第8章応答関数の一般的性質
第7章で久保公式
$$ \chi^R_{AB}(t-t') = -\frac{\ii}{\hbar}\,\theta(t-t')\,\braket{\,[\hat A_H(t),\hat B_H(t')]\,} $$を導いた.「外から $\hat B$ に力を加えたときの $\hat A$ の応答は,力を加えていない平衡状態での交換子の期待値だけで決まる」という主張である.美しいが,このままでは何も計算できない.交換子の期待値を,どうやって具体的な数に落とすのか.
答えは拍子抜けするほど簡単で,完全系 $\sum_n\ket{n}\bra{n}=1$ を交換子の真ん中に挟む,それだけである.すると $\hat A_H(t)$ の時間依存性が $\ee^{\pm\ii\omega_{n0}t}$ という単純な位相因子にほどけ,時間積分が初等的に実行できて
$$ \chi^R_{AB}(\omega) = \frac{1}{\hbar}\sum_n\left[\frac{\bra{0}\hat A\ket{n}\bra{n}\hat B\ket{0}}{\omega-\omega_{n0}+\ii\eta} - \frac{\bra{0}\hat B\ket{n}\bra{n}\hat A\ket{0}}{\omega+\omega_{n0}+\ii\eta}\right] $$という形になる.これをLehmann表示(スペクトル表示)という.分母を見てほしい.$\omega=\omega_{n0}$ すなわち $\hbar\omega=E_n-E_0$ で発散する.応答関数の極は,系の励起エネルギーそのものなのである.第1章で「叩いて返事を聞けば,叩かなくても系が何をしたがっているかが分かる」と書いたことの,これが正体である.
本章はこの一本の式を導き,そこから読み取れることを全部読み取る.上半面の解析性(因果律),実部と虚部の分離,揺動散逸定理,和則 —— 線形応答理論の「一般論」と呼ばれるものは,ほとんどすべてこの式に書き込まれている.
- 完全系を挟んで久保公式をLehmann(スペクトル)表示に書き換える手続き(時間積分まで全部)
- $\chi^R(\omega)$ の極が励起エネルギー $\omega_{n0}=(E_n-E_0)/\hbar$ に一致すること,その極がすべて実軸のわずかに下にあること
- だから上半面の解析性(=因果律)が自動的に成り立ち,第4章のKramers–Kronig関係が量子系でもそのまま使えること
- Sokhotski–Plemelj公式で実部と虚部に分けると,虚部が「デルタ関数の櫛」になること.有限系の線スペクトルと無限系の連続スペクトル
- スペクトル関数 $S_{AB}(\omega)$ の定義とLehmann表示,詳細つり合い $S_{BA}(-\omega)=\ee^{-\beta\hbar\omega}S_{AB}(\omega)$
- 揺動散逸定理:揺らぎ $S$ と散逸 $\chi''$ が同じ関数で結ばれること.古典極限でNyquist の熱雑音の式に帰着すること
- $f$ 和則(Thomas–Reiche–Kuhn):$\omega\chi''$ の積分が二重交換子の期待値になること,密度演算子では $nq^2/m$ になること
- 時間順序型 $\chi^T$ と遅延型 $\chi^R$ の違い.Feynman図が作るのは前者,実験が測るのは後者
8.1 Lehmann(スペクトル)表示の導出
8.1.1 舞台設定と記号
系のハミルトニアンを $\Ham_0$ とする.外部摂動を加える前の,相互作用を含んだ「本物の」ハミルトニアンである.その固有状態を $\ket{n}$,固有エネルギーを $E_n$ と書く:
$$ \begin{equation} \Ham_0\ket{n} = E_n\ket{n}, \qquad \sum_n \ket{n}\bra{n} = 1, \qquad \braket{n|m} = \delta_{nm} \label{eq:8-eigen} \end{equation} $$$n=0$ を基底状態とし,$E_0 \le E_1 \le E_2 \le \cdots$ と番号を振る.8.1〜8.5節では,まず絶対零度 $T=0$,すなわち系が基底状態 $\ket{0}$ にある場合を扱う.有限温度への拡張は8.1.4節と8.5.3節で示し,その完全な正当化は第13章(松原形式)で行う.
記号の約束
行列要素を短く $A_{mn} \equiv \bra{m}\hat A\ket{n}$,$B_{mn} \equiv \bra{m}\hat B\ket{n}$ と書く.また基底状態からの励起振動数を
と定義する.$\omega_{n0}$ は振動数(単位 $\mathrm{s}^{-1}$)であってエネルギーではないことに注意する.$\hbar$ を掛けるとエネルギーになる.この区別を怠ると,以後の式のあちこちで $\hbar$ が1個合わなくなる.
第7章で導いた遅延応答関数を,$t'=0$ にとって書き直しておく.時間並進不変性(第1章の要請2)により $\chi^R_{AB}$ は $t-t'$ にしか依らないから,これで一般性を失わない:
ここで $\hat A_H(t)$ は $\Ham_0$ によるHeisenberg表示の演算子である(第6章):
$$ \begin{equation} \hat A_H(t) = \ee^{\ii\Ham_0 t/\hbar}\,\hat A\,\ee^{-\ii\Ham_0 t/\hbar} \label{eq:8-heisenberg} \end{equation} $$符号の流儀 —— 本書は $\Ham_{\text{ext}}=+f(t)\hat B$ を採る
第7章で述べたとおり,本書はFetter–Waleckaに合わせて外部摂動を $\Ham_{\text{ext}}(t) = f(t)\,\hat B$ とプラス符号で結合させる(FW の $\Ham_{\text{ext}}=\int\dd^3x\,\phi(\xx,t)\hat\rho(\xx)$ がこの形である).このとき応答は $\delta\braket{A(t)}=\int\chi^R_{AB}(t-t')f(t')\dd t'$ となり,$\chi^R$ は式 \eqref{eq:8-kubo} のマイナス符号付きの形になる.
いっぽう久保の原論文や多くの統計力学の教科書は $\Ham_{\text{ext}}=-f(t)\hat B$(力 $f$ が座標 $\hat B$ に $-f\hat B$ で結合する,力学の標準形)を採る.この流儀では応答関数の全体符号が逆転する:
$$ \chi^{\text{Kubo}}_{AB}(\omega) = -\,\chi^R_{AB}(\omega) $$第2・3章の力学的感受率(バネの $\chi(\omega)=[m(\omega_0^2-\omega^2)-\ii\gamma\omega]^{-1}$)は,ポテンシャルが $-F\hat x$ だったから,このKubo流である.したがって「第3章では $\mathrm{Im}\,\chi>0$ が吸収だったのに,本章では $\chi''<0$ が吸収になる」という見かけの矛盾が起きる.これは物理の違いではなく,$f$ の符号の取り方の違いにすぎない.8.4.3節でこの対応を符号と係数まで含めて確認する.混乱したらこの囲みに戻ってほしい.
8.1.2 完全系を挟む
なぜ完全系を挟むとうまくいくのか
式 \eqref{eq:8-kubo} の困難は,$\hat A_H(t)$ の中に $\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}$ という演算子の指数関数が入っていることである.演算子の指数関数は,一般には展開すら難しい.
ところが $\Ham_0$ の固有状態に作用させると,$\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{n}=\ee^{-\ii E_nt/\hbar}\ket{n}$ というただの数になる.だから「固有状態の完全系を挟んで,$\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}$ を固有状態に噛ませてしまえ」というのが唯一の突破口である.挟んだ瞬間,演算子の指数関数はすべて $c$ 数の位相因子に化ける.これは技巧ではなく,ほとんど唯一の方法である.以後,量子多体論で「スペクトル表示」「Lehmann表示」と名の付く操作はすべてこれである.
導出1:交換子の期待値をほどく
ステップ1:交換子を2項に開く.
$$ \bra{0}[\hat A_H(t),\hat B(0)]\ket{0} = \underbrace{\bra{0}\hat A_H(t)\hat B\ket{0}}_{(\mathrm{I})} - \underbrace{\bra{0}\hat B\hat A_H(t)\ket{0}}_{(\mathrm{II})} $$ステップ2:第1項 $(\mathrm{I})$ に完全系を挟む.$\hat A_H(t)$ と $\hat B$ のあいだに $\sum_n\ket{n}\bra{n}=1$ を入れる:
$$ (\mathrm{I}) = \bra{0}\hat A_H(t)\left(\sum_n\ket{n}\bra{n}\right)\hat B\ket{0} = \sum_n \bra{0}\hat A_H(t)\ket{n}\,B_{n0} $$ステップ3:Heisenberg演算子の行列要素を計算する.ここが本節の核心である.式 \eqref{eq:8-heisenberg} を代入し,左の指数関数は左のブラ $\bra{0}$ に,右の指数関数は右のケット $\ket{n}$ に作用させる.$\Ham_0$ はエルミートだから $\bra{0}\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar} = \ee^{\ii E_0t/\hbar}\bra{0}$,また $\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{n}=\ee^{-\ii E_nt/\hbar}\ket{n}$.よって
$$ \bra{0}\hat A_H(t)\ket{n} = \ee^{\ii E_0 t/\hbar}\,\ee^{-\ii E_n t/\hbar}\,\bra{0}\hat A\ket{n} = \ee^{-\ii(E_n-E_0)t/\hbar}\,A_{0n} = A_{0n}\,\ee^{-\ii\omega_{n0}t} $$すなわちHeisenberg演算子の行列要素は,静的な行列要素に単純な位相 $\ee^{-\ii\omega_{n0}t}$ が付いただけである.演算子の指数関数が消えた.したがって $(\mathrm{I}) = \sum_n A_{0n}B_{n0}\,\ee^{-\ii\omega_{n0}t}$.
ステップ4:第2項 $(\mathrm{II})$ も同様に.今度は $\hat B$ と $\hat A_H(t)$ のあいだに完全系を挟む:
$$ (\mathrm{II}) = \sum_n \bra{0}\hat B\ket{n}\bra{n}\hat A_H(t)\ket{0} = \sum_n B_{0n}\,\bra{n}\hat A_H(t)\ket{0} $$行列要素の順番が逆になっていることに注意して,ステップ3と同じ計算をすると
$$ \bra{n}\hat A_H(t)\ket{0} = \ee^{\ii E_n t/\hbar}\,\ee^{-\ii E_0 t/\hbar}\,A_{n0} = A_{n0}\,\ee^{+\ii\omega_{n0}t} $$位相の符号が逆になった.ここが後で「正の振動数の極」と「負の振動数の極」を生む.したがって $(\mathrm{II}) = \sum_n B_{0n}A_{n0}\,\ee^{+\ii\omega_{n0}t}$.
ステップ5:まとめる.式 \eqref{eq:8-kubo} に戻して
∎ 交換子の期待値が,励起振動数 $\omega_{n0}$ をもつ振動の重ね合わせになった.重み $A_{0n}B_{n0}$ は「基底状態から $\hat B$ で $\ket{n}$ を叩き出し,$\hat A$ で戻ってくる」という過程の振幅である.
物理的意味:式 \eqref{eq:8-lehmann-t} の読み方
時刻 $0$ に演算子 $\hat B$ で系を「叩く」と,基底状態は $\hat B\ket{0}=\sum_n B_{n0}\ket{n}$ という励起状態の重ね合わせに変わる.その後,各成分 $\ket{n}$ は固有の振動数 $\omega_{n0}$ で位相 $\ee^{-\ii\omega_{n0}t}$ を回しながら時間発展する.時刻 $t$ に $\hat A$ で「返事を聞く」と,$\ket{0}$ に戻ってくる振幅 $A_{0n}$ が掛かる.
つまり応答関数とは,叩いて生じた励起が,それぞれ固有の振動数で鳴りながら,返事として戻ってくる過程の総和である.第2章の減衰振動子で「$G(t)$ が $\sin\omega_1 t$ で鳴る」と言ったのとまったく同じ構造であり,違うのは鳴る振動数が1個ではなく無数にある点だけである.
8.1.3 時間積分を実行する
導出2:Fourier変換 —— 積分を1本も飛ばさずに
第1章の規約に従い $\chi^R_{AB}(\omega)=\int_{-\infty}^{\infty}\dd t\,\chi^R_{AB}(t)\,\ee^{\ii\omega t}$ を計算する.式 \eqref{eq:8-lehmann-t} を代入すると,$\theta(t)$ のおかげで積分下限が $0$ になる:
$$ \chi^R_{AB}(\omega) = -\frac{\ii}{\hbar}\sum_n\left[ A_{0n}B_{n0}\int_0^{\infty}\!\!\dd t\,\ee^{\ii(\omega-\omega_{n0})t} - B_{0n}A_{n0}\int_0^{\infty}\!\!\dd t\,\ee^{\ii(\omega+\omega_{n0})t} \right] $$ここで手が止まる.$\int_0^\infty \ee^{\ii X t}\dd t$ は,$X$ が実数のままでは $t\to\infty$ で振動し続けて収束しない.
