第10章量子電気力学
本章は,この本の中で最も「手を動かす」章である.第8章でファインマン則の考え方を,第9章で Dirac 方程式とスピノルを準備した.道具はそろった.あとは実際に組み立てて,測定できる数値を出すだけである.
目標をはじめに宣言しておく.本章の終わりまでに,読者は次の一行を自力で導けるようになる.
$$ \sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-) = \frac{4\pi\alpha^2}{3s} = \frac{86.9\ \mathrm{nb}}{s\,[\mathrm{GeV^2}]} $$右辺には,測定にかかる量しか入っていない.$\alpha=1/137.036$ は微細構造定数,$s$ は重心系エネルギーの2乗である.$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ の加速器なら $0.869\ \mathrm{nb}$,つまり原子核の断面積のおよそ $10^{-9}$ 倍.この数値は実験と数 % で合う.ダイアグラムを一つ描き,スピノルを掛け,トレースを取り,角度で積分する —— それだけで自然界の数値が出てくる.この体験こそが量子電気力学(QED, quantum electrodynamics)である.
QED は,人類が手にした理論のうち,実験と最も精密に一致する理論である.電子の異常磁気モーメント $a_e=(g-2)/2$ は,独立に測った $\alpha$ を入力すれば理論値と実験値が有効数字 10 桁(相対精度 $10^{-10}$)まで一致する.その先頭の有効数字 3 桁 —— Schwinger の $\alpha/2\pi = 0.00116$ —— を本章で導く.
そして,本章の道具は材料科学の道具と同じものである.真空偏極(vacuum polarization)は誘電遮蔽(dielectric screening)と,くりこみ(renormalization)は準粒子(quasiparticle)と,走る結合定数は遮蔽 Coulomb 相互作用 $W=\epsilon^{-1}v$ と,比喩ではなく式の形として同じである.QED で $\alpha$ が距離とともに走るのと,金属中で Coulomb 相互作用が Thomas–Fermi 遮蔽されるのは,どちらも同じ Dyson 級数 $D=D_0/(1-D_0\Pi)$ の解である.違うのは分極関数 $\Pi$ の中身 —— 真空の対生成ループ(紫外発散し,電荷のくりこみが要る)か,Fermi 海の粒子・正孔ループ(有限で,くりこみは要らない)か —— であり,そのために長距離の極限も違う(真空では $\alpha$ が有限値に飽和し,金属では力そのものが消える).10.7 節でそれを並べ,対応が破れる場所まで見せる.
さらに,本章で計算する断面積そのものが材料評価の実務に直結している.陽電子消滅の Dirac 断面積は陽電子消滅寿命測定(PALS)の解析式の前因子 $\pi r_e^2c$ を与えるものであり(電子・陽電子相関による増大因子は 10.7.3 項で入れる),Compton 散乱の Klein–Nishina 断面積は Compton プロファイル測定で電子運動量分布を取り出すときの前因子である.素粒子物理の教科書に載っている式が,そのまま実験室の解析コードに入っている.
- QED のファインマン則を規約込みで正確に書き下すこと(外線因子 $u,\bar u,v,\bar v,\epsilon,\epsilon^*$,頂点 $\ii g_e\gamma^\mu$,伝播関数)
- フェルミオン線を「矢印に逆らって」たどる理由と,閉ループに付く $(-1)$ の意味
- 4つの代表過程(電子・ミュオン散乱,$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$,Compton 散乱,対消滅)の振幅 $\mathcal{M}$ を書くこと
- Casimir トリック —— スピンの和と平均を $\gamma$ 行列のトレースに変換する技法
- トレース定理を証明付きで使えるようになること,および縮約公式 $\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}$ など
- $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の微分断面積 $\dd\sigma/\dd\Omega=(\alpha^2/4s)(1+\cos^2\theta)$ と全断面積 $4\pi\alpha^2/3s$ を最後まで導くこと
- $\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ での断面積を nb 単位で数値評価すること,$R$ 比の予告
- Mott 散乱の公式と,その非相対論極限が Rutherford 公式になること
- QED の3つの発散(自己エネルギー・真空偏極・頂点補正)と正則化・くりこみの考え方
- 走る結合定数 $\alpha(q^2)$ と $\alpha^{-1}(m_Z)=128.95$(on-shell 定義),異常磁気モーメント $a=\alpha/2\pi$
- 材料科学との接点:くりこみと準粒子(有効質量 $m^*$,くりこみ因子 $Z$)
- 材料科学との接点:真空偏極 $=$ 誘電遮蔽,$W=\epsilon^{-1}v$ と走る $\alpha$ の完全な対応
- 材料科学との接点:陽電子消滅断面積と PALS,Compton プロファイルと Klein–Nishina
10.1 QED のファインマン則
第8章では,スピンを持たない架空の粒子(ABC 模型)を相手にファインマン則の使い方を練習した.そこでの手続きは,(i) 図を描き,(ii) 外線・頂点・伝播関数に因子を割り当て,(iii) 内部運動量を積分し,(iv) 全体の $\delta$ 関数を落として $\mathcal{M}$ を読み取る,というものだった.QED でも手続きはまったく同じである.変わるのは,割り当てる因子が数ではなく行列とスピノルになることだけである.
そのせいで新しい約束事が二つ増える.一つは,行列の掛け算には順序があるので「どちら向きに読むか」を決めねばならないこと.もう一つは,フェルミオンは反交換するので,図と図の間,あるいは閉ループに符号が付くことである.この節でその全部を並べる.
10.1.1 記号と規約
定義:本章で使う記号
- 外線の 4 元運動量を $p_1,p_2,\dots$,内部(仮想)線の運動量を $q$ と書く.入射粒子は 1,2,出射粒子は 3,4 と番号を付ける.
- スピノルの引数を番号で略記する:$u(1)\equiv u^{(s_1)}(p_1)$,$\bar u(3)\equiv\bar u^{(s_3)}(p_3)$ など.
- Feynman スラッシュ:$\slashed{p}\equiv p_\mu\gamma^\mu = p^0\gamma^0-\bm{p}\cdot\bm{\gamma}$.
- 結合定数は $g_e\equiv\sqrt{4\pi\alpha}$ とする(Heaviside–Lorentz 単位系の素電荷).数値は $g_e=\sqrt{4\pi/137.036}=0.30282$.
- $\alpha\equiv g_e^2/4\pi=1/137.036$ が微細構造定数である.
注意:$e$ と $g_e$ と $\alpha$ の流儀
教科書によって素電荷の書き方が違う.Gauss 単位系では $\alpha=e^2/\hbar c$ なので $e=\sqrt{\alpha}=0.0854$,Heaviside–Lorentz 単位系では $\alpha=e^2/4\pi\hbar c$ なので $e=\sqrt{4\pi\alpha}=0.3028$,SI では $\alpha=e^2/4\pi\epsilon_0\hbar c$ で $e=1.602\times10^{-19}\ \mathrm{C}$ である.本書は Griffiths にならって Heaviside–Lorentz を使い,混乱を避けるために素電荷を $g_e$ と書く.
また,頂点因子の符号 $\ii g_e\gamma^\mu$ か $-\ii g_e\gamma^\mu$ かも教科書によって違う(電子の電荷を $-g_e$ と取るか,$g_e$ を「結合の大きさ」と取るかの違い).この全体符号は QED だけの過程では観測にかからない.同じ過程に寄与する図は頂点の個数の偶奇が必ず一致するので(外線光子の本数で決まる),全部の頂点の符号を一斉に反転させても各図が共通因子 $(\pm1)^n$ を受けるだけで,干渉する図の間の相対符号は変わらないからである.たとえば Compton 散乱の 2 枚はどちらも頂点 2 個なので $(\pm\ii g_e)^2$ が共通に出る.流儀が効いてくるのは,第12章の $\gamma$–$Z$ 干渉のように種類の違う頂点が混じるときであり,そのときは両方の頂点を同じ流儀で決めねばならない.異なる文献の式を継ぎ接ぎしないよう,一つの流儀を最後まで貫くこと.本書は $\ii g_e\gamma^\mu$ を採用する(電子の電荷 $q=-g_e$ を一般形 $-\ii q\gamma^\mu$ に入れた形である).
10.1.2 外線因子
外線とは,図の端から出入りする,実在の(質量殻上の)粒子を表す線である.第9章で見たように,スピン $1/2$ の粒子の平面波解は 4 成分スピノル $u$(粒子)と $v$(反粒子)で書ける.外線因子は,そのスピノルをそのまま持ってくればよい.規則は次の表に尽きる.
| 粒子 | 入射(左端) | 出射(右端) | 備考 |
|---|---|---|---|
| 電子(フェルミオン) | $u(p)$ | $\bar u(p)$ | 4 成分列/行スピノル |
| 陽電子(反フェルミオン) | $\bar v(p)$ | $v(p)$ | 入射で $\bar v$ になるのに注意 |
| 光子(入射) | $\epsilon^\mu(p)$ | — | 偏極ベクトル |
| 光子(出射) | — | $\epsilon^{*\mu}(p)$ | 複素共役 |
なぜ反粒子だけ「逆」なのか
表10.1 で,電子は入射が $u$・出射が $\bar u$ なのに,陽電子は入射が $\bar v$・出射が $v$ である.これは意地悪ではなく,第9章で採用した反粒子=負エネルギー解を時間逆向きに走る粒子とみなす(Feynman–Stückelberg 解釈)という約束の直接の帰結である.
ダイアグラムでは,フェルミオン線には必ず矢印を付ける.矢印は「粒子の流れ」ではなくフェルミオン数の流れを表す.電子では矢印が時間の向き(左→右)と同じ,陽電子では逆になる.そして因子の割り当て規則は「線の矢印の始まりには $u$ か $v$,矢印の終わりには $\bar u$ か $\bar v$」と一言で言える.陽電子の入射線は矢印が図の外へ向かうので,図の中では矢印の「終わり」に見え,したがってバー付きの $\bar v$ が付く.
この規則を覚えるコツは,矢印の向きに逆らって線をたどると,因子が左から右へ並ぶと覚えることである(次項).
10.1.3 頂点因子
定義:QED の頂点
QED の基本頂点は「フェルミオン線 2 本と光子線 1 本」の 1 種類しかない.そこに割り当てる因子は
である.$\mu$ はその頂点に付く光子線の Lorentz 指標であり,伝播関数か外線の偏極ベクトルと縮約される.一般に電荷 $q$ のフェルミオンでは $-\ii q\gamma^\mu$ であり,電子は $q=-g_e$ なので上の形になる.
物理的意味:頂点因子が $\gamma^\mu$ である理由
$\gamma^\mu$ が出てくるのは偶然ではない.Dirac 場の電磁相互作用は,第9章の最小結合 $\partial_\mu\to D_\mu=\partial_\mu+\ii qA_\mu$(電荷 $q$.電子は $q=-g_e$)から
$$ \Lag_{\mathrm{int}} = -q\,\bar\psi\gamma^\mu\psi\,A_\mu = +g_e\,\bar\psi\gamma^\mu\psi\,A_\mu \qquad(\text{電子}) $$という形に決まる.$j^\mu_{\mathrm{em}}=q\,\bar\psi\gamma^\mu\psi=-g_e\,\bar\psi\gamma^\mu\psi$ は第9章で導いた電磁カレントであり,これが電磁ポテンシャル $A_\mu$ と $\Lag_{\mathrm{int}}=-j^\mu_{\mathrm{em}}A_\mu$ の形で結合するのは古典電磁気学とまったく同じである.つまり QED の頂点は,古典電磁気学の相互作用エネルギーを場の演算子で書き直しただけのものである.頂点因子はこの相互作用項の係数に $\ii$ を掛けたもの(第13章 13.5.1 項)なので,一般に $-\ii q\gamma^\mu$,電子では $\ii(+g_e)\gamma^\mu=\ii g_e\gamma^\mu$ となり,式 \eqref{eq:10-vertex} に一致する.
結合定数の大きさ $g_e=0.303$ は 1 より十分小さい.頂点が 1 個増えるごとに振幅は $g_e$ 倍,確率は $g_e^2=4\pi\alpha\simeq0.092$ 倍になる.光子線を 1 本足す(頂点が 2 個増える)ごとに付く補正は,ループ積分の $1/16\pi^2$ と合わせて実効的に $\alpha/\pi\simeq2.3\times10^{-3}$ 程度の大きさにとどまる.これが摂動論が使える理由であり,QED がここまで精密に計算できる理由である(第11章で扱う強い相互作用では,低エネルギー($1\ \mathrm{GeV}$ 以下)で $\alpha_s\sim1$ になってこの贅沢は失われる.高エネルギーでは $\alpha_s\simeq0.1$–$0.2$ で摂動論は使えるが,QED ほどの精度は得られない).
10.1.4 伝播関数
内部線(仮想粒子)には伝播関数を割り当てる.伝播関数は「質量殻を外れた粒子がどれだけ伝わりやすいか」を表す量で,分母が $q^2-m^2$ になっているのが本質である.$q^2$ が $m^2$ に近づくほど分母が小さく,振幅が大きくなる.これが共鳴である(第8章 8.7.4 項,付録B B.4 節).
定義:QED の伝播関数
フェルミオン伝播関数(運動量 $q$,質量 $m$):
光子伝播関数(運動量 $q$,質量 0,Feynman ゲージ):
数学ノート:分母の $\gamma$ 行列をどう解釈するか
Dirac 方程式の運動量空間での形は $(\slashed{q}-m)u=0$ だから,伝播関数は素直には「$(\slashed{q}-m)$ の逆行列」であるべきである.実際
$$ (\slashed{q}-m)^{-1} = \frac{\slashed{q}+m}{(\slashed{q}-m)(\slashed{q}+m)} = \frac{\slashed{q}+m}{\slashed{q}\slashed{q}-m^2} = \frac{\slashed{q}+m}{q^2-m^2} $$である.2 番目の等号で $\slashed{q}\slashed{q}=q_\mu q_\nu\gamma^\mu\gamma^\nu=\tfrac12 q_\mu q_\nu\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=q_\mu q_\nu g^{\mu\nu}=q^2$ を使った($q_\mu q_\nu$ が対称なので反対称部分が落ちる).つまり分母は行列ではなく普通の数になる.これが「$\gamma$ 行列で割る」という一見無茶な操作の正体である.
なお正確には分母に微小虚数 $+\ii\epsilon$ が入り,$q^2-m^2+\ii\epsilon$ とすべきである.これが因果律(前進伝播)を保証する.『線形応答理論入門』第5章の遅延 Green 関数の $\omega+\ii\eta$ と同じ役割であるが,場の理論では粒子は未来へ,反粒子は過去へ伝わるので Feynman の $\ii\epsilon$ 処方となる.本章の断面積計算では極を通らないので $\ii\epsilon$ は書かない.
注意:光子伝播関数のゲージ依存性
式 \eqref{eq:10-photon-prop} は Feynman ゲージ($\xi=1$)での形である.一般には
$$ \frac{-\ii}{q^2}\left[g_{\mu\nu}-(1-\xi)\frac{q_\mu q_\nu}{q^2}\right] $$となり,$\xi$ に依存する.しかし観測量(断面積)は $\xi$ によらない.なぜなら光子は保存電流 $\partial_\mu j^\mu=0$ に結合するので,$q_\mu q_\nu$ に比例する項は縮約された時点で $q_\mu j^\mu=0$ により消えるからである.計算が最も楽な $\xi=1$ を使えばよい.
10.1.5 フェルミオン線のたどり方と符号
規則:フェルミオン線は矢印に逆らってたどる
一本のフェルミオン線に沿って並ぶ因子(外線スピノル・頂点行列・伝播関数)は,矢印の向きと逆向きに線をたどった順に,左から右へ書く.
結果は必ず
$$ \underbrace{\bar u\ \text{または}\ \bar v}_{\text{行ベクトル}}\ \times\ (\text{4×4 行列の積})\ \times\ \underbrace{u\ \text{または}\ v}_{\text{列ベクトル}} $$という「行 × 行列 × 列」の形になり,全体は 1 個の複素数(スピノル添字について縮約済み)になる.これを双一次形式と呼ぶ.
なぜ逆向きなのか
形式的には,相互作用ハミルトニアンが $\bar\psi\gamma^\mu\psi$ という順序で書かれているからである.$\bar\psi$(行)が左,$\psi$(列)が右.頂点を通るたびにこの順序が積み重なるので,線をたどる向きは「$\bar\psi$ 側から $\psi$ 側へ」,すなわちフェルミオン数の流れ(矢印)に逆らう向きになる.
実用的には,こう覚えるとよい:ペンを終点($\bar u$ が付く側)に置き,矢印に逆らって始点($u$ が付く側)まで歩く.通り過ぎたものを順に紙に書く.これで必ず正しい順序になる.
規則:閉ループと反対称化の符号
- 閉フェルミオンループ:ループ 1 個につき因子 $(-1)$ を掛け,ループに沿った行列の積のトレース $\Tr[\cdots]$ を取る.
- 図の間の相対符号:2 つの入射電子(あるいは 2 つの出射電子,あるいは入射電子と出射陽電子)を入れかえて移り合う図どうしには,相対的に $(-1)$ を掛ける.
- 運動量保存:各頂点に $(2\pi)^4\delta^4(\textstyle\sum k)$ を置き,各内部線について $\int\dd^4q/(2\pi)^4$ で積分する.最後に全体の $(2\pi)^4\delta^4(p_1+p_2-p_3-p_4)$ が残るので,これを取り除いた残りが $-\ii\mathcal{M}$ である.
数学ノート:閉ループの $(-1)$ はどこから来るか
Fermi 統計である.Wick の定理で場の演算子を縮約していくと,閉ループを作る縮約では $\psi$ と $\bar\psi$ を巡回的に並べ替える必要があり,フェルミオン演算子の反交換性 $\{\psi,\bar\psi\}$ から奇数回の入れかえが生じて $(-1)$ が出る.
この符号は飾りではない.10.6 節の真空偏極でこの $(-1)$ を落とすと,遮蔽ではなく反遮蔽という物理的に誤った答えになる.凝縮系の言葉で言えば,RPA の泡(bubble)ダイアグラム $\chi_0=-\ii\Tr[GG]$ に付く $(-1)$ とまったく同じものである.『線形応答理論入門』の分極関数の符号を思い出してほしい.
| ステップ | やること |
|---|---|
| 1. 記号付け | 外線に運動量 $p_i$ とスピン $s_i$,内部線に $q_j$.フェルミオン線に矢印を入れる. |
| 2. 外線因子 | 表10.1 に従って $u,\bar u,v,\bar v,\epsilon,\epsilon^*$ を割り当てる. |
| 3. 頂点因子 | 各頂点に $\ii g_e\gamma^\mu$. |
| 4. 伝播関数 | フェルミオン内部線に $\ii(\slashed{q}+m)/(q^2-m^2)$,光子内部線に $-\ii g_{\mu\nu}/q^2$. |
| 5. 並べ方 | 各フェルミオン線を矢印に逆らってたどり,左から右へ因子を並べる. |
| 6. 運動量保存 | 各頂点に $(2\pi)^4\delta^4(\sum k)$,各内部運動量に $\int\dd^4 q/(2\pi)^4$. |
| 7. 符号 | 閉ループごとに $(-1)$ とトレース.同一粒子入れかえの図に相対符号 $(-1)$. |
| 8. 仕上げ | 全体の $(2\pi)^4\delta^4(\sum p)$ を落とし,残りを $-\ii\mathcal{M}$ と読む. |
10.2 4つの例 —— 振幅を書き下す
規則を並べただけでは身に付かない.実際に 4 つの過程で $\mathcal{M}$ を書いてみる.はじめの 2 つ(電子・ミュオン散乱,$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$)はダイアグラムが 1 枚だけで済む.あとの 2 つ(Compton 散乱,対消滅)は 2 枚あり,干渉する.
