― Lorentz 対称性・ゲージ対称性・Klein–Gordon 方程式・Dirac 方程式は,具体的に何を意味するのか. 対になるシミュレーター(Relativistic-QM-simulator.html)の解説と導出
マテリアル計算科学の講義第 7 回(スライド 29–31)では,Schrödinger 方程式が時間 1 階・空間 2 階の微分方程式で相対論の要請(Lorentz 対称性)を満たさないこと, E² = p²c² + m²c⁴ を演算子にすると Klein–Gordon 方程式になること,Dirac がそれを 1 階に書き直して 4 成分のスピノルとスピン・反粒子に到達したことを紹介しました. この解説はその続きで,「相対論的な方程式も Schrödinger 方程式と同じように固有値と固有関数を与えるはずだが,具体的に何が変わるのか」という問いに, 自由電子・無限井戸・自由電子ガス・Thomas–Fermi 模型という,非相対論でいちばん親しんだ例で答えていきます.
結論を先に言うと,変わるのは (i) 分散関係 E(p)(放物線 → 双曲線,負エネルギーの枝),(ii) 波動関数の成分数(1 → 4:スピンと反粒子), (iii) 境界条件の付け方(Dirac 方程式は 1 階なので「壁で ψ = 0」が使えない),そして (iv) 電磁場との結合(ゲージ対称性から g = 2・スピン軌道相互作用が自動で出る)です. 自由電子ガスでは k 空間の状態の数え方は変わらず,E(k) を置き換えるだけで状態密度・Fermi エネルギー・圧力・交換エネルギーの密度依存性が変わります. 金属の伝導電子(xF = ħkF/mc ≈ 0.005)では補正は 10−5 以下,白色矮星の中心(xF ≳ 1)では圧力の密度依存性が変わって Chandrasekhar 限界質量が生まれ, 重い原子の内殻(kF ≈ 2.66Z a.u.)では交換エネルギーの相対論的因子が Dirac–Kohn–Sham 計算に入ってきます.
特殊相対論は「どの慣性系でも光速 c は同じ」から出発し,その帰結として,慣性系の乗り換え(Lorentz 変換)で変わらない量が
であることを言います.左は時空の「距離」,右はエネルギーと運動量が作る 4 元ベクトル (E/c, p) の「長さ」で,どちらも時間成分と空間成分が同じ資格で(符号だけ違って)入っています. 講義第 7 回のスライド 29 で「時間と空間は完全に独立ではなく相関している」と書いたのはこのことで,時間と空間を別扱いする式は相対論の要請と衝突します.
量子力学の作り方は「E と p の関係式に演算子を代入する」ことです:
出発点が非相対論的な E = p²/2m なので,できあがった方程式は時間 1 階・空間 2 階です. 座標変換 x′ = x − vt(Galilei 変換)では位相因子を付け替えれば同じ形に戻せますが,Lorentz 変換では時間と空間が混ざるので形が保てません. 「方程式が対称性をもつ」とは,変換後の座標で書き直しても同じ形になる(したがって全ての慣性系で同じ物理を与える)ことです.Schrödinger 方程式はこの意味で Lorentz 対称性をもちません. 実用上は v/c ≪ 1 なら十分ですが,v/c の 2 乗の効果(金の 1s 電子なら 0.58²)が見えるところでは相対論的な方程式が要ります.
