STO-nG 基底はどう作るのか

講義第 5 回(STO-3G の導出)と第 6 回(Gauss 試行関数)の道具立てを,順を追って書き下したものです. Gauss の規格化 → STO-1G の α の決め方 → 2 本・3 本への拡張 → Gauss 積の定理 → 重なり積分の閉じた式 → 市販基底の ζ スケーリング という一本道です.

0. なぜわざわざ Gauss なのか

水素様軌道の正しい形は Slater 型 e−ζr です. ところが分子計算では,別々の原子に載った関数どうしの積分(2 中心・3 中心・4 中心積分)が大量に要ります. Slater 型の 2 中心積分は楕円座標という 重い道具が要り,4 中心の電子間反発積分にいたっては閉じた式がありません. Gauss 型 e−αr² なら,あとで示す積の定理のおかげで全部が初等積分で閉じます. そこで「正しい形(Slater)を,計算しやすい形(Gauss)n 本の和で真似る」——それが STO-nG です.

1. まず結論(30 秒版)

  1. 規格化した s 型 Gauss は φ = (2α/π)3/4e−αr².
  2. STO-1G:1s との重なりを最大化して α = 0.27095(エネルギー最小なら 8/9π = 0.28294.目的で最適が変わる).
  3. 本数を増やすと 誤差 15 % → 3.8 % → 1.0 %(エネルギー),重なり 0.9784 → 0.9984 → 0.9998.
  4. Gauss 積の定理:2 中心の積 = あいだの 1 中心の Gauss × 定数 K. おかげで 1s–1s の重なり積分が 1 行の式になる.
  5. 市販の STO-3G は指数を ζ = 1.24 でスケール(分子の中の縮んだ H 用). だから PySCF の H 原子は −12.696 eV,このページの ζ = 1 フィットは −13.467 eV になる.

2. Gauss 関数の規格化

φt = Ne−αr² を ⟨φt|φt⟩ = 1 にします. Gauss 積分 ∫0∞e−2αr²r²dr = (1/8)√(2π/(2α)³)·2 … を使うと ∫|φt|²dV = N²(π/2α)3/2 なので

φt(r) = (2απ)3/4 e−αr2 … ①

以後,長さは a0 単位(α は a0−2 単位)で書きます.

3. STO-1G ― α ひとつをどう決めるか

真似したい相手は水素 1s:φ1s = (1/√π)e−r.講義第 5 回の流儀は 重なり積分を最大化することです.

maxα ∫ φ1s (r) φt (r) dV ⟹ α=0.27095 … ②

一方,第 6 回でやったエネルギー最小化なら α = 8/9π = 0.28294. 2 つの「最適」が一致しないのは,重なりが波動関数全体の形を, エネルギーが(変分原理を通して)別の重み付けを見ているからです. 幸い ⟨E⟩(α) は底が平らなので,どちらを使ってもエネルギー差は 0.005 eV しかありません.

図 1|2 つの「最適 α」.上:厳密解との重なり ⟨1s|φt⟩(最大が α = 0.271). 下:エネルギー ⟨E⟩(α)(最小が α = 0.283).どちらの山・谷も平らで,2 つの α の差が実害にならないことが分かります.

4. 本数を増やす ― STO-2G・STO-3G

1 本では原点(カスプ)と裾が同時に合わせられないので,幅の違う Gauss を重ねて役割分担させます. 係数は最小二乗フィットで決められた定数です(第 5 回,Szabo–Ostlund).

STO-1GSTO-2GSTO-3G
成分 (c, α) (1, 0.27095) (0.678914, 0.151623)
(0.430129, 0.851819)
(0.444635, 0.109818)
(0.535328, 0.405771)
(0.154329, 2.22766)
⟨1s|φ⟩0.97840.99840.9998
⟨E⟩ [eV]−11.544−13.093−13.467
誤差15.2 %3.8 %1.0 %
狭い Gauss は原点係,広い Gauss は裾係 STO-3G の 3 本を見ると,α = 2.23(幅の狭いもの)が原点近くの立ち上がりを, α = 0.11(広いもの)が裾を受け持っています. それでもカスプ(原点の尖り)だけは何本足しても作れません—— どの成分も原点で傾きゼロだからです(変分のページのカスプ条件).

5. Gauss 積の定理 ― 御利益の source code

中心 RA と RB(1 次元で書きます.3 次元でも各成分で同じ)に置いた 2 つの Gauss の積の指数部を平方完成します.

−α(x−RA)2 −β(x−RB)2 = −(α+β) (x− αRA+βRBα+β )2 − αβα+β (RA−RB)2 … ③

第 1 項は「重み付き平均の位置を中心とする 1 つの Gauss」, 第 2 項は x によらない定数(距離減衰因子 K)です. つまり 2 中心の積分が,ただの 1 中心 Gauss 積分に化けます. 規格化①込みで 1s–1s の重なり積分を計算すると

SGG (α,β,R) = (4αβ)3/4 (α+β)3/2 e− αβα+β R2 … ④

楕円座標もヤコビアンも要りません.STO-nG の重なりは④を係数で足すだけです: S(R) = ΣijcicjSGG(αi, αj, R). 運動エネルギー・核引力・4 中心の電子間反発も,同じ平方完成が全部の中心を潰してくれます (反発積分には誤差関数が 1 つ出るだけ).

図 2|S(R) の誤差 SSTO-nG − S厳密. 結合距離(H₂ の 1.4 a0,縦の点線)のまわりでは STO-3G の誤差はほぼゼロ. 遠距離では Gauss の裾が速く死ぬぶん,どの n でも負の誤差(過小評価)が残ります.

6. 市販の STO-3G は ζ = 1.24 に縮めてある

①〜④はぜんぶ ζ = 1(孤立水素)の話でした.Gauss 指数は ζ に対して α → ζ²α とスケールします(長さが 1/ζ に縮むから). 量子化学パッケージの標準 STO-3G は,H に対して ζ = 1.24 を採用しています: 指数は 0.109818 × 1.24² = 0.168856,0.405771 × 1.24² = 0.623913,2.22766 × 1.24² = 3.425251. 分子の中の H の 1s は結合で縮んでいるので,孤立原子ではなく分子に合わせた既製服なのです.

講義の 2 つの数値はこれで整合します 第 6 回の PySCF(標準 STO-3G)の H 原子は −12.696 eV(誤差 6.7 %). 一方,第 5 回で導出した ζ = 1 フィットの STO-3G で計算すると −13.467 eV(誤差 1.0 %)です. 孤立原子には ζ = 1 が合い,分子には ζ = 1.24 が合う—— 基底関数は「どの環境の原子を想定して作られたか」まで含めて選ぶもの,という好例です.

7. 弱点と,実務での手当て

8. 講義との対応・つながり

参考:講義「マテリアル計算科学」第 5 回(STO-nG の導出)・第 6 回(Gauss 試行関数)・第 10 回(分子計算演習)/ A. Szabo and N. S. Ostlund,『新しい量子化学』(STO-nG の係数表)/ W. J. Hehre, R. F. Stewart, and J. A. Pople, J. Chem. Phys. 51, 2657 (1969)(STO-nG 原論文). 数式はブラウザ標準の MathML で組んでいます(外部ライブラリ不使用).