線形応答理論入門 — 目次 第I部 古典的な線形応答 / 第4章

第4章因果律とKramers–Kronig関係

本章は,線形応答理論のなかで最も美しい結果を扱う.出発点は,第1章で3つ目の要請として挙げた,ほとんど自明に見える一行である.

$$ \chi(t) = 0 \qquad (t<0) $$

「結果は原因より先に起きない」.これだけである.ところが,この一行を認めるだけで,応答関数の実部 $\chi'(\omega)$ と虚部 $\chi''(\omega)$ が互いに相手を完全に決めてしまう.片方を全振動数にわたって知っていれば,もう片方は積分を1回実行するだけで出てくる.これがKramers–Kronig関係(KK関係)である.

この主張が実験家にとって何を意味するかを,先に言っておきたい.第3章で見たように,実験が直接測っているのはほとんどの場合 $\chi''$(吸収)である.光を当てて,どれだけ吸われたかを測る.電子線を当てて,どれだけエネルギーを失ったかを測る.いっぽう $\chi'$(分散,屈折)を直接測るのは難しい.ところがKK関係があれば,吸収スペクトルを測るだけで屈折率が計算で出てしまう.実際,固体の光学定数のデータの多くは,この手続きで作られている.因果律という「ただの理屈」が,実務のデータ解析を支えているのである.

本章の技術的な山場は「$\chi(\omega)$ が複素 $\omega$ 平面の上半面で解析的である」という事実であり,その使い方(Cauchy の積分公式)である.ただし複素関数論そのものは第5章で自己完結的に扱う.本章では,必要な事実を箱にまとめて明示し,「これは第5章で証明する」と断ったうえで先へ進む.読者はここで止まる必要はない.むしろ「複素解析が何の役に立つのか」を先に見てから第5章を読むほうが,はるかに身が入るはずである.

この章で学ぶこと
  • 因果律 $\chi(t<0)=0$ が $\chi(\omega)=\int_0^\infty\chi(t)\ee^{\ii\omega t}\dd t$ という片側積分を生むこと
  • 片側積分だからこそ $\chi(\omega)$ が複素上半面 $\mathrm{Im}\,\omega>0$ で解析的になること,その仕組み
  • 第2・3章の減衰振動子の極 $\omega_\pm=\pm\omega_1-\ii\Gamma$ が確かに下半面にあることの確認
  • Cauchy の積分公式・大円の評価・Sokhotski–Plemelj 公式という3つの道具(証明は第5章)
  • Kramers–Kronig関係の完全な導出 —— 実部と虚部を取り分ける操作まで1行も飛ばさずに
  • $\chi(t)$ が実数であることから来る対称性 $\chi(-\omega)=\chi(\omega)^*$ と,正の振動数だけの積分形への書き換え
  • 減衰振動子で KK関係が本当に成り立つことの,初等的な計算による検算
  • 和則 $\int_0^\infty\omega\chi''(\omega)\dd\omega=\pi/2m$ と,それが質量だけで決まる理由
  • 反射率スペクトルのKK解析・EELS・光学伝導度 —— 実務での使われ方と落とし穴
前提:第1章(因果律とFourier変換の規約),第2章(遅延Green関数と極の位置),第3章($\chi'$ と $\chi''$,Sokhotski–Plemelj公式の先取り).複素関数論の予備知識は不要.必要な事実はすべて本章内の箱に明示する.

4.1 因果律をもう一度,数式で

4.1.1 出発点の一行

第1章1.3節で,応答が畳み込み積分

$$ \delta A(t) = \int_{-\infty}^{\infty}\chi(t-t')\,f(t')\,\dd t' $$

の形になることを見た.ここで「結果は原因より先に起きない」という要請,すなわち $t'>t$ の外力が $\delta A(t)$ に寄与しないという要請は,応答関数そのものへの条件

$$ \begin{equation} \chi(t) = 0 \qquad (t<0) \label{eq:4-causality} \end{equation} $$

と等価であった.本章は,この式 \eqref{eq:4-causality} ただ1つを出発点として,そこから何が出てくるかを追いかける章である.

なぜこの一行がそんなに強いのか

式 \eqref{eq:4-causality} は,$\chi(t)$ という関数に対する条件としては,ずいぶん弱いように見える.「負の時刻でゼロ」と言っているだけで,正の時刻での形は何も指定していない.指数的に減衰しようが,振動しようが,複雑に振る舞おうが構わない.

ところがFourier変換すると,話がまるで変わる.時間領域では「半分の領域でゼロ」という局所的な条件だったものが,振動数領域では「すべての $\omega$ にわたる大域的な積分関係」に化ける.Fourier変換は局所的な情報を大域的な情報に移し替える操作だからである.

この「化け方」を目撃するのが本章である.式 \eqref{eq:4-causality} は $\chi(\omega)$ の実部と虚部を,振動数の全域にわたって縛りつける.

4.1.2 片側の積分になる

第1章の規約に従い,Fourier変換を

$$ \begin{equation} \chi(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty}\chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\,\dd t, \qquad \chi(t) = \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd\omega}{2\pi}\,\chi(\omega)\,\ee^{-\ii\omega t} \label{eq:4-fourier} \end{equation} $$

と定める.ここで式 \eqref{eq:4-causality} を使えば,被積分関数は $t<0$ でゼロなので,積分の下限を $0$ に上げてよい:

$$ \begin{equation} \chi(\omega) = \int_{0}^{\infty}\chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\,\dd t \label{eq:4-onesided} \end{equation} $$

これだけである.式 \eqref{eq:4-onesided} が本章のすべての出発点になる.以下,この「積分範囲が半分しかない」という事実だけを使って議論を進める.

記号の整理

本章では,時間領域の関数と振動数領域の関数を,どちらも $\chi$ という同じ文字で書き,引数で区別する($\chi(t)$ と $\chi(\omega)$).物理でよく使われる省略記法だが,慣れないうちは混乱のもとなので,はっきり書いておく.

減衰振動子の場合,具体的には第2章の結果

$$ \chi(t) = G^R(t) = \frac{1}{m\omega_1}\,\ee^{-\Gamma t}\sin\omega_1 t\;\theta(t), \qquad \Gamma=\frac{\gamma}{2m},\quad \omega_1=\sqrt{\omega_0^2-\Gamma^2} $$

および第3章の結果

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{m\left(\omega_0^2-\omega^2-2\ii\Gamma\omega\right)} $$

を,本章では検算用の具体例として繰り返し使う.

4.2 $\chi(\omega)$ は上半面で解析的である

4.2.1 $\omega$ を複素数にしてみる

ここから,$\omega$ を実数ではなく複素数だと思うことにする.物理的には振動数は実数だが,式 \eqref{eq:4-onesided} の右辺は $\omega$ が複素数でも意味をもつ式なので,そのまま複素数を代入してみよう,というだけの話である.

複素数の $\omega$ を実部と虚部に分けて

$$ \omega = \omega_R + \ii\,\omega_I, \qquad \omega_R,\ \omega_I \in \mathbb{R} $$

と書く.すると被積分関数の指数因子は

$$ \ee^{\ii\omega t} = \ee^{\ii(\omega_R+\ii\omega_I)t} = \ee^{\ii\omega_R t}\cdot\ee^{-\omega_I t} $$

と2つの因子の積になる.第1の因子 $\ee^{\ii\omega_R t}$ は絶対値 $1$ の振動因子で,大きさには効かない.効くのは第2の因子である.絶対値をとると

$$ \begin{equation} \abs{\ee^{\ii\omega t}} = \ee^{-\omega_I t} \label{eq:4-modulus} \end{equation} $$

ここが本章で最も重要な一行である.ゆっくり読んでほしい.

式 \eqref{eq:4-modulus} の読み方

$\omega_I=\mathrm{Im}\,\omega>0$(上半面)としよう.このとき $\ee^{-\omega_I t}$ は

ところが式 \eqref{eq:4-onesided} の積分範囲は $t\ge0$ しかない.爆発する側の領域が,因果律によってあらかじめ切り落とされている.だから安心して $\mathrm{Im}\,\omega>0$ にできる.

逆に $\mathrm{Im}\,\omega<0$(下半面)では,$t>0$ で $\ee^{-\omega_I t}=\ee^{\abs{\omega_I}t}$ が発散因子になってしまう.$\chi(t)$ が十分速く減衰していれば救われることもあるが,一般には積分が発散する.上半面と下半面はまったく対等でない.その非対称性の源は,ただ1つ,因果律である.

4.2.2 収束することを確かめる

導出:上半面での絶対収束

$\chi(t)$ が有界($\abs{\chi(t)}\le M$)であるとしよう.減衰振動子なら $\abs{\chi(t)}\le 1/(m\omega_1)$ なので,この仮定は満たされている.式 \eqref{eq:4-onesided} の絶対値を評価する.三角不等式(積分版)より

$$ \abs{\chi(\omega)} = \abs{\int_0^\infty \chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\,\dd t} \le \int_0^\infty \abs{\chi(t)}\cdot\abs{\ee^{\ii\omega t}}\,\dd t $$

ここに式 \eqref{eq:4-modulus} を代入すると

$$ \le M\int_0^\infty \ee^{-\omega_I t}\,\dd t $$

この積分は $\omega_I>0$ なら初等的に実行できて

$$ \int_0^\infty \ee^{-\omega_I t}\,\dd t = \left[\frac{\ee^{-\omega_I t}}{-\omega_I}\right]_0^\infty = 0 - \left(\frac{1}{-\omega_I}\right) = \frac{1}{\omega_I} $$

したがって

$$ \begin{equation} \abs{\chi(\omega)} \le \frac{M}{\mathrm{Im}\,\omega} \qquad (\mathrm{Im}\,\omega>0) \label{eq:4-bound} \end{equation} $$

積分は絶対収束する.しかも上半面の内部($\mathrm{Im}\,\omega\ge\delta>0$)では,この上界 $M/\delta$ が $\omega$ によらず一様に効く.∎

定理4.1(因果律 $\Longrightarrow$ 上半面での解析性)

$\chi(t)$ が因果的($t<0$ でゼロ)かつ有界であれば,式 \eqref{eq:4-onesided} で定義される $\chi(\omega)$ は,複素 $\omega$ 平面の開上半面 $\mathrm{Im}\,\omega>0$ で正則(解析的)である.すなわち,そこには極も分岐点も特異点も一切存在しない.

導出:なぜ解析的と言えるのか

「解析的」とは,複素微分 $\dd\chi/\dd\omega$ が存在することである(第5章5.1節).式 \eqref{eq:4-onesided} を形式的に $\omega$ で微分してみよう.積分と微分の順序を交換すると

$$ \frac{\dd\chi}{\dd\omega} = \int_0^\infty \chi(t)\,\frac{\partial}{\partial\omega}\ee^{\ii\omega t}\,\dd t = \int_0^\infty \ii\,t\,\chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\,\dd t $$

この右辺が収束するかどうかを,さきほどと同じように評価する.$\abs{\chi(t)}\le M$ として

$$ \abs{\frac{\dd\chi}{\dd\omega}} \le M\int_0^\infty t\,\ee^{-\omega_I t}\,\dd t = \frac{M}{\omega_I^2} $$

(最後の積分は部分積分により $\int_0^\infty t\,\ee^{-at}\dd t = 1/a^2$.)$\omega_I>0$ なら有限である.同じ議論を繰り返せば $n$ 階微分も

$$ \abs{\frac{\dd^n\chi}{\dd\omega^n}} \le \frac{M\,n!}{\omega_I^{n+1}} $$

と有限に収まる.何階でも微分できる.これが解析性である.

厳密には「積分と微分の順序交換が許されるか」を言わねばならないが,それは式 \eqref{eq:4-bound} の一様な上界から保証される(各 $t$ について $\ee^{\ii\omega t}$ は $\omega$ の整関数であり,積分が上半面の任意のコンパクト部分集合で一様収束するから,Weierstrass の定理により極限も解析的である.詳細は第5章5.2節).∎

実軸の上ではどうなのか

定理4.1が主張しているのは開上半面($\mathrm{Im}\,\omega>0$,実軸を含まない)での解析性である.実軸そのもの($\mathrm{Im}\,\omega=0$)では,式 \eqref{eq:4-bound} の右辺が発散するので,この議論はそのままでは使えない.