式 (1) の右の関係を演算子にすれば,時間と空間が同じ階数で入る方程式ができます.やり方は二つあって, 2 乗の関係をそのまま使うのが Klein–Gordon 方程式(§2),平方根を取って 1 階にするのが Dirac 方程式(§3)です. どちらも自由粒子の解は平面波 ei(p·r − Et)/ħ で,固有値は E = ±√(p²c² + m²c⁴). 「固有値と固有関数を与える」という点は Schrödinger 方程式と同じで,違いは固有値の並び方(分散関係)と固有関数の成分数です. ▶ シミュレーター①:分散関係
時間 2 階・空間 2 階で Lorentz 対称です(講義スライド 30).平面波を入れると E² = p²c² + m²c⁴,すなわち E = ±√(p²c² + m²c⁴). 正の枝は p → 0 で mc² + p²/2m − p⁴/8m³c² + …(静止エネルギー+Schrödinger の運動エネルギー+質量速度補正)になり,非相対論に正しくつながります. 問題は負の枝で,−mc² より下にエネルギーがいくらでもある.1 粒子の量子力学としては「基底状態がない」ことになり,これが後に反粒子(陽電子)として理解されます.
Schrödinger 方程式では |ψ|² が確率密度で,∂|ψ|²/∂t + ∇·j = 0 が方程式から出ます. KG 方程式でも保存則は出ますが,時間 2 階なので保存する密度は |ψ|² ではなく
で,負エネルギー解では ρ < 0 になります(|ψ|² 自体はもちろん正です.スライド 30 の「ψ*ψ < 0」は,この保存密度 ρ のことだと読んでください). ρ が確率密度と解釈できない――これが 1926 年に Schrödinger も含め多くの人が KG 方程式を捨てた理由です. Pauli と Weisskopf(1934)は ρ を「電荷密度」と読み替え(粒子は +,反粒子は −),KG 方程式をスピン 0 の粒子(π 中間子など)の正しい方程式として復活させました. Feshbach–Villars(1958)はこれを 2 成分(粒子成分 φ と反粒子成分 χ)の 1 階方程式に書き直しています.シミュレーター①の「π+ 中間子」を選ぶと,この 2 成分の重みが表示されます.
Dirac(1928)は Schrödinger 型の時間 1 階の方程式を保ちたいと考え,E = cα·p + βmc² という 1 次式を仮定しました(スライド 31). この 2 乗が式 (3) の E² = p²c² + m²c⁴ に一致するには,
が必要です.交差項(pxpy など)を消すために αx, αy, αz, β が互いに反交換しなければならず,数ではこれは不可能――行列が要ります. 反交換する 4 つの行列の最小のサイズは 4×4 で(2×2 の Pauli 行列は 3 つまでしか反交換しない),標準表示では
です(σ は講義で出てきた Pauli 行列).したがって ψ は 4 成分の縦ベクトル(スピノル)で,Dirac 方程式は 4 本の連立 1 階偏微分方程式です. 各成分は KG 方程式も満たす(式 (6) を 2 乗すれば式 (3))ので,分散関係は KG と同じ E = ±√(p²c² + m²c⁴). 違いは固有関数の構造にあります.
ψ = u(p) ei(p·r − Et)/ħ を入れ,u を上 2 成分 uA と下 2 成分 uB に分けると,式 (6) は
です.χ は 2 成分のスピン状態(講義の α, β),上 2 成分が「大成分」,下 2 成分が「小成分」で,比は v/2c 程度. 非相対論極限では小成分が消えて 2 成分の Pauli スピノルになり,Schrödinger 方程式+スピンに戻ります. 相対論的な計算コード(4 成分 Dirac–Kohn–Sham)が非相対論の 2 倍以上重いのは,この小成分も基底関数で表さなければならないからです. ▶ シミュレーター①:小成分の重み
4 つの独立な解のうち 2 つは E < 0 です.Dirac(1930)は,負エネルギー状態がすべて電子で埋まった「海」を真空とみなし(Pauli 原理で正エネルギーの電子は落ちられない), 海の「穴」が正の電荷・正のエネルギーをもつ粒子に見えると考えました.これが陽電子で,1932 年に Anderson が宇宙線中に発見します. 物性物理の人には「価電子帯を満たす電子の海と正孔」がそのままの類比です(スライド 31 の「≒ 電子&正孔」). 半導体のギャップ Eg に相当するのが 2mc² = 1.022 MeV で,これが対生成の閾値です(素粒子ページ §6 の「電子を ƛC より小さく閉じ込めると対生成」もこの数字).
