第5章重なり積分と基底関数 — STO-3Gの導出
第3章の変分原理と第4章の摂動論によって,われわれは「厳密には解けない系の,もっともらしい解を求める」ための二つの道具を手に入れた.しかし変分原理を実際に動かすには,まず試行関数を具体的に書き下さねばならない.では,その試行関数をどこから持ってくるのか.素直な答えは「水素原子の厳密解を組み合わせる」であり,実際,第1章で見た水素分子の結合性軌道・反結合性軌道は $\phi_A \pm \phi_B$ という原子軌道の足し算・引き算だった.ところがこの素直な方針には,原子が2つ以上あるとたちまち積分が地獄のように難しくなるという致命的な弱点がある.本章ではまず,その困難の正体を,重なり積分という最も簡単な2中心積分を実際に紙と鉛筆で最後まで計算することで体感する.楕円座標系という馴染みのない座標を導入して $S=(1+\rho+\rho^2/3)e^{-\rho}$ を得るまでが前半である.後半では,この困難を回避するために提案されたGauss型基底関数を導入し,世界中の量子化学計算で今なお最初に選ばれる基底 STO-3G が,どのような最適化から生まれた数値なのかを,係数の一つひとつまで追いかける.最後に「2つのGauss関数の積は再びGauss関数」という定理を証明し,同じ重なり積分が数行で終わってしまうことを確かめる.この落差こそが,現代の量子化学計算がGauss基底で動いている理由である.
- 重なり積分 $S=\int \phi_A^*(\bm{r})\phi_B(\bm{r})\,\dd^3r$ の定義と,それが結合性・反結合性軌道の規格化に直接現れること
- 2中心問題で威力を発揮する楕円座標系(prolate spheroidal coordinates)の定義・定義域・ヤコビアン
- 水素1s軌道の重なり積分 $S(\rho)=\left(1+\rho+\rho^2/3\right)e^{-\rho}$,$\rho=R_{AB}/a_0$ の完全な手計算
- $S(\rho)$ の数値的なふるまいと,H$_2$ の平衡核間距離 $1.40\,a_0$ で $S=0.753$ になること
- Gauss積分 $\int_{-\infty}^{\infty}e^{-ax^2}\dd x=\sqrt{\pi/a}$ と,3次元Gauss型軌道の規格化定数 $(2\alpha/\pi)^{3/4}$ の導出
- Slater型軌道(STO)とGauss型軌道(GTO)の長所・短所と,STO-1G の指数 $\alpha=0.27095$ が決まる仕組み
- STO-2G・STO-3G の係数と指数,そして「なぜ指数が桁で散らばるのか」
- Gauss積の定理の完全な平方完成と,それによる重なり積分 $S=\left[\dfrac{4\alpha\beta}{(\alpha+\beta)^2}\right]^{3/4}e^{-\frac{\alpha\beta}{\alpha+\beta}\rho^2}$
5.1 水素原子が2つあるとき — 重なり積分とは
5.1.1 第1章の図をもう一度
第1章で,水素原子が2つ近づくと,2つの1s軌道から結合性軌道(bonding state)と反結合性軌道(anti-bonding state)ができる,という図を見た.原子Aの1s軌道を $\phi_A$,原子Bの1s軌道を $\phi_B$ と書くと,この2つの分子軌道は
$$ \begin{equation} \psi_{\pm}(\bm{r}) = N_{\pm}\bigl[\phi_A(\bm{r}) \pm \phi_B(\bm{r})\bigr] \label{eq:5-lcao} \end{equation} $$という,原子軌道の単純な足し算・引き算で書ける.これが原子軌道の線形結合(linear combination of atomic orbitals, LCAO)という考え方であり,第11章の永年方程式まで本書を貫く主役である.ここで $N_{\pm}$ は規格化定数だが,この定数を決めようとした瞬間に,本章の主題である量が顔を出す.
実物を見る:CrystOD が計算した H$_2$ の分子軌道ダイアグラム
図5.1 の左は,準位の上下関係だけを描いた模式図である.同じものを CrystOD に実際に計算させると次のようになる(核間距離 $R_{AB}=0.741\ \text{Å}$,Hartree–Fock 法(第9章),基底関数は 5.7 節で作る STO-3G).下の図は対話的に動かせるので,準位にカーソルを合わせて数値を確かめてみてほしい.
$ crystod-mol --diagram --xyz XYZ_H2.xyz --pyscf --basis sto-3g --ao-left H --ao-right H
見比べてほしいのは次の2点である.第一に,図の骨格は図5.1 と同じであること.左右の水素原子の準位($-12.82$ eV)から,結合性軌道 $1\sigma_g$($-15.73$ eV)と反結合性軌道 $1\sigma_u$($+18.23$ eV)が1本ずつでき,2個の電子はそろって $1\sigma_g$ に入っている.$1\sigma_g$,$1\sigma_u$ が図5.1 の $\sigma$,$\sigma^*$ にあたる(添字 g,u の意味は第12章で扱う).第二に,上下の開き方が対称ではないこと.結合性軌道の下がり幅は約 $2.9$ eV にすぎないのに,反結合性軌道の上がり幅は約 $31$ eV もある.図5.1 では上下を同じ幅に描いたが,実際には反結合性軌道のほうがずっと大きく押し上げられる.この非対称の原因の1つが,本章で計算する重なり積分 $S$ が 0 でないことであり,第11章で $\varepsilon_{\pm}=(\alpha\pm\beta)/(1\pm S)$ という形で導く.
数値について2点補足しておく.原子の準位 $-12.82$ eV が,5.7 節で求める孤立した水素原子の STO-3G の値 $-12.696$ eV(表5.5)より少し低いのは,CrystOD が原子の準位も分子と同じ基底関数(相手の原子の位置に置いた関数を含む)で計算しているためである.また,ここでの軌道エネルギーは電子間の反発を取り入れた Hartree–Fock 計算の値なので,第11章の簡単な式に $\alpha$,$\beta$,$S$ を入れた値とそのまま一致するわけではない.
5.1.2 重なり積分の定義
式 \eqref{eq:5-lcao} の規格化定数を求めてみよう.$\phi_A$,$\phi_B$ はそれぞれ規格化されている($\int|\phi_A|^2\dd^3r=\int|\phi_B|^2\dd^3r=1$)とする.すると
$$ \begin{align} \int \abs{\psi_\pm}^2 \dd^3r &= N_\pm^2\int \bigl(\phi_A^* \pm \phi_B^*\bigr)\bigl(\phi_A \pm \phi_B\bigr)\dd^3r \notag\\ &= N_\pm^2\left[\int\abs{\phi_A}^2\dd^3r + \int\abs{\phi_B}^2\dd^3r \pm \int\phi_A^*\phi_B\,\dd^3r \pm \int\phi_B^*\phi_A\,\dd^3r\right] \notag\\ &= N_\pm^2\bigl[1 + 1 \pm 2S\bigr] = 2N_\pm^2(1\pm S) \label{eq:5-norm-lcao} \end{align} $$となる(1s軌道は実関数なので $\int\phi_A^*\phi_B\dd^3r=\int\phi_B^*\phi_A\dd^3r=S$).すなわち $N_\pm = 1/\sqrt{2(1\pm S)}$ であり,ここに現れた $S$ こそが本章の主役である.
定義:重なり積分
原子Aに属する1電子波動関数 $\phi_A(\bm{r})$ と,原子Bに属する1電子波動関数 $\phi_B(\bm{r})$ の重なり積分(overlap integral)$S$ を
$$ \begin{equation} S \;=\; \int \phi_A^*(\bm{r})\,\phi_B(\bm{r})\,\dd^3 r \;=\; \iiint \phi_A^*\,\phi_B\;\dd x\,\dd y\,\dd z \label{eq:5-overlap-def} \end{equation} $$で定義する.Dirac記法では $S=\braket{\phi_A|\phi_B}$ と書く.$S$ は無次元量である($\phi$ は $[\text{長さ}]^{-3/2}$ の次元をもち,$\dd^3r$ が $[\text{長さ}]^{3}$ なので打ち消し合う).
定義から,次の2つの極限はただちに読み取れる.
- 2つの原子が完全に重なる($R_{AB}\to 0$,$\phi_B\to\phi_A$)とき,$S=\int|\phi_A|^2\dd^3r = 1$.これは $\phi_A$ の規格化条件そのものである.
- 2つの原子が無限に離れる($R_{AB}\to\infty$)とき,$\phi_A$ が有限の値をもつ領域では $\phi_B$ がゼロになるので,$S\to 0$.
したがって水素1s軌道どうしなら $0 \le S \le 1$ であり,$S$ は「2つの原子軌道がどれくらい同じ場所を占めているか」を $0$ から $1$ の数値で表す指標になっている.式 \eqref{eq:5-norm-lcao} を見れば,$S$ が大きいほど結合性軌道と反結合性軌道のエネルギー差が非対称になることも予想がつく(詳細は第11章の永年方程式で扱う).
なぜ?:どうして「重なり」が結合の強さを決めるのか
結合性軌道 $\psi_+$ では,核間領域で $\phi_A$ と $\phi_B$ が同符号で足し合わさるので,電子密度 $|\psi_+|^2$ が核と核のあいだで増える.負電荷が2つの正電荷にはさまれた配置は静電的に得であり,これがエネルギーの安定化を生む.この「核間に積み上がる余分な電子密度」の量は,まさに交差項 $2\phi_A\phi_B$ の積分,つまり $S$ に比例する.逆に $S$ がほぼゼロなら,2つの原子軌道は互いに知らんぷりをしているのと同じで,結合はできない.結合の強さを議論するとき,まず $S$ を見るのはこのためである.
数学ノート:講義スライドとの記号の違い
講義スライドでは重なり積分を $S=\iiint\psi_A^*\psi_B\,\dd x\dd y\dd z$ と,大文字 $\psi$ で書いていた.本書では仕様どおり1電子波動関数(原子軌道)は $\phi$,多電子波動関数は $\psi$ と使い分ける(第7章のSlater行列式で両者を明確に区別する必要が生じるため).また核間距離はスライドでは $r_{AB}$ だが,本書では原子核座標を $\bm{R}_I$ で表す約束に合わせて $R_{AB}=|\bm{R}_B-\bm{R}_A|$ と書く.Bohr半径は $a_0$ に統一する.
5.1.3 「手計算した例を示した教科書が少ない」
重なり積分の定義式 \eqref{eq:5-overlap-def} は,量子化学のどの教科書にも必ず載っている.ところが,それを実際に最後まで手で計算してみせた教科書は驚くほど少ない.多くの本は「$S$ は数値的に評価される」と一行書いて先へ進んでしまう.しかし $S$ は2中心積分のなかで最も易しい部類であり,これを自力で完走できないと,この先に出てくるCoulomb積分 $U$・交換積分 $J$・共鳴積分 $\beta$(第9章,第11章)がすべてブラックボックスになってしまう.
そこで本章では,遠回りに見えても,水素1s軌道の重なり積分を途中式を一つも飛ばさずに計算しきる.使う道具は次節の楕円座標系だけである.
例題5.1 結合性・反結合性軌道の規格化定数
水素分子の平衡核間距離では $S=0.753$ である.このとき $\psi_\pm=N_\pm(\phi_A\pm\phi_B)$ の規格化定数 $N_+$,$N_-$ を求め,$S=0$ の場合と比べよ.
解答.式 \eqref{eq:5-norm-lcao} より $N_\pm = 1/\sqrt{2(1\pm S)}$ である.$S=0.753$ を代入すると
$$ N_+ = \frac{1}{\sqrt{2(1+0.753)}} = \frac{1}{\sqrt{3.506}} = 0.534,\qquad N_- = \frac{1}{\sqrt{2(1-0.753)}} = \frac{1}{\sqrt{0.494}} = 1.423 . $$$S=0$ ならどちらも $1/\sqrt{2}=0.707$ である.$S$ がゼロでないと,結合性軌道は係数が小さく($0.534$),反結合性軌道は係数が大きく($1.423$)なる.反結合性軌道は,核間に節をもつために振幅を大きくしないと規格化できない,という事情がこの数値に表れている.この非対称性が「反結合性軌道の不安定化は,結合性軌道の安定化より大きい」という第1章・第11章の重要な結論の出発点である.
5.2 楕円座標系の導入
5.2.1 なぜ球座標ではだめなのか
1原子系(水素原子)の計算がやさしかったのは,球対称なポテンシャルに対して球座標 $(r,\theta,\varphi)$ が完璧に適合していたからである.ところが原子が2つになると,図5.2 のように原点の取りようがない.核Aを原点にとれば $r_A=r$ とすっきりするが,もう一方の距離は
$$ r_B = \sqrt{r^2 + R_{AB}^2 - 2rR_{AB}\cos\theta} $$という余弦定理の形になり,これが $e^{-r_B/a_0}$ の肩に乗る.平方根が指数関数の肩にある関数を $r$ と $\theta$ について積分するのは,まず初等的には不可能である.
なぜ?:座標系を変えると何が起きるのか
積分が難しいのは,多くの場合「関数が難しい」のではなく「座標系と関数の形が合っていない」からである.球対称な関数には球座標,直方体の箱には直交座標,というように,被積分関数の等値面と座標面が一致するように座標を選ぶと,変数が分離して積分が一気にやさしくなる.いま被積分関数は $\phi_A\phi_B\propto e^{-(r_A+r_B)/a_0}$ であり,その等値面は「2定点からの距離の和が一定の面」——すなわち2つの核を焦点とする回転楕円面である.ならば,その楕円面を座標面にもつ座標系を使えばよい.それが楕円座標系である.発想としては,これだけのことである.