10.2.1 例(a):電子・ミュオン散乱(Mott 散乱の親戚)
導出:$e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ の振幅
ステップ1:図を描き,番号を振る.図10.2(a) のとおり,入射電子 $p_1$,入射ミュオン $p_2$,出射電子 $p_3$,出射ミュオン $p_4$.頂点は 2 つ,内部線は光子 1 本で,運動量は $q=p_1-p_3$(上の頂点での運動量保存).下の頂点でも $p_2+q=p_4$,すなわち $q=p_4-p_2$.両者が一致するのが全体の運動量保存 $p_1+p_2=p_3+p_4$ である.
ステップ2:電子線をたどる.矢印は $1\to3$ の向き.逆らってたどるので,$3$ から出発して $1$ へ.出会うものは順に「出射電子 $\bar u(3)$」「頂点 $\ii g_e\gamma^\mu$」「入射電子 $u(1)$」.よって
$$ \bar u(3)\,(\ii g_e\gamma^\mu)\,u(1) $$ステップ3:ミュオン線をたどる.同様に
$$ \bar u(4)\,(\ii g_e\gamma^\nu)\,u(2) $$ミュオンの電荷も電子と同じ $-1$ なので,頂点因子は同じ $\ii g_e\gamma^\nu$ である(電荷が素電荷単位で $Q_f$ のフェルミオンなら頂点因子は $-\ii Q_f g_e\gamma^\nu$.電子もミュオンも $Q_f=-1$ なので,ともに $\ii g_e\gamma^\nu$ である).
ステップ4:光子伝播関数でつなぐ.2 つの頂点の指標 $\mu,\nu$ を $-\ii g_{\mu\nu}/q^2$ で縮約する.すべて掛けて
$$ -\ii\mathcal{M} = \left[\bar u(3)\,\ii g_e\gamma^\mu\,u(1)\right] \frac{-\ii g_{\mu\nu}}{q^2} \left[\bar u(4)\,\ii g_e\gamma^\nu\,u(2)\right] $$ステップ5:因子を整理する.$(\ii g_e)^2\times(-\ii)=(-g_e^2)(-\ii)=\ii g_e^2$ だから
$$ -\ii\mathcal{M}=\frac{\ii g_e^2}{q^2} \left[\bar u(3)\gamma^\mu u(1)\right]\left[\bar u(4)\gamma_\mu u(2)\right] $$両辺を $-\ii$ で割って($\ii/(-\ii)=-1$)
これで終わりである.スピノルの中身を一切書かずに,振幅が確定した.
物理的意味:これは Coulomb 散乱そのものである
式 \eqref{eq:10-emu} の分母 $q^2=(p_1-p_3)^2=t$ は,非相対論極限では $-\abs{\qq}^2$($\qq$ は移行運動量の3元ベクトル)になる.したがって $\mathcal{M}\propto g_e^2/\abs{\qq}^2$.これは Coulomb ポテンシャル $V(r)=g_e^2/4\pi r$ の Fourier 変換
$$ \tilde V(\qq)=\int \frac{g_e^2}{4\pi r}\ee^{-\ii\qq\cdot\xx}\,\dd^3x = \frac{g_e^2}{\abs{\qq}^2} $$とぴったり一致する.つまり「仮想光子の交換」という描像は,Born 近似の Coulomb 散乱を場の理論の言葉で言い直したものにほかならない.10.5 節でこれを最後まで計算し,Rutherford 公式を再現する.
ついでに,もし光子に質量 $m_\gamma$ があれば分母は $\abs{\qq}^2+m_\gamma^2$ となり,実空間では湯川型 $\ee^{-m_\gamma r}/r$ になる.固体中の遮蔽 Coulomb 相互作用 $4\pi e^2/(q^2+k_{\mathrm{TF}}^2)$(物性の慣習に従った Gauss 単位系での書き方.本書の Heaviside–Lorentz 単位系では $g_e^2/(q^2+k_{\mathrm{TF}}^2)$)がまさにこの形であることに注意しておく(10.7 節).
10.2.2 例(b):$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$
導出:対消滅型(s チャネル)の振幅
ステップ1:図と番号.入射電子 $p_1$,入射陽電子 $p_2$,出射ミュオン $p_3$,出射反ミュオン $p_4$.仮想光子の運動量は $q=p_1+p_2$,したがって $q^2=(p_1+p_2)^2=s$ である.これは正であり,光子の質量殻 $q^2=0$ から大きく外れている(時間的な仮想光子).
ステップ2:電子側のフェルミオン線.電子の矢印は図の左上から頂点へ入る向き,陽電子の矢印は頂点から図の左下へ出る向き(フェルミオン数の流れは陽電子では逆).つまり矢印は,電子の外線から頂点を通って陽電子の外線へ抜ける1 本のつながった線である.これを矢印に逆らってたどると,出発点は陽電子側であり,そこには表10.1 により $\bar v(2)$ が付く.続いて頂点 $\ii g_e\gamma^\mu$,最後に $u(1)$:
$$ \bar v(2)\,(\ii g_e\gamma^\mu)\,u(1) $$ステップ3:ミュオン側.同じ理屈で,出射ミュオン $\bar u(3)$ から始まり,頂点を通って出射反ミュオン $v(4)$ で終わる:
$$ \bar u(3)\,(\ii g_e\gamma^\nu)\,v(4) $$ステップ4:つないで整理.
$$ -\ii\mathcal{M}=\left[\bar v(2)\,\ii g_e\gamma^\mu\, u(1)\right]\frac{-\ii g_{\mu\nu}}{s}\left[\bar u(3)\,\ii g_e\gamma^\nu\, v(4)\right] =\frac{\ii g_e^2}{s}\left[\bar v(2)\gamma^\mu u(1)\right]\left[\bar u(3)\gamma_\mu v(4)\right] $$10.4 節ではこの式から出発して断面積を最後まで出す.
注意:$s$ チャネルと $t$ チャネルの見分け方
式 \eqref{eq:10-emu} と \eqref{eq:10-eemumu} は「仮想光子の伝播関数の分母が何か」だけが違う.前者は $t=(p_1-p_3)^2<0$(空間的),後者は $s=(p_1+p_2)^2>0$(時間的)である.
実は両者は交叉対称性(crossing symmetry)で結ばれている.$e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ の振幅で,入射ミュオン $p_2$ を出射反ミュオン $-p_4'$ に読みかえると $e^-\mu^+\to e^-\mu^+$ になる.このときミュオン線だけを交叉させたので伝播関数の分母は $t=(p_1-p_3)^2$ のままで,入れかわるのは $s\leftrightarrow u$ である.さらに出射電子 $p_3$ を入射陽電子 $-p_2''$ に読みかえると $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ になり,このとき $t=(p_1-p_3)^2\to(p_1+p_2'')^2=s$,すなわち $s\leftrightarrow t$ が入れかわる.第4章で導入した Mandelstam 変数 $s+t+u=\sum m_i^2$ が生きるのはここである.
ただし $q^2>0$ の場合,$q^2$ がある粒子の質量の2乗に一致すると分母がゼロになる(共鳴).実際 $\sqrt{s}=91.2\ \mathrm{GeV}$ では $Z$ ボソンの交換が効いて,QED だけの計算では足りなくなる(第12章).本章の数値例で $\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ を選ぶのは,$Z$ からも十分遠く,かつ電子質量が無視できるという「QED だけで正しい」窓だからである(ただし $9.46$–$10.58\ \mathrm{GeV}$ には幅の狭い $\Upsilon$ 共鳴が並ぶので,共鳴の直上は避ける).
10.2.3 例(c):Compton 散乱
$\gamma+e^-\to\gamma+e^-$.最低次で寄与する図は 2 枚ある.外線が 4 本(光子 2 本,電子 2 本)で頂点が 2 個だから,「光子 2 の吸収と光子 3 の放出のどちらが先か」の 2 通りがあるのである.どちらも同じ次数 $g_e^2$ なので,両方を足してから 2 乗しなければならない.
導出:Compton 振幅(2枚の和)
ステップ1:図(c-1).入射電子 $p_1$($u(1)$),入射光子 $p_2$($\epsilon_2^\mu$),出射光子 $p_3$($\epsilon_3^{*\nu}$),出射電子 $p_4$($\bar u(4)$).まず光子 2 を吸収し,仮想電子として伝播し,光子 3 を放出する.内部線の運動量は $q=p_1+p_2$.電子線を矢印に逆らってたどると:
$$ \bar u(4)\,\underbrace{(\ii g_e\gamma^\nu)\epsilon^*_{3\nu}}_{\text{光子3の放出}}\, \underbrace{\frac{\ii(\slashed{q}+m)}{q^2-m^2}}_{\text{仮想電子}}\, \underbrace{(\ii g_e\gamma^\mu)\epsilon_{2\mu}}_{\text{光子2の吸収}}\,u(1) $$$\gamma^\nu\epsilon^*_{3\nu}=\slashed{\epsilon}_3^{\,*}$,$\gamma^\mu\epsilon_{2\mu}=\slashed{\epsilon}_2$ と書けるので,数因子は $(\ii g_e)^2\times\ii=-\ii g_e^2$:
$$ -\ii\mathcal{M}_1 = -\ii g_e^2\,\bar u(4)\, \frac{\slashed{\epsilon}_3^{\,*}(\slashed{p}_1+\slashed{p}_2+m)\slashed{\epsilon}_2}{(p_1+p_2)^2-m^2}\,u(1) $$ステップ2:図(c-2).先に光子 3 を放出し,あとで光子 2 を吸収する.内部線の運動量は $q=p_1-p_3$.同じ手順で
$$ -\ii\mathcal{M}_2 = -\ii g_e^2\,\bar u(4)\, \frac{\slashed{\epsilon}_2(\slashed{p}_1-\slashed{p}_3+m)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}}{(p_1-p_3)^2-m^2}\,u(1) $$行列の並び順が変わっていることに注意.先に起こる操作ほど右に来る(矢印に逆らってたどるので,右が過去である).
ステップ3:分母を運動学で書き直す.$p_1^2=m^2$(電子は質量殻上),$p_2^2=p_3^2=0$(光子)だから
$$ (p_1+p_2)^2-m^2 = m^2+2p_1\!\cdot\! p_2 - m^2 = 2p_1\!\cdot\! p_2, \qquad (p_1-p_3)^2-m^2 = -2p_1\!\cdot\! p_3 $$ステップ4:和を取る.2 つの図は入射光子と出射光子の入れかえで移り合うが,入れかわるのはボソンなので相対符号は $+$ である(10.1.5 の規則2「図の間の相対符号」はフェルミオンの入れかえについてのもの).よって
2 項目の $-$ は,分母 $(p_1-p_3)^2-m^2=-2p_1\cdot p_3$ の符号を外に出したことによる.
数学ノート:ゲージ不変性による検算
式 \eqref{eq:10-compton} が正しいかどうかを確かめる強力な方法がある.物理的な振幅は,光子の偏極ベクトルを $\epsilon_2\to\epsilon_2+\lambda p_2$ とゲージ変換しても変わらないはずである.したがって $\epsilon_2\to p_2$ と置くと $\mathcal{M}=0$ にならなければならない.
実際に代入してみる.第1項の分子は $\slashed{\epsilon}_3^{\,*}(\slashed{p}_1+\slashed{p}_2+m)\slashed{p}_2$ となる.ここで $\slashed{p}_2\slashed{p}_2=p_2^2=0$ と $\slashed{p}_1\slashed{p}_2=2p_1\cdot p_2-\slashed{p}_2\slashed{p}_1$ を使い,さらに右端の $u(1)$ に $(\slashed{p}_1-m)u(1)=0$(Dirac 方程式)を効かせると
$$ (\slashed{p}_1+m)\slashed{p}_2 u(1) = (2p_1\!\cdot\! p_2-\slashed{p}_2\slashed{p}_1+m\slashed{p}_2)u(1) = (2p_1\!\cdot\! p_2)u(1)-\slashed{p}_2(\slashed{p}_1-m)u(1) = (2p_1\!\cdot\! p_2)u(1) $$となり,第1項は $g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)$ に化ける.第2項も同様に計算すると同じ量の符号違いになり,きれいに相殺して $\mathcal{M}=0$ を得る.2 枚の図の片方だけではゲージ不変にならない.ゲージ不変性は,あるべき図をすべて足したときに初めて成立する.これは計算間違いを見つける最良のチェックである.
10.2.4 例(d):対消滅 $e^+e^-\to\gamma\gamma$
導出:対消滅振幅
ステップ1:交叉で得る.この過程は Compton 散乱の交叉である.入射光子 $p_2$ を出射光子 $-p_4$ に,出射電子 $p_4$ を入射陽電子 $-p_2$ に読みかえればよい.しかし,練習のため直接書き下す.
ステップ2:図(d) の第1枚.入射電子 $p_1$($u(1)$),入射陽電子 $p_2$($\bar v(2)$),出射光子 $p_3$($\epsilon_3^*$)と $p_4$($\epsilon_4^*$).電子線をたどると,陽電子側の $\bar v(2)$ から出発し,光子 4 の放出頂点,仮想電子(運動量 $p_1-p_3$),光子 3 の放出頂点,$u(1)$ の順である:
$$ -\ii\mathcal{M}_1=-\ii g_e^2\,\bar v(2)\, \frac{\slashed{\epsilon}_4^{\,*}(\slashed{p}_1-\slashed{p}_3+m)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}}{(p_1-p_3)^2-m^2}\,u(1) $$ステップ3:第2枚は光子を入れかえたもの.$3\leftrightarrow4$:
$$ -\ii\mathcal{M}_2=-\ii g_e^2\,\bar v(2)\, \frac{\slashed{\epsilon}_3^{\,*}(\slashed{p}_1-\slashed{p}_4+m)\slashed{\epsilon}_4^{\,*}}{(p_1-p_4)^2-m^2}\,u(1) $$ステップ4:分母.$p_1^2=m^2$,$p_3^2=p_4^2=0$ より $(p_1-p_3)^2-m^2=-2p_1\cdot p_3$,$(p_1-p_4)^2-m^2=-2p_1\cdot p_4$.したがって
材料科学との接点:Dirac の消滅断面積が PALS の出発点である
式 \eqref{eq:10-annihilation} から出発してスピン平均を取ると,Dirac が 1930 年に導いた完全な $2\gamma$ 消滅断面積が得られる.その非相対論極限(陽電子の速度 $v\ll c$,すなわち $\beta\ll1$)は,次の簡単な形になる:
$1/\beta$ が付くのは,遅い粒子ほど「相手の近くに長くいる」からである.したがって断面積そのものは発散するが,実験で意味を持つのは単位時間あたりの消滅確率(消滅率)であり,これは $\beta$ が打ち消し合って有限になる:
$$ \lambda = \sigma_{2\gamma}\,v\,n_e = \pi r_e^2 c\, n_e $$ここで $n_e$ は陽電子の位置における電子密度である.数値を入れると $\pi r_e^2 c=7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}}$.
この一行が,陽電子消滅寿命測定(PALS, positron annihilation lifetime spectroscopy)という材料評価法のすべての土台である.陽電子寿命 $\tau=1/\lambda$ は,(電子・陽電子相関による増大因子を別にすれば)陽電子が感じる電子密度の逆数に比例する.実際には $n_e$ は増大因子込みの実効電子密度に置きかえねばならず,しかも増大因子は電子密度に依存するので,寿命と密度は単純な反比例ではない(10.7.3 項で数値を入れて確かめる).空孔(vacancy)に陽電子が捕獲されると,そこは正イオンがないので電子密度が低く,$\tau$ が伸びる.こうして寿命の測定が空孔濃度の測定になる.10.7 節で数値を入れて確かめる.
10.3 Casimir トリックとトレース定理
振幅 $\mathcal{M}$ が書けたら,次は $\abs{\mathcal{M}}^2$ である.しかし $\mathcal{M}$ にはスピノル $u^{(s)}(p)$ が入っており,スピン $s$ に依存する.実験では,たいてい
- 入射粒子のスピンは制御していない(無偏極ビーム)ので,初期スピンについては平均を取る,
- 出射粒子のスピンは測っていないので,終状態スピンについては和を取る,
という操作が必要である.スピン $1/2$ の粒子が入射側に 2 個あるなら,平均は $\tfrac12\times\tfrac12=\tfrac14$ である.この操作を
$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}\equiv\frac{1}{4}\sum_{\text{全スピン}}\abs{\mathcal{M}}^2 $$と書く.素朴にやれば,4 個の外線スピノルそれぞれにスピン 2 通り,計 $2^4=16$ 通りの組合せを書き下して 16 回の掛け算を実行することになる.うんざりである.
ここで Casimir が見つけた見事な技法がある.スピンの和を,$\gamma$ 行列のトレースに変換してしまうのである.そうすれば,スピノルの具体形を一度も書かずに,行列の代数計算だけで答えが出る.これを Casimir トリック(Casimir's trick)と呼ぶ.
10.3.1 双一次形式の複素共役
定理:双一次形式の共役
任意の $4\times4$ 行列 $\Gamma$ に対し,$\bar\Gamma\equiv\gamma^0\Gamma^\dagger\gamma^0$ と定義すると
$$ \begin{equation} \left[\bar u(a)\,\Gamma\,u(b)\right]^* = \bar u(b)\,\bar\Gamma\,u(a) \label{eq:10-bilinear-conj} \end{equation} $$が成り立つ($u$ を $v$ に置きかえても同じ).とくに $\overline{\gamma^\mu}=\gamma^\mu$,$\overline{\gamma^\mu\gamma^\nu}=\gamma^\nu\gamma^\mu$,$\overline{\gamma^5}=-\gamma^5$,$\overline{\gamma^\mu\gamma^5}=\gamma^\mu\gamma^5$ である.
導出:式 \eqref{eq:10-bilinear-conj} の証明
ステップ1:$\bar u\Gamma u$ は $1\times1$ 行列(ただの数)だから,複素共役はエルミート共役に等しい:$[\bar u(a)\Gamma u(b)]^*=[\bar u(a)\Gamma u(b)]^\dagger = u(b)^\dagger\Gamma^\dagger \bar u(a)^\dagger$.
ステップ2:定義 $\bar u=u^\dagger\gamma^0$ より $\bar u(a)^\dagger=(u(a)^\dagger\gamma^0)^\dagger=\gamma^{0\dagger}u(a)=\gamma^0u(a)$($\gamma^0$ はエルミート).
ステップ3:$u(b)^\dagger = \bar u(b)\gamma^0$($\gamma^0\gamma^0=1$ を使った).したがって
$$ [\bar u(a)\Gamma u(b)]^* = \bar u(b)\gamma^0\,\Gamma^\dagger\,\gamma^0 u(a) = \bar u(b)\bar\Gamma u(a) $$ステップ4:具体例を確かめる.$\overline{\gamma^\mu}=\gamma^0\gamma^{\mu\dagger}\gamma^0$.付録C の性質 $\gamma^{\mu\dagger}=\gamma^0\gamma^\mu\gamma^0$ を使うと $\gamma^0(\gamma^0\gamma^\mu\gamma^0)\gamma^0=\gamma^\mu$.積の場合は $\overline{AB}=\gamma^0(AB)^\dagger\gamma^0=\gamma^0B^\dagger A^\dagger\gamma^0 = (\gamma^0B^\dagger\gamma^0)(\gamma^0A^\dagger\gamma^0)=\bar B\bar A$ と順序が逆転する.$\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ については $\gamma^{5\dagger}=\gamma^5$ かつ $\{\gamma^5,\gamma^0\}=0$ なので $\overline{\gamma^5}=\gamma^0\gamma^5\gamma^0=-\gamma^5$.
10.3.2 Casimir トリック
定理:Casimir トリック
スピン和の公式(第9章)
$$ \sum_{s}u^{(s)}(p)\bar u^{(s)}(p)=\slashed{p}+m, \qquad \sum_{s}v^{(s)}(p)\bar v^{(s)}(p)=\slashed{p}-m $$を用いると,
反粒子スピノル $v$ が現れる場合は,対応する $(\slashed{p}+m)$ を $(\slashed{p}-m)$ に置きかえるだけでよい.
