第4章相対論的運動学
前章までで,素粒子には四つの力が働き,そこにいくつかの保存則が課されていることを見た.しかし「保存則がある」と言っただけでは,実験室で何が起こるかは何も分からない.陽子を何 GeV まで加速すれば反陽子が作れるのか.$\pi^0$ が崩壊して出てくる2本の $\gamma$ 線は,どれだけの角度で開くのか.14 MeV の中性子が鉄にぶつかったとき,鉄の原子は最大でどれだけのエネルギーをもらって格子から弾き飛ばされるのか.こうした問いに数値で答えるための道具立てが相対論的運動学(relativistic kinematics)である.
本章は,本書のなかで最も計算的な章である.新しい物理法則は一つも導入しない.出てくるのは,特殊相対論のエネルギー・運動量保存則だけである.それでも一章を割く価値があるのは,運動学だけで決まってしまうことが,素粒子実験の解析のかなりの部分を占めるからである.動力学(相互作用の強さ,つまり第8章以降のファインマン則)を一切知らなくても,「起こりうるか/起こりえないか」「どの範囲のエネルギーに現れるか」は運動学だけで決着がつく.実験家がまず引く線は,いつも運動学の線である.
技術的な核心は一つだけである.すべての慣性系で同じ値をとる量,すなわちLorentz 不変量を作り,その値を「計算しやすい系」で評価して「測りたい系」の答えを得る,という手口である.たとえば2つの粒子の4元運動量 $p_1^\mu, p_2^\mu$ から作った
$$ s \equiv (p_1+p_2)^\mu (p_1+p_2)_\mu $$という量は,実験室系で計算しても重心系で計算しても同じ値になる.実験室系で計算すればビームのエネルギーが露わに入った式になり,重心系で計算すれば「使えるエネルギーの総量」という意味が露わになる.同じ数の二つの顔を並べれば,それが答えである.この一手を体に入れることが本章の目的である.
材料科学との接続も,実はこの章がいちばん濃い.中性子照射損傷の出発点である一次はじき出し原子(PKA)の最大エネルギーは,二体弾性衝突の運動学そのものである.Compton プロファイル測定で電子の運動量分布が測れるのは,Compton 散乱の運動学に電子の初期運動量が線形に効くからである.陽電子消滅の角相関で Fermi 面が見えるのは,二体崩壊を「動いている系から見る」という §4.5 の計算がその骨格になっているからである(実際の角相関には,これに電子・陽電子対の運動量密度という動力学の要素が掛かる).素粒子屋の道具箱をそのまま材料の実験室に持ち込める,数少ない章である.
- 標準配位の Lorentz 変換とその行列表示,および rapidity $\eta$ による表現と「rapidity は足し算になる」という事実
- 計量 $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ のもとでの反変・共変ベクトル,添字の上げ下げ,内積の不変性
- 4元速度 $u^\mu$ と4元運動量 $p^\mu$ の定義,および $p^\mu p_\mu = m^2$ すなわち $E^2=\bm{p}^2+m^2$ の導出
- 不変質量という考え方,質量ゼロの粒子(光子)の運動学,$\beta,\gamma,E,p,T$ の相互変換
- Mandelstam 変数 $s,t,u$ の定義と恒等式 $s+t+u=\sum_i m_i^2$ の証明,重心系(CM)と実験室系(Lab)の橋渡し
- 反応のしきい値エネルギーを一般式 $E_a^{\rm thr}=\dfrac{(\sum m_f)^2-m_a^2-m_b^2}{2m_b}$ として求める方法
- 二体崩壊の運動量の一般式 $p=\sqrt{\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)}/(2M)$ と Källén 関数 $\lambda$,三体崩壊と Dalitz プロット
- 応用:反陽子生成のしきい値,Compton 散乱公式の4元ベクトル導出,$\pi^0\to2\gamma$ の光子エネルギー,コライダーと固定標的の $\sqrt{s}$ の差
- 材料科学との接点:中性子照射における PKA 最大エネルギー $T_{\max}=\dfrac{4m_nM}{(m_n+M)^2}E_n$,Compton プロファイル,陽電子消滅角相関
4.1 Lorentz 変換
4.1.1 標準配位
特殊相対論の出発点は,二つの要請である.第一に,すべての慣性系で物理法則は同じ形をとる(相対性原理).第二に,真空中の光速 $c$ はすべての慣性系で同じ値をもつ(光速不変).この二つから,慣性系の間の座標変換が一意に決まる.
いつも同じ設定で考えることにする.慣性系 $S$ と $S'$ をとり,$S'$ は $S$ に対して $x$ 軸の正の向きに速さ $v$ で等速運動しているとする.両者の $y,z$ 軸は平行で,$t=t'=0$ のとき原点が一致しているとする.この設定を標準配位(standard configuration)と呼ぶ.
定義:標準配位の Lorentz 変換
自然単位系 $c=1$ で,$\beta \equiv v$,$\gamma \equiv (1-\beta^2)^{-1/2}$ とすると
$$ \begin{equation} \begin{aligned} t' &= \gamma\,(t-\beta x), \\ x' &= \gamma\,(x-\beta t), \\ y' &= y, \\ z' &= z . \end{aligned} \label{eq:4-lt} \end{equation} $$逆変換は $\beta\to-\beta$ とすればよい($S$ から見ると $S'$ が $+x$ に動くが,$S'$ から見ると $S$ は $-x$ に動く):$t=\gamma(t'+\beta x')$,$x=\gamma(x'+\beta t')$.
$\beta$ は無次元の速度($0\le\beta<1$),$\gamma$ は Lorentz 因子($\gamma\ge1$)である.SI に戻すには $t\to ct$,$\beta\to v/c$ と読み替えればよい.
この変換の最も重要な性質は,次の組み合わせを不変に保つことである.
導出:不変間隔 $t^2-x^2-y^2-z^2$
ステップ1:$t'^2-x'^2$ を計算する.式 \eqref{eq:4-lt} を代入して
$$ t'^2 - x'^2 = \gamma^2(t-\beta x)^2 - \gamma^2(x-\beta t)^2 . $$ステップ2:括弧を展開する.
$$ \begin{aligned} (t-\beta x)^2 &= t^2 - 2\beta x t + \beta^2 x^2, \\ (x-\beta t)^2 &= x^2 - 2\beta x t + \beta^2 t^2 . \end{aligned} $$差をとると交差項 $-2\beta xt$ がちょうど打ち消し合う.これが本質である:
$$ (t-\beta x)^2 - (x-\beta t)^2 = t^2(1-\beta^2) - x^2(1-\beta^2) = (1-\beta^2)(t^2-x^2). $$ステップ3:$\gamma^2$ を掛ける.$\gamma^2=(1-\beta^2)^{-1}$ だから $(1-\beta^2)$ がきれいに消え
$$ t'^2-x'^2 = t^2-x^2 . $$ステップ4:横方向を足す.$y'=y$, $z'=z$ なので $y'^2+z'^2=y^2+z^2$ はそのまま.したがって
が成り立つ.この量を不変間隔(invariant interval)と呼ぶ.∎
なぜ「不変量」を探すのか
3次元の回転を思い出してほしい.座標 $(x,y,z)$ は回転すると個々の成分がぐちゃぐちゃに混ざるが,$x^2+y^2+z^2$ という組み合わせだけは変わらない.だから「距離」という概念が座標系によらずに定義できる.
Lorentz 変換も同じである.$t$ と $x$ は混ざるが,$t^2-x^2$ は混ざらない.違いは符号だけで,これは「回転角が実数ではなく虚数(あるいは双曲線角)である回転」だと思える.この見方を \eqref{eq:4-rapidity-matrix} で式にする.
そして本章の実用的な戦略は,こうである.不変量を一つ作り,計算しやすい系(たいてい重心系)で値を求め,測りたい系(たいてい実験室系)での表式と等号で結ぶ.これで速度の合成則を何度も適用する泥仕事が要らなくなる.§4.4 のしきい値計算で,この威力を見ることになる.
4.1.2 行列表示
式 \eqref{eq:4-lt} は線形変換なので,行列で書ける.$x^\mu \equiv (t,x,y,z)$($\mu=0,1,2,3$)と番号を振り,$x^0=t$,$x^1=x$,$x^2=y$,$x^3=z$ とする.すると
$$ \begin{equation} x'^\mu = \sum_{\nu=0}^{3}\Lambda^\mu{}_\nu\, x^\nu \equiv \Lambda^\mu{}_\nu\, x^\nu , \qquad \Lambda = \begin{pmatrix} \gamma & -\gamma\beta & 0 & 0\\ -\gamma\beta & \gamma & 0 & 0\\ 0&0&1&0\\ 0&0&0&1 \end{pmatrix} \label{eq:4-lambda} \end{equation} $$である.ここでEinstein の縮約規約を使った:同じ添字が上下に一組現れたら,$0$ から $3$ まで和をとる約束である.以後,和の記号 $\sum$ は書かない.
注意:添字の位置と流儀
$\Lambda^\mu{}_\nu$ の添字の位置(上の $\mu$ が行,下の $\nu$ が列)はいい加減に書いてはいけない.$\Lambda^\mu{}_\nu$ と $\Lambda_\mu{}^\nu$ は別物で,後者は逆変換の行列である(§4.2.2 で確かめる).
また,教科書によっては $x^0=ct$ ではなく $x^4=\ii ct$ とし,計量を $\delta_{\mu\nu}$ にする流儀(虚時間形式)もある.古い文献に出てくるが,一般相対論に接続しないので本書では使わない.本書は Griffiths と同じく $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$(west-coast metric,$+---$)を採る.素粒子論では $+---$ が,一般相対論では $-+++$ が優勢である.符号を一つ間違えると答えの符号が全部ひっくり返るので,読む文献の冒頭で必ず確認する習慣をつけてほしい.
4.1.3 rapidity — Lorentz 変換は双曲線回転である
$\gamma$ と $\gamma\beta$ の間には,$\gamma^2-(\gamma\beta)^2 = \gamma^2(1-\beta^2)=1$ という関係がある.これは双曲線関数の恒等式 $\cosh^2\eta - \sinh^2\eta=1$ とまったく同じ形である.そこで次のように置く.
定義:rapidity(ラピディティ,速度パラメータ)
$$ \begin{equation} \beta = \tanh\eta \quad\Longleftrightarrow\quad \gamma = \cosh\eta, \quad \gamma\beta = \sinh\eta, \quad \eta = \mathrm{artanh}\,\beta = \frac12\ln\frac{1+\beta}{1-\beta} \label{eq:4-rapidity} \end{equation} $$$\eta$ をrapidity と呼ぶ.$\beta:0\to1$ に対して $\eta:0\to\infty$ である.すなわち rapidity には上限がない.
これを式 \eqref{eq:4-lambda} に入れると,Lorentz 変換は
と書ける.2次元の回転行列 $\begin{pmatrix}\cos\theta & -\sin\theta\\ \sin\theta&\cos\theta\end{pmatrix}$ と見比べると,三角関数が双曲線関数に,$\theta$ が $\eta$ に置き換わっただけである.Lorentz 変換とは $(t,x)$ 平面での双曲線回転(boost)である,というのがこの式の主張である.
定理:rapidity は加法的である
同じ方向の二つの boost を続けて行うと,rapidity は単純に足し算になる:
$$ \begin{equation} \Lambda(\eta_1)\,\Lambda(\eta_2) = \Lambda(\eta_1+\eta_2) \label{eq:4-rapidity-add} \end{equation} $$導出:加法性と,そこから出る速度の合成則
ステップ1:行列を掛ける.$2\times2$ 部分だけ書けば
$$ \begin{pmatrix} \cosh\eta_1 & -\sinh\eta_1 \\ -\sinh\eta_1 & \cosh\eta_1 \end{pmatrix} \begin{pmatrix} \cosh\eta_2 & -\sinh\eta_2 \\ -\sinh\eta_2 & \cosh\eta_2 \end{pmatrix} $$の $(0,0)$ 成分は $\cosh\eta_1\cosh\eta_2 + \sinh\eta_1\sinh\eta_2$ である.
ステップ2:加法定理を使う.双曲線関数の加法定理 $\cosh(a+b)=\cosh a\cosh b+\sinh a\sinh b$ より,これは $\cosh(\eta_1+\eta_2)$ に等しい.同様に $(0,1)$ 成分は
$$ -\cosh\eta_1\sinh\eta_2 - \sinh\eta_1\cosh\eta_2 = -\sinh(\eta_1+\eta_2) $$となる.$(1,0),(1,1)$ 成分も同様で,結局積は $\Lambda(\eta_1+\eta_2)$ の形になる.
ステップ3:速度に翻訳する.$\beta_3=\tanh(\eta_1+\eta_2)$ を双曲線正接の加法定理で展開すると
これが有名な速度の合成則である.速度は足し算にならないが,rapidity は足し算になる.合成則という「覚えにくい式」の正体は,双曲線正接の加法定理だったのである.
ステップ4:光速を超えないことを確認する.$\eta_1,\eta_2$ がどれほど大きくても $\tanh(\eta_1+\eta_2)<1$ である.すなわち,いくら boost を重ねても $\beta$ は $1$ に漸近するだけで越えられない.「$c$ を超えられない」という事実が,「$\tanh$ の値域は $(-1,1)$」という三行で説明される.∎
物理的意味:加速器で rapidity を使う理由
高エネルギー実験では,運動量の $z$ 成分(ビーム軸方向)について
$$ y \equiv \frac12\ln\frac{E+p_z}{E-p_z} $$という縦 rapidity を定義する(記号は慣習で $y$ を使う).横運動量 $p_T=\sqrt{p_x^2+p_y^2}$ と横質量 $m_T\equiv\sqrt{m^2+p_T^2}$ を使うと $E=m_T\cosh y$,$p_z=m_T\sinh y$ と書ける.
ビーム軸方向の boost に対して $y$ はただ定数だけずれる($y\to y+\eta$).したがって $\dd N/\dd y$ という分布の「形」は,重心系で見ても実験室系で見ても変わらない.固定標的実験とコライダー実験の結果を比べるとき,これは決定的に便利である.$\theta$ や $p_z$ の分布ではこうはいかない.
質量が測れない(あるいは無視できる)場合には,角度だけで書ける擬 rapidity $\eta_{\rm ps}=-\ln\tan(\theta/2)$ が使われる.$m\ll p_T$ のとき $y\to\eta_{\rm ps}$ に一致する(前方の $p_T\lesssim m$ の領域では,$m_T$ と $p_T$ の違いから両者は有意にずれる).ATLAS や CMS の検出器の被覆範囲が「$|\eta|<2.5$」のように書かれるのは,これである.
4.2 4元ベクトル
4.2.1 計量と内積
式 \eqref{eq:4-interval} の不変量を「内積」として書きたい.そのために計量テンソル(metric tensor)を導入する.
定義:計量テンソル
$$ \begin{equation} g_{\mu\nu} = g^{\mu\nu} = \begin{pmatrix} 1 & 0 & 0 & 0\\ 0 & -1 & 0 & 0\\ 0 & 0 & -1 & 0\\ 0 & 0 & 0 & -1 \end{pmatrix} = \mathrm{diag}(1,-1,-1,-1) \label{eq:4-metric} \end{equation} $$二つの4元ベクトル $a^\mu=(a^0,\bm{a})$,$b^\mu=(b^0,\bm{b})$ の内積を
と定義する.とくに $a\cdot a \equiv a^2 = (a^0)^2-\abs{\bm{a}}^2$ を4元ベクトルのノルム(の2乗)と呼ぶ.
