素粒子物理学入門 — 目次 第V部 標準模型の先と材料科学 / 第16章

第16章素粒子物理と材料科学の接点

ここまでの15章で,我々は Lorentz 変換から始めて,Feynman 則を書き,Dirac 方程式を解き,QED と QCD と電弱理論を組み立て,最後に標準模型の綻びを覗いた.それは,宇宙の最も基本的な階層を記述する体系であった.本章はその体系を,室温の実験室に持ち帰る.

本書のはじめに述べた企画意図をもう一度書いておく.材料科学者にとって素粒子物理学は無関係に見える.しかし,核融合炉の第一壁が何年もつかという問いは,$14.1\ \mathrm{MeV}$ の中性子と鉄原子核の弾性散乱の運動学,すなわち第4章の内容そのものである.ミュオンスピン回転法(μSR)で $100\%$ 偏極したミュオンビームが使えるのは,第6章で述べたパリティの最大破れのおかげである.陽電子消滅で空孔を測るとき,我々は第9章の Dirac 方程式が予言した反粒子を,試料に向けて撃ち込んでいる.中性子非弾性散乱でフォノン分散を測る式は,第8章の黄金律を書き下しただけのものである.そして超伝導の $\mathrm{U}(1)$ 対称性の破れは,第13章の Higgs 機構と同じ数学的構造をもち(どこまで対応するかは 16.10.1 項で整理する),歴史的には Anderson の超伝導の議論が Higgs 機構の先駆けであった.

つまり素粒子物理と材料科学は,「基礎」と「応用」という上下関係にあるのではない.同じ言語を,違うエネルギースケールで話しているだけである.本章はその翻訳辞書である.

本章の方針は,全編を通じて手を動かして数値を出すことである.核融合の $Q$ 値の配分を4元運動量保存から自分で計算し,Gamow 因子の指数を電卓で叩き,$14\ \mathrm{MeV}$ 中性子が鉄に叩き込む一次はじき出し原子(PKA)のエネルギーを求め,NRT 模型で欠陥数を数え,$\mathrm{dpa}$ を計算し,ミュオンの Bohr 半径を出し,陽電子寿命から空孔濃度を逆算する.どれも紙と電卓でできる.できるからこそ,これらの分野は素粒子物理の言葉で書かれていることが分かる.

最も象徴的な一本の式を挙げるなら,これである.

$$ \mathrm{D} + \mathrm{T} \;\longrightarrow\; {}^{4}\mathrm{He}\,(3.5\ \mathrm{MeV}) \;+\; n\,(14.1\ \mathrm{MeV}) $$

右辺の二つの数字は,$Q$ 値 $17.59\ \mathrm{MeV}$ を4元運動量保存則が $1:4$ に分けた結果である(16.1節で厳密に計算する).前者は炉を自己点火させる燃料となり,後者は第一壁を(壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$ あたり)毎年約 $10\ \mathrm{dpa}$ で壊し,同時にリチウムからトリチウムを再生産する.核融合という「材料問題」は,この一行の運動学から始まっている.

この章で学ぶこと
  • DT 反応の $Q$ 値 $17.589\ \mathrm{MeV}$ を核質量から出し,2体崩壊の運動学で $\alpha$ と $n$ に配分する(相対論的厳密解 $3.561/14.028$ と非相対論近似 $3.52/14.07$ の違いまで)
  • Coulomb 障壁 $444\ \mathrm{keV}$ と Gamow 因子 $\exp(-\sqrt{E_G/E})$,DT の Gamow エネルギー $E_G=1.18\ \mathrm{MeV}$,$64\ \mathrm{keV}$ での透過率 $1.4\%$
  • Maxwell 平均反応度 $\braket{\sigma v}\simeq 1.1\times10^{-24}\,T^2\ \mathrm{m^3/s}$ と,そこから導く点火条件 $nT\tau_E > 3\times10^{21}\ \mathrm{keV\,s\,m^{-3}}$
  • $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子が鉄に与える最大 PKA エネルギー $0.97\ \mathrm{MeV}$(第4章の弾性散乱の運動学)
  • Lindhard 因子(Fe の $1\ \mathrm{MeV}$ PKA で $\xi=0.35$)と NRT 模型 $N_d=0.8\,T_{\rm dam}/(2E_d)$,$\mathrm{dpa}$ の定義,第一壁で $1\ \mathrm{MW\,yr/m^2}$ が約 $10\ \mathrm{dpa}$ になること
  • 核変換による He 生成($\mathrm{He}/\mathrm{dpa}\approx10\ \mathrm{appm}$)と He 脆化,核分裂炉との $100$ 倍の差の由来
  • $^{6}$Li$(n,\alpha)$T によるトリチウム増殖,TBR,増殖材・増倍材・低放射化構造材・W ダイバータの選定論理
  • μSR:$\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ が V$-$A 理論により $100\%$ 偏極ミュオンを与えること,$\gamma_\mu/2\pi=135.5\ \mathrm{MHz/T}$,非対称度 $A(t)$,Kubo–Toyabe 関数の $1/3$ テール,$\sigma\propto\lambda^{-2}$ による磁場侵入長測定
  • 陽電子消滅:2状態捕獲模型から空孔濃度 $8\ \mathrm{appm}$ を逆算する,Tao–Eldrup 式で自由体積半径 $0.3\ \mathrm{nm}$ を出す,S/W パラメータ,2D-ACAR による Fermi 面測定
  • 核破砕中性子源の物理,$E[\mathrm{meV}]=81.804/\lambda^2[\text{Å}^2]$,散乱長が $Z$ に無関係であること,非弾性散乱断面積が第8章の黄金律そのものであること
  • Bethe の阻止能公式と SRIM,イオン照射による損傷模擬の $10^4$ 倍加速とその限界,SEU の臨界電荷 $10\ \mathrm{fC/\mu m}$ 則
  • 検出器材料を貫く一本の原理:分解能 $\Delta E\propto\sqrt{\varepsilon E}$,$\varepsilon$ が $26\ \mathrm{eV}\to3\ \mathrm{eV}\to1\ \mathrm{meV}$ と下がる階段
  • ミュオン Bohr 半径 $a_{d\mu}=270\ \mathrm{fm}$,$dt\mu$ 分子と粘着損失 $\omega_s=0.45\%$ がサイクル数を $120$ に制限すること,ミュオグラフィ
前提:第3章の四つの力と保存則,第4章の相対論的運動学(特に2体崩壊とMandelstam変数),第6章のパリティ非保存とV$-$A構造,第7章の束縛状態(Bohr 半径とポジトロニウム),第8章の黄金律と断面積の定義,第9章の Dirac 方程式と反粒子,第13章の自発的対称性の破れ.断面積・崩壊率の規約は付録Bにまとめてある.固体側の予備知識としては『固体物理学入門』のフォノンとバンド,『線形応答理論入門』の動的構造因子 $S(\bm{q},\omega)$ を知っていると読みやすいが,必須ではない.

16.1 核融合という材料問題

核融合炉が動かない理由は,これまで一貫して材料であった.トカマク配位が原理として成り立つことは 1980 年代までにおおむね実証され(乱流輸送・ディスラプション・ELM・密度限界といったプラズマ物理の課題は今も残っているが),$Q>1$(入力より出力が大きい)は 2022 年に慣性核融合で達成された.残る課題の多くが材料である.すなわち,$14\ \mathrm{MeV}$ の中性子を毎秒 $10^{20}$ 個浴びながら数年間形を保ち,トリチウムを自分で作り,$1000\ ^\circ\mathrm{C}$ を超える熱を取り出す材料を,人類がまだ持っていないという事実である.

その材料要求のすべては,たった一本の反応式の運動学から出てくる.まずそこを厳密にやる.

16.1.1 DT 反応の $Q$ 値

重水素 $\mathrm{D}={}^2\mathrm{H}$ と三重水素(トリチウム)$\mathrm{T}={}^3\mathrm{H}$ の融合反応

$$ \begin{equation} \mathrm{D} + \mathrm{T} \;\longrightarrow\; {}^{4}\mathrm{He} + n \label{eq:16-dt} \end{equation} $$

を考える.関与する4つの原子核の質量(原子質量ではなく核質量.電子を含まない)は

表16.1 DT 反応に関与する核の質量(自然単位系,$c=1$)
核記号質量 $[\mathrm{MeV}]$質量数 $A$電荷 $Z$
重陽子$d$1875.612721
三重陽子(トリトン)$t$2808.920931
$\alpha$ 粒子${}^4\mathrm{He}$3727.379442
中性子$n$939.565410

である.$Q$ 値は,第4章で定義したとおり始状態と終状態の静止質量の差である:

導出:$Q$ 値と,それが $\alpha$ と $n$ にどう配分されるか

ステップ1:$Q$ 値を出す.始状態の静止質量の和を $M_i$,終状態のそれを $M_f$ と書く.

$$ M_i = m_d + m_t = 1875.6127 + 2808.9209 = 4684.5336\ \mathrm{MeV} $$ $$ M_f = m_\alpha + m_n = 3727.3794 + 939.5654 = 4666.9448\ \mathrm{MeV} $$ $$ \begin{equation} Q \equiv M_i - M_f = 17.5888\ \mathrm{MeV} \label{eq:16-Q} \end{equation} $$

核子1個あたりに直すと $17.589/5 = 3.52\ \mathrm{MeV}$.化学反応($\mathrm{C}+\mathrm{O}_2$ で約 $4\ \mathrm{eV}$)の $10^6$ 倍である.この比が,核融合を追いかける理由のすべてを説明している.

ステップ2:重心系(CM 系)で考える.実際のプラズマでは D と T が $10\text{–}20\ \mathrm{keV}$ の熱運動エネルギーをもってぶつかるが,これは $Q=17.6\ \mathrm{MeV}$ に比べて約 $0.1\%$ なので,まず「D と T が静止した状態から始まる」として計算する.すると始状態の不変質量は

$$ W = \sqrt{s} = M_i = 4684.5336\ \mathrm{MeV} $$

である.これは第4章で扱った「質量 $W$ の粒子が2体に崩壊する」問題と数学的にまったく同じである.

ステップ3:2体崩壊の運動学を適用する.CM 系では $\bm{p}_\alpha = -\bm{p}_n$ であり,第4章の式(2体崩壊における娘粒子のエネルギー)から

$$ \begin{equation} E_n = \frac{W^2 + m_n^2 - m_\alpha^2}{2W}, \qquad E_\alpha = \frac{W^2 + m_\alpha^2 - m_n^2}{2W} \label{eq:16-2body} \end{equation} $$

である.数値を入れる.$W^2 = 4684.5336^2 = 2.194486\times10^{7}\ \mathrm{MeV^2}$,$m_n^2 = 8.82783\times10^{5}$,$m_\alpha^2 = 1.389335\times10^{7}$ なので

$$ E_n = \frac{2.194486\times10^{7} + 0.088278\times10^{7} - 1.389335\times10^{7}}{2\times4684.5336} = \frac{8.93429\times10^{6}}{9369.067} = 953.594\ \mathrm{MeV} $$

運動エネルギーは静止質量を引いて

$$ T_n = E_n - m_n = 953.594 - 939.565 = 14.029\ \mathrm{MeV} $$

ステップ4:きれいな閉じた形に直す.実は \eqref{eq:16-2body} は $Q$ を使って驚くほど簡単に書ける.$W = m_\alpha + m_n + Q$ を代入して展開すると,分子は

$$ W^2 + m_n^2 - m_\alpha^2 = (m_\alpha+m_n+Q)^2 - m_\alpha^2 + m_n^2 = 2m_n^2 + 2m_\alpha m_n + Q^2 + 2m_\alpha Q + 2 m_n Q $$

ここから $2m_n W = 2m_n m_\alpha + 2m_n^2 + 2m_n Q$ を引くと,$m_n$ を含む項がすべて消えて

$$ \begin{equation} T_n = \frac{Q\,(Q + 2m_\alpha)}{2W}, \qquad T_\alpha = \frac{Q\,(Q + 2m_n)}{2W} \label{eq:16-partition} \end{equation} $$

という美しい形になる.検算しよう:

$$ T_n = \frac{17.5888\times(17.5888 + 7454.759)}{9369.067} = \frac{17.5888\times7472.348}{9369.067} = 14.028\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_\alpha = \frac{17.5888\times(17.5888 + 1879.131)}{9369.067} = \frac{17.5888\times1896.720}{9369.067} = 3.5606\ \mathrm{MeV} $$

和を取ると $14.028+3.561=17.589\ \mathrm{MeV} = Q$ ✓.エネルギー保存が閉じた.∎

注意:教科書の $3.52 / 14.07$ はどこから来るのか

核融合の教科書では,この配分は $\alpha:3.52\ \mathrm{MeV}$,$n:14.06\text{–}14.07\ \mathrm{MeV}$ と書かれることが多い.上で厳密に出した $3.561/14.028$ とわずかに違う.違いの由来を追っておこう.三通りの近似がある.

  1. 質量数だけを使う非相対論近似.$\bm{p}_\alpha=-\bm{p}_n$ かつ $T=p^2/2m$ なら $T_\alpha/T_n = m_n/m_\alpha$.質量比を質量数 $1:4$ で代用すると $$T_n = \tfrac45 Q = 14.071\ \mathrm{MeV},\qquad T_\alpha = \tfrac15 Q = 3.518\ \mathrm{MeV}$$ これが $3.52/14.07$ の正体である.暗算できるのが利点で,工学の現場ではこれで十分.
  2. 実質量を使う非相対論近似.$T_n = Q\,m_\alpha/(m_\alpha+m_n) = 17.5888\times 0.798676 = 14.047\ \mathrm{MeV}$,$T_\alpha = 3.542\ \mathrm{MeV}$.
  3. 相対論的厳密解(式 \eqref{eq:16-partition}):$14.028/3.561\ \mathrm{MeV}$.

差は中性子側で $0.3\%$,$\alpha$ 側では $1.2\%$ 程度である(ずれの絶対量 $0.043\ \mathrm{MeV}$ は両者で共通だが,小さい $T_\alpha$ で割るぶん $\alpha$ 側の相対誤差が 4 倍大きくなる).ではなぜ厳密にやるのか.第4章の 4元運動量保存は,こういう場面で「近似の誤差がどちら向きにどれだけか」を答えてくれる確実な道具だからである.$\alpha$ の方が相対論効果で $0.5\%$ ほど得をしている($3.542\to3.561$)のは,反跳の速い中性子の方に相対論補正が食われるためである.なお実際のプラズマでは D と T が $10\text{–}20\ \mathrm{keV}$ の相対運動をもって衝突するので,中性子スペクトルは $14.03\ \mathrm{MeV}$ を中心に幅 $\Delta E \sim 177\sqrt{T[\mathrm{keV}]}\ \mathrm{keV}$($T=10\ \mathrm{keV}$ で約 $560\ \mathrm{keV}$ の FWHM)に Doppler 広がりをもつ.この幅を測ることがプラズマのイオン温度診断そのものになっている.

物理的意味:$1:4$ の配分がすべてを決めている

この配分こそが,核融合炉設計の分岐点である.

もし配分が逆で $\alpha$ に $80\%$ が行っていたら,点火はずっと簡単で,材料はずっと楽だっただろう.$1:4$ という比は,$m_\alpha/m_n\simeq4$ という核質量の事実から来ており,人間には変えようがない.核融合が材料の問題である根本理由は,ここにある.

16.1.2 Coulomb 障壁と Gamow 因子

$Q$ 値が正でも,反応は自動的には起きない.D と T はどちらも正電荷 $+e$ をもち,近づくと反発するからである.核力の到達距離まで接近するには,Coulomb 障壁を越えるか,くぐり抜けなければならない.

導出:DT の Coulomb 障壁の高さ

ステップ1:核が接触する距離.核半径の経験式 $R = r_0 A^{1/3}$($r_0=1.2\ \mathrm{fm}$)を使うと,二核が接触するのは

$$ R_{\rm c} = r_0\left(A_d^{1/3} + A_t^{1/3}\right) = 1.2\times\left(2^{1/3} + 3^{1/3}\right) = 1.2\times(1.2599+1.4422) = 3.243\ \mathrm{fm} $$

ステップ2:そこでの Coulomb ポテンシャル.自然単位系では $e^2/4\pi\epsilon_0 = \alpha\,\hbar c = (1/137.036)\times197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 1.4400\ \mathrm{MeV\,fm}$ である.したがって

$$ \begin{equation} V_{\rm C} = \frac{Z_1 Z_2\,\alpha\hbar c}{R_{\rm c}} = \frac{1\times1\times1.4400\ \mathrm{MeV\,fm}}{3.243\ \mathrm{fm}} = 0.444\ \mathrm{MeV} = 444\ \mathrm{keV} \label{eq:16-coulomb} \end{equation} $$

ステップ3:これが意味すること.$444\ \mathrm{keV}$ を温度に直すと,$k_B T = 444\ \mathrm{keV}$ すなわち $T = 5.2\times10^{9}\ \mathrm{K}$ である.太陽の中心温度は $1.5\times10^7\ \mathrm{K}$($1.3\ \mathrm{keV}$),トカマクの運転温度は $1\text{–}2\times10^8\ \mathrm{K}$($10\text{–}20\ \mathrm{keV}$).太陽中心は障壁の $0.3\%$,トカマクでも $2\text{–}5\%$ にすぎない.古典的には核融合は絶対に起きない.∎

それでも起きるのは,量子トンネル効果があるからである.これは Gamow が 1928 年に $\alpha$ 崩壊を説明するために導入した機構であり,核融合はその逆過程にあたる.

導出:Gamow 因子

ステップ1:WKB 近似.エネルギー $E$(重心系)の粒子が,ポテンシャル $V(r)$ の障壁(核表面 $R_{\rm c}$ から古典的転回点 $r_{\rm t}=Z_1Z_2\alpha\hbar c/E$ まで)をトンネルする確率は,WKB 近似で

$$ P = \exp\left[-\frac{2}{\hbar}\int_{R_{\rm c}}^{r_{\rm t}}\sqrt{2m_r\left(V(r)-E\right)}\;\dd r\right] $$

である.$m_r = m_d m_t/(m_d+m_t)$ は換算質量.数値を出しておくと

$$ m_r = \frac{1875.6127\times2808.9209}{4684.5336} = \frac{5.268448\times10^{6}}{4684.534} = 1124.65\ \mathrm{MeV} $$

ステップ2:積分を実行する.$V(r)=Z_1Z_2\alpha\hbar c/r$ を代入し,$R_{\rm c}\ll r_{\rm t}$ を仮定して下限をゼロに近似すると,この積分は解析的に実行できる.$x=r/r_{\rm t}$ と置くと

$$ \int_0^{r_{\rm t}}\sqrt{\frac{1}{x}-1}\;r_{\rm t}\dd x = r_{\rm t}\cdot\frac{\pi}{2} $$

という標準的な結果になる($\int_0^1\sqrt{1/x-1}\,\dd x=\pi/2$).整理すると指数は

$$ \begin{equation} P(E) = \ee^{-2\pi\eta}, \qquad \eta \equiv \frac{Z_1 Z_2\,\alpha}{v/c} = Z_1Z_2\,\alpha\sqrt{\frac{m_r c^2}{2E}} \label{eq:16-gamow} \end{equation} $$

$\eta$ を Sommerfeld パラメータと呼ぶ.水素原子の基底状態では電子の速度が $v/c=\alpha$ になる(第7章 7.2.2 項で微細構造を $v/c$ で展開したときの小さなパラメータがこれである).$\eta=Z_1Z_2\alpha/(v/c)$ は,相対運動の速さに対する Coulomb 相互作用の強さを表す無次元量として,束縛問題と散乱問題の両方に共通して現れる.

ステップ3:Gamow エネルギー.$2\pi\eta = \sqrt{E_G/E}$ と書けるように定数をまとめると

$$ \begin{equation} E_G = 2 m_r c^2\left(\pi\alpha Z_1 Z_2\right)^2 \label{eq:16-EG} \end{equation} $$

DT の場合,$\pi\alpha = \pi/137.036 = 0.0229253$ なので

$$ E_G = 2\times1124.65\ \mathrm{MeV}\times(0.0229253)^2 = 2249.3\times5.2557\times10^{-4} = 1.1822\ \mathrm{MeV} $$

ステップ4:$64\ \mathrm{keV}$ での透過率.実験で DT の断面積が最大になる重心系エネルギー $E=64\ \mathrm{keV}=0.064\ \mathrm{MeV}$ を入れると

$$ 2\pi\eta = \sqrt{\frac{1.1822}{0.064}} = \sqrt{18.472} = 4.298 \quad\Longrightarrow\quad P = \ee^{-4.298} = 1.36\times10^{-2} $$

つまり約 $1.4\%$.$444\ \mathrm{keV}$ の壁を $64\ \mathrm{keV}$ の粒子が $1.4\%$ の確率で通り抜ける.これがトンネル効果の威力である.なお $1.4\%$ は下限を $R_{\rm c}\to0$ とした慣習的な「Gamow 因子」の値であり,DT では $R_{\rm c}/r_{\rm t}=3.24/22.5=0.144$ が無視できない.有限の核半径を入れて $\int_{R_{\rm c}}^{r_{\rm t}}\sqrt{r_{\rm t}/r-1}\,\dd r = r_{\rm t}\left[\arccos\sqrt{x}-\sqrt{x(1-x)}\right]$($x=R_{\rm c}/r_{\rm t}$)を使うと,$\pi/2$ の $0.53$ 倍になるので指数は $4.30\times0.53=2.27$,透過率は約 $10\%$ に上がる.この違いは,あとで導入する $S(E)$ 因子の側に吸収される.∎

注意:$1.4\%$ は「反応確率」ではない

$P=1.4\%$ は障壁を通り抜ける確率であって,通り抜けた後に実際に融合する確率ではない.DT が特別に大きい断面積をもつのは,$^5$He の $J^\pi=3/2^+$ 共鳴が重心系 $64\ \mathrm{keV}$ 付近にちょうど乗っているからである(第8章 8.7.4 項,付録B B.4 節で見た共鳴の Breit–Wigner 形).DD にはこの共鳴がない.D$^3$He には鏡映核 $^5$Li の同種の $3/2^+$ 共鳴があるが(表16.2 の「$0.9\ \mathrm{b}$ @ $250\ \mathrm{keV}$」のピークがまさにそれである),$Z_1Z_2=2$ で障壁が高く,共鳴位置がプラズマ温度からはるかに遠い.DT が飛び抜けて反応しやすいのは,低い障壁と低エネルギーの共鳴の両方が揃っているからである.人類が最初の核融合炉に DT を選んだのは,この組合せのためである.

(a) DT 系の相互作用ポテンシャル.r が 3.24 fm より大きい領域では Coulomb 反発 V=1.44/r(MeV fm)で,障壁の頂上は 444 keV.その内側には核力の引力井戸(−50 MeV,縮尺外)がある.E=64 keV の粒子は転回点 r_t=22.5 fm から核表面までトンネルし,その確率は e^(−4.30)=1.4%.(b) Maxwell 分布の裾 e^(−E/kT)(青,減少),トンネル確率 e^(−√(E_G/E))(赤,増加),その積である Gamow ピーク(緑).
図16.1 (a) DT 系の相互作用ポテンシャル.$r>3.24\ \mathrm{fm}$ では Coulomb 反発 $V=1.44/r\ \mathrm{MeV\,fm}$,その内側は核力の引力井戸である.障壁の頂上は $444\ \mathrm{keV}$ だが,プラズマの粒子は $64\ \mathrm{keV}$ しか持たない.橙の破線が転回点 $r_{\rm t}=22.5\ \mathrm{fm}$ から核表面までのトンネル過程で,その確率は $1.4\%$.(b) Maxwell 分布の高エネルギー裾 $\ee^{-E/k_BT}$(青,減少)とトンネル確率 $\ee^{-\sqrt{E_G/E}}$(赤,増加)の積が鋭いピーク(緑)を作る.これを Gamow ピークと呼び,$E_0=(E_G (k_BT)^2/4)^{1/3}$ にある.核融合は,平均的な粒子ではなく,分布のごく一部の速い粒子が担っている.

16.1.3 断面積と Maxwell 平均反応度

断面積は,Gamow 因子と,第8章で学んだ「入射流束あたりの遷移確率」の構造から,次の形に書くのが標準である:

$$ \begin{equation} \sigma(E) = \frac{S(E)}{E}\,\ee^{-\sqrt{E_G/E}} \label{eq:16-astroS} \end{equation} $$

$1/E$ は de Broglie 波長の2乗 $\pi\bar\lambda^2 \propto 1/E$ から来る幾何学的因子,指数はトンネル因子,そして残った $S(E)$ を天体核 $S$ 因子と呼ぶ.$S(E)$ には核構造(共鳴)の情報だけが残り,エネルギー依存性がゆるやかになる.これが核物理でデータを外挿するときの標準的な整理法である.

