密度汎関数理論入門 — 目次 第II部 密度汎関数理論への道 / 第5章

第5章ハートリー・フォック法

第4章では,電子密度 $n(\rr)$ だけを変数として全エネルギーを近似するトーマス・フェルミ模型を学び, 汎関数微分という数学的道具を手に入れた.本章では視点をいったん波動関数に戻す. 多電子系のシュレーディンガー方程式を厳密に解くことは絶望的に難しいが, 「多電子波動関数を1個の行列式で近似する」という一手で, 電子間相互作用の量子力学的な核心——交換——を厳密に取り込んだ理論が構成できる. これがハートリー・フォック(HF)法である. HF法は交換を厳密に含む一方で相関を完全に落とすため, 「交換」と「相関」を切り分けて議論するための基準点を与える. この切り分けは,後の章で密度汎関数理論の交換相関汎関数を理解するときの土台になる. 本章の計算では,行列式の展開に伴う符号や置換の組合せが繰り返し現れる. その組合せ規則を代数として抽出したものが第6章で導入する第二量子化である. なお本章を通じてHartree原子単位系($\hbar = m_e = e = 4\pi\varepsilon_0 = 1$.第1章参照)を用いる. エネルギーの単位は hartree(Ha)であり,$1\ \mathrm{Ha} = 27.2114\ \mathrm{eV}$ である. また本章では電子密度を $n(\rr)$,スピン $\sigma$ の密度を $n^\sigma(\rr)$ と書く. これは第9章以降(ホーヘンベルグ・コーンの定理,コーン・シャム法,交換相関汎関数)で $\rho(\rr)$,$\rho^\sigma(\rr)$ と書かれるものとまったく同じ量である.

この章で学ぶこと
  • ハートリー近似:平均場と自己無撞着(SCF)という考え方,および積波動関数の欠陥
  • 電子の不可弁別性から波動関数の反対称性($e^{i\alpha}=\pm 1$)を導く論法
  • スレーター行列式の構成と,パウリの排他律が自動的に成立する仕組み
  • 2電子系での $\braket{\Phi|\hat{H}|\Phi}$ の完全展開((A)(B)(C)(D)の4項をすべて計算)
  • クーロン積分 $J_{ll'}$ と交換積分 $K_{ll'}$,自己相互作用の厳密な打ち消し
  • ラグランジュ未定乗数法と汎関数微分によるHF方程式の導出,正準形への変換
  • 交換ホールと総和則:交換とは「同一スピン電子の周りに掘られる穴」であること
  • クープマンズの定理,HF法の実力,相関エネルギーの定義

5.1 平均場近似の出発点:ハートリー近似

まず問題を設定する.外部ポテンシャル $v_{\mathrm{ext}}(\rr)$(原子核がつくる引力ポテンシャルなど)の中を運動する $N$ 電子系のハミルトニアンは,Hartree原子単位系で

\begin{equation} \hat{H} = \sum_{i=1}^{N}\left(-\frac{1}{2}\nabla_i^2 + v_{\mathrm{ext}}(\rr_i)\right) + \frac{1}{2}\sum_{i\neq j}^{N}\frac{1}{\abs{\rr_i-\rr_j}} \label{eq:5-many-hamiltonian} \end{equation}

と書ける.第1項は各電子の運動エネルギーと外部ポテンシャル,第2項は電子間クーロン反発である (係数 $1/2$ は各対 $(i,j)$ と $(j,i)$ を二重に数えているための補正である). この $\hat{H}$ の固有関数 $\Psi(\rr_1\sigma_1,\ldots,\rr_N\sigma_N)$ は $3N$ 個の空間変数と $N$ 個のスピン変数を持つ関数であり,電子間反発項があるために変数分離ができない. これが多体問題の困難の源である.

そこで最も素朴な近似から始める.もし電子間反発項がなければ,$\hat{H}$ は1電子ハミルトニアンの和になり, 固有関数は1電子波動関数(軌道)$\varphi_l$ の積で書ける. この形を相互作用がある場合にもそのまま流用したもの,すなわち

\begin{equation} \Phi_{\mathrm{H}}(x_1, x_2, \ldots, x_N) = \varphi_1(x_1)\,\varphi_2(x_2)\cdots\varphi_N(x_N) \label{eq:5-hartree-product} \end{equation}

をハートリー積と呼ぶ.ここで $x_i$ は電子 $i$ の空間座標とスピンをまとめた変数であり, その正確な定義は次節で与える(当面は $\int\dd x$ を「空間積分とスピン和をあわせた積分」と読んでほしい). 各軌道は規格化されているとする:$\int\dd x\,\abs{\varphi_l(x)}^2 = 1$. さらに軌道同士は直交するように選べる:$\int\dd x\,\varphi_l^*(x)\varphi_{l'}(x) = \delta_{ll'}$.

これから,ハートリー積に対するエネルギー期待値を計算する.積波動関数では多重積分がすべて1電子積分の積に 分解されるので,計算は素直に実行できる.

導出:ハートリー積のエネルギー期待値

まず規格化を確認する.$\Phi_{\mathrm{H}}$ の絶対値2乗は各軌道の絶対値2乗の積なので, 多重積分は1電子積分の積に分解される:

\begin{align} \braket{\Phi_{\mathrm{H}}|\Phi_{\mathrm{H}}} &= \int\dd x_1\cdots\int\dd x_N\, \abs{\varphi_1(x_1)}^2\abs{\varphi_2(x_2)}^2\cdots\abs{\varphi_N(x_N)}^2 \notag\\ &= \prod_{l=1}^{N}\int\dd x_l\,\abs{\varphi_l(x_l)}^2 = 1 . \label{eq:5-hartree-norm} \end{align}

1行目から2行目へは,被積分関数が変数ごとの因子の積であることを使って多重積分を積の形に分解し, 最後に各軌道の規格化条件を使った.

次に1体項の期待値を計算する.演算子 $\hat{V}_1(x_i) \equiv -\tfrac{1}{2}\nabla_i^2 + v_{\mathrm{ext}}(\rr_i)$ は変数 $x_i$ にしか作用しないから,$i$ 番目の積分以外はすべて規格化積分になる:

\begin{align} \braket{\Phi_{\mathrm{H}}|\hat{V}_1(x_i)|\Phi_{\mathrm{H}}} &= \int\dd x_i\,\varphi_i^*(x_i)\hat{V}_1(x_i)\varphi_i(x_i) \prod_{l\neq i}\int\dd x_l\,\abs{\varphi_l(x_l)}^2 \notag\\ &= \int\dd x\,\varphi_i^*(x)\hat{V}_1(x)\varphi_i(x) \equiv H_i . \label{eq:5-one-body-H} \end{align}

1行目では $x_i$ に依存する因子だけを $x_i$ 積分の中に残し,残りを外に出した. 2行目では $l\neq i$ の各積分が規格化により 1 になることを使い, 積分変数の名前を $x$ に付け替えた($H_i$ を1電子積分と呼ぶ).

2体項も同様である.$\hat{V}_2(x_i,x_j) \equiv 1/\abs{\rr_i - \rr_j}$ は $x_i$ と $x_j$ にしか 作用しない(実際にはスピンには作用せず空間座標のみに依存する)ので,

\begin{align} \braket{\Phi_{\mathrm{H}}\left|\frac{1}{\abs{\rr_i-\rr_j}}\right|\Phi_{\mathrm{H}}} &= \iint\dd x_i\,\dd x_j\, \abs{\varphi_i(x_i)}^2\frac{1}{\abs{\rr_i-\rr_j}}\abs{\varphi_j(x_j)}^2 \prod_{l\neq i,j}\int\dd x_l\,\abs{\varphi_l(x_l)}^2 \notag\\ &= \iint\dd x_1\,\dd x_2\, \varphi_i^*(x_1)\varphi_i(x_1)\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\varphi_j^*(x_2)\varphi_j(x_2) \equiv J_{ij} . \label{eq:5-Jij-def-pre} \end{align}

ここでも $x_i,\,x_j$ 以外の積分は規格化により 1 になり,最後に積分変数を $x_1, x_2$ と付け替えた. この $J_{ij}$ が後で繰り返し現れるクーロン積分である. 以上を \eqref{eq:5-many-hamiltonian} の全項について足し合わせると,ハートリー積のエネルギー期待値

\begin{equation} E_{\mathrm{H}} = \sum_{l=1}^{N} H_l + \frac{1}{2}\sum_{l\neq l'}^{N} J_{ll'} \label{eq:5-hartree-energy} \end{equation}

が得られる.2体項の和が $l \neq l'$ に限られている(自分自身との相互作用が入っていない)ことに注意しよう. これはハミルトニアン \eqref{eq:5-many-hamiltonian} の和が $i\neq j$ に限られていることの直接の帰結である.

得られた $E_{\mathrm{H}}$ を,規格化条件 $\int\dd x\,\abs{\varphi_l}^2=1$ のもとで軌道について最小化しよう. 第4章で学んだラグランジュ未定乗数法と汎関数微分をそのまま使う. 拘束条件つきの汎関数

\begin{equation} F_{\mathrm{H}}[\{\varphi\}] = E_{\mathrm{H}} - \sum_{l=1}^{N}\varepsilon_l \left(\int\dd x\,\varphi_l^*(x)\varphi_l(x) - 1\right) \label{eq:5-hartree-lagrange} \end{equation}

を作り,$\varphi_k^*(x)$ で汎関数微分する($\varphi$ と $\varphi^*$ を独立変数として扱ってよい理由は 5.6節の数学ノートで正当化する.ここでは結果を先取りして使う). 第4章の基本公式 $\delta\varphi_l^*(x')/\delta\varphi_k^*(x) = \delta_{lk}\,\delta(x-x')$ を各項に適用すると,

\begin{align} \frac{\delta F_{\mathrm{H}}}{\delta \varphi_k^*(x)} &= \hat{V}_1(x)\varphi_k(x) + \frac{1}{2}\sum_{l'(\neq k)}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\,\varphi_k(x) + \frac{1}{2}\sum_{l(\neq k)}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\,\varphi_k(x) - \varepsilon_k\varphi_k(x) \notag\\ &= \hat{V}_1(x)\varphi_k(x) + \sum_{l'(\neq k)}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\,\varphi_k(x) - \varepsilon_k\varphi_k(x). \label{eq:5-hartree-variation} \end{align}

1行目の第2項は \eqref{eq:5-hartree-energy} の二重和のうち $l=k$ の項から,第3項は $l'=k$ の項から来る ($J_{ll'}$ は $\varphi_k^*$ を2箇所に含み得るから,微分すると2つの寄与が出る). 2行目ではこの2つの寄与が同じ形であることを使ってまとめ,係数 $1/2$ が消えた. これをゼロと置けばハートリー方程式

\begin{equation} \left[-\frac{1}{2}\nabla^2 + v_{\mathrm{ext}}(\rr) + \sum_{l'(\neq k)}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_k(x) = \varepsilon_k\,\varphi_k(x) \label{eq:5-hartree-eq} \end{equation}

が得られる.何が得られたかを言葉にすると:電子 $k$ は,他のすべての電子の電荷密度 $\sum_{l'\neq k}\abs{\varphi_{l'}}^2$ がつくる静電ポテンシャル(平均場)の中を運動する1電子問題に従う. 多体問題が $N$ 本の1電子方程式に化けたのである.

物理的意味:平均場と自己無撞着性

式 \eqref{eq:5-hartree-eq} には奇妙な循環構造がある.電子 $k$ が感じるポテンシャルは他の軌道 $\{\varphi_{l'}\}$ から作られるが,その $\{\varphi_{l'}\}$ 自身がやはり式 \eqref{eq:5-hartree-eq} の解である. つまり「解くべき方程式が,解を知らないと書き下せない」.この構造をもつ問題は反復法で解く: 適当な初期軌道からポテンシャルを作り,方程式を解いて軌道を更新し, ポテンシャルを作り直す——これを,入力と出力が一致するまで繰り返す(図5.1). 入力と出力が一致した解を自己無撞着(self-consistent)な解と呼び, この反復手続きを自己無撞着場(SCF)ループと呼ぶ. 自己無撞着性は本章のHF法でも,後のコーン・シャム法でもまったく同じ形で現れる, 電子状態計算のもっとも基本的な構造である.

初期軌道を仮定 {φ⁽⁰⁾} → 密度 n⁽⁰⁾(r) 平均場ポテンシャルを構成 veff(r) = vext(r) + vH[n](r) 1電子方程式を解く → 新しい軌道 {φ} と密度 n(r) 収束した? |n − nold| < 閾値 未収束:密度を混合して更新 収束 自己無撞着解 E, n(r), {φ}
図5.1 自己無撞着場(SCF)ループ.平均場ポテンシャルは軌道から作られ,軌道はそのポテンシャルの 1電子方程式から得られる.入力密度と出力密度が一致するまで反復する.この構造はハートリー法・HF法・ コーン・シャム法に共通である.

しかし,ハートリー積 \eqref{eq:5-hartree-product} には見過ごせない欠陥がある.

これらの欠陥はすべて,波動関数の対称性という一つの問題に帰着する.次節でこれを正面から扱う.

5.2 電子の不可弁別性と反対称性

本節の目標は,「電子は区別できない」という物理的要請だけから,波動関数が満たすべき対称性を導くことである. まず記法を整える.

定義:合成変数 $x = (\rr, \sigma)$

電子1個の状態を指定するには,空間座標 $\rr$ とスピン変数 $\sigma$($\sigma = \uparrow$ または $\downarrow$, すなわち $s_z = +1/2$ または $-1/2$)の両方が必要である.この2つをまとめた変数を $x \equiv (\rr, \sigma)$ と書く.$x$ についての積分は「空間積分とスピン和」を意味する:

$$ \int \dd x \;(\cdots) \equiv \sum_{\sigma=\uparrow,\downarrow}\int \dd^3 r\;(\cdots). $$

1電子波動関数(スピン軌道)$\varphi(x)$ は多くの場合,空間部分とスピン部分の積 $\varphi(x) = \phi(\rr)\,\eta(\sigma)$ に分離できる.スピン関数 $\eta$ は $\eta_\uparrow(\sigma) = \delta_{\sigma\uparrow}$,$\eta_\downarrow(\sigma) = \delta_{\sigma\downarrow}$ の2種類で,規格直交性 $\sum_\sigma \eta_s^*(\sigma)\eta_{s'}(\sigma) = \delta_{ss'}$ を満たす. この分離は5.7節(交換積分のスピン選択則)で本質的な役割を果たす.

簡単のため2電子系で考える.波動関数を $\Phi(x_1, x_2)$ とする. 量子力学で観測にかかるのは $\abs{\Phi}^2$(および $\Phi$ から作られる期待値)であって,$\Phi$ 自身ではない. 電子が互いに区別できないということは,「電子1が $x_1$ に,電子2が $x_2$ にいる」確率密度と 「電子1が $x_2$ に,電子2が $x_1$ にいる」確率密度が等しいこと,すなわち

\begin{equation} \abs{\Phi(x_1, x_2)}^2 = \abs{\Phi(x_2, x_1)}^2 \label{eq:5-indistinguish} \end{equation}

を意味する.もしこの等式が破れていれば,確率分布を測定することで2つの電子にラベルを貼れてしまい, 「区別できない」という前提と矛盾する.

式 \eqref{eq:5-indistinguish} は,2つの複素数 $\Phi(x_1,x_2)$ と $\Phi(x_2,x_1)$ の絶対値が等しいことを 述べているから,両者は位相因子だけ異なる:

\begin{equation} \Phi(x_1, x_2) = e^{i\alpha}\,\Phi(x_2, x_1). \label{eq:5-phase} \end{equation}

ここで位相 $\alpha$ は座標によらない定数とする(同種粒子の交換という操作そのものの性質であって, どの場所で交換するかには依存しないと考える.より厳密な扱いは下の数学ノートを参照). この関係式を2回続けて使うのがポイントである. \eqref{eq:5-phase} の右辺の $\Phi(x_2, x_1)$ に対して再び \eqref{eq:5-phase} を適用すると (変数の名前を入れ替えて使うだけである),

\begin{align} \Phi(x_1, x_2) &= e^{i\alpha}\,\Phi(x_2, x_1) \notag\\ &= e^{i\alpha}\left(e^{i\alpha}\,\Phi(x_1, x_2)\right) \notag\\ &= e^{2i\alpha}\,\Phi(x_1, x_2). \label{eq:5-phase-twice} \end{align}

1行目から2行目へは,\eqref{eq:5-phase} を $x_1 \leftrightarrow x_2$ を入れ替えた形で $\Phi(x_2,x_1) = e^{i\alpha}\Phi(x_1,x_2)$ として代入した. 2回交換すれば元に戻るのだから当然の帰結として,

\begin{equation} e^{2i\alpha} = 1 \quad\Longrightarrow\quad e^{i\alpha} = \pm 1 \label{eq:5-pm1} \end{equation}

が得られる.位相の選択肢はたった2つしかない. $e^{i\alpha}=+1$ を選ぶ粒子(交換について対称)をボソン, $e^{i\alpha}=-1$ を選ぶ粒子(交換について反対称)をフェルミオンと呼ぶ. どちらを選ぶかは粒子の種類ごとに決まっており,実験事実として (また相対論的量子論のスピン統計定理の帰結として), スピン $1/2$ をもつ電子はフェルミオンである.したがって電子系の波動関数は

\begin{equation} \Phi(x_1, x_2) = -\,\Phi(x_2, x_1) \label{eq:5-antisym} \end{equation}

を満たさなければならない.$N$ 電子系では,任意の2つの変数の交換について符号が反転する. 一般の置換 $P$ に対しては,$P$ を互換(2要素の入れ替え)の積に分解したときの互換の個数の偶奇に応じて 符号 $\mathrm{sgn}(P) = (-1)^P$ が付く:

\begin{equation} \Phi(x_{P(1)}, x_{P(2)}, \ldots, x_{P(N)}) = \mathrm{sgn}(P)\,\Phi(x_1, x_2, \ldots, x_N). \label{eq:5-antisym-N} \end{equation}

数学ノート:交換演算子による定式化

上の議論をもう少し整った形で述べておく.変数を入れ替える操作を演算子として $\hat{P}_{12}\Phi(x_1,x_2) \equiv \Phi(x_2,x_1)$ と定義すると, 定義から明らかに $\hat{P}_{12}^2 = \hat{1}$(2回入れ替えると元に戻る)である. したがって $\hat{P}_{12}$ の固有値 $p$ は $p^2 = 1$,すなわち $p = \pm 1$ を満たす. これが \eqref{eq:5-pm1} の演算子版である. さらに,ハミルトニアン \eqref{eq:5-many-hamiltonian} は電子の入れ替えについて完全に対称なので $[\hat{P}_{12}, \hat{H}] = 0$ が成り立つ.つまり交換対称性は保存量であり, 最初に反対称だった波動関数は時間発展しても反対称のままである. 「電子系は反対称セクターに属する」という選択は,一度課せば未来永劫破れない,自然界の整合的な規則である. なお,式 \eqref{eq:5-phase} で位相を定数と仮定したが,仮に位相が座標依存性 $\alpha(x_1,x_2)$ を 持つとしても,2回交換の議論から $\alpha(x_1,x_2) + \alpha(x_2,x_1) = 2\pi n$ が要求され, さらに交換操作が波動関数の重ね合わせ(線形性)と両立するためには $\alpha$ は状態によらない定数で なければならない.3次元空間ではこの結論 $e^{i\alpha}=\pm1$ が厳密に成り立つことが知られている.

以上で「波動関数は反対称でなければならない」という要請が確立した. 問題は,反対称性を満たす多電子波動関数をどうやって systematically に作るかである. その答えがスレーター行列式である.

5.3 スレーター行列式

5.3.1 2電子の行列式波動関数

規格直交な2つのスピン軌道 $\varphi_a,\ \varphi_b$($\int\dd x\,\varphi_i^*\varphi_j = \delta_{ij}$)から, 反対称な2電子波動関数を作ろう.ハートリー積 $\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2)$ は反対称ではないが, 変数を入れ替えた積 $\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)$ を引き算すれば反対称になるはずである. 規格化定数 $C$ を付けて

\begin{equation} \Phi(x_1, x_2) = C\left\{\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) - \varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)\right\} \label{eq:5-two-det-raw} \end{equation}

と置く.まず $C$ を決める.これから $\braket{\Phi|\Phi}$ を展開するが, 同じ型の展開が5.4節のエネルギー計算でも現れるので,ここで丁寧にやっておく.

導出:規格化因子 $C = 1/\sqrt{2}$ の確認

$\braket{\Phi|\Phi}$ に \eqref{eq:5-two-det-raw} を代入し,積を展開すると4つの項が出る:

\begin{align} \braket{\Phi|\Phi} &= \abs{C}^2 \iint\dd x_1\,\dd x_2 \left\{\varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2) - \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\right\} \left\{\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) - \varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)\right\} \notag\\ &= \abs{C}^2\biggl[ \iint\dd x_1 \dd x_2\,\varphi_a^*(x_1)\varphi_a(x_1)\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_b(x_2) \notag\\ &\qquad\quad - \iint\dd x_1 \dd x_2\,\varphi_a^*(x_1)\varphi_b(x_1)\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_a(x_2) \notag\\ &\qquad\quad - \iint\dd x_1 \dd x_2\,\varphi_b^*(x_1)\varphi_a(x_1)\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_b(x_2) \notag\\ &\qquad\quad + \iint\dd x_1 \dd x_2\,\varphi_b^*(x_1)\varphi_b(x_1)\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_a(x_2) \biggr]. \label{eq:5-norm-expand} \end{align}

各項の二重積分は $x_1$ 積分と $x_2$ 積分の積に因数分解できる(被積分関数が $x_1$ の関数と $x_2$ の関数の積だから).因数分解して規格直交性を使うと,

\begin{align} \text{第1項} &= \underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_a^*\varphi_a}_{=\,1}\; \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_b^*\varphi_b}_{=\,1} = 1, \notag\\ \text{第2項} &= -\underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_a^*\varphi_b}_{=\,0}\; \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_b^*\varphi_a}_{=\,0} = 0, \notag\\ \text{第3項} &= -\underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_b^*\varphi_a}_{=\,0}\; \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_a^*\varphi_b}_{=\,0} = 0, \notag\\ \text{第4項} &= \underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_b^*\varphi_b}_{=\,1}\; \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_a^*\varphi_a}_{=\,1} = 1. \notag \end{align}

「同じ軌道同士」の項(第1・4項)は規格化により 1,「異なる軌道が混ざる」交差項(第2・3項)は 直交性により 0 になる.よって

\begin{equation} \braket{\Phi|\Phi} = \abs{C}^2 (1 + 1) = 2\abs{C}^2 \quad\Longrightarrow\quad C = \frac{1}{\sqrt{2}} \label{eq:5-norm-result} \end{equation}

と定まる(位相の任意性は $C$ を正の実数に選んで固定した).

