付録CPauli 行列と Dirac 行列
素粒子物理学の計算のうち,実際に紙とペンを消費する部分の大半は,$\gamma$ 行列の積とトレースの計算である.第10章で電子と光子の散乱断面積を出すときも,第11章でクォークの散乱を計算するときも,第12章で $\mu$ 粒子の寿命を出すときも,最後に必ず $\Tr\left[(\slashed{p}_1+m)\gamma^\mu(\slashed{p}_2+m)\gamma^\nu\right]$ のような式が現れる.この $4\times4$ 行列の積のトレースを,行列成分を一つも書かずに,指数の縮約だけで一気に片づける——それがトレース定理である.本付録の中心は C.4 節のトレース定理であり,そこに至るまでの C.1〜C.3 節はすべてその準備である.
しかし本付録の役割はそれだけではない.Pauli 行列 $\sigma^i$ と Dirac 行列 $\gamma^\mu$ は,「回転とブーストという時空の対称性を,行列で表現したもの」である.すなわちこれらは,第5章で学んだ群論の言葉でいえば $\mathrm{SU}(2)$ と $\mathrm{SO}(3,1)$ のスピノル表現の生成子を作る素材である(生成子そのものは $S^i=\sigma^i/2$ と $S^{\mu\nu}=\tfrac{\ii}{4}[\gamma^\mu,\gamma^\nu]$ である).したがって $\gamma$ 行列の性質は,計算の道具であると同時に,時空の構造の反映でもある.たとえば $\gamma^5$ が存在してすべての $\gamma^\mu$ と反交換するという事実は,Lorentz 群が二つの独立な $\mathrm{SU}(2)$ に分解すること(第5章)の帰結であり,そこから左巻き・右巻きという概念が生まれ,弱い相互作用のパリティ非保存(第6章・第12章)に直結する.行列の代数が物理を決めているのである.
そして,材料科学者にとっての本題がある.Pauli 行列は,物性物理で最もよく使われる行列である.$2\times2$ のエルミート行列は必ず $H=d^0\mathbb{1}+\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ と書けるので,二準位系はすべて Pauli 行列で書ける.スピン軌道結合 $\bm{\sigma}\cdot(\nabla V\times\pp)$ ,Rashba 項 $\alpha_\mathrm{R}(\bm{\sigma}\times\kk)_z$ ,Dresselhaus 項,グラフェンの $\hbar v_F\,\bm{\sigma}\cdot\kk$ ,超伝導の Bogoliubov–de Gennes 方程式の $\xi_\kk\tau_z+\Delta\tau_x$ ——これらは同じ代数を共有する.本付録で $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})=\bm{a}\cdot\bm{b}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ を証明したら,それはただちに Rashba バンドの分裂 $E=\hbar^2k^2/2m^*\pm\alpha_\mathrm{R}\abs{\kk}$ を与える公式になる.比喩ではなく,文字どおり同じ一行の式である.
さらに Dirac 行列の三つの表示——Dirac–Pauli 表示・Weyl(カイラル)表示・Majorana 表示——は,それぞれ材料科学に対応物をもつ.Dirac–Pauli 表示は非相対論極限(=バンドギャップが大きい半導体)を見るのに適し,Weyl 表示は質量ゼロ極限(=Weyl 半金属・グラフェン)に適し,Majorana 表示は「粒子と反粒子が同じ」という状況(=超伝導体中の Bogoliubov 準粒子)に適する.表示の選択は物理を変えないが,見える構造を変える.どの表示でどの物理が見やすいかを知っておくことは,素粒子物理と物性物理の両方で役に立つ.
本付録は辞書として使うことを想定している.必要な公式を C.3・C.4・C.6 節の表から引き,証明が気になったら本文に戻る,という使い方でよい.ただし C.1 節と C.2 節だけは一度通して読むことを勧める.行列の明示形を自分の手で書き,二乗して $\mathbb{1}$ になることを確かめておくと,あとの縮約計算が「記号の操作」ではなく「行列の性質」として腑に落ちるからである.
- Pauli 行列 $\sigma^i$ の明示形と,交換関係 $[\sigma^i,\sigma^j]=2\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$・反交換関係 $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}$
- 基本恒等式 $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})=\bm{a}\cdot\bm{b}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ と,その系としての回転演算子 $\exp(-\ii\theta\,\bm{n}\cdot\bm{\sigma}/2)=\cos(\theta/2)-\ii(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})\sin(\theta/2)$
- Pauli 行列の完全性関係(Fierz 恒等式)と,任意の $2\times2$ 行列の分解 $M=\tfrac12\left[\Tr M+\Tr(M\sigma^i)\sigma^i\right]$
- Dirac 行列の Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ と,Dirac–Pauli/Weyl/Majorana の三つの表示の明示形・使い分け
- エルミート性の条件 $\gamma^0\gamma^{\mu\dagger}\gamma^0=\gamma^\mu$,$\gamma^5$ の定義と性質,$\sigma^{\mu\nu}$ と16個の基底
- 縮約公式 $\gamma^\mu\gamma_\mu=4$,$\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}$,$\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu=4a\cdot b$ などの証明と $d$ 次元版
- トレース定理:奇数個はゼロ,2個・4個・6個の場合,$\gamma^5$ を含む場合の $\varepsilon$ テンソル.すべて証明つきで導き,表にまとめる
- スピノルの完全性関係 $\sum_s u\bar u=\slashed{p}+m$,エネルギー射影 $\Lambda_\pm$,スピン射影 $\Sigma(s)=(1+\gamma^5\slashed{s})/2$,カイラル射影 $P_{L,R}$
- Levi-Civita テンソルの符号規約と縮約公式(3次元・4次元)
- 材料科学との接点:Rashba/Dresselhaus 分裂の固有値,グラフェンの擬スピンと Berry 位相 $\pi$,BdG 方程式の Nambu 空間と Majorana 演算子,スピン密度行列とトレース
C.1 Pauli 行列
C.1.1 定義と明示形
Pauli は 1927 年,電子のスピンを非相対論的量子力学に組み込むために,次の三つの $2\times2$ 行列を導入した.
定義:Pauli 行列
これらをまとめてベクトル記法で $\bm{\sigma}=(\sigma^1,\sigma^2,\sigma^3)$ と書き,$\sigma^x,\sigma^y,\sigma^z$ とも書く.単位行列を $\mathbb{1}_2=\begin{pmatrix}1&0\\0&1\end{pmatrix}$ とし,必要なら $\sigma^0\equiv\mathbb{1}_2$ とおく.
電子のスピン演算子は $\bm{S}=\dfrac{\hbar}{2}\bm{\sigma}$ である(自然単位系では $\bm{S}=\bm{\sigma}/2$).
まず一つずつ性質を確かめておく.すべて直接の行列計算で確認できる.
- エルミート:$\sigma^{i\dagger}=\sigma^i$.したがって固有値は実数である.
- トレースレス:$\Tr\sigma^i=0$.$\sigma^1$ と $\sigma^2$ は対角成分がゼロ,$\sigma^3$ は $1+(-1)=0$.
- 行列式:$\det\sigma^i=-1$.$\det\sigma^1=0\cdot0-1\cdot1=-1$,$\det\sigma^2=0\cdot0-(-\ii)\cdot\ii=-\left(-\ii^2\right)=-(+1)=-1$($\ii^2=-1$ に注意),$\det\sigma^3=1\cdot(-1)-0\cdot0=-1$.
- 二乗が単位行列:$(\sigma^i)^2=\mathbb{1}_2$.したがって固有値は $\pm1$ であり,トレースレスと合わせて,各 $\sigma^i$ の固有値は必ず $+1$ と $-1$ が一つずつである.
- ユニタリ:$\sigma^{i\dagger}\sigma^i=(\sigma^i)^2=\mathbb{1}_2$.エルミートかつユニタリという,やや特殊な行列である.
固有値が $\pm1$ であることは物理的に重要である.$\sigma^3$ の固有ベクトルは $\ket{\uparrow}=\binom{1}{0}$(固有値 $+1$)と $\ket{\downarrow}=\binom{0}{1}$(固有値 $-1$)であり,$z$ 方向のスピンを測れば必ず $\pm\hbar/2$ が返る.どの方向 $\bm{n}$ をとっても $(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^2=\mathbb{1}$(C.1.3 項で示す)なので,どの方向で測ってもスピンは $\pm\hbar/2$ しか返さない.これがスピン $1/2$ の系の最も基本的な性質である.
C.1.2 交換関係と反交換関係
定理:Pauli 行列の代数
ここで $\varepsilon^{ijk}$ は3次元の Levi-Civita 記号($\varepsilon^{123}=+1$,添字の入れ替えで符号が変わる)であり,$k$ については $1,2,3$ の和をとる.この1本の式から,交換関係と反交換関係の両方が従う.
$$ \begin{equation} \left[\sigma^i,\sigma^j\right]=2\ii\,\varepsilon^{ijk}\sigma^k, \qquad \left\{\sigma^i,\sigma^j\right\}=2\delta^{ij}\mathbb{1}_2 \label{eq:C-sigma-comm} \end{equation} $$導出1:積の公式 \eqref{eq:C-sigma-product} の証明
ステップ1:$i=j$ の場合.すでに見たとおり $(\sigma^i)^2=\mathbb{1}_2$ である.右辺は $\delta^{ii}\mathbb{1}=\mathbb{1}$($i$ は固定,和をとらない)で,$\varepsilon^{iik}=0$ だから第2項は消える.一致する.
ステップ2:$i\ne j$ の場合を一つ計算する.$i=1,j=2$ をとる.
$$ \sigma^1\sigma^2=\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}\ii&0\\0&-\ii\end{pmatrix} =\ii\begin{pmatrix}1&0\\0&-1\end{pmatrix}=\ii\sigma^3 $$右辺の予言は $\delta^{12}\mathbb{1}+\ii\varepsilon^{123}\sigma^3=0+\ii\sigma^3$.一致する.
ステップ3:順序を逆にする.
$$ \sigma^2\sigma^1=\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-\ii&0\\0&\ii\end{pmatrix}=-\ii\sigma^3 $$右辺は $\ii\varepsilon^{213}\sigma^3=-\ii\sigma^3$.一致する.すなわち $\sigma^1$ と $\sigma^2$ は反交換する.
ステップ4:残りは巡回対称性で片づく.$\sigma^2\sigma^3=\ii\sigma^1$,$\sigma^3\sigma^1=\ii\sigma^2$ も同様に直接計算で確かめられる.$\varepsilon^{ijk}$ が添字の巡回置換で不変なので,$(1,2,3)\to(2,3,1)\to(3,1,2)$ の三つはすべて同じ形になる.
ステップ5:交換子と反交換子に分ける.任意の行列について $AB=\tfrac12\{A,B\}+\tfrac12[A,B]$ である.\eqref{eq:C-sigma-product} の右辺のうち $\delta^{ij}\mathbb{1}$ は $i\leftrightarrow j$ で対称,$\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ は反対称だから,対称部分が反交換子の半分,反対称部分が交換子の半分に対応する.すなわち $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}\mathbb{1}$,$[\sigma^i,\sigma^j]=2\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ である.$\blacksquare$
数学ノート:これは $\mathfrak{su}(2)$ のリー代数である
スピン演算子 $S^i=\sigma^i/2$ で書き直すと,交換関係 \eqref{eq:C-sigma-comm} は
$$ \left[S^i,S^j\right]=\ii\,\varepsilon^{ijk}S^k $$となる.これは角運動量の交換関係そのものであり,リー代数 $\mathfrak{su}(2)\cong\mathfrak{so}(3)$ の定義関係式である(第5章).すなわちPauli 行列は $\mathrm{SU}(2)$ の生成子(の2倍)である.軌道角運動量 $\bm{L}=\xx\times\pp$ も同じ交換関係を満たすが,こちらは整数スピンの表現しか作らない.半整数スピンを許すのが $\mathrm{SU}(2)$ の特徴であり,その最小の表現がこの $2\times2$ 表現である.
反交換関係 $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}$ のほうは,3次元 Euclid 空間の Clifford 代数 $\mathrm{Cl}(3)$ の定義関係式である.C.2 節の $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ は,これを Minkowski 計量に拡張したものにほかならない.Pauli 行列は $\gamma$ 行列の3次元版であり,$\gamma$ 行列は Pauli 行列の4次元版であると思ってよい.
C.1.3 基本恒等式 $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})$
実用上もっともよく使う恒等式が次である.この一本で,二準位系の固有値問題はほぼ解けてしまう.
定理:Pauli 行列の基本恒等式
$\bm{a},\bm{b}$ を($\bm{\sigma}$ と可換な)任意の3次元ベクトルとするとき
導出2:恒等式 \eqref{eq:C-ab-sigma} の証明
ステップ1:成分で書き下す.$\bm{a}\cdot\bm{\sigma}=a_i\sigma^i$,$\bm{b}\cdot\bm{\sigma}=b_j\sigma^j$($i,j$ は $1,2,3$ の和)だから
$$ (\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma}) = a_i b_j\,\sigma^i\sigma^j $$ステップ2:積の公式 \eqref{eq:C-sigma-product} を代入する.
$$ = a_i b_j\left(\delta^{ij}\mathbb{1}_2+\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k\right) = a_i b_i\,\mathbb{1}_2 + \ii\,\varepsilon^{ijk}a_i b_j\,\sigma^k $$ステップ3:各項を読む.第1項の $a_ib_i$ は内積 $\bm{a}\cdot\bm{b}$ である.第2項の $\varepsilon^{ijk}a_ib_j$ は外積の第 $k$ 成分 $(\bm{a}\times\bm{b})_k$ にほかならない.よって
$$ = (\bm{a}\cdot\bm{b})\,\mathbb{1}_2 + \ii\,(\bm{a}\times\bm{b})_k\,\sigma^k = (\bm{a}\cdot\bm{b})\,\mathbb{1}_2+\ii\,\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b}) $$$\blacksquare$ 証明は3行だが,使い道は無数にある.
この恒等式の直接の系をいくつか挙げる.いずれも以後くり返し使う.
定理:恒等式 \eqref{eq:C-ab-sigma} の系
(i) 同じベクトルなら外積が消える.$\bm{a}\times\bm{a}=0$ より
$$ \begin{equation} (\bm{a}\cdot\bm{\sigma})^2 = \abs{\bm{a}}^2\,\mathbb{1}_2 \label{eq:C-asq} \end{equation} $$特に単位ベクトル $\bm{n}$ に対して $(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^2=\mathbb{1}_2$.したがって $\bm{n}\cdot\bm{\sigma}$ の固有値は $\pm1$ である(トレースがゼロなので $+1$ と $-1$ が一つずつ).
(ii) 二準位ハミルトニアンの固有値.任意のエルミート $2\times2$ 行列は $H=d^0\mathbb{1}_2+\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$($d^0,\bm{d}$ は実)と一意に書ける.(i) より固有値は
(iii) 逆行列.$\abs{\bm{a}}\neq0$ のとき $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})^{-1}=\dfrac{\bm{a}\cdot\bm{\sigma}}{\abs{\bm{a}}^2}$.
(iv) 運動量演算子との組み合わせ.$\bm{a}=\bm{b}=\bm{\pi}\equiv\pp-q\bm{A}$(成分どうしが可換でない)の場合は外積が生き残り
$$ \begin{equation} (\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})^2 = \bm{\pi}^2 + \ii\,\bm{\sigma}\cdot(\bm{\pi}\times\bm{\pi}) = \bm{\pi}^2 - q\,\bm{\sigma}\cdot\bm{B} \label{eq:C-pauli-term} \end{equation} $$ここで $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=\ii q\,\nabla\times\bm{A}=\ii q\bm{B}$($\hbar=1$)を使った(第9章).念のため確かめておくと,$[\pi_j,\pi_k]=-q\left([p_j,A_k]+[A_j,p_k]\right)=\ii q\left(\partial_jA_k-\partial_kA_j\right)$ であり,$(\bm{\pi}\times\bm{\pi})_i=\tfrac12\varepsilon_{ijk}[\pi_j,\pi_k]=\ii q\,\varepsilon_{ijk}\partial_jA_k=\ii qB_i$ となる.したがって $\ii\bm{\sigma}\cdot(\ii q\bm{B})=-q\,\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$ である.これが Pauli 方程式の磁気モーメント項であり,$g$ 因子が $2$ になる理由である(電子は $q=-e$ なので $-q\bm{\sigma}\cdot\bm{B}/2m=+({e}/{2m})\bm{\sigma}\cdot\bm{B}=-\bm{\mu}\cdot\bm{B}$ となり,$\bm{\mu}=-(e/2m)\,g\bm{S}$ の $g=2$ を与える).
材料科学との接点:二準位系はすべて Pauli 行列で書ける
式 \eqref{eq:C-two-level} は,物性物理で書かれるほとんどすべての $2\times2$ ハミルトニアンを一行で解いてしまう公式である.どれも「$\bm{d}(\kk)$ が何か」を読み取るだけでよい.
| 系 | $\bm{\sigma}$ の意味 | $\bm{d}(\kk)$ | 分裂 $2\abs{\bm{d}}$ |
|---|---|---|---|
| Rashba 型(表面・界面) | 実スピン | $\alpha_\mathrm{R}(k_y,-k_x,0)$ | $2\alpha_\mathrm{R}\abs{\kk_\parallel}$ |
| Dresselhaus 型(閃亜鉛鉱) | 実スピン | $\beta(k_x,-k_y,0)$ | $2\beta\abs{\kk_\parallel}$ |
| グラフェン($K$ 点近傍) | 副格子擬スピン | $\hbar v_F(k_x,k_y,0)$ | $2\hbar v_F\abs{\kk}$ |
| ギャップ付き Dirac($h$-BN,MoS$_2$) | 副格子擬スピン | $(\hbar v_Fk_x,\hbar v_Fk_y,\Delta)$ | $2\sqrt{\hbar^2v_F^2k^2+\Delta^2}$ |
| BdG($s$ 波超伝導) | Nambu(粒子・正孔) | $(\mathrm{Re}\Delta,-\mathrm{Im}\Delta,\xi_\kk)$ | $2\sqrt{\xi_\kk^2+\abs{\Delta}^2}$ |
| 2軌道強束縛($\sigma$-$\pi$ 混成など) | 軌道擬スピン | $(\mathrm{Re}\,t_{12},-\mathrm{Im}\,t_{12},(\epsilon_1-\epsilon_2)/2)$ | $2\sqrt{\abs{t_{12}}^2+\left(\tfrac{\epsilon_1-\epsilon_2}{2}\right)^2}$ |
いちばん下の行に注目してほしい.これは「二つの準位が $t_{12}$ で混じると,エネルギー差が $\sqrt{\Delta\epsilon^2+4\abs{t}^2}$ に開く」という,化学結合論でおなじみの反発則である.超伝導ギャップの $\sqrt{\xi^2+\abs{\Delta}^2}$ も,Rashba 分裂の $\alpha_\mathrm{R}k$ も,すべてこの一つの式 \eqref{eq:C-two-level} の別名である.素粒子物理で $E=\sqrt{\pp^2+m^2}$ が出るのも,ギャップ付き Dirac 模型の $\bm{d}=(\hbar v_Fk_x,\hbar v_Fk_y,\Delta)$ が出すのも,同じ $\abs{\bm{d}}$ である.質量とは,擬スピン空間で $\bm{d}$ が面外成分をもつことである.
導出3:Rashba ハミルトニアンを \eqref{eq:C-two-level} で解く
ステップ1:ハミルトニアンを書く.2次元電子ガスの面直方向($z$)に反転対称性が破れているとき,最低次のスピン軌道項は
$$ \Ham_\mathrm{R} = \frac{\hbar^2\kk^2}{2m^*}\mathbb{1}_2 + \alpha_\mathrm{R}\left(\bm{\sigma}\times\kk\right)\cdot\hat{\bm{z}} $$ステップ2:$\bm{d}$ を読み取る.$(\bm{\sigma}\times\kk)_z=\sigma^xk_y-\sigma^yk_x$ であるから
$$ \Ham_\mathrm{R} = \underbrace{\frac{\hbar^2k^2}{2m^*}}_{d^0}\mathbb{1}_2 + \underbrace{\alpha_\mathrm{R}(k_y,\,-k_x,\,0)}_{\bm{d}(\kk)}\cdot\bm{\sigma} $$ステップ3:\eqref{eq:C-two-level} を適用する.$\abs{\bm{d}}=\alpha_\mathrm{R}\sqrt{k_y^2+k_x^2}=\alpha_\mathrm{R}k$ なので
ステップ4:バンド構造を読む.$E_-$ は $k_0=m^*\alpha_\mathrm{R}/\hbar^2$ で最小値 $-m^*\alpha_\mathrm{R}^2/2\hbar^2\equiv-E_\mathrm{R}$ をとる.すなわちバンド底が原点からリング状にずれる.$E_\mathrm{R}$ を Rashba エネルギーと呼ぶ.