Dirac のハミルトニアン H = cα·p + βmc² では,軌道角運動量 L = r×p が保存しません:[H, L] = −iħc α×p ≠ 0. 保存するのは
で,付け加わった ħΣ/2 が固有値 ±ħ/2 をもつスピンです.非相対論では「実験に合わせて手で付けた」スピンが,Lorentz 対称な 1 階方程式を作った時点で自動的に入っている――これが Dirac 方程式の最大の成果です. さらに Dirac 方程式の密度 ρ = ψ†ψ = Σ|ψi|² は正定値なので,KG のような解釈の問題はなく,1 粒子の量子力学として(負エネルギー解の扱いを除けば)そのまま使えます. 電子は 4 成分の中で ƛC = ħ/mc のスケールで震えていること(Zitterbewegung)は,素粒子ページ §6.2 で扱いました.
波動関数の位相を全体で一斉に変える ψ → eiθψ(θ は定数)は,どの方程式も不変に保ちます(|ψ|² も流れも変わらない). では位相を場所と時間ごとに変える ψ → eiθ(r,t)ψ はどうでしょう.微分が θ の勾配を拾うので,そのままでは方程式の形が崩れます: ∇(eiθψ) = eiθ(∇ + i∇θ)ψ.この余分な項を打ち消す「相棒の場」を導入し,その場も一緒に変換させれば,方程式は不変に戻ります:
この (φ, A) の変換は,電磁気学でおなじみのゲージ変換(E, B を変えないポテンシャルの付け替え)そのものです. つまり「位相を場所ごとに自由に選べる」という要請(局所 U(1) 対称性)を課すと,電磁場が存在しなければならず,しかもその結合の形(最小結合)まで決まってしまう. これがゲージ原理(Weyl 1929)で,標準模型の 3 つの力(電磁気・弱い力・強い力)はすべて,この論法を U(1),SU(2),SU(3) に拡張して得られます(リー群のページ §7).
物性物理で磁場中の電子に使う (p − qA)²/2m は,まさに式 (9) を Schrödinger 方程式に施したものです. Landau 準位,Aharonov–Bohm 効果,超伝導の London 方程式や磁束の量子化はすべて「ψ の位相と A はセットでしか意味をもたない」ことの帰結で, 観測量(|ψ|²,ゲージ不変な流れ j,E,B)はゲージの選び方によりません. 相対論はゲージ対称性を要求しませんが,ゲージ対称性は相対論的な理論でこそ本領を発揮します(次節).
式 (6) に p → π ≡ p − qA,E → E − qφ を入れ,式 (7) と同じように小成分を消去します. 非相対論的なエネルギー E = mc² + ε(ε ≪ mc²)では uB ≈ σ·π uA/2mc なので,大成分の方程式は
となります(Pauli 方程式).(σ·π)² = π² − qħσ·B という Pauli 行列の恒等式から,スピン磁気モーメントの項が係数まで込みで出てくる―― 非相対論では実験値として与えるしかなかった g = 2 が導かれます(QED の輻射補正 g = 2.0023… は素粒子ページ §6.5). さらに 1/c² まで展開(Foldy–Wouthuysen 変換)すると
で(V = qφ は中心力の場合),3 つの相対論的補正項が出ます.質量速度項は §2.1 の展開の第 3 項,スピン軌道項は Thomas 歳差の因子 1/2 まで自動的に正しく, Darwin 項は電子が ƛC の範囲でぼやけることによる s 準位のシフト(素粒子ページ式 (20))です.水素の微細構造はこの 3 項で完全に説明されます.
幅 L の 1 次元無限井戸では ψn = √(2/L) sin(nπx/L),En = ħ²π²n²/2mL². 博士論文の式 (2.33) はこれの 3 次元版で,自由電子ガスの出発点です.