収束因子 $\ee^{-\eta t}$ を入れる.第6章で導入した断熱的な印加を思い出す.外部摂動は $t=-\infty$ で $0$ から $\ee^{\eta t}$($\eta>0$ は微小)でゆっくり立ち上げたのだった.これは応答関数の側から見ると,応答が無限の過去の記憶を引きずらないよう $\ee^{-\eta t}$ で減衰させることに対応する.すなわち
$$ \chi^R_{AB}(t) \;\longrightarrow\; \chi^R_{AB}(t)\,\ee^{-\eta t} \qquad\Longleftrightarrow\qquad \omega \;\longrightarrow\; \omega + \ii\eta $$と置き換え,最後に $\eta\to0^+$ とする.物理的には「無限に長い時間ではなく,非常に長いが有限の時間 $1/\eta$ で測る」ということである.
第1の積分.$X_1 \equiv \omega-\omega_{n0}+\ii\eta$ と置くと $\mathrm{Im}\,X_1=\eta>0$ だから $\abs{\ee^{\ii X_1 t}}=\ee^{-\eta t}\to0$($t\to\infty$)で,確かに収束する:
$$ \int_0^{\infty}\dd t\,\ee^{\ii X_1 t} = \left[\frac{\ee^{\ii X_1 t}}{\ii X_1}\right]_0^{\infty} = \frac{0 - 1}{\ii X_1} = -\frac{1}{\ii X_1} = \frac{\ii}{X_1} $$最後の等号では $1/\ii=-\ii$ を使った($-\frac{1}{\ii X}=-\frac{-\ii}{X}=\frac{\ii}{X}$).第2の積分もまったく同じで,$\omega_{n0}$ の符号だけが違う:$\displaystyle\int_0^{\infty}\dd t\,\ee^{\ii(\omega+\omega_{n0}+\ii\eta)t} = \frac{\ii}{\omega+\omega_{n0}+\ii\eta}$.
代入する.全体に掛かる因子は $-\frac{\ii}{\hbar}\times\ii = -\frac{\ii^2}{\hbar} = +\frac{1}{\hbar}$ である.
これがLehmann表示(スペクトル表示)である.Fetter–Waleckaでは7節と31節に,Green関数に対する同じ構造の式が出てくる.以後,本章のすべては,この一本の式を眺めることから出てくる.
記法の注意:$\eta$ はどこまで真面目に持ち歩くか
$\eta\to0^+$ の極限を取るのが約束だが,$\eta$ を落とすと $\omega=\omega_{n0}$ で式が無意味になる.そこで実用上は次のようにする.
- 実部を計算するとき:$\eta$ を落として主値(Cauchy の主値 $\PV$)と解釈する.
- 虚部を計算するとき:$\eta$ がデルタ関数を生む(8.4節).ここで $\eta$ を落としてはいけない.
- 数値計算するとき:$\hbar\eta$ を小さな有限値(たとえば $0.01$ eV)に取り,デルタ関数を幅 $\eta$ のLorentzianで置き換える.第一原理計算の光学スペクトルで「smearing」「broadening」と呼ばれるパラメータの正体がこれである.
8.1.4 有限温度への一般化(先出し)
$T>0$ では系は基底状態にいない.$\ket{0}$ での期待値を,Boltzmann重み付きの熱平均
$$ \braket{\hat O} \;\longrightarrow\; \frac{1}{Z}\sum_m \ee^{-\beta E_m}\bra{m}\hat O\ket{m}, \qquad Z=\sum_m\ee^{-\beta E_m},\quad \beta=\frac{1}{k_BT} $$で置き換えればよい.導出の各ステップで $\ket{0}\to\ket{m}$,$\omega_{n0}\to\omega_{nm}$ と読み替え,最後に $m$ について重み付きで和を取るだけなので,結果は
となる($\hbar\omega_{nm}=E_n-E_m$).$T\to0$ では $\ee^{-\beta E_m}/Z\to\delta_{m0}$ となって式 \eqref{eq:8-lehmann} に戻る.これがFetter–Walecka 31節の「一般化したLehmann表示」に相当する.8.6節の揺動散逸定理はこの形から出る.
有限温度で気をつけること
$T>0$ では $\omega_{nm}$ が負にもなりうる($E_n<E_m$,つまり熱励起された状態から下に落ちる過程).$T=0$ では $\omega_{n0}\ge0$ しか現れなかったのと決定的に違う.この非対称性が詳細つり合い(8.5.3節)と揺動散逸定理の因子 $1-\ee^{-\beta\hbar\omega}$ を生む.
8.2 極は励起エネルギーである
8.2.1 極の位置を読む
式 \eqref{eq:8-lehmann} を複素 $\omega$ 平面上の関数として見る.分母がゼロになる点,すなわち極は
$$ \begin{equation} \omega = +\omega_{n0} - \ii\eta \qquad\text{および}\qquad \omega = -\omega_{n0} - \ii\eta \label{eq:8-poles} \end{equation} $$である($n=1,2,3,\dots$).$\eta\to0^+$ では実軸上の $\pm\omega_{n0}$ に限りなく近づくが,必ず実軸のわずかに下にとどまる.そして
つまり応答関数の極の実部は,系の励起エネルギーそのものである.これが線形応答理論の最も重要な結論のひとつであり,「叩いて返事を聞けば,系がどんな励起を持っているかが分かる」という第1章の宣言の,数式による証明である.
物理的意味:2種類の極
- $\omega=+\omega_{n0}$:外力の振動数が励起エネルギーに一致したとき,系はエネルギー $\hbar\omega$ を吸収して $\ket{0}\to\ket{n}$ と励起される.共鳴吸収である.
- $\omega=-\omega_{n0}$:$\ee^{-\ii\omega t}$ の規約で $\omega<0$ は逆回りの成分であり,系がエネルギーを放出する過程に対応する.$T=0$ では基底状態より下がないので実際には起こらないが,応答関数の式には対称に現れる.8.5節で見るように,この非対称性(起こる/起こらない)こそが揺動散逸定理の $1-\ee^{-\beta\hbar\omega}$ 因子の起源である.
減衰振動子(第3章)の $\chi(\omega)$ が $\omega\simeq\pm\omega_0$ の2か所に共鳴を持っていたのと,まったく同じ構造である.違いは,量子多体系では共鳴が $\omega_{10},\omega_{20},\dots$ と無数にあることだけである.
小谷岳生先生のご助言:応答関数は $1/(\omega-\omega'+\ii\eta)$ の重ね合わせにすぎない
ここで一度,式 \eqref{eq:8-lehmann} を構造だけ眺めておきたい.行列要素をまとめて重み $w_\alpha$ と呼び,極の位置を $\Omega_\alpha$ と書けば,Lehmann表示は
$$ \chi^R_{AB}(\omega) \;=\; \sum_\alpha \frac{w_\alpha}{\omega-\Omega_\alpha+\ii\eta} $$という一行に尽きる(極の位置は $\Omega_\alpha=\pm\omega_{n0}$,重みは $w_\alpha=A_{0n}B_{n0}/\hbar$ と $-B_{0n}A_{n0}/\hbar$ の2種類である).分母はどれも $\omega$ の1次式で,$\ii\eta$ の付き方も全項で共通である.つまり応答関数とは,位置と重みを指定された1次の極(単純極)の重ね合わせ以上のものではない.本章の残りで導く上半面解析性も,Kramers–Kronig関係も,デルタ関数の櫛も,和則も,すべてこの一行の読み方にすぎない.
なぜ1次の極しか出ないのか.Schrödinger 方程式 $\ii\hbar\,\partial_t\ket{\psi}=\Ham\ket{\psi}$ が時間について1階だからである.1階だから固有状態の時間発展は $\ee^{-\ii E_nt/\hbar}$ という単一振動数の因子ひとつになり,Heisenberg演算子の行列要素も $\ee^{\mp\ii\omega_{n0}t}$ という位相因子ひとつにほどける(8.1.2項).そこに因果律の $\theta(t)$ を掛けてFourier変換すれば,導出2でやったとおり
$$ \int_0^{\infty}\dd t\,\ee^{\ii(\omega-\omega_{n0}+\ii\eta)t} \;=\; \frac{\ii}{\omega-\omega_{n0}+\ii\eta} $$となり,位相因子1個から1次の極が1個生まれる.対比として第2・3章の減衰振動子を思い出そう.あちらは運動方程式が時間について2階だったので $\chi(\omega)=\left[m(\omega_0^2-\omega^2)-\ii\gamma\omega\right]^{-1}$ の分母は $\omega$ の2次式になり,極が $\omega_\pm=\pm\omega_1-\ii\Gamma$ と2つ現れた.古典側では,運動方程式が時間について2階であることが,そのまま分母の次数2として顔を出しているのである.もっとも,量子側でも交換子が $\ee^{\mp\ii\omega_{n0}t}$ という位相因子の対を生むので,例題8.1 のように2項をまとめれば分母はやはり2次式になる.違いは全体の次数ではなく,まとめる前の各項が必ず1次であることのほうにある.そして2次式も部分分数に開けば1次の極2本に戻り,実際
$$ \frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)-\ii\gamma\omega} = -\frac{1}{2m\omega_1}\left[\frac{1}{\omega-\omega_1+\ii\Gamma}-\frac{1}{\omega+\omega_1+\ii\Gamma}\right] \qquad\left(\Gamma=\frac{\gamma}{2m},\ \omega_1=\sqrt{\omega_0^2-\Gamma^2}\right) $$が恒等的に成り立つ(第4章4.4.4項の囲みで $\gamma=2m\Gamma$ と書いて示した分解と同じものである).これは次項の例題8.1 で得る量子的な結果と,$\omega_1\to\omega_0$,$\Gamma\to\eta$ の読み替えでぴたりと一致する.結局,量子多体系で残る仕事は「極の位置 $\Omega_\alpha$ と重み $w_\alpha$ をどう求めるか」だけになる.
——以上は,QSGW 法の開発者である小谷岳生先生よりいただいたご助言(私信,2026年8月)にもとづく.
8.2.2 例題:調和振動子 —— 量子が古典に一致する
例題8.1 1次元調和振動子のLehmann表示
$\Ham_0=\dfrac{\hat p^2}{2m}+\dfrac12 m\omega_0^2\hat x^2$ について,$\hat A=\hat B=\hat x$ の応答関数 $\chi^R_{xx}(\omega)$ をLehmann表示から求め,第3章の古典的結果と比較せよ.
解答.生成消滅演算子で $\hat x=\sqrt{\dfrac{\hbar}{2m\omega_0}}(\hat a+\hat a^\dagger)$ と書ける.$\hat a\ket{0}=0$,$\hat a^\dagger\ket{0}=\ket{1}$ だから
$$ \hat x\ket{0} = \sqrt{\frac{\hbar}{2m\omega_0}}\,\ket{1} \qquad\Longrightarrow\qquad x_{n0} = \sqrt{\frac{\hbar}{2m\omega_0}}\,\delta_{n1} $$すなわち基底状態から行ける先は $\ket{1}$ ただ1つである.励起振動数は $\omega_{10}=\omega_0$.Lehmann表示 \eqref{eq:8-lehmann} の和は $n=1$ の1項だけになり
$$ \chi^R_{xx}(\omega) = \frac{1}{\hbar}\cdot\frac{\hbar}{2m\omega_0}\left[ \frac{1}{\omega-\omega_0+\ii\eta} - \frac{1}{\omega+\omega_0+\ii\eta}\right] $$$\hbar$ が約分で消えた.角括弧を通分すると($\eta\to0$ とする)
$$ \frac{1}{\omega-\omega_0}-\frac{1}{\omega+\omega_0} = \frac{(\omega+\omega_0)-(\omega-\omega_0)}{\omega^2-\omega_0^2} = \frac{2\omega_0}{\omega^2-\omega_0^2} $$よって
$$ \chi^R_{xx}(\omega) = \frac{1}{2m\omega_0}\cdot\frac{2\omega_0}{\omega^2-\omega_0^2} = \frac{1}{m(\omega^2-\omega_0^2)} = -\frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)} $$本書の符号規約(8.1.1節の警告)により,力 $F$ に対する力学的感受率は $\chi^{\text{mech}}=-\chi^R_{xx}$ だから
これは第3章の減衰振動子の応答関数 $\chi(\omega)=[m(\omega_0^2-\omega^2)-\ii\gamma\omega]^{-1}$ で $\gamma\to0$ としたまさにその式である.∎
ここで驚くべきこと.$\hbar$ が完全に消えた.調和振動子の線形応答は,量子論で計算しても古典論で計算しても厳密に同じである.$\hbar$ は $x_{01}^2=\hbar/2m\omega_0$ の分子と,Lehmann表示の前置因子 $1/\hbar$ の分母で相殺した.
