素粒子物理学入門 — 目次 第IV部 強い力・弱い力・ゲージ理論 / 第11章

第11章クォークの電気力学と色力学

前章で我々は量子電気力学(QED)を手に入れた.外線・頂点・伝播関数という3つの部品を組み合わせるだけで,Mott 散乱も Compton 散乱も対消滅も計算できてしまう.しかもその結果は,$g-2$ のように有効数字10桁で実験と合う.人類が手にした最も精密な理論である.

本章では,その同じ機械をクォークに適用する.クォークは電荷をもつから,まず素朴に QED をそのまま使うことができる.これを「クォークの電気力学」と呼ぼう.驚くべきことに,これだけで $e^+e^-$ 衝突におけるハドロン生成率が説明でき,しかもそこから色(カラー)の自由度が3つあることが実験値として読み取れる.理論の側で「Pauli 原理を救うために色を導入した」という話(第7章 7.6.1 項)と,実験の側で「生成率が3倍大きい」という話が,ここでぴたりと合流する.

次に,電子で陽子を叩く実験を弱い運動量移行から強い運動量移行へと押し上げていく.低エネルギーでは陽子は「広がった電荷分布」に見え,その Fourier 変換が形状因子である.これは X 線回折の原子形状因子とまったく同じ概念であり,材料科学者にとっては初めて出会う道具ではない.ところが運動量移行を上げていくと,形状因子は消え,代わりに「点状の何か」からの弾性散乱が見えてくる.これがパートン,すなわちクォークである.そのスピンが $1/2$ であることまで,Callan–Gross 関係という一本の式で実験的に確かめられる.

そして色の力学,QCD へ進む.QCD の Feynman 則は QED のそれにカラー因子を掛けるだけで得られる.そのカラー因子を最後まで計算すると,

$$ \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2} = \begin{cases} -\dfrac{4}{3} & (q\bar q\ \text{一重項:引力}) \\[4pt] +\dfrac{1}{6} & (q\bar q\ \text{八重項:斥力}) \\[4pt] -\dfrac{2}{3} & (qq\ \text{反三重項:引力}) \\[4pt] +\dfrac{1}{3} & (qq\ \text{六重項:斥力}) \end{cases} $$

という4つの数が出てくる.引力になるのは一重項と反三重項だけであり,これがすなわち「中間子($q\bar q$)とバリオン($qqq$)しか自然界に存在しない」ことの微視的な説明である.紙と鉛筆で $3\times3$ 行列を8個並べるだけで,ハドロンの分類が出てくるのである.

最後に漸近的自由を扱う.QED では真空偏極が電荷を遮蔽し,短距離ほど有効電荷が大きく見えた.QCD ではグルーオンが自分自身と結合するため,符号が逆転して反遮蔽が起こる.結果として結合定数は高エネルギーで小さくなり,低エネルギーで発散する.この「走り」の構造は,物性物理における Kondo 効果のくりこみ群と同じ形の方程式に従い(1ループの近似で),本章の最後にその対応を式で示す.

この章で学ぶこと
  • $R$ 比 $=\sigma(e^+e^-\to\text{hadrons})/\sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-)=3\sum_i q_i^2$ の導出と,その階段構造($2\to10/3\to11/3$)
  • $R$ の前にある因子 3 が,色の自由度の数を直接測っていること
  • 形状因子 $F(\qq)=\int\rho(\bm{r})\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}\dd^3r$ と,双極子形 $G_E=(1+Q^2/0.71\,\mathrm{GeV^2})^{-2}$ から陽子半径 $0.81$ fm を出すこと
  • Rosenbluth 公式の構造と,$G_E$・$G_M$ を実験的に分離する方法
  • 深非弾性散乱の運動学($Q^2,\nu,x,y,W$),Bjorken スケーリング,構造関数 $F_1,F_2$
  • パートン模型:$F_2(x)=\sum_i q_i^2\,x f_i(x)$,および Callan–Gross 関係 $F_2=2xF_1$ がクォークのスピン $1/2$ の証拠であること
  • Gell-Mann 行列 $\lambda^a$,$SU(3)$ の生成子 $T^a=\lambda^a/2$,QCD の頂点 $-\ii g_s\gamma^\mu(\lambda^a/2)$
  • カラー因子の完全計算:Fierz 恒等式と Casimir トリック,そして「中間子とバリオンだけが束縛する」理由
  • グルーオン放出と3ジェット事象,ジェット率から $\alpha_s$ を測ること
  • $\beta$ 関数 $\beta_0=11-\frac{2}{3}n_f$ の符号,反遮蔽,$\alpha_s(Q^2)$ の式,$\Lambda_{\rm QCD}$,$\alpha_s(m_Z)=0.118$ から $\alpha_s(1\ \mathrm{GeV})$ を数値で出すこと
  • くりこみ群・次元転換が Kondo 温度と同じ構造であること,遮蔽と反遮蔽の違い,格子 QCD と第一原理計算の方法論的同一性
前提:第8章の Feynman 則と断面積の公式(付録B に要約),第9章の Dirac スピノルとトレース定理(付録C),第10章の QED 頂点・くりこみ・走る結合定数.カラーの導入動機($\Delta^{++}$ の Pauli 問題)は第7章 7.6.1 項にある.$SU(3)$ の表現論は第5章 5.4.4 項(ウェイト図の考え方は 5.3.3 項)で扱ったが,本章では必要な部分を再掲するので独立に読める.線形応答の言葉(動的構造因子・揺動散逸定理)は『線形応答理論入門』第8章を参照するが,本章の理解には必須ではない.

11.1 $e^+e^-$ 衝突におけるハドロン生成 —— $R$ 比

11.1.1 なぜ $e^+e^-$ 衝突が特別なのか

強い相互作用を調べたいのに,なぜ電子と陽電子をぶつけるのか.一見すると遠回りである.しかし $e^+e^-$ 衝突には,他の実験にはない決定的な利点が3つある.

なぜ? $e^+e^-$ 衝突が「クリーンな実験室」である理由

  1. 初期状態が単純である.電子も陽電子も点粒子であり,内部構造をもたない.陽子どうしをぶつけると,衝突しているのは実際にはその中のクォークやグルーオンなので,何が何に当たったのかが確率的にしか分からない.$e^+e^-$ ではその曖昧さがない.
  2. 始状態がカラー中性である.電子も陽電子も色をもたない.したがって終状態に現れるハドロンの色は,すべて衝突の途中で作られたものである.「色がどこから来たか」を追跡できる.
  3. 重心エネルギーを自由に選べる.$\sqrt{s}=2E_{\rm beam}$ を連続的に変えられるので,新しいクォークの生成閾値を1つずつ越えていくことができる.これが本節の主役である.

要するに $e^+e^-$ 衝突は,強い相互作用に対する「純度の高い試料」を用意する装置である.材料科学で言えば,多結晶ではなく単結晶を作って測るようなものだ.

11.1.2 $R$ 比の定義

第10章で我々は QED の第一の応用として $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ を 10.4 節で最後まで計算した.結果は,$\sqrt{s}\gg m_\mu$ の極限で

$$ \begin{equation} \sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-) = \frac{4\pi\alpha^2}{3s} \label{eq:11-sigmamumu} \end{equation} $$

であった.ここで $s=(p_{e^-}+p_{e^+})^2$ は重心エネルギーの2乗である.

例:$\sqrt{s}=10$ GeV での $\mu^+\mu^-$ 生成断面積

$s=100\ \mathrm{GeV^2}$,$\alpha=1/137.036$ を式 \eqref{eq:11-sigmamumu} に入れる:

$$ \sigma = \frac{4\pi}{3}\cdot\frac{(1/137.036)^2}{100\ \mathrm{GeV^2}} = 2.231\times10^{-6}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$

自然単位系の $\mathrm{GeV^{-2}}$ を面積に直すには $(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$ を掛ければよい(付録B B.3.2 項):

$$ \sigma = 2.231\times10^{-6}\times0.3894\ \mathrm{mbarn} = 8.69\times10^{-7}\ \mathrm{mbarn} = 0.869\ \mathrm{nb} $$

覚えやすい形にまとめると

$$ \sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-) \simeq \frac{86.9\ \mathrm{nb}}{s/\mathrm{GeV^2}} $$

である.これは素粒子実験の現場で暗算に使われる公式で,「$\mu$ ペア単位($R=1$ の目盛り)」を与える.

さて,同じ機械をクォークに向けよう.$e^+e^-$ が仮想光子を作り,それがクォーク対 $q\bar q$ になる.Feynman ダイアグラムの構造は $\mu^+\mu^-$ の場合と完全に同じであり,違いは終状態の粒子の電荷と,色の自由度だけである.そこで比を取る.

定義:$R$ 比

$$ \begin{equation} R(s) \equiv \frac{\sigma(e^+e^-\to \text{hadrons})}{\sigma(e^+e^-\to \mu^+\mu^-)} \label{eq:11-Rdef} \end{equation} $$

分母は QED で厳密に分かっているから,$R$ は「$\mu$ ペアを物差しにして測ったハドロン生成率」である.$\alpha$ も $s$ も比の中で消えるので,$R$ には終状態の性質だけが残る.この比は第10章 10.4.5 項で「この断面積が物差しになる」として導入したものであり,本節ではそれを主役に据える.

11.1.3 $R=3\sum_i q_i^2$ の導出

導出:$R$ 比の parton レベル公式

ステップ1:ダイアグラムの対応をとる.第10章 10.2.2 項で書き下し 10.4 節で計算した $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の振幅は

$$ \mathcal{M} = \frac{g_e^2}{q^2}\,\big[\bar v(p_2)\gamma^\mu u(p_1)\big]\big[\bar u(p_3)\gamma_\mu v(p_4)\big] $$

であった($g_e=\sqrt{4\pi\alpha}$).終状態を $\mu^-\mu^+$ から $q\bar q$ に取り替えると,変わるのは下側の頂点の結合定数だけである.$\mu$ の電荷は $-1$(単位は $e$),クォーク $i$ の電荷は $q_i e$ だから,振幅は $q_i$ 倍になる.

ステップ2:断面積は振幅の2乗.したがって

$$ \sigma(e^+e^-\to q_i\bar q_i) = q_i^2\,\sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-) $$

ここで,クォーク質量は $\sqrt{s}$ に比べて無視できるとした(閾値のすぐ上ではこの近似は悪い.質量を残すと第10章で導いた $\beta(3-\beta^2)/2$ の因子がかかり,さらに閾値近傍には共鳴があって摂動論そのものが使えない.図11.1 を見よ).

ステップ3:色について和をとる.クォークは赤・緑・青の3色をもつ.$e^+e^-\to q\bar q$ の終状態としては,$r\bar r$,$g\bar g$,$b\bar b$ の3通りが別々の終状態として数えられる.光子はカラーに無関心(電磁相互作用はカラーを変えない)なので,どの色でも振幅は同じ大きさである.始状態はカラー中性なので終状態のカラーも相殺していなければならず,色 $c$ のクォークには色 $\bar c$ の反クォークが対になる.したがって断面積は3倍になる:

$$ \sigma(e^+e^-\to q_i\bar q_i) = N_c\, q_i^2\,\sigma_{\mu\mu}, \qquad N_c=3 $$

ステップ4:クォークの種類について和をとる.重心エネルギーが $2m_i$ を超えているすべてのフレーバー $i$ について生成が起こる.また,生成されたクォークは(閉じ込めのために)単独では飛び出せず,必ず 100% の確率でハドロンに変わる(これをハドロン化という).ハドロン化は確率 $1$ で起こる非摂動的な過程であり,全断面積の大きさを変えないから(下の注意を見よ),「クォーク対が作られた回数=ハドロン事象の回数」と数えてよい.よって

$$ \begin{equation} R = N_c \sum_{i:\,2m_i<\sqrt{s}} q_i^2 = 3\sum_i q_i^2 \label{eq:11-Rformula} \end{equation} $$

これが求める式である.導出には QED しか使っていない.QCD はまだ一切登場していないことに注意せよ.

注意:なぜ「ハドロン化を無視してよい」のか

ステップ4の議論は少しごまかしに見えるかもしれない.クォークが飛び出したあと,何本ものグルーオンを出し,$\pi$ 中間子や $K$ 中間子の束になる過程は明らかに強結合であり,摂動論では計算できない.それなのになぜ全断面積は影響を受けないのか.

鍵は時間スケールの分離である.$q\bar q$ 対が生成される時間は $\sim1/\sqrt{s}$,ハドロン化に要する時間は $\sim1/\Lambda_{\rm QCD}\approx1\ \mathrm{fm}/c$ であり,$\sqrt{s}\gg\Lambda_{\rm QCD}$ なら前者が圧倒的に速い.速い過程で決まった「何回対ができたか」を,遅い過程は変えられない(確率の総和は1である).これをクォーク・ハドロン双対性(quark–hadron duality)と呼ぶ.

ただしこれは全断面積についてのみ成り立つ.終状態の粒子の内訳($\pi$ が何個か,$K$ が何個か)は摂動論では出てこない.

11.1.4 $R$ の階段

式 \eqref{eq:11-Rformula} は,$\sqrt{s}$ を上げていくたびに新しいクォークが「点灯」して $R$ が階段状に増えることを予言する.クォークの電荷は $u,c,t$ が $+2/3$,$d,s,b$ が $-1/3$ である.順に計算しよう.

表11.1 $R$ 比の階段(parton レベルの予言と実測の比較)
$\sqrt{s}$ の領域関与するフレーバー$\sum_i q_i^2$$R=3\sum q_i^2$$R$(色なし $N_c=1$ なら)実測値のおよその値
$1.5$–$3$ GeV$u,d,s$$\frac49+\frac19+\frac19=\frac69$$2$$2/3$$\approx2.1$–$2.2$
$5$–$10$ GeV$u,d,s,c$$\frac69+\frac49=\frac{10}{9}$$10/3\approx3.33$$10/9\approx1.11$$\approx3.6$
$11$–$40$ GeV$u,d,s,c,b$$\frac{10}{9}+\frac19=\frac{11}{9}$$11/3\approx3.67$$11/9\approx1.22$$\approx3.6$–$3.9$
$\gtrsim350$ GeV(未到達)$+\,t$$\frac{11}{9}+\frac49=\frac{15}{9}$$5$$5/3$—

表11.1 の第5列と第6列を比べれば,実験の意味するところは明白である.色を勘定に入れなければ,予言は実測の $1/3$ にしかならない.$R$ 比は,$\Delta^{++}$ の Pauli 問題(第7章 7.6.1 項)のような理論的動機ではなく,直接的な計数実験としてカラーの数を教えてくれる.しかもその値は $2$ でも $4$ でもなく $3$ である.実測 $3.6$–$3.9$ を $\sum_i q_i^2=11/9$ でそのまま割ると $N_c=2.9$–$3.2$ とわずかにばらつくが,このずれは次項の QCD 補正 $(1+\alpha_s/\pi)$ で説明され,補正込みの予言 $3.83$ は実測の中央に落ちる.そこまで含めて $N_c=3$ が数 % の精度で確認される.

R 比の √s 依存性.parton 模型の予言(青の破線)は √s が増えて charm,bottom の閾値を越えるたびに R=2,10/3,11/3 と階段状に上がり,実測の概形(赤の実線)は J/ψ,ψ′,Υ の共鳴ピークを除いて階段に沿う.灰色の細い破線は色がない(N_c=1)場合の予言で 2/3,10/9,11/9.横軸は対数目盛.
図11.1 $R$ 比のエネルギー依存性(模式図).横軸は重心エネルギー $\sqrt{s}$ の対数目盛.青の破線が parton 模型の予言 $R=3\sum_i q_i^2$ で,新しいクォークの閾値を越えるたびに $2\to10/3\to11/3$ と階段状に上がる.赤の実線が実測の概形で,共鳴($J/\psi$, $\psi'$, $\Upsilon$)のピークを除けば階段によく従う.灰色の細い破線は「色がなかったら」の予言($N_c=1$)で,実測の $1/3$ にしかならない.すなわちこのグラフは色の数を数える実験である.

11.1.5 QCD 補正 —— 実測がわずかに上に来る理由

図11.1 をよく見ると,赤の実測線は青の破線よりわずかに上にある.表11.1 でも,parton 予言 $2$ に対し実測 $2.1$–$2.2$,$10/3=3.33$ に対し $3.6$ という具合である.この数 % のずれは誤差ではなく,物理である.

生成されたクォークは,飛び去る途中でグルーオンを1本放出できる($e^+e^-\to q\bar q g$).これは終状態がハドロンであることに変わりはないから,やはりハドロン事象として数えられる.その寄与は $\alpha_s$ の1次で効き,計算すると

$$ \begin{equation} R = 3\sum_i q_i^2\left(1+\frac{\alpha_s(s)}{\pi}+\mathcal{O}(\alpha_s^2)\right) \label{eq:11-Rqcd} \end{equation} $$

となる.係数が $\alpha_s/\pi$ という「1/円周率」だけの単純な形になるのは QCD の有名な結果で,この式は逆に$\alpha_s$ を測る道具としても使われる.

例:QCD 補正を入れて実測と合わせる

3つのエネルギー領域それぞれで,式 \eqref{eq:11-Rqcd} を数値で評価してみよう($\alpha_s$ の値は 11.6 節の1ループ計算+閾値整合で求めた走る結合定数から取った.高次を含む PDG の値は低エネルギー側でこれより1割ほど大きく,$3$ GeV では $0.25$ 程度になる).

表11.2 $R$ 比の QCD 補正
領域代表 $\sqrt{s}$$\alpha_s$$3\sum q_i^2$$\times(1+\alpha_s/\pi)$実測
$u,d,s$$3$ GeV$0.23$$2$$2.15$$\approx2.2$
$+c$$7$ GeV$0.19$$3.33$$3.53$$\approx3.6$
$+b$$30$ GeV$0.14$$3.67$$3.83$$\approx3.9$

いずれも数 % の精度で合う.しかも $\alpha_s$ はここで初めて使った量ではなく,まったく別の実験(ジェット率,$\tau$ 崩壊,深非弾性散乱)から独立に決まっている値である.これが QCD が「正しい」と言われる根拠の一つである.

