第7章久保公式の導出
本書の心臓部に着いた.第I部では減衰振動子をGreen関数で解き直して応答関数・畳み込み積分・因果律・複素平面の極という道具立てを作り,第II部で留数定理を,第6章で相互作用表示と時間発展演算子 $\hat U_I$ を整備した.道具はすべて揃っている.本章ではそれを一度に使う.問いは単純である.平衡状態にある量子系に弱い外場を加えたら,系の物理量はどう変わるか.答えが久保公式(Kubo formula)である.
$$ \chi^R_{AB}(t-t') = -\frac{\ii}{\hbar}\,\theta(t-t')\,\braket{\,[\hat A_H(t),\hat B_H(t')]\,} $$右辺を見てほしい.外場 $f$ がどこにも現れていない.あるのは,外場を加える前の平衡状態で取った,2つの演算子の異なる時刻での交換子の期待値だけである.つまり「叩いたときの返事」が「叩く前の系の性質」だけで決まってしまう.これが線形応答理論という分野が存在する理由であり,久保亮五が1957年に一般的な形で書き下したものである.
本章の目標は,この式を1行も飛ばさずに導くことである.とくに読者が最初につまずくのは「なぜ交換子が出てくるのか」という点である.摂動論の計算の途中で唐突に $[\ \cdot\ ,\ \cdot\ ]$ が現れ,そこから議論が急に抽象的になる.本章では,ブラ側の項とケット側の項を1つずつ書き出して,それらが合わさって交換子になる瞬間を目で見えるようにする.そのうえで「なぜ交換子か」に3通りの答えを与える.
- 遅延応答関数 $\chi^R_{AB}$ の定義と,それが $t-t'$ にしか依らないことの証明
- Fourier変換 $\chi^R_{AB}(\omega)=\int_0^\infty\chi^R_{AB}(t)\ee^{\ii(\omega+\ii\eta)t}\dd t$ と,$\eta$ が収束因子として働くこと
- なぜ交換子なのか —— (a) エルミート性,(b) 平衡の定常性,(c) 古典極限のPoisson括弧,という3つの答え
- 量子調和振動子の $\chi^R_{xx}(\omega)$ を久保公式から完全に計算し,第2章のGreen関数・第3章の力学的感受率と突き合わせること
- 符号の流儀($\Ham'=+f\hat B$ か $\Ham'=-f\hat B$ か)の違いが $\chi$ の全体符号を決めること.文献を読むときの作法
- 電気伝導度の久保公式 —— 輸送係数が平衡状態の相関関数で書けるという驚き
7.1 設定 —— 何を叩き,何を測るのか
7.1.1 ハミルトニアンを2つに割る
系のハミルトニアンを2つに分ける.
定義7.1 記号の約束
- $\Ham_0$:時間に依らないハミルトニアン.系そのものを表す.粒子間相互作用も外部ポテンシャルも,外場以外はすべてここに入っている.$\Ham_0$ が解けている必要はない——ここが重要である.固有状態を具体的に書き下せなくても,以下の議論はすべて成立する.
- $\hat B$:系のエルミート演算子($\hat B^\dagger=\hat B$).外場が系のどこに結合するかを指定する.「叩く場所」である.
- $f(t)$:実数の c 数(演算子ではない,ただの関数).外場の強さの時間変化を表す.「叩き方」である.
- $\hat A$:測定したい物理量に対応するエルミート演算子.「聞く場所」である.$\hat A$ は $\hat B$ と同じでもよいし,違っていてもよい.
- $\eta$:微小な正の実数($\eta>0$).最後に $\eta\to0^+$ とする.断熱因子と呼ぶ(7.1.2節).
- $\ket{0}$:$\Ham_0$ の基底状態.$t=-\infty$ で系はこの状態にあるとする.有限温度では熱平衡アンサンブルに置き換える(7.3.5節).
求めたいのは,外場を加えたことによる $\hat A$ の期待値の変化分
$$ \delta\braket{\hat A(t)} \equiv \braket{\hat A(t)} - \braket{\hat A}_0, \qquad \braket{\hat A}_0 \equiv \bra{0}\hat A\ket{0} $$を,$f$ の1次まで求めることである.$\braket{\hat A}_0$ は外場のないときの平衡値であり,時間に依らない定数である.
なぜ $\hat A$ と $\hat B$ を別々の演算子にするのか
実験では叩く場所と聞く場所が違うほうが普通だからである.電場をかけて電流を測る(伝導度,7.8節)なら $\hat A=\hat B$ だが,電場をかけて磁化を測る(Edelstein効果や,スピンHall効果による端のスピン蓄積),温度勾配をかけて電流を測る(熱電効果)では $\hat A\ne\hat B$ である.ある場所 $\xx'$ に電荷を置いて別の場所 $\xx$ の密度を測る遮蔽(第9・10章)では,演算子の種類は同じでも場所が違う.一般論は $\hat A\ne\hat B$ で立てておくのが得で,$\hat A=\hat B$ は特別な場合として自動的に含まれる.
| 物理的な外場 | $f(t)$ | $\hat B$(叩く) | $\hat A$(聞く) | $\chi^R_{AB}$ の名前 | 登場箇所 |
|---|---|---|---|---|---|
| 力 $F(t)$(バネを引く) | $-F(t)$ | $\hat x$ | $\hat x$ | 力学的感受率 | 7.6節 |
| 外部ポテンシャル(エネルギー) $\phi_{\text{ext}}$ | $\phi_{\text{ext}}(\xx,t)$ | $\hat\rho(\xx)$ | $\hat\rho(\xx)$ | 密度応答関数 | 第9・10章 |
| 電場(ベクトルポテンシャル) | $-A_x(t)$ | $\hat J^p_x$ | $\hat J^p_x$ | 電流‐電流相関 | 7.8節 |
| 磁場 $B_z$ | $-B_z(t)$ | $\hat M_z$ | $\hat M_z$ | 磁化率 $\chi_m$ | 第8章 |
最重要の注意:$f$ は「力」ではない.「一般化した外場」である
本書では外部摂動を
$$ \Ham_{\text{ext}}(t) = +f(t)\,\hat B\,\ee^{\eta t} $$とプラス符号で書く.これは底本 Fetter–Walecka の流儀であり(同書13節の $\Ham_{\text{ext}}=\int\dd^3x\,\phi_{\text{ext}}(\xx,t)\hat\rho(\xx)$ がまさにこの形である),Mahan,Bruus–Flensbergなど現代の多体論の標準的な教科書もこれに従う.第8章から第13章まで,本書はすべてこの流儀で書かれている.
したがって $f$ は力ではない.力学的な力 $F$ と比べると符号が逆になる.$f$ は「ハミルトニアンに $\hat B$ とプラスで結合する外場の強さ」という,いわばポテンシャル的な量である.実際,密度応答(第9章)では $f=\phi_{\text{ext}}$ そのもの——電子1個が感じる外部ポテンシャルエネルギー(静電ポテンシャルに電荷を掛けたもの.第9章9.1節)——である.ポテンシャルエネルギーの高いところに電子は行きたがらないので応答は負になる——これが第9章・第10章で $\chi^0(\qq\to0,0)=-N(\epsilon_F)<0$ となる理由である.
この符号の約束は,$\chi$ の全体符号を決めてしまう.文献ごとに流儀が違うので,他の本を読むときは,まず「外場をハミルトニアンにどう書いているか」を確認すること.この作法を7.6.5節で表にまとめる.
7.1.2 断熱因子 $\ee^{\eta t}$ は何をしているのか
式 \eqref{eq:7-setup} には $\ee^{\eta t}$ という余分な因子が付いている.$\eta>0$ は微小な正の数で,最後に $\eta\to0^+$ とする.第6章6.8節で導入したものだが,その役割をここで整理しておく.$\ee^{\eta t}$ は $t\to-\infty$ でゼロ,$t=0$ で $1$,$t$ が有限のところではほぼ $1$ である($\eta$ が微小だから).
$\ee^{\eta t}$ の3つの役割
(1) 初期条件を確定させる.$t=-\infty$ で摂動が厳密にゼロなので,そのとき系が $\Ham_0$ の固有状態 $\ket{0}$ にあったと言い切れる.ある時刻に外場を突然入れると,その衝撃で余計な過渡振動が起きてしまう.
(2) 定常応答だけを取り出す.第3章の強制振動では,一般解 = 過渡解(減衰して消える)+ 定常解であった.$\ee^{\eta t}$ は「十分時間が経った」状況を,摩擦 $\gamma$ を使わずに作り出す仕掛けである.
(3) 数学的な収束因子.7.4節で見るように $\int_0^\infty\ee^{\ii\omega t}\dd t$ は実の $\omega$ では収束しないが,$\omega\to\omega+\ii\eta$ とすれば収束する.この $\ii\eta$ こそ $\ee^{\eta t}$ の帰結である.逆に $1/\eta$ は「実験にかけられる時間」のスケールを表す.
なお $\eta$ は最後にゼロにする数学的な補助量であって,第2・3章の摩擦 $\gamma$(有限の物理量)とは別物である.両者は式の上で同じ場所に現れるので混同されやすい.7.7節で正面から扱う.
7.1.3 なぜ1次で止めてよいのか
「線形応答」とは,$\delta\braket{\hat A}$ を $f$ の1次までで打ち切る近似のことである.展開すれば
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \underbrace{\int\!\chi^{(1)}f}_{\text{1次:線形応答}} + \underbrace{\int\!\!\int\!\chi^{(2)}ff}_{\text{2次:非線形}} + \cdots $$となり,2次以降は非線形応答である.1次で止めてよい条件は「外場が系に与えるエネルギーが,系の特徴的なエネルギースケールよりずっと小さい」ことである.
線形応答が成り立つ目安
金属中の電子なら $eEd\ll\epsilon_F$($d$ は平均自由行程)で,室温の銅では $E\sim10^{6}\ \mathrm{V/m}$ 程度まで余裕で線形である——オームの法則が成り立つのがまさにこの領域である.光学なら,光電場が原子内電場($\sim10^{11}\ \mathrm{V/m}$)よりずっと弱いこと.普通の光源はこれを満たすが,強いフェムト秒レーザーでは破れ,第二高調波発生などの非線形光学が現れる.中性子・X線散乱では散乱ポテンシャルが弱くBorn近似が成り立つこと(第12章).
要するに,教科書に載っているほとんどの応答係数(誘電率,伝導度,磁化率,熱伝導率,粘性率)は線形応答である.線形応答理論は「近似的な特殊理論」ではなく,実験で日常的に測られている量そのものを扱う理論である.
7.2 1次摂動の主計算 —— 交換子はこうして現れる
7.2.1 道具の確認(第6章の復習)
必要な道具はすべて第6章にある.
相互作用表示と時間発展演算子(第6章6.4〜6.6節)
状態と演算子を $\ket{\psi_I(t)}\equiv\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{\psi_S(t)}$,$\hat O_I(t)\equiv\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat O_S\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}$ と定義すると,状態の時間発展は摂動だけで,演算子の時間発展は $\Ham_0$ だけで駆動される:
$$ \begin{equation} \ii\hbar\frac{\partial}{\partial t}\ket{\psi_I(t)} = \Ham_{\text{ext},I}(t)\,\ket{\psi_I(t)}, \qquad \Ham_{\text{ext},I}(t) = \ee^{\ii\Ham_0 t/\hbar}\,\Ham_{\text{ext}}(t)\,\ee^{-\ii\Ham_0 t/\hbar} \label{eq:7-schrI} \end{equation} $$解を $\ket{\psi_I(t)}=\hat U_I(t,t_0)\ket{\psi_I(t_0)}$ と書くと $\hat U_I$ は積分方程式 $\hat U_I(t,t_0)=1-\frac{\ii}{\hbar}\int_{t_0}^{t}\dd t_1\Ham_{\text{ext},I}(t_1)\hat U_I(t_1,t_0)$ を満たし,逐次代入すればDyson級数になる.本章で必要なのは1次までである:
2次以降は $f^2,f^3,\ldots$ に比例するので線形応答では捨てる.なお $\hat U_I$ はユニタリ($\hat U_I^\dagger\hat U_I=1$)であり,これが以下の計算で決定的な役割を果たす.この方程式を初期条件 $\ket{\psi_I(-\infty)}=\ket{0}$ のもとで解くのが,これからやることである.
記法の注意:$\hat A_I(t)$ と $\hat A_H(t)$ は同じものである
$\hat A_I(t)=\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat A\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}$ は,式の上では「$\Ham_0$ によるHeisenberg表示(第6章.「描像」と呼ぶ流儀も多い)の演算子」とまったく同じである.そこで本書では最終的な公式では慣例に従い $\hat A_H(t)$ と書く.この $H$ は $\Ham_0$ によるHeisenberg表示という意味であって,外場を含む全ハミルトニアンによるものではない.久保公式の右辺に現れる演算子は,すべて外場のない世界での時間発展をしている.だからこそ「外場を加える前の情報だけで応答が決まる」と言えるのである.ここを取り違えると公式の意味が根本から分からなくなる.
7.2.2 期待値を相互作用表示で書き直す
測りたいのは Schrödinger表示での期待値
$$ \braket{\hat A(t)} = \bra{\psi_S(t)}\hat A_S\ket{\psi_S(t)} $$である.これを相互作用表示の量で書き直す.定義 $\ket{\psi_I(t)}=\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{\psi_S(t)}$ を逆に解くと $\ket{\psi_S(t)}=\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{\psi_I(t)}$ だから,
導出:期待値は表示によらない
$$ \begin{aligned} \braket{\hat A(t)} &= \bra{\psi_S(t)}\hat A_S\ket{\psi_S(t)}\\ &= \left(\bra{\psi_I(t)}\ee^{+\ii\Ham_0t/\hbar}\right)\hat A_S\left(\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{\psi_I(t)}\right)\\ &= \bra{\psi_I(t)}\underbrace{\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat A_S\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}}_{=\ \hat A_I(t)}\ket{\psi_I(t)} \end{aligned} $$第2行では $\left(\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{\psi_I}\right)^\dagger=\bra{\psi_I}\ee^{+\ii\Ham_0t/\hbar}$ を使った($\Ham_0$ がエルミートだから $\left(\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\right)^\dagger=\ee^{+\ii\Ham_0t/\hbar}$).したがって
∎ 最後の等号で $\ket{\psi_I(t)}=\hat U_I(t,-\infty)\ket{0}$ を使った.