次に反対称性を確認する.\eqref{eq:5-two-det-raw} で $x_1$ と $x_2$ を入れ替えると,

\begin{align} \Phi(x_2, x_1) &= \frac{1}{\sqrt{2}}\left\{\varphi_a(x_2)\varphi_b(x_1) - \varphi_b(x_2)\varphi_a(x_1)\right\} \notag\\ &= -\frac{1}{\sqrt{2}}\left\{\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) - \varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)\right\} = -\Phi(x_1, x_2). \label{eq:5-antisym-check} \end{align}

1行目は単なる変数の書き換え,2行目は2つの項の順序を入れ替えて全体をくくり直しただけである. 確かに \eqref{eq:5-antisym} が満たされている. さて,\eqref{eq:5-two-det-raw} の中括弧は $2\times 2$ 行列式の展開そのものである:

\begin{equation} \Phi(x_1, x_2) = \frac{1}{\sqrt{2}} \begin{vmatrix} \varphi_a(x_1) & \varphi_b(x_1) \\ \varphi_a(x_2) & \varphi_b(x_2) \end{vmatrix} \;\equiv\; \frac{1}{\sqrt{2}}\abs{\varphi_a\,\varphi_b}. \label{eq:5-slater2} \end{equation}

行が電子(変数 $x_1, x_2$),列が軌道($\varphi_a, \varphi_b$)に対応する. 最右辺は行列式波動関数の略記法で,対角要素の並びだけを書く慣用記法である. この形の波動関数をスレーター行列式と呼ぶ.

数学ノート:行列式の2つの性質

以下で使う行列式の性質を確認しておく.$2\times 2$ の場合は展開式 $\begin{vmatrix} p & q \\ r & s \end{vmatrix} = ps - qr$ から直接確かめられる.

(i) 2つの行(または列)を入れ替えると符号が反転する. $2\times2$ で行を入れ替えると $\begin{vmatrix} r & s \\ p & q \end{vmatrix} = rq - sp = -(ps - qr)$. 一般の $N\times N$ 行列式は $\det A = \sum_P \mathrm{sgn}(P)\,A_{1P(1)}A_{2P(2)}\cdots A_{NP(N)}$ と置換和で定義され,2つの行の入れ替えは各置換 $P$ に互換を1つ合成することに相当する. 互換を1つ合成すると置換の符号 $\mathrm{sgn}(P)$ が反転するから,行列式全体の符号が反転する.

(ii) 2つの行(または列)が等しければ行列式はゼロである. 等しい2つの行を入れ替えても行列式は変わらないはずだが,(i) より符号が反転する. $D = -D$ を満たす数は $D = 0$ しかない.

スレーター行列式では,行の入れ替え=電子座標の交換,列の入れ替え=軌道ラベルの交換である. 性質 (i) が反対称性 \eqref{eq:5-antisym} を,性質 (ii) がパウリの排他律を,それぞれ自動的に保証する.

5.3.2 パウリの排他律の自動的成立

スレーター行列式が持つ最も重要な性質を確認する.2つの場合を調べる.

場合1:2つの電子を同じスピン軌道に入れようとすると($\varphi_a = \varphi_b$). \eqref{eq:5-two-det-raw} に $\varphi_b = \varphi_a$ を代入すると,

\begin{equation} \Phi(x_1, x_2) = \frac{1}{\sqrt{2}} \left\{\varphi_a(x_1)\varphi_a(x_2) - \varphi_a(x_1)\varphi_a(x_2)\right\} = 0. \label{eq:5-pauli-orbital} \end{equation}

2つの項が完全に同じ形になり,すべての $(x_1,x_2)$ で恒等的にゼロになる. これは行列式の2つの列が等しい場合(数学ノートの性質 (ii))に相当する. 波動関数が恒等的にゼロ,すなわちそのような状態は存在しない. 「同一のスピン軌道を2個以上の電子が占有することはできない」——パウリの排他律が, 何も課していないのに行列式の構造から自動的に出てきた.

場合2:2つの電子が同じ座標・同じスピンを取ろうとすると($x_1 = x_2 = x$).

\begin{equation} \Phi(x, x) = \frac{1}{\sqrt{2}} \left\{\varphi_a(x)\varphi_b(x) - \varphi_b(x)\varphi_a(x)\right\} = 0. \label{eq:5-pauli-position} \end{equation}

今度は行列式の2つの行が等しい場合である.$x = (\rr,\sigma)$ が完全に一致する, つまり同じスピンをもつ2つの電子が同じ場所に来ると,波動関数(したがって確率振幅)がゼロになる. 同一スピン電子は空間的に避け合う——この性質は5.8節で「交換ホール」として定量化される. 逆に,スピンが異なれば $x_1 \neq x_2$ なので,空間座標が一致しても波動関数はゼロにならないことに注意しよう.

5.3.3 $N$ 電子系への一般化

$N$ 個の規格直交スピン軌道 $\varphi_1, \ldots, \varphi_N$ を使い,$N\times N$ 行列式を作る:

\begin{equation} \Phi(x_1, \ldots, x_N) = \frac{1}{\sqrt{N!}} \begin{vmatrix} \varphi_1(x_1) & \varphi_2(x_1) & \cdots & \varphi_N(x_1) \\ \varphi_1(x_2) & \varphi_2(x_2) & \cdots & \varphi_N(x_2) \\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots \\ \varphi_1(x_N) & \varphi_2(x_N) & \cdots & \varphi_N(x_N) \end{vmatrix} \equiv \frac{1}{\sqrt{N!}}\abs{\varphi_1\varphi_2\cdots\varphi_N}. \label{eq:5-slaterN} \end{equation}

行列式の置換展開を使えば

\begin{equation} \Phi(x_1, \ldots, x_N) = \frac{1}{\sqrt{N!}}\sum_{P}\mathrm{sgn}(P)\, \varphi_{P(1)}(x_1)\,\varphi_{P(2)}(x_2)\cdots\varphi_{P(N)}(x_N) \label{eq:5-slaterN-perm} \end{equation}

とも書ける.和は $N!$ 個の置換 $P$ すべてにわたる. 規格化因子が $1/\sqrt{N!}$ である理由を確認しておこう.これは5.5節の一般化の準備にもなる.

導出:$N$ 電子スレーター行列式の規格化

\eqref{eq:5-slaterN-perm} を使って内積を書き下すと,置換の二重和になる:

\begin{align} \braket{\Phi|\Phi} &= \frac{1}{N!}\sum_{P}\sum_{Q}\mathrm{sgn}(P)\,\mathrm{sgn}(Q) \int\dd x_1\cdots\dd x_N\, \prod_{i=1}^{N}\varphi_{P(i)}^*(x_i)\,\varphi_{Q(i)}(x_i) \notag\\ &= \frac{1}{N!}\sum_{P}\sum_{Q}\mathrm{sgn}(P)\,\mathrm{sgn}(Q) \prod_{i=1}^{N}\int\dd x_i\,\varphi_{P(i)}^*(x_i)\,\varphi_{Q(i)}(x_i) \notag\\ &= \frac{1}{N!}\sum_{P}\sum_{Q}\mathrm{sgn}(P)\,\mathrm{sgn}(Q) \prod_{i=1}^{N}\delta_{P(i),\,Q(i)}. \label{eq:5-normN-1} \end{align}

1行目から2行目へは,被積分関数が変数 $x_i$ ごとの因子の積であることを使って多重積分を 1電子積分の積に分解した.2行目から3行目へは規格直交性 $\int\dd x\,\varphi_l^*\varphi_{l'} = \delta_{ll'}$ を使った. 最後の積 $\prod_i \delta_{P(i),Q(i)}$ は,すべての $i$ で $P(i) = Q(i)$ のときだけ 1 になる. すなわち $Q = P$ の項だけが生き残る.このとき $\mathrm{sgn}(P)\mathrm{sgn}(Q) = \mathrm{sgn}(P)^2 = 1$ だから,

\begin{equation} \braket{\Phi|\Phi} = \frac{1}{N!}\sum_{P} 1 = \frac{N!}{N!} = 1. \label{eq:5-normN-2} \end{equation}

置換の総数が $N!$ 個であることを使った.$1/\sqrt{N!}$ はちょうど「生き残る対角項の個数」を 打ち消すように選ばれた規格化因子である.

$N$ 電子の場合も,性質は2電子の場合と同じである:任意の2つの行(電子座標)の交換で符号が反転し (反対称性 \eqref{eq:5-antisym-N}),2つの列(軌道)が等しいか2つの行(座標とスピン)が等しければ 行列式はゼロになる(パウリの排他律). 以上で,反対称性を構造として備えた多電子波動関数の「部品」が手に入った. 次節ではこの波動関数を使ってエネルギー期待値を計算する.これが本章の中心的な計算である.

5.4 エネルギー期待値の完全展開(2電子系)

本節が本章の心臓部である.スレーター行列式 \eqref{eq:5-slater2} を試行波動関数として, ハミルトニアンの期待値

\begin{equation} E = \frac{\braket{\Phi|\hat{H}|\Phi}}{\braket{\Phi|\Phi}} \label{eq:5-rayleigh} \end{equation}

を計算する.変分原理(第2章)により,この $E$ は厳密な基底状態エネルギーの上界を与える. 計算はすべて2電子系で実行する.4つの項が現れ,そのすべてを省略なしに計算する. ここで身につけた「直交性で交差項を殺す」「積分変数を付け替えて同形にまとめる」という2つの操作は, $N$ 電子系(5.5節)でもそのまま通用する.

ハミルトニアンを1体部分と2体部分に整理しておく.2電子系では

\begin{equation} \hat{H} = \hat{V}_1(x_1) + \hat{V}_1(x_2) + \hat{V}_2(x_1, x_2), \qquad \hat{V}_1(x) = -\frac{1}{2}\nabla^2 + v_{\mathrm{ext}}(\rr), \qquad \hat{V}_2(x_1, x_2) = \frac{1}{\abs{\rr_1 - \rr_2}}. \label{eq:5-H-split} \end{equation}

$\hat{V}_2$ は空間座標だけに依存し,スピンには作用しないことに注意する (以下の式で $\hat{V}_2$ を $x$ の関数のように書くが,実体は $\abs{\rr_1-\rr_2}^{-1}$ である).

例:ヘリウム原子

原点に電荷 $+2$ の原子核を固定したヘリウム原子では,

$$ \hat{H} = -\frac{1}{2}\nabla_1^2 - \frac{1}{2}\nabla_2^2 - \frac{2}{r_1} - \frac{2}{r_2} + \frac{1}{\abs{\rr_1 - \rr_2}} $$

であり,$\hat{V}_1(x) = -\tfrac{1}{2}\nabla^2 - 2/r$,$\hat{V}_2 = \abs{\rr_1-\rr_2}^{-1}$ と読める. 基底状態では2つの電子が同じ空間軌道 $\phi_{1s}(\rr)$ を逆向きスピンで占有する: $\varphi_a(x) = \phi_{1s}(\rr)\eta_\uparrow(\sigma)$,$\varphi_b(x) = \phi_{1s}(\rr)\eta_\downarrow(\sigma)$. スピンが異なるので $\varphi_a \neq \varphi_b$ であり,スレーター行列式はゼロにならない. この例は章末演習1で完結させる.

5.4.1 分母:$\braket{\Phi|\Phi} = 1$

分母は5.3節の規格化計算 \eqref{eq:5-norm-expand}〜\eqref{eq:5-norm-result} で確認済みである: 4項のうち交差項2つは軌道の直交性によりゼロ,残る2項が $\tfrac{1}{2} + \tfrac{1}{2} = 1$ を与える. すなわち $\braket{\Phi|\Phi} = 1$ であり,\eqref{eq:5-rayleigh} は分子だけ計算すればよい.

5.4.2 分子の4項展開

分子に \eqref{eq:5-slater2} を代入し,ブラ側とケット側をそれぞれ2項に展開すると,$2\times 2 = 4$ 個の項が現れる:

\begin{align} \braket{\Phi|\hat{H}|\Phi} &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2 \left\{\varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2) - \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\right\} \hat{H} \left\{\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) - \varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)\right\} \notag\\ &= \underbrace{\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\hat{H}\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2)}_{(\mathrm{A})} \notag\\ &\quad - \underbrace{\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\hat{H}\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)}_{-(\mathrm{B})\text{ すなわち }(\mathrm{B})=\text{この項に負号を付けたもの}} \notag\\ &\quad - \underbrace{\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\hat{H}\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2)}_{-(\mathrm{C})} \notag\\ &\quad + \underbrace{\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\hat{H}\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)}_{(\mathrm{D})}. \label{eq:5-ABCD} \end{align}

以下,負号込みで $(\mathrm{A})$:ブラもケットも「直接」配置, $(\mathrm{B})$:ケット側だけ交換(負号付き), $(\mathrm{C})$:ブラ側だけ交換(負号付き), $(\mathrm{D})$:両側とも交換, と呼ぶ.それぞれを $\hat{H} = \hat{V}_1(x_1) + \hat{V}_1(x_2) + \hat{V}_2$ に応じて 「1体由来」と「2体由来」に分けて計算する.

導出:(A)項 — 直接・直接

$(\mathrm{A})$ に $\hat{H}$ の分解を代入し,1体部分を $(\mathrm{A1})$,2体部分を $(\mathrm{A2})$ とする. まず $(\mathrm{A1})$:

\begin{align} (\mathrm{A1}) &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_1)\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) \notag\\ &\quad + \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_2)\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}\int\dd x_1\,\varphi_a^*(x_1)\hat{V}_1(x_1)\varphi_a(x_1) \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_b(x_2)}_{=\,1} \notag\\ &\quad + \frac{1}{2}\underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_a^*(x_1)\varphi_a(x_1)}_{=\,1} \int\dd x_2\,\varphi_b^*(x_2)\hat{V}_1(x_2)\varphi_b(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}H_a + \frac{1}{2}H_b. \label{eq:5-A1} \end{align}

1〜2行目:$\hat{V}_1(x_1)$ は $x_1$ にのみ,$\hat{V}_1(x_2)$ は $x_2$ にのみ作用するので, それぞれ作用しない側の変数の積分を因数として外に出した. 3〜4行目:外に出た積分は規格化条件により 1. 最終行:1電子積分の記号 $H_i = \int\dd x\,\varphi_i^*\hat{V}_1\varphi_i$(式 \eqref{eq:5-one-body-H})を使った.

次に $(\mathrm{A2})$.$\hat{V}_2 = \abs{\rr_1-\rr_2}^{-1}$ は掛け算演算子なので,並べ替えるだけでよい:

\begin{align} (\mathrm{A2}) &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_a(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_b(x_2) \;\equiv\; \frac{1}{2}J_{ab}. \label{eq:5-A2} \end{align}

被積分関数を「$x_1$ に依存する密度 $\varphi_a^*\varphi_a$」と「$x_2$ に依存する密度 $\varphi_b^*\varphi_b$」の 組に並べ替えた.これは5.1節で定義したクーロン積分 $J_{ab}$(式 \eqref{eq:5-Jij-def-pre})の $\tfrac{1}{2}$ 倍である.

導出:(B)項 — ケット側交換(負号付き)

$(\mathrm{B})$ は負号を含めて $(\mathrm{B}) = -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\hat{H}\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)$ である. 1体部分 $(\mathrm{B1})$ から計算する:

\begin{align} (\mathrm{B1}) &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_1)\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2) \notag\\ &\quad - \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_2)\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\int\dd x_1\,\varphi_a^*(x_1)\hat{V}_1(x_1)\varphi_b(x_1) \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_a(x_2)}_{=\,0} \notag\\ &\quad - \frac{1}{2}\underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_a^*(x_1)\varphi_b(x_1)}_{=\,0} \int\dd x_2\,\varphi_b^*(x_2)\hat{V}_1(x_2)\varphi_a(x_2) \;=\; 0. \label{eq:5-B1} \end{align}

どちらの項も,演算子が作用しない側の変数の積分が「異なる軌道同士の重なり積分」になり, 直交性 $\int\dd x\,\varphi_b^*\varphi_a = 0$ によって消える. 1体演算子は,ブラとケットで軌道の割り当てがずれた項を生き残らせることができない—— これが直交性の威力である.

2体部分 $(\mathrm{B2})$ は消えない.$\hat{V}_2$ が $x_1$ と $x_2$ を結びつけているため, 積分が2つの重なり積分に因数分解されないからである:

\begin{align} (\mathrm{B2}) &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_a(x_2) \;\equiv\; -\frac{1}{2}K_{ab}. \label{eq:5-B2} \end{align}

2行目では被積分関数を「$x_1$ に依存する因子」と「$x_2$ に依存する因子」に並べ替えた. 現れた積分 $K_{ab}$ を交換積分と呼ぶ. $J_{ab}$ と見比べてほしい:使われている4つの軌道関数はまったく同じで, 複素共役の付き方(ブラ側軌道とケット側軌道の組合せ)だけが「交換」されている. $J_{ab}$ では $x_1$ に $\varphi_a^*\varphi_a$(密度)が載るのに対し, $K_{ab}$ では $x_1$ に $\varphi_a^*\varphi_b$(異なる軌道の重なり)が載る. 古典静電気学には対応物のない,反対称化が生んだ純量子項である.

導出:(C)項 — ブラ側交換(負号付き)

$(\mathrm{C}) = -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\hat{H}\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2)$ を,(B)と同じ手順で ——「同様に」で済ませずに——実際に計算する.1体部分 $(\mathrm{C1})$:

\begin{align} (\mathrm{C1}) &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_1)\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) \notag\\ &\quad - \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_2)\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\int\dd x_1\,\varphi_b^*(x_1)\hat{V}_1(x_1)\varphi_a(x_1) \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_b(x_2)}_{=\,0} \notag\\ &\quad - \frac{1}{2}\underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_b^*(x_1)\varphi_a(x_1)}_{=\,0} \int\dd x_2\,\varphi_a^*(x_2)\hat{V}_1(x_2)\varphi_b(x_2) \;=\; 0. \label{eq:5-C1} \end{align}

(B1)とは重なり積分に入る軌道の複素共役の配置が逆だが,直交性 $\int\dd x\,\varphi_a^*\varphi_b = \int\dd x\,\varphi_b^*\varphi_a = 0$ は両方向に成り立つので, やはり両項ともゼロである.

2体部分 $(\mathrm{C2})$:

\begin{align} (\mathrm{C2}) &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_b(x_2) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_2\dd x_1\, \varphi_b^*(x_2)\varphi_a(x_2)\,\frac{1}{\abs{\rr_2-\rr_1}}\,\varphi_a^*(x_1)\varphi_b(x_1) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_b(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_a(x_2) \;=\; -\frac{1}{2}K_{ab}. \label{eq:5-C2} \end{align}

2行目:因子を変数ごとに並べ替えた. 3行目:積分変数はダミー(名前は何でもよい)なので,$x_1$ と $x_2$ の名前を入れ替えた. 4行目:$\abs{\rr_2-\rr_1} = \abs{\rr_1-\rr_2}$(距離の対称性)を使い,因子の順序を整えた. 結果は \eqref{eq:5-B2} とまったく同じ積分,すなわち $(\mathrm{C2}) = (\mathrm{B2}) = -\tfrac{1}{2}K_{ab}$ である.

ここで一つ副産物が得られる.\eqref{eq:5-C2} の1行目の被積分関数は,\eqref{eq:5-B2} の被積分関数の 複素共役そのものである.つまり $(\mathrm{C2}) = (\mathrm{B2})^*$.一方いま示したように $(\mathrm{C2}) = (\mathrm{B2})$.両者をあわせると $K_{ab}^* = K_{ab}$, すなわち交換積分は実数であることが分かる(同じ変数入れ替えで $J_{ab}$ も実数と分かる).

導出:(D)項 — 交換・交換

$(\mathrm{D}) = +\frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\hat{H}\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)$. ブラとケットの両方で軌道が交換されているので,軌道の割り当てはそろっている (どちらも「$x_1$ に $\varphi_b$,$x_2$ に $\varphi_a$」).したがって(A)と同じ型になるはずである. 確かめる.1体部分 $(\mathrm{D1})$:

\begin{align} (\mathrm{D1}) &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_1)\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2) \notag\\ &\quad + \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\hat{V}_1(x_2)\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}\int\dd x_1\,\varphi_b^*(x_1)\hat{V}_1(x_1)\varphi_b(x_1) \underbrace{\int\dd x_2\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_a(x_2)}_{=\,1} \notag\\ &\quad + \frac{1}{2}\underbrace{\int\dd x_1\,\varphi_b^*(x_1)\varphi_b(x_1)}_{=\,1} \int\dd x_2\,\varphi_a^*(x_2)\hat{V}_1(x_2)\varphi_a(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}H_b + \frac{1}{2}H_a. \label{eq:5-D1} \end{align}

手順は \eqref{eq:5-A1} と同一である(因数分解 → 規格化).結果も $\tfrac{1}{2}(H_a + H_b)$ で同じ. 2体部分 $(\mathrm{D2})$:

\begin{align} (\mathrm{D2}) &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_b^*(x_1)\varphi_b(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_a(x_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_a^*(x_1)\varphi_a(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_b(x_2) \;=\; \frac{1}{2}J_{ab}. \label{eq:5-D2} \end{align}

2行目:変数ごとに因子を並べ替えた(これは $J_{ba}$ の $\tfrac12$ 倍の形である). 3行目:積分変数の名前 $x_1 \leftrightarrow x_2$ を入れ替え,$\abs{\rr_2-\rr_1}=\abs{\rr_1-\rr_2}$ を使った. これで $J_{ba} = J_{ab}$(クーロン積分の添字対称性)が示され,$(\mathrm{D2}) = \tfrac{1}{2}J_{ab}$ となる.