注意:$R$ の階段は本当に「$t$ クォークで $5$」になるか

表11.1 の最終行は「$\sqrt{s}\gtrsim350$ GeV で $R=5$」と書いたが,これは実際には観測されない.理由は2つある.第一に,$t$ クォークは寿命が $\sim5\times10^{-25}$ s と極端に短く($m_t=172.6$ GeV が大きいため $t\to bW$ が猛烈に速い),ハドロン化する前に崩壊してしまう.第二に,そのエネルギー領域では $Z$ ボソンの寄与(第12章)が光子交換に匹敵し,「光子1個交換」という本節の前提そのものが成り立たない.実際 $\sqrt{s}=m_Z$ の近傍では $Z$ 共鳴のために $R$ は跳ね上がるが,どこまで上がるかは分母の取り方で違う.分母を実測の $\mu$ ペア断面積(これ自身も $Z$ 共鳴を含む)に取れば $R\simeq\Gamma_{\rm had}/\Gamma_{\mu\mu}=20.8$ にすぎないが,式 \eqref{eq:11-Rdef} の定義どおり分母を QED の点状断面積 $4\pi\alpha^2/3s$ に取れば,$\sigma_{\rm had}^{\rm peak}=41.5$ nb と $\sigma_{\mu\mu}^{\rm QED}(m_Z)=86.9/8315=0.0104$ nb の比として $R\sim4\times10^3$ に達する(PDG の $R$ のプロットはこの定義である).

本節の議論が使えるのは,$\sqrt{s}$ が共鳴から離れており,かつ $m_Z$ よりずっと小さい「$2\ \mathrm{GeV}\lesssim\sqrt{s}\lesssim40\ \mathrm{GeV}$」の窓の中である.物理の公式には必ず適用範囲がある.

11.2 弾性電子–陽子散乱から深非弾性散乱へ

$R$ 比はクォークの数と電荷を教えてくれたが,それが陽子の中でどう分布しているかは何も言わない.それを見るには,陽子を電子で直接叩く必要がある.電子は QED でしか相互作用しないから「叩き方」が完全に分かっている.いわば既知のプローブで未知の試料を測るという,材料科学者にはおなじみの構図である.

11.2.1 点電荷からの散乱:Mott 断面積

比較の基準として,まず陽子が構造をもたない点粒子だった場合を書き下す.電荷 $+e$ をもつが磁気モーメント(標的のスピン)の効果を無視した,質量 $M$ の点電荷からの相対論的電子散乱の断面積(Mott 断面積)は

$$ \begin{equation} \left(\frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\right)_{\rm Mott} = \frac{\alpha^2}{4E^2\sin^4(\theta/2)}\,\cos^2\!\frac{\theta}{2}\cdot\frac{E'}{E} \label{eq:11-mott} \end{equation} $$

である.$E$ は入射電子エネルギー,$E'$ は散乱後のエネルギー,$\theta$ は散乱角.これは第10章 10.5.2 項で導いた重い標的極限の Mott 公式 $\propto[1-\beta^2\sin^2(\theta/2)]$ の超相対論的極限($\beta\to1$ で角括弧が $\cos^2(\theta/2)$ になる)に,標的の反跳による因子 $E'/E$ を付けたものである.3つの因子を分解して読むと構造がよく見える.

物理的意味:Mott 断面積の3つの因子

この式に「陽子らしさ」はまだ何も入っていない.入っているのは標的の電荷 $+e$ と反跳,そして電子のスピンだけである.標的がスピン $1/2$ の Dirac 粒子なら,その磁気モーメントによる項 $2\tau\tan^2(\theta/2)$ がさらに加わる(11.2.4 項).

11.2.2 形状因子

実際の陽子は点ではない.電荷が空間的に広がっている.非相対論的な議論で本質はつかめるので,まずそこから始めよう.

導出:広がった電荷分布からの散乱と形状因子

ステップ1:Born 近似での散乱振幅.ポテンシャル $V(\bm{r})$ による弾性散乱の振幅は,第一 Born 近似で

$$ f(\qq) = -\frac{m}{2\pi}\int V(\bm{r})\,\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}\,\dd^3r, \qquad \qq \equiv \pp_{\rm in}-\pp_{\rm out} $$

である($\qq$ は運動量移行).つまり振幅はポテンシャルの Fourier 変換である.

ステップ2:ポテンシャルを電荷分布で書く.電荷密度 $\rho(\bm{r})$($\int\rho\,\dd^3r=1$ に規格化)が作る静電ポテンシャルは Poisson 方程式 $\nabla^2\phi=-Ze\rho/\epsilon_0$ を満たす.入射電子(電荷 $-e$)に対して $V=-e\phi$ である.

ステップ3:畳み込みの Fourier 変換は積になる.$\phi$ は $\rho$ と Coulomb 核 $1/(4\pi\epsilon_0 r)$ の畳み込みだから,Fourier 空間では両者の積になる.Coulomb 核の Fourier 変換が $1/\qq^2$ であることを使うと

$$ f(\qq) = f_{\rm point}(\qq)\times F(\qq), \qquad F(\qq) \equiv \int \rho(\bm{r})\,\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}\,\dd^3r $$

を得る.$f_{\rm point}$ は点電荷($\rho=\delta^3(\bm{r})$)からの Rutherford 振幅である.

ステップ4:断面積は振幅の2乗.したがって

$$ \begin{equation} \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega} = \left(\frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\right)_{\rm point}\abs{F(\qq)}^2 \label{eq:11-formfactor} \end{equation} $$

$F(\qq)$ を形状因子(form factor)と呼ぶ.これは「電荷分布の Fourier 変換」以外の何ものでもない.

ステップ5:小さい $q$ での展開.$\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}$ を展開し,球対称な $\rho$ に対して角度平均をとる($\braket{(\qq\cdot\bm{r})^2}=q^2r^2/3$):

$$ F(\qq) = \int\rho\left(1+\ii\qq\cdot\bm{r}-\tfrac12(\qq\cdot\bm{r})^2+\cdots\right)\dd^3r = 1 - \frac{q^2}{6}\braket{r^2} + \cdots $$

第1項は規格化,第2項の係数から電荷半径が読み取れる:

$$ \begin{equation} \braket{r^2} = -6\left.\frac{\dd F}{\dd q^2}\right|_{q^2=0} \label{eq:11-radius} \end{equation} $$

材料科学との接点:形状因子は X 線・中性子回折の原子形状因子と同じものである

式 \eqref{eq:11-formfactor} を見て「これは見たことがある」と思った読者は正しい.X 線回折における原子形状因子(atomic form factor)は

$$ f(\qq) = \int \rho_e(\bm{r})\,\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}\,\dd^3r $$

と定義される.$\rho_e$ は原子内の電子密度である.文字が $\rho\to\rho_e$,$F\to f$ に変わっただけで,式はまったく同じである.物理も同じで,「散乱振幅は散乱体の密度分布の Fourier 変換である」という一行に尽きる.

対応表を作っておこう.

表11.3 形状因子の対応
電子–陽子散乱X 線回折中性子回折
プローブ電子($\alpha$ で結合)光子(Thomson 散乱)中性子(核力・磁気)
散乱体陽子内の電荷分布 $\rho(\bm{r})$原子の電子密度 $\rho_e(\bm{r})$核(点)/不対電子スピン密度
形状因子$G_E(Q^2)$$f(\qq)$核:$b$($q$ 非依存)/磁気:$f_m(\qq)$
$q\to0$ の値$1$(陽子の電荷)$Z$(原子番号)$b$/$\mu$(磁気モーメント)
広がりの尺度$\braket{r^2}^{1/2}=0.84$ fm$\sim0.5$–$1$ Å核:$\sim10^{-5}$ Å(点とみなせる)
典型的 $q$$1$ GeV$/c\sim5\ \mathrm{fm^{-1}}$$\sim1$–$10\ \mathrm{\AA^{-1}}$$\sim1$–$10\ \mathrm{\AA^{-1}}$

中性子回折で「核形状因子は $q$ に依存しない定数 $b$ である」と習うのは,核が中性子の波長に比べて点にしか見えないからである.同じことが電子–陽子散乱でも起こる.運動量移行が小さいうちは陽子は広がって見える($G_E$ が $Q^2$ とともに落ちる)が,$Q^2$ を上げていくと,やがて陽子の中身の点状構成要素が見えてくる.その構成要素からの散乱には形状因子がかからず,断面積は $Q^2$ に対して落ちなくなる.これが 11.2.6 項の Bjorken スケーリングであり,論理は「中性子回折で核が点に見える」のと完全に同じである.

要するに,材料科学者が結晶構造解析でやっていること(散乱強度の $q$ 依存性から実空間の密度分布を再構成する)を,$10^5$ 倍細かいスケールでやったのが電子–陽子散乱である.道具は同じで,見えるものが違うだけだ.

11.2.3 双極子形状因子と陽子の半径

実験で測られた陽子の電気的形状因子は,$Q^2\lesssim1\ \mathrm{GeV^2}$ の範囲で驚くほどよく次の形に乗る.

$$ \begin{equation} G_E(Q^2) = \frac{1}{\left(1+Q^2/\Lambda_D^2\right)^{2}}, \qquad \Lambda_D^2 = 0.71\ \mathrm{GeV^2} \label{eq:11-dipole} \end{equation} $$

これを双極子形状因子と呼ぶ.ここで $Q^2\equiv-q^2>0$ である(4元運動量移行の2乗は空間的なので $q^2<0$;正の量にするために符号を反転させて $Q^2$ と書くのが慣例).

導出:双極子形から陽子の電荷半径を出す

ステップ1:どんな電荷分布が双極子形を与えるか.指数関数型の電荷分布

$$ \rho(r) = \frac{1}{8\pi a^3}\,\ee^{-r/a} $$

($\int\rho\,\dd^3r=1$ に規格化済み)の Fourier 変換を計算する.球対称なので角度積分が実行できて

$$ F(q) = \int_0^\infty \rho(r)\,\frac{\sin qr}{qr}\,4\pi r^2\,\dd r = \frac{1}{2a^3 q}\int_0^\infty r\,\ee^{-r/a}\sin(qr)\,\dd r $$

ステップ2:積分を実行する.$\int_0^\infty r\ee^{-br}\sin(qr)\dd r = 2bq/(b^2+q^2)^2$($b=1/a$)を使うと

$$ F(q) = \frac{1}{2a^3q}\cdot\frac{2q/a}{(1/a^2+q^2)^2} = \frac{1}{a^4(1/a^2+q^2)^2} = \frac{1}{(1+q^2a^2)^2} $$

確かに双極子形である.指数関数型の電荷分布は双極子形状因子を与える.

ステップ3:$a$ を実験値から決める.式 \eqref{eq:11-dipole} と比べて $a=1/\Lambda_D$.自然単位から fm に直すには $\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使う:

$$ a = \frac{\hbar c}{\sqrt{0.71}\ \mathrm{GeV}} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{842.6\ \mathrm{MeV}} = 0.234\ \mathrm{fm} $$

ステップ4:二乗平均半径を計算する.指数分布では $\braket{r^2}=\int r^2\rho\,\dd^3r=12a^2$($\int_0^\infty r^4\ee^{-r/a}\dd r=24a^5$ を使う).よって

$$ \sqrt{\braket{r^2}} = \sqrt{12}\,a = 3.464\times0.234\ \mathrm{fm} = 0.811\ \mathrm{fm} $$

あるいは式 \eqref{eq:11-radius} から直接:$\braket{r^2}=-6\,\dd G_E/\dd Q^2|_0 = 12/\Lambda_D^2 = 12/0.71\ \mathrm{GeV^{-2}}=16.90\ \mathrm{GeV^{-2}}$,$\sqrt{\braket{r^2}}=4.111\ \mathrm{GeV^{-1}}=4.111\times0.1973\ \mathrm{fm}=0.811\ \mathrm{fm}$.同じ答えである.

ステップ5:実測と比べる.現在の推奨値は $r_p=0.8409\pm0.0004$ fm(PDG の平均値.$\mu$ 水素分光と $ep$ 散乱を統合したもので,CODATA 2018 の $0.8414\pm0.0019$ fm と誤差の範囲で一致する)である.双極子近似で $0.81$ fm が出るのだから,たった1つのパラメータ $0.71\ \mathrm{GeV^2}$ にしては上出来である.

例:$1$ fm を「見る」にはどれだけの運動量が要るか

光学の分解能と同じ論法で,長さ $d$ の構造を分解するには運動量移行が大きくなければならない.桁の見積りとしては $q\gtrsim1/d$ を使う.波長で書くと $\lambda=2\pi/q$ なので,$\lambda\lesssim d$ まで厳しく要求すれば $q\gtrsim2\pi/d$ となり,必要な運動量は $2\pi$ 倍になる.以下では $2\pi$ を落とした基準を使うが,どちらの基準で見積ったかは意識しておくこと.$d=1$ fm なら

$$ q \gtrsim \frac{\hbar c}{1\ \mathrm{fm}} = 197\ \mathrm{MeV}/c $$

クォークの構造($\lesssim0.1$ fm)を見るには $\gtrsim2$ GeV$/c$,$0.01$ fm なら $\gtrsim20$ GeV$/c$ である.「加速器を大きくすると小さいものが見える」という標語は,この一行の言い換えにすぎない.材料科学の側で言えば,$1\ \mathrm{\AA}=10^{-10}$ m を見るには,同じ $q\gtrsim1/d$ の基準で $\hbar c/1\ \mathrm{\AA}=1.97\ \mathrm{keV}$,$\lambda\lesssim1\ \mathrm{\AA}$ を求める厳しい基準($q\gtrsim2\pi\ \mathrm{\AA^{-1}}$)では $12.4\ \mathrm{keV}$ の X 線が要る——実際 Cu K$\alpha$ は $8.05$ keV($\lambda=1.54\ \mathrm{\AA}$)でこの中間にあり,$\mathrm{\AA}$ の分解にちょうど使える.同じ計算である.

11.2.4 Rosenbluth 公式

相対論的に正しく扱うと,スピン $1/2$ の陽子には形状因子が2つ必要になる.電荷分布に対応する $G_E$ と,磁気モーメント分布に対応する $G_M$ である.理由は,陽子と光子の頂点に許される Lorentz 構造が(電流の保存とパリティを課すと)2つしかないからである:

$$ \begin{equation} \Gamma^\mu = \gamma^\mu F_1(Q^2) + \frac{\ii\sigma^{\mu\nu}q_\nu}{2M}\,\kappa F_2(Q^2) \label{eq:11-vertex-proton} \end{equation} $$

$F_1$ を Dirac 形状因子,$F_2$ を Pauli 形状因子と呼ぶ(構造関数 $F_1,F_2$ と紛らわしいが,慣例なので我慢する.11.2.6 項以降の $F_1,F_2$ とは別物である).実験的に便利な組合せが Sachs 形状因子である:

$$ G_E = F_1 - \tau\kappa F_2,\qquad G_M = F_1+\kappa F_2, \qquad \tau\equiv\frac{Q^2}{4M^2} $$

定理:Rosenbluth 公式(1950)

スピン $1/2$,質量 $M$ の複合粒子からの弾性電子散乱の微分断面積は

$$ \begin{equation} \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega} =\left(\frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\right)_{\rm Mott} \left[\frac{G_E^2+\tau G_M^2}{1+\tau} + 2\tau G_M^2\tan^2\frac{\theta}{2}\right] \label{eq:11-rosenbluth} \end{equation} $$

である.$\tau=Q^2/4M^2$.点状 Dirac 粒子なら $G_E=1$, $G_M=1$($\kappa=0$)で,角括弧の中は $1+2\tau\tan^2(\theta/2)$ となる.これがスピン $1/2$ の点 Dirac 粒子(たとえば $e\mu$ 散乱で $\mu$ を標的とみなした場合)の断面積であり,$M\to\infty$($\tau\to0$)で角括弧が $1$ になり,11.2.1 項の Mott 断面積そのものに戻る.

なぜ? $G_E$ と $G_M$ を分離できる仕掛け

式 \eqref{eq:11-rosenbluth} の左辺の断面積を Mott 断面積で割った量(すなわち角括弧の中身)を $\Sigma$ と書き,$\tan^2(\theta/2)$ の関数としてプロットすると直線になる:

$$ \Sigma(\theta) = \underbrace{\frac{G_E^2+\tau G_M^2}{1+\tau}}_{\text{切片}} + \underbrace{2\tau G_M^2}_{\text{傾き}}\ \tan^2\frac{\theta}{2} $$

したがって$Q^2$(すなわち $\tau$)を固定したまま,入射エネルギー $E$ と角度 $\theta$ の組を変えて何点か測り,$\tan^2(\theta/2)$ に対して直線を引けば,傾きから $G_M$,切片から $G_E$ が別々に取り出せる.これを Rosenbluth 分離という.

材料科学者にはこの手口は既視感があるだろう.X 線回折の Williamson–Hall プロット(線幅 $\beta\cos\theta$ を $\sin\theta$ に対して直線化し,切片から結晶子サイズ,傾きから歪みを分離する)や,Arrhenius プロット,Tauc プロットとまったく同じ発想である.2つの寄与が異なる変数依存性をもつなら,その変数を振って直線化すれば分離できる.物理の分野を問わず使われる普遍的な実験手法である.

注意:Rosenbluth 分離と偏極移行法の食い違い(proton form factor ratio puzzle)

2000 年前後,Jefferson Lab で偏極移行法という別の方法で $G_E/G_M$ が測られた.すると Rosenbluth 分離の結果と,$Q^2\gtrsim2\ \mathrm{GeV^2}$ で有意に食い違うことが判明した.原因は2光子交換(1光子交換の Born 近似を超える寄与)だと考えられている.2光子交換の振幅は Born 振幅との干渉として断面積に入るので,相対的な補正は $\alpha^2$ ではなく $\mathcal{O}(\alpha)\sim1\%$ である.その $1\%$ が観測にかかるのは,$\tau G_M^2$ に比べて $G_E^2$ の寄与が小さくなる高 $Q^2$ 領域では,切片へのわずかな補正が $G_E$ の抽出値を大きく動かすからである.

教訓:どの実験値にも「解析に使った近似」が埋め込まれている.測定値をそのまま信じるのではなく,どんな模型で引き出した数字かを見る習慣は,第一原理計算で得た数値を扱う態度と同じである.

11.2.5 深非弾性散乱の運動学

ここまでは弾性散乱,すなわち陽子が壊れずに跳ね返る場合であった.$Q^2$ を上げていくと弾性散乱の断面積は双極子形状因子の2乗,つまり $Q^{-8}$ で急速に落ちる.代わりに何が起こるか.陽子が壊れる.終状態には何が出てくるか分からない多数のハドロンが現れる.電子だけを測って終状態のハドロンには目をつぶる,これが深非弾性散乱(deep inelastic scattering, DIS)である.

