比熱はエネルギーの不確定性から生まれる
材料に熱を入れると,どこに溜まるのでしょうか.溜まる場所は原子の振動です.
ところが古典力学でこれを計算すると,1 原子あたりの定積比熱は
どんな温度でも 3kB になってしまいます ―― Dulong–Petit の法則です.
実験はそうなっていません.T → 0 で CV はゼロに落ちます.
鍵はエネルギーの不確定性です.じつは熱力学と統計力学だけから
CV = (ΔE)²/kBT² ――
比熱とは,その物質のエネルギーがどれだけゆらげるかそのもの ―― が出てきます(3 節).
あとは量子力学が「エネルギーは ħω の塊でしかやりとりできない」と言うので,
低温では系が最低準位に張りついてゆらげなくなり,比熱が消える.それだけです.
ここではその一本道を,古典論 → ゆらぎ → Einstein → Debye の順にたどります.
0. 何がおかしいのか
実験でわかっていることを先に並べます.
- 室温付近の多くの固体で,モル比熱は 25 J/(mol K) 前後に集まる(Dulong–Petit, 1819).
- ところがダイヤモンドは室温でも 6 J/(mol K) ほどしかない.
- どの固体も T → 0 で CV → 0 になり,
絶縁体では落ち方が CV ∝ T³ になる.
古典論はこの 3 つのうち最初の 1 つしか説明できません.
しかも「説明できない」だけではなく,第 2・第 3 の事実と正面から矛盾します.
どこで間違えたのかを見つけるために,まず古典論をきちんと最後まで計算します.
1. 古典論 ― エネルギー等分配則と Dulong–Petit
1.1 1 原子は 3 次元の調和振動子
結晶の中の原子は,つり合いの位置のまわりで小さく揺れています.
つり合いの位置ではポテンシャルの傾きが 0 ですから,そこを原点にして Taylor 展開すると
1 次の項が消え,2 次の項が主役になります.
つまり原子 1 個は,x, y, z の 3 方向それぞれについて調和振動子です.
大事なのは,これが p についても x についても2 次形式だ,という点です.
自由度の数を数えると,運動エネルギーで 3 つ,ポテンシャルエネルギーで 3 つ,合わせて 6 つあります.
1.2 古典分配関数を計算する
古典統計力学では,位相空間の積分で分配関数を作ります.
β = 1/kBT と書きます.
Gauss 積分を 6 回やっただけです.平均エネルギーは
⟨E⟩ = −∂(ln Z)/∂β で出ます.
これがエネルギー等分配則です ―― 2 次形式で書ける自由度 1 つにつき
(1/2)kBT.6 つあるので 3kBT.
温度で微分すれば比熱です.
(1)
モルあたりに直すと CV = 3R = 3 × 8.3145 =
24.94 J/(mol K).これが Dulong–Petit の法則で,
実際 Pb, Cu, Al, Ag, Au … 多くの金属の室温での値をよく当てます.
⚠ しかし,この式は 3 つの意味で怪しい
① 物質の情報が消えています.
m も ω も途中で約分されて残りません.
ばねが硬かろうと柔らかかろうと,原子が重かろうと軽かろうと,答えは同じ 3kB です.
② 温度が消えています.
1 mK でも 3000 K でも 3kB.
③ 熱力学第三法則と矛盾します.
S(T) = ∫0T CVdT′/T′ ですから,
CV が T → 0 で有限値のまま残るとエントロピーが対数発散します.
T → 0 で S が有限の一定値に近づくためには,
CV → 0 でなければなりません.
2. エネルギーは ħω きざみの飛び飛びの値になる
2.1 原子は「静止して定位置にいる」ことができない
古典論のどこが間違いだったのかを言い当てるために,
1 本の振動子に立ち返ります.位置と運動量には
という制限があります.いま,つり合いの位置に静かに座っている状態
(x = 0,p = 0)を考えると,Δx = Δp = 0 となって,これに反します.
原子は止まれません.では,どこまで大人しくできるでしょうか.
エネルギーの期待値を Δx, Δp で書いて
右辺を Δp について最小にすると(相加相乗平均でも同じことです),
(Δp)² = mωħ/2 のときに最小値
が得られます.これが零点エネルギーです.
不確定性原理だけから,振動が止まらないことが出てきました.