5.2.2 楕円座標系の定義
定義:楕円座標系(prolate spheroidal coordinates)
核Aと核Bを結ぶ線分の中点を原点,その方向を $z$ 軸にとる.核間距離を $R_{AB}$ として,直交座標を
$$ \begin{align} x &= \frac{R_{AB}}{2}\,\sinh\mu\,\sin\nu\,\cos\varphi, \notag\\ y &= \frac{R_{AB}}{2}\,\sinh\mu\,\sin\nu\,\sin\varphi, \label{eq:5-ellip-def}\\ z &= \frac{R_{AB}}{2}\,\cosh\mu\,\cos\nu \notag \end{align} $$と表す.逆に,電子から2つの核までの距離 $r_A$,$r_B$ を使うと
$$ \begin{equation} \cosh\mu = \frac{r_A + r_B}{R_{AB}},\qquad \cos\nu = \frac{r_A - r_B}{R_{AB}} \label{eq:5-ellip-inv} \end{equation} $$である.変数の定義域は
$$ \begin{equation} 0 \le \mu \lt \infty,\qquad 0 \le \nu \le \pi,\qquad 0 \le \varphi \le 2\pi \label{eq:5-ellip-domain} \end{equation} $$である.$\varphi$ は球座標と同じ方位角である.
式 \eqref{eq:5-ellip-inv} を $r_A$,$r_B$ について解くと,後で何度も使う関係
$$ \begin{equation} r_A = \frac{R_{AB}}{2}\bigl(\cosh\mu + \cos\nu\bigr),\qquad r_B = \frac{R_{AB}}{2}\bigl(\cosh\mu - \cos\nu\bigr) \label{eq:5-rarb} \end{equation} $$が得られる(2式を足す・引くだけである).ここで本章の計算の生命線となる事実を強調しておく.
被積分関数の肩に現れるのは $r_A+r_B$ だけである.それが $\mu$ だけの関数になった——この一点で,平方根も余弦定理も消えてしまう.これが楕円座標系を使う理由のすべてである.
物理的意味:$\mu$ と $\nu$ は何を表すか
$\mu=\text{一定}$ の面は,式 \eqref{eq:5-ellip-def} から $\dfrac{z^2}{(a\cosh\mu)^2}+\dfrac{x^2+y^2}{(a\sinh\mu)^2}=1$($a\equiv R_{AB}/2$)を満たす回転楕円面である($\cosh^2\mu-\sinh^2\mu=1$ を使う).焦点は $z=\pm a$,すなわち2つの原子核の位置にある.$\mu=0$ は2核を結ぶ線分そのものにつぶれ,$\mu\to\infty$ で球に近づく.$\mu$ は「核からどれくらい遠いか」を表す動径的な変数である.
いっぽう $\nu=\text{一定}$ の面は $\dfrac{z^2}{(a\cos\nu)^2}-\dfrac{x^2+y^2}{(a\sin\nu)^2}=1$ という回転双曲面で,$\nu=0$ は核Bから上向きに伸びる半直線,$\nu=\pi/2$ は $z=0$ の平面(2核の垂直二等分面),$\nu=\pi$ は核Aから下向きに伸びる半直線である.$\nu$ は「A寄りかB寄りか」を表す角度的な変数である.楕円と双曲線はいたるところで直交しており(共焦点直交座標系),これは球座標で $r$ 一定の球面と $\theta$ 一定の円錐面が直交しているのと同じ事情である.
例題5.2 楕円座標に値を代入してみる
$R_{AB}=2$(したがって $R_{AB}/2=1$,核Bは $z=+1$,核Aは $z=-1$)とする.$\mu=0.8$,$\nu=60^\circ$,$\varphi=0$ の点について直交座標を求め,そこから $r_A$,$r_B$ を計算して,式 \eqref{eq:5-ellip-inv} が実際に成り立つことを確かめよ.
解答.まず $\sinh 0.8 = 0.8881$,$\cosh 0.8 = 1.3374$,$\sin 60^\circ=0.8660$,$\cos 60^\circ = 0.5000$ である.式 \eqref{eq:5-ellip-def} に代入すると
$$ x = 1\times 0.8881\times 0.8660\times 1 = 0.7691,\qquad y = 0,\qquad z = 1\times 1.3374 \times 0.5000 = 0.6687 . $$核Bは $(0,0,+1)$,核Aは $(0,0,-1)$ だから
$$ \begin{align} r_B &= \sqrt{0.7691^2 + (0.6687-1)^2} = \sqrt{0.5915+0.1097} = \sqrt{0.7012} = 0.8374, \notag\\ r_A &= \sqrt{0.7691^2 + (0.6687+1)^2} = \sqrt{0.5915+2.7846} = \sqrt{3.3761} = 1.8374 . \notag \end{align} $$したがって
$$ \frac{r_A+r_B}{R_{AB}} = \frac{2.6748}{2} = 1.3374 = \cosh 0.8,\qquad \frac{r_A-r_B}{R_{AB}} = \frac{1.0000}{2} = 0.5000 = \cos 60^\circ $$となり,式 \eqref{eq:5-ellip-inv} が確かに成り立っている.この座標系は式を眺めているだけではまったくイメージが湧かないので,このように自分で1点だけでも数値を代入してみることを強く勧める.
5.2.3 ヤコビアン
変数変換をしたら,体積要素を書き換えなければならない.微分積分学で習ったとおり,$(\mu,\nu,\varphi)$ から $(x,y,z)$ への変換のヤコビアン(Jacobian)$J$ を使って $\dd x\,\dd y\,\dd z = |J|\,\dd\mu\,\dd\nu\,\dd\varphi$ となる.
導出:楕円座標系のヤコビアンを求める
$a\equiv R_{AB}/2$ と略記する.式 \eqref{eq:5-ellip-def} の偏微分を並べると
$$ \begin{array}{lll} \dfrac{\partial x}{\partial \mu}= a\cosh\mu\sin\nu\cos\varphi, & \dfrac{\partial x}{\partial \nu}= a\sinh\mu\cos\nu\cos\varphi, & \dfrac{\partial x}{\partial \varphi}= -a\sinh\mu\sin\nu\sin\varphi, \\[6pt] \dfrac{\partial y}{\partial \mu}= a\cosh\mu\sin\nu\sin\varphi, & \dfrac{\partial y}{\partial \nu}= a\sinh\mu\cos\nu\sin\varphi, & \dfrac{\partial y}{\partial \varphi}= a\sinh\mu\sin\nu\cos\varphi, \\[6pt] \dfrac{\partial z}{\partial \mu}= a\sinh\mu\cos\nu, & \dfrac{\partial z}{\partial \nu}= -a\cosh\mu\sin\nu, & \dfrac{\partial z}{\partial \varphi}= 0 \end{array} $$である.$3\times3$ 行列式を第3行について展開する($\partial z/\partial\varphi=0$ なので2項だけ残る).
$$ \begin{align} J &= a^3\Bigl[ \sinh\mu\cos\nu\bigl(\sinh\mu\cos\nu\cos\varphi\cdot\sinh\mu\sin\nu\cos\varphi + \sinh\mu\sin\nu\sin\varphi\cdot\sinh\mu\cos\nu\sin\varphi\bigr) \notag\\ &\qquad\quad + \cosh\mu\sin\nu\bigl(\cosh\mu\sin\nu\cos\varphi\cdot\sinh\mu\sin\nu\cos\varphi + \sinh\mu\sin\nu\sin\varphi\cdot\cosh\mu\sin\nu\sin\varphi\bigr)\Bigr] \notag \end{align} $$$\cos^2\varphi+\sin^2\varphi=1$ を使うと括弧の中がきれいに閉じて
$$ \begin{align} J &= a^3\Bigl[\sinh\mu\cos\nu\cdot\sinh^2\mu\sin\nu\cos\nu + \cosh\mu\sin\nu\cdot\cosh\mu\sinh\mu\sin^2\nu\Bigr] \notag\\ &= a^3\sinh\mu\,\sin\nu\Bigl[\sinh^2\mu\cos^2\nu + \cosh^2\mu\sin^2\nu\Bigr] . \notag \end{align} $$最後の角括弧を整理する.$\cos^2\nu=1-\sin^2\nu$,$\cosh^2\mu=1+\sinh^2\mu$ を代入すると
$$ \sinh^2\mu(1-\sin^2\nu) + (1+\sinh^2\mu)\sin^2\nu = \sinh^2\mu - \sinh^2\mu\sin^2\nu + \sin^2\nu + \sinh^2\mu\sin^2\nu = \sinh^2\mu + \sin^2\nu $$となり,余分な項がすべて相殺する.以上より
$$ \begin{equation} J = \left(\frac{R_{AB}}{2}\right)^{3}\sinh\mu\,\sin\nu\,\bigl(\sinh^2\mu + \sin^2\nu\bigr) \label{eq:5-jacobian} \end{equation} $$を得る.定義域 \eqref{eq:5-ellip-domain} では $\sinh\mu\ge0$,$\sin\nu\ge0$ なので $J\ge 0$ であり,絶対値は不要である.
注意:ヤコビアンはどちら向きの変換か
講義スライドでは行列の要素が $\partial\mu/\partial x$ などと書かれていたが,体積要素を $\dd x\dd y\dd z = J\,\dd\mu\dd\nu\dd\varphi$ の向きに書き換えたいのだから,必要なのは新変数で古い座標を微分した行列 $\partial(x,y,z)/\partial(\mu,\nu,\varphi)$ の行列式である.式 \eqref{eq:5-jacobian} の結果自体はこの向きのものであり,スライドの数値結果は正しい.逆向きの行列式はこの逆数になるので,掛けるべきか割るべきかを間違えないよう注意してほしい.迷ったら次元を見るとよい:式 \eqref{eq:5-jacobian} は $[\text{長さ}]^3$ の次元をもち,$\dd x\dd y\dd z$ と一致している.
5.3 1s軌道の重なり積分の完全な手計算
5.3.1 準備
第2章で求めた水素原子の1s軌道は,規格化まで込めて
$$ \begin{equation} \phi_{1s}(r) = \frac{1}{\sqrt{\pi a_0^3}}\,e^{-r/a_0},\qquad a_0 = \frac{\eps h^2}{\pi m \ee^2} = 0.529\times10^{-10}\ \mathrm{m} \label{eq:5-1s} \end{equation} $$であった.原子Aと原子Bにそれぞれ中心をもつ1s軌道は
$$ \phi_A(\bm{r}) = \frac{1}{\sqrt{\pi a_0^3}}\,e^{-r_A/a_0},\qquad \phi_B(\bm{r}) = \frac{1}{\sqrt{\pi a_0^3}}\,e^{-r_B/a_0} $$と書ける.ともに実関数なので複素共役の記号は落としてよい.これを定義 \eqref{eq:5-overlap-def} に入れると
$$ \begin{equation} S = \int \phi_A\phi_B\,\dd^3r = \frac{1}{\pi a_0^3}\int e^{-(r_A+r_B)/a_0}\,\dd^3 r \label{eq:5-overlap-setup} \end{equation} $$である.ここで前節の結果 $r_A+r_B=R_{AB}\cosh\mu$ と,体積要素 $\dd^3r = J\,\dd\mu\,\dd\nu\,\dd\varphi$ を代入する.以後,核間距離を Bohr半径で測った無次元の核間距離
$$ \rho \equiv \frac{R_{AB}}{a_0} $$を使う.すると
$$ \begin{align} S &= \frac{1}{\pi a_0^3}\int_0^{2\pi}\!\!\dd\varphi \int_0^{\pi}\!\!\dd\nu \int_0^{\infty}\!\!\dd\mu\; e^{-\rho\cosh\mu}\left(\frac{R_{AB}}{2}\right)^3 \sinh\mu\,\sin\nu\,\bigl(\sinh^2\mu+\sin^2\nu\bigr) \notag\\ &= \frac{R_{AB}^3}{8\pi a_0^3}\cdot 2\pi \int_0^{\pi}\!\!\dd\nu \int_0^{\infty}\!\!\dd\mu\; e^{-\rho\cosh\mu}\,\sinh\mu\,\sin\nu\,\bigl(\sinh^2\mu+\sin^2\nu\bigr) \label{eq:5-overlap-reduced} \end{align} $$となる.$\varphi$ 依存性がまったくないので,$\varphi$ 積分はただ $2\pi$ を出すだけで終わる(軸対称性の恩恵である).
5.3.2 $\mu$ と $\nu$ の分離
式 \eqref{eq:5-overlap-reduced} の被積分関数を,括弧を展開して2つの項に分ける.
$$ \sinh\mu\,\sin\nu\bigl(\sinh^2\mu+\sin^2\nu\bigr) = \underbrace{\sinh^3\mu\cdot\sin\nu}_{\text{第1項}} + \underbrace{\sinh\mu\cdot\sin^3\nu}_{\text{第2項}} $$どちらの項も $\mu$ だけの関数と $\nu$ だけの関数の積になっている.これで変数が完全に分離した.したがって
$$ S = \frac{R_{AB}^3}{4a_0^3}\left[ \left(\int_0^{\pi}\sin\nu\,\dd\nu\right)\!\!\left(\int_0^{\infty}e^{-\rho\cosh\mu}\sinh^3\mu\,\dd\mu\right) + \left(\int_0^{\pi}\sin^3\nu\,\dd\nu\right)\!\!\left(\int_0^{\infty}e^{-\rho\cosh\mu}\sinh\mu\,\dd\mu\right) \right] $$と書ける.4つの積分を順に片づけていこう.