物理的に測定できるのは実軸上の $\chi(\omega)$ である.そこで本章では,実軸上の値を上半面からの極限値

$$ \chi(\omega) \equiv \lim_{\eta\to0^+}\chi(\omega+\ii\eta) \qquad(\omega\ \text{は実数}) $$

として定義する.減衰振動子のように $\chi(t)$ が指数的に減衰する系では,この極限は問題なく存在し,実軸上でも $\chi(\omega)$ は滑らかである.しかし無散逸極限($\Gamma\to0$)では,第3章3.6節で見たように実軸上に極が乗ってしまう.そのとき「上半面から近づく」という指定が決定的に効いてくる.第3章の本文中の式,すなわち $\dfrac{1}{x\pm\ii\eta}=\PV\dfrac1x\mp\ii\pi\delta(x)$ の $\pm$ の符号は,この「どちら側から近づくか」を表している.

4.2.3 減衰振動子で確かめる — 極は本当に下半面にあるか

抽象論だけでは腹に落ちない.第2・3章で具体的に求めた応答関数で,定理4.1を確かめよう.

導出:減衰振動子の極の位置(再確認)

第3章の本文中の式より

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{m\left(\omega_0^2-\omega^2-2\ii\Gamma\omega\right)} $$

これが発散するのは分母がゼロになるときである.分母を $-m$ で割って整理すると

$$ \omega^2 + 2\ii\Gamma\omega - \omega_0^2 = 0 $$

2次方程式の解の公式(複素係数でもそのまま使える)より

$$ \omega = \frac{-2\ii\Gamma \pm\sqrt{(2\ii\Gamma)^2 - 4\cdot1\cdot(-\omega_0^2)}}{2} = \frac{-2\ii\Gamma \pm\sqrt{-4\Gamma^2+4\omega_0^2}}{2} $$

$\sqrt{\ }$ の中は $4(\omega_0^2-\Gamma^2)$ であり,不足減衰 $\Gamma<\omega_0$ では正の実数である.$\omega_1\equiv\sqrt{\omega_0^2-\Gamma^2}$ と置けば $\sqrt{4(\omega_0^2-\Gamma^2)}=2\omega_1$ だから

$$ \begin{equation} \omega_\pm = \pm\,\omega_1 - \ii\,\Gamma, \qquad \Gamma=\frac{\gamma}{2m},\quad \omega_1=\sqrt{\omega_0^2-\Gamma^2} \label{eq:4-poles} \end{equation} $$

2つの極の虚部はどちらも $-\Gamma$ である.摩擦がある($\gamma>0$,したがって $\Gamma>0$)かぎり,どちらの極も虚部が負,すなわち下半面にある.上半面には極がない.定理4.1と完全に整合している.∎

例題4.1 数値で極の位置を見る

$m=1$,$\omega_0=1$,$\Gamma=0.2$(すなわち $\gamma=0.4$)という単位系で,極の位置を数値で求めよ.

解答.$\omega_1=\sqrt{1-0.04}=\sqrt{0.96}=0.97980$ である.したがって式 \eqref{eq:4-poles} より

$$ \omega_+ = 0.97980 - 0.2\,\ii, \qquad \omega_- = -0.97980 - 0.2\,\ii $$

どちらも虚部が $-0.2<0$.図4.1(左)に打ってある2つの $\times$ 印がこれである.∎

摩擦を小さくしていくと($\Gamma\to0$),2つの極は実軸に向かって上がってくる.$\Gamma=0$ でちょうど実軸上の $\pm\omega_0$ に到達する.摩擦のない系は「かろうじて因果的」なのであり,そこが極限的な場合になっている.第3章3.6節でデルタ関数が現れたのは,この極が実軸に乗る瞬間の姿だった.

Re ω Im ω 上半面:極なし=解析的 ω+ = +ω1 − iΓ ω− = −ω1 − iΓ Γ = γ/2m 因果的(χ(t<0)=0) 減衰振動子 χ(ω)=[m(ω₀²−ω²−2iΓω)]⁻¹ 極はすべて下半面 → KK関係が成り立つ Re ω Im ω 上半面に極がある! ω = +i/τ₀ ω = −i/τ₀ 非因果的(χ(t)=χ₀exp(−|t|/τ₀)) χ(ω)=(2χ₀/τ₀)/(1/τ₀²+ω²) 上半面の極が KK関係を壊す
図4.1 複素 $\omega$ 平面における極の配置.左:因果的な減衰振動子.極 $\omega_\pm=\pm\omega_1-\ii\Gamma$ は実軸から $\Gamma=\gamma/2m$ だけ下に沈んでおり,上半面(薄紫)には特異点が1つもない.摩擦を弱めると極は実軸に近づき,$\Gamma\to0$ でちょうど実軸に乗る.右:第1章の演習1.5で扱った「因果律を破る」応答関数.$t<0$ にも応答があるため極が上下対称に現れ,片方が上半面に来てしまう.適切な収束・増大条件のもとでは,上半面に特異点があるかどうかが,因果的か否かの数学的な判定条件になる.

物理的意味:極の虚部は寿命である

極が下半面にあることと,応答が減衰することは,同じ事実の裏表である.実際,第2章で見たように $\chi(t)\propto\ee^{-\Gamma t}\sin\omega_1t$ であり,これを $\ee^{-\ii\omega_\pm t}$ の形に書き直すと

$$ \ee^{-\ii\omega_\pm t}=\ee^{-\ii(\pm\omega_1-\ii\Gamma)t}=\ee^{\mp\ii\omega_1 t}\,\ee^{-\Gamma t} $$

となる.極の実部が振動数を,極の虚部(の符号を変えたもの)が減衰率を与える.極が下半面にある(虚部が負)ということは,$\ee^{-\Gamma t}$ という減衰,すなわち $t\to+\infty$ で収まる応答を意味する.

もし極が上半面にあったら $\ee^{+\abs{\Gamma}t}$ となり,応答が時間とともに爆発する.パルスを1回打ち込んだだけで系が勝手に暴走するわけで,これは因果的でないというより,そもそも安定でない.「上半面に極がない」=「因果的かつ安定」と覚えておけばよい.

この判定条件は制御工学でもおなじみである.伝達関数の極が(そちらの流儀では Laplace 変数 $s$ の)左半面にあれば系は安定,右半面にあれば発散する,という定理は,$s=-\ii\omega$ という変数変換を通じてまったく同じことを言っている.

4.2.4 高振動数での振る舞い

あとで(4.3節の大円の評価,および4.7節の和則で)必要になるので,$\abs{\omega}\to\infty$ での $\chi(\omega)$ の振る舞いをここで押さえておく.

導出:$\chi(\omega)\to -1/(m\omega^2)$

方法1:具体形から.第3章の $\chi(\omega)$ で,分母の $\omega^2$ を括り出す.

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{m\left(\omega_0^2-\omega^2-2\ii\Gamma\omega\right)} = \frac{-1}{m\omega^2}\cdot\frac{1}{1-\dfrac{\omega_0^2}{\omega^2}+\dfrac{2\ii\Gamma}{\omega}} $$

$\abs{\omega}\to\infty$ で第2因子は $1$ に近づくから

$$ \begin{equation} \chi(\omega) \xrightarrow{\ \abs{\omega}\to\infty\ } -\frac{1}{m\omega^2} \label{eq:4-highfreq} \end{equation} $$

方法2:物理から.非常に速く揺すられると,バネの復元力($k$)も摩擦($\gamma$)も追いつけず,質点は慣性だけで応じる.運動方程式は実質 $m\ddot{x}=F_0\ee^{-\ii\omega t}$ になり,$x=x_0\ee^{-\ii\omega t}$ を代入して $-m\omega^2x_0=F_0$,すなわち $x_0/F_0=-1/(m\omega^2)$.式 \eqref{eq:4-highfreq} と一致する.

方法3:時間領域から($\chi(0^+)=0$ となる,慣性をもつ系一般に効く).式 \eqref{eq:4-onesided} を部分積分する.$\chi(0)=0$(撃力を受けた直後,変位はまだゼロ)に注意して

$$ \chi(\omega)=\int_0^\infty\chi(t)\ee^{\ii\omega t}\dd t =\underbrace{\left[\chi(t)\frac{\ee^{\ii\omega t}}{\ii\omega}\right]_0^\infty}_{=\,0} -\frac{1}{\ii\omega}\int_0^\infty\dot\chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\dd t $$

(上端は $\mathrm{Im}\,\omega>0$ の減衰因子で消え,下端は $\chi(0)=0$ で消える.)もう一度部分積分すると

$$ = -\frac{1}{\ii\omega}\left\{ \underbrace{\left[\dot\chi(t)\frac{\ee^{\ii\omega t}}{\ii\omega}\right]_0^\infty}_{=\,-\dot\chi(0^+)/(\ii\omega)} -\frac{1}{\ii\omega}\int_0^\infty\ddot\chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\dd t\right\} = \frac{\dot\chi(0^+)}{(\ii\omega)^2}+O(\omega^{-3}) = -\frac{\dot\chi(0^+)}{\omega^2}+O(\omega^{-3}) $$

ここで $\dot\chi(0^+)$ は「撃力直後の速度」である.$\int F\dd t=1$ の撃力を受けた質量 $m$ の質点は $m\Delta v=1$ より $\Delta v=1/m$ の速度をもらう.したがって $\dot\chi(0^+)=1/m$ であり,式 \eqref{eq:4-highfreq} が再び得られる.∎

物理的意味:高振動数極限は質量しか覚えていない

式 \eqref{eq:4-highfreq} に $\omega_0$(バネ定数)も $\Gamma$(摩擦)も現れないことに注目したい.十分に速く揺すれば,系の詳細は消えて,慣性=質量だけが残る.

この「高振動数極限の普遍性」が,4.7節の和則を生む.和則が「積分値は $m$ だけで決まる」という形になるのは,この式のためである.量子系でも事情はまったく同じで,第8章の $f$ 和則が電子の質量と密度だけで書けるのは,高振動数で電子が自由粒子のように振る舞うからである.

ただし,$-1/(m\omega^2)$ という形そのものは慣性で応じる系に固有のものであって,因果的な応答なら何でもこの形から始まる,というわけではない.方法3の第1の境界項は $\chi(0^+)=0$ だから消えたのであり,Debye 緩和のように $\chi(0^+)\neq0$ の系では境界項が残って $\chi(\omega)\simeq\ii\chi(0^+)/\omega$ となり,$1/\omega$ でしか落ちない(演習4.4で実際に確かめる).量子多体系でも,同時刻交換子がゼロでなければ同じように $1/\omega$ の項が立つ.本章の高振動数極限と,それを使って次節で導く和則は,あくまで「慣性をもつ古典振動子」という設定の上での話であり,一般の $f$ 和則は第8章で交換子から導くことになる.

4.3 複素解析の道具立て — 3つの事実

ここから複素積分を使う.工学部の読者の多くは複素関数論を履修していないので,必要な事実だけを3つ,箱にまとめて明示する.証明はすべて第5章で行う.本節では「そういう定理がある」として認め,使い方に集中してほしい.

事実1:Cauchy の積分定理と積分公式(証明は第5章5.3節)

関数 $f(z)$ が,単純閉曲線 $C$ の上および内部で正則であるとする.$C$ は反時計回りに一周するものとする.このとき

$$ \oint_C f(z)\,\dd z = 0 \qquad\text{(Cauchy の積分定理)} $$

さらに,$C$ の内部の点 $z_0$ に対して

$$ f(z_0) = \frac{1}{2\pi\ii}\oint_C \frac{f(z)}{z-z_0}\,\dd z \qquad\text{(Cauchy の積分公式)} $$

後者は「$f$ の内部での値が,境界での値だけで決まってしまう」という,解析関数のきわめて強い性質を表す.

事実2:大円上の寄与が消える条件(証明は第5章5.5節)

半径 $R$ の上半面の半円 $C_R$($\omega'=R\ee^{\ii\theta}$, $0\le\theta\le\pi$.以下これを「大円」と呼ぶ)を考える.$C_R$ 上で $\abs{g(\omega')}\le K/R^p$($p>0$)が成り立つなら

$$ \abs{\int_{C_R} g(\omega')\,\dd\omega'} \le \frac{K}{R^p}\times(\text{弧長}\ \pi R) = \frac{\pi K}{R^{p-1}} \xrightarrow{\ R\to\infty\ } 0 \qquad (p>1) $$

これはML評価(最大値 $\times$ 長さ)と呼ばれる初等的な不等式である.$p\le1$ のときはこれでは足りず,被積分関数に $\ee^{\ii aR\ee^{\ii\theta}}$($a>0$)のような振動因子が付いている場合に使えるJordan の補題が必要になる.本章で扱う $\chi(\omega)\sim-1/(m\omega^2)$ は $p=2$ なので,ML評価だけで足りる.

