第1章材料科学者のための素粒子物理学 — なぜ学ぶのか
材料科学を専門とする者にとって,素粒子物理学は最も縁遠い分野に見えるかもしれない.こちらは室温の結晶の中を数 eV の電子が動く話をしているのに,あちらは 7 兆 eV の陽子どうしを正面衝突させている(重心系エネルギー 13.6 兆 eV).エネルギーにして 13 桁の隔たりがある.関係があるはずがない,と思うのが自然である.
しかし,この本を書こうと思った動機は,まさにその直観が間違っているという確信にある.半導体の正孔は,Dirac が反粒子を導いたときと同じ引き算の論理で定義された粒子である.超伝導は(大域的)U(1) 対称性の自発的破れであり,南部陽一郎はこれを見て対称性の自発的破れによる質量生成を着想した.それを Anderson と Higgs らがゲージ場の質量生成へと発展させたものが Higgs 機構である.Majorana 粒子は,いま素粒子実験でニュートリノの正体として探されている一方で,トポロジカル超伝導体の端に量子計算の素子として作り込まれようとしている.そして核融合炉の第一壁材料に損傷が入る速さ(dpa 率・He 生成率)を決めているのは,核反応の断面積という素粒子・原子核物理の量そのものである.
つまり,素粒子物理学と材料科学は「同じ道具を,違うエネルギースケールで使っている」.道具とは,場の量子論であり,対称性の破れであり,散乱断面積であり,Feynman ダイアグラムである.片方で身につけた道具の大部分は,もう片方でもそのまま通用する.何が違うか(Lorentz 不変性,多体効果,スケール)を意識していれば,二度ゼロから学ぶ必要はない.
本章では,この主張を比喩でなく式で示す.たとえば真空の絶縁破壊(Schwinger 効果)と半導体の Zener 降伏は,どちらも
$$ \Gamma \;\propto\; \exp\!\left(-\pi \frac{F_{\mathrm{c}}}{F}\right) $$という同じ形の式で書け,違いは臨界電場 $F_{\mathrm{c}}$ の値が $1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$(真空)か $3.5\times10^{8}\ \mathrm{V/m}$(Si)かだけである.こうした「同じ式」を本章でいくつも並べる.それが,読者に残りの15章を読む動機を与えるはずだと考えている.
- 材料科学者が素粒子物理学を学ぶべき5つの理由と,本書全体の見取り図
- $10^{-3}\ \mathrm{eV}$ のフォノンから $10^{13}\ \mathrm{eV}$ の LHC までのエネルギースケールの地図,および両分野が実際に出会う keV〜MeV 領域
- Dirac の海と半導体の価電子帯が同じ図であること,正孔と陽電子の対応と相違点
- Schwinger 対生成と Zener 降伏が同じ指数関数で書けること
- 超伝導が(大域的)U(1) 対称性の自発的破れであること,Meissner 効果が静的な横応答の範囲で「光子が質量をもつこと」と同じ内容であること,London 侵入長 $=$ 光子の換算 Compton 波長
- Bogoliubov–de Gennes 方程式が Dirac 方程式と同じ形であること,超伝導ギャップ $\Delta$ が質量 $m$ の役を演じること
- Majorana 条件 $\gamma=\gamma^\dagger$ の意味と,トポロジカル超伝導体の端に現れる Majorana 零モード
- DT 核融合反応の運動学,14 MeV 中性子の発生と第一壁のはじき出し損傷(dpa)の見積もり
- 素粒子を材料の「ものさし」として使う手法($\mu$SR,陽電子消滅,中性子散乱,Compton 散乱)とその数値
- 自然単位系 $\hbar=c=1$ の規約,$\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ の使い方,barn と GeV$^{-2}$ の換算
1.1 「素粒子は材料と無関係」という誤解
1.1.1 5つの理由
本書の主張を先に述べる.材料科学を専門とする者が素粒子物理学を学ぶ理由は,次の5つである.順に,抽象度の高いものから実用的なものへ並べてある.
理由1:同じ方程式を二度学ばずに済む
Dirac 方程式,Bogoliubov–de Gennes 方程式,$k\cdot p$ 摂動論による Kane 模型,グラフェンの2次元質量ゼロ Dirac 方程式 —— これらはすべて反交換する行列の線形結合という同じ代数構造をもち,低エネルギーで線形化すれば同じ形の一階微分方程式に帰着する(BdG の $\xi_\kk$ や Kane 模型の $k^2$ 項のように,もとの式には2次の項が残っていてもよい).
$$ \left(\ii\gamma^\mu\partial_\mu - m\right)\psi = 0 $$という一本の式を第9章で丁寧に理解しておけば,グラフェンのディラック錐も,トポロジカル絶縁体の表面状態も,超伝導体の準粒子も,同じ道具で扱える.物性の教科書ではこれらが別々の章で別々の記号で導入されるので,同じものだと気づきにくい.
理由2:対称性の破れという共通言語は,物性から素粒子へ渡り,また戻ってきた
自発的対称性の破れという概念は,Landau の相転移論と BCS 理論という物性物理の側で生まれた.南部陽一郎は 1960 年に,BCS 状態のゲージ不変性を回復させる集団モード(Coulomb 相互作用を切れば質量ゼロの位相モードになる)の存在を見抜き,これを素粒子に転用して,カイラル対称性の自発的破れで核子が質量を得る機構と,そのとき現れる質量ゼロの南部–Goldstone ボソンを提案した(1961).さらに Anderson(1963)と Higgs ら(1964)が,ゲージ場があれば Goldstone ボソンが吸収されてゲージ場自身が質量を得ることを示し(Anderson–Higgs 機構),2012 年の Higgs 粒子発見に至る.
そして現在,その言語は物性側に還流している.「秩序変数」「ゲージ場が質量を得る」「トポロジカル欠陥」といった語彙は,いまや両分野でかなりの程度共有されている.片方だけを知っていると,もう一方の論文が読みにくい.
理由3:素粒子は材料を測る「ものさし」である
ミュオン(加速器で作った $\pi$ の崩壊),陽電子($^{22}$Na 線源の $\beta^+$ 崩壊,または加速器ベースの低速陽電子ビーム),中性子(研究用原子炉・核破砕中性子源)は,いずれも素粒子・原子核物理が扱う粒子でありながら(このうち中性子は3個のクォークからなる複合粒子である),材料の内部を非破壊で覗くための標準的なプローブになっている.$\mu$SR は $10^{-5}\ \mathrm{T}$ 級の微弱な内部磁場を検出でき,陽電子消滅は $10^{-6}$ 程度の濃度の空孔を検出できる.いずれも他の手法では得にくい種類の情報(ゼロ磁場での局所磁場分布,空孔の体積と化学環境)を,非破壊で与える手法である.1.6 節で数値とともに整理する.
理由4:核融合炉材料の寿命は核反応断面積が決める
DT 核融合が出す 14 MeV の中性子は,第一壁材料の原子を格子位置からはじき出し,さらに $(n,\alpha)$ 反応でヘリウムを生成して結晶粒界を脆化させる.どれだけの損傷がどの速さで入るかは,中性子の散乱断面積と反応断面積という,まさに原子核・素粒子物理の量で決まる.1.5 節で $\mathrm{dpa}$(displacements per atom)を実際に見積もる.
理由5:計算手法そのものが場の量子論である
第一原理計算の高精度化に使われる $GW$ 近似,超伝導転移温度を計算する Migdal–Eliashberg 理論,動的平均場理論(DMFT)—— これらはすべて Feynman ダイアグラムの言葉で定式化されている.ダイアグラムの規則そのものは第8章で素粒子の散乱に対して導くが,同じ規則が物性の多体問題にそのまま使える(線形応答理論入門 付録C で扱った Feynman ダイアグラムは,本書第8章のものと同じ論理である).
1.1.2 「同じ道具」の対応表
先に結論を表にしておく.表1.1 の各行が,本書のどこかの章で式として示される.最右列に「第1章」とある行(反粒子と正孔,対生成の閾値,真空の絶縁破壊,ゲージ対称性の自発的破れ,ゲージ場の質量,Nambu スピノル,散乱断面積)は,本章 1.2〜1.5 節でこれから扱うものである.
| 共通の道具 | 素粒子物理での姿 | 材料科学での姿 | 本書 |
|---|---|---|---|
| Dirac 方程式 $(\ii\slashed\partial-m)\psi=0$ | 電子・ミュオン・クォーク | グラフェン,Weyl 半金属,Kane 模型 | 第9章 |
| 反粒子(負エネルギー解) | 陽電子 $e^+$ | 半導体の正孔 | 第1・9章 |
| 対生成の閾値 | $\gamma\to e^+e^-$,$2m_ec^2=1.022$ MeV | 光吸収による電子正孔対生成,$E_g$ | 第1・10章 |
| 真空の絶縁破壊 | Schwinger 効果,$F_{\mathrm{c}}=1.32\times10^{18}$ V/m | Zener 降伏,$F_c\sim10^{8\text{–}9}$ V/m | 第1章 |
| ゲージ対称性の自発的破れ | Higgs 機構($\mathrm{SU}(2)_L\times\mathrm{U}(1)_Y$),$m_W=\frac12 g v$ | BCS 超伝導(U(1)),秩序変数 $\Delta\ee^{\ii\varphi}$ | 第1・13章 |
| ゲージ場の質量 | $W,Z$ ボソンの質量 | Meissner 効果,London 侵入長 $\lambda_L$ | 第1・13章 |
| Nambu スピノル・質量項 | Dirac 質量 $m\bar\psi\psi$ | BdG のギャップ $\Delta$ | 第1・9・14章 |
| Majorana 条件 $\psi^c=\psi$ | Majorana ニュートリノ,$0\nu\beta\beta$ | トポロジカル超伝導体の端状態 | 第14章 |
| 散乱断面積 $\sigma$ | $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ | 中性子照射損傷,dpa,He 生成 | 第1・16章,付録B |
| Feynman ダイアグラム | 摂動論による散乱振幅 | $GW$ 近似,Eliashberg 方程式 | 第8章 |
| くりこみ群 | 結合定数の走り $\alpha_s(Q^2)$ | 臨界現象,近藤効果 | 第11・15章 |
1.1.3 エネルギースケールの地図
両分野の距離を実感するために,まずエネルギーの対数目盛の上に,物理現象を並べてみよう.横軸は $\log_{10}(E/\mathrm{eV})$ である.
物理的意味:13桁離れているのに同じ式が使える理由
図1.1 を見ると,材料科学と素粒子物理の間には確かに大きな隔たりがある.にもかかわらず表1.1 のような対応がつくのはなぜか.答えは有効理論(effective theory)という考え方にある.
低エネルギーの物理は,高エネルギーの詳細に依らない.結晶中の伝導電子を記述するのに原子核の内部構造は要らないし,Si のバンド構造を計算するのにクォークは要らない.ある尺度で系を見ると,そこに残る自由度と,それを支配する対称性だけが物理を決める.そして対称性が同じなら,スケールが違っても方程式は同じ形になる.
グラフェンの低エネルギー励起が Dirac 方程式に従うのは,蜂の巣格子の2副格子構造が擬スピンの自由度を与え,$C_3$ 対称性と時間反転対称性が $K$ 点での線形交差を保護するからであって,炭素原子が相対論的だからではない(実際 Fermi 速度は $v_F\approx c/300$ である).超伝導体で光子が質量を得るのも,Higgs 場が凝縮して $W$ が質量を得るのも,「凝縮したスカラー場に結合する局所ゲージ対称性が自発的に破れると,そのゲージ場が質量を得る」という同じ機構(Anderson–Higgs 機構)だからである.破れる群は超伝導では U(1),電弱理論では $\mathrm{SU}(2)_L\times\mathrm{U}(1)_Y\to\mathrm{U}(1)_{\mathrm{em}}$ で同じではないが(U(1) の場合が Abelian Higgs 模型であり,第13章 13.9 節で超伝導と項ごとに対応させる),構造は同じである.共通しているのは対称性であって,エネルギーではない.これが本書全体を貫く論理である.
1.2 電子と正孔は粒子と反粒子である
最初の,そしておそらく最も直接的な接点から始める.半導体物理を学んだ者なら誰でも知っている正孔(hole)は,Dirac が 1930–31 年に空孔理論から反粒子を導いたときの「満ちた海から1個引く」という引き算と,同じ論理で定義されている(歴史的には Peierls(1929)による Hall 係数の符号の解釈が先行し,Heisenberg(1931)が Dirac 空孔との対応を明示した).
1.2.1 Dirac の海
第9章で詳しく導くが,自由な相対論的電子の従う Dirac 方程式は,運動量 $\pp$ に対して2つの符号のエネルギー固有値をもつ.
$$ \begin{equation} E_\pm(\pp) = \pm\sqrt{\pp^2c^2 + m_e^2c^4} \label{eq:1-dirac-E} \end{equation} $$これは,$E^2 = \pp^2c^2+m^2c^4$ という相対論の関係式の平方根を取るときに,正負どちらの符号も捨てられないことから来る.負の解を捨てられない理由は,正エネルギー解だけでは4成分の完全系をなさず(局在した波束すら作れず),相互作用があれば正エネルギー状態から負エネルギー状態への遷移が必ず起こるからである(詳細は第9章 9.4.1 項).
負エネルギー状態が存在すると,正エネルギーの電子は光子を放出してそこへ落ちてしまい,どこまでも落ち続けることになる.物質が安定に存在している事実と矛盾する.Dirac の解決策は大胆であった.
Dirac の海(1930)
真空とは,「何もない」状態ではなく,すべての負エネルギー状態が電子で満たされた状態である.Pauli の排他律により,正エネルギーの電子はもはやそこへ落ちることができない.
この満たされた負エネルギー状態の集まりを Dirac の海(Dirac sea)と呼ぶ.
ここから決定的な帰結が出る.海から1個の電子を叩き出すと,そこに空孔が残る.この空孔の量子数を,海全体を基準として測ってみよう.いま海から取り除いた電子の量子数を,電荷 $-e$,エネルギー $-\abs{E}$,運動量 $\pp$,スピン $\bm{s}$ とする.すると空孔(添字 $h$ で表す)の量子数は,「海の全量子数」から「取り除いた電子の量子数」を引いたものになるので,
つまり空孔は,電荷が $+e$ で,正のエネルギーをもち,電子と同じ質量をもつ粒子のように振る舞う.Dirac はこれを最初,陽子ではないかと考えたが(質量が 1836 倍も違うので無理があった),1932 年に Anderson が霧箱で質量が電子と等しく電荷が正の粒子を発見し,陽電子(positron)$e^+$ と名づけられた.
1.2.2 半導体の価電子帯
まったく同じ論理を,結晶に対して適用する.絶対零度の真性半導体では,価電子帯がすべて占有され,伝導帯が空である.価電子帯から電子を1個取り除くと,正孔が残る.その量子数は,式 \eqref{eq:1-hole-qn} と完全に同じ引き算で決まる.
最後の速度だけは符号が変わらない.なぜなら群速度は $\vv = \hbar^{-1}\partial\varepsilon/\partial\kk$ であり,$\varepsilon$ と $\kk$ の両方が符号を変えるので,比は変わらないからである.一方,有効質量テンソルは
$$ \left(\frac{1}{m^*}\right)_{ij} = \frac{1}{\hbar^2}\frac{\partial^2\varepsilon}{\partial k_i\partial k_j} $$という2階微分なので,$\varepsilon\to-\varepsilon$,$\kk\to-\kk$ で符号が反転する.価電子帯の頂上では電子の有効質量が負(上に凸だから)であり,したがって正孔の有効質量は正になる.「負の質量をもつ電子」を「正の質量をもつ正の電荷」と読み替えるのが正孔の描像であり,これは Dirac の海の読み替えとまったく同じ操作である.
材料科学との接点:LED の発光と電子陽電子対消滅は同じ QED 頂点から計算される
図1.2 の過程を逆に走らせると,対消滅になる.素粒子側では
$$ e^+ + e^- \;\longrightarrow\; 2\gamma \qquad (\text{各光子 } 511\ \mathrm{keV}) $$物性側では
$$ e^- + h^+ \;\longrightarrow\; \gamma \qquad (\hbar\omega \simeq E_g) $$である.これが発光ダイオード(LED)と半導体レーザーの発光機構そのものである.第10章で量子電気力学(QED)の Feynman 則を確立すると,この2つはまったく同じ頂点因子 $\ii g_e\gamma^\mu$(第10章 表10.2 の規約.一般形は $-\ii q\gamma^\mu$ で,電子の電荷は $q=-g_e$)をもつ図から計算されることが分かる.ただし Feynman 図そのものは同じではない:真空では1光子放出が運動学的に禁止されるので $e^+e^-\to2\gamma$ は頂点2個・内線1本の2次の図になり,結晶中の $e^-h^+\to\gamma$ は頂点1個の1次の図で済む.もう一つの違いは,物性側では電子と正孔が結晶ポテンシャル中の Bloch 状態であり,$\gamma$ 行列の代わりにバンド間運動量行列要素 $\braket{c\kk|\bm{p}|v\kk}$(Kane の $P$)が現れる点である.
なお「$e^+e^-\to$ 2光子」が2個で「$e^-h^+\to$ 1光子」が1個なのは,運動量保存の事情が違うためである.真空では静止した対の全運動量がゼロなので1光子には崩壊できない($p_1+p_2=k$ とおくと $(p_1+p_2)^2=s\ge(2m_ec^2)^2 > 0=k^2$ で矛盾する.第4章の運動学,および演習2.8 の解答を参照).一方,結晶は Lorentz 不変な「真空」ではなく,電子・正孔対のエネルギーと結晶運動量がほぼ独立なので,$\kk\approx0$ の対が光子の運動量 $E_g/c$(Brillouin 帯の $10^{-4}$ 程度)を担っても運動学的な矛盾が生じない.直接遷移ならこれで1光子で済み,間接遷移ではさらにフォノンが運動量を補う(1.2.4 項).