注意:$a^2$ は正とは限らない
3次元では $\abs{\bm{a}}^2\ge0$ だが,4次元では符号が三通りありうる.
- $a^2>0$:時間的(timelike).質量のある粒子の4元運動量,因果的につながりうる2点の間隔.
- $a^2=0$:光的(lightlike,null).光子の4元運動量,光が結ぶ2点の間隔.
- $a^2<0$:空間的(spacelike).同時刻の2点の間隔,散乱で交換される仮想粒子の運動量(§4.4 の $t$ がこれ).
「ノルムの2乗が負」というのは初めは気持ち悪いが,Minkowski 空間ではこれが普通である.$a^2<0$ のとき $\sqrt{a^2}$ が虚数になるので,多くの文献では $Q^2\equiv -a^2>0$ と符号を反転した量を使う.散乱実験で「$Q^2 = 10\ \mathrm{GeV^2}$ のデータ」と言うときの $Q^2$ がこれである.
4.2.2 反変・共変,添字の上げ下げ
上付き添字をもつ $a^\mu$ を反変ベクトル(contravariant),下付き添字をもつ $a_\mu$ を共変ベクトル(covariant)と呼ぶ.両者は計量で結ばれる.
定義:添字の上げ下げ
$$ \begin{equation} a_\mu \equiv g_{\mu\nu}a^\nu, \qquad a^\mu = g^{\mu\nu}a_\nu \label{eq:4-raise-lower} \end{equation} $$具体的には,$g$ が対角なので単に空間成分の符号が変わるだけである:
$$ a^\mu = (a^0,\ a^1,\ a^2,\ a^3) = (a^0,\ \bm{a}) \quad\Longleftrightarrow\quad a_\mu = (a^0,\ -a^1,\ -a^2,\ -a^3) = (a^0,\ -\bm{a}) . $$これを使うと内積は $a\cdot b = a^\mu b_\mu = a_\mu b^\mu$ と,計量を書かずに済む.
数学ノート:$g_{\mu\nu}g^{\nu\lambda}=\delta_\mu^{\ \lambda}$
上げてから下げれば元に戻るはずである.実際
$$ g_{\mu\nu}g^{\nu\lambda} = \mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)\cdot\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1) = \mathrm{diag}(1,1,1,1) = \delta_\mu^{\ \lambda} $$となる($(-1)\times(-1)=+1$).すなわち計量は自分自身の逆行列である.一般相対論では $g_{\mu\nu}$ は座標に依存する複雑な行列になり,$g^{\mu\nu}$ はその逆行列として定義される.平坦な Minkowski 空間では両者がたまたま一致しているにすぎない.
また,$g$ のトレースは $g^\mu{}_\mu = \delta^\mu{}_\mu = 4$ である(時空の次元).第10章の $\gamma$ 行列のトレース計算で頻出する.
共変ベクトルの変換則を確かめておこう.反変ベクトルは $a'^\mu=\Lambda^\mu{}_\nu a^\nu$ と変換する.共変ベクトルはどう変換するか.
導出:共変ベクトルは逆行列で変換する
ステップ1:内積の不変性を要請する.式 \eqref{eq:4-interval} は「$a\cdot a$ が不変」ということだった.二つの4元ベクトルについても同じで,$a'\cdot b' = a\cdot b$ を要請する.
ステップ2:不変性を成分で書く.$a'\cdot b' = a'^\mu b'_\mu$ が $a^\nu b_\nu$ に等しいためには,$a'^\mu = \Lambda^\mu{}_\nu a^\nu$ に対して $b'_\mu$ が
$$ a'^\mu b'_\mu = \Lambda^\mu{}_\nu a^\nu b'_\mu \stackrel{!}{=} a^\nu b_\nu $$を満たさなければならない.$a^\nu$ は任意なので,係数を比べて
$$ \Lambda^\mu{}_\nu\, b'_\mu = b_\nu . $$ステップ3:$b'$ について解く.$\Lambda$ の逆行列を $(\Lambda^{-1})^\nu{}_\mu$ と書けば
$$ \begin{equation} b'_\mu = (\Lambda^{-1})^\nu{}_\mu\, b_\nu \label{eq:4-cov-transform} \end{equation} $$すなわち共変ベクトルは,反変ベクトルの逆行列で変換する.だからこそ $a^\mu b_\mu$ という上下の組は $\Lambda\Lambda^{-1}=1$ で不変になるのである.
ステップ4:具体形で確かめる.標準配位では $\Lambda^{-1}$ は $\beta\to-\beta$ とした行列である.たとえば $b^\mu=(b^0,b^1,0,0)$ のとき $b_\mu=(b^0,-b^1,0,0)$ で
$$ b'_0 = (\Lambda^{-1})^\nu{}_0\,b_\nu = \gamma\,b_0 + \gamma\beta\,b_1 = \gamma\,b^0 + \gamma\beta\,(-b^1) = \gamma\,(b^0-\beta b^1) $$となり($b_0=b^0$,$b_1=-b^1$ を代入した),反変成分 $b'^0=\gamma(b^0-\beta b^1)$ と一致する(時間成分は上下で同じ符号だから当然である).空間成分は $b'_1 = -b'^1 = -\gamma(b^1-\beta b^0)$ で,こちらは符号が反転している.∎
ステップ5:$\Lambda_\mu{}^\nu$ の正体.計量で添字を上下した行列
$$ \Lambda_\mu{}^\nu \equiv g_{\mu\alpha}\,\Lambda^\alpha{}_\beta\, g^{\beta\nu} $$を標準配位で書き下すと,$g$ が空間成分の符号を変えるだけなので非対角成分の符号が反転し,$\beta\to-\beta$ とした行列,すなわち $(\Lambda^{-1})^\nu{}_\mu$ に一致する(一般には内積の不変性 $\Lambda^{\rm T}g\Lambda=g$ から $g\Lambda g=(\Lambda^{\rm T})^{-1}$ として従う).これが §4.1.2 の注意で「$\Lambda^\mu{}_\nu$ と $\Lambda_\mu{}^\nu$ は別物」と述べたことの中身である.
4.2.3 代表的な4元ベクトル
時空の点 $x^\mu=(t,\bm{x})$ 以外にも,同じ変換則に従う量がたくさんある.「4元ベクトルである」とは,「Lorentz 変換のもとで $\Lambda^\mu{}_\nu$ で変換する4成分の量である」ということ,ただそれだけの意味である.
| 名称 | 反変成分 $a^\mu$ | ノルム $a\cdot a$ | 意味・登場する場所 |
|---|---|---|---|
| 位置 | $x^\mu=(t,\bm{x})$ | $t^2-\abs{\bm{x}}^2$ | 不変間隔.因果構造を決める |
| 4元速度 | $u^\mu=\gamma(1,\bm{v})$ | $1$ | 常に規格化されている(§4.2.4) |
| 4元運動量 | $p^\mu=(E,\bm{p})$ | $m^2$ | 本章の主役.質量殻条件 |
| 波数 | $k^\mu=(\omega,\bm{k})$ | $m^2$($\hbar=1$) | de Broglie 関係 $p^\mu=\hbar k^\mu$.Doppler 効果 |
| 4元電流 | $j^\mu=(\rho,\bm{j})$ | — | 連続の式 $\partial_\mu j^\mu=0$.第10章 |
| 電磁ポテンシャル | $A^\mu=(\phi,\bm{A})$ | — | ゲージ変換 $A^\mu\to A^\mu+\partial^\mu\chi$.第10・13章 |
| 微分演算子 | $\partial^\mu=\left(\dfrac{\partial}{\partial t},-\nabla\right)$ | $\partial^\mu\partial_\mu=\square$ | d'Alembertian.波動方程式・Klein–Gordon 方程式 |
注意:微分演算子だけ添字が「逆」に見える
表4.1 の最後の行は,慣れるまで必ず間違える.定義は下付きが自然な形で
$$ \partial_\mu \equiv \frac{\partial}{\partial x^\mu} = \left(\frac{\partial}{\partial t},\ \nabla\right), \qquad \partial^\mu = g^{\mu\nu}\partial_\nu = \left(\frac{\partial}{\partial t},\ -\nabla\right) $$である.なぜ $\partial/\partial x^\mu$ が下付きなのか.連鎖律を書けば分かる:$\dfrac{\partial}{\partial x'^\mu}=\dfrac{\partial x^\nu}{\partial x'^\mu}\dfrac{\partial}{\partial x^\nu}$ で,係数 $\partial x^\nu/\partial x'^\mu$ は $\Lambda^{-1}$ の成分である.すなわち $\partial/\partial x^\mu$ は式 \eqref{eq:4-cov-transform} と同じ変換則に従う.だから共変(下付き)なのである.
結果として $\partial_\mu\partial^\mu = \dfrac{\partial^2}{\partial t^2}-\nabla^2 = \square$ となり,これが Lorentz 不変な波動演算子である.第9章の Klein–Gordon 方程式 $(\square+m^2)\phi=0$ はこの記法で書かれている.
4.2.4 4元速度と4元運動量
ニュートン力学の速度 $\bm{v}=\dd\bm{x}/\dd t$ をそのまま4次元に持ち込むことはできない.$\dd x^\mu$ は4元ベクトルだが,$\dd t$ は不変量ではないからである($\dd x^\mu/\dd t$ は4元ベクトルにならない).そこで不変な「時間」を用意する.
定義:固有時間と4元速度
粒子とともに動く時計が刻む時間を固有時間(proper time)$\tau$ と呼ぶ.粒子の静止系では $\dd\bm{x}=0$ なので,不変間隔は
$$ \begin{equation} \dd\tau^2 \equiv \dd x^\mu \dd x_\mu = \dd t^2 - \abs{\dd\bm{x}}^2 = \dd t^2\left(1-\abs{\bm{v}}^2\right) = \frac{\dd t^2}{\gamma^2} \quad\Longrightarrow\quad \dd t = \gamma\,\dd\tau \label{eq:4-propertime} \end{equation} $$となる(これが時間の遅れである).$\tau$ は不変量なので,これで割れば4元ベクトルが作れる:
$$ \begin{equation} u^\mu \equiv \frac{\dd x^\mu}{\dd\tau} = \frac{\dd t}{\dd\tau}\frac{\dd x^\mu}{\dd t} = \gamma\,(1,\ \bm{v}) \label{eq:4-fourvelocity} \end{equation} $$これを4元速度と呼ぶ.
4元速度のノルムを計算してみよう.
$$ u\cdot u = \gamma^2\left(1 - \abs{\bm{v}}^2\right) = \gamma^2\cdot\frac{1}{\gamma^2} = 1 . $$常に $1$ である.「速さ」がいつも $1$(つまり光速)というのは奇妙に見えるが,これは「すべての物体は時空の中を光速で動いており,静止している物体は時間方向にだけ光速で進んでいる」という有名な言い回しの数式的な内容である.速いものは,時間方向の進み分を空間方向に振り向けているにすぎない.
定義:4元運動量
質量 $m$(静止質量.本書では単に「質量」と呼ぶ)を掛けて
すなわち相対論的エネルギーと運動量は
$$ E = \gamma m, \qquad \bm{p} = \gamma m \bm{v}, \qquad \bm{v} = \frac{\bm{p}}{E}\quad(\text{すなわち }\bm{\beta}=\bm{p}/E) $$である.最後の関係 $\bm{\beta}=\bm{p}/E$ は本章で最も頻繁に使う式なので,覚えてしまうとよい.
例:添字の上げ下げの練習
4元運動量 $p^\mu=(E,p_x,p_y,p_z)$ と,別の4元運動量 $q^\mu=(E_q,q_x,q_y,q_z)$ について,次を確かめよ.
(i) $p_\mu = (E,-p_x,-p_y,-p_z)$.計量を掛けるだけである.
(ii) $p\cdot q = p^\mu q_\mu = E E_q - \bm{p}\cdot\bm{q}$.時間成分は積のまま,空間成分は符号が反転する.
(iii) $(p+q)^2 = p^2 + 2p\cdot q + q^2 = m_p^2 + m_q^2 + 2(EE_q-\bm{p}\cdot\bm{q})$.内積は可換($p\cdot q=q\cdot p$)なので,普通の二項展開がそのまま使える.これが本章のあらゆる計算の起点になる式である.
(iv) $g^{\mu\nu}p_\mu p_\nu = p^\nu p_\nu = p^2$.計量を挟んでも結局同じもの.
(v) $\partial_\mu x^\mu = \dfrac{\partial t}{\partial t}+\nabla\cdot\bm{x} = 1+3 = 4$.時空の次元が出てくる.
4.3 エネルギーと運動量
4.3.1 $E^2=\bm{p}^2+m^2$ の導出
導出:質量殻条件
ステップ1:4元速度のノルムを使う.§4.2.4 で $u\cdot u=1$ を示した.$p^\mu=mu^\mu$ の両辺のノルムをとれば
$$ p\cdot p = m^2\, u\cdot u = m^2 . $$ステップ2:成分で書き下す.$p^\mu=(E,\bm{p})$ なので,式 \eqref{eq:4-dot} より $p\cdot p = E^2-\abs{\bm{p}}^2$.したがって
この関係を質量殻条件(mass-shell condition,on-shell condition)と呼ぶ.$(E,\bm{p})$ 空間の中で,実在の粒子はこの双曲面(質量殻)の上にしか乗れない.
ステップ3:直接計算でも確かめる.$E=\gamma m$,$\abs{\bm{p}}=\gamma m\abs{\bm{v}}=\gamma m\beta$ を代入すると
$$ E^2-\abs{\bm{p}}^2 = \gamma^2m^2 - \gamma^2m^2\beta^2 = \gamma^2m^2(1-\beta^2) = m^2 . $$確かに一致する.∎
ステップ4:非相対論極限を確認する.$\abs{\bm{p}}\ll m$ のとき,平方根を展開して
$$ E = m\sqrt{1+\frac{\abs{\bm{p}}^2}{m^2}} = m + \frac{\abs{\bm{p}}^2}{2m} - \frac{\abs{\bm{p}}^4}{8m^3}+\cdots $$第1項が静止エネルギー $mc^2$,第2項が古典的な運動エネルギー $p^2/2m$,第3項が最初の相対論補正である.運動エネルギーは $T\equiv E-m$ と定義する(静止エネルギーを引いた分).
なぜ「不変質量」という言い方をするのか
式 \eqref{eq:4-massshell} の右辺 $m^2$ は,$p^\mu$ の Lorentz 不変なノルムである.したがって質量とは,4元運動量の長さのことである.どの慣性系で $E$ と $\bm{p}$ を測ろうが,この組み合わせは同じ値になる.
古い教科書には「相対論的質量 $m_{\rm rel}=\gamma m$」という概念が出てくる($\bm{p}=m_{\rm rel}\bm{v}$ と書きたいがための工夫である).しかしこれは $\gamma$ を $m$ に押し込んだだけで,Lorentz 不変でない量に「質量」という名を与えている点で有害である.本書を含む現代の素粒子物理では「質量」は常に不変質量(静止質量)$m$ を指す.「質量が速度で増える」という言い方は使わない.
