素粒子物理学入門 — 目次 付録 / 付録E

付録E演習問題の解答

本書の第1章から第16章,および付録A〜D に置いた演習問題,全147問の解答である.

解答は本文と同じ方針で書いた.すなわち途中式を飛ばさない.「整理すると」で片づけずに,何をどう整理したのかを一行ずつ書いてある.どの解答にも,方針・全ステップの計算・検算・物理的な意味の4つを付けた.検算は次元解析か,極限(非相対論極限・質量ゼロ極限・低温極限など)か,既知の実測値との照合のいずれかである.数値問題の値はすべて計算し直してある.

使い方には順序がある.まず自力で解くこと.詰まったら本文の問題に付いているヒントを見る.それでも進まないときに,はじめてこの付録を開く.解答を先に読んでしまうと,「読めば分かる」という感覚だけが残って,手が動くようにはならない.素粒子物理の計算は,$\gamma$ 行列のトレースにしても位相空間の積分にしても,自分の手で一度通しておかないと身につかない種類のものである.

この付録の使い方
  • 解答の「方針.」だけを読んで,あとは自分で計算してみる——これが最も効く使い方である.
  • 数値が合わないときは,まず単位を疑う.本書は自然単位系 $\hbar=c=1$ を使っているので,SI に戻すときは $\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ と $(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$ を使う(付録B B.3節).
  • 「検算.」の項は飛ばさないこと.検算のしかたを覚えることが,本書で学べる最も実用的な技能である.
  • 「意味.」の項には,可能なかぎり材料科学との接点を書いた.計算の答えそのものより,こちらが本書の主題である.
注意:この付録では式番号を振っていない(20章分を1ページに収めているため番号が衝突する).本文の式を指すときは「第9章の Dirac 方程式」のように文章で参照している.

E.1 第1章 材料科学者のための素粒子物理学 — なぜ学ぶのか の解答

演習1.1 エネルギースケールの換算

問題(再掲)

表1.11 の換算表($1\ \mathrm{THz}=4.136\ \mathrm{meV}=33.36\ \mathrm{cm^{-1}}=47.99\ \mathrm{K}$,$1\ \mathrm{eV}=1.1605\times10^{4}\ \mathrm{K}$)を使って次を求めよ.

(1) Si の $\Gamma$ 点光学フォノンは $15.6\ \mathrm{THz}$ である.これを meV,cm$^{-1}$,K で表せ.室温 $k_BT$ と比べてどうか.

(2) Nb の超伝導ギャップ $2\Delta=3.05\ \mathrm{meV}$ を THz と K で表せ.また $T_c=9.25\ \mathrm{K}$ を使って $2\Delta/(k_BT_c)$ を求め,BCS の弱結合値 3.53 と比べよ.

(3) DT 反応の中性子 $14.05\ \mathrm{MeV}$ を温度に直すと何 K か.また運動量 $p_nc=163.0\ \mathrm{MeV}$ から de Broglie 波長 $\lambda=hc/(p_nc)$ を fm 単位で求め,鉄原子核の半径(約 4.6 fm)と比べよ.

解答

方針.本章 1.7.3 節で述べたとおり,THz・meV・cm$^{-1}$・K はすべて同じ一つの物理量(エネルギー)を違う単位で書いたものであり,$\hbar=k_B=1$ とおいたときにだけ同一視できる.したがってこの問題は「単位換算」ではなく「自然単位系の練習」である.必要な道具は表1.11 の換算係数と,$hc=2\pi\hbar c=1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}$ の2つだけである.

(1) 与えられた換算 $1\ \mathrm{THz}=4.136\ \mathrm{meV}=33.36\ \mathrm{cm^{-1}}=47.99\ \mathrm{K}$ に $15.6$ を掛ければよい.

$$ \hbar\omega = 15.6\times4.136\ \mathrm{meV} = 64.52\ \mathrm{meV} $$ $$ \tilde\nu = 15.6\times33.36\ \mathrm{cm^{-1}} = 520.4\ \mathrm{cm^{-1}}, \qquad \Theta = 15.6\times47.99\ \mathrm{K} = 748.6\ \mathrm{K} $$

室温との比較には,本章 1.7.3 節の $k_BT\big|_{300\,\mathrm{K}}=25.85\ \mathrm{meV}$ を使う.

$$ \frac{\hbar\omega}{k_BT} = \frac{64.52}{25.85} = 2.496 \simeq 2.5 $$

すなわち Si の光学フォノンは室温の熱エネルギーの約 2.5 倍である.この比を Bose 分布に入れると,室温での平均占有数は

$$ n_B = \frac{1}{\ee^{\hbar\omega/k_BT}-1} = \frac{1}{\ee^{2.496}-1} = \frac{1}{12.13-1} = 0.0898 $$

となる.つまり室温でも光学フォノンは1割も励起されていない.Raman 散乱の反 Stokes 線と Stokes 線の強度比が $\ee^{-\hbar\omega/k_BT}=\ee^{-2.496}=0.082$ と小さいのは,この事実の直接の反映である.

(2) $1\ \mathrm{THz}=4.136\ \mathrm{meV}$ を割り算に使い,$1\ \mathrm{eV}=1.1605\times10^{4}\ \mathrm{K}$ すなわち $1\ \mathrm{meV}=11.605\ \mathrm{K}$ を掛け算に使う.

$$ 2\Delta = \frac{3.05}{4.136}\ \mathrm{THz} = 0.7374\ \mathrm{THz}, \qquad 2\Delta = 3.05\times11.605\ \mathrm{K} = 35.40\ \mathrm{K} $$

(THz を経由しても $0.7374\times47.99=35.39\ \mathrm{K}$ で一致する.)次に無次元比を作る.$k_B=8.617\times10^{-2}\ \mathrm{meV/K}$ だから

$$ \frac{2\Delta}{k_BT_c} = \frac{3.05\ \mathrm{meV}}{8.617\times10^{-2}\ \mathrm{meV/K}\times9.25\ \mathrm{K}} = \frac{3.05}{0.7971} = 3.83 $$

BCS の弱結合値 $3.53$ より 8 % ほど大きい.これは Nb が強結合超伝導体であること,すなわち電子–フォノン結合定数 $\lambda_{\text{ep}}$ が 1 に近く,Eliashberg 理論の補正が効いていることを意味する.なお $2\Delta$ を温度に直した $35.4\ \mathrm{K}$ を $T_c=9.25\ \mathrm{K}$ で割っても同じ $3.83$ が出る.エネルギーと温度が同一視できるからこそ,この2通りの計算が一致する.

(3) 温度への換算は $1\ \mathrm{eV}=1.1605\times10^{4}\ \mathrm{K}$ をそのまま使う.

$$ \Theta_n = 14.05\times10^{6}\ \mathrm{eV}\times1.1605\times10^{4}\ \mathrm{K/eV} = 1.63\times10^{11}\ \mathrm{K} $$

波長の方は $hc=1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使う($\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ の $2\pi$ 倍である).

$$ \lambda = \frac{hc}{p_nc} = \frac{1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}}{163.0\ \mathrm{MeV}} = 7.61\ \mathrm{fm} $$

鉄原子核の半径は $R=1.2\,A^{1/3}\ \mathrm{fm}=1.2\times56^{1/3}=4.59\ \mathrm{fm}$,直径にすれば $9.2\ \mathrm{fm}$ である.すなわち中性子の波長は鉄原子核の直径とほぼ同じであって,核の内部構造を分解できるほど短くない.したがって 14 MeV 中性子は核を「一つの塊」として見ており,弾性散乱では核全体を丸ごと蹴り飛ばす.本章 1.5.2 節で PKA のエネルギーを剛体球の2体衝突として計算してよいのは,このためである.

検算.換算係数の内部整合を確かめる.表1.11 の「$1\ \mathrm{eV}=241.80\ \mathrm{THz}$」を使うと $4.136\ \mathrm{meV}\times241.80\ \mathrm{THz/eV}=4.136\times10^{-3}\times241.80=1.0001\ \mathrm{THz}$ となり,$1\ \mathrm{THz}=4.136\ \mathrm{meV}$ と確かに逆数関係にある.また (3) で使った $hc=1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}$ は,表1.11 の「$1\ \mathrm{eV}\leftrightarrow1239.84\ \mathrm{nm}$」と同じ数字である.$1\ \mathrm{MeV}=10^{6}\ \mathrm{eV}$,$1\ \mathrm{fm}=10^{-6}\ \mathrm{nm}$ で $10^{6}$ と $10^{-6}$ が打ち消しあうからで,本章 1.3.4 節で $\hbar c$ について述べたのとまったく同じ事情である.

意味.この3小問は $10^{-3}\ \mathrm{eV}$(フォノン)から $10^{7}\ \mathrm{eV}$(核融合中性子)まで10桁を横断しているが,使った道具は表1.11 の一行と $hc$ だけである.材料科学者がフォノンを THz でも cm$^{-1}$ でも meV でも書くのは,すでに $\hbar=k_B=1$ を使っているということであり,素粒子物理はそこに $c=1$ を足すだけである.そして (1) の「$\hbar\omega/k_BT=2.5$」,(2) の「$2\Delta/k_BT_c=3.83$」のように,物理の中身を担うのは無次元比だけである.単位を選ぶ自由は物理には影響しない.

演習1.2 真空の絶縁破壊と半導体の絶縁破壊

問題(再掲)

統一形 $F_{\mathrm{c}}=E_{\text{gap}}^{2}/(4e\hbar v)$(本書1章の統一臨界電場の式)について考える.

(1) 真空($E_{\text{gap}}=2m_ec^2=1.022\ \mathrm{MeV}$,$v=c$)に対して $F_{\mathrm{c}}$ を計算し,$1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$ になることを確かめよ.

(2) $F_{\mathrm{c}}$ は $E_{\text{gap}}^2$ に比例し $v$ に反比例する.Si($E_g=1.12$ eV,$v=1.38\times10^{6}$ m/s)に対する値と,真空に対する値の比を求めよ.

(3) Si の pn 接合に $F=1\times10^{8}\ \mathrm{V/m}$ の電界がかかったとき,Zener トンネルの指数因子 $\exp(-\pi F_{\mathrm{c}}/F)$ の値を求めよ.また同じ電界を真空にかけたときの指数因子はいくらか.

解答

方針.まず $F_{\mathrm{c}}=E_{\text{gap}}^2/(4e\hbar v)$ を,$\hbar c=197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ だけで計算できる数値式に整理する.そうすれば (1)(2) は同じ式の代入で済み,SI の物理定数を毎回並べる必要がなくなる.これが自然単位系の実利である.

数値式への整理.ギャップを eV 単位の数値 $E_{\text{gap}}[\mathrm{eV}]$ で測ると,$E_{\text{gap}}=e\times E_{\text{gap}}[\mathrm{eV}]$($e$ は素電荷,右辺の第2因子はボルトを単位とする数値)と書ける.これを代入して

$$ F_{\mathrm{c}} = \frac{\left(e\,E_{\text{gap}}[\mathrm{eV}]\right)^2}{4e\hbar v} = \frac{E_{\text{gap}}[\mathrm{eV}]^2}{4\,(\hbar c/e)}\cdot\frac{c}{v} $$

ここで $\hbar c/e = 197.327\ \mathrm{eV\,nm}/e = 1.97327\times10^{-7}\ \mathrm{V\,m}$ である($\hbar c$ を eV·nm で読み,$1\ \mathrm{nm}=10^{-9}\ \mathrm{m}$ を使った).したがって

$$ F_{\mathrm{c}}\,[\mathrm{V/m}] = \frac{\left(E_{\text{gap}}[\mathrm{eV}]\right)^{2}}{4\times1.97327\times10^{-7}}\times\frac{c}{v} = \frac{\left(E_{\text{gap}}[\mathrm{eV}]\right)^{2}}{7.89308\times10^{-7}}\times\frac{c}{v} $$

(1) 真空では $E_{\text{gap}}=1.022\ \mathrm{MeV}=1.022\times10^{6}\ \mathrm{eV}$,$v=c$ なので $c/v=1$ である.

$$ \left(1.022\times10^{6}\right)^2 = 1.04448\times10^{12} $$ $$ F_{\mathrm{c}} = \frac{1.04448\times10^{12}}{7.89308\times10^{-7}} = 1.3233\times10^{18}\ \mathrm{V/m} $$

本文の $1.32\times10^{18}\ \mathrm{V/m}$ と一致する.SI の定数をそのまま並べても同じである.$E_{\text{gap}}=1.022\times10^{6}\times1.602\times10^{-19}=1.6374\times10^{-13}\ \mathrm{J}$,分母は

$$ 4e\hbar c = 4\times1.602\times10^{-19}\times1.055\times10^{-34}\times2.998\times10^{8} = 2.0268\times10^{-44}\ \mathrm{C\,J\,m} $$ $$ F_{\mathrm{c}} = \frac{\left(1.6374\times10^{-13}\right)^2}{2.0268\times10^{-44}} = \frac{2.6811\times10^{-26}}{2.0268\times10^{-44}} = 1.323\times10^{18}\ \mathrm{V/m} $$

となり,自然単位系で出した値と3桁まで一致する.なおこの場合は,統一形が本章 1.2.3 節の Schwinger の臨界電場そのものに戻ることも確かめておくとよい.$E_{\text{gap}}=2m_ec^2$,$v=c$ を代入すると

$$ F_{\mathrm{c}} = \frac{\left(2m_ec^2\right)^2}{4e\hbar c} = \frac{m_e^2c^3}{e\hbar} $$

となって,本章の $F_{\mathrm{c}}=m_e^2c^3/(e\hbar)$ が過不足なく再現する.統一形の分母にある「4」は,ギャップが $2m_ec^2$ すなわち質量の2倍であることの帳尻を合わせるために置かれた係数だったのである.半導体では $E_{\text{gap}}=E_g$ がそのままギャップなので,同じ「4」が Kane 模型側の数係数として現れる.

(2) Si では $E_g=1.12\ \mathrm{eV}$,$v=1.38\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$ である.まず速度比は

$$ \frac{c}{v} = \frac{2.998\times10^{8}}{1.38\times10^{6}} = 217.2 $$

(本文の表1.2 が「$c/218$」と書いているのはこれを丸めた値である.)よって

$$ F_{\mathrm{c}}^{\mathrm{Si}} = \frac{(1.12)^2}{7.89308\times10^{-7}}\times217.2 = \frac{1.2544}{7.89308\times10^{-7}}\times217.2 = 1.5893\times10^{6}\times217.2 = 3.45\times10^{8}\ \mathrm{V/m} $$

表1.2 の $3.5\times10^{8}\ \mathrm{V/m}$ と一致する.比は

$$ \frac{F_{\mathrm{c}}^{\text{真空}}}{F_{\mathrm{c}}^{\mathrm{Si}}} = \frac{1.3233\times10^{18}}{3.45\times10^{8}} = 3.83\times10^{9} $$

すなわち約10桁である.内訳を分解して確かめておく.ギャップ比の2乗が

$$ \left(\frac{1.022\times10^{6}}{1.12}\right)^{2} = \left(9.125\times10^{5}\right)^2 = 8.33\times10^{11} $$

で,これを速度比 $217.2$ で割ると $8.33\times10^{11}/217.2 = 3.83\times10^{9}$ となり,確かに合う.10桁の違いのうち12桁分がギャップ,2桁強が速度からの逆補正である.

(3) Si に $F=1\times10^{8}\ \mathrm{V/m}$ をかけると

$$ \frac{F_{\mathrm{c}}^{\mathrm{Si}}}{F} = \frac{3.45\times10^{8}}{1\times10^{8}} = 3.45, \qquad \pi\frac{F_{\mathrm{c}}}{F} = \pi\times3.45 = 10.84 $$ $$ \exp\!\left(-\pi\frac{F_{\mathrm{c}}}{F}\right) = \ee^{-10.84} = 1.95\times10^{-5} $$

(本文のヒントの $\ee^{-10.9}=1.9\times10^{-5}$ は $F_{\mathrm{c}}/F$ を $3.46$ に丸めた値で,同じ数である.指数の中身がわずかに違うだけで結果が数 % 動くのは,指数関数の感度の高さの表れでもある.)$10^{-5}$ という小さな数であるが,本章 1.2.3 節の前置因子 $(eF)^2/(4\pi^3\hbar^2 c)$ の側が巨大なので,実際には十分測れる電流になる.一方,同じ電界を真空にかけると

$$ \frac{F_{\mathrm{c}}^{\text{真空}}}{F} = \frac{1.3233\times10^{18}}{1\times10^{8}} = 1.32\times10^{10}, \qquad \pi\frac{F_{\mathrm{c}}}{F} = 4.16\times10^{10} $$ $$ \exp\!\left(-4.16\times10^{10}\right) = 10^{-1.81\times10^{10}} $$

指数が $-4\times10^{10}$ である.これは宇宙年齢のあいだ実験を続けても1個も対生成が起きないという意味であり,事実上ゼロである.

検算.次元を確かめる.$E_{\text{gap}}^2/(4e\hbar v)$ の次元は $\mathrm{J^2}/(\mathrm{C\cdot J\,s\cdot m\,s^{-1}}) = \mathrm{J}/(\mathrm{C\,m}) = \mathrm{V/m}$ となり,確かに電場である.極限も見ておく.$E_{\text{gap}}\to0$(ギャップの閉じた半金属や Weyl 半金属)では $F_{\mathrm{c}}\to0$ となり,どんなに弱い電場でも対生成が起きる.これはギャップのない系では線形応答が破れるという既知の事実と整合する.また $v\to\infty$ でも $F_{\mathrm{c}}\to0$ であり,バンドが立っているほど(有効質量が軽いほど)トンネルしやすいという直観に合う.

意味.(2) の結果は,パワーデバイス材料選択の最も基本的な指針である.$F_{\mathrm{c}}\propto E_g^2$ なので,GaN($E_g=3.4\ \mathrm{eV}$)は Si に対して $(3.4/1.12)^2=9.2$ 倍の耐圧をもつはずであり,実測の破壊電界も $3.3\times10^{8}$ 対 $3\times10^{7}$ で約11倍と,よく合っている.同じ厚さのドリフト層でより高い電圧を支えられるので,オン抵抗が桁で下がる.ワイドギャップ半導体が省エネルギー技術の中心にある理由が,Schwinger が 1951 年に真空について書いた式から出てくるのである.なお実際の pn 接合では表1.2 の $F_{\mathrm{c}}$ より1桁低い電界でアバランシェ増倍が先に立ち上がるので,純粋な Zener トンネルが主役になるのは空乏層の薄い高濃度接合に限られる.

演習1.3 励起子はポジトロニウムのスケール変換である

問題(再掲)

本書1章の励起子の式 $E_X=-\mathrm{Ry}\,(m_r/m_0)/\varepsilon_r^2$,$a_X=a_0\varepsilon_r/(m_r/m_0)$ を使う.$\mathrm{Ry}=13.606\ \mathrm{eV}$,$a_0=0.0529\ \mathrm{nm}$.

(1) GaAs($m_r=0.059\,m_0$,$\varepsilon_r=12.9$)の励起子束縛エネルギーと Bohr 半径を求めよ.

(2) (1) の結果を室温の $k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$ と比べ,GaAs の励起子が室温で安定に存在できるかどうかを論ぜよ.一方 ZnO の励起子束縛エネルギーは実験的に $60\ \mathrm{meV}$ である.室温発光素子に ZnO や GaN が候補になる理由を述べよ.

(3) ポジトロニウム($m_r=m_e/2$,$\varepsilon_r=1$)の束縛エネルギーと半径を同じ式から求め,GaAs の励起子と比べよ.何倍違うか,またその比はどの物理量から来るか.

解答

方針.本章 1.2.4 節で見たとおり,励起子とポジトロニウムは同一の2体 Coulomb 束縛問題であり,違いは (i) 質量が $m_e/2\to m_r$ になること,(ii) Coulomb 相互作用が $\varepsilon_r$ で遮蔽されることの2点だけである.したがって答えは Rydberg 公式の機械的なスケール変換で出る.

(1) GaAs に $m_r/m_0=0.059$,$\varepsilon_r=12.9$ を代入する.まず $\varepsilon_r^2 = 12.9^2 = 166.41$ なので

$$ E_X = -13.606\ \mathrm{eV}\times\frac{0.059}{166.41} = -13.606\times3.5455\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = -4.824\times10^{-3}\ \mathrm{eV} = -4.82\ \mathrm{meV} $$

半径は

$$ a_X = 0.0529\ \mathrm{nm}\times\frac{12.9}{0.059} = 0.0529\times218.6\ \mathrm{nm} = 11.57\ \mathrm{nm} $$

実測値は $4.2\ \mathrm{meV}$,$11.6\ \mathrm{nm}$ であり,半径はほぼ完全に,エネルギーも 15 % 以内で合っている.エネルギーの側の食い違いは,$\varepsilon_r$ に静的誘電率を使うか高周波誘電率を使うか,および分極子(ポーラロン)効果によるもので,桁の議論には影響しない.なお $a_X=11.6\ \mathrm{nm}$ は GaAs の格子定数 $0.565\ \mathrm{nm}$ の約20倍であり,励起子が格子を何十個もまたいで広がっていることを意味する.有効質量近似(Wannier 励起子の描像)が正当化されるのはこのためである.

(2) 室温では $k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$ であるから

$$ \frac{\abs{E_X}}{k_BT} = \frac{4.82}{25.9} = 0.186 $$

すなわち束縛エネルギーは熱エネルギーの2割にも満たない.束縛状態が熱励起で壊れるかどうかはこの比で決まり,$\abs{E_X}\ll k_BT$ なら平衡状態のほとんどが自由な電子・正孔対になる.したがってGaAs の励起子は室温では熱解離しており,室温での発光は自由キャリアの再結合が担う.励起子効果を見たければ液体窒素温度以下($k_BT=6.7\ \mathrm{meV}$ 以下)に冷やす必要がある.

これに対し ZnO では $\abs{E_X}=60\ \mathrm{meV}$ で

$$ \frac{\abs{E_X}}{k_BT} = \frac{60}{25.9} = 2.32 > 1 $$

となり,室温でも励起子が壊れずに残る.励起子は電子と正孔があらかじめ束縛されている状態なので,発光の振動子強度が大きく,しきい値の低い発光・レーザー発振が期待できる.GaN も同じ理由で候補になる.なぜ ZnO や GaN で $\abs{E_X}$ が大きいのかは,式 $E_X\propto m_r/\varepsilon_r^2$ そのものが答えている.ワイドギャップ材料では,(i) $\bm{k}\cdot\bm{p}$ 摂動から $m_r$ がほぼ $E_g$ に比例して重くなり,(ii) 電子分極が小さいので $\varepsilon_r$ が小さい.分子と分母の両方が有利に効くので,$\abs{E_X}$ は $E_g$ とともに急速に増大する.ワイドギャップであること自体が,室温励起子発光の必要条件になっているのである.

(3) ポジトロニウムは同じ式で $m_r/m_0=0.5$,$\varepsilon_r=1$ とおけばよい.

$$ E_{\mathrm{Ps}} = -13.606\times\frac{0.5}{1^2}\ \mathrm{eV} = -6.803\ \mathrm{eV}, \qquad a_{\mathrm{Ps}} = 0.0529\times\frac{1}{0.5}\ \mathrm{nm} = 0.1058\ \mathrm{nm} $$

本文 1.2.4 節の値と一致する.GaAs 励起子との比は

$$ \frac{\abs{E_{\mathrm{Ps}}}}{\abs{E_X}} = \frac{6.803}{4.824\times10^{-3}} = 1.41\times10^{3}, \qquad \frac{a_X}{a_{\mathrm{Ps}}} = \frac{11.57}{0.1058} = 109 $$

すなわちエネルギーで約 1400 倍,半径で約 110 倍の違いである.比の起源は式から直接読める.質量比を $R_m\equiv(m_r/m_0)_{\mathrm{Ps}}/(m_r/m_0)_{\mathrm{GaAs}}=0.5/0.059=8.47$ と書くと

$$ \frac{\abs{E_{\mathrm{Ps}}}}{\abs{E_X}} = R_m\,\varepsilon_r^2 = 8.47\times166.41 = 1410, \qquad \frac{a_X}{a_{\mathrm{Ps}}} = R_m\,\varepsilon_r = 8.47\times12.9 = 109.3 $$

となり,数値が完全に再現する.エネルギー比の起源は「有効質量が 8.5 倍軽いこと」と「遮蔽が 2 乗で効いて 166 倍」の積,半径比の起源は「軽さ 8.5 倍」と「遮蔽 12.9 倍」の積である.

検算.2つの比の商を取ると

$$ \frac{\abs{E_{\mathrm{Ps}}}/\abs{E_X}}{a_X/a_{\mathrm{Ps}}} = \frac{1410}{109.3} = 12.9 = \varepsilon_r $$

である.これは偶然ではない.Coulomb 束縛状態では $\abs{E}\sim e^2/(4\pi\varepsilon_0\varepsilon_r a)$ が常に成り立つ(ビリアル定理)ので,$\abs{E}a$ は $1/\varepsilon_r$ にしか依存せず,質量依存性が完全に落ちる.実際 $\abs{E_{\mathrm{Ps}}}a_{\mathrm{Ps}}=6.803\times0.1058=0.7198$,$\abs{E_X}a_X=4.824\times10^{-3}\times11.57=0.05580$ で,比は $12.90$ ちょうどである.質量に依存する部分と遮蔽に依存する部分が正しく分離できていることの,強い証拠になっている.

意味.第7章で扱う束縛状態の理論(ポジトロニウム,チャーモニウム)は,$\mathrm{Ry}$ の中の $m$ と $e^4$ を書き換えるだけで,そのまま励起子の理論として読める.逆に,材料科学者が日常的に使う「励起子 Bohr 半径」「励起子 Rydberg」という言葉は,素粒子の束縛状態の言葉そのものである.量子閉じ込めが効き始めるのが $a_X$ 程度の寸法であること(GaAs で 12 nm 前後),low-$k$ 材料の細孔評価にポジトロニウムが使えること(本章 1.6.2 節)は,どちらもこの同一性の応用である.

演習1.4 London 侵入長から光子の質量を求める

問題(再掲)

$\lambda_L=\sqrt{m_e/(\mu_0n_se^2)}$,$m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$,$\hbar c=197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ を使う.

(1) 超伝導電子密度 $n_s=1.0\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ のとき $\lambda_L$ を nm 単位で求めよ.

(2) (1) の $\lambda_L$ に対応する光子の質量を eV 単位で求め,Si のバンドギャップ $1.12\ \mathrm{eV}$ と比べよ.

(3) $W$ ボソン($m_Wc^2=80.377\ \mathrm{GeV}$)に対応する「侵入長」$\lambda_W=\hbar c/(m_Wc^2)$ を fm 単位で求め,陽子の半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ と比べよ.弱い相互作用が「弱い」理由を,結合定数ではなく到達距離の言葉で説明せよ.

(4) Al の $\lambda_L=16\ \mathrm{nm}$ から超伝導電子密度 $n_s$ を逆算し,Al の価電子密度 $1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$ と比べよ.

解答

方針.本章 1.3.4 節で導いたとおり,London 方程式と Ampère の法則を合わせた $\nabla^2\bm{A}=\bm{A}/\lambda_L^2$ は Proca 方程式の静的形と文字どおり同じ式であり,係数比較から $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$ が出る.したがって「侵入長を測ること」と「光子の質量を測ること」は同じ作業である.計算に要るのは SI の $m_e,\mu_0,e$ と,$\hbar c=197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ の1個だけである.

(1) 定数は $m_e=9.109\times10^{-31}\ \mathrm{kg}$,$\mu_0=1.2566\times10^{-6}\ \mathrm{N/A^2}$,$e=1.6022\times10^{-19}\ \mathrm{C}$ である.分母から計算する.

$$ e^2 = \left(1.6022\times10^{-19}\right)^2 = 2.5670\times10^{-38} $$ $$ \mu_0 n_s e^2 = 1.2566\times10^{-6}\times1.0\times10^{28}\times2.5670\times10^{-38} = 3.2259\times10^{-16} $$

したがって

$$ \lambda_L^2 = \frac{m_e}{\mu_0n_se^2} = \frac{9.109\times10^{-31}}{3.2259\times10^{-16}} = 2.8238\times10^{-15}\ \mathrm{m^2} $$ $$ \lambda_L = \sqrt{2.8238\times10^{-15}} = 5.314\times10^{-8}\ \mathrm{m} = 53.1\ \mathrm{nm} $$

桁の妥当性を見ておく.$\lambda_L\propto n_s^{-1/2}$ なので,密度が 10 倍になれば侵入長は $\sqrt{10}=3.16$ 分の 1 になるだけである.この鈍さのおかげで,$\lambda_L$ は金属元素をどう選んでも数十 nm というごく狭い範囲に収まる.実際,表1.3 の Al は $16\ \mathrm{nm}$,Pb と Nb はともに $39\ \mathrm{nm}$ であり,ここで求めた $53\ \mathrm{nm}$ はその延長線上にある.逆に言えば,$\lambda_L$ を 1 桁変えるには $n_s$ を 2 桁変えねばならない.表1.3 の YBCO が $\lambda_L=150\ \mathrm{nm}$ と Al の $16\ \mathrm{nm}$ より 1 桁近く長いのは,$(150/16)^2=88$ 倍,すなわち $n_s/m^*$ が 2 桁近く小さいことを意味しており,銅酸化物が「キャリア密度の低い超伝導体」と呼ばれることの定量的な中身がこれである.

(2) 本章 1.3.4 節の「$m_\gamma c^2 = 197.327/\lambda_L[\mathrm{nm}]$ eV」をそのまま使う.

$$ m_\gamma c^2 = \frac{197.327\ \mathrm{eV\,nm}}{53.14\ \mathrm{nm}} = 3.71\ \mathrm{eV} $$

Si のバンドギャップ $1.12\ \mathrm{eV}$ の 3.3 倍である.つまりこの超伝導体の中では,光子が半導体のバンドギャップと同程度の「質量」を背負って歩いている.真空中で厳密にゼロだった光子質量が,凝縮体の中では eV スケールの有限値をとる.これが Anderson–Higgs 機構の最も卓上的な現れである.(本文のヒントの $3.72\ \mathrm{eV}$ は $\lambda_L$ を $53.1\ \mathrm{nm}$ に丸めてから割った値で,$53.14\ \mathrm{nm}$ を使えば $3.71\ \mathrm{eV}$ になる.有効数字3桁目の丸め方の違いにすぎない.)

(3) $\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ と読み替えて割る(数字は $\mathrm{eV\,nm}$ のときと同じである).$m_Wc^2=80.377\ \mathrm{GeV}=80377\ \mathrm{MeV}$ なので

$$ \lambda_W = \frac{\hbar c}{m_Wc^2} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{80377\ \mathrm{MeV}} = 2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm} = 2.46\times10^{-18}\ \mathrm{m} $$

陽子半径との比は

$$ \frac{0.84\ \mathrm{fm}}{2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm}} = 342 $$

すなわち $W$ の到達距離は陽子の大きさの 1/342 しかない.弱い相互作用が「弱い」理由はここにある.Yukawa 型のポテンシャルは $\ee^{-r/\lambda_W}/r$ の形をもつので,核子どうしが接触している $r\simeq1\ \mathrm{fm}$ でも指数因子は

$$ \ee^{-r/\lambda_W} = \ee^{-1/(2.455\times10^{-3})} = \ee^{-407} $$

となり,まったく届かない.結合定数の大きさで言えば,弱い相互作用の $g$ はむしろ電磁気の $e$ より大きい(第12章).にもかかわらず低エネルギーで弱く見えるのは,伝播関数が $1/(q^2-m_W^2)\simeq-1/m_W^2$ となって,有効結合が $g^2/m_W^2$ という質量の2乗で割られた量になるからである.これは Meissner 効果で磁場が $\lambda_L$ 以上染み込めないのと,一字一句同じ理屈である.超伝導体は「有限の到達距離」を卓上で見せてくれる模型なのである.

(4) $\lambda_L=\sqrt{m_e/(\mu_0n_se^2)}$ を $n_s$ について解くと $n_s=m_e/(\mu_0e^2\lambda_L^2)$ である.$\lambda_L=16\ \mathrm{nm}=1.6\times10^{-8}\ \mathrm{m}$ だから

$$ \lambda_L^2 = 2.56\times10^{-16}\ \mathrm{m^2}, \qquad \mu_0e^2 = 1.2566\times10^{-6}\times2.5670\times10^{-38} = 3.2259\times10^{-44} $$ $$ n_s = \frac{9.109\times10^{-31}}{3.2259\times10^{-44}\times2.56\times10^{-16}} = \frac{9.109\times10^{-31}}{8.258\times10^{-60}} = 1.10\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$

価電子密度との比は $1.10\times10^{29}/1.81\times10^{29}=0.61$ で,価電子のおよそ 6 割が超流動成分になっている勘定になる($T\to0$ の話である).ただしこの「6 割」を額面どおり受け取ってはいけない.London の式は裸の $m_e$ を使っており,実際には有効質量 $m^*$ で置き換わるべきであるうえ,Al はコヒーレンス長 $\xi_0\simeq1600\ \mathrm{nm}$ が $\lambda_L$ よりはるかに長い極端な第I種超伝導体なので,Pippard の非局所効果によって実効的な侵入長は London 値より大きくなる.正しくは「$n_s/m^*$ という組み合わせだけが測れている」と言うべきで,これは本章 1.6.1 節の上村プロットが $n_s/m^*$ をプロットしている理由でもある.

検算.$\lambda_L$ をプラズマ振動数で書き直すと,強力な検算になる.$\omega_p^2=n_se^2/(\varepsilon_0m_e)$ と $\varepsilon_0\mu_0=1/c^2$ を使えば

$$ \lambda_L^2 = \frac{m_e}{\mu_0n_se^2} = \frac{m_e\varepsilon_0c^2}{n_se^2} = \frac{c^2}{\omega_p^2} \qquad\Longrightarrow\qquad \lambda_L = \frac{c}{\omega_p}, \qquad m_\gamma c^2 = \frac{\hbar c}{\lambda_L} = \hbar\omega_p $$

つまり「光子の質量」はプラズモンのエネルギー $\hbar\omega_p$ そのものである.(1) の $n_s=1.0\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ で確かめると $\omega_p=5.641\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$,$\hbar\omega_p=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}\times5.641\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}=3.71\ \mathrm{eV}$ となり,(2) と完全に一致する.さらに Al の価電子密度 $1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$ を入れると $\hbar\omega_p=15.8\ \mathrm{eV}$ が出て,これは表1.3 が比較対象に挙げている「Al のプラズモン 15.8 eV」に一致する.表1.3 が Al の $m_\gamma c^2=12.3\ \mathrm{eV}$ とプラズモン $15.8\ \mathrm{eV}$ を並べているのは,両者が同じ式の $n_s$ と $n_{\text{val}}$ の違いにすぎないからである.

意味.「光子が質量をもつ」という素粒子物理の言葉と,「磁場が $\lambda_L$ しか入らない」という超伝導の言葉と,「プラズマ振動数以下の光は反射される」という金属光学の言葉は,すべて同じ一つの式 $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L=\hbar\omega_p$ の言い換えである.材料科学者が反射スペクトルから読む $\hbar\omega_p$ は,そのまま「その物質の中で光子が得た質量」であり,素粒子物理学者が $80.377\ \mathrm{GeV}$ と書く $W$ ボソン質量は,そのまま「電弱真空の侵入長 $2.46\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$」である.隔たりは $80.377\ \mathrm{GeV}/3.71\ \mathrm{eV}=2.2\times10^{10}$,長さで測っても $53.1\ \mathrm{nm}/2.46\times10^{-18}\ \mathrm{m}=2.2\times10^{10}$ で,どちらも同じ 10 桁である(エネルギーと長さが逆数関係にあるので当然そうなる).10桁を隔てた2つの数字が,同じ式の両端に座っている.

演習1.5 Bogoliubov 準粒子の電荷

問題(再掲)

本書1章の BdG ハミルトニアンと Bogoliubov 変換の式を使う.

(1) $H_{\text{BdG}}=\xi_\kk\tau_3-\Delta\tau_1$ に対して $H_{\text{BdG}}^2=(\xi_\kk^2+\Delta^2)\mathbf{1}$ を示し,固有値が $E_\kk=\pm\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}$ であることを結論せよ.

(2) $u_\kk^2+v_\kk^2=1$ と $2u_\kk v_\kk=\Delta/E_\kk$ を,Bogoliubov 変換の定義から確かめよ.

(3) 準粒子 $\gamma_{\kk\uparrow}=u_\kk c_{\kk\uparrow}-v_\kk c^\dagger_{-\kk\downarrow}$ が運ぶ電荷の期待値は $q=-e(u_\kk^2-v_\kk^2)$ である.これを $\xi_\kk$ と $E_\kk$ で表し,$\xi_\kk=0$ でゼロになることを示せ.

(4) Nb($\Delta=1.5\ \mathrm{meV}$)で $\xi_\kk=1.5\ \mathrm{meV}$ の準粒子について,$u_\kk^2$,$v_\kk^2$ と電荷の期待値($-e$ 単位)を数値で求めよ.

解答

方針.本章 1.4 節で見たとおり,BdG ハミルトニアンは「反交換する2つの行列の線形結合」という一点だけで Dirac ハミルトニアンと同型である.必要な性質は Pauli 行列の代数 $\tau_i^2=\mathbf{1}$,$\{\tau_1,\tau_3\}=0$,$\Tr\tau_i=0$ の3つに尽きる.

(1) 素直に展開する.

$$ H_{\text{BdG}}^2 = \left(\xi_\kk\tau_3-\Delta\tau_1\right)\left(\xi_\kk\tau_3-\Delta\tau_1\right) = \xi_\kk^2\tau_3^2 - \xi_\kk\Delta\left(\tau_3\tau_1+\tau_1\tau_3\right) + \Delta^2\tau_1^2 $$

ここで $\tau_1^2=\tau_3^2=\mathbf{1}$,そして $\tau_1$ と $\tau_3$ は反交換するので $\tau_3\tau_1+\tau_1\tau_3=\{\tau_1,\tau_3\}=0$ である.交差項がきれいに消えて

$$ H_{\text{BdG}}^2 = \left(\xi_\kk^2+\Delta^2\right)\mathbf{1} $$

を得る.次に固有値を結論する.$H_{\text{BdG}}$ の固有値を $\lambda$ とすると,固有ベクトルに $H_{\text{BdG}}^2$ を作用させて $\lambda^2=\xi_\kk^2+\Delta^2$,したがって $\lambda=\pm\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}$ である.どちらの符号も実際に現れることは,トレースがゼロであることから分かる.$\Tr\tau_1=\Tr\tau_3=0$ なので $\Tr H_{\text{BdG}}=0$,すなわち2つの固有値の和がゼロでなければならない.両方が $+\sqrt{\cdots}$ や両方が $-\sqrt{\cdots}$ ではこれを満たせないから,固有値は $+E_\kk$ と $-E_\kk$ が1つずつである.よって

$$ E_\kk = \pm\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2} $$

これは Dirac の $E=\pm\sqrt{p^2c^2+m^2c^4}$ とまったく同じ形であり,$\Delta$ が $mc^2$ の役を演じている.行列を明示的に書き下して固有方程式 $\det(H_{\text{BdG}}-\lambda\mathbf{1})=\lambda^2-\xi_\kk^2-\Delta^2=0$ を解いても同じ結果になるが,上の議論は $2\times2$ という事実をほとんど使っていない点が優れている.反交換する行列の組であれば何成分でも同じ結論が出るので,そのまま4成分 Dirac 方程式に通用する.

(2) 定義は

$$ u_\kk^2 = \frac12\left(1+\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right), \qquad v_\kk^2 = \frac12\left(1-\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right) $$

である.和を取ると $\xi_\kk/E_\kk$ の項が打ち消しあって

$$ u_\kk^2+v_\kk^2 = \frac12\left(1+\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right)+\frac12\left(1-\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right) = 1 $$

これは $\gamma_{\kk\uparrow}$ が正しく反交換関係 $\{\gamma,\gamma^\dagger\}=1$ を満たすための条件でもある.次に積を取る.

$$ u_\kk^2v_\kk^2 = \frac14\left(1+\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right)\left(1-\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right) = \frac14\left(1-\frac{\xi_\kk^2}{E_\kk^2}\right) = \frac14\cdot\frac{E_\kk^2-\xi_\kk^2}{E_\kk^2} $$

ここで (1) の結果 $E_\kk^2=\xi_\kk^2+\Delta^2$,すなわち $E_\kk^2-\xi_\kk^2=\Delta^2$ を使うと

$$ u_\kk^2v_\kk^2 = \frac{\Delta^2}{4E_\kk^2} \qquad\Longrightarrow\qquad u_\kk v_\kk = \frac{\Delta}{2E_\kk} \qquad\Longrightarrow\qquad 2u_\kk v_\kk = \frac{\Delta}{E_\kk} $$

($\Delta>0$ とし,$u_\kk,v_\kk\ge0$ と符号を選んだ.)この $2u_\kk v_\kk$ は BCS のコヒーレンス因子と呼ばれる量で,超伝導体の核磁気緩和率の Hebel–Slichter ピークや超音波吸収の振る舞いを支配する.

(3) $u_\kk^2$ と $v_\kk^2$ の定義の差を取ると,今度は 1 の項が打ち消しあう.

$$ u_\kk^2-v_\kk^2 = \frac12\left(1+\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right)-\frac12\left(1-\frac{\xi_\kk}{E_\kk}\right) = \frac{\xi_\kk}{E_\kk} $$

したがって電荷の期待値は

$$ q = -e\left(u_\kk^2-v_\kk^2\right) = -e\,\frac{\xi_\kk}{E_\kk} = -e\,\frac{\xi_\kk}{\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}} $$

である.$\xi_\kk=0$(ちょうど Fermi 面上)では分子がゼロになるので $q=0$ となる.Fermi 面上の Bogoliubov 準粒子は電気的に中性である.

この式の形をもう少し読んでおく.$q(\xi_\kk)$ は $\xi_\kk$ の奇関数であり,$\xi_\kk\to+\infty$ で $q\to-e$(純粋な電子),$\xi_\kk\to-\infty$ で $q\to+e$(純粋な正孔)に漸近して,その間を $\xi_\kk=0$ の中性点を通ってなめらかにつなぐ.$\abs{q}$ が $e$ の半分以下になるのは

$$ \frac{\abs{\xi_\kk}}{\sqrt{\xi_\kk^2+\Delta^2}} \le \frac12 \qquad\Longleftrightarrow\qquad \abs{\xi_\kk} \le \frac{\Delta}{\sqrt3} = 0.577\,\Delta $$

のときで,電荷が薄まる領域の幅はギャップ $\Delta$ そのもので決まっている.常伝導金属($\Delta=0$)ではこの領域が幅ゼロにつぶれ,$q$ は $\xi_\kk$ の符号に応じて $-e$ か $+e$ かを不連続に飛ぶ.すなわち「電荷が中途半端になれる」のは,ギャップが開いていることの直接の帰結である.$\Delta$ が $mc^2$ の役を演じるという (1) の対応で言えば,これは Dirac 方程式で質量が正エネルギー解と負エネルギー解を混ぜるのと同じ現象である.

(4) Nb で $\Delta=\xi_\kk=1.5\ \mathrm{meV}$ とすると

$$ E_\kk = \sqrt{1.5^2+1.5^2} = 1.5\sqrt2 = 2.121\ \mathrm{meV}, \qquad \frac{\xi_\kk}{E_\kk} = \frac{1.5}{2.121} = \frac{1}{\sqrt2} = 0.7071 $$

よって

$$ u_\kk^2 = \frac12\left(1+0.7071\right) = 0.854, \qquad v_\kk^2 = \frac12\left(1-0.7071\right) = 0.146 $$ $$ q = -e\times0.7071 = -0.707\,e $$

すなわち,Fermi 面から $\Delta$ だけ離れただけの準粒子でも,すでに電荷が素電荷の 71 % に薄まっている.電子成分 85 %,正孔成分 15 % の重ね合わせであり,正孔成分が電荷を打ち消しているためである.打ち消し量は $\abs{q}/e=u^2-v^2$ すなわち $0.854-0.146=0.708$ で,正孔成分が 2 倍だけ効いて $1-2v^2=1-0.293=0.707$ と書いても同じである.

この $\xi_\kk=\Delta$ という点は,準粒子のエネルギーが $E_\kk=\sqrt2\,\Delta=2.12\ \mathrm{meV}$ になる点であり,Nb ではギャップの縁 $\Delta=1.5\ \mathrm{meV}$ からわずか $0.6\ \mathrm{meV}$ 上でしかない.トンネル分光でギャップ端のコヒーレンスピークを見ているとき,そこに居る準粒子はすでにこの程度まで電子・正孔混成しているということである.温度に直せば $0.6\ \mathrm{meV}=7\ \mathrm{K}$ なので,$T_c=9.25\ \mathrm{K}$ の Nb では,混成した準粒子は熱励起で普通に生成される.「電荷が中途半端な粒子」は理論上の産物ではなく,超伝導体の中に室温以下の温度でありふれて存在しているのである.

検算.(2) の2つの関係が (4) の数値で成り立つことを確かめる.$u_\kk^2+v_\kk^2=0.854+0.146=1.000$.そして

$$ u_\kk^2v_\kk^2 = \frac12\left(1+\frac{1}{\sqrt2}\right)\cdot\frac12\left(1-\frac{1}{\sqrt2}\right) = \frac14\left(1-\frac12\right) = \frac18 = 0.1250 $$ $$ 2u_\kk v_\kk = 2\sqrt{0.1250} = 2\times0.35355 = 0.7071 = \frac{\Delta}{E_\kk} = \frac{1.5}{2.121} = 0.7071 $$

で一致する.極限も確かめておく.$\Delta\to0$(常伝導金属)で $\xi_\kk>0$ なら $E_\kk\to\xi_\kk$ なので $u_\kk^2\to1$,$v_\kk^2\to0$,$q\to-e$ となり,裸の電子に戻る.$\xi_\kk\ll-\Delta$ なら $q\to+e$ で,正孔になる.どちらも本章 1.4.2 節の記述と合う.

意味.準粒子の電荷が $-e$ でも $+e$ でもない中途半端な値を取る,というのは一見奇妙だが,これは超伝導体では電荷が凝縮体との間でやりとりされていることの表れである.U(1) 対称性が自発的に破れた結果,粒子数(したがって電荷)が良い量子数でなくなり,準粒子は電子と正孔の重ね合わせになる.失われた $\pm e$ の端数は Cooper 対の凝縮体が引き受けており,系全体では電荷保存則が厳密に成り立っている.この「電荷の非保存」は,Andreev 反射(入射電子が正孔として反射され,$2e$ が凝縮体に流れ込む)として直接測定できる.そして $\xi_\kk=0$ で $q=0$ になるという (3) の結果こそが,本章 1.4.3 節の Majorana 条件 $\gamma=\gamma^\dagger$ が可能になる前提である.電荷をもつ粒子は自分自身の反粒子になれないので,中性であることが Majorana であることの必要条件だからである.トポロジカル超伝導体の端に現れる零エネルギー束縛状態が Majorana 零モードと呼ばれるのは,それがちょうど $\xi_\kk=0$,$E=0$ の点に居るからである.

演習1.6 DT 反応の運動学と第一壁の損傷

問題(再掲)

表1.7 の質量値と,本書1章の最大反跳エネルギーの式および NRT 式を使う.

(1) $\mathrm{D}+{}^3\mathrm{He}\to p+{}^4\mathrm{He}$ 反応の $Q$ 値を求めよ($m_{^3\mathrm{He}}c^2=2808.391\ \mathrm{MeV}$,$m_pc^2=938.272\ \mathrm{MeV}$).また陽子と $\alpha$ 粒子のエネルギー分配を求めよ.この反応が「中性子を出さない核融合」と呼ばれる理由を述べよ.

(2) 14.05 MeV 中性子がタングステン($A=184$)に弾性散乱するときの最大反跳エネルギー $T_{\max}$ を求め,鉄($A=56$)の場合の $0.969\ \mathrm{MeV}$ と比べよ.重い元素ほど反跳が小さいのはなぜか.

(3) (2) のタングステンについて,平均反跳 $\braket{T}=T_{\max}/2$,損傷効率 $\xi=0.6$,$E_d(\mathrm{W})=90\ \mathrm{eV}$ として NRT 式ではじき出し数 $N_d$ を求めよ.

(4) 壁負荷 $2\ \mathrm{MW/m^2}$,$\sigma_{\text{tot}}(\mathrm{W})=5.3\ \mathrm{b}$ として,タングステンの年間 dpa を求め,鉄の 15 dpa/年と比べよ.

解答

方針.本章 1.5 節の道筋をタングステンについてなぞる.必要なのは,(i) $Q$ 値は静止質量の差そのもの,(ii) 全運動量ゼロの2体分解では運動エネルギーが質量に反比例して分配される,(iii) 弾性散乱の最大反跳は $T_{\max}=4A E_n/(1+A)^2$,(iv) NRT 式 $N_d=0.8\,T_{\text{dam}}/(2E_d)$,(v) 損傷率 $=\phi\,\sigma_{\text{tot}}\,N_d$ の5つだけである.

(1) 質量エネルギーを足し引きする.反応前は表1.7 の $m_{\mathrm{D}}c^2=1875.613\ \mathrm{MeV}$ と与えられた $m_{^3\mathrm{He}}c^2=2808.391\ \mathrm{MeV}$,反応後は $m_pc^2=938.272\ \mathrm{MeV}$ と表1.7 の $m_\alpha c^2=3727.379\ \mathrm{MeV}$ である.

$$ \text{(反応前)} = 1875.613+2808.391 = 4684.004\ \mathrm{MeV} $$ $$ \text{(反応後)} = 938.272+3727.379 = 4665.651\ \mathrm{MeV} $$ $$ Q = 4684.004-4665.651 = 18.353\ \mathrm{MeV} $$

DT の $17.590\ \mathrm{MeV}$ よりわずかに大きい.エネルギー分配は,全運動量がゼロなので $p_p=p_\alpha$,非相対論的に $T=p^2/2m$ とすれば $T\propto1/m$ である.したがって

$$ T_p = Q\,\frac{m_\alpha}{m_p+m_\alpha} = 18.353\times\frac{3727.379}{4665.651} = 18.353\times0.79890 = 14.66\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_\alpha = Q - T_p = 18.353-14.66 = 3.69\ \mathrm{MeV} $$

「中性子を出さない核融合」(aneutronic fusion)と呼ばれるのは,生成物が陽子と $\alpha$ 粒子という荷電粒子2つだけだからである.荷電粒子は磁場でプラズマ中に閉じ込められ,そのエネルギーはプラズマ加熱に使われるか,直接エネルギー変換で電力として取り出せる.壁に飛び込んで格子をはじき出すこともなく,核変換によって材料を放射化することもない.本章 1.5.2 節で扱った第一壁の損傷問題が原理的に生じないのである.ただし現実には,燃料に含まれる D どうしの $\mathrm{D}+\mathrm{D}$ 副反応が中性子を出すので完全に無中性子にはならない.また本章 1.5.1 節で述べたとおり,この反応は断面積が DT より2桁小さく,必要な温度も5倍以上高いため,実用化は DT よりはるかに遠い.

(2) $T_{\max}=4A E_n/(1+A)^2$ にタングステンの $A=184$ を入れる.

$$ \frac{4A}{(1+A)^2} = \frac{4\times184}{185^2} = \frac{736}{34225} = 0.02150 $$ $$ T_{\max}^{\mathrm{W}} = 0.02150\times14.05\ \mathrm{MeV} = 0.302\ \mathrm{MeV} $$

鉄は $4\times56/57^2=224/3249=0.06894$ で $T_{\max}^{\mathrm{Fe}}=0.969\ \mathrm{MeV}$ であるから,比は $0.302/0.969=0.312$,すなわちタングステンの反跳は鉄の約 3 分の 1 である.重い元素ほど反跳が小さい理由は,$T_{\max}$ の式そのものに書いてある.$A\gg1$ では

$$ \frac{4A}{(1+A)^2} \simeq \frac{4}{A} $$

と $1/A$ で減る.実際 $56/184=0.304$ で,上の比 $0.312$ とよく合う.物理的には,軽い粒子が重い標的に正面衝突すると,運動量はほぼ倍返し($2p$)で戻されるが,重い標的が受け取る運動エネルギー $\left(2p\right)^2/(2M)$ は $M$ に反比例して小さいからである.卓球の球をボウリングの球にぶつけても後者はほとんど動かない,というのと同じ換算質量の効果である.ちなみに $A=1$(水素)のとき $4A/(1+A)^2=1$ で,中性子は1回の正面衝突で全エネルギーを渡してしまう.水素が最良の中性子減速材である理由も同じ式が説明している.

(3) 平均反跳と損傷エネルギーを順に求める.

$$ \braket{T} = \frac{T_{\max}}{2} = \frac{0.302}{2} = 0.151\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_{\text{dam}} = \xi\braket{T} = 0.6\times0.151\ \mathrm{MeV} = 0.0906\ \mathrm{MeV} = 9.06\times10^{4}\ \mathrm{eV} $$

NRT 式に $E_d(\mathrm{W})=90\ \mathrm{eV}$ を入れて

$$ N_d = \frac{0.8\,T_{\text{dam}}}{2E_d} = \frac{0.8\times9.06\times10^{4}\ \mathrm{eV}}{2\times90\ \mathrm{eV}} = \frac{7.25\times10^{4}}{180} = 403 $$

中性子1個の弾性散乱1回が約 400 個の Frenkel 対を作る.鉄の $2.2\times10^{3}$ 個(本章 1.5.2 節)と比べて約 5.5 分の 1 である.内訳は,反跳エネルギーが $1/3.2$ になったこと($T_{\max}$)と,はじき出しきい値が $40\to90\ \mathrm{eV}$ と 2.25 倍高いことの積 $3.2\times2.25=7.2$ から,損傷効率が鉄の $\xi=0.45$ に対して $0.6$ と 1.33 倍大きいぶんを差し引いたもので,$7.2/1.33=5.4$ となり合う.

(4) 中性子束は材料によらず壁負荷だけで決まる.壁負荷とは単位面積・単位時間あたりに壁が受け取る中性子のエネルギーだから,これを中性子1個のエネルギー $T_n=14.05\ \mathrm{MeV}$ で割れば個数の流束になる.本章 1.5.2 節と同じ値である.

$$ \phi = \frac{P}{T_n} = \frac{2\times10^{6}\ \mathrm{W/m^2}}{14.05\times10^{6}\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J}} = \frac{2\times10^{6}}{2.251\times10^{-12}} = 8.9\times10^{17}\ \mathrm{m^{-2}s^{-1}} $$

損傷率は

$$ \frac{\dd(\mathrm{dpa})}{\dd t} = \phi\,\sigma_{\text{tot}}\,N_d = 8.9\times10^{17}\times5.3\times10^{-28}\times403 = 1.90\times10^{-7}\ \mathrm{s^{-1}} $$

1年 $=3.156\times10^{7}\ \mathrm{s}$ を掛けて

$$ \mathrm{dpa/year} = 1.90\times10^{-7}\times3.156\times10^{7} = 6.0 $$

鉄の 15 dpa/年(丸めずに 15.4)に対して約 2.6 分の 1 である.この数字の意味を押さえておく.6 dpa/年とは,第一壁の原子1個が1年のあいだに平均6回,格子点からはじき出されるということである.結晶が毎年6回ずつ作り直されている計算になり,鉄では 15 回である.核融合炉の設計寿命を 5 年とすれば,タングステンでも 30 dpa,鉄なら 77 dpa という照射量を浴びることになる.核分裂炉の圧力容器が生涯で受けるのが $\sim0.1\ \mathrm{dpa}$,炉心構造材でも数十 dpa であることを思えば,核融合の第一壁がいかに苛烈な環境かが分かる.また損傷率 $\phi\sigma N_d$ は3因子の単純な積なので,壁負荷を $2\to4\ \mathrm{MW/m^2}$ に上げれば $\phi$ が2倍になり,dpa もそのまま2倍になる.出力密度を上げることと材料を長持ちさせることが真っ向から対立する,という核融合炉設計の根本的なトレードオフが,この一つの掛け算に現れている.

検算.鉄との比を,各因子に分解して確かめる.損傷率は $\phi\sigma N_d$ であり $\phi$ は共通なので

$$ \frac{(\mathrm{dpa})_{\mathrm{Fe}}}{(\mathrm{dpa})_{\mathrm{W}}} = \frac{\sigma_{\mathrm{Fe}}}{\sigma_{\mathrm{W}}}\times\frac{N_d^{\mathrm{Fe}}}{N_d^{\mathrm{W}}} = \frac{2.5}{5.3}\times\frac{2200}{403} = 0.472\times5.46 = 2.58 $$

直接比 $15.4/6.0=2.6$ と一致する.断面積はタングステンの方が2倍大きく損傷を増やす向きに働くが,はじき出し数が5.5倍少ないので,差し引きで 2.6 倍有利になっている,という内訳が読み取れる.次元も確かめておく.$\phi\sigma N_d$ の次元は $\mathrm{m^{-2}s^{-1}}\times\mathrm{m^2}\times1=\mathrm{s^{-1}}$ で,「原子1個が単位時間にはじき出される回数」という dpa/秒の次元に合っている.

意味.この計算は,核融合炉の第一壁材料の選定という工学的判断が,$T_{\max}$(運動学)・$E_d$(結晶の結合)・$\sigma_{\text{tot}}$(原子核物理)という3つの量だけで大筋決まってしまうことを示している.タングステンが第一候補である理由の一つが,まさにここで計算した「重いので反跳が小さく,結合が強いのでしきい値が高い」という2点である(融点が最も高いこと,スパッタリング率が低いこと,トリチウム蓄積が少ないことも効いている).ただし dpa は損傷の粗い指標にすぎない.本章 1.5.2 節で述べた He 生成(9.1 appm/dpa)による高温脆化,W の場合は $(n,\gamma)$ による Re・Os への核変換と,それに伴う脆化・熱伝導度低下も同じくらい深刻であり,これらもすべて断面積という素粒子物理の量が決めている.なお (1) の $\mathrm{D}+{}^3\mathrm{He}$ が魅力的に見えるのは,この損傷の問題を丸ごと回避できるからである.

演習1.7 中性子の波長公式を自然単位系で導く

問題(再掲)

中性子散乱で使われる公式 $\lambda\,[\mathrm{\AA}]=9.045/\sqrt{E\,[\mathrm{meV}]}$ を導く.$m_nc^2=939.565\ \mathrm{MeV}$,$hc=1239.84\ \mathrm{eV\,nm}$ を使う.

(1) 非相対論的な運動量は $pc=\sqrt{2(m_nc^2)E}$ である.$E=25.3\ \mathrm{meV}$ に対して $pc$ を eV 単位で求めよ.

(2) $\lambda=hc/(pc)$ から波長を nm 単位で求め,$1.80\ \mathrm{\AA}$ になることを確かめよ.

(3) 一般に $\lambda\,[\mathrm{nm}] = hc/\sqrt{2(m_nc^2)E}$ を,$E$ を meV 単位で測ったときの数値式に整理し,$\lambda[\mathrm{\AA}]=9.045/\sqrt{E[\mathrm{meV}]}$ を導け.

(4) 同じ $1.80\ \mathrm{\AA}$ の波長をもつ光子(X線)と電子のエネルギーをそれぞれ求め,中性子の $25.3\ \mathrm{meV}$ と比べよ.なぜフォノン測定に中性子が使われるのかを説明せよ.

解答

方針.自然単位系の作法どおり,質量も運動量もエネルギーも「eV」という一つの単位で扱い,最後に $hc$ を掛けて長さに戻す.こうすると $\hbar$ や $m_n$ の SI 値を一度も使わずに済み,$m_nc^2$ と $hc$ という2つの数字だけで完結する.

(1) $m_nc^2=939.565\ \mathrm{MeV}=9.39565\times10^{8}\ \mathrm{eV}$,$E=25.3\ \mathrm{meV}=2.53\times10^{-2}\ \mathrm{eV}$ を代入する.

$$ (pc)^2 = 2\left(m_nc^2\right)E = 2\times9.39565\times10^{8}\times2.53\times10^{-2} = 4.7542\times10^{7}\ \mathrm{eV^2} $$ $$ pc = \sqrt{4.7542\times10^{7}} = 6.895\times10^{3}\ \mathrm{eV} = 6.895\ \mathrm{keV} $$

ここで注目すべきは,$25.3\ \mathrm{meV}$ という「熱エネルギー」の粒子の運動量が,$pc$ で測ると $6.9\ \mathrm{keV}$ というX線の領域に来ていることである.$pc=\sqrt{2(m_nc^2)E}$ は $E$ と $m_nc^2$ の幾何平均(の $\sqrt2$ 倍)だから,$25\ \mathrm{meV}$ と $940\ \mathrm{MeV}$ という10桁あまり離れた2つの数の真ん中,すなわち $\sqrt{2.5\times10^{-2}\times9.4\times10^{8}}\sim5\times10^{3}\ \mathrm{eV}$ に落ちるのは必然である.中性子が「meV のエネルギーで keV の運動量」をもてるのは,質量が大きいからにほかならない.

非相対論近似の妥当性もここで確認できる.$\beta=pc/E_{\text{tot}}\simeq pc/(m_nc^2)=6895/(9.396\times10^{8})=7.3\times10^{-6}$ なので,相対論補正の相対的な大きさは $\beta^2\sim5\times10^{-11}$ のオーダーであり,有効数字4桁の議論には完全に無視できる.

(2) $hc=1239.84\ \mathrm{eV\,nm}$ を割る.

$$ \lambda = \frac{hc}{pc} = \frac{1239.84\ \mathrm{eV\,nm}}{6.895\times10^{3}\ \mathrm{eV}} = 0.1798\ \mathrm{nm} = 1.798\ \mathrm{\AA} \simeq 1.80\ \mathrm{\AA} $$

確かに $1.80\ \mathrm{\AA}$ である.eV どうしが約分して nm だけが残る,という点に注目してほしい.次元の管理が掛け算・割り算だけで済むのが自然単位系の利点である.

(3) で導く数値式で検算しておく.$\lambda[\mathrm{\AA}]=9.045/\sqrt{25.3}=9.045/5.030=1.798$ となり,一致する.そしてこの $1.80\ \mathrm{\AA}$ という値こそが,熱中性子が結晶回折に使える理由である.典型的な格子面間隔 $d$ は $1\text{–}3\ \mathrm{\AA}$ 程度であり,Bragg 条件 $\lambda=2d\sin\theta$ が $\sin\theta\le1$ の範囲で満たされるには $\lambda\le2d$,すなわち $\lambda$ が数 $\mathrm{\AA}$ 以下でなければならない.$25\ \mathrm{meV}$ という室温そのもののエネルギーで,何の加速もせずにこの条件が満たされる.原子炉や核破砕源から出てきた中性子を,室温の減速材に通すだけで回折に使える波長になる,というのが中性子散乱という手法の出発点である.

(3) 一般式を数値式に整理する.$E$ を meV 単位の数値 $E[\mathrm{meV}]$ で測ると,eV 単位では $E=10^{-3}E[\mathrm{meV}]$ である.これを代入して

$$ \lambda\,[\mathrm{nm}] = \frac{hc}{\sqrt{2\left(m_nc^2\right)E}} = \frac{1239.84}{\sqrt{2\times9.39565\times10^{8}\times10^{-3}\times E[\mathrm{meV}]}} $$

根号の中の定数部分を先に計算する.

$$ 2\times9.39565\times10^{8}\times10^{-3} = 1.87913\times10^{6}, \qquad \sqrt{1.87913\times10^{6}} = 1370.81 $$

したがって

$$ \lambda\,[\mathrm{nm}] = \frac{1239.84}{1370.81\,\sqrt{E[\mathrm{meV}]}} = \frac{0.90446}{\sqrt{E[\mathrm{meV}]}} $$

$1\ \mathrm{nm}=10\ \mathrm{\AA}$ なので,両辺を 10 倍して

$$ \lambda\,[\mathrm{\AA}] = \frac{9.0446}{\sqrt{E[\mathrm{meV}]}} \simeq \frac{9.045}{\sqrt{E[\mathrm{meV}]}} $$

が導けた.中性子散乱の現場で誰もが暗記している「9.045」という数字の正体は,$hc$ と $m_nc^2$ の組み合わせ $hc/\sqrt{2m_nc^2\times10^{-3}\ \mathrm{eV}}$ にほかならない.

(4) 同じ波長 $\lambda=0.1798\ \mathrm{nm}$ をもつ光子と電子を考える.

