第9章Dirac 方程式とスピノル
1928年,Paul Dirac は「相対論的で,かつ時間について1階の波動方程式」という一つの美的要請だけを頼りに,たった1行の式を書いた.そこから,誰も予期しなかった三つのものが自動的に転がり出てきた.スピン $1/2$,$g=2$ という磁気回転比,そして反粒子である.物理学の歴史上,これほど少ない仮定からこれほど多くを得た式は,ほかにほとんど見当たらない.
本章はその式,
$$ \left(\ii\gamma^\mu\partial_\mu - m\right)\psi = 0 $$を,出発点の動機から丁寧に組み立て直す章である.なぜ Klein–Gordon 方程式では駄目だったのか.なぜ $\gamma$ 行列は $4\times4$ でなければならないのか.なぜ解が4つあり,そのうち2つが「負エネルギー」なのか.そして負エネルギー解をどう読み替えれば反粒子になるのか.これらを,途中式を一つも飛ばさずに追う.
ところで,本書を読む材料科学者にとって,本章は全16章のなかで最も直接に「使える」章である.理由は単純で,固体の中には Dirac 方程式がそこら中にいるからである.グラフェンの低エネルギー有効ハミルトニアン $H=\hbar v_F\,\bm{\sigma}\cdot\kk$ は,$c$ を $v_F\simeq 1\times10^6\ \mathrm{m/s}$ に置き換えた2次元 Dirac 方程式そのものであり,「質量」はバンドギャップである.Weyl 半金属 TaAs の低エネルギー励起は Weyl 方程式に従い,カイラル異常という素粒子物理の概念が負の縦磁気抵抗として報告されている(ただし解釈には注意が要る.9.7.3 節).トポロジカル絶縁体 Bi$_2$Se$_3$ の表面状態は単一の Dirac 錐である.そして超伝導の Bogoliubov–de Gennes 方程式は,電子と正孔——ある意味で粒子と反粒子——を混ぜる方程式であり,Dirac 方程式と数学的に同じ構造を持つ.そこに現れる Majorana 条件 $\gamma=\gamma^\dagger$ は,第14章で扱う Majorana ニュートリノの条件と文字通り同じ式である.
だから本章の $\gamma$ 行列は,高エネルギー実験室だけの道具ではない.$4\times4$ が $2\times2$ に,$c$ が $v_F$ に,MeV が meV に置き換わるだけで,同じ代数がそのまま実験室の試料の中で働いている.エネルギースケールは8桁も9桁も違うのに,方程式は同じである.この事実こそ,材料科学者が素粒子物理を学ぶ最大の理由だと著者は考えている.
章の後半では,Dirac 場の相棒である光子(ベクトル場)も扱う.Maxwell 方程式の共変形,ゲージ不変性,そして「実光子は横偏極2つしか持たないのに,仮想光子は4成分すべてを使う」という,第10章の QED 計算で必ず必要になる事実を準備する.
- Klein–Gordon 方程式が抱える2つの病——負の確率密度と負エネルギー解——を式で確認すること
- 「時間について1階」という要請から $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ が出てくること,そしてこの代数が $4\times4$ 行列を要求する理由(トレースと次元の議論)
- Dirac–Pauli 表示の $\gamma$ 行列の明示形,随伴スピノル $\bar\psi=\psi^\dagger\gamma^0$,正定値な確率密度 $\rho=\psi^\dagger\psi$
- 静止系の4つの解と,一般の運動量における $u(p,s)$・$v(p,s)$ の明示形(規約 $\bar u u=2m$,$u^\dagger u=2E$)
- 大成分と小成分の比が $\abs{\pp}/(E+m)\simeq v/2c$ であること
- 非相対論極限で Pauli 方程式が出て,$g=2$ が導出されること(最重要の導出)
- Dirac の海,空孔理論,Feynman–Stückelberg 解釈,$v$ スピノルの物理的意味
- 完全性関係 $\sum_s u\bar u=\slashed{p}+m$,$\sum_s v\bar v=\slashed{p}-m$ の証明
- 16個の双一次共変形,$\gamma^5$ の定義と性質,カイラリティとヘリシティが質量ゼロでのみ一致すること
- 左巻き・右巻き射影演算子 $P_{L,R}=(1\mp\gamma^5)/2$ と,質量項が $L$ と $R$ を混ぜること
- Maxwell 方程式の共変形,ゲージ不変性,実光子の2つの横偏極と仮想光子の4成分
- 材料科学との接点:光学フォノンが「質量をもつ Klein–Gordon 場」であること
- 材料科学との接点:グラフェン(Berry 位相 $\pi$,Klein トンネリング),Weyl 半金属とカイラル異常,トポロジカル絶縁体の表面 Dirac 錐
- 材料科学との接点:BdG 方程式と Nambu スピノル,粒子正孔対称性,Majorana 条件(第14章への橋)
9.1 Klein–Gordon 方程式とその問題
9.1.1 素朴な相対論化
非相対論の Schrödinger 方程式は,古典的なエネルギー・運動量関係 $E=\pp^2/2m$ に,正準量子化の置き換え
$$ \begin{equation} E \;\longrightarrow\; \ii\frac{\partial}{\partial t}, \qquad \pp \;\longrightarrow\; -\ii\nabla \label{eq:9-canonical} \end{equation} $$を施して得られる.ならば相対論的な場合も同じことをすればよい,と考えるのが自然である.相対論のエネルギー・運動量関係(第4章)は
$$ \begin{equation} E^2 = \pp^2 + m^2, \qquad\text{すなわち}\qquad p^\mu p_\mu = m^2 \label{eq:9-dispersion} \end{equation} $$である.これに \eqref{eq:9-canonical} を代入すると
$$ -\frac{\partial^2\phi}{\partial t^2} = -\nabla^2\phi + m^2\phi $$すなわち
を得る.これが Klein–Gordon 方程式(KG 方程式)である.$\Box$ はダランベルシアンと呼ばれる.式 \eqref{eq:9-kg} は明らかに Lorentz 不変である:$\phi$ をスカラー(Lorentz 変換で不変な1成分の量)とすれば,$\Box$ もスカラー演算子なので,方程式全体が全ての慣性系で同じ形をとる.
数学ノート:歴史の順序
Schrödinger は1925年,波動方程式を探す過程で最初にこの相対論的な式を書いた.しかし水素原子に適用したところ,微細構造の実験値と合わなかった(当時スピンは知られていなかったので,スピン軌道相互作用が欠けていることに気づけなかった).彼は失望してこれを捨て,非相対論極限で得られる式を発表した.それが今日の Schrödinger 方程式である.
捨てられた式は翌1926年,Klein,Gordon,Fock らによって独立に再発見された.いま我々は,この式がスピン0の粒子($\pi$ 中間子,Higgs 粒子)に対しては正しいことを知っている.Schrödinger の失敗は「式が間違っていた」のではなく「電子に適用したのが間違いだった」のである.
9.1.2 病その1:負の確率密度
Schrödinger 方程式では,$\rho=\abs{\psi}^2$ という正定値な確率密度と,それを保存する連続の式が導けた.KG 方程式でも同じことをやってみよう.
導出:KG 方程式の連続の式
ステップ1:方程式に $\phi^*$ を掛ける.式 \eqref{eq:9-kg} の左から $\phi^*$ を掛けると
$$ \phi^*\Box\phi + m^2\abs{\phi}^2 = 0 $$ステップ2:複素共役をとった式に $\phi$ を掛ける.\eqref{eq:9-kg} の複素共役は $\Box\phi^*+m^2\phi^*=0$($m$ は実).これに左から $\phi$ を掛けると
$$ \phi\,\Box\phi^* + m^2\abs{\phi}^2 = 0 $$ステップ3:辺々引く.$m^2$ の項が消えて
$$ \phi^*\Box\phi - \phi\,\Box\phi^* = 0 $$ステップ4:全微分の形にまとめる.ここで恒等式
$$ \partial_\mu\!\left(\phi^*\partial^\mu\phi - \phi\,\partial^\mu\phi^*\right) = \phi^*\Box\phi + \partial_\mu\phi^*\partial^\mu\phi - \phi\,\Box\phi^* - \partial_\mu\phi\,\partial^\mu\phi^* = \phi^*\Box\phi - \phi\,\Box\phi^* $$を使う(真ん中の2項が打ち消し合う).したがってステップ3の結果は $\partial_\mu J^\mu=0$ という連続の式に書ける.規格化定数を選んで
$$ \begin{equation} J^\mu \equiv \frac{\ii}{2m}\left(\phi^*\partial^\mu\phi - \phi\,\partial^\mu\phi^*\right) \label{eq:9-kg-current} \end{equation} $$と定義すれば $\partial_\mu J^\mu = 0$,すなわち $\partial\rho/\partial t + \nabla\cdot\bm{J}=0$ である.ここで $\rho=J^0$.
ステップ5:平面波に対して $\rho$ を評価する.$\phi=N\ee^{-\ii p\cdot x}=N\ee^{-\ii(Et-\pp\cdot\xx)}$ を代入する.$\partial^0\phi = \partial\phi/\partial t = -\ii E\phi$ だから
$$ \rho = J^0 = \frac{\ii}{2m}\left[\phi^*(-\ii E\phi) - \phi(+\ii E\phi^*)\right] = \frac{\ii}{2m}(-2\ii E)\abs{\phi}^2 = \frac{E}{m}\abs{N}^2 $$ここが問題である.$\rho = (E/m)\abs{N}^2$ は $E$ の符号によって正にも負にもなる.そして分散関係 \eqref{eq:9-dispersion} は
$$ \begin{equation} E = \pm\sqrt{\pp^2+m^2} \label{eq:9-two-branches} \end{equation} $$という2つの枝を許すから,負エネルギー解は必ず存在する.負の確率密度は,確率解釈が成り立たないことを意味する.
9.1.3 病その2:負エネルギー解
そもそも \eqref{eq:9-two-branches} の負の枝そのものが困りものである.非相対論では $E=\pp^2/2m\ge0$ だから負エネルギー状態は存在しなかった.相対論では,エネルギースペクトルが $E\ge m$ と $E\le -m$ の2枚に分かれ,その間に幅 $2m$ の禁止帯がある(図9.1).
もし負エネルギー状態が本当に存在するなら,正エネルギーの電子は光子を放出しながらどこまでも下へ落ち続け,安定な物質は存在し得ない.落下率を見積もると,水素原子の $1s$ 電子が $E<-m$ の状態へ遷移する時間は $10^{-8}\ \mathrm{s}$ 程度になる.我々がここに存在している以上,何かが間違っている.
注意:KG 方程式は「間違い」ではない
現代的な立場では,$\phi$ は1粒子波動関数ではなく場である.場を量子化すると(第8章 8.3 節の囲み「調和振動子の量子化」),$J^\mu$ は確率流ではなく電荷流と解釈される.電荷密度は負でもよい——それは反粒子が寄与しているというだけのことである.負エネルギー解も,反粒子の生成演算子に読み替えられる.
したがって KG 方程式はスピン0の場の正しい方程式であり,Higgs 粒子($m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$)も $\pi^0$($m=134.977\ \mathrm{MeV}$)もこれに従う.ただし1928年の Dirac にはその視点がなかった.彼は「1粒子の波動関数」を探しており,その制約の中で病1を治そうとして,結果的にもっと大きな宝を掘り当てたのである.
材料科学との接点:光学フォノンは「質量をもつ Klein–Gordon 場」である
KG 方程式の分散関係 $E^2=\pp^2+m^2$ は,材料科学者にはむしろ見慣れた形をしているはずである.$\hbar$ と $c$ を戻すと
$$ (\hbar\omega)^2 = (\hbar c k)^2 + (mc^2)^2 \quad\Longleftrightarrow\quad \omega^2 = c^2k^2 + \omega_0^2,\qquad \omega_0\equiv \frac{mc^2}{\hbar} $$これは$\Gamma$ 点で有限のギャップ $\omega_0$ をもつ光学フォノン分枝と同じ構造である.音響フォノン($\omega = v_s k$,$\Gamma$ 点でギャップなし)が「質量ゼロの KG 場」,光学フォノンが「質量 $m=\hbar\omega_0/c^2$ の KG 場」に対応する.ただし対応しているのは「$\Gamma$ 点に有限のギャップをもつ時間について2階の波動方程式」という構造までであって,曲率まで一致するわけではない.KG 型は $\omega\simeq\omega_0+c^2k^2/2\omega_0$ と $\Gamma$ 点から上に凸に立ち上がるが,実際の光学分枝の曲率は物質によって正にも負にもなり,Si では $\Gamma$ 点の $15.6\ \mathrm{THz}$ から $X$ 点へ向かって単調に下がる(負の曲率).曲率の符号まで含めて KG 型になるのは,後述の反強磁性マグノン $\omega^2=v^2k^2+\Delta^2$ やプラズモン $\omega^2\simeq\omega_p^2+\tfrac35 v_F^2q^2$,フォノンポラリトンの上枝である.なお式中の $c$ は固体中では真空の光速ではなく,その分枝の分散を決める速度パラメータ(ポラリトンなら媒質中の光速)に読み替える.
数値で見よう.Si の $\Gamma$ 点光学フォノンは $\nu_0\equiv\omega_0/2\pi = 15.6\ \mathrm{THz}$(Raman シフト $520\ \mathrm{cm^{-1}}$)である.これを「質量」に翻訳すると
$$ mc^2 = \hbar\omega_0 = h\nu_0 = 4.136\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}\times 15.6\times10^{12}\ \mathrm{s^{-1}} = 64.5\ \mathrm{meV} $$電子の $511\ \mathrm{keV}$ に比べれば7桁小さいが,方程式の形は同一である.同様に,反強磁性体のマグノンは $\omega^2 = v^2k^2+\Delta^2$(異方性ギャップ $\Delta$)という KG 型の分散をもつ.一方,強磁性体のマグノンは $\omega\propto k^2$ で Schrödinger 型である.時間について2階か1階かという本節の主題は,磁性体の種類を分ける実務的な区別でもある.
そして病1・病2の両方に対応物がある.KG 型の分散をもつ系では $\omega$ の正負2つの解が必ず対になって現れる(病2).さらにボソンの Bogoliubov 問題は $\sigma_z H\psi=\omega\psi$ という計量 $\sigma_z$ 付きの固有値問題になり,その固有ベクトルは $\psi^\dagger\sigma_z\psi=\pm1$ と符号の定まらないノルムをもつ.これが KG の $\rho=(E/m)\abs{N}^2$ の符号不定性(病1)の直接の対応物である.マグノンの Bogoliubov 変換で負エネルギー・負ノルムの解が現れ,それを消すために正準変換が必要になるのは,本節の議論と同じ構造である.
9.2 Dirac 方程式 — 1階にするという賭け
9.2.1 Dirac の着想
Dirac の診断は明快だった.KG 方程式で確率密度が正定値にならないのは,時間について2階だからである.連続の式を作るときに $\partial\phi/\partial t$ が $\rho$ に残り,それが $-\ii E$ を経由して $E$ の符号を持ち込んでしまう.Schrödinger 方程式で $\rho=\abs{\psi}^2\ge0$ が言えたのは,方程式が時間について1階で,$\rho$ に時間微分が現れなかったからである.
なぜ?:1階にすると何が良いのか
時間について1階の方程式 $\ii\,\partial\psi/\partial t = \Ham\psi$ から連続の式を作る手順を思い出そう.$\psi^\dagger$ を左から掛けた式と,その共役に $\psi$ を右から掛けた式の差をとると
$$ \ii\frac{\partial}{\partial t}\left(\psi^\dagger\psi\right) = \psi^\dagger(\Ham\psi) - (\Ham\psi)^\dagger\psi $$となり,左辺に現れるのは $\psi^\dagger\psi$ の時間微分だけである.$\Ham$ がエルミートなら右辺は空間微分の全微分になり,$\rho=\psi^\dagger\psi\ge0$ という正定値な密度が保存する.時間微分が2階だと,$\rho$ 自身に $\dot\phi$ が入り込んでこの構造が壊れる.これが Dirac の出発点である.
しかし,相対論では時間と空間が対等でなければならない.時間について1階なら,空間についても1階でなければ Lorentz 不変にならない.そこで Dirac は
$$ \begin{equation} \ii\frac{\partial\psi}{\partial t} = \left(-\ii\,\bm{\alpha}\cdot\nabla + \beta m\right)\psi \equiv \left(\bm{\alpha}\cdot\pp + \beta m\right)\psi \label{eq:9-dirac-ham} \end{equation} $$という形を仮定した.ここで $\alpha^1,\alpha^2,\alpha^3,\beta$ は,まだ正体不明の係数である.もしこれらが単なる数なら,右辺は $\pp$ の1次式なので $E=\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m$ となってしまい,相対論の $E^2=\pp^2+m^2$ とは似ても似つかない.そこで Dirac は,$\alpha^i,\beta$ を行列とし,$\psi$ を多成分の縦ベクトルとすることを許した.
9.2.2 係数が満たすべき代数
導出:$\bm{\alpha}$ と $\beta$ が満たすべき関係
ステップ1:要請を立てる.解が相対論の分散関係 \eqref{eq:9-dispersion} を満たすためには,$\psi$ の各成分が KG 方程式を満たさねばならない.そこで \eqref{eq:9-dirac-ham} をもう一度時間微分して,二乗した形を作る.
ステップ2:両辺に演算子をもう一度作用させる.
$$ -\frac{\partial^2\psi}{\partial t^2} = \left(\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m\right)^2\psi $$右辺を展開する.$\alpha^i$ と $\beta$ は行列なので順序を勝手に入れ替えてはならない.一方 $p^i=-\ii\partial_i$ どうしは可換である(偏微分の順序交換).したがって
$$ \left(\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m\right)^2 = \sum_{i,j}\alpha^i\alpha^j p^i p^j + m\sum_i\left(\alpha^i\beta + \beta\alpha^i\right)p^i + \beta^2 m^2 $$ステップ3:第1項を対称化する.$p^ip^j = p^jp^i$ なので,$\alpha^i\alpha^j$ の部分を $i\leftrightarrow j$ で対称化してよい:
$$ \sum_{i,j}\alpha^i\alpha^j p^ip^j = \sum_{i,j}\frac{1}{2}\left(\alpha^i\alpha^j+\alpha^j\alpha^i\right)p^ip^j $$ステップ4:KG 方程式と係数を比較する.目標は $-\partial_t^2\psi = (\pp^2+m^2)\psi$,すなわち右辺が $\sum_i (p^i)^2 + m^2$ になることである.各項を比べると
第1式で $i=j$ とおけば $(\alpha^i)^2=\mathbb{1}$,$i\ne j$ なら $\alpha^i$ と $\alpha^j$ は反交換する.まとめると:$\alpha^1,\alpha^2,\alpha^3,\beta$ の4つは,二乗が単位行列で,互いにすべて反交換する行列でなければならない.