表16.2 主な核融合反応の比較($Q$ 値は核質量から計算,生成物の配分は相対論的な二体運動学の厳密値,$\braket{\sigma v}$ は Bosch–Hale パラメータ化による代表値)
反応$Q\ [\mathrm{MeV}]$生成物の配分$\sigma_{\max}$$\braket{\sigma v}$ @ 10 keV
$[\mathrm{m^3/s}]$
@ 20 keV中性子
$\mathrm{D}+\mathrm{T}\to{}^4\mathrm{He}+n$17.59$\alpha$ 3.56 / $n$ 14.035.0 b @ 64 keV$1.1\times10^{-22}$$4.2\times10^{-22}$80% を持ち去る
$\mathrm{D}+\mathrm{D}\to{}^3\mathrm{He}+n$3.269$^3$He 0.82 / $n$ 2.450.11 b @ 1.8 MeV両分岐合計で
$1.2\times10^{-24}$ / $5.2\times10^{-24}$
2.45 MeV
$\mathrm{D}+\mathrm{D}\to\mathrm{T}+p$4.033T 1.01 / $p$ 3.020.10 b @ 2 MeV分岐比はほぼ 50:50なし
$\mathrm{D}+{}^3\mathrm{He}\to{}^4\mathrm{He}+p$18.35$\alpha$ 3.71 / $p$ 14.640.9 b @ 250 keV$2.1\times10^{-25}$$3.5\times10^{-24}$一次では なし
$p+{}^{11}\mathrm{B}\to3\,{}^4\mathrm{He}$8.683体に分配1.2 b @ 600 keV$T\sim150\ \mathrm{keV}$ が必要なし
$^{6}\mathrm{Li}+n\to{}^4\mathrm{He}+\mathrm{T}$4.784$\alpha$ 2.05 / T 2.73940 b @ 熱中性子障壁なし(中性子)—(増殖反応)

物理的意味:なぜ「先進燃料」は難しいのか

D$^3$He や $p^{11}$B は中性子をほとんど出さないので,$14\ \mathrm{MeV}$ 中性子による照射損傷も放射化も起きない.材料屋にとっては夢の燃料である.しかし表16.2 を見れば分かるとおり,$10\ \mathrm{keV}$ での反応度が DT の $1/500$ しかない.$Z_1Z_2$ が大きいと式 \eqref{eq:16-EG} で $E_G\propto (Z_1Z_2)^2$ が効き,Gamow 因子が壊滅的に小さくなるからである.$p^{11}$B は $Z_1Z_2=5$ なので,換算質量が $859.6\ \mathrm{MeV}$ と DT より小さいにもかかわらず,$E_G = 2\times859.6\times(5\pi\alpha)^2 = 22.6\ \mathrm{MeV}$,すなわち DT の $19$ 倍にもなる.

さらに悪いことに,温度を上げると制動放射(bremsstrahlung, $P_{\rm br}\propto Z_{\rm eff}\,n_e^2\sqrt{T_e}$)による損失が増える.ここで $Z_{\rm eff}\equiv\sum_i n_iZ_i^2/n_e$ であり,$Z_i^2$ の重みは $Z_{\rm eff}$ の定義の中に入っているので,$P_{\rm br}$ は $Z_{\rm eff}$ の1乗に比例する.$Z=5$ のホウ素を燃料に混ぜる時点で $Z_{\rm eff}$ が跳ね上がり,$p^{11}$B では制動放射損失が核融合出力を上回りかねないことが古くから指摘されている(Rider 1995).無中性子核融合が「材料問題を回避する解」にならないのは,このためである.我々は $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子と付き合うしかない.

16.1.4 Lawson 条件と点火条件

導出:点火条件 $nT\tau_E > 3\times10^{21}\ \mathrm{keV\,s\,m^{-3}}$

ステップ1:$\alpha$ 加熱パワー.密度 $n$ の DT プラズマ($n_D=n_T=n/2$)で,単位体積あたりの反応率は $n_Dn_T\braket{\sigma v} = (n^2/4)\braket{\sigma v}$.各反応で $\alpha$ が $E_\alpha=3.52\ \mathrm{MeV}$ を持ち込むから

$$ P_\alpha = \frac{n^2}{4}\braket{\sigma v}\,E_\alpha $$

ステップ2:損失パワー.プラズマの熱エネルギー密度は,電子とイオンがそれぞれ $\frac32 nT$ を持つので $W = 3nT$($T$ はエネルギー単位,$T_e=T_i=T$).これがエネルギー閉じ込め時間 $\tau_E$ で逃げるとすると

$$ P_{\rm loss} = \frac{W}{\tau_E} = \frac{3nT}{\tau_E} $$

ステップ3:釣り合わせる(点火条件).外部加熱なしで温度を保てる条件 $P_\alpha \ge P_{\rm loss}$ から

$$ \frac{n^2}{4}\braket{\sigma v}E_\alpha \;\ge\; \frac{3nT}{\tau_E} \quad\Longrightarrow\quad n\tau_E \;\ge\; \frac{12\,T}{\braket{\sigma v}\,E_\alpha} $$

ステップ4:三重積にする.両辺に $T$ を掛けると

$$ \begin{equation} n\,T\,\tau_E \;\ge\; \frac{12\,T^2}{\braket{\sigma v}\,E_\alpha} \label{eq:16-triple} \end{equation} $$

ここで一つ,きわめて都合のよい事実がある.$T=10\text{–}20\ \mathrm{keV}$ の範囲で DT の反応度は

$$ \braket{\sigma v} \simeq 1.1\times10^{-24}\,T^2\ \mathrm{m^3/s}\qquad(T\ \text{は}\ \mathrm{keV}\ \text{単位}) $$

と,$T^2$ でよく近似できる(表16.2 で検算:$T=10$ なら $1.1\times10^{-22}$ ✓,$T=20$ なら $4.4\times10^{-22}$ ✓).この範囲の外では近似が急速に悪くなり,$8\ \mathrm{keV}$ で $+15\%$,$25\ \mathrm{keV}$ で $+30\%$ ほど過大になる.これを代入すると $T^2$ が約分されて,右辺が温度によらない定数になる:

$$ n T\tau_E \ge \frac{12}{1.1\times10^{-24}\times 3520\ \mathrm{keV}} = \frac{12}{3.872\times10^{-21}} = 3.10\times10^{21}\ \mathrm{keV\,s\,m^{-3}} $$

これが有名な核融合三重積の条件である.∎

ステップ5:$n\tau_E$ に直す.$T=10\ \mathrm{keV}$ なら $n\tau_E \ge 3.1\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}s}$.磁場閉じ込め(トカマク)は $n\sim10^{20}\ \mathrm{m^{-3}}$,$\tau_E\sim3\ \mathrm{s}$ でこれを狙い,慣性核融合は $n\sim10^{31}\ \mathrm{m^{-3}}$,$\tau\sim10^{-11}\ \mathrm{s}$ という正反対の攻め方をする.積が同じであればよい,というのがこの式の主張である.

例:いまどこまで来ているか

ここで注意すべきは,これらの $Q$ がプラズマに入った熱と出てきた核融合エネルギーの比であり,発電所としての効率(壁プラグ効率)ではないことである.NIF のレーザーは電力 $\sim400\ \mathrm{MJ}$ を使って $2.05\ \mathrm{MJ}$ のレーザー光を作っている.工学的な $Q$ にはまだ二桁の隔たりがある.

16.2 14 MeV 中性子と照射損傷

ここからが本題である.第一壁に $14.1\ \mathrm{MeV}$ の中性子が飛び込む.何が起きるか.

中性子は電荷をもたないので,電子雲とはほとんど相互作用しない.原子核に直接ぶつかる.すなわち起きるのは核との弾性散乱(と,しきい値を超えた場合の核反応)である.弾性散乱で叩き飛ばされた原子が一次はじき出し原子(primary knock-on atom, PKA)となり,これが結晶中を暴れ回って損傷を生む.

16.2.1 PKA の最大エネルギー — 第4章の運動学そのもの

導出:質量 $M$ の静止原子核に質量 $m$ の中性子が弾性散乱したときの反跳エネルギー

ステップ1:非相対論で十分か確認する.$14.1\ \mathrm{MeV}$ の中性子は $E/m_n = 14.1/939.6 = 1.5\%$.$\gamma = 1.015$ なので,$1\%$ の精度なら非相対論でよい.ここでは非相対論で通し,最後に相対論補正の大きさを見積もる.

ステップ2:CM 系に移る.入射中性子の運動量を $p$,実験室系のエネルギーを $E_n=p^2/2m$ とする.CM 系の速度は

$$ v_{\rm CM} = \frac{m\,v}{m+M} $$

CM 系では,標的は速さ $v_{\rm CM}$ で近づき,弾性散乱では速さが変わらず向きだけ $\theta_{\rm CM}$ 回る.

ステップ3:標的の実験室系での反跳エネルギー.CM 系での標的の速度ベクトルを実験室系に戻すと,反跳運動エネルギーは

$$ \begin{equation} T = \frac{4mM}{(m+M)^2}\,E_n\,\sin^2\!\frac{\theta_{\rm CM}}{2} \label{eq:16-recoil} \end{equation} $$

となる(第4章で導いた式と同じ構造である).$\theta_{\rm CM}=\pi$(真後ろへ跳ね返る正面衝突)で最大になり

$$ \begin{equation} T_{\max} = \frac{4mM}{(m+M)^2}\,E_n \equiv \Lambda\,E_n \label{eq:16-Tmax} \end{equation} $$

$\Lambda$ をエネルギー移行係数と呼ぶ.

ステップ4:鉄に入れる.$m=1$(中性子),$M=56$(鉄)を質量数で近似すると

$$ \Lambda_{\rm Fe} = \frac{4\times1\times56}{(1+56)^2} = \frac{224}{3249} = 0.06894 $$ $$ T_{\max} = 0.06894 \times 14.1\ \mathrm{MeV} = 0.972\ \mathrm{MeV} $$

すなわち,$14\ \mathrm{MeV}$ の中性子は,鉄原子を最大約 $1\ \mathrm{MeV}$ で叩き出す.∎

ステップ5:平均値.CM 系で等方散乱なら $\braket{\sin^2(\theta_{\rm CM}/2)}=1/2$ なので $\braket{T}=T_{\max}/2 = 0.49\ \mathrm{MeV}$.ただし $14\ \mathrm{MeV}$ では散乱が前方に偏る($kR\sim3$ の回折パターン)ので,実際の平均反跳エネルギーはこれより小さく $0.2\text{–}0.4\ \mathrm{MeV}$ 程度である.

表16.3 $14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子に対するエネルギー移行係数と最大 PKA エネルギー,およびはじき出しエネルギー $E_d$
元素$A$$\Lambda=4A/(1+A)^2$$T_{\max}\ [\mathrm{MeV}]$$E_d\ [\mathrm{eV}]$$T_{\max}/2E_d$
Be90.3605.0831$8.2\times10^4$
C(黒鉛)120.2844.0031$6.5\times10^4$
Si280.1331.8821$4.5\times10^4$
Cr520.07401.0440$1.3\times10^4$
Fe560.06890.97240$1.2\times10^4$
Cu640.06060.85430$1.4\times10^4$
Mo960.04080.57560$4.8\times10^3$
W1840.02150.30390$1.7\times10^3$

材料科学との接点:4元運動量保存が第一壁の寿命を決める

表16.3 の $\Lambda=4A/(1+A)^2$ は,第4章で書いた4元運動量保存 $p_1^\mu+p_2^\mu = p_3^\mu+p_4^\mu$ から出てくる純粋な運動学である.核構造も,結晶構造も,温度も入っていない.それでも,この一つの式が材料選択に直結する.

タングステンの $\Lambda$ は鉄の $1/3$ である.同じ $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子を浴びても,W が受け取る反跳エネルギーは Fe の $1/3$ しかない.一方で W は $E_d$ が $90\ \mathrm{eV}$ と大きい(結合が強い).両方が効いて,1回の衝突で生まれる欠陥数 $T_{\max}/2E_d$ は Fe の $1/7$ になる.W が核融合炉のプラズマ対向材料に選ばれる理由の一つは,重いこと,それ自体である.

逆に,軽い元素(Be,C)は $\Lambda$ が大きく,$T_{\max}$ が $4\text{–}5\ \mathrm{MeV}$ にも達する.黒鉛が 2000 年代までダイバータ材の主流でありながら(JET が ITER-Like Wall で W に移ったのは 2011 年,ASDEX Upgrade の全 W 化は 2007 年である),最終的に W に置き換えられていった理由の一つがこれである(トリチウム共堆積の問題がより深刻ではあったが).

素粒子物理の運動学が,そのまま炉工学の材料仕様書になっている.これが本書で繰り返し見ることになる型である.

16.2.2 はじき出しエネルギー $E_d$ と NRT 模型

$1\ \mathrm{MeV}$ の PKA が結晶中を走ると,次々に他の原子を叩き出す.叩き出された原子がまた叩き出す.この連鎖をはじき出しカスケード(displacement cascade)と呼ぶ.何個の欠陥ができるか,を数えるのが照射損傷学の第一歩である.

はじき出しエネルギー $E_d$

結晶中の原子を格子点から永久に引き離し,安定なフレンケル対(空孔+格子間原子)を作るのに必要な最小の運動エネルギーをはじき出しエネルギー(displacement threshold energy)$E_d$ と呼ぶ.

$E_d$ は結合エネルギー($\sim5\ \mathrm{eV}$)より一桁大きい.叩き出された原子が近くの格子間位置で止まると再結合してしまうため,十分遠くまで飛ばす必要があるからである.$E_d$ は結晶方位に強く依存する(Fe では $\langle100\rangle$ 方向に $17\ \mathrm{eV}$,$\langle111\rangle$ に $34\ \mathrm{eV}$ など)ので,実務では方位平均した値を使う.ASTM E521 の推奨値は Fe で $\boxed{40\ \mathrm{eV}}$,W で $90\ \mathrm{eV}$ である.

導出:Kinchin–Pease から NRT へ

ステップ1:Kinchin–Pease(1955)の素朴な数え上げ.エネルギー $T$ の原子が,エネルギーを半分ずつ分け合う二体衝突を繰り返すとする.$T\to T/2 + T/2 \to T/4\times4\to\cdots$ と続き,各粒子のエネルギーが $E_d$ を下回ったところで止まる.最終的にできる欠陥の数は

$$ N_d = \frac{T}{2E_d} $$

である($2E_d$ で割るのは,1個の欠陥を作るのに平均 $2E_d$ を消費するという簡単な議論から).

ステップ2:電子的阻止能を差し引く.PKA は原子核を叩くだけでなく,電子を励起してエネルギーを失う.電子励起は欠陥を作らない(金属では).そこで,全エネルギー $T$ のうち原子核との衝突に使われた分だけを数える.これを損傷エネルギー(damage energy)$T_{\rm dam}$ と呼び,Lindhard の理論で計算する:

$$ T_{\rm dam} = \frac{T}{1 + k\,g(\varepsilon)},\qquad \varepsilon = \frac{T}{E_L},\qquad g(\varepsilon) = 3.4008\,\varepsilon^{1/6} + 0.40244\,\varepsilon^{3/4} + \varepsilon $$

ここで $k = 0.1337\,Z^{2/3}A^{-1/2}$ は電子的阻止能の強さを表す定数,$E_L$ は Lindhard の換算エネルギーを定める規格化定数で

$$ E_L = 30.724\,Z_1Z_2\left(Z_1^{2/3}+Z_2^{2/3}\right)^{1/2}\frac{A_1+A_2}{A_2}\ \mathrm{eV} $$

と書かれる.自己反跳,すなわち $Z_1=Z_2=Z$,$A_1=A_2$ の場合には $\left(2Z^{2/3}\right)^{1/2}\times2 = 2\sqrt2\,Z^{1/3}$ となるので

$$ E_L = 30.724\times2\sqrt2\;Z^{7/3} = 86.9\,Z^{7/3}\ \mathrm{eV} $$

である.係数 $30.724$ をそのまま $Z^{7/3}$ の前に置いてしまう誤りが文献にもときどき見られるが,自己反跳では $2\sqrt2$ 倍の $86.9$ が正しい.$E_L$ を $1/2.8$ に取り違えると $\varepsilon$ が $2.8$ 倍になり,$1\ \mathrm{MeV}$ PKA の $\xi$ は $0.35$ ではなく $0.20$ になってしまう.欠陥数の見積もりが $4$ 割狂う,無視できない差である.

Fe で数値を出す.$Z=26$,$A=56$ なので $Z^{7/3}=2.00\times10^{3}$,したがって $E_L = 86.9\times2.00\times10^{3} = 1.74\times10^{5}\ \mathrm{eV} = 174\ \mathrm{keV}$,$k = 0.1337\times26^{2/3}/\sqrt{56} = 0.1337\times8.776/7.483 = 0.157$ である.これを使って $\xi = T_{\rm dam}/T$(Lindhard 因子)を計算すると次のようになる.

表16.4 Fe 中の Fe 反跳原子に対する Lindhard 因子 $\xi = T_{\rm dam}/T$
$T$$\varepsilon = T/E_L$$g(\varepsilon)$$k\,g$$\xi$
$10\ \mathrm{keV}$0.05752.220.3480.74
$100\ \mathrm{keV}$0.5753.940.6180.62
$300\ \mathrm{keV}$1.7246.050.9490.51
$490\ \mathrm{keV}$2.8167.731.2120.45
$1\ \mathrm{MeV}$5.74611.791.8490.35

すなわち Fe の $1\ \mathrm{MeV}$ PKA では $\xi\approx0.35$,$100\ \mathrm{keV}$ PKA では $\xi\approx0.62$ である.PKA が速いほど電子励起に食われる割合が大きく,欠陥を作るのに使われるエネルギーの割合は下がる.$14\ \mathrm{MeV}$ 中性子が作るような $\mathrm{MeV}$ 級の PKA では,エネルギーの $2/3$ が電子系に消えてしまうのである.

ステップ3:二体衝突近似シミュレーションが教えた $0.8$.Norgett–Robinson–Torrens(1975)は,二体衝突近似(BCA)コード MARLOWE の計算から Kinchin–Pease の $N_d$ に係数 $0.8$ を掛けるべきだと結論した(1975 年当時,カスケード全体の分子動力学計算はまだ実用段階になかった).こうして標準式(NRT 模型)が定まる:

$$ \begin{equation} N_d = \frac{0.8\;T_{\rm dam}}{2\,E_d} \label{eq:16-nrt} \end{equation} $$

ステップ4:数値を出す.Fe に $T=1.0\ \mathrm{MeV}$ の PKA を作ったとする.表16.4 より $\xi=0.35$ なので $T_{\rm dam}=0.35\ \mathrm{MeV}=3.5\times10^5\ \mathrm{eV}$.$E_d=40\ \mathrm{eV}$ なので

$$ N_d = \frac{0.8\times3.5\times10^5}{2\times40} = \frac{2.8\times10^5}{80} = 3.5\times10^3 $$

中性子1個が鉄原子1個を叩いただけで,$3500$ 個のフレンケル対ができる.これが照射損傷の規模感である.残りの $0.65\ \mathrm{MeV}$ は電子励起に消え,最終的にはただの熱になっている.∎

注意:NRT は「実際にできる欠陥数」ではない

NRT の $N_d$ は,カスケードが完全に冷える前,つまり衝突が終わった瞬間の数である.実際には $10^{-12}\ \mathrm{s}$ 程度の熱スパイク(局所的に融点を超える)の間に,$70\%$ 以上の欠陥が再結合して消える.

分子動力学(MD)計算に基づくarc-dpa(athermal recombination corrected dpa)模型では,生き残り効率を

$$ \xi_{\rm arc}(T_{\rm dam}) = \frac{1-c}{(2E_d/0.8)^{b}}\,T_{\rm dam}^{\,b} + c $$

と書き,Nordlund ら(2018)のパラメータでは,高エネルギー極限が Fe で $c\approx0.29$($b=-0.57$),W で $c\approx0.12$($b=-0.56$)になる.すなわち実際の欠陥数は NRT の $1\text{–}3$ 割であり,Fe では約 $3$ 割,W では $1$ 割強にすぎない.それでも NRT-dpa が使い続けられているのは,これが「照射量の共通単位」として機能しているからであって,物理的な欠陥数を主張しているからではない.論文で dpa を読むときは,どの定義かを必ず確認すること.

16.2.3 dpa — 照射量の共通通貨

dpa(displacements per atom)

照射期間中に,材料中の原子1個あたり平均何回,格子点から叩き出されたかを表す量.定義は

$$ \begin{equation} \mathrm{dpa} = \int_0^{t}\!\!\dd t' \int\!\dd E\; \phi(E,t')\,\sigma_{\rm dpa}(E), \qquad \sigma_{\rm dpa}(E) = \int\!\dd T\;\frac{\dd\sigma(E,T)}{\dd T}\,N_d(T) \label{eq:16-dpa} \end{equation} $$

$\phi$ は中性子束 $[\mathrm{m^{-2}s^{-1}}]$,$\dd\sigma/\dd T$ は PKA エネルギー $T$ を与える微分断面積である.$\sigma_{\rm dpa}$ は「はじき出し断面積」で,$N_d\sim10^3$ が掛かるため通常の核反応断面積(バーン単位)よりはるかに大きい値になる.$1\ \mathrm{dpa}$ は「平均して全原子が1回ずつ叩き出された」ことを意味する.

導出:核融合炉第一壁で「$1\ \mathrm{MW\,yr/m^2}$ = $10\ \mathrm{dpa}$」を出す

ステップ1:中性子束を出す.第一壁の中性子壁負荷を $1\ \mathrm{MW/m^2}$ とする.中性子1個は $14.1\ \mathrm{MeV}$ を運ぶ.SI に直すと

$$ 14.1\ \mathrm{MeV} = 14.1\times10^{6}\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J} = 2.259\times10^{-12}\ \mathrm{J} $$ $$ \phi = \frac{1\times10^{6}\ \mathrm{W/m^2}}{2.259\times10^{-12}\ \mathrm{J}} = 4.43\times10^{17}\ \mathrm{n\,m^{-2}s^{-1}} = 4.43\times10^{13}\ \mathrm{n\,cm^{-2}s^{-1}} $$

ステップ2:はじき出し断面積を見積もる.Fe に対する $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子の全反応断面積(弾性+非弾性)は約 $2.5\ \mathrm{b}$.平均反跳エネルギーを $\braket{T}=T_{\max}/2=0.49\ \mathrm{MeV}$ とし,表16.4 からこのエネルギーでの Lindhard 因子 $\xi=0.45$ を読むと $T_{\rm dam}=0.22\ \mathrm{MeV}$ で

$$ N_d = \frac{0.8\times2.2\times10^{5}}{80} = 2.2\times10^{3} $$ $$ \sigma_{\rm dpa} \simeq 2.5\ \mathrm{b}\times2.2\times10^{3} = 5.5\times10^{3}\ \mathrm{b} = 5.5\times10^{-21}\ \mathrm{cm^2} $$

ステップ3:掛ける.

$$ \frac{\dd(\mathrm{dpa})}{\dd t} = \sigma_{\rm dpa}\,\phi = 5.5\times10^{-21}\times4.43\times10^{13} = 2.4\times10^{-7}\ \mathrm{dpa/s} $$

1 年(フル稼働 $3.156\times10^{7}\ \mathrm{s}$)では $2.4\times10^{-7}\times3.156\times10^{7} = 7.7\ \mathrm{dpa}$ となる.壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$ で年 $7.7\ \mathrm{dpa}$,すなわち壁負荷に比例して $7.7\ \mathrm{dpa/yr}$ per $\mathrm{MW/m^2}$ という換算則である(第1章 1.5.2 項も同じ全断面積 $2.5\ \mathrm{b}$,$\xi=0.45$,$N_d=2.2\times10^3$ を使い,壁負荷 $2\ \mathrm{MW/m^2}$ で年 $15\ \mathrm{dpa}$($15.4$),すなわちこの換算則と同じ値を得ている).散乱の前方偏りや非弾性チャンネルまで含めた詳細な群定数計算では $10\ \mathrm{dpa}$ 前後になり,設計で使われる換算則

$$ \begin{equation} 1\ \mathrm{MW\,yr/m^2} \;\simeq\; 10\ \mathrm{dpa}\quad(\text{鋼}) \label{eq:16-dparate} \end{equation} $$

が得られる.われわれの粗い見積もりは $8\ \mathrm{dpa}$ 弱で,$2$ 割ほど小さいだけである.核融合炉設計で標準的に使われる換算則が,紙と電卓でほぼ再現できた.∎

表16.5 照射量の相場(構造材の位置)
装置・位置目安の照射量He 生成$\mathrm{He/dpa}$
ITER 第一壁(全寿命)$\sim3\ \mathrm{dpa}$$\sim30\ \mathrm{appm}$$\sim10$
DEMO 第一壁(5 年)$50\text{–}80\ \mathrm{dpa}$$500\text{–}1000\ \mathrm{appm}$$10\text{–}13$
商用核融合炉(目標)$100\text{–}200\ \mathrm{dpa}$$>1000\ \mathrm{appm}$$\sim12$
PWR 炉内構造物(オーステナイト鋼,40 年)$\sim80\ \mathrm{dpa}$数百 $\mathrm{appm}$
($^{59}$Ni の2段階反応)
$1\text{–}10$
高速炉 被覆管(フェライト鋼,設計値)$150\ \mathrm{dpa}$$\sim20\ \mathrm{appm}$$\sim0.15$
イオン照射(自己イオン,加速試験)$100\ \mathrm{dpa}$ を $1$ 日で$0$(単ビーム)$0$

16.2.4 なぜ $14\ \mathrm{MeV}$ が特別なのか — しきい値反応

表16.5 の $\mathrm{He/dpa}$ の欄を見てほしい.核融合炉と高速炉(フェライト鋼)で,dpa は同じオーダーなのに He 生成が $100$ 倍違う.なおこの「$100$ 倍」は高速炉やフェライト鋼と比べたときの数字であり,Ni を多く含む軽水炉の炉内構造物では $^{58}\mathrm{Ni}(n,\gamma){}^{59}\mathrm{Ni}(n,\alpha)$ の2段階反応が効くため $\mathrm{He/dpa}$ が数 $\mathrm{appm/dpa}$ まで上がる(それでも核融合炉の $1/2$ 〜 $1/10$ である).この差こそが,「核分裂炉のデータを核融合炉に流用できない」根本理由であり,$14\ \mathrm{MeV}$ が特別である理由である.

