第4章摂動論
第3章では,ヘリウム原子の基底状態エネルギーを変分法で求めた.試行関数に有効核電荷 $Z'$ という調整つまみを一つ付け,エネルギー期待値が最小になるように $Z'$ を選ぶ——という戦略である.しかし,変分法には「試行関数の形をこちらが決めてやらねばならない」という宿命がある.よい試行関数を思いつかなければ,答えもよくならない.
本章で学ぶ摂動論(perturbation theory)は,まったく別の発想に立つ.「厳密に解ける問題」と「解きたい問題」の差が小さいなら,差の部分を小さな修正項として扱い,解ける問題の答えから出発して修正を順に積み上げればよい——という考え方である.ヘリウム原子の場合,「解ける問題」は電子間反発を無視した水素様原子2個の系であり,「差」は電子間反発そのものである.第3章で見たとおりこの差は 34 eV もあって決して小さくはないのだが,それでも1次の修正を入れるだけで全エネルギーの誤差は 37.8% から 5.3% に落ちる.
本章の到達点は二つある.第一に,摂動パラメータ $\lambda$ による展開から1次・2次の摂動公式を一行も飛ばさずに導出できるようになること.第二に,第3章で結果だけ引用した電子間反発の6重積分
$\displaystyle \frac{\ee^2}{4\pi\eps}\iint\frac{\abs{\phi(\bm r_1)}^2\abs{\phi(\bm r_2)}^2}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\dd^3r_1\dd^3r_2=\frac58\frac{Z\ee^2}{4\pi\eps a_0}$
を,静電気学のGaussの法則を使って最後まで自力で計算できるようになることである.この積分は本書のいたるところ(第9章のCoulomb積分,第13章のMadelungエネルギー)で顔を出す,いわば「一生もの」の計算である.
- 摂動論の発想:天体力学の二体問題から三体問題へ,という歴史的な文脈
- ヘリウムのハミルトニアンの分解 $\Ham=\Ham_1^{(0)}+\Ham_2^{(0)}+\Ham^{\mathrm{P}}$ と,非摂動系の厳密解 $E_n^{(0)}=2Z^2\epsilon_{1s}$
- 摂動パラメータ $\lambda$ による展開 $\psi_n=\psi_n^{(0)}+\lambda\psi_n^{(1)}+\lambda^2\psi_n^{(2)}+\cdots$ と,$\lambda$ の恒等式としての次数分離
- 1次摂動エネルギー $E_n^{(1)}=\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}$ の完全導出
- 1次摂動波動関数 $\psi_n=\psi_n^{(0)}-\sum_{i\neq n}\dfrac{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_n^{(0)}}}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}}\psi_i^{(0)}$ の完全導出
- 2次摂動エネルギー $E_n^{(2)}=-\sum_{i\neq n}\dfrac{\abs{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}}^2}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}}$ と,基底状態が必ず下がること(準位反発)
- 1次のJahn–Teller効果・2次のJahn–Teller効果(SOJT)・電子格子相互作用・構造相転移
- ヘリウムの電子間反発の期待値 $\tfrac58 Z\ee^2/(4\pi\eps a_0)=-\tfrac54 Z\epsilon_{1s}$ を,角度積分と動径積分に分けて完全に計算する
- 変分法($-77.49$ eV)と1次摂動論($-74.83$ eV)の比較,Hartree–Fock極限($-77.87$ eV),電子相関エネルギー($-1.13$ eV),強相関電子系
本章でもSI単位系を用いる.第2章・第3章で得た2つの基本量
$$ \begin{equation} a_0=\frac{\eps h^2}{\pi m \ee^2}=0.529\times10^{-10}\ \mathrm{m}, \qquad \epsilon_{1s}=-\frac{m \ee^4}{8\eps^2 h^2}=-13.606\ \mathrm{eV} \label{eq:4-constants} \end{equation} $$と,この2つを結ぶ「換算の要」
$$ \begin{equation} \frac{\ee^2}{4\pi\eps a_0}=-2\epsilon_{1s}=27.211\ \mathrm{eV} \label{eq:4-hartree} \end{equation} $$を,本章でも繰り返し使う.式 \eqref{eq:4-hartree} は第3章で導いたとおり,$a_0$ の定義式を代入すれば直ちに得られる.この量($27.211$ eV)はHartree(hartree)と呼ばれ,原子スケールのエネルギーの自然な単位である.
4.1 摂動法の発想
4.1.1 天体力学から来た方法
摂動論の起源は量子力学ではない.18世紀から19世紀にかけての天体力学である.
太陽と惑星が1個だけの系,すなわち二体問題(two-body problem)は,Newtonの運動方程式を厳密に解くことができる.答えは円・楕円・放物線・双曲線のいずれかであり,惑星は完全な楕円軌道を描く.ところが実際の太陽系には惑星が8個あり,それぞれが互いに引力を及ぼし合う.惑星が3個以上ある三体問題(three-body problem)以上になると,一般には解析的な解が存在しないことが知られている(Poincaré, 1890年).
それでも18〜19世紀の天文学者たちは,観測される惑星の位置を驚くべき精度で予言してみせた.彼らが使ったのが摂動法である.考え方はこうである.木星が土星に及ぼす引力は,太陽が土星に及ぼす引力に比べればずっと小さい.ならば
- まず「太陽と土星だけの二体問題」を厳密に解いて楕円軌道を得る.
- 次に,木星からの引力をその楕円軌道からの小さなズレを生み出す原因として扱い,ズレの大きさを計算する.
この方法の華々しい成功例が,1846年の海王星の発見である.天王星の観測位置が,既知の惑星だけを考えた計算値からわずかにズレていた.LeVerrierとAdamsは,このズレを「まだ見ぬ第8惑星による摂動」と解釈し,その惑星があるべき天球上の位置を計算した.ベルリン天文台がその方向に望遠鏡を向けると,予言位置から1度以内のところに海王星が見つかったのである.ズレ(摂動)を計算することで,見えていないものの存在が予言できた——これが摂動論という道具の威力を最もよく物語る逸話である.
なぜ?:変分法があるのに,なぜもう一つ方法を学ぶのか
第3章の変分法は強力だが,二つの弱点がある.第一に,試行関数の形を人間が推測しなければならない.ヘリウムでは「水素様軌道の核電荷を少し小さくする」という当てずっぽうがうまくいったが,複雑な系ではそうはいかない.第二に,基底状態しか扱えないのが原則である(変分原理が保証するのは「最低エネルギー以上」という不等式だけだから,励起状態には直接使えない).
摂動論はこの両方を補う.試行関数を推測する必要はなく,非摂動系の解が全部揃っていれば機械的に計算が進む.しかも励起状態にもそのまま適用できる.代わりに「摂動が小さい」という前提が要る.変分法と摂動論は競合するものではなく,道具箱の中の別の工具である.第7章では両者を並べてヘリウムの1s準位を評価し直す.
4.1.2 量子力学における摂動法
量子力学における摂動法も,発想はまったく同じである.多電子原子を考えよう.原子核1個と電子1個だけなら,それは水素様原子であり,第2章で厳密に解けた.ところが電子が2個になると,原子核・電子1・電子2という三体問題になり,厳密解は存在しない(第3章3.2節で,変数分離が電子間反発項のところで破綻することを式で確かめた).
そこで,次のように考える.
定義:摂動法の枠組み
解きたいハミルトニアン $\Ham$ を,厳密に解ける部分 $\Ham^{(0)}$ と小さな残り $\Ham^{\mathrm{P}}$ に分ける:
$$ \Ham=\Ham^{(0)}+\Ham^{\mathrm{P}} . $$$\Ham^{(0)}$ を非摂動ハミルトニアン(unperturbed Hamiltonian),$\Ham^{\mathrm{P}}$ を摂動項(perturbation term)と呼ぶ.上付きの P は perturbation の頭文字である.$\Ham^{(0)}$ については固有値問題
$$ \Ham^{(0)}\psi_n^{(0)}=E_n^{(0)}\psi_n^{(0)} $$の解 $\{\psi_n^{(0)},E_n^{(0)}\}$ がすべて分かっているものとする.摂動法とは,この既知の解だけを材料にして,$\Ham$ の固有値 $E_n$ と固有関数 $\psi_n$ を近似的に構成する手続きである.
例題4.1 摂動は本当に「小さい」のか
第3章で見たとおり,ヘリウム原子の非摂動エネルギー(電子間反発を無視した値)は $2Z^2\epsilon_{1s}=-108.85$ eV,電子間反発の期待値は $+34.02$ eV であった.摂動項は非摂動エネルギーの何 % か.またそれは「小さい」と言えるか.
解答 比をとると $34.02/108.85=0.313$,すなわち約 31% である.「小さい」と言うにはかなり大きい.実際,この後の計算で得られる1次摂動の結果は $-74.83$ eV であり,実験値 $-79.005$ eV に対してまだ 5.3% の誤差がある.摂動論は「摂動が小さいほど精度がよい」方法なので,ヘリウムは摂動論にとって決して楽な相手ではない.
それでも摂動論を使う価値がある理由は二つある.第一に,電子間反発を丸ごと無視した $37.8\%$ の誤差が,たった1回の期待値計算で $5.3\%$ まで落ちる.第二に,そして本質的に,摂動論は多電子系を扱うための普遍的な言語だからである.第9章の交換エネルギー,第13章のvan der Waals力,そして固体中の電子相関はすべて摂動論の言葉で議論される.ヘリウムはその練習台である.
4.2 ヘリウムのハミルトニアンを分解する
なぜ?:抽象論より先に具体例を見る
摂動論の一般論は,上付き添字 $(0),(1),(2)$ と下付き添字 $n,i,j$ が入り乱れる,記号の密度が高い議論である.いきなり一般論から入ると,何を計算しているのか見失いやすい.そこで本節ではまず,ヘリウム原子という具体例で $\Ham^{(0)}$ と $\Ham^{\mathrm{P}}$ が何であるかをはっきりさせておく.一般論のどの記号が何に対応するかを頭の片隅に置きながら読めば,4.3節以降の式変形は「面倒ではあるが迷子にはならない」ものになる.抽象論を出す前に具体例を思い浮かべて数式を眺めること——これは量子化学を学ぶうえで一貫して有効な作法である.
4.2.1 ハミルトニアンの5つの項
第3章で書き下したヘリウム原子(原子番号 $Z=2$)のハミルトニアンを再掲する.電子1と電子2の位置を $\bm r_1,\bm r_2$,原子核からの距離を $r_1=\abs{\bm r_1}$,$r_2=\abs{\bm r_2}$ とすると
$$ \begin{equation} \Ham=\underbrace{\frac{\hat{p}_1^{\,2}}{2m}-\frac{Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_1}}_{\Ham_1^{(0)}} +\underbrace{\frac{\hat{p}_2^{\,2}}{2m}-\frac{Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_2}}_{\Ham_2^{(0)}} +\underbrace{\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}}_{\Ham^{\mathrm{P}}} \label{eq:4-he-hamiltonian} \end{equation} $$である.ここで $\hat{p}_i^{\,2}/2m=-\dfrac{\hbar^2}{2m}\nabla_i^2$ は電子 $i$ の運動エネルギー演算子である.式 \eqref{eq:4-he-hamiltonian} の分け方は,次のように読める.
- 第1のかたまり $\Ham_1^{(0)}$:電子1だけを見た,核電荷 $Z$ の水素様原子のハミルトニアン.第2章で厳密に解けた.
- 第2のかたまり $\Ham_2^{(0)}$:電子2について同じもの.
- 第3の項 $\Ham^{\mathrm{P}}$:電子1と電子2のCoulomb反発.ここだけが $\bm r_1$ と $\bm r_2$ の両方を含んでおり,変数分離を壊す元凶である.
したがって,非摂動ハミルトニアンと摂動項を
$$ \begin{equation} \Ham^{(0)}=\Ham_1^{(0)}+\Ham_2^{(0)}, \qquad \Ham^{\mathrm{P}}=\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}} \label{eq:4-h0-split} \end{equation} $$と選ぶのが自然である.この選び方は「解ける部分を最大限に取り,解けなくする原因だけを摂動に回す」という原則に忠実である.
4.2.2 非摂動系の厳密解
$\Ham^{(0)}$ は電子1の演算子と電子2の演算子の和であり,両者は互いの座標を含まない.したがって第3章3.3節でやったとおり,変数分離が完全に働く.1電子の水素様原子の固有値問題
$$ \begin{equation} \Ham_1^{(0)}\phi^{(0)}(\bm r_1)=Z^2\epsilon_{1s}\,\phi^{(0)}(\bm r_1), \qquad \phi^{(0)}(\bm r)=\frac{1}{\sqrt{\pi}}\left(\frac{Z}{a_0}\right)^{3/2}e^{-Zr/a_0} \label{eq:4-hydrogenic-1e} \end{equation} $$を思い出そう(1s軌道,主量子数 $n=1$).核電荷 $Z$ の水素様原子の1s準位が $Z^2\epsilon_{1s}$ になることは第2章で示した.すると非摂動系の基底状態の波動関数とエネルギーは
となる.$Z=2$ を入れれば $E_0^{(0)}=2\times4\times(-13.606)=-108.85$ eV,これが第3章3.3節で得た「電子間反発を無視した値」である.実験値 $-79.005$ eV に対して 27% も低い(低すぎる).これは反発エネルギーをまるごと捨てた分だけ,系を安定に見積もりすぎているためである.