光子は質量ゼロなので $E=pc$ であり,

$$ E_\gamma = \frac{hc}{\lambda} = \frac{1239.84\ \mathrm{eV\,nm}}{0.1798\ \mathrm{nm}} = 6.895\times10^{3}\ \mathrm{eV} = 6.90\ \mathrm{keV} $$

電子は,波長が同じなら運動量も同じ $pc=6895\ \mathrm{eV}$ である.非相対論的に

$$ E_e = \frac{(pc)^2}{2m_ec^2} = \frac{\left(6.895\times10^{3}\right)^2}{2\times5.11\times10^{5}}\ \mathrm{eV} = \frac{4.754\times10^{7}}{1.022\times10^{6}} = 46.5\ \mathrm{eV} $$

3つを並べると,同じ $1.80\ \mathrm{\AA}$ に対して

$$ E_\gamma = 6.90\ \mathrm{keV}, \qquad E_e = 46.5\ \mathrm{eV}, \qquad E_n = 25.3\ \mathrm{meV} $$

である.フォノンのエネルギーを $10\ \mathrm{meV}$ とすると,これを分解するのに必要な相対分解能は

$$ \left(\frac{\Delta E}{E}\right)_\gamma = \frac{10^{-2}}{6895} = 1.5\times10^{-6}, \qquad \left(\frac{\Delta E}{E}\right)_e = \frac{10^{-2}}{46.5} = 2.2\times10^{-4}, \qquad \left(\frac{\Delta E}{E}\right)_n = \frac{10^{-2}}{2.53\times10^{-2}} = 0.40 $$

中性子だけが $10^{-1}$ 級の楽な分解能で済む.これが,フォノン分散の測定が長らく中性子非弾性散乱の独壇場であった理由である.X線でも放射光を使えば $10^{-7}$ 級の分解能が実現できるが(非弾性X線散乱),そのために結晶分光器を極限まで作り込む必要がある.電子は分解能の点では中間だが,原子との相互作用が強すぎて多重散乱に埋もれる.中性子は電荷をもたないので相互作用が弱く,運動学的近似(1回散乱)が使えるという利点まで付いてくる.

検算.3つの粒子のエネルギーの間には,同じ波長という条件から厳密な関係が成り立つ.波長が同じなら $pc$ が共通なので,質量のある2つについては $E=(pc)^2/(2mc^2)\propto1/m$,すなわち

$$ \frac{E_e}{E_n} = \frac{m_nc^2}{m_ec^2} = \frac{9.39565\times10^{8}}{5.11\times10^{5}} = 1839 $$

実際に $46.5/2.53\times10^{-2}=1838$ で一致する.また光子と電子については

$$ \frac{E_\gamma}{E_e} = \frac{pc}{(pc)^2/(2m_ec^2)} = \frac{2m_ec^2}{pc} = \frac{1.022\times10^{6}}{6895} = 148 $$

実際に $6895/46.5=148$ で一致する.独立に計算した3つの数値が,質量比だけで結ばれていることが確認できた.

意味.$E=(pc)^2/(2mc^2)$ と $\lambda=hc/(pc)$ を組み合わせると $E\propto1/(m\lambda^2)$ である.波長を原子間距離($\sim2\ \mathrm{\AA}$)に固定したとき,エネルギーが格子振動のスケール(数〜数十 meV)に落ちるかどうかは,粒子の質量だけで決まる.中性子の質量は,この二重の一致がちょうど成立するように「たまたま」できている.本章 1.6.3 節が強調しているとおり,これは中性子だけがもつ性質であり,J-PARC MLF・ISIS・SNS・ILL といった巨大施設が世界中に建てられている理由そのものである.素粒子の質量という,人間が選べない数字が,材料研究のインフラの形を決めているのである.

演習1.8 素粒子プローブの数値

問題(再掲)

$m_\pi c^2=139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_\mu c^2=105.658\ \mathrm{MeV}$,$\tau_\mu=2.197\ \mu\mathrm{s}$,$\gamma_\mu/2\pi=135.5\ \mathrm{MHz/T}$,$m_ec^2=511.0\ \mathrm{keV}$ を使う.

(1) 本書1章の表面ミューオンの式を使わずに,エネルギー・運動量保存から表面ミューオンの運動量 $pc=(m_\pi^2-m_\mu^2)c^2/(2m_\pi)$ を導け.また数値を求めよ.

(2) 局所磁場 $0.05\ \mathrm{T}$ における $\mu^+$ の歳差周波数と周期を求め,寿命 $\tau_\mu$ の間に何回歳差するかを求めよ.

(3) 銅($E_F=7.0\ \mathrm{eV}$)における陽電子消滅の角相関の広がり $\Delta\theta=p_Fc/(m_ec^2)$ を mrad 単位で求めよ.また Doppler 広がり $\Delta E=p_Fc/2$ を eV 単位で求め,Ge 検出器の分解能 $1.2\ \mathrm{keV}$ と比べよ.

(4) $\mu^-$ を使った重水素のミューオン原子の Bohr 半径 $a_\mu=a_0\,m_e/\mu_{\text{red}}$ を fm 単位で求めよ($\mu_{\text{red}}=195.7\,m_e$,$a_0=0.529\ \mathrm{\AA}$).通常の $\mathrm{D}_2$ 分子の核間距離 $0.74\ \mathrm{\AA}$ と比べ,何桁縮むか答えよ.

解答

方針.(1) は静止した粒子の2体崩壊という,第4章で本格的に扱う相対論的運動学の最も基本的な問題である.(2)〜(4) は,$\mu$SR・陽電子消滅・ミュオン触媒核融合という3つの手法の「効き具合」を数字で押さえる作業であり,どれも本章 1.6 節の内容の再計算にあたる.

(1) 静止した $\pi^+$ が $\mu^+ + \nu_\mu$ に崩壊する.反応前の全運動量がゼロなので,$\mu^+$ と $\nu_\mu$ は大きさの等しい逆向きの運動量 $p$ をもつ.ニュートリノを質量ゼロとすれば $E_\nu=pc$,ミューオンは $E_\mu=\sqrt{p^2c^2+m_\mu^2c^4}$ である.エネルギー保存は

$$ m_\pi c^2 = \sqrt{p^2c^2+m_\mu^2c^4} + pc $$

根号を単独にするために $pc$ を左辺に移す.

$$ m_\pi c^2 - pc = \sqrt{p^2c^2+m_\mu^2c^4} $$

両辺を2乗する.

$$ m_\pi^2c^4 - 2m_\pi c^2\,pc + p^2c^2 = p^2c^2 + m_\mu^2c^4 $$

ここで両辺の $p^2c^2$ が消える.これがこの計算の要点で,$p$ について1次方程式になる.

$$ m_\pi^2c^4 - m_\mu^2c^4 = 2m_\pi c^2\,pc \qquad\Longrightarrow\qquad pc = \frac{\left(m_\pi^2-m_\mu^2\right)c^2}{2m_\pi} $$

数値を入れる.

$$ m_\pi^2c^4 = 139.570^2 = 19479.8\ \mathrm{MeV^2}, \qquad m_\mu^2c^4 = 105.658^2 = 11163.6\ \mathrm{MeV^2} $$ $$ pc = \frac{19479.8-11163.6}{2\times139.570} = \frac{8316.2}{279.14} = 29.79\ \mathrm{MeV} $$

これが「29.8 MeV/$c$ の表面ミューオン」の正体である.運動エネルギーは

$$ T_\mu = \sqrt{(29.79)^2+(105.658)^2}-105.658 = \sqrt{12051}-105.658 = 109.78-105.66 = 4.12\ \mathrm{MeV} $$

で,本文 1.6.1 節の値と一致する.

(2) Larmor 歳差周波数は $f=(\gamma_\mu/2\pi)B_{\text{loc}}$ である.

$$ f = 135.5\ \mathrm{MHz/T}\times0.05\ \mathrm{T} = 6.775\ \mathrm{MHz} $$ $$ T_{\text{prec}} = \frac{1}{f} = \frac{1}{6.775\times10^{6}\ \mathrm{s^{-1}}} = 1.476\times10^{-7}\ \mathrm{s} = 147.6\ \mathrm{ns} $$

寿命 $\tau_\mu=2.197\ \mu\mathrm{s}$ のあいだの歳差回数は

$$ N = \frac{\tau_\mu}{T_{\text{prec}}} = \frac{2.197\times10^{-6}}{1.476\times10^{-7}} = 14.9 $$

約 15 回である.実際の観測窓は寿命の数倍($\sim10\ \mu\mathrm{s}$)取れるので,その間には $10\times10^{-6}/1.476\times10^{-7}=68$ 回まわる.十分な回数の振動が数えられるので,周波数を精度よく決められる.これが $\mu$SR が絶対磁場計として使える理由である.なお $0.05\ \mathrm{T}$ は磁性体の内部磁場としてはごく普通の大きさであり,本章 1.6.1 節に挙げた $10^{-5}\ \mathrm{T}$ 級の微弱な場になると寿命の間に歳差しきれないので,振動ではなく緩和(Kubo–Toyabe 型)として検出することになる.

(3) まず Fermi 運動量を自然単位系で求める.$E_F=7.0\ \mathrm{eV}$,$m_ec^2=511.0\ \mathrm{keV}=5.110\times10^{5}\ \mathrm{eV}$ として

$$ p_Fc = \sqrt{2\left(m_ec^2\right)E_F} = \sqrt{2\times5.110\times10^{5}\times7.0}\ \mathrm{eV} = \sqrt{7.154\times10^{6}}\ \mathrm{eV} = 2675\ \mathrm{eV} = 2.67\ \mathrm{keV} $$

角相関の広がりは

$$ \Delta\theta = \frac{p_Fc}{m_ec^2} = \frac{2675}{5.110\times10^{5}} = 5.23\times10^{-3}\ \mathrm{rad} = 5.23\ \mathrm{mrad} $$

Doppler 広がりは

$$ \Delta E = \frac{p_Fc}{2} = \frac{2675}{2} = 1337\ \mathrm{eV} = 1.34\ \mathrm{keV} $$

Ge 検出器の分解能 $1.2\ \mathrm{keV}$ とほぼ同程度である.したがって観測されるスペクトルは物理的な広がりと装置関数がほぼ等しく畳み込まれた形になり,そのままでは価電子成分と内殻成分を分離できない.実際にはデコンボリューションを行うか,2台の検出器で両方の $\gamma$ 線を同時計数する同時計数 Doppler 広がり法(CDB)を使って,バックグラウンドを $10^{-4}$ 以下に落としたうえで内殻電子の裾を測る.これが欠陥の化学的環境($S$ パラメータ,$W$ パラメータ)を決める標準的な手法である.

(4) Bohr 半径は換算質量に反比例する.$a_0=0.529\ \mathrm{\AA}=0.529\times10^{5}\ \mathrm{fm}=52900\ \mathrm{fm}$ なので

$$ a_\mu = a_0\frac{m_e}{\mu_{\text{red}}} = \frac{52900\ \mathrm{fm}}{195.7} = 270\ \mathrm{fm} $$

$\mathrm{D}_2$ 分子の核間距離 $0.74\ \mathrm{\AA}=7.4\times10^{4}\ \mathrm{fm}$ との比は

$$ \frac{7.4\times10^{4}}{270} = 274 \qquad\Longrightarrow\qquad \log_{10}274 = 2.44 $$

すなわち約 2.4 桁(270 倍あまり)縮む.核どうしがこれだけ近づけば Coulomb 障壁のトンネル確率は指数関数的に跳ね上がり,本章 1.6.3 節で述べたとおり $10^{-12}\ \mathrm{s}$ という短時間で核融合が起きる.ただし,$\mathrm{D_2}$ で $0.74/0.529=1.40$ すなわち $1.4\,a_0$ という比をそのまま $\mathrm{dt}\mu$ に当てはめると $1.4\times270=378\ \mathrm{fm}$ になり,本文の「約 500 fm」とはやや違う.これは,通常の分子では電子質量が核質量よりはるかに軽くて Born–Oppenheimer 近似が非常によく効くのに対し,ミューオン分子では $m_\mu/m_d=105.658/1875.613=0.056$ と軽さが桁違いではなく,核の運動を無視した単純なスケーリングが成り立たないためである.

検算.(1) の極限を2つ見る.$m_\mu\to m_\pi$(崩壊のエネルギー余裕がゼロ)では $pc\to0$ となり,位相空間が閉じるという物理に合う.$m_\mu\to0$ では $pc\to m_\pi c^2/2$ となり,質量ゼロの2粒子が背中合わせに飛ぶときの正しい答えになる.(3) では,$\Delta E$ と $\Delta\theta$ が独立でないことを使える.定義から $\Delta E/(m_ec^2)=(p_Fc/2)/(m_ec^2)=\Delta\theta/2$ であり,実際 $1337/5.110\times10^{5}=2.62\times10^{-3}=5.23/2\ \mathrm{mrad}$ で合う.また本文 1.6.2 節の Al($E_F=11.7\ \mathrm{eV}$,$p_Fc=3.46\ \mathrm{keV}$)と比べると $p_Fc\propto\sqrt{E_F}$ なので $\sqrt{7.0/11.7}=0.7735$ 倍のはずで,$2675/3458=0.7736$ と一致する.(4) では換算質量そのものを検算できる.$\mu_{\text{red}}=m_\mu m_d/(m_\mu+m_d)=105.658\times1875.613/1981.271=100.02\ \mathrm{MeV}/c^2$,これを $m_ec^2=0.511\ \mathrm{MeV}$ で割ると $195.7$ となり,与えられた値が再現する.

意味.4つの小問はどれも,素粒子物理の側で決まっている数字が,そのまま材料測定の性能を決めていることを示している.表面ミューオンの $29.8\ \mathrm{MeV}/c$ は $\pi$ と $\mu$ の質量差だけで決まる値であり,これが「固体中を $0.1$〜$1\ \mathrm{mm}$ 進んで止まる」というバルク測定にちょうどよい飛程を与えている.$\gamma_\mu$ は素粒子の磁気モーメントであり,較正なしの絶対磁場計を可能にしている.陽電子の $\Delta\theta$ と $\Delta E$ は $m_ec^2$ で割った量として現れ,Fermi 運動量という固体物理の量を直接読ませてくれる.ミューオン原子の $270\ \mathrm{fm}$ は $m_\mu/m_e$ だけで決まる.いずれも実験者が設計したものではなく,自然が与えた素粒子の性質である.本章 1.6 節の言葉を借りれば,これらのプローブを使いこなすには素粒子・原子核物理の言葉(崩壊率,断面積,偏極,パリティ)を知っている必要がある,ということになる.

E.2 第2章 素粒子物理学の歴史 の解答

演習2.1 Rutherford 散乱と原子核の大きさ

問題(再掲)

$\alpha$ 粒子($z_1=2$)を運動エネルギー $E=5.5\ \mathrm{MeV}$ で銀($z_2=47$,$A=108$)に当てる.$e^2/(4\pi\varepsilon_0)=1.44\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使え.

(1) 正面衝突($b=0$)における最近接距離 $d$ を求めよ.

(2) 銀の原子核半径を $R=1.2A^{1/3}\ \mathrm{fm}$ として $R$ を求め,$d$ と比べよ.Rutherford 公式が成り立つと期待できるか.

(3) $d=R$ となる $\alpha$ 粒子のエネルギーを求めよ.これ以上のエネルギーでは何が起きるか.

(4) 本書2章の $b$–$\theta$ 関係式 $b=\dfrac{\kappa}{2E}\cot\dfrac{\theta}{2}$ を使い,$\theta=90^\circ$ に散乱される衝突径数 $b$ を求めよ.

解答

方針.使う道具は二つしかない.一つは正面衝突におけるエネルギー保存(運動エネルギーがすべて Coulomb ポテンシャルに変わる),もう一つは本章で双曲線軌道から導いた $b$ と散乱角 $\theta$ の関係式である.どちらも古典力学だけで完結する.まず本章の記号に合わせて Coulomb 強度をまとめておく:

$$ \kappa \equiv \frac{z_1z_2e^2}{4\pi\varepsilon_0} = 2\times47\times1.44\ \mathrm{MeV\,fm} = 135.36\ \mathrm{MeV\,fm} $$

(1) 正面衝突($b=0$)では,$\alpha$ 粒子は反発ポテンシャルの壁を登りきったところで一瞬静止し,その点で運動エネルギーがゼロになる.最近接距離を $d$ として

$$ E = \frac{\kappa}{d} \quad\Longrightarrow\quad d = \frac{\kappa}{E} = \frac{135.36\ \mathrm{MeV\,fm}}{5.5\ \mathrm{MeV}} = 24.61\ \mathrm{fm} $$

すなわち $d = 24.6\ \mathrm{fm}$ である.

(2) 核半径は

$$ R = 1.2\times108^{1/3}\ \mathrm{fm} = 1.2\times4.7622\ \mathrm{fm} = 5.715\ \mathrm{fm} $$

($4.76^3 = 107.85$ なので $108^{1/3}=4.762$ でよい).比をとると

$$ \frac{d}{R} = \frac{24.61}{5.715} = 4.31 $$

$\alpha$ 粒子はもっとも近づいたときでも核半径の $4.3$ 倍のところで跳ね返されており,原子核の表面に触れていない.核力の到達距離は $1\ \mathrm{fm}$ 程度(本章2.3節)なので,$24.6\ \mathrm{fm}$ の距離では核力は完全に無視できる.したがって働く力は純粋な $1/r^2$ Coulomb 力だけであり,Rutherford 公式 $\dd\sigma/\dd\Omega\propto\sin^{-4}(\theta/2)$ がそのまま成り立つと期待してよい.

古典力学で扱ってよいかも確かめておく.$\alpha$ 粒子の質量は $m_\alpha c^2=3727\ \mathrm{MeV}$ なので,非相対論的に $p=\sqrt{2m_\alpha E}$ とすると $pc=\sqrt{2\times3727\times5.5}\ \mathrm{MeV}=202.5\ \mathrm{MeV}$,換算 de Broglie 波長は $\hbar/p = 197.327/202.5 = 0.97\ \mathrm{fm}$ である.これは $d=24.6\ \mathrm{fm}$ よりずっと短いので,軌道という古典的な描像を使ってよい.

(3) $d=\kappa/E$ を $E$ について解き,$d=R$ を課すと

$$ E_{\mathrm{crit}} = \frac{\kappa}{R} = \frac{135.36\ \mathrm{MeV\,fm}}{5.715\ \mathrm{fm}} = 23.7\ \mathrm{MeV} $$

$E>E_{\mathrm{crit}}$ にすると $d<R$ となり,$\alpha$ 粒子が原子核の表面に届いてしまう.そこでは強い相互作用(核力)が働き,弾性散乱の一部が核反応(吸収・核励起)に食われるうえ,Coulomb 振幅と核力振幅の干渉が起きる.その結果,測定される断面積は Rutherford 公式から系統的にずれ始める.ずれが始まるエネルギーを見れば,逆に核半径 $R$ が読めるという点が重要である.これは「公式からの逸脱が内部構造を教える」という本章の中心的な論法そのもので,のちに電子・陽子散乱による陽子形状因子の測定,さらに深非弾性散乱によるクォークの発見へと受け継がれた.

(4) $\theta=90^\circ$ では $\theta/2=45^\circ$ で $\cot45^\circ=1$ だから

$$ b = \frac{\kappa}{2E}\cot45^\circ = \frac{135.36}{2\times5.5}\ \mathrm{fm} = 12.31\ \mathrm{fm} $$

すなわち $b=12.3\ \mathrm{fm}$ である.これは (1) の最近接距離のちょうど半分である.実際,一般に $b(\theta=90^\circ)=\kappa/(2E)=d/2$ が成り立つ.

検算.次元と極限の両方で確かめる.$\kappa$ は $\mathrm{MeV\,fm}$,$E$ は $\mathrm{MeV}$ なので $\kappa/E$ は $\mathrm{fm}$ となり,(1)(3)(4) はすべて長さ・エネルギーの次元が合っている.極限としては,$\theta\to180^\circ$ で $\cot(\theta/2)\to0$ すなわち $b\to0$(正面衝突ほど大きく跳ね返る)となり,$\theta\to0$ で $\cot(\theta/2)\to\infty$ すなわち $b\to\infty$(遠くを通れば曲がらない)となって直感と一致する.また $b(90^\circ)=d/2$ という関係は,$d=\kappa/E$ と $b=(\kappa/2E)\cot(\theta/2)$ から解析的に出る恒等式なので,(1) と (4) の数値が独立に整合していることの確認にもなっている.

意味.この計算は,Rutherford 散乱の解析が成り立つ「安全域」を数値で定めるものである.$\mathrm{MeV}$ 級のイオンでは最近接距離が核半径の数倍あり,核力がまったく効かない.だからこそ Rutherford 後方散乱分光(RBS)は,断面積が $z_2^2$ に比例するという理論値をそのまま信用でき,標準試料なしで組成比が定量できる.たとえば RBS で常用される $E_0=2.0\ \mathrm{MeV}$ の $\mathrm{He}$($z_1=2$)を金($z_2=79$)に当てると $d=2\times79\times1.44/2.0=113.8\ \mathrm{fm}$ で,金の核半径 $7.0\ \mathrm{fm}$ の $16$ 倍も離れている.薄膜の深さ方向組成分析という日常的な材料評価の信頼性が,1911年の原子核発見と同じ不等式 $d\gg R$ に支えられている.

演習2.2 Compton 波長と Compton 端

問題(再掲)

$hc=1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}=1239.84\ \mathrm{eV\,nm}$ を使え.

(1) 陽子の Compton 波長 $h/(m_pc)$ を fm 単位で求めよ.核子の大きさ($\sim1\ \mathrm{fm}$)と比べて何が言えるか.

(2) Mo $K\alpha$ 線($\lambda=70.9\ \mathrm{pm}$)を $\theta=90^\circ$ で Compton 散乱させたときの $\lambda'$ と,波長の相対的なずれ $\Delta\lambda/\lambda$ を求めよ.

(3) 同じ入射X線について,電子が受け取る運動エネルギーが最大になる散乱角と,そのときの $T_e$(Compton 端)を求めよ.

(4) 可視光($\lambda=500\ \mathrm{nm}$)で同じ実験をしたら $\Delta\lambda/\lambda$ はいくらか.なぜ Compton は X線を使ったのか.

解答

方針.本章で 4元運動量の2乗から導いた Compton の公式

$$ \lambda'-\lambda = \lambda_C\,(1-\cos\theta), \qquad \lambda_C = \frac{h}{m_ec} = \frac{hc}{m_ec^2} $$

と,光子のエネルギーと波長の関係 $E=hc/\lambda$ だけを使う.$m_ec^2=0.511\ \mathrm{MeV}$,$m_pc^2=938.272\ \mathrm{MeV}$ とする.

(1) 定義にそのまま代入すればよい:

$$ \frac{h}{m_pc} = \frac{hc}{m_pc^2} = \frac{1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}}{938.272\ \mathrm{MeV}} = 1.321\ \mathrm{fm} $$

陽子の電荷半径は $0.84\ \mathrm{fm}$,核子の「大きさ」はおおむね $1\ \mathrm{fm}$ なので,陽子の大きさと Compton 波長が同じオーダーである.これは強い含意をもつ.Compton 波長とは「その粒子を $\lambda_C$ 以下の領域に閉じ込めようとすると,不確定性関係から $m c^2$ を超えるエネルギーが必要になり,粒子・反粒子対が生成してしまう」長さである.陽子の内部を $1\ \mathrm{fm}$ の分解能で見るとき,その中身は必然的に相対論的であり,クォーク対や中間子場が湧いている.すなわち陽子は「点状構成子が非相対論的に束縛された系」として扱えない.

対比のため原子を見ておくと,電子の換算 Compton 波長は $\hbar/(m_ec)=386.2\ \mathrm{fm}$ で,Bohr 半径 $a_0=0.0529\ \mathrm{nm}=52900\ \mathrm{fm}$ はその $137$ 倍(=$1/\alpha$ 倍)である.原子は自分の Compton 波長よりはるかに大きいので,非相対論的 Schrödinger 方程式でよく記述できる.核子ではこの階層が消えている.

(2) まず電子の Compton 波長を数値化する:

$$ \lambda_C = \frac{1239.84\ \mathrm{MeV\,fm}}{0.511\ \mathrm{MeV}} = 2426\ \mathrm{fm} = 2.426\ \mathrm{pm} $$

$\theta=90^\circ$ では $\cos\theta=0$ なので $1-\cos\theta=1$ となり

$$ \lambda' = \lambda + \lambda_C = 70.9 + 2.426 = 73.33\ \mathrm{pm} $$ $$ \frac{\Delta\lambda}{\lambda} = \frac{2.426}{70.9} = 3.42\times10^{-2} = 3.4\% $$

$3\%$ のずれは,方解石結晶による Bragg 分光であれば余裕をもって分離できる大きさである.

(3) エネルギー保存から,電子が受け取る運動エネルギーは $T_e=E-E'$ である.波長で書けば

$$ T_e = hc\left(\frac{1}{\lambda}-\frac{1}{\lambda'}\right) = hc\,\frac{\lambda'-\lambda}{\lambda\lambda'} = hc\,\frac{\lambda_C(1-\cos\theta)}{\lambda\,[\lambda+\lambda_C(1-\cos\theta)]} $$

右辺は $1-\cos\theta$ の単調増加関数なので,$T_e$ が最大になるのは $1-\cos\theta$ が最大の $\theta=180^\circ$(後方散乱)である.このとき電子は前方に弾き飛ばされる.

$$ \lambda' = 70.9 + 2\times2.426 = 75.75\ \mathrm{pm} $$

エネルギーに直すと($hc=1239.84\ \mathrm{eV\,nm}$,$\lambda=0.0709\ \mathrm{nm}$,$\lambda'=0.07575\ \mathrm{nm}$)

$$ E = \frac{1239.84}{0.0709} = 17487\ \mathrm{eV} = 17.49\ \mathrm{keV}, \qquad E' = \frac{1239.84}{0.075753} = 16367\ \mathrm{eV} = 16.37\ \mathrm{keV} $$ $$ T_e^{\max} = 17.487 - 16.367 = 1.120\ \mathrm{keV} $$

これが Compton 端である.入射光子のエネルギーの $6.4\%$ しか電子に渡らない.

(4) 可視光では

$$ \frac{\Delta\lambda}{\lambda}\bigg|_{\theta=90^\circ} = \frac{2.426\ \mathrm{pm}}{500\ \mathrm{nm}} = \frac{2.426\times10^{-12}}{5.00\times10^{-7}} = 4.85\times10^{-6} $$

$5\times10^{-6}$ の相対シフトは,1920年代の分光器では原理的に測れない(今日の高分解能分光でも,光源の線幅と熱運動によるドップラー広がりに埋もれる).Compton がモリブデンの特性X線を選んだ理由はここにある.シフト $\lambda_C(1-\cos\theta)$ は入射波長によらない絶対量なので,相対的に見えるようにするには入射波長そのものを $\lambda_C=2.4\ \mathrm{pm}$ に近づけるしかない.$\mathrm{Mo}\,K\alpha$ の $70.9\ \mathrm{pm}$ は $\lambda_C$ の約 $29$ 倍で,ちょうど $3\%$ の測りやすいずれを与える.

検算.(3) を独立な式で確かめる.エネルギー表示の Compton 公式 $1/E'-1/E=(1-\cos\theta)/(m_ec^2)$ から $\theta=180^\circ$ で

$$ T_e^{\max} = E\,\frac{2E/(m_ec^2)}{1+2E/(m_ec^2)} = 17.487\times\frac{0.06844}{1.06844}\ \mathrm{keV} = 1.120\ \mathrm{keV} $$

波長経由の答えと一致する.さらに $E\ll m_ec^2$ の極限では分母が $1$ に近づき $T_e^{\max}\to 2E^2/(m_ec^2)=2\times17.487^2/511\ \mathrm{keV}=1.197\ \mathrm{keV}$ となり,正しい値 $1.120\ \mathrm{keV}$ を $7\%$ 上回るだけである.$E/m_ec^2=0.034$ という小ささに見合った近似精度で,計算が破綻していないことが分かる.

意味.Compton 端は,今日では $\gamma$ 線スペクトルの読み方の基本になっている.たとえば演習2.8 で扱う陽電子消滅の $511\ \mathrm{keV}$ 線では,$2E/(m_ec^2)=2$ なので $T_e^{\max}=511\times2/3=341\ \mathrm{keV}$ に段差(Compton edge)が立ち,光電ピークの低エネルギー側に必ず現れる.検出器スペクトルの解釈では,この段差を「試料の情報」と取り違えないことが要点である.一方,$\Delta\lambda$ が入射波長によらないという性質は逆向きにも使われ,硬X線($100\ \mathrm{keV}$ 級)を使えばシフトが大きく取れるので,散乱X線スペクトルの形から電子運動量密度 $n(\bm p)$ の投影(Compton プロファイル)を精密に取り出せる.Compton が粒子性の証拠として測った「ピークのずれ」は,材料科学ではいまや「ピークの幅」を測る手段に姿を変えている.

演習2.3 到達距離・媒介粒子質量・遮蔽長

問題(再掲)

$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使え.

(1) 力の到達距離が $1.0\ \mathrm{fm}$ であるとき,媒介粒子の質量はいくらか.

(2) $K$ 中間子($m=494\ \mathrm{MeV}$)を交換した場合の到達距離を求めよ.核力に $K$ 交換の寄与が効きにくい理由を述べよ.

(3) 銅の伝導電子密度は $n=8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$ である.$k_F=(3\pi^2n)^{1/3}$ から $k_F$ を求め,原子単位($1\ \mathrm{a.u.}=1.8897\ \text{Å}^{-1}$)に直したうえで $k_{\mathrm{TF}}^2=4k_F/(\pi a_0)$ から Thomas–Fermi 遮蔽長 $\lambda_{\mathrm{TF}}$ を求めよ.

(4) (3) の $\lambda_{\mathrm{TF}}$ を「実効的な光子質量」に換算せよ.

解答

方針.本章の湯川の関係 $R=\hbar/(mc)$,すなわち $mc^2=\hbar c/R$ を三度使う.湯川ポテンシャル $\ee^{-mr}/r$ と Thomas–Fermi 遮蔽 $\ee^{-r/\lambda_{\mathrm{TF}}}/r$ は文字が違うだけの同じ式なので,$\lambda_{\mathrm{TF}}$ をそのまま $R$ の位置に置けば「光子の実効質量」が読める.(3) だけは単位換算が主役なので,段階を分けて丁寧に進める.

(1) $R=1.0\ \mathrm{fm}$ を代入する:

$$ mc^2 = \frac{\hbar c}{R} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{1.0\ \mathrm{fm}} = 197.3\ \mathrm{MeV} $$

すなわち約 $200\ \mathrm{MeV}$,電子質量の $386$ 倍である.実際の $\pi$ 中間子は $m_\pi c^2=139.6\ \mathrm{MeV}$ で,これに対応する到達距離は $197.327/139.57=1.41\ \mathrm{fm}$ である.湯川が核力の到達距離から中間子質量を見積もったのは,まさにこの1行の計算であった.

(2) 同じ式を逆に使う:

$$ R = \frac{\hbar c}{m_Kc^2} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{494\ \mathrm{MeV}} = 0.399\ \mathrm{fm} $$

$0.40\ \mathrm{fm}$ である.これは陽子の電荷半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ の半分以下で,$K$ 交換が効く距離まで近づくには二つの核子が深く重なり合わねばならない.核子には短距離斥力芯があるのでそこまで近づけず,幾何的にすでに寄与は小さい.

しかし,より決定的なのは量子数による禁止である.$K^+=u\bar s$ はストレンジネス $S=+1$ をもつ.強い相互作用は $S$ を保存するので,核子が $K$ を放出する頂点 $N\to N+K$ は $S:\,0\to0+1$ となって成立しない.許されるのは $N\to\Lambda+K$($S:\,0\to-1+1=0$)だけである.したがって二核子間で $K$ を交換すると,両端の核子がともにハイペロン($\Lambda$,$\Sigma$)に変わってしまい,終状態が $NN$ ではなくなる.つまり弾性的な $NN$ 力に対する1個の $K$ 交換の寄与は,ストレンジネス保存によって完全に禁止される.$K$ 交換が意味をもつのは $\Lambda N$ 力,すなわちハイパー核の物理においてである.到達距離の短さと選択則の両方が効いている,というのが答えである.

(3) 三段階に分ける.

第一段:Fermi 波数を CGS で求める.

$$ k_F = (3\pi^2 n)^{1/3} = \left(3\pi^2\times8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}\right)^{1/3} = \left(2.508\times10^{24}\ \mathrm{cm^{-3}}\right)^{1/3} = 1.359\times10^{8}\ \mathrm{cm^{-1}} $$

$1\ \mathrm{cm}=10^{8}\ \text{Å}$ なので $k_F = 1.359\ \text{Å}^{-1}$,四捨五入して $1.36\ \text{Å}^{-1}$ である.

第二段:原子単位に直す.原子単位では長さの単位が $a_0=0.5292\ \text{Å}$ すなわち $1\ \mathrm{a.u.}=1.8897\ \text{Å}^{-1}$ なので

$$ k_F = \frac{1.359}{1.8897}\ \mathrm{a.u.} = 0.719\ \mathrm{a.u.} $$

第三段:Thomas–Fermi 波数と遮蔽長.原子単位では $a_0=1$ だから $k_{\mathrm{TF}}^2=4k_F/\pi$ となり

$$ k_{\mathrm{TF}} = \sqrt{\frac{4\times0.719}{\pi}} = \sqrt{0.9155} = 0.9568\ \mathrm{a.u.} = 0.9568\times1.8897\ \text{Å}^{-1} = 1.808\ \text{Å}^{-1} $$ $$ \lambda_{\mathrm{TF}} = \frac{1}{k_{\mathrm{TF}}} = 1.045\ \mathrm{a.u.} = 1.045\times0.5292\ \text{Å} = 0.553\ \text{Å} $$

すなわち $\lambda_{\mathrm{TF}}\approx0.55\ \text{Å}$ である.

(4) $\lambda_{\mathrm{TF}}$ を fm に直すと $0.553\ \text{Å}=5.53\times10^{4}\ \mathrm{fm}$ なので

$$ m_\gamma^{\mathrm{eff}}c^2 = \frac{\hbar c}{\lambda_{\mathrm{TF}}} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{5.53\times10^{4}\ \mathrm{fm}} = 3.57\times10^{-3}\ \mathrm{MeV} = 3.6\ \mathrm{keV} $$

銅の中では,静的な Coulomb 相互作用を媒介する光子が実効的に $3.6\ \mathrm{keV}$ の質量をもつ,と言ってよい.これは静的応答関数の極が $q^2=-k_{\mathrm{TF}}^2$ にあるという意味での言い換えであり,成り立つのは静的な縦応答に限られる.横波の光子が金属中で得る「質量」はプラズマエネルギー $\hbar\omega_p$(銅で約 $11\ \mathrm{eV}$)の方で,桁がまったく違う(演習8.6(3)).

検算.入力の電子密度そのものを構造から再現してみる.銅は面心立方で格子定数 $a=3.615\ \text{Å}$,単位胞あたり原子4個,自由電子は1原子あたり1個($3d^{10}4s^1$ の $4s$ 電子)だから

$$ n = \frac{4}{(3.615\ \text{Å})^3} = \frac{4}{47.25\ \text{Å}^3} = 0.0847\ \text{Å}^{-3} = 8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}} $$

問題文の値と一致する.次に本章のアルミニウムの値と比べる.Al は $k_F=0.926\ \mathrm{a.u.}$,$\lambda_{\mathrm{TF}}=0.49\ \text{Å}$,$m_\gamma^{\mathrm{eff}}c^2=4.0\ \mathrm{keV}$ であった.銅は $k_F$ が小さい($0.719$)ので $k_{\mathrm{TF}}\propto k_F^{1/2}$ も小さく,遮蔽長は長く($0.55>0.49\ \text{Å}$),実効光子質量は軽い($3.6<4.0\ \mathrm{keV}$).大小関係が正しい向きに出ており,計算に取り違えがない.次元も,$\hbar c$ が $\mathrm{MeV\,fm}$,$\lambda_{\mathrm{TF}}$ が $\mathrm{fm}$ なので商は $\mathrm{MeV}$ となって合っている.

意味.銅の最近接原子間距離は fcc なので $a/\sqrt2 = 3.615/1.414 = 2.56\ \text{Å}$ である.$\lambda_{\mathrm{TF}}=0.55\ \text{Å}$ はその $0.55/2.56=0.22$ 倍,すなわち $1/4$ を少し下回る程度でしかない.遮蔽因子 $\ee^{-r/\lambda_{\mathrm{TF}}}$ は最近接距離で $\ee^{-4.6}=1.0\times10^{-2}$ まで落ちるから,金属中に置いた不純物の余分な電荷は,隣の原子に届く時点ですでに $99\%$ が打ち消されている.希薄合金で不純物どうしが「見えない」のも,帯電欠陥を含む第一原理スーパーセル計算がそれほど巨大な胞を必要としないのも,この短い遮蔽長のおかげである.そして素粒子物理の側から見れば,これはゲージ場が質量を獲得する現象の身近な類例である(ただし上で注意したとおり,静的な縦応答に限った対応である).超伝導体では磁場が London 侵入長 $\lambda_L$ で減衰し,これも光子質量 $\hbar c/\lambda_L$ に翻訳できる(Al の London 値 $\lambda_L=16\ \mathrm{nm}$ なら $12.3\ \mathrm{eV}$.非局所効果を含む実測の侵入長は約 $50\ \mathrm{nm}$ まで伸びるので,そちらを使えば $3.9\ \mathrm{eV}$ になる.表1.3 と演習1.4(4) は London 値を採っている).弱い相互作用の到達距離が $2.5\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ しかないのは $W$ ボソンが $80\ \mathrm{GeV}$ の質量をもつからであり,その質量獲得の機構(Higgs 機構)は,物性物理が超伝導で先に見つけていた論理と同じものである.

演習2.4 β崩壊の運動学とニュートリノ質量

問題(再掲)

$m_n=939.565$,$m_p=938.272$,$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$ とする.

(1) $Q$ 値 $Q=m_n-m_p-m_e$ を求めよ.

(2) 仮に2体崩壊 $n\to p+e^-$ が起きるとして,電子の運動エネルギー $T_e$ を求めよ.(1) の $Q$ とほぼ等しくなる理由を,陽子の反跳エネルギーの大きさから説明せよ.

(3) 実際の3体崩壊 $n\to p+e^-+\bar\nu_e$ では,$T_e$ が $0$ から $Q$ まで連続に分布する.$T_e$ が最大になるのはどういう運動学のときか.

(4) トリチウムのβ崩壊($Q=18.6\ \mathrm{keV}$)で $m_\nu=0.45\ \mathrm{eV}$ を見分けるには,端点エネルギーを何桁の精度で測る必要があるか.

解答

方針.本章の Compton 散乱でも使った「測らない粒子を消すために 4元運動量を2乗する」技法をそのまま使う.自然単位系 $\hbar=c=1$,計量は $\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ である.質量はすべて $\mathrm{MeV}$ で扱う.

(1) 定義どおり引き算する:

$$ Q = m_n - m_p - m_e = 939.565 - 938.272 - 0.511 = 0.782\ \mathrm{MeV} $$

$Q$ とは,終状態の粒子がすべて静止したときに余る質量エネルギー,すなわち終状態が分け合える運動エネルギーの総量である.

(2) 静止した中性子を $p_n^\mu=(m_n,\bm 0)$ とし,$p_n=p_p+p_e$ とする.測りたくない陽子を消すために移項して2乗する:

$$ p_p = p_n - p_e \quad\Longrightarrow\quad m_p^2 = p_p^2 = m_n^2 + m_e^2 - 2\,p_n\cdot p_e $$

ここで $p_n\cdot p_e = m_n E_e$(中性子が静止しているので空間成分の内積が消える)だから

$$ E_e = \frac{m_n^2+m_e^2-m_p^2}{2m_n} $$

数値を入れる.$m_n^2=882782.39$,$m_e^2=0.2611$,$m_p^2=880354.35$(単位はすべて $\mathrm{MeV^2}$)より

$$ E_e = \frac{882782.39+0.26-880354.35}{2\times939.565} = \frac{2428.30}{1879.13} = 1.29225\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_e = E_e - m_e = 1.29225 - 0.511 = 0.78125\ \mathrm{MeV} $$

$Q=0.78200\ \mathrm{MeV}$ との差はわずか $0.75\ \mathrm{keV}$ である.差の正体は陽子の反跳運動エネルギーで,実際に見積もると,電子の運動量が

$$ p_e = \sqrt{E_e^2-m_e^2} = \sqrt{1.29225^2-0.511^2} = 1.1869\ \mathrm{MeV} $$

で,陽子はこれと逆向きに同じ大きさの運動量を持つから(陽子は十分に非相対論的なので)

$$ T_p \simeq \frac{p_e^2}{2m_p} = \frac{(1.1869)^2}{2\times938.272}\ \mathrm{MeV} = 7.51\times10^{-4}\ \mathrm{MeV} = 0.751\ \mathrm{keV} $$

となる.$Q-T_e = 0.75\ \mathrm{keV}$ とぴたりと合う.運動量は等分されるが運動エネルギーは質量に反比例して配分されるため,$m_p/m_e\approx1836$ 倍重い陽子は運動エネルギーをほとんど受け取らない.これが $T_e\approx Q$ となる理由である.

(3) 3体崩壊では終状態の運動量配分に自由度があるので $T_e$ は連続分布する.電子が最大の運動エネルギーを得るのは,残りの2粒子ができるだけエネルギーを持ち去らないとき,すなわち反ニュートリノの運動量がゼロの場合である.そのとき $\bar\nu_e$ は(質量ゼロなら)エネルギーも持ち去らず,運動量保存は電子と陽子の間だけで閉じるので,運動学は (2) の2体崩壊とまったく同じになる.したがって電子と陽子が正反対の向きに飛び,$T_e^{\max}=0.78125\ \mathrm{MeV}$ となる.これが $\beta$ スペクトルの端点である.

逆に $T_e$ が最小(ゼロ)になるのは,電子がほとんど静止し,$\bar\nu_e$ と陽子がエネルギーを分け合う場合である.こうして $0\le T_e\le T_e^{\max}$ の連続分布が生じる.1914年に Chadwick が見た連続スペクトルは,第三の粒子が存在することの直接の証拠だったのである.

(4) ニュートリノに質量があると,端点は $Q$ から $Q-m_\nu$ へ下がり,端点直前で Kurie プロットが直線から折れる.したがって $m_\nu$ を $0.45\ \mathrm{eV}$ の水準で見分けるには,端点近傍のエネルギーを

$$ \frac{m_\nu}{Q} = \frac{0.45\ \mathrm{eV}}{18.6\times10^{3}\ \mathrm{eV}} = 2.42\times10^{-5} $$

の相対精度で測らねばならない.すなわち5桁($10^{-5}$ の水準)の精度である.

難しさはそれだけではない.端点から $\Delta E$ 以内に落ちる崩壊の割合は,$\dd N/\dd T\propto(Q-T)^2$ を積分して $\sim(\Delta E/Q)^3$ にすぎない.$\Delta E=0.45\ \mathrm{eV}$ とすると

$$ \left(\frac{0.45}{18600}\right)^{3} = 1.4\times10^{-14} $$

で,$10^{14}$ 回の崩壊のうち1回しか使える事象がない.KATRIN のような実験が巨大な気体トリチウム源と長期間の測定を必要とするのは,この統計の壁を越えるためである.

検算.(2) の $E_e$ を別の経路で確かめる.エネルギー保存から陽子の全エネルギーは $E_p=m_n-E_e=939.565-1.29225=938.27275\ \mathrm{MeV}$ なので,その運動エネルギーは $E_p-m_p=0.00075\ \mathrm{MeV}=0.75\ \mathrm{keV}$ となり,非相対論近似 $p_e^2/(2m_p)$ で出した $0.751\ \mathrm{keV}$ と,この引き算で残る 2 桁の精度で一致する($E_e$ を $1.2922493\ \mathrm{MeV}$ まで取れば $T_p=0.7507\ \mathrm{keV}$ となり,4 桁まで合う).近似が良いのは $T_p/m_p\sim8\times10^{-7}$ だからで,整合している.じつはこの一致は偶然ではなく,恒等式である.エネルギー保存 $E_p=m_n-E_e$ から

$$ T_p = E_p - m_p = m_n - m_p - E_e = (Q+m_e) - E_e = Q - T_e $$

となり,$T_e+T_p=Q$ が近似なしに成り立つ.$Q$ が終状態の運動エネルギーの総量だという (1) の解釈そのものである.そのうえで極限を確認すると,$Q$ を固定したまま $m_p\to\infty$ とすれば $T_p\simeq p_e^2/(2m_p)\to0$ だから $T_e\to Q$ となり,無限に重い陽子は反跳せず電子が $Q$ を丸ごと受け取るという直感と一致する.いまの中性子では $T_p/Q = 0.751/782 = 9.6\times10^{-4}$ で,この極限に $0.1\%$ の精度で近い.

意味.この演習は「エネルギーが行方不明になったら,見えない粒子を疑え」という素粒子物理学の推論の原型である.そして (4) の困難は,実験技術ひいては材料の問題に帰着する.端点を $10^{-5}$ で測るには,線源であるトリチウム自身の分子終状態分布,電極表面の仕事関数のばらつき(本章2.2節の光電効果に出てきた $W$ そのもので,同じ金でも面方位で $0.3\ \mathrm{eV}$ 違う),基板からの散乱など,すべてが $\mathrm{eV}$ 以下で制御されねばならない.ニュートリノ質量の絶対値という素粒子物理最深部の問いが,表面科学と材料純度の問題として現れている.

演習2.5 Gell-Mann–西島の関係式を使いこなす

問題(再掲)

本書2章の Gell-Mann–西島の関係式 $Q=I_3+(B+S)/2$ について答えよ.

(1) $\Sigma^0$($I=1$, $I_3=0$, $B=1$, $S=-1$)と $\Xi^0$($I=1/2$, $I_3=+1/2$, $B=1$, $S=-2$)の電荷を計算し,実際の値と合うことを確かめよ.

(2) 反陽子 $\bar p$ の $I_3$, $B$, $S$ を書き,式が正しく $Q=-1$ を与えることを示せ.

(3) チャームクォークが加わると,式は $Q=I_3+(B+S+C)/2$ に拡張される($C$ はチャーム数).$D^+=c\bar d$($I_3=+1/2$, $B=0$, $S=0$, $C=+1$)の電荷を求めよ.

(4) $u$, $d$, $s$ クォーク自身について式が成り立つことを確かめよ.なぜハドロンでもクォークでも同じ式が成り立つのか説明せよ.

解答

方針.計算そのものは足し算だけである.要点は,$Q$,$I_3$,$B$,$S$(および $C$)がすべて加法的量子数であること,そして関係式が量子数どうしの線形関係であること,この二つの性質の組み合わせにある.ハイパーチャージ $Y\equiv B+S$ を使うと $Q=I_3+Y/2$ と書ける.

(1) $\Sigma^0$ は $B=1$,$S=-1$ なので $Y=B+S=1+(-1)=0$,したがって

$$ Q = I_3 + \frac{Y}{2} = 0 + \frac{0}{2} = 0 $$

実際 $\Sigma^0$ は中性である.$\Xi^0$ は $B=1$,$S=-2$ なので $Y=1+(-2)=-1$,したがって

$$ Q = +\frac12 + \frac{-1}{2} = +\frac12-\frac12 = 0 $$

これも中性で,実際の値と一致する.ついでに同じ多重項の相棒 $\Xi^-$($I_3=-1/2$)を見ると $Q=-1/2-1/2=-1$ となり,こちらも正しい.アイソスピン多重項の中では $I_3$ だけが変わり $Y$ は共通なので,$Q$ の差がちょうど $\Delta I_3$ に等しい——多重項内で電荷が1ずつ刻まれる理由がここにある.

(2) 反粒子は,すべての加法的量子数の符号が反転する(質量とスピンの大きさは同じ).陽子は $I_3=+1/2$,$B=+1$,$S=0$ なので,反陽子は

$$ I_3(\bar p) = -\frac12, \qquad B(\bar p) = -1, \qquad S(\bar p) = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad Y(\bar p) = -1 $$

したがって

$$ Q(\bar p) = -\frac12 + \frac{-1}{2} = -1 $$

確かに $Q(\bar p)=-Q(p)=-1$ である.関係式が $Q$ と $(I_3,Y)$ の両方について線形(定数項なし)なので,すべての入力の符号を反転すれば出力も自動的に反転する.反粒子について式が自明に成り立つのは,この線形性に定数項がないことの帰結である.

(3) $D^+$ は $B=0$,$S=0$,$C=+1$ なので拡張されたハイパーチャージは $B+S+C=0+0+1=1$,したがって

$$ Q = I_3 + \frac{B+S+C}{2} = +\frac12 + \frac{1}{2} = +1 $$

クォーク組成から直接確かめると,$c$ の電荷は $+2/3$,$\bar d$ の電荷は $+1/3$ なので $Q=2/3+1/3=+1$ となり一致する.$D^+=c\bar d$ が $I_3=+1/2$ をもつのは,アイソスピンを担う軽いクォークが $\bar d$ だけであり,$\bar d$ の $I_3$ が $-(-1/2)=+1/2$ だからである($c$ はアイソスピン一重項で $I_3=0$).

(4) 3種のクォークについて順に確かめる.いずれも $B=1/3$ である.

ハドロンでもクォークでも同じ式が成り立つ理由は次のとおりである.$Q$,$I_3$,$B$,$S$ はどれも加法的量子数であって,複合系の値は構成子の値の単純な和である.いま構成子 $a$ について $Q_a=I_{3a}+Y_a/2$ が成り立つとすると,構成子について和をとって

$$ Q = \sum_a Q_a = \sum_a\left(I_{3a}+\frac{Y_a}{2}\right) = \sum_a I_{3a} + \frac12\sum_a Y_a = I_3 + \frac{Y}{2} $$

となり,複合系でも同じ形が保たれる.途中で使ったのは和の分配だけであって,束縛の詳細(軌道角運動量・スピン結合・相互作用の強さ)はいっさい入らない.線形関係は加法的量子数の和に対して不変である,というのがすべてである.

さらに深く見ると,$Q$,$I_3$,$Y$ はいずれもフレーバー対称性の群の可換な生成子(対角生成子)であり,$Q=I_3+Y/2$ は生成子どうしの恒等式である.演算子として成り立つ等式は,どの既約表現でも,またその直積で作った複合系でも自動的に成り立つ.これが「クォークで成り立てばハドロンでも成り立つ」ことの群論的な言い換えである.

検算.本章の表2.5 は,ハドロンの $I_3,B,S$ を実測値として与えて関係式を確かめている.そこで向きを逆にし,同じ表の粒子をクォーク組成から組み立てて量子数を再現できるかを見る.これは (4) の加法性の主張を実際に走らせる検算になっている.

$\Omega^-=sss$:$I_3=0+0+0=0$,$B=1/3\times3=1$,$S=(-1)\times3=-3$ より $Y=1-3=-2$.したがって $Q=0+(-2)/2=-1$ で,表の値と一致する.$K^+=u\bar s$:$I_3=+1/2+0=+1/2$,$B=1/3-1/3=0$,$S=0+(+1)=+1$($s$ の $S=-1$ なので $\bar s$ は $S=+1$)より $Y=+1$,$Q=1/2+1/2=+1$ ✓.$K^-=\bar us$ なら符号がすべて反転して $I_3=-1/2$,$S=-1$,$Q=-1$ ✓.中間子で $B=0$ が自動的に出るのは,クォークと反クォークの $B=\pm1/3$ が相殺するからである.表2.5 の11個すべてについて同じ操作ができ,構成子から積み上げた値がハドロンとして測った値と例外なく一致する.

意味.この関係式は,二重の意味で先を指していた.第一に,電荷が $I_3$ と $Y$ という2つの独立な数で決まるということは,強い相互作用の対称性が階数2の群であることを示唆する.それが SU(3) であり,八道説とクォーク模型へ直結した.第二に,まったく同じ形の式が電弱理論に $Q=T_3+Y_W/2$ として再登場する(第13章).どちらも「$\mathrm{U}(1)$ 電荷が,より大きな群の対角生成子の線形結合として現れる」という同一の構造の反映である.

材料科学の読者には,加法的量子数の扱いは形式酸化数や価電子数の勘定と同じ論理だと言えば通じるであろう.化学式の単位あたりで電子数を足し合わせて電気的中性を課し,そこから未知イオンの価数を決める操作——たとえば Zintl 則による電子勘定——は,まさに「加法的なラベルの線形関係が複合系でも保たれる」ことを利用している.違うのは対象だけで,論法は同じである.

演習2.6 十重項の等間隔則と $\Omega^-$

問題(再掲)

$m(\Delta)=1232$,$m(\Sigma^*)=1385$,$m(\Xi^*)=1533\ \mathrm{MeV}$ とする.

(1) 行間の質量差を求め,等間隔則がどの程度成り立っているか述べよ.

(2) 等間隔則から $\Omega^-$ の質量を予言し,実測値 $1672.45\ \mathrm{MeV}$ との相対誤差を求めよ.

(3) $\Omega^-$ は $S=-3$ である.ストレンジネスを保つ強い崩壊の終状態として最も軽いのは $\Xi K$ である.$m(\Xi^0)=1314.9$,$m(K^-)=493.7\ \mathrm{MeV}$ を使って閾値を計算し,$\Omega^-$ が強い相互作用で崩壊できないことを示せ.

(4) (3) の結果から $\Omega^-$ の寿命はどのくらいと予想されるか.泡箱で飛跡が見えることと整合するか($\tau=8.2\times10^{-11}\ \mathrm{s}$,$\beta\gamma\approx2$ として飛行距離を計算せよ).

解答

方針.(1)(2) は引き算と外挿だけである.(3) は「強い相互作用はストレンジネスを保存する」という選択則とエネルギー閾値の比較,(4) は寿命から飛行距離を出す運動学に帰着する.十重項は $Y$ の値で4段($\Delta$:$Y=1$,$\Sigma^*$:$Y=0$,$\Xi^*$:$Y=-1$,$\Omega^-$:$Y=-2$)に並んでおり,等間隔則とは隣り合う段の質量差が等しいという主張である.

(1) 隣接する段の差をとる:

$$ m(\Sigma^*)-m(\Delta) = 1385-1232 = 153\ \mathrm{MeV} $$ $$ m(\Xi^*)-m(\Sigma^*) = 1533-1385 = 148\ \mathrm{MeV} $$

二つの間隔の差は $5\ \mathrm{MeV}$ で,間隔そのもの(平均 $150.5\ \mathrm{MeV}$)に対して

$$ \frac{153-148}{150.5} = 3.3\times10^{-2} = 3.3\% $$

である.すなわち等間隔則は $3\%$ 程度(厳密には $3.3\%$)の精度で成り立っている.十重項内の質量が $1232$ から $1533\ \mathrm{MeV}$ まで $24\%$ も変化していること,つまり SU(3) 対称性が明らかに大きく破れていることを考えれば,1次摂動の予言が $3\%$ で当たるのは十分に良い一致である.間隔の物理的な起源は,1段下るごとに $s$ クォークが1個増えることによる質量増分(構成子質量の差 $m_s-m_{u,d}\approx150\ \mathrm{MeV}$)である.

(2) $\Xi^*$ からもう1段下ると $\Omega^-$ である.間隔として2つの平均 $(153+148)/2=150.5\ \mathrm{MeV}$ を使うと

$$ m(\Omega^-)^{\mathrm{pred}} = 1533 + 150.5 = 1683.5\ \mathrm{MeV} $$ $$ \frac{1683.5-1672.45}{1672.45} = 6.61\times10^{-3} = 0.66\% $$

$0.66\%$ の精度で当たっている.未発見の粒子の質量を $1\%$ 以内で言い当てたのだから,予言としては極めて強力である.なお,最後の間隔 $148\ \mathrm{MeV}$ だけを外挿に使えば $1533+148=1681\ \mathrm{MeV}$ で誤差 $0.51\%$ となり,どちらの取り方でも結論は変わらない.Gell-Mann が1962年の会議で読み上げた値は $1685\ \mathrm{MeV}$ であった.

(3) $\Omega^-$ は $Q=-1$,$S=-3$ である.強い相互作用は電荷とストレンジネスの両方を保存するので,終状態はこの二つを満たさねばならない.$\Xi K$ 型でもっとも軽い組み合わせは

$$ \Omega^- \to \Xi^0 + K^- \qquad \big(Q:\ -1 \to 0+(-1)\ ✓, \quad S:\ -3 \to (-2)+(-1)\ ✓\big) $$

である.その閾値(終状態の静止質量の和)は

$$ m(\Xi^0)+m(K^-) = 1314.9+493.7 = 1808.6\ \mathrm{MeV} $$

これは $\Omega^-$ の質量 $1672.45\ \mathrm{MeV}$ を $136.15\ \mathrm{MeV}$ も上回る.もう一つの組み合わせ $\Xi^-\bar K^0$ は $1321.7+497.6=1819.3\ \mathrm{MeV}$ でさらに重い.したがって $S$ を保存する強い崩壊はエネルギー的に閉じている.

一方,$\Xi^0\pi^-$ なら $1314.9+139.6=1454.5\ \mathrm{MeV}$ でエネルギー的には十分に開いている.しかしこの終状態は $S=-2$ であって $\Delta S=+1$ であり,ストレンジネスを保存しない強い相互作用では禁止される.結局,$\Omega^-$ に残された崩壊経路は $\Delta S=\pm1$ を許す弱い相互作用だけである.

(4) 弱い崩壊なので,寿命は同種の $\Lambda$($2.6\times10^{-10}\ \mathrm{s}$)や $\Xi$($1.6\times10^{-10}\ \mathrm{s}$)と同じ $10^{-10}\ \mathrm{s}$ 級と予想される.実測は $\tau=8.2\times10^{-11}\ \mathrm{s}$ である.実験室系での平均飛行距離は,時間の遅れを含めて $\ell=\beta\gamma\,c\tau$ だから

$$ \ell = 2\times(2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s})\times(8.2\times10^{-11}\ \mathrm{s}) = 4.92\times10^{-2}\ \mathrm{m} = 4.9\ \mathrm{cm} $$

約 $5\ \mathrm{cm}$ である.BNL の $80$ インチ($203\ \mathrm{cm}$)液体水素泡箱の中では,これは肉眼で明瞭に見える長さであり,しかも崩壊点を写真上で特定できる.1964年に $\Omega^-$ が「飛跡」として同定できたことと完全に整合する.

検算.もし強い崩壊が開いていたらどうなるかを見積もって対比する.同じ十重項の $\Delta$ は $\Delta\to N\pi$ という強い崩壊が開いており,幅は $\Gamma=117\ \mathrm{MeV}$ である.不確定性関係から寿命は

$$ \tau_\Delta = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{117\ \mathrm{MeV}} = 5.6\times10^{-24}\ \mathrm{s}, \qquad c\tau_\Delta = 1.7\times10^{-15}\ \mathrm{m} = 1.7\ \mathrm{fm} $$

飛行距離は原子核1個ぶんしかなく,泡箱では絶対に見えない(質量分布の共鳴の山としてしか観測できない).$\Omega^-$ の寿命は $\Delta$ の $1.5\times10^{13}$ 倍であり,$13$ 桁の違いがそのまま「飛跡が見えるか見えないか」という定性的な差になっている.次元の確認としては,$\hbar$ が $\mathrm{MeV\,s}$,$\Gamma$ が $\mathrm{MeV}$ なので商は $\mathrm{s}$ となり正しい.

意味.$\Omega^-$ の物語の要点は,質量の予言(等間隔則)と寿命の予言(選択則)が別々の原理から同時に出たことにある.前者は SU(3) の破れ方の仮定から,後者はストレンジネス保存という選択則から来ており,どちらか一方でも外れていれば発見は成立しなかった.

「選択則が経路を閉じると寿命が桁で変わる」という論法は,材料科学でもまったく同じ形で現れる.直接遷移型半導体(GaAs など)では運動量保存が満たされ発光再結合の寿命が $\mathrm{ns}$ 級であるのに対し,間接遷移型(Si)では波数の保存が電子と正孔だけでは満たせずフォノンの助けが要るため,同じ再結合が $\mathrm{ms}$ 級まで遅くなる.保存則が主過程を禁止したとき,系はより弱い相互作用(あるいは高次の過程)を経由するしかなく,その結果として寿命が何桁も伸びる.$\Omega^-$ が飛跡を残したのと,Si が光らないのは,同じ論理の別の現れである.

演習2.7 $R$ 比で色の数を数える

問題(再掲)

本書2章の $R$ 比の式 $R=N_c\sum_iq_i^2$ を使う.

(1) $\sqrt s = 2.5\ \mathrm{GeV}$($u,d,s$ のみ),$7\ \mathrm{GeV}$($+c$),$30\ \mathrm{GeV}$($+b$)における $R$ を $N_c=3$ として求めよ.

(2) $N_c=1$ ならどうなるか.実測値(それぞれ約 $2.2$, $3.6$, $3.9$)と比較して,どちらが支持されるか述べよ.

(3) 仮に $\sqrt s > 2m_t = 345\ \mathrm{GeV}$ の $e^+e^-$ 衝突器があれば $R$ はいくらになるか.

(4) 1次の QCD 補正は $R\to R(1+\alpha_s/\pi)$ で与えられる.$\sqrt s=30\ \mathrm{GeV}$ で $\alpha_s=0.14$ として補正後の値を求め,実測 $3.9$ と比べよ.

解答

方針.$R$ は「仮想光子が何に化けられるか」を電荷の2乗で重みづけて数えた量である.和は $\sqrt s>2m_i$ を満たす,すなわちそのエネルギーで対生成できるクォークすべてについてとる.電荷は上型($u,c,t$)が $+2/3$,下型($d,s,b$)が $-1/3$ で,2乗するとそれぞれ $4/9$ と $1/9$ になる.

(1) まず,各エネルギーでどのクォークが和に入るかを閾値で決める.対生成には $\sqrt s>2m_i$ が要るから,$c$(表2.11 の $m_c=1.27\ \mathrm{GeV}$,チャームを外に出せる実効閾値は $2m_D=3.73\ \mathrm{GeV}$)は $2.5\ \mathrm{GeV}$ ではまだ開いておらず,$7\ \mathrm{GeV}$ では開いている.$b$($m_b=4.18\ \mathrm{GeV}$,$2m_B=10.56\ \mathrm{GeV}$)は $7\ \mathrm{GeV}$ では閉じ,$30\ \mathrm{GeV}$ で開く.$t$($2m_t=345\ \mathrm{GeV}$)はどれにも遠く及ばない.こうして問題文の割り当てが再現される.そのうえで $\sum_iq_i^2$ を積み上げる.

$\sqrt s=2.5\ \mathrm{GeV}$($u,d,s$):

$$ \sum_i q_i^2 = \frac49+\frac19+\frac19 = \frac69 = \frac23, \qquad R = 3\times\frac23 = 2 $$

$\sqrt s=7\ \mathrm{GeV}$($+c$,$q_c=+2/3$):

$$ \sum_i q_i^2 = \frac69+\frac49 = \frac{10}{9}, \qquad R = 3\times\frac{10}{9} = \frac{10}{3} = 3.33 $$

$\sqrt s=30\ \mathrm{GeV}$($+b$,$q_b=-1/3$):

$$ \sum_i q_i^2 = \frac{10}{9}+\frac19 = \frac{11}{9}, \qquad R = 3\times\frac{11}{9} = \frac{11}{3} = 3.67 $$

(2) $N_c=1$ とすると,$R$ はそのまま $\sum_iq_i^2$ に等しくなるので

$$ R = \frac23 = 0.67, \qquad \frac{10}{9} = 1.11, \qquad \frac{11}{9} = 1.22 $$

実測はそれぞれ約 $2.2$,$3.6$,$3.9$ だから,$N_c=1$ の予言は実測の $0.67/2.2=0.30$,$1.11/3.6=0.31$,$1.22/3.9=0.31$ 倍,つまり3つの領域のどこでもほぼぴったり $1/3$ にしかならない.$3$ 倍という食い違いは,測定誤差でも補正項でも到底埋まらない.一方 $N_c=3$ の予言 $2$,$3.33$,$3.67$ が実測を下回る量は順に $9\%$,$7\%$,$6\%$ にすぎず,しかもこのずれは (4) の QCD 補正 $1+\alpha_s/\pi$ で説明がつく——低エネルギーほど $\alpha_s$ が大きいので補正も大きく,ずれが $\sqrt s$ とともに小さくなる向きまで合っている.したがって$N_c=3$ が支持される.$R$ は断面積の比なので,加速器のルミノシティや検出効率といった実験的な規格化がほとんど打ち消し合う量であり,絶対値の較正なしに色の数を数えられる点が強力である.

(3) $\sqrt s>2m_t$ ではトップまで6種すべてのクォークが対生成できる.上型3種と下型3種に分けて

$$ \sum_i q_i^2 = 3\times\frac49 + 3\times\frac19 = \frac{12}{9}+\frac{3}{9} = \frac{15}{9} = \frac53 $$ $$ R = 3\times\frac53 = 5 $$

ただし現実には $\sqrt s=345\ \mathrm{GeV}$ 付近では $Z$ ボソン交換の寄与と $\gamma$–$Z$ 干渉が無視できないので,この $R=5$ は「電磁的な寄与だけを数えたときの値」である点に注意が必要である.

(4) 1次の QCD 補正因子は

$$ 1+\frac{\alpha_s}{\pi} = 1+\frac{0.14}{3.1416} = 1+0.0446 = 1.0446 $$

したがって

$$ R_{\mathrm{corr}} = \frac{11}{3}\times1.0446 = 3.667\times1.0446 = 3.83 $$

実測 $3.9$ との差は $(3.9-3.83)/3.9=1.8\%$ で,測定誤差の範囲でよく合う.補正が正であること(グルーオン放出という開いたチャンネルが増えるので断面積が増える)も定性的に正しい.