1.2.3 対生成の閾値と真空の絶縁破壊
対応はもっと定量的なところまで続く.強い静電場をかけると,真空から電子陽電子対が生成される.これを Schwinger 効果(Sauter–Schwinger 効果)と呼ぶ.指数因子そのものは Sauter(1931),Heisenberg–Euler(1936)にさかのぼり,場の理論として完成させたのが Schwinger(1951)である.単位体積・単位時間あたりの生成率は
$$ \begin{equation} \Gamma_{\text{Schwinger}} = \frac{(eF)^2}{4\pi^3\hbar^2c}\sum_{n=1}^{\infty}\frac{1}{n^2}\exp\!\left(-n\pi\frac{F_{\mathrm{c}}}{F}\right), \qquad F_{\mathrm{c}} = \frac{m_e^2c^3}{e\hbar} \label{eq:1-schwinger} \end{equation} $$である.臨界電場 $F_{\mathrm{c}}$ を計算してみよう.この量は「電子を換算 Compton 波長 $\bar\lambda_C \equiv \hbar/(m_ec)$ だけ加速したときに,ちょうど $m_ec^2$ のエネルギーを与える電場」という明快な意味をもつ.まず $\bar\lambda_C$ は,$\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使えば割り算一つで出る:
$$ \bar\lambda_C = \frac{\hbar}{m_ec} = \frac{\hbar c}{m_ec^2} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{0.511\ \mathrm{MeV}} = 386\ \mathrm{fm} $$したがって
$$ eF_{\mathrm{c}}\,\bar\lambda_C = m_ec^2 \quad\Longrightarrow\quad F_{\mathrm{c}} = \frac{m_ec^2}{e\,\bar\lambda_C} = \frac{m_e^2c^3}{e\hbar} = \frac{0.511\times10^{6}\ \mathrm{V}}{386\times10^{-15}\ \mathrm{m}} = 1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m} $$となる($m_ec^2/e = 0.511\times10^6\ \mathrm{V}$ であることを使った).
一方,半導体のバンドギャップを電場で貫くトンネル過程が Zener 降伏 である.その生成率もまったく同じ形
$$ \begin{equation} \Gamma_{\text{Zener}} \;\propto\; \exp\!\left(-\pi\frac{F_{\mathrm{c}}^{\text{Zener}}}{F}\right) \label{eq:1-zener} \end{equation} $$をとる.式 \eqref{eq:1-schwinger} と \eqref{eq:1-zener} は,指数の中身まで同じ形をしている.なぜそうなるのかを次に示す.
材料科学との接点:Zener 降伏は「真空の絶縁破壊」と同じ式である
この一致は偶然ではない.二バンド(Kane)模型でバンド分散を
$$ \varepsilon_\pm(\kk) = \pm\sqrt{\left(\frac{E_g}{2}\right)^2 + \hbar^2v^2\kk^2} $$と書くと,これは式 \eqref{eq:1-dirac-E} の Dirac 分散で
$$ m_ec^2 \;\longrightarrow\; \frac{E_g}{2}, \qquad c \;\longrightarrow\; v \quad(\text{Kane 速度}) $$と置き換えたものに他ならない($v$ は Kane 速度で,$\hbar v = P$ は Kane パラメータ,すなわち価電子帯・伝導帯間の運動量行列要素 $\braket{s|p_x|x}$ に $\hbar/m_0$ を掛けた「エネルギー×長さ」の次元の量である).したがって Schwinger の結果をそのまま流用でき,臨界電場はギャップと速度だけの一つの式にまとまる.$m_ec^2\to E_{\text{gap}}/2$,$c\to v$ を式 \eqref{eq:1-schwinger} に代入すると,質量は $m^*=E_{\text{gap}}/(2v^2)$ となるから
ここで $E_{\text{gap}}$ は「ギャップの全幅」(真空では $2m_ec^2=1.022\ \mathrm{MeV}$,半導体では $E_g$)である.式 \eqref{eq:1-Fc-unified} に真空の値を入れると $1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$ が戻ってくることを確かめておくとよい(演習1.2).実際の数値は次のようになる.
| 系 | ギャップ $E_{\text{gap}}$ | 速度 $v$ | $F_{\mathrm{c}}$ [V/m] | 実測の絶縁破壊電界(アバランシェ)[V/m] |
|---|---|---|---|---|
| 真空(QED) | 1.022 MeV | $c=3.00\times10^{8}$ m/s | $1.32\times10^{18}$ | 未到達 |
| Si | 1.12 eV | $1.38\times10^{6}$($c/217$) | $3.5\times10^{8}$ | $3\times10^{7}$ |
| GaAs | 1.42 eV | $1.50\times10^{6}$($c/200$) | $5.1\times10^{8}$ | $4\times10^{7}$ |
| Ge | 0.66 eV | $1.52\times10^{6}$($c/197$) | $1.1\times10^{8}$ | $1\times10^{7}$ |
| GaN | 3.4 eV | $1.48\times10^{6}$($c/203$) | $3.0\times10^{9}$ | $3.3\times10^{8}$ |
※ Si と Ge は間接ギャップ半導体であり,二バンド Kane 模型($\Gamma$ 点の直接ギャップに対する模型)に最小ギャップを代入した値は桁の目安である.実際の Zener トンネルはフォノン支援の間接過程で,前置因子も指数も直接ギャップの場合とは異なる.
速度 $v$ はどの半導体でもほぼ $1.5\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$ で,$c$ の約 $1/200$ である.これは Kane パラメータ $E_P=2m_0v^2$ が半導体でおおむね $20$–$26\ \mathrm{eV}$ の範囲に収まることの言い換えである(表の値に対応する $E_P$ は Si 21.7,GaAs 25.6,Ge 26.3,GaN 24.9 eV).ただし GaN の $E_P$ は報告値に幅があり,ウルツ鉱型では $E_P\approx14$–$20\ \mathrm{eV}$ とする文献もある.その場合 $v=1.1$–$1.3\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$,$F_{\mathrm{c}}=3.3$–$4.0\times10^{9}\ \mathrm{V/m}$ となるが,以下の $E_g^2$ 則の議論は変わらない.したがって表1.2 の $F_{\mathrm{c}}$ の違いは,ほぼ $E_g^2$ の違いだけで説明がつく.
実測の破壊電界を見ても,GaN は Si の約11倍であり,$(3.4/1.12)^2=9.2$ 倍という $E_g^2$ 則とよく合っている.ただしこの実測値は,このボックスの末尾で述べるようにアバランシェ(衝突電離)で決まる量であって,Zener(Schwinger 型)トンネルの $F_{\mathrm{c}}$ ではない.アバランシェ破壊電界が $E_g^{2\text{–}2.5}$ に従うのは,衝突電離のしきい値エネルギーがやはり $E_g$ 程度であることに由来する別の経験則である(J. L. Hudgins et al., J. Electron. Mater. 32, 511 (2003)).つまりワイドギャップ材料の高耐圧は2つの機構が同じ向きに支えており,そのうち「トンネルで結晶(真空)が壊れる上限」を定量的に与えるのが Schwinger 型の式である.パワー半導体としてワイドギャップ材料が選ばれる理由の一端を,この式は定性的に説明する.
真空と Si の臨界電場の比は $3.8\times10^{9}$,つまり約10桁である.内訳はギャップ比の2乗 $(1.022\ \mathrm{MeV}/1.12\ \mathrm{eV})^2 = 8.3\times10^{11}$ を速度比 $c/v=217$ で割ったもので,きちんと合う.
実用上の含意:Zener ダイオードが $10^{8}\ \mathrm{V/m}$ 程度で降伏するのは日常的な現象だが,真空を降伏させるには $1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$ が要る.これはレーザー強度に直すと $I=\frac12\varepsilon_0cF_{\mathrm{c}}^2 = 2.3\times10^{29}\ \mathrm{W/cm^2}$ に相当し,現在の最高強度($\sim10^{23}\ \mathrm{W/cm^2}$)よりまだ6桁高い.しかし半導体の中でなら,同じ物理を卓上で観測できる.これが「固体を場の理論の実験室として使う」という考え方の一例である.
ただし注意も要る.実際の半導体の破壊は,Zener トンネルだけでなくアバランシェ増倍(衝突電離)でも起きる.表1.2 の最右列が $F_{\mathrm{c}}$ より1桁小さいのは,通常の pn 接合ではアバランシェの方が先に立ち上がるためである.純粋な Zener トンネルが主役になるのは不純物濃度の高い(空乏層の薄い)接合で,Si では $\sim10^{8}\ \mathrm{V/m}$ 級の電界がかかり,$F_{\mathrm{c}}$ とよく整合する.また文献では同じ指数を有効質量で $\pi\sqrt{m^*}E_g^{3/2}/(2\sqrt{2}\,e\hbar F)$ と書くことが多いが,これは放物線バンド近似ではなく二バンド Kane 模型そのものの結果であり,バンド端質量 $m^*=E_g/(2v^2)$ を代入すれば式 \eqref{eq:1-Fc-unified} と厳密に一致する(換算質量 $m_r=m^*/2$ で書く流儀とは $\sqrt2$ だけ違う).これとは別に,放物線バンドに三角障壁の WKB を当てはめると指数は $4\sqrt{2m^*}E_g^{3/2}/(3e\hbar F)$ となり,$16/(3\pi)\approx1.70$ 倍だけ大きい.いずれも桁の議論には影響しない.
1.2.4 対応の限界 —— 正孔は陽電子ではない
ここまで対応の強さを強調してきたが,混同してはならない相違点も明確にしておかねばならない.教育的な比喩に酔って物理を間違えては本末転倒である.
注意:正孔と陽電子はここが違う
- 正孔は準粒子であり,素粒子ではない.陽電子は真空中に単独で取り出せて,何もない空間を飛んでいける.正孔は結晶がなければ定義すらできない.正孔とは「$10^{23}$ 個の電子の集団運動を,1個の粒子の言葉で言い換えたもの」であって,実体としての粒子ではない.結晶を壊せば正孔は消える.
- 質量の等しさの意味が違う.CPT 定理(第6章)は,粒子と反粒子の質量が厳密に等しいことを要求する.実験でも電子と陽電子の質量は $\abs{m_{e^+}-m_{e^-}}/m_e < 8\times10^{-9}$ の精度で,$g$ 因子は $\abs{g_{e^+}-g_{e^-}}/g_{\text{av}} < 2\times10^{-12}$ の精度で一致している(PDG.第6章の CPT 検証表も参照).一方,正孔の有効質量 $m_h^*$ はバンド構造で決まる量であり,電子の有効質量 $m_e^*$ と一致する理由は何もない.Si では $m_e^*\approx0.26\,m_0$(伝導度有効質量),重い正孔は $m_{hh}^*\approx0.49\,m_0$ で,2倍近く違う.しかも正孔には重い正孔・軽い正孔・スピン軌道分裂バンドの3種類があり,質量が1つに決まらない.
- 電荷だけは厳密に等しい.これは強調に値する.正孔の電荷は近似ではなく厳密に $+e$ である.中性の結晶から電荷 $-e$ の電子を1個取り除けば,残りは電荷保存則により厳密に $+e$ をもつ.Hall 係数の符号が正孔伝導で反転するのは,この厳密な事実の帰結である.
- 相互作用の強さが違う.真空中の $e^+e^-$ は裸の Coulomb 相互作用を感じるが,結晶中の $e^-h^+$ は誘電率 $\varepsilon_r$ で遮蔽された相互作用を感じる.結合の強さが $1/\varepsilon_r$ 倍になり,束縛エネルギーは劇的に下がる(次のボックス).
- 「真空」の一意性が違う.QED の真空は Lorentz 不変であり,どの慣性系から見ても同じである.結晶は特定の静止系を選んでおり,Lorentz 不変ではない.したがって結晶中の「Dirac 的」記述は,あくまで小さい $\kk$ のまわりの有効理論である.
材料科学との接点:励起子は物質中のポジトロニウムである
電子と陽電子は Coulomb 引力で束縛状態をつくる.これを ポジトロニウム(Ps)と呼ぶ.換算質量が $m_e/2$ なので,水素原子の Rydberg エネルギー $13.606\ \mathrm{eV}$ のちょうど半分が基底状態の束縛エネルギーになる.
$$ E_{\mathrm{Ps}} = -\frac{1}{2}\,\mathrm{Ry} = -6.803\ \mathrm{eV}, \qquad a_{\mathrm{Ps}} = 2a_0 = 0.106\ \mathrm{nm} $$結晶中の電子と正孔も同じことをする.これが 励起子(exciton)である.主な違いは,(i) 換算質量が $m_e/2$ から電子・正孔の換算質量 $m_r=m_e^*m_h^*/(m_e^*+m_h^*)$ になること,(ii) Coulomb 相互作用が $\varepsilon_r$ で遮蔽されることの2点であり(実際にはこれに有効質量の異方性・非放物性や中心セル補正が加わる),Rydberg 公式の中の $m_e\to m_r$,$e^2\to e^2/\varepsilon_r$ を機械的に行えば
を得る($\varepsilon_r$ の2乗になるのは,Rydberg が $e^4$ に比例するためである).Si について第7章 表7.8 と同じ $m_r=0.123\,m_0$,$\varepsilon_r=11.7$ を入れると
$$ E_X = -13.606\times\frac{0.123}{11.7^2}\ \mathrm{eV} = -12.2\ \mathrm{meV}, \qquad a_X = 0.0529\times\frac{11.7}{0.123}\ \mathrm{nm} = 5.0\ \mathrm{nm} $$実測の Si の励起子束縛エネルギーは $14.7\ \mathrm{meV}$ であり,桁も大きさもよく合っている(残る差は価電子帯の異方性・非放物性と中心セル補正による).ポジトロニウムの $6.803\ \mathrm{eV}$ と比べると 560 倍小さく,半径は 47 倍大きい.同じ束縛状態の問題を,遮蔽と有効質量でスケールし直しただけである.第7章で扱う束縛状態の理論(ポジトロニウム,チャーモニウム)は,そのまま励起子の理論として読める.
1.3 超伝導は U(1) 対称性の破れである
次は,本書の中心概念である自発的対称性の破れへの接点である.この概念は物性物理で生まれ,素粒子物理に渡って標準模型の骨格になった.その渡り橋を架けたのが南部陽一郎であり,橋の材料は BCS 超伝導理論であった.
1.3.1 大域的 U(1) 対称性とは何か
電子の生成消滅演算子に,全体で同じ位相を掛ける変換を考える.
$$ \begin{equation} c^\dagger_{\kk\sigma} \;\longrightarrow\; \ee^{\ii\theta}c^\dagger_{\kk\sigma}, \qquad c_{\kk\sigma} \;\longrightarrow\; \ee^{-\ii\theta}c_{\kk\sigma} \label{eq:1-u1} \end{equation} $$これを大域的 U(1) 変換という.「U(1)」とは絶対値1の複素数のなす群,すなわち単位円のことである(群論は第5章で扱う).通常のハミルトニアン
$$ \Ham = \sum_{\kk\sigma}\varepsilon_\kk c^\dagger_{\kk\sigma}c_{\kk\sigma} + \frac12\sum V\, c^\dagger c^\dagger c c $$は,$c^\dagger$ と $c$ が必ず同数ずつ現れるので,位相因子 $\ee^{\ii\theta}$ と $\ee^{-\ii\theta}$ が打ち消しあい,変換 \eqref{eq:1-u1} で不変である.Noether の定理(第5章)により,この対称性に対応する保存量が電子数(すなわち電荷)である.
なお,超伝導を「ゲージ対称性の自発的破れ」と呼ぶのは慣用であって,厳密には局所ゲージ対称性は自発的に破れない(Elitzur の定理).破れるのは,いま定義した大域的 U(1) である.超伝導体で光子が質量を得ること(1.3.4 項の Anderson–Higgs 機構)は,ゲージを固定した記述での言い方であり,対称性そのものが破れたわけではない.本書では以後この区別を前提に,慣用表現も併せて用いる.
自発的対称性の破れ
ハミルトニアンがある対称変換 $U$ で不変($U\Ham U^{-1}=\Ham$)であるにもかかわらず,基底状態がその変換で不変でない($U\ket{0}\neq\ket{0}$,位相因子を除いても等しくない)とき,その対称性は自発的に破れているという.
「自発的」というのは,破る外力を何も加えていないのに,系が勝手にひとつの向きを選ぶという意味である.
1.3.2 BCS 基底状態は U(1) で不変でない
BCS 理論の基底状態は
$$ \begin{equation} \ket{\mathrm{BCS}} = \prod_{\kk}\left(u_\kk + v_\kk\, c^\dagger_{\kk\uparrow}c^\dagger_{-\kk\downarrow}\right)\ket{0}, \qquad \abs{u_\kk}^2+\abs{v_\kk}^2=1 \label{eq:1-bcs} \end{equation} $$である.これに変換 \eqref{eq:1-u1} を作用させてみよう.
導出:BCS 状態が U(1) を破ることの確認
ステップ1:変換を状態に作用させる.変換 \eqref{eq:1-u1} を生むユニタリ演算子は,粒子数演算子 $\hat N=\sum_{\kk\sigma}c^\dagger_{\kk\sigma}c_{\kk\sigma}$ を使って
$$ V(\theta) = \ee^{\ii\theta\hat N} $$と書ける.交換関係 $[\hat N, c^\dagger_{\kk\sigma}]=+c^\dagger_{\kk\sigma}$(生成演算子は粒子数を1増やす)から
$$ V c^\dagger_{\kk\sigma} V^{-1} = \ee^{\ii\theta}c^\dagger_{\kk\sigma}, \qquad V c_{\kk\sigma} V^{-1} = \ee^{-\ii\theta}c_{\kk\sigma} $$である.そこで $V$ を式 \eqref{eq:1-bcs} に作用させる.$c^\dagger_{\kk\uparrow}c^\dagger_{-\kk\downarrow}$ は2個の生成演算子の積なので位相 $\ee^{2\ii\theta}$ を得る.一方 $u_\kk$ の項には演算子がないので何も掛からない.真空は $V\ket{0}=\ket{0}$(粒子数ゼロ)である.よって
$$ V(\theta)\ket{\mathrm{BCS}} = \prod_{\kk}\left(u_\kk + \ee^{2\ii\theta}v_\kk\, c^\dagger_{\kk\uparrow}c^\dagger_{-\kk\downarrow}\right)\ket{0} $$ステップ2:全体位相では吸収できないことを見る.もし変換後の状態が元の状態と全体位相だけ違うなら,対称性は破れていない.しかしここでは $u_\kk$ の項が変わらず $v_\kk$ の項だけが $\ee^{2\ii\theta}$ 倍される.すなわち2つの項の相対位相が変わっているので,どんな全体位相を掛けても元には戻らない.したがって
$$ \ee^{\ii\theta\hat{N}}\ket{\mathrm{BCS}} \neq \ee^{\ii\phi}\ket{\mathrm{BCS}} $$であり,U(1) 対称性は自発的に破れている.