7.2.3 項を1つずつ書き出す —— なぜ交換子が現れるのか
いよいよ本章の核心である.式 \eqref{eq:7-expect} に式 \eqref{eq:7-U1} を代入して展開する.途中を飛ばさずに全部書く.
導出7.1:1次摂動 —— 交換子が現れる瞬間
ステップ1:$\hat U_I$ を1次まで書く.式 \eqref{eq:7-U1} より
$$ \hat U_I(t,-\infty) = 1 - \frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t_2\,\Ham_{\text{ext},I}(t_2) $$(積分変数を $t_2$ と名付けた.理由はすぐ分かる.)
ステップ2:そのエルミート共役を取る.ここが決定的である.積のエルミート共役は順序が逆になり,複素数は複素共役になる.$\left(-\frac{\ii}{\hbar}\right)^*=+\frac{\ii}{\hbar}$,そして $\Ham_{\text{ext},I}(t_1)$ はエルミート演算子である.なぜなら
$$ \Ham_{\text{ext},I}^\dagger(t_1) = \left(\ee^{\ii\Ham_0t_1/\hbar}\Ham_{\text{ext}}(t_1)\ee^{-\ii\Ham_0t_1/\hbar}\right)^\dagger = \ee^{\ii\Ham_0t_1/\hbar}\Ham_{\text{ext}}^\dagger(t_1)\ee^{-\ii\Ham_0t_1/\hbar} = \Ham_{\text{ext},I}(t_1) $$($\Ham_{\text{ext}}=f\hat B\ee^{\eta t}$ で $f$ は実数,$\hat B$ はエルミートだから $\Ham_{\text{ext}}^\dagger=\Ham_{\text{ext}}$).積分は演算子の和にすぎないので,積分全体もエルミートである.したがって
符号が $-$ から $+$ に反転した.この1個の符号反転が,交換子を生む.
ステップ3:サンドイッチを展開する.式 \eqref{eq:7-expect} に代入する:
$$ \braket{\hat A(t)} = \bra{0} \left(1 + \frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\!\!\dd t_1\,\Ham_{\text{ext},I}(t_1)\right) \hat A_I(t) \left(1 - \frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\!\!\dd t_2\,\Ham_{\text{ext},I}(t_2)\right) \ket{0} $$括弧を機械的に開く.項は $2\times2=4$ 個できる.1つずつ番号を付けて書き出す.
$$ \begin{aligned} \text{(0)}\quad&\bra{0}\hat A_I(t)\ket{0}\\[2pt] \text{(I)}\quad&+\frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t_1\;\bra{0}\,\Ham_{\text{ext},I}(t_1)\,\hat A_I(t)\,\ket{0}\\[2pt] \text{(II)}\quad&-\frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t_2\;\bra{0}\,\hat A_I(t)\,\Ham_{\text{ext},I}(t_2)\,\ket{0}\\[2pt] \text{(III)}\quad&+\frac{1}{\hbar^2}\int_{-\infty}^{t}\!\!\dd t_1\int_{-\infty}^{t}\!\!\dd t_2\;\bra{0}\Ham_{\text{ext},I}(t_1)\hat A_I(t)\Ham_{\text{ext},I}(t_2)\ket{0} \end{aligned} $$項(III) は $\Ham_{\text{ext}}$ を2個含むので $f^2$ に比例する.線形応答では捨てる.
ステップ4:項(0) を評価する.これは外場がないときの値である.$\ket{0}$ は $\Ham_0$ の固有状態($\Ham_0\ket{0}=E_0\ket{0}$)だから,指数関数は単なる位相になる:
$$ \bra{0}\hat A_I(t)\ket{0} = \bra{0}\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat A\,\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\ket{0} = \ee^{\ii E_0t/\hbar}\,\ee^{-\ii E_0t/\hbar}\,\bra{0}\hat A\ket{0} = \bra{0}\hat A\ket{0} = \braket{\hat A}_0 $$位相が完全に打ち消し合い,時間に依らない平衡値になった.これは当然で,外場がなければ何も動かない.したがって求める変化分は
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \text{(I)} + \text{(II)} $$である.
ステップ5:積分変数の名前を揃える.項(I) の $t_1$ と項(II) の $t_2$ は,どちらも $-\infty$ から $t$ まで走るダミー変数である.名前は何でもよいので,両方 $t'$ と書き直す.すると2つの項の積分が1本にまとまる:
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t'\;\bra{0}\Big( \underbrace{\Ham_{\text{ext},I}(t')\,\hat A_I(t)}_{\text{項(I) から}} \;-\; \underbrace{\hat A_I(t)\,\Ham_{\text{ext},I}(t')}_{\text{項(II) から}} \Big)\ket{0} $$(項(II) は元々マイナス符号だったので,全体を $+\frac{\ii}{\hbar}$ で括ると括弧の中が $-$ になる.)
ステップ6:交換子として認識する.括弧の中は
$$ \Ham_{\text{ext},I}(t')\hat A_I(t) - \hat A_I(t)\Ham_{\text{ext},I}(t') = -\left[\hat A_I(t),\,\Ham_{\text{ext},I}(t')\right] $$である(交換子の定義 $[\hat X,\hat Y]=\hat X\hat Y-\hat Y\hat X$ で,順序が逆なのでマイナスが付く).したがって
ステップ7:$\Ham_{\text{ext}}$ の中身を入れる.$\Ham_{\text{ext},I}(t')=f(t')\ee^{\eta t'}\,\hat B_I(t')$ である.$f(t')$ と $\ee^{\eta t'}$ はただの数なので,交換子の外に自由に出せる:
$$ \left[\hat A_I(t),\,f(t')\ee^{\eta t'}\hat B_I(t')\right] = f(t')\,\ee^{\eta t'}\left[\hat A_I(t),\hat B_I(t')\right] $$これを代入し,7.2.1節の約束に従って添字 $I$ を $H$ に書き換えると
∎ ここで $\braket{\cdots}=\bra{0}\cdots\ket{0}$ は無摂動基底状態での期待値である.これが久保公式の実体である.あとは書き方の整理だけである.
7.2.4 結果を読む
式 \eqref{eq:7-main} は何を言っているのか
時刻 $t$ における $\hat A$ の変化は,過去のすべての時刻 $t'$($t'<t$)に加えられた外場 $f(t')$ の寄与を足し上げたものである.各時刻の重みは,「時刻 $t$ の $\hat A$」と「時刻 $t'$ の $\hat B$」の交換子の平衡期待値で与えられる.
(1) 積分の上限が $t$ である.未来の外場は効かない.因果律を仮定したのではなく,$\hat U_I(t,-\infty)$ の積分範囲から自動的に出てきた.第1章では要請だったものが,量子力学から出発すると定理になる.
(2) 交換子の中の演算子は $\Ham_0$ で動いており,外場 $f$ は交換子の外にある.だから交換子の部分は外場を知らない.「叩く前の系の性質」だけで決まっている.
(3) 応答は刺激より必ず遅れて現れる.(1) で見たとおり積分は過去($t'<t$)にしか渡らないので,$t'>t$ の外場は $\hat A$ に届かない.この「返事が必ず後から来る」ことこそが遅延(retarded)という言葉の由来である.なお交換子の書き順が「測る方が左,叩く方が右」で,しかも時刻の遅い方が左になっているのは,この事情を覚えておくのに便利である.
7.3 遅延応答関数(久保公式)
式 \eqref{eq:7-main} はすでに答えである.しかし,このままでは第1章で作った枠組み——「応答=応答関数と外場の畳み込み」——と形が違って見える.積分の上限が $t$ になっていて,$\int_{-\infty}^{\infty}$ の畳み込みになっていないからである.この節で形を整える.整えた結果が久保公式である.
7.3.1 階段関数で積分の上限を $+\infty$ に伸ばす
階段関数(Heaviside関数)
$$ \theta(s) = \begin{cases} 1 & (s>0)\\ 0 & (s<0)\end{cases} $$を使うと,積分の上限を $t$ に制限することと,被積分関数に $\theta(t-t')$ を掛けて上限を $+\infty$ にすることは同じである:
$$ \int_{-\infty}^{t}\dd t'\,g(t,t') = \int_{-\infty}^{+\infty}\dd t'\,\theta(t-t')\,g(t,t') $$実際,$t'>t$ では $\theta(t-t')=0$ なので,余計に加えた部分は消える.したがって式 \eqref{eq:7-main} は
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \int_{-\infty}^{+\infty}\dd t'\; \left\{-\frac{\ii}{\hbar}\theta(t-t')\braket{[\hat A_H(t),\hat B_H(t')]}\right\}\;f(t')\,\ee^{\eta t'} $$と書き直せる.中括弧でくくった部分に名前を付けたい.しかしその前に,この量が $t$ と $t'$ に別々に依るのか,それとも差 $t-t'$ にしか依らないのかを確かめる必要がある.差にしか依らないのでなければ,第1章の畳み込みの形にならない.
7.3.2 なぜ $t-t'$ にしか依らないのか
定理7.1 時間並進不変性
$\Ham_0$ が時間に依らず,期待値を取る状態が $\Ham_0$ の固有状態(または $\Ham_0$ と交換する密度行列)であるとき,
$$ \braket{\left[\hat A_H(t),\hat B_H(t')\right]} $$は $t$ と $t'$ の差 $t-t'$ にのみ依存する.
導出7.2:定理7.1の証明($T=0$ の場合)
交換子の第1項 $\bra{0}\hat A_H(t)\hat B_H(t')\ket{0}$ を書き下す.Heisenberg演算子の定義を代入すると
$$ \bra{0}\hat A_H(t)\hat B_H(t')\ket{0} = \bra{0}\;\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat A\,\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\;\ee^{\ii\Ham_0t'/\hbar}\hat B\,\ee^{-\ii\Ham_0t'/\hbar}\;\ket{0} $$ステップ1:真ん中の2つの指数関数をまとめる.$\Ham_0$ どうしは交換するので指数法則がそのまま使えて
$$ \ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}\,\ee^{\ii\Ham_0t'/\hbar} = \ee^{-\ii\Ham_0(t-t')/\hbar} $$ステップ2:両端の指数関数を状態に作用させる.$\Ham_0\ket{0}=E_0\ket{0}$ なので
$$ \bra{0}\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar} = \ee^{\ii E_0t/\hbar}\bra{0}, \qquad \ee^{-\ii\Ham_0t'/\hbar}\ket{0} = \ee^{-\ii E_0t'/\hbar}\ket{0} $$(左側は $\Ham_0$ がエルミートだから $\bra 0\Ham_0=E_0\bra0$ を使った.)両方掛けると位相は
$$ \ee^{\ii E_0t/\hbar}\cdot\ee^{-\ii E_0t'/\hbar} = \ee^{\ii E_0(t-t')/\hbar} $$となり,これも差にしか依らない.
ステップ3:まとめる.
$$ \bra{0}\hat A_H(t)\hat B_H(t')\ket{0} = \ee^{\ii E_0(t-t')/\hbar}\,\bra{0}\hat A\,\ee^{-\ii\Ham_0(t-t')/\hbar}\,\hat B\ket{0} $$右辺には $t$ と $t'$ が $t-t'$ という組合せでしか現れない.第2項 $\bra0\hat B_H(t')\hat A_H(t)\ket0$ もまったく同じ計算で $t-t'$ だけの関数になる.∎
7.3.3 久保公式
これで名前を付ける準備が整った.
定義7.2 遅延応答関数(久保公式)
これを遅延応答関数(retarded response function),あるいは久保公式という.添字 $R$ は retarded(遅延)の頭文字である.$\hat A_H,\hat B_H$ は無摂動ハミルトニアン $\Ham_0$ によるHeisenberg表示の演算子であり,$\braket{\cdots}$ は無摂動の平衡状態での期待値である.
この記法を使うと,式 \eqref{eq:7-main} は
と書ける.$\eta\to0^+$ の極限では $\ee^{\eta t'}\to1$ となり,第1章の畳み込み積分そのものである.
第1章に完全に戻った
第1章では,線形・時間並進不変・因果的な応答は必ず
$$ \text{出力}(t) = \int_{-\infty}^{\infty}\dd t'\;\chi(t-t')\;\text{入力}(t') $$という畳み込みの形になる,と述べた.式 \eqref{eq:7-conv} はまさにこの形である.量子多体系という,一見まったく別物に見える対象が,第1章で作った枠組みにそのまま収まった.
そして第1章では $\chi(t)$ の中身が何であるかは分からなかった.バネなら第2章のGreen関数,RC回路なら $\ee^{-t/RC}/R$,と個別に計算するしかなかった.式 \eqref{eq:7-kubo} は,その中身に普遍的な表式を与えている.系が何であっても,$\hat A$ と $\hat B$ が何であっても,応答関数は「無摂動系での交換子の期待値」である.これが久保公式の威力である.
7.3.4 まだ $\Ham_0$ を解いていないことに注意
久保公式は「答え」ではなく「答えの書き方」である
式 \eqref{eq:7-kubo} は美しいが,このままでは1つも数値が出ない.交換子の期待値を計算するには $\Ham_0$ の固有状態を知る必要があり,それは一般には解けない多体問題そのものである.ではなぜ有用なのか.(1) 問題の性質を変えた——「外場をかけた非平衡問題」を「平衡状態の相関関数の問題」に翻訳した.後者には摂動論・Feynman図・第一原理計算といった道具が揃っている.(2) 一般的性質が読み取れる——具体的に計算しなくても,因果律・解析性・和則・揺動散逸定理が系によらず従う(第8章).(3) 近似の出発点になる——無相互作用系から段階的に相互作用を入れる筋道が立つ(RPA,第9・10章).7.6節の調和振動子は $\Ham_0$ が厳密に解ける数少ない例である.まずそこで公式の使い方を体得するのがよい.
7.3.5 有限温度の場合 —— 密度行列による導出
ここまでは $T=0$,すなわち系が基底状態 $\ket{0}$ にあると仮定した.有限温度では系は熱平衡アンサンブルにあり,状態ベクトル1本では表せない.密度行列を使う.