5.4.3 集計:HFエネルギー

4項×(1体・2体)の計8個の部分積分の結果を表にまとめる:

項1体由来2体由来
(A) 直接・直接$(\mathrm{A1}) = \tfrac{1}{2}H_a + \tfrac{1}{2}H_b$$(\mathrm{A2}) = +\tfrac{1}{2}J_{ab}$
(B) ケット側交換$(\mathrm{B1}) = 0$(直交性)$(\mathrm{B2}) = -\tfrac{1}{2}K_{ab}$
(C) ブラ側交換$(\mathrm{C1}) = 0$(直交性)$(\mathrm{C2}) = -\tfrac{1}{2}K_{ab}$
(D) 交換・交換$(\mathrm{D1}) = \tfrac{1}{2}H_a + \tfrac{1}{2}H_b$$(\mathrm{D2}) = +\tfrac{1}{2}J_{ab}$

すべて足し合わせると,

\begin{align} E_{\mathrm{HF}} &= (\mathrm{A1}) + (\mathrm{D1}) + (\mathrm{A2}) + (\mathrm{D2}) + (\mathrm{B2}) + (\mathrm{C2}) \notag\\ &= \left(\frac{1}{2}H_a + \frac{1}{2}H_b\right) + \left(\frac{1}{2}H_b + \frac{1}{2}H_a\right) + \frac{1}{2}J_{ab} + \frac{1}{2}J_{ab} - \frac{1}{2}K_{ab} - \frac{1}{2}K_{ab} \notag\\ &= H_a + H_b + J_{ab} - K_{ab} \label{eq:5-EHF-2e} \end{align}

が得られる.何が得られたかを整理する.ハートリー近似のエネルギー($H_a + H_b + J_{ab}$)に対し, 反対称化の代償としてただ一つの新しい項 $-K_{ab}$ が加わった. $K_{ab}$ は正の量である(章末演習2)から,交換項はエネルギーを下げる.

この結果を,$N$ 電子系にそのまま拡張できる対称な形に書き直しておこう. 軌道の集合を $\{a, b\}$ とし,2つの添字 $l, l'$ が独立にこの集合を走る二重和を考えると,

\begin{align} \sum_{l}H_l + \frac{1}{2}\sum_{l,l'}\left(J_{ll'} - K_{ll'}\right) &= H_a + H_b + \frac{1}{2}\Bigl[(J_{aa} - K_{aa}) + (J_{ab} - K_{ab}) + (J_{ba} - K_{ba}) + (J_{bb} - K_{bb})\Bigr] \notag\\ &= H_a + H_b + \frac{1}{2}\Bigl[0 + (J_{ab} - K_{ab}) + (J_{ab} - K_{ab}) + 0\Bigr] \notag\\ &= H_a + H_b + J_{ab} - K_{ab} \;=\; E_{\mathrm{HF}}. \label{eq:5-EHF-2e-sym} \end{align}

1行目から2行目へ:対角項については $J_{ll} = K_{ll}$(次節で証明する.定義式で $l'=l$ と置くと 両者は同一の積分になる)により $J_{aa}-K_{aa} = J_{bb}-K_{bb} = 0$, 非対角項については \eqref{eq:5-C2}, \eqref{eq:5-D2} で示した添字対称性 $J_{ab}=J_{ba}$,$K_{ab}=K_{ba}$ を使った. つまり,対角項($l=l'$)を二重和に含めても含めなくても値は変わらない. 含めた形の方が対称で扱いやすいので,以後この形を採用する.

5.5 $N$ 電子系への一般化

2電子系の計算で見た構造——「軌道の割り当てがそろった項は規格化で生き残り, 1箇所だけずれた項は2体演算子経由でのみ生き残り(交換項), 2箇所以上ずれた項は直交性で消える」——は $N$ 電子系でもそのまま成り立つ. 本節ではまずこの事実を論証し,$N$ 電子系のHFエネルギーを確定させ, そこに潜む重要な性質(自己相互作用の厳密な打ち消し)を証明する.

5.5.1 一般式とその根拠

定義:1電子積分・クーロン積分・交換積分

規格直交スピン軌道の組 $\{\varphi_l\}_{l=1}^{N}$ に対して,

\begin{align} H_l &\equiv \int\dd x\,\varphi_l^*(x)\,\hat{V}_1(x)\,\varphi_l(x), \label{eq:5-Hl-def}\\ J_{ll'} &\equiv \iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_l^*(x_1)\varphi_l(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_{l'}^*(x_2)\varphi_{l'}(x_2), \label{eq:5-J-def}\\ K_{ll'} &\equiv \iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_l^*(x_1)\varphi_{l'}(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_l(x_2)\varphi_{l'}^*(x_2). \label{eq:5-K-def} \end{align}

$J_{ll'}$ をクーロン積分,$K_{ll'}$ を交換積分と呼ぶ. どちらも実数で,添字の入れ替えについて対称である($J_{ll'} = J_{l'l}$,$K_{ll'} = K_{l'l}$. 証明は \eqref{eq:5-C2}, \eqref{eq:5-D2} の変数入れ替えとまったく同じ).

$N$ 電子スレーター行列式 $\Phi_{\mathrm{HF}} = \frac{1}{\sqrt{N!}}\abs{\varphi_1\cdots\varphi_N}$ に対するエネルギー期待値は次の形になる.

\begin{equation} E_{\mathrm{HF}} = \sum_{l=1}^{N} H_l + \frac{1}{2}\sum_{l=1}^{N}\sum_{l'=1}^{N}\left(J_{ll'} - K_{ll'}\right) \label{eq:5-EHF-N} \end{equation}

なぜこうなるかを,置換展開 \eqref{eq:5-slaterN-perm} に基づいて論証する. 期待値 $\braket{\Phi|\hat{H}|\Phi}$ は,規格化の計算 \eqref{eq:5-normN-1} と同様に ブラ側の置換 $P$ とケット側の置換 $Q$ の二重和になる.ただし今回は演算子が挟まっている.

式 \eqref{eq:5-EHF-N} は3つの部分からなる:

\begin{equation} E_{\mathrm{HF}} = \underbrace{\sum_{l} H_l}_{E_1:\ \text{1電子エネルギー}} + \underbrace{\frac{1}{2}\sum_{ll'} J_{ll'}}_{E_{\mathrm{Hart}}:\ \text{ハートリーエネルギー}} + \underbrace{\left(-\frac{1}{2}\sum_{ll'} K_{ll'}\right)}_{E_{\mathrm{x}}:\ \text{交換エネルギー}}. \label{eq:5-EHF-decomp} \end{equation}

ハートリーエネルギーは電子密度だけで書ける.実際,スピン軌道の全密度を $n(x) = \sum_l \abs{\varphi_l(x)}^2$ とすれば,

\begin{equation} E_{\mathrm{Hart}} = \frac{1}{2}\sum_{ll'}J_{ll'} = \frac{1}{2}\iint\dd x_1\dd x_2\,\frac{n(x_1)\,n(x_2)}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \label{eq:5-EHart-density} \end{equation}

となる(二重和が密度の積に畳み込まれた.これは $J$ の定義 \eqref{eq:5-J-def} の被積分関数が 密度の積 $\abs{\varphi_l(x_1)}^2\abs{\varphi_{l'}(x_2)}^2$ であることの直接の帰結である). ハートリー項はすでに密度汎関数である.一方,交換エネルギー $E_{\mathrm{x}}$ は 軌道の重なり $\varphi_l^*\varphi_{l'}$ を含み,密度だけでは書けない(軌道の汎関数である). この非対称性こそが,後の章で交換相関「汎関数」の近似が必要になる理由の伏線である.

5.5.2 自己相互作用の厳密な打ち消し

式 \eqref{eq:5-EHart-density} には一見不穏な点がある.二重和に $l = l'$ の項, すなわち「軌道 $l$ の電子が自分自身の作る電場と相互作用する」項 $\frac{1}{2}J_{ll}$ が含まれているのだ. 電子は1個の点電荷であり,自分で自分を押すことはない.この自己相互作用は 明らかに非物理的である.ところがHF理論では,この非物理的な項が交換項によって厳密に消される.

定理:自己相互作用の打ち消し($J_{ll} = K_{ll}$)

任意の軌道 $\varphi_l$ に対して $J_{ll} = K_{ll}$ が成り立つ. したがって \eqref{eq:5-EHF-N} の二重和において $l = l'$ の項は $J_{ll} - K_{ll} = 0$ となり,自己相互作用はハートリー項と交換項の間で完全に相殺する.

証明:クーロン積分の定義 \eqref{eq:5-J-def} に $l' = l$ を代入する:

$$ J_{ll} = \iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_l^*(x_1)\varphi_l(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_l^*(x_2)\varphi_l(x_2). $$

交換積分の定義 \eqref{eq:5-K-def} に $l' = l$ を代入する:

$$ K_{ll} = \iint\dd x_1\dd x_2\, \varphi_l^*(x_1)\varphi_l(x_1)\,\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\varphi_l(x_2)\varphi_l^*(x_2). $$

両者の被積分関数は,因子の順序を除いて文字通り同一である(掛け算は可換).よって $J_{ll} = K_{ll}$.∎

物理的意味:なぜこの打ち消しが重要か

5.1節のハートリー近似では,和から $l = l'$ を手で除外することで自己相互作用を避けた (式 \eqref{eq:5-hartree-energy} の $\sum_{l\neq l'}$).HF法では除外は不要である: 対称な二重和を使っても,交換項が自動的に自己相互作用を差し引いてくれる. これは「たまたま」ではなく,反対称化された波動関数が最初から正しい物理 (電子は自分自身とは相互作用しない)を内蔵していることの現れである.

この性質のありがたみは,それが破れたときに痛感される.第11章で学ぶ局所密度近似(LDA)などの 近似交換相関汎関数では,ハートリー項は \eqref{eq:5-EHart-density} の形で厳密に保持する一方, 交換項は密度の近似汎関数で置き換える.すると $J_{ll}$ と近似交換の打ち消しが不完全になり, 電子が自分自身を押す偽の反発——自己相互作用誤差(self-interaction error)——が残留する. この誤差は,局在した電子状態(孤立原子の軌道,遷移金属の $d$ 電子,水素原子 H$^+_2$ の解離など)で 特に深刻な問題を引き起こす.HF法は「自己相互作用が厳密にゼロの理論」として, この問題を測る基準点であり続けている.

5.6 変分法によるHF方程式の導出

5.5節で,単一スレーター行列式のエネルギー期待値 \eqref{eq:5-EHF-N} が 軌道の組 $\{\varphi_l\}$ の汎関数として書けることが分かった.変分原理(第2章)によれば, この $E_{\mathrm{HF}}[\{\varphi\}]$ を軌道について最小化した値が, 「波動関数を単一のスレーター行列式に限る」という制限のもとでの最良の近似である. 本節ではこの最小化を実行し,軌道が満たすべき方程式——ハートリー・フォック方程式——を導く. 5.1節でハートリー方程式を導いたときと大筋は同じだが, (i) 拘束条件が規格化だけでなく直交性まで含むこと, (ii) 交換項の変分がこれまでにない形の演算子(非局所演算子)を生むこと, の2点が本質的に新しい.

5.6.1 拘束条件とラグランジュ汎関数

$E_{\mathrm{HF}}$ を導く過程では,軌道の規格直交性 $\int\dd x\,\varphi_l^*\varphi_{l'} = \delta_{ll'}$ を何度も使った (交差項を消すのに直交性を,生き残る項を1にするのに規格化を使った). したがってこれから行う最小化は自由な最小化ではなく,規格直交性を保ったままの拘束つき最小化である. まず拘束条件が何本あるかを数えておこう.

合計 $N + N(N-1) = N^2$ 本の実拘束条件がある. 第4章のラグランジュ未定乗数法の処方に従い,拘束条件1本につき乗数を1つ用意する. $N^2$ 個の乗数を $N\times N$ の行列の成分 $\varepsilon_{ll'}$ として並べ,

\begin{equation} F[\{\varphi\},\{\varphi^*\}] = E_{\mathrm{HF}} - \sum_{l=1}^{N}\sum_{l'=1}^{N}\varepsilon_{ll'} \left(\int\dd x\,\varphi_l^*(x)\varphi_{l'}(x) - \delta_{ll'}\right) \label{eq:5-lagrange-F} \end{equation}

というラグランジュ汎関数を作る.$\varepsilon_{ll'}$ は複素数だから実パラメータは $2N^2$ 個あるように見えるが, 5.6.3項で示すように $\varepsilon$ はエルミート行列でなければならず, 独立な実パラメータはちょうど $N^2$ 個になる.拘束条件の本数とぴったり一致していて,過不足がない.

数学ノート:複素関数の変分($\varphi$ と $\varphi^*$ を独立に扱ってよい理由)

5.1節では「$\varphi$ と $\varphi^*$ を独立変数として扱ってよい」と断りなしに使った.ここで正当化する. 問題は次の通りである.$F$ は複素関数 $\varphi(x)$ の汎関数であり,値は実数である. しかし複素関数 $\varphi$ は本当は2つの実関数

$$ \varphi(x) = u(x) + i\,v(x), \qquad u,\,v:\ \text{実関数} $$

からできている.停留条件として物理的に正しいのは,独立な実自由度についての条件

$$ \frac{\delta F}{\delta u(x)} = 0 \quad\text{かつ}\quad \frac{\delta F}{\delta v(x)} = 0 \qquad(\text{すべての }x\text{ で}) $$

である.ところが実務では $\varphi$ と $\varphi^*$ を独立変数とみなして $\delta F/\delta\varphi^* = 0$ とだけ書く.この2つが同値であることを見る.

$u = (\varphi+\varphi^*)/2$,$v = (\varphi-\varphi^*)/(2i)$ という関係を通じて $F$ を $\varphi,\varphi^*$ の汎関数と読み直し, 連鎖律を適用する:

\begin{align} \frac{\delta F}{\delta \varphi^*(x)} &= \frac{\delta F}{\delta u(x)}\frac{\partial u}{\partial \varphi^*} + \frac{\delta F}{\delta v(x)}\frac{\partial v}{\partial \varphi^*} \notag\\ &= \frac{\delta F}{\delta u(x)}\cdot\frac{1}{2} + \frac{\delta F}{\delta v(x)}\cdot\left(-\frac{1}{2i}\right) = \frac{1}{2}\left(\frac{\delta F}{\delta u(x)} + i\,\frac{\delta F}{\delta v(x)}\right). \label{eq:5-wirtinger} \end{align}

2行目では $\partial u/\partial\varphi^* = 1/2$,$\partial v/\partial\varphi^* = -1/(2i) = i/2$ を代入した ($-1/i = i$ を使った).同様に $\delta F/\delta\varphi = \frac{1}{2}(\delta F/\delta u - i\,\delta F/\delta v)$ となる.

ここで $F$ は実数値,$u,v$ は実関数だから,$\delta F/\delta u$ と $\delta F/\delta v$ は実数である. すると \eqref{eq:5-wirtinger} の右辺は「実部 $\frac12\delta F/\delta u$,虚部 $\frac12\delta F/\delta v$」をもつ複素数であり, 複素数がゼロであることと実部・虚部がともにゼロであることは同値だから,

$$ \frac{\delta F}{\delta \varphi^*(x)} = 0 \quad\Longleftrightarrow\quad \frac{\delta F}{\delta u(x)} = 0\ \text{かつ}\ \frac{\delta F}{\delta v(x)} = 0 $$

が成り立つ.すなわち $\delta F/\delta\varphi^* = 0$ という1本の複素方程式は, 実部・虚部を独立に変分した2本の実方程式と完全に同値である. また \eqref{eq:5-wirtinger} と $\delta F/\delta\varphi$ の式を見比べると $\delta F/\delta\varphi = (\delta F/\delta\varphi^*)^*$ であるから, $\delta F/\delta\varphi = 0$ は $\delta F/\delta\varphi^* = 0$ の複素共役にすぎず,新しい情報を持たない. 以後 $\delta F/\delta\varphi_k^*=0$ だけを課せばよい.

不安なら離散化して考えるとよい.空間を $M$ 個の格子点 $x_1,\ldots,x_M$ に区切ると, $\varphi$ は $M$ 個の複素数 $\varphi_i = u_i + iv_i$,つまり $2M$ 個の実変数 $\{u_i, v_i\}$ になり, $F$ はそれらのふつうの多変数関数になる.上の議論はそのまま偏微分 $\partial/\partial\varphi_i^* \equiv \frac12(\partial/\partial u_i + i\,\partial/\partial v_i)$ の話に翻訳され,結論は変わらない.

以下で使う汎関数微分の基本公式も書いておく(第4章):

$$ \frac{\delta \varphi_l^*(x')}{\delta \varphi_k^*(x)} = \delta_{lk}\,\delta(x-x'), \qquad \frac{\delta \varphi_l(x')}{\delta \varphi_k^*(x)} = 0 . $$

5.6.2 各項の変分を1つずつ計算する

準備が整った.\eqref{eq:5-lagrange-F} を $\varphi_k^*(x)$ で汎関数微分し, $E_1$(1電子項)・$E_{\mathrm{Hart}}$(ハートリー項)・$E_{\mathrm{x}}$(交換項)・拘束項の4つを 別々に計算する.以下では2体相互作用を $w(\rr,\rr') \equiv 1/\abs{\rr-\rr'}$ と略記する($w$ は実数で,$w(\rr,\rr') = w(\rr',\rr)$ を満たす).

導出:1電子項の変分

$E_1 = \sum_l H_l = \sum_l \int\dd x'\,\varphi_l^*(x')\hat{V}_1(x')\varphi_l(x')$ である. $\varphi_k^*$ で微分する.ここで注意すべきは,$\hat{V}_1$ の中の $\nabla^2$ が作用しているのは ケット側の $\varphi_l(x')$ であって,微分の対象である $\varphi_l^*(x')$ ではないという点である. つまり $\varphi_l^*$ は微分演算子を被っていない単なる掛け算因子なので, 部分積分をする必要がなく,デルタ関数をそのまま使える:

\begin{align} \frac{\delta E_1}{\delta \varphi_k^*(x)} &= \sum_{l=1}^{N}\int\dd x'\, \frac{\delta\varphi_l^*(x')}{\delta\varphi_k^*(x)}\,\hat{V}_1(x')\varphi_l(x') \notag\\ &= \sum_{l=1}^{N}\int\dd x'\,\delta_{lk}\,\delta(x-x')\,\hat{V}_1(x')\varphi_l(x') \notag\\ &= \hat{V}_1(x)\,\varphi_k(x). \label{eq:5-var-E1} \end{align}

2行目で基本公式を代入し,3行目でクロネッカーのデルタにより $l=k$ の項だけを残し, ディラックのデルタ関数の定義により $x'$ 積分を実行して $x'\to x$ とした.

導出:ハートリー項の変分

$E_{\mathrm{Hart}} = \frac12\sum_{l,l'}J_{ll'}$, $J_{ll'} = \iint\dd x_1\dd x_2\,\varphi_l^*(x_1)\varphi_l(x_1)\,w(\rr_1,\rr_2)\,\varphi_{l'}^*(x_2)\varphi_{l'}(x_2)$ である.$J_{ll'}$ の被積分関数には複素共役つきの軌道が2箇所ある: $x_1$ の位置の $\varphi_l^*$ と,$x_2$ の位置の $\varphi_{l'}^*$ である. したがって $\varphi_k^*$ で微分すると,$l=k$ から来る寄与と $l'=k$ から来る寄与の2つが現れる:

\begin{align} \frac{\delta J_{ll'}}{\delta\varphi_k^*(x)} &= \delta_{lk}\,\varphi_k(x)\int\dd x_2\,w(\rr,\rr_2)\,\abs{\varphi_{l'}(x_2)}^2 \notag\\ &\quad + \delta_{l'k}\,\varphi_k(x)\int\dd x_1\,\abs{\varphi_{l}(x_1)}^2\,w(\rr_1,\rr). \label{eq:5-var-J1} \end{align}

第1項は $\varphi_l^*(x_1)$ を微分して $\delta_{lk}\delta(x-x_1)$ を得,$x_1$ 積分を実行した結果である (残された $\varphi_l(x_1)$ が $\varphi_k(x)$ になった). 第2項は $\varphi_{l'}^*(x_2)$ を微分して同様に $x_2$ 積分を実行した結果である. これを $\frac12\sum_{ll'}$ について足し合わせる:

\begin{align} \frac{\delta E_{\mathrm{Hart}}}{\delta\varphi_k^*(x)} &= \frac{1}{2}\sum_{l'=1}^{N}\varphi_k(x)\int\dd x_2\,w(\rr,\rr_2)\abs{\varphi_{l'}(x_2)}^2 + \frac{1}{2}\sum_{l=1}^{N}\varphi_k(x)\int\dd x_1\,\abs{\varphi_l(x_1)}^2 w(\rr_1,\rr) \notag\\ &= \frac{1}{2}\sum_{l'=1}^{N}\varphi_k(x)\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}} + \frac{1}{2}\sum_{l'=1}^{N}\varphi_k(x)\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}} \notag\\ &= \left[\sum_{l'=1}^{N}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_k(x). \label{eq:5-var-J} \end{align}

1行目:\eqref{eq:5-var-J1} の第1項では $\delta_{lk}$ により $l$ 和がつぶれて $l'$ 和だけが残り, 第2項では $\delta_{l'k}$ により $l'$ 和がつぶれて $l$ 和だけが残る. 2行目:第2項の積分変数の名前を $x_1\to x'$,和の添字を $l\to l'$ に付け替え, $w(\rr',\rr) = w(\rr,\rr')$(相互作用の対称性)を使った.これで2つの項が完全に同じ形になった. 3行目:同じものが2つあるので $\frac12 + \frac12 = 1$ とまとめた.