Schrödinger 方程式をきちんと解けば,許されるエネルギーは
(2)
という等間隔の飛び飛びの値になります.
準位が等間隔に並ぶこと自体は,不確定性関係からは出ません ――
不確定性関係が言えるのは,いちばん下の準位が ħω/2 より下がれない,というところまでです.
同じ結果を生成・消滅演算子から出す道は,
調和振動子のページの 10 節にあります.
ここが今日のいちばん大事なところです
エネルギーは ħω の塊でしか出入りできません.
途中の値は取れないので,このモードにエネルギーを与えるには
最低でも ħω を 1 個まるごと渡す必要があります.
熱浴が用意できるエネルギーの目安は kBT ですから,
ħω ≪ kBT … 塊が細かいので実質連続.古典論と同じ.
ħω ≫ kBT … 塊 1 個すら買えない.このモードは眠る.
比熱とは「温度を上げたときにどれだけエネルギーを受け取れるか」ですから,
眠っているモードは比熱にまったく効きません.
ħ → 0 とすれば段差が消えて古典論に戻ることも,同時に見えています ――
Dulong–Petit からのずれは,ħ が有限であることの直接の現れです.
3. 比熱そのものが,エネルギーのゆらぎです
ここで少し寄り道をします.というより,この節がこのページの題名の中身です.
Debye も Einstein もまだ出てきませんし,量子力学すら要りません.
熱力学と統計力学だけから,
ΔE はエネルギーの不確定性(標準偏差)です.
という関係が出てきます.比熱とは,その物質のエネルギーがどれだけ「ゆらげるか」そのものだ ――
これが分かると,あとの話の見通しが一気に良くなります.
ゆらげないものは,熱を溜められません.
3.1 まず「ゆらぎ」を定義する
確率論では,観測量 x の分散 σ² と標準偏差 σ を
σ² = (1/N)Σi(xi − ⟨x⟩)² で定義します.
量子力学でもまったく同じで,たとえば運動量なら
展開すると ⟨p²⟩ − 2⟨p⟩⟨p⟩ + ⟨p⟩².
最後の項で ∫ψ*ψdx = 1(規格化条件)を使っています.
位置でもエネルギーでも同じことで,
(ΔE)² = ⟨E²⟩ − ⟨E⟩².
ここでいう ΔE は,2 節の Heisenberg の不確定性関係とは別ものです ――
熱平衡にある系のエネルギーが,取りうる値のあいだでどれだけばらついているか,という統計的な幅です.
これから示すのは,この ΔE が比熱そのものだ,ということです.
3.2 熱力学:CV = −T(∂²F/∂T²)V
定積比熱の定義は CV ≡ (∂U/∂T)V です.
Helmholtz の自由エネルギー F ≡ U − TS を体積一定で温度微分してみます.
ところが熱力学の関係式から (∂F/∂T)V = −S です.左辺に入れると S が両辺で消えて
(3)
熱が物質に溜まる,ということの意味
(3) は「体積一定の条件で,温度を上げるとエントロピーが増える.だから熱が物質の中に蓄積される」
と読めます.熱をどこかに貯金できるかどうかは,
温度を上げたときに取りうる状態の数がどれだけ増えるかで決まる ―― という言い方です.
この先で,それが「エネルギーのゆらぎ」と同じものだと分かります.
さらに S = −(∂F/∂T)V をもう一度使うと,F の 2 階微分だけで書けます.
(4)
3.3 統計力学:分配関数から F を 2 回微分する
熱統計力学では,分配関数
Z = Σi e−Ei/kBT
を定義し,そこから内部エネルギーと自由エネルギーを
と決めます.まず 1 回目の微分です.Z の中の T を微分すると
∂Z/∂T = Σ(Ei/kBT²)e−Ei/kBT
なので,
第 2 項はちょうど U/T の形になっています.
もう 1 回微分します.ここで気持ちのよい打ち消し合いが起こります ――
第 1 項 (−kBlnZ) の微分から −U/T² が出て,
第 2 項 (−U/T) の微分から +U/T² が出るので,
この 2 つが消えます.残るのは U を T で微分したぶんだけです.
角括弧の中が,そのまま 3.1 節で定義したエネルギーの分散になっているのが見えるでしょうか.