9.2.3 なぜ $4\times4$ でなければならないか
4つの行列が互いに反交換し,二乗が $\mathbb{1}$ になる.そんな行列は何次元で作れるのか.順を追って絞り込む.
導出:$4\times4$ の必然性
ステップ1:エルミート性.ハミルトニアン $\Ham=\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m$ がエルミートであるためには,$\alpha^i$ も $\beta$ もエルミート行列でなければならない.
ステップ2:固有値は $\pm1$.$(\alpha^i)^2=\mathbb{1}$,$\beta^2=\mathbb{1}$ より,固有値 $\lambda$ は $\lambda^2=1$ すなわち $\lambda=\pm1$ である.
ステップ3:トレースがゼロ.$\alpha^i\beta=-\beta\alpha^i$ の両辺に右から $\beta$ を掛けると,$\beta^2=\mathbb{1}$ を使って
$$ \alpha^i\beta^2 = -\beta\alpha^i\beta \quad\Longrightarrow\quad \alpha^i = -\beta\alpha^i\beta $$トレースをとる.トレースの巡回性 $\Tr(ABC)=\Tr(CAB)$ より
$$ \Tr\alpha^i = -\Tr\!\left(\beta\alpha^i\beta\right) = -\Tr\!\left(\alpha^i\beta^2\right) = -\Tr\alpha^i $$よって $\Tr\alpha^i=0$.同様に $\beta\alpha^i=-\alpha^i\beta$ から出発すれば $\Tr\beta=0$ が言える.
ステップ4:次元は偶数.固有値が $\pm1$ しかなく,かつトレース(=固有値の和)がゼロなら,$+1$ と $-1$ の固有値の個数が等しい.したがって行列の次元 $N$ は偶数でなければならない.
ステップ5:$N=2$ は不可能.まず,互いに反交換し二乗が $\mathbb{1}$ になる行列の組 $\{M_k\}$ は線形独立である:$\sum_k c_kM_k=0$ の両辺に $M_j$ を掛けてトレースをとると,$\Tr(M_jM_k)=0$($j\ne k$.反交換するのでトレースの巡回性から従う)と $\Tr(M_j^2)=N$ より $c_jN=0$,すなわち $c_j=0$ である.しかもステップ3より各 $M_k$ はトレースゼロである.ところが $2\times2$ のトレースゼロなエルミート行列は $\sigma^1,\sigma^2,\sigma^3$ が張る3次元の空間しかない($\mathbb{1}$ はトレースが $2$ なので入らない).したがって線形独立な4つは収まらず,$N=2$ では足りない.
ステップ6:$N=4$ で足りる.$N=4$ なら実際に構成できる(次項で明示する).よって最小の次元は $N=4$ である.
物理的意味:4成分の意味は「$2\times2$」である
ここで得られた $N=4$ は,$2\times2=4$ と読むのが正しい.一方の $2$ はスピンの自由度(上向き・下向き),もう一方の $2$ はエネルギーの符号(粒子・反粒子)である.
驚くべきことに,Dirac はスピンを仮定として方程式に持ち込んではいない(1928年の論文でスピンそのものには言及しており,むしろ相対論的な理論からそれが自然に出るべきだと論じている.入れなかったのは「スピン項」である).「相対論的で時間1階」という要請だけから,$2\times2$ では足りず $4\times4$ が必要になり,そのうち $2$ が自動的にスピンとして現れた.スピン $1/2$ は仮定ではなく結果である.これが Dirac 方程式が「美しい」と言われる第一の理由である.
そして残る $2$ が,9.4 節で反粒子になる.Dirac 方程式は,スピンと反物質を同時に予言したのである.
9.2.4 Dirac–Pauli 表示
条件 \eqref{eq:9-alpha-beta} を満たす $4\times4$ 行列の組は一意ではない(ユニタリ変換の自由度がある)が,本書では次の Dirac–Pauli 表示(標準表示)を標準とする.$2\times2$ ブロックで書くと
ここで $\sigma^i$ は Pauli 行列である.条件を確かめよう.
- $\beta^2 = \mathrm{diag}(\mathbb{1},\mathbb{1})=\mathbb{1}_4$.$\checkmark$
- $\alpha^i\alpha^j = \begin{pmatrix}\sigma^i\sigma^j & 0\\ 0 & \sigma^i\sigma^j\end{pmatrix}$ なので,$\alpha^i\alpha^j+\alpha^j\alpha^i$ は対角ブロックに $\sigma^i\sigma^j+\sigma^j\sigma^i=2\delta^{ij}\mathbb{1}_2$ を持つ.すなわち $2\delta^{ij}\mathbb{1}_4$.$\checkmark$
- $\alpha^i\beta = \begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ \sigma^i&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\0&-\mathbb{1}\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}0&-\sigma^i\\ \sigma^i&0\end{pmatrix}$,$\beta\alpha^i = \begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}$.和はゼロ.$\checkmark$
9.2.5 共変形と $\gamma$ 行列
式 \eqref{eq:9-dirac-ham} は,時間と空間が見た目には対等でない.そこで共変な形に書き直す.\eqref{eq:9-dirac-ham} の左から $\beta$ を掛ける($\beta^2=\mathbb{1}$ を使う)と
$$ \ii\beta\frac{\partial\psi}{\partial t} + \ii\beta\alpha^i\partial_i\psi - m\psi = 0 $$ここで $\gamma$ 行列を
定義:$\gamma$ 行列
$$ \begin{equation} \gamma^0\equiv\beta, \qquad \gamma^i\equiv\beta\alpha^i \quad(i=1,2,3) \label{eq:9-gamma-def} \end{equation} $$Dirac–Pauli 表示では明示的に
$$ \gamma^0=\begin{pmatrix}\mathbb{1}_2&0\\0&-\mathbb{1}_2\end{pmatrix}, \qquad \gamma^i=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix} $$と定義すれば,上の式は $\ii\gamma^0\partial_0\psi+\ii\gamma^i\partial_i\psi-m\psi=0$,すなわち
となる.これが Dirac 方程式である.$\Dsl\equiv\gamma^\mu\partial_\mu$,一般に $\slashed{a}\equiv\gamma^\mu a_\mu$ を Feynman スラッシュと呼ぶ.
条件 \eqref{eq:9-alpha-beta} を $\gamma$ で書き直すと,きわめて簡潔な1本の式にまとまる.
定理:Clifford 代数
$$ \begin{equation} \left\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\right\} \equiv \gamma^\mu\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\mu = 2g^{\mu\nu}\,\mathbb{1}_4 \label{eq:9-clifford} \end{equation} $$これを $\gamma$ 行列の Clifford 代数という.Dirac 方程式の内容は,実質的にこの1行に尽きる.
導出:Clifford 代数の確認
$\mu=\nu=0$:$\{\gamma^0,\gamma^0\}=2\beta^2=2\mathbb{1}=2g^{00}\mathbb{1}$.$g^{00}=1$ なので合う.
$\mu=0,\nu=i$:$\gamma^0\gamma^i+\gamma^i\gamma^0 = \beta(\beta\alpha^i)+(\beta\alpha^i)\beta = \beta^2\alpha^i + \beta\alpha^i\beta$.第2項は $\alpha^i\beta=-\beta\alpha^i$ より $\beta\alpha^i\beta = -\beta\beta\alpha^i=-\alpha^i$.したがって $\alpha^i-\alpha^i=0=2g^{0i}\mathbb{1}$.$g^{0i}=0$ なので合う.
$\mu=i,\nu=j$:
$$ \gamma^i\gamma^j = \beta\alpha^i\beta\alpha^j = -\beta^2\alpha^i\alpha^j = -\alpha^i\alpha^j $$($\alpha^i\beta=-\beta\alpha^i$ を1回使った).よって
$$ \gamma^i\gamma^j+\gamma^j\gamma^i = -\left(\alpha^i\alpha^j+\alpha^j\alpha^i\right) = -2\delta^{ij}\mathbb{1} = 2g^{ij}\mathbb{1} $$$g^{ij}=-\delta^{ij}$ なので合う.以上で \eqref{eq:9-clifford} が全成分について確認された.
注意:$\gamma^\mu$ は4元ベクトルではない
$\gamma^\mu$ には添字 $\mu$ が付いているが,これは4元ベクトルではない.$\gamma^\mu$ は Lorentz 変換で変換しない定数行列であり,添字は「4つの行列に番号を振った」だけの記法である.Lorentz 変換のもとで変換するのは $\psi$ のほうであり,$\bar\psi\gamma^\mu\psi$ という組み合わせが結果として4元ベクトルのように振る舞う(9.5 節).
また $\gamma^\mu$ はエルミートではない.具体的には
$$ \gamma^{0\dagger}=\gamma^0,\qquad \gamma^{i\dagger}=-\gamma^i, \qquad\text{まとめて}\qquad \gamma^{\mu\dagger}=\gamma^0\gamma^\mu\gamma^0 $$最後の関係は,$\mu=0$ なら $\gamma^0\gamma^0\gamma^0=\gamma^0$,$\mu=i$ なら $\gamma^0\gamma^i\gamma^0=-\gamma^i\gamma^0\gamma^0=-\gamma^i$ となって確かに成り立つ.
9.2.6 随伴スピノルと保存流
$\gamma^\mu$ がエルミートでないので,$\psi^\dagger\psi$ を素朴に作っても Lorentz スカラーにならない.正しい相棒は次のものである.
定義:随伴スピノル
$$ \begin{equation} \bar\psi \equiv \psi^\dagger\gamma^0 \label{eq:9-adjoint} \end{equation} $$$\psi$ が4成分の縦ベクトルなら,$\bar\psi$ は4成分の横ベクトルである.
導出:随伴方程式と保存流
ステップ1:Dirac 方程式のエルミート共役をとる.\eqref{eq:9-dirac} の $\dagger$ をとると($\partial_\mu$ は実の演算子なので触らない)
$$ -\ii\,\partial_\mu\psi^\dagger\gamma^{\mu\dagger} - m\psi^\dagger = 0 $$ステップ2:$\gamma^{\mu\dagger}=\gamma^0\gamma^\mu\gamma^0$ を代入する.
$$ -\ii\,\partial_\mu\psi^\dagger\gamma^0\gamma^\mu\gamma^0 - m\psi^\dagger = 0 $$ステップ3:右から $\gamma^0$ を掛ける.$(\gamma^0)^2=\mathbb{1}$ を使うと
$$ -\ii\,\partial_\mu\left(\psi^\dagger\gamma^0\right)\gamma^\mu - m\left(\psi^\dagger\gamma^0\right) = 0 $$すなわち,$\bar\psi$ についての随伴 Dirac 方程式
$$ \begin{equation} \ii\,\partial_\mu\bar\psi\,\gamma^\mu + m\bar\psi = 0 \label{eq:9-adjoint-eq} \end{equation} $$を得る(全体に $-1$ を掛けた).矢印つきの記法では $\bar\psi(\ii\overleftarrow{\Dsl}+m)=0$ と書く.
ステップ4:連続の式を作る.\eqref{eq:9-dirac} に左から $\bar\psi$ を,\eqref{eq:9-adjoint-eq} に右から $\psi$ を掛けて足す:
$$ \underbrace{\ii\bar\psi\gamma^\mu\partial_\mu\psi - m\bar\psi\psi}_{\text{Dirac}} +\underbrace{\ii(\partial_\mu\bar\psi)\gamma^\mu\psi + m\bar\psi\psi}_{\text{随伴}} = \ii\,\partial_\mu\left(\bar\psi\gamma^\mu\psi\right) = 0 $$質量項が打ち消し合い,きれいに全微分になった.
ステップ5:確率密度を読み取る.保存流を
と定義する.その時間成分は
$$ \rho = j^0 = \bar\psi\gamma^0\psi = \psi^\dagger\gamma^0\gamma^0\psi = \psi^\dagger\psi = \sum_{a=1}^{4}\abs{\psi_a}^2 \;\ge\; 0 $$これで病1は完治した.確率密度 $\rho=\psi^\dagger\psi$ は成分の絶対値二乗の和なので,どんな解に対しても非負である.Dirac の賭けは的中した.
ただし病2(負エネルギー解)は治っていない.次節で解を具体的に求めると,やはり $E<0$ の解が現れる.それをどう解釈するかが 9.4 節の主題である.
9.3 Dirac 方程式の解
9.3.1 静止系の4つの解
まず最も簡単な場合,粒子が静止している($\pp=0$)場合を解く.$\pp=0$ なら $\psi$ は空間座標によらないので $\partial_i\psi=0$.Dirac 方程式 \eqref{eq:9-dirac} は
$$ \ii\gamma^0\frac{\partial\psi}{\partial t} = m\psi \quad\Longrightarrow\quad \ii\frac{\partial\psi}{\partial t} = m\gamma^0\psi $$($(\gamma^0)^2=\mathbb{1}$ を使って左から $\gamma^0$ を掛けた.)$\gamma^0=\mathrm{diag}(1,1,-1,-1)$ は対角行列なので,4つの成分は完全に分離する:
$$ \ii\dot\psi_1 = +m\psi_1,\quad \ii\dot\psi_2 = +m\psi_2,\quad \ii\dot\psi_3 = -m\psi_3,\quad \ii\dot\psi_4 = -m\psi_4 $$それぞれ直ちに積分できて
$$ \begin{equation} \psi^{(1,2)} \propto \ee^{-\ii m t}\ (E=+m), \qquad \psi^{(3,4)} \propto \ee^{+\ii m t}\ (E=-m) \label{eq:9-rest-solutions} \end{equation} $$具体的に4つの独立解を書けば
$$ \psi^{(1)}=\ee^{-\ii mt}\begin{pmatrix}1\\0\\0\\0\end{pmatrix},\quad \psi^{(2)}=\ee^{-\ii mt}\begin{pmatrix}0\\1\\0\\0\end{pmatrix},\quad \psi^{(3)}=\ee^{+\ii mt}\begin{pmatrix}0\\0\\1\\0\end{pmatrix},\quad \psi^{(4)}=\ee^{+\ii mt}\begin{pmatrix}0\\0\\0\\1\end{pmatrix} $$上の2つは $E=+m$,下の2つは $E=-m$ である.上下それぞれの2重縮退は,静止した粒子のスピンの2つの向きに対応する.負エネルギー解が消えていないことに注意.
9.3.2 一般の運動量:平面波解
次に一般の $\pp$ について解く.平面波の形
$$ \begin{equation} \psi(x) = u(p)\,\ee^{-\ii p\cdot x}, \qquad p\cdot x = Et - \pp\cdot\xx \label{eq:9-planewave-u} \end{equation} $$を仮定する.$u(p)$ は $x$ によらない4成分の定数スピノルである.$\partial_\mu\ee^{-\ii p\cdot x}=-\ii p_\mu\ee^{-\ii p\cdot x}$ だから,Dirac 方程式は代数方程式になる:
導出:$u(p)$ の明示形
ステップ1:$\slashed{p}$ をブロックで書く.$\slashed{p}=\gamma^\mu p_\mu = \gamma^0 p_0+\gamma^i p_i$.$p_0=E$,$p_i=-p^i$ なので $\slashed{p}=\gamma^0E-\bm{\gamma}\cdot\pp$.ブロック表示を代入すると
$$ \slashed{p} = \begin{pmatrix}E&0\\0&-E\end{pmatrix} - \begin{pmatrix}0&\bm{\sigma}\cdot\pp\\ -\bm{\sigma}\cdot\pp&0\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}E & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp & -E\end{pmatrix} $$ステップ2:$u$ を上下2成分に分ける.$u=\begin{pmatrix}u_A\\u_B\end{pmatrix}$($u_A,u_B$ は2成分)とおくと,\eqref{eq:9-u-equation} は
$$ \begin{pmatrix}E-m & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp & -E-m\end{pmatrix} \begin{pmatrix}u_A\\u_B\end{pmatrix}=0 $$すなわち連立方程式
$$ \begin{equation} (E-m)\,u_A = (\bm{\sigma}\cdot\pp)\,u_B, \qquad (E+m)\,u_B = (\bm{\sigma}\cdot\pp)\,u_A \label{eq:9-coupled} \end{equation} $$を得る.
ステップ3:無矛盾条件(分散関係)を確認する.第2式を第1式に代入すると
$$ (E-m)(E+m)\,u_A = (\bm{\sigma}\cdot\pp)^2 u_A = \pp^2\,u_A $$ここで恒等式 $(\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b}) = \bm{a}\cdot\bm{b} + \ii\,\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ を $\bm{a}=\bm{b}=\pp$ に使った($\pp\times\pp=0$).したがって $E^2-m^2=\pp^2$,つまり $E=\pm\sqrt{\pp^2+m^2}$ で,やはり両符号が許される.
ステップ4:正エネルギー解を書き下す.$E=+\sqrt{\pp^2+m^2}>0$ を選ぶ.$u_A$ を自由に選んで $u_A=\chi$(任意の2成分スピノル)とすると,\eqref{eq:9-coupled} の第2式から
$$ u_B = \frac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m}\,\chi $$($E+m>0$ なので割ってよい.$E-m$ で割らないのは,$\pp\to0$ で発散するのを避けるためである.)よって
$$ \begin{equation} u(p,s) = N\begin{pmatrix}\chi_s\\[4pt] \dfrac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m}\chi_s\end{pmatrix}, \qquad \chi_{+1/2}=\begin{pmatrix}1\\0\end{pmatrix},\quad \chi_{-1/2}=\begin{pmatrix}0\\1\end{pmatrix} \label{eq:9-u-explicit} \end{equation} $$ステップ5:規格化定数を決める.本書では $\bar u u = 2m$ という規約を採る(理由は後述).$\bar u = u^\dagger\gamma^0 = N^*(\chi^\dagger,\ -\chi^\dagger\frac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m})$($\gamma^0$ が下2成分の符号を反転させる;$\bm{\sigma}\cdot\pp$ はエルミート)なので
$$ \bar u u = \abs{N}^2\left[\chi^\dagger\chi - \chi^\dagger\frac{(\bm{\sigma}\cdot\pp)^2}{(E+m)^2}\chi\right] = \abs{N}^2\left[1 - \frac{\pp^2}{(E+m)^2}\right] $$分子を整理する.$\pp^2=E^2-m^2=(E+m)(E-m)$ を使うと
$$ 1-\frac{(E+m)(E-m)}{(E+m)^2} = 1-\frac{E-m}{E+m} = \frac{(E+m)-(E-m)}{E+m}=\frac{2m}{E+m} $$したがって $\bar u u = \abs{N}^2\,\dfrac{2m}{E+m}$.これを $2m$ に等しいとおけば
ステップ6:$u^\dagger u$ も計算しておく.
$$ u^\dagger u = (E+m)\left[1+\frac{\pp^2}{(E+m)^2}\right] = \frac{(E+m)^2+\pp^2}{E+m} = \frac{E^2+2Em+m^2+E^2-m^2}{E+m} = \frac{2E(E+m)}{E+m}=2E $$すなわち $u^\dagger u = 2E$.これは $\rho=\psi^\dagger\psi$ が「単位体積あたり $2E$ 個」という規格化に対応する.