注意:$n$ は主量子数ではなく「状態の番号」である
摂動論では $\psi_n^{(0)},E_n^{(0)}$ の添字 $n$ を多用するが,これは非摂動ハミルトニアン $\Ham^{(0)}$ の固有状態を通し番号で並べたときの番号である.水素原子の主量子数 $n$ とは別物なので混同しないでほしい.本書では基底状態を $n=0$ とする($E_0^{(0)}\le E_1^{(0)}\le E_2^{(0)}\le\cdots$).講義スライドでも「基底状態($n=0$,1s状態)」と書かれていたのはこの意味である.
また,教科書によっては非摂動状態を $\ket{n^{(0)}}$,摂動項を $\hat V$ や $\hat{H}_1$ と書くものもある(Szabo–Ostlund は $\hat V$,Atkins は $H^{(1)}$).記号は違っても中身は同じである.
例題4.2 非摂動系の波動関数は規格化されているか
式 \eqref{eq:4-psi0-product} の $\psi_0^{(0)}$ が規格化されていること,すなわち $\displaystyle\iint\abs{\psi_0^{(0)}}^2\dd^3r_1\dd^3r_2=1$ を確かめよ.
解答 積分が変数ごとに分離するので
$$ \iint\abs{\phi^{(0)}(\bm r_1)}^2\abs{\phi^{(0)}(\bm r_2)}^2\dd^3r_1\dd^3r_2 =\left(\int\abs{\phi^{(0)}(\bm r)}^2\dd^3r\right)^2 $$となる.$\zeta\equiv Z/a_0$ と置き,球対称関数の3次元積分 $\int f(r)\dd^3r=4\pi\int_0^\infty f(r)r^2\dd r$ と積分公式 $\int_0^\infty r^ne^{-ar}\dd r=n!/a^{n+1}$ を使うと
$$ \int\abs{\phi^{(0)}}^2\dd^3r=\frac{\zeta^3}{\pi}\cdot4\pi\int_0^\infty e^{-2\zeta r}r^2\dd r =4\zeta^3\cdot\frac{2!}{(2\zeta)^3}=4\zeta^3\cdot\frac{2}{8\zeta^3}=1 . $$よって二乗しても1であり,規格化されている.以後の期待値計算では分母が1なので,$\braket{\Ham^{\mathrm{P}}}=\bra{\psi_0^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_0^{(0)}}$ をそのまま計算すればよい.
4.3 摂動パラメータ $\lambda$ による展開
ここから一般論に入る.以下では特定の系を仮定せず,$\Ham^{(0)}$ の固有値問題
$$ \begin{equation} \Ham^{(0)}\psi_n^{(0)}=E_n^{(0)}\psi_n^{(0)} \qquad (n=0,1,2,\dots) \label{eq:4-unperturbed} \end{equation} $$がすべて解けているものとする.$\{\psi_n^{(0)}\}$ は規格直交完全系をなす(第3章3.4節):
$$ \begin{equation} \braket{\psi_j^{(0)}|\psi_i^{(0)}}=\delta_{ji}, \qquad \sum_i\ket{\psi_i^{(0)}}\bra{\psi_i^{(0)}}=\hat{\mathbb{1}} . \label{eq:4-orthonormal} \end{equation} $$4.3.1 摂動を「少しずつ」加える
いきなり摂動項 $\Ham^{\mathrm{P}}$ を全部加えると,波動関数もエネルギーも大きく変わってしまい,どこから手を付けてよいか分からない.そこで摂動を蛇口のように少しずつ開いていくという工夫をする.実数パラメータ $\lambda$ を導入して
$$ \begin{equation} \Ham^{\mathrm{P}}=\lambda\,\Ham', \qquad (0\le\lambda\le1,\ \lambda\ll1) \label{eq:4-hpert} \end{equation} $$と書く.$\lambda=0$ なら摂動なし(=厳密に解ける非摂動系),$\lambda=1$ なら摂動が全部入った本来の系である.$\Ham'$ は $\lambda$ を含まない演算子で,摂動の「形」を表す.全体のハミルトニアンは
$$ \begin{equation} \Ham=\Ham^{(0)}+\Ham^{\mathrm{P}}=\Ham^{(0)}+\lambda\,\Ham' \label{eq:4-lambda-split} \end{equation} $$となる.求めたいのは,この $\Ham$ の固有値問題
$$ \begin{equation} \Ham\psi_n=E_n\psi_n \label{eq:4-schrodinger-full} \end{equation} $$の解 $\psi_n,E_n$ である.
なぜ?:$\lambda$ という「余計なもの」を入れるとなぜ得をするのか
$\lambda$ は最終的に1にするのだから,一見すると無駄な小道具である.しかし $\lambda$ を入れると,$\psi_n$ と $E_n$ が $\lambda$ の関数になるという決定的な利点が生まれる.関数になれば $\lambda=0$ のまわりでTaylor展開ができる.$\lambda=0$ での値は既知(非摂動解)だから,Taylor係数を1つずつ決めていけばよい——この「未知量をパラメータのべき級数に落とす」という手口は,物理学のあらゆる場面に現れる標準的な戦略である.
もう一つの利点は,次項で使う「$\lambda$ の恒等式だから係数を比較してよい」という論法が使えることである.$\lambda$ を入れなければ,次数ごとの方程式を切り分ける根拠がなくなってしまう.
4.3.2 波動関数とエネルギーをべき級数に展開する
$\psi_n$ と $E_n$ を $\lambda$ のべき級数(Taylor展開だと思ってよい)に展開する:
$$ \begin{equation} \psi_n=\psi_n^{(0)}+\lambda\,\psi_n^{(1)}+\lambda^2\,\psi_n^{(2)}+\cdots \label{eq:4-psi-expansion} \end{equation} $$ $$ \begin{equation} E_n=E_n^{(0)}+\lambda\,E_n^{(1)}+\lambda^2\,E_n^{(2)}+\cdots \label{eq:4-energy-expansion} \end{equation} $$ここで $\psi_n^{(1)},\psi_n^{(2)}$ をそれぞれ1次摂動波動関数,2次摂動波動関数,$E_n^{(1)},E_n^{(2)}$ を1次摂動エネルギー,2次摂動エネルギーと呼ぶ.$\lambda\to0$ の極限で $\psi_n\to\psi_n^{(0)}$,$E_n\to E_n^{(0)}$ となることは,展開の形からすぐ分かる.これは「摂動を切れば非摂動系に戻る」という当たり前の要請であり,展開が正しい形をしていることの確認になる.
4.3.3 代入して $\lambda$ の次数ごとに分ける
ここからが「面倒だが単純な」作業である.式 \eqref{eq:4-schrodinger-full} の左辺に式 \eqref{eq:4-lambda-split} と式 \eqref{eq:4-psi-expansion} を代入する.
$$ \begin{align} \Ham\psi_n &=\left(\Ham^{(0)}+\lambda\Ham'\right)\left(\psi_n^{(0)}+\lambda\psi_n^{(1)}+\lambda^2\psi_n^{(2)}+\cdots\right) \nonumber\\[4pt] &=\Ham^{(0)}\psi_n^{(0)} +\lambda\left(\Ham'\psi_n^{(0)}+\Ham^{(0)}\psi_n^{(1)}\right) +\lambda^2\left(\Ham'\psi_n^{(1)}+\Ham^{(0)}\psi_n^{(2)}\right)+\cdots \label{eq:4-lhs-expand} \end{align} $$2行目では,$\lambda$ の同じべきをもつ項を集めた.たとえば $\lambda^1$ の項は「$\lambda\Ham'$ と $\psi_n^{(0)}$ の積」と「$\Ham^{(0)}$ と $\lambda\psi_n^{(1)}$ の積」の2つから来る.$\lambda^2$ の項も同様に2つから来る.
同じことを右辺でも行う.式 \eqref{eq:4-energy-expansion} と式 \eqref{eq:4-psi-expansion} の積である:
$$ \begin{align} E_n\psi_n &=\left(E_n^{(0)}+\lambda E_n^{(1)}+\lambda^2E_n^{(2)}+\cdots\right)\left(\psi_n^{(0)}+\lambda\psi_n^{(1)}+\lambda^2\psi_n^{(2)}+\cdots\right) \nonumber\\[4pt] &=E_n^{(0)}\psi_n^{(0)} +\lambda\left(E_n^{(0)}\psi_n^{(1)}+E_n^{(1)}\psi_n^{(0)}\right) \nonumber\\ &\qquad +\lambda^2\left(E_n^{(0)}\psi_n^{(2)}+E_n^{(1)}\psi_n^{(1)}+E_n^{(2)}\psi_n^{(0)}\right)+\cdots \label{eq:4-rhs-expand} \end{align} $$$\lambda^2$ の項が3つあるのは,$(0)\times(2)$,$(1)\times(1)$,$(2)\times(0)$ の3通りの組み合わせがあるからである.一般に $\lambda^k$ の係数は $\sum_{p=0}^{k}E_n^{(p)}\psi_n^{(k-p)}$ となる.
さて,式 \eqref{eq:4-lhs-expand} と式 \eqref{eq:4-rhs-expand} は等しい.ここで決定的な一歩を踏む.
数学ノート:なぜ「次数ごとに」等号が成り立つのか
$\lambda$ は $0\le\lambda\le1$ の範囲で自由に選べるパラメータである.したがって式 \eqref{eq:4-lhs-expand} $=$ 式 \eqref{eq:4-rhs-expand} は,特定の $\lambda$ についてではなく,すべての $\lambda$ について成り立つ等式,すなわち $\lambda$ に関する恒等式(identity)である.
2つのべき級数 $\sum_k a_k\lambda^k$ と $\sum_k b_k\lambda^k$ が区間内のすべての $\lambda$ で一致するなら,係数は一つひとつ一致していなければならない($a_k=b_k$).実際,$\lambda=0$ と置けば $a_0=b_0$,両辺を $\lambda$ で微分して $\lambda=0$ と置けば $a_1=b_1$,もう一度微分すれば $a_2=b_2$,…と順に決まる.これが係数比較である.高校数学で「$x$ についての恒等式だから係数を比較して」とやったのとまったく同じ論法である.
係数比較の結果,$\lambda^0,\lambda^1,\lambda^2$ の各次数から次の3本の方程式が得られる.
式 \eqref{eq:4-order0} は非摂動系のSchrödinger方程式そのもの,つまりすでに解けている.新しい情報は何もないが,展開が矛盾なく出発できていることの確認になる.1次摂動を求めるには式 \eqref{eq:4-order1} を,2次摂動を求めるには式 \eqref{eq:4-order2} を解けばよい.次数が上がるごとに「一つ下の次数の答え」を材料にして解ける形になっているのが,この階層構造の美点である.
注意:摂動級数はいつでも収束するとは限らない
式 \eqref{eq:4-psi-expansion},\eqref{eq:4-energy-expansion} を「Taylor展開だと思って」と書いたが,これは厳密には保証されていない.摂動級数が $\lambda=1$ で収束するかどうかは系による.実際,量子電磁力学の摂動級数や,多体摂動論の高次項は発散する漸近級数であることが知られている.それでも低次で打ち切ると良い近似を与えるので,実用上は問題にならないことが多い.
本書で扱うのは1次と2次までである.「摂動が小さい」という前提が成り立つ限り,低次の項が支配的であり,打ち切りは正当化される.逆に摂動が大きい系(強相関電子系,4.8節)では摂動論そのものが破綻し,別の方法が必要になる.
4.4 1次摂動エネルギーの導出
いよいよ式 \eqref{eq:4-order1} を解く.この節の目標は,たった1行の結論
$$ E_n^{(1)}=\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}} $$にたどり着くことである.結論は驚くほど単純だが,そこに至る道筋を丁寧にたどっておくと,4.5節(波動関数)と4.6節(2次エネルギー)が同じ手順の繰り返しであることが見えてくる.
4.4.1 未知の $\psi_n^{(1)}$ を既知の関数で展開する
式 \eqref{eq:4-order1} には未知量が2つある.$E_n^{(1)}$(数)と $\psi_n^{(1)}$(関数)である.関数のままでは扱いにくいので,既知の関数系で展開して数の集まりに変える.ここで使うのが,非摂動系の固有関数 $\{\psi_i^{(0)}\}$ が完全系をなすという事実(式 \eqref{eq:4-orthonormal})である.すなわち
$$ \begin{equation} \psi_n^{(1)}=\sum_{i=0}^{\infty}c_i\,\psi_i^{(0)} \label{eq:4-psi1-expansion} \end{equation} $$と書ける.展開係数 $c_i$ が新しい未知数である.関数を求める問題が,数列 $\{c_i\}$ を求める問題に化けた.