定義:DIS の運動学変数

入射電子の4元運動量を $k$,散乱電子を $k'$,標的陽子を $P$(静止系で $P=(M,\bm{0})$)とし,運動量移行を $q=k-k'$ とする.独立な不変量は2つである.

この2つから作る無次元量が主役である.

弾性散乱は $W=M$,すなわち $2M\nu=Q^2$,すなわち $\boldsymbol{x=1}$ の場合である.$x<1$ が非弾性で,$x$ が小さいほど深く壊れている.「深非弾性」とは $Q^2\gg M^2$ かつ $W\gg M$ の領域を指す.

(a) 弾性散乱 e⁻ p → e⁻ p (x = 1, W = M) e⁻ (k) e⁻ (k′) γ* (q² = −Q²) p p (P) p (P′) 陽子は壊れない.形状因子 GE, GM がかかり, 断面積は Q² とともに急激に落ちる (∼ Q⁻⁸). (b) 深非弾性散乱 e⁻ p → e⁻ X (x < 1, W ≫ M) e⁻ (k) e⁻ (k′) γ* p (P) はじき出された クォーク (xP) X 光子は陽子ではなく「中の1個」に当たる.形状因子は消え, 断面積は Q² に(ほぼ)依存しなくなる → スケーリング.
図11.2 弾性散乱と深非弾性散乱.時間は左から右へ流れる.(a) 弾性散乱では陽子は全体として反応し,広がった電荷分布の形状因子が断面積を抑える.(b) 深非弾性散乱では,$Q^2$ が十分大きいので仮想光子の分解能が陽子の内部構造より細かくなり,光子は点状のパートン1個と相互作用する.点からの散乱には形状因子がかからないので,断面積が $Q^2$ に対して落ちなくなる.これが Bjorken スケーリングの物理的な起源である.

11.2.6 構造関数と Bjorken スケーリング

終状態のハドロンには目をつぶるので,測るのは散乱電子のエネルギー $E'$ と角度 $\theta$ の2重微分断面積である.Lorentz 不変性と電流保存だけから,その形は次のように制限される(弾性の場合に $G_E,G_M$ の2つしか許されなかったのと同じ論法である).

$$ \begin{equation} \frac{\dd^2\sigma}{\dd\Omega\,\dd E'} =\frac{\alpha^2}{4E^2\sin^4(\theta/2)} \left[W_2(\nu,Q^2)\cos^2\frac{\theta}{2}+2W_1(\nu,Q^2)\sin^2\frac{\theta}{2}\right] \label{eq:11-dis-cross} \end{equation} $$

$W_1,W_2$ を構造関数と呼ぶ.これらは陽子の内部構造についての,我々の無知をすべて詰め込んだ入れ物である.そのままでは次元をもつので,無次元に直しておく:

$$ \begin{equation} F_1(x,Q^2)\equiv M\,W_1,\qquad F_2(x,Q^2)\equiv \nu\,W_2 \label{eq:11-F1F2} \end{equation} $$

定理:Bjorken スケーリング(1969)

$Q^2\to\infty$,$\nu\to\infty$,$x=Q^2/(2M\nu)$ を固定した極限(Bjorken 極限)で,構造関数は $Q^2$ 依存性を失い $x$ だけの関数になる:

$$ \begin{equation} F_1(x,Q^2)\ \longrightarrow\ F_1(x),\qquad F_2(x,Q^2)\ \longrightarrow\ F_2(x) \label{eq:11-scaling} \end{equation} $$

SLAC の実験(1968 年以降,Friedman・Kendall・Taylor,1990 年ノーベル賞)は,初期のデータ($Q^2\approx1$–$8\ \mathrm{GeV^2}$)でこれを見出し,1970 年代の後続実験で $Q^2\sim20\ \mathrm{GeV^2}$ まで確認した.$x\approx0.25$ では $F_2$ が $Q^2$ を1桁変えてもほとんど動かない.

なぜ? スケーリングは「中に点がある」ことの言い換えである

次元解析で考えるのが早い.構造関数が $Q^2$ に依存するなら,$Q^2$ を無次元化する何らかの長さスケール(=標的の大きさ)が理論の中になければならない.弾性の $G_E$ が $Q^2/0.71\ \mathrm{GeV^2}$ という比で書けたのがまさにそれで,$0.71\ \mathrm{GeV^2}$ が陽子の大きさを表していた.

逆に,構造関数が $Q^2$ に依存しないということは,理論の中に長さスケールがない=散乱体が点である,ということである.Bjorken スケーリングの発見は,「陽子の中に大きさをもたない何かが入っている」という宣言だった.Feynman はそれをパートンと名づけた.

11.2.7 パートン模型と Callan–Gross 関係

パートンをクォークだと同定し,構造関数をクォークの分布で書き下すのがパートン模型である.そして,この模型はスピンについての強い予言をもつ.

導出:パートン模型による $F_1,F_2$ と Callan–Gross 関係

ステップ1:無限運動量系に移る.陽子が非常に速く走っている系を考える.陽子の運動量を $P$ とし,$i$ 番目のパートンがその比率 $x$ を担っているとする:パートンの4元運動量は $p=xP$.横方向運動量は $P$ が大きい極限で無視できる.$p=xP$ を on-shell とみなすと

$$ p^2 = x^2P^2 = x^2M^2 \quad\Longrightarrow\quad m_{\rm parton}=xM $$

となり,パートンは形式的に質量 $m=xM$ の自由粒子として扱える.この「質量」は Bjorken 極限($Q^2\gg M^2$)では $Q^2$ に比べて無視できる量であり,物理的なクォーク質量でもない.次のステップで $\delta$ 関数の引数を $x$ に翻訳するための便宜として使うだけである.

相互作用時間 $\sim1/\sqrt{Q^2}$ の間には,パートンどうしの相互作用(時間スケール $\sim1/\Lambda_{\rm QCD}$)は起こらない.したがってパートンは自由と扱える.これがパートン模型の核心的な仮定であり,後で見る漸近的自由がそれを正当化する.

ステップ2:自由な点 Dirac 粒子1個からの弾性散乱.質量 $m$,電荷 $e_q$(単位は $e$)のスピン $1/2$ 点粒子からの弾性散乱の構造関数は,直接計算すると

$$ W_1^{\rm point} = \frac{e_q^2Q^2}{4m^2}\,\delta\!\left(\nu-\frac{Q^2}{2m}\right), \qquad W_2^{\rm point} = e_q^2\,\delta\!\left(\nu-\frac{Q^2}{2m}\right) $$

$\delta$ 関数は「点粒子なら弾性散乱しかできない」ことを表す($\nu$ と $Q^2$ が独立でない).

ステップ3:$\delta$ 関数を $x$ の言葉に翻訳する.$m=xM$ を代入し,$x$ についての $\delta$ 関数に書き直す.$f(x)=\nu-Q^2/(2xM)$ とおくと $\dd f/\dd x=Q^2/(2x^2M)$.一方 Bjorken 変数を $x_B\equiv Q^2/(2M\nu)$ と書けば,零点は $x=x_B$ で,そこでの微分は $\nu/x_B$.よって

$$ \delta\!\left(\nu-\frac{Q^2}{2xM}\right) = \frac{x_B}{\nu}\,\delta(x-x_B) $$

ステップ4:パートン分布で重みづけて足す.フレーバー $i$ のクォークが運動量比率 $x$ を担う確率密度を $f_i(x)$(パートン分布関数)と書く.$W_2$ から出発すると

$$ W_2 = \sum_i\int_0^1\dd x\, f_i(x)\,e_i^2\,\frac{x_B}{\nu}\,\delta(x-x_B) = \frac{1}{\nu}\sum_i e_i^2\,x_B f_i(x_B) $$

$F_2=\nu W_2$ だったから,添字 $B$ を落として

$$ \begin{equation} F_2(x) = \sum_i e_i^2\,x\,f_i(x) \label{eq:11-F2parton} \end{equation} $$

確かに $Q^2$ が消えた.スケーリングが自動的に出てくる.

ステップ5:同じことを $W_1$ で行う.$m=xM$ を代入して

$$ W_1 = \sum_i\int_0^1\dd x\,f_i(x)\,\frac{e_i^2Q^2}{4x^2M^2}\cdot\frac{x_B}{\nu}\delta(x-x_B) = \sum_i e_i^2 f_i(x_B)\,\frac{Q^2}{4x_BM^2\nu} $$

ここで $Q^2=2M\nu x_B$ を使うと

$$ \frac{Q^2}{4x_BM^2\nu}=\frac{2M\nu x_B}{4x_BM^2\nu}=\frac{1}{2M} $$

したがって $F_1=MW_1$ は

$$ \begin{equation} F_1(x) = \frac12\sum_i e_i^2 f_i(x) \label{eq:11-F1parton} \end{equation} $$

ステップ6:2式を比べる.式 \eqref{eq:11-F2parton} と \eqref{eq:11-F1parton} の比を取れば,パートン分布 $f_i$ も電荷 $e_i$ も消えて,

$$ \begin{equation} F_2(x) = 2x\,F_1(x) \label{eq:11-callan-gross} \end{equation} $$

これがCallan–Gross 関係(1969)である.未知関数がすべて相殺したのだから,これはパートンのスピンが $1/2$ であることだけに依存する予言である.

定理:Callan–Gross 関係はスピンを測る

パートンのスピンが $0$(スカラー粒子)だったらどうなるか.スカラー粒子には磁気モーメントがなく,$W_1$ を生む磁気的な散乱項が存在しない.すなわち $W_1=0$,したがって

$$ F_1(x)=0,\qquad \frac{F_2}{2xF_1}\to\infty \quad(\text{スピン }0) $$

一方スピン $1/2$ なら $F_2/(2xF_1)=1$.この比は実験で $x=0.2$–$0.6$ の広い範囲にわたり $1.1$–$1.2$ 程度,すなわち $1$ からのずれが $10$–$20\%$ 以内に収まっている(後述の $R_L$ がそのずれである).$1$ からの有限のずれは QCD で計算できる大きさであって,$\infty$ とは比較にならない.したがって陽子の中の荷電構成要素はスピン $1/2$ である.

物理的意味:縦偏極光子が吸収されないこと

Callan–Gross 関係には,もっと直感的な言い方がある.仮想光子は縦偏極(ヘリシティ $0$)と横偏極(ヘリシティ $\pm1$)をもつ.その吸収断面積の比を

$$ R_L \equiv \frac{\sigma_L}{\sigma_T} = \frac{F_2-2xF_1}{2xF_1} $$

と書けば,Callan–Gross 関係は $\sigma_L=0$ と等価である.

なぜ縦偏極光子は吸収されないのか.Breit 系(brick-wall 系.仮想光子がエネルギーを運ばず運動量だけを運ぶ系)で考えるのが一番はっきりする.この系ではクォークは光子を吸収して運動量の向きを反転する($p_z\to-p_z$).質量ゼロのスピン $1/2$ 粒子はヘリシティ(=運動方向へのスピン射影)を保存するから,運動方向が反転すれば $z$ 軸に対するスピン射影は $+1/2\to-1/2$ と 1 単位変わる.この角運動量を供給できるのはヘリシティ $\pm1$ の横偏極光子だけであり,ヘリシティ $0$ の縦偏極光子では収支が合わない.結果として $\sigma_L=0$ である.

実験値は $R_L\approx0.1$–$0.2$ と小さいが,正確にゼロではない.そのずれは (i) クォークの質量,(ii) 横方向運動量,(iii) グルーオン放出($\gamma^*g\to q\bar q$)から来ており,QCD で計算できる.「破れの大きさが理論で予言できる」ことが,この関係の真の価値である.

11.2.8 パートン分布から分かること

式 \eqref{eq:11-F2parton} を陽子と中性子に書き下すと,クォークの中身を組成分析できる.陽子は $uud$,中性子は $udd$ だから,アイソスピン対称性($u^p=d^n$,$d^p=u^n$)を使うと

$$ F_2^{ep}(x) = x\left[\frac49\big(u+\bar u\big)+\frac19\big(d+\bar d\big)+\frac19\big(s+\bar s\big)\right], \qquad F_2^{en}(x) = x\left[\frac49\big(d+\bar d\big)+\frac19\big(u+\bar u\big)+\frac19\big(s+\bar s\big)\right] $$

例:グルーオンが陽子の運動量の半分を運んでいること

すべてのパートンが運ぶ運動量の比率の総和は $1$ でなければならない.クォークだけの寄与を

$$ \varepsilon_q \equiv \int_0^1 x\Big[\sum_i\big(q_i(x)+\bar q_i(x)\big)\Big]\dd x $$

と書く.実験から得られる積分値は

$$ \int_0^1 F_2^{ep}(x)\,\dd x \approx 0.18, \qquad \int_0^1 F_2^{en}(x)\,\dd x \approx 0.12 $$

である.$U\equiv\int x(u+\bar u)\dd x$,$D\equiv\int x(d+\bar d)\dd x$ と書き,$s$ の寄与を無視すると

$$ \frac49U+\frac19D=0.18,\qquad \frac19U+\frac49D=0.12 $$

2式を足すと $\frac59(U+D)=0.30$ より $U+D=0.54$.引くと $\frac39(U-D)=0.06$ より $U-D=0.18$.したがって $U\approx0.36$,$D\approx0.18$ である.

すなわちクォークが担う運動量は陽子全体の約 $54\%$ にすぎない.残り半分は,電荷をもたないので光子には見えない何かが運んでいる.それがグルーオンである.深非弾性散乱は,見えないものの存在を「収支が合わないこと」から証明した実験でもある.

材料科学との接点:構造関数と動的構造因子 $S(\qq,\omega)$ は同じ形をしている

式 \eqref{eq:11-dis-cross} をもう一度眺めてほしい.「既知のプローブの断面積」×「標的の内部構造を表す関数」という構造をしている.中性子非弾性散乱の断面積とまったく同じ構造である:

$$ \frac{\dd^2\sigma}{\dd\Omega\,\dd E'}\bigg|_{\rm neutron} = \frac{k'}{k}\,b^2\,S(\qq,\omega) $$

$S(\qq,\omega)$ が動的構造因子で,密度揺らぎの相関関数の Fourier 変換である.DIS の $W_1,W_2$ と役割が完全に対応する.

表11.4 深非弾性散乱と中性子非弾性散乱の対応
深非弾性散乱(DIS)中性子非弾性散乱
移行運動量$Q^2=-q^2$$\qq$
移行エネルギー$\nu=E-E'$$\hbar\omega=E-E'$
標的の情報構造関数 $F_1(x),F_2(x)$動的構造因子 $S(\qq,\omega)$
スケーリング変数$x=Q^2/2M\nu$(弾性反跳が $x=1$)West の $y=\dfrac{m}{\hbar q}\left(\omega-\dfrac{\hbar q^2}{2m}\right)$(衝撃近似.自由粒子の反跳が $y=0$)
和則運動量和則 $\sum\varepsilon_i=1$$f$ 和則 $\int\omega S\,\dd\omega=\hbar q^2/2m$
非干渉極限パートン模型($Q^2\to\infty$)非干渉性近似($q\to\infty$,衝撃近似)

最後の行が特に面白い.中性子散乱でも $q$ を十分大きくすると,散乱は「個々の原子核からの非干渉的な反跳」に還元され,測定量は運動量分布だけで書けるようになる(deep inelastic neutron scattering,あるいは Compton profile と呼ばれる).これはパートン模型とまったく同じ論理であり,実際 $y$ スケーリングという名前でスケーリング則まで成り立つ.素粒子の $x$ と液体ヘリウムの $y$ は,同じ数学の兄弟である.

さらに,どちらの場合も断面積は前方散乱振幅の虚部(光学定理)であり,物性の言葉では応答関数の虚部,すなわち散逸である.『線形応答理論入門』第8章の揺動散逸定理 $S(\qq,\omega)=-\dfrac{\hbar}{\pi}\dfrac{\mathrm{Im}\,\chi^R(\qq,\omega)}{1-\ee^{-\beta\hbar\omega}}$(同書の規約では遅延応答関数の虚部が $\omega>0$ で負になるので,全体としては正である)が,素粒子側では「全断面積=Compton 振幅の虚部」に対応する.叩いて返事を聞く,という構図は分野を越えて同じである.

注意:スケーリングは厳密ではない(そしてそれが QCD の証拠になる)

Bjorken スケーリングは近似的にしか成り立たない.$Q^2$ を上げていくと,$x$ が小さい領域で $F_2$ が増え,$x$ が大きい領域で減る.これをスケーリングの破れという.

物理的には,$Q^2$ を上げる=分解能を上げると,1個に見えていたクォークが「クォーク+グルーオン」に分解して見えるからである.そのため運動量が細かく分配され,分布が小さい $x$ 側へ移る.この $Q^2$ 依存性は DGLAP 方程式(Dokshitzer–Gribov–Lipatov–Altarelli–Parisi)で $\ln Q^2$ の関数として定量的に予言でき,実験と見事に一致する.

つまりスケーリングはクォークの存在の証拠であり,その破れ方は QCD の証拠である.ここでも,破れの大きさが計算できることが理論の価値になっている.

11.3 色力学の Feynman 則

ここまでの議論には QCD がまったく現れなかったことに注意してほしい.$R$ 比も構造関数もパートン模型も,使ったのは QED だけである.クォークが「電荷をもつ点状スピン $1/2$ 粒子」でありさえすれば出てくる話であった.そこに,色の自由度が「$3$ 倍」という数としてだけ顔を出した.

ここからは,その色そのものが力を媒介する理論,量子色力学(QCD)を組み立てる.驚くべきことに,やることは QED の規則に行列を1つ挿入するだけである.

11.3.1 色が必要な3つの理由(復習)

なぜ? 色を導入せざるを得ない3つの独立な証拠

  1. $\Delta^{++}$ の Pauli 問題(第7章 7.6.1 項).$\Delta^{++}$ は $uuu$ でスピン $3/2$,軌道角運動量 $0$ の基底状態である.すなわち波動関数はフレーバー・スピン・空間のすべてについて対称である.3個の同種フェルミオンの波動関数が全体として対称であってはならない.したがって,まだ数えていない量子数がもう1つあり,それについて反対称になっていなければならない.それが色である.3個を反対称化するには最低3種類の色が要る.
  2. $R$ 比(11.1 節).実測が parton 予言の $3$ 倍.色を数える直接的な計数実験である.
  3. $\pi^0\to\gamma\gamma$ の崩壊幅.この崩壊はクォーク三角ループ(軸性アノマリー)で起こり,振幅は色の数 $N_c$ に比例する.したがって崩壊幅は $N_c^2$ に比例する.$N_c=3$ とした最低次の理論値は $\Gamma=\alpha^2m_\pi^3/(64\pi^3f_\pi^2)=7.76$ eV($f_\pi=92.2$ MeV)で,実測は $\Gamma(\pi^0\to\gamma\gamma)=7.72\pm0.12$ eV(PDG 2022.全幅 $7.81$ eV に分岐比 $98.8\%$ を掛けた値.$\gamma\gamma$ 幅を直接測った PrimEx-II 単独では $7.80\pm0.12$ eV)である.$N_c=1$ なら $7.76/9=0.86$ eV となり,桁で外れる.