注意:規格化の流儀は本によって違う
スピノルの規格化には主に2つの流儀がある.
- $\bar u u = 2m$,$u^\dagger u = 2E$(本書・Griffiths・Peskin):Lorentz 不変な体積要素 $\dd^3p/[(2\pi)^32E]$ と組み合わせる.$m\to0$ でも $u$ 自体は発散しないので,ニュートリノなど質量ゼロの粒子を扱いやすい.
- $\bar u u = 1$,$u^\dagger u = E/m$(Bjorken–Drell など古い教科書):$m\to0$ で破綻する.
断面積や崩壊率の最終結果は当然どちらでも同じだが,途中の因子 $2m$ や $\sqrt{2E}$ の置き場所が変わる.他書の式と見比べるときは必ず規約を確認すること(付録B・付録Dに本書の規約をまとめてある).
9.3.3 大成分と小成分
式 \eqref{eq:9-u-normalized} を見ると,上2成分 $u_A=\chi$ と下2成分 $u_B$ の大きさの比は
である.非相対論極限($\abs{\pp}\ll m$,$E\simeq m$)では
$$ \frac{\abs{u_B}}{\abs{u_A}} \simeq \frac{\abs{\pp}}{2m} = \frac{mv}{2m}=\frac{v}{2} \qquad(\text{$c$ を戻せば } v/2c) $$となり,$u_B$ は $u_A$ より $v/2c$ だけ小さい.そこで $u_A$ を大成分(large component),$u_B$ を小成分(small component)と呼ぶ.
例:水素原子の $1s$ 電子の小成分
水素原子の $1s$ 電子の典型的な速度は $v/c\simeq\alpha=1/137$ である(Bohr 模型で $v=\alpha c$).したがって
$$ \frac{\abs{u_B}}{\abs{u_A}} \simeq \frac{\alpha}{2} = \frac{1}{274} = 3.6\times10^{-3} $$確率で言えば $\abs{u_B}^2/\abs{u_A}^2 \simeq 1.3\times10^{-5}$.すなわち水素の $1s$ 電子は,$99.9987\%$ が「大成分」で記述される.これが,非相対論的な Schrödinger 方程式が水素原子で驚くほどよく働く理由である.
一方,重原子ではそうはいかない.$Z$ が大きいと $v/c\simeq Z\alpha$ になるので,金($Z=79$)の $1s$ 電子では $v/c\simeq 0.58$ となり,小成分は無視できない.金の色が銀白色でなく黄色いこと,水銀が室温で液体であることは,この相対論効果($6s$ 軌道の収縮)に起因する.第一原理計算で重元素を扱うとき,スカラー相対論補正やスピン軌道結合を入れる必要があるのは,まさに小成分が効いてくるからである.
9.3.4 負エネルギー解と $v$ スピノル
負エネルギー解も同じ手順で書ける.しかし,のちの都合(9.4 節)で,最初から符号を反転させた形で扱うのが便利である.すなわち
$$ \begin{equation} \psi(x) = v(p)\,\ee^{+\ii p\cdot x}, \qquad p^0=E=+\sqrt{\pp^2+m^2}>0 \label{eq:9-planewave-v} \end{equation} $$と書く.$\ee^{+\ii p\cdot x}$ の指数の符号が逆になっているので,$\partial_\mu\to+\ii p_\mu$ となり,Dirac 方程式は
となる($u$ の式と質量項の符号だけが違う).
導出:$v(p)$ の明示形
ステップ1:ブロックで書く.
$$ \begin{pmatrix}E+m & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp & -E+m\end{pmatrix} \begin{pmatrix}v_A\\v_B\end{pmatrix}=0 $$ステップ2:第1行を解く.$(E+m)v_A=(\bm{\sigma}\cdot\pp)v_B$.今度は $v_B$ を自由に選ぶ($E+m$ で割れば発散しない):$v_B=\eta$ とおくと
$$ v_A = \frac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m}\,\eta $$ステップ3:第2行が自動的に満たされることを確認する.
$$ (\bm{\sigma}\cdot\pp)v_A + (m-E)v_B = \frac{\pp^2}{E+m}\eta - (E-m)\eta = \frac{\pp^2-(E-m)(E+m)}{E+m}\eta = \frac{\pp^2-(E^2-m^2)}{E+m}\eta = 0 $$分散関係により確かにゼロ.$\checkmark$
ステップ4:規格化.$u$ とまったく同じ計算で $\bar v v = \abs{N}^2\left[\frac{\pp^2}{(E+m)^2}-1\right] = -\abs{N}^2\frac{2m}{E+m}$(符号が逆転する点に注意).$N=\sqrt{E+m}$ とすれば
$v$ では下2成分が大成分,上2成分が小成分になっていることに注意.非相対論極限で $v$ は下2成分だけの静止解に帰着する.
定理:直交関係
同じ運動量 $p$ に属する4つのスピノルは互いに直交する:
$$ \begin{equation} \bar u(p,s)u(p,s')=2m\,\delta_{ss'}, \quad \bar v(p,s)v(p,s')=-2m\,\delta_{ss'}, \quad \bar u(p,s)v(p,s')=\bar v(p,s)u(p,s')=0 \label{eq:9-orthogonality} \end{equation} $$また $u^\dagger(p,s)u(p,s')=v^\dagger(p,s)v(p,s')=2E\delta_{ss'}$ であるが,$u^\dagger(p,s)v(p,s')\ne0$ である点に注意($u^\dagger(p,s)v(\tilde p,s')=0$ となるのは $\tilde p=(E,-\pp)$ のとき).
9.3.5 非相対論極限と $g=2$
ここが本章の山場である.Dirac 方程式に電磁場を入れて非相対論極限をとると,Pauli 方程式が出てくる.そして磁気モーメントの係数——$g$ 因子——が,入力せずに $2$ という値で出てくる.
定義:最小結合
電荷 $q$ の粒子を電磁場 $A^\mu=(\phi,\bm{A})$ の中に置くには,微分を共変微分で置き換える:
$$ \begin{equation} \partial_\mu \;\longrightarrow\; D_\mu \equiv \partial_\mu + \ii q A_\mu \qquad\Longleftrightarrow\qquad E\to E-q\phi,\quad \pp\to\bm{\pi}\equiv\pp-q\bm{A} \label{eq:9-minimal-coupling} \end{equation} $$これを最小結合という.なぜこれが正しいのかは第13章のゲージ原理で説明する.電子なら $q=-e$($e>0$)である.
導出:Pauli 方程式と $g=2$(本章最重要の導出)
ステップ1:電磁場つきの連立方程式を書く.\eqref{eq:9-coupled} で $E\to E-q\phi$,$\pp\to\bm{\pi}$ と置き換える:
$$ \begin{equation} (E-q\phi-m)\,\psi_A = (\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})\,\psi_B, \qquad (E-q\phi+m)\,\psi_B = (\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})\,\psi_A \label{eq:9-coupled-em} \end{equation} $$ステップ2:静止エネルギーを分離する.非相対論的な粒子のエネルギーは静止エネルギー $m$ にわずかな量が加わったものである.そこで
$$ E = m + \varepsilon, \qquad \abs{\varepsilon}\ll m,\quad \abs{q\phi}\ll m $$と書く.$\varepsilon$ が「非相対論的エネルギー」である.
ステップ3:小成分を消去する.\eqref{eq:9-coupled-em} の第2式で $E-q\phi+m = 2m+\varepsilon-q\phi \simeq 2m$ と近似すると
$$ \begin{equation} \psi_B \simeq \frac{\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi}}{2m}\,\psi_A \label{eq:9-small-elim} \end{equation} $$これは \eqref{eq:9-small-large} の一般化である($\abs{\psi_B}/\abs{\psi_A}\sim v/2$).
ステップ4:第1式に代入する.第1式の左辺は $(m+\varepsilon-q\phi-m)\psi_A=(\varepsilon-q\phi)\psi_A$ だから
$$ \begin{equation} (\varepsilon-q\phi)\,\psi_A = \frac{(\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})^2}{2m}\,\psi_A \label{eq:9-before-pauli} \end{equation} $$ここまでで4成分方程式が2成分方程式になった.残るは $(\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})^2$ の計算である.
ステップ5:$(\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})^2$ を展開する.恒等式
$$ (\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b}) = \bm{a}\cdot\bm{b} + \ii\,\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b}) $$を $\bm{a}=\bm{b}=\bm{\pi}$ に使う.注意すべきは,$\bm{\pi}$ は演算子なので $\bm{\pi}\times\bm{\pi}\ne0$ という点である.これが $g=2$ の源である.
ステップ6:$\bm{\pi}\times\bm{\pi}$ を計算する.任意の関数 $f$ に作用させる.$\bm{\pi}=\pp-q\bm{A}=-\ii\nabla-q\bm{A}$ なので
$$ (\bm{\pi}\times\bm{\pi})f = (\pp-q\bm{A})\times(\pp-q\bm{A})f = \underbrace{\pp\times\pp f}_{=0} - q\left(\pp\times\bm{A}f + \bm{A}\times\pp f\right) + q^2\underbrace{\bm{A}\times\bm{A}}_{=0}f $$残った項を計算する.$\pp=-\ii\nabla$ なので
$$ \pp\times(\bm{A}f) = -\ii\nabla\times(\bm{A}f) = -\ii\left[(\nabla\times\bm{A})f - \bm{A}\times\nabla f\right] = -\ii(\nabla\times\bm{A})f - \bm{A}\times\pp f $$($\nabla\times(f\bm{A}) = f\nabla\times\bm{A}+(\nabla f)\times\bm{A} = f\nabla\times\bm{A}-\bm{A}\times\nabla f$ を使った.)したがって
$$ \pp\times(\bm{A}f)+\bm{A}\times\pp f = -\ii(\nabla\times\bm{A})f = -\ii\bm{B}f $$まとめると
$$ \begin{equation} \bm{\pi}\times\bm{\pi} = -q\times(-\ii\bm{B}) = \ii q\bm{B} \label{eq:9-pi-cross} \end{equation} $$演算子どうしの外積が,磁場そのものになった.
ステップ7:ステップ5に戻す.
$$ (\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})^2 = \bm{\pi}^2 + \ii\,\bm{\sigma}\cdot(\ii q\bm{B}) = \bm{\pi}^2 - q\,\bm{\sigma}\cdot\bm{B} $$ステップ8:Pauli 方程式を書き下す.\eqref{eq:9-before-pauli} に代入して
これが Pauli 方程式である.第1項は普通の運動エネルギー,第3項は静電ポテンシャル,そして第2項がスピンと磁場の結合である.
ステップ9:$g$ 因子を読み取る.スピン演算子は $\bm{S}=\bm{\sigma}/2$ である.第2項を $-\bm{\mu}\cdot\bm{B}$ の形に書くと
$$ -\frac{q}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B} = -\frac{q}{m}\bm{S}\cdot\bm{B} = -\bm{\mu}\cdot\bm{B} \quad\Longrightarrow\quad \bm{\mu} = \frac{q}{m}\bm{S} = g\,\frac{q}{2m}\bm{S} $$すなわち
物理的意味:$g=2$ の衝撃
古典的な荷電粒子が軌道運動をすると,磁気モーメントは $\bm{\mu}=(q/2m)\bm{L}$ となる.すなわち軌道角運動量に対する $g$ 因子は $1$ である.ところが実験は,電子のスピン角運動量に対する $g$ 因子が約 $2$ であることを示していた(1925年の Uhlenbeck–Goudsmit 以来の謎).なぜスピンだけ2倍なのか,誰にも説明できなかった.
Dirac 方程式は,これを1行も余分な仮定を置かずに出した.$g=2$ の起源は,突き詰めればステップ6の $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=\ii q\bm{B}$,つまり「運動量演算子が可換でない」という量子力学の基本構造だけである.
のちに,$g$ は厳密に2ではなく,量子電気力学の輻射補正によってわずかにずれることが分かった(第10章):
$$ a_e \equiv \frac{g-2}{2} = \frac{\alpha}{2\pi} - 0.328478\left(\frac{\alpha}{\pi}\right)^2 + \cdots $$1次の項だけでも $\alpha/2\pi = 1/(2\pi\times137.036)=1.16141\times10^{-3}$.実験値は $a_e^{\text{exp}} = 1.15965218\times10^{-3}$ で,5ループ($\alpha^5$)までの理論計算と,$a_e$ の値として約10桁一致する($g$ 自体の桁数で数えれば12桁になる.現在の一致度を制限しているのは入力する $\alpha$ の測定値であり,Cs 原子反跳と Rb 原子反跳から決めた $\alpha$ は互いに食い違っている).物理学で最も精密に検証された予言の一つである.
数学ノート:次の次数に何が出るか
ステップ3で $E-q\phi+m\simeq 2m$ とした近似を,$(\varepsilon-q\phi)/2m$ の1次まで進める(あるいは Foldy–Wouthuysen 変換を行う)と,Pauli 方程式に3つの補正項が加わる:
$$ -\frac{\pp^4}{8m^3} \;-\;\frac{q}{4m^2}\,\bm{\sigma}\cdot\left(\bm{E}\times\pp\right) \;-\;\frac{q}{8m^2}\,\nabla\cdot\bm{E} $$順に,相対論的運動エネルギー補正,スピン軌道相互作用,Darwin 項である.第7章で水素原子の微細構造を計算したとき天下り的に導入した3項が,ここで Dirac 方程式から系統的に出てくる.中心力 $\bm{E}=-\nabla\phi=-(1/r)(\dd\phi/\dd r)\bm{r}$ の場合,第2項は $\propto \bm{S}\cdot\bm{L}$ の形になり,係数に自動的に「Thomas 因子 $1/2$」が含まれている点も重要である.
9.4 負エネルギー解と反粒子
9.4.1 困った解を捨てられない理由
負エネルギー解を「非物理的だから捨てる」で済ませたい.しかしそれはできない.理由は次の通りである.
- 完全系にならない.ある時刻に正エネルギー解だけの重ね合わせで波束を作っても,電磁場があると時間発展で負エネルギー成分が生じる.4個の独立解のうち正エネルギーの2個だけでは,任意の初期条件を展開できない.
- Klein のパラドックス.高さ $V_0>E+m$ の階段ポテンシャルに電子をぶつけると,透過波の振幅が古典的にありえない大きさになる(Klein, 1929).これは,障壁の内側で「負エネルギー状態」が正エネルギー領域と重なるためである.
- Lorentz 不変性.解の集合が Lorentz 変換で閉じるには,両方の符号の枝が必要である.
9.4.2 Dirac の空孔理論
1930年,Dirac は驚くべき提案をした.真空とは,負エネルギー状態がすべて電子で埋め尽くされた状態である——これが Dirac の海(Dirac sea)である.
電子は Fermi 粒子なので Pauli 排他律に従う.すべての負エネルギー準位が既に占有されていれば,正エネルギーの電子はそこへ落ちることができない.こうして「病2」は解決される.我々が「真空」と呼んでいるのは,実は無限個の負エネルギー電子が詰まった状態なのだ,というわけである.
導出:空孔の量子数
いま,海の中の1個の電子(電荷 $-e$,エネルギー $-E$,運動量 $-\pp$,スピン $-\bm{s}$)を,光子を当てて正エネルギー領域へ叩き出したとする.残された「穴」(空孔,hole)の量子数を,「海全体の量子数」から「取り去った電子の量子数」を引いて求める.
ステップ1:真空の量子数をゼロと定義する.埋まった海全体で電荷もエネルギーも運動量もゼロ,と定義する(無限大の繰り込み).
ステップ2:引き算する.
$$ \begin{aligned} \text{空孔の電荷} &= 0 - (-e) = +e \\ \text{空孔のエネルギー} &= 0 - (-E) = +E \;(>0)\\ \text{空孔の運動量} &= 0 - (-\pp) = +\pp \\ \text{空孔のスピン} &= 0 - (-\bm{s}) = +\bm{s} \end{aligned} $$ステップ3:解釈する.空孔は,電子と同じ質量・同じスピンをもち,電荷だけが反対の,正エネルギー粒子として振る舞う.これが陽電子(positron)である.
Dirac は当初,この空孔を「陽子」だと考えた(当時知られていた正電荷の粒子は陽子だけだった).しかし Weyl と Oppenheimer が,空孔の質量は電子と同じでなければならないと指摘した.1932年,Anderson が霧箱の宇宙線写真の中に,電子と同じ質量で正電荷の粒子を発見する.陽電子の実験的発見である(第2章).
注意:Dirac の海は現代的には放棄されている
空孔理論は美しく,歴史的な役割も大きかったが,深刻な難点がある.
- 無限個の負エネルギー電子は無限の電荷密度と無限のエネルギー密度をもつ(それを「定義でゼロ」とするのは苦しい).
- ボソンには使えない.$\pi$ 中間子や $W$ ボソンにも反粒子があるが,Pauli 排他律がないので海を埋めることができない.
- Lorentz 不変性が見えにくい(「埋まった海」は特定の慣性系を指定しているように見える).
現代の場の量子論では,$\psi$ を演算子とし,負エネルギー解の係数を反粒子の生成演算子と読み替える.こうすればハミルトニアンは下に有界になり,海は不要になる.ただし空孔の描像は,半導体の正孔として物性物理の中で今も現役である(後述).
9.4.3 Feynman–Stückelberg 解釈
もう一つの,そして計算上いちばん使いやすい読み替えが Stückelberg(1941)と Feynman(1949)による解釈である.
定義:Feynman–Stückelberg 解釈
負エネルギー $-E$,運動量 $-\pp$ をもち,時間を遡って進む解は,正エネルギー $+E$,運動量 $+\pp$ をもち,時間を順行する反粒子と物理的に等価である.