なぜ?:Fourier級数を思い出そう
周期関数を $\sin$ と $\cos$ の重ね合わせで書けるのがFourier級数である.$\{\sin nx,\cos nx\}$ が区間 $[0,2\pi]$ 上の関数の完全系をなすから,それが可能になる.式 \eqref{eq:4-psi1-expansion} はこれとまったく同じ発想で,$\{\psi_i^{(0)}\}$ という「量子力学版のFourier基底」で未知関数を展開している.
この「完全系で展開して未知関数を未知係数に変える」という手口は,本書の残りの部分で何度も繰り返される.第5・6章では原子軌道をGauss関数の和で展開し,第11章では分子軌道を原子軌道の線形結合(LCAO)で書く.展開に使う関数系のことを基底関数(basis function)と呼ぶ.摂動論では,非摂動系の固有関数がそのまま最良の基底関数として使えるのである.
4.4.2 1次の方程式に代入する
式 \eqref{eq:4-psi1-expansion} を式 \eqref{eq:4-order1} に代入しよう.まず左辺である.第2項に $\Ham^{(0)}$ が掛かるが,$\Ham^{(0)}$ は線形演算子なので和の中に入れられ,さらに $\Ham^{(0)}\psi_i^{(0)}=E_i^{(0)}\psi_i^{(0)}$ が使える:
$$ \begin{align} (\text{左辺}) &=\Ham'\psi_n^{(0)}+\Ham^{(0)}\sum_{i=0}^{\infty}c_i\psi_i^{(0)} \nonumber\\ &=\Ham'\psi_n^{(0)}+\sum_{i=0}^{\infty}c_i\,\Ham^{(0)}\psi_i^{(0)} \nonumber\\ &=\Ham'\psi_n^{(0)}+\sum_{i=0}^{\infty}c_i\,E_i^{(0)}\psi_i^{(0)} \label{eq:4-order1-lhs} \end{align} $$ここが摂動論の技術的な急所である.未知の演算子作用 $\Ham^{(0)}\psi_n^{(1)}$ が,既知の数 $E_i^{(0)}$ の掛け算に化けた.展開 \eqref{eq:4-psi1-expansion} を導入したご利益がここで現れる.
次に右辺である.こちらは単に代入するだけでよい:
$$ \begin{equation} (\text{右辺})=E_n^{(1)}\psi_n^{(0)}+E_n^{(0)}\sum_{i=0}^{\infty}c_i\psi_i^{(0)} . \label{eq:4-order1-rhs} \end{equation} $$式 \eqref{eq:4-order1-lhs} $=$ 式 \eqref{eq:4-order1-rhs} と置き,$c_i$ を含む和を左辺にまとめると
が得られる.ようやく,すべてが非摂動系の量($\psi_i^{(0)}$,$E_i^{(0)}$,$\Ham'$)と未知の数($c_i$,$E_n^{(1)}$)だけで書けた.ここから先は,内積をとって数を取り出す作業になる.
4.4.3 $\bra{\psi_n^{(0)}}$ を掛ける
式 \eqref{eq:4-order1-reduced} をブラケット記法で書き直す.関数をケットで表すと
$$ \Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}+\sum_{i=0}^{\infty}c_i\left(E_i^{(0)}-E_n^{(0)}\right)\ket{\psi_i^{(0)}}=E_n^{(1)}\ket{\psi_n^{(0)}} $$である.両辺に左から $\bra{\psi_n^{(0)}}$ を掛ける(=$\psi_n^{(0)}$ との内積をとる)と
$$ \begin{equation} \bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}} +\sum_{i=0}^{\infty}c_i\left(E_i^{(0)}-E_n^{(0)}\right)\underbrace{\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_i^{(0)}}}_{\delta_{ni}} =E_n^{(1)}\underbrace{\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(0)}}}_{\delta_{nn}=1} \label{eq:4-project-n} \end{equation} $$となる.ここで規格直交性 \eqref{eq:4-orthonormal} を使った.左辺第2項を吟味しよう.
- $i\neq n$ のとき:$\delta_{ni}=0$ なので,その項は消える.
- $i=n$ のとき:$\delta_{nn}=1$ で内積は生き残るが,今度は前の因子が $E_n^{(0)}-E_n^{(0)}=0$ になる.
つまりどちらの場合でも左辺第2項はゼロである.和が丸ごと消えてしまうのだから,残るのは
である.$c_i$ が一つも登場しないことに注目してほしい.1次摂動エネルギーを求めるのに,1次摂動波動関数を知る必要はない.これは摂動論の最も有難い性質のひとつである(この事実は一般にWignerの $2n+1$ 定理と呼ばれる法則の最も簡単な場合で,$n$ 次までの波動関数が分かれば $2n+1$ 次までのエネルギーが計算できる,という定理である).
4.4.4 $\lambda$ を元に戻す
式 \eqref{eq:4-first-energy} は $\Ham'$ についての式である.実際に使うときは $\lambda$ を消して $\Ham^{\mathrm{P}}=\lambda\Ham'$ に戻したい.式 \eqref{eq:4-energy-expansion} の1次の項は $\lambda E_n^{(1)}$ であり
$$ \lambda E_n^{(1)}=\bra{\psi_n^{(0)}}\lambda\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}=\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_n^{(0)}} $$となる($\lambda$ は定数なので内積の外にも中にも自由に出し入れできる).したがって,1次摂動まで取り込んだエネルギーは次のように書ける.
物理的意味:この式の何がありがたいのか
式 \eqref{eq:4-first-energy-hp} の右辺には,厳密に分かっている非摂動系の量しか現れない.$E_n^{(0)}$ も $\psi_n^{(0)}$ も既知であり,$\Ham^{\mathrm{P}}$ は自分で決めた演算子である.つまり未知の波動関数 $\psi_n$ を一切求めることなく,エネルギー補正が計算できる.しかも計算するのは期待値,すなわち積分1本だけである.
言い換えれば,1次摂動エネルギーとは「摂動を入れる前の電子分布のまま,摂動項のエネルギーを測った値」である.ヘリウムなら「水素様の1s軌道に電子が2個いるという分布のまま,電子間反発の静電エネルギーを測る」ことに相当する.電子が反発を避けて配置を変える効果(電子相関)は,この段階ではまだ入っていない.それは2次以降の仕事である.
例題4.3 1次元井戸型ポテンシャルに床を傾ける
幅 $L$ の1次元無限井戸($0\le x\le L$ でポテンシャル0,外側で無限大)の固有関数は $\psi_n^{(0)}(x)=\sqrt{2/L}\sin(n\pi x/L)$,固有値は $E_n^{(0)}=n^2h^2/(8mL^2)$ である($n=1,2,3,\dots$).ここに一様電場をかけ,摂動 $\Ham^{\mathrm{P}}=Fx$($F$ は定数)を加えたときの1次摂動エネルギーを求めよ.
解答 式 \eqref{eq:4-first-energy-hp} より
$$ E_n^{(1)}=\int_0^L\psi_n^{(0)}(x)\,Fx\,\psi_n^{(0)}(x)\,\dd x =\frac{2F}{L}\int_0^L x\sin^2\!\left(\frac{n\pi x}{L}\right)\dd x . $$半角の公式 $\sin^2\theta=\tfrac12(1-\cos2\theta)$ を使うと
$$ E_n^{(1)}=\frac{F}{L}\int_0^L x\,\dd x-\frac{F}{L}\int_0^L x\cos\!\left(\frac{2n\pi x}{L}\right)\dd x . $$第1項は $\dfrac{F}{L}\cdot\dfrac{L^2}{2}=\dfrac{FL}{2}$.第2項は部分積分で
$$ \int_0^L x\cos(kx)\dd x=\left[\frac{x\sin kx}{k}\right]_0^L+\left[\frac{\cos kx}{k^2}\right]_0^L \qquad\left(k=\frac{2n\pi}{L}\right) $$となるが,$kL=2n\pi$ なので $\sin kL=0$,$\cos kL=1$ となり,両方の $[\ ]$ がゼロである.よって第2項は消え,
$$ E_n^{(1)}=\frac{FL}{2} $$を得る.すべての準位が同じだけ持ち上がる,という結果である.物理的には当然で,$\braket{x}=L/2$(電子は井戸の中央に平均的にいる)だから,$\braket{Fx}=FL/2$ になる.傾いた床の「真ん中の高さ」の分だけエネルギーが上がった,というわけである.準位間隔は1次では変わらない.間隔の変化(=分光学的に観測される効果)は2次摂動から現れる.
4.5 1次摂動波動関数の導出
エネルギーだけでなく,波動関数がどう変わるかも知りたい.式 \eqref{eq:4-order1-reduced} に戻り,今度は別の関数を掛ける.それだけで話は進む.
4.5.1 $\bra{\psi_j^{(0)}}$ を掛ける
式 \eqref{eq:4-order1-reduced} をケットで書いた式
$$ \Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}+\sum_{i=0}^{\infty}c_i\left(E_i^{(0)}-E_n^{(0)}\right)\ket{\psi_i^{(0)}}=E_n^{(1)}\ket{\psi_n^{(0)}} $$の両辺に,今度は左から $\bra{\psi_j^{(0)}}$ を掛ける.前節では $j=n$ に相当する場合だけを見たわけだが,今度は $j$ を一般の番号として扱う.すると
$$ \begin{equation} \bra{\psi_j^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}} +\sum_{i=0}^{\infty}c_i\left(E_i^{(0)}-E_n^{(0)}\right)\underbrace{\braket{\psi_j^{(0)}|\psi_i^{(0)}}}_{\delta_{ji}} =E_n^{(1)}\underbrace{\braket{\psi_j^{(0)}|\psi_n^{(0)}}}_{\delta_{jn}} \label{eq:4-project-j} \end{equation} $$となる.前節と違い,右辺の内積が $\delta_{jn}$ であって必ずしも1ではない点に注意してほしい.以下,$j\neq n$ と $j=n$ に場合分けする.表記を簡潔にするため,摂動行列要素(matrix element of the perturbation)を
$$ \begin{equation} H'_{ji}\equiv\bra{\psi_j^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_i^{(0)}} =\int \psi_j^{(0)*}\,\Ham'\,\psi_i^{(0)}\,\dd\tau \label{eq:4-matrix-element} \end{equation} $$と略記する($\dd\tau$ は系の全座標についての積分を表す).
4.5.2 場合1:$j\neq n$
このとき右辺は $\delta_{jn}=0$ よりゼロになる.左辺の和は,$\delta_{ji}$ のおかげで $i=j$ の項だけが生き残る.したがって式 \eqref{eq:4-project-j} は
$$ H'_{jn}+c_j\left(E_j^{(0)}-E_n^{(0)}\right)=0 $$という,$c_j$ についての1次方程式に化ける.$E_j^{(0)}\neq E_n^{(0)}$ を仮定して割れば
が得られる.展開係数が,非摂動系の量だけで書き切れた.
4.5.3 場合2:$j=n$
このとき右辺は $\delta_{nn}=1$ より $E_n^{(1)}$ になる.左辺の和は $i=n$ の項だけが残るが,その係数は $E_n^{(0)}-E_n^{(0)}=0$ なので消える.よって
$$ H'_{nn}=E_n^{(1)},\qquad\text{すなわち}\qquad E_n^{(1)}=\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}} $$となり,4.4節で得た式 \eqref{eq:4-first-energy} がそのまま再現される.$j=n$ の場合からは $c_n$ についての情報が何も得られないことに注意してほしい.$c_n$ は方程式からは決まらないのである.
数学ノート:$c_n$ はなぜ決まらないのか,どう決めるのか
$c_n$ が決まらないのは偶然ではない.$\psi_n^{(1)}$ に $\psi_n^{(0)}$ の定数倍を足しても,式 \eqref{eq:4-order1} は同じように成り立つからである(実際 $\Ham^{(0)}\psi_n^{(0)}-E_n^{(0)}\psi_n^{(0)}=0$ なので,$c_n$ を含む項は方程式から完全に落ちる).これは「固有関数には定数倍の任意性がある」という,量子力学ではおなじみの自由度の現れである.
そこで慣習として $c_n=0$,すなわち
$$ \braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(1)}}=0 $$と選ぶ.これを中間規格化(intermediate normalization)という.「補正項は元の関数と直交する方向にだけ取る」という自然な取り決めである.この選択のもとでは $\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n}=1$ が厳密に成り立つ.
なお,この $\psi_n$ は $\lambda$ の1次までは規格化されている.実際
$$ \braket{\psi_n|\psi_n}=\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(0)}} +\lambda\left(\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(1)}}+\braket{\psi_n^{(1)}|\psi_n^{(0)}}\right)+O(\lambda^2) =1+0+O(\lambda^2) $$であり,規格化のズレは $\lambda^2$ 以上の高次項にしか現れない.
4.5.4 1次摂動波動関数
以上をまとめよう.式 \eqref{eq:4-psi-expansion} を1次で打ち切り,式 \eqref{eq:4-psi1-expansion} と式 \eqref{eq:4-cj} を代入し,$c_n=0$ とすると
$$ \begin{align} \psi_n&=\psi_n^{(0)}+\lambda\,\psi_n^{(1)} =\psi_n^{(0)}+\lambda\sum_{i=0}^{\infty}c_i\psi_i^{(0)} \nonumber\\ &=\psi_n^{(0)}-\lambda\sum_{i\neq n}\frac{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}}\psi_i^{(0)} \end{align} $$となる.最後に $\lambda\Ham'=\Ham^{\mathrm{P}}$ と戻せば,次の最終形を得る.
