第2章素粒子物理学の歴史
素粒子物理学の歴史を年表として眺めると,ただの人名と西暦の羅列になってしまう.本章はそういう書き方をしない.知りたいのは「いつ何が見つかったか」ではなく,なぜその粒子が必要だと考えられたのか,そしてなぜその実験で見えたのかという二つの論理である.
前者は理論の論理である.β崩壊のスペクトルが連続だから中性の軽い粒子が要る.核力の到達距離が $1.4\ \mathrm{fm}$ だから $140\ \mathrm{MeV}$ の中間子が要る.相対論的な波動方程式が負エネルギー解を持つから反粒子が要る.$\Delta^{++}$ が Fermi 統計を破って見えるから色が要る.どの場合も,説明できない実験事実が一つあり,それを救うために最小限の仮定を一つ足すという同じ形をしている.素粒子物理学とは,この操作を100年繰り返した結果である.
後者は装置と材料の論理である.陽電子は霧箱の過飽和蒸気の中に見えた.$\pi$ 中間子は臭化銀を分散させたゼラチン乳剤の中に見えた.$\Omega^-$ は $80$ インチの液体水素泡箱の中に見えた.トップクォークはシリコン飛跡検出器が $10\ \mu\mathrm{m}$ の頂点分解能を持って初めて見えた.どの発見も,そのとき手に入る材料の性能で上限が決まっている.材料科学を専門とする読者にとって,これは他人事ではない.
本章はこの二つの論理を並行して追う.そして各所で,そこで生まれた道具が材料科学の測定手法としてそのまま生き残っている例を示す.Rutherford 散乱は Rutherford 後方散乱分光(RBS)に,Compton 散乱は Compton プロファイル測定に,湯川ポテンシャルは金属の Thomas–Fermi 遮蔽に,Dirac の空孔は半導体のホールと陽電子消滅分光に,それぞれ姿を変えて生き延びている.素粒子物理と材料科学は,同じ道具箱を共有しているのである.
- Thomson の $e/m$ 測定と Rutherford 散乱公式が何を主張しているか,そしてそれが今日の弾性散乱実験の原型であること
- Compton 波長 $h/mc = 2.426\ \mathrm{pm}$ の導出と,その相対論的運動学
- 力の到達距離と媒介粒子の質量の関係 $R\sim\hbar/(mc)$ を不確定性関係から導くこと
- $\mu$ と $\pi$ の取り違えがなぜ起きたか,2中間子仮説(坂田・谷川)がそれをどう解いたか
- Dirac 方程式の負エネルギー解と空孔理論,陽電子・反陽子の発見
- β崩壊の連続スペクトルという難問と,ニュートリノ仮説から Reines–Cowan 実験まで
- Gell-Mann–西島の関係式 $Q = I_3 + (B+S)/2$ の導出と,実在ハドロンによる検算
- SU(3) の八重項・十重項(weight diagram)の読み方と,$\Omega^-$ の質量予言
- クォーク模型と,$\Delta^{++}$ のスピン統計問題から色(カラー)が要求されること
- 11月革命から標準模型の完成まで,そして標準模型が説明できないこと
- 霧箱・原子核乾板・シンチレータ・泡箱・半導体検出器がそれぞれ何を測る装置か
2.1 古典時代 1897–1932
2.1.1 Thomson の $e/m$ ——「原子より小さいもの」の発見
19世紀末,真空放電管から出る陰極線(cathode ray)の正体が論争になっていた.ドイツの研究者は「エーテル中の波」と考え,イギリスの研究者は「荷電粒子の流れ」と考えていた.決着をつけたのが J. J. Thomson の1897年の実験である.
Thomson の装置は単純である.陰極線を,長さ $L$ の平行平板コンデンサ(電場 $E$)と,同じ領域にかけた磁場 $B$ の中を通す.粒子の電荷を $q$,質量を $m$,速さを $v$ とする.手順は2段階(速さの決定と偏向角の測定)で,最後に両者を組み合わせる.
導出:Thomson の速度選別法と $e/m$
ステップ1:電場と磁場を両方かけて,ビームが曲がらないように調整する.電場による力は $qE$(板に垂直),磁場による力は $qvB$(互いに垂直に配置しておけば,やはり板に垂直で向きは逆).これが釣り合うとき
$$ qE = qvB \quad\Longrightarrow\quad v = \frac{E}{B} $$電荷 $q$ が両辺から消えることに注意する.つまりこの操作だけで,電荷の値を知らなくても速さが決まる.これが速度選別器(velocity selector)である.
ステップ2:磁場を切って,電場だけで曲げる.粒子が板の間にいる時間は $t = L/v$.その間に受ける横方向の加速度は $a = qE/m$ だから,出口での横方向の速度は $v_\perp = at = qEL/(mv)$.したがって偏向角 $\theta$ は
$$ \tan\theta = \frac{v_\perp}{v} = \frac{qEL}{mv^2} $$ステップ3:ステップ1の結果 $v=E/B$ を代入する.
右辺はすべて測定できる量である.Thomson が得た値は,当時知られていた水素イオンの $q/m$ の約 $1000$ 倍(現代の値では $1836$ 倍)だった.
ここで論理が効いてくる.$q/m$ が大きいのは,(a) 電荷が異常に大きいか,(b) 質量が異常に小さいか,のどちらかである.Thomson は,陰極の材料(アルミニウム・鉄・白金)を変えても,管の中の気体(空気・水素・二酸化炭素)を変えても $q/m$ が同じ値になることを示した.すなわちこの粒子は物質の種類によらない普遍的な構成要素である.ならば (b),つまり質量が小さいと解釈するのが自然である.こうして「原子より小さいもの」=電子が発見された.
なぜこれが「素粒子物理学の始まり」なのか
それまでの物理学における「基本要素」は原子であった.原子は英語で atom,語源はギリシャ語の $\alpha$-$\tau o \mu o \varsigma$(分割できないもの)である.Thomson の発見は,その語源が誤りであることを示した.
より重要なのは方法論である.Thomson は電子を「見た」わけではない.電磁場という既知の相互作用を通して,未知の粒子の内部パラメータ($q/m$)を測ったのである.素粒子物理学の実験はすべてこの形をしている.加速器で粒子をぶつけるのも,既知の相互作用(電磁相互作用・弱い相互作用)を「ものさし」として使い,未知の対象の性質を読み取る作業にほかならない.
2.1.2 Rutherford 散乱 —— 原子核の発見
Thomson は,発見した電子が原子の中でどう配置されているかについて,正電荷の一様な球(プディング)の中に電子が埋まっているという模型を提案した.これを検証したのが,Rutherford の指導のもとで Geiger と Marsden が行った $\alpha$ 粒子散乱実験(1909–1911)である.
実験は次のとおりである.ラジウム系列の放射性核種から出る $\alpha$ 粒子(運動エネルギー $E \approx 7.7\ \mathrm{MeV}$,電荷 $+2e$)を,厚さ $0.4\ \mu\mathrm{m}$ 程度の金箔に当てる.散乱された $\alpha$ 粒子は硫化亜鉛 ZnS の蛍光板に当たり,微弱な閃光を出す.それを暗室の中で顕微鏡を覗きながら人間の目で数える.これが史上最初のシンチレーション検出器である(後にシンチレータ + 光電子増倍管に置き換わり,今日まで使われ続けている).
導出:Rutherford の散乱公式
ステップ1:設定.電荷 $z_1 e$,質量 $m$,速さ $v$ の粒子が,固定された電荷 $z_2 e$ の中心から衝突径数(impact parameter)$b$ だけずれた線に沿って飛んでくる.Coulomb 力は反発力で
$$ F(r) = \frac{z_1 z_2 e^2}{4\pi\varepsilon_0 r^2} \equiv \frac{\kappa}{r^2}, \qquad \kappa \equiv \frac{z_1 z_2 e^2}{4\pi\varepsilon_0} $$$1/r^2$ 力の下での軌道は双曲線になる(Kepler 問題の反発版).
ステップ2:$b$ と散乱角 $\theta$ の関係.双曲線軌道の解析から(あるいは角運動量保存 $mvb = mr^2\dot\varphi$ と運動量の変化を積分して)
$$ \begin{equation} b = \frac{\kappa}{m v^2}\cot\frac{\theta}{2} = \frac{\kappa}{2E}\cot\frac{\theta}{2} \label{eq:2-b-theta} \end{equation} $$ここで $E=\tfrac12 mv^2$ を使った.$b$ が小さいほど(=正面に近いほど)$\theta$ が大きいという,直感どおりの関係である.
ステップ3:断面積へ翻訳する.$b$ と $b+\dd b$ の間を通った粒子は,$\theta$ と $\theta+\dd\theta$ の間に散乱される.入射面積 $\dd\sigma = 2\pi b\,\abs{\dd b}$ が,立体角 $\dd\Omega = 2\pi\sin\theta\,\abs{\dd\theta}$ に対応する.したがって
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega} = \frac{b}{\sin\theta}\abs{\frac{\dd b}{\dd\theta}} $$ステップ4:微分を実行する.式 \eqref{eq:2-b-theta} より $\dd b/\dd\theta = -\dfrac{\kappa}{4E}\csc^2(\theta/2)$.また $\sin\theta = 2\sin(\theta/2)\cos(\theta/2)$ を使うと
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega} = \frac{1}{2\sin\frac\theta2\cos\frac\theta2} \cdot \frac{\kappa}{2E}\frac{\cos\frac\theta2}{\sin\frac\theta2} \cdot \frac{\kappa}{4E}\frac{1}{\sin^2\frac\theta2} $$$\cos(\theta/2)$ が約分され,$\sin(\theta/2)$ が4個残る:
これが Rutherford の散乱公式である.$\sin^{-4}(\theta/2)$ という発散的な角度依存性が特徴で,$\theta\to0$ で断面積が発散するのは Coulomb 力が無限遠まで届く(媒介粒子である光子が質量ゼロ)ことの帰結である.
物理的意味:$\sin^{-4}(\theta/2)$ は何を言っているか
Thomson 模型では,正電荷が半径 $\sim 10^{-10}\ \mathrm{m}$ の球に薄く広がっている.この場合 $\alpha$ 粒子が受ける力は弱く,多数回の小さな散乱の積み重ねになるので,散乱角の分布は中心極限定理により Gauss 分布 $\propto\exp(-\theta^2/2\theta_0^2)$ になり,$\theta_0$ はせいぜい $1^\circ$ 程度である.$90^\circ$ 以上に跳ね返される確率は $\ee^{-\theta^2/2\theta_0^2}$ で抑えられ,事実上ゼロになる.
ところが実験では,$8000$ 個に1個程度の $\alpha$ 粒子が $90^\circ$ 以上に跳ね返された.式 \eqref{eq:2-rutherford} は $\theta$ の大きいところでべきでしか落ちないので,この頻度を正しく再現する.Rutherford の有名な言葉「$15$ インチ砲弾をティッシュペーパーに撃ったら跳ね返ってきたようなものだ」は,指数関数とべき関数の違いを言い当てている.
べきになった理由は明快で,$1/r^2$ 力の中心が点だからである.力の中心が広がっていれば,波長 $\lambda$ が広がりより短くなったところで形状因子が効いて断面積は落ちる.逆に言えば,断面積が Rutherford 公式から外れ始める角度を見れば,標的の内部構造の大きさが分かる.この論法はそのまま,電子・陽子散乱による陽子の形状因子の測定(Hofstadter, 1956)に,さらに深非弾性散乱によるクォークの発見(SLAC, 1969)に受け継がれる.
数値例:最近接距離が語ること
正面衝突($b=0$)では,$\alpha$ 粒子は運動エネルギーがすべて Coulomb ポテンシャルに変わったところで止まる:
$$ E = \frac{z_1 z_2 e^2}{4\pi\varepsilon_0 d} \quad\Longrightarrow\quad d = \frac{z_1 z_2}{E}\times \frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0} = \frac{z_1 z_2}{E}\times 1.44\ \mathrm{MeV\,fm} $$ここで $e^2/(4\pi\varepsilon_0) = \alpha\,\hbar c = (1/137.036)\times197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 1.44\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使った(この定数は今後も繰り返し使うので覚えておくとよい).$\alpha$ 粒子($z_1=2$)が金($z_2=79$)に $E=7.7\ \mathrm{MeV}$ でぶつかると
$$ d = \frac{2\times79\times1.44}{7.7}\ \mathrm{fm} = 29.5\ \mathrm{fm} $$一方,金の原子核の半径は $R \approx 1.2\,A^{1/3}\ \mathrm{fm} = 1.2\times197^{1/3} = 7.0\ \mathrm{fm}$ である.$d \approx 4R$ なので,$\alpha$ 粒子は原子核に触れていない.だから式 \eqref{eq:2-rutherford} が実験を完全に再現した.逆に,$\alpha$ 粒子自身の半径 $R_\alpha = 1.2\times4^{1/3} = 1.9\ \mathrm{fm}$ も足して $d < R+R_\alpha \approx 8.9\ \mathrm{fm}$,すなわち $E \gtrsim 227.5/8.9 \approx 26\ \mathrm{MeV}$ あたりから核力の効果でずれが出るはずである(核力の到達距離まで見込めば閾値はさらに下がる).実際,金に $\alpha$ をぶつける実験では $E_\alpha\approx25$–$28\ \mathrm{MeV}$ から後方角で Rutherford 公式からのずれが観測される.
材料科学との接点:Rutherford 後方散乱分光(RBS)
Rutherford の実験は,そのまま薄膜の組成・深さ分析法として現役である.$1$–$3\ \mathrm{MeV}$ の $\mathrm{He}^+$ ビームを試料に当て,$\theta\approx170^\circ$ に跳ね返ってくるイオンのエネルギーを半導体検出器で測る.これが Rutherford 後方散乱分光(Rutherford backscattering spectrometry, RBS)である.
使う式は二つだけである.第一に,質量 $M_1$ の入射イオンが静止した質量 $M_2$ の原子に弾性散乱されたときの運動学因子 $K = E_1/E_0$:
$$ \begin{equation} K = \left[ \frac{\sqrt{M_2^2 - M_1^2\sin^2\theta} + M_1\cos\theta}{M_1+M_2} \right]^{2} \label{eq:2-rbs-K} \end{equation} $$これはエネルギー保存と運動量保存を解いただけの,高校物理の弾性衝突と同じものである.$E_0 = 2.0\ \mathrm{MeV}$ の $\mathrm{He}$($M_1=4$)を $\theta=170^\circ$ で使うと
- 金($M_2=197$):$K=0.923$,$E_1 = 1.845\ \mathrm{MeV}$
- ケイ素($M_2=28$):$K=0.565$,$E_1 = 1.130\ \mathrm{MeV}$
$700\ \mathrm{keV}$ も違うので,Si 基板の上の Au 薄膜は一目で分離できる.散乱イオンのエネルギーが,たたいた原子の質量を教えるのである.
第二に,式 \eqref{eq:2-rutherford} の $z_2^2$ 依存性.収量が原子番号の2乗に比例するので,絶対量の較正なしに組成比が出る(RBS が「標準試料を要しない定量法」と呼ばれる理由).さらに,イオンが試料中を進む際の阻止能 $\dd E/\dd x$ の分だけエネルギーを失うので,同じ元素でも深いところで散乱されたものは低エネルギー側にずれる.これが深さ分解能(典型的に $10$–$20\ \mathrm{nm}$)を与える.
つまり,1911年に原子核を発見した式が,2026年の薄膜プロセス評価室で毎日使われている.素粒子物理の散乱理論を学ぶことは,材料評価の原理を学ぶことと同じである.
2.1.3 Bohr 模型 —— 古典力学の破綻を認める
Rutherford 模型には致命的な欠陥があった.円運動する電子は加速度運動をしているので,古典電磁気学によれば電磁波を放射してエネルギーを失う.計算すると,水素原子は $10^{-11}\ \mathrm{s}$ 程度で原子核に落ち込んでしまう.原子が安定に存在すること自体が説明できない.
Bohr(1913)はこれを,角運動量の量子化 $L = n\hbar$(のちに Wilson と Sommerfeld が位相積分の量子条件 $\oint p\,\dd q = n h$ に一般化した)を要請することで回避した.結果として得られるエネルギー準位は
$$ \begin{equation} E_n = -\frac{1}{2}\,m_e c^2\,\frac{(Z\alpha)^2}{n^2} = -\frac{13.606\,Z^2}{n^2}\ \mathrm{eV} \label{eq:2-bohr} \end{equation} $$である.ここで $\alpha = e^2/(4\pi\varepsilon_0\hbar c) = 1/137.036$ が微細構造定数で,本書の主役の一つになる.検算しておくと $\tfrac12\times0.511\times10^6\ \mathrm{eV}\times(1/137.036)^2 = 13.6\ \mathrm{eV}$ である.
Bohr 半径は $a_0 = \hbar/(m_e c\,\alpha) = 0.0529\ \mathrm{nm}$.ここで注目したいのは,$\hbar/(m_e c)$ という組み合わせが顔を出していることである.これが次節の Compton 波長で,$a_0 = (\hbar/m_ec)/\alpha = 137\times 386\ \mathrm{fm}$ という関係にある.素粒子物理の長さのスケールと,物質科学の長さのスケールが $\alpha$ 一つで結ばれている.
2.1.4 中性子の発見(1932)
原子核の質量は,陽子の数から期待される値のおよそ2倍あった.1930年,Bothe と Becker はベリリウムに $\alpha$ 粒子を当てると,極めて透過力の強い中性放射線が出ることを見つけた.Joliot-Curie 夫妻はこれを高エネルギーの $\gamma$ 線と解釈したが,Chadwick(1932)はこれを否定した.論法は運動学だけである.
導出:Chadwick はどう質量を決めたか
ステップ1:未知の中性粒子(質量 $m$,速さ $v$)が,静止した質量 $M$ の原子核に正面弾性衝突する.非相対論的な弾性衝突の公式より,標的が得る反跳速度は
$$ V = \frac{2m}{m+M}\,v $$ステップ2:二種類の標的を使う.水素(パラフィン中の陽子,$M=m_p$)と窒素($M=14m_p$)を使い,反跳粒子の最大速度を電離箱で測る:
$$ V_{\mathrm{H}} = \frac{2m}{m+m_p}v, \qquad V_{\mathrm{N}} = \frac{2m}{m+14m_p}v $$ステップ3:比をとると未知の $v$ が消える.
$$ \frac{V_{\mathrm{H}}}{V_{\mathrm{N}}} = \frac{m+14m_p}{m+m_p} $$ステップ4:測定値を入れる.Chadwick の測定値は $V_{\mathrm{H}} = 3.3\times10^7\ \mathrm{m/s}$,$V_{\mathrm{N}} = 4.7\times10^6\ \mathrm{m/s}$ で,比は $7.0$.これを解くと
$$ 7.0\,(m+m_p) = m+14m_p \quad\Longrightarrow\quad 6.0\,m = 7.0\,m_p \quad\Longrightarrow\quad m \approx 1.16\,m_p $$測定精度を考えれば $m\approx m_p$ である.すなわち陽子とほぼ同じ質量をもつ中性の粒子が存在する.これが中性子である.
注意:なぜ $\gamma$ 線では駄目だったのか
もし正体が $\gamma$ 線なら,陽子を $3.3\times10^7\ \mathrm{m/s}$(運動エネルギー $5.7\ \mathrm{MeV}$)まで叩き出すのに Compton 散乱の運動学から $E_\gamma \gtrsim 55\ \mathrm{MeV}$ が必要になる.ところが,線源のポロニウム $^{210}\mathrm{Po}$ が出す $\alpha$ 線は $5.3\ \mathrm{MeV}$,反応 $^9\mathrm{Be}(\alpha,n)^{12}\mathrm{C}$ の $Q$ 値が $5.70\ \mathrm{MeV}$ なので,使えるエネルギーは合わせても $11\ \mathrm{MeV}$ 程度にすぎない.$55\ \mathrm{MeV}$ には5倍も足りず,エネルギー保存則が破れてしまう.
さらに窒素の反跳を同時に説明しようとすると,必要な $E_\gamma$ が標的ごとに違う値になり,矛盾する.「一つの仮説で全部のデータを同時に説明できるか」を問うのが素粒子物理の作法であり,Chadwick はそれを実行した.
中性子の発見で,原子核は陽子と中性子からできているという描像が完成した.そして直ちに次の問いが立つ.正電荷どうしが Coulomb 反発しているのに,なぜ原子核は壊れないのか.核子を束縛する新しい力があるはずである.その力を担う粒子を探す旅が,2.3節の主題になる.
2.2 光子 1900–1924
2.2.1 三段階で確立した「光の粒子性」
光子の受容は,一度に起きたのではなく三段階を踏んだ.それぞれの段階で「何が新しく証明されたか」を区別しておくと,議論の構造がよく見える.
| 年 | 人 | 現象 | 新たに示されたこと |
|---|---|---|---|
| 1900 | Planck | 黒体輻射 | 振動子のエネルギーが $E=nh\nu$ と離散化する(放射の授受が量子的) |
| 1905 | Einstein | 光電効果 | 光そのものがエネルギー $h\nu$ の塊として存在する |
| 1923 | Compton | X線の波長シフト(Compton 散乱) | 光の塊が運動量 $h/\lambda$ も持ち,電子と粒子どうしの(2体としては)弾性衝突をする.X線から見ればエネルギーを電子の反跳に渡すので「非弾性散乱」と呼ばれる |
Planck は自分の量子仮説を「絶望的な行為」と呼び,光そのものが粒子だとは考えなかった.エネルギーの授受が離散的なのは,壁の振動子の性質かもしれないからである.Einstein はその逃げ道を塞いだ.そして Compton が,粒子であるための最後の条件(運動量を持ち,衝突の運動学に従うこと)を実験で示した.
