行関数)の導出を,順を追って書き下したものです. 証明(3 行)→ He の 5 項分解 → Z′ = Z − 5/16 → 等電子系列での答え合わせ → 試行関数の選び方 という一本道です.エネルギーは講義の流儀どおり eV,ε1s = −13.606 eV を使います.

0. 変分原理とは何か

規格化されたどんな関数 Ψ(試行関数)についても,

⟨Ψ|H^|Ψ⟩ ≥E0 (E0:真の基底状態エネルギー)

が成り立ちます.等号は Ψ が真の基底状態そのものであるときだけ. したがってパラメーター付きの試行関数を用意して期待値を最小化すれば, それが「その関数族で作れる最良の近似」になります. Schrödinger 方程式が解けない多電子原子・分子・固体に対して, Hartree–Fock も密度汎関数理論も量子化学の基底関数展開も,ぜんぶこの原理の子孫です.

1. まず結論(30 秒版)

  1. 証明は 3 行:Ψ を固有状態で展開すると ⟨E⟩ は固有値の重み付き平均になるから,最小値より下に行けない.
  2. He 型イオン(電子 2 個)に試行関数 φ(r₁)φ(r₂)(有効核電荷 Z′ の 1s の積)を使うと ⟨E⟩(Z′) は Z′ の 2 次式になり,最小は Z′ = Z − 5/16.
  3. He では ⟨E⟩min = 2ε1s(2 − 5/16)² = −77.490 eV(実験 −79.005 eV). もう 1 個の電子が核電荷を 5/16 だけ遮蔽している,と読めます.
  4. Z′ = Z のままの点は摂動論 1 次の答え −74.833 eV と一致する(試行関数が ψ⁽⁰⁾ そのものだから).
  5. 実験との残り ≈ 1.5 eV は電子相関.積の形の試行関数では原理的に取れない.
  6. 試行関数の族が厳密解を含めば変分はそこへ当たる(指数型 e−βr → −13.606 eV). 含まなければ最良で止まる(Gauss 型 → −11.549 eV,誤差 15 %.犯人は原点のカスプ).

2. 証明 ― 固有値の重み付き平均は最小値より下がれない

Ĥ の固有状態を ψn(Ĥψn = Enψn, E0 ≤ E1 ≤ …)とします.Ĥ はエルミートなので固有状態は正規直交 ⟨ψn|ψm⟩ = δnm に取れ,完全系をなします (Σ|ψn⟩⟨ψn| = 𝟙).どんな試行関数も

|Ψ⟩= ∑n=0∞ cn|ψn⟩ , cn= ⟨ψn|Ψ⟩

と展開できます.期待値に入れると(交差項は直交性で消えて)

⟨Ψ|H^|Ψ⟩ = ∑m Em |cm|2 ≥ E0 ∑m |cm|2 =E0 … ①

最後は規格化 Σ|cm|² = 1 と Em ≥ E0 を使っただけです.Q.E.D.(講義第 3 回 p.19–21)

おまけの定理:誤差は 2 次で効く 試行関数が真の基底状態から「1 次」ずれていても(cn≠0 ∼ δ), エネルギーのずれは |cn|² ∼ δ² の「2 次」でしか効きません. 波動関数が少々雑でもエネルギーはそこそこ当たる——変分法が実用になる理由です.

図 1|証明を目で見る.水素原子の準位 E1 = −13.6,E2 = −3.4,E3 = −1.5 eV に 重み |c2|², |c3|² だけ「混ぜ物」をした試行関数の ⟨E⟩. どう混ぜても基底状態より下には行けないこと,混ぜ物が 1 次でも ⟨E⟩ の上がりは 2 次であることを確かめてください.

3. He の変分計算 ― Z′ = Z − 5/16 を出す

3.1 設定と試行関数

核電荷 Z(He なら 2)のまわりの電子 2 個.ハミルトニアンは

H^= p^122m − Ze024πε0r1 + p^222m − Ze024πε0r2 + e024πε0|r1−r2|

最後の電子間反発のせいで変数分離できません(これを無視すると E = 2Z²ε1s = −108.85 eV で,実験 −79.005 eV から 27 % もずれるのでした). そこで「各電子は,遮蔽された核電荷 Z′ を感じる水素様 1s にいる」という試行関数を置きます.

ψt (r1,r2) = φt(r1) φt(r2) = 1π (Z′aB)3 e− (Z′/aB) (r1+r2)

3.2 5 つの項に分ける ― 講義第 3 回の技

期待値をそのまま計算してもよいのですが,講義では核の引力を

−Ze024πε0r = −Z′e024πε0r + (Z′−Z)e024πε0r

と「Z′ の分」と「ずれの分」に割ります.すると期待値は電子 1・2 について対称な 5 項になります.

3.3 平方完成して最小を読む

⟨E⟩= 2Z′2ε1s −4(Z′−Z)Z′ε1s −54Z′ε1s = −2ε1s (Z′−Z+516)2 + 2ε1s (Z−516)2 … ②

ε1s < 0 に注意すると第 1 項は「上に凸の罰金」なので,最小は括弧がゼロのとき.

Z′=Z−516 , ⟨E⟩min= 2ε1s (Z−516)2 … ③

He(Z = 2)なら Z′ = 1.6875,⟨E⟩min = −77.490 eV. 実験値 −79.005 eV,実測の有効核電荷 ~1.7 とよく合います.