導出7.3:密度行列による1次摂動(有限温度でも通用する)
ステップ1:無摂動の密度行列.温度 $T=1/k_B\beta$ の熱平衡では
$$ \hat\rho_0 = \frac{\ee^{-\beta\Ham_0}}{Z}, \qquad Z = \Tr\,\ee^{-\beta\Ham_0} $$である.重要なのは $\hat\rho_0$ が $\Ham_0$ の関数なので
$$ \left[\hat\rho_0,\;\Ham_0\right] = 0 $$が成り立つこと,すなわち $\hat\rho_0$ は定常である(外場がなければ時間発展しない).$T=0$ の場合は $\hat\rho_0=\ket{0}\bra{0}$ であり,これも $\Ham_0$ と交換する.以下の議論は両方に通用する.
ステップ2:相互作用表示のvon Neumann方程式.密度行列の時間発展は $\ii\hbar\partial_t\hat\rho=[\Ham,\hat\rho]$(von Neumann方程式)で与えられる.相互作用表示 $\hat\rho_I(t)=\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat\rho(t)\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}$ に移すと,$\Ham_0$ の寄与が消えて
$$ \ii\hbar\frac{\partial\hat\rho_I(t)}{\partial t} = \left[\Ham_{\text{ext},I}(t),\,\hat\rho_I(t)\right] $$となる.
ステップ3:1次まで解く.初期条件 $\hat\rho_I(-\infty)=\hat\rho_0$ のもとで両辺を積分し,右辺の $\hat\rho_I$ を $\hat\rho_0$ で置き換える(これが1次近似):
$$ \hat\rho_I(t) = \hat\rho_0 - \frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t'\left[\Ham_{\text{ext},I}(t'),\,\hat\rho_0\right] $$ステップ4:期待値を取る.期待値は $\braket{\hat A(t)}=\Tr\left[\hat\rho_I(t)\,\hat A_I(t)\right]$ である(相互作用表示でも,状態と演算子の両方を移せば期待値は変わらない).1次の項は
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = -\frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t'\; \Tr\Big\{\left[\Ham_{\text{ext},I}(t'),\hat\rho_0\right]\hat A_I(t)\Big\} $$ステップ5:トレースの巡回性で交換子を移す.ここが計算の山場である.$\Tr(\hat X\hat Y\hat Z)=\Tr(\hat Z\hat X\hat Y)$ という性質を使う.$\hat X\equiv\Ham_{\text{ext},I}(t')$,$\hat A\equiv\hat A_I(t)$ と略記して
$$ \begin{aligned} \Tr\Big\{[\hat X,\hat\rho_0]\hat A\Big\} &= \Tr\left(\hat X\hat\rho_0\hat A\right) - \Tr\left(\hat\rho_0\hat X\hat A\right)\\ &= \Tr\left(\hat\rho_0\hat A\hat X\right) - \Tr\left(\hat\rho_0\hat X\hat A\right) \qquad\text{(第1項に巡回性 } \Tr(\hat X\hat\rho_0\hat A)=\Tr(\hat\rho_0\hat A\hat X)\text{ を使った)}\\ &= \Tr\Big\{\hat\rho_0\left[\hat A,\hat X\right]\Big\} = \braket{\left[\hat A,\hat X\right]} \end{aligned} $$すなわち「$\hat\rho_0$ との交換子」が「$\hat A$ との交換子」に移った.これは第1量子化の言葉では「部分積分」に相当する操作である.
ステップ6:結果.
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = -\frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t'\; \braket{\left[\hat A_H(t),\,\Ham_{\text{ext},I}(t')\right]} $$∎ これは式 \eqref{eq:7-comm-general} とまったく同じである.ただし今度は $\braket{\cdots}=\Tr(\hat\rho_0\cdots)$ が熱平均を意味する.$\Ham_{\text{ext},I}=f\ee^{\eta t'}\hat B_I$ を入れれば,久保公式 \eqref{eq:7-kubo} がそのままの形で有限温度でも成り立つ.公式の形は変わらず,期待値の意味だけが変わる.
7.4 Fourier変換と収束因子 $\eta$
7.4.1 畳み込み定理
式 \eqref{eq:7-conv} は畳み込みなので,Fourier変換すれば積になる.本書のFourier規約は第1章のとおり
$$ \begin{equation} g(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty}\dd t\,g(t)\,\ee^{\ii\omega t}, \qquad g(t) = \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{2\pi}\,g(\omega)\,\ee^{-\ii\omega t} \label{eq:7-fourier} \end{equation} $$である.$\eta\to0^+$ として $\ee^{\eta t'}$ を落とすと,畳み込み定理から直ちに
を得る.第1章・第3章で古典的に確立した「時間領域では畳み込み,振動数領域では掛け算」という構造が,量子多体系でもそのまま成り立つ.
7.4.2 $\chi^R_{AB}(\omega)$ の定義と収束因子
導出7.4:$\chi^R_{AB}(\omega)$ を書き下す
定義に従って計算する.$\chi^R_{AB}(t)$ は $\theta(t)$ を含むので,$t<0$ ではゼロである.したがって積分の下限が $0$ になる:
$$ \chi^R_{AB}(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty}\dd t\;\chi^R_{AB}(t)\,\ee^{\ii\omega t} = \int_{0}^{\infty}\dd t\;\chi^R_{AB}(t)\,\ee^{\ii\omega t} $$ここで手が止まる.$\chi^R_{AB}(t)$ は一般に $t\to\infty$ で減衰しない.7.6節で見るように,調和振動子では $\chi^R_{xx}(t)\propto\sin\omega_0t$ で,いつまでも振動し続ける.この積分は収束しない.
$\ee^{\eta t}$ が救ってくれる.式 \eqref{eq:7-conv} には $\ee^{\eta t'}$ が付いていた.単色外場 $f(t')=f_0\ee^{-\ii\omega t'}$ を代入して計算し直すと,この因子が $\ee^{-\eta t}$ という減衰因子として応答関数側に移ることが分かる(次の7.4.3節で実際に確かめる).結果として
と書けばよい.$\ee^{\ii(\omega+\ii\eta)t}=\ee^{\ii\omega t}\ee^{-\eta t}$ であり,絶対値は $\ee^{-\eta t}\to0$($t\to\infty$)だから,$\chi^R_{AB}(t)$ が有界でありさえすれば積分は収束する.∎
7.4.3 単色外場に対する応答 —— $\eta$ の働きを実際に見る
導出7.5:$f(t)=f_0\ee^{-\ii\omega t}$ を入れる
実験でいちばん多いのは一定の振動数で系をゆする場合である.$f(t')=f_0\ee^{-\ii\omega t'}$ を式 \eqref{eq:7-main} に代入する:
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \int_{-\infty}^{t}\dd t'\;\chi^R_{AB}(t-t')\;f_0\,\ee^{-\ii\omega t'}\,\ee^{\eta t'} $$ステップ1:変数変換 $s=t-t'$.すると $t'=t-s$,$\dd t'=-\dd s$ であり,積分範囲は $t'=-\infty\Rightarrow s=+\infty$,$t'=t\Rightarrow s=0$ となる.マイナス符号は積分の上下を入れ替えるのに使われて
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = \int_{0}^{\infty}\dd s\;\chi^R_{AB}(s)\;f_0\,\ee^{-\ii\omega(t-s)}\,\ee^{\eta(t-s)} $$ステップ2:$t$ に依る部分を外に出す.$\ee^{-\ii\omega(t-s)}=\ee^{-\ii\omega t}\ee^{\ii\omega s}$,$\ee^{\eta(t-s)}=\ee^{\eta t}\ee^{-\eta s}$ だから
$$ \delta\braket{\hat A(t)} = f_0\,\ee^{-\ii\omega t}\,\ee^{\eta t}\;\int_{0}^{\infty}\dd s\;\chi^R_{AB}(s)\;\ee^{\ii\omega s}\ee^{-\eta s} $$ステップ3:積分は式 \eqref{eq:7-chi-omega} そのものである.$\ee^{\ii\omega s}\ee^{-\eta s}=\ee^{\ii(\omega+\ii\eta)s}$ だから
右辺の $\chi^R_{AB}(\omega)$ は定義 \eqref{eq:7-chi-omega} そのものであって,$\eta$ はすでにその中に織り込まれている.これを「複素変数 $z=\omega+\ii\eta$ の関数を実軸のすぐ上で評価したもの」と読んで $\chi^R_{AB}(\omega+\ii\eta)$ と明示的に書く流儀もあり,本書も7.9節・表7.4ではその書き方を使う.同じものの別表記なので混乱しないでほしい.
∎ 外場の $\ee^{\eta t}$ がそのまま応答にも付き,同時に $\ee^{-\eta s}$ が応答関数側に移って収束因子になった.これで式 \eqref{eq:7-chi-omega} に $\ii\eta$ が入る理由が完全にはっきりした.$\eta$ は後から都合よく足したものではなく,初めから摂動に入っていた $\ee^{\eta t}$ の帰結である.
7.4.4 静的応答 —— $\omega=0$ の場合
式 \eqref{eq:7-mono} で $\omega=0$ とすると,時間に依らない一定の外場 $f_0$ を無限にゆっくり加えた場合になる.
$$ \delta\braket{\hat A} = \chi^R_{AB}(\omega=0)\;f_0 $$これが静的感受率(static susceptibility)である.式 \eqref{eq:7-chi-omega} で $\omega=0$ と置けば
ここで $\hat B(0)$ は時刻 $0$ のHeisenberg表示の演算子,すなわち $\hat B_H(0)=\hat B$ そのものである.以下では時刻 $0$ の演算子を $\hat B(0)$ とも $\hat B_H(0)$ とも書くが,どちらも同じものである.
磁化率 $\chi_m$,静的誘電率 $\epsilon(0)$,圧縮率,バネの柔らかさ —— 実験で最もよく測られる量はこの $\chi^R_{AB}(0)$ である.ただし $\omega\to0$ と $\eta\to0^+$ の極限を取る順序で答えが変わることがある(第10章10.2節).
7.5 なぜ交換子か —— 3つの見方
久保公式に交換子が現れることは,7.2節の計算で機械的には理解できた.しかし「なぜそうなるのが自然なのか」は,まだ腑に落ちていないと思う.ここでは3つの角度から答える.3つとも正しく,3つとも同じことを別の言葉で言っている.
7.5.1 見方(a):摂動がエルミートであることの帰結
これは7.2節の計算そのものの言い換えだが,意味を掘り下げておく価値がある.
ユニタリ性 ⇒ 交換子
量子力学の時間発展はユニタリである($\hat U^\dagger\hat U=1$).これは確率が保存すること——粒子が消えたり湧いたりしないこと——の数学的表現であり,そのためには生成子=ハミルトニアンがエルミートでなければならない.いっぽう期待値は必ず $\bra{\psi}\hat A\ket{\psi}$ と両側から挟む形をしているので,時間発展演算子も両側に付く.ブラ側は $\hat U^\dagger$,ケット側は $\hat U$ であり,エルミート共役を取ると $\ii\to-\ii$ と符号が反転する.符号が反転した2項の差 = 交換子.
仮に摂動が反エルミート($\Ham_{\text{ext}}^\dagger=-\Ham_{\text{ext}}$)だったとすると,共役を取っても符号が反転せず,2項の和すなわち反交換子 $\{\hat A,\hat B\}=\hat A\hat B+\hat B\hat A$ の形になる.もっとも,これは時間発展がユニタリでなくなることを意味するので,物理的な閉じた系では起こらない.応答関数に交換子が来て反交換子が来ないのは,時間発展がユニタリだから,それだけである.
なお,交換子を取らない「ただの積」の相関 $\braket{\hat A_H(t)\hat B(0)}$ も物理的に大事な量で,第8章でスペクトル関数(揺らぎ)として登場する.交換子が応答(散逸),ただの積が揺らぎ——この2つを結ぶのが揺動散逸定理である.
導出7.6:$\chi^R_{AB}(t)$ が実関数であること
エルミート性からもう1つ,実用上とても重要な性質が出る.$\hat A,\hat B$ をエルミート演算子とする.
ステップ1:交換子のエルミート共役.
$$ \left[\hat A_H(t),\hat B_H(t')\right]^\dagger = \left(\hat A_H\hat B_H - \hat B_H\hat A_H\right)^\dagger = \hat B_H^\dagger\hat A_H^\dagger - \hat A_H^\dagger\hat B_H^\dagger = \hat B_H\hat A_H - \hat A_H\hat B_H = -\left[\hat A_H(t),\hat B_H(t')\right] $$($\hat A_H^\dagger=\hat A_H$ である.なぜなら $\hat A_H=\ee^{\ii\Ham_0t/\hbar}\hat A\ee^{-\ii\Ham_0t/\hbar}$ で,$\hat A$ がエルミートなら共役を取っても同じ形に戻るからである.)つまり交換子は反エルミート演算子である.
ステップ2:反エルミート演算子の期待値は純虚数.一般に $\hat C^\dagger=-\hat C$ なら $\braket{\hat C}^*=\braket{\hat C^\dagger}=-\braket{\hat C}$,すなわち $\braket{\hat C}$ は純虚数である.したがって
$$ \braket{\left[\hat A_H(t),\hat B_H(t')\right]} = \ii\times(\text{実数}) $$ステップ3:結論.久保公式 \eqref{eq:7-kubo} は $-\frac{\ii}{\hbar}\theta\times(\ii\times\text{実数})=\frac{1}{\hbar}\theta\times(\text{実数})$ なので
∎ これは物理的には当然である.$\delta\braket{\hat A(t)}$ は実測できる実数であり,$f(t)$ も実数だから,その比が複素数であっては困る.公式の $-\ii/\hbar$ という因子は,交換子が持つ純虚数性をちょうど打ち消すために付いているのである.$\ii$ が余分に見えたら,この計算を思い出すとよい.
なお,時間領域で実数であることは,Fourier変換すると $\chi^R_{AB}(-\omega)=\left[\chi^R_{AB}(\omega)\right]^*$ を意味する.これは第1章・第4章で「実数性の条件」として述べたものである.ここでも第I部の枠組みに戻っている.
7.5.2 見方(b):平衡状態では「叩かなければ何も起こらない」
2つめの見方は,平衡状態の定常性から来る.導出7.3のステップ3で得た式をもう一度眺めてみよう.
$$ \delta\hat\rho_I(t) = -\frac{\ii}{\hbar}\int_{-\infty}^{t}\dd t'\left[\Ham_{\text{ext},I}(t'),\,\hat\rho_0\right] $$右辺は摂動と密度行列の交換子である.ここから直ちに次のことが読める.