ステップ3:秩序変数を定義する.破れを表す量として,対の期待値
$$ \Delta \equiv g\sum_{\kk}\braket{c_{-\kk\downarrow}c_{\kk\uparrow}} = g\sum_{\kk} u_\kk^* v_\kk $$を導入する($g>0$ は引力の強さ.引力を $-g\sum c^\dagger c^\dagger cc$ と書く規約に対応し,この符号で 1.4.1 項の平均場ハミルトニアンと整合する).常伝導状態では $\braket{cc}=0$ なので $\Delta=0$ であり,超伝導状態では $\Delta\neq0$ になる.これが秩序変数である.
ステップ4:秩序変数の変換性.ステップ1の結果は,$v_\kk\to\ee^{2\ii\theta}v_\kk$ という置き換えと同じである.これをステップ3の $\Delta=g\sum u_\kk^*v_\kk$ に代入すれば直ちに
となる.つまり秩序変数は電荷 $2e$ を担っている.これは Cooper 対が2個の電子からできていることの直接の表れである.∎
物理的意味:U(1) は完全には壊れず,$\mathbb{Z}_2$ が残る
式 \eqref{eq:1-delta-transf} をよく見ると,$\theta=0$ と $\theta=\pi$ では $\ee^{2\ii\theta}=1$ となり,$\Delta$ が変わらない.つまり U(1) の部分群 $\{1,-1\}\cong\mathbb{Z}_2$ は破れずに残る.破れ方は
$$ \mathrm{U}(1) \;\longrightarrow\; \mathbb{Z}_2 $$である.この残った $\mathbb{Z}_2$ が,1.4 節で見る Majorana 準粒子の存在を許す土台になる(粒子数が 2 ずつしか保存しないので,電子 $c$ と正孔 $c^\dagger$ を対等に混ぜた $\gamma\sim c+c^\dagger$ のような演算子が固有励起になりうる).また超伝導リングに捕捉される磁束が $h/2e$ の整数倍に量子化されるのも,$\Delta$ の電荷が $2e$ であることの帰結である.「2」という数字が,Cooper 対・磁束量子・Majorana のすべてを貫いている.
1.3.3 メキシカンハットと2つのモード
秩序変数 $\Delta = \abs{\Delta}\ee^{\ii\varphi}$ を複素数とみて,自由エネルギーを Ginzburg–Landau の形
$$ \begin{equation} F(\Delta) = a\abs{\Delta}^2 + \frac{b}{2}\abs{\Delta}^4, \qquad a = a_0(T-T_c),\quad b>0 \label{eq:1-GL} \end{equation} $$に展開する.$F$ は $\abs{\Delta}$ だけの関数なので,位相 $\varphi$ にはまったく依存しない.これが U(1) 対称性の現れである.$T>T_c$ では $a>0$ で最小は $\Delta=0$ にあるが,$T<T_c$ では $a<0$ となり,最小は
$$ \abs{\Delta}_0 = \sqrt{-a/b} $$という半径 $\abs{\Delta}_0$ の円全体に移る.系はこの円の上のどこか1点を選ばねばならない —— これが「自発的に選ぶ」ということである.
1.3.4 Meissner 効果は「光子が質量をもつこと」である
ここからが本節の山場である.超伝導体が磁場を排除する Meissner 効果は,超伝導体内部で光子が質量を獲得したという一文に要約できる.ただし正確には,これは静的な横波(磁気)成分についての対応である.超伝導体は Lorentz 不変ではないので「光子の質量」は静的極限での有効的な言い方であり,スカラーポテンシャル(電場)の遮蔽長は $\lambda_L$ ではなく Thomas–Fermi 長で決まる.また Meissner 効果が完全導体と違って平衡状態の性質であることまでは,「質量」の一語では尽くせない.この留保のうえで,順を追って示す.
導出:London 方程式から光子の質量へ
ステップ1:London 方程式を書く.超伝導電流はベクトルポテンシャルに比例する.London ゲージ($\nabla\cdot\bm{A}=0$)で
$$ \begin{equation} \bm{j}_s = -\frac{n_se^2}{m}\,\bm{A} \label{eq:1-london} \end{equation} $$ここで $n_s$ は超伝導電子密度である.常伝導体では $\bm{j}=\sigma\bm{E}=-\sigma\,\partial\bm{A}/\partial t$ であって $\bm{A}$ の時間微分に比例するのに対し,超伝導では $\bm{A}$ そのものに比例する点が決定的に違う.
ステップ2:Ampère の法則と組み合わせる.静磁場に対する Maxwell 方程式 $\nabla\times\bm{B}=\mu_0\bm{j}_s$ に $\bm{B}=\nabla\times\bm{A}$ を代入すると
$$ \nabla\times(\nabla\times\bm{A}) = \nabla(\nabla\cdot\bm{A}) - \nabla^2\bm{A} = -\nabla^2\bm{A} $$(London ゲージで第1項が消えた).これが $\mu_0\bm{j}_s$ に等しいので,式 \eqref{eq:1-london} を使って
$$ -\nabla^2\bm{A} = -\frac{\mu_0 n_se^2}{m}\bm{A} \qquad\Longrightarrow\qquad \nabla^2\bm{A} = \frac{1}{\lambda_L^2}\bm{A}, \qquad \lambda_L \equiv \sqrt{\frac{m}{\mu_0 n_s e^2}} $$を得る.$\lambda_L$ が London 侵入長 である.1次元問題(表面が $x=0$,超伝導体が $x>0$)ならば解は $B(x)=B_0\ee^{-x/\lambda_L}$ となり,磁場は表面から $\lambda_L$ 程度しか入り込めない.これが Meissner 効果である.
ステップ3:質量をもつゲージ場の方程式(Proca 方程式)を書く.質量 $m_\gamma$ をもつベクトル場の運動方程式は,第13章で導くように
$$ \begin{equation} \left[\Box + \left(\frac{m_\gamma c}{\hbar}\right)^{\!2}\right]A^\mu = 0, \qquad \Box = \frac{1}{c^2}\frac{\partial^2}{\partial t^2}-\nabla^2 \label{eq:1-proca} \end{equation} $$である.質量ゼロなら通常の波動方程式(Maxwell)に戻る.
ステップ4:静的な場合を比べる.時間依存性を落とす($\partial_t=0$)と,式 \eqref{eq:1-proca} は
$$ \nabla^2\bm{A} = \left(\frac{m_\gamma c}{\hbar}\right)^{\!2}\bm{A} $$となる.ステップ2の結果と文字どおり同じ式である.したがって係数を比較して
すなわち,London 侵入長は,超伝導体内部で光子が獲得した質量の(換算)Compton 波長に他ならない.∎
材料科学との接点:$\hbar c$ の同じ数字が超伝導体でも使える
式 \eqref{eq:1-photon-mass} を数値にする.ここで自然単位系の便利さが一気に効いてくる.素粒子物理で使う
$$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} $$という定数は,$1\ \mathrm{MeV}=10^{6}\ \mathrm{eV}$,$1\ \mathrm{fm}=10^{-6}\ \mathrm{nm}$ であるから,そのまま
と読み替えられる.$10^6$ と $10^{-6}$ がちょうど打ち消しあうためである.素粒子屋が原子核の大きさを測るのに使う数字と,材料屋がナノ構造を測るのに使う数字が,同じ「197.327」なのである.これを使えば $m_\gamma c^2 = 197.327/\lambda_L[\mathrm{nm}]$ eV と暗算できる.
| 物質 | $T_c$ [K] | $\lambda_L$ [nm](London 値) | $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$ [eV] | 比較対象 |
|---|---|---|---|---|
| Al | 1.18 | 16 | 12.3 | Al のプラズモン 15.8 eV |
| Pb | 7.20 | 39 | 5.1 | 可視光の 2 倍強 |
| Nb | 9.25 | 39 | 5.1 | — |
| YBa$_2$Cu$_3$O$_{7}$($ab$ 面) | 92 | 150 | 1.3 | Si のバンドギャップ 1.12 eV |
| 真空(電弱) | $\sim10^{15}$ | $2.46\times10^{-9}$ | $8.04\times10^{10}$($=m_Wc^2$) | $W$ ボソン |
※ $\lambda_L$ は自由電子密度から計算した London 値である.Al の実測侵入長は非局所効果(Pippard 効果)で約 $50\ \mathrm{nm}$ まで伸び,その値を使えば $m_\gamma c^2\simeq3.9\ \mathrm{eV}$ となる.Pb の文献値は $37$–$39\ \mathrm{nm}$ で,ここでは第13章に合わせて $39\ \mathrm{nm}$ を採った.最終行の「真空(電弱)」の $T_c$ は,$m_H=125$ GeV の標準模型では厳密には相転移ではなくクロスオーバー($T\approx160\ \mathrm{GeV}\approx1.9\times10^{15}\ \mathrm{K}$)であることが格子計算で分かっている.
最終行が本節の要点である.$W$ ボソンの質量 $80.377$ GeV(本書の粒子質量は PDG 2022 版による.PDG 2024 の世界平均は $80.3692\pm0.0133$ GeV で,以下の桁の議論は変わらない)は,式 \eqref{eq:1-photon-mass} の意味では「電弱真空の侵入長」
$$ \lambda_W = \frac{\hbar c}{m_Wc^2} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{80377\ \mathrm{MeV}} = 2.46\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$を表している.弱い相互作用が「弱い」のは,結合定数が小さいからではなく(実は $g$ は電磁気の $e$ より大きい),到達距離が $2.5\times10^{-18}\ \mathrm{m}$ しかないからである.Meissner 効果で磁場が $\lambda_L$ しか染み込まないのと,まったく同じ理由である.超伝導体は,弱い相互作用の到達距離が有限である理由を,卓上で見せてくれる模型なのである.
注意:超伝導体には本当は「質量ゼロの Goldstone ボソン」はない
図1.3(a) では位相モードを「質量ゼロ」と書いたが,これは中性の超流動($^4$He など)の話である.荷電系である超伝導体では,位相の揺らぎが電荷密度の揺らぎを伴い,長距離 Coulomb 相互作用によってエネルギーが持ち上げられる.行き先はプラズマ振動数であり,Al なら $\hbar\omega_p = 15.8\ \mathrm{eV}$,超伝導ギャップ $2\Delta=0.36\ \mathrm{meV}$ の $4.4\times10^{4}$ 倍という遥か高い場所である.
つまり Goldstone モードは消えたのではなく,光子に食べられて,質量をもつ光子の縦波成分になった.質量ゼロの光子は横波2成分をもつが,質量をもつベクトル場は縦波を含めて3成分をもつ.$2+1=3$ の「1」が,食べられた Goldstone ボソンである.
この機構を最初に指摘したのが Anderson(1963)であり,素粒子に移植したのが Englert–Brout,Higgs,Guralnik–Hagen–Kibble(いずれも 1964)である.したがって「Anderson–Higgs 機構」と呼ぶのが歴史的に正確である.詳しくは第13章 13.8 節(Higgs 機構)と 13.9.3 項(Anderson 機構 —— Goldstone モードはどこへ消えたか)で扱う.
1.3.5 南部が架けた橋
年表にしておくと,物性から素粒子への概念の流れがはっきりする.
| 年 | 人物 | 内容 | 分野 |
|---|---|---|---|
| 1937 | Landau | 秩序変数による相転移の一般論 | 物性 |
| 1950 | Ginzburg–Landau | 複素秩序変数 $\Delta$ による超伝導の現象論 | 物性 |
| 1957 | Bardeen–Cooper–Schrieffer | BCS 理論.式 \eqref{eq:1-bcs} の基底状態 | 物性 |
| 1958 | Anderson | BCS がゲージ不変性を破ることの指摘と,位相モードのプラズマ振動数への持ち上がり | 物性 |
| 1958 | Bogoliubov, Valatin | 準粒子変換.電子と正孔を混ぜる(1.4 節) | 物性 |
| 1960 | 南部 | 「超伝導理論における準粒子とゲージ不変性」.BCS を場の理論の言葉に翻訳 | 橋渡し |
| 1961 | 南部–Jona-Lasinio | 同じ機構で核子の質量が生成されるという模型.カイラル対称性の破れ | 素粒子 |
| 1961 | Goldstone | 連続対称性の自発的破れは質量ゼロのボソンを生む(Goldstone の定理) | 素粒子 |
| 1963 | Anderson | ゲージ場があれば Goldstone ボソンは消え,ゲージ場が質量を得る | 物性→素粒子 |
| 1964 | Englert–Brout, Higgs, GHK | 相対論的な場の理論での定式化(Higgs 機構) | 素粒子 |
| 1967–68 | Weinberg, Salam | 電弱統一理論.$W,Z$ が質量を得る | 素粒子 |
| 1980–81 | Sooryakumar–Klein,Littlewood–Varma | 2H-NbSe$_2$ の Raman 散乱で振幅(Higgs)モードを観測・同定 | 物性 |
| 2008 | 南部(Nobel 賞) | 「素粒子物理における自発的対称性の破れの機構の発見」 | — |
| 2012–13 | ATLAS/CMS,Englert–Higgs(Nobel 賞) | $m_H=125.2$ GeV の Higgs 粒子の発見 | 素粒子 |
| 2013–14 | 松永・島野ら | NbN 薄膜のテラヘルツ分光で Higgs モードの振動と第三高調波共鳴を観測 | 素粒子→物性 |
なぜ南部にそれができたのか
南部は BCS 論文を読んで,まず「これはゲージ不変性を破っているのではないか,だとすれば電荷保存が壊れて理論として不整合ではないか」という疑問をもった.その解決の過程で,破れた対称性が集団モード(位相モード)を生み,それがゲージ不変性を回復させることを見出した.
ここで重要なのは,南部が素粒子物理の道具(場の理論,Ward 恒等式,Green 関数)で物性の問題を読み直したことである.道具が共通だったからこそ翻訳ができ,翻訳ができたからこそ逆輸入ができた.本書が読者に伝えたいのは,まさにこの「道具の共通性」である.
本書では第5章で対称性と群を,第13章でゲージ理論と自発的対称性の破れを扱う.そこに至ったとき,読者は BCS 理論の式を素粒子の言葉で読み直せるようになっているはずである.
1.4 Bogoliubov 準粒子と Majorana
前節では超伝導の「真空」(基底状態)を見た.本節ではその上の「励起」を見る.結論を先に言えば,超伝導体の素励起である Bogoliubov 準粒子は,質量をもつ Dirac 粒子(その1次元・2成分版)と同じ代数構造をもち,しかも特別な条件下では Majorana 粒子になる.
1.4.1 Nambu スピノルと BdG 方程式
平均場近似した BCS ハミルトニアンは
$$ \Ham_{\text{BCS}} = \sum_{\kk\sigma}\xi_\kk c^\dagger_{\kk\sigma}c_{\kk\sigma} - \sum_{\kk}\left(\Delta\, c^\dagger_{\kk\uparrow}c^\dagger_{-\kk\downarrow} + \Delta^*c_{-\kk\downarrow}c_{\kk\uparrow}\right) $$である($\xi_\kk=\varepsilon_\kk-\mu$ は Fermi 準位から測ったエネルギー).第2項は生成演算子2個の積を含むので,通常の「$c^\dagger c$ の形」に書けない.そこで南部は,電子と正孔を2成分スピノルの上下に並べるという着想を導入した.
Nambu スピノル
$$ \begin{equation} \Psi_\kk \equiv \begin{pmatrix} c_{\kk\uparrow} \\[2pt] c^\dagger_{-\kk\downarrow}\end{pmatrix}, \qquad \Psi^\dagger_\kk = \left(c^\dagger_{\kk\uparrow}\ \ c_{-\kk\downarrow}\right) \label{eq:1-nambu} \end{equation} $$上成分は「運動量 $\kk$ でスピン上向きの電子」である.下成分の $c^\dagger_{-\kk\downarrow}$ は「電子 $(-\kk,\downarrow)$ を抜く」演算子,すなわち正孔を1個消す演算子であり,式 \eqref{eq:1-hole-qn} の引き算の規則によれば,その正孔の量子数は運動量 $+\kk$・スピン上向きである.上下成分が同じ量子数 $(\kk,\uparrow)$ をもつからこそ,$\Psi_\kk$ ごとに $2\times2$ 行列で閉じて扱える.1.2 節で見たとおり正孔は電子の反粒子的な相手であるから,この2成分は「粒子と反粒子を並べたもの」と同じ構造をもつ.
この記法を使うと,$\Ham_{\text{BCS}}$ は(定数を除いて)きれいな二次形式にまとまる.実の $\Delta$ に対して
ここで $\tau_i$ は Nambu 空間(粒子・正孔空間)の Pauli 行列である.この $2\times2$ 行列 $H_{\text{BdG}}$ を対角化すれば固有値が求まる.$(\xi\tau_3-\Delta\tau_1)^2 = (\xi^2+\Delta^2)\mathbf{1}$($\tau_3$ と $\tau_1$ が反交換し,どちらも2乗が $\mathbf{1}$ だから)なので,固有値は直ちに
$$ \begin{equation} E_\kk = \pm\sqrt{\xi_\kk^2 + \Delta^2} \label{eq:1-bdg-E} \end{equation} $$と読み取れる.