4.3.2 不変質量 — 複数粒子系にも「質量」がある
式 \eqref{eq:4-massshell} は1粒子の式だが,同じことを粒子の集まりについてやると,実験で最も使われる量が出てくる.
定義:不変質量(invariant mass)
$n$ 個の粒子の4元運動量の和 $P^\mu=\sum_{i=1}^n p_i^\mu$ に対し
を系の不変質量と呼ぶ.$P^\mu$ は4元ベクトルの和なので4元ベクトルであり,そのノルムは Lorentz 不変である.
物理的意味:不変質量は「粒子探し」の道具そのものである
ある不安定粒子 $X$(質量 $M$)が $X\to 1+2$ と崩壊したとする.終状態の2粒子の運動量を測って式 \eqref{eq:4-invmass} を計算すると,エネルギー・運動量保存より $M_{\rm inv}=M$ になる.つまり崩壊生成物から親粒子の質量が復元できる.
実験では,衝突で出てきた粒子の対を片っ端から拾って $M_{\rm inv}$ を計算し,ヒストグラムを描く.無関係な組み合わせは滑らかな背景を作るが,本当に $X$ から来た対は $M_{\rm inv}=M$ に山を作る.2012年の Higgs 粒子発見も,$\gamma\gamma$ 対と $4\ell$ 対の不変質量分布に現れた $125\ \mathrm{GeV}$ のピークとして報告された.
2粒子の場合に展開しておくと,実用上便利な式が得られる:
$$ M_{\rm inv}^2 = (p_1+p_2)^2 = m_1^2+m_2^2+2(E_1E_2 - \bm{p}_1\cdot\bm{p}_2) = m_1^2+m_2^2+2(E_1E_2 - \abs{\bm{p}_1}\abs{\bm{p}_2}\cos\theta_{12}) $$とくに両方が質量ゼロ(2光子)なら $M_{\rm inv}^2 = 2E_1E_2(1-\cos\theta_{12})$ である.§4.6(c) の $\pi^0\to2\gamma$ でこれを使う.
4.3.3 質量ゼロの粒子
$m=0$ を式 \eqref{eq:4-massshell} に代入すると $E=\abs{\bm{p}}$ である.また $\bm{\beta}=\bm{p}/E$ より $\abs{\bm{\beta}}=1$,すなわち常に光速で動く.逆に,$E=\gamma m$,$\bm{p}=\gamma m\bm{v}$ という表式で $m\to0$,$\beta\to1$($\gamma\to\infty$)とすると $0\times\infty$ の不定形になり,有限の $E,\bm{p}$ が残る.
注意:質量ゼロの粒子に「静止系」はない
$\beta=1$ の粒子は,どんな Lorentz 変換をしても $\beta=1$ のままである(式 \eqref{eq:4-velocity-add} で $\beta_1=1$ とすれば $\beta_3=1$).したがって光子の静止系というものは存在しない.「光子に乗って世界を見たら」という思考実験は,特殊相対論の枠内では意味をもたない.
その代わりにできるのは,$\eta\to+\infty$ の極限,すなわち光子を追いかける向きに boost する極限で,光子のエネルギーをいくらでも小さくすることである.実際,$+x$ 方向に進む光子を $+x$ 方向 rapidity $\eta$ で boost すると,光子のエネルギーは $E'=E\,\ee^{-\eta}$ と変換する(演習4.2)ので,追いかけるほど($\eta>0$ を大きくするほど)赤方偏移して $E'\to0$ に近づく.逆に $\eta\to-\infty$(正面から向かってくる向き)では $E'\to\infty$ の青方偏移になる.これが相対論的 Doppler 効果である.ただし,どこまで boost しても $E'$ は厳密に $0$ にはならず,$\beta=1$ も変わらない.
4.3.4 $\beta$,$\gamma$,$E$,$p$,$T$ の相互変換
実務ではこの5つの量を行ったり来たりすることになる.変換式を一覧にしておく.
| 求めたい量 | $\beta$ から | $T$ から | $p$ から |
|---|---|---|---|
| $\gamma$ | $(1-\beta^2)^{-1/2}$ | $1+T/m$ | $\sqrt{1+(p/m)^2}$ |
| $\beta$ | — | $\dfrac{\sqrt{T(T+2m)}}{T+m}$ | $\dfrac{p}{\sqrt{p^2+m^2}}$ |
| $E$ | $\dfrac{m}{\sqrt{1-\beta^2}}$ | $T+m$ | $\sqrt{p^2+m^2}$ |
| $p$ | $\dfrac{m\beta}{\sqrt{1-\beta^2}}$ | $\sqrt{T(T+2m)}$ | — |
| $T$ | $m\left(\dfrac{1}{\sqrt{1-\beta^2}}-1\right)$ | — | $\sqrt{p^2+m^2}-m$ |
とくに $p=\sqrt{T(T+2m)}$ は覚えておくと便利である.非相対論極限($T\ll m$)では $p\simeq\sqrt{2mT}$ という見慣れた式に,超相対論極限($T\gg m$)では $p\simeq T\simeq E$ になる.
| 粒子と運動エネルギー $T$ | $\gamma$ | $\beta$ | $p$ | $\lambda$ | 用途 |
|---|---|---|---|---|---|
| 中性子 $25\ \mathrm{meV}$(熱中性子) | $1+2.7\times10^{-11}$ | $7.29\times10^{-6}$ | $6.85\ \mathrm{keV}$ | $1.81\ \text{Å}$ | 中性子回折・非弾性散乱 |
| 電子 $5\ \mathrm{eV}$(Fermi 面近傍) | $1+9.8\times10^{-6}$ | $4.42\times10^{-3}$ | $2.26\ \mathrm{keV}$ | $5.48\ \text{Å}$ | 金属中の伝導電子 |
| 電子 $100\ \mathrm{keV}$ | $1.1957$ | $0.5482$ | $335\ \mathrm{keV}$ | $3.70\ \mathrm{pm}$ | 低加速電圧 TEM・SEM |
| 電子 $200\ \mathrm{keV}$ | $1.3914$ | $0.6953$ | $494\ \mathrm{keV}$ | $2.51\ \mathrm{pm}$ | 汎用 TEM(原子分解能) |
| 電子 $300\ \mathrm{keV}$ | $1.5871$ | $0.7765$ | $630\ \mathrm{keV}$ | $1.97\ \mathrm{pm}$ | 高分解能 TEM |
| 中性子 $14.1\ \mathrm{MeV}$(D–T 融合) | $1.01501$ | $0.17132$ | $163\ \mathrm{MeV}$ | $7.59\ \mathrm{fm}$ | 核融合炉の照射損傷 |
| ミュオン $3\ \mathrm{GeV}$(宇宙線) | $29.39$ | $0.99942$ | $3.10\ \mathrm{GeV}$ | $0.399\ \mathrm{fm}$ | ミュオグラフィ・$\mu$SR |
| 陽子 $7\ \mathrm{TeV}$(LHC) | $7460$ | $1-9.0\times10^{-9}$ | $7.00\ \mathrm{TeV}$ | $1.8\times10^{-4}\ \mathrm{fm}$ | エネルギーフロンティア |
材料科学との接点:TEM の加速電圧と相対論補正
表4.3 の電子の行は,透過電子顕微鏡(TEM)を使う人には見覚えのある数字のはずである.$200\ \mathrm{kV}$ の TEM で $\lambda=2.51\ \mathrm{pm}$,これが分解能の理論限界を決める(実際は球面収差が効くので,収差補正器のない機では $200\ \mathrm{pm}$ 前後,収差補正機でも $50\text{--}80\ \mathrm{pm}$ 程度にとどまる).
ここで相対論補正が効いていることを確認しておこう.非相対論的に $p=\sqrt{2m_eT}$ とすると,$T=200\ \mathrm{keV}$ で
$$ p_{\rm NR} = \sqrt{2\times0.511\times0.200}\ \mathrm{MeV} = 0.452\ \mathrm{MeV} $$となり,波長は $\lambda_{\rm NR}=1239.8/0.452\ \mathrm{fm}=2.74\ \mathrm{pm}$ である.正しい値 $2.51\ \mathrm{pm}$ より 9 % も長い.$200\ \mathrm{kV}$ の電子は $\beta=0.70$ で光速の7割で走っているので,非相対論公式では話にならない.TEM の教科書で波長の式が
$$ \lambda = \frac{2\pi\hbar}{\sqrt{2m_eeV\left(1+\dfrac{eV}{2m_ec^2}\right)}} $$という「補正項つき」の形で書かれているのは,まさに $p=\sqrt{T(T+2m)}=\sqrt{2mT}\sqrt{1+T/2m}$ を書き換えたものである.素粒子物理の式が,そのまま電顕室の実務式になっている.
ついでに,中性子の行も見てほしい.熱中性子の $\lambda=1.81\ \text{Å}$ が典型的な原子間距離と同程度であることが,中性子回折で構造解析ができる理由である.そしてこの中性子は $\beta=7\times10^{-6}$,完全に非相対論的である.一方,核融合炉の $14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子は $\beta=0.17$ で,相対論補正が $1\ \%$ 弱効いてくる(§4.6(e) で定量化する).同じ「中性子」でも,材料に対する顔がまったく違う.
4.4 衝突
4.4.1 古典的衝突の復習 — 何が保存し,何が保存しないか
相対論に入る前に,高校で習う古典的な衝突を整理しておく.二つの物体が衝突するとき,運動量は必ず保存する.一方,運動エネルギーは保存するとは限らない.そこで衝突を次のように分類する.
| 種類 | 古典力学での特徴 | 相対論での特徴 | 例 |
|---|---|---|---|
| 弾性衝突 | 運動エネルギーが保存 | 粒子の種類も質量も変わらない.$\sum T$ が保存 | $e^-p\to e^-p$,中性子の弾性散乱 |
| 非弾性衝突 | 運動エネルギーが減る(内部自由度へ) | 質量の和が増える.$\sum m$ が増えた分だけ $\sum T$ が減る | $pp\to pp\pi^0$,中性子の非弾性散乱 |
| 爆発的衝突 | 運動エネルギーが増える | 質量の和が減る.束縛エネルギーや静止質量が運動に化ける | 核分裂,$\pi^0\to2\gamma$ |
物理的意味:相対論では「質量の保存」が消える
相対論の衝突で運動学的に保存するのは,エネルギー $E$ と運動量 $\bm{p}$ の4本,すなわち4元運動量 $p^\mu$であり,質量の和 $\sum m_i$ は保存しない(電荷・バリオン数・レプトン数・角運動量といった量も保存するが,それらは第3章で見た内部対称性の話であって,本章で使う運動学の枠には入らない).核反応の Q 値も,加速器で新粒子が作れることも,$\pi^0$ が光になって消えることも,すべてこの一点に帰着する.
古典力学で「質量保存」と「エネルギー保存」が別々の法則だったのは,$E=mc^2$ のうち $mc^2$ の部分が動かない定数だったからである.$mc^2$ が動きうる領域に入れば,二つは一つの法則に融合する.これは第3章で見た保存則の一覧の中でも,最も深い書き換えである.
ただし注意すべきは,$\sum m_i$ は保存しないが,系全体の不変質量 $M_{\rm inv}=\sqrt{P\cdot P}$ は保存するということである($P^\mu$ が保存するのだから当然).次節の $s$ がまさにこれである.
4.4.2 Mandelstam 変数
$2\to2$ の反応 $1+2\to3+4$ を考える.4本の4元運動量 $p_1,p_2,p_3,p_4$ があるが,これらは保存則 $p_1+p_2=p_3+p_4$ と,各粒子の質量殻条件 $p_i^2=m_i^2$ で縛られている.結局,独立な Lorentz 不変量は2個しかない(演習4.4).その2個をどう選ぶか.伝統的には,対称性のよい3つの量を定義して,あとで1本の関係式で縛る,というやり方をする.
定義:Mandelstam 変数
反応 $1+2\to3+4$ に対し
をMandelstam 変数と呼ぶ(S. Mandelstam, 1958).いずれも Lorentz 不変である.
- $s$:全エネルギーの2乗.$\sqrt{s}$ は重心系での全エネルギーに等しい(§4.4.3).
- $t$:粒子1が3になるときの運動量移行の2乗.散乱角と直結する.
- $u$:粒子1が4になるときの運動量移行の2乗.終状態の2粒子を入れ替えた $t$ に相当する.
定理:$s+t+u=\sum_i m_i^2$
3つの Mandelstam 変数の和は,4粒子の質量の2乗の和に等しい:
したがって独立なのは2個であり,$s$ と $t$ を選べば $u$ は自動的に決まる.
導出:$s+t+u=\sum m_i^2$ の証明
ステップ1:定義をそのまま展開する.
$$ \begin{aligned} s &= (p_1+p_2)^2 = p_1^2 + p_2^2 + 2\,p_1\!\cdot\! p_2,\\ t &= (p_1-p_3)^2 = p_1^2 + p_3^2 - 2\,p_1\!\cdot\! p_3,\\ u &= (p_1-p_4)^2 = p_1^2 + p_4^2 - 2\,p_1\!\cdot\! p_4 . \end{aligned} $$ステップ2:三つを足す.$p_i^2=m_i^2$ を使うと
$$ s+t+u = 3m_1^2 + m_2^2+m_3^2+m_4^2 + 2\,p_1\!\cdot\!\big(p_2 - p_3 - p_4\big). $$ここまでは単なる整理である.鍵は最後の括弧の中身である.
ステップ3:保存則を代入する.$p_1+p_2=p_3+p_4$ より $p_3+p_4 = p_1+p_2$ なので
$$ p_2 - p_3 - p_4 = p_2 - (p_1+p_2) = -p_1 . $$ステップ4:代入して整理する.
$$ s+t+u = 3m_1^2 + m_2^2+m_3^2+m_4^2 + 2\,p_1\!\cdot\!(-p_1) = 3m_1^2 + m_2^2+m_3^2+m_4^2 - 2m_1^2 $$すなわち
$$ s+t+u = m_1^2+m_2^2+m_3^2+m_4^2 . \qquad\blacksquare $$$p_1$ を特別扱いして始めたのに,結果が4粒子について完全に対称になっているのが気持ちよい.これは3つの変数の定義がもともと対称だったことの反映である.
数学ノート:Mandelstam 平面 — 3変数を平面上に描く
$s+t+u=$ 一定という拘束は,3次元空間 $(s,t,u)$ の中の1枚の平面を表す.したがって Mandelstam 変数は2次元平面上の点として描ける.
便利なのは,正三角形の内部の点から3辺までの距離の和が一定である(Viviani の定理),という初等幾何の事実を使う描き方である.正三角形の3辺をそれぞれ $s=0$,$t=0$,$u=0$ の直線とし,点から各辺までの符号つき距離を $s,t,u$ に比例させれば,$s+t+u=\sum m_i^2$ が自動的に満たされる.こうして描いたのが図4.3 のMandelstam 平面である.