事実3:Sokhotski–Plemelj の公式(証明は第5章5.6節,付録A A.4節)

実軸上の積分において,$\eta\to0^+$ の極限で

$$ \begin{equation} \lim_{\eta\to0^+}\frac{1}{x\pm\ii\eta} = \PV\frac{1}{x}\ \mp\ \ii\pi\,\delta(x) \label{eq:4-sokhotski} \end{equation} $$

ここで $\PV$ はCauchy の主値(principal value)であり,$x=0$ を対称に避けて

$$ \PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{h(x)}{x}\dd x \equiv \lim_{\epsilon\to0^+}\left[\int_{-\infty}^{-\epsilon}\frac{h(x)}{x}\dd x + \int_{\epsilon}^{\infty}\frac{h(x)}{x}\dd x\right] $$

と定義される積分を意味する.第3章3.6節で先取りした本文中の式と同じものである.

主値とは何をしているのか

$1/x$ は $x=0$ で発散するので,$\int_{-1}^{1}\dd x/x$ は素朴には定義できない.しかし $1/x$ は奇関数なので,$x=0$ の左右から同じ幅 $\epsilon$ だけ切り取れば,切り取った両側の発散がちょうど打ち消し合う.この「対称に切る」という約束が主値である.

具体的に計算すると

$$ \int_{-1}^{-\epsilon}\frac{\dd x}{x}+\int_{\epsilon}^{1}\frac{\dd x}{x} = \left[\ln\abs{x}\right]_{-1}^{-\epsilon} + \left[\ln\abs{x}\right]_{\epsilon}^{1} = (\ln\epsilon - 0) + (0 - \ln\epsilon) = 0 $$

$\epsilon$ に依存せず $0$ である.左右非対称に切る(たとえば左は $\epsilon$,右は $2\epsilon$)と $-\ln2$ が残ってしまい,答えが切り方に依存する.だから「対称に」が本質的なのである.

KK関係の右辺に現れる積分は,$\omega'=\omega$ で分母がゼロになるが,そこを主値で処理する.主値は「発散をごまかしている」のではなく,「対称に切る」という明確な約束のもとで有限の値を与える,れっきとした定義である.

4.4 Kramers–Kronig関係の導出

4.4.1 積分路を選ぶ

準備は整った.実軸上の点 $\omega$ を1つ固定し,次の複素積分を考える.

$$ \oint_C \frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' $$

被積分関数は,$\chi(\omega')$ の特異点(すべて下半面)に加えて,$\omega'=\omega$ という実軸上の1位の極をもつ.積分路 $C$ を,図4.2のように取る.

  1. 実軸を $-R$ から $\omega-\epsilon$ まで(左から右へ)
  2. $\omega'=\omega$ を上から迂回する半径 $\epsilon$ の小半円 $C_\epsilon$(上半面側を通る)
  3. 実軸を $\omega+\epsilon$ から $R$ まで
  4. 上半面の半径 $R$ の大円 $C_R$(右から左へ,反時計回りに閉じる)

この閉曲線の内部には,$\chi(\omega')$ の極(下半面)も,$\omega'=\omega$ の極(小半円で外に追い出した)も,1つも入っていない.したがって事実1(Cauchy の積分定理)より

$$ \begin{equation} \oint_C \frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' = 0 \label{eq:4-contour-zero} \end{equation} $$
Re ω′ Im ω′ ω+ ω− ω′ = ω 半径 ε の小半円 Cε → −iπ χ(ω) を与える 半径 R の大円 CR |χ| ≲ 1/(m|ω′|²) なので 寄与は R→∞ で消える この閉曲線の内部に 特異点は1つもない → 一周積分=0 χ(ω′) の極(×)はすべて下半面にあり,積分路の外側にある
図4.2 Kramers–Kronig関係の導出に使う積分路.実軸を左から右へたどり,実軸上の極 $\omega'=\omega$ だけは半径 $\epsilon$ の小半円(緑)で上から迂回し,最後に半径 $R$ の大円(紫)で上半面を通って閉じる.$\chi(\omega')$ の極(赤い $\times$)は下半面にあるので閉曲線の外側にあり,迂回した $\omega'=\omega$ も外側になる.したがって内部に特異点はなく,Cauchy の積分定理より一周積分はゼロである.3つの部分(主値・小半円・大円)に分けて評価すると,それぞれが KK関係の各項を与える.

4.4.2 3つの部分を評価する

導出:Kramers–Kronig関係(前半 — 複素形まで)

式 \eqref{eq:4-contour-zero} の左辺を,積分路の3つの部分に分ける.

$$ \underbrace{\int_{-R}^{\omega-\epsilon}+\int_{\omega+\epsilon}^{R}}_{\text{(a) 実軸}} \ +\ \underbrace{\int_{C_\epsilon}}_{\text{(b) 小半円}} \ +\ \underbrace{\int_{C_R}}_{\text{(c) 大円}} \ =\ 0 $$

(c) 大円の寄与.式 \eqref{eq:4-highfreq} より,$\abs{\omega'}=R$ が十分大きければ $\abs{\chi(\omega')}\le \dfrac{2}{mR^2}$ としてよい(係数 $2$ は補正項を吸収するための余裕である).また分母は $\abs{\omega'-\omega}\ge R-\abs{\omega}$.したがって事実2のML評価により

$$ \abs{\int_{C_R}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega'} \le \frac{2/(mR^2)}{R-\abs{\omega}}\times \pi R = \frac{2\pi}{m\,R\,(R-\abs{\omega})} \xrightarrow{\ R\to\infty\ } 0 $$

ゼロである.

(b) 小半円の寄与.$\omega'=\omega+\epsilon\,\ee^{\ii\theta}$ とパラメータ表示する.積分路は $\omega-\epsilon$ から $\omega+\epsilon$ へ上を通って進むので,$\theta$ は $\pi$ から $0$ へ減少する.このとき

$$ \dd\omega' = \ii\,\epsilon\,\ee^{\ii\theta}\,\dd\theta, \qquad \omega'-\omega = \epsilon\,\ee^{\ii\theta} $$

だから

$$ \int_{C_\epsilon}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' = \int_{\theta=\pi}^{\theta=0}\frac{\chi(\omega+\epsilon\ee^{\ii\theta})}{\epsilon\,\ee^{\ii\theta}}\cdot\ii\,\epsilon\,\ee^{\ii\theta}\,\dd\theta = \ii\int_{\pi}^{0}\chi(\omega+\epsilon\,\ee^{\ii\theta})\,\dd\theta $$

$\epsilon\,\ee^{\ii\theta}$ がきれいに約分されたことに注意してほしい.これが「1位の極」の御利益である.$\epsilon\to0$ とすると $\chi(\omega+\epsilon\ee^{\ii\theta})\to\chi(\omega)$($\theta$ によらない定数)なので,積分の外に出せて

$$ \to\ \ii\,\chi(\omega)\int_{\pi}^{0}\dd\theta = \ii\,\chi(\omega)\,(0-\pi) = -\ii\pi\,\chi(\omega) $$

これが「半分の留数」である.完全な一周($2\pi$)なら $2\pi\ii\,\chi(\omega)$ になるところが,半周ぶんかつ逆向きなので $-\ii\pi\chi(\omega)$ になった.

(a) 実軸の寄与.$R\to\infty$,$\epsilon\to0$ の極限で,これはまさに主値積分の定義そのものである:

$$ \lim_{\substack{R\to\infty\\ \epsilon\to0^+}}\left[\int_{-R}^{\omega-\epsilon}+\int_{\omega+\epsilon}^{R}\right] \frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' = \PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' $$

足し合わせる.3つを式 \eqref{eq:4-contour-zero} に戻すと

$$ \PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' \ -\ \ii\pi\,\chi(\omega) \ +\ 0 \ =\ 0 $$

$\chi(\omega)$ について解いて

$$ \begin{equation} \chi(\omega) = \frac{1}{\ii\pi}\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' \label{eq:4-kk-complex} \end{equation} $$

これが KK関係の複素形である.∎

式 \eqref{eq:4-kk-complex} は何を言っているのか

この式は一見すると奇妙である.左辺にも右辺にも同じ $\chi$ が現れているので,何も新しいことを言っていないように見える.しかし右辺の $1/(\ii\pi)$ という因子が決定的である.

$1/\ii=-\ii$ だから,右辺は「$\chi$ の主値積分に $-\ii$ を掛けたもの」である.$-\ii$ を掛けると実部と虚部が入れ替わる.したがって式 \eqref{eq:4-kk-complex} は「$\chi$ の実部=($\chi$ の虚部の積分)」「$\chi$ の虚部=($\chi$ の実部の積分)」というたすき掛けの関係を主張している.これを実際に取り出すのが次の小節である.

4.4.3 実部と虚部に分ける

導出:Kramers–Kronig関係(後半 — 実部と虚部)

$\omega$ は実数,$\omega'$ も実数(積分変数)なので,$\chi(\omega)=\chi'(\omega)+\ii\chi''(\omega)$,$\chi(\omega')=\chi'(\omega')+\ii\chi''(\omega')$ と分けられる.式 \eqref{eq:4-kk-complex} の右辺で $\dfrac{1}{\ii\pi}=\dfrac{-\ii}{\pi}$ を使うと

$$ \chi'(\omega)+\ii\chi''(\omega) = \frac{-\ii}{\pi}\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi'(\omega')+\ii\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' $$

右辺の括弧を展開する.$-\ii\times\ii=-\ii^2=+1$ に注意すると

$$ = \frac{1}{\pi}\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' \ +\ \ii\left[-\frac{1}{\pi}\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi'(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega'\right] $$

いま,$\chi'$ と $\chi''$ は実関数であり,$\omega'-\omega$ も実数だから,上の第1項は実数,角括弧の中身も実数である.したがって左辺と右辺で実部どうし・虚部どうしを比較してよい.

実部を比較して

$$ \begin{equation} \chi'(\omega) = \frac{1}{\pi}\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' \label{eq:4-kk1} \end{equation} $$

虚部を比較して

$$ \begin{equation} \chi''(\omega) = -\frac{1}{\pi}\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi'(\omega')}{\omega'-\omega}\,\dd\omega' \label{eq:4-kk2} \end{equation} $$

これがKramers–Kronig関係である.∎

物理的意味:吸収を全部知れば分散が決まる

式 \eqref{eq:4-kk1} を日本語に訳すとこうなる.

「振動数 $\omega$ における分散 $\chi'(\omega)$ は,あらゆる振動数 $\omega'$ における吸収 $\chi''(\omega')$ を,重み $1/(\omega'-\omega)$ で足し上げたものである.」

ここには3つの重要な含意がある.

(1) 非局所的である.$\chi'(\omega)$ を知るには,$\chi''$ をその $\omega$ の近くだけでなく,$-\infty$ から $+\infty$ まで全部知らねばならない.因果律という時間領域での局所的な条件が,振動数領域では全域を巻き込む関係に化けたのである.

(2) 重みは近いところほど大きい.$1/(\omega'-\omega)$ という重みは,$\omega'$ が $\omega$ に近いほど大きい.したがって「主に近傍の吸収が効き,遠方の吸収は効きにくい」.実務でKK解析をするとき,測定範囲の外側の寄与をある程度いい加減に外挿しても答えがそれほど狂わないのは,このおかげである(ただし4.8節で見るように,限度はある).

(3) 独立な関数は1つだけである.$\chi'$ と $\chi''$ は2つの実関数だが,KK関係で結ばれているので,実質的な自由度は1つぶんしかない.実験家が $\chi''$ を全域で測れば,$\chi'$ を測る実験はもう要らない.これがKK解析という手法の存在理由である.

4.4.4 別ルート — Sokhotski–Plemelj で一気に出す

同じ結果を,事実3(Sokhotski–Plemelj)を使って,積分路を描かずに出すこともできる.慣れるとこちらのほうが速い.

導出:極を上半面にずらす方法

実軸から $\eta>0$ だけ上にずらした点 $\omega+\ii\eta$(これは上半面の点)を考える.$\chi$ は上半面で正則なので,事実1(Cauchy の積分公式)を,実軸+大円という閉曲線に対して適用できる.大円の寄与は前と同じくゼロだから

$$ \chi(\omega+\ii\eta) = \frac{1}{2\pi\ii}\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega-\ii\eta}\,\dd\omega' $$

今度は積分路が実軸をまっすぐ走るだけで済む.極 $\omega'=\omega+\ii\eta$ は実軸より上にあるので,実軸上に特異点はない.