角括弧の中身は,全電子密度が作る静電ポテンシャルにほかならない:

\begin{equation} v_{\mathrm{H}}(\rr) \equiv \sum_{l'=1}^{N}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}} = \int\dd^3 r'\,\frac{n(\rr')}{\abs{\rr-\rr'}}, \qquad n(\rr') \equiv \sum_{\sigma'=\uparrow,\downarrow}\ \sum_{l'=1}^{N}\abs{\varphi_{l'}(\rr',\sigma')}^2 . \label{eq:5-vH-def} \end{equation}

2つ目の等号では,$\int\dd x' = \sum_{\sigma'}\int\dd^3r'$ の定義に従ってスピン和を先に実行し, それを密度 $n(\rr')$ の定義とした.これをハートリーポテンシャルと呼ぶ. $\rr$ の関数を $\varphi_k(x)$ に掛けるだけの局所的なポテンシャルであることに注意しておく.

導出:交換項の変分

$E_{\mathrm{x}} = -\frac12\sum_{l,l'}K_{ll'}$, $K_{ll'} = \iint\dd x_1\dd x_2\,\varphi_l^*(x_1)\varphi_{l'}(x_1)\,w(\rr_1,\rr_2)\,\varphi_l(x_2)\varphi_{l'}^*(x_2)$ である.今度も複素共役つきの軌道は2箇所にある:$x_1$ の位置の $\varphi_l^*$ と $x_2$ の位置の $\varphi_{l'}^*$ である. ただし $J$ のときと違って,微分で消えた軌道の相方が別の軌道になっていることに注意が要る.

\begin{align} \frac{\delta K_{ll'}}{\delta\varphi_k^*(x)} &= \delta_{lk}\,\varphi_{l'}(x)\int\dd x_2\,w(\rr,\rr_2)\,\varphi_k(x_2)\varphi_{l'}^*(x_2) \notag\\ &\quad + \delta_{l'k}\,\varphi_{l}(x)\int\dd x_1\,\varphi_l^*(x_1)\varphi_k(x_1)\,w(\rr_1,\rr). \label{eq:5-var-K1} \end{align}

第1項:$\varphi_l^*(x_1)$ を微分すると $\delta_{lk}\delta(x-x_1)$ が出て $x_1$ 積分が実行され, $x_1$ の位置に残っていた因子 $\varphi_{l'}(x_1)$ が $\varphi_{l'}(x)$ になる. ——ここが $J$ の場合との決定的な違いである.$J$ では残るのが $\varphi_k(x)$(自分自身)だったのに対し, $K$ では残るのが $\varphi_{l'}(x)$(相手の軌道)である. 第2項:$\varphi_{l'}^*(x_2)$ を微分すると $\delta_{l'k}\delta(x-x_2)$ が出て $x_2$ 積分が実行され, $x_2$ の位置に残っていた $\varphi_l(x_2)$ が $\varphi_l(x)$ になる. $-\frac12\sum_{ll'}$ について足し合わせると,

\begin{align} \frac{\delta E_{\mathrm{x}}}{\delta\varphi_k^*(x)} &= -\frac{1}{2}\sum_{l'=1}^{N}\varphi_{l'}(x)\int\dd x_2\,w(\rr,\rr_2)\varphi_{l'}^*(x_2)\varphi_k(x_2) - \frac{1}{2}\sum_{l=1}^{N}\varphi_l(x)\int\dd x_1\,\varphi_l^*(x_1)\varphi_k(x_1)w(\rr_1,\rr) \notag\\ &= -\frac{1}{2}\sum_{l'=1}^{N}\varphi_{l'}(x)\int\dd x'\,\frac{\varphi_{l'}^*(x')\varphi_k(x')}{\abs{\rr-\rr'}} - \frac{1}{2}\sum_{l'=1}^{N}\varphi_{l'}(x)\int\dd x'\,\frac{\varphi_{l'}^*(x')\varphi_k(x')}{\abs{\rr-\rr'}} \notag\\ &= -\sum_{l'=1}^{N}\left[\int\dd x'\,\frac{\varphi_{l'}^*(x')\varphi_k(x')}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_{l'}(x). \label{eq:5-var-K} \end{align}

1行目:\eqref{eq:5-var-K1} の第1項では $\delta_{lk}$ が $l$ 和を,第2項では $\delta_{l'k}$ が $l'$ 和をつぶす. 2行目:第2項で積分変数を $x_1\to x'$,和の添字を $l\to l'$ に付け替え,$w(\rr',\rr)=w(\rr,\rr')$ を使った. 3行目:同形の2項をまとめた.

得られた項の構造をよく見てほしい.$\varphi_k$ は積分の中にいて, 外に出ているのは別の軌道 $\varphi_{l'}(x)$ である. つまりこの項は「$\varphi_k$ に何かの関数を掛ける」形ではなく, 「$\varphi_k$ を積分核で変換する」形をしている.これが非局所演算子である.

導出:拘束項の変分

残るのは \eqref{eq:5-lagrange-F} の拘束項である.定数 $\delta_{ll'}$ は微分で消えるので,

\begin{align} \frac{\delta}{\delta\varphi_k^*(x)} \left[-\sum_{l,l'}\varepsilon_{ll'}\left(\int\dd x'\,\varphi_l^*(x')\varphi_{l'}(x') - \delta_{ll'}\right)\right] &= -\sum_{l,l'}\varepsilon_{ll'}\int\dd x'\,\delta_{lk}\,\delta(x-x')\,\varphi_{l'}(x') \notag\\ &= -\sum_{l'=1}^{N}\varepsilon_{kl'}\,\varphi_{l'}(x). \label{eq:5-var-constraint} \end{align}

1行目で基本公式を使い,2行目で $\delta_{lk}$ により $l$ 和をつぶし, デルタ関数で $x'$ 積分を実行した.

以上4つを足してゼロと置く.これが求めるハートリー・フォック方程式である.

\begin{equation} \hat{V}_1(x)\varphi_k(x) + \left[\sum_{l'=1}^{N}\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{l'}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_k(x) - \sum_{l'=1}^{N}\left[\int\dd x'\,\frac{\varphi_{l'}^*(x')\varphi_k(x')}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_{l'}(x) = \sum_{l'=1}^{N}\varepsilon_{kl'}\,\varphi_{l'}(x) \label{eq:5-hf-general} \end{equation}

左辺の第1項は運動エネルギーと外部ポテンシャル,第2項はすべての電子が作る平均静電場(ハートリー項), 第3項が交換項である.右辺が固有値方程式の形になっていないこと—— $\varepsilon_k\varphi_k$ ではなく $\sum_{l'}\varepsilon_{kl'}\varphi_{l'}$ になっていること——に注意しよう. これを固有値方程式に直すのが5.6.4項の仕事である.

物理的意味:方程式のレベルでも自己相互作用は消える

\eqref{eq:5-hf-general} 左辺の第2項と第3項で,$l' = k$ の項だけを取り出してみよう.

$$ \left[\int\dd x'\,\frac{\abs{\varphi_{k}(x')}^2}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_k(x) - \left[\int\dd x'\,\frac{\varphi_{k}^*(x')\varphi_k(x')}{\abs{\rr-\rr'}}\right]\varphi_{k}(x) = 0 . $$

$\abs{\varphi_k}^2 = \varphi_k^*\varphi_k$ だから,2つの積分は文字通り同一であり,差し引きゼロになる. 5.5.2項ではエネルギーのレベルで $J_{ll}=K_{ll}$ を示したが, いま方程式のレベルでも同じ打ち消しが起きることが確認された. すなわち軌道 $k$ の電子は,自分自身が作るポテンシャルを感じない. このため \eqref{eq:5-hf-general} の $l'$ 和は「すべての $l'$」でも「$l'\neq k$」でも同じ結果を与える. 和に $l'=k$ を含める形が対称で扱いやすいので,以後この形を使う.

5.6.3 ラグランジュ乗数行列のエルミート性

\eqref{eq:5-hf-general} の左辺は,$\varphi_k$ に線形演算子を作用させた形をしている. その演算子に名前を付けよう.

定義:フォック演算子と1粒子密度行列

占有軌道から作られる1粒子密度行列を

\begin{equation} \rho(x,x') \equiv \sum_{l'=1}^{N}\varphi_{l'}(x)\,\varphi_{l'}^*(x') \label{eq:5-density-matrix} \end{equation}

と定義する.その対角成分 $\rho(x,x) = \sum_{l'}\abs{\varphi_{l'}(x)}^2$ は密度である. これを使うとフォック演算子 $\hat{F}$ は

\begin{equation} (\hat{F}\varphi)(x) \equiv \hat{V}_1(x)\varphi(x) + v_{\mathrm{H}}(\rr)\,\varphi(x) - \int\dd x'\,\frac{\rho(x,x')}{\abs{\rr-\rr'}}\,\varphi(x') \label{eq:5-fock-def} \end{equation}

と書ける.実際,\eqref{eq:5-density-matrix} を \eqref{eq:5-fock-def} の第3項に代入すると $-\sum_{l'}\varphi_{l'}(x)\int\dd x'\,\varphi_{l'}^*(x')\varphi(x')/\abs{\rr-\rr'}$ となり, \eqref{eq:5-hf-general} の交換項に一致する.したがってHF方程式は $\hat{F}\varphi_k = \sum_{l'}\varepsilon_{kl'}\varphi_{l'}$ と簡潔に書ける.

定理:$\hat{F}$ はエルミート,$\varepsilon$ はエルミート行列

(1) フォック演算子 $\hat{F}$ はエルミートである:任意の関数 $f,g$ に対して $\braket{g|\hat{F}f} = \braket{\hat{F}g|f}$. (2) その帰結として,ラグランジュ乗数の行列は $\varepsilon_{kl'} = \varepsilon_{l'k}^*$ を満たす.

証明(1):3つの項を別々に調べる.

$\hat{V}_1 = -\frac12\nabla^2 + v_{\mathrm{ext}}$ は標準的な1体ハミルトニアンであり, $-\frac12\nabla^2$ は2回の部分積分でエルミート(境界項は無限遠で波動関数が0になるので消える), $v_{\mathrm{ext}}$ は実数の掛け算演算子なのでエルミートである. $v_{\mathrm{H}}(\rr)$ も \eqref{eq:5-vH-def} から明らかに実数の掛け算演算子だからエルミート.

残るのは交換項である.$(\hat{K}f)(x) \equiv \int\dd x'\,\rho(x,x')f(x')/\abs{\rr-\rr'}$ と置くと,

\begin{align} \braket{g|\hat{K}f} &= \iint\dd x\,\dd x'\,g^*(x)\,\frac{\rho(x,x')}{\abs{\rr-\rr'}}\,f(x') \notag\\ &= \iint\dd x\,\dd x'\,g^*(x)\,\frac{\rho(x',x)^*}{\abs{\rr-\rr'}}\,f(x') \notag\\ &= \iint\dd x'\,\dd x\,\left(\frac{\rho(x,x')}{\abs{\rr-\rr'}}\,g(x')\right)^{*} f(x) \;=\; \braket{\hat{K}g|f}. \label{eq:5-K-hermitian} \end{align}

2行目:定義 \eqref{eq:5-density-matrix} から $\rho(x',x)^* = \sum_{l'}\varphi_{l'}^*(x')\varphi_{l'}(x) = \rho(x,x')$, すなわち $\rho$ はエルミート核である. 3行目:2つの積分変数の名前を $x\leftrightarrow x'$ と入れ替え, $\abs{\rr'-\rr} = \abs{\rr-\rr'}$ が実数であることを使って複素共役の記号を外にくくり出した. よって $\hat{K}$ はエルミートであり,$\hat{F}$ 全体もエルミートである.

証明(2):HF方程式 $\hat{F}\varphi_k = \sum_{l'}\varepsilon_{kl'}\varphi_{l'}$ の両辺に $\varphi_m^*(x)$ を掛けて $x$ で積分する:

\begin{align} \braket{\varphi_m|\hat{F}|\varphi_k} &= \sum_{l'}\varepsilon_{kl'}\braket{\varphi_m|\varphi_{l'}} = \sum_{l'}\varepsilon_{kl'}\,\delta_{ml'} = \varepsilon_{km}. \label{eq:5-eps-matrix-elem} \end{align}

規格直交性を使って $l'$ 和をつぶした.つまり乗数はフォック演算子の行列要素そのものである. すると $\hat{F}$ のエルミート性から

$$ \varepsilon_{km} = \braket{\varphi_m|\hat{F}|\varphi_k} = \braket{\hat{F}\varphi_m|\varphi_k} = \braket{\varphi_k|\hat{F}|\varphi_m}^{*} = \varepsilon_{mk}^{*} . $$

1つ目の等号は \eqref{eq:5-eps-matrix-elem},2つ目はエルミート性, 3つ目は内積の性質 $\braket{a|b} = \braket{b|a}^*$,4つ目は再び \eqref{eq:5-eps-matrix-elem} である. よって $\varepsilon$ はエルミート行列である.∎

エルミート行列の独立な実パラメータ数は,対角成分が実数で $N$ 個, 非対角成分が $(k,m)$ と $(m,k)$ で共役に縛られるので $2\times N(N-1)/2 = N(N-1)$ 個, 合計 $N^2$ 個である.5.6.1項で数えた拘束条件の本数と一致した.

5.6.4 ユニタリ変換と正準HF方程式

式 \eqref{eq:5-hf-general} は右辺が $\sum_{l'}\varepsilon_{kl'}\varphi_{l'}$ であって固有値方程式ではない. これを固有値方程式に直したい.鍵となるのは, 占有軌道をユニタリ変換で混ぜても,スレーター行列式も $\hat{F}$ も本質的に変わらないという事実である.

記法の都合上,乗数行列を転置した行列 $\lambda_{l'k} \equiv \varepsilon_{kl'}$ を導入する. $\lambda$ もエルミートである: $\lambda_{l'k}^* = \varepsilon_{kl'}^* = \varepsilon_{l'k} = \lambda_{kl'}$. この記号でHF方程式は

\begin{equation} \hat{F}\varphi_k = \sum_{l'=1}^{N}\lambda_{l'k}\,\varphi_{l'} \label{eq:5-hf-lambda} \end{equation}

となる.$\lambda$ はエルミートだから,線形代数の定理により,あるユニタリ行列 $U$($U^\dagger U = UU^\dagger = I$)が存在して $U^\dagger \lambda U = \mathrm{diag}(\varepsilon_1,\ldots,\varepsilon_N)$,成分で書けば

\begin{equation} \sum_{l=1}^{N}\lambda_{ml}\,U_{lk} = \varepsilon_k\,U_{mk} \label{eq:5-diagonalize} \end{equation}

と対角化できる($\varepsilon_k$ は実数の固有値).この $U$ を使って新しい軌道

\begin{equation} \tilde{\varphi}_k(x) \equiv \sum_{l=1}^{N}\varphi_l(x)\,U_{lk} \label{eq:5-orbital-rotation} \end{equation}

を定義する.以下,この変換が何も壊さないことを3段階で示す.

導出:(i) 新しい軌道も規格直交である

\begin{align} \braket{\tilde{\varphi}_j|\tilde{\varphi}_k} &= \int\dd x\,\left(\sum_{l}\varphi_l(x)U_{lj}\right)^{*}\left(\sum_{m}\varphi_m(x)U_{mk}\right) \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}U_{lj}^{*}\,U_{mk}\int\dd x\,\varphi_l^*(x)\varphi_m(x) \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}U_{lj}^{*}\,U_{mk}\,\delta_{lm} = \sum_{l}U_{lj}^{*}U_{lk} = (U^\dagger U)_{jk} = \delta_{jk}. \label{eq:5-rot-ortho} \end{align}

1行目は定義の代入,2行目は和と積分の順序交換(有限和なので自由にできる), 3行目は元の軌道の規格直交性,4行目は $\delta_{lm}$ による $m$ 和のつぶし, 最後に $(U^\dagger)_{jl} = U_{lj}^*$ という転置共役の定義とユニタリ性を使った.

導出:(ii) スレーター行列式は位相因子を除いて不変

スレーター行列式 \eqref{eq:5-slaterN} の中身は行列 $A_{ik} \equiv \varphi_k(x_i)$ (行が電子,列が軌道)の行列式である.新しい軌道で作った行列は

$$ \tilde{A}_{ik} = \tilde{\varphi}_k(x_i) = \sum_{l}\varphi_l(x_i)U_{lk} = \sum_{l}A_{il}U_{lk} = (AU)_{ik}, $$

すなわち $\tilde{A} = AU$ という単なる行列の積である.行列式の乗法性 $\det(AU) = \det A\,\det U$ より

$$ \tilde{\Phi} = \frac{1}{\sqrt{N!}}\det\tilde{A} = (\det U)\cdot\frac{1}{\sqrt{N!}}\det A = (\det U)\,\Phi . $$

ここで $\det U$ の絶対値を調べる.$U^\dagger U = I$ の両辺の行列式を取ると $\det(U^\dagger)\det(U) = 1$ であり,$\det(U^\dagger) = (\det U)^*$ だから

$$ \abs{\det U}^2 = (\det U)^*(\det U) = 1 \quad\Longrightarrow\quad \det U = e^{i\theta}\ (\theta\ \text{は実数}). $$

したがって $\tilde{\Phi} = e^{i\theta}\Phi$ であり,2つの行列式は全体の位相だけ異なる. 量子力学では全体の位相は観測にかからないから,$\tilde{\Phi}$ と $\Phi$ は同じ物理状態を表す. 特に $\abs{\tilde\Phi}^2 = \abs{\Phi}^2$ であり, $E_{\mathrm{HF}}$ を含むあらゆる期待値が変わらない.

導出:(iii) フォック演算子も不変

$\hat{F}$ は \eqref{eq:5-fock-def} より,密度行列 $\rho(x,x')$ だけを通じて軌道に依存している (ハートリーポテンシャルは $v_{\mathrm{H}}(\rr) = \int\dd x'\rho(x',x')/\abs{\rr-\rr'}$, 交換項は核 $\rho(x,x')$ そのもの).そこで $\rho$ の不変性を示せばよい:

\begin{align} \tilde{\rho}(x,x') &= \sum_{k=1}^{N}\tilde{\varphi}_k(x)\,\tilde{\varphi}_k^*(x') = \sum_{k}\left(\sum_l \varphi_l(x)U_{lk}\right)\left(\sum_m \varphi_m(x')U_{mk}\right)^{*} \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}\varphi_l(x)\varphi_m^*(x')\sum_{k}U_{lk}U_{mk}^{*} \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}\varphi_l(x)\varphi_m^*(x')\,(UU^\dagger)_{lm} \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}\varphi_l(x)\varphi_m^*(x')\,\delta_{lm} = \sum_{l}\varphi_l(x)\varphi_l^*(x') = \rho(x,x'). \label{eq:5-rho-invariant} \end{align}

2行目で $k$ についての和を後ろにまとめ,3行目で $\sum_k U_{lk}U_{mk}^* = \sum_k U_{lk}(U^\dagger)_{km} = (UU^\dagger)_{lm}$ と読み替え, 4行目でユニタリ性 $UU^\dagger = I$ を使った. 密度行列が変わらない以上,$\hat{F}$ もまったく同じ演算子のままである.

3つの準備ができた.あとは \eqref{eq:5-hf-lambda} に \eqref{eq:5-orbital-rotation} を代入するだけである:

\begin{align} \hat{F}\tilde{\varphi}_k &= \hat{F}\sum_{l}\varphi_l U_{lk} = \sum_{l}U_{lk}\,\hat{F}\varphi_l \notag\\ &= \sum_{l}U_{lk}\sum_{m}\lambda_{ml}\varphi_m = \sum_{m}\varphi_m\left(\sum_{l}\lambda_{ml}U_{lk}\right) \notag\\ &= \sum_{m}\varphi_m\,\varepsilon_k U_{mk} = \varepsilon_k\sum_{m}\varphi_m U_{mk} = \varepsilon_k\,\tilde{\varphi}_k . \label{eq:5-canonical-derivation} \end{align}

1行目:$\hat{F}$ は線形演算子なので和と定数係数の外に出せる (そして (iii) より $\hat{F}$ は変換で変わらないので,同じ $\hat{F}$ を使ってよい). 2行目:\eqref{eq:5-hf-lambda} を代入し,和の順序を入れ替えて $l$ 和を内側にまとめた. 3行目:対角化の条件 \eqref{eq:5-diagonalize} を使い, 最後に \eqref{eq:5-orbital-rotation} で $\tilde\varphi_k$ に戻した. 以上で固有値方程式が得られた.改めて波形記号を落として書き直せば,

\begin{equation} \hat{F}\,\varphi_k(x) = \varepsilon_k\,\varphi_k(x), \qquad \hat{F} = \hat{V}_1 + v_{\mathrm{H}} + \hat{v}_{\mathrm{x}}, \qquad (\hat{v}_{\mathrm{x}}\varphi)(x) = -\int\dd x'\,\frac{\rho(x,x')}{\abs{\rr-\rr'}}\varphi(x') \label{eq:5-canonical-hf} \end{equation}

これを正準ハートリー・フォック方程式と呼び, $\{\varphi_k\}$ を正準軌道,$\varepsilon_k$ を軌道エネルギーと呼ぶ. 5.1節のハートリー方程式 \eqref{eq:5-hartree-eq} と見比べると, 違いは第3項の交換演算子 $\hat{v}_{\mathrm{x}}$ ただ一つである.

物理的意味:局所ポテンシャルと非局所演算子

$v_{\mathrm{H}}$ と $\hat{v}_{\mathrm{x}}$ の違いを,はっきりさせておく価値がある.