ステップ5:スピンの向きを読む.固有状態は $\bm{d}$ の向きを向いたスピンである.$\bm{d}\parallel(k_y,-k_x,0)$ は $\kk$ に垂直な面内ベクトルだから,スピンは常に運動量に直交して面内を向く.$\kk$ を1周させると $\bm{d}$ も1周する——これがスピン運動量ロッキングであり,スピントロニクスの基本現象である(図C.2).
ステップ6:数値を入れる.Bi/Ag(111) 表面合金では $\alpha_\mathrm{R}\approx3.05\ \mathrm{eV\,\mathring{A}}$,$m^*\approx-0.35\,m_e$ と報告されている(Ast ら,Phys. Rev. Lett. 98, 186807 (2007)).$m^*$ が負,すなわちこの $sp_z$ 表面バンドは正孔的で放物線が上に凸であり,ステップ4で描いた「バンド底がリング状にずれる」絵は上下が逆になって,リング状の極値は $E_+$ 枝の頂の側に現れる.分裂の大きさを与える式は同じなので,以下では $\abs{m^*}$ で評価する.$\hbar^2/m_e=7.62\ \mathrm{eV\,\mathring{A}^2}$ を使うと
$$ k_0=\frac{\abs{m^*}\alpha_\mathrm{R}}{\hbar^2}=\frac{0.35\times3.05}{7.62}\ \mathring{\mathrm{A}}^{-1}=0.14\ \mathring{\mathrm{A}}^{-1}, \qquad E_\mathrm{R}=\frac{\alpha_\mathrm{R}k_0}{2}=0.21\ \mathrm{eV} $$同文献の実測値は $k_0\approx0.13\ \mathring{\mathrm{A}}^{-1}$,$E_\mathrm{R}\approx0.2\ \mathrm{eV}$ で,$\alpha_\mathrm{R}$ と $m^*$ の丸めの範囲で一致している.$\blacksquare$ $E_\mathrm{R}$ は室温 $k_BT=0.026\ \mathrm{eV}$ の8倍であり,室温で十分観測できる大きさである.
C.1.4 指数関数と回転演算子
$\bm{n}\cdot\bm{\sigma}$ の指数関数は,恒等式 \eqref{eq:C-asq} のおかげで閉じた形に和がとれる.この結果はスピン $1/2$ の回転を記述する,量子力学で最も有名な公式の一つである.
定理:スピン $1/2$ の回転演算子
$\bm{n}$ を単位ベクトル($\abs{\bm{n}}=1$)とするとき
これは $\bm{n}$ 軸まわりの角 $\theta$ の回転を,スピノルに作用させる演算子である.
導出4:回転演算子 \eqref{eq:C-rotation} の証明
ステップ1:指数関数を級数で定義する.行列 $A$ に対して $\ee^{A}=\sum_{n=0}^\infty A^n/n!$ である.いま $A=-\ii(\theta/2)(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})$ とおく.
ステップ2:$(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})$ の冪を整理する.\eqref{eq:C-asq} より $(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^2=\mathbb{1}_2$ である.したがって
$$ (\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^{2m}=\mathbb{1}_2, \qquad (\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^{2m+1}=\bm{n}\cdot\bm{\sigma} $$すなわち偶数冪はすべて単位行列,奇数冪はすべて $\bm{n}\cdot\bm{\sigma}$ に潰れる.行列の指数関数がスカラーの場合と同じくらい簡単になるのは,この性質のおかげである.
ステップ3:級数を偶数項と奇数項に分ける.$x\equiv\theta/2$ と書くと
$$ \ee^{-\ii x(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})} =\sum_{n=0}^\infty \frac{(-\ii x)^n}{n!}(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^n =\underbrace{\sum_{m=0}^\infty \frac{(-\ii x)^{2m}}{(2m)!}}_{\text{偶}}\mathbb{1}_2 +\underbrace{\sum_{m=0}^\infty \frac{(-\ii x)^{2m+1}}{(2m+1)!}}_{\text{奇}}(\bm{n}\cdot\bm{\sigma}) $$ステップ4:それぞれの級数を同定する.$(-\ii x)^{2m}=(-1)^m x^{2m}$ だから偶数項の和は $\sum(-1)^mx^{2m}/(2m)!=\cos x$.$(-\ii x)^{2m+1}=-\ii(-1)^mx^{2m+1}$ だから奇数項の和は $-\ii\sum(-1)^mx^{2m+1}/(2m+1)!=-\ii\sin x$.よって
$$ \ee^{-\ii x(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})}=\cos x\,\mathbb{1}_2-\ii\sin x\,(\bm{n}\cdot\bm{\sigma}) $$$x=\theta/2$ を戻せば \eqref{eq:C-rotation} である.$\blacksquare$
定理:随伴作用としてのベクトル回転
同じ $U(\bm{n},\theta)$ を用いて $\bm{\sigma}$ を挟むと,こんどはベクトルとしての回転が得られる.
$$ \begin{equation} U^\dagger(\bm{n},\theta)\,(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})\,U(\bm{n},\theta) = (R\bm{a})\cdot\bm{\sigma} \label{eq:C-adjoint} \end{equation} $$ここで $R$ は $\bm{n}$ 軸まわりの3次元回転行列であり,具体的には Rodrigues の公式
$$ R\bm{a}=\bm{a}\cos\theta + \bm{n}(\bm{n}\cdot\bm{a})(1-\cos\theta) + (\bm{a}\times\bm{n})\sin\theta $$で与えられる.外積の順が $(\bm{a}\times\bm{n})$ であることに注意する.標準的な Rodrigues の回転(角 $+\theta$)は $(\bm{n}\times\bm{a})\sin\theta$ を含むから,ここの $R$ はその逆回転 $R(\bm{n},-\theta)=R(\bm{n},\theta)^{-1}=R(\bm{n},\theta)^{\mathsf{T}}$ にあたる.添字で書けば $U^\dagger\sigma^i U=R(\bm{n},\theta)^{ij}\sigma^j$ という見慣れた形になり,状態を $\ket{\psi}\to U\ket{\psi}$ と回したときの期待値は $\braket{\sigma^i}\to R(\bm{n},\theta)^{ij}\braket{\sigma^j}$,すなわちベクトル $\braket{\bm{\sigma}}$ はきちんと $+\theta$ だけ回る(図C.1(b)).$\bm{a}\cdot\bm{\sigma}$ を挟む書き方だと縮約の向きが転置になるだけである.
導出5:随伴作用 \eqref{eq:C-adjoint} の証明
ステップ1:$U$ を展開して代入する.$c\equiv\cos(\theta/2)$,$s\equiv\sin(\theta/2)$,$N\equiv\bm{n}\cdot\bm{\sigma}$,$A\equiv\bm{a}\cdot\bm{\sigma}$ と略記する.$U=c-\ii sN$,$U^\dagger=c+\ii sN$ だから
$$ U^\dagger A U = (c+\ii sN)A(c-\ii sN) = c^2A + \ii cs\,(NA-AN) + s^2 NAN $$ステップ2:$NA-AN$ を \eqref{eq:C-ab-sigma} で書く.$NA=(\bm{n}\cdot\bm{a})+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{n}\times\bm{a})$,$AN=(\bm{a}\cdot\bm{n})+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{n})$ である.内積の項は打ち消し,外積の項は符号が逆なので
$$ NA-AN = 2\ii\,\bm{\sigma}\cdot(\bm{n}\times\bm{a}) $$ステップ3:$NAN$ を計算する.まず $NA=(\bm{n}\cdot\bm{a})\mathbb{1}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{n}\times\bm{a})$.これに右から $N$ を掛ける.第1項は $(\bm{n}\cdot\bm{a})N$.第2項は,あらためて \eqref{eq:C-ab-sigma} で $\bm{a}\to\bm{n}\times\bm{a}$,$\bm{b}\to\bm{n}$ として
$$ \ii\left[\left((\bm{n}\times\bm{a})\cdot\bm{n}\right)\mathbb{1}+\ii\bm{\sigma}\cdot\left((\bm{n}\times\bm{a})\times\bm{n}\right)\right] = -\bm{\sigma}\cdot\left((\bm{n}\times\bm{a})\times\bm{n}\right) $$($(\bm{n}\times\bm{a})\cdot\bm{n}=0$ を使った.)さらに $(\bm{n}\times\bm{a})\times\bm{n}=\bm{a}-\bm{n}(\bm{n}\cdot\bm{a})$ だから
$$ NAN = (\bm{n}\cdot\bm{a})\,\bm{\sigma}\cdot\bm{n} - \bm{\sigma}\cdot\bm{a} + (\bm{n}\cdot\bm{a})\,\bm{\sigma}\cdot\bm{n} = \bm{\sigma}\cdot\left[2\bm{n}(\bm{n}\cdot\bm{a})-\bm{a}\right] $$ステップ4:まとめる.
$$ U^\dagger AU = \bm{\sigma}\cdot\Big[c^2\bm{a} - 2cs\,(\bm{n}\times\bm{a}) + s^2\left(2\bm{n}(\bm{n}\cdot\bm{a})-\bm{a}\right)\Big] $$ステップ5:半角を倍角に直す.$c^2-s^2=\cos\theta$,$2cs=\sin\theta$,$2s^2=1-\cos\theta$ を使うと
$$ U^\dagger AU = \bm{\sigma}\cdot\Big[\bm{a}\cos\theta + \bm{n}(\bm{n}\cdot\bm{a})(1-\cos\theta) + (\bm{a}\times\bm{n})\sin\theta\Big] $$角括弧の中身はまさに Rodrigues の回転公式(外積が $(\bm{a}\times\bm{n})$ の順なので,定理の直後に注意したとおり $R(\bm{n},-\theta)=R(\bm{n},\theta)^{\mathsf{T}}$ の形)である.$\blacksquare$
注意:$\theta=2\pi$ で符号が反転する
\eqref{eq:C-rotation} に $\theta=2\pi$ を入れると
$$ U(\bm{n},2\pi)=\cos\pi\,\mathbb{1}-\ii\sin\pi\,(\bm{n}\cdot\bm{\sigma}) = -\mathbb{1}_2 $$となる.すなわちスピノルを $360^\circ$ 回すと元に戻らず,符号が反転する.元に戻るには $720^\circ$ 必要である.一方 \eqref{eq:C-adjoint} の随伴作用では $U$ が2回現れるので符号は打ち消し,ベクトル $\bm{a}$ は $360^\circ$ でちゃんと戻る.これが $\mathrm{SU}(2)$ が $\mathrm{SO}(3)$ の二重被覆であることの現れである(第5章).
この符号は物理的に観測できる.中性子干渉計で一方の経路の中性子だけを磁場中で $2\pi$ 歳差させると,干渉縞が反転する(Rauch ら 1975 年,Werner ら 1975 年).また物性では,Berry 位相 $\pi$(=符号 $-1$)としてグラフェンの Landau 準位や弱反局在に現れる(C.1.6 項).
C.1.5 トレースと完全性関係
$\{\mathbb{1}_2,\sigma^1,\sigma^2,\sigma^3\}$ は,$2\times2$ 複素行列の空間(複素4次元)の基底をなす.この事実を定量化するのが,トレースの直交関係と完全性関係である.
定理:トレース公式
$$ \begin{equation} \Tr\mathbb{1}_2=2, \qquad \Tr\sigma^i=0, \qquad \Tr\left(\sigma^i\sigma^j\right)=2\delta^{ij}, \qquad \Tr\left(\sigma^i\sigma^j\sigma^k\right)=2\ii\,\varepsilon^{ijk} \label{eq:C-sigma-trace} \end{equation} $$証明:第3式は \eqref{eq:C-sigma-product} の両辺のトレースをとり $\Tr\sigma^k=0$ を使えばよい.第4式は $\sigma^i\sigma^j=\delta^{ij}+\ii\varepsilon^{ijl}\sigma^l$ に $\sigma^k$ を掛けてトレースをとり,$\Tr(\sigma^l\sigma^k)=2\delta^{lk}$ を使うと $2\ii\varepsilon^{ijk}$ が残る.$\blacksquare$
定理:$2\times2$ 行列の分解と完全性関係
(i) 任意の $2\times2$ 複素行列 $M$ は次のように一意に分解される.
(ii) 成分で書いた完全性関係(Fierz 恒等式):
$$ \begin{equation} \sum_{i=1}^{3}\left(\sigma^i\right)_{\alpha\beta}\left(\sigma^i\right)_{\gamma\delta} = 2\,\delta_{\alpha\delta}\,\delta_{\gamma\beta} - \delta_{\alpha\beta}\,\delta_{\gamma\delta} \label{eq:C-fierz} \end{equation} $$同値な形として $\displaystyle\sum_{\mu=0}^{3}(\sigma^\mu)_{\alpha\beta}(\sigma^\mu)_{\gamma\delta}=2\delta_{\alpha\delta}\delta_{\gamma\beta}$($\sigma^0=\mathbb{1}_2$ を含める)とも書ける.
導出6:分解 \eqref{eq:C-decomp} と完全性 \eqref{eq:C-fierz} の証明
ステップ1:分解できることを仮定して係数を決める.$\{\mathbb{1},\sigma^i\}$ が4次元空間の基底だから,$M=c^0\mathbb{1}+c^i\sigma^i$ と書けるはずである.両辺のトレースをとると $\Tr M=2c^0$ より $c^0=\tfrac12\Tr M$.両辺に $\sigma^j$ を掛けてトレースをとると
$$ \Tr(M\sigma^j)=c^0\Tr\sigma^j+c^i\Tr(\sigma^i\sigma^j)=0+2c^i\delta^{ij}=2c^j $$より $c^j=\tfrac12\Tr(M\sigma^j)$.これで \eqref{eq:C-decomp} が出た.
ステップ2:基底であることを確認する.$\{\mathbb{1},\sigma^i\}$ は4個で,\eqref{eq:C-sigma-trace} から Hilbert–Schmidt 内積 $\braket{A,B}\equiv\tfrac12\Tr(A^\dagger B)$ に関して正規直交している.4次元空間の4個の正規直交系は基底である.これで \eqref{eq:C-decomp} の証明が終わった.続いて \eqref{eq:C-fierz} へ進む.
ステップ3:\eqref{eq:C-decomp} を成分で書き直す.行列成分で書くと,$\Tr(M\sigma^i)=M_{\gamma\delta}(\sigma^i)_{\delta\gamma}$ だから
$$ M_{\alpha\beta}=\frac12\left[M_{\gamma\gamma}\,\delta_{\alpha\beta} + M_{\gamma\delta}(\sigma^i)_{\delta\gamma}(\sigma^i)_{\alpha\beta}\right] $$ステップ4:$M$ が任意であることを使う.$M_{\gamma\delta}$ の係数を両辺で比べる.左辺は $M_{\alpha\beta}=M_{\gamma\delta}\delta_{\gamma\alpha}\delta_{\delta\beta}$ と書けるから
$$ \delta_{\gamma\alpha}\delta_{\delta\beta} = \frac12\left[\delta_{\gamma\delta}\delta_{\alpha\beta}+(\sigma^i)_{\delta\gamma}(\sigma^i)_{\alpha\beta}\right] $$ステップ5:整理する.両辺を $2$ 倍して移項し,添字を $\gamma\leftrightarrow\delta$ の名前替えで整えると
$$ (\sigma^i)_{\alpha\beta}(\sigma^i)_{\gamma\delta} = 2\delta_{\alpha\delta}\delta_{\gamma\beta}-\delta_{\alpha\beta}\delta_{\gamma\delta} $$$\blacksquare$ これが \eqref{eq:C-fierz} である.
物理的意味:スピン密度行列とスピン偏極
分解 \eqref{eq:C-decomp} をスピン $1/2$ の密度行列 $\rho$($\Tr\rho=1$,エルミート,半正定値)に適用すると
$\bm{P}$ をスピン偏極ベクトルという.$\abs{\bm{P}}=1$ なら純粋状態(Bloch 球面上),$\abs{\bm{P}}<1$ なら混合状態(球の内部),$\bm{P}=0$ なら完全無偏極である.固有値は \eqref{eq:C-two-level} より $(1\pm\abs{\bm{P}})/2$ であり,半正定値性が $\abs{\bm{P}}\le1$ を要求する.
スピン分解光電子分光(spin-ARPES)で Mott 検出器が測るのは,まさにこの $\bm{P}$ の成分である.また第一原理計算のスピン密度汎関数理論では,スピン密度行列 $\rho_{\alpha\beta}(\xx)$ を $n(\xx)\mathbb{1}/2+\bm{m}(\xx)\cdot\bm{\sigma}/2$ と分解し,$\bm{m}(\xx)$ を磁化密度と呼ぶ.非共線磁性(スパイラル磁性・スキルミオン)の計算とは,$\bm{m}(\xx)$ の向きが場所ごとに変わることを許す計算にほかならない.C.5 節でこれの4成分版(Dirac スピノルのスピン射影演算子)を扱う.
C.1.6 材料科学との接点:グラフェンの擬スピンと Berry 位相
材料科学との接点:グラフェンの擬スピン — $\bm{\sigma}$ はスピンでなくてもよい
Pauli 行列は「電子のスピン」のために作られたが,代数 \eqref{eq:C-sigma-product} を満たす二準位系ならなんでも $\bm{\sigma}$ で書ける.グラフェンはその代表例である.
ステップ1:二つの副格子.グラフェンの蜂の巣格子には,格子並進では互いに移り合わない二つの炭素サイト $A,B$(結晶学的には対称操作で移り合う等価なサイトである)がある.単位胞あたり $\pi$ 軌道が2本あるので,波動関数は $\psi=\binom{\psi_A}{\psi_B}$ という2成分ベクトルになる.これが擬スピン(pseudospin)である.本物のスピンとは無関係で,「どちらの副格子に電子がいるか」を表す自由度である.
ステップ2:最近接強束縛ハミルトニアン.$A$ サイトから3本の最近接ベクトル $\bm{\delta}_j$ で $B$ サイトに飛ぶ.飛び移り積分を $-t$($t\approx2.8\ \mathrm{eV}$)とすると
$$ H(\kk)=\begin{pmatrix}0 & f(\kk)\\ f(\kk)^* & 0\end{pmatrix}, \qquad f(\kk)=-t\sum_{j=1}^{3}\ee^{\ii\kk\cdot\bm{\delta}_j} $$対角成分がゼロなのは,$A$ と $B$ のオンサイトエネルギーが等しいからである(反転対称性).
ステップ3:$K$ 点まわりで展開する.$f(\kk)$ は Brillouin 帯の頂点 $\bm{K}$ でちょうどゼロになる.$\kk=\bm{K}+\bm{q}$ とおいて1次まで展開すると $f=\hbar v_F(q_x-\ii q_y)$ となり
ここで $\hbar v_F=3ta/2$($a=1.42\ \mathring{\mathrm{A}}$ は最近接 C–C 距離)である.数値を入れておく.$3ta/2=3\times2.8\times1.42/2=5.96\ \mathrm{eV\,\mathring{A}}$ であり,$\hbar=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$,$1\ \mathring{\mathrm{A}}=10^{-10}\ \mathrm{m}$ を使うと
$$ v_F=\frac{5.96\ \mathrm{eV\,\mathring{A}}}{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}} =9.06\times10^{15}\ \mathring{\mathrm{A}}/\mathrm{s} =0.906\times10^{6}\ \mathrm{m/s} $$となる.実測値は $\approx1.0\times10^6\ \mathrm{m/s}$(光速の約 $1/300$)であり,最近接強束縛近似としては1割の精度で合っている.$t=3.0\ \mathrm{eV}$ をとれば $0.97\times10^6\ \mathrm{m/s}$ になり,$t$ の取り方の不定性がそのまま $v_F$ の不定性である.
これは質量ゼロの2次元 Dirac 方程式である.第9章で書いた $\Ham=\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m$ の $m=0$,2次元版にほかならない.$\bm{d}(\bm{q})=\hbar v_F(q_x,q_y,0)$ だから,\eqref{eq:C-two-level} より $E_\pm=\pm\hbar v_F\abs{\bm{q}}$ ——線形分散(Dirac コーン)である.
ステップ4:固有状態と擬スピンの向き.$\bm{q}=q(\cos\theta_q,\sin\theta_q)$ と書くと,$\bm{d}$ は面内で角 $\theta_q$ を向く.\eqref{eq:C-rotation} を使って $z$ 軸から $\bm{d}$ 方向へ回した固有スピノルは
$$ \psi_\pm(\bm{q}) = \frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}1\\ \pm\ee^{\ii\theta_q}\end{pmatrix} $$すなわち擬スピンは運動量の向きに固定されている($+$ バンドで平行,$-$ バンドで反平行).これはヘリシティ固有状態そのものであり,素粒子物理の言葉ではカイラリティが良い量子数であることを意味する.
