素粒子物理学入門 — 目次 第II部 対称性と運動学 / 第7章

第7章束縛状態 — 水素からハドロンまで

ここまでの章では,粒子は自由に飛んでいるか,一瞬ぶつかって別れるかのどちらかだった.しかし自然界で我々が目にする物質は,ほとんどすべてが束縛状態である.原子は電子が原子核に束縛されたものであり,原子核は核子が束縛されたものであり,その核子自身がクォークの束縛状態である.束縛状態を理解しないかぎり,物質を理解したことにはならない.

本章の戦略は単純である.材料科学者がすでに完璧に知っている水素原子から出発し,同じ道具でハドロンまで登る.使う道具はたった一つ,2体問題の Schrödinger 方程式である.

$$ \left[-\frac{1}{2\mu}\nabla^2 + V(r)\right]\psi(\bm{r}) = E\,\psi(\bm{r}), \qquad \mu = \frac{m_1 m_2}{m_1+m_2} $$

変わるのは,換算質量 $\mu$ とポテンシャル $V(r)$ だけである.電子と陽子なら $\mu\simeq m_e$,$V=-\alpha/r$ で水素原子.電子と陽電子なら $\mu = m_e/2$ でポジトロニウム.半導体中の電子と正孔なら $\mu\sim 0.06\,m_0$,$V=-e^2/(4\pi\epsilon_0\epsilon_r r)$ でWannier 励起子.チャームクォークと反チャームクォークなら $\mu = m_c/2$,$V=-\tfrac{4}{3}\alpha_s/r + a r$ でチャーモニウム.束縛エネルギーは $4\ \mathrm{meV}$(GaAs の励起子)から $1\ \mathrm{GeV}$(ボトモニウム)まで11桁も違うのに,方程式は同じである.これが本章で味わってほしい統一感である.

もう一つ本章の主題がある.束縛状態は「エネルギー準位の微細な構造」という形で,そこに働く相互作用の詳細を露出させる.水素の $10.97\ \mathrm{GHz}$ の微細構造は相対論を,$1058\ \mathrm{MHz}$ の Lamb シフトは真空の量子ゆらぎ(第10章のくりこみ)を,$1420\ \mathrm{MHz}$ の超微細分裂は陽子の磁気モーメントを,それぞれ我々に教えてくれる.同じ論理で,$J/\psi$ と $\eta_c$ の $113\ \mathrm{MeV}$ の質量差はクォーク間のスピン・スピン相互作用の強さを教え,$\Delta^{++}$ の存在そのものが色(カラー)の自由度が必要であることを教える.準位は,理論を検定する定規なのである.

そして材料科学との接点は,比喩ではなく実務そのものである.陽電子消滅寿命測定(PALS)は,ポジトロニウムの $125\ \mathrm{ps}$/$142\ \mathrm{ns}$ という寿命の差を利用して,金属中の空孔濃度を ppm 単位で,高分子中の自由体積を Å$^3$ 単位で測る,実在の材料評価手法である.本章ではその原理を式で書き下す.

この章で学ぶこと
  • 2体問題が換算質量 $\mu$ の1体問題に帰着すること,動径方程式の導出
  • 水素原子の Bohr エネルギー $E_n = -\tfrac{1}{2}\mu\alpha^2/n^2$ を自然単位系で導くこと
  • 微細構造の3つの起源(相対論補正・スピン軌道結合・Darwin 項)と,それらが $j$ だけで決まる理由
  • Lamb シフトが真空偏極と自己エネルギーから来ること,真空偏極の寄与 $-27\ \mathrm{MHz}$ を自分で計算すること
  • 超微細分裂と $21\ \mathrm{cm}$ 線 —— Fermi 接触項から $1421\ \mathrm{MHz}$ を出す
  • ポジトロニウムの基底状態が $-6.80\ \mathrm{eV}$ であること,超微細分裂が水素の $143$ 倍大きい理由(仮想消滅項)
  • para/ortho ポジトロニウムの寿命 $125\ \mathrm{ps}$/$142\ \mathrm{ns}$ を $\alpha^5$・$\alpha^6$ の次元解析から出すこと
  • 材料科学との接点:PALS による空孔・自由体積測定,Tao–Eldrup 式,$S$ パラメータ,$\mu$SR とミュオニウム
  • Cornell ポテンシャル $V(r) = -\tfrac{4}{3}\alpha_s/r + ar$ と,チャーモニウム・ボトモニウムの準位
  • クォーコニウムのスピン・スピン分裂($J/\psi$–$\eta_c$,$\Upsilon$–$\eta_b$)と $\abs{\psi(0)}^2$
  • 擬スカラー/ベクトル中間子九重項,Gell-Mann–Okubo 質量公式,$\eta$–$\eta'$ 混合角
  • バリオンの波動関数が色・フレーバー・スピン・空間の積で全体として反対称になること,$\Delta^{++}$ が色を要求すること
  • クォーク模型による磁気モーメントの予言 $\mu_n/\mu_p = -2/3$ と実測 $-0.685$ の比較
  • 材料科学との接点:Wannier 励起子・量子ドット・超微細結合定数を同じ枠組みで見ること
前提:非相対論的量子力学(水素原子の解,角運動量の合成,摂動論).第3章の四つの力と結合定数の大きさ.第5章の $\mathrm{SU}(2)$・$\mathrm{SU}(3)$ 表現論(九重項・十重項の構成に使う).第6章の $P$・$C$ の乗法量子数($J^{PC}$ の割り当てに使う).クォークの色力学の本格的な扱いは第11章,くりこみは第10章で行うので,本章では結果だけを先取りして使う.結晶中の励起子については『固体物理学入門』第17章「半導体」と『線形応答理論入門』第9章も参照されたい.

7.1 Schrödinger 方程式と2体問題

7.1.1 なぜ非相対論から始めるのか

素粒子物理の教科書で,いまさら Schrödinger 方程式から始めるのは奇妙に見えるかもしれない.しかし理由がある.束縛状態というのは,構成粒子が互いの周りをゆっくり回っている状態だからである.

目安を作ろう.Coulomb 型の束縛では,Virial 定理から $\braket{v}\sim \alpha_{\text{eff}}$(自然単位系では速度は無次元で $c=1$)となる.水素原子なら $\braket{v}/c \simeq \alpha = 1/137$,すなわち光速の $0.7\%$ である.チャーモニウムでは $\braket{v^2}/c^2 \simeq 0.25$,ボトモニウムでは $\simeq 0.1$ 程度.いずれも「そこそこ非相対論的」であり,相対論効果を摂動として扱う道が開ける.

なぜ$\alpha$が速度になるのか

Bohr 半径は $a = 1/(\mu\alpha)$,そこでの運動量は不確定性関係から $p\sim 1/a = \mu\alpha$,したがって速度は $v = p/\mu = \alpha$ である.結合定数がそのまま速度になる.

これは重要な経験則で,結合定数が小さい束縛系は非相対論的,大きい束縛系は相対論的である.軽いクォークからできた $\pi$ 中間子($m_\pi = 139.6\ \mathrm{MeV}$ に対し構成クォーク質量 $\sim336\ \mathrm{MeV}$ が2つ)が本章の枠組みで扱えないのは,まさにこの理由による.$\pi$ 中間子は 7.5 節で別の観点(カイラル対称性の南部–Goldstone ボソン,第13章)から見る.

7.1.2 重心座標と相対座標

質量 $m_1,m_2$ の2粒子が,相対距離だけに依存するポテンシャル $V(\abs{\bm{r}_1-\bm{r}_2})$ で相互作用しているとする.Hamiltonian は

$$ \begin{equation} H = \frac{\bm{p}_1^2}{2m_1} + \frac{\bm{p}_2^2}{2m_2} + V(\abs{\bm{r}_1-\bm{r}_2}) \label{eq:7-2body} \end{equation} $$

導出:2体問題 → 換算質量の1体問題

ステップ1:新しい座標を定義する.重心座標 $\bm{R}$ と相対座標 $\bm{r}$ を

$$ \bm{R} \equiv \frac{m_1\bm{r}_1 + m_2\bm{r}_2}{m_1+m_2}, \qquad \bm{r} \equiv \bm{r}_1 - \bm{r}_2 $$

と置く.逆に解くと $\bm{r}_1 = \bm{R} + \dfrac{m_2}{M}\bm{r}$,$\bm{r}_2 = \bm{R} - \dfrac{m_1}{M}\bm{r}$($M\equiv m_1+m_2$)である.

ステップ2:運動エネルギーを書き換える.時間微分して速度を求めると $\dot{\bm{r}}_1 = \dot{\bm{R}} + (m_2/M)\dot{\bm{r}}$,$\dot{\bm{r}}_2 = \dot{\bm{R}} - (m_1/M)\dot{\bm{r}}$.これを $T = \tfrac12 m_1\dot{\bm{r}}_1^2 + \tfrac12 m_2\dot{\bm{r}}_2^2$ に代入する:

$$ T = \tfrac12 m_1\left(\dot{\bm{R}} + \tfrac{m_2}{M}\dot{\bm{r}}\right)^2 + \tfrac12 m_2\left(\dot{\bm{R}} - \tfrac{m_1}{M}\dot{\bm{r}}\right)^2 $$

交差項は $m_1 (m_2/M) - m_2(m_1/M) = 0$ で消える.これが重心座標を選んだご利益である.残るのは

$$ T = \tfrac12 (m_1+m_2)\dot{\bm{R}}^2 + \tfrac12 \frac{m_1 m_2^2 + m_2 m_1^2}{M^2}\dot{\bm{r}}^2 = \tfrac12 M\dot{\bm{R}}^2 + \tfrac12 \mu\,\dot{\bm{r}}^2 $$

ここで最後の変形に $m_1m_2^2 + m_2m_1^2 = m_1m_2(m_1+m_2) = m_1m_2 M$ を使い,

$$ \begin{equation} \mu \equiv \frac{m_1 m_2}{m_1+m_2} \qquad\left(\text{すなわち}\ \frac{1}{\mu} = \frac{1}{m_1}+\frac{1}{m_2}\right) \label{eq:7-mu} \end{equation} $$

を換算質量と定義した.

ステップ3:量子化する.正準運動量は $\bm{P} = M\dot{\bm{R}}$,$\bm{p} = \mu\dot{\bm{r}}$ であり,$[\,R_i,P_j\,]=\ii\delta_{ij}$,$[\,r_i,p_j\,]=\ii\delta_{ij}$ が成り立つ(変換が正準変換であることによる).したがって

$$ \begin{equation} H = \frac{\bm{P}^2}{2M} + \left[\frac{\bm{p}^2}{2\mu} + V(r)\right] \label{eq:7-Hsep} \end{equation} $$

ステップ4:変数分離.\eqref{eq:7-Hsep} の第1項は $\bm{R}$ にしか,角括弧の中は $\bm{r}$ にしか依らないので,波動関数は $\Psi(\bm{R},\bm{r}) = \ee^{\ii\bm{P}\cdot\bm{R}}\psi(\bm{r})$ と積に分解する.重心はただ自由に飛ぶだけであり,内部構造をすべて担うのは

$$ \begin{equation} \left[-\frac{1}{2\mu}\nabla^2 + V(r)\right]\psi(\bm{r}) = E\,\psi(\bm{r}) \label{eq:7-schr} \end{equation} $$

である.これで2体問題が,質量 $\mu$ の粒子が固定された力の中心の周りを動く1体問題に化けた.

(a) 2体問題:2つの粒子が互いの周りを回る m₁ (r₁) m₂ (r₂) 重心 R r = r₁ − r₂ 自由度 6 個(r₁ と r₂).ポテンシャルは |r₁ − r₂| だけの関数. ⇒ (b) 換算質量 μ の1体問題 重心は等速直線運動 → 捨てる P/M 力の中心(固定) μ r 1/μ = 1/m₁ + 1/m₂ .m₂ → ∞ なら μ → m₁ (無限に重い核の近似). m₁ = m₂ = m なら μ = m/2 (ポジトロニウム・クォーコニウム).
図7.1 2体問題の1体問題への帰着.重心運動と相対運動が完全に分離し,内部構造(エネルギー準位)はすべて換算質量 $\mu$ をもつ相対座標の問題に押し込まれる.$\mu$ が変わればエネルギースケールがそのまま変わる:水素の $\mu\simeq m_e$ に対し,ポジトロニウムは $\mu = m_e/2$ なので束縛エネルギーがちょうど半分になる.

7.1.3 中心力場と動径方程式

$V$ が $r=\abs{\bm{r}}$ だけの関数なら,系は回転対称である.第5章で見たように,回転対称性は角運動量 $\bm{L}$ の保存を意味し,$[H,\bm{L}^2]=[H,L_z]=0$ が成り立つ.したがって $H,\bm{L}^2,L_z$ の同時固有関数がとれる:

$$ \begin{equation} \psi_{n\ell m}(\bm{r}) = R_{n\ell}(r)\,Y_{\ell}^{m}(\theta,\varphi) \label{eq:7-sep} \end{equation} $$

球面調和関数 $Y_\ell^m$ は $\bm{L}^2 Y_\ell^m = \ell(\ell+1)Y_\ell^m$,$L_z Y_\ell^m = m Y_\ell^m$ を満たす.Laplacian を球座標で書くと

$$ \nabla^2 = \frac{1}{r^2}\frac{\partial}{\partial r}\left(r^2\frac{\partial}{\partial r}\right) - \frac{\bm{L}^2}{r^2} $$

であるから,\eqref{eq:7-schr} に \eqref{eq:7-sep} を代入して $Y_\ell^m$ を消すと,動径方程式

$$ \begin{equation} -\frac{1}{2\mu}\frac{1}{r^2}\frac{\dd}{\dd r}\left(r^2\frac{\dd R}{\dd r}\right) + \left[V(r) + \frac{\ell(\ell+1)}{2\mu r^2}\right] R = E\,R \label{eq:7-radial} \end{equation} $$

を得る.さらに $u(r)\equiv rR(r)$ と置くと,1次元の Schrödinger 方程式そのものの形になる:

$$ \begin{equation} -\frac{1}{2\mu}\frac{\dd^2 u}{\dd r^2} + \underbrace{\left[V(r) + \frac{\ell(\ell+1)}{2\mu r^2}\right]}_{\displaystyle V_{\text{eff}}(r)} u = E\,u, \qquad u(0)=0 \label{eq:7-radial-u} \end{equation} $$

本章で扱う束縛系はすべて \eqref{eq:7-radial-u} に $V(r)$ を入れるだけで済む.違いは $V$ と $\mu$ だけである.

数学ノート:遠心力障壁と $\ell=0$ の特別扱い

$V_{\text{eff}}$ の第2項 $\ell(\ell+1)/(2\mu r^2)$ は遠心力障壁である.$\ell\ge1$ では $r\to0$ で $+\infty$ に発散するので,波動関数は原点から追い出される:$R_{n\ell}(r)\propto r^\ell$ より $\abs{\psi(0)}^2 = 0$ である.

$\ell=0$($s$ 波)だけが $\abs{\psi(0)}^2\ne0$ を持つ.この一点が本章で何度も効いてくる.超微細分裂(Fermi 接触項),Darwin 項,Lamb シフト,ポジトロニウムの消滅率,クォーコニウムのレプトン対崩壊幅 —— これらはすべて $\abs{\psi(0)}^2$ に比例するので,$s$ 波状態にしか現れない.「2つの粒子が同じ場所にいる確率」が効く物理は,すべてここに集まる.

7.2 水素原子 — 4つの階層

7.2.1 Bohr 準位($O(\alpha^2)$)

まず粗い描像から始める.電子と陽子の間の Coulomb ポテンシャルは,自然単位系($\hbar=c=1$,Heaviside–Lorentz 単位で $e^2/4\pi=\alpha$)で

$$ \begin{equation} V(r) = -\frac{\alpha}{r},\qquad \alpha = \frac{1}{137.036} \label{eq:7-coulomb} \end{equation} $$

である.よく知られた解は

$$ \begin{equation} E_n = -\frac{\mu\alpha^2}{2n^2},\qquad n=1,2,3,\dots \label{eq:7-bohr} \end{equation} $$

Bohr 半径は $a = 1/(\mu\alpha)$ である.$\mu\simeq m_e$ とすれば

$$ E_1 = -\tfrac12 (0.511\times10^6\ \mathrm{eV})\times(1/137.036)^2 = -13.606\ \mathrm{eV} $$

となり,Rydberg エネルギー $\mathrm{Ry}$ を再現する.陽子が無限に重くないことを換算質量で補正すると

$$ \mu = \frac{m_e m_p}{m_e+m_p} = \frac{m_e}{1+m_e/m_p} = \frac{m_e}{1+1/1836.15}, \qquad E_1 = -13.6057\times0.999456 = -13.5983\ \mathrm{eV} $$

実測の水素のイオン化エネルギー $13.5984\ \mathrm{eV}$ と合う.ここまでは学部の量子力学である.

物理的意味:$\alpha$ のべきで整理する

本節以降,水素のエネルギー準位を $\alpha$ のべきで階層化して眺める.これが本章のいちばん大事な考え方である.

段差は一様ではなく,段ごとに書き分ける必要がある.Bohr 準位から微細構造へは $\alpha^2\simeq5.3\times10^{-5}$,微細構造から Lamb シフトへは $\alpha\simeq7.3\times10^{-3}$(実際には $1/\pi$ と Bethe 対数が掛かるので $10^{-2}$ 程度),微細構造から超微細構造へは $m_e/m_p\simeq5.4\times10^{-4}$ ほど小さい.「$\alpha$ で展開する」というのが素粒子物理の基本作法であり,水素原子はその最良の教室である.

7.2.2 微細構造($O(\alpha^4)$)— 3つの起源

相対論的効果を $v/c$ で展開すると,$O(v^2/c^2)$ で3つの項が現れる.順に見よう.