この違いは実用上きわめて重い.局所ポテンシャルなら空間の各点で数値を1つ持てば済むが, 非局所演算子は2変数の核 $\rho(x,x')/\abs{\rr-\rr'}$ を保持しなければならない. 基底関数を $M$ 個使う計算では,交換項の評価に $O(M^4)$ 個の2電子積分が必要になる. HF計算(および混成汎関数を使うDFT計算)が重い最大の理由がここにある. 第10章で学ぶコーン・シャム法の実用上の強みは, 交換と相関の効果を局所ポテンシャル $v_{xc}(\rr)$ に押し込めてしまう点にある. その代償として $v_{xc}$ の厳密な形は分からず,近似が必要になる—— これが本書全体を貫くトレードオフである.

なお,\eqref{eq:5-canonical-hf} も5.1節と同じく自己無撞着に解く必要がある. $\hat{F}$ は $\rho$ を通じて解 $\{\varphi_k\}$ に依存しているからで, 図5.1のSCFループがそのまま適用できる.

5.6.5 軌道エネルギーの和は全エネルギーではない

正準HF方程式が固有値方程式の形をしているので, 「全エネルギーは軌道エネルギーの和 $\sum_k \varepsilon_k$ だろう」と考えたくなる.これは誤りである. 初学者が最も間違えやすい点なので,きちんと計算して確かめる.

導出:$\varepsilon_k$ の表式と二重計上の補正

\eqref{eq:5-eps-matrix-elem} で $m=k$ と置くと $\varepsilon_k = \braket{\varphi_k|\hat{F}|\varphi_k}$ である. 右辺を \eqref{eq:5-fock-def} に従って3項に分けて書き下す:

\begin{align} \varepsilon_k &= \int\dd x\,\varphi_k^*(x)\hat{V}_1(x)\varphi_k(x) \notag\\ &\quad + \sum_{l'}\iint\dd x\,\dd x'\,\varphi_k^*(x)\varphi_k(x)\frac{1}{\abs{\rr-\rr'}}\varphi_{l'}^*(x')\varphi_{l'}(x') \notag\\ &\quad - \sum_{l'}\iint\dd x\,\dd x'\,\varphi_k^*(x)\varphi_{l'}(x)\frac{1}{\abs{\rr-\rr'}}\varphi_{l'}^*(x')\varphi_k(x') \notag\\ &= H_k + \sum_{l'=1}^{N}\left(J_{kl'} - K_{kl'}\right). \label{eq:5-eps-k} \end{align}

最終行では,3つの積分を定義 \eqref{eq:5-Hl-def}, \eqref{eq:5-J-def}, \eqref{eq:5-K-def} と ($x\to x_1$,$x'\to x_2$ と読み替えて)照合しただけである. 交換項については,$K_{kl'}$ の定義の被積分関数 $\varphi_k^*(x_1)\varphi_{l'}(x_1)\varphi_k(x_2)\varphi_{l'}^*(x_2)$ と 上の3行目の被積分関数が文字通り一致することを確認してほしい.

これを $k$ について足すと

\begin{align} \sum_{k=1}^{N}\varepsilon_k &= \sum_{k}H_k + \sum_{k}\sum_{l'}\left(J_{kl'}-K_{kl'}\right) \notag\\ &= \sum_{k}H_k + 2\times\frac{1}{2}\sum_{k}\sum_{l'}\left(J_{kl'}-K_{kl'}\right) = E_1 + 2\left(E_{\mathrm{Hart}} + E_{\mathrm{x}}\right). \label{eq:5-sum-eps} \end{align}

2行目では \eqref{eq:5-EHF-decomp} の記号に合わせるために $1 = 2\times\frac12$ と書き直しただけである. 一方 $E_{\mathrm{HF}} = E_1 + E_{\mathrm{Hart}} + E_{\mathrm{x}}$ だったから,両者の差を取ると

\begin{equation} E_{\mathrm{HF}} = \sum_{k=1}^{N}\varepsilon_k - \frac{1}{2}\sum_{k=1}^{N}\sum_{l'=1}^{N}\left(J_{kl'} - K_{kl'}\right) = \sum_{k=1}^{N}\varepsilon_k - \left(E_{\mathrm{Hart}} + E_{\mathrm{x}}\right) \label{eq:5-double-counting} \end{equation}

が得られる.

$\sum_k\varepsilon_k$ が全エネルギーより低い(相互作用エネルギーを2回数えている)理由は明快である. $\varepsilon_k$ には「軌道 $k$ の電子が他のすべての電子と及ぼし合う相互作用」が丸ごと入っている. これを $k$ について足すと,電子対 $(k,l')$ の相互作用が $\varepsilon_k$ からも $\varepsilon_{l'}$ からも1回ずつ,計2回数えられてしまう. 式 \eqref{eq:5-double-counting} の第2項はこの二重計上を差し引く補正である. まったく同じ構造の補正がコーン・シャム法にも現れる(第10章).

5.7 クーロン積分と交換積分の物理

式が出そろったので,$J_{ll'}$ と $K_{ll'}$ が物理的に何を表しているのかを見きわめておく. 両者は見た目こそ似ているが,性格はまったく異なる. 本節の主結果は,交換積分は同一スピンの電子の間にしか働かないという選択則であり, これを軌道のスピン分離から厳密に導く.

準備として,スピン軌道を空間部分とスピン部分の積に分離する(5.2節の定義ボックス):

\begin{equation} \varphi_l(x) = \phi_l(\rr)\,\eta_{s_l}(\sigma), \qquad \sum_{\sigma}\eta_{s}^*(\sigma)\,\eta_{s'}(\sigma) = \delta_{s s'} . \label{eq:5-spin-separation} \end{equation}

ここで $s_l \in \{\uparrow,\downarrow\}$ は軌道 $l$ が担うスピンの向きである. 以下,この形が使えることを仮定する(閉殻分子や非相対論的な原子ではこれが標準的な仮定であり, スピン軌道相互作用がある場合には成り立たない). 2体相互作用 $1/\abs{\rr_1-\rr_2}$ はスピンに一切作用しないから, $\dd x$ 積分のうちスピン和の部分は必ず前に括り出せる.これが以下の計算の鍵である.

5.7.1 クーロン積分は古典的な静電エネルギーである

導出:$J_{ll'}$ のスピン分離

定義 \eqref{eq:5-J-def} に \eqref{eq:5-spin-separation} を代入する. $\varphi_l^*(x_1)\varphi_l(x_1) = \abs{\phi_l(\rr_1)}^2\,\abs{\eta_{s_l}(\sigma_1)}^2$, $\varphi_{l'}^*(x_2)\varphi_{l'}(x_2) = \abs{\phi_{l'}(\rr_2)}^2\,\abs{\eta_{s_{l'}}(\sigma_2)}^2$ だから,

\begin{align} J_{ll'} &= \sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2}\iint\dd^3r_1\dd^3r_2\, \abs{\phi_l(\rr_1)}^2\abs{\eta_{s_l}(\sigma_1)}^2 \frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \abs{\phi_{l'}(\rr_2)}^2\abs{\eta_{s_{l'}}(\sigma_2)}^2 \notag\\ &= \underbrace{\left(\sum_{\sigma_1}\abs{\eta_{s_l}(\sigma_1)}^2\right)}_{=\,\delta_{s_l s_l}=\,1} \underbrace{\left(\sum_{\sigma_2}\abs{\eta_{s_{l'}}(\sigma_2)}^2\right)}_{=\,1} \iint\dd^3r_1\dd^3r_2\,\frac{\abs{\phi_l(\rr_1)}^2\,\abs{\phi_{l'}(\rr_2)}^2}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \notag\\ &= \iint\dd^3r_1\,\dd^3r_2\,\frac{n_l(\rr_1)\,n_{l'}(\rr_2)}{\abs{\rr_1-\rr_2}}, \qquad n_l(\rr) \equiv \abs{\phi_l(\rr)}^2 . \label{eq:5-J-classical} \end{align}

1行目:$\int\dd x = \sum_\sigma\int\dd^3r$ を書き下した. 2行目:被積分関数がスピン変数の因子と空間変数の因子の積に分かれているので,スピン和を前に括り出した. 括り出したスピン和は \eqref{eq:5-spin-separation} の規格直交性で $s=s'$ の場合,すなわち $1$ になる. 3行目:軌道密度 $n_l(\rr)$ を導入して書き換えた.

結果 \eqref{eq:5-J-classical} は完全に古典的な式である. $n_l(\rr)$ と $n_{l'}(\rr)$ は正の値をとる電荷雲(の密度)であり, $J_{ll'}$ はその2つの電荷雲の間の静電エネルギーそのものである. とくに次の2点が重要である.

5.7.2 交換積分のスピン選択則

同じ操作を $K_{ll'}$ に対して行う.今度はまったく違う結果が出る.

導出:$K_{ll'} = \delta_{s_l s_{l'}}\times(\text{空間積分})$

定義 \eqref{eq:5-K-def} に \eqref{eq:5-spin-separation} を代入する. 今回は $x_1$ の位置に $\varphi_l^*\varphi_{l'}$ という異なる軌道どうしの組が現れることに注意する:

$$ \varphi_l^*(x_1)\varphi_{l'}(x_1) = \phi_l^*(\rr_1)\phi_{l'}(\rr_1)\,\eta_{s_l}^*(\sigma_1)\eta_{s_{l'}}(\sigma_1), $$ $$ \varphi_l(x_2)\varphi_{l'}^*(x_2) = \phi_l(\rr_2)\phi_{l'}^*(\rr_2)\,\eta_{s_l}(\sigma_2)\eta_{s_{l'}}^*(\sigma_2). $$

これを代入して,$J$ のときと同じようにスピン和を前に括り出す:

\begin{align} K_{ll'} &= \sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2}\iint\dd^3r_1\dd^3r_2\, \phi_l^*(\rr_1)\phi_{l'}(\rr_1)\eta_{s_l}^*(\sigma_1)\eta_{s_{l'}}(\sigma_1) \frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \phi_l(\rr_2)\phi_{l'}^*(\rr_2)\eta_{s_l}(\sigma_2)\eta_{s_{l'}}^*(\sigma_2) \notag\\ &= \underbrace{\left(\sum_{\sigma_1}\eta_{s_l}^*(\sigma_1)\eta_{s_{l'}}(\sigma_1)\right)}_{=\,\delta_{s_l s_{l'}}} \underbrace{\left(\sum_{\sigma_2}\eta_{s_l}(\sigma_2)\eta_{s_{l'}}^*(\sigma_2)\right)}_{=\,\delta_{s_{l'} s_l}\,=\,\delta_{s_l s_{l'}}} \iint\dd^3r_1\dd^3r_2\, \frac{\phi_l^*(\rr_1)\phi_{l'}(\rr_1)\,\phi_l(\rr_2)\phi_{l'}^*(\rr_2)}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \notag\\ &= \left(\delta_{s_l s_{l'}}\right)^2 \times K_{ll'}^{(r)} \;=\; \delta_{s_l s_{l'}}\,K_{ll'}^{(r)} . \label{eq:5-K-spin} \end{align}

1行目:スピン和を明示的に書き下した. 2行目:被積分関数をスピン因子と空間因子に分け,スピン和を前に出した. 2つ目のスピン和は複素共役の付き方が逆だが, $\left(\sum_\sigma \eta_{s_{l'}}^*\eta_{s_l}\right)^* = \sum_\sigma \eta_{s_{l'}}\eta_{s_l}^*$ であり $\delta$ は実数なので,やはり $\delta_{s_l s_{l'}}$ に等しい. 3行目:空間積分を $K_{ll'}^{(r)}$ と略記し, クロネッカーのデルタが $0$ か $1$ しか取らないので $\delta^2 = \delta$ を使った.

得られた選択則を強調しておく.

\begin{equation} K_{ll'} = 0 \qquad\text{(軌道 $l$ と $l'$ のスピンが逆向きのとき)} \label{eq:5-K-selection} \end{equation}

すなわち交換積分は同一スピンの電子の間にしか働かない. 一方 $J_{ll'}$ はスピンに関係なく常に働く. HFエネルギー \eqref{eq:5-EHF-N} の二重和を,この選択則を使って書き直すと

\begin{equation} E_{\mathrm{HF}} = \sum_{l}H_l + \frac{1}{2}\sum_{l,l'}J_{ll'} - \frac{1}{2}\sum_{\substack{l,l' \\ (s_l = s_{l'})}}K_{ll'}^{(r)} \label{eq:5-EHF-spin-resolved} \end{equation}

となる.交換項の和が「同一スピンの組」だけに制限された点が本質的である.

クーロン積分 Jₗₗ′ 2つの電荷雲の間の古典的静電エネルギー nₗ(r₁) = |φₗ(r₁)|² nₗ′(r₂) = |φₗ′(r₂)|² 1/|r₁−r₂| ↑ ↑ または ↓ スピン和 = 1 × 1 ⇒ スピンの向きによらず Jₗₗ′ > 0 交換積分 Kₗₗ′ 「重なり密度」自身の静電エネルギー φₗ φₗ′ 重なり密度 φₗ*(r)φₗ′(r) ↑ ↑ スピン和 = δ(sₗ, sₗ′) ⇒ 同一スピンのときだけ Kₗₗ′ > 0,逆向きなら 0
図5.2 クーロン積分(左)と交換積分(右)の構造の違い.$J$ は空間的に離れた2つの電荷雲どうしの 古典的な静電エネルギーであり,スピンによらず常に働く.$K$ は2つの軌道の「重なり密度」 $\phi_l^*(\rr)\phi_{l'}(\rr)$ が自分自身と及ぼし合う静電エネルギーであり, 軌道が重なっていなければゼロ,スピンが逆向きでもゼロになる.

5.7.3 交換は純粋な量子効果である

図5.2の右側に描いた構造を式で確認しておこう.$g(\rr) \equiv \phi_l^*(\rr)\phi_{l'}(\rr)$ と置くと, $\phi_l(\rr_2)\phi_{l'}^*(\rr_2) = g(\rr_2)^*$ だから \eqref{eq:5-K-spin} の空間積分は

\begin{equation} K_{ll'}^{(r)} = \iint\dd^3r_1\,\dd^3r_2\,\frac{g(\rr_1)\,g^*(\rr_2)}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \label{eq:5-K-overlap-density} \end{equation}

と書ける.これは「$g$ という(複素数値の)分布が自分自身と及ぼし合う静電エネルギー」の形をしている. この形から $K_{ll'}^{(r)} \geq 0$ が従う(章末演習2でフーリエ変換を使って証明する). したがって \eqref{eq:5-EHF-spin-resolved} の交換項 $-\frac12\sum K^{(r)}$ は必ず負, すなわちエネルギーを下げる方向に働く.

$g(\rr) = \phi_l^*(\rr)\phi_{l'}(\rr)$ は重なり密度(overlap density,遷移密度とも呼ぶ)である. 2つの軌道が空間的にまったく重なっていなければ $g \equiv 0$ となり $K = 0$ になる. つまり交換は「軌道が同じ場所にいて,しかもスピンが揃っているとき」にだけ働く. 古典電磁気学にはこれに対応する量が存在しない. $g$ は複素数値で,電荷密度のように「そこにどれだけ電荷があるか」を表す量ではないからである. 交換は波動関数の反対称化——電子の不可弁別性——だけから生じた,純粋な量子効果である.

物理的意味:なぜ同一スピンだけなのか

選択則 \eqref{eq:5-K-selection} は,5.3.2項で見たパウリの排他律の別表現である. スレーター行列式は $x_1 = x_2$,すなわち位置もスピンも一致したときにゼロになった. スピンが逆向きなら $x_1 \neq x_2$ なので,2つの電子は同じ場所にいてもかまわない. つまり反対称性が電子の運動に制限を課すのは同一スピンの組だけであり, その制限がエネルギーとして現れたものが交換項なのである. 「交換項が同一スピンにしか働かない」という代数的事実と, 「同一スピン電子だけが互いを避ける」という運動学的事実は,同じ一つのことを別の角度から述べている. この対応は5.8節で交換ホールとして定量化される.

裏を返すと,HF法は逆向きスピンの電子どうしについては何の相関も記述しない. 逆向きスピンの2電子は,互いの平均的な電荷分布を感じるだけで, 相手の瞬間的な位置に応じて避け合うことをしない. 実際の電子はクーロン反発のためにスピンによらず避け合うから,ここに大きな取りこぼしがある. これが5.10節で扱う相関エネルギーの主要部分である.

例:フントの第一規則

原子の $p$ 殻や $d$ 殻に電子を詰めるとき,まずスピンを揃えて別々の軌道に1個ずつ入れる—— これがフントの第一規則である.交換の選択則からその理由の一端が読み取れる.

炭素原子の $2p$ 殻に2個の電子を入れる場合を考える. $2p_x$ と $2p_y$ に,スピンを揃えて入れる場合と逆向きに入れる場合を比べる. $J_{ll'}$ はスピンに依存しないので,どちらの配置でも同じ値である. 一方 $K_{ll'}$ はスピンを揃えた配置でのみ現れ,エネルギーを $-K^{(r)}_{2p_x,2p_y} \lt 0$ だけ下げる. 差し引き,スピンを揃えた配置の方が $K^{(r)}_{2p_x,2p_y}$ だけ低い.

物理的には,スピンが揃った電子は互いを避けるので平均距離が伸び, クーロン反発の実効値が小さくなる,と言い換えられる. ただし実際の原子ではこれに加えて,電子が避け合うことで核の近くに寄れるようになり 電子-核引力も得をするという効果が効いており, 定量的な議論には注意が必要である(この点は現代的な解析で明らかにされた).

5.8 二体分布関数と交換ホール

前節で「同一スピンの電子は互いを避ける」と述べた.本節ではこれを定量化する. 道具は二体分布関数であり, 「電子が1個ここにいるとき,もう1個はどこにいるか」を記述する量である. HF波動関数についてこれを計算すると, 同一スピン電子の周りには交換ホール(exchange hole,フェルミホールとも呼ぶ)という 「電子1個分の穴」がぽっかり空いていることが分かる. この描像は,第11章で局所密度近似(LDA)が予想外にうまく働く理由を理解するための鍵になる.

5.8.1 二体分布関数の定義

定義:二体分布関数(対密度)

$N$ 電子波動関数 $\Phi(x_1,\ldots,x_N)$ に対して,

\begin{equation} P(\rr_1,\rr_2) \equiv \frac{N(N-1)}{2} \sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2}\int\dd x_3\cdots\int\dd x_N\, \abs{\Phi(x_1,x_2,x_3,\ldots,x_N)}^2 \label{eq:5-pair-def} \end{equation}

を二体分布関数(pair distribution function,対密度)と呼ぶ. 意味は「電子対のうち一方が $\rr_1$ に,他方が $\rr_2$ にいる確率密度」である (スピンの向きは問わない.$\sigma_1,\sigma_2$ について和を取っているため).

前の係数 $N(N-1)/2$ の由来を確認しておこう.全体を積分すると

$$ \iint\dd^3r_1\dd^3r_2\,P(\rr_1,\rr_2) = \frac{N(N-1)}{2}\int\dd x_1\cdots\int\dd x_N\,\abs{\Phi}^2 = \frac{N(N-1)}{2} $$

となる($\Phi$ の規格化を使った).$N(N-1)/2$ は $N$ 個から2個を選ぶ組合せの数,すなわち電子対の総数である. つまり $P$ は「対の個数密度」であり,$\iint P = (\text{対の総数})$ という自然な規格化を持つ.

比較の基準を作っておく.もし電子どうしがまったく無関係に(独立に)分布しているなら, 一方が $\rr_1$ にいる密度 $n(\rr_1)$ と他方が $\rr_2$ にいる密度 $n(\rr_2)$ の積を 二重計上の補正 $1/2$ で割った $P^{\text{無相関}} = \frac12 n(\rr_1)n(\rr_2)$ になるはずである. 実際の $P$ がこれからどれだけずれるかが「相関」の尺度になる.

5.8.2 2電子系での完全計算

$N=2$ では係数が $N(N-1)/2 = 1$ となり,積分すべき残りの変数もないので,計算は完全に実行できる. 5.3節のスレーター行列式 \eqref{eq:5-two-det-raw} を使う.

導出:2電子スレーター行列式の二体分布関数

まず $\abs{\Phi}^2$ を展開する.5.3節の規格化計算 \eqref{eq:5-norm-expand} とまったく同じ4項が出るが, 今度は積分せずにそのまま残す:

\begin{align} \abs{\Phi(x_1,x_2)}^2 &= \frac{1}{2}\Bigl\{\varphi_a^*(x_1)\varphi_b^*(x_2) - \varphi_b^*(x_1)\varphi_a^*(x_2)\Bigr\} \Bigl\{\varphi_a(x_1)\varphi_b(x_2) - \varphi_b(x_1)\varphi_a(x_2)\Bigr\} \notag\\ &= \frac{1}{2}\Bigl[ \abs{\varphi_a(x_1)}^2\abs{\varphi_b(x_2)}^2 + \abs{\varphi_b(x_1)}^2\abs{\varphi_a(x_2)}^2 \notag\\ &\qquad\quad - \varphi_a^*(x_1)\varphi_b(x_1)\,\varphi_b^*(x_2)\varphi_a(x_2) - \varphi_b^*(x_1)\varphi_a(x_1)\,\varphi_a^*(x_2)\varphi_b(x_2) \Bigr]. \label{eq:5-pair-2e-expand} \end{align}

2行目では4つの積を展開し,$x_1$ に依存する因子と $x_2$ に依存する因子でまとめ直した. 最初の2項を直接項,あとの2項(負号つき)を交換項と呼ぶ. 以下,2つの場合に分けてスピン和 $\sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2}$ を実行する.