これは偶然ではない.調和振動子ではEhrenfest の定理が厳密に成り立ち,期待値が古典運動方程式に厳密に従うからである.逆に言えば,線形応答だけを見ているかぎり,調和振動子は量子か古典かを教えてくれない.量子性が現れるのは非調和項が入ったとき,あるいは揺らぎ $\braket{\hat x^2}$ そのものを見たとき(8.6節)である.
数値の感覚.電子質量 $m=9.11\times10^{-31}\ \mathrm{kg}$,励起エネルギー $\hbar\omega_0=2\ \mathrm{eV}$(可視光)とすると $\omega_0=3.04\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$ であり
$$ x_{01} = \sqrt{\frac{\hbar}{2m\omega_0}} = \sqrt{\frac{1.055\times10^{-34}}{2\times9.11\times10^{-31}\times3.04\times10^{15}}} = 1.4\times10^{-10}\ \mathrm{m} = 1.4\ \text{Å} $$原子のサイズそのものである.行列要素は「電子雲がどれだけ揺れうるか」を表す量なので,これは至極もっともな値である.
なぜ「極を見れば集団励起が分かる」のか
例題8.1 では極が1個しかなかった.しかし $10^{23}$ 個の粒子からなる系では $\ket{n}$ の数は天文学的であり,$\omega_{n0}$ は連続的にびっしり詰まっている.それでも実験で見えるスペクトルには,しばしば鋭いピークが数本しか立たない.なぜか.
答えは行列要素 $A_{0n}B_{n0}$ の大きさにある.無数の励起状態のうち,$\hat B$ で基底状態から叩き出せるもの($B_{n0}\ne0$)はごく一部である.たとえば密度演算子 $\hat\rho_\qq$ で叩けば,運動量 $\hbar\qq$ を持ち込む励起しか作れない.その中でも振幅が集中する特別な状態 —— それが集団励起(プラズモン,フォノン,マグノン,ゼロ音波)である.
第11章でプラズモンを $\epsilon(\qq,\omega)=0$ の解として求めるが,その正体は「$\chi_{\rho\rho}$ の極のうち,行列要素が異常に大きい1本」である.応答関数の極を追うことが,そのまま集団励起を探すことになるのはこのためである.
8.3 上半面解析性 —— 因果律はタダで付いてくる
8.3.1 極がすべて下半面にあることの意味
定理8.1(上半面解析性)
$T=0$・$T>0$ を問わず,遅延応答関数 $\chi^R_{AB}(\omega)$ は複素 $\omega$ 平面の上半面 $\mathrm{Im}\,\omega>0$ で正則(解析的)である.
証明(2通り)
証明1:Lehmann表示から.式 \eqref{eq:8-lehmann-T} の各項の分母は $\omega\mp\omega_{nm}+\ii\eta$ である.$\mathrm{Im}\,\omega>0$ のとき
$$ \mathrm{Im}(\omega\mp\omega_{nm}+\ii\eta) = \mathrm{Im}\,\omega + \eta > 0 $$となり,分母は決してゼロにならない($\omega_{nm}$ は実数だから虚部に寄与しない).ゆえに上半面に極はない.$\blacksquare$
証明2:因果律から直接.式 \eqref{eq:8-kubo} には $\theta(t)$ が掛かっているので $\chi^R_{AB}(\omega) = \int_0^{\infty}\dd t\,\chi^R_{AB}(t)\,\ee^{\ii\omega t}$ である.$\omega=\omega'+\ii\omega''$($\omega''>0$)とすると被積分関数の絶対値は
$$ \abs{\chi^R_{AB}(t)\,\ee^{\ii\omega t}} = \abs{\chi^R_{AB}(t)}\,\ee^{-\omega'' t} $$となり,$t\to+\infty$ で指数的に抑えられる.積分は上半面でますますよく収束し,$\omega$ について微分できる.すなわち正則である.$\blacksquare$
∎ 2つの証明が同じ結論に達するのは当然で,$\theta(t)$ が式 \eqref{eq:8-lehmann} の分母の $+\ii\eta$ を生んだのだから,両者は同じことの言い換えである.第1章1.4節で「因果律 $\Longleftrightarrow$ 上半面での正則性」と書いた対応が,量子系でもそのまま成立している.
物理的意味:なぜ「上」なのか,覚え方
$\theta(t)$ は「未来しか使わない」という指示である.本書のFourier規約では $\ee^{+\ii\omega t}$ を掛けて $t>0$ で積分するから,$\omega$ の虚部を正にすれば $\ee^{-(\mathrm{Im}\,\omega)t}$ が減衰する.だから遅延関数は上半面で正則.逆に,極は下半面にしか立てない.
「遅れて返事が来る」=「未来だけを使う」=「上半面で正則」=「極は下半面」.この4つは全部同じことである.逆に,$t<0$ しか使わない先進(advanced)関数 $\chi^A$ なら,極は上半面に来る.
8.3.2 Kramers–Kronig関係が量子系でもそのまま使えること
第4章では,古典的な応答関数について,上半面解析性と $\abs{\omega}\to\infty$ での減衰だけからKramers–Kronig(KK)関係
を導いた($\chi^R=\chi'+\ii\chi''$).定理8.1 により,この導出は量子多体系にそっくりそのまま通用する.相互作用がどれほど強くても,粒子が何個あっても,KK関係は厳密に成り立つ.
$\abs{\omega}\to\infty$ での減衰も確認しておく
KK関係の導出には「大きな半円上の寄与が消えること」(Jordan の補題,第5章)が必要だった.Lehmann表示 \eqref{eq:8-lehmann} で $\abs{\omega}\to\infty$ とすると各項は $1/\omega$ で減衰し,和を取ると
$$ \chi^R_{AB}(\omega) \;\xrightarrow{\ \abs{\omega}\to\infty\ }\; \frac{1}{\hbar\omega}\sum_n\left(A_{0n}B_{n0}-B_{0n}A_{n0}\right) = \frac{1}{\hbar\omega}\braket{[\hat A,\hat B]} $$となる.ここで $\sum_n A_{0n}B_{n0}=\bra{0}\hat A\hat B\ket{0}$,$\sum_n B_{0n}A_{n0}=\bra{0}\hat B\hat A\ket{0}$ と完全系を畳み直した.$\chi^R\sim 1/\omega$ なので確かにゼロに向かい,Jordan の補題の条件を満たす.
この高振動数の漸近形は物理的にも意味がある.$\hat A$ と $\hat B$ が交換するなら $\chi^R$ は $1/\omega$ より速く減衰し,そのときは $1/\omega^2$ の項が主要になる.それが 8.7節の $f$ 和則である.高振動数展開の各次数が,それぞれ1本の和則に対応している.
物理的意味:なぜKK関係がありがたいか(実験の立場から)
実験で測れるのは,たいてい $\chi'$ か $\chi''$ のどちらか一方である.
- 光学吸収測定 → 吸収係数 → $\chi''$(虚部)だけ
- 反射率測定 → $\abs{r}$ だけ(位相は測れない)
- 中性子・X線非弾性散乱 → 動的構造因子 $S(\qq,\omega)$,すなわち $\chi''$ に比例する量だけ(第12章)
KK関係 \eqref{eq:8-kk} は,片方を全振動数で測れば,もう片方が積分で出てくることを保証する.反射率スペクトルから屈折率と消衰係数を分離する標準的手法(Kramers–Kronig解析)はこれである.
そして本節の主張は,この手続きが強相関電子系だろうが超伝導体だろうが厳密に正しいということである.KK解析が「モデルに依存しない解析法」と呼ばれるのは,因果律という法則しか使っていないからである.
8.4 実部と虚部に分ける —— デルタ関数の櫛
8.4.1 Sokhotski–Plemelj公式を使う
第5章5.8節で導いた公式を再掲する.実数 $x$ と $\eta\to0^+$ について,超関数の意味で
が成り立つ($\PV$ はCauchy の主値).この公式をLehmann表示 \eqref{eq:8-lehmann} の両方の分母に適用する.分母はどちらも $+\ii\eta$ 型なので,上の符号($-\ii\pi\delta$)を使う.
導出3:$\chi^R=\chi'+\ii\chi''$ への分解
式 \eqref{eq:8-lehmann} に \eqref{eq:8-sp} を代入する:
$$ \chi^R_{AB}(\omega) = \frac{1}{\hbar}\sum_n\Big\{ A_{0n}B_{n0}\Big[\PV\frac{1}{\omega-\omega_{n0}} - \ii\pi\delta(\omega-\omega_{n0})\Big] - B_{0n}A_{n0}\Big[\PV\frac{1}{\omega+\omega_{n0}} - \ii\pi\delta(\omega+\omega_{n0})\Big] \Big\} $$主値の部分とデルタ関数の部分に整理して,それぞれを $\chi'_{AB}$,$\chi''_{AB}$ と名づける:
∎ $\chi^R_{AB}=\chi'_{AB}+\ii\chi''_{AB}$ である.
$\chi''$ は「虚部」か —— 一般には要注意
$A_{0n}B_{n0}$ は一般には複素数なので,式 \eqref{eq:8-chi-re} と \eqref{eq:8-chi-im} で定義した $\chi'$,$\chi''$ は,必ずしも $\chi^R$ の実部・虚部そのものではない.正確には $\chi'$,$\chi''$ は「主値部」「デルタ関数部」と呼ぶべきものである.
しかし本書で扱う場面のほとんど,すなわち
- $\hat A=\hat B$ がエルミート演算子(密度,電流,磁化,変位など)
- $\hat B=\hat A^\dagger$($\hat\rho_\qq$ と $\hat\rho_\qq^\dagger$ の組など)
では $A_{0n}B_{n0}=\abs{A_{0n}}^2\ge0$ が実数になり,$\chi'=\mathrm{Re}\,\chi^R$,$\chi''=\mathrm{Im}\,\chi^R$ が厳密に成り立つ.以後はこの場合を念頭に置き,必要なら明示する.
8.4.2 デルタ関数の櫛としての $\chi''$
$\hat A=\hat B$(エルミート)の場合を書き下すと,式 \eqref{eq:8-chi-im} は
となる.これを言葉にすると,こうである.
物理的意味:$\chi''$ は励起スペクトルの棒グラフである
式 \eqref{eq:8-chi-im-AA} は,$\chi''_{AA}(\omega)$ が
- 位置:$\omega=\pm\omega_{n0}$,すなわち励起エネルギー $\pm(E_n-E_0)/\hbar$
- 高さ(重み):$\abs{A_{0n}}^2$,すなわち演算子 $\hat A$ が基底状態から $\ket{n}$ をどれだけ強く叩き出せるか
のデルタ関数を並べた「櫛」であることを言っている.$\chi''$ を測ることは,系の励起準位の位置と強度を測ることに,文字どおり等価である.
また式 \eqref{eq:8-chi-im-AA} から,$\chi''_{AA}$ は $\omega$ の奇関数であることが直ちに読める($\omega\to-\omega$ で2つのデルタ関数が入れ替わる).第1章の演習1.2で古典的に示した性質が,ここでは行列要素のレベルで見えている.
8.4.3 符号とエネルギー散逸 —— Fermi の黄金律との一致
式 \eqref{eq:8-chi-im-AA} を $\omega>0$ で見ると,第2項のデルタ関数は寄与せず
$$ \chi''_{AA}(\omega) = -\frac{\pi}{\hbar}\sum_n \abs{A_{0n}}^2\,\delta(\omega-\omega_{n0}) \;\le\; 0 \qquad (\omega>0) $$と負になる.8.1.1節の警告で予告したとおりである.これがエネルギー吸収と整合していることを,実際に計算して確かめよう.