導出:$^{56}\mathrm{Fe}(n,\alpha)$ による He 生成率

ステップ1:反応と,そのしきい値.

$$ n + {}^{56}\mathrm{Fe} \;\to\; {}^{53}\mathrm{Cr} + \alpha, \qquad Q = +0.33\ \mathrm{MeV} $$

質量欠損だけを見ればこの反応はわずかに発熱である(質量超過 $\Delta({}^{56}\mathrm{Fe})=-60.61$,$\Delta(n)=+8.07$,$\Delta({}^{53}\mathrm{Cr})=-55.28$,$\Delta(\alpha)=+2.42\ \mathrm{MeV}$ から $Q=(-60.61+8.07)-(-55.28+2.42)=+0.33\ \mathrm{MeV}$.AME の値では $+0.326\ \mathrm{MeV}$).それでも低エネルギーでは起きない.出て行く $\alpha$ が $Z=24$ の $^{53}$Cr の Coulomb 障壁($\sim10\ \mathrm{MeV}$)を内側から突き抜けねばならず,そのトンネル確率が 16.1節の Gamow 因子と同じ形で抑えられるからである.実効的に有意な断面積が立つのは $5\ \mathrm{MeV}$ 以上である.

比較のために,同じ $^{56}$Fe の $(n,p)$ 反応を見ておこう.こちらは正真正銘の吸熱反応である:

$$ n + {}^{56}\mathrm{Fe} \;\to\; {}^{56}\mathrm{Mn} + p, \qquad Q = -2.91\ \mathrm{MeV} $$

$Q<0$ のとき,実験室系のしきい値は,重心の運動エネルギーとして持ち去られる分だけ $\abs{Q}$ より高くなる:

$$ E_{\rm th} = \abs{Q}\,\frac{m_n + M}{M} = 2.91\times\frac{57}{56} = 2.97\ \mathrm{MeV} $$

いずれにせよ,$(n,\alpha)$ も $(n,p)$ も $\mathrm{MeV}$ 級の中性子でなければ開かない.これが以下の議論の要点である.

ステップ2:$14\ \mathrm{MeV}$ での断面積.$\sigma_{(n,\alpha)}({}^{56}\mathrm{Fe}, 14.1\ \mathrm{MeV}) \approx 45\ \mathrm{mb}$.

ステップ3:生成率を出す.16.2.3項の導出(ステップ1)で求めた $\phi=4.43\times10^{13}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$(壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$)を使って

$$ R_{\rm He} = \sigma_{(n,\alpha)}\,\phi = 4.5\times10^{-26}\ \mathrm{cm^2}\times4.43\times10^{13}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}} = 2.0\times10^{-12}\ \mathrm{s^{-1}}\ \text{(per Fe atom)} $$

1 年で

$$ 2.0\times10^{-12}\times3.156\times10^{7} = 6.3\times10^{-5} = 63\ \mathrm{appm/yr} $$

Cr,Ni,Mn など合金元素からの寄与を加えると $\sim100\ \mathrm{appm/yr}$.同じ壁負荷で 1 年に約 $10\ \mathrm{dpa}$(式 \eqref{eq:16-dparate})だから $\mathrm{He/dpa}\approx10\ \mathrm{appm/dpa}$ となり,表16.5 と一致する.∎

ステップ4:核分裂炉ではどうか.核分裂中性子のスペクトルは Watt 分布

$$ \chi(E) \propto \ee^{-E/a}\sinh\sqrt{bE},\qquad a=0.965\ \mathrm{MeV},\ b=2.29\ \mathrm{MeV^{-1}} $$

で,平均 $2.0\ \mathrm{MeV}$,ピーク $0.72\ \mathrm{MeV}$,$5\ \mathrm{MeV}$ 以上の割合は $5\%$ 程度である(数値積分で確かめられる).しかも軽水炉では減速されて熱中性子になる.したがって $(n,\alpha)$ 反応はほとんど起きない.軽水炉での He は,主に $^{10}\mathrm{B}(n,\alpha)$(ホウ素不純物)と,$^{58}\mathrm{Ni}(n,\gamma){}^{59}\mathrm{Ni}(n,\alpha)$ という2段階反応で作られる.フェライト鋼では両者とも微量だが,Ni を $10\%$ 以上含むオーステナイト鋼では後者が無視できず,$40$ 年で数百 $\mathrm{appm}$ に達する(バッフルボルトの照射脆化で問題になっているのはこれである).それでも $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子が直接叩く $(n,\alpha)$ には及ばない.

(a) 核分裂炉(Watt スペクトル,平均 2 MeV)と核融合炉(14.1 MeV の単色ピーク+減速成分)の中性子スペクトル.対数の横軸で,(n,α)(n,p)(n,2n) のしきい値領域(5 MeV 以上)を網掛けで示す.(b) He 気泡が粒界に偏析して粒界を覆い,引張応力で粒界破壊(高温 He 脆化)に至る様子の模式図.
図16.2 (a) 核分裂炉(Watt スペクトル,平均 $2\ \mathrm{MeV}$)と核融合炉($14.1\ \mathrm{MeV}$ の単色ピーク+減速成分)の中性子スペクトル.$(n,\alpha)$,$(n,p)$,$(n,2n)$ といったしきい値反応が起きるのは網掛けの $5\ \mathrm{MeV}$ 以上であり,核分裂中性子はほとんどここに存在しない.これが(フェライト鋼で比べたときの)$\mathrm{He/dpa}$ の $100$ 倍の差を生む.(b) 生成した He は不活性ガスで化学結合を作らず,格子に固溶できないため,空孔や界面に捕まりながら拡散して粒界に集まり気泡を作る.気泡が粒界を覆うと,延性的な粒内破壊から脆性的な粒界破壊へ遷移する(高温 He 脆化).

物理的意味:He がなぜそこまで悪さをするのか

He は閉殻の不活性ガスであり,金属原子と化学結合を作らない.したがって格子内に固溶できず,空孔に捕まって $\mathrm{He}_n\mathrm{V}_m$ クラスタを作り,やがて気泡になる.気泡の内圧は,表面張力とのつり合いから

$$ p = \frac{2\gamma}{r} $$

で与えられる.$\gamma\approx2\ \mathrm{J/m^2}$(鉄の表面エネルギー),$r=1\ \mathrm{nm}$ とすると $p = 4\times10^{9}\ \mathrm{Pa} = 4\ \mathrm{GPa}$.鉄の理論強度に匹敵する圧力が,ナノメートルの泡の中に閉じ込められている.

この気泡が粒界に並ぶと,粒界の実効的な結合面積が減り,かつ気泡を核として空洞が成長する.結果として(i)$500\ ^\circ\mathrm{C}$ 以上で延性が失われる高温 He 脆化,(ii)体積が数 $\%$ 膨らむスエリングが起きる.どちらも設計寿命を直接決める.

対策の考え方は「He を捕まえる場所を,粒界より先に大量に用意する」ことである.酸化物分散強化(ODS)鋼では,$\mathrm{Y}_2\mathrm{O}_3$ のナノ粒子(直径 $2\text{–}5\ \mathrm{nm}$,数密度 $10^{23}\ \mathrm{m^{-3}}$)を分散させ,その界面を He のトラップサイトにする.粒界1個あたりの He 量を薄めるという,きわめて素朴だが有効な戦略である.

コラム:カスケードと熱スパイク — $10^{-12}$ 秒の出来事

PKA が生む損傷は,時間スケールで4段階に分かれる.

  1. 衝突段階($10^{-13}\ \mathrm{s}$):PKA が二次・三次のはじき出しを連鎖的に起こす.この時点での欠陥数が NRT の $N_d$ に相当する.$1\ \mathrm{MeV}$ PKA では領域が枝分かれし,複数のサブカスケード(それぞれ $\sim20\ \mathrm{keV}$)に分裂する.
  2. 熱スパイク($10^{-12}\ \mathrm{s}$):直径 $5\text{–}10\ \mathrm{nm}$ の領域が局所的に「融点を超える」.格子は一時的に無秩序になる.
  3. 急冷($10^{-11}\ \mathrm{s}$):周囲の冷たい母材に熱が逃げ,$10^{14}\ \mathrm{K/s}$ という凄まじい速度で凝固する.この間に $70\text{–}80\%$ の欠陥が再結合して消える.生き残るのは,中心部の空孔クラスタと,外側に押し出された格子間原子クラスタ(転位ループ)である.
  4. 長時間発展($\mathrm{s}\text{–}\mathrm{yr}$):生き残った点欠陥が熱拡散し,シンク(転位,粒界,析出物)に吸収されたり,集合してボイド・ループ・析出物になったりする.材料の性質を実際に変えるのはこの段階である.

面白いのは,(1)–(3) が MD で直接計算できる(原子数 $10^6\text{–}10^8$,時間 $100\ \mathrm{ps}$)のに対し,(4) は $10^{12}$ 倍も長く,まったく別の手法(速度論的モンテカルロ,レート理論,相場模型)を要することである.素粒子物理の言葉で言えば,これはスケール分離であり,各階層で有効理論を作って上の階層にパラメータを渡すという,くりこみ群と同じ発想で扱われている(16.10節).

16.3 トリチウム増殖と第一壁

核融合炉には,実は最初から致命的な難点がある.燃料の半分(トリチウム)が地球上にほとんど存在しないことである.

T は半減期 $12.32$ 年の $\beta^-$ 放射体であり($\beta$ 線の最大エネルギー $18.6\ \mathrm{keV}$,平均 $5.7\ \mathrm{keV}$),天然には宇宙線が大気中で作る $\sim3.5\ \mathrm{kg}$ しか存在しない.人工的には,重水減速炉(CANDU 炉)の重水中で $\mathrm{D}(n,\gamma)\mathrm{T}$ によって副生するものが,民生用としてはほぼ唯一のまとまった供給源で(軍事用には Li を装填した照射標的から生産されている),世界の総在庫は $20\text{–}30\ \mathrm{kg}$ 程度と見積もられている.

例:核融合炉は年間どれだけ T を食うか

熱出力 $1\ \mathrm{GW}$ の DT 炉を考える.1 回の反応が $Q=17.589\ \mathrm{MeV} = 2.818\times10^{-12}\ \mathrm{J}$ を出すから,必要な反応率は

$$ R = \frac{1\times10^{9}\ \mathrm{J/s}}{2.818\times10^{-12}\ \mathrm{J}} = 3.55\times10^{20}\ \mathrm{s^{-1}} $$

1 年($3.156\times10^{7}\ \mathrm{s}$)では $1.12\times10^{28}$ 回.反応 1 回につきトリトン 1 個を消費するので,モル数は $1.12\times10^{28}/6.022\times10^{23} = 1.86\times10^{4}\ \mathrm{mol}$.T の原子量は $3.016$ だから

$$ m_{\rm T} = 1.86\times10^{4}\times3.016\ \mathrm{g} = 56\ \mathrm{kg/yr}\quad(\text{熱出力 }1\ \mathrm{GW}\text{ あたり}) $$

1 基の炉が,1 年で世界の全在庫の2倍を燃やす.したがって核融合炉は,例外なく,自分で使う T を自分で作らなければならない.これは「あったら便利な機能」ではなく,成立要件である.

16.3.1 $^{6}\mathrm{Li}(n,\alpha)\mathrm{T}$ と増殖比

幸い,中性子は $80\%$ のエネルギーを持って炉から出てくる(16.1節).これをリチウムに当てれば T ができる.

$$ \begin{equation} n + {}^{6}\mathrm{Li} \;\to\; {}^{4}\mathrm{He}\,(2.05\ \mathrm{MeV}) + \mathrm{T}\,(2.73\ \mathrm{MeV}), \qquad Q = +4.784\ \mathrm{MeV} \label{eq:16-li6} \end{equation} $$ $$ \begin{equation} n + {}^{7}\mathrm{Li} \;\to\; {}^{4}\mathrm{He} + \mathrm{T} + n', \qquad Q = -2.467\ \mathrm{MeV} \label{eq:16-li7} \end{equation} $$

例題16.1 $^{6}\mathrm{Li}(n,\alpha)\mathrm{T}$ のエネルギー配分

熱中性子(運動エネルギー $\sim0.025\ \mathrm{eV}$,無視できる)が $^6$Li に吸収されたとき,$\alpha$ と T のエネルギーを求めよ.

解答.始状態は実質的に静止しているので,16.1節の2体崩壊の運動学がそのまま使える.$Q=4.784\ \mathrm{MeV}\ll m_\alpha, m_t$ なので非相対論でよい.運動量保存 $\bm{p}_\alpha=-\bm{p}_t$ より $T_\alpha m_\alpha = T_t m_t$,すなわち

$$ T_t = Q\,\frac{m_\alpha}{m_\alpha+m_t} = 4.784\times\frac{3727.379}{3727.379+2808.921} = 4.784\times0.57027 = 2.728\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_\alpha = Q - T_t = 2.056\ \mathrm{MeV} $$

軽い方($\alpha$ ではなく T の方が軽い)が多くのエネルギーを得る,という2体崩壊の一般則どおりである.∎

これがなぜ重要か.$4.78\ \mathrm{MeV}$ は発熱である.核融合炉のブランケットは,中性子の運動エネルギー $14.1\ \mathrm{MeV}$ に加えて,この増殖反応の $4.78\ \mathrm{MeV}$ を回収できる.つまりブランケットは中性子1個あたり約 $19\ \mathrm{MeV}$($14.1+4.78=18.9\ \mathrm{MeV}$)の熱を出す.核融合炉の熱出力が「$17.6\ \mathrm{MeV}\times$反応率」より $2\text{–}3$ 割大きくなるのは,主にこの寄与である(エネルギー増倍率 $M\approx1.2\text{–}1.3$).

トリチウム増殖比(TBR)

$$ \mathrm{TBR} \equiv \frac{\text{ブランケットで生成される T の個数}}{\text{プラズマで消費される T の個数}} $$

炉が自立するには $\mathrm{TBR}>1$ が必要である.しかし実際には

を見込む必要があり,設計目標は $\mathrm{TBR}\gtrsim1.05\text{–}1.15$ とされる.

なぜ「中性子増倍材」が要るのか — 数を数えてみる

核融合反応 1 回につき中性子は 1 個しか出ない.その 1 個で T を 1 個以上作らねばならない.しかも中性子は構造材に吸収されたり,開口部から逃げたりする.単純に数えれば $\mathrm{TBR}>1$ は不可能である.

逃げ道は,中性子の数を増やすことである.$14\ \mathrm{MeV}$ という高いエネルギーがあれば $(n,2n)$ 反応が使える:

$$ n + {}^{9}\mathrm{Be} \to 2n + 2\,{}^{4}\mathrm{He}\quad(E_{\rm th}=1.85\ \mathrm{MeV},\ \sigma\approx0.5\ \mathrm{b}\ \text{@}\ 14\ \mathrm{MeV}) $$ $$ n + {}^{208}\mathrm{Pb} \to 2n + {}^{207}\mathrm{Pb}\quad(E_{\rm th}=7.4\ \mathrm{MeV},\ \sigma\approx2.2\ \mathrm{b}\ \text{@}\ 14\ \mathrm{MeV}) $$

ここでも $14\ \mathrm{MeV}$ という高エネルギーが本質的である.$(n,2n)$ はしきい値反応であり,核分裂中性子(平均 $2\ \mathrm{MeV}$)では Be でわずかに起きるだけ,Pb ではほとんど起きない(Watt スペクトルで $7.4\ \mathrm{MeV}$ を超える成分は $1\%$ 程度しかない).$14\ \mathrm{MeV}$ 中性子は,第一壁を壊す元凶であると同時に,炉を自立させる唯一の手段でもある.16.2節で見た「しきい値」という一つの概念が,損傷と増殖の両方を支配している.

もう一つ効くのが $^{7}\mathrm{Li}(n,n'\alpha)\mathrm{T}$ である.これは吸熱($Q=-2.47\ \mathrm{MeV}$)でしきい値 $2.8\ \mathrm{MeV}$ だが,$14\ \mathrm{MeV}$ では $\sigma\approx0.3\ \mathrm{b}$ あり,しかも中性子を消費せずに T を作る($n$ が出口にも残る).天然リチウムの $92.4\%$ は $^7$Li なので,寄与は無視できない.

16.3.2 ブランケット材料

表16.6 核融合炉ブランケット・プラズマ対向材料の候補と選定理由
役割候補材料選ぶ理由課題
増殖材
(固体)
Li$_2$TiO$_3$Li 原子密度は候補の中ではやや低い($\sim4.3\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$)が,化学的に安定で T 放出温度が低く($300\text{–}900\ ^\circ\mathrm{C}$),低放射化でもある.日本の主候補照射下の Li バーンアップと微小球の破壊
Li$_4$SiO$_4$Li 原子密度が大きい($\sim5.3\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$),EU の主候補吸湿性,機械的脆さ
Li$_2$OLi 原子密度が最高($\sim8.1\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$)強い吸湿性,LiOH 生成による腐食
増殖材
(液体)
Pb-15.7Li 共晶増殖材と増倍材を兼ねる,流動して T を運び出せる,融点 $235\ ^\circ\mathrm{C}$MHD 圧力損失,$^{210}$Po 生成,鋼の腐食
FLiBe(LiF-BeF$_2$)Li と Be の両方を含む,低圧運転可フッ素による腐食,融点 $459\ ^\circ\mathrm{C}$,トリチウムフッ化物 TF の化学
中性子増倍材 Be$(n,2n)$ しきい値が最も低い($1.85\ \mathrm{MeV}$),軽くて中性子を吸わないHe と T の蓄積による膨潤,毒性,資源量
Be$_{12}$Ti(ベリライド)融点 $1550\ ^\circ\mathrm{C}$,膨潤とT保持が Be より一桁小さい,水蒸気との反応性が低い製造が難しい,Be 密度がやや低い
構造材
(低放射化)
F82H / EUROFER97
(低放射化フェライト/マルテンサイト鋼)
Mo,Nb,Ni,Cu を W,Ta,V で置換し,$100$ 年で手動保守可能な放射能まで落とす.耐スエリング性が bcc 構造ゆえ高い 使用上限 $550\ ^\circ\mathrm{C}$(熱効率の制約),照射硬化と DBTT 上昇
SiC$_f$/SiC 複合材$1000\ ^\circ\mathrm{C}$ 以上で使用可,放射化が極端に低い,Pb-Li と共存性良好照射で熱伝導率が $1/10$ に低下,気密性,接合技術
プラズマ対向材 W(タングステン) 融点 $3695\ \mathrm{K}$(最高),スパッタリングしきい値が高い,T 保持が炭素の $1/1000$,熱伝導率 $170\ \mathrm{W/(m\,K)}$ 再結晶脆化($>1200\ ^\circ\mathrm{C}$),DBTT が $400\ ^\circ\mathrm{C}$ と高い,プラズマ中の許容濃度が $10^{-5}$,核変換で Re/Os が生じ脆化

なぜ W なのか — 高 $Z$ の二面性

W をプラズマ対向材に選ぶ論理は,実は「重いこと」に集約される.そして重いことは,同時に利点でも欠点でもある.

利点1:スパッタされにくい.プラズマから飛んでくるイオン(D,T,He)が壁の原子を叩き出すスパッタリングは,16.2節の $\Lambda=4mM/(m+M)^2$ が支配する.D($A=2$)が W($A=184$)を叩くときの $\Lambda$ は $0.0425$.$100\ \mathrm{eV}$ の D イオンが W に与える最大エネルギーは $4.3\ \mathrm{eV}$ で,W の昇華エネルギー $8.7\ \mathrm{eV}$ に届かない.スパッタリングのしきい値が高い.炭素($A=12$)なら $\Lambda = 4\times2\times12/14^2 = 0.490$ で,同じ $100\ \mathrm{eV}$ が $49\ \mathrm{eV}$ を与える.炭素の昇華エネルギー $7.4\ \mathrm{eV}$ をはるかに超えるので,容易に叩き出される.

利点2:$T_{\max}$ が小さい.表16.3 のとおり,中性子照射でも受け取る反跳が小さい.

欠点:プラズマに混じると致命的.不純物イオンからの制動放射と線放射は $\propto Z^2$(さらに部分電離状態では線放射が $Z$ の高次で効く).W が $Z=74$ であることは,プラズマ中の許容濃度が $n_W/n_e < 10^{-5}$ という厳しい値になることを意味する.炭素なら $10^{-2}$ まで許される.

つまり「叩き出されにくいが,叩き出されたら終わり」という材料である.この賭けに乗るという判断が,ITER のダイバータを全 W にした 2013 年の設計変更であった.そして根拠は,$\Lambda=4mM/(m+M)^2$ という,第4章の運動学の式ひとつである.

16.3.3 トリチウムの材料中挙動

T は水素の同位体であり,金属中を猛烈な速さで拡散する.これが安全上・工学上の中心問題になる.

導出:第一壁を T が透過する時間

ステップ1:溶解則(Sieverts の法則).2原子分子として溶ける気体は,格子中では原子に解離しているので,濃度は圧力の平方根に比例する:

$$ c = K_S\sqrt{p_{\mathrm{T_2}}} $$

これは $\mathrm{T_2}\rightleftharpoons2\mathrm{T}$ の質量作用の法則から出る.$K_S$ を Sieverts 定数と呼ぶ.

ステップ2:拡散係数.格子間拡散は熱活性化過程で

$$ D = D_0\,\ee^{-E_a/RT} $$

フェライト鋼(F82H)の水素で $D_0\approx1.1\times10^{-7}\ \mathrm{m^2/s}$,$E_a\approx13.2\ \mathrm{kJ/mol}$ が代表値である.$500\ ^\circ\mathrm{C}=773\ \mathrm{K}$ では $RT = 8.314\times773 = 6.43\ \mathrm{kJ/mol}$ なので

$$ D_{\rm H} = 1.1\times10^{-7}\times\ee^{-13.2/6.43} = 1.1\times10^{-7}\times\ee^{-2.053} = 1.1\times10^{-7}\times0.128 = 1.41\times10^{-8}\ \mathrm{m^2/s} $$

ステップ3:同位体効果.格子間拡散の前指数因子は試行振動数 $\nu\propto1/\sqrt{m}$ を含むので $D\propto1/\sqrt{m}$.T は H の 3 倍重いから

$$ D_{\rm T} = \frac{D_{\rm H}}{\sqrt3} = 8.1\times10^{-9}\ \mathrm{m^2/s} $$

ステップ4:拡散距離.$L=\sqrt{Dt}$ より,1 時間($3600\ \mathrm{s}$)で

$$ L = \sqrt{8.1\times10^{-9}\times3600} = \sqrt{2.92\times10^{-5}} = 5.4\times10^{-3}\ \mathrm{m} = 5.4\ \mathrm{mm} $$
$$ \text{T は,厚さ }5\ \mathrm{mm}\text{ の高温鋼壁を,約 }1\text{ 時間で通り抜ける} $$

∎ これが,核融合炉のトリチウム閉じ込めが困難である理由の定量的な表現である.冷却水配管の壁を通って T が二次系(水)へ漏れる「トリチウム透過」は,設計上の主要な安全課題であり,Al$_2$O$_3$,Er$_2$O$_3$,SiC などの透過防止被覆(permeation reduction factor $10^2\text{–}10^3$ を目標)が研究されている.

注意:拡散が速いことは,良いことでもある

拡散が速い=漏れやすい,は確かに悪い.しかし同時に,材料内部に溜まりにくいことも意味する.炉内在庫(in-vessel tritium inventory)は安全上の最重要指標であり,ITER では $1\ \mathrm{kg}$ が上限に設定されている.

炭素をプラズマ対向材にすると,スパッタされた炭素が T と一緒に再堆積して炭化水素の層を作り,そこに T が化学的に捕捉されてしまう(共堆積).JET の炭素壁時代(DTE1,1997 年)には,投入した T(約 $35\ \mathrm{g}$)の $3\text{–}4$ 割が壁に取り込まれ,清浄化運転のあとも約 $17\%$($\sim6\ \mathrm{g}$)が回収不能のまま残った.W は炭化物を作らず,T の溶解度が桁違いに低い(Sieverts 定数が鋼の $10^{-4}$)ため,共堆積が起きない.ITER が炭素を捨てて W を選んだ最大の理由は,実はスパッタリングよりもトリチウム在庫であった.

ただし W でも,照射で生じた空孔・転位・気泡が T のトラップサイトになる.照射材の T 保持は未照射材の $10\text{–}100$ 倍に達しうる.16.2節の照射損傷と,本節のトリチウム挙動は,独立な問題ではない.

コラム:低放射化とは何を最適化しているのか

「低放射化材料」の設計基準は,実は明快な一本の数値目標である.運転停止後 $100$ 年で,接触線量率が $10\ \mu\mathrm{Sv/h}$ を下回ること(hands-on maintenance 基準),あるいは浅地中処分の基準を満たすこと.$100$ 年という数字は,「次の世代に管理を引き継がせない」という社会的な要請から来ている.

この目標を破る元素が特定されている.核変換によって長寿命核種を作る元素である.

そこで,通常の耐熱鋼で強化元素として使われる Mo と Nb を,同じ役割を果たす W と Ta に置き換える.これが F82H(Fe-8Cr-2W-0.2V-0.04Ta)と EUROFER97(Fe-9Cr-1W-0.2V-0.12Ta)の組成の由来である.Ni を含むオーステナイト鋼(SUS316 など)が構造材から外れるのも同じ理由による.

興味深いのは,これが「核変換の断面積表」から出発して合金設計をするという,材料科学では異例の設計論だということである.普通,合金組成は相図と強化機構から決める.核融合材料では,まず ENDF/JENDL の核データを見て使ってよい元素を選び,その中で相図を考える.素粒子・原子核のデータベースが,冶金学の制約条件になっている.