数学ノート:$\nu$ についての2つの積分
ひとつ目は基本形である.
$$ \int_0^{\pi}\sin\nu\,\dd\nu = \bigl[-\cos\nu\bigr]_0^{\pi} = -(-1)-(-1) = 2 . $$ふたつ目は $\sin^3\nu = \sin\nu\,(1-\cos^2\nu)$ と書き,$u=\cos\nu$($\dd u = -\sin\nu\,\dd\nu$,$\nu:0\to\pi$ で $u:1\to-1$)と置換する.
$$ \int_0^{\pi}\sin^3\nu\,\dd\nu = \int_{1}^{-1}(1-u^2)(-\dd u) = \int_{-1}^{1}(1-u^2)\,\dd u = \left[u-\frac{u^3}{3}\right]_{-1}^{1} = \frac{2}{3}-\left(-\frac{2}{3}\right) = \frac{4}{3} . $$数学ノート:$\mu$ についての2つの積分
どちらも $t=\cosh\mu$ と置換するのがこつである.$\dd t = \sinh\mu\,\dd\mu$ であり,$\mu:0\to\infty$ に対して $t:1\to\infty$ である.さらに $\sinh^2\mu = \cosh^2\mu-1 = t^2-1$ を使う.
やさしいほうから:
$$ \begin{equation} I_2 \equiv \int_0^{\infty}e^{-\rho\cosh\mu}\sinh\mu\,\dd\mu = \int_1^{\infty}e^{-\rho t}\,\dd t = \left[-\frac{e^{-\rho t}}{\rho}\right]_1^{\infty} = \frac{e^{-\rho}}{\rho} . \label{eq:5-i2} \end{equation} $$もう一方は $\sinh^3\mu\,\dd\mu = \sinh^2\mu\cdot\sinh\mu\,\dd\mu = (t^2-1)\,\dd t$ となるので
$$ I_1 \equiv \int_0^{\infty}e^{-\rho\cosh\mu}\sinh^3\mu\,\dd\mu = \int_1^{\infty}(t^2-1)e^{-\rho t}\,\dd t = \int_1^{\infty}t^2 e^{-\rho t}\dd t - \int_1^{\infty}e^{-\rho t}\dd t . $$第2の積分はすでに $e^{-\rho}/\rho$ と分かっている.第1の積分は部分積分を2回行う.
$$ \int_1^{\infty}t\,e^{-\rho t}\dd t = \left[-\frac{t e^{-\rho t}}{\rho}\right]_1^{\infty} + \frac{1}{\rho}\int_1^{\infty}e^{-\rho t}\dd t = \frac{e^{-\rho}}{\rho} + \frac{e^{-\rho}}{\rho^2}, $$ $$ \int_1^{\infty}t^2 e^{-\rho t}\dd t = \left[-\frac{t^2 e^{-\rho t}}{\rho}\right]_1^{\infty} + \frac{2}{\rho}\int_1^{\infty}t\,e^{-\rho t}\dd t = \frac{e^{-\rho}}{\rho} + \frac{2}{\rho}\left(\frac{e^{-\rho}}{\rho}+\frac{e^{-\rho}}{\rho^2}\right) = e^{-\rho}\left(\frac{1}{\rho}+\frac{2}{\rho^2}+\frac{2}{\rho^3}\right). $$($t\to\infty$ で $t^2e^{-\rho t}\to0$ を使った.)したがって
$$ \begin{equation} I_1 = e^{-\rho}\left(\frac{1}{\rho}+\frac{2}{\rho^2}+\frac{2}{\rho^3}\right) - \frac{e^{-\rho}}{\rho} = e^{-\rho}\left(\frac{2}{\rho^2}+\frac{2}{\rho^3}\right) . \label{eq:5-i1} \end{equation} $$5.3.3 組み立てる
4つの結果を代入する.$R_{AB}^3/a_0^3=\rho^3$ であることに注意すると
$$ \begin{align} S &= \frac{\rho^3}{4}\left[2\cdot I_1 + \frac{4}{3}\cdot I_2\right] \notag\\ &= \frac{\rho^3}{4}\left[2 e^{-\rho}\left(\frac{2}{\rho^2}+\frac{2}{\rho^3}\right) + \frac{4}{3}\cdot\frac{e^{-\rho}}{\rho}\right] \notag\\ &= \frac{\rho^3}{4}\,e^{-\rho}\left[\frac{4}{\rho^2}+\frac{4}{\rho^3}+\frac{4}{3\rho}\right] \notag\\ &= e^{-\rho}\left[\rho + 1 + \frac{\rho^2}{3}\right] \notag \end{align} $$となり,目標の式にたどり着いた.
これが水素1s軌道どうしの重なり積分である.特別な関数はひとつも出てこず,多項式と指数関数だけで書けてしまった.$\rho\to0$ で $S\to1$,$\rho\to\infty$ で $S\to0$ という 5.1節で予想した極限も,式の形からただちに確かめられる.
物理的意味:なぜ多項式 $\times$ 指数関数になるのか
$e^{-\rho}$ の因子は,核間の中点あたりで2つの1s軌道が $e^{-r_A/a_0}e^{-r_B/a_0}\sim e^{-R_{AB}/a_0}$ という指数的に小さい値しかもたないことに由来する.実は核間を結ぶ線分の上では $r_A+r_B=R_{AB}$ がぴったり一定なので,積 $\phi_A\phi_B$ はこの線分上で厳密に一定値 $e^{-\rho}/(\pi a_0^3)$ をとる(図5.1 の淡色部が平らになっているのはそのためである).いっぽう $1+\rho+\rho^2/3$ という多項式は,その「重なっている領域」の体積が $R_{AB}$ とともに増えることを表している.この2つの競合の結果,$S$ は $\rho$ とともに単調に減少するが,単純な指数減衰よりはゆっくり減る.
例題5.3 $S(\rho)$ を原点のまわりで展開する
式 \eqref{eq:5-overlap-1s} を $\rho$ の小さいところで Taylor展開し,$\rho^4$ の項まで求めよ.また $\rho=0.5$ でこの近似がどれくらい正確か確かめよ.
解答.$e^{-\rho}=1-\rho+\dfrac{\rho^2}{2}-\dfrac{\rho^3}{6}+\dfrac{\rho^4}{24}-\cdots$ を使って,$\left(1+\rho+\dfrac{\rho^2}{3}\right)$ と掛け合わせ,次数ごとに集める.
$$ \begin{align} \rho^0:&\quad 1 \notag\\ \rho^1:&\quad 1\cdot(-1) + 1\cdot 1 = 0 \notag\\ \rho^2:&\quad 1\cdot\frac12 + 1\cdot(-1) + \frac13\cdot 1 = \frac{3-6+2}{6} = -\frac16 \notag\\ \rho^3:&\quad 1\cdot\left(-\frac16\right) + 1\cdot\frac12 + \frac13\cdot(-1) = \frac{-1+3-2}{6} = 0 \notag\\ \rho^4:&\quad 1\cdot\frac{1}{24} + 1\cdot\left(-\frac16\right) + \frac13\cdot\frac12 = \frac{1-4+4}{24} = \frac{1}{24} \notag \end{align} $$したがって
$$ S(\rho) = 1 - \frac{\rho^2}{6} + \frac{\rho^4}{24} - \cdots $$である.$\rho$ の1次と3次の項が消えるのが特徴で,5.4節で述べる「$\rho=0$ で $S$ の傾きがゼロ」という性質がここにも表れている.$\rho=0.5$ で試すと,2項までなら $1-0.25/6=0.9583$,3項までなら $0.9583+0.0625/24=0.9609$.厳密値 $0.9603$(表5.1)に対し,それぞれ $0.2$ %,$0.06$ % の誤差である.導いた式は,極限や展開で検算できることを覚えておこう.
5.4 重なり積分のふるまい
5.4.1 数値表とグラフ
式 \eqref{eq:5-overlap-1s} は電卓さえあれば計算できる.いくつかの $\rho$ について値を求めておこう.
| $\rho = R_{AB}/a_0$ | $1+\rho+\rho^2/3$ | $e^{-\rho}$ | $S$ | $R_{AB}$ [Å] |
|---|---|---|---|---|
| 0 | 1.0000 | 1.0000 | 1.0000 | 0.000 |
| 0.5 | 1.5833 | 0.6065 | 0.9603 | 0.265 |
| 1.0 | 2.3333 | 0.3679 | 0.8584 | 0.529 |
| 1.40 | 3.0533 | 0.2466 | 0.7529 | 0.741 |
| 2.0 | 4.3333 | 0.1353 | 0.5865 | 1.058 |
| 3.0 | 7.0000 | 0.04979 | 0.3485 | 1.588 |
| 4.0 | 10.3333 | 0.01832 | 0.1893 | 2.117 |
| 5.0 | 14.3333 | 0.006738 | 0.09658 | 2.646 |
| 6.0 | 19.0000 | 0.002479 | 0.04710 | 3.175 |
| 8.0 | 30.3333 | 0.0003355 | 0.01018 | 4.233 |
| 10.0 | 44.3333 | 0.00004540 | 0.002013 | 5.292 |
5.4.2 何が読み取れるか
グラフからいくつか重要なことが読み取れる.
- H$_2$ の平衡核間距離での値.水素分子の実測の結合長は $R_{AB}=0.741\ \text{Å}$ である.$a_0=0.529\ \text{Å}$ だから $\rho = 0.741/0.529 = 1.40$,したがって $S=0.753$.2つの原子軌道の4分の3が「同じ場所」にあることになる.化学結合とは,これほど大胆に軌道が重なり合う現象なのである.
- 減衰の速さ.$\rho=4$($2.1\ \text{Å}$)で $S=0.19$,$\rho=6$($3.2\ \text{Å}$)で $S=0.047$,$\rho=8$($4.2\ \text{Å}$)で $S=0.010$.第2近接・第3近接の原子との重なりは急速に無視できる大きさになる.固体の電子状態を扱うとき「最近接原子どうしの飛び移りだけを考える」という強束縛近似(tight-binding approximation)がしばしば良い近似になるのは,この急激な減衰のおかげである(第14章).
- 曲線の傾き.式 \eqref{eq:5-overlap-1s} を微分すると $\dfrac{\dd S}{\dd\rho} = -\dfrac{\rho(1+\rho)}{3}e^{-\rho}$ となる(各自確かめてみよう).$\rho=0$ で傾きがちょうどゼロ,つまり $S$ は $\rho=0$ の近くで平らである.原子が少し離れても重なりはほとんど減らない.いっぽう $\rho\approx 2$ 付近で減少がもっとも急になる.
例題5.4 重なりが半分になる距離
$S(\rho)=0.5$ となる $\rho$ を求めよ(有効数字3桁).またそれは何Åか.
解答.$(1+\rho+\rho^2/3)e^{-\rho}=0.5$ は解析的には解けないので,表5.1 を手がかりに数値的にはさみうちする.$\rho=2$ で $S=0.5865$,$\rho=3$ で $S=0.3485$ なので答えは 2 と 3 の間にある.
$$ \begin{align} \rho=2.3:&\quad (1+2.3+1.7633)\times 0.10026 = 5.0633\times0.10026 = 0.5076 \notag\\ \rho=2.4:&\quad (1+2.4+1.9200)\times 0.09072 = 5.3200\times0.09072 = 0.4826 \notag\\ \rho=2.33:&\quad (1+2.33+1.8096)\times 0.09730 = 5.1396\times0.09730 = 0.5001 \notag \end{align} $$したがって $\rho \simeq 2.33$,すなわち $R_{AB} = 2.33\times 0.529\ \text{Å} = 1.23\ \text{Å}$ である.H$_2$ の結合長 $0.741\ \text{Å}$ の 1.7 倍ほど離れると,重なりは半分になる.
5.4.3 機械にやらせる
表5.1 のような値を電卓で1つずつ求めるのは,確かめ算としては大事だが,曲線を描くとなると話は別である.単純な繰り返し計算は機械にやらせるべきである.次のPythonスクリプトは図5.4 とほぼ同じグラフを描く(講義で紹介されたものを整理した).第10章以降で本格的に計算機を使うので,いまのうちに環境を整えておこう(付録B 参照).
import numpy as np
import matplotlib.pyplot as plt
rho = np.linspace(0, 10, 500)
S = (1 + rho + rho**2 / 3) * np.exp(-rho)
plt.figure(figsize=(6, 4))
plt.plot(rho, S, lw=2, color='#14684a')
# H2 の平衡核間距離 0.741 A = 1.40 a0
rho_H2 = 1.40
plt.plot(rho_H2, (1 + rho_H2 + rho_H2**2 / 3) * np.exp(-rho_H2),
'o', color='#b03a2e')
plt.xlabel(r'$R_{AB}/a_0$', fontsize=14)
plt.ylabel('Overlap integral $S$', fontsize=14)
plt.grid(alpha=0.4)
plt.tight_layout()
plt.show()
コード5.1 重なり積分 $S(\rho)$ のプロット
注意:$S$ が1を超えることはない
$\phi_A$,$\phi_B$ がともに規格化されていれば,Cauchy–Schwarzの不等式 $|\braket{\phi_A|\phi_B}|^2\le\braket{\phi_A|\phi_A}\braket{\phi_B|\phi_B}=1$ より $|S|\le1$ が保証される.等号が成り立つのは $\phi_B$ が $\phi_A$ の定数倍のとき,つまり2つの原子が完全に重なったときだけである.もし計算の途中で $S\gt 1$ が出てきたら,それは規格化を忘れたか,どこかで計算を間違えたかのどちらかである.なお $s$ 軌道と $p$ 軌道の組み合わせなど,対称性によっては $S$ が負になったり,恒等的にゼロになったりすることもある(第12章).