検算.$R$ の絶対値ではなく段差で確かめると,実験の系統誤差に鈍い検証になる.新しいクォークの閾値を越えたときの跳びは $\Delta R = N_cq^2$ だから,$N_c=3$ なら

$$ c\ \text{閾値:}\ \Delta R = 3\times\frac49 = \frac43 = 1.33, \qquad b\ \text{閾値:}\ \Delta R = 3\times\frac19 = \frac13 = 0.33 $$

実測の段差は $2.2\to3.6$ で $1.4$,$3.6\to3.9$ で $0.3$ である.どちらも予言と一致する.しかも $c$ の段差が $b$ の段差の4倍になるという特徴は,$q_c^2/q_b^2=(2/3)^2/(1/3)^2=4$ そのもので,クォークの分数電荷を独立に裏づけている.次元については,$R$ は断面積の比なので無次元であり,右辺の $N_c\sum q_i^2$ も無次元で整合している.

意味.$R$ 比は,比を測るだけで内部自由度の数を数える手法の典型である.終状態のハドロンが実際にどう形成されるか(ハドロン化の詳細)はまったく分からなくてよく,「仮想光子が $q\bar q$ 対を作った時点で断面積は決まる」という描像だけで数えられる.

同じ論法は物性物理の随所にある.Dulong–Petit の $3R$ が原子あたりの振動自由度を数えているのも,低温の電子比熱係数 $\gamma$ が Fermi 準位の状態密度を数えているのも,量子ポイントコンタクトの伝導度が $2e^2/h$ を単位に階段状に跳ぶのがチャネル数×スピン縮退度を数えているのも,すべて「観測量が縮退度に比例するので,段差を読めば自由度が数えられる」という同じ構造である.$R$ 比の階段は,量子化コンダクタンスの階段の素粒子物理版だと思えばよい.そして数えられた $N_c=3$ は,単なるラベルではなく強い相互作用のゲージ電荷であることが後に判明し,QCD(第11章)へとつながった.

演習2.8 陽電子消滅分光の数値

問題(再掲)

$m_ec^2=511\ \mathrm{keV}$,運動量の原子単位 $1\ \mathrm{a.u.}$ はエネルギーに直すと $3.729\ \mathrm{keV}$($=\hbar c/a_0$)である.

(1) 静止した $e^+e^-$ 対が2光子に消滅するとき,各光子のエネルギーと相対角度を求めよ.

(2) 銅(演習2.3 で $p_F=0.719\ \mathrm{a.u.}$)について,Fermi 面の縁の電子と消滅したときの 2光子角度相関のずれ $\Delta\theta=p_T/(m_ec)$ と,Doppler シフト $\Delta E=p_Lc/2$ を求めよ.

(3) アルミニウム($\tau_b=166\ \mathrm{ps}$,$\tau_v=245\ \mathrm{ps}$)で平均寿命 $\bar\tau=180\ \mathrm{ps}$ が測定された.本書2章の2状態捕獲模型の式から捕獲率 $\kappa$ を求め,比捕獲率 $\mu_v=2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)として空孔濃度 $C_v$ を見積もれ.

(4) (2) の Doppler シフトを分解するのに必要な検出器を,本書2章の Fano 因子の式 $\Delta E_{\mathrm{FWHM}}=2.355\sqrt{F\epsilon E}$ を使って検討せよ.高純度 Ge($\epsilon=2.96\ \mathrm{eV}$, $F=0.13$)は使えるか.

解答

方針.(1) は静止系での 4元運動量保存,(2) は本章の Doppler シフトと角度相関の式に演習2.3 で求めた銅の $p_F$ を代入するだけ,(3) は捕獲模型の代数,(4) は半導体検出器の分解能の式である.$3.729\ \mathrm{keV}$ という換算値の意味は,運動量 $p$ が原子単位で与えられたとき $pc$ を $\mathrm{keV}$ で得るための係数であることに注意する.

(1) 静止した $e^+e^-$ 対の 4元運動量は $P^\mu=(2m_ec^2,\bm 0)$ である.終状態を2光子 $p_1^\mu,p_2^\mu$ とすると

$$ \bm p_1 + \bm p_2 = \bm 0 \quad\Longrightarrow\quad \bm p_2 = -\bm p_1 $$

光子は $E=\abs{\bm p}c$ なので $\abs{\bm p_1}=\abs{\bm p_2}$ から $E_1=E_2$,これとエネルギー保存 $E_1+E_2=2m_ec^2$ を合わせて

$$ E_1 = E_2 = m_ec^2 = 511\ \mathrm{keV} $$

運動量が正反対を向くので,2光子のなす角は $180^\circ$ である.

なぜ1光子ではだめかも確かめておくと,初期状態の不変質量は $\sqrt{P^2}=2m_ec^2=1022\ \mathrm{keV}\ne0$ であるのに対し,単一の実光子は必ず $p^2=0$ である.したがって1光子への消滅は運動学的に禁止される.「2本の $511\ \mathrm{keV}$ が正反対に出る」という,陽電子消滅測定のすべての土台がこの一言から出ている.

(2) 演習2.3 で求めた銅の $p_F=0.719\ \mathrm{a.u.}$ をエネルギーに直す:

$$ p_Fc = 0.719\times3.729\ \mathrm{keV} = 2.681\ \mathrm{keV} $$

角度相関のずれ(横方向成分 $p_T=p_F$ をとる)は

$$ \Delta\theta = \frac{p_T}{m_ec} = \frac{p_Tc}{m_ec^2} = \frac{2.681}{511} = 5.25\times10^{-3}\ \mathrm{rad} = 5.25\ \mathrm{mrad} $$

Doppler シフト(縦方向成分 $p_L=p_F$)は

$$ \Delta E = \frac{p_Lc}{2} = \frac{2.681}{2}\ \mathrm{keV} = 1.34\ \mathrm{keV} $$

$p_L$ は $-p_F$ から $+p_F$ まで分布するので,$511\ \mathrm{keV}$ ピークの全体としての広がりはこの2倍,およそ $2.7\ \mathrm{keV}$ になる.

(3) 2状態捕獲模型の式に数値を入れる:

$$ \kappa = \frac{1}{\tau_b}\cdot\frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau} = \frac{1}{166\ \mathrm{ps}}\cdot\frac{180-166}{245-180} = \frac{1}{166\ \mathrm{ps}}\times\frac{14}{65} $$ $$ = \frac{0.2154}{166}\ \mathrm{ps^{-1}} = 1.297\times10^{-3}\ \mathrm{ps^{-1}} = 1.30\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

($1\ \mathrm{ps^{-1}}=10^{12}\ \mathrm{s^{-1}}$ を使った.)空孔濃度は

$$ C_v = \frac{\kappa}{\mu_v} = \frac{1.30\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}}{2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}} = 6.5\times10^{-6} $$

すなわち約 $6.5\ \mathrm{ppm}$ である.平均寿命がわずか $14\ \mathrm{ps}$ 伸びただけで,$100$ 万個の原子に 6〜7 個という濃度の単空孔が定量できている.

(4) 高純度 Ge に $E=511\ \mathrm{keV}=5.11\times10^{5}\ \mathrm{eV}$ を入れる:

$$ \Delta E_{\mathrm{FWHM}} = 2.355\sqrt{F\epsilon E} = 2.355\sqrt{0.13\times2.96\ \mathrm{eV}\times5.11\times10^{5}\ \mathrm{eV}} $$ $$ = 2.355\times\sqrt{1.966\times10^{5}}\ \mathrm{eV} = 2.355\times443.4\ \mathrm{eV} = 1044\ \mathrm{eV} = 1.04\ \mathrm{keV} $$

(2) で求めたシフト $1.34\ \mathrm{keV}$,ピーク全体の広がり $2.7\ \mathrm{keV}$ と比べると,分解能 $1.04\ \mathrm{keV}$ はシフトと同程度,全幅の $2.5$ 分の1である.したがって Ge 検出器は,銅の Fermi 運動による Doppler 広がりをかろうじて,しかし確実に分解できる.実際には電子回路の雑音が加わって $1.2$–$1.3\ \mathrm{keV}$ 程度になるが,それでも測定は成立する.これが陽電子消滅の Doppler 分光に高純度 Ge が必須である理由である.

対照として NaI(Tl) シンチレータでは $511\ \mathrm{keV}$ における分解能が $7\%$,すなわち $36\ \mathrm{keV}$ にしかならない.$2.7\ \mathrm{keV}$ の Doppler 幅は完全に埋もれ,何の情報も取り出せない.

検算.(4) を Fano 因子の定義に戻って組み立て直す.$511\ \mathrm{keV}$ が Ge 中で作る電子・正孔対の数は

$$ N = \frac{E}{\epsilon} = \frac{5.11\times10^{5}\ \mathrm{eV}}{2.96\ \mathrm{eV}} = 1.73\times10^{5}\ \text{対} $$

その揺らぎは $\sigma_N=\sqrt{FN}=\sqrt{0.13\times1.73\times10^{5}}=150$ なので,エネルギー換算の標準偏差は $\sigma_E=\epsilon\sigma_N=2.96\times150=443\ \mathrm{eV}$,FWHM はその $2.355$ 倍で $1044\ \mathrm{eV}$ となり,上の値と完全に一致する.次元も,$F$ が無次元,$\epsilon$ と $E$ がともにエネルギーなので $\sqrt{F\epsilon E}$ はエネルギーとなり合っている.

(3) についても物理的に妥当か確かめる.Al の単空孔形成エネルギーは $E_f^v\approx0.67\ \mathrm{eV}$ なので,熱平衡濃度 $C_v=\ee^{-E_f^v/k_BT}$ が $6.5\times10^{-6}$ になる温度は

$$ k_BT = \frac{0.67\ \mathrm{eV}}{\ln(1/6.5\times10^{-6})} = \frac{0.67}{11.94}\ \mathrm{eV} = 0.056\ \mathrm{eV} \quad\Longrightarrow\quad T = 651\ \mathrm{K} $$

Al の融点 $933\ \mathrm{K}$ の $0.7$ 倍で,焼鈍・急冷実験の温度域としてまったく自然な値である.測定値からもっともらしい温度が逆算できることは,捕獲模型の使い方が正しいことの傍証になる.

意味.この演習は,本章の3つの糸——反粒子(Dirac の空孔),Fermi 面の運動量分布,検出器材料——が一点で交わる場所を示している.陽電子は Dirac 方程式が要求した反粒子であり,半導体の正孔とまったく同じ論理で生まれた概念である.その陽電子を材料に打ち込むと,寿命が開放空間の大きさを($\mathrm{ppm}$ 水準の単空孔まで)教え,$511\ \mathrm{keV}$ 線の Doppler 幅と角度相関が電子運動量密度 $n(\bm p)$ を教える.後者は演習4.6(および演習10.7)の Compton プロファイルが測るのとまったく同じ物理量であり,まるで違う実験が同じ $n(\bm p)$ に収束する.

そして (4) が示すとおり,何が測れるかを最終的に決めているのは検出器材料である.バンドギャップが小さく($\epsilon=2.96\ \mathrm{eV}$),Fano 因子が小さく($F=0.13$),かつ不純物濃度 $10^{10}\ \mathrm{cm^{-3}}$ 以下の大型単結晶が育てられる——この三条件を満たす高純度 Ge がなければ,陽電子消滅の Doppler 分光という手法そのものが存在しなかった.素粒子物理の検出技術と材料科学は,一方通行ではなく相互に依存している.

E.3 第3章 素粒子の動力学 — 四つの力と保存則 の解答

演習3.1 結合定数の無次元化

問題(再掲)

本文 3.1.2 項にならって,重力の無次元結合定数を評価する.$G=6.674\times10^{-11}\ \mathrm{N\,m^2/kg^2}$,$\hbar c = 3.161\times10^{-26}\ \mathrm{J\,m}$ を用いよ.

(1) 電子2個の間の重力に対する $\alpha_G^{(e)} = Gm_e^2/(\hbar c)$ を計算せよ($m_e = 9.109\times10^{-31}\ \mathrm{kg}$).

(2) $\alpha/\alpha_G^{(e)}$ を求め,陽子の場合($1.2\times10^{36}$)と比べよ.なぜ電子のほうが比が大きいのか説明せよ.

(3) 「重力が電磁気力と同じ強さになる」ためには,粒子の質量がいくらでなければならないか.すなわち $Gm^2/(\hbar c)=\alpha$ を満たす $m$ を求め,GeV 単位で表せ.

解答

方針.本文 3.1.2 項でやったことをそのまま繰り返すだけである.すなわち「力の強さを表す次元つきの量」を $\hbar c$ で割って無次元にする.電磁気力では分子が $e^2/(4\pi\varepsilon_0)$ であり,重力では $Gm^2$ がその位置に入る.この置き換えができるのは,Coulomb 力 $\dfrac{1}{4\pi\varepsilon_0}\dfrac{e^2}{r^2}$ と万有引力 $\dfrac{Gm^2}{r^2}$ が,どちらも $\dfrac{(\text{強さ})}{r^2}$ という同じ形をしているからである.比較のよりどころは,本文の

$$ \alpha = \frac{e^2}{4\pi\varepsilon_0\,\hbar c} = \frac{2.307\times10^{-28}\ \mathrm{J\,m}}{3.161\times10^{-26}\ \mathrm{J\,m}} = 7.298\times10^{-3} \simeq \frac{1}{137.036} $$

である.以下ではこの値を使う.

(1) まず分子を作る.電子質量の2乗は

$$ m_e^2 = \left(9.109\times10^{-31}\ \mathrm{kg}\right)^2 = 8.2974\times10^{-61}\ \mathrm{kg^2} $$

これに $G$ を掛けると

$$ G m_e^2 = 6.674\times10^{-11}\times8.2974\times10^{-61} = 5.5377\times10^{-71}\ \mathrm{N\,m^2} $$

単位を確かめておく.$[G]=\mathrm{N\,m^2/kg^2}$ に $\mathrm{kg^2}$ を掛けたので $\mathrm{N\,m^2}=\mathrm{J\,m}$ となり,$\hbar c$ とぴったり同じ次元である.したがって割り算は無次元量を与える:

$$ \alpha_G^{(e)} = \frac{G m_e^2}{\hbar c} = \frac{5.5377\times10^{-71}\ \mathrm{J\,m}}{3.161\times10^{-26}\ \mathrm{J\,m}} = 1.7519\times10^{-45} $$

すなわち $\alpha_G^{(e)} = 1.75\times10^{-45}$ である.

(2) 電磁気力との比をとる:

$$ \frac{\alpha}{\alpha_G^{(e)}} = \frac{7.2974\times10^{-3}}{1.7519\times10^{-45}} = 4.165\times10^{42} $$

陽子の場合は本文の $\alpha_G = Gm_p^2/(\hbar c) = 5.91\times10^{-39}$ から

$$ \frac{\alpha}{\alpha_G^{(p)}} = \frac{7.2974\times10^{-3}}{5.910\times10^{-39}} = 1.235\times10^{36} $$

で,これが本文の $1.2\times10^{36}$ である.二つの比の比をとると

$$ \frac{\alpha/\alpha_G^{(e)}}{\alpha/\alpha_G^{(p)}} = \frac{\alpha_G^{(p)}}{\alpha_G^{(e)}} = \frac{m_p^2}{m_e^2} = \left(\frac{1.673\times10^{-27}}{9.109\times10^{-31}}\right)^2 = (1836.6)^2 = 3.373\times10^6 $$

実際 $4.165\times10^{42}/1.235\times10^{36}=3.37\times10^{6}$ で一致する.

理由は式の構造そのものにある.電荷は電子も陽子も同じ大きさ $e$ をもつので $\alpha$ は共通だが,重力の「電荷」にあたる質量は粒子ごとに違い,しかも $\alpha_G\propto m^2$ である.電子は陽子より $1836$ 倍軽いので,重力結合は $1836^2 = 3.4\times10^6$ 倍だけ小さい.結果として,電子どうしでは重力は電磁気力より42桁も弱いことになる.重力の弱さは普遍的な数ではなく,どの粒子について語るかで6桁以上変わるという点が,この設問の要点である.

(3) 条件 $Gm^2/(\hbar c) = \alpha$ を $m$ について解くと

$$ m = \sqrt{\frac{\alpha\,\hbar c}{G}} $$

数値を入れる.まず分子は

$$ \alpha\,\hbar c = 7.2974\times10^{-3}\times3.161\times10^{-26} = 2.3067\times10^{-28}\ \mathrm{J\,m} $$

これを $G$ で割ると

$$ \frac{\alpha\,\hbar c}{G} = \frac{2.3067\times10^{-28}}{6.674\times10^{-11}} = 3.4562\times10^{-18}\ \mathrm{kg^2} $$

(単位は $\mathrm{J\,m}\div(\mathrm{N\,m^2/kg^2}) = \mathrm{kg^2}$ である.)平方根をとって

$$ m = \sqrt{3.4562\times10^{-18}}\ \mathrm{kg} = 1.859\times10^{-9}\ \mathrm{kg} $$

これを静止エネルギーに直す.$c^2 = 8.98755\times10^{16}\ \mathrm{m^2/s^2}$ を掛けて

$$ mc^2 = 1.859\times10^{-9}\times8.98755\times10^{16} = 1.671\times10^{8}\ \mathrm{J} $$

$1\ \mathrm{GeV} = 1.6022\times10^{-10}\ \mathrm{J}$ で割ると

$$ mc^2 = \frac{1.671\times10^{8}}{1.6022\times10^{-10}} = 1.043\times10^{18}\ \mathrm{GeV} $$

すなわち $m = 1.86\times10^{-9}\ \mathrm{kg} = 1.04\times10^{18}\ \mathrm{GeV}$ である.同じ計算で $\alpha$ を落としたものが Planck 質量で,

$$ M_{\mathrm{Pl}} = \sqrt{\frac{\hbar c}{G}} = \sqrt{4.7363\times10^{-16}}\ \mathrm{kg} = 2.176\times10^{-8}\ \mathrm{kg} = 1.221\times10^{19}\ \mathrm{GeV} $$

両者の比は定義から明らかに $\sqrt\alpha = 0.0854$ であり,$1.221\times10^{19}\times0.0854 = 1.043\times10^{18}\ \mathrm{GeV}$ と (3) の答えに戻る.

検算.次元と整合性の二重チェックを行う.次元については,(1) で見たように $Gm^2$ も $e^2/(4\pi\varepsilon_0)$ も $\mathrm{J\,m}$ の次元をもち,$\hbar c$ も $\mathrm{J\,m}$ なので,$\alpha$ と $\alpha_G$ はどちらも純粋な数である.これは「$\hbar$ と $c$ で割って無次元化する」という手続きが偶然ではなく必然であることを示している.整合性については,(2) で独立に計算した二つの比の商が,粒子の質量比の2乗 $(m_p/m_e)^2=3.37\times10^6$ と小数第2位まで一致した.さらに (3) の答えは,$m=\sqrt\alpha\,M_{\mathrm{Pl}}$ という解析的な関係を経由しても同じ数字を再現する.三つの経路が独立に同じ結論に到達しているので,計算は信頼できる.

意味.結果は二つのことを語っている.第一に,素粒子の世界で重力を無視してよい理由が数値として確定した.電子2個の系では重力は電磁気力の $10^{-43}$ でしかなく,どんな精密実験でも見えない.材料科学の第一原理計算に万有引力定数 $G$ が一度も現れないのは,このためである.密度汎関数理論の Hamiltonian に Coulomb 項があって重力項がないのは手抜きではなく,42桁の階層に裏打ちされた正当な近似なのである.第二に,(3) は「重力が同格になる質量スケール」が Planck 質量 $10^{19}\ \mathrm{GeV}$ 付近にあることを示す.LHC の到達エネルギー($10^4\ \mathrm{GeV}$)とは15桁の開きがあり,これが量子重力を実験室で調べられない根本的な理由である.なお $\alpha_G\propto m^2$ という質量依存性は,重力が「電荷に符号がなく,質量が積み上がるだけの力」であることの裏返しでもある.本文 3.1.2 項の物理的意味の欄で述べたとおり,日常生活で重力が勝つのは,結合が強いからではなく,遮蔽されないまま $10^{51}$ 個ぶん足し合わされるからである.

演習3.2 媒介粒子の質量と到達距離

問題(再掲)

湯川ポテンシャル(本書3.1.3項で導いた $\phi(r) = \dfrac{g}{4\pi}\dfrac{\ee^{-mr}}{r}$)の到達距離 $R=\hbar c/(mc^2)$ を用いる.

(1) $\rho$ 中間子($m_\rho = 775.3\ \mathrm{MeV}$)と $Z^0$($m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$)が媒介する力の到達距離を fm 単位で求めよ.

(2) 核力の到達距離が実験的に $1.4\ \mathrm{fm}$ 程度と分かっているとき,湯川の議論から媒介粒子の質量を推定せよ.それは実際のどの粒子か.

(3) $r = 2\ \mathrm{fm}$ における湯川ポテンシャルの値は,同じ位置での Coulomb ポテンシャル($m=0$)の何倍か.$\pi$ 中間子交換($R=1.41\ \mathrm{fm}$)の場合について計算せよ.

解答

方針.使う道具は一つだけである.自然単位系での換算定数

$$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} $$

を,$R = \hbar c/(mc^2)$ と $R = \hbar c/(\text{質量})$ の二通りの向きに使えばよい.(1) は質量から距離へ,(2) は距離から質量への逆算である.(3) は湯川ポテンシャルと Coulomb ポテンシャルの比が指数因子だけになることを使う.

(1) $\rho$ 中間子については,$m_\rho c^2 = 775.3\ \mathrm{MeV}$ を $\hbar c$ の分母に入れて

$$ R_\rho = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{775.3\ \mathrm{MeV}} = 0.2545\ \mathrm{fm} $$

$Z^0$ については,単位を MeV にそろえる必要がある.$m_Z c^2 = 91.188\ \mathrm{GeV} = 91188\ \mathrm{MeV}$ だから

$$ R_Z = \frac{197.327}{91188}\ \mathrm{fm} = 2.164\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$

すなわち $R_\rho = 0.254\ \mathrm{fm}$,$R_Z = 2.16\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ である.参考までに,本文で計算した $W$ ボソンの値は $R_W = 197.327/80377 = 2.46\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ であり,$Z$ のほうが重いぶんわずかに短い.$\rho$ の到達距離は陽子半径($\approx0.84\ \mathrm{fm}$)の3分の1弱で,核子どうしが接触するくらいまで近づかないと効かない.一方 $Z$ の到達距離は陽子半径の400分の1で,事実上その場かぎりの接触相互作用と見なしてよい.これが低エネルギーで弱い相互作用が Fermi の4フェルミ接触相互作用として書けたことの理由である(本文 3.2.3 項).

(2) 同じ式を逆に解く.$R = \hbar c/(mc^2)$ より

$$ mc^2 = \frac{\hbar c}{R} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{1.4\ \mathrm{fm}} = 140.9\ \mathrm{MeV} $$

すなわち約 $141\ \mathrm{MeV}$ の質量をもつ粒子が核力を媒介していることになる.実在の粒子で該当するのは $\pi$ 中間子である.本文表3.7 のとおり $m_{\pi^\pm} = 139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_{\pi^0} = 134.977\ \mathrm{MeV}$ で,推定値 $141\ \mathrm{MeV}$ とは1 %しかずれていない.

歴史的には向きが逆であった.湯川秀樹は1935年,まだ知られていなかった媒介粒子について,核力の到達距離というただ一つの実験値からこの逆算を行い,電子の約200倍の質量をもつ粒子が存在するはずだと予言した.「200倍」という数字も同じ式から出る.湯川が当時採った到達距離は $2\times10^{-13}\ \mathrm{cm} = 2\ \mathrm{fm}$ で,$197.327/2 = 98.7\ \mathrm{MeV}$,これを電子質量で割ると $98.7/0.511 = 193$ 倍,すなわち約200倍である.本問の $1.4\ \mathrm{fm}$ を使えば $140.9/0.511 = 276$ 倍となり,実際の $\pi^\pm$ の $139.570/0.511 = 273$ 倍にさらに近づく.到達距離の見積りを $2\ \mathrm{fm}$ から $1.4\ \mathrm{fm}$ に締めるだけで,$3$ 割あったずれが $1\ \%$ に縮む.逆算の精度は,入力である到達距離の精度でそっくり決まっているのである.1947年に $\pi$ 中間子が宇宙線中に発見され,予言は的中した.一つの数値から未発見粒子の質量を当てるというこの論法は,本文 3.4.4 項の GIM 機構によるチャームクォークの質量予言と,まったく同じ型の推論である.

(3) 湯川ポテンシャルと,同じ源の強さをもつ Coulomb ポテンシャル($m=0$ とした場合)の比をとる.$1/r$ の因子が共通なので,きれいに消えて

$$ \frac{\phi_{\text{湯川}}(r)}{\phi_{\text{Coulomb}}(r)} = \frac{\dfrac{g}{4\pi}\dfrac{\ee^{-mr}}{r}}{\dfrac{g}{4\pi}\dfrac{1}{r}} = \ee^{-mr} = \ee^{-r/R} $$

$R = 1.41\ \mathrm{fm}$,$r = 2\ \mathrm{fm}$ を入れると,まず指数の中身が

$$ \frac{r}{R} = \frac{2}{1.41} = 1.4184 $$

したがって

$$ \ee^{-1.4184} = 0.2421 $$

すなわち Coulomb 型の場合の約 $24\ \%$ である.より正確に $R = \hbar c/m_{\pi^\pm}c^2 = 197.327/139.570 = 1.4138\ \mathrm{fm}$ を使うと $\ee^{-2/1.4138} = \ee^{-1.4147} = 0.2430$ となり,やはり $24\ \%$ で結論は変わらない.

検算.三つの角度から確かめる.第一に次元:$\hbar c$ は $\mathrm{MeV\,fm}$,質量エネルギーは $\mathrm{MeV}$ なので商は $\mathrm{fm}$ となり,(1)(2) の答えはどちらも長さ・エネルギーとして正しい次元をもつ.第二に相互整合性:(2) で得た $141\ \mathrm{MeV}$ を (1) の式に戻すと $197.327/141 = 1.40\ \mathrm{fm}$ となり,出発点の $1.4\ \mathrm{fm}$ に戻る.第三に極限:(3) の比 $\ee^{-r/R}$ は $m\to0$($R\to\infty$)で $1$ に近づき,Coulomb ポテンシャルそのものを再現する.また $r\to\infty$ では $0$ に落ちるので,湯川力が有限の到達距離をもつことと整合する.さらに $r=R$ とおけば比は $\ee^{-1}=0.368$ であり,「到達距離とは $1/\ee$ に落ちる距離」という定義とも合う.

意味.この演習は,本書がくり返し使う「一つの逆数が一つの物理」という関係の練習である.媒介粒子の質量の逆数が力の到達距離であり,重い媒介粒子は短距離力,質量ゼロの媒介粒子は無限遠まで届く力を与える.材料科学者にとって重要なのは,本文 3.1.3 項で強調したように,まったく同じ式が金属中の遮蔽 Coulomb 相互作用 $\ee^{-k_{\mathrm{TF}}r}/r$ に現れることである.そこでは Thomas–Fermi 波数 $k_{\mathrm{TF}}$ が $m$ の位置を占め,遮蔽長 $1/k_{\mathrm{TF}}$ が到達距離になる.銅なら遮蔽長は $1/k_{\mathrm{TF}}\approx0.55\ \AA$ である.単位をそろえると

$$ 0.55\ \AA = 0.55\times10^{-10}\ \mathrm{m} = 5.5\times10^{-11}\ \mathrm{m} = 5.5\times10^{4}\ \mathrm{fm} $$

で,$\pi$ 中間子の到達距離 $1.41\ \mathrm{fm}$ の4万倍近い.これを (2) とまったく同じ逆算にかければ,「銅の中の光子の実効質量」として

$$ \frac{\hbar c}{1/k_{\mathrm{TF}}} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{5.5\times10^{4}\ \mathrm{fm}} = 3.59\times10^{-3}\ \mathrm{MeV} \approx 3.6\ \mathrm{keV} $$

が得られる.真空中の光子は質量ゼロで無限遠まで届くが,銅の中では電子の海に遮蔽されて,静的な Coulomb 相互作用に関しては,あたかも $3.6\ \mathrm{keV}$ の質量をもつ粒子のようにふるまう,というわけである.$\pi$ 中間子の $141\ \mathrm{MeV}$ に比べれば $141/0.0036 = 3.9\times10^4$ 倍も軽く,そのぶん到達距離はきっかり同じ $3.9\times10^4$ 倍だけ長い($5.5\times10^4/1.41 = 3.9\times10^4$).質量と到達距離が逆数の関係にあることが,二つの比の一致として現れている.つまり本演習の (2) で湯川が $\pi$ 中間子を予言したのと文字どおり同じ計算を,材料科学者は日々の遮蔽長の議論で行っているのである.違うのは,前者では $m$ が真空の性質であり,後者では $k_{\mathrm{TF}}$ が電子密度という物質の性質である,という点だけである.

演習3.3 QED の図を数える

問題(再掲)

時間は左から右に流れるものとし,最低次(頂点が最も少ない)の図だけを考える.

(1) $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の最低次の図をすべて描け.何枚あるか.$t$ チャンネルや $u$ チャンネルが描けない理由を,頂点の性質から説明せよ.

(2) $\gamma\gamma\to e^+e^-$(Breit–Wheeler 過程)の最低次の図をすべて描け.何枚あるか.

(3) 光と光の散乱 $\gamma\gamma\to\gamma\gamma$ には,頂点2つの図が描けない.最低次は電子ループを1周する図で,頂点は4つになる.この過程の断面積が $\alpha$ の何乗に比例するかを述べ,その数値を求めよ.「なぜ2本のレーザー光は互いに素通りするのか」に答えよ.

解答

方針.本文 3.2.4 項の「なぜ?」の欄に書いた3段階の手順をそのまま適用する.すなわち,(i) 入射2粒子を1本の内線につぶせるか($s$ チャンネル),(ii) 粒子1と粒子3を1つの頂点でつなげるか($t$ チャンネル),(iii) 粒子1と粒子4を1つの頂点でつなげるか($u$ チャンネル)を順に問う.判定の根拠はすべて本文 3.2.1 項の基本頂点の性質,すなわち「フェルミオン線2本と光子線1本が1点で出会い,入るフェルミオンと出るフェルミオンは同種でなければならない」に帰着する.

(1) 外線は入射側が $e^+$ と $e^-$,出射側が $\mu^+$ と $\mu^-$ である.

まず $s$ チャンネルを試す.$e^+$ と $e^-$ は互いに粒子・反粒子なので,本文 3.2.2 項の読み方5番($e^+e^-\to\gamma$)によって1つの頂点に集めて1本の光子線にできる.電荷は $+1+(-1)=0$ で光子の電荷 $0$ と合う.その光子線をもう一方の端で読み方6番($\gamma\to\mu^+\mu^-$)として開けば,$\mu^+\mu^-$ が出る.こうして頂点2つ・内線1本の図が1枚できる.内線が運ぶ4元運動量は $p_1+p_2$ なので,その2乗は $s=(p_1+p_2)^2$ であり,たしかに $s$ チャンネルである.

次に $t$ チャンネルを試す.これは入射 $e^-$ と出射 $\mu^-$ を1つの頂点で直接つなぐことを要求する.ところが QED の頂点では,入るフェルミオンと出るフェルミオンが同種でなければならない.$e^-$ が入って $\mu^-$ が出る頂点,すなわち $e^-\to\mu^-+\gamma$ という三叉路は存在しない.光子は電荷にしか結合せず,レプトンのフレーバー(世代)を変える能力をもたないからである.同じ理由で $u$ チャンネル(入射 $e^-$ と出射 $\mu^+$ をつなぐ)も描けない.

したがって最低次の図は1枚だけで,$s$ チャンネルのみである.本文表3.3 の最終行がこれにあたる.

この「1枚だけ」という事実は理論的に非常に都合がよい.干渉項を考えなくてよいので断面積が最も簡単な形になり,$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ は加速器実験で断面積の絶対値較正に使われる基準過程になっている.本文 3.3.1 項の $R$ 比が,終状態を $\mu^+\mu^-$ から $q\bar q$ に取り替えるだけで結合定数がきれいに消えるのも,両者が同じ1枚の図で書けるからである.

(2) 外線は入射側が光子2本,出射側が $e^+$ と $e^-$ である.

$s$ チャンネルを試す.入射2光子を1本の内線につぶすには,光子2本と何かの線1本が出会う頂点が必要になる.QED の頂点はフェルミオン2本と光子1本であって,光子が2本入る頂点は存在しない.よって $s$ チャンネルは描けない.

残るのは,2つの頂点をフェルミオンの内線でつなぐ図である.入射光子の一方(光子1)を出射 $e^+$ 側の頂点に,もう一方(光子2)を出射 $e^-$ 側の頂点に割り当てればよい.どちらの光子をどちらの頂点に割り当てるかで2通りあり,これが $t$ チャンネルと $u$ チャンネルに対応する.具体的には,第1の頂点で光子1が開いて実の $e^+$ と仮想電子を作り(本文 3.2.2 項の読み方6番 $\gamma\to e^++e^-$ の,一方の脚が仮想になったもの),その仮想電子が第2の頂点で光子2を吸収して実の $e^-$ になる(読み方2番 $e^-+\gamma\to e^-$),という読みである.内線を走るのは質量殻を外れた電子であって,$p^2\neq m_e^2$ である.

したがって最低次の図は2枚である.本文図3.4(c)(d) の対消滅 $e^+e^-\to\gamma\gamma$ の時間を逆にしたものにほかならない.2本の光子は同種のボソンなので,入れ替えた図を同符号で足す(本文 3.2.4 項の対称化の規則).

(3) 外線が光子4本の場合,頂点2つでは図が作れない.光子は必ずフェルミオン線に取り付くしかないので,4本の光子を収容するには頂点が4つ要り,そのフェルミオン線は外線に出られないので閉じたループになる.すなわち電子ループを1周する箱型の図である.

頂点1つにつき振幅に $e=\sqrt{4\pi\alpha}$ が付くから,頂点4つの振幅は

$$ \mathcal{M} \propto e^4 = (4\pi\alpha)^2 $$

断面積は振幅の2乗に比例するので

$$ \sigma \propto \abs{\mathcal{M}}^2 \propto e^8 \propto \alpha^4 $$

すなわち $\alpha$ の4乗に比例する.数値は

$$ \alpha^4 = \left(7.2974\times10^{-3}\right)^4 $$

順に計算すると $\alpha^2 = 5.3252\times10^{-5}$,これを2乗して

$$ \alpha^4 = \left(5.3252\times10^{-5}\right)^2 = 2.836\times10^{-9} $$

である.最低次の QED 過程(頂点2つ,$\sigma\propto\alpha^2 = 5.33\times10^{-5}$)と比べると,さらに $\alpha^2 = 5.3\times10^{-5}$ 倍だけ抑えられている.

「なぜ2本のレーザー光は素通りするのか」への答えは二段構えである.第一に,本文 3.3.3 項で述べたとおり光子は電荷をもたないので,光子どうしの直接の頂点が存在しない.QED の基本頂点はただ一つ,フェルミオン2本と光子1本の三叉路だけであって,光子3本や光子4本の頂点はない.したがって光と光は「最低次では」まったく相互作用しない.第二に,それでもゼロではなく,仮想的な電子・陽電子対(真空のゆらぎ)を介して間接的に散乱しうる.しかしその確率は $\alpha^4 = 3\times10^{-9}$,すなわち10億分の3のオーダーでしかない.実験室のレーザー強度ではこの確率で散乱が起きても検出しようがなく,光は互いに素通りする.なお強い相互作用ではまったく事情が違い,グルーオンは色荷をもつので3点・4点の自己結合頂点が最低次から存在する(本文図3.5b,c).「光は素通りするがグルーオンは素通りしない」——この一点の違いが,漸近的自由と閉じ込めを生む.

検算.数え上げの整合性と数値の両方で確かめる.数え上げについては,本文表3.3 に載っている6つの過程のうち,本問で扱った過程で表にある2つ($e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ が1枚,$\gamma\gamma\to e^+e^-$ が2枚)が表の「図の数」の列と一致している($\gamma\gamma\to\gamma\gamma$ は表3.3 に載っていないので照合できない).また (2) の答えは,対消滅 $e^+e^-\to\gamma\gamma$(表3.3 で2枚)と時間反転の関係にあり,時間を逆にしても図の枚数は変わらないはずなので,2枚という答えは表と自動的に整合する.数値については $\alpha^4$ を二通りに計算しておく.$\alpha=1/137.036$ を使うと $\alpha^4 = 1/137.036^4 = 1/(3.5266\times10^{8}) = 2.836\times10^{-9}$ であり,$(7.2974\times10^{-3})^4$ から直接求めた $2.836\times10^{-9}$ と一致する.次元については断面積そのものではなく「$\alpha$ の何乗か」を問うているので,$\alpha$ が無次元である以上,比例係数のほうが面積の次元をもつ(実際には $\alpha^4/m_e^2$ の組合せが現れる).

意味.本問の教訓は「描ける図の枚数と頂点の数だけで,測定可能量の桁が決まる」ということである.行列要素の中身を一切計算しなくても,$\gamma\gamma\to\gamma\gamma$ が $\gamma\gamma\to e^+e^-$ より $\alpha^2 = 5.33\times10^{-5}$ 倍,すなわち約2万分の1しか起こらないことが即座に言える(頂点が2つ増えたぶんだけ $\alpha$ が2つ余分に付く,というだけの勘定である).これが第8章以降の本格的な計算に入る前に,本章で「絵で考える」訓練をしておく理由である.なお $\gamma\gamma\to\gamma\gamma$ は原理的に禁止されているわけではなく,2017年に ATLAS が鉛イオンの超周辺衝突(強い電磁場を光子の束と見なす)で $4.4\sigma$ の証拠を得,2019年に ATLAS($8.2\sigma$)と CMS が $5\sigma$ を超える観測に至っている.材料科学との接点も明確である.真空中では光子どうしの実効的な相互作用は $\alpha^4$ に抑えられているが,物質中では話がまったく違う.非線形光学における Kerr 効果や第二高調波発生は,束縛電子が光子どうしを仲立ちする「実効的な光子・光子相互作用」にほかならない.真空の電子・陽電子対が質量 $2m_e = 1.02\ \mathrm{MeV}$ 分だけ励起にエネルギーを要するのに対し,固体中の価電子は eV オーダーで励起できるので,同じ機構が6桁も効きやすくなる.非線形光学定数の大きさは,媒質が真空よりどれだけ「分極しやすいか」を測っていると読み替えられる.

演習3.4 色一重項と8個のグルーオン

問題(再掲)

色状態を $\ket{r},\ket{g},\ket{b}$,反色を $\ket{\bar r},\ket{\bar g},\ket{\bar b}$ と書き,これらは正規直交系とする.

(1) $\ket{\psi_1}=\frac{1}{\sqrt3}(r\bar r+g\bar g+b\bar b)$,$\ket{\psi_2}=\frac{1}{\sqrt2}(r\bar r-g\bar g)$,$\ket{\psi_3}=\frac{1}{\sqrt6}(r\bar r+g\bar g-2b\bar b)$ が正規直交であることを確かめよ.

(2) $SU(N)$ のゲージ場の個数は $N^2-1$ である.$N=2,3,5$ について求めよ.また $U(3)$ なら何個になるか.

(3) $\mathbf3\otimes\mathbf3 = \mathbf6\oplus\bar{\mathbf3}$ であって一重項 $\mathbf1$ を含まない.次元の勘定 $3\times3=6+3$ を確かめ,このことから「2個のクォークだけからなる粒子(ダイクォーク)は単独で存在できない」と結論せよ.一方 $\mathbf3\otimes\mathbf3\otimes\mathbf3$ は $\mathbf{10}\oplus\mathbf8\oplus\mathbf8\oplus\mathbf1$ で,次元は $27 = 10+8+8+1$.一重項が1つあるのでバリオンは存在できる.

解答

方針.(1) は線形代数の計算にすぎない.正規直交性 $\braket{i\bar j|k\bar l} = \delta_{ik}\delta_{jl}$ を使って係数の積の和をとるだけである.(2) は本文 3.3.2 項の数学ノートの公式をあてはめる.(3) は次元の足し算と,$SU(3)$ の不変テンソルが何であるかという議論を組み合わせる.

(1) 3つの状態はいずれも $r\bar r,\ g\bar g,\ b\bar b$ という互いに直交する3つの基底の線形結合なので,係数ベクトルの内積を計算すればよい.係数を並べて書くと

$$ \ket{\psi_1}:\ \frac{1}{\sqrt3}(1,1,1),\qquad \ket{\psi_2}:\ \frac{1}{\sqrt2}(1,-1,0),\qquad \ket{\psi_3}:\ \frac{1}{\sqrt6}(1,1,-2) $$

規格化.それぞれ係数の2乗和が1になることを見る:

$$ \braket{\psi_1|\psi_1} = \frac{1}{3}\left(1^2+1^2+1^2\right) = \frac{3}{3} = 1 $$ $$ \braket{\psi_2|\psi_2} = \frac{1}{2}\left(1^2+(-1)^2\right) = \frac{2}{2} = 1 $$ $$ \braket{\psi_3|\psi_3} = \frac{1}{6}\left(1^2+1^2+(-2)^2\right) = \frac{1+1+4}{6} = \frac{6}{6} = 1 $$

直交性.異なる組の係数の積の和をとる:

$$ \braket{\psi_1|\psi_2} = \frac{1}{\sqrt3}\cdot\frac{1}{\sqrt2}\left(1\cdot1 + 1\cdot(-1) + 1\cdot0\right) = \frac{1}{\sqrt6}\left(1-1+0\right) = 0 $$ $$ \braket{\psi_1|\psi_3} = \frac{1}{\sqrt3}\cdot\frac{1}{\sqrt6}\left(1\cdot1+1\cdot1+1\cdot(-2)\right) = \frac{1}{\sqrt{18}}\left(1+1-2\right) = 0 $$ $$ \braket{\psi_2|\psi_3} = \frac{1}{\sqrt2}\cdot\frac{1}{\sqrt6}\left(1\cdot1+(-1)\cdot1+0\cdot(-2)\right) = \frac{1}{\sqrt{12}}\left(1-1+0\right) = 0 $$

よって3つは正規直交系をなす.なお係数はすべて実数なので,複素共役をとる操作は結果に影響しない.

物理的には,この3つのうち $\ket{\psi_1}$ だけが特別である.3つの色を対等に足し上げた組合せであり,色の付け替え($SU(3)$ 変換)に対してまったく変化しない.すなわち色一重項である.残る $\ket{\psi_2},\ket{\psi_3}$ は「$r$ と $g$ の差」「$b$ だけ仲間はずれ」という非対称な組合せなので,色を回すと形が変わる.本文 3.3.2 項のとおり,非対角な6つ($r\bar g$ など)とこの2つを合わせた計8個が8重項を作り,$\ket{\psi_1}$ だけが $SU(3)$ の外にはじき出される.

(2) 公式 $N^2-1$ にあてはめる:

$$ N=2:\ 2^2-1 = 3,\qquad N=3:\ 3^2-1 = 8,\qquad N=5:\ 5^2-1 = 24 $$

$U(3)$ の場合は行列式を1にする条件を課さないので,次元は $N^2 = 9$ である.すなわち9個.

それぞれに物理的な対応がある.$N=2$ の3個は $SU(2)_L$ のゲージ場 $W^1,W^2,W^3$(あるいは物性におけるスピン $SU(2)$ の3つの生成子 $\sigma^x,\sigma^y,\sigma^z$)である.$N=3$ の8個が QCD のグルーオンで,生成子は Gell-Mann 行列 $\lambda^a/2$($a=1,\ldots,8$)である.$N=5$ の24個は,本文 3.6.3 項で触れた大統一群 $SU(5)$ のゲージ場の数で,その内訳は標準模型の $8+3+1=12$ 個と,クォークとレプトンを入れ替える新粒子 $X,Y$ の12個である.そして $U(3)$ の9個目が,(1) の $\ket{\psi_1}$ に対応する色一重項グルーオンである.これが存在すれば色一重項なので閉じ込められず,全ハドロン間に無限の到達距離をもつ「第2の電磁気力」が働くはずだが,そのような力は観測されていない.QCD のゲージ群が $U(3)$ ではなく $SU(3)$ であることは,実験事実の要請である.

(3) まず次元の勘定を確認する.$\mathbf3\otimes\mathbf3$ の状態は $q_i q_j$($i,j = r,g,b$)の9通りだから

$$ 3\times3 = 9 $$

これを添字の入れ替えについて対称な部分と反対称な部分に分けると,対称な組合せは $q_iq_j+q_jq_i$ の形で $3\cdot4/2 = 6$ 個,反対称な組合せは $q_iq_j-q_jq_i$ の形で $3\cdot2/2 = 3$ 個である.合わせて

$$ 9 = 6 + 3 $$

となり,たしかに $\mathbf3\otimes\mathbf3 = \mathbf6\oplus\bar{\mathbf3}$ の次元が合う(反対称な3つは $\varepsilon_{ijk}q_jq_k$ の形で反基本表現 $\bar{\mathbf3}$ として振る舞う).どちらの成分の次元も1ではないので,一重項 $\mathbf1$ はこの分解に一つも現れない.

なぜ現れないかは,不変テンソルの言葉で言うともっとはっきりする.$SU(3)$ の不変テンソルは $\delta^i_{\ j}$(上下1本ずつ)と $\varepsilon_{ijk},\ \varepsilon^{ijk}$(同じ向きに3本)しかない.一重項を作るとは,すべての色添字を不変テンソルで縮約しきることである.クォーク2個は下向きの添字を2本もつので,$\delta$ では上下がそろわず使えず,$\varepsilon$ は3本必要なので1本足りない.よって縮約しきれず,一重項は作れない.

閉じ込めの原理(本文 3.3.6 項)は「自然界に現れる粒子は色一重項でなければならない」と述べる.ダイクォーク $qq$ は色一重項になれないのだから,単独の粒子として真空中に取り出すことはできないと結論される.ダイクォークは,バリオンやテトラクォークの内部で,残りのクォークと組んで全体を一重項にする限りにおいてのみ意味をもつ相関である.

一方 $\mathbf3\otimes\mathbf3\otimes\mathbf3$ では,状態数が

$$ 3\times3\times3 = 27 = 10 + 8 + 8 + 1 $$

と分解し,末尾に一重項が1つ現れる.これが完全反対称な組合せ $\varepsilon_{ijk}\ket{i}\ket{j}\ket{k}/\sqrt6$ であり,添字3本をちょうど $\varepsilon_{ijk}$ で縮約しきれることに対応する.だからバリオンは存在できる.同じ数え方で,中間子は $\mathbf3\otimes\bar{\mathbf3}$ で上下1本ずつの添字を $\delta^i_{\ j}$ で縮約でき,$9 = 8+1$ の一重項として実現する.

検算.三つの独立な確認を行う.第一に (1) の完全性:$\ket{\psi_1},\ket{\psi_2},\ket{\psi_3}$ は3次元の対角部分空間の正規直交基底のはずなので,射影演算子の和が単位行列にならねばならない.係数の2乗を成分ごとに足すと,$r\bar r$ 成分は $1/3+1/2+1/6 = 2/6+3/6+1/6 = 1$,$g\bar g$ 成分も $1/3+1/2+1/6 = 1$,$b\bar b$ 成分は $1/3+0+4/6 = 1/3+2/3 = 1$ で,いずれも1になる.よって3つで対角部分空間を尽くしており,計算に漏れはない.第二に (2) の整合性:$U(3)$ の $9$ 個から $SU(3)$ の $8$ 個を引いた差が $1$ で,これは行列式条件が減らすパラメータ数と一致し,同時に (1) の一重項 $\ket{\psi_1}$ の個数とも一致する.三つの数え方が同じ「1」を指している.第三に (3) の次元:$6+3 = 9$,$10+8+8+1 = 27$ がいずれも左辺の $3^2$,$3^3$ と一致する.表現の分解では次元の総和が必ず保存するので,これは分解が正しいことの必要条件を満たしている.

意味.この演習は「一重項が作れるかどうか」というただ一つの問いで,自然界に存在できる粒子の種類が決まってしまうことを示している.$q\bar q$ と $qqq$ が許され,$qq$ が許されない.テトラクォーク $qq\bar q\bar q$ やペンタクォーク $qqqq\bar q$ は一重項を作れるので許され,実際 2003 年以降に発見された.材料科学者にとって重要なのは,本文 3.3.6 項で述べたとおり,この $\varepsilon$ による縮約が $SU(2)$ ではスピン一重項 $(\ket{\uparrow\downarrow}-\ket{\downarrow\uparrow})/\sqrt2$,すなわち化学結合の価電子対そのものになることである.$SU(2)$ では $\varepsilon_{\alpha\beta}$ の添字が2本なので2個で一重項が作れ,$SU(3)$ では $\varepsilon_{ijk}$ の添字が3本なので3個必要になる.「共有結合は電子2個,バリオンはクォーク3個」という一見無関係な二つの事実が,$\varepsilon$ テンソルの添字の本数という同一の起源をもつ.そして本文が指摘するように,RVB 理論や Kondo 格子の平均場理論で $SU(2)$ を $SU(N)$ に拡張して $1/N$ 展開する手法と,'t Hooft の大 $N_c$ 展開は,文字どおり同じ展開である.

演習3.5 ひも張力を実感する

問題(再掲)

ひも張力 $\sigma = 0.9\ \mathrm{GeV/fm}$,軽いクォークの構成子質量 $m_q\approx0.33\ \mathrm{GeV}$,$m_\pi = 0.140\ \mathrm{GeV}$ とする.

(1) クォークと反クォークを $1\ \mathrm{fm}$ 引き離すのに要するエネルギーを求め,$\pi^+\pi^-$ 対($2m_\pi$)を作るのに必要なエネルギーと比べよ.

(2) $q\bar q$ 対を作れるだけのエネルギー($2m_q$)がひもに蓄えられる距離を求めよ.

(3) $\sigma$ を N(ニュートン)に直し,何トン重に相当するか求めよ.また,同じ計算を銅の転位の線張力 $T=\mu b^2/2$($\mu=48\ \mathrm{GPa}$,$b=0.256\ \mathrm{nm}$)について行い,両者の比を求めよ.なぜ両者を同一視してはならないのか,本文の警告を自分の言葉でまとめよ.

解答

方針.本文 3.3.5 項の Cornell ポテンシャル $V(r) = -\dfrac43\dfrac{\alpha_s\hbar c}{r} + \sigma r$ のうち,長距離で支配的な線形項 $\sigma r$ だけを使う.$\sigma$ は「単位長さあたりのエネルギー」であると同時に「力」でもある($F = -\dd V/\dd r = -\sigma$ が距離によらない).この二重の読み方が本問の全体を貫く.(1)(2) はエネルギーとして,(3) は力として読む.

(1) 線形項だけを使うと,$q$ と $\bar q$ を距離 $r$ まで引き離すのに要するエネルギーは単に $E = \sigma r$ である.$r = 1\ \mathrm{fm}$ では

$$ E = 0.9\ \mathrm{GeV/fm}\times1\ \mathrm{fm} = 0.9\ \mathrm{GeV} $$

一方,$\pi^+\pi^-$ 対を作るのに必要な最低エネルギーは

$$ 2m_\pi = 2\times0.140\ \mathrm{GeV} = 0.280\ \mathrm{GeV} $$

比をとると

$$ \frac{E}{2m_\pi} = \frac{0.9}{0.280} = 3.21 $$

すなわち $1\ \mathrm{fm}$ 引き離した時点で,すでに $\pi$ 中間子対を作るのに必要なエネルギーの3.2倍が蓄えられている.エネルギー的にはまったく余裕があるので,ひもは切れて中間子ができるほうが得である.「クォークを $1\ \mathrm{fm}$ 引き離す」という操作は,実際には実行できない.途中で真空が割り込んで新しい粒子を作ってしまうからである.

(2) 終状態を $\pi$ 中間子ではなく構成子クォーク対 $q\bar q$ で見積もる.必要なエネルギーは

$$ 2m_q = 2\times0.33\ \mathrm{GeV} = 0.66\ \mathrm{GeV} $$

$\sigma d = 2m_q$ を $d$ について解いて

$$ d = \frac{2m_q}{\sigma} = \frac{0.66\ \mathrm{GeV}}{0.9\ \mathrm{GeV/fm}} = 0.733\ \mathrm{fm} $$

すなわち $d = 0.73\ \mathrm{fm}$ である.陽子の半径($\approx0.84\ \mathrm{fm}$)よりも短い.ハドロンの大きさそのもののスケールで,すでにひもは切れるということである.

なお本文図3.6 のキャプションにあるとおり,Coulomb 項まで含めるとこの距離は少し伸びる.$V(d) = 2m_q$ を,$\hbar c = 0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ として

$$ -\frac43\frac{\alpha_s\times0.197327}{d} + 0.9\,d = 0.66 $$

と書き,$d$ について2次方程式 $0.9d^2 - 0.66d - \frac43\alpha_s\times0.197327 = 0$ を解けばよい.$\alpha_s = 0.35$ とすると定数項は $-0.09209$ で

$$ d = \frac{0.66+\sqrt{0.66^2+4\times0.9\times0.09209}}{2\times0.9} = \frac{0.66+\sqrt{0.7671}}{1.8} = \frac{0.66+0.8759}{1.8} = 0.853\ \mathrm{fm} $$

となり,本文図3.6 の $r\approx0.85\ \mathrm{fm}$ を再現する.Coulomb 項は引力なので,同じエネルギーに達するにはより遠くまで引かねばならない.線形項だけの $0.73\ \mathrm{fm}$ と,Coulomb 込みの $0.85\ \mathrm{fm}$ の差は2割弱で,見積りとしてはどちらでも結論は変わらない.

(3) まず $\sigma$ を SI に直す.$1\ \mathrm{GeV} = 1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}$,$1\ \mathrm{fm} = 10^{-15}\ \mathrm{m}$ だから

$$ \sigma = \frac{0.9\times1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}}{10^{-15}\ \mathrm{m}} = \frac{1.442\times10^{-10}}{10^{-15}}\ \mathrm{J/m} = 1.442\times10^{5}\ \mathrm{N} $$

($\mathrm{J/m} = \mathrm{N}$ である.エネルギー密度としての読みと,力としての読みが,単位の上でも同じであることに注意.)これを重量に直す.$g = 9.807\ \mathrm{m/s^2}$ で割ると

$$ \frac{1.442\times10^{5}\ \mathrm{N}}{9.807\ \mathrm{m/s^2}} = 1.470\times10^{4}\ \mathrm{kg} $$

すなわち $14.7$ トン重である.中型トラック1台を持ち上げる力に相当する.

次に銅の転位の線張力を同じ土俵に乗せる.$T = \mu b^2/2$ に数値を入れると,まず

$$ b^2 = \left(0.256\times10^{-9}\ \mathrm{m}\right)^2 = 6.554\times10^{-20}\ \mathrm{m^2} $$ $$ T = \frac{48\times10^{9}\ \mathrm{Pa}\times6.554\times10^{-20}\ \mathrm{m^2}}{2} = \frac{3.146\times10^{-9}}{2}\ \mathrm{N} = 1.573\times10^{-9}\ \mathrm{N} $$

($\mathrm{Pa\cdot m^2} = \mathrm{N}$ なので次元は力である.)比をとると

$$ \frac{\sigma}{T} = \frac{1.442\times10^{5}}{1.573\times10^{-9}} = 9.17\times10^{13} $$

常用対数をとれば $\log_{10}(9.17\times10^{13}) = 13.96$,すなわち約14桁の開きがある.

本文 3.3.5 項の警告を自分の言葉でまとめると次のようになる.たしかに「線状の対象が張力をもち,長さに比例するエネルギーを蓄える」という一文は,QCD のフラックスチューブにも結晶中の転位にも当てはまる.しかし一致しているのは $V = \sigma r$ という数式の形だけであって,物理は四点で違う.第一に大きさが14桁違う.第二に起源が違い,転位の線張力は弾性連続体に蓄えられた歪みエネルギーに由来して実は $\ln(R/r_0)$ を通じて系のサイズに弱く依存するのに対し,QCD のひも張力は真空そのものの非摂動的な性質で,系のサイズによらない定数である.第三に端の扱いが違い,転位線は表面や粒界や節点で終わってよいが,QCD のひもは色荷の上でしか終われない.第四に切断の帰結が違い,転位が切れても新しい粒子は生まれないが,QCD ではひもの切断そのものが粒子生成である.したがって,転位の直感を QCD に持ち込んで物理的な結論を引き出すことは誤りであり,本書ではこの対比を説明の道具として使わない.一方,本文 3.6.4 項のくりこみ群の対応は,同じ微分方程式を実際に解いているという意味で本物の対応であり,両者を区別することが重要である.

検算.三つの独立な確認を行う.第一に (1) と (2) の整合性:$1\ \mathrm{fm}$ で $0.9\ \mathrm{GeV}$ なので,$0.66\ \mathrm{GeV}$ に達するのは $0.66/0.9 = 0.73\ \mathrm{fm}$ のはずで,(2) の答えと一致する.また $0.28\ \mathrm{GeV}$($2m_\pi$)に達する距離は $0.31\ \mathrm{fm}$ で,(2) の $0.73\ \mathrm{fm}$ より短い.軽い $\pi$ 対のほうが早く作れるという直感どおりである.第二に (3) の次元:$\mathrm{GeV/fm}$ は「エネルギー/長さ」なので $\mathrm{J/m} = \mathrm{N}$ となり,力の次元をもつ.転位側も $\mathrm{Pa}\times\mathrm{m^2} = \mathrm{N}$ で同じ次元になっており,比をとる操作が正当化される.第三に別経路での確認:本文 3.3.5 項は同じ $\sigma$ を「約 15 トン重」と述べており,本問で得た $14.7$ トン重と一致する.また $\sigma$ を $\mathrm{GeV^2}$ で表せば $\sigma = 0.9\ \mathrm{GeV/fm}\times0.197327\ \mathrm{GeV\,fm} = 0.178\ \mathrm{GeV^2}$ となり,本文の $\sigma\approx0.18\ \mathrm{GeV^2}$ と合う.二つの表記が互いに換算できることを確かめておくと安心である.

意味.この演習の核心は「閉じ込めは無限の力ではなく,有限だが決して弱まらない力である」という点にある.力の大きさ自体は $14.7$ トン重で,宇宙的な数ではない.しかしこの力が距離によらず一定なので,引き離すのに要するエネルギーが際限なく増え,途中で必ず真空が割れて新しい粒子ができる.クォークが単独で観測されないのは,力が無限に強いからではなく,力が遠方でも減らないからである.材料科学者にとっての教訓は (3) の後半にある.異分野の類推は,数式の形が一致するだけでは正当化されない.同じ $V = \sigma r$ でも,数値が14桁違い,起源が違い,境界条件が違えば,一方の直感をもう一方に持ち込んではならない.逆に,本書が本物と認める対応(湯川ポテンシャルと Thomas–Fermi 遮蔽,くりこみ群と Kondo スケーリング)は,いずれも「同じ方程式を同じ境界条件で解いている」ことが確認できる場合である.類推が使えるかどうかを見分ける基準を身につけることが,本問のもう一つの目的である.

演習3.6 Cabibbo 抑制の二段構え — $D^0$ 中間子の崩壊

問題(再掲)

$D^0=c\bar u$ の崩壊 $c\to s+W^+$(あるいは $c\to d+W^+$)と,$W^+\to u\bar d$(あるいは $u\bar s$)の組合せを考える.表3.5 の CKM 行列要素を使う.

(1) $D^0\to K^-\pi^+$ は $c\to s$,$W^+\to u\bar d$ で起こる.振幅の2乗に現れる CKM 因子 $\abs{V_{cs}V_{ud}}^2$ を求めよ(Cabibbo 許容).

(2) $D^0\to\pi^-\pi^+$ は $c\to d$,$W^+\to u\bar d$ で起こる(1回抑制),$D^0\to K^+\pi^-$ は $c\to d$,$W^+\to u\bar s$ で起こる(2回抑制).それぞれの CKM 因子を求め,(1) に対する比を計算せよ.

(3) 実測の分岐比は $\mathrm{BR}(K^-\pi^+)=3.95$ %,$\mathrm{BR}(\pi^-\pi^+)=0.145$ %,$\mathrm{BR}(K^+\pi^-)=0.0150$ % である.(2) の予言と比べ,一致の度合いを述べよ.

解答

方針.本文 3.4.3 項のとおり,$W$ 頂点が世代を跨ぐたびに振幅へ CKM 行列要素が1つ掛かる.いま考える崩壊はどれも $W$ を1本使う図で,頂点が二つ($c$ 側と $W$ の崩壊側)あるから,振幅には CKM 要素が2つ掛かる.崩壊率は振幅の2乗なので,$\abs{V_{c\,q}V_{u\,q'}}^2$ という形の因子が付く.終状態はどの場合も擬スカラー中間子2個で,質量も近く,強い相互作用の部分(ハドロン行列要素)はほぼ共通と見なせる.したがって分岐比の比は CKM 因子の比でおおむね決まると期待してよい.本文表3.5 から必要な値は

$$ \abs{V_{cs}} = 0.975,\quad \abs{V_{ud}} = 0.97373,\quad \abs{V_{cd}} = 0.221,\quad \abs{V_{us}} = 0.2243 $$

である.

(1) Cabibbo 許容の $D^0\to K^-\pi^+$ では,$c\to s$ に $V_{cs}$ が,$W^+\to u\bar d$ に $V_{ud}$ が付く.積は

$$ \abs{V_{cs}V_{ud}} = 0.975\times0.97373 = 0.94939 $$

2乗して

$$ \abs{V_{cs}V_{ud}}^2 = (0.94939)^2 = 0.90134 $$

すなわち $0.901$ である.二つの要素がどちらも対角成分で1に近いので,抑制はほとんどかからない.

(2) 1回抑制($D^0\to\pi^-\pi^+$).$c\to d$ で世代を1つ跨ぐので $V_{cs}$ が $V_{cd}$ に置き換わる.積は

$$ \abs{V_{cd}V_{ud}} = 0.221\times0.97373 = 0.21519 $$ $$ \abs{V_{cd}V_{ud}}^2 = (0.21519)^2 = 0.046309 $$

(1) に対する比は

$$ \frac{0.046309}{0.90134} = 0.05138 = \frac{1}{19.5} $$

この比は $V_{ud}$ が分子分母で消えるので,実は $\left(\abs{V_{cd}}/\abs{V_{cs}}\right)^2 = (0.221/0.975)^2 = (0.22667)^2 = 0.05138$ と書ける.本文 3.4.3 項の $\tan^2\theta_C = (0.2243/0.97373)^2 = 0.0531 \approx 1/19$ とほぼ同じ数であり,「世代を1つ跨ぐと約20分の1」という Cabibbo 抑制の標準的な度合いそのものである.

2回抑制($D^0\to K^+\pi^-$).$c\to d$ で1回,$W^+\to u\bar s$ でもう1回,計2回跨ぐ.積は

$$ \abs{V_{cd}V_{us}} = 0.221\times0.2243 = 0.049570 $$ $$ \abs{V_{cd}V_{us}}^2 = (0.049570)^2 = 0.0024572 $$

(1) に対する比は

$$ \frac{0.0024572}{0.90134} = 0.0027262 = \frac{1}{367} $$

すなわち約400分の1である.1回抑制の比 $0.0514$ をもう一度 $\tan^2\theta_C$ 倍したものにほぼ等しく($0.05138\times0.0531 = 0.00273$),文字どおり抑制が二段構えでかかっていることが確認できる.

(3) 実測の分岐比の比をとる.Cabibbo 許容モードを基準にして

$$ \frac{\mathrm{BR}(\pi^-\pi^+)}{\mathrm{BR}(K^-\pi^+)} = \frac{0.145}{3.95} = 0.03671 $$ $$ \frac{\mathrm{BR}(K^+\pi^-)}{\mathrm{BR}(K^-\pi^+)} = \frac{0.0150}{3.95} = 0.0037975 $$

(2) の予言と比べると

$$ \frac{0.03671}{0.05138} = 0.714, \qquad \frac{0.0037975}{0.0027262} = 1.393 $$

すなわち1回抑制では予言より $29\ \%$ 小さく,2回抑制では $39\ \%$ 大きい.どちらも1.5倍以内に収まっている.CKM 因子だけを見て強い相互作用の効果をいっさい計算していないことを考えれば,これはきわめて良い一致である.

重要なのは,桁の構造が正しく再現されている点である.「Cabibbo 許容 $:$ 1回抑制 $:$ 2回抑制 $= 1 : 1/19.5 : 1/367$」という予言に対し,実測は $1 : 1/27 : 1/263$ である.3桁にわたる階層が,$3\times3$ のユニタリ行列の要素の掛け算だけで説明できている.

