第1章線形応答とは何か
物理の実験というのは,煎じ詰めれば「系を叩いて,返事を聞く」ことである.試料に電場をかけて電流を測る.磁場をかけて磁化を測る.光を当てて反射率を測る.中性子をぶつけて散乱の様子を見る.どれも「叩き方」と「返事」の組であり,その関係を記述する量が応答関数(response function)である.
叩き方が十分に弱ければ,返事は叩き方に比例する.この「比例する」という単純きわまる仮定だけから,驚くほど多くのことが言える.それが線形応答理論であり,本章はその出発点となる枠組みを,数式を最小限にして組み立てる.
本章で確立したい結論は,次の一行に尽きる.線形性・時間並進不変性・因果律という3つの物理的な要請を課すと,応答は必ず
$$ \delta A(t) = \int_{-\infty}^{t} \chi(t-t')\, f(t')\, \dd t' $$という畳み込み積分の形になる.ここに現れる $\chi$ が応答関数である.第2章以降,この $\chi$ を具体的に求め(第2〜3章),その数学的性質を調べ(第4〜5章),量子系へ拡張する(第6〜8章).
- 「摂動」と「応答」という言葉の意味,および物理量の平衡値からのずれ $\delta A$
- 線形性(重ね合わせの原理)が意味すること,そしてそれが成り立つ条件
- 時間並進不変性 —— 応答関数が $t$ と $t'$ に別々にではなく $t-t'$ にのみ依存する理由
- 因果律 —— $\chi(t)=0$($t<0$),これが第4章のKramers–Kronig関係を生むこと
- 畳み込み積分の形が3つの要請から必然的に出てくること
- Fourier空間では畳み込みが単なる掛け算 $\delta A(\omega)=\chi(\omega)f(\omega)$ になること
- 身近な応答関数の例:バネ,RC回路,誘電分極(電気感受率),磁化(帯磁率),電気伝導度
- 「静的応答」と「動的応答」の違い,$\omega\to0$ 極限の意味
1.1 叩いて,返事を聞く
1.1.1 設定
まず言葉を決める.系が最初,外力のない状態で落ち着いているとする.これを平衡状態と呼ぶ.この状態での物理量 $A$ の値を $\braket{A}_0$ と書く.
そこに,時刻に依存する外力(摂動)$f(t)$ を加える.すると $A$ の値が平衡値からずれる.このずれを
$$ \begin{equation} \delta A(t) \equiv \braket{A(t)} - \braket{A}_0 \label{eq:1-deltaA} \end{equation} $$と書く.線形応答理論とは,$f(t)$ と $\delta A(t)$ の関係を調べる理論である.
| 系 | 外力 $f$(叩き方) | 応答 $\delta A$(返事) | 応答関数 |
|---|---|---|---|
| バネにつながれた質点 | 力 $F(t)$ | 変位 $x(t)$ | 力学的感受率 |
| 誘電体 | 電場 $E(t)$ | 分極 $P(t)$ | 電気感受率 $\chi_e$ |
| 磁性体 | 磁場 $H(t)$ | 磁化 $M(t)$ | 帯磁率 $\chi_m$ |
| 金属 | 電場 $E(t)$ | 電流密度 $j(t)$ | 電気伝導度 $\sigma$ |
| 電子気体 | 外部ポテンシャル $\phi_{\text{ext}}$ | 密度変化 $\delta\rho$ | 密度応答関数 $\chi_{\rho\rho}$ |
| RC回路 | 電圧 $V(t)$ | 電流 $I(t)$ | アドミッタンス $Y$ |
なぜ「ずれ」を見るのか
式 \eqref{eq:1-deltaA} でわざわざ平衡値を引くのは,単に便利だからではない.ずれ(応答)は,非平衡の時間発展を直接解かなくても,平衡状態の情報(相関関数)だけで書けてしまうからである.
たとえば金属中の電子気体の全エネルギーを厳密に求めるのは,いまだに未解決の難問である.ところが「電場をかけたときに電流がどれだけ流れるか」なら,平衡状態の性質さえ分かっていれば計算できてしまう.これが線形応答理論の実用上の威力である.第7章の久保公式が,まさにこの主張を数式で表したものになる.