5.5 Gauss積分の復習
ここまでで,2中心積分がどれほど手間のかかる相手かは十分に体感できたはずである.次節からはこの困難を回避する戦略を学ぶが,そこで主役になるのがGauss関数である.準備として,Gauss関数の積分を復習しておこう.すべて後で実際に使う.
5.5.1 1次元のGauss積分
数学ノート:Gauss積分
示したいのは
$$ \begin{equation} \int_{-\infty}^{\infty} e^{-a x^2}\,\dd x = \sqrt{\frac{\pi}{a}}\qquad (a\gt 0) \label{eq:5-gauss1d} \end{equation} $$である.この積分は原始関数が初等関数で書けないので,まともに攻めても解けない.有名な技巧は2乗して2次元にし,極座標に移ることである.求める値を $G$ とおくと
$$ G^2 = \left(\int_{-\infty}^{\infty}e^{-ax^2}\dd x\right)\!\!\left(\int_{-\infty}^{\infty}e^{-ay^2}\dd y\right) = \int_{-\infty}^{\infty}\!\!\int_{-\infty}^{\infty} e^{-a(x^2+y^2)}\,\dd x\,\dd y . $$ここで2次元極座標 $x=r\cos\theta$,$y=r\sin\theta$(体積要素は $\dd x\dd y = r\,\dd r\,\dd\theta$)に移ると $x^2+y^2=r^2$ なので
$$ G^2 = \int_0^{2\pi}\!\!\dd\theta\int_0^{\infty} e^{-a r^2}\,r\,\dd r = 2\pi \left[\frac{-1}{2a}e^{-ar^2}\right]_0^{\infty} = 2\pi\cdot\frac{1}{2a} = \frac{\pi}{a} $$となる.$r\,\dd r$ という因子が現れたおかげで,$u=r^2$ の置換($\dd u = 2r\,\dd r$)が効いて初等的に積分できてしまうのがこの技法の急所である.$G\gt0$ だから $G=\sqrt{\pi/a}$,すなわち式 \eqref{eq:5-gauss1d} を得る.
例題5.5 正規分布の規格化定数
確率論に出てくる正規分布 $p(x)\propto e^{-(x-\mu)^2/2\sigma^2}$ の規格化定数を求めよ.
解答.$t=x-\mu$ と置換すると $\dd t=\dd x$,積分範囲は変わらないので
$$ \int_{-\infty}^{\infty}e^{-(x-\mu)^2/2\sigma^2}\dd x = \int_{-\infty}^{\infty}e^{-t^2/2\sigma^2}\dd t . $$式 \eqref{eq:5-gauss1d} で $a=1/(2\sigma^2)$ とすれば
$$ \int_{-\infty}^{\infty}e^{-t^2/2\sigma^2}\dd t = \sqrt{\frac{\pi}{1/(2\sigma^2)}} = \sqrt{2\pi\sigma^2} $$となる.よって規格化条件 $\int p\,\dd x=1$ を満たす正規分布は
$$ \begin{equation} p(x) = \frac{1}{\sqrt{2\pi\sigma^2}}\,e^{-(x-\mu)^2/2\sigma^2} \label{eq:5-gauss-normal} \end{equation} $$である.統計学の教科書に天下りで出てくる $1/\sqrt{2\pi\sigma^2}$ は,Gauss積分そのものだったわけである.
5.5.2 3次元のGauss積分と規格化定数
次節以降で使うのは,球対称なGauss関数を3次元全空間で積分した形である.これも先に済ませておこう.
導出:$\displaystyle\int e^{-2\alpha r^2}\dd^3 r$ を極座標で計算する
球座標の体積要素は $\dd^3r = r^2\sin\theta\,\dd r\,\dd\theta\,\dd\varphi$ である.被積分関数が角度によらないので
$$ \int_0^{2\pi}\!\!\!\int_0^{\pi}\!\!\!\int_0^{\infty} e^{-2\alpha r^2} r^2\sin\theta\,\dd r\,\dd\theta\,\dd\varphi = \underbrace{\int_0^{2\pi}\!\!\dd\varphi}_{=2\pi}\cdot\underbrace{\int_0^{\pi}\!\sin\theta\,\dd\theta}_{=2}\cdot\int_0^{\infty} r^2 e^{-2\alpha r^2}\dd r $$となる.残った動径積分 $\int_0^\infty r^2 e^{-2\alpha r^2}\dd r$ を部分積分で片づける.まず
$$ \frac{\dd}{\dd r}\left(\frac{-1}{4\alpha}e^{-2\alpha r^2}\right) = \frac{-1}{4\alpha}\cdot(-4\alpha r)e^{-2\alpha r^2} = r\,e^{-2\alpha r^2} $$に注意すると,$r^2 e^{-2\alpha r^2} = r\cdot\dfrac{\dd}{\dd r}\left(\dfrac{-1}{4\alpha}e^{-2\alpha r^2}\right)$ と書ける.したがって
$$ \begin{align} \int_0^{\infty} r^2 e^{-2\alpha r^2}\dd r &= \left[r\cdot\frac{-1}{4\alpha}e^{-2\alpha r^2}\right]_0^{\infty} + \int_0^{\infty}\frac{1}{4\alpha}e^{-2\alpha r^2}\,\dd r \notag\\ &= 0 + \frac{1}{4\alpha}\cdot\frac{1}{2}\int_{-\infty}^{\infty}e^{-2\alpha r^2}\dd r = \frac{1}{4\alpha}\cdot\frac{1}{2}\sqrt{\frac{\pi}{2\alpha}} \notag \end{align} $$である(境界項は $r\to\infty$ で指数関数が勝つのでゼロ,$r=0$ でも明らかにゼロ.偶関数なので $\int_0^\infty = \frac12\int_{-\infty}^{\infty}$ とし,式 \eqref{eq:5-gauss1d} を $a=2\alpha$ で使った).以上をまとめると
$$ \begin{equation} \int e^{-2\alpha r^2}\,\dd^3r = 2\pi\cdot 2\cdot\frac{1}{8\alpha}\sqrt{\frac{\pi}{2\alpha}} = \frac{\pi}{2\alpha}\sqrt{\frac{\pi}{2\alpha}} = \left(\frac{\pi}{2\alpha}\right)^{3/2} \label{eq:5-gauss-radial} \end{equation} $$という,覚えやすい形になる.
この結果から,規格化されたGauss型の1電子波動関数がただちに書ける.$\phi_t(r)=\mathcal{N}e^{-\alpha r^2}$ とおくと $\int|\phi_t|^2\dd^3r = \mathcal{N}^2(\pi/2\alpha)^{3/2}=1$ より
となる.$3/4$ という半端な指数は,3次元 $\times$ 平方根から出てきたものである.この関数をGauss型軌道(Gaussian-type orbital, GTO)と呼ぶ.
注意:本書では $\alpha$ を無次元量として扱う
式 \eqref{eq:5-gto-norm} をそのまま読むと,$e^{-\alpha r^2}$ の肩が無次元でなければならないので $\alpha$ は $[\text{長さ}]^{-2}$ の次元をもつことになる.しかし講義スライドと同様,本書では距離を Bohr半径で測った無次元変数 $r/a_0$ を使い,
$$ \phi_t(r) = \left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4} e^{-\alpha\left(r/a_0\right)^2} $$と書く.この約束のもとで $\alpha$ は無次元である.後で出てくる $\alpha=0.27095$ や $2.22766$ といった数値はすべてこの意味であり,他書(たとえば Szabo–Ostlund)で「単位 $a_0^{-2}$」と書かれている値と数値的には同じものである.また規格化条件も無次元座標 $\bm{x}=\bm{r}/a_0$ に関するもの,すなわち $\int|\phi_t|^2\dd^3x=1$ と読む.次元をもつ波動関数がほしければ,全体を $a_0^{-3/2}$ 倍すればよい.$\alpha$ が無次元か有次元かは教科書によって流儀が違うので,他書を読むときは必ず確認してほしい.
例題5.6 Gauss型軌道の広がり
式 \eqref{eq:5-gto-norm} のGauss型軌道について,$\braket{x^2}=\int x^2|\phi_t|^2\dd^3x$($x=r/a_0$)を求めよ.ただし $\displaystyle\int_0^\infty x^4 e^{-c x^2}\dd x = \frac{3\sqrt{\pi}}{8c^{5/2}}$ を用いてよい.
解答.角度積分が $4\pi$ を与えるので
$$ \braket{x^2} = \left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/2}\cdot 4\pi\int_0^{\infty} x^4 e^{-2\alpha x^2}\dd x = \left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/2}\cdot 4\pi\cdot\frac{3\sqrt{\pi}}{8(2\alpha)^{5/2}} . $$$\pi$ の指数は $-3/2+1+1/2=0$ で消え,$\alpha$ の指数は $3/2-5/2=-1$ なので
$$ \braket{x^2} = \frac{4\cdot 3}{8\cdot 2\alpha} = \frac{3}{4\alpha} . $$後で出てくる STO-1G の値 $\alpha=0.27095$ を入れると $\braket{x^2}=2.768$,$\sqrt{\braket{x^2}}=1.664$ である.いっぽう厳密な水素1s軌道では $\braket{r^2}=3a_0^2$ なので $\sqrt{\braket{r^2}}=\sqrt3\,a_0=1.732\,a_0$.両者は 4 % ほどしか違わない.つまり STO-1G は「軌道の平均的な大きさ」だけならかなりよく再現している.にもかかわらず後で見るようにエネルギーは大きく外れる——形の細部が効くのである.
5.6 Slater型軌道とGauss型軌道 — STO-1Gの導出
5.6.1 水素の解には必ず $e^{-\zeta r}$ が出る
第2章で解いた水素原子のSchrödinger方程式の解を思い出そう.1s,2s,2p,…どの軌道も,動径部分は必ず
$$ \text{(多項式)}\times e^{-Zr/na_0} $$という形をしていた.指数関数的な減衰は,束縛状態の波動関数がもつ普遍的な性質である(ポテンシャルが $-1/r$ で,エネルギーが負なら,遠方でSchrödinger方程式は $\phi''\simeq\kappa^2\phi$ となり $e^{-\kappa r}$ が出る).そこで,これを一般化した
$$ \begin{equation} \phi^{\mathrm{STO}}(r) \;\propto\; r^{n-1}e^{-\zeta\,(r/a_0)} \label{eq:5-sto} \end{equation} $$という形の関数をSlater型軌道(Slater-type orbital, STO)と呼ぶ.$\zeta$(ゼータ)は軌道の「締まり具合」を決める無次元パラメータで,水素の1s軌道なら $\zeta=1$ である.
物理的意味:STOが「正しい」2つの理由
Slater型軌道が物理的に優れているのは,次の2点で厳密解の性質を正しくもっているからである.
(1) 核でのカスプ.原子核の位置ではCoulombポテンシャルが発散するので,これを打ち消すために波動関数は $r=0$ で尖っていなければならない($\dd\phi/\dd r|_{r=0} = -(Z/a_0)\phi(0) \ne 0$.Katoのカスプ条件).$e^{-r/a_0}$ は $r=0$ で確かに折れ曲がった山になっている.
(2) 遠方での減衰.電子が原子から離れるときの減衰は $e^{-\kappa r}$ という指数的なものであり,これもSTOがそのまま満たす.
5.6.2 それでも困る — 2中心・4中心積分
ところが,STOには実務上の致命的な弱点がある.5.3節でやったことを思い出してほしい.たった1個の重なり積分を求めるのに,楕円座標系という特殊な道具を持ち出し,ヤコビアンを計算し,双曲線関数の置換をして,ようやく答えが出た.しかも,これは2中心のなかでいちばんやさしい積分である.
分子の計算では,これよりずっと厄介な積分が大量に現れる.とくに電子間反発を表す2電子積分
$$ (\mu\nu|\lambda\sigma) = \iint \phi_\mu(\bm{r}_1)\phi_\nu(\bm{r}_1)\,\frac{\ee^2}{4\pi\eps|\bm{r}_1-\bm{r}_2|}\,\phi_\lambda(\bm{r}_2)\phi_\sigma(\bm{r}_2)\,\dd^3r_1\dd^3r_2 $$は,4つの軌道が別々の原子に乗っていれば4中心積分になる.楕円座標は焦点が2つの座標系だから,中心が3つ,4つと増えたらもうお手上げである.基底関数が $M$ 個あればこの積分は $O(M^4)$ 個も必要になるのに,その1つひとつが解析的に書けない——STOで分子計算を実行するのは,実際上ほとんど不可能なのである.