2.2.2 光電効果 —— 仕事関数という材料量
金属表面に振動数 $\nu$ の光を当てると電子が飛び出す.Einstein の主張は次の一行である.
$$ \begin{equation} K_{\max} = h\nu - W \label{eq:2-photoelectric} \end{equation} $$$W$ は仕事関数(work function),すなわち固体内部の Fermi 準位から真空準位まで電子を引き上げるのに要る最小のエネルギーである.この式が古典波動論と決定的に違うのは次の3点である.
- 閾値の存在:$h\nu < W$ ならどんなに強い光を当てても電子は出ない.波動論では光を強くすればいずれ出るはずである.
- $K_{\max}$ が強度によらない:強度は飛び出す電子の数だけを変える.
- 傾きが $h$:$K_{\max}$ を $\nu$ に対してプロットすると,直線の傾きが材料によらず Planck 定数になる.Millikan が1916年にこれを精密に確認した(彼自身は Einstein の光量子仮説を信じておらず,反証するつもりで実験した).
物理的意味:$W$ は素粒子物理の量ではなく材料の量である
式 \eqref{eq:2-photoelectric} で普遍的なのは $h$ だけで,$W$ は物質によってまったく違う.セシウム $2.1\ \mathrm{eV}$,アルミニウム $4.1\ \mathrm{eV}$,タングステン $4.5\ \mathrm{eV}$,金 $5.1\ \mathrm{eV}$.同じ金でも面方位で $0.3\ \mathrm{eV}$ ほど違い,表面吸着があれば $1\ \mathrm{eV}$ 単位で動く.
つまり光電効果の実験は,普遍定数 $h$ と材料定数 $W$ が一つの式に同居している珍しい例である.今日この式は素粒子物理ではなく表面科学の道具として使われており,紫外光電子分光(UPS)の二次電子カットオフやケルビンプローブは $W$ を直接測る装置であり,X線光電子分光(XPS)は同じ式 $E_B = h\nu - K - W$ を内殻準位に適用して元素と化学状態を読む装置である(XPS でも二次電子端から $W$ は出せる).電子デバイスの電極/半導体界面の障壁高さを設計するとき,材料研究者が日常的に使っているのは Einstein の1905年の式である.
2.2.3 Compton 散乱の導出
Compton は,モリブデンの特性X線(Mo K$\alpha$,波長 $\lambda = 0.0709\ \mathrm{nm}$,エネルギー $17.5\ \mathrm{keV}$)を黒鉛(グラファイト)に当て,散乱X線の波長を方解石結晶の Bragg 分光器で測った.すると,入射波長と同じ成分のほかに,波長が伸びた成分が現れ,そのずれが散乱角とともに増えた.古典的な Thomson 散乱(振動する電子が同じ振動数で再放射する)では,波長は絶対に変わらない.
導出:Compton の公式と Compton 波長
ステップ1:4元運動量で書く(自然単位系 $\hbar=c=1$).入射光子 $p^\mu$,静止電子 $k^\mu=(m,\bm 0)$,散乱光子 $p'^\mu$,反跳電子 $k'^\mu$ とすると,保存則は
$$ p + k = p' + k' $$反跳電子は測らないので,$k'$ を消去したい.そこで移項して
$$ k' = p + k - p' $$ステップ2:両辺を2乗する.4元ベクトルの2乗は不変質量なので,$k'^2 = m^2$,$k^2=m^2$,$p^2=p'^2=0$(光子は質量ゼロ).
$$ m^2 = (p+k-p')^2 = \underbrace{p^2}_{0} + k^2 + \underbrace{p'^2}_{0} + 2p\cdot k - 2p\cdot p' - 2k\cdot p' $$$k^2=m^2$ を左辺の $m^2$ と相殺させると
$$ \begin{equation} 0 = p\cdot k - p\cdot p' - k\cdot p' \label{eq:2-compton-inv} \end{equation} $$これで反跳電子が完全に消えた.4元ベクトルで書く利点はここにある.
ステップ3:各内積を成分で書く.入射光子のエネルギーを $E$,散乱光子を $E'$,散乱角を $\theta$ とする.光子は $p^\mu=(E,\bm p)$,$\abs{\bm p}=E$ だから
$$ p\cdot k = E m - \bm p\cdot\bm 0 = mE, \qquad k\cdot p' = mE', $$ $$ p\cdot p' = EE' - \bm p\cdot\bm p' = EE' - EE'\cos\theta = EE'(1-\cos\theta) $$ステップ4:式 \eqref{eq:2-compton-inv} に代入する.
$$ 0 = mE - EE'(1-\cos\theta) - mE' \quad\Longrightarrow\quad m(E-E') = EE'(1-\cos\theta) $$両辺を $mEE'$ で割ると,きれいな形になる:
$$ \begin{equation} \frac{1}{E'} - \frac{1}{E} = \frac{1-\cos\theta}{m} \label{eq:2-compton-E} \end{equation} $$ステップ5:波長に戻す.$\hbar,c$ を復活させると光子は $E = hc/\lambda$ なので $1/E = \lambda/(hc)$.式 \eqref{eq:2-compton-E} は
ステップ6:$\lambda_C$ を数値で出す.$h c = 2\pi\hbar c = 2\pi\times197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}$,$m_ec^2 = 0.511\ \mathrm{MeV}$ だから
$$ \lambda_C = \frac{hc}{m_ec^2} = \frac{1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}}{0.511\ \mathrm{MeV}} = 2426\ \mathrm{fm} = 2.426\ \mathrm{pm} = 0.02426\ \mathrm{nm} $$これがCompton 波長である.
注意:$\lambda_C$ と $\bar\lambda_C$ の流儀の違い
本書では $\lambda_C = h/(m_ec) = 2.426\ \mathrm{pm}$ を Compton 波長と呼ぶ.一方,場の理論では $2\pi$ を落とした換算 Compton 波長 $\hbar/(m_ec) = \lambda_C/2\pi = 386.2\ \mathrm{fm}$ のほうを使うことが多く,こちらも「Compton 波長」と呼ばれる.湯川ポテンシャルの到達距離(2.3節)や場の理論の伝播関数に現れるのは常に $\hbar/(mc)$ のほうである.$2\pi$ の食い違いで数値が合わないときは,まずここを疑うとよい.
Bohr 半径との関係も覚えておくと便利である:$a_0 = \dfrac{\hbar/(m_ec)}{\alpha} = 137.036\times386.2\ \mathrm{fm} = 0.0529\ \mathrm{nm}$.すなわち原子の大きさ = 電子の Compton 波長 ÷ 微細構造定数である.
材料科学との接点:Compton プロファイルと電子運動量密度
式 \eqref{eq:2-compton} は電子が静止しているという仮定で導いた.実際の固体中の電子は Fermi 球いっぱいに運動量をもっているので,Compton ピークは点にならず幅をもつ.この幅こそが情報である.
衝撃近似(impulse approximation:衝突が電子の軌道周期よりずっと速いとみなす近似)のもとで,二重微分断面積は
$$ \begin{equation} \frac{\dd^2\sigma}{\dd\Omega\,\dd E'} \propto J(p_z), \qquad J(p_z) = \iint n(\bm p)\,\dd p_x\,\dd p_y \label{eq:2-compton-profile} \end{equation} $$と書ける.ここで $n(\bm p)$ は基底状態の電子運動量密度,$p_z$ は散乱ベクトル方向の運動量成分である.$J(p_z)$ を Compton プロファイルと呼ぶ.すなわち,X線を散乱させてエネルギースペクトルの形を測ると,占有状態の運動量分布が $2$ 方向について積分された形で直接取り出せる.
何が見えるか.自由電子気体なら $n(\bm p)$ は半径 $p_F$ の球(Fermi 球)なので,$J(p_z)$ は $\abs{p_z}<p_F$ で放物線,$\abs{p_z}>p_F$ でゼロとなり,$p_F$ に折れ点(Fermi break)が立つ.アルミニウムでは $k_F = 1.75\ \text{Å}^{-1}$,原子単位に直すと $p_F = 1.75/1.8897 = 0.926\ \mathrm{a.u.}$ で,実測の Compton プロファイルはまさにその位置に折れ点をもつ.エネルギーに直せば $p_F c = 3.45\ \mathrm{keV}$(後で陽電子消滅にも同じ数値が出てくる).
さらに,円偏光X線を使った磁気 Compton 散乱では,スピン偏極した電子だけの運動量密度 $J_{\mathrm{mag}}(p_z)$ が取り出せ,軌道磁気モーメントを含まない純粋なスピンモーメントが測れる.SPring-8 などの放射光施設で,希土類磁石や酸化物磁性体の研究に日常的に使われている手法である.
要するに,Compton が1923年に光子の粒子性を示すために測った「ピークのずれ」は,今日では「ピークの幅」のほうが主役になり,第一原理計算で得た $n(\bm p)$ と直接比較できる実験量になっている.計算科学と素粒子物理の運動学が,ここで一つにつながる.
数学ノート:なぜ4元運動量を2乗したのか
ステップ2で使った技法は本書全体で繰り返し現れるので,形として覚えておくとよい.
測りたくない粒子(今の場合は反跳電子)は,保存則の式でその粒子だけを片側に集め,両辺を2乗する.すると 4元ベクトルの2乗が不変質量 $m^2$ という既知の数になり,その粒子の運動量成分がすべて消える.
これは Lorentz 不変な量だけで書かれているので,実験室系・重心系のどちらで計算しても同じ答えになる.第4章で相対論的運動学を体系的に扱うとき,この操作は「Mandelstam 変数」という形に一般化される.
2.3 中間子 1934–1947
2.3.1 核力に課された二つの条件
中性子の発見(1932年)が突きつけた問題は明確である.原子核の中では,$1\ \mathrm{fm}$ 程度の距離に陽子どうしが押し込められている.この距離での Coulomb 反発エネルギーは
$$ \frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0 r} = \frac{1.44\ \mathrm{MeV\,fm}}{1\ \mathrm{fm}} = 1.44\ \mathrm{MeV} $$これに打ち勝って核子を束縛する力が要る.しかもその力には,実験から二つの条件が課されていた.
- 非常に強い.核子あたりの結合エネルギーは約 $8\ \mathrm{MeV}$ で,Coulomb エネルギーより一桁大きい.
- 到達距離が極端に短い.原子核の半径は $R\approx1.2A^{1/3}\ \mathrm{fm}$ で,体積が $A$ に比例する(=密度が一定).もし力が長距離なら,すべての核子が互いに引き合って密度は $A$ とともに増えるはずである.密度が飽和するのは,各核子が隣接する数個としか相互作用していないことを意味する.また,原子($10^5\ \mathrm{fm}$ のスケール)には核力の痕跡がまったくない.
電磁気力は無限に届く.重力も無限に届く.分子間力(van der Waals)や Debye–Hückel の遮蔽のように短距離で切れる力は当時も知られていたが,基本的な相互作用として指数関数的に切れる有限の到達距離をもつ力は,そもそも当時の物理学に存在しなかった.湯川秀樹(1934年に着想,1935年発表)は,この「有限の到達距離」を媒介粒子の質量として説明した.
導出:到達距離と質量の関係 $R\sim\hbar/(mc)$
ステップ1:力は粒子の交換で伝わると考える.電磁気力が光子の交換で伝わるように,核力も何らかの粒子(質量 $m$)の交換で伝わるとする.核子 A がその粒子を放出し,核子 B が吸収する.
ステップ2:放出はエネルギー保存を破る.静止した核子が質量 $m$ の粒子を放出したら,エネルギーが最低でも $\Delta E = mc^2$ 足りない.古典的にはこれは起こり得ない.
ステップ3:不確定性関係が「借金」を許す.時間とエネルギーの不確定性関係
$$ \Delta E\,\Delta t \sim \hbar $$により,$\Delta t \sim \hbar/\Delta E = \hbar/(mc^2)$ の間だけなら,エネルギーの不足は「観測できない」.この間だけ存在する粒子を仮想粒子(virtual particle)と呼ぶ.
ステップ4:その時間内に進める距離を見積もる.粒子の速さは光速を超えられないので,最大でも
すなわち媒介粒子が重いほど,力の到達距離は短い.逆に $m=0$ なら $R=\infty$ で,Coulomb 力が無限に届くことと整合する.
ステップ5:数値を入れる.$R\approx 1.4\ \mathrm{fm}$ とすると
$$ mc^2 \sim \frac{\hbar c}{R} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{1.4\ \mathrm{fm}} = 141\ \mathrm{MeV} $$電子質量の約 $276$ 倍である(湯川自身は $R\approx2\ \mathrm{fm}$ から「電子の約 $200$ 倍」と見積もった).陽子と電子の中間の質量なので,この粒子は中間子(meson,ギリシャ語 $\mu\varepsilon\sigma o\varsigma$「中間の」)と名づけられた.
数学ノート:湯川ポテンシャルを Klein–Gordon 方程式から導く
式 \eqref{eq:2-yukawa-range} は次元解析であって,ポテンシャルの形までは決まらない.きちんとやるには,質量 $m$ のスカラー場 $\phi$ が従う静的な Klein–Gordon 方程式を,点源のある場合に解く($\hbar=c=1$):
$$ (\nabla^2 - m^2)\,\phi(\bm r) = -g\,\delta^3(\bm r) $$$m=0$ なら Poisson 方程式そのもので,解は $g/(4\pi r)$,すなわち Coulomb ポテンシャルである.
Fourier 変換で解く.$\phi(\bm r) = \displaystyle\int\frac{\dd^3q}{(2\pi)^3}\,\tilde\phi(\bm q)\,\ee^{\ii\bm q\cdot\bm r}$ を代入すると $\nabla^2\to-\bm q^2$ なので
$$ (-\bm q^2 - m^2)\tilde\phi(\bm q) = -g \quad\Longrightarrow\quad \tilde\phi(\bm q) = \frac{g}{\bm q^2+m^2} $$この $1/(\bm q^2+m^2)$ が,第8章で学ぶ伝播関数(プロパゲータ)である.逆変換は角度積分を先に済ませて
$$ \phi(r) = \frac{g}{(2\pi)^3}\int_0^\infty \dd q\,\frac{q^2}{q^2+m^2} \cdot\frac{4\pi\sin qr}{qr} = \frac{g}{2\pi^2 r}\int_0^\infty \dd q\,\frac{q\sin qr}{q^2+m^2} $$最後の積分は複素積分(あるいは公式)で $\dfrac{\pi}{2}\ee^{-mr}$ となるので
これが湯川ポテンシャルである.$1/r$ に指数関数の遮蔽因子がかかった形で,遮蔽長は $1/m = \hbar/(mc)$ ——まさに式 \eqref{eq:2-yukawa-range} の $R$ である.$m\to0$ で Coulomb に戻ることも見てとれる.
材料科学との接点:湯川ポテンシャルは金属中の遮蔽 Coulomb 相互作用と同じ式である
式 \eqref{eq:2-yukawa-potential} を見て「どこかで見た」と思った読者は正しい.金属中に点電荷 $Q$ を置いたとき,伝導電子が集まって電荷を遮蔽する.Thomas–Fermi 近似で計算すると,実効ポテンシャルは
$$ \begin{equation} V(r) = \frac{Q}{4\pi\varepsilon_0}\,\frac{\ee^{-r/\lambda_{\mathrm{TF}}}}{r}, \qquad \frac{1}{\lambda_{\mathrm{TF}}^2} = k_{\mathrm{TF}}^2 = \frac{e^2}{\varepsilon_0}\,N(E_F) \label{eq:2-thomas-fermi} \end{equation} $$と,湯川ポテンシャルと文字が違うだけの同一の式になる.$N(E_F)$ は Fermi 準位での状態密度である.自由電子気体では $N(E_F) = mk_F/(\pi^2\hbar^2)$ なので,単位系によらず $k_{\mathrm{TF}}^2 = 4k_F/(\pi a_0)$ と書ける($a_0$ は Bohr 半径).
数値で確かめる.アルミニウムは $k_F = 1.75\ \text{Å}^{-1} = 0.926\ \mathrm{a.u.}$ なので
$$ k_{\mathrm{TF}} = \sqrt{\frac{4\times0.926}{\pi}} = 1.086\ \mathrm{a.u.} = 2.05\ \text{Å}^{-1}, \qquad \lambda_{\mathrm{TF}} = 0.49\ \text{Å} $$格子定数($4.05\ \text{Å}$)より短い.だから金属中では不純物の電荷がほぼ隣の原子までで消える.ただしこれは長波長近似(Thomas–Fermi)の話であって,正確な Lindhard 応答では $q\approx2k_F$ の構造のために遮蔽ポテンシャルに $\cos(2k_Fr)/r^3$ の Friedel 振動がべき的に残り,これが希薄磁性合金の RKKY 相互作用などを与える.指数遮蔽だけを見て「希薄合金の不純物どうしは完全に見えない」と言ってはいけない.
そして,この対応を逆向きに読むと面白い.式 \eqref{eq:2-yukawa-range} を使えば,遮蔽長 $\lambda_{\mathrm{TF}}$ は「実効的な光子質量」に翻訳できる:
$$ m_\gamma^{\mathrm{eff}} c^2 = \frac{\hbar c}{\lambda_{\mathrm{TF}}} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{4.9\times10^{4}\ \mathrm{fm}} = 4.0\times10^{-3}\ \mathrm{MeV} = 4.0\ \mathrm{keV} $$すなわち,アルミニウムの中では光子が $4\ \mathrm{keV}$ の質量をもっていると言ってよい.ただし,これは静的な縦(電気的)応答に限った言い換えであり,しかも Thomas–Fermi 近似の範囲でそう言えるにすぎない(正確な Lindhard 応答では,上で述べた $2k_F$ の Friedel 振動が指数遮蔽に重なる).常伝導金属では横(磁気的)な光子は質量を得ず,静磁場は金属内部に侵入する.横波の光子まで質量を得るのが次に述べる超伝導体であり,Higgs 機構の原型はこちらのほうである.
この発想はさらに超伝導体で本領を発揮する.超伝導体では磁場が London 侵入長 $\lambda_L$ で指数的に減衰する(Meissner 効果).これは光子が $m_\gamma c^2 = \hbar c/\lambda_L$ の質量を得たことにほかならず,アルミニウム($\lambda_L\approx16\ \mathrm{nm}$,第1章 表1.3)では $12.3\ \mathrm{eV}$ になる(実測の侵入長は非局所効果で約 $50\ \mathrm{nm}$ まで伸び,そのときは $3.9\ \mathrm{eV}$ である).ゲージ場が質量を獲得する機構としては,超伝導の理論(Anderson, 1963)のほうが素粒子物理の Higgs 機構(1964)より先である.弱い力の到達距離が $10^{-3}\ \mathrm{fm}$ しかない理由(2.10節)は,物性物理の言葉ですでに1963年に用意されていた.第13章でこの筋道をたどる.
2.3.2 取り違え —— ミュオンという偽物
1937年,Neddermeyer と Anderson,そして Street と Stevenson が,宇宙線の中に質量 $\approx 200\,m_e$ の荷電粒子を霧箱で見つけた.湯川の予言した値とぴたりと合う.「中間子が見つかった」と誰もが思った.
ところが,この粒子(当初「mesotron」,のちに $\mu$ 粒子・ミュオン)には辻褄の合わない性質があった.
- 透過力が強すぎる.核力を担う粒子なら,物質中の原子核と激しく相互作用してすぐ吸収されるはずである.ところが mesotron は大気を貫通し,地下深くまで到達する.
- 負電荷のものが原子核に捕まらない.決定打は Conversi・Pancini・Piccioni の実験(1947年,ローマ)である.負の mesotron を炭素に止めると,本来なら $\mu^-$ は原子軌道に落ちたのち $10^{-18}\ \mathrm{s}$ 程度で原子核に吸収されるはずだった.しかし実際には吸収されず,寿命 $\approx2\ \mu\mathrm{s}$ で崩壊した.核との相互作用の強さは,湯川の予言より $10^{12}$ 倍も弱い.
Fermi・Teller・Weisskopf がこの見積もりを与え,「mesotron は湯川粒子ではない」という結論が確定した.湯川の理論が正しいなら,本物の中間子はまだどこかにいるはずである.
なぜ「2中間子仮説」が出てきたか
矛盾を解く鍵は,「宇宙線で地上に届くもの」と「大気の上層で生成されるもの」を区別することである.谷川安孝(1942年),坂田昌一・井上健(1942年執筆・1946年公表)は,次のように考えた.
- 湯川粒子(いま言う $\pi$)は核と強く相互作用するので,大気上層で作られてもすぐ核に吸収されるか,短い寿命で崩壊してしまう.地上には届かない.
- その崩壊生成物として,核とほとんど相互作用しない軽い粒子(いま言う $\mu$)ができる.こちらは大気を貫通して地上に届く.