導出:Casimir トリックの証明
ステップ1:スピノル添字を露わに書く.$\bar u(a)\Gamma_1u(b)=\bar u_i(a)(\Gamma_1)_{ij}u_j(b)$($i,j$ は 1〜4 のスピノル添字,和を取る).同様に第2因子は式 \eqref{eq:10-bilinear-conj} により
$$ \left[\bar u(a)\Gamma_2u(b)\right]^*=\bar u(b)\bar\Gamma_2 u(a)=\bar u_k(b)(\bar\Gamma_2)_{k\ell}u_\ell(a) $$ステップ2:積を並べ替える.各成分はただの数なので順序を自由に入れかえられる:
$$ \sum_{s_a,s_b} u_\ell(a)\bar u_i(a)\,(\Gamma_1)_{ij}\,u_j(b)\bar u_k(b)\,(\bar\Gamma_2)_{k\ell} $$ステップ3:スピン和を実行する.$\sum_{s_a}u_\ell(a)\bar u_i(a)=(\slashed{p}_a+m_a)_{\ell i}$,$\sum_{s_b}u_j(b)\bar u_k(b)=(\slashed{p}_b+m_b)_{jk}$ を代入すると
$$ (\slashed{p}_a+m_a)_{\ell i}(\Gamma_1)_{ij}(\slashed{p}_b+m_b)_{jk}(\bar\Gamma_2)_{k\ell} $$ステップ4:添字を読む.添字が $\ell\to i\to j\to k\to\ell$ と一周している.これはまさに行列の積のトレースである:
$$ =\Tr\!\left[(\slashed{p}_a+m_a)\Gamma_1(\slashed{p}_b+m_b)\bar\Gamma_2\right] =\Tr\!\left[\Gamma_1(\slashed{p}_b+m_b)\bar\Gamma_2(\slashed{p}_a+m_a)\right] $$最後の等号はトレースの巡回性 $\Tr(ABC)=\Tr(BCA)$ による.これで証明が終わった.
なぜこれが「見事」なのか
Casimir トリックの威力は,スピノルという「向き」を持った対象が完全に消え,行列代数だけが残ることにある.$u^{(s)}(p)$ の具体形は表示(Dirac–Pauli か Weyl か)に依存し,$p$ の向きにも依存するが,トレースはそのどちらにも依らない.
凝縮系物理で言えば,スピン自由度についての和が「$\mathrm{tr}_\sigma$」の一言で片付き,あとはバンド指標の計算だけになるのと同じ気分である.違いは,QED では和が Lorentz 群のスピノル表現についてのものなので,結果が自動的に Lorentz 不変な内積 $p_i\cdot p_j$ だけで書けることである.これは強力な検算になる:計算の途中で Lorentz 不変でない量が出てきたら間違いである.
10.3.3 トレース定理
あとは $\gamma$ 行列の積のトレースを計算できればよい.必要な公式は次の表に尽きる.すべて $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}\mathbb{1}$ と $\Tr(\mathbb{1})=4$ から出る.
| 番号 | 公式 | 覚え方 |
|---|---|---|
| T1 | $\Tr(\mathbb{1})=4$ | 4 成分だから |
| T2 | $\gamma$ 行列が奇数個の積のトレース $=0$ | $\gamma^5$ を挟む |
| T3 | $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=4g^{\mu\nu}$ | 反交換関係の半分 |
| T4 | $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)=4\left(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho}\right)$ | 3 通りの組,中央だけ $-$ |
| T5 | $\Tr(\gamma^5)=0$ | |
| T6 | $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5)=0$ | $\gamma$ が 4 個未満なら 0 |
| T7 | $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^5)=-4\ii\,\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ | 完全反対称,弱い相互作用で使う |
| T8 | $\Tr(\slashed{a}\slashed{b})=4\,a\!\cdot\! b$ | T3 の縮約形 |
| T9 | $\Tr(\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d})=4\left[(a\!\cdot\! b)(c\!\cdot\! d)-(a\!\cdot\! c)(b\!\cdot\! d)+(a\!\cdot\! d)(b\!\cdot\! c)\right]$ | T4 の縮約形 |
導出:トレース定理の証明
T3:$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=4g^{\mu\nu}$.トレースの巡回性より $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=\Tr(\gamma^\nu\gamma^\mu)$.したがって
$$ \Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=\tfrac12\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\mu) =\tfrac12\Tr(2g^{\mu\nu}\mathbb{1})=g^{\mu\nu}\Tr(\mathbb{1})=4g^{\mu\nu} $$T2:奇数個は 0.$\gamma^5\gamma^5=\mathbb{1}$ と $\{\gamma^5,\gamma^\mu\}=0$ を使う.$n$ 個の積 $A=\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}$ に対して
$$ \Tr(A)=\Tr(A\gamma^5\gamma^5) \stackrel{\text{巡回性}}{=}\Tr(\gamma^5A\gamma^5) $$$\gamma^5$ を $A$ の中の $n$ 個の $\gamma$ すべてと反交換させて右へ送ると $(-1)^n$ が出る:
$$ \Tr(\gamma^5A\gamma^5)=(-1)^n\Tr(A\gamma^5\gamma^5)=(-1)^n\Tr(A) $$$n$ が奇数なら $\Tr(A)=-\Tr(A)$,すなわち $\Tr(A)=0$.
T4:4 個の積.反交換関係 $\gamma^\mu\gamma^\nu=2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu$ を使って,一番左の $\gamma^\mu$ を右端まで運ぶ.1 回動かすごとに $2g$ の項が生じる:
$$ \begin{aligned} \Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma) &=2g^{\mu\nu}\Tr(\gamma^\rho\gamma^\sigma)-\Tr(\gamma^\nu\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma)\\ &=8g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-2g^{\mu\rho}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\sigma)+\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\mu\gamma^\sigma)\\ &=8g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-8g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+2g^{\mu\sigma}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho)-\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\mu) \end{aligned} $$最後の項に巡回性を使うと $\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\mu)=\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)$ となり,左辺と同じものである.これを $T$ と書けば
$$ 2T = 8\left(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho}\right) $$すなわち T4 を得る.同じ手口で 6 個,8 個のトレースも書き下せる(項数はそれぞれ 15,105 個で,$\gamma$ 行列の添字を 2 つずつペアにする組合せの数である).
T5:$\Tr(\gamma^5)=0$.$\gamma^0\gamma^0=\mathbb{1}$ を挿入し,$\gamma^5$ と $\gamma^0$ が反交換することを使う:
$$ \Tr(\gamma^5)=\Tr(\gamma^0\gamma^0\gamma^5)=-\Tr(\gamma^0\gamma^5\gamma^0) \stackrel{\text{巡回性}}{=}-\Tr(\gamma^5\gamma^0\gamma^0)=-\Tr(\gamma^5) $$T6:$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5)=0$.$\mu=\nu$ なら $\gamma^\mu\gamma^\mu=g^{\mu\mu}\mathbb{1}$(和を取らない)なので T5 に帰着して 0.$\mu\ne\nu$ なら,$\rho\ne\mu,\nu$ となる添字 $\rho$ を選ぶ(4 次元なので必ず存在する).$\gamma^\rho\gamma^\rho=g^{\rho\rho}\mathbb{1}=\pm\mathbb{1}$ を挿入し,一方の $\gamma^\rho$ を $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5$ の右へ運ぶ.$\gamma^\rho$ は $\gamma^\mu,\gamma^\nu,\gamma^5$ のすべてと反交換するので $(-1)^3=-1$:
$$ g^{\rho\rho}\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5)=\Tr(\gamma^\rho\gamma^\rho\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5) =-\Tr(\gamma^\rho\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5\gamma^\rho) =-\Tr(\gamma^\rho\gamma^\rho\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5) $$したがって $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^5)=0$.同じ論法で $\gamma$ が 1 個・3 個と $\gamma^5$ の積も 0 になる.
T7:4 個 $+\gamma^5$.結果は $\mu\nu\rho\sigma$ について完全反対称でなければならない(同じ添字が 2 つあれば,上の T6 の論法で 0 になるため).4 次元の完全反対称テンソルは $\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ しかないので $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^5)=C\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ の形になる.係数 $C$ は $\mu\nu\rho\sigma=0123$ を入れて決める:
$$ \Tr(\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^5) =\Tr(-\ii\gamma^5\gamma^5)=-\ii\Tr(\mathbb{1})=-4\ii $$ここで $\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ すなわち $\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3=-\ii\gamma^5$ を使った.$\epsilon^{0123}=+1$ だから $C=-4\ii$,すなわち T7 が出る.
注意:$\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ の符号の流儀
T7 の符号は $\epsilon$ テンソルの規約に完全に依存する.本書は $\epsilon^{0123}=+1$(したがって $\epsilon_{0123}=-1$)を採用するので $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^5)=-4\ii\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ である.Griffiths のように $\epsilon^{0123}=-1$ を採る本では $+4\ii\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ となる.
QED の断面積では $\gamma^5$ が現れないので気にしなくてよいが,第12章の弱い相互作用($V-A$ 結合)では T7 が主役になり,符号を間違えるとパリティ非保存の向きが逆になる.そのときに必ずこの箱に戻ってくること.
10.3.4 縮約公式
トレースを取る前に,同じ添字で挟まれた $\gamma$ 行列を潰しておくと計算がずっと軽くなる.次の 4 つを暗記しておくとよい.
定理:縮約公式
$$ \begin{aligned} \text{C1:}&\quad \gamma^\mu\gamma_\mu=4\\ \text{C2:}&\quad \gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}\\ \text{C3:}&\quad \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu=4\,(a\!\cdot\! b)\\ \text{C4:}&\quad \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=-2\,\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a} \end{aligned} $$導出:縮約公式の証明
C1:$\gamma^\mu\gamma_\mu=g_{\mu\nu}\gamma^\mu\gamma^\nu$.$g_{\mu\nu}$ が対称なので,$\gamma^\mu\gamma^\nu$ の対称部分だけが効く:
$$ g_{\mu\nu}\gamma^\mu\gamma^\nu=\tfrac12 g_{\mu\nu}\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}\mathbb{1}=4 $$(4 次元なので $g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}=\delta^\mu_\mu=4$.)
C2:$\gamma^\mu\gamma^\nu=2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu$ を使って $\gamma^\mu$ を右へ 1 つ動かす:
$$ \gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=a_\nu\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu =a_\nu(2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu)\gamma_\mu =2\slashed{a}-\slashed{a}\,(\gamma^\mu\gamma_\mu)=2\slashed{a}-4\slashed{a}=-2\slashed{a} $$C3:まず $\gamma^\mu\slashed{a}=2a^\mu-\slashed{a}\gamma^\mu$(C2 の途中式)を使う:
$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu=(2a^\mu-\slashed{a}\gamma^\mu)\slashed{b}\gamma_\mu =2\slashed{b}\slashed{a}-\slashed{a}(\gamma^\mu\slashed{b}\gamma_\mu) =2\slashed{b}\slashed{a}+2\slashed{a}\slashed{b} $$ここで $\{\slashed{a},\slashed{b}\}=a_\mu b_\nu\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2\,a\cdot b$ だから,最後の式は $2\{\slashed{a},\slashed{b}\}=4\,(a\cdot b)$ である.
C4:同様に
$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=2a^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu-\slashed{a}(\gamma^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu) =2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{a}-4(b\!\cdot\! c)\slashed{a} $$ここで $2(b\cdot c)=\slashed{b}\slashed{c}+\slashed{c}\slashed{b}$ を代入すると
$$ =2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{a}-2(\slashed{b}\slashed{c}+\slashed{c}\slashed{b})\slashed{a}=-2\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a} $$順序がひっくり返るのが C4 の特徴である.
例:手を動かしてみる
次のトレースを計算してみよう(10.4 節で実際に使う形である).
$$ \Tr\!\left[\gamma^\mu\slashed{p}_1\gamma^\nu\slashed{p}_2\right] $$T4 を使う.$\slashed{p}_1=p_{1\alpha}\gamma^\alpha$,$\slashed{p}_2=p_{2\beta}\gamma^\beta$ と書けば
$$ \begin{aligned} \Tr\!\left[\gamma^\mu\gamma^\alpha\gamma^\nu\gamma^\beta\right]p_{1\alpha}p_{2\beta} &=4\left(g^{\mu\alpha}g^{\nu\beta}-g^{\mu\nu}g^{\alpha\beta}+g^{\mu\beta}g^{\alpha\nu}\right)p_{1\alpha}p_{2\beta}\\ &=4\left(p_1^\mu p_2^\nu-g^{\mu\nu}(p_1\!\cdot\! p_2)+p_2^\mu p_1^\nu\right) \end{aligned} $$結果が $(\mu\leftrightarrow\nu$ かつ $p_1\leftrightarrow p_2)$ の同時入れかえで不変なのは,元の量がそうであることとトレースの巡回性から予想できる.さらに $\mu\leftrightarrow\nu$ 単独でも対称なことは,トレースが行列の並びを逆順にしても変わらない性質 $\Tr(\gamma^{a_1}\cdots\gamma^{a_n})=\Tr(\gamma^{a_n}\cdots\gamma^{a_1})$(逆順定理)を併せて使えば分かる.こういう構造上の検算を毎回やる癖をつけると,計算間違いがぐっと減る.
10.4 断面積を最後まで計算する
いよいよ本章の山場である.$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の断面積を,振幅 \eqref{eq:10-eemumu} から実験値と比べられる数値まで,途中を一つも省かずに計算する.
この過程を選ぶ理由は3つある.第一に,最も簡単である(ダイアグラムが1枚,終状態が2体).第二に,実験で非常に精密に測られており,理論と比較できる.第三に,これがすべての $e^+e^-$ 衝突実験の物差しになっている.ハドロン生成断面積をこの値で割った $R$ 比が,クォークの色の数 $N_c=3$ を直接教えてくれるのである(10.4.5 項,および第11章).
10.4.1 $\abs{\mathcal{M}}^2$ のスピン平均
導出:ステップ1〜3 —— 2つのトレースへ
ステップ1:$\abs{\mathcal{M}}^2$ を書く.式 \eqref{eq:10-eemumu} より
$$ \abs{\mathcal{M}}^2=\frac{g_e^4}{s^2} \left[\bar v(2)\gamma^\mu u(1)\right]\left[\bar v(2)\gamma^\nu u(1)\right]^* \left[\bar u(3)\gamma_\mu v(4)\right]\left[\bar u(3)\gamma_\nu v(4)\right]^* $$Lorentz 指標を2組($\mu$ と $\nu$)用意したのは,$\abs{\mathcal{M}}^2$ が振幅とその共役の積だからである.共役側の指標を $\nu$ と名付け直しただけである.
ステップ2:初期側(電子・陽電子)のスピン和.Casimir トリック \eqref{eq:10-casimir} を,$v$ が入る場合の置きかえ $(\slashed{p}+m)\to(\slashed{p}-m)$ に注意して適用する.$\overline{\gamma^\nu}=\gamma^\nu$ なので
$$ \sum_{s_1,s_2}\left[\bar v(2)\gamma^\mu u(1)\right]\left[\bar v(2)\gamma^\nu u(1)\right]^* =\Tr\!\left[\gamma^\mu(\slashed{p}_1+m_e)\gamma^\nu(\slashed{p}_2-m_e)\right]\equiv L^{\mu\nu} $$これをレプトンテンソルと呼ぶ.$p_1$ が電子($+m_e$),$p_2$ が陽電子($-m_e$)である.
ステップ3:終状態側(ミュオン)のスピン和.同様に
$$ \sum_{s_3,s_4}\left[\bar u(3)\gamma_\mu v(4)\right]\left[\bar u(3)\gamma_\nu v(4)\right]^* =\Tr\!\left[\gamma_\mu(\slashed{p}_4-m_\mu)\gamma_\nu(\slashed{p}_3+m_\mu)\right]\equiv M_{\mu\nu} $$したがって,初期スピンの平均($\tfrac14$)を含めて
スピノルは一つも残っていない.あとはトレースを取って縮約するだけである.
導出:ステップ4 —— 2つのテンソル
ステップ4a:レプトンテンソル.展開すると4項出るが,$\gamma$ 行列が奇数個の項($m_e$ が1つだけ付く項)は T2 により消える:
$$ L^{\mu\nu}=\Tr\!\left[\gamma^\mu\slashed{p}_1\gamma^\nu\slashed{p}_2\right]-m_e^2\Tr\!\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\right] $$10.3.4 項の例と T3 から
$$ L^{\mu\nu}=4\left[p_1^\mu p_2^\nu+p_1^\nu p_2^\mu-g^{\mu\nu}(p_1\!\cdot\! p_2)\right]-4m_e^2g^{\mu\nu} =4\left[p_1^\mu p_2^\nu+p_1^\nu p_2^\mu-g^{\mu\nu}\left(p_1\!\cdot\! p_2+m_e^2\right)\right] $$ステップ4b:ミュオンテンソル.まったく同じ計算で(符号の位置に注意して)
$$ M_{\mu\nu}=4\left[p_{3\mu}p_{4\nu}+p_{3\nu}p_{4\mu}-g_{\mu\nu}\left(p_3\!\cdot\! p_4+m_\mu^2\right)\right] $$ステップ5:縮約する.$m_e^2$ は $s=100\ \mathrm{GeV^2}$ に対して $2.6\times10^{-7}\ \mathrm{GeV^2}$ しかないので,以下 $m_e=0$ と置く(誤差は $10^{-9}$ 程度).$m_\mu$ は残す.$L^{\mu\nu}M_{\mu\nu}$ を項別に計算する:
$$ \begin{aligned} \tfrac{1}{16}L\!\cdot\! M =\ &\left[p_1^\mu p_2^\nu+p_1^\nu p_2^\mu-g^{\mu\nu}(p_1\!\cdot\! p_2)\right] \left[p_{3\mu}p_{4\nu}+p_{3\nu}p_{4\mu}-g_{\mu\nu}(p_3\!\cdot\! p_4+m_\mu^2)\right] \end{aligned} $$第1括弧の第1項 $p_1^\mu p_2^\nu$ との積:
$$ (p_1\!\cdot\! p_3)(p_2\!\cdot\! p_4)+(p_1\!\cdot\! p_4)(p_2\!\cdot\! p_3)-(p_1\!\cdot\! p_2)(p_3\!\cdot\! p_4+m_\mu^2) $$第2項 $p_1^\nu p_2^\mu$ との積も,$\mu\leftrightarrow\nu$ の対称性から同じ値になる.第3項 $-g^{\mu\nu}(p_1\cdot p_2)$ との積は,$g^{\mu\nu}g_{\mu\nu}=4$ を使って
$$ -(p_1\!\cdot\! p_2)\left[2(p_3\!\cdot\! p_4)-4(p_3\!\cdot\! p_4+m_\mu^2)\right] =(p_1\!\cdot\! p_2)\left[2(p_3\!\cdot\! p_4)+4m_\mu^2\right] $$全部足すと,$(p_1\cdot p_2)(p_3\cdot p_4)$ の項がきれいに相殺して
($\tfrac{g_e^4}{4s^2}\times16\times2=\tfrac{8g_e^4}{s^2}$.)
物理的意味:結果がスカラー積だけで書けたこと
式 \eqref{eq:10-M2-invariant} には,4元運動量の内積しか現れない.座標系の選び方も,$\gamma$ 行列の表示も,スピノルの位相も,どこにも残っていない.これはLorentz 不変な答えが出たということであり,計算が正しかったことの強い証拠である.
Mandelstam 変数(第4章)で書き直すと,$m_e=0$ のとき $s=2p_1\cdot p_2$,$t=m_\mu^2-2p_1\cdot p_3$,$u=m_\mu^2-2p_1\cdot p_4$ だから
$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=\frac{2g_e^4}{s^2}\left[(t-m_\mu^2)^2+(u-m_\mu^2)^2+2m_\mu^2 s\right] $$となる.$s,t,u$ だけの式である.第11章でクォーク対生成,第12章で $Z$ 交換を扱うとき,同じ形の式が色因子や結合定数を替えて何度も現れる.
