摂動論はなぜ「おそるおそる」で当たるのか

講義第 4 回(Rayleigh–Schrödinger 摂動論)の導出を,順を追って書き下したものです. λ 展開 → 次数ごとの方程式 → 1 次エネルギー → 1 次波動関数と 2 次エネルギー → He への適用 → 級数はいつ壊れるか という一本道です.時間に依存しない・縮退のない場合を扱います.

0. 設定 ― 解ける問題に,解けない項を λ で混ぜる

解ける問題 Ĥ⁽⁰⁾(固有値 En⁽⁰⁾,固有関数 ψn⁽⁰⁾ が全部わかっている)に, 厄介な項 ĤP を加えたい.そこで ĤP = λĤ′ と書いて, つまみ λ を 0 から 1 までおそるおそる回します.

H^= H^(0) +λH^′ , ψn= ψn(0) +λψn(1) +λ2ψn(2) +⋯ , En= En(0) +λEn(1) +λ2En(2) +⋯

He なら Ĥ⁽⁰⁾ は「反発なしの電子 2 個」(水素様が 2 つ,厳密に解ける), ĤP は電子間反発 e0²/4πε0r12 です. λ は最後に 1 と置く理論の補助線で,実在のつまみではありません.

1. まず結論(30 秒版)

  1. Schrödinger 方程式に λ 展開を入れて λ の次数ごとに整理すると,各次数の方程式が 1 本ずつ出る.
  2. 1 次:En⁽¹⁾ = ⟨ψn⁽⁰⁾|Ĥ′|ψn⁽⁰⁾⟩. 波動関数を直さず,摂動の期待値を取るだけ.
  3. 1 次の波動関数:他の状態が ci = −⟨i|Ĥ′|n⟩/(Ei⁽⁰⁾−En⁽⁰⁾) だけ混ざる. 行列要素が大きいほど・準位が近いほど混ざる(分母効果).
  4. 2 次:En⁽²⁾ = −Σi≠n |⟨i|ĤP|n⟩|²/(Ei⁽⁰⁾−En⁽⁰⁾). 基底状態では必ず負(下がる).
  5. He:E⁽¹⁾ = −(5/4)Zε1s.Z = 2 で E ≅ −108.85 + 34.02 = −74.833 eV(実験 −79.005 eV,誤差 5 %). 2 次(−4.29 eV)まで足すと −79.12 eV.
  6. 級数には有効範囲(収束半径)がある.2 準位モデルなら λc = Δ/2V. 縮退(Δ = 0)ではそもそも使えない.

2. 次数ごとの方程式

(Ĥ⁽⁰⁾ + λĤ′)ψn = Enψn に展開を代入し, λ⁰, λ¹, λ² … の係数を両辺で見比べます(λ は任意なので次数ごとに独立に成り立つ必要があります).

H^(0) ψn(0) = En(0) ψn(0) … ①(λ⁰:無摂動) H^′ ψn(0) + H^(0) ψn(1) = En(1) ψn(0) + En(0) ψn(1) … ②(λ¹) H^′ ψn(1) + H^(0) ψn(2) = En(2) ψn(0) + En(1) ψn(1) + En(0) ψn(2) … ③(λ²)

①はただの無摂動問題.未知数は ②では En⁽¹⁾ と ψn⁽¹⁾, ③では En⁽²⁾ と ψn⁽²⁾ です. 補正波動関数は完全系で展開しておきます(Fourier 級数と同じ発想です).

ψn(1) = ∑i ci ψi(0)

3. 1 次エネルギー ― 左から ⟨ψn⁽⁰⁾| を当てる

②に展開を入れ,左から ⟨ψn⁽⁰⁾| を当てます. Ĥ⁽⁰⁾ψi⁽⁰⁾ = Ei⁽⁰⁾ψi⁽⁰⁾ と直交性 ⟨ψn⁽⁰⁾|ψi⁽⁰⁾⟩ = δni を使うと, ψ⁽¹⁾ を含む項は i = n の成分どうしで打ち消し合って消え,

En(1) = ⟨ ψn(0) |H^′| ψn(0) ⟩ ⟹ En≅ En(0) + ⟨ ψn(0) |H^P| ψn(0) ⟩ … ④
1 次は「壊さずに測る」 ④に ψ⁽¹⁾ は現れません.波動関数を直す前に,直さないままの状態で摂動を測る——それが 1 次です. 変分のページで見た「Z′ = Z の点」と同じ操作なので,He では両者の値が一致します.

4. 1 次波動関数と 2 次エネルギー ― 分母効果の出どころ

今度は②に左から ⟨ψj⁽⁰⁾|(j ≠ n)を当てます.すると cj が求まり,

cj = − ⟨ψj(0) |H^′| ψn(0)⟩ Ej(0) − En(0) … ⑤

行列要素が大きいほど,そして準位差の分母が小さいほど,その状態が強く混ざる. 摂動論のいちばん大事な直感がこの式です.⑤を③に入れて同じ操作をすると 2 次エネルギーが出ます.