残る $1.5$ 倍以内のずれの原因は三つある.第一に $SU(3)$ フレーバー対称性の破れで,$s$ クォークが $d$ クォークより重いため,$K$ を含む終状態と $\pi$ だけの終状態でハドロン行列要素(崩壊定数や形状因子)が一致しない.本文 3.4.3 項で見た $f_K/f_\pi = 1.19$ がまさにこの効果で,2乗すれば $1.42$ になり,本問のずれと同程度である.第二に位相空間の違いで,$K^-\pi^+$,$\pi^-\pi^+$,$K^+\pi^-$ では終状態の質量和が違うため,使える運動学的空間が異なる.第三に終状態相互作用で,生成された2つの中間子が飛び去る前に強い相互作用でやりとりし,振幅の大きさと位相を変える.いずれも強い相互作用に由来する効果であって,CKM 行列とは無関係である.

検算.三つの角度から確かめる.第一に上限の確認:CKM 行列はユニタリなので,どの要素も絶対値が1を超えない.したがって $\abs{V_{cs}V_{ud}}^2 \le 1$ でなければならず,得られた $0.901$ はこれを満たす.第二に階層の自己整合性:1回抑制の比 $0.05138$ に,もう1回の抑制因子 $\left(\abs{V_{us}}/\abs{V_{ud}}\right)^2 = (0.2243/0.97373)^2 = 0.05306$ を掛けると $0.05138\times0.05306 = 0.0027262$ となり,2回抑制について直接計算した $0.0027262$ と一致する.抑制が独立な二段として掛け算になっていることが確かめられた.第三に既知の値との照合:1回抑制の度合い $1/19.5$ は,本文 3.4.3 項が Cabibbo 角から導いた $\tan^2\theta_C = 0.053 \approx 1/19$ と一致する.$D$ 中間子の崩壊という別の系で,同じ抑制率が再現されている.

意味.この演習が示すのは,弱い相互作用の分岐比という測定量が,$3\times3$ の行列の要素の掛け算という驚くほど単純な規則で3桁にわたって予言できるということである.しかも各要素の値は他の実験($\beta$ 崩壊,$K$ 崩壊,$B$ 崩壊など)から独立に決められており,本問ではそれを持ってきて当てはめただけである.CKM 行列という一つの構造が,異なる粒子の異なる崩壊を横断的に支配していることの実証になっている.同時に,残る1.5倍以内のずれが強い相互作用に由来することも重要である.弱い相互作用の部分(CKM)と強い相互作用の部分(ハドロン行列要素)は,本質的に分離して扱える.これは本文 3.4.3 項の $K\to\mu\nu$ 対 $\pi\to\mu\nu$ の例で,比から $f_K/f_\pi = 1.19$ を抽出し,格子 QCD の値 $1.193$ と一致させた論法とまったく同じ構造である.材料科学の言葉で言えば,「行列要素を対称性で決まる部分と物質固有の部分に分ける」という Wigner–Eckart 定理型の分解にあたる.結晶場理論で遷移強度を Clebsch–Gordan 係数と換算行列要素に分けるのと,やっていることは同じである.

演習3.7 禁止則の判定

問題(再掲)

表3.7 の量子数を使い,3.5.2 項の手順に従って,次の各過程について (i) 起こるか否か,(ii) 起こるならどの相互作用が担うか,(iii) 起こらないならどの保存則が破れているかを判定せよ.

  1. $\Sigma^-\to n+\pi^-$
  2. $\Delta^{++}\to p+\pi^+$
  3. $\mu^-\to e^-+e^++e^-$
  4. $n\to p+e^-$
  5. $K^+\to\pi^++\pi^0$
  6. $\Omega^-\to\Xi^0+\pi^-$
  7. $p+\bar p\to\pi^++\pi^-$
  8. $\Lambda\to n+\pi^0+\gamma$

解答

方針.本文 3.5.2 項の手順をそのまま機械的に適用する.すなわち,エネルギー → 電荷 $Q$ → バリオン数 $B$ → 世代別レプトン数 $L_e,L_\mu,L_\tau$ の順に確認し,一つでも破れていれば絶対禁止と判定する.すべて満たす場合は,フレーバー(ここではストレンジネス $S$)が保存するか,光子やニュートリノが関与するかを見て,強い・電磁・弱いのどれが担うかを決める.量子数は本文表3.7 から取る.$\Delta^{++}$($uuu$,$Q=+2$,$B=+1$,$S=0$,$m\approx1232\ \mathrm{MeV}$)と $\Xi^0$($uss$,$Q=0$,$B=+1$,$S=-2$,$m=1314.86\ \mathrm{MeV}$)は表3.7 に載っていないが,クォーク構成から本文の規則(クォーク1個につき $B=+1/3$,$S=-(N_s-N_{\bar s})$)で直ちに決まる.

1. $\Sigma^-\to n+\pi^-$.

エネルギー:$1197.45 > 939.565+139.570 = 1079.135$,$Q$ 値は $118.3\ \mathrm{MeV}$.OK.

電荷:$-1 \to 0+(-1) = -1$.OK. バリオン数:$+1 \to +1+0 = +1$.OK. レプトン数:両辺すべて $0$.OK.

ストレンジネス:$\Sigma^-$($dds$)は $S=-1$,終状態は $n$($udd$,$S=0$)と $\pi^-$($d\bar u$,$S=0$)で $S=0$.よって $\Delta S = +1$.

判定:起こる.弱い相互作用が担う.$\abs{\Delta S}=1$ なので $W$ を1本使う図で実現でき,$s\to u$ の遷移である(残る $dd$ は傍観者).実測寿命は $\tau = 1.479\times10^{-10}\ \mathrm{s}$ で,本文表3.1 の弱い崩壊の帯($10^{-13}$–$10^{3}\ \mathrm{s}$)にきちんと入る.分岐比はほぼ $100\ \%$($99.85\ \%$)である.

2. $\Delta^{++}\to p+\pi^+$.

エネルギー:$1232 > 938.272+139.570 = 1077.842$,$Q$ 値は $154\ \mathrm{MeV}$.OK.

電荷:$+2 \to +1+1 = +2$.OK. バリオン数:$+1 \to +1+0$.OK. レプトン数:両辺 $0$.OK.

ストレンジネス:$\Delta^{++}$ は $uuu$,終状態も $s$ クォークを含まないので $0\to0$.保存.

角運動量も確かめておく.$\Delta^{++}$ は $J^P = 3/2^+$,終状態は $p$($1/2^+$)と $\pi^+$($0^-$)である.相対軌道角運動量を $\ell$ とすると全角運動量は $\abs{1/2-\ell}$ から $1/2+\ell$ までを取りうるので,$\ell=1$ とすれば $J=3/2$ が作れる.パリティは $P_f = (+1)\times(-1)\times(-1)^\ell = +1$($\ell=1$)で,親の $P=+1$ と合う.したがって $\ell=1$ の $p\pi$ 状態として矛盾なく崩壊できる.

判定:起こる.強い相互作用が担う.光子もレプトンも現れず,フレーバーが保存するので強い相互作用である.本文表3.2 のとおり $\Gamma = 117\ \mathrm{MeV}$,寿命に直すと $\tau = \hbar/\Gamma = 6.582\times10^{-22}/117 = 5.6\times10^{-24}\ \mathrm{s}$ で,強い崩壊の典型値である.

3. $\mu^-\to e^-+e^++e^-$.

エネルギー:$105.658 > 3\times0.511 = 1.533$.OK($Q$ 値 $104\ \mathrm{MeV}$).

電荷:$-1 \to (-1)+(+1)+(-1) = -1$.OK. バリオン数:両辺 $0$.OK.

レプトン数をていねいに数える.$\mu^-$ は $L_\mu = +1$,$L_e = 0$.終状態は $e^-$ が2個(各 $L_e=+1$)と $e^+$ が1個($L_e=-1$)なので $L_e = +1+(-1)+1 = +1$,$L_\mu = 0$ である.したがって

$$ L_e:\ 0 \to +1\ (\text{破れ}),\qquad L_\mu:\ +1 \to 0\ (\text{破れ}) $$

総レプトン数 $L = L_e+L_\mu+L_\tau$ だけを見れば $+1\to+1$ で保存しているが,本文 3.5.1 項の絶対的保存則は世代別のレプトン数である.

判定:起こらない.$L_e$ と $L_\mu$ が破れている.標準模型では禁止で,実測上限は $\mathrm{BR} < 1.0\times10^{-12}$ である.なおニュートリノ振動(第14章)を組み込むと厳密にはゼロではないが,予言される分岐比は $10^{-54}$ 程度で観測不可能である.したがって仮にこの崩壊が見つかれば,それは標準模型を超える物理の直接の証拠になる.$\mu^-\to e^-\gamma$(上限 $\mathrm{BR}<3.1\times10^{-13}$,本文表3.8)と同じ性格の探索である.

4. $n\to p+e^-$.

エネルギー:$939.565 > 938.272+0.511 = 938.783$.$Q$ 値は $0.782\ \mathrm{MeV}$ でわずかだが正なので,エネルギー的には可能である.

電荷:$0 \to +1+(-1) = 0$.OK. バリオン数:$+1 \to +1+0$.OK.

レプトン数:$L_e: 0 \to +1$.破れている.

さらに角運動量も破れる.左辺は $J = 1/2$(半整数)である.右辺は $p$($1/2$)と $e^-$($1/2$)の合成なので,スピンの合成は $0$ か $1$,これに整数の軌道角運動量 $\ell$ を足すので,全角運動量は必ず整数になる.半整数と整数は等しくなりえない.

判定:起こらない.$L_e$ の破れ(および角運動量の破れ).実際の中性子は $n\to p+e^-+\bar\nu_e$ で崩壊する.$\bar\nu_e$ が $L_e=-1$ を持ち去ることでレプトン数が保存し,同時に半整数スピンの粒子がもう1つ増えることで角運動量も整合する.歴史的にはこの二重の不整合こそが,Pauli にニュートリノの存在を提案させた根拠であった(第2章).「$\beta$ 崩壊で見えない粒子が出ている」という結論は,本問の判定手順そのものから導かれる.

5. $K^+\to\pi^++\pi^0$.

エネルギー:$493.677 > 139.570+134.977 = 274.547$,$Q$ 値は $219.1\ \mathrm{MeV}$.OK.

電荷:$+1 \to +1+0$.OK. バリオン数:両辺 $0$.OK. レプトン数:両辺 $0$.OK.

ストレンジネス:$K^+$($u\bar s$)は $S=+1$,終状態の $\pi$ はどちらも $S=0$.よって $\Delta S = -1$,すなわち $\abs{\Delta S}=1$.

判定:起こる.弱い相互作用が担う.実測は $\mathrm{BR} = 20.7\ \%$,$K^+$ の寿命は $1.238\times10^{-8}\ \mathrm{s}$ である.なおこの崩壊は,パリティの破れが最初に問題になった歴史的な過程でもある.同じ $K^+$ が $2\pi$(パリティ $+$)にも $3\pi$(パリティ $-$)にも崩壊するという「$\theta$–$\tau$ パズル」が,弱い相互作用がパリティを保存しないという結論に導いた(本文表3.6,第6章).

6. $\Omega^-\to\Xi^0+\pi^-$.

エネルギー:$\Xi^0$ の質量は $1314.86\ \mathrm{MeV}$(表3.7 には $\Xi^-$ しかないので PDG 値を使う)だから $1672.45 > 1314.86+139.570 = 1454.43$,$Q$ 値は $218.0\ \mathrm{MeV}$.OK(仮に表3.7 の $\Xi^-$ の質量 $1321.71$ で見積もっても $1461.28$ で十分に軽い).

電荷:$-1 \to 0+(-1) = -1$.OK. バリオン数:$+1 \to +1+0$.OK. レプトン数:両辺 $0$.OK.

ストレンジネス:$\Omega^-$ は $sss$ なので $S=-3$,$\Xi^0$ は $uss$ なので $S=-2$,$\pi^-$ は $S=0$.よって

$$ S:\ -3 \to -2, \qquad \Delta S = +1 $$

判定:起こる.弱い相互作用が担う.$\abs{\Delta S}=1$ なので $W$ を1本使う図で足りる.実測寿命は $\tau = 8.21\times10^{-11}\ \mathrm{s}$ で,本文の弱い崩壊の帯に入る.分岐比は $23.6\ \%$ である.

強い相互作用では起こせないことも確認しておく.強い相互作用はフレーバーを保存するので $\Delta S = 0$ でなければならず,$\Omega^-$ が $S=-3$ を保ったまま軽い状態へ落ちる崩壊路は存在しない($S=-3$ をもつ粒子で $\Omega^-$ より軽いものがない).だから $\Omega^-$ は,本来なら $10^{-23}\ \mathrm{s}$ で消えるはずのバリオン励起でありながら,弱い崩壊を待つしかなく $10^{-10}\ \mathrm{s}$ も生きる.1964年にブルックヘブンの泡箱で $\Omega^-$ が長い飛跡として観測され,Gell-Mann の八道説が決定的に裏づけられたのは,まさにこの「異常な長寿命」のおかげである(第2章).

7. $p+\bar p\to\pi^++\pi^-$.

エネルギー:静止した $p\bar p$ なら重心エネルギーは $2\times938.272 = 1876.5\ \mathrm{MeV}$ で,終状態の $2\times139.570 = 279.1\ \mathrm{MeV}$ をはるかに上回る.OK.

電荷:$+1+(-1) = 0 \to +1+(-1) = 0$.OK.

バリオン数:$\bar p$ は $B=-1$ なので $+1+(-1) = 0 \to 0+0 = 0$.OK.反粒子の符号を忘れないことが本問の要点である.

レプトン数:両辺 $0$.OK. ストレンジネス:両辺 $0$.保存.

判定:起こる.強い相互作用が担う.フレーバーが保存し,光子もレプトンも現れないので強い相互作用である.実際 $p\bar p$ 消滅の断面積はミリバーン級で,反陽子ビームを使った実験では日常的に観測される.なお $\pi^+\pi^-$ の2体モードは,多重の $\pi$ 生成(平均5個程度)に比べれば少数派で分岐比は $10^{-3}$ 程度だが,「起こるか否か」の判定としては許容である.バリオン数が $1+(-1)=0$ で保存しているので,バリオンの消滅は保存則に反しない.本文 3.5.1 項でバリオン数を絶対的保存則に挙げたが,それは「バリオンの正味の数が保存する」という意味であって,粒子・反粒子の対が消えることは何ら禁じていない.

8. $\Lambda\to n+\pi^0+\gamma$.

エネルギー:$1115.68 > 939.565+134.977 = 1074.542$,$Q$ 値は $41.1\ \mathrm{MeV}$.光子は質量ゼロなので追加の敷居はない.OK(ただし余裕は小さい).

電荷:$0 \to 0+0+0$.OK. バリオン数:$+1 \to +1$.OK. レプトン数:両辺 $0$.OK.

ストレンジネス:$\Lambda$($uds$)は $S=-1$,終状態はすべて $S=0$.よって $\abs{\Delta S}=1$.

判定:起こる.弱い相互作用が担うが,光子を1本余分に出すぶんさらに抑制される.$\abs{\Delta S}=1$ なので弱い相互作用しかありえない.そのうえで終状態に光子が1つ加わるので,振幅に頂点が1つ増え,確率は $\alpha$ 倍だけ小さくなる.基準になるのは光子を伴わない $\Lambda\to n+\pi^0$($\mathrm{BR} = 35.8\ \%$)で,そこから見積もると

$$ \mathrm{BR} \sim 0.358\times\alpha = 0.358\times\frac{1}{137} = 2.6\times10^{-3} $$

すなわち $10^{-3}$ のオーダーである.実際には $Q$ 値がわずか $41\ \mathrm{MeV}$ しかなく,光子に配れる運動量が乏しいのでこれよりさらに小さくなる.PDG はこのモード単独の分岐比を掲げていないが($\pi^0\to\gamma\gamma$ が背景になって分離が難しい),測定されている類似の輻射崩壊は $\Lambda\to n\gamma$ が $\mathrm{BR} = 1.75\times10^{-3}$,$\Lambda\to p\pi^-\gamma$ が $\mathrm{BR} = 8.4\times10^{-4}$ で,どちらも $10^{-3}$ のオーダーである.上の見積りは桁として妥当である.

検算.三つの独立な確認を行う.第一に量子数の総和:8個すべてについて,$Q$,$B$,$L_e$ を左辺と右辺で足し合わせた表を作ると,3番と4番だけが $L_e$(および3番は $L_\mu$ も)で不一致になり,それ以外はすべて一致する.破れの箇所が判定結果と一対一に対応している.第二に寿命による裏づけ:本文表3.1 の分類(強い $10^{-24}$–$10^{-22}\ \mathrm{s}$,電磁 $10^{-20}$–$10^{-16}\ \mathrm{s}$,弱い $10^{-13}$–$10^{3}\ \mathrm{s}$)と,各過程の実測寿命を照合する.2番は $5.6\times10^{-24}\ \mathrm{s}$ で強い崩壊の帯,1番は $1.48\times10^{-10}\ \mathrm{s}$,6番は $8.2\times10^{-11}\ \mathrm{s}$,5番は $1.24\times10^{-8}\ \mathrm{s}$ でいずれも弱い崩壊の帯にある.量子数から導いた判定と,実測の桁が完全に対応している.第三に別ルートでの確認:4番については $L_e$ の破れとは独立に角運動量からも禁止が言え,二つの理由が同じ結論を指している.

意味.8問を通してわかるのは,判定に必要な情報が驚くほど少ないということである.質量と,$Q$・$B$・$L$・$S$ という4つの整数(あるいは分数)だけで,起こる・起こらない・どの力が担うかが決まる.行列要素も断面積も計算していない.そのうえで実測の寿命の桁まで当たる.本文 3.5.3 項の材料科学との接点の欄が述べるとおり,これは分光学の選択則とまったく同じ思考である.始状態・終状態・演算子の量子数を数え,直積が全対称成分を含むかを見る.遷移金属酸化物の $d$–$d$ 遷移が Laporte 則で禁じられて色が薄いのと,$\pi^0\to3\gamma$ が $C$ パリティで禁じられて7桁抑制されるのは,同じ論法である.そして両者とも,禁制が完全ではなく「わずかに漏れる」点まで似ている.$d$–$d$ 遷移は振電結合で漏れ,8番の輻射崩壊は $\alpha$ の1次で漏れる.禁制が破れる度合いを測ることが,禁制を課している対称性の性質を教える——この論法の使い方こそが,本問で身につけるべきものである.

演習3.8 走る結合定数と Kondo 温度

問題(再掲)

1ループの走り(本書3.3.4項の $1/\alpha_s(\mu) = 1/\alpha_s(\mu_0) + \dfrac{b_0}{2\pi}\ln(\mu/\mu_0)$,$b_0 = 11-\frac23 n_f$)を使う.$\alpha_s(m_Z)=0.118$,$m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$,$n_f=5$($b_0=23/3=7.667$)とする.

(1) $\mu=10\ \mathrm{GeV}$ での $\alpha_s$ を求めよ.$m_Z$ での値と比べて何倍か.

(2) $1/\alpha_s(\mu)=0$ となる $\mu$(=$\Lambda_{\mathrm{QCD}}$)を求めよ.

(3) Kondo 問題のスケーリング方程式 $\dd j/\dd\ln D = -2j^2$ を積分し,$1/j(D)=1/j(D_0)+2\ln(D/D_0)$ を導け.さらに $j$ が発散するスケール(Kondo 温度)が $T_K = D_0\exp[-1/(2j_0)]$ で与えられることを示せ.

(4) $D_0=3\ \mathrm{eV}$,$j_0=\rho J=0.05$ のとき $T_K$ を eV と K の両方の単位で求めよ($k_B = 8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}$).

解答

方針.(1)(2) は1ループの走りの式に数値を代入するだけである.鍵は,走る量が $\alpha_s$ そのものではなく逆数 $1/\alpha_s$ であり,それが $\ln\mu$ の1次関数になっている点である.直線なので外挿も内挿も容易で,ゼロ切片が $\Lambda_{\mathrm{QCD}}$ を与える.(3) はまったく同じ構造を Kondo 問題で作る.$1/j$ の微分方程式に書き換えれば,右辺が定数になって一発で積分できる.(4) は (3) の結果に数値を入れる.本文表3.9 の対応表が示すとおり,(1)(2) と (3)(4) は同じ数学の二つの実現である.

(1) $\mu_0 = m_Z = 91.188\ \mathrm{GeV}$,$\mu = 10\ \mathrm{GeV}$ とする.まず対数を計算する:

$$ \ln\frac{\mu}{\mu_0} = \ln\frac{10}{91.188} = \ln(0.10967) = -2.2103 $$

負になるのは,$m_Z$ より低いエネルギーへ走らせているからである.次に係数を掛ける:

$$ \frac{b_0}{2\pi}\ln\frac{\mu}{\mu_0} = \frac{7.6667}{6.28319}\times(-2.2103) = 1.22019\times(-2.2103) = -2.6970 $$

出発点は

$$ \frac{1}{\alpha_s(m_Z)} = \frac{1}{0.118} = 8.4746 $$

したがって

$$ \frac{1}{\alpha_s(10\ \mathrm{GeV})} = 8.4746 - 2.6970 = 5.7775 $$ $$ \alpha_s(10\ \mathrm{GeV}) = \frac{1}{5.7775} = 0.1731 $$

$m_Z$ での値との比は

$$ \frac{0.1731}{0.118} = 1.467 $$

すなわち約 $1.47$ 倍に増える.エネルギーを1桁下げただけで結合が5割近く強くなった.これが漸近的自由の裏返しである.本文 3.3.4 項の例では逆に $m_Z$ から $1\ \mathrm{TeV}$ へ上げて $\alpha_s = 0.0877$ を得ていた.$10\ \mathrm{GeV}$ の $0.173$ と $1\ \mathrm{TeV}$ の $0.0877$ を比べると,2桁のエネルギー差で結合が2倍変わっている.

(2) $1/\alpha_s(\mu) = 0$ を課す.走りの式から

$$ 0 = \frac{1}{\alpha_s(m_Z)} + \frac{b_0}{2\pi}\ln\frac{\mu}{m_Z} \quad\Longrightarrow\quad \ln\frac{\mu}{m_Z} = -\frac{2\pi}{b_0\,\alpha_s(m_Z)} $$

右辺を計算する.分母は

$$ b_0\,\alpha_s(m_Z) = 7.6667\times0.118 = 0.90467 $$

だから

$$ \ln\frac{\mu}{m_Z} = -\frac{6.28319}{0.90467} = -6.9453 $$

指数をとって

$$ \Lambda_{\mathrm{QCD}} = m_Z\,\ee^{-6.9453} = 91.188\times9.632\times10^{-4} = 0.0878\ \mathrm{GeV} $$

すなわち $\Lambda_{\mathrm{QCD}} \approx 88\ \mathrm{MeV}$ である.本文 3.3.4 項の例と同じ値が得られた.

この点で $1/\alpha_s$ がゼロになるということは,$\alpha_s$ 自身が発散するということである.もちろん物理量が本当に発散するわけではなく,1ループの摂動計算がそこで破綻するという意味である.しかし破綻する場所そのものが物理的に意味をもつ.$88\ \mathrm{MeV}$ は $\pi$ 中間子の質量($140\ \mathrm{MeV}$)と同じ桁であり,ハドロンの質量スケールにほかならない.無次元のパラメータ $\alpha_s(m_Z) = 0.118$ という「ただの数」から,指数関数を通じてエネルギーの次元をもつ量が湧き出した.これが本文でいう次元転換である.なお1ループ・5フレーバーの粗い見積りなので,フレーバー閾値と2ループ効果を入れた実際の値 $\Lambda^{(3)}_{\overline{\mathrm{MS}}}\approx0.33\ \mathrm{GeV}$ とは3倍以上ずれるが,桁の構造を示すには十分である.

(3) Kondo 問題のスケーリング方程式

$$ \frac{\dd j}{\dd\ln D} = -2j^2 $$

を,従属変数を $1/j$ に取り替えて書き直す.連鎖律から

$$ \frac{\dd}{\dd\ln D}\left(\frac{1}{j}\right) = -\frac{1}{j^2}\frac{\dd j}{\dd\ln D} = -\frac{1}{j^2}\times\left(-2j^2\right) = 2 $$

右辺が定数になった.これが1ループのスケーリング方程式の一般的な特徴で,$-\,(\text{定数})\times(\text{結合})^2$ という形の $\beta$ 関数は,逆数をとると必ず線形になる.そのまま $\ln D$ で積分すればよい.$D_0$ から $D$ まで積分して

$$ \frac{1}{j(D)} - \frac{1}{j(D_0)} = 2\left(\ln D - \ln D_0\right) = 2\ln\frac{D}{D_0} $$

すなわち

$$ \frac{1}{j(D)} = \frac{1}{j(D_0)} + 2\ln\frac{D}{D_0} $$

が得られた.示すべき式である.

次に $j$ が発散するスケールを求める.$j\to\infty$ は $1/j\to0$ と同じことなので,$1/j(D) = 0$ を課す.$j_0 \equiv j(D_0)$ と書くと

$$ 0 = \frac{1}{j_0} + 2\ln\frac{T_K}{D_0} \quad\Longrightarrow\quad \ln\frac{T_K}{D_0} = -\frac{1}{2j_0} $$

指数をとって

$$ T_K = D_0\,\exp\!\left[-\frac{1}{2j_0}\right] $$

これが示すべき式である.$j_0 > 0$(反強磁性的な交換相互作用)であれば指数は負なので,$T_K$ は必ず $D_0$ より小さい.$D$ を下げていく($\ln D$ を減らす)と $1/j$ が減り,$j$ が増大して,$D = T_K$ で摂動論が破綻する.

(2) との対応も明示しておく.(2) では $\ln(\mu/m_Z) = -2\pi/(b_0\alpha_s)$ から $\Lambda_{\mathrm{QCD}} = m_Z\ee^{-2\pi/(b_0\alpha_s)}$ を得た.いま (3) では $\ln(T_K/D_0) = -1/(2j_0)$ から $T_K = D_0\ee^{-1/(2j_0)}$ を得た.指数の中身を並べると

$$ \frac{2\pi}{b_0\,\alpha_s} \qquad\longleftrightarrow\qquad \frac{1}{2\,j_0} $$

どちらも「$\beta$ 関数の係数と結合定数の積の逆数」である.$\beta$ 関数を $\dd g/\dd\ln(\text{スケール}) = -Cg^2$ と書けば,発散スケールは一般に $(\text{出発スケール})\times\ee^{-1/(Cg_0)}$ となる.QCD では $C = b_0/(2\pi)$,Kondo では $C = 2$ である.二つの分野の式は,この $C$ の値が違うだけである.

(4) (3) の公式に数値を入れる.まず指数の中身は

$$ -\frac{1}{2j_0} = -\frac{1}{2\times0.05} = -\frac{1}{0.1} = -10 $$

したがって

$$ T_K = 3\ \mathrm{eV}\times\ee^{-10} = 3\times4.5400\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = 1.362\times10^{-4}\ \mathrm{eV} $$

これを温度に直す.$k_B = 8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}$ で割って

$$ T_K = \frac{1.362\times10^{-4}\ \mathrm{eV}}{8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}} = 1.58\ \mathrm{K} $$

すなわち $T_K = 1.36\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = 1.6\ \mathrm{K}$ である.希薄 Kondo 合金(銅中の鉄など)の Kondo 温度として,まったく現実的な値である.

指数関数の効き方を実感しておこう.$j_0$ を $0.05$ から $0.1$ に倍にすると指数は $-10$ から $-5$ になり,$T_K = 3\times\ee^{-5} = 20.2\ \mathrm{meV} = 235\ \mathrm{K}$ となる.結合を2倍にしただけで Kondo 温度は150倍になる.本文 3.6.4 項の $D=1\ \mathrm{eV}$,$j=0.1$ の例($T_K = 78\ \mathrm{K}$)と比べると,バンド幅が3倍違うぶんだけ $T_K$ も3倍違っており,整合している.結合定数のわずかな違いが物質ごとの $T_K$ を桁で変えるという事実は,実験家にとっては悩みの種であり,同時に $T_K$ を測れば $j$ が精密に決まるという利点でもある.

検算.三つの角度から確かめる.第一に (1) と (2) の相互整合性:(2) で $\Lambda_{\mathrm{QCD}} = 0.0878\ \mathrm{GeV}$ を得たので,走りの式を $\Lambda$ 起点で書き直せば $1/\alpha_s(\mu) = \dfrac{b_0}{2\pi}\ln(\mu/\Lambda)$ となる.ここに $\mu = 10\ \mathrm{GeV}$ を入れると $\ln(10/0.0878) = \ln(113.9) = 4.735$,$1.22019\times4.735 = 5.777$ となり,(1) で直接求めた $5.7775$ と一致する.二つの独立な経路が同じ数を与えた.第二に極限と符号:$b_0 > 0$ なので $\mu$ を上げると $1/\alpha_s$ が増え,$\alpha_s$ は減る.(1) では $\mu$ を下げたので $\alpha_s$ が増えた.漸近的自由の向きと合っている.同様に (3) の Kondo でも,$D$ を下げると $j$ が増える.どちらも「低エネルギーで強結合」である.第三に次元:$\ln$ の中身は $\mu/\mu_0$ や $D/D_0$ という比なので無次元であり,正しい.$T_K$ は $D_0$ に無次元の因子を掛けたものなのでエネルギーの次元をもち,$k_B$ で割れば温度になる.(4) の単位換算も次元的に整合している.

意味.本問は,本書が主張する「素粒子と物性は同じ数式を共有する」という命題の,もっとも直接的な実例である.(1)(2) で解いた方程式と (3)(4) で解いた方程式は,係数が違うだけで数学的に同一であり,解も同じ形をしている.どちらも無次元の結合定数から,指数関数を通じてエネルギーの次元をもつ新しいスケールを生み出す.QCD では $\Lambda_{\mathrm{QCD}} \approx 10^2\ \mathrm{MeV}$,Kondo では $T_K \approx 1\ \mathrm{K}$.両者は12桁も離れているが,生まれ方は同一である.そして両方とも,そのスケールの下では摂動論が使えなくなり,非摂動的な手法が要る.QCD では格子 QCD,Kondo では数値くりこみ群である.本文が強調するとおり,この二つを作ったのは同じ Kenneth Wilson であり,しかも同じ 1974–75 年である.材料科学者が Kondo 効果や臨界現象で使っているくりこみ群は,比喩でも類推でもなく,素粒子物理の走る結合定数と文字どおり同じ道具なのである.演習3.5 (3) で「同一視してはならない」と警告した転位とひもの対比とは対照的に,こちらは本物の対応である.同じ方程式を同じ境界条件で解いているかどうか——それが類推の真贋を分ける基準である.

E.4 第4章 相対論的運動学 の解答

演習4.1 rapidity の加法性を数値で確かめる

問題(再掲)

ロケット A が地球に対して $\beta_1=0.6$ で飛び,ロケット B が A に対して同じ向きに $\beta_2=0.8$ で飛んでいる.

(1) $\eta_1=\mathrm{artanh}\,0.6$ と $\eta_2=\mathrm{artanh}\,0.8$ を,$\eta=\frac12\ln\frac{1+\beta}{1-\beta}$ を使って対数の形で求めよ(きれいな値になる).

(2) $\eta_3=\eta_1+\eta_2$ から $\beta_3=\tanh\eta_3$ を分数で求めよ.

(3) 速度合成則で直接計算した結果と一致することを確かめ,$\gamma_3$ を求めよ.

(4) $\beta_1=\beta_2=0.99$ の場合について $\beta_3$ を求め,$1$ を超えないことを確かめよ.

解答

方針.本書4章の rapidity の定義 $\beta=\tanh\eta$,$\gamma=\cosh\eta$,$\gamma\beta=\sinh\eta$ と,同方向 boost の合成則 $\Lambda(\eta_1)\Lambda(\eta_2)=\Lambda(\eta_1+\eta_2)$ だけを使う.速度合成則は最後に「答え合わせ」として使うだけである.

(1) 定義式にそのまま代入する.$\beta_1=0.6$ では

$$ \eta_1 = \frac12\ln\frac{1+0.6}{1-0.6} = \frac12\ln\frac{1.6}{0.4} = \frac12\ln 4 = \frac12\cdot 2\ln 2 = \ln 2 = 0.693147\cdots $$

$\beta_2=0.8$ では

$$ \eta_2 = \frac12\ln\frac{1+0.8}{1-0.8} = \frac12\ln\frac{1.8}{0.2} = \frac12\ln 9 = \frac12\cdot 2\ln 3 = \ln 3 = 1.098612\cdots $$

$0.6$ と $0.8$ という,一見なんの変哲もない数が,rapidity では $\ln2$ と $\ln3$ という整数の対数になる.これは偶然ではなく,$\beta=(n^2-1)/(n^2+1)$ の形の速度が $\eta=\ln n$ に対応するからである($\beta_1$ は $n=2$,$\beta_2$ は $n=3$).

(2) rapidity は同方向 boost に対して加法的だから

$$ \eta_3 = \eta_1+\eta_2 = \ln 2 + \ln 3 = \ln 6 = 1.791759\cdots $$

あとは $\tanh$ の定義に戻す.$\ee^{\eta_3}=6$,$\ee^{-\eta_3}=1/6$ なので

$$ \beta_3 = \tanh(\ln 6) = \frac{\ee^{\ln 6}-\ee^{-\ln 6}}{\ee^{\ln 6}+\ee^{-\ln 6}} = \frac{6-\dfrac16}{6+\dfrac16} = \frac{36-1}{36+1} = \frac{35}{37} = 0.945946\cdots $$

分子・分母に $6$ を掛けて整理しただけである.一般に $\beta=\tanh(\ln n)=(n^2-1)/(n^2+1)$ であり,ここでも $n=6$ で $35/37$ が出ている.

(3) 速度合成則で直接やると

$$ \beta_3 = \frac{\beta_1+\beta_2}{1+\beta_1\beta_2} = \frac{0.6+0.8}{1+0.6\times0.8} = \frac{1.4}{1.48} = \frac{140}{148} = \frac{35}{37} $$

で,(2) と完全に一致する.$\gamma_3$ は二通りに出せる.rapidity から出すなら

$$ \gamma_3 = \cosh(\ln 6) = \frac{\ee^{\ln6}+\ee^{-\ln6}}{2} = \frac{6+\dfrac16}{2} = \frac{37}{12} = 3.083333\cdots $$

定義から出すなら

$$ \gamma_3 = \frac{1}{\sqrt{1-\beta_3^2}} = \frac{1}{\sqrt{1-\left(\dfrac{35}{37}\right)^2}} = \frac{37}{\sqrt{37^2-35^2}} = \frac{37}{\sqrt{1369-1225}} = \frac{37}{\sqrt{144}} = \frac{37}{12} $$

で,やはり一致する($37^2-35^2=(37-35)(37+35)=2\times72=144$ と因数分解すれば暗算でよい).

(4) $\beta_1=\beta_2=0.99$ では,rapidity は

$$ \eta_1=\eta_2=\frac12\ln\frac{1.99}{0.01}=\frac12\ln 199 = 2.646652\cdots, \qquad \eta_3 = 2\eta_1 = 5.293305\cdots $$

である.速度合成則で直接計算すると

$$ \beta_3 = \frac{0.99+0.99}{1+0.99\times0.99} = \frac{1.98}{1.9801} = 0.99994950\cdots $$

で,たしかに $1$ を下回っている.$1$ からの隔たりは

$$ 1-\beta_3 = \frac{1.9801-1.98}{1.9801} = \frac{0.0001}{1.9801} = 5.0502\times10^{-5} $$

と,まだ有限である.このときの $\gamma_3$ は

$$ \gamma_3 = \frac{1}{\sqrt{1-\beta_3^2}} = \frac{1+\beta^2}{1-\beta^2}\bigg|_{\beta=0.99} = \frac{1.9801}{0.0199} = 99.5025\cdots $$

である($\gamma_3=\cosh 2\eta_1=2\cosh^2\eta_1-1=2\gamma_1^2-1$ とも書ける.$\gamma_1=1/\sqrt{1-0.99^2}=7.08881$ なので $2\times7.08881^2-1=99.5025$ で一致する).

検算.$\beta$ も $\eta$ も無次元量であり,次元は自明に合っている.より意味のある検算は極限である.$\tanh$ の値域は $(-1,1)$ なので,$\eta_1,\eta_2$ がどれほど大きくても $\beta_3=\tanh(\eta_1+\eta_2)$ は決して $1$ に達しない.じっさい (4) では $\eta_3=5.29$ という大きな rapidity にもかかわらず $\beta_3=0.99995$ にとどまった.逆に非相対論極限 $\beta_1,\beta_2\ll1$ では $\eta\simeq\beta$,$\tanh\eta\simeq\eta$ なので $\beta_3\simeq\beta_1+\beta_2$ となり,Galilei の速度加法に戻る.また (2) と (3) が独立な二つの経路から同じ既約分数 $35/37$ を与えたことが,計算そのものの相互検証になっている.

意味.「速度は足せないが rapidity は足せる」というのが本問の結論である.$\beta$ という変数が悪いのであって,相対論の boost そのものは,$(t,x)$ 平面の双曲線回転として,回転角にあたる $\eta$ について素直に加法的である.覚えにくい合成則 $\beta_3=(\beta_1+\beta_2)/(1+\beta_1\beta_2)$ の正体は $\tanh$ の加法定理にすぎない.材料科学の実務でも rapidity の感覚は役に立つ.たとえば加速電圧 $200\ \mathrm{kV}$ の透過電子顕微鏡の電子は $\gamma=1+200/511=1.391$,$\beta=0.695$,$\eta=0.858$ であり,$300\ \mathrm{kV}$ 機ではこれが $\beta=0.777$ になる.$\beta$ で見ると「$0.70$ が $0.78$ に増えただけ」だが,rapidity で見ると $0.858\to1.037$ と目盛りが素直に伸びる.電子の波長・相対論補正因子はすべて $\gamma$(すなわち $\cosh\eta$)で決まるので,$\eta$ を物差しに取るほうが加速電圧の効きを見通しやすい.

演習4.2 光子の Doppler 効果と GZK 限界

問題(再掲)

$+x$ 方向に進む光子の4元運動量は $k^\mu=\omega(1,1,0,0)$ である.

(1) この光子を,$+x$ 方向への rapidity $\eta$ の boost で変換し,$\omega'=\omega\,\ee^{-\eta}$ となることを示せ.

(2) $\ee^{-\eta}=\sqrt{(1-\beta)/(1+\beta)}$ を示し,相対論的 Doppler 公式を書け.正面から向かってくる光子($k^\mu=\omega(1,-1,0,0)$)に対してはどうなるか.

(3) 宇宙線陽子が宇宙背景放射(平均光子エネルギー $\bar\omega\simeq6.3\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$)の光子と正面衝突して $p+\gamma\to p+\pi^0$ を起こすには,陽子の静止系で光子のエネルギーが $144.7\ \mathrm{MeV}$(本文 §4.4.5 の公式で確かめよ)を超えればよい.正面衝突では $\omega_{\rm rest}\simeq2\gamma_p\bar\omega$ である.これから陽子のエネルギーの上限を見積もれ.

解答

方針.4元運動量も4元ベクトルなので,本書4章の rapidity 表示の Lorentz 変換行列をそのまま作用させればよい.光子は $k^2=0$ なので $\abs{\bm{k}}=\omega$ であり,1成分だけ見れば済む.

(1) $+x$ 方向への rapidity $\eta$ の boost は,$(k^0,k^1)$ に対して

$$ \begin{pmatrix} k'^0 \\ k'^1 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} \cosh\eta & -\sinh\eta \\ -\sinh\eta & \cosh\eta \end{pmatrix} \begin{pmatrix} k^0 \\ k^1 \end{pmatrix} $$

と作用する($k^2,k^3$ は不変).いま $k^\mu=\omega(1,1,0,0)$ すなわち $k^0=k^1=\omega$ だから

$$ k'^0 = \omega\cosh\eta - \omega\sinh\eta = \omega(\cosh\eta-\sinh\eta), $$ $$ k'^1 = -\omega\sinh\eta + \omega\cosh\eta = \omega(\cosh\eta-\sinh\eta) . $$

双曲線関数の定義 $\cosh\eta=(\ee^{\eta}+\ee^{-\eta})/2$,$\sinh\eta=(\ee^{\eta}-\ee^{-\eta})/2$ より $\cosh\eta-\sinh\eta=\ee^{-\eta}$ であるから

$$ k'^\mu = \omega\,\ee^{-\eta}\,(1,1,0,0), \qquad\text{すなわち}\qquad \omega' = \omega\,\ee^{-\eta} . $$

結果は $k^\mu$ 全体が共通因子 $\ee^{-\eta}$ 倍になっただけである.向きは $+x$ のまま,$k'^2=0$ も保たれている.「同方向 boost では光子の4元運動量はスケールするだけ」というこの性質は,光子の運動量が boost の固有ベクトル(固有値 $\ee^{-\eta}$)になっていることを意味する.

(2) $\gamma=\cosh\eta$,$\gamma\beta=\sinh\eta$ を使うと

$$ \ee^{-\eta} = \cosh\eta-\sinh\eta = \gamma-\gamma\beta = \gamma(1-\beta) = \frac{1-\beta}{\sqrt{1-\beta^2}} = \frac{1-\beta}{\sqrt{(1-\beta)(1+\beta)}} = \sqrt{\frac{1-\beta}{1+\beta}} $$

である.したがって遠ざかる向き(光子と同じ向き)の観測者が見る振動数は

$$ \omega' = \omega\sqrt{\frac{1-\beta}{1+\beta}} \qquad(\text{赤方偏移}) $$

となる.これが相対論的 Doppler 公式である.一方,正面から向かってくる光子 $k^\mu=\omega(1,-1,0,0)$ に対しては $k^0=\omega$,$k^1=-\omega$ なので

$$ k'^0 = \omega\cosh\eta + \omega\sinh\eta = \omega(\cosh\eta+\sinh\eta) = \omega\,\ee^{+\eta}, $$

すなわち

$$ \omega' = \omega\,\ee^{+\eta} = \omega\sqrt{\frac{1+\beta}{1-\beta}} \qquad(\text{青方偏移}) $$

である.$\beta\to1$ では $\ee^{\eta}=\gamma(1+\beta)\to2\gamma$ なので $\omega'\simeq2\gamma\omega$ となる.これが (3) で使う「正面衝突なら静止系で $2\gamma$ 倍」という関係の中身である.

(3) まずしきい値 $144.7\ \mathrm{MeV}$ を確かめる.反応 $\gamma+p\to p+\pi^0$ に本書4章の固定標的しきい値の公式を,入射粒子 $a=\gamma$($m_a=0$),標的 $b=p$ として適用すると

$$ E_\gamma^{\rm thr} = \frac{(m_p+m_{\pi^0})^2-0-m_p^2}{2m_p} = \frac{m_{\pi^0}^2+2m_pm_{\pi^0}}{2m_p} = m_{\pi^0}\left(1+\frac{m_{\pi^0}}{2m_p}\right) $$

で,数値を入れると

$$ E_\gamma^{\rm thr} = 134.977\times\left(1+\frac{134.977}{2\times938.272}\right) = 134.977\times(1+0.0719285) = 144.69\ \mathrm{MeV} $$

である(詳細は演習4.3(3)).正面衝突では,陽子静止系で見た背景放射光子のエネルギーが $\omega_{\rm rest}=\gamma_p(1+\beta_p)\bar\omega\simeq2\gamma_p\bar\omega$ になるから,反応が起こる条件は

$$ 2\gamma_p\bar\omega \ \ge\ E_\gamma^{\rm thr} \quad\Longleftrightarrow\quad \gamma_p \ \ge\ \frac{E_\gamma^{\rm thr}}{2\bar\omega} = \frac{144.69\times10^{6}\ \mathrm{eV}}{2\times6.3\times10^{-4}\ \mathrm{eV}} = 1.148\times10^{11} $$

である.陽子のエネルギーに直すと

$$ E_p = \gamma_p m_p = 1.148\times10^{11}\times9.383\times10^{8}\ \mathrm{eV} = 1.08\times10^{20}\ \mathrm{eV} \simeq 1\times10^{20}\ \mathrm{eV} . $$

これより高いエネルギーの陽子は,宇宙空間を飛ぶあいだに背景放射光子と衝突して $\pi^0$ を作り,エネルギーを失ってしまう.したがって遠方($\sim50\ \mathrm{Mpc}$ 以遠)からは $10^{20}\ \mathrm{eV}$ 超の宇宙線は届かない.これが GZK 限界である.

検算.まず (2) の恒等式を具体値で確かめる.$\beta=0.6$ のとき演習4.1 より $\eta=\ln2$ なので $\ee^{-\eta}=1/2$,一方 $\sqrt{(1-0.6)/(1+0.6)}=\sqrt{0.4/1.6}=\sqrt{0.25}=0.5$ で一致する.次に前後の整合性として,同方向の場合の因子 $\ee^{-\eta}$ と正面の場合の因子 $\ee^{+\eta}$ の積は $1$ であり,「逆向きの boost で元に戻る」という要請を満たしている.非相対論極限では $\sqrt{(1-\beta)/(1+\beta)}\simeq1-\beta$ となり,古典的 Doppler 公式 $\omega'\simeq\omega(1-v/c)$ に帰着する.(3) は次元の点でも整合している:$\gamma_p$ は無次元,$E_p=\gamma_pm_p$ はエネルギー.また $\bar\omega\simeq6.3\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ は,宇宙背景放射の温度 $T=2.725\ \mathrm{K}$($k_BT=2.35\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$)の黒体放射の平均光子エネルギー $\langle\omega\rangle=2.70\,k_BT=2.70\times2.35\times10^{-4}=6.3\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ とぴたり一致しており,入力値そのものも妥当である.

意味.光子のエネルギーが boost で $\ee^{\pm\eta}$ 倍されるという一行が,宇宙線の最高エネルギーに天井を与えている.エネルギーが指数関数で変わるのだから,$\gamma\sim10^{11}$ という極端な boost では,ミリ eV にも満たない背景放射の光子が,陽子から見れば $\pi$ 中間子を作れる $\gamma$ 線に化けてしまう.同じ論理は物質科学の現場でも働いている.放射光施設のアンジュレータは,$\gamma\sim1.6\times10^4$(SPring-8 の $8\ \mathrm{GeV}$ 電子)の電子から見ると周期磁場が $\gamma$ 倍に縮んだ電磁波に見え,それが実験室系に戻るときにもう一度 Doppler 昇圧されて,合計 $\sim2\gamma^2$ 倍の硬 X 線になる.周期数 cm の磁石列から Å の波長の光が出てくるのは,本問(2) の $\ee^{+\eta}\simeq2\gamma$ を二度使っているからにほかならない.

演習4.3 不変質量の最小値としきい値条件

問題(再掲)

$n$ 個の粒子の系の不変質量 $M_{\rm inv}=\sqrt{(\sum_ip_i)^2}$ について考える.

(1) 重心系で $M_{\rm inv}=\sum_iE_i^*$ となることを示せ.

(2) $E_i^*\ge m_i$(等号は静止のとき)を使って $M_{\rm inv}\ge\sum_im_i$ を示し,等号成立条件を述べよ.これがしきい値条件の証明である.

(3) 反応 $\gamma+p\to p+\pi^0$($\pi^0$ の光生成)の,静止陽子に対するしきい光子エネルギーを求めよ.$m_p=938.272$,$m_{\pi^0}=134.977\ \mathrm{MeV}$.

(4) (3) の答えが $m_{\pi^0}$ より大きい理由を,反跳という言葉を使って一言で説明せよ.

解答

方針.$M_{\rm inv}$ は Lorentz 不変量だから,どの系で計算してもよい.いちばん計算が楽な重心系で評価する,というのが要点である.

(1) 全4元運動量を $P^\mu\equiv\sum_ip_i^\mu$ と置く.重心系(CM 系)とは,定義により全運動量がゼロになる系,すなわち

$$ \bm{P}^* = \sum_i\bm{p}_i^* = \bm{0} $$

が成り立つ系である.この系では $P^{*\mu}=(\sum_iE_i^*,\ \bm{0})$ となるから,本書4章の内積の定義を使って

$$ M_{\rm inv}^2 = P\cdot P = P^*\cdot P^* = \Big(\sum_iE_i^*\Big)^2 - \abs{\bm{0}}^2 = \Big(\sum_iE_i^*\Big)^2 . $$

$E_i^*>0$ なので平方根は正符号を取って

$$ M_{\rm inv} = \sum_i E_i^* $$

を得る.1行目で $P\cdot P=P^*\cdot P^*$ と書き換えられるところが,不変量を使うことの利益そのものである.

(2) 各粒子は質量殻の上にあるから,重心系でも

$$ E_i^* = \sqrt{\abs{\bm{p}_i^*}^2+m_i^2} \ \ge\ \sqrt{0+m_i^2} = m_i $$

であり,等号が成り立つのは $\abs{\bm{p}_i^*}=0$,すなわちその粒子が重心系で静止しているときに限る.これを (1) の和に代入すると

$$ M_{\rm inv} = \sum_i E_i^* \ \ge\ \sum_i m_i . $$

等号成立は,すべての $i$ について $\bm{p}_i^*=\bm{0}$,すなわち終状態の全粒子が重心系で静止しているときである(実験室系で見れば,全粒子が一団となって同じ速度で前進している状態にあたる).反応 $a+b\to1+2+\cdots+n$ ではエネルギー・運動量保存より終状態全体の不変質量は $\sqrt{s}$ に等しいから,ただちに

$$ \sqrt{s} \ \ge\ \sum_f m_f $$

が従う.これがしきい値条件である.「不変質量には下限があり,その下限は静止質量の和である」という,きわめて素朴な事実がしきい値の正体だったことになる.

(3) 固定標的のしきい値の一般式に,入射粒子 $a=\gamma$($m_\gamma=0$),標的 $b=p$,終状態 $\{p,\pi^0\}$ を入れる:

$$ E_\gamma^{\rm thr} = \frac{(m_p+m_{\pi^0})^2 - m_\gamma^2 - m_p^2}{2m_p} = \frac{(m_p+m_{\pi^0})^2-m_p^2}{2m_p} . $$

分子を展開すると $m_p^2+2m_pm_{\pi^0}+m_{\pi^0}^2-m_p^2=m_{\pi^0}(2m_p+m_{\pi^0})$ だから

$$ E_\gamma^{\rm thr} = \frac{m_{\pi^0}(2m_p+m_{\pi^0})}{2m_p} = m_{\pi^0}\left(1+\frac{m_{\pi^0}}{2m_p}\right) . $$

数値を入れる.$m_{\pi^0}/(2m_p) = 134.977/1876.544 = 0.0719285$ なので

$$ E_\gamma^{\rm thr} = 134.977\times1.0719285 = \underline{144.69\ \mathrm{MeV}} . $$

質量として作りたい $\pi^0$ は $134.977\ \mathrm{MeV}$ なのに,$9.71\ \mathrm{MeV}$ 多く払わされている.

(4) 運動量保存のためである.入射光子は $144.69\ \mathrm{MeV}$ の運動量を持ち込むから,終状態がその運動量を受け取らなければならず,終状態を静止させることはできない.したがって「$\pi^0$ の質量を作る」以外に,終状態全体を前に走らせる運動エネルギー(反跳のエネルギー)が必ず必要になる.その分が超過分 $9.71\ \mathrm{MeV}$ である.

内訳を確かめておく.しきい値では $p$ と $\pi^0$ は一団となって進むから,その速度は

$$ \beta = \frac{\abs{\bm{P}}}{E_{\rm tot}} = \frac{E_\gamma^{\rm thr}}{E_\gamma^{\rm thr}+m_p} = \frac{144.69}{1082.96} = 0.13360, \qquad \gamma = \frac{E_{\rm tot}}{m_p+m_{\pi^0}} = \frac{1082.96}{1073.25} = 1.009047 $$

である.したがって陽子と $\pi^0$ の運動エネルギーはそれぞれ

$$ T_p = (\gamma-1)m_p = 0.009047\times938.272 = 8.49\ \mathrm{MeV}, \qquad T_{\pi^0} = (\gamma-1)m_{\pi^0} = 1.22\ \mathrm{MeV} $$

で,和は $9.71\ \mathrm{MeV}$.たしかに超過分と一致し,しかもその大半($87\ \%$)は重い陽子が担っている.「反跳する陽子の運動エネルギー」と呼ぶのは,この意味では正確である.

検算.次元は明らかに合っている(すべてエネルギー).極限による検算をしておく.$m_{\pi^0}/m_p\to0$(無限に重い標的)の極限では $E_\gamma^{\rm thr}\to m_{\pi^0}$ となり,「反跳を無視できるなら質量ぶんのエネルギーで足りる」という当然の結果に戻る.逆に軽い標的ほど超過分が大きくなる.独立な検算として,しきい値での重心系エネルギーが $\sqrt{s}=m_p+m_{\pi^0}$ になっているかを直接確かめる:

$$ \sqrt{s} = \sqrt{(E_\gamma+m_p)^2-E_\gamma^2} = \sqrt{1082.96^2-144.69^2} = \sqrt{1172802-20935} = \sqrt{1151867} = 1073.25\ \mathrm{MeV} $$

で,$m_p+m_{\pi^0}=938.272+134.977=1073.249\ \mathrm{MeV}$ にぴたりと一致する.さらに,この $144.7\ \mathrm{MeV}$ は演習4.2(3) の GZK 限界の入力値そのものであり,二つの問題が同じ数で結ばれていることも整合性の確認になっている.

意味.本問(2) が示したのは,「エネルギーが足りているか」という問いが,$\sqrt{s}\ge\sum_fm_f$ という一行に完全に還元されるということである.この一行は,反陽子を作るのに $7m_p$ が要ることも,$\pi^0$ を作るのに $m_{\pi^0}$ より $7\ \%$ 多く要ることも,同時に説明する.また (4) の「反跳を誰が受け取るか」という視点は,材料科学の測定に直結する.Mössbauer 効果では,$\gamma$ 線の反跳を原子核1個ではなく結晶全体が受け取るため,実効的な標的質量が事実上無限大になって反跳エネルギーがゼロになる(本問の $m_p\to\infty$ 極限にあたる).無反跳吸収が起こるのは,まさに (3) の超過分 $m_{\pi^0}^2/(2m_p)$ 型の項が消えるからである.反跳項の分母にある標的質量を「何が反跳を受けるか」で読み替えるだけで,素粒子のしきい値と固体物理の無反跳吸収が同じ式で語れる.

演習4.4 Mandelstam 変数の数え上げと $e^-p$ 弾性散乱

問題(再掲)

(1) $2\to2$ 反応の独立な Lorentz 不変量が2個であることを,自由度の数え上げで示せ.(4本の4元運動量で $16$ 成分.保存則 $4$ 本,質量殻条件 $4$ 本を引いて $8$.さらに Lorentz 群のパラメータ数 $6$(回転3+boost 3)だけ「向きの自由度」を落とす.)

(2) $1\ \mathrm{GeV}$ の電子を静止陽子に当てる弾性散乱 $e^-p\to e^-p$ について,$s$ と $\sqrt{s}$ を求めよ($m_e$ は無視してよい).

(3) 重心系での運動量 $\abs{\bm{p}^*}$ を求めよ.

(4) 重心系散乱角 $\theta^*=90^\circ$ における $t$ を求め,$u$ を和則から決めよ.

解答

方針.(1) は数え上げだけの問題である.(2)〜(4) は本書4章の $s$ の Lab 表式,CM 運動量の式,$t$ と散乱角の関係,和則 $s+t+u=\sum_im_i^2$ を順に使うだけで,新しい道具は要らない.

(1) 順に引き算していく.

出発点.$2\to2$ 反応 $1+2\to3+4$ には4本の4元運動量 $p_1,p_2,p_3,p_4$ があり,成分の総数は $4\times4=16$ である.

保存則.$p_1+p_2=p_3+p_4$ は4元ベクトルの等式なので,成分ごとに $4$ 本の条件である.$16-4=12$.

質量殻条件.各粒子は $p_i^2=m_i^2$($i=1,2,3,4$)を満たすので $4$ 本.$12-4=8$.ここまでで「実際に起こりうる運動学的配置」は $8$ 個のパラメータで指定されることが分かった.

Lorentz 変換で移り合う配置を同一視する.不変量は Lorentz 変換で変わらないから,$\Lambda$ で移り合う配置は「同じ不変量の組」を与える.Lorentz 群のパラメータ数は回転 $3$ + boost $3$ = $6$ である.$8-6=2$.

よって独立な Lorentz 不変量は $2$ 個である.∎

この数え上げは,重心系で数え直すとより具体的に見える.CM 系での配置は,(a) 全エネルギー $\sqrt{s}$ が $1$ 個,(b) 入射軸の向きが $2$ 個(極角と方位角),(c) 散乱方向が $2$ 個($\theta^*$ と $\phi^*$)で $5$ 個,これに (d) CM 系から Lab 系への boost が $3$ 個で,合計 $8$ 個.たしかに上の $8$ と一致する.このうち Lorentz 変換で自由に変えられるのは (b) の $2$ 個,(c) のうち方位角 $\phi^*$ の $1$ 個(入射軸まわりの回転),(d) の $3$ 個で計 $6$ 個であり,残るのは $\sqrt{s}$ と $\theta^*$ の $2$ 個だけである.これが $(s,t)$ にほかならない($t$ は $\theta^*$ の関数である).なお $u$ は独立ではなく,和則 $s+t+u=\sum_im_i^2$ で $s,t$ から決まる.

(2) Lab 系で標的の陽子が静止しているので,本書4章の表式

$$ s = m_1^2+m_2^2+2m_2E_1 $$

に $m_1=m_e\to0$,$m_2=m_p=0.938272\ \mathrm{GeV}$,$E_1=E_e=1\ \mathrm{GeV}$ を代入する:

$$ s = 0 + (0.938272)^2 + 2\times0.938272\times1.000 = 0.880354 + 1.876544 = \underline{2.756898\ \mathrm{GeV^2}} , $$ $$ \sqrt{s} = \sqrt{2.756898} = \underline{1.660391\ \mathrm{GeV}} . $$

ちなみに,$E_1=1\ \mathrm{GeV}$ を電子の全エネルギーと読むかぎり,$m_e$ を落とさないことによる変化は $s$ に $m_e^2$ が加わるだけである.$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}=5.11\times10^{-4}\ \mathrm{GeV}$ なので

$$ m_e^2 = 2.61\times10^{-7}\ \mathrm{GeV^2}, \qquad s = 2.7568986\ \mathrm{GeV^2} $$

で,第7桁が動くにすぎない.$m_e$ を無視してよいという指示は妥当である.

意味を読んでおくと,$\sqrt{s}=1.660\ \mathrm{GeV}$ のうち $m_p=0.938\ \mathrm{GeV}$ は陽子の質量で使い切られるので,反応に回せる重心系運動エネルギーは $1.660-0.938=0.722\ \mathrm{GeV}$ にすぎない.$1\ \mathrm{GeV}$ のビームを撃ち込んでも,$0.72\ \mathrm{GeV}$ 分しか「使える」形になっていないわけである.

(3) CM 運動量の式に $m_1=0$,$m_2=m_p$ を入れる.Källén 関数は $\lambda(s,0,m_p^2)=s^2+0+m_p^4-0-0-2sm_p^2=(s-m_p^2)^2$ と完全平方になるから

$$ \abs{\bm{p}^*} = \frac{\sqrt{\lambda(s,0,m_p^2)}}{2\sqrt{s}} = \frac{s-m_p^2}{2\sqrt{s}} = \frac{2.756898-0.880354}{2\times1.660391} = \frac{1.876544}{3.320782} = \underline{0.565091\ \mathrm{GeV}} . $$

ついでに CM 系での各粒子のエネルギーも出しておく:

$$ E_e^* = \frac{s-m_p^2}{2\sqrt{s}} = 0.565091\ \mathrm{GeV}, \qquad E_p^* = \frac{s+m_p^2}{2\sqrt{s}} = \frac{3.637253}{3.320782} = 1.095300\ \mathrm{GeV} . $$

電子は質量ゼロ扱いなので $E_e^*=\abs{\bm{p}^*}$ になっているのが確認できる.

(4) $t$ と重心系散乱角の関係に $\theta^*=90^\circ$($\cos\theta^*=0$)を入れると

$$ t = -2\abs{\bm{p}^*}^2(1-\cos\theta^*) = -2\abs{\bm{p}^*}^2 = -2\times(0.565091)^2 = -2\times0.319328 = \underline{-0.638656\ \mathrm{GeV^2}} . $$

$u$ は和則から決める.弾性散乱なので $m_1=m_3=m_e\to0$,$m_2=m_4=m_p$ であり,$\sum_im_i^2=2m_p^2$ である:

$$ u = 2m_p^2 - s - t = 2\times0.880354 - 2.756898 - (-0.638656) = 1.760709 - 2.756898 + 0.638656 = \underline{-0.357533\ \mathrm{GeV^2}} . $$

たしかに $t\le0$,$u\le0$ になっている.ただし,この二つは意味あいが違うので分けて述べておく.

$t\le0$ は無条件である.本書4章の $t=-2\abs{\bm{p}^*}^2(1-\cos\theta^*)=-4\abs{\bm{p}^*}^2\sin^2(\theta^*/2)$ から明らかで,$s$ チャンネルの物理領域では散乱角によらず $t=-Q^2\le0$ である(前方 $\theta^*=0$ で $t=0$,後方 $\theta^*=180^\circ$ で最小値 $t=-4\abs{\bm{p}^*}^2=-1.2773\ \mathrm{GeV^2}$).

$u\le0$ は無条件ではない.和則から $u=2m_p^2-s-t$ なので,$u\le0$ は $t\ge2m_p^2-s$,すなわち

$$ 2\abs{\bm{p}^*}^2(1-\cos\theta^*) \ \le\ s-2m_p^2 = 2.756898-1.760709 = 0.996189\ \mathrm{GeV^2} $$

と同値である.$2\abs{\bm{p}^*}^2=0.638656\ \mathrm{GeV^2}$ を使うと $1-\cos\theta^*\le1.5598$,すなわち

$$ \cos\theta^* \ \ge\ -0.5598 \qquad\Longleftrightarrow\qquad \theta^* \ \le\ 124.0^\circ $$

となる.本問の $\theta^*=90^\circ$ はこの範囲に入っているので $u<0$ だが,たとえば $\theta^*=180^\circ$ では $t=-1.2773$,$u=1.760709-2.756898+1.277312=+0.2811\ \mathrm{GeV^2}>0$ である.一般に $s$ チャンネルの物理領域で保証されるのは $t\le(m_1-m_3)^2$ と $u\le(m_1-m_4)^2$ であり,いまは $m_1=m_3=0$ なので $t\le0$ が出るが,$m_1=0$,$m_4=m_p$ なので $u$ の上限は $m_p^2=0.880\ \mathrm{GeV^2}$ でしかない.$u\le0$ が無条件に成り立つのは,$pp$ 弾性散乱のように4粒子の質量がそろっている場合($u=4m^2-s-t$ で $t\ge-(s-4m^2)$ が自動的に成り立つ)である.和則 $s+t+u=\sum_im_i^2$ が言っているのは,$s$ が大きくなればその分 $t+u$ が負に深くなる,ということまでである.

検算.次元はすべて $\mathrm{GeV^2}$($s,t,u$)と $\mathrm{GeV}$($\sqrt{s}$,$\abs{\bm{p}^*}$)で整合している.独立な検算として,CM 系のエネルギーの和が $\sqrt{s}$ になっているかを見る:$E_e^*+E_p^*=0.565091+1.095300=1.660391\ \mathrm{GeV}=\sqrt{s}$ で一致する.また陽子の質量殻条件を CM 系で確かめると $E_p^{*2}-\abs{\bm{p}^*}^2=1.199682-0.319328=0.880354=m_p^2$ で,これも一致する.和則も $s+t+u=2.756898-0.638656-0.357533=1.760709=2m_p^2$ でぴたりと閉じている.さらに $t$ を Lab 系の量から独立に計算しても同じになるはずである.弾性散乱では $T_p=-t/(2m_p)$(本書4章の PKA の議論と同じ式)だから,陽子の反跳運動エネルギーは $T_p=0.638656/(2\times0.938272)=0.340336\ \mathrm{GeV}$,したがって散乱電子の Lab エネルギーは $E'=1.000-0.340=0.6597\ \mathrm{GeV}$.質量ゼロの電子では $t=-2E_eE'(1-\cos\theta_{\rm lab})$ なので $\cos\theta_{\rm lab}=1+t/(2E_eE')=1-0.638656/(2\times0.6597)=0.5159$,すなわち $\theta_{\rm lab}=58.9^\circ$ となる.これは「質量ゼロ粒子では $\cos\theta_{\rm lab}=\beta_{\rm CM}$ at $\theta^*=90^\circ$」という関係とも合う($\beta_{\rm CM}=E_e/(E_e+m_p)=1/1.938272=0.51592$).二つの経路が一致した.