場合(i):2つのスピンが平行($\eta_a = \eta_b = \eta$,空間軌道は直交する $\phi_a \perp \phi_b$). 直接項では $\sum_{\sigma_1}\abs{\eta(\sigma_1)}^2 = 1$,$\sum_{\sigma_2}\abs{\eta(\sigma_2)}^2 = 1$. 交換項でも $\sum_{\sigma_1}\eta^*(\sigma_1)\eta(\sigma_1) = 1$,$\sum_{\sigma_2}\eta^*(\sigma_2)\eta(\sigma_2) = 1$. どのスピン和も $1$ になるので,

\begin{align} P_{=}(\rr_1,\rr_2) &= \frac{1}{2}\Bigl[ \abs{\phi_a(\rr_1)}^2\abs{\phi_b(\rr_2)}^2 + \abs{\phi_b(\rr_1)}^2\abs{\phi_a(\rr_2)}^2 \notag\\ &\qquad - \phi_a^*(\rr_1)\phi_b(\rr_1)\,\phi_b^*(\rr_2)\phi_a(\rr_2) - \phi_b^*(\rr_1)\phi_a(\rr_1)\,\phi_a^*(\rr_2)\phi_b(\rr_2) \Bigr]. \label{eq:5-pair-parallel-2e} \end{align}

ここで $\rr_1 = \rr_2 = \rr$ と置いてみる.第1項と第2項はともに $\abs{\phi_a(\rr)}^2\abs{\phi_b(\rr)}^2$ になる. 第3項は $\phi_a^*(\rr)\phi_b(\rr)\phi_b^*(\rr)\phi_a(\rr) = \abs{\phi_a(\rr)}^2\abs{\phi_b(\rr)}^2$, 第4項も同じである.したがって

$$ P_{=}(\rr,\rr) = \frac{1}{2}\Bigl[\abs{\phi_a}^2\abs{\phi_b}^2 + \abs{\phi_a}^2\abs{\phi_b}^2 - \abs{\phi_a}^2\abs{\phi_b}^2 - \abs{\phi_a}^2\abs{\phi_b}^2\Bigr] = 0 . $$

平行スピンの2電子が同じ場所に来る確率は厳密にゼロである.

場合(ii):2つのスピンが反平行($\eta_a = \eta_\uparrow$,$\eta_b = \eta_\downarrow$). 直接項のスピン和は場合(i)と同じく $1\times 1 = 1$ である. 一方,交換項には $\sum_{\sigma_1}\eta_\uparrow^*(\sigma_1)\eta_\downarrow(\sigma_1) = \delta_{\uparrow\downarrow} = 0$ が現れ, 交換項は消える.残るのは直接項だけで,

\begin{equation} P_{\neq}(\rr_1,\rr_2) = \frac{1}{2}\Bigl[\abs{\phi_a(\rr_1)}^2\abs{\phi_b(\rr_2)}^2 + \abs{\phi_b(\rr_1)}^2\abs{\phi_a(\rr_2)}^2\Bigr]. \label{eq:5-pair-anti-2e} \end{equation}

$\rr_1 = \rr_2 = \rr$ と置いても $P_{\neq}(\rr,\rr) = \abs{\phi_a(\rr)}^2\abs{\phi_b(\rr)}^2 \neq 0$ である.

2つの場合の対比は鮮やかである.

式 \eqref{eq:5-pair-anti-2e} は,電子が互いのクーロン反発を「感じていない」ことを露骨に示している. 実際の2電子は電荷を持つ以上,スピンが逆向きでも近づけば強く反発して避け合うはずである. HF法にはその効果が完全に欠けている.

5.8.3 $N$ 電子系への一般化

$N$ 電子スレーター行列式でも構造は同じである.導出には5.5.1項とまったく同じ置換の勘定を使う.

導出:$N$ 電子スレーター行列式の二体分布関数

記号を用意する.占有軌道から作られる1粒子密度行列を

\begin{equation} \gamma(x,x') \equiv \sum_{l=1}^{N}\varphi_l^*(x)\,\varphi_l(x') \label{eq:5-gamma-def} \end{equation}

と定義する(5.6節の $\rho(x,x')$ とは $\gamma(x,x') = \rho(x',x) = \rho(x,x')^*$ の関係にある. 本節ではこちらの並びの方が式が短くなる).対角成分は密度 $\gamma(x,x) = \sum_l\abs{\varphi_l(x)}^2$ である.

置換展開 \eqref{eq:5-slaterN-perm} を使うと

$$ \abs{\Phi}^2 = \frac{1}{N!}\sum_{P}\sum_{Q}\mathrm{sgn}(P)\mathrm{sgn}(Q) \prod_{i=1}^{N}\varphi_{P(i)}^*(x_i)\,\varphi_{Q(i)}(x_i) $$

であり,$x_3,\ldots,x_N$ について積分すると,$i \geq 3$ の各因子が $\int\dd x_i\,\varphi_{P(i)}^*\varphi_{Q(i)} = \delta_{P(i),Q(i)}$ になる. したがって $i\geq 3$ のすべてで $P(i)=Q(i)$ が必要である. 置換は全単射だから,残る2つの値の集合も一致しなければならない: $\{P(1),P(2)\} = \{Q(1),Q(2)\}$.可能性は2通りしかない.

$(P(1),P(2)) = (l,m)$($l\neq m$)を固定したとき,残り $N-2$ 個の割り当ては自由なので, そのような置換は $(N-2)!$ 個ある.よって

\begin{align} \int\dd x_3\cdots\dd x_N\abs{\Phi}^2 &= \frac{(N-2)!}{N!}\sum_{l\neq m} \Bigl[\abs{\varphi_l(x_1)}^2\abs{\varphi_m(x_2)}^2 - \varphi_l^*(x_1)\varphi_m(x_1)\varphi_m^*(x_2)\varphi_l(x_2)\Bigr] \notag\\ &= \frac{1}{N(N-1)}\sum_{l,m} \Bigl[\abs{\varphi_l(x_1)}^2\abs{\varphi_m(x_2)}^2 - \varphi_l^*(x_1)\varphi_m(x_1)\varphi_m^*(x_2)\varphi_l(x_2)\Bigr] \notag\\ &= \frac{1}{N(N-1)}\Bigl[\gamma(x_1,x_1)\gamma(x_2,x_2) - \abs{\gamma(x_1,x_2)}^2\Bigr]. \label{eq:5-pair-N-raw} \end{align}

1行目から2行目へ:$(N-2)!/N! = 1/[N(N-1)]$ を使い,さらに和の制限 $l\neq m$ を外した. これが許されるのは,$l=m$ のとき角括弧の中身が $\abs{\varphi_l(x_1)}^2\abs{\varphi_l(x_2)}^2 - \abs{\varphi_l(x_1)}^2\abs{\varphi_l(x_2)}^2 = 0$ と恒等的に消えるからである(自己相互作用の打ち消しと同じ機構). 2行目から3行目へ:第1項は $\sum_l\abs{\varphi_l(x_1)}^2\sum_m\abs{\varphi_m(x_2)}^2 = \gamma(x_1,x_1)\gamma(x_2,x_2)$, 第2項は $\left[\sum_l\varphi_l^*(x_1)\varphi_l(x_2)\right]\left[\sum_m\varphi_m(x_1)\varphi_m^*(x_2)\right] = \gamma(x_1,x_2)\,\gamma(x_1,x_2)^* = \abs{\gamma(x_1,x_2)}^2$ とまとめた.

定義 \eqref{eq:5-pair-def} の係数 $N(N-1)/2$ を掛けると $1/[N(N-1)]$ がきれいに消えて,

\begin{equation} P(\rr_1,\rr_2) = \frac{1}{2}\sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2} \Bigl[\gamma(x_1,x_1)\gamma(x_2,x_2) - \abs{\gamma(x_1,x_2)}^2\Bigr] \label{eq:5-pair-N} \end{equation}

が得られる.2電子の結果 \eqref{eq:5-pair-2e-expand} と同じ「直接項 $-$ 交換項」の構造である.

最後にスピン和を実行する.5.7節と同じ $\varphi_l = \phi_l\eta_{s_l}$ の分離を使う. スピン $\sigma$ の占有軌道だけを集めたスピン分解密度行列を

\begin{equation} \gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2) \equiv \sum_{l\,(s_l=\sigma)}\phi_l^*(\rr_1)\,\phi_l(\rr_2), \qquad n^{\sigma}(\rr) \equiv \gamma^{\sigma}(\rr,\rr) = \sum_{l\,(s_l=\sigma)}\abs{\phi_l(\rr)}^2 \label{eq:5-gamma-sigma} \end{equation}

と定義する.$n^\sigma$ はスピン $\sigma$ の電子密度であり,$n = n^\uparrow + n^\downarrow$ である.

導出:スピン和の実行

直接項:$\gamma(x_1,x_1) = \sum_l \abs{\phi_l(\rr_1)}^2\abs{\eta_{s_l}(\sigma_1)}^2$ なので, $\sigma_1$ について和を取ると $\sum_{\sigma_1}\abs{\eta_{s_l}(\sigma_1)}^2 = 1$ より $\sum_{\sigma_1}\gamma(x_1,x_1) = \sum_l\abs{\phi_l(\rr_1)}^2 = n(\rr_1)$. $\sigma_2$ も同様.したがって

$$ \sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2}\gamma(x_1,x_1)\gamma(x_2,x_2) = n(\rr_1)\,n(\rr_2) = \sum_{\sigma}\sum_{\sigma'}n^{\sigma}(\rr_1)\,n^{\sigma'}(\rr_2). $$

交換項:$\gamma(x_1,x_2) = \sum_l \phi_l^*(\rr_1)\phi_l(\rr_2)\eta_{s_l}^*(\sigma_1)\eta_{s_l}(\sigma_2)$ だから

\begin{align} \sum_{\sigma_1}\sum_{\sigma_2}\abs{\gamma(x_1,x_2)}^2 &= \sum_{l,m}\phi_l^*(\rr_1)\phi_l(\rr_2)\phi_m(\rr_1)\phi_m^*(\rr_2) \underbrace{\sum_{\sigma_1}\eta_{s_l}^*(\sigma_1)\eta_{s_m}(\sigma_1)}_{=\,\delta_{s_l s_m}} \underbrace{\sum_{\sigma_2}\eta_{s_l}(\sigma_2)\eta_{s_m}^*(\sigma_2)}_{=\,\delta_{s_l s_m}} \notag\\ &= \sum_{\sigma}\sum_{l,m\,(s_l=s_m=\sigma)}\phi_l^*(\rr_1)\phi_l(\rr_2)\,\phi_m(\rr_1)\phi_m^*(\rr_2) \notag\\ &= \sum_{\sigma}\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)\,\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)^{*} = \sum_{\sigma}\abs{\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}^2 . \label{eq:5-gamma-spin-sum} \end{align}

1行目:スピン因子だけを集めて和を取った(5.7.2項とまったく同じ計算). 2行目:$\delta_{s_ls_m}^2 = \delta_{s_ls_m}$ により,和が「$l$ と $m$ が同じスピンをもつ組」に制限された. 3行目:$l$ と $m$ の和が独立に因数分解でき,$\sum_m \phi_m(\rr_1)\phi_m^*(\rr_2) = \gamma^\sigma(\rr_1,\rr_2)^*$ である.

以上を \eqref{eq:5-pair-N} に代入し,直接項の二重和を「同一スピンの組」と「異スピンの組」に分けると,

\begin{align} P(\rr_1,\rr_2) &= P_{=}(\rr_1,\rr_2) + P_{\neq}(\rr_1,\rr_2), \notag\\ P_{=}(\rr_1,\rr_2) &= \frac{1}{2}\sum_{\sigma} \Bigl[n^{\sigma}(\rr_1)n^{\sigma}(\rr_2) - \abs{\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}^2\Bigr], \label{eq:5-pair-parallel-N}\\ P_{\neq}(\rr_1,\rr_2) &= \frac{1}{2}\sum_{\sigma}n^{\sigma}(\rr_1)\,n^{-\sigma}(\rr_2) \label{eq:5-pair-anti-N} \end{align}

が得られる($-\sigma$ は $\sigma$ の反対向きを表す).交換項は同一スピンの側にしか入らない.

5.8.4 交換ホールとその総和則

式 \eqref{eq:5-pair-parallel-N} を,「$\rr_1$ に電子がいるという条件のもとでの,他の電子の密度」という形に読み替える. $P_= = \frac12\sum_\sigma n^\sigma(\rr_1)\times[\cdots]$ と括り出せば, 角括弧の中身が条件つき密度になる.

定義:交換ホール

\begin{equation} n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_2) \equiv -\frac{\abs{\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}^2}{n^{\sigma}(\rr_1)} = -\frac{\abs{\sum_{l\,(s_l=\sigma)}\phi_l^*(\rr_1)\phi_l(\rr_2)}^2}{n^{\sigma}(\rr_1)} \label{eq:5-hole-def} \end{equation}

を交換ホールと呼ぶ.これを使うと \eqref{eq:5-pair-parallel-N} は

\begin{equation} P_{=}(\rr_1,\rr_2) = \frac{1}{2}\sum_{\sigma}n^{\sigma}(\rr_1) \Bigl[n^{\sigma}(\rr_2) + n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)\Bigr] \label{eq:5-pair-with-hole} \end{equation}

と書ける.読み方はこうである:$\rr_1$ にスピン $\sigma$ の電子が1個いるとき, 他の同一スピン電子の密度は,平均密度 $n^\sigma(\rr_2)$ から $\abs{n_{\mathrm{x}}^\sigma}$ だけ減らされたものになる. $n_{\mathrm{x}}^\sigma$ は定義から常に $\leq 0$(分子は絶対値2乗,分母は正の密度)なので,必ず「穴」である.

定理:交換ホールの2つの性質

(a) オンサイト値:$n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_1) = -n^{\sigma}(\rr_1)$.
(b) 総和則:$\displaystyle\int\dd^3r_2\;n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_2) = -1$(すべての $\rr_1$ で).

証明(a):定義 \eqref{eq:5-hole-def} で $\rr_2 = \rr_1$ と置く. $\gamma^\sigma(\rr_1,\rr_1) = n^\sigma(\rr_1)$ は実数なので $\abs{\gamma^\sigma(\rr_1,\rr_1)}^2 = [n^\sigma(\rr_1)]^2$,よって

$$ n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_1) = -\frac{[n^{\sigma}(\rr_1)]^2}{n^{\sigma}(\rr_1)} = -n^{\sigma}(\rr_1). $$

これを \eqref{eq:5-pair-with-hole} に代入すると角括弧が $n^\sigma(\rr_1) - n^\sigma(\rr_1) = 0$ となり, $P_=(\rr_1,\rr_1) = 0$ が再現される.5.8.2項の2電子系の結果の一般化である. 穴の深さは,その点の同一スピン密度をちょうど完全に掘り尽くす深さである.

証明(b):分子を $\rr_2$ で積分する.$\abs{\gamma^\sigma}^2 = \gamma^\sigma(\gamma^\sigma)^*$ を書き下すと

\begin{align} \int\dd^3r_2\,\abs{\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}^2 &= \int\dd^3r_2\sum_{l}\sum_{m}\phi_l^*(\rr_1)\phi_l(\rr_2)\,\phi_m(\rr_1)\phi_m^*(\rr_2) \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}\phi_l^*(\rr_1)\phi_m(\rr_1)\int\dd^3r_2\,\phi_m^*(\rr_2)\phi_l(\rr_2) \notag\\ &= \sum_{l}\sum_{m}\phi_l^*(\rr_1)\phi_m(\rr_1)\,\delta_{ml} \notag\\ &= \sum_{l}\abs{\phi_l(\rr_1)}^2 = n^{\sigma}(\rr_1). \label{eq:5-sumrule-proof} \end{align}

($l,m$ の和はスピン $\sigma$ の占有軌道にわたる.) 1行目:定義の代入.2行目:$\rr_2$ に依存する因子だけを積分の中に残した. 3行目:空間軌道の規格直交性 $\int\dd^3r\,\phi_m^*\phi_l = \delta_{ml}$ を使った. 4行目:$\delta_{ml}$ で $m$ 和をつぶした.よって

$$ \int\dd^3r_2\;n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_2) = -\frac{1}{n^{\sigma}(\rr_1)}\int\dd^3r_2\,\abs{\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}^2 = -\frac{n^{\sigma}(\rr_1)}{n^{\sigma}(\rr_1)} = -1 . $$

すなわち総和則が示された.∎

物理的意味:電子は自分の周りに「1個分の穴」を連れて歩く

総和則 $\int n_{\mathrm{x}}^\sigma\,\dd^3r_2 = -1$ は,交換ホールが ちょうど電子1個分の電荷を排除していることを意味する. $\rr_1$ にいる電子の周りには,同一スピン電子が1個分だけ欠けた領域が広がっているのである.

この描像はエネルギーとも直結している.交換エネルギー \eqref{eq:5-EHF-decomp} は, 5.7.2項の選択則を使って書き直すと

$$ E_{\mathrm{x}} = -\frac{1}{2}\sum_{l,l'}K_{ll'} = -\frac{1}{2}\sum_{\sigma}\iint\dd^3r_1\dd^3r_2\, \frac{\abs{\gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}^2}{\abs{\rr_1-\rr_2}} $$

となる(5.7.2項で示したように,同一スピンの $l,l'$ 和が $\sum_{l,l'}\phi_l^*(\rr_1)\phi_{l'}(\rr_1)\phi_l(\rr_2)\phi_{l'}^*(\rr_2) = \abs{\gamma^\sigma(\rr_1,\rr_2)}^2$ に畳み込まれる). 定義 \eqref{eq:5-hole-def} を代入すると次の重要な形が得られる.

\begin{equation} E_{\mathrm{x}} = \frac{1}{2}\sum_{\sigma}\iint\dd^3r_1\,\dd^3r_2\, \frac{n^{\sigma}(\rr_1)\;n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_2)}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \label{eq:5-Ex-hole} \end{equation}

交換エネルギーとは,電子とそれが掘った穴との間のクーロン引力エネルギーである. 穴は電子密度の欠損だから正の電荷のようにふるまい,電子を引きつけてエネルギーを下げる. この式は交換相関エネルギーを扱う現代的な理論すべての出発点であり,第11章以降で繰り返し使う.

5.8.5 一様電子ガスの交換ホール

交換ホールの具体的な形を,一様電子ガス(第3章)について完全に計算する. 一様電子ガスは体積 $V$ の箱の中の平面波 $\phi_{\kk}(\rr) = e^{i\kk\cdot\rr}/\sqrt{V}$ をフェルミ球 $\abs{\kk}\leq k_F^\sigma$ の内側まで詰めた系である.

導出:平面波による $\gamma^\sigma$ の計算

定義 \eqref{eq:5-gamma-sigma} に平面波を代入する.$\bm{s} \equiv \rr_2 - \rr_1$ と置くと

\begin{align} \gamma^{\sigma}(\rr_1,\rr_2) &= \sum_{\abs{\kk}\leq k_F}\frac{e^{-i\kk\cdot\rr_1}}{\sqrt{V}}\frac{e^{i\kk\cdot\rr_2}}{\sqrt{V}} = \frac{1}{V}\sum_{\abs{\kk}\leq k_F}e^{i\kk\cdot\bm{s}} \notag\\ &= \int_{\abs{\kk}\leq k_F}\frac{\dd^3k}{(2\pi)^3}\,e^{i\kk\cdot\bm{s}} . \label{eq:5-uegamma-1} \end{align}

2行目では熱力学極限 $V\to\infty$ で $\kk$ 和を積分に置き換えた($\kk$ 点の密度は $V/(2\pi)^3$.第3章). これで $\gamma^\sigma$ は $\bm{s}$ だけの関数になった(一様系なので当然である).

球座標で実行する.$\bm{s}$ 方向を極軸に取ると $\kk\cdot\bm{s} = ks\cos\theta$ だから

\begin{align} \gamma^{\sigma} &= \frac{1}{(2\pi)^3}\int_0^{k_F}\!\!k^2\dd k\int_0^{2\pi}\!\!\dd\varphi\int_0^{\pi}\!\!\sin\theta\,\dd\theta\;e^{iks\cos\theta} \notag\\ &= \frac{2\pi}{(2\pi)^3}\int_0^{k_F}\!\!k^2\dd k\int_{-1}^{1}\dd u\;e^{iksu} \notag\\ &= \frac{1}{(2\pi)^2}\int_0^{k_F}\!\!k^2\dd k\;\frac{e^{iks}-e^{-iks}}{iks} = \frac{1}{(2\pi)^2}\int_0^{k_F}\!\!k^2\dd k\;\frac{2\sin(ks)}{ks} \notag\\ &= \frac{1}{2\pi^2 s}\int_0^{k_F}\!\!k\,\sin(ks)\,\dd k . \label{eq:5-uegamma-2} \end{align}

1行目:体積要素 $\dd^3k = k^2\dd k\sin\theta\,\dd\theta\,\dd\varphi$. 2行目:$\varphi$ 積分が $2\pi$ を与え,$u = \cos\theta$ と置換した ($\dd u = -\sin\theta\,\dd\theta$,$\theta: 0\to\pi$ が $u: 1\to -1$ に対応し,符号が積分の向きを戻す). 3行目:$\int_{-1}^1 e^{iksu}\dd u = [e^{iksu}/(iks)]_{-1}^{1}$ を実行し, オイラーの公式 $e^{i\alpha}-e^{-i\alpha} = 2i\sin\alpha$ を使った. 4行目:$2/(2\pi)^2 = 1/(2\pi^2)$ とまとめ,$k^2/(ks) = k/s$ と約分した.