3つの証拠は互いに完全に独立であり(対称性の議論,計数実験,崩壊幅),すべて同じ $N_c=3$ を指す.

11.3.2 $SU(3)$ と Gell-Mann 行列

クォークの色状態は3成分の縦ベクトルで表す:

$$ c_r=\begin{pmatrix}1\\0\\0\end{pmatrix},\quad c_g=\begin{pmatrix}0\\1\\0\end{pmatrix},\quad c_b=\begin{pmatrix}0\\0\\1\end{pmatrix} $$

色の変換は,ノルムを保ち行列式が $1$ の $3\times3$ ユニタリ行列,すなわち $SU(3)$ の要素である.$SU(3)$ の要素は $U=\exp(\ii\theta^aT^a)$($a=1,\dots,8$)と書け,生成子は $8$ 個ある.一般に $SU(N)$ の生成子の数は $N^2-1$ で,$N=3$ なら $9-1=8$ である.

定義:Gell-Mann 行列と $SU(3)$ 生成子

生成子の標準的な表現は $T^a=\lambda^a/2$ で,$\lambda^a$ は Gell-Mann 行列である:

$$ \lambda^1=\begin{pmatrix}0&1&0\\1&0&0\\0&0&0\end{pmatrix},\ \ \lambda^2=\begin{pmatrix}0&-\ii&0\\\ii&0&0\\0&0&0\end{pmatrix},\ \ \lambda^3=\begin{pmatrix}1&0&0\\0&-1&0\\0&0&0\end{pmatrix},\ \ \lambda^4=\begin{pmatrix}0&0&1\\0&0&0\\1&0&0\end{pmatrix}, $$ $$ \lambda^5=\begin{pmatrix}0&0&-\ii\\0&0&0\\\ii&0&0\end{pmatrix},\ \ \lambda^6=\begin{pmatrix}0&0&0\\0&0&1\\0&1&0\end{pmatrix},\ \ \lambda^7=\begin{pmatrix}0&0&0\\0&0&-\ii\\0&\ii&0\end{pmatrix},\ \ \lambda^8=\frac{1}{\sqrt3}\begin{pmatrix}1&0&0\\0&1&0\\0&0&-2\end{pmatrix} $$

性質:

数学ノート:$\lambda^1,\lambda^2,\lambda^3$ は Pauli 行列の埋め込みである

$\lambda^{1,2,3}$ の左上 $2\times2$ ブロックは Pauli 行列 $\sigma^{1,2,3}$ そのものである.同様に $\lambda^{4,5}$ と $\lambda^{6,7}$ は,それぞれ (1,3) と (2,3) の部分空間に埋め込まれた Pauli 行列である.つまり $SU(3)$ は $SU(2)$ を3通りに含んでいる.

$\lambda^3$ と $\lambda^8$ だけが対角行列であることに注意.互いに可換な生成子の最大個数を階数(rank)と呼び,$SU(3)$ の階数は $2$ である.これは「色の量子数を同時に2つ指定できる」ことを意味し,$SU(3)$ の既約表現を平面上のウェイト図(weight diagram)で描ける理由でもある(第5章 5.4.4 項.ウェイト図の導入は 5.3.3 項).結晶点群の既約表現を指標表で分類したのと同じ道具立てである(『固体物理学入門』第8章).

なお $\lambda^8$ の $1/\sqrt3$ という係数は,$\Tr(\lambda^8\lambda^8)=\frac13(1+1+4)=2$ となるように選ばれている.規約 $\Tr(\lambda^a\lambda^b)=2\delta^{ab}$ を全生成子でそろえるためである.

11.3.3 QCD の Feynman 則

QED では,電子は電荷 $-e$ をもち,光子と $\ii g_e\gamma^\mu$(第10章 表10.2;電子の電荷 $q=-g_e$ と頂点規則 $-\ii q\gamma^\mu$ から)で結合した.QCD では,クォークは3成分の色をもち,グルーオンと結合するときに色が変わる.色 $j$ のクォークが色 $i$ に変わりながらグルーオン $a$ を出す,という過程の強さが $(T^a)_{ij}=(\lambda^a/2)_{ij}$ である.

定義:QCD の Feynman 則(Feynman ゲージ)

強い相互作用の結合定数は $\alpha_s\equiv g_s^2/4\pi$ で,QED の $\alpha=e^2/4\pi$ に対応する.

(a) クォーク–グルーオン頂点 (b) 3グルーオン頂点 (c) 4グルーオン頂点 q (色 j) q (色 i) g (色 a) −i gs γμ (λᵃ/2)ij a, μ b, ν c, ρ ∝ gs fabc ∝ gs² fabe fcde グルーオンは色荷をもつので 自分自身と結合する
図11.3 QCD の頂点.らせん線がグルーオン,直線がクォークである.(a) クォーク–グルーオン頂点は QED の頂点に色行列 $\lambda^a/2$ を掛けただけの形をしている.クォークの色は頂点で $j\to i$ と変わり,その差をグルーオンが持ち去る.(b)(c) QED には存在しないグルーオンの自己結合.光子は電荷をもたないので $\gamma\gamma\gamma$ 頂点は存在しないが,グルーオンは色荷をもつので存在する.グルーオンが色荷をもち自分自身と結合すること,すなわちこの頂点に現れる非可換性が,11.6 節の漸近的自由の起源である(1ループの $\beta_0$ を実際に計算するには,共変ゲージではゴースト場のループも足す必要がある).

11.3.4 なぜグルーオンは9個ではなく8個なのか

クォークの色は3種類,反クォークの色(反色)も3種類だから,グルーオンを「色と反色の組」と思えば $3\times3=9$ 種類ありそうである.しかし実際は8個である.群論的には $3\otimes\bar3=8\oplus1$ であって,一重項が余る.

導出:色一重項グルーオンが存在してはならない理由

ステップ1:一重項の組合せを書く.$3\otimes\bar3$ の9通りの状態のうち,色の変換 $U\in SU(3)$ で不変な組合せは

$$ \ket{1} = \frac{1}{\sqrt3}\big(r\bar r+g\bar g+b\bar b\big) $$

ただ1つである.残る8個が八重項をなす.

ステップ2:一重項は生成子に対応しない.グルーオンは $SU(3)$ の生成子 $T^a$ に対応する場である.生成子はトレースレスでなければならない($\det U=1$ の条件から $\Tr T^a=0$).一重項に対応する行列は単位行列 $\mathbb{1}$ に比例するが,$\Tr\mathbb{1}=3\ne0$ なので $SU(3)$ の生成子ではない.すなわち一重項グルーオンは $SU(3)$ ゲージ場に含まれない.

ステップ3:物理的な帰結を見る.もし一重項グルーオン $g_1$ が存在したらどうなるか.$g_1$ は色に無関心なので,あらゆるハドロン(色一重項)と結合できる.質量ゼロなので,そのやりとりは長距離力を生む.つまり原子核どうしの間,あるいは地球と太陽の間に,重力と同じ $1/r$ の強い力が働くことになる.そのような力は観測されていない.

ステップ4:逆に八重項グルーオンは長距離力を生まない.八重項グルーオンは色荷をもつため,色一重項のハドロンからは単独で放出されない.ハドロンの外に色は漏れ出せないのである.したがって強い力の到達距離は,ハドロンのサイズ $\sim1$ fm に限られる.「強い力が短距離力である」ことは,グルーオンが質量をもつからではなく(グルーオンは質量ゼロである),閉じ込めのためである.湯川の $\pi$ 中間子交換による核力(第2章 2.3 節・第3章 3.1.3 項)は,この閉じ込められた力が核子の外にわずかに漏れ出したものにすぎない.

注意:$U(3)$ と $SU(3)$ の違いが物理を決めている

もし色の対称性が $SU(3)$ ではなく $U(3)$(局所的には $SU(3)\times U(1)$.厳密には $U(3)\cong(SU(3)\times U(1))/\mathbb{Z}_3$ で直積ではない)だったら,9番目のゲージ場が存在し,上記の長距離力が現れる.自然が選んだのは $SU(3)$ である.

この「$U(1)$ 部分があるかないか」の違いは,物性でも決定的である.超伝導は $U(1)$ 対称性の破れ(第13章)であり,そこでは $U(1)$ ゲージ場=電磁場が質量を得て Meissner 効果を生む.一方 QCD の $SU(3)$ は破れておらず,代わりに閉じ込めが起こる.同じ「ゲージ理論」でも,群と真空の選び方で現れる現象がまったく違う.第13章でこの対比を詳しく扱う.

11.4 カラー因子 —— なぜ中間子とバリオンだけなのか

本章で最も実りの多い計算がここである.紙と鉛筆だけで,「自然界に $q\bar q$ と $qqq$ しか現れない」という事実の理由が出てくる.

11.4.1 カラー因子の定義

QED では,電荷 $q_1e$ と $q_2e$ の2粒子の間に働く1光子交換のポテンシャルは

$$ V_{\rm QED}(r) = \frac{q_1q_2\,\alpha}{r} $$

である.同符号なら斥力($V>0$),異符号なら引力($V<0$).QCD では,頂点の $q_i$ が行列 $T^a$ に置き換わり,グルーオンの種類 $a$ について和をとる.すなわち $q_1q_2\to\sum_a T_1^aT_2^a\equiv\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2$ であり,

$$ \begin{equation} V_{\rm QCD}(r) = \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}\,\frac{\alpha_s}{r} \label{eq:11-Vqcd} \end{equation} $$

となる.$\braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}$ がカラー因子である.期待値は,2粒子系がどんな色の状態にあるかで決まる.これが負なら引力,正なら斥力である.QED では電荷は数($c$ 数)なので状態によらないが,QCD では行列なので状態に依存する.ここに QCD の豊かさがある.

11.4.2 道具:$SU(3)$ の Fierz 恒等式

数学ノート:完全性から Fierz 恒等式を導く

必要な道具はただ1つ,次の恒等式である.

$$ \begin{equation} \sum_{a=1}^{8}\lambda^a_{ij}\,\lambda^a_{kl} = 2\,\delta_{il}\delta_{kj} - \frac{2}{3}\,\delta_{ij}\delta_{kl} \label{eq:11-fierz} \end{equation} $$

証明.$3\times3$ のエルミート行列全体は実 $9$ 次元のベクトル空間をなす.その基底として

$$ M_A = \left\{\lambda^1,\dots,\lambda^8,\ \sqrt{\tfrac23}\,\mathbb{1}\right\}\qquad(A=1,\dots,9) $$

を取れば,すべてについて $\Tr(M_AM_B)=2\delta_{AB}$ が成り立つ($\lambda^a$ については定義から,単位行列については $\frac23\Tr\mathbb{1}=\frac23\cdot3=2$).この正規直交基底に対する完全性関係は

$$ \sum_{A=1}^{9}(M_A)_{ij}(M_A)_{kl} = 2\,\delta_{il}\delta_{kj} $$

である(任意のエルミート行列 $X$ に対し $X=\frac12\sum_A\Tr(M_AX)M_A$ が成り立つことと同値).$A=9$ の項を左辺から分離すると

$$ \sum_{a=1}^{8}\lambda^a_{ij}\lambda^a_{kl} + \frac23\delta_{ij}\delta_{kl} = 2\delta_{il}\delta_{kj} $$

となり,移項して式 \eqref{eq:11-fierz} を得る.$\blacksquare$

この恒等式は,材料科学者にとっての「射影演算子の完全性 $\sum_n\ket{n}\bra{n}=\mathbb{1}$」と同じ役回りをする.群論の計算は,突き詰めれば完全性の使い方である.

11.4.3 クォーク–反クォークのカラー因子

導出:$q\bar q$ の一重項で $-4/3$,八重項で $+1/6$

ステップ1:状態を行列として書く.クォークの色を $i$,反クォークの反色を $j$ とし,一般の色状態を

$$ \ket{\psi} = \sum_{i,j}\psi_{ij}\,\ket{q_i\,\bar q_j}, \qquad \sum_{ij}\abs{\psi_{ij}}^2 = \Tr(\psi^\dagger\psi) = 1 $$

と書く.$\psi$ は $3\times3$ 行列である.$3\otimes\bar3=8\oplus1$ の分解は,行列 $\psi$ を「トレース部分+トレースレス部分」に分けることに対応する.

$$ \psi^{(1)}_{ij} = \frac{1}{\sqrt3}\delta_{ij}\quad(\text{一重項}), \qquad \Tr\psi^{(8)} = 0\quad(\text{八重項}) $$

ステップ2:反クォークの生成子を書く.クォークは $3$ 表現,反クォークは $\bar3$ 表現に属する.$\bar3$ の生成子は

$$ \big(T^a_{\bar3}\big)_{lj} = -\big(T^a\big)^{\rm T}_{lj} = -\frac{1}{2}\lambda^a_{jl} $$

である(転置とマイナス符号.これは $U^*=\exp(-\ii\theta^a(T^a)^{\rm T})$ から出る).QED で反粒子の電荷が符号反転するのと同じことが,行列の言葉で起こっている.

ステップ3:期待値を書き下す.

$$ \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2} = \sum_a\sum_{ijkl}\psi^*_{kl}\left(\frac{\lambda^a_{ki}}{2}\right)\left(-\frac{\lambda^a_{jl}}{2}\right)\psi_{ij} = -\frac14\sum_{ijkl}\psi^*_{kl}\,\psi_{ij}\left[\sum_a\lambda^a_{ki}\lambda^a_{jl}\right] $$

ステップ4:Fierz 恒等式を適用する.式 \eqref{eq:11-fierz} で $(i,j)\to(k,i)$,$(k,l)\to(j,l)$ と読み替えると

$$ \sum_a\lambda^a_{ki}\lambda^a_{jl} = 2\delta_{kl}\delta_{ji} - \frac23\delta_{ki}\delta_{jl} $$

これを代入して2つの項を別々に処理する.第1項は $\delta_{kl}$ と $\delta_{ij}$ でそれぞれトレースを作る:

$$ \sum_{ijkl}\psi^*_{kl}\psi_{ij}\,\delta_{kl}\delta_{ji} = \Big(\sum_{k}\psi^*_{kk}\Big)\Big(\sum_i\psi_{ii}\Big) = \abs{\Tr\psi}^2 $$

第2項は $\delta_{ki}\delta_{jl}$ が $i=k$,$j=l$ を強制するので

$$ \sum_{ijkl}\psi^*_{kl}\psi_{ij}\,\delta_{ki}\delta_{jl} = \sum_{kl}\psi^*_{kl}\psi_{kl} = \Tr(\psi^\dagger\psi) = 1 $$

ステップ5:まとめる.

$$ \begin{equation} \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}_{q\bar q} = -\frac12\abs{\Tr\psi}^2 + \frac16 \label{eq:11-qqbar-general} \end{equation} $$

ステップ6:2つの場合に適用する.

一重項は引力,八重項は斥力である.しかも引力の強さは斥力の $8$ 倍もある.

11.4.4 クォーク–クォークのカラー因子

導出:$qq$ の反三重項で $-2/3$,六重項で $+1/3$

ステップ1:状態と分解.2つのクォークの色状態を $\psi_{ij}$(第1クォークが色 $i$,第2が色 $j$)と書く.$3\otimes3=\bar3\oplus6$ の分解は,$\psi$ の反対称部分と対称部分への分解に対応する:

$$ \psi^{(\bar3)}_{ij} = -\psi^{(\bar3)}_{ji}\quad(3\ \text{成分}), \qquad \psi^{(6)}_{ij} = +\psi^{(6)}_{ji}\quad(6\ \text{成分}) $$

$3+6=9=3\times3$ で数が合う.

ステップ2:今度は両方とも $3$ 表現である.反クォークのときのような転置と符号反転はない:

$$ \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2} = \frac14\sum_{ijkl}\psi^*_{kl}\,\psi_{ij}\left[\sum_a\lambda^a_{ki}\lambda^a_{lj}\right] $$

ステップ3:Fierz 恒等式(添字の付き方が前と違うことに注意).式 \eqref{eq:11-fierz} で $(i,j)\to(k,i)$,$(k,l)\to(l,j)$ とすると

$$ \sum_a\lambda^a_{ki}\lambda^a_{lj} = 2\delta_{kj}\delta_{li} - \frac23\delta_{ki}\delta_{lj} $$

第1項は $j=k$,$i=l$ を強制するから $\psi_{ij}\to\psi_{lk}$,すなわち

$$ \sum_{ijkl}\psi^*_{kl}\psi_{ij}\delta_{kj}\delta_{li} = \sum_{kl}\psi^*_{kl}\,\psi_{lk} $$

これは $\psi$ の転置との重なりである.第2項は前と同じく $\Tr(\psi^\dagger\psi)=1$.

ステップ4:まとめる.

$$ \begin{equation} \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}_{qq} = \frac12\sum_{kl}\psi^*_{kl}\psi_{lk} - \frac16 \label{eq:11-qq-general} \end{equation} $$

ステップ5:対称性で場合分けする.$\psi$ が反対称なら $\psi_{lk}=-\psi_{kl}$ なので $\sum\psi^*_{kl}\psi_{lk}=-\Tr(\psi^\dagger\psi)=-1$.対称なら $+1$.したがって

11.4.5 検算:Casimir トリック

上の4つの数を,まったく別の方法で確かめておこう.行列の成分計算を一切せずに済む,強力な手法である.

導出:Casimir 演算子による一般公式

ステップ1:全色荷の2乗を展開する.2粒子系の全色荷を $\bm{T}=\bm{T}_1+\bm{T}_2$ とすると

$$ \bm{T}^2 = \bm{T}_1^2+\bm{T}_2^2+2\,\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2 $$

したがって

$$ \begin{equation} \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2} = \frac12\Big[C_2(R_{\rm tot})-C_2(R_1)-C_2(R_2)\Big] \label{eq:11-casimir} \end{equation} $$

$C_2(R)$ は表現 $R$ の2次 Casimir 固有値である.