導出4:吸収パワーを計算する
外部摂動を $\Ham_{\text{ext}}(t)=f(t)\hat A$,$f(t)=f_0\cos\omega t$ とする(測る量も同じ $\hat A$ とする).系のエネルギーの時間変化率は,ハミルトニアンの陽な時間依存性から
$$ \frac{\dd E}{\dd t} = \braket{\frac{\partial \Ham}{\partial t}} = \dot f(t)\,\braket{\hat A(t)} $$線形応答により $\delta\braket{\hat A(t)}=\int\chi^R_{AA}(t-t')f(t')\dd t'$ である.$f(t)=\frac{f_0}{2}(\ee^{-\ii\omega t}+\ee^{\ii\omega t})$ を代入し,$\chi^R(-\omega)=\chi^R(\omega)^*$(実の応答関数の性質)を使うと
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \frac{f_0}{2}\left[\chi^R(\omega)\ee^{-\ii\omega t}+\chi^R(\omega)^*\ee^{\ii\omega t}\right] = f_0\,\mathrm{Re}\!\left[\chi^R(\omega)\ee^{-\ii\omega t}\right] $$$\chi^R=\chi'+\ii\chi''$ と $\ee^{-\ii\omega t}=\cos\omega t-\ii\sin\omega t$ を掛けて実部を取ると
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = f_0\left[\chi'(\omega)\cos\omega t + \chi''(\omega)\sin\omega t\right] $$いっぽう $\dot f(t) = -f_0\omega\sin\omega t$.よって
$$ \frac{\dd E}{\dd t} = -f_0\omega\sin\omega t \cdot f_0\left[\chi'\cos\omega t+\chi''\sin\omega t\right] $$1周期にわたって平均する.$\overline{\sin\omega t\cos\omega t}=0$,$\overline{\sin^2\omega t}=\tfrac12$ だから
∎ 熱力学第二法則により,外力から系へのエネルギー流入は正でなければならない($P\ge0$).したがって本書の規約では
$$ \omega\,\chi''_{AA}(\omega) \le 0 \qquad\text{(すべての }\omega\text{ で)} $$が要求され,式 \eqref{eq:8-chi-im-AA} がまさにこれを満たしている($\omega>0$ で $\chi''\le0$,$\omega<0$ で $\chi''\ge0$).Kubo流の規約 $\chi^{\text{Kubo}}=-\chi^R$ に移れば $\omega\chi''^{\text{Kubo}}\ge0$ となり,第3章の「$\mathrm{Im}\,\chi>0$ が吸収」に一致する.符号の流儀が違うだけで,物理はまったく同一である.
検算:これはFermi の黄金律そのものである
式 \eqref{eq:8-power} に \eqref{eq:8-chi-im-AA} を代入する($\omega>0$):
$$ P = \frac{\pi f_0^2\,\omega}{2\hbar}\sum_n\abs{A_{0n}}^2\,\delta(\omega-\omega_{n0}) $$$\delta(\omega-\omega_{n0}) = \hbar\,\delta(\hbar\omega-\hbar\omega_{n0})$ と書き直して整理すると
$$ P = \hbar\omega\times\underbrace{\frac{2\pi}{\hbar}\sum_n\abs{\frac{f_0}{2}A_{n0}}^2\,\delta\big(\hbar\omega-(E_n-E_0)\big)}_{\text{単位時間あたりの遷移確率}\ W_{0\to n}\ \text{の総和}} $$下波括弧でくくった部分は,摂動 $\frac{f_0}{2}\hat A$($f_0\cos\omega t$ のうち吸収を起こす $\ee^{-\ii\omega t}$ 成分)に対するFermi の黄金律の表式そのものである.そして前に掛かる $\hbar\omega$ は,1回の遷移で吸収されるエネルギーである.
すなわち $P = (\text{1回あたりの吸収エネルギー})\times(\text{単位時間あたりの遷移回数})$.線形応答理論の吸収パワーが,量子力学の初等的な結果と完全に一致した.$\chi''$ は黄金律を全振動数についてまとめて書いたものであると理解してよい.
8.4.4 線スペクトルから連続スペクトルへ
式 \eqref{eq:8-chi-im-AA} は,そのまま読めば「デルタ関数の櫛」,すなわち線スペクトルである.しかし実験で見る金属や半導体の光学スペクトルは,なめらかな連続曲線である.矛盾ではないか.
有限系と無限系の違い
有限系(原子,分子,量子ドット)では準位は離散的で,$\omega_{n0}$ の間隔が有限である.だから $\chi''$ は文字どおり線スペクトルになる.原子の吸収線,分子の振動スペクトルはこれである.
無限系(熱力学極限)では事情が違う.体積 $V\to\infty$ で準位間隔は $\propto 1/V\to0$ となり,デルタ関数が無限に密に並ぶ.和を積分に置き換えて
$$ \sum_n \abs{A_{0n}}^2\delta(\omega-\omega_{n0}) \;\longrightarrow\; \int \dd\omega'\,\rho_A(\omega')\,\delta(\omega-\omega') = \rho_A(\omega) $$となり,なめらかな関数(重み付き状態密度)になる.これが連続スペクトルである.
数値の感覚.一辺 $1\ \mu\mathrm{m}$ の銅の立方体を考える.体積 $10^{-18}\ \mathrm{m^3}$,電子密度 $n=8.5\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ だから電子数は $N\approx8.5\times10^{10}$.Fermi面近傍の準位間隔はおおよそ
$$ \Delta E \approx \frac{2\varepsilon_F}{3N} = \frac{2\times7\ \mathrm{eV}}{3\times8.5\times10^{10}} \approx 5\times10^{-11}\ \mathrm{eV} $$である.室温の熱エネルギー $k_BT=25.85\ \mathrm{meV}$ や,分光器の分解能(せいぜい $1\ \mathrm{meV}$)と比べると7桁以上小さい.だから実験的には完全に連続とみなしてよい.マイクロメートルサイズの試料でさえ,すでに「無限系」なのである.
8.4.5 Kramers–Kronig関係をLehmann表示で検算する
例題8.2 KK関係の直接確認
式 \eqref{eq:8-chi-im} の $\chi''$ をKK関係 \eqref{eq:8-kk} の右辺に代入し,式 \eqref{eq:8-chi-re} の $\chi'$ が出ることを確かめよ.
解答.KK関係の右辺に代入する.デルタ関数があるので $\omega'$ 積分は一瞬で終わる:
$$ \frac{1}{\pi}\PV\!\!\int\!\dd\omega'\,\frac{\chi''_{AB}(\omega')}{\omega'-\omega} = \frac{1}{\pi}\PV\!\!\int\!\dd\omega'\,\frac{1}{\omega'-\omega} \left(-\frac{\pi}{\hbar}\right)\sum_n\left[A_{0n}B_{n0}\delta(\omega'-\omega_{n0})-B_{0n}A_{n0}\delta(\omega'+\omega_{n0})\right] $$ $$ = -\frac{1}{\hbar}\sum_n\left[\frac{A_{0n}B_{n0}}{\omega_{n0}-\omega}-\frac{B_{0n}A_{n0}}{-\omega_{n0}-\omega}\right] = \frac{1}{\hbar}\sum_n\left[\frac{A_{0n}B_{n0}}{\omega-\omega_{n0}}-\frac{B_{0n}A_{n0}}{\omega+\omega_{n0}}\right] $$最後は分母分子の符号を反転させただけである.これは式 \eqref{eq:8-chi-re} の $\chi'_{AB}(\omega)$ にほかならない.∎
この検算が通ったことは,第4章の議論(複素積分による導出)と第8章の議論(完全系の挿入による構成)が,まったく同じ物理を別の道具で述べていることの確認になっている.
8.5 スペクトル関数 $S_{AB}(\omega)$
8.5.1 交換子でない相関関数
ここまで扱ってきた $\chi^R$ には交換子 $[\hat A_H(t),\hat B]$ が入っていた.ところが実験,とくに散乱実験(第12章)で直接測られるのは,交換子ではなくただの積 $\hat A_H(t)\hat B(0)$ の期待値である.そこで次を定義する.
定義:スペクトル関数(動的相関関数)
$\braket{\cdots}$ は $T=0$ なら基底状態期待値 $\bra{0}\cdots\ket{0}$,$T>0$ なら熱平均である.前置因子 $1/2\pi$ は流儀によるので,他書と比べるときは必ず確認すること(本書の規約では後述の \eqref{eq:8-S-lehmann} がきれいになる).
$\hat A=\hat\rho_\qq$,$\hat B=\hat\rho_\qq^\dagger=\hat\rho_{-\qq}$ と取った $S_{\rho\rho^\dagger}(\qq,\omega)$ が,中性子散乱・X線非弾性散乱の断面積に直接比例する量である(第12章).有限の $\qq$ では $\hat\rho_\qq$ はエルミートではないので,$\hat A=\hat B=\hat\rho_\qq$ と取ってはいけない.そうすると一様系では運動量保存により $\qq\ne0$ で恒等的にゼロになってしまう.必ず $\hat\rho_\qq$ と $\hat\rho_\qq^\dagger$ を組にする.なお第12章では,これをさらに粒子数 $N$ で割った $S(\qq,\omega)=S_{\rho\rho^\dagger}(\qq,\omega)/N$ を動的構造因子と呼ぶ(Fetter–Walecka の流儀で,$N$ で割っておくと和則が $N$ を含まないきれいな形になる).
なぜ2つも相関関数が要るのか
$\chi^R$(交換子)と $S$(ただの積)の違いは,物理的にはっきりしている.
- $\chi^R$ は「叩いたときの返事」である.外から力を加えて初めて意味を持つ.散逸を表す.
- $S$ は「勝手に揺れている大きさ」である.外力は一切加えていない.平衡状態で $\hat A$ の値が時間とともにどう揺らぐか,その揺らぎのスペクトルである.揺動を表す.
この2つはまったく別の実験に対応する.にもかかわらず,8.6節で見るように両者は簡単な関係式で結ばれる.それが揺動散逸定理であり,線形応答理論の頂点である.
8.5.2 $S_{AB}$ のLehmann表示
導出5:$S_{AB}(\omega)$ のスペクトル表示
$T=0$ とする.8.1.2節ステップ2・3とまったく同じ計算により
$$ \bra{0}\hat A_H(t)\hat B\ket{0} = \sum_n A_{0n}B_{n0}\,\ee^{-\ii\omega_{n0}t} $$である.これを \eqref{eq:8-S-def} に入れる:
$$ S_{AB}(\omega) = \frac{1}{2\pi}\sum_n A_{0n}B_{n0}\int_{-\infty}^{\infty}\dd t\;\ee^{\ii(\omega-\omega_{n0})t} $$今度は $\theta(t)$ がないので積分範囲は全時間であり,収束因子も要らない.デルタ関数の積分表示
$$ \int_{-\infty}^{\infty}\dd t\;\ee^{\ii X t} = 2\pi\,\delta(X) $$を使うと $2\pi$ が前置因子の $1/2\pi$ とちょうど相殺して
∎ きわめて簡単な形になった.$\chi^R$ と違って主値部がなく,純粋なデルタ関数の櫛である.
物理的意味:$T=0$ では $S(\omega<0)=0$
式 \eqref{eq:8-S-lehmann} で $\omega_{n0}\ge0$ だから,$S_{AB}(\omega)$ は$\omega<0$ で恒等的にゼロである.
これは当たり前のことを言っている.$T=0$ で系は基底状態にあり,それより下のエネルギー状態がない.だから系はエネルギーを受け取ることしかできず,渡すことができない.$\omega<0$(系がエネルギーを放出する側)に揺らぎのスペクトルが立たないのは,そのためである.
この非対称性が,8.6節の $1-\ee^{-\beta\hbar\omega}$ 因子の $T\to0$ 極限($\to1$)に対応する.
総和則:$S$ を全振動数で積分すると揺らぎの大きさになる
式 \eqref{eq:8-S-def} を $\omega$ で全積分すると
$$ \int_{-\infty}^{\infty}\!\!\dd\omega\,S_{AB}(\omega) = \int\!\dd\omega\,\frac{1}{2\pi}\int\!\dd t\,\ee^{\ii\omega t}\braket{\hat A_H(t)\hat B} = \int\!\dd t\,\delta(t)\braket{\hat A_H(t)\hat B} = \braket{\hat A\hat B} $$となる($\frac{1}{2\pi}\int\dd\omega\,\ee^{\ii\omega t}=\delta(t)$ を使った).とくに $\hat A=\hat B$ で $\braket{\hat A}=0$ のときは
すなわち$S$ の全面積は,揺らぎの二乗平均そのものである.「$S$ が揺動を表す」という言い方が文字どおり正しいことが,これで分かる.
8.5.3 詳細つり合い(有限温度)
有限温度では,式 \eqref{eq:8-lehmann-T} を導いたのと同じ手順で
$$ \begin{equation} S_{AB}(\omega) = \frac{1}{Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_m}\,A_{mn}B_{nm}\,\delta(\omega-\omega_{nm}) \label{eq:8-S-lehmann-T} \end{equation} $$を得る.ここから,揺動散逸定理の心臓部である関係式が出てくる.
定理8.2(詳細つり合い, detailed balance)
導出6:詳細つり合いの証明
ステップ1:左辺を書き下す.式 \eqref{eq:8-S-lehmann-T} で $A\leftrightarrow B$ と入れ替え,$\omega\to-\omega$ とする:
$$ S_{BA}(-\omega) = \frac{1}{Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_m}\,B_{mn}A_{nm}\,\delta(-\omega-\omega_{nm}) $$ステップ2:和の添字 $m$ と $n$ を入れ替える.これはただの名前の付け替えであり,和の値は変わらない:
$$ S_{BA}(-\omega) = \frac{1}{Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_n}\,B_{nm}A_{mn}\,\delta(-\omega-\omega_{mn}) $$ここで $\omega_{mn}=-\omega_{nm}$ だから $\delta(-\omega-\omega_{mn})=\delta(-\omega+\omega_{nm})=\delta(\omega-\omega_{nm})$(デルタ関数は偶関数).よって
$$ S_{BA}(-\omega) = \frac{1}{Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_n}\,A_{mn}B_{nm}\,\delta(\omega-\omega_{nm}) $$式 \eqref{eq:8-S-lehmann-T} と見比べると,違いは重みが $\ee^{-\beta E_m}$ から $\ee^{-\beta E_n}$ に変わっただけである.