これは式の上では,指数の符号を書き換えるだけのことである:
$$ \ee^{-\ii(-E)t}\ee^{\ii(-\pp)\cdot\xx} = \ee^{+\ii Et}\ee^{-\ii\pp\cdot\xx} = \ee^{+\ii p\cdot x} $$右辺はまさに \eqref{eq:9-planewave-v} で $v$ スピノルに付けた指数因子である.したがって
定理:$v$ スピノルの意味
$v(p,s)\ee^{+\ii p\cdot x}$ は,運動量 $\pp$,エネルギー $E=+\sqrt{\pp^2+m^2}$,スピン $s$ をもつ反粒子を表す.
ただしスピンの割り当てには注意が必要である.$v(p,s)$ に入れた2成分スピノル $\eta_s$ は,反粒子のスピンの向きとは逆を指す.すなわち反粒子のスピン上向き状態は $\eta = \begin{pmatrix}0\\1\end{pmatrix}$ で書かれる.これは空孔の描像(取り去られた電子のスピンの逆が空孔のスピン)から理解できる.
材料科学との接点:半導体の正孔は「固体版の陽電子」である
図9.2(b) を見て,半導体物理を知る読者は既視感を覚えたはずである.それは錯覚ではない.空孔を「取り去った電子の量子数の符号を反転させた準粒子」として構成するという手続きのレベルでは,対応は同一である.
| 素粒子物理 | 半導体物理 | 備考 |
|---|---|---|
| 負エネルギー連続帯 | 価電子帯 | 基底状態で満杯 |
| 正エネルギー連続帯 | 伝導帯 | 基底状態で空 |
| 禁止帯 $2m=1.022\ \mathrm{MeV}$ | バンドギャップ $E_g$(Si: $1.12\ \mathrm{eV}$) | 6桁の差だが役割は同じ |
| 空孔=陽電子 $e^+$ | 正孔(hole) | 電荷 $+e$,有効質量正 |
| 対生成 $\gamma\to e^-e^+$ | 光吸収による電子正孔対生成 | 閾値 $2m$ ↔ $E_g$ |
| 対消滅 $e^-e^+\to\gamma\gamma$ | 再結合発光 | LED の動作原理 |
| ポジトロニウム | 励起子(exciton) | 第7章で扱った |
ただし,対応が破れる点も押さえておかねばならない(第1章 1.2.4 項「対応の限界 —— 正孔は陽電子ではない」).
- 質量.陽電子の質量は CPT 定理により電子の質量と厳密に等しい.一方,正孔の有効質量が伝導電子の有効質量と等しくなる理由はどこにもなく,Si では電子が $m^*=0.98,\,0.19\,m_0$(縦・横),正孔が $0.49,\,0.16\,m_0$(重い正孔・軽い正孔)と異なり,しかも異方的で多バンドである.
- Lorentz 不変性.結晶は特定の静止系を選ぶので,正エネルギー帯と負エネルギー帯を結ぶような Lorentz 対称性はない.Dirac 的な記述は $\kk$ の小さい領域の有効理論にすぎない.
- 海の深さ.価電子帯には底があるので「海」は有限であり,真空の負エネルギー連続帯のように無限に深くはない(これは後述のとおり半導体側の利点でもある).
- スピン.Si や GaAs の価電子帯頂上($\Gamma_8$)の正孔は $J=3/2$ の性質をもち,電子の $1/2$ とは異なる.
- 束縛エネルギー.ポジトロニウムの基底状態は $6.8\ \mathrm{eV}$ だが,Si の Wannier 励起子は $14.7\ \mathrm{meV}$ である.結合定数が $\alpha\to\alpha/\epsilon_r$,質量が $\mu\to\mu^*$ に置き換わる分だけ,同じ式でも3桁近くずれる.
ここで注意したいのは,手続きのレベルではこれが比喩ではないことである.半導体の有効質量近似で正孔を導入する手続きは,Dirac の空孔理論の手続きと式のレベルで同一である.「価電子帯の $\kk$ 状態から電子を1個取り去った系」を「運動量 $-\kk$,電荷 $+e$,有効質量 $-m_v^*>0$ の準粒子1個がいる系」と読み替えるのは,上の導出そのものである.ただし上に挙げたとおり,正孔は準粒子であって,質量の厳密な一致や Lorentz 不変性までが保証されるわけではない.
そして重要なのは,物性物理のほうがこの描像を「使える」形で保持し続けたという事実である.素粒子物理では海の描像は放棄されたが,半導体では価電子帯の電子数が有限なので海は実在し,発散も起きない.材料科学者は,Dirac が1930年に考えた描像を,毎日 LED やトランジスタの設計で使っているのである.
9.4.4 完全性関係
第8章のファインマン則で散乱振幅を計算すると,最後に「終状態のスピンについて和をとり,始状態のスピンについて平均をとる」という操作が必ず現れる.そのときに使うのが次の関係である.
定理:完全性(スピン和)関係
左辺は「縦ベクトル×横ベクトル」なので $4\times4$ 行列である.右辺も $4\times4$ 行列であり,両者が等しいという主張である.
導出:$\sum_s u\bar u = \slashed{p}+m$
ステップ1:$u$ と $\bar u$ をブロックで書く.\eqref{eq:9-u-normalized} より,$\lambda\equiv\bm{\sigma}\cdot\pp/(E+m)$ と略記して
$$ u = \sqrt{E+m}\begin{pmatrix}\chi_s\\ \lambda\chi_s\end{pmatrix}, \qquad \bar u = u^\dagger\gamma^0 = \sqrt{E+m}\left(\chi_s^\dagger,\ -\chi_s^\dagger\lambda\right) $$($\gamma^0$ が下2成分の符号を反転させる.$\lambda$ はエルミートなので $\lambda^\dagger=\lambda$.)
ステップ2:外積をとる.
$$ u\bar u = (E+m)\begin{pmatrix}\chi_s\chi_s^\dagger & -\chi_s\chi_s^\dagger\lambda\\ \lambda\chi_s\chi_s^\dagger & -\lambda\chi_s\chi_s^\dagger\lambda\end{pmatrix} $$ステップ3:スピンについて和をとる.2成分スピノルの完全性
$$ \sum_{s=\pm1/2}\chi_s\chi_s^\dagger = \begin{pmatrix}1\\0\end{pmatrix}(1,0)+\begin{pmatrix}0\\1\end{pmatrix}(0,1) = \begin{pmatrix}1&0\\0&1\end{pmatrix} = \mathbb{1}_2 $$を使うと
$$ \sum_s u\bar u = (E+m)\begin{pmatrix}\mathbb{1} & -\lambda\\ \lambda & -\lambda^2\end{pmatrix} $$ステップ4:各ブロックを整理する.
左上:$(E+m)\mathbb{1}$.
右上:$-(E+m)\lambda = -(E+m)\dfrac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m} = -\bm{\sigma}\cdot\pp$.
左下:$+\bm{\sigma}\cdot\pp$.
右下:$\lambda^2 = \dfrac{(\bm{\sigma}\cdot\pp)^2}{(E+m)^2}=\dfrac{\pp^2}{(E+m)^2}=\dfrac{(E+m)(E-m)}{(E+m)^2}=\dfrac{E-m}{E+m}$ なので,$-(E+m)\lambda^2 = -(E-m)$.
まとめると
$$ \sum_s u\bar u = \begin{pmatrix}E+m & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp & -(E-m)\end{pmatrix} $$ステップ5:$\slashed{p}+m$ と比較する.9.3.2 のステップ1で得た $\slashed{p}=\begin{pmatrix}E&-\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp&-E\end{pmatrix}$ に $m\,\mathbb{1}_4=\begin{pmatrix}m&0\\0&m\end{pmatrix}$ を足すと
$$ \slashed{p}+m = \begin{pmatrix}E+m & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp & -E+m\end{pmatrix} $$ステップ4の結果と完全に一致する.$\blacksquare$
$v$ についても同様に計算すると,各所で符号が反転して $\sum_s v\bar v=\slashed{p}-m$ を得る(演習9.2).
物理的意味:なぜ $\slashed{p}\pm m$ という形なのか
$\slashed{p}+m$ は,$u$ 型の解の張る2次元部分空間への射影演算子(に $2m$ を掛けたもの)である.実際
$$ \Lambda_+ \equiv \frac{\slashed{p}+m}{2m} \quad\Longrightarrow\quad \Lambda_+^2 = \frac{\slashed{p}\slashed{p}+2m\slashed{p}+m^2}{4m^2} = \frac{p^2+2m\slashed{p}+m^2}{4m^2}=\frac{2m(\slashed{p}+m)}{4m^2}=\Lambda_+ $$($\slashed{p}\slashed{p}=p^\mu p^\nu\gamma_\mu\gamma_\nu = \frac{1}{2}p^\mu p^\nu\{\gamma_\mu,\gamma_\nu\}=p^\mu p_\mu=m^2$ を使った.)同様に $\Lambda_-\equiv(-\slashed{p}+m)/2m$ が $v$ 型への射影で,$\Lambda_++\Lambda_-=\mathbb{1}$,$\Lambda_+\Lambda_-=0$ が成り立つ.
これは第10章以降で断面積を計算するときの中心的な道具になる.スピン和をとった散乱振幅の二乗は,必ず $\Tr[(\slashed{p}_1+m)\Gamma(\slashed{p}_2+m)\bar\Gamma]$ のようなトレースに帰着し,あとは $\gamma$ 行列のトレース定理で機械的に計算できる.スピノルの成分を一切書かずに済むのが,この形の最大の利点である.
9.5 双一次共変形とカイラリティ
9.5.1 16個の双一次形式
相互作用のラグランジアンを書くには,$\bar\psi$ と $\psi$ で挟んだ量が必要である.一般には
$$ \bar\psi\,\Gamma\,\psi, \qquad \Gamma \text{ は } 4\times4 \text{ 行列} $$という形をとる.$4\times4$ 行列の空間は16次元なので,$\Gamma$ の独立な選び方は16個ある.その16個を,Lorentz 変換に対する変換性で分類したものが 双一次共変形(bilinear covariants)である.
定義:$\gamma^5$ と $\sigma^{\mu\nu}$
$$ \begin{equation} \gamma^5 \equiv \ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3, \qquad \sigma^{\mu\nu}\equiv\frac{\ii}{2}\left[\gamma^\mu,\gamma^\nu\right] \label{eq:9-gamma5-sigma} \end{equation} $$Dirac–Pauli 表示では
$$ \gamma^5 = \begin{pmatrix}0&\mathbb{1}_2\\ \mathbb{1}_2&0\end{pmatrix}, \qquad \sigma^{ij}=\varepsilon^{ijk}\begin{pmatrix}\sigma^k&0\\0&\sigma^k\end{pmatrix}, \qquad \sigma^{0i}=\ii\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ \sigma^i&0\end{pmatrix} $$$\sigma^{\mu\nu}$ は $\mu\ne\nu$ の反対称テンソルなので独立成分は $\binom{4}{2}=6$ 個である.
定理:$\gamma^5$ の性質
$$ \begin{equation} \left(\gamma^5\right)^2=\mathbb{1}, \qquad \gamma^{5\dagger}=\gamma^5, \qquad \left\{\gamma^5,\gamma^\mu\right\}=0\quad(\text{すべての }\mu) \label{eq:9-gamma5-props} \end{equation} $$導出:$\gamma^5$ の性質の証明
反交換性.$\gamma^5\gamma^\mu$ を考える.$\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ の中で $\gamma^\mu$ を左から右へ通していく.$\gamma^\mu$ は $\gamma^\nu$($\nu\ne\mu$)とは反交換し,$\gamma^\mu$ 自身とは交換する.$\gamma^5$ には4つの $\gamma$ が並んでおり,そのうち1つが $\gamma^\mu$ と同じ,残り3つが異なる.したがって $\gamma^\mu$ を通り抜けさせると,符号 $(-1)^3=-1$ が付く:
$$ \gamma^\mu\gamma^5 = -\gamma^5\gamma^\mu $$二乗.$(\gamma^5)^2 = -\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$($\ii^2=-1$).右側の $\gamma^0$ を左へ3回通すと $(-1)^3$,同様に整理していくと
$$ (\gamma^5)^2 = -(-1)^3(\gamma^0)^2\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^1\gamma^2\gamma^3 = +\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^1\gamma^2\gamma^3 $$同じ手順を繰り返すと $\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^1\gamma^2\gamma^3 = (-1)^2(\gamma^1)^2\gamma^2\gamma^3\gamma^2\gamma^3 = -\gamma^2\gamma^3\gamma^2\gamma^3 = +(\gamma^2)^2(\gamma^3)^2 = (-1)(-1)=1$.ゆえに $(\gamma^5)^2=\mathbb{1}$.($(\gamma^i)^2=-\mathbb{1}$ を使っている.)
エルミート性.$\gamma^{5\dagger}=-\ii\gamma^{3\dagger}\gamma^{2\dagger}\gamma^{1\dagger}\gamma^{0\dagger}=-\ii(-\gamma^3)(-\gamma^2)(-\gamma^1)\gamma^0=+\ii\gamma^3\gamma^2\gamma^1\gamma^0$.順序を $\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ に戻すには6回の入れ替えが必要で $(-1)^6=+1$.よって $\gamma^{5\dagger}=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3=\gamma^5$.$\blacksquare$
| 名称 | 形 | $\Gamma$ | 成分数 | パリティ $P$ での変換 | 現れる場所 |
|---|---|---|---|---|---|
| スカラー $S$ | $\bar\psi\psi$ | $\mathbb{1}$ | 1 | $+\bar\psi\psi$(不変) | 質量項 $m\bar\psi\psi$,湯川結合 |
| 擬スカラー $P$ | $\bar\psi\gamma^5\psi$ | $\gamma^5$ | 1 | $-\bar\psi\gamma^5\psi$(符号反転) | $\pi$ 中間子–核子結合,$CP$ を破る質量項 $\ii m'\bar\psi\gamma^5\psi$ |
| ベクトル $V$ | $\bar\psi\gamma^\mu\psi$ | $\gamma^\mu$ | 4 | $(+,-,-,-)$ | 電磁カレント(第10章) |
| 軸性ベクトル $A$ | $\bar\psi\gamma^\mu\gamma^5\psi$ | $\gamma^\mu\gamma^5$ | 4 | $(-,+,+,+)$ | 弱いカレント $V-A$(第12章) |
| テンソル $T$ | $\bar\psi\sigma^{\mu\nu}\psi$ | $\sigma^{\mu\nu}$ | 6 | $F^{\mu\nu}$ と同じ | 磁気モーメント,Pauli 項 |
| 合計 | 16 | $4\times4$ 行列空間を張る | |||
物理的意味:なぜ分類が大事なのか
相互作用ラグランジアンは Lorentz スカラーでなければならない.したがって,たとえば電磁場との結合は「ベクトル×ベクトル」の形 $-q\,\bar\psi\gamma^\mu\psi\,A_\mu$(電子なら $q=-e$ なので $+e\,\bar\psi\gamma^\mu\psi\,A_\mu$)しか許されない.符号は 9.3.5 節の最小結合 $D_\mu=\partial_\mu+\ii qA_\mu$ の規約から決まる.これが QED の頂点である(第10章).同じ項を第10章では電子の電荷を $q=-g_e$ と書いて $\Lag_{\mathrm{int}}=+g_e\,\bar\psi\gamma^\mu\psi\,A_\mu$ と表している.
さらにパリティを保存させたければ,$S$ と $V$ と $T$ しか使えない.ところが1956–57年,Lee–Yang の提案と Wu の実験によって弱い相互作用がパリティを破ることが分かった(第6章 6.2 節).そこで弱いカレントには $V$ と $A$ の両方が現れる.実験が決めた組み合わせは
$$ J^\mu_{\text{weak}} \propto \bar\psi\gamma^\mu(1-\gamma^5)\psi $$すなわち $V-A$ である.なぜ $V-A$ なのかは,次項のカイラリティで理解できる:$(1-\gamma^5)/2$ は左巻き射影演算子であり,弱い相互作用は左巻き粒子だけに働くのである(第12章).
9.5.2 カイラリティ
定義:カイラリティ射影演算子
$$ \begin{equation} P_L \equiv \frac{1-\gamma^5}{2}, \qquad P_R \equiv \frac{1+\gamma^5}{2}, \qquad \psi_L\equiv P_L\psi,\quad \psi_R\equiv P_R\psi \label{eq:9-projectors} \end{equation} $$$\psi_L$ を左巻き(left-handed),$\psi_R$ を右巻き(right-handed)カイラリティ成分と呼ぶ.
これが射影演算子であることを確かめる.$(\gamma^5)^2=1$ より
$$ P_L^2 = \frac{(1-\gamma^5)^2}{4}=\frac{1-2\gamma^5+(\gamma^5)^2}{4}=\frac{2-2\gamma^5}{4}=P_L $$同様に $P_R^2=P_R$,$P_LP_R=\dfrac{(1-\gamma^5)(1+\gamma^5)}{4}=\dfrac{1-(\gamma^5)^2}{4}=0$,$P_L+P_R=\mathbb{1}$.したがって任意のスピノルは $\psi=\psi_L+\psi_R$ と一意に分解できる.
導出:質量項は $L$ と $R$ を混ぜる
ステップ1:$\bar\psi_L$ を計算する.$\gamma^{5\dagger}=\gamma^5$ より $\bar\psi_L=(P_L\psi)^\dagger\gamma^0=\psi^\dagger P_L\gamma^0$.ここで $\gamma^5$ と $\gamma^0$ は反交換するので $P_L\gamma^0=\gamma^0 P_R$.したがって
$$ \bar\psi_L = \psi^\dagger\gamma^0 P_R = \bar\psi P_R $$「バーをつけると $L$ と $R$ が入れ替わる」.同様に $\bar\psi_R=\bar\psi P_L$.
ステップ2:質量項を分解する.
$$ \bar\psi\psi = \bar\psi(P_L+P_R)\psi = \bar\psi P_L\psi + \bar\psi P_R\psi = \bar\psi_R\psi_L + \bar\psi_L\psi_R $$(ステップ1の関係と $P_L^2=P_L$ を使った.)
ステップ3:カレント項を分解する.$\gamma^\mu$ は $\gamma^5$ と反交換するので $P_L\gamma^\mu=\gamma^\mu P_R$.よって
$$ \bar\psi\gamma^\mu\psi = \bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L + \bar\psi_R\gamma^\mu\psi_R $$今度は混ざらない.