ステップ2:Casimir 固有値を用意する.$SU(3)$ の既約表現を Dynkin ラベル $(p,q)$ で表すと

$$ C_2(p,q)=\frac13\big(p^2+q^2+pq+3p+3q\big) $$

である.必要な値を並べる:

表11.5 $SU(3)$ の2次 Casimir 固有値
表現$(p,q)$次元$C_2$備考
$\bf1$$(0,0)$1$0$色中性
$\bf3$$(1,0)$3$4/3$クォーク,$C_F$
$\bar{\bf3}$$(0,1)$3$4/3$反クォーク
$\bf6$$(2,0)$6$10/3$対称2クォーク
$\bf8$$(1,1)$8$3$グルーオン,$C_A=N_c$

ステップ3:4つの場合を一気に計算する.$C_2(3)=C_2(\bar3)=4/3$ なので,$C_2(R_1)+C_2(R_2)=8/3$ がすべての場合に共通である.

$$ \begin{aligned} q\bar q\ \text{一重項}&: \ \tfrac12\big(0-\tfrac83\big) = -\tfrac43 \quad\checkmark\\ q\bar q\ \text{八重項}&: \ \tfrac12\big(3-\tfrac83\big) = \tfrac12\cdot\tfrac13 = +\tfrac16 \quad\checkmark\\ qq\ \text{反三重項}&: \ \tfrac12\big(\tfrac43-\tfrac83\big) = -\tfrac23 \quad\checkmark\\ qq\ \text{六重項}&: \ \tfrac12\big(\tfrac{10}{3}-\tfrac83\big) = +\tfrac13 \quad\checkmark \end{aligned} $$

4つとも 11.4.3・11.4.4 項の直接計算と一致した.Fierz 恒等式を使う長い計算が,表現の次元を知っているだけで1行で済む.

材料科学との接点:Heisenberg 交換相互作用とまったく同じ代数である

式 \eqref{eq:11-casimir} の形を,磁性の教科書で見たことがあるはずである.2つのスピン $1/2$ の間の Heisenberg 交換相互作用

$$ \Ham = -2J\,\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2 $$

を対角化するとき,我々はまったく同じ手を使う.$\bm{S}=\bm{S}_1+\bm{S}_2$ として

$$ \braket{\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2} = \frac12\Big[S(S+1)-s_1(s_1+1)-s_2(s_2+1)\Big] = \frac12\Big[S(S+1)-\frac32\Big] $$

これは式 \eqref{eq:11-casimir} で「$C_2\to S(S+1)$,$SU(3)\to SU(2)$」と置き換えたものにほかならない.$S(S+1)$ は $SU(2)$ の2次 Casimir 固有値である.結果は

$$ \braket{\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2}= \begin{cases} -\dfrac34 & (S=0,\ \text{一重項}) \\[4pt] +\dfrac14 & (S=1,\ \text{三重項}) \end{cases} $$

色の場合の $-4/3$ と $+1/6$ に,構造がそっくりである.並べてみよう.

表11.6 スピン $SU(2)$ とカラー $SU(3)$ の対応
スピン:2電子カラー:$q\bar q$カラー:$qq$
群$SU(2)$$SU(3)$$SU(3)$
分解$2\otimes2=1\oplus3$$3\otimes\bar3=1\oplus8$$3\otimes3=\bar3\oplus6$
Casimir$S(S+1)$$C_2(p,q)$$C_2(p,q)$
低い方(引力)一重項 $-3/4$一重項 $-4/3$反三重項 $-2/3$
高い方(斥力)三重項 $+1/4$八重項 $+1/6$六重項 $+1/3$
比$-3$$-8$$-2$
物理的帰結H$_2$ の結合軌道はスピン一重項中間子が束縛するダイクォーク/色超伝導

どちらの場合も,Casimir が一番小さい(最も反対称な)表現が最も強く引力になる.H$_2$ 分子では空間対称な結合軌道が Pauli 原理からスピン一重項と組み,空間反対称な反結合軌道が三重項と組む(有効 Heisenberg 交換が反強磁性的,すなわち一重項が低い場合である).これと,中間子が色一重項でだけ束縛することは,同じ代数の別の顔である.ただし同じなのは Casimir による対角化の代数だけであって,引力になる符号そのものは別々に決まる.QCD では1グルーオン交換がベクトル結合であることから必然的に一重項が引力になるが,スピン系では交換積分と重なり積分が決める $J$ の符号次第であり,強磁性的($J>0$)なら三重項の方が低い.

さらに面白いのは $qq$ の反三重項である.これはダイクォークと呼ばれ,カラー因子 $-2/3$ の引力をもつ.引力があるということは,フェルミ面のあるところでは Cooper 対を組むということである.実際,中性子星の中心のような超高密度クォーク物質では,このチャネルで対凝縮が起こるカラー超伝導が予言されている.BCS のギャップ方程式

$$ \Delta \sim 2\hbar\omega_D\exp\!\left(-\frac{1}{N(0)V}\right) $$

と同じ機構——引力チャネルがあればフェルミ面は必ず不安定になる——がそのまま働く.ただし式の形までは同じではない.QCD では遮蔽されない磁気的グルーオン交換が長距離まで効くため,弱結合でのギャップは $\Delta\sim\mu\,g^{-5}\exp[-3\pi^2/(\sqrt2\,g)]$(Son 1999)となり,肩が $1/g$ に比例する.BCS の $\exp[-1/N(0)V]$ は $V\propto\alpha_s\propto g^2$ と読めば肩が $1/g^2$ なので,そこが本質的に違う(接触相互作用で近似した NJL 模型なら BCS 形に戻る).とはいえ Cooper 不安定性という骨格は共通なので,超伝導の理論を知っている材料科学者は,中性子星の芯の物理を大筋で翻訳しながら読めるのである.

11.4.6 結論:なぜ中間子とバリオンだけなのか

q q :一重項 1 (rr+gg+bb)/√3 q q −4/3 引力(最強) 中間子 π, K, J/ψ … 実在する q q :八重項 8 トレースレスな組合せ q q +1/6 斥力 束縛しない 実在しない q q :反三重項 3 色について反対称 q q −2/3 引力(中間子の半分) 第3のクォークと 結合してバリオンへ q q :六重項 6 色について対称 q q +1/3 斥力 束縛しない 実在しない
図11.4 4つのカラーチャネルとその符号.らせん線が交換されるグルーオン.緑の内向き矢印が引力,赤の外向き矢印が斥力を表す.引力になるのは「色について最も反対称な」チャネル,すなわち $q\bar q$ 一重項と $qq$ 反三重項だけである.前者がそのまま中間子になり,後者は第3のクォークと組んで色一重項のバリオンになる.自然界に $q\bar q$ と $qqq$ しか(ほとんど)存在しない理由が,この4つの数の符号に書いてある.

導出:バリオン($qqq$)が束縛すること

ステップ1:3体のカラー因子を出す.3つのクォークの全色荷を $\bm{T}=\bm{T}_1+\bm{T}_2+\bm{T}_3$ とすると

$$ \bm{T}^2 = \sum_{i=1}^{3}\bm{T}_i^2 + 2\sum_{i<j}\bm{T}_i\cdot\bm{T}_j $$

バリオンは色一重項なので $\braket{\bm{T}^2}=C_2(\bf1)=0$,各クォークは $3$ 表現なので $\braket{\bm{T}_i^2}=4/3$.よって

$$ \sum_{i<j}\braket{\bm{T}_i\cdot\bm{T}_j} = \frac12\left[0-3\times\frac43\right] = -2 $$

3つの対があるから,対称性より1対あたり $-2/3$ である.11.4.4 項の反三重項の値と一致する.

ステップ2:ポテンシャルを書く.したがって

$$ V_{qqq}(r_{12},r_{23},r_{31}) = -\frac23\alpha_s\left(\frac1{r_{12}}+\frac1{r_{23}}+\frac1{r_{31}}\right) $$

である.全体としては確かに引力であり,バリオンは束縛する.

ステップ3:「1/2 則」.同じ距離で比べると

$$ \frac{V_{qq}(\bar3)}{V_{q\bar q}(1)} = \frac{-2/3}{-4/3} = \frac12 $$

すなわちダイクォーク間の引力は,中間子中の $q\bar q$ 引力のちょうど半分である.これを「$1/2$ 則」と呼び,ハドロン分光の模型計算でよく使われる.たとえばバリオンのポテンシャルを「3つの対のポテンシャルの和」で書くか「Y 字型のストリング」で書くかという議論があるが,短距離(1グルーオン交換が支配的な領域)では上式が正しい.

物理的意味:色一重項に近づくほど引力が強い

4つの数を眺めると,一つの規則が読み取れる.式 \eqref{eq:11-casimir} より,$C_2(R_{\rm tot})$ が小さい表現ほどカラー因子が負に大きい.すなわち

$$ \braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}\ \text{が最も負}\ \Longleftrightarrow\ C_2(R_{\rm tot})\ \text{が最小}\ \Longleftrightarrow\ \text{最も色中性に近い} $$

である.QCD は色を打ち消す方向に力が働く理論だと言ってよい.電磁気で正電荷と負電荷が引き合って中性の原子を作るのと同じことが,色の言葉で起きている.違うのは,色の「打ち消し方」が2通り($q\bar q$ と $qqq$)あることだ.これが $SU(3)$ が $U(1)$ より豊かである理由である.

注意:テトラクォーク・ペンタクォークは存在する

「$q\bar q$ と $qqq$ しか存在しない」というのは正確には言い過ぎである.色一重項を作る方法はこの2つに限らず,$qq\bar q\bar q$(テトラクォーク),$qqqq\bar q$(ペンタクォーク),$gg$(グルーボール)でも色一重項は作れる.実際,

などが確認されている.正しい言い方は「基底状態のハドロンスペクトルは圧倒的に $q\bar q$ と $qqq$ で占められ,それ以外は数が少なく,しばしばハドロン対の閾値のすぐ近くに現れる」である.幅が広いとは限らない.$X(3872)$ の幅は $\Gamma\approx1.2$ MeV,$T_{cc}^+$ は $\Gamma\approx48$ keV と,むしろ極端に狭い.なぜそうなのかは,1グルーオン交換だけでは答えられない非摂動的な問題であり,今も研究されている.物性で言えば「なぜ大半の物質は3次元的な結晶を作り,準結晶は稀なのか」という問いに近い.

11.5 QCD における対消滅とジェット

11.5.1 クォークは飛び出せないのに,なぜ「クォークが見えた」と言えるのか

11.1 節で $R$ 比を計算したとき,我々は「$q\bar q$ 対が作られた回数を数えればよい」と言い切った.しかし実験装置に飛び込んでくるのは $\pi$ 中間子や $K$ 中間子であって,クォークではない.では,クォークが作られたことを実験家はどうやって知るのか.

答えはジェットである.高いエネルギーで作られたクォークは,ほぼ一直線に飛ぶ.その周りに生成されるハドロンは,元のクォークの運動方向を強く記憶した細い束になる.この束をジェットと呼ぶ.ジェットの軸がクォークの運動量方向であり,ジェットの全エネルギーがクォークのエネルギーである.

物理的意味:ひもが切れる —— ハドロン化の描像

$q$ と $\bar q$ が離れていくと何が起こるか.QCD のポテンシャルは短距離では Coulomb 的だが,長距離では距離に比例して増える:

$$ \begin{equation} V(r) = -\frac43\frac{\alpha_s}{r} + \sigma r \label{eq:11-cornell} \end{equation} $$

これをCornell ポテンシャルという.第1項が 11.4 節で計算したカラー因子 $-4/3$ をもつ1グルーオン交換の項,第2項が閉じ込め項である.$\sigma$ をストリング張力と呼び,格子 QCD とチャーモニウム分光から $\sigma\approx0.18\ \mathrm{GeV^2}\approx0.91\ \mathrm{GeV/fm}$ と決まっている.

この $\sigma$ を SI に直してみよう.$1\ \mathrm{GeV}=1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}$,$1\ \mathrm{fm}=10^{-15}$ m だから

$$ \sigma = 0.91\times\frac{1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}}{10^{-15}\ \mathrm{m}} = 1.46\times10^{5}\ \mathrm{N} \approx 15\ \mathrm{tonf} $$

クォークどうしは,どんなに離しても約15トンの力で引き合っている.距離に依存しない一定の力である.鋼鉄のワイヤーならとうに切れている.

そしてまさに切れるのである.引き離すために注ぎ込んだエネルギーが $2m_q$ を超えると,途中に新しい $q\bar q$ 対が生まれ,ひもは2本に分かれる.これを繰り返して,最終的にすべてのエネルギーが色一重項のハドロンに分配される.元のクォークの運動量は保存しているから,生成物は元の方向に沿って飛ぶ——これがジェットである.

材料科学者への注意:この「引っ張ると新しい対ができて切れる」という描像で数学的な骨格まで同じなのは,強い電場中の Schwinger 対生成である.一定の色電場の中でひもが切れる確率は $\exp(-\pi m_q^2/\sigma)$(Casher–Neuberger–Nussinov, 1979)となり,第1章 1.2.3 項で見た真空の絶縁破壊・半導体の Zener 降伏とまったく同じ指数関数の形をしている.一方,塑性変形における転位の増殖(Frank–Read 源)や第II種超伝導体への渦糸の侵入は,「エネルギーを溜め込む細い管」と「閾値での欠陥生成による緩和」という現象の骨格を共有するにとどまり,トンネル過程としての対応ではない.とくに「場のエネルギー密度が一定の細いチューブ」という点では,QCD のひもは第II種超伝導体の量子化磁束線ときわめて近い(実際,閉じ込めの有力な描像は「双対超伝導体模型」,すなわち磁気単極子が凝縮した真空における色電場の Meissner 効果である).

11.5.2 グルーオン放出と3ジェット事象

$e^+e^-\to q\bar q$ は2ジェットになる.では,クォークが飛び去る途中でグルーオンを1本出したら($e^+e^-\to q\bar q g$)どうなるか.グルーオンも色荷をもつから,やはりハドロン化してジェットを作る.結果は3ジェット事象である.

(a) 2ジェット事象 e⁺e⁻ → q q̄ q ジェット q̄ ジェット 背中合わせ.運動量保存から当然. 角度分布 ∝ 1 + cos²θ が スピン 1/2 の証拠. (b) 3ジェット事象 e⁺e⁻ → q q̄ g g ジェット q̄ q 3本は同一平面上に乗り,角度の和は 360°. 1979 年 PETRA(DESY)でのグルーオン発見. (c) 対応するダイアグラム e⁻ e⁺ γ* q q̄ g グルーオン放出の確率は αs に比例する. だから 3ジェット/2ジェット 比が αs を測る. 時間は左から右へ.
図11.5 $e^+e^-$ 衝突におけるジェット.(a) 2ジェット事象:$q$ と $\bar q$ が背中合わせに飛び,それぞれの周りにハドロンの束ができる.(b) 3ジェット事象:クォークが硬いグルーオンを放出した場合.3本のジェットは1平面に乗る.1979 年,DESY の PETRA 加速器で TASSO・MARK-J・PLUTO・JADE の4実験が同時にこれを見出し,グルーオンの存在が確立した.(c) 対応する Feynman ダイアグラム.時間は左から右へ流れる.

定理:硬いグルーオン放出の断面積(Ellis–Gaillard–Ross, 1976)

$e^+e^-\to q\bar q g$ の断面積は,各粒子のエネルギー比率

$$ x_i \equiv \frac{2E_i}{\sqrt{s}},\qquad x_1+x_2+x_3=2 $$

($1=q$,$2=\bar q$,$3=g$)を使って

$$ \begin{equation} \frac{1}{\sigma_0}\frac{\dd^2\sigma}{\dd x_1\,\dd x_2} = \frac{2\alpha_s}{3\pi}\,\frac{x_1^2+x_2^2}{(1-x_1)(1-x_2)} \label{eq:11-3jet} \end{equation} $$

と書ける($\sigma_0$ は2ジェットの断面積).前係数の $2/3$ は,実は $C_F/2=(4/3)/2$ すなわちカラー因子である.11.4 節で計算した $4/3$ が,ここで断面積の大きさとして直接顔を出す.

物理的意味:発散の意味とジェットの定義

式 \eqref{eq:11-3jet} は $x_1\to1$ または $x_2\to1$ で発散する.$x_1\to1$ は $q$ が最大エネルギーをもつ場合,すなわち $\bar q$ と $g$ が同じ方向に飛ぶ(共線発散)か,$g$ のエネルギーがゼロになる(赤外発散)場合である.

これらの発散は病気ではなく,「2ジェットと3ジェットの区別がつかない領域」を表している.グルーオンがクォークにぴったり寄り添っていたら,測定器はそれを1本のジェットとしか認識できない.したがって物理的な問いは「3ジェット事象は何回起きたか」ではなく「ジェット分解能 $y_{\rm cut}$ で3本に分解できる事象は何回起きたか」でなければならない.そう問い直せば,答えは有限になる.

そして,仮想グルーオン交換による2ジェットへの補正(ループ)にも同じ発散が符号を変えて現れ,全断面積(2ジェット+3ジェット)では完全に相殺する.これが式 \eqref{eq:11-Rqcd} の $R$ が有限だった理由である.この相殺は Kinoshita–Lee–Nauenberg 定理として一般的に保証されている.

材料科学の側でこれに対応するのは,たとえば非弾性中性子散乱におけるフォノンの「1フォノン過程と多フォノン過程の分離」で,どこまでを1フォノンと呼ぶかは分解能に依存し,全散乱強度(和則)だけが分解能によらない,という状況である.測定可能な量は測定の定義を含んでいる.

11.5.3 ジェットから $\alpha_s$ を測る

例:3ジェット率から $\alpha_s$ を読む

式 \eqref{eq:11-3jet} を,$q$ と $g$ の間の角度が一定値より大きいという条件($y_{\rm cut}$)のもとで積分すると,3ジェット事象の割合は

$$ R_3 \equiv \frac{\sigma_{3\text{jet}}}{\sigma_{\rm tot}} = \frac{2\alpha_s}{3\pi}\,f(y_{\rm cut}) $$

という形になる.$f$ は運動学的な因子で,$y_{\rm cut}$ が小さいほど大きい($\ln^2y_{\rm cut}$ 程度で増える).典型的な設定(JADE アルゴリズムで $y_{\rm cut}=0.08$)では,$\mathcal{O}(\alpha_s)$ の解析積分は $f\sim5$ 程度になる.$f\approx5.1$ を採れば,$\sqrt{s}=30$ GeV,$\alpha_s\approx0.14$ に対して

$$ R_3 \approx \frac{2\times0.14}{3\pi}\times5.1 = 0.0297\times5.1 \approx 0.15 $$

すなわち7事象に1回くらいは3ジェットに見える.PETRA での実測もこの程度であった.逆に $R_3$ を測れば $\alpha_s$ が求まる.これが $\alpha_s$ の主要な測定法の一つである.