16.4 μSR — パリティ非保存を道具に使う

ここから,素粒子物理が材料研究の道具になっている三つの分光法を順に見る.最初がミュオンスピン回転・緩和・共鳴($\mu$SR:muon spin rotation / relaxation / resonance)である.

μSR の原理を一行で言えば,「試料の中にスピンをそろえた磁気モーメントを1個だけ置き,その歳差運動を見る」ことである.NMR と同じ発想だが,決定的な違いが二つある.第一に,プローブが外から打ち込まれるので,試料に磁性核が存在しなくてよい.第二に,スピンが最初から $100\%$ そろっているので,$10^{-5}$ のボルツマン偏極しか使えない NMR に比べて感度が桁違いに高い.

そして第二の点は,素粒子物理の贈り物である.

16.4.1 なぜ $100\%$ 偏極するのか

導出:$\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ が $100\%$ 偏極ミュオンを与える

ステップ1:崩壊の運動学.静止した $\pi^+$ が2体崩壊する.第4章の2体崩壊の式より,ミュオンの運動量は

$$ p_\mu = \frac{m_\pi^2 - m_\mu^2}{2m_\pi} = \frac{139.570^2 - 105.658^2}{2\times139.570} = \frac{19479.8 - 11163.6}{279.14} = \frac{8316.2}{279.14} = 29.79\ \mathrm{MeV}/c $$

エネルギーは $E_\mu = (m_\pi^2+m_\mu^2)/2m_\pi = 30643.4/279.14 = 109.78\ \mathrm{MeV}$,したがって運動エネルギーは

$$ T_\mu = 109.78 - 105.658 = 4.12\ \mathrm{MeV} $$

この $4.12\ \mathrm{MeV}$ という値は,あとで効いてくる(ステップ5).

ステップ2:スピンの数え上げ.$\pi^+$ はスピン $0$.$\mu^+$ と $\nu_\mu$ は互いに反対方向に飛ぶ.全角運動量の保存から,$\mu^+$ と $\nu_\mu$ のスピンは打ち消し合わねばならない.すなわち両者のヘリシティは同じ符号である(反対向きに飛ぶ2粒子のスピンが逆向きということは,ヘリシティ $h=\bm{\Sigma}\cdot\hat{\pp}=\pm1$(第9章 9.5.3 項の定義)は同符号).

ステップ3:ここで弱い相互作用が効く.第12章で見たとおり,荷電カレント弱相互作用は $V-A$ 構造をもち,左巻き成分にだけ結合する.したがって $\nu_\mu$ は必ず左巻き($h=-1$)である(質量ゼロ極限で厳密.実際には逆ヘリシティ成分の振幅が $m_\nu/E_\nu$ に比例するので,混入確率は $(m_\nu/E_\nu)^2\lesssim10^{-15}$ にとどまる.$m_\nu\lesssim1\ \mathrm{eV}$,$E_\nu\simeq30\ \mathrm{MeV}$).

ステップ4:結論.ステップ2 とステップ3 から,$\mu^+$ もヘリシティ $-1$,すなわち運動方向に対してスピンが真後ろを向いている.しかもこれは統計的な偏りではなく,運動学と対称性から強制された結論である:

$$ \begin{equation} P_\mu = 100\%\quad(\pi^+\ \text{静止系での}\ \mu^+\ \text{の偏極度}) \label{eq:16-pol} \end{equation} $$

∎

ステップ5:表面ミュオン.実験では,標的表面から $\lesssim1\ \mathrm{mm}$ 以内で静止した $\pi^+$ からの $\mu^+$ を取り出す(脱出できる深さは $4.12\ \mathrm{MeV}$ の $\mu^+$ の飛程 $140\ \mathrm{mg/cm^2}$ で決まり,黒鉛標的では $0.8\ \mathrm{mm}$ 程度である).これを表面ミュオン(surface muon)と呼び,運動量 $29.79\ \mathrm{MeV}/c$,運動エネルギー $4.12\ \mathrm{MeV}$ の単色ビームになる.物質中の飛程は約 $140\ \mathrm{mg/cm^2}$ なので,密度 $5\ \mathrm{g/cm^3}$ の試料では $0.28\ \mathrm{mm}$ で止まる.薄い試料の中に,ちょうど埋め込めるのである.これが偶然の贈り物であることは強調しておいてよい.$m_\pi$ と $m_\mu$ の差が $33.9\ \mathrm{MeV}$ であるという核物理とは無関係な事実が,物性測定に最適な飛程を与えている.

材料科学との接点:パリティ非保存が実験室の道具になっている

1956 年,Lee と Yang はパリティが弱い相互作用で保存しない可能性を指摘した.1957 年,Wu は $^{60}$Co の $\beta$ 崩壊でそれを確認し,同じ年に Garwin, Lederman, Weinrich が $\pi\to\mu\to e$ 崩壊連鎖でミュオンの偏極と非対称崩壊を確認した.これは純粋に「自然の対称性を調べる」実験であった.

その同じ論文の中に,μSR のすべての要素がすでに揃っている.すなわち(i)$100\%$ 偏極したミュオンが作れること,(ii)ミュオンの磁気モーメントが磁場中で歳差すること,(iii)崩壊陽電子がスピン方向に優先的に出るので,スピンの向きが測れること.Garwin らはこの実験からミュオンの $g$ 因子を $2.00$ と決めている.

今日,J-PARC や PSI や ISIS で毎年何百という物性の論文が書かれている.その全部が,$\Lag_{\rm int}\propto \bar\psi\gamma^\mu(1-\gamma^5)\psi$ という第12章の一行に依存している.$\gamma^5$ が入っていなければ μSR は存在しない.物性測定装置の仕様書に,カイラリティが書き込まれているのである.

より具体的には,偏極度 $P$ の測定感度は $P$ に比例し,統計誤差は $1/(P\sqrt{N})$ で決まる.NMR の熱平衡偏極は $\mu B/k_BT \sim 10^{-5}$($1\ \mathrm{T}$,室温)だから,同じ統計精度を出すのに必要な原子数は $10^{10}$ 倍違う.μSR が $10^{-5}\text{–}10^{-4}\ \mathrm{T}$ という微弱な内部磁場を,$10^{7}$ 個程度のミュオンで検出できるのは,この $P=1$ のおかげである.

16.4.2 歳差と非対称度

ミュオンの磁気回転比

ミュオンは $g_\mu = 2.0023318$(第10章の $(g-2)$ の話を思い出そう)のスピン $1/2$ 粒子である.磁気回転比は

$$ \gamma_\mu = \frac{g_\mu\,e}{2m_\mu} \quad\Longrightarrow\quad \frac{\gamma_\mu}{2\pi} = \frac{g_\mu e}{4\pi m_\mu} $$

数値を入れると($m_\mu = 1.8835\times10^{-28}\ \mathrm{kg}$)

$$ \frac{e}{4\pi m_\mu} = \frac{1.602\times10^{-19}}{4\pi\times1.8835\times10^{-28}} = 6.769\times10^{7}\ \mathrm{Hz/T} $$
$$ \begin{equation} \frac{\gamma_\mu}{2\pi} = 2.00233\times6.769\times10^{7} = 135.53\ \mathrm{MHz/T} \label{eq:16-gammamu} \end{equation} $$

比較のため:陽子は $42.58\ \mathrm{MHz/T}$,電子は $28.02\ \mathrm{GHz/T}$.ミュオンは陽子の $3.18$ 倍敏感である($m_p/m_\mu = 8.88$ だが $g$ 因子が違う).寿命は $\tau_\mu = 2.1970\ \mu\mathrm{s}$.

例:数値の感覚をつかむ

導出:非対称度 $A(t)$ が測定量になる仕組み

ステップ1:崩壊も非対称である.ミュオンは $\mu^+\to e^+ + \nu_e + \bar\nu_\mu$ と崩壊する.これも弱い相互作用($V-A$)なので,陽電子はミュオンのスピン方向に優先的に出る.陽電子のエネルギー $x=E_e/E_{\max}$($E_{\max}=52.83\ \mathrm{MeV}$)に対する角分布は,第12章の Michel スペクトルから

$$ \frac{\dd^2\Gamma}{\dd x\,\dd\cos\theta} \propto x^2\left[(3-2x) + (2x-1)\cos\theta\right] $$

すなわち非対称パラメータは $a(x) = (2x-1)/(3-2x)$.$x=1$(最高エネルギー)で $a=1$,$x$ で積分すると $\braket{a}=1/3$ になる.

ステップ2:前方・後方カウンタで数える.初期スピン方向に置いた検出器(forward, F)と反対側(backward, B)で陽電子を数える.時刻 $t$ における計数率は,ミュオンの指数崩壊とスピン方向の余弦則を掛けて

$$ N_{\rm F,B}(t) = \frac{N_0}{2}\,\ee^{-t/\tau_\mu}\Bigl[1 \pm A_0\,P_z(t)\Bigr] + B_{\rm g} $$

ステップ3:非対称度を作る.指数因子と規格化を消すために比を取る:

$$ \begin{equation} A(t) \equiv \frac{N_{\rm F}(t) - N_{\rm B}(t)}{N_{\rm F}(t) + N_{\rm B}(t)} = A_0\,P_z(t) \label{eq:16-asym} \end{equation} $$

$A_0$ は装置の立体角と陽電子のエネルギーしきい値で決まる定数で,実際には $0.20\text{–}0.30$.$P_z(t)$ が求める物理量である.∎

ステップ4:$P_z(t)$ に物理が入る.ミュオンが感じる局所磁場を $\bm{B}_{\rm loc}$ とすると,スピンはその周りを歳差する.外部横磁場 $B$ の場合

$$ P_z(t) = \cos(\gamma_\mu B t + \varphi)\;G(t) $$

$G(t)$ は緩和関数(磁場の分布と揺らぎを反映).測るのは $B$(周波数から)と $G(t)$(減衰から)である.

コラム:Kubo–Toyabe 関数と $1/3$ テール

μSR で最も有名な関数は,外部磁場ゼロで,ランダムに凍結した内部磁場(典型的には核磁気モーメントが作る双極子場)を感じるときの緩和関数である.久保亮五と鳥谷部(R. Kubo and T. Toyabe, 1967)が導いた.

各成分が幅 $\Delta/\gamma_\mu$ の Gauss 分布に従うランダムな静磁場 $\bm{B}_{\rm loc}$ を考える.ミュオンスピンは $\bm{B}_{\rm loc}$ の周りを歳差するが,$\bm{B}_{\rm loc}$ に平行な成分は歳差しない.ランダムな向きの磁場について平均すると,平行成分の割合は

$$ \braket{\cos^2\theta} = \frac13 $$

である.したがって $t\to\infty$ でも偏極の $1/3$ は生き残る:

$$ \begin{equation} G^{\rm KT}_z(t) = \frac13 + \frac23\left(1-\Delta^2t^2\right)\ee^{-\Delta^2t^2/2} \label{eq:16-kt} \end{equation} $$

この $1/3$ は,磁場が「静的」であることの決定的な証拠である.もし磁場が時間的に揺らいでいれば,平行成分もいずれ向きを変え,偏極は完全に失われる($G\to\ee^{-2\Delta^2t/\nu}$,動的極限).したがってゼロ磁場 μSR のスペクトルに $1/3$ テールがあるかどうかを見るだけで,スピングラスの凍結,磁気秩序の発生,水素(ミュオン)の拡散の開始といった現象を,モデルに依らず判定できる.

さらに小さな縦磁場 $B_{\rm LF}$ をかけると,$B_{\rm LF}\gg\Delta/\gamma_\mu$ で偏極が完全に復活する(デカップリング).この「復活の仕方」から $\Delta$ を独立に決められる.静的か動的かを見分けるこの手法は,$\mu$SR の最も強力な部分である.

(a) μSR の原理(時間は左→右) π⁺ 静止パイオン μ⁺ νμ スピン(100% 偏極) 試料 μ⁺ 停止 局所磁場の周りを歳差 ν = 135.5 MHz/T × B F B e⁺ A(t) = (NF − NB)/(NF + NB) (b) 代表的な μSR の時間スペクトル A(t).横磁場では減衰しながら振動し(赤),ゼロ磁場では Kubo–Toyabe 緩和を示して A0/3(緑の破線)に収束する(青). (c) 超伝導渦格子と磁場分布 渦芯(磁場が最大)と間隙(最小) n(B):非対称な線形 σ ∝ 1/λ²
図16.3 (a) μSR の原理.静止 $\pi^+$ の2体崩壊で $100\%$ 偏極した $4.12\ \mathrm{MeV}$ の $\mu^+$(表面ミュオン)が得られ,試料中で止まる.局所磁場の周りを歳差した後,$2.20\ \mu\mathrm{s}$ で崩壊し,スピン方向に偏った陽電子を放つ.前方(F)・後方(B)カウンタの計数差が偏極を直接与える.(b) 横磁場中の減衰振動(赤)と,ゼロ磁場での Kubo–Toyabe 緩和(青).後者の $A_0/3$ に収束するテール(緑破線)が,内部磁場が静的であることの指標になる.(c) 第二種超伝導体の渦格子とその作る磁場分布.線形の第二モーメントが $\lambda^{-4}$ に比例するので,緩和率から侵入長 $\lambda$ が求まる.

16.4.3 μSR で何が測れるか

導出:緩和率から磁場侵入長 $\lambda$ を出す

ステップ1:渦格子は磁場の「模様」を作る.第二種超伝導体を $H_{c1}<H<H_{c2}$ の磁場中で冷やすと,磁束量子 $\Phi_0 = h/2e = 2.068\times10^{-15}\ \mathrm{Wb}$ を1本ずつ通す渦が三角格子を組む.磁場は渦芯で最大,渦と渦の中間で最小になり,空間的に分布する.

ステップ2:ミュオンはランダムな位置で止まる.ミュオンは渦格子とは無関係な位置(格子間サイト)に止まるので,磁場分布 $n(B)$ を一様にサンプリングする.したがって歳差周波数がばらつき,$A(t)$ が Gauss 型で減衰する:

$$ P_x(t) = \cos(\gamma_\mu\bar{B}t+\varphi)\,\ee^{-\sigma^2t^2/2}, \qquad \sigma = \gamma_\mu\sqrt{\braket{(B-\bar{B})^2}} $$

ステップ3:London 理論での第二モーメント.$\lambda\gg\xi$(極限的第二種)で $H_{c1}\ll H\ll H_{c2}$ のとき,理想三角渦格子の磁場分布の第二モーメントは,磁場の値によらず

$$ \sqrt{\braket{\Delta B^2}} = 0.0609\,\frac{\Phi_0}{\lambda^2} $$

となる(Brandt 1988).$\lambda$ にしか依存しない,というのがこの式の要点である.

ステップ4:数値に直す.

$$ \sigma = \gamma_\mu\times0.0609\frac{\Phi_0}{\lambda^2} = 2\pi\times135.53\times10^{6}\times0.0609\times\frac{2.068\times10^{-15}}{\lambda^2} $$ $$ = \frac{1.072\times10^{-7}}{\lambda^2[\mathrm{m^2}]}\ \mathrm{s^{-1}} $$

$\lambda$ を $\mathrm{nm}$ 単位にして $\sigma$ を $\mu\mathrm{s^{-1}}$ にすると

$$ \begin{equation} \sigma\,[\mu\mathrm{s^{-1}}] = \frac{1.07\times10^{5}}{\lambda^2\,[\mathrm{nm}^2]} \label{eq:16-penetration} \end{equation} $$

ステップ5:検算.典型的な銅酸化物超伝導体で $\lambda_{ab}=200\ \mathrm{nm}$ なら

$$ \sigma = \frac{1.07\times10^{5}}{4.0\times10^{4}} = 2.68\ \mu\mathrm{s^{-1}} $$

これは実測される緩和率($1\text{–}3\ \mu\mathrm{s^{-1}}$)とよく合う.∎

物理的意味:Uemura プロットと第13章のつながり

London 理論では $\lambda^{-2} = \mu_0 n_s e^2/m^*$ である.したがって式 \eqref{eq:16-penetration} は

$$ \sigma(T\to0)\;\propto\;\lambda^{-2}\;\propto\;\frac{n_s}{m^*} $$

すなわちμSR の緩和率は,超流動密度をキャリア有効質量で割ったものを直接測っている.

Y. J. Uemura らは 1989 年,多数の銅酸化物について $T_c$ を $\sigma(0)$ に対してプロットし,低ドープ領域で $T_c \propto n_s/m^*$ という直線関係(Uemura プロット)を見出した.これは BCS 理論の予言($T_c$ は $n_s$ にほとんど依存しない)と真っ向から対立し,銅酸化物の超伝導が「BEC 的」であることの最初の実験的示唆となった.

第13章の言葉で言い直そう.超伝導とは $\mathrm{U}(1)$ ゲージ対称性の自発的破れであり,秩序変数 $\braket{\psi}$ の振幅がゲージ場(電磁場)に質量を与える.そのゲージ場の質量が $m_\gamma = \hbar/(\lambda c)$,すなわち侵入長は光子の Compton 波長である.$\lambda=200\ \mathrm{nm}$ なら

$$ m_\gamma c^2 = \frac{\hbar c}{\lambda} = \frac{197.3\ \mathrm{MeV\,fm}}{2\times10^{-7}\ \mathrm{m}} = \frac{197.3\times10^{6}\times10^{-15}}{2\times10^{-7}}\ \mathrm{eV} = 0.99\ \mathrm{eV} $$

すなわち $\lambda\approx200\ \mathrm{nm}$ の銅酸化物の中では,光子が約 $1\ \mathrm{eV}$ の質量をもつ.侵入長の短い単元素超伝導体では,これがもっと大きくなる:Nb や Pb($\lambda_L\approx40\ \mathrm{nm}$)で約 $5\ \mathrm{eV}$,Al($\lambda_L=16\ \mathrm{nm}$)で $12.3\ \mathrm{eV}$ である(表1.3).μSR で緩和率を測ることは,Anderson–Higgs 機構で生じたゲージ場の質量を測ることに対応している.$W$ ボソンの質量 $80.4\ \mathrm{GeV}$ を LHC で測るのと,$\lambda$ を J-PARC で測るのは,同じ機構(ゲージ場の質量獲得)が生む同種の量である.エネルギースケールは $11$ 桁違い,さらに超伝導体は Lorentz 不変性をもたない非相対論的な系である(対応の範囲は 16.10.1 項で述べる).

表16.7 μSR で測れる量と,代表的な対象
測定モード観測量得られる物理量典型的な対象
ゼロ磁場(ZF)自発歳差周波数 $\nu$内部磁場 $B_{\rm int}=2\pi\nu/\gamma_\mu$,秩序変数の温度依存性反強磁性,スピン密度波,秩序の体積分率
ゼロ磁場(ZF)Kubo–Toyabe の $1/3$ テール磁場が静的か動的か,スピングラス凍結温度フラストレート磁性,スピン液体候補
縦磁場(LF)デカップリング曲線揺らぎの相関時間 $\tau_c$,$\Delta$スピンダイナミクス,水素/ミュオン拡散
横磁場(TF)Gauss 緩和率 $\sigma$磁場侵入長 $\lambda$,超流動密度 $n_s/m^*$超伝導体,Uemura プロット
横磁場(TF)Knight シフト局所帯磁率,スピン一重項/三重項の判別非従来型超伝導
低速ミュオン(LE-μSR)深さ $1\text{–}300\ \mathrm{nm}$ での $B(z)$侵入長の直接測定,界面の磁性薄膜,ヘテロ界面

なぜミュオンが「水素の模型」になるのか

$\mu^+$ は電荷 $+e$,質量 $m_\mu = m_p/8.88$ の粒子である.物質中では,化学的にはほぼ軽い陽子としてふるまう.金属中では H と同じ格子間サイト(bcc なら四面体位置,fcc なら八面体位置)に入り,絶縁体では H と同様に酸素と結合してミュオニウム水酸基(Mu-O)を作る.

この「軽い水素」であることが二つの使い道を生む.

使い道1:水素拡散の模型.格子間拡散は,古典的な跳び越えと量子トンネルの競合である.トンネル頻度は $\exp(-\sqrt{2mV}d/\hbar)$ に従うので,質量が $1/9$ になると劇的に増える.ミュオンは,低温で量子トンネル拡散が支配的になる領域を,H よりずっと高い温度で示す.H の拡散の量子効果を「拡大鏡で見る」ことができる.水素貯蔵材料,水素脆化,燃料電池の電解質の研究に使われている.

使い道2:孤立水素不純物の電子状態.半導体中の H は,浅いドナーにも浅いアクセプタにもなりうる両性不純物で,しかも濃度が低く直接観測が難しい.ミュオニウム($\mu^+e^-$,第7章のポジトロニウムの親戚)を作らせて超微細結合定数を測れば,H 不純物の準位を推定できる.ZnO や TiO$_2$ で H が浅いドナーになることは,第一原理計算の予言(Van de Walle 2000)を μSR が実験的に最初に確認した.

ただし注意も要る.質量が違うので,ゼロ点振動エネルギーが違い,安定サイトが H とずれることがある.また $\mu^+$ は $\mathrm{Mu}$(中性)と $\mu^+$(イオン)の間を行き来しうる.結果を H に外挿するときは,第一原理計算(DFT)で $\mu^+$ の停止位置と電子状態を計算し,同位体効果を補正するのが現代の標準的な手続きになっている.

例:世界の μSR 施設

パルスと連続の使い分け:パルス源はバックグラウンドが極端に低く,$20\ \mu\mathrm{s}$ まで(寿命の $10$ 倍)追えるので,遅い緩和に強い.一方で時間分解能がパルス幅に制限され,$\sim10\ \mathrm{MHz}$($0.07\ \mathrm{T}$)以上の歳差は見えない.連続源は逆で,高磁場・高周波に強いが,一度に1個ずつしか入射できないため計数率に上限がある.同じ試料を両方で測るのが定石である.

16.5 陽電子消滅分光 — 反物質で空孔を見る

1928 年,Dirac は相対論的な波動方程式を書き,負エネルギー解の解釈に苦しんだ末,反粒子の存在を予言した(第9章).1932 年,Anderson が霧箱で陽電子を見つけた.そして今日,材料研究室では $^{22}$Na の線源を試料に貼り付けて,反物質を材料に撃ち込んでいる.

目的は,材料中の原子スケールの空隙を測ることである.空孔,空孔クラスタ,転位,粒界の自由体積,高分子の自由体積,ナノポア.どれも電子顕微鏡では見えないか,見えても定量できない.陽電子だけが,これらを $10^{-6}$ の濃度レベルで定量する.

16.5.1 なぜ陽電子は空孔に捕まるのか

なぜ空孔が陽電子のトラップになるのか

結晶中の陽電子は,正電荷をもつので,イオン芯(正電荷)から強く反発される.したがって格子間領域を漂う.そこへ空孔があると,そこには反発するイオン芯が一つ足りない.すなわち空孔は陽電子にとってポテンシャルの井戸である.深さは典型的に $1\text{–}2\ \mathrm{eV}$,束縛エネルギーは金属で $1\ \mathrm{eV}$ 程度.室温の熱エネルギー $0.026\ \mathrm{eV}$ よりはるかに深いので,一度捕まったら逃げない.

これは電子の場合とちょうど逆であることに注意したい.電子は空孔を「見えない」(むしろ空孔中心には正電荷が欠けているので反発する).陽電子だけが空孔に選択的に捕まる.反粒子であるという性質そのものが,測定の選択性を生んでいる.

捕まった陽電子は,バルクにいるときより電子密度の低いところにいる.消滅率 $\lambda = \pi r_e^2 c\, n_e$ は電子密度に比例するので,空孔に捕まった陽電子は寿命が長くなる.これが陽電子寿命測定(PALS)の原理である.

陽電子消滅率と電子密度

第10章で QED の断面積として計算した2光子消滅($e^+e^-\to2\gamma$)の低速極限(Dirac 1930)は

$$ \sigma v = \pi r_e^2 c,\qquad r_e = \frac{\alpha\hbar}{m_ec} = 2.818\ \mathrm{fm} $$

である.物質中では電子密度 $n_e$ の中を漂うので,消滅率は

$$ \begin{equation} \lambda = \frac{1}{\tau} = \pi r_e^2 c\;\int \abs{\psi_+(\bm{r})}^2 n_e(\bm{r})\,\gamma[n_e]\,\dd^3r \label{eq:16-annrate} \end{equation} $$

$\psi_+$ は陽電子の波動関数,$\gamma[n_e]$ は電子—陽電子相関による増幅因子($2\text{–}10$)である.$\tau$ を測ることは,陽電子が滞在する場所の電子密度を測ることに等しい.

例:オーダー評価

金属の価電子密度 $n_e \approx 10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$,$\gamma\approx3$ として

$$ \pi r_e^2 c = \pi\times(2.818\times10^{-15})^2\times3.00\times10^{8} = \pi\times7.94\times10^{-30}\times3.00\times10^{8} = 7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3/s} $$ $$ \lambda = 7.48\times10^{-21}\times10^{29}\times3 = 2.24\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} \quad\Longrightarrow\quad \tau = \frac{1}{\lambda} = 4.5\times10^{-10}\ \mathrm{s} = 450\ \mathrm{ps} $$

実測の金属バルク寿命は $100\text{–}220\ \mathrm{ps}$ であり,この粗い見積もりは $2\text{–}4$ 倍長い.すなわち陽電子が実際に感じている実効的な $n_e\gamma$ は,価電子密度に $\gamma=3$ を掛けた値より数倍大きい.理由は二つある.第一に,増幅因子 $\gamma$ は電子密度が低いほど大きく,金属では $\gamma=4\text{–}10$ に達する.第二に,陽電子は格子間領域にいるとはいえ,芯電子との消滅(全消滅率の $10\text{–}20\%$)を完全には免れない.逆に言えば,$\tau$ を $10\ \mathrm{ps}$ の精度で測ることは,$n_e\gamma$ を数 $\%$ の精度で測ることに等しい.定量的に合わせるには陽電子の波動関数を第一原理で解く必要があり,それが陽電子理論(two-component DFT)の仕事である.