1.1.2 「弱く」叩くとはどういうことか
線形応答が成り立つのは,外力が「十分に弱い」ときである.この条件を定量的に言えば,外力が系に与えるエネルギーが,系のもつ特徴的なエネルギースケールよりずっと小さいということである.
例:金属に電場をかける
電場 $E$ の中で電子が平均自由行程 $\ell$ だけ走る間に得るエネルギーは $eE\ell$ である.金属の特徴的エネルギーはFermiエネルギー $\varepsilon_F \sim 5\ \mathrm{eV}$.$\ell\sim 10\ \mathrm{nm}$ とすると,線形応答が成り立つ条件は
$$ eE\ell \ll \varepsilon_F \quad\Longrightarrow\quad E \ll \frac{5\ \mathrm{eV}}{e\times 10\ \mathrm{nm}} = 5\times10^8\ \mathrm{V/m} $$実験室で扱う電場はせいぜい $10^6\ \mathrm{V/m}$ 程度なので,条件は十分に満たされている.だからオームの法則 $j=\sigma E$ が成り立つのである.
逆に,パルスレーザーで $10^{7\text{–}8}\ \mathrm{V/m}$ 級の強い光電場をかけると線形応答からのずれが観測にかかり,第二高調波発生などの非線形光学効果が現れる(さらに $10^{10}\ \mathrm{V/m}$ を超えるとイオン化が始まり,摂動論そのものが破綻する強電場領域に入る).
1.2 3つの要請
応答関数の形を決めるのは,次の3つの物理的な要請である.
要請1:線形性(重ね合わせの原理)
2つの外力 $f_1(t)$, $f_2(t)$ に対する応答をそれぞれ $\delta A_1(t)$, $\delta A_2(t)$ とすると,外力 $af_1(t)+bf_2(t)$ に対する応答は $a\,\delta A_1(t) + b\,\delta A_2(t)$ である.
要請2:時間並進不変性
系そのものの性質は時間によらない(実験を明日やっても同じ結果が出る).したがって,外力を時間 $t_0$ だけずらせば,応答も同じだけずれる:$f(t)\to f(t-t_0)$ なら $\delta A(t)\to\delta A(t-t_0)$.
要請3:因果律
結果は原因より先に起きない.時刻 $t$ における応答 $\delta A(t)$ は,それ以前の外力 $f(t')$($t'\le t$)にしか依存しない.
物理的意味:3つの要請の重み
この3つは,性格がまったく違う.
- 線形性は近似である.外力を強くすれば必ず破れる.本書はこの近似の範囲内での理論である.
- 時間並進不変性は,系が定常であるという設定である.系そのものが時間変化する場合(たとえば試料を加熱しながら測る)には成り立たない.
- 因果律は物理法則である.近似でも設定でもなく,破ってはならない.第4章で見るように,この要請だけからKramers–Kronig関係という,実験で検証可能な強い制約が出てくる.
後で複素平面の上半面がどうこうという議論が出てきたら,それは因果律の言い換えだと思ってよい.線形応答理論で複素解析が必要になる理由の9割は,因果律である.
1.3 畳み込み積分の導出
導出:3つの要請から畳み込み積分へ
ステップ1:外力をパルスの重ね合わせに分解する.任意の外力 $f(t)$ は,デルタ関数を使って
$$ f(t) = \int_{-\infty}^{\infty} f(t')\,\delta(t-t')\,\dd t' $$と書ける.これは「$f(t)$ は,時刻 $t'$ に強さ $f(t')\dd t'$ の瞬間的なパルスを打ち込む,という操作を全時刻について足し合わせたもの」と読める.
ステップ2:単位パルスへの応答を定義する.時刻 $t'=0$ に単位強度のパルス $\delta(t)$ を打ち込んだときの応答を $\chi(t)$ と書く.これが応答関数(インパルス応答,あるいは遅延Green関数)である:
ステップ3:時間並進不変性を使う.要請2により,時刻 $t'$ に打ち込んだパルス $\delta(t-t')$ への応答は $\chi(t-t')$ である.$t$ と $t'$ に別々に依存するのではなく,その差だけに依存することが,ここで効いている.