興味深いのは,同じ $\alpha_s$ が 11.1 節の $R$ 比の補正,$\tau$ レプトンの崩壊幅,深非弾性散乱のスケーリングの破れ,$Z$ の全崩壊幅など,まったく違う実験から独立に決まり,走り方まで含めて一つの曲線に乗ることである(図11.7).

注意:グルーオンのスピンはどう確かめられたか

3ジェットが見えただけでは「何か3つ目が出た」ことしか言えない.それがスピン1のベクトル粒子であることは,ジェットの角度相関から示された.最もエネルギーの低いジェット(グルーオンである確率が高い)と,他の2つのジェットの向きがなす角(Ellis–Karliner 角 $\theta_{\rm EK}$)の分布は,スピン1なら $\abs{\cos\theta_{\rm EK}}\to1$ で急激に増大する形($\propto(1+\cos^2\theta_{\rm EK})/\sin^2\theta_{\rm EK}$)になり,スピン0(仮想的なスカラーグルーオン)ではその増大がなく比較的平坦な分布になる(Ellis–Karliner, 1979).TASSO と JADE のデータはスピン1を支持し,スピン0を数標準偏差で棄却した.

「新しい粒子を見つけた」と「その量子数を決めた」は別の仕事である.2012 年の Higgs 発見でも,スピン・パリティが $0^+$ であることを他の仮説に対して確立するには,発見後さらに約1年のデータ解析を要した.

11.6 漸近的自由

ここまでの議論には,実は大きな穴があった.11.2 節のパートン模型は「陽子の中のクォークは自由粒子として振る舞う」と仮定した.一方 11.5 節では「クォークは15トンの力で閉じ込められている」と述べた.この2つは両立するのか.

答えはする.そして両立させる仕掛けが,本節の主題である漸近的自由(asymptotic freedom)である.1973 年に Gross・Wilczek と Politzer が独立に見出し,2004 年のノーベル賞となった.

11.6.1 $\beta$ 関数と走る結合定数

第10章で学んだように,くりこみを行うと結合定数はエネルギースケールに依存する.その依存性を記述するのが $\beta$ 関数である:

$$ \begin{equation} \mu\frac{\partial g_s}{\partial\mu} = \beta(g_s) = -\frac{g_s^3}{16\pi^2}\,\beta_0 + \mathcal{O}(g_s^5) \label{eq:11-beta} \end{equation} $$

定理:QCD の1ループ $\beta$ 関数の係数

$$ \begin{equation} \beta_0 = \frac{11}{3}C_A - \frac43 T_F\,n_f = 11 - \frac{2}{3}n_f \label{eq:11-beta0} \end{equation} $$

$C_A=N_c=3$(随伴表現の Casimir),$T_F=1/2$($\Tr(T^aT^b)=T_F\delta^{ab}$),$n_f$ はそのエネルギーで生成できるクォークのフレーバー数である.$n_f\le16$ なら $\beta_0>0$ である.自然界は $n_f=6$ だから $\beta_0=11-4=7$(最高エネルギーで)であり,確実に正である.

$\alpha_s=g_s^2/4\pi$ で書き直すと

$$ \begin{equation} \frac{\dd\alpha_s}{\dd\ln Q^2} = -\frac{\beta_0}{4\pi}\,\alpha_s^2 \label{eq:11-rge} \end{equation} $$

$\beta_0>0$ なので右辺は負:$Q^2$ を上げると $\alpha_s$ は小さくなる.これが漸近的自由である.

注意:QED では符号が逆である

比較のために QED の $\beta$ 関数を書いておく(第10章):

$$ \frac{\dd\alpha}{\dd\ln Q^2} = +\frac{\alpha^2}{3\pi}\sum_f N_c^{(f)}q_f^2 $$

右辺が正である.QED では $Q^2$ を上げると $\alpha$ が大きくなる.実際 $\alpha(0)=1/137.036$ に対し $\alpha(m_Z)\simeq1/129$(on-shell の概数.第10章 10.6.4 項)である.

この符号の違いが,QED と QCD の性格をまるごと分けている.QED は低エネルギーで弱結合(だから原子物理と物性物理が摂動論で記述できる),QCD は高エネルギーで弱結合(だから加速器実験は計算できるが,陽子の質量は計算しにくい).

11.6.2 符号が逆になる理由:反遮蔽

導出:$11 = 12 - 1$ という分解

式 \eqref{eq:11-beta0} の $11/3$ という数がどこから来るかを,物理的に分解しよう.$\beta_0$ への寄与は3種類のループから来る.

ステップ1:クォークループ($-\frac43T_Fn_f=-\frac23n_f$).これは QED の電子ループとまったく同じ物理である.真空中に $q\bar q$ 対が生まれ,元の色荷の周りに分極して色荷を遮蔽する.遠くから見ると色荷は小さく見える=近づくと大きく見える.$\beta_0$ への寄与は負であり,$\alpha_s$ を高エネルギーで大きくする向きに働く.フェルミオンは常にこう働く.

ステップ2:グルーオンループの「軌道」部分($-\frac13C_A$).グルーオンも色荷をもつので,真空中にグルーオン対が生まれて分極する.その「電荷の再配置」による寄与は,やはり遮蔽であり負である.大きさは $C_A/3=1$.

ステップ3:グルーオンループの「スピン」部分($+4C_A$).ここが決定的である.グルーオンはスピン1をもち,$g=2$ の磁気モーメントをもつ(Yang–Mills 場のゲージボソンは $g=2$ である).外場に対してこの磁気モーメントがそろう——真空が常磁性的に応答する.寄与は正で,大きさは $4C_A=12$.

ステップ4:足し合わせる.

$$ \frac{11}{3}C_A = \underbrace{4C_A}_{\text{スピン(常磁性)}} - \underbrace{\frac13C_A}_{\text{軌道(遮蔽)}} \qquad\Longleftrightarrow\qquad 11 = 12 - 1 $$

グルーオンのスピンによる常磁性が,通常の遮蔽を12対1で圧倒する.これが漸近的自由の起源である.

ステップ5:常磁性がなぜ「反遮蔽」なのか.相対論的な真空では,誘電率と透磁率の積が光速を決めるので

$$ \varepsilon\mu = 1 \qquad (c=1\ \text{の単位で}) $$

が要求される(Lorentz 不変性).物質中と違い,真空では $\varepsilon$ と $\mu$ を独立に選べない.したがって

$$ \mu > 1\ (\text{常磁性}) \quad\Longleftrightarrow\quad \varepsilon < 1 \quad\Longleftrightarrow\quad \text{反遮蔽} $$

$\varepsilon<1$ とは,「有効電荷が距離とともに増える」ということである.これが Nielsen(1981)による漸近的自由の磁気的解釈である.

材料科学との接点:Pauli 常磁性 対 Landau 反磁性 —— まったく同じ競合

ステップ3〜4の「スピンの常磁性が軌道の反磁性に勝つ」という構図は,自由電子気体の磁化率でおなじみのものである.自由電子気体では

$$ \chi_{\rm Pauli} = \mu_B^2\,N(\varepsilon_F) \quad(>0,\ \text{スピン,常磁性}), \qquad \chi_{\rm Landau} = -\frac13\left(\frac{m}{m^*}\right)^{2}\mu_B^2\,N(\varepsilon_F)\quad(<0,\ \text{軌道,反磁性}) $$

であり,$m^*=m$ なら

$$ \chi_{\rm total} = \chi_{\rm Pauli}+\chi_{\rm Landau} = \mu_B^2N(\varepsilon_F)\left(1-\frac13\right) = \frac23\,\mu_B^2N(\varepsilon_F) > 0 $$

すなわちスピン項が軌道項に3対1で勝ち,全体として常磁性になる.QCD の $12:1$ と,構造がそっくりである.並べると

$$ \text{電子気体}:\ 1-\frac13=\frac23 \ (\text{常磁性}) \qquad\qquad \text{QCD}:\ 4-\frac13=\frac{11}{3}\ (\text{常磁性}\Rightarrow\text{反遮蔽}) $$

係数の $1$ が $4$ になるのは,グルーオンのスピンが $1$ で電子のスピンが $1/2$ だからである(磁気モーメントの2乗に比例するので $(1/(1/2))^2=4$ 倍).軌道項の $-1/3$ はどちらも同じである.

面白いのは,$m^*$ が小さい半金属(Bi など)では $(m/m^*)^2$ が大きくなり Landau 反磁性が勝つことである.Bi の巨大反磁性も,$m^*$ が小さい(Dirac 型分散の)ことに起因するバンド間の軌道反磁性として理解されており,向きの議論はこの $(m/m^*)^2$ の競り合いと同じである(ただし定量的には自由電子の Landau 公式では足りず,Fukuyama–Kubo のバンド間理論が要る).QCD の側で言えば「もし $n_f$ が $17$ 以上あれば $\beta_0<0$ になり,QCD も QED のように遮蔽する理論になっていた」ことに対応する.どちらも係数の競り合いで符号が決まるという同じ構造をもつ.

(a) QED:遮蔽(ε > 1) e⁻ e⁺(内向き) e⁻(外向き) 真空の e⁺e⁻ 対が分極し,中心の負電荷を 正電荷が取り囲む → 遠方では電荷が小さく見える. αeff 距離 r 遠いほど弱い (b) QCD:反遮蔽(ε < 1,μ > 1) q グルーオンが色荷を 外へ運び出す グルーオン自身が色荷をもつので,色荷が中心に とどまらず外へ広がる → 遠方ほど強く見える. αs,eff 距離 r 遠いほど強い
図11.6 遮蔽と反遮蔽.(a) QED では真空の $e^+e^-$ 対が中心電荷を遮蔽するため,有効電荷は距離とともに減る($\varepsilon>1$).物質中の誘電遮蔽と同じ現象である.(b) QCD ではグルーオンが色荷を運ぶので,色荷が中心に局在せず周囲に広がる.結果として有効色荷は距離とともに増える($\varepsilon<1$).物質中には決して現れない状況で,Lorentz 不変性が要求する $\varepsilon\mu=1$ とグルーオンの磁気モーメント($\mu>1$,常磁性)から必然的に出てくる.

11.6.3 $\alpha_s(Q^2)$ の式と $\Lambda_{\rm QCD}$

導出:くりこみ群方程式を積分する

ステップ1:変数分離する.式 \eqref{eq:11-rge} を書き直す:

$$ \frac{\dd\alpha_s}{\alpha_s^2} = -\frac{\beta_0}{4\pi}\,\dd\ln Q^2 $$

ステップ2:基準点 $\mu^2$ から $Q^2$ まで積分する.左辺は $-1/\alpha_s$ の微分だから

$$ -\frac{1}{\alpha_s(Q^2)}+\frac{1}{\alpha_s(\mu^2)} = -\frac{\beta_0}{4\pi}\ln\frac{Q^2}{\mu^2} $$

すなわち

$$ \begin{equation} \frac{1}{\alpha_s(Q^2)} = \frac{1}{\alpha_s(\mu^2)} + \frac{\beta_0}{4\pi}\ln\frac{Q^2}{\mu^2} \label{eq:11-alphas-inv} \end{equation} $$

あるいは $\alpha_s$ について解いて

$$ \begin{equation} \alpha_s(Q^2) = \frac{\alpha_s(\mu^2)}{1+\dfrac{\beta_0\,\alpha_s(\mu^2)}{4\pi}\ln\dfrac{Q^2}{\mu^2}} \label{eq:11-alphas-run} \end{equation} $$

ステップ3:$\Lambda_{\rm QCD}$ を導入する.式 \eqref{eq:11-alphas-inv} の右辺がゼロになる(すなわち $\alpha_s$ が発散する)スケールを $\Lambda$ と定義する:

$$ 0 = \frac{1}{\alpha_s(\mu^2)} + \frac{\beta_0}{4\pi}\ln\frac{\Lambda^2}{\mu^2} $$

これを $\Lambda$ について解けば

$$ \begin{equation} \Lambda = \mu\,\exp\!\left[-\frac{2\pi}{\beta_0\,\alpha_s(\mu^2)}\right] \label{eq:11-lambda} \end{equation} $$

これを使うと式 \eqref{eq:11-alphas-inv} は,基準点を含まない簡潔な形になる:

$$ \begin{equation} \alpha_s(Q^2) = \frac{4\pi}{\beta_0\,\ln(Q^2/\Lambda^2)} \label{eq:11-alphas-lambda} \end{equation} $$

$Q\gg\Lambda$ で $\alpha_s\to0$(漸近的自由),$Q\to\Lambda$ で $\alpha_s\to\infty$(摂動論の破綻).

物理的意味:次元転換 —— 無次元の理論から質量が生まれる

式 \eqref{eq:11-lambda} は,深く考えると驚くべき式である.クォークの質量をすべてゼロと置いた QCD の Lagrangian には,次元をもつパラメータが一つも入っていない($g_s$ は無次元である).それなのに,くりこみを行うと $\Lambda$ という質量スケールが必然的に現れる.これを次元転換(dimensional transmutation)と呼ぶ.

そして,これが我々の身の回りの質量の起源である.陽子の質量 $938$ MeV のうち,$u,d$ クォークの質量(それぞれ $\sim2$ MeV,$\sim5$ MeV,計 $\sim9$ MeV)が占めるのはわずか $1\%$ にすぎない.残りの $99\%$ は,$\Lambda_{\rm QCD}$ で決まる場のエネルギーである.Higgs 機構(第13章)はクォークやレプトンの質量を与えるが,我々の体重のほとんどは Higgs 由来ではなく QCD 由来なのである.

例:$\Lambda_{\rm QCD}$ を数値で出す

$\alpha_s(m_Z^2)=0.118$,$m_Z=91.188$ GeV を基準点にとる.このエネルギーでは $t$ 以外の5フレーバーが動くので $n_f=5$,$\beta_0=11-10/3=23/3=7.667$.式 \eqref{eq:11-lambda} より

$$ \Lambda^{(5)} = 91.188\ \mathrm{GeV}\times\exp\!\left[-\frac{2\pi}{7.667\times0.118}\right] = 91.188\times\ee^{-6.945} = 91.188\times9.63\times10^{-4} = 0.0878\ \mathrm{GeV} $$

すなわち $88$ MeV である.一方,$n_f=3$($1$ GeV 付近)では $\beta_0=9$ で,後述の $\alpha_s(m_c)=0.319$ を使うと

$$ \Lambda^{(3)} = 1.27\ \mathrm{GeV}\times\exp\!\left[-\frac{2\pi}{9\times0.319}\right] = 1.27\times\ee^{-2.188} = 0.143\ \mathrm{GeV} $$

$140$ MeV 程度である.よく引用される「$\Lambda_{\rm QCD}\approx200$ MeV」という値は,2ループ以上($\overline{\rm MS}$ スキーム,$\Lambda^{(5)}_{\overline{\rm MS}}=210\pm14$ MeV,$\Lambda^{(3)}_{\overline{\rm MS}}\approx330$ MeV)の結果であり,1ループの本節の値とは数値がずれる.$\Lambda$ はループ次数とスキームに依存する量なので,値を引用するときは必ず条件を明示しなければならない.

ただし物理的なメッセージは次数によらない.$200$ MeV を長さに直すと

$$ \frac{\hbar c}{200\ \mathrm{MeV}} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{200\ \mathrm{MeV}} = 0.99\ \mathrm{fm} $$

$\Lambda_{\rm QCD}^{-1}\approx1$ fm はハドロンの大きさそのものである.QCD が強くなるスケールが,ちょうどハドロンのサイズを決めている.

11.6.4 $\alpha_s(m_Z)=0.118$ から $\alpha_s(1\ \mathrm{GeV})$ を計算する

導出:閾値をまたいで結合定数を走らせる

ステップ1:素朴に $n_f=5$ のまま走らせる.式 \eqref{eq:11-alphas-inv} に $\mu=m_Z=91.188$ GeV,$Q=1$ GeV,$\beta_0=23/3$ を入れる.まず対数を計算する:

$$ \ln\frac{Q^2}{\mu^2} = 2\ln\frac{1}{91.188} = -2\times4.5130 = -9.0259 $$

係数は $\beta_0/4\pi = 7.6667/12.566 = 0.6101$.よって

$$ \frac{1}{\alpha_s(1\ \mathrm{GeV})} = \frac{1}{0.118} + 0.6101\times(-9.0259) = 8.4746 - 5.5065 = 2.9681 $$ $$ \alpha_s(1\ \mathrm{GeV}) = \frac{1}{2.9681} = 0.337 $$

ステップ2:これでは不正確である.$1$ GeV では $b$ も $c$ も生成できないので,$n_f=5$ は使えない.正しくは,クォーク質量の閾値を越えるたびに $n_f$ を減らし,そこで $\alpha_s$ が連続になるように接続する(閾値整合).$m_b=4.18$ GeV,$m_c=1.27$ GeV を使う.

ステップ3:$m_Z\to m_b$($n_f=5$,$\beta_0=23/3$,係数 $0.6101$).

$$ \ln\frac{m_b^2}{m_Z^2} = 2\ln\frac{4.18}{91.188} = 2\times(-3.0826) = -6.1652 $$ $$ \frac{1}{\alpha_s(m_b)} = 8.4746 + 0.6101\times(-6.1652) = 8.4746-3.7614 = 4.7132 \quad\Longrightarrow\quad \alpha_s(m_b)=0.212 $$

ステップ4:$m_b\to m_c$($n_f=4$,$\beta_0=11-8/3=25/3=8.333$,係数 $0.6631$).

$$ \ln\frac{m_c^2}{m_b^2} = 2\ln\frac{1.27}{4.18} = 2\times(-1.1913) = -2.3826 $$ $$ \frac{1}{\alpha_s(m_c)} = 4.7132 + 0.6631\times(-2.3826) = 4.7132-1.5800 = 3.1332 \quad\Longrightarrow\quad \alpha_s(m_c)=0.319 $$

ステップ5:$m_c\to1$ GeV($n_f=3$,$\beta_0=9$,係数 $0.7162$).

$$ \ln\frac{1^2}{1.27^2} = -2\ln1.27 = -0.4780 $$ $$ \frac{1}{\alpha_s(1\ \mathrm{GeV})} = 3.1332 + 0.7162\times(-0.4780) = 3.1332-0.3424 = 2.7908 $$
$$ \alpha_s(1\ \mathrm{GeV}) = \frac{1}{2.7908} = 0.358 $$

ステップ6:結果を評価する.$m_Z$ での $0.118$ に対して,$1$ GeV では $0.36$ ——3倍である.エネルギーを2桁下げただけで結合が3倍になる.これが「走る」ということの実感である.