意味.本問の $-t=Q^2=0.639\ \mathrm{GeV^2}$ は,弾性電子散乱で陽子の形状因子を測るときの典型的な運動量移行である.これを長さに直すと $Q=0.799\ \mathrm{GeV}/c=4.05\ \mathrm{fm^{-1}}$ なので,空間分解能は $1/Q=0.247\ \mathrm{fm}$.陽子の電荷半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ より小さいので,この $Q^2$ ではすでに陽子の内部構造が見えている.そしてこの「$Q^2$ を変えて構造因子を測る」という手続きは,凝縮系で $S(\bm{Q},\omega)$ を測るのとまったく同じ論理である.中性子回折で $Q\sim5\ \mathrm{\AA^{-1}}$ まで振れば $0.2\ \mathrm{\AA}$ の分解能で原子配置が見え,電子散乱で $Q\sim4\ \mathrm{fm^{-1}}$ まで振れば $0.2\ \mathrm{fm}$ の分解能で核内の電荷分布が見える.スケールが5桁違うだけで,測っているものの構造は同一である.$s$ を固定して $t$ を走査する,というのが両分野に共通する実験の作法であり,Mandelstam 変数はその作法を Lorentz 不変な言葉で書いたものにほかならない.

演習4.5 Källén 関数と Heron の公式

問題(再掲)

$\lambda(x,y,z)=x^2+y^2+z^2-2xy-2yz-2zx$ について.

(1) $\lambda(x,y,z)=[x-(\sqrt y+\sqrt z)^2][x-(\sqrt y-\sqrt z)^2]$ を,右辺を展開して確かめよ.

(2) 3辺の長さが $a,b,c$ の三角形の面積 $A$ に対する Heron の公式 $16A^2=(a+b+c)(-a+b+c)(a-b+c)(a+b-c)$ を用いて $\lambda(a^2,b^2,c^2)=-16A^2$ を示せ.したがって「$a,b,c$ が三角形を作れる $\Leftrightarrow$ $\lambda<0$」である.

(3) 崩壊 $M\to1+2$ が可能な条件 $\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)\ge0$ を,(2) の言葉で言い換えよ.

解答

方針.(1) は素直な展開である.(2) は (1) の因数分解に $x=a^2,y=b^2,z=c^2$ を代入して,Heron の公式の4因子と突き合わせるだけである.符号を1個どこで拾うかが唯一の勘所である.

(1) 右辺を展開する.$\alpha\equiv(\sqrt y+\sqrt z)^2$,$\beta\equiv(\sqrt y-\sqrt z)^2$ と置くと,右辺は $x^2-(\alpha+\beta)x+\alpha\beta$ の形である.まず和は

$$ \alpha+\beta = (y+2\sqrt{yz}+z)+(y-2\sqrt{yz}+z) = 2(y+z) $$

で,$\sqrt{yz}$ の項が打ち消し合う.次に積は,$(\sqrt y+\sqrt z)(\sqrt y-\sqrt z)=y-z$ を使って

$$ \alpha\beta = \left[(\sqrt y+\sqrt z)(\sqrt y-\sqrt z)\right]^2 = (y-z)^2 = y^2-2yz+z^2 . $$

よって

$$ [x-(\sqrt y+\sqrt z)^2][x-(\sqrt y-\sqrt z)^2] = x^2 - 2(y+z)x + y^2-2yz+z^2 = x^2+y^2+z^2-2xy-2xz-2yz $$

となり,これは $\lambda(x,y,z)$ の定義そのものである.∎

この因数分解は実用上きわめて便利である.たとえば本書4章の二体崩壊運動量の式に使えば

$$ \sqrt{\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)} = \sqrt{\left[M^2-(m_1+m_2)^2\right]\left[M^2-(m_1-m_2)^2\right]} $$

となり,$M>m_1+m_2$ のときに限り根号の中が正になることが一目で分かる.

(2) (1) で $x=a^2$,$y=b^2$,$z=c^2$($a,b,c>0$ なので $\sqrt y=b$,$\sqrt z=c$)とすると

$$ \lambda(a^2,b^2,c^2) = \left[a^2-(b+c)^2\right]\left[a^2-(b-c)^2\right] . $$

各因子をさらに2次の差として因数分解する:

$$ a^2-(b+c)^2 = (a-b-c)(a+b+c), \qquad a^2-(b-c)^2 = (a-b+c)(a+b-c) . $$

したがって

$$ \lambda(a^2,b^2,c^2) = (a-b-c)(a+b+c)(a-b+c)(a+b-c) . $$

ここで第1因子だけ符号を外に出す.$(a-b-c) = -(-a+b+c)$ だから

$$ \lambda(a^2,b^2,c^2) = -(-a+b+c)(a+b+c)(a-b+c)(a+b-c) = -(a+b+c)(-a+b+c)(a-b+c)(a+b-c) . $$

右辺の4因子の積は Heron の公式によりちょうど $16A^2$ であるから

$$ \lambda(a^2,b^2,c^2) = -16A^2 . $$

∎ $a,b,c$ が三角形を作れるとき,面積 $A$ は実数の正の値をとるので $-16A^2<0$,すなわち $\lambda<0$.逆に三角形が作れないときは4因子のうちちょうど1個(最も長い辺を $a$ とすれば $-a+b+c$)が負になるので,積全体が負,$\lambda=-(\text{負})>0$ となる.よって

$$ a,b,c\ \text{が三角形を作れる} \quad\Longleftrightarrow\quad \lambda(a^2,b^2,c^2)<0 $$

である.「Källén 関数の符号は三角不等式が成り立つかどうかを判定している」というのが (2) の内容である.

(3) (2) の言い換えとしては,$\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)\ge0$ は

$$ \text{長さ}\ M,\ m_1,\ m_2\ \text{を3辺とする三角形が作れない(または退化する)} $$

ということである.三角形が作れない(退化を含む)のは「どれか一辺が残る2辺の和以上」のときだから,$\lambda\ge0$ は

$$ M\ge m_1+m_2, \qquad\text{または}\qquad m_1\ge M+m_2, \qquad\text{または}\qquad m_2\ge M+m_1 $$

という3つの枝に分かれる.$\lambda$ が3変数について完全対称である以上,これは避けられない.このうち崩壊 $M\to1+2$ が実際に許されるのは第1の枝だけで,残りの2つは逆向きの過程($1\to M+2$ など)が許される場合にあたる.つまり $\lambda\ge0$ だけでは足りず,「$M$ が3つのうち最大」という指定を添えてはじめて崩壊の条件になる:

$$ M \ \ge\ m_1+m_2 . $$

これはまさに「親粒子の質量が娘粒子の質量の和以上でなければ崩壊できない」という,しきい値条件の二体版にほかならない.等号 $M=m_1+m_2$ は三角形が完全に潰れて線分になる場合で,このとき $\lambda=0$,すなわち $p=\sqrt\lambda/(2M)=0$.娘粒子は静止して生まれ,崩壊は運動学的にぎりぎり許されるだけである.

検算.次元を見る.$\lambda(x,y,z)$ は $x,y,z$ について2次だから,$x=M^2$ などエネルギーの2乗を入れれば $\lambda$ はエネルギーの4乗の次元をもつ.一方 $16A^2$ は「長さの2乗の2乗」=長さの4乗であり,$a=M$ などエネルギーを長さと読み替えた文脈で両者の次元は一致している.二体崩壊運動量 $p=\sqrt\lambda/(2M)$ も $(\text{エネルギー}^4)^{1/2}/\text{エネルギー}=\text{エネルギー}$ で正しい.具体的な数値でも確かめる.正三角形 $a=b=c=1$ なら $A=\sqrt3/4$ で $-16A^2=-16\times3/16=-3$.一方 $\lambda(1,1,1)=1+1+1-2-2-2=-3$ で一致する.退化する場合として $a=2,b=c=1$(一直線)を取ると $A=0$,$\lambda(4,1,1)=16+1+1-8-2-8=0$ でこれも一致.三角形にならない $a=3,b=c=1$ では $\lambda(9,1,1)=81+1+1-18-2-18=45>0$ で,たしかに正になる.物理側でも確かめると,$M\to1+2$ で $m_1=m_2=m$ の場合は $p=\sqrt{[M^2-4m^2][M^2-0]}/(2M)=\sqrt{M^2/4-m^2}$ となり,$E_1=M/2$ と質量殻条件 $E_1^2-p^2=m^2$ から得られる値と一致する.

意味.Källén 関数は,見た目こそ対称な2次式だが,中身は三角不等式の判定式である.素粒子物理では「崩壊が起こるか」「散乱の物理領域はどこか」を,角度や速度を一切持ち出さずに $\lambda$ の符号だけで判定できる.しかも $\lambda$ は3変数について完全対称なので,どの粒子を「親」と呼ぶかに依存しない形で書かれている.この対称性は $s$ チャンネルと $t$ チャンネルを行き来する交差対称性の議論で効いてくる.なお,3つの量の大小関係が運動学の可否を決めるという構図は素粒子に限らない.結晶中の3体フォノン散乱過程 $\bm{q}_1+\bm{q}_2\to\bm{q}_3$ を考えよう.ただしここで制約の所在を取り違えないよう注意したい.波数の保存は逆格子ベクトルを法として成り立つので,$\bm{q}_3=\bm{q}_1+\bm{q}_2+\bm{G}$ とすれば任意の $\bm{q}_1,\bm{q}_2$ に対して必ず満たせる(Umklapp を許せば「三角形」は常に閉じる).散乱が許されるかどうかを実際に決めているのは,エネルギー保存 $\omega(\bm{q}_1)+\omega(\bm{q}_2)=\omega(\bm{q}_3)$ のほうである.分散関係の形によっては(たとえば下に凸な音響分岐どうしでは)この等式を満たす組が存在せず,散乱位相空間が閉じる.$\lambda\ge0$ が3つの「質量」の三角不等式で崩壊の可否を決めるのと同じく,ここでも3つの振動数の関係が可否を決めているのである.

演習4.6 Compton 散乱の限界と,プロファイル測定の分解能

問題(再掲)

(1) Compton 公式で $\theta=180^\circ$(後方散乱)とし,$\omega\to\infty$ の極限で $\omega'\to m_e/2=255.5\ \mathrm{keV}$ となることを示せ.

(2) $^{137}\mathrm{Cs}$ の $\gamma$ 線($662\ \mathrm{keV}$)について,$\theta=180^\circ$ の散乱光子エネルギー(後方散乱ピーク)と,そのとき電子が得るエネルギー(Compton edge)を求めよ.

(3) Compton プロファイルの式で $\omega=662\ \mathrm{keV}$,$\theta=160^\circ$ のとき,$\abs{\partial p_z/\partial\omega'}$ を評価せよ.運動量の原子単位 $1\ \mathrm{a.u.}=\alpha m_ec=3.73\ \mathrm{keV}/c$ を使って,運動量分解能 $0.4\ \mathrm{a.u.}$ を得るために必要なエネルギー分解能を求めよ.

(4) 自由電子気体の Compton プロファイルについて $\int_{-p_F}^{p_F}J(p_z)\dd p_z=1$ を確かめ,$J(0)$ を $p_F$ で表せ.アルミニウム($p_F=0.926\ \mathrm{a.u.}$)の $J(0)$ を求めよ.

解答

方針.(1)(2) は本書4章の Compton 公式そのままである.(3) は,静止電子を動く電子に置き換えた $p_z$ の表式を $\omega'$ で微分するが,微分を評価する点がちょうど $p_z=0$(分子がゼロ)なので,商の微分の第2項が落ちて簡単になる.(4) は単なる1次元積分である.以下 $m_e=511\ \mathrm{keV}$ とする.

(1) Compton 公式に $\theta=180^\circ$,すなわち $\cos\theta=-1$,$1-\cos\theta=2$ を入れる:

$$ \omega' = \frac{\omega}{1+\dfrac{\omega}{m_e}(1-\cos\theta)} = \frac{\omega}{1+\dfrac{2\omega}{m_e}} . $$

分子・分母を $\omega$ で割ると

$$ \omega' = \frac{1}{\dfrac{1}{\omega}+\dfrac{2}{m_e}} \ \xrightarrow[\ \omega\to\infty\ ]{}\ \frac{1}{0+\dfrac{2}{m_e}} = \frac{m_e}{2} = \frac{511}{2} = 255.5\ \mathrm{keV} . $$

入射エネルギーをいくら上げても,真後ろに戻ってくる光子は $255.5\ \mathrm{keV}$ を超えられない.逆数の形 $1/\omega'-1/\omega=(1-\cos\theta)/m_e$ で見れば自明で,$1/\omega\to0$ にしても $1/\omega'$ は $2/m_e$ という有限値に落ち着くだけである.

(2) $\omega=662\ \mathrm{keV}$,$\theta=180^\circ$ を代入する.

$$ \frac{2\omega}{m_e} = \frac{2\times662}{511} = \frac{1324}{511} = 2.59100 $$

なので

$$ \omega' = \frac{662}{1+2.59100} = \frac{662}{3.59100} = \underline{184.4\ \mathrm{keV}} $$

である.これが $\gamma$ 線スペクトルに現れる後方散乱ピークの位置である.反跳電子が受け取る運動エネルギーは,エネルギー保存から

$$ T_e = \omega-\omega' = 662 - 184.4 = \underline{477.6\ \mathrm{keV}} $$

で,これが Compton edge(電子が取りうるエネルギーの上限)である.全エネルギーの $72.2\ \%$ が電子に渡り,$27.8\ \%$ が光子として戻ってくる.$^{137}\mathrm{Cs}$ 線源で NaI や Ge 検出器のスペクトルを取ると,$662\ \mathrm{keV}$ の光電ピークのほかに,$478\ \mathrm{keV}$ で切れる連続分布(Compton 連続部)と $184\ \mathrm{keV}$ の後方散乱ピークが必ず立つ.この3本の位置関係は本問の計算そのものである.

(3) まず基準点を決める.$p_z=0$ の電子(つまり静止電子と同じ運動学)が $\theta=160^\circ$ に散乱されたときの $\omega'$ を求める.$\cos160^\circ=-0.939693$ なので $1-\cos\theta=1.939693$ であり

$$ \frac{\omega}{m_e}(1-\cos\theta) = \frac{662}{511}\times1.939693 = 1.295499\times1.939693 = 2.512873, $$ $$ \omega' = \frac{662}{1+2.512873} = \frac{662}{3.512873} = 188.45\ \mathrm{keV} . $$

次に運動量移行の大きさを求める:

$$ \abs{\bm{q}} = \sqrt{\omega^2+\omega'^2-2\omega\omega'\cos\theta} = \sqrt{662^2+188.45^2+2\times662\times188.45\times0.939693} . $$

各項は $662^2=438244$,$188.45^2=35513$,$2\times662\times188.45\times0.939693=234461$ なので

$$ \abs{\bm{q}} = \sqrt{438244+35513+234461} = \sqrt{708218} = 841.6\ \mathrm{keV} . $$

さて微分である.本書4章の Compton プロファイルの式を

$$ p_z = \frac{N(\omega')}{\abs{\bm{q}}(\omega')}, \qquad N(\omega') = m_e(\omega-\omega')-\omega\omega'(1-\cos\theta) $$

と書くと,商の微分より

$$ \frac{\partial p_z}{\partial\omega'} = \frac{N'(\omega')}{\abs{\bm{q}}} - \frac{N(\omega')}{\abs{\bm{q}}^2}\frac{\partial\abs{\bm{q}}}{\partial\omega'} . $$

ここでいま評価している点はまさに $p_z=0$,すなわち $N(\omega')=0$ の点であるから,第2項は厳密にゼロになる.したがって第1項だけでよい.$N'(\omega')=-m_e-\omega(1-\cos\theta)$ なので

$$ \left|\frac{\partial p_z}{\partial\omega'}\right| = \frac{m_e+\omega(1-\cos\theta)}{\abs{\bm{q}}} = \frac{511+662\times1.939693}{841.6} = \frac{511+1284.1}{841.6} = \frac{1795.1}{841.6} = \underline{2.133} . $$

これは「$\omega'$ が $1\ \mathrm{keV}$ ずれると $p_z$ が $2.133\ \mathrm{keV}/c$ ずれる」という意味である.運動量の原子単位に直すと,$1\ \mathrm{a.u.}=3.73\ \mathrm{keV}/c$ だから

$$ \Delta p_z\,[\mathrm{a.u.}] = \frac{2.133}{3.73}\,\Delta\omega'\,[\mathrm{keV}] = 0.572\,\Delta\omega'\,[\mathrm{keV}] . $$

よって $\Delta p_z=0.4\ \mathrm{a.u.}$ を得るには

$$ \Delta\omega' = \frac{0.4}{0.572} = \underline{0.70\ \mathrm{keV}} $$

のエネルギー分解能が要る.§4.6.6 で挙げた Ge 半導体検出器の分解能 $500\text{--}600\ \mathrm{eV}$ と比べれば,$0.7\ \mathrm{keV}$ は Ge で到達できる水準である.

ただし,実験の見積もりとしてはもう一段の注意が要る.$500\text{--}600\ \mathrm{eV}$ という値は §4.6.6 の例(入射 $100\ \mathrm{keV}$,散乱光子 $72.5\ \mathrm{keV}$)の帯域での話であって,Ge の分解能は測るエネルギーとともに悪化する($662\ \mathrm{keV}$ では FWHM $1.3\text{--}1.5\ \mathrm{keV}$ 程度).ここで分解能を評価すべき相手は,検出器に入る散乱光子の $\omega'\simeq188\ \mathrm{keV}$ であって,入射の $662\ \mathrm{keV}$ ではない.その帯域の Ge の FWHM は $0.7\text{--}1.0\ \mathrm{keV}$ なので

$$ \Delta p_z = 0.572\times(0.7\text{--}1.0) = 0.40\text{--}0.57\ \mathrm{a.u.} $$

で,$0.4\ \mathrm{a.u.}$ にはぎりぎり届く水準であり,余裕はない.逆に同じ $\theta=160^\circ$ のまま入射を $100\ \mathrm{keV}$ に下げると,$\abs{\bm{q}}$ が小さくなる分だけ係数は $1.11\ \mathrm{a.u./keV}$ に増えるが,Ge の分解能が $500\text{--}600\ \mathrm{eV}$ に改善するので $\Delta p_z\simeq0.6\ \mathrm{a.u.}$ となる.これが §4.6.6 に「$0.6\ \mathrm{a.u.}$ 程度が限界」と書かれていることの中身である.結局 $0.4\ \mathrm{a.u.}$ は Ge 単独では余裕がなく,より高い分解能が要るときは放射光の高エネルギー X 線と結晶分光器を組み合わせる,というのが実際の解になる.

(4) 規格化を確かめる.$\abs{p_z}\le p_F$ で $J(p_z)=\dfrac{3}{4p_F}\left(1-\dfrac{p_z^2}{p_F^2}\right)$ だから

$$ \int_{-p_F}^{p_F}J(p_z)\dd p_z = \frac{3}{4p_F}\int_{-p_F}^{p_F}\left(1-\frac{p_z^2}{p_F^2}\right)\dd p_z = \frac{3}{4p_F}\left[p_z-\frac{p_z^3}{3p_F^2}\right]_{-p_F}^{p_F} . $$

括弧の中は,上端で $p_F-p_F/3=\dfrac{2p_F}{3}$,下端で $-p_F+p_F/3=-\dfrac{2p_F}{3}$ なので差は $\dfrac{4p_F}{3}$.よって

$$ \int_{-p_F}^{p_F}J(p_z)\dd p_z = \frac{3}{4p_F}\cdot\frac{4p_F}{3} = 1 . $$

たしかに規格化されている.$p_z=0$ での値は

$$ J(0) = \frac{3}{4p_F} $$

である.アルミニウムでは $p_F=0.926\ \mathrm{a.u.}$ なので

$$ J(0) = \frac{3}{4\times0.926} = \frac{3}{3.704} = \underline{0.810\ \mathrm{a.u.^{-1}}} . $$

検算.次元を見る.(3) の $\abs{\partial p_z/\partial\omega'}$ は(運動量)/(エネルギー)だが,自然単位 $c=1$ ではどちらもエネルギーなので無次元でよく,実際 $2.133$ という無次元の数が出た.a.u. に直すときに $3.73\ \mathrm{keV}/c$ で割ったのは,運動量の単位を $\mathrm{keV}/c$ から a.u. に変えたためで,一貫している.(4) の $J(p_z)$ は(運動量)$^{-1}$ の次元をもち,$3/(4p_F)$ はまさにそれである.極限による検算:(2) の $\omega'=184.4\ \mathrm{keV}$ は,(1) の飽和値 $255.5\ \mathrm{keV}$ より小さい.$662\ \mathrm{keV}$ はまだ $\omega\to\infty$ ではないので,飽和値に達していないのは正しい振る舞いである($\omega$ を上げていくと $184\to255.5\ \mathrm{keV}$ に単調に近づく).(3) の微分は数値微分でも独立に確かめられる.$\omega'=188.45\pm0.0001\ \mathrm{keV}$ で $p_z$ を直接計算して差分を取ると $-2.1330$ となり,解析式の $-2.133$ と一致した.$N=0$ で第2項が落ちるという議論が正しかったことになる.(4) は,$J(0)\times$(分布の実効幅)が $1$ 程度になるはずという桁の検算もできる:$0.810\times(4/3)\times0.926=1.00$ で,放物線の面積が同じ高さの矩形の $2/3$ であることと整合している.

意味.(1)(2) は $\gamma$ 線検出器のスペクトルの読み方そのものであり,どのピークが本物の $\gamma$ 線で,どれが Compton 由来の偽ピークかを式一本で判別できる.一方 (3)(4) は,Compton 散乱が「電子の運動量分布を測る顕微鏡」になることを示している.(4) の放物線は自由電子気体の運動量分布を $\bm{q}$ 方向に射影したもので,$\abs{p_z}=p_F$ でぴたりと切れる折れ目が Fermi 面の直接の指紋である.アルミニウムの $J(0)=0.810\ \mathrm{a.u.^{-1}}$ という値は,測定した $J(p_z)$ を規格化したときにピーク高さがいくつになるべきかを与えるので,実験の絶対値較正のチェックに使える.そして (3) が答えているのは,「その折れ目を見るのにどれだけの検出器が要るか」という装置設計の問いである.$p_F\sim1\ \mathrm{a.u.}$ の構造を見たいのだから $0.4\ \mathrm{a.u.}$ 程度の分解能は欲しく,そのためには $0.7\ \mathrm{keV}$ のエネルギー分解能が要る.第一原理計算から Kohn–Sham 軌道の運動量分布を求めて $J(p_z)$ を予言し,実測と比べるという検証の流れにおいて,この分解能の見積もりは「計算のどの構造まで実験と比較できるか」を決めている.円偏光を使った磁気 Compton 散乱ならスピン磁気モーメントだけを選び出せるので,軌道成分と分離した磁性の検証にも同じ運動学が使われる.

演習4.7 核融合炉材料の PKA エネルギー

問題(再掲)

$\Lambda=4m_nM/(m_n+M)^2$ を,質量数 $A$ を使って $\Lambda=4A/(1+A)^2$ と近似してよい.

(1) D–D 反応で生じる $2.45\ \mathrm{MeV}$ 中性子がタングステン($A=184$)に当たったときの $T_{\max}$ を求めよ.D–T の $14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子の場合と比べよ.

(2) SiC 中の Si($A=28$)と C($A=12$)について,$14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子に対する $T_{\max}$ を求め,どちらの副格子がより大きなエネルギーを受け取るか答えよ.

(3) 相対論補正の式を使って,(2) の値に対する相対論補正の大きさを求めよ.Si では $M\gg m_n$ の近似値 $E_n/2m_n$ でほぼよいが,軽い C では分母の項 $2ME_n/(m_n+M)^2$ が無視できないことを確かめよ.

(4) (2) の C の PKA について,NRT モデル $N_d=0.8\,T/(2E_d)$(炭化ケイ素の炭素副格子で $E_d\approx20\ \mathrm{eV}$)を使って Frenkel 対の数の上限を見積もれ.

解答

方針.本書4章のエネルギー移行係数 $T_{\max}=\Lambda E_n$ を,質量比を質量数比で置き換えて使う.最後に相対論補正の比の式で補正率を評価し,NRT モデルにつなぐ.

(1) タングステンの移行係数は

$$ \Lambda_{\rm W} = \frac{4A}{(1+A)^2} = \frac{4\times184}{185^2} = \frac{736}{34225} = 0.021505 . $$

D–D 中性子($E_n=2.45\ \mathrm{MeV}$)に対しては

$$ T_{\max}^{\rm DD} = 0.021505\times2.45\ \mathrm{MeV} = 0.05269\ \mathrm{MeV} = \underline{52.7\ \mathrm{keV}} , $$

D–T 中性子($E_n=14.1\ \mathrm{MeV}$)に対しては

$$ T_{\max}^{\rm DT} = 0.021505\times14.1\ \mathrm{MeV} = \underline{0.303\ \mathrm{MeV}} . $$

比は $0.303/0.0527=5.76$ で,これは入射中性子エネルギーの比 $14.1/2.45=5.76$ そのものである.$T_{\max}$ は $E_n$ に比例するのだから当然だが,「中性子1個あたりの最大反跳エネルギーで見ると D–T は D–D のおよそ6倍であり,同じ中性子束なら損傷はそれだけ過酷になりうる」という設計上の含意を,この一行が与えている(実際の dpa 率は $\int\phi(E)\sigma(E)N_d(T_{\rm dam})\,\dd E$ で決まるので,弾性散乱断面積のエネルギー依存性や Lindhard 因子による損傷エネルギー分配にも依る.$T_{\max}$ の比をそのまま損傷の比と読んではいけない).

(2) シリコンと炭素について同じ計算をする.

$$ \Lambda_{\rm Si} = \frac{4\times28}{29^2} = \frac{112}{841} = 0.13317, \qquad \Lambda_{\rm C} = \frac{4\times12}{13^2} = \frac{48}{169} = 0.28402 . $$

$E_n=14.1\ \mathrm{MeV}$ を掛けて

$$ T_{\max}^{\rm Si} = 0.13317\times14.1 = \underline{1.88\ \mathrm{MeV}}, \qquad T_{\max}^{\rm C} = 0.28402\times14.1 = \underline{4.00\ \mathrm{MeV}} . $$

比は $4.00/1.88=2.13$ で,軽い炭素の副格子のほうが 2.1 倍大きなエネルギーを受け取る.$\Lambda=4A/(1+A)^2\simeq4/A$($A\gg1$)なので,移行係数はおおよそ質量数に反比例し,軽い元素ほど中性子から大きなエネルギーをもらう.同じ SiC という化合物のなかでも,二つの副格子は等しく損傷するわけではない.

(3) 相対論補正の比の式は

$$ \frac{T_{\max}^{\rm rel}}{T_{\max}^{\rm NR}} = \frac{1+\dfrac{E_n}{2m_n}}{1+\dfrac{2ME_n}{(m_n+M)^2}} \ \simeq\ 1+\frac{E_n}{2m_n} \qquad(M\gg m_n) $$

である.$m_n=939.565\ \mathrm{MeV}$,$E_n=14.1\ \mathrm{MeV}$ なので

$$ \frac{E_n}{2m_n} = \frac{14.1}{2\times939.565} = \frac{14.1}{1879.13} = 0.00750 = \underline{0.75\ \%} . $$

すなわち補正は $1\ \%$ に満たない.この近似値で見積もると Si で $1.88\to1.89\ \mathrm{MeV}$,C で $4.00\to4.03\ \mathrm{MeV}$ である(C は下の厳密比では $4.02\ \mathrm{MeV}$).$\Lambda$ を質量比ではなく質量数比で近似したことによる誤差と同程度なので,実務上は無視してよい.その近似誤差も見ておくと,$M=A\times931.494\ \mathrm{MeV}$ を入れた $\Lambda=4m_nM/(m_n+M)^2$ の値は $\Lambda_{\rm C}=0.28610$,$\Lambda_{\rm Si}=0.13425$,$\Lambda_{\rm W}=0.021689$ であり,$4A/(1+A)^2$ はこれをそれぞれ $0.73\ \%$,$0.80\ \%$,$0.85\ \%$ だけ小さく見積もっている.原因は $m_n=939.565\ \mathrm{MeV}$ が原子質量単位 $931.494\ \mathrm{MeV}$ より $0.9\ \%$ 重いことで,そのぶん実際の質量比 $M/m_n$ は $A$ より小さく,$\Lambda$ は大きく出る.相対論補正($+0.75\ \%$)と近似誤差($-0.8\ \%$)が同じ桁でしかも符号が逆なので,両方まとめて捨てるのが実際上いちばん見通しがよい.

ただし「$M\gg m_n$」がどれくらい効いているかは見ておく価値がある.分母の $2ME_n/(m_n+M)^2$ は,$M\simeq A\times931.494\ \mathrm{MeV}$ を使うと,C($M=11178\ \mathrm{MeV}$)で $0.00215$,Si($M=26082\ \mathrm{MeV}$)で $0.00101$,W($M=171395\ \mathrm{MeV}$)で $0.00016$ である.したがって厳密な補正率は

$$ \text{C}:\ \frac{1.00750}{1.00215}=1.00535\ (+0.53\ \%), \qquad \text{Si}:\ \frac{1.00750}{1.00101}=1.00649\ (+0.65\ \%), \qquad \text{W}:\ 1.00734\ (+0.73\ \%) $$

となる.重い元素ほど $+0.75\ \%$ という漸近値に近く,炭素のような軽い元素では分母の項が無視できず,補正は $0.53\ \%$ と 3 割ほど小さくなる.いずれにせよ $1\ \%$ 未満であるという結論は変わらない.

(4) NRT モデルに $T=T_{\max}^{\rm C}=4.00\ \mathrm{MeV}=4.00\times10^6\ \mathrm{eV}$,$E_d=20\ \mathrm{eV}$ を入れる:

$$ N_d = \frac{0.8\,T}{2E_d} = \frac{0.8\times4.00\times10^6\ \mathrm{eV}}{2\times20\ \mathrm{eV}} = \frac{3.20\times10^6}{40} = \underline{8.0\times10^4\ \text{対}} . $$

すなわち中性子1個の弾性散乱1回で,最大 $8$ 万個規模の Frenkel 対(空孔+格子間原子)が生じうる.これは上限であり,実際には PKA のエネルギーの相当部分が電子励起(電子阻止能)に食われるので,損傷エネルギー $T_{\rm dam}$ は $T$ より小さく,Lindhard の分配関数を通した補正が要る.また平均を取れば,重心系で等方散乱なら $T$ は $[0,T_{\max}]$ に一様分布するので $\langle T\rangle=T_{\max}/2=2.0\ \mathrm{MeV}$,したがって平均的な $N_d$ はこの半分の $4\times10^4$ 対程度になる.

検算.次元はすべて整合している($\Lambda$ は無次元,$T_{\max}$ はエネルギー,$N_d$ は無次元).極限による検算をする.$A=1$(水素)とすると $\Lambda=4\times1/2^2=1$ となり,「同じ質量どうしの正面衝突では全エネルギーを渡せる」という力学の常識に一致する.中性子減速材に水素を含む物質(水,ポリエチレン)が使われる理由がこれである.逆に $A\to\infty$ では $\Lambda\to4/A\to0$ で,無限に重い標的は動かない.数値の桁も既知の値と照合できる.本書4章の表に挙がっている鉄では $\Lambda_{\rm Fe}=4\times56/57^2=0.0689$,$T_{\max}=0.97\ \mathrm{MeV}$ であり,(2) で求めた Si の $1.88\ \mathrm{MeV}$ は $A$ が半分の元素として妥当な位置にある($\Lambda\simeq4/A$ より $\Lambda_{\rm Si}/\Lambda_{\rm Fe}\simeq56/28=2$,実際 $0.1332/0.0689=1.93$).さらに (4) の $N_d$ も,本書4章の鉄の例($T\sim1\ \mathrm{MeV}$,$E_d=40\ \mathrm{eV}$ で $N_d\sim1\times10^4$)と比べると,炭素は $T$ が4倍で $E_d$ が半分なので $8$ 倍の $8\times10^4$ になるはずで,実際そうなっている.

意味.$T_{\max}=\Lambda E_n$ という,二体弾性衝突の運動学そのものの式が,核融合炉の材料選択の出発点になっている.(1) が言うのは「炉の反応(D–D か D–T か)を決めた時点で,材料が受ける最大反跳エネルギーはほぼ決まる」ということであり,(2) が言うのは「化合物では軽い副格子が選択的に激しく叩かれる」ということである.SiC/SiC 複合材で炭素副格子の損傷が支配的になるのは,結合の強さの話をする前に,まず運動学で決まっている.そして (4) の $N_d$ が dpa(displacement per atom)の定義そのものであり,炉の寿命評価はここから始まる.(3) の相対論補正が $1\ \%$ 未満であることは,「この分野では非相対論の式で十分」という実務的な保証を与えるが,同時に,その保証が $E_n/2m_n$ という素粒子的な量で書けることも示している.タングステンの $\Lambda$ が小さいこと($0.0215$)は,プラズマ対向材として損傷しにくいという長所であると同時に,中性子を減速させにくいという短所でもある.増倍材・減速材・構造材の役割分担が,この一つの係数の大小から決まっているのである.

E.5 第5章 対称性・群・保存則 の解答

演習5.1 $\mathrm{SU}(2)$ が群であること,生成子の数え上げ

問題(再掲)

(1) $U_1,U_2\in\mathrm{SU}(2)$ のとき $U_1U_2\in\mathrm{SU}(2)$ であること(閉性),および $U^{-1}=U^\dagger\in\mathrm{SU}(2)$ であること(逆元)を示せ.

(2) $\mathrm{SU}(N)$ の生成子の個数が $N^2-1$ 個であることを,$N\times N$ 複素行列のパラメータ数から数え上げよ.$N=2,3$ でそれぞれ 3, 8 になることを確かめよ.

(3) $\mathrm{SU}(2)$ の一般元は,実数 $a,b,c,d$($a^2+b^2+c^2+d^2=1$)を用いて $U=a\,\mathbb{1}-\ii(b\sigma_1+c\sigma_2+d\sigma_3)$ と書けることを示せ.この表示から,$\mathrm{SU}(2)$ の多様体が4次元空間の単位球面 $S^3$ であることを説明せよ.

解答

方針.本書5.1.1項の群の4公理と,5.3.1項の $\mathrm{SU}(2)$ の定義($U^\dagger U=\mathbb{1}$ かつ $\det U=1$)だけを使う.(1) は行列式の乗法性 $\det(AB)=\det A\det B$ と随伴の反転則 $(AB)^\dagger=B^\dagger A^\dagger$ の二つで尽きる.(2) は「複素成分の実自由度から,独立な実条件の個数を引く」という単純な引き算である.(3) は本書5.3.2項の $U(\bm{n},\theta)=\cos\frac\theta2\,\mathbb{1}-\ii\sin\frac\theta2\,(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})$ を,パラメータを名前替えして読み直すだけである.

(1) まず閉性を示す.$U_1,U_2$ がともにユニタリなら,随伴の反転則により

$$ (U_1U_2)^\dagger (U_1U_2) = U_2^\dagger U_1^\dagger U_1 U_2 = U_2^\dagger\left(U_1^\dagger U_1\right)U_2 = U_2^\dagger\,\mathbb{1}\,U_2 = U_2^\dagger U_2 = \mathbb{1} $$

であるから $U_1U_2$ もユニタリである.行列式については乗法性から

$$ \det(U_1U_2) = \det U_1\cdot\det U_2 = 1\times 1 = 1 $$

となり,$\det=1$ も保たれる.よって $U_1U_2\in\mathrm{SU}(2)$ である.

次に逆元である.ユニタリ性 $U^\dagger U=\mathbb{1}$ は,そのまま「$U^\dagger$ が $U$ の左逆行列である」ことを言っている.$2\times2$ の正方行列では左逆行列は右逆行列でもあるから $UU^\dagger=\mathbb{1}$ も成り立ち,$U^{-1}=U^\dagger$ である.この $U^\dagger$ が再び $\mathrm{SU}(2)$ に属することを確かめる.ユニタリ性は

$$ \left(U^\dagger\right)^\dagger U^\dagger = U U^\dagger = \mathbb{1} $$

から従い,行列式は $\det(U^\dagger)=\overline{\det U}=\bar 1=1$ である.よって $U^{-1}=U^\dagger\in\mathrm{SU}(2)$ である.

残る2公理も一行で済む.単位元は $\mathbb{1}$ 自身で,$\mathbb{1}^\dagger\mathbb{1}=\mathbb{1}$,$\det\mathbb{1}=1$ を満たすので $\mathrm{SU}(2)$ の元である.結合律は行列の積がもともと結合的であることから自動的に成り立つ.以上で $\mathrm{SU}(2)$ が群であることが示された.

(2) $N\times N$ 複素行列 $U$ の成分は $N^2$ 個の複素数であり,実パラメータは $2N^2$ 個である.ここから条件を引いていく.

第一の条件はユニタリ性 $U^\dagger U=\mathbb{1}$ である.注意すべきは,これが $N^2$ 個の複素方程式(実 $2N^2$ 個)を与えるのではないことである.左辺 $M\equiv U^\dagger U$ は自動的に Hermite 行列($M^\dagger = U^\dagger U = M$)であり,右辺 $\mathbb{1}$ も Hermite である.すなわち $M=\mathbb{1}$ はHermite 行列どうしの等式であって,独立な実条件の数は「$N\times N$ Hermite 行列の実自由度」に等しい.それは対角成分が実で $N$ 個,非対角成分が上三角だけ独立で $N(N-1)/2$ 個の複素数すなわち $N(N-1)$ 個の実数だから

$$ N + N(N-1) = N^2 $$

である.よってユニタリ条件は実 $N^2$ 個の条件を課す.

第二の条件は $\det U=1$ である.ユニタリ性からすでに $\abs{\det U}^2 = \det(U^\dagger)\det(U) = \det(U^\dagger U)=\det\mathbb{1}=1$,つまり $\abs{\det U}=1$ が従っている.したがって $\det U=\ee^{\ii\varphi}$ という位相しか残っておらず,$\det U=1$ が新たに課すのは $\varphi=0$ という実1個の条件だけである.

以上を差し引いて,$\mathrm{SU}(N)$ の実パラメータ数(=生成子の個数)は

$$ 2N^2 - N^2 - 1 = N^2 - 1 $$

である.$N=2$ なら $4-1=3$,$N=3$ なら $9-1=8$.前者は Pauli 行列 $\sigma_{1,2,3}$ の3個に,後者は Gell-Mann 行列 $\lambda^{1},\dots,\lambda^{8}$ の8個に対応し,本書表5.1 の値と一致する.なお,$\det=1$ の条件を落とした $\mathrm{U}(N)$ では生成子は $N^2$ 個で,増えた1個は全体位相 $\mathrm{U}(1)$ に対応する($\mathrm{U}(2)\simeq\mathrm{SU}(2)\times\mathrm{U}(1)/\mathbb{Z}_2$).

(3) まず「その形に書ける」ことを示す.本書5.3.2項で導いた $\mathrm{SU}(2)$ の一般元の閉じた表式

$$ U(\bm{n},\theta) = \cos\frac{\theta}{2}\,\mathbb{1} - \ii\,\sin\frac{\theta}{2}\,\left(\bm{n}\cdot\bm{\sigma}\right) $$

において

$$ a \equiv \cos\frac{\theta}{2},\qquad (b,c,d)\equiv \bm{n}\,\sin\frac{\theta}{2} $$

と定義すれば,$\bm{n}\cdot\bm{\sigma}\,\sin\frac\theta2 = b\sigma_1+c\sigma_2+d\sigma_3$ であるから,ただちに $U=a\mathbb{1}-\ii(b\sigma_1+c\sigma_2+d\sigma_3)$ の形になる.しかも $\bm{n}$ が単位ベクトル($\abs{\bm{n}}^2=1$)であることから

$$ a^2+b^2+c^2+d^2 = \cos^2\frac{\theta}{2} + \abs{\bm{n}}^2\sin^2\frac{\theta}{2} = \cos^2\frac{\theta}{2}+\sin^2\frac{\theta}{2} = 1 $$

が自動的に成り立つ.

逆に,$a^2+b^2+c^2+d^2=1$ を満たす任意の実数 4 つ組から作った $U$ が本当に $\mathrm{SU}(2)$ に属することを,成分で確かめておく.$b\sigma_1+c\sigma_2+d\sigma_3$ を書き下すと

$$ b\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix} +c\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix} +d\begin{pmatrix}1&0\\0&-1\end{pmatrix} =\begin{pmatrix} d & b-\ii c\\ b+\ii c & -d\end{pmatrix} $$

であるから,$-\ii$ を掛けて $a\mathbb{1}$ を足すと

$$ U = \begin{pmatrix} a-\ii d & -c-\ii b\\ c-\ii b & a+\ii d\end{pmatrix} \equiv \begin{pmatrix} \alpha & \beta \\ -\bar\beta & \bar\alpha \end{pmatrix}, \qquad \alpha = a-\ii d,\quad \beta = -c-\ii b $$

($-\bar\beta = -(-c+\ii b)=c-\ii b$ で確かに左下成分に一致する.)この形の行列は

$$ \det U = \abs{\alpha}^2+\abs{\beta}^2 = (a^2+d^2)+(c^2+b^2) = 1 $$ $$ U^\dagger U = \begin{pmatrix}\bar\alpha & -\beta\\ \bar\beta & \alpha\end{pmatrix} \begin{pmatrix} \alpha & \beta \\ -\bar\beta & \bar\alpha \end{pmatrix} = \begin{pmatrix}\abs{\alpha}^2+\abs{\beta}^2 & \bar\alpha\beta-\beta\bar\alpha\\ \bar\beta\alpha - \alpha\bar\beta & \abs{\beta}^2+\abs{\alpha}^2\end{pmatrix} = \mathbb{1} $$

を満たすので,確かに $\mathrm{SU}(2)$ の元である.つまり $\{U\in\mathrm{SU}(2)\}$ と $\{(a,b,c,d)\in\mathbb{R}^4 : a^2+b^2+c^2+d^2=1\}$ は1対1に対応する.

後者は定義そのままに,4次元 Euclid 空間の単位球面 $S^3$ である.したがって $\mathrm{SU}(2)$ の群多様体は $S^3$ である.次元を数えても $S^3$ は3次元多様体で,(2) の生成子3個と整合している.

この幾何が効いてくるのは単連結性においてである.$S^3$ 上の任意の閉曲線は,球面上を滑らせて一点に縮められる($\pi_1(S^3)=0$).一方 $\mathrm{SO}(3)$ の群多様体は,$U$ と $-U$ が同じ空間回転を与えることから $S^3$ の対蹠点を同一視した $S^3/\{\pm\}=\mathbb{RP}^3$ であり,対蹠点どうしを結ぶ道は縮められないので単連結でない($\pi_1(\mathbb{RP}^3)=\mathbb{Z}_2$).この $\mathbb{Z}_2$ こそが本書5.3.2項の $U(\bm{n},2\pi)=-\mathbb{1}$,すなわちスピノルの二価性の正体である.「$\mathrm{SU}(2)$ は $\mathrm{SO}(3)$ の普遍被覆である」とは,$S^3$ が $\mathbb{RP}^3$ の単連結な二重被覆だ,という幾何の言い換えにほかならない.

検算.(3) の表示で $\theta=0$($a=1$,$b=c=d=0$)とすると $U=\mathbb{1}$,$\theta=2\pi$($a=\cos\pi=-1$,$\bm{n}\sin\pi=0$)とすると $U=-\mathbb{1}$ となり,本書5.3.2項の結果を再現する.また $\bm{n}=\hat{\bm{z}}$,$\theta=\pi$ なら $a=0,\ (b,c,d)=(0,0,1)$ で $U=-\ii\sigma_3=\mathrm{diag}(-\ii,+\ii)$ となり,演習5.3(2) で独立に求める値と一致する.(2) の数え上げは,$\mathrm{SO}(N)$ で同じ論法を実行すると(実行列 $N^2$ 個,直交条件が対称行列の等式で $N(N+1)/2$ 個)$N(N-1)/2$ を与え,$N=3$ で3個という既知の値を返す.

意味.(2) の数え上げは「群を指定するのに必要な情報量」を数えている.$\mathrm{SU}(3)_C$ の生成子が8個であることは,そのままグルーオンが8種類あることを意味する(第11章).結晶点群では位数という有限の数がこの役割を果たし,$O_h$ なら48個の元を表に並べれば終わりだが,連続群では「元の個数」ではなく「生成子の個数」が群の大きさの尺度になる.(3) の $S^3$ という描像は,物性の文脈では Bloch 球($S^2$)の一段上の対象として現れる.2準位系に働く操作(1量子ビットゲート)は $\mathrm{SU}(2)$ の元,すなわち $S^3$ 上の点である.状態のほうも,規格化された $\mathbb{C}^2$ のベクトルは $\abs{c_1}^2+\abs{c_2}^2=1$ という同じ $S^3$ に住んでおり,物理に効かない全体位相 $\mathrm{U}(1)$ で割ってはじめて Bloch 球 $S^2$ になる(Hopf 束 $S^3\to S^2$,ファイバーが $S^1$).$3-2=1$ という次元差が,その全体位相の分である.

演習5.2 Noether の定理を使う

問題(再掲)

(1) 一様重力場中の質点 $L=\frac12 m\dot z^2 - mgz$ を考える.$z\to z+\varepsilon$ という並進で $L$ はどう変わるか.運動量 $p_z$ は保存するか.一方で $x$ 方向の並進についてはどうか.

(2) 2次元の等方調和振動子 $L=\frac12 m(\dot x^2+\dot y^2)-\frac12 m\omega^2(x^2+y^2)$ について,$z$ 軸まわりの回転不変性から $L_z=xp_y-yp_x$ が保存することを,本書5.1.3項の Noether の定理を使って確かめよ.

(3) 複素場 $\psi$ に対する Lagrangian(Schrödinger 場)

$$ \Lag = \ii\psi^*\dot\psi - \frac{1}{2m}\nabla\psi^*\cdot\nabla\psi - V(\xx)\abs{\psi}^2 $$

が $\psi\to\ee^{\ii\alpha}\psi$($\alpha$ は定数)で不変であることを示し,対応する保存量が $\int\abs{\psi}^2\dd^3x$(粒子数,あるいは電荷)であることを示せ.

解答

方針.本書5.1.3項で導いた「$\delta L = 0$ ならば $I=\sum_i(\partial L/\partial\dot q_i)K_i$ が保存する」を機械的に当てるだけである.手順は毎回同じで,(i) 変換の方向 $K$ を書く,(ii) $\delta L$ を計算して $0$ かどうかを見る,(iii) $0$ なら $I$ を書き下す,の3段である.(3) はこれを場の理論に持ち上げた版で,$q_i$ を「各点 $\xx$ における場の値」に読み替え,$\partial L/\partial\dot q_i$ を $\partial\Lag/\partial\dot\psi$ に置き換える.なお自然単位系 $\hbar=1$ を用いる.

(1) $z$ 方向の並進は $K=1$,$\dot K=0$ である.本書5.1.3項の導出ステップ1により

$$ \delta L = \varepsilon\left[\frac{\partial L}{\partial z}K + \frac{\partial L}{\partial\dot z}\dot K\right] = \varepsilon\left[(-mg)\cdot 1 + m\dot z\cdot 0\right] = -mg\,\varepsilon $$

である.$\delta L\ne0$ なので Noether の定理の仮定が破れており,$p_z=\partial L/\partial\dot z=m\dot z$ は保存しない.実際 Euler–Lagrange 方程式は

$$ \frac{\dd}{\dd t}(m\dot z) = \frac{\partial L}{\partial z} = -mg \qquad\Longrightarrow\qquad \dot p_z = -mg \ne 0 $$

で,一定の割合で運動量が減る.重力ポテンシャル $mgz$ が「高さの原点をどこに取るかで物理が変わる」ようにしており,$z$ 方向の並進対称性を陽に破っているのである.

$x$ 方向については,質点を3次元で扱った $L=\frac12 m(\dot x^2+\dot y^2+\dot z^2)-mgz$ を考えればよい.この $L$ は $x$ を陽に含まないので $\partial L/\partial x = 0$ であり,$K_x=1$,$\dot K_x=0$ とあわせて

$$ \delta L = \varepsilon\left[\frac{\partial L}{\partial x}\cdot1 + \frac{\partial L}{\partial\dot x}\cdot 0\right] = 0 $$

となる.よって $p_x = m\dot x$ は保存する.同様に $p_y$ も保存する.放物運動で水平方向の速度が一定に保たれるのは,まさにこの水平並進対称性の帰結である.

なお,$z$ 方向の破れ方には構造がある.$\delta L=-mg\varepsilon$ は,時間の全微分の形

$$ \delta L = \varepsilon\frac{\dd\Lambda}{\dd t},\qquad \Lambda = -mgt $$

に書ける.本書5.1.3項の補足によれば,このとき保存するのは $I=(\partial L/\partial\dot z)K-\Lambda$ すなわち

$$ I = m\dot z + mgt $$

である.確かめると $\dot I = m\ddot z + mg = -mg+mg = 0$.これは「初速度 $m\dot z(0)$ が保存している」と言っているにすぎないが,対称性が破れても破れ方が全微分で表せる限り,修正された保存量が残るという一般則の最小の実例になっている.

(2) $z$ 軸まわりの微小回転は,本書5.1.4項の例2と同じく

$$ K_x = -y,\qquad K_y = x \qquad\Longrightarrow\qquad \dot K_x = -\dot y,\quad \dot K_y = \dot x $$

である.必要な偏微分は

$$ \frac{\partial L}{\partial x} = -m\omega^2 x,\quad \frac{\partial L}{\partial y} = -m\omega^2 y,\quad \frac{\partial L}{\partial \dot x} = m\dot x,\quad \frac{\partial L}{\partial \dot y} = m\dot y $$

である.これを変分の式に代入する:

$$ \frac{\delta L}{\varepsilon} = \frac{\partial L}{\partial x}K_x + \frac{\partial L}{\partial y}K_y + \frac{\partial L}{\partial \dot x}\dot K_x + \frac{\partial L}{\partial \dot y}\dot K_y $$ $$ = (-m\omega^2x)(-y) + (-m\omega^2 y)(x) + (m\dot x)(-\dot y) + (m\dot y)(\dot x) $$ $$ = m\omega^2 xy - m\omega^2 xy - m\dot x\dot y + m\dot x\dot y = 0 $$

ポテンシャル項どうし,運動エネルギー項どうしが,それぞれ独立に打ち消し合っている.前者は $x^2+y^2$ が回転で不変であること,後者は $\dot x^2+\dot y^2$ が回転で不変であることの現れである.$\delta L=0$ が示せたので,保存量は

$$ I = \frac{\partial L}{\partial\dot x}K_x + \frac{\partial L}{\partial\dot y}K_y = (m\dot x)(-y) + (m\dot y)(x) = x\,p_y - y\,p_x = L_z $$

すなわち角運動量の $z$ 成分である.

運動方程式から直接確かめても同じである.$m\ddot x = -m\omega^2 x$,$m\ddot y=-m\omega^2y$ だから

$$ \frac{\dd L_z}{\dd t} = \dot x p_y + x\dot p_y - \dot y p_x - y \dot p_x = m\dot x\dot y + x(-m\omega^2y) - m\dot y\dot x - y(-m\omega^2 x) = 0 $$

となり,一致する.

(3) まず不変性を示す.$\psi\to\ee^{\ii\alpha}\psi$ のとき $\psi^*\to\ee^{-\ii\alpha}\psi^*$ であり,$\alpha$ は定数なので時間微分・空間微分とは可換で $\dot\psi\to\ee^{\ii\alpha}\dot\psi$,$\nabla\psi\to\ee^{\ii\alpha}\nabla\psi$ である.$\Lag$ の各項を見ると

$$ \ii\psi^*\dot\psi \to \ii\,\ee^{-\ii\alpha}\psi^*\,\ee^{\ii\alpha}\dot\psi = \ii\psi^*\dot\psi,\qquad \nabla\psi^*\cdot\nabla\psi \to \nabla\psi^*\cdot\nabla\psi,\qquad \abs{\psi}^2 = \psi^*\psi \to \psi^*\psi $$

と,どの項も $\psi$ と $\psi^*$ をちょうど1個ずつ含むため,位相因子 $\ee^{\ii\alpha}$ と $\ee^{-\ii\alpha}$ が完全に打ち消す.よって $\Lag$ は不変である.

次に保存量を求める.無限小変換は $\alpha=\varepsilon\ll1$ として

$$ \delta\psi = \ii\varepsilon\psi,\qquad \delta\psi^* = -\ii\varepsilon\psi^* \qquad\Longrightarrow\qquad K_\psi = \ii\psi,\quad K_{\psi^*}=-\ii\psi^* $$

である.場の理論版の Noether の定理は,独立な場 $\phi_A$(ここでは $\psi$ と $\psi^*$)について

$$ j^{\mu} = \sum_A \frac{\partial\Lag}{\partial(\partial_\mu\phi_A)}\,K_A, \qquad \partial_\mu j^\mu = 0 $$

を与える.これは本書5.1.3項の $I=\sum_i(\partial L/\partial\dot q_i)K_i$ の各点版である.必要な微分を計算すると

$$ \frac{\partial\Lag}{\partial\dot\psi} = \ii\psi^*,\qquad \frac{\partial\Lag}{\partial\dot\psi^*} = 0,\qquad \frac{\partial\Lag}{\partial(\nabla\psi)} = -\frac{1}{2m}\nabla\psi^*,\qquad \frac{\partial\Lag}{\partial(\nabla\psi^*)} = -\frac{1}{2m}\nabla\psi $$

($\Lag$ は $\dot\psi^*$ を含まないので2番目はゼロである.)したがって時間成分は

$$ j^0 = \left(\ii\psi^*\right)\left(\ii\psi\right) + 0\cdot\left(-\ii\psi^*\right) = \ii^2\,\psi^*\psi = -\abs{\psi}^2 $$

となり,ヒントの $j^0\propto-\abs{\psi}^2$ と一致する.空間成分は

$$ \bm{j} = \left(-\frac{1}{2m}\nabla\psi^*\right)\left(\ii\psi\right) +\left(-\frac{1}{2m}\nabla\psi\right)\left(-\ii\psi^*\right) = -\frac{\ii}{2m}\left(\psi\nabla\psi^* - \psi^*\nabla\psi\right) $$

である.保存量は $j^0$ を全空間で積分したもの,すなわち

$$ Q = \int j^0\,\dd^3x = -\int\abs{\psi}^2\,\dd^3x $$

である.Noether カレントの全体の符号と規格化は $\varepsilon$ の取り方の任意性の分だけ自由なので,$-1$ を掛けて

$$ N \equiv \int \abs{\psi}^2\,\dd^3 x = \text{一定} $$

と書けば,これが粒子数(1粒子量子力学なら全確率,多粒子系なら粒子数)である.電荷 $q$ を掛ければ電荷 $Q_{\text{EM}}=qN$ になる.

検算.(3) の結果を,Schrödinger 方程式から直接出る確率保存と突き合わせる.まず $\psi^*$ についての Euler–Lagrange 方程式を書くと

$$ \frac{\partial\Lag}{\partial\psi^*} - \partial_t\frac{\partial\Lag}{\partial\dot\psi^*} - \nabla\cdot\frac{\partial\Lag}{\partial(\nabla\psi^*)} = \left(\ii\dot\psi - V\psi\right) - 0 + \frac{1}{2m}\nabla^2\psi = 0 $$

すなわち $\ii\partial_t\psi = -\frac{1}{2m}\nabla^2\psi + V\psi$ で,確かに($\hbar=1$ の)Schrödinger 方程式が出る.一方,量子力学の教科書の確率流は $\bm{j}_{\text{prob}}=\frac{1}{2m\ii}(\psi^*\nabla\psi-\psi\nabla\psi^*)$ であり,上で求めた $\bm{j}$ と比べると $\bm{j}=-\bm{j}_{\text{prob}}$,また $j^0=-\abs{\psi}^2=-\rho$ である.したがって $\partial_\mu j^\mu=0$ は

$$ -\left(\frac{\partial\rho}{\partial t} + \nabla\cdot\bm{j}_{\text{prob}}\right)=0 $$

すなわち連続の方程式そのものである.全体に共通の $-1$ がかかっているだけで,中身は完全に一致している.また (1) の結果は,$g\to0$ の極限で $\delta L\to0$ となり $p_z$ の保存が回復するという素直な振る舞いを示す.(2) は $\omega\to0$(自由粒子)でも成立し,中心力なら $V$ の形によらず $L_z$ が保存するという既知の事実と整合する.

意味.三つの小問は「対称性がある/ないの判定は,$\delta L$ を計算するだけで機械的に下せる」ことを示している.とくに (1) は,対称性が破れているときに何が起こるかの最小の実例である.結晶では表面や界面が並進対称性を破り,その方向の運動量が良い量子数でなくなる(だから表面バンド構造は面直方向に $k_\perp$ で分散を描けず,表面状態が現れる).(1) の重力場は,その一次元版と思ってよい.(3) の $\mathrm{U}(1)$ 対称性は,本書5.1.5項の枠組みで見たとおり電荷保存の起源であり,かつ超伝導で自発的に破れる当のものである.超伝導の秩序変数 $\Delta=\abs{\Delta}\ee^{\ii\varphi}$ が特定の $\varphi$ を選ぶとき破れているのは,ここで確かめた「位相の原点は物理に無関係」という性質にほかならない.

演習5.3 Pauli 行列と回転行列

問題(再掲)

(1) 本書5.3.1項の $\sigma_a\sigma_b=\delta_{ab}\mathbb{1}+\ii\epsilon_{abc}\sigma_c$ を使って $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})=(\bm{a}\cdot\bm{b})\mathbb{1}+\ii(\bm{a}\times\bm{b})\cdot\bm{\sigma}$ を示せ.

(2) $U=\exp(-\ii\theta\sigma_3/2)$ を明示的に $2\times2$ 行列として書き,$\theta=\pi,\,2\pi,\,4\pi$ での値を求めよ.

(3) $U\sigma_1U^\dagger = \cos\theta\,\sigma_1+\sin\theta\,\sigma_2$ を示し,これがベクトル $\hat{\bm{x}}$ の $z$ 軸まわり角 $\theta$ の回転に対応することを確かめよ.$U$ の中の角度は $\theta/2$ なのに,ベクトルは $\theta$ 回ることに注意せよ.

(4) スピン $1/2$ の状態 $\ket{\uparrow}$ を $y$ 軸まわりに $\theta$ 回転させた状態を求め,$z$ 方向のスピンを測って上向きが得られる確率が $\cos^2(\theta/2)$ であることを示せ.

解答

方針.すべての出発点は本書5.3.1項の基本恒等式 $\sigma_a\sigma_b=\delta_{ab}\mathbb{1}+\ii\epsilon_{abc}\sigma_c$ である.(1) はこれを添字で縮約するだけ.(2)(4) は本書5.3.2項の閉じた表式 $U(\bm{n},\theta)=\cos\frac\theta2\mathbb{1}-\ii\sin\frac\theta2(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})$ に代入するだけ.(3) は「半角が2回現れて全角になる」という機構が見えるように,成分計算と無限小変換の両方でやってみせる.

(1) $\bm{a}\cdot\bm{\sigma}=a_a\sigma_a$,$\bm{b}\cdot\bm{\sigma}=b_b\sigma_b$ と書いて(同じ添字は $1,2,3$ にわたって和をとる),基本恒等式を代入する:

$$ (\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma}) = a_a b_b\,\sigma_a\sigma_b = a_a b_b\left(\delta_{ab}\mathbb{1} + \ii\epsilon_{abc}\sigma_c\right) $$

第1項は $a_ab_b\delta_{ab}=a_ab_a=\bm{a}\cdot\bm{b}$ である.第2項は,外積の成分の定義 $(\bm{a}\times\bm{b})_c=\epsilon_{cab}a_ab_b=\epsilon_{abc}a_ab_b$($\epsilon$ の巡回対称性 $\epsilon_{cab}=\epsilon_{abc}$ を使った)により $\ii(\bm{a}\times\bm{b})_c\sigma_c=\ii(\bm{a}\times\bm{b})\cdot\bm{\sigma}$ である.よって

$$ (\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma}) = (\bm{a}\cdot\bm{b})\,\mathbb{1} + \ii\,(\bm{a}\times\bm{b})\cdot\bm{\sigma} $$

が示された.$\bm{a}=\bm{b}=\bm{n}$(単位ベクトル)とおけば $\bm{n}\times\bm{n}=0$ より $(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^2=\mathbb{1}$ となり,本書5.3.2項の導出ステップ1を再現する.

(2) $\sigma_3=\mathrm{diag}(1,-1)$ は対角行列なので,指数関数は成分ごとに計算できる:

$$ U = \exp\left(-\ii\frac{\theta}{2}\sigma_3\right) = \exp\begin{pmatrix}-\ii\theta/2 & 0\\ 0 & +\ii\theta/2\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}\ee^{-\ii\theta/2} & 0\\ 0 & \ee^{+\ii\theta/2}\end{pmatrix} $$

同じ結果は本書5.3.2項の閉じた表式でも得られる.$\bm{n}=\hat{\bm{z}}$ なら $\bm{n}\cdot\bm{\sigma}=\sigma_3$ だから

$$ U = \cos\frac{\theta}{2}\mathbb{1} - \ii\sin\frac{\theta}{2}\sigma_3 = \begin{pmatrix}\cos\frac\theta2-\ii\sin\frac\theta2 & 0\\ 0 & \cos\frac\theta2+\ii\sin\frac\theta2\end{pmatrix} = \mathrm{diag}\left(\ee^{-\ii\theta/2},\,\ee^{\ii\theta/2}\right) $$

で一致する.具体的な値は

$$ \theta=\pi:\quad U = \mathrm{diag}\left(\ee^{-\ii\pi/2},\ee^{\ii\pi/2}\right) = \mathrm{diag}(-\ii,\,+\ii) = -\ii\,\sigma_3 $$ $$ \theta=2\pi:\quad U = \mathrm{diag}\left(\ee^{-\ii\pi},\ee^{\ii\pi}\right) = \mathrm{diag}(-1,-1) = -\mathbb{1} $$ $$ \theta=4\pi:\quad U = \mathrm{diag}\left(\ee^{-2\ii\pi},\ee^{2\ii\pi}\right) = \mathrm{diag}(+1,+1) = +\mathbb{1} $$

である.$\theta=2\pi$ で $-\mathbb{1}$,$\theta=4\pi$ ではじめて $+\mathbb{1}$ に戻る.これが本書5.3.2項の $U(\bm{n},2\pi)=-\mathbb{1}$ の,最も単純な軸での確認である.周期は $2\pi$ ではなく $4\pi$ である.

(3) (2) の対角形をそのまま使って成分計算する.$\sigma_1=\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}$ だから,まず

$$ U\sigma_1 = \begin{pmatrix}\ee^{-\ii\theta/2} & 0\\ 0 & \ee^{\ii\theta/2}\end{pmatrix} \begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}0 & \ee^{-\ii\theta/2}\\ \ee^{\ii\theta/2} & 0\end{pmatrix} $$

これに $U^\dagger=\mathrm{diag}(\ee^{\ii\theta/2},\ee^{-\ii\theta/2})$ を右から掛ける.右から対角行列を掛けるのは「第1列に $\ee^{\ii\theta/2}$,第2列に $\ee^{-\ii\theta/2}$ を掛ける」ことだから

$$ U\sigma_1U^\dagger = \begin{pmatrix}0 & \ee^{-\ii\theta/2}\cdot\ee^{-\ii\theta/2}\\ \ee^{\ii\theta/2}\cdot\ee^{\ii\theta/2} & 0\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}0 & \ee^{-\ii\theta}\\ \ee^{\ii\theta} & 0\end{pmatrix} $$

ここが要点である.$U$ から半角 $\ee^{-\ii\theta/2}$ が,$U^\dagger$ からもう一つ $\ee^{-\ii\theta/2}$ が来て,掛け合わさって全角 $\ee^{-\ii\theta}$ になる.一方,右辺は

$$ \cos\theta\,\sigma_1 + \sin\theta\,\sigma_2 = \cos\theta\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix} + \sin\theta\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}0 & \cos\theta-\ii\sin\theta\\ \cos\theta+\ii\sin\theta & 0\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}0 & \ee^{-\ii\theta}\\ \ee^{\ii\theta} & 0\end{pmatrix} $$

で,両者は一致する.よって $U\sigma_1U^\dagger=\cos\theta\,\sigma_1+\sin\theta\,\sigma_2$ である.

ベクトルの回転との対応を見よう.3次元ベクトル $\bm{a}$ に行列 $\bm{a}\cdot\bm{\sigma}$ を対応させる(この対応は1対1である:$a_c=\frac12\Tr[\sigma_c(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})]$ で戻せる).いま示したのは $\hat{\bm{x}}\cdot\bm{\sigma}=\sigma_1$ に対して

$$ U\,(\hat{\bm{x}}\cdot\bm{\sigma})\,U^\dagger = (\cos\theta\,\hat{\bm{x}}+\sin\theta\,\hat{\bm{y}})\cdot\bm{\sigma} $$

ということである.右辺の括弧の中は,まさに $\hat{\bm{x}}$ を $z$ 軸まわりに角 $\theta$ だけ回したベクトルである.すなわち随伴作用 $\bm{a}\cdot\bm{\sigma}\mapsto U(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})U^\dagger$ は,$\mathrm{SO}(3)$ の回転 $\bm{a}\mapsto R(\hat{\bm{z}},\theta)\bm{a}$ を実現している.