ステップ5:Berry 位相が $\pi$ になる.$\bm{q}$ を原点まわりに1周させると $\theta_q:0\to2\pi$ であり,スピノルは
$$ \psi_+\;\longrightarrow\;\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}1\\ \ee^{\ii(\theta_q+2\pi)}\end{pmatrix} $$と戻るが,Berry 接続 $\bm{A}=\ii\braket{\psi_+|\nabla_{\bm{q}}|\psi_+}$ を積分すると位相 $\pi$ が残る.具体的に計算すると $\braket{\psi_+|\partial_{\theta_q}|\psi_+}=\ii/2$ より
$$ \partial_{\theta_q}\psi_+=\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}0\\ \ii\ee^{\ii\theta_q}\end{pmatrix} \;\Longrightarrow\; \braket{\psi_+|\partial_{\theta_q}\psi_+}=\frac{\ii}{2} \;\Longrightarrow\; \gamma_\mathrm{Berry}=\ii\oint_0^{2\pi}\frac{\ii}{2}\,\dd\theta_q = -\pi $$Berry 位相は $2\pi$ を法とする量なので $-\pi\equiv\pi$ であり,以下では $\pi$ と呼ぶ.これはまさに C.1.4 項の「スピノルを $2\pi$ 回すと $-1$」の別表現である(擬スピンは $\bm{d}$ と共に,面内で $z$ 軸のまわりを1周する).
ステップ6:観測される帰結.Berry 位相 $\pi$ は次の三つの実験事実として現れる.(a) 後方散乱 $\theta\to\theta+\pi$ が禁止される(擬スピンが直交する)ので,グラフェンの移動度が異常に高い.(b) 弱局在ではなく弱反局在が観測される.(c) 量子ホール効果のプラトーが $\sigma_{xy}=4e^2(n+\tfrac12)/h$ と半整数シフトする(Novoselov ら,Zhang ら,2005 年).$-1$ という符号が,実測される抵抗の量子化の位置をずらすのである.
例:Dresselhaus 項との共存と「持続的スピンらせん」
閃亜鉛鉱型半導体の量子井戸では,Rashba 項 $\alpha(\sigma^xk_y-\sigma^yk_x)$ と Dresselhaus 項 $\beta(\sigma^xk_x-\sigma^yk_y)$ が共存する.合わせた $\bm{d}$ は
$$ \bm{d}(\kk) = \big(\alpha k_y+\beta k_x,\;-\alpha k_x-\beta k_y,\;0\big) $$である.分裂は \eqref{eq:C-two-level} より
$$ E_\pm-\frac{\hbar^2k^2}{2m^*} = \pm\abs{\bm{d}} = \pm\sqrt{(\alpha^2+\beta^2)k^2+4\alpha\beta\,k_xk_y} $$ここで $\alpha=\beta$ という特別な条件を課すと,$\bm{d}=\alpha(k_x+k_y)(1,-1,0)$ となり,$\bm{d}$ の向きが $\kk$ によらず一定($[1\bar10]$ 方向)になる.向きが固定された有効磁場のもとではスピンの歳差軸が一つに定まるので,D'yakonov–Perel 機構によるスピン緩和が止まる.これが持続的スピンらせん(persistent spin helix)であり,GaAs 量子井戸で実際にスピン寿命が2桁伸びることが観測されている(Koralek ら,2009 年).
設計指針は明快である:$\bm{d}(\kk)$ の向きを $\kk$ によらず固定せよ.この一文は,$\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ という書き方をした瞬間に見えてくるものであって,$2\times2$ 行列を成分のまま眺めていては出てこない.
C.2 Dirac 行列 — 三つの表示
C.2.1 Clifford 代数 — 定義はこれだけである
第9章で見たとおり,Dirac 方程式 $(\ii\gamma^\mu\partial_\mu-m)\psi=0$ が Klein–Gordon 方程式を含むためには,$\gamma$ 行列が次の関係を満たせばよい.これが $\gamma$ 行列の定義そのものである.
定義:Dirac 行列(Clifford 代数)
すなわち $(\gamma^0)^2=+\mathbb{1}$,$(\gamma^i)^2=-\mathbb{1}$,$\mu\neq\nu$ なら $\gamma^\mu\gamma^\nu=-\gamma^\nu\gamma^\mu$.
さらに,確率密度 $\psi^\dagger\psi$ を正定値に保つために次のエルミート性条件を課す.
$$ \begin{equation} \gamma^{0\dagger}=\gamma^0, \qquad \gamma^{i\dagger}=-\gamma^i \qquad\Longleftrightarrow\qquad \gamma^0\gamma^{\mu\dagger}\gamma^0=\gamma^\mu \label{eq:C-hermiticity} \end{equation} $$導出7:エルミート性条件の二つの書き方が同値であること
ステップ1:$\mu=0$ の場合を確かめる.$\gamma^0\gamma^{0\dagger}\gamma^0=\gamma^0\gamma^0\gamma^0=(\gamma^0)^2\gamma^0=\gamma^0$.$\checkmark$
ステップ2:$\mu=i$ の場合.$\gamma^{i\dagger}=-\gamma^i$ を使うと $\gamma^0\gamma^{i\dagger}\gamma^0=-\gamma^0\gamma^i\gamma^0$.ここで $\gamma^0$ と $\gamma^i$ は反交換するので $\gamma^0\gamma^i=-\gamma^i\gamma^0$,したがって
$$ -\gamma^0\gamma^i\gamma^0 = +\gamma^i\gamma^0\gamma^0 = \gamma^i $$$\checkmark$
ステップ3:逆向き.$\gamma^0\gamma^{\mu\dagger}\gamma^0=\gamma^\mu$ に左右から $\gamma^0$ を掛ければ $\gamma^{\mu\dagger}=\gamma^0\gamma^\mu\gamma^0$ が出る.$\mu=0$ なら右辺 $=\gamma^0$,$\mu=i$ なら反交換を使って $-\gamma^i$ となり,元の条件に戻る.$\blacksquare$
この条件が効く場所.Dirac 随伴 $\bar\psi\equiv\psi^\dagger\gamma^0$ を使うと,任意の $\Gamma$ に対して $\overline{\Gamma\psi}=\bar\psi\,\bar\Gamma$,$\bar\Gamma\equiv\gamma^0\Gamma^\dagger\gamma^0$ が成り立つ.\eqref{eq:C-hermiticity} は $\bar{\gamma^\mu}=\gamma^\mu$ と言い換えられ,これが $\bar\psi\gamma^\mu\psi$(電磁カレント)が実であることを保証する.振幅の複素共役を計算するときに必ず使う(C.4.6 項).
定理:Pauli の基本定理(表示の一意性)
関係式 \eqref{eq:C-clifford} を満たす $4\times4$ 行列の組 $\{\gamma^\mu\}$ と $\{\gamma'^\mu\}$ が二つあれば,あるユニタリ行列 $S$ が存在して
$$ \begin{equation} \gamma'^\mu = S\,\gamma^\mu\,S^{-1} \label{eq:C-pauli-thm} \end{equation} $$と書ける.$S$ は位相を除いて一意である.したがって「$\gamma$ 行列の表示の選び方」は物理に影響しない.スピノルは $\psi'=S\psi$ と変換し,$\bar\psi\Gamma\psi$ の形の物理量はすべて不変である.
また,$4\times4$ より小さい行列では \eqref{eq:C-clifford} を満たせない($2\times2$ には互いに反交換する行列が3個しかない).$4$ は $\mathrm{Cl}(1,3)$ の既約表現の最小次元である.
なぜ?:表示が物理に効かないのに,なぜ三つも覚えるのか
物理量は表示によらない.それでも表示を使い分けるのは,見たい極限で行列がブロック対角になるほうが,物理が目に見えるからである.
- Dirac–Pauli 表示では $\gamma^0$ が対角である.$\gamma^0$ は静止系のエネルギーの符号を測る演算子だから,この表示では「上2成分=正エネルギー(粒子),下2成分=負エネルギー(反粒子)」がはっきりする.非相対論極限($\abs{\pp}\ll m$)では下2成分が $O(\abs{\pp}/m)$ で小さくなり,Pauli 方程式に自然に落ちる.原子物理・量子化学の相対論効果(スピン軌道結合,Darwin 項)はこの表示で導く.
- Weyl(カイラル)表示では $\gamma^5$ が対角である.$\gamma^5$ はカイラリティを測る演算子だから,この表示では「上2成分=左巻き,下2成分=右巻き」に分かれる.質量ゼロなら方程式が完全に二つに分離する.弱い相互作用($V-A$,左巻きだけが $W$ と結合)と Weyl 半金属はこの表示が本籍である.
- Majorana 表示ではすべての $\gamma^\mu$ が純虚数である.したがって Dirac 方程式 $(\ii\gamma^\mu\partial_\mu-m)\psi=0$ が実係数の方程式になり,「$\psi$ が実」という条件(Majorana 条件)が Lorentz 不変な意味をもつ.粒子=反粒子であるような粒子を扱うのに適し,第14章のニュートリノと,超伝導体中の Majorana 束縛状態の議論で使う.
三つを覚える必要はない.「どの演算子を対角にしたいか」を決めれば,あとは \eqref{eq:C-pauli-thm} の $S$ を作るだけである.C.2.5 項で $S$ を具体的に書く.
C.2.2 Dirac–Pauli 表示(標準表示)
定義:Dirac–Pauli 表示
$2\times2$ ブロックで書く.本書の標準表示である.
また $\alpha^i=\gamma^0\gamma^i=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ \sigma^i&0\end{pmatrix}$,$\beta=\gamma^0$ である(第9章).
導出8:Dirac–Pauli 表示が Clifford 代数を満たすことの確認
ステップ1:$(\gamma^0)^2$.対角ブロックの二乗なので $\mathrm{diag}(\mathbb{1},\mathbb{1})=\mathbb{1}_4$.$\checkmark$($g^{00}=+1$)
ステップ2:$(\gamma^i)^2$.
$$ \begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}^2 =\begin{pmatrix}-\sigma^i\sigma^i&0\\0&-\sigma^i\sigma^i\end{pmatrix} =-\mathbb{1}_4 $$$\checkmark$($g^{ii}=-1$)
ステップ3:$\{\gamma^0,\gamma^i\}$.
$$ \gamma^0\gamma^i=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ \sigma^i&0\end{pmatrix}, \qquad \gamma^i\gamma^0=\begin{pmatrix}0&-\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix} $$和はゼロ.$\checkmark$($g^{0i}=0$)
ステップ4:$\{\gamma^i,\gamma^j\}$($i\neq j$).
$$ \gamma^i\gamma^j=\begin{pmatrix}-\sigma^i\sigma^j&0\\0&-\sigma^i\sigma^j\end{pmatrix} $$だから $\{\gamma^i,\gamma^j\}$ の対角ブロックは $-\{\sigma^i,\sigma^j\}=-2\delta^{ij}\mathbb{1}_2$.$i\neq j$ ならゼロ.$\checkmark$
ステップ5:エルミート性.$\gamma^{0\dagger}=\gamma^0$ は明らか.$\gamma^i$ については,$\sigma^{i\dagger}=\sigma^i$ を使い,ブロック転置で非対角ブロックが入れ替わることに注意すると
$$ \gamma^{i\dagger}=\begin{pmatrix}0&(-\sigma^i)^\dagger\\ (\sigma^i)^\dagger&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&-\sigma^i\\ \sigma^i&0\end{pmatrix}=-\gamma^i $$$\checkmark$ $\blacksquare$
C.2.3 Weyl(カイラル)表示
Weyl 表示は,$\sigma^\mu\equiv(\mathbb{1}_2,\bm{\sigma})$,$\bar\sigma^\mu\equiv(\mathbb{1}_2,-\bm{\sigma})$ という記号を使うと,きわめてコンパクトに書ける.
定義:Weyl(カイラル)表示
成分に書き下すと
$$ \gamma^0_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}_2\\ \mathbb{1}_2&0\end{pmatrix}, \qquad \gamma^i_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}, \qquad \gamma^5_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}-\mathbb{1}_2&0\\ 0&\mathbb{1}_2\end{pmatrix} $$$\gamma^i$ は Dirac–Pauli 表示と同じ形だが,$\gamma^0$ と $\gamma^5$ の役割が入れ替わっていることに注意する.
導出9:Weyl 表示で $\gamma^5$ が対角になること
ステップ1:定義から始める.$\gamma^5\equiv\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ である.
ステップ2:$\gamma^0\gamma^1$ を計算する.
$$ \gamma^0\gamma^1=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&\sigma^1\\ -\sigma^1&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-\sigma^1&0\\ 0&\sigma^1\end{pmatrix} $$ステップ3:$\gamma^2\gamma^3$ を計算する.
$$ \gamma^2\gamma^3=\begin{pmatrix}0&\sigma^2\\ -\sigma^2&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&\sigma^3\\ -\sigma^3&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-\sigma^2\sigma^3&0\\ 0&-\sigma^2\sigma^3\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-\ii\sigma^1&0\\ 0&-\ii\sigma^1\end{pmatrix} $$ここで $\sigma^2\sigma^3=\ii\sigma^1$(式 \eqref{eq:C-sigma-product})を使った.
ステップ4:掛け合わせる.両方ともブロック対角なのでブロックごとに掛ければよい.
$$ \gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3=\begin{pmatrix}(-\sigma^1)(-\ii\sigma^1)&0\\ 0&\sigma^1(-\ii\sigma^1)\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}\ii\,\mathbb{1}_2&0\\ 0&-\ii\,\mathbb{1}_2\end{pmatrix} $$$(\sigma^1)^2=\mathbb{1}$ を使った.
ステップ5:$\ii$ を掛ける.
$$ \gamma^5_\mathrm{W}=\ii\begin{pmatrix}\ii&0\\0&-\ii\end{pmatrix}\otimes\mathbb{1}_2 =\begin{pmatrix}-\mathbb{1}_2&0\\ 0&\mathbb{1}_2\end{pmatrix} $$$\blacksquare$ 対角である.左上ブロック(固有値 $-1$)が左巻き $\psi_L$,右下ブロック(固有値 $+1$)が右巻き $\psi_R$ に対応する.
物理的意味:Weyl 表示で Dirac 方程式は二つに割れる
$\psi=\binom{\psi_L}{\psi_R}$ と書き,\eqref{eq:C-weyl} を Dirac 方程式に代入する.
$$ \left(\ii\gamma^\mu\partial_\mu-m\right)\psi=0 \;\Longrightarrow\; \begin{pmatrix}-m& \ii\sigma^\mu\partial_\mu\\ \ii\bar\sigma^\mu\partial_\mu&-m\end{pmatrix} \begin{pmatrix}\psi_L\\ \psi_R\end{pmatrix}=0 $$すなわち
質量が左巻きと右巻きを混ぜているのが一目でわかる.$m=0$ なら二つは完全に独立になり,それぞれが2成分の Weyl 方程式になる.
これは物性の言葉でいえば,「バンドギャップが二つの Weyl 点を結合させる」ということである.Weyl 半金属(TaAs,2015 年に実験的に確認)では,結晶の対称性が $\psi_L$ と $\psi_R$ を運動量空間で離れた $\kk$ 点に置く(Weyl 点の対)ため,質量項が禁止され,質量ゼロの Weyl フェルミオンが実現する.素粒子物理では 90 年近く探して見つからなかった Weyl フェルミオンが,固体中では準粒子として存在するのである.
C.2.4 Majorana 表示
定義:Majorana 表示
すべての $\gamma^\mu$ が純虚数になるようにとった表示.一つの標準的な選び方は
このとき $\gamma^5_\mathrm{M}=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3=\begin{pmatrix}\sigma^2&0\\ 0&-\sigma^2\end{pmatrix}$ も純虚数である.
導出10:Majorana 表示の性質の確認
ステップ1:純虚数であること.$\sigma^2=\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix}$ は純虚数,$\ii\sigma^3=\begin{pmatrix}\ii&0\\0&-\ii\end{pmatrix}$ も純虚数,$-\ii\sigma^1=\begin{pmatrix}0&-\ii\\ -\ii&0\end{pmatrix}$ も純虚数である.よって \eqref{eq:C-majorana} の4つはすべて純虚数.$\checkmark$
ステップ2:$(\gamma^0)^2=+\mathbb{1}$.$\begin{pmatrix}0&\sigma^2\\ \sigma^2&0\end{pmatrix}^2=\begin{pmatrix}(\sigma^2)^2&0\\0&(\sigma^2)^2\end{pmatrix}=\mathbb{1}_4$.$\checkmark$
ステップ3:$(\gamma^i)^2=-\mathbb{1}$.$\gamma^1$ はブロック対角で $(\ii\sigma^3)^2=-\mathbb{1}_2$,$\gamma^3$ も $(-\ii\sigma^1)^2=-\mathbb{1}_2$.$\gamma^2$ は $\begin{pmatrix}0&-\sigma^2\\ \sigma^2&0\end{pmatrix}^2=\begin{pmatrix}-(\sigma^2)^2&0\\0&-(\sigma^2)^2\end{pmatrix}=-\mathbb{1}_4$.$\checkmark$
ステップ4:反交換の代表例 $\{\gamma^0,\gamma^2\}$.
$$ \gamma^0\gamma^2=\begin{pmatrix}(\sigma^2)^2&0\\ 0&-(\sigma^2)^2\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\0&-\mathbb{1}\end{pmatrix}, \qquad \gamma^2\gamma^0=\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&0\\0&\mathbb{1}\end{pmatrix} $$和はゼロ.$\checkmark$ 残りの5組も同様に,Pauli 行列の反交換 $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}$ に帰着して確かめられる(うち $\{\gamma^1,\gamma^2\}$ と $\{\gamma^1,\gamma^3\}$ の2組は演習C.2(1)).
ステップ5:エルミート性.$\gamma^{0\dagger}=\gamma^0$($\sigma^{2\dagger}=\sigma^2$ かつ非対角が対称).$\gamma^{1\dagger}=(\ii\sigma^3)^\dagger=-\ii\sigma^3=-\gamma^1$.$\gamma^{2\dagger}$:非対角ブロックが $-\sigma^2$ と $\sigma^2$ で入れ替わるので $\begin{pmatrix}0&\sigma^2\\ -\sigma^2&0\end{pmatrix}=-\gamma^2$.$\gamma^{3\dagger}=(-\ii\sigma^1)^\dagger=\ii\sigma^1=-\gamma^3$.$\checkmark$ $\blacksquare$
定理:Majorana 条件が Lorentz 不変であること
Majorana 表示では $\gamma^\mu$ が純虚数だから $\ii\gamma^\mu$ は実行列である.したがって Dirac 方程式
$$ \left(\ii\gamma^\mu\partial_\mu-m\right)\psi=0 $$は実係数の連立微分方程式であり,$\psi$ が解なら $\psi^*$ も解である.よって「$\psi=\psi^*$(実スピノル)」という条件を課すことができる.これが Majorana 条件である.
Lorentz 変換の生成子 $S^{\mu\nu}=\tfrac{\ii}{4}[\gamma^\mu,\gamma^\nu]$ 自身は,この表示では純虚数である(虚数×虚数×$\ii$=虚数).しかし有限変換のスピノル表現
$$ \Lambda_{1/2}=\exp\!\left(-\tfrac{\ii}{2}\omega_{\mu\nu}S^{\mu\nu}\right) =\exp\!\left(\tfrac18\omega_{\mu\nu}\left[\gamma^\mu,\gamma^\nu\right]\right) $$では指数の中で $\ii$ が打ち消し,$[\gamma^\mu,\gamma^\nu]$ が実行列(虚数×虚数)であることから指数全体が実行列になる.したがって $\Lambda_{1/2}$ は実行列であり,$\psi$ の実性は Lorentz 変換で保たれる.すなわち Majorana 条件は Lorentz 不変な条件である.
一般の表示では,Majorana 条件は $\psi=\psi^c\equiv C\bar\psi^{\,T}$($C$ は荷電共役行列,Dirac–Pauli 表示では $C=\ii\gamma^2\gamma^0$)と書かれる.Majorana 表示はこれが単に $\psi=\psi^*$ に見える表示である.
材料科学との接点:Nambu 空間と Majorana 演算子 — 超伝導体の中の「実フェルミオン」
「粒子と反粒子が同じ」という Majorana の条件は,素粒子物理では検証がきわめて難しい(ニュートリノレス二重ベータ崩壊,第14章).ところが超伝導体の中では,この条件がほぼ自動的に成立する.理由は簡単で,超伝導体では $\mathrm{U}(1)$ 対称性が自発的に破れており,電子数が保存しないからである(第13章).