なお,高次のループまで含めた実際の値は $\alpha_s(1\ \mathrm{GeV})\approx0.5$ とさらに大きい.1ループ近似が過小評価するのは,$\alpha_s$ がすでに大きく $\mathcal{O}(\alpha_s^3)$ 項が効いてくるからで,これ自体が「$1$ GeV では摂動論が怪しい」という警告になっている.

強い相互作用の結合定数 α_s(Q) の Q 依存性(横軸は対数目盛).赤の曲線は高次ループまで含めた走り方で,Q が増えると α_s は 1 GeV の約 0.5 から m_Z での 0.118 へ減少する.青丸は各種実験から決めた値の模式的な位置.Q が 1 GeV 付近以下は摂動論が使えない領域,10 GeV 以上は漸近的自由の領域.
図11.7 強い相互作用の結合定数 $\alpha_s(Q)$ の走り.$Q$ を上げると $\alpha_s$ は $1/\ln Q^2$ で減少する(漸近的自由).青丸は $\tau$ 崩壊,$\Upsilon$ 分光,深非弾性散乱,ジェット率,$Z$ の全崩壊幅など,まったく異なる実験から独立に決められた値の模式的な位置を示す.すべてが1本の曲線に乗ることが,QCD の最も強い検証の一つである.$Q\lesssim1$ GeV では $\alpha_s\sim1$ となって摂動展開が意味を失い,そこが閉じ込めの領域である.

11.6.5 漸近的自由と閉じ込めは矛盾しない

物理的意味:2つの顔をもつ理論

本節の冒頭で提起した矛盾に戻ろう.

同じ理論の,違うスケールにおける振る舞いである.矛盾はどこにもない.むしろ,一つの理論が「近くでは自由・遠くでは閉じ込め」という2つの実験事実を同時に説明できることが,QCD が正しいことの最も強い状況証拠である.

材料科学の言葉に翻訳すれば,「同じ物質が,短距離では独立な原子のように振る舞い,長距離では強く相関する」という状況であり,これは Kondo 系や重い電子系で実際に起きていることそのものである(11.7 節).

注意:閉じ込めは証明されていない

漸近的自由は摂動論で厳密に示せるが,閉じ込めは摂動論では示せない.なぜなら閉じ込めが起きるのは $\alpha_s\gtrsim1$ の領域で,そこでは展開が発散するからである.

現在,閉じ込めの証拠は (i) 実験(自由クォークが見つからない.通常の物質中の分数電荷粒子の存在量の上限は,試料と手法によるが核子1個あたり $10^{-20}$–$10^{-22}$ 個以下.たとえばシリコーン油の液滴を使った Millikan 型探索で $<4.7\times10^{-22}$/核子(Perl ら,2009)),(ii) 格子 QCD の数値計算(Wilson ループの面積則,線形ポテンシャル),の2つである.解析的な証明は,Clay 数学研究所のミレニアム問題「Yang–Mills 理論の存在と質量ギャップ」の一部として,いまだに未解決である.

これは恥ずべきことではない.物性でも,Lieb–Thirring による「物質の安定性」(エネルギーが粒子数に比例して下から有界であること)の証明はあるが,「なぜ原子が並んで結晶になるのか」という結晶秩序そのものの証明は,Theil らの2次元模型など限られた場合しかできていない.計算できることと証明できることは違う.

11.7 材料科学との接点 —— くりこみ群・遮蔽・格子

本章で使った道具は,実は素粒子物理の専有物ではない.走る結合定数,遮蔽,格子上の数値計算——どれも物性物理と材料科学の中核にある道具である.ここでは3つの対応を,比喩ではなく式のレベルで示す.

11.7.1 走る結合定数とくりこみ群:Kondo 効果

材料科学との接点:$\Lambda_{\rm QCD}$ と Kondo 温度 $T_K$ は同じ式である

希薄磁性不純物を含む金属を考える.伝導電子スピン $\bm{s}$ と不純物スピン $\bm{S}$ の交換相互作用を

$$ \Ham_{\rm K} = \sum_{\kk}\varepsilon_{\kk}c^\dagger_{\kk}c_{\kk} + J\,\bm{S}\cdot\bm{s}(0), \qquad J>0\ (\text{反強磁性的}) $$

と書く.Anderson の「poor man's scaling」(1970)は,バンド幅 $D$ を少しずつ切り落として有効相互作用にくりこむ操作を行い,次のスケーリング方程式を得た:

$$ \begin{equation} \frac{\dd J}{\dd\ln D} = -2\rho J^2 \label{eq:11-kondo-rg} \end{equation} $$

$\rho=N(\varepsilon_F)$ は Fermi 準位での状態密度である.QCD の式 \eqref{eq:11-rge}

$$ \frac{\dd\alpha_s}{\dd\ln Q^2} = -\frac{\beta_0}{4\pi}\alpha_s^2 $$

とまったく同じ形である.どちらも「エネルギースケールを下げると結合が強くなる」を意味する.係数まで揃えたいなら Kondo 側も $\ln D^2$ で書けばよく,$\dd J/\dd\ln D^2=-\rho J^2$ となる.したがって対応する無次元結合は $\rho J\leftrightarrow\dfrac{\beta_0\alpha_s}{4\pi}$ であり($\beta_0=9$ なら $\alpha_s=1.40\,\rho J$),後の表11.7 と演習11.7 (1) はこの対応で書かれている.

解も同じ形になる.式 \eqref{eq:11-kondo-rg} を積分すると

$$ \frac{1}{J(D)} = \frac{1}{J_0} + 2\rho\ln\frac{D}{D_0} $$

右辺がゼロになる($J$ が発散する)スケールが Kondo 温度である:

$$ \begin{equation} k_BT_K = D_0\,\exp\!\left[-\frac{1}{2\rho J_0}\right] \qquad\Longleftrightarrow\qquad \Lambda_{\rm QCD} = \mu\,\exp\!\left[-\frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s(\mu)}\right] \label{eq:11-TK} \end{equation} $$

指数関数の肩が「$-1/(\text{結合定数})$」である点まで同じである.この形は結合定数について非解析的で,$J_0=0$ のまわりで Taylor 展開できない.だからどれだけ高次まで摂動論を続けても $T_K$(や $\Lambda_{\rm QCD}$)は出てこない.「摂動論では原理的に到達できない量」が,くりこみ群を使うと出てくるのである.

対応表を作る.

表11.7 QCD と Kondo 効果の対応
QCDKondo 効果
無次元結合$\dfrac{\beta_0\alpha_s}{4\pi}$$\rho J$
切断スケールくりこみ点 $\mu$バンド幅 $D_0$
RG 方程式$\dd\alpha_s/\dd\ln Q^2=-\frac{\beta_0}{4\pi}\alpha_s^2$$\dd J/\dd\ln D=-2\rho J^2$
高エネルギークォークは自由(漸近的自由)不純物スピンは自由($\ln T$ の弱い補正だけ)
摂動論の破綻の徴候$\alpha_s\sim1$,$\ln Q^2$ の発散抵抗率の $-\ln T$ 増大(抵抗極小)
力学的に生成される尺度$\Lambda_{\rm QCD}\approx200$ MeV$T_K$(数 K〜数百 K)
低エネルギーの基底状態色一重項ハドロンスピン一重項(Kondo 一重項)
非摂動的手法格子 QCD数値くりこみ群(NRG),Bethe 仮説
主要人物Gross・Politzer・Wilczek(2004 年ノーベル賞)近藤淳(1964,$-\ln T$ の摂動計算)・Anderson(1970,スケーリング)・Wilson(1975,NRG.1982 年のノーベル賞は臨界現象のくりこみ群に対するもので Kondo 問題に対してではない)

いちばん美しい対応は「低エネルギーの基底状態」の行である.QCD の低エネルギー基底状態は色一重項で,Kondo 問題の基底状態はスピン一重項である.どちらも「高温/高エネルギーでは自由に振る舞う自由度が,低温/低エネルギーで一重項に束縛される」現象なのである.11.4 節で色一重項が最も引力の強いチャネルだったことを思い出せば,これが偶然でないことが分かる.

そして Wilson は,Kondo 問題を解くための数値くりこみ群と,QCD を解くための格子ゲージ理論を,同じ数年間に,同じ発想で作った人物である.物性と素粒子は,くりこみ群という一つの言語で結ばれている.

例:$T_K$ を数値で出してみる

典型的な希薄合金 Cu 中の Fe 不純物を考える.$D_0\approx5$ eV(バンド幅の半分),$\rho J_0\approx0.1$ とすると

$$ k_BT_K = 5\ \mathrm{eV}\times\exp\!\left[-\frac{1}{2\times0.1}\right] = 5\times\ee^{-5} = 5\times6.74\times10^{-3} = 0.034\ \mathrm{eV} $$ $$ T_K = \frac{0.034\ \mathrm{eV}}{8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}} \approx 390\ \mathrm{K} $$

実測の CuFe は $T_K\approx30$ K であり,$\rho J_0$ をわずかに変えるだけで大きく動く($0.08$ にすれば $k_BT_K=5\,\ee^{-6.25}=9.65\times10^{-3}$ eV,すなわち $T_K\approx110$ K;$0.066$ なら $T_K\approx30$ K で実測に合う).指数関数の肩に乗っているので,結合定数のわずかな違いがスケールを桁で変える.これは $\Lambda_{\rm QCD}$ でもまったく同じで,$\alpha_s(m_Z)$ の $1\%$ の不定性が $\Lambda$ の $7\%$ 程度の不定性に拡大される(演習11.7).

ついでに,BCS のギャップも同じ形をしている:

$$ \Delta = 2\hbar\omega_D\,\exp\!\left[-\frac{1}{N(0)V}\right] $$

$\Lambda_{\rm QCD}$,$T_K$,$\Delta_{\rm BCS}$ ——この3つはすべて $(\text{切断})\times\ee^{-1/(\text{結合})}$ という同じ骨格をもつ.いずれも「弱結合の摂動論では絶対に出てこない,力学的に生成されたエネルギースケール」である.一方,臨界現象の相関長 $\xi\sim|t|^{-\nu}$ は,臨界固定点のまわりで relevant な摂動 $t$ がべき則で伸びる量であって,$(\text{切断})\times\ee^{-1/(\text{結合})}$ という次元転換型とは数学的な構造が違う.同じくりこみ群の流れから決まる量ではあるが,同種ではない.$\Lambda_{\rm QCD}$ の本当の兄弟は,周辺的(marginal)な結合の流れからスケールが生まれる例,すなわち2次元 Heisenberg(O(3) 非線形 $\sigma$)模型の相関長 $\xi\sim a\,\ee^{2\pi/g}$ や,Kosterlitz–Thouless 転移の $\xi\sim\exp(b/\sqrt{t})$ である.前者は漸近的自由な模型で,QCD の低次元版として格子計算の試験台に使われている.

11.7.2 遮蔽と反遮蔽

材料科学との接点:物質は常に遮蔽する,真空だけが反遮蔽できる

金属中の点電荷が作るポテンシャルは,Thomas–Fermi 近似で

$$ V(r) = \frac{e^2}{4\pi\epsilon_0 r}\,\ee^{-k_{\rm TF}r}, \qquad k_{\rm TF}^2 = \frac{e^2N(\varepsilon_F)}{\epsilon_0} $$

である.誘電関数で書けば

$$ \varepsilon(q) = 1+\frac{k_{\rm TF}^2}{q^2} \quad(>1\ \text{つねに}) $$

Al では $k_F\approx1.75\ \mathrm{\AA^{-1}}$ なので $k_{\rm TF}=\sqrt{4k_F/(\pi a_0)}\approx2.1\ \mathrm{\AA^{-1}}$,すなわち遮蔽長 $1/k_{\rm TF}\approx0.5\ \mathrm{\AA}$ である.格子定数より短い.だから金属中でイオンの電荷はほとんど見えず,自由電子模型がうまくいく.

QCD ではこれが逆転する.$\varepsilon<1$,すなわち色荷は距離とともに増えて見える.なぜ物質中ではこれが起こらないのか.理由は 11.6.2 項で見たとおり,物質は静止系をもつので $\varepsilon$ と $\mu$ が独立に選べるからである.真空は Lorentz 不変で $\varepsilon\mu=1$ が課されるため,「常磁性なら必ず反遮蔽」という強い制約が働く.

ただし物質にも例外に見える現象がある.安定性の条件は正確には Kirzhnits の不等式 $\varepsilon^{-1}(\qq,0)\le1$ であって,$\varepsilon(\qq,0)>1$ に加えて $\varepsilon(\qq,0)<0$(過剰遮蔽,overscreening)も許される.実際,金属中でフォノンを介した有効電子間相互作用が引力になるのは,イオンの応答が電子を過剰に遮蔽するからである.BCS 超伝導はこの過剰遮蔽の産物である.「遮蔽が強すぎて符号が反転する」という点で,反遮蔽と近い雰囲気をもつ.

材料科学との接点:$J/\psi$ の融解と励起子の Mott 転移は同じ機構で理解できる

反遮蔽は真空の話だが,高温・高密度の QCD 物質(クォーク・グルーオンプラズマ,QGP)では通常の Debye 遮蔽が復活する.周囲に色荷をもつクォークとグルーオンが自由に動き回るので,色荷が遮蔽されるのである.遮蔽されたポテンシャルは

$$ V(r) = -\frac43\,\frac{\alpha_s}{r}\,\ee^{-m_D r}, \qquad m_D \sim g_s T $$

となり,Debye 半径 $r_D=1/m_D$ より大きい束縛状態は存在できなくなる.$J/\psi$($c\bar c$)の半径は $\approx0.25$ fm なので,$r_D<0.25$ fm になる温度で $J/\psi$ は「融ける」.これが Matsui–Satz(1986)の予言した$J/\psi$ 抑制である.$J/\psi$ の収量が減ること自体は NA50・PHENIX・ALICE で確かに観測されている.ただし抑制のどこまでが色遮蔽による融解なのかには留保が要る.核吸収やパートン分布のシャドウイングといった「冷たい核物質効果」も収量を減らすし,LHC のエネルギーでは逆に $c\bar c$ の再結合(regeneration)が収量を戻す向きに働く.抑制の分解は現在も精密化が続いている.

これは半導体物理の励起子の Mott 転移と同じ機構——遮蔽が束縛状態を壊す——で理解できる(系も温度・密度のスケールもまったく違うので,「同じ現象」ではなく「同じ機構」である).励起子(電子–正孔の束縛状態)は,キャリア密度 $n$ を上げていくと,遮蔽長が Bohr 半径 $a_B$ より短くなった時点で解離する.Mott 条件は

$$ n^{1/3}a_B \approx 0.25 $$

である.半導体レーザーで注入密度を上げると励起子が消えて電子正孔プラズマになるのも,重イオン衝突で温度を上げると $J/\psi$ が消えてクォーク・グルーオンプラズマになるのも,遮蔽が束縛状態を壊すという同じ機構による.

表11.8 $J/\psi$ の融解と励起子の Mott 転移
$J/\psi$ の融解励起子の Mott 転移
束縛状態$c\bar c$($r\approx0.25$ fm)電子–正孔($a_B\approx10$ nm,GaAs)
結合カラー因子 $-4/3$ の色 Coulomb 力遮蔽された Coulomb 力
遮蔽の担い手熱的なクォーク・グルーオン注入された自由キャリア
制御パラメータ温度 $T$($\gtrsim1.5T_c$)キャリア密度 $n$
解離条件$r_D\lesssim r_{J/\psi}$$n^{1/3}a_B\gtrsim0.25$
観測量$J/\psi\to\mu^+\mu^-$ の収量減少吸収スペクトルの励起子ピーク消失

「新しい相の発見」を主張するとき,どちらの分野でも同じことをしている——束縛状態が消えたことを分光で示す.

11.7.3 格子 QCD と第一原理計算

材料科学との接点:格子 QCD と DFT は方法論的に同じ営みである

$\alpha_s\gtrsim1$ の領域では摂動論が使えない.そこで Wilson(1974)が導入したのが格子ゲージ理論である.時空を格子間隔 $a$ の4次元格子に離散化し,経路積分を有限次元の積分に落として数値評価する.

この手続きは,第一原理電子状態計算(DFT)でやっていることと,驚くほどよく対応する.

表11.9 格子 QCD と第一原理計算の方法論的対応
概念格子 QCD第一原理計算(平面波 DFT など)
離散化格子間隔 $a$($\approx0.05$–$0.1$ fm)実空間メッシュ/平面波カットオフ $E_{\rm cut}$
紫外切断$\pi/a$ より大きい運動量は入らない$\sqrt{2E_{\rm cut}}$ より大きい $\bm{G}$ は入らない
連続極限$a\to0$ の外挿$E_{\rm cut}$ の収束テスト
有限サイズ効果箱のサイズ $L$,誤差 $\sim\ee^{-m_\pi L}$スーパーセルサイズ,鏡像相互作用
境界条件周期境界(ねじれ境界も使う)Born–von Kármán 周期境界
離散化誤差の改良Symanzik 改良作用,clover 項高次差分(実空間法).なお ultrasoft・PAW は誤差の改良ではなく,必要な $E_{\rm cut}$ を下げる工夫である
統計手法Hybrid Monte Carlo によるゲージ配位の重点サンプリング量子モンテカルロ(VMC/DMC),PIMD
物理量の取り出し相関関数の減衰 $\ee^{-mt}$ から質量バンド分散・フォノン分散のフィット
入力パラメータ裸の結合 $g_0$($\Leftrightarrow$ 格子間隔 $a$)とクォーク質量(計 $4$–$5$ 個).$\alpha_s$ は入力ではなく出力原子番号と交換相関汎関数
計算規模$64^3\times128$ 格子($3.4\times10^7$ 点,$1.3\times10^8$ 個のリンク変数.実自由度は $\sim10^9$)$10^3$ 原子,$10^6$ 平面波
典型的な精度ハドロン質量 $\sim1\%$格子定数 $\sim1\%$

とりわけ本質的なのは,Wick 回転である.時間を虚数にする置き換え $t\to-\ii\tau$ を行うと,経路積分の重み $\ee^{\ii S}$(振動して収束しない)が $\ee^{-S_E}$(正の実数)になる.すると

$$ Z = \int\mathcal{D}A\,\ee^{-S_E[A]} $$

は,4次元の古典統計力学の分配関数と数学的に同一になり,Metropolis 法や Hybrid Monte Carlo をそのまま適用できる.「場の量子論=4次元の統計力学」という等価性が,格子計算を可能にしている.