この結果は決定的に重要である.結論をまとめる:
物理的意味:質量とはカイラリティを変える相互作用である
質量ゼロなら,ラグランジアンは $\psi_L$ と $\psi_R$ の項に完全に分離し,$\psi_L\to\ee^{\ii\alpha_L}\psi_L$,$\psi_R\to\ee^{\ii\alpha_R}\psi_R$ という別々の位相変換(カイラル対称性)で不変になる.自由 Dirac ラグランジアンの中では,質量項 $m\bar\psi\psi$ がこの対称性を破る唯一の項である(一般には湯川結合 $\bar\psi_L\phi\psi_R$ や Pauli 項,量子異常も同じ対称性を破る).
言い換えれば,質量とは,左巻きを右巻きに,右巻きを左巻きに絶えず変換する相互作用である.質量ゼロの粒子はカイラリティを永久に保つ.これが第13章で「Higgs 機構が質量を与える」という話の下地になり,第14章で「Majorana 質量」を考えるときの出発点になる.
9.5.3 ヘリシティとの違い
カイラリティとしばしば混同されるのがヘリシティである.両者は質量ゼロのときだけ一致する.
定義:ヘリシティ
スピンを運動方向に射影した量:
$$ \begin{equation} h \equiv \frac{\bm{\Sigma}\cdot\pp}{\abs{\pp}}, \qquad \bm{\Sigma}\equiv\begin{pmatrix}\bm{\sigma}&0\\0&\bm{\sigma}\end{pmatrix} \label{eq:9-helicity} \end{equation} $$固有値は $\pm1$(スピン $1/2$ を掛ければ $\pm1/2$).$h=+1$ を右巻きヘリシティ,$h=-1$ を左巻きヘリシティと呼ぶ.
注意:カイラリティとヘリシティは別物である
両者の違いは図9.3 にまとめてある.
| カイラリティ | ヘリシティ | |
|---|---|---|
| 演算子 | $\gamma^5$ | $\bm{\Sigma}\cdot\hat{\pp}$ |
| Lorentz 不変か | 不変(内在的な性質) | 不変でない($m\ne0$ なら) |
| 保存するか | $m=0$ なら保存 | 自由粒子なら常に保存 |
| $\Ham$ と可換か | $m=0$ のときのみ | 常に可換 |
つまり両者は「Lorentz 不変性」と「保存」を分け合っている.質量がゼロのときだけ,両方の良い性質が一つの量に宿る.
導出:質量ゼロならカイラリティ=ヘリシティ
ステップ1:$m=0$ のスピノル.$m=0$ なら $E=\abs{\pp}$ であり,\eqref{eq:9-u-normalized} は
$$ u = \sqrt{E}\begin{pmatrix}\chi\\ \dfrac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E}\chi\end{pmatrix} = \sqrt{E}\begin{pmatrix}\chi\\ (\bm{\sigma}\cdot\hat{\pp})\chi\end{pmatrix} $$ステップ2:ヘリシティ固有状態をとる.$\chi$ を $(\bm{\sigma}\cdot\hat{\pp})\chi = \lambda\chi$($\lambda=\pm1$)となるように選ぶ.すると
$$ u = \sqrt{E}\begin{pmatrix}\chi\\ \lambda\chi\end{pmatrix} $$ステップ3:$\gamma^5$ を作用させる.Dirac–Pauli 表示で $\gamma^5=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$ は上下を入れ替えるので
$$ \gamma^5 u = \sqrt{E}\begin{pmatrix}\lambda\chi\\ \chi\end{pmatrix} = \lambda\sqrt{E}\begin{pmatrix}\chi\\ \lambda^{-1}\chi\end{pmatrix} = \lambda\sqrt{E}\begin{pmatrix}\chi\\ \lambda\chi\end{pmatrix} = \lambda\, u $$($\lambda=\pm1$ なので $\lambda^{-1}=\lambda$.)すなわち $u$ は $\gamma^5$ の固有ベクトルでもあり,固有値はヘリシティ $\lambda$ に等しい.$\blacksquare$
なぜ?:質量があるとヘリシティが観測者に依存する理由
質量のある粒子は $v<c$ で走っている.だから,もっと速い観測者がそれを追い越せる.追い越した観測者から見ると,粒子の運動量 $\pp$ は逆向きになる.一方スピンの向きは(ブーストが運動方向と平行なら)変わらない.したがってヘリシティ $\bm{\Sigma}\cdot\hat{\pp}$ の符号が反転する.
質量ゼロの粒子は $v=c$ で走るので,どんな観測者も追い越せない.だからヘリシティは全観測者で同じ値になり,Lorentz 不変量になる.そしてこのときカイラリティと一致する.
定量的には,運動量 $\pp$,エネルギー $E$,ヘリシティ $+1$ の粒子を左巻きカイラリティ成分に射影した割合は
となる(演習9.5).$v\to1$(超相対論的)で $0$ に近づき,$v\to0$(静止)で $1/2$ に近づく.静止した粒子では左右のカイラリティが半々に混ざっており,「カイラリティ」という区別が意味を失う.
例:$\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ の分岐比に効くヘリシティ抑制
弱い相互作用は左巻きカイラリティにしか働かない.いま $\pi^+$(スピン0)が静止して $\ell^+\nu_\ell$ に崩壊する場合を考えると,運動量保存から2粒子は反対方向に飛び,角運動量保存($J=0$)から2粒子のスピンは互いに反平行でなければならない.運動量が反平行でスピンも反平行なのだから,2粒子のヘリシティは等しい(同符号になる).ニュートリノは左巻きヘリシティなので,反レプトン $\ell^+$ も左巻きヘリシティを強いられる——これは反粒子に対して「弱い相互作用が好まない側の」ヘリシティである.
その確率が式 \eqref{eq:9-wrong-chirality} の因子で抑制される.計算すると崩壊率は $\propto m_\ell^2$ となり
$$ \frac{\Gamma(\pi^+\to e^+\nu_e)}{\Gamma(\pi^+\to\mu^+\nu_\mu)} = \left(\frac{m_e}{m_\mu}\right)^2\left(\frac{m_\pi^2-m_e^2}{m_\pi^2-m_\mu^2}\right)^2 $$数値を入れる($m_e=0.511$,$m_\mu=105.658$,$m_\pi=139.570\ \mathrm{MeV}$):
$$ \left(\frac{0.511}{105.658}\right)^2 = 2.339\times10^{-5}, \qquad \left(\frac{19479.8-0.261}{19479.8-11163.6}\right)^2 = \left(\frac{19479.5}{8316.2}\right)^2 = 5.487 $$積は $1.283\times10^{-4}$.輻射補正($-3.8\%$)を入れると $1.234\times10^{-4}$ で,PDG の実測値 $1.230\times10^{-4}$ と一致する.電子への崩壊がミューオンへの崩壊より1万倍も起きにくいという奇妙な事実が,カイラリティとヘリシティの区別から説明される.第12章で詳しく扱う.
9.6 光子 — ゲージ場と偏極
Dirac 場は QED の主役の一方である.もう一方が光子,すなわち質量ゼロのスピン1粒子である.第10章でファインマン則を使うために,光子の記述を整理しておく.
9.6.1 Maxwell 方程式の共変形
Maxwell 方程式は,$\bm{E}$ と $\bm{B}$ をまとめた反対称テンソル
$$ \begin{equation} F^{\mu\nu} \equiv \partial^\mu A^\nu - \partial^\nu A^\mu, \qquad A^\mu = (\phi,\ \bm{A}) \label{eq:9-field-tensor} \end{equation} $$を使うと,たった2本にまとまる.成分は $F^{0i}=-E^i$,$F^{ij}=-\varepsilon^{ijk}B^k$ である.
後者(Bianchi 恒等式)は $F^{\mu\nu}$ を $A^\mu$ で書いた時点で恒等的に満たされる($\partial^\mu\partial^\nu A^\lambda$ の項がすべて打ち消し合う).したがって内容は前者だけである.$F^{\mu\nu}$ の定義を代入すると
$$ \begin{equation} \Box A^\nu - \partial^\nu\left(\partial_\mu A^\mu\right) = j^\nu \label{eq:9-maxwell-A} \end{equation} $$9.6.2 ゲージ不変性
定義:ゲージ変換
任意のスカラー関数 $\lambda(x)$ に対して
$$ \begin{equation} A^\mu \;\longrightarrow\; A'^\mu = A^\mu + \partial^\mu\lambda \label{eq:9-gauge-transf} \end{equation} $$としても $F^{\mu\nu}$ は変わらない:
$$ F'^{\mu\nu} = \partial^\mu(A^\nu+\partial^\nu\lambda)-\partial^\nu(A^\mu+\partial^\mu\lambda) = F^{\mu\nu} + \underbrace{\partial^\mu\partial^\nu\lambda-\partial^\nu\partial^\mu\lambda}_{=0} = F^{\mu\nu} $$したがって $\bm{E}$,$\bm{B}$ も変わらず,物理は同じである.
ゲージ不変性は「$A^\mu$ の4成分のうち,物理的に意味があるのは一部だけ」という冗長性の表れである.この自由度を使って $A^\mu$ に条件(ゲージ固定)を課すことができる.
定義:2つのゲージ
- Lorenz ゲージ:$\partial_\mu A^\mu=0$.Lorentz 共変な条件なので,全ての慣性系で同じ形をとる.これを課すと \eqref{eq:9-maxwell-A} は $\Box A^\nu = j^\nu$ という美しい波動方程式になる.場の理論の計算ではこちらを使う.
- Coulomb ゲージ:$\nabla\cdot\bm{A}=0$.Lorentz 共変ではない(特定の系を選ぶ)が,物理的自由度が2つだけであることが最初から見える.非相対論的な物性計算(電子フォノン結合,光学応答)では圧倒的にこちらが便利である.
数学ノート:Lorenz ゲージを課しても自由度が残る
$\partial_\mu A^\mu=0$ を課したあとでも,$\Box\lambda=0$ を満たすゲージ関数 $\lambda$ による変換はまだ許される.なぜなら
$$ \partial_\mu A'^\mu = \partial_\mu A^\mu + \Box\lambda = 0 + 0 = 0 $$だからである.この残留ゲージ自由度が,次項で偏極の数を4から2へ落とす鍵になる.
なお「Lorenz」はデンマークの Ludvig Lorenz(1867年)であり,Lorentz 変換の Hendrik Lorentz とは別人である.文献でしばしば混同されている.
9.6.3 自由光子と偏極ベクトル
真空($j^\nu=0$)の Lorenz ゲージでは $\Box A^\mu=0$.平面波解を
$$ \begin{equation} A^\mu(x) = \varepsilon^\mu(k)\,\ee^{-\ii k\cdot x} \label{eq:9-photon-planewave} \end{equation} $$と書く.$\varepsilon^\mu$ を偏極ベクトルという.代入すると
導出:実光子の偏極自由度は2つ
ステップ1:波動方程式から質量ゼロ条件.$\Box A^\mu=0$ に \eqref{eq:9-photon-planewave} を代入すると $-k^2\varepsilon^\mu=0$,すなわち
$$ k^2 = k^\mu k_\mu = 0 \quad\Longleftrightarrow\quad \omega = \abs{\kk} $$これは光子の質量がゼロであることを意味する($k^2=m^2$ のはずだから).出発点は「自由度4のベクトル場」であった.
ステップ2:Lorenz 条件で1つ落ちる.$\partial_\mu A^\mu=0$ に代入すると $-\ii k_\mu\varepsilon^\mu=0$,すなわち
$$ \begin{equation} k\cdot\varepsilon = 0 \label{eq:9-lorenz-eps} \end{equation} $$4成分に1本の条件が付いたので,独立成分は3つになった.
ステップ3:残留ゲージ自由度でもう1つ落ちる.$\lambda = \ii a\,\ee^{-\ii k\cdot x}$($a$ は定数)は $\Box\lambda = \ii a(-k^2)\ee^{-\ii k\cdot x}=0$ を満たすので許される.このとき $\partial^\mu\lambda = a k^\mu\ee^{-\ii k\cdot x}$ なので,偏極ベクトルは
$$ \varepsilon^\mu \;\longrightarrow\; \varepsilon^\mu + a\,k^\mu $$と変わる.$k^\mu$ の分だけずらしても同じ物理を表すということである.$a$ を適当に選べば,$\varepsilon^0=0$ とすることができる($a=-\varepsilon^0/k^0$ ととればよい).独立成分は2つになった.
ステップ4:横波であることを読み取る.$\varepsilon^0=0$ とすると,ステップ2の条件 $k\cdot\varepsilon = k^0\varepsilon^0-\kk\cdot\bm{\varepsilon} = -\kk\cdot\bm{\varepsilon}$ より
すなわち偏極は進行方向に垂直な2方向しかない.これをCoulomb ゲージ(放射ゲージ)と呼ぶ.$\blacksquare$
$\kk$ を $z$ 軸にとると,2つの独立な偏極は
$$ \varepsilon^\mu_{(1)}=(0,1,0,0), \qquad \varepsilon^\mu_{(2)}=(0,0,1,0) $$あるいは円偏極(ヘリシティ固有状態)の組み合わせ
$$ \begin{equation} \varepsilon^\mu_{\pm} = \mp\frac{1}{\sqrt2}\left(0,\ 1,\ \pm\ii,\ 0\right) \label{eq:9-circular} \end{equation} $$で書ける.$\varepsilon_\pm$ は $z$ 軸まわりの回転で $\ee^{\mp\ii\theta}$ の位相を拾うので,ヘリシティ $\pm1$ に対応する.
物理的意味:なぜヘリシティ 0 がないのか
スピン1の粒子なら $s_z=+1,0,-1$ の3状態があるはずである.なぜ光子には2つしかないのか.
答えは質量ゼロだからである.質量のある粒子は静止系をもち,そこでは $s_z$ の3状態がすべて等価に存在する.質量ゼロの粒子には静止系がなく,回転群 $\mathrm{SO}(3)$ ではなく「運動方向を保つ部分群」(小群)だけが対称性になる.その結果,ヘリシティ $\pm s$ の2状態しか許されない(Wigner の Poincaré 群の表現論による.本書では扱わないので,たとえば Weinberg, The Quantum Theory of Fields I, §2.5 を参照).
実際,$W$ ボソンや $Z$ ボソンは質量をもつので偏極自由度は3つである.Higgs 機構でゲージ場が質量を得るとき,「縦偏極の自由度がどこから来るのか」という問いが生じる.答えは南部–Goldstone ボソンを飲み込むことである(第13章).
9.6.4 仮想光子と偏極和
ファインマン図の内線に現れる光子(仮想光子)は事情が違う.内線の4元運動量 $k^\mu$ は運動量保存だけで決まり,$k^2=0$ を満たすとは限らない.$k^2\ne0$ の光子は「質量殻を外れている」(off-shell)といい,そのときは4成分すべてが必要である.
実光子については,偏極和の公式
$$ \begin{equation} \sum_{\lambda=1,2}\varepsilon^{\mu*}_{(\lambda)}\varepsilon^{\nu}_{(\lambda)} = -g^{\mu\nu} + \frac{k^\mu \bar k^\nu + \bar k^\mu k^\nu}{k\cdot\bar k}, \qquad \bar k^\mu\equiv(k^0,-\kk) \label{eq:9-photon-polsum} \end{equation} $$が成り立つ.しかしカレントの保存 $k_\mu\mathcal{M}^\mu=0$(Ward 恒等式,第10章)が成り立つ振幅に対しては,$k^\mu$ に比例する項が落ちるので,実用上は単に
と置き換えてよい.これが第10章の断面積計算を劇的に簡単にする.同じ理由で,光子の伝播関数は Feynman ゲージで
$$ \frac{-\ii g_{\mu\nu}}{k^2+\ii\epsilon} $$と書ける(第10章の QED ファインマン則,付録D).
材料科学との接点:固体中では「縦モード」が実在する
真空の光子に縦偏極がないのは,質量ゼロ・ゲージ不変性・Lorentz 対称性の帰結である.ところが物質中では,この3つのうち Lorentz 対称性が媒質によって破れているため,縦モードが物理的自由度として復活する.
典型例がプラズモンである.誘電関数 $\epsilon(\qq,\omega)$ に対して,横モードは $\epsilon(\qq,\omega)=c^2q^2/\omega^2$ を,縦モードは
$$ \epsilon(\qq,\omega)=0 $$を満たす.後者は真空には存在しない解であり,長波長極限で $\omega=\omega_p$(プラズマ振動数)を与える.自由電子気体では
$$ \omega_p = \sqrt{\frac{n e^2}{\epsilon_0 m^*}} $$Al($n=1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$,$m^*\simeq m_0$)では $\hbar\omega_p=15.8\ \mathrm{eV}$ で,電子エネルギー損失分光(EELS)のスペクトルにこのエネルギーのピークとして直接見える.
素粒子物理の言葉で言えば,プラズモンは「媒質中で質量 $\hbar\omega_p$ を獲得した光子」である.そして質量を得たベクトル場は縦偏極をもつ——これが第13章で扱う Anderson–Higgs 機構の物性版であり,実際 Anderson は超伝導体中の電磁場の遮蔽(Meissner 効果,光子が質量 $\hbar c/\lambda_L$ を得る)から着想を得て1963年の論文(Phys. Rev. 130, 439)を書いた.$\lambda_L=50\ \mathrm{nm}$ の超伝導体なら光子質量は $\hbar c/\lambda_L = 197.3\ \mathrm{MeV\,fm}/(5\times10^{7}\ \mathrm{fm}) = 3.9\ \mathrm{eV}$ に相当する.
もう一つの例が LO–TO 分裂である.イオン結晶では長距離 Coulomb 相互作用のために縦光学(LO)フォノンと横光学(TO)フォノンが $\Gamma$ 点で分裂し,Lyddane–Sachs–Teller 関係
$$ \frac{\omega_{\mathrm{LO}}^2}{\omega_{\mathrm{TO}}^2}=\frac{\epsilon(0)}{\epsilon(\infty)} $$を満たす.第一原理フォノン計算で Born 有効電荷と非解析項補正を入れなければ LO–TO 分裂が再現できないのは,この「縦モードの物理」を扱っているからである.
9.7 材料科学との接点 — 固体の中の Dirac 方程式
ここまでで Dirac 方程式の道具はすべて揃った.本節では,それがそのままの形で固体物理に現れる4つの舞台を,比喩ではなく式で示す.本章を書いた最大の目的がここにある.