材料科学との接点:超伝導ギャップ $\Delta$ は Dirac の質量 $m$ である
第9章で導く Dirac ハミルトニアンは,1次元運動に限れば
$$ H_{\text{Dirac}} = c\,p\,\alpha + mc^2\beta, \qquad \{\alpha,\beta\}=0,\ \alpha^2=\beta^2=\mathbf{1} $$という形をしている.$\alpha,\beta$ を Pauli 行列 $\sigma_1,\sigma_3$ で表せば $H_{\text{Dirac}} = cp\,\sigma_1 + mc^2\sigma_3$ である.一方 BdG は式 \eqref{eq:1-bdg} より $H_{\text{BdG}} = \xi_\kk\tau_3 - \Delta\tau_1$.どちらも「反交換する2つの行列の線形結合」であり,$\tau_1\leftrightarrow\sigma_3$,$\tau_3\leftrightarrow\sigma_1$ と読み替えれば完全に同型である.辞書は
| Dirac(真空中の電子) | BdG(超伝導体中の準粒子) | 意味 |
|---|---|---|
| 2成分スピノル(大・小成分) | Nambu スピノル $(c_{\kk\uparrow},c^\dagger_{-\kk\downarrow})$ | 粒子と反粒子を並べる |
| 運動量項 $cp$ | $\xi_\kk=\varepsilon_\kk-\mu$ | 質量ゼロなら線形(BdG 側は Fermi 面近傍で $\xi_\kk\approx\hbar v_F(k-k_F)$ と線形化したとき) |
| 質量項 $mc^2$ | ギャップ $\Delta$ | ギャップを開く量 |
| $E=\pm\sqrt{p^2c^2+m^2c^4}$ | $E=\pm\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}$ | 同じ双曲線 |
| ギャップ幅 $2mc^2=1.022$ MeV | ギャップ幅 $2\Delta\approx3$ meV (Nb) | $3\times10^{8}$ 倍の違い |
| 質量ゼロ極限 $\to$ Weyl 粒子 | $\Delta\to0$ 極限 $\to$ 常伝導金属 | ギャップが閉じる |
この辞書があると,超伝導の教科書の計算がそのまま素粒子の計算に見えてくる.たとえば Andreev 反射で電子枝($\xi>0$)と正孔枝($\xi<0$)が界面で変換される過程は,Dirac 方程式の正エネルギー解と負エネルギー解が階段ポテンシャルで混ざる Klein トンネリング(第9章 9.7.2 項)と同じ数学である(Beenakker はこれを「Andreev 反射は Klein トンネリングの超伝導版」として対応づけた).逆に,第9章で Dirac 方程式を解くときに現れる規格化因子 $\sqrt{(E\pm mc^2)/2E}$ は,BCS のコヒーレンス因子 $u_\kk^2,v_\kk^2=(1\pm\xi_\kk/E_\kk)/2$ と同じ形をしている.ただしこの対応では対角項どうしが比較されるので $mc^2\leftrightarrow\xi_\kk$ となり,表1.5 の辞書($mc^2\leftrightarrow\Delta$)とは役割が入れ替わる.どちらを「質量」と呼ぶかは,反交換する2つの行列のどちらを対角にとるかという表示の選択の問題である.
1.4.2 準粒子は電子と正孔の重ね合わせである
$H_{\text{BdG}}$ の対角化は $2\times2$ 行列の回転で行える.$\xi_\kk = E_\kk\cos\vartheta_\kk$,$\Delta = E_\kk\sin\vartheta_\kk$ とおいて,角度 $\vartheta_\kk/2$ の回転を掛ければよい.結果として得られる準粒子演算子が
である(Bogoliubov–Valatin 変換).これが本節でいちばん強調したい式である.準粒子 $\gamma$ は,電子でも正孔でもなく,その量子力学的な重ね合わせである.具体的に3つの場合を見よう.
- $\xi_\kk\gg\Delta$(Fermi 面のずっと上):$u_\kk\to1,\ v_\kk\to0$.準粒子はほぼ純粋な電子である.
- $\xi_\kk\ll-\Delta$(Fermi 面のずっと下):$u_\kk\to0,\ v_\kk\to1$.準粒子はほぼ純粋な正孔である.
- $\xi_\kk=0$(ちょうど Fermi 面上):$u_\kk=v_\kk=1/\sqrt2$.準粒子は電子50%・正孔50%の等重ね合わせであり,電荷の期待値がゼロになる.
最後の場合が決定的である.電荷の期待値がゼロであることは,自分自身の反粒子であるための必要条件である.ただしそれだけでは足りない.$s$ 波の準粒子の共役は $\gamma^\dagger_{\kk\uparrow}=u_\kk c^\dagger_{\kk\uparrow}-v_\kk c_{-\kk\downarrow}$ であって,運動量とスピンのラベルが $\gamma_{\kk\uparrow}$ と違うから,このままでは $\gamma=\gamma^\dagger$ にならない.等号が成り立つには,スピンの自由度を実効的に凍結した(スピンレス $p$ 波的な)対形成と,$E=0$ に孤立した局在モードが要る.それを 1.4.4 項の Kitaev 鎖で見る.
1.4.3 Majorana 条件 $\gamma=\gamma^\dagger$
1937 年,Ettore Majorana は Dirac 方程式を実数係数で書ける表現(Majorana 表現)が存在することを示した.場の言葉で言えば,場を実(自己共役)にとることが許され,粒子と反粒子が同一であるようなフェルミオンが存在しうる,ということである.
Dirac 型と Majorana 型
フェルミオン場を平面波展開すると
$$ \psi(x) = \sum_{s}\int\frac{\dd^3p}{(2\pi)^3}\frac{1}{\sqrt{2E_p}} \left[a_{\pp s}\,u^s(p)\,\ee^{-\ii p\cdot x} + b^\dagger_{\pp s}\,v^s(p)\,\ee^{+\ii p\cdot x}\right] $$と書ける(平面波解 $u^s(p),v^s(p)$ は第9章 9.3 節,負エネルギー解を反粒子の生成演算子と読み替える議論は第9章 9.4 節.場の演算子としての展開そのものは本書では導かないので,Peskin–Schroeder 3.5 節などを参照).$a$ が粒子の消滅,$b^\dagger$ が反粒子の生成である.
- Dirac フェルミオン:$b\neq a$.粒子と反粒子は別物.電子($e^-$ と $e^+$),クォークなどはこれである.
- Majorana フェルミオン:$b_{\pp s} = a_{\pp s}$.粒子と反粒子が同一.場としては $\psi^c=\psi$ である(等しいのはモード演算子どうしであって,$a_{\pp s}$ 自身がエルミートなわけではない).物性側で使うのは,この自己共役条件をエネルギーゼロの局在した1モードに適用した形
である(規格化は $\{\gamma_i,\gamma_j\}=2\delta_{ij}$ にとった).これは,粒子・正孔対称性 $\gamma_E^\dagger=\gamma_{-E}$ を $E=0$ に当てはめたものにあたる(第14章 14.8.1 項).場の版($\psi^c=\psi$)と零モードの版($\gamma=\gamma^\dagger$)は同じ自己共役条件の別の現れであり,超伝導体中の Majorana 零モードはそのまま伝播する Majorana フェルミオンではない.
条件 \eqref{eq:1-majorana} には強い制約が伴う.$\gamma=\gamma^\dagger$ なら,$\gamma$ が担う保存電荷は存在しえない(電荷 $q$ の粒子の反粒子は電荷 $-q$ をもつので,同一なら $q=-q$,すなわち $q=0$).したがってMajorana になれるのは電気的に中性な粒子だけである.標準模型の12個のフェルミオンのうち,中性なのはニュートリノだけである.
1.4.4 二重ベータ崩壊と,超伝導体の端
ニュートリノが Majorana 型かどうかを判定する現実的な手段が,ニュートリノを伴わない二重ベータ崩壊($0\nu\beta\beta$)である.
$$ (A,Z) \;\longrightarrow\; (A,Z+2) + e^- + e^- $$通常の二重ベータ崩壊では反ニュートリノが2個出る($2\nu\beta\beta$).しかしニュートリノが Majorana であれば,一方の核子が出した「反ニュートリノ」を,もう一方の核子が「ニュートリノ」として吸収できてしまう.結果,ニュートリノが外に出ずに電子2個だけが放出される.この過程はレプトン数を2だけ変えるので,観測されればニュートリノが Majorana 型であることの決定的な証拠になる.現在の最良の下限は $^{136}$Xe に対する半減期 $T_{1/2}>3.8\times10^{26}$ 年である(KamLAND-Zen,2024.第14章 14.7 節).
導出:Kitaev 鎖に Majorana 零モードが現れること
ステップ1:電子演算子を2つの Majorana に分解する.各サイト $j$ で
$$ a_j \equiv c_j + c^\dagger_j, \qquad b_j \equiv -\ii\left(c_j - c^\dagger_j\right) $$と定義する.エルミート性は明らかで $a_j^\dagger=a_j$,$b_j^\dagger=b_j$.また $c_j^2=0$,$\{c_j,c_j^\dagger\}=1$ を使えば
$$ a_j^2 = (c_j+c^\dagger_j)^2 = c_j^2 + \{c_j,c^\dagger_j\} + (c^\dagger_j)^2 = 0+1+0 = 1 $$同様に $b_j^2=1$.すなわち $a_j,b_j$ は Majorana 条件 \eqref{eq:1-majorana} をみたす.逆に解けば $c_j=(a_j+\ii b_j)/2$ であり,1個の電子は2個の Majorana からできていると言える.
ステップ2:Kitaev のハミルトニアンを書く.1次元 $p$ 波超伝導体の最小模型は
$$ \begin{equation} \Ham_{\text{Kitaev}} = \sum_{j}\left[-t\left(c^\dagger_jc_{j+1}+\text{h.c.}\right) -\mu\left(c^\dagger_jc_j-\tfrac12\right) +\Delta\left(c_jc_{j+1}+\text{h.c.}\right)\right] \label{eq:1-kitaev} \end{equation} $$である.$t$ が跳び移り,$\mu$ が化学ポテンシャル,$\Delta$ が同スピン($p$ 波)の対形成である.
ステップ3:理想極限 $\mu=0$,$t=\Delta$ をとる.このとき $j$ 番目の結合の項は
$$ -t\left(c^\dagger_jc_{j+1}+c^\dagger_{j+1}c_j\right)+t\left(c_jc_{j+1}+c^\dagger_{j+1}c^\dagger_j\right) = -t\left(c^\dagger_j-c_j\right)\left(c_{j+1}+c^\dagger_{j+1}\right) $$となる.括弧をくくり出す際,$c^\dagger_{j+1}$ と $(c^\dagger_j-c_j)$ が異なるサイトの演算子どうしで反交換することを使った(符号がここで揃う).
ステップ4:Majorana で書き直す.定義より $c^\dagger_j-c_j = -\ii b_j$,$c_{j+1}+c^\dagger_{j+1}=a_{j+1}$ であるから
ステップ5:残り者を数える.式 \eqref{eq:1-kitaev-majorana} に現れる Majorana は $b_1,a_2,b_2,a_3,\dots,b_{N-1},a_N$ の $2N-2$ 個である.$2N$ 個のうち$a_1$ と $b_N$ の2個だけがハミルトニアンに現れない.現れないということは,それらを含む状態のエネルギーが変わらない,すなわちエネルギーがゼロだということである.
ステップ6:零モードから縮退へ.残った2つを組み合わせて通常のフェルミオン演算子を作れる:
$$ f = \frac{a_1 + \ii b_N}{2} $$このとき $f^\dagger f$ は,エネルギー 0 の準位の占有数である.この準位は占有していてもいなくてもエネルギーが同じなので,基底状態は2重に縮退する.2つの状態はフェルミオン数の偶奇(パリティ)が違うので,局所的な摂動では混ざらない.これがトポロジカル量子ビットの原理である.∎
材料科学との接点:$0\nu\beta\beta$ 実験とトポロジカル量子計算は同じ条件式を探している
地下 1000 m の実験室で $^{136}$Xe を数百 kg〜トン級集めて $0\nu\beta\beta$ を探す実験と,希釈冷凍機の中で InAs ナノワイヤに Al を蒸着してトンネル分光をする実験は,見た目は何の関係もない.しかし両者が確かめようとしているのは,同じ自己共役条件の,場の版($\psi^c=\psi$)と零モードの版($\gamma=\gamma^\dagger$)である.
違いは何が Majorana になるかである.
| 素粒子(ニュートリノ) | 物性(トポロジカル超伝導体) | |
|---|---|---|
| 粒子の正体 | 時空の場の量子 | 多電子系の集団励起(準粒子) |
| 中性である理由 | 電荷ゼロの素粒子だから | Fermi 面上で電子50%・正孔50%の,$E=0$ に孤立した局在準位だから(式 \eqref{eq:1-bogoliubov}) |
| 破れている対称性 | レプトン数($\mathrm{U}(1)_L$) | 電子数($\mathrm{U}(1)$,1.3 節) |
| エネルギースケール | $m_\nu\sim0.05$ eV(最も重い質量固有状態は $\gtrsim\sqrt{\abs{\Delta m^2_{32}}}=0.05$ eV,上限は宇宙論から $\sum m_\nu<0.12$ eV) | $E=0$(ギャップ $\Delta\sim1$ meV の中) |
| 検証手段 | $0\nu\beta\beta$,半減期 $>10^{26}$ 年 | 零バイアス伝導ピーク,$2e^2/h$ の量子化 |
| 応用 | 宇宙のバリオン数生成(レプトジェネシス) | 誤り耐性量子ビット(非可換統計) |
面白いのは,破れている対称性の欄である.超伝導体では 1.3 節で見たように $\mathrm{U}(1)\to\mathbb{Z}_2$ の破れが起きており,「電子数が2ずつしか保存しない」.だから電子1個分の演算子 $\gamma$ に対して $\gamma$ と $\gamma^\dagger$ の区別が消えうる.素粒子側でも同じことが起きる:Majorana 質量項 $\frac12 m_M\nu^T C\nu$ はレプトン数を2だけ変えるので,$\mathrm{U}(1)_L\to\mathbb{Z}_2$ の破れを引き起こす(超伝導では自発的な破れ,Majorana 質量項では Lagrangian に書き込まれた明示的な破れ,という違いはある).それでも「2ずつしか保存しない」という残る構造は同じであり,そこから Majorana が生まれている.
さらに数値の偶然も指摘しておきたい.ニュートリノ質量の目安 $\sqrt{\abs{\Delta m^2_{32}}}=\sqrt{2.45\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}}=49.5\ \mathrm{meV}$ は,室温の熱エネルギー $k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$ や Si の光学フォノン $64.5\ \mathrm{meV}$ とほぼ同じスケールである.宇宙で最も捉えがたい素粒子の質量が,材料科学者が毎日扱う格子振動と同じ大きさなのである.
注意:物性の Majorana について過大な主張をしないこと
公平のために,現状を正確に述べておく.
- 物性の Majorana は準粒子である.1.2 節の正孔と同じで,物質がなければ存在しない.「Majorana 粒子を作った」という表現は正確ではなく,「Majorana 条件をみたす零エネルギー準粒子束縛状態が現れた」と言うべきである.
- 実験的証拠はまだ確定していない.半導体ナノワイヤ/超伝導ハイブリッド系の零バイアス伝導ピークは,Majorana 零モード以外の原因(不純物による Andreev 束縛状態,弱い反局在など)でも生じうる.2010 年代の代表的な報告のいくつかは後に撤回された.決定的とされる $2e^2/h$ の量子化コンダクタンスの再現性ある観測は,本書執筆時点でも議論が続いている.
- 実際の系では厳密な零モードではない.式 \eqref{eq:1-kitaev-majorana} の理想点 $\mu=0,\ t=\Delta$ では端モードがサイト1個に完全に局在するので,有限の $N$ でも零モードは厳密である.しかし理想点を離れると($\mu\neq0$ や $t\neq\Delta$,つまり実際の材料では)端モードは有限の局在長 $\xi$(連続極限で $\xi\sim\hbar v_F/\Delta$)で減衰する波動関数になり,有限の長さ $L$ の鎖では両端の波動関数が重なるため $\ee^{-L/\xi}$ に比例する指数的に小さいエネルギー分裂が残る.厳密な縮退は $L/\xi\to\infty$ でのみ得られる.
- ニュートリノについても未確定である.$0\nu\beta\beta$ はまだ観測されていない.ニュートリノが Dirac 型か Majorana 型かは,素粒子物理最大の未解決問題の一つのままである(第14・15章).
それでも,この2つの探索が同じ条件式に向かっているという事実そのものが,本書の主題をよく表している.
1.5 核融合と材料
ここまでは概念の対応であった.本節では,素粒子・原子核物理の量が材料の寿命という工学的な数値を直接決めている例を扱う.核融合炉の第一壁である.
1.5.1 DT 反応の運動学
実用化が最も近いとされる核融合反応は,重水素と三重水素の反応である.
$$ \begin{equation} \mathrm{D} + \mathrm{T} \;\longrightarrow\; \mathrm{n} + {}^4\mathrm{He} + 17.59\ \mathrm{MeV} \label{eq:1-dt} \end{equation} $$放出エネルギー($Q$ 値)は,反応前後の静止質量の差そのものである.PDG/原子質量表の値を並べて引き算する.