ステップ4:線形性を使って足し合わせる.要請1により,各パルスへの応答をそのまま重ね合わせてよい.強さ $f(t')\dd t'$ のパルスへの応答は $f(t')\chi(t-t')\dd t'$ だから
$$ \begin{equation} \delta A(t) = \int_{-\infty}^{\infty} \chi(t-t')\, f(t')\, \dd t' \label{eq:1-convolution-full} \end{equation} $$ステップ5:因果律で積分範囲を切る.要請3により,$t' > t$ の外力は $\delta A(t)$ に寄与してはならない.これは
と要求することと同じである.すると式 \eqref{eq:1-convolution-full} の積分は自動的に $t'\le t$ に制限され
最後の等号は $\tau = t-t'$ と置換した.∎
この式が言っていること
式 \eqref{eq:1-convolution} の第2の形
$$ \delta A(t) = \int_{0}^{\infty} \chi(\tau)\, f(t-\tau)\, \dd\tau $$は,次のように読むと分かりやすい.「いまの応答 $\delta A(t)$ は,$\tau$ だけ過去の外力 $f(t-\tau)$ を,重み $\chi(\tau)$ を付けて足し合わせたものである.」
つまり $\chi(\tau)$ は系の記憶を表している.$\chi(\tau)$ が $\tau$ とともに速く減衰する系は「物覚えが悪く」,外力を切ればすぐ平衡に戻る.ゆっくり減衰する系は「引きずる」.第2章で減衰振動子(質量 $m$,摩擦係数 $\gamma$)の $\chi(\tau)$ を実際に求めると,$\ee^{-\gamma\tau/(2m)}$ という減衰因子が現れる.摩擦係数 $\gamma$ が小さいほど記憶が長いのである.
記号の注意:$\chi$ か $G$ か $\phi$ か
この関数の呼び名と記号は,分野によってばらばらである.
- 物性物理:応答関数,感受率(susceptibility),$\chi$
- 数学・微分方程式論:Green関数,$G$
- 制御工学・信号処理:インパルス応答,$h$
- Fetter–Walecka:遅延相関関数として $D^R$, $\chi^R$
本書では,時間領域では $\chi(t)$ または $G(t)$,振動数領域では $\chi(\omega)$ を主に使い,量子系の遅延応答関数には上付き $R$ を付けて $\chi^R$ と書く.中身はすべて同じものである.
1.4 Fourier空間へ移る
畳み込み積分は扱いにくい.しかしFourier変換すると,単なる掛け算になる.これが線形応答理論で振動数表示ばかり使う理由である.
Fourier変換の規約(本書を通じて)
$$ \begin{equation} g(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty} g(t)\, \ee^{\ii\omega t}\, \dd t, \qquad g(t) = \frac{1}{2\pi}\int_{-\infty}^{\infty} g(\omega)\, \ee^{-\ii\omega t}\, \dd\omega \label{eq:1-fourier} \end{equation} $$符号の取り方は流儀が分かれるが,本書はFetter–Waleckaに合わせて,時間から振動数へ移るときに $\ee^{+\ii\omega t}$ を使う.この規約だと,外力 $f(t)=f_0\ee^{-\ii\omega t}$ が振動数 $\omega$ の単色外力になる.
導出:畳み込み定理
式 \eqref{eq:1-convolution-full} の両辺をFourier変換する.
$$ \delta A(\omega) = \int_{-\infty}^{\infty}\dd t\, \ee^{\ii\omega t} \int_{-\infty}^{\infty}\dd t'\, \chi(t-t')f(t') $$ここで $\tau = t - t'$ と変数変換する.$t$ の積分を $\tau$ の積分に変えると,$t = \tau + t'$ かつ $\dd t = \dd\tau$ だから
$$ \delta A(\omega) = \int\dd\tau\int\dd t'\, \ee^{\ii\omega(\tau+t')}\chi(\tau)f(t') = \underbrace{\int\dd\tau\, \ee^{\ii\omega\tau}\chi(\tau)}_{\chi(\omega)} \times \underbrace{\int\dd t'\, \ee^{\ii\omega t'}f(t')}_{f(\omega)} $$2重積分が2つの独立な積分の積に分離した.したがって
∎
因果律 \eqref{eq:1-causality} を使うと,$\chi(\omega)$ の定義式の積分下限が $0$ になる:
物理的意味:この式に第4章のすべてが埋まっている
式 \eqref{eq:1-chi-omega} をよく見てほしい.積分範囲が $0$ から $\infty$ であり,被積分関数に $\ee^{\ii\omega\tau}$ が入っている.