10.4.2 重心系の運動学
導出:ステップ6 —— 内積を角度で書く
ステップ6a:運動量を置く.重心系(CM)で,ビーム軸を $z$ 軸に取る.電子・陽電子は質量を無視するので $\abs{\pp_1}=\abs{\pp_2}=E$,ミュオンは $\abs{\pp_3}=\abs{\pp_4}=p'$:
$$ p_1=(E,0,0,E),\quad p_2=(E,0,0,-E),\quad p_3=(E,\pp'),\quad p_4=(E,-\pp') $$ここで $\pp'=p'(\sin\theta,0,\cos\theta)$,$\theta$ は入射電子の向きから測った $\mu^-$ の散乱角である.エネルギー保存より両者の $E$ は等しく,$\sqrt{s}=2E$,すなわち
$$ s=4E^2,\qquad p'=\sqrt{E^2-m_\mu^2}=E\beta,\qquad \beta\equiv\sqrt{1-\frac{4m_\mu^2}{s}} $$$\beta$ は生成されたミュオンの速度($c$ 単位)である.
ステップ6b:内積を計算する.$a\cdot b=a^0b^0-\bm{a}\cdot\bm{b}$ を使って一つずつ:
$$ \begin{aligned} p_1\!\cdot\! p_2 &= E^2-(E\hat z)\!\cdot\!(-E\hat z)=2E^2=\tfrac{s}{2}\\ p_1\!\cdot\! p_3 &= E^2-(E\hat z)\!\cdot\!\pp' = E^2-Ep'\cos\theta=E^2(1-\beta\cos\theta)\\ p_2\!\cdot\! p_4 &= E^2-(-E\hat z)\!\cdot\!(-\pp')=E^2-Ep'\cos\theta=E^2(1-\beta\cos\theta)\\ p_1\!\cdot\! p_4 &= E^2-(E\hat z)\!\cdot\!(-\pp')=E^2+Ep'\cos\theta=E^2(1+\beta\cos\theta)\\ p_2\!\cdot\! p_3 &= E^2-(-E\hat z)\!\cdot\!\pp'=E^2+Ep'\cos\theta=E^2(1+\beta\cos\theta) \end{aligned} $$ステップ6c:代入する.
$$ \begin{aligned} (p_1\!\cdot\! p_3)(p_2\!\cdot\! p_4)+(p_1\!\cdot\! p_4)(p_2\!\cdot\! p_3)+m_\mu^2(p_1\!\cdot\! p_2) &=E^4(1-\beta\cos\theta)^2+E^4(1+\beta\cos\theta)^2+2m_\mu^2E^2\\ &=2E^4\left(1+\beta^2\cos^2\theta\right)+2m_\mu^2E^2 \end{aligned} $$$m_\mu^2/E^2=4m_\mu^2/s=1-\beta^2$ を使うと,括弧の中は
$$ 1+\beta^2\cos^2\theta+(1-\beta^2)=2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta $$ステップ6d:まとめる.$E^4=s^2/16$ だから
$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=\frac{8g_e^4}{s^2}\cdot 2\cdot\frac{s^2}{16}\left(2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta\right) $$驚くほど簡単な形になった.$\beta\to1$(高エネルギー極限)では $\braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=g_e^4(1+\cos^2\theta)$,$\beta\to0$(しきい値直上)では $g_e^4\times2$ で等方的である.
10.4.3 微分断面積と全断面積
導出:ステップ7 —— 断面積へ
ステップ7a:一般公式.付録B で導く 2 体 $\to$ 2 体の重心系断面積は
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{1}{64\pi^2 s}\,\frac{\abs{\pp_f}}{\abs{\pp_i}}\,\braket{\abs{\mathcal{M}}^2} $$である($\hbar=c=1$.同一粒子が終状態にある場合の統計因子 $S$ は,ここでは $\mu^+$ と $\mu^-$ が区別できるので $S=1$).
ステップ7b:運動量比.$\abs{\pp_i}=E$(電子),$\abs{\pp_f}=p'=\beta E$(ミュオン)なので $\abs{\pp_f}/\abs{\pp_i}=\beta$.
ステップ7c:代入する.$g_e^4=(4\pi\alpha)^2=16\pi^2\alpha^2$ を使って
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{\beta}{64\pi^2s}\cdot16\pi^2\alpha^2\left(2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta\right) $$(2つの表式が等しいことは $\sin^2\theta=1-\cos^2\theta$ を入れれば確かめられる.)
ステップ7d:高エネルギー極限.$s\gg 4m_\mu^2$,すなわち $\beta\to1$ で
ステップ7e:全断面積.角度で積分する.$\dd\Omega=2\pi\sin\theta\,\dd\theta$ とし,$x=\cos\theta$ と置くと
$$ \int\left(1+\cos^2\theta\right)\dd\Omega=2\pi\int_{-1}^{1}(1+x^2)\,\dd x =2\pi\left[x+\frac{x^3}{3}\right]_{-1}^{1}=2\pi\cdot\frac{8}{3}=\frac{16\pi}{3} $$ステップ7f:質量を残した全断面積.$\int\sin^2\theta\,\dd\Omega=2\pi\int_{-1}^1(1-x^2)\dd x=8\pi/3$ も使うと
$$ \sigma=\frac{\alpha^2\beta}{4s}\left(\frac{16\pi}{3}+(1-\beta^2)\frac{8\pi}{3}\right) =\frac{4\pi\alpha^2}{3s}\,\beta\,\frac{3-\beta^2}{2} $$しきい値 $\beta\to0$ では $\sigma\propto\beta$ となって連続的にゼロに近づく.これは $S$ 波でフェルミオン対を作るときの一般的なふるまい(2 体終状態の位相空間因子)である.ただし終状態の $\mu^+\mu^-$ の間に働く Coulomb 引力を取り込むと Sommerfeld 因子 $\sim\pi\alpha/\beta$ が掛かって $\beta$ が打ち消され,しきい値でも断面積は有限値に留まる(さらに下には束縛状態 —— 真のミュオニウム —— が現れる).
物理的意味:なぜ $1+\cos^2\theta$ なのか
この角度分布は,計算しなくても角運動量から理解できる.高エネルギー極限では,質量が無視できるのでヘリシティが保存する.入射 $e^-$ と $e^+$ は反対のヘリシティを持たねばならず(そうでないと $\bar v\gamma^\mu u$ が消える),対の全スピンはビーム軸方向に $J_z=\pm1$ となる.仮想光子はスピン 1 なので当然である.
終状態の $\mu^-\mu^+$ も同様に,$\mu^-$ の運動方向を $z'$ 軸として $J_{z'}=\pm1$ の状態にある.したがって振幅は,スピン 1 の状態を角度 $\theta$ だけ回した重なり,すなわち Wigner の $d$ 関数 $d^1_{\lambda\lambda'}(\theta)=\tfrac12(1+\lambda\lambda'\cos\theta)$($\lambda,\lambda'=\pm1$.すなわち $d^1_{1,1}=d^1_{-1,-1}=\tfrac12(1+\cos\theta)$,$d^1_{1,-1}=d^1_{-1,1}=\tfrac12(1-\cos\theta)$)で与えられる.確率は
$$ \abs{d^1_{1,1}}^2+\abs{d^1_{1,-1}}^2=\tfrac14(1+\cos\theta)^2+\tfrac14(1-\cos\theta)^2=\tfrac12\left(1+\cos^2\theta\right) $$これが $1+\cos^2\theta$ の正体である.計算せずに答えの形が分かるのは,対称性(第5章)の力である.
逆に言えば,実験で $1+\cos^2\theta$ からのずれ(前後非対称性 $A_{\mathrm{FB}}$)が,純 QED の高次補正(1 光子交換と 2 光子(箱型)交換の干渉,初期状態輻射と終状態輻射の干渉.いずれも数 % 以下)を差し引いても残れば,それは軸性結合をもつスピン 1 の別の粒子が混じっている証拠である.実際 $\sqrt{s}\gtrsim30\ \mathrm{GeV}$ では $Z$ ボソンとの干渉により $A_{\mathrm{FB}}\ne0$ が観測され,これが標準模型の精密検証の主役になった(第12章).
10.4.4 数値評価
例:$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ での断面積
(1) 自然単位系での値.$s=100\ \mathrm{GeV^2}$,$\alpha=1/137.036=7.29735\times10^{-3}$,$\alpha^2=5.32513\times10^{-5}$.
$$ \sigma=\frac{4\pi\alpha^2}{3s}=\frac{4\pi}{3}\times\frac{5.32513\times10^{-5}}{100\ \mathrm{GeV^2}} =4.18879\times5.32513\times10^{-7}\ \mathrm{GeV^{-2}} =2.2306\times10^{-6}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$(2) 面積に直す.$(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb}$,すなわち $1\ \mathrm{GeV^{-2}}=0.3894\ \mathrm{mb}=3.894\times10^{5}\ \mathrm{nb}$.したがって
$$ \sigma=2.2306\times10^{-6}\times3.894\times10^{5}\ \mathrm{nb}=0.8686\ \mathrm{nb} $$(3) ミュオン質量の補正を見積もる.$\beta=\sqrt{1-4m_\mu^2/s}$,$m_\mu=0.105658\ \mathrm{GeV}$ より $4m_\mu^2=4.4655\times10^{-2}\ \mathrm{GeV^2}$,$4m_\mu^2/s=4.4655\times10^{-4}$,$\beta=0.9997767$.補正因子は
$$ \beta\,\frac{3-\beta^2}{2}=0.9997767\times\frac{3-0.9995535}{2}=0.9997767\times1.0002233=0.99999993 $$$1$ からのずれは $7\times10^{-8}$ しかない.10 GeV ではミュオン質量は完全に無視してよい.
(4) 実感してみる.$0.869\ \mathrm{nb}=0.869\times10^{-33}\ \mathrm{cm^2}=8.69\times10^{-34}\ \mathrm{cm^2}$.原子核の幾何学的断面積が $\sim1\ \mathrm{barn}=10^{-24}\ \mathrm{cm^2}$ なので,その $10^{-9}$ 倍である.ルミノシティ $\mathcal{L}=10^{33}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$($B$ ファクトリー初期の運転程度.KEKB のピークは $2.1\times10^{34}$,PEP-II は $1.2\times10^{34}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$ に達した)の加速器なら,事象率は
$$ \frac{\dd N}{\dd t}=\sigma\mathcal{L}=8.69\times10^{-34}\times10^{33}=0.87\ \mathrm{s^{-1}} $$およそ 1 秒に 1 事象.1 日で約 $7.5\times10^4$ 事象が取れる計算になる(ピークルミノシティならこの 10〜20 倍である).実際の $B$ ファクトリー(KEKB, PEP-II)では,ルミノシティの絶対較正は主に Bhabha 散乱 $e^+e^-\to e^+e^-$ と $e^+e^-\to\gamma\gamma$ で行い,$\mu^+\mu^-$ 対はその検算に使われた.
注意:この値がそのまま実験値になるわけではない
式 \eqref{eq:10-sigma-numeric} は最低次(tree level)の QED の予言である.実験と比べるときは少なくとも次の3つを考えねばならない.
- 輻射補正:実際には $e^+e^-\to\mu^+\mu^-\gamma$ が必ず混じる.軟光子の放出は光子エネルギー $\to0$ で発散する(赤外発散)が,仮想光子によるループ補正と足し合わせて初めて有限になる(第11章 11.5.2 項の3ジェットの議論と同じ事情である).したがって測定量の定義(どこまでの光子放出を「$\mu^+\mu^-$ 事象」と数えるか)を決めないと理論値と比較できない.大きさは $O(\alpha)$ に大きな対数 $\ln(s/m_e^2)\simeq20$ が掛かるので,光子のカットの取り方によって数 %〜10 % 程度になる.
- $Z$ 交換:$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ では $s/m_Z^2\sim0.012$ なので $Z$ の寄与は小さいが,前後非対称性には 1 % 程度効く.
- 走る $\alpha$:10.6 節で見るように,$\alpha$ は $q^2$ に依存する.$q^2=s=100\ \mathrm{GeV^2}$ では(全荷電フェルミオン込みで)$\alpha\simeq1/132.1$ 程度になり,断面積は $\alpha^2$ に比例するので約 7.6 % 増える.正しくは $\alpha(0)$ ではなく $\alpha(s)$ を使う(演習10.5(4)).
逆に言えば,これらを丁寧に入れれば実験と 1 % 以下で合う(ルミノシティ較正に使う Bhabha 散乱では,理論・実験ともに 0.1 % 級の精度に達している).それが QED である.
10.4.5 $R$ 比 —— この断面積が物差しになる
物理的意味:色の数を数える
式 \eqref{eq:10-sigma-point} を導いた計算を見返すと,ミュオンの性質として使ったのは「電荷 $-1$,スピン $1/2$,点状(構造なし)」の3つだけである.したがって,電荷 $Q_f$(単位 $e$)を持つ任意の点状スピン $1/2$ 粒子の対生成は,同じ計算で
$$ \sigma(e^+e^-\to f\bar f)=Q_f^2\,\frac{4\pi\alpha^2}{3s} $$となる(頂点が1つ $Q_f$ 倍されるので振幅が $Q_f$ 倍,断面積が $Q_f^2$ 倍).
クォークに適用しよう.クォークは色(カラー)を3種類持つので,同じフレーバーでも3通りの終状態がある.終状態が増えれば断面積は足し算になるから,因子 $N_c=3$ が付く.そこで
を定義する.和は,そのエネルギーで生成できる($\sqrt{s}>2m_q$ の)クォークすべてについて取る.
| エネルギー領域 | 効くクォーク | $\sum Q_q^2$ | $R=3\sum Q_q^2$ | 実測(共鳴を除いた連続部分,概略) |
|---|---|---|---|---|
| $2<\sqrt{s}<3.7\ \mathrm{GeV}$ | $u,d,s$ | $\tfrac49+\tfrac19+\tfrac19=\tfrac69$ | $2$ | $2.1\pm0.1$ |
| $5<\sqrt{s}<9.5\ \mathrm{GeV}$ | $u,d,s,c$ | $\tfrac{10}{9}$ | $10/3=3.33$ | $3.6\pm0.1$ |
| $11<\sqrt{s}<40\ \mathrm{GeV}$ | $u,d,s,c,b$ | $\tfrac{11}{9}$ | $11/3=3.67$ | $3.9\pm0.1$ |
なぜ $R$ 比が決定的だったのか
色を導入しない($N_c=1$)とすれば,最初の領域で $R=2/3$ となり,実測 $2.1$ の 3 分の 1 にしかならない.$R$ 比は色の自由度の数を直接数える測定だったのである.第7章 7.6.1 項で $\Delta^{++}$ の波動関数の反対称性から色の必要性を論じたが,あれは間接的な議論だった.$R$ 比は「3」という数字を目に見える形で出した.
実測値が予言よりわずかに大きいのは,$\alpha_s$ による補正 $R=3\sum Q_q^2\left(1+\alpha_s/\pi+\cdots\right)$ のためである.第3行の代表点 $\sqrt{s}\simeq35\ \mathrm{GeV}$(PETRA)で $\alpha_s\simeq0.14$ なので $1+0.045=1.045$,$11/3\times1.045=3.83$.実測 $3.9\pm0.1$ とよく合う.この補正から $\alpha_s$ を逆に決めることもできる.詳しくは第11章で扱う.
10.5 Mott 散乱と Rutherford 極限
次は $t$ チャネルの例,式 \eqref{eq:10-emu} の電子・ミュオン散乱を最後まで計算する.ミュオンを「重い標的」とみなす極限を取ると,Mott 散乱の公式が出る.さらに非相対論極限を取ると,Rutherford の公式に帰着する.
この計算には二重の意味がある.一つは,1911 年の Rutherford から 1948 年の QED まで,理論の階層が一本につながることを見ること.もう一つは,これが電子線回折・RHEED の原子散乱因子,さらには EELS の非弾性断面積の出発点になっていること.結晶に電子線を当てて構造を調べる実験の原子散乱因子は,本節の出発点である Rutherford 型の Born 振幅($1/q^2$ の光子伝播関数)から作られる.回折角は数度以下なので $\sin^2(\theta/2)\lesssim10^{-3}$ となり,本節で導くスピン $1/2$ の Mott 因子は 1 と見なしてよく,相対論効果は $m_e\to\gamma m_e$ の置きかえで取り入れる($200\ \mathrm{kV}$ で $\gamma=1.39$).
10.5.1 スピン平均した $\abs{\mathcal{M}}^2$
導出:$e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ のスピン平均
ステップ1:Casimir トリック.式 \eqref{eq:10-emu} に対して,10.4.1 項とまったく同じ手順を踏む.ただし今度は 4 本の外線すべてが粒子($u$ スピノル)である:
$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=\frac{g_e^4}{4q^4} \Tr\!\left[\gamma^\mu(\slashed{p}_1+m_e)\gamma^\nu(\slashed{p}_3+m_e)\right] \Tr\!\left[\gamma_\mu(\slashed{p}_2+m_\mu)\gamma_\nu(\slashed{p}_4+m_\mu)\right] $$$q=p_1-p_3$.10.4 節と違って質量の符号がどちらも $+$ であることに注意($v$ スピノルが出てこない).
ステップ2:トレースを取る.T2, T3, T4 から
$$ \begin{aligned} A^{\mu\nu}&=4\left[p_1^\mu p_3^\nu+p_1^\nu p_3^\mu-g^{\mu\nu}\left(p_1\!\cdot\! p_3-m_e^2\right)\right]\\ B_{\mu\nu}&=4\left[p_{2\mu}p_{4\nu}+p_{2\nu}p_{4\mu}-g_{\mu\nu}\left(p_2\!\cdot\! p_4-m_\mu^2\right)\right] \end{aligned} $$質量項の符号が $-m^2$ になっているのが,10.4 節($+m^2$)との唯一の違いである.
ステップ3:縮約する.10.4.1 項のステップ5 と同じ手順(項別に $g^{\mu\nu}g_{\mu\nu}=4$ を使う)で計算すると
式 \eqref{eq:10-M2-invariant} と見比べてほしい.$s$ チャネルと $t$ チャネルで,内積の組み合わせが交叉対称性のとおりに入れかわっている.
10.5.2 重い標的の極限 —— Mott の公式
導出:Mott 断面積
ステップ1:静止した重い標的.ミュオン(一般には質量 $M$ の重い粒子)が実験室系で静止しているとする.$M\to\infty$ では反跳が無視でき,散乱の前後で標的は動かない:
$$ p_2=p_4=(M,\bm 0),\qquad p_1=(E,\pp),\qquad p_3=(E,\pp') $$$\abs{\pp}=\abs{\pp'}=p$(弾性散乱でエネルギーが変わらない),$\pp$ と $\pp'$ のなす角が散乱角 $\theta$.
ステップ2:内積を書く.
$$ p_1\!\cdot\! p_2=p_3\!\cdot\! p_4=p_1\!\cdot\! p_4=p_2\!\cdot\! p_3=EM,\qquad p_2\!\cdot\! p_4=M^2,\qquad p_1\!\cdot\! p_3=E^2-p^2\cos\theta $$ステップ3:移行運動量.
$$ q^2=(p_1-p_3)^2=2m_e^2-2p_1\!\cdot\! p_3=2m_e^2-2E^2+2p^2\cos\theta $$$E^2=p^2+m_e^2$ を使うと $q^2=-2p^2(1-\cos\theta)=-4p^2\sin^2(\theta/2)$.負であること(空間的)を確認しておく.
ステップ4:式 \eqref{eq:10-M2-emu} に代入.$M^2$ を括り出すと
$$ \begin{aligned} \left[\cdots\right]&=E^2M^2+E^2M^2-M^2\left(E^2-p^2\cos\theta\right)-m_e^2M^2+2m_e^2M^2\\ &=M^2\left[E^2+p^2\cos\theta+m_e^2\right] \end{aligned} $$さらに $m_e^2=E^2-p^2$ を代入して $\sin^2(\theta/2)$ でまとめる:
$$ E^2+p^2\cos\theta+E^2-p^2=2E^2-p^2(1-\cos\theta)=2E^2-2p^2\sin^2\tfrac\theta2 =2E^2\left[1-\beta^2\sin^2\tfrac\theta2\right] $$ここで $\beta\equiv p/E$ は入射電子の速度である.よって
$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=\frac{16g_e^4M^2E^2}{q^4}\left[1-\beta^2\sin^2\tfrac\theta2\right] $$ステップ5:断面積へ.$M\to\infty$ では重心系は標的の静止系に一致し,$\abs{\pp_f}=\abs{\pp_i}$,$(E_1+E_2)^2\to M^2$ である.したがって付録B の公式は
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{1}{64\pi^2M^2}\braket{\abs{\mathcal{M}}^2} =\frac{g_e^4E^2}{4\pi^2q^4}\left[1-\beta^2\sin^2\tfrac\theta2\right] $$ステップ6:$g_e^4=16\pi^2\alpha^2$,$q^4=16p^4\sin^4(\theta/2)$ を入れる.