数値例:DT 反応の $Q$ 値とエネルギー分配
(1) $Q$ 値.質量エネルギーは
| 粒子 | $mc^2$ [MeV] |
|---|---|
| D(重陽子) | 1875.613 |
| T(三重陽子) | 2808.921 |
| n(中性子) | 939.565 |
| $^4$He($\alpha$ 粒子) | 3727.379 |
(2) エネルギーの分配.反応前の全運動量は(熱運動を無視すれば)ゼロなので,$\mathrm{n}$ と $\alpha$ は大きさの等しい逆向きの運動量をもつ.非相対論的に $p^2/2m$ で分けると,運動エネルギーは質量に反比例するので
$$ T_n = Q\,\frac{m_\alpha}{m_n+m_\alpha} = 17.590\times\frac{3727.379}{4666.944} = 17.590\times0.79868 = 14.05\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_\alpha = Q - T_n = 17.590 - 14.05 = 3.54\ \mathrm{MeV} $$相対論的に厳密に解くと(第4章の公式 $E_n=(s+m_n^2-m_\alpha^2)/2\sqrt{s}$,$\sqrt{s}=4684.534$ MeV を使って)$T_n=14.03\ \mathrm{MeV}$ となる.差は $0.1\%$ 程度であり,工学的にはどちらも「14 MeV 中性子」(慣用的に 14.1 MeV とも)と呼ばれる.以下では非相対論的な分配から得た $14.05\ \mathrm{MeV}$ を本章の標準値として用いる(第4章・第16章では 14.1 MeV と丸めている).
(3) 運動量の大きさ.$p_nc = \sqrt{T_n^2+2m_nc^2T_n} = \sqrt{14.03^2+2\times939.565\times14.03} = \sqrt{197+26364} = 163.0\ \mathrm{MeV}$.$\alpha$ 側も同じ $163.0\ \mathrm{MeV}/c$ である(検算になる).
(4) 中性子の速度.$\gamma = 1+T_n/m_nc^2 = 1+14.03/939.565 = 1.01493$.よって
$$ \beta = \sqrt{1-\gamma^{-2}} = 0.1710, \qquad v = 0.1710\times2.998\times10^{8} = 5.13\times10^{7}\ \mathrm{m/s} $$非相対論の $v=\sqrt{2T/m}$ で計算すると $5.18\times10^{7}\ \mathrm{m/s}$ で,$1\%$ の違いである.光速の $17\%$ で飛ぶこの中性子が,1 m のブランケットを $20\ \mathrm{ns}$ で通り抜ける.
なぜ中性子が 14 MeV も持ち去ってしまうのか
核融合炉の設計者にとって,$Q$ 値の $80\%$ が中性子に行ってしまうのは頭の痛い事実である.荷電粒子である $\alpha$ 粒子($3.54\ \mathrm{MeV}$)はプラズマ中に留まって加熱に寄与してくれるが,中性の中性子は磁場に閉じ込められず,そのまま壁に飛び込む.
この $80:20$ の分配は,$T_n/T_\alpha = m_\alpha/m_n = 3727/940 = 3.97$ という質量比だけで決まっており,設計で変えようがない.変えられるのは反応そのものを選ぶことだけで,たとえば $\mathrm{D}+{}^3\mathrm{He}\to p+{}^4\mathrm{He}+18.35$ MeV は主反応では中性子を出さないが(副反応 $\mathrm{D}+\mathrm{D}\to n+{}^3\mathrm{He}$ と,生成した T の DT 反応で全出力の数 % は中性子になる),同じ温度での反応率 $\braket{\sigma v}$ が DT より1〜2桁小さく(ピーク断面積自体は約 1/5),最適温度も 5 倍程度高い.結局 DT を使うしかなく,「14 MeV 中性子に耐える材料」が核融合の中心課題になっている.
1.5.2 14 MeV 中性子は材料に何をするか
第一壁に飛び込んだ中性子は,まず原子核と弾性散乱する.はじき飛ばされた原子を一次はじき出し原子(PKA, primary knock-on atom)と呼ぶ.
導出:PKA のエネルギーと Frenkel 対の数
ステップ1:弾性散乱の最大反跳エネルギー.質量 $m$ の中性子(エネルギー $E_n$)が質量 $M=Am$ の静止核に弾性散乱するとき,運動量とエネルギーの保存から,正面衝突($180^\circ$ 散乱)で反跳エネルギーが最大となり
$$ \begin{equation} T_{\max} = \frac{4mM}{(m+M)^2}E_n = \frac{4A}{(1+A)^2}E_n \label{eq:1-Tmax} \end{equation} $$である(第4章 4.6.5 項で導く).鉄($A=56$)と $E_n=14.05$ MeV に対して
$$ T_{\max} = \frac{4\times56}{57^2}\times14.05\ \mathrm{MeV} = 0.0689\times14.05 = 0.969\ \mathrm{MeV} $$ステップ2:平均反跳エネルギー.重心系で等方散乱を仮定すると,反跳エネルギーは $0$ から $T_{\max}$ まで一様に分布する.よって
$$ \braket{T} = \frac{T_{\max}}{2} = 0.484\ \mathrm{MeV} $$すなわち,鉄の原子が0.5 MeV という莫大なエネルギーを受け取って結晶中を突進する.結合エネルギーが $\sim4$ eV であることを思えば,その $10^5$ 倍である.
ステップ3:損傷エネルギーへの補正.反跳原子のエネルギーの一部は,原子をはじき出さずに電子励起として散逸する.核的な衝突に使われる分(損傷エネルギー)を $T_{\text{dam}}=\xi T$ と書く.$0.5$ MeV の Fe 反跳では $\xi\approx0.45$ である(第16章 表16.4).
$$ T_{\text{dam}} = 0.45\times0.484\ \mathrm{MeV} = 0.22\ \mathrm{MeV} $$ステップ4:NRT 式ではじき出し数を数える.Norgett–Robinson–Torrens の標準式は
である.$E_d$ ははじき出しきい値エネルギーで,鉄では $E_d=40$ eV.したがって
$$ N_d = \frac{0.8\times2.2\times10^{5}\ \mathrm{eV}}{2\times40\ \mathrm{eV}} = 2.2\times10^{3} $$中性子1個の弾性散乱1回が,約2200個の Frenkel 対(空孔と格子間原子の対)を作る.∎
材料科学との接点:断面積が第一壁の寿命を決める
あとは「どれだけの頻度で中性子が当たるか」を掛ければ,材料の損傷率が出る.ここで登場するのが散乱断面積という,まさに素粒子物理の中心的な量である.
(1) 中性子束.第一壁の中性子壁負荷を $P=2\ \mathrm{MW/m^2}$(ITER の平均約 $0.6\ \mathrm{MW/m^2}$ の 3 倍あまり,DEMO 級)とすると,中性子1個が $14.05\ \mathrm{MeV}=2.25\times10^{-12}\ \mathrm{J}$ を運ぶので
$$ \phi = \frac{P}{T_n} = \frac{2\times10^{6}\ \mathrm{W/m^2}}{2.25\times10^{-12}\ \mathrm{J}} = 8.9\times10^{17}\ \mathrm{m^{-2}s^{-1}} $$(2) 損傷率.鉄に対する 14 MeV 中性子の全断面積は $\sigma_{\text{tot}}\approx2.5\ \mathrm{barn}=2.5\times10^{-28}\ \mathrm{m^2}$ である.原子1個あたりの損傷率は
($N_d$ は弾性散乱で反跳が $0$〜$T_{\max}$ に一様分布するとして求めた値なのに,掛けるのは弾性・非弾性・反応をすべて含む全断面積である.非弾性散乱や $(n,2n)$ の反跳スペクトルは弾性散乱とは異なるので,以下はあくまで桁を見るための見積もりであり,厳密には第16章の NRT/arc-dpa 評価による.)
$$ \frac{\dd(\mathrm{dpa})}{\dd t} = \phi\,\sigma_{\text{tot}}\,N_d = 8.9\times10^{17}\times2.5\times10^{-28}\times2.2\times10^{3} = 4.9\times10^{-7}\ \mathrm{s^{-1}} $$1年($3.156\times10^{7}$ s)で
となる.「1 dpa」とは,材料中のすべての原子が平均して1回ずつ格子位置からはじき出されたことを意味する.年 15 dpa ということは,すべての鉄原子が1年で15回ずつ蹴り出されるということである.途中で丸めずに計算すると $15.4\ \mathrm{dpa}$ で,壁負荷で割れば $7.7\ \mathrm{dpa/yr}$ per $\mathrm{MW/m^2}$ という換算則になる.これは第16章 16.2.3 項が壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$ について同じ手順($\sigma_{\text{tot}}=2.5$ b,$N_d=2.2\times10^3$)で得る「$7.7\ \mathrm{dpa/yr}$」と一致する.設計で使われる経験則「$1\ \mathrm{MW\,yr/m^2}$ の壁負荷が鋼に約 10 dpa を与える」とも,2 割あまりの違いで整合している(詳細な群定数計算では前方散乱と非弾性チャンネルの寄与で 10 dpa 前後まで上がる).
(3) ヘリウム生成.さらに悪いことに,14 MeV 中性子は $^{56}\mathrm{Fe}(n,\alpha)^{53}\mathrm{Cr}$ 反応を起こす.断面積は約 $50\ \mathrm{mb}=5\times10^{-30}\ \mathrm{m^2}$.
$$ \frac{\dd c_{\mathrm{He}}}{\dd t} = \phi\,\sigma_{n\alpha} = 8.9\times10^{17}\times5\times10^{-30} = 4.5\times10^{-12}\ \mathrm{s^{-1}} \;\Longrightarrow\; 1.4\times10^{-4}\ \mathrm{/year} = 140\ \mathrm{appm/year} $$dpa あたりに直すと $140/15.4 = 9.1\ \mathrm{appm/dpa}$ である(これは $^{56}$Fe$(n,\alpha)$ だけを数えた値である.$^{54}$Fe$(n,\alpha)$,$(n,n'\alpha)$,Cr・Ni などの寄与を加えると鋼では約 $10\ \mathrm{appm/dpa}$ になる.第16章 16.2 節).これを核分裂炉と比べると事態の深刻さが分かる:核分裂中性子は平均 2 MeV しかなく,$(n,\alpha)$ 反応は $\alpha$ 粒子に対する Coulomb 障壁のため実効的に数 MeV 以上でしか起きない($^{56}$Fe$(n,\alpha)^{53}$Cr は $Q=+0.33$ MeV の発熱反応なので運動学的なしきい値はなく,障壁が約 3–4 MeV の「実効しきい値」を作っている)ので,$0.1\ \mathrm{appm/dpa}$ 程度しか He を作らない.核融合は核分裂の 50〜100 倍の He を作る.
He は金属中にほとんど固溶せず(溶解エネルギーが数 eV もある),空孔に捕まって泡になり,結晶粒界に集まって高温脆化を引き起こす.核分裂炉のデータをそのまま核融合炉材料に外挿できない最大の理由がこれであり,14 MeV 中性子源(IFMIF/DONES など)の建設が国際的に進められている所以である.
要するに,第一壁の寿命(典型的には $100\text{–}200$ dpa,すなわち数年)を決めているのは,$\sigma_{\text{tot}}=2.5$ b と $\sigma_{n\alpha}=50$ mb という2つの断面積である.断面積の定義と計算法は付録B と第8章で扱う.素粒子物理を学ぶ最も実利的な理由が,ここにある.
1.5.3 断面積という量
ここまで断面積 $\sigma$ を説明抜きに使ってきたので,定義を与えておく.詳しくは付録B と第8章で扱う.
散乱断面積
入射粒子の流束(単位面積・単位時間あたりの粒子数)を $\phi$,標的の数を $N$ とするとき,単位時間あたりに起きる反応数 $R$ が
$$ \begin{equation} R = \phi\,N\,\sigma \label{eq:1-cross-section} \end{equation} $$と書けるとき,比例係数 $\sigma$ を 断面積(cross section)と呼ぶ.次元は面積であり,直感的には「標的1個が入射粒子に対して差し出している的の面積」である.
単位は barn($\mathrm{b}$)を使う.
$$ 1\ \mathrm{barn} = 10^{-28}\ \mathrm{m^2} = 10^{-24}\ \mathrm{cm^2} = 100\ \mathrm{fm^2} $$これはウラン原子核の幾何学的断面積(半径 $\sim7.4$ fm,面積 $\sim1.7$ b)の程度である.名前の由来は,第二次大戦中の米国の研究者が「(核は)納屋(barn)の壁のように大きい」と言ったことによる.
式 \eqref{eq:1-cross-section} から,平均自由行程が直ちに出る.数密度 $n$ の物質中では
$$ \begin{equation} \lambda = \frac{1}{n\sigma} \label{eq:1-mfp} \end{equation} $$である.鉄($n=8.49\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$,$\sigma_{\text{tot}}=2.5$ b)では
$$ \lambda = \frac{1}{8.49\times10^{28}\times2.5\times10^{-28}} = \frac{1}{21.2} = 4.7\times10^{-2}\ \mathrm{m} = 4.7\ \mathrm{cm} $$タングステン($n=6.31\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$,$\sigma_{\text{tot}}\approx5.3$ b)なら $\lambda=3.0\ \mathrm{cm}$ である.核融合炉のブランケットが 1 m 近い厚さをもつのは,14 MeV 中性子を止めるのに平均自由行程の 20 倍以上が必要だからである.
例:トリチウム増殖 —— 断面積が燃料サイクルを決める
三重水素は半減期 12.3 年で崩壊するため天然にはほとんど存在せず,炉の中で作らねばならない.使うのはリチウムである.
$$ {}^6\mathrm{Li} + \mathrm{n} \;\longrightarrow\; \mathrm{T} + {}^4\mathrm{He} + 4.78\ \mathrm{MeV} \qquad(\text{熱中性子で }\sigma=940\ \mathrm{b}) $$ $$ {}^7\mathrm{Li} + \mathrm{n} \;\longrightarrow\; \mathrm{T} + {}^4\mathrm{He} + \mathrm{n} - 2.47\ \mathrm{MeV} \qquad(\text{しきい値 }2.8\ \mathrm{MeV}) $$$Q$ 値は質量差から確かめられる.$^6$Li の反応なら
$$ Q = (6.015122+1.008665-3.016049-4.002603)\ \mathrm{u}\times931.494\ \mathrm{MeV/u} = 4.78\ \mathrm{MeV} $$ここで問題になるのが,DT 反応1回につき中性子は1個しか出ないのに,燃料として T を1個消費することである.トリチウム増殖比 $\mathrm{TBR}>1$ を達成するには,中性子を増やさねばならない.そこで $(n,2n)$ 反応をもつ増倍材(Be,Pb)を入れる:
$$ {}^9\mathrm{Be} + \mathrm{n} \to 2\mathrm{n} + 2\,{}^4\mathrm{He} - 1.57\ \mathrm{MeV}, \qquad {}^{208}\mathrm{Pb} + \mathrm{n} \to 2\mathrm{n} + {}^{207}\mathrm{Pb} - 7.37\ \mathrm{MeV} $$どちらもしきい値反応であり,14 MeV 中性子だからこそ起こせる.炉の燃料が自給できるかどうかは,$^6$Li・$^7$Li の $(n,\mathrm{t})$ 断面積,増倍材の $(n,2n)$ 断面積,構造材による寄生吸収,ブランケットの被覆率が決める中性子収支 —— すなわち原子核物理の量の組み合わせ —— にかかっている.これがブランケット設計における中性子輸送計算の核心である.
1.6 素粒子を「ものさし」として使う
ここまでは「素粒子物理の概念が材料科学に現れる」話であった.本節は逆で,「素粒子そのものを材料の測定器として使う」話である.加速器で作られた粒子を試料に打ち込み,その振る舞いから材料の情報を引き出す.どれも他の手法では届かない情報を与えてくれる.
1.6.1 ミュオンスピン回転($\mu$SR)
ミュオン $\mu^+$ は,質量 $m_\mu c^2=105.658\ \mathrm{MeV}$,スピン $1/2$,平均寿命 $\tau_\mu = 2.197\ \mu\mathrm{s}$ の粒子である.電子の 206.8 倍,陽子の $1/8.88$ の質量をもつ.
数値例:表面ミュオンの運動量はなぜ 29.8 MeV/$c$ か
$\mu$SR で使われるのは,標的表面で静止した $\pi^+$ の崩壊から出る「表面ミュオン」である.静止した $\pi^+$ の崩壊
$$ \pi^+ \;\longrightarrow\; \mu^+ + \nu_\mu $$では,$\mu^+$ とニュートリノが逆向きに同じ大きさの運動量をもつ.ニュートリノを質量ゼロとすると,エネルギー保存は
$$ m_\pi c^2 = \sqrt{p^2c^2+m_\mu^2c^4} + pc $$である.移項して2乗すると $m_\pi^2c^4 - 2m_\pi c^2\,pc + p^2c^2 = p^2c^2 + m_\mu^2c^4$ となり,$p^2c^2$ が消えて
運動エネルギーは $T=\sqrt{29.79^2+105.658^2}-105.658 = 109.78-105.66 = 4.12\ \mathrm{MeV}$ である.この程度のエネルギーなら固体中で $0.1\text{–}1\ \mathrm{mm}$ 進んで止まるので,薄膜ではなくバルク試料の内部を調べるのにちょうどよい.「表面ミュオン」という名前は,標的の表面で止まった $\pi^+$ から出るという意味である.
さらに重要なのは,弱い相互作用のパリティ非保存(第6・12章)により,この $\mu^+$ がほぼ 100 % スピン偏極していることである.偏極したプローブがただで手に入るのは,素粒子物理の性質のおかげである.
試料に打ち込まれた $\mu^+$ は,格子間位置に止まり,そこでの局所磁場 $B_{\text{loc}}$ のまわりを Larmor 歳差する.歳差周波数は
$$ f = \frac{\gamma_\mu}{2\pi}B_{\text{loc}}, \qquad \frac{\gamma_\mu}{2\pi} = 135.5\ \mathrm{MHz/T} $$である.$\mu^+$ は寿命 $2.197\ \mu\mathrm{s}$ で $\mu^+\to e^+\nu_e\bar\nu_\mu$ と崩壊し,これもパリティ非保存のために陽電子がスピンの向きに優先的に飛ぶ.したがって陽電子の飛ぶ方向の時間変化を測れば,$\mu^+$ のスピンの歳差がそのまま見える.
数値例:$\mu$SR はどれくらい弱い磁場まで見えるか
観測できる時間窓は寿命の数倍,$\sim10\ \mu\mathrm{s}$ である.