Z′ = Z の点は 1 次摂動と同じ値です 縮めない試行関数(Z′ = Z)は無摂動波動関数 ψ⁽⁰⁾ そのものなので, ②に Z′ = Z を入れた値 (2Z² − 5Z/4)ε1s = −74.833 eV は 摂動論 1 次の答えと一致します. 変分はそこから Z′ を 5/16 だけ緩めて,さらに 2.657 eV 下げている—— 「1 次摂動 = 最適化していない変分」という見方ができます.

4. 等電子系列で答え合わせ

③は Z を変えるだけで H⁻ から B³⁺ まで全部に使えます(どれも電子 2 個). 実験値はイオン化エネルギーの和から作れます.

H⁻ (Z=1)He (Z=2)Li⁺ (Z=3)Be²⁺ (Z=4)B³⁺ (Z=5)
反発無視 2Z²ε₁ₛ−27.21−108.85−244.91−435.39−680.30
1 次摂動−10.20−74.83−193.89−367.36−595.26
変分(本ページ)−12.86−77.49−196.54−370.02−597.92
実験−14.36−79.005−198.09−371.62−599.60
変分の誤差1.501.511.551.601.68

単位はすべて eV.見どころは最下段:誤差が Z によらずほぼ 1.5 eV で一定です. 積の試行関数は「電子 1 は電子 2 のいまの位置を知らない」独立粒子近似なので, 2 電子が避け合う相関のエネルギーを系統的に取り逃がします. その量は主に 2 電子が出会う頻度で決まり,Z にあまり依存しない——という読み方までできます.

⚠ H⁻ は「束縛しない」と出てしまう Z = 1 の変分値 −12.86 eV は「H 原子 + 遠くの静止電子」の −13.606 eV より高いので, この試行関数の範囲では H⁻ は安定に存在できないことになります(実際は −14.36 eV で束縛). Chandrasekhar の試行関数のように 2 電子に別々の Z′ を許すと束縛が出ます. 変分原理は上界しかくれないので,「存在しない」ことの証明には使えない好例です.

5. 試行関数を取り替える ― Gauss 型の実力(第 6 回)

5.1 ⟨E⟩(α) を出す

今度は水素原子(答えを知っている系)で,試行関数に Gauss 型 φt = Ne−αr² を使ってみます. ∇²φt = (−6α + 4α²r²)φt と 積分公式 ∫0∞x2m+1e−ax²dx = m!/2am+1 を使うと (原子単位,詳しい途中式は講義第 6 回)

⟨E⟩ (α)= 32α⟨T⟩ − 22απ−⟨V⟩ [Hartree] … ④

運動エネルギーは α に比例して増え(縮めるほど波が細かい),引力の得は √α でしか増えない. だから必ず釣り合いの最小があり,d⟨E⟩/dα = 0 から

αopt= 89π 1aB2 =0.2829aB−2 , ⟨E⟩min= 83π ε1s =−11.549eV

厳密解 −13.606 eV に対して誤差 15.1 %.一方,指数型 Ne−βr なら ⟨E⟩ = (β²/2 − β) Hartree で,β = 1 のとき厳密解にぴったり当たります (この族は厳密解を含んでいるから).

5.2 Gauss が負ける理由 ― カスプ条件

核の位置では引力 −Z/r が発散するので,Schrödinger 方程式が成り立つためには 運動エネルギー項が同じ強さで発散を打ち消す必要があります.その条件がカスプ条件

dψdrr=0 = −ZaB ψ(0)

で,e−Zr は満たしますが,Gauss 関数は原点で傾きゼロなので絶対に満たせません. 原点の尖りと遠方の裾——両端で形が合わないぶんが 15 % の正体です. それでも量子化学が Gauss を使うのは 2 中心積分が楽だからで (重なり積分のページ), 足りない分は本数で補います.それが STO-3G です.

図 2|カスプ拡大鏡.厳密解(灰)と Gauss 試行関数(青)の原点付近. α をどう選んでも原点の傾きはゼロのままで,尖りが作れないことを確かめてください. 破線はカスプ条件の傾き −ψ(0).

5.3 virial 定理はただで付いてくる

規格化した試行関数 ψ(r) を ψs(r) ∝ ψ(sr) と伸縮させると, Coulomb 系では ⟨T⟩ → s²⟨T⟩,⟨V⟩ → s⟨V⟩ とスケールします. E(s) = s²⟨T⟩ + s⟨V⟩ が s = 1 で停留する条件はそのまま

2⟨T⟩+⟨V⟩=0 ⟺ ⟨V⟩⟨T⟩=−2

すなわち virial 定理です.e−αr² の α や e−βr の β を振ることは まさにこの伸縮なので,最小の点では自動的に ⟨V⟩/⟨T⟩ = −2 が成り立ちます (シミュレーターの読み取り値で確認できます).実務でも計算の収束チェックに使われる関係です.

6. つながり

参考:講義「マテリアル計算科学」第 3 回(変分原理・He の有効核電荷)・第 6 回(Gauss 試行関数)/ A. Szabo and N. S. Ostlund,『新しい量子化学』/実験値はイオン化エネルギー(NIST)の和. 数式はブラウザ標準の MathML で組んでいます(外部ライブラリ不使用).