すなわち $\pi\to\mu\to e$ という二段の崩壊連鎖である.戦時下の日本で書かれたこの論文は欧米にほとんど届かず,1947年に Marshak と Bethe が同じ結論を独立に出した.しかし彼らが論文を書いた月に,実験のほうが先に答えを出していた.
2.3.3 $\pi$ 中間子の発見(1947)—— 原子核乾板という材料
Powell,Occhialini,Lattes らは,ピレネー山中のピク・デュ・ミディ観測所(標高 $2877\ \mathrm{m}$)とアンデスのチャカルタヤ($5200\ \mathrm{m}$)に原子核乾板(nuclear emulsion)を置いた.
原子核乾板は,直径 $0.2$–$0.3\ \mu\mathrm{m}$ の臭化銀 AgBr 微結晶をゼラチン中に高密度に分散させた,写真乳剤の一種である.荷電粒子が通過すると AgBr がイオン化されて潜像核(Ag 原子のクラスタ)ができ,現像すると銀粒子の列として飛跡が浮かび上がる.特徴は次の点にある.
- 位置分解能 $\sim1\ \mu\mathrm{m}$.今日の半導体検出器($10\ \mu\mathrm{m}$)よりなお細かく,現在でもこの点で最高の検出器である.
- 常時感度.電源もトリガーも要らない.山に置いて数週間待ち,回収して現像するだけでよい.宇宙線実験にうってつけである.
- 粒子識別ができる.単位長さあたりの銀粒子数は電離損失 $-\dd E/\dd x$ に比例し,Bethe–Bloch 式より $-\dd E/\dd x \propto z^2/\beta^2$ である.飛跡の終端に近づくほど粒つぶが密になり,その「濃くなり方」と全飛程から質量が決まる.
1947年,彼らはこの乾板の中に決定的な事象を見つけた.一本の飛跡が止まり,そこから別の飛跡が出て,それがまた止まって電子が出る.$\pi\to\mu\to e$ の連鎖である.そして重要なのは,$\mu$ の飛跡の長さがどの事象でもほぼ同じ(乳剤中で約 $600\ \mu\mathrm{m}$)だったことである.
導出:飛程が一定であることが2体崩壊を証明する
ステップ1:静止した $\pi^+$ が2体に崩壊するとしよう.$\pi^+\to\mu^+ + X$($X$ は中性で未知).運動量保存より $\mu$ と $X$ の運動量の大きさは等しく,$p$ とする.エネルギー保存は
$$ m_\pi = \sqrt{p^2+m_\mu^2} + \sqrt{p^2+m_X^2} $$この式は $p$ について解けるので,$p$ は一意に定まる.すなわち $\mu$ の運動エネルギーは事象ごとにばらつかない.
ステップ2:$m_X=0$(ニュートリノ)として $p$ を求める.$m_X=0$ なら $\sqrt{p^2+m_X^2}=p$ なので
$$ m_\pi - p = \sqrt{p^2+m_\mu^2} \;\Longrightarrow\; m_\pi^2 - 2m_\pi p + p^2 = p^2 + m_\mu^2 $$ $$ \begin{equation} p = \frac{m_\pi^2-m_\mu^2}{2m_\pi} \label{eq:2-pi-mu-p} \end{equation} $$ステップ3:数値を入れる.$m_\pi=139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_\mu=105.658\ \mathrm{MeV}$ より
$$ p = \frac{139.570^2-105.658^2}{2\times139.570} = \frac{19479.8-11163.6}{279.14} = \frac{8316.2}{279.14} = 29.79\ \mathrm{MeV} $$ミュオンの運動エネルギーは
$$ T_\mu = \sqrt{p^2+m_\mu^2}-m_\mu = \sqrt{887.4+11163.6}-105.658 = 109.78-105.658 = 4.12\ \mathrm{MeV} $$ステップ4:結論.$T_\mu$ が常に $4.12\ \mathrm{MeV}$ なら,乳剤中の飛程も常に同じになる(飛程は運動エネルギーの一価関数).実測の飛程 $\approx600\ \mu\mathrm{m}$ はこの $T_\mu$ と整合する.
もし3体崩壊 $\pi\to\mu+X+Y$ なら,$\mu$ のエネルギーは連続スペクトルになり,飛程はばらつくはずである.飛程が揃っているという観察一つで,崩壊が2体であり,相手が1個の中性粒子であることが確定する.2.5節で見る β 崩壊の話とちょうど裏返しの論法である.
$\pi$ 中間子の質量は $m_{\pi^\pm}=139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_{\pi^0}=134.977\ \mathrm{MeV}$.湯川の予言($\sim100$–$140\ \mathrm{MeV}$)から12年後のことであった.湯川は1949年,日本人初のノーベル賞を受賞した.
注意:$\pi$ は「素粒子」ではなかった
今日の理解では,$\pi$ 中間子は $u,d$ クォークと反クォークの束縛状態であり,素粒子ではない.核力もまた,クォーク間の色力(第11章)の残留効果——分子間の van der Waals 力が電磁気力の残りかすであるのと同じ意味で——にすぎない.
しかし,だからといって湯川の理論が無効になったわけではない.核物理の低エネルギー領域では,いまも $\pi$ 交換に基づく核子間ポテンシャル(一中間子交換ポテンシャル OPEP)が定量的に有効である.適切なエネルギースケールで適切な自由度を選ぶという有効理論の考え方は,素粒子物理でも材料科学(第一原理計算から古典力場を作る手続きなど)でもまったく同じである.
2.4 反粒子 1930–1956
2.4.1 負エネルギー解という「病」
Dirac(1928年)は,相対論的な電子の波動方程式を求めていた.エネルギーと運動量の関係は
$$ E^2 = \bm p^2c^2 + m^2c^4 $$である.素直に $E\to\ii\hbar\partial_t$, $\bm p\to-\ii\hbar\nabla$ と置き換えると Klein–Gordon 方程式になるが,これは時間について2階なので確率密度が正定値にならない.Dirac は時間について1階の方程式を要求し,$4\times4$ 行列($\gamma$ 行列)を導入して
$$ (\ii\hbar\gamma^\mu\partial_\mu - mc)\psi = 0 $$を得た(詳細は第9章).この方程式はスピン $1/2$ を自動的に含み,電子の磁気モーメント $g=2$ を予言するという劇的な成功を収めた.しかし同時に,避けられない副作用があった.平面波解を入れると
$$ E = \pm\sqrt{\bm p^2c^2+m^2c^4} $$の両方が解になる.負号のほうを捨てられない.なぜなら,Dirac 方程式の解は完全系をなさなければならず,正エネルギー解だけでは相互作用のもとで閉じないからである.
これは深刻である.正エネルギーの電子は光子を放出して $E=-mc^2$ 以下の状態へ落ち込め,そこからさらに下へ落ちられる.エネルギーに下限がないので,すべての電子は無限に光を出しながら落ちていくことになる.物質は瞬時に消滅するはずである.
2.4.2 空孔理論 —— 「埋まっている」という解決
Dirac の解決(1930年)は大胆である.負エネルギー状態は,すでにすべて電子で埋まっている.電子は Fermi 粒子なので Pauli の排他律が働き,正エネルギーの電子は落ちる先がない.この埋まった負エネルギー状態の海を Dirac の海(Dirac sea)と呼ぶ.
この描像は,直ちに次の予言を生む.海の中の電子1個に $E\ge 2mc^2$ のエネルギーを与えれば,正エネルギー状態に叩き上げられる.すると海に空孔(hole)が残る.空孔は
- 電荷 $-(-e) = +e$ をもち,
- エネルギー $-(-E) = +E > 0$ をもち,
- 電子と同じ質量 $m$ をもつ
ように振る舞う.つまり電子と質量が等しく電荷が逆の粒子である.Dirac は当初これを陽子だと思ったが,Weyl と Oppenheimer が「対称性から質量は電子と同じでなければならない」と指摘し,1931年に Dirac は「未知の新粒子」であることを認めた.
物理的意味:Dirac の空孔と半導体のホール
この論法は,材料科学を学んだ読者には既視感があるはずである.半導体のバンド構造とまったく同じ論理だからである.
| Dirac の海(真空) | 半導体(結晶) | |
|---|---|---|
| 下の連続帯 | 負エネルギー状態($E\le-mc^2$) | 価電子帯 |
| 上の連続帯 | 正エネルギー状態($E\ge+mc^2$) | 伝導帯 |
| ギャップ | $2mc^2 = 1.022\ \mathrm{MeV}$ | $E_g$(Si で $1.12\ \mathrm{eV}$) |
| 基底状態 | 下がすべて満たされ,上は空 | 同じ($T=0$ の真性半導体) |
| 励起 | 電子・陽電子対生成 | 電子・正孔対生成 |
| 空孔の電荷 | $+e$ | $+e$ |
| 逆過程 | 対消滅 $e^+e^-\to2\gamma$ | 再結合(発光ダイオード) |
スケールが $10^6$ 倍違うだけで,論理構造は同一である.固体のほうでは Peierls(1929年,異常 Hall 効果の説明)が Dirac の空孔理論(1930年)とほぼ同時期に独立に正孔の概念へ到達し,Heisenberg(1931年)が両者が同じ論理であることを明示した.素粒子物理と固体物理は,この時点ですでに同じ言語を共有していた.
ただし,違いも押さえておくべきである.半導体の正孔は多体効果を繰り込んだ準粒子であって,結晶がなければ存在しない.有効質量は電子と違う(Si の重い正孔 $0.49\,m_e$,電子 $0.26\,m_e$).一方,陽電子は真空中に単独で存在でき,質量は(CPT 定理により)電子と厳密に等しく,実験的にも $\abs{m_{e^+}-m_{e^-}}/m < 8\times10^{-9}$ という精度で確認されている.今日の場の理論では Dirac の海という描像は使わず,電子場の消滅演算子と陽電子場の生成演算子を対等に扱う(第9章).それでも,空孔の直感は計算の見通しをつけるうえで今も有用である.
2.4.3 陽電子の発見(1932)—— 鉛板1枚の工夫
Anderson は,磁場 $1.5\ \mathrm{T}$ をかけた霧箱で宇宙線を観測していた.霧箱(Wilson, 1911年)は,過飽和にした水蒸気・アルコール蒸気の中を荷電粒子が通ると,生じたイオンを凝結核として微小な液滴の列ができ,飛跡が見える装置である.
磁場中の飛跡の曲率半径 $\rho$ から,運動量と電荷の比が $p = qB\rho$ で決まる.しかし曲がり方だけでは,正電荷が上から下へ飛んだのか負電荷が下から上へ飛んだのかを区別できない.
Anderson の工夫は,霧箱の中央に厚さ $6\ \mathrm{mm}$ の鉛板を1枚置いたことである.粒子は鉛板を通るとエネルギーを失うので,通過後は運動量が減り,曲率半径が小さくなる.どちら側の曲率が大きいかを見れば,進行方向が一義に決まる.こうして曲がる向きと進む向きが両方確定し,電荷の符号が定まった.
1932年8月2日の1枚の写真には,$63\ \mathrm{MeV}$ で入射し鉛板通過後に $23\ \mathrm{MeV}$ になった正電荷の飛跡が写っていた.飛跡の長さ($5\ \mathrm{cm}$ 以上)と電離の程度から,質量は電子の $20$ 倍未満(陽子の $1/90$ 以下)で,電離密度は電子と同程度.すなわち,正電荷をもつ軽い粒子——陽電子である.Dirac の予言から2年後であった(Anderson は Dirac の論文を知らずに実験していた).
翌1933年,Blackett と Occhialini は,霧箱の上下に Geiger 計数管を置いて宇宙線が通ったときだけ膨張させる「計数管制御霧箱」を作り,$e^+e^-$ が対で生成される事象を多数記録した.これで対生成が確立し,同時に「原子核の Coulomb 場中での対生成 $\gamma+N\to e^+e^-+N$ には $2m_ec^2 = 1.022\ \mathrm{MeV}$ 以上が要る」という閾値も確認された.孤立した光子が単独で $e^+e^-$ になることはない($p_\gamma^2=0$ に対し $(p_{e^+}+p_{e^-})^2\ge(2m_ec)^2>0$ で,エネルギーと運動量の保存を同時に満たせない).第三体の反跳があって初めて起こる過程であり,閾値は核の場中で $\approx2m_ec^2$,電子の場中では $4m_ec^2$ になる.
2.4.4 反陽子の発見(1955)—— 加速器を閾値で設計する
陽電子が見つかっても,反陽子が存在するかは自明でなかった.陽子は複合粒子かもしれず,Dirac 方程式が適用できるとは限らないからである.必要なのは加速器である.
導出:反陽子生成の閾値エネルギー
ステップ1:反応を書く.静止した陽子(標的)に陽子ビームを当てる.バリオン数と電荷の保存を満たす最小の反応は
$$ p + p \;\to\; p + p + p + \bar p $$である(反陽子だけを単独では作れない.バリオン数保存のため必ず陽子と対で作る).
ステップ2:不変量 $s$ を使う.入射陽子の全エネルギーを $E$,標的は静止しているとすると
$$ s = (p_1+p_2)^2 = m_p^2 + m_p^2 + 2\,p_1\cdot p_2 = 2m_p^2 + 2m_pE $$ステップ3:閾値条件.最小エネルギーは,終状態の4粒子がすべて重心系で静止するときである.そのとき $\sqrt{s} = 4m_p$,すなわち $s=16m_p^2$.
ステップ4:解く.
$$ 16m_p^2 = 2m_p^2+2m_pE \quad\Longrightarrow\quad E = 7m_p \quad\Longrightarrow\quad T = E-m_p = 6m_p = 6\times0.938 = 5.63\ \mathrm{GeV} $$バークレーの Bevatron は,まさにこの数値のために最大 $6.2\ \mathrm{GeV}$ に設計された加速器である.加速器の設計エネルギーが,探す粒子の質量から運動学だけで決まる——この関係は今日の LHC まで変わらない.
なお,標的核内の核子が Fermi 運動($p_F\approx250\ \mathrm{MeV}$)をしているため,実際の閾値は $4.3\ \mathrm{GeV}$ 程度まで下がる.
1955年,Chamberlain,Segrè,Wiegand,Ypsilantis は,磁場で運動量 $1.19\ \mathrm{GeV}/c$ の負電荷粒子だけを選び,$12\ \mathrm{m}$ の飛行距離を通る飛行時間(time of flight)とチェレンコフ計数管で速度 $\beta$ を測った.$m = p\sqrt{1-\beta^2}/\beta$ から質量が出る.$\pi^-$ が $4\times10^4$ 個に対して $\bar p$ が1個という背景の中から,$m=m_p$ の粒子を選り分けた.翌1956年には反中性子も見つかった.
材料科学との接点:陽電子消滅分光(PAS)—— 空孔を数える
陽電子は,いまや材料研究の標準的なプローブである.原理はこうである.$^{22}\mathrm{Na}$ 線源から $\beta^+$ 崩壊で出た陽電子を試料に打ち込むと,$\mathrm{ps}$ のうちに熱化し,電子と対消滅して $511\ \mathrm{keV}$ の $\gamma$ 線を2本,ほぼ反対向きに放出する.測れる量は3つあり,それぞれ別の情報を運ぶ.
(1) 寿命 —— 開放空間の大きさ.陽電子は正電荷なので,イオン殻から反発され,原子が抜けた場所(空孔・空孔クラスタ・ボイド・自由体積)に捕獲される.そこでは電子密度が低いので,消滅までの時間が延びる.消滅率は重なり積分
$$ \lambda = \frac{1}{\tau} = \pi r_e^2 c \int \abs{\psi_+(\bm r)}^2 n_-(\bm r)\,\gamma\,\dd^3r $$で与えられる($r_e$ は古典電子半径,$\gamma$ は増大因子).アルミニウムでは完全結晶が $\tau_b = 166\ \mathrm{ps}$,単空孔が $\tau_v = 245\ \mathrm{ps}$ である.測定は,$^{22}\mathrm{Na}$ が $\beta^+$ と同時に出す $1.27\ \mathrm{MeV}$ の $\gamma$ を「スタート」,$511\ \mathrm{keV}$ を「ストップ」として時間差を取る.
2状態捕獲模型では,平均寿命 $\bar\tau$ から捕獲率 $\kappa$ が
$$ \begin{equation} \kappa = \frac{1}{\tau_b}\cdot\frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau} \label{eq:2-trapping} \end{equation} $$で求まり,比例定数(Al の単空孔に対する比捕獲率 $\mu_v = 2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$,原子分率あたり;第16章 演習16.7 と同じ値)を通して空孔濃度 $C_v = \kappa/\mu_v$ が出る.たとえば Al で $\bar\tau = 200\ \mathrm{ps}$ が測れたとすると
$$ \kappa = \frac{1}{166\ \mathrm{ps}}\cdot\frac{200-166}{245-200} = \frac{0.756}{166}\ \mathrm{ps^{-1}} = 4.6\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}, \qquad C_v = \frac{\kappa}{\mu_v} = \frac{4.6\times10^{9}}{2.0\times10^{14}} = 2.3\times10^{-5} $$$23\ \mathrm{ppm}$ の空孔が数えられる.なお $\mu_v$ は物質と文献によって $10^{14}$–$10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$ の幅があり(Al は $2$–$3\times10^{14}$,Cu や Fe は $10^{15}$ 台),濃度の絶対値はこの係数の不定性を引きずる.本書では Al に $2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$,Fe に $1.1\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$(第16章)を用いる.透過電子顕微鏡では見えない単空孔レベルの欠陥を定量できる点で,PAS には代替がない.疲労・照射損傷・析出物の界面自由体積・高分子の自由体積分布などに使われる.
(2) Doppler 幅 —— 消滅相手の電子の運動量.陽電子はほぼ静止しているので,$e^+e^-$ 対の重心運動量はほぼ電子の運動量 $\bm p$ である.重心が動いていると,$511\ \mathrm{keV}$ の線が Doppler シフトを受け,$\gamma$ 線の進行方向成分 $p_L$ に対して
$$ \Delta E = \frac{p_L c}{2} $$だけずれる.アルミニウムの $p_F c = 3.45\ \mathrm{keV}$(2.2節の Compton プロファイルで出したのと同じ数値)を入れると $\Delta E\approx1.7\ \mathrm{keV}$,$p_L$ が $-p_F$ から $+p_F$ まで分布するのでピーク全体では $2\Delta E\approx3.5\ \mathrm{keV}$ 程度の幅になる.空孔に捕まった陽電子は運動量の小さい価電子と消滅しやすいのでピークが鋭くなり,中心部の面積比 $S$ が上がる.一方,内殻電子(大きな $p$)との消滅は裾を作り,その面積比 $W$ は空孔を取り囲む元素の種類を教える.
(3) 角度相関(ACAR)—— Fermi 面.2本の $\gamma$ 線の $180^\circ$ からのずれは $\Delta\theta = p_T/(m_ec)$ である.Al なら $\Delta\theta = 3.45/511 = 6.8\ \mathrm{mrad}$ が Fermi 面の縁に対応し,角度分布の折れ点から Fermi 面の形が再構成できる.Compton 散乱(2.2節)とまったく同じ物理量 $n(\bm p)$ を,別の手段で測っていることになる.
検出器の材料が測定を決める —— なぜゲルマニウムが要るのか
上の (2) を実現するには,$511\ \mathrm{keV}$ の $\gamma$ 線のエネルギーを $1\ \mathrm{keV}$ の精度で測らねばならない.これは検出器材料の物性が直接効く問題である.
半導体検出器では,入射エネルギー $E$ が電子・正孔対を $N=E/\epsilon$ 個作る.$\epsilon$ は1対あたりの平均消費エネルギーで,経験的には Klein の式 $\epsilon\approx2.8E_g+0.6\ \mathrm{eV}$ でよく表される(Si: $E_g=1.12\ \mathrm{eV}$, $\epsilon=3.6\ \mathrm{eV}$;Ge: $E_g=0.67\ \mathrm{eV}$, $\epsilon=2.96\ \mathrm{eV}$.ギャップの $3$–$4.5$ 倍にあたる).統計揺らぎは Poisson よりも小さく,Fano 因子 $F$(Si で $0.11$,Ge で $0.13$)を用いて $\sigma_N = \sqrt{FN}$ と書ける.したがってエネルギー分解能は
$$ \begin{equation} \Delta E_{\mathrm{FWHM}} = 2.355\,\sqrt{F\,\epsilon\,E} \label{eq:2-fano} \end{equation} $$Ge で $E=511\ \mathrm{keV}$ を入れると
$$ \Delta E = 2.355\sqrt{0.13\times2.96\ \mathrm{eV}\times511000\ \mathrm{eV}} = 2.355\times443\ \mathrm{eV} = 1.04\ \mathrm{keV} $$電子回路雑音を加えても $1.2$–$1.3\ \mathrm{keV}$ に収まり,$3.5\ \mathrm{keV}$ の Doppler 幅を余裕をもって分解できる.