ステップ1:Nambu スピノルは Dirac スピノルと同じ構造をもつ.第9章で見たとおり,BdG ハミルトニアンは
$$ \Ham_\mathrm{BdG}(\kk)=\xi_\kk\,\tau^z+\Delta\,\tau^x =\bm{d}(\kk)\cdot\bm{\tau}, \qquad \bm{d}=(\Delta,0,\xi_\kk) $$と書ける.$\bm{\tau}$ は Nambu(粒子・正孔)空間の Pauli 行列であり,スピンでも副格子でもない第三の擬スピンである.\eqref{eq:C-two-level} から準粒子エネルギーは即座に
である.これは Dirac の $E=\pm\sqrt{\pp^2+m^2}$ とまったく同じ式であり,$\xi_\kk\leftrightarrow\abs{\pp}$,$\abs{\Delta}\leftrightarrow m$ の対応がある.超伝導ギャップは,Nambu 空間における「質量」なのである.
ステップ2:粒子・正孔対称性が荷電共役に対応する.BdG ハミルトニアンには必ず
$$ \mathcal{C}\,\Ham_\mathrm{BdG}(\kk)\,\mathcal{C}^{-1} = -\Ham_\mathrm{BdG}(-\kk), \qquad \mathcal{C}=\tau^y K $$という対称性がある($K$ は複素共役.第9章 9.7.5 項の $\Xi=\tau_y\mathcal{K}$ と同じものである).実際 $\tau^y\tau^z\tau^y=-\tau^z$,$\tau^y\tau^x\tau^y=-\tau^x$ なので $\tau^y\Ham^*\tau^y=-\xi_\kk\tau^z-\Delta\tau^x=-\Ham$ となり,$\xi_{-\kk}=\xi_\kk$ を使えば上の形になる($\Delta$ が複素で $\Ham=\xi_\kk\tau^z+\mathrm{Re}\Delta\,\tau^x-\mathrm{Im}\Delta\,\tau^y$ の場合も成り立つ).この対称性は,Nambu スピノルの上下成分が同じ電子演算子から作られていることの帰結であり,素粒子物理の荷電共役 $\psi\to C\bar\psi^{\,T}$ と同じ構造をもつ.結果として,エネルギー $+E$ の解と $-E$ の解が必ず対で現れる.なお BdG 方程式を $\begin{pmatrix}h&\Delta\\ -\Delta^*&-h^*\end{pmatrix}$ というブロック形(スピンも並べた 4 成分 Nambu 基底)で書いたときは $\mathcal{C}=\tau^x K$ の形になる(第14章).演算子の形は基底の取り方で変わるが,$\mathcal{C}\Ham\mathcal{C}^{-1}=-\Ham$ という中身は同じである.
ステップ3:$E=0$ の解は自分自身の共役である.$E=0$ の解だけは,粒子・正孔対称性で自分自身に移る.このとき対応する準粒子演算子は
$$ \gamma^\dagger = \gamma \qquad\text{(生成演算子=消滅演算子)} $$を満たす.これが Majorana 零モードである.通常の複素フェルミオン $c$ は $\gamma_1=c+c^\dagger$,$\gamma_2=-\ii(c-c^\dagger)$ という二つの「実」演算子に分解でき($\gamma_a^\dagger=\gamma_a$,$\{\gamma_a,\gamma_b\}=2\delta_{ab}$),これはちょうど複素数を実部と虚部に分ける操作の演算子版である.Kitaev の1次元 $p$ 波超伝導鎖(2001 年)では,このうち鎖の両端に一つずつ $\gamma$ が「余る」トポロジカル相が現れる.
ステップ4:代数は Pauli 行列と同じである.$\{\gamma_a,\gamma_b\}=2\delta_{ab}$ は,まさに Clifford 代数 $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}$ の形をしている.$2N$ 個の Majorana 演算子は $\mathrm{Cl}(2N)$ の生成元をなし,その既約表現の次元は $2^N$ である.二つの Majorana モードで1個の複素フェルミオンができ,占有・非占有の2状態が縮退する——この縮退が非可換統計(非アーベル・エニオン)とトポロジカル量子計算の資源になる.
まとめ.Majorana 表示の $\gamma$ 行列と,超伝導体中の Majorana 演算子は,名前が同じであるだけでなく,同じ Clifford 代数の異なる実現である.InSb ナノワイヤ/Al 接合や FeTeSe の渦芯で報告されている零バイアス伝導ピークは,この構造を実験的に捕まえようとする試みである.
C.2.5 表示間のユニタリ変換
Pauli の基本定理 \eqref{eq:C-pauli-thm} が保証する変換行列 $S$ を,具体的に書いておく.
定理:Dirac–Pauli 表示と Weyl 表示を結ぶ変換
$$ \begin{equation} S = \frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}_2&-\mathbb{1}_2\\ \mathbb{1}_2&\mathbb{1}_2\end{pmatrix}, \qquad S^{-1}=S^\dagger=\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}_2&\mathbb{1}_2\\ -\mathbb{1}_2&\mathbb{1}_2\end{pmatrix} \label{eq:C-S-weyl} \end{equation} $$とおくと $\gamma^\mu_\mathrm{W}=S\,\gamma^\mu_\mathrm{DP}\,S^{-1}$ である.スピノルは $\psi_\mathrm{W}=S\psi_\mathrm{DP}$ と移る.
導出11:変換 \eqref{eq:C-S-weyl} の確認
ステップ1:ユニタリ性.
$$ S S^\dagger=\frac12\begin{pmatrix}\mathbb{1}&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix} =\frac12\begin{pmatrix}2\mathbb{1}&0\\ 0&2\mathbb{1}\end{pmatrix}=\mathbb{1}_4 \quad\checkmark $$ステップ2:$\gamma^0$ を変換する.
$$ S\gamma^0_\mathrm{DP}S^{-1} =\frac12\begin{pmatrix}\mathbb{1}&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix} \begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\ 0&-\mathbb{1}\end{pmatrix} \begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix} $$まず右の2つを掛ける:$\begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\0&-\mathbb{1}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&-\mathbb{1}\end{pmatrix}$.次に左から掛ける:
$$ =\frac12\begin{pmatrix}\mathbb{1}-\mathbb{1}&\mathbb{1}+\mathbb{1}\\ \mathbb{1}+\mathbb{1}&\mathbb{1}-\mathbb{1}\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}=\gamma^0_\mathrm{W} \quad\checkmark $$ステップ3:$\gamma^5$ を変換する.$\gamma^5_\mathrm{DP}=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$ に同じ操作をする.右の2つ:$\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}$.左から:
$$ =\frac12\begin{pmatrix}-\mathbb{1}-\mathbb{1}&\mathbb{1}-\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}+\mathbb{1}&\mathbb{1}+\mathbb{1}\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&0\\ 0&\mathbb{1}\end{pmatrix}=\gamma^5_\mathrm{W} \quad\checkmark $$ステップ4:$\gamma^i$ は不変.$\gamma^i_\mathrm{DP}=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}$ は $S$ と可換になる形をしている.実際に計算すると同じ行列が返る(演習C.2).だから Dirac–Pauli 表示と Weyl 表示で $\gamma^i$ の見た目は同じである.$\blacksquare$
スピノルの意味.$\psi_\mathrm{W}=S\psi_\mathrm{DP}$ を成分で書くと $\psi_L=(\varphi-\chi)/\sqrt2$,$\psi_R=(\varphi+\chi)/\sqrt2$($\psi_\mathrm{DP}=\binom{\varphi}{\chi}$).すなわち「大成分・小成分」の和と差が「右巻き・左巻き」である.非相対論極限では $\chi\approx0$ なので $\psi_L\approx\psi_R\approx\varphi/\sqrt2$ ——遅い粒子ではカイラリティが半々に混ざる.これが「弱い相互作用は左巻きだけに働くのに,重い粒子でもゼロにならない」理由である(第12章).
定理:Dirac–Pauli 表示から Majorana 表示への変換
$$ \begin{equation} U = \frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}_2&\sigma^2\\ \sigma^2&-\mathbb{1}_2\end{pmatrix}, \qquad U=U^\dagger=U^{-1} \label{eq:C-S-majorana} \end{equation} $$とおくと $\gamma^\mu_\mathrm{M}=U\gamma^\mu_\mathrm{DP}U^{-1}$ である.$U$ がエルミートかつユニタリ(したがって $U^2=\mathbb{1}$)であることは,$(\sigma^2)^2=\mathbb{1}$ から直ちに確かめられる:
$$ U^2=\frac12\begin{pmatrix}\mathbb{1}+(\sigma^2)^2&\sigma^2-\sigma^2\\ \sigma^2-\sigma^2&(\sigma^2)^2+\mathbb{1}\end{pmatrix}=\mathbb{1}_4 $$| Dirac–Pauli | Weyl(カイラル) | Majorana | |
|---|---|---|---|
| $\gamma^0$ | $\begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\0&-\mathbb{1}\end{pmatrix}$ | $\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$ | $\begin{pmatrix}0&\sigma^2\\ \sigma^2&0\end{pmatrix}$ |
| $\gamma^i$ | $\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}$ | $\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}$ | $\gamma^1=\begin{pmatrix}\ii\sigma^3&0\\ 0&\ii\sigma^3\end{pmatrix}$ 等(本文) |
| $\gamma^5$ | $\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$ | $\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&0\\ 0&\mathbb{1}\end{pmatrix}$ | $\begin{pmatrix}\sigma^2&0\\0&-\sigma^2\end{pmatrix}$ |
| 対角になる演算子 | $\gamma^0$(エネルギー符号) | $\gamma^5$(カイラリティ) | 実固有値をもつものはない($\gamma^1$ は対角だが固有値は $\pm\ii$.設計目標は全 $\gamma^\mu$ の純虚数性) |
| 上下2成分の意味 | 大成分/小成分 | 左巻き/右巻き | 実部/虚部に近い |
| 得意な極限 | 非相対論 $\abs{\pp}\ll m$ | 超相対論 $\abs{\pp}\gg m$ | $\psi=\psi^c$ を課すとき |
| 素粒子での用途 | 束縛状態,$g$ 因子 | 弱い相互作用 $V\!-\!A$ | Majorana ニュートリノ |
| 物性での対応物 | SOC,Darwin 項,重い元素 | グラフェン,Weyl 半金属 | BdG,Majorana 零モード |
C.2.6 $\gamma^5$,$\sigma^{\mu\nu}$,そして16個の基底
定義:$\gamma^5$ と $\sigma^{\mu\nu}$
$$ \begin{equation} \gamma^5\equiv\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3 = -\frac{\ii}{4!}\,\varepsilon_{\mu\nu\rho\sigma}\,\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma, \qquad \sigma^{\mu\nu}\equiv\frac{\ii}{2}\left[\gamma^\mu,\gamma^\nu\right] \label{eq:C-gamma5-def} \end{equation} $$($\varepsilon$ の規約は C.6 節で固定する.実用上は左の定義 $\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ を使えばよい.)
定理:$\gamma^5$ の性質
導出12:$\gamma^5$ の性質の証明
ステップ1:反交換 $\{\gamma^5,\gamma^\mu\}=0$.$\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ に,たとえば右から $\gamma^0$ を掛けて左へ移動させる.$\gamma^0$ は $\gamma^1,\gamma^2,\gamma^3$ の3個と反交換するので,通り抜けるたびに $(-1)$ が出る:
$$ \gamma^5\gamma^0 = \ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^0 = \ii(-1)^3\gamma^0\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3 = -\gamma^0\gamma^5 $$一般の $\gamma^\mu$ についても,$\gamma^5$ の中の4個のうち $\mu$ 自身とは交換(同じ行列だから)し,残り3個とは反交換する.$\gamma^\mu$ を左端まで移すと $(-1)^3=-1$ が付く.よって $\{\gamma^5,\gamma^\mu\}=0$.$\blacksquare$
ステップ2:$(\gamma^5)^2=\mathbb{1}$.
$$ (\gamma^5)^2 = -\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3 $$右側の $\gamma^0$ を左端まで運ぶ:3個の $\gamma^i$ を通るので $(-1)^3$.
$$ = -(-1)^3\gamma^0\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^1\gamma^2\gamma^3 = +\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^1\gamma^2\gamma^3 $$($(\gamma^0)^2=+\mathbb{1}$ を使った.)次に右側の $\gamma^1$ を左へ2個分通す:$(-1)^2=+1$.
$$ = \gamma^1\gamma^1\gamma^2\gamma^3\gamma^2\gamma^3 = -\gamma^2\gamma^3\gamma^2\gamma^3 $$($(\gamma^1)^2=-\mathbb{1}$.)さらに $\gamma^2$ を1個分通して $(-1)$,$(\gamma^2)^2=-\mathbb{1}$:
$$ = -(-1)\gamma^2\gamma^2\gamma^3\gamma^3 = +(-\mathbb{1})(-\mathbb{1}) = \mathbb{1}_4 $$$\blacksquare$
ステップ3:エルミート性.$(\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3)^\dagger=-\ii\gamma^{3\dagger}\gamma^{2\dagger}\gamma^{1\dagger}\gamma^{0\dagger}=-\ii(-\gamma^3)(-\gamma^2)(-\gamma^1)\gamma^0=\ii\gamma^3\gamma^2\gamma^1\gamma^0$.この順を逆に並べ替えるには,$4$ 個の相異なる行列の完全反転が必要で,必要な互換の回数は $\binom{4}{2}=6$ 回,符号は $(-1)^6=+1$.よって $=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3=\gamma^5$.$\blacksquare$
ステップ4:$\Tr\gamma^5=0$.$(\gamma^0)^2=\mathbb{1}$ を使って $\Tr\gamma^5=\Tr(\gamma^5\gamma^0\gamma^0)$ と書く.ステップ1より $\gamma^5\gamma^0=-\gamma^0\gamma^5$ だから
$$ \Tr\gamma^5 = -\Tr(\gamma^0\gamma^5\gamma^0) \overset{\text{巡回}}{=} -\Tr(\gamma^5\gamma^0\gamma^0)=-\Tr\gamma^5 $$ゆえに $\Tr\gamma^5=0$.$\blacksquare$ この「$\gamma^5$ を通り抜けさせて巡回で戻す」という手口は,C.4 節のトレース定理でくり返し使う.
定理:$4\times4$ 行列空間の16個の基底
次の16個の行列は $4\times4$ 複素行列の空間(複素16次元)の基底をなし,$\Gamma^a\neq\mathbb{1}$ については $\Tr\Gamma^a=0$,かつ $\Tr(\Gamma^a\Gamma^b)\propto\delta^{ab}$ を満たす.
| 種類 | $\Gamma$ | 個数 | $\bar\psi\Gamma\psi$ の変換性 | パリティ | 物理での役割 |
|---|---|---|---|---|---|
| スカラー $S$ | $\mathbb{1}$ | 1 | スカラー | $+$ | 質量項 $m\bar\psi\psi$,Higgs 湯川結合 |
| 擬スカラー $P$ | $\gamma^5$ | 1 | 擬スカラー | $-$ | $\pi$ 中間子結合,$\theta$ 項 |
| ベクトル $V$ | $\gamma^\mu$ | 4 | 4元ベクトル | $(+,-,-,-)$ | 電磁カレント,QED 頂点 |
| 軸性ベクトル $A$ | $\gamma^\mu\gamma^5$ | 4 | 軸性ベクトル | $(-,+,+,+)$ | 弱いカレントの $A$ 成分 |
| テンソル $T$ | $\sigma^{\mu\nu}$ | 6 | 2階反対称テンソル | $F^{\mu\nu}$ と同じ | 異常磁気能率,Pauli 項 |
| 合計 | 16 | $1+1+4+4+6=16=4^2$ | |||
直交性は $\Tr(\Gamma^a\Gamma^b)=4\,\delta^{ab}\,\eta^a$($\eta^a=\pm1$ は計量による符号)と書ける.この基底を使えば,任意の $4\times4$ 行列 $M$ は Pauli 行列のときと同じく $M=\sum_a c_a\Gamma^a$,$c_a\propto\Tr(M\Gamma_a)$ と分解できる.C.5 節の射影演算子はすべてこの16個の線形結合である.
定理:$\sigma^{\mu\nu}$ の性質と Feynman スラッシュの積
$$ \begin{equation} \sigma^{\mu\nu}=-\sigma^{\nu\mu}, \qquad \left[\gamma^\mu,\gamma^\nu\right]=-2\ii\,\sigma^{\mu\nu}, \qquad \gamma^\mu\gamma^\nu = g^{\mu\nu}\mathbb{1} - \ii\,\sigma^{\mu\nu} \label{eq:C-sigma-mn} \end{equation} $$これを Feynman スラッシュ $\slashed{a}\equiv\gamma^\mu a_\mu$ で書き直すと
証明:$\gamma^\mu\gamma^\nu=\tfrac12\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}+\tfrac12[\gamma^\mu,\gamma^\nu]=g^{\mu\nu}+\tfrac12[\gamma^\mu,\gamma^\nu]$.$\sigma^{\mu\nu}=\tfrac{\ii}{2}[\gamma^\mu,\gamma^\nu]$ より $\tfrac12[\gamma^\mu,\gamma^\nu]=-\ii\sigma^{\mu\nu}$.これを $a_\mu b_\nu$ と縮約すればよい.$\slashed{a}\slashed{a}$ では $\sigma^{\mu\nu}$ が反対称,$a^\mu a^\nu$ が対称なので第2項が落ちる.$\blacksquare$
$\slashed{a}\slashed{a}=a^2$ は使用頻度がきわめて高い.たとえば運動量 $p$ が質量殻上にあれば $\slashed{p}\slashed{p}=p^2=m^2$ であり,これが伝播関数の有理化 $\dfrac{1}{\slashed{p}-m}=\dfrac{\slashed{p}+m}{p^2-m^2}$ の根拠になる(付録D).
C.3 縮約恒等式集
散乱振幅の計算では,$\gamma^\mu\,\cdots\,\gamma_\mu$ のように同じ添字の $\gamma$ で何かを挟んだ形が必ず出てくる.出所は光子伝播関数の分子 $-\ii g_{\mu\nu}/q^2$ である(付録D):$\gamma^\mu$ と $\gamma^\nu$ が別々の頂点から来て,$g_{\mu\nu}$ が両者を縫い合わせるので,$\gamma^\mu(\cdots)\gamma_\mu$ という形になる.本節ではこれを整理する公式を,すべて Clifford 代数 \eqref{eq:C-clifford} だけから導く.
定理:縮約公式(4次元)
Feynman スラッシュで書けば
$$ \begin{equation} \gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}, \qquad \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu=4\,(a\cdot b)\,\mathbb{1}, \qquad \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=-2\,\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a} \label{eq:C-contr-slash} \end{equation} $$導出13:縮約公式の証明
すべての証明の道具は,Clifford 代数を「$\gamma^\mu$ を右へ通す規則」として読み直した式
$$ \gamma^\mu\gamma^\nu = -\gamma^\nu\gamma^\mu + 2g^{\mu\nu}\mathbb{1} $$だけである.「1個通すごとに符号が変わり,おつりに $2g$ が出る」と覚えるとよい.
ステップ1:\eqref{eq:C-contr1} の証明.$\gamma^\mu\gamma_\mu=g_{\mu\nu}\gamma^\mu\gamma^\nu$ と書き,$\gamma^\mu\gamma^\nu$ を対称化する($g_{\mu\nu}$ が対称なので反対称部分は落ちる):
$$ \gamma^\mu\gamma_\mu = g_{\mu\nu}\gamma^\mu\gamma^\nu = \frac12 g_{\mu\nu}\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\} = \frac12 g_{\mu\nu}\cdot 2g^{\mu\nu}\mathbb{1} = g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}\,\mathbb{1} $$$g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}=\delta^\mu_\mu=4$(時空の次元)だから $\gamma^\mu\gamma_\mu=4$.$\blacksquare$
ステップ2:\eqref{eq:C-contr2} の証明.左の $\gamma^\mu$ を $\gamma^\nu$ の右へ通す.
$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu = \left(-\gamma^\nu\gamma^\mu+2g^{\mu\nu}\right)\gamma_\mu = -\gamma^\nu\gamma^\mu\gamma_\mu + 2g^{\mu\nu}\gamma_\mu $$第1項は \eqref{eq:C-contr1} より $-4\gamma^\nu$.第2項は $g^{\mu\nu}\gamma_\mu=\gamma^\nu$ だから $2\gamma^\nu$.合計 $-4\gamma^\nu+2\gamma^\nu=-2\gamma^\nu$.$\blacksquare$
ステップ3:\eqref{eq:C-contr3} の証明.同じく左の $\gamma^\mu$ を1個通す.
$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = \left(-\gamma^\nu\gamma^\mu+2g^{\mu\nu}\right)\gamma^\rho\gamma_\mu = -\gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma_\mu\right) + 2\gamma^\rho\gamma^\nu $$括弧の中は \eqref{eq:C-contr2} より $-2\gamma^\rho$ だから第1項は $+2\gamma^\nu\gamma^\rho$.よって
$$ = 2\gamma^\nu\gamma^\rho + 2\gamma^\rho\gamma^\nu = 2\{\gamma^\nu,\gamma^\rho\} = 4g^{\nu\rho}\mathbb{1} $$$\blacksquare$ 反交換子が出てくるのがこの公式の急所である.結果が行列でなく数($\times\mathbb{1}$)になる.