(2つの表式は $1/(p^2\beta^2)=E^2/p^4$ で結ばれる.)
10.5.3 二つの極限
導出:Rutherford 極限と超相対論極限
非相対論極限($\beta\ll1$).角括弧は $1$ になり,$p=m_ev$,$E\to m_e$:
ここで $E_{\mathrm{kin}}=\tfrac12m_ev^2$.これが Rutherford が 1911 年に $\alpha$ 粒子の金箔散乱を説明した公式である(入射粒子の電荷が $ze$,標的電荷が $Ze$ なら $\alpha\to zZ\alpha$ と読みかえる.$\alpha$ 粒子なら $z=2$,金なら $Z=79$ であり,$m_e$ も $E_{\mathrm{kin}}=\tfrac12m_\alpha v^2$ も $\alpha$ 粒子のものに置きかえる).場の理論もスピンも相対論も知らずに書けた式が,QED の 1 つの極限として再現された.
超相対論極限($\beta\to1$,$E\simeq p$).$1-\sin^2(\theta/2)=\cos^2(\theta/2)$ より
$$ \left(\frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\right)_{\mathrm{Mott}}^{\beta\to1} =\frac{\alpha^2\cos^2(\theta/2)}{4E^2\sin^4(\theta/2)} $$特徴的なのは $\theta=180^\circ$(真後ろ)で断面積がゼロになることである.
物理的意味:後方散乱が消える理由はヘリシティ保存である
質量ゼロの極限では,電子のヘリシティ(スピンと運動量の向きの相対関係)は電磁相互作用で保存する.ところが真後ろに跳ね返るとき,運動量は反転するのにスピンは反転できない.つまりヘリシティが反転してしまうので,そのような散乱は禁止される.これが $\cos^2(\theta/2)$ の因子の正体である.
Rutherford の公式(スピンを無視)にはこの因子がない.Mott の公式は,電子がスピン $1/2$ を持つことの直接の帰結を含んでいる.$\theta$ を大きくしていったときに,Rutherford からのずれが $\cos^2(\theta/2)$ の形で現れるかどうかを見れば,散乱している粒子がスピン $0$ かスピン $1/2$ かが分かる.
この論法をさらに進めたのが,1950 年代の Hofstadter による陽子の電子散乱実験である.測った断面積を Mott 断面積で割ると,「点電荷からのずれ」だけが残る.それが形状因子(form factor)$F(q^2)$ であり,その Fourier 変換が陽子の電荷分布を与えた.陽子が点でなく,半径が $0.8\ \mathrm{fm}$ 程度の広がりを持つことは,こうして分かった(Hofstadter の値は $0.77\pm0.10\ \mathrm{fm}$.現在の推奨値は,ミュオン水素分光を含めて $r_p=0.8409\ \mathrm{fm}$ である.第11章 11.2.3 項).
材料科学との接点:電子線回折の原子散乱因子は Mott 断面積である
結晶に電子線を当てると回折する.そのときの散乱強度を決める電子線の原子散乱因子 $f^{e}(q)$ は,Rutherford/Mott 断面積に構造の情報を掛けたものである.原子内の電荷分布(原子核 $+Ze$ と電子雲 $-e n(\bm r)$)による散乱振幅を Born 近似で計算すると
$$ f^{e}(q)=\frac{2m_e\alpha}{q^2}\left[Z-f^{X}(q)\right], \qquad f^{X}(q)=\int n(\bm r)\,\ee^{-\ii\qq\cdot\bm r}\,\dd^3r $$という Mott–Bethe の公式が得られる($\hbar=c=1$.前因子を $\alpha$ で書いたので単位系によらない.文献によって前因子の書き方は異なるが $q^{-2}$ 依存性と括弧の中身は共通である).$f^{X}$ は X 線の原子散乱因子(電子密度の Fourier 変換)である.前因子 $1/q^2$ は,まさに式 \eqref{eq:10-emu} の光子伝播関数 $1/q^2$ そのものであり,$\dd\sigma/\dd\Omega=\abs{f^e}^2$ が Rutherford 型の $1/\sin^4(\theta/2)$ を与える.
ここから実務上の重要な帰結が出る.$q\to0$ で $Z-f^X(q)\to0$(中性原子)なので分子も分母も消え,$f^e(0)$ は有限だが,原子核電荷と電子雲の差に敏感になる.つまり電子線回折は,X 線回折と違ってイオンの価数や電荷移動に敏感である.電子回折で $\mathrm{O^{2-}}$ と中性 $\mathrm{O}$ の散乱因子が低角で大きく違うのはこのためであり,収束電子線回折(CBED)による電荷密度解析の原理でもある.素粒子物理の形状因子 $F(q^2)$ と,X 線結晶学の原子散乱因子 $f^X(q)$ は,規格化($F(0)=1$ か $f^X(0)=Z$ か)を除けば同じ量であり,電子線の $f^e$ はそれに光子伝播関数 $1/q^2$ を掛けたものである.
もう一つ.$1/q^2$ という長距離性のせいで,電子は物質中で強く散乱される.透過電子顕微鏡で試料を $100\ \mathrm{nm}$ 以下に薄くしなければならない理由も,X 線のほうが透過力が高い理由(10.7.4 項で Thomson 断面積と比べる)も,結局はこの $1/q^2$ と $\alpha$ の大きさの問題である.
例:$100\ \mathrm{keV}$ 電子の後方散乱
透過電子顕微鏡の典型的な加速電圧 $100\ \mathrm{kV}$ を考える.電子の全エネルギーは $E=m_e+T=0.511+0.100=0.611\ \mathrm{MeV}$,運動量は
$$ p=\sqrt{E^2-m_e^2}=\sqrt{0.611^2-0.511^2}=\sqrt{0.3733-0.2611}=\sqrt{0.1122}=0.3350\ \mathrm{MeV} $$したがって $\beta=p/E=0.3350/0.611=0.548$($\gamma=E/m_e=1.196$ で,まだ非相対論とも超相対論とも言えない).Mott 因子は $\theta=180^\circ$ で
$$ 1-\beta^2\sin^2\tfrac\theta2=1-0.548^2=1-0.300=0.700 $$すなわち,スピンを無視した Rutherford の予言より真後ろの散乱が 30 % 抑えられる.$\theta=90^\circ$ なら $1-0.300\times0.5=0.850$ で 15 % 減である.$100\ \mathrm{keV}$ ではまだ「半分相対論的」であり,Rutherford でも Mott でもない中間領域にいることが分かる.$1\ \mathrm{MeV}$ を超えると $\beta\to1$ に近づき,後方散乱は急速に消える.
10.6 くりこみ
ここまでの計算は,すべて最低次(頂点2つ)だった.精度を上げるには,頂点を4つ持つ図を足せばよい.振幅は $g_e^2$ から $g_e^4$ へ,つまり $\alpha\sim1/137$ だけ小さい補正のはずである.ところが,やってみると答えが無限大になる.
1930 年代から 1940 年代にかけて,物理学者はこの発散に苦しんだ.Dirac は「理論は間違っている」と言い,多くの人が場の理論を捨てかけた.解決したのは,朝永・Schwinger・Feynman の 1947–49 年の仕事,すなわちくりこみ(renormalization)である.本節ではその論理を,具体的な発散の形を見ながらたどる.
10.6.1 3つの発散
最低次の散乱振幅に 1 ループを加えた(頂点4つの)図に現れる発散する部分図は,次の3種類である.図10.4 に示す.
定義:3つの発散する量
(a) 電子の自己エネルギー $\Sigma(p)$.電子が光子を出して自分で吸い直す過程.ファインマン則で書くと
$$ -\ii\Sigma(p)=\int\frac{\dd^4k}{(2\pi)^4}\, (\ii g_e\gamma^\mu)\,\frac{\ii(\slashed{k}+m)}{k^2-m^2}\,(\ii g_e\gamma^\nu)\, \frac{-\ii g_{\mu\nu}}{(p-k)^2} $$大きな $k$ では被積分関数が $\sim1/k^3$,測度が $\dd^4k\sim k^3\dd k$ なので $\int\dd k$,すなわち一次発散に見えるが,対称性から実際には対数発散である.
(b) 真空偏極 $\Pi^{\mu\nu}(q)$.光子が仮想的に $e^+e^-$ 対に分かれ,また光子に戻る過程.閉ループなので $(-1)$ とトレースが付く:
$$ \ii\Pi^{\mu\nu}(q)=-\int\frac{\dd^4k}{(2\pi)^4}\, \Tr\!\left[(\ii g_e\gamma^\mu)\frac{\ii(\slashed{k}+m)}{k^2-m^2} (\ii g_e\gamma^\nu)\frac{\ii(\slashed{k}+\slashed{q}+m)}{(k+q)^2-m^2}\right] $$素朴には二次発散だが,ゲージ不変性が守られる正則化を使うと
$$ \Pi^{\mu\nu}(q)=\left(q^2g^{\mu\nu}-q^\mu q^\nu\right)\Pi(q^2) $$という横波型($q_\mu\Pi^{\mu\nu}=0$)になり,$\Pi(q^2)$ の発散は対数だけになる.
(c) 頂点補正 $\Lambda^\mu(p,p')$.電子が光子と相互作用する瞬間に,別の光子をやりとりする過程.対数発散する.
10.6.2 正則化 —— まず有限にする
なぜ発散するのか,そして本当に困っているのか
発散はすべて $k\to\infty$(紫外領域,短距離)から来る.つまり「無限に短い距離まで QED が正しい」と仮定したことの報いである.しかし我々は $10^{-19}\ \mathrm{m}$ より下で何が起きているか知らない.そこには未知の物理(大統一,量子重力,…)があるかもしれない.
だとすれば,積分を無限大まで実行するのはそもそも正当化されない.運動量の上限 $\Lambda$(カットオフ)を導入して,$k<\Lambda$ だけ積分することにしよう.答えは $\ln\Lambda$ を含む有限の量になる.これを正則化(regularization)と呼ぶ.
正則化の方法はいくつかある.カットオフ $\Lambda$ を入れる(Pauli–Villars では重い仮想粒子を導入する),時空の次元を $4-\epsilon$ 次元にする(次元正則化),格子を入れる(格子ゲージ理論),など.どれを使っても最終的な物理量は同じになる.ここでは直観的に分かりやすいカットオフを使う.
導出:自己エネルギーの発散の形
ステップ1:構造を先に決める.$\Sigma(p)$ は $4\times4$ 行列であり,使える材料は $\slashed{p}$ と $m\mathbb{1}$ しかない(Lorentz 不変性).したがって
$$ \Sigma(p)=A\,m + B\,\slashed{p}+(\text{有限で }p^2 \text{ に依存する項}) $$と書ける.$A,B$ が発散を含む定数である.
ステップ2:伝播関数への効果.自己エネルギーを何度も挟んだ図の和(Dyson 級数)は幾何級数になる:
$$ \frac{\ii}{\slashed{p}-m_0}+\frac{\ii}{\slashed{p}-m_0}(-\ii\Sigma)\frac{\ii}{\slashed{p}-m_0}+\cdots =\frac{\ii}{\slashed{p}-m_0-\Sigma(p)} $$ここで $m_0$ はラグランジアンに書いた裸の質量である.
ステップ3:物理的質量.伝播関数の極($\slashed{p}=m$ となる点)が,実際に観測される電子の質量である:
$$ m=m_0+\Sigma(\slashed{p}=m)=m_0+\delta m $$カットオフ $\Lambda$ で計算すると,一次の結果は
である.$\Lambda\to\infty$ で発散するが,対数なので発散の仕方は非常に緩い.
例:発散はどれくらい「ひどい」のか
式 \eqref{eq:10-deltam} に,考えうる最大のカットオフ —— Planck 質量 $M_{\mathrm{Pl}}=1.22\times10^{19}\ \mathrm{GeV}$ —— を入れてみる.
$$ \ln\frac{M_{\mathrm{Pl}}}{m_e}=\ln\frac{1.22\times10^{19}}{5.11\times10^{-4}}=\ln\left(2.39\times10^{22}\right)=51.5 $$ $$ \frac{\delta m}{m}=\frac{3\alpha}{2\pi}\times51.5 =\frac{3\times7.297\times10^{-3}}{6.2832}\times51.5 =3.484\times10^{-3}\times51.5=0.180 $$わずか 18 % である.「無限大」と言っても,宇宙で最も短い距離まで積分してこの程度なのである.対数の発散はそれほど恐ろしくない.
これは 't Hooft が言う意味で自然(natural)である.電子質量が小さいのは,$m_e\to0$ でカイラル対称性が回復して補正も消えるから.一方 Higgs 粒子の質量補正は $\delta m_H^2\propto\Lambda^2$ と二次発散し,$\Lambda=M_{\mathrm{Pl}}$ なら 30 桁を超える微調整が必要になる(第15章 15.1.6 項では,$10^{36}\ \mathrm{GeV^2}$ の桁の 2 つの量が 32 桁目まで一致して 33 桁目で食い違う,と同じことを述べている).これが階層性問題であり,第15章の主題である.
10.6.3 くりこみの考え方
なぜ発散を「捨てて」よいのか
ここが本節の心臓部である.論理は次の3行に尽きる.
- ラグランジアンに書いた $m_0$(裸の質量)と $g_0$(裸の電荷)は,誰も測ったことがない.測定器が測るのは,光子雲をまとった状態の質量 $m$ と,遠方から見た有効電荷 $g_e$ である.
- したがって $m_0$ と $g_0$ が無限大であっても,物理的な矛盾は生じない.「$m_0=-\infty$ かつ $\delta m=+\infty$ で,差 $m$ が $0.511\ \mathrm{MeV}$」という状況は,実験的には反証できない.
- すべての予言を $m_0,g_0$ ではなく測定値 $m,g_e$ で書き直すと,発散はきれいに消える.残った式には測定できる量しか入っておらず,有限で一意の予言を与える.
これがくりこみである.Dirac は「無限大を,小さいからではなく大きすぎて邪魔だからと捨てるのは,まともな数学ではない」と批判し続け,Feynman 自身も自分の処方を「いんちき(hocus-pocus)」と呼んだが,現代の理解では逆である.そもそも裸の量に物理的意味を与えたのが間違いだった.理論が答えるべきは「測定量 A と測定量 B の関係」であり,そこには発散が現れない.
定義:くりこみ定数
3つの発散は,3つのくりこみ定数に吸収される:
$$ \psi_0=\sqrt{Z_2}\,\psi,\qquad A_0^\mu=\sqrt{Z_3}\,A^\mu,\qquad m_0=Z_m\,m,\qquad g_0=\frac{Z_1}{Z_2\sqrt{Z_3}}\,g_e $$ここで $Z_1$ は頂点補正,$Z_2$ は電子場の波動関数くりこみ(自己エネルギー),$Z_3$ は光子場の波動関数くりこみ(真空偏極)から決まる.
QED ではWard 恒等式 $Z_1=Z_2$ が成り立つ(ゲージ不変性の帰結)ので
となる.電荷のくりこみは光子側(真空偏極)だけから来るのである.
物理的意味:Ward 恒等式が電荷の普遍性を保証する
式 \eqref{eq:10-charge-renorm} は,深い意味を持つ.$Z_3$ は光子の性質だけで決まり,どんな荷電粒子が結合しているかによらない.したがって電子とミュオンと陽子の電荷が,補正を入れた後もぴったり同じ大きさに保たれる.
もし $Z_1\ne Z_2$ だったら,電子(点状)と陽子(複合粒子,強い相互作用の雲をまとっている)で電荷のくりこみが違ってしまい,水素原子は中性でなくなる.実験的には水素原子の中性度は $10^{-21}$ の精度で確認されている.Ward 恒等式は,この驚くべき事実の理論的な保証である.
10.6.4 走る結合定数
くりこみで発散は消えた.しかし有限の残りかすがある.そしてそれが,QED の最も美しい予言を生む.
導出:走る $\alpha$
ステップ1:修正された光子伝播関数.真空偏極を何度も挟んだ図の和(Dyson 級数)は,やはり幾何級数である:
$$ \frac{-\ii g_{\mu\nu}}{q^2}\left[1+\Pi(q^2)+\Pi(q^2)^2+\cdots\right] =\frac{-\ii g_{\mu\nu}}{q^2\left[1-\Pi(q^2)\right]} $$(横波性のおかげで $q^\mu q^\nu$ 項は保存電流に当たって消える.)
ステップ2:有効結合を定義する.伝播関数の分母に $1-\Pi$ が付くということは,2 つの頂点で挟んだときに $g_e^2\to g_e^2/[1-\Pi(q^2)]$ となることを意味する.つまり
$$ \alpha_{\mathrm{eff}}(q^2)=\frac{\alpha}{1-\hat\Pi(q^2)}, \qquad \hat\Pi(q^2)\equiv\Pi(q^2)-\Pi(0) $$$\Pi(0)$ を引いたのは,$q^2=0$(Thomson 極限)で測った $\alpha=1/137.036$ を基準に取るというくりこみ条件である.発散は $\Pi(0)$ に全部入っているので,$\hat\Pi$ は有限である.
ステップ3:1ループの計算結果.Feynman パラメータ $x$ を使った標準的な計算により
$$ \hat\Pi(q^2)=-\frac{2\alpha}{\pi}\int_0^1\dd x\;x(1-x)\, \ln\frac{m_e^2}{m_e^2-x(1-x)q^2} $$ステップ4:高エネルギー極限.$-q^2\equiv Q^2\gg m_e^2$ のとき,対数の中の $m_e^2$ を無視して
$$ \hat\Pi\simeq\frac{2\alpha}{\pi}\int_0^1\dd x\;x(1-x)\left[\ln\frac{Q^2}{m_e^2}+\ln\left(x(1-x)\right)\right] $$2つの積分を実行する.$\int_0^1x(1-x)\dd x=\tfrac16$,そして $\int_0^1x^n\ln x\,\dd x=-1/(n+1)^2$ を使うと
$$ \int_0^1x(1-x)\ln x\,\dd x=-\frac14+\frac19=-\frac{5}{36}, \qquad \int_0^1x(1-x)\ln\left(x(1-x)\right)\dd x=-\frac{10}{36}=-\frac{5}{18} $$(第2式は $x\leftrightarrow1-x$ の対称性から $\ln(1-x)$ の項も同じ値になることによる.)したがって
$$ \hat\Pi\simeq\frac{2\alpha}{\pi}\left[\frac16\ln\frac{Q^2}{m_e^2}-\frac{5}{18}\right] =\frac{\alpha}{3\pi}\left[\ln\frac{Q^2}{m_e^2}-\frac53\right] $$ステップ5:走る結合定数.
$Q^2$ が大きいほど(短距離ほど)分母が小さくなり,$\alpha$ が増える.
