固体を温めると膨らみます.あまりに当たり前ですが, ばねが理想的なばねである限り,固体は絶対に膨らみません. 膨らむためには,原子の間の力が「伸びと縮みで対称でない」必要があります ―― 非調和性です. ここではその非調和性を Grüneisen 定数 という 1 つの数に押し込め, 熱力学の関係式とフォノンの自由エネルギーから Mie–Grüneisen の状態方程式を導きます. そのうえで擬調和近似(QHA)を置くと,体積熱膨張係数が αV = γCV/(BTV) という驚くほど簡単な形になります. 最後に,この式のどの因子が実際に熱膨張を支配しているのか, そして温めると縮む物質(負熱膨張)がなぜ存在するのかを見ます.
体積熱膨張係数は,圧力を一定に保ったまま温度を上げたときの体積の増え方です.
ここで V は平均原子体積,つまり格子の体積を格子内の原子数で割ったものとします ―― こうしておくと,組成の違う物質どうしを同じ土俵で比べられます.
この定義のままでは扱いにくいので,三重積の関係 () を使って書き直します.
前半の は圧縮率 κ で,体積弾性率 BT の逆数です. つまり(1)を知るには,体積を固定したまま温度を上げたとき,結晶の内圧がどれだけ上がるか ―― それだけを計算すればよい,ということになります.
原子 1 対を取り出して,つり合いの位置からのずれを x とします. ポテンシャルが完全な放物線 なら,Boltzmann 分布 は x について左右対称です.どんなに温度を上げても
―― 原子は激しく振動するだけで,平均の位置は 1 ミリも動きません. 調和振動子をいくら並べても熱膨張は出てこないのです.
そこで 3 次の項を足します.伸びる側(x > 0)のほうが登りやすい ―― 逆に縮む側は急に立ち上がる,という非対称性です. ただし 3 次の項だけを足すと,x を大きくしたときポテンシャルが 下へ落ちていって底がなくなります(U → −∞). それでは Boltzmann 因子 の積分(分配関数)が発散してしまい,平均そのものが定義できません. そこで底を作る 4 次の項を足しておきます.
平均の位置が温度に比例してずれます.これが熱膨張の最も素朴な姿です. 図 1 で確かめてください ―― g = 0 にすると,温度をいくら上げても平均位置は動きません. ただし(3)は Boltzmann 分布で平均を取った古典近似なので,高温側でしか使えません ―― 量子的には kBT のところに零点振動を含む振動子のエネルギーが入り, T → 0 では平均位置のずれが温度によらなくなります(7 節の αV → 0 に対応します).
図 1.非調和なポテンシャルの中では,平均の位置がずれます. 薄い色は Boltzmann 分布 , 縦の線がその平均 です. k = 15 eV/Ų に固定し,安定化の 4 次項は λ = g²/k としてあります (換算質量を 30 u とすれば,このばね定数は約 11 THz にあたります ―― 振動数はばね定数だけでは決まらず,質量が要ります). ずれがとても小さいことにも注目してください ―― 熱膨張とは,もともとこの大きさの現象です.
波数 q・バンド ν のフォノンについて,モード Grüneisen 定数を次で定義します.
右の形が読みやすいでしょう ―― 体積を 1 % 増やしたとき,振動数が何 % 下がるかです. マイナス符号は「広げると下がる」を正にするためのものです.
体積 V・温度 T の結晶の Helmholtz 自由エネルギーは, 0 K の静的なエネルギー E(V) と, フォノンのぶんの和で書けます.
第 1 項が零点振動,第 2 項が熱で励起されたぶんです. この式そのものは調和振動子の分配関数から出てきます ―― 調和振動子の導出と 比熱の導出に書きました. 1 つのモードが持つ内部エネルギーは
丸括弧の中は「そのモードに乗っているフォノンの数 + 1/2」です. 絶対零度でも 1/2 が残ります ―― 零点振動は消せません.
圧力は自由エネルギーを体積で微分すれば出ます. です.(5)の第 2 項は V をあらわに含まず,ωqν を通してだけ体積に依るので, 連鎖律で
ここが気持ちのよいところです ―― 微分してみると, ちょうど(6)の Uqν/ωqν が現れます. あとは(4)から を入れるだけです.