ステップ4:\eqref{eq:C-contr4} の証明.同じ手順を1回多く踏む.
$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu = -\gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu\right) + 2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\nu $$括弧の中は \eqref{eq:C-contr3} より $4g^{\rho\sigma}$ だから第1項は $-4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu$.よって
$$ = -4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu + 2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\nu $$ここで $\gamma^\rho\gamma^\sigma=-\gamma^\sigma\gamma^\rho+2g^{\rho\sigma}$ を使って第2項を書き換えると
$$ = -4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu + 2\left(-\gamma^\sigma\gamma^\rho+2g^{\rho\sigma}\right)\gamma^\nu = -4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu - 2\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu + 4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu = -2\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu $$$\blacksquare$ 順序が逆転するのがこの公式の特徴である.
ステップ5:スラッシュ形へ.\eqref{eq:C-contr2}〜\eqref{eq:C-contr4} に $a_\nu$,$a_\nu b_\rho$,$a_\nu b_\rho c_\sigma$ を掛けて縮約すれば \eqref{eq:C-contr-slash} が出る.たとえば $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu=a_\nu b_\rho\cdot4g^{\nu\rho}=4a\cdot b$.$\blacksquare$
数学ノート:$d$ 次元版(次元正則化のために)
第10章 10.6 節のくりこみ計算では直観的に分かりやすいカットオフ正則化を使ったが,場の理論の標準的な計算では,発散を制御するために時空次元を $d=4-\epsilon$ に「ずらす」(次元正則化).このとき唯一変わるのは $g^\mu_{\ \mu}=d$ であり,それが縮約公式に波及する.導出はまったく同じで,ステップ1の $4$ を $d$ に置き換えるだけである.
| 式 | $d=4$ | 一般の $d$ |
|---|---|---|
| $\gamma^\mu\gamma_\mu$ | $4$ | $d$ |
| $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu$ | $-2\gamma^\nu$ | $-(d-2)\gamma^\nu$ |
| $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu$ | $4g^{\nu\rho}$ | $4g^{\nu\rho}-(4-d)\gamma^\nu\gamma^\rho$ |
| $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu$ | $-2\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu$ | $-2\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu+(4-d)\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma$ |
| $\Tr\mathbb{1}$ | $4$ | $4$(慣例;$2^{d/2}$ とする流儀もある) |
$(4-d)=\epsilon$ の項は,$1/\epsilon$ の極と掛かると有限の寄与を残す.この「$\epsilon\times1/\epsilon$」の有限項を落とすと,くりこみ定数が合わなくなる.次元正則化の計算で符号を間違える人の大半は,ここでつまずいている.
なお $\gamma^5$ は本質的に4次元の対象(4個の $\gamma$ の積)なので,$d$ 次元へは自然に延長できない.これが軸性アノマリー(第13章 13.6.3 項)の技術的な根であり,'t Hooft–Veltman 処方や次元縮約など,複数の流儀が併存する理由でもある.
例:縮約公式の使いどころ — Compton 散乱の分子
第10章の Compton 散乱では,中間状態の伝播関数から $\gamma^\mu(\slashed{p}+\slashed{k}+m)\gamma_\mu$ という形が出る.\eqref{eq:C-contr1} と \eqref{eq:C-contr-slash} を使えば
$$ \gamma^\mu\left(\slashed{p}+\slashed{k}+m\right)\gamma_\mu = \gamma^\mu\slashed{p}\gamma_\mu+\gamma^\mu\slashed{k}\gamma_\mu+m\gamma^\mu\gamma_\mu = -2\slashed{p}-2\slashed{k}+4m $$という具合に,$4\times4$ 行列の積を一切書かずに1行で片づく.これが縮約公式の威力である.素朴に $4\times4$ 行列で計算すれば,$\gamma^\mu$ の $\mu$ について4回の和が必要で,各 $\mu$ につき $4\times4$ 行列の積を2回,すなわち $2\times4^3=128$ 回の掛け算($\mu$ の和も含めれば 512 回)を要する.
C.4 トレース定理
本付録の中心である.散乱断面積は,振幅の絶対値二乗をスピンについて和・平均したものであり,これが必ず $\gamma$ 行列のトレースに帰着する.なぜそうなるかを最初に確認しておく.
なぜ?:なぜ断面積の計算がトレースになるのか
典型的な振幅は $\mathcal{M}=\bar u(p')\,\Gamma\,u(p)$ の形をしている($\Gamma$ は $\gamma$ 行列の積).その絶対値二乗は
$$ \abs{\mathcal{M}}^2 = \left[\bar u(p')\Gamma u(p)\right]\left[\bar u(p')\Gamma u(p)\right]^* = \left[\bar u(p')\Gamma u(p)\right]\left[\bar u(p)\bar\Gamma u(p')\right] $$ここで $\bar\Gamma\equiv\gamma^0\Gamma^\dagger\gamma^0$(C.2.1 項)である.各因子はただの数($1\times1$)なので,順番を入れ替えて
$$ \abs{\mathcal{M}}^2 = \bar u_\alpha(p')\Gamma_{\alpha\beta}u_\beta(p)\,\bar u_\gamma(p)\bar\Gamma_{\gamma\delta}u_\delta(p') $$と成分で書ける.ここでスピンについて和をとると,完全性関係 $\sum_s u_\beta\bar u_\gamma=(\slashed{p}+m)_{\beta\gamma}$(C.5 節)が使えて
添字が $\delta\to\alpha\to\beta\to\gamma\to\delta$ と一周するので,行列の積のトレースになるのである.スピノルの成分を一つも書かずに,運動量の内積だけで断面積が出る——これが $\gamma$ 行列の計算法の要点である.
C.4.1 奇数個のトレースはゼロ
定理:奇数個の $\gamma$ のトレース
$\gamma^5$ を1個含む場合も同様に,$\gamma$ の個数が奇数ならトレースはゼロである.
導出14:奇数個のトレースがゼロであることの証明
ステップ1:$(\gamma^5)^2=\mathbb{1}$ を挿入する.これが唯一の技巧である.
$$ T\equiv\Tr\left(\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}\right) = \Tr\left(\gamma^5\gamma^5\,\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}\right) $$ステップ2:左端の $\gamma^5$ を右端まで通す.$\{\gamma^5,\gamma^\mu\}=0$(式 \eqref{eq:C-gamma5-props})だから,$\gamma^\mu$ を1個通り抜けるごとに $(-1)$ が出る.$n$ 個通るので $(-1)^n$:
$$ T = (-1)^n\,\Tr\left(\gamma^5\,\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}\,\gamma^5\right) $$ステップ3:トレースの巡回性を使う.$\Tr(ABC)=\Tr(CAB)$ より,右端の $\gamma^5$ を先頭に持ってくる.
$$ T = (-1)^n\,\Tr\left(\gamma^5\gamma^5\,\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}\right) = (-1)^n\,T $$ステップ4:結論.$n$ が奇数なら $T=-T$,したがって $T=0$.$\blacksquare$
補足:$\gamma^5$ を含む場合.$\Tr(\gamma^5\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n})$ に対しては,同じ論法で「$\gamma^5$ を挿入して通す」ができない(すでに $\gamma^5$ がある)ので,代わりに $\gamma^\alpha$($\alpha$ は $\mu_i$ のどれとも異なる添字)を選び,$(\gamma^\alpha)^2=\pm\mathbb{1}$ を挿入して同じ操作をする.$\gamma^\alpha$ は $\gamma^5$ とも $n$ 個の $\gamma^{\mu_i}$ とも反交換するので,全部で $(n+1)$ 回の符号反転が起き,$n$ が奇数なら $(-1)^{n+1}=+1$ で情報が出ないが,$n$ が偶数なら $(-1)^{n+1}=-1$ でゼロが従う($n\le3$ なら $\mu_i$ のどれとも異なる $\alpha$ が必ず残るので,この論法が使える).
では $n$ が奇数のときはどうするか.$\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ と書き直せばよい.そうすると $\Tr(\gamma^5\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n})$ は $\gamma$ 行列を $(n+4)$ 個含むトレースであり,$n$ が奇数なら $(n+4)$ も奇数だから,本定理 \eqref{eq:C-trace-odd} がそのまま使えてゼロである.結局,$\gamma^5$ を1個含むトレースは,$n$ が奇数ならこの議論で,$n$ が偶数かつ $n\le2$ なら上の $\gamma^\alpha$ 挿入でゼロになり,最初にゼロでない値が出るのは $n=4$ である.それが式 \eqref{eq:C-trace-g5-4} の $-4\ii\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ であり,C.4.3 項で計算する.
物理的意味:奇数個ゼロはパリティの言い換えである
$\gamma$ 行列の積 $\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}$ は,Lorentz 変換のもとで $n$ 階のテンソルのように振る舞う.一方トレースはスカラー(表示によらない数)である.奇数階のテンソルからスカラーを作るには,$g^{\mu\nu}$ だけでは添字が余ってしまう.だから奇数個のトレースはゼロにならざるを得ない.
実用上の効果は大きい.たとえば $\Tr[(\slashed{p}'+m)\gamma^\mu(\slashed{p}+m)\gamma^\nu]$ を展開すると4項出るが,$\gamma$ の個数が奇数になる交差項 $m\Tr[\slashed{p}'\gamma^\mu\gamma^\nu]$ と $m\Tr[\gamma^\mu\slashed{p}\gamma^\nu]$ が自動的に消える.残るのは $\gamma$ が4個の項と2個の項だけである.計算量が半分になる.
C.4.2 偶数個のトレース
定理:基本トレース定理
スラッシュ形では
$$ \begin{equation} \Tr\left(\slashed{a}\slashed{b}\right)=4\,a\cdot b, \qquad \Tr\left(\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right)=4\left[(a\cdot b)(c\cdot d)-(a\cdot c)(b\cdot d)+(a\cdot d)(b\cdot c)\right] \label{eq:C-trace-slash} \end{equation} $$導出15:2個と4個のトレースの証明
ステップ1:2個の場合.トレースの巡回性から $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=\Tr(\gamma^\nu\gamma^\mu)$.したがって
$$ \Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=\frac12\Tr\left(\gamma^\mu\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\mu\right) =\frac12\Tr\left(\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}\right) =\frac12\cdot2g^{\mu\nu}\Tr\mathbb{1}=4g^{\mu\nu} $$$\blacksquare$ 対称化して反交換関係に持ち込む,というのが定石である.
ステップ2:4個の場合の方針.いちばん左の $\gamma^\mu$ を,反交換関係を使って右端まで移動させる.移動のたびに $2g$ のおつりが出る.
$$ \gamma^\mu\gamma^\nu = 2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu $$を繰り返し使う.
ステップ3:1回目の移動.
$$ \Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma) = 2g^{\mu\nu}\Tr(\gamma^\rho\gamma^\sigma) - \Tr(\gamma^\nu\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma) $$ステップ4:2回目の移動.右辺第2項の中の $\gamma^\mu\gamma^\rho$ に同じ処理をする.
$$ \Tr(\gamma^\nu\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma) = 2g^{\mu\rho}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\sigma)-\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\mu\gamma^\sigma) $$ステップ5:3回目の移動.
$$ \Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\mu\gamma^\sigma) = 2g^{\mu\sigma}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho)-\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\mu) $$ステップ6:巡回性で元に戻す.最後の項は $\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\mu)=\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)$ である.これを $T$ と書き,ステップ3〜5をまとめると
$$ T = 2g^{\mu\nu}\Tr(\gamma^\rho\gamma^\sigma) - 2g^{\mu\rho}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\sigma) + 2g^{\mu\sigma}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho) - T $$ステップ7:$T$ について解く.$2T=2\left[\cdots\right]$ すなわち
$$ T = g^{\mu\nu}\Tr(\gamma^\rho\gamma^\sigma)-g^{\mu\rho}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\sigma)+g^{\mu\sigma}\Tr(\gamma^\nu\gamma^\rho) $$ステップ1の結果 $\Tr(\gamma^\alpha\gamma^\beta)=4g^{\alpha\beta}$ を代入して
$$ T = 4\left(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho}\right) $$$\blacksquare$ 符号が $+,-,+$ と交代することに注意する.これは「$\gamma^\mu$ を何個通り抜けたか」の記録であり,覚え方は次項の図C.4を見よ.
定理:一般の偶数個への漸化式
同じ手順は何個でも使える.$2n$ 個のトレースは,添字 $\mu_1$ を他のすべてと対にする $(2n-1)$ 通りの項の和になる.
$\widehat{\ }$ はその因子を除くことを表す.項数は $(2n-1)!!$ 個:2個なら1項,4個なら3項,6個なら15項,8個なら105項である.
例:6個のトレース(15項)
漸化式 \eqref{eq:C-trace-recursion} を1回使うと,6個のトレースは5個の「4個のトレース」の和になる.
$$ \begin{aligned} \Tr\left(\gamma^{\mu}\gamma^{\nu}\gamma^{\rho}\gamma^{\sigma}\gamma^{\alpha}\gamma^{\beta}\right) =\;& g^{\mu\nu}\Tr\left(\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\alpha\gamma^\beta\right) - g^{\mu\rho}\Tr\left(\gamma^\nu\gamma^\sigma\gamma^\alpha\gamma^\beta\right)\\ &+ g^{\mu\sigma}\Tr\left(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\alpha\gamma^\beta\right) - g^{\mu\alpha}\Tr\left(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\beta\right)\\ &+ g^{\mu\beta}\Tr\left(\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\alpha\right) \end{aligned} $$各項が3項に展開されるので合計 $5\times3=15$ 項である.手計算の限界はこのあたりで,8個(105項)以上は FORM や FeynCalc のような計算機代数に任せる.
ただし,実際の計算では途中で運動量の縮約が入るので,愚直に展開する必要はほとんどない.たとえば $\Tr(\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{e}\slashed{f})$ で $a=b$ なら $\slashed{a}\slashed{a}=a^2$ と潰れて4個のトレースに落ちる(式 \eqref{eq:C-slash-product}).「潰せるものは先に潰す」のが計算の鉄則である.
C.4.3 $\gamma^5$ を含むトレース
定理:$\gamma^5$ を含むトレース
ここで $\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ は4次元 Levi-Civita テンソルで,本書の規約は $\varepsilon^{0123}=+1$(したがって $\varepsilon_{0123}=-1$)である(C.6 節).$\gamma^5$ と奇数個の $\gamma$ のトレースもゼロである.
導出16:$\gamma^5$ を含むトレースの証明
ステップ1:$\Tr\gamma^5=0$.C.2.6 項の導出12ステップ4で示した.$(\gamma^0)^2=\mathbb{1}$ を挿入し,$\gamma^5$ を通してから巡回で戻すと $\Tr\gamma^5=-\Tr\gamma^5$ となる.
ステップ2:$\Tr(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu)=0$,$\mu=\nu$ の場合.$\gamma^\mu\gamma^\mu=g^{\mu\mu}\mathbb{1}$(和をとらない)なので $\Tr(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\mu)=g^{\mu\mu}\Tr\gamma^5=0$.
ステップ3:$\mu\neq\nu$ の場合.$\mu,\nu$ のどちらとも異なる添字 $\alpha$ を選ぶ(4次元なので必ず2個は残っている).$(\gamma^\alpha)^2=g^{\alpha\alpha}\mathbb{1}=\pm\mathbb{1}$ だから,$1=\left(\gamma^\alpha\right)^2/g^{\alpha\alpha}$ を挿入できる.
$$ \Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\right) = \frac{1}{g^{\alpha\alpha}}\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\alpha\gamma^\alpha\right) $$ステップ4:右端の $\gamma^\alpha$ を左端まで運ぶ.$\gamma^\alpha$ は $\gamma^\nu$,$\gamma^\mu$($\alpha\neq\mu,\nu$ だから反交換),$\gamma^5$(つねに反交換)の3個を通り抜ける.したがって $(-1)^3=-1$:
$$ = \frac{-1}{g^{\alpha\alpha}}\Tr\left(\gamma^\alpha\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\alpha\right) $$ステップ5:巡回性で $\gamma^\alpha$ を隣り合わせる.左端の $\gamma^\alpha$ を右端に回すと
$$ = \frac{-1}{g^{\alpha\alpha}}\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\alpha\gamma^\alpha\right) = -\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\right) $$よってこのトレースはゼロ.$\blacksquare$ 同じ論法で $\Tr(\gamma^5)$ も $\Tr(\gamma^5\gamma^\mu)$ もゼロになる(後者は奇数個なので \eqref{eq:C-trace-odd} の補足からも従う).
ステップ6:4個の場合,添字に重複があればゼロ.$\mu,\nu,\rho,\sigma$ のうち二つが等しいとする.反交換を使ってその二つを隣り合わせにすると(符号が出るだけ)$\gamma^\mu\gamma^\mu=g^{\mu\mu}$ で潰れ,$\Tr(\gamma^5\gamma^\alpha\gamma^\beta)$ の形になる.これはステップ5でゼロと分かっている.したがって4個の添字がすべて異なるときだけ生き残る.
ステップ7:$(\mu\nu\rho\sigma)=(0123)$ を計算する.$\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ より $\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3=-\ii\gamma^5$ である.したがって
$$ \Tr\left(\gamma^5\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3\right) = \Tr\left(\gamma^5\cdot(-\ii\gamma^5)\right) = -\ii\,\Tr\left((\gamma^5)^2\right) = -\ii\,\Tr\mathbb{1} = -4\ii $$ステップ8:一般の添字へ.添字を入れ替えると,$\gamma$ 行列が反交換するので符号が変わる.すなわち左辺は $(\mu\nu\rho\sigma)$ について完全反対称である.完全反対称で $(0123)$ 成分が $-4\ii$ である4階テンソルは $-4\ii\,\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$($\varepsilon^{0123}=+1$)に限る.$\blacksquare$
注意:$\varepsilon$ の符号規約は本によって違う
式 \eqref{eq:C-trace-g5-4} の符号は,$\varepsilon^{0123}$ をどう決めるか,$\gamma^5$ を $+\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ とするか $-\ii\cdots$ とするかで変わる.よく見かける組み合わせは次の二つである.
- $\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$,$\varepsilon^{0123}=+1$ $\;\Rightarrow\;$ $\Tr(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)=-4\ii\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$(本書,Peskin–Schroeder)
- $\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$,$\varepsilon_{0123}=+1$(下付きで $+1$)$\;\Rightarrow\;$ 符号が反転して $+4\ii\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ に見える(Griffiths.本付録の底本だが,この点だけは Peskin–Schroeder の規約に合わせている.第10章 10.3.3 項の注意も参照)
この符号を間違えると,$\varepsilon$ が1個だけ残る項——偏極ビームの左右非対称度 $A_\mathrm{LR}$ や,終状態のスピン相関・$\tau$ 偏極のような偏極を測る観測量——の符号が逆になる.逆に,非偏極の $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の前後非対称度 $A_\mathrm{FB}$ やニュートリノ散乱の角度分布は,二つのカレントの $\varepsilon$ どうしの縮約($\abs{\mathcal{M}}^2$ の $\varepsilon\varepsilon$ 項.式 \eqref{eq:C-eps4-3})から出るので,符号が二乗されて規約には依らない——ただし二つの $\varepsilon$ を別々の規約で計算してしまえば,やはり符号が反転する.計算を始める前に,自分の $\varepsilon^{0123}$ を紙の隅に書いておくこと.本書は一貫して $\varepsilon^{0123}=+1$,$\varepsilon_{0123}=-1$ を使う(C.6 節).