導出(1):相対論的運動エネルギー補正

相対論的エネルギーは $E = \sqrt{p^2+m^2}$ である(第4章).これを $p/m$ で展開する:

$$ \sqrt{p^2+m^2} = m\sqrt{1+\frac{p^2}{m^2}} = m\left[1 + \frac{1}{2}\frac{p^2}{m^2} - \frac{1}{8}\frac{p^4}{m^4} + \cdots\right] = m + \frac{p^2}{2m} - \frac{p^4}{8m^3} + \cdots $$

静止エネルギー $m$ は基準にとって捨て,第2項が普通の運動エネルギー.したがって最初の相対論補正は

$$ \begin{equation} H_{\text{rel}} = -\frac{\bm{p}^4}{8m^3} \label{eq:7-Hrel} \end{equation} $$

大きさの見積り:$\braket{p^2/2m}\sim\alpha^2 m$ だから $\braket{p^4/8m^3}\sim \alpha^4 m$.期待どおり微細構造のスケールである.符号は負,すなわちすべての準位を下げる.速く動く電子ほど(=内側にいる小さい $\ell$ の状態ほど)大きく下がる.

期待値を計算すると($\braket{1/r}=1/(n^2a)$,$\braket{1/r^2}=1/[(\ell+\tfrac12)n^3a^2]$ を使う)

$$ \braket{H_{\text{rel}}} = -\frac{(E_n)^2}{2m}\left[\frac{4n}{\ell+\tfrac12}-3\right] $$

導出(2):スピン軌道結合と Thomas 因子

ステップ1:電子から見た磁場.電子の静止系に移ると,陽子が電子の周りを回っているように見える.その円電流が作る磁場は,Biot–Savart 則から

$$ \bm{B} = -\frac{\bm{v}\times\bm{E}}{c^2} \quad\longrightarrow\quad \bm{B} = \frac{1}{e\,m}\frac{1}{r}\frac{\dd V}{\dd r}\,\bm{L} $$

($\bm{E} = -(\bm{r}/r)(\dd V/\dd r)/(-e)$ と $\bm{L}=m\bm{r}\times\bm{v}$ を使った.自然単位系で $c=1$.)

ステップ2:電子のスピン磁気モーメントとの結合.電子の磁気モーメントは $\bm{\mu}_e = -g_e (e/2m)\bm{S}$,$g_e\simeq2$(第9章の Dirac 方程式が $g=2$ を予言する).結合エネルギーは $-\bm{\mu}_e\cdot\bm{B} = (e/m)\bm{S}\cdot\bm{B}$($g_e=2$)で,$\bm{B}$ の中の $1/e$ と約分して電荷が消え,

$$ H_{\text{SO}}^{(\text{naive})} = \frac{1}{m^2}\frac{1}{r}\frac{\dd V}{\dd r}\,\bm{S}\cdot\bm{L} $$

ステップ3:Thomas 歳差(因子 $1/2$).ここで有名な落とし穴がある.電子の静止系は加速度運動しているので,慣性系ではない.2つの非平行な Lorentz ブーストの合成が純粋なブーストにならず回転を伴うこと(Wigner 回転)から,スピンの歳差に余分な寄与が出る.これを正しく扱うと上式がちょうど半分になる:

$$ \begin{equation} H_{\text{SO}} = \frac{1}{2m^2}\frac{1}{r}\frac{\dd V}{\dd r}\,\bm{S}\cdot\bm{L} = \frac{\alpha}{2m^2 r^3}\,\bm{S}\cdot\bm{L} \label{eq:7-HSO} \end{equation} $$

(最後は $V=-\alpha/r$ より $\dd V/\dd r = \alpha/r^2$.)第9章で Dirac 方程式を非相対論展開すれば,Thomas 因子は自動的に出てくる.

ステップ4:$\bm{S}\cdot\bm{L}$ の固有値.全角運動量を $\bm{J}=\bm{L}+\bm{S}$ とすると $\bm{J}^2 = \bm{L}^2+\bm{S}^2+2\bm{L}\cdot\bm{S}$ より

$$ \begin{equation} \braket{\bm{S}\cdot\bm{L}} = \tfrac12\left[j(j+1)-\ell(\ell+1)-s(s+1)\right] \label{eq:7-SL} \end{equation} $$

この形は本章で繰り返し使う(クォーコニウムでも,バリオンでも同じ式である).

導出(3):Darwin 項 — 電子の「ふるえ」

3つめは古典的対応物を持たない,純粋に相対論的量子効果である.Dirac 方程式では,位置演算子が高速に振動する成分(Zitterbewegung,ふるえ運動)を含む.その振幅は Compton 波長 $\lambda_C = 1/m$ 程度である.

ステップ1:ポテンシャルをスメアする.電子が $\lambda_C$ の広がりでぼやけているなら,感じるポテンシャルはその範囲での平均になる.$\bm{\delta}$ をゆらぎとして Taylor 展開すると

$$ \braket{V(\bm{r}+\bm{\delta})} = V(\bm{r}) + \braket{\bm\delta}\cdot\nabla V + \tfrac12\braket{\delta_i\delta_j}\partial_i\partial_j V + \cdots $$

$\braket{\bm\delta}=0$,$\braket{\delta_i\delta_j} = \tfrac13\braket{\delta^2}\delta_{ij}$ と等方性を仮定すれば,補正は $\tfrac16\braket{\delta^2}\nabla^2 V$ である.

ステップ2:係数を Dirac 方程式から取る.厳密な計算(第9章)は $\braket{\delta^2}\to\tfrac{3}{4m^2}$ に相当する係数を与え,

$$ \begin{equation} H_{\text{Darwin}} = \frac{1}{8m^2}\nabla^2 V = \frac{\alpha}{8m^2}\nabla^2\!\left(-\frac{1}{r}\right) = \frac{\pi\alpha}{2m^2}\,\delta^3(\bm{r}) \label{eq:7-Darwin} \end{equation} $$

ここで $\nabla^2(1/r) = -4\pi\delta^3(\bm{r})$(付録A)を使った.

ステップ3:$\ell=0$ にしか効かない.デルタ関数だから期待値は $\abs{\psi(0)}^2$ に比例する.7.1.3 項で述べたとおり,これは $s$ 波だけである:

$$ \braket{H_{\text{Darwin}}} = \frac{\pi\alpha}{2m^2}\abs{\psi_{n00}(0)}^2 = \frac{\pi\alpha}{2m^2}\cdot\frac{1}{\pi n^3 a^3} = \frac{\alpha^4 m}{2n^3} \qquad(\ell=0\ \text{のみ}) $$

符号は正で,$s$ 波準位を持ち上げる.物理的には,ぼやけた電子は原点の深い井戸を「均して」感じるので,束縛が弱まるのである.

微細構造の結果:$j$ だけで決まる

3つの寄与 \eqref{eq:7-Hrel}, \eqref{eq:7-HSO}, \eqref{eq:7-Darwin} を足すと,$\ell$ 依存性が奇跡的に打ち消し合い,全角運動量 $j$ だけの関数になる:

$$ \begin{equation} E_{nj} = E_n\left[1 + \frac{\alpha^2}{n^2}\left(\frac{n}{j+\tfrac12}-\frac{3}{4}\right)\right] \label{eq:7-fine} \end{equation} $$

これは Dirac 方程式の厳密解(Sommerfeld の公式)を $\alpha^2$ まで展開したものと一致する.$\ell$ が消えるのは偶然ではなく,Coulomb 問題の隠れた対称性($\mathrm{SO}(4)$,Runge–Lenz ベクトル)の名残である.

帰結:$2S_{1/2}$ と $2P_{1/2}$ は縮退する.Dirac 理論の範囲では,同じ $n$,同じ $j$ の状態は $\ell$ が違っても厳密に同じエネルギーを持つ.この縮退を破るのが,次項の Lamb シフトである.

数値例:$n=2$ の微細構造分裂

\eqref{eq:7-fine} で $n=2$,$E_2 = -3.4015\ \mathrm{eV}$,$\alpha^2 = 5.3251\times10^{-5}$ とする.

$j=1/2$($2S_{1/2}, 2P_{1/2}$):$\dfrac{2}{1}-\dfrac34 = 1.25$.$\Delta E = -3.4015\times\dfrac{5.3251\times10^{-5}}{4}\times1.25 = -5.660\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$

$j=3/2$($2P_{3/2}$):$\dfrac{2}{2}-\dfrac34 = 0.25$.$\Delta E = -1.132\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$

分裂幅は

$$ E(2P_{3/2})-E(2P_{1/2}) = 4.528\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = \frac{4.528\times10^{-5}}{4.1357\times10^{-15}}\ \mathrm{Hz} = 10.95\ \mathrm{GHz} $$

実測値は $10.969\ \mathrm{GHz}$($0.365\ \mathrm{cm^{-1}}$).波長にすると $2.7\ \mathrm{cm}$ のマイクロ波である.

7.2.3 Lamb シフト($O(\alpha^5)$)— 真空が準位を動かす

1947年,Lamb と Retherford はマイクロ波分光により,$2S_{1/2}$ が $2P_{1/2}$ より 約 $1000\ \mathrm{MHz}$ だけ高いことを見出した(現在の精密値は $1057.845(9)\ \mathrm{MHz}$.この桁まで決まったのは1950年代の Triebwasser–Dayhoff–Lamb による再測定以降である).Dirac 理論はこの2つが厳密に縮退することを予言していたから,これは理論の破綻である.同年 Shelter Island 会議でこの結果が報告され,Bethe が帰りの列車の中で非相対論的な計算をやってのけ,$1040\ \mathrm{MHz}$ という数字を出した.これが量子電磁力学のくりこみの出発点となった.

原因は2つある.

(a) 自己エネルギー:電子が光子を出して吸う e⁻ γ (仮想) 原子核の Coulomb 場 効果:電子がゆらいで実効的に広がり,深い井戸(s 波)を 均して感じる → 準位が上がる (+1010 MHz) (b) 真空偏極:光子が e⁺e⁻ 対になる e⁻ e⁺e⁻ ループ 原子核 効果:真空の e⁺e⁻ 対が核電荷を遮蔽する → 近距離ほど電荷が大きく見え,s 波が下がる (−27 MHz)
図7.2 Lamb シフトを生む2つの放射補正.時間は左から右へ流れる(電子の直線上の三角が運動の向き).(a) 電子が仮想光子を放出して吸収し直す自己エネルギー.(b) 束縛を媒介する仮想光子が電子・陽電子対に一度化ける真空偏極.どちらも第10章でくりこみの手続きとともに定量化する.いずれの効果も主として $\delta^3(\bm{r})$ 型の実効ポテンシャルを生むので,$s$ 波を大きくずらす($2P_{1/2}$ も異常磁気能率によって約 $13\ \mathrm{MHz}$ 下がるが,$2S_{1/2}$ のシフトに比べれば小さい).これが $2S_{1/2}$–$2P_{1/2}$ の縮退を破る.

導出:真空偏極の寄与を自分で出す($-27\ \mathrm{MHz}$)

ステップ1:Uehling ポテンシャル.第10章で計算するように,$e^+e^-$ ループを1つ含む補正は,光子の伝播関数に $q^2$ 依存の因子を掛ける.$\abs{q}\ll m_e$(原子のスケール)では,補正は接触項に縮退し,実効ポテンシャルは

$$ \begin{equation} \delta V_{\text{VP}}(\bm{r}) = -\frac{4\alpha^2}{15\,m_e^2}\,\delta^3(\bm{r}) \label{eq:7-uehling} \end{equation} $$

となる(Uehling 項).係数 $4/15$ は,1ループの真空偏極関数を $q^2\to0$ で展開した係数である.

ステップ2:符号の物理.デルタ関数の係数が負なのは,原点で引力が強くなることを意味する($V$ が下がる).真空の $e^+e^-$ 対が核電荷を遮蔽しているため,核に近づくほど「裸の電荷」が見えて引力が増す,という描像である.誘電体の中の電荷の遮蔽と同じ論理であり,しかも符号も同じ(第10章の走る結合定数).

ステップ3:期待値をとる.$s$ 波でのみゼロでなく,$\abs{\psi_{n00}(0)}^2 = 1/(\pi n^3 a^3)$,$a = 1/(m_e\alpha)$ より

$$ \Delta E_{\text{VP}} = -\frac{4\alpha^2}{15 m_e^2}\cdot\frac{m_e^3\alpha^3}{\pi n^3} = -\frac{4}{15\pi}\frac{\alpha^5 m_e}{n^3} $$

ステップ4:数値を入れる.$\alpha^5 m_e c^2 = 1.0574\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$,$n=2$:

$$ \Delta E_{\text{VP}} = -\frac{4}{15\pi}\cdot\frac{1.0574\times10^{-5}}{8}\ \mathrm{eV} = -1.1220\times10^{-7}\ \mathrm{eV} = -27.1\ \mathrm{MHz} $$

文献値 $-27.1\ \mathrm{MHz}$ と一致する.真空偏極は $2S$ 準位を下げるので,観測される $2S$ が $2P$ より高いことに対しては逆向きに効いている.

導出:$2S$ 準位の1ループ全補正(自己エネルギー+異常磁気能率+真空偏極)

ステップ1:ゆらぐ電子.電子は自分が作る電磁場のゆらぎに揺さぶられて,位置が $\braket{(\delta r)^2}$ だけ広がる.Darwin 項と同じ論理でポテンシャルをスメアすると

$$ \Delta E = \tfrac16\braket{(\delta r)^2}\braket{\nabla^2 V} = \tfrac16\braket{(\delta r)^2}\cdot 4\pi\alpha\abs{\psi(0)}^2 $$

ステップ2:ゆらぎの大きさ.振動数 $\omega$ の真空ゆらぎに対する強制振動の振幅は $\delta r_\omega \sim eE_\omega/(m\omega^2)$.真空の零点エネルギーを足し上げると,対数的に発散する積分

$$ \braket{(\delta r)^2} \sim \frac{2\alpha}{\pi m_e^2}\int \frac{\dd\omega}{\omega} $$

が現れる.ここが問題の核心である.

ステップ3:カットオフを物理で決める(くりこみの原型).Bethe の慧眼は,この対数発散が「自由電子でも起きる質量の繰り込み」であって,束縛エネルギーの差には効かないと見抜いたことにある.差をとると積分は自然に切れて,上限は $\omega\sim m_e$(相対論的領域),下限は典型的な原子の励起エネルギー $\braket{\omega}_{\text{Bethe}}$ になる.結果を,あとから確定した相対論的な定数項まで含めて書くと

$$ \begin{equation} \Delta E_{1\text{loop}}(nS) = \frac{4\alpha^5 m_e}{3\pi n^3} \left[\ln\frac{1}{\alpha^2} - \ln\frac{k_0}{\mathrm{Ry}} + \frac{19}{30}\right] \qquad(\ell=0) \label{eq:7-lamb-se} \end{equation} $$

$\ln(k_0/\mathrm{Ry}) = 2.812$ が $2S$ 状態のBethe 対数(数値的に評価される定数)である.

括弧の中の定数 $19/30$ は,1949年以降の完全な1ループ計算(Kroll–Lamb,French–Weisskopf)で確定したもので,

$$ \frac{19}{30} = \underbrace{\frac{11}{24}}_{\text{自己エネルギー本体}} + \underbrace{\frac38}_{\text{異常磁気能率}} - \underbrace{\frac15}_{\text{真空偏極}} $$

と分解される.つまり \eqref{eq:7-lamb-se} は自己エネルギーだけの式ではなく,$2S$ 準位が受ける1ループ補正の全体であり,前の箱で別に計算した真空偏極 $-27.1\ \mathrm{MHz}$ をすでに含んでいる($-1/5$ の項に $\frac{4}{3\pi}\alpha^5m_e/n^3$ を掛けると,ちょうど \eqref{eq:7-uehling} の期待値になることを確かめられる).Bethe が1947年に列車の中でやった非相対論的計算には $19/30$ も真空偏極も現れず,対数項だけの

$$ \Delta E_{\text{Bethe}} = \frac{4\alpha^5 m_e}{3\pi n^3}\ln\frac{m_e}{k_0}, \qquad k_0(2S)\simeq17.8\ \mathrm{Ry} $$

であった($\ln(m_e/k_0)=7.65$,$n=2$ で $1038\ \mathrm{MHz}$).

ステップ4:数値.$n=2$ で

$$ \frac{4}{3\pi}\cdot\frac{1.0574\times10^{-5}}{8}\ \mathrm{eV}\times\left[9.840-2.812+0.633\right] = 5.610\times10^{-7}\times7.662\ \mathrm{eV} = 4.298\times10^{-6}\ \mathrm{eV} $$

すなわち $1039\ \mathrm{MHz}$.これは $2S_{1/2}$ 準位単独の1ループシフトであって,$2S$–$2P$ の間隔ではない.Bethe の値 $1040\ \mathrm{MHz}$ とほぼ同じ数字になるのは,$19/30\simeq0.63$ と彼のカットオフの取り方の差が偶然打ち消し合った結果である.

ステップ5:$2P_{1/2}$ の分も引く.$2P_{1/2}$ も異常磁気能率とスピン軌道結合のずれで約 $12.9\ \mathrm{MHz}$ 下がる($\ell\ne0$ では Bethe 対数が $\ln[k_0(2P)/\mathrm{Ry}]=-0.030$ と小さく,異常磁気能率からの $-1/6$ が主役になる).したがって

$$ \Delta E(2S_{1/2}) - \Delta E(2P_{1/2}) = 1039 + 13 = 1052\ \mathrm{MHz} $$

が $O(\alpha^5 m_e)$,すなわち1ループの Lamb シフトである.表7.1 の内訳で言えば $1010+68-27.1 = 1051\ \mathrm{MHz}$ がこれに対応し(自己エネルギー本体 $+1010$,異常磁気能率 $+68$,真空偏極 $-27.1$ という分け方をしただけで,中身は同じものである),実測 $1057.8\ \mathrm{MHz}$ との残り約 $6$〜$7\ \mathrm{MHz}$ が高次の束縛補正と陽子の有限サイズである.