KG 方程式は空間 2 階なので,Schrödinger と同じ「壁で ψ = 0」が使えて,kn = nπ/L,En = √(ħ²c²kn² + m²c⁴). ただし「壁」の作り方に注意が要ります.非相対論の無限井戸は静電ポテンシャル V → ∞ と思ってよいのですが,相対論では静電ポテンシャルの高い壁は粒子を閉じ込めません(Klein のパラドックス,1929). 高さ V0 の段に入射した電子は,段の向こうでエネルギーが E − V0 < −mc² になると負エネルギー帯の伝播解に接続し,減衰せずに透過します:
場の理論で見ると,壁の電場が真空から電子・陽電子対を作っている(Sauter 1931:臨界電場 m²c³/eħ = 1.3×1018 V/m,ƛC の距離で mc² を与える電場). だから相対論的な「箱」は,Lorentz スカラーである質量項を外で無限大にする(m(x) = M → ∞)ことで作ります [Alberto, Fiolhais, Gil 1996; Alberto, Das, Vagenas 2017]. シミュレーター②の右下の図は,この Klein のパラドックスのエネルギー帯の重なりを描いたものです.
1 次元では Dirac 行列は 2×2 で足り,α = σx,β = σz と取ると ψ = (u, v) に対して
です.u = A sin kx + B cos kx と置くと v = −iκ(A cos kx − B sin kx),κ = ħck/(E + mc²). ここで「壁で u = v = 0」を課すと解が全部消えてしまいます(1 階方程式で 2 成分を同時に 0 にはできない). 代わりに「壁を通る流れがゼロ」すなわち ψ̄ψ = |u|² − |v|² = 0 を壁で課す(MIT バッグ境界条件:質量の壁 M → ∞ の極限と一致)と,
が量子化条件になります(κ² = (E − mc²)/(E + mc²) を使いました).L ≫ ƛC では右辺 → 0 で kL → nπ(Schrödinger), L ≪ ƛC では右辺 → −∞ で kL → (n − ½)π.準位は KG(同じ質量・同じ箱)より低く, 密度 |u|² + |v|² は壁で 2κ²|A|² ≠ 0――「壁の上に粒子がいる」のは相対論的な量子力学の特徴です. ▶ シミュレーター②:箱の中の粒子
3 次元の箱では,KG(および L ≫ ƛC の Dirac)で許される波数は Schrödinger と同じ ki = niπ/L です. したがってk 空間での状態の数え方(論文の式 2.34 の「量子数空間の球」)は相対論でも変わらず,変わるのは各状態のエネルギー E(k) だけ. Fermi 波数 kF = (3π²n)1/3 は純粋に「電子の数」で決まる量なので相対論でもそのままで,Fermi エネルギーだけが変わります.これが次節の全てです.
運動量の大きさが p 以下の状態数は,スピン 2 を含めて N(p) = 2·(4πp³/3)·V/(2πħ)³ = Vp³/3π²ħ³. これは相対論でも同じです.運動エネルギー E = √(p²c² + m²c⁴) − mc² で微分すると,dp/dE = (E + mc²)/pc² なので
低エネルギーでは √E,高エネルギーでは E² ――同じ k の間隔に対して,相対論では E の増え方が鈍る(E ∝ k に近づく)ので,エネルギーあたりの状態が増えます.