9.7.1 グラフェン — 2次元の質量ゼロ Dirac 粒子
導出:強束縛近似からグラフェンの Dirac 方程式へ
ステップ1:格子を書く.グラフェンは炭素原子が蜂の巣状に並んだ2次元結晶で,単位胞に2個の原子(副格子 A と B)を含む.A 原子から見た最近接 B 原子の位置ベクトルは,C–C 結合長を $a=0.142\ \mathrm{nm}$ として
$$ \bm{\delta}_1 = \frac{a}{2}\left(1,\sqrt3\right), \qquad \bm{\delta}_2 = \frac{a}{2}\left(1,-\sqrt3\right), \qquad \bm{\delta}_3 = a\left(-1,0\right) $$ステップ2:$\pi$ 電子の強束縛ハミルトニアンを立てる.各炭素の $2p_z$ 軌道を1個ずつ取り,最近接飛び移り積分 $t\simeq2.8\ \mathrm{eV}$ だけを残すと
$$ \Ham = -t\sum_{\bm{R}\in A}\sum_{j=1}^{3}\left(c^\dagger_{B,\bm{R}+\bm{\delta}_j}c_{A,\bm{R}} + \text{h.c.}\right) $$Bloch 和 $c_{X,\kk}=N^{-1/2}\sum_{\bm{R}}\ee^{-\ii\kk\cdot\bm{R}}c_{X,\bm{R}}$ を入れると,$\kk$ ごとに $2\times2$ の行列になる:
$$ \begin{equation} H(\kk) = \begin{pmatrix}0 & -t\,f(\kk)\\ -t\,f^*(\kk) & 0\end{pmatrix}, \qquad f(\kk)\equiv\sum_{j=1}^{3}\ee^{\ii\kk\cdot\bm{\delta}_j} \label{eq:9-graphene-H} \end{equation} $$対角成分がゼロなのは,同一副格子内の飛び移りを無視したからである($A$ と $B$ のオンサイトエネルギーは等しいとして原点にとった).
ステップ3:エネルギー固有値.$2\times2$ の反対角行列なので直ちに
$$ E_\pm(\kk) = \pm t\,\abs{f(\kk)} $$これが有名なグラフェンのバンドである.上の枝が $\pi^*$(伝導帯),下が $\pi$(価電子帯).中性のグラフェンでは炭素1個あたり $\pi$ 電子1個なので,下の枝がちょうど満杯になる.
ステップ4:$f(\kk)$ の零点を探す.$\abs{f}=0$ となる点でバンドが接触する.計算すると,六角形ブリルアンゾーンの頂点だけが零点である:
$$ \bm{K} = \left(\frac{2\pi}{3a},\ -\frac{2\pi}{3\sqrt3\,a}\right), \qquad \bm{K}' = -\bm{K}, \qquad \abs{\bm{K}} = \frac{4\pi}{3\sqrt3\,a} $$これをDirac 点($K$ 点,$K'$ 点)と呼ぶ.六角形の6頂点のうち独立なのは2つだけで,これを谷(valley)の自由度という.
ステップ5:$K$ 点のまわりで展開する.$\kk=\bm{K}+\qq$($\abs{\qq}a\ll1$)とおいて $f$ を1次まで展開する.$f(\bm{K})=0$ なので
$$ f(\bm{K}+\qq) \simeq \qq\cdot\nabla_{\kk}f\big|_{\bm{K}} = \ii\sum_j\left(\qq\cdot\bm{\delta}_j\right)\ee^{\ii\bm{K}\cdot\bm{\delta}_j} $$3つの $\bm{\delta}_j$ と $\ee^{\ii\bm{K}\cdot\bm{\delta}_j}$(値は $1,\ \ee^{2\pi\ii/3},\ \ee^{-2\pi\ii/3}$ のいずれか)を代入して和をとると,きれいにまとまって
$$ -t\,f(\bm{K}+\qq) = \frac{3ta}{2}\left(q_x - \ii q_y\right) $$(全体の位相は副格子の基底の位相の取り方で吸収できる.)
ステップ6:Dirac ハミルトニアンを読み取る.したがって
$$ H(\bm{K}+\qq) = \frac{3ta}{2}\begin{pmatrix}0 & q_x-\ii q_y\\ q_x+\ii q_y & 0\end{pmatrix} = \frac{3ta}{2}\left(\sigma_x q_x + \sigma_y q_y\right) $$ここで $\sigma_x,\sigma_y$ は Pauli 行列で,作用する2成分空間はスピンではなく副格子($A$/$B$)である.これを擬スピン(pseudospin)という.$\hbar v_F\equiv 3ta/2$ とおけば
格子・ブリルアンゾーン・Dirac 錐の関係は図9.4 に示した.
ステップ7:$v_F$ の数値.$t=2.8\ \mathrm{eV}$,$a=1.42\times10^{-10}\ \mathrm{m}$,$\hbar=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$ を入れると
$$ v_F = \frac{3\times2.8\ \mathrm{eV}\times1.42\times10^{-10}\ \mathrm{m}}{2\times6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}} = \frac{1.193\times10^{-9}}{1.316\times10^{-15}}\ \mathrm{m/s} = 9.1\times10^{5}\ \mathrm{m/s} $$実験値は $v_F\simeq1.0\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$ である.
材料科学との接点:グラフェンは2次元 Dirac 方程式そのものである
式 \eqref{eq:9-graphene-dirac} を,9.2 節の Dirac ハミルトニアン $\Ham=\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m$ と見比べよう.2次元では $\alpha^1,\alpha^2,\beta$ の3つしか反交換行列が要らない.そして $2\times2$ で反交換する行列はちょうど3つある(Pauli 行列).すなわち2次元では $4\times4$ ではなく $2\times2$ で足りる.グラフェンの $2\times2$ ハミルトニアンは,2次元 Dirac 方程式の完全な表現なのである.
| 真空(素粒子物理) | グラフェン | 数値の比較 |
|---|---|---|
| 光速 $c$ | Fermi 速度 $v_F$ | $c/v_F\simeq300$ |
| スピン(内部自由度) | 擬スピン(副格子 $A$/$B$) | 実スピンは別に $\times2$ |
| 質量 $m$($mc^2$) | ギャップの半分 $\Delta$ | $m_ec^2=511\ \mathrm{keV}$ ↔ $\Delta\lesssim 0.2\ \mathrm{eV}$ |
| $E=\pm\sqrt{c^2p^2+m^2c^4}$ | $E=\pm\sqrt{\hbar^2v_F^2q^2+\Delta^2}$ | 形が完全に同一 |
| 粒子・反粒子 | 電子・正孔 | Dirac 点が「真空」 |
| スピノルの2成分 | $A$/$B$ 副格子の振幅 | — |
| — | 谷($K$/$K'$)の自由度 | グラフェン特有.$\times2$ |
「光速の300分の1で走る,質量ゼロの2次元 Dirac 粒子」を,室温の実験室で,1原子層のテープ剥離試料で扱えるようになった——これが2004年の Geim–Novoselov の仕事(2010年ノーベル賞)の物理的な意味である.
ギャップを開けるには,$A$ と $B$ のオンサイトエネルギーに差 $2\Delta$ をつければよい.すなわち $H=\hbar v_F\bm{\sigma}\cdot\qq+\Delta\sigma_z$ で,固有値は
$$ E = \pm\sqrt{\hbar^2v_F^2q^2+\Delta^2} $$となる.これは相対論の $E=\pm\sqrt{c^2p^2+m^2c^4}$ と文字通り同じ式である.ここで $\Delta$ はギャップの半分(全ギャップが $2\Delta$)であることに注意しよう.文献値は全ギャップで報告されることが多いので,$2\Delta$ に揃えて並べると,実際にこれを起こす方法として,六方晶窒化ホウ素(h-BN)基板との整合($2\Delta\simeq30\ \mathrm{meV}$),シリセンやゲルマネンでのスピン軌道結合($2\Delta\simeq1.6\ \mathrm{meV}$ および $24\ \mathrm{meV}$),二層グラフェンへの垂直電場($2\Delta$ を $0$–$250\ \mathrm{meV}$ で連続可変)などが知られている.電界効果トランジスタで「電子の質量をつまみで変える」ことができるのである.
9.7.2 Berry 位相 $\pi$ と Klein トンネリング
導出:擬スピン固有状態と Berry 位相 $\pi$
ステップ1:固有ベクトルを求める.$\qq=q(\cos\theta_q,\sin\theta_q)$ とおくと
$$ H_K = \hbar v_F q\begin{pmatrix}0&\ee^{-\ii\theta_q}\\ \ee^{\ii\theta_q}&0\end{pmatrix} $$固有値 $E_\pm=\pm\hbar v_Fq$ に属する固有ベクトルは
$$ \begin{equation} \ket{\psi_\pm(\qq)} = \frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}1\\ \pm\ee^{\ii\theta_q}\end{pmatrix} \label{eq:9-graphene-eigenstate} \end{equation} $$これを 9.3.2 の Dirac スピノルと比べると,$m=0$ のときの $u=\sqrt E(\chi,\ (\bm{\sigma}\cdot\hat{\pp})\chi)^T$ と同じ構造(上下成分の比が単位絶対値の位相因子だけ)であることが分かる.
ステップ2:Berry 接続を計算する.$\qq$ 空間で $\theta_q$ を $0\to2\pi$ と回すときの Berry 接続は
$$ A_\theta = \ii\braket{\psi_\pm|\partial_{\theta_q}|\psi_\pm} = \ii\cdot\frac{1}{2}\left(\pm\ee^{-\ii\theta_q}\right)\left(\pm\ii\,\ee^{\ii\theta_q}\right) = \ii\cdot\frac{\ii}{2} = -\frac{1}{2} $$(上成分は $\theta_q$ に依らないので寄与しない.$(\pm1)^2=1$ なので符号は落ちる.)
ステップ3:1周積分する.
すなわち Dirac 点を1周する断熱過程で,波動関数は符号を変える($\ee^{\ii\pi}=-1$).
物理的意味:Berry 位相 $\pi$ の3つの実験的帰結
- 後方散乱の抑制.$\qq\to-\qq$ の散乱では $\theta_q\to\theta_q+\pi$ なので,\eqref{eq:9-graphene-eigenstate} より終状態と始状態の重なりが $\braket{\psi(\theta+\pi)|\psi(\theta)}=\frac{1}{2}(1-1)=0$ になる.格子の乱れ(谷内散乱)による真後ろへの散乱が禁止され,グラフェンの移動度が異常に高くなる(懸架試料で $2\times10^{5}\ \mathrm{cm^2V^{-1}s^{-1}}$)理由の一つである.
- 半整数量子ホール効果.Landau 準位が $E_n=\pm v_F\sqrt{2e\hbar B\abs{n}}$($n=0,\pm1,\dots$)となり,$n=0$ 準位が電子・正孔で共有される.結果として $\sigma_{xy}=4(e^2/h)(n+1/2)$ となる.この $1/2$ が Berry 位相 $\pi$ の直接の証拠である.
- Klein トンネリング.次項.
導出:Klein トンネリング — 障壁が透明になる
ステップ1:問題設定.高さ $V_0$,幅 $D$ の矩形障壁にエネルギー $E$($0<E<V_0$)の Dirac 粒子を,法線から角度 $\phi$ で入射させる.通常の Schrödinger 粒子なら,障壁内では波数が虚数になり,透過率は $T\sim\ee^{-2\kappa D}$ と指数的に小さい.
ステップ2:障壁内の波数.Dirac 粒子では,障壁内のエネルギーは $E-V_0<0$ となるが,これは禁止領域ではなく正孔(価電子帯)の状態である.障壁内の波数の $x$ 成分は
$$ q_x = \sqrt{\frac{(E-V_0)^2}{\hbar^2v_F^2} - k_y^2} $$で,$\abs{E-V_0}$ が大きければ実数である.すなわち障壁の中に伝播する状態が存在する.これが Klein トンネリングの本質である.
ステップ3:擬スピンの整合を考える.垂直入射($\phi=0$,$k_y=0$)では,入射粒子の擬スピンは $+x$ 方向を向いている.障壁内の正孔状態も同じ方向に進むなら,やはり擬スピンが $+x$ を向いた状態が存在する.一方,反射波は $-x$ 方向に進むので擬スピンは $-x$ を向く.擬スピンの重なりがゼロなので反射振幅が厳密にゼロになる.
ステップ4:透過率の式.境界条件(波動関数の2成分が連続;Dirac 方程式は1階なので微分の連続は課さない)を解くと,$\abs{V_0}\gg\abs{E}$ の極限で
ステップ5:極限を確かめる.
- $\phi=0$(垂直入射):$T=\dfrac{1}{1-0}=1$.障壁の高さと幅によらず完全透過.
- $q_xD=n\pi$(共鳴):$\cos^2(q_xD)=1$ なので $T=\dfrac{\cos^2\phi}{1-\sin^2\phi}=\dfrac{\cos^2\phi}{\cos^2\phi}=1$.すべての角度で完全透過(Fabry–Pérot 共鳴).
- $\phi\to\pi/2$(掠め入射):$T\to0$.
材料科学との接点:Klein トンネリングは素粒子物理の未解決問題の実験室版である
Klein のパラドックス(1929年)は,Dirac 方程式の解釈上の難問として80年近く議論されてきた.真空中でこれを検証するには $V_0\sim2m_ec^2=1.02\ \mathrm{MeV}$ を換算 Compton 波長 $\bar\lambda_C=\hbar/m_ec=386\ \mathrm{fm}$ 程度の距離で変化させる必要があり,電場にして $E\sim m_e^2c^3/(e\hbar)=1.3\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$(Schwinger 限界)が要る.現在の最高強度レーザーでも数桁足りない.
ところがグラフェンでは,同じ条件が
$$ V_0 \sim 2\Delta\ \text{または}\ \hbar v_F/L, \qquad L\sim 10\text{–}100\ \mathrm{nm} $$で満たされる.$L=20\ \mathrm{nm}$ なら $\hbar v_F/L = 0.658\ \mathrm{eV\,nm}/20\ \mathrm{nm}=33\ \mathrm{meV}$.これはゲート電極で日常的に作れる大きさである.素粒子物理では手が届かない現象が,グラフェンのゲート電圧のつまみ一つで実現する.
実際 2009年に Young–Kim らが $p$–$n$–$p$ 接合グラフェンの Fabry–Pérot 振動に現れる磁場による位相シフト(Berry 位相 $\pi$ の帰結)を観測し,また Stander らが接合抵抗の非対称性から,Klein トンネリングを実証した.同時にこれは応用上の困難でもある:グラフェン FET はオフにならない.障壁で電子を止められないからである.グラフェン電子デバイスの最大の課題(オンオフ比が $10$ 程度にしかならない)は,突き詰めれば Klein のパラドックスなのである.
9.7.3 Weyl 半金属とカイラル異常
質量ゼロの Dirac 方程式は,カイラリティで2つに分解できる.9.5.2 節で見たように $m=0$ ならラグランジアンが $\psi_L$ と $\psi_R$ に完全に分かれるので,$4\times4$ の Dirac 方程式は $2\times2$ の方程式2本に分解する.これが Weyl 方程式である(Weyl, 1929).
定義:Weyl 方程式
質量ゼロの Dirac 方程式を Weyl(カイラル)表示で書くと,$\gamma^5=\mathrm{diag}(-\mathbb{1},+\mathbb{1})$ が対角なので,上下2成分が独立になり
$$ \begin{equation} H_\pm = \pm\,\hbar v\,\bm{\sigma}\cdot\kk, \qquad E_\pm = \pm\hbar v\abs{\kk}\ \text{(各カイラリティに正負1本ずつ)} \label{eq:9-weyl} \end{equation} $$符号 $\chi=\pm1$ をカイラリティと呼ぶ.$\chi=+1$ の粒子はヘリシティ $+1$,$\chi=-1$ はヘリシティ $-1$ をもつ(9.5.3 節).
材料科学との接点:Weyl 半金属 — 固体中の Weyl フェルミオン
3次元の $2\times2$ ハミルトニアン $H=\hbar v\,\bm{\sigma}\cdot\kk$ が実現するには,2つのバンドが1点で縮退し,そのまわりで3方向すべてに線形分散していればよい.こうした点を Weyl 点(Weyl node)という.Weyl 点はトポロジカルに保護されている:$2\times2$ ハミルトニアンの一般形は
$$ H(\kk) = d_0(\kk)\,\mathbb{1} + \sum_{i=1}^{3}d_i(\kk)\,\sigma_i $$で,縮退が起きるには $d_1=d_2=d_3=0$ という3本の方程式が必要である.3次元の $\kk$ 空間には未知数がちょうど3つあるので,解は孤立点として一般に存在する.摂動を加えても点が動くだけで消えない——これが「保護」の意味である(2次元だと未知数が2つで方程式が3本なので,一般には解がない.グラフェンの Dirac 点が対称性に守られているのと対照的である).
Weyl 点は必ず正負のカイラリティが対で現れる(Nielsen–Ninomiya の定理,1981年).ブリルアンゾーンは閉じた多様体なので,Weyl 点を「$\kk$ 空間の磁気単極子」とみなしたときの全電荷はゼロでなければならないからである.
Weyl 点が縮退せずに分離するには,時間反転対称性か空間反転対称性のどちらかが破れている必要がある.実際に見つかった物質は:
| 物質 | 種類 | 破れる対称性 | ノード数 | $v$ [$10^5\ \mathrm{m/s}$] |
|---|---|---|---|---|
| TaAs | Weyl 半金属 | 空間反転 $P$ | 24 | $\sim3$ |
| NbAs, TaP, NbP | Weyl 半金属 | 空間反転 $P$ | 24 | $\sim3$ |
| Cd$_3$As$_2$ | Dirac 半金属 | (対称性で保護) | 2 | $\sim10$ |
| Na$_3$Bi | Dirac 半金属 | (対称性で保護) | 2 | $\sim3$ |
| Co$_3$Sn$_2$S$_2$ | 磁性 Weyl 半金属 | 時間反転 $T$ | 6 | $\sim2$ |
ここでDirac 半金属とは,$\chi=+1$ と $\chi=-1$ の Weyl 点が同じ $\kk$ で重なって $4\times4$ の Dirac 点をなしているものである.すなわち,$\psi_L$ と $\psi_R$ を結ぶ質量項が対称性で禁止された質量ゼロの Dirac 方程式と同じ構造である(質量 $511\ \mathrm{keV}$ をもつ真空の電子とはそこが違う).