物理的意味:波動関数の「混ざり方」を読む
式 \eqref{eq:4-first-wavefunction} は,摂動を受けた状態 $\psi_n$ が「元の状態 $\psi_n^{(0)}$ に,他の状態 $\psi_i^{(0)}$ が少しずつ混ざったもの」であることを示している.混ざる量は分数
$$ \frac{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_n^{(0)}}}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}} $$で決まる.この分数の読み方を覚えておこう.
- 分子(摂動行列要素)が大きいほど強く混ざる.逆に,対称性の理由で $\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_n^{(0)}}=0$ となる相手とは,どんなに近くても混ざらない.この「対称性による選択則」が第12章の主題である.
- 分母(エネルギー差)が小さいほど強く混ざる.エネルギーの近い状態どうしは仲がよい,と覚えるとよい.分子の対称性や固体のバンド構造を定性的に議論するとき,この直感は非常によく効く.
この2つは,化学結合の「軌道の相互作用は,エネルギーが近く,重なりが大きいほど強い」という経験則そのものである.第11章の永年方程式,第12章の対称性の議論は,いずれもこの分数の分子と分母を評価する作業だと言ってよい.
注意:縮退があると,この公式は使えない
式 \eqref{eq:4-cj} の分母 $E_j^{(0)}-E_n^{(0)}$ は,$\psi_j^{(0)}$ と $\psi_n^{(0)}$ が縮退している(同じエネルギーをもつ)とゼロになり,$c_j$ が発散してしまう.したがって本節で導いた公式は非縮退摂動論(non-degenerate perturbation theory)と呼ばれ,縮退のない準位にしか使えない.
縮退がある場合は,まず縮退した部分空間の中で摂動行列 $H'_{ji}$ を作って対角化し,「摂動によって選ばれる正しい0次の波動関数」を先に決めてから摂動計算を始める.これを縮退摂動論(degenerate perturbation theory)という.次節で扱うJahn–Teller効果は,まさにこの縮退摂動論が主役になる現象である.
例題4.4 混ざり方の大小を見積もる
ある系で,状態 $n$ の下に状態 $a$(エネルギー差 $E_a^{(0)}-E_n^{(0)}=-1.0$ eV),上に状態 $b$(エネルギー差 $+10.0$ eV)があり,摂動行列要素はどちらも $H^{\mathrm{P}}=0.20$ eV だとする.$\psi_n$ に混ざる $\psi_a^{(0)}$ と $\psi_b^{(0)}$ の係数を求め,どちらが強く混ざるか答えよ.
解答 式 \eqref{eq:4-first-wavefunction} の係数は $-H^{\mathrm{P}}/(E_i^{(0)}-E_n^{(0)})$ であるから
$$ c_a=-\frac{0.20}{-1.0}=+0.20,\qquad c_b=-\frac{0.20}{+10.0}=-0.020 . $$$\abs{c_a}$ は $\abs{c_b}$ の10倍であり,エネルギーの近い $\psi_a^{(0)}$ のほうが10倍強く混ざる.行列要素が同じでも,エネルギー分母が効くのである.また符号にも意味がある.下にある状態($c_a\gt0$)は同符号で足され,上にある状態($c_b\lt0$)は逆符号で足される.この符号の違いが,次節で見る準位反発の起源である.
4.6 2次摂動エネルギーと物理的意味
4.6.1 2次摂動エネルギーの導出
2次摂動エネルギーは,式 \eqref{eq:4-order2} に $\bra{\psi_n^{(0)}}$ を掛けるだけで得られる.手順はこれまでとまったく同じである.式 \eqref{eq:4-order2} の両辺に $\bra{\psi_n^{(0)}}$ を掛けると
$$ \bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(1)}}+\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham^{(0)}\ket{\psi_n^{(2)}} =E_n^{(2)}\underbrace{\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(0)}}}_{=1} +E_n^{(1)}\underbrace{\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(1)}}}_{=0} +E_n^{(0)}\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(2)}} $$となる.ここで中間規格化 $\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(1)}}=0$ を使った.左辺第2項は,$\Ham^{(0)}$ がエルミート演算子(Hermitian operator)であることを使うと左向きに作用させられて
$$ \bra{\psi_n^{(0)}}\Ham^{(0)}\ket{\psi_n^{(2)}} =\left(\Ham^{(0)}\psi_n^{(0)},\ \psi_n^{(2)}\right) =E_n^{(0)}\braket{\psi_n^{(0)}|\psi_n^{(2)}} $$となる($E_n^{(0)}$ は実数なので複素共役をとっても変わらない).これは右辺第3項とぴったり同じなので,両辺から消える.残るのは
$$ E_n^{(2)}=\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(1)}} $$である.ここに式 \eqref{eq:4-psi1-expansion} と式 \eqref{eq:4-cj}(および $c_n=0$)を代入すると
$$ \begin{align} E_n^{(2)} &=\sum_{i\neq n}c_i\,\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_i^{(0)}} =\sum_{i\neq n}c_i\,H'_{ni} \nonumber\\ &=-\sum_{i\neq n}\frac{H'_{in}\,H'_{ni}}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}} =-\sum_{i\neq n}\frac{\abs{H'_{in}}^2}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}} \end{align} $$となる.最後の等号では,$\Ham'$ がエルミートであることから $H'_{ni}=(H'_{in})^*$,したがって $H'_{in}H'_{ni}=\abs{H'_{in}}^2$ となることを使った.$\lambda$ を戻して2次まで書けば,次が最終形である.
物理的意味:基底状態のエネルギーは必ず下がる(準位反発)
式 \eqref{eq:4-second-energy} の第3項を,基底状態 $n=0$ について見てみよう.分子 $\abs{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_0^{(0)}}}^2$ は絶対値の2乗だから必ず0以上である.分母 $E_i^{(0)}-E_0^{(0)}$ は,$i\neq0$ である限り基底状態より上の準位なので必ず正である.全体には負符号が付いている.したがって
$$ E_0^{(2)}=-\sum_{i\neq0}\frac{\abs{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_0^{(0)}}}^2}{E_i^{(0)}-E_0^{(0)}}\ \le\ 0 $$が常に成り立つ.つまり2次摂動は基底状態を必ず安定化する.摂動がどんな形であろうと,符号がどうであろうと,基底状態は下がるのである.
一般に,2次摂動は「下にある準位からは押し上げられ,上にある準位からは押し下げられる」.相互作用する2つの準位は互いに遠ざかる方向に動く——これを準位反発(level repulsion)という.基底状態には下がないので,押し下げられる一方になる.この単純な事実が,化学結合の安定化,van der Waals力(第13章),Jahn–Teller効果,そして超伝導まで,驚くほど広い範囲の現象の背後にある.
4.6.2 二準位模型で確かめる
準位反発の様子を,手で解ける最小の例で確かめよう.2つの状態しかない系を考え,ハミルトニアンを行列で
$$ \begin{equation} \Ham=\begin{pmatrix}0 & v\\ v & \Delta\end{pmatrix} =\underbrace{\begin{pmatrix}0&0\\0&\Delta\end{pmatrix}}_{\Ham^{(0)}} +\underbrace{\begin{pmatrix}0&v\\v&0\end{pmatrix}}_{\Ham^{\mathrm{P}}} \qquad(\Delta\gt0,\ v\ \text{は実数}) \label{eq:4-two-level} \end{equation} $$と書く.非摂動系の固有値は $E_0^{(0)}=0$ と $E_1^{(0)}=\Delta$,固有ベクトルは $(1,0)^{\mathrm T}$ と $(0,1)^{\mathrm T}$ である.摂動行列要素は $H^{\mathrm{P}}_{01}=H^{\mathrm{P}}_{10}=v$,対角要素は0である.
摂動論の予言:1次摂動エネルギーは対角要素なのでゼロ,2次摂動エネルギーは式 \eqref{eq:4-second-energy} より
$$ E_0\simeq0-\frac{v^2}{\Delta-0}=-\frac{v^2}{\Delta}, \qquad E_1\simeq\Delta-\frac{v^2}{0-\Delta}=\Delta+\frac{v^2}{\Delta} . $$厳密解:$2\times2$ 行列の固有値は永年方程式 $\det(\Ham-E\hat{\mathbb{1}})=0$,すなわち $E^2-\Delta E-v^2=0$ を解いて
$$ \begin{equation} E_\pm=\frac{\Delta}{2}\pm\sqrt{\frac{\Delta^2}{4}+v^2} \label{eq:4-two-level-exact} \end{equation} $$である.$v/\Delta\ll1$ のとき,平方根を展開すると
$$ \sqrt{\frac{\Delta^2}{4}+v^2}=\frac{\Delta}{2}\sqrt{1+\frac{4v^2}{\Delta^2}} \simeq\frac{\Delta}{2}\left(1+\frac{2v^2}{\Delta^2}\right)=\frac{\Delta}{2}+\frac{v^2}{\Delta} $$となり($\sqrt{1+x}\simeq1+x/2$ を使った),$E_-\simeq-v^2/\Delta$,$E_+\simeq\Delta+v^2/\Delta$ を得る.摂動論の予言と完全に一致する.下の準位は下がり,上の準位は同じだけ上がる,まさに準位反発である.
例題4.5 摂動論はどこまで信用できるか
式 \eqref{eq:4-two-level} で $\Delta=1$ とする.$v=0.2$ と $v=0.8$ のそれぞれについて,下の準位の厳密値と2次摂動値を比べ,相対誤差を求めよ.
解答 厳密値は $E_-=0.5-\sqrt{0.25+v^2}$,摂動値は $-v^2$ である.
- $v=0.2$:$E_-=0.5-\sqrt{0.29}=0.5-0.5385=-0.0385$,摂動値 $-0.0400$.誤差は $0.0015$,相対誤差 $3.9\%$.
- $v=0.8$:$E_-=0.5-\sqrt{0.89}=0.5-0.9434=-0.4434$,摂動値 $-0.6400$.誤差は $0.197$,相対誤差 $44\%$.
摂動 $v$ が準位差 $\Delta$ の2割程度なら数 % の精度で使えるが,8割にもなると使い物にならない.「摂動が準位差に比べて小さい」という条件は,$\abs{H^{\mathrm{P}}_{in}}\ll\abs{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}}$ という形で定量化できる.ヘリウムの場合,摂動(34 eV)は非摂動準位間隔(1s と 2s の差はおよそ $Z^2\epsilon_{1s}(1-1/4)=40.8$ eV)と同じくらい大きい.摂動論が 5.3% の誤差にとどまったのは,むしろ幸運だったと言える.
4.6.3 1次のJahn–Teller効果
ここからは,摂動論が材料科学の現場でどう使われるかの一例として,Jahn–Teller効果(Jahn–Teller effect)を紹介する.これは「電子のエネルギー準位の変化が,原子核の動きを引き起こす」という現象であり,構造相転移の理解に不可欠である.
八面体配位($O_h$ 対称性)の遷移金属錯体を考えよう.中心金属イオンの5つの $d$ 軌道は,6個の配位子がつくる静電場によって2つのグループに分裂する(結晶場分裂).
- $e_g$:$d_{z^2}$,$d_{x^2-y^2}$ の2本.配位子の方向を向いているので反発が強く,エネルギーが高い.
- $t_{2g}$:$d_{xy}$,$d_{yz}$,$d_{zx}$ の3本.配位子の間を縫うので反発が弱く,エネルギーが低い.
ここで $e_g$ 軌道に電子が1個だけ入っている状況(たとえば Mn$^{3+}$ の $d^4$,Cu$^{2+}$ の $d^9$)を考える.$e_g$ は2重に縮退しているので,電子は2本のどちらに入ってもエネルギーは同じ——つまり基底状態が縮退している.
定理:Jahn–Tellerの定理(1937年)
直線分子を除き,電子状態が縮退している非直線形の分子・錯体は必ず,その縮退を解く方向に自発的に構造を歪め,エネルギーを下げる.
実際,八面体を $z$ 軸方向に伸ばす($O_h\to D_{4h}$)と,$z$ 軸上の配位子が遠ざかるので $d_{z^2}$ は安定化し,逆に $xy$ 平面内の配位子が近づくので $d_{x^2-y^2}$ は不安定化する.$e_g$ の縮退が解け,電子は下がった $d_{z^2}$($a_{1g}$)に入るので,系全体のエネルギーが下がる.
この安定化は歪み $Q$ の1次に比例する.歪みによる摂動を $\Ham^{\mathrm{P}}=Q(\partial\Ham/\partial Q)$ と書けば,縮退部分空間の中で1次摂動(=縮退摂動論)を行うだけで,$\pm\abs{Q}\times(\text{定数})$ という分裂が出る.一方,原子核を動かすのに要する弾性エネルギーは $\tfrac12 kQ^2$ と2次である.したがって $Q$ が小さいところでは必ず1次の利得が2次の損を上回り,$Q=0$ は不安定になる.これが1次のJahn–Teller効果(first-order Jahn–Teller effect)である.