ここで $\eta\to0^+$ とする.式 \eqref{eq:4-sokhotski} の下の符号($x-\ii\eta$ の場合)を $x=\omega'-\omega$ に適用すると

$$ \frac{1}{\omega'-\omega-\ii\eta}\ \longrightarrow\ \PV\frac{1}{\omega'-\omega}+\ii\pi\,\delta(\omega'-\omega) $$

したがって

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{2\pi\ii}\left[\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' + \ii\pi\int_{-\infty}^{\infty}\chi(\omega')\,\delta(\omega'-\omega)\,\dd\omega'\right] $$

デルタ関数の積分は $\chi(\omega)$ を拾うだけなので

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{2\pi\ii}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' + \frac{\ii\pi\,\chi(\omega)}{2\pi\ii} = \frac{1}{2\pi\ii}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' + \frac{1}{2}\chi(\omega) $$

右辺の $\frac12\chi(\omega)$ を左辺に移項すると左辺に $\frac12\chi(\omega)$ が残り,両辺を2倍して

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{\pi\ii}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' $$

式 \eqref{eq:4-kk-complex} と完全に一致した.∎

さらに別ルート — 時間領域で見る($\theta$ 関数の掛け算)

複素積分をまったく使わずに KK関係を出す道もある.考え方は「因果性=偶部と奇部が符号関数で結ばれること」である.

ステップ1.$\chi(t)$ を偶部と奇部に分ける:$\chi_e(t)=\frac12[\chi(t)+\chi(-t)]$,$\chi_o(t)=\frac12[\chi(t)-\chi(-t)]$.定義から $\chi=\chi_e+\chi_o$.

ステップ2.因果律 $\chi(t<0)=0$ を使う.$t>0$ では $\chi(-t)=0$ なので $\chi_e(t)=\chi_o(t)=\chi(t)/2$.$t<0$ では $\chi(t)=0$ なので $\chi_e(t)=\chi(-t)/2$,$\chi_o(t)=-\chi(-t)/2$,すなわち $\chi_o=-\chi_e$.まとめると

$$ \chi_o(t) = \mathrm{sgn}(t)\,\chi_e(t) $$

ステップ3.$\chi(t)$ が実数なら,Fourier変換の実部が偶部から,虚部が奇部から来る:$\chi'(\omega)=\int\chi_e(t)\cos\omega t\,\dd t$,$\ii\chi''(\omega)=\ii\int\chi_o(t)\sin\omega t\,\dd t$.

ステップ4.時間領域の掛け算は振動数領域の畳み込みになる.$\mathrm{sgn}(t)$ のFourier変換は(主値の意味で)$2\ii/\omega$ なので,ステップ2の関係は

$$ \ii\chi''(\omega) = \frac{1}{2\pi}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{2\ii}{\omega-\omega'}\,\chi'(\omega')\,\dd\omega' \quad\Longrightarrow\quad \chi''(\omega) = -\frac{1}{\pi}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi'(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' $$

式 \eqref{eq:4-kk2} が再現された.$\mathrm{sgn}^2=1$ を使って逆向き($\chi_e=\mathrm{sgn}\cdot\chi_o$)にたどれば式 \eqref{eq:4-kk1} も出る.

この導出は「KK関係の正体は $\theta(t)$ を掛けるという操作の Fourier 像である」ことを鮮明に示している.複素平面は本質的ではなく,便利な言い換えなのだと分かる.

小谷岳生先生のご助言:KK関係は $1/(\omega+\ii\eta)$ ひとつの重ね合わせにすぎない

いま見たとおり,因果律の本体は $\theta(t)$ というただ1つの関数である.その Fourier 変換を,式 \eqref{eq:4-fourier} の規約のもとで,収束因子 $\ee^{-\eta t}$($\eta>0$)を入れて計算しておく.すると応答関数が減衰する解析関数の重ね合わせ $\chi(t)=\theta(t)\sum_n c_n\ee^{-\ii\omega_n t}\ee^{-\eta t}$ として書ける場合(これは仮定だが,普通の系ではこれで困らない),$\chi(\omega)$ もその重ね合わせになる:

$$ \int_0^\infty \ee^{\ii\omega t}\,\ee^{-\eta t}\,\dd t = \frac{\ii}{\omega+\ii\eta}, \qquad \chi(\omega) = \sum_n c_n\,\frac{\ii}{\omega-\omega_n+\ii\eta} $$

特異性をもつのは $1/(\omega+\ii\eta)$ を $\omega_n$ だけ平行移動したものだけであり,KK関係の複素形 \eqref{eq:4-kk-complex} は $\chi$ について線形だから,各項が満たせば和も自動的に満たす.つまりKK関係は「重ね合わせ」以上のことを言っていない.実部と虚部の関係も,Sokhotski–Plemelj の公式 \eqref{eq:4-sokhotski} を $x=\omega-\omega_n$ に使った $\dfrac{1}{\omega-\omega_n+\ii\eta}\ \xrightarrow{\ \eta\to0^+\ }\ \PV\dfrac{1}{\omega-\omega_n}-\ii\pi\delta(\omega-\omega_n)$ の言い換えにすぎない.実際 $c_n=1$ の1項では,$\eta\to0^+$ で $\chi'=\pi\delta(\omega-\omega_n)$,$\chi''=\PV\,1/(\omega-\omega_n)$ であり,式 \eqref{eq:4-kk2} に前者を代入すると,デルタ関数の積分は値を拾うだけなので後者が即座に戻る.

そして $\eta$ は数学上の飾りではなく,ダンピングであり,収束因子である.減衰振動子では,その役を減衰率 $\Gamma$ そのものが務めている.$\chi(t)=\frac{1}{m\omega_1}\ee^{-\Gamma t}\sin\omega_1 t\,\theta(t)$ を上の形に当てはめれば $\omega_n=\pm\omega_1$,$\eta=\Gamma$,$c_n=\mp1/(2\ii m\omega_1)$ であり,$\omega_1^2=\omega_0^2-\Gamma^2$ を使って通分すると

$$ \chi(\omega) = \frac{1}{2m\omega_1}\left[\frac{1}{\omega+\omega_1+\ii\Gamma}-\frac{1}{\omega-\omega_1+\ii\Gamma}\right] = \frac{1}{m\left(\omega_0^2-\omega^2-2\ii\Gamma\omega\right)} $$

と,第3章の結果がそのまま再現される.どんな計算でも,収束因子が入ってはじめてきちんと定義できるのであって,$\eta\to0^+$ の極限は積分が定義されたあとで最後に取るものである.順序を逆にすれば,4.2.2節の絶対収束の議論そのものが立たない.

——以上は,QSGW 法の開発者である小谷岳生先生よりいただいたご助言(私信,2026年8月)にもとづく.

4.5 実の応答関数の対称性 — 正の振動数だけの形へ

式 \eqref{eq:4-kk1}, \eqref{eq:4-kk2} の積分範囲は $-\infty$ から $\infty$ である.しかし実験で測れるのは正の振動数だけである.負の振動数の $\chi''$ を「測る」ことはできない.そこで,$\chi(t)$ が実数であることから来る対称性を使って,正の振動数だけの積分に書き換える.

4.5.1 $\chi(-\omega)=\chi(\omega)^*$

導出:実関数のFourier変換がもつ対称性

$\chi(t)$ は実数値関数である(実の外力に対して実の応答が返る).したがって $\chi(t)^*=\chi(t)$.式 \eqref{eq:4-onesided} の両辺の複素共役をとる.$\omega$ は実数とする.

$$ \chi(\omega)^* = \left[\int_0^\infty \chi(t)\,\ee^{\ii\omega t}\,\dd t\right]^* = \int_0^\infty \chi(t)^*\,\left(\ee^{\ii\omega t}\right)^*\,\dd t $$

ここで,積分の複素共役は被積分関数の複素共役の積分であること(積分は和の極限だから)を使った.$\chi(t)^*=\chi(t)$,$(\ee^{\ii\omega t})^*=\ee^{-\ii\omega t}$ なので

$$ = \int_0^\infty \chi(t)\,\ee^{-\ii\omega t}\,\dd t = \int_0^\infty \chi(t)\,\ee^{\ii(-\omega)t}\,\dd t $$

最後の形は,式 \eqref{eq:4-onesided} で $\omega\to-\omega$ としたものにほかならない.したがって

$$ \begin{equation} \chi(-\omega) = \chi(\omega)^* \qquad(\omega\in\mathbb{R}) \label{eq:4-reality} \end{equation} $$

この式の両辺を実部・虚部に分ける.左辺は $\chi'(-\omega)+\ii\chi''(-\omega)$,右辺は $\chi'(\omega)-\ii\chi''(\omega)$.実部どうし,虚部どうしを比較して

$$ \begin{equation} \chi'(-\omega)=\chi'(\omega)\ \ (\text{偶関数}), \qquad \chi''(-\omega)=-\chi''(\omega)\ \ (\text{奇関数}) \label{eq:4-parity} \end{equation} $$

∎

例題4.2 減衰振動子で対称性を確かめる

第3章の本文中の式

$$ \chi'(\omega) = \frac{1}{m}\cdot\frac{\omega_0^2-\omega^2}{(\omega_0^2-\omega^2)^2+4\Gamma^2\omega^2}, \qquad \chi''(\omega) = \frac{1}{m}\cdot\frac{2\Gamma\omega}{(\omega_0^2-\omega^2)^2+4\Gamma^2\omega^2} $$

で $\omega\to-\omega$ としてみよ.

解答.分母は $\omega$ について $\omega^2$ の形でしか入っていないので,$\omega\to-\omega$ で不変である.分子は,$\chi'$ のほうが $\omega_0^2-\omega^2$(偶),$\chi''$ のほうが $2\Gamma\omega$(奇).したがって $\chi'$ は偶関数,$\chi''$ は奇関数.式 \eqref{eq:4-parity} と一致する.∎

$\chi''$ が奇関数だという事実は,第3章3.5節の「$\omega>0$ で $\chi''>0$」という主張と矛盾しない.$\omega<0$ では $\chi''<0$ になるが,平均吸収仕事率(吸収パワー)は $\bar P=\frac12F_0^2\,\omega\,\chi''(\omega)$ という $\omega\chi''$ の組み合わせで決まり,これは偶関数でつねに正だからである.

4.5.2 正の振動数だけの積分に書き換える

導出:$\chi'$ を $\chi''$ から求める式(正振動数形)

ステップ1:積分を2つに割る.式 \eqref{eq:4-kk1} の積分区間を $\omega'<0$ と $\omega'>0$ に分ける.

$$ \chi'(\omega) = \frac{1}{\pi}\PV\int_{-\infty}^{0}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' + \frac{1}{\pi}\PV\int_{0}^{\infty}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' $$

ステップ2:第1項で変数を反転する.第1項で $\omega'=-s$ と置換する.$\dd\omega'=-\dd s$ であり,積分範囲は $\omega'=-\infty\to0$ が $s=+\infty\to0$ に対応する.

$$ \int_{-\infty}^{0}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' = \int_{+\infty}^{0}\frac{\chi''(-s)}{-s-\omega}\,(-\dd s) = \int_{0}^{\infty}\frac{\chi''(-s)}{-s-\omega}\,\dd s $$

(積分の向きを反転して出る符号 $-1$ と,$-\dd s$ の $-1$ が打ち消し合った.)

ステップ3:奇関数性を使う.式 \eqref{eq:4-parity} より $\chi''(-s)=-\chi''(s)$.代入して

$$ = \int_{0}^{\infty}\frac{-\chi''(s)}{-(s+\omega)}\,\dd s = \int_{0}^{\infty}\frac{\chi''(s)}{s+\omega}\,\dd s $$

分子と分母の両方に $-1$ が出て打ち消し合った.積分変数の名前を $s\to\omega'$ に戻す.