この図の効用は,一つの解析関数(散乱振幅)が三つの物理過程を記述することが見て取れる点にある.同じ振幅 $\mathcal{M}(s,t,u)$ が,$s$ が大きい領域では $1+2\to3+4$ を,$t$ が大きい領域では $1+\bar3\to\bar2+4$ を,$u$ が大きい領域では $1+\bar4\to\bar2+3$ を表す.これを交叉対称性(crossing symmetry)と呼び,第10章で Compton 散乱と対消滅の振幅が同じ式の別領域であることを見るときに再登場する.
4.4.3 重心系(CM)と実験室系(Lab)
ここからが実務である.同じ不変量 $s$ を,二つの座標系で計算して等号で結ぶ.
定義:二つの基準系
- 重心系(center-of-momentum frame,CM 系):全運動量がゼロになる系,$\sum_i\bm{p}_i^*=\bm{0}$.CM 系の量には $*$ をつける.正確には「運動量中心系」だが,慣習で重心系と呼ぶ.
- 実験室系(laboratory frame,Lab 系):標的粒子が静止している系,$\bm{p}_2=\bm{0}$.固定標的実験の設定である.
導出:$s$ の二つの顔
ステップ1:CM 系で計算する.定義より $\bm{p}_1^*+\bm{p}_2^*=\bm{0}$ なので
$$ s = (p_1^*+p_2^*)^2 = \big(E_1^*+E_2^*,\ \bm{0}\big)^2 = (E_1^*+E_2^*)^2 \equiv E_{\rm CM}^2 . $$すなわち
これが「$\sqrt{s}$ を重心系エネルギーと呼ぶ」ことの根拠である.新しい粒子を作るのに使えるエネルギーとは,この $\sqrt{s}$ のことである.
ステップ2:Lab 系で計算する.標的2が静止しているので $p_2^\mu=(m_2,\bm{0})$,入射粒子1は $p_1^\mu=(E_1,\bm{p}_1)$.内積の定義 \eqref{eq:4-dot} より $p_1\cdot p_2 = E_1m_2 - \bm{p}_1\cdot\bm{0} = m_2E_1$ である.よって
ステップ3:二つを等号で結ぶ.$s$ は不変量なので,同じ数である:
$$ E_{\rm CM}^2 = m_1^2+m_2^2+2m_2E_1 . $$ステップ4:高エネルギー極限を見る.$E_1\gg m_1,m_2$ のとき第3項が支配的で
$$ \begin{equation} E_{\rm CM} = \sqrt{s} \simeq \sqrt{2m_2E_1}\qquad(\text{固定標的}) \label{eq:4-fixed-target} \end{equation} $$重心系エネルギーは入射エネルギーの平方根にしか比例しない.加速器のエネルギーを4倍にしても,使えるエネルギーは2倍にしかならない.これが §4.6(d) で見るコライダーの動機である.∎
CM 系での各粒子のエネルギーと運動量も,$s$ だけで書ける.
導出:CM 系のエネルギーと運動量
ステップ1:$E_1^*$ を不変量から取り出す.CM 系で $p_1^*+p_2^*=(\sqrt{s},\bm{0})$ なので,これと $p_1^*$ の内積をとると
$$ p_1^*\cdot(p_1^*+p_2^*) = E_1^*\sqrt{s} . $$一方,左辺は不変な形で $p_1^2+p_1\cdot p_2$ とも書ける.$p_1\cdot p_2 = \frac12(s-m_1^2-m_2^2)$(式 \eqref{eq:4-s-lab} の変形)を使うと
$$ E_1^*\sqrt{s} = m_1^2 + \frac{s-m_1^2-m_2^2}{2} = \frac{s+m_1^2-m_2^2}{2} $$すなわち
$$ \begin{equation} E_1^* = \frac{s+m_1^2-m_2^2}{2\sqrt{s}}, \qquad E_2^* = \frac{s+m_2^2-m_1^2}{2\sqrt{s}} \label{eq:4-cm-energies} \end{equation} $$(和が $\sqrt{s}$ になることを確かめられたい.)
ステップ2:運動量を質量殻条件から出す.$\abs{\bm{p}_1^*}^2 = (E_1^*)^2-m_1^2$ に代入する.分子は
$$ (s+m_1^2-m_2^2)^2 - 4sm_1^2 . $$これを展開して整理すると(あるいは $A^2-B^2=(A-B)(A+B)$ を $A=s+m_1^2-m_2^2$,$B=2\sqrt{s}\,m_1$ に適用すると)
$$ \big[s-(m_1+m_2)^2\big]\big[s-(m_1-m_2)^2\big] \equiv \lambda(s,m_1^2,m_2^2) $$となる.この関数を次節で Källén 関数として名前をつける.結論は
CM 系では2粒子の運動量の大きさが等しい(向きは逆).当たり前だが,これが CM 系を使う最大の利点である.∎
4.4.4 $t$ と散乱角
$t$ の意味を CM 系で見ておく.弾性散乱($m_3=m_1$,$m_4=m_2$)を考えると $\abs{\bm{p}_3^*}=\abs{\bm{p}_1^*}\equiv p^*$,$E_3^*=E_1^*$ なので
$$ t = (p_1-p_3)^2 = 2m_1^2 - 2p_1\!\cdot\! p_3 = 2m_1^2 - 2\big(E_1^{*2} - \abs{\bm{p}^*}^2\cos\theta^*\big) $$である.$E_1^{*2}-\abs{\bm{p}^*}^2=m_1^2$ を使って整理すると
$$ \begin{equation} t = -2\abs{\bm{p}^*}^2\,(1-\cos\theta^*) = -4\abs{\bm{p}^*}^2\sin^2\frac{\theta^*}{2} \label{eq:4-t-angle} \end{equation} $$ここで $\theta^*$ は CM 系での散乱角である.すなわち $t\le0$ で,前方散乱($\theta^*=0$)で $t=0$,後方散乱($\theta^*=\pi$)で $t=-4\abs{\bm{p}^*}^2$ が最小値である.同様に,一般の弾性散乱では $u=(p_1-p_4)^2=m_1^2+m_2^2-2E_1^*E_2^*-2\abs{\bm{p}^*}^2\cos\theta^*$ であり,とくに等質量($m_1=m_2\equiv m$)なら $m_1^2+m_2^2-2E_1^*E_2^*=-2\abs{\bm{p}^*}^2$ となって $u=-2\abs{\bm{p}^*}^2(1+\cos\theta^*)$ に帰着する.このとき確かに
$$ s+t+u = 4(m^2+\abs{\bm{p}^*}^2) - 4\abs{\bm{p}^*}^2 = 4m^2 = \sum_i m_i^2 $$(等質量弾性散乱の場合)を満たしている.定理の検算になっている.
材料科学との接点:$(Q,\omega)$ 平面と Mandelstam 変数
中性子非弾性散乱や X 線非弾性散乱(IXS)を使う人は,測定結果を「散乱ベクトル $\bm{Q}$」と「エネルギー移行 $\hbar\omega$」の平面上に描くことに慣れているはずである.たとえばフォノン分散を測るとき,$(\bm{Q},\omega)$ 空間を走査してピークを追う.
この平面は,Mandelstam 変数と同じ言葉で書ける.入射中性子 $p_1$,標的 $p_2$,散乱中性子 $p_3$ とすれば,運動量移行の4元ベクトルは $q^\mu \equiv p_1^\mu - p_3^\mu = (\hbar\omega,\ \hbar\bm{Q})$ であり
$$ t = q^\mu q_\mu = (\hbar\omega)^2 - (\hbar c Q)^2 $$である.非相対論的な散乱では $\hbar\omega \ll \hbar cQ$(エネルギー移行がミリ eV,運動量移行が $\text{Å}^{-1}$ すなわち $\hbar cQ \sim \mathrm{keV}$)なので $t\simeq -(\hbar cQ)^2$,つまり凝縮系の散乱で使う $Q^2$ は,素粒子物理の $-t$ の非相対論極限に対応している.
ただし,$(\bm{Q},\omega)$ 平面が $t$ 一つで張れるわけではないことに注意したい.標的(結晶)が静止系を一つ選んでしまうので,ここでの独立な不変量は $t=(\hbar\omega)^2-(\hbar cQ)^2\simeq-(\hbar cQ)^2$ と,$\nu\equiv p_2\!\cdot\! q/M$(標的静止系では $\hbar\omega$ そのもの)の2個である.終状態の標的系の不変質量は $W^2=(p_2+q)^2=M^2+2M\nu+t$ であり,弾性散乱($W=M$)なら $\omega$ と $Q$ は独立でなくなるが,フォノンを励起するような非弾性散乱では標的が内部励起をもつので $W\ne M$ となり,入射エネルギー($s$)を固定したまま $Q$ と $\omega$ を独立に走査できる.これが $(\bm{Q},\omega)$ 平面が2次元である理由であり,第11章 11.2.5 項の深非弾性散乱の変数 $(Q^2,\nu)$ と同じ構造である.違いは,壊す相手が陽子か結晶の格子かだけである.
もう一つ注意すべきは,動的構造因子 $S(\bm{Q},\omega)$ は散乱振幅 $\mathcal{M}$ そのものではないことである.$S(\bm{Q},\omega)$ は $\abs{\mathcal{M}}^2$ を標的の終状態について和をとった応答関数であり,素粒子側で対応するのは振幅ではなく DIS の構造関数 $W_1,W_2$(第11章 11.2.6 項)である.そう読み替えると,中性子散乱の理論と素粒子の散乱理論が同じ骨格をもっていることが見えてくる.実際,両者とも「Born 近似での断面積 $\propto \abs{\mathcal{M}}^2$」という同じ構造で書かれる(『線形応答理論入門』第12章の $S(\bm{q},\omega)$ と,本書付録B の断面積の式を見比べられたい).違いは,凝縮系では標的が「無限個の原子の集まり」なので $\mathcal{M}$ に構造因子が掛かることである.
4.4.5 しきい値エネルギー
反応 $a+b\to 1+2+\cdots+n$ が起こるためには,エネルギーが足りていなければならない.「足りている」の意味を式にする.
定理:しきい値の条件
反応が起こるための必要条件は
すなわち重心系全エネルギーが,終状態粒子の質量の和以上であること.等号が成り立つとき,終状態の粒子はすべて CM 系で静止する(Lab 系では一団となって同じ速度で進む).
導出:しきい値エネルギーの一般式
ステップ1:条件を書く.終状態全体の不変質量は $\sqrt{s}$ である(保存則).一方,$n$ 個の粒子の系の不変質量は,全粒子が静止しているとき最小値 $\sum_f m_f$ をとる(演習4.3).よって \eqref{eq:4-threshold-cond} を得る.
ステップ2:Lab 系の表式を代入する.標的 $b$ が静止した固定標的実験では,式 \eqref{eq:4-s-lab} より $s=m_a^2+m_b^2+2m_bE_a$.これがしきい値で $\left(\sum_f m_f\right)^2$ に等しくなる:
$$ m_a^2+m_b^2+2m_bE_a^{\rm thr} = \Big(\sum_f m_f\Big)^2 . $$ステップ3:$E_a$ について解く.
これが固定標的実験のしきい値(全エネルギー)である.運動エネルギーで欲しければ $T_a^{\rm thr}=E_a^{\rm thr}-m_a$ とする.
ステップ4:コライダーの場合.正面衝突する2ビーム(それぞれエネルギー $E$,質量を無視)では $s=(2E)^2$ なので,しきい値は単に
$$ 2E \ge \sum_f m_f $$である.平方根が現れない.この違いが決定的に効くことを §4.6(d) で見る.∎
4.5 崩壊
4.5.1 二体崩壊の運動学
質量 $M$ の粒子が静止した状態から,質量 $m_1$ と $m_2$ の2粒子に崩壊するとする($M\to1+2$).親粒子の静止系で考えると,運動量保存より2粒子は逆向きに同じ大きさの運動量をもつ.エネルギー保存と質量殻条件を合わせれば,その大きさが決まってしまう.二体崩壊では,生成粒子のエネルギーと運動量の大きさが完全に決定される.残る自由度は,放出方向(球面上の2自由度)だけである.
導出:二体崩壊の運動量
ステップ1:保存則を書く.親粒子の静止系(これが CM 系でもある)で
$$ M = E_1+E_2, \qquad \bm{p}_1 + \bm{p}_2 = \bm{0}\ \Rightarrow\ \abs{\bm{p}_1}=\abs{\bm{p}_2}\equiv p . $$ステップ2:エネルギーを $p$ で書く.質量殻条件より
$$ \sqrt{p^2+m_1^2} + \sqrt{p^2+m_2^2} = M . $$これを $p$ について解けばよい.平方根が2つあるので,一方を移項して2乗する.
ステップ3:1回目の2乗.
$$ \sqrt{p^2+m_1^2} = M - \sqrt{p^2+m_2^2} $$両辺2乗して
$$ p^2+m_1^2 = M^2 - 2M\sqrt{p^2+m_2^2} + p^2+m_2^2 . $$$p^2$ が両辺で消えるのが要点である.整理すると
$$ 2M\sqrt{p^2+m_2^2} = M^2 - m_1^2 + m_2^2 . $$ここで副産物として,生成粒子のエネルギーが直ちに読める:
(式 \eqref{eq:4-cm-energies} で $s\to M^2$ とした形と同じである.当然で,どちらも「重心系での1粒子エネルギー」だからである.)
ステップ4:2回目の2乗.$E_2=\sqrt{p^2+m_2^2}$ から
$$ p^2 = E_2^2 - m_2^2 = \left(\frac{M^2+m_2^2-m_1^2}{2M}\right)^2 - m_2^2 = \frac{(M^2+m_2^2-m_1^2)^2 - 4M^2m_2^2}{4M^2} . $$ステップ5:分子を因数分解する.$A^2-B^2=(A-B)(A+B)$ を $A=M^2+m_2^2-m_1^2$,$B=2Mm_2$ に使うと
$$ \begin{aligned} A-B &= M^2 - 2Mm_2 + m_2^2 - m_1^2 = (M-m_2)^2 - m_1^2 = (M-m_2-m_1)(M-m_2+m_1),\\ A+B &= (M+m_2)^2 - m_1^2 = (M+m_2-m_1)(M+m_2+m_1). \end{aligned} $$4つの因子を組み替えると
$$ (A-B)(A+B) = \big[M^2-(m_1+m_2)^2\big]\big[M^2-(m_1-m_2)^2\big] . $$ステップ6:結論.この組み合わせを $\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)$ と書けば
を得る.∎ 因子 $M^2-(m_1+m_2)^2$ が現れたことから,$\abs{m_1-m_2}<M<m_1+m_2$ なら $p^2<0$ となって崩壊は不可能である,というエネルギー保存の帰結も同時に読み取れる($M\le\abs{m_1-m_2}$ では2つの因子がともに負になって $p^2>0$ に戻るが,その場合は下の定義ボックスで述べるとおり別の理由で崩壊できない).
定義:Källén 関数(三角形関数,triangle function)
$$ \begin{equation} \lambda(x,y,z) \equiv x^2+y^2+z^2-2xy-2yz-2zx \label{eq:4-kallen} \end{equation} $$定義式のほかに,次の2通りの書き換え(因数分解した形と,$x$ について整理した形)が便利なので覚えておくとよい:
$$ \lambda(x,y,z) = \big[x-(\sqrt y+\sqrt z)^2\big]\big[x-(\sqrt y-\sqrt z)^2\big] = x^2 - 2x(y+z) + (y-z)^2 . $$$\lambda$ は3変数について完全に対称である(定義式を見れば明らか).これは崩壊 $M\to1+2$ と生成 $1+2\to M$ が同じ式で書けることに対応している.