xF = 1(pF = mc)になる密度は n = 1/(3π²ƛC³) = 5.9×1029 cm−3,μe = 2 の物質で 2×106 g/cm³ です.金属と比べると
| 系 | n [cm−3] | kF [Å−1] | xF | EF | 相対論的補正 −xF²/4 |
|---|---|---|---|---|---|
| Na | 2.65×1022 | 0.92 | 3.6×10−3 | 3.24 eV | −3×10−6 |
| Cu | 8.47×1022 | 1.36 | 5.3×10−3 | 7.0 eV | −7×10−6 |
| Al | 1.81×1023 | 1.75 | 6.8×10−3 | 11.7 eV | −1×10−5 |
| 金の原子核のそば(1s の密度 2Z³/π) | 2×1030 | 397(210 a.u.) | 1.5 | 0.41 MeV | (展開不可) |
| 白色矮星の中心 | 1030–1032 | — | 1–6 | 0.2–3 MeV | (超相対論的) |
金属の伝導電子では補正は 10−5:物性物理が Schrödinger 方程式で足りる理由です.一方,重い原子の内殻(kF ≈ 2.66Z a.u. [Paquier & Toulouse 2018])と白色矮星は,同じ自由電子ガスの式で「相対論的」の領域にあります. ▶ シミュレーター③:自由電子ガス
1 電子あたりの運動エネルギーは g(E) を Fermi 準位まで積分して n で割ったもの,圧力は運動量の流れ P = (1/3)∫v p dn です(v = pc²/E).どちらも x = p/mc で閉じた形になります [Chandrasekhar 1931, 1935]:
圧力は「粒子の流束 × 運動量」なので P ∼ n vFpF.非相対論では vF ∝ pF ∝ n1/3 なので n5/3,相対論では vF が c で頭打ちになるので n4/3―― 相対論は縮退圧を「柔らかく」する.これが次の Chandrasekhar 限界の本質です.
白色矮星は,核融合を終えた星の芯(炭素・酸素,μe = 2)が電子の縮退圧で自重を支えている天体です.静水圧平衡 dP/dr = −Gmρ/r² を P = Kργ で解くと(ポリトロープ), 質量は中心密度に対して M ∝ ρc(3γ−4)/2 と変わります.γ = 5/3 なら M ∝ ρc1/2 で,重い星ほど縮んで密度が上がる(半径は R ∝ M−1/3). ところが γ = 4/3 になると指数が 0:質量が中心密度によらない一つの値に決まってしまう.それが
です(2.018 は指数 3 の Lane–Emden 関数の定数 −ξ²θ′(ξ1).有限温度・逆 β 崩壊・一般相対論の補正を入れた「1.44 M⊙」が慣用値). Landau(1932)の見積もりはもっと直観的です:超相対論的な電子 N 個を半径 R に閉じ込めると運動エネルギーは N pFc ∝ N4/3ħc/R,重力エネルギーは −GM²/R ∝ −N²Gmu²/R. どちらも 1/R なので,N4/3ħc > N²Gmu² なら膨らんで非相対論に戻り安定,逆なら際限なく潰れる.境目が N ∼ (ħc/Gmu²)3/2 ≈ 2×1057 個,M ≈ 1–2 M⊙. ħc/Gmu² = 1/αG は素粒子ページ §7 の「重力の結合定数」の逆数で,星の最大質量は電磁気力も核力も使わず,量子力学(縮退圧)・相対論・重力だけで決まっています.
| 中心密度 ρc [g/cm³] | 106 | 107 | 108 | 109 | 1010 | 1011 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 中心の xF | 0.80 | 1.7 | 3.7 | 8.0 | 17 | 37 |
| 質量 M [M⊙] | 0.40 | 0.82 | 1.18 | 1.37 | 1.43 | 1.45 |
| 半径 R [km] | 11,000 | 7,100 | 4,300 | 2,500 | 1,300 | 660 |
(シミュレーター③で式 (18) の状態方程式と静水圧平衡を Newton 重力で数値積分した値.Sirius B は M = 1.02 M⊙,R = 5,800 km でこの曲線に乗ります.) 質量を増やすほど半径が縮み,中心が相対論的になるにつれ質量は 1.46 M⊙ に漸近する――「自由電子ガスに相対論を入れる」だけで超新星と中性子星の入口が見える,というのがこの節の結論です. ▶ シミュレーター③:白色矮星の M–R 関係
論文の式 (2.39)–(2.40) は「1 電子あたり (3/5)EF」を各点の密度で評価して積分したものでした.相対論では式 (18) の T/N を使って
となります.ρ5/3 が ρ4/3 に変わる――この一行が §8 の相対論的 Thomas–Fermi 原子の全てです(そこでは局所的な xF が原子核の近くで 1 を超えます).