ステップ4:2つを合わせる.

$$ \chi'(\omega) = \frac{1}{\pi}\PV\int_{0}^{\infty}\chi''(\omega') \left[\frac{1}{\omega'+\omega}+\frac{1}{\omega'-\omega}\right]\dd\omega' $$

角括弧の中を通分する.分母は $(\omega'+\omega)(\omega'-\omega)=\omega'^2-\omega^2$,分子は $(\omega'-\omega)+(\omega'+\omega)=2\omega'$ だから

$$ \frac{1}{\omega'+\omega}+\frac{1}{\omega'-\omega} = \frac{2\omega'}{\omega'^2-\omega^2} $$

したがって

$$ \begin{equation} \chi'(\omega) = \frac{2}{\pi}\,\PV\int_{0}^{\infty}\frac{\omega'\,\chi''(\omega')}{\omega'^2-\omega^2}\,\dd\omega' \label{eq:4-kk1-pos} \end{equation} $$

∎

導出:$\chi''$ を $\chi'$ から求める式(正振動数形)

まったく同じ手続きを式 \eqref{eq:4-kk2} に行う.違いは $\chi'$ が偶関数だという点だけである.

ステップ2', 3'.負の側の積分で $\omega'=-s$ と置換し,$\chi'(-s)=+\chi'(s)$ を使うと

$$ \int_{-\infty}^{0}\frac{\chi'(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' = \int_{0}^{\infty}\frac{\chi'(s)}{-s-\omega}\,\dd s = -\int_{0}^{\infty}\frac{\chi'(s)}{s+\omega}\,\dd s $$

今度は分子に $-1$ が出ないので,全体として符号がマイナスになる.

ステップ4'.

$$ \chi''(\omega) = -\frac{1}{\pi}\PV\int_{0}^{\infty}\chi'(\omega') \left[\frac{1}{\omega'-\omega}-\frac{1}{\omega'+\omega}\right]\dd\omega' $$

角括弧を通分すると,分子は $(\omega'+\omega)-(\omega'-\omega)=2\omega$ だから

$$ \frac{1}{\omega'-\omega}-\frac{1}{\omega'+\omega} = \frac{2\omega}{\omega'^2-\omega^2} $$

したがって

$$ \begin{equation} \chi''(\omega) = -\frac{2\omega}{\pi}\,\PV\int_{0}^{\infty}\frac{\chi'(\omega')}{\omega'^2-\omega^2}\,\dd\omega' \label{eq:4-kk2-pos} \end{equation} $$

式 \eqref{eq:4-kk1-pos} では分子に $\omega'$(積分変数)が,式 \eqref{eq:4-kk2-pos} では前に $\omega$(外の変数)が付く.この非対称は,$\chi''$ が奇関数,$\chi'$ が偶関数であることから来ている.ここを取り違えると符号や次元が合わなくなるので,注意深く覚えておきたい.∎

流儀の違いに注意

教科書によっては,Fourier変換の符号規約が本書と逆($\ee^{-\ii\omega t}$ で時間から振動数へ)である.その場合,$\chi(\omega)$ は下半面で解析的になり,KK関係の符号が両方とも反転する:

$$ \chi'(\omega)=-\frac1\pi\PV\int\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega', \qquad \chi''(\omega)=+\frac1\pi\PV\int\frac{\chi'(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' $$

物理はもちろん同じで,その流儀では $\chi''<0$($\omega>0$)が吸収を表すことになる.符号で迷ったら,必ず「$\omega>0$ で吸収は正」という物理に立ち返って確かめること.本書は Fetter–Walecka に合わせた $\ee^{+\ii\omega t}$ 規約であり,上半面解析・$\chi''>0$ が吸収である.

いま述べたのは Fourier 変換の規約の話だが,これとは別に外力をどう結合させて書くかという規約も符号に効く.本章は一貫して古典規約 $\Ham'=-\hat xF$(ハット記号は,このあと出てくる量子論の書き方と活字面で見比べられるようにするための先取りである)を採るので $\chi''>0$ が吸収を表すが,第7章以降で採用する $\Ham_{\text{ext}}=+f\hat B$ の規約では符号が反転し,$-\mathrm{Im}\,\chi^R>0$ が吸収を表すことになる(4.7.2節の最後の注意で改めて説明する).

もう1つよくあるつまずきは,$\chi(\omega\to\infty)\to\chi_\infty\neq0$ という場合である.たとえば誘電関数 $\epsilon(\omega)$ は高振動数で $1$ に近づき,$0$ には行かない.このときは $\chi$ そのものではなく $\chi-\chi_\infty$ に KK関係を適用する.実際,光学の教科書に載っているのは

$$ \epsilon_1(\omega)-1 = \frac{2}{\pi}\PV\int_0^\infty\frac{\omega'\,\epsilon_2(\omega')}{\omega'^2-\omega^2}\dd\omega' $$

という「$-1$ を引いた」形である.理由は,$\chi_\infty$ という定数のぶんだけ大円の寄与が消えなくなるからで,定数を引いておけば式 \eqref{eq:4-highfreq} と同じ議論がそのまま通る.

4.6 検算 — 減衰振動子でKK関係を確かめる

ここまでは一般論だった.本節では,第3章で具体的に求めた減衰振動子の $\chi''(\omega)$ を式 \eqref{eq:4-kk1} に実際に代入して積分を実行し,$\chi'(\omega)$ が本当に再現されることを確かめる.使う数学は部分分数分解と $\int\dd u/(u^2+\Gamma^2)$ だけであり,複素積分は一切使わない.

4.6.1 まず無散逸極限で(数行で終わる検算)

例題4.3 $\Gamma\to0$ の極限でKK関係を確かめる

第3章3.6節で見たように,$\Gamma\to0^+$ では $\chi''$ はデルタ関数になる.$\chi''$ が奇関数であることを忘れずに,負の振動数側にも符号を変えたピークを置くと

$$ \chi''(\omega) \xrightarrow{\ \Gamma\to0^+\ } \frac{\pi}{2m\omega_0}\Big[\delta(\omega-\omega_0)-\delta(\omega+\omega_0)\Big] $$

これを式 \eqref{eq:4-kk1} に代入し,$\chi'(\omega)=\dfrac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)}$ が出ることを示せ.

解答.式 \eqref{eq:4-kk1} に代入する.デルタ関数の積分は値を拾うだけである.

$$ \chi'(\omega) = \frac{1}{\pi}\cdot\frac{\pi}{2m\omega_0} \left[\frac{1}{\omega_0-\omega}-\frac{1}{-\omega_0-\omega}\right] $$

第2項の分母の符号を整理する.$-\omega_0-\omega=-(\omega_0+\omega)$ なので $\dfrac{1}{-\omega_0-\omega}=-\dfrac{1}{\omega_0+\omega}$.したがって角括弧の中は

$$ \frac{1}{\omega_0-\omega}+\frac{1}{\omega_0+\omega} = \frac{(\omega_0+\omega)+(\omega_0-\omega)}{(\omega_0-\omega)(\omega_0+\omega)} = \frac{2\omega_0}{\omega_0^2-\omega^2} $$

よって

$$ \chi'(\omega) = \frac{1}{2m\omega_0}\cdot\frac{2\omega_0}{\omega_0^2-\omega^2} = \frac{1}{m(\omega_0^2-\omega^2)} $$

これは第3章の $\chi'$ で $\Gamma=0$ としたものにぴったり一致する.∎

たった数行で,KK関係が「効いている」ことが確認できた.$\omega_0$ という1本の吸収線だけから,全振動数にわたる分散曲線 $1/[m(\omega_0^2-\omega^2)]$ が完全に決まってしまう.これがKK関係の威力である.

4.6.2 有限の減衰でも成り立つことを示す

導出:準備 — $\chi$ を部分分数に分解する

式 \eqref{eq:4-poles} の極 $\omega_\pm=\pm\omega_1-\ii\Gamma$ を使うと,$\chi(\omega)$ の分母は因数分解できる.

$$ m(\omega_0^2-\omega^2-2\ii\Gamma\omega) = -m(\omega^2+2\ii\Gamma\omega-\omega_0^2) = -m(\omega-\omega_+)(\omega-\omega_-) $$

よって

$$ \chi(\omega) = \frac{-1}{m(\omega-\omega_+)(\omega-\omega_-)} $$

部分分数の公式 $\dfrac{1}{(x-a)(x-b)}=\dfrac{1}{a-b}\left[\dfrac{1}{x-a}-\dfrac{1}{x-b}\right]$ を,$a=\omega_+$,$b=\omega_-$,$a-b=2\omega_1$ として使うと

$$ \begin{equation} \chi(\omega) = \frac{-1}{2m\omega_1}\left[\frac{1}{\omega-\omega_+}-\frac{1}{\omega-\omega_-}\right] \label{eq:4-partial} \end{equation} $$

ここで $\omega$ を実数として,各項を有理化する.$\omega-\omega_+=(\omega-\omega_1)+\ii\Gamma$ なので,分母の複素共役を分子分母に掛けて

$$ \frac{1}{\omega-\omega_+} = \frac{(\omega-\omega_1)-\ii\Gamma}{(\omega-\omega_1)^2+\Gamma^2}, \qquad \frac{1}{\omega-\omega_-} = \frac{(\omega+\omega_1)-\ii\Gamma}{(\omega+\omega_1)^2+\Gamma^2} $$

式 \eqref{eq:4-partial} に代入して実部と虚部を読み取る.

$$ \begin{equation} \chi'(\omega) = \frac{-1}{2m\omega_1}\left[\frac{\omega-\omega_1}{(\omega-\omega_1)^2+\Gamma^2}-\frac{\omega+\omega_1}{(\omega+\omega_1)^2+\Gamma^2}\right] \label{eq:4-chip-partial} \end{equation} $$ $$ \begin{equation} \chi''(\omega) = \frac{\Gamma}{2m\omega_1}\left[\frac{1}{(\omega-\omega_1)^2+\Gamma^2}-\frac{1}{(\omega+\omega_1)^2+\Gamma^2}\right] \label{eq:4-chipp-partial} \end{equation} $$

($\chi''$ の符号について:式 \eqref{eq:4-partial} の前因子 $-1/(2m\omega_1)$ に,各項の虚部 $-\Gamma/[\cdots]$ が掛かるので,$(-1)\times(-\Gamma)=+\Gamma$ となる.)∎

式 \eqref{eq:4-chipp-partial} は2本のLorentz関数の差である.$\omega=+\omega_1$ に幅 $\Gamma$ の正のピーク,$\omega=-\omega_1$ に負のピークがある.$\chi''$ が奇関数であることが目に見える形になった.

導出:必要な主値積分(Lorentz関数のHilbert変換)

次の主値積分を,初等的に計算する.$a$ は実数,$\Gamma>0$,$\omega$ は実数とする.

$$ J(\omega;a) \equiv \PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{1}{\omega'-\omega}\cdot\frac{\Gamma}{(\omega'-a)^2+\Gamma^2}\,\dd\omega' $$

ステップ1:平行移動.$u=\omega'-a$,$c=\omega-a$ と置く.$\dd\omega'=\dd u$,$\omega'-\omega=u-c$ だから

$$ J = \Gamma\,\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd u}{(u-c)(u^2+\Gamma^2)} $$

ステップ2:部分分数に分ける.

$$ \frac{1}{(u-c)(u^2+\Gamma^2)} = \frac{A}{u-c}+\frac{Bu+C}{u^2+\Gamma^2} $$

と置き,両辺に $(u-c)(u^2+\Gamma^2)$ を掛けると

$$ 1 = A(u^2+\Gamma^2)+(Bu+C)(u-c) $$

$u=c$ を代入して $1=A(c^2+\Gamma^2)$,すなわち $A=\dfrac{1}{c^2+\Gamma^2}$.
$u^2$ の係数を比較して $0=A+B$,すなわち $B=-A$.
定数項を比較して $1=A\Gamma^2-Cc$,すなわち

$$ C = \frac{A\Gamma^2-1}{c} = \frac{1}{c}\left[\frac{\Gamma^2}{c^2+\Gamma^2}-1\right] = \frac{1}{c}\cdot\frac{\Gamma^2-c^2-\Gamma^2}{c^2+\Gamma^2} = \frac{1}{c}\cdot\frac{-c^2}{c^2+\Gamma^2} = -Ac $$

まとめると

$$ \frac{1}{(u-c)(u^2+\Gamma^2)} = A\left[\frac{1}{u-c}-\frac{u+c}{u^2+\Gamma^2}\right], \qquad A=\frac{1}{c^2+\Gamma^2} $$

ステップ3:3つの積分を実行する.対称な区間 $[-R,R]$ で計算して $R\to\infty$ とする.

(i) $\PV\displaystyle\int_{-R}^{R}\frac{\dd u}{u-c} = \Big[\ln\abs{u-c}\Big]_{-R}^{R}=\ln\frac{R-c}{R+c}\xrightarrow{R\to\infty}\ln1=0$.($u=c$ の近傍は主値で対称に切るので寄与しない.)