これを NaI(Tl) シンチレータでやろうとすると,$1\ \mathrm{keV}$ あたり生成される光子は $38$ 個程度で,集光効率と光電面の量子効率(合わせて $2$ 割ほど)を掛けると光電子は $8$–$10$ 個程度にしかならない.$511\ \mathrm{keV}$ でも光電子は $4000$ 個程度で,統計揺らぎだけで $2.355/\sqrt{4000}\approx4\%$.これに非比例応答・集光の不均一・光電子増倍管の利得揺らぎが加わって,実測の分解能は $7\%\approx36\ \mathrm{keV}$ になる.Doppler 幅は完全に埋もれる.
つまり,バンドギャップの小さい高純度単結晶が作れるかどうかが,測定できる物理を決めている.高純度 Ge(不純物濃度 $10^{10}\ \mathrm{cm^{-3}}$ 以下)の結晶成長技術がなければ,陽電子消滅の Doppler 分光は存在しなかった.素粒子物理の検出器開発と材料科学は,一方通行ではなく相互に依存している.
2.5 ニュートリノ 1930–1962
2.5.1 連続スペクトルという難問
β崩壊は,原子核が電子を放出して原子番号を1つ増やす現象である.核子のレベルで書けば
$$ n \;\to\; p + e^-\ (+\,?) $$である.1914年,Chadwick は放出される電子のエネルギーが連続分布していることを見出した.これは深刻な矛盾である.
導出:2体崩壊なら電子のエネルギーは1つの値に決まる
ステップ1:静止した中性子が $p+e^-$ の2体に崩壊するとする.2.3節でやったのとまったく同じ計算である.エネルギー・運動量保存から電子のエネルギーは
$$ E_e = \frac{m_n^2+m_e^2-m_p^2}{2m_n} $$ステップ2:数値を入れる.$m_n=939.565$, $m_p=938.272$, $m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$ より
$$ E_e = \frac{882782.39+0.26-880354.35}{2\times939.565} = \frac{2428.30}{1879.13} = 1.2922\ \mathrm{MeV} $$運動エネルギーは $T_e = 1.2922-0.511 = 0.781\ \mathrm{MeV}$.
ステップ3:結論.$T_e$ は一つの値に決まってしまう.すなわちスペクトルは $0.781\ \mathrm{MeV}$ に立つ鋭い線でなければならない.ところが実測は $0$ から $0.782\ \mathrm{MeV}$ まで連続に広がっており,平均値は最大値の $1/3$ 程度しかない.エネルギーが行方不明である.
逃げ道はないかと,さまざまな可能性が検討された.
- 電子が核外で二次的にエネルギーを失っているのでは? Ellis と Wooster(1927年)が量熱計で答えを出した.$^{210}\mathrm{Bi}$ の崩壊で発生する熱を丸ごと測ると,1崩壊あたり $0.35\ \mathrm{MeV}$.これは電子の平均エネルギーであって最大値 $1.05\ \mathrm{MeV}$ ではない.失われたエネルギーは熱にもなっていない.
- エネルギー保存則が微視的には破れているのでは? Bohr は本気でこれを提案した.
- 角運動量も合わない.$n$(スピン $1/2$)$\to p$($1/2$)$+\,e^-$($1/2$)では,右辺の合成スピンが $0$ か $1$ の整数になり,左辺の半整数と一致しない.統計性(Fermi 統計か Bose 統計か)も合わない.
2.5.2 Pauli の手紙と Fermi の理論
1930年12月4日,Pauli はチュービンゲンの放射能会議に宛てて有名な手紙を書いた(本人は舞踏会があるので欠席した).「親愛なる放射性のご婦人・紳士諸君」で始まるこの手紙で,彼は次の性質をもつ未知の粒子を提案した.
- スピン $1/2$(角運動量と統計性を救う)
- 電荷 $0$(電荷保存を壊さない)
- 質量は電子と同程度で,少なくとも陽子の $1/100$ 以下(これが手紙の文言である)
- 物質とほとんど相互作用しない(だから量熱計に引っかからない)
Pauli 自身はこれを「絶望的な逃げ道」と呼び,「検出できない粒子を予言してしまった,物理学者として最悪のことをした」と述べている.なお「質量は電子よりはるかに軽いか,ゼロ」という現在の言い方は手紙のものではない.それは Fermi の理論(1934年)とスペクトル端点の形の解析を経て,のちに絞り込まれた結論である.
Fermi は1934年,これを定量的な理論にした.彼はこの粒子を「小さな中性のもの」=ニュートリノ(neutrino)と名づけ,4つの Fermi 場が1点で結合する相互作用
$$ \begin{equation} \Lag_{\mathrm{Fermi}} = -\frac{G_F}{\sqrt2}\,\big(\bar\psi_p\gamma^\mu\psi_n\big)\big(\bar\psi_e\gamma_\mu\psi_\nu\big) + \text{h.c.} \label{eq:2-fermi-int} \end{equation} $$を書き,電子のエネルギースペクトルを計算した.Fermi の原論文はこのようにベクトルカレントだけで書かれていた.現代の形ではカレントが $\gamma^\mu(1-\gamma^5)$ という $V\!-\!A$ 構造に置き換わる(第12章)が,係数 $G_F/\sqrt2$ は現代の $G_F$ の規約に合わせた因子で,後で出てくる式 \eqref{eq:2-GF-gW} もこの規約である.結果は
$$ \begin{equation} \frac{\dd N}{\dd T} \propto F(Z,T)\,p_e E_e\,(Q-T)^2 \label{eq:2-beta-spectrum} \end{equation} $$である($m_\nu=0$ の場合).ここで $N$ は放出された電子の個数であり,$\dd N/\dd T$ は単位運動エネルギーあたりの電子数,すなわち図2.5(a) の縦軸=エネルギースペクトルそのものである.各因子の役割は次のとおりである.
- $T$:電子の運動エネルギー($0\le T\le Q$).$Q$ は崩壊で解放される全エネルギーで,中性子なら $Q=0.782\ \mathrm{MeV}$ である.
- $p_eE_e$:電子側の位相空間因子.終状態の電子の数え上げにあたる.
- $(Q-T)^2$:ニュートリノ側の位相空間因子.$m_\nu=0$ なら $p_\nu E_\nu = E_\nu^2 = (Q-T)^2$ で,残ったエネルギーをニュートリノが持ち去るときの重みである.
- $F(Z,T)$:Fermi 関数(Coulomb 補正因子).娘核の Coulomb 場が電子の波動関数を歪める効果を表す.
この形は実測とみごとに一致した.なお,この論文を Nature 誌は「現実からかけ離れすぎている」として掲載を断った.結合定数は今日の値で $G_F = 1.166\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$ である.
記号の先取り辞書 —— 式 \eqref{eq:2-fermi-int} を読むために
本章は歴史の章なので,場の理論そのものは第9章以降に譲る.ここでは式 \eqref{eq:2-fermi-int} に現れる記号の意味だけを渡しておく.
- $\bar\psi_p\equiv\psi_p^\dagger\gamma^0$:Dirac 共役(随伴スピノル)である.第9章 9.2.6 項.
- $\bar\psi_p\cdots\psi_n$ という並び:「中性子を1個消して陽子を1個作る」演算子である.第二量子化の生成消滅演算子そのもので,BCS 理論の $c^\dagger_{k'}c_k$ や電子–フォノン結合の $g\,c^\dagger_{k+q}c_k(b_q+b^\dagger_{-q})$ とまったく同じ構造をしている.
- $\gamma^\mu$:$4\times4$ の Dirac 行列である.役割はひとつで,$\bar\psi\gamma^\mu\psi$ を Lorentz 4元ベクトル(カレント)にすることである.カレントを2つ作って $\mu$ で縮約すればスカラーになり,Lagrangian の資格を得る.$\bar\psi\Gamma\psi$ の形の双一次形式が全部で16個あることは第9章 9.5.1 項で数える.
- h.c.:エルミート共役である.逆過程($p\to n$)を足して $\Lag$ をエルミートにするために書く.
この形を思いついた筋道も単純である.Fermi は Maxwell を真似た.電磁相互作用が「カレント $\times$ 場」$j^\mu A_\mu$ なのだから,β崩壊は「カレント $\times$ カレント」でいこう,場を挟まずに直接掛けよう——「4つの場が1点で触れる」とはそういう意味である.中性子崩壊の完全な計算と Sargent の $Q^5$ 則は第12章 12.3 節,位相空間と崩壊率の一般論は付録Bにある.
物理的意味:$G_F$ が次元をもつこと,そしてスペクトルの形を決めているもの
$G_F$ の次元が $\mathrm{GeV^{-2}}$ になるのは,次元の勘定からすぐ出る.フェルミオン場は $[\text{質量}]^{3/2}$ の次元をもつので4つで $6$,$\Lag$ 密度は $4$ でなければならないから,係数は $4-6=-2$ 次元をもたねばならない.
次元をもつ結合定数は,それがもっと基本的な理論の低エネルギー極限であることの徴候である.実際これは,のちに $W$ ボソンの伝播関数を低エネルギーで潰した形 $G_F/\sqrt2=g^2/(8m_W^2)$(式 \eqref{eq:2-GF-gW}.第12章 12.1.3・12.1.4 項)だと判明する.これは BCS 理論とまったく同じ論理である.BCS の縮約相互作用 $-V\,c^\dagger c^\dagger cc$ も,フォノン交換を積分で消した点接触の有効相互作用であって,$V$ は基本的な結合定数ではない.Fermi 理論における $W$ = BCS におけるフォノンという対応がそのまま成り立つ.
式 \eqref{eq:2-beta-spectrum} の読み方にも接点がある.Fermi の黄金律を「遷移確率 $\propto\abs{\mathcal M}^2\times$(状態密度)」と書いたとき,$p_eE_e(Q-T)^2$ はまるごと状態密度の部分にあたる.Fermi 理論は接触相互作用なので行列要素がほぼ定数になり,スペクトルの形はほとんど純粋に終状態の数え上げだけで決まってしまう.フォノン状態密度が非弾性散乱スペクトルの形を決めるのと,同じ構造である.
物理的意味:Kurie プロットと,いま進行中のニュートリノ質量測定
式 \eqref{eq:2-beta-spectrum} を平方根の形に組み替えると
$$ K(T) \equiv \sqrt{\frac{1}{F p_e E_e}\frac{\dd N}{\dd T}} \;\propto\; (Q-T) $$となり,$K$ を $T$ に対して描くと直線になる.これが Kurie プロットである.直線が横軸を切る点が $Q$ 値になる.
ニュートリノに質量があると,$(Q-T)^2\to(Q-T)\sqrt{(Q-T)^2-m_\nu^2}$ となり,端点直前で直線が下向きに折れる.端点のごく近傍だけを極めて精密に測れば $m_\nu$ が出る,というのがこの手法の原理である.現在の最良の上限は,トリチウム($Q=18.6\ \mathrm{keV}$)を使った KATRIN 実験の $m_\nu < 0.45\ \mathrm{eV}$ である.$18.6\ \mathrm{keV}$ の端点で $0.45\ \mathrm{eV}$ を見る——分解能にして $2\times10^{-5}$ ——という測定であり,実験技術の極限に位置する.第14章で扱うニュートリノ振動は質量の2乗の差 $\Delta m^2_{ij}=m_i^2-m_j^2$ しか測れないので,絶対値を与えるこの測定は依然として重要である.
2.5.3 Reines–Cowan 実験(1956)—— 「捕まえられない粒子」を捕まえる
ニュートリノは仮説のままで20年以上使われ続けた.直接検出したのが Reines と Cowan である.彼らが使ったのは,β崩壊の逆過程
$$ \bar\nu_e + p \;\to\; n + e^+ $$である.難しさは断面積の小ささにある.Bethe と Peierls(1934年)は Fermi の理論から $\sigma\lesssim10^{-44}\ \mathrm{cm^2}$ と見積もった.数 MeV の原子炉ニュートリノに対する現代の値は $\sigma\sim10^{-43}\ \mathrm{cm^2} = 10^{-19}\ \mathrm{barn}$ 程度であり,以下ではこの値を使う.どれくらい小さいかを実感するために平均自由行程を計算しておく.
数値例:ニュートリノにとって水は何光年ぶんの厚さか
水の陽子(自由な水素核)の数密度は,密度 $1\ \mathrm{g/cm^3}$,モル質量 $18\ \mathrm{g/mol}$,1分子あたり2個として
$$ n = \frac{1}{18}\times6.022\times10^{23}\times2 = 6.7\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}} $$平均自由行程は
$$ \ell = \frac{1}{n\sigma} = \frac{1}{6.7\times10^{22}\times10^{-43}} = 1.5\times10^{20}\ \mathrm{cm} = 1.5\times10^{15}\ \mathrm{km} $$光年に直すと($1\ \mathrm{ly}=9.46\times10^{12}\ \mathrm{km}$)$\ell \approx 160$ 光年である.ニュートリノを1回反応させるには,$160$ 光年ぶんの水を通す必要がある.
ではどうやって検出したか.答えは「厚さの代わりに数で勝負する」である.原子炉は1秒あたり $10^{20}$ 個規模の $\bar\nu_e$ を出す.反応率は(フラックス)×(標的陽子数)×$\sigma$ なので,フラックスを $5\times10^{13}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$,標的を $400\ \mathrm{L}$ の水(陽子 $2.7\times10^{28}$ 個)とすると
$$ R = 5\times10^{13}\times2.7\times10^{28}\times10^{-43} \approx 0.14\ \mathrm{s^{-1}} $$すなわち1時間あたり約 $500$ 事象.実際には検出効率・有効体積・同時計数の要求でこの2桁下(毎時数事象)まで落ちるが,それでも原子炉の運転・停止で有意な差が出る量である.
Reines と Cowan は Savannah River の原子炉のそばに,塩化カドミウム $\mathrm{CdCl_2}$ を溶かした水のタンクと液体シンチレータ層を交互に重ねた検出器を置いた.鍵は遅延同時計数である.
- 生成された $e^+$ が即座に電子と対消滅し,$511\ \mathrm{keV}$ の $\gamma$ 線2本が出る(プロンプト信号).
- 生成された $n$ は水中で減速され,約 $5\ \mu\mathrm{s}$ 後に $\mathrm{Cd}$ に捕獲される.$^{113}\mathrm{Cd}$ の熱中性子捕獲断面積は $2\times10^4\ \mathrm{barn}$ と極端に大きく,捕獲後に総エネルギー $9\ \mathrm{MeV}$ の $\gamma$ 線カスケードを出す(遅延信号).
この「$511\ \mathrm{keV}$ 対 → $5\ \mu\mathrm{s}$ → $9\ \mathrm{MeV}$」という時間パターンを要求すると,偶然の背景事象がほぼ完全に落ちる.原子炉稼働時と停止時で計数率を比較し,1956年,有意な差が確認された.彼らは Pauli に「あなたの予言した粒子を確かに見つけた」と電報を打った.
なぜカドミウムだったのか —— 材料の選択が実験を可能にする
この実験の成否は,中性子捕獲材料の選択にかかっていた.$^{113}\mathrm{Cd}$(天然存在比 $12\%$)の熱中性子捕獲断面積は $2\times10^4\ \mathrm{barn}$ で,水素($0.33\ \mathrm{barn}$)の6万倍である.しかも捕獲後に $9\ \mathrm{MeV}$ という大きなエネルギーの $\gamma$ 線を出すので,環境放射線(多くは $3\ \mathrm{MeV}$ 以下)と明確に区別できる.
この「大断面積の中性子吸収材を溶かし込む」という発想は,そのまま現代のニュートリノ実験に受け継がれている.Double Chooz や Daya Bay ではガドリニウム($^{157}\mathrm{Gd}$,$2.5\times10^5\ \mathrm{barn}$,捕獲後 $8\ \mathrm{MeV}$)を有機シンチレータに錯体として溶解させる.Gd 錯体をシンチレータ中で長期間安定に保つ(発光量を落とさず,析出させない)というのは純然たる材料化学の課題であり,実際これが実験の律速になった時期がある.素粒子実験は,かなりの部分が材料開発である.
2.5.4 ニュートリノは1種類ではない(1962)
次の問いは「$\mu$ 崩壊に出てくるニュートリノは,β崩壊のニュートリノと同じものか」であった.同じなら,$\mu\to e+\gamma$ という崩壊が起こってよいはずである.ところがこの崩壊は徹底的に探しても見つからなかった(現在の上限は分岐比 $<3.1\times10^{-13}$).
Lederman,Schwartz,Steinberger は1962年,BNL の AGS で $15\ \mathrm{GeV}$ の陽子ビームから $\pi$ を作り,その崩壊 $\pi^+\to\mu^++\nu$ から出るニュートリノビームを,$13.5\ \mathrm{m}$ 厚の鉄(解体した戦艦の装甲板を使ったことで知られる)で他の粒子を止めたうえでスパークチェンバー(10 t のアルミ板を積層し,高電圧で放電の筋を見る装置)に当てた.
もしニュートリノが1種類なら,反応 $\nu+n\to\mu^-+p$ と $\nu+n\to e^-+p$ が同程度起きるはずである.結果は,$\mu$ と同定された事象が $34$ 例あったのに対し,電子と解釈しうるシャワー事象は背景(中性子や $\nu_e$ の混入)で説明できる数($6$ 例)しかなく,ニュートリノが1種類なら期待される約 $29$ 例の電子事象は現れなかったというものであった.したがって $\pi$ 崩壊に伴うニュートリノ($\nu_\mu$)は,β崩壊のニュートリノ($\nu_e$)とは別物である.レプトンには「世代」があり,各世代のレプトン数が別々に保存する.これが標準模型の3世代構造(2.11節)の最初の兆候であった.
2.6 ストレンジ粒子 1947–1960
2.6.1 V 粒子 —— 「奇妙な」振る舞い
1947年,Rochester と Butler はマンチェスターで宇宙線を霧箱(磁場付き)で観測し,何もないところから2本の飛跡が V 字型に現れる事象を2例見つけた.一つは中性粒子が2本の荷電粒子($\pi^+\pi^-$)に崩壊したもの(「中性 V」.いまの $K^0$),もう一つは荷電粒子の飛跡が飛行の途中で折れ曲がったもの(「荷電 V」.いまの $K^\pm$ の崩壊)である.前者では親粒子が中性なので飛跡を残さず,崩壊点だけが V 字として見える.$p\pi^-$ に崩壊する中性 V(いまの $\Lambda$)の同定は1950–51年で,Hopper–Biswas(メルボルン)や Anderson のグループ(Caltech)の霧箱による.
1950年代に入り,チャカルタヤなどの高山観測とブルックヘブン(BNL)の Cosmotron($3\ \mathrm{GeV}$)で多数の同種粒子が見つかると,はっきりしたパラドックスが浮かび上がった.
| 生成 | 崩壊 | |
|---|---|---|
| 反応例 | $\pi^-+p\to K^0+\Lambda$ | $\Lambda\to p+\pi^-$ |
| 断面積・寿命 | $\sigma\sim1\ \mathrm{mb}$(大きい) | $\tau = 2.6\times10^{-10}\ \mathrm{s}$(長い) |
| 特徴的時間 | $\sim10^{-23}\ \mathrm{s}$ | $\sim10^{-10}\ \mathrm{s}$ |
| 解釈 | 強い相互作用 | 強い相互作用ではない($10^{13}$ 倍遅い) |
強い相互作用で作られるのに,強い相互作用では壊れない.同じ粒子・同じ場に対して,一方向にだけ強い力が働くというのは不可能である.したがって,崩壊を禁止している保存則が存在し,それが弱い相互作用では破れると考えるほかない.
さらに Pais(1952年)が指摘したのは,これらの粒子が必ず2個以上同時に作られることである(随伴生成,associated production).$\pi^-+p\to K^0+\Lambda$ は起こるが,$\pi^-+p\to\pi^0+\Lambda$ は起こらない.これは新しい加法的量子数が保存していることを強く示唆する.
2.6.2 ストレンジネスと Gell-Mann–西島の関係式
Gell-Mann と,中野董夫・西島和彦は,1953年に独立に,新しい量子数 ストレンジネス $S$ を導入した(下の関係式は中野–西島–Gell-Mann の関係式とも呼ばれる).規約は次のとおりである.
定義:ストレンジネス
- 核子・$\pi$ には $S=0$.
- $K^+,K^0$ には $S=+1$,$\Lambda,\Sigma$ には $S=-1$,$\Xi$ には $S=-2$,$\Omega^-$ には $S=-3$.反粒子は符号を反転.
- 強い相互作用と電磁相互作用では $S$ は保存する.弱い相互作用では $\Delta S=\pm1$ が許される.
ストレンジネスとは何を数えているのか
先に答えを言ってしまう.ストレンジネスは $s$(ストレンジ)クォークの個数を数えるラベルにすぎない.正確には
$$ S = -(n_s - n_{\bar s}) $$であり,$s$ を1個含む粒子が $S=-1$,$\bar s$ を1個含む粒子が $S=+1$ になる(クォークは 2.8節で導入する.表2.5 のクォーク組成の列がそのまま数勘定になっている).符号がマイナスなのは,$s$ クォークが発見される前に $K$ 中間子の側を $+1$ と決めてしまった歴史的な事故であって,物理的な意味はない.この一点を伏せたまま先へ進むと読者は最後まで宙吊りになるので,最初に渡しておく.
そのうえで,馴染みのない量子数をつかむ手がかりは3つある.