なぜ?:物理的に正しい関数をわざわざ捨てるのか
ここが計算科学の面白いところである.「物理的にもっとも正しい関数」が「もっとも計算しやすい関数」であるとはかぎらない.そして計算できなければ,どんなに正しい理論も紙の上の飾りで終わる.そこでBoysが1950年に提案したのが,物理的な正しさを少し犠牲にしてでも,積分が必ず解析的に解ける関数を使うという割り切りである.その関数が Gauss関数だった.「物理的に正しくない1つのGauss関数」を何個も足し合わせて正しい形に近づければよい,という発想の転換である.この割り切りのおかげで,いま世界中の化学者が分子の計算を日常的に回せている.
5.6.3 Gauss関数の決定的な長所
Gauss関数 $e^{-\alpha r^2}$ が持つ,他に類を見ない性質はただ一つである.
定理:Gauss積の定理(Gaussian product theorem)
異なる2点 $\bm{R}_A$,$\bm{R}_B$ に中心をもつ2つのGauss関数の積は,その中間の1点 $\bm{R}_P$ に中心をもつ1つのGauss関数(に定数を掛けたもの)になる.
証明と正確な形は 5.8節で与える.ここでは「2中心が1中心に化ける」という点だけ心に留めておけばよい.
2中心が1中心になれば,あとは球対称な1中心の積分だから,すでに 5.5節でやったように初等的に計算できる.4中心積分も,2回この定理を使えば2中心に,さらに1回使えば実質1中心の積分に帰着する.これがGauss基底が量子化学計算を席巻した理由のすべてである.
もちろん代償はある.Gauss関数は
- $r=0$ で $\dd\phi/\dd r = 0$ となり,カスプを作れない(核の近くで平べったすぎる)
- 遠方で $e^{-\alpha r^2}$ と減衰し,$e^{-\zeta r}$ より速く落ちすぎる(裾が短すぎる)
という2つの欠点をもつ.そこで,1個ではなく複数個のGauss関数を足し合わせて,Slater関数の形をできるだけ真似することにする.この方針から生まれた基底が STO-$n$G($n$ 個のGauss関数でSlater型軌道を近似したもの)である.
5.6.4 STO-1G — $\alpha$ をどう決めるか
まず,いちばん単純に $n=1$,すなわちGauss関数1個でやってみよう.近似したい相手は水素1s軌道
$$ \phi_{1s}(r) = \frac{1}{\sqrt{\pi}}\left(\frac{1}{a_0}\right)^{3/2} e^{-r/a_0} $$であり(式 \eqref{eq:5-1s} と同じもの.無次元座標 $x=r/a_0$ では $\phi_{1s}=\pi^{-1/2}e^{-x}$),近似する側は
$$ \begin{equation} \phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(r) = \left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4} e^{-\alpha (r/a_0)^2} \label{eq:5-gto} \end{equation} $$である.どちらも規格化されているので,残る自由度は指数 $\alpha$ ただ一つ.これを「いちばんSlater関数に似る」ように決めたい.基準の作り方には2通りある.
定義:STO-1Gの $\alpha$ を決める2つの基準
(a) 重なり最大化.2つの関数の重なり積分を最大にする.
$$ \begin{equation} \max_{\alpha}\ \braket{\phi_{1s}|\phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}} = \max_{\alpha}\ \int \phi_{1s}(r)\,\phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(r)\,\dd^3 x \label{eq:5-sto1g-crit} \end{equation} $$(b) 二乗誤差最小化(最小二乗法).2つの関数の差の二乗を全空間で積分した量を最小にする.
$$ \begin{equation} \min_{\alpha}\ \int \bigl[\phi_{1s}(r)-\phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(r)\bigr]^2\,\dd^3 x \label{eq:5-lsq} \end{equation} $$両者が規格化されているとき,
$$ \int(\phi_{1s}-\phi_t)^2\,\dd^3x = \underbrace{\int\phi_{1s}^2\dd^3x}_{=1} + \underbrace{\int\phi_t^2\dd^3x}_{=1} - 2\int\phi_{1s}\phi_t\,\dd^3x = 2 - 2\braket{\phi_{1s}|\phi_t} $$なので,(a) と (b) はまったく同じ条件である(誤差を最小にすることと重なりを最大にすることが等価).以後は扱いやすい (a) を使う.
注意:スライドの $\int_0^\infty \cdots \dd r$ という書き方について
講義スライドでは条件が $\max_\alpha\int_0^\infty \phi_{1s}(r)\phi_t(r)\,\dd r$ と,1次元の積分のように書かれていた.しかしこれは3次元空間での内積 $\braket{\phi_{1s}|\phi_t}=\int\phi_{1s}\phi_t\,\dd^3x = 4\pi\int_0^{\infty}\phi_{1s}\phi_t\,x^2\dd x$ の略記と読むべきである.体積要素の $x^2$ を落としてしまうと答えが変わってしまう(実際,$x^2$ なしで最大化すると発散し,二乗誤差最小化なら $\alpha\simeq 0.508$ という別の値が出る).以下では $4\pi x^2\dd x$ をきちんと付けて計算する.
導出:$\braket{\phi_{1s}|\phi_t}$ を $\alpha$ の関数として書き下す
$x=r/a_0$ とし,角度積分 $4\pi$ を先に済ませると
$$ \braket{\phi_{1s}|\phi_t} = 4\pi\int_0^{\infty}\frac{1}{\sqrt\pi}e^{-x}\left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4}e^{-\alpha x^2}\,x^2\,\dd x = 4\sqrt{\pi}\left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4} I(\alpha), $$ $$ I(\alpha)\equiv \int_0^{\infty} x^2 e^{-\alpha x^2 - x}\,\dd x . $$$I(\alpha)$ を求める.肩の $\alpha x^2+x$ を平方完成する.$t\equiv 1/(2\alpha)$ とおくと
$$ \alpha x^2 + x = \alpha\left(x + \frac{1}{2\alpha}\right)^2 - \frac{1}{4\alpha} = \alpha(x+t)^2 - \alpha t^2 $$である($\alpha t^2 = \alpha/(4\alpha^2)=1/(4\alpha)$).$u=x+t$ と置換すると $x=u-t$,積分範囲は $u:t\to\infty$ なので
$$ I(\alpha) = e^{\alpha t^2}\int_t^{\infty}(u-t)^2 e^{-\alpha u^2}\,\dd u = e^{\alpha t^2}\left[\int_t^{\infty}u^2 e^{-\alpha u^2}\dd u - 2t\int_t^{\infty}u\,e^{-\alpha u^2}\dd u + t^2\int_t^{\infty}e^{-\alpha u^2}\dd u\right]. $$3つの積分はいずれも既知である.まん中は $\int_t^{\infty}u e^{-\alpha u^2}\dd u = e^{-\alpha t^2}/(2\alpha)$.いちばん右は相補誤差関数(complementary error function)$\operatorname{erfc}(z)=\frac{2}{\sqrt\pi}\int_z^\infty e^{-s^2}\dd s$ を使って $\int_t^{\infty}e^{-\alpha u^2}\dd u = \frac12\sqrt{\pi/\alpha}\,\operatorname{erfc}(\sqrt\alpha\,t)$.左端は部分積分($u^2e^{-\alpha u^2}=u\cdot\frac{\dd}{\dd u}(-\frac{1}{2\alpha}e^{-\alpha u^2})$)から
$$ \int_t^{\infty}u^2 e^{-\alpha u^2}\dd u = \frac{t\,e^{-\alpha t^2}}{2\alpha} + \frac{1}{4\alpha}\sqrt{\frac{\pi}{\alpha}}\operatorname{erfc}(\sqrt\alpha\,t) $$である.まとめると $e^{\alpha t^2}\cdot e^{-\alpha t^2}=1$ が効いて
$$ \begin{equation} I(\alpha) = -\frac{1}{4\alpha^2} + \left(\frac{1}{4\alpha}+\frac{1}{8\alpha^2}\right)\sqrt{\frac{\pi}{\alpha}}\; e^{1/(4\alpha)}\operatorname{erfc}\!\left(\frac{1}{2\sqrt{\alpha}}\right) \label{eq:5-sto1g-overlap} \end{equation} $$を得る.すっきりした形にはなったが,$\operatorname{erfc}$ が入っているため $\dd\braket{\phi_{1s}|\phi_t}/\dd\alpha=0$ は超越方程式になり,$\alpha$ を紙の上で解くことはできない.ここは機械の出番である.
式 \eqref{eq:5-sto1g-overlap} を使って重なりを数値的に評価すると,次のようになる.
| $\alpha$ | 0.24 | 0.26 | 0.270 | 0.27095 | 0.28 | 0.30 | 0.40 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| $\braket{\phi_{1s}|\phi_t}$ | 0.97663 | 0.97820 | 0.978403 | 0.978404 | 0.97827 | 0.97716 | 0.96063 |
最大値を与えるのは $\alpha = 0.27095$(より精密には $0.2709498$)であり,そのときの重なりは $0.9784$ である.したがって
が STO-1G である.重なりが $0.978$ ということは,二乗誤差が $2-2\times0.9784 = 0.0432$,つまり関数の「食い違い」は 20 % 程度ある.1個のGaussでSlater関数を真似るのは,やはり無理があるのである.
import numpy as np
from scipy.special import erfc
from scipy.optimize import minimize_scalar
def overlap(alpha):
"""<phi_1s | phi_STO-1G> を式(5.24)で評価する"""
I = (-1.0 / (4 * alpha**2)
+ (1 / (4 * alpha) + 1 / (8 * alpha**2))
* np.sqrt(np.pi / alpha)
* np.exp(1 / (4 * alpha)) * erfc(1 / (2 * np.sqrt(alpha))))
return 4 * np.sqrt(np.pi) * (2 * alpha / np.pi)**0.75 * I
res = minimize_scalar(lambda a: -overlap(a), bracket=(0.1, 0.3, 0.6))
print(f"alpha = {res.x:.6f}, overlap = {overlap(res.x):.6f}")
# => alpha = 0.270950, overlap = 0.978404
コード5.2 STO-1Gの指数 $\alpha$ を数値的に最適化する
例題5.7 STO-1G はどこで合い,どこで外れるか
$\alpha=0.27095$ に対する規格化定数 $(2\alpha/\pi)^{3/4}$ を計算し,$r=0$ と $r=a_0$ における STO-1G の値を Slater関数 $\pi^{-1/2}e^{-r/a_0}$ と比べよ.
解答.まず $2\alpha/\pi = 0.54190/3.14159 = 0.172494$.その $3/4$ 乗は,常用対数を使えば $\log_{10}0.172494 = -0.76323$,$-0.76323\times0.75 = -0.57242$,$10^{-0.57242}=0.26766$ である.すなわち
$$ \phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(r) = 0.26766\,e^{-0.27095(r/a_0)^2}. $$$r=0$ では $0.26766$.Slater関数は $\pi^{-1/2}=0.56419$ だから,半分にも満たない($-53$ %).いっぽう $r=a_0$($x=1$)では
$$ \text{STO-1G}: 0.26766\times e^{-0.27095} = 0.26766\times0.76266 = 0.20413,\qquad \text{Slater}: 0.56419\times e^{-1} = 0.20755 $$で,差はわずか $-1.6$ % にすぎない.$\alpha$ は「軌道の主要部分($r\sim a_0$)をできるだけ合わせる」ように決まっており,その代償として核のごく近くを大きく犠牲にしている.図5.5 の曲線を見れば,この事情がひと目でわかる.
5.7 STO-2G, STO-3G
5.7.1 Gauss関数を重ねる
1個で足りないなら,複数個の重ね合わせにすればよい.$n$ 個のGauss関数を使った
$$ \phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}n\mathrm{G}}(r) = \sum_{i=1}^{n} d_i \left(\frac{2\alpha_i}{\pi}\right)^{3/4} e^{-\alpha_i (r/a_0)^2} $$という形の関数を考え,$2n$ 個のパラメータ(係数 $d_i$ と指数 $\alpha_i$)を,式 \eqref{eq:5-lsq} の二乗誤差が最小になるように決める.この最適化は非線形で手計算では歯が立たないが,コンピュータなら一瞬である.結果は Hehre・Stewart・Pople らによって 1969年に表にまとめられ,以来ほとんど変わらず使われ続けている.