平面波の Slater 行列式で計算した交換エネルギーは,Fock–Dirac 密度行列 ρ(r1,r2) = 3ρ (sin t − t cos t)/t³(t = kFr12)を使って
でした(1 電子あたりの値と汎関数の形.LDA 交換の式 2.63 と同じもの).
相対論では平面波が式 (7) のスピノルになり,交換積分に現れるスピノルの重なり |u†(k1)u(k2)|² が,向きの違う k1, k2 に対して 1 より小さくなります([E1E2 + ħ²k1·k2c² + m²c⁴]/2E1E2 の形). そのため Coulomb 交換は減ります.さらに,動く電荷どうしは磁気的にも相互作用し(Breit 相互作用=横光子の交換の 1/c² 近似),その交換項は正です. β = xF,c̃ = 1/β として [MacDonald & Vosko 1979; Paquier & Toulouse 2018]:
最後の式が MacDonald–Vosko の相対論的 LDA 交換(QED の光子伝播関数を使った全交換)で,Coulomb と横(Breit+遅延)の多くの項が打ち消し合って簡単な形になります.極限と数値は
| β = xF | 0.1 | 0.5 | 1 | 2 | 2.5 | 3 | 5 | →∞ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Coulomb のみ εxC/εxNR | 0.999 | 0.976 | 0.932 | 0.868 | 0.850 | 0.838 | 0.814 | (1 + ln 4)/3 = 0.795 |
| Breit εxB/εxNR | −0.006 | −0.120 | −0.340 | −0.652 | −0.739 | −0.798 | −0.911 | −1 |
| Coulomb + Breit | 0.993 | 0.857 | 0.591 | 0.215 | 0.111 | 0.039 | −0.097 | −0.205 |
| QED(MacDonald–Vosko) | 0.993 | 0.855 | 0.574 | 0.140 | 0.007 | −0.089 | −0.290 | −1/2 |
β ≈ 2.5(kF ≈ 350 a.u.,n ≈ 1031 cm−3)で交換エネルギーはゼロになり,その先で正になります. Coulomb 交換が「同じスピンの電子は互いに避ける(Fermi 孔)ことによるエネルギーの得」なら,Breit 交換は「並走する平行電流が磁気的に引き合う分を,交換孔が失わせる」損で,超相対論極限では後者が勝ちます [Jancovici 1962]. 重い原子の内殻(kF ≈ 2.66Z a.u.,Hg で 210 a.u.,β ≈ 1.5)はちょうどこの因子が 0.3 程度になる領域で,横交換の自己無撞着な扱いが Z ≳ 50 の全エネルギーに効きます [Engel 2002]. ▶ シミュレーター③:交換因子 Φ(β)
相対論的密度汎関数理論 [Rajagopal 1978; MacDonald & Vosko 1979] では,Kohn–Sham 方程式の運動エネルギー演算子を Dirac 演算子に置き換え(4 成分の ψi), 交換相関汎関数は相対論的電子ガスの εxc(交換は式 (22),相関は摂動論または量子モンテカルロ [Kenny et al. 1996])で近似します. 論文の式 (2.62)–(2.66) の LDA に,式 (22) の因子 Φ を掛けたものが RLDA です. 相対論的な効果のほとんどは運動エネルギー演算子(=軌道の収縮・スピン軌道)から来て,交換相関の相対論的補正は重元素の全エネルギーで 0.1% 程度ですが,内殻準位や X 線遷移では無視できません.