これが Mie–Grüneisen の状態方程式です (G. Mie, 1903/E. Grüneisen, 1912). 理想気体の PV = NkBT にあたるものが,固体ではこれです.
外圧をかけずに(P = 0)置いておくと,結晶は(7)の右辺と左辺がつり合う体積に落ち着きます. 0 K の弾性エネルギーを と放物線で近似すれば,膨らむ量そのものが書けます.
Uqν は必ず正なので, 膨らむか縮むかは γqν の符号だけで決まります ―― ただし決めるのは和のほうです. 負の γqν を持つモードが 1 本あるだけでは足りず, が要ります.
(7)はきれいですが,そのままでは使えません. ωqν も γqν も,本当は温度と体積の両方に依るからです. そこで置く仮定が擬調和近似(quasi-harmonic approximation, QHA)です.
実際の第一原理計算は,この仮定のもとで次の手順になります.
図 2 で,その「谷が動く」ようすを見てください. 0 K の谷(V0)に対して,温度を上げると谷底がずれていきます. γ を負にすると,谷底は左へ動きます ―― 温めたのに縮む,これが負熱膨張です.
図 2.擬調和近似では,自由エネルギーの谷底が温度とともに動きます. Einstein 模型(1 原子あたり 3 モード,ΘE = 500 K)で とした,(5)そのものです.V0 = 12 ų/原子. 2 本の曲線は,それぞれ自分の谷底が 0 になるようにそろえて描いてあります ―― 見たいのは谷の深さではなく,谷底の位置が横にずれることだからです. 谷底を数値で探して出した αV と, 式(11)から出した αV が一致することも表示しています. なお「0 K の谷」は,零点振動まで含めた F(V, 0) の谷底です ―― 静的な E(V) の谷 V0 = 12 ų とは, γ ≠ 0 なら零点圧力のぶんだけずれます.
(2)に必要なのは でした.(7)を体積一定のまま温度で微分します. E(V) は温度を含まないので消えて,
2 行目で擬調和近似を使いました ―― 体積一定なら振動数は温度によらないので, γqν も温度によらず,第 2 項が落ちます. 残った第 1 項の は,そのモードの定積比熱 CV,qν にほかなりません. 最後に,全体の比熱と,比熱で重みをつけた平均の Grüneisen 定数を
と定義すれば,(2)と(9)から一行で出ます.
固体の熱膨張は,たった 4 つの量で書けてしまいます. しかも CV・BT・V は必ず正なので, αV の符号を決めているのは γ だけです.
(11)の右辺には 4 つの量が並んでいます.どれがいちばん効いているのでしょうか. 実際の物質でどれくらいばらつくかを並べると,答えははっきりしています.
| 因子 | 室温での値の幅 | 何倍ちがうか | 役割 |
|---|---|---|---|
| CV | 0.7 〜 3 kB/原子 | 約 4 倍 | 高温では Dulong–Petit で頭打ち.ダイヤモンドのように ΘD の高い物質は室温ではまだ頭打ちにならない |
| γ | −0.06 〜 3.3 | 符号が変わる 正の 37 物質では 0.38 〜 3.34,約 9 倍 |
符号を決める.結晶構造と配位数で決まる |
| V | 5.7 〜 71 ų | 12 倍 | BT と逆相関しているので単独では効きにくい |
| BT | 2.9 〜 438 GPa | 150 倍 | これが支配的 |
幅の値は,論文の Table S2/S3 にある立方晶 38 物質から取りました (シミュレーターの②で同じ表を見られます). BT だけが 2 桁以上ちがいます. だから αV と BT を散布図にすると, αV ∝ 1/BT の反比例曲線がきれいに現れます. 正確に言えば,この 38 種類の立方晶で,正の熱膨張の「大きさ」のばらつきに いちばん強く効くのが BT,ということです ―― 符号を決めるのはあくまで γ ですし, 強誘電体・磁気転移・電子状態の転移のように, 格子振動以外が熱膨張を支配する物質もあります.
ダイヤモンド(BT = 438 GPa)の αV は 3.3 ppm/K, カリウム(BT = 2.9 GPa)は 245 ppm/K ―― 75 倍です. 硬いものは膨らまない.柔らかいものはよく膨らむ. 日常の感覚とも合いますし,式(11)の分母がそう言っています.