- $B_{\text{loc}}=0.1\ \mathrm{T}$:$f=13.6\ \mathrm{MHz}$,周期 $73.8\ \mathrm{ns}$.寿命の間に約30回歳差する.明瞭な振動が見える.
- $B_{\text{loc}}=0.01\ \mathrm{T}$:$f=1.36\ \mathrm{MHz}$,周期 $738\ \mathrm{ns}$.約3回.まだ振動が見える.
- $B_{\text{loc}}=10^{-5}\ \mathrm{T}$(0.1 ガウス):周期 $0.74\ \mathrm{ms}$ で,寿命の間には歳差しきれない.しかし乱雑な内部磁場による緩和(Kubo–Toyabe 型)として検出できる.緩和率 $\sigma=\gamma_\mu\Delta B$ が $0.01\ \mu\mathrm{s^{-1}}=10^{4}\ \mathrm{s^{-1}}$ なら $\Delta B = 10^4/(2\pi\times1.355\times10^{8}) = 1.2\times10^{-5}\ \mathrm{T}$.
つまり $\mu$SR は $10^{-5}\ \mathrm{T}$ 級の微弱な内部磁場を検出できる.中性子回折では見えない微小モーメント($0.01\,\mu_B$ 程度)の磁気秩序や,スピングラスの短距離秩序が捉えられるのはこのためである.
材料科学との接点:$\mu$SR は「光子の質量」を測る装置である
1.3 節で,超伝導体内部の光子の質量が $m_\gamma c^2 = \hbar c/\lambda_L$ で与えられることを見た.では $\lambda_L$ をどうやって測るか.最も標準的な方法が横磁場 $\mu$SR である.
第II種超伝導体を混合状態にすると,磁束量子 $\Phi_0=h/2e=2.068\times10^{-15}\ \mathrm{Wb}$ が三角格子を組む.試料内の磁場は場所によって異なり,その分布幅は磁束線のまわりの磁場の広がり,すなわち $\lambda_L$ で決まる.理論的には(磁束格子が十分密なとき)
$$ \begin{equation} \sigma_{\text{sc}} \;\propto\; \frac{1}{\lambda_L^{2}} \;\propto\; \frac{n_s}{m^*} \label{eq:1-uemura} \end{equation} $$という関係が成り立つ($\sigma_{\text{sc}}$ はミュオンの歳差の緩和率).$\mu^+$ は試料内部にランダムに止まるので,磁場分布をそのままサンプリングしてくれる.ミュオンという素粒子1個1個が,超伝導体内部の磁場分布計になっているのである.
この方法で多数の超伝導体を測った結果,銅酸化物などの非従来型超伝導体では
$$ T_c \;\propto\; \frac{n_s}{m^*} \;\propto\; \frac{1}{\lambda_L^2} $$というスケーリング(Uemura プロット,植村泰朋にちなむ)が成り立つことが見出された.これは BCS 理論では説明できない関係であり,非従来型超伝導の理論に強い制約を与え続けている.つまり,「光子がどれだけ重くなったか」を測ることが,超伝導機構の解明の手がかりになっている.
1.6.2 陽電子消滅分光(PAS)
陽電子 $e^+$ は,1.2 節で見たとおり電子の反粒子である.$^{22}$Na(半減期 2.60 年)の $\beta^+$ 崩壊で得られ,同時に放出される $1.274\ \mathrm{MeV}$ の $\gamma$ 線を「陽電子が生まれた時刻」の合図に使える.
試料に入った陽電子は数 ps で熱化し,$\sim100\ \mathrm{nm}$ 拡散したのち,電子と対消滅して背中合わせに 511 keV の $\gamma$ 線を2本出す.測れる量は3つある.
陽電子が測る3つの量
(1) 消滅寿命 $\to$ 空孔濃度.陽電子は正電荷なので,イオン芯に近づけず,空孔のような原子が抜けた空間に捕獲される.そこでは電子密度が低いので消滅までの時間が延びる.
| 状態 | 寿命 [ps] |
|---|---|
| $\alpha$-Fe 完全結晶 | 106 |
| $\alpha$-Fe 単空孔 | 175 |
| Al 完全結晶 | 163 |
| Al 単空孔 | 250 |
| 真空中のパラポジトロニウム($2\gamma$) | 125 |
| 真空中のオルソポジトロニウム($3\gamma$) | $1.42\times10^{5}$(142 ns) |
完全結晶と単空孔の差は Fe で $175-106=69\ \mathrm{ps}$,Al で $250-163=87\ \mathrm{ps}$ である.この $70$〜$90\ \mathrm{ps}$ 程度の違いを測るだけで,$10^{-6}$ 程度の空孔濃度が定量できる.照射損傷(1.5 節)の評価にそのまま使える.
(2) Doppler 広がり $\to$ 電子の運動量.消滅する電子対の重心が運動していると,511 keV の $\gamma$ 線が Doppler シフトする.運動量の視線成分を $p_z$ とすると,シフト量は
$$ \Delta E = \frac{p_zc}{2} $$である(因子 $1/2$ は2本の光子にエネルギーが分かれるため).Al の Fermi 運動量は $E_F=11.7$ eV から
$$ p_Fc = \sqrt{2m_ec^2E_F} = \sqrt{2\times0.511\times10^{6}\times11.7}\ \mathrm{eV} = 3.46\ \mathrm{keV} $$したがって $\Delta E = 1.73\ \mathrm{keV}$.これは Ge 検出器の分解能($\sim1.2$ keV)で十分測れる大きさである.内殻電子は運動量が大きいので広い裾を作り,価電子は狭いピークを作る.この形($S$ パラメータ,$W$ パラメータ)から欠陥の化学的環境が分かる.
(3) 角相関(ACAR)$\to$ Fermi 面.2本の $\gamma$ 線は正確に $180^\circ$ ではなく,横方向運動量 $p_\perp$ の分だけ角度がずれる.
$$ \Delta\theta = \frac{p_\perp}{m_ec} = \frac{3.46\ \mathrm{keV}}{511\ \mathrm{keV}} = 6.8\times10^{-3}\ \mathrm{rad} = 6.8\ \mathrm{mrad} $$この角度分布を精密に測れば,電子の運動量分布,すなわちFermi 面の形が直接得られる.de Haas–van Alphen 効果と違って,極低温も強磁場も,長い平均自由行程(高純度)も必要としない(ただし 2D-ACAR で Fermi 面の形を出すには,方位を決めるため単結晶試料が要る).
ポジトロニウムが孔の大きさを測る
高分子や多孔質材料の中では,陽電子が電子を1個捕まえてポジトロニウム(Ps,1.2 節)を作る.スピン三重項のオルソ Ps は真空中では 142 ns も生きるが,孔の壁の電子と消滅(ピックオフ消滅)してしまうので,寿命が $1\text{–}10\ \mathrm{ns}$ に縮む.
縮み方は孔が小さいほど激しいので,寿命から直径 0.3〜3 nm の空孔サイズ分布が求まる.ガス吸着法では測れない閉じた孔も測れる.低誘電率層間絶縁膜(low-$k$)の細孔評価や,高分子の自由体積の測定に使われている.素粒子の束縛状態が,そのままナノメートルの物差しになっている例である.
1.6.3 中性子散乱・ミュオン触媒核融合・Compton 散乱
材料科学との接点:熱中性子はなぜ格子とフォノンの両方に合うのか
中性子($m_nc^2=939.565$ MeV,スピン $1/2$,磁気モーメント $\mu_n=-1.913\,\mu_N$)を熱化させると,$300\ \mathrm{K}$ で $k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$ のエネルギーをもつ.このときの de Broglie 波長は
$$ \lambda = \frac{h}{\sqrt{2m_nE}} \qquad\Longleftrightarrow\qquad \lambda\,[\mathrm{\AA}] = \frac{9.045}{\sqrt{E\,[\mathrm{meV}]}} $$である(この便利な公式は演習1.7 で導く).標準的な熱中性子($v=2200\ \mathrm{m/s}$,$E=25.3\ \mathrm{meV}$,$293.6\ \mathrm{K}$ に相当)なら $\lambda = 1.80\ \mathrm{\AA}$ である($300\ \mathrm{K}$ の $25.9\ \mathrm{meV}$ を使えば $1.78\ \mathrm{\AA}$).
ここに中性子散乱の本質がある.波長が原子間距離($2\ \mathrm{\AA}$ 程度)に合い,同時にエネルギーが格子振動のエネルギー(数〜数十 meV)に合う.この二重の一致は,中性子だけがもつ性質である.X 線で $1.8\ \mathrm{\AA}$ を得るには $6.9\ \mathrm{keV}$ が必要で,フォノンの $10\ \mathrm{meV}$ に対して6桁も大きい($\Delta E/E\sim10^{-6}$ の分解能が要る).電子は原子と強く相互作用しすぎて多重散乱になる.
これが,フォノン分散の測定が長らく中性子非弾性散乱の独壇場であった理由である.さらに中性子は磁気モーメントをもつので,磁気構造とスピン波も同じ装置で測れる.J-PARC MLF(日本),ISIS(英),SNS(米),ILL(仏)といった大型施設が世界中で稼働しているのは,この二重の一致のためである.
ミュオン触媒核融合 —— 素粒子で核融合の壁を下げる
1.5 節の DT 反応を起こすには,Coulomb 障壁を越えるために $10^{8}\ \mathrm{K}$ 級のプラズマが要る.ところが,$\mu^-$ を使うと室温でも起こせる.
負ミュオンは重水素原子の電子を置き換えて「ミュオン原子」を作る.Bohr 半径は換算質量に反比例するので,換算質量を計算すると
$$ \mu_{\text{red}} = \frac{m_\mu m_d}{m_\mu+m_d} = \frac{105.658\times1875.613}{1981.271}\ \mathrm{MeV}/c^2 = 100.02\ \mathrm{MeV}/c^2 = 195.7\,m_e $$したがって
$$ a_\mu = \frac{a_0}{195.7} = \frac{0.529\ \mathrm{\AA}}{195.7} = 2.70\times10^{-3}\ \mathrm{\AA} = 270\ \mathrm{fm} $$通常の $\mathrm{D}_2$ 分子では核間距離が $0.74\ \mathrm{\AA}=7.4\times10^{4}\ \mathrm{fm}$ なのに対し,$\mathrm{dt}\mu$ 分子では約 $500\ \mathrm{fm}$ まで近づく.トンネル確率が指数関数的に効くので,核融合が $10^{-12}\ \mathrm{s}$ 程度で起きてしまう.
問題は,反応後に $\mu^-$ が $\alpha$ 粒子に捕まってしまう確率($\alpha$ 付着,約 0.6 %)があることである.1個のミュオンが触媒できる回数は多くても $1/0.006\approx170$ 回で,他の損失も加わるため実測では約 150 回にとどまる.エネルギー収支は
$$ 150\times17.6\ \mathrm{MeV} = 2.6\ \mathrm{GeV} \quad\text{vs.}\quad \text{ミュオン1個の製造コスト} \sim5\ \mathrm{GeV} $$で,まだ2倍足りない.$\alpha$ 付着率を下げるか製造効率を上げるかが課題であり,素粒子物理の断面積の問題がそのままエネルギー工学の問題になっている好例である.
Compton 散乱で運動量分布を測る
光子が自由電子に散乱されると波長が伸びる.有名な Compton の式は
$$ \Delta\lambda = \frac{h}{m_ec}\left(1-\cos\theta\right), \qquad \frac{h}{m_ec} = 2.426\ \mathrm{pm} $$である(第10章で Feynman 則から導く).ここで電子が静止していなければ,散乱光子のエネルギーは電子の運動量の視線成分 $p_z$ の分だけずれる.そのスペクトル形状(Compton プロファイル)は
$$ J(p_z) = \iint \rho(\pp)\,\dd p_x\,\dd p_y $$すなわち電子運動量密度 $\rho(\pp)$ の2重積分になる.入射光子として $100\ \mathrm{keV}$ 以上の硬X線(SPring-8 などの放射光)を使うと,$J(p_z)$ が精度よく測れる.
さらに円偏光X線を強磁性体に当てると,磁気 Compton プロファイル $J_{\text{mag}}(p_z)$ が得られ,これはスピン磁気モーメントだけに感度をもつ(軌道成分を含まない).軌道とスピンの分離ができる数少ない手法であり,磁性材料開発で使われている.Compton 散乱という QED の基本過程が,そのまま材料評価装置になっている.
| プローブ | 何が測れるか | エネルギー | 感度・分解能 | 代表的施設 |
|---|---|---|---|---|
| $\mu^+$($\mu$SR) | 局所内部磁場,磁気秩序,$\lambda_L$(超伝導) | 4.1 MeV(表面ミュオン) | $10^{-5}$ T,$0.01\,\mu_B$ | J-PARC MUSE,ISIS,PSI,TRIUMF |
| $e^+$(PAS) | 空孔濃度,欠陥の化学環境,Fermi 面,細孔径 | $\le0.55$ MeV($^{22}$Na の $\beta^+$ 最大値.平均 0.22 MeV),$<30$ keV(低速陽電子) | 空孔 $10^{-6}$,寿命 1 ps | 産総研,KEK-SPF,各大学 |
| 中性子(弾性) | 結晶構造,磁気構造,軽元素の位置 | 1–100 meV | $\Delta d/d\sim10^{-3}$ | J-PARC MLF,ISIS,SNS,ILL |
| 中性子(非弾性) | フォノン分散,スピン波,拡散 | 1–100 meV | $\Delta E\sim0.1$ meV | 同上 |
| $\mu^-$($\mu$ 触媒核融合) | (応用)低温核融合,$\mu$ 原子X線による元素分析 | $\sim$ 数十 MeV | 非破壊・深さ数 mm | J-PARC,PSI,RIKEN-RAL |
| 硬X線(Compton) | 電子運動量密度,スピン磁気モーメント | 100–300 keV | $\Delta p_z\sim0.1$ a.u. | SPring-8,ESRF,APS |
| 中性子(照射) | (試験)はじき出し損傷,He 脆化 | 14 MeV(IFMIF/DONES)/$\sim2$ MeV(核分裂炉) | — | IFMIF/DONES(建設中);核分裂炉 BR2,HFIR で代替 |
なぜ「素粒子を借りる」ことに意味があるのか
表1.9 のプローブに共通する性質が3つある.
- 物質の奥まで入る.電荷をもたない中性子や,質量が大きくて散乱されにくいミュオンは,深くまで到達する(表面ミュオンでも金属中で $0.1$–$1\ \mathrm{mm}$,運動量の高い崩壊ミュオンなら mm オーダー以上).表面敏感な手法(XPS,STM)では見えないバルクの情報が得られる.
- 素粒子物理の性質をただで使える.ミュオンのスピン偏極はパリティ非保存の贈り物であり,陽電子の空孔捕獲は正電荷の帰結であり,中性子の磁気散乱は磁気モーメントの帰結である.いずれも実験者が用意したものではなく,自然が与えた性質である.
- 絶対値が出る.陽電子寿命は ps 単位の絶対時間,$\mu$SR の歳差周波数は既知の $\gamma_\mu$ を通じて絶対磁場,中性子散乱長は既知の $b$ を通じて絶対的な原子位置を与える.較正の要らない測定は貴重である.
逆に言えば,これらのプローブを使いこなすには,素粒子・原子核物理の言葉(崩壊率,断面積,偏極,パリティ)を知っている必要がある.本書の第3章(保存則)・第6章(パリティ)・付録B(崩壊率と断面積)は,そのための準備でもある.
1.7 自然単位系とスケールの地図
本書は素粒子物理の慣習に従って自然単位系を使う.最初は面食らうかもしれないが,材料科学者はすでに似たことをしている,というのが本節の主張である.
1.7.1 $\hbar=c=1$ という規約
自然単位系
本書では,特に断らない限り
$$ \begin{equation} \hbar = c = 1 \label{eq:1-natural} \end{equation} $$とおく.すると次元はエネルギーただ一つになる.
- $c=1$:$E=mc^2$ より質量とエネルギーが同じ次元.$\pp c$ より運動量も同じ.長さと時間も同じ($x=ct$).
- $\hbar=1$:$E=\hbar\omega$ より,エネルギーは時間の逆数.$p=\hbar k$ より,運動量は長さの逆数.
結果として,あらゆる物理量の次元は $[\mathrm{GeV}]^n$ の形になる.
| 量 | SI での次元 | 自然単位での次元 | 典型値 |
|---|---|---|---|
| エネルギー $E$ | J | GeV | $m_p=0.938$ GeV |
| 質量 $m$ | kg | GeV | $m_e=5.11\times10^{-4}$ GeV |
| 運動量 $p$ | kg m/s | GeV | — |
| 温度 $T$ | K | GeV | $300\ \mathrm{K}=2.59\times10^{-11}$ GeV |
| 長さ $x$ | m | GeV$^{-1}$ | $1\ \mathrm{fm}=5.068$ GeV$^{-1}$ |
| 時間 $t$ | s | GeV$^{-1}$ | — |
| 断面積 $\sigma$ | m$^2$ | GeV$^{-2}$ | $1\ \mathrm{mb}=2.568$ GeV$^{-2}$ |
| 崩壊率 $\Gamma$ | s$^{-1}$ | GeV | $\Gamma_Z=2.495$ GeV |
| 電荷 $e$ | C | 無次元 | $e=\sqrt{4\pi\alpha}=0.303$ |
| 作用 $S$ | J s | 無次元 | — |
| ラグランジアン密度 $\Lag$ | J/m$^3$ | GeV$^{4}$ | — |
なぜこんなことをするのか
理由は3つある.
- 式が短くなる.Dirac 方程式は $(\ii\hbar\gamma^\mu\partial_\mu - mc)\psi=0$ ではなく $(\ii\slashed\partial-m)\psi=0$ と書ける.散乱振幅の計算で $\hbar$ と $c$ の羅列を追いかけずに済む.
- 次元解析が強力になる.次元が1種類しかないので,「この量は GeV$^{-2}$ の次元をもつはずだ」という制約が,計算結果の形をほとんど決めてしまう.たとえば Fermi 定数 $G_F$ は GeV$^{-2}$ の次元をもつが,これは弱い相互作用が「点接触」であるという模型が高エネルギーで破綻することを直ちに示唆する(第12章).