16.5.2 寿命スペクトルと2状態捕獲模型

導出:測った平均寿命から空孔濃度を出す

ステップ1:測定の仕組み.$^{22}$Na(半減期 $2.60$ 年)は $\beta^+$ 崩壊して $^{22}$Ne の励起状態になり,$3.7\ \mathrm{ps}$ 後に $1.274\ \mathrm{MeV}$ の $\gamma$ 線を出す.この $\gamma$ を「陽電子が生まれた」合図(start)とし,消滅で出る $511\ \mathrm{keV}$ を stop とする.時間差のヒストグラムが寿命スペクトルである.時間分解能は $150\text{–}200\ \mathrm{ps}$(BaF$_2$ シンチレータ).

ステップ2:2状態模型を書く.陽電子はバルク状態(消滅率 $\lambda_b$)にいて,空孔に捕獲率 $\kappa$ で捕まり,空孔状態(消滅率 $\lambda_v$)で消滅する.脱出は無視する(束縛が深いので).すると

$$ \frac{\dd n_b}{\dd t} = -(\lambda_b+\kappa)n_b, \qquad \frac{\dd n_v}{\dd t} = \kappa\,n_b - \lambda_v n_v $$

初期条件 $n_b(0)=1,\ n_v(0)=0$ で解くと,消滅率は2成分の和になる:

$$ -\frac{\dd(n_b+n_v)}{\dd t} = I_1\lambda_1\ee^{-\lambda_1t} + I_2\lambda_2\ee^{-\lambda_2 t} $$ $$ \lambda_1 = \lambda_b + \kappa\ (\text{短寿命成分}),\qquad \lambda_2 = \lambda_v\ (\text{長寿命成分}),\qquad I_2 = \frac{\kappa}{\lambda_b - \lambda_v + \kappa} $$

ステップ3:平均寿命を使う(実務的な近道).成分分解は難しいので,まず平均寿命 $\bar\tau = I_1\tau_1 + I_2\tau_2$ を使う.上の解を代入して整理すると,捕獲率が次の形で読める:

$$ \begin{equation} \kappa = \lambda_b\,\frac{\bar\tau - \tau_b}{\tau_v - \bar\tau} \label{eq:16-trapping} \end{equation} $$

ステップ4:数値を入れる(照射した鉄).鉄の標準値は $\tau_b = 106\ \mathrm{ps}$($\lambda_b = 9.43\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$),単空孔 $\tau_v = 175\ \mathrm{ps}$.いま照射材で $\bar\tau = 140\ \mathrm{ps}$ が測れたとする.

$$ \kappa = 9.43\times10^{9}\times\frac{140-106}{175-140} = 9.43\times10^{9}\times\frac{34}{35} = 9.16\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

ステップ5:濃度に直す.捕獲率は空孔濃度に比例する:$\kappa = \mu_v C_v$.鉄の比捕獲率は $\mu_v \approx 1.1\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)なので

$$ C_v = \frac{9.16\times10^{9}}{1.1\times10^{15}} = 8.3\times10^{-6} = 8.3\ \mathrm{appm} $$
$$ \text{寿命が }34\ \mathrm{ps}\text{ 伸びた}\;\Longrightarrow\;\text{空孔が }8\ \mathrm{appm} $$

∎ この感度が陽電子消滅の真価である.$8\ \mathrm{appm}$ とは,鉄原子 $12$ 万個に空孔 1 個.透過電子顕微鏡ではまず見えない.

注意:測れる範囲には上下の限界がある

式 \eqref{eq:16-trapping} は $\bar\tau$ が $\tau_b$ と $\tau_v$ の間にあるときにだけ意味をもつ.

また,$\tau_v$ は空孔のサイズで変わる.Fe では単空孔 $175\ \mathrm{ps}$,$V_2$ が $197\ \mathrm{ps}$,$V_{10}$ 以上で $\sim350\ \mathrm{ps}$ に飽和する.したがって長寿命成分の値そのものが「何個の空孔が集まっているか」を教える.逆に,空孔クラスタと単空孔が混在する試料では,成分分解が本質的に難しくなる(不定性の大きい非線形最小二乗になる).陽電子の論文を読むときは,何成分でフィットしたか,そのときの $\chi^2$ と成分の物理的妥当性を必ず見ること.

16.5.3 ポジトロニウムと自由体積 — 第7章の応用

絶縁体,高分子,多孔質体では,陽電子は電子を1個つかまえてポジトロニウム(Ps)を作る.第7章で扱った,水素原子の縮小版($e^+e^-$ 束縛状態)である.

ポジトロニウムの復習(第7章)

換算質量が $m_e/2$ なので,基底状態のエネルギーは水素の半分:$E_1 = -6.8\ \mathrm{eV}$.Bohr 半径は2倍の $a_{\rm Ps}=2a_0=0.106\ \mathrm{nm}$.スピン状態で2種類ある.

この $125\ \mathrm{ps}$ と $142\ \mathrm{ns}$ の比($1136$ 倍)が,第6章の $C$ パリティ選択則と第10章の QED から出てくることは,第7章で確認したとおりである.

導出:Tao–Eldrup 式 — o-Ps 寿命から空隙半径を出す

ステップ1:ピックオフ消滅.物質中では,o-Ps の陽電子が,相方の電子ではなく周囲の物質の電子とスピンが逆向きに出会って $2\gamma$ 消滅してしまう.これをピックオフ消滅と呼ぶ.真空の $142\ \mathrm{ns}$ が,物質中では $1\text{–}5\ \mathrm{ns}$ に短縮される.

ステップ2:モデル化.o-Ps が半径 $R$ の球形の空隙に閉じ込められているとする.空隙の壁には厚さ $\Delta R$ の「電子層」があり,そこにいる間だけピックオフ消滅する(率 $\lambda_{2\gamma}=2\ \mathrm{ns^{-1}}$).半径 $R+\Delta R$ の無限井戸の基底状態波動関数

$$ \psi(r) \propto \frac{1}{r}\sin\!\left(\frac{\pi r}{R+\Delta R}\right) $$

を使い,$R<r<R+\Delta R$ に存在する確率を計算すると

$$ P_{\rm out} = 1 - \frac{R}{R+\Delta R} + \frac{1}{2\pi}\sin\!\left(\frac{2\pi R}{R+\Delta R}\right) $$

ステップ3:Tao–Eldrup 式.消滅率は $\lambda_{o\text{-}\mathrm{Ps}} = \lambda_{2\gamma}P_{\rm out}$(真空の $3\gamma$ 寄与を無視)なので

$$ \begin{equation} \tau_{o\text{-}\mathrm{Ps}}\,[\mathrm{ns}] = \frac{1}{2}\left[1 - \frac{R}{R+\Delta R} + \frac{1}{2\pi}\sin\!\left(\frac{2\pi R}{R+\Delta R}\right)\right]^{-1} \label{eq:16-taoeldrup} \end{equation} $$

$\Delta R = 0.166\ \mathrm{nm}$ は,分子性結晶での実測に合わせて決めた経験定数である.

ステップ4:数値を出す.$R = 0.30\ \mathrm{nm}$ とすると $R+\Delta R = 0.466\ \mathrm{nm}$,$R/(R+\Delta R) = 0.6438$.

$$ \frac{2\pi R}{R+\Delta R} = 2\pi\times0.6438 = 4.0451\ \mathrm{rad} \quad\Longrightarrow\quad \sin(4.0451) = -0.7855 $$ $$ \left[\;\right] = 1 - 0.6438 + \frac{-0.7855}{2\pi} = 1 - 0.6438 - 0.1250 = 0.2312 $$ $$ \tau = \frac{0.5}{0.2312} = 2.16\ \mathrm{ns} $$

∎ 高分子で典型的に測られる $\tau_3 = 2\text{–}3\ \mathrm{ns}$ は,半径 $0.3\ \mathrm{nm}$(体積 $0.11\ \mathrm{nm^3}$)の自由体積に対応する.これはメチル基一つ分ほどの隙間である.

材料科学との接点:反粒子が実用測定になっている場面

Tao–Eldrup 式は,いま産業の現場で日常的に使われている.

ここで確認しておきたいのは,$142\ \mathrm{ns}$ という数字の出どころである.o-Ps が $3\gamma$ にしか崩壊できないのは,第6章の $C$ パリティ保存($C(\gamma)=-1$ なので $n$ 光子系は $C=(-1)^n$,$^3S_1$ は $C=-1$)による.そして $3\gamma$ 崩壊率が $2\gamma$ より $\alpha$ の1次分と位相空間分だけ小さいのは,第10章の QED の計算である.つまり,膜のガスバリア性を測る装置の目盛りは,$C$ パリティと微細構造定数で刻まれている.

16.5.4 ドップラー拡がりと Fermi 面

導出:消滅 $\gamma$ 線が電子の運動量を運ぶ

ステップ1:静止した対なら $511\ \mathrm{keV}$ ちょうど.$e^+e^-$ 対が静止していれば,運動量保存から2つの $\gamma$ は正反対に飛び,各々 $m_ec^2 = 511\ \mathrm{keV}$ をもつ.

ステップ2:対が運動していると.対の全運動量を $\bm{p}$ とする.熱化した陽電子の運動エネルギーは無視できる(室温で $k_BT\sim0.03\ \mathrm{eV}$,運動量にして $\sim0.04\ \mathrm{a.u.}$)ので,$\bm{p}$ はほぼ電子の運動量である.$\gamma$ 線の放出方向を $z$ とすると,Doppler シフトは

$$ \Delta E = \frac{p_L c}{2}\qquad (p_L = \bm{p}\cdot\hat{z}) $$

また,2つの $\gamma$ の角度は $\pi$ からずれる:

$$ \theta = \frac{p_T}{m_e c} $$

ステップ3:数値の感覚.原子単位系の運動量 $1\ \mathrm{a.u.} = m_ec\alpha$ を入れると

$$ \Delta E = \frac{m_ec^2\,\alpha}{2} = \frac{511\ \mathrm{keV}}{2\times137.036} = 1.86\ \mathrm{keV} $$ $$ \theta = \alpha = 7.30\times10^{-3}\ \mathrm{rad} = 7.30\ \mathrm{mrad} $$

∎ 前者を測るのがドップラー拡がり測定(DBS),後者を測るのが角相関測定(ACAR)である.

S パラメータと W パラメータ

$511\ \mathrm{keV}$ ピークの形を2つの数字で要約する慣習がある.

$S$–$W$ プロット上で試料が一直線に並べば「欠陥の種類は1つで濃度だけが変わっている」,折れ線なら「別種の欠陥が現れた」と読む.非常に素朴だが,実務ではきわめて有効な整理法である.

例:同時計数ドップラー拡がり(CDB)が空孔の「化学」を見る

単一の Ge 検出器では,Compton 散乱によるバックグラウンドがピークの裾を埋めてしまい,$W$ 領域の情報が取れない.そこで2つの検出器で $\gamma$ を同時計数し,$E_1+E_2 = 1022\ \mathrm{keV}$ を要求する.偶然同時計数は激減し,ピーク/バックグラウンド比が単一検出器の $10^{2}\text{–}10^{3}$ から $\sim10^{5}$ に改善する(改善幅にして $10^{2}\text{–}10^{3}$ 倍).これが CDB である.

こうすると $p_L$ が $30\times10^{-3}\,m_ec$ まで($\Delta E = 8\ \mathrm{keV}$ まで)測れる.この領域には,各元素の $3d$ や $4d$ 芯電子の運動量分布が指紋のように現れる.

典型的な応用が,原子炉圧力容器鋼(Fe-Cu-Ni-Mn)の照射脆化である.中性子照射で Cu が析出し,空孔と結合して脆化を引き起こす.CDB で Cu の $3d$ 電子の特徴的な高運動量成分が見えれば,「その空孔は Cu に囲まれている」と分かる.純 Fe の参照試料との比 $\rho(p_L)$ を取ると,Cu の量が定量できる.アトムプローブ(3D-AP)と相補的な情報を,非破壊で与える.

(a) 陽電子の一生(²²Na 線源) ²²Na 半減期 2.60 y 1.274 MeV γ(start) e⁺ 試料 空孔(陽電子トラップ) 511 keV 511 keV(stop) 寿命 = start と stop の時間差.空孔にいた分だけ長い. (c) 511 keV 線のドップラー拡がり E [keV] 511 空孔(S 大) バルク(W 大) ΔE = pL c/2 (b) 半対数で描いた陽電子の寿命スペクトル.バルク Fe の τ1=106 ps(藍),単空孔の τ2=175 ps(赤),高分子中 o-Ps の τ3=2.2 ns(緑)の 3 成分を直線で示す.傾きが寿命,切片が強度を表す.
図16.4 (a) 陽電子消滅寿命測定(PALS)の原理.$^{22}$Na の $1.274\ \mathrm{MeV}$ $\gamma$ 線を start,消滅 $511\ \mathrm{keV}$ を stop とする.陽電子は正電荷なのでイオン芯に反発され,空孔(イオン芯の欠けた場所)に捕まる.そこは電子密度が低いので寿命が伸びる.(b) 半対数プロットした寿命スペクトル.傾きが各成分の寿命.鉄のバルク $106\ \mathrm{ps}$,単空孔 $175\ \mathrm{ps}$,高分子中の o-Ps $2.2\ \mathrm{ns}$.(c) 消滅 $\gamma$ 線のエネルギーは,対の運動量(≒電子の運動量)によって $\Delta E = p_Lc/2$ だけ Doppler シフトする.空孔にいる陽電子は運動量の小さい価電子と消滅するので線が細く($S$ 大),バルクでは芯電子との消滅が効いて裾が広い($W$ 大).

例:2D-ACAR による Fermi 面の測定

角相関測定は,$\theta = p_T/m_ec$ を測る.陽電子が熱化して $\bm{p}_+\simeq0$ なら,測っているのは電子の運動量分布そのものである.金属では,占有された状態は Fermi 面の内側だけなので,運動量分布に鋭い不連続(Fermi 切断)が現れる.

数値を出そう.銅の Fermi 波数は $k_F = 1.36\ \mathrm{Å^{-1}}$.原子単位($a_0^{-1} = 1.89\ \mathrm{Å^{-1}}$)に直すと $k_F = 0.719\ \mathrm{a.u.}$ なので

$$ \theta_F = 0.719\times7.30\ \mathrm{mrad} = 5.25\ \mathrm{mrad} $$

検出器を $10\ \mathrm{m}$ 離して置けば,位置のずれは $52\ \mathrm{mm}$.十分に測定可能である.2次元位置敏感検出器を使って $(\theta_x,\theta_y)$ の2次元分布を測るのが 2D-ACAR で,これを多方位から取って再構成すれば3次元の Fermi 面が得られる.

de Haas–van Alphen 効果(Fermi 面の極値断面積を $10^{-3}$ 以下の精度で測れるが,極低温・高純度単結晶・強磁場が必須)や ARPES(表面敏感で,バルクの3次元 Fermi 面は苦手)に対して,2D-ACAR は室温でも,多結晶でも,合金でも測れるという独自の強みをもつ.ただし陽電子の波動関数による重み(陽電子は格子間にいるので,特定のバンドに偏る)の補正が必須で,第一原理計算との併用が前提になる.

16.6 中性子源と中性子散乱

中性子は 1932 年に Chadwick が発見した.発見から 15 年もたたないうちに,Shull と Wollan が中性子回折で結晶構造と磁気構造を決定していた(Shull は中性子回折法の確立により,非弾性散乱の Brockhouse とともに 1994 年のノーベル物理学賞を受けている).今日,物質・材料研究のための大型施設のうち,最も高額なものは中性子源である.J-PARC の建設費は約 $1500$ 億円,欧州の ESS は約 $2500$ 億円.これは加速器物理学と材料科学が,予算規模のレベルで一体化していることを意味する.

16.6.1 中性子をどう作るか

中性子源の三方式

  1. 研究用原子炉:$^{235}$U の核分裂で,1 回あたり平均 $2.4$ 個の中性子が出る.そのうち $1$ 個が連鎖反応を維持し,$1.4$ 個が余る.定常的な高フラックス($10^{15}\ \mathrm{n\,cm^{-2}s^{-1}}$)が得られる.ILL($58\ \mathrm{MW}$,フランス),HFIR($85\ \mathrm{MW}$,米国),JRR-3($20\ \mathrm{MW}$,日本),OPAL($20\ \mathrm{MW}$,豪州).
  2. 核破砕中性子源(spallation):$\mathrm{GeV}$ 級の陽子を重金属標的(Hg,W,Ta)に当てる.核内カスケードと蒸発過程で,入射エネルギー $1\ \mathrm{GeV}$ あたり $20\text{–}30$ 個の中性子が出る($3\ \mathrm{GeV}$ なら陽子1個あたり $60$ 個程度).パルス運転が自然にでき,同じ熱負荷でより多くの中性子が得られる.J-PARC MLF,SNS,ISIS,ESS,CSNS.
  3. 加速器駆動の $(d,\mathrm{Li})$ 源:$40\ \mathrm{MeV}$ の重陽子を液体 Li に当て,ストリッピング反応で $14\ \mathrm{MeV}$ 相当の中性子場を作る.核融合材料の照射試験専用(IFMIF/EVEDA,A-FNS).散乱実験用ではない.

導出:核破砕はなぜ効率がよいか — J-PARC の数字を出す

ステップ1:核破砕の物理.$3\ \mathrm{GeV}$ の陽子が水銀原子核($A=200$)に当たる.de Broglie 波長は

$$ pc = \sqrt{(T+m_p)^2 - m_p^2} = \sqrt{3938.3^2 - 938.3^2} = 3825\ \mathrm{MeV}, \qquad \bar\lambda = \frac{\hbar c}{p c} = \frac{197.3\ \mathrm{MeV\,fm}}{3825\ \mathrm{MeV}} = 0.052\ \mathrm{fm} $$

これは核子の大きさ($\sim1\ \mathrm{fm}$)よりはるかに小さい.すなわち陽子は核を「連続体」ではなく「核子の集まり」として見る.核内で核子と個別に衝突を繰り返し(核内カスケード,$10^{-22}\ \mathrm{s}$),高エネルギーの核子が数個飛び出す.残された核は励起状態になり,「蒸発」で中性子を $10\text{–}30$ 個放出する($10^{-16}\ \mathrm{s}$).厚い標的では,飛び出した二次核子がさらに別の核を破砕するので,標的全体の収率は1核あたりの値より大きくなる.これは第11章で扱った深非弾性散乱の,低エネルギー版の描像である.

ステップ2:陽子数を数える.J-PARC MLF は $3\ \mathrm{GeV}$,$1\ \mathrm{MW}$.陽子1個のエネルギーは

$$ 3\times10^{9}\times1.602\times10^{-19} = 4.806\times10^{-10}\ \mathrm{J} $$ $$ N_p = \frac{1\times10^{6}}{4.806\times10^{-10}} = 2.08\times10^{15}\ \mathrm{p/s} $$

ビーム電流に直せば $2.08\times10^{15}\times1.602\times10^{-19} = 333\ \mu\mathrm{A}$.

ステップ3:中性子数.厚い重金属標的の中性子収率には,$Y\simeq0.1\,(A+20)\left(E_p[\mathrm{GeV}]-0.12\right)$ という経験式がある.$A=200$(Hg),$E_p=3\ \mathrm{GeV}$ を入れると $Y=0.1\times220\times2.88=63$,すなわち陽子1個あたり約 $60$ 個である.したがって

$$ N_n \simeq 60\times2.08\times10^{15} = 1.3\times10^{17}\ \mathrm{n/s} $$

ステップ4:効率の比較.核破砕では,中性子1個あたりのビームエネルギーが $3\ \mathrm{GeV}/60 = 50\ \mathrm{MeV}$ である.このうち標的に熱として残るのは $5\text{–}6$ 割(残りは飛び出す中性子や $\gamma$ が持ち去る)なので,中性子1個あたりの発熱は約 $30\ \mathrm{MeV}$ となる.一方,核分裂では余る中性子1個あたり $200\ \mathrm{MeV}/1.4 = 140\ \mathrm{MeV}$ の熱が出る.核破砕は熱負荷あたりで約 $5$ 倍効率がよい.標的の除熱が中性子源の設計上の律速だから,この差が決定的である.しかも核破砕は,加速器を止めれば即座に中性子が止まる(臨界性がない).∎

コラム:減速材が「使える中性子」を作る

核破砕や核分裂で出てくる中性子は $\mathrm{MeV}$ 級で,波長にすると $10^{-4}\ \mathrm{Å}$.原子間距離($\sim3\ \mathrm{Å}$)と比べて短すぎて,回折には使えない.そこで減速材(moderator)で叩き落とす.

減速に $\mathrm{H}$ を使うのは,$\Lambda = 4mM/(m+M)^2$(16.2節と同じ式!)が $m=M$ で $1$ になり,1回の衝突で全エネルギーを失いうるからである.照射損傷の式と減速材選択の式は,文字どおり同じ式である.重水は $\Lambda=0.89$ とやや劣るが,吸収断面積が $\mathrm{H_2O}$ の $1/500$ なので,中性子を無駄にしない.目的に応じて使い分ける.

16.6.2 中性子の運動学 — 換算式を自分で作る

導出:$E[\mathrm{meV}] = 81.804/\lambda^2[\mathrm{Å}^2]$

ステップ1:de Broglie.$p = h/\lambda$.中性子は非相対論的($E\ll m_nc^2 = 939.6\ \mathrm{MeV}$)なので

$$ E = \frac{p^2}{2m_n} = \frac{h^2}{2m_n\lambda^2} $$

ステップ2:$\hbar c$ を使って自然単位系で計算する.本書の流儀に従い,$\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 1973.27\ \mathrm{eV\,Å}$ を使う.$h = 2\pi\hbar$ なので $hc = 2\pi\times1973.27 = 12398.4\ \mathrm{eV\,Å}$.

$$ E = \frac{(hc)^2}{2(m_nc^2)\lambda^2} = \frac{(1.23984\times10^{4}\ \mathrm{eV\,Å})^2}{2\times9.39565\times10^{8}\ \mathrm{eV}\times\lambda^2[\mathrm{Å^2}]} $$ $$ = \frac{1.53720\times10^{8}}{1.87913\times10^{9}}\cdot\frac{1}{\lambda^2}\ \mathrm{eV} = \frac{8.1804\times10^{-2}}{\lambda^2}\ \mathrm{eV} $$
$$ \begin{equation} E\,[\mathrm{meV}] = \frac{81.804}{\lambda^2\,[\mathrm{Å}^2]} \label{eq:16-neutronE} \end{equation} $$

ステップ3:速度も出す.$v = p/m_n = h/(m_n\lambda)$.$c$ を掛けて割って

$$ v = c\,\frac{hc}{(m_nc^2)\lambda} = 2.998\times10^{8}\times\frac{1.23984\times10^{4}}{9.39565\times10^{8}\,\lambda}\ \mathrm{m/s} = \frac{3956}{\lambda[\mathrm{Å}]}\ \mathrm{m/s} $$
$$ \begin{equation} v\,[\mathrm{m/s}] = \frac{3956}{\lambda\,[\mathrm{Å}]} \label{eq:16-neutronv} \end{equation} $$

ステップ4:検算.標準的な熱中性子 $v=2200\ \mathrm{m/s}$ なら $\lambda = 3956/2200 = 1.798\ \mathrm{Å}$,$E = 81.804/3.233 = 25.30\ \mathrm{meV}$.これは $k_BT$ で $T = 25.30/0.08617 = 294\ \mathrm{K}$(室温)に対応する.中性子の教科書に出てくる「$2200\ \mathrm{m/s}$,$25.3\ \mathrm{meV}$,$1.80\ \mathrm{Å}$」の三つ組が,すべて自分で出せた.∎

物理的意味:中性子が「ちょうどよい」プローブである理由

式 \eqref{eq:16-neutronE} と \eqref{eq:16-neutronv} は,中性子散乱という分野が存在する理由そのものである.

波長が原子間距離と同じオーダー,かつエネルギーが格子振動と同じオーダー.$\lambda = 2\ \mathrm{Å}$ の中性子は $E=20\ \mathrm{meV}$ をもつ.固体のフォノンのエネルギーはちょうど $1\text{–}100\ \mathrm{meV}$ である.したがって1回の散乱で,運動量移行 $\bm{Q}$ とエネルギー移行 $\hbar\omega$ の両方が同時に,同じ精度で測れる.

X 線と比べてみよう.$\lambda=1\ \mathrm{Å}$ の X 線は $E = hc/\lambda = 12.4\ \mathrm{keV}$.フォノンの $10\ \mathrm{meV}$ は,この $10^{-6}$ である.$10^{-6}$ の相対分解能を出す分光器を作るのは至難で,初の実証は 1987 年(Burkel ら,HASYLAB)だが,実用的な分光器が整ったのは 1990 年代の第3世代放射光(ESRF,SPring-8)以降である.中性子なら $10\%$ の分解能で済む.

この幸運は,中性子の質量が $939.6\ \mathrm{MeV}$ であるという,まったく無関係な事実に由来する.$E\propto1/(m\lambda^2)$ だから,質量が重いほど同じ波長で低エネルギーになる.中性子の質量が電子と同じだったら,$\lambda=2\ \mathrm{Å}$ で $E=37\ \mathrm{eV}$.フォノンの測定には使えなかっただろう.