材料科学との接点:カイラル異常が負の磁気抵抗として見える
古典的には,$m=0$ の Dirac 場では左巻き粒子数と右巻き粒子数が別々に保存する(軸性カレント $j_5^\mu=\bar\psi\gamma^\mu\gamma^5\psi$ の保存).ところが量子効果(1ループのファインマン図)がこの保存則を破る.これが Adler–Bell–Jackiw 異常(カイラル異常,1969年)である:
電場と磁場を平行にかけると,左巻き粒子が右巻き粒子に(正味で)変換される.素粒子物理では,これが $\pi^0\to\gamma\gamma$ の崩壊率を正しく与える(実験値 $\Gamma(\pi^0\to\gamma\gamma)=7.72\ \mathrm{eV}$——PDG 2022 の全幅 $7.81\ \mathrm{eV}$ に分岐比 $98.8\%$ を掛けた値——に対し,異常による予言 $7.76\ \mathrm{eV}$)ことで検証された歴史がある.
Weyl 半金属では,同じ式が電気伝導の測定で直接検証できる.$\hbar,c$ を戻すと,カイラリティごとの粒子数密度の差 $n_5=n_+-n_-$ について
$$ \frac{\dd n_5}{\dd t} = \frac{e^2}{2\pi^2\hbar^2 c}\,\bm{E}\cdot\bm{B} - \frac{n_5}{\tau_v} \qquad(\text{Gauss 単位系}) $$($\tau_v$ は谷間緩和時間).係数は式 \eqref{eq:9-chiral-anomaly} の $e^2/2\pi^2$ と同じもので,$j_5^0=n_5$ だから $\hbar,c$ を戻しても $1/2\pi^2$ は変わらない.Weyl 点1個あたりの生成率はこの半分の $\dd n_\pm/\dd t=\pm e^2\bm{E}\cdot\bm{B}/4\pi^2\hbar^2c$ である.なお $1/c$ が現れるのは Gauss 単位系をとったためで,SI では $\dd n_5/\dd t=(e^2/2\pi^2\hbar^2)\,\bm{E}\cdot\bm{B}$($c$ は付かない)となる——本章では 9.6.4 節のプラズマ振動数のように SI で書いた式もあるので,単位系の取り方に注意してほしい.
定常状態では $n_5\propto \bm{E}\cdot\bm{B}\,\tau_v$ となり,これが余分な伝導チャネルを開く.結果として,$\bm{E}\parallel\bm{B}$ のときだけ伝導度が磁場とともに増大する:
$$ \Delta\sigma \propto B^2\qquad(\bm{E}\parallel\bm{B}) $$通常の金属では磁場をかけると Lorentz 力で電子軌道が曲がり抵抗が増える(正の磁気抵抗).Weyl 半金属では逆に抵抗が減る.この「負の縦磁気抵抗」は,2015年以降 TaAs,Na$_3$Bi,ZrTe$_5$ などで報告されている.
ただし注意も必要である.電流経路が試料内で不均一になる電流ジェッティングでも見かけ上の負磁気抵抗が生じるので,異常の証拠とするには角度依存性の慎重な検証が要る.測定に携わる読者は,式 \eqref{eq:9-chiral-anomaly} が $\bm{E}\cdot\bm{B}$ という擬スカラー(表9.2 の $P$ 型)であることを思い出してほしい:信号は $\bm{E}$ と $\bm{B}$ のなす角 $\theta$ に対して $\cos^2\theta$ で振る舞わねばならない.これが最も基本的なチェックである.
9.7.4 トポロジカル絶縁体の表面 Dirac 錐
材料科学との接点:Bi$_2$Se$_3$ 表面は「単一の Dirac 錐」である
3次元トポロジカル絶縁体(Bi$_2$Se$_3$,Bi$_2$Te$_3$,Sb$_2$Te$_3$)はバルクにギャップ(Bi$_2$Se$_3$ で $0.3\ \mathrm{eV}$)をもつが,表面には金属的な状態が必ず現れる.その有効ハミルトニアンは
固有値は $E=\pm\hbar v_F\abs{\kk}$ でやはり Dirac 錐である($v_F\simeq5\times10^5\ \mathrm{m/s}$).しかしグラフェンとの決定的な違いが2つある.
- $\bm{\sigma}$ が実スピンである.グラフェンの $\bm{\sigma}$ は副格子の擬スピンだったが,ここでは本物の電子スピンである.したがって \eqref{eq:9-ti-surface} はスピンと運動量が固定した関係(スピン運動量ロッキング)を意味する:運動量 $\kk$ の電子のスピンは必ず $\kk$ に垂直な面内方向に固定される(\eqref{eq:9-ti-surface} の符号では上枝 $E>0$ で $\hat{\kk}\times\hat{\bm z}$,下枝 $E<0$ で $\hat{\bm z}\times\hat{\kk}$;巻きの向き自体は物質と表面終端で決まる).スピン分解 ARPES でこの向きが直接観測されている.スピン軌道トルク素子や,電流によるスピン流生成(Edelstein 効果)の基盤である.
- Dirac 錐が1個しかない.グラフェンは $K$ と $K'$ の2個(谷の自由度)をもつが,Bi$_2$Se$_3$ 表面は $\Gamma$ 点に1個だけである.2次元の格子模型では「Dirac 点は必ず偶数個」という フェルミオン倍加定理(Nielsen–Ninomiya)があるので,これは2次元の格子だけでは実現できない.3次元バルクの表面という形をとることで初めて可能になる.
この「単一 Dirac 錐」に磁性不純物をドープして時間反転対称性を破ると,質量項 $M\sigma_z$ が付いて
$$ E = \pm\sqrt{\hbar^2v_F^2k^2+M^2} $$とギャップが開く.このとき表面の Hall 伝導度は
$$ \sigma_{xy} = \frac{e^2}{2h}\,\mathrm{sgn}(M) $$と半整数量子化する.素粒子物理では,これは2+1次元における パリティ異常として知られる現象である.Cr ドープ (Bi,Sb)$_2$Te$_3$ での量子異常ホール効果(2013年,$\sigma_{xy}=e^2/h$ が上下2表面の合計として観測される)は,まさにこの構造の実験的確認である.「異常」という素粒子物理の概念が,抵抗の量子化という形で読み取れるのである.
9.7.5 超伝導の BdG 方程式と Nambu スピノル
本章の最後に,材料科学者にとっておそらく最も馴染み深い,しかし Dirac 方程式との関係が意識されにくい例を扱う.超伝導の Bogoliubov–de Gennes(BdG)方程式である.
導出:平均場 BCS ハミルトニアンから BdG 方程式へ
ステップ1:平均場ハミルトニアン.BCS 理論の平均場ハミルトニアンは,$\xi_\kk = \varepsilon_\kk-\mu$(Fermi 準位から測った1電子エネルギー),$\Delta$ を超伝導ギャップとして
$$ \Ham = \sum_\kk \xi_\kk\left(c^\dagger_{\kk\uparrow}c_{\kk\uparrow}+c^\dagger_{\kk\downarrow}c_{\kk\downarrow}\right) + \sum_\kk\left(\Delta\, c^\dagger_{\kk\uparrow}c^\dagger_{-\kk\downarrow} + \Delta^*\,c_{-\kk\downarrow}c_{\kk\uparrow}\right) $$第2項が特異である:電子を2個作る(消す)項が入っている.粒子数が保存しない.これは超伝導が $\mathrm{U}(1)$ 対称性を自発的に破っているためである(第13章).
ステップ2:Nambu スピノルを導入する.粒子数非保存の項を「行列の非対角成分」に押し込むために,電子の生成演算子と消滅演算子を同じ列ベクトルに並べる:
これが Nambu スピノル(南部スピノル,1960年)である.上成分が「電子」,下成分が「正孔」を表す.
ステップ3:ハミルトニアンを行列で書く.反交換関係 $\{c,c^\dagger\}=1$ を使って定数項を落とすと
$$ \Ham = \sum_\kk \Psi^\dagger_\kk\,H_{\text{BdG}}(\kk)\,\Psi_\kk + \text{const.}, \qquad H_{\text{BdG}}(\kk)=\begin{pmatrix}\xi_\kk & \Delta\\ \Delta^* & -\xi_\kk\end{pmatrix} $$Pauli 行列(Nambu 空間なので $\tau$ と書く)で表せば,$\Delta$ を実にとって
ステップ4:対角化する.$\tau_z$ と $\tau_x$ は反交換するので $(\xi\tau_z+\Delta\tau_x)^2=(\xi^2+\Delta^2)\mathbb{1}$.したがって固有値は直ちに
$$ \begin{equation} E_\kk = \pm\sqrt{\xi_\kk^2+\abs{\Delta}^2} \label{eq:9-bdg-spectrum} \end{equation} $$これが BCS の準粒子分散である.Fermi 面上($\xi_\kk=0$)でも $\abs{E}=\abs{\Delta}$ のギャップが残る.
ステップ5:Fermi 面近傍で線形化する.$\xi_\kk\simeq\hbar v_F(k-k_F)\equiv\hbar v_F q$ と展開すると
これは1次元の Dirac ハミルトニアンそのものである.9.2 節の $\Ham=\alpha p+\beta m$ と比べれば,$\alpha\to\tau_z$,$\beta\to\tau_x$(この2つは確かに反交換し,二乗が $\mathbb{1}$), $p\to\hbar v_Fq$,そして
$$ \boxed{\ \text{質量 } m \;\longleftrightarrow\; \text{超伝導ギャップ }\Delta\ } $$材料科学との接点:BdG 方程式は Dirac 方程式である
ギャップの開き方を図示したのが図9.5 である.対応を表にまとめる.
| Dirac 方程式 | BdG 方程式 | 備考 |
|---|---|---|
| 粒子 / 反粒子 | 電子 / 正孔 | Nambu の上成分 / 下成分 |
| 質量 $m$ | ギャップ $\Delta$ | $m_ec^2=511\ \mathrm{keV}$ ↔ Nb で $\Delta\simeq1.5\ \mathrm{meV}$(実測.BCS 弱結合値 $1.764k_BT_c$ は $1.41\ \mathrm{meV}$) |
| $E=\pm\sqrt{p^2c^2+m^2c^4}$ | $E=\pm\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}$ | 形が同一 |
| 光速 $c$ | Fermi 速度 $v_F$ | Nb で $v_F\sim(0.3\text{–}1.4)\times10^6\ \mathrm{m/s}$(自由電子値が $1.4\times10^6$.$d$ バンド金属なので Fermi 面平均の実効値はこれより小さい) |
| 電荷共役 $C$ | 粒子正孔対称性 $\Xi$ | $\Xi H(\kk)\Xi^{-1}=-H(-\kk)$ |
| 真空 | 超伝導凝縮体 | $\mathrm{U}(1)$ の破れ |
| Majorana 条件 $\psi=\psi^c$ | $\gamma=\gamma^\dagger$ | 零エネルギー束縛状態 |
スピンも含めた $4\times4$ の BdG 方程式では,Nambu スピノルを $\Psi=(c_\uparrow,c_\downarrow,c^\dagger_\uparrow,c^\dagger_\downarrow)^T$ とし
$$ H_{\text{BdG}}(\kk)=\begin{pmatrix}h(\kk) & \Delta(\kk)\\ \Delta^\dagger(\kk) & -h^*(-\kk)\end{pmatrix} $$という $4\times4$ 行列になる.Dirac 方程式が $4\times4$ である理由(スピン2 × 粒子反粒子2)と,BdG が $4\times4$ である理由(スピン2 × 電子正孔2)は,同じである.
エネルギースケールの比は $511\ \mathrm{keV}/1.5\ \mathrm{meV}=3.4\times10^{8}$,つまり8桁半離れている.それでも方程式は同じである.
導出:粒子正孔対称性と Majorana 条件
ステップ1:粒子正孔対称性の演算子.$\Xi\equiv\tau_y\mathcal{K}$($\mathcal{K}$ は複素共役)とおく.\eqref{eq:9-bdg} を $H=\xi\tau_z+\mathrm{Re}\Delta\,\tau_x-\mathrm{Im}\Delta\,\tau_y$ と書き,$\tau_y^*=-\tau_y$,$\tau_{x,z}^*=\tau_{x,z}$ を使うと
$$ \mathcal{K}H\mathcal{K} = H^* = \xi\tau_z+\mathrm{Re}\Delta\,\tau_x+\mathrm{Im}\Delta\,\tau_y $$これに $\tau_y$ を左右から挟む.$\tau_y\tau_z\tau_y=-\tau_z$,$\tau_y\tau_x\tau_y=-\tau_x$,$\tau_y\tau_y\tau_y=\tau_y$ より
$$ \Xi H(\kk)\Xi^{-1} = \tau_yH^*(\kk)\tau_y = -\xi\tau_z-\mathrm{Re}\Delta\,\tau_x+\mathrm{Im}\Delta\,\tau_y = -H(\kk) $$$\xi_{-\kk}=\xi_\kk$ なので,これは $\Xi H(\kk)\Xi^{-1}=-H(-\kk)$ と書ける.
ステップ2:スペクトルが $E=0$ について対称になる.$H\ket{u}=E\ket{u}$ なら,上の関係から $H(-\kk)\,\Xi\ket{u}=-E\,\Xi\ket{u}$.すなわちエネルギー $E$ の準粒子があれば,必ずエネルギー $-E$ の相棒がある.これは Dirac 方程式で $u$ 解と $v$ 解が対をなすのと同じ構造である(9.4 節).
ステップ3:Bogoliubov 準粒子.\eqref{eq:9-bdg} を対角化する固有ベクトルの成分を $(u_\kk,v_\kk)$ と書くと,準粒子生成演算子は
$$ \gamma^\dagger_\kk = u_\kk\,c^\dagger_{\kk\uparrow} + v_\kk\,c_{-\kk\downarrow}, \qquad u_\kk^2=\frac{1}{2}\left(1+\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right),\quad v_\kk^2=\frac{1}{2}\left(1-\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right) $$これが BCS のコヒーレンス因子である.準粒子は電子と正孔の重ね合わせであり,電荷の固有状態ではない.
ステップ4:Fermi 面上で $u=v$ になる.$\xi_\kk=0$ では $u^2=v^2=1/2$,すなわち $u=v=1/\sqrt2$(位相を適当にとる).このとき
$$ \gamma^\dagger = \frac{1}{\sqrt2}\left(c^\dagger_{\kk\uparrow}+c_{-\kk\downarrow}\right) $$となり,スピンと運動量の添字を無視できる状況(スピンレスの $p$ 波超伝導体,あるいはトポロジカル超伝導体の渦糸中心・端の零モード)では
が成り立つ.自分自身が自分の反粒子である粒子——Majorana フェルミオンである.
ただし $u=v$ だけでは足りない.通常のスピン一重項 $s$ 波超伝導体では,上の $\gamma^\dagger$(これを $\gamma^\dagger_{\kk\uparrow}$ と書く)のエルミート共役は $(c_{\kk\uparrow}+c^\dagger_{-\kk\downarrow})/\sqrt2$ であり,これは $(-\kk,\downarrow)$ 側の別の準粒子の生成演算子 $\gamma^\dagger_{-\kk\downarrow}$ に等しい.すなわち得られる関係は $\gamma_{\kk\uparrow}=\gamma^\dagger_{-\kk\downarrow}$(粒子正孔対称性による記述の冗長性)であって,$\gamma=\gamma^\dagger$ ではない.$u=v$ が言っているのは「準粒子が電荷中性である」ことだけで,これは Majorana 条件の必要条件にすぎない.$\gamma=\gamma^\dagger$ が本当に成立するには,$E=0$ の孤立したモードが粒子正孔変換で自分自身に写らなければならず,それが上に挙げたスピンレス $p$ 波超伝導体の端や渦糸芯という限定の意味である.
材料科学との接点:Majorana 零モードと第14章への橋
式 \eqref{eq:9-majorana} は,第14章で扱う Majorana ニュートリノの条件
$$ \psi = \psi^c \equiv C\bar\psi^T $$と,まったく同じことを言っている.Ettore Majorana が1937年に「$\gamma$ 行列をすべて純虚数にとれば Dirac 方程式は実の方程式になり,実の解 $\psi=\psi^*$ が許される」と示した,その条件である.素粒子物理ではニュートリノがこれを満たすかどうかが未解決で,ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊($0\nu\beta\beta$)の探索がそれを問うている(第14章).
物性側では,$\gamma=\gamma^\dagger$ を満たす零エネルギー状態が,以下の系で探索されている:
- $p+\ii p$ 超伝導体の渦糸芯(Sr$_2$RuO$_4$ が候補とされたが,現在は疑問視されている)
- 半導体ナノワイヤ + $s$ 波超伝導体 + 磁場(InSb/InAs + Al.Kitaev 鎖の実現.零バイアスコンダクタンスピーク $2e^2/h$ が指標だが,Andreev 束縛状態との区別が難しく,論争が続いている)
- トポロジカル絶縁体 + 超伝導体の界面(Fu–Kane 提案.Bi$_2$Te$_3$/NbSe$_2$)
- 鉄系超伝導体 FeTe$_{0.55}$Se$_{0.45}$ の渦糸(バルク超伝導と表面 Dirac 錐が同一物質に共存する)
なぜこれほど熱心に探されるのか.Majorana 零モードは非可換統計(non-Abelian statistics)に従い,2つを空間的に入れ替えると量子状態がユニタリ変換を受ける.しかもその変換は経路の細かい形によらず,交換したという位相幾何学的事実だけで決まる.したがって局所的な雑音に強い.これがトポロジカル量子計算の原理である.
整理しよう.Dirac が1928年に「相対論的で1階の方程式」を求めて書いた式は,Majorana を経て,2020年代の量子計算材料の設計原理になっている.本章の冒頭で「全16章のなかで最も直接に『使える』章」と述べたのは,この意味である.
9.8 まとめと演習
9.8.1 まとめ
- Klein–Gordon 方程式は2つの病をもつ.時間について2階であるため確率密度 $\rho=(E/m)\abs{N}^2$ が負になりうること(病1),そして負エネルギー解 $E=-\sqrt{\pp^2+m^2}$ が存在すること(病2)である.現代的には $\phi$ を場とみなすことで両方が解決し,KG 方程式はスピン0の場の正しい方程式となる.
- 「相対論的で時間1階」という要請だけから,$\gamma$ 行列の Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ が導かれる.4つの反交換行列が必要で,$2\times2$ には3つ(Pauli 行列)しかないので,最小の次元は $4\times4$ である.この $4=2\times2$ の一方がスピン,他方が粒子・反粒子になる.スピン $1/2$ は仮定ではなく結果である.
- 随伴スピノル $\bar\psi=\psi^\dagger\gamma^0$ を使うと,保存流 $j^\mu=\bar\psi\gamma^\mu\psi$ の時間成分が $\rho=\psi^\dagger\psi\ge0$ となり,病1が完治する.