定義:STO-2G と STO-3G($\zeta=1$,1s軌道)
$$ \begin{align} \phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}2\mathrm{G}}(r) =\;& 0.678914\left(\frac{2\times 0.151623}{\pi}\right)^{3/4}e^{-0.151623\,(r/a_0)^2} \notag\\ &+ 0.430129\left(\frac{2\times 0.851819}{\pi}\right)^{3/4}e^{-0.851819\,(r/a_0)^2} \label{eq:5-sto2g} \end{align} $$ $$ \begin{align} \phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}3\mathrm{G}}(r) =\;& 0.444635\left(\frac{2\times 0.109818}{\pi}\right)^{3/4}e^{-0.109818\,(r/a_0)^2} \notag\\ &+ 0.535328\left(\frac{2\times 0.405771}{\pi}\right)^{3/4}e^{-0.405771\,(r/a_0)^2} \notag\\ &+ 0.154329\left(\frac{2\times 2.22766}{\pi}\right)^{3/4}e^{-2.22766\,(r/a_0)^2} \label{eq:5-sto3g} \end{align} $$| 基底 | $i$ | 指数 $\alpha_i$ | 係数 $d_i$ | $\mathcal{N}_i$ | $c_i = d_i\mathcal{N}_i$ |
|---|---|---|---|---|---|
| STO-1G | 1 | 0.270950 | 1.000000 | 0.267656 | 0.267656 |
| STO-2G | 1 | 0.151623 | 0.678914 | 0.173174 | 0.117571 |
| 2 | 0.851819 | 0.430129 | 0.631932 | 0.271812 | |
| STO-3G | 1 | 0.109818 | 0.444635 | 0.135961 | 0.060453 |
| 2 | 0.405771 | 0.535328 | 0.362344 | 0.193973 | |
| 3 | 2.227660 | 0.154329 | 1.299561 | 0.200560 |
数学ノート:スライドの数値について
講義スライドでは STO-2G の第1指数が $0.15623$ と書かれているが,原典(Hehre–Stewart–Pople 1969,および Szabo–Ostlund)の値は $0.151623$ である.数字の並びから見て,スライドは $0.151623$ の $1$ が1つ落ちた誤植と判断し,本書では原典の値を採用した.なお STO-3G の3つの指数・係数はスライドどおりで正しい.
5.7.2 どこまで似ているか
実際に関数の値を計算して比べてみよう.表5.4 は $x=r/a_0$ のいくつかの値における関数値である(無次元化した波動関数の値).
| $r/a_0$ | 0 | 0.25 | 0.5 | 1.0 | 1.5 | 2.0 | 3.0 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| Slater $\pi^{-1/2}e^{-x}$ | 0.5642 | 0.4394 | 0.3422 | 0.2076 | 0.1259 | 0.0764 | 0.02809 |
| STO-1G | 0.2677 | 0.2632 | 0.2501 | 0.2041 | 0.1455 | 0.0906 | 0.02336 |
| STO-2G | 0.3894 | 0.3742 | 0.3329 | 0.2170 | 0.1236 | 0.0731 | 0.03018 |
| STO-3G | 0.4550 | 0.4236 | 0.3490 | 0.2051 | 0.1264 | 0.0773 | 0.02753 |
5.7.3 なぜ指数が桁で散らばるのか
表5.3 の STO-3G の指数を見てほしい.$0.1098$,$0.4058$,$2.2277$ と,隣り合う値の比がおよそ 4〜5 倍ずつ開いている.これは偶然ではない.
物理的意味:3つのGaussがそれぞれ担当する領域
Gauss関数 $e^{-\alpha x^2}$ が「効いている」範囲はおおよそ $x\lesssim 1/\sqrt\alpha$ である.3つの指数についてこれを見積もると
- $\alpha_3=2.2277$:$1/\sqrt{\alpha_3}=0.67$ ——核のごく近くを担当.鋭く尖った成分で,カスプの真似をする.
- $\alpha_2=0.4058$:$1/\sqrt{\alpha_2}=1.57$ ——軌道の本体を担当.振幅がいちばん大きい($c_2=0.194$).
- $\alpha_1=0.1098$:$1/\sqrt{\alpha_1}=3.02$ ——遠方の裾を担当.振幅は小さい($c_1=0.060$)が,Gauss関数の落ちの速さを補うために遠くまで伸びる成分が要る.
つまり STO-3G は「鋭い針」「太い本体」「なだらかな裾」の3枚を重ねて,Slater関数の 1 本の曲線を再現しているのである.同じ幅のGaussを3つ足しても幅の広いGaussが1つできるだけで意味がない.指数が桁で散らばっていること自体が,この基底の設計思想を語っている.
例題5.8 原点での値を計算する
STO-3G の $r=0$ での値を求め,Slater関数の値 $\pi^{-1/2}=0.5642$ と比べよ.
解答.$r=0$ では指数関数がすべて 1 になるので,表5.3 の $c_i$ を足すだけでよい.
$$ \phi_t^{\mathrm{STO}\text{-}3\mathrm{G}}(0) = 0.060453 + 0.193973 + 0.200560 = 0.454986 . $$Slater関数の $0.5642$ に対して 19 % も低い.Gauss関数は $r=0$ で必ず傾きゼロの丸い頂上をもつので,いくら重ねてもカスプの高さには届かないのである.同じ計算を STO-1G,STO-2G についてやれば $0.2677$,$0.3894$ となり,Gaussの数を増やすほど改善するが,$n\to\infty$ でようやく一致する.核のごく近くの誤差——これが STO-$n$G の宿命的な弱点であり,次章で全エネルギーを比べるときに効いてくる.
5.7.4 STO-3G は実際にどれくらい使えるのか
関数の形が少し違っても,物理量が合えばよい.実際に水素原子の全エネルギーを,それぞれの基底で変分計算した結果を示す(計算法は第10章,コードは付録B).
| 基底 | $\braket{\phi_{1s}|\phi_t}$ | $E$ ($\zeta=1$) [eV] | 誤差 | $E$ ($\zeta=1.24$) [eV] |
|---|---|---|---|---|
| STO-1G | 0.97840 | $-11.544$ | 15.2 % | $-11.023$ |
| STO-2G | 0.99842 | $-13.093$ | 3.8 % | $-12.365$ |
| STO-3G | 0.99984 | $-13.467$ | 1.0 % | $-12.696$ |
| 厳密解 | 1 | $-13.606$ | — | — |
ここで注目してほしいのは,重なりが $0.9998$ もあるのにエネルギーは 1 % ずれるという点である.エネルギーの期待値には運動エネルギー $\braket{-\hbar^2\nabla^2/2m}$ が入っており,これは波動関数の 2階微分 に効くので,カスプ付近のわずかな形の違いを大きく拾ってしまう.「関数がよく似ている」ことと「エネルギーが合う」ことは別物なのである.第6章では,この比較をさらに詳しく行う.
注意:実際の基底関数ファイルの $\alpha$ は表5.3 と違う
PySCF や Gaussian で basis = 'sto-3g' と指定したとき,水素に対して実際に読み込まれる指数は
である.表5.3 の値の約 $1.5376$ 倍になっているが,これは $\zeta = 1.24$ として $\alpha_i \to \zeta^2\alpha_i$ とスケールしたものである($1.24^2=1.5376$).分子のなかの水素原子は,孤立水素原子より少し電子雲が縮むため,多数の分子に対する当てはめから $\zeta=1.24$ が標準値として採用されている.一般に,Slater関数 $e^{-\zeta x}$ を STO-$n$G で表したいときは,表5.3 の $\alpha_i$ をすべて $\zeta^2$ 倍し,係数 $d_i$ はそのままにすればよい(Gauss関数の $\alpha x^2$ という肩の形から,スケール則がこうなる).
表5.5 の右端の列がこの標準 STO-3G での結果 $-12.696$ eV であり,講義で PySCF を走らせて得られた値と一致する.孤立水素原子にかぎっては $\zeta=1$ のほうが良いのに標準基底が $\zeta=1.24$ を採るのは,分子計算での総合性能を優先しているためである.
5.8 Gauss積の定理とSTO-1Gによる重なり積分
「Gauss関数にすると計算が楽になる」と言われても,実際にやってみないことには納得できないだろう.そこで,5.3節で楕円座標系まで持ち出して求めた重なり積分を,今度はGauss関数で計算し直してみる.手数がどれだけ減るかを味わってほしい.
5.8.1 Gauss積の定理
原子Aが $\bm{R}_A$,原子Bが $\bm{R}_B$ にあるとする.それぞれの 1s軌道を STO-1G で表すと
$$ \phi_{1s}^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(\bm{r}-\bm{R}_A) = \left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4} e^{-\alpha\left(\abs{\bm{r}-\bm{R}_A}/a_0\right)^2},\qquad \phi_{1s}^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(\bm{r}-\bm{R}_B) = \left(\frac{2\beta}{\pi}\right)^{3/4} e^{-\beta\left(\abs{\bm{r}-\bm{R}_B}/a_0\right)^2} $$である.あとで $\beta=\alpha$ とすればよいのだが,一般性をもたせるため,わざと違う文字を使っておく(こうしておくと,指数の違う2つの原始Gaussの重なりも同じ式で扱えるので,5.8.4項の STO-3G の計算にそのまま使える).
導出:Gauss積の定理の完全な平方完成
2つの関数の積の,指数の肩だけを取り出す.$a_0$ で割った無次元の座標で書くと
$$ -\alpha\left(\frac{\bm{r}-\bm{R}_A}{a_0}\right)^2 - \beta\left(\frac{\bm{r}-\bm{R}_B}{a_0}\right)^2 = \frac{1}{a_0^2}\Bigl[-\alpha(\bm{r}-\bm{R}_A)^2 - \beta(\bm{r}-\bm{R}_B)^2\Bigr]. $$角括弧の中を展開する($\bm{r}^2=\bm{r}\cdot\bm{r}$ などベクトルの内積である).
$$ \begin{align} &-\alpha\bigl(\bm{r}^2 - 2\bm{R}_A\cdot\bm{r} + \bm{R}_A^2\bigr) - \beta\bigl(\bm{r}^2 - 2\bm{R}_B\cdot\bm{r} + \bm{R}_B^2\bigr) \notag\\ &\qquad= -(\alpha+\beta)\bm{r}^2 + 2(\alpha\bm{R}_A+\beta\bm{R}_B)\cdot\bm{r} - \bigl(\alpha\bm{R}_A^2+\beta\bm{R}_B^2\bigr). \notag \end{align} $$$-(\alpha+\beta)$ でくくって平方完成する.
$$ = -(\alpha+\beta)\left[\bm{r}^2 - 2\,\frac{\alpha\bm{R}_A+\beta\bm{R}_B}{\alpha+\beta}\cdot\bm{r} + \frac{\alpha\bm{R}_A^2+\beta\bm{R}_B^2}{\alpha+\beta}\right] $$ここで
$$ \begin{equation} \bm{R}_P \equiv \frac{\alpha\bm{R}_A+\beta\bm{R}_B}{\alpha+\beta} \label{eq:5-gauss-rp} \end{equation} $$とおくと,角括弧の中は $\bigl(\bm{r}-\bm{R}_P\bigr)^2 - \bm{R}_P^2 + \dfrac{\alpha\bm{R}_A^2+\beta\bm{R}_B^2}{\alpha+\beta}$ と書ける.定数部分を通分して整理しよう.
$$ \begin{align} -\bm{R}_P^2 + \frac{\alpha\bm{R}_A^2+\beta\bm{R}_B^2}{\alpha+\beta} &= \frac{-(\alpha\bm{R}_A+\beta\bm{R}_B)^2 + (\alpha+\beta)(\alpha\bm{R}_A^2+\beta\bm{R}_B^2)}{(\alpha+\beta)^2} \notag\\ &= \frac{-\alpha^2\bm{R}_A^2 - 2\alpha\beta\,\bm{R}_A\!\cdot\!\bm{R}_B - \beta^2\bm{R}_B^2 + \alpha^2\bm{R}_A^2 + \alpha\beta\bm{R}_B^2 + \alpha\beta\bm{R}_A^2 + \beta^2\bm{R}_B^2}{(\alpha+\beta)^2} \notag\\ &= \frac{\alpha\beta\left(\bm{R}_A^2 - 2\bm{R}_A\!\cdot\!\bm{R}_B + \bm{R}_B^2\right)}{(\alpha+\beta)^2} = \frac{\alpha\beta}{(\alpha+\beta)^2}\bigl(\bm{R}_A-\bm{R}_B\bigr)^2 . \notag \end{align} $$$\alpha^2\bm{R}_A^2$ と $\beta^2\bm{R}_B^2$ がきれいに消え,残ったものが完全平方になるのが気持ちよいところである.したがって肩全体は
$$ -\frac{(\alpha+\beta)}{a_0^2}\bigl(\bm{r}-\bm{R}_P\bigr)^2 \;-\; \frac{\alpha\beta}{\alpha+\beta}\left(\frac{\bm{R}_A-\bm{R}_B}{a_0}\right)^2 $$となり,第2項は $\bm{r}$ を含まないただの定数である.以上をまとめて次の定理を得る.
定理:Gauss積の定理(Gaussian product theorem)
$$ \begin{equation} e^{-\alpha\left(\frac{\bm{r}-\bm{R}_A}{a_0}\right)^2}\,e^{-\beta\left(\frac{\bm{r}-\bm{R}_B}{a_0}\right)^2} = \underbrace{\exp\!\left[-\frac{\alpha\beta}{\alpha+\beta}\left(\frac{R_{AB}}{a_0}\right)^{\!2}\right]}_{\text{定数}\;K_{AB}}\; \exp\!\left[-(\alpha+\beta)\left(\frac{\bm{r}-\bm{R}_P}{a_0}\right)^{\!2}\right] \label{eq:5-gauss-product} \end{equation} $$ここで $R_{AB}=\abs{\bm{R}_A-\bm{R}_B}$,$\bm{R}_P$ は式 \eqref{eq:5-gauss-rp} で定義されるGauss積中心である.
すなわち,2つのGauss関数の積は,指数が両者の和 $\alpha+\beta$,中心が両者を重みづけ平均した点 $\bm{R}_P$ にある,ただ1つのGauss関数になる.前に付く定数 $K_{AB}$ は2中心の距離だけで決まり,核間距離が離れるほど指数関数的に小さくなる.