機構をもう一度,無限小変換で見ておく.$\theta\ll1$ で $U\simeq\mathbb{1}-\ii\frac{\theta}{2}\sigma_3$ とすると

$$ U(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})U^\dagger \simeq \bm{a}\cdot\bm{\sigma} - \ii\frac{\theta}{2}\left[\sigma_3,\,a_j\sigma_j\right] = \bm{a}\cdot\bm{\sigma} - \ii\frac{\theta}{2}\,a_j\left(2\ii\epsilon_{3jk}\sigma_k\right) = \bm{a}\cdot\bm{\sigma} + \theta\,a_j\epsilon_{3jk}\sigma_k $$

である.$U$ と $U^\dagger$ からそれぞれ $\mp\ii\frac\theta2\sigma_3$ が来て交換子にまとまり,そこで働く関係 $[\sigma_3,\sigma_j]=2\ii\epsilon_{3jk}\sigma_k$ の因子 $2$ が $\frac12$ をちょうど打ち消して $\theta$ になる.$\epsilon_{312}=+1$,$\epsilon_{321}=-1$ を使って成分を書けば

$$ a_1 \to a_1 - \theta a_2,\qquad a_2\to a_2+\theta a_1,\qquad a_3\to a_3 $$

で,これは $z$ 軸まわり角 $\theta$ の回転の1次展開そのものである.$\bm{a}=\hat{\bm{x}}$ なら $\hat{\bm{x}}\to\hat{\bm{x}}+\theta\hat{\bm{y}}$,上で求めた $\cos\theta\,\hat{\bm{x}}+\sin\theta\,\hat{\bm{y}}$ の1次展開と一致する.

(4) $y$ 軸まわりの回転は $\bm{n}=\hat{\bm{y}}$ なので,本書5.3.2項の表式で $\bm{n}\cdot\bm{\sigma}=\sigma_2$ とすればよい:

$$ U(\hat{\bm{y}},\theta) = \cos\frac{\theta}{2}\mathbb{1}-\ii\sin\frac{\theta}{2}\sigma_2 $$

$-\ii\sigma_2 = -\ii\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}0&-1\\ 1&0\end{pmatrix}$ であるから

$$ U(\hat{\bm{y}},\theta) = \begin{pmatrix}\cos\frac\theta2 & -\sin\frac\theta2\\[2pt] \sin\frac\theta2 & \cos\frac\theta2\end{pmatrix} $$

という実回転行列(ただし半角)になる.$\ket{\uparrow}=\begin{pmatrix}1\\0\end{pmatrix}$ に作用させると

$$ U(\hat{\bm{y}},\theta)\ket{\uparrow} = \begin{pmatrix}\cos\frac\theta2\\[2pt] \sin\frac\theta2\end{pmatrix} = \cos\frac{\theta}{2}\ket{\uparrow} + \sin\frac{\theta}{2}\ket{\downarrow} $$

である.$z$ 方向のスピンを測って上向きが出る確率は,Born 則により振幅の絶対値2乗だから

$$ P(\uparrow) = \abs{\braket{\uparrow|U(\hat{\bm{y}},\theta)|\uparrow}}^2 = \cos^2\frac{\theta}{2}, \qquad P(\downarrow) = \sin^2\frac{\theta}{2} $$

である.和は $\cos^2\frac\theta2+\sin^2\frac\theta2=1$ で規格化も保たれている.

検算.(4) を特別な角で確かめる.$\theta=0$ なら $P(\uparrow)=1$(何もしていないので当然),$\theta=\pi$ なら $P(\uparrow)=\cos^2(\pi/2)=0$(スピンが完全に反転),$\theta=\pi/2$ なら $P(\uparrow)=\cos^2(\pi/4)=1/2$(スピンが $x$ 軸を向くので $z$ 測定は五分五分).いずれも直観と合う.さらに期待値を計算すると

$$ \braket{\sigma_3} = P(\uparrow)-P(\downarrow) = \cos^2\frac\theta2-\sin^2\frac\theta2 = \cos\theta $$

となり,「スピンの向きは $z$ から角 $\theta$ だけ傾いた」という古典的な描像と厳密に一致する.ここでも状態は半角,観測されるベクトルは全角という (3) の構造がそのまま現れている.また (2) の $\theta=2\pi$ で $U=-\mathbb{1}$ だが,(4) の確率は $\cos^2(\pi)=1$ で元に戻る.符号は確率には現れず,干渉させてはじめて見えるという本書5.3.2項の注意と整合する.

意味.(4) の $\cos^2(\theta/2)$ は Stern–Gerlach 実験を2台つないだときの透過率そのものであり,$\theta$ ではなく $\theta/2$ が入ることが「スピノルは半角で回る」ことの直接の実験的表現である.材料科学では,この式はスピン分解 ARPES やスピン偏極トンネル分光の解析式そのものとして現れる.磁化方向が角 $\theta$ 傾いた2つの強磁性電極の間のトンネル伝導度が $G\propto1+P_1P_2\cos\theta$ の形をとる(トンネル磁気抵抗)のも,元をたどればこの重なり積分である.(3) の「$\mathrm{SU}(2)$ の元は半角,随伴作用は全角」という関係は,スピン軌道結合を含む結晶の対称性解析で二重群が必要になる理由でもある(本書5.5.4項).軌道(ベクトル)は $2\pi$ で戻るが,スピノルは戻らない.同じ回転に対して二つの答えがあるので,点群の元を倍にせざるをえないのである.

演習5.4 CG 係数を自分で作る($1\otimes1=2\oplus1\oplus0$)

問題(再掲)

スピン1の粒子2個を合成する.次元の勘定は $3\times3=9=5+3+1$ である.

(1) 最高ウェイト状態 $\ket{2,2}=\ket{1,1}\ket{1,1}$ から出発し,$J_-=J_-^{(1)}+J_-^{(2)}$ を1回作用させて $\ket{2,1}$ を求めよ.

(2) $m=1$ の空間は2次元である.(1) で得た $\ket{2,1}$ に直交する規格化状態を作り,それが $\ket{1,1}_{\text{tot}}$(合成スピン $J=1$ の最高ウェイト)であることを $J_+$ を当てて確かめよ.

(3) $m=0$ の空間は3次元である.$\ket{2,0}$ と $\ket{1,0}_{\text{tot}}$ を降下演算子で求め,両者に直交する状態として $\ket{0,0}$ を構成せよ.

(4) $J=2$(対称),$J=1$(反対称),$J=0$(対称)という交換対称性のパターンを確認せよ.

解答

方針.本書5.3.4項で $\frac12\otimes\frac12$ に対して行った手順を,そっくりそのまま $1\otimes1$ に適用する.道具は本書5.3.3項の昇降演算子の公式

$$ J_\pm\ket{j,m} = \sqrt{j(j+1)-m(m\pm1)}\;\ket{j,m\pm1} $$

と,合成系での $J_\pm = J_\pm^{(1)}+J_\pm^{(2)}$ だけである.表を引く必要はない.記号を軽くするため,粒子1が $m_1$,粒子2が $m_2$ の直積状態を $\ket{m_1,m_2}$ と略記する(どちらも $j=1$ なので $j$ は省く).合成系の状態は $\ket{J,M}$ と大文字で書く.

まず $j=1$ に対する昇降係数を用意しておく.$j(j+1)=2$ だから

$$ J_-\ket{1,1}=\sqrt{2-1\cdot0}\,\ket{1,0}=\sqrt2\,\ket{1,0},\qquad J_-\ket{1,0}=\sqrt{2-0\cdot(-1)}\,\ket{1,-1}=\sqrt2\,\ket{1,-1} $$ $$ J_+\ket{1,-1}=\sqrt2\,\ket{1,0},\qquad J_+\ket{1,0}=\sqrt2\,\ket{1,1},\qquad J_-\ket{1,-1}=J_+\ket{1,1}=0 $$

である.$j=1$ では昇降係数はどちらの段でも $\sqrt2$ で,これがこの問題の計算をきれいにしている.

(1) $M=m_1+m_2=2$ を作れる直積状態は $\ket{+1,+1}$ ただ一つである.したがってそれが最高ウェイト状態で

$$ \ket{2,2} = \ket{+1,+1} $$

である.両辺に $J_-$ を当てる.左辺は $J=2$,$M=2$ なので

$$ J_-\ket{2,2} = \sqrt{2\cdot3 - 2\cdot1}\;\ket{2,1} = \sqrt{4}\;\ket{2,1} = 2\,\ket{2,1} $$

右辺は $J_-=J_-^{(1)}+J_-^{(2)}$ を各粒子に働かせて

$$ \left(J_-^{(1)}+J_-^{(2)}\right)\ket{+1,+1} = \sqrt2\,\ket{0,+1} + \sqrt2\,\ket{+1,0} $$

両者を等置して $2$ で割ると

$$ \ket{2,1} = \frac{\sqrt2}{2}\left(\ket{+1,0}+\ket{0,+1}\right) = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{+1,0}+\ket{0,+1}\right) $$

ヒントの $\frac{1}{\sqrt2}(\ket{1,1}\ket{1,0}+\ket{1,0}\ket{1,1})$ と一致する.規格化も $\left(\frac1{\sqrt2}\right)^2\times2=1$ で正しい.

(2) $M=1$ を作る直積状態は $\ket{+1,0}$ と $\ket{0,+1}$ の2個だから,$M=1$ の部分空間は2次元である.そのうち1次元は (1) の $\ket{2,1}$ が占めているので,残る1次元は直交条件で決まる.係数を $(\alpha,\beta)$ として $\alpha\ket{+1,0}+\beta\ket{0,+1}$ とおくと,$\ket{2,1}$ との直交性は $\frac{1}{\sqrt2}(\alpha+\beta)=0$ すなわち $\beta=-\alpha$,規格化は $2\alpha^2=1$ を与える.Condon–Shortley の規約($m_1$ が最大の項の係数を正にとる)に従って $\alpha=+1/\sqrt2$ を選ぶと

$$ \ket{1,1}_{\text{tot}} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{+1,0}-\ket{0,+1}\right) $$

これが本当に $J=1$ の最高ウェイトであることを $J_+$ で確かめる.まず各項について

$$ J_+\ket{+1,0} = \underbrace{J_+^{(1)}\ket{+1}}_{=0}\otimes\ket{0} + \ket{+1}\otimes\underbrace{J_+^{(2)}\ket{0}}_{=\sqrt2\ket{+1}} = \sqrt2\,\ket{+1,+1} $$ $$ J_+\ket{0,+1} = \sqrt2\,\ket{+1,+1} + 0 = \sqrt2\,\ket{+1,+1} $$

したがって

$$ J_+\ket{1,1}_{\text{tot}} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\sqrt2\,\ket{+1,+1}-\sqrt2\,\ket{+1,+1}\right) = 0 $$

$J_+$ で消える $J_z$ 固有状態は,その状態が属する既約表現の最高ウェイトにほかならない.最高ウェイトでは $J=M$ だから,ここでは $J=M=1$ であり,$\ket{1,1}_{\text{tot}}$ は合成スピン $J=1$ の最高ウェイト状態である.次元でも押さえておく.$M=2$ の空間は $\ket{+1,+1}$ の1次元だけで,それは $\ket{2,2}$ に使い切られている.$M=1$ の2次元のうち $J=2$ の多重項が占めるのは1次元だから,残る1次元は新しい多重項の先頭でなければならず,その $J$ は $1$ 以外にありえない.

(3) $M=0$ を作る直積状態は $\ket{+1,-1}$,$\ket{0,0}$,$\ket{-1,+1}$ の3個で,部分空間は3次元である.ここに $J=2,1,0$ の $M=0$ 成分が1個ずつ入る.

$\ket{2,0}$.$\ket{2,1}$ に $J_-$ を当てる.左辺は

$$ J_-\ket{2,1} = \sqrt{2\cdot3-1\cdot0}\;\ket{2,0} = \sqrt6\;\ket{2,0} $$

右辺は,各直積状態に $J_-^{(1)}+J_-^{(2)}$ を働かせて

$$ J_-\ket{+1,0} = \sqrt2\,\ket{0,0} + \sqrt2\,\ket{+1,-1},\qquad J_-\ket{0,+1} = \sqrt2\,\ket{-1,+1} + \sqrt2\,\ket{0,0} $$

であるから

$$ J_-\ket{2,1} = \frac{1}{\sqrt2}\left[\sqrt2\ket{0,0}+\sqrt2\ket{+1,-1}+\sqrt2\ket{-1,+1}+\sqrt2\ket{0,0}\right] = \ket{+1,-1} + 2\ket{0,0} + \ket{-1,+1} $$

両者を等置して $\sqrt6$ で割ると

$$ \ket{2,0} = \frac{1}{\sqrt6}\left(\ket{+1,-1} + 2\,\ket{0,0} + \ket{-1,+1}\right) $$

規格化は $\frac16(1+4+1)=1$ で正しい.

$\ket{1,0}_{\text{tot}}$.$\ket{1,1}_{\text{tot}}$ に $J_-$ を当てる.左辺は $J=1,M=1$ なので $J_-\ket{1,1}_{\text{tot}}=\sqrt{2-0}\,\ket{1,0}_{\text{tot}}=\sqrt2\,\ket{1,0}_{\text{tot}}$.右辺は上と同じ2式を符号を変えて使い

$$ \frac{1}{\sqrt2}\left[\sqrt2\ket{0,0}+\sqrt2\ket{+1,-1}-\sqrt2\ket{-1,+1}-\sqrt2\ket{0,0}\right] = \ket{+1,-1}-\ket{-1,+1} $$

$\ket{0,0}$ の項がちょうど打ち消すのが特徴である.よって

$$ \ket{1,0}_{\text{tot}} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{+1,-1}-\ket{-1,+1}\right) $$

$\ket{0,0}$.残る1次元を直交条件で決める.合成状態 $\ket{J{=}0,M{=}0}$ と直積状態 $\ket{m_1{=}0,m_2{=}0}$ で記号が衝突するので,以下では直積のほうを $\ket{0,0}_{\text{prod}}$ と書く.$\ket{0,0}=\alpha\ket{+1,-1}+\beta\ket{0,0}_{\text{prod}}+\gamma\ket{-1,+1}$ とおくと,

$$ \braket{1,0|_{\text{tot}}\,0,0} = \frac{1}{\sqrt2}(\alpha-\gamma) = 0 \quad\Longrightarrow\quad \gamma=\alpha $$ $$ \braket{2,0|0,0} = \frac{1}{\sqrt6}(\alpha+2\beta+\gamma) = 0 \quad\Longrightarrow\quad 2\alpha+2\beta=0 \quad\Longrightarrow\quad \beta=-\alpha $$

規格化 $\alpha^2+\beta^2+\gamma^2=3\alpha^2=1$ から $\alpha=1/\sqrt3$.よって

$$ \ket{0,0} = \frac{1}{\sqrt3}\left(\ket{+1,-1} - \ket{0,0}_{\text{prod}} + \ket{-1,+1}\right) $$

ヒントの表式と一致する.これが $J=0$ であることは,$J_\pm$ をどちらも当てて消えることで確かめられる.たとえば

$$ J_+\ket{+1,-1}=\sqrt2\ket{+1,0},\qquad J_+\ket{0,0}_{\text{prod}}=\sqrt2\ket{+1,0}+\sqrt2\ket{0,+1},\qquad J_+\ket{-1,+1}=\sqrt2\ket{0,+1} $$

より

$$ J_+\ket{0,0} = \frac{1}{\sqrt3}\left[\sqrt2\ket{+1,0}-\sqrt2\ket{+1,0}-\sqrt2\ket{0,+1}+\sqrt2\ket{0,+1}\right]=0 $$

で,同様に $J_-\ket{0,0}=0$ である.昇降どちらでも消えるので1次元の既約表現,すなわち $J=0$ である.

(4) 2粒子の入れ替え $P_{12}:\ket{m_1,m_2}\to\ket{m_2,m_1}$ に対する各状態の振る舞いを見る.

まとめると $J=2$(対称),$J=1$(反対称),$J=0$(対称)である.これは一般則

$$ P_{12}\ket{J,M} = (-1)^{j_1+j_2-J}\ket{J,M}\qquad(j_1=j_2=j\text{ のとき}) $$

の $j_1=j_2=1$ の場合であり,$(-1)^{2-J}$ が $J=2,1,0$ でそれぞれ $+,-,+$ を与えることと一致する.次元でも整合する.$3\times3=9$ 個の直積状態のうち対称なものは $3\cdot4/2=6$ 個,反対称なものは $3\cdot2/2=3$ 個であり,$6=5+1$($J=2$ と $J=0$),$3$($J=1$)と正しく分かれている.

検算.次元の勘定は $5+3+1=9=3\times3$ で合っている.内積による直交性も確認できる.たとえば

$$ \braket{2,0|1,0}_{\text{tot}} = \frac{1}{\sqrt6}\cdot\frac{1}{\sqrt2}\left[1\cdot1 + 2\cdot0 + 1\cdot(-1)\right] = 0 $$ $$ \braket{2,0|0,0} = \frac{1}{\sqrt6}\cdot\frac{1}{\sqrt3}\left[1\cdot1+2\cdot(-1)+1\cdot1\right] = 0, \qquad \braket{1,0|_{\text{tot}}0,0} = \frac{1}{\sqrt2}\cdot\frac{1}{\sqrt3}\left[1\cdot 1 + 0\cdot(-1) + (-1)\cdot 1\right]=0 $$

さらに,Casimir 演算子 $\bm{J}^2=\bm{J}_1^2+\bm{J}_2^2+2\bm{J}_1\cdot\bm{J}_2$ の固有値でも検算できる.$\bm{J}_1^2=\bm{J}_2^2=2$($j=1$)なので $\bm{J}_1\cdot\bm{J}_2 = \frac12\left[J(J+1)-4\right]$ であり,$J=2,1,0$ に対してそれぞれ $+1,\,-1,\,-2$ となる.これらの縮退度つきの和(トレース)は $5\cdot1+3\cdot(-1)+1\cdot(-2)=0$ で,$\Tr(\bm{J}_1\cdot\bm{J}_2)=0$(各成分がトレースレス)と一致する.

意味.ここで作った3つの不変な組み合わせは,実は2つのベクトルから作れる3種類のテンソルそのものである.スピン1の状態は3次元ベクトルと同じ変換をするので,$\bm{a}$ と $\bm{b}$ の直積 $a_ib_j$(9成分)を回転で混ざらない塊に分けると

$$ a_ib_j = \underbrace{\frac13(\bm{a}\cdot\bm{b})\delta_{ij}}_{J=0,\ 1\text{成分}} + \underbrace{\frac12\left(a_ib_j-a_jb_i\right)}_{J=1,\ 3\text{成分(}\bm{a}\times\bm{b}\text{)}} + \underbrace{\left[\frac12(a_ib_j+a_jb_i)-\frac13(\bm{a}\cdot\bm{b})\delta_{ij}\right]}_{J=2,\ 5\text{成分(対称トレースレス)}} $$

となる.$\ket{0,0}$ が内積 $\bm{a}\cdot\bm{b}$(対称・スカラー),$J=1$ が外積 $\bm{a}\times\bm{b}$(反対称・擬ベクトル),$J=2$ が対称トレースレステンソルに対応する.交換対称性のパターンが $+,-,+$ になるのは,この $1+3+5$ 分解の対称性そのものである.

材料科学では,この分解は毎日使っている.2階テンソル物性量(誘電率 $\varepsilon_{ij}$,感受率,弾性定数の一部)を等方成分・反対称成分・対称トレースレス成分に分けるのがそれで,Raman テンソルの分解(全対称成分=分極率の等方部分,反対称成分=共鳴 Raman で現れる,非等方対称成分=縮退モード)や,NMR の化学シフトテンソル・四重極相互作用の分類も同じ $J=0,1,2$ の言葉で書かれる.結晶場ハミルトニアンを Stevens 演算子で展開するときの階数 $k=0,2,4,6$ も,同じ既約テンソル分解の帰結である.素粒子で $\pi$ と $\pi$ を合成する計算と,誘電テンソルを既約分解する計算は,同じ CG 係数表を引いているのである.

演習5.5 アイソスピンによる断面積比の予言

問題(再掲)

重陽子 $d$ はアイソスピン一重項($I=0$),$\pi$ は $I=1$,核子は $I=1/2$ である.

(1) $\ket{pp}$ と $\ket{nn}$ はそれぞれ $\ket{I,I_3}$ のどれか.また $\ket{pn}$ を $\ket{1,0}$ と $\ket{0,0}$ で展開せよ.

(2) 反応 $pp\to d\pi^+$ と $np\to d\pi^0$ について,遷移行列要素をアイソスピン振幅 $A_1$($I=1$ の振幅)で表せ.

(3) $\abs{\mathcal{M}(pp\to d\pi^+)}^2 / \abs{\mathcal{M}(np\to d\pi^0)}^2 = 2$ を示せ.

(4) $\Delta^0$ の崩壊分岐比 $\Gamma(\Delta^0\to n\pi^0)/\Gamma(\Delta^0\to p\pi^-)$ を,5.4.3節で作った CG 係数を使って求めよ.

解答

方針.本書5.4.3項の主張「強い相互作用の振幅は全アイソスピン $I$ にしか依らない」を使う.手続きは3段である.(i) 始状態と終状態を $\ket{I,I_3}$ の基底で展開する,(ii) 同じ $I$ の成分どうしだけを拾って係数の積をとる,(iii) 未知の振幅 $A_I$ を含んだまま比をとると $A_I$ が落ちる.核子は本書5.4.1項のとおり $\ket{p}=\ket{\frac12,+\frac12}$,$\ket{n}=\ket{\frac12,-\frac12}$ である.

(1) 2核子系は $\frac12\otimes\frac12=1\oplus0$ に分解する.本書5.3.4項で作った $\frac12\otimes\frac12$ の CG 係数を,$\ket{\uparrow}\to\ket{p}$,$\ket{\downarrow}\to\ket{n}$ と読み替えればよい.

$\ket{pp}$ は $I_3=\frac12+\frac12=+1$ で,$I_3=+1$ を作る状態はこれしかないから最高ウェイトである:

$$ \ket{pp} = \ket{1,+1} $$

同様に $\ket{nn}$ は $I_3=-1$ の唯一の状態なので

$$ \ket{nn} = \ket{1,-1} $$

である.どちらも純粋な $I=1$(三重項)状態である.

$I_3=0$ の空間は $\ket{pn}$(粒子1が $p$,粒子2が $n$)と $\ket{np}$ の2次元で,本書5.3.4項の結果をそのまま移すと

$$ \ket{1,0} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{pn}+\ket{np}\right), \qquad \ket{0,0} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{pn}-\ket{np}\right) $$

である.これを逆に解く($2\times2$ の直交行列なので転置するだけ)と

$$ \ket{pn} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{1,0}+\ket{0,0}\right), \qquad \ket{np} = \frac{1}{\sqrt2}\left(\ket{1,0}-\ket{0,0}\right) $$

ヒントの $\ket{pn}=\frac{1}{\sqrt2}(\ket{1,0}+\ket{0,0})$ と一致する.要点は,$pp$ と $nn$ が純粋な $I=1$ であるのに対し,$pn$ は $I=1$ と $I=0$ の等重率の重ね合わせであり,どちらの成分も確率 $1/2$ で含む,ということである.

(2) 終状態を分類する.$d$ は $I=0$,$\pi$ は $I=1$ なので,$d\pi$ 系の全アイソスピンは $0\otimes1=1$,すなわち必ず $I=1$ である(一重項との合成は何も変えない).$I_3$ は $\pi$ のそれで決まるから

$$ \ket{d\pi^+}=\ket{1,+1},\qquad \ket{d\pi^0}=\ket{1,0},\qquad \ket{d\pi^-}=\ket{1,-1} $$

である.したがって,この反応に効く独立な振幅は $I=1$ のものひとつだけで,本書5.4.3項の記法で

$$ \braket{1,I_3'|\Ham_{\text{strong}}|1,I_3} = A_1\,\delta_{I_3I_3'} $$

と書ける.$I=0$ の成分は,終状態に $I=0$ が存在しないので寄与できない.

$pp\to d\pi^+$.始状態は (1) より純粋な $\ket{1,+1}$,終状態も $\ket{1,+1}$ だから

$$ \mathcal{M}(pp\to d\pi^+) = \braket{1,+1|\Ham_{\text{strong}}|1,+1} = A_1 $$

$np\to d\pi^0$.始状態は (1) より $\ket{np}=\frac{1}{\sqrt2}(\ket{1,0}-\ket{0,0})$ である.終状態 $\ket{d\pi^0}=\ket{1,0}$ と重なるのは $I=1$ 成分だけなので

$$ \mathcal{M}(np\to d\pi^0) = \bra{1,0}\Ham_{\text{strong}}\ket{np} = \frac{1}{\sqrt2}\bra{1,0}\Ham_{\text{strong}}\ket{1,0} - \frac{1}{\sqrt2}\bra{1,0}\Ham_{\text{strong}}\ket{0,0} = \frac{1}{\sqrt2}A_1 $$

(第2項の $\bra{1,0}\Ham_{\text{strong}}\ket{0,0}=0$ はアイソスピン保存による.)符号は始状態の位相の取り方(どちらの核子を粒子1と呼ぶか)に依存するが,以下で使うのは絶対値だけなので影響しない.ヒントの $\mathcal{M}(np\to d\pi^0)=\frac{1}{\sqrt2}A_1$ と一致する.

(3) (2) の2式の絶対値の2乗をとって比をつくると

$$ \frac{\abs{\mathcal{M}(pp\to d\pi^+)}^2}{\abs{\mathcal{M}(np\to d\pi^0)}^2} = \frac{\abs{A_1}^2}{\abs{\frac{1}{\sqrt2}A_1}^2} = \frac{\abs{A_1}^2}{\frac12\abs{A_1}^2} = 2 $$

未知の $A_1$ が分母分子で完全に打ち消えた.QCD の詳細も,核力のポテンシャルも,重陽子の波動関数も一切知らないのに,比だけは $2$ と決まる.

この $2$ の出所を一言でいえば,「$np$ の半分は $I=0$ で,その分は $d\pi$ に行けないから」である.$pp$ は全部が $I=1$ なのに対し,$np$ は $I=1$ 成分を $\abs{1/\sqrt2}^2=1/2$ しか持っていない.

(4) $\Delta^0$ は $\Delta(1232)$ 四重項($I=3/2$)の $I_3=-1/2$ 成分だから $\ket{\Delta^0}=\ket{\frac32,-\frac12}$ である.本書5.4.3項の導出ステップ3で作った CG 係数

$$ \ket{\tfrac32,-\tfrac12} = \sqrt{\tfrac13}\,\ket{\pi^- p} + \sqrt{\tfrac23}\,\ket{\pi^0 n} $$

をそのまま使えばよい.崩壊 $\Delta^0\to N\pi$ の Hamiltonian はアイソスピン不変なので,Wigner–Eckart の定理(本書5.5.3項)により換算行列要素は両チャンネルで共通である.したがって崩壊幅は CG 係数の2乗に比例し

$$ \Gamma(\Delta^0\to p\,\pi^-) \propto \left(\sqrt{\tfrac13}\right)^2 = \frac13, \qquad \Gamma(\Delta^0\to n\,\pi^0) \propto \left(\sqrt{\tfrac23}\right)^2 = \frac23 $$

である.よって

$$ \frac{\Gamma(\Delta^0\to n\,\pi^0)}{\Gamma(\Delta^0\to p\,\pi^-)} = \frac{2/3}{1/3} = 2 $$

ヒントの値と一致する.$\Delta^+$ の場合(本書5.5.3項)は $\ket{\frac32,+\frac12}=\sqrt{\frac23}\ket{\pi^0p}+\sqrt{\frac13}\ket{\pi^+n}$ から $\Gamma(\Delta^+\to p\pi^0)/\Gamma(\Delta^+\to n\pi^+)=2$ で,やはり同じ値である.これは偶然ではなく,$\Delta^0$ と $\Delta^+$ が $I_3\to-I_3$ の関係($u\leftrightarrow d$ の入れ替えに相当)で結ばれているためである.

検算.まず (1) の展開が完全系をなすことを確かめる.$\abs{\braket{1,0|pn}}^2+\abs{\braket{0,0|pn}}^2 = \frac12+\frac12=1$ で,確率の総和が $1$ になる.

次に (4) を,四重項全体の和則で検算する.$I=3/2$ の各成員について $N\pi$ への分岐比を並べると

$$ \Delta^{++}:\ \pi^+p\ (1),\qquad \Delta^+:\ \pi^0p\ \left(\tfrac23\right),\ \pi^+n\ \left(\tfrac13\right),\qquad \Delta^0:\ \pi^-p\ \left(\tfrac13\right),\ \pi^0n\ \left(\tfrac23\right),\qquad \Delta^-:\ \pi^-n\ (1) $$

となり,どの成員でも係数の和が $1$($\frac23+\frac13=1$)である.これは CG 係数の規格化 $\sum_{m_1m_2}\abs{\braket{j_1m_1j_2m_2|jm}}^2=1$ の反映であり,「$\Delta$ はどの荷電状態でもほぼ $100\%$ が $N\pi$ に崩壊する」(実測でも $99.4\%$)という事実と整合する.

(3) については,実験との比較で検算できる.$pp\to d\pi^+$ と $np\to d\pi^0$ の断面積比は,同じ重心系エネルギーで測ると約 $2$ と報告されており,予言と合う.ただし断面積そのものの比を厳密に扱うには,始状態 $pp$ が同種粒子であることによる統計因子と,位相空間・入射フラックスの違いを補正する必要がある.純粋にアイソスピンの帰結なのは,ここで示した $\abs{\mathcal{M}}^2$ の比のほうである.

意味.この問題は,本書5.4.3項の $\pi N$ 散乱($9:1:2$)と同じ論理を,まったく別の反応にもう一度適用したものである.どちらの場合も,予言できるのは比だけで,絶対値は予言できない.対称性は「力学が何であれ従うべき制約」を与えるが,力学そのものを与えはしないからである.

この構図は材料科学でもそのまま繰り返される.群論はフォノンのどのモードが Raman 活性かを教え,同じ既約表現に属するモードどうしの偏光依存性の比を与えるが,散乱強度の絶対値(分極率の微分の大きさ)は第一原理計算をしなければ出てこない.本書5.4.3項の $A_{3/2}$ と,Raman テンソルの換算行列要素は,まったく同じ役回りを演じている.「群論で決まるところまでは群論で決め,残りだけを計算する」という分業は,素粒子でも物性でも共通の作法である.

演習5.6 $\mathrm{SU}(3)$ のウェイト図と $\Omega^-$

問題(再掲)

(1) $(I_3,Y)$ 平面に $u,d,s$ の3点を打ち(表5.6),それらを結ぶと正三角形になることを確かめよ.同様に $\bar u,\bar d,\bar s$ を打ち,上下反転した三角形になることを示せ.

(2) $\bm{3}\otimes\bar{\bm{3}}$ の $9$ 個のウェイトを,$q$ のウェイトと $\bar q$ のウェイトの和としてすべて書き出せ.原点 $(0,0)$ が3重に現れることを確かめ,$\bm{8}\oplus\bm{1}$ という分解と整合することを説明せよ.

(3) 十重項の等間隔則を用いて $\Omega^-$ の質量を予言し,実測値 $1672.45\ \mathrm{MeV}$ と比べよ.

(4) Gell-Mann–西島の関係 $Q=I_3+Y/2$ を用いて,$\Omega^-$($I=0$, $B=1$, $S=-3$)の電荷が $-1$ であることを確かめよ.また $\Delta^{++}$($I_3=+3/2$, $B=1$, $S=0$)の電荷が $+2$ であることも確かめよ.

解答

方針.本書5.4.4項で導入した $\mathrm{SU}(3)_F$ のウェイト $(I_3,Y)$ と,表5.6 のクォークの量子数から出発する.(1)(2) は足し算と作図だけ,(3) は本書5.4.4項の等間隔則の適用,(4) は Gell-Mann–西島の関係への代入である.計算はすべて有理数で閉じるので分数のまま扱う.

(1) 表5.6 から,クォークのウェイトは

$$ u:\ \left(I_3,Y\right)=\left(+\tfrac12,\ +\tfrac13\right),\qquad d:\ \left(-\tfrac12,\ +\tfrac13\right),\qquad s:\ \left(0,\ -\tfrac23\right) $$

である($Y=B+S$ で,$u,d,s$ はすべて $B=1/3$,$S$ はそれぞれ $0,0,-1$).ハイパー電荷の和は $\frac13+\frac13-\frac23=0$ で,重心は原点にある.

ここで一つ注意が要る.$I_3$ と $Y$ を同じ目盛りでプロットすると,$u$–$d$ 間の距離は $1$,$u$–$s$ 間の距離は

$$ \sqrt{\left(\tfrac12\right)^2+\left(\tfrac13+\tfrac23\right)^2}=\sqrt{\tfrac14+1}=\frac{\sqrt5}{2}=1.118\cdots $$

となって一致せず,二等辺三角形にしかならない.正三角形になるのは,縦軸に $Y$ そのものではなく,本書5.4.4項で定義した対角生成子 $T^8=\frac{\sqrt3}{2}Y$ を取ったときである.すなわちウェイトを $(T^3,T^8)=\left(I_3,\ \frac{\sqrt3}{2}Y\right)$ で表すと

$$ u:\left(\tfrac12,\ \tfrac{\sqrt3}{6}\right),\qquad d:\left(-\tfrac12,\ \tfrac{\sqrt3}{6}\right),\qquad s:\left(0,\ -\tfrac{\sqrt3}{3}\right) $$

となり,辺の長さは

$$ \abs{u-d} = 1,\qquad \abs{u-s} = \sqrt{\left(\tfrac12\right)^2+\left(\tfrac{\sqrt3}{6}+\tfrac{\sqrt3}{3}\right)^2} = \sqrt{\tfrac14+\left(\tfrac{\sqrt3}{2}\right)^2} = \sqrt{\tfrac14+\tfrac34} = 1 $$

で,$\abs{d-s}$ も対称性から $1$.3辺が等しいので正三角形である.この目盛りが自然なのは,生成子の規格化 $\Tr\left(T^aT^b\right)=\frac12\delta^{ab}$ のもとで $T^3$ と $T^8$ が対等な扱いを受けるからである.本書図5.6(a) は縦横をほぼ等目盛り($I_3$ の 1 単位が $80$ px,$Y$ の 1 単位が $75$ px)で描いてあるので,厳密には辺の比が $1:1.06$ の二等辺三角形であって,「ほぼ正三角形に見える」だけである.厳密な正三角形になるのは,いま見た $(T^3,T^8)$ 目盛りで描いたときに限る.以下,「ウェイト」と言うときは値としては $(I_3,Y)$ を,作図の際は $(T^3,T^8)$ を用いる.

反クォークは複素共役表現 $\bar{\bm{3}}$ に属し,すべての量子数の符号が反転する($B,S$ が反転するから $Y$ も反転し,$I_3$ も反転する):

$$ \bar u:\left(-\tfrac12,\ -\tfrac13\right),\qquad \bar d:\left(+\tfrac12,\ -\tfrac13\right),\qquad \bar s:\left(0,\ +\tfrac23\right) $$

これは $\bm{3}$ の3点を原点まわりに $180^\circ$ 回した(=点対称に写した)配置,すなわち $(I_3,Y)\to(-I_3,-Y)$ である.一方「上下反転」は横軸すなわち $I_3$ 軸に関する鏡映 $(I_3,Y)\to(I_3,-Y)$ のことで,両者は $I_3$ の符号だけ違う.しかしいまの3点では,上下反転で $u\to$($\bar d$ の位置),$d\to$($\bar u$ の位置)とラベルが入れ替わるだけで,点の集合としては同じものが得られる.だから「$\bar{\bm{3}}$ は上下反転した三角形」と言ってよい.$\bm{3}$ が「頂点が下向き」($s$ が下)の三角形なら $\bar{\bm{3}}$ は「頂点が上向き」($\bar s$ が上)である.

(2) 直積表現のウェイトは,構成要素のウェイトの和である($I_3$ も $Y$ も加法的な量だから).$q\bar q$ の9通りをすべて書き出す.

$\bm{3}\otimes\bar{\bm{3}}$ の9個のウェイト
$q\bar q$$I_3$$Y$$Q=I_3+Y/2$対応する中間子
$u\bar s$$+\tfrac12$$+1$$+1$$K^+$
$d\bar s$$-\tfrac12$$+1$$0$$K^0$
$u\bar d$$+1$$0$$+1$$\pi^+$
$d\bar u$$-1$$0$$-1$$\pi^-$
$u\bar u$$0$$0$$0$$\pi^0,\ \eta,\ \eta'$
$d\bar d$$0$$0$$0$
$s\bar s$$0$$0$$0$
$s\bar d$$+\tfrac12$$-1$$0$$\bar K^0$
$s\bar u$$-\tfrac12$$-1$$-1$$K^-$

たとえば $u\bar s$ なら $I_3 = \frac12+0=\frac12$,$Y=\frac13+\frac23=+1$ で,表5.4 の $K^+$($Y=+1$)と一致する.$s\bar u$ なら $I_3=0-\frac12=-\frac12$,$Y=-\frac23-\frac13=-1$ で $K^-$ である.

数え上げると,原点以外のウェイトは $(\pm1,0)$,$(\pm\frac12,+1)$,$(\pm\frac12,-1)$ の6個で,すべて相異なり,$(T^3,T^8)$ 平面では正六角形の頂点をなす.残る3つ $u\bar u,\,d\bar d,\,s\bar s$ はすべて $(0,0)$ に落ちる.すなわち原点は3重に縮退している.合計 $6+3=9$ で $3\times3$ と合う.

これが $\bm{8}\oplus\bm{1}$ と整合することは,各既約表現のウェイト図と突き合わせれば分かる.八重項 $\bm{8}$ は「六角形の6頂点+2重に縮退した中心」で次元 $6+2=8$,一重項 $\bm{1}$ は「中心の1点」だけで次元 $1$ である.両者を重ねると六角形の6点と,中心の $2+1=3$ 重が得られ,上の数え上げと完全に一致する:

$$ \underbrace{6\ \text{(六角形)} + 2\ \text{(中心)}}_{\bm{8}} \ +\ \underbrace{1\ \text{(中心)}}_{\bm{1}} \ =\ 6 + 3 = 9 $$

物理的には,中心の3つの直交する組み合わせのうち2つが八重項の成員(擬スカラー中間子なら $\pi^0\sim\frac{1}{\sqrt2}(u\bar u-d\bar d)$ と $\eta_8\sim\frac{1}{\sqrt6}(u\bar u+d\bar d-2s\bar s)$),残る1つが $\mathrm{SU}(3)$ 一重項($\eta_1\sim\frac{1}{\sqrt3}(u\bar u+d\bar d+s\bar s)$,実際の $\eta'$ の主成分)である.一重項の組み合わせが3つのフレーバーを対等に含んでいるのは,それが $\mathrm{SU}(3)$ 変換で不変だからである.

(3) 図5.7(b) の十重項の質量を,$Y$ の大きいほうから並べる:

$$ \Delta\ (Y=1):\ 1232\ \mathrm{MeV},\quad \Sigma^*\ (Y=0):\ 1385,\quad \Xi^*\ (Y=-1):\ 1533,\quad \Omega\ (Y=-2):\ ? $$

実測できている3つから間隔を測ると

$$ m_{\Sigma^*}-m_{\Delta} = 1385-1232 = 153\ \mathrm{MeV},\qquad m_{\Xi^*}-m_{\Sigma^*} = 1533-1385 = 148\ \mathrm{MeV} $$

である.よく揃っている(差は $5\ \mathrm{MeV}$,$3\%$).等間隔則を仮定して,最後の間隔も直前の値 $148\ \mathrm{MeV}$ に等しいとすれば

$$ m_{\Omega} \simeq m_{\Xi^*} + \left(m_{\Xi^*}-m_{\Sigma^*}\right) = 1533 + 148 = 1681\ \mathrm{MeV} $$

実測値 $1672.45\ \mathrm{MeV}$ と比べると

$$ \Delta m = 1681 - 1672.45 = 8.55\ \mathrm{MeV}, \qquad \frac{\abs{\Delta m}}{m_\Omega^{\text{exp}}} = \frac{8.55}{1672.45} = 5.11\times10^{-3} = 0.51\% $$

$0.5\%$ の精度で当たっている.参考までに,3点すべてを使って $m=\alpha+\beta Y$ の形に最小二乗フィットすると $\alpha=1383.3\ \mathrm{MeV}$,$\beta=-150.5\ \mathrm{MeV}$ となり,$Y=-2$ で $m_\Omega = 1383.3+2\times150.5 = 1684.3\ \mathrm{MeV}$(誤差 $0.71\%$)を与える.どちらの外挿でも $1680\ \mathrm{MeV}$ 前後という同じ結論になる.

なお本書図5.7(b) が「$Y$ が 1 下がるごとに約 $147\ \mathrm{MeV}$」としているのは,$\Omega^-$ が見つかったあとの実測4点から得られる3つの間隔

$$ 153,\qquad 148,\qquad m_\Omega - m_{\Xi^*} = 1672-1533 = 139\ \mathrm{MeV} $$

の平均 $\frac{153+148+139}{3}=146.7\ \mathrm{MeV}$ のことである.予言の時点で使えたのは上の2つだけなので,直前の間隔 $148\ \mathrm{MeV}$ を採るのが自然であり,実際そちら($1681\ \mathrm{MeV}$)のほうが平均を使う場合($1533+147=1680\ \mathrm{MeV}$)とほとんど変わらない.間隔がわずかに縮んでいく傾向($153\to148\to139$)は,等間隔則が厳密ではなく $\mathrm{SU}(3)_F$ の破れの高次の効果が残っていることを示している.

(4) Gell-Mann–西島の関係 $Q=I_3+\frac{Y}{2}$,$Y=B+S$ に代入する.

$\Omega^-$.$I=0$ なので $I_3=0$ しかありえない($2I+1=1$).$B=1$,$S=-3$ だから

$$ Y = B+S = 1+(-3) = -2, \qquad Q = I_3 + \frac{Y}{2} = 0 + \frac{-2}{2} = -1 $$

確かに電荷 $-1$ である.表5.4 の $\Omega^-$ の行($Y=-2$)とも一致する.

$\Delta^{++}$.$I_3=+\frac32$,$B=1$,$S=0$ だから

$$ Y = 1+0 = 1, \qquad Q = \frac32 + \frac12 = 2 $$

確かに電荷 $+2$ である.$\Delta^{++}$ は $I=3/2$ の四重項の $I_3=+3/2$ 端であり,$Y=1$ の行($\Delta$ の行)の右端に位置する.

この関係が「なぜそう書けるか」も,ウェイトの言葉で一言で言える.$I_3$ と $Y$ は $\mathrm{SU}(3)_F$ の2つの対角生成子(Cartan 部分代数)$T^3,\,T^8$ そのもの($I_3=T^3$,$Y=\frac{2}{\sqrt3}T^8$)であり,Gell-Mann–西島の関係は電荷演算子がその一次結合であるという主張に尽きる:

$$ Q = T^3 + \frac{1}{\sqrt3}T^8 $$

基本表現で書き下せば $T^3=\frac12\mathrm{diag}(1,-1,0)$,$\frac{1}{\sqrt3}T^8=\frac16\mathrm{diag}(1,1,-2)$ だから

$$ Q = \mathrm{diag}\left(\tfrac12+\tfrac16,\ -\tfrac12+\tfrac16,\ -\tfrac13\right) = \mathrm{diag}\left(+\tfrac23,\ -\tfrac13,\ -\tfrac13\right) $$

で,$u,d,s$ の電荷そのものが出る.しかも $\Tr Q = \frac23-\frac13-\frac13 = 0$ であり,これは $Q$ が($\mathrm{U}(3)$ ではなく)$\mathrm{SU}(3)$ の生成子=トレースレスであることの表れである.クォークの電荷が $\frac23,\,-\frac13$ という半端な値をとるのは,「3つのフレーバーの電荷の和がゼロでなければならない」という,この群論的な制約の帰結にほかならない.

検算.クォーク模型から独立に確かめる.$\Omega^-$ は $sss$ なので,表5.6 の $Q_s=-\frac13$ を3個足して $Q=3\times(-\frac13)=-1$ ✓.ストレンジネスも $S=3\times(-1)=-3$ ✓,バリオン数も $B=3\times\frac13=1$ ✓.$\Delta^{++}$ は $uuu$ なので $Q=3\times(+\frac23)=+2$ ✓,$I_3=3\times(+\frac12)=+\frac32$ ✓.

(2) の検算としては,表に並べた $Q$ の値が実在の中間子の電荷($K^+:+1$,$K^0:0$,$\pi^\pm:\pm1$,$\pi^0:0$,$\bar K^0:0$,$K^-:-1$)とすべて一致していることを見ればよい.また,$q\bar q$ 状態の $B$ は $\frac13-\frac13=0$ で,中間子がバリオン数を持たないことも自動的に出る.

(1) の検算:3つのウェイトの和 $\left(\frac12-\frac12+0,\ \frac13+\frac13-\frac23\right)=(0,0)$ は,生成子がトレースレス($\Tr T^a=0$,本書5.3.1項)であることの直接の帰結である.正三角形の重心が原点にあるのは偶然ではない.

意味.(3) の $\Omega^-$ 予言は,対称性が「まだ見ぬ粒子の質量」を当てた歴史的な事例である.しかも本書5.4.4項が説明するとおり,等間隔則が成り立つのは十重項に限られ,そこでは $I=1+Y/2$ という関係のせいで質量公式の $I$ 依存項まで $Y$ の1次に化ける.つまり「対称性は破れの形まで制限する」.

この構造は材料科学の Landau 理論と同型である.結晶の構造相転移で,自由エネルギーに書ける秩序変数の冪が既約表現によって決まり(3次項が許されるか否かで転移が1次か2次かが決まる),どの部分群に落ちるかが制限される.どちらの場合も,破れを引き起こす摂動が「どの既約表現に属するか」がすべてを決めている.$\mathrm{SU}(3)_F$ を破る主犯が $s$ クォークの質量($\bm{8}$ に属する成分)であることと,構造相転移の駆動力がソフトモードの属する既約表現であることは,同じ形式の話なのである.

(2) の「原点が3重に縮退し,$8+1$ に分かれる」構造も,結晶場分裂と同型である.$\ell=2$ の5重縮退が $O_h$ で $E_g\oplus T_{2g}$ に分かれるのと,$q\bar q$ の9次元が $\bm{8}\oplus\bm{1}$ に分かれるのは,どちらも「可約表現を既約分解する」という同じ操作である(本書5.5.1項).

演習5.7 結晶点群での既約分解 —— $\mathrm{NH_3}$ の振動モード

問題(再掲)

$\mathrm{NH_3}$ は三角錐型で点群 $C_{3v}=\{E,\,2C_3,\,3\sigma_v\}$(位数 6)に属する.指標表は $A_1=(1,1,1)$,$A_2=(1,1,-1)$,$E=(2,-1,0)$.並進は $z\to A_1$,$(x,y)\to E$,回転は $R_z\to A_2$,$(R_x,R_y)\to E$ である.

(1) 各操作で動かない原子の数を数え,$\chi_{\text{total}}=(12,\,0,\,2)$ を導け.

(2) 簡約公式を使って $\Gamma_{\text{total}}$ を既約分解せよ.

(3) 並進と回転を差し引いて $\Gamma_{\text{vib}}$ を求め,次元が $3N-6=6$ になることを確かめよ.

(4) 赤外活性・Raman 活性なモードをそれぞれ挙げよ.また,5.4.3節で行った $\pi N$ 散乱の断面積比の計算と,この計算のどこが同じでどこが違うかを2〜3行で述べよ.

解答

方針.本書5.5.2項で $\mathrm{H_2O}$($C_{2v}$)に対して行った5ステップを,そのまま $\mathrm{NH_3}$($C_{3v}$)に適用する.使う道具は

$$ \chi_{\text{total}}(g) = N_{\text{unmoved}}(g)\times\chi_{\text{vec}}(g), \qquad n_a = \frac{1}{\abs{G}}\sum_{g\in G}\chi^{(a)}(g)^*\,\chi(g) $$

の2本だけである.$C_{3v}$ の元は $E$ が1個,$C_3$ が2個($C_3$ と $C_3^2$),$\sigma_v$ が3個の計6個で,位数 $\abs{G}=6$.3つの類($E$,$2C_3$,$3\sigma_v$)ごとに指標が決まるので,簡約公式の和は「類の元数を重みとする3項の和」になる.

(1) まず $\chi_{\text{vec}}$,すなわち3次元直交行列としてのトレースを求める.真回転(角 $\theta$)なら $1+2\cos\theta$,鏡映(回映 $S_1$,$\theta=0$)なら $-1+2\cos0=+1$ である.

$$ \chi_{\text{vec}}(E) = 1+2\cos0^\circ = 3,\qquad \chi_{\text{vec}}(C_3) = 1+2\cos120^\circ = 1+2\left(-\tfrac12\right) = 0,\qquad \chi_{\text{vec}}(\sigma_v) = 1 $$

次に各操作で動かない原子(自分自身の位置に写る原子)を数える.$\mathrm{NH_3}$ は N を頂点,3個の H を底面の正三角形とする三角錐で,$C_3$ 軸は N を通り底面に垂直,3枚の $\sigma_v$ はそれぞれ $C_3$ 軸と1個の H を含む.

掛け合わせて

$$ \chi_{\text{total}}(E) = 4\times3 = 12,\qquad \chi_{\text{total}}(C_3) = 1\times0 = 0,\qquad \chi_{\text{total}}(\sigma_v) = 2\times1 = 2 $$

すなわち $\chi_{\text{total}}=(12,\,0,\,2)$ である.$\chi_{\text{total}}(E)=12=3N$($N=4$ 原子)となるのは,恒等操作の指標が表現の次元に等しいという一般則の確認になっている.

(2) 簡約公式に代入する.類の元数は $(1,2,3)$,指標は実数なので複素共役は不要である.

$$ n_{A_1} = \frac16\left[1\cdot1\cdot12 + 2\cdot1\cdot0 + 3\cdot1\cdot2\right] = \frac16\left[12+0+6\right] = \frac{18}{6} = 3 $$ $$ n_{A_2} = \frac16\left[1\cdot1\cdot12 + 2\cdot1\cdot0 + 3\cdot(-1)\cdot2\right] = \frac16\left[12+0-6\right] = \frac{6}{6} = 1 $$ $$ n_{E} = \frac16\left[1\cdot2\cdot12 + 2\cdot(-1)\cdot0 + 3\cdot0\cdot2\right] = \frac16\left[24+0+0\right] = \frac{24}{6} = 4 $$

よって

$$ \Gamma_{\text{total}} = 3A_1 \oplus A_2 \oplus 4E $$

次元を数えると $3\times1 + 1\times1 + 4\times2 = 3+1+8 = 12$ で,$3N=12$ と一致する.$n_{A_1},\,n_{A_2},\,n_E$ が3つとも非負整数で出たこと自体が,計算が正しいことの強い証拠である(簡約公式の結果が整数にならなければ,指標か不動原子の数え上げのどこかで間違えている).

(3) 問題文に与えられたとおり,並進は $z\to A_1$,$(x,y)\to E$ なので

$$ \Gamma_{\text{trans}} = A_1\oplus E\qquad(\text{次元 }1+2=3\ \checkmark) $$

回転は $R_z\to A_2$,$(R_x,R_y)\to E$ なので

$$ \Gamma_{\text{rot}} = A_2\oplus E\qquad(\text{次元 }1+2=3\ \checkmark) $$

これらを引くと

$$ \Gamma_{\text{vib}} = \left(3A_1 \oplus A_2 \oplus 4E\right) - \left(A_1\oplus E\right) - \left(A_2\oplus E\right) = 2A_1 \oplus 2E $$

次元は $2\times1 + 2\times2 = 2+4 = 6$ であり,$3N-6 = 12-6 = 6$ と一致する($\mathrm{NH_3}$ は非直線分子なので回転自由度は3である).

実際の $\mathrm{NH_3}$ の基準振動は,$A_1$ が2つ(対称伸縮 $\nu_1\simeq3337\ \mathrm{cm^{-1}}$,傘型変角 $\nu_2\simeq950\ \mathrm{cm^{-1}}$),$E$ が2つ(反対称伸縮 $\nu_3\simeq3444\ \mathrm{cm^{-1}}$,変角 $\nu_4\simeq1627\ \mathrm{cm^{-1}}$,いずれも2重縮退)で,群論の予言 $2A_1\oplus2E$ と観測される4本の基本振動数がぴたりと対応する.

(4) 赤外活性.赤外吸収は電気双極子遷移なので,双極子モーメント $(x,y,z)$ と同じ既約表現に属するモードが活性である.$C_{3v}$ では $z\to A_1$,$(x,y)\to E$ だから,$A_1$ と $E$ はどちらも赤外活性である.$\Gamma_{\text{vib}}=2A_1\oplus2E$ はこの2種類しか含まないので,4本すべて(6自由度すべて)が赤外活性である.

Raman 活性.Raman 散乱は分極率テンソル,すなわち2次形式 $x^2,y^2,z^2,xy,yz,zx$ と同じ既約表現に属するモードが活性である.$C_{3v}$ では

$$ A_1:\ \left(x^2+y^2,\ z^2\right),\qquad A_2:\ \text{なし},\qquad E:\ \left(x^2-y^2,\ xy\right)\ \text{および}\ \left(xz,\ yz\right) $$

であるから,$A_1$ と $E$ はどちらも Raman 活性で,やはり4本すべてが Raman 活性である.

すなわち $\mathrm{NH_3}$ の全基準振動は赤外・Raman ともに活性である.これは $\mathrm{NH_3}$ が反転中心をもたない($C_{3v}$ は非中心対称)ためで,中心対称な結晶で成り立つ相互排除則(赤外活性なモードは Raman 不活性,またその逆)が働かないのである.なお $A_2$ は赤外にも Raman にも現れない「沈黙モード」だが,$\Gamma_{\text{vib}}$ には含まれない($A_2$ は回転 $R_z$ に使い切られた)ので,$\mathrm{NH_3}$ には沈黙モードは存在しない.

$\pi N$ 散乱の計算との比較.同じ点は,本書5.5.2項の枠組みそのもので,(i) 状態の張る空間を対称群の可約表現とみなし,(ii) 既約分解し,(iii) Schur の補題により力学を既約表現ごとの1定数に押し込め,(iv) 観測量の比を幾何的な係数だけで決める,という4段が完全に共通していることである.違う点は3つある.第一に群が違う(有限群 $C_{3v}$ か連続群 $\mathrm{SU}(2)_I$ か)ため,分解の道具が簡約公式(有限個の和)か CG 係数(昇降演算子)かに分かれる.第二に,作用する空間が実空間(原子変位)か内部空間(アイソスピン)かが違う.第三に,本問で得たのは主として「活性か不活性か」という選択則($0$ か非 $0$ か)であるのに対し,$\pi N$ では多重項の内部で係数どうしを比べたので $9:1:2$ という数値の比が出た.同じ既約表現に属する複数の状態を比べれば,有限群でも Raman の偏光依存性のように数値の比が得られる.

検算.(2) の分解は,簡約公式を使わずに指標を再構成しても確かめられる.$3A_1\oplus A_2\oplus 4E$ の指標は

$$ E:\ 3\cdot1 + 1\cdot1 + 4\cdot2 = 12\ \checkmark,\qquad C_3:\ 3\cdot1 + 1\cdot1 + 4\cdot(-1) = 0\ \checkmark,\qquad \sigma_v:\ 3\cdot1 + 1\cdot(-1) + 4\cdot0 = 2\ \checkmark $$

で,$\chi_{\text{total}}=(12,0,2)$ を正しく再現する.また,既約表現の次元の2乗和は $1^2+1^2+2^2=6=\abs{G}$ で,$C_{3v}$ の既約表現がこの3つで尽きていることも確認できる(本書5.5.1項の $\sum_a d_a^2=\abs{G}$).

次元の勘定も三重に合っている:$\Gamma_{\text{total}}$ が $12=3N$,$\Gamma_{\text{trans}}$ と $\Gamma_{\text{rot}}$ がそれぞれ $3$,$\Gamma_{\text{vib}}$ が $6=3N-6$.さらに,$\mathrm{NH_3}$ の観測される基本振動が4本(うち2本が2重縮退で全6自由度)であることは,赤外・Raman の実測スペクトルと一致する.

意味.ここで行った計算は,第一原理計算で $\Gamma$ 点フォノンを既約表現に分類する作業そのものである.結晶なら $C_{3v}$ を空間群の点群部分に置き換え,$N$ を単位胞内の原子数に置き換えるだけで,同じ式がそのまま動く.そして本書5.5.2項が強調するとおり,この計算は $\Delta$ 共鳴の断面積比の計算と手続きとして同一である.

$\mathrm{NH_3}$ には,群論では捉えきれない有名な現象がもう一つある.傘型変角モード $\nu_2$($A_1$,$950\ \mathrm{cm^{-1}}$)に沿って進むと,窒素が水素面を突き抜けて反転した構造(もう一つの等価な極小)に到達する.二重井戸のトンネル分裂が振動基底状態を $0.79\ \mathrm{cm^{-1}}$ だけ割る($1\ \mathrm{cm^{-1}}=29.98\ \mathrm{GHz}$ なので $23.8\ \mathrm{GHz}$,マイクロ波領域).この反転遷移のうち回転準位 $(J,K)=(3,3)$ の線($23.87\ \mathrm{GHz}$)が,1954年のアンモニアメーザーの発振線になった.群論は「モードが $A_1$ に属する」ところまでを決めるが,井戸の深さもトンネル分裂の大きさも決めない.演習5.5 の $A_1$(アイソスピン振幅)が群論では決まらなかったのと,まったく同じ役割分担である.

演習5.8 二重群と光スピン注入(GaAs)

問題(再掲)

GaAs の $\Gamma$ 点では,価電子帯が $\Gamma_8$($j=3/2$,4重)と $\Gamma_7$($j=1/2$,2重,$\Delta_{\mathrm{SO}}=341\ \mathrm{meV}$ 下),伝導帯が $\Gamma_6$($j=1/2$,2重)である.

(1) $p$ 的な軌道($\ell=1$)にスピン $1/2$ を合成すると $j=3/2$ と $j=1/2$ が出ることを,本書5.3.4項の合成則で確かめよ.状態数が $3\times2=4+2$ で合うことも確かめよ.

(2) 光子エネルギーを $E_g < \hbar\omega < E_g+\Delta_{\mathrm{SO}}$ に取ると,$\Gamma_7$ からの励起は起こらない.なぜか.

(3) $\sigma^+$ 円偏光($\Delta m_j=+1$)で $\Gamma_8\to\Gamma_6$ の遷移を起こすとき,$m_j=-3/2\to-1/2$ と $m_j=-1/2\to+1/2$ の2つの経路がある.Wigner–Eckart の定理により両者の遷移確率の比は $3:1$ である.生成される伝導電子のスピン偏極度

$$ P = \frac{n_{-1/2}-n_{+1/2}}{n_{-1/2}+n_{+1/2}} $$

を求めよ.

(4) $\Delta_{\mathrm{SO}}$ が十分小さい物質(たとえば Si,$44\ \mathrm{meV}$)では,この $50\%$ という上限がどう変わるかを定性的に論ぜよ.

解答

方針.(1) は本書5.3.4項の合成則 $j_1\otimes j_2 = \abs{j_1-j_2}\oplus\cdots\oplus(j_1+j_2)$ の直接の適用.(2) はエネルギー保存だけの話.(3) は与えられた $3:1$ を偏極度の定義に代入すればよいが,その $3:1$ がどこから来るかを本書5.5.3項の Wigner–Eckart の定理から自分で出しておく.(4) は (3) の枠組みに $\Gamma_7$ の寄与を足して,何が起こるかを定量的に見る.

(1) $p$ 軌道は $\ell=1$,電子スピンは $s=1/2$ である.合成則により

$$ 1\otimes\tfrac12 = \abs{1-\tfrac12}\ \oplus\ \left(1+\tfrac12\right) = \tfrac12\ \oplus\ \tfrac32 $$

($\abs{j_1-j_2}=1/2$ から $j_1+j_2=3/2$ まで1刻みなので,$1/2$ と $3/2$ の2項で終わる.)状態数を数えると

$$ (2\ell+1)(2s+1) = 3\times2 = 6, \qquad (2\cdot\tfrac32+1)+(2\cdot\tfrac12+1) = 4+2 = 6\ \checkmark $$

で合っている.結晶中ではこの $j=3/2$ の4重項が $\Gamma_8$(重い正孔 $m_j=\pm3/2$ と軽い正孔 $m_j=\pm1/2$),$j=1/2$ の2重項が $\Gamma_7$(スピン分裂帯,split-off band)として現れる.これが本書5.5.4項の図5.8(b) の内容であり,「$\mathrm{SU}(2)$ の合成則を結晶点群の言葉に翻訳したもの」である.

(2) エネルギーの勘定だけで答えが出る.$\Gamma_8$ の頂上を価電子帯上端($E=0$)とすると,$\Gamma_7$ はそれより $\Delta_{\mathrm{SO}}$ だけ下にある($E=-\Delta_{\mathrm{SO}}$).伝導帯 $\Gamma_6$ の底は $E=E_g$ にある.したがって

$$ \Gamma_8\to\Gamma_6\ \text{の閾値}: \hbar\omega \ge E_g, \qquad \Gamma_7\to\Gamma_6\ \text{の閾値}: \hbar\omega \ge E_g+\Delta_{\mathrm{SO}} $$

である.$\hbar\omega$ を $E_g < \hbar\omega < E_g+\Delta_{\mathrm{SO}}$ の窓に取れば,$\Gamma_8$ からの励起は可能だが,$\Gamma_7$ からの励起は光子エネルギーが $\Gamma_7$ の余分な束縛エネルギー $\Delta_{\mathrm{SO}}$ の分だけ足りないため起こらない.エネルギー保存が禁じているのであって,対称性が禁じているのではない.

GaAs で数値を入れると,室温の $E_g=1.42\ \mathrm{eV}$,$\Delta_{\mathrm{SO}}=0.341\ \mathrm{eV}$ に対して窓は

$$ 1.42\ \mathrm{eV} < \hbar\omega < 1.761\ \mathrm{eV} \qquad\Longleftrightarrow\qquad 704\ \mathrm{nm} < \lambda < 873\ \mathrm{nm} $$

である($hc=1239.8\ \mathrm{eV\,nm}$ を使った).$170\ \mathrm{nm}$ 幅もある広い窓で,実験的にきわめて使いやすい.GaAs が光スピン注入の標準物質になっている実務的な理由がここにある.

(3) まず $3:1$ を自分で確かめる.$\sigma^+$ 円偏光の吸収は,双極子演算子の球面成分 $q=+1$(階数 $k=1$ の既約テンソル演算子の一成分)による遷移である.本書5.5.3項の Wigner–Eckart の定理により

$$ \bra{j'\,m'}T^1_{+1}\ket{j\,m} = \braket{j\,m;\,1\,{+}1\,|\,j'\,m'}\times\braket{j'\,\|T^1\|\,j} $$

である.いま比べる2つの遷移は,どちらも $j=3/2$($\Gamma_8$)から $j'=1/2$($\Gamma_6$)へで,$j,j'$ が同じだから換算行列要素が共通である.したがって比は CG 係数の2乗の比だけで決まる.必要な CG 係数は

$$ \braket{\tfrac32,-\tfrac32;\,1,+1\,|\,\tfrac12,-\tfrac12} = \frac{1}{\sqrt2}, \qquad \braket{\tfrac32,-\tfrac12;\,1,+1\,|\,\tfrac12,+\tfrac12} = \frac{1}{\sqrt6} $$

であり(本書5.3.4項の降下演算子の手続きで作れる),2乗して比をとると

$$ \frac{\abs{\mathcal{M}\left(-\tfrac32\to-\tfrac12\right)}^2}{\abs{\mathcal{M}\left(-\tfrac12\to+\tfrac12\right)}^2} = \frac{1/2}{1/6} = 3 $$

確かに $3:1$ である.ここで重要なのは,$\sigma^+$($\Delta m_j=+1$)では $\Gamma_8$ の4状態のうち $m_j=-3/2$ と $m_j=-1/2$ の2つしか使えないことである.$m_j=+1/2$ からは $m_j=+3/2$ に行かねばならないが,伝導帯 $\Gamma_6$ には $m_j=\pm1/2$ しかないので終状態が存在しない.$m_j=+3/2$ からも同様である.

したがって生成される伝導電子の個数は,比例定数を共通にして

$$ n_{-1/2} \propto 3\ \ (m_j=-\tfrac32\ \text{の重い正孔から}), \qquad n_{+1/2} \propto 1\ \ (m_j=-\tfrac12\ \text{の軽い正孔から}) $$

である.偏極度は

$$ P = \frac{n_{-1/2}-n_{+1/2}}{n_{-1/2}+n_{+1/2}} = \frac{3-1}{3+1} = \frac{2}{4} = +0.5 $$

すなわち$50\%$ である.これが光スピン注入の理論上限であり,本書5.5.4項に述べられているとおり,$\Gamma_8$ が $j=3/2$ という次元4の既約表現であることが直接の起源である.もし $\Gamma_8$ が存在せず,価電子帯が $j=1/2$ の2重項だけだったなら,$\sigma^+$ で励起できる経路は1本になり $\abs{P}=100\%$(この定義では $m_j=-1/2\to+1/2$ の1経路だけが残るので $P=-100\%$)が可能だったはずである.$50\%$ という数字は「$\Gamma_8$ の内部に,逆向きスピンを作る軽い正孔の経路が重みつきで混ざっている」ことの表現である.