残った積分を部分積分で実行する.$u = k$,$\dd v = \sin(ks)\dd k$($v = -\cos(ks)/s$)と取ると

\begin{align} \int_0^{k_F}k\sin(ks)\dd k &= \left[-\frac{k\cos(ks)}{s}\right]_0^{k_F} + \frac{1}{s}\int_0^{k_F}\cos(ks)\,\dd k \notag\\ &= -\frac{k_F\cos(k_F s)}{s} + \frac{1}{s}\left[\frac{\sin(ks)}{s}\right]_0^{k_F} = \frac{\sin(k_F s)}{s^2} - \frac{k_F\cos(k_F s)}{s}. \label{eq:5-uegamma-3} \end{align}

境界項は $k=0$ で $k\cos(ks)=0$ となるので下端の寄与がない. これを \eqref{eq:5-uegamma-2} に戻し,無次元変数 $x \equiv k_F s$ を導入して整理すると

\begin{align} \gamma^{\sigma}(s) &= \frac{1}{2\pi^2 s}\left[\frac{\sin(k_F s)}{s^2} - \frac{k_F\cos(k_F s)}{s}\right] = \frac{k_F^3}{2\pi^2}\left[\frac{\sin x}{x^3} - \frac{\cos x}{x^2}\right] \notag\\ &= \frac{k_F^3}{2\pi^2}\cdot\frac{j_1(x)}{x}, \qquad j_1(x) \equiv \frac{\sin x}{x^2} - \frac{\cos x}{x}. \label{eq:5-uegamma-4} \end{align}

1行目の2つ目の等号では,分母の $s$ の各べきを $x = k_F s$ で書き直した ($1/s^3 = k_F^3/x^3$,$k_F/s^2 = k_F^3/x^2$,それに前の $1/s = k_F/x$ を掛け合わせた). 2行目で1次の球ベッセル関数 $j_1$ を導入した.

数学ノート:$j_1(x)/x$ の $x\to 0$ 極限

$j_1(x) = \sin x/x^2 - \cos x/x$ は $x\to 0$ で $0/0$ の形になるので, テイラー展開 $\sin x = x - x^3/6 + x^5/120 - \cdots$,$\cos x = 1 - x^2/2 + x^4/24 - \cdots$ を代入して確かめる:

$$ \frac{\sin x}{x^2} = \frac{1}{x} - \frac{x}{6} + \frac{x^3}{120} - \cdots, \qquad \frac{\cos x}{x} = \frac{1}{x} - \frac{x}{2} + \frac{x^3}{24} - \cdots . $$

引き算すると発散項 $1/x$ が相殺し,

$$ j_1(x) = \left(-\frac{1}{6}+\frac{1}{2}\right)x + \left(\frac{1}{120}-\frac{1}{24}\right)x^3 + \cdots = \frac{x}{3} - \frac{x^3}{30} + \cdots $$

となる.したがって $j_1(x)/x \to 1/3$($x\to 0$)である.

$s\to 0$($x\to 0$)で $\gamma^\sigma \to k_F^3/(6\pi^2)$ となるが, これは定義から $n^\sigma$ に等しい.すなわち

\begin{equation} n^{\sigma} = \frac{(k_F^{\sigma})^3}{6\pi^2} \quad\Longleftrightarrow\quad (k_F^{\sigma})^3 = 6\pi^2 n^{\sigma} \label{eq:5-kF-nsigma} \end{equation}

であり,第3章で求めたフェルミ波数と密度の関係(スピン1成分あたり)が再現された. これを使って交換ホールを書き下す:

\begin{align} n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(s) &= -\frac{\abs{\gamma^{\sigma}}^2}{n^{\sigma}} = -\left(\frac{k_F^3}{2\pi^2}\right)^2\left(\frac{j_1(x)}{x}\right)^2\cdot\frac{6\pi^2}{k_F^3} \notag\\ &= -\frac{6\pi^2 k_F^3}{4\pi^4}\left(\frac{j_1(x)}{x}\right)^2 = -\frac{3k_F^3}{2\pi^2}\left(\frac{j_1(x)}{x}\right)^2 \notag\\ &= -9\,n^{\sigma}\left(\frac{j_1(x)}{x}\right)^2 . \label{eq:5-ueg-hole} \end{align}

1行目は定義への代入,2行目は係数の整理, 3行目では \eqref{eq:5-kF-nsigma} を $k_F^3 = 6\pi^2n^\sigma$ の形で代入して $3\cdot 6\pi^2 n^\sigma/(2\pi^2) = 9n^\sigma$ とした. とくにスピン非分極($n^\uparrow = n^\downarrow = n/2$)の場合は $n^\sigma = n/2$ を代入して

\begin{equation} n_{\mathrm{x}}^{\sigma}(\rr_1,\rr_2) = -\frac{9n}{2}\left[\frac{j_1(k_F\abs{\rr_1-\rr_2})}{k_F\abs{\rr_1-\rr_2}}\right]^2, \qquad k_F = (3\pi^2 n)^{1/3} \label{eq:5-ueg-hole-unpol} \end{equation}

となる.$x\to 0$ で $j_1/x \to 1/3$ だから $n_{\mathrm{x}}^\sigma \to -(9n/2)(1/9) = -n/2 = -n^\sigma$ となり,性質 (a) が確認できる.

導出:総和則の直接確認(パーセバルの定理)

一般証明はすでに与えたが,一様電子ガスの表式で直接確かめておくと安心である. 必要なのは $\int\dd^3s\,\abs{\gamma^\sigma(\bm{s})}^2$ の値である. \eqref{eq:5-uegamma-1} が示すように $\gamma^\sigma(\bm{s})$ は フェルミ球の指示関数 $\chi(\kk)$($\abs{\kk}\leq k_F$ で $1$,外で $0$)の逆フーリエ変換

$$ \gamma^{\sigma}(\bm{s}) = \int\frac{\dd^3k}{(2\pi)^3}\,\chi(\kk)\,e^{i\kk\cdot\bm{s}} $$

である.この規約(逆変換に $1/(2\pi)^3$ を置く)でのパーセバルの定理は $\int\dd^3s\,\abs{f(\bm{s})}^2 = \int\frac{\dd^3k}{(2\pi)^3}\abs{\tilde{f}(\kk)}^2$ だから, $\chi^2 = \chi$($0$ か $1$ しか取らない)を使って

$$ \int\dd^3s\;\abs{\gamma^{\sigma}(\bm{s})}^2 = \int\frac{\dd^3k}{(2\pi)^3}\,\chi(\kk) = \frac{1}{(2\pi)^3}\cdot\frac{4\pi}{3}k_F^3 = \frac{k_F^3}{6\pi^2} = n^{\sigma}. $$

フェルミ球の体積 $\frac43\pi k_F^3$ を代入し,最後に \eqref{eq:5-kF-nsigma} を使った.よって

$$ \int\dd^3 r_2\;n_{\mathrm{x}}^{\sigma} = -\frac{1}{n^{\sigma}}\int\dd^3s\,\abs{\gamma^{\sigma}}^2 = -1 $$

となり,総和則が確かに成り立つ.

一様電子ガスの交換ホールと総和則.藍の実線は規格化した交換ホール −9[j₁(x)/x]² で,x=0 で −1,x が 4 程度でほぼ 0 になる.赤の破線はホールの累積電荷で,x=10 で約 −0.91 まで下がり,−1 に近づく.
図5.3 一様電子ガスの交換ホール(スピン非分極).実線は $n_{\mathrm{x}}^\sigma$ を $n^\sigma$ で規格化した形 $-9[j_1(x)/x]^2$ で,$x = k_F\abs{\rr_1-\rr_2}$ である. $x=0$ で $-1$,すなわち同一スピン密度をちょうど掘り尽くし,$x\sim 4$ 程度でほぼ埋まる. 破線は半径 $r$ の球内に含まれるホールの電荷を累積したもので,$r\to\infty$ で $-1$ に収束する (総和則).平行スピンの対相関関数は $1 + n_{\mathrm{x}}^\sigma/n^\sigma$ で与えられ, 実線を上下反転して $1$ を足したものになる.

物理的意味:第11章への伏線 — なぜLDAは動くのか

図5.3を見ると,交換ホールの広がりは $x = k_F\abs{\rr_1-\rr_2} \lesssim 4$, すなわち実距離では $\abs{\rr_1-\rr_2}\lesssim 4/k_F$ 程度である. 金属の典型的な密度では $k_F^{-1}$ は原子間距離と同程度だから, 交換ホールはその電子の「近所」に局在している.

この事実が,第11章で学ぶ局所密度近似(LDA)の成功の鍵である. LDAは「点 $\rr_1$ での交換相関エネルギー密度を, その点の密度 $n(\rr_1)$ をもつ一様電子ガスの値で置き換える」という, 一見あまりに乱暴な近似である.しかしホールが局在しているなら, $\rr_1$ のまわりの狭い領域の密度しか効かないので,置き換えはさほど悪くない.

さらに決定的なのは,LDAが一様電子ガスの正しいホールを使う以上, 総和則 $\int n_{\mathrm{x}}\dd^3 r_2 = -1$ を自動的に満たすことである. 式 \eqref{eq:5-Ex-hole} が示すように交換エネルギーはホールとのクーロン積分だから, ホールの詳しい形が多少ずれていても, 「全体で電子1個分」という総電荷とその重心位置さえ合っていれば, エネルギーはかなりの精度で再現される. 実在系のホールは球対称ではなく複雑な形をしているが, クーロン核 $1/\abs{\rr_1-\rr_2}$ は球対称なのでホールの球平均しか拾わない. LDAが「乱暴なのによく当たる」理由の核心はここにある.

5.9 クープマンズの定理

5.6.5項で「軌道エネルギー $\varepsilon_k$ の和は全エネルギーではない」と注意した. では $\varepsilon_k$ には何の意味があるのか. この問いに答えるのがクープマンズの定理である. 結論を先に言えば,$-\varepsilon_k$ は軌道 $k$ から電子を1個取り去るのに必要なエネルギー (イオン化エネルギー)の近似値である. 光電子分光の実験スペクトルを計算結果と比べるときの標準的な出発点になる関係式である.

5.9.1 設定:軌道緩和を許さない $(N-1)$ 電子系

$N$ 電子系のHF計算を実行し,正準軌道 $\{\varphi_1,\ldots,\varphi_N\}$ と軌道エネルギー $\{\varepsilon_1,\ldots,\varepsilon_N\}$ が求まったとする.全エネルギーは \eqref{eq:5-EHF-N} より

\begin{equation} E_N = \sum_{l=1}^{N}H_l + \frac{1}{2}\sum_{l=1}^{N}\sum_{l'=1}^{N}\left(J_{ll'}-K_{ll'}\right) \label{eq:5-koopmans-EN} \end{equation}

である.ここから軌道 $k$ の電子を1個取り去った $(N-1)$ 電子系を考える. このとき残りの $N-1$ 個の軌道は変えないと仮定する. すなわち,$N$ 電子計算で得た $\{\varphi_l\}_{l\neq k}$ をそのまま使って $(N-1)\times(N-1)$ のスレーター行列式を作る.これを凍結軌道近似と呼ぶ.

この行列式のエネルギーは,\eqref{eq:5-koopmans-EN} の導出をそのまま $N-1$ 個の軌道について繰り返せば得られる. 式の形は同じで,和から $l=k$ と $l'=k$ を除くだけである:

\begin{equation} E_{N-1}^{(k)} = \sum_{\substack{l=1\\ l\neq k}}^{N}H_l + \frac{1}{2}\sum_{\substack{l=1\\ l\neq k}}^{N}\sum_{\substack{l'=1\\ l'\neq k}}^{N} \left(J_{ll'}-K_{ll'}\right) \label{eq:5-koopmans-EN1} \end{equation}

$H_l,\,J_{ll'},\,K_{ll'}$ の値は $N$ 電子計算のものをそのまま使う点に注意してほしい (軌道が変わっていないのだから,これらの積分の値も変わらない).

数学ノート:凍結軌道はなぜ「許される」近似か

$\{\varphi_l\}_{l\neq k}$ は $(N-1)$ 電子系のHF方程式の解ではない. $(N-1)$ 電子系ではハートリーポテンシャルも交換演算子も変わるので, 本当のHF軌道はこれとは違う形になる(これを軌道緩和と呼ぶ).

それでも $\{\varphi_l\}_{l\neq k}$ から作った行列式は,$(N-1)$ 電子系の立派な試行波動関数である (規格直交な $N-1$ 個のスピン軌道から作った行列式なのだから). したがって変分原理より

$$ E_{N-1}^{\mathrm{HF}} \;\leq\; E_{N-1}^{(k)} $$

が成り立つ.ここで $E_{N-1}^{\mathrm{HF}}$ は $(N-1)$ 電子系を改めてHF計算して得られる最低エネルギーである. 不等号の向きは後で効いてくるので覚えておいてほしい.

5.9.2 エネルギー差の計算

導出:$E_N - E_{N-1}^{(k)} = \varepsilon_k$

記号を短くするため $A_{ll'} \equiv J_{ll'}-K_{ll'}$ と置く. 5.4節・5.5節で示したように $A$ は添字について対称($A_{ll'} = A_{l'l}$)で, 対角成分は自己相互作用の打ち消しにより $A_{kk} = J_{kk}-K_{kk} = 0$ である.

\eqref{eq:5-koopmans-EN} から \eqref{eq:5-koopmans-EN1} を引く.1体項は簡単で, $\sum_{l=1}^N H_l - \sum_{l\neq k}H_l = H_k$ である.2体項は二重和の差だから,少し丁寧に扱う:

\begin{align} \sum_{l=1}^{N}\sum_{l'=1}^{N}A_{ll'} - \sum_{l\neq k}\sum_{l'\neq k}A_{ll'} &= \left(\text{$l=k$ の行すべて}\right) + \left(\text{$l'=k$ の列すべて}\right) - \left(\text{二重に数えた $l=l'=k$}\right) \notag\\ &= \sum_{l'=1}^{N}A_{kl'} + \sum_{l=1}^{N}A_{lk} - A_{kk} \notag\\ &= \sum_{l'=1}^{N}A_{kl'} + \sum_{l'=1}^{N}A_{kl'} - 0 = 2\sum_{l'=1}^{N}A_{kl'} . \label{eq:5-koopmans-sumdiff} \end{align}

1行目:$N\times N$ の表から $(N-1)\times(N-1)$ の表を引くと, 第 $k$ 行と第 $k$ 列が残る.ただし $(k,k)$ 成分は行としても列としても数えてしまうので1回引く (包除原理). 2行目:それを式で書いた. 3行目:対称性 $A_{lk}=A_{kl}$ で第2項を第1項と同じ形にし,$A_{kk}=0$ を使った.

よって

\begin{align} E_N - E_{N-1}^{(k)} &= H_k + \frac{1}{2}\cdot 2\sum_{l'=1}^{N}A_{kl'} = H_k + \sum_{l'=1}^{N}\left(J_{kl'}-K_{kl'}\right) \notag\\ &= \varepsilon_k . \label{eq:5-koopmans-diff} \end{align}

最後の等号は5.6.5項で導いた \eqref{eq:5-eps-k}, すなわち $\varepsilon_k = H_k + \sum_{l'}(J_{kl'}-K_{kl'})$ をそのまま使っただけである. 2つの独立な計算——フォック演算子の期待値と,$N$ 電子系と $(N-1)$ 電子系のエネルギー差——が 完全に同じ式に行き着いた.これがクープマンズの定理の内容である.

定理:クープマンズの定理(1934)

HF法において,軌道が緩和しないと仮定すれば,軌道 $k$ からのイオン化エネルギー $I_k$ は 軌道エネルギーの符号を変えたものに等しい:

\begin{equation} I_k \equiv E_{N-1}^{(k)} - E_N = -\,\varepsilon_k \label{eq:5-koopmans} \end{equation}

同様に,空の(非占有)軌道 $a$ に電子を1個加えた $(N+1)$ 電子系についても, 軌道を凍結すれば $E_{N+1}^{(a)} - E_N = +\varepsilon_a$ が同じ計算で示せる. したがって電子親和力は $A_a = E_N - E_{N+1}^{(a)} = -\varepsilon_a$ と近似される.

N 電子系(エネルギー Eₙ) (N−1) 電子系:軌道を凍結 ε₁ ⋮ εₖ εₙ 空軌道 軌道 k から電子を1個除去 他の軌道は変えない(凍結軌道近似) 正孔 Eₙ₋₁ = Eₙ − εₖ イオン化エネルギーの補正:2つの効果は逆符号 −εₖ(クープマンズ) 軌道緩和(−) HF の真のイオン化エネルギー 相関(+) 厳密値(実験値) 2つの補正が 部分的に相殺する
図5.4 クープマンズの定理.上段:$N$ 電子系の軌道をそのまま凍結して軌道 $k$ の電子を1個除くと, エネルギーはちょうど $\varepsilon_k$ だけ上がる.下段:実際には,$(N-1)$ 電子系の軌道が緩和して エネルギーが下がるためイオン化エネルギーは $-\varepsilon_k$ より小さくなり, 逆に相関エネルギーは電子数の多い $N$ 電子系でより大きく効くためイオン化エネルギーを押し上げる. 2つの誤差は逆符号なので部分的に相殺する.

5.9.3 何が近似で,なぜそれでも使えるのか

式 \eqref{eq:5-koopmans} には2つの近似が入っている.順に検討する.

(1) 軌道緩和を無視している. 電子を1個抜くと,残された電子が感じる遮蔽が弱まるので, 軌道は全体に核へ引き寄せられて縮む.この緩和によって $(N-1)$ 電子系のエネルギーは下がる. 5.9.1項の数学ノートで見たように $E_{N-1}^{\mathrm{HF}} \leq E_{N-1}^{(k)}$ だから,

$$ I_k^{\mathrm{HF}} = E_{N-1}^{\mathrm{HF}} - E_N \;\leq\; E_{N-1}^{(k)} - E_N = -\varepsilon_k . $$

すなわちクープマンズの値はイオン化エネルギーを過大評価する. 価電子では緩和は $1$–$2\ \mathrm{eV}$ 程度,内殻電子では $10\ \mathrm{eV}$ を超えることもある.

(2) 相関エネルギーを無視している. 厳密なイオン化エネルギーは $I_k^{\text{厳密}} = E_{N-1}^{\text{厳密}} - E_N^{\text{厳密}}$ である. 相関エネルギーの定義 $E_{\mathrm{corr}} = E^{\text{厳密}} - E^{\mathrm{HF}}$(5.10節)を使って書き直すと

\begin{align} I_k^{\text{厳密}} &= \left(E_{N-1}^{\mathrm{HF}} + E_{\mathrm{corr}}(N-1)\right) - \left(E_{N}^{\mathrm{HF}} + E_{\mathrm{corr}}(N)\right) \notag\\ &= I_k^{\mathrm{HF}} + \Bigl[E_{\mathrm{corr}}(N-1) - E_{\mathrm{corr}}(N)\Bigr]. \label{eq:5-koopmans-corr} \end{align}

相関エネルギーは負であり,その大きさは電子対の数とともに増える. 電子が1個多い $N$ 電子系の方が対の数が多いから $\abs{E_{\mathrm{corr}}(N)} \gt \abs{E_{\mathrm{corr}}(N-1)}$, すなわち $E_{\mathrm{corr}}(N-1) - E_{\mathrm{corr}}(N) \gt 0$ である. したがって相関はイオン化エネルギーを押し上げる.

ここが面白いところである.緩和は $I_k$ を下げ,相関は $I_k$ を上げる. 2つの誤差は逆符号なので部分的に相殺する(図5.4下段). どちらか一方だけを取り込む中途半端な計算より,両方無視したクープマンズの値の方が 実験に近いことすらある.この幸運な相殺が, クープマンズの定理が実用的な指針として長く使われてきた理由である.

例:希ガス原子の最外殻イオン化エネルギー

原子・軌道$-\varepsilon_k$(HF極限)実験値差
Ne $2p$$0.850\ \mathrm{Ha} = 23.1\ \mathrm{eV}$$21.6\ \mathrm{eV}$$+1.5\ \mathrm{eV}$
Ar $3p$$0.591\ \mathrm{Ha} = 16.1\ \mathrm{eV}$$15.8\ \mathrm{eV}$$+0.3\ \mathrm{eV}$

どちらも $-\varepsilon_k$ が実験値をわずかに上回っており, 上で述べた「緩和と相関の相殺が完全ではなく,緩和がやや勝つ」という一般的傾向と整合している. 数 $\mathrm{eV}$ のスケールの物理量を,$1\ \mathrm{eV}$ 以下の誤差で 単に固有値を1つ読むだけで予言できることは,実用上たいへんありがたい.

一方,内殻軌道では緩和が大きいためクープマンズの値は数 $\mathrm{eV}$ から $10\ \mathrm{eV}$ 以上ずれることがある.内殻準位のシフト(化学シフト)を精密に議論するときは, $(N-1)$ 電子系を別途HF計算して差を取る方法(いわゆる $\Delta$SCF 法)が使われる.

物理的意味:軌道エネルギーは「1電子の持ち分」ではない

クープマンズの定理は $\varepsilon_k$ に明快な意味を与えるが, それは「軌道 $k$ の電子が持っているエネルギー」ではなく, 「その電子を抜くときに系全体が失うエネルギー」である. $\varepsilon_k$ の中には,抜かれる電子と他のすべての電子との相互作用 $\sum_{l'}(J_{kl'}-K_{kl'})$ が丸ごと入っている(式 \eqref{eq:5-eps-k}). だからこそ $\sum_k\varepsilon_k$ が全エネルギーにならなかったのである(5.6.5項).

なお,第10章で学ぶコーン・シャム法の固有値には,一般にはこのような定理が成り立たない. コーン・シャム軌道は「正しい密度を与えるための補助的な量」であって, その固有値をイオン化エネルギーと同一視する根拠は原理的にはない (厳密な汎関数を使えば最高占有準位だけは $-I$ に一致することが知られているが, 近似汎関数ではそれも成り立たない). 実用上はコーン・シャム固有値をバンド構造として読むことが広く行われており, それがうまくいく場合といかない場合の区別は,後の章で扱う重要な論点である.

5.10 HF法の実力と相関エネルギー

理論の姿は見えた.では実際にどれくらい当たるのか. 本節ではHF法の定量的な実力を確認し, そこから漏れ落ちるもの——相関エネルギー——を定義する. 相関エネルギーは全エネルギーのわずか $0.3\%$ 程度にすぎないが, 化学と物性の問題ではしばしば決定的な役割を果たす.この落差を理解することが本節の目標である.