16.6.3 散乱長 — なぜ中性子は水素に敏感なのか

Fermi の擬ポテンシャルと散乱長

中性子と核の相互作用は核力なので到達距離が $\sim1\ \mathrm{fm}$,一方で中性子の波長は $\sim10^{5}\ \mathrm{fm}$ である.波長に比べて相互作用が点にしか見えないから,$s$ 波(等方)散乱だけが効く.そこで実際のポテンシャルの代わりに,同じ散乱振幅を与えるデルタ関数ポテンシャル(Fermi の擬ポテンシャル)を使ってよい:

$$ \begin{equation} V(\bm{r}) = \frac{2\pi\hbar^2}{m_n}\,b\;\delta^3(\bm{r}-\bm{R}) \label{eq:16-fermipseudo} \end{equation} $$

これを Born 近似(第8章の一次の摂動=黄金律)に入れると散乱振幅 $f = -b$,微分断面積 $\dd\sigma/\dd\Omega = b^2$,全断面積 $\sigma = 4\pi b^2$ が得られる.$b$ を散乱長(scattering length)と呼ぶ.$b$ は長さの次元をもち,$\mathrm{fm}$ 単位で $\mathcal{O}(1\text{–}10)$ である.

第8章の言葉で言えば:核は,中性子に対する接触型の頂点であり,結合定数が $b$ である.これ以上ないほど単純な「Feynman 則」であり,摂動論の1次で厳密になる.中性子散乱の理論が驚くほど明快なのは,この事情による.

表16.8 主な元素の中性子散乱長と断面積(熱中性子,$2200\ \mathrm{m/s}$).比較のため X 線の原子形状因子 $f(0)=Z$ を併記
核種$b_{\rm coh}\ [\mathrm{fm}]$$\sigma_{\rm coh}\ [\mathrm{b}]$$\sigma_{\rm inc}\ [\mathrm{b}]$$\sigma_{\rm abs}\ [\mathrm{b}]$X 線 $f(0)=Z$
$^1$H$-3.739$1.7680.270.3331
$^2$H (D)$+6.671$5.592.050.000521
$^{6}$Li$+2.00-0.26\ii$0.510.469403
C$+6.646$5.550.0010.00356
N$+9.36$11.010.501.907
O$+5.803$4.230.0000.000198
Al$+3.449$1.500.00820.23113
Ti$-3.438$1.492.876.0922
V$-0.382$0.0185.085.0823
Mn$-3.750$1.750.4013.325
Fe$+9.45$11.220.402.5626
$^{58}$Ni$+14.4$26.104.628
$^{62}$Ni$-8.7$9.5014.528
Cd$+4.87-0.70\ii$3.043.46252048
Gd$+6.5-13.8\ii$29.31514970064
W$+4.86$2.971.6318.374
Pb$+9.405$11.120.0030.17182

材料科学との接点:黄金律がフォノン分散になる

表16.8 を眺めると,中性子散乱の特徴がすべて読める.

(1) $b$ は $Z$ に無関係である.X 線の散乱能は $Z$ に比例するので,$\mathrm{H}$ は $\mathrm{Pb}$ の $1/82$ しか見えない.中性子では $b_{\rm H}=-3.74$,$b_{\rm Pb}=+9.41\ \mathrm{fm}$ で,$2.5$ 倍しか違わない.水素の位置が決まるのは中性子だけである.水素貯蔵合金の H サイト,燃料電池電解質のプロトン伝導経路,リチウムイオン電池の Li 位置($b_{\rm Li}=-1.90\ \mathrm{fm}$)は,すべて中性子回折の仕事である.

(2) $b$ の符号が変わる.$\mathrm{H}$ が負,$\mathrm{D}$ が正.したがって $\mathrm{H_2O}$ と $\mathrm{D_2O}$ を混ぜて $b$ の平均をゼロにできる($\sim8\%\ \mathrm{D_2O}$ で水のバルク散乱長がゼロ).これがコントラスト変調で,タンパク質複合体の一部だけを見えなくする,といった実験ができる.X 線では絶対に不可能である.$\mathrm{Ni}$ の同位体($^{58}$Ni: $+14.4$,$^{62}$Ni: $-8.7$)を混ぜてゼロにする「ヌルマトリクス Ni」は,非晶質合金の部分構造因子を決める古典的な手法である.

(3) $\sigma_{\rm inc}$ が水素で異常に大きい.$80.3\ \mathrm{b}$ は,核スピン $I=1/2$ と中性子スピンの結合が,三重項($b_+ = 10.82\ \mathrm{fm}$)と一重項($b_- = -47.4\ \mathrm{fm}$)で極端に違うためである.$b_+$ と $b_-$ は,別のチャネルの別の事情から来ている.三重項($S=1$)チャネルには重陽子という束縛状態があり($E_B=2.22\ \mathrm{MeV}$),自由散乱長は $a_t=+5.42\ \mathrm{fm}$.一重項($S=0$)チャネルには束縛状態がなく,しきい値のすぐ上($\sim70\ \mathrm{keV}$)にわずかに束縛に届かない仮想状態があるため,自由散乱長が $a_s=-23.7\ \mathrm{fm}$ と発散的に大きくなる.核の反跳補正 $b=a\,(A+1)/A$($A=1$ なので $2$ 倍)を掛けると $b_+=+10.8$,$b_-=-47.4\ \mathrm{fm}$ になる.一重項の巨大な値は,重陽子の束縛ではなく,束縛し損ねた一重項の仮想状態の帰結である.コヒーレント散乱には $\braket{b}$,インコヒーレント散乱には $\braket{b^2}-\braket{b}^2$ が効くので,$\mathrm{H}$ は単一原子の運動(自己相関)を見るための特別なプローブになる.準弾性散乱(QENS)で高分子鎖や水分子の拡散を測るのは,この $80\ \mathrm{b}$ のおかげである.

(4) 非弾性散乱は黄金律そのものである.擬ポテンシャル \eqref{eq:16-fermipseudo} を使い,第8章の黄金律 $\Gamma = 2\pi\abs{M}^2\rho$ を書き下すと,二重微分断面積は

$$ \frac{\dd^2\sigma}{\dd\Omega\,\dd E'} = \frac{k'}{k}\,\frac{\braket{b}^2}{2\pi\hbar} \int\!\dd t\;\ee^{-\ii\omega t}\sum_{jj'}\Bigl\langle \ee^{-\ii\bm{Q}\cdot\bm{R}_{j'}(0)}\,\ee^{\ii\bm{Q}\cdot\bm{R}_{j}(t)}\Bigr\rangle \;\equiv\;\frac{k'}{k}\,N\braket{b}^2 S(\bm{Q},\omega) $$

$S(\bm{Q},\omega)$ は動的構造因子で,『線形応答理論入門』で扱った密度—密度相関関数そのものである.1フォノン項を取り出すと

$$ \frac{\dd^2\sigma}{\dd\Omega\dd E'}\Big|_{1\rm ph} \propto \frac{k'}{k}\sum_{s,\bm{q}}\frac{\abs{\bm{Q}\cdot\bm{e}_s(\bm{q})}^2}{\omega_s(\bm{q})} \left(n_s+\tfrac12\pm\tfrac12\right) \delta\!\left(\omega\mp\omega_s(\bm{q})\right)\,\delta_{\bm{Q}\mp\bm{q},\bm{G}} $$

$\delta$ 関数が2つ並んでいる.一つはエネルギー保存,一つは運動量保存(逆格子ベクトル $\bm{G}$ を除いて)である.第8章で Feynman 則を書いたとき,各頂点に $(2\pi)^4\delta^4(\sum p)$ を置いたのとまったく同じ構造である.フォノン分散曲線 $\omega_s(\bm{q})$ を測るとは,$\delta^4$ 関数の台を実験室で描くことにほかならない.

係数の $(n_s+1/2\pm1/2)$ も素粒子物理と同じものである.$+$(フォノン生成,中性子がエネルギーを失う)で $n+1$(誘導放出+自発放出),$-$(フォノン吸収)で $n$.これは第8章 8.3 節の囲みで見たボソン場の生成消滅演算子の行列要素 $\sqrt{n+1}$,$\sqrt{n}$ の二乗である(詳しくは『線形応答理論入門』付録B「第二量子化の要点」).低温で $n\to0$ になるとフォノン吸収の側が消え,スペクトルが非対称になる(detailed balance).中性子分光器のスペクトルを見て「片側だけ強い」と気づくのは,ボース統計を直接見ていることに気づくことである.

例:世界の大強度中性子源

研究炉が減っている(老朽化と核不拡散)一方で,核破砕源が増えている.結果として,材料科学の実験家は加速器の運転スケジュールに生活を合わせることになった.ビームタイムの申請書は,年に2回,締切に追われて書かれている.

16.7 イオンビームと加速器の材料応用

加速器を材料に向けるもう一つの使い方が,イオンビームである.半導体産業のイオン注入装置は,世界で年間数千台が動いており,これは間違いなく人類が最も多く作った加速器である.そして核融合材料の研究では,中性子照射の代わりにイオン照射で損傷を模擬する.

16.7.1 阻止能 — Bethe 公式

導出:Bethe の阻止能公式(の骨格)

ステップ1:一個の電子とのすれ違い.電荷 $ze$,速度 $v$ の重いイオンが,静止した電子の脇を衝突径数 $b$ で通り過ぎる.電子が受ける力積は,$x$ 方向(進行方向)の寄与が対称性で消え,$y$ 方向(垂直)だけが残る.Gauss の法則を使うと

$$ \Delta p_y = \int F_y\,\dd t = \frac{2 z e^2}{4\pi\epsilon_0\,b\,v} $$

電子が得るエネルギーは

$$ \Delta E(b) = \frac{(\Delta p_y)^2}{2m_e} = \frac{2z^2e^4}{(4\pi\epsilon_0)^2 m_e v^2 b^2} $$

ステップ2:全電子について足す.電子密度 $n_e$ の中を $\dd x$ 進む間に,$b$ と $b+\dd b$ の環に入る電子数は $n_e\,2\pi b\,\dd b\,\dd x$.したがって

$$ -\frac{\dd E}{\dd x} = \int_{b_{\min}}^{b_{\max}} \Delta E(b)\;n_e\,2\pi b\,\dd b = \frac{4\pi z^2 e^4 n_e}{(4\pi\epsilon_0)^2 m_e v^2}\,\ln\frac{b_{\max}}{b_{\min}} $$

$1/b^2\times b\,\dd b = \dd b/b$ なので対数が出る.これが Bethe 公式に $\ln$ がある理由である.

ステップ3:積分限界を物理で決める.$b_{\min}$ は電子に与えられる最大エネルギー($2m_ev^2$,正面衝突)から,$b_{\max}$ は「電子が原子に束縛されている時間より速くすれ違わないと,断熱的に追随されてエネルギーを渡せない」という条件($b_{\max}\sim v/\braket{\nu}$,$\braket{\nu}=I/h$)から決まる.結果

$$ \begin{equation} -\frac{\dd E}{\dd x} = \frac{4\pi z^2 e^4 n_e}{(4\pi\epsilon_0)^2 m_e v^2} \left[\ln\frac{2m_ec^2\beta^2\gamma^2}{I} - \beta^2\right] \label{eq:16-bethe} \end{equation} $$

$I$ は平均励起エネルギーで,経験的に $I\approx10\,Z\ \mathrm{eV}$($Z>13$).Si で $173\ \mathrm{eV}$,Fe で $286\ \mathrm{eV}$,W で $727\ \mathrm{eV}$.

ステップ4:実用形.PDG の書き方に合わせて,質量厚さあたりで書くと

$$ -\frac{1}{\rho}\frac{\dd E}{\dd x} = K\,z^2\frac{Z}{A}\frac{1}{\beta^2} \left[\frac12\ln\frac{2m_ec^2\beta^2\gamma^2 T_{\max}}{I^2}-\beta^2-\frac{\delta}{2}\right], \qquad K = 0.307075\ \mathrm{MeV\,mol^{-1}cm^{2}} $$

$T_{\max}$ は1回の衝突で電子に渡せる最大エネルギー,$\delta$ は密度効果の補正である.$T_{\max}=2m_ec^2\beta^2\gamma^2$ とおけば $\frac12\ln\left(2m_ec^2\beta^2\gamma^2/I\right)^2=\ln\left(2m_ec^2\beta^2\gamma^2/I\right)$ となり,式 \eqref{eq:16-bethe} に戻る.∎ 重い荷電粒子と電子の Coulomb 散乱(第10章 10.5 節の Mott 散乱)を,物質中の全電子について足し上げたものが,この式である.入射粒子が $e^\mp$ の場合は,同種・反粒子の同一性が効くので Møller($e^-e^-$)・Bhabha($e^+e^-$)散乱に置き換わり,別の公式になる.

物理的意味:$1/v^2$ が Bragg ピークを作る

式 \eqref{eq:16-bethe} の前因子は $1/v^2 = m/2E$ である.イオンが遅くなるほど,単位長さあたりで失うエネルギーが増える.したがってイオンは,止まる直前に最も激しくエネルギーを落とす.深さに対する損失のプロファイルは,飛程の終端に鋭いピークをもつ.これがBragg ピークである.

この一つの性質が,二つのまったく違う技術を支えている.

コラム:SRIM/TRIM が計算していること

材料屋が実際に使うのは Bethe 公式そのものではなく,SRIM(Stopping and Range of Ions in Matter)である.Ziegler, Biersack, Littmark が 1985 年に作り,いまも標準として使われている.中身は次の三段構えになっている.

  1. 電子的阻止能 $S_e$:高速域は Bethe 公式,低速域($v < v_0 Z^{2/3}$,$v_0$ は Bohr 速度)は $S_e\propto v$(Lindhard–Scharff).その中間は実験データで内挿する.半経験的である.
  2. 核的阻止能 $S_n$:遮蔽 Coulomb ポテンシャル(ZBL universal potential)で2体散乱を解き,換算エネルギー $\varepsilon$ の普遍関数として与える.低エネルギー($<1\ \mathrm{keV/amu}$)で支配的.欠陥を作るのはこちらである.
  3. モンテカルロ(TRIM):イオンを1個ずつ追跡し,2体衝突近似(BCA)で衝突を繰り返す.反跳原子も追跡すればカスケードが再現できる.

注意すべき点.SRIM の "Full Cascade" 計算は $E_d$ と格子結合エネルギーの扱いが NRT と一貫しておらず,Quick K–P の約 2 倍の変位数を与える.dpa を出すなら "Full Cascade" ではなく "Quick K–P"(Ion Distribution and Quick Calculation of Damage)を使い,格子結合エネルギーを $0$,$E_d$ を材料の推奨値にして,電子的阻止能を除いた損傷エネルギーに NRT 式を適用するのが,照射損傷コミュニティの合意(Stoller et al. 2013)である.論文で SRIM の dpa 値を比較するときは,どのモードか必ず確認すること.さらに SRIM は非晶質標的を仮定するので,チャネリング(結晶の開いた方向に沿ってイオンが深く入る現象)を扱えない.単結晶への注入では,故意に $7^\circ$ 傾けてチャネリングを避けるのが実務である.

(a) 阻止能の速度依存性 log E(イオン) −dE/dx 核的阻止能 Sn (欠陥を作る) 電子的阻止能 Se(Bethe) 1/v² 領域 交点 ≈ 1 keV/amu (b) 深さ分布(3 MeV Fe → Fe) 深さ [μm] 0.5 1.0 1.5 損傷(dpa)ピーク 注入イオン分布 Rp 表面(欠陥のシンク) 解析はふつう 0.3–0.7Rp の範囲で行う
図16.5 (a) 阻止能の速度依存性.高エネルギー側は Bethe 公式の $1/v^2$ が支配し(電子的阻止能,欠陥を作らない),$\sim1\ \mathrm{keV/amu}$ 以下では核的阻止能が上回る(欠陥を作る).(b) $3\ \mathrm{MeV}$ の Fe 自己イオンを Fe に入れたときの深さ分布の模式図.損傷(橙)は注入イオン自身の分布(紫破線)より手前でピークになる.表面は点欠陥のシンクとして働き,注入されたイオンは余分な格子間原子として振る舞う(injected interstitial effect)ため,解析はふつうピークより手前の領域で行う.

16.7.2 イオン照射で中性子照射を模擬する

例:なぜ $10^4$ 倍速くできるのか

16.2節の換算則 $1\ \mathrm{MW\,yr/m^2}\simeq10\ \mathrm{dpa}$ を損傷速度に直すと,壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$ の核融合炉第一壁は $10/(3.156\times10^{7}) = 3.2\times10^{-7}\ \mathrm{dpa/s}$ である(紙と電卓の素朴な見積もりでは $2.4\times10^{-7}$ であった).一方,イオン照射では

となる.すなわち$10^{4}$ 倍速い.中性子照射で $10$ 年かかる $100\ \mathrm{dpa}$ が,イオンなら $1$ 日で入る.しかも試料は放射化しないので,普通の実験室で取り扱える.核融合材料研究がイオン照射に依存しているのは,これ以外に方法がないからである(専用中性子源 IFMIF-DONES は 2023 年にスペインで建設が始まったが,まだ稼働していない).

注意:イオン照射は中性子照射ではない — 4つの本質的な違い

  1. 核変換が起きない.単ビームのイオン照射では He も H も生成されない.16.2節で見たとおり,He は核融合材料の脆化の主役である.対策として He イオンと重イオンを同時に入れるデュアルビーム,さらに H を加えたトリプルビーム照射装置(京都大学 DuET,東北大 IMR,QST TIARA など)がある.He/dpa 比を炉の値($10\ \mathrm{appm/dpa}$)に合わせて入れるのが標準的な作法である.
  2. 損傷領域が薄い.$3\ \mathrm{MeV}$ Fe の飛程は $\sim1\ \mu\mathrm{m}$.厚さ $1\ \mu\mathrm{m}$ の層に,自由表面が $1\ \mu\mathrm{m}$ の距離にある.表面は点欠陥の完全なシンクなので,空孔と格子間原子の濃度が本来より低くなる.解析はピークより浅い $0.3\text{–}0.7R_p$ の領域に限り,かつ表面から $0.2\ \mu\mathrm{m}$ 以上離す,というのが経験則である.
  3. 注入イオンが余分な格子間原子になる.自己イオン(Fe$\to$Fe)を使っても,入ったイオンは格子間原子として残る.格子間原子と空孔のバランスが崩れ,ボイド成長が抑制されうる(injected interstitial effect).これを避けるために,注入ピークより手前だけを見る,あるいは自己イオン(Fe$\to$Fe,Ni$\to$Ni)をより高エネルギー(数十 $\mathrm{MeV}$)で打ち込んで注入ピークを解析領域より深くに追いやる,あるいは陽子など軽イオンで損傷を一様化する.
  4. 損傷速度が違うと同じ組織にならない.これが最も厄介である.欠陥の運命は「生成率」と「熱拡散によるシンクへの吸収率」の競合で決まる.生成率を $10^4$ 倍にすると,同じ組織を得るには拡散も速くしなければならない.レート理論から,同じ組織を与える温度シフトは $$ \frac{1}{T_1}-\frac{1}{T_2} = \frac{k_B}{E_m}\ln\frac{\phi_2}{\phi_1}\times(\text{機構依存の係数}) $$

    で与えられ,$10^4$ 倍の加速には典型的に $100\text{–}200\ \mathrm{K}$ 高い温度で照射する必要がある.イオン照射の論文で「$500\ ^\circ\mathrm{C}$ で照射した」とあるとき,それは「炉の $350\ ^\circ\mathrm{C}$ を模擬している」という意味かもしれない.必ず確認すべき点である.

16.7.3 耐放射線半導体とシングルイベント効果

シングルイベント効果(SEE)

宇宙線や,パッケージ材料中の $\mathrm{U}$/$\mathrm{Th}$ 不純物からの $\alpha$ 線が,半導体素子を1個貫くだけで誤動作を起こす現象.累積線量ではなく1発で起きるのが特徴である.

導出:「$1\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}$ は Si 中で $10\ \mathrm{fC/\mu m}$」の法則

ステップ1:LET の定義.宇宙線分野では阻止能を,質量厚さで割ったLET(linear energy transfer)$[\mathrm{MeV\,cm^2/mg}]$ で表す.物質によらず比較できるようにするためである.

ステップ2:$1\ \mu\mathrm{m}$ の Si に何 MeV 落ちるか.Si の密度は $\rho = 2.33\ \mathrm{g/cm^3} = 2330\ \mathrm{mg/cm^3}$.$1\ \mu\mathrm{m} = 10^{-4}\ \mathrm{cm}$ の質量厚さは

$$ \rho\,\Delta x = 2330\times10^{-4} = 0.233\ \mathrm{mg/cm^2} $$ $$ \Delta E = 1\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}\times0.233\ \mathrm{mg/cm^2} = 0.233\ \mathrm{MeV} $$

ステップ3:電子—正孔対に直す.Si で1対を作るのに必要なエネルギーは $\varepsilon = 3.6\ \mathrm{eV}$(バンドギャップ $1.12\ \mathrm{eV}$ の3倍.残りはフォノンに行く).

$$ N = \frac{0.233\times10^{6}\ \mathrm{eV}}{3.6\ \mathrm{eV}} = 6.47\times10^{4}\ \text{対} $$ $$ q = 6.47\times10^{4}\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{C} = 1.04\times10^{-14}\ \mathrm{C} = 10.4\ \mathrm{fC} $$
$$ \begin{equation} 1\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg} \;\longleftrightarrow\; 10.4\ \mathrm{fC/\mu m}\quad(\text{Si 中}) \label{eq:16-let} \end{equation} $$

ステップ4:臨界電荷と比べる.SRAM セルの記憶ノードの容量を $C=10\ \mathrm{fF}$,電源電圧を $V=1.0\ \mathrm{V}$ とすると,蓄えられている電荷は

$$ Q_{\rm crit} \sim C V = 10\times10^{-15}\times1.0 = 10\ \mathrm{fC} = 6.2\times10^{4}\ \text{電子} $$

すなわち,LET $=1\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}$ の粒子が空乏層を $1\ \mu\mathrm{m}$ 走るだけで,1ビットを反転できる電荷が生じる.宇宙線の重イオン(Fe)は $\mathrm{LET}\sim30\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}$ に達するので,余裕で反転する.∎

ステップ5:微細化はどちらに効くか.$C$ が小さくなり $V$ も下がるので,$Q_{\rm crit}$ は世代ごとに下がる.一方で,セルの断面積も小さくなるので粒子が当たる確率は下がる.正味では,ノードあたりのソフトエラー率はおおむね横ばいだが,チップあたりのビット数が増えるのでチップ全体のエラー率は増える.したがってサーバ用 DRAM には ECC が必須になった.

表16.9 耐放射線性が期待される半導体材料
材料$E_g\ [\mathrm{eV}]$$\varepsilon\ [\mathrm{eV/pair}]$$E_d\ [\mathrm{eV}]$飽和ドリフト速度 $[\mathrm{cm/s}]$用途
Si1.123.621$1.0\times10^{7}$標準.耐放射線は設計(SOI,冗長化)で稼ぐ
GaAs1.424.29(Ga)/10(As)$1.0\times10^{7}$宇宙用太陽電池,高周波
4H-SiC3.267.835(Si)/20(C)$2.0\times10^{7}$原子力用パワー素子,$\alpha$/中性子検出器
GaN3.48.920(Ga)/10(N)$2.5\times10^{7}$宇宙用パワー素子,高温動作
ダイヤモンド5.4713.143$2.7\times10^{7}$LHC のビームモニタ,超高線量下の検出器

なぜワイドギャップが強いのか — 3つの独立な理由

  1. $E_d$ が大きい.結合が強いので原子をはじき出しにくい(16.2節の $E_d$).ダイヤモンドの $43\ \mathrm{eV}$ は Si の2倍である.同じ照射で欠陥が半分しかできない.
  2. $\varepsilon$ が大きい.1対を作るのに大きなエネルギーが要るので,同じ LET の粒子が作る電荷が少ない.SiC は Si の $1/2.2$,ダイヤモンドは $1/3.6$.SEU の観点で有利である(ただし検出器として使うときは,同じエネルギーで得られる信号が小さいという不利になる.16.8節).
  3. 熱励起キャリアが少ない.真性キャリア濃度は $n_i\propto\exp(-E_g/2k_BT)$.Si の $1.12\ \mathrm{eV}$ から SiC の $3.26\ \mathrm{eV}$(あるいは GaN の $3.36\ \mathrm{eV}$)へ約 $3$ 倍にすると,室温での比は $\exp\left[-(3.26-1.12)/(2\times0.0259)\right]\approx10^{-18}$(GaN なら $10^{-19}$)倍になる.欠陥準位からのリーク電流も抑えられ,$300\ ^\circ\mathrm{C}$ 以上でも動く.原子炉内や金星探査機(表面温度 $460\ ^\circ\mathrm{C}$)のための電子回路が,SiC で作られている理由である.

ただし現実は単純でない.SiC/GaN では,照射で生じた深い準位が電荷を捕獲し,しきい値電圧をシフトさせる.また SiC の MOS 界面(SiO$_2$/SiC)の欠陥密度は Si の $100$ 倍あり,そこに放射線由来の正孔が捕まると特性が劣化する.バルクは強いが界面が弱いというのが,2020 年代のワイドギャップパワー半導体の耐放射線性研究の共通認識である.

16.8 検出器としての材料

これまでの節では,素粒子物理の粒子を材料に当てて材料を調べてきた.本節は逆で,粒子を検出するための材料を扱う.素粒子物理の実験は,結局のところ何らかの結晶や半導体や超伝導体の中で起きる現象を読み出しているのであって,検出器の性能はほとんど材料物性で決まる.LHC の ATLAS 検出器の電磁カロリメータが液体アルゴンで,CMS が PbWO$_4$ 結晶であるという選択は,物性値の比較の結果である.