定理7.2 交換すれば応答しない
もし摂動 $\Ham_{\text{ext}}$ が平衡密度行列 $\hat\rho_0$ と交換するなら,$\delta\hat\rho=0$,すなわちどんなに強く叩いても系はまったく変化しない(線形の範囲で).
例題7.1 保存量で叩いても何も起こらない
$\hat B=\Ham_0$,すなわち摂動が $\Ham_{\text{ext}}(t)=f(t)\Ham_0$(ハミルトニアン全体を $(1+f)$ 倍する外場)のとき,$\delta\braket{\hat A(t)}$ はどうなるか.
解答.$\Ham_0$ は自分自身と交換するのでHeisenberg表示でも時間に依らず $\Ham_{0,H}(t')=\Ham_0$ である.$\Ham_0\ket{0}=E_0\ket{0}$ と $\bra{0}\Ham_0=E_0\bra{0}$ を使うと
$$ \braket{\left[\hat A_H(t),\Ham_0\right]} = E_0\bra{0}\hat A_H(t)\ket{0} - E_0\bra{0}\hat A_H(t)\ket{0} = 0 $$よって $\delta\braket{\hat A(t)}=0$.物理的には,$\Ham_0$ を全体として $(1+f)$ 倍しても固有状態そのものは変わらない(固有値がスケールするだけ)ので,どんな物理量の期待値も変化しない.同じ理屈で,粒子数保存系で $\hat B=\hat N$ と取れば,平衡状態が $\hat N$ と交換する限りどんな $\hat A$ に対しても応答はゼロである.当然の結果だが,久保公式がそれを正しく再現していることは公式の健全性の良い検査になっている.
7.5.3 見方(c):古典極限でPoisson括弧に戻る
3つめの見方が,工学部の読者にはいちばん納得しやすいかもしれない.久保公式の古典極限を取ると,古典力学の線形応答理論になる.交換子は,その量子版にすぎない.
交換子とPoisson括弧の対応
解析力学のPoisson括弧は,正準変数 $(x,p)$ の関数 $F,G$ に対して
$$ \begin{equation} \{F,G\}_{\text{PB}} \equiv \frac{\partial F}{\partial x}\frac{\partial G}{\partial p} - \frac{\partial F}{\partial p}\frac{\partial G}{\partial x} \label{eq:7-poisson} \end{equation} $$で定義される(多自由度なら全変数について和を取る).量子化の際の基本的な対応が
である.実際 $[\hat x,\hat p]=\ii\hbar$ と $\{x,p\}_{\text{PB}}=1$ が対応している.
導出7.7:久保公式の古典極限
式 \eqref{eq:7-correspondence} を久保公式 \eqref{eq:7-kubo} に代入する.$\hbar$ が全部消えることを確認しよう.
$$ \chi^R_{AB}(t) = -\frac{\ii}{\hbar}\,\theta(t)\,\braket{\left[\hat A_H(t),\hat B_H(0)\right]} \;\longrightarrow\; -\frac{\ii}{\hbar}\,\theta(t)\,\ii\hbar\,\braket{\{A(t),B(0)\}_{\text{PB}}} $$係数を整理すると $-\frac{\ii}{\hbar}\cdot\ii\hbar = -\ii^2 = +1$ である.したがって
∎ $\hbar$ が完全に消えた.これは重要な確認である.もし $\hbar$ が残っていたら,古典極限が存在しないことになってしまう.久保公式の $-\ii/\hbar$ という奇妙に見える係数は,まさに古典極限がきれいに存在するように付いているのである.
期待値 $\braket{\cdots}$ は古典的には位相空間での平均 $\int\dd\Gamma\,\rho_0(\Gamma)\cdots$ になる(この $\dd\Gamma$ は位相空間の体積要素であって,第2章の減衰率 $\Gamma$ とは何の関係もない).$\rho_0$ は平衡分布(正準分布 $\ee^{-\beta H_0}/Z$ など)である.
Poisson括弧の物理的意味 —— なぜ「感度」なのか
$\{A(t),B(0)\}$ は初期条件を少し変えたときに時刻 $t$ の $A$ がどれだけ変わるかを測る量である.外場 $H_{\text{ext}}=fB$ を短時間 $\Delta t$ だけ加えると,正準方程式により初期条件が $\delta x=+f\frac{\partial B}{\partial p}\Delta t$,$\delta p=-f\frac{\partial B}{\partial x}\Delta t$ だけずれる.これが時刻 $t$ の $A$ に伝わる量は
$$ \delta A(t) = \frac{\partial A(t)}{\partial x}\delta x + \frac{\partial A(t)}{\partial p}\delta p = f\,\Delta t\left(\frac{\partial A(t)}{\partial x}\frac{\partial B}{\partial p}-\frac{\partial A(t)}{\partial p}\frac{\partial B}{\partial x}\right) = f\,\Delta t\,\{A(t),B\}_{\text{PB}} $$まさにPoisson括弧である.「叩いたときの返事の大きさ」がPoisson括弧で書けるのは,当たり前だったのである.量子論では,この「初期条件のずれの伝わり方」が交換子に置き換わる.それだけの話である.
なお,古典Liouville方程式 $\partial_t\rho=\{H,\rho\}_{\text{PB}}$(von Neumann方程式に式 \eqref{eq:7-correspondence} を適用したもの)から出発して式 \eqref{eq:7-classical} を直接導くこともできる.導出7.3の完全な古典版であり,トレースの巡回性の代わりに位相空間での部分積分 $\int\dd\Gamma\,F\{G,\rho\}=\int\dd\Gamma\,\{F,G\}\rho$ を使えばよい.量子論を経由せずに古典力学だけからも同じ構造が出る.
例題7.2 古典調和振動子でPoisson括弧を計算する
$H_0=\frac{p^2}{2m}+\frac12m\omega_0^2x^2$,$A=B=x$ として $\{x(t),x(0)\}_{\text{PB}}$ を求めよ.
解答.正準方程式の解は初期条件 $(x,p)$ を使って $x(t)=x\cos\omega_0t+\frac{p}{m\omega_0}\sin\omega_0t$ と書ける(第2章・第6章で何度も見た形である).$B=x(0)=x$ なので偏微分は $\frac{\partial x(t)}{\partial x}=\cos\omega_0t$,$\frac{\partial x(t)}{\partial p}=\frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}$,$\frac{\partial x}{\partial x}=1$,$\frac{\partial x}{\partial p}=0$ である.定義 \eqref{eq:7-poisson} に入れて
$$ \{x(t),x(0)\}_{\text{PB}} = \cos\omega_0t\cdot 0 - \frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\cdot 1 = -\frac{\sin\omega_0 t}{m\omega_0} \qquad\Longrightarrow\qquad \chi^{R,\text{古典}}_{xx}(t) = -\frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\,\theta(t) $$この結果を覚えておいてほしい.7.6節で同じものを量子論から(生成消滅演算子を使って)計算し,まったく同じ答えになることを確認する.調和振動子は線形系なので,量子と古典で応答関数が一致するのである.なお結果は初期条件 $(x,p)$ に依存しない c 数であり,平衡分布で平均しても値は変わらない.これも量子論での「交換子が c 数になる」という事実と対応している.
7.6 例題:調和振動子の $\chi^R_{xx}(\omega)$
ここまで抽象論が続いた.本節では久保公式を実際に使う.対象は量子調和振動子,$\hat A=\hat B=\hat x$ である.本書全体でいちばん大事な計算なので,いつにも増して丁寧に進める.
7.6.1 準備 —— 何を計算するのか
無摂動ハミルトニアンは
$$ \Ham_0 = \frac{\hat p^2}{2m} + \frac12 m\omega_0^2\hat x^2 = \hbar\omega_0\left(\hat a^\dagger\hat a + \frac12\right) $$である.位置演算子は生成消滅演算子で
$$ \begin{equation} \hat x = \sqrt{\frac{\hbar}{2m\omega_0}}\left(\hat a + \hat a^\dagger\right), \qquad \left[\hat a,\hat a^\dagger\right]=1 \label{eq:7-x-ladder} \end{equation} $$と書ける.第6章6.3節で求めたHeisenberg表示の位置演算子は
である.右側の形は古典解と字面がまったく同じであることに注意(第6章6.3.3節).求めたいのは
$$ \chi^R_{xx}(t) = -\frac{\ii}{\hbar}\theta(t)\braket{\left[\hat x_H(t),\hat x_H(0)\right]} $$である.$\hat x_H(0)=\hat x$ なので,計算すべきは交換子 $[\hat x_H(t),\hat x]$ の期待値である.
7.6.2 交換子を計算する
導出7.8:$[\hat x_H(t),\hat x]$ を生成消滅演算子で計算する
ステップ1:両方を $\hat a,\hat a^\dagger$ で書く.式 \eqref{eq:7-x-ladder}, \eqref{eq:7-xH} より,共通因子 $\sqrt{\hbar/2m\omega_0}$ が2つ出るので
$$ \left[\hat x_H(t),\hat x\right] = \frac{\hbar}{2m\omega_0}\left[\hat a\,\ee^{-\ii\omega_0t}+\hat a^\dagger\ee^{\ii\omega_0t},\;\hat a+\hat a^\dagger\right] $$ステップ2:双線形性で4つに分ける.交換子は各引数について線形なので,機械的に展開できる.$\ee^{\pm\ii\omega_0t}$ はただの数なので交換子の外に出る:
$$ = \frac{\hbar}{2m\omega_0}\Big( \ee^{-\ii\omega_0t}\underbrace{[\hat a,\hat a]}_{=0} + \ee^{-\ii\omega_0t}[\hat a,\hat a^\dagger] + \ee^{\ii\omega_0t}[\hat a^\dagger,\hat a] + \ee^{\ii\omega_0t}\underbrace{[\hat a^\dagger,\hat a^\dagger]}_{=0} \Big) $$(同じ演算子どうしの交換子はゼロである.)
ステップ3:交換関係を入れる.$[\hat a,\hat a^\dagger]=1$,$[\hat a^\dagger,\hat a]=-1$ だから
$$ = \frac{\hbar}{2m\omega_0}\left(\ee^{-\ii\omega_0t} - \ee^{\ii\omega_0t}\right) $$ステップ4:三角関数にする.Euler の公式 $\ee^{\ii\theta}-\ee^{-\ii\theta}=2\ii\sin\theta$ を使う.いまは順序が逆なので
$$ \ee^{-\ii\omega_0t}-\ee^{\ii\omega_0t} = -2\ii\sin\omega_0t $$したがって
別解.式 \eqref{eq:7-xH} の右側の表示 $\hat x\cos\omega_0t+\frac{\hat p}{m\omega_0}\sin\omega_0t$ を使えば,生成消滅演算子を経由せず,正準交換関係だけで1行で出る:
$$ \left[\hat x_H(t),\hat x\right] = \left[\hat x\cos\omega_0t+\frac{\hat p}{m\omega_0}\sin\omega_0t,\;\hat x\right] = \frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\left[\hat p,\hat x\right] = \frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\cdot(-\ii\hbar) = -\frac{\ii\hbar\sin\omega_0t}{m\omega_0} $$(正準交換関係 $[\hat x,\hat p]=\ii\hbar$,したがって $[\hat p,\hat x]=-\ii\hbar$.)2通りの計算で同じ答えが出た.∎
式 \eqref{eq:7-xx-comm} の3つの注目点
(1) 結果が c 数である.右辺には演算子が1つも残っていない.したがって期待値を取っても何も変わらず $\braket{[\hat x_H(t),\hat x]}=-\frac{\ii\hbar}{m\omega_0}\sin\omega_0t$ であり,どんな状態で期待値を取っても同じである——基底状態でも,励起状態でも,有限温度の熱平衡でも,コヒーレント状態でも.これは調和振動子が線形系であることの帰結で,一般の系ではこうはならない.
(2) 純虚数である.導出7.6で証明したとおり,エルミート演算子どうしの交換子の期待値は必ず純虚数になる.ここでもそれが確認できた.
(3) $\hbar$ が残っている.しかし久保公式で $-\ii/\hbar$ を掛けると $\hbar$ は消える.応答関数そのものは古典量であり $\hbar$ を含まない——次のステップで確認される.$[\hat x,\hat p]=\ii\hbar$ という基本交換関係が,応答関数の中では $\hbar$ を消して古典的なバネの情報だけを残す,というのが本節のいちばん面白いところである.
7.6.3 時間領域の応答関数
導出7.9:$\chi^R_{xx}(t)$
久保公式 \eqref{eq:7-kubo} に式 \eqref{eq:7-xx-comm} を代入する.係数の計算を慎重に行う:
$$ \chi^R_{xx}(t) = -\frac{\ii}{\hbar}\,\theta(t)\cdot\left(-\frac{\ii\hbar}{m\omega_0}\sin\omega_0t\right) $$係数だけ取り出すと
$$ \left(-\frac{\ii}{\hbar}\right)\times\left(-\frac{\ii\hbar}{m\omega_0}\right) = \frac{\ii^2\,\hbar}{\hbar\,m\omega_0} = \frac{-1}{m\omega_0} $$($\ii^2=-1$,$\hbar$ が約分された.)したがって
∎ $\hbar$ が完全に消えた.そして例題7.2で古典的に求めた $\chi^{R,\text{古典}}_{xx}(t)=-\frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\theta(t)$ と完全に一致した.
7.6.4 Fourier変換
導出7.10:$\chi^R_{xx}(\omega)$ —— 積分を1本も飛ばさずに
式 \eqref{eq:7-chi-omega} に従って計算する.以下,$z\equiv\omega+\ii\eta$ と略記する($\mathrm{Im}\,z=\eta>0$).
$$ \chi^R_{xx}(\omega) = \int_0^\infty\dd t\;\left(-\frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\right)\ee^{\ii z t} = -\frac{1}{m\omega_0}\int_0^\infty\dd t\;\sin(\omega_0t)\,\ee^{\ii zt} $$ステップ1:$\sin$ を指数関数に開く.$\sin\theta=\dfrac{\ee^{\ii\theta}-\ee^{-\ii\theta}}{2\ii}$ より
$$ = -\frac{1}{2\ii\,m\omega_0}\int_0^\infty\dd t\;\left(\ee^{\ii\omega_0t}-\ee^{-\ii\omega_0t}\right)\ee^{\ii zt} = -\frac{1}{2\ii\,m\omega_0}\left[\int_0^\infty\!\!\ee^{\ii(z+\omega_0)t}\dd t - \int_0^\infty\!\!\ee^{\ii(z-\omega_0)t}\dd t\right] $$ステップ2:基本積分を計算する.$X$ を $\mathrm{Im}\,X>0$ の複素数として
$$ \int_0^\infty \ee^{\ii Xt}\,\dd t = \left[\frac{\ee^{\ii Xt}}{\ii X}\right]_0^\infty = \frac{0-1}{\ii X} = -\frac{1}{\ii X} = \frac{\ii}{X} $$である.上端がゼロになる理由を確認しておく:$\abs{\ee^{\ii Xt}} = \ee^{-(\mathrm{Im}X)t}\to0$($t\to\infty$).ここで $\eta>0$ が効いている.$\eta=0$ ちょうどだと $\abs{\ee^{\ii Xt}}=1$ のままで,上端が振動して収束しない.最後の等号では $\frac{1}{\ii}=-\ii$,したがって $-\frac{1}{\ii X}=-\frac{-\ii}{X}=\frac{\ii}{X}$ を使った.