例:$\alpha(m_Z)$ を計算する
(1) 電子ループだけの寄与.$Q=m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$,$m_e=0.511\times10^{-3}\ \mathrm{GeV}$.
$$ \ln\frac{Q^2}{m_e^2}=2\ln\frac{91.188}{5.11\times10^{-4}}=2\ln\left(1.7845\times10^{5}\right)=2\times12.092=24.184 $$ $$ \frac{\alpha}{3\pi}\left(24.184-1.667\right)=\frac{7.2974\times10^{-3}}{9.4248}\times22.517 =7.743\times10^{-4}\times22.517=0.017434 $$ $$ \alpha(m_Z)\Big|_{e\ \text{のみ}}=\frac{1/137.036}{1-0.017434}=\frac{1}{137.036\times0.982566}=\frac{1}{134.65} $$(2) 全部の荷電フェルミオン.実際には $m_f<Q$ を満たすすべての荷電フェルミオンがループに入る.寄与は電荷の2乗と色因子で重み付けされる:
$$ \hat\Pi_{\text{全}}\simeq\frac{\alpha}{3\pi}\sum_f N_c^{(f)}Q_f^2\left(\ln\frac{Q^2}{m_f^2}-\frac53\right) $$荷電レプトン3種($e,\mu,\tau$)とクォーク5種($u,d,s,c,b$,各3色)を足し,ハドロン部分は実測の $R$ 比から評価すると,$\hat\Pi_{\text{全}}(m_Z^2)=0.0590$ 程度になり
を得る.$1/137$ から $1/129$ へ,6 % の増加である.LEP・SLC の精密実験はこの値を実際に検証した.
これは on-shell 定義の値である.$\overline{\mathrm{MS}}$ 定義では $\hat\alpha^{-1}(m_Z)=127.95$ となり,第12章・第15章で $\sin^2\theta_W(\overline{\mathrm{MS}})=0.2312$ と組み合わせて使うのはこちらである.どちらを使っているかを必ず確認すること.
(3) 実空間で見ると.$Q\sim1/r$ なので,$Q=m_Z$ は距離 $r\sim1/m_Z=2.2\times10^{-18}\ \mathrm{m}$ に対応する.陽子半径の $10^{-3}$ 倍の距離まで近づくと,電子の電荷が 3 % 大きく見える($\alpha$ で 6 %,電荷で 3 %)ということである.
物理的意味:真空は誘電体である
なぜ $\alpha$ は短距離で増えるのか.真空偏極の図が答えである.裸の電子のまわりでは,仮想的な $e^+e^-$ 対が絶えず生成・消滅している.電場に引かれて,仮想陽電子は電子の近くに,仮想電子は遠くに分布する.これは誘電体の分極そのものである.
結果として,遠くから見ると裸の電荷が仮想対に遮蔽されて小さく見える.近づいて分極雲の内側に入り込むほど,遮蔽が効かなくなって電荷が大きく見える.これが「走る $\alpha$」の物理的正体である.
真空を誘電率 $\epsilon(q^2)=1-\hat\Pi(q^2)$ の誘電体だと思えば,$\alpha_{\mathrm{eff}}=\alpha/\epsilon$ と書ける.次節では,この $\epsilon(q^2)$ が固体中の誘電関数 $\epsilon(\qq,\omega)$ とまったく同じ Dyson 方程式から出てくることを示す.
ちなみに,QCD では色荷を持つグルーオンが自己相互作用するせいで符号が逆転し,短距離で結合が弱くなる(漸近的自由性).遮蔽ではなく反遮蔽である.第11章の主題である.
10.6.5 異常磁気モーメント $g-2$
頂点補正 $\Lambda^\mu$ の発散部分は電荷にくりこまれて消える.しかし,そこには有限の残りかすがあり,それが QED の最も精密な予言を与える.
導出:Schwinger の $\alpha/2\pi$
ステップ1:頂点の一般形.Lorentz 不変性・電流保存・パリティを課すと,電子と光子の完全な頂点(裸の $\gamma^\mu$ と補正の和)は必ず
$$ \Gamma^\mu(p,p')=\gamma^\mu F_1(q^2)+\frac{\ii\sigma^{\mu\nu}q_\nu}{2m}F_2(q^2), \qquad \sigma^{\mu\nu}\equiv\frac{\ii}{2}\left[\gamma^\mu,\gamma^\nu\right] $$の形に書ける($q=p'-p$).$F_1,F_2$ を形状因子と呼ぶ.これは Gordon 恒等式
$$ \bar u(p')\gamma^\mu u(p)=\bar u(p')\left[\frac{(p'+p)^\mu}{2m}+\frac{\ii\sigma^{\mu\nu}q_\nu}{2m}\right]u(p) $$を使えば示せる一般的な事実である.
ステップ2:物理的意味を読む.$F_1(0)=1$ は電荷が $g_e$ であること(くりこみ条件).$F_2$ は非相対論極限で $\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$ の形の項を与え,磁気モーメントに寄与する.第9章で Dirac 方程式から $g=2$ を導いたが,補正込みでは
$$ g=2\left[F_1(0)+F_2(0)\right]=2\left[1+F_2(0)\right] \quad\Longrightarrow\quad a\equiv\frac{g-2}{2}=F_2(0) $$ステップ3:発散はどちらに入るか.$F_1$ は対数発散し,電荷のくりこみで処理される.一方 $F_2$ は有限である.$F_2$ の項は分子に外線運動量 $q_\nu$ を一つ括り出した形なので,残るループ積分の被積分関数がループ運動量について 1 次分速く落ちるからである.したがって $a$ は,カットオフに一切依存しない純粋な予言になる.
ステップ4:1ループの結果.Feynman パラメータ積分を実行すると(計算そのものは長いので結果だけ引く)
1948 年に Schwinger が得たこの結果は,くりこみが単なる数合わせではなく予言する理論であることを示した最初の証拠であり,彼の墓石にも刻まれている.
ステップ5:数値.
$$ a^{(1)}=\frac{7.29735\times10^{-3}}{2\times3.14159}=1.16141\times10^{-3} $$| 粒子 | Schwinger 項 $\alpha/2\pi$ | 標準模型の理論値(QED+ハドロン+電弱) | 実験値 | 一致 |
|---|---|---|---|---|
| 電子 $e$ | $1.16141\times10^{-3}$ | $1.159652182\times10^{-3}$ | $1.159652181\times10^{-3}$ | 有効数字 10 桁 |
| ミュオン $\mu$(2020/2023 年) | $1.16141\times10^{-3}$ | $1.16591810\times10^{-3}$($R$ 比データ駆動,WP2020) | $1.16592059\times10^{-3}$(Fermilab 2023) | $\sim5\sigma$ のずれ |
| ミュオン $\mu$(2025 年) | $1.16141\times10^{-3}$ | $1.16592033(62)\times10^{-3}$(格子 QCD の HVP,WP2025) | $1.165920715(145)\times10^{-3}$(世界平均) | $\sim0.6\sigma$ |
物理的意味:$a_e$ と $a_\mu$ の役割の違い
電子の $a_e$ は,理論と実験が有効数字 10 桁(相対精度 $10^{-10}$)で一致する.この一致は,$\alpha$ 自身を $a_e$ から決めるのに使われるほどである(現在の最高精度の $\alpha$ の決定法の一つ).人類が持つ理論の中で,これほど精密に検証されたものは他にない.
ミュオンの $a_\mu$ は事情が違う.重い粒子ほど「重い仮想粒子の効果」に敏感で,感度は質量比の2乗,すなわち $(m_\mu/m_e)^2\simeq4.3\times10^4$ 倍になる.そのため $a_\mu$ は標準模型を超える物理の探索窓として使われてきた.2021–2023 年の Fermilab の結果は,2020 年の理論値($R$ 比の実測を使うデータ駆動の評価)と $5\sigma$ 程度ずれていた.しかし 2025 年に Fermilab の最終結果(世界平均 $a_\mu=116\,592\,071.5(14.5)\times10^{-11}$)と,格子 QCD のハドロン真空偏極を採用した理論白書の値($116\,592\,033(62)\times10^{-11}$)が出そろい,両者の差は $0.6\sigma$ 程度に縮んだ.一方,従来の $R$ 比データ駆動の評価とは依然 $4\sigma$ 以上ずれており,いま焦点になっているのは $e^+e^-\to$ ハドロンの断面積の実測そのもの(CMD-3 と KLOE・BaBar の不一致)である.つまり「$5\sigma$ のずれ」という言い方は 2023 年時点の状況であって現在のものではなく,ハドロン真空偏極の評価法をめぐる食い違いとして決着はついていない.第15章 15.1.5 項で触れる.
面白いのは,ここでも $R$ 比が出てくることである.10.4.5 項で色の数を数えるのに使った量が,$a_\mu$ の理論値を決める最大の不定性要因になっている.素粒子物理の測定量は,思わぬところで互いにつながっている.
10.7 材料科学との接点 —— QED と凝縮系は同じ方程式を解いている
ここまでの道具立て —— 自己エネルギー,Dyson 級数,真空偏極,走る結合定数,散乱断面積 —— は,どれも凝縮系物理と材料科学で日常的に使われているものである.偶然ではない.場の量子論の枠組みそのものが共通だからである.本節では,その対応を比喩ではなく式のレベルで並べる.
10.7.1 (a) くりこみと準粒子 —— 裸の電子と着衣の電子
材料科学との接点:くりこみ因子 $Z$ と有効質量 $m^*$
10.6.3 項で述べたくりこみの論理を,一行にまとめるとこうなる.
ラグランジアンに書いた「裸の」パラメータは測定できない.測定できるのは,相互作用の雲をまとった「着衣の」粒子の性質だけである.
この文の「ラグランジアン」を「一電子近似のバンド計算」に,「雲」を「電子相関」に置きかえると,そのまま凝縮系物理の準粒子の話になる.対応は形式的な類似ではなく,同じ Green 関数の同じ極の議論である.
QED の電子伝播関数は,自己エネルギー $\Sigma$ を Dyson 級数で足し上げると
$$ S(p)=\frac{\ii}{\slashed{p}-m_0-\Sigma(p)} \;\xrightarrow[\ \slashed{p}\to m\ ]{}\; \frac{\ii Z_2}{\slashed{p}-m}+(\text{正則項}) $$となる.極の位置 $m$ が観測される質量,留数 $Z_2$ が波動関数くりこみ定数である.一方,固体中の電子の Green 関数は
$$ G(\kk,\omega)=\frac{1}{\omega-\varepsilon^{0}_{\kk}-\Sigma(\kk,\omega)} \;\xrightarrow[\ \omega\to E_{\kk}\ ]{}\; \frac{Z_{\kk}}{\omega-E_{\kk}+\ii\Gamma_{\kk}}+(\text{非干渉部分}) $$極の位置 $E_\kk$ が準粒子のエネルギー,留数 $Z_\kk$ がくりこみ因子である.どちらも
という同じ公式で計算される.
数学ノート:$GW$ 近似は QED の1ループ自己エネルギーそのものである
対応が「形式的な類似」でないことを,一番はっきり示すのが $GW$ 近似である.QED の1ループ自己エネルギー(図10.4(a))は,記号で書けば
$$ \Sigma_{\mathrm{QED}}=\ii g_e^2\,\gamma^\mu\, G\, \gamma^\nu\, D_{\mu\nu} \qquad(\text{電子伝播関数 }G\ \times\ \text{光子伝播関数 }D) $$である.一方,Hedin の $GW$ 近似の自己エネルギーは
$$ \Sigma_{GW}(\bm r,\bm r';\omega)=\frac{\ii}{2\pi}\int\dd\omega'\, G(\bm r,\bm r';\omega+\omega')\,W(\bm r,\bm r';\omega') $$である.構造は完全に同じで,違いは光子伝播関数 $D$ が遮蔽 Coulomb 相互作用 $W$ に替わっていることだけである.$W$ は次項で見るように,光子伝播関数を真空偏極で補正したものの固体版にほかならない.
第一原理計算で使われる $GW$ バンド計算も,『線形応答理論入門』第14章の準粒子自己無撞着 $GW$(QSGW)も,いま我々が図10.4(a) で描いた図をそのまま計算している.素粒子屋が「1ループ自己エネルギー」と呼ぶものを,バンド屋は「$GW$ 補正」と呼んでいるだけである.
| QED | 固体電子系 | 共通の中身 |
|---|---|---|
| 裸の質量 $m_0$ | バンド質量 $m_{\mathrm{band}}$(LDA/GGA) | QED では相互作用を切った Lagrangian の係数.固体側は平均場(Kohn–Sham)レベルのパラメータで,準粒子エネルギーではない.いずれも直接には測定できない |
| 物理的質量 $m=0.511\ \mathrm{MeV}$ | 有効質量 $m^*$(dHvA・比熱・ARPES) | Green 関数の極の位置 |
| 波動関数くりこみ $Z_2$ | くりこみ因子 $Z_\kk$(ARPES の準粒子ピーク強度) | Green 関数の極の留数 |
| 自己エネルギー $\Sigma(p)$ | 自己エネルギー $\Sigma(\kk,\omega)$ | 同じ図,同じ Dyson 方程式 |
| カットオフ $\Lambda$ | バンド幅・カットオフエネルギー | 理論が有効でなくなるスケール |
| $\mathrm{Im}\,\Sigma$ = 崩壊幅 | $\mathrm{Im}\,\Sigma$ = 準粒子の寿命 $\hbar/2\Gamma$ | 光学定理 |
例:数値で比べる
QED 側.10.6.2 項で計算したとおり,Planck 質量までカットオフを取っても $\delta m/m=0.18$ である.電子は「ほとんど裸のまま」だと言ってよい.結合が弱い($\alpha=1/137$)ためである.
固体側.ナトリウム($r_s=3.93$)の一様電子ガス模型では,$GW$ 計算で $Z\simeq0.65$,すなわち準粒子ピークには元の重みの 65 % しか残らない.残り 35 % はプラズモンサテライトなどの非干渉部分に流れる.占有バンド幅も,一電子近似の $3.2\ \mathrm{eV}$ から実測 $2.65\ \mathrm{eV}$ へと 17 % 縮む.
何が違うのか.結合の強さである.固体中の実効的な結合定数は $r_s$ 程度($\sim1$)であり,$\alpha=1/137$ よりずっと大きい.したがって「着衣」の効果が桁違いに大きい.逆に言えば,QED は摂動論が異常によく効く特殊な例であり,凝縮系のほうが場の理論としては手ごわいのである.第11章で見る QCD($\alpha_s\sim1$)が固体物理に近い難しさを持つのは,このためである.
10.7.2 (b) 真空偏極と誘電遮蔽は同じ構造をもつ
材料科学との接点:$W=\epsilon^{-1}v$ と走る $\alpha$ の完全な対応
10.6.4 項で,光子伝播関数への真空偏極の効果が幾何級数で足し上がることを見た:
$$ D_{\mathrm{eff}}=\frac{D_0}{1-\Pi} \qquad\Longleftrightarrow\qquad \alpha_{\mathrm{eff}}(q^2)=\frac{\alpha}{\epsilon_{\mathrm{vac}}(q^2)}, \quad \epsilon_{\mathrm{vac}}\equiv1-\hat\Pi $$一方,金属中の Coulomb 相互作用に対する RPA(乱雑位相近似)は,まったく同じ幾何級数である:
$$ W=v+v\chi_0v+v\chi_0v\chi_0v+\cdots=\frac{v}{1-v\chi_0} \qquad\Longleftrightarrow\qquad W(\qq,\omega)=\frac{v(q)}{\epsilon(\qq,\omega)}, \quad \epsilon\equiv1-v\chi_0 $$$\chi_0$ は独立粒子分極関数(Lindhard 関数)であり,図で書けば電子・正孔の泡である.これは QED の真空偏極(電子・陽電子ループ)とまったく同じ位相の図であり,10.1.5 項で述べた閉ループの $(-1)$ もそのまま付く.
違いは,ループの中を走るのが「真空から生まれた $e^+e^-$ 対」か「Fermi 面から励起された電子・正孔対」かである.真空を「Dirac の海が満たされた媒質」と見れば,同じ構造をもつ.ただし Dirac の海には Fermi 面がなく,$2m_e$ のギャップをもつ「絶縁体」なので,対応が最もよいのは金属ではなく半導体・絶縁体の誘電関数である.金属との違い(Fermi 面,Landau 減衰,プラズモン極,$\epsilon(q\to0)\to\infty$)は表10.7 の最後の 3 行に現れており,QED 側にはそれに対応するものがない.
| QED(真空) | 固体(電子系) |
|---|---|
| 裸の光子伝播関数 $-\ii g_{\mu\nu}/q^2$ | 裸の Coulomb $v(q)=4\pi e^2/q^2$ |
| 真空偏極 $\Pi(q^2)$($e^+e^-$ ループ) | 分極関数 $\chi_0(\qq,\omega)$(電子・正孔ループ) |
| $\epsilon_{\mathrm{vac}}(q^2)=1-\hat\Pi(q^2)$ | $\epsilon(\qq,\omega)=1-v(q)\chi_0(\qq,\omega)$ |
| 走る結合 $\alpha(q^2)=\alpha/\epsilon_{\mathrm{vac}}$ | 遮蔽相互作用 $W=v/\epsilon$ |
| 1ループ自己エネルギー $\Sigma=\ii\gamma G\gamma D$ | $GW$ 自己エネルギー $\Sigma=\ii GW$ |
| 対生成しきい値 $q^2=4m_e^2$($\mathrm{Im}\,\Pi\ne0$) | 粒子・正孔連続体($\mathrm{Im}\,\chi_0\ne0$,Landau 減衰) |
| —(光子は質量ゼロのまま) | プラズモン極($\epsilon=0$ の根) |
| 走りの飽和スケール(換算 Compton 波長)$\hbar/m_ec=386\ \mathrm{fm}$.$r\gg\hbar/m_ec$ で $\alpha\to1/137$ に飽和するが,Coulomb 力そのものは残る | Thomas–Fermi 長 $1/k_{\mathrm{TF}}\simeq0.5\ \mathrm{\AA}$.こちらは $\ee^{-k_{\mathrm{TF}}r}$ で力そのものを切る長さ |
導出:Thomas–Fermi 遮蔽と「走る $\alpha$」を並べる
ステップ1:固体側.静的・長波長極限で Lindhard 関数は $\chi_0(q\to0,0)=-N(E_F)$(Fermi 面の状態密度)に近づく.したがって
$$ \epsilon(q)=1+\frac{4\pi e^2}{q^2}N(E_F)\equiv1+\frac{k_{\mathrm{TF}}^2}{q^2}, \qquad k_{\mathrm{TF}}^2=4\pi e^2N(E_F) $$遮蔽された相互作用は
湯川型である.第3章 3.1.3 項で「質量のある媒介粒子は短距離力を作る」と述べたが,遮蔽は光子に実効的な質量 $k_{\mathrm{TF}}$ を与えたのと同じことである(ただし,時間的な方の「光子の質量」はプラズマ振動数 $\omega_p=\sqrt{4\pi ne^2/m}$ —— $q\to0$ で $\epsilon(\omega)=0$ となる根 —— であり,静的遮蔽の $k_{\mathrm{TF}}$ —— $\omega=0$ の $\epsilon(q)$ の構造 —— とは別の量である.前者は第13章の Anderson–Higgs 機構で扱う).
ステップ2:数値(アルミニウム).Al は fcc,$a=4.05\ \mathrm{\AA}$,1 原子あたり価電子 3 個なので
$$ n=\frac{4\times3}{(4.05\ \mathrm{\AA})^3}=\frac{12}{66.43\ \mathrm{\AA^3}}=0.1806\ \mathrm{\AA^{-3}}=1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$ $$ k_F=\left(3\pi^2n\right)^{1/3}=\left(3\pi^2\times0.1806\right)^{1/3}=(5.348)^{1/3}=1.749\ \mathrm{\AA^{-1}} $$原子単位系($a_0=0.5292\ \mathrm{\AA}$)で $k_F=0.926$ a.u.,Thomas–Fermi 波数は $k_{\mathrm{TF}}^2=4k_F/\pi a_0$ より
$$ k_{\mathrm{TF}}=\sqrt{\frac{4\times0.926}{\pi}}=1.086\ \text{a.u.}=2.05\ \mathrm{\AA^{-1}}, \qquad \frac{1}{k_{\mathrm{TF}}}=0.49\ \mathrm{\AA} $$金属アルミニウム中では,Coulomb 相互作用は約 $0.5\ \mathrm{\AA}$,すなわち最近接原子間距離($2.86\ \mathrm{\AA}$)の 6 分の 1 で消えてしまう.金属の電子が「ほとんど自由電子」としてふるまう理由がこれである.