16.8.1 一本の原理:分解能は $\sqrt{\varepsilon E}$ で決まる

導出:エネルギー分解能の統計極限と Fano 因子

ステップ1:数を数える.エネルギー $E$ の粒子が検出器に落ちると,何らかの「量子」(光子,電子—正孔対,Cooper 対の破壊,フォノン)が

$$ N = \frac{E}{\varepsilon} $$

個できる.$\varepsilon$ は「量子1個を作るのに要る平均エネルギー」である.測定するのはこの $N$ である.

ステップ2:素朴には Poisson.各量子の生成が独立なら $\sigma_N=\sqrt{N}$,したがって

$$ \frac{\Delta E}{E}\Big|_{\rm FWHM} = 2.355\,\frac{\sigma_N}{N} = \frac{2.355}{\sqrt{N}} = 2.355\sqrt{\frac{\varepsilon}{E}} $$

ステップ3:Fano 因子を入れる.実際には,落ちたエネルギーの総和は $E$ で固定されている.したがって各量子の生成は完全には独立でなく,揺らぎは Poisson より小さい.この抑制を Fano 因子 $F$ で表す:$\sigma_N^2 = F N$.半導体では $F\approx0.11$,ガスでは $0.2$,シンチレータでは(発光過程が複雑なので)$F\approx1$ に近い.

$$ \begin{equation} \Delta E_{\rm FWHM} = 2.355\,\sqrt{F\,\varepsilon\,E} \label{eq:16-fano} \end{equation} $$

ステップ4:Ge 検出器で検算する.$^{60}$Co の $1332\ \mathrm{keV}$ 線を高純度 Ge($\varepsilon = 2.96\ \mathrm{eV}$,$F=0.11$)で測る.

$$ F\varepsilon E = 0.11\times2.96\ \mathrm{eV}\times1.332\times10^{6}\ \mathrm{eV} = 4.337\times10^{5}\ \mathrm{eV^2} $$ $$ \Delta E = 2.355\times\sqrt{4.337\times10^{5}} = 2.355\times658.6 = 1551\ \mathrm{eV} = 1.55\ \mathrm{keV} $$

カタログ値は $1.8\text{–}1.9\ \mathrm{keV}$.差は前置増幅器の電子雑音($\sim0.9\ \mathrm{keV}$)を二乗和で足せば説明される:$\sqrt{1.55^2+0.9^2}=1.79\ \mathrm{keV}$ ✓.∎

ステップ5:NaI(Tl) と比べる.$^{137}$Cs の $662\ \mathrm{keV}$.発光量は $38000\ \mathrm{photons/MeV}$ なので $\varepsilon_{\rm ph}=26\ \mathrm{eV/photon}$,生成光子数は $2.5\times10^{4}$ 個.しかし光電子増倍管まで届いて光電子になるのは,集光効率と量子効率を掛けて $\sim20\%$:

$$ N_{\rm pe} = 2.5\times10^{4}\times0.20 = 5.0\times10^{3} \quad\Longrightarrow\quad \frac{\Delta E}{E} = \frac{2.355}{\sqrt{5.0\times10^{3}}} = 3.3\% $$

実測は $6\text{–}7\%$.差は,NaI(Tl) の発光量がエネルギーに厳密には比例しないこと(非比例性,$\pm5\%$)による.これは結晶中の励起子密度が高いときの消光(Birks 則)から来る,純粋な物性の問題である.

材料科学との接点:$\varepsilon$ の階段が検出器の歴史そのものである

式 \eqref{eq:16-fano} は $\Delta E\propto\sqrt{\varepsilon}$ と言っている.したがって検出器の進歩の歴史とは,$\varepsilon$ を下げる歴史である.そして $\varepsilon$ は,材料中の最小励起エネルギーで決まる.

  1. シンチレータ:$\varepsilon\approx26\ \mathrm{eV}$.可視光子1個($3\ \mathrm{eV}$)を出すのに,バンドギャップ($5\text{–}8\ \mathrm{eV}$)の数倍を消費する.
  2. 半導体:$\varepsilon = 3.6\ \mathrm{eV}$(Si),$2.96\ \mathrm{eV}$(Ge).電子—正孔対の生成に,バンドギャップの約3倍.$\varepsilon$ が $1/9$ になり,分解能は $3$ 倍よくなった(1960 年代の革命).
  3. 超伝導体:$\varepsilon\sim1\ \mathrm{meV}$.Cooper 対を壊すのに要るのは $2\Delta\approx3.5k_BT_c$.Al($T_c=1.2\ \mathrm{K}$)なら $2\Delta = 0.36\ \mathrm{meV}$.$\varepsilon$ が半導体の $10^{-4}$ になり,分解能は $100$ 倍よくなる(1990 年代〜).

数値で確認しよう.$6\ \mathrm{keV}$ の X 線(Fe の K$\alpha$)に対して

$$ \text{Si (SDD)}: \ 2.355\sqrt{0.11\times3.6\times6000} = 115\ \mathrm{eV} $$ $$ \text{TES}: \ 2.355\sqrt{0.005\times1\times10^{-3}\times6000} = 0.40\ \mathrm{eV}\ \text{(形式的な当てはめ)} $$

ただし TES は量子を数える検出器ではなく熱量計であり,$\varepsilon\sim1\ \mathrm{meV}$,$F\sim0.005$ という組は Fano の枠組みに形式的に当てはめた目安にすぎない(Cooper 対を数える原理に忠実なのは超伝導トンネル接合 STJ である).TES の本当の分解能限界は熱ゆらぎ(フォノン雑音)で決まり,$1\ \mathrm{eV}$ 前後になる(16.8.2項で式から計算する).実際,X 線 TES マイクロカロリメータは実験室で $6\ \mathrm{keV}$ に対し $\Delta E = 1.6\ \mathrm{eV}$ を達成している($E/\Delta E = 3750$).結晶分光器(Bragg 分光)並みの分解能を,全立体角で,非分散型で得られる.JAXA/NASA の XRISM 衛星(2023 年打上げ)の Resolve 検出器は,厳密には TES ではなくシリコンサーミスタと HgTe 吸収体を組み合わせたマイクロカロリメータだが,「極低温で熱として測る」という原理は同じで,軌道上での実効分解能は $6\ \mathrm{keV}$ で約 $4.5\ \mathrm{eV}$ である(TES 型の衛星搭載は次期 Athena/X-IFU が最初になる).それでも銀河団の高温プラズマの乱流速度を,Doppler 幅から $\mathrm{km/s}$ の精度で測るには十分である.

ここで効いているのは,超伝導ギャップが $\mathrm{meV}$ であるという物性値ひとつである.BCS 理論の弱結合関係式 $2\Delta\simeq3.5k_BT_c$(第13章で $\mathrm{U}(1)$ 対称性の破れの実例として扱った超伝導ギャップ.比の値 $3.53$ はギャップ方程式の弱結合極限から出るもので,対称性の破れ自体から決まるわけではなく,強結合の Pb では $4.3$,Nb では $3.8$ になる)が,天体物理の観測装置の仕様を決めている.

16.8.2 材料の比較表

表16.10 主なシンチレータ材料の物性($^{137}$Cs $662\ \mathrm{keV}$ での分解能)
材料密度 $[\mathrm{g/cm^3}]$$Z_{\rm eff}$発光量 $[\mathrm{ph/MeV}]$減衰時間 $[\mathrm{ns}]$発光波長 $[\mathrm{nm}]$分解能備考
NaI(Tl)3.6751380002304156.5%潮解性,最も安価で標準
CsI(Tl)4.51545400010005506.5%フォトダイオード整合,遅い
BGO(Bi$_4$Ge$_3$O$_{12}$)7.1374820030048010%阻止能が最高級,発光量は低い
LYSO(Ce)7.16632000404208%速い.$^{176}$Lu の内因性放射能
GAGG(Ce)6.635450000905205.2%非潮解,内因性放射能なし,日本発
LaBr$_3$(Ce)5.084763000163802.7%最高分解能.潮解性,$^{138}$La
PbWO$_4$8.307520010420—放射長 $0.89\ \mathrm{cm}$.CMS 用
プラスチック(EJ-200)1.02低100002.1425—大面積・高速.H 多く中性子に有効
表16.11 半導体・超伝導検出器の比較
方式材料$\varepsilon$$\Delta E$ @ 6 keV動作温度特徴と課題
半導体(SDD)Si$3.6\ \mathrm{eV}$$125\ \mathrm{eV}$$-20\ ^\circ\mathrm{C}$(Peltier)EDS の標準.薄いので高エネルギー $\gamma$ に不向き
半導体高純度 Ge$2.96\ \mathrm{eV}$$\sim130\ \mathrm{eV}$($1.9\ \mathrm{keV}$ @1.33 MeV)$77\ \mathrm{K}$$\gamma$ 線分光の王者.液体窒素が必要
半導体CdTe / CZT$4.4\ /\ 4.6\ \mathrm{eV}$$\sim300\ \mathrm{eV}$室温高 $Z$(48/52)で $\gamma$ 効率が高い.正孔の移動度が低く電荷収集が不完全
半導体ダイヤモンド$13.1\ \mathrm{eV}$—室温〜高温耐放射線.LHC のビーム損失モニタ
超伝導(TES)Mo/Au, Ti/Au 二層膜$\sim1\ \mathrm{meV}$$1.6\ \mathrm{eV}$$50\text{–}100\ \mathrm{mK}$超高分解能.希釈冷凍機と SQUID 多重読み出しが必要.計数率 $\sim100\ \mathrm{cps/pixel}$
超伝導(SNSPD)NbN, WSi, MoSi 細線—(光子1個)—$1\text{–}3\ \mathrm{K}$検出効率 $>98\%$,時間ジッタ $<20\ \mathrm{ps}$,暗計数 $<1\ \mathrm{cps}$.量子通信,深宇宙光通信
超伝導(MKID)Al, TiN, NbTiN 共振器$\sim1\ \mathrm{meV}$$R=E/\Delta E\approx10\text{–}20$(可視),すなわち $\Delta E\sim0.1\ \mathrm{eV}$$100\ \mathrm{mK}$周波数多重で $10^{4}$ 画素を数本の同軸で読める.天文用大規模アレイ

例:TES の分解能を式から出す

TES(transition edge sensor)は,超伝導—常伝導転移の急峻な抵抗変化を温度計に使う.エネルギーが入ると温度が上がり,抵抗が増え,電流が減る.熱ゆらぎに由来する分解能の理論限界は

$$ \Delta E_{\rm FWHM} \simeq 2.355\,\sqrt{\frac{4k_BT^2C}{\alpha}}, \qquad \alpha \equiv \frac{\dd\ln R}{\dd\ln T} $$

$\alpha$ は転移の急峻さ($50\text{–}200$).$T_c = 100\ \mathrm{mK}$,熱容量 $C = 1\ \mathrm{pJ/K}$,$\alpha = 100$ とすると

$$ \frac{4k_BT^2C}{\alpha} = \frac{4\times1.381\times10^{-23}\times(0.1)^2\times1\times10^{-12}}{100} = 5.52\times10^{-39}\ \mathrm{J^2} $$ $$ \sqrt{\ } = 7.43\times10^{-20}\ \mathrm{J} = 0.464\ \mathrm{eV} \quad\Longrightarrow\quad \Delta E = 2.355\times0.464 = 1.09\ \mathrm{eV} $$

実装の非理想性を入れて $1.6\ \mathrm{eV}$ が達成値である.式の中で材料屋が動かせるのは $T_c$(二層膜の膜厚比で $50\text{–}150\ \mathrm{mK}$ に調整する:近接効果),$C$(吸収体の体積と材質.$\mathrm{Au}$ か $\mathrm{Bi}$),$\alpha$(転移幅.均一性が命)の3つだけである.薄膜成長の技術が,そのまま分光分解能になる.

なぜ検出器材料に「重い」ことが求められるのか

$\gamma$ 線検出では,光電吸収の断面積が $Z^{4\text{–}5}$ に比例する.したがって高 $Z$ の元素を含む結晶が有利である.BGO の Bi($Z=83$),PbWO$_4$ の Pb($82$)と W($74$),LYSO の Lu($71$),GAGG の Gd($64$)—— いずれも重元素を意図的に入れている.

電磁カロリメータでは放射長 $X_0$(電子が制動放射でエネルギーを $1/e$ にする長さ)が指標になる.$X_0 \propto A/(Z(Z+1)\ln(287/\sqrt{Z}))$ なので,やはり高 $Z$・高密度がよい.PbWO$_4$ の $X_0 = 0.89\ \mathrm{cm}$ は,NaI の $2.59\ \mathrm{cm}$ の $1/3$.LHC の CMS が発光量わずか $200\ \mathrm{ph/MeV}$ という「暗い」結晶を選んだのは,検出器を小さくして高磁場ソレノイドの内側に収めるためであった.発光量を犠牲にして密度を買うという設計判断である.

逆に,中性子検出には軽元素(H,$^6$Li,$^{10}$B,$^3$He)が要る.中性子は $\gamma$ と違って電磁相互作用しないので,核反応か弾性散乱でしか捕まえられない.$^3$He の枯渇(冷戦期のトリチウム由来の在庫が尽きた)が 2010 年頃から深刻になり,$^{10}$B 濃縮膜や $^6$Li ガラスシンチレータへの置き換えが進んでいる.これも材料開発の問題である.

16.9 μ触媒核融合とミュオン透視

16.9.1 ミュオンで Bohr 半径を縮める

導出:ミュオン分子の大きさ

ステップ1:Bohr 半径の質量依存性.第7章で見たとおり,2体 Coulomb 束縛系の Bohr 半径は換算質量に反比例する:

$$ a = \frac{4\pi\epsilon_0\hbar^2}{m_r e^2} = \frac{\hbar}{m_r c\,\alpha} = a_0\,\frac{m_e}{m_r}, \qquad a_0 = 0.529177\ \mathrm{Å} = 52917.7\ \mathrm{fm} $$

ステップ2:素朴な見積り.$m_\mu/m_e = 206.768$ なので,核が無限に重ければ

$$ a_\mu = \frac{52917.7}{206.768} = 255.9\ \mathrm{fm} $$

教科書でよく見る「$1/207$」はこれである.しかし核は無限に重くない.

ステップ3:換算質量を正しく入れる.ミュオンと重陽子($m_d/m_e = 3670.483$)の系では

$$ \frac{m_r}{m_e} = \frac{206.768\times3670.483}{206.768+3670.483} = \frac{7.58938\times10^{5}}{3877.251} = 195.74 $$
$$ \begin{equation} a_{d\mu} = \frac{52917.7\ \mathrm{fm}}{195.74} = 270.3\ \mathrm{fm} \label{eq:16-amu} \end{equation} $$

陽子の場合は $m_r/m_e = 185.84$ で $a_{p\mu}=284.8\ \mathrm{fm}$.「$1/207$」ではなく実際は $1/186\text{–}1/196$ である.換算質量の効果が $5\text{–}10\%$ ある.∎

ステップ4:結合エネルギー.$E_1 = -\frac12 m_r c^2\alpha^2$ なので,$d\mu$ の基底状態は

$$ E_1 = -13.606\ \mathrm{eV}\times195.74 = -2663\ \mathrm{eV} = -2.66\ \mathrm{keV} $$

$t\mu$ では $m_r/m_e = 206.768\times5496.92/5703.69 = 199.27$ なので $E_1 = -13.606\times199.27 = -2711\ \mathrm{eV}$ である.この $48\ \mathrm{eV}$ の差が,$d\mu + t \to t\mu + d$ という置換反応を強く一方向に進める(ミュオンは必ず三重陽子に移る).μ触媒核融合の第一段階である.

なぜ小さいと融合するのか

16.1節で計算した Coulomb 障壁のトンネル確率は $\exp(-2\pi\eta)$ で,$\eta\propto\sqrt{m_r/E}$ であった.しかし束縛状態では話が違う.二つの核が距離 $R$ に閉じ込められていれば,核力の到達距離まで来る確率は $R$ が小さいほど劇的に大きい.

普通の $\mathrm{DT}$ 分子(電子が結合)では核間距離が $\sim0.75\ \mathrm{Å} = 7.5\times10^{4}\ \mathrm{fm}$.ミュオン分子 $dt\mu$ では,ミュオンの Bohr 半径のスケールなので $\sim500\ \mathrm{fm}$.$150$ 倍近い.核波動関数の重なりは指数関数的に効くので,融合率は $10^{-64}\ \mathrm{s^{-1}}$(電子分子)から $10^{12}\ \mathrm{s^{-1}}$(ミュオン分子)へと,実に $76$ 桁跳ね上がる.$dt\mu$ の融合は $10^{-12}\ \mathrm{s}$,すなわち分子ができた瞬間に融合する.

これは「常温核融合」ではない.常温で起きるのは確かだが,ミュオンを作るのに $\mathrm{GeV}$ 級の加速器が要るのだから,低エネルギーの現象ではまったくない.

16.9.2 サイクル数の限界

導出:なぜ μ触媒核融合はエネルギー源にならないのか

ステップ1:サイクルの構造.$\mu^-$ を D/T 混合物に止めると,次のサイクルが回る.

  1. $\mu^-$ が捕獲されて $d\mu$ または $t\mu$ を作る($10^{-11}\ \mathrm{s}$)
  2. $d\mu \to t\mu$ の移行($48\ \mathrm{eV}$ の利得で一方向)
  3. $t\mu + \mathrm{D_2} \to [(dt\mu)\,d\,ee]$ の分子形成.これが律速で,$\lambda_{dt\mu}\sim10^{8}\ \mathrm{s^{-1}}$(液体水素密度で)
  4. $dt\mu \to \alpha + n + \mu^-$ の融合($10^{-12}\ \mathrm{s}$,ほぼ瞬時)
  5. $\mu^-$ が解放され,1 に戻る

ステップ2:分子形成が速い理由(Vesman 機構).$dt\mu$ 分子には,$J=v=1$ という極端に浅い束縛状態が存在し,その結合エネルギーは $-0.66\ \mathrm{eV}$ しかない.一方,$\mathrm{D_2}$ 分子の回転振動励起のエネルギーも同じオーダーである.したがって $t\mu + \mathrm{D_2}$ の衝突エネルギーがちょうど合ったとき,共鳴的に分子ができる(放出すべきエネルギーを,母体分子の振動回転励起が受け取る).この浅い準位が偶然存在しなければ,μ触媒核融合は現実的な速さでは起きなかった.

ステップ3:粘着(sticking).融合で生じた $\alpha$ 粒子($3.5\ \mathrm{MeV}$)は,正電荷 $+2$ をもつ.ミュオンがこれに捕まって $(\alpha\mu)^+$ を作ってしまうと,そのミュオンは二度と触媒として働けない.初期粘着確率は $\omega_s^0 = 0.886\%$ である.ただし $(\alpha\mu)^+$ は $3.5\ \mathrm{MeV}$ の運動エネルギーをもって物質中を走るので,そのあいだに衝突でミュオンを剥ぎ取られて復活する(reactivation).その確率を $R$ とすると実効粘着確率は $\omega_s = \omega_s^0(1-R)$ であり,液体水素密度での実測から $R\approx0.5$ なので

$$ \omega_s \approx 0.0045 = 0.45\% $$

ステップ4:サイクル数を数える.ミュオンが失われるのは(i)粘着,(ii)寿命($\tau_\mu = 2.197\ \mu\mathrm{s}$)の2つ.サイクル率を $\lambda_c$ とすると,1個のミュオンが回せる回数は

$$ \begin{equation} N_c = \frac{1}{\;\omega_s + (\lambda_c\tau_\mu)^{-1}\;} \label{eq:16-cycles} \end{equation} $$

実験で達成された最高値 $\lambda_c = 1.2\times10^{8}\ \mathrm{s^{-1}}$ を入れると $\lambda_c\tau_\mu = 264$,したがって

$$ N_c = \frac{1}{0.0045 + 1/264} = \frac{1}{0.0045+0.00379} = \frac{1}{0.00829} = 121 $$

実測の最高値は約 $150$ 回(Los Alamos,PSI).

ステップ5:エネルギー収支.1個のミュオンが $150$ 回の融合を触媒すれば

$$ E_{\rm out} = 150\times17.6\ \mathrm{MeV} = 2.6\ \mathrm{GeV} $$

一方,$\mu^-$ を1個作るコストは,加速器の効率とパイオン生成断面積から,最良の見積りでも $3\text{–}5\ \mathrm{GeV}$.

$$ Q_{\mu\rm CF} = \frac{2.6}{5} \approx 0.5 \;<\; 1 $$

∎ 損益分岐には $N_c \gtrsim 300\text{–}500$ が要る.しかし式 \eqref{eq:16-cycles} を見れば分かるとおり,$\lambda_c\to\infty$ にしても $N_c \le 1/\omega_s = 222$ が上限である.粘着確率 $\omega_s$ が $0.45\%$ である限り,原理的に届かない.

物理的意味:$\omega_s$ は QED で決まっている

粘着確率は,融合直後の $\alpha$ 粒子の周りにミュオンが束縛される確率である.これは「急激な摂動」に対する量子力学の標準問題(sudden approximation)で,$dt\mu$ の初期波動関数と $(\alpha\mu)$ の束縛状態の重なり積分で計算される:

$$ \omega_s^0 = \sum_{n\ell}\abs{\braket{\phi_{n\ell}^{(\alpha\mu)}\,\big|\,\psi^{(dt\mu)}}}^2 $$

これを精密に計算する(3体系の変分計算と,$(\alpha\mu)$ の物質中での剥ぎ取りのシミュレーション)ことが,1980〜90 年代の理論の主戦場であった.結論は「$0.45\%$ 前後で,材料や温度で大きくは変えられない」というものである.

つまり,μ触媒核融合の可否は純粋に量子力学的な重なり積分ひとつで決まっている.工学的な工夫(密度,温度,D/T 比の最適化)は $\lambda_c$ を上げることしかできず,$\omega_s$ には触れない.これは,材料工学が物理法則の壁に正面からぶつかった,きれいな実例である.

とはいえ,μCF は死んでいない.エネルギー源としてではなく,小型の中性子源として使う道がある.$14\ \mathrm{MeV}$ 中性子を,臨界に達しない小さな装置から,$10^{12}\ \mathrm{n/s}$ 級で取り出せる.16.2節の材料照射試験や,非破壊検査への応用が検討されている.

16.9.3 ミュオグラフィ — 宇宙線で巨大構造を透かす

導出:ミュオンはどれだけ岩を貫くか

ステップ1:宇宙線ミュオンの素性.一次宇宙線(陽子)が大気上層で $\pi$ を作り,$\pi\to\mu\nu$ で崩壊する(16.4節と同じ反応である).地表での鉛直方向の強度は

$$ I_\mu \approx 70\ \mathrm{m^{-2}s^{-1}sr^{-1}}, \qquad \text{水平面での積分強度} \approx 1\ \mathrm{cm^{-2}min^{-1}} $$

平均エネルギーは約 $4\ \mathrm{GeV}$,天頂角分布は $\cos^2\theta$.

ステップ2:飛程.$\mathrm{GeV}$ 級ミュオンの阻止能は,最小電離(MIP)付近で

$$ -\frac{1}{\rho}\frac{\dd E}{\dd x} \approx 2\ \mathrm{MeV\,cm^2/g} $$

である(式 \eqref{eq:16-bethe} を $\beta\gamma\sim3$ で評価した値).したがってエネルギー $E$ のミュオンが貫ける質量厚さは

$$ X \approx \frac{E}{2\ \mathrm{MeV\,cm^2/g}} = 500\,E[\mathrm{GeV}]\ \mathrm{g/cm^2} $$

標準的な岩($\rho = 2.65\ \mathrm{g/cm^3}$)では

$$ L = \frac{500\,E}{2.65}\ \mathrm{cm} = 1.9\,E[\mathrm{GeV}]\ \mathrm{m} $$
$$ 100\ \mathrm{GeV}\ \text{のミュオンは,約 }190\ \mathrm{m}\ \text{の岩を貫く} $$

∎ 宇宙線のスペクトルは一次粒子で $E^{-2.7}$,地表ミュオンでは $\pi$/K の崩壊と相互作用の競合(臨界エネルギー $\epsilon_\pi=115\ \mathrm{GeV}$)により $100\ \mathrm{GeV}$ 以上で $E^{-3.7}$ 程度に急峻化する.それでも $100\ \mathrm{GeV}$ 以上のものは十分にある.火山,ピラミッド,原子炉建屋といった $10\text{–}500\ \mathrm{m}$ の構造物が,ちょうど測れる.

ステップ3:何が見えるか.検出されるミュオン数は,視線方向の積分密度 $\int\rho\,\dd\ell$ の関数である.したがって,方向ごとの計数率を測れば,密度の2次元投影像(レントゲン写真の巨大版)が得られる.内部に空洞があれば,そこを通る方向だけ計数が増える.

例:ミュオグラフィの実績

密度分解能は数 $\%$,空間分解能は距離の $1/100$ 程度.測定時間は数週間から数か月かかる(宇宙線の強度が固定されているので統計を溜めるしかない).それでも,電源も線源も要らず,$100\ \mathrm{m}$ の岩を透かせる方法は他にない.

16.10 まとめと演習

16.10.1 同じ言語を話している

本章では,核融合,照射損傷,μSR,陽電子消滅,中性子散乱,イオンビーム,検出器材料,ミュオン応用と,一見ばらばらの話題を並べてきた.最後に,これらを貫いている構造を整理しておきたい.

素粒子物理と材料科学は,しばしば「基礎」と「応用」,あるいは「上流」と「下流」の関係で語られる.しかしそれは正しくない.両者は同じ言語を,違うエネルギースケールで話しているのである.共有されている語彙は,少なくとも四つある.