表7.1 水素の $2S_{1/2}$–$2P_{1/2}$ Lamb シフトの内訳
寄与大きさ (MHz)物理的起源
電子の自己エネルギー$+1010$仮想光子の放出・再吸収による位置のゆらぎ
真空偏極(Uehling)$-27.1$真空の $e^+e^-$ 対による核電荷の遮蔽
異常磁気能率 $a_e = (g-2)/2$$+68$$g_e\ne2$ による Darwin 型接触項($2S$)とスピン軌道結合のずれ($2P_{1/2}$)
高次の束縛補正($\alpha(Z\alpha)^5$ 以上)$+7$1ループの $Z\alpha$ 展開の高次項・反跳補正(2ループは $0.1\ \mathrm{MHz}$ 程度)
陽子の有限サイズ$+0.14$$\propto r_p^2\abs{\psi(0)}^2$($r_p=0.84\ \mathrm{fm}$.演習7.2(2))
理論合計$1058$
実測値$1057.845(9)$Lamb–Retherford (1947) 以降の精密測定

なぜ Lamb シフトが素粒子物理の転回点だったのか

それまでの場の量子論は,補正を計算しようとすると必ず無限大が出て,役に立たないと思われていた.Lamb シフトは,「無限大が出ても,観測量の差をとれば有限で,しかも実験と $10^{-5}$ の精度で合う」ことを示した.これが Tomonaga・Schwinger・Feynman・Dyson のくりこみ理論(第10章)を生み,量子電磁力学を物理学で最も精密に検証された理論にした.

材料科学の言葉に翻訳すると,こうである.裸のパラメータ(裸の電子質量,裸の電荷)は観測できない.観測できるのは,環境(真空/媒質)に着飾られたくりこまれたパラメータだけである.固体中の電子の有効質量 $m^*$,遮蔽された Coulomb 相互作用 $e^2/(4\pi\epsilon_0\epsilon_r r)$,フォノンを引きずったポーラロン質量 —— どれも同じ思想の産物である.「裸の量は測れない,着飾った量だけが測れる」というのは,素粒子と物性に共通する最も深い教訓の一つである.

7.2.4 超微細構造と $21\ \mathrm{cm}$ 線

最後の階層は,陽子のスピンが作る磁場と電子のスピンの結合である.前3者と違って電子だけの問題ではないので,$m_e/m_p$ の因子が入り,スケールが $\alpha^4 m_e\cdot(m_e/m_p)$ になる.

導出:Fermi 接触項から $21\ \mathrm{cm}$ 線を出す

ステップ1:磁気モーメントを書く.

$$ \bm{\mu}_e = -g_e\frac{e}{2m_e}\bm{S}_e\ \ (g_e\simeq2), \qquad \bm{\mu}_p = +g_p\frac{e}{2m_p}\bm{S}_p\ \ (g_p = 5.586) $$

陽子の $g_p$ が $2$ でないのは,陽子が点粒子でなくクォークの複合体だからである(7.6 節で,$g_p\ne2$ がクォークの複合状態であることの帰結として理解できることを見る.クォーク模型がパラメータなしに予言するのは比 $\mu_n/\mu_p=-2/3$ で,$\mu_p$ の実測値そのものは構成クォーク質量を読み取る入力に使う).

ステップ2:点磁気双極子の作る磁場.双極子 $\bm{\mu}_p$ が原点にあるときの磁場は,遠方の双極子場に加えて原点に接触項を持つ:

$$ \bm{B}(\bm{r}) = \frac{\mu_0}{4\pi}\left[\frac{3(\bm{\mu}_p\cdot\hat{r})\hat{r}-\bm{\mu}_p}{r^3}\right] + \frac{2\mu_0}{3}\bm{\mu}_p\,\delta^3(\bm{r}) $$

$s$ 波では波動関数が球対称なので第1項(双極子・双極子項)の角度平均はゼロになる.残るのは接触項だけである.

ステップ3:相互作用エネルギー.接触項だけを残した Hamiltonian は $H = -\tfrac23\,\bm{\mu}_e\cdot\bm{\mu}_p\,\delta^3(\bm{r})$(自然単位系,$\mu_0=1$)である.ステップ1の表式を代入すると

$$ H_{\text{hf}} = \frac{2}{3}\,g_e g_p\,\frac{e^2}{4m_em_p}\,\braket{\bm{S}_e\cdot\bm{S}_p}\,\delta^3(\bm{r}) = \frac{2\pi\alpha\,g_e g_p}{3\,m_e m_p}\,\bm{S}_e\cdot\bm{S}_p\;\delta^3(\bm{r}) $$

($e^2 = 4\pi\alpha$ を使った.)期待値をとると $\delta^3(\bm{r})$ が $\abs{\psi(0)}^2$ を拾う.$g_e=2$,$\abs{\psi_{n00}(0)}^2 = m_e^3\alpha^3/(\pi n^3)$ を代入して整理すると

$$ \begin{equation} \Delta E_{\text{hf}} = \frac{4}{3}\,g_p\,\frac{m_e}{m_p}\,\frac{\alpha^4 m_e}{n^3}\, \braket{\bm{S}_e\cdot\bm{S}_p} \label{eq:7-hf} \end{equation} $$

ここで $\braket{\bm{S}_e\cdot\bm{S}_p}$ は,全スピン $\bm{S}=\bm{S}_e+\bm{S}_p$ を使って

$$ \braket{\bm{S}_e\cdot\bm{S}_p} = \tfrac12\left[S(S+1)-\tfrac34-\tfrac34\right] = \begin{cases} +\tfrac14 & (S=1,\ \text{三重項}) \\[2pt] -\tfrac34 & (S=0,\ \text{一重項})\end{cases} $$

ステップ4:分裂幅を数値で出す.三重項と一重項の差は $\tfrac14-(-\tfrac34)=1$ だから,$n=1$ での分裂幅は

$$ \Delta E_{\text{hf}} = \frac43 \times 5.586\times\frac{1}{1836.15}\times1.4490\times10^{-3}\ \mathrm{eV} = 5.877\times10^{-6}\ \mathrm{eV} $$

振動数と波長に直すと

$$ \nu = \frac{5.877\times10^{-6}}{4.1357\times10^{-15}} = 1421\ \mathrm{MHz}, \qquad \lambda = \frac{c}{\nu} = 21.1\ \mathrm{cm} $$

実測値は $\nu = 1420.405751768\ \mathrm{MHz}$,$\lambda = 21.106\ \mathrm{cm}$.$0.05\%$ の一致で,残差は換算質量補正・束縛状態の相対論補正・QED の輻射補正($g_e = 2(1+a_e)$ など),および陽子の内部構造(Zemach 半径)による補正である.なお実測値の桁数の多さに注目してほしい.これは物理学で最も精密に測られた量の一つである.

物理的意味:$21\ \mathrm{cm}$ 線が宇宙を測る

三重項の寿命はきわめて長い(磁気双極子遷移なので $A\sim 2.9\times10^{-15}\ \mathrm{s^{-1}}$,寿命約 $1100$ 万年).実験室ではまず観測できないが,銀河には中性水素が $10^{67}$ 個ほど(中性水素の質量で $\sim5\times10^9\,M_\odot$)あるので,積分すると明るく光る.$21\ \mathrm{cm}$ 線は星間中性水素の分布と視線速度を測る主力の観測手段であり,銀河の回転曲線から暗黒物質の存在が示唆されたのも,この線による.

また Pioneer 探査機の金属板には,$21\ \mathrm{cm}$ の波長と $1420\ \mathrm{MHz}$ の周期を「宇宙共通の物差し」として刻んである.束縛状態の超微細分裂が,人類の名刺になっているわけである.

材料科学との接点:超微細相互作用は NMR・EPR そのものである

\eqref{eq:7-hf} は素粒子の式ではない.固体物理・化学で日常的に使う式である.書き直そう.核スピン $\bm{I}$ と電子スピン $\bm{S}$ の接触相互作用は

$$ \begin{equation} H = A\,\bm{I}\cdot\bm{S}, \qquad A = \frac{2\mu_0}{3}g_e\mu_B\,g_N\mu_N\,\abs{\psi(0)}^2 \label{eq:7-Aiso} \end{equation} $$

$A$ が等方超微細結合定数(Fermi contact term)である.測定・計算の現場での使われ方は次のとおり.

つまり水素の $21\ \mathrm{cm}$ 線の式を,記号を変えずにそのまま材料の現場で使っている.違いは $\abs{\psi(0)}^2$ が水素の $1s$ 軌道か,欠陥準位の波動関数か,というだけである.

水素原子 n = 2 の準位:4つの階層(横に行くほど拡大.スケールは対数的に誇張) n = 2 (8 重縮退) Bohr −3.40 eV O(α²mₑ) 2P₃⁄₂ (j = 3/2) 2S₁⁄₂ , 2P₁⁄₂ (j = 1/2) 10.95 GHz 微細構造 O(α⁴mₑ) 相対論 + スピン軌道 + Darwin 2S₁⁄₂ 2P₁⁄₂ 1058 MHz Lamb シフト O(α⁵mₑ) 自己エネルギー + 真空偏極 F = 1 (三重項) F = 0 (一重項) 超微細構造 O(α⁴mₑ·mₑ/mp) n = 1 では 1420 MHz = 21 cm 縮退が段階的に解けていく:n → (n, j) → (n, j, ℓ) → (n, j, ℓ, F).各段で新しい物理(相対論 → 場の量子論 → 核の内部構造)が顔を出す.
図7.3 水素原子 $n=2$ のエネルギー準位の4階層.左から右へ,$\alpha$ のべきが1つずつ上がる補正が加わり,縮退が順に解けていく.縦方向のスケールは各段で大きく拡大してある.実際の分裂幅は,微細構造 $4.53\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$,Lamb シフト $4.37\times10^{-6}\ \mathrm{eV}$,$2S$ の超微細分裂 $7.3\times10^{-7}\ \mathrm{eV}$ であり,$n=2$ の束縛エネルギー $3.40\ \mathrm{eV}$ で割ると $1 : 1.3\times10^{-5} : 1.3\times10^{-6} : 2.2\times10^{-7}$ という比になる.

7.3 ポジトロニウム — 物質と反物質の束縛状態

7.3.1 基底状態が $-6.8\ \mathrm{eV}$ になる理由

陽電子 $e^+$ と電子 $e^-$ が束縛したものをポジトロニウム(Ps)と呼ぶ.1951年に Deutsch が発見した.ポテンシャルは水素とまったく同じ $-\alpha/r$ である.違うのは換算質量だけ:

$$ \mu_{\text{Ps}} = \frac{m_e\cdot m_e}{m_e+m_e} = \frac{m_e}{2} $$

したがって \eqref{eq:7-bohr} より

$$ \begin{equation} E_n^{\text{Ps}} = -\frac{(m_e/2)\alpha^2}{2n^2} = -\frac{6.803\ \mathrm{eV}}{n^2} \label{eq:7-ps-energy} \end{equation} $$

ちょうど水素の半分である.Bohr 半径は逆に2倍で

$$ a_{\text{Ps}} = \frac{1}{\mu\alpha} = \frac{2}{m_e\alpha} = 2a_0 = 1.058\ \text{Å} $$

1S–2S 遷移エネルギーは $6.803\times(1-1/4) = 5.1021\ \mathrm{eV}$ で,実測 $1\,233\,607\,216.4\ \mathrm{MHz}$($= 5.1018\ \mathrm{eV}$)と $10^{-4}$ の精度で合う.残差 $7\times10^{-5}$(振動数で約 $0.08\ \mathrm{THz}$)は,次項で見る微細・超微細分裂と同じ $O(\alpha^4m_e)$ の補正である.「換算質量を半分にするだけ」という単純きわまる操作が,これほど精密に検証されているのは気持ちがよい.

注意:ポジトロニウムでは相対論補正が水素と同じではない

微細構造まで含めると,水素の公式をそのまま使うわけにはいかない.理由は2つある.

結果として Ps の微細構造は水素の単純な倍率変更では書けず,$\alpha^4 m_e$ のオーダーで独自の公式になる.

7.3.2 超微細分裂 — なぜ水素より $143$ 倍も大きいのか

水素の $1S$ 超微細分裂は $1420\ \mathrm{MHz}$,ポジトロニウムのそれは $203.4\ \mathrm{GHz}$ である.エネルギーで比べると $5.9\times10^{-6}\ \mathrm{eV}$ 対 $8.4\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ で $143$ 倍.しかも Ps の全束縛エネルギーは水素の半分しかないので,束縛エネルギーで規格化すれば相対的には $286$ 倍である.なぜこれほど大きいのか.2つの理由がある.

導出:Ps の超微細分裂 $\tfrac{7}{12}\alpha^4 m_e$ の内訳

ステップ1:接触項(水素の式で $m_p\to m_e$,$g_p\to g_e = 2$).\eqref{eq:7-hf} をそのまま流用する.ただし波動関数の広がりが2倍になったので $\abs{\psi(0)}^2$ が $1/8$ になることを忘れてはならない:

$$ \abs{\psi_{\text{Ps}}(0)}^2 = \frac{1}{\pi a_{\text{Ps}}^3} = \frac{1}{\pi (2a_0)^3} = \frac18 \abs{\psi_{\text{H}}(0)}^2 $$

したがって

$$ \Delta E_{\text{contact}} = \underbrace{\frac43}_{\text{同じ}}\times\underbrace{2}_{g_e}\times\underbrace{1}_{m_e/m_e}\times\alpha^4 m_e\times\underbrace{\frac18}_{\abs{\psi(0)}^2} = \frac{1}{3}\alpha^4 m_e $$

水素との比は $\dfrac{1/3}{(4/3)(5.586)(1/1836)} = \dfrac{0.3333}{4.057\times10^{-3}} = 82.2$ 倍.$m_e/m_p$ という抑制因子がなくなったことが最大の理由である.陽子が軽ければ磁気モーメントが大きい,というだけの話である.

ステップ2:仮想消滅項(水素には存在しない).$e^+e^-$ は光子1個に化けて,また $e^+e^-$ に戻ることができる:

$$ e^+e^- \to \gamma^* \to e^+e^- $$

この過程が可能なのは,中間状態が光子の量子数を持つ場合に限る.第6章で見たとおり光子は $J^{PC}=1^{--}$ であるから,$e^+e^-$ 系も $J^{PC}=1^{--}$ でなければならない.$S$ 波($L=0$)の $e^+e^-$ では $P=(-1)^{L+1}=-1$,$C=(-1)^{L+S}$ なので,$C=-1$ は $S=1$ を要求する.すなわち三重項(ortho-Ps)だけが仮想消滅項を持つ.一重項(para-Ps)は $C=+1$ なので1光子中間状態を作れない.

この寄与を計算すると(第10章のファインマン則で導ける)

$$ \Delta E_{\text{annih}} = \frac{1}{4}\alpha^4 m_e \qquad(\text{三重項のみ,上向きにシフト}) $$

ステップ3:合計.三重項と一重項の差は

$$ \begin{equation} \Delta E_{\text{hf}}^{\text{Ps}} = \left(\frac13 + \frac14\right)\alpha^4 m_e = \frac{7}{12}\alpha^4 m_e \label{eq:7-ps-hfs} \end{equation} $$

ステップ4:数値.$\alpha^4 m_e c^2 = 1.4490\times10^{-3}\ \mathrm{eV}$ より

$$ \Delta E_{\text{hf}}^{\text{Ps}} = \frac{7}{12}\times1.4490\times10^{-3} = 8.453\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = 204.4\ \mathrm{GHz} $$

実測値 $203.3941(16)\ \mathrm{GHz}$(Ishida ら 2014).差の $0.5\%$ は $O(\alpha^5 m_e)$,すなわち最低次に対して相対 $\alpha/\pi$ の補正

$$ \Delta E_{\text{hf}}^{\text{Ps}} = \frac{7}{12}\alpha^4 m_e\left[1-\frac{\alpha}{\pi}\left(\frac{32}{21}+\frac67\ln2\right)+\cdots\right] $$

でほぼ完全に説明される(Karplus–Klein 1952).括弧の中は $1-0.0049$ で,$204.39\times0.99508 = 203.38\ \mathrm{GHz}$ となり実測と合う.対数 $\ln\alpha$ が現れるのはさらに次の $O(\alpha^6\ln\alpha)$ からである.

内訳を振動数で書くと,接触項 $116.8\ \mathrm{GHz}$ + 消滅項 $87.6\ \mathrm{GHz}$.消滅項が全体の $43\%$ を占めており,「反粒子が相手だからこそ現れる項」が実測にはっきり見えているのが痛快である.

7.3.3 para/ortho の寿命 — $C$ 不変性が決める崩壊チャンネル

第6章で見たように,$n$ 個の光子の状態の荷電共役量子数は $C = (-1)^n$ である.一方 $e^+e^-$ 束縛状態は $C = (-1)^{L+S}$ である.$C$ が電磁相互作用で保存することから,選択則が決まる.

表7.2 ポジトロニウムの基底状態 2種(実測寿命は para-Ps が Al-Ramadhan–Gidley 1994,ortho-Ps が Kataoka–Asai–Kobayashi 2009)
para-Ps($1^1S_0$)ortho-Ps($1^3S_1$)
スピン$S=0$(一重項)$S=1$(三重項,3状態)
$J^{PC}$$0^{-+}$$1^{--}$
荷電共役 $C=(-1)^{L+S}$$+1$$-1$
許される光子数偶数(2, 4, …)奇数(3, 5, …;1は運動学的に不可)
主崩壊$2\gamma$(各 $511\ \mathrm{keV}$,back-to-back)$3\gamma$(連続スペクトル,$\le511\ \mathrm{keV}$)
崩壊率のオーダー$\alpha^5 m_e$$\alpha^6 m_e$
真空中の寿命(計算)$124.5\ \mathrm{ps}$$138.7\ \mathrm{ns}$(最低次)
真空中の寿命(実測)$125.14(3)\ \mathrm{ps}$$142.04(1)\ \mathrm{ns}$
生成比(統計因子)$1/4$$3/4$

導出:寿命の $\alpha$ べきと数値

ステップ1:崩壊率の構造.消滅は「2つの粒子が同じ点に来る」ことを必要とするので,崩壊率は必ず $\abs{\psi(0)}^2$ に比例する.次元を合わせると

$$ \Gamma = \sigma v\,\abs{\psi(0)}^2 \times(\text{スピン因子}) $$

ここで $\sigma v$ は自由な $e^+e^-$ の消滅断面積×相対速度である.