その1:新しい保存量は「起こらない反応」から逆算して発見される.これは材料科学の選択則とまったく同じ論法である.Raman 活性・赤外活性の判定,電気双極子遷移の $\Delta l=\pm1$,$\kk$ 保存とウムクラップ過程——どれも「なぜ起きないのか」に答えるために保存量を立てている.ストレンジ粒子では,$\pi^-+p\to K^0+\Lambda$ は起きるのに $\pi^-+p\to\pi^0+\Lambda$ は起きないという一点が決め手であった.必ず2個以上が同時に作られる(随伴生成)ことから,加法的な量子数が保存していることが要求される.
その2:保存則には階層がある——スピン軌道相互作用と同じ構造である.ハミルトニアンを $H=H_{\text{強}}+H_{\text{EM}}+H_{\text{弱}}$,$H_{\text{強}}\gg H_{\text{EM}}\gg H_{\text{弱}}$ と階層化すると,どの階層まで含めるかによって「良い量子数」の一覧が段階的に脱落していく.スピン軌道相互作用が無ければ軌道角運動量とスピンが別々に良い量子数であり,あれば合成角運動量 $J$ だけが良い量子数になる——それと同じことを言っているだけである.ストレンジネスは上2つの階層でだけ良い量子数であり,「近似的な保存量」という言い方に身構える必要はない(保存則の階層は第3章 3.5.1 項で整理する).
その3:「奇妙」の中身は $10^{13}$ 倍という時間スケールの食い違いだけである.$\sigma\sim1\ \mathrm{mb}$ という強い相互作用らしい大きさで作られるのに,寿命は $2.6\times10^{-10}\ \mathrm{s}$ である(強い相互作用なら $10^{-23}\ \mathrm{s}$ のはずである).作るのは速いのに,壊れるのが $10^{13}$ 倍遅い.同じ粒子に一方向だけ強い力が働くというのはありえないので,崩壊を禁止する保存則があるほかない.奇妙なのはこの一点だけであり,それがそのまま名前になった.
$s$ クォークとフレーバー SU(3) の関係は第5章 5.4.4 項,$S$ がなぜ弱い相互作用でだけ破れるのか(Cabibbo 角)の答えは第12章 12.5.1 項にある.
これで両方の謎が解ける.$\pi^-+p\to K^0+\Lambda$ は $0+0\to(+1)+(-1)=0$ で $S$ 保存を満たすから強い相互作用で起こる.一方 $\Lambda\to p+\pi^-$ は $(-1)\to0$ で $\Delta S=+1$,強い相互作用では禁止され,弱い相互作用でしか進まないので寿命が $10^{-10}\ \mathrm{s}$ になる.随伴生成も自動的に説明される.
導出:Gell-Mann–西島の関係式
ステップ1:アイソスピンの復習.強い相互作用は,陽子と中性子をほとんど区別しない($m_p$ と $m_n$ の差は $0.14\%$).そこで両者を1つの2成分スピノルの上下成分とみなし,SU(2) の「スピン」のように扱う.これがアイソスピンで,多重項の中では第3成分 $I_3$ だけが違う:$p$ は $I_3=+1/2$,$n$ は $I_3=-1/2$;$\pi^+,\pi^0,\pi^-$ は $I=1$ で $I_3=+1,0,-1$.
ステップ2:多重項の中で電荷は $I_3$ に連動する.アイソスピン多重項の中では,電荷は $I_3$ が1増えるごとに1増える($\pi^-\to\pi^0\to\pi^+$,$n\to p$).したがって
$$ Q = I_3 + (\text{多重項ごとに決まる定数}) $$この定数は,多重項の平均電荷 $\braket{Q}$ にほかならない($I_3$ は多重項内で平均するとゼロだから).
ステップ3:その定数が何かを実測から読み取る.いくつかの多重項について $\braket{Q}$ とバリオン数 $B$,ストレンジネス $S$ を並べてみる.
| 多重項 | $B$ | $S$ | $\braket{Q}$ | $(B+S)/2$ |
|---|---|---|---|---|
| 核子 $N=(p,n)$ | $1$ | $0$ | $1/2$ | $1/2$ |
| パイ中間子 $\pi=(\pi^+,\pi^0,\pi^-)$ | $0$ | $0$ | $0$ | $0$ |
| $K$ 中間子 $K=(K^+,K^0)$ | $0$ | $+1$ | $1/2$ | $1/2$ |
| ラムダ粒子 $\Lambda$ | $1$ | $-1$ | $0$ | $0$ |
| シグマ粒子 $\Sigma=(\Sigma^+,\Sigma^0,\Sigma^-)$ | $1$ | $-1$ | $0$ | $0$ |
| グザイ粒子 $\Xi=(\Xi^0,\Xi^-)$ | $1$ | $-2$ | $-1/2$ | $-1/2$ |
| オメガ粒子 $\Omega^-$ | $1$ | $-3$ | $-1$ | $-1$ |
右の2列が完全に一致している.
ステップ4:結論.したがって
である.$Y\equiv B+S$ をハイパーチャージと呼ぶ.これが Gell-Mann–西島の関係式である.
検算:式 \eqref{eq:2-gmn} を実在ハドロンで確かめる
| 粒子 | 種別 | クォーク組成 | $I$ | $I_3$ | $B$ | $S$ | $Y=B+S$ | $I_3+Y/2$ | 実際の $Q$ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 陽子 $p$ | バリオン | $uud$ | $1/2$ | $+1/2$ | $1$ | $0$ | $1$ | $+1/2+1/2=+1$ | $+1$ ✓ |
| 中性子 $n$ | バリオン | $udd$ | $1/2$ | $-1/2$ | $1$ | $0$ | $1$ | $-1/2+1/2=0$ | $0$ ✓ |
| パイ中間子 $\pi^+$ | 中間子 | $u\bar d$ | $1$ | $+1$ | $0$ | $0$ | $0$ | $+1+0=+1$ | $+1$ ✓ |
| $K$ 中間子 $K^+$ | 中間子 | $u\bar s$ | $1/2$ | $+1/2$ | $0$ | $+1$ | $+1$ | $+1/2+1/2=+1$ | $+1$ ✓ |
| $K$ 中間子 $K^0$ | 中間子 | $d\bar s$ | $1/2$ | $-1/2$ | $0$ | $+1$ | $+1$ | $-1/2+1/2=0$ | $0$ ✓ |
| $K$ 中間子 $K^-$ | 中間子 | $s\bar u$ | $1/2$ | $-1/2$ | $0$ | $-1$ | $-1$ | $-1/2-1/2=-1$ | $-1$ ✓ |
| ラムダ粒子 $\Lambda$ | バリオン | $uds$ | $0$ | $0$ | $1$ | $-1$ | $0$ | $0+0=0$ | $0$ ✓ |
| シグマ粒子 $\Sigma^+$ | バリオン | $uus$ | $1$ | $+1$ | $1$ | $-1$ | $0$ | $+1+0=+1$ | $+1$ ✓ |
| シグマ粒子 $\Sigma^-$ | バリオン | $dds$ | $1$ | $-1$ | $1$ | $-1$ | $0$ | $-1+0=-1$ | $-1$ ✓ |
| グザイ粒子 $\Xi^-$ | バリオン | $dss$ | $1/2$ | $-1/2$ | $1$ | $-2$ | $-1$ | $-1/2-1/2=-1$ | $-1$ ✓ |
| オメガ粒子 $\Omega^-$ | バリオン | $sss$ | $0$ | $0$ | $1$ | $-3$ | $-2$ | $0-1=-1$ | $-1$ ✓ |
例外がない.$\Lambda$ と $\Sigma^0$ が同じ電荷・同じ $B$・同じ $S$ をもちながら別の粒子であることは,$I$ が違う($0$ と $1$)ことで区別される.
クォーク組成の列は 2.8節の先取りだが,添えておくと表を見ただけで2つのことが分かる.第一に,$B$ の列はクォークを3個もつ(バリオン)か,クォークと反クォークを1個ずつもつ(中間子)かを言っているだけである($B=3\times\frac13=1$ か $\frac13-\frac13=0$).第二に,$S$ の列は$s$ クォークの個数を符号つきで数えているだけである($s$ が1個で $-1$,$\bar s$ が1個で $+1$).
なぜこの式が重要なのか
式 \eqref{eq:2-gmn} は,一見すると数合わせの経験則である.しかしこれは,後になって二重の意味をもつことが分かった.
第一に,$I_3$ と $Y$ という2つの量が電荷を決めるということは,強い相互作用の対称性がアイソスピン SU(2) より大きく,階数2の群であることを示唆する.それが SU(3) であり,2.7節の八道説につながる.
第二に,まったく同じ形の式が電弱理論に現れる.そこでは $Q = T_3 + Y/2$ で,$T_3$ は弱アイソスピンの第3成分,$Y$ は弱ハイパー荷である(第12章).偶然の一致ではなく,どちらも「$\mathrm{U}(1)$ の電荷が,より大きな群の対角部分生成子の線形結合として現れる」という同じ構造の反映である.
2.7 八道説 1961–1964
2.7.1 粒子の氾濫と,秩序への希求
1950年代末までに,加速器はハドロンを次々に生み出した.$\pi,K,\eta,\rho,\omega,\Lambda,\Sigma,\Xi,\Delta,\dots$ その数は100を超え,「粒子の動物園」と呼ばれた.Fermi は「これだけ多くの粒子の名前を覚えられるくらいなら,私は植物学者になっていた」と言い,Lamb は1955年のノーベル講演で「かつては新粒子の発見者にノーベル賞が与えられたものだが,いまやそういう発見には1万ドルの罰金を科すべきだろう」と皮肉った.
周期表がそうであったように,多すぎるということは,それらが基本的でないことの徴候である.必要なのは分類の原理であった.
手がかりは式 \eqref{eq:2-gmn} にある.ハドロンの状態は $(I_3, Y)$ という2つの数で指定される.そこで,$I_3$ と $Y$ を座標軸として平面上に粒子を並べてみる.これをウェイト図(weight diagram)と呼ぶ.Gell-Mann(1961年)と Ne'eman(1961年)は,独立に,そこに現れる図形が驚くほど規則的であることに気づいた.
2.7.2 なぜ「八」なのか —— SU(3)
アイソスピン SU(2) は,$u$ と $d$ に相当する2つの状態を混ぜる群であった.ストレンジネスをもつ粒子まで含めるには,3つの状態を混ぜる群 SU(3) が必要になる.Gell-Mann と Ne'eman は,ハドロンが SU(3) の既約表現に属すると仮定した.
SU(3) は階数2の群である(互いに可換な生成子が2個ある).その2個をそれぞれ $I_3$ と $Y$ にとるのが自然な選択であり,これで図2.6 の2つの軸が説明される.既約表現の次元は $1, 3, \bar3, 6, 8, 10, 27,\dots$ で,八重項(8次元表現)は SU(3) の随伴表現である.
Gell-Mann はこの分類を,仏教の「八正道」(Eightfold Way)になぞらえて命名した.$J^P=\tfrac12^+$ のバリオン八重項,$0^-$ と $1^-$ の中間子八重項(どちらも一重項を加えて九重項として扱うのが普通である.2.8.1 項),そして $\tfrac32^+$ のバリオン十重項が見つかった.
定理:Gell-Mann–大久保の質量公式
SU(3) は完全な対称性ではない($s$ クォークが重いため).しかし破れの項が SU(3) 八重項の $I=0,\ Y=0$ 成分($\lambda_8$ 方向.ハイパーチャージと同じ変換性をもつ演算子)として変換すると仮定して1次摂動をとると,Wigner–Eckart の定理から多重項内の質量は
$$ m = a + bY + c\,\Big[I(I+1)-\frac{Y^2}{4}\Big] $$の形に書ける.八重項の4つの質量 $m_N,m_\Lambda,m_\Sigma,m_\Xi$ からパラメータ $a,b,c$ を消去すると,次の関係が成り立つ:
$$ \begin{equation} 2\,(m_N + m_\Xi) = 3\,m_\Lambda + m_\Sigma \label{eq:2-gmo} \end{equation} $$検算.$m_N = 938.9$,$m_\Xi = 1318.3$,$m_\Lambda = 1115.7$,$m_\Sigma = 1193.2\ \mathrm{MeV}$(多重項内平均)を入れると
$$ \text{左辺} = 2(938.9+1318.3) = 4514.4\ \mathrm{MeV}, \qquad \text{右辺} = 3\times1115.7+1193.2 = 4540.3\ \mathrm{MeV} $$一致は $0.6\%$.対称性が明らかに破れている(八重項内で質量が $40\%$ も違う)にもかかわらず,1次摂動の関係式が $1\%$ 以内で成立するのは印象的である.
十重項では同じ仮定から等間隔則が出る:$m_\Omega-m_{\Xi^*} = m_{\Xi^*}-m_{\Sigma^*} = m_{\Sigma^*}-m_\Delta$.十重項では $I=1+Y/2$ という関係があるので $I(I+1)-Y^2/4$ が $Y$ の1次式になり,質量が $Y$ について線形,すなわち等間隔になるのである.なお $\Delta H\propto Y$(ハイパーチャージ演算子そのもの)と仮定してしまうと $c=0$ となり,$Y=0$ の $\Lambda$ と $\Sigma$ が同じ質量になってしまって式 \eqref{eq:2-gmo} は導けない.$c$ 項が要るのである.
2.7.3 $\Omega^-$ の予言と発見
1962年のジュネーブ会議の時点で,十重項のうち9個が見つかっていた.$\Delta$(4個),$\Sigma^*$(3個),$\Xi^*$(2個).図2.6(c) の三角形の頂点だけが空席であった.
Gell-Mann は会場で立ち上がり,欠けている粒子の性質を等間隔則から読み上げた.
- 電荷 $Q=-1$,アイソスピン $I=0$(単独),ストレンジネス $S=-3$
- 質量 $\approx 1533 + 150 = 1683\ \mathrm{MeV}$
- $S=-3$ なので,$\Delta S=\pm1$ しか許さない弱い相互作用でしか壊れない.したがって寿命は $10^{-10}\ \mathrm{s}$ 程度で,泡箱の中に目に見える飛跡を残すはずである
最後の点が決定的である.他の十重項粒子は,$\Delta\to N\pi$,$\Sigma^*\to\Lambda\pi$,$\Xi^*\to\Xi\pi$ のようにストレンジネスを保ったまま強い相互作用で崩壊できるので,寿命が $10^{-23}\ \mathrm{s}$ しかなく飛跡を残さない(共鳴として質量分布の山に見えるだけ).ところが $\Omega^-$ は $S=-3$ なので,$S$ を保つ強い崩壊の終状態は $\Xi K$ しかない.その閾値は $m(\Xi^0)+m(K^-) = 1314.9+493.7 = 1808.6\ \mathrm{MeV}$ で,$\Omega^-$ の質量 $1672\ \mathrm{MeV}$ より上にある.一方 $\Xi\pi$ は軽いが $\Delta S=1$ なので強い相互作用では禁止される.こうして $\Omega^-$ には弱い崩壊しか残らず,寿命 $8.2\times10^{-11}\ \mathrm{s}$,飛行距離にして数 cm の飛跡を残すことになる.
1964年2月,Samios らのグループが BNL の $80$ インチ液体水素泡箱で,$5\ \mathrm{GeV}$ の $K^-$ ビームを使って
$$ K^- + p \;\to\; \Omega^- + K^+ + K^0 $$を捉えた.その $\Omega^-$ は $\Xi^0\pi^-$ に崩壊し,$\Xi^0\to\Lambda\pi^0$,$\pi^0\to\gamma\gamma$ と続き,2本の $\gamma$ がどちらも泡箱の中で対生成したという幸運な事象であった.測定質量は $1686\pm12\ \mathrm{MeV}$(現在の値 $1672.45\ \mathrm{MeV}$).
なぜ泡箱でなければならなかったか
泡箱(Glaser, 1952年)は,液体を沸点より高い温度・低い圧力に保った過熱状態にしておき,荷電粒子が通過してできたイオンを核として泡を発生させる装置である.液体水素($27\ \mathrm{K}$ 前後)を使うのは,標的が純粋な陽子であるうえ,密度が霧箱の気体より2–3桁高い(液体水素 $0.071\ \mathrm{g/cm^3}$ は大気圧の空気の約 $60$ 倍,同じ水素ガスと比べれば約 $800$ 倍)ので,稀な反応の統計が稼げるからである.
$\Omega^-$ の同定には,$\Omega^-\to\Xi^0\to\Lambda\to p\pi^-$ という多段崩壊の幾何を全部見る必要があった.どの点でどの粒子が生まれ,どこで曲がり,どこで崩壊したかを $3$ 次元的に再構成できるのは,当時は泡箱だけであった.中性の $\pi^0$ から出た $\gamma$ が対生成して電子・陽電子の飛跡を残す確率は,液体水素中では小さい.それが2本とも起きたのだから,実験家の幸運としか言いようがない.
泡箱は1970年代に最盛期を迎え(Gargamelle による中性カレントの発見が1973年である.2.10節),BEBC や Fermilab の $15$ フィート泡箱が1980年代半ばまで稼働したのち,電子的検出器に取って代わられた.理由は,写真を1枚ずつ人間が読まねばならず,統計を積めないからである.しかし「全事象を可視化して幾何から粒子を同定する」という思想は,今日の飛跡検出器(TPC・シリコン飛跡検出器)にそのまま引き継がれている.
2.8 クォーク模型 1964
2.8.1 3 と 3̄ から八重項と十重項を作る
周期表に元素が並ぶのは,原子が陽子・中性子・電子でできているからである.ハドロンが SU(3) の既約表現に並ぶのは,ハドロンがSU(3) の3次元表現に属する何かでできているからではないか.1964年,Gell-Mann と Zweig は独立にこの結論に達した.Gell-Mann はそれを Joyce の『フィネガンズ・ウェイク』から取ってクォーク(quark)と呼び,Zweig はエース(ace)と呼んだ.前者の名が残った.
| クォーク | $Q$ | $I$ | $I_3$ | $B$ | $S$ | $Y=B+S$ | $I_3+Y/2$ |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| $u$(up) | $+2/3$ | $1/2$ | $+1/2$ | $1/3$ | $0$ | $1/3$ | $+1/2+1/6=+2/3$ ✓ |
| $d$(down) | $-1/3$ | $1/2$ | $-1/2$ | $1/3$ | $0$ | $1/3$ | $-1/2+1/6=-1/3$ ✓ |
| $s$(strange) | $-1/3$ | $0$ | $0$ | $1/3$ | $-1$ | $-2/3$ | $0-1/3=-1/3$ ✓ |
Gell-Mann–西島の関係式 \eqref{eq:2-gmn} がクォークのレベルで成立していることに注目したい.これは偶然ではなく,$Q$,$I_3$,$Y$ がいずれも加法的量子数だからである.
先取り注記:$q\bar q$,$\otimes$,$\oplus$,そして $\bar{\bm3}$ の読み方
$q\bar q$ はクォーク1個と反クォーク1個の束縛状態である.バリオン数は $B=\frac13-\frac13=0$ で,フレーバーの組合せが粒子の名前を決める($\pi^+=u\bar d$,$K^+=u\bar s$).材料科学の言葉でいえば,これは励起子とまったく同じ構造である.電子+正孔の束縛状態が励起子であるのと,クォーク+反クォークの束縛状態が中間子であるのは,同じ2体束縛問題である(第7章 7.7 節).
ただし類推には限界がある.閉じ込めのために束縛のエネルギーがクォーク自身の質量(表2.11 のカレント質量,数 MeV)よりはるかに大きく,非相対論近似が効かない(ハドロンの模型でよく使う「構成子クォーク質量」約 $300\ \mathrm{MeV}$ は,この束縛のエネルギーを含めた有効質量であって,表2.11 の値とは別物である.第7章).$\pi$ 中間子の質量 $139.570\ \mathrm{MeV}$(2.3.3 項)は,$u,d$ クォークの質量の和 $2.16+4.67\approx7\ \mathrm{MeV}$(表2.11)よりはるかに大きいのである.したがって Wannier 励起子のように「水素原子を誘電率でスケールしたもの」として扱うことはできない.その描像が復活するのは,重いクォーコニウム($c\bar c$,$b\bar b$.第7章 7.4 節)でだけである.
$\bm3$ の太字は既約表現をその次元で呼ぶ流儀であり,$\otimes$ は直積,$\oplus$ は直和である.操作としては,点群の簡約とまったく同じものである.$\mathrm{H_2O}$ の $C_{2v}$ で $\Gamma_{\text{vib}}=2A_1\oplus B_2$ と簡約するのと同一で,違うのは相手が有限群ではなく連続群 SU(3) であることだけである(第5章 5.5.2 項で同じ計算を実演する).
| 点群 | SU(3) | |
|---|---|---|
| 既約表現の呼び名 | $A_1,\ B_2,\ E,\ T_2$(Mulliken 記号) | $\bm1,\ \bm3,\ \bm8,\ \bm{10}$(次元を太字で書く) |
| $\otimes$ | 直積 | 同じ.直積 |
| $\oplus$ | 直和(簡約した結果) | 同じ.直和 |
| 簡約の例 | $B_2\otimes B_2=A_1$ | $\bm3\otimes\bar{\bm3}=\bm8\oplus\bm1$ |
| 次元の勘定 | 次元の積 $=$ 和の次元 | $3\times3=9=8+1$ ✓ |
| 状態のラベル | 対称操作に対する変換性 | ウェイト $(I_3,Y)$ 平面上の点(図2.6) |
SU(2) 版なら,読者はすでに知っている.$\bm2\otimes\bm2=\bm3\oplus\bm1$ は,2電子のスピンが三重項と一重項に分かれる,あの分解にほかならない.SU(2) の $\bm2$ が $(\uparrow,\downarrow)$ なら,SU(3) の $\bm3$ は $(u,d,s)$ である($\bm2\otimes\bm2=\bm3\oplus\bm1$ の導出は第5章 5.3.4 項,$(u,d,s)$ の $\bm3$ は第5章 5.4.4 項).