Boltzmann 因子で重みづけした ⟨E²⟩ から ⟨E⟩² を引いた形です.
3.4 結論 ―― 比熱はエネルギーの不確定性の 2 乗
これを (4) に入れるだけです.
(5)
ゆらげないものは,熱を溜められません
(5) は CV = 0 ⟺ ΔE = 0 と言っています.
エネルギーが 1 つの値に確定してしまった系は,温度を上げても何も受け取れません.
逆に,取りうるエネルギーの幅が広い系ほど,たくさんの熱を溜め込めます.
ここに量子力学はまだ 1 つも入っていません.
(5) は古典系でも量子系でも成り立つ一般則です.
量子力学が効いてくるのは,Ei が 2 節のように飛び飛びになったときで,
そのとき低温では系が最低準位に張りついて ΔE → 0 になり,比熱が消えます ――
それを次の節から,1 本のモードについて具体的に見ていきます.
古典論の答えを (5) で読み直すと
1 節の古典論は CV = 3NkB でした.(5) を逆に解くと
ΔE = √(CVkBT²) = √(3N) kBT.
自由度 1 つあたり kBT ずつのゆらぎを,温度によらず必ず持っている,
と言っているわけです.
これがどんな低温でも消えないというのが,古典論の主張の正体でした.
巨視系ではゆらぎは見えません
1 mol の固体(CV = 3R = 24.94 J/K)を 300 K に置いたときの
エネルギーのゆらぎは ΔE = √(CVkB)T = 5.57 nJ.
内部エネルギー U ≈ 7.48 kJ に対して ΔE/U = 7.4×10−13,
ちょうど 1/√(3N) です.
巨視的な系ではゆらぎが相対的に消えてしまうので,ふだんは「エネルギーが確定している」ように見えます.
それでも比熱として測れている ―― 見えないゆらぎを温度計で見ている,
というのが (5) の面白いところです.
4. 1 つのモードの量子統計
4.1 分配関数
飛び飛びの準位 (2) の上で Boltzmann 分布を作ります.等比級数なので初等的に和が取れます.
⟨E⟩ = −∂(ln Z)/∂β を計算すると
(6)
第 2 項の ⟨n⟩ = 1/(eħω/kBT − 1) は
Bose–Einstein 分布そのもので,そのモードにフォノンが平均何個いるかを表します.
フォノンは数が保存しない粒子なので,化学ポテンシャルが 0 の Bose 分布になります.
フォノンという言葉
結晶の格子振動を基準振動に分解すると,決まった振動数 ω をもつモード 1 本ずつが,
たがいに独立な調和振動子になります(結晶全体を走る 1 本の波で,波数 q でラベルされます ―― 数え方は 6 節).
そのエネルギーは (2) のように ħω きざみでしか変わりませんから,
この塊 1 個ぶんを粒子に見立ててフォノンと呼び,
モードが第 n 準位にいることを「そのモードにフォノンが n 個いる」と言い換えます.
⟨n⟩ はその平均です.
フォノンは格子振動の励起を数えるための呼び名であって,実在の粒子ではありません ――
上で「数が保存しない」と言ったのは,モードの準位が上がり下がりするだけで,
フォノンはいくらでも作られたり消えたりするからです.
4.2 1 モードの比熱
(6) を T で微分します.零点の項は温度を含まないので消えます.
x ≡ ħω/kBT と置くと
(7)
極限を見ておきます.
- 高温(x → 0): ex − 1 ≈ x なので
C → kBx²/x² = kB.
等分配則が戻ります.
- 低温(x → ∞): C ≈ kBx²e−x → 0.
指数関数が勝つので,あっという間に落ちます.
4.3 同じ答えが,3 節の「ゆらぎ」からも出ます
ここで 3 節の結論 (5) を,この 1 本のモードに当てはめてみます.
エネルギーは En = (n+1/2)ħω ですから,
ゆらぐのは n だけです.
Pn ∝ e−nx は等比分布なので,分散はきれいに ⟨n⟩(⟨n⟩+1) になります.
これを (5) の CV = (ΔE)²/kBT² に入れると,
ħω = xkBT なので
まったく別の道から,同じ式にたどり着きました.