(4) 結論から言えば,$50\%$ には届かなくなる.理由は $\Gamma_7$ からの励起が同時に起きてしまうことにある.どれだけ落ちるかを見積もるには,$\Gamma_8$ と $\Gamma_7$ の遷移強度を共通の物差しで比べる必要がある.ところが両者は $j$(始状態)が違うので,(3) のように CG 係数だけを比べることはできない(換算行列要素が別物になる).そこで,$\Gamma_8$ も $\Gamma_7$ も同じ $p$ 軌道とスピンの合成から出来ていることを使い,$\ket{\ell=1,m_\ell}\ket{s_z}$ の基底に戻って計算する.伝導帯 $\Gamma_6$ は $s$ 的($\ell=0$)で,双極子演算子はスピンに触らないから,遷移振幅は「価電子帯状態のうち $\ket{\ell=1,m_\ell=-1}\ket{s_z}$ 成分の係数」に比例する($\sigma^+$ が $m_\ell$ を $-1\to0$ に上げるため).本書5.3.4項の手続きで作った $1\otimes\frac12$ の展開は

$$ \ket{\tfrac32,-\tfrac32} = \ket{1,-1}\ket{\downarrow},\qquad \ket{\tfrac32,-\tfrac12} = \sqrt{\tfrac13}\,\ket{1,-1}\ket{\uparrow} + \sqrt{\tfrac23}\,\ket{1,0}\ket{\downarrow} $$ $$ \ket{\tfrac12,-\tfrac12} = -\sqrt{\tfrac23}\,\ket{1,-1}\ket{\uparrow} + \sqrt{\tfrac13}\,\ket{1,0}\ket{\downarrow} $$

であるから,$\ket{1,-1}$ 成分の2乗をとって遷移強度の相対値が読める:

$$ \Gamma_8\ (m_j=-\tfrac32) \to \Gamma_6\ (\downarrow):\ 1, \qquad \Gamma_8\ (m_j=-\tfrac12) \to \Gamma_6\ (\uparrow):\ \tfrac13, \qquad \Gamma_7\ (m_j=-\tfrac12) \to \Gamma_6\ (\uparrow):\ \tfrac23 $$

共通に3倍すれば $3:1:2$ である.最初の2つの比が $3:1$ になっていて,(3) と整合している.そこで $\hbar\omega > E_g+\Delta_{\mathrm{SO}}$ にして3本すべてを等しく励起すると

$$ n_{-1/2}\propto 3, \qquad n_{+1/2}\propto 1+2 = 3 \qquad\Longrightarrow\qquad P = \frac{3-3}{3+3} = 0 $$

となり,偏極度は完全に消える.$\Gamma_7$ の寄与(重み 2)が,軽い正孔の寄与(重み 1)と合わさって,重い正孔の寄与(重み 3)をちょうど打ち消すのである.これは偶然ではなく,$\Delta_{\mathrm{SO}}\to0$ の極限ではスピンと軌道が完全に切り離され,光は軌道にしか作用しないのだからスピン偏極が作れるはずがない,という要請の現れである.

したがって $\Delta_{\mathrm{SO}}$ が小さい物質では,$P$ は $50\%$($\Gamma_7$ が完全に凍結)と $0\%$($\Gamma_7$ が同等に励起)の間の中途半端な値に落ちる.どちらに近づくかは,(2) の窓 $\Delta_{\mathrm{SO}}$ が,光源の線幅・熱的な広がり・バンドの非放物線性による実効的なぼけと比べて十分広いかで決まる.Si の $\Delta_{\mathrm{SO}}=44\ \mathrm{meV}$ は室温の熱エネルギー $k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$($300\ \mathrm{K}$)のわずか $1.7$ 倍しかない.一方 GaAs の $341\ \mathrm{meV}$ は $13$ 倍である.Si では窓を熱的な広がりから分離するのが難しく,低温にしても $44\ \mathrm{meV}$ という窓自体が狭い.加えて Si は間接遷移半導体なので,そもそも $\Gamma$ 点での垂直遷移で電子を注入すること自体が効率的でない.

一般則としては,重い元素ほどスピン軌道結合が強く($\Delta_{\mathrm{SO}}$ は原子番号とともに急激に増える),光スピン注入には有利である.実際 $\Delta_{\mathrm{SO}}$ は Si $44\ \mathrm{meV}$,Ge $290\ \mathrm{meV}$,GaAs $341\ \mathrm{meV}$,InSb $810\ \mathrm{meV}$ と,重い構成元素をもつ物質ほど大きくなる(本書図5.8(b)).ただしトレードオフがある.同じスピン軌道結合は伝導電子のスピン緩和も速めるので(D'yakonov–Perel 機構や Elliott–Yafet 機構),注入しやすい物質ほど注入したスピンが早く失われる.Si のスピン拡散長がきわめて長いのは,まさに $\Delta_{\mathrm{SO}}$ が小さいからである.「注入効率」と「保持時間」が同じパラメータの逆向きの関数になっているのが,半導体スピントロニクスの中心的なジレンマである.

検算.(3) の CG 係数は規格化からも確かめられる.$\ket{\frac32,-\frac32}$ は $\ket{1,-1}\ket{\downarrow}$ ただ一つなので係数の2乗は $1$,$\ket{\frac32,-\frac12}$ は展開係数の2乗和が $\frac13+\frac23=1$,$\ket{\frac12,-\frac12}$ も $\frac23+\frac13=1$ で,すべて規格化されている.また $\ket{\frac32,-\frac12}$ と $\ket{\frac12,-\frac12}$ の直交性は $\sqrt{\frac13}\cdot\left(-\sqrt{\frac23}\right)+\sqrt{\frac23}\cdot\sqrt{\frac13}=0$ ✓.

(4) の $3:1:2$ という重みは,別の見方でも検算できる.$\sigma^+$ で励起できる価電子帯状態は,$\ket{1,-1}\ket{\uparrow}$ と $\ket{1,-1}\ket{\downarrow}$ の2つだけである($m_\ell=-1$ が必要).この2状態の $\Gamma_8,\Gamma_7$ への「分配」の総和は,完全性から

$$ \ket{1,-1}\ket{\downarrow}:\ 1 = 1, \qquad \ket{1,-1}\ket{\uparrow}:\ \tfrac13+\tfrac23 = 1 $$

でなければならず,実際そうなっている.規格化された重みの総和が $1+1=2$,3倍した表示で $3+(1+2)=6$ で整合する.そしてスピン $\uparrow$ と $\downarrow$ の総重みが等しい($3$ ずつ)ことが,$\Delta_{\mathrm{SO}}\to0$ で $P\to0$ となることの直接の根拠である.

(2) の数値も次元で確認できる.$\hbar\omega=1.42\ \mathrm{eV}$ に対応する波長は $1239.8/1.42 = 873\ \mathrm{nm}$ で,GaAs の発光波長(近赤外,約 $870\ \mathrm{nm}$)としてよく知られた値と一致する.

意味.この問題は,本書全体の主題である「素粒子の道具箱と材料科学の道具箱は同一である」を最も直截に示している.$\Delta$ 共鳴の分岐比を出したのと文字どおり同じ Wigner–Eckart の定理と同じ CG 係数表から,GaAs のスピン注入効率の上限 $50\%$ が出る.違うのは $j$ が実空間の全角運動量かアイソスピンかだけである.

そして $50\%$ という数字は,物質固有のパラメータ(有効質量,誘電率,欠陥密度)にはまったく依存しない.依存するのは「価電子帯上端が $j=3/2$ の4重項である」という対称性だけで決まる事実である.デバイス設計の立場からは,この上限を超えるには材料を良くするのではなく,$\Gamma_8$ の縮退を別の手段で解くしかない.量子井戸で $z$ 方向に閉じ込めて重い正孔と軽い正孔を分離すれば,軽い正孔からの経路(重み 1)を閉じることができ,$P$ は原理的に $100\%$ に近づく.実際,歪み量子井戸や量子ドットで $90\%$ を超える偏極度が報告されている.対称性の議論は上限を教えるだけでなく,その上限を破るには何を壊せばよいかまで教えるのである.

E.6 第6章 離散対称性 — P・C・T と CPT 定理 の解答

演習6.1 パリティによる選択則

問題(再掲)

固有パリティは $\eta_\pi=-1$,$\eta_\gamma=-1$,$\eta_p=\eta_n=+1$,$\eta_{\bar p}=-1$ とする.

(1) $\omega\,(J^{P}=1^{-})\to\pi^+\pi^-$ は強い相互作用で許されるか.終状態のパリティと角運動量を計算して答えよ.

(2) 静止した $\bar p$ が重水素に捕獲されて $\bar p\,d\to n\,\pi^0$ が起きた.$\bar p$ が $1s$ 軌道($\ell=0$)から捕獲されるとして,始状態と終状態のパリティを比較し,終状態の相対軌道角運動量 $\ell'$ が偶数か奇数かを決めよ.

(3) $J^{P}=0^{+}$ の仮想的な粒子 $X$ が $\pi^0\pi^0$ に崩壊できるか,$\pi^0\pi^0\pi^0$ に崩壊できるかを,パリティと Bose 統計の両方から判定せよ.

解答

方針.使う道具は本書6章のパリティ計算の3原則だけである.すなわち (i) 複合系のパリティは構成粒子の固有パリティの積,(ii) 相対軌道角運動量 $\ell$ ごとに $(-1)^\ell$ を掛ける,(iii) 強い相互作用ではパリティが保存する.これに角運動量保存と,同種粒子に対する Bose 統計/Pauli 原理を重ねる.手順は毎回同じで,「終状態の角運動量を親のスピンに合わせて $\ell$ を決める $\to$ その $\ell$ でパリティを計算する $\to$ 親のパリティと突き合わせる」の3歩である.

(1) 終状態 $\pi^+\pi^-$ は,どちらもスピン $0$ の粒子である.したがって終状態の全角運動量には軌道部分しか寄与せず

$$ J_{\text{終}} = \ell $$

である.親の $\omega$ は $J=1$ だから,角運動量保存より $\ell=1$ が一意に決まる.このとき終状態のパリティは,合成則より

$$ \eta_{\pi^+\pi^-} = \eta_{\pi^+}\,\eta_{\pi^-}\,(-1)^{\ell} = (-1)\times(-1)\times(-1)^{1} = -1 $$

である.$\omega$ の固有パリティは $J^P=1^-$ より $-1$ であり,両者は一致する.したがってパリティと角運動量の観点からは許される.

なお $\pi^+$ と $\pi^-$ は互いに異なる粒子なので,Bose 統計による $\ell$ の偶奇の制限はここでは働かない.同じ理由で $\rho^0\to\pi^0\pi^0$(同種ボソン2個)が禁止されるのとは事情が違う,という点が肝要である.

(2) まず始状態を組み立てる.重陽子 $d$ は陽子と中性子が $\ell=0$ で結合したものだから

$$ \eta_d = \eta_p\,\eta_n\,(-1)^{0} = (+1)(+1)(+1) = +1 $$

である(本書6章の表6.2 で $d$ が $J^P=1^+$ とされているのはこのことである).$\bar p$ は $1s$ 軌道から捕獲されるので相対軌道角運動量は $\ell=0$.よって

$$ \eta_{\text{初}} = \eta_{\bar p}\,\eta_d\,(-1)^{0} = (-1)\times(+1)\times(+1) = -1 $$

次に終状態 $n\,\pi^0$ のパリティを,相対軌道角運動量を $\ell'$ として書く:

$$ \eta_{\text{終}} = \eta_n\,\eta_{\pi^0}\,(-1)^{\ell'} = (+1)\times(-1)\times(-1)^{\ell'} = -(-1)^{\ell'} $$

強い相互作用ではパリティが保存するので $\eta_{\text{初}}=\eta_{\text{終}}$,すなわち

$$ -1 = -(-1)^{\ell'} \quad\Longrightarrow\quad (-1)^{\ell'} = +1 \quad\Longrightarrow\quad \ell' = 0,2,4,\dots\ (\text{偶数}) $$

終状態の相対軌道角運動量 $\ell'$ は偶数でなければならない.

(3) まず $X\to\pi^0\pi^0$ を見る.$\pi^0$ は同種のボソンだから,2粒子の入れかえに対して全波動関数が対称でなければならない.$\pi^0$ はスピン $0$ でスピン部分がないので,対称性は空間部分の $(-1)^{\ell}$ だけで決まり,$\ell$ は偶数に限られる.一方,終状態の全角運動量は $J=\ell$ であり,親の $J=0$ に合わせるには $\ell=0$.これは偶数なので Bose 統計と両立する.このときパリティは

$$ \eta_{\pi^0\pi^0} = (-1)\times(-1)\times(-1)^{0} = +1 $$

で,$X$ のパリティ $+1$ と一致する.$X\to\pi^0\pi^0$ は許される.

次に $X\to3\pi^0$ を見る.3体系では相対座標が2つあり,パリティの軌道因子は $(-1)^{\ell_1+\ell_2}$ である($\ell_1$ は $\pi^0$ 2個の相対軌道角運動量,$\ell_2$ は そのペアと第3の $\pi^0$ との相対軌道角運動量).全角運動量が $J=0$ になるためには $\bm{\ell}_1$ と $\bm{\ell}_2$ が打ち消し合わなければならず,$\ell_1=\ell_2$ が要求される.したがって

$$ (-1)^{\ell_1+\ell_2} = (-1)^{2\ell_1} = +1 $$

となり,軌道因子は $\ell_1$ の値によらず必ず $+1$ である.よって

$$ \eta_{3\pi^0} = (-1)^3\times(+1) = -1 \neq +1 = \eta_X $$

$X\to3\pi^0$ はパリティによって禁止される.Bose 統計のほうは,$\ell_1=\ell_2=0$ の完全対称な状態が作れるので障害にならない.つまりこの場合,禁止しているのは統計ではなくパリティのみである.

検算.3つとも独立な経路で確かめられる.

(1) は $C$ パリティで検算できる.$\pi^+\pi^-$ 系に $\hat{\mathcal{C}}$ を作用させると $\pi^+$ と $\pi^-$ が入れかわるので,これは2粒子の入れかえと同じであり $C(\pi^+\pi^-)=(-1)^{\ell}$.本書6章の表6.2 より $\omega$ は $1^{--}$ で $C=-1$ だから $\ell$ は奇数,すなわち $\ell=1$.パリティから得た結論と完全に一致する.

(2) は角運動量の勘定で検算できる.始状態は $\bar p$ のスピン $1/2$ と $d$ のスピン $1$ が $\ell=0$ で結合したものだから $J=1/2$ または $3/2$.終状態は $n$ のスピン $1/2$ と軌道 $\ell'$ の合成で $J=\abs{\ell'\pm1/2}$.$\ell'=0$ なら $J=1/2$,$\ell'=2$ なら $J=3/2,5/2$ であり,偶数の $\ell'$ で $J=1/2$ と $3/2$ の両方に到達できる.奇数の $\ell'$ を仮定する必要はどこにもない.整合している.

(3) は既知の崩壊で検算できる.同じ計算を $\eta\,(0^{-+})\to3\pi^0$ に適用すると,軌道因子はやはり $+1$ でパリティは $(-1)^3=-1$,これは $\eta$ のパリティ $-1$ と一致して許される.実際この崩壊の分岐比は $32.6\%$ である(本書6章の例題6.3).同じ道具が「禁止」と「許可」を正しく振り分けている.

意味.3問に共通するのは,終状態に含まれる擬スカラー粒子の個数の偶奇が,親のパリティを直接読み出しているという構造である.$\pi$ 中間子1個ごとに $(-1)$ が付き,軌道角運動量1単位ごとにもう1つ $(-1)$ が付く.乗法的量子数とはこういうものであり,相互作用の詳細をいっさい知らなくても選択則が出る.

もう一つ強調しておきたいのは,(1) で「許される」と出たことが「よく起きる」を意味しないという点である.$\omega\to\pi^+\pi^-$ の実測分岐比は $1.5\%$ にすぎず,$\omega$ の主崩壊は $3\pi$ である.抑制の原因はパリティではなくアイソスピン($\omega$ は $I=0$,$\ell=1$ の $\pi\pi$ は $I=1$)である.対称性は「禁止」を厳密に述べるが,「許可」については上限を与えるだけである.この使い分けは結晶物性でもそのまま成り立つ.たとえば点群が非中心対称であることは SHG が出るための必要条件だが,$\chi^{(2)}$ の大きさそのものは電子構造の計算をしなければ分からない.対称性は「ゼロか否か」を決め,大きさは動力学が決める,という役割分担である.

演習6.2 $C$ パリティと光子数の選択則

問題(再掲)

$C(\gamma)=-1$,フェルミオン対については $C(f\bar f)=(-1)^{L+S}$,$P(f\bar f)=(-1)^{L+1}$ を用いる.

(1) ポジトロニウムの第一励起状態 $2^{3}P_{2}$($L=1,S=1,J=2$)の $J^{PC}$ を求めよ.この状態は何個の光子に崩壊できるか.

(2) $\eta\,(0^{-+})$ が $2\gamma$ に崩壊できることを $C$ から確かめよ(実測分岐比 $39.4\%$).また $\eta\to3\gamma$ が禁止されることを示せ.

(3) $J/\psi$ は $c\bar c$ の $^3S_1$ 状態である.$J^{PC}$ を求め,$e^+e^-$ 衝突で直接生成できる理由(仮想光子と同じ量子数であること)を説明せよ.

(4) $\omega\,(1^{--})\to\pi^0\gamma$ は許されるか.$C$ だけで判定せよ.

解答

方針.本書6章で導いた2つの公式 $C(f\bar f)=(-1)^{L+S}$,$P(f\bar f)=(-1)^{L+1}$ と,光子についての $C(n\gamma)=(-1)^n$ を機械的に適用する.$C$ は乗法的量子数なので,複数粒子の終状態では各粒子の $C$ の積をとればよい.ただし $C$ 固有値が定義できるのは,電荷・バリオン数・レプトン数・ストレンジネスがすべてゼロの中性系だけであることを忘れないこと.

(1) $2^{3}P_{2}$ は $L=1$,$S=1$,$J=2$ である.公式にそのまま代入する:

$$ C = (-1)^{L+S} = (-1)^{1+1} = (-1)^{2} = +1 $$ $$ P = (-1)^{L+1} = (-1)^{1+1} = (-1)^{2} = +1 $$

したがって

$$ J^{PC} = 2^{++} $$

である.光子数については $C(n\gamma)=(-1)^n$ と $C=+1$ を突き合わせて $(-1)^n=+1$,すなわち $n$ は偶数でなければならない.$n=0$ は崩壊にならないので,最低は $n=2$ である.$J=2$ の状態が $2\gamma$ に崩壊することは運動学的にも許される($J=1$ の状態が $2\gamma$ に崩壊できないという Landau–Yang の定理は $J=2$ には及ばない).よって偶数個の光子,最低で $2\gamma$ が答えである.

ただし現実の $2^3P_2$ 状態は,$2\gamma$ に落ちる前に電気双極子(E1)遷移で $1^{3}S_1$(オルソポジトロニウム)へ落ちるほうがはるかに速い.E1 遷移は $\alpha$ の低次で起きるうえ位相空間も有利だからである.対称性が許すことと,それが主要経路であることは別問題である.

(2) $\eta$ は $J^{PC}=0^{-+}$,すなわち $C(\eta)=+1$ である.終状態 $2\gamma$ の $C$ は

$$ C(2\gamma) = (-1)^2 = +1 = C(\eta) $$

で一致するから,$\eta\to2\gamma$ は $C$ の観点で許される.電磁相互作用は $C$ を保存するので,この崩壊は電磁的に起こりうる.実測分岐比 $39.4\%$ はこれと整合する.

一方 $3\gamma$ については

$$ C(3\gamma) = (-1)^3 = -1 \neq +1 = C(\eta) $$

で一致しない.$C$ を保存する電磁相互作用では$\eta\to3\gamma$ は厳密に禁止される.これは $\pi^0\to3\gamma$ が禁止されるのとまったく同じ論理であり(本書6章の定理6.2),$\pi^0$ の場合には実験上限 $3.1\times10^{-8}$ という強い抑制として確認されている.

(3) $J/\psi$ は $c\bar c$ の $^{3}S_1$,すなわち $L=0$,$S=1$,$J=1$ である.公式に代入すると

$$ C = (-1)^{L+S} = (-1)^{0+1} = -1, \qquad P = (-1)^{L+1} = (-1)^{0+1} = -1 $$

したがって

$$ J^{PC} = 1^{--} $$

である.ここで本書6章の表6.2 を見ると,光子の量子数もまた $1^{--}$ である.$e^+e^-$ 衝突では,電子と陽電子が対消滅して1個の仮想光子になり,そこから終状態が作られる.仮想光子は $J^{PC}=1^{--}$ を運ぶので,この経路で直接作れる共鳴状態は $1^{--}$ をもつものに限られる.$J/\psi$ はまさにその量子数をもつため,$e^+e^-$ の全断面積に巨大なピークとして現れる.逆に $\eta_c\,(0^{-+})$ や $\chi_{cJ}\,(J^{++})$ は $1^{--}$ ではないので,$e^+e^-$ 衝突で直接生成することはできず,$\psi$ 状態からの遷移などを経由して作るしかない.

(4) $\omega$ は $1^{--}$ なので $C(\omega)=-1$.終状態 $\pi^0\gamma$ の $C$ は,$\pi^0$ が $0^{-+}$ で $C(\pi^0)=+1$,光子が $C(\gamma)=-1$ だから

$$ C(\pi^0\gamma) = (+1)\times(-1) = -1 = C(\omega) $$

で一致する.$\omega\to\pi^0\gamma$ は $C$ の観点で許される.実測分岐比は $8.3\%$ である.

ここで $C$ が「許す」と言っているだけである点は,(1) と同様に強調しておきたい.角運動量とパリティも独立に確かめておくと,$\omega$ は $1^{-}$,$\pi^0$ は $0^{-}$ で,光子1個との組は $\eta_{\pi^0}\eta_\gamma(-1)^{\ell}=(-1)(-1)(-1)^{\ell}=(-1)^{\ell}$.$J=1$ を作るには $\ell=1$ が使え,このとき $(-1)^1=-1=\eta_\omega$ で一致する.つまり $C$・$P$・$J$ のすべてが許しており,実際に磁気双極子型($V\to P\gamma$)の電磁遷移として $8.3\%$ という大きな分岐比で起きている.なお,この崩壊は電磁相互作用なので $\alpha$ で1つ抑制されており,$\omega$ の主崩壊が強い相互作用による $3\pi$($89\%$)であることと矛盾しない.

検算.同じ規則を,答えの分かっている別の崩壊に当てて確かめる.

第一に,$\omega\to\pi^0\pi^0$ を判定してみる.$C(\pi^0\pi^0)=(+1)(+1)=+1$ であり,$C(\omega)=-1$ と一致しない.したがって禁止される.実際この崩壊は観測されていない.(さらにパリティの側からも,同種ボソン2個で $\ell$ が偶数,$J=1$ には $\ell=1$ が必要で矛盾する.二重に禁止されている.)

第二に,ポジトロニウムの基底状態に (1) と同じ公式を当てる.$1^{1}S_0$ は $L=0,S=0$ で $C=(-1)^{0+0}=+1$ となり偶数個の光子,$1^{3}S_1$ は $L=0,S=1$ で $C=(-1)^{0+1}=-1$ となり奇数個の光子である.本書6章の表6.3 と一致する.寿命が $125.14\ \mathrm{ps}$ と $142.05\ \mathrm{ns}$ に $1100$ 倍以上も分かれるのは,この偶奇の違いが光子1本分すなわち $\alpha$ 1つ分の差を生むからであった.公式が正しく機能している.

意味.$C$ パリティは $\pm1$ の値しかとらない乗法的量子数であり,終状態の光子数の偶奇をそのまま指定する.「量子数が $\pm1$ である」という,たったこれだけの情報が,寿命を3桁変え,$e^+e^-$ 加速器でどの粒子が見えるかを決めている.

材料科学の側にこれと同型の現象がある.単層 $\mathrm{MoS_2}$ は反転中心をもたないので SHG が出るが,2層積層すると反転中心が生じて SHG が消え,3層でまた出る.層数の偶奇が信号の有無を決めるこの振動は,$(-1)^n$ という乗法的量子数を実験室で目視しているのと同じことである(演習6.7(3)).素粒子で光子数の偶奇を数えるのと,結晶で層数の偶奇を数えるのとで,使っている代数はまったく同じである.

演習6.3 表6.7 を自分で作る

問題(再掲)

次の各量について,$\mathcal{P}$・$\mathcal{T}$ のもとでの符号を,構成要素の変換性から導け.

(1) Poynting ベクトル $\bm{S}_{\text{P}}=\bm{E}\times\bm{H}$

(2) 電磁場のエネルギー密度 $u=\frac{1}{2}(\varepsilon_0E^2+B^2/\mu_0)$

(3) Rashba 項 $(\bm{\sigma}\times\bm{k})\cdot\hat{\bm{z}}$($\hat{\bm z}$ は界面法線=極性ベクトル)

(4) スピン軌道相互作用 $\bm{L}\cdot\bm{S}$

(5) Dzyaloshinskii–Moriya 相互作用 $\bm{D}\cdot(\bm{S}_1\times\bm{S}_2)$($\bm{D}$ は結晶構造で決まる定数ベクトルで,$\bm{S}_1\times\bm{S}_2$ と同じく軸性ベクトルである.反転操作がサイト 1 と 2 を入れかえることに注意せよ)

(6) 上の (2)(4) が,どんな結晶でも許されることを説明せよ.また (3)(5) が現れるためにどんな対称性の破れが必要かを述べよ.

解答

方針.本書6章の表6.7 の出発点となる素材だけを覚えておけばよい.$\bm{x}$ は $(\mathcal{P},\mathcal{T})=(-,+)$,$\bm{p}$ と $\kk$ は $(-,-)$,$\bm{L},\bm{S},\bm{\sigma}$ は $(+,-)$,$\bm{E}$ と $\bm{P}$ は $(-,+)$,$\bm{B}$ と $\bm{H}$ と $\bm{M}$ は $(+,-)$ である.あとは積をとるごとに符号を掛け算するだけである.内積も外積も,符号の勘定という点では単なる積であって区別はいらない(外積が「1回とるごとに $\mathcal{P}$ 符号が変わる」ように見えるのは,$\bm{a}\times\bm{b}$ の $\mathcal{P}$ 符号が両者の積になるからで,$\mathcal{P}$-odd 同士なら $(-)(-)=+$ となって軸性になる,というだけのことである).

(1) Poynting ベクトル $\bm{S}_{\text{P}}=\bm{E}\times\bm{H}$.$\bm{E}$ は $(\mathcal{P},\mathcal{T})=(-,+)$,$\bm{H}$ は $\bm{B}$ と同じ変換性で $(+,-)$.積をとると

$$ \mathcal{P}:\ (-)\times(+) = -, \qquad \mathcal{T}:\ (+)\times(-) = - $$

すなわち $\bm{S}_{\text{P}}$ は $\mathcal{P}$-odd,$\mathcal{T}$-odd である.$\mathcal{T}$-odd なのは物理的にきわめて自然で,Poynting ベクトルはエネルギーの流れだから,映画を逆回しにすれば流れも逆向きになる.

(2) エネルギー密度 $u=\frac{1}{2}(\varepsilon_0E^2+B^2/\mu_0)$.$E^2=\bm{E}\cdot\bm{E}$ は同じ量の積なので符号が2回掛かって

$$ \mathcal{P}:\ (-)^2=+,\qquad \mathcal{T}:\ (+)^2=+ $$

$B^2$ も同様に $\mathcal{P}:(+)^2=+$,$\mathcal{T}:(-)^2=+$.したがって $u$ は $\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$-even である.エネルギーは向きをもたない量なので,これも当然の結果である.

(3) Rashba 項 $(\bm{\sigma}\times\kk)\cdot\hat{\bm z}$.2段階で計算する.まず外積の部分を作る.$\bm{\sigma}$ は $(+,-)$,$\kk$ は $(-,-)$ だから

$$ \bm{\sigma}\times\kk:\quad \mathcal{P}:\ (+)\times(-)=-, \qquad \mathcal{T}:\ (-)\times(-)=+ $$

すなわち $\bm{\sigma}\times\kk$ は $\mathcal{P}$-odd かつ $\mathcal{T}$-even である.次にこれと $\hat{\bm z}$(極性ベクトルなので $(-,+)$)の内積をとると

$$ (\bm{\sigma}\times\kk)\cdot\hat{\bm z}:\quad \mathcal{P}:\ (-)\times(-)=+, \qquad \mathcal{T}:\ (+)\times(+)=+ $$

すなわち項全体は $\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$-even である.ハミルトニアンの項は $\mathcal{P}$-even かつ $\mathcal{T}$-even でなければならないから,この項は対称性の要請を満たしている.

(4) スピン軌道相互作用 $\bm{L}\cdot\bm{S}$.$\bm{L}$ も $\bm{S}$ もともに軸性ベクトルで $(+,-)$ である.積をとると

$$ \mathcal{P}:\ (+)\times(+)=+, \qquad \mathcal{T}:\ (-)\times(-)=+ $$

すなわち $\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$-even.$\mathcal{T}$ で $\bm{L}$ と $\bm{S}$ の両方が符号を変えるので,積では相殺する点が要点である.

(5) DM 相互作用 $\bm{D}\cdot(\bm{S}_1\times\bm{S}_2)$.まずスピンの外積を評価する.$\bm{S}_1,\bm{S}_2$ はともに $(+,-)$ だから

$$ \bm{S}_1\times\bm{S}_2:\quad \mathcal{P}:\ (+)\times(+)=+, \qquad \mathcal{T}:\ (-)\times(-)=+ $$

すなわち $\bm{S}_1\times\bm{S}_2$ は $\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$-even である.問題の指示にしたがって $\bm{D}$ を結晶構造で決まる定数の軸性ベクトル($\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$ についても構造で決まる係数なので even)とすると,項全体は

$$ \mathcal{P}:\ (+)\times(+)=+, \qquad \mathcal{T}:\ (+)\times(+)=+ $$

すなわち $\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$-even であり,符号を数えるだけでは (2)(4) と同じくどんな結晶でも許されるように見える.しかしこれでは結論を誤る.鍵は反転操作がサイト番号を入れかえることである.ボンド $1$–$2$ の中点に反転中心があるとしよう.この反転操作は,サイト $1$ とサイト $2$ を互いに移す.スピンは軸性ベクトルなので向きは変わらないが,番号が入れかわるので

$$ \bm{S}_1\times\bm{S}_2\ \longrightarrow\ \bm{S}_2\times\bm{S}_1 = -\,\bm{S}_1\times\bm{S}_2 $$

となる.一方 $\bm{D}$ は結晶構造だけで決まる定数ベクトルであり,反転が結晶の対称操作である以上,構造は不変だから $\bm{D}$ も不変である.したがって相互作用項は符号を変えてしまい,不変であるためには

$$ \bm{D}\cdot(\bm{S}_1\times\bm{S}_2) = -\,\bm{D}\cdot(\bm{S}_1\times\bm{S}_2) \quad\Longrightarrow\quad \bm{D} = \bm{0} $$

でなければならない.これが Moriya の規則「DM 相互作用はボンド中点に反転中心があるとゼロになる」である.DM 相互作用は反転対称性が破れた環境でしか生じない.文献によっては $\bm{D}$ を「$\mathcal{P}$-odd な極性ベクトル」とみなす記法もあるが,それはこのサイト入れかえに伴う符号を $\bm{D}$ の変換性に繰り込んだものであり,結論は同一である.なお,Heisenberg 交換項 $\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2$ は入れかえに対して対称なので,この符号は出ず,どんな結晶でも許される.

(6) 表にまとめると次のとおりである.

表E.6.1 演習6.3 の各項の $\mathcal{P}$・$\mathcal{T}$ 変換性と,存在条件
量$\mathcal{P}$$\mathcal{T}$存在に必要な条件
(1) $\bm{E}\times\bm{H}$$-$$-$材料定数ではなく場そのものの量なので,結晶対称性による制約は受けない(有限の $\bm{S}_{\text{P}}$ をもつ状態は,場の側が $\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ を破っている)
(2) $u$$+$$+$条件なし(どんな結晶でも可)
(3) $(\bm{\sigma}\times\kk)\cdot\hat{\bm z}$$+$$+$$\hat{\bm z}\neq0$,すなわち構造反転対称性の破れ
(4) $\bm{L}\cdot\bm{S}$$+$$+$条件なし(どんな結晶でも可)
(5) $\bm{D}\cdot(\bm{S}_1\times\bm{S}_2)$$+$(ただし反転でサイト 1,2 が入れかわると符号が反転する)$+$ボンド中点に反転中心がないこと

(2) と (4) がどんな結晶でも許される理由.この2つは $\mathcal{P}$-even かつ $\mathcal{T}$-even の真のスカラーである.真のスカラーは,回転・反転・時間反転のいずれの操作でも不変であり,どんな点群・磁気点群の恒等表現にも含まれる.Neumann の原理(物性は結晶の対称性より低い対称性をもってはならない)は,この場合に何の制約も課さない.だからスピン軌道相互作用は反転対称な $\mathrm{Si}$ にも存在するし,電磁場のエネルギー密度はどこにでもある.逆に言えば,$\bm{L}\cdot\bm{S}$ が存在すること自体は何の対称性の破れも意味しない.よくある誤解だが,スピン軌道相互作用があるからスピン分裂が起きるのではない.分裂には (3) のように $\mathcal{P}$ または $\mathcal{T}$ の破れが別途必要である.

(3) に必要な破れ.項そのものは $\mathcal{P}$-even $\mathcal{T}$-even で符号の帳尻は合っているが,中に $\hat{\bm z}$ という $\mathcal{P}$-odd な構造ベクトルが入っている.定理6.1 により,結晶(または界面近傍の環境)が反転対称であれば $\hat{\bm z}$ に対応する材料ベクトルはゼロになる.したがって Rashba 項が現れるには構造反転対称性の破れ(SIA)が必要である.界面・表面・非対称量子井戸・極性バルク($\mathrm{BiTeI}$ など)がその舞台になる.一方 $\mathcal{T}$ は破らなくてよい.非磁性の物質でも Rashba 分裂は起きる.

(5) に必要な破れ.上で見たとおり,ボンドの中点に反転中心がないことが必要である.これは結晶全体が非中心対称であることまでは要求しない点に注意したい.結晶に反転中心があっても,それが特定のボンドの中点に載っていなければ,そのボンドには $\bm{D}\neq0$ が許される.界面に接した磁性薄膜での界面 DM 相互作用(スキルミオンの生成源)は,まさにこの状況である.

検算.(1) と (2) は Poynting の定理

$$ \frac{\partial u}{\partial t} + \nabla\cdot\bm{S}_{\text{P}} = -\,\bm{j}\cdot\bm{E} $$

を使って一括で検算できる.3つの項の変換性を独立に数える.第1項:$u$ が $(+,+)$,$\partial/\partial t$ は $\mathcal{P}$-even $\mathcal{T}$-odd だから,$\partial u/\partial t$ は $(\mathcal{P},\mathcal{T})=(+,-)$.第2項:$\nabla$ は $\bm{x}$ の逆数の次元をもつ演算子で $(-,+)$,$\bm{S}_{\text{P}}$ は上で求めた $(-,-)$ だから,発散は $(-)(-)=+$ と $(+)(-)=-$ で $(+,-)$.第3項:$\bm{j}$ は $(-,-)$,$\bm{E}$ は $(-,+)$ だから $\bm{j}\cdot\bm{E}$ は $(-)(-)=+$ と $(-)(+)=-$ で $(+,-)$.3項すべてが $\mathcal{P}$-even,$\mathcal{T}$-odd で完全に揃った.もし (1) や (2) の符号を1つでも間違えていれば,この等式は変換性の面で破綻していたはずである.Maxwell 方程式が $\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ に整合していることの,独立な確認になっている.

(3)(4)(5) については本書6章の表6.7 および 6.6.2節の Rashba 項の記述と突き合わせればよく,$\bm{\sigma}\times\kk$ が「$\mathcal{P}$-odd かつ $\mathcal{T}$-even」であるという本文の記述と一致している.

意味.この演習で身についたのは,「ハミルトニアンに書ける項」と「その項が非ゼロになるための条件」を分けて考える習慣である.前者は $\mathcal{P}$-even かつ $\mathcal{T}$-even という帳尻合わせの問題で,後者は係数に含まれる材料ベクトル($\hat{\bm z}$,$\bm{D}$,$\bm{P}$,$\bm{M}$)がゼロかどうかという Neumann の原理の問題である.素粒子物理で EDM 項 $\bm{\sigma}\cdot\bm{E}$ を扱ったときも,まったく同じ2段構えの議論をした.結晶で「Rashba 分裂を出したいから界面を作る」「スキルミオンを出したいから反転対称性を壊す」という材料設計は,素粒子物理で「EDM を出すには $\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ の破れが要る」と言うのと同じ文法で書かれている.

演習6.4 Kramers 縮退の証明と応用

問題(再掲)

(1) スピン $1/2$ に対する $\hat{\mathcal{T}}=-\ii\sigma_y K$ について,$\hat{\mathcal{T}}\sigma_i\hat{\mathcal{T}}^{-1}=-\sigma_i$($i=x,y,z$)を各成分について確かめよ($\sigma_x,\sigma_z$ は実,$\sigma_y$ は純虚であることを使う).

(2) $N$ 個の電子からなる系では $\hat{\mathcal{T}}^2=(-1)^N$ となることを示せ.したがって Kramers 縮退が保証されるのは $N$ が奇数の場合に限る.

(3) $\mathrm{Cu^{2+}}$($3d^9$,1個の不対電子)と $\mathrm{Ni^{2+}}$($3d^8$,2個の不対電子)を結晶場中に置く.結晶場をどれだけ低対称にしても基底状態の縮退が完全には解けないのはどちらか.また,それが ESR(電子スピン共鳴)の測定可能性にどう効くかを述べよ.

(4) 磁場を加えると Kramers 縮退が解けることを,$\hat{\mathcal{T}}$ と Zeeman 項 $-\bm{\mu}\cdot\bm{B}$ の交換関係から示せ.

解答

方針.(1) は Pauli 行列の代数だけで済む.反ユニタリ演算子 $\hat{\mathcal{T}}=UK$ の共役をとるときは,$K$ を右へ通すときに行列成分が複素共役されるという一点だけ注意すればよい.(2) は各電子に付く $-1$ の積である.(3)(4) は定理6.5(Kramers)の前提が満たされるかどうかを確認する問題である.

(1) 本書6章の式で導入された $\hat{\mathcal{T}}=-\ii\sigma_y K$ を,行列としてあらわに書く:

$$ U \equiv -\ii\sigma_y = -\ii\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}0&-1\\ 1&0\end{pmatrix}, \qquad U^{-1}=\begin{pmatrix}0&1\\ -1&0\end{pmatrix} = +\ii\sigma_y $$

$U$ は実行列なので $U^{*}=U$ である.いま $K$ は複素共役演算子($K^2=1$,$KAK^{-1}=A^{*}$)だから,任意の行列 $A$ に対して

$$ \hat{\mathcal{T}}A\hat{\mathcal{T}}^{-1} = (UK)\,A\,(UK)^{-1} = U\,(KAK^{-1})\,U^{-1} = U A^{*} U^{-1} $$

である.$U^{-1}=-U$ に注意して(実際 $U^2=-\mathbb{1}$ なので $U^{-1}=-U$),あるいは $UAU^{-1}=\sigma_y A\sigma_y$ と書き直してもよい($(-\ii)$ と $(+\ii)$ が相殺するため).以下では $\hat{\mathcal{T}}A\hat{\mathcal{T}}^{-1}=\sigma_y A^{*}\sigma_y$ を使う.

$\sigma_x$ について.$\sigma_x=\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}$ は実行列なので $\sigma_x^{*}=\sigma_x$.$\sigma_y$ と $\sigma_x$ は反交換($\sigma_y\sigma_x=-\sigma_x\sigma_y$)で $\sigma_y^2=\mathbb{1}$ だから

$$ \hat{\mathcal{T}}\sigma_x\hat{\mathcal{T}}^{-1} =\sigma_y\sigma_x\sigma_y =-\sigma_x\sigma_y\sigma_y =-\sigma_x $$

行列で直接確かめてもよい:

$$ \begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix} \begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix} \begin{pmatrix}0&1\\-1&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-1&0\\0&1\end{pmatrix} \begin{pmatrix}0&1\\-1&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&-1\\-1&0\end{pmatrix} =-\sigma_x $$

$\sigma_y$ について.$\sigma_y=\begin{pmatrix}0&-\ii\\ \ii&0\end{pmatrix}$ は純虚なので $\sigma_y^{*}=-\sigma_y$.よって

$$ \hat{\mathcal{T}}\sigma_y\hat{\mathcal{T}}^{-1} =\sigma_y\,\sigma_y^{*}\,\sigma_y =\sigma_y(-\sigma_y)\sigma_y =-\left(\sigma_y\sigma_y\right)\sigma_y =-\mathbb{1}\cdot\sigma_y =-\sigma_y $$

ここが最も微妙な成分で,$\sigma_y$ は $\sigma_y$ と可換なので回転では符号が変わらないが,複素共役 $K$ が符号を反転してくれるという仕組みになっている.

$\sigma_z$ について.$\sigma_z=\begin{pmatrix}1&0\\0&-1\end{pmatrix}$ は実で $\sigma_z^{*}=\sigma_z$,$\sigma_y$ と反交換だから

$$ \hat{\mathcal{T}}\sigma_z\hat{\mathcal{T}}^{-1}=\sigma_y\sigma_z\sigma_y=-\sigma_z $$

3成分すべてで $\hat{\mathcal{T}}\sigma_i\hat{\mathcal{T}}^{-1}=-\sigma_i$ が成り立つ.すなわちスピンは時間反転で正しく向きを変える.$\sigma_x,\sigma_z$ には $\sigma_y$ による回転が効き,$\sigma_y$ には複素共役が効くという役割分担が,$-\ii\sigma_y K$ という形の必然性である.

(2) $N$ 個の電子からなる系では,時間反転演算子は各電子のスピン空間に作用する $U_i=-\ii\sigma_y^{(i)}$ の直積と,全体にかかる1つの複素共役演算子 $K$ の積で書ける:

$$ \hat{\mathcal{T}} = \left(\prod_{i=1}^{N}U_i\right)K \equiv \mathcal{U}K, \qquad \mathcal{U}=U_1\otimes U_2\otimes\cdots\otimes U_N $$

2乗を計算する.前半の $K$ を右へ通すときに $\mathcal{U}$ が複素共役される($K\mathcal{U}=\mathcal{U}^{*}K$)ので

$$ \hat{\mathcal{T}}^2 = \mathcal{U}K\,\mathcal{U}K = \mathcal{U}\,\mathcal{U}^{*}\,K^2 = \mathcal{U}\,\mathcal{U}^{*} $$

直積は成分ごとに分解できるから

$$ \mathcal{U}\,\mathcal{U}^{*} = \bigotimes_{i=1}^{N}\left(U_iU_i^{*}\right) $$

1電子分については,$U_i=\begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix}$ が実行列なので $U_i^{*}=U_i$,したがって

$$ U_iU_i^{*} = U_i^2 = \begin{pmatrix}0&-1\\1&0\end{pmatrix}^2=\begin{pmatrix}-1&0\\0&-1\end{pmatrix}=-\mathbb{1} $$

すなわち各電子が $-1$ を1つずつ供出する.$N$ 個の積をとって

$$ \hat{\mathcal{T}}^2 = (-1)^{N}\,\mathbb{1} $$

定理6.5 の証明で決定的だったのは $\hat{\mathcal{T}}^2=-1$ という点であった.$N$ が偶数なら $\hat{\mathcal{T}}^2=+1$ となって証明の (ii) が働かず,$\hat{\mathcal{T}}\ket{\psi}$ が $\ket{\psi}$ に比例してしまう可能性が残る.Kramers 縮退が保証されるのは $N$ が奇数のとき,すなわち全スピンが半整数のときに限られる.

(3) 電子数の偶奇を数える.$\mathrm{Cu}$ は $Z=29$ なので $\mathrm{Cu^{2+}}$ の電子数は $29-2=27$,奇数である($3d^9$ という部分殻の数え方でも,閉殻は偶数個なので偶奇は $d$ 電子数で決まり,$9$ で奇数.結論は同じ).$\mathrm{Ni}$ は $Z=28$ なので $\mathrm{Ni^{2+}}$ は $28-2=26$,偶数である($3d^8$).

したがって「どれだけ低対称にしても縮退が完全には解けない」のは $\mathrm{Cu^{2+}}$ である.

ESR への影響は次のとおりである.$\mathrm{Cu^{2+}}$ では基底 Kramers 二重項がゼロ磁場で厳密に縮退しているので,磁場を加えれば $h\nu=g\mu_{\text{B}}B$ の Zeeman 分裂がゼロから連続的に立ち上がる.標準的な X バンド ESR($\nu=9.5\ \mathrm{GHz}$)でも共鳴条件が容易に満たされ,$\mathrm{Cu^{2+}}$ は ESR で最もよく見えるイオンの一つになる.一方 $\mathrm{Ni^{2+}}$ では,$S=1$ の三重項が結晶場によってゼロ磁場でも $D$(ゼロ磁場分裂定数)だけ分裂している.典型的な $\mathrm{Ni^{2+}}$ 錯体では $\abs{D}$ が数 $\mathrm{cm^{-1}}$ に達するのに対し,X バンドの光子エネルギーは

$$ h\nu = 4.136\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}\times9.5\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} = 3.93\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = 0.317\ \mathrm{cm^{-1}} $$

にすぎない.$\abs{D}\gg h\nu$ となるため許容遷移が届かず,$\mathrm{Ni^{2+}}$ は通常の X バンド ESR では「見えない」(ESR silent)ことがしばしばある.高周波・強磁場 ESR(数百 $\mathrm{GHz}$,十数 $\mathrm{T}$)が必要になるのはこのためである.偶奇という $\pm1$ の情報が,測定装置の選定にまで効いている.

(4) Zeeman 項を書く.磁気モーメントはスピンに比例($\bm{\mu}=-g\mu_{\text{B}}\bm{S}/\hbar$ など,比例係数の符号は本質ではない)するので

$$ \Ham_{\text{Z}} = -\bm{\mu}\cdot\bm{B} \propto \bm{S}\cdot\bm{B} $$

ここで $\bm{B}$ は外から与えた固定パラメータであって,系の動的自由度ではない.したがって $\hat{\mathcal{T}}$ は $\bm{B}$ には作用せず,$\bm{S}$ にだけ作用する:

$$ \hat{\mathcal{T}}\,\Ham_{\text{Z}}\,\hat{\mathcal{T}}^{-1} \propto \left(\hat{\mathcal{T}}\bm{S}\hat{\mathcal{T}}^{-1}\right)\cdot\bm{B} = (-\bm{S})\cdot\bm{B} = -\,\Ham_{\text{Z}} $$

すなわち

$$ \hat{\mathcal{T}}\Ham_{\text{Z}} = -\Ham_{\text{Z}}\hat{\mathcal{T}} \quad\Longrightarrow\quad [\hat{\mathcal{T}},\ \Ham_{\text{Z}}] = 2\,\hat{\mathcal{T}}\Ham_{\text{Z}} \neq 0 $$

交換子はゼロにならない.定理6.5 の前提「$[\hat{\mathcal{T}},\Ham]=0$」が崩れるので,Kramers 縮退の保証は消える.実際,$S=1/2$ の二重項は

$$ E_\pm = \pm\frac{1}{2}g\mu_{\text{B}}B $$

と分裂し,分裂幅は $\Delta E=g\mu_{\text{B}}B$ である.$g=2$,$B=1\ \mathrm{T}$ を入れると

$$ \Delta E = 2\times5.788\times10^{-5}\ \mathrm{eV/T}\times1\ \mathrm{T} = 1.158\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = 0.116\ \mathrm{meV} $$

である.重要なのは,結晶場($\mathcal{T}$-even)ではいくら低対称にしても分裂させられないものが,磁場($\mathcal{T}$-odd)を入れた瞬間に分裂することである.縮退を守っているのは空間対称性ではなく時間反転対称性なのだから,これを壊さないかぎり縮退は残る.

検算.(1) の結果は $\hat{\mathcal{T}}^2$ の計算と整合する.$\hat{\mathcal{T}}^2=(-\ii\sigma_y K)(-\ii\sigma_y K)=(-\ii\sigma_y)(+\ii\sigma_y^{*})=(-\ii)(+\ii)\sigma_y(-\sigma_y)=-\sigma_y^2=-\mathbb{1}$ となり,本書6章の $\hat{\mathcal{T}}^2=(-1)^{2S}$ で $S=1/2$ とした結果 $-1$ に一致する.(2) の $N=1$ の場合がこれである.

(4) は実験値で検算できる.分裂幅の式 $h\nu=g\mu_{\text{B}}B$ を X バンド($\nu=9.5\ \mathrm{GHz}$)と $g=2$ について解くと

$$ B = \frac{h\nu}{g\mu_{\text{B}}} = \frac{4.136\times10^{-15}\times9.5\times10^{9}}{2\times5.788\times10^{-5}}\ \mathrm{T} = 0.339\ \mathrm{T} $$

これは X バンド ESR の共鳴磁場が約 $3400\ \mathrm{G}=0.34\ \mathrm{T}$ であるという実験室の常識と正確に一致する.時間反転対称性の理屈が,そのまま装置のマグネット設定を言い当てている.

意味.Kramers 縮退は,「電子が奇数個か偶数個か」という $\pm1$ の情報だけで,縮退が守られるかどうかが決まるという,きわめて強い主張である.しかもその根拠は $\hat{\mathcal{T}}^2=-1$,つまりスピノルが $2\pi$ 回転で符号を変えるという幾何学的事実にある.

この $\hat{\mathcal{T}}^2=-1$ は,本書6章の 6.6.6節で見たとおり $\mathbb{Z}_2$ トポロジカル絶縁体の存在理由でもある.時間反転不変運動量(TRIM)でバンドが必ず Kramers 対を組むこと,そしてその対が磁性不純物($\mathcal{T}$ の破れ)によって初めてギャップを開くことは,(3) と (4) をバンド構造の言葉に翻訳したものにほかならない.$\mathrm{Cr}$ をドープした $(\mathrm{Bi},\mathrm{Sb})_2\mathrm{Te_3}$ で Dirac 点にギャップが開くのは,$\mathrm{Cu^{2+}}$ の Kramers 二重項が磁場で割れるのとまったく同じ現象である.対称性が守るのだから,対称性を壊せば守りは消える.

演習6.5 中性 $K$ 中間子の振動

問題(再掲)

$t=0$ で純粋な $\ket{K^0}$ を作ったとする.$\ket{K^0}=(\ket{K_S}+\ket{K_L})/\sqrt2$($\mathcal{CP}$ の破れは無視する)とし,$K_{S,L}$ の時間発展を $\ee^{-\ii m_{S,L}t-\Gamma_{S,L}t/2}$ とする.

(1) 時刻 $t$ に $\bar K^0$ を見出す確率が

$$ P_{\bar K^0}(t)=\frac{1}{4}\left[\ee^{-\Gamma_S t}+\ee^{-\Gamma_L t}-2\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\cos(\Delta m\,t)\right] $$

となることを示せ($\Delta m=m_L-m_S$).

(2) 無次元パラメータ $x\equiv\Delta m/\Gamma_S=\Delta m\,\tau_S$ を,$\Delta m=5.29\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$,$\tau_S=8.954\times10^{-11}\ \mathrm{s}$ から計算せよ.

(3) $x$ が $1$ 前後の値であることは,実験にとって好都合か,不都合か.$x\ll1$ の場合と $x\gg1$ の場合に何が起きるかを考えて論ぜよ.

解答

方針.$K_S$ と $K_L$ は時間発展の固有状態であり,$K^0$ と $\bar K^0$ はその重ね合わせである.したがって「$K^0$ で作り,$\bar K^0$ で観測する」という過程は,2本のビームの干渉そのものである.$\bar K^0$ の振幅を $K_S$,$K_L$ の展開で書き,絶対値の2乗をとるだけでよい.自然単位系($\hbar=c=1$)を使う.

(1) まず $\bar K^0$ を $K_{S,L}$ で展開する.問題文の $\ket{K^0}=(\ket{K_S}+\ket{K_L})/\sqrt2$ と,$K^0$ と $\bar K^0$ が直交すること($\braket{K^0|\bar K^0}=0$)から,規格化された直交パートナーは符号を1つ変えたものであり

$$ \ket{\bar K^0}=\frac{\ket{K_S}-\ket{K_L}}{\sqrt2} $$

ととれる(全体の位相の自由度があるので $-(\ket{K_S}-\ket{K_L})/\sqrt2$ でもよい.確率には効かない).

ステップ1:時間発展させる.$K_S$,$K_L$ はそれぞれ質量 $m_{S,L}$,崩壊幅 $\Gamma_{S,L}$ をもつ固有状態なので,独立に位相を回しながら減衰する:

$$ \ket{\psi(t)} =\frac{1}{\sqrt2}\left[ \ee^{-\ii m_S t-\Gamma_S t/2}\ket{K_S} +\ee^{-\ii m_L t-\Gamma_L t/2}\ket{K_L} \right] $$

以下,$f_{S}(t)\equiv\ee^{-\ii m_S t-\Gamma_S t/2}$,$f_{L}(t)\equiv\ee^{-\ii m_L t-\Gamma_L t/2}$ と略記する.

ステップ2:$\bar K^0$ 成分を射影する.$\bra{\bar K^0}=(\bra{K_S}-\bra{K_L})/\sqrt2$ を掛け,$\braket{K_S|K_S}=\braket{K_L|K_L}=1$,$\braket{K_S|K_L}=0$ を使うと

$$ \braket{\bar K^0|\psi(t)} =\frac{1}{\sqrt2}\cdot\frac{1}{\sqrt2}\left[f_S(t)-f_L(t)\right] =\frac{1}{2}\left[f_S(t)-f_L(t)\right] $$

ステップ3:絶対値の2乗をとる.

$$ P_{\bar K^0}(t)=\abs{\braket{\bar K^0|\psi(t)}}^2 =\frac{1}{4}\left(f_S-f_L\right)\left(f_S-f_L\right)^{*} =\frac{1}{4}\left[\abs{f_S}^2+\abs{f_L}^2-f_Sf_L^{*}-f_S^{*}f_L\right] $$

ステップ4:各項を書き下す.まず対角項は,位相因子の絶対値が $1$ なので減衰因子だけが残る:

$$ \abs{f_S}^2=\ee^{-\Gamma_S t},\qquad \abs{f_L}^2=\ee^{-\Gamma_L t} $$

交差項は

$$ f_Sf_L^{*} =\ee^{-\ii m_S t-\Gamma_S t/2}\cdot\ee^{+\ii m_L t-\Gamma_L t/2} =\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\,\ee^{\ii(m_L-m_S)t} =\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\,\ee^{\ii\Delta m\,t} $$

である(ここで $\Delta m=m_L-m_S$ を使った).その複素共役は $f_S^{*}f_L=\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\ee^{-\ii\Delta m t}$ だから,2つの和は

$$ f_Sf_L^{*}+f_S^{*}f_L =\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\left(\ee^{\ii\Delta m t}+\ee^{-\ii\Delta m t}\right) =2\,\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\cos(\Delta m\,t) $$

ステップ5:まとめる.

$$ P_{\bar K^0}(t)=\frac{1}{4}\left[ \ee^{-\Gamma_S t}+\ee^{-\Gamma_L t} -2\,\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\cos(\Delta m\,t)\right] $$

これが求める式である.∎

この式の読み方は明快である.第1項と第2項は $K_S$ と $K_L$ が単純に減衰していく寄与,第3項が干渉項で,$\cos(\Delta m\,t)$ という振動を運ぶ.振動数を決めているのは質量差 $\Delta m$ のみであり,干渉項は $\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}$ という「2本の減衰の相乗平均」で減衰する.$t=0$ では $\cos=1$ かつ3項が打ち消し合って $P_{\bar K^0}(0)=\frac{1}{4}(1+1-2)=0$ となり,「最初は純粋な $K^0$ である」という初期条件を正しく再現する.

(2) 定義どおり掛け算する:

$$ x = \Delta m\,\tau_S = \left(5.29\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}\right)\times\left(8.954\times10^{-11}\ \mathrm{s}\right) $$ $$ = 5.29\times8.954\times10^{9-11} = 47.37\times10^{-2} = 0.4737 $$

すなわち

$$ \boxed{\ x = 0.474\ } $$

である(有効数字3桁).無次元量になっていることも確認できる($\mathrm{s^{-1}}\times\mathrm{s}$ は無次元).

(3) 干渉項が観測できるための条件を,$x$ の値と結びつけて考える.干渉項は $\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\cos(\Delta m\,t)$ である.$\Gamma_L/\Gamma_S=\tau_S/\tau_L=8.954\times10^{-11}/5.116\times10^{-8}=1.75\times10^{-3}$ と非常に小さいので,減衰はほぼ $\ee^{-\Gamma_S t/2}$,すなわち時定数 $2\tau_S$ で効く.一方,位相は $\Delta m\,t = x\,(t/\tau_S)$ の割合で溜まっていく.したがって「干渉項が生き残っている間にどれだけ位相が溜まるか」を決めているのが $x$ そのものである.

したがって $x\sim0.5$ はきわめて好都合である.事実,$\Delta m$ は素粒子物理で最も精度よく測られた質量差の一つであり,$\Delta m/m_{K^0}\sim7\times10^{-15}$ という微小な質量差が $0.2\%$ の精度で測られている(PDG:$\Delta m=(0.5293\pm0.0009)\times10^{10}\,\hbar\,\mathrm{s^{-1}}$).自然が用意した好条件だといってよい.

検算.3つの独立な確認を行う.

第一に,(1) の式の整合性を確率の和で確かめる.同じ計算を $\bra{K^0}=(\bra{K_S}+\bra{K_L})/\sqrt2$ で行うと,交差項の符号だけが変わって

$$ P_{K^0}(t)=\frac{1}{4}\left[\ee^{-\Gamma_S t}+\ee^{-\Gamma_L t}+2\ee^{-(\Gamma_S+\Gamma_L)t/2}\cos(\Delta m\,t)\right] $$

となる.両者を足すと干渉項が相殺して

$$ P_{K^0}(t)+P_{\bar K^0}(t)=\frac{1}{2}\left[\ee^{-\Gamma_S t}+\ee^{-\Gamma_L t}\right] $$

となり,これは「$K_S$ と $K_L$ がそれぞれ確率 $1/2$ で存在し,独立に崩壊していく」という描像そのものである.$t=0$ で $1$,$t\to\infty$ で $0$ となり,物理的に正しい.

第二に,$\Delta m$ の数値を別ルートで確かめる.本書6章の表6.4 は $\Delta m=3.484\times10^{-12}\ \mathrm{MeV}$ を与えている.$\hbar=6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}$ で割ると

$$ \frac{3.484\times10^{-12}}{6.582\times10^{-22}} = 5.29\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

で,問題文の値と一致する.単位変換の面でも整合している.

第三に,位相の大きさを具体的な数字で押さえておく.$t=\tau_S$ での位相は $\Delta m\,\tau_S=x=0.474\ \mathrm{rad}$(約 $27^\circ$)であり,1周期 $2\pi$ の $7.5\%$ にすぎない.位相が半周期 $\pi$ に達するのは $t=6.63\,\tau_S$ である.本文のヒントが言う「半周期程度の位相差」がつくのは,$K_S$ の寿命1つぶんではなく,干渉項が生きている時間窓(時定数 $2\tau_S$,実質的には $t\lesssim7\tau_S$)を使い切ったときである.結論($x\sim0.5$ が実験に最適である)は変わらない.

意味.この問題の数学は,素粒子物理に固有のものではまったくない.エネルギーの異なる2つの固有状態を重ね合わせて作った状態が,位相差 $\Delta E\,t/\hbar$ で振動する —— これは量子ビートと呼ばれる普遍的な現象である.核磁気共鳴における自由誘導減衰,超高速分光におけるコヒーレントフォノンのビート,スピンの Larmor 歳差,二準位系の Rabi 振動,そして光導波路間の結合モードのビート(演習6.8)は,すべて同じ式で記述される.違うのは $\Delta E$ の正体が「質量差」なのか「Zeeman 分裂」なのか「フォノン振動数差」なのかという一点だけである.

そして減衰が付くところも共通している.中性 $K$ の場合,本書6章の 6.4.5節で見たとおり,時間発展は非エルミートな有効ハミルトニアン $\mathcal{H}_{\text{eff}}=M-\frac{\ii}{2}\Gamma$ で記述される.固有値の実部の差が $\Delta m$(振動数),虚部の差が $\Delta\Gamma$(減衰率の差)を与えるという構造は,散逸のある2準位系の一般論そのものである.材料科学で励起子ポラリトンや非エルミートバンドを扱う人にとって,中性 $K$ 中間子系は「最も古く,最も精度の高い実測例」として参照する価値がある.

演習6.6 中性子 EDM 探索の感度を見積もる

問題(再掲)

中性子 EDM 実験では,超冷中性子に磁場 $\bm{B}$ と電場 $\bm{E}$ を平行/反平行にかけ,Larmor 歳差の周波数差を測る.

(1) EDM が $d_n$ のとき,電場の向きを反転させたときのエネルギー差が $\Delta E = 2 d_n E$ であることを $H=-\bm{d}\cdot\bm{E}$ から示せ.

(2) $d_n = 1.8\times10^{-26}\ e\,\mathrm{cm}$,$E=10\ \mathrm{kV/cm}$ として $\Delta E$ を eV 単位で求めよ.

(3) 対応する周波数 $\Delta\nu=\Delta E/h$ を求めよ($h=4.136\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}$).

(4) この周波数を測るのに必要な最小の観測時間 $T\sim1/\Delta\nu$ を求め,1回の測定で足りるか,統計を稼ぐ必要があるかを論ぜよ.

解答

方針.本書6章の 6.5.5節で見たとおり,スピン $1/2$ の粒子の EDM は必ずスピンに平行で $\bm{d}=d_n\bm{S}/\abs{\bm{S}}$ と書ける.実験ではスピンを磁場 $\bm{B}$ で偏極させておき,$\bm{E}$ を $\bm{B}$ に平行にかけた場合と反平行にかけた場合で Larmor 歳差の周波数を比べる.$e\,\mathrm{cm}$ という単位は「電荷 $e$ と距離 $\mathrm{cm}$ の積」なので,$\mathrm{V/cm}$ を掛けると自動的に $\mathrm{eV}$ になる.この単位の相性のよさを利用すると計算が一行で済む.

(1) 相互作用エネルギーは $H=-\bm{d}\cdot\bm{E}$ である.スピンの向きを $\hat{\bm{s}}=\bm{S}/\abs{\bm{S}}$ とし,$\bm{d}=d_n\hat{\bm s}$,$\bm{E}=E\hat{\bm e}$ と書けば

$$ H = -d_n E\,(\hat{\bm s}\cdot\hat{\bm e}) $$

実験では磁場 $\bm{B}$ でスピンを偏極させ,電場をそれに平行($\hat{\bm e}=+\hat{\bm b}$)または反平行($\hat{\bm e}=-\hat{\bm b}$)にかける.スピンの向きを固定したまま電場だけを反転させると

$$ H_{\uparrow\uparrow} = -d_n E, \qquad H_{\uparrow\downarrow} = +d_n E $$

となる.両者の差が測定量であり

$$ \Delta E = H_{\uparrow\downarrow}-H_{\uparrow\uparrow} = (+d_nE)-(-d_nE) = 2\,d_n E $$

すなわち電場を反転させると,準位のずれは $2d_nE$ だけ変化する.因子 $2$ は「反転による往復」から来る.実験的にこの差をとる理由は,磁場によるずっと大きな Zeeman エネルギー($\sim2\mu_nB$)が $\bm{E}$ の反転で変わらないため,差をとることで消せるからである.系統誤差を落とす標準的な手口である.

(2) 数値を代入する.$E=10\ \mathrm{kV/cm}=10^{4}\ \mathrm{V/cm}$ である.

$$ \Delta E = 2 d_n E = 2\times\left(1.8\times10^{-26}\ e\,\mathrm{cm}\right)\times\left(10^{4}\ \mathrm{V/cm}\right) $$

ここで $e\,\mathrm{cm}\times\mathrm{V/cm}=e\,\mathrm{V}=\mathrm{eV}$(電荷 $e$ が電位差 $1\ \mathrm{V}$ を通過するときのエネルギーが $1\ \mathrm{eV}$)だから,単位はそのまま $\mathrm{eV}$ になる.

$$ \Delta E = 2\times1.8\times10^{4-26}\ \mathrm{eV} = 3.6\times10^{-22}\ \mathrm{eV} $$

すなわち $\Delta E = 3.6\times10^{-22}\ \mathrm{eV}$ である.参考までに室温の熱エネルギー $k_BT=2.6\times10^{-2}\ \mathrm{eV}$ と比べると,実に $20$ 桁小さい.