ここで $\omega$ を複素数だと思って,虚部が正($\mathrm{Im}\,\omega > 0$)としてみよう.すると
$$ \abs{\ee^{\ii\omega\tau}} = \ee^{-(\mathrm{Im}\,\omega)\tau} \xrightarrow{\ \tau\to+\infty\ } 0 $$となって,積分はますます良く収束する.つまり $\chi(\omega)$ は複素 $\omega$ 平面の上半面で正則(解析的)である.
もし因果律がなくて積分が $-\infty$ から始まっていたら,この議論は成り立たない.因果律 $\Longleftrightarrow$ 上半面での正則性という対応が,たった1行の式から読み取れる.この対応からKramers–Kronig関係が出てくるのが第4章であり,複素解析が必要になるのが第5章である.
1.5 身近な応答関数
1.5.1 いちばん簡単な例:緩和
コラム:階段関数 $\theta(t)$ とは何か
次の例題で $\theta(t)$ という記号が出てくる.デルタ関数と並んで本書の全編で使う道具なので,ここで正体を押さえておこう.難しいものではない.$\theta$ は「スイッチ」である.
1. 定義.
$$ \theta(t) = \begin{cases} 1 & (t>0)\\[2pt] 0 & (t<0) \end{cases} $$$t=0$ で $0$ から $1$ へ一瞬で跳ね上がる関数である.$t=0$ ちょうどの値をいくつにするかは流儀があり(対称性を重んじて $\theta(0)=1/2$ と約束することも多い),本書では気にしない.$\theta$ は必ず積分の中で使うので,1点の値は結果に影響しないからである.
2. なぜここで出てきたのか —— 掛けるだけで因果律になる.応答関数 $\chi(t)$ に $\theta(t)$ を掛けるという操作は,
$t<0$ では応答がない = 原因より先に結果は現れない
という要請そのものである.1.4節で「因果律」と呼んだ物理の中身が,$\theta$ を1つ掛けるという操作だけに集約されている.逆にいえば,$\theta$ の付いていない $\chi(t)$ は「叩く前から動きだす系」を表してしまう.
3. 実務上は「積分の下限が $0$ になる」だけ.被積分関数に $\theta(t)$ が入っていると,$t<0$ の部分がまるごと消えるので
$$ \int_{-\infty}^{\infty}\dd t\;\theta(t)\,g(t) \;=\; \int_{0}^{\infty}\dd t\;g(t) $$となる.次の例題の解答でいきなり下限が $0$ になっているのは,これを使ったからである.計算の場面で $\theta$ が果たす役割は,ほとんどの場合これに尽きる.
4. デルタ関数との関係 —— スイッチとハンマー.2つは微分で結ばれている.
$$ \frac{\dd\theta(t)}{\dd t} = \delta(t) $$$\theta$ が「$t=0$ でスイッチを入れて,そのまま一定の力をかけ続ける」ことを表すのに対し,$\delta$ は「$t=0$ で一瞬だけ叩く」ことを表す.力がこの関係にあるので,応答のほうも同じ関係で結ばれる:
$$ (\text{インパルス応答}) = \frac{\dd}{\dd t}(\text{ステップ応答}) $$実験では一瞬の撃力を正確に加えるより,階段状の力を加えるほうがずっと簡単である.そこで実務ではステップ応答を測って微分し,インパルス応答=応答関数 $\chi(t)$ を得る.1.3節で $\chi(t)$ を「インパルス応答」と呼んだのは,この意味である.