いま $X=z\pm\omega_0$ で,$\mathrm{Im}(z\pm\omega_0)=\eta>0$($\omega_0$ は実数なので虚部を変えない)だから,両方の積分に使える:
$$ \chi^R_{xx}(\omega) = -\frac{1}{2\ii\,m\omega_0}\left[\frac{\ii}{z+\omega_0}-\frac{\ii}{z-\omega_0}\right] $$ステップ3:$\ii$ を約分する.括弧の中の $\ii$ を前に出すと $\frac{\ii}{2\ii}=\frac12$:
$$ = -\frac{1}{2m\omega_0}\left[\frac{1}{z+\omega_0}-\frac{1}{z-\omega_0}\right] $$ステップ4:通分する.
$$ \frac{1}{z+\omega_0}-\frac{1}{z-\omega_0} = \frac{(z-\omega_0)-(z+\omega_0)}{(z+\omega_0)(z-\omega_0)} = \frac{-2\omega_0}{z^2-\omega_0^2} $$ステップ5:代入して整理する.
$$ \chi^R_{xx}(\omega) = -\frac{1}{2m\omega_0}\cdot\frac{-2\omega_0}{z^2-\omega_0^2} = \frac{1}{m\left(z^2-\omega_0^2\right)} = -\frac{1}{m\left(\omega_0^2-z^2\right)} $$$z=\omega+\ii\eta$ を戻して
∎ これが久保公式から出た量子調和振動子の応答関数である.
$\eta$ をどこまで展開するか,そして極はどこにあるか
$\eta$ は微小なので $(\omega+\ii\eta)^2\simeq\omega^2+2\ii\eta\omega$ としてよく,$\chi^R_{xx}(\omega)\simeq-\left[m(\omega_0^2-\omega^2-2\ii\eta\omega)\right]^{-1}$ となる.第3章の $\chi=\frac1m\left[\omega_0^2-\omega^2-\ii\frac{\gamma}{m}\omega\right]^{-1}$ と見比べると,$2\eta$ が $\gamma/m$ の位置にいる.つまり$\eta$ は「無限に小さい摩擦」として働いている.ただし $\eta\to0^+$ にするので本物の摩擦とは違う(7.7節).
極の位置.$\omega_0^2-(\omega+\ii\eta)^2=0$ より $\omega+\ii\eta=\pm\omega_0$,すなわち $\omega=\pm\omega_0-\ii\eta$.2つの極はどちらも実軸のわずかに下にあり,上半面には極がない.これが因果律の表現である(第4章・第8章).
7.6.5 ★第3章との対応 —— 符号はどこから来るのか★
ここが本章でいちばん注意を要する箇所である.式 \eqref{eq:7-chiR-omega} はマイナス符号が付いている.しかし第3章で求めた力学的感受率は
$$ \chi_{\text{第3章}}(\omega) = \frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)-\ii\gamma\omega} \;\xrightarrow[\gamma\to0]{}\; \frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)} $$とプラスであった.符号が逆である.矛盾しているのだろうか.していない.以下で決着をつける.
★最重要★ 第3章との符号の対応 —— 矛盾ではなく「結合の書き方の違い」である
問題の所在.第3章では,外力 $F(t)$ を受けるバネを考えた.このときポテンシャルエネルギーは
$$ U(x) = \frac12 m\omega_0^2x^2 - F\,x $$である(力は $-\partial U/\partial x = -m\omega_0^2x+F$ で,確かに外力 $F$ が加わっている).つまり摂動は
$$ \Ham' = -\,\hat x\,F \qquad\text{(マイナス符号)} $$である.ところが本章では $\Ham_{\text{ext}}=+f\hat B$ とプラスで書く約束にした.$\hat B=\hat x$ とすると
$f$ と $F$ は符号が逆である.これが全部の原因である.
確かめる.本章の公式 $\delta\braket{\hat x}=\chi^R_{xx}f$ に,$f=-F$ を代入する.単色外場 $F(t)=F_0\ee^{-\ii\omega t}$,$\eta\to0$ として
$$ \delta\braket{\hat x} = \chi^R_{xx}(\omega)\cdot\left(-F_0\ee^{-\ii\omega t}\right) = \left(-\frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)}\right)\cdot\left(-F_0\ee^{-\ii\omega t}\right) = \frac{F_0\,\ee^{-\ii\omega t}}{m(\omega_0^2-\omega^2)} $$マイナスが2回掛かってプラスに戻った.そしてこれは第3章の答え($\gamma\to0$)とまったく同じである:
$$ \delta\braket{\hat x} = \chi_{\text{第3章}}(\omega)\,F_0\,\ee^{-\ii\omega t}, \qquad \chi_{\text{第3章}}(\omega)=\frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)} $$すなわち
である.物理はまったく同じ.式の符号だけが違う.違いは「外場をハミルトニアンにどう書くか」という約束事だけである.
直観的な確認.静的な場合($\omega=0$)で考えるとはっきりする.
- 本章の流儀では,摂動は $\Ham_{\text{ext}}=f\hat x$,すなわちポテンシャルに $+fx$ を足す.$f>0$ なら,$x$ が正の側のポテンシャルが上がる.粒子はポテンシャルの低い方($x<0$ 側)へ移動する.だから $\delta\braket{x}<0$,すなわち $\chi^R_{xx}(0)=-\frac{1}{m\omega_0^2}<0$.負で正しい.
- 第3章の流儀では,$F>0$ の力を右向きに加えるのだから,粒子は右へ動く.$\delta x>0$,すなわち $\chi_{\text{第3章}}(0)=+\frac{1}{m\omega_0^2}>0$.正で正しい.
どちらも物理的に正しく,どちらも同じ現象を記述している.「$f$ はポテンシャル的な量,$F$ は力」——この一言で覚えるとよい.ポテンシャルを上げれば粒子は逃げる(負の応答),力を加えれば粒子は押される(正の応答).
第9章・第10章との整合.密度応答では $\Ham_{\text{ext}}=\int\dd^3x\,\phi_{\text{ext}}(\xx,t)\hat\rho(\xx)$ と書く.これは $f=\phi_{\text{ext}}$(電子1個が感じるポテンシャルエネルギー)であり,まさに「ポテンシャル的な量」である.したがって $\chi_{\rho\rho}(\qq,0)<0$,$\chi^0(\qq\to0,0)=-N(\epsilon_F)<0$ となる.電子はポテンシャルエネルギーの高いところから逃げる.本節の $\chi^R_{xx}(0)<0$ とまったく同じ理屈である.
教訓.$\chi$ の符号は物理ではなく結合の書き方で決まる.文献を読むときは,公式を写す前に必ず
その本は外場をハミルトニアンにどう書いているか($+f\hat B$ か $-f\hat B$ か)
を確認すること.これを怠ると,遮蔽が反遮蔽になり,吸収が利得になり,誘電関数の符号が狂う.数式より先に,この1行を確認する習慣を付けてほしい.
| $\Ham'=+f\hat B$ 流儀 (本書・Fetter–Walecka・Mahan・Bruus–Flensberg) | $\Ham'=-f\hat B$ 流儀 (力学の標準形・久保原論文・本書第1〜3章) | |
|---|---|---|
| 外場の呼び名 | 一般化ポテンシャル $f$ | 一般化力 $F$ |
| 両者の関係 | $f = -F$ | |
| 応答関数の定義 | $\chi^R_{AB}(t)=-\frac{\ii}{\hbar}\theta(t)\braket{[\hat A_H(t),\hat B(0)]}$ | $\chi^{K}_{AB}(t)=+\frac{\ii}{\hbar}\theta(t)\braket{[\hat A_H(t),\hat B(0)]}$ |
| 応答の式 | $\delta\braket{\hat A}=\int\chi^R_{AB}\,f$ | $\delta\braket{\hat A}=\int\chi^{K}_{AB}\,F$ |
| 両者の関係 | $\chi^{K}_{AB}(\omega) = -\,\chi^R_{AB}(\omega)$ | |
| 調和振動子($\gamma\to0$) | $\chi^R_{xx}=-\dfrac{1}{m\left[\omega_0^2-(\omega+\ii\eta)^2\right]}$ | $\chi^{K}_{xx}=+\dfrac{1}{m\left[\omega_0^2-(\omega+\ii\eta)^2\right]}$ |
| 静的極限の符号 | $\chi^R_{xx}(0)=-\dfrac{1}{m\omega_0^2}<0$ | $\chi^{K}_{xx}(0)=+\dfrac{1}{m\omega_0^2}>0$ |
| 吸収の条件($\omega>0$) | $\chi''<0$(散逸部は $-\chi''$) | $\chi''>0$ |
| 吸収パワー | $P=-\frac12 f_0^2\,\omega\,(\chi^{R})''$ | $P=+\frac12 F_0^2\,\omega\,(\chi^{K})''$ |
| 密度応答($q\to0$,静的) | $\chi^0=-N(\epsilon_F)<0$ | $+N(\epsilon_F)>0$ |
| 本書での登場 | 第7〜13章 | 第1〜3章 |
表中の上付き $K$ は「$\Ham'=-f\hat B$ 流儀(久保原論文・本書第1〜3章)の感受率」という意味でしかない.Keldysh形式で現れる同じ記号 $\chi^K$(Keldysh成分)とはまったく別物なので,多体論の教科書に進むときは混同しないでほしい.
導出7.11:吸収パワーの符号を確かめる
表7.2 の「吸収」の行を確かめておく.本書の流儀では,外場が系に与えるエネルギーの割合は $\frac{\dd W}{\dd t}=\Braket{\frac{\partial\Ham}{\partial t}}=\dot f(t)\braket{\hat B(t)}$ である.実の外場 $f_0\cos\omega t=\frac{f_0}{2}(\ee^{-\ii\omega t}+\ee^{\ii\omega t})$ を式 \eqref{eq:7-product} に入れ,$\chi\equiv\chi^R_{BB}=\chi'+\ii\chi''$ と実数性 $\chi(-\omega)=\chi(\omega)^*$(導出7.6)を使うと
$$ \delta\braket{\hat B(t)} = \frac{f_0}{2}\left[\chi(\omega)\ee^{-\ii\omega t}+\chi(\omega)^*\ee^{\ii\omega t}\right] = f_0\left[\chi'\cos\omega t + \chi''\sin\omega t\right] $$となる.これに $\dot f=-f_0\omega\sin\omega t$ を掛けて1周期で平均する($\overline{\sin\cos}=0$,$\overline{\sin^2}=\frac12$)と
∎ 吸収($\dd W/\dd t>0$)には $\omega\chi''<0$ が必要である.本書の流儀では散逸を表す量は $-\chi''$ である.第3章の「$\mathrm{Im}\chi>0$ が吸収」と逆に見えるが,$\chi^R=-\chi_{\text{第3章}}$ なので当然で,物理は同じである.第8章8.4.3節,第9章9.6節の損失関数 $-\mathrm{Im}\,\epsilon^{-1}$ もすべてこの流儀に揃っている.
7.6.6 第2章の遅延Green関数との関係
第2章では,減衰振動子の遅延Green関数を
$$ G^R(t) = \frac{1}{m\omega_1}\,\ee^{-\gamma t/(2m)}\sin(\omega_1t)\;\theta(t), \qquad \omega_1=\sqrt{\omega_0^2-(\gamma/2m)^2} $$と求めた.$\gamma\to0$ とすると $\omega_1\to\omega_0$,指数関数は $1$ になり
$$ G^R(t) \;\xrightarrow[\gamma\to0]{}\; \frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\,\theta(t) $$である.式 \eqref{eq:7-chiR-t} と比べれば
第I部と第III部が完全につながった
式 \eqref{eq:7-G-vs-chi} は,本書の古典編と量子編を結ぶ最後の橋である.第2章の $G^R(t)$ は単位の力を一発加えたときの変位の返事($\Ham'=-\hat xF$ の流儀),本章の $\chi^R_{xx}(t)$ は単位の一般化外場 $f$ を一発加えたときの返事($\Ham'=+f\hat x$ の流儀)であり,$f=-F$ だから $G^R=-\chi^R_{xx}$ となる.第3章の $\chi(\omega)=G^R(\omega)$(Green関数のFourier変換が感受率)は,本章の言葉では $\chi_{\text{第3章}}(\omega)=-\chi^R_{xx}(\omega)$ である.
そしてこの構造は調和振動子でしか使えないものではない.久保公式 \eqref{eq:7-kubo} は $\Ham_0$ が何であっても成り立つ——$10^{23}$ 個の電子が相互作用している系でも,超伝導体でも,磁性体でも同じ式である.減衰振動子で理解した構造が,そのまま多体系に通用する——これが本書の主張であった.いまその主張が具体的に確かめられた.