(11)で CV, BT, V はすべて正でした. したがって αV < 0 になるには γ < 0 しかありません. これが負熱膨張(negative thermal expansion, NTE)の必要条件です.
γqν < 0 とは,(4)から 体積を広げると振動数が上がるモードのことです.直感に反しますが,起こります. そして負のモードが何本かあるだけでは足りません ―― 比熱で重みをつけた和 になって初めて,結晶全体が縮みます. 重みは温度で変わるので,同じ物質でも負熱膨張になる温度範囲が限られるのはこのためです (Si が低温だけ縮むのがその例です).
論文が 46 種の単体元素と 45 種の二元系酸化物を系統的に調べて示したのは,次の 5 点です.
Y. Mochizuki, H. Koiso, K. Nagamatsu, S. Bae, T. Isobe, A. Nakajima, J. Phys. Chem. C 128, 525–535 (2024) の結論(要約).
つまり負熱膨張の設計指針は,「空隙があり,配位数が小さく,柔らかい」ということになります. 空隙は振れる先を与え,小さい配位数は結合角を曲げやすくし, 柔らかさ(小さい BT)は(11)の分母を小さくして効果を増幅します.
| 物質 | 構造 | γ | BT (GPa) | αV (ppm/K) | ひとこと |
|---|---|---|---|---|---|
| Cu2O | 赤銅鉱型 Pn3̄m | −0.061 | 117 | −1.40 | Cu の配位数が 2.O–Cu–O が横に振れる |
| ReO3 | ReO3 型 Pm3̄m | 0.384 | 244 | 3.47 | A サイトが空いたペロブスカイト.八面体が回る |
| Si | ダイヤモンド型 | 0.39 | 90.0 | 7.22 | 低温では αV が負になる |
| MgO | 岩塩型 | 1.63 | 150 | 35.9 | 密に詰まっていて空隙がない |
| K | 体心立方 | 1.30 | 2.89 | 245 | とにかく柔らかい |
同じ組成でも構造が変われば γ が変わる,という点は特に大事です. 論文では CaO の岩塩型と閃亜鉛鉱型を比べていて, 岩塩型は正の γqν しか持たないのに, 閃亜鉛鉱型は X 点と L 点に負の γqν を持ちます. γ は元素の性質ではなく,並べ方の性質なのです.
(9)の 2 行目で落とした を,落とさずに残してみます. 熱 Grüneisen 定数 δqν と非調和定数 Δqν を
と定義します.この δqν は, シミュレーターで 595 K より上の BT の外挿に使った Anderson–Grüneisen パラメーター δT とは別物です ―― 同じ文字ですが,定義も意味も違います.
この 2 つを使うと,γqν の温度微分がきれいにまとまります.
これを(9)の 1 行目に戻すと,体積熱膨張係数は次のように拡張されます. ここでモード和を Uqν で重みづけした平均を
と書きます ―― δ の中には γqν が入っています. と置けば,
第 1 項が QHA,第 2 項がそこからのはみ出しです.
低い振動数のモードほど,温度を上げたときの が相対的に大きくなります(δqν は ω で割った量です). だから低振動数のモードをたくさん持つ柔らかい物質ほど,QHA から外れます.
実際の数値は 理想固体の状態方程式シミュレーターで動かせます ―― ①で結晶を回しながら温度を上げ,②で 38 物質の αV–BT 相関を眺め,③で温度依存を追えます. ①〜③に出てくる V(T)・αV(T)・ BT(T)・CV(T) は, 300 K の断面だけでなく 0 〜 595 K の QHA 計算の出力そのものです. データは Y. Mochizuki, H. Koiso, K. Nagamatsu, S. Bae, T. Isobe, A. Nakajima, “Thermal Properties of the Element and Binary Oxides toward Negative Thermal Expansion: A First-Principles Lattice-Dynamics Study,” J. Phys. Chem. C 128, 525–535 (2024)(オープンアクセス,CC BY 4.0) の Table S2/S3 と,その計算に使った phonopy-qha の出力によります. 関連ページ:比熱の導出, 調和振動子と第 2 量子化, エントロピーと自由エネルギー.