- スケールが見える.「質量 $m$ の粒子」と言えば,それは同時に「長さ $1/m$ の広がり」と「時間 $1/m$ の寿命の目安」を意味する.物理が一つの言葉で語れる.
1.7.2 SI に戻す方法
自然単位系で答えを出したあと,実験と比べるには SI に戻さねばならない.必要な変換定数は2つだけである.
やり方は単純である.欲しい SI 単位になるまで $\hbar$ と $c$ を掛ける.いくつか実例を挙げる.
例1:崩壊幅から寿命へ
自然単位では崩壊率 $\Gamma$ はエネルギーの次元をもつ.寿命は $\tau=1/\Gamma$ だが,SI の秒にするには $\hbar$ を掛けねばならない:$\tau = \hbar/\Gamma$.
ミュオン:$\tau_\mu=2.197\times10^{-6}\ \mathrm{s}$ から
$$ \Gamma_\mu = \frac{\hbar}{\tau_\mu} = \frac{6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{2.197\times10^{-6}\ \mathrm{s}} = 3.00\times10^{-16}\ \mathrm{MeV} = 3.00\times10^{-19}\ \mathrm{GeV} $$もっともここで使った $\tau_\mu$ 自身が実測値なので,これは単位換算の確認にすぎない.独立な比較は第12章で行う:弱い相互作用の理論から $\Gamma_\mu=G_F^2m_\mu^5/(192\pi^3)$ を計算すると,この $3.00\times10^{-19}\ \mathrm{GeV}$ が再現される.
$Z$ ボソン:逆に $\Gamma_Z = 2.495\ \mathrm{GeV}$ から
$$ \tau_Z = \frac{\hbar}{\Gamma_Z} = \frac{6.582\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}}{2.495\ \mathrm{GeV}} = 2.64\times10^{-25}\ \mathrm{s} $$光速で走っても $c\tau_Z = 7.9\times10^{-17}\ \mathrm{m}$ しか進まない.原子核の大きさ($10^{-15}$ m)よりも短い.だから $Z$ は「飛跡」を残さず,崩壊生成物からしか見えない.
例2:断面積の換算 —— GeV$^{-2}$ から mbarn へ
本書で計算する断面積は GeV$^{-2}$ の単位で出てくる.これを面積に戻すには $(\hbar c)^2$ を掛ける.
換算定数を導く.$1\ \mathrm{barn}=100\ \mathrm{fm^2}$,すなわち $1\ \mathrm{fm^2}=10^{-2}\ \mathrm{b}=10\ \mathrm{mb}$ である.したがって
$$ (\hbar c)^2 = (197.327\ \mathrm{MeV\,fm})^2 = 3.8938\times10^{4}\ \mathrm{MeV^2\,fm^2} = 3.8938\times10^{4}\times10\ \mathrm{MeV^2\,mb} $$ $$ = 3.8938\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2\,mb} = 0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb} $$使ってみる.第10章で導く $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の断面積は,高エネルギー極限で
$$ \sigma = \frac{4\pi\alpha^2}{3s} $$である($s$ は重心系エネルギーの2乗).$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ を入れると
$$ \sigma = \frac{4\pi}{3}\times\frac{(1/137.036)^2}{100\ \mathrm{GeV^2}} = \frac{4.1888\times5.325\times10^{-5}}{100}\ \mathrm{GeV^{-2}} = 2.231\times10^{-6}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$これに式 \eqref{eq:1-barn} を掛けて
$$ \sigma = 2.231\times10^{-6}\times0.3894\ \mathrm{mb} = 8.69\times10^{-7}\ \mathrm{mb} = 0.869\ \mathrm{nb} $$実験値とよく合う.素粒子の断面積は,1.5 節の中性子の断面積(barn の単位)と比べると9桁ほど小さい.電磁相互作用が強い相互作用より弱いこと,そして高エネルギーほど断面積が $1/s$ で小さくなることの表れである.
1.7.3 材料科学の単位との換算
材料科学との接点:あなたはすでに自然単位系を使っている
フォノンの振動数を,$\mathrm{THz}$ で書く人もいれば $\mathrm{cm^{-1}}$ で書く人も $\mathrm{meV}$ で書く人もいる.磁気相互作用の強さを $\mathrm{K}$ で書く人もいる.これらはすべて同じ物理量を違う単位で書いたものであり,$\hbar$ と $k_B$ を 1 とおいたときにだけ同一視できる.
つまり材料科学者は,$\hbar=k_B=1$ という自然単位系をすでに日常的に使っているのである.素粒子物理はそこに $c=1$ を加えるだけである.
| 単位 | $1\ \mathrm{eV}$ に相当する値 | 使う場面 |
|---|---|---|
| J | $1.602\times10^{-19}$ | SI |
| K($E/k_B$) | $1.1605\times10^{4}$ | 転移温度,熱活性化 |
| THz($E/h$) | $241.80$ | フォノン,テラヘルツ分光 |
| cm$^{-1}$ | $8065.5$ | 赤外・Raman 分光 |
| nm($hc/E$) | $1239.84$ | 光学吸収,発光 |
| kJ/mol | $96.485$ | 熱力学,反応エネルギー |
| kcal/mol | $23.061$ | 化学 |
| Ry | $0.073499$ | 第一原理計算 |
| Hartree | $0.036749$ | 量子化学 |
覚えておくと便利な小さな換算をいくつか挙げておく.
$$ 1\ \mathrm{THz} = 4.136\ \mathrm{meV} = 33.36\ \mathrm{cm^{-1}} = 47.99\ \mathrm{K}, \qquad k_BT\big|_{300\,\mathrm{K}} = 25.85\ \mathrm{meV} $$そして本書の主役である
$$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{eV\,nm} = 1973.27\ \mathrm{eV\,\AA}, \qquad hc = 2\pi\hbar c = 1239.84\ \mathrm{eV\,nm} $$後者は「$1\ \mathrm{eV}$ の光子の波長は $1240\ \mathrm{nm}$」という,材料科学者なら誰でも知っている数字である.素粒子物理の 197.327 と,光学の 1239.84 は,$2\pi$ 違うだけの同じ定数なのである.
1.7.4 次元解析の練習 —— 水素原子を作る
自然単位系の威力を実感するために,水素原子に関する量を $\hbar c$,$m_ec^2$,$\alpha$ の3つだけから組み立ててみよう.使うのは
$$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm}, \qquad m_ec^2 = 0.511\ \mathrm{MeV}, \qquad \alpha = \frac{1}{137.036} $$の3つだけである.他の定数($e$,$\varepsilon_0$,$m_e$ の kg 値)は一切要らない.
導出:$\alpha$ の冪だけで長さのスケールが並ぶ
ステップ1:換算 Compton 波長($\alpha^0$).質量からできる唯一の長さは
$$ \bar\lambda_C = \frac{\hbar}{m_ec} = \frac{\hbar c}{m_ec^2} = \frac{197.327}{0.511}\ \mathrm{fm} = 386.2\ \mathrm{fm} $$ステップ2:Bohr 半径($\alpha^{-1}$).これに $1/\alpha$ を掛けると
$$ a_0 = \frac{\bar\lambda_C}{\alpha} = 386.2\times137.036\ \mathrm{fm} = 5.292\times10^{4}\ \mathrm{fm} = 0.5292\ \mathrm{\AA} $$正しい Bohr 半径 $0.52918\ \mathrm{\AA}$ が出た.
ステップ3:古典電子半径($\alpha^{+1}$).逆に $\alpha$ を掛けると
$$ r_e = \alpha\,\bar\lambda_C = \frac{386.2}{137.036}\ \mathrm{fm} = 2.818\ \mathrm{fm} $$これも正しい.すなわち3つの長さが $\alpha$ の等比数列をなしている:
$$ r_e : \bar\lambda_C : a_0 = \alpha^2 : \alpha : 1 \quad\Longleftrightarrow\quad 2.82\ \mathrm{fm} : 386\ \mathrm{fm} : 52\,900\ \mathrm{fm} $$ステップ4:Rydberg エネルギー($\alpha^2$).エネルギー側も同様である.$m_ec^2$ に $\alpha^2/2$ を掛けると
$$ \mathrm{Ry} = \frac{1}{2}\alpha^2 m_ec^2 = \frac{1}{2}\times\frac{0.511\times10^{6}}{137.036^2}\ \mathrm{eV} = \frac{0.511\times10^{6}\times5.325\times10^{-5}}{2}\ \mathrm{eV} = 13.61\ \mathrm{eV} $$ステップ5:Thomson 断面積($\alpha^2$ 由来).光の散乱断面積は $r_e^2$ の程度である.正確には
$$ \sigma_T = \frac{8\pi}{3}r_e^2 = 8.378\times(2.818\ \mathrm{fm})^2 = 66.5\ \mathrm{fm^2} = 0.665\ \mathrm{barn} $$これが第10章で Feynman 則から導く Compton 散乱の低エネルギー極限である.∎
物理的意味:$\alpha$ の冪が原子のスケールを並べている
上の結果は,Bohr 半径 $a_0$,電子の換算 Compton 波長 $\bar\lambda_C$,古典電子半径 $r_e$ という3つの長さが,$\alpha$ の冪だけで結ばれていることを示している.注意すべきは,これを原子核の大きさと結びつけてはならないことである.原子核の半径($R\simeq1.2A^{1/3}\ \mathrm{fm}$)は強い相互作用のスケール($\hbar/m_\pi c\approx1.4\ \mathrm{fm}$,$\Lambda_{\rm QCD}$)で決まり,$\alpha$ とも $r_e$ とも関係がない.$r_e=2.8\ \mathrm{fm}$ が核半径に近いのは数値的な偶然であって,$a_0/R_{\rm nucl}$ を決めるには $m_\pi/m_e\approx273$ という別の無次元量が要る.それでも,1.2 節で見た Zener 降伏と Schwinger 効果の隔たりも,1.3 節で見た $\lambda_L$ と $\lambda_W$ の隔たりも,同じように無次元量の冪で理解できる,という構図そのものは変わらない.
本書を通じて繰り返し現れるのはこの構図である:物理は同じ,違うのは無次元パラメータの値だけ.材料科学者が $\alpha$ の代わりに $m^*/m_0$ や $\varepsilon_r$ や $\Delta/E_F$ を使うのと,まったく同じことをしているのである.
1.8 本書の読み方
本書は Griffiths『素粒子物理学』の構成を骨格としつつ,各章に「材料科学との接点」を織り込む形で書かれている.全16章と5つの付録からなるが,最初から順に読む必要は必ずしもない.
1.8.1 全体の地図
1.8.2 読者別のルート
ルートA:超伝導と対称性の破れを深く知りたい
第1章 → 第5章 → 第6章 → 第13章
本章 1.3 節で述べた「超伝導は U(1) 対称性の破れである」を,比喩でなく完全な数式で理解するルートである.第5章で群と Noether の定理を,第6章で離散対称性を学び,第13章でゲージ理論と Anderson–Higgs 機構に到達する.時間があれば第9章(Dirac 方程式)を挟むと,第13章のスピノルの扱いが楽になる.物性理論を専門とする読者に最も推奨する.
ルートB:Majorana 粒子とトポロジカル物性を知りたい
第1章 → 第9章 → 第13章 → 第14章
本章 1.4 節の内容を深めるルート.第9章で Dirac 方程式とスピノルの扱い($\gamma$ 行列,荷電共役 $C$,Weyl 表示)を身につけるのが必須である.第13章で対称性の破れを見たのち,第14章でニュートリノ振動,シーソー機構,$0\nu\beta\beta$ に進む.トポロジカル超伝導体を扱う読者は,第9章のカイラリティの議論が特に重要である.
ルートC:核融合・照射材料に必要な知識だけほしい
第1章 → 第3章 → 第4章 → 第12章 → 第16章(+付録B)
本章 1.5 節を実務レベルにするルート.第3章で保存則と四つの力,第4章で相対論的運動学(不変質量,$Q$ 値,反跳エネルギーの公式)を確実にする.中性子の $\beta$ 崩壊や核変換を理解するために第12章の弱い相互作用が必要になる.付録B の断面積と崩壊率の定義は必読である.第16章に照射損傷・中性子輸送・トリチウム増殖の詳細をまとめてある.場の理論(第8〜11章)は飛ばしてよい.
ルートD:Feynman ダイアグラムを自分で計算できるようになりたい
第1章 → 第4章 → 第8章 → 第9章 → 第10章(+付録C・D)
最も「素粒子物理らしい」ルートで,同時に $GW$ 近似や Eliashberg 理論を原理から理解したい計算物性の読者にも有用である.第4章の運動学(Mandelstam 変数 $s,t,u$)が土台になり,第8章で Feynman 則を,第9章でスピノルを,第10章で QED の具体的計算($e^+e^-\to\mu^+\mu^-$,Compton 散乱)を行う.付録C(Pauli 行列と Dirac 行列)と付録D(Feynman 則のまとめ)を手元に置いて読むとよい.
既存4教材との関係
本書は「材料科学者のための」シリーズの第5冊である.他の4冊との関係は次のとおりである.
- マテリアル計算科学入門:第一原理計算の実務.本書 第16章の照射損傷シミュレーション(分子動力学)と接続する.
- 固体物理学入門:バンド構造,群論と既約表現.本書 第5章(群と対称性)は,そこでの点群・空間群の議論を Lorentz 群・SU(2)・SU(3) へ拡張したものと読める.
- 密度汎関数理論入門:多体電子系の基底状態.本書 1.2 節の正孔と 1.4 節の BdG は,そこでの Kohn–Sham 方程式の拡張として位置づけられる.
- 線形応答理論入門:応答関数,Green 関数,Feynman ダイアグラム(付録C).本書 第8章の Feynman 則は,そこで学んだ多体系のダイアグラムと同じ論理である.伝播関数 $1/(p^2-m^2+\ii\epsilon)$ の $\ii\epsilon$ は,そこでの因果律の議論とまったく同じ役割を果たす.
したがって,線形応答理論入門を読んでいる読者は,本書の第8章を「知っている道具の再確認」として速く読めるはずである.
1.9 まとめと演習
1.9.1 まとめ
- 素粒子物理と材料科学は同じ道具を違うスケールで使っている.共通しているのはエネルギーではなく対称性である.対称性が同じなら,13桁スケールが違っても方程式は同じ形になる(有効理論の考え方).
- 正孔は陽電子と同じ論理で定義される.満たされた状態の集まりから電子を1個抜くと,電荷 $+e$,エネルギー $+\abs{E}$,運動量 $-\pp$ の空孔が残る(式 \eqref{eq:1-hole-qn}, \eqref{eq:1-hole-band}).ただし正孔は準粒子であり,有効質量はバンド構造で決まる.CPT が保証する $m_{e^+}=m_{e^-}$ とは意味が違う.
- Zener 降伏と Schwinger 効果は同じ式である.臨界電場は $F_{\mathrm{c}}=E_{\text{gap}}^2/(4e\hbar v)$ という統一形で書け(式 \eqref{eq:1-Fc-unified}),真空で $1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$,Si で $3.5\times10^{8}\ \mathrm{V/m}$.ワイドギャップ半導体の高い破壊電界は,この $E_g^2$ 則の帰結である.
- 超伝導は U(1) 対称性の自発的破れである.BCS 状態は $\ee^{\ii\theta}$ 変換で不変でなく,秩序変数は $\Delta\to\ee^{2\ii\theta}\Delta$ と変換する(電荷 $2e$).破れ方は $\mathrm{U}(1)\to\mathbb{Z}_2$ であり,この「2」が Cooper 対・磁束量子 $h/2e$・Majorana のすべてを貫いている.
- Meissner 効果は光子が質量を得ることである.London 方程式と Ampère の法則を合わせた $\nabla^2\bm{A}=\bm{A}/\lambda_L^2$ は,Proca 方程式の静的形と文字どおり同じで,$m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$(式 \eqref{eq:1-photon-mass}).Nb なら 5.1 eV,$W$ ボソンなら 80.4 GeV.この機構を最初に見つけたのは Anderson(1963)であり,素粒子への移植が Higgs 機構である.
- BdG 方程式は Dirac 方程式である.Nambu スピノルを使うと $H_{\text{BdG}}=\xi_\kk\tau_3-\Delta\tau_1$ と書け(式 \eqref{eq:1-bdg}),$E=\pm\sqrt{\xi^2+\Delta^2}$ は Dirac の $E=\pm\sqrt{p^2+m^2}$ と同型である.超伝導ギャップ $\Delta$ が質量 $m$ の役を演じる.Fermi 面上では準粒子が電子50%・正孔50%となり,電荷ゼロの Majorana 条件 $\gamma=\gamma^\dagger$ が可能になる.
- 材料の寿命は断面積が決める.DT 反応の $Q=17.59$ MeV は質量差そのものであり,質量比 $m_\alpha/m_n=3.97$ だけで中性子が 14.05 MeV を持ち去る.壁負荷 2 MW/m$^2$ なら中性子束 $8.9\times10^{17}\ \mathrm{m^{-2}s^{-1}}$,鉄で年 15 dpa($7.7$ dpa/yr per MW/m$^2$),He 生成 9.1 appm/dpa.入力はすべて $\sigma_{\text{tot}}=2.5$ b と $\sigma_{n\alpha}=50$ mb という断面積である.
- 素粒子は材料の物差しである.$\mu$SR は $10^{-5}$ T の内部磁場と超伝導の $\lambda_L$(=光子の質量)を,陽電子消滅は $10^{-6}$ の空孔濃度と Fermi 面を,熱中性子は波長と振動エネルギーが同時に合うという唯一の性質でフォノン分散を測る.いずれも素粒子物理の性質(パリティ非保存,反粒子,磁気モーメント)をそのまま利用している.
- 自然単位系 $\hbar=c=1$ では次元がエネルギーだけになる.戻すのに必要なのは $\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}=197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ と $(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$ の2つである.材料科学者が meV・THz・cm$^{-1}$・K を同一視しているのは,すでに $\hbar=k_B=1$ を使っているということである.