ステップ3:QED 側と比べる.QED でも同じことが起きている.真空偏極が作る補正ポテンシャル(Uehling ポテンシャル)は,$r\gg1/m_e$ では指数関数的に消え,$r\ll1/m_e$ では対数的に増える:
$$ V_{\mathrm{Uehling}}(r)\simeq-\frac{\alpha}{r}\cdot\frac{2\alpha}{3\pi}\ln\frac{1}{m_er} \qquad(r\ll1/m_e) $$この対数が,式 \eqref{eq:10-running-alpha} の $\ln Q^2$ の実空間版である.遮蔽が破れる距離は換算 Compton 波長 $\hbar/m_ec=386\ \mathrm{fm}$.Al の $0.49\ \mathrm{\AA}=4.9\times10^4\ \mathrm{fm}$ と比べると 2 桁小さいが,「ある長さより内側では遮蔽が効かず,相互作用が裸に戻る」という構造は同一である.図10.5 の左右のグラフが似た形をしているのは,そのためである.
注意:対応が破れる点
ここまで「同じ Dyson 級数である」ことを強調してきたが,本書の方針として,対応が破れる場所も正直に並べておく.
- 金属型か絶縁体型か.Thomas–Fermi 遮蔽は $\epsilon(q\to0)\to\infty$,$W/v\to0$ で長距離力が完全に消える導体型の遮蔽である.一方 QED の真空はくりこみ条件 $\hat\Pi(0)=0$ により $\epsilon_{\mathrm{vac}}(0)=1$ であり,長距離では $\alpha=1/137$ の有限な Coulomb 力が残る.図10.5 でも,(b) の $W/v=q^2/(q^2+k_{\mathrm{TF}}^2)$ は $q\to0$ でゼロに落ちるのに対し,(a) の $\alpha(Q^2)/\alpha$ は $1$ に近づく.QED 真空に近いのは,$\epsilon(0)=\epsilon_\infty$ が有限な半導体・絶縁体の遮蔽である(このあと実務の話に出てくる $\alpha_{\mathrm{mix}}\simeq1/\epsilon_\infty$ の経験則は,まさにこちらの類似である).
- 引き算が要るか要らないか.QED の $\Pi(q^2)$ は紫外発散するので,$q^2=0$ で引き算して $\hat\Pi$ を作り,$\alpha(q^2)/\alpha$ という比だけが物理的になる.固体では裸の $v(q)=4\pi e^2/q^2$ 自身が物理的で,$\chi_0$ は有限,くりこみは要らない.
- $\omega$ 依存性と静止系.QED の $\Pi$ は Lorentz 不変で $q^2$ のみの関数である.固体には静止系(Fermi 海)があるので $\chi_0(\qq,\omega)$ は $q$ と $\omega$ に別々に依存し,$\omega<v_Fq$ には Landau 減衰の連続体が,$\epsilon=0$ にはプラズモン極が現れる.QED 側にこれらに対応するものはない.
- 長さのスケール.$\hbar/m_ec=386\ \mathrm{fm}$ は「力が切れる長さ」ではなく「$\alpha$ の対数的な走りが止まる長さ」である.$1/k_{\mathrm{TF}}\simeq0.5\ \mathrm{\AA}$ のほうは力そのものを $\ee^{-k_{\mathrm{TF}}r}$ で切る長さであり,性格が違う(しかも値は 2 桁離れている).
材料科学との接点:この対応は実務でどう効くのか
「同じ形の式だ」で終わらせず,計算屋の実務にどう効くかを言っておく.
- $GW$ 計算で $W$ を使う理由.裸の $v$ で Hartree–Fock をやるとバンドギャップが 2〜3 倍に開きすぎる.遮蔽 $W$ に替えると実験値に合う.これは QED で「裸の電荷 $g_0$ ではなく測定値 $g_e$ を使え」と言っているのと同じ処方である.
- ハイブリッド汎関数の混合係数 $\alpha_{\mathrm{mix}}$.PBE0 の $\alpha_{\mathrm{mix}}=1/4$ や HSE の遮蔽パラメータ $\omega=0.11\ \mathrm{bohr^{-1}}$ は,$W\simeq v/\epsilon_\infty$ の遮蔽を経験的に真似たものである.$\alpha_{\mathrm{mix}}\simeq1/\epsilon_\infty$ という経験則($\mathrm{Si}$ で $\epsilon_\infty=11.9$,$\alpha_{\mathrm{mix}}\simeq0.08$)は,まさに「走る結合定数」の思想そのものである.
- EELS とプラズモン.電子エネルギー損失分光の損失関数 $-\mathrm{Im}\,\epsilon^{-1}(\qq,\omega)$ は,遮蔽された伝播関数の虚部である.QED で $\mathrm{Im}\,\Pi\ne0$ が「対生成が起きる」ことを意味するのと同じく,$\mathrm{Im}\,\epsilon^{-1}\ne0$ は「電子・正孔対やプラズモンが励起される」ことを意味する.どちらも光学定理の帰結である.
- カットオフ依存性は「悪」ではない.$GW$ 計算で結果がカットオフに依存して困ることがあるが,それは QED の $\Lambda$ 依存性と同じ性質のものである.物理量どうしの関係に直せば消える.くりこみ群の思想(第11章 11.6 節・11.7.1 項)を借りると,カットオフ依存性は「そのスケールで有効な理論に乗り換えよ」という信号である.
10.7.3 (c) 陽電子消滅断面積と PALS
材料科学との接点:Dirac の断面積が空孔濃度を ppm で測る
10.2.4 項で示した Dirac の公式 \eqref{eq:10-dirac-sigma} を,実験の言葉に翻訳する.
$\psi_+$ は陽電子の波動関数,$n_-$ は電子密度,$\gamma$ は増大因子(enhancement factor)である.増大因子は,陽電子が電子を引き寄せて自分のまわりの電子密度を高める効果(電子・陽電子相関)を表す.素粒子物理で言えば,Coulomb 相互作用による終状態相互作用,すなわち Sommerfeld 因子に相当する.
前因子は
$$ \pi r_e^2c=\pi\times\left(2.818\times10^{-15}\ \mathrm{m}\right)^2\times2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s} =7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}} $$である.この一つの数から,寿命が電子密度を測っていることが分かる.
例:アルミニウムの陽電子寿命から電子密度を読む
(1) 単純な見積もり.価電子密度 $n=1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$(前項で計算した値)をそのまま入れると
$$ \lambda=7.48\times10^{-21}\times1.81\times10^{29}=1.35\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}, \qquad \tau=\frac1\lambda=740\ \mathrm{ps} $$(2) 実測.ところが Al の完全結晶の陽電子寿命は $\tau_b=166\ \mathrm{ps}$ である(第2章 2.4 節と同じ値).4.5 倍も短い.逆算すると,陽電子が「感じている」実効電子密度は
$$ n_{\mathrm{eff}}=\frac{1}{\tau_b\,\pi r_e^2c}=\frac{1}{166\times10^{-12}\times7.48\times10^{-21}} =8.05\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$価電子密度の 4.5 倍である.内訳は,(i) 芯電子(Al の $2s,2p$)への消滅と,(ii) 増大因子 $\gamma\simeq3$〜4 である.素朴な計算が 4.5 倍ずれることは,逆に言えば相関の効果がそれだけ大きいということであり,第一原理計算で $\gamma$ をどう扱うかが PALS 理論の中心課題になっている.
(3) 単空孔.Al の単空孔に捕獲された陽電子の寿命は $\tau_v=245\ \mathrm{ps}$ である.同じ計算で
$$ n_{\mathrm{eff}}^{(v)}=\frac{1}{245\times10^{-12}\times7.48\times10^{-21}}=5.46\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$バルクの $0.68$ 倍,すなわち空孔では陽電子が感じる電子密度が 32 % 低い.原子が 1 個抜けた穴に陽電子がはまり込み,まわりの電子だけを見ているという描像と合う.
(4) 空孔濃度を出す.試料に空孔があると,陽電子の一部が捕獲される.2 状態捕獲模型(バルク状態からの捕獲率を $\kappa$ とする速度方程式)を解くと,平均寿命は $\bar\tau=(1+\kappa\tau_v)/(1/\tau_b+\kappa)$ となる.これを $\kappa$ について解けば
$$ \kappa=\frac{1}{\tau_b}\,\frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau} $$で求まる.たとえば $\bar\tau=200\ \mathrm{ps}$ が測れたとすると
$$ \frac{1}{\tau_b}=\frac{1}{166\ \mathrm{ps}} =6.024\times10^{-3}\ \mathrm{ps^{-1}}=6.02\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$ $$ \frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau}=\frac{200-166}{245-200}=\frac{34}{45}=0.756 \quad\Longrightarrow\quad \kappa=4.55\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$比捕獲率(本書では Al の単空孔に $\mu_v=2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$,原子分率あたり.第2章 2.4 節・第16章 演習16.7 と同じ値)を使うと,空孔濃度は
$$ C_v=\frac{\kappa}{\mu_v}=\frac{4.55\times10^{9}}{2.0\times10^{14}}=2.3\times10^{-5}=23\ \mathrm{ppm} $$なお $\mu_v$ は物質と文献によって $10^{14}$–$10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$ の幅があり(Al は $2$–$3\times10^{14}$),空孔濃度の絶対値はこの係数の不定性を直接引きずる.$\mu_v=3.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$ を採れば $C_v\simeq15\ \mathrm{ppm}$ になるが,桁は変わらない.
ppm レベルの空孔が測れる.これは電子顕微鏡でも X 線でも見えない濃度である.そしてこの感度のすべては,式 \eqref{eq:10-dirac-sigma} の $\pi r_e^2$ という QED の断面積から来ている.
注意:PALS が実際に測っているもの
式 \eqref{eq:10-pals} が測るのは電子密度であって,空孔そのものではない.したがって,
- 寿命が伸びた $\Rightarrow$ 電子密度の低い領域がある,としか言えない.空孔なのか,転位芯なのか,粒界なのか,析出物との界面なのかは,寿命の値と第一原理計算の比較から推定する.
- 陽電子は正電荷なので,正イオンからは斥力を受け,空孔や自由体積に選択的に捕獲される.これが感度の源であると同時に,「陽電子が行ける場所しか見えない」という制約でもある.
- 高分子や多孔体では,オルソポジトロニウム(第7章 7.3.3 項)が自由体積に閉じ込められ,$1$〜$100\ \mathrm{ns}$ の長寿命成分を作る.Tao–Eldrup の式でこの寿命を空孔半径 $R$ に換算するのが標準手法である.ここでも土台は,ポジトロニウムの $3\gamma$ 消滅($\alpha^6$ の過程)の QED 計算である.
10.7.4 (d) Klein–Nishina 断面積と Compton プロファイル
導出:Compton 散乱の断面積(結果)
式 \eqref{eq:10-compton} からスピン平均と偏極和を取り,運動学を代入すると,1929 年に Klein と仁科が導いた公式が得られる.電子が静止している実験室系で,入射光子のエネルギーを $\omega$,散乱光子のエネルギーを $\omega'$,散乱角を $\theta$ として
ここで $\omega'$ は Compton の関係式
$$ \frac{1}{\omega'}-\frac{1}{\omega}=\frac{1-\cos\theta}{m_e} \qquad\Longleftrightarrow\qquad \lambda'-\lambda=\lambda_C\left(1-\cos\theta\right),\quad \lambda_C=\frac{2\pi}{m_e}=2.426\ \mathrm{pm} $$で決まる.
Thomson 極限.$\omega\ll m_e$ では $\omega'\to\omega$ となり
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\to\frac{r_e^2}{2}\left(1+\cos^2\theta\right), \qquad \sigma_T=\frac{8\pi}{3}r_e^2=0.665\ \mathrm{barn} $$ここでも $1+\cos^2\theta$ が出てくる(10.4 節と同じ理由:スピン 1 の状態の回転).数値は
$$ \sigma_T=\frac{8\pi}{3}\left(2.818\times10^{-15}\ \mathrm{m}\right)^2 =8.378\times7.941\times10^{-30}\ \mathrm{m^2}=6.65\times10^{-29}\ \mathrm{m^2}=0.665\ \mathrm{b} $$この一つの数が,10.5 節で予告した「X 線の透過力が高い理由」の答えでもある.$\sigma_T=0.665\ \mathrm{b}$ は原子あたり $Z$ 倍しても $10\ \mathrm{b}$ 程度にとどまり,しかも Rutherford 型の $1/q^2$ による低角での増大を持たない.一方,電子の Mott/Rutherford 断面積は低角で発散的に大きくなる.X 線が数 mm〜cm の試料を透過するのに電子が $100\ \mathrm{nm}$ で止まるのは,この桁違いの差である.
材料科学との接点:Compton プロファイルは電子運動量分布そのものである
Klein–Nishina 断面積は「静止した自由電子」に対するものである.実際の物質中の電子は動いている.そのため散乱光子のエネルギーが Doppler 効果で広がる.この広がりを測るのが Compton 散乱測定である.
入射光子のエネルギーが電子の束縛エネルギーよりずっと大きいとき(インパルス近似),二重微分断面積は
と書ける.$\qq$ は移行運動量,$p_z$ はその方向の電子運動量成分である.$J(p_z)$ を Compton プロファイルと呼ぶ.
ここが要点である.QED の断面積(Klein–Nishina)が前因子として外に出て,残った因子が物質の情報(電子運動量密度 $n(\pp)$)そのものになる.10.5 節で電子散乱の形状因子が Mott 断面積で割って取り出せたのと,まったく同じ構造である.素粒子の断面積は,物性測定の「較正定数」の役割を果たす.
例:自由電子ガスの Compton プロファイル
(1) 理論形.自由電子ガスでは $n(\pp)$ は半径 $p_F$ の Fermi 球の中で一定である.$p_x,p_y$ について積分すると,半径 $\sqrt{p_F^2-p_z^2}$ の円の面積に比例するから
$$ J(p_z)=\frac{3}{4p_F}\left[1-\left(\frac{p_z}{p_F}\right)^2\right]\quad(\abs{p_z}<p_F), \qquad J(p_z)=0\quad(\abs{p_z}>p_F) $$(規格化 $\int J\,\dd p_z=1$ を満たすことは直接積分すれば確かめられる.)逆向きの放物線であり,$\abs{p_z}=p_F$ で折れ曲がって切れる.この折れ曲がりの位置が Fermi 運動量を直接与える.
(2) アルミニウムの数値.$k_F=0.926$ a.u.(10.7.2 項で計算した値)なので $p_F=0.926$ a.u..したがって
$$ J(0)=\frac{3}{4\times0.926}=0.810\ \text{a.u.} $$実測の Al のプロファイル(価電子 3 個分を差し引き法で取り出し,1 電子あたりに規格化した値)は $J(0)\simeq0.85$ で,自由電子模型の $0.810$ よりやや大きい.この上ずれを電子相関のせいにしてはいけない.規格化 $\int J\,\dd p_z=1$ を固定したまま相関で運動量分布の重みが $p_F$ の外へ漏れる場合,$J(0)=2\pi\int_0^\infty n(p)\,p\,\dd p$ は大きい $p$ の重みを $p$ の 1 乗でしか拾わない(規格化のほうは $p^2$ で拾う)ので,$J(0)$ はわずかに減る側に動く(Lam–Platzman 補正).上ずれの主因は,(i) 測定した全プロファイルに乗る芯電子(Al の $1s,2s,2p$)の幅広い成分と,(ii) 格子ポテンシャルによる高次の運動量成分(umklapp 成分)である.
ではくりこみ因子 $Z$ はどこに現れるのか.インパルス近似のプロファイルは $J(p_z)=2\pi\int_{\abs{p_z}}^{\infty}n(p)\,p\,\dd p$ なので $\dd J/\dd p_z=-2\pi p_z n(p_z)$ であり,$p_F$ での $n(\pp)$ の跳び $Z$ は,$J$ 自身の跳びではなく $J$ の傾きの不連続($p_z=\pm p_F$ の折れ曲がり)として現れる.自由電子ガス($Z=1$)なら折れ曲がりの大きさは $\abs{\dd J/\dd p_z}_{p_F}=3/(2p_F^2)=1.75$ a.u. で,実測の折れ曲がりがこれより鈍ければ,その比がそのまま $Z$ を与える.つまり Compton プロファイルの Fermi 運動量での折れ曲がりの鋭さが,まさに 10.7.1 項のくりこみ因子 $Z$ を測っている.素粒子物理の $Z_2$ が,X 線散乱実験で見えるのである(演習10.7(4),付録E の解答も参照).
(3) 実験条件の見積もり.入射光子 $100\ \mathrm{keV}$($\lambda=0.1240\ \mathrm{\AA}$),$\theta=90^\circ$ とすると Compton シフトは $\lambda_C=0.02426\ \mathrm{\AA}$,散乱光子は
$$ E'=\frac{12.398\ \mathrm{keV\,\AA}}{0.1240+0.0243\ \mathrm{\AA}}=83.6\ \mathrm{keV} $$Doppler 広がりの幅は,インパルス近似では散乱光子のエネルギーではなく移行運動量 $\qq$ で決まり,$\Delta E'\simeq p_F\abs{\qq}/m_e$ である.原子単位で $m_ec=137$ a.u. だから $p_Fc=0.926/137\times511\ \mathrm{keV}=3.45\ \mathrm{keV}$,$\theta=90^\circ$ では $\abs{\qq}c=\sqrt{\omega^2+\omega'^2}=\sqrt{100^2+83.6^2}=130\ \mathrm{keV}$($=35$ a.u.)なので
$$ \Delta E'\simeq\frac{(p_Fc)(\abs{\qq}c)}{m_ec^2}=\frac{3.45\times130}{511}=0.88\ \mathrm{keV} $$が半幅であり,プロファイル全体の幅は約 $1.8\ \mathrm{keV}$ になる.Fermi 面の折れ曲がりを見るには,これより十分よい($100\ \mathrm{eV}$ 程度の)エネルギー分解能が要る.放射光施設で高分解能 Compton 散乱が行われる理由である.
材料科学との接点:Compton プロファイルと ACAR は同じ量を測っている
面白いことに,(c) の陽電子消滅と (d) の Compton 散乱は,最終的に同じ物理量に行き着く.
陽電子・電子が対消滅して 2 個の光子になるとき,対の重心が動いていれば,2 光子は正確に $180^\circ$ にはならない.そのずれ角 $\theta_{\mathrm{ACAR}}\simeq p_\perp/m_ec$ を測るのが ACAR(angular correlation of annihilation radiation)である.測っているのは電子・陽電子対の運動量分布,つまり(陽電子の波動関数で重みを付けた)電子運動量密度 $n(\pp)$ である.同様に,光子のエネルギーの Doppler 広がりを測るのが DBAR で,そこから定義される $S$ パラメータ(中心部の面積比)は $n(\pp)$ の低運動量成分(価電子)の割合を表す.
したがって,
- Compton 散乱:光子で電子を叩いて $n(\pp)$ を見る(すべての電子を見る)
- ACAR / DBAR:陽電子で電子を消して $n(\pp)$ を見る(陽電子が行ける場所の電子だけを見る)
という関係になる.両者を組み合わせると,「どの元素の,どの軌道の電子が,どの欠陥のまわりにいるか」まで分かる.Fe–Cu 合金の析出物同定や,半導体の空孔・不純物複合体の同定に実際に使われている.
素粒子物理の2つの断面積(Klein–Nishina と Dirac)が,材料の欠陥解析の2本柱になっているわけである.「素粒子物理は材料科学に関係ない」という直感が,いかに当てにならないかの好例である.
10.8 まとめと演習
10.8.1 まとめ
- QED のファインマン則は表10.2 に尽きる.外線に $u,\bar u,v,\bar v,\epsilon,\epsilon^*$,頂点に $\ii g_e\gamma^\mu$,フェルミオン伝播関数に $\ii(\slashed{q}+m)/(q^2-m^2)$,光子伝播関数に $-\ii g_{\mu\nu}/q^2$.フェルミオン線は矢印に逆らってたどり,因子を左から右へ並べる.閉ループには $(-1)$ とトレースが付く.