(7) は「(6) を温度で微分した」もので,こちらは「エネルギーのゆらぎを測った」もの ――
それが一致するのが (5) の主張です.
ついでに (5) を kB で割ると,きわめて単純な形になります.
1 本のモードの比熱は,そのモードのエネルギーのゆらぎを kBT で測った値の 2 乗です.
| x = ħω/kBT |
⟨n⟩ |
ΔE/kBT |
C/kB |
状態 |
| 0.2 | 4.5167 | 0.9983 | 0.9967 | ほぼ古典.ΔE ≈ kBT |
| 0.5 | 1.5415 | 0.9897 | 0.9794 | まだ起きている |
| 1 | 0.5820 | 0.9595 | 0.9207 | そろそろ効き始める |
| 2 | 0.1565 | 0.8509 | 0.7241 | ゆらぎが痩せてきた |
| 4 | 0.0187 | 0.5514 | 0.3041 | 眠りかけ |
| 8 | 0.00034 | 0.1466 | 0.0215 | ほぼ n = 0 に確定 |
「眠る」とは,ゆらげなくなることだった
表のいちばん下を見てください.ħω ≫ kBT のモードは
⟨n⟩ ≈ 0,つまりほぼ確実に n = 0 にいます.
確実にいるということはエネルギーがゆらがないということで,ΔE → 0.
(5) より比熱もゼロです.
逆に ħω ≪ kBT では,段差が細かいのでどの段にも自由に上がれて,
ΔE はぴったり kBT に落ち着きます ―― 古典論の言うとおりです.
「モードが凍る」というのは「そのモードがゆらげなくなる」ことの言い換えで,
2 節の ħω きざみの準位と,3 節のゆらぎの式は,こうしてつながります.
零点エネルギーは比熱に効きません
(6) の ħω/2 は温度を含まないので,T で微分すると消えてしまいます.
つまり零点振動は熱容量には現れません.
それでも X 線回折の温度因子や,同位体効果(軽い原子ほど零点振動が大きい)には
はっきり現れます ―― 8 節で戻ってきます.
5. Einstein 模型(1907)― まず「飛び飛び」だけを入れてみる
Einstein は,結晶の中の N 個の原子がすべて同じ振動数 ωE で,
たがいに独立に振動している,と考えました.
原子 1 個につき 3 方向ですから,全部で 3N 本のモードがあり,どれも (7) に従います.
θE ≡ ħωE/kB(Einstein 温度)と置いて
(8)
極限は 4.2 節でもう見ています.
- T → ∞: CV → 3NkB.
Dulong–Petit がちゃんと復活します.
- T → 0: CV ≈
3NkB(θE/T)²e−θE/T → 0.
これは大事件でした.量子仮説だけで比熱の落下が説明できることを示した,
黒体放射・光電効果に続く 3 つ目の例であり,しかも量子仮説を固体という物質そのものに持ち込んだ最初の例だったからです.
ダイヤモンドの比熱が室温で小さいことも,θE が大きいためだと説明がつきます.
⚠ ただし,落ち方が速すぎます
実験は CV ∝ T³ というべき乗で落ちるのに,
(8) は e−θE/T という指数関数で落ちます.
原因ははっきりしていて,「振動数がぜんぶ同じ」という仮定が乱暴すぎるのです.
実際の結晶には音波があり,波長を長くすればいくらでも振動数を下げられます.
ħω ≪ kBT のモードはどんな低温でも必ず存在するので,
比熱は指数関数的にはゼロになれません.
問題は「モードをどう数えるか」に移ります.
6. モードを数える ― 周期的境界条件
6.1 Born–von Kármán の条件
有限の結晶には表面がありますが,表面の効果は体積に比べて小さいので,
代わりに結晶を周期的につないでしまうのがふつうです.
1 辺に N1 個並んだ方向について
u(R + N1a1) = u(R) を要求します.
平面波 eiq·R に対してこれは
波数が飛び飛びになりました.3 方向まとめると,許される q は
逆空間に等間隔に並んだ格子点で,1 点あたりが占める体積は
結晶が大きいほど点は密になりますが,単位体積あたりの点の数は変わりません.
ここが,あとで V がきれいに落ちる仕掛けです.
図 1.周期的境界条件が許す波数と,Debye の切断.