ステップ2:para-Ps($2\gamma$).2光子放出だから振幅は $e^2\propto\alpha$,率は $\alpha^2$.低速での消滅断面積は $\sigma v = \pi\alpha^2/m_e^2$(スピン平均値.Dirac 1930)である.$2\gamma$ に行けるのは一重項だけなので,一重項に射影すると 4 倍の $4\pi\alpha^2/m_e^2$ になる.これとスピン因子を正しく入れると

$$ \begin{equation} \Gamma(\text{para}) = 4\pi\frac{\alpha^2}{m_e^2}\abs{\psi(0)}^2 = 4\pi\frac{\alpha^2}{m_e^2}\cdot\frac{(m_e\alpha/2)^3}{\pi} = \frac{1}{2}\alpha^5 m_e \label{eq:7-para-rate} \end{equation} $$

$\abs{\psi(0)}^2 = 1/(\pi a_{\text{Ps}}^3)$,$a_{\text{Ps}}=2/(m_e\alpha)$ を代入した.数値は

$$ \Gamma = \tfrac12\times1.0574\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = 5.287\times10^{-6}\ \mathrm{eV}, \qquad \tau = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-16}}{5.287\times10^{-6}}\ \mathrm{s} = 124.5\ \mathrm{ps} $$

実測 $125.14\ \mathrm{ps}$ とよく合う.

ステップ3:ortho-Ps($3\gamma$).光子が1つ増えるごとに振幅に $e$,率に $\alpha$ が付くので,$\Gamma\propto\alpha^6 m_e$ になる.3体位相空間の積分を実行すると(Ore–Powell 1949)

$$ \begin{equation} \Gamma(\text{ortho}) = \frac{2(\pi^2-9)}{9\pi}\,\alpha^6 m_e = 0.06151\,\alpha^6 m_e \label{eq:7-ortho-rate} \end{equation} $$ $$ \Gamma = 0.06151\times7.717\times10^{-8}\ \mathrm{eV} = 4.747\times10^{-9}\ \mathrm{eV}, \qquad \tau = 138.7\ \mathrm{ns} $$

$O(\alpha)$ の QED 補正 $\Gamma = \Gamma_0(1-10.286\,\alpha/\pi+\cdots)$ を入れると $\tau = 142.1\ \mathrm{ns}$ となり,実測 $142.04\ \mathrm{ns}$(Kataoka ら 2009)に合う.

ステップ4:比の意味.寿命比は

$$ \frac{\tau_{\text{ortho}}}{\tau_{\text{para}}} = \frac{1/2}{0.06151\,\alpha} = 1114 $$

すなわち,光子1個の追加コスト $\alpha=1/137$ と,位相空間の因子だけで $10^3$ 倍の寿命差が生じる.この $10^3$ 倍という開きこそが,このすぐ後で見る材料評価法 PALS を成立させている.

材料科学との接点:陽電子消滅寿命測定(PALS)で空孔を数える

$^{22}$Na 線源から出た陽電子を試料に打ち込むと,$\mathrm{ps}$ 程度で熱化し,やがて電子と消滅して $511\ \mathrm{keV}$ の $\gamma$ 線を2本出す.$^{22}$Na の崩壊では陽電子放出とほぼ同時に $1274\ \mathrm{keV}$ の $\gamma$ 線が出るので,これを「陽電子が生まれた時刻」の合図(start)とし,$511\ \mathrm{keV}$ を「消滅した時刻」(stop)として時間差を測る.これが陽電子消滅寿命測定(Positron Annihilation Lifetime Spectroscopy, PALS)である.時間分解能はいまや $150$–$200\ \mathrm{ps}$ FWHM に達する.

(a) 金属・半導体:空孔の検出.陽電子は正電荷なので,イオン芯から反発される.空孔(原子が抜けた場所)はイオン芯がないので,陽電子にとってポテンシャルの井戸になり,そこに捕獲される.捕獲された陽電子は電子密度の低い場所にいるので消滅しにくく,寿命が延びる.

表7.3 代表的な陽電子寿命($\mathrm{ps}$)
物質完全結晶 $\tau_b$単空孔 $\tau_{1V}$空孔クラスター
Al163250$\ge$ 350
Fe106175$\ge$ 300
Cu110180$\ge$ 300
Si219270($V$)320($V_2$)
高分子(自由体積中の o-Ps)——$1\,500$–$5\,000$

(b) 2状態捕獲模型.陽電子は,バルク状態から率 $\kappa$ で空孔に捕獲され,各状態でそれぞれ率 $\lambda_b = 1/\tau_b$,$\lambda_v=1/\tau_v$ で消滅する.レート方程式を解くと,寿命スペクトルは2成分の指数和

$$ \begin{equation} N(t) = I_1\ee^{-t/\tau_1} + I_2\ee^{-t/\tau_2}, \qquad \tau_1 = \frac{1}{\lambda_b+\kappa},\quad \tau_2 = \frac{1}{\lambda_v} = \tau_v \label{eq:7-trapping} \end{equation} $$

となり,強度比から捕獲率が

$$ \begin{equation} \kappa = \frac{I_2}{I_1}\left(\frac{1}{\tau_b}-\frac{1}{\tau_v}\right) = \mu_v\,C_v \label{eq:7-kappa} \end{equation} $$

と読み出せる.$\mu_v$ は比捕獲率(金属で $\sim10^{14}$–$10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$ 原子分率$^{-1}$)で,$C_v$ が求めたい空孔濃度である.

数値例(Al):$\tau_b=163\ \mathrm{ps}$,$\tau_v=250\ \mathrm{ps}$,実測で $I_2 = 0.30$ が得られたとする.

$$ \kappa = \frac{0.30}{0.70}\left(\frac{1}{163\times10^{-12}}-\frac{1}{250\times10^{-12}}\right)\ \mathrm{s^{-1}} = 0.4286\times2.135\times10^{9} = 9.15\times10^{8}\ \mathrm{s^{-1}} $$ $$ C_v = \frac{\kappa}{\mu_v} = \frac{9.15\times10^{8}}{2.5\times10^{14}} = 3.7\times10^{-6} = 3.7\ \mathrm{ppm} $$

このとき短寿命成分は $\tau_1 = 142\ \mathrm{ps}$(バルクの $163\ \mathrm{ps}$ より短くなる点に注意,捕獲でバルク成分が「食われる」ためである).ppm 台の点欠陥濃度を非破壊で定量できる手法は他にほとんどない.疲労・照射損傷・析出物の解析に使われる所以である.

材料科学との接点:Tao–Eldrup 式 — o-Ps の寿命が自由体積を測る

高分子・ゼオライト・多孔質シリカのような絶縁性・低密度の物質では,陽電子が電子を1個引き抜いてポジトロニウムを作る.para-Ps はほぼ真空中と同じ $125\ \mathrm{ps}$ で消えるが,ortho-Ps は $142\ \mathrm{ns}$ も生きられるので,その間に周囲の壁の電子とピックオフ消滅(Ps 中の $e^+$ が,相棒でない外部の $e^-$ と,主にスピン一重項配置で $2\gamma$ 消滅する)を起こす.

穴が小さいほど壁の電子と出会う確率が高く,寿命が短くなる.これを定量したのが Tao–Eldrup 模型である.半径 $R$ の球形の空隙に閉じ込められた o-Ps が,厚さ $\Delta R = 0.1656\ \mathrm{nm}$ の電子層にしみ出す確率を,無限井戸の基底状態波動関数で計算すると

$$ \begin{equation} \tau_{o\text{-Ps}}[\mathrm{ns}] = \frac{1}{2}\left[1-\frac{R}{R+\Delta R}+\frac{1}{2\pi}\sin\!\left(\frac{2\pi R}{R+\Delta R}\right)\right]^{-1} \label{eq:7-tao-eldrup} \end{equation} $$

前の $1/2\ \mathrm{ns}$ は,電子層内でのスピン平均消滅率 $2\ \mathrm{ns^{-1}}$ の逆数である.

表7.4 Tao–Eldrup 式による o-Ps 寿命と空隙サイズ
$R$ (nm)$\tau_{o\text{-Ps}}$ (ns)自由体積 $\tfrac43\pi R^3$ (Å$^3$)典型例
0.201.2334緻密なエポキシ
0.251.6565PMMA 付近
0.292.06102ポリスチレン($\tau_3\simeq2.1\ \mathrm{ns}$)
0.352.81180ゴム状高分子
0.505.58524多孔質膜・メソポーラス材料

実務では,測定した $\tau_3$(第3成分)を \eqref{eq:7-tao-eldrup} で逆に解いて $R$ を得,さらに $I_3$(強度)を Ps 形成確率の指標として,自由体積分率 $f_v = C\,I_3\,V_h$ を推定する.ガラス転移点 $T_g$ を通過すると自由体積が急に増えるので,$\tau_3(T)$ の折れ曲がりから $T_g$ を決めることもできる.素粒子物理の教科書に載っている ortho-Ps の $142\ \mathrm{ns}$ が,そのまま高分子物性の測定器になっている.

(a) 陽電子の運命 ²²Na 線源 e⁺ + 1274 keV γ (start) 結晶 空孔 熱化 (~ps) → 拡散 → 捕獲 511 keV γ (stop) 511 keV γ (b) 寿命スペクトル(片対数) log N t τ₁ (バルク,短い) τ₂ (空孔,長い) 実測 = I₁e−t/τ₁ + I₂e−t/τ₂ 強度比 I₂/I₁ から捕獲率 κ,そこから空孔濃度 Cv = κ/μv が出る. 高分子では第3成分 τ₃ ~ 1–5 ns が現れる:これが o-Ps の自由体積信号. start(1274 keV)と stop(511 keV)の時間差ヒストグラムが寿命スペクトル. 時間分解能 ~150–200 ps FWHM で,ps 分解の測定ができる.
図7.4 陽電子消滅寿命測定(PALS)の原理.(a) $^{22}$Na から放出された陽電子は数 ps で熱化し,結晶中を拡散して空孔に捕獲される.空孔中では電子密度が低いので消滅が遅れる.(b) 得られる寿命スペクトルは複数の指数関数の和で,各成分の寿命が「陽電子がどこにいたか」を,強度がその割合を教える.式 \eqref{eq:7-trapping}, \eqref{eq:7-kappa} がこの図の数学的な中身である.

補足:ドップラー広がりと $S$・$W$ パラメータ

PALS と並ぶもう一つの陽電子法が,$511\ \mathrm{keV}$ 消滅 $\gamma$ 線のドップラー広がり測定(DBS/CDB)である.熱化した陽電子の運動量はほぼゼロなので,$\gamma$ 線のエネルギーのずれは消滅相手の電子の運動量 $p_L$($\gamma$ 線方向成分)で決まる:

$$ \Delta E = \frac{c\,p_L}{2} $$

$p_L/(m_ec) = 4\times10^{-3}$ なら $\Delta E = 511\ \mathrm{keV}\times4\times10^{-3}/2 = 1.0\ \mathrm{keV}$.典型的な FWHM は $2.5\ \mathrm{keV}$ 程度である.

$S$–$W$ プロット上で点がどの直線に乗るかで,欠陥の「種類」(単空孔か,空孔–不純物複合体か,析出物界面か)を判別する.半導体プロセスの照射損傷評価,鋼の水素脆化研究,第一原理計算との突き合わせ(陽電子波動関数と電子運動量分布を DFT で計算する)に日常的に使われている.

7.3.4 ミュオニウムと $\mu$SR

ポジトロニウムのいとこにミュオニウム(Mu $=\mu^+e^-$)がある.正ミュオン $\mu^+$($m_\mu = 105.658\ \mathrm{MeV}$)を「軽い陽子」と見なした水素様原子である.換算質量は

$$ \mu_{\text{Mu}} = \frac{m_e}{1+m_e/m_\mu} = \frac{m_e}{1+1/206.77} = 0.995187\,m_e $$

したがって基底状態は $E_1 = -13.5402\ \mathrm{eV}$ で,水素($-13.5983\ \mathrm{eV}$)とわずか $0.4\%$ しか違わない.化学的にはミュオニウムは水素同位体そのものである(質量は $0.113\,m_\mathrm{H}$,すなわち $1/9$ の「超軽い水素」).

超微細分裂は \eqref{eq:7-hf} で $g_p\to g_\mu\simeq2$,$m_p\to m_\mu$ とすればよい.換算質量補正 $(1+m_e/m_\mu)^{-3}$ を掛けて

$$ \Delta E_{\text{hf}}^{\text{Mu}} = \frac43\times2\times\frac{1}{206.77}\times\frac{1.4490\times10^{-3}\ \mathrm{eV}}{(1.004836)^3} = 1.8420\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = 4454\ \mathrm{MHz} $$

実測 $4463.302\ \mathrm{MHz}$.$0.2\%$ の一致である.なお $g_\mu$ を $2$ ちょうどではなく $2(1+a_\mu)$($a_\mu = 1.166\times10^{-3}$,第10章)とすれば $4459\ \mathrm{MHz}$ になる.ただし電子側も同様に $g_e = 2(1+a_e)$($a_e = 1.160\times10^{-3}$)とすべきで,両方を入れると $4464\ \mathrm{MHz}$ となって実測を逆に $1\ \mathrm{MHz}$ ほど超える.残る $-1\ \mathrm{MHz}$ は,相対論補正(相対 $\tfrac32\alpha^2$ で $+0.4\ \mathrm{MHz}$)と,反跳・輻射反跳補正(負)の正味である.ミュオンは点粒子(構造を持たない)なので,この量は QED を純粋に検定する場になっており,$m_\mu/m_e$ を最も精密に決める手段の一つでもある.

材料科学との接点:$\mu$SR — スピン偏極したミュオンを結晶に打ち込む

パイオン崩壊 $\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ で作られる $\mu^+$ は,第6章で見たパリティの破れのおかげで100 %スピン偏極している.これを試料に打ち込むと,$\mu^+$ は結晶中の局所磁場のまわりで Larmor 歳差運動をする.そして崩壊 $\mu^+\to e^+\nu_e\bar\nu_\mu$ もパリティを破るので,陽電子はミュオンスピンの向きに優先的に飛ぶ.したがって陽電子の放出方向の時間変化を測れば,ミュオン位置での磁場の時間変化がそのまま読める.これがミュオンスピン回転・緩和・共鳴($\mu$SR)である.

$\mu^+$ の磁気回転比は $\gamma_\mu/2\pi = 135.5\ \mathrm{MHz/T}$.$\mu$SR は $10^{-5}$–$10^{-1}\ \mathrm{T}$ の内部磁場に感度があり,NMR では見えないゼロ磁場での自発磁化や,スピングラス・スピン液体のようなランダムで遅い磁気ゆらぎを直接見られる.超伝導体では磁場侵入長 $\lambda$ を渦糸格子の磁場分布から測るのが標準手法である.

そして本節の主題との接点はここである.半導体・酸化物に打ち込まれた $\mu^+$ は,しばしば電子を捕まえてミュオニウムを作る.ミュオニウムの超微細結合定数 $A$ は,$\mu^+$ が結晶のどのサイトにいて,そこにどれだけ電子密度があるかを教えてくれる.ミュオニウムは水素の軽い同位体なので,「もし水素がこの結晶に入ったらどう振る舞うか」を実験的に先取りするプローブになる.ZnO や TiO$_2$ で「水素が浅いドナーになる」ことが最初に確立されたのは $\mu$SR によってである(Cox らの実験と Van de Walle の第一原理計算).水素貯蔵材料・プロトン伝導体・水素脆化の研究でも同じ論法が使われている.

整理すると,本節で学んだ2体束縛状態は次の3つの実験手法に直結している:Ps の寿命 $\to$ PALS(空孔・自由体積),Ps の消滅 $\gamma$ 線運動量 $\to$ DBS($S$・$W$ パラメータ),Mu の超微細結合 $\to$ $\mu$SR(局所磁場と水素の振る舞い).

7.4 クォーコニウム — 重いクォークの水素原子

7.4.1 1974年11月革命

1974年11月,ブルックヘブンの Ting のグループ($p+\mathrm{Be}\to e^+e^-+X$)と SLAC の Richter のグループ($e^+e^-$ 衝突)が,同じ日に質量 $3.1\ \mathrm{GeV}$ の新粒子を発表した.前者は $J$,後者は $\psi$ と名づけたので,いまでも $J/\psi$ と両論併記されている.

衝撃だったのは質量ではなく幅である.$J/\psi$ の全崩壊幅は $\Gamma = 92.6\ \mathrm{keV}$ しかない.同じ強い相互作用で崩壊する $\rho$ 中間子の幅 $147\ \mathrm{MeV}$ に比べて $1600$ 分の1である.寿命に直すと

$$ \tau(J/\psi) = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{9.26\times10^{4}\ \mathrm{eV}} = 7.1\times10^{-21}\ \mathrm{s}, \qquad \tau(\rho) = 4.5\times10^{-24}\ \mathrm{s} $$

なぜこれほど長生きなのか.答えは $J/\psi$ が $c\bar{c}$ の束縛状態で,しかもその質量 $3.097\ \mathrm{GeV}$ が $D\bar{D}$ 閾値(最も低いのは $D^0\bar D^0$ の $2m_{D^0} = 3.730\ \mathrm{GeV}$.$D^+D^-$ なら $3.739\ \mathrm{GeV}$)より下にあるからである.チャームを外に持ち出す崩壊が運動学的に禁止されているので,$c$ と $\bar c$ は互いに消滅するしかなく,その過程は3グルーオン放出を要するため強く抑制される(OZI 則:クォーク線が途中で切れる過程はグルーオンを介さねばならず,$\alpha_s^3$ で抑えられる).

なぜクォーコニウムが「QCD の水素原子」なのか

$c$ クォークは $m_c\simeq1.5\ \mathrm{GeV}$,$b$ クォークは $m_b\simeq4.7\ \mathrm{GeV}$ と,QCD のスケール $\Lambda_{\text{QCD}}\simeq0.2\ \mathrm{GeV}$ よりずっと重い.重いということは束縛半径が小さいということであり,短距離では漸近的自由性(第11章)により $\alpha_s$ が小さい.すると 7.1.1 項の $\braket{v}\sim\alpha_{\text{eff}}$ の議論から速度も小さく,非相対論的 Schrödinger 方程式が使える.

$\alpha_s$ が小さいということは,同時に摂動論が使えるということでもある.つまりクォーコニウムは,QCD のポテンシャルを実験的に「測る」ための顕微鏡なのである.水素原子が Coulomb 則を検証したのと同じ役割を果たしている.