5.8.2 重なり積分を計算する
準備が整った.求めたいのは
$$ S = \int \phi_{1s}^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(\bm{r}-\bm{R}_A)\,\phi_{1s}^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(\bm{r}-\bm{R}_B)\,\dd^3 x $$である($\dd^3x$ は無次元座標 $\bm{x}=\bm{r}/a_0$ についての体積要素).規格化定数をまとめると
$$ \left(\frac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4}\left(\frac{2\beta}{\pi}\right)^{3/4} = \left(\frac{4\alpha\beta}{\pi^2}\right)^{3/4} $$であり,指数部分には Gauss積の定理 \eqref{eq:5-gauss-product} を使えるから
$$ S = \left(\frac{4\alpha\beta}{\pi^2}\right)^{3/4} K_{AB}\int \exp\!\left[-(\alpha+\beta)\bigl(\bm{x}-\bm{x}_P\bigr)^2\right]\dd^3x , \qquad K_{AB}=\exp\!\left[-\frac{\alpha\beta}{\alpha+\beta}\rho^2\right] $$となる($\bm{x}_P=\bm{R}_P/a_0$,$\rho=R_{AB}/a_0$).ここで残った積分は,中心が $\bm{x}_P$ にあるというだけの,ただの球対称なGauss積分である.$\bm{x}'=\bm{x}-\bm{x}_P$ と原点を移せば積分範囲は全空間のままなので
$$ \int e^{-(\alpha+\beta)x'^2}\dd^3x' = 4\pi\int_0^{\infty}x'^2 e^{-(\alpha+\beta)x'^2}\dd x' = 4\pi\cdot\frac{\sqrt{\pi}}{4(\alpha+\beta)^{3/2}} = \frac{\pi^{3/2}}{(\alpha+\beta)^{3/2}} $$である.ここで 5.5節と同じ部分積分の結果 $\displaystyle\int_0^\infty x^2 e^{-cx^2}\dd x=\frac{\sqrt\pi}{4c^{3/2}}$ を使った($c=\alpha+\beta$).したがって
$$ S = \left(\frac{4\alpha\beta}{\pi^2}\right)^{3/4}\cdot\frac{\pi^{3/2}}{(\alpha+\beta)^{3/2}}\cdot K_{AB} = \frac{(4\alpha\beta)^{3/4}}{(\alpha+\beta)^{3/2}}\,K_{AB} $$となる($\pi^{-3/2}\cdot\pi^{3/2}=1$).$(\alpha+\beta)^{3/2}=\bigl[(\alpha+\beta)^2\bigr]^{3/4}$ と書き直せば,次のきれいな形にまとまる.
5.3節では楕円座標系・ヤコビアン・双曲線関数の置換と3ページ分の手間がかかったのに対し,こちらは平方完成1回とGauss積分1回で終わった.しかも中心の数が増えても定理を繰り返し使えばよいだけで,原理的な困難はまったく生じない.
物理的意味:式 \eqref{eq:5-sto1g-s} の2つの因子
前の因子 $\left[4\alpha\beta/(\alpha+\beta)^2\right]^{3/4}$ は核間距離によらない.相加相乗平均の不等式から $(\alpha+\beta)^2\ge4\alpha\beta$ なので,この因子は必ず 1 以下で,$\alpha=\beta$ のときだけ 1 になる.つまり「指数の違う2つのGaussは,たとえ同じ場所に置いても完全には重ならない」ぶんの目減りを表している.
後の指数因子は核間距離だけで決まる.$R_{AB}$ が大きくなると Gauss的に減衰する.$\alpha\beta/(\alpha+\beta)$ は $\alpha$,$\beta$ の調和平均の半分であり,どちらか一方がうんと小さければ(=広がった関数があれば)小さくなる.裾の長い成分をもつ基底ほど,遠くの原子とも重なりを保つわけである.
5.8.3 厳密解との比較
いま両方の原子を同じ STO-1G で表すとして,$\alpha=\beta=0.27095$ とおく.前の因子は 1 になり,$\alpha\beta/(\alpha+\beta)=\alpha/2$ だから
$$ \begin{equation} S^{\mathrm{STO}\text{-}1\mathrm{G}}(\rho) = \exp\!\left[-\frac{\alpha}{2}\rho^2\right] = e^{-0.135475\,\rho^2} \label{eq:5-sto1g-s-equal} \end{equation} $$となる.厳密な $S(\rho)=(1+\rho+\rho^2/3)e^{-\rho}$ と比べてみよう.
| $\rho=R_{AB}/a_0$ | 厳密 $(1+\rho+\rho^2/3)e^{-\rho}$ | STO-1G 式\eqref{eq:5-sto1g-s-equal} | STO-3G(5.8.4項) |
|---|---|---|---|
| 0 | 1.0000 | 1.0000 | 1.0000 |
| 0.5 | 0.9603 | 0.9667 | 0.9605 |
| 1.0 | 0.8584 | 0.8733 | 0.8584 |
| 1.40(H$_2$) | 0.7529 | 0.7668 | 0.7531 |
| 2.0 | 0.5865 | 0.5816 | 0.5865 |
| 3.0 | 0.3485 | 0.2954 | 0.3482 |
| 4.0 | 0.1893 | 0.1145 | 0.1893 |
| 5.0 | 0.09658 | 0.03381 | 0.09533 |
| 6.0 | 0.04710 | 0.00762 | 0.04416 |
表5.6 と図5.8 から読み取れることをまとめておこう.化学結合が問題になる領域($\rho\lesssim2$,すなわち $1\ \text{Å}$ 程度まで)では,STO-1G ですら誤差 2 % 以内である.実際 H$_2$ の平衡距離 $\rho=1.40$ では厳密値 $0.7529$ に対して $0.7668$,差はわずか $+1.8$ % にすぎない.楕円座標系という大砲を持ち出さずにこの精度が出るのだから,実用上きわめて有難い.
いっぽう $\rho\gtrsim3$ では,Gauss関数の裾が $e^{-\text{const}\times\rho^2}$ と落ちるのに対し厳密解は $e^{-\rho}$ でしか落ちないため,STO-1G は急速に過小評価する.しかし表5.6 の最右列を見ると,STO-3G ならこの遠方領域まで厳密値をよく追いかけている.裾を担当する $\alpha_1=0.1098$ の成分が効いているのである(5.7.3項).
5.8.4 縮約された基底での重なり積分
STO-3G のように複数のGaussを重ねた基底(縮約基底,contracted basis)でも話は同じである.展開して各項に式 \eqref{eq:5-sto1g-s} を当てはめればよい.
$$ \begin{equation} S^{\mathrm{STO}\text{-}n\mathrm{G}}(\rho) = \sum_{i=1}^{n}\sum_{j=1}^{n} d_i d_j \left[\frac{4\alpha_i\alpha_j}{(\alpha_i+\alpha_j)^2}\right]^{3/4} \exp\!\left[-\frac{\alpha_i\alpha_j}{\alpha_i+\alpha_j}\rho^2\right] \label{eq:5-contracted-s} \end{equation} $$STO-3G なら $3\times3=9$ 項の和である.手計算でも十分こなせる分量であり,これが 4中心の2電子積分になっても項数が増えるだけで,1つひとつは同じ形の初等関数のままである.ここが Slater基底との決定的な違いである.
例題5.9 H$_2$ の重なり積分を STO-3G で計算する
$\rho=1.40$ における STO-3G の重なり積分を,式 \eqref{eq:5-contracted-s} を使って求め,厳密値 $0.7529$ と比べよ.
解答.表5.3 の値を使う.$\rho^2=1.96$ である.まず対角項($i=j$)を計算する.$\alpha_i=\alpha_j$ なら前の因子は 1 なので $\exp[-(\alpha_i/2)\times1.96]$ だけを見ればよい.
$$ \begin{align} (1,1):&\ d_1^2 e^{-0.109818/2\times1.96} = 0.197700\times0.897967 = 0.177527 \notag\\ (2,2):&\ d_2^2 e^{-0.405771/2\times1.96} = 0.286576\times0.671893 = 0.192548 \notag\\ (3,3):&\ d_3^2 e^{-2.22766/2\times1.96} = 0.023817\times0.112691 = 0.002684 \notag \end{align} $$次に非対角項($i\ne j$).たとえば $(1,2)$ では $\dfrac{4\alpha_1\alpha_2}{(\alpha_1+\alpha_2)^2}=\dfrac{0.178248}{0.265832}=0.670532$,その $3/4$ 乗は $0.741024$.指数部は $\dfrac{\alpha_1\alpha_2}{\alpha_1+\alpha_2}=0.086432$ なので $e^{-0.086432\times1.96}=0.844166$.合わせて $S_{12}=0.741024\times0.844166=0.625514$.同様に $S_{13}=0.224248$,$S_{23}=0.313098$ を得る.非対角項は $i\ne j$ と $j\ne i$ の2回現れるので2倍して
$$ \begin{align} 2d_1d_2 S_{12} &= 2\times0.238026\times0.625514 = 0.297772 \notag\\ 2d_1d_3 S_{13} &= 2\times0.068620\times0.224248 = 0.030775 \notag\\ 2d_2d_3 S_{23} &= 2\times0.082617\times0.313098 = 0.051735 \notag \end{align} $$すべて足すと
$$ S^{\mathrm{STO}\text{-}3\mathrm{G}}(1.40) = 0.177527+0.192548+0.002684+0.297772+0.030775+0.051735 = 0.753041 . $$厳密値 $0.752943$ との差は $0.0001$,相対誤差にして 0.013 % である.楕円座標系の3ページ分の計算と,9項の足し算とが,これほどの精度で一致する.Gauss基底の実用性を,これ以上わかりやすく示す例はないだろう.
数学ノート:講義スライドの式の訂正
講義スライドの15ページでは,2つの規格化定数の積が $\left(\dfrac{4\alpha\beta}{\pi}\right)^{3/4}$ と書かれていたが,正しくは $\left(\dfrac{2\alpha}{\pi}\right)^{3/4}\left(\dfrac{2\beta}{\pi}\right)^{3/4}=\left(\dfrac{4\alpha\beta}{\pi^{2}}\right)^{3/4}$ である($\pi$ が2乗).板書の途中で $\pi$ の肩が落ちたものと思われる.最終結果 $S=(4\alpha\beta)^{3/4}/(\alpha+\beta)^{3/2}\cdot K_{AB}$ はスライドどおりで正しいので,本書では途中式だけを直した.検算の仕方は簡単で,$\alpha=\beta$,$R_{AB}=0$ とすると $S$ は同じ関数どうしの重なり,つまり規格化条件そのものだから $S=1$ にならねばならない.式 \eqref{eq:5-sto1g-s} は確かに $\left[4\alpha^2/(2\alpha)^2\right]^{3/4}=1$ となる.$\pi$ が1乗のままだと $\pi^{3/4}$ という余計な因子が残ってしまい,この検算に失敗する.導いた式は,必ず分かっている極限で検算する——これは計算科学のあらゆる場面で役に立つ習慣である.
5.8.5 この先どこへつながるか
重なり積分が計算できるようになると,次はハミルトニアンの行列要素が計算したくなる.運動エネルギーの期待値 $\braket{\phi_t|-\hat{p}^2/2m|\phi_t}$ も,核引力の項も,電子間反発(Hartree項)$\braket{\phi_t\phi_t|\ee^2/4\pi\eps r_{12}|\phi_t\phi_t}$ も,すべて同じ Gauss積の定理を土台にして解析的に書き下せる.式が長くなるのでここでは扱わないが,原理的な困難はもう何もない.
次章(第6章)では,いま作った Gauss基底を実際に変分原理にかけて水素原子・ヘリウム原子のエネルギーを求め,厳密解と比べる.第10章では PySCF に basis='sto-3g' と指定するだけで,本章で導いたのとまったく同じ数値が舞台裏で使われる.そして第11章の永年方程式では,重なり積分 $S$ が行列方程式 $\bm{H}\bm{c}=E\bm{S}\bm{c}$ の右辺にそのまま現れる.本章で計算した $S$ は,この先ずっと登場し続ける量である.
実物を動かす:STO-nG シミュレーター
本章の後半(5.6〜5.8節)の計算を画面の上で動かせるようにした.タブ①では STO-1G の $\alpha$ を自分で動かして重なり積分が最大になる場所($\alpha=0.27095$)を探し,STO-2G,STO-3G と項数を増やすと 1s軌道への当てはまりが目に見えて良くなっていく(エネルギー誤差 15.2 % $\to$ 3.8 % $\to$ 1.0 %).カスプが原理的に再現できないことも拡大表示で確認できる.タブ②は Gauss積の定理の可視化で,2つの Gauss関数の積が本当に「1つの Gauss関数」になること,そして式 \eqref{eq:5-sto1g-s} の $S(R)$ が STO-3G でどこまで厳密値に迫るかを重ねて描く.
5.9 まとめと演習
5.9.1 この章のまとめ
- 重なり積分 $S=\int\phi_A^*\phi_B\,\dd^3r$ は,2つの原子軌道がどれだけ同じ空間を占めているかを $0$ から $1$ の数値で表す無次元量である.LCAO分子軌道の規格化定数 $N_\pm=1/\sqrt{2(1\pm S)}$ に直接現れる(式 \eqref{eq:5-norm-lcao}).