名前の「三角形関数」は,$\sqrt x,\sqrt y,\sqrt z$ を3辺とする三角形が作れるとき $\lambda<0$,作れないとき $\lambda>0$ という幾何学的意味に由来する(Heron の公式との関係.演習4.5).物理的には,$\lambda\ge0$ のうち $M\ge m_1+m_2$ の枝が「崩壊が運動学的に許される」条件である.$\lambda$ は $M\le\abs{m_1-m_2}$(娘の一方が親より重い場合)でも $\ge0$ になるが,そこでは式 \eqref{eq:4-decay-energies} が $E_1>M$ を与えてエネルギー保存 $E_1+E_2=M$ を満たせないので,物理的な崩壊ではない.
| 崩壊 | $M$ | $m_1$ | $m_2$ | $p$ | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| $\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ | $139.570$ MeV | $105.658$ MeV | $\approx0$ | $29.79$ MeV | $T_\mu=4.12$ MeV.$\mu$ の運動量が単色 |
| $\pi^0\to\gamma\gamma$ | $134.977$ MeV | $0$ | $0$ | $67.49$ MeV | $p=M/2$.§4.6(c) |
| $K^+\to\mu^+\nu_\mu$ | $493.677$ MeV | $105.658$ MeV | $\approx0$ | $235.5$ MeV | 分岐比 $63.6\ \%$ |
| $\Lambda\to p\,\pi^-$ | $1115.68$ MeV | $938.272$ MeV | $139.570$ MeV | $100.6$ MeV | 分岐比 $63.9\ \%$.ストレンジネス破れ |
| $Z\to e^+e^-$ | $91.188$ GeV | $0.511$ MeV | $0.511$ MeV | $45.59$ GeV | $p\simeq M/2$.LEP の較正線 |
| $H\to\gamma\gamma$ | $125.25$ GeV | $0$ | $0$ | $62.63$ GeV | 2012年の発見チャンネル |
| $e^+e^-\to\gamma\gamma$(静止対消滅) | $1.022$ MeV | $0$ | $0$ | $511$ keV | 陽電子消滅.下の接点ボックス |
4.5.2 飛行中の崩壊 — 実験室系へ boost する
実際の実験では,親粒子は静止していない.親粒子が $z$ 方向に rapidity $\eta$(すなわち速度 $\beta_p=\tanh\eta$)で飛んでいるとする.CM 系で $(E^*,p^*\cos\theta^*,\ p^*\sin\theta^*)$ をもつ娘粒子は,Lab 系では
$$ \begin{equation} E = \gamma_p\big(E^* + \beta_p\, p^*\cos\theta^*\big), \qquad p_z = \gamma_p\big(p^*\cos\theta^* + \beta_p E^*\big), \qquad p_\perp = p^*\sin\theta^* \label{eq:4-boost-decay} \end{equation} $$となる(横方向は変わらないことに注意).したがって Lab 系での娘粒子のエネルギーは,CM 系での放出角 $\theta^*$ に応じて
の範囲に広がる.CM 系では単色だったエネルギーが,Lab 系では帯になるのである.$\theta^*=0$(前方放出)で最大,$\theta^*=\pi$(後方放出)で最小になる.
材料科学との接点:陽電子消滅角相関(ACAR)で Fermi 面を見る
式 \eqref{eq:4-boost-decay} を材料の実験室に持ち込むと,そのまま陽電子消滅(positron annihilation spectroscopy)の原理になる.
試料に打ち込まれた陽電子は数 ps で熱化し,ほぼ静止した状態で試料中の電子と対消滅して2本の $511\ \mathrm{keV}$ 光子を出す.表4.5 の最後の行がこれで,電子・陽電子対の静止系では2光子は完全に $180^\circ$ 逆向きである.ところが陽電子は静止していても電子は静止していない:金属中の伝導電子は Fermi 運動量 $p_F$ をもって走り回っている.したがって対の重心は運動量 $\bm{p}\simeq\bm{p}_{e}$ で動いており,これが式 \eqref{eq:4-boost-decay} の boost に相当する.
横方向成分 $p_\perp$ は boost で変わらないから,光子の放出方向は $180^\circ$ から
$$ \theta \simeq \frac{p_\perp}{m_ec} $$だけずれる.$p_\perp$ を原子単位($\hbar/a_0 = 1.9929\times10^{-24}\ \mathrm{kg\,m/s}$)で測ると,この式は驚くほどきれいになる:
$$ \theta\ [\text{rad}] = \frac{\hbar/a_0}{m_ec}\times \big(p_\perp\ \text{in a.u.}\big) = \alpha\times\big(p_\perp\ \text{in a.u.}\big) = 7.297\times10^{-3}\times\big(p_\perp\ \text{in a.u.}\big) $$すなわち電子の運動量 1 原子単位あたり,2光子の角度ずれは微細構造定数 $\alpha=1/137$ ラジアン(7.30 mrad)である.典型的な金属の $p_F$ が $1$ a.u. 程度なので,測るべき角度は数 mrad.数 m 離した2台の検出器で十分に測れる大きさである.角度分布を測れば $p_\perp$ の分布が分かり,そこに Fermi 面の切り口が現れる.これが 2D-ACAR(two-dimensional angular correlation of annihilation radiation)による Fermi 面測定である.
縦方向成分 $p_z$(光子の飛ぶ方向の成分)は,式 \eqref{eq:4-boost-decay} の第1式より光子エネルギーのずれとして現れる.$E^*=m_e$,$p^*=m_e$,$\beta_p\simeq p_z/(2m_e)$ なので
$$ \Delta E = E - m_e \simeq \frac{p_z c}{2} $$となり,$511\ \mathrm{keV}$ 線の Doppler 幅として観測される.$p_z=1$ a.u. なら $\Delta E = \alpha m_ec^2/2 = 1.86\ \mathrm{keV}$.半導体検出器の分解能($1\text{--}1.5$ keV)でぎりぎり測れる大きさで,これがDoppler 拡がり測定(DBS)である.陽電子が空孔に捕まると周囲の芯電子(運動量が大きい)との消滅が減るので,Doppler 幅が狭くなる.照射材料の空孔型欠陥の定量に日常的に使われている手法だが,その原理は「二体崩壊を動いている系から見る」という §4.5 の計算がそのまま骨格になっているのである.
4.5.3 三体崩壊と Dalitz プロット
$M\to1+2+3$ の三体崩壊では事情が変わる.終状態の3元運動量は $3\times3=9$ 成分である(エネルギーは質量殻条件で決まるので,成分の数には効かない).これに保存則4本が課されて $9-4=5$ 個が残り,そのうち3個は崩壊面全体の向き(Euler 角)なので,独立な運動学変数は2個である.二体崩壊のように「決まってしまう」わけではなく,2次元の分布が測れる.この2次元分布を描いたものがDalitz プロット(R. H. Dalitz, 1953)である.
定義:Dalitz プロットの変数
2粒子の組の不変質量の2乗を
$$ \begin{equation} s_{12}\equiv(p_1+p_2)^2,\qquad s_{13}\equiv(p_1+p_3)^2,\qquad s_{23}\equiv(p_2+p_3)^2 \label{eq:4-dalitz-vars} \end{equation} $$と定義する.これらは §4.4.2 とまったく同じ論法($p_1+p_2+p_3=P$,$P^2=M^2$)により
を満たす.よって独立なのは2個で,たとえば $(s_{12},\ s_{23})$ を軸にとって事象を1点ずつプロットする.これが Dalitz プロットである.
導出:$s_{12}+s_{13}+s_{23}$ の和則
ステップ1:三つを足して展開する.
$$ s_{12}+s_{13}+s_{23} = 2(m_1^2+m_2^2+m_3^2) + 2(p_1\!\cdot\! p_2 + p_1\!\cdot\! p_3 + p_2\!\cdot\! p_3). $$ステップ2:全運動量の2乗を展開する.$P=p_1+p_2+p_3$ より
$$ M^2 = P^2 = m_1^2+m_2^2+m_3^2 + 2(p_1\!\cdot\! p_2+p_1\!\cdot\! p_3+p_2\!\cdot\! p_3). $$ステップ3:内積の和を消去する.ステップ2 を $2(\cdots) = M^2-m_1^2-m_2^2-m_3^2$ と解いてステップ1 に代入すると
$$ s_{12}+s_{13}+s_{23} = 2\textstyle\sum_i m_i^2 + M^2 - \sum_i m_i^2 = M^2+\sum_i m_i^2 . \qquad\blacksquare $$物理的意味:Dalitz プロットが「動力学」を映す理由
Dalitz プロットの威力は,運動学だけでは分布が一様になるという点にある.付録B で示すように,$(s_{12},s_{23})$ を軸にとった Dalitz プロットの位相空間要素は
$$ \dd\Gamma \propto \abs{\mathcal{M}}^2\,\dd s_{12}\,\dd s_{23} $$という形をしており,$\abs{\mathcal{M}}^2$ 以外に $s_{12},s_{23}$ に依存する因子がない(これは Dalitz が変数を上手に選んだからである).したがってプロット上の点の粗密が,そのまま行列要素 $\abs{\mathcal{M}}^2$ の大小を映す.
とくに,中間状態に共鳴 $R$(質量 $m_R$,幅 $\Gamma_R$)を経由する $M\to R+3\to(1+2)+3$ という過程があると,$s_{12}=m_R^2$ の直線上に事象が集中して「帯」が現れる.帯の位置が共鳴の質量,太さが幅である.3つの組すべてに帯が出れば3本の帯が交差する縞模様になる.
歴史的には,$\theta$–$\tau$ パズル(同じ質量の粒子が $2\pi$ と $3\pi$ に崩壊する.第6章 6.2.1 項)の解析に Dalitz プロットが使われ,これが第6章で扱うパリティ非保存の発見につながった.道具としては純粋な運動学でありながら,そこから読めるのは動力学と対称性である.
4.6 応用例
ここまでの道具を使って,具体的な問題を6つ解く.(a)〜(d) は素粒子物理の古典的な計算,(e)(f) は同じ道具が材料科学の現場でそのまま使われている例である.
4.6.1 (a) 反陽子生成のしきい値
1955年,Chamberlain, Segrè らは Bevatron(Berkeley)の陽子ビームを銅標的に当てて反陽子 $\bar p$ を初めて捕まえた.この加速器は何 GeV 必要だったのか.
導出:$p+p\to p+p+p+\bar p$ のしきい値
ステップ1:反応式を決める.まず,なぜ $p+p\to p+p+\bar p$ ではないのか.第3章のバリオン数保存である.初期状態のバリオン数は $B=2$,$\bar p$ は $B=-1$ なので,終状態には $B=+3$ 分の粒子が要る.つまり陽子3個と反陽子1個,計4個が最小の終状態である:
$$ p + p \ \longrightarrow\ p+p+p+\bar p . $$また電荷も合っている($+2 = +1+1+1-1$).反粒子は粒子と同じ質量をもつので(第6章の CPT 定理の帰結),終状態の質量の和は $4m_p$ である.
ステップ2:しきい値の公式に代入する.式 \eqref{eq:4-threshold} で $m_a=m_b=m_p$,$\sum_f m_f = 4m_p$:
$$ E_p^{\rm thr} = \frac{(4m_p)^2 - m_p^2 - m_p^2}{2m_p} = \frac{16m_p^2-2m_p^2}{2m_p} = \frac{14m_p^2}{2m_p} = 7\,m_p . $$ステップ3:数値を入れる.$m_p=938.272\ \mathrm{MeV}$ なので
ステップ4:意味を噛みしめる.作りたいのは質量 $938\ \mathrm{MeV}$ の反陽子1個である.それなのに $5.63\ \mathrm{GeV}$ の運動エネルギーが要る.目的の6倍のエネルギーが必要ということになる.無駄が出るのは,式 \eqref{eq:4-fixed-target} で見たように,固定標的では入射エネルギーの大部分が「終状態全体を前に運ぶ運動エネルギー」に食われるからである.しきい値での重心系エネルギーは $\sqrt{s}=4m_p=3.75\ \mathrm{GeV}$ にすぎず,$6.57\ \mathrm{GeV}$ の入射エネルギーのうち $\sqrt{s}$ として使えるのは半分強である.∎
例:Bevatron はなぜ 6.2 GeV だったのか
Bevatron の設計最大運動エネルギーは $6.2\ \mathrm{GeV}$ で,上で求めた $5.63\ \mathrm{GeV}$ をわずかに上回っている.これは偶然ではなく,反陽子生成を狙って設計値が決められたのである.
ただし実際には,もう少し低いエネルギーでも反陽子は出る.標的が銅の原子核だからである.核内の陽子は Fermi 運動(運動量 $\sim250\ \mathrm{MeV}$)をしており,入射陽子と正面から向き合う成分をもつ標的陽子に当たれば,実効的な $\sqrt{s}$ が上がる.式 \eqref{eq:4-s-lab} の代わりに $s=m_1^2+m_2^2+2(E_1E_2-\bm{p}_1\cdot\bm{p}_2)$ を使うと,$\bm{p}_2$ が $\bm{p}_1$ と逆向きのとき $-\bm{p}_1\cdot\bm{p}_2>0$ で $s$ が増える.この効果は小さくない.$p_2=250\ \mathrm{MeV}/c$ が正面向きなら $E_2=\sqrt{m_p^2+p_2^2}=971\ \mathrm{MeV}$ で,$s=(4m_p)^2$ を $E_1$ について解くと $E_1=5.07\ \mathrm{GeV}$,すなわち $T_p^{\rm thr}\simeq4.1\ \mathrm{GeV}$ となり,自由陽子標的の $5.63\ \mathrm{GeV}$ より $1.5\ \mathrm{GeV}$ ほど下がる(サブしきい値生成).
4.6.2 (b) Compton 散乱公式を4元ベクトルで導く
Compton(1923)の公式は,普通は「エネルギー保存と運動量保存の3本の式から角度を消去する」という力ずくの計算で導かれる.4元ベクトルを使うと,これが3行で終わる.鍵は測りたくない粒子(反跳電子)の4元運動量を,2乗して消すという手口である.
導出:Compton 散乱公式
ステップ0:設定.静止した電子(4元運動量 $p^\mu=(m,\bm{0})$,$m\equiv m_e$)に,エネルギー $\omega$ の光子($k^\mu=(\omega,\bm{k})$,$k^2=0$)が入射し,角度 $\theta$ の方向にエネルギー $\omega'$ の光子($k'^\mu$)が散乱される.反跳電子は $p'^\mu$ とする.
ステップ1:保存則を,消したい変数について解く.
$$ k+p = k'+p' \quad\Longrightarrow\quad p' = k+p-k' . $$ここで反跳電子は測らない(測りたくない)ので,$p'$ を消したい.そのために両辺を2乗する.$p'$ は質量殻の上にあるから $p'^2=m^2$ という既知の値になり,未知数が1個消える.これが決定的な一手である.