En≅ En(0) + ⟨ψn(0) |H^P| ψn(0)⟩ − ∑i≠n |⟨ψi(0) |H^P| ψn(0)⟩|2 Ei(0) − En(0) … ⑥
符号の流儀に注意 講義(第 4 回)は⑥のように和の前にマイナスを出し,分母を Ei⁽⁰⁾ − En⁽⁰⁾ と書く流儀です. 教科書によっては +Σ|…|²/(En⁽⁰⁾ − Ei⁽⁰⁾) と書きますが,同じ式です. 基底状態(n = 0)では分母が全部正なので,2 次補正は必ず負—— 「まわりに混ざれる状態があると,基底状態は必ず得をする」と読めます.

5. He に使う ― 6 重積分が 1 本の公式に落ちる

無摂動状態は水素様 1s の積 ψ⁽⁰⁾ = φ⁽⁰⁾(r₁)φ⁽⁰⁾(r₂), φ⁽⁰⁾ = (1/√π)(Z/aB)3/2e−Zr/aB, E⁽⁰⁾ = 2Z²ε1s.1 次補正④は 6 重積分ですが,積分公式

∬ e−a(r1+r2) r12 dV1dV2 = 20π2a5 (a=2Z/aB)

で一撃です(導出は講義第 4 回:r2 を定数と見て先に r1 で積分します).整理すると

E(1) = 5e02Z 32πε0aB = −54Zε1s , E0≅ (2Z2−5Z4) ε1s … ⑦
He (Z = 2)反発無視1 次摂動2 次摂動変分HF実験
E [eV]−108.85−74.83−79.12−77.49−77.88−79.005
2 次の係数は Z によらない定数です(1/Z 展開) 原子単位(Hartree)で書くと He 型イオンの級数は E = −Z² + (5/8)Z − 0.15767 + 0.00870/Z + …. つまり E⁽²⁾ = −0.15767 Hartree = −4.291 eV はどのイオンでも同じです. 1 次は Z の 1 乗,2 次は Z の 0 乗——摂動が「相対的に」1/Z で小さくなっていくのが 次数の Z 依存性に現れています.だから重いイオンほど摂動論がよく効きます.

6. 級数はいつ壊れるか ― 2 準位モデルで厳密に

摂動級数は万能ではありません.厳密に解ける 2 準位モデル Ĥ(λ) = [[0, λV], [λV, Δ]] で確かめられます.厳密解は E∓ = (Δ ∓ √(Δ² + 4λ²V²))/2. √ の中がゼロになる λ = ±iΔ/2V(複素数!)が特異点なので, べき級数の収束半径は λc = Δ/2V です. λ < λc なら次数を上げるほど正確に,λ > λc なら上げるほど発散します.

図 1|部分和は収束するか,発散するか.2 準位モデルの基底状態エネルギーの摂動級数を 2 次,4 次,…と足していったときの部分和(棒)と厳密解(横線). λ/λc を 1 より小さく/大きくして,級数の振る舞いが一変するのを見てください.

⚠ 縮退があると最初から使えません ⑤⑥の分母 Ei⁽⁰⁾ − En⁽⁰⁾ がゼロになるからです. 縮退した部分空間の中では,まず摂動の行列を組んで対角化してから(=永年方程式を解いてから) 級数を組み直します(縮退摂動論).「行列を作って対角化する」は 永年方程式や 対角化のページの操作そのものです.

7. 2 次摂動の物理 ― 構造まで動かす

2 次補正⑥は「使い道」の宝庫です.講義第 4 回でも触れられているのが 2 次の Jahn–Teller 効果(擬 Jahn–Teller,SOJT): 結晶が変位 Q だけ歪むと,電子系には λĤ′ ∝ Q の摂動がかかります. すると基底状態は 2 次で −Q²|⟨e|Ĥ′|g⟩|²/Δ だけ下がる. 弾性エネルギー +½KQ² の上がりより勝てば,歪んだ構造のほうが安定になります—— 占有・非占有準位の差 Δ が小さい物質ほど歪みやすい.強誘電体の自発分極の起源を議論する道具です.

そして「摂動を無限次まで系統的に足し上げたい」となったときの帳簿が Feynman 図形と Dyson 方程式です.1 次の Hartree・Fock 図形,2 次の 10 個の図形—— Green 関数のページは, このページの続きとして読めます.

8. 講義との対応

参考:講義「マテリアル計算科学」第 4 回(摂動論)/ 1/Z 展開の係数は E. A. Hylleraas 以来の標準値(ε₂ = −0.157666 Hartree)/ A. Szabo and N. S. Ostlund,『新しい量子化学』. 数式はブラウザ標準の MathML で組んでいます(外部ライブラリ不使用).