5. この先どこで効くか.$\theta(t)$ を Fourier 変換すると $\ii/(\omega+\ii\eta)$ という形になり,分母にわずかな虚数 $+\ii\eta$ が現れる.この $+\ii\eta$ こそが,因果律の $\omega$ 空間での姿である.第4章の Kramers–Kronig 関係も,第5章で複素平面上の積分路を上半面に閉じるのも,第7章・第8章に出てくる $+\ii\eta$ も,すべてこの1点から流れ出している.導出と,符号関数 $\mathrm{sgn}(t)$ との関係は付録A の A.3節にまとめてある.
例題1.1 指数緩和する系
外力を切ったあと,ずれが時定数 $\tau_0$ で指数的に緩和する系を考える.応答関数を
$$ \chi(t) = \frac{\chi_0}{\tau_0}\ee^{-t/\tau_0}\,\theta(t) $$とする($\theta$ は階段関数で,因果律を表している).$\chi(\omega)$ を求めよ.
解答.式 \eqref{eq:1-chi-omega} に代入する.
$$ \chi(\omega) = \frac{\chi_0}{\tau_0}\int_0^\infty \ee^{-t/\tau_0}\ee^{\ii\omega t}\,\dd t = \frac{\chi_0}{\tau_0}\int_0^\infty \ee^{-(1/\tau_0 - \ii\omega)t}\,\dd t $$指数関数の積分は簡単で,$\mathrm{Re}(1/\tau_0-\ii\omega) = 1/\tau_0 > 0$ なので収束し
$$ = \frac{\chi_0}{\tau_0}\cdot\frac{1}{1/\tau_0 - \ii\omega} = \frac{\chi_0}{1 - \ii\omega\tau_0} $$これがDebye緩和の式であり,誘電体の振動数応答を記述する最も基本的な形である.∎
実部と虚部に分けると(図1.1)
$$ \mathrm{Re}\,\chi(\omega) = \frac{\chi_0}{1+\omega^2\tau_0^2}, \qquad \mathrm{Im}\,\chi(\omega) = \frac{\chi_0\,\omega\tau_0}{1+\omega^2\tau_0^2} $$$\mathrm{Im}\,\chi$ は $\omega\tau_0=1$ でピークを持つ.これが誘電損失のピークである.室温の水では $\tau_0\approx 8\ \mathrm{ps}$ で,ピークは約 $20\ \mathrm{GHz}$ にある.電子レンジが使う $2.45\ \mathrm{GHz}$ はそのピークではなく,低振動数側の裾である.ピーク直上では吸収が強すぎて電磁波が食品の表面までしか浸透せず,中まで加熱できないからである(産業科学医療用(ISM)バンドとして割り当てられているという事情もある).
極の位置に注目したい.$\chi(\omega)$ は $\omega = -\ii/\tau_0$ で発散する.これは複素平面の下半面である.1.4節で述べた「上半面で正則」が成り立っている.
1.5.2 静的応答 — $\omega\to0$ の極限
外力が時間によらない定数 $f_0$ のとき,応答も定数になる.式 \eqref{eq:1-convolution} で $f(t-\tau)=f_0$ と置けば
$$ \delta A = f_0 \int_0^\infty \chi(\tau)\,\dd\tau = f_0\,\chi(\omega=0) $$すなわち $\chi(\omega=0)$ が静的感受率である.表1.1の例で言えば,静電場に対する電気感受率,静磁場に対する帯磁率,直流電気伝導度がこれにあたる.これに対し,振動数 $\omega\neq0$ の外力への応答を動的応答と呼ぶ.静的応答はその $\omega\to0$ 極限である.
物理的意味:静的応答は熱力学量である
静的感受率は,実は熱力学的な量である.外力 $f$ が物理量 $A$ と結合している(つまり,系のエネルギー(ハミルトニアン)$H$ が $H \to H - fA$ という形に変わる)とき,自由エネルギー $F(f)$ を使って
$$ \braket{A} = -\frac{\partial F}{\partial f}, \qquad \chi(0) = \frac{\partial\braket{A}}{\partial f} = -\frac{\partial^2 F}{\partial f^2} $$と書ける.すなわち静的感受率は自由エネルギーの2階微分(にマイナスを付けたもの)である.