(ii) $\displaystyle\int_{-R}^{R}\frac{u\,\dd u}{u^2+\Gamma^2}=0$.被積分関数が奇関数で,区間が対称だから厳密にゼロである.

(iii) $\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\dd u}{u^2+\Gamma^2}=\frac{1}{\Gamma}\Big[\arctan\frac{u}{\Gamma}\Big]_{-\infty}^{\infty}=\frac{1}{\Gamma}\left[\frac{\pi}{2}-\left(-\frac{\pi}{2}\right)\right]=\frac{\pi}{\Gamma}$.

ステップ4:組み立てる.$A$ を掛け,(i)(ii)(iii) を代入すると

$$ J = \Gamma\,A\left[\,0 - 0 - c\cdot\frac{\pi}{\Gamma}\right] = -\frac{\pi c}{c^2+\Gamma^2} $$

$c=\omega-a$ を戻して

$$ \begin{equation} \PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{1}{\omega'-\omega}\cdot\frac{\Gamma\,\dd\omega'}{(\omega'-a)^2+\Gamma^2} = -\frac{\pi\,(\omega-a)}{(\omega-a)^2+\Gamma^2} \label{eq:4-hilbert-lorentz} \end{equation} $$

Lorentz型の吸収ピークをHilbert変換すると,分散型(S字型)の曲線が出るという,分光学者にはおなじみの結果である.∎

導出:KK関係の検算(本番)

式 \eqref{eq:4-chipp-partial} の $\chi''$ を式 \eqref{eq:4-kk1} に代入する.

$$ \frac{1}{\pi}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' = \frac{1}{\pi}\cdot\frac{1}{2m\omega_1} \PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{1}{\omega'-\omega} \left[\frac{\Gamma}{(\omega'-\omega_1)^2+\Gamma^2}-\frac{\Gamma}{(\omega'+\omega_1)^2+\Gamma^2}\right]\dd\omega' $$

2つの項に,それぞれ式 \eqref{eq:4-hilbert-lorentz} を $a=+\omega_1$ および $a=-\omega_1$ として適用する.

$$ = \frac{1}{2\pi m\omega_1}\left[ -\frac{\pi(\omega-\omega_1)}{(\omega-\omega_1)^2+\Gamma^2} +\frac{\pi(\omega+\omega_1)}{(\omega+\omega_1)^2+\Gamma^2}\right] $$

$\pi$ が約分されて

$$ = \frac{-1}{2m\omega_1}\left[ \frac{\omega-\omega_1}{(\omega-\omega_1)^2+\Gamma^2} -\frac{\omega+\omega_1}{(\omega+\omega_1)^2+\Gamma^2}\right] $$

これは式 \eqref{eq:4-chip-partial} の右辺そのものである.すなわち

$$ \frac{1}{\pi}\PV\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\chi''(\omega')}{\omega'-\omega}\dd\omega' = \chi'(\omega) $$

KK関係が,減衰振動子について厳密に成り立つことが,初等的な計算だけで確認できた.∎

4.6.3 数値で見る

式だけでは実感が湧きにくいので,$m=1$,$\omega_0=1$,$\Gamma=0.2$(すなわち $Q=\omega_0/2\Gamma=2.5$)という具体的な数値で,両辺を比べておく.表4.1の「KKで再構成」の列は,$\chi''$ のデータだけを使って式 \eqref{eq:4-kk1-pos} の積分を数値的に実行した結果である.

表4.1 減衰振動子($m=1,\ \omega_0=1,\ \Gamma=0.2$)でのKK関係の数値検算
$\omega$$\chi''(\omega)$(入力)$\chi'(\omega)$(厳密解)$\chi'(\omega)$(KKで再構成)
0.200.086211.034481.03448
0.500.331951.244811.24481
0.801.379311.551721.55172
1.002.500000.000000.00000
1.201.13208−1.03774−1.03774
1.500.31209−0.65020−0.65020
2.000.08299−0.31120−0.31120
3.000.01834−0.12225−0.12225
減衰振動子(m=1,ω₀=1,Γ=0.2)の χ″(赤,吸収)と χ′(紫,分散)の ω/ω₀ 依存性,および χ″ だけから KK 関係で数値積分して再構成した χ′ の点(緑の白抜き丸).χ″ は ω≈ω₀ で最大約 2.5 のピークを持ち,χ′ は ω=ω₀ でゼロを横切るS字を描く.緑の丸は紫の曲線の上に乗っている.
図4.3 減衰振動子($m=1$, $\omega_0=1$, $\Gamma=0.2$)における $\chi''$(赤,吸収)と $\chi'$(紫,分散).緑の丸は,$\chi''$ のデータだけを式 \eqref{eq:4-kk1-pos} に入れて数値積分した結果である.厳密解の紫の曲線に完全に乗っている.共鳴のすぐ近くで $\chi''$ はピークを,$\chi'$ は $\omega=\omega_0$ でのゼロ交差を伴うS字(分散形)を示す($\chi''$ の最大の位置は厳密には $\omega_0$ より $\Gamma^2$ の程度だけ低い側にあり,厳密に $\omega=\omega_0$ にあるのは $\chi'$ のゼロ交差のほうである).この「吸収ピークの隣に分散形が立つ」という組み合わせは,KK関係の最も目につく現れであり,分光のあらゆる場面で見られる.

物理的意味:ピークの隣には必ず分散形が立つ

図4.3を見ると,$\chi''$ にピークがある場所のすぐ隣で,$\chi'$ が急激に増えてから急激に減り,ピーク中心でゼロを横切っている.この形を分散形(dispersive lineshape)という.

式 \eqref{eq:4-hilbert-lorentz} は,まさに「Lorentz型のピーク(吸収)→ 分散形(分散)」という変換を表している.両者は同じ幅 $\Gamma$,同じ中心 $\omega_1$ をもち,独立に動くことはできない.吸収ピークを1本見つけたら,その隣に分散形が立っていることを予言できるのである.

この事実は,光学では「異常分散」として知られている.吸収帯の近傍で屈折率が急激に変化し,しかも吸収帯の内側では振動数とともに屈折率が減少する(通常の透明領域とは逆).プリズムで虹が出る(正常分散)のも,吸収帯の近くで屈折率が暴れる(異常分散)のも,同じ $\chi''$ から出てくる同じ話である.

4.7 和則 — 積分値が質量だけで決まる

4.7.1 高振動数極限からの導出

規約の確認.以下の古典的な和則は,本章までと同じ立場,すなわち外力 $F(t)$ が座標 $x$ を直接押す(ポテンシャルの言葉で書けば $\Ham'=-\hat xF(t)$ というマイナス結合の)立場で書かれている.この立場では,正の振動数で $\chi''(\omega)=\mathrm{Im}\,\chi(\omega)>0$ が吸収を表すのであった(4.5節).第7章以降の量子論では外部摂動を $\Ham_{\text{ext}}(t)=f(t)\hat B\,\ee^{\eta t}$ とプラス符号で書くため,応答関数の符号がそっくり反転する.両者の対応は4.7.2節の最後の注意で整理するので,ここでは古典規約のまま読み進めてよい.

導出:古典版の $f$ 和則(古典規約 $\Ham'=-\hat xF$ のもとで)

式 \eqref{eq:4-kk1-pos} で $\omega$ を非常に大きく取る.積分に効くのは $\chi''(\omega')$ が有意な値をもつ領域(共鳴の近傍,つまり $\omega'\sim\omega_0$)だから,$\omega\gg\omega'$ としてよい.すると分母は

$$ \frac{1}{\omega'^2-\omega^2} = \frac{-1}{\omega^2\left(1-\dfrac{\omega'^2}{\omega^2}\right)} \simeq -\frac{1}{\omega^2}\left(1+\frac{\omega'^2}{\omega^2}+\cdots\right) \simeq -\frac{1}{\omega^2} $$

と近似できる.$\omega$ は積分変数によらないから,積分の外に出せて

$$ \chi'(\omega) \simeq \frac{2}{\pi}\cdot\left(-\frac{1}{\omega^2}\right)\int_0^\infty \omega'\,\chi''(\omega')\,\dd\omega' = -\frac{2}{\pi\omega^2}\int_0^\infty \omega'\,\chi''(\omega')\,\dd\omega' $$

いっぽう,式 \eqref{eq:4-highfreq} から,高振動数では $\chi(\omega)\to-1/(m\omega^2)$ であった.これは実数なので $\chi'(\omega)\to-1/(m\omega^2)$,$\chi''(\omega)\to0$(より速く落ちる)である.両者を等置して

$$ -\frac{2}{\pi\omega^2}\int_0^\infty \omega'\,\chi''(\omega')\,\dd\omega' = -\frac{1}{m\omega^2} $$

両辺の $-1/\omega^2$ を払うと $\omega$ が完全に消えて

$$ \begin{equation} \int_{0}^{\infty}\omega\,\chi''(\omega)\,\dd\omega = \frac{\pi}{2m} \label{eq:4-sumrule} \end{equation} $$

これが和則(sum rule)である.量子系の $f$ 和則(第8章)の古典版にあたる.ただしこの導出は高振動数極限 \eqref{eq:4-highfreq} に全面的に寄りかかっているので,成り立つ範囲も4.2.4節で断ったのと同じ,慣性で応じる系に限られる.∎

物理的意味:吸収の総量は質量だけで決まっている

式 \eqref{eq:4-sumrule} の右辺には $m$ しかない.バネ定数 $k$(すなわち $\omega_0$)も,摩擦 $\gamma$(すなわち $\Gamma$)も入っていない.これは驚くべきことである.

バネを固くすれば共鳴振動数は上がる.摩擦を増やせばピークは低く幅広くなる.$\chi''(\omega)$ の形はいくらでも変えられる.ところが $\omega\chi''(\omega)$ を全振動数にわたって積分した値は,質点の質量だけで決まっていて,動かせない.

物理的な理由は4.2.4節で見たとおりである.和則の値を決めているのは高振動数極限であり,そこでは系は「質量 $m$ の自由粒子」としてしか振る舞えない.バネも摩擦も追いつけないからである.系をどうこねくり回しても,質量は変えられない.だから和則が成り立つ.

実務上,この不変性はスペクトル重みの保存として使われる.たとえば超伝導転移が起きると,有限振動数の光学伝導度 $\sigma_1(\omega)$ が超伝導ギャップの下で消える.しかしその「失われた面積」は消滅せず,$\omega=0$ のデルタ関数(無散逸電流)に移る.この移った面積から超流動密度が求まる —— Ferrell–Glover–Tinkham 和則と呼ばれる有名な解析である.

4.7.2 検算と,実験上の注意

例題4.4 無散逸極限で和則を確かめる

$\Gamma\to0$ では,正の振動数側で $\chi''(\omega)\to\dfrac{\pi}{2m\omega_0}\delta(\omega-\omega_0)$ であった(例題4.3).式 \eqref{eq:4-sumrule} を確かめよ.

解答.

$$ \int_0^\infty \omega\,\chi''(\omega)\,\dd\omega = \int_0^\infty \omega\cdot\frac{\pi}{2m\omega_0}\delta(\omega-\omega_0)\,\dd\omega = \omega_0\cdot\frac{\pi}{2m\omega_0} = \frac{\pi}{2m} $$

デルタ関数が $\omega=\omega_0$ を拾い,その $\omega_0$ が分母の $\omega_0$ とちょうど約分されて消える.この「$\omega_0$ が消える」という一点に,和則の本質が凝縮されている.∎

例題4.5 有限の $\Gamma$ で数値的に確かめる — 打ち切りの怖さ

$m=1$,$\omega_0=1$,$\Gamma=0.2$ とする.和則の値は $\pi/2m=1.5708$ のはずである.ところが実験では有限の振動数までしか測れない.上限 $\Omega$ までの打ち切り積分値を計算してみよう(表4.2).