7.4.2 Cornell ポテンシャル

クォーク間のポテンシャルは,2つの極限で形が分かっている.

これを単純につないだのが,1975年に Cornell 大学のグループが提案したCornell ポテンシャルである:

$$ \begin{equation} V(r) = -\frac{4}{3}\frac{\alpha_s}{r} + a\,r, \qquad a \simeq 0.18\ \mathrm{GeV^2} \label{eq:7-cornell} \end{equation} $$

物理的意味:ひもの張力 $0.18\ \mathrm{GeV^2}$ とは何トンか

$a$ は「ひもの張力」,すなわち単位長さあたりのエネルギーである.SI に直そう.$\hbar c = 0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ を使うと

$$ a = 0.18\ \mathrm{GeV^2} = \frac{0.18\ \mathrm{GeV}}{0.197327\ \mathrm{fm}} = 0.912\ \mathrm{GeV/fm} $$ $$ = \frac{0.912\times1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}}{10^{-15}\ \mathrm{m}} = 1.46\times10^{5}\ \mathrm{N} \simeq 15\ \text{トン重} $$

クォークを引き離そうとすると,距離によらず常に $15$ トンの力で引き戻される.これがクォークの閉じ込めの正体である.離せば離すほど仕事が要るので,やがてひものエネルギーが $q\bar q$ 対を生む閾値を超え,ひもが切れて新しい中間子が2つできる.クォークが単独で取り出せないのはこのためである(第11章).

ちなみに,この「引き離すとエネルギーが線形に増える」という性質は,材料科学者にはなじみ深い.積層欠陥を挟んで対になった部分転位がそうである(積層欠陥エネルギー $\gamma$ が距離によらない一定の引き戻し力を与えるので,エネルギーは間隔に比例して増える).ただし QCD の場合は距離を無限にしても力が減らないという点が決定的に違う.

Cornell ポテンシャルのグラフ.横軸は r(fm),縦軸は V(r)(GeV).青の破線が Coulomb 項 −(4/3)α_s/r,緑の破線が線形閉じ込め項 a·r,赤の実線がその和で,短距離では Coulomb 的に深く落ち込み,長距離では線形に上昇する.橙の縦の破線は bb̄(0.26 fm),cc̄(0.40 fm),軽いハドロン(約 1 fm)の典型的な大きさを示す.
図7.5 Cornell ポテンシャル $V(r)=-\tfrac43\alpha_s/r + a r$($\alpha_s=0.39$,$a=0.18\ \mathrm{GeV^2}$).短距離では1グルーオン交換の Coulomb 項(青破線)が,長距離では線形閉じ込め項(緑破線)が支配する.ボトモニウムはより深く内側を探るので Coulomb 的な水素原子に近く,チャーモニウムは両方の項が同程度に効く中間領域にいる.

導出:変分法でチャーモニウムの束縛エネルギーを見積もる

ステップ1:試行関数を選ぶ.水素型の $1s$ 関数

$$ \psi_\lambda(r) = \frac{1}{\sqrt{\pi\lambda^3}}\ee^{-r/\lambda} $$

を使う.$\lambda$ が変分パラメータである.

ステップ2:期待値を計算する.この関数について(水素原子の標準的な結果を流用する)

$$ \braket{T} = \frac{1}{2\mu\lambda^2},\qquad \braket{\frac{1}{r}} = \frac{1}{\lambda},\qquad \braket{r} = \frac{3\lambda}{2} $$

したがってエネルギー期待値は

$$ \begin{equation} E(\lambda) = \frac{1}{2\mu\lambda^2} - \frac{\kappa}{\lambda} + \frac{3a\lambda}{2}, \qquad \kappa\equiv\frac{4\alpha_s}{3} \label{eq:7-variational} \end{equation} $$

ステップ3:数値を入れて最小化する.チャーモニウムでは $\mu = m_c/2 = 0.75\ \mathrm{GeV}$,$\alpha_s = 0.39$($\kappa=0.52$),$a=0.18\ \mathrm{GeV^2}$.$\dd E/\dd\lambda = 0$ を解くと

$$ \lambda = 1.33\ \mathrm{GeV^{-1}} = 0.263\ \mathrm{fm}, \qquad E_{\min} = +0.345\ \mathrm{GeV} $$

平均半径は $\braket{r} = 1.5\lambda = 0.40\ \mathrm{fm}$.中間子の質量は

$$ M = 2m_c + E = 3.00 + 0.35 = 3.35\ \mathrm{GeV} $$

実測のスピン平均 $1S$ 質量 $\overline{M} = \tfrac14(3M_{J/\psi}+M_{\eta_c}) = 3.069\ \mathrm{GeV}$ と,$9\%$ の一致である.ここでずれを変分法のせいにしてはいけない.同じパラメータで Schrödinger 方程式を数値的に厳密に解くと $E_{1S} = 0.327\ \mathrm{GeV}$($M = 3.33\ \mathrm{GeV}$)で,変分値 $0.345\ \mathrm{GeV}$ とほとんど変わらないからである.ずれの大半は $m_c = 1.5\ \mathrm{GeV}$ という取り方によるもので,Cornell 模型の原論文は $m_c = 1.84\ \mathrm{GeV}$,$E_{1S}<0$ でフィットしている.構成クォーク質量とポテンシャルは独立には決まらず,意味をもつのは準位の差だけである——これは次項以降でも繰り返し出てくる注意である.

ステップ4:ボトモニウムで同じことをする.$\mu = m_b/2 = 2.35\ \mathrm{GeV}$,$\alpha_s=0.22$($\kappa=0.293$)とすると

$$ \lambda = 0.86\ \mathrm{GeV^{-1}} = 0.170\ \mathrm{fm},\quad \braket{r} = 0.26\ \mathrm{fm},\quad E_{\min} = +0.179\ \mathrm{GeV},\quad M = 9.58\ \mathrm{GeV} $$

実測のスピン平均 $9.445\ \mathrm{GeV}$.重いほうが小さく,深く,Coulomb 的になっているのが見てとれる.

7.4.3 準位構造 — 水素・ポジトロニウム・チャーモニウムを並べる

クォーコニウムの状態は分光学記号 $n^{2S+1}L_J$ で分類する.$q\bar q$ 系の $P$ と $C$ は第6章の規則

$$ \begin{equation} P = (-1)^{L+1},\qquad C = (-1)^{L+S} \label{eq:7-qqbarPC} \end{equation} $$

で決まる($P$ の $+1$ は,フェルミオンと反フェルミオンの内部パリティが逆であることによる).

表7.5 チャーモニウムとボトモニウムの主要状態(質量は MeV)
$n^{2S+1}L_J$$J^{PC}$$c\bar c$質量$b\bar b$質量
$1^1S_0$$0^{-+}$$\eta_c$$2983.9$$\eta_b$$9398.7$
$1^3S_1$$1^{--}$$J/\psi$$3096.9$$\Upsilon(1S)$$9460.3$
$1^1P_1$$1^{+-}$$h_c$$3525.4$$h_b$$9899.3$
$1^3P_0$$0^{++}$$\chi_{c0}$$3414.7$$\chi_{b0}$$9859.4$
$1^3P_1$$1^{++}$$\chi_{c1}$$3510.7$$\chi_{b1}$$9892.8$
$1^3P_2$$2^{++}$$\chi_{c2}$$3556.2$$\chi_{b2}$$9912.2$
$2^1S_0$$0^{-+}$$\eta_c(2S)$$3637.7$$\eta_b(2S)$$9999$
$2^3S_1$$1^{--}$$\psi(2S)$$3686.1$$\Upsilon(2S)$$10023.3$
$3^3S_1$$1^{--}$$\psi(4040)$*$4039$$\Upsilon(3S)$$10355.2$

* $\psi(4040)$ は $D\bar D$ 閾値より上にあり幅が広い($80\ \mathrm{MeV}$).

準位間隔がほとんど同じ — 対数ポテンシャルの証拠

表7.5 から $2S$–$1S$ 間隔を読み取ると

$$ M[\psi(2S)]-M[J/\psi] = 589\ \mathrm{MeV}, \qquad M[\Upsilon(2S)]-M[\Upsilon(1S)] = 563\ \mathrm{MeV} $$

換算質量が $\mu_c = 0.75\ \mathrm{GeV}$ から $\mu_b=2.35\ \mathrm{GeV}$ へ $3.1$ 倍も変わっているのに,間隔がほとんど同じである.これは注目に値する.

なぜか.ポテンシャルが $V\propto r^p$ のとき,準位間隔の $\mu$ 依存性はスケーリング則から $\Delta E\propto \mu^{-p/(p+2)}$ になる.Coulomb($p=-1$)なら $\Delta E\propto\mu^{+1}$,線形($p=1$)なら $\Delta E\propto\mu^{-1/3}$.両者の中間で $\Delta E$ が $\mu$ に依存しなくなるのは $p\to0$,すなわち対数ポテンシャル $V\propto\ln r$ のときである.

実際,Cornell ポテンシャルは $0.1\ \mathrm{fm}\lesssim r\lesssim 1\ \mathrm{fm}$ の範囲で $V(r)\simeq C\ln(r/r_0)$ に非常によく似ている(Quigg–Rosner ポテンシャル).チャーモニウムとボトモニウムはちょうどこの窓の中にいるので,準位間隔が偶然そろうのである.「同じ間隔」という単純な観測が,ポテンシャルの形をここまで絞り込む.

同じ2体束縛問題の準位:縦軸は各系の 1S 束縛エネルギーで規格化してある 水素原子 (e⁻p) V = −α/r , μ ≈ mₑ 1S −13.6 eV 2S,2P −3.40 3ℓ −1.51 連続状態 (電離) Coulomb のみ:準位が n⁻² で 上に詰まり,有限のエネルギーで 電離する.ℓ 縮退がある. ポジトロニウム (e⁺e⁻) V = −α/r , μ = mₑ/2 1³S₁ (ortho) 1¹S₀ (para) −6.80 eV 超微細 203 GHz n = 2 −1.70 連続状態 水素と相似形.ただし全体が 1/2 倍, 超微細分裂は水素の 143 倍. チャーモニウム (cc̄) V = −(4/3)αs/r + a r , μ = mc/2 ηc 2984 J/ψ 3097 スピン・スピン 113 MeV χc0 3415 χc1 3511 hc ,χc2 3525/3556 ψ(2S) 3686 D⁰D̄⁰ 閾値 3730 MeV ψ(3770) 幅 27 MeV ψ(4040) 幅 80 MeV 閉じ込めのため準位は上に詰まらず, 電離しない.閾値上で幅が急に広がる.
図7.6 水素原子・ポジトロニウム・チャーモニウムの準位構造の比較.左2つは純 Coulomb なので相似形で,$n\to\infty$ で連続状態(電離)に収束する.右のチャーモニウムでは線形閉じ込め項があるため,準位が上に詰まらず電離しない(クォークは単独で取り出せない).代わりに $D\bar D$ 閾値を超えたところで,束縛状態が「ひもが切れて2つの中間子になる」チャンネルに開き,幅が急激に広がる.縦軸のスケールは系ごとに大きく異なる($\mathrm{eV}$ 対 $\mathrm{MeV}$)ことに注意.

7.4.4 スピン・スピン相互作用による質量分裂

$J/\psi$ と $\eta_c$ の $113\ \mathrm{MeV}$ の差は,水素の超微細分裂と同じ構造の機構(光子の代わりに1グルーオン交換が担う色磁気相互作用)で生じる.\eqref{eq:7-hf} のグルーオン版は

$$ \begin{equation} \Delta M_{\text{ss}} = \frac{32\pi}{9}\,\frac{\alpha_s}{m_1 m_2}\,\abs{\psi(0)}^2\, \left[\braket{\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2}+\tfrac34\right] \label{eq:7-ss} \end{equation} $$

係数 $32\pi/9$ には色因子 $4/3$ が入っている.\eqref{eq:7-hf} にはない定数 $3/4$ を括弧に加えてあるのは,擬スカラー中間子($\braket{\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2}=-3/4$)のシフトをゼロにとり,質量の基準をそこに置くという規約にすぎない.準位差はこの定数の有無によらない.$\braket{\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2}$ は前と同じく三重項 $+1/4$,一重項 $-3/4$ だから,ベクトル中間子($^3S_1$)と擬スカラー中間子($^1S_0$)の質量差は

$$ M_V - M_P = \frac{32\pi}{9}\frac{\alpha_s}{m_q^2}\abs{\psi(0)}^2 $$

導出:$\abs{\psi(0)}^2$ をレプトン対崩壊幅から実験的に取る

ステップ1:Van Royen–Weisskopf の公式.ベクトル中間子 $V$($J^{PC}=1^{--}$)は,$c\bar c\to\gamma^*\to e^+e^-$ で崩壊できる.この過程も「2つのクォークが同じ点にいる」ことを要求するので $\abs{\psi(0)}^2$ に比例する:

$$ \begin{equation} \Gamma(V\to e^+e^-) = \frac{16\pi\alpha^2 e_q^2}{M_V^2}\abs{\psi(0)}^2 \label{eq:7-vrw} \end{equation} $$

$e_q$ はクォークの電荷($c$ なら $2/3$)である.

ステップ2:$J/\psi$ に適用する.実測 $\Gamma(J/\psi\to e^+e^-) = 5.53\ \mathrm{keV}$,$M=3.097\ \mathrm{GeV}$,$e_q^2 = 4/9$:

$$ \abs{\psi(0)}^2 = \frac{\Gamma M^2}{16\pi\alpha^2 e_q^2} = \frac{(5.53\times10^{-6})(9.591)}{16\pi(5.325\times10^{-5})(4/9)}\ \mathrm{GeV^3} = 0.0446\ \mathrm{GeV^3} $$

この値を長さに直すと $\abs{\psi(0)}^{-2/3} = 2.8\ \mathrm{GeV^{-1}} = 0.56\ \mathrm{fm}$ で,変分計算の $\braket{r} = 0.40\ \mathrm{fm}$ と同じ桁である.ただし正直に比べておくと,変分試行関数($\lambda = 1.33\ \mathrm{GeV^{-1}}$)が与える $\abs{\psi(0)}^2 = 1/(\pi\lambda^3) = 0.135\ \mathrm{GeV^3}$ は,いま崩壊幅から取った $0.0446\ \mathrm{GeV^3}$ の約3倍ある(長さに直すと $3^{1/3}=1.44$ 倍の差に圧縮されるので,比較が甘くなる).この因子3は,素朴な Van Royen–Weisskopf 公式 \eqref{eq:7-vrw} に $O(\alpha_s)$ の大きな QCD 補正因子 $(1-16\alpha_s/3\pi)\simeq0.34$($\alpha_s=0.39$)が掛かることでほぼ説明され,補正を入れると $0.0446/0.34 = 0.13\ \mathrm{GeV^3}$ となって変分値と一致する.以下では補正前の値 $0.0446\ \mathrm{GeV^3}$ をそのまま使う.

ステップ3:質量分裂を予言する.$\alpha_s=0.39$,$m_c=1.5\ \mathrm{GeV}$ を \eqref{eq:7-ss} に入れると

$$ M_{J/\psi}-M_{\eta_c} = \frac{32\pi}{9}\cdot\frac{0.39\times0.0446}{(1.5)^2}\ \mathrm{GeV} = 0.086\ \mathrm{GeV} = 86\ \mathrm{MeV} $$

実測 $113\ \mathrm{MeV}$.$\alpha_s$ の走りや相対論補正を無視した一次近似としては十分な一致である.ここで注意してほしいのは,もし補正前の $0.0446\ \mathrm{GeV^3}$ ではなく変分値 $0.135\ \mathrm{GeV^3}$ を \eqref{eq:7-ss} に入れると $260\ \mathrm{MeV}$ になってしまうことである.\eqref{eq:7-ss} も \eqref{eq:7-vrw} と同程度の $O(\alpha_s)$ 補正を受けるので,どちらか一方だけを補正してはいけない.補正前の値同士を組み合わせるのが,この手の見積りの作法である.

ステップ4:ボトモニウムで検算する.$\Gamma(\Upsilon\to e^+e^-)=1.34\ \mathrm{keV}$,$M=9.460\ \mathrm{GeV}$,$e_q^2=1/9$ から $\abs{\psi(0)}^2 = 0.403\ \mathrm{GeV^3}$(チャーモニウムの $9$ 倍! 重いほど縮んでいる).$\alpha_s=0.22$,$m_b=4.7\ \mathrm{GeV}$ で

$$ M_\Upsilon - M_{\eta_b} = \frac{32\pi}{9}\cdot\frac{0.22\times0.403}{(4.7)^2} = 0.045\ \mathrm{GeV} = 45\ \mathrm{MeV} $$

実測 $62\ \mathrm{MeV}$.$m_q^2$ の分母で抑えられる一方,$\abs{\psi(0)}^2$ が増えるので,結果的にチャーモニウムの半分程度になる ——という非自明な傾向を正しく再現している.

材料科学との接点:閉じ込めポテンシャルと量子ドット

Cornell ポテンシャルは「短距離は Coulomb,長距離は閉じ込め」という形をしていた.半導体量子ドット中の励起子はこれとほぼ同じ構造の問題である.電子と正孔は Coulomb $-e^2/(4\pi\epsilon_0\epsilon_r r)$ で引き合いつつ,ドットの壁(有限深さの井戸,あるいは自己組織化ドットなら放物型 $\tfrac12 m^*\omega^2r^2$)に閉じ込められている.

そして両者で「同じ比べ方」をする.クォーコニウムでは $\mu\alpha_s^2$(Coulomb 的束縛)と $(a^2/\mu)^{1/3}$(閉じ込め)のどちらが大きいかで系の性格が決まった.量子ドットでは励起子 Bohr 半径 $a_X$ とドット半径 $R$ の比で決まる:

強閉じ込めでの基底状態エネルギーは,Brus の式

$$ E_g^{\text{QD}} = E_g^{\text{bulk}} + \frac{\pi^2\hbar^2}{2\mu R^2} - 1.786\frac{e^2}{4\pi\epsilon_0\epsilon_r R} $$

で与えられる.第2項が閉じ込め($1/R^2$),第3項が Coulomb($1/R$)で,クォーコニウムの \eqref{eq:7-variational} と項の構造がそっくりであることに注意してほしい.$R$ を小さくすると閉じ込め項が先に効いてくる($1/R^2$ 対 $1/R$)ので発光が青方偏移する.クォークを閉じ込めるひもと,ナノ結晶の壁は,数学的には同じ役回りを演じている.