- 平面波解は $u(p,s)=\sqrt{E+m}\,(\chi_s,\ \frac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m}\chi_s)^T$ と $v(p,s)$ の4つ.規約は $\bar uu=2m$,$u^\dagger u=2E$,$\bar vv=-2m$.小成分と大成分の比は $\abs{\pp}/(E+m)\simeq v/2c$ で,これが重元素の相対論効果の大きさを決める.
- 電磁場を入れて非相対論極限をとると Pauli 方程式が出て,$g=2$ が自動的に得られる.その起源は $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=\ii q\bm{B}$,すなわち運動量演算子の非可換性である.次の次数には相対論補正・スピン軌道結合・Darwin 項が現れる.
- 負エネルギー解は反粒子である.空孔理論(Dirac の海)と Feynman–Stückelberg 解釈のどちらでも同じ結論に至る.計算に使うのは完全性関係 $\sum_su\bar u=\slashed{p}+m$,$\sum_sv\bar v=\slashed{p}-m$ で,これが第10章以降のトレース計算の出発点になる.
- 双一次共変形は16個($S,P,V,A,T$).$\gamma^5$ が定めるカイラリティは,質量ゼロのときだけヘリシティと一致する.質量項 $m\bar\psi\psi=m(\bar\psi_L\psi_R+\bar\psi_R\psi_L)$ は左右を混ぜ,カレント項は混ぜない.「質量とはカイラリティを変える相互作用」である.
- 光子は質量ゼロのゲージ場で,実光子の偏極は横2つだけ.4成分 → Lorenz 条件で3 → 残留ゲージ自由度で2,という数え方をする.仮想光子(内線)は4成分すべてを使い,Ward 恒等式のおかげで偏極和は $-g^{\mu\nu}$ で置き換えてよい.
- 固体の中に Dirac 方程式はそこら中にいる.グラフェン($H=\hbar v_F\bm{\sigma}\cdot\qq$,$v_F\simeq c/300$,Berry 位相 $\pi$,Klein トンネリング),Weyl 半金属(カイラル異常と負の縦磁気抵抗),トポロジカル絶縁体の表面(単一 Dirac 錐とスピン運動量ロッキング),BdG 方程式($\Delta$ が「質量」,粒子正孔対称性が「電荷共役」,$u=v$ が Majorana 条件への入口).エネルギースケールは8桁以上違うが,方程式は同じである.
9.8.2 演習問題
演習9.1 $\gamma$ 行列の縮約恒等式
Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ と $g^\mu{}_\mu=4$ だけを使って,次を示せ.
(1) $\gamma^\mu\gamma_\mu = 4$
(2) $\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu = -2\slashed{a}$
(3) $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu = 4\,(a\cdot b)$
(4) $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu = -2\,\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a}$
ヒント:まず $\gamma^\mu\gamma^\nu=2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu$ を使って $\gamma_\mu$ を右へ通す.(2) では $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu = 2\gamma^\nu-\gamma^\nu\gamma^\mu\gamma_\mu = 2\gamma^\nu-4\gamma^\nu=-2\gamma^\nu$.(3) では $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = 2\gamma^\rho\gamma^\nu+2\gamma^\nu\gamma^\rho = 2\{\gamma^\nu,\gamma^\rho\}=4g^{\nu\rho}$.これらは第10章の断面積計算で毎回使う道具である(付録Dに一覧がある).
演習9.2 $v$ スピノルの規格化と完全性関係
式 \eqref{eq:9-v-normalized} の $v(p,s)$ について,本文の $u$ に対する計算をなぞって次を示せ.
(1) $\bar v(p,s)v(p,s)=-2m$,$v^\dagger(p,s)v(p,s)=2E$.
(2) $\displaystyle\sum_{s}v(p,s)\bar v(p,s) = \slashed{p}-m$.
(3) $\bar u(p,s)v(p,s')=0$(同じ4元運動量 $p$ に対して).
ヒント:(2) では $v\bar v$ のブロック計算で,左上が $(E+m)\lambda^2=E-m$,右下が $-(E+m)$,非対角が $\mp\bm{\sigma}\cdot\pp$ となる($\lambda\equiv\bm{\sigma}\cdot\pp/(E+m)$).これは $\slashed{p}-m$ に一致する.(3) は $\bar u v = (E+m)[\chi^\dagger\lambda\eta - \chi^\dagger\lambda\eta]=0$ から直ちに従う.
演習9.3 Pauli 方程式と ESR の共鳴周波数
本文 9.3.5 節の導出を自分で再現し,数値まで出す.
(1) 恒等式 $(\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b})=\bm{a}\cdot\bm{b}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ を,$\sigma^i\sigma^j=\delta^{ij}+\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ から導け.
(2) $\bm{\pi}=\pp-q\bm{A}$ に対し $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=\ii q\bm{B}$ を示せ.なぜ古典的な数ベクトルでは $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=0$ なのに,ここではゼロにならないのかを一言で説明せよ.
(3) 電子($q=-e$)について,Pauli 方程式のスピン項が($\hbar$ を戻した形で)$+\dfrac{e\hbar}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B}=g\mu_B\bm{S}\cdot\bm{B}/\hbar$($\mu_B=e\hbar/2m$,$\bm{S}=\hbar\bm{\sigma}/2$)となることを確かめ,$g=2$ を読み取れ.
(4) 電子スピン共鳴(ESR)の共鳴条件は $h\nu = g\mu_B B$ である.$g=2.0023$(自由電子),$B=0.34\ \mathrm{T}$ のときの $\nu$ を求めよ.
ヒント:(2) 演算子は互いに可換でないから.(4) $\mu_B=9.274\times10^{-24}\ \mathrm{J/T}$,$h=6.626\times10^{-34}\ \mathrm{J\,s}$ を使うと $\nu=9.53\ \mathrm{GHz}$.これがX バンド ESR 装置の周波数で,$g$ 値のわずかなずれ(軌道角運動量の混入)から,遷移金属イオンの配位環境や有機ラジカルの構造を決めるのが ESR 測定である.
演習9.4 カイラリティ射影演算子
$P_{L,R}=(1\mp\gamma^5)/2$ について次を示せ.
(1) $P_L^2=P_L$,$P_R^2=P_R$,$P_LP_R=0$,$P_L+P_R=1$.
(2) $\gamma^\mu P_L = P_R\gamma^\mu$,$\bar\psi_L=\bar\psi P_R$.
(3) $\bar\psi\psi = \bar\psi_L\psi_R+\bar\psi_R\psi_L$.
(4) 弱い相互作用の $V-A$ カレントについて $\bar\psi\gamma^\mu(1-\gamma^5)\psi = 2\,\bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L$ を示せ.
ヒント:(4) $\gamma^\mu(1-\gamma^5)=2\gamma^\mu P_L=2P_R\gamma^\mu$ なので $\bar\psi\gamma^\mu(1-\gamma^5)\psi=2(\bar\psi P_R)\gamma^\mu\psi=2\bar\psi_L\gamma^\mu\psi$.さらに $\bar\psi_L\gamma^\mu\psi_R=\bar\psi P_R\gamma^\mu P_R\psi=\bar\psi\gamma^\mu P_LP_R\psi=0$ なので右巻き成分が落ちる.これが「弱い相互作用は左巻きにしか働かない」ことの数式表現である(第12章).
演習9.5 ヘリシティ状態に含まれる「誤ったカイラリティ」
質量 $m$,運動量 $\pp$($z$ 方向),エネルギー $E$,ヘリシティ $+1$ の粒子を考える.スピノルは \eqref{eq:9-u-normalized} で $\chi$ を $\sigma_z\chi=+\chi$ にとったものである.
(1) $a\equiv\sqrt{E+m}$,$b\equiv\abs{\pp}/\sqrt{E+m}$ と書くと $u=(a\chi,\ b\chi)^T$ となることを確かめ,$u^\dagger u=a^2+b^2=2E$ を示せ.
(2) $P_{R}u$ と $P_Lu$ を計算し,$\abs{P_Ru}^2=(a+b)^2/2$,$\abs{P_Lu}^2=(a-b)^2/2$ を示せ.
(3) $ab=\abs{\pp}$ を使って,左巻きカイラリティ成分の割合が $\dfrac{\abs{P_Lu}^2}{u^\dagger u}=\dfrac{1-v}{2}$($v=\abs{\pp}/E$)となることを示せ.
(4) $E=10\ \mathrm{MeV}$ の電子($m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$)について,この割合を数値で求めよ.また $v\to1$ で $(1-v)/2\simeq m^2/(4E^2)$ となることを示し,数値が一致することを確かめよ.
ヒント:(4) $\abs{\pp}=\sqrt{100-0.2611}=9.9869\ \mathrm{MeV}$,$v=0.99869$,割合 $=6.53\times10^{-4}$.一方 $m^2/(4E^2)=0.2611/400=6.53\times10^{-4}$ で一致する.超相対論的な電子はほぼ完全に右巻きカイラリティであり,これが $\pi^+\to e^+\nu_e$ が強く抑制される理由である.
演習9.6 グラフェンの Dirac 方程式
$H=\hbar v_F(\sigma_xq_x+\sigma_yq_y)+\Delta\sigma_z$,$\hbar v_F=0.658\ \mathrm{eV\,nm}$($v_F=1.0\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$)とする.
(1) 固有値が $E=\pm\sqrt{\hbar^2v_F^2q^2+\Delta^2}$ となることを,$(\bm{d}\cdot\bm{\sigma})^2=\abs{\bm{d}}^2$ を使って示せ.
(2) $\Delta=0$ のとき固有ベクトルが $\frac{1}{\sqrt2}(1,\pm\ee^{\ii\theta_q})^T$ であることを確かめ,$\qq\to-\qq$(真後ろへの散乱)の重なり積分がゼロになることを示せ.
(3) $\Delta=0$,スピン2 × 谷2 の縮退度4のとき,単位面積あたりの状態密度が $\rho(E)=\dfrac{2\abs{E}}{\pi\hbar^2v_F^2}$ となることを示せ.
(4) $E_F=0.10\ \mathrm{eV}$ のときのキャリア密度 $n=E_F^2/(\pi\hbar^2v_F^2)$ と状態密度 $\rho(E_F)$ を,$\mathrm{cm^{-2}}$ と $\mathrm{eV^{-1}cm^{-2}}$ の単位で求めよ.
ヒント:(3) 2次元の状態数は $\kk$ 空間の面積 $\pi q^2$ を $(2\pi)^2$ で割り,縮退度4を掛ける:$n(E)=4\pi q^2/(2\pi)^2=q^2/\pi=E^2/(\pi\hbar^2v_F^2)$.これを $E$ で微分する.(4) $(\hbar v_F)^2=0.433\ \mathrm{eV^2nm^2}$.$n=0.01/1.360=7.3\times10^{-3}\ \mathrm{nm^{-2}}=7.3\times10^{11}\ \mathrm{cm^{-2}}$,$\rho=0.147\ \mathrm{eV^{-1}nm^{-2}}=1.5\times10^{13}\ \mathrm{eV^{-1}cm^{-2}}$.ゲート容量 $C_g$ の電界効果トランジスタなら $n=C_gV_g/e$ なので,$V_g$ から $E_F$ が求まる.
演習9.7 Klein トンネリングの透過率
式 \eqref{eq:9-klein},$T(\phi)=\dfrac{\cos^2\phi}{1-\cos^2(q_xD)\sin^2\phi}$ を調べる.
(1) $\phi=0$(垂直入射)のとき $T=1$ であることを示せ.障壁の高さ $V_0$ と幅 $D$ に依存しないことを確認せよ.
(2) $q_xD=n\pi$($n$ は整数)のとき,すべての入射角で $T=1$ となることを示せ(Fabry–Pérot 共鳴).
(3) $\phi=45^\circ$ のとき,$q_xD$ を変えたときの $T$ の最大値と最小値を求めよ.
(4) $E=80\ \mathrm{meV}$,$V_0=200\ \mathrm{meV}$,$D=100\ \mathrm{nm}$,$\phi=30^\circ$ とする.$k=E/(\hbar v_F)$,$k_y=k\sin\phi$,$q_x=\sqrt{(E-V_0)^2/(\hbar v_F)^2-k_y^2}$ を計算し,$T$ を数値で求めよ($\hbar v_F=0.658\ \mathrm{eV\,nm}$).なお式 \eqref{eq:9-klein} は $\abs{V_0}\gg\abs{E}$ の極限式であり,ここでの数値は $V_0/E=2.5$ にすぎないのでこの近似は粗い(障壁内の擬スピン角 $\theta=\arcsin(k_y\hbar v_F/\abs{E-V_0})=19.5^\circ$ が入射角 $\phi$ とずれる補正が効き,Katsnelson らの一般式では $T\simeq0.49$ になる).ここでは近似式 \eqref{eq:9-klein} のまま計算してよい.
ヒント:(3) 最大 $1$($\cos^2(q_xD)=1$),最小 $\cos^2 45^\circ=1/2$($\cos^2(q_xD)=0$).(4) $k=0.1215\ \mathrm{nm^{-1}}$,$k_y=0.0608\ \mathrm{nm^{-1}}$,$(E-V_0)/\hbar v_F=-0.1823\ \mathrm{nm^{-1}}$,$q_x=0.1719\ \mathrm{nm^{-1}}$,$q_xD=17.19\ \mathrm{rad}$,$\cos(q_xD)=-0.0846$.よって $T=0.75/(1-0.00715\times0.25)=0.751$.すなわち近似式のうえでは幅 $100\ \mathrm{nm}$ の高い障壁を $75\%$ が通り抜ける.上述のとおり一般式で計算すると $T\simeq0.49$ と半分ほどになるが,それでも約 $50\%$ が透過する——障壁幅に対して指数的に減衰する Schrödinger 粒子ならありえない値である.
演習9.8 BdG 方程式,コヒーレンス因子,Majorana 条件
$H_{\text{BdG}}=\xi\tau_z+\Delta\tau_x$($\Delta$ は実)について.
(1) 固有値が $E=\pm\sqrt{\xi^2+\Delta^2}$ であることを,$\tau_z$ と $\tau_x$ が反交換することだけを使って示せ.
(2) 正エネルギー固有ベクトルを $(u,v)^T$ と書くとき,$u^2=\frac12(1+\xi/E)$,$v^2=\frac12(1-\xi/E)$ を示せ.$\xi\to+\infty$,$\xi\to-\infty$,$\xi=0$ の3つの極限で $(u,v)$ がどうなるかを述べ,物理的に解釈せよ.
(3) $\Xi=\tau_y\mathcal{K}$($\mathcal{K}$ は複素共役)について $\Xi H\Xi^{-1}=-H$ を示し,スペクトルが $E=0$ に関して対称であることを結論せよ.
(4) Al($T_c=1.20\ \mathrm{K}$,$v_F=2.03\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$)について,BCS 弱結合の関係 $\Delta=1.764\,k_BT_c$ からギャップを $\mathrm{meV}$ 単位で求めよ.さらに,Dirac 方程式で「質量 $m$ に対する換算 Compton 波長 $\bar\lambda_C=\hbar/mc$」に相当する量が超伝導では「コヒーレンス長 $\xi_0=\hbar v_F/(\pi\Delta)$」であることに注意して,$\xi_0$ を求めよ.
(5) 電子の静止エネルギー $511\ \mathrm{keV}$ と (4) のギャップの比を求め,「同じ方程式が何桁のスケール差にまたがっているか」を述べよ.
ヒント:(2) $\xi\to+\infty$ で $(u,v)\to(1,0)$:純粋な電子.$\xi\to-\infty$ で $(0,1)$:純粋な正孔.$\xi=0$ で $(1,1)/\sqrt2$:電子と正孔が半々に混ざる(電荷中性).$E=0$ の孤立モードならこれが $\gamma=\gamma^\dagger$ になる.(4) $k_B=8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}$ より $\Delta=1.764\times8.617\times10^{-5}\times1.20=1.82\times10^{-4}\ \mathrm{eV}=0.182\ \mathrm{meV}$.$\xi_0=(6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s})(2.03\times10^{6}\ \mathrm{m/s})/(\pi\times1.82\times10^{-4}\ \mathrm{eV})=2.3\ \mathrm{\mu m}$(Al の文献値 $1.6\ \mathrm{\mu m}$ と同程度).(5) $511\times10^{3}/1.82\times10^{-4}=2.8\times10^{9}$,およそ9.4桁.一方,電子の換算 Compton 波長 $\bar\lambda_C=386\ \mathrm{fm}$ と $\xi_0=2.3\ \mathrm{\mu m}$ の比は $6.0\times10^{6}$(約6.8桁)で,エネルギー比とは一致しない.差の約2.7桁の内訳は $\xi_0/\bar\lambda_C=(v_F/c)\,m_ec^2/(\pi\Delta)$ から読める:「光速」の役を $c$ ではなく $v_F$ が担うことによる $v_F/c=6.8\times10^{-3}$ が 2.2 桁,残る 0.5 桁はコヒーレンス長の定義に入る $1/\pi$ の寄与である.
参考文献
- D. Griffiths『素粒子物理学』(原著 Introduction to Elementary Particles, 2nd ed., Wiley-VCH, 2008)第7章「量子電気力学」7.1–7.4節.本章の底本.
- P. A. M. Dirac, "The Quantum Theory of the Electron", Proc. R. Soc. Lond. A 117, 610 (1928). —— 原論文.驚くほど読みやすい.
- M. E. Peskin, D. V. Schroeder, An Introduction to Quantum Field Theory, Westview (1995), Chapter 3. —— スピノルと Lorentz 群の関係,Weyl 表示の扱いが詳しい.
- A. H. Castro Neto, F. Guinea, N. M. R. Peres, K. S. Novoselov, A. K. Geim, "The electronic properties of graphene", Rev. Mod. Phys. 81, 109 (2009). —— 9.7.1–9.7.2 節の標準的な総説.
- M. I. Katsnelson, K. S. Novoselov, A. K. Geim, "Chiral tunnelling and the Klein paradox in graphene", Nature Physics 2, 620 (2006). —— 式 \eqref{eq:9-klein} の出典.
- N. P. Armitage, E. J. Mele, A. Vishwanath, "Weyl and Dirac semimetals in three-dimensional solids", Rev. Mod. Phys. 90, 015001 (2018). —— Weyl 半金属とカイラル異常の総説.
- Y. Nambu, "Quasi-Particles and Gauge Invariance in the Theory of Superconductivity", Phys. Rev. 117, 648 (1960). —— Nambu スピノルの原論文.超伝導から自発的対称性の破れへ至る道筋(第13章)の出発点でもある.