2 次元で描いてあります.格子点 1 つが 1 つの波(1 モード)で,
間隔は 2π/Na.外側の正方形が第 1 Brillouin ゾーンです.
Debye 模型は,このゾーンを同じ体積の球(2 次元なら円)で置き換えてしまいます ――
その半径が qD です.面積が同じなのでモードの総数は変わりませんが,
同じ集合ではありません:ゾーンの角(薄い輪)が捨てられ,
代わりに辺の外側のふくらみ(橙の輪)が拾われます.そこが近似の正味の中身です.
6.2 状態密度 g(ω)
長い波(q → 0)では,格子は連続体とみなせて音波になります.音速を v として
ω = vq.半径 q の球の中に入る格子点の数は
(V/(2π)³)(4π/3)q³ で,これに偏光の 3 本(縦波 1 + 横波 2)を掛けます.
ω で微分すれば状態密度です.
(9)
ω² に比例して増えるのがすべてです ――
低い振動数のモードは数が少なく,高い振動数のモードほど数が多い.
ただしモードの総数は 3N 本しかありません(原子 1 個につき 3 自由度)から,
どこかで打ち切らなければなりません.Debye はいちばん素直な打ち切り方を選びました.
V が消えました.Debye 温度を
ΘD ≡ ħωD/kB で定義します.
硬い結晶(v が大きい)ほど,軽い原子ほど,ΘD は高くなります ――
ダイヤモンドが 2230 K,鉛が 105 K なのはそのためです.
7. Debye 模型(1912)
7.1 内部エネルギーと比熱
あとは (6) を g(ω) で重みづけして足すだけです.
T で微分し,x = ħω/kBT に変数変換すると
(ω² dω = (kBT/ħ)³x²dx,
上端は ΘD/T)
(10)
この積分は初等関数では書けませんが,両端の極限は手で出せます.
そこが (10) のいちばん面白いところです.
7.2 高温極限 ―― Dulong–Petit が戻る
T ≫ ΘD では上端 ΘD/T が小さく,
積分区間の全体で x ≪ 1 です.被積分関数は
x⁴ex/(ex−1)² → x⁴/x² = x² なので
Dulong–Petit の法則が,高温の極限として正しく再現されました.
古典論が「いつでも」成り立つと言っていたものは,
実は「kBT がいちばん硬いモードの ħωD より
十分大きいとき」という条件つきだったわけです.
7.3 低温極限 ―― T³ 則
T ≪ ΘD では上端が事実上 ∞ になります.
この定積分は Riemann のゼータ関数で書ける有名な値です.
部分積分で ∫0∞x³/(ex−1)dx = π⁴/15 に帰着します.
(11)
これが T³ 則です.Einstein の指数関数と違ってべき乗で落ちるのは,
g(ω) ∝ ω² のおかげで
「どんなに低温でも ħω < kBT のモードが必ずいくらか残る」からです.
起きているモードの数がおよそ (T/ΘD)³ に比例し,
その 1 本 1 本が kB ずつ出す ―― と読むと,(11) の形がそのまま納得できます.
第三法則との整合
(11) を使うと S(T) = ∫0TCVdT′/T′
= CV(T)/3 となり,T → 0 できちんと 0 に収束します.
1 節の心配は解消されました.なお T³ 則が実際に効くのは
だいたい T < ΘD/50 くらいからで,
T = ΘD/10 ではもう 3 % ほどずれています.
8. 同じ統計が「変位」にも出る ― ADP と零点振動
ここまではエネルギーの話でした.同じ (6) から,原子がどれだけ揺れているかも出てきます.
比熱とまったく同じ道具立てで,結晶構造解析でおなじみの
原子変位パラメーター(atomic displacement parameter, ADP)が導けます.
順に追いましょう.
8.1 まず,調和振動子 1 本の ⟨x²⟩
調和振動子では,運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの期待値がちょうど半分ずつになります
(ビリアル定理.V ∝ x² のときの一般則です).第 n 準位なら
これを ⟨x²⟩ について解くだけです.
熱平衡では n を Bose 分布の平均 ⟨n⟩ で置き換えます.
ここで 2⟨n⟩ + 1 = coth(ħω/2kBT) という恒等式
((ex+1)/(ex−1) = coth(x/2))を使うと,きれいにまとまります.