表4.2 和則の打ち切り積分値の収束($m=1,\ \omega_0=1,\ \Gamma=0.2$)
測定上限 $\Omega/\omega_0$$\displaystyle\int_0^\Omega \omega\,\chi''\,\dd\omega$$\pi/2m$ に対する割合
1.51.194376.0 %
21.332884.8 %
31.427590.9 %
51.488894.8 %
101.530597.4 %
201.550898.7 %
501.562899.5 %
1001.566899.7 %

収束が非常に遅い.共鳴振動数の10倍まで測っても,まだ2.6 %足りない.理由は簡単で,高振動数の裾が

$$ \chi''(\omega)\simeq \frac{2\Gamma}{m\omega^3} \quad\Longrightarrow\quad \omega\,\chi''(\omega)\simeq\frac{2\Gamma}{m\omega^2} $$

とゆっくりしか落ちないからである(この裾の形は演習4.5で導く).切り捨てた部分は

$$ \int_\Omega^\infty \frac{2\Gamma}{m\omega^2}\dd\omega = \frac{2\Gamma}{m\Omega} $$

で,$\Omega=10$ なら $0.4/10=0.040$.表4.2の不足分 $1.5708-1.5305=0.0403$ と見事に一致する.∎

教訓:和則を実験データで検証するときは,必ず高振動数の外挿が必要である.「和則が成り立たない」という主張の多くは,外挿の失敗である.4.8節でこの問題にもう一度触れる.

量子版の $f$ 和則(第8章の予告)

量子多体系では,遅延密度応答関数 $\chi^R_{\rho\rho}(\qq,\omega)$ に対して

$$ \int_0^\infty \omega\left[-\mathrm{Im}\,\chi^R_{\rho\rho}(\qq,\omega)\right]\dd\omega = \frac{\pi n q^2}{2m} $$

という和則が成り立つ($n$ は粒子数密度).これが $f$ 和則,あるいは Thomas–Reiche–Kuhn の和則である.式 \eqref{eq:4-sumrule} と見比べると,$1/m$ という構造がそのまま残り,$nq^2$ という因子が付いただけであることが分かる.左辺の角括弧に付いたマイナス符号の意味は,すぐ下の注意で説明する.

量子版の証明は,KK関係ではなく交換関係から出る(第8章8.4節).密度演算子とハミルトニアンの二重交換子 $[[\hat\rho_\qq,\Ham],\hat\rho_{-\qq}]$ が,相互作用の詳細によらず運動エネルギー項からの寄与 $nq^2/m$ だけを残すからである.「相互作用がどれだけ複雑でも和則の値は変わらない」という主張は,古典版の「$k$ と $\gamma$ が入らない」とまったく同じ精神である.和則は,多体理論の数値計算が正しいかどうかを検証する第一の物差しとして,いまも日常的に使われている.

なぜ $-\mathrm{Im}\,\chi^R$ なのか — 結合の書き方が違うだけである

本章までの古典的な扱いでは,外力を $\Ham'=-\hat xF(t)$ というマイナス結合で書いた.だから正の振動数で $\chi''(\omega)=\mathrm{Im}\,\chi(\omega)>0$ となり,これがそのまま吸収(散逸)を表す正の量であった.

ところが第7章以降の量子論では,外部摂動を $\Ham_{\text{ext}}(t)=f(t)\hat B\,\ee^{\eta t}$ とプラス符号で書く.結合の符号が逆なので,応答関数の符号もそっくり反転し,正の振動数では

$$ \mathrm{Im}\,\chi^R_{\rho\rho}(\qq,\omega)<0 \qquad (\omega>0) $$

となる.したがって,上の和則の左辺にわざわざマイナスを付けて $-\mathrm{Im}\,\chi^R_{\rho\rho}$ としておかないと,正の量である右辺 $\pi nq^2/2m$ と符号が合わない.

物理はひとつも変わっていない.「吸収は正である」という事実は共通で,それを表す正の量が,古典規約では $\mathrm{Im}\,\chi$,第7章以降の規約では $-\mathrm{Im}\,\chi^R$ になる,という表記上の約束の違いにすぎない.第7章以降を読むときは,$-\mathrm{Im}\,\chi^R$ こそが散逸を表す正の量だと覚えておけばよい.

4.5.2節の Fourier 変換規約の注意とまったく同じ教訓である.符号で迷ったら「$\omega>0$ で吸収は正」という物理に立ち返り,いま自分がどちらの結合規約で書いているかを確かめること.

4.8 実務でのKK解析

4.8.1 反射率スペクトルから光学定数を出す

KK関係の最も広く使われている応用は,固体の光学測定である.問題設定はこうである.

試料の表面に光を垂直入射し,反射してくる強度の比,すなわち反射率 $R(\omega)$ を,広い振動数範囲で測る.これは光の強度を測るだけなので,比較的簡単である.ところが本当に欲しいのは複素屈折率 $\tilde n(\omega)=n(\omega)+\ii\kappa(\omega)$ であり,これは実部と虚部の2つの実関数,すなわち情報量が2倍ある.測定は1つしかない.足りない情報をどこから調達するか —— そこでKK関係が効く.解析全体の流れは図4.4にまとめてある.

導出:反射率の位相をKK関係で求める

ステップ1:振幅反射率を導入する.複素屈折率 $\tilde n$ の媒質に真空側から垂直入射したときの,電場の振幅反射率は Fresnel の公式から

$$ r(\omega) = \frac{\tilde n(\omega)-1}{\tilde n(\omega)+1} $$

これは複素数なので,絶対値と位相に分けて

$$ r(\omega) = \sqrt{R(\omega)}\;\ee^{\ii\theta(\omega)} $$

と書ける.測定で得られるのは $\abs{r}^2=R$ のみで,位相 $\theta$ は測れない.

ステップ2:$\ln r$ に着目する.対数を取ると,絶対値と位相が実部と虚部に分離する.

$$ \ln r(\omega) = \ln\sqrt{R(\omega)} + \ii\,\theta(\omega) = \tfrac12\ln R(\omega) + \ii\,\theta(\omega) $$

ここで決定的な事実がある.$r(\omega)$ は因果的な応答関数である(入射光に対する反射光の応答なのだから).したがって $r(\omega)$ は上半面で解析的である.さらに $r(\omega)$ が上半面で零点をもたなければ(通常の物質では成り立つ),$\ln r(\omega)$ もまた上半面で解析的である.

ステップ3:KK関係を適用する.$\ln r$ の実部が $\frac12\ln R$,虚部が $\theta$ である.また $r(-\omega)=r(\omega)^*$ が成り立つので,$\frac12\ln R$ は偶関数,$\theta$ は奇関数である.式 \eqref{eq:4-kk2-pos} を「$\chi'\to\frac12\ln R$,$\chi''\to\theta$」として使うと

$$ \theta(\omega) = -\frac{2\omega}{\pi}\PV\int_0^\infty\frac{\tfrac12\ln R(\omega')}{\omega'^2-\omega^2}\dd\omega' $$
$$ \begin{equation} \theta(\omega) = -\frac{\omega}{\pi}\,\PV\int_0^\infty\frac{\ln R(\omega')}{\omega'^2-\omega^2}\,\dd\omega' \label{eq:4-kk-reflectivity} \end{equation} $$

ここで一言だけ断っておきたい.$\ln r$ は $\omega\to\infty$ でゼロに近づかない.実際,$\tfrac12\ln R\simeq-2\ln\omega$ と対数的に発散し,位相のほうは $\theta\to\pi$ に向かう.つまり式 \eqref{eq:4-kk2} を導いたときの前提——大円の上で被積分関数が十分速く落ちること——を,そのまま満たしているわけではない.それでも式 \eqref{eq:4-kk-reflectivity} が正しいのは,次の2つの事情による.第1に,正振動数形の核 $2\omega/(\omega'^2-\omega^2)$ は $\omega'\to\infty$ で $\omega'^{-2}$ と落ちるので,対数程度の増大なら吸収してしまう.第2に,$\PV\int_0^\infty\dd\omega'/(\omega'^2-\omega^2)=0$ なので,$\ln R$ に定数を足しても $\theta$ は変わらない——定数のずれは自動的に落ちる.この点は4.8.2節の落とし穴(3)と表裏一体なので,あわせて読んでほしい(厳密な扱いは参考文献5の Wooten 第6章にある).

ステップ4:光学定数に直す.$\tilde n=(1+r)/(1-r)$ に $r=\sqrt R\,\ee^{\ii\theta}$ を代入し,分母の複素共役を掛けて有理化する.分子は $(1+r)(1-r^*)=(1-\abs{r}^2)+(r-r^*)=(1-R)+2\ii\sqrt R\sin\theta$,分母は $\abs{1-r}^2=1-2\sqrt R\cos\theta+R$ だから

$$ \begin{equation} n(\omega)=\frac{1-R}{1+R-2\sqrt{R}\cos\theta}, \qquad \kappa(\omega)=\frac{2\sqrt{R}\,\sin\theta}{1+R-2\sqrt{R}\cos\theta} \label{eq:4-nk} \end{equation} $$

反射率 $R(\omega)$ を測るだけで,$n$ と $\kappa$ の両方が求まった.そこから誘電関数 $\epsilon=\tilde n^2$,吸収係数 $\alpha=2\omega\kappa/c$,光学伝導度などがすべて計算できる.∎

測定 反射率 R(ω) 強度だけ・位相は不明 KK積分 θ(ω) = −(ω/π) P∫ lnR/(ω′²−ω²) 因果律から位相を復元 Fresnel の式 n(ω), κ(ω) ε(ω) σ(ω) α(ω) 落とし穴:KK積分は 0 < ω′ < ∞ の全域を要求する 測定範囲の外は外挿するしかない(低振動数:Drude/Hagen–Rubens,高振動数:ω−s 型) 外挿誤差は測定範囲の端で大きい → 楕円偏光測定で1点を固定する(subtractive KK)と改善する
図4.4 反射率スペクトルのKK解析の流れ.測定できるのは強度反射率 $R(\omega)$ だけで,位相 $\theta(\omega)$ は測れない.その足りない情報を,因果律(=KK関係)が供給する.得られた $n,\kappa$ から誘電関数・光学伝導度・吸収係数がすべて導かれる.実務上の最大の困難は,KK積分が全振動数を要求するのに測定は有限範囲でしかできない点であり,外挿の善し悪しが結果の信頼性を決める.

4.8.2 他の分野での使われ方

表4.3 KK関係の代表的な応用
分野測る量KKで得る量
固体光学(反射分光)反射率の対数 $\frac12\ln R(\omega)$位相 $\theta(\omega)$ → $n,\kappa$
光学伝導度$\sigma_1(\omega)$(実部・散逸)$\sigma_2(\omega)$(虚部・誘導性)
誘電関数$\epsilon_2(\omega)$(吸収)$\epsilon_1(\omega)-1$(分極)
EELS(電子エネルギー損失分光)損失関数 $-\mathrm{Im}\,\epsilon^{-1}$$\mathrm{Re}\,\epsilon^{-1}-1$ → $\epsilon_1,\epsilon_2$
X線吸収/散乱吸収断面積 $\mu(E)$ → $f''$異常分散項 $f'$(結晶構造解析で必須)
音響・粘弾性減衰係数 $\alpha(\omega)$音速の分散 $c(\omega)$
電気化学インピーダンス$-\mathrm{Im}\,Z(\omega)$$\mathrm{Re}\,Z(\omega)$(測定の妥当性検証に使う)

多くの行では,測る量が $\chi''$ に,KKで得る量が $\chi'$ に相当している.反射分光の行だけは向きが逆で,$\chi'$ に相当する $\tfrac12\ln R$ から $\chi''$ に相当する位相 $\theta$ を得ていることに注意してほしい(4.8.1節).また,高振動数で定数に近づく量($\epsilon_1$ や $\mathrm{Re}\,\epsilon^{-1}$ など)には,その極限値を引いてから適用する(4.8.2節の落とし穴(3)).反射分光の $\ln r$ だけは事情が違い,4.8.1節で述べたとおりである.

KK関係は「データの検定」にも使える

表4.3の最後の行は,少し性格が違う使い方である.$\chi'$ と $\chi''$ の両方を測っておいて,KK関係が成り立つかどうかを確かめるのである.

成り立たなければ,どこかがおかしい.可能性は3つある.(1) 測定中に試料が変化した(時間並進不変性の破れ),(2) 印加が強すぎて非線形になった(線形性の破れ),(3) 測定系そのものに系統誤差がある.因果律は破れようがないので,KK関係が破れたら,それは物理ではなく実験の問題である.

電気化学インピーダンス分光では,この検定が「Kramers–Kronig test(KK検定,あるいは Lin-KK 法)」として標準的な手順に組み込まれている.腐食や電池の測定は数十分から数時間かかるので,その間に試料が変化してしまうことがあり,KK検定はそれを見抜く道具になる.