7.6.7 $\chi''$ を計算して吸収スペクトルを見る
導出7.12:$\chi''_{xx}(\omega)$ はデルタ関数の対である
導出7.10のステップ3で得た部分分数分解
$$ \chi^R_{xx}(\omega) = -\frac{1}{2m\omega_0}\left[\frac{1}{\omega+\omega_0+\ii\eta}-\frac{1}{\omega-\omega_0+\ii\eta}\right] $$から出発する.第5章のSokhotski–Plemelj公式
$$ \frac{1}{x+\ii\eta} = \PV\frac{1}{x} - \ii\pi\delta(x) \qquad(\eta\to0^+) $$を各項に使う.虚部だけ取り出すと
$$ \chi''_{xx}(\omega) = -\frac{1}{2m\omega_0}\left[-\pi\delta(\omega+\omega_0)+\pi\delta(\omega-\omega_0)\right] $$すなわち
実部は主値の部分で,$\omega\ne\pm\omega_0$ では $\chi'_{xx}(\omega)=-\frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)}$ である.∎
検算.$\omega=+\omega_0$ 付近では $\chi''<0$ である.式 \eqref{eq:7-power} に入れると吸収パワーは
$$ \overline{\frac{\dd W}{\dd t}} = -\frac12 f_0^2\,\omega_0\cdot\left(-\frac{\pi}{2m\omega_0}\delta(\omega-\omega_0)\right) = \frac{\pi f_0^2}{4m}\,\delta(\omega-\omega_0) \;>\;0 $$正しく正である.系は共鳴振動数でだけエネルギーを吸収する.
7.7 減衰 $\gamma$ はどこから来るか
7.7.1 孤立系の極は実軸のすぐ下にある
7.6.4節で見たように,$\chi^R_{xx}(\omega)$ の極は
$$ \omega = \pm\omega_0 - \ii\eta $$にある.$\eta\to0^+$ なので,極は実軸に限りなく近づく.時間領域では,極が実軸から $-\ii\Gamma$ だけ沈んでいること(すなわち虚部が $-\Gamma$ であること)が $\ee^{-\Gamma t}$ という減衰を意味する(第2章・第5章).したがって $\Gamma=\eta\to0$ は「減衰しない」ということである.図7.3 のとおり,$\chi^R_{xx}(t)$ は永久に鳴り続ける.
これは正しい.孤立した量子系はエネルギーを捨てられない
おかしなことは何も起きていない.$\Ham_0$ は時間に依らないのでエネルギーは保存する.エネルギーが保存する系で振動が減衰する(=運動エネルギーがどこかへ消える)ことはあり得ない.もっと一般に,有限個の準位しかない孤立系では,久保公式の交換子は有限個の $\ee^{\pm\ii\omega_{n0}t}$ の和になり(第8章のLehmann表示),有限個の振動の和は概周期的で,いつかは元の状態にいくらでも近づいて戻ってくる(古典力学のPoincaréの回帰定理に対応する,量子系での再帰である).減衰しようがない.したがって「減衰 $\gamma$ が有限になる」ためには,系の外に何かが必要である.
7.7.2 $\gamma$ を生む3つの機構
減衰の起源
(1) 環境(熱浴)との結合.振動子が無数の自由度をもつ環境(フォノン浴,電磁場,他の電子)と弱く結合していると,エネルギーは膨大な自由度に散らばって二度と戻ってこない.系+無限個の調和振動子(浴)というハミルトニアン(Caldeira–Leggettモデル)から出発すると,極が $\omega=\pm\omega_1-\ii\gamma/2m$($\omega_1=\sqrt{\omega_0^2-(\gamma/2m)^2}$.7.6.6節・図7.4と同じもの)と有限に沈むことが示せる.$\gamma$ は結合定数と浴の状態密度で決まる.
(2) 連続スペクトルの存在.環境を明示しなくても,$\Ham_0$ 自身が連続な励起スペクトルを持てば同じことが起こる.有限個のデルタ関数の和は減衰しないが,連続的に分布したものの重ね合わせは位相がばらけて減衰する(第8章8.4.4節).減衰は熱力学極限($N,V\to\infty$)の産物である.
(3) 非調和性.$x^3,x^4$ の項があるとモード間でエネルギーがやりとりされる(フォノン‐フォノン散乱).1つのモードから見れば他のモードが「環境」である.結晶中のフォノンの寿命と格子熱伝導率を決めているのがこれである.
$\eta$ と $\gamma$ の決定的な違い
図7.4 の (a) と (b) は似ているが,$\eta$ と $\gamma$ の性格はまったく違う.
| 断熱因子 $\eta$ | 減衰定数 $\gamma$ | |
|---|---|---|
| 大きさ | 無限小($\eta\to0^+$) | 有限(測定できる量) |
| 由来 | 境界条件(遅延解を選ぶ) | 環境との結合,連続スペクトル |
| 役割 | 因果律の指定,積分の収束 | エネルギー散逸 |
| スペクトル線幅 | ゼロ(デルタ関数) | $\gamma/m$(Lorentzian) |
| 現れる場所 | すべての遅延関数 | 散逸のある系だけ |
| 数値計算では | 収束のための小さな値(smearing) | 物理的に決まる値 |
7.8 電気伝導度への応用
久保公式が「抽象的な一般論」で終わらないことを示す最良の例が,電気伝導度である.オームの法則 $j=\sigma E$ の比例係数 $\sigma$ が,電流を流していない平衡状態での電流‐電流相関関数で書ける.これが久保の1957年の論文の主題であった.
7.8.1 電磁場との結合 —— 反磁性項が現れる
電荷 $q$ をもつ $N$ 個の粒子に一様な電場をかける.電場はベクトルポテンシャル $\bm A(t)$ で表す(SI単位,$\bm E=-\partial\bm A/\partial t$,スカラーポテンシャルはゼロのゲージ).極小結合(minimal coupling)により,運動量が $\pp_i\to\pp_i-q\bm A$ に置き換わる:
$$ \Ham = \sum_{i=1}^{N}\frac{\left(\pp_i-q\bm A(t)\right)^2}{2m} + \hat V $$$\hat V$ は粒子間相互作用と格子ポテンシャルで,$\bm A$ を含まない.
導出7.13:$\bm A$ について展開する
2乗を開く.$\bm A(t)$ は空間に依らない c 数なので $\pp_i$ と交換し,順序を気にしなくてよい:
$$ \frac{(\pp_i-q\bm A)^2}{2m} = \frac{\pp_i^2}{2m} - \frac{q}{m}\,\bm A\cdot\pp_i + \frac{q^2\bm A^2}{2m} $$$i$ について和を取ると
ここで $x$ 方向だけを考え,常磁性電流演算子を
$$ \begin{equation} \hat J^p_x \equiv \frac{q}{m}\sum_{i=1}^{N}\hat p_{ix} \label{eq:7-Jp} \end{equation} $$と定義した.∎
なぜ2つの項に分かれるのか —— 電流演算子も $\bm A$ に依る
ここが電磁場の応答に固有の面倒さである.速度が $\hat{\bm v}_i=(\pp_i-q\bm A)/m$ なので,電流の演算子そのものが $\bm A$ に依存してしまう:
$$ \hat J_x = q\sum_i \hat v_{ix} = \frac{q}{m}\sum_i\left(\hat p_{ix}-qA_x\right) = \hat J^p_x - \frac{Nq^2}{m}A_x $$第1項が常磁性電流,第2項が反磁性電流である.後者は演算子ですらなく,ただの数($\bm A$ に比例する c 数)である.したがって $\braket{\hat J_x}$ を求めるには2つの寄与を足さねばならない——$\hat J^p_x$ の期待値が外場で変化する分(久保公式で計算する)と,演算子自身が $\bm A$ に依存する分である.この2つの寄与の片方を忘れるのが,伝導度の計算でいちばんよくある落とし穴である.片方だけだと,絶縁体でも直流電流が流れるという馬鹿げた答えが出る.
7.8.2 久保公式を適用する
導出7.14:伝導度の久保公式
ステップ1:本書の記法に合わせる.式 \eqref{eq:7-Hem} の1次の項を $\Ham_{\text{ext}}=f\hat B$ と見比べる:
$$ f(t) = -A_x(t), \qquad \hat B = \hat J^p_x $$(表7.1 の第3行がこれである.)測りたいのは $\hat A=\hat J^p_x$ なので,必要な応答関数は $\chi^R_{J^pJ^p}$ である.
ステップ2:常磁性電流の応答.式 \eqref{eq:7-product} より,振動数空間で
$$ \delta\braket{\hat J^p_x}(\omega) = \chi^R_{J^pJ^p}(\omega)\,f(\omega) = -\chi^R_{J^pJ^p}(\omega)\,A_x(\omega) $$ステップ3:反磁性項を足す.平衡状態では電流は流れていない($\braket{\hat J^p_x}_0=0$)から,$\braket{\hat J^p_x}$ はまるごと外場による変化分 $\delta\braket{\hat J^p_x}$ に等しい.したがって全電流の期待値は
$$ \braket{\hat J_x}(\omega) = \delta\braket{\hat J^p_x}(\omega) - \frac{Nq^2}{m}A_x(\omega) = -\left[\chi^R_{J^pJ^p}(\omega) + \frac{Nq^2}{m}\right]A_x(\omega) $$ステップ4:$\bm A$ を $\bm E$ に直す.$E_x=-\partial A_x/\partial t$ を本書のFourier規約 \eqref{eq:7-fourier} で変換する.$\ee^{-\ii\omega t}$ の係数を見ているので $\partial_t\to-\ii\omega$,したがって
$$ E_x(\omega) = -(-\ii\omega)A_x(\omega) = \ii\omega\,A_x(\omega) \qquad\Longleftrightarrow\qquad A_x(\omega) = \frac{E_x(\omega)}{\ii\omega} $$ステップ5:代入して $\sigma$ を読み取る.
$$ \braket{\hat J_x}(\omega) = -\left[\chi^R_{J^pJ^p}+\frac{Nq^2}{m}\right]\frac{E_x(\omega)}{\ii\omega} = \frac{\ii}{\omega}\left[\chi^R_{J^pJ^p}(\omega)+\frac{Nq^2}{m}\right]E_x(\omega) $$($-1/\ii=+\ii$ を使った.)電流密度は $j_x=\braket{\hat J_x}/V$ なので,$j_x=\sigma_{xx}E_x$ と比べて
∎ これが電気伝導度の久保公式である.$\chi^R_{J^pJ^p}$ は久保公式 \eqref{eq:7-kubo} により
$$ \chi^R_{J^pJ^p}(t) = -\frac{\ii}{\hbar}\theta(t)\braket{\left[\hat J^p_{x,H}(t),\,\hat J^p_x(0)\right]} $$で与えられる.右辺には電場が現れない.電流を流していない平衡状態で,電流演算子どうしの相関を測れば,伝導度が分かる.
7.8.3 自由電子 —— Drude の $\tau\to\infty$ 極限が出る
例題7.3 相互作用のない自由電子気体
$\hat V=0$,すなわち $\Ham_0=\sum_i\pp_i^2/2m$ の場合に式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} を計算せよ.
解答.$\hat J^p_x=\frac{q}{m}\sum_i\hat p_{ix}$ は運動量の和であり,自由粒子では運動量が保存量なので $[\hat J^p_x,\Ham_0]=0$,したがってHeisenberg表示でも時間に依らず $\hat J^p_{x,H}(t)=\hat J^p_x$ である.すると交換子は $[\hat J^p_x,\hat J^p_x]=0$ と恒等的にゼロ,つまり $\chi^R_{J^pJ^p}=0$ となり,反磁性項だけが残る($q^2=e^2$):
$$ \sigma_{xx}(\omega) = \frac{\ii}{\omega}\cdot\frac{ne^2}{m} = \frac{\ii ne^2}{m(\omega+\ii\eta)} $$ここで $1/\omega$ を $1/(\omega+\ii\eta)$ と読み替えた.これは後から都合よく付けたものではない.断熱因子 $\ee^{\eta t}$ を最後まで保って計算すると,導出7.5とまったく同じ機構で $E_x(\omega)=\ii(\omega+\ii\eta)A_x(\omega)$ となり,式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} の $\ii/\omega$ が $\ii/(\omega+\ii\eta)$ になる(7.4節).$\eta$ を落としてしまうと,次に述べる実部の計算ができない.
Drude理論の $\sigma(\omega)=\frac{ne^2\tau/m}{1-\ii\omega\tau}$ で緩和時間 $\tau\to\infty$(散乱なし)とすると $\frac{ne^2\tau/m}{-\ii\omega\tau}=\frac{\ii ne^2}{m\omega}$ となり,完全に一致する.散乱体のない自由電子に抵抗はないのだから当然である.
実部はSokhotski–Plemelj公式 $\frac{\ii}{\omega+\ii\eta}=\pi\delta(\omega)+\ii\PV\frac1\omega$ より $\mathrm{Re}\,\sigma_{xx}(\omega)=\frac{\pi ne^2}{m}\delta(\omega)$,すなわち直流伝導度が無限大である.これも正しい(散乱がなければ電子は加速され続ける).有限の $\sigma_{\text{DC}}$ を得るには $\hat V$(不純物・フォノン)を入れて $\chi^R_{J^pJ^p}$ を計算し,$\omega\to0$ で反磁性項と部分的に打ち消し合わせる必要がある.
7.8.4 ランダムな不純物 —— 有限の伝導度が出る
前項の最後で予告したとおり,有限の直流伝導度を得るには散乱体を入れなければならない.ここでは最も基本的な散乱体であるランダムに置かれた不純物を扱い,式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} から Drude の式が実際に出てくるところまでを追う.線形応答という一般論が,中学校で習うオームの法則の背後にある $\sigma=ne^2\tau/m$ を,量子力学から導いてしまう.
設定は簡単である.$N_{\text{imp}}$ 個の不純物が位置 $\bm R_a$ にランダムに置かれ,それぞれが同じポテンシャル $u$ を作るとする:
$$ \begin{equation} \Ham = \Ham_0 + \Ham_{\text{imp}}, \qquad \Ham_{\text{imp}} = \sum_{a=1}^{N_{\text{imp}}} u\!\left(\hat{\bm x}-\bm R_a\right) \label{eq:7-Himp} \end{equation} $$$\Ham_0$ は自由電子(あるいは完全周期結晶のBloch電子)である.$\bm R_a$ がランダムだという一点が,前項との唯一の違いであり,そしてすべてを変える.
なぜ「不純物配置について平均」してよいのか
式 \eqref{eq:7-Himp} には困った点がある.$\bm R_a$ を1組固定すると,その系には並進対称性がない.並進対称性がなければ $\kk$ は良い量子数ではなく,第6章以来使ってきた道具(Fourier 変換,運動量保存)が全部使えない.しかも $\bm R_a$ は実験のたびに違う.