ステップ3:デルタ関数の上で重みを書き換える.デルタ関数 $\delta(\omega-\omega_{nm})$ がゼロでないのは $\omega=\omega_{nm}=(E_n-E_m)/\hbar$,すなわち
$$ E_n = E_m + \hbar\omega $$のときだけである.したがってデルタ関数の台の上では
$$ \ee^{-\beta E_n} = \ee^{-\beta(E_m+\hbar\omega)} = \ee^{-\beta\hbar\omega}\,\ee^{-\beta E_m} $$と書ける.$\ee^{-\beta\hbar\omega}$ は $m,n$ に依らない共通因子なので和の外に出せる:
$$ S_{BA}(-\omega) = \ee^{-\beta\hbar\omega}\cdot\frac{1}{Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_m}A_{mn}B_{nm}\delta(\omega-\omega_{nm}) = \ee^{-\beta\hbar\omega}\,S_{AB}(\omega) $$∎
物理的意味:Stokes線と反Stokes線の強度比
式 \eqref{eq:8-detailed-balance} は「エネルギー $\hbar\omega$ を系に与える過程」と「系から奪う過程」の起こりやすさの比が,Boltzmann因子 $\ee^{-\beta\hbar\omega}$ になるという主張である.系がエネルギーを渡すには,まず熱励起によってその分のエネルギーを持っていなければならず,その確率が $\ee^{-\beta\hbar\omega}$ だからである.
これは実験で直接見える.Raman散乱では,フォノンを1個作る過程(Stokes線,$\omega>0$)とフォノンを1個消す過程(反Stokes線,$\omega<0$)が対になって現れる.その強度比は
$$ \frac{I_{\text{anti-Stokes}}}{I_{\text{Stokes}}} = \ee^{-\beta\hbar\omega_{\text{ph}}} $$となる.ただしここで比べているのは,あくまで $S$ どうしの比である.実測のRaman強度には散乱光の振動数に依存する断面積因子 $(\omega_L+\omega_{\text{ph}})^4/(\omega_L-\omega_{\text{ph}})^4$(シリコンの $520\ \mathrm{cm^{-1}}$ 線を $532\ \mathrm{nm}$ で励起する場合で約 $1.25$)と装置応答が掛かるので,実際の温度計測ではこれらを補正して取り出した比を使う.以下の数値はその補正後の比である.
数値例.シリコンの光学フォノンは $520\ \mathrm{cm^{-1}}$,すなわち $\hbar\omega_{\text{ph}}=64.5\ \mathrm{meV}$ である.室温 $300\ \mathrm{K}$($k_BT=25.85\ \mathrm{meV}$)では
$$ \frac{I_{\text{anti-Stokes}}}{I_{\text{Stokes}}} = \exp\!\left(-\frac{64.5}{25.85}\right) = \ee^{-2.495} = 0.082 $$反Stokes線はStokes線の約 $8\%$ しかない.$600\ \mathrm{K}$ に上げると $k_BT=51.7\ \mathrm{meV}$ となり比は $0.29$ に増える.この比を測ってレーザー照射点の局所温度を決める手法(Raman温度計)は,半導体デバイスの発熱評価に日常的に使われている.詳細つり合いは机上の等式ではなく,測定器になっている.
8.6 揺動散逸定理
8.6.1 $\chi''$ を $S$ で書く
導出7:揺動散逸定理($T=0$ でも有限温度でも成り立つ形)
式 \eqref{eq:8-chi-im} の $\chi''_{AB}$ と,式 \eqref{eq:8-S-lehmann-T} の $S_{AB}$ を見比べる.有限温度の $\chi''$ は,式 \eqref{eq:8-lehmann-T} にSokhotski–Plemelj \eqref{eq:8-sp} を適用して
$$ \chi''_{AB}(\omega) = -\frac{\pi}{\hbar Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_m}\left[ A_{mn}B_{nm}\,\delta(\omega-\omega_{nm}) - B_{mn}A_{nm}\,\delta(\omega+\omega_{nm})\right] $$第1項は,式 \eqref{eq:8-S-lehmann-T} そのものである:$\;-\dfrac{\pi}{\hbar}S_{AB}(\omega)$.
第2項は,導出6のステップ1と同じで $\dfrac{1}{Z}\sum_{m,n}\ee^{-\beta E_m}B_{mn}A_{nm}\delta(\omega+\omega_{nm}) = S_{BA}(-\omega)$(デルタ関数は偶関数だから $\delta(\omega+\omega_{nm})=\delta(-\omega-\omega_{nm})$).ゆえに
ここに詳細つり合い \eqref{eq:8-detailed-balance} $S_{BA}(-\omega)=\ee^{-\beta\hbar\omega}S_{AB}(\omega)$ を入れると
∎ これが揺動散逸定理(fluctuation–dissipation theorem, FDT)である.
$T\to0$ では $\beta\to\infty$ となり,$\omega>0$ で $\ee^{-\beta\hbar\omega}\to0$,$\omega<0$ で $S_{AB}(\omega)=0$.したがって式 \eqref{eq:8-fdt-general} は $\chi''_{AB}(\omega)=-\frac{\pi}{\hbar}[S_{AB}(\omega)-S_{BA}(-\omega)]$ のまま,$T=0$ の表式として使える.
物理的意味:叩いたときの減り方と,勝手な揺れ方は同じもの
式 \eqref{eq:8-fdt} の左辺 $\chi''$ は散逸である.8.4.3節で見たとおり,外力を加えたときに系が吸い取るエネルギー(式 \eqref{eq:8-power})を決める.右辺の $S$ は揺動である.外力を一切加えないとき,$\hat A$ が平衡状態で勝手に揺れる大きさ(式 \eqref{eq:8-S-sum})を決める.
この2つが,温度で決まる因子 $1-\ee^{-\beta\hbar\omega}$ だけを介して結ばれる.これは驚くべき主張である.系を叩いたときにエネルギーがどれだけ減るかは,叩く前から系がどう揺れているかを見れば分かってしまう.
直感的な理由はこうである.散逸とは「加えたエネルギーが系の無数の自由度にばらまかれて戻ってこないこと」である.ばらまく先の自由度がたくさんあれば散逸は大きい.ところが,その同じ自由度が平衡状態では熱的に揺れている.ばらまき先が多い系は,勝手にもよく揺れる.だから両者は同じ量で決まる.
8.6.2 古典極限 —— Nyquist の熱雑音の式へ
導出8:古典極限とJohnson–Nyquist雑音
ステップ1:因子を展開する.$\hbar\omega\ll k_BT$($\beta\hbar\omega\ll1$)のとき
$$ 1-\ee^{-\beta\hbar\omega} \simeq \beta\hbar\omega = \frac{\hbar\omega}{k_BT} $$これを \eqref{eq:8-fdt} に入れると $\hbar$ が消えて
$$ \chi''_{AB}(\omega) = -\frac{\pi}{\hbar}\cdot\frac{\hbar\omega}{k_BT}S_{AB}(\omega) = -\frac{\pi\omega}{k_BT}S_{AB}(\omega) $$$\hbar$ が現れない.古典的な揺動散逸定理である.前置因子 $1/2\pi$ を付けない規約 $\tilde S_{AB}(\omega)\equiv2\pi S_{AB}(\omega)=\int\dd t\,\ee^{\ii\omega t}\braket{\hat A_H(t)\hat B}$ で書けば
$$ \tilde S_{AB}(\omega) = -\frac{2k_BT}{\omega}\,\chi''_{AB}(\omega) $$となり,統計力学の教科書でよく見る形になる(Kubo流 $\chi^{\text{Kubo}}=-\chi^R$ ならマイナスが消えて $\tilde S=\frac{2k_BT}{\omega}\chi''^{\text{Kubo}}$).
ステップ2:抵抗器に応用する.抵抗 $R$ の抵抗器を考える.外力は電圧 $V$,応答する量は抵抗器を通り抜けた電荷 $Q$ とする(結合エネルギーは $-QV$ なのでKubo流).すると
$$ Q(\omega) = \chi_{QQ}(\omega)\,V(\omega) $$電流は $I=\dot Q$ だから,本書のFourier規約($\partial_t\to-\ii\omega$)で $I(\omega)=-\ii\omega Q(\omega)$.オームの法則 $I=YV$($Y=1/R$ はアドミッタンス)と比べて
$$ -\ii\omega\,\chi_{QQ}(\omega) = Y = \frac{1}{R} \qquad\Longrightarrow\qquad \chi_{QQ}(\omega) = \frac{\ii}{\omega R} $$純虚数なので $\chi'_{QQ}=0$,$\chi''_{QQ}(\omega)=\dfrac{1}{\omega R}$ である.
ステップ3:電荷の揺らぎスペクトルを出す.古典FDT(Kubo流の符号)に入れて
$$ \tilde S_{QQ}(\omega) = \frac{2k_BT}{\omega}\cdot\frac{1}{\omega R} = \frac{2k_BT}{\omega^2R} $$ステップ4:電流の揺らぎに直す.$I=\dot Q$ より $I(\omega)=-\ii\omega Q(\omega)$ だから,揺らぎのスペクトル $\tilde S$ は $\abs{-\ii\omega}^2=\omega^2$ 倍される:
$$ \tilde S_{II}(\omega) = \omega^2\,\tilde S_{QQ}(\omega) = \frac{2k_BT}{R} $$$\omega$ が消えた.白色雑音(すべての周波数で同じ強さ)である.
ステップ5:実験で使う「片側」表示に直す.実験家は正の周波数 $\nu$(単位 Hz)だけで書き,$\braket{I^2}=\int_0^\infty S^{(1)}_I(\nu)\dd\nu$ となるように片側スペクトル密度 $S^{(1)}$ を定義する.$\braket{I^2}=\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{2\pi}\tilde S_{II}$ であり,$\tilde S_{II}$ は偶関数,$\omega=2\pi\nu$ だから
$$ \braket{I^2} = \int_0^{\infty}\frac{2\,\dd\omega}{2\pi}\tilde S_{II} = \int_0^{\infty}2\,\tilde S_{II}\,\dd\nu \qquad\Longrightarrow\qquad S^{(1)}_I(\nu) = 2\tilde S_{II} = \frac{4k_BT}{R} $$電圧で書けば $S^{(1)}_V = R^2 S^{(1)}_I$ より
∎ Nyquist の熱雑音(Johnson–Nyquist noise)の式である.1928年にJohnsonが実験で見出し,Nyquistが熱力学だけから導いた関係が,量子多体論の一般論から特別な場合として落ちてきた.
例題8.3 数値で確かめる
$R=1\ \mathrm{k\Omega}$ の抵抗を室温 $T=300\ \mathrm{K}$ で使い,帯域幅 $\Delta\nu=1\ \mathrm{MHz}$ の増幅器で測る.雑音電圧の実効値はいくらか.
解答.式 \eqref{eq:8-nyquist} に代入する:
$$ \braket{V^2} = 4\times(1.381\times10^{-23})\times300\times(1.0\times10^{3})\times(1.0\times10^{6}) = 1.66\times10^{-11}\ \mathrm{V^2} $$ $$ V_{\text{rms}} = \sqrt{1.66\times10^{-11}} = 4.1\ \mu\mathrm{V} $$マイクロボルトのオーダーである.微小信号を扱う測定回路で「抵抗値を下げろ」「帯域を絞れ」「冷やせ」と言われる根拠が,この $\sqrt{R\,T\,\Delta\nu}$ という依存性である.∎
古典近似の妥当性.この式が使えるのは $\hbar\omega\ll k_BT$ のときである.$300\ \mathrm{K}$ で $k_BT=25.85\ \mathrm{meV}$,これに対応する周波数は $\nu=k_BT/h=6.2\ \mathrm{THz}$.$\mathrm{MHz}$ や $\mathrm{GHz}$ の測定は完全に古典領域にある.逆に,希釈冷凍機の $10\ \mathrm{mK}$($k_BT/h=0.21\ \mathrm{GHz}$)で $\mathrm{GHz}$ の測定をすると量子補正が効き,$1-\ee^{-\beta\hbar\omega}$ をきちんと使わねばならない.超伝導量子ビットの実験がこの領域である.