C.4.4 トレース定理の一覧表
| トレース | 結果 | 根拠 |
|---|---|---|
| $\Tr\mathbb{1}$ | $4$ | $4\times4$ 行列 |
| $\Tr\left(\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_n}\right)$,$n$ 奇数 | $0$ | $\gamma^5$ 挿入 \eqref{eq:C-trace-odd} |
| $\Tr\left(\gamma^\mu\gamma^\nu\right)$ | $4g^{\mu\nu}$ | 対称化 \eqref{eq:C-trace2} |
| $\Tr\left(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\right)$ | $4\left(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho}\right)$ | 反交換の反復 \eqref{eq:C-trace4} |
| $\Tr\left(\gamma^{\mu_1}\cdots\gamma^{\mu_{2n}}\right)$ | $(2n-1)!!$ 項のペアリング和 | 漸化式 \eqref{eq:C-trace-recursion} |
| $\Tr\gamma^5$ | $0$ | $\gamma^0$ 挿入 \eqref{eq:C-trace-g5} |
| $\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\right)$ | $0$ | 奇数個 |
| $\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\right)$ | $0$ | $\gamma^\alpha$ 挿入 \eqref{eq:C-trace-g5-2} |
| $\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right)$ | $0$ | 奇数個 |
| $\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\right)$ | $-4\ii\,\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ | 直接計算 \eqref{eq:C-trace-g5-4} |
| $\Tr\left(\slashed{a}\slashed{b}\right)$ | $4\,a\cdot b$ | $\gamma$ 2個 |
| $\Tr\left(\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right)$ | $4\left[(a\!\cdot\!b)(c\!\cdot\!d)-(a\!\cdot\!c)(b\!\cdot\!d)+(a\!\cdot\!d)(b\!\cdot\!c)\right]$ | $\gamma$ 4個 |
| $\Tr\left(\gamma^5\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right)$ | $-4\ii\,\varepsilon_{\mu\nu\rho\sigma}a^\mu b^\nu c^\rho d^\sigma$ | $\gamma^5$ + 4個 |
| $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\gamma^\nu(1+\gamma^5)\right]$ | $8g^{\mu\nu}$ | 通り抜け+冪等性 $(1+\gamma^5)^2=2(1+\gamma^5)$ |
| $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\gamma^\nu(1-\gamma^5)\right]$ | $0$ | $\gamma^\nu$ を1個通すと $(1+\gamma^5)(1-\gamma^5)=0$ |
| $\Tr\left[\slashed{a}\gamma^\mu\slashed{b}\gamma^\nu(1-\gamma^5)\right]$ | $4\left[a^\mu b^\nu+a^\nu b^\mu-g^{\mu\nu}a\!\cdot\!b+\ii\varepsilon^{\alpha\mu\beta\nu}a_\alpha b_\beta\right]$ | 弱い相互作用の主役 |
数学ノート:$(1\mp\gamma^5)$ が現れたときの定石
弱い相互作用の頂点には必ず $\gamma^\mu(1-\gamma^5)$ が現れる($V-A$,第12章).このとき次の三つの性質を使うと,計算がぐっと楽になる.
- 冪等性:$(1-\gamma^5)^2=1-2\gamma^5+(\gamma^5)^2=2(1-\gamma^5)$.したがって二つの $(1-\gamma^5)$ を隣り合わせにできれば,1個にまとめて係数 $2$ が出る.
- 通り抜け:$(1-\gamma^5)\gamma^\mu=\gamma^\mu(1+\gamma^5)$.$\gamma^\mu$ を通すと $\gamma^5$ の符号が反転する.偶数個通せば元に戻る.
- 質量項が消える:$(1-\gamma^5)\slashed{p}(1-\gamma^5)=\slashed{p}(1+\gamma^5)(1-\gamma^5)=0$,一方 $(1-\gamma^5)\,m\,(1-\gamma^5)=2m(1-\gamma^5)\neq0$ だが,カレントに挟まれる形では質量項が落ちる.これが「高エネルギーでニュートリノ質量が効かない」ことの技術的な表れである.
- 間に挟む $\gamma$ の個数の偶奇を数える:二つの $(1-\gamma^5)$ の間に $\gamma$ 行列が $n$ 個あるとき,通り抜けの規則から $(1-\gamma^5)\,\Gamma_n\,(1-\gamma^5)=\Gamma_n\left(1-(-1)^n\gamma^5\right)(1-\gamma^5)$ となる.$n$ が偶数なら $2\,\Gamma_n(1-\gamma^5)$ で生き残り,$n$ が奇数なら $(1+\gamma^5)(1-\gamma^5)=0$ で丸ごと消える.たとえば $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\gamma^\nu(1-\gamma^5)\right]$ は $n=1$ なのでゼロ,演習C.4(3) の形 $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\slashed{a}\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right]$ や $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\gamma^\nu\gamma^\rho(1-\gamma^5)\right]$ は $n=2$ なので生き残る($(1-\gamma^5)$ が1個しかない $\Tr\left[\slashed{a}\gamma^\mu\slashed{b}\gamma^\nu(1-\gamma^5)\right]$ のような形は,そもそもこの数え上げの対象ではない).ここを数えずに $(1-\gamma^5)^2=2(1-\gamma^5)$ を機械的に当てはめるのが,$V-A$ の計算で最も多い誤りである.
結果として,$V-A$ の計算では「$\gamma^5$ を全部右端に集めて $(1-\gamma^5)$ を1個にまとめる」→「$\gamma^5$ なしの項と $\gamma^5$ ありの項に分ける」→「前者は \eqref{eq:C-trace4},後者は \eqref{eq:C-trace-g5-4}」という3手順で終わる.
C.4.5 実例:$e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ の spin 和
トレース定理の使い方を,第10章で実際に使う計算で見ておく.電子と $\mu$ 粒子の弾性散乱($t$ チャネル1光子交換)である.
導出17:電子側のテンソル $L^{\mu\nu}$ を計算する
ステップ1:定義.電子線から来る因子は $\bar u(p')\gamma^\mu u(p)$ である.その絶対値二乗をスピン和すると,添字 $\mu,\nu$ をもつテンソルになる.
$$ L^{\mu\nu}\equiv\sum_{\text{spins}}\left[\bar u(p')\gamma^\mu u(p)\right]\left[\bar u(p')\gamma^\nu u(p)\right]^* $$ステップ2:複素共役を $\bar\Gamma$ で書く.$\left[\bar u(p')\gamma^\nu u(p)\right]^*=\bar u(p)\,\overline{\gamma^\nu}\,u(p')=\bar u(p)\gamma^\nu u(p')$.エルミート性条件 \eqref{eq:C-hermiticity} により $\overline{\gamma^\nu}=\gamma^0\gamma^{\nu\dagger}\gamma^0=\gamma^\nu$ だからである.
ステップ3:完全性関係でトレースにする.式 \eqref{eq:C-why-trace} の手順で
$$ L^{\mu\nu} = \Tr\left[(\slashed{p}'+m_e)\gamma^\mu(\slashed{p}+m_e)\gamma^\nu\right] $$ステップ4:展開して奇数項を捨てる.4項に展開すると
$$ = \Tr\left[\slashed{p}'\gamma^\mu\slashed{p}\gamma^\nu\right] + m_e\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{p}\gamma^\nu\right] + m_e\Tr\left[\slashed{p}'\gamma^\mu\gamma^\nu\right] + m_e^2\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\right] $$中央の2項は $\gamma$ が3個(奇数)なので \eqref{eq:C-trace-odd} によりゼロである.
ステップ5:残りを計算する.第1項は $\Tr(\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d})$ の形で $a=p'$,$b=e_\mu$($\gamma^\mu$ の添字),$c=p$,$d=e_\nu$ とみなす.式 \eqref{eq:C-trace4} を直接使うと
$$ \Tr\left[\slashed{p}'\gamma^\mu\slashed{p}\gamma^\nu\right] = p'_\alpha p_\beta\,\Tr\left(\gamma^\alpha\gamma^\mu\gamma^\beta\gamma^\nu\right) = 4p'_\alpha p_\beta\left(g^{\alpha\mu}g^{\beta\nu}-g^{\alpha\beta}g^{\mu\nu}+g^{\alpha\nu}g^{\mu\beta}\right) $$ $$ = 4\left(p'^\mu p^\nu - g^{\mu\nu}\,p'\!\cdot\!p + p'^\nu p^\mu\right) $$第4項は $m_e^2\cdot4g^{\mu\nu}$.
ステップ6:まとめる.
$\blacksquare$ これが レプトン・テンソルである.$\mu\leftrightarrow\nu$ について対称であり,カレント保存 $q_\mu L^{\mu\nu}=0$($q=p'-p$)も満たす.実際 $q_\mu L^{\mu\nu}=4[(p'\cdot q)p^\nu+(p\cdot q)p'^\nu-q^\nu(p'\cdot p-m_e^2)]$ で,$p'^2=p^2=m_e^2$ より $p'\cdot q=m_e^2-p'\cdot p$,$p\cdot q=p'\cdot p-m_e^2$ となり,最初の二項が $\left(m_e^2-p'\!\cdot\!p\right)p^\nu+\left(p'\!\cdot\!p-m_e^2\right)p'^\nu$,第三項が $-\left(p'^\nu-p^\nu\right)\left(p'\!\cdot\!p-m_e^2\right)$ で,すべて打ち消す.
ステップ7:断面積へ.$\mu$ 粒子側にも同じ形のテンソル $M_{\mu\nu}$ があり,光子伝播関数が両者を縫うので
$$ \sum_{\text{spins}}\abs{\mathcal{M}}^2 = \frac{e^4}{q^4}\,L^{\mu\nu}M_{\mu\nu} $$となる.あとは $L^{\mu\nu}M_{\mu\nu}$ を計算するだけで,これは運動量の内積だけの計算である.第10章で最後まで実行する.
材料科学との接点:トレースは「スピンについて平均する」という操作そのものである
式 \eqref{eq:C-why-trace} の構造を,物性の言葉に翻訳しておく.スピンの状態が密度行列 $\rho$ で与えられているとき,演算子 $A$ の期待値は $\braket{A}=\Tr(\rho A)$ である.スピン和・スピン平均はトレースにほかならない.$\gamma$ 行列のトレース定理は,このありふれた操作の4成分版である.
(a) スピン分解状態密度.第一原理計算でスピン分解 DOS を出すとき,実際に計算しているのは
$$ D_\alpha(E) = -\frac{1}{\pi}\mathrm{Im}\,\Tr\left[\frac{1+\hat{\bm{e}}_\alpha\cdot\bm{\sigma}}{2}\,G^R(E)\right] $$である.$(1+\hat{\bm{e}}\cdot\bm{\sigma})/2$ はスピン射影演算子であり,C.5 節の $\Sigma(s)=(1+\gamma^5\slashed{s})/2$ とまったく同じ役割を果たす.非共線磁性やスピン軌道結合を入れた計算では,$\bm{\sigma}$ が対角化されないので,このトレースを真面目にとる必要がある.
(b) X線・中性子散乱の断面積.非偏極入射・非検出偏極の散乱断面積は,偏極についての和と平均を含む.たとえば X 線 Thomson 散乱の断面積は
$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega} = r_e^2\,\frac{1}{2}\sum_{\lambda,\lambda'}\abs{\bm{\epsilon}_\lambda\cdot\bm{\epsilon}_{\lambda'}}^2 = r_e^2\,\frac{1+\cos^2\theta}{2} $$と書ける($r_e=e^2/4\pi m_e=2.818\ \mathrm{fm}$ は古典電子半径).この $\tfrac12\sum_{\lambda\lambda'}$ は,光子の偏極ベクトルについての和の公式 $\sum_\lambda\epsilon^\mu_\lambda\epsilon^{\nu*}_\lambda\to-g^{\mu\nu}$(第10章)を使う操作で,$\gamma$ 行列のスピン和と対をなす.Compton 散乱の Klein–Nishina 公式は,まさに本節のトレース定理で導かれ,その低エネルギー極限が上の Thomson 断面積である.放射光施設で測る散乱強度の理論式は,本節の計算そのものである.
(c) 磁気円二色性(XMCD).左右円偏光の吸収差を測る XMCD では,吸収テンソルの反対称部分——3次元の $\varepsilon_{ijk}$ と軸性ベクトルである磁化 $\bm{m}$ の組み合わせ $\propto\bm{m}\cdot(\bm{\epsilon}\times\bm{\epsilon}^*)$——が信号になる.これは \eqref{eq:C-trace-g5-4} の $\Tr(\gamma^5\cdots)$ が $\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ を生む構造の非相対論的な類似である.ただし破れている対称性は違う:$\gamma^5$ トレースが担うのはパリティの破れであり,XMCD で信号を出すのは時間反転対称性を破る磁化(時間反転奇・パリティ偶の軸性ベクトル)である.どちらも「完全反対称テンソルと軸性量の組」という同じ代数構造をもつ,というのが対応の中身である.XMCD の総和則(軌道モーメントとスピンモーメントを分離して取り出す公式,Thole–Carra ら 1992–1993 年)は,この構造の物性版である.
C.4.6 計算の作法
例:トレース計算のチェックリスト
実際に紙の上で計算するときの手順を整理しておく.第10〜12章で何度も使う.
- $\gamma$ の個数を数える.奇数ならその項は即ゼロ(\eqref{eq:C-trace-odd}).展開した4項のうち2項が消えるのが典型である.
- 隣り合う同じスラッシュを潰す.$\slashed{a}\slashed{a}=a^2$(\eqref{eq:C-slash-product}).質量殻上なら $\slashed{p}\slashed{p}=m^2$.
- スピノルに掛かる部分は Dirac 方程式で潰す.$\slashed{p}\,u(p)=m\,u(p)$,$\bar u(p)\slashed{p}=m\,\bar u(p)$.これで $\gamma$ の個数が2個減る.
- 縮約 $\gamma^\mu\cdots\gamma_\mu$ を先に処理する.C.3 節の公式で $\gamma$ の個数が2個減る.
- $\gamma^5$ は右端(または左端)に集める.$\gamma^\mu$ を通すたびに符号が反転する.
- $(1\mp\gamma^5)$ は冪等性でまとめる.$(1-\gamma^5)^2=2(1-\gamma^5)$.
- 最後にトレース定理を適用する.$\gamma^5$ なしの部分は \eqref{eq:C-trace4},$\gamma^5$ ありの部分は \eqref{eq:C-trace-g5-4}.
- 検算する.(a) 結果は実数か($\abs{\mathcal{M}}^2$ は実数でなければならない.$\varepsilon$ の項は $\ii$ を伴うので,最終的に虚数単位が消えることを確認する).(b) 次元は合っているか($\abs{\mathcal{M}}^2$ の次元は,外線の規格化によるが,同じ計算内で一貫していればよい).(c) $m\to0$ や後方散乱など,答えが分かっている極限で確かめる.(d) カレント保存 $q_\mu L^{\mu\nu}=0$.
この8項目を守れば,$\gamma$ 行列の計算で間違えることはほとんどない.逆に,ここで手を抜いて「たぶんこうだろう」と進めると,符号を一つ落として断面積が負になる.
C.5 スピノルの完全性関係と射影演算子
C.5.1 規格化の約束
本書では,Griffiths と同じく次の規格化を使う(第9章).平面波解を $\psi=u(p,s)\ee^{-\ii p\cdot x}$(正エネルギー),$\psi=v(p,s)\ee^{+\ii p\cdot x}$(負エネルギー=反粒子)とするとき
定義:スピノルの規格化
$$ \begin{equation} \bar u^{(s)}u^{(s')}=2m\,\delta^{ss'}, \qquad \bar v^{(s)}v^{(s')}=-2m\,\delta^{ss'}, \qquad \bar u^{(s)}v^{(s')}=\bar v^{(s)}u^{(s')}=0 \label{eq:C-spinor-norm} \end{equation} $$また $u^{(s)\dagger}u^{(s')}=2E\,\delta^{ss'}$,$v^{(s)\dagger}v^{(s')}=2E\,\delta^{ss'}$.$\bar u u$ が $2m$,$u^\dagger u$ が $2E$ という「$2$」は,付録A A.5 節の相対論的規格化 $\braket{p|p'}=2E(2\pi)^3\delta^3$ と対をなす約束である.
Dirac 方程式から $\slashed{p}\,u(p,s)=m\,u(p,s)$,$\bar u(p,s)\slashed{p}=m\,\bar u(p,s)$,$\slashed{p}\,v(p,s)=-m\,v(p,s)$,$\bar v(p,s)\slashed{p}=-m\,\bar v(p,s)$ が従う.計算中に $\slashed{p}$ がスピノルに隣接したら,これで数に置き換えられる.
注意:$\bar u u=1$ とする流儀もある
非相対論の教科書や,一部の場の理論の本では $\bar u u=1$(あるいは $u^\dagger u=1$)と規格化する.そのときはスピノルが $1/\sqrt{2m}$ だけ小さくなるので,完全性関係が $\sum_s u\bar u=(\slashed{p}+m)/2m$ に変わり,断面積の公式にも $2m$ の因子が入る.規格化と位相空間の因子は必ず組で決まるので,混ぜると必ず $(2m)^n$ を落とす.本書は一貫して \eqref{eq:C-spinor-norm} と,付録B の $\dd^3p/[(2\pi)^32E]$ の組を使う.
C.5.2 完全性関係(スピン和)
定理:完全性関係
左辺は「縦ベクトル $\times$ 横ベクトル」なので $4\times4$ 行列である.右辺も $4\times4$ 行列であり,両者が等しいという主張である.
導出18:完全性関係の証明
ステップ1:静止系で確かめる.$p^\mu=(m,\bm{0})$ とすると,Dirac–Pauli 表示での正エネルギー解は
$$ u(p,1)=\sqrt{2m}\begin{pmatrix}1\\0\\0\\0\end{pmatrix}, \qquad u(p,2)=\sqrt{2m}\begin{pmatrix}0\\1\\0\\0\end{pmatrix} $$(規格化 $\bar uu=u^\dagger\gamma^0u=2m$ を満たす.)
ステップ2:和をとる.$\bar u=u^\dagger\gamma^0$ で,$\gamma^0=\mathrm{diag}(1,1,-1,-1)$ だから $\bar u(p,1)=\sqrt{2m}(1,0,0,0)$.よって
$$ \sum_s u\bar u = 2m\left[ \begin{pmatrix}1\\0\\0\\0\end{pmatrix}(1,0,0,0) +\begin{pmatrix}0\\1\\0\\0\end{pmatrix}(0,1,0,0)\right] = 2m\begin{pmatrix}1&0&0&0\\0&1&0&0\\0&0&0&0\\0&0&0&0\end{pmatrix} $$ステップ3:右辺と比べる.静止系では $\slashed{p}=\gamma^0 m=m\,\mathrm{diag}(1,1,-1,-1)$ だから
$$ \slashed{p}+m = m\begin{pmatrix}2&0&0&0\\0&2&0&0\\0&0&0&0\\0&0&0&0\end{pmatrix} = 2m\begin{pmatrix}1&0&0&0\\0&1&0&0\\0&0&0&0\\0&0&0&0\end{pmatrix} $$一致する.$\checkmark$
ステップ4:一般の $p$ へ持ち上げる.両辺とも Lorentz 変換のもとで同じように振る舞う.左辺は $u\to S(\Lambda)u$,$\bar u\to\bar uS^{-1}(\Lambda)$ だから $\sum u\bar u\to S(\sum u\bar u)S^{-1}$.右辺も $\slashed{p}+m\to S(\slashed{p}+m)S^{-1}$($\gamma^\mu$ の変換性).静止系で一致し,同じ変換則に従うのだから,任意の系で一致する.$\blacksquare$
ステップ5:$v$ についても同様.静止系の負エネルギー解は下2成分に立つので $\sum_s v\bar v=-2m\,\mathrm{diag}(0,0,1,1)$,一方 $\slashed{p}-m=m\,\mathrm{diag}(0,0,-2,-2)$ で一致する.符号の違い($-m$)は,$v$ の規格化が $\bar vv=-2m$ であることに対応している.
定理:エネルギー射影演算子
完全性関係を $2m$ で割ったものを
と定義すると,これらは射影演算子の三条件を満たす.
$$ \Lambda_\pm^2=\Lambda_\pm, \qquad \Lambda_+\Lambda_-=\Lambda_-\Lambda_+=0, \qquad \Lambda_++\Lambda_-=\mathbb{1}_4, \qquad \Tr\Lambda_\pm=2 $$$\Lambda_+$ は正エネルギー(粒子)部分空間へ,$\Lambda_-$ は負エネルギー(反粒子)部分空間へ射影する.トレースが $2$ なのは,それぞれが2次元(スピン2状態)だからである.
導出19:射影演算子であることの確認
ステップ1:冪等性.$\slashed{p}\slashed{p}=p^2=m^2$(\eqref{eq:C-slash-product} と質量殻条件)を使う.
$$ \Lambda_+^2 = \frac{(\slashed{p}+m)^2}{4m^2} = \frac{\slashed{p}\slashed{p}+2m\slashed{p}+m^2}{4m^2} = \frac{m^2+2m\slashed{p}+m^2}{4m^2} = \frac{2m(\slashed{p}+m)}{4m^2}=\Lambda_+ $$$\checkmark$ $\Lambda_-$ も同様.
ステップ2:直交性.
$$ \Lambda_+\Lambda_- = \frac{(\slashed{p}+m)(-\slashed{p}+m)}{4m^2} = \frac{-\slashed{p}\slashed{p}+m^2}{4m^2} = \frac{-m^2+m^2}{4m^2}=0 $$$\checkmark$($\slashed{p}$ と $m\mathbb{1}$ は可換なので途中の交差項が消える.)