実務での落とし穴3つ

(1) 外挿の問題.KK積分は $0$ から $\infty$ までを要求するが,測定はせいぜい数桁の範囲でしかできない.低振動数側は Drude 型や Hagen–Rubens 則(金属なら $1-R\propto\sqrt\omega$),高振動数側は $R\propto\omega^{-s}$($s\simeq4$,自由電子的な振る舞い)で外挿するのが定番である.外挿の影響は,測定範囲の端で最も大きく出るので,興味のある振動数領域は測定範囲の真ん中に来るように設計する.

(2) 上半面の零点.$\ln r$ にKK関係を使うには,$r(\omega)$ が上半面で零点をもたないことが必要である.$r=0$ は「完全無反射」を意味し,通常の均質な試料では起きないが,多層膜や強い共鳴のある系では注意が必要である.零点があると位相に余分な寄与(Blaschke 因子)が加わり,KK積分の結果がずれる.

(3) 定数のオフセット.4.5節の警告で述べたとおり,$\omega\to\infty$ でゼロに行かない量にそのままKK関係を使ってはいけない.$\epsilon-1$,$\sigma-\sigma_\infty$ のように,高振動数極限を引いてから使う.反射率KK(4.8.1節)で $\ln r$ を使うのは一見この原則の例外に見えるが,そこで注意したとおり,正振動数形の核の落ち方と主値積分の性質によって救われているのである.

これらを回避する現代的な手法がsubtractive KK 解析である.楕円偏光測定(エリプソメトリー)などで $\theta$ を1点だけ独立に決めておき,その点でKK積分が正しい値を返すように補正する.1点を固定するだけで外挿の誤差が劇的に減ることが知られている.

4.9 まとめと演習

4.9.1 まとめ

4.9.2 演習問題

演習4.1 Debye緩和でKK関係を確かめる

第1章の例題1.1で求めた Debye 緩和 $\chi(\omega)=\dfrac{\chi_0}{1-\ii\omega\tau_0}$ を考える.

(1) $\chi'(\omega)=\dfrac{\chi_0}{1+\omega^2\tau_0^2}$,$\chi''(\omega)=\dfrac{\chi_0\,\omega\tau_0}{1+\omega^2\tau_0^2}$ であることを確かめ,$\chi'$ が偶関数,$\chi''$ が奇関数であることを見よ.

(2) $\chi''$ を式 \eqref{eq:4-kk1} に代入し,$\chi'$ が再現されることを示せ.

(3) 逆向き(式 \eqref{eq:4-kk2} で $\chi'$ から $\chi''$)も確かめよ.

ヒント:(2) $\Gamma_0\equiv1/\tau_0$ と置くと $\chi''(\omega')=\dfrac{\chi_0\Gamma_0\,\omega'}{\omega'^2+\Gamma_0^2}$ と書ける.4.6.2節とまったく同じ手順で,$\dfrac{\omega'}{(\omega'-\omega)(\omega'^2+\Gamma_0^2)}$ を部分分数に分ければよい.必要な積分は $\PV\int\frac{\dd u}{u-c}=0$,$\int\frac{u\,\dd u}{u^2+\Gamma_0^2}$(奇関数でゼロ),$\int\frac{\dd u}{u^2+\Gamma_0^2}=\pi/\Gamma_0$ の3つだけである.

演習4.2 因果律を破るとKK関係も破れる

第1章の演習1.5で扱った「因果律を破る」応答関数 $\chi(t)=\chi_0\ee^{-\abs{t}/\tau_0}$($t<0$ でもゼロでない)を考える.

(1) Fourier変換して $\chi(\omega)=\dfrac{2\chi_0/\tau_0}{1/\tau_0^2+\omega^2}$ を導け.

(2) この $\chi(\omega)$ は実軸上で純実数である.すなわち $\chi''(\omega)\equiv0$.もしKK関係が成り立つなら,式 \eqref{eq:4-kk1} から $\chi'(\omega)$ も恒等的にゼロでなければならない.しかし実際は $\chi'\neq0$ である.矛盾を確認せよ.

(3) 矛盾の原因を,極の位置(図4.1右)から説明せよ.

ヒント:(3) 極は $\omega=\pm\ii/\tau_0$ にあり,片方が上半面にある.4.4.1節の「閉曲線の内部に特異点はない」という前提が崩れており,Cauchy の積分定理が使えない.KK関係は因果律なしには成り立たないことが,この例で具体的に見える.

演習4.3 静的感受率は吸収スペクトルの重み付き総和である

式 \eqref{eq:4-kk1-pos} で $\omega=0$ と置くと

$$ \chi'(0) = \frac{2}{\pi}\int_0^\infty\frac{\chi''(\omega')}{\omega'}\,\dd\omega' $$

が得られる($\omega=0$ では分母が $\omega'^2$ となり,$\omega'>0$ でゼロにならないので主値は不要).

(1) この式を導け.

(2) 減衰振動子について,左辺が $1/(m\omega_0^2)=1/k$(=バネ定数の逆数,第1章1.5.2節の静的感受率)であることを確かめよ.

(3) 右辺の積分を $\Gamma\to0$ の極限で実行し,(2) と一致することを示せ.

ヒント:(3) $\chi''\to\frac{\pi}{2m\omega_0}\delta(\omega'-\omega_0)$ を代入すると $\frac{2}{\pi}\cdot\frac{1}{\omega_0}\cdot\frac{\pi}{2m\omega_0}=\frac{1}{m\omega_0^2}$.
この式は「静的な応答(第1章で見たように自由エネルギーの2階微分)が,吸収スペクトルを $1/\omega$ の重みで足し上げたものに等しい」と言っている.低振動数の吸収が静的応答に強く効くので,相転移点で軟らかいモード($\omega_0\to0$)が現れると $\chi'(0)$ が発散する.これがソフトモード理論の出発点である.

演習4.4 和則は慣性がないと成り立たない

(1) 減衰振動子の $\chi''$(第3章の本文中の式)を使い,和則 $\int_0^\infty\omega\chi''\dd\omega=\pi/2m$ が $\omega_0$ にも $\Gamma$ にもよらないことを,4.6.2節の部分分数形 \eqref{eq:4-chipp-partial} を経由して確かめよ.

(2) Debye緩和では $\int_0^\infty\omega\chi''\dd\omega$ が発散することを示せ.なぜか,物理的に説明せよ.

(3) Debye緩和では,代わりに演習4.3の形の和則 $\frac{2}{\pi}\int_0^\infty\frac{\chi''(\omega)}{\omega}\dd\omega=\chi_0$ が成り立つことを確かめよ.

ヒント:(2) $\chi''_{\text{Debye}}\to\chi_0/(\omega\tau_0)$ なので $\omega\chi''\to\chi_0/\tau_0$(定数!)となり,積分が線形に発散する.Debye緩和は慣性項を含まない模型(運動方程式に $m\ddot x$ の項がない)なので,$-1/(m\omega^2)$ という高振動数極限が存在しない.式 \eqref{eq:4-sumrule} は慣性の存在を前提にしている.
(3) $\frac{2}{\pi}\int_0^\infty\frac{\chi_0\tau_0\,\dd\omega}{1+\omega^2\tau_0^2}=\frac{2\chi_0\tau_0}{\pi}\cdot\frac{\pi}{2\tau_0}=\chi_0$.

演習4.5 高振動数展開と第2の和則

4.2.4節の方法3(部分積分の繰り返し)をさらに1段進めると

$$ \chi(\omega) \simeq -\frac{\dot\chi(0^+)}{\omega^2}-\frac{\ii\,\ddot\chi(0^+)}{\omega^3}+O(\omega^{-4}) $$

が得られる.

(1) 減衰振動子の $\chi(t)=\frac{1}{m\omega_1}\ee^{-\Gamma t}\sin\omega_1 t$ を2回微分して,$\dot\chi(0^+)=1/m$,$\ddot\chi(0^+)=-2\Gamma/m$ を確かめよ.

(2) したがって $\chi(\omega)\simeq-\dfrac{1}{m\omega^2}+\dfrac{2\ii\Gamma}{m\omega^3}$,すなわち $\chi''(\omega)\simeq\dfrac{2\Gamma}{m\omega^3}=\dfrac{\gamma}{m^2\omega^3}$ であることを示せ.これは例題4.5で使った裾の形である.

(3) いっぽう式 \eqref{eq:4-kk2-pos} を $\omega\to\infty$ で展開すると $\chi''(\omega)\simeq\dfrac{2}{\pi\omega}\displaystyle\int_0^\infty\chi'(\omega')\dd\omega'$ となる.これが (2) のように $O(\omega^{-3})$ であるためには何が必要か.第2の和則を書き下せ.

ヒント:(3) $O(\omega^{-1})$ の項が消えねばならないので $\displaystyle\int_0^\infty\chi'(\omega)\dd\omega=0$.分散曲線の正の面積と負の面積がちょうど釣り合う,という主張である(図4.3の紫の曲線を見よ).一般には $\int_0^\infty\chi'(\omega)\dd\omega=\frac{\pi}{2}\chi(t=0^+)$ であり,減衰振動子では $\chi(0^+)=0$ なのでゼロになる.Debye緩和では $\chi(0^+)=\chi_0/\tau_0\neq0$ なので $\int_0^\infty\chi'\dd\omega=\pi\chi_0/(2\tau_0)$ となり,直接計算 $\int_0^\infty\frac{\chi_0\dd\omega}{1+\omega^2\tau_0^2}=\frac{\pi\chi_0}{2\tau_0}$ と一致する.

演習4.6 反射率のKK解析における外挿誤差

測定範囲が $0<\omega<\Omega$ に限られており,$\omega>\Omega$ では反射率を定数 $R(\omega)=R_\Omega$ と(誤って)外挿したとする.

(1) 式 \eqref{eq:4-kk-reflectivity} で,$\omega'>\Omega$ からの寄与

$$ \Delta\theta(\omega) = -\frac{\omega}{\pi}\ln R_\Omega\int_\Omega^\infty\frac{\dd\omega'}{\omega'^2-\omega^2} $$

を,$\omega\ll\Omega$ の場合に評価せよ.

(2) 得られた誤差が $\omega$ とともにどう変化するかを述べ,「興味のある領域は測定範囲の中央に置け」という実務上の指針を説明せよ.

(3) 高振動数側を $R\propto\omega^{-4}$ と外挿するのが定番である理由を,式 \eqref{eq:4-highfreq} の $\chi\to-1/(m\omega^2)$ から論じよ.

ヒント:(1) $\displaystyle\int_\Omega^\infty\frac{\dd\omega'}{\omega'^2-\omega^2}=\frac{1}{2\omega}\ln\frac{\Omega+\omega}{\Omega-\omega}\simeq\frac{1}{\Omega}$($\omega\ll\Omega$).よって $\Delta\theta\simeq-\frac{\omega\ln R_\Omega}{\pi\Omega}$.誤差は $\omega$ に比例して増え,測定範囲の上端付近で最も大きい.
(3) $\omega\to\infty$ で $\epsilon-1\simeq-\omega_p^2/\omega^2$ となるので $\tilde n\to1$,したがって $r\simeq(\tilde n-1)/2\propto\omega^{-2}$ となり,$R=\abs{r}^2\propto\omega^{-4}$.

参考文献

  1. A. L. Fetter, J. D. Walecka『多粒子系の量子論 理論編』マグロウヒル,13節(線形応答の一般論)および32節.
  2. R. de L. Kronig, "On the theory of dispersion of X-rays", J. Opt. Soc. Am. 12, 547 (1926).
  3. H. A. Kramers, "La diffusion de la lumière par les atomes", Atti Congr. Int. Fisici, Como 2, 545 (1927). —— 上の2編がKK関係の原典である.
  4. L. D. Landau, E. M. Lifshitz, Statistical Physics, Part 1, Pergamon (1980), §123. —— 一般化感受率の解析性とKK関係の簡潔な議論.
  5. F. Wooten, Optical Properties of Solids, Academic Press (1972), Chapter 6. —— 反射率のKK解析の実務的な決定版.外挿の作法まで詳しい.
  6. M. Dressel, G. Grüner, Electrodynamics of Solids, Cambridge University Press (2002), Chapters 3, 8. —— 光学伝導度と和則の現代的な扱い.
  7. J. S. Toll, "Causality and the Dispersion Relation: Logical Foundations", Phys. Rev. 104, 1760 (1956). —— 「因果律 $\Longleftrightarrow$ 分散関係」の論理的な同値性を厳密に論じた古典的論文.
  8. B. A. Boukamp, "A Linear Kronig–Kramers Transform Test for Immittance Data Validation", J. Electrochem. Soc. 142, 1885 (1995). —— インピーダンス測定のKK検定.