ステップ2:2乗して展開する.
$$ m^2 = p'^2 = (k+p-k')^2 = k^2+p^2+k'^2 + 2k\!\cdot\! p - 2k\!\cdot\! k' - 2p\!\cdot\! k' . $$ここで $k^2=k'^2=0$(光子は質量ゼロ),$p^2=m^2$ を使うと,$m^2$ が両辺で消えて
$$ \begin{equation} k\!\cdot\! p - k\!\cdot\! k' - p\!\cdot\! k' = 0 . \label{eq:4-compton-master} \end{equation} $$もう答えは出たようなものである.あとは内積を成分で書くだけである.
ステップ3:内積を計算する.電子は静止しているので $\bm{p}=\bm{0}$ で
$$ k\!\cdot\! p = \omega\, m - \bm{k}\!\cdot\!\bm{0} = m\omega, \qquad p\!\cdot\! k' = m\omega' . $$光子どうしは,$\abs{\bm{k}}=\omega$,$\abs{\bm{k}'}=\omega'$ で角度 $\theta$ をなすから
$$ k\!\cdot\! k' = \omega\omega' - \bm{k}\!\cdot\!\bm{k}' = \omega\omega' - \omega\omega'\cos\theta = \omega\omega'(1-\cos\theta) . $$ステップ4:代入して整理する.式 \eqref{eq:4-compton-master} は
$$ m\omega - \omega\omega'(1-\cos\theta) - m\omega' = 0 \quad\Longrightarrow\quad m(\omega-\omega') = \omega\omega'(1-\cos\theta) . $$両辺を $m\omega\omega'$ で割ると
ステップ5:波長で書く.$\omega=2\pi/\lambda$($\hbar=c=1$)を代入すると
$$ \lambda' - \lambda = \frac{2\pi}{m_e}(1-\cos\theta) = \lambda_C\,(1-\cos\theta), \qquad \lambda_C \equiv \frac{h}{m_ec} = \frac{2\pi\hbar c}{m_ec^2} = \frac{1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}}{0.511\ \mathrm{MeV}} = 2.426\ \mathrm{pm} $$$\lambda_C$ を電子のCompton 波長と呼ぶ.∎
物理的意味:Compton 散乱を X 線回折の人はどう見るか
式 \eqref{eq:4-compton} が言うのは「散乱後の波長は,入射波長に $\lambda_C(1-\cos\theta)$ を足したもの」ということである.足す量が入射波長によらない一定値(最大 $2\lambda_C=4.85\ \mathrm{pm}$)であるのがポイントで,したがって
- 硬 X 線($\lambda\sim0.7\ \text{Å}=70\ \mathrm{pm}$,Mo K$\alpha$)では相対変化 $\Delta\lambda/\lambda\sim3\ \%$.無視できない.$\theta=90^\circ$ では $17.5\ \mathrm{keV}\to16.9\ \mathrm{keV}$ で,これが粉末回折パターンの背景に乗る非干渉性散乱である.
- 可視光($\lambda\sim500\ \mathrm{nm}$)では $\Delta\lambda/\lambda\sim10^{-5}$.測れないので,光の散乱は実質的に弾性(Thomson 散乱・Rayleigh 散乱)に見える.
- $\gamma$ 線($\omega\gg m_e$)では $\theta=180^\circ$ の後方散乱で $\omega'\to m_e/2=255.5\ \mathrm{keV}$ に飽和する.入射エネルギーによらず $255\ \mathrm{keV}$ 付近に山ができるので,$\gamma$ 線スペクトルの後方散乱ピークとして現れる.
「弾性散乱(Bragg 反射)」と「Compton 散乱」の分かれ目は,電子が結晶に束縛されたままか,叩き出されるかである.前者では反跳を結晶全体(実効質量が無限大)が受けるので $\Delta\lambda=0$,後者では電子1個(質量 $m_e$)が受けるので $\Delta\lambda=\lambda_C(1-\cos\theta)$ になる.式 \eqref{eq:4-compton} の $m_e$ を「反跳する物体の質量」と読み替えれば,両者は同じ式の両極限である.Mössbauer 効果で反跳がゼロになるのも,まったく同じ論理である.
4.6.3 (c) $\pi^0\to2\gamma$ の光子エネルギー
$\pi^0$ 中間子は平均寿命 $8.43\times10^{-17}\ \mathrm{s}$(PDG 値)で2本の光子に崩壊する.宇宙線実験でも加速器実験でも大量に生成されるので,その運動学は基本中の基本である.
導出:光子エネルギーの範囲と最小開き角
ステップ1:静止系.式 \eqref{eq:4-two-body-p} で $m_1=m_2=0$ とすると $\lambda(M^2,0,0)=M^4$ なので $p^*=M/2$.エネルギーも $E^*=M/2$:
$$ E_\gamma^* = \frac{m_{\pi^0}}{2} = \frac{134.977}{2}\ \mathrm{MeV} = 67.49\ \mathrm{MeV} . $$2本とも同じエネルギーで,正反対の方向に出る.
ステップ2:Lab 系へ boost する.$\pi^0$ が全エネルギー $E_\pi$,運動量 $p_\pi$ で飛んでいるとする.$\gamma_p=E_\pi/m$,$\beta_p=p_\pi/E_\pi$ を式 \eqref{eq:4-boost-decay} に入れると,$E^*=p^*=m/2$ なので
$$ E_\gamma = \frac{E_\pi}{m}\cdot\frac{m}{2}\big(1+\beta_p\cos\theta^*\big) = \frac{E_\pi + p_\pi\cos\theta^*}{2} . $$したがって
ステップ3:分布の形.$\pi^0$ はスピン0なので崩壊は静止系で等方的である.すなわち $\cos\theta^*$ は $[-1,1]$ に一様分布する.$E_\gamma$ は $\cos\theta^*$ の1次式だから,Lab 系での光子エネルギー分布は \eqref{eq:4-pi0-range} の範囲で平坦(矩形)になる.宇宙線起源の $\gamma$ 線スペクトルに現れる「$\pi^0$ バンプ」の理論的な出発点がこれである.
ステップ4:最小開き角.2本の光子の Lab 系での開き角 $\theta_{12}$ は,不変質量の式(§4.3.2)
$$ m^2 = 2E_1E_2(1-\cos\theta_{12}) $$から求まる.$E_1+E_2=E_\pi$ の拘束のもとで $E_1E_2$ が最大になるのは $E_1=E_2=E_\pi/2$(対称崩壊,$\theta^*=90^\circ$)のときで,そのとき $1-\cos\theta_{12}$ が最小,つまり $\theta_{12}$ が最小になる.代入して
$$ m^2 = 2\cdot\frac{E_\pi^2}{4}(1-\cos\theta_{\min}) = \frac{E_\pi^2}{2}(1-\cos\theta_{\min}) = E_\pi^2\sin^2\frac{\theta_{\min}}{2} \quad\Longrightarrow\quad \sin\frac{\theta_{\min}}{2} = \frac{m_{\pi^0}}{E_\pi}\ \left(=\frac1{\gamma_p}\right) $$すなわち
ステップ5:数値.$E_\pi=1\ \mathrm{GeV}$ なら $\sin(\theta_{\min}/2)=0.135$,$\theta_{\min}=15.5^\circ$.$E_\pi=10\ \mathrm{GeV}$ なら $\theta_{\min}=1.55^\circ$.高エネルギーになるほど2本の光子は接近し,やがてカロリメータで分離できなくなる.これが高エネルギー実験で $\pi^0$ と単一光子の区別が難しくなる理由である.∎
4.6.4 (d) コライダー vs 固定標的
式 \eqref{eq:4-fixed-target} の $\sqrt{s}\simeq\sqrt{2m_2E_1}$ と,コライダーの $\sqrt{s}=2E$ の差は,実際にはどれほどのものか.数値で見ると衝撃的である.
| 加速器 | ビーム | $E$/ビーム | $\sqrt{s}$ | 等価な固定標的 $E_1=s/(2m_2)$ |
|---|---|---|---|---|
| SuperKEKB | $e^-\times e^+$ | $7\times4$ GeV | $10.58$ GeV | $1.1\times10^{5}$ GeV $=110$ TeV |
| LEP II | $e^-e^+$ | $104$ GeV | $208$ GeV | $4.2\times10^{7}$ GeV $=4.2\times10^4$ TeV |
| SPS コライダー | $p\bar p$ | $315$ GeV | $630$ GeV | $2.1\times10^{5}$ GeV $=210$ TeV |
| Tevatron | $p\bar p$ | $980$ GeV | $1.96$ TeV | $2.0\times10^{6}$ GeV $=2.0\times10^3$ TeV |
| LHC(設計値) | $pp$ | $7$ TeV | $14$ TeV | $1.0\times10^{8}$ GeV $=1.0\times10^5$ TeV |
例:LHC を固定標的で作ろうとすると
表4.6 の最後の行を,具体的な装置の大きさに翻訳してみよう.陽子を磁場 $B$ の円形加速器に閉じ込めるとき,半径 $R$ と運動量 $p$ の関係は
$$ p\ [\mathrm{GeV}/c] = 0.2998\times B\ [\mathrm{T}]\times R\ [\mathrm{m}] $$である.LHC と同じ超伝導電磁石($B=8.33\ \mathrm{T}$)を使って $p=1.04\times10^8\ \mathrm{GeV}$ の陽子を曲げるには
$$ R = \frac{1.04\times10^8}{0.2998\times8.33}\ \mathrm{m} = 4.2\times10^7\ \mathrm{m} = 4.2\times10^4\ \mathrm{km} $$すなわち半径が地球半径($6371\ \mathrm{km}$)の約 6.5 倍,円周にして約 26 万 km のリングが必要になる.地球を丸ごと使っても足りない.コライダーという発想がなければ,Higgs 粒子の探索は現実には不可能だったのである.
逆に,コライダーの代償もある.固定標的なら標的は固体(原子数密度 $\sim10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$)だが,コライダーでは希薄なビーム同士をぶつけるので,反応の頻度(ルミノシティ)が何桁も落ちる.「使えるエネルギー」と「反応の数」のトレードオフであり,どちらを選ぶかは目的による.$\sqrt{s}$ が足りていればよい実験(たとえば大量の $K$ 中間子を作って稀崩壊を探す)では,いまでも固定標的が現役である.
4.6.5 (e) 材料科学との接点:中性子照射と一次はじき出し原子(PKA)
材料科学との接点:PKA の最大エネルギー $T_{\max}$
核融合炉の第一壁は,D–T 反応 $\mathrm{D}+\mathrm{T}\to{}^4\mathrm{He}+n$ で生じる $14.1\ \mathrm{MeV}$ の中性子に晒される.この中性子は電荷をもたないので電子系とはほとんど相互作用せず,原子核に直接ぶつかる.弾かれた原子が一次はじき出し原子(primary knock-on atom, PKA)で,これがさらに周囲の原子を弾いて変位カスケードを作り,空孔・格子間原子・転位ループ・ボイドといった照射欠陥を残す.照射脆化・スエリング・照射クリープの出発点はすべてここにある.
したがって「PKA が最大でどれだけのエネルギーをもらうか」は,構造材料の設計における第一の量である.これは二体弾性衝突の運動学,すなわち §4.4 の内容そのものである.
導出:$T_{\max}=\dfrac{4m_nM}{(m_n+M)^2}E_n$(非相対論)と,その相対論的な形
ステップ1:設定.質量 $m\equiv m_n$ の中性子が運動エネルギー $E_n$ をもって,静止した質量 $M$ の原子核に弾性衝突する.本節では照射損傷分野の慣習に従い,中性子の運動エネルギーを $E_n$ と書く(本章の他の節で $T$ と書いてきた量である.全エネルギーはステップ5 以降で $E=E_n+m_n$ と書く).反跳した原子核(PKA)の運動エネルギー $T$ の最大値を求める.
ステップ2:非相対論で,重心系に移る.重心の速度は $V=\dfrac{m v}{m+M}$($v$ は中性子の速度)である.重心系では中性子の速度が $v-V=\dfrac{M}{m+M}v$,標的の速度が $-V$ で,弾性衝突なので重心系では速さが変わらず向きだけ変わる.
ステップ3:標的の反跳を最大にする条件.重心系で標的が角度 $\theta^*$ に散乱されたとすると,実験室系での標的の速度は「重心系での速度ベクトル(大きさ $V$)」と「重心の速度 $V$」の和である.両者の大きさが等しいので,和の大きさは最大 $2V$($\theta^*=180^\circ$,すなわち真正面衝突・跳ね返り)である.よって
$$ T_{\max} = \frac12 M(2V)^2 = 2MV^2 = 2M\left(\frac{m}{m+M}\right)^2 v^2 . $$ステップ4:$E_n=\frac12 mv^2$ で書き直す.$v^2 = 2E_n/m$ を代入すると
$$ T_{\max} = 2M\frac{m^2}{(m+M)^2}\cdot\frac{2E_n}{m} = \frac{4mM}{(m+M)^2}E_n . $$すなわち
$\Lambda$ をエネルギー移行係数と呼ぶ(照射損傷分野の慣用記号である.§4.1.2 の Lorentz 変換行列 $\Lambda^\mu{}_\nu$ とは別物なので,添字の有無で読み分けてほしい).$m=M$ なら $\Lambda=1$(水素との衝突では全エネルギーを渡しうる:中性子減速材に水素が使われる理由),$M\gg m$ なら $\Lambda\simeq4m/M$ で小さくなる.
ステップ5:相対論的に厳密にやる.§4.4 の不変量の手法を使う.弾性散乱を $1+2\to3+4$ と番号づける:$1,3$ が中性子(質量 $m\equiv m_n$),$2,4$ が標的核(質量 $M$)である.標的は Lab 系で静止しているので $p_2=(M,\bm 0)$,PKA の運動エネルギーは $T=E_4-M$ である.ここで Mandelstam の $t$ を標的側の組 $t=(p_2-p_4)^2$ で書くのが要点である(式 \eqref{eq:4-stu} の第2の表式):
$$ t = (p_2-p_4)^2 = M^2+M^2 - 2p_2\!\cdot\! p_4 = 2M^2 - 2M E_4 \quad\Longrightarrow\quad T = E_4 - M = \frac{2M^2-t}{2M}-M = -\frac{t}{2M} . $$($-t=Q^2$ が標的への運動量移行の2乗である.運動量移行が大きいほど反跳が大きい,という当たり前の内容が式になっている.)
ステップ6:$t$ の最小値を代入する.$T$ は $-t$ に比例するから,$T$ が最大になるのは $t$ が最小のときである.弾性散乱なので式 \eqref{eq:4-t-angle} がそのまま使えて,$t$ の最小値は後方散乱($\theta^*=\pi$)での
$$ t_{\min} = -4\abs{\bm{p}^*}^2 \quad\Longrightarrow\quad T_{\max} = -\frac{t_{\min}}{2M} = \frac{2\abs{\bm{p}^*}^2}{M} $$である.ステップ3 の「重心系で $180^\circ$ 跳ね返るときが最大」という非相対論の議論が,そのまま $t_{\min}$ という不変量の言葉に翻訳されたことに注意されたい.