最後に,なぜ反クォークは $\bar{\bm3}$ と書くのか.反クォークは複素共役表現に属し,ウェイト $(I_3,Y)$ の符号が反転するので,$\bm3$ と $\bar{\bm3}$ は同値ではない.SU(2) では $\bm2\cong\bar{\bm2}$ だったので「反アイソスピン」を別に考える必要がなかった——ここが SU(3) との決定的な違いである(点群でも $C_3$ の $E$ 表現が複素共役の対になるという同種の事情が現れる).表現論の一般論は第5章 5.2 節,$\bm3\otimes\bar{\bm3}=\bm8\oplus\bm1$ の分解とそのウェイト図は第5章 5.4.4 項,得られた九重項の具体的な構成は第7章 7.5.1 項,同じ分解を色 SU(3) で行うと「グルーオンが8個」が出ることは第11章 11.3.4 項にある.
構成則は次の2つである.
- 中間子 $= q\bar q$:$B = 1/3-1/3 = 0$.群論的には $3\otimes\bar3 = 8\oplus1$,すなわち八重項1つと一重項1つ.実際,$0^-$ 中間子は $\pi,K,\eta$ の8個+$\eta'$ の1個である.
- バリオン $= qqq$:$B = 3\times1/3 = 1$.$3\otimes3\otimes3 = 10\oplus8\oplus8\oplus1$,すなわち十重項1つ,八重項2つ,一重項1つ.十重項と八重項が実際に見つかっているものと一致する.
たとえば $p = uud$($Q = 2/3+2/3-1/3 = 1$ ✓),$n = udd$($Q = 2/3-1/3-1/3 = 0$ ✓),$\Lambda = uds$($S=-1$ ✓),$\Omega^- = sss$($Q=-1$,$S=-3$ ✓),$\pi^+ = u\bar d$,$K^+ = u\bar s$.図2.6 の三角形の頂点 $\Omega^-$ が $sss$ であることは,図の一番下($Y=-2$,$I_3=0$)という位置から直ちに読める.
注意:当初クォークは「計算の道具」とみなされた
$1/3$ や $2/3$ という分数電荷は,どの実験でも観測されたことがなかった(Millikan 以来,電荷は $e$ の整数倍である).しかも自由なクォークは,どんなに強くハドロンを叩いても飛び出してこない.そのため Gell-Mann 自身が当初,クォークを「数学的な便法」と位置づけていた.Zweig の論文は CERN のプレプリントのまま,正式な学術誌には長く載らなかった.
クォークが実在の粒子だと認められたのは,1969年の SLAC の深非弾性散乱実験による.$20\ \mathrm{GeV}$ の電子を陽子にぶつけると,大角度の散乱が予想よりはるかに多く起こった.これは Rutherford が金箔で見たのと同じ論法(2.1節)であり,陽子の中に点状の散乱中心(Feynman の言う「パートン」)があることを意味した.
2.8.2 $\Delta^{++}$ の危機と色の導入
クォーク模型には,ただちに致命的な問題が現れた.十重項の隅にいる $\Delta^{++}$ である.
導出:$\Delta^{++}$ はなぜ Fermi 統計を破るのか
ステップ1:$\Delta^{++}$ の構成.$Q=+2$,$S=0$,$B=1$ なので $\Delta^{++} = uuu$ しかありえない.
ステップ2:波動関数の各部分の対称性を調べる.全波動関数は空間・スピン・フレーバーの積である.
- フレーバー:$uuu$.3個とも同じ種類だから,入れ替えに対して対称.
- スピン:$\Delta$ は $J=3/2$.$J_z=+3/2$ の状態は $\uparrow\uparrow\uparrow$ しかない.やはり対称.
- 空間:$\Delta$ は基底状態(軌道角運動量 $L=0$)なので,波動関数は球対称.対称.
ステップ3:矛盾.3つとも対称なので,全体も入れ替えに対して対称である.ところがクォークはスピン $1/2$ の Fermi 粒子だから,全波動関数は入れ替えに対して反対称でなければならない.すなわち $\Delta^{++}$ は存在してはならない.しかし実在する(質量 $1232\ \mathrm{MeV}$,幅 $117\ \mathrm{MeV}$).
ステップ4:逃げ道はひとつしかない.まだ数えていない自由度が残っているとする.その新しい自由度について波動関数を反対称にすれば,全体が反対称になって Fermi 統計が救われる.3個のものを完全反対称に組むには少なくとも3つの値が必要であり,それがちょうど3つなら組み方は $\varepsilon_{abc}$ の1通りに決まる.
この新しい3値の自由度を色(color)と呼ぶ(Greenberg 1964,Han–南部 1965).赤・緑・青という名は便宜的なもので,実際の色とは何の関係もない.
色が「余分な自由度を足しただけの弥縫策」でないことは,独立な証拠が複数あることで裏づけられた.なかでも直接的なのが $e^+e^-$ 消滅の $R$ 比である.
導出:$R$ 比が色の数を数える
ステップ1:比をとる.$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ と $e^+e^-\to q\bar q\ (\to\text{ハドロン})$ は,どちらも「仮想光子が対を作る」という同じ図(第10章)で記述され,違いは終状態粒子の電荷と数だけである.断面積は電荷の2乗に比例するので
$$ \begin{equation} R \equiv \frac{\sigma(e^+e^-\to\text{hadrons})}{\sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-)} = N_c\sum_i q_i^2 \label{eq:2-Rratio} \end{equation} $$和は,そのエネルギーで作れる($\sqrt{s}>2m_i$ を満たす)すべてのクォークについてとる.$N_c$ は色の数である.
ステップ2:エネルギー領域ごとに計算する.
| $\sqrt{s}$ | 関与するクォーク | $\sum q_i^2$ | $N_c=3$ の予言 | 実測(QCD補正込) |
|---|---|---|---|---|
| $2$–$3\ \mathrm{GeV}$ | $u,d,s$ | $\frac49+\frac19+\frac19=\frac69$ | $2$ | $\approx2.2$ |
| $5$–$9\ \mathrm{GeV}$ | $+\,c$ | $\frac{10}{9}$ | $10/3=3.33$ | $\approx3.6$ |
| $>11\ \mathrm{GeV}$ | $+\,b$ | $\frac{11}{9}$ | $11/3=3.67$ | $\approx3.9$ |
ステップ3:結論.$N_c=1$ なら $R$ はそれぞれ $0.67,\,1.11,\,1.22$ になり,実測の $1/3$ にしかならない.実測は $N_c=3$ の予言に($\alpha_s$ の摂動補正 $1+\alpha_s/\pi$ を加えれば数 % の精度で)合う.しかも,新しいクォークの閾値を越えるたびに $R$ が階段状に跳ぶという特徴的な振る舞いまで再現する.
色の数を数える方法は他にもあり,$\pi^0\to\gamma\gamma$ の崩壊幅($N_c^2$ に比例,実測と $N_c=3$ で一致)などがある.
色は単なる分類ラベルではなく,強い相互作用のゲージ電荷であることが後に判明する.色 SU(3) を局所ゲージ対称性とする理論が量子色力学(QCD)であり,第11章の主題になる.「観測されるハドロンはすべて色の一重項(無色)である」という要請が,クォークが単独で取り出せない理由(閉じ込め)につながる.
色とは何の量子数か —— ストレンジネスとの対比
新しい量子数が出てきたのに,どの群の・どの表現の・何が保存量なのかが書かれていないと,読者は宙に浮く.ここで正面から答えておく.まず,色とストレンジネスは完全に別物である.
定義.クォーク場は $q^a$($a=1,2,3$.赤・緑・青)という3成分をもち,この添字が $\mathrm{SU}(3)_C$ の基本表現 $\bm3$ の添字である.$\mathrm{SU}(3)$ の階数は 2 なので,同時に対角化できる生成子——原理的には同時に測れる量子数——は $T^3_C$ と $T^8_C$ の2つある.
ところが,粒子ごとに「色荷はいくつ」と表に書くことはできない.観測されるハドロンはすべて色一重項だからである.陽子の色は「無色」であって $T^3_C=+1/2$ のような値をもたず,クォーク単体を取り出して測ることもできない(閉じ込め).だから色は,ストレンジネスのような数値ラベルとしては表の列にならない.これを言わずに済ませると,読者は「色の値の表」をいつまでも探すことになる.
では色は何として現れるのか.実際に効くのは,次の3つの形でだけである.
| 現れ方 | 具体例 | 材料科学での同型の現れ方 |
|---|---|---|
| 縮退度 $N_c=3$ | $R$ 比(表2.8),$\pi^0\to\gamma\gamma$ の崩壊幅($N_c^2$ に比例),$Z$ の崩壊幅 | 状態密度に掛かるスピン因子 2 と,まったく同じ現れ方 |
| 波動関数の反対称化 | $\varepsilon_{abc}$(式 \eqref{eq:2-color}).$\Delta^{++}$ を救った役割そのもの | Slater 行列式でスピンが果たす役割 |
| ゲージ相互作用の結合 | カラー因子 $C_F=4/3$(クォーク),$C_A=3$(グルーオン) | 対応物なし.ここが色に固有である |
ストレンジネスと並べると,違いがはっきりする.
| 色(color) | ストレンジネス $S$ | |
|---|---|---|
| どの群か | $\mathrm{SU}(3)_C$ | $\mathrm{U}(1)_S$($\mathrm{SU}(3)_F$ の一部) |
| 局所か大域か | 局所ゲージ対称性 | 大域的な分類(しかも近似的) |
| 対応するゲージ場 | グルーオン(8個) | 無い |
| 値の取り方 | 3値の添字.可換な量子数としては測れない | 整数の加法的量子数.表に書ける |
| 誰が持つか | 全クォーク・全グルーオン | $s$ クォークだけ |
| 保存の破れ方 | 厳密に保存 | 弱い相互作用で $\Delta S=\pm1$ |
| 観測可能性 | 閉じ込めのため直接は見えない | 粒子ごとに確定値をもつ(表2.5) |
| 力を媒介するか | する(強い相互作用そのもの) | しない(分類ラベルにとどまる) |
両者は同時に持てる.ひとつのクォークは色とフレーバーを同時に指定され,$u^{\text{red}}$,$s^{\text{blue}}$ のように書かれる.$u,d,s$ の3フレーバー $\times$ 3色 $=$ 9状態,すなわち $\bm3_F\otimes\bm3_C$ という直積の空間である.結晶で「サイトの種類」と「スピン」を独立に指定するのと同じ勘定である.
より詳しくは,色が必要な3つの理由が第11章 11.3.1 項,生成子の具体形(Gell-Mann 行列)が 11.3.2 項,グルーオンが8個になる理由が 11.3.4 項,カラー因子が 11.4 節にある.色荷の現象論的な導入は第3章 3.3.1 項,色一重項条件は 3.3.6 項,$\Delta^{++}$ の波動関数の完全な形は第7章 7.6.1 項である.
材料科学との接点:色はスピンの3値版である(ただし違いが2つある)
スピンもまた,もとはPauli 原理を救うために導入された内部自由度であった(He 原子の $1s^2$ をどう説明するか).あとになって,それが $\mathrm{SU}(2)$ 回転の表現だと分かった.色はその3値版であり,導入の動機($\Delta^{++}$ の Fermi 統計を救う)まで含めて話の筋が同じである.
ただし違いが2つある.色は非可換群の電荷であり,しかも局所ゲージ化されている.だからグルーオンという媒介粒子が必然的に出てくる.スピンには対応するゲージ場が無い.「Pauli 原理を救うために導入した自由度が,そのまま力の源になった」というのが,色に固有の劇的な部分である.
もっとも,$\Delta^{++}$ の議論が要求したのは「少なくとも3つの値をもつ自由度」だけであって,そこから $\mathrm{SU}(3)$ ゲージ理論までにはまだ距離がある.橋渡しは3段階である.第一に,3つを完全反対称に組む唯一の方法が $\varepsilon_{abc}$ であり,これは $\mathrm{SU}(3)$ の不変テンソルである——つまり「無色」という条件が $\mathrm{SU}(3)$ 一重項という群論的な意味をもつ.第二に,波動関数の議論とは無関係な断面積の測定($R$ 比,表2.8)から独立に $N_c=3$ が出る.第三に,$N_c=3$ で漸近的自由が成り立ち,深非弾性散乱で見えたパートンの「自由さ」が説明できる(第11章 11.6 節).この3つがそろって初めて,色は QCD のゲージ電荷として確立した.
2.9 11月革命 1974–1995
2.9.1 GIM 機構 —— 第4のクォークが要る理由
1970年の時点で,クォークは $u,d,s$ の3つ,レプトンは $e,\nu_e,\mu,\nu_\mu$ の4つであった.この非対称性そのものは,美意識の問題にすぎないと片づけられた.しかし,はっきりした実験的問題があった.
弱い相互作用における $u,d,s$ の混ざり方は,Cabibbo 角 $\theta_C$($\sin\theta_C=0.225$)を使って
$$ d' = d\cos\theta_C + s\sin\theta_C $$と書けば,$\beta$ 崩壊とストレンジ粒子の崩壊が同時に説明できる.ところがこの $d'$ を中性カレントに入れると,$\bar d s$ というフレーバーを変える中性カレント(flavour-changing neutral current, FCNC)の項が $\cos\theta_C\sin\theta_C$ の係数で残る.これが樹木レベルで $Z$ の交換に効くなら,$K_L\to\mu^+\mu^-$ の分岐比は $K^+\to\mu^+\nu$ と同程度の $O(0.1$–$1)$ になってしまい,論外である.荷電カレントだけの理論にとどめても,$W$ を2本使う箱型図(1ループ)が $\bar d s\mu\mu$ を生み,$u$ クォークだけを回したのでは $10^{-5}$ 程度の分岐比を予言する.実測は $6.8\times10^{-9}$ で,3桁も小さい.
Glashow,Iliopoulos,Maiani(1970年)の解決は明快である.第4のクォーク $c$ を導入し,$d'$ と直交する組み合わせ
$$ s' = -d\sin\theta_C + s\cos\theta_C $$と対にする.すると中性カレントの $\bar d s$ 項が,$(u,d')$ からの寄与と $(c,s')$ からの寄与でちょうど符号が逆になって相殺する.$\cos\theta_C\sin\theta_C - \sin\theta_C\cos\theta_C = 0$ という,直交性そのものである.
相殺は完全ではなく,$m_c\ne m_u$ のぶんだけ残る.残差の大きさは $K^0$–$\bar K^0$ 混合の質量差 $\Delta m_K$ に現れるので,逆にそれを使って $m_c$ が予言できた.Gaillard と Lee(1974年)の見積もりは $m_c\approx1.5\ \mathrm{GeV}$.これは的中する.
なぜこれが「対称性の力」なのか
GIM 機構の論理は,実験で見えない過程があるなら,それを消す仕組みが理論の側にあるはずだというものである.そして「消す仕組み」として最も自然なのが,2つの寄与が対称性によって相殺することである.新しい粒子は,何かを作るためではなく,何かを消すために予言された.
これは素粒子物理で繰り返し使われる論法である.第15章で扱う超対称性も,Higgs 質量への大きな量子補正を「相殺させる」ために導入された.「起こらないこと」が「存在するもの」を予言するのである.
2.9.2 1974年11月11日 —— $J/\psi$ の同時発見
1974年11月11日,2つのまったく異なる実験が同じ粒子の発見を発表した.
- Ting のグループ(BNL):$28\ \mathrm{GeV}$ の陽子をベリリウム標的に当て,出てくる $e^+e^-$ 対の不変質量を精密測定した.$3.1\ \mathrm{GeV}$ に鋭いピーク.$J$ と名づけた.
- Richter のグループ(SLAC,SPEAR):$e^+e^-$ 衝突型加速器のエネルギーを走査していたところ,$3.1\ \mathrm{GeV}$ でハドロン生成断面積が100倍に跳ね上がった.$\psi$ と名づけた.
両者は同じ粒子であり,$J/\psi$ という折衷的な名前が定着した.2人は2年後の1976年にノーベル賞を受けている(発見から受賞までの期間として史上最短級である).
この発見が「革命」と呼ばれたのは,質量が大きいからではなく,幅が異常に狭いからである.
数値例:$J/\psi$ はどれくらい「長生き」か
$J/\psi$ の質量は $3096.9\ \mathrm{MeV}$,全崩壊幅は $\Gamma = 92.6\ \mathrm{keV}$ である.寿命は不確定性関係から
$$ \tau = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{9.26\times10^{-2}\ \mathrm{MeV}} = 7.1\times10^{-21}\ \mathrm{s} $$比較のために,同じくらいの質量の典型的なハドロン共鳴 $\rho(770)$ を見ると $\Gamma = 147\ \mathrm{MeV}$,$\tau = 4.5\times10^{-24}\ \mathrm{s}$.$J/\psi$ は約1600倍も長生きである.強い相互作用で崩壊できる粒子が,強い相互作用の特徴的時間より3桁も長く生きている.
理由.$J/\psi$ は $c\bar c$ の束縛状態である.中に入っているチャームクォークと反クォークは,別々のハドロンに分かれて出ていければ速く壊れる.ところが最も軽いチャームハドロンである $D$ 中間子は $m_D = 1864.8\ \mathrm{MeV}$ なので,2個作るには $3729.7\ \mathrm{MeV}$ 必要で,$3096.9\ \mathrm{MeV}$ では足りない.したがって $c$ と $\bar c$ は互いに消滅するしかない.ところが,グルーオン1個では色一重項にならず,2個では $C$ パリティが合わない($J/\psi$ は $C=-1$,2グルーオン状態は $C=+1$)ので,最低3個のグルーオンを出す必要がある.崩壊率が $\alpha_s^3$ に比例するためこの過程は強く抑制される(OZI 則).$\eta_c$($0^{-+}$)なら2グルーオンに崩壊できるので幅が $30\ \mathrm{MeV}$ 程度と広く,$J/\psi$ の $92.6\ \mathrm{keV}$ と対照的である.
証拠として,閾値の上にある $\psi(3770)$ は $D\bar D$ に崩壊できるので幅が $27\ \mathrm{MeV}$ と一気に広がる.閾値をまたぐ前後で幅が300倍変わるという事実が,$c\bar c$ 描像を決定的にした.
$c\bar c$ の束縛状態は,水素原子やポジトロニウムのようにきれいな準位構造をもつのでチャーモニウムと呼ばれる.準位間隔を再現する非相対論的ポテンシャルとして
$$ \begin{equation} V(r) = -\frac{4}{3}\frac{\alpha_s}{r} + \sigma r, \qquad \sigma\approx0.9\ \mathrm{GeV/fm} \label{eq:2-cornell} \end{equation} $$(Cornell ポテンシャル)が使われる.短距離では Coulomb 的(1グルーオン交換),長距離では距離に比例して増大する(閉じ込め).線形項があるためクォークは無限遠に引き離せない.第7章でこの Schrödinger 問題を実際に解く.
2.9.3 第3世代へ —— $\tau$,ボトム,トップ
チャームで「$u,d,e,\nu_e$」「$c,s,\mu,\nu_\mu$」の2世代が揃った.ところが,そこで話は終わらなかった.
- $\tau$ レプトン(1975年):Perl は SPEAR の Mark I 検出器で,$e^+e^-\to e^\pm\mu^\mp + (\text{何も見えないもの})$ という異常事象を見つけた.レプトン数保存を守るには,新しい重いレプトン $\tau$ が対生成し,それぞれ $\tau\to e\nu\bar\nu$ と $\tau\to\mu\nu\bar\nu$ に崩壊したと考えるほかない.$m_\tau = 1776.86\ \mathrm{MeV}$ で,陽子の $1.9$ 倍も重い「重いレプトン」である.第3世代の最初の住人が,クォークではなくレプトンだったことになる.
- ボトムクォーク(1977年):Lederman らは Fermilab の実験 E288 で,$400\ \mathrm{GeV}$ 陽子ビームから出る $\mu^+\mu^-$ 対の不変質量に $9.46\ \mathrm{GeV}$ のピークを見つけた.$\Upsilon$(ウプシロン)と名づけられたこの粒子は $b\bar b$ 束縛状態(ボトモニウム)であり,$J/\psi$ と同じ論理でその狭い幅が説明された.
- トップクォーク(1995年):$b$ の相方はなかなか見つからなかった.理由は単純で,異常に重かったからである.CDF と D0 が Tevatron($p\bar p$,$\sqrt s = 1.8\ \mathrm{TeV}$)でようやく捉えた.発見時の測定値は $176\pm13\ \mathrm{GeV}$(CDF)・$199\pm30\ \mathrm{GeV}$(D0)で,現在の世界平均は $m_t = 172.7\ \mathrm{GeV}$,金の原子1個ぶんに匹敵する.