注意:$e_g$ という記号が2回出てくる
図4.4 で,$O_h$ での高い方の準位も $e_g$,$D_{4h}$ での $d_{xz},d_{yz}$ の組も $e_g$ と書かれている.これは誤植ではなく,異なる点群の既約表現にたまたま同じ名前が付いているだけである($e$ は「2重縮退」,$g$ は「反転操作に対して対称(gerade)」を意味する記号なので,どちらの点群でも同じ条件を満たすラベルが $e_g$ になる).点群が変われば同じ記号でも中身が違う,というのは群論の記法上の宿命である.第12章で丁寧に扱う.
4.6.4 2次のJahn–Teller効果(SOJT)と構造相転移
1次のJahn–Teller効果には「基底状態が縮退していること」という強い条件が付いていた.閉殻の絶縁体,たとえば BaTiO$_3$ の Ti$^{4+}$($d^0$)は縮退していないので,1次のJahn–Teller効果は起こらない.それでも BaTiO$_3$ は室温以下で Ti が中心からずれた強誘電相へ相転移する.この機構を説明するのが2次のJahn–Teller効果(second-order Jahn–Teller effect, SOJT)である.
原子核の変位 $Q$ による摂動を考え,基底状態のエネルギーを $Q$ の2次まで展開しよう.式 \eqref{eq:4-second-energy} を使うと,電子系のエネルギー変化は
$$ \begin{equation} \Delta E_{\text{el}}(Q)=\underbrace{Q\bra{\psi_0^{(0)}}\frac{\partial\Ham}{\partial Q}\ket{\psi_0^{(0)}}}_{\text{1次}} -\underbrace{Q^2\sum_{i\neq0}\frac{\abs{\bra{\psi_i^{(0)}}\partial\Ham/\partial Q\ket{\psi_0^{(0)}}}^2}{E_i^{(0)}-E_0^{(0)}}}_{\text{2次(必ず負)}} \label{eq:4-sojt} \end{equation} $$となる.対称性の高い構造では1次の項は対称性の理由でゼロになるので,残るのは必ず負の2次の項である.一方,原子核を動かすのに要する弾性エネルギーは $+\tfrac12kQ^2$ である.したがって全エネルギーは
$$ E(Q)\simeq\frac12\left(k-2\sum_{i\neq0}\frac{\abs{\bra{\psi_i^{(0)}}\partial\Ham/\partial Q\ket{\psi_0^{(0)}}}^2}{E_i^{(0)}-E_0^{(0)}}\right)Q^2 $$となり,括弧の中が負になれば $Q=0$ が不安定になって構造が歪む.括弧の中が負になる条件は,式 \eqref{eq:4-sojt} の分母を見れば分かるとおり
- 基底状態のすぐ上に励起状態がある($E_i^{(0)}-E_0^{(0)}$ が小さい=バンドギャップが小さい)
- その励起状態との行列要素が大きい(=対称性が許す組み合わせで,軌道の混成が起こりやすい)
である.BaTiO$_3$ では,O の $2p$ 軌道(占有)と Ti の $3d$ 軌道(空)のエネルギー差が小さく,Ti が変位すると両者が強く混成する.これが強誘電性の起源である,というのが SOJT による説明である.
物理的意味:電子格子相互作用が材料の顔を決める
「電子のエネルギー準位の変化が,原子核の動きに影響を及ぼす」効果を,一般に電子格子相互作用(electron–lattice interaction,電子–フォノン相互作用とも)という.本節で見た2つのJahn–Teller効果は,いずれもその典型例である.
- 静的(static)な電子格子相互作用:原子核が特定の位置にずれて固定される.これが構造相転移(structural phase transition)であり,強誘電性,金属絶縁体転移,電荷秩序などを生む.
- 動的(dynamic)な電子格子相互作用:原子核の振動(フォノン)を介して電子どうしが間接的に引力を感じる.これが超伝導(BCS理論)の起源である.
どちらも,出発点は本節で導いた2次摂動の式 \eqref{eq:4-second-energy} である.第一原理計算では,この $\Delta E_{\text{el}}(Q)$ を実際に数値的に評価して,どの歪みが起こるかを予言する.担当教員の研究でも,逆ペロブスカイト型化合物における新規半導体の探索[5],層状ペロブスカイト Li$_2$SrNb$_2$O$_7$ の強誘電性の起源[7],エピタキシャル歪みによる金属絶縁体転移[6]などが,この枠組みで議論されている.
4.7 ヘリウム原子への適用 — 電子間反発を完全に計算する
ここからが本章の山場である.4.2節で用意した道具立てを使って,ヘリウム原子の1次摂動エネルギー
$$ \begin{equation} E_0^{(1)}=\bra{\psi_0^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_0^{(0)}} =\bra{\psi_0^{(0)}}\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\ket{\psi_0^{(0)}} \label{eq:4-he-first-order-def} \end{equation} $$を最後まで計算する.これは第3章3.5.7項で「結果だけ引用する」と約束した積分そのものである.6重積分だが,対称性をうまく使えば紙とペンで完遂できる.途中式は一切省略しない.
4.7.1 何を計算するのか
式 \eqref{eq:4-psi0-product} の $\psi_0^{(0)}=\phi^{(0)}(\bm r_1)\phi^{(0)}(\bm r_2)$ を代入すると,定数 $\ee^2/4\pi\eps$ は積分の外に出せて
$$ \begin{equation} E_0^{(1)}=\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\,I, \qquad I\equiv\iint\frac{\abs{\phi^{(0)}(\bm r_1)}^2\,\abs{\phi^{(0)}(\bm r_2)}^2}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\,\dd^3r_1\,\dd^3r_2 \label{eq:4-coulomb-integral-def} \end{equation} $$となる.目標は $I$(長さの逆数の次元をもつ量)を求めることである.ここで電子の確率密度を
$$ \begin{equation} \rho(r)\equiv\abs{\phi^{(0)}(\bm r)}^2=\frac{1}{\pi}\left(\frac{Z}{a_0}\right)^3e^{-2Zr/a_0} =\frac{Z^3}{\pi a_0^3}e^{-2Zr/a_0} \label{eq:4-rho-def} \end{equation} $$と書こう.例題4.2で確かめたとおり $\int\rho(r)\dd^3r=1$ である.$\rho$ は $r$ だけの関数,すなわち球対称であることが決定的に重要である.以後,記号を簡単にするため
$$ \begin{equation} \alpha\equiv\frac{2Z}{a_0} \qquad\text{つまり}\qquad \rho(r)=\frac{Z^3}{\pi a_0^3}e^{-\alpha r} \label{eq:4-alpha-def} \end{equation} $$と置く.$4\pi\rho(r)$ という組み合わせが後で何度も出るので,先に整理しておくと
$$ \begin{equation} 4\pi\rho(r)=\frac{4Z^3}{a_0^3}e^{-\alpha r}=\frac{\alpha^3}{2}e^{-\alpha r} \label{eq:4-4pirho} \end{equation} $$である($\alpha^3=8Z^3/a_0^3$ だから $\alpha^3/2=4Z^3/a_0^3$).
なぜ?:量子力学の積分を静電気学に翻訳する
式 \eqref{eq:4-coulomb-integral-def} を,次のように読み替えてみよう.
$\rho(\bm r_1)\dd^3r_1$ は「電子1が微小体積 $\dd^3r_1$ にいる確率」である.これを電荷が空間に塗り広げられた雲だと思えば,$\rho$ は(電気素量を単位とした)電荷密度そのものである.すると式 \eqref{eq:4-coulomb-integral-def} は
「電荷雲1と電荷雲2の間の静電相互作用エネルギー」
にほかならない.量子力学の6重積分が,高校物理でも習う古典的な静電気の問題に化けたのである.しかも電荷雲は球対称だから,Gaussの法則という強力な武器が使える.この読み替えができるかどうかで,計算の見通しがまったく違ってくる.
この読み替えに従い,$I$ を2段階に分けて計算する.まず
$$ \begin{equation} V(r_2)\equiv\int\frac{\rho(r_1)}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\,\dd^3r_1 \label{eq:4-potential-def} \end{equation} $$を求める.これは「電荷雲1が,位置 $\bm r_2$ につくる静電ポテンシャル」($\ee^2/4\pi\eps$ を除いた量)である.そのうえで
$$ \begin{equation} I=\int\rho(r_2)\,V(r_2)\,\dd^3r_2 \label{eq:4-i-two-step} \end{equation} $$と,電荷雲2で重み付き平均をとればよい.
4.7.2 角度積分:$1/\abs{\bm r_1-\bm r_2}$ の角度平均
まず式 \eqref{eq:4-potential-def} の積分を実行する.$\bm r_2$ を固定し,$\bm r_2$ の方向を極軸($z$ 軸)にとる極座標で $\bm r_1$ を積分しよう.$\bm r_1$ と $\bm r_2$ のなす角を $\theta$ とすると,余弦定理から
$$ \abs{\bm r_1-\bm r_2}=\sqrt{r_1^2+r_2^2-2r_1r_2\cos\theta} $$である.体積要素は $\dd^3r_1=r_1^2\sin\theta\,\dd r_1\dd\theta\dd\varphi$ で,$\rho(r_1)$ は角度に依らないから,角度部分の積分
$$ A(r_1,r_2)\equiv\frac{1}{4\pi}\int_0^{2\pi}\!\!\dd\varphi\int_0^{\pi}\frac{\sin\theta\,\dd\theta}{\sqrt{r_1^2+r_2^2-2r_1r_2\cos\theta}} $$を先に片づけられる($1/4\pi$ で規格化して「角度平均」にしておく).$\varphi$ 積分は $2\pi$ を与える.$\theta$ 積分は $u=\cos\theta$ と置換する.$\dd u=-\sin\theta\,\dd\theta$,$\theta:0\to\pi$ のとき $u:1\to-1$ だから
$$ \begin{align} A(r_1,r_2)&=\frac{2\pi}{4\pi}\int_{-1}^{1}\frac{\dd u}{\sqrt{r_1^2+r_2^2-2r_1r_2u}} \nonumber\\ &=\frac12\left[\frac{-1}{r_1r_2}\sqrt{r_1^2+r_2^2-2r_1r_2u}\right]_{u=-1}^{u=1} \nonumber\\ &=\frac{1}{2r_1r_2}\left[\sqrt{r_1^2+r_2^2+2r_1r_2}-\sqrt{r_1^2+r_2^2-2r_1r_2}\right] \nonumber\\ &=\frac{1}{2r_1r_2}\Bigl[(r_1+r_2)-\abs{r_1-r_2}\Bigr] . \end{align} $$2行目では $\int(a-bu)^{-1/2}\dd u=-\frac{2}{b}\sqrt{a-bu}$(ここで $b=2r_1r_2$)を使った.最後の行で $\sqrt{(r_1-r_2)^2}=\abs{r_1-r_2}$ としたところが要である($-$ を付けてはいけない.平方根は非負である).
ここで $r_{\lt}\equiv\min(r_1,r_2)$,$r_{\gt}\equiv\max(r_1,r_2)$ と書くと,$(r_1+r_2)-\abs{r_1-r_2}=2r_{\lt}$ であり,$r_1r_2=r_{\lt} r_{\gt}$ であるから
という,驚くほど簡単な結果を得る.
数学ノート:これはNewtonの球殻定理である
式 \eqref{eq:4-angular-average} は,静電気学(あるいは重力)の球殻定理(shell theorem)そのものである.半径 $r_1$ の一様に帯電した球殻が,距離 $r_2$ の点につくるポテンシャルは
- 球殻の外側($r_2\gt r_1$)では $1/r_2$ ——全電荷が中心に集まっているのと同じ.
- 球殻の内側($r_2\lt r_1$)では $1/r_1$(定数)——場所によらず一定,したがって電場はゼロ.
この2つをまとめて書いたのが $1/\max(r_1,r_2)=1/r_{\gt}$ である.Newtonが『プリンキピア』で幾何学的に証明し,Gaussの法則を使えば数行で示せる有名な定理を,いま我々は積分によって「再発見」したことになる.
なお,$1/\abs{\bm r_1-\bm r_2}$ をLegendre多項式で展開する公式
$$ \frac{1}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}=\sum_{\ell=0}^{\infty}\frac{r_{\lt}^{\ell}}{r_{\gt}^{\ell+1}}P_\ell(\cos\theta) $$を使えば,角度平均をとる操作は $\ell=0$ の項($P_0=1$)だけを拾うことに相当し,やはり $1/r_{\gt}$ が残る.両方の見方を知っておくと,第13章のMadelung和や多重極展開の議論で役に立つ.