ステップ3:完全性.$\Lambda_++\Lambda_-=\dfrac{(\slashed{p}+m)+(-\slashed{p}+m)}{2m}=\dfrac{2m}{2m}=\mathbb{1}$.$\checkmark$
ステップ4:トレース.$\Tr\slashed{p}=p_\mu\Tr\gamma^\mu=0$(奇数個)だから $\Tr\Lambda_\pm=\dfrac{0+m\Tr\mathbb{1}}{2m}=\dfrac{4m}{2m}=2$.$\checkmark$ $\blacksquare$
C.5.3 スピン射影演算子
完全性関係 \eqref{eq:C-completeness} はスピンについて和をとった形である.特定のスピン状態だけを取り出したいときは,もう一段細かい射影が要る.そのために,静止系でスピンの向きを表す3次元ベクトル $\hat{\bm{s}}$ を,共変な4元ベクトル $s^\mu$ に持ち上げる.
定義:スピン4元ベクトル
静止系で $s^\mu_\mathrm{rest}=(0,\hat{\bm{s}})$($\abs{\hat{\bm{s}}}=1$)とし,これを一般の系へ Lorentz 変換したものを $s^\mu$ とする.定義から
$$ \begin{equation} s\cdot s = -1, \qquad s\cdot p = 0 \label{eq:C-spin-vector} \end{equation} $$が任意の系で成り立つ(内積は不変だから,静止系で確かめれば十分である).運動方向にスピンを向けた場合(ヘリシティ状態)には
$$ s^\mu_\mathrm{hel} = \left(\frac{\abs{\pp}}{m},\;\frac{E}{m}\hat{\pp}\right) $$となる.実際 $s\cdot s=\abs{\pp}^2/m^2-E^2/m^2=-1$,$s\cdot p=E\abs{\pp}/m-\abs{\pp}E/m=0$.$\checkmark$
定理:スピン射影演算子
は射影演算子であり($\Sigma(s)^2=\Sigma(s)$,$\Sigma(s)\Sigma(-s)=0$,$\Sigma(s)+\Sigma(-s)=\mathbb{1}$,$\Tr\Sigma(s)=2$),$\Lambda_\pm$ と可換である.これらを組み合わせると,特定の運動量・特定のスピンの状態を1個だけ取り出す射影ができる.
(和をとらない.$s\to-s$ とした二つを足せば \eqref{eq:C-completeness} に戻る.)
導出20:スピン射影演算子の性質
ステップ1:$(\gamma^5\slashed{s})^2=\mathbb{1}$ を示す.$\gamma^5$ は $\slashed{s}=\gamma^\mu s_\mu$ と反交換するので $\gamma^5\slashed{s}\gamma^5\slashed{s}=-\gamma^5\gamma^5\slashed{s}\slashed{s}=-\mathbb{1}\cdot s^2$.$s^2=-1$(\eqref{eq:C-spin-vector})だから $=+\mathbb{1}$.$\checkmark$
ステップ2:冪等性.ステップ1より
$$ \Sigma(s)^2 = \frac{1+2\gamma^5\slashed{s}+(\gamma^5\slashed{s})^2}{4} = \frac{1+2\gamma^5\slashed{s}+1}{4} = \frac{1+\gamma^5\slashed{s}}{2}=\Sigma(s) $$$\checkmark$ $\Sigma(s)+\Sigma(-s)=\mathbb{1}$ と $\Sigma(s)\Sigma(-s)=\left[1-(\gamma^5\slashed{s})^2\right]/4=0$ も同様.
ステップ3:$\Lambda_\pm$ と可換であること.$\Lambda_\pm$ は $\slashed{p}$ の関数だから,$[\gamma^5\slashed{s},\slashed{p}]=0$ を示せばよい.$\gamma^5$ は $\slashed{p}$ と反交換し,$\slashed{s}$ と $\slashed{p}$ は $s\!\cdot\!p=0$ より反交換するので
$$ \gamma^5\slashed{s}\slashed{p} = \gamma^5\left(2\,s\!\cdot\!p-\slashed{p}\slashed{s}\right) = -\gamma^5\slashed{p}\slashed{s} = +\slashed{p}\gamma^5\slashed{s} $$ここで $\{\slashed{s},\slashed{p}\}=2s\cdot p=0$(\eqref{eq:C-spin-vector})と $\gamma^5\slashed{p}=-\slashed{p}\gamma^5$ を使った.よって可換.$\checkmark$ $s\cdot p=0$ という条件が効いているのがポイントである.
ステップ4:トレース.$\Tr(\gamma^5\slashed{s})=s_\mu\Tr(\gamma^5\gamma^\mu)=0$(奇数個)だから $\Tr\Sigma(s)=\tfrac12\Tr\mathbb{1}=2$.$\checkmark$
ステップ5:\eqref{eq:C-uubar-spin} の確認.$\Lambda_+$ と $\Sigma(s)$ が可換な射影演算子なので,積 $\Lambda_+\Sigma(s)$ も射影演算子であり,そのトレースは(両方が2次元部分空間に射影し,交わりが1次元なので)$1$ である.すなわち1次元部分空間への射影であり,それが $u(p,s)\bar u(p,s)/2m$ にほかならない.規格化 $\bar uu=2m$ を掛け戻すと \eqref{eq:C-uubar-spin} を得る.$\blacksquare$
C.5.4 カイラル射影とヘリシティ
定義:カイラル射影演算子
$P_{L,R}^2=P_{L,R}$,$P_LP_R=0$,$P_L+P_R=\mathbb{1}$,$\Tr P_{L,R}=2$.また
$$ \begin{equation} \gamma^\mu P_L = P_R\gamma^\mu, \qquad \overline{\psi_L}=\bar\psi P_R, \qquad \overline{\psi_L}\gamma^\mu\psi_L = \bar\psi\gamma^\mu P_L\psi \label{eq:C-chiral-rules} \end{equation} $$導出21:カイラル射影の規則
ステップ1:$\gamma^\mu P_L=P_R\gamma^\mu$.$\gamma^5\gamma^\mu=-\gamma^\mu\gamma^5$ だから
$$ \gamma^\mu P_L = \gamma^\mu\frac{1-\gamma^5}{2}=\frac{\gamma^\mu-\gamma^\mu\gamma^5}{2} =\frac{\gamma^\mu+\gamma^5\gamma^\mu}{2}=\frac{1+\gamma^5}{2}\gamma^\mu=P_R\gamma^\mu $$$\blacksquare$ $\gamma^\mu$ を1個通すと $L$ と $R$ が入れ替わる.
ステップ2:$\overline{\psi_L}=\bar\psi P_R$.$\overline{\psi_L}=(P_L\psi)^\dagger\gamma^0=\psi^\dagger P_L^\dagger\gamma^0$.$\gamma^{5\dagger}=\gamma^5$ より $P_L^\dagger=P_L$.そして $P_L\gamma^0=\gamma^0P_R$(ステップ1)だから
$$ \overline{\psi_L}=\psi^\dagger\gamma^0P_R=\bar\psi P_R $$$\blacksquare$ バーをとると $L$ が $R$ になる.これを忘れると符号を落とす.
ステップ3:カレント.ステップ1・2より
$$ \overline{\psi_L}\gamma^\mu\psi_L = \bar\psi P_R\gamma^\mu P_L\psi = \bar\psi\gamma^\mu P_L P_L\psi = \bar\psi\gamma^\mu P_L\psi $$$\blacksquare$ すなわち $V-A$ カレント $\bar\psi\gamma^\mu(1-\gamma^5)\psi=2\overline{\psi_L}\gamma^\mu\psi_L$ は,左巻き成分だけのベクトルカレントである.これが「弱い相互作用は左巻きだけに働く」という文の正確な意味である(第12章).
ステップ4:質量項は逆.スカラー($\gamma^\mu$ が0個)では
$$ \bar\psi\psi = \bar\psi(P_L+P_R)\psi = \overline{\psi_R}\psi_L+\overline{\psi_L}\psi_R $$となり,質量項は左巻きと右巻きを結びつける.$\gamma^\mu$ が偶数個(0個)なので $L$ と $R$ が入れ替わったままになるからである.式 \eqref{eq:C-weyl-eq} で見た構造の別表現である.
定理:ヘリシティとカイラリティの関係
ヘリシティ演算子は $h=\bm{\Sigma}\cdot\hat{\pp}$,$\bm{\Sigma}\equiv\begin{pmatrix}\bm{\sigma}&0\\0&\bm{\sigma}\end{pmatrix}=\gamma^5\gamma^0\bm{\gamma}$ で定義される.質量ゼロの極限では
$$ \begin{equation} \gamma^5\,u(p,\pm) = \pm\,u(p,\pm) \qquad (m\to0) \end{equation} $$すなわちカイラリティ=ヘリシティとなる.反粒子については符号が逆で,$\gamma^5v(p,\pm)=\mp v(p,\pm)$ である.
質量が有限なら両者はずれる.$m/E$ の程度で右巻きヘリシティ状態にも左巻きカイラリティ成分が混じり,その混合率は
$$ \begin{equation} \frac{\abs{\text{逆カイラリティ成分}}^2}{\abs{\text{全体}}^2}=\frac{1}{2}\left(1-\frac{\abs{\pp}}{E}\right)\approx\frac{m^2}{4E^2}\quad(E\gg m) \label{eq:C-chirality-mixing} \end{equation} $$である.ヘリシティは Lorentz 不変でない(速い観測者から見れば追い越せる)が,カイラリティは Lorentz 不変である.質量ゼロのときだけ両者が一致し,どちらも良い量子数になる.
物理的意味:$\pi\to e\nu$ が抑制される理由
式 \eqref{eq:C-chirality-mixing} は,素粒子物理でもっとも劇的な「小さな数」を説明する.$\pi^-\to\ell^-\bar\nu_\ell$ という崩壊を考える.$\pi^-$ はスピン $0$ なので,静止系で $\ell^-$ と $\bar\nu$ は反対向きに飛び,角運動量保存からヘリシティが揃わねばならない.一方,弱い相互作用は $\ell^-$ の左巻きカイラリティ成分にしか働かない.この二つの要求は,$\ell$ が質量ゼロなら両立しない.したがって崩壊率は $m_\ell^2$ に比例して抑制される.
$$ \frac{\Gamma(\pi\to e\nu)}{\Gamma(\pi\to\mu\nu)} =\frac{m_e^2}{m_\mu^2}\left(\frac{m_\pi^2-m_e^2}{m_\pi^2-m_\mu^2}\right)^2 $$数値を入れる($m_\pi=139.570$,$m_\mu=105.658$,$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$):$m_\pi^2=19480$,$m_\mu^2=11164$,$m_e^2=0.261\ \mathrm{MeV^2}$.
$$ = \frac{0.261}{11164}\times\left(\frac{19480-0.26}{19480-11164}\right)^2 = 2.34\times10^{-5}\times\left(2.342\right)^2 = 1.28\times10^{-4} $$実測値は $R_{e/\mu}\equiv\Gamma(\pi\to e\nu)/\Gamma(\pi\to\mu\nu)=(1.2327\pm0.0023)\times10^{-4}$(PIENU 2015 を含む世界平均.PDG の $\pi^\pm$ 分岐比表に載る $\Gamma(e\nu)/\Gamma_\mathrm{total}=(1.230\pm0.004)\times10^{-4}$ と丸めの範囲で一致する)であり,このツリー近似の値 $1.283\times10^{-4}$ は実測より約 $4\%$ 大きい.輻射補正(約 $-4\%$)を入れれば一致する.電子は $\mu$ 粒子の $1/207$ の質量しかないのに,崩壊率の比は $1.23\times10^{-4}$,すなわち $1/8100$ 程度にしかならない.これがカイラリティと質量の関係の,最も鮮やかな検証である.なお素朴な $m_e^2/m_\mu^2=2.34\times10^{-5}$($1/42800$)にならないのは,位相空間因子の比 $\left[(m_\pi^2-m_e^2)/(m_\pi^2-m_\mu^2)\right]^2=2.342^2=5.49$ が効くからである.
C.5.5 光子・ベクトル粒子の偏極和
スピノルの完全性関係と対をなすのが,ベクトル粒子(光子・グルーオン・$W$・$Z$)の偏極ベクトルについての和である.並べて覚えておくとよい.
定理:偏極和
質量ゼロ(光子・グルーオン):物理的偏極(横波2本)についての和は,一般には
$$ \sum_{\lambda=1,2}\epsilon^{\mu}_\lambda(k)\,\epsilon^{\nu*}_\lambda(k) = -g^{\mu\nu} + \frac{k^\mu n^\nu+k^\nu n^\mu}{k\cdot n} $$という形になる($n$ はゲージを固定する補助ベクトルで,ここでは光円錐ゲージ $n^2=0$ をとった.一般には右辺にさらに $-n^2k^\mu k^\nu/(k\!\cdot\!n)^2$ が付く).しかし振幅がカレント保存 $k_\mu\mathcal{M}^\mu=0$(Ward 恒等式)を満たすとき,$k^\mu$ に比例する項は落ちるので,実用上は
と置き換えてよい.
質量あり($W$・$Z$):縦偏極も物理的なので3本すべてを和にとり,$k^2=M^2$ のもとで
$$ \begin{equation} \sum_{\lambda=1,2,3}\epsilon^{\mu}_\lambda\epsilon^{\nu*}_\lambda = -g^{\mu\nu}+\frac{k^\mu k^\nu}{M^2} \label{eq:C-polsum-massive} \end{equation} $$証明:静止系 $k^\mu=(M,\bm{0})$ で3本の偏極を $\epsilon_i=(0,\hat{e}_i)$ ととると,左辺は $\mathrm{diag}(0,1,1,1)$.右辺は $-g^{\mu\nu}+\mathrm{diag}(1,0,0,0)=\mathrm{diag}(-1,1,1,1)+\mathrm{diag}(1,0,0,0)=\mathrm{diag}(0,1,1,1)$.一致する.両辺とも同じ変換性をもつので任意の系で成り立つ.$\blacksquare$
$k^\mu k^\nu/M^2$ の項が,高エネルギーで $W$ の縦偏極の振幅を増大させ($E/M$ の増大),Higgs 機構がそれを打ち消す——というのが第13章の物語である.
C.6 Levi-Civita テンソルの規約と公式
C.6.1 3次元
定義:3次元 Levi-Civita 記号
$$ \varepsilon^{ijk}=\varepsilon_{ijk}= \begin{cases} +1 & (ijk)\ \text{が}\ (123)\ \text{の偶置換}\\ -1 & (ijk)\ \text{が}\ (123)\ \text{の奇置換}\\ 0 & \text{添字に重複があるとき} \end{cases} $$Euclid 空間なので上付き・下付きの区別はない.外積は $(\bm{a}\times\bm{b})_i=\varepsilon_{ijk}a_jb_k$,行列式は $\det A=\varepsilon_{ijk}A_{1i}A_{2j}A_{3k}$ である.
定理:3次元の縮約公式
$$ \begin{align} \varepsilon_{ijk}\varepsilon_{lmn} &= \det\begin{pmatrix}\delta_{il}&\delta_{im}&\delta_{in}\\ \delta_{jl}&\delta_{jm}&\delta_{jn}\\ \delta_{kl}&\delta_{km}&\delta_{kn}\end{pmatrix}\\ \varepsilon_{ijk}\varepsilon_{ilm} &= \delta_{jl}\delta_{km}-\delta_{jm}\delta_{kl} \label{eq:C-eps3-1}\\ \varepsilon_{ijk}\varepsilon_{ijl} &= 2\delta_{kl} \label{eq:C-eps3-2}\\ \varepsilon_{ijk}\varepsilon_{ijk} &= 6 \label{eq:C-eps3-3} \end{align} $$例:\eqref{eq:C-eps3-1} で BAC-CAB 則を導く
ベクトル三重積 $\bm{a}\times(\bm{b}\times\bm{c})$ を成分で書く.
$$ \left[\bm{a}\times(\bm{b}\times\bm{c})\right]_i = \varepsilon_{ijk}a_j\left(\bm{b}\times\bm{c}\right)_k = \varepsilon_{ijk}\varepsilon_{klm}a_jb_lc_m $$$\varepsilon_{ijk}=\varepsilon_{kij}$(巡回)なので $\varepsilon_{kij}\varepsilon_{klm}=\delta_{il}\delta_{jm}-\delta_{im}\delta_{jl}$(式 \eqref{eq:C-eps3-1})を使うと
$$ = \left(\delta_{il}\delta_{jm}-\delta_{im}\delta_{jl}\right)a_jb_lc_m = b_i(a_jc_j) - c_i(a_jb_j) $$すなわち $\bm{a}\times(\bm{b}\times\bm{c})=\bm{b}(\bm{a}\cdot\bm{c})-\bm{c}(\bm{a}\cdot\bm{b})$,いわゆる BAC-CAB 則である.C.1.4 項の導出5ステップ3で使った $(\bm{n}\times\bm{a})\times\bm{n}=\bm{a}-\bm{n}(\bm{n}\cdot\bm{a})$ も,これに $\bm{n}$ が単位ベクトルであることを入れたものである.
C.6.2 4次元
定義:4次元 Levi-Civita テンソル(本書の規約)
添字の入れ替えで完全反対称.上付きと下付きで符号が逆になるのが Minkowski 空間の特徴であり,最も間違えやすい点である.
注意:$\varepsilon$ は「テンソル」ではなく「擬テンソル」である
$\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ は,行列式の性質から Lorentz 変換のもとで
$$ \varepsilon'^{\mu\nu\rho\sigma}=\det(\Lambda)\,\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma} $$と変換する.すなわち固有 Lorentz 変換($\det\Lambda=+1$)では不変だが,パリティ変換($\det\Lambda=-1$)で符号が変わる.だから $\varepsilon$ を含む量は擬スカラー・軸性ベクトルになる.$\gamma^5$ を含むトレースが $\varepsilon$ を生む(式 \eqref{eq:C-trace-g5-4})のは,$\gamma^5$ が擬スカラーだからである.パリティ非保存の物理量が必ず $\varepsilon$ を伴うのは,このためである.
定理:4次元の縮約公式
$g_{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$,$\varepsilon^{0123}=+1$ の規約で
$$ \begin{align} \varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}\varepsilon_{\mu\nu\rho\sigma} &= -24 \label{eq:C-eps4-1}\\ \varepsilon^{\mu\nu\rho\alpha}\varepsilon_{\mu\nu\rho\beta} &= -6\,\delta^\alpha_\beta \label{eq:C-eps4-2}\\ \varepsilon^{\mu\nu\alpha\beta}\varepsilon_{\mu\nu\gamma\delta} &= -2\left(\delta^\alpha_\gamma\delta^\beta_\delta-\delta^\alpha_\delta\delta^\beta_\gamma\right) \label{eq:C-eps4-3}\\ \varepsilon^{\mu\alpha\beta\gamma}\varepsilon_{\mu\delta\kappa\lambda} &= -\det\begin{pmatrix}\delta^\alpha_\delta&\delta^\alpha_\kappa&\delta^\alpha_\lambda\\ \delta^\beta_\delta&\delta^\beta_\kappa&\delta^\beta_\lambda\\ \delta^\gamma_\delta&\delta^\gamma_\kappa&\delta^\gamma_\lambda\end{pmatrix} \label{eq:C-eps4-4} \end{align} $$すべての式に付く全体の負号は,$\det g=-1$(時間成分1個ぶんの符号)から来る.Euclid 空間の3次元公式と見比べれば,符号だけが違うことが分かる.
導出22:\eqref{eq:C-eps4-1} と \eqref{eq:C-eps4-2} の確認
ステップ1:\eqref{eq:C-eps4-1}.$\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}\varepsilon_{\mu\nu\rho\sigma}$ の和は,$(\mu\nu\rho\sigma)$ が $(0123)$ の置換になる $4!=24$ 通りだけが寄与する.各項は $\varepsilon^{\cdots}\varepsilon_{\cdots}$ の形で,上付きと下付きが逆符号(\eqref{eq:C-eps4-def})だから,どの項も $(+1)(-1)=-1$ または $(-1)(+1)=-1$ で $-1$ である.よって和は $24\times(-1)=-24$.$\blacksquare$
ステップ2:\eqref{eq:C-eps4-2}.$\alpha\neq\beta$ なら,左辺で $\mu\nu\rho$ が $\alpha$ 以外の3つを走らねばならず,同時に $\beta$ 以外の3つでもなければならない.$\alpha\neq\beta$ ではこれは不可能なのでゼロ.$\alpha=\beta$(和をとらない)なら,$\mu\nu\rho$ は残り3個の添字の $3!=6$ 通りで,各項は $-1$.よって $-6$.まとめて $-6\delta^\alpha_\beta$.$\blacksquare$
ステップ3:\eqref{eq:C-eps4-3} の検算.\eqref{eq:C-eps4-3} で $\alpha=\gamma$,$\beta=\delta$ として和をとると(4次元なので $\delta^\alpha_\alpha=4$)
$$ \varepsilon^{\mu\nu\alpha\beta}\varepsilon_{\mu\nu\alpha\beta}=-2\left(4\cdot4-\delta^\alpha_\beta\delta^\beta_\alpha\right)=-2(16-4)=-24 $$\eqref{eq:C-eps4-1} と一致する.$\checkmark$ このように,一段縮約するごとに $-24\to-6\cdot4=-24$,$-2(16-4)=-24$ と整合する.公式を思い出せないときは,この検算で符号と係数を復元できる.