この coth が,あとで 2 つに割れます
coth は x → ∞ で 1 に,x → 0 で 2/x に近づきます.
前者が零点だけが残る低温,後者が古典に戻る高温に対応します.
ħ → 0 とすればどの温度でも後者になり,
⟨u²⟩ → kBT/Mω² という古典の答えが出ます ――
1 節の等分配則そのものです.
8.2 結晶では全フォノンモードを足し上げる ―― ADP テンソル
結晶では振動数がひとつではなく,フォノン分散 ωqν として広がっています.
原子 κ の変位パラメーターは 2 階のテンソルになり,
第一原理フォノン計算で実際に評価するのは次の式です.
eκα(qν) はフォノン固有ベクトルの「原子 κ・方向 α」成分,
N は Brillouin ゾーンで取った q 点の数です.
1/N が付く理由は物理的にはっきりしていて,
平面波 eiq·R の絶対値はどの単位胞でも 1 ですから,
モード 1 本の振幅を N 個の胞で分け合うからです.
8.3 対角和を取ると,固有ベクトルが消えます
固有ベクトルは各モードで規格化されている(Σα|eκα|² = 1)ので,
テンソルの対角和を取ると e が落ちます.
ここには等方の仮定が要りません
対角和が固有ベクトルによらないのは,|ê| = 1 という規格化だけから出るからです.
異方性がどれだけ強くても,この式は厳密に成り立ちます.
等方だと仮定して初めて Uxx = Uyy = Uzz と言えて,
Uiso = ⟨u²⟩/3 と書けるようになります(8.6 節).
和は 3N 本のモード(q 点 N 個 × 分枝 3 本)にわたるので,
1/N × 3N = 3 ―― この 3 が最後まで生き残る「3 次元ぶん」です.
8.4 和を積分に直す ―― 比熱と違って 1/ω の重みが付きます
6 節で作った状態密度を,ここでは1 原子あたりに規格化して使います
(∫g dω = 3,つまり原子 1 個につき 3 自由度).Debye 模型なら
これで和が積分になります.
比熱とは,スペクトルの見方が違います
g(ω) ∝ ω² に 1/ω が掛かるので,被積分関数は ω の 1 乗です.
比熱 (10) のほうは ω⁴e…/(e…−1)² で,高振動数側が指数で切られます.
つまり ADP は柔らかい(ω の小さい)モードを強く拾い,比熱は硬いモードの寄与を落とす.
同じ Debye 模型でも,比熱に合わせた ΘD と回折に合わせた ΘM が
10 〜 20 % ずれるのは,この重みの違いのためです.
8.5 coth を「零点」と「熱」に割る
ここが山場ですが,やることは 1 行の書き換えだけです.
左の 1 が零点(温度を含みません),右が熱で励起された分(=2⟨n⟩)です.
零点の項は温度を含まないので,そのまま積分できます.
最後に ωD = kBΘD/ħ を入れただけです.
熱の項は ξ = ħω/kBT と置換します.
dω = (kBT/ħ)dξ,積分の上端は
ħωD/kBT = ΘD/T です.
2 つを足すと,3 次元の平均二乗変位が出ます.
角括弧の 1/4 は,零点の項を熱の項と同じ前係数でくくり出した残りです.
8.6 1 方向あたりに直すと,ADP になります
結晶学でいう Uiso は,ADP テンソルの対角和の 1/3 ――
等方の場合の1 方向あたりの平均二乗変位です.
つまり 3 で割るだけ ―― 9 が 3 になるのは,それだけの理由です.
(12)
教科書の書き方との対応
結晶学の本(Warren や Willis–Pryor)では,Debye 関数
Φ(x) = (1/x)∫0x ξ/(eξ−1)dξ を使って
B = (6h²/mkBΘ)[Φ(x)/x + 1/4],x = Θ/T
と書かれることが多いですが,Φ(x)/x = (T/Θ)²∫0Θ/T… であり,
h = 2πħ なので 6h²/8π² = 3ħ² ―― (12) とまったく同じ式です.