4.7.3 内側の電荷と外側の寄与
式 \eqref{eq:4-angular-average} を式 \eqref{eq:4-potential-def} に戻すと,$V$ は $r_2$ だけの関数になり
$$ \begin{align} V(r_2)&=\int_0^{\infty}4\pi r_1^2\,\rho(r_1)\,A(r_1,r_2)\,\dd r_1 \nonumber\\ &=\underbrace{\frac{1}{r_2}\int_0^{r_2}4\pi r_1^2\rho(r_1)\,\dd r_1}_{\text{(a) 内側の殻からの寄与}} +\underbrace{\int_{r_2}^{\infty}4\pi r_1\,\rho(r_1)\,\dd r_1}_{\text{(b) 外側の殻からの寄与}} \label{eq:4-gauss-split} \end{align} $$と2つに分かれる.$r_1\lt r_2$ の領域では $r_{\gt}=r_2$ なので $1/r_2$ が積分の外に出る.$r_1\gt r_2$ の領域では $r_{\gt}=r_1$ なので,$r_1^2\times(1/r_1)=r_1$ となって $r_1$ の1乗が残る.ここが分岐点であり,この先は初等的な積分だけである.
(a) 内側の電荷 $q(r_2)$
まず $\displaystyle q(R)\equiv\int_0^{R}4\pi r^2\rho(r)\dd r$(半径 $R$ の球の内側にある電荷)を求める.式 \eqref{eq:4-4pirho} より
$$ q(R)=\frac{\alpha^3}{2}\int_0^{R}r^2e^{-\alpha r}\dd r $$である.不定積分を部分積分で作ろう.$\displaystyle\int r^2e^{-\alpha r}\dd r$ において $u=r^2$,$\dd v=e^{-\alpha r}\dd r$ とすると $v=-e^{-\alpha r}/\alpha$ だから
$$ \int r^2e^{-\alpha r}\dd r=-\frac{r^2}{\alpha}e^{-\alpha r}+\frac{2}{\alpha}\int re^{-\alpha r}\dd r . $$もう一度,$u=r$,$\dd v=e^{-\alpha r}\dd r$ として部分積分すると
$$ \int re^{-\alpha r}\dd r=-\frac{r}{\alpha}e^{-\alpha r}+\frac{1}{\alpha}\int e^{-\alpha r}\dd r =-\frac{r}{\alpha}e^{-\alpha r}-\frac{1}{\alpha^2}e^{-\alpha r} . $$合わせると
$$ \int r^2e^{-\alpha r}\dd r=-\left(\frac{r^2}{\alpha}+\frac{2r}{\alpha^2}+\frac{2}{\alpha^3}\right)e^{-\alpha r} $$である.これを $0$ から $R$ まで積分すると($r=0$ で $e^{-\alpha r}=1$ に注意)
$$ \int_0^{R}r^2e^{-\alpha r}\dd r =\frac{2}{\alpha^3}-\left(\frac{R^2}{\alpha}+\frac{2R}{\alpha^2}+\frac{2}{\alpha^3}\right)e^{-\alpha R} $$となる.したがって
を得る.検算しておこう.$R\to\infty$ では $e^{-\alpha R}\to0$ だから $q(\infty)=1$,すなわち全電荷は1(電子1個分)である.$R\to0$ では,$e^{-\alpha R}\simeq1-\alpha R+\alpha^2R^2/2-\alpha^3R^3/6$ を代入すると $O(R^3)$ の項だけが残り $q(R)\simeq\tfrac{\alpha^3}{6}R^3\to0$ となる.どちらも期待どおりである.
数学ノート:$q(R)$ は不完全ガンマ関数である
式 \eqref{eq:4-qr} は,一般には不完全ガンマ関数(incomplete gamma function)$\gamma(3,\alpha R)/\Gamma(3)$ と書かれる量である.しかし被積分関数が $r^2e^{-\alpha r}$ という「多項式 $\times$ 指数関数」の形をしているおかげで,部分積分が有限回で終わり,初等関数だけで閉じた式になる.指数関数を含む原子軌道の積分がしばしば手計算で完遂できるのは,この性質のおかげである.第5章でGauss関数を導入するときも,同じ「有限回で閉じる」という性質が鍵になる.
(b) 外側の殻からの寄与 $W(r_2)$
次に $\displaystyle W(R)\equiv\int_{R}^{\infty}4\pi r\rho(r)\dd r$ を計算する.式 \eqref{eq:4-4pirho} より
$$ W(R)=\frac{\alpha^3}{2}\int_{R}^{\infty}re^{-\alpha r}\dd r . $$上で得た不定積分を使うと,$r\to\infty$ で $re^{-\alpha r}\to0$,$e^{-\alpha r}\to0$ だから
$$ \int_{R}^{\infty}re^{-\alpha r}\dd r =\left[-\left(\frac{r}{\alpha}+\frac{1}{\alpha^2}\right)e^{-\alpha r}\right]_{R}^{\infty} =\left(\frac{R}{\alpha}+\frac{1}{\alpha^2}\right)e^{-\alpha R} $$となり,
$$ \begin{equation} W(R)=\frac{\alpha^3}{2}\left(\frac{R}{\alpha}+\frac{1}{\alpha^2}\right)e^{-\alpha R} =\left(\frac{\alpha^2R}{2}+\frac{\alpha}{2}\right)e^{-\alpha R} \label{eq:4-outer} \end{equation} $$を得る.
4.7.4 ポテンシャル $V(r)$ の完成
式 \eqref{eq:4-gauss-split} に式 \eqref{eq:4-qr},\eqref{eq:4-outer} を代入する.$R\equiv r_2$ と書くと
$$ \begin{align} V(R)&=\frac{q(R)}{R}+W(R) \nonumber\\ &=\frac{1}{R}-\left(\frac{1}{R}+\alpha+\frac{\alpha^2R}{2}\right)e^{-\alpha R} +\left(\frac{\alpha}{2}+\frac{\alpha^2R}{2}\right)e^{-\alpha R} \nonumber\\ &=\frac{1}{R}-\left(\frac{1}{R}+\alpha-\frac{\alpha}{2}+\frac{\alpha^2R}{2}-\frac{\alpha^2R}{2}\right)e^{-\alpha R} \end{align} $$となる.$\alpha^2R/2$ の項がきれいに打ち消し合い,$\alpha-\alpha/2=\alpha/2$ が残る.したがって
である.この式の読み方を確認しよう.
- 遠方($\alpha R\gg1$):$e^{-\alpha R}\to0$ なので $V\to1/R$.電荷雲の外から見れば,電子1は中心にある点電荷と区別がつかない.まさにGaussの法則である.
- 原点($R\to0$):$e^{-\alpha R}\simeq1-\alpha R$ を代入すると $$ V(R)\simeq\frac{1}{R}-\left(\frac{1}{R}+\frac{\alpha}{2}\right)(1-\alpha R) =\frac{1}{R}-\frac{1}{R}+\alpha-\frac{\alpha}{2}+O(R)=\frac{\alpha}{2}+O(R) $$ 発散せずに有限値 $\alpha/2=Z/a_0$ に落ち着く.点電荷なら $1/R$ で発散するところだが,電荷が広がっているおかげで有限にとどまる.
4.7.5 最後の動径積分
あとは式 \eqref{eq:4-i-two-step} を実行するだけである.$\rho$ も $V$ も球対称なので
$$ \begin{align} I&=\int_0^{\infty}4\pi r^2\rho(r)\,V(r)\,\dd r \nonumber\\ &=\frac{\alpha^3}{2}\int_0^{\infty}r^2e^{-\alpha r}\left[\frac{1}{r}-\left(\frac{1}{r}+\frac{\alpha}{2}\right)e^{-\alpha r}\right]\dd r \end{align} $$となる.角括弧を展開し,$r^2$ を掛けて項ごとに整理すると
$$ \begin{align} I&=\frac{\alpha^3}{2}\int_0^{\infty}\left[ \underbrace{r\,e^{-\alpha r}}_{(1)} -\underbrace{r\,e^{-2\alpha r}}_{(2)} -\underbrace{\frac{\alpha}{2}r^2e^{-2\alpha r}}_{(3)} \right]\dd r \end{align} $$である.第2項・第3項で指数が $e^{-2\alpha r}$ になっているのは,$\rho$ の $e^{-\alpha r}$ と $V$ の中の $e^{-\alpha r}$ が掛かるからである.あとは公式 $\displaystyle\int_0^\infty r^ne^{-ar}\dd r=\frac{n!}{a^{n+1}}$(付録A)を3回使うだけである.
$$ \begin{align} (1)&:\ \int_0^{\infty}re^{-\alpha r}\dd r=\frac{1!}{\alpha^2}=\frac{1}{\alpha^2} \nonumber\\ (2)&:\ \int_0^{\infty}re^{-2\alpha r}\dd r=\frac{1!}{(2\alpha)^2}=\frac{1}{4\alpha^2} \nonumber\\ (3)&:\ \frac{\alpha}{2}\int_0^{\infty}r^2e^{-2\alpha r}\dd r=\frac{\alpha}{2}\cdot\frac{2!}{(2\alpha)^3} =\frac{\alpha}{2}\cdot\frac{2}{8\alpha^3}=\frac{1}{8\alpha^2} \nonumber \end{align} $$したがって
$$ \begin{align} I&=\frac{\alpha^3}{2}\left(\frac{1}{\alpha^2}-\frac{1}{4\alpha^2}-\frac{1}{8\alpha^2}\right) =\frac{\alpha^3}{2}\cdot\frac{1}{\alpha^2}\left(1-\frac14-\frac18\right) \nonumber\\ &=\frac{\alpha}{2}\cdot\frac{8-2-1}{8}=\frac{\alpha}{2}\cdot\frac58=\frac{5\alpha}{16} \end{align} $$となる.ここに $\alpha=2Z/a_0$ を戻すと,ついに
を得る.有名な $5/8$ という係数は,$1-\tfrac14-\tfrac18=\tfrac58$ という,ただの分数の引き算から生まれていたのである.
4.7.6 1次摂動エネルギーとヘリウムの全エネルギー
式 \eqref{eq:4-radial-final} を式 \eqref{eq:4-coulomb-integral-def} に戻すと,1次摂動エネルギーが求まる.式 \eqref{eq:4-hartree} を使って $\epsilon_{1s}$ に換算しておこう.
$\epsilon_{1s}\lt0$ なので $E_0^{(1)}\gt0$,すなわちエネルギーを持ち上げる.反発なのだから当然である.これは第3章3.5.7項で結果だけ引用した値と完全に一致する(第3章では有効核電荷 $Z'$ について書かれていたが,いま得たのは $Z'=Z$ の場合である).
1次摂動まで取り込んだヘリウムの基底状態エネルギーは,式 \eqref{eq:4-first-energy-hp},\eqref{eq:4-psi0-product},\eqref{eq:4-coulomb-result} より
となる.$Z=2$,$\epsilon_{1s}=-13.606$ eV を代入すると
$$ \begin{align} E_0&=\left(2\times4-\frac54\times2\right)\times(-13.606) =\left(8-2.5\right)\times(-13.606) \nonumber\\ &=5.5\times(-13.606)=-74.83\ \mathrm{eV} \label{eq:4-he-numeric} \end{align} $$である.電子間反発を無視した $-108.85$ eV に対し,反発の期待値
$$ E_0^{(1)}=\frac58\times2\times27.211=34.01\ \mathrm{eV} $$が足し戻され,実験値 $-79.005$ eV にぐっと近づいた.実験値を基準にした誤差は $37.8\%$ から $5.3\%$ に改善した(講義スライドでは計算値を分母にとって「$27\%$ の誤差」と表示されていたが,本書では実験値を分母に統一する).
例題4.6 2通りの書き方が一致することを確かめる
式 \eqref{eq:4-coulomb-result} の中辺 $\tfrac58 Z\ee^2/(4\pi\eps a_0)$ と右辺 $-\tfrac54Z\epsilon_{1s}$ が,$Z=2$ で同じ数値になることを確かめよ.
解答 中辺:$\tfrac58\times2\times27.211=1.25\times27.211=34.014$ eV.
右辺:$-\tfrac54\times2\times(-13.606)=-2.5\times(-13.606)=+34.015$ eV.
四捨五入の範囲で一致する($27.211=2\times13.6055$ なので当然である).以後,数値としては $34.01$ eV を使う.
導出:積分公式を使う別解(講義での計算)
4.7.2〜4.7.5項ではポテンシャル $V(r)$ を経由したが,6重積分を一気に処理する次の公式を使う手もある.
$$ \begin{equation} \iint\frac{e^{-\alpha(r_1+r_2)}}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\,\dd^3r_1\,\dd^3r_2=\frac{20\pi^2}{\alpha^5} \label{eq:4-double-integral-formula} \end{equation} $$この公式を認めれば,式 \eqref{eq:4-coulomb-integral-def} は $\rho$ の前因子を出すだけで終わる:
$$ \begin{align} I&=\left(\frac{Z^3}{\pi a_0^3}\right)^2\iint\frac{e^{-\alpha(r_1+r_2)}}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\dd^3r_1\dd^3r_2 =\frac{Z^6}{\pi^2a_0^6}\cdot\frac{20\pi^2}{\alpha^5} \nonumber\\ &=\frac{Z^6}{a_0^6}\cdot\frac{20}{(2Z/a_0)^5} =\frac{Z^6}{a_0^6}\cdot\frac{20\,a_0^5}{32Z^5} =\frac{20Z}{32a_0}=\frac{5Z}{8a_0} \nonumber \end{align} $$と,確かに式 \eqref{eq:4-radial-final} が再現される.式 \eqref{eq:4-double-integral-formula} 自体は,本節の (a)(b) 分解をそのまま実行すれば示せる.実際,$\rho\to e^{-\alpha r}$ と置き換えて同じ手順をたどればよい.