1.9.2 演習問題
演習1.1 エネルギースケールの換算
表1.11 の換算表($1\ \mathrm{THz}=4.136\ \mathrm{meV}=33.36\ \mathrm{cm^{-1}}=47.99\ \mathrm{K}$,$1\ \mathrm{eV}=1.1605\times10^{4}\ \mathrm{K}$)を使って次を求めよ.
(1) Si の $\Gamma$ 点光学フォノンは $15.6\ \mathrm{THz}$ である.これを meV,cm$^{-1}$,K で表せ.室温 $k_BT$ と比べてどうか.
(2) Nb の超伝導ギャップ $2\Delta=3.05\ \mathrm{meV}$ を THz と K で表せ.また $T_c=9.25\ \mathrm{K}$ を使って $2\Delta/(k_BT_c)$ を求め,BCS の弱結合値 3.53 と比べよ.
(3) DT 反応の中性子 $14.05\ \mathrm{MeV}$ を温度に直すと何 K か.また運動量 $p_nc=163.0\ \mathrm{MeV}$ から de Broglie 波長 $\lambda=hc/(p_nc)$ を fm 単位で求め,鉄原子核の半径(約 4.6 fm)と比べよ.
ヒント:(1) $64.5\ \mathrm{meV}$,$520\ \mathrm{cm^{-1}}$,$749\ \mathrm{K}$.室温の 2.5 倍なので,室温でもほとんど励起されていない.(2) $0.737\ \mathrm{THz}$,$35.4\ \mathrm{K}$.$2\Delta/(k_BT_c)=3.05/(8.617\times10^{-2}\times9.25)=3.83$ で,弱結合値より大きい(Nb は強結合超伝導体).(3) $1.63\times10^{11}\ \mathrm{K}$.$\lambda = 1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}/163.0\ \mathrm{MeV}=7.6\ \mathrm{fm}$ で,原子核とほぼ同じ大きさ.だから核全体と相互作用する.
演習1.2 真空の絶縁破壊と半導体の絶縁破壊
統一形 $F_{\mathrm{c}}=E_{\text{gap}}^{2}/(4e\hbar v)$(式 \eqref{eq:1-Fc-unified})について考える.
(1) 真空($E_{\text{gap}}=2m_ec^2=1.022\ \mathrm{MeV}$,$v=c$)に対して $F_{\mathrm{c}}$ を計算し,$1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$ になることを確かめよ.
(2) $F_{\mathrm{c}}$ は $E_{\text{gap}}^2$ に比例し $v$ に反比例する.Si($E_g=1.12$ eV,$v=1.38\times10^{6}$ m/s)に対する値と,真空に対する値の比を求めよ.
(3) Si の pn 接合に $F=1\times10^{8}\ \mathrm{V/m}$ の電界がかかったとき,Zener トンネルの指数因子 $\exp(-\pi F_{\mathrm{c}}/F)$ の値を求めよ.また同じ電界を真空にかけたときの指数因子はいくらか.
ヒント:(1) $(1.022\times10^{6}\ \mathrm{V})^2/(4\times1.055\times10^{-34}\ \mathrm{J\,s}\times2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s}/(1.602\times10^{-19}\ \mathrm{C}))$ の形に整理すると出る.(2) $3.8\times10^{9}$.内訳はギャップ比の2乗 $8.3\times10^{11}$ を速度比 217 で割ったもの.(3) Si では $\exp(-\pi\times3.46)=\ee^{-10.9}=1.9\times10^{-5}$ で,前置因子を掛ければ十分測れる電流になる.真空では $\exp(-\pi\times1.32\times10^{10})$ で,事実上ゼロ.
演習1.3 励起子はポジトロニウムのスケール変換である
式 \eqref{eq:1-exciton} $E_X=-\mathrm{Ry}\,(m_r/m_0)/\varepsilon_r^2$,$a_X=a_0\varepsilon_r/(m_r/m_0)$ を使う.$\mathrm{Ry}=13.606\ \mathrm{eV}$,$a_0=0.0529\ \mathrm{nm}$.
(1) GaAs($m_r=0.059\,m_0$,$\varepsilon_r=12.9$)の励起子束縛エネルギーと Bohr 半径を求めよ.
(2) (1) の結果を室温の $k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$ と比べ,GaAs の励起子が室温で安定に存在できるかどうかを論ぜよ.一方 ZnO の励起子束縛エネルギーは実験的に $60\ \mathrm{meV}$ である.室温発光素子に ZnO や GaN が候補になる理由を述べよ.
(3) ポジトロニウム($m_r=m_e/2$,$\varepsilon_r=1$)の束縛エネルギーと半径を同じ式から求め,GaAs の励起子と比べよ.何倍違うか,またその比はどの物理量から来るか.
ヒント:(1) $E_X=-4.8\ \mathrm{meV}$,$a_X=11.6\ \mathrm{nm}$(実測 4.2 meV,11.6 nm).(2) $4.8\ \mathrm{meV}\ll25.9\ \mathrm{meV}$ なので室温では熱解離する.ZnO は $60\ \mathrm{meV}>25.9\ \mathrm{meV}$ なので束縛が保たれ,励起子発光が室温で使える.(3) $-6.80\ \mathrm{eV}$,$0.106\ \mathrm{nm}$.エネルギー比 1400 倍,半径比 110 倍.比の起源は $\varepsilon_r^2$(遮蔽)と $m_r$(有効質量)の2つ.
演習1.4 London 侵入長から光子の質量を求める
$\lambda_L=\sqrt{m_e/(\mu_0n_se^2)}$,$m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$,$\hbar c=197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ を使う.
(1) 超伝導電子密度 $n_s=1.0\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ のとき $\lambda_L$ を nm 単位で求めよ.
(2) (1) の $\lambda_L$ に対応する光子の質量を eV 単位で求め,Si のバンドギャップ $1.12\ \mathrm{eV}$ と比べよ.
(3) $W$ ボソン($m_Wc^2=80.377\ \mathrm{GeV}$)に対応する「侵入長」$\lambda_W=\hbar c/(m_Wc^2)$ を fm 単位で求め,陽子の半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ と比べよ.弱い相互作用が「弱い」理由を,結合定数ではなく到達距離の言葉で説明せよ.
(4) Al の $\lambda_L=16\ \mathrm{nm}$ から超伝導電子密度 $n_s$ を逆算し,Al の価電子密度 $1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$ と比べよ.
ヒント:(1) $53.1\ \mathrm{nm}$.(2) $3.72\ \mathrm{eV}$.半導体のギャップと同程度の「質量」を光子が獲得している.(3) $\lambda_W=197.327/80377\ \mathrm{fm}=2.46\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$.陽子の $1/340$ しかないので,核子どうしが接触していてもほとんど届かない.(4) $n_s=1.10\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$.価電子のほぼ 6 割が超流動成分になっている勘定になる($T\to0$).
演習1.5 Bogoliubov 準粒子の電荷
式 \eqref{eq:1-bdg}, \eqref{eq:1-bogoliubov} を使う.
(1) $H_{\text{BdG}}=\xi_\kk\tau_3-\Delta\tau_1$ に対して $H_{\text{BdG}}^2=(\xi_\kk^2+\Delta^2)\mathbf{1}$ を示し,固有値が $E_\kk=\pm\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}$ であることを結論せよ.
(2) $u_\kk^2+v_\kk^2=1$ と $2u_\kk v_\kk=\Delta/E_\kk$ を,式 \eqref{eq:1-bogoliubov} の定義から確かめよ.
(3) 準粒子 $\gamma_{\kk\uparrow}=u_\kk c_{\kk\uparrow}-v_\kk c^\dagger_{-\kk\downarrow}$ が運ぶ電荷の期待値は $q=-e(u_\kk^2-v_\kk^2)$ である.これを $\xi_\kk$ と $E_\kk$ で表し,$\xi_\kk=0$ でゼロになることを示せ.
(4) Nb($\Delta=1.5\ \mathrm{meV}$)で $\xi_\kk=1.5\ \mathrm{meV}$ の準粒子について,$u_\kk^2$,$v_\kk^2$ と電荷の期待値($-e$ 単位)を数値で求めよ.
ヒント:(1) $\{\tau_1,\tau_3\}=0$,$\tau_1^2=\tau_3^2=\mathbf{1}$ より交差項が消える.(2) $u^2v^2=\frac14(1-\xi^2/E^2)=\Delta^2/(4E^2)$.(3) $q=-e\,\xi_\kk/E_\kk$.(4) $E=\sqrt2\times1.5=2.12$ meV,$u^2=0.854$,$v^2=0.146$,$q=-0.707\,e$.Fermi 面に近づくほど電荷が薄まっていく.
演習1.6 DT 反応の運動学と第一壁の損傷
表1.7 の質量値と式 \eqref{eq:1-Tmax}, \eqref{eq:1-nrt} を使う.
(1) $\mathrm{D}+{}^3\mathrm{He}\to p+{}^4\mathrm{He}$ 反応の $Q$ 値を求めよ($m_{^3\mathrm{He}}c^2=2808.391\ \mathrm{MeV}$,$m_pc^2=938.272\ \mathrm{MeV}$).また陽子と $\alpha$ 粒子のエネルギー分配を求めよ.この反応が「中性子を出さない核融合」と呼ばれる理由を述べよ.
(2) 14.05 MeV 中性子がタングステン($A=184$)に弾性散乱するときの最大反跳エネルギー $T_{\max}$ を求め,鉄($A=56$)の場合の $0.969\ \mathrm{MeV}$ と比べよ.重い元素ほど反跳が小さいのはなぜか.
(3) (2) のタングステンについて,平均反跳 $\braket{T}=T_{\max}/2$,損傷効率 $\xi=0.6$,$E_d(\mathrm{W})=90\ \mathrm{eV}$ として NRT 式ではじき出し数 $N_d$ を求めよ.
(4) 壁負荷 $2\ \mathrm{MW/m^2}$,$\sigma_{\text{tot}}(\mathrm{W})=5.3\ \mathrm{b}$ として,タングステンの年間 dpa を求め,鉄の 15 dpa/年と比べよ.
ヒント:(1) $Q=(1875.613+2808.391)-(938.272+3727.379)=18.353\ \mathrm{MeV}$.$T_p=Q\,m_\alpha/(m_p+m_\alpha)=18.353\times0.7989=14.66\ \mathrm{MeV}$,$T_\alpha=3.69\ \mathrm{MeV}$.主反応の生成物が両方とも荷電粒子なので磁場で閉じ込められ,壁の損傷が DT に比べて桁違いに小さい(ただし D–D 副反応で数 % の中性子は出る).(2) $T_{\max}=4\times184/185^2\times14.05=0.0215\times14.05=0.302\ \mathrm{MeV}$.換算質量の効果で,重い標的ほど中性子は跳ね返されるだけでエネルギーを渡さない.(3) $T_{\text{dam}}=0.6\times0.151=0.0906\ \mathrm{MeV}$,$N_d=0.8\times9.06\times10^4/(2\times90)=403$.(4) $\phi=8.9\times10^{17}$ は同じ.$8.9\times10^{17}\times5.3\times10^{-28}\times403=1.90\times10^{-7}\ \mathrm{s^{-1}}$,年 6.0 dpa.鉄より小さいのは,はじき出しきい値が高く反跳が小さいためで,これがタングステンがプラズマ対向材(ダイバータおよび第一壁アーマー)の第一候補である理由の一つである.
演習1.7 中性子の波長公式を自然単位系で導く
中性子散乱で使われる公式 $\lambda\,[\mathrm{\AA}]=9.045/\sqrt{E\,[\mathrm{meV}]}$ を導く.$m_nc^2=939.565\ \mathrm{MeV}$,$hc=1239.84\ \mathrm{eV\,nm}$ を使う.
(1) 非相対論的な運動量は $pc=\sqrt{2(m_nc^2)E}$ である.$E=25.3\ \mathrm{meV}$ に対して $pc$ を eV 単位で求めよ.
(2) $\lambda=hc/(pc)$ から波長を nm 単位で求め,$1.80\ \mathrm{\AA}$ になることを確かめよ.
(3) 一般に $\lambda\,[\mathrm{nm}] = hc/\sqrt{2(m_nc^2)E}$ を,$E$ を meV 単位で測ったときの数値式に整理し,$\lambda[\mathrm{\AA}]=9.045/\sqrt{E[\mathrm{meV}]}$ を導け.
(4) 同じ $1.80\ \mathrm{\AA}$ の波長をもつ光子(X線)と電子のエネルギーをそれぞれ求め,中性子の $25.3\ \mathrm{meV}$ と比べよ.なぜフォノン測定に中性子が使われるのかを説明せよ.
ヒント:(1) $pc=\sqrt{2\times9.396\times10^{8}\times2.53\times10^{-2}}=6.90\times10^{3}\ \mathrm{eV}$.(2) $\lambda=1239.84/6895=0.1798\ \mathrm{nm}$.(3) $\lambda[\mathrm{nm}]=1239.84/\sqrt{2\times9.39565\times10^{8}\times10^{-3}E}=1239.84/(1370.8\sqrt{E})=0.9045/\sqrt{E}$.(4) 光子は $E=hc/\lambda=1239.84/0.180=6.89\ \mathrm{keV}$,電子は $pc$ が同じなので $E=(pc)^2/(2m_ec^2)=6895^2/(2\times5.11\times10^{5})=46.5\ \mathrm{eV}$.フォノンの $10\ \mathrm{meV}$ を測るには,X線では $\Delta E/E\sim10^{-6}$,電子でも $10^{-4}$ の分解能が要るが,中性子なら $10^{-1}$ でよい.
演習1.8 素粒子プローブの数値
$m_\pi c^2=139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_\mu c^2=105.658\ \mathrm{MeV}$,$\tau_\mu=2.197\ \mu\mathrm{s}$,$\gamma_\mu/2\pi=135.5\ \mathrm{MHz/T}$,$m_ec^2=511.0\ \mathrm{keV}$ を使う.
(1) 式 \eqref{eq:1-surface-muon} を使わずに,エネルギー・運動量保存から表面ミュオンの運動量 $pc=(m_\pi^2-m_\mu^2)c^2/(2m_\pi)$ を導け.また数値を求めよ.
(2) 局所磁場 $0.05\ \mathrm{T}$ における $\mu^+$ の歳差周波数と周期を求め,寿命 $\tau_\mu$ の間に何回歳差するかを求めよ.
(3) 銅($E_F=7.0\ \mathrm{eV}$)における陽電子消滅の角相関の広がり $\Delta\theta=p_Fc/(m_ec^2)$ を mrad 単位で求めよ.また Doppler 広がり $\Delta E=p_Fc/2$ を eV 単位で求め,Ge 検出器の分解能 $1.2\ \mathrm{keV}$ と比べよ.
(4) $\mu^-$ を使った重水素のミュオン原子の Bohr 半径 $a_\mu=a_0\,m_e/\mu_{\text{red}}$ を fm 単位で求めよ($\mu_{\text{red}}=195.7\,m_e$,$a_0=0.529\ \mathrm{\AA}$).通常の $\mathrm{D}_2$ 分子の核間距離 $0.74\ \mathrm{\AA}$ と比べ,何桁縮むか答えよ.
ヒント:(1) $m_\pi c^2=\sqrt{p^2c^2+m_\mu^2c^4}+pc$ を移項して2乗する.$pc=29.79\ \mathrm{MeV}$.(2) $f=6.775\ \mathrm{MHz}$,周期 $148\ \mathrm{ns}$,$2.197\times10^{-6}/1.476\times10^{-7}=14.9$ 回.(3) $p_Fc=\sqrt{2\times5.11\times10^{5}\times7.0}=2.67\ \mathrm{keV}$,$\Delta\theta=5.2\ \mathrm{mrad}$,$\Delta E=1.34\ \mathrm{keV}$(検出器分解能と同程度なので,デコンボリューションか同時計数が要る).(4) $a_\mu=0.529\times10^{5}\ \mathrm{fm}/195.7=270\ \mathrm{fm}$.$0.74\ \mathrm{\AA}=7.4\times10^{4}\ \mathrm{fm}$ なので約 2.4 桁(270 倍)縮む.
参考文献
- D. J. Griffiths, Introduction to Elementary Particles, 2nd revised ed., Wiley-VCH (2008).邦訳:グリフィス『素粒子物理学』丸善出版.—— 本書の底本.第1章は本章の 1.1 節に相当する導入である.
- Y. Nambu, "Quasi-Particles and Gauge Invariance in the Theory of Superconductivity", Phys. Rev. 117, 648 (1960). —— 物性から素粒子へ橋を架けた論文.1.3 節の内容の原典.
- P. W. Anderson, "Plasmons, Gauge Invariance, and Mass", Phys. Rev. 130, 439 (1963). —— Goldstone ボソンがゲージ場に食われる機構.Higgs の1年前.
- J. Schwinger, "On Gauge Invariance and Vacuum Polarization", Phys. Rev. 82, 664 (1951). —— 式 \eqref{eq:1-schwinger} の原典.E. O. Kane, J. Phys. Chem. Solids 12, 181 (1960) がその半導体版である.
- A. Yu. Kitaev, "Unpaired Majorana fermions in quantum wires", Physics-Uspekhi 44, 131 (2001). —— 1.4 節の Kitaev 鎖の原典.
- M. J. Norgett, M. T. Robinson, I. M. Torrens, "A proposed method of calculating displacement dose rates", Nucl. Eng. Des. 33, 50 (1975). —— 式 \eqref{eq:1-nrt} の原典.S. J. Zinkle and J. T. Busby, Materials Today 12, 12 (2009) は核融合炉材料の総説として読みやすい.
- Particle Data Group (R. L. Workman et al.), "Review of Particle Physics", Prog. Theor. Exp. Phys. 2022, 083C01 (2022). —— 本書で使う素粒子の質量・寿命・分岐比はすべてこの 2022 年版による.オンライン版は毎年更新される.