7.5 軽いクォークからできた中間子

7.5.1 九重項の構成

$u,d,s$ の3つの軽いクォークを $\mathrm{SU}(3)$ フレーバーの基本表現 $\bm{3}$ とみなす(第5章).中間子はクォーク1個と反クォーク1個からできているので,その状態空間は

$$ \begin{equation} \bm{3}\otimes\bar{\bm{3}} = \bm{8}\oplus\bm{1} \label{eq:7-nonet} \end{equation} $$

と分解する.$\bm{8}$ が八重項(octet),$\bm{1}$ が一重項(singlet)で,合わせて九重項(nonet)と呼ぶ.

$L=0$ の $q\bar q$ には,スピンの組み方が2通りある.\eqref{eq:7-qqbarPC} より

したがって最も軽い中間子は,擬スカラー九重項とベクトル九重項の $18$ 個である.

(a) 擬スカラー九重項 JPC = 0⁻⁺ (b) ベクトル九重項 JPC = 1⁻⁻ I₃ Y (ハイパーチャージ) K⁰ (ds̄) 498 K⁺ (us̄) 494 π⁻ 140 π⁺ 140 K⁻ (sū) 494 K̄⁰ (sd̄) 498 π⁰ 135 η 548 η′ 958 中央に3つ重なる:π⁰(I=1),η(≈八重項),η′(≈一重項) π が極端に軽い(南部–Goldstone ボソン) I₃ K*⁰ 896 K*⁺ 892 ρ⁻ 775 ρ⁺ 775 K*⁻ 892 K̄*⁰ 896 ρ⁰ 775 ω 783 φ 1019 ω ≈ (uū+dd̄)/√2,φ ≈ ss̄ (理想混合) 質量は構成クォーク質量の和でほぼ説明できる 縦軸 Y = B + S(ハイパーチャージ),横軸 I₃(アイソスピン第3成分).六角形の頂点が八重項の6状態,中央に3状態が重なる.
図7.7 擬スカラー中間子九重項($0^{-+}$)とベクトル中間子九重項($1^{--}$)の重み図(質量の単位は MeV).$\mathrm{SU}(3)$ フレーバー対称性が厳密なら同じ九重項の粒子はすべて縮退するはずだが,$m_s>m_u\simeq m_d$ のため $s$ クォークを含む状態が重くなり,六角形が「上下に引き伸ばされる」.中央の3状態のうち,擬スカラーでは $\eta$–$\eta'$ の混合角が小さく($\simeq-11^\circ$),ベクトルでは大きい($\abs{\theta_V}\simeq50^\circ$ で,理想混合の $\abs{\theta}=54.7^\circ$ にほぼ等しい)という際立った違いがある.
表7.6 軽い中間子九重項(質量は MeV,PDG 値)
状態クォーク構成$0^{-+}$ 質量幅状態$1^{--}$ 質量幅
$\pi^\pm$$u\bar d,\ d\bar u$$139.570$$2.5\times10^{-14}$$\rho^\pm$$775.11$$149.1$
$\pi^0$$(u\bar u - d\bar d)/\sqrt2$$134.977$$7.8\times10^{-6}$$\rho^0$$775.26$$149.1$
$K^\pm$$u\bar s,\ s\bar u$$493.677$$5.3\times10^{-14}$$K^{*\pm}$$891.67$$51.4$
$K^0,\bar K^0$$d\bar s,\ s\bar d$$497.611$—($K_S,K_L$)$K^{*0}$$895.55$$47.3$
$\eta$$\simeq\eta_8$$547.862$$1.31\times10^{-3}$$\omega$$782.66$$8.68$
$\eta'$$\simeq\eta_1$$957.78$$0.188$$\phi$$1019.461$$4.249$

7.5.2 質量公式 — Gell-Mann–Okubo

$\mathrm{SU}(3)$ フレーバー対称性が厳密なら九重項の8つは縮退する.実際には $m_s\simeq 510\ \mathrm{MeV} > m_{u,d}\simeq336\ \mathrm{MeV}$(構成クォーク質量)で,差 $\approx170\ \mathrm{MeV}$ が対称性の破れの尺度になる.だから $s$ を含む状態が重い.対称性の破れが $\mathrm{SU}(3)$ の $\bm{8}$ の第8成分に比例する(すなわちハイパーチャージ方向)と仮定すると,八重項の質量に1つの関係式が導かれる.

Gell-Mann–Okubo(GMO)質量公式

八重項の質量は,$I$ をアイソスピン,$Y$ をハイパーチャージとして

$$ \begin{equation} m = m_0 + b\,Y + c\left[I(I+1)-\tfrac{Y^2}{4}\right] \label{eq:7-gmo} \end{equation} $$

の形に書ける.中間子(ボソン)については $m$ ではなく $m^2$ について成り立つとするのが経験的に良く,$\pi(I=1,Y=0)$,$K(I=\tfrac12,Y=\pm1)$,$\eta_8(I=0,Y=0)$ を代入して $b,c$ を消去すると

$$ \begin{equation} 4m_K^2 = 3m_{\eta_8}^2 + m_\pi^2 \label{eq:7-gmo-meson} \end{equation} $$

を得る.バリオン(フェルミオン)については $m$ の1乗で成り立ち,7.6 節で使う.

数値:GMO 公式の検定と $\eta_8$ の質量

$m_K = 497.61\ \mathrm{MeV}$,$m_\pi = 134.98\ \mathrm{MeV}$($\pi^0$)を使う.

$$ m_{\eta_8} = \sqrt{\frac{4m_K^2-m_\pi^2}{3}} = \sqrt{\frac{4(0.49761)^2-(0.13498)^2}{3}}\ \mathrm{GeV} = 0.5693\ \mathrm{GeV} $$

実測の $\eta$ は $547.86\ \mathrm{MeV}$.$4\%$ のずれがある.このずれが単なる誤差でなく,$\eta$ が純粋な $\eta_8$ ではなく $\eta_1$ と混ざっていることの現れである,というのが次項の話である.

ちなみに GMO を素朴に $4m_K^2 = 3m_\eta^2+m_\pi^2$ の形で検定すると,左辺 $0.9905\ \mathrm{GeV^2}$,右辺 $0.9187\ \mathrm{GeV^2}$ で $7\%$ 合わない.

7.5.3 $\eta$ と $\eta'$ の混合

九重項の中央には,$I_3=0,Y=0$ をもつ3つの状態が重なっている.そのうち $I=1$ の $\pi^0$ は他と混ざれない(アイソスピンが違う)が,$I=0$ の2つ

$$ \begin{equation} \ket{\eta_8} = \frac{u\bar u + d\bar d - 2s\bar s}{\sqrt6}, \qquad \ket{\eta_1} = \frac{u\bar u + d\bar d + s\bar s}{\sqrt3} \label{eq:7-eta8eta1} \end{equation} $$

は,$\mathrm{SU}(3)$ が破れているために混ざり合う.物理的な状態は

$$ \begin{equation} \ket{\eta} = \cos\theta_P\ket{\eta_8} - \sin\theta_P\ket{\eta_1}, \qquad \ket{\eta'} = \sin\theta_P\ket{\eta_8} + \cos\theta_P\ket{\eta_1} \label{eq:7-etamix} \end{equation} $$

導出:混合角 $\theta_P$ を実測質量から決める

ステップ1:質量行列の対角化.$\{\ket{\eta_8},\ket{\eta_1}\}$ 基底での質量二乗行列を $\mathcal{M}^2$ とすると,物理状態はその固有ベクトルである.対角化がユニタリなので,トレースが保存する:

$$ m_{\eta_8}^2 + m_{\eta_1}^2 = m_\eta^2 + m_{\eta'}^2 $$

さらに $\ket{\eta_8}$ 成分の対角要素は

$$ \begin{equation} m_{\eta_8}^2 = m_\eta^2\cos^2\theta_P + m_{\eta'}^2\sin^2\theta_P \label{eq:7-mix-eq} \end{equation} $$

ステップ2:GMO から $m_{\eta_8}$ を入れる.前項の $m_{\eta_8}^2 = 0.32408\ \mathrm{GeV^2}$,$m_\eta^2 = 0.30015\ \mathrm{GeV^2}$,$m_{\eta'}^2 = 0.91734\ \mathrm{GeV^2}$ を \eqref{eq:7-mix-eq} に代入する:

$$ 0.32408 = 0.30015 + (0.91734-0.30015)\sin^2\theta_P $$ $$ \sin^2\theta_P = \frac{0.02393}{0.61719} = 0.03878 \quad\Longrightarrow\quad \abs{\theta_P} = 11.4^\circ $$

ステップ3:意味を読む.混合角が小さい,すなわち$\eta$ はほぼ $\eta_8$,$\eta'$ はほぼ $\eta_1$ である.クォーク成分に直すと

$$ \eta \simeq 0.51(u\bar u+d\bar d) - 0.69\,s\bar s,\qquad \eta' \simeq 0.49(u\bar u+d\bar d) + 0.73\,s\bar s $$

(符号と係数は $\theta_P=-11.4^\circ$ を \eqref{eq:7-etamix} と \eqref{eq:7-eta8eta1} に代入して得られる.)

なぜベクトル中間子では混合が「理想的」なのか

同じ手続きをベクトル中間子でやってみよう.\eqref{eq:7-gmo-meson} から $m_{\omega_8} = 927\ \mathrm{MeV}$,これを \eqref{eq:7-mix-eq} の $\omega,\phi$ 版に入れると $\sin^2\theta_V = 0.579$,すなわち $\abs{\theta_V}\simeq50^\circ$ という大きな値が出る.一方 \eqref{eq:7-etamix} の記法では,混合の結果がちょうど

$$ \omega = \frac{u\bar u + d\bar d}{\sqrt2},\qquad \phi = s\bar s $$

になるのは $\cos\theta = 1/\sqrt3$,$\sin\theta = -\sqrt{2/3}$,すなわち $\theta_{\text{ideal}} = -54.7^\circ$ のときである.これを理想混合と呼ぶ(質量の関係式 \eqref{eq:7-mix-eq} は $\sin^2\theta$ にしかよらないので符号は決まらない.$\phi\to K\bar K$ が優勢であることが負の側を選ぶ).$\abs{\theta_V}\simeq50^\circ$ はこれに非常に近い(擬スカラーの $11^\circ$ が理想からいかに遠いかと比べてほしい).なお文献によっては補角をとる流儀があり,その場合 $\theta_V\simeq39^\circ$,理想混合 $35.3^\circ$ と書かれる.中身は同じである.

証拠1:$\phi$ の崩壊.$\phi(1019)$ は $K\bar K$ に $83\%$ で崩壊する.しかし $2m_{K^\pm}=987\ \mathrm{MeV}$ なので使える運動エネルギーはたった $32\ \mathrm{MeV}$ しかない.一方 $3\pi$ への崩壊は位相空間がずっと広いのに $15\%$ しかない.$\phi$ が $s\bar s$ なら,$s$ と $\bar s$ をそのまま $K$ と $\bar K$ に持ち込める(つながったクォーク線図)が,$3\pi$ にするには $s\bar s$ を消してグルーオンを介さねばならない.後者はOZI 則(クォーク線が切れる過程はグルーオン交換を要し,$\alpha_s$ の高次で抑制される)で強く抑えられる.

証拠2:質量.$m_\phi - m_\omega = 237\ \mathrm{MeV}\simeq 2(m_s-m_u)$.構成クォーク質量差 $510-336=174\ \mathrm{MeV}$ の2倍 $348$ に比べると小さいが,$\omega$ が $u\bar u,d\bar d$,$\phi$ が $s\bar s$ という描像と整合する向きである.

なぜ擬スカラーだけ違うのか.擬スカラーの $\eta_1$($\mathrm{SU}(3)$ 一重項)には,2グルーオン状態と混ざる特別な機構($\mathrm{U}(1)_A$ アノマリー)が働き,$\eta'$ だけが大きく重くなる.この $\eta'$ 質量問題は QCD の非摂動的側面の代表例である(アノマリーそのものは第13章 13.6.3 項).

物理的意味:$\pi$ 中間子はなぜ異常に軽いのか

表7.6 を眺めると,$\pi$($139\ \mathrm{MeV}$)だけが際立って軽い.構成クォーク模型で言えば $m_u+m_d = 672\ \mathrm{MeV}$ のはずで,$\rho$($775\ \mathrm{MeV}$)はこれに近い.$\pi$ はどこへ消えたのか.

答えは「$\pi$ は通常の束縛状態ではなく,自発的に破れたカイラル対称性の南部–Goldstone ボソンだから」である.第13章で扱うが,カイラル極限($m_u=m_d=0$)では $\pi$ の質量はちょうどゼロになる.有限のクォーク質量が入ると

$$ m_\pi^2 = \frac{(m_u+m_d)}{f_\pi^2}\abs{\braket{\bar q q}} $$

(Gell-Mann–Oakes–Renner 関係)となり,$m_\pi^2\propto m_q$ という特徴的な依存性を示す.ここで $f_\pi\simeq92\ \mathrm{MeV}$ はパイオン崩壊定数($f_\pi=130\ \mathrm{MeV}$ とする規約もあり,その場合は右辺に因子 2 が付く),$\braket{\bar qq}\simeq-(270\ \mathrm{MeV})^3$ は1フレーバーあたりのクォーク凝縮である(凝縮とこの関係式は本書では導出しない.カイラル対称性の自発的破れと南部–Goldstone ボソンの一般論は第13章 13.7 節).$m_\pi$ ではなく $m_\pi^2$ がクォーク質量に比例する,というのが Goldstone ボソンの指紋である.

材料科学者には見慣れた構造のはずである.強磁性体で回転対称性が自発的に破れるとマグノン(スピン波)というギャップレス励起が現れ,結晶で並進対称性が破れると音響フォノンが現れる.どちらも南部–Goldstone ボソンである.そして磁気異方性で回転対称性がわずかに明示的に破れるとマグノンにギャップが開き,格子が基板や不純物にピン止めされて並進対称性が明示的に破れると(非整合結晶なら位相子 phason に)ギャップが開く.なお音響フォノンは,結晶中でも並進対称性が厳密に保たれているかぎり $\bm q\to0$ でギャップを持たない(イオン結晶の LO–TO 分裂は Goldstone モードのギャップではなく,Goldstone モードでない光学フォノンが長距離 Coulomb 力で縦横に分かれる現象であって,むしろ第13章の Anderson–Higgs 機構の親戚である).$\pi$ 中間子は,クォーク質量という明示的な破れでギャップ $m_\pi$ を得た,QCD 版の「異方性ギャップつきマグノン」なのである.

7.6 バリオン — 色が必要になる理由

7.6.1 $\Delta^{++}$ のパラドックス

バリオンはクォーク3個からなる.$u,d,s$ の3種から3個を選ぶので,$\mathrm{SU}(3)$ フレーバーでは

$$ \begin{equation} \bm{3}\otimes\bm{3}\otimes\bm{3} = \bm{10}\oplus\bm{8}\oplus\bm{8}\oplus\bm{1} \label{eq:7-333} \end{equation} $$

となり,十重項($J^P=\tfrac32^+$:$\Delta,\Sigma^*,\Xi^*,\Omega$)と八重項($J^P=\tfrac12^+$:$N,\Lambda,\Sigma,\Xi$)が現れる.これはよく合う.ところが $1964$ 年,深刻な問題が指摘された.

問題:$\Delta^{++}$ は Pauli の排他律を破っている(ように見える)

$\Delta^{++}$ は電荷 $+2$,スピン $3/2$ のバリオンである.クォーク構成は $uuu$ で,$S_z=+3/2$ の状態を書き下すと

$$ \ket{\Delta^{++},S_z=\tfrac32} = \ket{u\!\uparrow\ u\!\uparrow\ u\!\uparrow} $$

3つの $u$ クォークがすべて同じ状態にいる.しかも基底状態なので $L=0$,つまり空間波動関数も対称である.整理すると:

3つの積は完全に対称である.しかしクォークはスピン $1/2$ のフェルミオンだから,波動関数は同種粒子の交換に対して反対称でなければならない.矛盾である.

解決:色(カラー)という新しい自由度

Greenberg(1964)と Han–南部(1965)の解決策は,クォークにもう一つ隠れた自由度 —— 色(color)—— を与え,そこで反対称化することであった.色は3種類(赤・緑・青,$\mathrm{SU}(3)_C$ の $\bm{3}$)とする.3つの色から反対称な組み合わせは,完全反対称テンソルを使って一意に作れる:

$$ \begin{equation} \ket{\text{color}} = \frac{1}{\sqrt6}\,\varepsilon_{abc}\,\ket{q^a q^b q^c} = \frac{1}{\sqrt6}\left(\ket{rgb}-\ket{rbg}+\ket{gbr}-\ket{grb}+\ket{brg}-\ket{bgr}\right) \label{eq:7-color-singlet} \end{equation} $$

これは $\mathrm{SU}(3)_C$ の一重項(無色)でもある.したがって全波動関数は

$$ \Psi = \underbrace{\psi_{\text{space}}}_{\text{対称}}\times \underbrace{\chi_{\text{spin}}\times\phi_{\text{flavor}}}_{\text{対称}}\times \underbrace{\xi_{\text{color}}}_{\text{反対称}} \ \Longrightarrow\ \text{全体は反対称} $$

となり,Pauli 原理が救われる.

色の数が $3$ であることの独立な検証.この解決は「色が $3$ 種類ある」と決め打ちして導入したように見えるが,まったく別の実験がそれを支持する:

色は $\Delta^{++}$ の困りごとを繕う場当たりの仮説ではなく,実験で数えられる物理量だったのである.そしてこの色の自由度をゲージ対称性に昇格させたものが,量子色力学(QCD,第11章)である.