- スピンの和と平均は Casimir トリックでトレースになる.$\sum u\bar u=\slashed{p}+m$,$\sum v\bar v=\slashed{p}-m$ を使うとスピノルが消え,$\gamma$ 行列のトレース計算に帰着する.結果は必ず 4 元運動量の内積だけで書け,これが Lorentz 不変性による検算になる.
- トレース定理は反交換関係だけから出る.$\Tr(\mathbb{1})=4$,奇数個は 0,$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=4g^{\mu\nu}$,$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)=4(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho})$,$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^5)=-4\ii\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$.縮約公式 $\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}$ などで計算量が激減する.
- $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の断面積を最後まで導いた.$\dd\sigma/\dd\Omega=(\alpha^2/4s)(1+\cos^2\theta)$,$\sigma=4\pi\alpha^2/3s=86.9\ \mathrm{nb}/s[\mathrm{GeV^2}]$.$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ で $0.869\ \mathrm{nb}$.角度分布 $1+\cos^2\theta$ は,スピン 1 の仮想光子とヘリシティ保存から対称性だけで理解できる.
- この断面積が $R$ 比の分母になる.$R=N_c\sum_qQ_q^2$ は色の数 $N_c=3$ を直接数える測定であり,$b$ クォークまで含む領域で $R=11/3=3.67$,$\alpha_s(35\ \mathrm{GeV})\simeq0.14$ の補正込みで $3.83$.実測 $3.9\pm0.1$ と合う.
- Mott 散乱は Rutherford 散乱の相対論的拡張である.$\dd\sigma/\dd\Omega=\alpha^2\left[1-\beta^2\sin^2(\theta/2)\right]/\left[4p^2\beta^2\sin^4(\theta/2)\right]$.$\beta\to0$ で Rutherford,$\beta\to1$ で $\cos^2(\theta/2)$ となり後方散乱がヘリシティ保存により消える.測った断面積を Mott 断面積で割ると形状因子が残る —— これは結晶学の原子散乱因子と同じ論理である.
- くりこみは発散隠しではない.裸の質量・電荷は測定できない量であり,予言を測定値で書き直せば発散は消える.Ward 恒等式 $Z_1=Z_2$ により電荷のくりこみは真空偏極($Z_3$)だけから来るので,あらゆる粒子の電荷が同じ大きさに保たれる.
- 走る結合定数と $g-2$.$\alpha(Q^2)=\alpha/[1-(\alpha/3\pi)(\ln Q^2/m_e^2-5/3)]$,全荷電フェルミオン込みで $\alpha^{-1}(m_Z)=128.95$(on-shell 定義.$\overline{\mathrm{MS}}$ では $127.95$).真空は誘電体であり,短距離ほど遮蔽が破れて電荷が大きく見える.頂点補正の有限部分は $a=(g-2)/2=\alpha/2\pi=1.161\times10^{-3}$ を与え,電子では実測と有効数字 10 桁一致する.
- 材料科学との接点は式のレベルで成立している.(i) 自己エネルギーの極と留数が有効質量 $m^*$ とくりこみ因子 $Z$ であり,$GW$ 近似は QED の1ループ自己エネルギーで光子伝播関数を $W$ に替えたものである.(ii) 真空偏極と誘電遮蔽は同一の Dyson 級数 $W=v/(1-v\chi_0)$ であり,走る $\alpha$ と Thomas–Fermi 遮蔽(Al で $1/k_{\mathrm{TF}}=0.49\ \mathrm{\AA}$)は同じ Dyson 級数の解である(ただし長距離極限は違う.金属は完全遮蔽,真空は有限な残留 Coulomb 力).(iii) Dirac の消滅断面積 $\lambda=\pi r_e^2cn_e$ が PALS の基礎式で,Al の $166\ \mathrm{ps}$/$245\ \mathrm{ps}$ から ppm レベルの空孔濃度が読める.(iv) Klein–Nishina 断面積 $\sigma_T=0.665\ \mathrm{b}$ が Compton プロファイル測定の前因子であり,得られる $J(p_z)$ の Fermi 運動量での折れ曲がり(傾きの不連続)の大きさが $Z$ を測る.
10.8.2 演習問題
演習10.1 トレース定理を使う
(1) $\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right]=4\left[(a\!\cdot\! b)(c\!\cdot\! d)-(a\!\cdot\! c)(b\!\cdot\! d)+(a\!\cdot\! d)(b\!\cdot\! c)\right]$ を,表10.3 の T4 から導け.
(2) $\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right]=0$ を,$\gamma^5$ を使う一般論(T2)ではなく,反交換関係だけを使って直接示せ.
(3) 次のトレースを計算せよ($m$ はスカラー).
$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\,\gamma^\mu\,(\slashed{p}'+m)\,\gamma_\mu\right] $$(4) $\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma^5\right]$ が,$a,b,c,d$ が一次従属なとき(4 本のうち独立なものが 3 本以下で,4 次元空間を張らないとき)ゼロになる理由を述べよ.
ヒント:(1) $a_\mu b_\nu c_\rho d_\sigma$ を掛けて添字を縮約するだけである.(2) $\gamma^\mu$ を右端に運ぶ素朴な道は,奇数個では通り抜ける $\gamma$ が 2 個で符号が $(-1)^2=+1$ になるため恒等式 $0=0$ に化けて閉じない.代わりに,$\mu,\nu,\rho$ のいずれとも異なる値の添字 $\lambda$ を取り(4 次元なので必ず存在する),$\gamma^\lambda\gamma^\lambda=g^{\lambda\lambda}\mathbb{1}$ を挿入して片方の $\gamma^\lambda$ を 3 個の $\gamma$ を通して右端へ運ぶ($(-1)^3=-1$).巡回性で戻すと $T=-T$.$\Tr(\gamma^\alpha)=0$ も同じ論法で示せる(本文 T6 の証明と同じ手である).(3) 先に縮約公式 C2 を使うのが速い:$\gamma^\mu(\slashed{p}'+m)\gamma_\mu=-2\slashed{p}'+4m$.したがって $\Tr\left[(\slashed{p}+m)(-2\slashed{p}'+4m)\right]=-8\,p\!\cdot\! p'+16m^2$.(4) 答えは $-4\ii\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}a_\mu b_\nu c_\rho d_\sigma$ で,これは 4 本のベクトルが張る 4 次元体積(行列式)に比例する.独立なベクトルが 3 本以下なら行列式はゼロである.
演習10.2 縮約公式とゲージ不変性
(1) 縮約公式 C4 $\left(\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=-2\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a}\right)$ を,C3 から出発して示せ.
(2) さらに一段進めて
$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu =2\left(\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}+\slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right) $$を示せ.
(3) Compton 振幅 \eqref{eq:10-compton} の第2項について,$\epsilon_2\to p_2$ と置きかえたとき $-g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)$ になることを確かめ,第1項(本文で計算済み)と合わせて $\mathcal{M}=0$ となることを示せ.
(4) (3) の結果は「2枚の図を両方足さないとゲージ不変にならない」ことを意味する.このことから,$\gamma e^-\to\gamma e^-$ の最低次で図が 2 枚必要である理由を,$g_e^2$ の次数の数え上げとは別の観点で説明せよ.
ヒント:(1) $\gamma^\mu\slashed{a}=2a^\mu-\slashed{a}\gamma^\mu$ を使い,$2a^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{a}$,$-\slashed{a}\left(\gamma^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu\right)=-4(b\!\cdot\! c)\slashed{a}$ とし,最後に $2(b\cdot c)=\slashed{b}\slashed{c}+\slashed{c}\slashed{b}$ を代入する.(2) 同じ手順で,最後に (1) の結果を使う.(3) 第2項の分子は $\slashed{p}_2(\slashed{p}_1-\slashed{p}_3+m)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}$.$\slashed{p}_2\slashed{p}_1=2p_1\cdot p_2-\slashed{p}_1\slashed{p}_2$ と $\slashed{p}_2\slashed{p}_3=2p_2\cdot p_3-\slashed{p}_3\slashed{p}_2$ を使い,運動量保存 $p_1+p_2=p_3+p_4$ と $\bar u(4)(\slashed{p}_4-m)=0$ を効かせる.(4) ゲージ不変性は物理量の一貫性の要請であり,摂動の次数とは独立な制約である.「同じ次数の図をすべて足す」ことが,ゲージ不変性が成り立つための必要条件になっている.
演習10.3 $\tau$ 対生成の断面積
$e^+e^-\to\tau^+\tau^-$ を考える.$m_\tau=1776.86\ \mathrm{MeV}$.
(1) 生成のしきい値エネルギー $\sqrt{s}_{\mathrm{th}}$ を求めよ.
(2) $\sqrt{s}=4.00\ \mathrm{GeV}$ における $\beta$ を求めよ.
(3) 同じエネルギーでの全断面積を nb 単位で求めよ.質量の効果を無視した場合($4\pi\alpha^2/3s$)と比べて何 % ずれるか.
(4) このエネルギーでの角度分布 $2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta$ を,$\theta=0^\circ$ と $\theta=90^\circ$ で比較せよ.高エネルギー極限($1+\cos^2\theta$ で前方($0^\circ$)が真横($90^\circ$)の 2 倍)との違いを述べよ.
ヒント:(1) $\sqrt{s}_{\mathrm{th}}=2m_\tau=3.554\ \mathrm{GeV}$.(2) $4m_\tau^2=12.629\ \mathrm{GeV^2}$,$4m_\tau^2/s=0.7893$,$\beta=\sqrt{0.2107}=0.459$.(3) $4\pi\alpha^2/3s=86.86/16=5.429\ \mathrm{nb}$,補正因子 $\beta(3-\beta^2)/2=0.459\times1.395=0.640$,よって $\sigma=3.48\ \mathrm{nb}$.質量無視より 36 % 小さい.(4) $\beta^2=0.210$ なので $2-\beta^2=1.790$.$\theta=0$ で $2.000$,$\theta=90^\circ$ で $1.790$.$0^\circ$ と $90^\circ$ の比はわずか $1.12$ で,ほぼ等方的である.しきい値近くではフェルミオン対は $S$ 波で生成されるため角度依存性が弱い.
演習10.4 Mott 散乱から Rutherford 散乱へ
式 \eqref{eq:10-mott} を,電荷 $Ze$ の重い標的の場合に一般化すると(頂点因子が $Z$ 倍されるので)
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{Z^2\alpha^2}{4p^2\beta^2\sin^4(\theta/2)}\left[1-\beta^2\sin^2\tfrac\theta2\right] $$となる.
(1) $\beta\ll1$ の極限で Rutherford の公式 $\left(Z\alpha/4E_{\mathrm{kin}}\right)^2/\sin^4(\theta/2)$ に帰着することを示せ.
(2) 運動エネルギー $100\ \mathrm{keV}$ の電子について,$p$,$E$,$\beta$ を求めよ.
(3) アルミニウム原子核($Z=13$)による $\theta=90^\circ$ の微分断面積を barn/sr 単位で求めよ.(換算:$1\ \mathrm{MeV^{-2}}=389.4\ \mathrm{barn}$.)
(4) Mott 因子 $\left[1-\beta^2\sin^2(\theta/2)\right]$ を $\theta=90^\circ$ と $180^\circ$ で評価し,Rutherford からのずれが何 % かを述べよ.
ヒント:(1) $\beta\to0$ で角括弧 $\to1$,$p\beta=p^2/E\to p^2/m_e=m_ev^2=2E_{\mathrm{kin}}$($E\to m_e$,$p\to m_ev$).(2) $E=0.511+0.100=0.611\ \mathrm{MeV}$,$p=\sqrt{0.611^2-0.511^2}=0.335\ \mathrm{MeV}$,$\beta=0.548$.(3) $Z\alpha=0.0949$,$2p\beta=0.367\ \mathrm{MeV}$,$\left(Z\alpha/2p\beta\right)^2=0.0668\ \mathrm{MeV^{-2}}$,$\sin^4(45^\circ)=0.25$ で割って $0.267\ \mathrm{MeV^{-2}}$,Mott 因子 $0.850$ を掛けて $0.227\ \mathrm{MeV^{-2}}=88\ \mathrm{barn/sr}$.(4) $\theta=90^\circ$:$1-0.300\times0.5=0.850$(15 % 減).$\theta=180^\circ$:$1-0.300=0.700$(30 % 減).
演習10.5 走る結合定数と Landau 極
式 \eqref{eq:10-running-alpha} を出発点にする.
(1) 分母を展開せずに,$1/\alpha(Q^2)$ が $\ln Q^2$ の一次式になることを示せ.
(2) 電子ループだけを考えて $\alpha(Q^2)$ を $Q=1\ \mathrm{GeV}$ で数値評価せよ.
(3) 式 \eqref{eq:10-running-alpha} の分母がゼロになるエネルギー(Landau 極)を求めよ.その値と Planck 質量 $1.22\times10^{19}\ \mathrm{GeV}$ を比べ,QED が「実用上は破綻しない」と言われる理由を述べよ.
(4) 10.4.4 項では $\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ で $\alpha=1/137$ を使った.代わりに $\alpha(Q^2=s)$ を使うと断面積は何 % 変わるか(全フェルミオン込みで $\alpha(10\ \mathrm{GeV})\simeq1/132.1$ とする).
ヒント:(1) $1/\alpha(Q^2)=1/\alpha-\left(1/3\pi\right)\left(\ln Q^2/m_e^2-5/3\right)$.$\alpha$ ではなく $1/\alpha$ が対数で走るのが1ループの構造である.(2) $Q=1\ \mathrm{GeV}$ を入れて $\ln(Q^2/m_e^2)=-2\ln(5.11\times10^{-4})=15.158$,$-5/3$ して $13.491$,$\times\alpha/3\pi=0.01045$,$1/\alpha=137.036\times0.98955=135.6$.(3) $\ln(Q^2/m_e^2)=3\pi/\alpha+5/3=1293$,$Q=m_e\ee^{646.6}\simeq10^{277}\ \mathrm{GeV}$.Planck 質量より 258 桁も上であり,そのはるか手前で QED は他の相互作用と統合されるか,重力に取って代わられる.(4) 断面積は $\alpha^2$ に比例するので $(137.036/132.1)^2=1.076$,約 7.6 % 増える.
演習10.6 陽電子消滅で空孔を測る(シリコン)
式 \eqref{eq:10-pals} と $\pi r_e^2c=7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}}$ を使う.Si の完全結晶の陽電子寿命は $\tau_b=219\ \mathrm{ps}$,単空孔では $\tau_v=265\ \mathrm{ps}$ である.
(1) $\pi r_e^2c$ の値を,$r_e=2.818\ \mathrm{fm}$ から自分で計算して確かめよ.
(2) $\tau_b$ と $\tau_v$ から,それぞれ陽電子が感じる実効電子密度 $n_{\mathrm{eff}}$ を求めよ.
(3) Si の価電子密度(ダイヤモンド構造,$a=5.431\ \mathrm{\AA}$,8 原子/単位胞,1 原子あたり価電子 4 個)を計算し,(2) と比べよ.比が 1 でない理由を述べよ.
(4) ある試料で平均寿命 $\bar\tau=230\ \mathrm{ps}$ が測定された.2 状態捕獲模型の式
$$ \kappa=\frac{1}{\tau_b}\,\frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau} $$から捕獲率 $\kappa$ を求め,捕獲率係数 $\mu=1.0\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$ として空孔濃度 $C_v$ を ppm 単位で求めよ.
ヒント:(1) $\pi\times(2.818\times10^{-15})^2\times2.998\times10^{8}=7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3/s}$.(2) $n_{\mathrm{eff}}=1/(\tau\pi r_e^2c)$.$\tau_b$ で $6.10\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$,$\tau_v$ で $5.04\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$(バルクの $0.83$ 倍).(3) $n_{\mathrm{val}}=8\times4/(5.431\ \mathrm{\AA})^3=32/160.2\ \mathrm{\AA^{-3}}=0.200\ \mathrm{\AA^{-3}}=2.00\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$.比は $3.1$ で,芯電子への消滅と増大因子 $\gamma$ の寄与である.(4) $1/\tau_b=1/219\ \mathrm{ps}=4.566\times10^{-3}\ \mathrm{ps^{-1}}=4.566\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$,$(230-219)/(265-230)=11/35=0.314$,$\kappa=1.44\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$,$C_v=\kappa/\mu=1.4\times10^{-6}=1.4\ \mathrm{ppm}$.
演習10.7 Klein–Nishina 断面積と Compton プロファイル
式 \eqref{eq:10-klein-nishina} を使う.$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$,$r_e=2.818\ \mathrm{fm}$.
(1) $\omega\ll m_e$ の極限で Thomson の公式 $\left(r_e^2/2\right)\left(1+\cos^2\theta\right)$ になることを示し,$\sigma_T=8\pi r_e^2/3$ を barn 単位で計算せよ.
(2) $^{137}\mathrm{Cs}$ の $\gamma$ 線($\omega=662\ \mathrm{keV}$)について,$\theta=180^\circ$ での散乱光子エネルギー(後方散乱ピーク)と,電子が受け取る最大運動エネルギー(Compton 端)を求めよ.
(3) 同じ $\gamma$ 線の $\theta=180^\circ$ における微分断面積を計算し,Thomson の値と比べよ.
(4) 自由電子ガスの Compton プロファイル $J(p_z)=\left(3/4p_F\right)\left[1-(p_z/p_F)^2\right]$ が $\int J\,\dd p_z=1$ に規格化されていることを確かめ,Al($p_F=0.926$ a.u.)について $J(0)$ を求めよ.さらに,実測の $J(0)$ が自由電子模型より大きい主因を述べ,くりこみ因子 $Z$ が Compton プロファイルのどこに($J(0)$ の高さか,$p_z=\pm p_F$ の折れ曲がりか)現れるかを $J(p_z)=2\pi\int_{\abs{p_z}}^{\infty}n(p)\,p\,\dd p$ を使って説明せよ.
ヒント:(1) $\omega'\to\omega$ とすればよい.$\sigma_T=\left(8\pi/3\right)\times7.941\times10^{-30}\ \mathrm{m^2}=6.65\times10^{-29}\ \mathrm{m^2}=0.665\ \mathrm{barn}$.(2) $\omega'=\omega/(1+2\omega/m_e)$.$2\omega/m_e=2.591$ なので $\omega'=662/3.591=184\ \mathrm{keV}$,Compton 端は $662-184=478\ \mathrm{keV}$.(実際の $^{137}\mathrm{Cs}$ スペクトルに現れる 184 keV と 477 keV のピーク/端がこれである.$\omega=661.7\ \mathrm{keV}$ を使えば Compton 端は $477\ \mathrm{keV}$ になる.)(3) $\omega'/\omega=0.2785$,$\sin^2180^\circ=0$ なので $\dd\sigma/\dd\Omega=(r_e^2/2)(0.2785)^2\left(3.591+0.2785\right)=0.150\,r_e^2=1.19\times10^{-2}\ \mathrm{barn/sr}$.Thomson の $180^\circ$ の値 $r_e^2=7.94\times10^{-2}\ \mathrm{barn/sr}$ の $0.15$ 倍で,高エネルギーでは後方散乱が強く抑えられる.(4) $\int_{-p_F}^{p_F}\left(3/4p_F\right)\left(1-x^2/p_F^2\right)\dd x=\left(3/4p_F\right)\left(2p_F-2p_F/3\right)=1$.$J(0)=3/(4\times0.926)=0.810$ a.u..実測は $\simeq0.85$.上ずれの主因は芯電子成分と umklapp 成分であって,電子相関ではない(規格化を固定したまま重みが $p_F$ の外へ漏れると,$J(0)$ は $p$ の 1 乗でしか重みを拾わないのでわずかに減る側に動く.Lam–Platzman 補正).$\dd J/\dd p_z=-2\pi p_zn(p_z)$ なので,$p_F$ での $n$ の跳び $Z$ は $J$ の傾きの不連続に現れる.自由電子($Z=1$)では $\abs{\dd J/\dd p_z}_{p_F}=3/(2p_F^2)=1.75$ a.u. で,相関はこの折れ曲がりを $Z$ 倍に鈍らせる.折れ曲がりの鋭さを測ることが,10.7.1 項のくりこみ因子 $Z$ を測ることに等しい.
参考文献
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