8.6.3 Brown運動・Einstein関係式との関係
同じ定理の3つの顔
揺動散逸定理は,歴史的には3回,別々の文脈で発見された.
| 現象 | 揺動($S$ 側) | 散逸($\chi''$ 側) | 関係式 |
|---|---|---|---|
| Brown運動(Einstein 1905) | 拡散係数 $D$ | 移動度 $\mu$(=摩擦の逆数) | $D=\mu k_BT$ |
| 熱雑音(Nyquist 1928) | 雑音電圧 $\braket{V^2}$ | 抵抗 $R$ | $\braket{V^2}=4k_BTR\Delta\nu$ |
| 一般の線形応答(久保 1957) | $S_{AB}(\omega)$ | $\chi''_{AB}(\omega)$ | 式 \eqref{eq:8-fdt} |
Einstein関係式 $D=\mu k_BT$ の読み方.水中の微粒子は,水分子にランダムに叩かれて拡散する(揺動,$D$).同じ粒子を指でつまんで引っ張ると,水の粘性抵抗で速度が頭打ちになる(散逸,$\mu=v/F$).この2つを結ぶのが $D=\mu k_BT$ である.叩かれ方(揺動)と引きずられ方(散逸)は,同じ水分子との衝突が原因なのだから,無関係であるはずがない.これがFDT の物理的な核心である.
これを式 \eqref{eq:8-fdt-classical} から出すには,$\hat A=\hat x$(位置)に対する $\omega\to0$ 極限を取ればよい.演習8.5 で扱う.
よくある誤解:FDTは「いつでも」成り立つわけではない
揺動散逸定理の証明(導出6・7)で本質的に使ったのは,系が熱平衡にあり,状態が $\ee^{-\beta E_m}/Z$ で分布していることである.この仮定が崩れる系では,FDTは成り立たない.
- 電流を流し続けている非平衡定常状態(ショット雑音は $2eI$ に比例し,$4k_BT/R$ とは別物)
- ガラスなど,緩和時間が測定時間より長い系(有効温度 $T_{\text{eff}}$ が必要になる)
- 生体分子モーターのような能動系
逆に言えば,FDTが破れているかどうかを測ることが,系が平衡にあるかどうかの判定法になる.近年の非平衡統計力学は,まさにこの「FDT の破れ」を定量化する方向で発展している.
8.7 $f$ 和則(Thomas–Reiche–Kuhn)
8.7.1 $\omega\chi''$ の積分は二重交換子になる
導出9:$f$ 和則
$\hat A$ をエルミート演算子とし,$T=0$ で考える.式 \eqref{eq:8-chi-im-AA} に $\omega$ を掛けて $\omega$ で積分する.
ステップ1:デルタ関数で積分を実行する.
$$ \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{\pi}\,\omega\,\chi''_{AA}(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{\pi}\,\omega\left(-\frac{\pi}{\hbar}\right)\sum_n\abs{A_{0n}}^2 \left[\delta(\omega-\omega_{n0})-\delta(\omega+\omega_{n0})\right] $$$\pi$ が約分され,デルタ関数が $\omega$ を $\pm\omega_{n0}$ に固定する:
$$ = -\frac{1}{\hbar}\sum_n\abs{A_{0n}}^2\left[\omega_{n0}-(-\omega_{n0})\right] = -\frac{2}{\hbar}\sum_n \abs{A_{0n}}^2\,\omega_{n0} = -\frac{2}{\hbar^2}\sum_n \abs{A_{0n}}^2\,(E_n-E_0) $$2つのデルタ関数が足し合わさった(引き算ではなく)ことに注意する.$\chi''$ が奇関数,$\omega$ も奇関数なので,積 $\omega\chi''$ は偶関数であり,$\pm$ 両側が同じだけ寄与するからである.
ステップ2:$\sum_n\abs{A_{0n}}^2(E_n-E_0)$ を演算子の言葉に戻す.ここが技巧の要る所である.エネルギー差 $E_n-E_0$ を作るには,$\Ham_0$ との交換子を使う:
$$ \bra{0}[\hat A,\Ham_0]\ket{n} = \bra{0}\hat A\Ham_0\ket{n} - \bra{0}\Ham_0\hat A\ket{n} = A_{0n}E_n - E_0 A_{0n} = A_{0n}(E_n-E_0) $$欲しい因子 $(E_n-E_0)$ が出た.これを使って和を組み直す.まず
$$ \bra{0}[\hat A,\Ham_0]\,\hat A\ket{0} = \sum_n \bra{0}[\hat A,\Ham_0]\ket{n}\bra{n}\hat A\ket{0} = \sum_n A_{0n}(E_n-E_0)A_{n0} = \sum_n \abs{A_{0n}}^2 (E_n-E_0) $$($\hat A$ がエルミートだから $A_{n0}=A_{0n}^*$,よって $A_{0n}A_{n0}=\abs{A_{0n}}^2$.)
つぎに順序を逆にしたものを計算する.$\bra{n}[\hat A,\Ham_0]\ket{0}=A_{n0}E_0 - E_nA_{n0}=-A_{n0}(E_n-E_0)$ だから
$$ \bra{0}\hat A\,[\hat A,\Ham_0]\ket{0} = \sum_n A_{0n}\bra{n}[\hat A,\Ham_0]\ket{0} = -\sum_n \abs{A_{0n}}^2(E_n-E_0) $$符号が逆になっただけである.この2つを引き算すると,和が2倍になって現れる:
$$ \braket{\,[\,[\hat A,\Ham_0],\hat A\,]\,} = \bra{0}[\hat A,\Ham_0]\hat A\ket{0} - \bra{0}\hat A[\hat A,\Ham_0]\ket{0} = 2\sum_n\abs{A_{0n}}^2(E_n-E_0) $$二重交換子が現れた理由がこれである.片方の順序だけでは行列要素の和が「符号付き」で残ってしまうが,交換子を取ることで $\pm$ が揃って2倍になり,演算子だけの量にまとまる.
ステップ3:まとめる.ステップ1の結果に代入すると,次の和則を得る.
これが$f$ 和則である.左辺の $-\chi''$ は,8.4.3節で見たとおり本書の符号規約における散逸部($\omega>0$ で正)である.Kubo流の規約 $\chi^{\text{Kubo}}=-\chi^R$ を使う教科書では,この負号がそのまま吸収されて
$$ \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{\pi}\,\omega\,\chi''^{\text{Kubo}}_{AA}(\omega) = \frac{1}{\hbar^2}\braket{[[\hat A,\Ham_0],\hat A]} $$という,よく見る形になる.両辺の符号が同時に決まっているので,物理的な内容は同一である.
なぜ和則がありがたいのか
式 \eqref{eq:8-fsum} の左辺は,スペクトル全体を積分した量である.すなわちすべての励起状態の情報が入っている.ところが右辺は,二重交換子の基底状態での期待値にすぎない.しかも $\hat A$ は多くの場合ポテンシャル項と交換するので,$[\hat A,\Ham_0]$ には運動エネルギー項しか寄与せず,右辺は驚くほど簡単な値(しばしば相互作用に依らない定数)になる.
つまり和則は,「励起スペクトルを1本1本知らなくても,その積分だけは厳密に分かる」という主張である.使い道は2つある.
- 検算:数値計算で求めた $\chi''(\omega)$ を積分して和則を満たさなければ,計算のどこかが間違っている.第一原理計算(TDDFT・GW・BSE)では,光学スペクトルの $f$ 和則チェックが標準的な健全性テストになっている.
- 実験の規格化:測定した強度スペクトルは,しばしば絶対値が分からない(検出効率が未知).和則を使えば絶対単位に直せる.中性子散乱やEELSで日常的に使われる手法である.
8.7.2 1電子の場合:Thomas–Reiche–Kuhn和則
例題8.4 $\hat A=\hat x$ に対する和則
質量 $m$ の1粒子系 $\Ham_0=\dfrac{\hat p^2}{2m}+V(\hat x)$ で $\hat A=\hat x$ とする.右辺を計算せよ.
解答.まず $[\hat x,\Ham_0]$.ポテンシャル $V(\hat x)$ は $\hat x$ と交換するので運動エネルギーだけが効く:
$$ [\hat x,\Ham_0] = \left[\hat x,\frac{\hat p^2}{2m}\right] = \frac{1}{2m}\left([\hat x,\hat p]\hat p + \hat p[\hat x,\hat p]\right) = \frac{1}{2m}\left(\ii\hbar\,\hat p + \hat p\,\ii\hbar\right) = \frac{\ii\hbar\,\hat p}{m} $$($[\hat x,\hat p]=\ii\hbar$ を使った.)つぎに $\hat x$ ともう一度交換子を取る:
$$ [[\hat x,\Ham_0],\hat x] = \left[\frac{\ii\hbar\hat p}{m},\hat x\right] = \frac{\ii\hbar}{m}[\hat p,\hat x] = \frac{\ii\hbar}{m}(-\ii\hbar) = \frac{\hbar^2}{m} $$ただの数になった.期待値を取るまでもない.したがって式 \eqref{eq:8-fsum} の右辺は
$$ \frac{1}{\hbar^2}\cdot\frac{\hbar^2}{m} = \frac{1}{m} $$すなわち,ステップ1の結果と合わせて
$$ \frac{2}{\hbar^2}\sum_n \abs{x_{0n}}^2(E_n-E_0) = \frac{1}{m} $$ここで振動子強度(oscillator strength)を
$$ f_{n0} \equiv \frac{2m\,\omega_{n0}}{\hbar}\abs{x_{0n}}^2 = \frac{2m(E_n-E_0)}{\hbar^2}\abs{x_{0n}}^2 $$と定義すると,上式はそのまま
となる.これがThomas–Reiche–Kuhn(TRK)和則である.電子が $Z$ 個あれば右辺は $Z$ になる.∎
数値で見るTRK和則
- 水素原子.$1s\to2p$ の振動子強度は $f=0.4162$,Lyman系列($1s\to np$,$n=2,3,\dots$)の総和は $0.5650$ である.残りの $0.4350$ は,束縛状態ではなく電離連続状態($1s\to$ 自由電子)が担う.この2つを足してちょうど $1$ になる.「スペクトル線だけ数えると和則が合わない」のは,連続体を忘れているからである.
- ナトリウム原子.価電子1個のD線($3s\to3p$,$589.0$ nm と $589.6$ nm)の振動子強度の和は $\approx0.96$.1本(正確には微細構造で2本)の遷移だけで,価電子の和則をほぼ使い切っている.だからナトリウム蒸気はこの波長でこれほど強く光を吸収する.
- 調和振動子.例題8.1 で $\abs{x_{01}}^2=\hbar/2m\omega_0$,$\omega_{10}=\omega_0$ だったから $f_{10}=\frac{2m\omega_0}{\hbar}\cdot\frac{\hbar}{2m\omega_0}=1$.1本の遷移で和則を完全に使い切る.これがLorentz の古典的な「電子=バネにつながれた振動子」モデルが,金属や誘電体の光学応答をあれほどよく再現する理由である.
8.7.3 密度演算子の場合:$nq^2/m$
第9章以降で使うのは,$\hat A$ が密度演算子の場合である.$N$ 粒子系の密度のFourier成分を
$$ \hat n_\qq = \sum_{j=1}^{N}\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}, \qquad \hat n_\qq^\dagger = \hat n_{-\qq} = \sum_{j=1}^{N}\ee^{+\ii\qq\cdot\xx_j} $$と書く.$\Ham_0=\sum_j\dfrac{\pp_j^2}{2m}+V(\{\xx_j\})$(相互作用 $V$ は位置だけの関数)とする.
導出10:密度演算子の二重交換子
ステップ1:$[\hat n_\qq,\Ham_0]$ を計算する.$V$ は位置の関数なので $\hat n_\qq$ と交換する.運動エネルギーだけが残り,公式 $[\hat f(\xx),\hat p^2]=\hat p\cdot[\hat f,\hat p]+[\hat f,\hat p]\cdot\hat p$ と $[\hat f(\xx),\pp]=\ii\hbar\nabla \hat f$ を使う.$\nabla_j\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}=-\ii\qq\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}$ だから
$$ [\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j},\pp_j] = \ii\hbar(-\ii\qq)\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j} = \hbar\qq\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j} $$よって
$$ [\hat n_\qq,\Ham_0] = \sum_j\frac{1}{2m}\left(\pp_j\cdot\hbar\qq\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j} + \hbar\qq\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}\cdot\pp_j\right) = \frac{\hbar}{2m}\sum_j \qq\cdot\left(\pp_j\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}+\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}\,\pp_j\right) $$($\pp_j$ と $\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j}$ は交換しないので,順序を両方書いておく必要がある.)
ステップ2:もう一度 $\hat n_\qq^\dagger$ と交換子を取る.$[\pp_j,\ee^{\ii\qq\cdot\xx_j}]=-\ii\hbar(\ii\qq)\ee^{\ii\qq\cdot\xx_j}=\hbar\qq\,\ee^{\ii\qq\cdot\xx_j}$ であり,指数関数どうしは交換する.粒子 $j$ の項について
$$ \left[\qq\cdot\pp_j\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j},\;\ee^{\ii\qq\cdot\xx_j}\right] = \qq\cdot[\pp_j,\ee^{\ii\qq\cdot\xx_j}]\,\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j} = \hbar q^2\,\ee^{\ii\qq\cdot\xx_j}\ee^{-\ii\qq\cdot\xx_j} = \hbar q^2 $$もう一方の順序も同じく $\hbar q^2$.異なる粒子($j\ne k$)の間の交換子はゼロである.したがって粒子 $j$ ごとに $\dfrac{\hbar}{2m}(\hbar q^2+\hbar q^2)=\dfrac{\hbar^2q^2}{m}$ が出て
∎ 演算子ですらない,ただの数である.相互作用 $V$ がどんなに複雑でも,まったく寄与しない.