そこで不純物平均(impurity average)を取る.$\bm R_a$ を試料全体に一様分布させて平均すると,平均された量には並進対称性が回復する.これは数学的な便法ではなく,物理的に正当化できる.マクロな試料は,平均自由行程 $\ell$ 程度の小領域を莫大な個数だけ並べたものと見なせるので,測定される $\sigma$ は個々の配置によらず平均値にほぼ一致する(自己平均性,self-averaging).抵抗値が試料ごとにばらつかないという日常的な事実が,その証拠である.
逆に $\ell$ が試料寸法と同程度になるメゾスコピック系では自己平均性が破れ,試料ごとに再現性のある揺らぎ(普遍伝導度揺らぎ)が現れる.そこでは以下の議論は使えない.
不純物平均が何をするか.平均を取ると1粒子Green関数は $\kk$ について対角的になり,自己エネルギー $\Sigma^R$ を持つ:
$$ G^R(\kk,\omega) = \frac{1}{\hbar\omega-\varepsilon_\kk-\Sigma^R(\kk,\omega)} $$最低次(Born近似,不純物濃度 $n_{\text{imp}}=N_{\text{imp}}/V$ の1次)では,$\Sigma^R$ の虚部が寿命を与える:
ここで $N(\varepsilon_F)$ は Fermi 準位での状態密度(単位体積・単位エネルギー・スピンあたり)である.式 \eqref{eq:7-tau-born} は Fermi の黄金律そのものであり,7.7節で挙げた「$\gamma$ を生む機構」の具体例になっている.つまり1粒子の極が実軸から $\hbar/2\tau$ だけ下に押し下げられる.これが散乱の効果のすべてである.
導出7.15:電流‐電流相関を計算して Drude 形を得る
ステップ1:何を計算するか.式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} に必要なのは $\chi^R_{J^pJ^p}$ である.不純物平均を取ったあとの $\chi^R_{J^pJ^p}$ は,2本のGreen関数を向かい合わせた「バブル」で与えられる(各頂点に電流演算子 $qp_x/m$ が付く).
ステップ2:バブルを積分する.詳細は付録Cの図形の規則に譲るが,要点は,前項で恒等的にゼロだった交換子が,$G^R$ の極が実軸から $\hbar/2\tau$ 離れたおかげでゼロでなくなることである.$\varepsilon_F\tau/\hbar\gg1$(良い金属では $10^2$ 以上)のもとで積分を実行すると
$$ \frac{\chi^R_{J^pJ^p}(\omega)}{V} = -\frac{nq^2}{m}\cdot\frac{1}{1-\ii\omega\tau} $$が得られる.
ステップ3:反磁性項と足す.式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} の角括弧の中身は
$$ \frac{\chi^R_{J^pJ^p}}{V}+\frac{nq^2}{m} = \frac{nq^2}{m}\left[1-\frac{1}{1-\ii\omega\tau}\right] = \frac{nq^2}{m}\cdot\frac{-\ii\omega\tau}{1-\ii\omega\tau} $$となり,前に付いている $\ii/\omega$ と掛け合わせると $\omega$ が約分される:
∎ Drude の式そのものである.前項で $\tau\to\infty$ として一致を確認した式が,今度は有限の $\tau$ のまま,量子力学の第一原理から出てきた.
物理的意味:$\omega\to0$ で常磁性項が反磁性項を食い尽くす
7.8.3節で「有限の $\sigma_{\text{DC}}$ を得るには反磁性項と部分的に打ち消し合わせる必要がある」と書いた.その打ち消しがステップ3で実際に起きている.$\omega\to0$ で
$$ \frac{\chi^R_{J^pJ^p}(0)}{V} = -\frac{nq^2}{m} $$となり,角括弧の中身は完全にゼロになる.前項の自由電子では $\chi^R_{J^pJ^p}=0$ だったので角括弧は $nq^2/m$ のまま残り,$\ii/\omega$ が発散させていた.散乱があると常磁性項が育って反磁性項をちょうど食い尽くし,残った $O(\omega)$ の項が $\ii/\omega$ と相殺して有限値を残す.
この打ち消しは金属に限った話ではない.直流電流を流さない系(絶縁体)でも同じ等式が成り立ち,そこでは角括弧が $O(\omega^2)$ で消えるので $\sigma\to0$ となる.角括弧が $\omega\to0$ で消えないのは完全導体(散乱ゼロ)だけである.伝導体・絶縁体・完全導体の3つが,この1本の式の $\omega\to0$ の消え方の違いだけで分類できる.
例題7.4 銅の緩和時間と平均自由行程
室温の銅は $\sigma_{\text{DC}}=5.96\times10^{7}\ \mathrm{S/m}$,伝導電子密度 $n=8.5\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ である.式 \eqref{eq:7-drude} から $\tau$ を求め,Fermi 速度 $v_F=1.57\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$ を使って平均自由行程 $\ell=v_F\tau$ を評価せよ.また $\hbar/\tau$ を meV で求め,準粒子描像が成り立っているかを確かめよ.
解答.式 \eqref{eq:7-drude} を $\tau$ について解くと $\tau=m\sigma_{\text{DC}}/(ne^2)$ である.
$$ \tau = \frac{(9.109\times10^{-31})(5.96\times10^{7})}{(8.5\times10^{28})(1.602\times10^{-19})^2} = \frac{5.43\times10^{-23}}{2.18\times10^{-9}} = 2.49\times10^{-14}\ \mathrm{s} $$すなわち $\tau\simeq25\ \mathrm{fs}$ である.平均自由行程は
$$ \ell = v_F\tau = (1.57\times10^{6})(2.49\times10^{-14}) = 3.9\times10^{-8}\ \mathrm{m} = 39\ \mathrm{nm} $$となり,銅の格子定数 $3.6\ \text{Å}$ の約100倍である.電子は100原子ぶんも走ってからようやく1回散乱される.金属が「電子がぎっしり詰まっているのにスイスイ流れる」場所である理由がここにある.
散乱による準位の幅は
$$ \frac{\hbar}{\tau} = \frac{1.055\times10^{-34}}{2.49\times10^{-14}} = 4.24\times10^{-21}\ \mathrm{J} = 26\ \mathrm{meV} $$である.$\varepsilon_F\simeq7\ \mathrm{eV}$ と比べると $\varepsilon_F\tau/\hbar\simeq270\gg1$ であり,準粒子は自分のエネルギーに比べてはるかに長生きしている.導出7.15 でこの条件を使ったが,それが実際に十分よく満たされていることが確認できた.∎
注意:寿命 $\tau$ と輸送時間 $\tau_{\text{tr}}$ は別物である
上の議論では,バブルの2本のGreen関数に自己エネルギーを入れただけで,2本を結ぶ頂点補正(vertex correction)を無視した.厳密にはこれを入れる必要があり,その効果は式 \eqref{eq:7-tau-born} の $\tau$ を輸送時間 $\tau_{\text{tr}}$ に置き換えることに相当する:
$$ \frac{1}{\tau_{\text{tr}}} = \frac{2\pi}{\hbar}\,n_{\text{imp}}\sum_{\kk'}\abs{u(\kk-\kk')}^2\left(1-\cos\theta_{\kk\kk'}\right)\delta(\varepsilon_\kk-\varepsilon_{\kk'}) $$$(1-\cos\theta)$ という重みが付くのが急所である.前方散乱($\theta\simeq0$)は電流をほとんど減らさない——電子が少しだけ向きを変えても,運んでいる電流はほぼそのままだからである.一方,後方散乱($\theta\simeq\pi$)は電流を反転させるので $(1-\cos\theta)=2$ と最も強く効く.1粒子の寿命 $\tau$ は「その状態から出ていくかどうか」だけを数えるので,どちら向きに散乱されようと同じ重みで数えてしまう.伝導度を決めるのは「どちらへ散乱されたか」を勘定に入れた $\tau_{\text{tr}}$ のほうである.
不純物ポテンシャルが等方的($s$ 波散乱,$u(\kk-\kk')$ が角度に依らない)なら $\braket{\cos\theta}=0$ となって $\tau_{\text{tr}}=\tau$ であり,上の結果はそのまま正しい.遮蔽された Coulomb 不純物のように前方散乱が卓越する場合は $\tau_{\text{tr}}\gg\tau$ となり,両者は桁で違うこともある.
小谷岳生先生のご助言:線形応答から「普通の電気伝導度の式」が出ること
本項の内容は,小谷先生から「線形応答理論でランダムに存在する不純物の電気伝導度を計算する方法というのがある(普通の電気伝導度の式になる)」とご教示いただき,書き起こしたものである.
ここで起きたことを振り返っておく価値がある.出発点は久保公式という完全に一般的な表式で,そこには電場も電流も現れず,平衡状態の交換子だけがあった.そこへ「不純物がランダムに置かれている」という具体的な設定を入れ,不純物平均・自己エネルギー・バブルという計算技術を通したところ,出てきたのは $\sigma=ne^2\tau/m$ という,Drude が1900年に古典論で書いた式そのものであった.
先生が別の箇所で「計算技術(Green 関数法)と,実体(本質)みたいなのをちょっと分けて考えるべき」と述べておられるのは,まさにこういう場面を指している.Green 関数も自己エネルギーも Feynman 図形も,$\sigma=ne^2\tau/m$ という実体にたどり着くための道具であって,物理そのものではない.道具の複雑さに気を取られて,最後に出てきた式の素朴さを見失わないでほしい.逆にいえば,古典論が当てずっぽうに書いた式が量子多体論の第一原理から出てくること,そして $\tau$ が何であるかが式 \eqref{eq:7-tau-born} で初めて計算できる量になることこそが,この長い道のりの報酬である.
——以上は,QSGW 法の開発者である小谷岳生先生よりいただいたご助言(私信,2026年8月)にもとづく.
この結果の何が驚きなのか
伝導度は非平衡の量である.電流が流れている状態は平衡ではなく,エネルギーが散逸してJoule熱が出ている.ところが式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} の右辺は,電流が流れていない平衡状態で取った期待値である.
なぜこんなことが可能なのか.答えは「弱い外場に対する応答は,系が自分で勝手にやっている揺らぎで決まる」からである.平衡状態でも電子はじっとしているわけではなく,熱運動やゼロ点運動により電流は瞬間瞬間ゆらいでいる(平均はゼロだが相関はゼロでない).この自発的な電流ゆらぎがどれくらい速く減衰するかが,外から電場をかけたときにどれくらい電流が流れるかを決める.これが揺動散逸定理の核心であり,第8章の主題である.Nyquist の熱雑音(抵抗 $R$ の両端の雑音電圧が $\braket{V^2}=4k_BTR\Delta\nu$)は,まさにこの関係を実験で見たものである.雑音を測れば抵抗が分かる.
7.9 断熱因子 $\eta$ の意味 —— 総まとめ
$\eta$(あるいは $\ii\eta$,$\omega+\ii\eta$,上半面,$\theta(t)$)は,本書のあちこちで違う顔をして現れてきた.それらがすべて同じ1つのことであることを,ここで表にまとめる.
| 領域 | 表現 | 意味 | 本書での登場 |
|---|---|---|---|
| 物理的操作 | 外場を $\ee^{\eta t}$ で断熱的に立ち上げる | 無限の過去では平衡.過渡応答を消す | 第6章6.8節,本章7.1.2節 |
| 時間領域(応答) | $\chi^R(t)\to\chi^R(t)\ee^{-\eta t}$ | 有限の観測時間 $1/\eta$.無限の過去の記憶は残らない | 本章7.4.3節 |
| 時間領域(因果律) | $\chi^R(t)=0\ (t<0)$,すなわち $\theta(t)$ | 未来の外場は効かない | 第1章1.4節,本章7.3.1節 |
| 積分の収束 | $\displaystyle\int_0^\infty\ee^{\ii(\omega+\ii\eta)t}\dd t$ が収束 | $\ee^{-\eta t}$ が上端を殺す | 本章7.4.2節,導出7.10 |
| 複素平面(評価点) | $\omega\to\omega+\ii\eta$ | 実軸のわずかに上で $\chi^R$ を評価する | 本章7.4節,第8章 |
| 複素平面(極) | 極はすべて $\mathrm{Im}\,\omega<0$ | 上半面には特異点がない | 本章7.6.4節,図7.4,第8章8.3節 |
| 解析性 | $\chi^R(\omega)$ は上半面で正則 | Kramers–Kronig関係が使える | 第4章,第8章8.3節 |
| 積分路 | $t<0$ では上半面に閉じる → 極を囲まない → $0$ | Jordan の補題と留数定理 | 第5章,第2章2.4節 |
1つのことを8通りに言っている
表7.4 の8行は,論理的にはすべて同値である.どこから出発しても他のすべてが従う.
過去は未来に影響するが,未来は過去に影響しない.
= 応答関数は $t<0$ でゼロである.
= Fourier変換は上半面で正則である.
= 極はすべて下半面にある.
= 収束因子は $\ee^{-\eta t}$($\eta>0$)である.
= 振動数は $\omega+\ii\eta$ と読み替える.
第2章では微分方程式の境界条件として,第4章では解析関数の性質として,第5章では積分路の閉じ方として,本章では外場の入れ方として——同じ1つの事実が,道具立てを変えるたびに姿を変えて現れた.線形応答理論を貫く背骨は,因果律という一言である.第13章では,この $\omega+\ii\eta$ が松原振動数 $\ii\omega_n$ からの解析接続という形でもう一度登場する.上半面から実軸に近づけば遅延関数,下半面からなら先進関数になる.因果律は最後まで付いてくる.
7.10 まとめと演習
7.10.1 まとめ
- 1次摂動:期待値 $\bra{\psi_I}\hat A_I\ket{\psi_I}$ は $\hat U_I^\dagger\hat A_I\hat U_I$ というサンドイッチである.ブラ側からは $+\ii/\hbar$,ケット側からは $-\ii/\hbar$ が出て,演算子の順序も逆になる.だから交換子になる.符号が反転するのは $\Ham_{\text{ext}}$ がエルミートだから,すなわち時間発展がユニタリだからである.
- 久保公式:$\chi^R_{AB}(t-t')=-\frac{\ii}{\hbar}\theta(t-t')\braket{[\hat A_H(t),\hat B_H(t')]}$.$\hat A_H,\hat B_H$ は$\Ham_0$ によるHeisenberg表示,$\braket{\cdots}$ は無摂動の平衡期待値である.