あとは CM 運動量 $\abs{\bm{p}^*}$ を Lab 量で書き直すだけである.式 \eqref{eq:4-cm-momentum} に $m_1=m$,$m_2=M$ と $s=m^2+M^2+2ME$($E=E_n+m$ は中性子の全エネルギー)を入れると,Källén 関数の因数分解より
$$ \lambda(s,m^2,M^2) = \big[s-(m+M)^2\big]\big[s-(m-M)^2\big] = 2M(E-m)\cdot 2M(E+m) = 4M^2\big(E^2-m^2\big) = 4M^2\abs{\bm{p}}^2 $$となり($\bm p$ は Lab 系の中性子運動量),したがって
$$ \abs{\bm{p}^*} = \frac{\sqrt{\lambda(s,m^2,M^2)}}{2\sqrt{s}} = \frac{M\abs{\bm{p}}}{\sqrt{s}} . $$これを代入すれば
ステップ7:非相対論極限を確認する.$E_n\ll m_n$ とすると $\abs{\bm p}^2 = E_n(E_n+2m_n)\to 2m_nE_n$,$s\to(m_n+M)^2$ なので
$$ T_{\max}\to\frac{2M\cdot2m_nE_n}{(m_n+M)^2} = \frac{4m_nM}{(m_n+M)^2}E_n $$となり,式 \eqref{eq:4-pka} に一致する.∎ 補正の大きさは,両式の比をとって
$$ \begin{equation} \frac{T_{\max}^{\rm rel}}{T_{\max}^{\rm NR}} = \frac{1+\dfrac{E_n}{2m_n}}{1+\dfrac{2ME_n}{(m_n+M)^2}} \ \simeq\ 1+\frac{E_n}{2m_n} \qquad(M\gg m_n) \label{eq:4-pka-corr} \end{equation} $$である.相対論補正は $E_n/2m_n$,すなわち中性子の運動エネルギーを静止エネルギーの2倍で割った量という,覚えやすい形になった.
例:$14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子が鉄に当たると何が起こるか
(1) $T_{\max}$ の計算.鉄($A=56$)に対して式 \eqref{eq:4-pka} を使う.質量比は質量数の比で十分なので
$$ \Lambda = \frac{4\times1\times56}{(1+56)^2} = \frac{224}{3249} = 0.06894 $$ $$ T_{\max} = 0.06894\times14.1\ \mathrm{MeV} = \underline{0.97\ \mathrm{MeV}} . $$正確な核質量($M_{\rm Fe}=52090\ \mathrm{MeV}$,$m_n=939.565\ \mathrm{MeV}$)を使うと $\Lambda=0.06962$ で $T_{\max}=0.982\ \mathrm{MeV}$.さらに式 \eqref{eq:4-pka-corr} の相対論補正が効いて $T_{\max}=0.988\ \mathrm{MeV}$ となる.ここで補正の大きさは,覚えやすい近似値 $E_n/2m_n = 14.1/1879 = 0.75\ \%$ ではなく,分母まで残した厳密比 $\big(1+E_n/2m_n\big)\big/\big(1+2ME_n/(m_n+M)^2\big)=1.0070$,すなわち $0.70\ \%$ である(式 \eqref{eq:4-pka-rel} を直接評価しても $0.9884\ \mathrm{MeV}$ が得られる).おおむね $1\ \mathrm{MeV}$と覚えておけばよい.
(2) 平均値.低エネルギー($E_n\lesssim1\ \mathrm{MeV}$)の中性子の弾性散乱は重心系でほぼ等方的($s$ 波支配)であり,その場合は $\cos\theta^*$ が一様分布し,$T$ も $[0,T_{\max}]$ に一様分布する.したがって平均 PKA エネルギーは $\langle T\rangle = T_{\max}/2 \simeq 0.49\ \mathrm{MeV}$ となる.
ただし $14.1\ \mathrm{MeV}$ では等方近似が成り立たない.中性子の波数は $k=\abs{\bm{p}}/\hbar c = 163.4/197.3 = 0.83\ \mathrm{fm^{-1}}$,鉄核の半径は $R\simeq1.25\times56^{1/3}=4.8\ \mathrm{fm}$ なので $kR\simeq4$ であり,多数の部分波が寄与して重心系の角分布は前方に強く偏る(核を波が回り込む回折パターン).したがって $\langle T\rangle=T_{\max}/2$ は等方散乱を仮定した上限の目安であって,実際の平均反跳エネルギーはこれより小さく $0.2\text{--}0.4\ \mathrm{MeV}$ 程度である(第16章 16.2 節で同じ評価をしている).以下の (3) も,その意味で上限の見積もりである.
(3) はじき出し数の見積もり.鉄の変位しきい値エネルギーは $E_d\approx40\ \mathrm{eV}$ である.NRT(Norgett–Robinson–Torrens)モデルによれば,損傷エネルギー $T_{\rm dam}$ をもつ PKA が作る Frenkel 対の数は $N_d = 0.8\,T_{\rm dam}/(2E_d)$.$T_{\rm dam}\sim1\ \mathrm{MeV}$(電子励起への損失を無視した上限)とすると
$$ N_d \sim \frac{0.8\times1\times10^6\ \mathrm{eV}}{2\times40\ \mathrm{eV}} \sim 1\times10^4 $$すなわち中性子1個の弾性散乱1回で,1万個規模の原子対がはじき出される.運動学の一行の式が,照射損傷量(dpa)の基礎になっている.
(4) 材料選択への含意.表4.7 のように $\Lambda$ は軽い元素ほど大きい.タングステン($A=184$)では $\Lambda=0.0215$ で $T_{\max}=0.30\ \mathrm{MeV}$ にとどまるが,同じ $\Lambda$ の小ささが「中性子を減速させにくい」ことも意味する.一方でベリリウムや炭素は $\Lambda$ が大きく,中性子をよく減速する代わりに自身は激しく損傷する.増倍材・減速材・構造材の使い分けは,この一つの係数から始まっている.
| 元素(質量数 $A$) | $\Lambda$ | $T_{\max}$ | $\langle T\rangle=T_{\max}/2$ (等方近似の上限) | 核融合炉での役割 |
|---|---|---|---|---|
| Be(9) | $0.3600$ | $5.08$ MeV | $2.54$ MeV | 中性子増倍材 |
| C(12) | $0.2840$ | $4.00$ MeV | $2.00$ MeV | ダイバータ被覆・減速材 |
| Si(28) | $0.1332$ | $1.88$ MeV | $0.94$ MeV | SiC/SiC 複合材 |
| V(51) | $0.0754$ | $1.06$ MeV | $0.53$ MeV | 低放射化バナジウム合金 |
| Fe(56) | $0.0689$ | $0.97$ MeV | $0.49$ MeV | 低放射化フェライト鋼の主成分 |
| Cu(63) | $0.0615$ | $0.87$ MeV | $0.43$ MeV | ヒートシンク材 |
| W(184) | $0.0215$ | $0.30$ MeV | $0.15$ MeV | ダイバータ・プラズマ対向材 |
4.6.6 (f) 材料科学との接点:Compton プロファイル
材料科学との接点:Compton プロファイルで電子の運動量分布を測る
§4.6.2 で導いた Compton の公式 \eqref{eq:4-compton} は,静止した電子に対するものだった.固体中の電子は静止していない.では,散乱光子のエネルギー $\omega'$ は,電子の初期運動量 $\bm{p}$ にどう依存するのか.答えは「線形に依存する」であり,だからこそ $\omega'$ のスペクトルを測れば $\bm{p}$ の分布が読み出せる.これがCompton 散乱分光である.
導出:Compton プロファイルの式
ステップ1:導出をやり直す(電子を動かす).§4.6.2 のステップ1〜2 は,電子が静止していることをまったく使っていない.したがって式 \eqref{eq:4-compton-master} はそのまま成り立つ:
$$ p\!\cdot\!(k-k') = k\!\cdot\! k' . $$ただし今度は $p^\mu = (E_e,\bm{p})$ で $\bm{p}\ne\bm{0}$ である.
ステップ2:成分で書く.散乱ベクトル(運動量移行)を $\bm{q}\equiv\bm{k}-\bm{k}'$ とすると,左辺は
$$ p\!\cdot\!(k-k') = E_e(\omega-\omega') - \bm{p}\!\cdot\!\bm{q} . $$右辺は前と同じく $\omega\omega'(1-\cos\theta)$ である.
ステップ3:$\bm q$ 方向の成分を取り出す.$\bm{q}$ の向きを $z$ 軸にとり,$p_z\equiv\bm{p}\cdot\hat{\bm{q}}$ とすると $\bm{p}\cdot\bm{q}=p_z\abs{\bm{q}}$ で
$$ E_e(\omega-\omega') - p_z\abs{\bm{q}} = \omega\omega'(1-\cos\theta) . $$ステップ4:$p_z$ について解く.固体中の電子は非相対論的($E_e\simeq m_e$)なので
ステップ5:意味を読む.$p_z=0$ とおくと,分子がゼロという条件は $m_e(\omega-\omega')=\omega\omega'(1-\cos\theta)$,すなわち静止電子の Compton 公式 \eqref{eq:4-compton} そのものである.つまり
- $p_z=0$ の電子 → Compton ピークの中心に散乱される
- $p_z\ne0$ の電子 → その分だけ $\omega'$ がずれる(Doppler シフト)
したがって Compton ピークの形(プロファイル)が,$\bm{q}$ 方向の電子運動量分布そのものを写している.∎
定義:Compton プロファイル $J(p_z)$
電子の運動量分布を $n(\bm{p})$(規格化 $\int n\,\dd^3p=1$)とすると,測定されるスペクトルは
すなわち3次元運動量分布を,散乱ベクトル方向に射影した1次元関数である(衝撃近似,impulse approximation).$\bm{q}$ の向きを結晶軸に対して振れば,$n(\bm{p})$ の異方性が読み出せる.
例:自由電子気体の Compton プロファイルと Fermi 面
自由電子気体では $n(\bm{p})$ は半径 $p_F$ の球の内部で一定である.式 \eqref{eq:4-J} の積分は,球を平面 $p_z=$ 一定で切った円の面積になるから
$$ J(p_z) \propto \pi\big(p_F^2-p_z^2\big)\quad(\abs{p_z}<p_F), \qquad J(p_z)=0\quad(\abs{p_z}>p_F) . $$規格化すると
$$ \begin{equation} J(p_z) = \frac{3}{4p_F}\left(1-\frac{p_z^2}{p_F^2}\right)\quad(\abs{p_z}\le p_F) \label{eq:4-J-feg} \end{equation} $$すなわち上に凸の放物線で,$\abs{p_z}=p_F$ でぴたりと切れる.この「折れ」が Fermi 面の直接的な指紋である.Li や Al の Compton プロファイル測定では,実際にこの放物線と,$p_F$ における傾きの不連続(電子相関でなまされてはいる)が観測される.
実験の規模感.$100\ \mathrm{keV}$ の光子を $\theta=160^\circ$ で散乱させると,静止電子なら $\omega'=72.5\ \mathrm{keV}$,$\abs{\bm{q}}=170\ \mathrm{keV}$ である.式 \eqref{eq:4-compton-profile} を $\omega'$ で微分すると
$$ \left|\frac{\partial p_z}{\partial\omega'}\right| \simeq \frac{m_e+\omega(1-\cos\theta)}{\abs{\bm{q}}} = \frac{511+194}{170} = 4.15 $$となる.運動量の原子単位は $1\ \mathrm{a.u.}=\alpha m_ec = 3.73\ \mathrm{keV}/c$ なので,$\Delta p_z\ [\mathrm{a.u.}] = 1.11\times\Delta\omega'\ [\mathrm{keV}]$.すなわち $0.1\ \mathrm{a.u.}$ の運動量分解能を得るには $90\ \mathrm{eV}$ のエネルギー分解能が要る.Ge 半導体検出器(この帯域で $500\text{--}600\ \mathrm{eV}$)では $0.6\ \mathrm{a.u.}$ 程度が限界で,これが $p_F\sim1\ \mathrm{a.u.}$ の構造を見るにはぎりぎりである.より高い分解能が要るときは,$\gamma$ 線の代わりに放射光の高エネルギー X 線と結晶分光器を組み合わせる.「どの検出器を買えばよいか」という実務的な問いに,式 \eqref{eq:4-compton-profile} が直接答えているのである.
磁気 Compton 散乱.円偏光 X 線を使うと,スピン偏極した電子だけの寄与(磁気 Compton プロファイル $J_{\rm mag}$)が取り出せる.軌道磁気モーメントは寄与しないので,スピン磁気モーメントだけを選択的に測れるという,他の手法にない特長がある.第一原理計算(『密度汎関数理論入門』第10章の Kohn–Sham 軌道)から $n(\bm p)$ を計算して実測 $J(p_z)$ と比べる,というのが標準的な検証の流れである.
4.7 まとめと演習
4.7.1 まとめ
- Lorentz 変換は $(t,x)$ 平面の双曲線回転である.$\gamma=\cosh\eta$,$\gamma\beta=\sinh\eta$ と置けば変換行列は双曲線回転そのものになり,rapidity $\eta$ は同方向の boost に対して加法的である.覚えにくい速度合成則 $\beta_3=(\beta_1+\beta_2)/(1+\beta_1\beta_2)$ の正体は,$\tanh$ の加法定理にすぎない.$\tanh$ の値域が $(-1,1)$ であることが「光速を超えられない」ことに対応する.
- 計量 $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ のもとで内積 $a\cdot b=a^0b^0-\bm{a}\cdot\bm{b}$ は Lorentz 不変である.4元ベクトルとは「$\Lambda^\mu{}_\nu$ で変換する4成分の量」のことで,位置・運動量・電流・ポテンシャル・微分演算子がすべてこれに属する.添字の上げ下げは,空間成分の符号を変えるだけである(ただし $\partial_\mu$ が共変であることに注意).
- 質量とは4元運動量の長さである:$p\cdot p=E^2-\abs{\bm{p}}^2=m^2$.これが質量殻条件であり,実在の粒子はこの双曲面上にしか存在できない.「相対論的質量 $\gamma m$」という言い方は本書では使わない.また $\bm{\beta}=\bm{p}/E$ は本章で最も使う関係式である.
- 複数粒子系の不変質量 $M_{\rm inv}=\sqrt{(\sum p_i)^2}$ が,粒子探索の道具そのものである.崩壊生成物の運動量から親粒子の質量が復元でき,不変質量分布のピークとして新粒子が見つかる(Higgs 粒子の $125\ \mathrm{GeV}$ もこれである).
- Mandelstam 変数 $s,t,u$ を作り,$s+t+u=\sum_im_i^2$ で1本縛る.$\sqrt{s}$ は重心系全エネルギー,$t$ は運動量移行の2乗で散乱角と直結する($t=-4\abs{\bm{p}^*}^2\sin^2(\theta^*/2)$).固定標的では $s=m_1^2+m_2^2+2m_2E_1$ で,高エネルギーでは $\sqrt{s}\simeq\sqrt{2m_2E_1}$ にしかならない.
- しきい値の条件は $\sqrt{s}\ge\sum_f m_f$ の一行に尽きる.固定標的なら $E_a^{\rm thr}=[(\sum_f m_f)^2-m_a^2-m_b^2]/(2m_b)$.反陽子生成では $E_p^{\rm thr}=7m_p=6.57\ \mathrm{GeV}$(バリオン数保存が終状態を $ppp\bar p$ に決める)で,作りたい粒子の6倍の運動エネルギーが要る.この無駄がコライダーを生んだ.