- 2中心問題では原点が一意に決まらないため,球座標では被積分関数の肩に平方根が残ってしまう.楕円座標系(式 \eqref{eq:5-ellip-def})に移ると $r_A+r_B=R_{AB}\cosh\mu$,$r_A-r_B=R_{AB}\cos\nu$ となり,指数関数の肩が $\mu$ だけの関数になる.ヤコビアンは $J=(R_{AB}/2)^3\sinh\mu\sin\nu(\sinh^2\mu+\sin^2\nu)$(式 \eqref{eq:5-jacobian}).
- 水素1s軌道どうしの重なり積分は,$t=\cosh\mu$ の置換と部分積分だけで最後まで解けて $$S(\rho)=\left(1+\rho+\frac{\rho^2}{3}\right)e^{-\rho},\qquad \rho=\frac{R_{AB}}{a_0}$$ となる(式 \eqref{eq:5-overlap-1s}).H$_2$ の平衡核間距離 $0.741\ \text{Å}=1.40\,a_0$ では $S=0.753$ と,かなり大きい.$\rho\gtrsim6$ ではほぼ無視できる.
- 3次元のGauss積分 $\int e^{-2\alpha r^2}\dd^3r=(\pi/2\alpha)^{3/2}$ から,規格化されたGauss型軌道 $\phi_t=(2\alpha/\pi)^{3/4}e^{-\alpha(r/a_0)^2}$ が得られる(式 \eqref{eq:5-gto-norm}).本書では $\alpha$ を無次元量として扱う.
- Slater型軌道(STO)は核でのカスプと遠方の指数減衰という物理的に正しい性質をもつが,2中心・4中心積分が解析的に扱えない.Gauss型軌道(GTO)はその逆で,物理的には不正確だが,積の定理のおかげで積分がすべて初等的に解ける.
- Gauss 1個で1s軌道との重なりを最大化すると $\alpha=0.27095$,重なり $0.9784$.これが STO-1G である(式 \eqref{eq:5-sto1g}).重なり最大化と二乗誤差最小化は等価な条件である.
- STO-3G は $\alpha=0.109818,\,0.405771,\,2.22766$,$d=0.444635,\,0.535328,\,0.154329$ の3つのGaussの重ね合わせ(式 \eqref{eq:5-sto3g}).指数が桁で散らばっているのは,鋭い成分がカスプ近傍を,なだらかな成分が遠方の裾を分担するためである.
- Gauss積の定理(式 \eqref{eq:5-gauss-product}):中心の異なる2つのGaussの積は,$\bm{R}_P=(\alpha\bm{R}_A+\beta\bm{R}_B)/(\alpha+\beta)$ に中心をもつ1つのGaussになる.これを使うと重なり積分は $$S=\left[\frac{4\alpha\beta}{(\alpha+\beta)^2}\right]^{3/4}\exp\!\left[-\frac{\alpha\beta}{\alpha+\beta}\rho^2\right]$$ と数行で求まる(式 \eqref{eq:5-sto1g-s}).$\alpha=\beta$ なら $S=e^{-(\alpha/2)\rho^2}$.
- 化学結合が問題になる $\rho\lesssim2$ では STO-1G でも誤差 2 % 以内,STO-3G なら 0.01 % 程度で厳密値と一致する.ただし関数の形が似ていてもエネルギーは別物で,STO-3G の水素1s準位は $-13.47$ eV($\zeta=1$),標準基底($\zeta=1.24$)では $-12.70$ eV と,厳密値 $-13.606$ eV から 1〜7 % ずれる.カスプ付近の誤差が運動エネルギーに効くためである.
5.9.2 演習問題
演習5.1 楕円座標系に慣れる
(1) 式 \eqref{eq:5-ellip-inv} から $r_A=\dfrac{R_{AB}}{2}(\cosh\mu+\cos\nu)$,$r_B=\dfrac{R_{AB}}{2}(\cosh\mu-\cos\nu)$ を導け.
(2) $R_{AB}=2$,$\mu=1.0$,$\nu=45^\circ$,$\varphi=0$ の点の直交座標 $(x,y,z)$ を求め,そこから $r_A$,$r_B$ を直接計算して (1) の式が成り立つことを確かめよ.
(3) $\mu=0$ とすると式 \eqref{eq:5-ellip-def} はどんな図形を表すか.また $\nu=\pi/2$ ではどうか.
ヒント:(1) は2式を足す・引くだけ.(2) は $\sinh1.0=1.1752$,$\cosh1.0=1.5431$,$\sin45^\circ=\cos45^\circ=0.7071$ を使う.核Aは $(0,0,-1)$,核Bは $(0,0,+1)$ にある.答えは $x=0.8310$,$z=1.0912$ 付近になるはずで,$r_A+r_B=2\cosh 1.0$ が確かめられればよい.(3) は $\sinh0=0$,$\cos(\pi/2)=0$ を代入して $x,y,z$ がどう振る舞うかを見る.
演習5.2 実在分子の重なり積分
次の分子について,両端の水素1s軌道どうしの重なり積分 $S$ を式 \eqref{eq:5-overlap-1s} で見積もれ(実際には結合していない原子どうしも含む).
(1) H$_2$:$R=0.741\ \text{Å}$,(2) H$_2^+$:$R=1.06\ \text{Å}$,(3) H$_2$O の2つのH原子間:$R=1.51\ \text{Å}$.
さらに,H$_2^+$ の結合長が H$_2$ より長いことと,$S$ の値の関係を,式 \eqref{eq:5-norm-lcao} をもとに定性的に論ぜよ.
ヒント:$a_0=0.529\ \text{Å}$ を使って $\rho=R/a_0$ に直してから代入する.(1) $\rho=1.40$,(2) $\rho=2.00$,(3) $\rho=2.85$.表5.1 を補間してもよいが,電卓で直接計算するほうが早い.後半は「結合性軌道に入る電子が2個か1個か」に注目し,電子が2個入るほうが安定化の総量が大きく,より短い距離まで押し込まれることを述べればよい.第11章で定量化する.
演習5.3 Gauss型軌道の大きさ
(1) 例題5.6 の結果 $\braket{x^2}=3/(4\alpha)$ を使い,STO-1G($\alpha=0.27095$)と厳密な水素1s軌道($\braket{r^2}=3a_0^2$)の $\sqrt{\braket{x^2}}$ を比較せよ.
(2) STO-3G の $\braket{x^2}$ を求めよ.縮約基底では
$\braket{x^2}=\sum_{i}\sum_{j}d_id_j\mathcal{N}_i\mathcal{N}_j\cdot\dfrac{3}{2}\dfrac{\pi^{3/2}}{(\alpha_i+\alpha_j)^{5/2}}$
となることを示してから数値を入れよ.
ヒント:(1) は代入するだけ($1.664$ 対 $1.732$).(2) は $\int x^4 e^{-cx^2}\dd x$ の公式(例題5.6 で与えた)を $c=\alpha_i+\alpha_j$ として使い,角度積分 $4\pi$ を掛ける.$4\pi\cdot\frac{3\sqrt\pi}{8c^{5/2}}=\frac{3}{2}\frac{\pi^{3/2}}{c^{5/2}}$ である.STO-3G の値は厳密値 $\sqrt3=1.732$ にかなり近くなるはずである.
演習5.4 Gauss積の定理の拡張
(1) 1次元で $e^{-\alpha(x-A)^2}e^{-\beta(x-B)^2}=K\,e^{-(\alpha+\beta)(x-P)^2}$ となることを,平方完成によって示し,$P$ と $K$ を求めよ.
(2) 3つのGauss関数の積 $e^{-\alpha(\bm{r}-\bm{R}_A)^2}e^{-\beta(\bm{r}-\bm{R}_B)^2}e^{-\gamma(\bm{r}-\bm{R}_C)^2}$ もまた1つのGauss関数になることを,定理を2回使って示せ.中心と指数はどうなるか.
(3) (2) の結果から,4中心の2電子積分がなぜ「実質2中心」の積分に帰着するのかを説明せよ.
ヒント:(1) は本文の3次元の導出をそのまま1次元に落とせばよい.$P=(\alpha A+\beta B)/(\alpha+\beta)$,$K=\exp[-\frac{\alpha\beta}{\alpha+\beta}(A-B)^2]$.(2) はまず前2つに定理を適用して中心 $\bm{R}_P$・指数 $\alpha+\beta$ のGaussにし,それと3つ目にもう一度適用する.最終的な指数は $\alpha+\beta+\gamma$,中心は $(\alpha\bm{R}_A+\beta\bm{R}_B+\gamma\bm{R}_C)/(\alpha+\beta+\gamma)$.(3) は $(\mu\nu|\lambda\sigma)$ の $\bm{r}_1$ 側の2つ,$\bm{r}_2$ 側の2つをそれぞれまとめれば,$1/|\bm{r}_1-\bm{r}_2|$ を挟んだ2つのGaussの積分になることを述べる.
演習5.5 STO-3Gの規格化を確かめる
式 \eqref{eq:5-contracted-s} で $\rho=0$ とおくと,STO-3G 自身のノルム $\braket{\phi_t|\phi_t}$ が得られる.表5.3 の値を使ってこの 9 項の和を計算し,$1.000$ になることを確かめよ.同じことを STO-2G についても行え.
ヒント:$\rho=0$ では指数因子がすべて 1 になるので,$\sum_{ij}d_id_j\left[4\alpha_i\alpha_j/(\alpha_i+\alpha_j)^2\right]^{3/4}$ を計算すればよい.対角項は $d_i^2$ そのもの.非対角の因子は例題5.9 で計算した $0.741024$($i,j=1,2$)などがそのまま使える.電卓で 9 項を足すのが面倒なら,表計算ソフトか Python で.この検算が通らなければ,どこかで係数を写し間違えている.基底関数を自分で定義したときは,まずノルムを確かめる——これが鉄則である.
演習5.6 $\zeta$ のスケール則
Slater関数 $e^{-\zeta x}$($x=r/a_0$)を STO-3G で近似したい.表5.3 は $\zeta=1$ に対する値である.$\zeta\ne1$ のときは指数を $\alpha_i\to\zeta^2\alpha_i$ と置き換え,係数 $d_i$ はそのままでよいことを示せ.また,水素の標準 STO-3G 基底の指数 $3.42525,\ 0.62391,\ 0.16886$ から $\zeta$ を逆算せよ.
ヒント:$\zeta=1$ の最適化がすでに済んでいるとして,変数を $x'=\zeta x$ と取り替えると $e^{-\zeta x}=e^{-x'}$,$e^{-\alpha x'^2}=e^{-\alpha\zeta^2 x^2}$ となることを使う.規格化定数 $\mathcal{N}_i$ も自動的に $\zeta^{3/2}$ 倍されるので,$d_i$ を変える必要がないことを確認せよ.逆算は $3.42525/2.22766$ の平方根を取ればよい.
5.9.3 参考文献
- 原田 義也『量子化学(上巻)』裳華房(1978)——第5章に水素分子イオンの2中心積分が扱われている.楕円座標系による重なり積分の計算は本書の記述に近い.
- A. Szabo, N. S. Ostlund『新しい量子化学 — 電子構造の理論入門(上)』大野公男・阪井健男・望月祐志 訳,東京大学出版会(1987)(原著:Modern Quantum Chemistry: Introduction to Advanced Electronic Structure Theory, Dover, 1996)——3.5節に STO-$n$G の係数表と,本章の図5.5 に対応する比較図がある.講義スライドの数値の出典.
- S. F. Boys, "Electronic wave functions. I. A general method of calculation for the stationary states of any molecular system", Proc. R. Soc. Lond. A 200, 542 (1950).——Gauss型基底関数を最初に提案した論文.
- W. J. Hehre, R. F. Stewart, J. A. Pople, "Self-Consistent Molecular-Orbital Methods. I. Use of Gaussian Expansions of Slater-Type Atomic Orbitals", J. Chem. Phys. 51, 2657 (1969).——STO-$n$G の原論文.表5.3 の数値の一次出典であり,$\zeta=1.24$ という水素の標準値もここで決められた.
- P. Atkins, J. de Paula, Atkins' Physical Chemistry, 11th ed., Oxford University Press (2018).——分子軌道法の導入部で重なり積分 $S$ が同じ形で与えられている.
- T. Kato, "On the eigenfunctions of many-particle systems in quantum mechanics", Commun. Pure Appl. Math. 10, 151 (1957).——核でのカスプ条件の数学的基礎.
- Q. Sun et al., "PySCF: the Python-based simulations of chemistry framework", WIREs Comput. Mol. Sci. 8, e1340 (2018).——第10章で使う計算プログラム.
basis='sto-3g'の中身が本章の内容である. - Basis Set Exchange, https://www.basissetexchange.org/——各種基底関数の係数・指数を配布しているデータベース.STO-3G の実際の数値を確認できる.
- C. Kittel『固体物理学入門(上)』宇野良清 ほか 訳,丸善(第8版, 2005)——重なり積分の減衰と強束縛近似の関係(第9章).第14章で再登場する.
- Y. Mochizuki et al., "Theoretical exploration of mixed-anion antiperovskites", Phys. Rev. Materials 4, 044601 (2020).——本章で学ぶ基底関数の考え方が,実際の物質探索計算でどう使われるかの一例.