Δ⁺⁺ (uuu, Sz = +3/2) の波動関数:4つの因子とその交換対称性 空間 ψ(r₁,r₂,r₃) L = 0 (基底状態,s 波) 節がない → 入れ替えても同じ 対称 (+) スピン χ S = 3/2 : ↑↑↑ 全部同じ向き 対称 (+) フレーバー φ u u u 全部同じ種類 対称 (+) 色 ξ ← 新しい自由度 εabc |qa qb qc⟩ /√6 赤・緑・青が1つずつ 反対称 (−) × × × 全波動関数 Ψ = (+)(+)(+)(−) = 反対称 ✔ Pauli 原理を満たす 無色(色一重項)のイメージ r g b = 白(無色) — 単独で取り出せるのは無色の組合せだけ 中間子は q(色 a) と q̄(反色 ā) の組 δab で無色になる:バリオンとは別の作り方だが結果は同じく色一重項.
図7.8 $\Delta^{++}$ の波動関数と色の必然性.空間・スピン・フレーバーの3因子がすべて対称なので,Pauli 原理を満たすには第4の因子が反対称でなければならない.3つの色から作れる反対称な組み合わせは $\varepsilon_{abc}$ ただ一つであり,それは同時に $\mathrm{SU}(3)_C$ の一重項(無色)でもある.「観測されるハドロンはすべて無色である」という QCD の閉じ込め則が,ここに芽生えている.

7.6.2 バリオン八重項の波動関数

$\Delta$(十重項,$S=3/2$)ではフレーバーもスピンも完全対称でよかったが,核子(八重項,$S=1/2$)はそう単純ではない.$p = uud$ の $S_z=+1/2$ 状態を書き下してみよう.

導出:陽子の波動関数

ステップ1:色は分離する.色部分は常に \eqref{eq:7-color-singlet} の反対称一重項である.したがって残り(空間×スピン×フレーバー)は対称でなければならない.基底状態は $L=0$ で空間対称だから,スピン×フレーバーが対称という条件になる.

ステップ2:どうやって対称にするか.$S=1/2$ の3スピン状態も,$uud$ のフレーバー状態も,完全対称にはできない(混合対称,mixed symmetry).しかし「混合対称 $\times$ 混合対称」を適切に組めば全体を対称にできる.結果だけ書くと,規格化された陽子の状態は

$$ \begin{equation} \begin{split} \ket{p\!\uparrow} = \frac{1}{\sqrt{18}}\Big[ &\;2\ket{u\!\uparrow u\!\uparrow d\!\downarrow} -\ket{u\!\uparrow u\!\downarrow d\!\uparrow} -\ket{u\!\downarrow u\!\uparrow d\!\uparrow} \\ &+ (\text{$d$ を1番目・2番目に置いた巡回項})\ \Big] \end{split} \label{eq:7-proton-wf} \end{equation} $$

全部で9項,係数の二乗和は $(4+1+1)\times3 = 18$ で規格化されている.

ステップ3:確かめ方.この状態が本当に $S=1/2$,$I=1/2$,かつスピン×フレーバーで対称であることは,任意の2つのクォークを入れ替えて同じ状態に戻ることを確認すればよい.この波動関数の帰結である磁気モーメントの公式は,演習7.6 で使う.

7.6.3 磁気モーメントの予言

クォーク模型のもっとも印象的な成功が,バリオンの磁気モーメントである.クォークが質量 $m_q$ の点 Dirac 粒子($g=2$)なら,その磁気モーメントは

$$ \begin{equation} \mu_q = \frac{e_q}{2m_q} \qquad\Longrightarrow\qquad \mu_u = \frac{2}{3}\frac{e}{2m_u},\quad \mu_d = -\frac{1}{3}\frac{e}{2m_d},\quad \mu_s = -\frac{1}{3}\frac{e}{2m_s} \label{eq:7-muq} \end{equation} $$

バリオンの磁気モーメントは,構成クォークの磁気モーメントの $z$ 成分の期待値である:

$$ \mu_B = \braket{B\!\uparrow \Big| \sum_{i=1}^{3}\mu_i\,\sigma_z^{(i)} \Big| B\!\uparrow} $$

導出:$\mu_p$ と $\mu_n$,そして $\mu_n/\mu_p = -2/3$

ステップ1:陽子で期待値をとる.\eqref{eq:7-proton-wf} の各項について $\sigma_z$ の和を計算する.たとえば $\ket{u\!\uparrow u\!\uparrow d\!\downarrow}$ は $2\mu_u-\mu_d$ を,$\ket{u\!\uparrow u\!\downarrow d\!\uparrow}$ は $\mu_d$ を与える.係数の二乗で重みをつけると

$$ \mu_p = \frac{1}{18}\Big[3\times4\times(2\mu_u-\mu_d) + 3\times1\times\mu_d + 3\times1\times\mu_d\Big] = \frac{1}{18}\left[24\mu_u - 12\mu_d + 6\mu_d\right] $$
$$ \begin{equation} \mu_p = \frac{4}{3}\mu_u - \frac{1}{3}\mu_d, \qquad \mu_n = \frac{4}{3}\mu_d - \frac{1}{3}\mu_u \label{eq:7-mup-mun} \end{equation} $$

$\mu_n$ は $u\leftrightarrow d$ の入れ替えで得られる(アイソスピン対称性).

ステップ2:$m_u = m_d \equiv m_q$ とする.アイソスピン対称性から $m_u=m_d$ としてよい.$\mu_0\equiv e/(2m_q)$ と置くと $\mu_u = \tfrac23\mu_0$,$\mu_d = -\tfrac13\mu_0$ だから

$$ \mu_p = \frac43\cdot\frac23\mu_0 + \frac13\cdot\frac13\mu_0 = \left(\frac89+\frac19\right)\mu_0 = \mu_0 $$ $$ \mu_n = -\frac43\cdot\frac13\mu_0 - \frac13\cdot\frac23\mu_0 = -\left(\frac49+\frac29\right)\mu_0 = -\frac23\mu_0 $$

ステップ3:パラメータのない予言.比をとると $m_q$ が消える:

$$ \begin{equation} \frac{\mu_n}{\mu_p} = -\frac{2}{3} = -0.6667 \label{eq:7-mun-mup} \end{equation} $$

実測は $\mu_n/\mu_p = -1.91304/2.79285 = -0.6850$.$2.7\%$ の一致である.調整パラメータがまったく入っていないことを強調しておきたい.1964年当時,クォークが実在するかどうか誰も確信していなかった時代に,この数字が出たのである.

ステップ4:構成クォーク質量を決める.$\mu_p = \mu_0 = (m_p/m_q)\mu_N$($\mu_N = e/2m_p$ は核磁子)だから

$$ m_q = \frac{m_p}{\mu_p/\mu_N} = \frac{938.272}{2.79285}\ \mathrm{MeV} = 336\ \mathrm{MeV} $$

核子質量の約 $1/3$ である.これが構成クォーク質量で,QCD の「裸の」(カレント)クォーク質量 $m_u\simeq2\ \mathrm{MeV}$,$m_d\simeq5\ \mathrm{MeV}$ とはまったく別物である.差の $330\ \mathrm{MeV}$ はグルーオン場とクォーク凝縮が着せた「衣」であり,7.2.3 項で述べた「裸の量は測れない,着飾った量だけが測れる」の QCD 版である.

同様に $\Lambda$($uds$ で $ud$ がスピン0対を組むので $\mu_\Lambda=\mu_s$)から

$$ m_s = \frac{m_p}{3\abs{\mu_\Lambda}/\mu_N} = \frac{938.272}{3\times0.613}\ \mathrm{MeV} = 510\ \mathrm{MeV} $$
表7.7 バリオン磁気モーメントの予言と実測(単位は核磁子 $\mu_N$.$m_u=m_d=336\ \mathrm{MeV}$,$m_s=510\ \mathrm{MeV}$;$\mu_p$ と $\mu_\Lambda$ の2点だけを合わせてある)
バリオンクォーククォーク模型の式予言実測差
$p$$uud$$\tfrac43\mu_u-\tfrac13\mu_d$$+2.793$*$+2.7928$—(fit)
$n$$udd$$\tfrac43\mu_d-\tfrac13\mu_u$$-1.862$$-1.9130$$2.7\%$
$\Lambda$$uds$$\mu_s$$-0.613$*$-0.613$—(fit)
$\Sigma^+$$uus$$\tfrac43\mu_u-\tfrac13\mu_s$$+2.687$$+2.458$$9\%$
$\Sigma^-$$dds$$\tfrac43\mu_d-\tfrac13\mu_s$$-1.037$$-1.160$$11\%$
$\Xi^0$$uss$$\tfrac43\mu_s-\tfrac13\mu_u$$-1.438$$-1.250$$15\%$
$\Xi^-$$dss$$\tfrac43\mu_s-\tfrac13\mu_d$$-0.507$$-0.6507$$22\%$
$\Omega^-$$sss$$3\mu_s$$-1.840$$-2.02$$9\%$

* はパラメータを合わせた点.残り6個は予言である.全体として $10$–$20\%$ の精度で当たっており,非相対論的クォーク模型という粗い近似の割には驚くべき成績である.ずれは,クォークが実際には相対論的に動いていること,$s$ クォークを含む系での $\mathrm{SU}(3)$ の破れ,中間子雲($p\leftrightarrow n\pi^+$ など)の寄与に由来する.

7.6.4 バリオンの質量公式

中間子の \eqref{eq:7-ss} と同じ論理でバリオンの質量を書く.3つのクォークの対ごとにスピン・スピン相互作用が働くので

$$ \begin{equation} M_B = \sum_{i=1}^{3} m_i + A\sum_{i<j}\frac{\bm{S}_i\cdot\bm{S}_j}{m_i m_j} \label{eq:7-baryon-mass} \end{equation} $$

数値例:$\Delta$–$N$ 質量差

$u,d$ だけからなるバリオンでは $m_i=m_q$ で共通なので,スピン部分は

$$ \sum_{i<j}\bm{S}_i\cdot\bm{S}_j = \frac12\left[\bm{S}^2 - \sum_i \bm{S}_i^2\right] = \frac12\left[S(S+1)-3\cdot\frac34\right] $$

核子($S=1/2$)では $\tfrac12[\tfrac34-\tfrac94] = -\tfrac34$,$\Delta$($S=3/2$)では $\tfrac12[\tfrac{15}{4}-\tfrac94]=+\tfrac34$.したがって

$$ M_\Delta - M_N = \frac{A}{m_q^2}\left(\frac34+\frac34\right) = \frac{3A}{2m_q^2} $$

実測 $M_\Delta - M_N = 1232 - 939 = 293\ \mathrm{MeV}$ からパラメータ $A/m_q^2 = 195\ \mathrm{MeV}$ が決まる.同じ $A$ を使って $\Sigma^*-\Sigma$(実測 $190\ \mathrm{MeV}$),$\Xi^*-\Xi$(実測 $215\ \mathrm{MeV}$)が説明できる.中間子側でも同じ形が書けて,$\braket{\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2}$ の差が $\tfrac14-(-\tfrac34)=1$ だから $M_V-M_P = A_M/m_q^2$ となる.ただし係数は同じ $A$ ではない:色因子が $q\bar q$(色一重項)では $-4/3$,バリオン中の $qq$ 対では $-2/3$ なので $A_M\simeq2A$ が期待され,$M_\rho-M_\pi \simeq 2\times195 = 390\ \mathrm{MeV}$ が予想される.実測は $775-138 = 637\ \mathrm{MeV}$ で $1.6$ 倍のずれがあり,これは中間子とバリオンで $\abs{\psi(0)}^2$ が異なること(中間子のほうが縮んでいる)に由来する.「中間子の分裂のほうが大きい」という順序と桁は正しく再現している.

スピン・スピン相互作用がなぜこんなに大きいのかと思うかもしれない.水素の超微細分裂は $10^{-6}\ \mathrm{eV}$ だったのに,ここでは $300\ \mathrm{MeV}$,つまり $14$ 桁大きい.理由は式 \eqref{eq:7-ss} を見れば明らかで,$\alpha\to\alpha_s$($\alpha_s/\alpha\simeq50$ 倍),$m_e\to m_q$ で $\abs{\psi(0)}^2/m^2$ が桁違いに大きくなるからである.同じ形の式が,スケールを変えるだけでハドロン物理と原子物理をつなぐ.

Gell-Mann–Okubo(バリオン版)と等間隔則

バリオン八重項に \eqref{eq:7-gmo} を(質量の1乗で)適用すると

$$ \begin{equation} \frac{m_N + m_\Xi}{2} = \frac{3m_\Lambda + m_\Sigma}{4} \label{eq:7-gmo-baryon} \end{equation} $$

数値を入れる($m_N=938.92$,$m_\Xi=1318.29$,$m_\Lambda=1115.68$,$m_\Sigma=1193.15\ \mathrm{MeV}$,いずれも荷電状態の平均):

$$ \text{左辺} = 1128.6\ \mathrm{MeV},\qquad \text{右辺} = 1135.1\ \mathrm{MeV} $$

$0.6\%$ の一致.素粒子物理でこれほどきれいに合う経験則は多くない.

十重項では $I(I+1)-Y^2/4$ の項が $Y$ の1次にまとまるので,質量が $Y$ について等間隔になる:

$$ \Delta(1232)\ \xrightarrow{\ 153\ }\ \Sigma^*(1385)\ \xrightarrow{\ 148\ }\ \Xi^*(1533)\ \xrightarrow{\ 139\ }\ \Omega^-(1672) $$

Gell-Mann は $1962$ 年,$\Omega^-$ がまだ見つかっていない段階でこの等間隔則から質量 $1685\ \mathrm{MeV}$ と量子数を予言し,$1964$ 年ブルックヘブンの泡箱で $1672\ \mathrm{MeV}$ の $\Omega^-$ が発見された.周期表で Mendeleev が空欄を埋めたのとまったく同じ論理であり,$\mathrm{SU}(3)$ フレーバー対称性が実在することの決定的証拠になった.

7.7 材料科学との接点 — すべては同じ2体束縛問題である

7.7.1 Wannier 励起子 = 誘電率でスケールした水素原子

半導体に光を当てて価電子帯の電子を伝導帯に上げると,価電子帯には正孔が残る.正孔は電荷 $+e$,有効質量 $m_h^*$ をもつ準粒子であり,電子(電荷 $-e$,有効質量 $m_e^*$)と Coulomb 引力で束縛して励起子(exciton)を作る.束縛半径が格子定数よりずっと大きい場合を Wannier–Mott 励起子と呼ぶ.

材料科学との接点:励起子は「$\mu$ と $\epsilon_r$ を取り替えただけの水素原子」

Schrödinger 方程式は

$$ \left[-\frac{\hbar^2}{2\mu}\nabla^2 - \frac{e^2}{4\pi\epsilon_0\epsilon_r\,r}\right]\psi = E\psi, \qquad \frac{1}{\mu} = \frac{1}{m_e^*}+\frac{1}{m_h^*} $$

水素原子との違いは2つだけである:(i) 質量が $m_e\to\mu$ に置き換わる,(ii) 結晶の誘電遮蔽により $e^2\to e^2/\epsilon_r$ になる.Rydberg 公式 $E_1 = -m_ee^4/(2(4\pi\epsilon_0)^2\hbar^2)$ に代入すれば,即座に

$$ \begin{equation} E_b = 13.606\ \mathrm{eV}\times\frac{\mu/m_0}{\epsilon_r^2}, \qquad a_X = 0.0529\ \mathrm{nm}\times\frac{\epsilon_r}{\mu/m_0} \label{eq:7-exciton} \end{equation} $$

を得る.励起子は水素そっくりの Rydberg 系列 $E_n = -E_b/n^2$ をもつ.

表7.8 代表的半導体の励起子($\mu$ は $m_0$ 単位,$E_b$ は meV,$a_X$ は nm)
物質$\mu/m_0$$\epsilon_r$$E_b$(\eqref{eq:7-exciton})$a_X$$E_b$ 実測
GaAs0.05612.94.612.24.2
Si0.12311.712.25.014.7
GaN0.1489.522.33.425
ZnO0.188.533.92.560
Cu$_2$O(黄色系列)0.3637.587.81.198

読み取り方.GaAs のような弱束縛系($E_b\ll k_BT|_{300\mathrm{K}}=25.9\ \mathrm{meV}$)では,室温で励起子は熱解離してしまう.だから GaAs 系では,室温の発光は自由な電子と正孔の帯間再結合が主役で(デバイスはそれで十分よく働く),励起子由来の鋭い発光線を見るには低温にするか,量子井戸に閉じ込めて $E_b$ を数倍に稼ぐ必要がある.逆に GaN や ZnO は $E_b>k_BT$ なので室温で励起子が生き残る.青色 LED や紫外レーザーがこれらの材料で作られる理由の一つである.

ずれの原因は,(i) 束縛半径が小さくなると遮蔽に使うべき誘電率が静的な $\epsilon_s$($=\epsilon_r(0)$)から高周波の $\epsilon_\infty$ に移ること(ZnO のような極性半導体で顕著),(ii) 有効質量の異方性・非放物性,(iii) 中心セル補正である.しかし式 \eqref{eq:7-exciton} は,材料を見て $30$ 秒で束縛エネルギーの桁を出すための最良の道具であり続けている.

Rydberg 励起子.Cu$_2$O では $2014$ 年に $n=25$ までの励起子系列が観測された.$n=25$ の励起子半径は $a_X n^2 = 1.1\times625\ \mathrm{nm} = 0.7\ \mu\mathrm{m}$ に達する.結晶中に $\mu\mathrm{m}$ サイズの「巨大水素原子」が浮かんでいるわけで,量子光学の Rydberg 原子と同じ強い双極子ブロッケード効果を示す.固体版 Rydberg 原子として量子情報の舞台になりつつある.