8.7 両端の極限
| 積分の値 | Uiso | 意味 |
| T → 0 |
→ 0 |
3ħ²/(4MkBΘD) |
温度を含まない ―― 零点振動 |
| T → ∞ |
ξ/(eξ−1) → 1 なので → ΘD/T |
3ħ²T/(MkBΘD²) = 3kBT/(MωD²) |
T に比例 ―― 古典の等分配則 |
高温で Uiso ∝ T,つまり温度因子 B が温度に比例するというのは,
回折の実験でよく知られたふるまいです.それが (12) からそのまま出てきます.
逆に低温では B が一定値に張り付いて,それ以上小さくなりません ――
いくら冷やしても回折線の強度が完全には戻らない理由が,これです.
数で確かめる(Na)
M = 22.990,ΘD = 158 K を入れると,(12) の前係数は
3ħ²/(MkBΘD) = 0.040064 Ų.
その 1/4 が零点で Uiso(0 K) = 0.010016 Ų,
3 次元の変位に直すと √(3Uiso) = 0.173 Å です.
別ルート 3ħ/(4MωD) でも同じ値になります.
シミュレーターの①が 0 K で表示する数字は,これです.
8.8 B = 8π²Uiso はどこから来るか
熱振動があると,散乱振幅に Debye–Waller 因子
e−W = exp[−½⟨(Q·u)²⟩] が掛かります
(強度なら e−2W).等方なら ⟨(Q·u)²⟩ = Q²Uiso なので
W = ½Q²Uiso.散乱ベクトルの大きさ
Q = 4π sinθ/λ を入れると
つまり B は Uiso を回折の慣用単位に着替えさせただけで,中身は同じものです.
Uiso のほうが Ų という素直な次元を持っているので,
最近の構造解析では U で報告するのがふつうになっています.
角括弧の中の 1/4 が零点振動です
温度がまったく入っていません.
T = 0 にしても消えないので,原子は絶対零度でも揺れ続けます.
7.1 節で見たとおり,この項は T で微分すると消えるので比熱には現れません.
ところが (12) には残る ―― 同じ零点振動が,比熱では見えず,回折では見えるのです.
シミュレーターの①で紫の円として描いてあるのが,これです.
Na では 0 K でも √(3Uiso) = 0.173 Å あり,
室温での 0.480 Å の 36 % にあたります.
Lindemann の融解則
振幅が最近接距離の およそ 10 〜 15 % に達すると結晶は融ける,という経験則があります.
(12) で融点での値を計算すると,下の表の 5 物質すべてで 0.097 〜 0.143(およそ 10 〜 14 %)に収まります ――
ΘD が 105 K から 2230 K まで,原子量が 12 から 207 まで,
融点が 371 K から 4100 K まで散らばっているのに,です.
ADP は「柔らかいモード」に非常に敏感です
高温では coth(x) ≈ 1/x なので,8.3 節の和は
U ∝ (kBT/M) Σ 1/ω² という形になります.
1/ω² の重みですから,振動数の低いモードが 1 本あるだけで ADP が跳ね上がります.
soft mode を持つ強誘電体,rattling する充填スクッテルダイト,
そして負熱膨張材料で ADP が異常に大きく出るのは,これが理由です.
ただし ADP が大きいこと自体は,その原子が熱膨張を担っている証拠にはなりません.
体積依存性を持っているかどうかは Grüneisen パラメーター
γqν = −∂lnωqν/∂lnV が決めるので,
ωqν・固有ベクトル eκα・γqν
をモードごとに突き合わせて初めて判断できます.
⚠ 実際の ADP を扱うときの注意
① 等方近似そのものが粗いことがあります.
8.2 節のテンソル Uαβ は熱振動楕円体で,たとえば六方晶なら対称性から
U11 = U22 ですが U33 は別の値を取れます.
U33/U11 を見ると,c 軸方向と ab 面内の振動の
異方性がそのまま読めます.Uiso はそれを 1 つの数に潰したものです.
② ΘD と ΘM は別物です.
8.4 節で見たとおり,比熱と ADP はスペクトルの重み方が違います.
文献から ΘD を借りるときは,どちらから決めた値かを見る必要があります.
③ 測った B には振動以外も入ります.
非調和性,静的な乱れ(占有の乱れ・欠陥),吸収補正の残差などが上乗せされるので,
B から ΘD を逆算すると低めに出がちです.