ここで一言ことわっておく.導出9では $\hat A$ をエルミートと仮定したが,$\hat n_\qq$ は有限の $\qq$ ではエルミートではない.しかし $\hat B=\hat A^\dagger$ の場合も事情は変わらない.$\chi''_{AA^\dagger}$ の2つのデルタ関数の重みが $\abs{A_{0n}}^2$ と $\abs{A_{n0}}^2$ に分かれ,和則の右辺にはその和 $\abs{A_{0n}}^2+\abs{A_{n0}}^2$ が現れるだけで,導出9とまったく同じ手順により同じ形の和則
$$ \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{\pi}\;\omega\;\bigl(-\chi''_{AA^\dagger}(\omega)\bigr) = \frac{1}{\hbar^2}\braket{\,[\,[\hat A,\Ham_0],\hat A^\dagger\,]\,} $$が成り立つ.以下,$\chi''_{nn}(\qq,\omega)$ と書いたら $(\hat n_\qq,\hat n_\qq^\dagger)$ の組に対する応答関数の散逸部を指すものとする.
したがって $f$ 和則 \eqref{eq:8-fsum} は,密度応答関数について
となる($n=N/V$ は数密度).電荷密度 $e\,\hat n_\qq$ で書けば右辺は $ne^2q^2/m$ である(第9章以降で $\hat\rho_\qq$ と書くのは電荷を含まない数密度演算子のほうなので,混同しないこと).第9〜11章で誘電関数とプラズモンを扱うとき,この和則が繰り返し登場する.
物理的意味:和則がプラズマ振動数を決めている
式 \eqref{eq:8-fsum-density} の右辺には,$\hbar$ も相互作用も温度も入っていない.粒子数・電荷・質量だけである.これは電子系が光や電子線からエネルギーを吸収する能力の総量が,あらかじめ決まっていることを意味する.
第11章で見るように,金属では吸収の大部分がプラズモンという1本のモードに集中する.すると和則はほぼこの1本で使い切られ,$\int\omega(-\chi'')\dd\omega/\pi \approx \omega_p^2\times(\text{重み})$ という形からプラズマ振動数
$$ \omega_p = \sqrt{\frac{ne^2}{\epsilon_0 m}} $$が決まる.例題8.1 の調和振動子が1本の遷移で和則を使い切ったのと,まったく同じ構造である.
数値例(アルミニウム).$n=1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$(1原子あたり価電子3個)を入れると
$$ \omega_p = \sqrt{\frac{1.81\times10^{29}\times(1.602\times10^{-19})^2}{8.854\times10^{-12}\times9.11\times10^{-31}}} = 2.4\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}}, \qquad \hbar\omega_p = 15.8\ \mathrm{eV} $$電子エネルギー損失分光(EELS)で実測されるアルミニウムのバルクプラズモンは $15.0\ \mathrm{eV}$ であり,約5%で一致する.強く相互作用する $10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$ の電子集団の主要な励起エネルギーが,和則という一行の等式から決まってしまう.これが和則の威力である.
8.8 時間順序型 $\chi^T$ と遅延型 $\chi^R$
8.8.1 なぜ2種類あるのか
ここまで扱ってきた遅延応答関数 $\chi^R$ は,$\theta(t-t')$ が入っていて「原因が先,結果が後」という因果律を体現していた.物理的に測れるのはこちらである.
ところが,摂動論を実際に展開すると出てくるのは,これとは別の関数である.第6章のDyson級数を思い出すと,時間発展演算子には時間順序積 $T$ が付いていた.Wick の定理(付録B)が使えるのも $T$ 積に対してだけである.したがってFeynman図で計算できるのは
定義:時間順序型応答関数
$$ \begin{equation} \chi^T_{AB}(t-t') \equiv -\frac{\ii}{\hbar}\bra{0}T\!\left[\hat A_H(t)\hat B_H(t')\right]\ket{0}, \qquad T\!\left[\hat A(t)\hat B(t')\right] = \begin{cases} \hat A(t)\hat B(t') & (t>t')\\[2pt] \hat B(t')\hat A(t) & (t<t') \end{cases} \label{eq:8-chiT-def} \end{equation} $$である.$\theta$ 関数を使えば $T[\hat A(t)\hat B(t')]=\theta(t-t')\hat A(t)\hat B(t')+\theta(t'-t)\hat B(t')\hat A(t)$.
文献によっては $\chi^T$ を「因果(causal)Green関数」と呼ぶ(Fetter–WaleckaやAGD の流儀).ただしこの「因果」は摂動論の時間順序を指す言い方であって,8.8.3節で見るとおり,$\chi^T$ は応答としての因果律($t<t'$ で応答がゼロ)は満たさない.
$\chi^R$ が交換子(引き算)だったのに対し,$\chi^T$ は足し算になっている.この違いが決定的である.
8.8.2 $\chi^T$ のLehmann表示
導出11:$\chi^T$ のスペクトル表示
ステップ1:時間表示.$t'=0$ とし,8.1.2節の結果をそのまま使う.$t>0$ では $\bra{0}\hat A_H(t)\hat B\ket{0}=\sum_n A_{0n}B_{n0}\ee^{-\ii\omega_{n0}t}$,$t<0$ では $\bra{0}\hat B\hat A_H(t)\ket{0}=\sum_n B_{0n}A_{n0}\ee^{+\ii\omega_{n0}t}$.よって
$$ \chi^T_{AB}(t) = -\frac{\ii}{\hbar}\left[ \theta(t)\sum_n A_{0n}B_{n0}\ee^{-\ii\omega_{n0}t} + \theta(-t)\sum_n B_{0n}A_{n0}\ee^{+\ii\omega_{n0}t}\right] $$式 \eqref{eq:8-lehmann-t} と比べると,第2項の $\theta(t)$ が $\theta(-t)$ に変わり,符号が $-$ から $+$ に変わっている.
ステップ2:第1項のFourier変換は 8.1.3節とまったく同じで $\dfrac{\ii}{\omega-\omega_{n0}+\ii\eta}$.
ステップ3:第2項のFourier変換.今度は $\theta(-t)$ なので積分範囲が $-\infty<t<0$ になる.収束させるには $t\to-\infty$ で減衰する因子,すなわち $\ee^{+\eta t}$($t<0$ で減衰)を入れる.これは $\omega\to\omega-\ii\eta$ に相当する:
$$ \int_{-\infty}^{0}\dd t\;\ee^{\ii(\omega+\omega_{n0}-\ii\eta)t} = \left[\frac{\ee^{\ii(\omega+\omega_{n0}-\ii\eta)t}}{\ii(\omega+\omega_{n0}-\ii\eta)}\right]_{-\infty}^{0} = \frac{1-0}{\ii(\omega+\omega_{n0}-\ii\eta)} = \frac{-\ii}{\omega+\omega_{n0}-\ii\eta} $$$\ii\eta$ の符号が反転した.これが $\chi^R$ との唯一の違いを生む.
ステップ4:まとめる.$-\frac{\ii}{\hbar}\times\ii=+\frac1\hbar$,$-\frac{\ii}{\hbar}\times(-\ii)=-\frac1\hbar$ を使って
∎ 式 \eqref{eq:8-lehmann} と見比べてほしい.違いは第2項の分母の $\ii\eta$ の符号だけである.それだけのことが,次に見るように解析性を根こそぎ壊す.
8.8.3 極の配置と,失われる解析性
式 \eqref{eq:8-chiT} の極は
$$ \omega = +\omega_{n0}-\ii\eta \quad(\text{下半面}), \qquad \omega = -\omega_{n0}+\ii\eta \quad(\text{上半面}) $$である.$\chi^T$ は上半面に極を持つ.したがって定理8.1 が成り立たず,$\chi^T$ にKramers–Kronig関係をそのまま当てはめることはできない.$\chi^T$ を測っても因果的な応答にはならない —— そもそも $\chi^T(t)$ は $t<0$ でもゼロでないのだから当然である.
8.8.4 $T=0$ での橋渡し
導出12:$\chi^T$ と $\chi^R$ の関係($T=0$)
$\hat A=\hat B$(エルミート)として,両者にSokhotski–Plemelj \eqref{eq:8-sp} を適用する.$\chi^R$ の分母は両方とも $+\ii\eta$ だから両方 $-\ii\pi\delta$,$\chi^T$ の第2項だけは $-\ii\eta$ なので $+\ii\pi\delta$ になる.
主値部(実部):$\PV$ の部分は両者でまったく同じである.すなわち
$$ \mathrm{Re}\,\chi^T_{AA}(\omega) = \mathrm{Re}\,\chi^R_{AA}(\omega) $$デルタ関数部(虚部):
$$ \mathrm{Im}\,\chi^R_{AA}(\omega) = -\frac{\pi}{\hbar}\sum_n\abs{A_{0n}}^2\left[\delta(\omega-\omega_{n0})-\delta(\omega+\omega_{n0})\right] $$ $$ \mathrm{Im}\,\chi^T_{AA}(\omega) = -\frac{\pi}{\hbar}\sum_n\abs{A_{0n}}^2\left[\delta(\omega-\omega_{n0})+\delta(\omega+\omega_{n0})\right] $$$\omega>0$ では第1のデルタ関数だけが効くので両者は一致する.$\omega<0$ では第2のデルタ関数だけが効き,符号が逆になる.まとめると
∎ すなわち $T=0$ では,Feynman図で $\chi^T$ を計算したあと,負振動数側の虚部の符号を手で反転させれば $\chi^R$ が得られる.$\chi^T$ の虚部は $\omega$ の偶関数,$\chi^R$ の虚部は奇関数であることも,この式から読み取れる.
有限温度ではこの手が使えない
式 \eqref{eq:8-chiT-chiR} の導出では,$T=0$ で「$\omega>0$ には第1項しか,$\omega<0$ には第2項しか寄与しない」ことを使った.$T>0$ では 8.1.4節の警告どおり $\omega_{nm}$ が正にも負にもなるため,$\omega$ の符号で項を分離できない.$\chi^T$ から $\chi^R$ への単純な変換規則は存在しない.
そこで第13章では,まったく別のルートを取る.実時間ではなく虚時間 $\tau=\ii t$ で摂動論を組み立てて松原Green関数 $\mathcal{G}(\ii\omega_n)$ を計算し,離散点 $\ii\omega_n$(松原振動数)から実軸へ解析接続 $\ii\omega_n\to\omega+\ii\eta$ することで,直接 $\chi^R$ を得る.「解析接続してよい」ことの根拠が,まさに本章で示した上半面解析性(定理8.1)である.
本章の定理8.1 は,第13章の技術的な出発点である.
| 遅延型 $\chi^R$ | 時間順序型 $\chi^T$ | 松原型 $\chi(\ii\omega_n)$(第13章) | |
|---|---|---|---|
| 定義の中身 | 交換子 + $\theta(t-t')$ | 時間順序積 $T$ | 虚時間の $T_\tau$ 積 |
| 因果律 | 満たす | 満たさない | (虚時間なので該当せず) |
| 上半面解析性 | あり | なし | 接続先で回復 |
| Wick の定理・Feynman図 | 直接は使えない | 使える | 使える |
| 有限温度 | 扱いにくい | 扱いにくい | 自然に扱える |
| 実験と直結するか | する | しない | 接続後にする |
8.9 まとめと演習
8.9.1 まとめ
- 完全系 $\sum_n\ket{n}\bra{n}=1$ を交換子に挟むだけで,久保公式は計算可能な形になる.Heisenberg演算子の行列要素が $\bra{0}\hat A_H(t)\ket{n}=A_{0n}\ee^{-\ii\omega_{n0}t}$ という単純な位相因子になるからである.
- 結果がLehmann(スペクトル)表示 \eqref{eq:8-lehmann}.$\eta$ は断熱的印加(第6章)に由来する収束因子であり,$\theta(t)$ による積分下限 $0$ と組んで $+\ii\eta$ を生む.
- 極の位置 $\pm\omega_{n0}$ が励起エネルギー $\hbar\omega_{n0}=E_n-E_0$ を与える.重み $\abs{A_{0n}}^2$ が「その励起をその演算子でどれだけ叩き出せるか」を決め,重みが集中するものが集団励起である.