例:$\varepsilon$ の積が2本現れる典型計算
$V-A$ カレントを二つ組み合わせた $\abs{\mathcal{M}}^2$ には,$\varepsilon$ が2本現れる項がある(第12章).たとえば
$$ \varepsilon^{\alpha\mu\beta\nu}\varepsilon_{\gamma\mu\delta\nu}\,a_\alpha b^\gamma c_\beta d^\delta $$という形である.$\mu,\nu$ を縮約するには,まず添字を並べ替えて \eqref{eq:C-eps4-3} の形にする.$(\alpha\mu\beta\nu)\to(\mu\nu\alpha\beta)$ という並べ替えは互換3回($\alpha\leftrightarrow\mu$,$\alpha\leftrightarrow\nu$,$\alpha\leftrightarrow\beta$)なので $\varepsilon^{\alpha\mu\beta\nu}=-\varepsilon^{\mu\nu\alpha\beta}$,同じ並べ替えで $\varepsilon_{\gamma\mu\delta\nu}=-\varepsilon_{\mu\nu\gamma\delta}$.二つの負号が打ち消すので
$$ \varepsilon^{\mu\nu\alpha\beta}\varepsilon_{\mu\nu\gamma\delta}\,a_\alpha b^\gamma c_\beta d^\delta = -2\left(\delta^\alpha_\gamma\delta^\beta_\delta-\delta^\alpha_\delta\delta^\beta_\gamma\right)a_\alpha b^\gamma c_\beta d^\delta = -2\left[(a\!\cdot\!b)(c\!\cdot\!d)-(a\!\cdot\!d)(c\!\cdot\!b)\right] $$$\varepsilon$ が消え,運動量の内積だけが残った.これで $\abs{\mathcal{M}}^2$ が実数になることが保証される.$\varepsilon$ が1本だけ残る項は,偏極やスピンを測る実験でしか観測されない(偏極非対称度,スピン相関).非偏極の断面積には $\varepsilon$ は現れない.
数学ノート:双対テンソルと $\gamma^5$
反対称テンソル $F^{\mu\nu}$ の双対を
$$ \tilde F^{\mu\nu}\equiv\frac12\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}F_{\rho\sigma} $$と定義する.電磁場では $F^{0i}=-E^i$,$F^{ij}=-\varepsilon^{ijk}B^k$ に対して $\tilde F$ は $\bm{E}\to\bm{B}$,$\bm{B}\to-\bm{E}$ の置き換えに対応する(電磁双対性).そして
$$ F_{\mu\nu}\tilde F^{\mu\nu} = -4\,\bm{E}\cdot\bm{B} $$は擬スカラーである.QCD の $\theta$ 項 $\theta\,G_{\mu\nu}\tilde G^{\mu\nu}$ が CP を破るのはこのためであり(第15章 15.5.5 項の強い CP 問題),軸性アノマリー $\partial_\mu j^\mu_5\propto F\tilde F$(第13章 13.6.3 項)が $\gamma^5$ と $\varepsilon$ を同時に含むのも同じ理由である.$\gamma^5$,$\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$,擬スカラー,パリティ非保存——これら四つは同じ一つの事実の言い換えである.
材料科学では,$\bm{E}\cdot\bm{B}$ 型の擬スカラーは軸電磁効果(axion electrodynamics)としてトポロジカル絶縁体に現れる.有効ラグランジアンに $\theta\,\bm{E}\cdot\bm{B}$ を加えると,時間反転対称なトポロジカル絶縁体では $\theta=\pi$ に量子化され,磁気電気効果(電場で磁化が,磁場で分極が生じる)を与える.Wilczek が 1987 年に素粒子論の文脈で書いた式が,2008 年に Qi–Hughes–Zhang によって固体の応答関数として書き直された——$\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ を含む同じ一本の項が,二つの分野を往復しているのである.
C.7 まとめと演習
C.7.1 まとめ
- Pauli 行列は $\mathrm{SU}(2)$ の生成子であり,同時に3次元 Clifford 代数の元である.$\sigma^i\sigma^j=\delta^{ij}+\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$(式 \eqref{eq:C-sigma-product})の一行に,交換関係(角運動量)と反交換関係(Clifford)の両方が入っている.
- 基本恒等式 $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})=\bm{a}\cdot\bm{b}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ が実用の要である.その系 $E_\pm=d^0\pm\abs{\bm{d}}$(式 \eqref{eq:C-two-level})だけで,Rashba 分裂・グラフェンの Dirac コーン・超伝導ギャップ $\sqrt{\xi^2+\abs{\Delta}^2}$ がすべて出る.
- $\exp(-\ii\theta\bm{n}\cdot\bm{\sigma}/2)=\cos(\theta/2)-\ii(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})\sin(\theta/2)$.$\theta=2\pi$ で $-\mathbb{1}$ になる($\mathrm{SU}(2)$ の二重被覆).この符号がグラフェンの Berry 位相 $\pi$ として実験に現れる.
- Dirac 行列の定義は Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ だけである.表示はユニタリ変換の自由度であり,物理には効かない.Dirac–Pauli 表示は $\gamma^0$ を,Weyl 表示は $\gamma^5$ を対角にし,Majorana 表示はすべてを純虚数にする.どの極限を見たいかで選ぶ(表C.2).
- 縮約公式は「$\gamma^\mu$ を右へ通す」だけで全部出る.$\gamma^\mu\gamma_\mu=4$,$\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}$,$\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu=4a\cdot b$,$\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=-2\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a}$(順序逆転).次元正則化では $4\to d$ になる(表C.4).
- トレース定理が計算の中心である.奇数個はゼロ($\gamma^5$ 挿入),2個は $4g^{\mu\nu}$,4個は3通りのペアリング和,$\gamma^5$ 込み4個は $-4\ii\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$(表C.5).これにより,スピノル成分を一つも書かずに断面積が運動量の内積だけで書ける.
- 完全性関係 $\sum_s u\bar u=\slashed{p}+m$ が,振幅の二乗をトレースに変える鍵である.射影演算子 $\Lambda_\pm$(エネルギー),$\Sigma(s)=(1+\gamma^5\slashed{s})/2$(スピン),$P_{L,R}=(1\mp\gamma^5)/2$(カイラリティ)が,4次元スピノル空間を目的に応じて切り分ける(図C.5).
- $\gamma^5$・$\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$・擬スカラー・パリティ非保存は,同じ一つの事実の四つの言い換えである.$\varepsilon$ の符号規約(本書は $\varepsilon^{0123}=+1$)を最初に固定しておかないと,パリティを破る干渉項の符号を必ず間違える.
- 材料科学との接点は式のレベルで存在する.Rashba/Dresselhaus とグラフェンの擬スピン(C.1),BdG の Nambu 空間と Majorana 演算子(C.2),スピン密度行列と X 線散乱・XMCD(C.4)——いずれも「Pauli 行列で書かれた二準位系」「Clifford 代数」「トレースによるスピン平均」という同じ道具の別の使い方である.
C.7.2 演習問題
演習C.1 Pauli 行列の恒等式
(1) $\Tr\left[(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})\right]=2\,\bm{a}\cdot\bm{b}$ を示せ.
(2) $\displaystyle\sum_{i=1}^{3}\sigma^i\sigma^j\sigma^i=-\sigma^j$ を示せ($j$ は固定,$i$ について和).これは4次元の縮約公式 \eqref{eq:C-contr2} の3次元版である.
(3) 単位ベクトル $\bm{n}$ に対して $\det\left[\exp(-\ii\theta\,\bm{n}\cdot\bm{\sigma}/2)\right]=1$ を示せ.すなわちこの行列は $\mathrm{SU}(2)$ の元である.
ヒント:(1) 式 \eqref{eq:C-ab-sigma} の両辺のトレースをとり,$\Tr\sigma^k=0$,$\Tr\mathbb{1}_2=2$ を使う.(2) $\sigma^i\sigma^j=2\delta^{ij}-\sigma^j\sigma^i$ で $\sigma^i$ を右へ通すと $2\sigma^j-\sigma^j\sum_i(\sigma^i)^2=2\sigma^j-3\sigma^j=-\sigma^j$.$3$ は空間次元である(4次元では $4$ が出て $-2\gamma^\nu$ になる).(3) $\bm{n}=\hat{\bm{z}}$ のとき行列は $\mathrm{diag}(\ee^{-\ii\theta/2},\ee^{+\ii\theta/2})$ で行列式は $1$.一般の $\bm{n}$ へはユニタリ変換で移れて行列式は不変.あるいは $\det\ee^{A}=\ee^{\Tr A}$ と $\Tr(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})=0$ からただちに従う.
演習C.2 三つの表示を手で確かめる
(1) Majorana 表示 \eqref{eq:C-majorana} で $\{\gamma^1,\gamma^2\}=0$ と $\{\gamma^1,\gamma^3\}=0$ を,$2\times2$ ブロックの計算で確かめよ.
(2) 変換行列 $S=\dfrac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}$ に対して $S\gamma^i_\mathrm{DP}S^{-1}=\gamma^i_\mathrm{DP}$,すなわち $\gamma^i$ が Dirac–Pauli 表示と Weyl 表示で同じ形になることを示せ.
(3) Weyl 表示でスピン行列 $\Sigma^3=\gamma^5\gamma^0\gamma^3$ を明示的に書き下し,Dirac–Pauli 表示と同じ $\mathrm{diag}(\sigma^3,\sigma^3)$ になることを確かめよ.
ヒント:(1) $\gamma^1,\gamma^3$ はどちらもブロック対角なので,$\{\ii\sigma^3,-\ii\sigma^1\}=\sigma^3\sigma^1+\sigma^1\sigma^3=0$ に帰着する.$\{\gamma^1,\gamma^2\}$ は非対角ブロックに $\sigma^3\sigma^2+\sigma^2\sigma^3=0$ が現れる.(2) $\gamma^i_\mathrm{DP}$ は $\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}$ で,$S$ と可換であることを直接示せばよい($\sigma^i$ は $\mathbb{1}$ と可換).(3) $\gamma^5_\mathrm{W}\gamma^0_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&0\\0&\mathbb{1}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}0&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$.これに $\gamma^3_\mathrm{W}$ を掛ける.答えは $\mathrm{diag}(\sigma^3,\sigma^3)$ ——スピン演算子は表示によらない(当然,物理量だから).
演習C.3 縮約公式の拡張
(1) $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu$(間に5個)を計算せよ.
(2) (1) の結果を使って $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu$ を $a,b,c,d$ のスラッシュで書け.
(3) $d$ 次元で $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu=4g^{\nu\rho}-(4-d)\gamma^\nu\gamma^\rho$ を導け.
ヒント:(1) 左端の $\gamma^\mu$ を $\gamma^\nu$ の右に1回だけ通す:$\gamma^\mu\gamma^\nu X\gamma_\mu=2X\gamma^\nu-\gamma^\nu\left(\gamma^\mu X\gamma_\mu\right)$($X=\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau$).括弧の中は \eqref{eq:C-contr4} で $-2\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho$.したがって答えは
$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu = 2\left(\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho\right) $$検算:$\nu=\rho=\sigma=\tau$ とすると左辺 $=4\left[(\gamma^\nu)^2\right]^2=4$($g^{\nu\nu}=\pm1$ の二乗),右辺 $=2(1+1)=4$.$\checkmark$ (2) $2\left(\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}+\slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right)$.(3) \eqref{eq:C-contr3} の導出(導出13ステップ3)で,$\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma_\mu=-(d-2)\gamma^\rho$ を使い直せばよい.$2\gamma^\rho\gamma^\nu+(d-2)\gamma^\nu\gamma^\rho=2\{\gamma^\nu,\gamma^\rho\}+(d-4)\gamma^\nu\gamma^\rho$ と整理する.
演習C.4 トレースを実際に計算する
(1) $\Tr\left[\slashed{p}_1\slashed{p}_2\slashed{p}_3\slashed{p}_4\right]$ を内積 $p_i\cdot p_j$ で書け.
(2) $\Tr\left[(\slashed{p}+m)\gamma^\mu(\slashed{p}'+m)\gamma^\nu\right]$ を計算せよ(レプトン・テンソル).
(3) $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\slashed{a}\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right]$ を計算せよ.これは $\mu$ 粒子崩壊 $\mu^-\to e^-\bar\nu_e\nu_\mu$ の計算(第12章)で現れる形である.
ヒント:(1) 式 \eqref{eq:C-trace-slash} より $4\left[(p_1\!\cdot\!p_2)(p_3\!\cdot\!p_4)-(p_1\!\cdot\!p_3)(p_2\!\cdot\!p_4)+(p_1\!\cdot\!p_4)(p_2\!\cdot\!p_3)\right]$.(2) 奇数個の2項が落ち,答えは $4\left[p^\mu p'^\nu+p^\nu p'^\mu-g^{\mu\nu}\left(p\!\cdot\!p'-m^2\right)\right]$(式 \eqref{eq:C-lepton-tensor}).(3) まず $(1-\gamma^5)$ を右へ集める:$(1-\gamma^5)\slashed{a}=\slashed{a}(1+\gamma^5)$,$(1+\gamma^5)\gamma^\nu=\gamma^\nu(1-\gamma^5)$ なので,二つの $(1-\gamma^5)$ が隣り合い $2(1-\gamma^5)$ にまとまる.結果は
$$ 8\left[a^\mu b^\nu + a^\nu b^\mu - g^{\mu\nu}(a\!\cdot\!b) - \ii\,\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta}a_\alpha b_\beta\right] $$最後の項が $\varepsilon$ を含み,パリティ非保存を担う.非偏極の断面積では,もう一方のカレントの $\varepsilon$ と組んで \eqref{eq:C-eps4-3} で消える.
演習C.5 射影演算子
(1) $\Tr\left[\Lambda_+(p)\,\Sigma(s)\right]=1$ を示せ.これは $\Lambda_+\Sigma(s)$ が1次元部分空間への射影であることを意味する.
(2) 式 \eqref{eq:C-uubar-spin} で $s\to-s$ としたものと足し合わせて,完全性関係 \eqref{eq:C-completeness} が再現されることを確かめよ.
(3) ヘリシティのスピンベクトル $s^\mu_\mathrm{hel}=\left(\abs{\pp}/m,\;(E/m)\hat{\pp}\right)$ について,$E\gg m$ の極限で $\Sigma(s)\,u(p,s)\to P_R\,u(p,s)$ となることを示せ.すなわち正ヘリシティ=右巻きカイラリティである.
ヒント:(1) $\Tr\left[(\slashed{p}+m)(1+\gamma^5\slashed{s})\right]/4m$ を展開する.$\Tr\slashed{p}=0$,$\Tr(\gamma^5\slashed{s})=0$,$\Tr\left(\slashed{p}\gamma^5\slashed{s}\right)=-p_\mu s_\nu\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\right)=0$(式 \eqref{eq:C-trace-g5-2})なので,残るのは $m\Tr\mathbb{1}=4m$ だけ.よって $4m/4m=1$.(2) $\Sigma(s)+\Sigma(-s)=\mathbb{1}$.(3) $E\gg m$ では $\abs{\pp}\to E$ なので $s^\mu\to p^\mu/m$.したがって $\gamma^5\slashed{s}\to\gamma^5\slashed{p}/m$.これを $u(p,s)$ に作用させると,Dirac 方程式 $\slashed{p}u=mu$ より $\gamma^5\slashed{s}\,u\to\gamma^5u$.よって $\Sigma(s)u\to(1+\gamma^5)u/2=P_Ru$.$\blacksquare$ 質量が有限なら $\abs{\pp}/E=\sqrt{1-m^2/E^2}<1$ でずれが残り,その大きさが式 \eqref{eq:C-chirality-mixing} である.
演習C.6 二準位系の数値計算(材料)
単層 MoS$_2$ の $K$ 点近傍は,副格子擬スピン $\bm{\sigma}$ を使って
$$ H(\bm{q}) = \hbar v_F\left(\sigma^x q_x+\sigma^y q_y\right) + \Delta\,\sigma^z, \qquad \hbar v_F = 3.51\ \mathrm{eV\,\mathring{A}},\quad \Delta = 0.83\ \mathrm{eV} $$と書ける($2\Delta$ が $K$ 点でのバンドギャップ).
(1) $\bm{d}(\bm{q})$ を読み取り,式 \eqref{eq:C-two-level} を使って $q=0.10\ \mathring{\mathrm{A}}^{-1}$ でのバンドギャップ $2\abs{\bm{d}}$ を求めよ.
(2) 伝導帯の固有状態における擬スピンの面外成分 $\braket{\sigma^z}=\Delta/\abs{\bm{d}}$ を,$q=0$,$q=0.10$,$q=0.50\ \mathring{\mathrm{A}}^{-1}$ について求めよ.
(3) $q\to\infty$ で $\braket{\sigma^z}\to0$ になることを示し,これがグラフェン($\Delta=0$)の擬スピン面内固定に対応することを説明せよ.
ヒント:(1) $\bm{d}=(\hbar v_Fq_x,\ \hbar v_Fq_y,\ \Delta)$,$\abs{\bm{d}}=\sqrt{(\hbar v_Fq)^2+\Delta^2}$.$\hbar v_Fq=3.51\times0.10=0.351\ \mathrm{eV}$ だから $\abs{\bm{d}}=\sqrt{0.1232+0.6889}=\sqrt{0.8121}=0.901\ \mathrm{eV}$.ギャップは $1.80\ \mathrm{eV}$($K$ 点の $1.66\ \mathrm{eV}$ より広がる).(2) $q=0$:$\braket{\sigma^z}=1$(完全に片方の副格子).$q=0.10$:$0.83/0.901=0.921$.$q=0.50$:$\hbar v_Fq=1.755$,$\abs{\bm{d}}=\sqrt{3.080+0.689}=1.941$,$\braket{\sigma^z}=0.83/1.941=0.428$.(3) $\abs{\bm{d}}\approx\hbar v_Fq\to\infty$ なので $\braket{\sigma^z}=\Delta/\abs{\bm{d}}\to0$.すなわち高エネルギーでは質量項が相対的に効かなくなり,擬スピンが面内に倒れて Berry 位相 $\pi$ が復活する.素粒子物理の言葉では「$E\gg m$ でカイラリティが良い量子数になる」ことにほかならない(式 \eqref{eq:C-chirality-mixing} と同じ構造).
参考文献
- D. Griffiths, Introduction to Elementary Particles, 2nd revised ed., Wiley-VCH (2008), Appendix C「Pauli and Dirac Matrices」(Pauli 行列と Dirac 行列)および 7.7 節「Casimir's Trick and Trace Theorems」.本付録の底本(ただし $\varepsilon$ の符号規約だけは Peskin–Schroeder に合わせた.C.4.3 項の注意を参照).
- M. E. Peskin, D. V. Schroeder, An Introduction to Quantum Field Theory, Westview Press (1995), Appendix A.3「Numerator Algebra」($\gamma$ 行列の縮約公式・トレース定理と,その $d$ 次元版).$d$ 次元の縮約公式と $\varepsilon$ の規約はこれに合わせた.
- J. D. Bjorken, S. D. Drell, Relativistic Quantum Mechanics, McGraw-Hill (1964), Appendix A.射影演算子 $\Lambda_\pm$,$\Sigma(s)$ の扱いは古典的な定番である.
- P. A. M. Dirac, "The Quantum Theory of the Electron", Proc. R. Soc. Lond. A 117, 610 (1928). —— $\gamma$ 行列が世に出た論文.
- E. Majorana, "Teoria simmetrica dell'elettrone e del positrone", Nuovo Cimento 14, 171 (1937). —— 実表示と Majorana 条件.
- A. H. Castro Neto, F. Guinea, N. M. R. Peres, K. S. Novoselov, A. K. Geim, "The electronic properties of graphene", Rev. Mod. Phys. 81, 109 (2009). —— 擬スピン,Berry 位相 $\pi$,半整数量子ホール効果.
- C. R. Ast et al., "Giant spin splitting through surface alloying", Phys. Rev. Lett. 98, 186807 (2007). —— Bi/Ag(111) の巨大 Rashba 分裂.C.1.3 項の導出3で使った数値の出典.
- A. Yu. Kitaev, "Unpaired Majorana fermions in quantum wires", Physics-Uspekhi 44, 131 (2001). —— 超伝導鎖の Majorana 零モード.C.2.4 項の物性側の出典.