各点の電子を局所的な自由電子ガスとみなし,化学ポテンシャルが一定(中性原子で 0)という条件 (3π²ρ)2/3/2 − φ(r) = 0(Hartree 単位,式 2.43)から ρ = (2φ)3/2/3π²(式 2.44),Poisson 方程式と合わせて φ = Zχ/r,x = r/b で
が式 (2.47) です.全エネルギーは ETF = (3/7)(128/9π²)1/3Z7/3χ′(0) = −0.7687Z7/3 hartree(式 2.50),Schwinger の補正を入れた E0 = −0.7687Z7/3 + 0.5Z² − 0.2699Z5/3(式 2.55)が Hartree–Fock と 0.1% で一致することは論文の表 2.5 のとおりです.
局所的な電子ガスの Fermi エネルギーを相対論的にすると,平衡条件は
で,密度に (1 + eφ/2mc²)3/2 の因子が付きます(式 (16) の状態密度の増加と同じもの).論文の変数で eφ = Ebχ/x,Eb = Ze²/4πε0b = 30.7Z4/3 eV と書くと,Poisson 方程式は
となります.これが Vallarta–Rosen 方程式(1932)です.ε は Hg で 0.010,U で 0.012 と小さいので,εχ/x ≳ 1 になる x ≲ ε,つまり r ≲ εb ≈ ZαƛC/2(Hg で ≈ 100 fm)より内側では eφ が 2mc² を超え,電子ガスは完全に相対論的になります(もう少し緩い基準の pF = mc,すなわち eφ = (√2 − 1)mc² になる半径 rrel は,その約 5 倍外側の ≈ 540 fm で,§8.4 の表はこちらを使っています). Rotondo らは同じ式をパイ中間子のコンプトン波長を単位に書いていて,χ の定義が eφ = ħcχ/r である点だけ違います [Rotondo et al. 2011, 式 (23)].
原点近くで χ → 1 とすると eφ ≈ Ze²/4πε0r → ∞ で電子ガスは超相対論的になり,
電子数が原点で対数発散し,χ も χ″ ≈ ε3/2/x² から χ ∼ −ε3/2 ln x と発散して χ(0) = 1 が課せません. 「点電荷の核 + 相対論的電子ガス」は矛盾で,相対論的 TF 模型は核の大きさを入れて初めて定義できます [Vallarta & Rosen 1932; Rotondo et al. 2011]. 一様に帯電した半径 Rc = 1.2A1/3 fm の核なら,式 (26) の右辺に核の電荷密度の項 −(3x/xc³)θ(xc − x)(xc = Rc/b)が加わり,境界条件は χ(0) = 0,χ(∞) = 0. 原点での傾き χ′(0) ≈ 1/xc(核内で χ が 0 から ≈1 まで立ち上がる)を射撃法で決めます. ▶ シミュレーター④:相対論的 Thomas–Fermi 原子
| r | 11 fm(x = 10−3) | 110 fm(10−2) | 540 fm(≈ rrel) | 1.1 pm(0.1) | 11 pm(1) |
|---|---|---|---|---|---|
| χ(非相対論・点核) | 0.9985 | 0.985 | 0.937 | 0.883 | 0.420 |
| χ(相対論・有限核) | 0.995 | 0.978 | 0.925 | 0.867 | 0.415 |
| N(<r)/Z(非相対論) | 2.0×10−5 | 6.7×10−4 | 6.8×10−3 | 1.8×10−2 | 0.306 |
| N(<r)/Z(相対論) | 1.2×10−3 | 5.0×10−3 | 1.5×10−2 | 3.0×10−2 | 0.315 |
ポテンシャル(χ)はほとんど変わらないのに,核のすぐそばの電子数は数倍から数十倍に増える――Vallarta と Rosen が Hg について報告した結論そのものです. ただし rrel ≈ 0.5 pm(電子ガスが相対論的になる半径)は Bohr の K 殻半径 a0/Z = 0.66 pm と同程度で,そこに TF が置く電子は 1 個前後,実際にいるのは 1s 電子 2 個です. つまり相対論が効く領域は,TF の「局所電子ガス」という前提が最も悪い領域です.