- 二体崩壊は運動学だけで完全に決まる:$p=\sqrt{\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)}/(2M)$,$E_1=(M^2+m_1^2-m_2^2)/(2M)$.Källén 関数 $\lambda(x,y,z)=x^2+y^2+z^2-2xy-2yz-2zx$ は3変数対称で,$\lambda\ge0$ が崩壊の許容条件である.三体崩壊では自由度が2個残り,それを描いたものが Dalitz プロットで,点の粗密がそのまま $\abs{\mathcal{M}}^2$ を映す.
- 飛行中の崩壊では,boost によりエネルギーが帯に広がり,横運動量 $p_\perp$ だけが不変に保たれる.この $p_\perp$ 不変性が,陽電子消滅角相関(ACAR)で電子運動量分布,ひいては Fermi 面を測れる原理である($1$ a.u. の運動量が $\alpha=7.30\ \mathrm{mrad}$ の角度ずれに対応する).
- 材料科学との接点は「同じ二体衝突の式」に集約される.中性子照射の PKA 最大エネルギー $T_{\max}=4m_nM/(m_n+M)^2\times E_n$($14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子と鉄で $0.97\ \mathrm{MeV}$,相対論補正は $E_n/2m_n=0.75\ \%$ が目安で,Fe では厳密に $0.70\ \%$)は照射損傷量 dpa の起点であり,Compton 公式に電子の初期運動量を入れた式 \eqref{eq:4-compton-profile} は Compton プロファイル $J(p_z)$ による Fermi 面測定の原理である.いずれも本章の道具そのままである.
4.7.2 演習問題
演習4.1 rapidity の加法性を数値で確かめる
ロケット A が地球に対して $\beta_1=0.6$ で飛び,ロケット B が A に対して同じ向きに $\beta_2=0.8$ で飛んでいる.
(1) $\eta_1=\mathrm{artanh}\,0.6$ と $\eta_2=\mathrm{artanh}\,0.8$ を,$\eta=\frac12\ln\frac{1+\beta}{1-\beta}$ を使って対数の形で求めよ(きれいな値になる).
(2) $\eta_3=\eta_1+\eta_2$ から $\beta_3=\tanh\eta_3$ を分数で求めよ.
(3) 速度合成則 \eqref{eq:4-velocity-add} で直接計算した結果と一致することを確かめ,$\gamma_3$ を求めよ.
(4) $\beta_1=\beta_2=0.99$ の場合について $\beta_3$ を求め,$1$ を超えないことを確かめよ.
ヒント:(1) $\eta_1=\frac12\ln4=\ln2$,$\eta_2=\frac12\ln9=\ln3$.(2) $\eta_3=\ln6$ なので $\beta_3=\tanh(\ln6)=\frac{6-1/6}{6+1/6}=\frac{35}{37}=0.9459$.(3) $\gamma_3=37/12=3.083$.(4) $\beta_3=1.98/1.9801=0.99995$.
演習4.2 光子の Doppler 効果と GZK 限界
$+x$ 方向に進む光子の4元運動量は $k^\mu=\omega(1,1,0,0)$ である.
(1) この光子を,$+x$ 方向への rapidity $\eta$ の boost で変換し,$\omega'=\omega\,\ee^{-\eta}$ となることを示せ.
(2) $\ee^{-\eta}=\sqrt{(1-\beta)/(1+\beta)}$ を示し,相対論的 Doppler 公式を書け.正面から向かってくる光子($k^\mu=\omega(1,-1,0,0)$)に対してはどうなるか.
(3) 宇宙線陽子が宇宙背景放射(平均光子エネルギー $\bar\omega\simeq6.3\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$)の光子と正面衝突して $p+\gamma\to p+\pi^0$ を起こすには,陽子の静止系で光子のエネルギーが $144.7\ \mathrm{MeV}$(本文 §4.4.5 の公式で確かめよ)を超えればよい.正面衝突では $\omega_{\rm rest}\simeq2\gamma_p\bar\omega$ である.これから陽子のエネルギーの上限を見積もれ.
ヒント:(1) $\omega'=\gamma\omega(1-\beta)=\omega(\cosh\eta-\sinh\eta)$.(3) $\gamma_p\simeq1.1\times10^{11}$,$E_p=\gamma_pm_p\simeq1\times10^{20}\ \mathrm{eV}$.これが GZK 限界(Greisen–Zatsepin–Kuzmin cutoff)で,これより高エネルギーの宇宙線は遠方から地球に届かない.
演習4.3 不変質量の最小値としきい値条件
$n$ 個の粒子の系の不変質量 $M_{\rm inv}=\sqrt{(\sum_ip_i)^2}$ について考える.
(1) 重心系で $M_{\rm inv}=\sum_iE_i^*$ となることを示せ.
(2) $E_i^*\ge m_i$(等号は静止のとき)を使って $M_{\rm inv}\ge\sum_im_i$ を示し,等号成立条件を述べよ.これが式 \eqref{eq:4-threshold-cond} の証明である.
(3) 反応 $\gamma+p\to p+\pi^0$($\pi^0$ の光生成)の,静止陽子に対するしきい光子エネルギーを式 \eqref{eq:4-threshold} で求めよ.$m_p=938.272$,$m_{\pi^0}=134.977\ \mathrm{MeV}$.
(4) (3) の答えが $m_{\pi^0}$ より大きい理由を,反跳という言葉を使って一言で説明せよ.
ヒント:(3) $E_\gamma^{\rm thr}=\frac{(m_p+m_{\pi^0})^2-m_p^2}{2m_p}=m_{\pi^0}\left(1+\frac{m_{\pi^0}}{2m_p}\right)=144.7\ \mathrm{MeV}$.超過分 $9.7\ \mathrm{MeV}$ が陽子の反跳運動エネルギーである.
演習4.4 Mandelstam 変数の数え上げと $e^-p$ 弾性散乱
(1) $2\to2$ 反応の独立な Lorentz 不変量が2個であることを,自由度の数え上げで示せ.(4本の4元運動量で $16$ 成分.保存則 $4$ 本,質量殻条件 $4$ 本を引いて $8$.さらに Lorentz 群のパラメータ数 $6$(回転3+boost 3)だけ「向きの自由度」を落とす.)
(2) $1\ \mathrm{GeV}$ の電子を静止陽子に当てる弾性散乱 $e^-p\to e^-p$ について,$s$ と $\sqrt{s}$ を求めよ($m_e$ は無視してよい).
(3) 重心系での運動量 $\abs{\bm{p}^*}$ を式 \eqref{eq:4-cm-momentum} で求めよ.
(4) 重心系散乱角 $\theta^*=90^\circ$ における $t$ を式 \eqref{eq:4-t-angle} で求め,$u$ を和則 \eqref{eq:4-stu-sum} から決めよ.
ヒント:(2) $s=m_p^2+2m_pE_e=2.757\ \mathrm{GeV^2}$,$\sqrt{s}=1.660\ \mathrm{GeV}$.(3) $m_e\to0$ で $\abs{\bm{p}^*}=(s-m_p^2)/(2\sqrt{s})=0.565\ \mathrm{GeV}$.(4) $t=-2\abs{\bm{p}^*}^2=-0.639\ \mathrm{GeV^2}$,$u=2m_p^2-s-t=-0.358\ \mathrm{GeV^2}$.$t\le0$,$u\le0$ になっていることを確認せよ.
演習4.5 Källén 関数と Heron の公式
$\lambda(x,y,z)=x^2+y^2+z^2-2xy-2yz-2zx$ について.
(1) $\lambda(x,y,z)=[x-(\sqrt y+\sqrt z)^2][x-(\sqrt y-\sqrt z)^2]$ を,右辺を展開して確かめよ.
(2) 3辺の長さが $a,b,c$ の三角形の面積 $A$ に対する Heron の公式 $16A^2=(a+b+c)(-a+b+c)(a-b+c)(a+b-c)$ を用いて
$$ \lambda(a^2,b^2,c^2) = -16A^2 $$を示せ.したがって「$a,b,c$ が三角形を作れる $\Leftrightarrow$ $\lambda<0$」である.
(3) 崩壊 $M\to1+2$ が可能な条件 $\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)\ge0$ を,(2) の言葉で言い換えよ.
ヒント:(2) (1) より $\lambda(a^2,b^2,c^2)=(a-b-c)(a+b+c)(a-b+c)(a+b-c)$.$(a-b-c)=-(-a+b+c)$ で符号が1つ出る.(3) 「$M,m_1,m_2$ が三角形を作れない」=「一辺が他の二辺の和以上」で,$M\ge m_1+m_2$ なら崩壊が許される.ただし $m_1\ge M+m_2$(あるいは $m_2\ge M+m_1$)という枝でも三角形は作れず $\lambda\ge0$ になるので,これはエネルギー保存 $E_1+E_2=M$ を満たせないものとして除外しなければならない.
演習4.6 Compton 散乱の限界と,プロファイル測定の分解能
(1) 式 \eqref{eq:4-compton} で $\theta=180^\circ$(後方散乱)とし,$\omega\to\infty$ の極限で $\omega'\to m_e/2=255.5\ \mathrm{keV}$ となることを示せ.
(2) $^{137}\mathrm{Cs}$ の $\gamma$ 線($662\ \mathrm{keV}$)について,$\theta=180^\circ$ の散乱光子エネルギー(後方散乱ピーク)と,そのとき電子が得るエネルギー(Compton edge)を求めよ.
(3) 式 \eqref{eq:4-compton-profile} で $\omega=662\ \mathrm{keV}$,$\theta=160^\circ$ のとき,$\abs{\partial p_z/\partial\omega'}$ を評価せよ.運動量の原子単位 $1\ \mathrm{a.u.}=\alpha m_ec=3.73\ \mathrm{keV}/c$ を使って,運動量分解能 $0.4\ \mathrm{a.u.}$ を得るために必要なエネルギー分解能を求めよ.
(4) 自由電子気体の Compton プロファイル \eqref{eq:4-J-feg} について $\int_{-p_F}^{p_F}J(p_z)\dd p_z=1$ を確かめ,$J(0)$ を $p_F$ で表せ.アルミニウム($p_F=0.926\ \mathrm{a.u.}$)の $J(0)$ を求めよ.
ヒント:(2) $\omega'=662/(1+2\times662/511)=184\ \mathrm{keV}$,Compton edge $=662-184=478\ \mathrm{keV}$.(3) $\omega'=188\ \mathrm{keV}$,$\abs{\bm{q}}=842\ \mathrm{keV}$,$\abs{\partial p_z/\partial\omega'}=(511+662\times1.940)/842=2.13$.したがって $\Delta p_z[\mathrm{a.u.}]=0.57\,\Delta\omega'[\mathrm{keV}]$ で,$0.4\ \mathrm{a.u.}$ には $\Delta\omega'\simeq0.7\ \mathrm{keV}$.ここで分解能を評価すべき相手は散乱光子の $\omega'\simeq188\ \mathrm{keV}$ であって入射の $662\ \mathrm{keV}$ ではないことに注意.その帯域の Ge 検出器は FWHM $0.7\text{--}1.0\ \mathrm{keV}$ なので,$0.4\ \mathrm{a.u.}$ はぎりぎり到達できる水準である(余裕はなく,より高い分解能が要るときは放射光と結晶分光器を使う).(4) $J(0)=3/(4p_F)=3/(4\times0.926)=0.810\ \mathrm{a.u.^{-1}}$.
演習4.7 核融合炉材料の PKA エネルギー
式 \eqref{eq:4-pka} の $\Lambda=4m_nM/(m_n+M)^2$ を,質量数 $A$ を使って $\Lambda=4A/(1+A)^2$ と近似してよい.
(1) D–D 反応で生じる $2.45\ \mathrm{MeV}$ 中性子がタングステン($A=184$)に当たったときの $T_{\max}$ を求めよ.D–T の $14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子の場合と比べよ.
(2) SiC 中の Si($A=28$)と C($A=12$)について,$14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子に対する $T_{\max}$ を求め,どちらの副格子がより大きなエネルギーを受け取るか答えよ.
(3) 式 \eqref{eq:4-pka-corr} を使って,(2) の値に対する相対論補正の大きさを求めよ.Si では $M\gg m_n$ の近似値 $E_n/2m_n$ でほぼよいが,軽い C では分母の項 $2ME_n/(m_n+M)^2$ が無視できないことを確かめよ.
(4) (2) の C の PKA について,NRT モデル $N_d=0.8\,T/(2E_d)$(炭化ケイ素の炭素副格子で $E_d\approx20\ \mathrm{eV}$)を使って Frenkel 対の数の上限を見積もれ.
ヒント:(1) $\Lambda_{\rm W}=4\times184/185^2=0.02150$ なので $T_{\max}=52.7\ \mathrm{keV}$(D–T では $0.303\ \mathrm{MeV}$,約 5.8 倍).(2) $\Lambda_{\rm Si}=0.1332$ で $1.88\ \mathrm{MeV}$,$\Lambda_{\rm C}=0.2840$ で $4.00\ \mathrm{MeV}$.軽い炭素のほうが 2.1 倍大きい.(3) 近似値は $14.1/(2\times939.565)=0.75\ \%$.分母まで入れた厳密比 $(1+E_n/2m_n)/(1+2ME_n/(m_n+M)^2)$ は Si で $+0.65\ \%$,C で $+0.53\ \%$ である.(4) $N_d\sim0.8\times4.0\times10^6/(2\times20)\sim8\times10^4$ 対.
参考文献
- D. Griffiths, Introduction to Elementary Particles, 2nd revised ed., Wiley-VCH (2008), Chapter 3(邦訳『素粒子物理学』丸善出版).本章の底本.例題と演習が豊富である.
- E. Byckling, K. Kajantie, Particle Kinematics, John Wiley & Sons (1973). Mandelstam 変数・Källén 関数・多体位相空間を徹底的に扱った古典的教科書.運動学だけで一冊ある.
- Particle Data Group (R. L. Workman et al.), "Review of Particle Physics", Prog. Theor. Exp. Phys. 2022, 083C01 (2022). 総説 "Kinematics" が本章の内容の簡潔なまとめになっている.質量・寿命・分岐比の数値は,特記しない限りここから引いた(本書全体でこの 2022 年版に揃えてあり,$m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$ を用いる.参考までに,PDG 2024 の値は $125.20\pm0.11\ \mathrm{GeV}$ で,これを使うと表4.5 の $p$ は $62.60\ \mathrm{GeV}$ になる).
- O. Chamberlain, E. Segrè, C. Wiegand, T. Ypsilantis, "Observation of Antiprotons", Phys. Rev. 100, 947 (1955). §4.6.1 のしきい値計算が実際に使われた実験.
- G. S. Was, Fundamentals of Radiation Materials Science: Metals and Alloys, 2nd ed., Springer (2017), Chapters 1–3. PKA・変位カスケード・NRT モデルの標準的な教科書.式 \eqref{eq:4-pka} はその第1章の出発点である.
- M. J. Cooper, P. E. Mijnarends, N. Shiotani, N. Sakai, A. Bansil, X-Ray Compton Scattering, Oxford University Press (2004). Compton プロファイル・磁気 Compton 散乱の決定版.
- R. Krause-Rehberg, H. S. Leipner, Positron Annihilation in Semiconductors, Springer (1999). ACAR と Doppler 拡がり測定による空孔型欠陥の評価.