講義スライドでは,角度積分の結果 $\int\dd\Omega_1\int\dd\Omega_2=(4\pi)^2=16\pi^2$ を先に出し,残りの動径2重積分を
$$ \int_0^\infty\!\!\int_0^\infty\frac{e^{-\alpha(r_1+r_2)}}{r_{\gt}}r_1^2r_2^2\,\dd r_1\dd r_2=\frac{5}{4\alpha^5} $$と評価する順序で計算していた.$16\pi^2\times\frac{5}{4\alpha^5}=\frac{20\pi^2}{\alpha^5}$ となり,式 \eqref{eq:4-double-integral-formula} と同じである.どちらの順序で計算しても構わないが,静電気学に翻訳する方法のほうが,途中の量($q(r)$,$V(r)$)に物理的な意味があるぶん見通しがよい.
物理的意味:この積分は一生ものである
いま計算した積分
$$ U=\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\iint\frac{\abs{\phi_a(\bm r_1)}^2\abs{\phi_b(\bm r_2)}^2}{\abs{\bm r_1-\bm r_2}}\dd^3r_1\dd^3r_2 $$は,一般にCoulomb積分(Coulomb integral)と呼ばれ,本書では記号 $U$ で表す.「軌道 $a$ の電子雲と軌道 $b$ の電子雲の間の古典的な静電反発エネルギー」という,きわめて分かりやすい意味をもつ量である.
この量は本書の後半で繰り返し登場する.第9章では,Pauliの排他律から生じる交換積分(exchange integral)$J$ と対になって現れ,全エネルギーの内訳を決める.第13章ではイオン結晶のMadelungエネルギーの計算に,第14章では固体のバンド構造と絶縁体性の議論(Hubbard の $U$)に使われる.実際,遷移金属酸化物が金属になるか絶縁体になるかは,「同じ原子上の $U$ と,隣接原子に飛び移る利得のどちらが大きいか」でおおよそ決まる.いま手計算した $5/8\cdot Z\ee^2/(4\pi\eps a_0)$ は,その最も単純な実例なのである.
例題4.7 リチウムイオン Li$^+$ に適用する
Li$^+$($Z=3$,電子2個)の基底状態エネルギーを1次摂動論で求めよ.実験値は $-198.1$ eV である.誤差は何 % か.
解答 式 \eqref{eq:4-he-first-order} に $Z=3$ を代入すると
$$ E_0=\left(2\times9-\frac54\times3\right)\epsilon_{1s}=(18-3.75)\times(-13.606)=14.25\times(-13.606)=-193.9\ \mathrm{eV} . $$実験値との差は $4.2$ eV,相対誤差は $4.2/198.1=2.1\%$ である.ヘリウムの $5.3\%$ より良くなっている点に注目してほしい.$Z$ が大きくなると非摂動項は $2Z^2$ で,摂動項は $\tfrac54Z$ で増えるので,比 $\dfrac{5Z/4}{2Z^2}=\dfrac{5}{8Z}$ は $Z$ に反比例して小さくなる.つまり核電荷が大きいほど電子間反発は相対的に「弱い摂動」になり,摂動論の精度が上がる.$Z\to\infty$ の極限では摂動論は厳密になる.この事実は,多電子原子を $1/Z$ で展開する「$1/Z$ 展開」という手法の出発点でもある.
4.8 変分法と摂動法の比較
4.8.1 4つの数値を並べる
これで,ヘリウム原子の基底状態エネルギーについて2つの近似値が手に入った.第3章の変分法と,本章の1次摂動論である.文献から2つの重要な値を借りてきて,並べて眺めてみよう.
| 方法 | 考慮している効果 | $E$ (eV) | 誤差 (eV) | 誤差 (%) |
|---|---|---|---|---|
| 電子間反発を無視(第3章3.3節) | なし(別の系を解いている) | $-108.85$ | $-29.85$ | 37.8 |
| 1次摂動論(本章4.7節) | 反発を期待値で評価 | $-74.83$ | $+4.17$ | 5.3 |
| 変分法(第3章,$Z'=1.6875$) | 反発+平均的な遮蔽 | $-77.49$ | $+1.52$ | 1.9 |
| Hartree–Fock極限(第9章) | 最良の平均場 | $-77.87$ | $+1.13$ | 1.4 |
| 実験値 | すべて(真の値) | $-79.005$ | — | — |
4.8.2 変分法は上限を保証するが,摂動法は保証しない
表4.1を見ると,変分法($-77.49$ eV)のほうが1次摂動論($-74.83$ eV)より真の値に近い.しかし,両者の違いは「どちらが正確か」だけではない.結果の意味が根本的に違う.
注意:摂動論の答えは真の値より上とは限らない
第3章で学んだ変分原理は
$$ \braket{\Psi_T|\Ham|\Psi_T}\ \ge\ E_0^{\text{true}}\qquad(\Psi_T\ \text{は規格化された任意の試行関数}) $$という不等式である.したがって変分法で得た値は,必ず真の値の上限(upper bound)である.「エネルギーが下がった=答えが良くなった」と即断してよい.これが変分法の最大の美点であり,世界中の計算コードが変分原理の上に立っている理由である.
ところが摂動論にはこの保証がない.$k$ 次で打ち切った摂動エネルギー $E_n^{(0)}+E_n^{(1)}+\cdots+E_n^{(k)}$ が真の値より上になるか下になるかは,系と次数による.ヘリウムの1次摂動値 $-74.83$ eV はたまたま上(真の値より高い)だが,2次まで入れると $E_0^{(2)}\lt0$ の分だけ下がり,実測より低くなってしまうことも起こり得る.実際,ヘリウムでは2次摂動を厳密に評価すると $E_0^{(2)}=-4.29$ eV,合計 $E_0\simeq-79.12$ eV となり,実験値 $-79.005$ eV をわずかに下回ることが知られている.
「摂動論の答えが実験値より低い」ことは,計算が間違っている証拠にはならない.同様に「変分法の答えが実験値より低い」なら,それはほぼ確実に計算ミスかハミルトニアンの取り違えである.この非対称性を覚えておくと,数値計算のデバッグに役立つ.
なぜ?:変分法のほうが良い答えを出したのはなぜか
1次摂動論では,波動関数として非摂動系のもの($Z'=Z=2$ の水素様軌道の積)をそのまま使う.電子は相手がいることを知らないまま,$Z=2$ の裸の核に引きつけられた分布のままである.そこに反発エネルギーを「後から足す」のが1次摂動である.
変分法では,$Z'$ という自由度を与えることで,電子分布そのものが「相手に遮蔽されて核電荷が $1.6875$ に見える」形に緩和できる.波動関数が摂動に応答しているのである.この応答こそが,1次摂動論には欠けていて2次摂動論から入ってくる効果である(式 \eqref{eq:4-first-wavefunction} で波動関数が変化し,その結果として式 \eqref{eq:4-second-energy} の2次項が生じる).
実際に確かめてみよう.第3章の結果 $\braket{E}(Z')=(-2Z'^2+4ZZ'-\tfrac54Z')\epsilon_{1s}$ を $Z'=Z-\delta$ と書いて $\delta$ について展開すると,$\delta=5/16$ で最適化されて得られる利得は $2\delta^2\abs{\epsilon_{1s}}=2\times(5/16)^2\times13.606=2.66$ eV である.これが $-74.83\to-77.49$ eV の差にほかならない.2次摂動が担うべき「波動関数の応答」を,変分法は $Z'$ という1つのパラメータで先取りしていたのである.
4.8.3 電子相関エネルギー
表4.1の4行目,Hartree–Fock極限とは何か.第9章で本格的に学ぶが,ここでは「電子1個1個が,他の電子がつくる平均的な場の中を動くと考える近似(平均場近似)の中で,最良の答え」だと理解しておけばよい.変分法の $Z'$ を1つのパラメータではなく,軌道の関数形そのものを自由に変えて最適化した極限である.
そして,真の全エネルギーとHartree–Fockエネルギーの差を電子相関エネルギー(electron correlation energy)と呼ぶ:
ヘリウムでは
$$ E_{\text{corr}}=-79.005-(-77.879)=-1.126\simeq-1.13\ \mathrm{eV} $$である.定義から $E_{\text{corr}}\lt0$ であり(変分原理より $E^{\text{HF}}\ge E^{\text{true}}$ だから),常に安定化の方向に働く.
物理的意味:相関とは「電子が互いを避け合う」こと
平均場近似では,電子2は「電子1が平均的につくる電荷雲」を感じるだけで,電子1がいまどこにいるかは知らない.しかし本当は,電子1が核の右側にいるとき電子2は左側にいたほうが反発が小さくて得である.この「相手の瞬間的な位置に応じて自分の居場所を調整する」効果が電子相関であり,平均場では原理的に捉えられない.
$1.13$ eV は全エネルギー $79$ eV の $1.4\%$ にすぎない.しかし化学結合のエネルギーは 1〜5 eV のオーダーであり,相関エネルギーは化学結合と同じスケールの量である.「$1.4\%$ だから無視してよい」とは決して言えない.結合エネルギーや反応熱を予言したければ,相関を何らかの形で取り込まねばならない.その方法が,摂動論に基づくMøller–Plesset摂動法(MP2法),配置間相互作用(CI),結合クラスター法(CCSD(T)),そして密度汎関数法である.MP2法は,本章で導いた2次摂動の公式 \eqref{eq:4-second-energy} をHartree–Fock解に対して適用したものにほかならない.本章の内容は,現代の量子化学計算の直接の土台である.
数学ノート:強相関電子系
摂動論も平均場近似も,「相関は小さな補正である」という前提に立っている.ところが世の中には,この前提が完全に崩れる物質がある.
典型例は遷移金属酸化物である.NiO や CoO は,バンド計算(平均場)では金属になるはずなのに,実際には数 eV のギャップをもつ絶縁体である.原因は,同じ原子上に2個目の電子を置くのに要するCoulomb反発エネルギー $U$(4.7節で計算したのと同種の量)が,電子が隣の原子へ飛び移って得られる運動エネルギーの利得より大きいことにある.電子は互いを避けるために各原子上に1個ずつ「凍りついて」しまう.これをMott絶縁体(Mott insulator)といい,こうした物質群を強相関電子系(strongly correlated electron system)と呼ぶ.
強相関電子系では摂動論が破綻するため,動的平均場理論(DMFT),量子モンテカルロ法,DFT+$U$ 法といった別の道具が必要になる.高温超伝導体,巨大磁気抵抗マンガン酸化物,金属絶縁体転移を示す酸化物[6]など,材料科学で最も面白い現象の多くがこの領域にある.「摂動論が使えない」ことが,その物質が面白いことの証拠になっていると言ってもよい.
実物を動かす:摂動論シミュレーター
本章の計算を画面の上で動かせるようにした.タブ①はヘリウムで,摂動パラメータ $\lambda$ を 0 から 1 まで動かすと,エネルギーが「反発無視 $\to$ 1次 $\to$ 2次」と実験値に近づいていく.2次補正が $Z$ に依らない定数($-4.29$ eV)であること,1次摂動と前章の変分法($Z'=Z$ の点)の関係も,その場で確かめられる.タブ②は2準位モデルで,摂動級数の収束半径 $\lambda_c=\Delta/2V$ を可視化する——$\lambda$ が収束半径を超えると,次数を上げるほど発散していく様子は,「摂動級数はいつでも収束するとは限らない」という4.3節の注意の実物である.
4.9 まとめと演習
4.9.1 この章のまとめ
- 摂動論の発想:解きたいハミルトニアンを,厳密に解ける $\Ham^{(0)}$ と小さな残り $\Ham^{\mathrm{P}}$ に分け,$\Ham^{(0)}$ の既知の解だけを材料に近似解を組み立てる.起源は天体力学(二体問題から三体問題へ,海王星の発見).
- ヘリウムの分解:$\Ham=\Ham_1^{(0)}+\Ham_2^{(0)}+\Ham^{\mathrm{P}}$.非摂動項は水素様原子2個,摂動項は電子間反発 $\ee^2/(4\pi\eps\abs{\bm r_1-\bm r_2})$.非摂動解は $\psi_0^{(0)}=\phi^{(0)}(\bm r_1)\phi^{(0)}(\bm r_2)$,$E_0^{(0)}=2Z^2\epsilon_{1s}$.
- $\lambda$ 展開:$\Ham^{\mathrm{P}}=\lambda\Ham'$ と書き,$\psi_n,E_n$ を $\lambda$ のべき級数に展開して代入し,$\lambda$ の恒等式として次数ごとに分離する(式 \eqref{eq:4-order0}〜\eqref{eq:4-order2}).
- 1次摂動エネルギー:$E_n^{(1)}=\bra{\psi_n^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}$(式 \eqref{eq:4-first-energy}).1次摂動波動関数を知らなくても計算できる.摂動を入れる前の分布のまま摂動項の期待値をとった値,と読める.