- 極がすべて実軸のわずかに下にあるので,$\chi^R$ は上半面で正則(定理8.1).相互作用の強さによらず厳密であり,Kramers–Kronig関係が量子多体系にもそのまま適用できる.
- Sokhotski–Plemelj公式で分けると,$\chi''$ はデルタ関数の櫛 \eqref{eq:8-chi-im-AA}.有限系では線スペクトル,熱力学極限では連続スペクトルになる.吸収パワーは $P=-\frac12 f_0^2\omega\chi''$ であり,これはFermi の黄金律と厳密に一致する.
- スペクトル関数 $S_{AB}(\omega)$ は交換子でない相関関数で,外力なしの平衡揺らぎを表す.全積分が $\braket{\hat A\hat B}$ になる.$T=0$ では $S(\omega<0)=0$.
- 詳細つり合い $S_{BA}(-\omega)=\ee^{-\beta\hbar\omega}S_{AB}(\omega)$.Raman散乱のStokes/反Stokes強度比として直接測れる.
- 揺動散逸定理 $\chi''_{AB}(\omega)=-\frac{\pi}{\hbar}(1-\ee^{-\beta\hbar\omega})S_{AB}(\omega)$.散逸(叩いたときの減り方)と揺動(勝手な揺れ方)が同じ関数で決まる.古典極限でNyquist の $\braket{V^2}=4k_BTR\Delta\nu$,Einstein の $D=\mu k_BT$ に帰着する.
- $f$ 和則 $\int\frac{\dd\omega}{\pi}\omega(-\chi''_{AA})=\frac{1}{\hbar^2}\braket{[[\hat A,\Ham_0],\hat A]}$.スペクトル全体の積分が,二重交換子という簡単な量で決まる.1粒子の $\hat x$ ではTRK和則 $\sum_n f_{n0}=1$,密度演算子では $nq^2/m$(相互作用に依らない).数値計算の検算と実験データの絶対規格化に使える.
- $\chi^T$ と $\chi^R$ の違いは負振動数側の $\ii\eta$ の符号だけだが,それにより $\chi^T$ は上半面解析性を失う.$T=0$ では \eqref{eq:8-chiT-chiR} で橋渡しできるが,有限温度ではできない.それが第13章の松原形式と解析接続の動機である.
- 符号の流儀($\Ham_{\text{ext}}=+f\hat B$ か $-f\hat B$ か)で $\chi$ 全体の符号が変わる.本書はFetter–Waleckaに合わせて前者を採り,散逸部は $-\chi''$($\omega>0$ で正)である.他書と比べるときは必ず結合の符号を確認すること.
8.9.2 演習問題
演習8.1 2準位系のLehmann表示
基底状態 $\ket{0}$(エネルギー $0$)と励起状態 $\ket{1}$(エネルギー $\hbar\omega_0$)だけからなる系を考える.演算子 $\hat A$ の行列要素は $A_{01}=A_{10}=a$(実数),$A_{00}=A_{11}=0$ とする.
(1) $\chi^R_{AA}(\omega)$ をLehmann表示から書き下し,通分して1つの分数にまとめよ.
(2) $\chi''_{AA}(\omega)$ を書き下し,$\omega$ の奇関数であることを確かめよ.
(3) $f$ 和則 \eqref{eq:8-fsum} の左辺を実際に積分し,$2a^2\omega_0/\hbar$ になることを示せ.
(4) $\hat A$ が位置 $\hat x$ に相当し(電気双極子モーメントは $e\hat x$ である),$\hbar\omega_0=2\ \mathrm{eV}$,$x_{01}=a=1\ \text{Å}$ のとき,振動子強度 $f_{10}=\frac{2m\omega_0}{\hbar}a^2$ を数値で求めよ.TRK和則から見て妥当な値か.
ヒント:(1) $\chi^R_{AA}(\omega)=\dfrac{a^2}{\hbar}\left[\dfrac{1}{\omega-\omega_0+\ii\eta}-\dfrac{1}{\omega+\omega_0+\ii\eta}\right]=\dfrac{2a^2\omega_0/\hbar}{(\omega+\ii\eta)^2-\omega_0^2}$.(4) $f_{10}=2\times9.11\times10^{-31}\times3.04\times10^{15}\times(10^{-10})^2/(1.055\times10^{-34})\approx0.52$.$1$ 以下なので矛盾しない.
演習8.2 和則を高振動数展開から出す
Lehmann表示 \eqref{eq:8-lehmann} を $\abs{\omega}\to\infty$ で展開する.
(1) $\dfrac{1}{\omega\mp\omega_{n0}}=\dfrac{1}{\omega}\left(1\pm\dfrac{\omega_{n0}}{\omega}+\dfrac{\omega_{n0}^2}{\omega^2}+\cdots\right)$ を使って,$\hat A=\hat B$(エルミート)のとき $\chi^R_{AA}(\omega)$ の $1/\omega$ の項が消えることを示せ.
(2) 次の項が $\chi^R_{AA}(\omega)\simeq\dfrac{2}{\hbar\omega^2}\sum_n\abs{A_{0n}}^2\omega_{n0}$ であることを示し,8.7節の二重交換子と結びつけて
$$ \chi^R_{AA}(\omega) \;\xrightarrow{\;\abs{\omega}\to\infty\;}\; \frac{1}{\hbar^2\omega^2}\braket{[[\hat A,\Ham_0],\hat A]} $$を導け.
(3) 密度演算子の場合にこれが $\dfrac{nq^2}{m\omega^2}$ になることを確かめよ.第11章で $\epsilon(\qq,\omega)\to1-\omega_p^2/\omega^2$ が出る根拠がこれである.
ヒント:(1) $\hat A=\hat B$ なら $\sum_n(A_{0n}A_{n0}-A_{0n}A_{n0})=\braket{[\hat A,\hat A]}=0$.和則は高振動数展開の各次数そのものである.
演習8.3 揺動散逸定理の両極限
式 \eqref{eq:8-fdt} の温度因子 $1-\ee^{-\beta\hbar\omega}$ について.
(1) $T\to0$($\beta\to\infty$)で,$\omega>0$ では因子が $1$,$\omega<0$ では $S_{AB}(\omega)=0$ となって式 \eqref{eq:8-fdt-general} に一致することを説明せよ.
(2) $\hbar\omega\ll k_BT$ で式 \eqref{eq:8-fdt-classical} が出ることを示せ.
(3) 室温 $300\ \mathrm{K}$ で,量子補正が $10\%$ 以上になるのは何 THz 以上か.$1-\ee^{-x}\simeq x(1-x/2)$ を使ってよい.
(4) 可視光($\hbar\omega=2\ \mathrm{eV}$)を室温の物質に当てるとき,$\ee^{-\beta\hbar\omega}$ はいくらか.この結果から,可視光の吸収実験では「揺らぎ」と「散逸」を区別する必要がないと言えるか論ぜよ.
ヒント:(3) $x=\beta\hbar\omega=0.2$ のとき補正 $10\%$.$\hbar\omega=0.2\times25.85\ \mathrm{meV}=5.2\ \mathrm{meV}$,$\nu=1.3\ \mathrm{THz}$.(4) $\ee^{-2/0.02585}=\ee^{-77}\approx3\times10^{-34}$.実質ゼロなので $\chi''=-\frac{\pi}{\hbar}S$ が事実上厳密に成り立ち,$T=0$ の式で足りる.
演習8.4 $f$ 和則で数値計算を検算する
ある半導体の光学スペクトルを第一原理計算で求めたところ,吸収の主要部分が $\hbar\omega=3.0\ \mathrm{eV}$ 付近の1本のピークに集中していた.単位胞あたりの価電子数を $Z=8$,単位胞体積を $V_{\text{cell}}=40\ \text{Å}^3$ とする.
(1) 式 \eqref{eq:8-fsum-density} の右辺(単位体積あたり)を電荷密度演算子について書き,$n$ を数値で求めよ.
(2) TRK和則 $\sum_n f_{n0}=Z$ の立場から,このピーク1本で和則をすべて使い切ったと仮定したときの「実効的な振動子強度」を評価せよ.
(3) 計算で得たスペクトルを積分したら和則の $85\%$ しか満たさなかった.考えられる原因を2つ挙げよ.
ヒント:(1) $n=Z/V_{\text{cell}}=8/(40\times10^{-30}\ \mathrm{m^3})=2.0\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$.(3) 積分の打ち切り(高エネルギー側の遷移を含めていない),基底関数や非局所擬ポテンシャルによる速度演算子の不整合,内殻電子の寄与の欠落など.和則が合わないときは,まず積分範囲を疑う.
演習8.5 Einstein関係式を揺動散逸定理から出す
質量 $M$ の重い粒子が,温度 $T$ の媒質中でBrown運動している.外力 $F$ を加えたときの終端速度が $v=\mu F$($\mu$ は移動度)であるとする.
(1) 外力 $F$ に対する速度の応答関数($v(\omega)=\chi_{vF}(\omega)F(\omega)$)の $\omega\to0$ 極限が $\mu$ になることを述べよ.
(2) 古典的揺動散逸定理を位置に適用する.Kubo流の符号で $\tilde S_{xx}(\omega)=\frac{2k_BT}{\omega}\chi''_{xx}(\omega)$ である.束縛ポテンシャルのない自由なBrown粒子(運動方程式 $M\ddot x+\gamma\dot x=F$,$\gamma=1/\mu$)では $\omega\to0$ で $\chi''_{xx}\simeq\mu/\omega$ となることを示し,そこから $\tilde S_{xx}(\omega\to0)=2\mu k_BT/\omega^2$ を導け.さらに $\hat v=\dot{\hat x}$ より $\tilde S_{vv}=\omega^2\tilde S_{xx}$ であることを使って
$$ \tilde S_{vv}(\omega\to0) = \int_{-\infty}^{\infty}\dd t\,\braket{v(t)v(0)} = 2\mu k_BT $$を示せ.
(3) 拡散係数のGreen–Kubo表式 $D=\int_0^{\infty}\dd t\,\braket{v(t)v(0)}$(1次元)を使って $D=\mu k_BT$(Einstein関係式)を導け.
ヒント:(2) 運動方程式をFourier変換すると $\chi_{xx}(\omega)=-\left[M\omega^2+\ii\gamma\omega\right]^{-1}$.その虚部は $\gamma\omega/\abs{M\omega^2+\ii\gamma\omega}^2$ であり,$\omega\to0$ で $1/(\gamma\omega)=\mu/\omega$ に近づく.(3) 相関関数が $t$ の偶関数なので $\int_{-\infty}^{\infty}=2\int_0^{\infty}$.拡散(揺動)と移動度(散逸)が同じ $k_BT$ で結ばれる.
演習8.6 $\chi^T$ から $\chi^R$ を復元する
ある系について,Feynman図の計算から時間順序型の応答関数
$$ \chi^T_{AA}(\omega) = \frac{C}{(\omega+\ii\eta\,\mathrm{sgn}\,\omega)^2-\omega_0^2} \qquad (C>0) $$が得られたとする.
(1) この関数の極を複素平面上に図示し,上半面に極があることを確かめよ.
(2) 式 \eqref{eq:8-chiT-chiR} を使って $\chi^R_{AA}(\omega)$ を書き下せ.
(3) $\chi^R$ の極がすべて下半面にあることを確かめ,KK関係が成り立つようになったことを述べよ.
ヒント:(2) $\chi^R_{AA}(\omega)=\dfrac{C}{(\omega+\ii\eta)^2-\omega_0^2}$($\eta$ の符号を $\omega$ によらず $+$ に固定する).例題8.1 の調和振動子と同じ形になる.
参考文献
- A. L. Fetter, J. D. Walecka『多粒子系の量子論 理論編』マグロウヒル,7節(Lehmann表示),13節(線形応答),31節(一般化したLehmann表示).
- H. Lehmann, "Über Eigenschaften von Ausbreitungsfunktionen und Renormierungskonstanten quantisierter Felder", Nuovo Cimento 11, 342 (1954). —— スペクトル表示の原論文.
- 久保 亮五, "Statistical-Mechanical Theory of Irreversible Processes I", J. Phys. Soc. Jpn. 12, 570 (1957). —— 揺動散逸定理の一般形.
- H. Nyquist, "Thermal Agitation of Electric Charge in Conductors", Phys. Rev. 32, 110 (1928);J. B. Johnson, Phys. Rev. 32, 97 (1928).
- H. B. Callen, T. A. Welton, "Irreversibility and Generalized Noise", Phys. Rev. 83, 34 (1951). —— 揺動散逸定理という名称の由来.
- D. Pines, P. Nozières, The Theory of Quantum Liquids, Benjamin (1966), Chapter 2. —— 和則の系統的な扱い.
- H. Bruus, K. Flensberg, Many-Body Quantum Theory in Condensed Matter Physics, Oxford University Press (2004), Chapter 6.
- 阿部 龍蔵『統計力学』東京大学出版会 —— 揺動散逸定理の日本語での標準的解説.