相対論的な全エネルギーの補正の目安は,Dirac の 1s 準位の補正 −(Zα)²Z²/8 hartree などを殻ごとに足したもので,重元素では全エネルギーの数 % になります. たとえば Hg では非相対論の Hartree–Fock −18,409 hartree に対し,Dirac–Fock(Coulomb)は −19,649 hartree,Breit 相互作用を含めると −19,626 hartree [Engel 2002 の表 1]: 相対論的補正 −1,240 hartree は,論文の式 (2.55) の補正項 0.5Z² = 3,200 hartree や 0.2699Z5/3 = 400 hartree と同じ桁です. つまり重元素では,Schwinger の補正で 0.1% まで合わせた TFD エネルギーも,相対論を入れないと 6% ずれます. 相対論的 TF はこの補正を密度の変化として取り込みますが,1s 領域では局所電子ガスの近似が悪いので定量的にはなりません. だから現代の相対論的な原子・固体計算は,式 (23) の Dirac–Kohn–Sham 方程式(または 2 成分のスカラー相対論+スピン軌道)を解き, 相対論的電子ガスの知識は交換相関汎関数の側(§7.3)に使われます.「密度汎関数理論の原点」である TF 模型の相対論化は,その限界も含めて, 相対論的 DFT がなぜ今の形になったかを教えてくれます.
| Schrödinger(非相対論) | Klein–Gordon(スピン 0) | Dirac(スピン 1/2) | |
|---|---|---|---|
| 出発点 | E = p²/2m | E² = p²c² + m²c⁴ | E = cα·p + βmc² |
| 微分の階数(時間/空間) | 1 / 2 | 2 / 2 | 1 / 1 |
| 対称性 | Galilei | Lorentz | Lorentz |
| 波動関数の成分 | 1(スピンは別付け) | 1(FV 表示で 2) | 4(スピン × 粒子/反粒子) |
| 分散関係 | 放物線 | ±双曲線 | ±双曲線 |
| 保存密度 | |ψ|² ≥ 0(確率) | (iħ/2mc²)(ψ*∂tψ − c.c.)(電荷) | ψ†ψ ≥ 0(確率) |
| スピン・g 因子 | 手で付ける | なし | 自動(g = 2) |
| 箱の境界条件 | ψ = 0 | ψ = 0(質量の壁) | ψ̄ψ = 0(MIT),tan kL = −ħk/mc |
| 電磁場との結合 | (p − qA)²/2m + qφ | 同(KG 型) | cα·(p − qA) + qφ → Pauli,SO,Darwin |
| 状態密度(電子ガス) | ∝ √E | (E + mc²)√(E² + 2Emc²)/π²ħ³c³ → ∝ E² | |
| Fermi エネルギー | ħ²kF²/2m | mc²(√(1 + xF²) − 1),xF = ħkF/mc | |
| 圧力 | (2/5)nEF ∝ n5/3 | Chandrasekhar の式 → (1/4)npFc ∝ n4/3(限界質量) | |
| 交換エネルギー | −(3/4π)kF | — | ×Φ(β):1 → 0(β ≈ 2.5)→ −1/2 |
| TF 方程式 | χ″ = χ3/2/√x | χ″ = (χ3/2/√x)(1 + εχ/x)3/2,有限核が必要 | |
東京理科大学 望月研究室.マテリアル計算科学 第 7 回(Klein–Gordon・Dirac 方程式)と博士論文第 2 章(Thomas–Fermi・Thomas–Fermi–Dirac 模型)の続きとして, 非相対論的量子力学の最も基本的な例――自由電子・無限井戸・自由電子ガス・TF 原子――を相対論化したときに何が変わるかを,導出つきでまとめたものです. 数値実験はシミュレーター(Relativistic-QM-simulator.html)へ. 関連:素粒子入門・リー群とリー代数・水素原子. 数式はブラウザ標準の MathML で組んでいます(外部ライブラリ・通信は一切ありません).