9. 数値で確かめる
(10) と (12) を 5 つの物質について数値積分した結果.CV は 1 原子あたり.
| 物質 | ΘD / K |
300 K での CV/kB |
3kB の 何 % |
モル比熱 J/(mol K) |
300 K での B / Ų |
融点での √(3U)/d |
| Pb(鉛) | 105 | 2.9817 | 99.4 | 24.79 | 1.514 | 0.097 |
| Na(ナトリウム) | 158 | 2.9588 | 98.6 | 24.60 | 6.052 | 0.143 |
| Cu(銅) | 343 | 2.8127 | 93.8 | 23.39 | 0.478 | 0.110 |
| Al(アルミニウム) | 428 | 2.7156 | 90.5 | 22.58 | 0.736 | 0.101 |
| C(ダイヤモンド) | 2230 | 0.4971 | 16.6 | 4.13 | 0.120 | 0.113 |
ダイヤモンドだけが桁違いに小さいことに注目してください.
室温はダイヤモンドにとって T/ΘD = 0.13 という極低温で,
硬いモードのほとんどが眠っています.
一方 Pb にとっての室温は T/ΘD = 2.9 という高温で,
Dulong–Petit がほぼそのまま成り立っています.
「室温が高温かどうか」は,ΘD との比でしか決まりません.
実測のモル比熱(298 K の CP)は,Pb 26.6,Na 28.2,Cu 24.4,Al 24.2,
ダイヤモンド 6.1 J/(mol K) 程度です.桁と順番はきれいに合っています.
金属で計算値より少し大きいのは,CP − CV(熱膨張のぶん)と,
伝導電子の寄与と,非調和性が乗るためです.
10. どこまで正しいか
⚠ Debye 模型が落としているもの
① 分散を音波で近似しています.
本当の ω(q) はゾーン境界で頭打ちになりますが,
Debye は ω = vq のまま qD でぶつ切りにします.
そのため中間温度(T ≈ ΘD/5 あたり)で数 % ずれ,
ΘD を温度の関数として測ると一定になりません.
② 光学モードがありません.
単位胞に 2 個以上原子があると光学分枝が出ます.
これは振動数がほぼ一定なので,むしろ Einstein 模型でよく表せます
(実務では音響分枝を Debye,光学分枝を Einstein で足す,という使い分けをします).
③ 電子の比熱が入っていません.
金属では C = γT + AT³ となり,数 K 以下では電子項 γT が勝ちます.
C/T を T² に対してプロットすると直線になり,
切片から γ,傾きから ΘD が読めます ―― 標準的な実験手法です.
④ 非調和性を無視しています.
Taylor 展開の 3 次以上を捨てているので,熱膨張も熱伝導の有限性も出てきません.
高温で実測が 3R を超えていくのは,このためです.
11. まとめ
- 古典論では比熱は 3kB のまま動きません.
等分配則は 2 次形式の自由度 1 つに (1/2)kBT を配るだけで,
ħ も物質も温度も式に残りません(Dulong–Petit).
- 比熱とは,エネルギーのゆらぎそのものです.
F = U − TS と F = −kBTlnZ を突き合わせるだけで
CV = −T(∂²F/∂T²)V
= (ΔE)²/kBT².
ゆらげないものは熱を溜められません.ここにはまだ量子力学が入っていません.
- 量子力学が,エネルギーを ħω きざみの飛び飛びの値にします.
ΔxΔp ≥ ħ/2 が零点エネルギー ħω/2 を要求し,Schrödinger 方程式を解くと
準位は En = (n+1/2)ħω になります.
- 塊が買えないモードは眠ります.
ħω ≫ kBT のモードは n = 0 に留まり,
温度を上げてもエネルギーを受け取らない ―― 比熱に効きません.
- 周期的境界条件がモードを数えられるものにします.
q は 2πn/Na に離散化され,g(ω) ∝ ω²,
総数 3N で切ると ΘD が決まります.
- Debye の 1 本の式に,両方の極限が入っています.
T → ∞ で 3kB(Dulong–Petit の復活),
T → 0 で (12π⁴/5)kB(T/ΘD)³(T³ 則).
- 同じ統計が変位にも現れます.
ADP (12) の 1/4 が零点振動で,比熱には出ないのに回折には出ます.
振幅が最近接距離の 1 割ほどになると結晶は融けます(Lindemann).