物理的意味:トップ発見にシリコンが必要だった理由
トップクォークは重すぎて,ハドロンを作る前に $t\to W b$ と崩壊してしまう(寿命 $5\times10^{-25}\ \mathrm{s}$ は強い相互作用の時間 $10^{-23}\ \mathrm{s}$ より短い).したがって唯一の目印は,終状態に $b$ クォーク由来のジェットが2本あることである.
$b$ を含むハドロンは寿命 $\tau\approx1.5\ \mathrm{ps}$ をもつ.相対論的に飛べば飛行距離は
$$ \ell = \beta\gamma\,c\tau, \qquad c\tau = 3\times10^8\ \mathrm{m/s}\times1.5\times10^{-12}\ \mathrm{s} = 450\ \mu\mathrm{m} $$で,$\beta\gamma\sim3$ なら $1$–$2\ \mathrm{mm}$ である.衝突点から $1\ \mathrm{mm}$ ずれた位置に「二次頂点」があることを見抜けば $b$ ジェットが選別できる($b$ タグ).そのためには飛跡の外挿精度が $10$–$20\ \mu\mathrm{m}$ 必要になる.
これを可能にしたのがシリコンマイクロストリップ検出器である.$300\ \mu\mathrm{m}$ 厚の高抵抗 $n$ 型 Si ウェハに $50\ \mu\mathrm{m}$ ピッチで $p^+$ ストリップを作り,逆バイアスで全空乏化させる.荷電粒子が通ると平均 $24000$ 対の電子・正孔が生じ,隣接ストリップの信号比から重心を求めることで,ピッチの $1/5$ 以下の位置分解能が得られる.
言い換えれば,トップクォークの発見は半導体プロセス技術の到達点の関数だった.1980年代に集積回路産業が育てた高純度シリコンとフォトリソグラフィがなければ,$b$ タグは成立せず,トップの同定は不可能だった.今日の LHC の内層検出器は,ピクセル化されてさらに $10\ \mu\mathrm{m}$ を切る精度に達している.
2.10 仲介ベクトルボソン 1983
2.10.1 Fermi 理論が壊れる場所
式 \eqref{eq:2-fermi-int} の Fermi 理論は,4つのフェルミオンが1点で結合する接触相互作用である.低エネルギーの実験は見事に説明できたが,高エネルギーでは必ず破綻することが分かっていた.
導出:ユニタリティが $G_F$ 理論を殺す
ステップ1:次元を数える.$G_F = 1.166\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$ は質量の $-2$ 乗の次元をもつ.散乱断面積は面積,すなわち質量の $-2$ 乗の次元である.高エネルギー極限では質量スケールが $\sqrt s$ しかないので,次元解析だけから
$$ \sigma \sim G_F^2\,s $$が決まる.断面積が $s$ に比例していくらでも増える.
ステップ2:しかし断面積には上限がある.量子力学の部分波展開において,確率が保存する(ユニタリティ)ためには各部分波の断面積が $\sigma_J \le 4\pi(2J+1)/k^2 \sim 1/s$ で抑えられる.$s$ に比例して増える断面積は,どこかで必ずこの上限を破る.
ステップ3:破綻するエネルギーを見積もる.$G_F^2 s \sim 1/s$ より
$$ \sqrt s \sim G_F^{-1/2} = (1.166\times10^{-5})^{-1/2}\ \mathrm{GeV} \approx 293\ \mathrm{GeV} $$すなわち $300\ \mathrm{GeV}$ 付近で Fermi 理論は必ず破綻する.そこまでに新しい物理が現れなければならない.
ステップ4:解決 —— 接触点をほどく.4点結合を,質量 $m_W$ の重いベクトルボソン $W$ の交換で置き換える.低エネルギー($\abs{q^2}\ll m_W^2$)では伝播関数が $1/(q^2-m_W^2)\to-1/m_W^2$ と定数になり,接触相互作用に見える.対応関係は
である.一方,$\abs{q^2}\gtrsim m_W^2$ では伝播関数が $1/q^2$ に落ちるので断面積の増大が止まり,ユニタリティが救われる.
物理的意味:弱い力は「弱く」ない
式 \eqref{eq:2-GF-gW} を $g$ について解いてみる.$m_W=80.377\ \mathrm{GeV}$ を入れると
$$ g = \sqrt{8m_W^2\frac{G_F}{\sqrt2}} = \sqrt{8\times(80.377)^2\times\frac{1.166\times10^{-5}}{1.414}} = \sqrt{0.4262} = 0.653 $$電磁相互作用の結合定数は $e=\sqrt{4\pi\alpha}=0.303$ である.弱い相互作用の結合定数は,電磁相互作用の2倍以上大きい.
では,なぜ「弱い」のか.答えは結合の強さではなく伝播関数にある.低エネルギーでは $1/m_W^2$ という巨大な抑制因子がかかるからである.力の到達距離も式 \eqref{eq:2-yukawa-range} から
$$ R = \frac{\hbar c}{m_Wc^2} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{80377\ \mathrm{MeV}} = 2.5\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$と,核子の大きさの $400$ 分の1しかない.核子どうしが接触しても,弱い相互作用が働く体積はほとんどないに等しい.中性子の寿命が $879\ \mathrm{s}$ もあるのは,結合が弱いからではなく,$W$ が重いからである.
そして,重い $W$ をどう作るかが第13章の主題になる.ゲージ対称性はゲージ場に質量を許さないので,自発的に対称性を破って質量を「獲得させる」しかない.2.3節で見たように,その機構の原型は超伝導体における光子の質量獲得(Meissner 効果)である.物性物理の概念が素粒子物理の骨格になった,最も重要な例である.
2.10.2 中性カレントから $W$・$Z$ の発見へ
Glashow(1961年)・Weinberg(1967年)・Salam(1968年)の電弱統一理論は,$W^\pm$ に加えて中性のゲージボソン $Z^0$ を予言した.$Z^0$ が媒介する反応は「電荷を変えない弱い過程」=中性カレントであり,たとえば $\nu_\mu+e^-\to\nu_\mu+e^-$ がそれである.
1973年,CERN の巨大泡箱 Gargamelle(フレオン $\mathrm{CF_3Br}$ を $12\ \mathrm{m^3}$ 詰めた重液泡箱.重い液体を使うのは $\gamma$ 線を確実に対生成させて中性粒子まで再構成するためである)が,ミュオンを伴わないニュートリノ事象を捉えた.中性カレントの発見である.その頻度から Weinberg 角が $\sin^2\theta_W\approx0.23$ と決まり,理論の関係式
$$ m_W = \frac{37.28\ \mathrm{GeV}}{\sin\theta_W}, \qquad m_Z = \frac{m_W}{\cos\theta_W} $$に代入すると $m_W\approx78\ \mathrm{GeV}$,$m_Z\approx89\ \mathrm{GeV}$(輻射補正を入れると $80$ と $91$)と予言された.係数 $37.28\ \mathrm{GeV}$ は $\sqrt{\pi\alpha/(\sqrt2 G_F)}$ の値である.探すべき質量が分かったので,あとは作れる加速器を用意すればよい.
Rubbia は,既存の SPS 陽子シンクロトロンを陽子・反陽子衝突型に改造することを提案した.難点は反陽子ビームの質(エミッタンス)である.これを van der Meer の確率冷却(stochastic cooling:ビームの位置揺らぎを検出して下流でキックし,位相空間体積を縮める手法)が解決した.
1983年,$\sqrt s = 546\ \mathrm{GeV}$ の $p\bar p$ 衝突で UA1 と UA2 が
- $W\to e\nu$:高い横運動量の電子1個と,それと釣り合う消失横エネルギー(missing $E_T$,ニュートリノが持ち去った分)
- $Z\to e^+e^-,\ \mu^+\mu^-$:レプトン対の不変質量が $91\ \mathrm{GeV}$ に立つピーク
を観測した.UA1 の最初の論文では $W$ が $6$ 事象,$Z$ が $5$ 事象($e^+e^-$ が4,$\mu^+\mu^-$ が1)という少なさだったが,背景がほぼゼロなので疑いの余地はなかった.Rubbia と van der Meer は翌1984年にノーベル賞を受けた.現在の値(PDG 2022)は $m_W = 80.377\ \mathrm{GeV}$,$m_Z = 91.1876\ \mathrm{GeV}$ である.
2.11 標準模型 1978–?
2.11.1 完成した絵
1978年ごろまでに,理論の骨格は出揃った.物質はスピン $1/2$ のフェルミオン(クォークとレプトン)でできており,力はスピン $1$ のゲージボソン——グルーオン $g$,光子 $\gamma$,$W^\pm$,$Z$——が媒介する.この一文には読み違えやすい点が2つあるので,下の2つの注記で先に断っておく.対称性は
$$ \begin{equation} \mathrm{SU}(3)_C \times \mathrm{SU}(2)_L \times \mathrm{U}(1)_Y \label{eq:2-sm-group} \end{equation} $$で,第1因子が色(強い相互作用,第11章),第2・第3因子が合わさって電弱相互作用(第12・13章)を与える.Higgs 場の真空期待値が $\mathrm{SU}(2)_L\times\mathrm{U}(1)_Y$ を $\mathrm{U}(1)_{\mathrm{EM}}$ へ破り,$W,Z$ とフェルミオンに質量を与える.これが標準模型である.
注記1:「スピン $1$ のゲージボソン」とは,光子そのものである
力を媒介するスピン $1$ のゲージボソンとは,グルーオン $g$,光子 $\gamma$,$W^\pm$,$Z$ の4種である.すなわち光子のスピンは $1$ であって $0$ ではなく,原子核と電子の間の電磁気力を伝えているのはまさに光子である(第3章 表3.1 にも「電磁気力|光子 $\gamma$|スピン 1|質量 0」と掲げてある).
このことは,材料科学者がすでに知っている事実から再構成できる.電気双極子遷移の選択則 $\Delta l=\pm1$ は,「光子1個が角運動量 $1$ を持ち去る」ことの表現そのものである.もし光子がスピン $0$ なら,許されるのは $\Delta l=0$ のほうであった.Raman 散乱が $\Delta l=0,\pm2$ になるのは光子が2個関わるからで,$1\otimes1=0\oplus1\oplus2$ という合成の結果である(赤外と Raman で選択則が違うという日常の事実が,そのまま光子スピンの証拠になっている).円偏光が $\pm\hbar$ の角運動量を運ぶこと(Beth の実験,1936年)も,同じ事実の別の顔である.
ただし,質量ゼロのために実光子はヘリシティ $\pm1$ の2状態しかとらない.「$s_z=0$ の状態が無い」ことと「スピンが $0$ である」ことは,まったく別である.質量のある $W,Z$ には静止系があるので $s_z=+1,0,-1$ の3状態がそろい,質量ゼロの光子に対して増えたこの縦偏極こそ,Higgs 機構で Goldstone ボソンが「食われて」できた自由度である(第13章).質量ゼロだとなぜ $s_z=0$ が消えるのかは,第9章 9.6.3 項で小群の言葉を使って説明する.
注記2:陽子・中性子もスピン $1/2$ だが,素粒子ではない
「スピン $1/2$ のフェルミオン」と聞いて陽子・中性子・電子を思い浮かべるのは自然で,スピンの値としてはそれで正しい.補正が要るのは素粒子か複合粒子かという分類の一点だけである.標準模型のスピン $1/2$ の素粒子はクォークとレプトンであり,陽子は $uud$,中性子は $udd$ という3個のクォークの束縛状態,すなわち複合粒子である.電子はレプトンなので素粒子でよい.フォノンが格子振動の集団励起であって素粒子ではないのと,同じ意味の区別である.
そしてこれは分類上の細目ではない.陽子質量 $938\ \mathrm{MeV}$ のうちクォークの質量の和は $2\times2.16+4.67=8.99\approx9\ \mathrm{MeV}$(表2.11 の値)で,およそ 1% しかない.残りの 99% はグルーオン場の力学的エネルギー($\Lambda_{\mathrm{QCD}}$ のスケール)である.つまり「Higgs が質量を与える」という話と,身の回りの物質の質量の起源は,ほとんど別物である.後者は 99% が QCD 由来であり,Higgs 由来なのは電子の質量と,クォークのわずかな寄与だけである.
| 粒子 | 世代 | 質量 | 電荷 $Q/e$ | スピン | 色 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| $u$ | I | $2.16\ \mathrm{MeV}$ | $+2/3$ | $1/2$ | 3 | 陽子・中性子の構成子 |
| $d$ | I | $4.67\ \mathrm{MeV}$ | $-1/3$ | $1/2$ | 3 | 同上 |
| $c$ | II | $1.27\ \mathrm{GeV}$ | $+2/3$ | $1/2$ | 3 | 1974($J/\psi$) |
| $s$ | II | $93.4\ \mathrm{MeV}$ | $-1/3$ | $1/2$ | 3 | 1947($V$ 粒子) |
| $t$ | III | $172.69\ \mathrm{GeV}$ | $+2/3$ | $1/2$ | 3 | 1995,ハドロン化しない |
| $b$ | III | $4.18\ \mathrm{GeV}$ | $-1/3$ | $1/2$ | 3 | 1977($\Upsilon$) |
| $e^-$ | I | $0.511\ \mathrm{MeV}$ | $-1$ | $1/2$ | — | 1897 |
| $\nu_e$ | I | $<0.45\ \mathrm{eV}$ | $0$ | $1/2$ | — | 1956 |
| $\mu^-$ | II | $105.658\ \mathrm{MeV}$ | $-1$ | $1/2$ | — | 1937 |
| $\nu_\mu$ | II | $<0.45\ \mathrm{eV}$ | $0$ | $1/2$ | — | 1962(上限の脚注を見よ) |
| $\tau^-$ | III | $1776.86\ \mathrm{MeV}$ | $-1$ | $1/2$ | — | 1975 |
| $\nu_\tau$ | III | $<0.45\ \mathrm{eV}$ | $0$ | $1/2$ | — | 2000(DONUT) |
| $\gamma$ | — | $0$ | $0$ | $1$ | — | 電磁力,到達距離 $\infty$ |
| $g$ | — | $0$ | $0$ | $1$ | 8(随伴) | 強い力,自己結合あり |
| $W^\pm$ | — | $80.377\ \mathrm{GeV}$ | $\pm1$ | $1$ | — | 弱い力,$R=2.5\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ |
| $Z^0$ | — | $91.1876\ \mathrm{GeV}$ | $0$ | $1$ | — | 中性カレント |
| $H$ | — | $125.25\ \mathrm{GeV}$ | $0$ | $0$ | — | 2012,唯一のスカラー |
ニュートリノの質量欄について一言補う.$0.45\ \mathrm{eV}$ はトリチウムβ崩壊(KATRIN)が与える $\nu_e$ の実効質量の上限である.$\nu_\mu$・$\nu_\tau$ の直接測定の上限はそれぞれ $0.19\ \mathrm{MeV}$,$18.2\ \mathrm{MeV}$ しかなく,けっして $0.45\ \mathrm{eV}$ ではない.3つの質量固有値すべてがこの程度以下だと言えるのは,振動実験から $\Delta m^2$ が小さい($\lesssim2.5\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$,第14章)と分かっているからで,直接測定の上限と振動の結果を組み合わせて初めて出る結論である.
定理:世代の数は3つである(軽いニュートリノについて)
$Z$ ボソンは,質量が $m_Z/2$ より軽いあらゆるフェルミオン対に崩壊できる.したがって全崩壊幅は
$$ \Gamma_Z = \Gamma_{\mathrm{had}} + 3\Gamma_{\ell\ell} + N_\nu\,\Gamma_{\nu\nu} $$と書ける.$\Gamma_{\nu\nu}$ は理論から $167\ \mathrm{MeV}$ と計算できるので,$\Gamma_Z$ を測れば $N_\nu$ が数えられる.ニュートリノは検出器に何も残さないが,共鳴の幅を広げるという形で存在を主張する.
LEP(1989–1995年,CERN の $e^+e^-$ 衝突型加速器)は $Z$ を約 $1700$ 万個作り,共鳴曲線を精密に測った.結果は
$$ N_\nu = 2.984\pm0.008 $$$N_\nu=2$ や $4$ は完全に排除される.すなわち,$m_Z/2 = 45.6\ \mathrm{GeV}$ より軽いニュートリノをもつ世代は,ちょうど3つしかない.図2.7 の3列構造は,このように直接測られている.
2.11.2 発見の年表
| 年 | 粒子 | 発見者 | 実験手法・検出器材料 |
|---|---|---|---|
| 1897 | 電子 | J. J. Thomson | 真空放電管,電場・磁場による偏向 |
| 1911 | 原子核 | Rutherford, Geiger, Marsden | $\alpha$ 線散乱,ZnS 蛍光板(目視) |
| 1919 | 陽子 | Rutherford | $^{14}\mathrm{N}(\alpha,p)^{17}\mathrm{O}$,シンチレーション計数 |
| 1923 | 光子(運動量) | Compton | Mo $K\alpha$ X線+黒鉛標的,方解石 Bragg 分光器 |
| 1932 | 中性子 | Chadwick | Be+$\alpha$,パラフィン反跳陽子,電離箱 |
| 1932 | 陽電子 | Anderson | 霧箱(過飽和蒸気)+$1.5\ \mathrm{T}$ 磁場+鉛板 $6\ \mathrm{mm}$ |
| 1937 | ミュオン | Neddermeyer, Anderson ら | 霧箱,宇宙線 |
| 1947 | $\pi$ 中間子 | Lattes, Occhialini, Powell | 原子核乾板(AgBr/ゼラチン),高山曝露 |
| 1947 | $V$ 粒子($K^0$,荷電 $K$) | Rochester, Butler | 磁場付き霧箱,宇宙線 |
| 1955 | 反陽子 | Chamberlain, Segrè ら | Bevatron $6.2\ \mathrm{GeV}$,飛行時間+チェレンコフ |
| 1956 | ニュートリノ | Reines, Cowan | 原子炉,$\mathrm{CdCl_2}$ 水溶液+液体シンチレータ,遅延同時計数 |
| 1962 | $\nu_\mu$ | Lederman, Schwartz, Steinberger | AGS,$13.5\ \mathrm{m}$ 鉄遮蔽,Al スパークチェンバー |
| 1964 | $\Omega^-$ | Samios ら | BNL 80 インチ液体水素泡箱 |
| 1969 | パートン(クォーク) | SLAC–MIT | 深非弾性 $ep$ 散乱,磁気スペクトロメータ |
| 1973 | 中性カレント | Gargamelle 共同実験 | $\mathrm{CF_3Br}$ 重液泡箱 $12\ \mathrm{m^3}$ |
| 1974 | $J/\psi$(チャーム) | Ting(BNL),Richter(SLAC) | 鉛ガラスチェレンコフ/Mark I 磁気検出器 |
| 1975 | $\tau$ | Perl ら | SPEAR,Mark I |
| 1977 | $\Upsilon$(ボトム) | Lederman ら(E288) | Fermilab,$\mu^+\mu^-$ 対スペクトロメータ |
| 1979 | グルーオン | TASSO ら(PETRA) | 3ジェット事象,ドリフトチェンバー |
| 1983 | $W^\pm$, $Z^0$ | UA1(Rubbia),UA2 | CERN S$p\bar p$S,ドリフトチェンバー+カロリメータ |
| 1995 | トップクォーク | CDF, D0 | Tevatron,シリコン頂点検出器($b$ タグ) |
| 1998 | ニュートリノ振動 | Super-Kamiokande | $50$ kt 純水チェレンコフ+$50\ \mathrm{cm}$ 光電子増倍管 |
| 2000 | $\nu_\tau$ | DONUT | 原子核乾板($\tau$ のキンク飛跡を $\mu\mathrm{m}$ 精度で) |
| 2012 | Higgs ボソン | ATLAS, CMS | LHC,$\mathrm{PbWO_4}$ 結晶カロリメータ/シリコン飛跡検出器 |
| 検出器 | 材料・媒質 | 動作原理 | 典型分解能 |
|---|---|---|---|
| 霧箱 | 過飽和の水・エタノール蒸気 | イオンを凝結核とする液滴生成 | 位置 $\sim1\ \mathrm{mm}$ |
| 原子核乾板 | AgBr 微結晶/ゼラチン | 潜像核の生成,現像で銀粒子 | 位置 $\sim1\ \mu\mathrm{m}$ |
| 泡箱 | 過熱液体 $\mathrm{H_2}$($27\ \mathrm{K}$),$\mathrm{CF_3Br}$ | イオンを核とする沸騰 | 位置 $\sim100\ \mu\mathrm{m}$,3次元 |
| ガス検出器 | Ar–$\mathrm{CH_4}$ など($W=26\ \mathrm{eV}$/対) | 電子雪崩による増幅 | 位置 $\sim100\ \mu\mathrm{m}$ |
| 無機シンチレータ | NaI(Tl),$\mathrm{PbWO_4}$,LYSO | 励起子再結合による発光 | $\Delta E/E\sim7\%$(NaI, $511\ \mathrm{keV}$) |
| 有機シンチレータ | ポリビニルトルエン,液体(+Gd, Cd) | $\pi$ 電子系の蛍光 | 時間 $\sim100\ \mathrm{ps}$ |
| 半導体検出器 | 高純度 Ge($\epsilon=2.96\ \mathrm{eV}$),Si($3.6\ \mathrm{eV}$) | 電子・正孔対の直接収集 | $\Delta E=1.0\ \mathrm{keV}$(Ge, $511\ \mathrm{keV}$)/位置 $10\ \mu\mathrm{m}$(Si) |
| チェレンコフ検出器 | 純水,エアロゲル,石英 | $v>c/n$ での円錐状発光 | 速度 $\beta$ の直接測定 |
2.11.3 何が説明できて,何ができないか
標準模型は,これまでに行われたほぼすべての加速器実験を説明する.精度の一例を挙げれば,電子の異常磁気モーメント $a_e=(g-2)/2$ は,$g$ の値として数えれば $12$–$13$ 桁,$a_e$ 自身として数えれば約 $10$ 桁の精度で理論と実験が一致している(どの量で桁を数えるかで言い方が変わる.また理論側の不確かさは,入力する $\alpha$ の独立測定の精度で決まる).物理学史上,これほど精密に検証された理論は他にない.