5.10.1 具体例:水分子

水分子 H$_2$O についてHF計算を実行し,実験値と比較する.

例:H$_2$O の構造と振動数

量HF法実験値ずれ
O–H 結合長$0.940\ \text{Å}$$0.958\ \text{Å}$$-1.9\%$(短い)
H–O–H 結合角$106.1^\circ$$104.5^\circ$$+1.6^\circ$(広い)
$\nu_1$(対称伸縮)$4070\ \mathrm{cm^{-1}}$$3657\ \mathrm{cm^{-1}}$$+11\%$
$\nu_2$(変角)$1826\ \mathrm{cm^{-1}}$$1595\ \mathrm{cm^{-1}}$$+14\%$

構造は基底関数を十分大きくした値(HF極限に近い値),振動数は中規模基底での調和振動数である. 読み取れる傾向は次の通りである.

振動数の過大評価には2つの原因が混じっている. 1つは相関の欠如で,HF法は結合を「硬く」しすぎる(ポテンシャル曲面の曲率を過大評価する). もう1つは比較の仕方で,表の計算値は調和近似での振動数,実験値は非調和性を含んだ基本振動数であり, 非調和性はふつう振動数を数 $\%$ 下げる.両者を合わせて $10\%$ 程度のずれになる.

5.10.2 相関エネルギーの定義

定義:相関エネルギー

同じハミルトニアン・同じ基底関数系のもとで, シュレーディンガー方程式の厳密解のエネルギー $E_{\text{厳密}}$ と HF法のエネルギー $E_{\mathrm{HF}}$ の差を相関エネルギーと呼ぶ:

\begin{equation} E_{\mathrm{corr}} \equiv E_{\text{厳密}} - E_{\mathrm{HF}} \label{eq:5-Ecorr-def} \end{equation}

$\Phi_{\mathrm{HF}}$ は試行波動関数の1つにすぎないから,変分原理(第2章)より $E_{\mathrm{HF}} \geq E_{\text{厳密}}$,すなわち $E_{\mathrm{corr}} \leq 0$ である. 相関エネルギーは常に負である.

名前が示す通り,$E_{\mathrm{corr}}$ は「電子どうしが互いの瞬間的な位置に応じて避け合う」効果, すなわち平均場では表せない相関の効果を集めたものである. 注意すべきは,これが「交換を除いたすべての電子間効果」ではないことである. 交換はHF法にすでに厳密に含まれているので,$E_{\mathrm{corr}}$ には入らない. HF法の定義そのものが,交換と相関を分ける境界線になっている.

例:H$_2$O の相関エネルギーはどれくらい「小さい」か

水分子について,

$$ E_{\text{厳密}} = -76.0105\ \mathrm{Ha}, \qquad E_{\mathrm{corr}} = -0.1971\ \mathrm{Ha} \quad\Longrightarrow\quad E_{\mathrm{HF}} = -75.8134\ \mathrm{Ha} $$

である.相関エネルギーが全エネルギーに占める割合は

$$ \frac{\abs{E_{\mathrm{corr}}}}{\abs{E_{\text{厳密}}}} = \frac{0.1971}{76.0105} = 2.59\times 10^{-3} \approx 0.26\% . $$

$0.3\%$ にも満たない.HF法は全エネルギーの $99.7\%$ 以上を再現していることになる. ところが,化学で意味のあるエネルギースケールと比べると印象が一変する. 化学反応の熱力学を議論するのに必要な精度は化学的精度と呼ばれ,

$$ 1\ \mathrm{kcal/mol} = \frac{1}{627.51}\ \mathrm{Ha} = 1.594\times 10^{-3}\ \mathrm{Ha} \approx 1.6\ \mathrm{mHa} = 0.043\ \mathrm{eV} $$

である.これと相関エネルギーを比べると

$$ \frac{\abs{E_{\mathrm{corr}}}}{1\ \mathrm{kcal/mol}} = \frac{197.1\ \mathrm{mHa}}{1.594\ \mathrm{mHa}} \approx 124 . $$

相関エネルギーは化学的精度の $124$ 倍もある($=5.4\ \mathrm{eV}$, これは典型的な化学結合1本分のエネルギーに匹敵する).

もちろん,反応の前後で相関エネルギーの大部分は相殺する(内殻電子の相関などは反応で変わらない). それでも残る差は化学的精度をはるかに超える. 全エネルギーの $0.3\%$ が,化学のすべてを左右する——これが電子相関の問題の本質である.

5.10.3 静的相関と動的相関

相関エネルギーは,性質の異なる2つの成分に分けて考えると見通しがよい.

静的相関の最も透明な例が,水素分子の解離である.次項で完全に解析する.

5.10.4 H$_2$ の解離:制限HF法の定性的破綻

2つの水素原子 A, B を距離 $R$ だけ離して置き,$R$ を大きくしていく. 正しい極限は明らかで,2個の中性水素原子に分かれて $E(\infty) = 2\times(-0.5) = -1.0\ \mathrm{Ha}$ になるはずである. 制限ハートリー・フォック法(restricted HF,RHF: $\alpha$ スピンと $\beta$ スピンが同じ空間軌道を占める形)がこれを再現するか調べる.

導出:RHF波動関数のイオン成分

最小基底(各原子に $1s$ 軌道1つ)で考える.対称性から,占有される結合性軌道は

$$ \sigma_g(\rr) = \frac{1s_A(\rr) + 1s_B(\rr)}{\sqrt{2+2S}}, \qquad S \equiv \int\dd^3r\;1s_A^*(\rr)\,1s_B(\rr) $$

である($S$ は重なり積分.$R\to\infty$ で $S\to 0$). RHF波動関数はこの軌道を $\uparrow$ と $\downarrow$ の2電子が占めるスレーター行列式 $\Phi_{\mathrm{RHF}} = \abs{\sigma_g\eta_\uparrow\ \sigma_g\eta_\downarrow}/\sqrt{2}$ であり, 5.4節の展開から分かるように,その空間部分は単純な積 $\sigma_g(\rr_1)\sigma_g(\rr_2)$ になる (スピン部分が反対称なので空間部分は対称になる).これを展開する:

\begin{align} \sigma_g(\rr_1)\sigma_g(\rr_2) &= \frac{1}{2+2S}\Bigl[1s_A(\rr_1)+1s_B(\rr_1)\Bigr]\Bigl[1s_A(\rr_2)+1s_B(\rr_2)\Bigr] \notag\\ &= \frac{1}{2+2S}\Bigl[ \underbrace{1s_A(\rr_1)1s_B(\rr_2) + 1s_B(\rr_1)1s_A(\rr_2)}_{\text{共有結合的:H}\cdot\ +\ \cdot\text{H}} \notag\\ &\qquad\qquad + \underbrace{1s_A(\rr_1)1s_A(\rr_2) + 1s_B(\rr_1)1s_B(\rr_2)}_{\text{イオン的:H}^-\ +\ \text{H}^+} \Bigr]. \label{eq:5-h2-expand} \end{align}

2行目では4つの積をそのまま並べ,意味に応じて2組にまとめただけである. 前の2項は「電子が1個ずつ別の原子にいる」配置(共有結合的), 後の2項は「2電子とも同じ原子にいる」配置(イオン的)である.

決定的なのは,4つの項の係数がすべて等しいことである. 係数は $R$ に依存しない.つまりRHF波動関数は, 原子核をどれだけ引き離しても,共有結合的な配置とイオン的な配置を常に $50\%$ ずつ混ぜている.

これは物理的にありえない.$R\to\infty$ ではH$^-$とH$^+$を作るのに イオン化エネルギーから電子親和力を引いただけのエネルギーが余分に必要なので, イオン的配置の重みはゼロに近づかなければならない. その結果,RHFの解離極限エネルギーは共有結合的極限とイオン的極限の平均になる:

\begin{align} E_{\mathrm{RHF}}(\infty) &= \frac{1}{2}\Bigl[E(\mathrm{H}) + E(\mathrm{H})\Bigr] + \frac{1}{2}\Bigl[E(\mathrm{H}^+) + E(\mathrm{H}^-)\Bigr] \notag\\ &= \frac{1}{2}(-0.5 - 0.5) + \frac{1}{2}\bigl(0 + (-0.4879)\bigr) \notag\\ &= -0.5 - 0.2440 = -0.7440\ \mathrm{Ha}. \label{eq:5-rhf-dissoc} \end{align}

2行目で $E(\mathrm{H}) = -0.5\ \mathrm{Ha}$(水素原子の厳密値), $E(\mathrm{H}^+) = 0$(電子がないので $0$), $E_{\mathrm{HF}}(\mathrm{H}^-) = -0.4879\ \mathrm{Ha}$ を代入した. 正しい値 $-1.0\ \mathrm{Ha}$ との差は

$$ \Delta = -0.7440 - (-1.0) = +0.256\ \mathrm{Ha} = 7.0\ \mathrm{eV} $$

である.$7\ \mathrm{eV}$ は化学的精度($0.043\ \mathrm{eV}$)の $160$ 倍であり, H$_2$ の結合エネルギー($4.75\ \mathrm{eV}$)より大きい. 定量的な誤差ではなく,定性的な破綻である.

−0.7 −0.8 −0.9 −1.0 −1.1 −1.2 E (Ha) 1 2 3 4 5 6 7 核間距離 R (a₀) Coulson–Fischer 点 ≈ 0.26 Ha ≈ 7 eV 正しい解離極限 2E(H) = −1.0 Ha RHF の解離極限 −0.744 Ha 厳密解(完全CI) 制限HF(RHF) 非制限HF(UHF)
図5.5 水素分子の解離曲線(模式図).平衡距離付近ではRHFも厳密解に近いが, $R$ を伸ばすとRHF曲線は $-0.744\ \mathrm{Ha}$ に収束し,正しい極限 $-1.0\ \mathrm{Ha}$ から $0.26\ \mathrm{Ha}\,(7\ \mathrm{eV})$ もずれる.RHF波動関数がイオン的配置を常に $50\%$ 含むためである. 非制限HF(UHF)はCoulson–Fischer点より遠方でスピン対称性を破ることによって正しい極限に到達するが, 波動関数はもはや全スピンの固有関数ではなくなる.

物理的意味:破綻の直し方は2通りある

(a) 行列式を増やす(多配置法). 反結合性軌道 $\sigma_u = (1s_A - 1s_B)/\sqrt{2-2S}$ を使って $\sigma_u(\rr_1)\sigma_u(\rr_2)$ を展開すると,\eqref{eq:5-h2-expand} と同じ4項が現れるが, 共有結合的な2項の符号が反転する:

$$ \sigma_u(\rr_1)\sigma_u(\rr_2) \propto \Bigl[1s_A1s_A + 1s_B1s_B\Bigr] - \Bigl[1s_A1s_B + 1s_B1s_A\Bigr]. $$

したがって2つの行列式を $\Psi = c_g\abs{\sigma_g\bar{\sigma}_g} + c_u\abs{\sigma_u\bar{\sigma}_u}$ と 重ね合わせ,$R\to\infty$ で $c_g = -c_u = 1/\sqrt{2}$ と取れば, イオン的な項がちょうど打ち消し合って純粋に共有結合的な波動関数が得られる. たった2個の行列式で定性的な破綻が解消するのが,静的相関の特徴である. 係数が $\pm 1/\sqrt2$ と大きいことに注意してほしい. 小さな係数の摂動として扱える相関(動的相関)とは性質が違う.

(b) スピン対称性を破る(非制限HF,UHF). $\uparrow$ 電子と $\downarrow$ 電子に別々の空間軌道を許すと, ある距離(Coulson–Fischer点)より遠方では 「$\uparrow$ 電子は主にA原子に,$\downarrow$ 電子は主にB原子に」局在した解の方がエネルギーが低くなる. この解は正しい解離極限 $-1.0\ \mathrm{Ha}$ に到達する. ただし代償があり,得られる波動関数は全スピン演算子 $\hat{S}^2$ の固有関数ではなくなる (スピン汚染).一重項のはずの H$_2$ が, 形式的には三重項成分を含んでしまう.

この「対称性を破って正しいエネルギーを得るか,対称性を守って誤ったエネルギーに甘んじるか」 というジレンマは,対称性のジレンマ(symmetry dilemma)と呼ばれ, 平均場理論に本質的につきまとう. スピン分極したDFT計算でも同じ問題が現れる.

物理的意味:HFとDFTの構図

本章の結論を,次章以降への橋渡しの形でまとめておく.

一方が厳密に持っているものを他方が近似し,他方が持っているものを一方が完全に落とす—— この相補的な構図が,両者を混ぜた混成汎関数 (HF交換の一部を $E_{xc}$ に取り込む方法)が広く使われる理由である. 本章で交換とは何かを完全に理解しておくことが,後の章でその混合の意味を理解する土台になる.

5.11 まとめ・演習・参考文献

5.11.1 まとめ

5.11.2 次章への橋渡し

本章の計算を振り返ると,同じ作業を何度も繰り返したことに気づくだろう. 行列式を置換で展開し,ブラ側の置換 $P$ とケット側の置換 $Q$ を照合し, 「軌道の割り当てがそろっているか,1箇所だけずれているか,2箇所以上ずれているか」で場合分けし, 互換の個数から符号 $\mathrm{sgn}(P)\mathrm{sgn}(Q) = \pm 1$ を決める—— 2電子系の (A)(B)(C)(D) 展開でも,$N$ 電子系の一般化でも,二体分布関数の計算でも,まったく同じ論法だった.

この「置換の照合と符号の勘定」は,実は演算子の代数として一度きり抽出してしまえる. 軌道に電子を1個入れる操作(生成演算子 $a^\dagger$)と取り去る操作(消滅演算子 $a$)を導入し, 反対称性をそれらの反交換関係に押し込んでしまうのである. そうすれば行列式を書き下すことなく,演算子の並べ替えだけで 本章の結果がすべて数行で再現できる.これが第6章で学ぶ第二量子化である. 第二量子化はまた,多電子系を扱うほとんどすべての現代的な理論 (摂動論,グリーン関数,ジェリウム模型の解析)の共通言語でもある.

5.11.3 演習問題

演習5.1:ヘリウム原子のHFエネルギー(5.4節の例の完成)

ヘリウム原子($Z=2$)の基底状態を,5.4節の例のように $\varphi_a(x) = \phi(\rr)\eta_\uparrow(\sigma)$,$\varphi_b(x) = \phi(\rr)\eta_\downarrow(\sigma)$ という単一スレーター行列式で記述する.

  1. 式 \eqref{eq:5-EHF-2e} に5.7節のスピン選択則を適用して, $E_{\mathrm{HF}} = 2h + J$ となることを示せ.ここで $h = \int\dd^3r\,\phi^*(-\tfrac12\nabla^2 - 2/r)\phi$, $J = \iint\dd^3r_1\dd^3r_2\,\abs{\phi(\rr_1)}^2\abs{\phi(\rr_2)}^2/\abs{\rr_1-\rr_2}$ である. 交換項が消える理由を明示的に述べること.
  2. 試行軌道として水素様の $1s$ 関数 $\phi(\rr) = (\zeta^3/\pi)^{1/2}e^{-\zeta r}$($\zeta$ は変分パラメータ)を取る. このとき $h = \zeta^2/2 - 2\zeta$,$J = 5\zeta/8$ となることを使って, $E_{\mathrm{HF}}(\zeta) = \zeta^2 - \frac{27}{8}\zeta$ を導け.
  3. $\zeta$ について最小化し,$\zeta = 27/16$,$E_{\mathrm{HF}} = -(27/16)^2 = -2.848\ \mathrm{Ha}$ を得よ. He原子の厳密なエネルギーは $-2.9037\ \mathrm{Ha}$,HF極限は $-2.8617\ \mathrm{Ha}$ である. この試行関数での相関エネルギー相当量と,基底関数の不足による誤差をそれぞれ見積もれ.

ヒント:(1) では $\varphi_a$ と $\varphi_b$ のスピンが逆向きであることが効く. (2) の $h$ の第1項は $\zeta$ 倍にスケールした水素様軌道の運動エネルギー $\zeta^2/2$, 第2項は $\braket{-Z/r} = -Z\zeta$ である($Z=2$). (3) では $\zeta \lt Z = 2$ となることに注意し, 「もう1個の電子が核電荷を遮蔽して,実効的な核電荷が $2$ から $27/16 = 1.69$ に減る」と読める.

演習5.2:交換積分が正であることの証明(5.4節の予告の完成)

5.7.3項の \eqref{eq:5-K-overlap-density} で見たように,交換積分の空間部分は $g(\rr) \equiv \phi_l^*(\rr)\phi_{l'}(\rr)$ を使って

$$ K^{(r)}_{ll'} = \iint\dd^3r_1\,\dd^3r_2\;\frac{g(\rr_1)\,g^*(\rr_2)}{\abs{\rr_1-\rr_2}} $$

と書ける.これが $K^{(r)}_{ll'} \geq 0$ を満たすことを示せ.

  1. クーロン相互作用のフーリエ表示 $\dfrac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}} = \displaystyle\int\frac{\dd^3q}{(2\pi)^3}\,\frac{4\pi}{q^2}\,e^{i\bm{q}\cdot(\rr_1-\rr_2)}$ を代入せよ.
  2. $\rr_1$ 積分と $\rr_2$ 積分が独立に実行でき, $g$ のフーリエ変換 $\tilde{g}(\bm{q}) = \int\dd^3r\,g(\rr)e^{-i\bm{q}\cdot\rr}$ を使って $K^{(r)}_{ll'} = \int\frac{\dd^3q}{(2\pi)^3}\frac{4\pi}{q^2}\abs{\tilde{g}(-\bm{q})}^2$ と書けることを示せ.
  3. 被積分関数の符号を見て結論せよ.等号が成立するのはどんな場合か.

ヒント:(2) では $\int\dd^3r_2\,g^*(\rr_2)e^{-i\bm{q}\cdot\rr_2} = \left[\int\dd^3r_2\,g(\rr_2)e^{i\bm{q}\cdot\rr_2}\right]^*$ という複素共役の付け替えを使う. (3) の等号成立は $\tilde{g}\equiv 0$ すなわち2つの軌道の重なりが恒等的にゼロのときである. 同じ論法で $J_{ll'} \gt 0$ も示せる($g$ を $\abs{\phi_l}^2$ に取り替えればよい).

演習5.3:二重計上補正とクープマンズの定理の数値確認

演習5.1のヘリウム原子($\zeta = 27/16$)について,次を確かめよ.

  1. 正準軌道は $\phi$ ただ1つ(スピンで2重)であり,その軌道エネルギーは 式 \eqref{eq:5-eps-k} より $\varepsilon = h + J$ である (交換項が消えることを再確認すること).数値を代入して $h = -1.9512\ \mathrm{Ha}$,$J = 1.0547\ \mathrm{Ha}$,$\varepsilon = -0.8965\ \mathrm{Ha}$ を得よ.
  2. $\sum_k\varepsilon_k = 2\varepsilon = -1.7930\ \mathrm{Ha}$ は $E_{\mathrm{HF}} = -2.848\ \mathrm{Ha}$ と一致しない. 二重計上の公式 \eqref{eq:5-double-counting} が $E_{\mathrm{HF}} = 2\varepsilon - J$ の形で成り立つことを数値で確認せよ.
  3. クープマンズの定理より He の第一イオン化エネルギーは $I = -\varepsilon = 0.8965\ \mathrm{Ha} = 24.4\ \mathrm{eV}$ と予測される. 実験値は $24.59\ \mathrm{eV}$ である. 5.9.3項の議論に照らして,この一致がなぜ「良すぎる」ほど良いのかを説明せよ.

ヒント:(2) では $E_{\mathrm{Hart}} + E_{\mathrm{x}} = \frac12\sum_{ll'}(J_{ll'}-K_{ll'})$ を He の2つのスピン軌道について明示的に書き下す(4つの組のうち,非対角の2組だけが $J$ を与える). (3) では,He$^+$ は1電子系なので相関エネルギーがゼロであり, 一方 He の相関エネルギーは $-0.042\ \mathrm{Ha} = -1.1\ \mathrm{eV}$ 程度であること, また軌道緩和(He$^+$ では $\zeta = 2$ が最適)が逆向きに効くことを考えよ.

演習5.4:一様電子ガスの交換エネルギー(第11章への準備)

スピン非分極の一様電子ガス(密度 $n$,$k_F = (3\pi^2n)^{1/3}$)について, 交換エネルギー密度が

$$ \frac{E_{\mathrm{x}}}{V} = -\frac{3}{4}\left(\frac{3}{\pi}\right)^{1/3}n^{4/3} $$

となることを,交換ホールの表式 \eqref{eq:5-ueg-hole-unpol} と 公式 \eqref{eq:5-Ex-hole} から導け.

  1. 式 \eqref{eq:5-Ex-hole} で $n^\sigma$ が定数であることを使い, $\rr_1$ 積分が体積 $V$ を与えることを確認せよ.
  2. 残る $\rr_2$ 積分を $\bm{s} = \rr_2-\rr_1$,$x = k_F s$ に変数変換し, $\displaystyle\int_0^\infty \frac{[j_1(x)]^2}{x}\dd x = \frac{1}{4}$ を使って実行せよ.
  3. $k_F$ を $n$ で書き直し,指数と係数を整理して上の形にせよ.

ヒント:(2) では $\int\dd^3s = 4\pi\int_0^\infty s^2\dd s$,$\dd s = \dd x/k_F$ を使う. $s^2/s = s = x/k_F$ に注意すると,被積分関数は $x\,[j_1(x)/x]^2 = [j_1(x)]^2/x$ になる. (3) では $(3\pi^2)^{2/3} = 3^{2/3}\pi^{4/3}$ と分解し, $9\cdot 3^{-2/3} = 3^{4/3} = 3\cdot 3^{1/3}$ とまとめるとよい. 得られる表式はディラック(スレーター)交換エネルギーと呼ばれ, 局所密度近似の交換部分そのものである(第11章).

参考文献

原論文

教科書