2階微分が発散するとき,系は相転移を起こす.強磁性転移点で帯磁率が発散し,強誘電転移点で誘電率が発散するのは,このためである.第11章で見るプラズマ振動も,$\epsilon(\qq,\omega)=0$ という「応答が発散する条件」として現れる.応答関数の発散は,系が何かを起こす合図だと思ってよい.
1.6 なぜ線形なのに面白いのか
「線形」と聞くと,いちばん簡単で退屈な場合に思える.なぜこれほど大きな理論体系が組み上がるのか.理由は3つある.
理由1:測定はほとんどすべて線形応答である
実験で測る量の大半は,線形応答関数そのものである.電気伝導度,誘電率,帯磁率,弾性定数,光学吸収スペクトル,中性子散乱断面積——すべてそうである.したがって線形応答理論は,理論と実験をつなぐ共通言語になっている.
理由2:応答関数の「極」が集団励起を教えてくれる
応答関数 $\chi(\omega)$ を複素 $\omega$ 平面で見ると,極(発散する点)がある.この極の位置が,系の固有振動のエネルギーと寿命を与える.
第2章の減衰振動子では,極が $\omega = \pm\omega_1 - \ii\gamma/(2m)$ にあり($\omega_1$ は減衰でシフトした固有振動数.第2章で定義する),実部が振動数,虚部が減衰率になる.同じ構造が量子系でもそのまま成り立ち,第8章のLehmann表示で「極の位置=励起エネルギー」という形で現れる.プラズモン(第11章)もゼロ音波(第11章)も,応答関数の極として理解される.
叩いて返事を聞けば,叩かなくても系が何をしたがっているかが分かる——これが線形応答理論の最も美しい点である.
理由3:揺動と散逸が結びつく
第8章で導く揺動散逸定理は,「外力に対する応答(散逸)」と「平衡状態での自発的な揺らぎ」が同じ関数で書けることを主張する.
身近な例で言えば,抵抗器に電圧をかけると電流が流れて発熱する(散逸).同じ抵抗器は,電圧をかけなくても熱雑音(Johnson雑音)を出している(揺動).この2つは無関係に見えて,$\braket{V^2}=4k_BTR\Delta f$ という同じ $R$ で結ばれている.Nyquistが1928年に見出したこの関係の,一般的な形が揺動散逸定理である.
1.7 まとめと演習
1.7.1 まとめ
- 線形応答とは「弱く叩いて返事を聞く」枠組みである.外力 $f(t)$ に対する物理量のずれ $\delta A(t)$ を調べる.
- 3つの要請:線形性(近似),時間並進不変性(設定),因果律(法則).性格が違うことを意識しておく.
- この3つから,応答は必ず畳み込み積分 $\delta A(t)=\int_0^\infty\chi(\tau)f(t-\tau)\dd\tau$ の形になる.$\chi(\tau)$ は「系の記憶」を表す.
- Fourier空間では畳み込みが掛け算になる:$\delta A(\omega)=\chi(\omega)f(\omega)$.だから線形応答理論は振動数表示で語られる.
- 因果律は $\chi(\tau)=0\ (\tau<0)$ と等価であり,これは $\chi(\omega)$ が複素上半面で正則であることを意味する.第4章・第5章の出発点である.
- $\chi(\omega=0)$ は静的感受率で,自由エネルギーの2階微分 $-\partial^2 F/\partial f^2$ に等しい.その発散が相転移である.
- $\chi(\omega)$ の極が集団励起を,$\mathrm{Im}\,\chi$ がエネルギー散逸を,そして平衡揺らぎとの関係が揺動散逸定理を与える.以降の章はすべてこの3点の展開である.
1.7.2 演習問題
演習1.1 階段状の外力への応答
時刻 $t=0$ に外力を $0$ から $f_0$ へ階段状に立ち上げた($f(t)=f_0\theta(t)$).
(1) 一般の $\chi(\tau)$ に対して $\delta A(t)$ を積分の形で書け.