7.7.2 総まとめ:11桁にわたる同じ方程式

表7.9 本章で扱った2体束縛系の総覧($m_0$ は自由電子質量).†重陽子は中心力の1パイオン交換ポテンシャルだけでは束縛せず,テンソル力($D$ 波混合 $\approx4\%$)が束縛に不可欠である.
系構成粒子換算質量 $\mu$ポテンシャル基底状態の束縛エネルギー典型的な大きさ測定手段
Wannier 励起子(GaAs)$e^-$ + 正孔$0.056\,m_0$$-e^2/(4\pi\epsilon_0\epsilon_r r)$$4.6\ \mathrm{meV}$$12\ \mathrm{nm}$吸収・PL 分光
Wannier 励起子(Cu$_2$O)$e^-$ + 正孔$0.363\,m_0$同上($\epsilon_r=7.5$)$88\ \mathrm{meV}$$1.1\ \mathrm{nm}$吸収分光($n\le25$)
ポジトロニウム$e^+e^-$$m_e/2$$-\alpha/r$$6.803\ \mathrm{eV}$$1.06\ \text{Å}$PALS,$2\gamma/3\gamma$
ミュオニウム$\mu^+e^-$$0.9952\,m_e$$-\alpha/r$$13.540\ \mathrm{eV}$$0.53\ \text{Å}$$\mu$SR
水素原子$e^-p$$0.99946\,m_e$$-\alpha/r$$13.598\ \mathrm{eV}$$0.53\ \text{Å}$光・マイクロ波分光
ミュオン水素$\mu^-p$$185.8\,m_e$$-\alpha/r$$2.53\ \mathrm{keV}$$285\ \mathrm{fm}$レーザー分光($r_p$ 決定)
重陽子$np$$469.5\ \mathrm{MeV}$湯川型 $-g^2\ee^{-m_\pi r}/r$(+テンソル力)†$2.22\ \mathrm{MeV}$$4.3\ \mathrm{fm}$光核分解,散乱
チャーモニウム$c\bar c$$0.75\ \mathrm{GeV}$$-\tfrac43\alpha_s/r + ar$$\sim0.63\ \mathrm{GeV}$($D^0\bar D^0$ 閾値から)$0.40\ \mathrm{fm}$$e^+e^-$ 衝突
ボトモニウム$b\bar b$$2.35\ \mathrm{GeV}$同上($\alpha_s=0.22$)$\sim1.10\ \mathrm{GeV}$($B\bar B$ 閾値から)$0.26\ \mathrm{fm}$$e^+e^-$ 衝突
本章で扱った 2 体束縛系の束縛エネルギーを対数軸上に並べた図.励起子(GaAs 4.6 meV,Cu2O 88 meV),ポジトロニウム 6.80 eV,水素原子 13.6 eV,ミュオン水素 2.53 keV,重陽子 2.22 MeV,チャーモニウム 0.63 GeV,ボトモニウム 1.10 GeV が 11 桁以上にわたって並ぶ.
図7.9 本章で扱った2体束縛系の束縛エネルギー(対数目盛).半導体中の励起子($\mathrm{meV}$)からボトモニウム($\mathrm{GeV}$)まで $11$ 桁以上にわたるが,すべて同じ動径方程式 \eqref{eq:7-radial-u} の解である.「換算質量とポテンシャルを差し替えるだけ」という視点が,分野をまたいで使える理由である.

材料科学との接点:電子と正孔は「粒子と反粒子」である

本章の最後に,本書全体の企画意図に立ち返っておきたい.半導体の電子と正孔の関係は,素粒子の粒子と反粒子の関係と,形式的にきわめてよく似ている.

もちろん違いもある.正孔は真空の励起ではなくフェルミ海の励起であり,$m_h^*$ はバンド構造で決まる有効質量であって,$m_e^*$ と等しくない(ポジトロニウムでは厳密に等しい).また電子・正孔は結晶という媒質を必要とする準粒子である.しかしこの「違い」も含めて,同じ言語で語れることが重要である.

第13章では超伝導体の $\mathrm{U}(1)$ 対称性の自発的破れが,Higgs 機構と同じ構造の数学で書けること(および対応が破れる場所)を見る.第14章では,超伝導体中の準粒子が「自分自身の反粒子」になる Majorana 状態が,ニュートリノの Majorana 性と同じ Bogoliubov–de Gennes 構造を持つことを見る.本章の「電子と正孔」は,その長い物語の第一歩である.

7.8 まとめと演習

7.8.1 まとめ

7.8.2 演習問題

演習7.1 微細構造の分裂を計算する

式 \eqref{eq:7-fine} を使う.$\alpha^2 = 5.3251\times10^{-5}$,$\mathrm{Ry}=13.606\ \mathrm{eV}$ とせよ.

(1) $n=1$($1S_{1/2}$)の微細構造補正を eV 単位で求めよ.基底状態のエネルギーは補正込みでいくらか.

(2) $n=3$ の準位は $j=1/2,3/2,5/2$ の3本に分かれる.$3D_{5/2}$ と $3P_{1/2}$ のエネルギー差を GHz 単位で求めよ.

(3) 微細構造の大きさが $n$ とともにどうスケールするか($n=2$ と $n=3$ の最大分裂幅の比)を述べよ.

ヒント:(1) $\Delta E = -13.606\times5.3251\times10^{-5}\times0.25 = -1.81\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$,したがって $-13.6062\ \mathrm{eV}$.(2) $\alpha^2/n^2 = 5.917\times10^{-6}$,$j=1/2$ で $[3/1-3/4]=2.25$,$j=5/2$ で $[3/3-3/4]=0.25$.$E_3=-1.5118\ \mathrm{eV}$ を掛けると差は $1.789\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = 4.33\ \mathrm{GHz}$.(3) 最大分裂($j=1/2$ と $j=n-1/2$ の差)は $\mathrm{Ry}\,\alpha^2(n-1)/n^4$ に比例する.$n=2$ と $n=3$ の比は $(1/16)/(2/81) = 2.53$ で,実際 $4.53\times10^{-5}/1.79\times10^{-5}=2.53$ である.

演習7.2 真空偏極と Lamb シフト

Uehling ポテンシャル \eqref{eq:7-uehling} を使う.

(1) 水素の $1S$ 状態への真空偏極シフトを MHz 単位で求めよ.$n$ 依存性はどうなっているか.

(2) 陽子の有限サイズによるシフトは $\Delta E = \tfrac{2\pi\alpha}{3}r_p^2\abs{\psi(0)}^2$ で与えられる(陽子内部では Coulomb ポテンシャルが浅くなるため).$r_p = 0.84\ \mathrm{fm}$ として水素の $2S$ でのシフトを MHz で求めよ.

(3) 同じ量をミュオン水素($\mu^-p$)について求めよ.$\mu\to185.8\,m_e$ で $\abs{\psi(0)}^2$ が $(185.8)^3$ 倍になることに注意.なぜ $r_p$ の精密決定にミュオン水素が使われるのか説明せよ.

ヒント:(1) $\Delta E_{\text{VP}} = -(4/15\pi)\alpha^5m_e/n^3$ で $n=1$ なら $-217\ \mathrm{MHz}$.$n^{-3}$ に比例する.(2) $\Delta E = \tfrac23(\alpha)^4 m_e^3 r_p^2/n^3$ の形に整理でき,$r_p = 0.84\ \mathrm{fm} = 4.257\ \mathrm{GeV^{-1}}$ を入れると $5.7\times10^{-10}\ \mathrm{eV} = 0.14\ \mathrm{MHz}$.(3) $185.8^3 = 6.4\times10^6$ 倍になるので $0.9\ \mathrm{THz}$($= 3.7\ \mathrm{meV}$).絶対シフトは $6.4\times10^6$ 倍,$2S$–$2P$ 間隔に占める割合で比べると約 $10^2$ 倍の感度になる.実際 $2010$ 年のミュオン水素の測定は,通常の水素から得られていた $r_p$ と $5\sigma$ 食い違う値を出し,「陽子半径パズル」を引き起こした.

演習7.3 ポジトロニウムの寿命と消滅チャンネル

(1) $\Gamma(\text{para}) = \tfrac12\alpha^5 m_e$ を出発点に,寿命を ps 単位で求めよ($\hbar = 6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$).

(2) $n=2$ の para-Ps($2^1S_0$)の消滅寿命はいくらか.$\abs{\psi_{n00}(0)}^2\propto n^{-3}$ を使え.

(3) 磁場をかけると $1^3S_1$ の $m=0$ 成分と $1^1S_0$ が混じり合い,ortho の一部が $2\gamma$ 崩壊するようになる(磁場消光).混合角を $\theta$ として,混ざった状態の $2\gamma$ 崩壊率が $\Gamma_{2\gamma}\sin^2\theta$ になることを説明せよ.そのうえで,これがなぜ物質中で o-Ps の寿命が短くなる(ピックオフ消滅)ことと似た効果になるかを述べよ.

(4) para-Ps が $3\gamma$ に,ortho-Ps が $2\gamma$ に崩壊できない理由を,$C$ 量子数を使って1行で述べよ.

ヒント:(1) $\Gamma = 5.287\times10^{-6}\ \mathrm{eV}$,$\tau = 124.5\ \mathrm{ps}$.(2) $\abs{\psi(0)}^2\propto n^{-3}$ なので $8$ 倍長くなり $996\ \mathrm{ps}\simeq1\ \mathrm{ns}$.(4) $C(\text{para})=+1=C(2\gamma)$,$C(\text{ortho})=-1=C(3\gamma)$.電磁相互作用は $C$ を保存する(第6章).

演習7.4 PALS で欠陥濃度と自由体積を求める

(1) 中性子照射した鉄の PALS 測定で,$\tau_1 = 80\ \mathrm{ps}$,$\tau_2 = 175\ \mathrm{ps}$,$I_2 = 0.45$ が得られた.完全結晶の寿命を $\tau_b = 106\ \mathrm{ps}$ として,捕獲率 $\kappa$ を \eqref{eq:7-kappa} から求めよ.

(2) 鉄の比捕獲率を $\mu_v = 1.1\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)として,単空孔濃度 $C_v$ を ppm 単位で求めよ.

(3) $\tau_1 = 1/(\lambda_b+\kappa)$ が (1) の $\kappa$ と整合しているか確かめよ.

(4) 別の高分子試料で第3成分 $\tau_3 = 2.5\ \mathrm{ns}$,$I_3 = 22\%$ が観測された.Tao–Eldrup 式 \eqref{eq:7-tao-eldrup} を数値的に解いて自由体積の半径 $R$ と体積 $\tfrac43\pi R^3$ を求めよ.

ヒント:(1) $\kappa = (0.45/0.55)(1/106-1/175)\times10^{12} = 3.04\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$.(2) $C_v = 2.8\times10^{-6} = 2.8\ \mathrm{ppm}$.(3) $\tau_1 = 1/(9.43\times10^9+3.04\times10^9) = 80.1\ \mathrm{ps}$,整合する.(4) $R = 0.327\ \mathrm{nm}$,$V = 146\ \text{Å}^3$.

演習7.5 Cornell ポテンシャルでの準位見積り

変分エネルギー \eqref{eq:7-variational} を使う.

(1) Coulomb 項を無視した純線形ポテンシャル $V=ar$ について,$E(\lambda) = \dfrac{1}{2\mu\lambda^2}+\dfrac{3a\lambda}{2}$ を最小化し,$\lambda_{\min}$ と $E_{\min}$ を $\mu,a$ で表せ.

(2) (1) の結果から $E_{\min}\propto \mu^{-1/3}a^{2/3}$ となることを示せ.一般に $V\propto r^p$ のとき $E\propto\mu^{-p/(p+2)}$ となることを次元解析で確かめ,$p\to0$(対数ポテンシャル)で $\mu$ 依存性が消えることを示せ.

(3) $\mu = m_c/2 = 0.75\ \mathrm{GeV}$,$a=0.18\ \mathrm{GeV^2}$ を (1) に入れて $E_{\min}$ を GeV 単位で求めよ.同じことを $\mu=m_b/2=2.35\ \mathrm{GeV}$ で行い,比 $E_{b\bar b}/E_{c\bar c}$ が (2) の予言 $(\mu_b/\mu_c)^{-1/3}$ と合うか確かめよ.

(4) $\hbar c = 0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ を使って,$\lambda_{\min}$ を fm に直せ.

ヒント:(1) $\dd E/\dd\lambda = -1/(\mu\lambda^3)+3a/2 = 0$ より $\lambda_{\min} = \left(\dfrac{2}{3a\mu}\right)^{1/3}$.これを代入すると第1項が $\tfrac34 a\lambda$ になるので $E_{\min} = \tfrac94 a\,\lambda_{\min} = \tfrac94 a\left(\dfrac{2}{3a\mu}\right)^{1/3}$.(3) $c\bar c$ で $\lambda=1.703\ \mathrm{GeV^{-1}}$($=0.336\ \mathrm{fm}$),$E=0.690\ \mathrm{GeV}$.$b\bar b$ で $\lambda=1.164\ \mathrm{GeV^{-1}}$,$E=0.471\ \mathrm{GeV}$.比は $0.471/0.690=0.683$ で,$(0.75/2.35)^{1/3}=0.683$ と一致する.

演習7.6 クォーク模型でバリオンの磁気モーメントを計算する

$\mu_u = \tfrac23(m_p/m_u)\mu_N$ などとし,$m_u=m_d=336\ \mathrm{MeV}$,$m_s=510\ \mathrm{MeV}$,$m_p = 938.272\ \mathrm{MeV}$ を使う.

(1) $\mu_u,\mu_d,\mu_s$ を $\mu_N$ 単位で求めよ.

(2) $\Sigma^+ = uus$($ud$ ではなく $uu$ がスピン1対を組む)の磁気モーメントを $\mu_{\Sigma^+} = \tfrac43\mu_u-\tfrac13\mu_s$ から計算し,実測 $+2.458\,\mu_N$ と比べよ.

(3) $\Omega^- = sss$($J=3/2$,3つのスピンがすべて平行)の磁気モーメントは $3\mu_s$ である.実測 $-2.02\,\mu_N$ と比べ,$m_s$ をこの1点から決め直すといくらになるか求めよ.

(4) $\mu_n/\mu_p = -2/3$ が構成クォーク質量に依存しない理由を述べよ.また,もしクォークが $g=2$ の点粒子でなかったら,この予言はどう変わるか考察せよ.

ヒント:(1) $\mu_u=+1.862$,$\mu_d=-0.931$,$\mu_s=-0.613$.(2) 予言 $+2.687$,実測より $9\%$ 大きい.(3) $\mu_s = -2.02/3 = -0.673\,\mu_N$,これを $\abs{\mu_s} = \tfrac13(m_p/m_s)\mu_N$ に入れて $m_s = m_p/(3\times0.673) = 464\ \mathrm{MeV}$.$\mu_\Lambda$ から得た $510\ \mathrm{MeV}$ と $10\%$ 違う点に,模型の限界が見える.(4) 比では $\mu_0=e/(2m_q)$ が約分される.$g\ne2$ なら $\mu_q = g e_q/(4m_q)$ となるが,$u$ と $d$ で同じ $g$ なら比はやはり $-2/3$ のままである($g$ がフレーバー依存なら崩れる).

演習7.7 励起子とポジトロニウムを並べる

式 \eqref{eq:7-exciton} を使う.

(1) CdSe($m_e^*=0.13\,m_0$,$m_h^*=0.45\,m_0$,$\epsilon_r=9.6$)の励起子束縛エネルギーと Bohr 半径を求めよ.室温($k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$)で励起子は安定か.

(2) (1) で得た $a_X$ を使い,直径 $4\ \mathrm{nm}$ の CdSe ナノ結晶が「強閉じ込め」領域にあるか「弱閉じ込め」領域にあるか判定せよ.

(3) Cu$_2$O の黄色励起子系列($E_b=98\ \mathrm{meV}$,$a_X = 1.1\ \mathrm{nm}$)で,$n=25$ の状態の半径 $a_Xn^2$ と束縛エネルギー $E_b/n^2$ を求めよ.後者を $k_BT$ と比べ,この観測に極低温が必要な理由を述べよ.

(4) ポジトロニウム($\mu=m_e/2$,$\epsilon_r=1$)を \eqref{eq:7-exciton} に代入すると $6.80\ \mathrm{eV}$,$1.06\ \text{Å}$ が出ることを確かめよ.励起子とポジトロニウムを分ける物理的な要因を1行で述べよ.

ヒント:(1) $\mu = 0.13\times0.45/0.58 = 0.101\,m_0$,$E_b = 13.606\times0.101/9.6^2 = 14.9\ \mathrm{meV}$,$a_X = 5.0\ \mathrm{nm}$.$E_b<k_BT$ なので室温では熱解離しやすい.(2) 半径 $2\ \mathrm{nm}\ll a_X=5\ \mathrm{nm}$ なので強閉じ込め.(3) $a_X n^2 = 690\ \mathrm{nm}$,$E_b/n^2 = 0.157\ \mathrm{meV}$($= 1.8\ \mathrm{K}$ 相当).(4) 誘電遮蔽 $\epsilon_r$ と有効質量 $\mu$ の2つだけ.

参考文献

  1. D. J. Griffiths『素粒子物理学』(原著 Introduction to Elementary Particles, 2nd ed., Wiley-VCH, 2008)第5章「束縛状態」.本章の底本.
  2. F. Halzen, A. D. Martin, Quarks and Leptons, Wiley (1984), Chapters 2 and 15. —— クォーク模型と九重項・十重項の構成.
  3. Particle Data Group (R. L. Workman et al.), "Review of Particle Physics", Prog. Theor. Exp. Phys. 2022, 083C01 (2022). —— 本章の質量・幅・磁気モーメントの実測値はすべてここから.
  4. H. A. Bethe, "The Electromagnetic Shift of Energy Levels", Phys. Rev. 72, 339 (1947). —— Lamb シフトの $1040\ \mathrm{MHz}$.くりこみの原型.
  5. E. Eichten et al., "Charmonium: The Model", Phys. Rev. D 17, 3090 (1978). —— Cornell ポテンシャル.
  6. S. J. Tao, "Positronium Annihilation in Molecular Substances", J. Chem. Phys. 56, 5499 (1972); M. Eldrup, D. Lightbody, J. N. Sherwood, Chem. Phys. 63, 51 (1981). —— Tao–Eldrup 式.
  7. R. Krause-Rehberg, H. S. Leipner, Positron Annihilation in Semiconductors, Springer (1999). —— PALS の2状態捕獲模型と実践的な解析法.
  8. T. Kazimierczuk et al., "Giant Rydberg excitons in the copper oxide Cu$_2$O", Nature 514, 343 (2014). —— $n=25$ までの励起子系列.