- なぜ交換子か:(a) 摂動がエルミートでユニタリ発展だから.副産物として $\chi^R(t)$ が実関数になる.(b) 平衡は定常なので,$\hat\rho_0$ と交換する摂動では何も起こらない.交換子は「定常性の破り方」を測っている.(c) 古典極限 $\frac{1}{\ii\hbar}[\ ,\ ]\to\{\ ,\ \}_{\text{PB}}$ で $\chi^R(t)=\theta(t)\braket{\{A(t),B(0)\}}$ となり,$\hbar$ がきれいに消える.
- 調和振動子:$[\hat x_H(t),\hat x]=-\frac{\ii\hbar}{m\omega_0}\sin\omega_0t$(c 数,状態によらない).よって $\chi^R_{xx}(t)=-\frac{\sin\omega_0t}{m\omega_0}\theta(t)$,$\chi^R_{xx}(\omega)=-\frac{1}{m[\omega_0^2-(\omega+\ii\eta)^2]}$(極は $\pm\omega_0-\ii\eta$).
- 符号の流儀:$f=-F$ なので $\delta\braket{\hat x}=\chi^R_{xx}(-F)=+\frac{F}{m(\omega_0^2-\omega^2)}$ となり,第3章と物理は完全に一致する.$\chi^R_{xx}=-\chi_{\text{第3章}}$,$G^R(t)=-\chi^R_{xx}(t)$.$\chi$ の符号は結合の書き方で決まる.文献を読む前に必ず確認せよ.(表7.2)
- 減衰:孤立系の極は $\pm\omega_0-\ii\eta$ で,$\eta\to0^+$ だから減衰しない.有限の $\gamma$ は環境との結合・連続スペクトル・非調和性から生じる.$\eta$(無限小,境界条件)と $\gamma$(有限,散逸)を混同しないこと.(表7.3)
- 伝導度:$\sigma_{xx}(\omega)=\frac{\ii}{\omega}\left[\frac{1}{V}\chi^R_{J^pJ^p}(\omega)+\frac{nq^2}{m}\right]$.常磁性項(久保公式)と反磁性項の両方が要る.自由電子では前者がゼロで $\sigma=\ii ne^2/m\omega$(Drude の $\tau\to\infty$ 極限).ランダムな不純物を入れて不純物平均を取ると,常磁性項が $\omega\to0$ で反磁性項をちょうど打ち消し,$\sigma(\omega)=\frac{ne^2\tau/m}{1-\ii\omega\tau}$,すなわち $\sigma_{\text{DC}}=ne^2\tau/m$ というDrude の式そのものが出る(7.8.4節).ただし厳密には頂点補正により $\tau$ は輸送時間 $\tau_{\text{tr}}$ に置き換わる.非平衡の輸送係数が平衡の相関関数で書ける.
- $\eta$ の総括:断熱印加 = 収束因子 = $\omega+\ii\eta$ = 上半面正則 = 極は下半面 = 因果律 = 遅延.すべて同じことの言い換えである.(表7.4)
7.10.2 演習問題
演習7.1 2準位系(スピン $1/2$)の応答関数
$\Ham_0=\frac{\hbar\omega_0}{2}\hat\sigma_z$($\hat\sigma_i$ はPauli行列)とし,基底状態を $\ket{\downarrow}$(エネルギー $-\hbar\omega_0/2$)とする.$\hat A=\hat B=\hat\sigma_x$ として $\chi^R_{\sigma_x\sigma_x}(\omega)$ を久保公式から求めよ.
(1) Heisenberg方程式 $\frac{\dd\hat\sigma_{x,H}}{\dd t}=\frac{\ii}{\hbar}[\Ham_0,\hat\sigma_{x,H}]$ を解いて $\hat\sigma_{x,H}(t)=\hat\sigma_x\cos\omega_0t-\hat\sigma_y\sin\omega_0t$ を示せ.
(2) $[\hat\sigma_{x,H}(t),\hat\sigma_x(0)]$ を計算せよ.今度は c 数にならず,$\hat\sigma_z$ が残ることを確認せよ.
(3) 基底状態で期待値を取り,$\chi^R_{\sigma_x\sigma_x}(t)$ を求めよ.
(4) Fourier変換して $\chi^R_{\sigma_x\sigma_x}(\omega)=-\dfrac{2\omega_0}{\hbar\left[\omega_0^2-(\omega+\ii\eta)^2\right]}$ を示し,静的感受率が負であることを確かめよ.
ヒント:(2) $[\hat\sigma_y,\hat\sigma_x]=-2\ii\hat\sigma_z$ より $[\hat\sigma_{x,H}(t),\hat\sigma_x]=2\ii\sin(\omega_0t)\,\hat\sigma_z$.(3) $\bra{\downarrow}\hat\sigma_z\ket{\downarrow}=-1$ なので $\braket{[\cdots]}=-2\ii\sin\omega_0t$,よって $\chi^R(t)=-\frac{2}{\hbar}\sin(\omega_0t)\theta(t)$.(4) 導出7.10の積分がそのまま使える.調和振動子と同じ形の答えになるが,交換子が c 数でないので状態(温度)に依存する点が違う.$T>0$ では $\braket{\hat\sigma_z}=-\tanh(\beta\hbar\omega_0/2)$ となり,Curie則が出る.
演習7.2 自由粒子の応答関数
$\Ham_0=\hat p^2/2m$(1次元,1粒子),$\hat A=\hat B=\hat x$ とする.
(1) $\hat x_H(t)=\hat x+\dfrac{\hat p}{m}t$ を示せ(第6章の演習).
(2) $[\hat x_H(t),\hat x(0)]$ を計算し,c 数になることを確かめよ.
(3) $\chi^R_{xx}(t)$ を求め,これが式 \eqref{eq:7-chiR-t} の $\omega_0\to0$ 極限と一致することを確かめよ.
(4) Fourier変換して $\chi^R_{xx}(\omega)=\dfrac{1}{m(\omega+\ii\eta)^2}$ を示せ.極はどこにあるか.$\omega\to0$ で発散するのはなぜか,物理的に説明せよ.
ヒント:(2) $[\hat p,\hat x]=-\ii\hbar$ より $[\hat x_H(t),\hat x]=-\ii\hbar t/m$.(3) $\chi^R_{xx}(t)=-\frac{t}{m}\theta(t)$.$\sin\omega_0t/\omega_0\to t$ である.(4) $\int_0^\infty t\,\ee^{\ii zt}\dd t=-1/z^2$($\mathrm{Im}\,z>0$)を使う.極は $\omega=-\ii\eta$ の2位の極.$\omega\to0$ の発散は「一定の力を加え続けると粒子は等加速度運動して無限遠へ行く」ことの表現である.復元力がないので静的感受率が存在しない.
演習7.3 階段状の外場に対する応答
調和振動子に $f(t)=f_0\,\theta(t)$ という外場($t=0$ で突然一定値になる)を加える.
(1) 式 \eqref{eq:7-conv} と式 \eqref{eq:7-chiR-t} から $\delta\braket{\hat x(t)}$ を計算し,
$$ \delta\braket{\hat x(t)} = -\frac{f_0}{m\omega_0^2}\left(1-\cos\omega_0t\right)\qquad(t>0) $$を示せ.
(2) この運動を物理的に説明せよ.摂動を含めたポテンシャル $U(x)=\frac12m\omega_0^2x^2+f_0x$ の最小値の位置はどこか.
(3) 時間平均 $\overline{\delta\braket{\hat x}}$ を求め,これが静的感受率 $\chi^R_{xx}(0)=-1/m\omega_0^2$ に $f_0$ を掛けたものと一致することを確かめよ.
(4) なぜ振動は永久に続くのか.実際の系ではどうなるか.
ヒント:(1) $s=t-t'$ と置いて $-\frac{f_0}{m\omega_0}\int_0^t\sin\omega_0s\,\dd s=-\frac{f_0}{m\omega_0^2}(1-\cos\omega_0t)$.(2) 最小値は $x_{\min}=-f_0/(m\omega_0^2)$.粒子は元の位置 $x=0$ に静止していたので,新しい釣り合いの位置のまわりを振幅 $f_0/(m\omega_0^2)$ で振動する.(4) 減衰がないから.実際には $\gamma$ により新しい釣り合い位置に落ち着く(第2章の過渡応答).断熱因子 $\ee^{\eta t}$ を入れる理由がここにある——突然入れると過渡振動が消えない.
演習7.4 符号の流儀を変換する
ある論文に,外部摂動を $\Ham'=-h(t)\hat M_z$($h$ は磁場,$\hat M_z$ は磁化)と書いたうえで
$$ \chi^{\text{論文}}_{m}(\omega) = \frac{\ii}{\hbar}\int_0^\infty\dd t\;\ee^{\ii(\omega+\ii\eta)t}\braket{\left[\hat M_{z,H}(t),\hat M_z(0)\right]} $$と定義されていた.
(1) 本書の $\chi^R_{M_zM_z}(\omega)$ とこの $\chi^{\text{論文}}_m$ の関係を書け.
(2) 常磁性体では静的磁化率が正($\chi_m>0$,磁場をかけると磁場の向きに磁化する)である.本書の流儀では $\chi^R_{M_zM_z}(0)$ の符号はどちらか.
(3) この論文が「吸収は $\mathrm{Im}\,\chi^{\text{論文}}_m>0$ で表される」と述べていたとする.本書の記号では何と書くべきか.
(4) 第9章で誘電関数を $\epsilon(\qq,\omega)=1-v(q)\chi^0(\qq,\omega)$ と定義する.もし $\chi^0$ を「論文の流儀」で定義したら,この式はどう書き換わるか.
ヒント:(1) $\chi^{\text{論文}}_m=-\chi^R_{M_zM_z}$(表7.2).(2) 負.$f=-h$ だから,$\delta\braket{M_z}=\chi^R\cdot(-h)$ が正であるためには $\chi^R<0$.(3) $\mathrm{Im}\,\chi^R_{M_zM_z}<0$,すなわち $-\chi''>0$.(4) $\epsilon=1+v(q)\chi^{0,\text{論文}}$.この符号ひとつで遮蔽が反遮蔽になる.公式を写す前に結合の符号を確認する,という習慣がいかに大事かが分かる.
演習7.5 古典極限を自分で確かめる
(1) 自由粒子について $\{x(t),x(0)\}_{\text{PB}}$ を計算し,演習7.2(2) の交換子と式 \eqref{eq:7-correspondence} の対応が成り立つことを確かめよ.
(2) 一般に,$\hat A$ と $\hat B$ の交換子が c 数になるのはどういう場合か.調和振動子と自由粒子で共通する性質は何か.
(3) 非調和ポテンシャル $U(x)=\frac12m\omega_0^2x^2+\lambda x^4$ の場合,$[\hat x_H(t),\hat x]$ は c 数になるか.ならないとすれば,応答関数はどのような性質を持つか.
(4) 久保公式の古典版 \eqref{eq:7-classical} の右辺に,なぜ $\hbar$ が現れないのか説明せよ.もし現れたら何が困るか.
ヒント:(1) $x(t)=x+pt/m$ なので $\{x(t),x(0)\}=-t/m$.交換子 $-\ii\hbar t/m$ を $\ii\hbar$ で割ると一致する.(2) ハミルトニアンが $\hat x,\hat p$ の2次以下のとき.運動方程式が線形になり $\hat x_H(t)$ が $\hat x,\hat p$ の1次結合になるからである.(3) ならない.交換子に演算子が残り,期待値が状態(温度)に依存する.応答関数が温度依存性を持つのは非調和な系の特徴である.(4) 応答関数は測定できる古典量なので $\hbar\to0$ で有限に残らねばならない.$-\ii/\hbar$ はそのために付いている.
演習7.6 伝導度と和則
式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} について考える.
(1) $\abs{\omega}\to\infty$ では電子は電場に追随できず,束縛の効果が無視できるので $\sigma(\omega)\to\ii nq^2/(m\omega)$ となるはずである.式 \eqref{eq:7-kubo-sigma} からこれが出るために,$\chi^R_{J^pJ^p}(\omega)$ が高振動数でどう振る舞えばよいか述べよ.
(2) 電荷 $-e$,密度 $n=8.5\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$(銅)について,プラズマ振動数 $\omega_p=\sqrt{ne^2/\epsilon_0m}$ を求めよ.何 eV か.
(3) $f$ 和則(第8章)は,伝導度に対して
$$ \int_0^{\infty}\mathrm{Re}\,\sigma(\omega)\,\dd\omega = \frac{\pi ne^2}{2m} $$という形を取る.銅についてこの値を求めよ.
(4) 反射率測定から $\mathrm{Re}\,\sigma(\omega)$ を求めたところ,(3) の値の $70\%$ しか得られなかった.考えられる理由を2つ挙げよ.
ヒント:(1) $\chi^R_{J^pJ^p}(\omega)\to0$ でよい(実際 $O(1/\omega^2)$ で減衰する.第8章8.7節).(2) $\omega_p\approx1.64\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}}$,$\hbar\omega_p\approx10.8\ \mathrm{eV}$.銅が可視光で金属光沢を示す理由である.(4) 積分範囲の打ち切り(内殻からの遷移が高エネルギー側に残っている),$m$ を自由電子質量ではなくバンド有効質量に取るべきであること,など.和則が合わないときは,まず積分範囲と有効質量を疑う.
参考文献
- A. L. Fetter, J. D. Walecka『多粒子系の量子論 理論編』(松原武生・藤井勝彦 訳)マグロウヒル,13節(外部摂動に対する線形応答).本章の骨格はここにある.
- 久保 亮五, "Statistical-Mechanical Theory of Irreversible Processes I. General Theory and Simple Applications to Magnetic and Conduction Problems", J. Phys. Soc. Jpn. 12, 570 (1957). —— 久保公式の原論文.伝導度と磁化率が主な応用例として扱われている.
- G. D. Mahan, Many-Particle Physics, 3rd ed., Springer (2000), Section 3.8. —— 伝導度の久保公式と反磁性項の扱いが詳しい.
- H. Bruus, K. Flensberg, Many-Body Quantum Theory in Condensed Matter Physics, Oxford University Press (2004), Chapter 6. —— 本章と同じ符号の流儀で,密度行列による導出が丁寧である.
- A. O. Caldeira, A. J. Leggett, "Quantum Tunnelling in a Dissipative System", Ann. Phys. 149, 374 (1983). —— 環境との結合から減衰を導くモデル(7.7節).
- 阿部 龍蔵『統計力学』東京大学出版会 —— 日本語での標準的な解説.