材料科学者にとって,この虚時間経路積分は他人事ではない.核の量子効果を扱う経路積分分子動力学(PIMD)で,1個の原子核を $P$ 個のビーズからなる環状ポリマーに置き換えるあの操作は,虚時間 $\tau\in[0,\beta\hbar]$ を $P$ 分割する離散化にほかならない.格子 QCD の $a\to0$ 外挿と,PIMD の $P\to\infty$ 外挿は,同じ極限操作である.軽元素を含む材料(水素貯蔵材料,プロトン伝導体)や,負熱膨張のように非調和性が本質的な系で PIMD を使ったことのある読者は,すでに格子場の理論の道具を使っていたことになる.

さらに,両分野は同じ困難も共有している.有限バリオン密度の QCD(中性子星の内部)では $\ee^{-S_E}$ が複素数になって重みとして使えない——符号問題である.これは Hubbard 模型のドープ領域における量子モンテカルロの符号問題と,どちらもフェルミオン行列式が複素になることに起因するという点で同じ構造をもつ.ただし符号問題は一般には NP 困難であることが示されており(Troyer–Wiese, 2005),一方の解法が他方にそのまま移るわけではない.実際には,複素 Langevin 法・Lefschetz thimble・テンソルネットワークといった一方で開発された手法が,他方でも試みられているという段階である.

そして最後に,格子 QCD の成果を挙げておく.格子間隔 $a$ を決めるための1つのハドロン質量と,$u=d,s,c$ のクォーク質量——合わせて $4$–$5$ 個の入力だけから,陽子・中性子・$\pi$・$K$ など主要ハドロンの質量が数 % の精度で再現される.入力に「陽子の質量」は含まれていない($\alpha_s$ も入力ではない.むしろ逆に,格子計算は $\alpha_s$ を決める側である).これは,原子番号だけから格子定数と弾性定数を出す第一原理計算と,同じ種類の成功である.どちらの分野でも,計算機が「実験をせずに物質を知る」道具になったのは,くりこみ群と離散化という同じ二つの発明のおかげである.

11.8 まとめと演習

11.8.1 まとめ

11.8.2 演習問題

演習11.1 $R$ 比から色を数える

(1) $u,d,s,c,b$ の5フレーバーが生成できるエネルギーでの $R$ を,$N_c=3$ と $N_c=1$ の両方について求めよ.

(2) 仮に第4世代のクォーク $t'$(電荷 $+2/3$)と $b'$(電荷 $-1/3$)が存在し,$\sqrt{s}$ がその閾値を超えたとする($t$ も含めて8フレーバー).$R$ はいくつになるか.

(3) $\sqrt{s}=30$ GeV における $R$ を QCD 補正込みで求め($\alpha_s(30\ \mathrm{GeV})=0.14$ を使ってよい),そこからハドロン生成断面積を nb 単位で求めよ.

(4) 陽電子ビームの強度が十分あって,ルミノシティが $\mathcal{L}=10^{31}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$ だったとすると,(3) の条件で1日あたり何事象のハドロン生成が起こるか.

ヒント:(1) $N_c=3$ で $11/3=3.67$,$N_c=1$ で $11/9=1.22$.(2) $\sum q_i^2=20/9$ なので $R=20/3\approx6.67$.(3) $R=3.67\times(1+0.14/\pi)=3.83$.$\sigma_{\mu\mu}=86.9/900=0.0966$ nb なので $\sigma_{\rm had}=0.370$ nb.(4) $1\ \mathrm{nb}=10^{-33}\ \mathrm{cm^2}$,1日 $=8.64\times10^4$ s より $N=0.370\times10^{-33}\times10^{31}\times8.64\times10^4\approx3.2\times10^{2}$ 事象.つまり1日に約 320 事象で,色があるかないかの区別($1.22$ か $3.67$ か)は統計的に一瞬でつく.

演習11.2 Casimir トリックでカラー因子を量産する

式 \eqref{eq:11-casimir} と $C_2(p,q)=\frac13(p^2+q^2+pq+3p+3q)$ を使う.

(1) クォーク–グルーオン散乱($3\otimes8=3\oplus\bar6\oplus15$)の各チャネルのカラー因子を求めよ.$\bar6=(0,2)$,$15=(2,1)$ である.

(2) グルーオン–グルーオン散乱($8\otimes8=1\oplus8_S\oplus8_A\oplus10\oplus\overline{10}\oplus27$)について同様に求めよ.$10=(3,0)$,$27=(2,2)$ である.最も引力が強いのはどのチャネルか.そこから何が予言されるか.

(3) (1)(2) で得たカラー因子に各表現の次元を掛けて和をとると $0$ になることを確かめよ.なぜ $0$ になるのか説明せよ.

ヒント:(1) $C_2(\bar6)=10/3$,$C_2(15)=16/3$.$\braket{\bm{T}_q\cdot\bm{T}_g}$ は $3$ で $-3/2$,$\bar6$ で $-1/2$,$15$ で $+1/2$.(2) $C_2(10)=6$,$C_2(27)=8$.一重項が $-3$ で最も強い引力.これはグルーボール(グルーオンだけからなるハドロン)の存在を予言する.格子 QCD はスカラーグルーボールを $1.6$–$1.7$ GeV に予言しているが,通常の中間子と混ざるため実験的同定は難しい.(3) $3(-\frac32)+6(-\frac12)+15(\frac12)=0$,$1(-3)+16(-\frac32)+20(0)+27(1)=0$.理由:$\sum_R d_R\braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}_R=\Tr(\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2)$ であり,$\Tr T^a=0$ なので各因子のトレースがゼロになるから.

演習11.3 $\alpha_s$ を走らせる

$\alpha_s(m_Z)=0.118$,$m_Z=91.188$ GeV から出発する.

(1) $n_f=5$($\beta_0=23/3$)のまま,$\alpha_s(10\ \mathrm{GeV})$ を求めよ.

(2) $\Lambda^{(5)}$ を式 \eqref{eq:11-lambda} から求めよ.また,式 \eqref{eq:11-alphas-lambda} に $Q=10$ GeV を代入して (1) と一致することを確かめよ.

(3) $n_f=3$($\beta_0=9$),$\Lambda^{(3)}=143$ MeV として,$\alpha_s(Q)=1$ となる $Q$ を求めよ.それを長さに直すといくらか.

(4) (3) で得た長さを,$\Lambda_{\rm QCD}^{-1}\approx1$ fm やハドロンの大きさと比べて論じよ.

ヒント:(1) $1/\alpha_s=8.475+0.610\times\ln(100/8315)=8.475-2.697=5.778$,$\alpha_s=0.173$.(2) $\Lambda^{(5)}=91.188\,\ee^{-6.945}=0.0878$ GeV.(3) $\ln(Q^2/\Lambda^2)=4\pi/9=1.396$ より $Q=\Lambda\ee^{0.698}=0.143\times2.010=0.287$ GeV,長さは $\hbar c/Q=0.197/0.287=0.69$ fm.(4) $0.69$ fm は陽子半径 $0.84$ fm と同程度である.「結合定数が $1$ になる距離」と「ハドロンの大きさ」が一致するのは偶然ではなく,ハドロンのサイズを決めているのが $\Lambda_{\rm QCD}$ だからである.

演習11.4 Callan–Gross 関係とパートンのスピン

(1) パートンがスピン $0$ のスカラー粒子だったとすると,磁気的な散乱がないので $W_1=0$ である.このとき $F_2/(2xF_1)$ はどうなるか.また縦横比 $R_L=\sigma_L/\sigma_T$ はどうなるか.

(2) $R_L=(F_2-2xF_1)/(2xF_1)$ を示せ($M^2/Q^2$ の補正は無視してよい).

(3) 実験値 $R_L=0.15$ のとき,$F_2/(2xF_1)$ はいくつか.Callan–Gross 関係からのずれは何 % か.

(4) パートン模型の式 \eqref{eq:11-F2parton} を使って,$F_2^{ep}(x)/F_2^{en}(x)$ の $x\to1$ での値を予言せよ.$x\to1$ では価クォークのうち $u$ が支配的($d/u\to0$)とする.

ヒント:(1) $F_1=0$ なので比は発散し,$R_L\to\infty$(縦偏極光子しか吸収されない).スピン $1/2$ なら比は $1$,$R_L=0$.(3) $F_2/(2xF_1)=1+R_L=1.15$,ずれは $15\%$.(4) $F_2^{ep}/F_2^{en}\to(4/9)/(1/9)=4$.実測は $\approx2.5$ 程度で,$d/u$ が完全にはゼロにならないことを示している.これはパートン分布の $x\to1$ 極限に関する現在も活発な研究課題である.

演習11.5 Gauss 型電荷分布の形状因子

規格化された Gauss 型電荷分布

$$ \rho(r) = \frac{1}{(2\pi b^2)^{3/2}}\,\ee^{-r^2/2b^2} $$

を考える.

(1) 形状因子が $F(q)=\ee^{-q^2b^2/2}$ となることを示せ.

(2) $\braket{r^2}=3b^2$ を示し,$\sqrt{\braket{r^2}}=0.84$ fm となる $b$ を求めよ.

(3) $Q^2=1\ \mathrm{GeV^2}$(すなわち $q=1\ \mathrm{GeV}/c$)における $F$ を計算し,双極子形 \eqref{eq:11-dipole} の値と比べよ.どちらが速く落ちるか.

(4) この結果から,陽子の電荷分布は Gauss 型と指数関数型のどちらに近いと考えられるか.また,そのことは電荷分布の「裾」について何を意味するか.

ヒント:(1) $\int\ee^{-r^2/2b^2}\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}\dd^3r$ は各成分で平方完成すればよい.(2) $b=0.84/\sqrt3=0.485$ fm.(3) $q=1\ \mathrm{GeV}/c=5.068\ \mathrm{fm^{-1}}$ なので $qb=2.457$,$F_{\rm Gauss}=\ee^{-3.02}=0.049$.双極子形は $1/(1+1/0.71)^2=0.172$.Gauss 型のほうが $3.5$ 倍速く落ちる.(4) 実測は双極子形に近いので指数関数型.指数関数型は Gauss 型より裾が長く,「境界のはっきりしない,ぼやけた広がり」を意味する.同じことが原子の電子密度でも起こる(Slater 型軌道 $\ee^{-\zeta r}$ が Gauss 型基底 $\ee^{-\alpha r^2}$ より物理的に正しく,量子化学で Gauss 基底を複数個縮約して指数型の裾を再現するのはこのためである).

演習11.6 Cornell ポテンシャルとひもの切断

$V(r)=-\dfrac{4\alpha_s}{3r}+\sigma r$,$\sigma=0.18\ \mathrm{GeV^2}$,$\alpha_s=0.3$ とする.

(1) $\sigma$ を GeV/fm および N(ニュートン)の単位に直せ.また,何 kg の物体にかかる重力に相当するか.

(2) Coulomb 項と閉じ込め項の大きさが等しくなる距離 $r_0$ を求めよ.

(3) 構成子クォークの質量を $m_q\approx330$ MeV とする.ひもに蓄えられたエネルギー $\sigma r$ が $2m_q$ に達してひもが切れるとすると,切断距離はいくらか.

(4) (2) と (3) の結果から,ハドロンの内部($r\lesssim0.3$ fm)と外部($r\gtrsim0.7$ fm)でそれぞれどちらの項が物理を支配しているか論じよ.

ヒント:(1) $\sigma=0.18/0.1973=0.912$ GeV/fm $=1.46\times10^5$ N $\approx1.5\times10^4$ kg 重(約15トン).(2) $r_0^2=4\alpha_s/(3\sigma)=2.22\ \mathrm{GeV^{-2}}$ より $r_0=1.49\ \mathrm{GeV^{-1}}=0.294$ fm.(3) $r=0.66\ \mathrm{GeV}/0.912\ \mathrm{GeV\,fm^{-1}}=0.72$ fm(格子 QCD の値は $1.2$–$1.3$ fm でやや大きい).(4) 内部では Coulomb 項=1グルーオン交換が支配的で,摂動論とチャーモニウム分光が使える.外部では閉じ込め項が支配し,非摂動的手法が要る.この2つの領域の境目が,ちょうどハドロンのサイズである.

演習11.7 $\Lambda_{\rm QCD}$ と Kondo 温度の対応

式 \eqref{eq:11-TK} の2つの表式を比べる.

(1) 指数の肩を等置することで,QCD の $\alpha_s$ に対応する Kondo 問題の無次元結合を求めよ($\beta_0$ を含む形で書け).

(2) $\beta_0=9$($n_f=3$)として,$\rho J=0.1$ に対応する $\alpha_s$ を数値で求めよ.

(3) $\alpha_s(m_Z)=0.118\pm0.001$ のとき,$\Lambda^{(5)}$ の相対不定性 $\delta\Lambda/\Lambda$ を求めよ.$\alpha_s$ の $1\%$ の不定性が $\Lambda$ の何 % になるか.

(4) (3) の結果は,$T_K$ や $\Delta_{\rm BCS}$ を第一原理計算で予言することの難しさについて何を示唆するか.

ヒント:(1) $\dfrac{2\pi}{\beta_0\alpha_s}=\dfrac{1}{2\rho J}$ より $\alpha_s=\dfrac{4\pi\rho J}{\beta_0}$.(2) $\alpha_s=(4\pi/9)\times0.1=1.396\times0.1=0.14$.(3) $\Lambda\propto\ee^{-2\pi/(\beta_0\alpha_s)}$ より $\dfrac{\delta\Lambda}{\Lambda}=\dfrac{2\pi}{\beta_0\alpha_s^2}\delta\alpha_s=\dfrac{6.283\times0.001}{7.667\times0.0139}=0.059$,すなわち $5.9\%$.$\alpha_s$ が $1\%$($\delta\alpha_s=0.00118$)なら $6.9\%$,つまり約7倍に拡大される.(4) 指数関数の肩に結合定数の逆数が乗っているので,結合定数の小さな誤差がスケールの大きな誤差に拡大される.DFT で $N(0)V$ を数 % の精度で出せたとしても $T_c$ は数十 % ずれる.超伝導転移温度の第一原理予言が難しい本質的な理由がここにある.同じ理由で,$\alpha_s$ の測定精度を上げることが $\Lambda_{\rm QCD}$ を絞り込むうえで決定的に重要になる.

参考文献

  1. D. Griffiths, Introduction to Elementary Particles, 2nd revised ed., Wiley-VCH (2008), Chapter 8「クォークの電気力学と色力学」——本章の底本.カラー因子の直接計算はこの章に従った.
  2. F. Halzen, A. D. Martin, Quarks and Leptons, Wiley (1984), Chapters 8–9, 11 ——深非弾性散乱と構造関数の標準的教科書.Rosenbluth 公式と Callan–Gross 関係の詳細な導出がある.
  3. Particle Data Group (R. L. Workman et al.), "Review of Particle Physics", Prog. Theor. Exp. Phys. 2022, 083C01 (2022),"Quantum Chromodynamics" の章 ——$\alpha_s$ の世界平均,$R$ 比の実測データ,$\Lambda_{\overline{\rm MS}}$ の値はここを参照せよ.
  4. D. J. Gross, F. Wilczek, "Ultraviolet Behavior of Non-Abelian Gauge Theories", Phys. Rev. Lett. 30, 1343 (1973); H. D. Politzer, "Reliable Perturbative Results for Strong Interactions?", 同 30, 1346 (1973) ——漸近的自由の2つの原論文.2004 年ノーベル賞.
  5. N. K. Nielsen, "Asymptotic Freedom as a Spin Effect", Am. J. Phys. 49, 1171 (1981) ——$11=12-1$ の常磁性/反磁性による解釈.本章 11.6.2 項はこれに基づく.
  6. P. W. Anderson, "A poor man's derivation of scaling laws for the Kondo problem", J. Phys. C 3, 2436 (1970); K. G. Wilson, "The renormalization group: Critical phenomena and the Kondo problem", Rev. Mod. Phys. 47, 773 (1975) ——11.7.1 項の物性側の原典.
  7. K. G. Wilson, "Confinement of quarks", Phys. Rev. D 10, 2445 (1974) ——格子ゲージ理論の創始.同じ著者が同時期に Kondo 問題の数値くりこみ群も作ったことに注意.
  8. T. Matsui, H. Satz, "$J/\psi$ suppression by quark-gluon plasma formation", Phys. Lett. B 178, 416 (1986) ——11.7.2 項の $J/\psi$ 融解.抑制の解釈に残る留保については A. Rothkopf, Phys. Rep. 858, 1 (2020) の総説を見よ.
  9. I. Larin et al. (PrimEx-II Collaboration), "Precision measurement of the neutral pion lifetime", Science 368, 506 (2020) ——11.3.1 項の $\Gamma(\pi^0\to\gamma\gamma)$.アノマリーによる $N_c^2$ 依存性の検証.
  10. A. Casher, H. Neuberger, S. Nussinov, "Chromoelectric-flux-tube model of particle production", Phys. Rev. D 20, 179 (1979) ——11.5.1 項のひもの切断.$\exp(-\pi m_q^2/\sigma)$ という Schwinger 型の形.
  11. D. T. Son, "Superconductivity by long-range color magnetic interaction in high-density quark matter", Phys. Rev. D 59, 094019 (1999); M. Alford, A. Schmitt, K. Rajagopal, T. Schäfer, Rev. Mod. Phys. 80, 1455 (2008) ——11.4.5 項のカラー超伝導.ギャップが BCS 形にならない理由.
  12. M. L. Perl et al., "Searches for fractionally charged particles", Int. J. Mod. Phys. A 24, 2379 (2009) ——11.6.5 項で引いた自由クォーク探索の上限.
  13. M. Troyer, U.-J. Wiese, "Computational complexity and fundamental limitations to fermionic quantum Monte Carlo simulations", Phys. Rev. Lett. 94, 170201 (2005) ——11.7.3 項の符号問題が一般には NP 困難であること.
  14. G. B. West, "Electron scattering from atoms, nuclei and nucleons", Phys. Rep. 18, 263 (1975) ——11.2.8 項の $y$ スケーリング.Bjorken の $x$ に対応する中性子散乱側の変数.