- 1次摂動波動関数:$\psi_n\simeq\psi_n^{(0)}-\sum_{i\neq n}\dfrac{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham^{\mathrm{P}}\ket{\psi_n^{(0)}}}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}}\psi_i^{(0)}$(式 \eqref{eq:4-first-wavefunction}).行列要素が大きいほど,エネルギーが近いほど強く混ざる.縮退があると破綻する.
- 2次摂動エネルギー:$E_n^{(2)}=-\sum_{i\neq n}\dfrac{\abs{\bra{\psi_i^{(0)}}\Ham'\ket{\psi_n^{(0)}}}^2}{E_i^{(0)}-E_n^{(0)}}$.基底状態では必ず負であり,準位反発を生む.1次のJahn–Teller効果(縮退の解消),2次のJahn–Teller効果(SOJT,構造相転移・強誘電性),電子格子相互作用(静的=構造相転移,動的=超伝導)の基礎.
- ヘリウムの電子間反発:角度平均が $1/r_{\gt}$ になること(球殻定理)を使い,内側電荷 $q(R)$ と外側寄与 $W(R)$ に分けてポテンシャル $V(R)=1/R-(1/R+\alpha/2)e^{-\alpha R}$ を求め,最後の動径積分から $$ E_0^{(1)}=\frac58\frac{Z\ee^2}{4\pi\eps a_0}=-\frac54Z\epsilon_{1s} $$ を得た.$Z=2$ で $34.01$ eV.この量はCoulomb積分 $U$ と呼ばれ,第9・13・14章で再登場する.
- ヘリウムの全エネルギー:$E_0=(2Z^2-\tfrac54Z)\epsilon_{1s}=-74.83$ eV(誤差 $5.3\%$).変分法 $-77.49$ eV($1.9\%$),Hartree–Fock極限 $-77.87$ eV($1.4\%$),実験値 $-79.005$ eV.
- 変分法との違い:変分法は上限を保証するが,摂動法は保証しない.変分法が勝ったのは,$Z'$ という自由度が「波動関数の応答」(2次摂動が担うべき効果)を先取りしていたため.
- 電子相関エネルギー:$E_{\text{corr}}=E^{\text{true}}-E^{\text{HF}}=-1.13$ eV.全エネルギーの $1.4\%$ にすぎないが化学結合と同スケール.摂動論が破綻する系が強相関電子系である.
なぜ?:面倒な式変形に付き合う意味
本章の式変形は,正直に言って面倒である.上付き $(0),(1),(2)$ と下付き $n,i,j$ が入り乱れ,内積を取っては $\delta$ で潰す,という作業が延々と続いた.しかし,この面倒くささを一度通り抜けておくと,あとの章がずいぶん楽になる.
第9章のHartree–Fock方程式も,第11章の永年方程式も,第12章の対称性の議論も,やっていることは本章と同じ——完全系で展開し,内積を取り,規格直交性で項を潰す——である.手続きの型が身につけば,記号の見た目が変わっても迷わない.式変形を飛ばさずに一度自分の手で追っておくこと.それが遠回りに見えて最短の道である.
4.9.2 演習問題
演習4.1 井戸の中央に薄い壁を立てる
幅 $L$ の1次元無限井戸(固有関数 $\psi_n^{(0)}(x)=\sqrt{2/L}\sin(n\pi x/L)$,$n=1,2,3,\dots$)の中央に,薄い障壁 $\Ham^{\mathrm{P}}=V_0\,\delta(x-L/2)$($V_0\gt0$)を置く.各準位の1次摂動エネルギー $E_n^{(1)}$ を求め,$n$ が偶数のときと奇数のときで結果がどう違うかを説明せよ.
ヒント:Diracのデルタ関数の性質 $\int f(x)\delta(x-a)\dd x=f(a)$ を使えば,積分は $V_0\abs{\psi_n^{(0)}(L/2)}^2$ の一行で終わる.$\sin(n\pi/2)$ は $n$ が奇数なら $\pm1$,偶数なら $0$ である.偶数の準位は $x=L/2$ に節(波動関数がゼロになる点)をもつので,壁を「感じない」.この「節の位置にある摂動は効かない」という性質は,第12章の対称性の議論と本質的に同じ内容である.
演習4.2 二準位模型で摂動論の精度を測る
式 \eqref{eq:4-two-level} の二準位模型で $\Delta=1$,$v=0.3$ とする.(a) 厳密な固有値 $E_\pm$ を求めよ.(b) 2次摂動による近似値を求めよ.(c) 下の準位について相対誤差を求めよ.(d) 4次の項まで含めた展開 $E_-\simeq-v^2/\Delta+v^4/\Delta^3$ を使うと誤差はどうなるか.
ヒント:(a) は式 \eqref{eq:4-two-level-exact} に代入するだけ($\sqrt{0.25+0.09}=\sqrt{0.34}$).(d) は $\sqrt{1+x}=1+\tfrac{x}{2}-\tfrac{x^2}{8}+\cdots$ を $x=4v^2/\Delta^2$ について使えばよい.高次項を入れると誤差が1桁小さくなることを確認し,「摂動級数は次数を上げれば改善する(少なくともこの例では)」ことを実感してほしい.
演習4.3 電子雲はどこまで詰まっているか
式 \eqref{eq:4-qr} の $q(R)=1-(1+\alpha R+\alpha^2R^2/2)e^{-\alpha R}$($\alpha=2Z/a_0$)を使って,ヘリウム($Z=2$)の1s電子について,(a) $R=a_0/2$,(b) $R=a_0$,(c) $R=2a_0$ の球の内側にある電荷の割合を求めよ.また (d) 電荷の半分が含まれる半径(半電荷半径)を数値的に求めよ.
ヒント:$Z=2$ なら $\alpha R=4R/a_0$ である.(a) は $\alpha R=2$,(b) は $\alpha R=4$,(c) は $\alpha R=8$.$e^{-2}=0.1353$,$e^{-4}=0.01832$,$e^{-8}=3.355\times10^{-4}$ を使う.(d) は $\alpha R\simeq2.674$ 付近を試行錯誤で探せばよい(図4.5 の青い点線と右軸の $0.5$ の交点にあたる).結果を「電子雲の大部分は $a_0$ 程度の領域に収まっている」という描像と照らし合わせてみよ.
演習4.4 等電子系列をたどる
電子を2個もつイオン列 He($Z=2$),Li$^+$($Z=3$),Be$^{2+}$($Z=4$),B$^{3+}$($Z=5$)について,式 \eqref{eq:4-he-first-order} による1次摂動エネルギーを計算し,実験値(順に $-79.005$,$-198.1$,$-371.6$,$-599.6$ eV)と比べて相対誤差を求めよ.$Z$ が大きくなるにつれて誤差はどうなるか.その理由を式で説明せよ.
ヒント:$E_0=(2Z^2-\tfrac54Z)\times(-13.606)$ eV を各 $Z$ について計算する.摂動項と非摂動項の比が $\dfrac{5Z/4}{2Z^2}=\dfrac{5}{8Z}$ となって $Z$ に反比例することがポイントである(例題4.7).ついでに,誤差の絶対値(eV)が $Z$ によらずほぼ一定($4$ eV 程度)であることにも注目してほしい.これは電子相関エネルギーが $Z$ にほとんど依存しないという有名な事実の現れである.
演習4.5 一様電場中の調和振動子(厳密解と摂動論)
1次元調和振動子 $\Ham^{(0)}=\dfrac{\hat p^2}{2m}+\dfrac12m\omega^2x^2$ に,一様電場による摂動 $\Ham^{\mathrm{P}}=-qFx$ を加える.(a) $\Ham=\Ham^{(0)}+\Ham^{\mathrm{P}}$ を $x$ について平方完成し,厳密な固有値を求めよ.(b) 1次摂動エネルギーが全準位でゼロになることを示せ.(c) (a) の結果と (b) を比べて,2次摂動エネルギーが $E_n^{(2)}=-q^2F^2/(2m\omega^2)$ であることを読み取れ.(d) この系では3次以上の摂動がすべてゼロであることを説明せよ.
ヒント:(a) $\tfrac12m\omega^2x^2-qFx=\tfrac12m\omega^2\left(x-\dfrac{qF}{m\omega^2}\right)^2-\dfrac{q^2F^2}{2m\omega^2}$ と平方完成すれば,振動の中心がずれただけの調和振動子になる.よって $E_n=\left(n+\tfrac12\right)\hbar\omega-\dfrac{q^2F^2}{2m\omega^2}$.(b) は $\braket{x}=0$(偶関数と奇関数の積の積分).(d) 厳密解が $F$ の2次までで終わっているのだから,3次以上は消えるほかない.基底状態が必ず下がるという4.6節の主張がここでも成り立っていることを確認しよう.この $-q^2F^2/(2m\omega^2)$ という形は分極率(polarizability)の定義そのものであり,第13章のvan der Waals力の議論で再登場する.
演習4.6 なぜ変分法のほうが良かったのか,数値で確かめる
第3章の結果 $\braket{E}(Z')=\left(-2Z'^2+4ZZ'-\tfrac54Z'\right)\epsilon_{1s}$ を使う.(a) $Z'=Z=2$ を代入して,1次摂動論の結果 $-74.83$ eV が再現されることを確かめよ.(b) $Z'=Z-\delta$ と置いて $\delta$ の2次式に整理し,最適な $\delta$ と,そのときの安定化エネルギー($Z'=Z$ からの下がり幅)を $\epsilon_{1s}$ を使って表せ.(c) 得られた安定化エネルギーを eV で評価し,$-74.83\to-77.49$ eV の差と一致することを確かめよ.
ヒント:(b) $\braket{E}=\left(-2(Z-\delta)^2+4Z(Z-\delta)-\tfrac54(Z-\delta)\right)\epsilon_{1s}$ を展開して $\delta$ について整理すると,$\delta$ の2次の係数は $-2\epsilon_{1s}\gt0$,1次の係数は $\tfrac54\epsilon_{1s}$ になるはずである.平方完成すれば $\delta=5/16$ と安定化エネルギー $2\delta^2\epsilon_{1s}$ が出る.(c) $2\times(5/16)^2\times(-13.606)=-2.66$ eV.この $2.66$ eV こそ「1次摂動論には入っていないが変分法には入っている効果」の大きさである.
4.9.3 参考文献
- 原田 義也『量子化学(上巻)』裳華房(1978). 第5章に摂動論の導出とヘリウム原子への適用が丁寧に書かれている.本章の記号もこれに近い.
- A. Szabo, N. S. Ostlund『新しい量子化学 — 電子構造の理論入門(上)』大野公男・阪井健男・望月祐志 訳, 東京大学出版会(1987). 原著は Modern Quantum Chemistry, Dover (1996). 第6章がMøller–Plesset摂動論.本章の2次摂動公式が量子化学計算にどう使われるかが分かる.
- P. Atkins, J. de Paula, Atkins' Physical Chemistry, 11th ed., Oxford University Press (2018). 摂動論の導入と1次元井戸の例題が豊富.
- シュライバー・アトキンス『無機化学(上)』第6版, 田中勝久ほか 訳, 東京化学同人(2016). 結晶場分裂とJahn–Teller効果の化学的な解説.
- Y. Mochizuki, H.-J. Sung, A. Takahashi, Y. Kumagai, F. Oba, "Theoretical exploration of mixed-anion antiperovskite semiconductors", Phys. Rev. Materials 4, 044601 (2020).
- Y. Mochizuki, T. Sasaki, H. Akamatsu, K. Hayashi et al., "Theoretical and experimental study on the metal–insulator transition induced by epitaxial strain", Phys. Rev. Materials 2, 125001 (2018). 電子格子相互作用と構造相転移の第一原理計算の実例.
- Y. Mochizuki et al., "Cation-Ordered Layered Perovskite Li$_2$SrNb$_2$O$_7$: A New Ferroelectric", Chem. Mater. 33, 1257 (2021). 2次のJahn–Teller効果と強誘電性の関係を扱った研究.
- I. B. Bersuker, The Jahn–Teller Effect, Cambridge University Press (2006). Jahn–Teller効果とSOJTの標準的な教科書.
- P. A. Cox『固体の電子構造と化学』藤井 澄・大西 直 訳, 技報堂出版(1989). 原著 The Electronic Structure and Chemistry of Solids, Oxford University Press (1987). Mott絶縁体と強相関電子系の入門.
- C. Kittel『固体物理学入門(上・下)』第8版, 宇野良清ほか 訳, 丸善(2005). 電子格子相互作用と超伝導.
- E. A. Hylleraas, "Neue Berechnung der Energie des Heliums im Grundzustande", Z. Phys. 54, 347 (1929). $r_{12}$ を陽に含む試行関数でヘリウムの基底状態を高精度に求めた古典的論文.
- Q. Sun et al., "PySCF: the Python-based simulations of chemistry framework", WIREs Comput. Mol. Sci. 8, e1340 (2018). 付録Bで使う計算パッケージ.MP2法も1行で実行できる.