それでも,標準模型は最終理論ではない.説明できないことを列挙しておく.
| 問題 | 内容 | 本書での扱い |
|---|---|---|
| ニュートリノ質量 | 標準模型では厳密にゼロ.しかし振動が観測されている($\Delta m^2_{32}=2.45\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$) | 第14章 |
| 暗黒物質 | 宇宙のエネルギー密度の $27\%$.標準模型に候補がない | 第15章 |
| 物質・反物質の非対称 | CP 対称性の破れが $10$ 桁足りない | 第6章・第15章 |
| 重力 | そもそも含まれていない.$M_{\mathrm{Pl}}=1.22\times10^{19}\ \mathrm{GeV}$ | 第15章 |
| 階層性問題 | なぜ $m_H = 125\ \mathrm{GeV}$ が $M_{\mathrm{Pl}}$ まで持ち上がらないのか | 第15章 |
| 強い CP 問題 | $\theta_{\mathrm{QCD}}<10^{-10}$ が説明できない | 第15章 |
| 世代の数と質量 | なぜ3世代か.なぜ $m_t/m_u\approx8\times10^4$ か | 未解決 |
材料科学の読者へ:これは「有効理論」の話である
標準模型に $19$ 個の自由パラメータがあり,しかも $10^{19}\ \mathrm{GeV}$ まで有効かどうか分からない,という状況は,材料研究者にはむしろ馴染み深いはずである.
密度汎関数理論の交換相関汎関数も,第一原理と呼ばれながら経験的なパラメータを含み,適用範囲が限られる.古典分子動力学の力場は,電子構造という「より基本的な層」を積分して消した有効理論である.どちらも「あるエネルギー・長さスケールで正しく,その外では別の理論に受け渡す」という構造をもつ.
標準模型もそれと同じで,$\mathrm{TeV}$ スケールまでは驚くほど正確に働く有効場の理論である.重要なのは,「どのスケールまで有効か」を理論自身が教えてくれることであり,Fermi 理論が $300\ \mathrm{GeV}$ で破綻すると自ら宣言していた(2.10節)ように,標準模型も自らの限界の目印をいくつか残している.それを追うのが現在の素粒子物理学である.
2.12 まとめと演習
2.12.1 まとめ
- 新粒子は「説明できない一つの事実」から要求される.$q/m$ の異常(電子),大角度散乱の頻度(原子核),波長シフト(光子の運動量),核力の到達距離(中間子),負エネルギー解(反粒子),連続スペクトル(ニュートリノ),随伴生成と長寿命(ストレンジネス),$\Delta^{++}$ のスピン統計(色),$K_L\to\mu\mu$ の抑制(チャーム).どれも同じ形の推論である.
- Rutherford の散乱公式 $\dd\sigma/\dd\Omega\propto\sin^{-4}(\theta/2)$ は,標的が点であることの帰結である.公式からのずれが内部構造を教える.この論法が陽子の形状因子,そしてクォークの発見まで一直線につながり,材料分析では RBS として使われている.
- Compton 波長 $\lambda_C=h/(m_ec)=2.426\ \mathrm{pm}$.4元運動量を2乗して測らない粒子を消すという技法が,本書で繰り返し使う道具である.Compton ピークの「幅」は電子運動量密度 $n(\bm p)$ を与える.
- 到達距離と質量は $R\sim\hbar/(mc)$ で結ばれる.$\pi$($140\ \mathrm{MeV}$)で $1.4\ \mathrm{fm}$,$W$($80\ \mathrm{GeV}$)で $2.5\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$.同じ関数形が金属の Thomas–Fermi 遮蔽と超伝導体の London 侵入長に現れ,「実効的な光子質量」として読み替えられる(ただし常伝導金属で読み替えられるのは静的な縦応答に限る.横波の光子まで質量を得るのは超伝導体である).
- Dirac の空孔=半導体の正孔.ギャップ $2m_ec^2=1.022\ \mathrm{MeV}$ を $E_g$ に置き換えれば論理は同一である.陽電子消滅分光は,寿命で空孔濃度を,Doppler 幅と角度相関で電子運動量分布を測る.
- Gell-Mann–西島の関係式 $Q=I_3+(B+S)/2$ は,$(I_3,Y)$ 平面という2次元の秩序を示唆し,SU(3) の八重項・十重項,そしてクォーク模型に至った.同じ形の式は電弱理論で $Q=T_3+Y/2$($Y$ は弱ハイパー荷.第12章)として再登場する.
- $\Delta^{++}=uuu$ の Fermi 統計問題が色を要求した.色の数は $R$ 比 $=N_c\sum q_i^2$ で直接数えられ,$N_c=3$ である.
- Fermi 理論は $\sqrt s\approx300\ \mathrm{GeV}$ でユニタリティを破る.重い $W$ を入れることで救われ,$G_F/\sqrt2 = g^2/(8m_W^2)$.弱い力が弱いのは結合が小さいからではなく,$W$ が重いからである($g=0.65 > e=0.30$).
- 標準模型は $\mathrm{SU}(3)_C\times\mathrm{SU}(2)_L\times\mathrm{U}(1)_Y$,3世代,19 パラメータ.世代数は LEP の $Z$ 幅から $N_\nu=2.984\pm0.008$ と直接測られた.ニュートリノ質量・暗黒物質・物質優勢・重力は説明できない.
- どの発見も,その時代に作れた材料の性能で決まった.過飽和蒸気,AgBr 乳剤,液体水素,Cd/Gd 添加シンチレータ,高純度 Ge,シリコンマイクロストリップ,$\mathrm{PbWO_4}$ 単結晶.素粒子実験は,その相当部分が材料開発である.
2.12.2 演習問題
演習2.1 Rutherford 散乱と原子核の大きさ
$\alpha$ 粒子($z_1=2$)を運動エネルギー $E=5.5\ \mathrm{MeV}$ で銀($z_2=47$,$A=108$)に当てる.$e^2/(4\pi\varepsilon_0)=1.44\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使え.
(1) 正面衝突($b=0$)における最近接距離 $d$ を求めよ.
(2) 銀の原子核半径を $R=1.2A^{1/3}\ \mathrm{fm}$ として $R$ を求め,$d$ と比べよ.Rutherford 公式が成り立つと期待できるか.
(3) $d=R$ となる $\alpha$ 粒子のエネルギーを求めよ.これ以上のエネルギーでは何が起きるか.
(4) 式 \eqref{eq:2-b-theta} を使い,$\theta=90^\circ$ に散乱される衝突径数 $b$ を求めよ.
ヒント:(1) $d=z_1z_2\times1.44/E = 2\times47\times1.44/5.5 = 24.6\ \mathrm{fm}$.(2) $R=1.2\times108^{1/3}=5.71\ \mathrm{fm}$,$d\approx4.3R$ なので核に触れず,純 Coulomb 散乱でよい.(3) $E=135.4/5.71=23.7\ \mathrm{MeV}$.これを超えると核力が効き,断面積が公式からずれ始める(そこから核半径が読める).なお $\alpha$ 粒子自身の半径 $1.9\ \mathrm{fm}$ を考慮して $d<R+R_\alpha=7.6\ \mathrm{fm}$ を条件にすると閾値は $17.8\ \mathrm{MeV}$ までさらに下がる.(4) $\cot45^\circ=1$ なので $b=d/2=12.3\ \mathrm{fm}$.
演習2.2 Compton 波長と Compton 端
$hc=1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}=1239.84\ \mathrm{eV\,nm}$ を使え.
(1) 陽子の Compton 波長 $h/(m_pc)$ を fm 単位で求めよ.核子の大きさ($\sim1\ \mathrm{fm}$)と比べて何が言えるか.
(2) Mo $K\alpha$ 線($\lambda=70.9\ \mathrm{pm}$)を $\theta=90^\circ$ で Compton 散乱させたときの $\lambda'$ と,波長の相対的なずれ $\Delta\lambda/\lambda$ を求めよ.
(3) 同じ入射X線について,電子が受け取る運動エネルギーが最大になる散乱角と,そのときの $T_e$(Compton 端)を求めよ.
(4) 可視光($\lambda=500\ \mathrm{nm}$)で同じ実験をしたら $\Delta\lambda/\lambda$ はいくらか.なぜ Compton は X線を使ったのか.
ヒント:(1) $1239.84/938.272 = 1.321\ \mathrm{fm}$.核子の大きさとほぼ同じである.核子程度の領域 $R$ に閉じ込められた構成子は不確定性関係から $\Delta p\gtrsim\hbar/R\sim m_pc/1.3$ の運動量をもつので,軽いクォークにとってこの運動量は静止質量をはるかに超える.内部のクォークは必然的に相対論的である,というのがこの一致の意味である.(2) $\lambda'=73.33\ \mathrm{pm}$,$\Delta\lambda/\lambda = 2.426/70.9 = 3.4\%$.(3) $\theta=180^\circ$,$\lambda'=75.75\ \mathrm{pm}$.$E=17.49\ \mathrm{keV}$,$E'=16.37\ \mathrm{keV}$ より $T_e=1.12\ \mathrm{keV}$.(4) $2.426\ \mathrm{pm}/500\ \mathrm{nm}=4.9\times10^{-6}$.測定不能である.
演習2.3 到達距離・媒介粒子質量・遮蔽長
$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使え.
(1) 力の到達距離が $1.0\ \mathrm{fm}$ であるとき,媒介粒子の質量はいくらか.
(2) $K$ 中間子($m=494\ \mathrm{MeV}$)を交換した場合の到達距離を求めよ.核力に $K$ 交換の寄与が効きにくい理由を述べよ.
(3) 銅の伝導電子密度は $n=8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$ である.$k_F=(3\pi^2n)^{1/3}$ から $k_F$ を求め,原子単位($1\ \mathrm{a.u.}=1.8897\ \text{Å}^{-1}$)に直したうえで $k_{\mathrm{TF}}^2=4k_F/(\pi a_0)$ から Thomas–Fermi 遮蔽長 $\lambda_{\mathrm{TF}}$ を求めよ.
(4) (3) の $\lambda_{\mathrm{TF}}$ を「実効的な光子質量」に換算せよ.
ヒント:(1) $m=197.3\ \mathrm{MeV}$.(2) $R=197.327/494=0.40\ \mathrm{fm}$.核子の半径より短く,しかも $K$ 交換はストレンジネスを変えるので核子どうしの力には寄与しない.(3) $k_F=1.36\ \text{Å}^{-1}=0.719\ \mathrm{a.u.}$,$k_{\mathrm{TF}}=\sqrt{4\times0.719/\pi}=0.957\ \mathrm{a.u.}=1.81\ \text{Å}^{-1}$,$\lambda_{\mathrm{TF}}=0.55\ \text{Å}$.(4) $197.327\ \mathrm{MeV\,fm}/(5.5\times10^4\ \mathrm{fm})=3.6\ \mathrm{keV}$.
演習2.4 β崩壊の運動学とニュートリノ質量
$m_n=939.565$,$m_p=938.272$,$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$ とする.
(1) $Q$ 値 $Q=m_n-m_p-m_e$ を求めよ.
(2) 仮に2体崩壊 $n\to p+e^-$ が起きるとして,電子の運動エネルギー $T_e$ を求めよ.(1) の $Q$ とほぼ等しくなる理由を,陽子の反跳エネルギーの大きさから説明せよ.
(3) 実際の3体崩壊 $n\to p+e^-+\bar\nu_e$ では,$T_e$ が $0$ から $Q$ まで連続に分布する.$T_e$ が最大になるのはどういう運動学のときか.
(4) トリチウムのβ崩壊($Q=18.6\ \mathrm{keV}$)で $m_\nu=0.45\ \mathrm{eV}$ を見分けるには,端点エネルギーを何桁の精度で測る必要があるか.
ヒント:(1) $Q=0.782\ \mathrm{MeV}$.(2) $E_e=(m_n^2+m_e^2-m_p^2)/(2m_n)=1.2922\ \mathrm{MeV}$ より $T_e=0.781\ \mathrm{MeV}$.陽子の反跳運動エネルギーは $p_e^2/(2m_p) = (1.187)^2/(2\times938.272)\ \mathrm{MeV} \approx 0.75\ \mathrm{keV}$ しかない.(3) ニュートリノの運動量がゼロ(電子と陽子が反対向きに飛ぶ)のとき.(4) $0.45\ \mathrm{eV}/18.6\ \mathrm{keV}=2.4\times10^{-5}$,すなわち5桁の精度が要る.
演習2.5 Gell-Mann–西島の関係式を使いこなす
式 \eqref{eq:2-gmn} $Q=I_3+(B+S)/2$ について答えよ.
(1) $\Sigma^0$($I=1$, $I_3=0$, $B=1$, $S=-1$)と $\Xi^0$($I=1/2$, $I_3=+1/2$, $B=1$, $S=-2$)の電荷を計算し,実際の値と合うことを確かめよ.
(2) 反陽子 $\bar p$ の $I_3$, $B$, $S$ を書き,式が正しく $Q=-1$ を与えることを示せ.
(3) チャームクォークが加わると,式は $Q=I_3+(B+S+C)/2$ に拡張される($C$ はチャーム数).$D^+=c\bar d$($I_3=+1/2$, $B=0$, $S=0$, $C=+1$)の電荷を求めよ.
(4) $u$, $d$, $s$ クォーク自身について式が成り立つことを確かめよ.なぜハドロンでもクォークでも同じ式が成り立つのか説明せよ.
ヒント:(1) $\Sigma^0$:$0+(1-1)/2=0$ ✓.$\Xi^0$:$1/2+(1-2)/2=0$ ✓.(2) 反粒子はすべての加法的量子数の符号が反転するので $I_3=-1/2$, $B=-1$, $S=0$,$Q=-1/2-1/2=-1$ ✓.(3) $Q=1/2+1/2=+1$ ✓.(4) 表2.6 を見よ.$Q$, $I_3$, $B$, $S$ がすべて加法的量子数だから,構成子で成り立てば和をとった複合系でも成り立つ.
演習2.6 十重項の等間隔則と $\Omega^-$
$m(\Delta)=1232$,$m(\Sigma^*)=1385$,$m(\Xi^*)=1533\ \mathrm{MeV}$ とする.
(1) 行間の質量差を求め,等間隔則がどの程度成り立っているか述べよ.
(2) 等間隔則から $\Omega^-$ の質量を予言し,実測値 $1672.45\ \mathrm{MeV}$ との相対誤差を求めよ.
(3) $\Omega^-$ は $S=-3$ である.ストレンジネスを保つ強い崩壊の終状態として最も軽いのは $\Xi K$ である.$m(\Xi^0)=1314.9$,$m(K^-)=493.7\ \mathrm{MeV}$ を使って閾値を計算し,$\Omega^-$ が強い相互作用で崩壊できないことを示せ.
(4) (3) の結果から $\Omega^-$ の寿命はどのくらいと予想されるか.泡箱で飛跡が見えることと整合するか($\tau=8.2\times10^{-11}\ \mathrm{s}$,$\beta\gamma\approx2$ として飛行距離を計算せよ).
ヒント:(1) $153$, $148\ \mathrm{MeV}$.差は $5/150.5 = 3.3\%$ なので,約 $3\%$ の精度で等間隔である.(2) $1533+150.5=1683.5\ \mathrm{MeV}$,誤差 $0.66\%$.(3) 閾値 $=1314.9+493.7=1808.6\ \mathrm{MeV} > 1672.45\ \mathrm{MeV}$ なので開いていない.$\Xi\pi$ なら軽いが $\Delta S=1$ で強い相互作用では禁止.(4) 弱い崩壊なので $10^{-10}\ \mathrm{s}$ 級.$\ell=\beta\gamma c\tau = 2\times3\times10^8\times8.2\times10^{-11} = 4.9\ \mathrm{cm}$.泡箱で十分に見える長さである.
演習2.7 $R$ 比で色の数を数える
式 \eqref{eq:2-Rratio} $R=N_c\sum_iq_i^2$ を使う.
(1) $\sqrt s = 2.5\ \mathrm{GeV}$($u,d,s$ のみ),$7\ \mathrm{GeV}$($+c$),$30\ \mathrm{GeV}$($+b$)における $R$ を $N_c=3$ として求めよ.
(2) $N_c=1$ ならどうなるか.実測値(それぞれ約 $2.2$, $3.6$, $3.9$)と比較して,どちらが支持されるか述べよ.
(3) 仮に $\sqrt s > 2m_t = 345\ \mathrm{GeV}$ の $e^+e^-$ 衝突器があれば $R$ はいくらになるか.
(4) 1次の QCD 補正は $R\to R(1+\alpha_s/\pi)$ で与えられる.$\sqrt s=30\ \mathrm{GeV}$ で $\alpha_s=0.14$ として補正後の値を求め,実測 $3.9$ と比べよ.
ヒント:(1) $2$, $10/3=3.33$, $11/3=3.67$.(2) それぞれ $0.67$, $1.11$, $1.22$ で実測の $1/3$.$N_c=3$ が支持される.(3) $\sum q_i^2 = 3\times\frac49+3\times\frac19=\frac{15}{9}$ より $R=5$.(4) $3.67\times(1+0.0446)=3.83$.実測 $3.9$ とよく合う.
演習2.8 陽電子消滅分光の数値
$m_ec^2=511\ \mathrm{keV}$,運動量の原子単位 $1\ \mathrm{a.u.}$ はエネルギーに直すと $3.729\ \mathrm{keV}$($=\hbar c/a_0$)である.
(1) 静止した $e^+e^-$ 対が2光子に消滅するとき,各光子のエネルギーと相対角度を求めよ.
(2) 銅(演習2.3 で $p_F=0.719\ \mathrm{a.u.}$)について,Fermi 面の縁の電子と消滅したときの 2光子角度相関のずれ $\Delta\theta=p_T/(m_ec)$ と,Doppler シフト $\Delta E=p_Lc/2$ を求めよ.
(3) アルミニウム($\tau_b=166\ \mathrm{ps}$,$\tau_v=245\ \mathrm{ps}$)で平均寿命 $\bar\tau=180\ \mathrm{ps}$ が測定された.式 \eqref{eq:2-trapping} から捕獲率 $\kappa$ を求め,比捕獲率 $\mu_v=2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)として空孔濃度 $C_v$ を見積もれ.
(4) (2) の Doppler シフトを分解するのに必要な検出器を,式 \eqref{eq:2-fano} を使って検討せよ.高純度 Ge($\epsilon=2.96\ \mathrm{eV}$, $F=0.13$)は使えるか.
ヒント:(1) 各 $511\ \mathrm{keV}$,$180^\circ$.(2) $p_Fc = 0.719\times3.729 = 2.68\ \mathrm{keV}$.$\Delta\theta = 2.68/511 = 5.2\ \mathrm{mrad}$,$\Delta E = 1.34\ \mathrm{keV}$.(3) $\kappa = (1/166)\times(180-166)/(245-180)\ \mathrm{ps^{-1}} = 1.30\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$,$C_v = 1.30\times10^{9}/(2.0\times10^{14}) = 6.5\times10^{-6}$(約 $6.5\ \mathrm{ppm}$).(4) $\Delta E_{\mathrm{FWHM}}=2.355\sqrt{0.13\times2.96\times5.11\times10^5}\ \mathrm{eV}=1.04\ \mathrm{keV}$.$1.34\ \mathrm{keV}$ のシフトと同程度なので,かろうじて分解できる.これが Ge を使う理由である.
参考文献
- D. Griffiths『素粒子物理学』(Introduction to Elementary Particles, 2nd revised ed., Wiley-VCH, 2008)第1章.本章の底本.
- A. Pais, Inward Bound: Of Matter and Forces in the Physical World, Oxford University Press (1986). 一次文献に当たった素粒子物理史の決定版.
- H. Yukawa, "On the Interaction of Elementary Particles I", Proc. Phys.-Math. Soc. Japan 17, 48 (1935).
- C. M. G. Lattes, H. Muirhead, G. P. S. Occhialini, C. F. Powell, "Processes Involving Charged Mesons", Nature 159, 694 (1947). 原子核乾板による $\pi\to\mu\to e$ の発見.
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