材料科学との接点:共有されている四つの語彙

語彙1:対称性とその自発的破れ.第13章で扱った Higgs 機構は,$\mathrm{U}(1)$ ゲージ対称性の自発的破れによってゲージ場に質量が生じる仕組みであった.これは歴史的に,超伝導の理論から来ている.Anderson(1963)が「超伝導体の中で電磁場は質量をもつ(Meissner 効果)」と指摘し,Englert–Brout,Higgs,Guralnik–Hagen–Kibble(いずれも 1964)がそれを相対論的な場の理論に移植した.対応はほぼ一対一である:

$$ \begin{array}{lcl} \text{超伝導体} & \longleftrightarrow & \text{電弱理論}\\[2pt] \text{秩序変数 }\Delta = \abs{\Delta}\ee^{\ii\theta} & \longleftrightarrow & \text{Higgs 場 }\phi\\ \text{位相 }\theta\text{(Goldstone モード)} & \longleftrightarrow & \text{食われる Goldstone ボソン}\\ \text{光子の質量 }\hbar/(\lambda c)\ \sim 1\ \mathrm{eV} & \longleftrightarrow & m_W = 80.4\ \mathrm{GeV}\\ \text{振幅モード(Higgs モード)}2\Delta & \longleftrightarrow & m_H = 125\ \mathrm{GeV}\\ \text{侵入長 }\lambda & \longleftrightarrow & \text{弱い力の到達距離 }1/m_W \end{array} $$

16.4節で μSR の緩和率から $\lambda$ を測ったとき,我々は文字どおり「ゲージ場の質量」を測っていた.NbSe$_2$ や電荷密度波系で観測される Higgs(振幅)モードは,LHC が探した粒子と同じ数学的対象である.

ただし一対一に対応するのは表の各行の関係までであって,理論の全体が同じというわけではない.超伝導体は非相対論的な系で Lorentz 不変性がなく,ゲージ群も $\mathrm{U}(1)$ ひとつである.振幅(Higgs)モードが明瞭な準粒子として立つには,粒子—正孔対称性が近似的に成り立ち,$2\Delta$ 以上の連続励起への減衰が小さいという条件が要る.「同じ数学的構造をもつ」と言うときは,どこまでが共通でどこから違うのかを,つねに押さえておく必要がある.

語彙2:場と,その励起としての粒子.第8章 8.3 節の囲みで場を量子化して粒子を得たとき,我々がやったのは調和振動子の集まりの量子化であった.固体中の格子振動も同じである.フォノンは変位場の量子であり,$a^\dagger$ と $a$ で生成消滅する.マグノン,プラズモン,ポラリトン,エキシトン,どれも同じ構造をもつ.16.6節で見たように,中性子非弾性散乱の断面積に現れる $(n+1)$ と $n$ は,第8章 8.3 節の囲みのボソン場の行列要素そのものであった(第二量子化の要点は『線形応答理論入門』付録Bにまとめてある).

さらに,電子と正孔の関係は,粒子と反粒子の関係と同じ手続きで導入される.満ちた海に空いた穴を,正電荷をもつ一個の準粒子と読み替える——第9章で $v$ スピノルを「負エネルギー解の解釈」として導入したことと,半導体物理で正孔を導入することは,この点で同じである.正孔は電子と対消滅(再結合)して光子を出しもする.ただし対応はここで止まる.正孔の有効質量はバンドの曲率で決まり,電子の有効質量とは一致しない(Si では重い正孔の $m^*\approx0.49\,m_e$ に対し電子は $m^*\approx0.26\,m_e$).$e^+$ と $e^-$ の質量が厳密に等しいことを保証する CPT 定理のような後ろ盾は,正孔にはない.Lorentz 不変性も交差対称性もなく,価電子帯の空孔は「Fermi の海」の穴であって,真空の負エネルギー海とは化学ポテンシャルの意味も違う.Dirac の海の描像がバンド理論で「文字どおりの現実」に見えるのは,あくまで数え方の水準での話である.

語彙3:くりこみと有効理論.第10章で,QED の発散を「低エネルギーで測った量に押し込む」ことで有限の予言を得た.そこで学んだのは,短距離の詳細を知らなくても長距離の物理は書けるという思想であった.

材料科学は,この思想の上に成り立っている.第一原理計算(DFT)は電子とイオン芯の量子力学だが,イオン芯の内部(核構造,クォーク)は擬ポテンシャルに押し込まれている.分子動力学は電子を消して原子間ポテンシャルに押し込む.相場模型は原子を消して秩序変数に押し込む.有限要素法は微細組織を消して構成則に押し込む.16.2節でカスケードの4段階を見たとき,各段階が独立な手法で扱われるのを見たが,あれは階層ごとの有効理論である.くりこみ群は素粒子物理(QED の Gell-Mann–Low 方程式,固定源中間子理論)と統計力学(Kadanoff のブロックスピン,1966)の両方に源をもち,Wilson が両者を統合して 1971 年に臨界現象の理論へ結実させた.それがいま材料の階層モデリングに使われていることは,偶然ではない.

語彙4:散乱と Green 関数.第8章の黄金律 $\Gamma = 2\pi\abs{M}^2\rho$,第10章の摂動展開,そして Feynman 図.同じものが,材料科学では動的構造因子 $S(\bm{Q},\omega)$,スペクトル関数 $A(\bm{k},\omega)$,久保公式,Boltzmann 方程式の衝突項として現れる.16.6節で書いた中性子散乱断面積は,まさに $\delta$ 関数によるエネルギー・運動量保存と行列要素の二乗の積であった.

物性の多体理論(Green 関数法,自己エネルギー,Dyson 方程式,Ward 恒等式)は,場の量子論の語彙をそのまま輸入したものである.『線形応答理論入門』で学んだ久保公式は,第8章の摂動論を平衡統計に載せ替えたものにほかならない.

素粒子物理 材料科学 U(1) ゲージ対称性の自発的破れ Higgs 場 φ,mW = 80.4 GeV Higgs 粒子 mH = 125 GeV(振幅モード) 超伝導(BCS,Anderson 1963) 秩序変数 Δ,光子質量 ħ/(λc) ~ 1 eV Higgs モード 2Δ(NbSe₂ の振幅励起) 同じ数学的構造 Dirac 方程式と反粒子 e⁺(第9章),対消滅 e⁺e⁻ → 2γ Majorana 条件 ψᶜ = ψ(第14章) 電子と正孔/BdG 準粒子 価電子帯の空孔,再結合発光 Kitaev 鎖の端の Majorana 束縛状態 場の量子化(第8章) a†, a,粒子数 n,ボース統計 (n+1) Goldstone ボソン(破れた連続対称性) フォノン・マグノン・プラズモン 中性子散乱の (n+1)/n 非対称(16.6 節) 音響フォノン=並進対称性の Goldstone くりこみと有効場の理論 走る結合定数 α(μ),Wilson の RG 短距離を知らずに長距離を書く マルチスケール・モデリング DFT → MD → kMC → 相場 → 連続体 擬ポテンシャル,原子間ポテンシャル 散乱理論と Green 関数 黄金律 Γ = 2π|M|²ρ,δ⁴(Σp) Feynman 図,Dyson 方程式,自己エネルギー 動的構造因子と久保公式 S(Q,ω),A(k,ω),フォノン分散の測定 GW 近似,DMFT,輸送の衝突項
図16.6 素粒子物理と材料科学が共有する語彙.左右は「基礎と応用」の関係ではなく,同じ数学的構造を違うエネルギースケール($10^{11}$ 倍の隔たり)で実現したものである.矢印は双方向であり,実際に Anderson $\to$ Higgs(超伝導 $\to$ 電弱理論)と,Wilson $\to$ 材料のマルチスケール(臨界現象 $\to$ 素粒子 $\to$ 材料)の両方向の輸入が歴史的に起きている.
表16.12 本章で扱った素粒子プローブの比較
プローブ依存する素粒子物理測る量感度・分解能必要な施設
$\mu^+$SR$\pi\to\mu\nu$ のパリティ最大破れ(第6・12章),$g_\mu$(第10章)局所磁場,磁気秩序,$\lambda$,スピン揺らぎ$10^{-5}\ \mathrm{T}$,時間 $10^{-9}\text{–}10^{-5}\ \mathrm{s}$$\mathrm{GeV}$ 陽子加速器
陽電子消滅(PALS/CDB/ACAR)反粒子の存在(第9章),$e^+e^-\to2\gamma$(第10章),Ps の $C$ パリティ(第6・7章)空孔濃度・サイズ,自由体積,Fermi 面,空孔近傍の元素$C_v\sim10^{-7}$,$\Delta V\sim0.1\ \mathrm{nm^3}$密封線源($^{22}$Na)で可.ビームは加速器
中性子散乱核力の短距離性($s$ 波散乱長),黄金律(第8章)結晶・磁気構造,H の位置,フォノン・マグノン分散,応力$\Delta d/d\sim10^{-4}$,$\Delta E\sim0.01\ \mathrm{meV}$(スピンエコー)研究炉/核破砕源($\sim10^{3}$ 億円)
イオンビーム(RBS/PIXE/注入/照射)Rutherford 散乱(第10章 10.5 節)と Bethe 阻止能(16.7.1 項)組成深さ分布,格子位置,照射損傷深さ $\sim10\ \mathrm{nm}$,$10^{-4}$ 原子分率タンデム加速器(研究室規模)
$\mu^-$ ミュオグラフィ宇宙線 $\pi\to\mu$(16.4.1 項),最小電離(16.9.3 項)大構造物の密度投影密度数 $\%$,空間 $\sim L/100$不要(宇宙線を使う)
$\mu^-$ 元素分析ミュオン捕獲と特性 X 線(第7章の束縛状態)非破壊のバルク元素分析($\mathrm{mm}$ 深さ)$\sim0.1\ \mathrm{wt\%}$,試料を壊さないミュオン施設(隕石・文化財に応用)

16.10.2 まとめ

読者への提案

材料科学を専門とする読者に,本書を読み終えたあとの具体的な行動を三つ提案しておきたい.

  1. PDG(Particle Data Group)の Review of Particle Physics を一度めくること.無料で公開されており,粒子の質量・寿命・分岐比の全データに加え,「Passage of Particles Through Matter」「Statistics」「Monte Carlo Techniques」といった,材料屋がそのまま使える章がある.阻止能も放射長も臨界エネルギーも,そこに一次資料がある.
  2. ビームタイムを申請すること.J-PARC,SPring-8,KEK,あるいは海外の施設の課題公募は,年に1〜2回ある.審査は競争的だが,材料の課題は歓迎される.申請書を書く過程で「自分の試料で何を測りたいのか」を素粒子・原子核の言葉で書き直すことになり,それ自体が勉強になる.落ちても失うものはない.
  3. 自分の分野の式を,第8章の言葉で書き直してみること.フォノン散乱率,キャリア移動度,光吸収係数,NMR の緩和率——どれも $\Gamma = 2\pi\abs{M}^2\rho$ の形をしている.行列要素 $M$ が何で,状態密度 $\rho$ が何かを特定すると,どこに近似が入っているかが見える.そして,改善すべき場所も見える.

本書は第1章 1.1 節を「『素粒子は材料と無関係』という誤解」という見出しから始めた.16章を通して見てきたのは,関係がないどころか,材料科学の測定装置と,計算の枠組みと,そしていくつかの中心的な概念そのものが,素粒子物理の言葉で書かれているという事実であった.

両者を分けているのは,エネルギースケールでも,抽象度でもない.単に,学部の講義が別々に行われているという,制度上の事情だけである.

16.10.3 演習問題

演習16.1 D$^3$He 反応のエネルギー配分

$\mathrm{D}+{}^{3}\mathrm{He}\to{}^{4}\mathrm{He}+p$ を考える.核質量は $m_d=1875.6127$,$m_{{}^3\mathrm{He}}=2808.3915$,$m_\alpha=3727.3794$,$m_p=938.2721\ \mathrm{MeV}$ である.

(1) $Q$ 値を求めよ.

(2) 式 \eqref{eq:16-partition} と同じ形の相対論的厳密解を使って,$p$ と $\alpha$ の運動エネルギーを求めよ.

(3) 質量数を $4:1$ とした非相対論近似の値と比べ,相対誤差を求めよ.

(4) この反応は「無中性子(aneutronic)」と呼ばれるが,実際の D$^3$He プラズマからは中性子が出る.どこから出るか,表16.2 を見て説明せよ.

ヒント:(1) $Q = 4684.0042-4665.6515 = 18.353\ \mathrm{MeV}$.(2) $W=4684.004$ として $T_p = Q(Q+2m_\alpha)/2W = 14.640\ \mathrm{MeV}$,$T_\alpha = 3.713\ \mathrm{MeV}$.(3) 非相対論近似は $14.68/3.67$ で,誤差は $p$ 側 $+0.3\%$,$\alpha$ 側 $-1.1\%$.(4) D が必ず混じっているので $\mathrm{D}+\mathrm{D}\to{}^3\mathrm{He}+n$($2.45\ \mathrm{MeV}$)が起きる.さらに副生した T が $\mathrm{D}+\mathrm{T}$ を起こせば $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子も出る.「無中性子」は相対的な表現にすぎない.

演習16.2 Gamow 因子で燃料を比較する

式 \eqref{eq:16-EG} $E_G = 2m_rc^2(\pi\alpha Z_1Z_2)^2$ と $P=\exp(-\sqrt{E_G/E})$ を使う.

(1) DD 反応($Z_1Z_2=1$,$m_r = m_d/2 = 937.81\ \mathrm{MeV}$)の $E_G$ を求めよ.

(2) D$^3$He 反応($Z_1Z_2=2$,$m_r = 1124.6\ \mathrm{MeV}$)の $E_G$ を求め,DT の $1.182\ \mathrm{MeV}$ の何倍かを言え.

(3) $E = 100\ \mathrm{keV}$ における透過確率 $P$ を DT と D$^3$He について計算し,比を求めよ.

(4) (3) の結果と表16.2 の $\braket{\sigma v}$ の比を見比べ,違いがあればその原因を述べよ.

ヒント:(1) $E_G^{\rm DD}=0.986\ \mathrm{MeV}$.(2) $E_G^{\rm D^3He}=4.728\ \mathrm{MeV}$,DT のちょうど $4$ 倍($m_r$ がほぼ同じで $(Z_1Z_2)^2=4$ だから).(3) DT:$2\pi\eta=3.438$,$P=3.2\times10^{-2}$.D$^3$He:$2\pi\eta=6.876$,$P=1.0\times10^{-3}$.比は約 $31$ 倍.(4) 実際の $\braket{\sigma v}$ の比はもっと大きい($10\ \mathrm{keV}$ で約 $500$ 倍).DT には $^5$He の $3/2^+$ 共鳴が $64\ \mathrm{keV}$ という低い位置にあり $S$ 因子が大きいためである.D$^3$He にも鏡映核 $^5$Li の同種の共鳴はあるが,$250\ \mathrm{keV}$ という高い位置にあってプラズマ温度からは遠い.Gamow 因子だけでは説明できない部分が「核構造」である.

演習16.3 タングステンの照射損傷

$14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子が W($A=184$,$E_d=90\ \mathrm{eV}$)に入射する.

(1) $\Lambda = 4mM/(m+M)^2$ と最大 PKA エネルギー $T_{\max}$ を求めよ.

(2) 平均 PKA エネルギーを $T_{\max}/2$,Lindhard 因子を $\xi=0.75$ として損傷エネルギー $T_{\rm dam}$ を求め,NRT 模型で欠陥数 $N_d$ を計算せよ($\xi=0.75$ は,16.2.2項の Lindhard 式に $Z=74$,$A=184$,$T=0.152\ \mathrm{MeV}$ を入れて得られる $0.71$ を丸めたものである.重い W では電子的阻止能の寄与が小さいので,$\xi$ は Fe より大きくなる.第1章の演習では粗く $0.6$ としているが,こちらの方が正確である).

(3) W の $14\ \mathrm{MeV}$ 全反応断面積を $5.4\ \mathrm{b}$ として,はじき出し断面積 $\sigma_{\rm dpa}$ を求めよ.

(4) 壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$($\phi=4.43\times10^{13}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$)で1年運転したときの dpa を求め,16.2節の Fe の値(同じ手順の見積もりで $7.7\ \mathrm{dpa}$,設計の換算則で $10\ \mathrm{dpa}$)と比較せよ.

ヒント:(1) $\Lambda = 736/34225 = 0.02150$,$T_{\max}=0.303\ \mathrm{MeV}$.(2) $T_{\rm dam}=0.75\times0.152 = 0.114\ \mathrm{MeV}$,$N_d = 0.8\times1.14\times10^{5}/180 = 507$.(3) $\sigma_{\rm dpa} = 5.4\times507 = 2.7\times10^{3}\ \mathrm{b}$.(4) $\sigma_{\rm dpa}\phi = 1.2\times10^{-7}\ \mathrm{dpa/s}$,1 年で $3.8\ \mathrm{dpa}$.同じ手順で Fe について得た $7.7\ \mathrm{dpa}$ の約半分,設計で使う $10\ \mathrm{dpa}$ と比べれば約 $1/3$ である.重い元素が損傷に強いのは,運動学(小さい $\Lambda$)と結合の強さ(大きい $E_d$)の両方による.

演習16.4 Lawson 条件を自分で使う

$\braket{\sigma v}=1.1\times10^{-24}T^2\ \mathrm{m^3/s}$($T$ は $\mathrm{keV}$),$E_\alpha=3.52\ \mathrm{MeV}$ とする.

(1) 点火条件 $n\tau_E \ge 12T/(\braket{\sigma v}E_\alpha)$ を $T=15\ \mathrm{keV}$ で評価せよ.

(2) トカマクの典型値 $n=1.0\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}}$ に対して必要な $\tau_E$ を求めよ.

(3) 慣性核融合では $n=1.0\times10^{31}\ \mathrm{m^{-3}}$(固体密度の $1000$ 倍)である.必要な $\tau$ を求め,光がその時間に進む距離を計算して,ペレットの大きさと比べよ.

(4) 三重積 $nT\tau_E$ が温度によらない定数になる理由を,式のうえで説明せよ.

ヒント:(1) $\braket{\sigma v}=2.475\times10^{-22}\ \mathrm{m^3/s}$,$n\tau_E \ge 2.07\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}s}$.(2) $\tau_E = 2.1\ \mathrm{s}$.(3) $\tau = 2.1\times10^{-11}\ \mathrm{s}$,光は $6.2\ \mathrm{mm}$ 進む.圧縮後のペレット半径($\sim30\ \mu\mathrm{m}$)よりずっと大きく,慣性で保持できる時間(半径/音速)と整合する.(4) $\braket{\sigma v}\propto T^2$ なので $12T^2/(\braket{\sigma v}E_\alpha)$ の $T^2$ が約分される.

演習16.5 ミュオン原子の大きさとエネルギー

$m_\mu/m_e = 206.768$,$m_d/m_e = 3670.483$,$m_t/m_e = 5496.92$,$a_0 = 52917.7\ \mathrm{fm}$,$\mathrm{Ry}=13.606\ \mathrm{eV}$ を使う.

(1) $d\mu$ と $t\mu$ の換算質量($m_e$ 単位)を求めよ.

(2) それぞれの Bohr 半径と基底状態エネルギーを求めよ.

(3) $d\mu + t \to t\mu + d$ の反応で放出されるエネルギーを求めよ.この符号が μ触媒核融合にとってなぜ好都合かを述べよ.

(4) 式 \eqref{eq:16-cycles} で $\omega_s = 0.0045$,$\lambda_c\tau_\mu = 264$ のときのサイクル数を求め,$\lambda_c\to\infty$ の極限での上限も求めよ.

ヒント:(1) $m_r^{d\mu}/m_e = 195.74$,$m_r^{t\mu}/m_e = 199.27$.(2) $a_{d\mu}=270.3\ \mathrm{fm}$,$E_1^{d\mu}=-2663.2\ \mathrm{eV}$;$a_{t\mu}=265.6\ \mathrm{fm}$,$E_1^{t\mu}=-2711.2\ \mathrm{eV}$.(3) 差は $48.0\ \mathrm{eV}$ の発熱.ミュオンが自発的に,かつ一方向に三重陽子へ移るので,$dt\mu$ 分子の形成に必要な $t\mu$ が自然に用意される.(4) $N_c = 121$,上限は $1/\omega_s = 222$.

演習16.6 中性子の換算式を使いこなす

$E[\mathrm{meV}]=81.804/\lambda^2[\mathrm{Å}^2]$,$v[\mathrm{m/s}]=3956/\lambda[\mathrm{Å}]$ を使う.

(1) 冷中性子 $\lambda = 5.0\ \mathrm{Å}$ と熱外中性子 $\lambda = 0.50\ \mathrm{Å}$ について,$E$ と $v$ を求めよ.

(2) 飛行距離 $L=20\ \mathrm{m}$ の飛行時間型(TOF)分光器で,$\lambda=2.0\ \mathrm{Å}$ の中性子の飛行時間を求めよ.

(3) パルス幅が $70\ \mu\mathrm{s}$ のとき,(2) の条件での波長分解能 $\Delta\lambda/\lambda$ を求めよ.$\Delta d/d$ もこれと同程度になる.

(4) 分解能を $10$ 倍よくするには $L$ をどうすればよいか.その代償は何か.

ヒント:(1) $\lambda=5.0$:$E=3.27\ \mathrm{meV}$,$v=791\ \mathrm{m/s}$.$\lambda=0.50$:$E=327\ \mathrm{meV}$,$v=7912\ \mathrm{m/s}$.(2) $v=1978\ \mathrm{m/s}$,$t=L/v=10.1\ \mathrm{ms}$.(3) $\Delta\lambda/\lambda = \Delta t/t = 70\times10^{-6}/10.1\times10^{-3}=6.9\times10^{-3}$.(4) $L$ を $200\ \mathrm{m}$ にする(J-PARC の SuperHRPD は実際に $\sim94\ \mathrm{m}$).代償は,立体角が $1/100$ になって強度が落ちること,そして波長帯域(フレームオーバーラップ)が狭くなることである.

演習16.7 陽電子で欠陥を定量する

(1) アルミニウムの陽電子寿命はバルクで $\tau_b = 163\ \mathrm{ps}$,単空孔で $\tau_v=244\ \mathrm{ps}$ である.焼入れした試料で平均寿命 $\bar\tau=200\ \mathrm{ps}$ が得られた.式 \eqref{eq:16-trapping} で捕獲率 $\kappa$ を求めよ.

(2) Al の比捕獲率を $\mu_v = 2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)として,空孔濃度を求めよ.

(3) この試料をさらに強く照射して $\bar\tau=244\ \mathrm{ps}$ になった.空孔濃度はいくらか.答えられない理由を述べよ.

(4) 高分子で o-Ps 寿命 $\tau_3 = 1.64\ \mathrm{ns}$ が測れた.Tao–Eldrup 式 \eqref{eq:16-taoeldrup}($\Delta R=0.166\ \mathrm{nm}$)を使って自由体積の半径 $R$ を求めよ(試行錯誤でよい).

ヒント:(1) $\lambda_b = 1/163\ \mathrm{ps} = 6.135\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$,$\kappa = 6.135\times10^{9}\times(37/44) = 5.16\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$.(2) $C_v = 2.6\times10^{-5} = 26\ \mathrm{appm}$.(3) 飽和捕獲に達しており,式 \eqref{eq:16-trapping} の分母がゼロになる.濃度の下限($\gtrsim10^{-4}$)しか言えない.(4) $R=0.25\ \mathrm{nm}$($R/(R+\Delta R)=0.601$,$\sin(3.776)=-0.593$,括弧内 $=0.3047$,$\tau=1.64\ \mathrm{ns}$).

演習16.8 検出器の分解能とソフトエラー

(1) Si ドリフト検出器($\varepsilon=3.6\ \mathrm{eV}$,$F=0.11$)で Mn K$\alpha$($5.90\ \mathrm{keV}$)を測ったときの統計限界の $\Delta E_{\rm FWHM}$ を求めよ.

(2) 同じ線を TES($\varepsilon$ が実効的に $10^{-3}\ \mathrm{eV}$ 相当,$F=0.005$ 相当と考える)で測ったときの値を求め,(1) の何倍よいかを言え.

(3) LaBr$_3$(Ce)(発光量 $63000\ \mathrm{ph/MeV}$,集光+量子効率 $20\%$)で $^{137}$Cs の $662\ \mathrm{keV}$ を測ったときの分解能を求め,表16.10 の実測値 $2.7\%$ と比べよ.

(4) 宇宙線鉄イオン($\mathrm{LET}=15\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}$)が,空乏層厚さ $2\ \mu\mathrm{m}$ の SRAM セルを貫いた.式 \eqref{eq:16-let} を使って生成電荷を求め,臨界電荷 $Q_{\rm crit}=5\ \mathrm{fC}$ と比べよ.

ヒント:(1) $2.355\sqrt{0.11\times3.6\times5900}=114\ \mathrm{eV}$.(2) $2.355\sqrt{0.005\times10^{-3}\times5900}=0.40\ \mathrm{eV}$;およそ $280$ 倍.実装値は $1.6\ \mathrm{eV}$ 程度で,こちらも $70$ 倍よい.(3) $N_{\rm pe}=63000\times0.662\times0.20=8.34\times10^{3}$,$\Delta E/E = 2.355/\sqrt{8340}=2.6\%$.実測とよく合う(LaBr$_3$ は非比例性が小さい).(4) $q = 15\times10.4\times2 = 312\ \mathrm{fC}$.$Q_{\rm crit}$ の $60$ 倍で,確実に反転する.冗長化(ECC,TMR)以外に手がないことが分かる.

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