(2) Debye緩和 $\chi(\tau)=(\chi_0/\tau_0)\ee^{-\tau/\tau_0}\theta(\tau)$ の場合に積分を実行し,$\delta A(t)=\chi_0 f_0(1-\ee^{-t/\tau_0})$ となることを示せ.
(3) $t\to\infty$ で静的応答 $\chi_0 f_0$ に到達することを確かめよ.
ヒント:(1) $\delta A(t)=f_0\int_0^t\chi(\tau)\dd\tau$.
演習1.2 応答関数の実部と虚部の対称性
$\chi(\tau)$ が実関数であること(実の外力に対して実の応答が返る)から,
$$ \chi(-\omega) = \chi(\omega)^* $$が成り立つことを示せ.またこれより,$\mathrm{Re}\,\chi(\omega)$ は $\omega$ の偶関数,$\mathrm{Im}\,\chi(\omega)$ は奇関数であることを導け.
ヒント:式 \eqref{eq:1-chi-omega} の複素共役をとる.この性質は第4章のKramers–Kronig関係を「正の $\omega$ だけの積分」に書き直すときに使う.
演習1.3 RC回路の応答関数
抵抗 $R$ とコンデンサ $C$ の直列回路に電圧 $V(t)$ を加える.電流 $I(t)$ が応答である.
(1) 回路方程式 $RI + \frac{1}{C}\int I\,\dd t = V$ を微分して,$I$ についての微分方程式を作れ.
(2) $V(t)=V_0\ee^{-\ii\omega t}$ として,アドミッタンス $Y(\omega)=I(\omega)/V(\omega)$ を求めよ.
(3) $Y(\omega)$ の極の位置を複素平面上で求め,上半面にないことを確かめよ.
ヒント:(2) $Y(\omega)=\dfrac{-\ii\omega C}{1-\ii\omega RC}$.(3) 極は $\omega=-\ii/RC$ で下半面.因果律と整合する.
演習1.4 線形性が破れる例を見積もる
水分子の電気双極子モーメントは $p\approx 6.2\times10^{-30}\ \mathrm{C\,m}$,室温の熱エネルギーは $k_BT\approx 4.1\times10^{-21}\ \mathrm{J}$ である.
(1) 電場 $E$ の中で双極子が得るエネルギーは $pE$ である.線形応答が成り立つ条件 $pE\ll k_BT$ から,$E$ の上限を見積もれ.
(2) 得られた値を,水の絶縁破壊電場($\sim10^7\ \mathrm{V/m}$)と比べよ.
ヒント:(1) $E \ll 6.6\times10^8\ \mathrm{V/m}$.実験室の電場では線形応答が十分よい近似である.
演習1.5 因果律を破ると何が起きるか
仮に $\chi(\tau)=\dfrac{\chi_0}{2\tau_0}\,\ee^{-\abs{\tau}/\tau_0}$($\tau<0$ でもゼロでない)という「因果律を破る」応答関数を考える.
(1) $\chi(\omega)$ を計算せよ.
(2) $\chi(\omega)$ の極の位置を求め,上半面にも極があることを確かめよ.
(3) この系に $t=0$ でパルスを打ち込むと,$t<0$ に応答が現れることを説明せよ.
ヒント:(1) $\chi(\omega)=\dfrac{\chi_0}{1+\omega^2\tau_0^2}$.極は $\omega=\pm\ii/\tau_0$ で,片方が上半面にある.第4章で見るように,上半面に極があるとKramers–Kronig関係が破れる.
参考文献
- A. L. Fetter, J. D. Walecka『多粒子系の量子論 理論編』マグロウヒル,13節「外部摂動に対する線形応答の一般論」.
- 久保 亮五, "Statistical-Mechanical Theory of Irreversible Processes I", J. Phys. Soc. Jpn. 12, 570 (1957).
- H. Nyquist, "Thermal Agitation of Electric Charge in Conductors", Phys. Rev. 32, 110 (1928). —— 揺動散逸定理の原型.
- H. Bruus, K. Flensberg, Many-Body Quantum Theory in Condensed Matter Physics, Oxford University Press (2004), Chapter 6.