(3) 対応する周波数は

$$ \Delta\nu = \frac{\Delta E}{h} = \frac{3.6\times10^{-22}\ \mathrm{eV}}{4.136\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}} = \frac{3.6}{4.136}\times10^{-22+15}\ \mathrm{Hz} = 0.8704\times10^{-7}\ \mathrm{Hz} $$

すなわち

$$ \Delta\nu = 8.70\times10^{-8}\ \mathrm{Hz} = 87.0\ \mathrm{nHz} $$

である.$87$ ナノヘルツ.比較のために書いておくと,実際の nEDM 実験で使う静磁場 $B\sim1\ \mu\mathrm{T}$ における中性子の Larmor 周波数は $2\abs{\mu_n}B/h\approx29.2\ \mathrm{Hz}$ である.測ろうとしているのは,この $29.2\ \mathrm{Hz}$ の上に乗った

$$ \frac{8.70\times10^{-8}\ \mathrm{Hz}}{29.2\ \mathrm{Hz}} = 3.0\times10^{-9} $$

という相対的なずれである.周波数を9桁の精度で読むことに相当する.

(4) 単純に,周波数 $\Delta\nu$ を1周期ぶん見分けるのに必要な時間は

$$ T \sim \frac{1}{\Delta\nu} = \frac{1}{8.70\times10^{-8}\ \mathrm{Hz}} = 1.15\times10^{7}\ \mathrm{s} $$

である.日に直すと

$$ \frac{1.15\times10^{7}}{86400} = 133\ \mathrm{日} \approx 4.4\ \text{か月} $$

1個の中性子を4か月以上観測し続けなければならないことになる.これはまったく不可能である.理由は2つある.第一に,中性子はそもそも $\beta$ 崩壊して寿命 $\tau_n=878\ \mathrm{s}$(約 $15$ 分)で消えてしまう.第二に,超冷中性子(UCN)を容器に貯蔵しておける時間は壁での損失もあって現実には $T_{\text{store}}\sim100$–$300\ \mathrm{s}$ にすぎない.$4$ か月にはまったく届かない.

したがって統計を稼ぐしかない.位相の測定精度は,$N$ 個の中性子を同時に測れば $1/\sqrt{N}$ で縮む.Ramsey の分離振動場法で自由歳差時間 $T_{\text{free}}$ を確保したとき,蓄積される位相差は $\Delta\phi=\Delta E\,T_{\text{free}}/\hbar = 2d_nET_{\text{free}}/\hbar$ であり,位相の統計誤差が $1/\sqrt{N}$ だから,$d_n$ の測定精度は

$$ \sigma_{d} = \frac{\hbar}{2\,E\,T_{\text{free}}\sqrt{N}} $$

となる.実際の実験値を入れよう.$E=10\ \mathrm{kV/cm}=10^{6}\ \mathrm{V/m}$,$T_{\text{free}}=200\ \mathrm{s}$,1サイクルあたり $N=10^{4}$ 個とすると,1サイクルの感度は

$$ \sigma_d^{(1\text{cycle})} =\frac{1.055\times10^{-34}}{2\times10^{6}\times200\times\sqrt{10^{4}}}\ \mathrm{C\,m} =2.64\times10^{-45}\ \mathrm{C\,m} =1.65\times10^{-24}\ e\,\mathrm{cm} $$

目標の $1.8\times10^{-26}\ e\,\mathrm{cm}$ に到達するには,$(1.65\times10^{-24}/1.8\times10^{-26})^2=8.4\times10^{3}$ サイクルが必要である.1サイクルを $300\ \mathrm{s}$(充填・偏極・歳差・計数)とすれば

$$ 8.4\times10^{3}\times300\ \mathrm{s} = 2.5\times10^{6}\ \mathrm{s} \approx 29\ \text{日} $$

の正味データ取得時間になる.実際には装置の稼働率,磁場のドリフト,$\bm{E}$ 反転に伴う漏れ電流や幾何学的位相といった系統誤差の評価に,これよりはるかに長い時間を要する.PSI の実験が $1.8\times10^{-26}\ e\,\mathrm{cm}$ という上限を出すのに数年かかったのは,このためである.

検算.2つの見積りが整合していることを確かめる.(4) の位相の議論から,$N=1$ で位相差が $1\ \mathrm{rad}$ に達するのに必要な時間は

$$ T_{\text{1rad}}=\frac{\hbar}{2d_nE} =\frac{1.055\times10^{-34}}{2\times2.884\times10^{-47}\times10^{6}}\ \mathrm{s} =1.83\times10^{6}\ \mathrm{s} = 21\ \text{日} $$

である($d_n=1.8\times10^{-26}\ e\,\mathrm{cm}=2.884\times10^{-47}\ \mathrm{C\,m}$ を使った).一方 (4) の素朴な見積り $T=1/\Delta\nu=h/(2d_nE)$ は $1.15\times10^{7}\ \mathrm{s}$ であった.両者の比は

$$ \frac{h/(2d_nE)}{\hbar/(2d_nE)} = \frac{h}{\hbar} = 2\pi = 6.28 $$

確かに $1.15\times10^{7}/1.83\times10^{6}=6.28$ である.「1周期ぶん」と「1ラジアンぶん」の違いが $2\pi$ として正しく現れており,2つの見積りは同じ物理を別の単位で言っているにすぎないことが確認できた.どちらを使っても,1個の中性子では絶望的という結論は変わらない.

もう一つ,$\Delta E$ の大きさを別の角度から検算しておく.本書6章の 6.5.5節は,$d_n=1.8\times10^{-26}\ e\,\mathrm{cm}$ が「中性子を地球サイズに拡大しても正負電荷のずれは $1\ \mu\mathrm{m}$ 程度」に相当すると述べている.実際 $1.8\times10^{-28}\ \mathrm{m}/(0.8\times10^{-15}\ \mathrm{m})=2.25\times10^{-13}$ を地球半径 $6.4\times10^{6}\ \mathrm{m}$ に掛けると $1.4\times10^{-6}\ \mathrm{m}$ となる(本文は相対ずれを $2\times10^{-13}$ と丸めているので $1.3\times10^{-6}\ \mathrm{m}$ となっており,どちらも $1\ \mu\mathrm{m}$ 程度という同じ結論である).同じ小ささが,エネルギーでは $10^{-22}\ \mathrm{eV}$ として,周波数では $10^{-7}\ \mathrm{Hz}$ として現れている.

意味.この演習が伝えるのは,素粒子物理の「精密実験」がなぜ長期化するのかという実感である.測ろうとしている量が $10^{-22}\ \mathrm{eV}$ という桁である以上,1回の測定では原理的に足りず,$\sqrt{N}$ に頼るしかない.そして $\sqrt{N}$ で稼ぐということは,感度を1桁上げるのに測定時間を100倍にしなければならないということでもある.だから実験は「もっと長く測る」ではなく「$E$ を上げる」「$T_{\text{free}}$ を延ばす」「UCN 源を強くして $N$ を増やす」という装置側の改良で進む.

材料科学の側にも同じ構造の話がある.磁気電気効果の測定では,電場で誘起される磁化(あるいは磁場で誘起される分極)を,はるかに大きな背景から分離して読み出さなければならない.そこで使う手法もまた,外場を反転させて差をとるロックイン測定である.$\mathrm{Cr_2O_3}$ の $\alpha_{\perp}\approx1\ \mathrm{ps/m}$(最大となる $\alpha_{\parallel}$ でも $4\ \mathrm{ps/m}$ 程度)という小さな係数を測るときの実験の作法は,nEDM 実験のそれと本質的に同じである.そして両者が探しているのは,本書6章の表6.7 が示すとおり,$\mathcal{P}$-odd かつ $\mathcal{T}$-odd な量が非ゼロかどうかという,まったく同一の問いなのである.

演習6.7 結晶点群から物性を判定する

問題(再掲)

表6.8 と定理6.1 を使って答えよ.

(1) $\mathrm{Si}$($m\bar3m$),$\mathrm{GaAs}$($\bar43m$),$\mathrm{LiNbO_3}$($3m$)のうち,バルクで SHG を示すのはどれか.また圧電性を示すのはどれか.

(2) $\mathrm{Si}$ の表面や $\mathrm{Si/SiO_2}$ 界面では SHG が観測される.なぜバルクで禁止された効果が界面で現れるのか説明せよ.

(3) 単層 $\mathrm{MoS_2}$ は点群 $\bar6m2$(反転中心なし),2層 $2H$ 積層 $\mathrm{MoS_2}$ は $\bar3m$(反転中心あり)である.層数 $n=1,2,3,4$ に対して SHG 強度が「出る/出ない」を予測せよ.

(4) $\mathrm{Cr_2O_3}$ の磁気点群は $\bar3'm'$ である.この物質は (i) 自発分極をもつか,(ii) 自発磁化をもつか,(iii) 線形磁気電気効果を示すか.それぞれ理由とともに答えよ.

解答

方針.全問,定理6.1 の一言に帰着する.すなわち「その対称操作が結晶の対称操作であるなら,その操作に対して odd な量はゼロでなければならない」.これを Neumann の原理と呼ぶ.必要な変換性は本書6章の表6.7 から拾えばよく,$\bm{P}$ は $(\mathcal{P},\mathcal{T})=(-,+)$,$\bm{M}$ は $(+,-)$,$\alpha_{ij}$ は $(-,-)$,$\chi^{(2)}_{ijk}$ と $d_{ijk}$ は3階の極性テンソルで $\mathcal{P}$-odd である.

(1) 3つの点群を,反転中心 $\bar1$ を含むかどうかで仕分ける.

まとめると,SHG を示すのは $\mathrm{GaAs}$ と $\mathrm{LiNbO_3}$,圧電性を示すのも $\mathrm{GaAs}$ と $\mathrm{LiNbO_3}$ であり,$\mathrm{Si}$ はどちらも示さない.$\mathrm{LiNbO_3}$ だけがさらに強誘電性ももつ.

ここで表6.8 の注意点を一つ思い出しておきたい.非中心対称でありながら圧電性も SHG も示さない点群が1つだけ存在する($432$).したがって厳密には「非中心対称 $\Rightarrow$ 圧電性」ではなく「非中心対称かつ $432$ でない $\Rightarrow$ 圧電性」である.$\bar43m$ と $3m$ はどちらも $432$ ではないので,上の判定でよい.

(2) バルクの $\mathrm{Si}$ が SHG を示さないのは,結晶が無限に続く周期構造として反転中心をもつからであった.ところが表面や界面は,その仮定そのものを破る.表面に立って外を見れば真空(あるいは $\mathrm{SiO_2}$)があり,内を見れば $\mathrm{Si}$ がある.明らかに「上」と「下」が等価でなく,界面法線 $\hat{\bm z}$ という極性ベクトルが定義できてしまう.反転操作は $\hat{\bm z}\to-\hat{\bm z}$ とするので,界面の環境は反転対称ではない.

したがって界面から数原子層の範囲に限って $\chi^{(2)}\neq0$ が許され,そこから SHG が発生する.バルクからの寄与はゼロなので,観測される SHG 信号はほぼ純粋に界面由来である.これが SHG(および和周波発生 SFG)が界面選択的プローブとして機能する理由である.$\mathrm{Si}/\mathrm{SiO_2}$ 界面の欠陥・歪み・電界の評価,触媒表面の吸着種の分子配向の決定,埋もれた界面の非破壊観察などに使われる.

この論理は,演習6.3 の Rashba 項の議論とまったく同じ構造をしている.どちらも「界面法線 $\hat{\bm z}$ という $\mathcal{P}$-odd な構造ベクトルが,界面でだけ非ゼロになる」という一点に依拠している.反転対称性の破れが,一方では SHG を,他方ではスピン分裂を生む.

(3) $2H$ 積層の $\mathrm{MoS_2}$ では,隣り合う層が互いに $180^\circ$ 回転した向きで積み重なる.その結果,

したがって予測は

$$ n=1:\ \text{出る},\quad n=2:\ \text{出ない},\quad n=3:\ \text{出る},\quad n=4:\ \text{出ない} $$

である.層数の偶奇に応じて信号がオン・オフする偶奇振動が現れる.実験でもこの振る舞いが確認されており,SHG は $\mathrm{MoS_2}$ の層数を数える簡便な方法として使われている.

厳密には,偶数層でも表面の最上層・最下層の環境は等価でないため,界面由来のごく弱い信号は残りうる.しかし奇数層のバルク的な(層数に比例して成長する)信号に比べれば桁で小さく,実験的には「消える」と言ってよい.

(4) 磁気点群 $\bar3'm'$ の記号を読み解くところから始める.プライムの付いた操作は「その操作単独では対称でないが,時間反転 $\mathcal{T}$ と組み合わせれば対称になる」ことを意味する.したがって $\bar3'm'$ では

この3点さえ押さえれば,あとは表6.7 の符号を掛けるだけである.

(i) 自発分極 $\bm{P}_s$.$\bm{P}$ は $\mathcal{P}$-odd かつ $\mathcal{T}$-even だから,$\mathcal{PT}$ のもとでは

$$ \bm{P}\ \xrightarrow{\ \mathcal{PT}\ }\ (-1)\times(+1)\,\bm{P} = -\bm{P} $$

$\mathcal{PT}$ が対称操作である以上,定理6.1 より $\bm{P}_s=\bm{0}$.自発分極はもたない.(ユニタリ部分だけでも同じ結論が出る.点群 $32$ は $3$ 回軸に垂直な $2$ 回軸をもつため極性ベクトルを許さない非極性点群である.二重に禁止されている.)

(ii) 自発磁化 $\bm{M}$.$\bm{M}$ は $\mathcal{P}$-even かつ $\mathcal{T}$-odd だから,$\mathcal{PT}$ のもとでは

$$ \bm{M}\ \xrightarrow{\ \mathcal{PT}\ }\ (+1)\times(-1)\,\bm{M} = -\bm{M} $$

やはり定理6.1 より $\bm{M}=\bm{0}$.自発磁化はもたない.実際 $\mathrm{Cr_2O_3}$ は反強磁性体(Néel 温度 $307\ \mathrm{K}$)であり,正味の磁化はゼロである.磁気秩序は存在するのに巨視的磁化が出ないのは,$\mathcal{PT}$ が守っているからである.

(iii) 線形磁気電気効果 $\alpha_{ij}$.本書6章の 6.6.5節で見たとおり,$P_i=\alpha_{ij}H_j$ の両辺の変換性を合わせると $\alpha_{ij}$ は $\mathcal{P}$-odd かつ $\mathcal{T}$-odd でなければならない.$\mathcal{PT}$ のもとでは

$$ \alpha_{ij}\ \xrightarrow{\ \mathcal{PT}\ }\ (-1)\times(-1)\,\alpha_{ij} = +\alpha_{ij} $$

で不変である.$\mathcal{PT}$ が対称操作であっても $\alpha_{ij}$ はゼロに落ちない.そして $\bar1$ 単独も $\mathcal{T}$ 単独も対称操作ではないので,それらによる禁止も働かない.したがって $\alpha_{ij}\neq0$ が許され,線形磁気電気効果を示す.実際 $\mathrm{Cr_2O_3}$ は1960年に磁気電気効果が実証された最初の物質であり,$\alpha_{\parallel}$ は $T\approx260\ \mathrm{K}$ 付近で最大約 $4\ \mathrm{ps/m}$,$\alpha_{\perp}$ は約 $1\ \mathrm{ps/m}$ という大きさである(Astrov 1960,Rado–Folen 1961.いずれも SI の $\mathrm{s/m}$ 表記).

ここが本問の要点である.$\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ が個別に破れていることが必要であって,積 $\mathcal{PT}$ は保たれていて構わない.むしろ $\mathcal{PT}$ が保たれているからこそ,$\bm{P}_s$ も $\bm{M}$ も出ずに $\alpha_{ij}$ だけが生き残る,という選択的な状況が実現している.

検算.(4) の答えを,$\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ の破れ方の一覧表として整理し直すと,論理の一貫性が確認できる.

表E.6.2 $\mathrm{Cr_2O_3}$($\bar3'm'$)における各物性量の可否
量$\mathcal{P}$$\mathcal{T}$$\mathcal{PT}$$\mathcal{PT}$ が対称操作なので
自発分極 $\bm{P}_s$$-$$+$$-$ゼロ
自発磁化 $\bm{M}$$+$$-$$-$ゼロ
磁気電気テンソル $\alpha_{ij}$$-$$-$$+$非ゼロが許される
トロイダルモーメント $\bm{T}\propto\bm{P}\times\bm{M}$$-$$-$$+$$\mathcal{PT}$ では禁止されないが,ユニタリ部分群 $32$ が極性ベクトルを許さないため $\bm{T}=\bm{0}$($\alpha_{ij}$ は対角成分のみ)

$\mathcal{PT}$ 欄が $-$ の量は必ずゼロである.いっぽう $+$ の量は $\mathcal{PT}$ では禁止されないだけで,実際に非ゼロになるかは残りの操作(ここではユニタリ部分群 $32$ と反ユニタリな $m'$)で別途判定しなければならない —— $\mathcal{PT}$-even は必要条件であって十分条件ではない.表のトロイダル行がまさにその例で,$\bm{T}$ は $\mathcal{P}$-odd・$\mathcal{T}$-odd の極性ベクトルなので,非極性点群 $32$ の下では消える(同じ理由で $\alpha_{ij}$ も対角成分 $\alpha_{xx}=\alpha_{yy}$,$\alpha_{zz}$ しか残らない).また,この表は本書6章の表6.7 の該当行($\bm{P}$,$\bm{M}$,$\alpha_{ij}$)と符号が完全に一致している.

さらに (1) と (3) の整合も確かめておく.$\mathrm{LiNbO_3}$($3m$)は極性点群なので $\bm{P}_s\neq0$ が許され,これは実験事実(強誘電体,$P_s\approx0.7\ \mathrm{C/m^2}$)と合う.一方 $\mathrm{Cr_2O_3}$ は上で見たとおり $\bm{P}_s=0$ である.同じ「$\mathcal{P}$ の破れ」でも,$\mathcal{P}$ 単独の破れ($\mathrm{LiNbO_3}$)と $\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ が同時に破れて $\mathcal{PT}$ が残る場合($\mathrm{Cr_2O_3}$)とで,現れる物性がまったく違う.対称性の「どれが破れているか」を丁寧に区別することの重要性が,この対比によく現れている.

意味.この演習で行ったのは,第一原理計算も実験もいっさいせずに,点群記号だけを見て物性の可否を断定するという作業である.しかもその根拠は,素粒子物理で $\braket{\bm{J}\cdot\bm{p}_e}\neq0$ からパリティの破れを結論したのと同一の定理6.1 だけであった.本書6章の表6.9 が示すとおり,Wu の実験と SHG 測定は「$\mathcal{P}$-odd な量の期待値がゼロか否かを測る」という点で文字どおり同じ実験である.

実務上の御利益も大きい.新物質の候補が出てきたとき,まず磁気点群を調べれば「異常 Hall 効果は出るか」「磁気電気効果は許されるか」「SHG は出るか」が計算前に分かる.許されない物性を探して計算資源を浪費せずに済むし,逆に「対称性は許すのに実験で見えない」という状況に出会えば,それは動力学的な小ささを意味するので,どこを改良すべきかの指針になる.対称性はゼロか否かを厳密に決め,大きさは動力学が決める —— 演習6.1 で述べた役割分担が,材料設計の現場でそのまま生きている.

演習6.8 $\mathcal{PT}$ 対称な2準位系と例外点

問題(再掲)

利得と損失が釣り合った2本の結合導波路の有効ハミルトニアンを

$$ \mathcal{H}=\begin{pmatrix}\ii\gamma & \kappa\\ \kappa & -\ii\gamma\end{pmatrix} \qquad(\gamma,\kappa>0\ \text{は実数}) $$

とする.

(1) $\mathcal{H}$ がエルミートでないこと,しかし $\mathcal{PT}$ 対称($\mathcal{P}=\sigma_x$ が2本の導波路を入れかえ,$\mathcal{T}=K$ が複素共役をとる)であることを確かめよ.すなわち $(\sigma_x K)\mathcal{H}(\sigma_x K)^{-1}=\mathcal{H}$ を示せ.

(2) 固有値が $E_\pm=\pm\sqrt{\kappa^2-\gamma^2}$ であることを示し,$\gamma<\kappa$ で実,$\gamma>\kappa$ で純虚になることを確かめよ.

(3) $\gamma=\kappa$(例外点)で,2つの固有ベクトルが一致してしまうことを示せ.エルミート行列の縮退との違いを述べよ.

(4) $\kappa=\gamma(1+\delta)$($\delta\ll1$)として $E_\pm$ を展開し,固有値の分裂が $\propto\sqrt{\delta}$ であることを示せ.なぜこれがセンサとして有利だと言われるのかを説明せよ.

解答

方針.$2\times2$ 行列の固有値問題を丁寧に解くだけの計算だが,非エルミート行列に特有の現象(固有ベクトルの合体)を見逃さないことが肝要である.$\mathcal{PT}=\sigma_xK$ は反線形演算子なので,行列 $A$ に作用させるときは $(\sigma_xK)A(\sigma_xK)^{-1}=\sigma_xA^{*}\sigma_x$ となる(演習6.4(1) と同じ規則である).

(1) まずエルミート性を調べる.エルミート共役は転置して複素共役をとる操作だから

$$ \mathcal{H}^\dagger =\begin{pmatrix}\ii\gamma & \kappa\\ \kappa & -\ii\gamma\end{pmatrix}^{\dagger} =\begin{pmatrix}(\ii\gamma)^{*} & \kappa^{*}\\ \kappa^{*} & (-\ii\gamma)^{*}\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}-\ii\gamma & \kappa\\ \kappa & +\ii\gamma\end{pmatrix} \neq\mathcal{H} $$

対角成分の符号が反転してしまう($\gamma\neq0$ のかぎり).$\mathcal{H}$ はエルミートではない.物理的には,$+\ii\gamma$ が利得(振幅が指数的に増える),$-\ii\gamma$ が損失(減る)を表しており,確率が保存しない開放系であることに対応している.

次に $\mathcal{PT}$ 対称性を確かめる.$\sigma_x=\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}$,$\sigma_x^{-1}=\sigma_x$,$K^{-1}=K$ である.反線形演算子の共役規則から

$$ (\sigma_xK)\mathcal{H}(\sigma_xK)^{-1} = \sigma_x\left(K\mathcal{H}K^{-1}\right)\sigma_x = \sigma_x\,\mathcal{H}^{*}\,\sigma_x $$

まず複素共役をとる:

$$ \mathcal{H}^{*}=\begin{pmatrix}-\ii\gamma & \kappa\\ \kappa & +\ii\gamma\end{pmatrix} $$

次に $\sigma_x$ で左右から挟む.$\sigma_xM\sigma_x$ は行と列を同時に入れかえる操作なので,$2\times2$ 行列では対角成分どうし・非対角成分どうしが入れかわる:

$$ \sigma_x\begin{pmatrix}a&b\\ c&d\end{pmatrix}\sigma_x =\begin{pmatrix}d&c\\ b&a\end{pmatrix} $$

これを適用すると

$$ \sigma_x\mathcal{H}^{*}\sigma_x =\begin{pmatrix}+\ii\gamma & \kappa\\ \kappa & -\ii\gamma\end{pmatrix} =\mathcal{H} $$

$\mathcal{PT}$ 対称性が成り立っている.∎ 仕組みは明快で,$K$ が $\ii\gamma\to-\ii\gamma$ と符号を変え,$\sigma_x$ が利得側と損失側を入れかえて元に戻す.「利得と損失が左右で釣り合っている」という構造そのものが,$\mathcal{PT}$ 対称性の中身である.これは本書6章の 6.6.4節の条件 $n^{*}(-x)=n(x)$(屈折率の実部が偶関数,虚部が奇関数)を,2本の導波路に離散化したものにほかならない.

(2) 固有値方程式は $\det(\mathcal{H}-E\mathbb{1})=0$ である.まず不変量を押さえておく:

$$ \Tr\mathcal{H} = \ii\gamma+(-\ii\gamma) = 0, \qquad \det\mathcal{H} = (\ii\gamma)(-\ii\gamma)-\kappa^2 = \gamma^2-\kappa^2 $$

$2\times2$ 行列の特性方程式は $E^2-(\Tr\mathcal{H})E+\det\mathcal{H}=0$ だから

$$ E^2 + (\gamma^2-\kappa^2) = 0 \quad\Longrightarrow\quad E^2 = \kappa^2-\gamma^2 \quad\Longrightarrow\quad E_\pm = \pm\sqrt{\kappa^2-\gamma^2} $$

これが求める結果である.場合分けすると

なぜ実固有値と複素共役対の2通りしかないのかは,本書6章の 6.6.4節の議論で説明がつく.$[\mathcal{H},\mathcal{PT}]=0$ かつ $\mathcal{PT}$ が反線形なので,$\mathcal{H}\ket{\psi}=E\ket{\psi}$ の両辺に $\mathcal{PT}$ を作用させると $\mathcal{H}(\mathcal{PT}\ket{\psi})=E^{*}(\mathcal{PT}\ket{\psi})$ となる.固有ベクトル自身が $\mathcal{PT}$ の固有状態であれば $E=E^{*}$ で実,そうでなければ $E$ と $E^{*}$ が対で現れる.前者が対称相,後者が破れた相である.

(3) $\gamma=\kappa$ を代入すると

$$ \mathcal{H}_{\text{EP}}=\gamma\begin{pmatrix}\ii&1\\ 1&-\ii\end{pmatrix} $$

である.トレースも行列式もゼロ($\det=\gamma^2-\gamma^2=0$)なので,固有値は $E_+=E_-=0$ の二重根である.固有ベクトルを求めよう.$\mathcal{H}_{\text{EP}}\bm{v}=0$ を成分で書くと

$$ \ii\gamma v_1 + \gamma v_2 = 0, \qquad \gamma v_1 - \ii\gamma v_2 = 0 $$

第1式から $v_2=-\ii v_1$.第2式に代入すると $\gamma v_1-\ii\gamma(-\ii v_1)=\gamma v_1-\gamma v_1=0$ となり恒等的に満たされる.2本あるはずの方程式が実質1本しかないのである.したがって固有ベクトルは

$$ \bm{v} \propto \begin{pmatrix}1\\ -\ii\end{pmatrix} $$

という1本だけであり,固有空間は1次元しかない.行列としては,代数的重複度が $2$ なのに幾何学的重複度が $1$ という欠損行列(defective matrix)になっている.実際 $\mathcal{H}_{\text{EP}}$ の階数は $1$ である(2行が比例している).

一般の $\gamma<\kappa$ での固有ベクトルを求めておくと,この合体の様子がよく見える.$\gamma=\kappa\sin\theta$($0\le\theta<\pi/2$)とおくと $E_\pm=\pm\kappa\cos\theta$ で,固有ベクトルは

$$ \bm{v}_\pm \propto \begin{pmatrix}1\\ \pm\ee^{\mp\ii\theta}\end{pmatrix} \qquad\left(\text{第2成分}=\frac{E_\pm-\ii\gamma}{\kappa}\right) $$

となる.$\theta\to\pi/2$(すなわち $\gamma\to\kappa$)の極限で $\ee^{-\ii\theta}\to-\ii$,$-\ee^{+\ii\theta}\to-\ii$ となり,2本の固有ベクトルが同じ $(1,-\ii)^{T}$ に吸い込まれていく.これが例外点(exceptional point, EP)である.

エルミート行列の縮退との違い.エルミート行列(あるいは一般に正規行列)では,固有値が縮退しても固有ベクトルは必ず縮退度の数だけ独立に存在し,しかも互いに直交するようにとれる.たとえば $\mathcal{H}=0$ という $2\times2$ の零行列は固有値 $0$ が二重だが,固有空間は2次元で,どんな2本の直交ベクトルも固有ベクトルになる.スペクトル分解が常に可能で,行列は必ず対角化できる.

これに対し EP では,固有値だけでなく固有ベクトルまでもが合体して1本になる.固有ベクトルが基底を張れないので行列は対角化不可能であり,Jordan 標準形($\begin{pmatrix}0&1\\0&0\end{pmatrix}$ の形)にしかできない.これはエルミート系には決して起こらない,非エルミート系に固有の現象である.「縮退点」というより「分岐点」と呼ぶほうが実態に近く,(4) で見るように固有値が $\sqrt{\ }$ の分岐点として振る舞う.

(4) $\kappa=\gamma(1+\delta)$ を固有値の式に代入する.

$$ E_\pm = \pm\sqrt{\kappa^2-\gamma^2} = \pm\sqrt{\gamma^2(1+\delta)^2-\gamma^2} = \pm\gamma\sqrt{(1+\delta)^2-1} $$

括弧の中を展開すると $(1+\delta)^2-1=1+2\delta+\delta^2-1=2\delta+\delta^2$ だから

$$ E_\pm = \pm\gamma\sqrt{2\delta+\delta^2} = \pm\gamma\sqrt{2\delta}\sqrt{1+\frac{\delta}{2}} $$

$\delta\ll1$ で $\sqrt{1+\delta/2}\approx1+\delta/4$ と展開すれば

$$ E_\pm \approx \pm\gamma\sqrt{2\delta}\left(1+\frac{\delta}{4}\right) = \pm\left[\gamma\sqrt{2\delta}+\frac{\gamma\delta}{4}\sqrt{2\delta}\right]+\cdots $$

したがって最低次では

$$ \boxed{\ E_\pm \approx \pm\gamma\sqrt{2\delta}\ }, \qquad \Delta E \equiv E_+-E_- = 2\gamma\sqrt{2\delta}\ \propto\ \sqrt{\delta} $$

分裂は摂動の $1/2$ 乗に比例する.

センサとして有利な理由.通常のエルミート系では,縮退した2準位に大きさ $\epsilon$ の摂動を加えると,分裂は1次摂動論から $\Delta E\propto\epsilon$ と線形になる.ところが EP の近傍では $\Delta E\propto\sqrt{\epsilon}$ である.$\epsilon\ll1$ の領域では $\sqrt{\epsilon}\gg\epsilon$ だから,微小な摂動に対する応答が通常より桁違いに大きくなる.

数値で実感しよう.$\delta=10^{-4}$ のとき,線形応答なら $10^{-4}$ の信号しか出ないが,EP なら $\sqrt{2\delta}=1.41\times10^{-2}$ となり,$141$ 倍である.$\delta=10^{-6}$ ならば $\sqrt{2\delta}=1.41\times10^{-3}$ で,比は $1414$ 倍にまで開く.摂動が小さいほど有利さが増すという点が,センサとしての魅力である.マイクロトロイド共振器を EP に調整しておき,表面に付着したナノ粒子やウイルス1個が引き起こす微小な摂動を,モード分裂として読み取る実験が報告されている.

ただし注意も必要である.EP 近傍では固有ベクトルが縮退して直交性を失うため,同時に雑音も増幅される.信号対雑音比の意味で真に得をしているかどうかは,慎重な議論が必要な論点であることを付記しておく(本書6章の 6.6.4節にも同趣旨の但し書きがある).

検算.3つの角度から確かめる.

第一に,具体的な数値で固有値を確認する.$\kappa=1$,$\gamma=0.6$ とすると $E_\pm=\pm\sqrt{1-0.36}=\pm\sqrt{0.64}=\pm0.8$ で確かに実数.$\gamma=1.4$ とすると $E_\pm=\pm\sqrt{1-1.96}=\pm\ii\sqrt{0.96}=\pm0.980\,\ii$ で確かに純虚数の共役対.(2) の場合分けと一致する.

第二に,$\mathcal{PT}$ 対称性と固有ベクトルの関係を確かめる.$\gamma=0.6,\kappa=1$(すなわち $\sin\theta=0.6$,$\cos\theta=0.8$)のとき $E_+=0.8$ の固有ベクトルは $\bm{v}_+\propto(1,\ \ee^{-\ii\theta})=(1,\ 0.8-0.6\ii)$ である.これに $\mathcal{PT}=\sigma_xK$ を作用させると $\sigma_x(1,\ 0.8+0.6\ii)^{T}=(0.8+0.6\ii,\ 1)^{T}$ で,これは $(0.8+0.6\ii)\times(1,\ 0.8-0.6\ii)^{T}$ に等しい($(0.8+0.6\ii)(0.8-0.6\ii)=0.64+0.36=1$ を使った).固有ベクトルは確かに $\mathcal{PT}$ の固有状態(固有値は絶対値 $1$ の位相因子)になっており,だから固有値が実なのである.一方 $\gamma>\kappa$ の破れた相で同じことを試すと,$\mathcal{PT}$ は一方の固有ベクトルを他方に移してしまい,固有状態にならない.(2) で述べた一般論が具体的に確認できた.

第三に,(4) の展開を厳密式と比べる.$\delta=10^{-4}$,$\gamma=1$ のとき厳密には $E_+=\sqrt{2\times10^{-4}+10^{-8}}=1.41425\times10^{-2}$,近似式では $\sqrt{2\delta}=1.41421\times10^{-2}$ で,相対差は $2.5\times10^{-5}$(すなわち $\delta/4$)である.展開の次の項が $\delta/4$ の相対補正であることと一致しており,計算に誤りがない.

意味.この問題は,本書6章を通じて何度も現れた「$\mathcal{PT}$」というキーワードの,最も具体的な現れである.そして重要なのは,まったく同じ数学が素粒子物理にも現れているという点である.本書6章の 6.4.5節で見た中性 $K$ 中間子の有効ハミルトニアン

$$ \mathcal{H}_{\text{eff}} = M-\frac{\ii}{2}\Gamma $$

は,$M$ も $\Gamma$ もエルミートだがその組合せは非エルミートという,本問の $\mathcal{H}$ とまったく同じ型の $2\times2$ 行列である.固有値の実部の差が振動数($\Delta m$),虚部の差が減衰率の差($\Delta\Gamma$)を与える構造も共通している.演習6.5 で解いた $K^0$–$\bar K^0$ 振動と,本問の2本の導波路間のビートは,同じ方程式の別の顔にすぎない.

材料科学の側では,この枠組みは急速に広がっている.励起子ポラリトン,散逸のあるキャビティ QED,音響メタマテリアル,$RLC$ 回路,非エルミートスキン効果とトポロジカルバンドの複素巻き数 —— いずれも「開放系の有効ハミルトニアンが非エルミートになる」という同じ出発点をもつ.エルミート性は実固有値の十分条件ではあっても必要条件ではなかった,という Bender–Boettcher の指摘が,20年余りで一つの分野を作った.素粒子物理で $\mathcal{P}$ と $\mathcal{T}$ を分解して考える訓練が,そのまま非エルミート物理の道具になっているのである.

E.7 第7章 束縛状態 — 水素からハドロンまで の解答

演習7.1 微細構造の分裂を計算する

問題(再掲)

本書7章の微細構造の公式を使う.$\alpha^2 = 5.3251\times10^{-5}$,$\mathrm{Ry}=13.606\ \mathrm{eV}$ とせよ.

(1) $n=1$($1S_{1/2}$)の微細構造補正を eV 単位で求めよ.基底状態のエネルギーは補正込みでいくらか.

(2) $n=3$ の準位は $j=1/2,3/2,5/2$ の3本に分かれる.$3D_{5/2}$ と $3P_{1/2}$ のエネルギー差を GHz 単位で求めよ.

(3) 微細構造の大きさが $n$ とともにどうスケールするか($n=2$ と $n=3$ の最大分裂幅の比)を述べよ.

解答

方針.本書7章で導いた微細構造の公式

$$ E_{nj} = E_n\left[1 + \frac{\alpha^2}{n^2}\left(\frac{n}{j+\tfrac12}-\frac34\right)\right], \qquad E_n = -\frac{\mathrm{Ry}}{n^2} $$

を機械的に適用するだけである.要点は3つある.第一に,補正項は $\ell$ にも $s$ にも依らず,全角運動量 $j$ だけの関数である(相対論補正・スピン軌道結合・Darwin 項の $\ell$ 依存性が打ち消し合った結果である).第二に,$E_n$ 自身が負なので,角括弧の中身が正であれば補正は下向き(束縛が深くなる向き)である.第三に,エネルギーを振動数に直すには Planck 定数 $h = 4.13567\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}$ で割る.以下ではこの3点を繰り返し使う.

(1) $n=1$ では $\ell=0$ しかないので $j=1/2$ の1本だけである.角括弧の補正部分は

$$ \frac{\alpha^2}{n^2}\left(\frac{n}{j+\tfrac12}-\frac34\right) = \frac{5.3251\times10^{-5}}{1}\left(\frac{1}{1}-\frac34\right) = 5.3251\times10^{-5}\times 0.25 = 1.3313\times10^{-5} $$

である.$E_1 = -13.606\ \mathrm{eV}$ を掛けると,微細構造による補正量は

$$ \Delta E_{1,\,1/2} = E_1\times1.3313\times10^{-5} = -13.606\times1.3313\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = -1.8113\times10^{-4}\ \mathrm{eV} $$

となる.負であるから基底状態はわずかに深くなる.補正込みのエネルギーは

$$ E(1S_{1/2}) = -13.606 - 0.00018113 = -13.606181\ \mathrm{eV} $$

である.すなわち有効数字6桁目でようやく効いてくる大きさで,相対的な大きさは $1.33\times10^{-5}$,$\alpha^2$ のオーダーそのものである.振動数に直すと $1.8113\times10^{-4}/4.13567\times10^{-15} = 4.38\times10^{10}\ \mathrm{Hz} = 43.8\ \mathrm{GHz}$ に相当する.$n=1$ では分裂する相手がいないので,これは「分裂幅」ではなく Bohr 準位全体のずれである点に注意したい.

(2) $n=3$ では $\ell=0,1,2$,したがって $j=1/2,3/2,5/2$ の3本になる.まず共通因子を用意する:

$$ E_3 = -\frac{13.606}{9} = -1.51178\ \mathrm{eV}, \qquad \frac{\alpha^2}{n^2} = \frac{5.3251\times10^{-5}}{9} = 5.9168\times10^{-6} $$

次に $j$ ごとに角括弧の $\left(\dfrac{n}{j+\frac12}-\dfrac34\right)$ を計算する:

$$ j=\tfrac12:\ \frac{3}{1}-\frac34 = 2.25, \qquad j=\tfrac32:\ \frac{3}{2}-\frac34 = 0.75, \qquad j=\tfrac52:\ \frac{3}{3}-\frac34 = 0.25 $$

したがって各準位の補正量は

$$ \Delta E(3P_{1/2}) = -1.51178\times5.9168\times10^{-6}\times2.25 = -2.0126\times10^{-5}\ \mathrm{eV} $$ $$ \Delta E(3D_{5/2}) = -1.51178\times5.9168\times10^{-6}\times0.25 = -2.2362\times10^{-6}\ \mathrm{eV} $$

である.求める差は

$$ E(3D_{5/2})-E(3P_{1/2}) = (-2.2362\times10^{-6})-(-2.0126\times10^{-5}) = 1.7890\times10^{-5}\ \mathrm{eV} $$

で,$3D_{5/2}$ のほうが高い($j$ が大きいほど補正が小さく,準位が上にくる).振動数に直すと

$$ \nu = \frac{1.7890\times10^{-5}\ \mathrm{eV}}{4.13567\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}} = 4.326\times10^{9}\ \mathrm{Hz} = 4.33\ \mathrm{GHz} $$

である.波長にすると $c/\nu = 6.9\ \mathrm{cm}$ のマイクロ波であり,$n=2$ の $10.95\ \mathrm{GHz}$(波長 $2.7\ \mathrm{cm}$)より低い周波数になる.

(3) 一般の $n$ で,最大の分裂幅は $j$ の最小値 $1/2$ と最大値 $n-1/2$ の差である.角括弧の差をとると

$$ \left(\frac{n}{1}-\frac34\right)-\left(\frac{n}{n}-\frac34\right) = n-1 $$

となり,$3/4$ の項は差では消える.したがって

$$ \Delta E_{\max}(n) = \abs{E_n}\frac{\alpha^2}{n^2}(n-1) = \mathrm{Ry}\,\alpha^2\,\frac{n-1}{n^4} $$

である.$n=2$ と $n=3$ で比をとると

$$ \frac{\Delta E_{\max}(2)}{\Delta E_{\max}(3)} = \frac{(2-1)/2^4}{(3-1)/3^4} = \frac{1/16}{2/81} = \frac{81}{32} = 2.53125 $$

数値でも確かめておく.$n=2$ では $\Delta E_{\max} = 13.606\times5.3251\times10^{-5}\times1/16 = 4.5283\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$($= 10.95\ \mathrm{GHz}$),$n=3$ では (2) で得た $1.7890\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$.比は $4.5283/1.7890 = 2.531$ であり,公式と完全に一致する.

大きな $n$ では $\Delta E_{\max}\simeq \mathrm{Ry}\,\alpha^2/n^3$ となり,準位間隔 $\abs{E_n}\propto n^{-2}$ より1つ速く $n^{-3}$ で縮む.すなわち高い準位ほど微細構造は絶対値でも相対値でも小さくなる.Rydberg 状態で微細構造が見えにくいのはこのためである.

検算.次元と桁を独立に確かめる.微細構造は $O(\alpha^4 m_e)$ の量であり,$\alpha^4m_ec^2 = 1.449\times10^{-3}\ \mathrm{eV}$ である.一方 (1) で得た $n=1$ の補正 $1.81\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ は,これを $\alpha^4m_ec^2/8 = 1.81\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ と比べるとぴったり一致する.実際 $\mathrm{Ry}\,\alpha^2 = \tfrac12\alpha^2m_ec^2\times\alpha^2 = \tfrac12\alpha^4m_ec^2$ であり,これに $0.25$ を掛ければ $\tfrac18\alpha^4 m_ec^2$ になるからである.公式を経由せずにオーダー評価からも同じ数が出た.さらに (3) の $n=2$ の値 $10.95\ \mathrm{GHz}$ は,本書7章の数値例および実測値 $10.969\ \mathrm{GHz}$ と $0.2\%$ で一致しており,計算経路が正しいことを裏づけている.

意味.微細構造は「準位が $j$ でしか区別されない」という強い縮退を残す.同じ $n$,同じ $j$ なら $\ell$ が違っても厳密に同じエネルギーになる($2S_{1/2}$ と $2P_{1/2}$ など).この残った縮退を破るのが Lamb シフト,すなわち真空の量子ゆらぎであり,演習7.2 の主題である.「どの縮退がどの物理で破れるか」を階層的に読む態度は,材料科学における結晶場分裂の読み方とまったく同じである.立方対称場が $d$ 軌道を $t_{2g}$ と $e_g$ に割り,さらに Jahn–Teller 歪みが $t_{2g}$ を割る.そのつど新しい相互作用が顔を出す,という構造は水素原子と共通である.

演習7.2 真空偏極と Lamb シフト

問題(再掲)

本書7章の Uehling ポテンシャルを使う.

(1) 水素の $1S$ 状態への真空偏極シフトを MHz 単位で求めよ.$n$ 依存性はどうなっているか.

(2) 陽子の有限サイズによるシフトは $\Delta E = \tfrac{2\pi\alpha}{3}r_p^2\abs{\psi(0)}^2$ で与えられる(陽子内部では Coulomb ポテンシャルが浅くなるため).$r_p = 0.84\ \mathrm{fm}$ として水素の $2S$ でのシフトを MHz で求めよ.

(3) 同じ量をミュオン水素($\mu^-p$)について求めよ.$\mu\to185.8\,m_e$ で $\abs{\psi(0)}^2$ が $(185.8)^3$ 倍になることに注意.なぜ $r_p$ の精密決定にミュオン水素が使われるのか説明せよ.

解答

方針.(1) と (2) は形が同じである.どちらも実効ポテンシャルが $\delta^3(\bm{r})$ 型の接触項であり,期待値は $\abs{\psi(0)}^2$ を拾うだけである.本書7章のとおり

$$ \abs{\psi_{n00}(0)}^2 = \frac{1}{\pi n^3 a^3}, \qquad a = \frac{1}{\mu\alpha} $$

であり,$\ell\ne0$ では $\psi(0)=0$ なので $s$ 波にしか効かない.自然単位系($\hbar=c=1$)で計算し,最後に $\hbar c = 0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ と $h = 4.13567\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,s}$ で実用単位に直す.鍵になるのは,接触項の期待値が $\abs{\psi(0)}^2\propto\mu^3$ を通じて換算質量の3乗に比例することである.(3) はこの一点に尽きる.

(1) Uehling 項は

$$ \delta V_{\text{VP}}(\bm{r}) = -\frac{4\alpha^2}{15\,m_e^2}\,\delta^3(\bm{r}) $$

であった.期待値をとる.$\mu\simeq m_e$,$a = 1/(m_e\alpha)$ だから $\abs{\psi_{n00}(0)}^2 = m_e^3\alpha^3/(\pi n^3)$ であり

$$ \Delta E_{\text{VP}} = -\frac{4\alpha^2}{15 m_e^2}\cdot\frac{m_e^3\alpha^3}{\pi n^3} = -\frac{4}{15\pi}\,\frac{\alpha^5 m_e}{n^3} $$

となる.$\alpha^5m_ec^2 = 1.05742\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$ と,係数 $4/(15\pi) = 0.084883$ を使う.$n=1$ では

$$ \Delta E_{\text{VP}}(1S) = -0.084883\times1.05742\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = -8.9756\times10^{-7}\ \mathrm{eV} $$ $$ \nu = \frac{8.9756\times10^{-7}}{4.13567\times10^{-15}} = 2.170\times10^{8}\ \mathrm{Hz} \quad\Longrightarrow\quad \Delta E_{\text{VP}}(1S) = -217.0\ \mathrm{MHz} $$

$n$ 依存性は式の形からただちに $\Delta E_{\text{VP}}\propto n^{-3}$ である.これは $\abs{\psi_{n00}(0)}^2\propto n^{-3}$ そのものであり,接触型の相互作用に共通の依存性である.念のため $n=2$ を計算すると $-217.0/8 = -27.1\ \mathrm{MHz}$ となり,本書7章の $2S$ の値と一致する.

符号が負であること,すなわち真空偏極が $s$ 波準位を下げることも確認しておきたい.真空の $e^+e^-$ 対が核電荷を遮蔽しているので,核に近づくほど遮蔽が剥がれて裸の電荷が見え,引力が増すからである.したがって $2S$–$2P_{1/2}$ の Lamb シフト($2S$ が上)に対しては,真空偏極は逆向きに効いている.正味 $+1058\ \mathrm{MHz}$ を作る主役は自己エネルギー項($+1010\ \mathrm{MHz}$)と異常磁気能率($+68\ \mathrm{MHz}$)で,これに高次補正($+7\ \mathrm{MHz}$)と陽子の有限サイズ($+0.15\ \mathrm{MHz}$,(2) で計算する)が加わる.本書7章の表7.1 のとおり総和は $1010+68+7-27.1+0.15 = 1058.1\ \mathrm{MHz}$ で,実測 $1057.845(9)\ \mathrm{MHz}$ と合う.真空偏極だけが符号の違う寄与である点を押さえておきたい.

(2) まず与えられた式の出どころを確認しておく.陽子を点電荷ではなく広がった電荷分布とみなすと,内部では Coulomb ポテンシャルが $-\alpha/r$ より浅くなる.その差 $\delta V = V_{\text{有限}}-V_{\text{点}}$ は陽子の内部だけで効くので,電子の波動関数のスケール($a_0\sim10^5\ \mathrm{fm}$)から見れば完全な接触項である.一般の電荷分布に対して

$$ \Delta E = \abs{\psi(0)}^2\int\dd^3r\,\delta V(\bm{r}) = \frac{2\pi\alpha}{3}\braket{r^2}\abs{\psi(0)}^2 $$

となり,$r_p^2\equiv\braket{r^2}$ は二乗平均電荷半径である.期待値を代入すると

$$ \Delta E = \frac{2\pi\alpha}{3}\,r_p^2\cdot\frac{m_e^3\alpha^3}{\pi n^3} = \frac{2}{3}\,\frac{\alpha^4 m_e^3 r_p^2}{n^3} $$

という,ヒントの形が出る.数値を入れる.自然単位系に直すと

$$ r_p = 0.84\ \mathrm{fm} = \frac{0.84}{0.197327}\ \mathrm{GeV^{-1}} = 4.2569\ \mathrm{GeV^{-1}}, \qquad r_p^2 = 18.121\ \mathrm{GeV^{-2}} $$ $$ m_e = 5.10999\times10^{-4}\ \mathrm{GeV}, \qquad m_e^3 = 1.33434\times10^{-10}\ \mathrm{GeV^3}, \qquad \alpha^4 = 2.83571\times10^{-9} $$

$n=2$ を代入して

$$ \Delta E = \frac{2}{3}\times\frac{2.83571\times10^{-9}\times1.33434\times10^{-10}\times18.121}{8}\ \mathrm{GeV} = 5.714\times10^{-19}\ \mathrm{GeV} $$ $$ = 5.714\times10^{-10}\ \mathrm{eV} = \frac{5.714\times10^{-10}}{4.13567\times10^{-15}}\ \mathrm{Hz} = 1.38\times10^{5}\ \mathrm{Hz} = 0.14\ \mathrm{MHz} $$

符号は正である(浅くなる=束縛が弱まる=準位が上がる).本書7章の表7.1 で「陽子の有限サイズ $+0.15\ \mathrm{MHz}$」とされているものに対応する.Lamb シフト全体 $1058\ \mathrm{MHz}$ に占める割合は $0.14/1058 = 1.3\times10^{-4}$,すなわち1万分の1にすぎない.

(3) ミュオン水素では換算質量が

$$ \mu = \frac{m_\mu m_p}{m_\mu+m_p} = \frac{105.658\times938.272}{105.658+938.272}\ \mathrm{MeV} = 94.96\ \mathrm{MeV} = 185.8\,m_e $$

となる.接触項は $\abs{\psi(0)}^2\propto\mu^3$ だから,シフトはそのまま $(185.8)^3 = 6.414\times10^{6}$ 倍になる:

$$ \Delta E(\mu^-p,\ 2S) = 5.714\times10^{-10}\times6.414\times10^{6}\ \mathrm{eV} = 3.665\times10^{-3}\ \mathrm{eV} = 3.67\ \mathrm{meV} $$ $$ \nu = \frac{3.665\times10^{-3}}{4.13567\times10^{-15}} = 8.86\times10^{11}\ \mathrm{Hz} = 0.89\ \mathrm{THz} $$

ここで肝心なのは,絶対値が $6.4\times10^{6}$ 倍になっただけでなく,測定する分裂幅に占める割合が跳ね上がることである.ミュオン水素の $2S$–$2P_{1/2}$ 分裂(Lamb シフト)は約 $202\ \mathrm{meV}$ であり,そのうち陽子サイズ項が $3.7\ \mathrm{meV}$,すなわち $1.8\%$ を占める.通常の水素では $0.14/1058 = 0.013\%$ でしかない.比をとれば

$$ \frac{1.8\ \%}{0.013\ \%} \simeq 1.4\times10^{2} $$

で,同じ相対精度で分光すれば $r_p^2$ が $10^2$ 倍精密に決まる.物理的な理由は簡単で,ミュオンの Bohr 半径 $a_\mu = a_0/185.8 = 285\ \mathrm{fm}$ が陽子半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ に $200$ 倍近づくため,ミュオンが陽子の内部にいる時間の割合が桁違いに大きいのである.

実際 $2010$ 年の Pohl らのミュオン水素レーザー分光は $r_p = 0.8418\ \mathrm{fm}$ を与え,当時の通常水素と電子散乱に基づく CODATA 値 $0.8768\ \mathrm{fm}$ と $5\sigma$ で食い違った.これが陽子半径パズルである.その後,通常水素の新しい $2S$–$4P$ 分光や電子散乱の再解析が小さい値を支持し,現在の推奨値はミュオン水素側に寄っている.

検算.3通りで確かめる.第一に,(1) の $n=2$ の値 $-27.1\ \mathrm{MHz}$ は本書7章の導出と文献値に一致する.第二に,(2) の結果を文献の経験式と比べる.ミュオン水素の有限サイズ項は $\Delta E = 5.226\,r_p^2\ \mathrm{meV\,fm^{-2}}$ と知られており,$r_p=0.84\ \mathrm{fm}$ なら $5.226\times0.7056 = 3.69\ \mathrm{meV}$ である.本問の非相対論的計算 $3.67\ \mathrm{meV}$ は $0.6\%$ で一致する.第三に次元を見る.$\alpha^4m_e^3r_p^2$ は $[\text{質量}]^3\times[\text{長さ}]^2 = [\text{質量}]^3[\text{質量}]^{-2} = [\text{質量}]$ で,確かにエネルギーの次元をもつ.

意味.この演習の教訓は「プローブの波動関数を測りたい対象に押し込め」という一言に尽きる.接触項は $\abs{\psi(0)}^2\propto\mu^3$ に比例するので,重いプローブを使えば感度が3乗で効く.材料科学でまったく同じ論理が働く例が $\mu$SR(ミュオンスピン回転)と Mössbauer 分光である.Mössbauer の異性体シフトは $\delta\propto\abs{\psi(0)}^2\Delta\braket{r_N^2}$ で,核半径の変化を電子密度で読み出す.$s$ 電子だけが効くこと,核サイズという「内部構造」を分光で読むこと,どちらも本問と同一の構造である.素粒子物理の陽子半径パズルと,Fe の酸化状態を決める Mössbauer 測定は,同じ式の別の使い方なのである.

演習7.3 ポジトロニウムの寿命と消滅チャンネル

問題(再掲)

(1) $\Gamma(\text{para}) = \tfrac12\alpha^5 m_e$ を出発点に,寿命を ps 単位で求めよ($\hbar = 6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$).

(2) $n=2$ の para-Ps($2^1S_0$)の消滅寿命はいくらか.$\abs{\psi_{n00}(0)}^2\propto n^{-3}$ を使え.

(3) 磁場をかけると $1^3S_1$ の $m=0$ 成分と $1^1S_0$ が混じり合い,ortho の一部が $2\gamma$ 崩壊するようになる(磁場消光).混合角を $\theta$ として,混ざった状態の $2\gamma$ 崩壊率が $\Gamma_{2\gamma}\sin^2\theta$ になることを説明せよ.そのうえで,これがなぜ物質中で o-Ps の寿命が短くなる(ピックオフ消滅)ことと似た効果になるかを述べよ.

(4) para-Ps が $3\gamma$ に,ortho-Ps が $2\gamma$ に崩壊できない理由を,$C$ 量子数を使って1行で述べよ.

解答

方針.(1)(2) は単なる単位換算とスケーリングである.消滅率が $\abs{\psi(0)}^2$ に比例するという一点だけで (2) は片づく.(3) は2準位系の混合という,量子力学でもっともよく使う道具である.重要なのは「$2\gamma$ 終状態への振幅をもつのは一重項成分だけである」という選択則で,これは (4) の $C$ 保存そのものである.すなわち (3) と (4) は同じ物理の裏表である.

(1) 本書7章のとおり

$$ \Gamma(\text{para}) = 4\pi\frac{\alpha^2}{m_e^2}\abs{\psi(0)}^2 = \frac{1}{2}\alpha^5 m_e $$

である.まず中央の表式から右辺が出るところを確かめておく.Ps の Bohr 半径は換算質量 $\mu = m_e/2$ で決まるので $a_{\text{Ps}} = 1/(\mu\alpha) = 2/(m_e\alpha)$ であり,水素の $2$ 倍に広がっている.したがって

$$ \abs{\psi_{100}(0)}^2 = \frac{1}{\pi a_{\text{Ps}}^3} = \frac{1}{\pi}\left(\frac{m_e\alpha}{2}\right)^3 = \frac{\alpha^3m_e^3}{8\pi} $$

これを代入すると

$$ 4\pi\frac{\alpha^2}{m_e^2}\cdot\frac{\alpha^3m_e^3}{8\pi} = \frac{4}{8}\,\alpha^5m_e = \frac12\alpha^5m_e $$

となり,確かに一致する.消滅率が $\abs{\psi(0)}^2\propto\mu^3$ を拾うという,演習7.2 の接触項とまったく同じ構造がここでも効いている.次に数値を入れる.$\alpha^5 m_ec^2 = (7.29735\times10^{-3})^5\times5.10999\times10^{5}\ \mathrm{eV} = 1.05742\times10^{-5}\ \mathrm{eV}$ だから

$$ \Gamma = \frac12\times1.05742\times10^{-5}\ \mathrm{eV} = 5.2871\times10^{-6}\ \mathrm{eV} $$

寿命は $\tau = \hbar/\Gamma$ である(自然単位系で $\tau = 1/\Gamma$,実用単位に戻すと $\hbar$ が付く):

$$ \tau(\text{para}) = \frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{5.2871\times10^{-6}\ \mathrm{eV}} = 1.2449\times10^{-10}\ \mathrm{s} = 124.5\ \mathrm{ps} $$

実測 $125.14(2)\ \mathrm{ps}$ に対し $0.5\%$ の一致である.残差は $O(\alpha)$ の QED 補正で説明がつく.para-Ps の1ループ補正は

$$ \Gamma = \Gamma_0\left[1-\left(5-\frac{\pi^2}{4}\right)\frac{\alpha}{\pi}+\cdots\right], \qquad 5-\frac{\pi^2}{4} = 2.5326 $$

で与えられる.$\alpha/\pi = 2.3228\times10^{-3}$ だから補正は $2.5326\times2.3228\times10^{-3} = 5.883\times10^{-3}$,すなわち $\Gamma$ を $0.59\%$ 下げ,寿命を同じだけ延ばす:

$$ \tau = \frac{124.49\ \mathrm{ps}}{1-5.883\times10^{-3}} = 125.23\ \mathrm{ps} $$

実測 $125.14\ \mathrm{ps}$ との差は $0.07\%$ にまで縮む.$\alpha$ を1つ足すだけでずれが $7$ 分の1になったわけで,摂動展開が期待どおり効いていることが確認できる.なお $\Gamma\propto\alpha^5$ という指数の内訳は,$\abs{\psi(0)}^2\propto(\mu\alpha)^3$(束縛の強さ)と消滅断面積側の $\alpha^2$(2つの光子頂点)の積である.

(2) 消滅は $e^+$ と $e^-$ が同じ点にいることを要求するので,崩壊率は必ず $\abs{\psi(0)}^2$ に比例する.一方 $\abs{\psi_{n00}(0)}^2 = 1/(\pi n^3 a_{\text{Ps}}^3)\propto n^{-3}$ である.$\alpha^2/m_e^2$ の因子(自由な $e^+e^-$ の消滅断面積に由来する部分)は束縛状態の詳細に依らないので,比はそのまま

$$ \frac{\Gamma(2^1S_0)}{\Gamma(1^1S_0)} = \frac{\abs{\psi_{200}(0)}^2}{\abs{\psi_{100}(0)}^2} = \frac{2^{-3}}{1^{-3}} = \frac{1}{8} $$

となる.したがって

$$ \tau(2^1S_0) = 8\times124.5\ \mathrm{ps} = 996\ \mathrm{ps} \simeq 1.0\ \mathrm{ns} $$

ついでに ortho の $n=2$ も同じ論理で $8\times138.7\ \mathrm{ns} = 1.11\ \mu\mathrm{s}$ になる.なお $2S$ は $1S$ への電気双極子遷移が禁止された準安定状態であり,放射崩壊で $1S$ に落ちる経路が抑えられているので,この「純粋な消滅寿命」が実際に観測にかかる量になる.

(3) 混合の起源.一様磁場 $\bm{B} = B\hat{z}$ の中で,Ps のスピンに働く Zeeman 項は

$$ H_Z = -(\bm{\mu}_{e^-}+\bm{\mu}_{e^+})\cdot\bm{B} = g\mu_B B\left(S_z^{(-)}-S_z^{(+)}\right) $$

である.$e^-$ と $e^+$ は電荷が逆なので磁気モーメントの符号が逆になり,2つのスピン演算子の差が現れる点が肝心である.差の演算子は2粒子の入れ替えに対して反対称だから,対称な三重項と反対称な一重項をつなぐ.実際

$$ \left(S_z^{(-)}-S_z^{(+)}\right)\ket{\uparrow\downarrow} = +\ket{\uparrow\downarrow}, \qquad \left(S_z^{(-)}-S_z^{(+)}\right)\ket{\downarrow\uparrow} = -\ket{\downarrow\uparrow} $$

であるから,$\ket{1,0} = (\ket{\uparrow\downarrow}+\ket{\downarrow\uparrow})/\sqrt2$,$\ket{0,0} = (\ket{\uparrow\downarrow}-\ket{\downarrow\uparrow})/\sqrt2$ に対して

$$ \bra{0,0}H_Z\ket{1,0} = g\mu_B B $$

となる.$m=\pm1$ の三重項成分は相手がいないので混じらない.$\{\ket{1,0},\ket{0,0}\}$ の2次元部分空間で Hamiltonian は

$$ H = \begin{pmatrix} E_t & g\mu_B B \\ g\mu_B B & E_s \end{pmatrix}, \qquad \Delta E_{\text{hf}} = E_t-E_s = \tfrac{7}{12}\alpha^4m_e $$

という $2\times2$ 行列になり,固有状態は

$$ \ket{+} = \cos\theta\ket{1,0}+\sin\theta\ket{0,0}, \qquad \tan2\theta = \frac{2g\mu_B B}{\Delta E_{\text{hf}}} = \frac{4\mu_B B}{\Delta E_{\text{hf}}}\quad(g=2) $$

と書ける.$\theta$ が求める混合角である.

なぜ崩壊率が $\sin^2\theta$ になるか.$2\gamma$ 終状態は $C=+1$ をもつ.電磁相互作用は $C$ を保存するから,遷移演算子 $T_{2\gamma}$ の行列要素は $C=+1$ の始状態からしか立たない:

$$ \bra{2\gamma}T\ket{1,0} = 0 \qquad(\because\ C(\ket{1,0})=-1), \qquad \bra{2\gamma}T\ket{0,0} \ne 0 $$

したがって混合状態の振幅は

$$ \bra{2\gamma}T\ket{+} = \cos\theta\underbrace{\bra{2\gamma}T\ket{1,0}}_{=0} + \sin\theta\,\bra{2\gamma}T\ket{0,0} = \sin\theta\,\bra{2\gamma}T\ket{0,0} $$

となり,率は振幅の二乗だから

$$ \Gamma_{2\gamma}(\ket{+}) = \abs{\sin\theta}^2\,\Gamma_{2\gamma}(\text{para}) = \Gamma_{2\gamma}\sin^2\theta $$

が出る.$2\gamma$ と $3\gamma$ は直交する終状態なので干渉せず,全崩壊率は単純な和 $\Gamma = \sin^2\theta\,\Gamma_{2\gamma}+\cos^2\theta\,\Gamma_{3\gamma}$ である.

数値を入れてみる.$\mu_B = 5.7884\times10^{-5}\ \mathrm{eV/T}$,$\Delta E_{\text{hf}} = 8.453\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ とすると,$B=1\ \mathrm{T}$ で

$$ \tan2\theta = \frac{4\times5.7884\times10^{-5}}{8.453\times10^{-4}} = 0.2739 \ \Longrightarrow\ \theta = 0.1337\ \mathrm{rad}, \quad \sin^2\theta = 1.78\times10^{-2} $$ $$ \Gamma = 0.0178\times\frac{1}{124.5\ \mathrm{ps}}+0.9822\times\frac{1}{138.7\ \mathrm{ns}} \ \Longrightarrow\ \tau = 6.7\ \mathrm{ns} $$

わずか $1.8\%$ の一重項混合で,寿命が $138.7\ \mathrm{ns}$ から $6.7\ \mathrm{ns}$ へと $20$ 倍も縮む.一重項の崩壊率が $1100$ 倍大きいからである.

ピックオフ消滅との類似.物質中では,o-Ps 中の $e^+$ が,相棒の $e^-$ ではなく壁の電子と出会って消滅する.このとき $e^+$ と外部電子の対のスピン状態は互いに無相関だから,統計的に $1/4$ の確率で一重項配置になり,その配置は $2\gamma$ で速やかに消える.すなわち

$$ \Gamma_{\text{pick-off}} \simeq \frac14\,\Gamma_{2\gamma}^{\text{自由}}\times(\text{壁の電子密度との重なり}) $$

という形になる.磁場消光では同じ相棒との内部状態に一重項成分 $\sin^2\theta$ が生じ,ピックオフでは別の相棒との組み合わせに一重項成分 $1/4$ が生じる.起源は違うが,効果はどちらも「速い $2\gamma$ チャンネルが,小さな一重項ウエイトを介して開く」ことであり,観測される o-Ps 寿命の短縮として同じ形で現れる.Tao–Eldrup 式(演習7.4)が空隙半径 $R$ の関数として与えているのは,まさにこの「重なり」の部分である.

(4) $n$ 個の光子の状態は $C = (-1)^n$,$e^+e^-$ 束縛状態は $C = (-1)^{L+S}$ をもつ.$1S$ では $C(\text{para}) = (-1)^{0+0} = +1 = C(2\gamma)$,$C(\text{ortho}) = (-1)^{0+1} = -1 = C(3\gamma)$ であり,電磁相互作用は $C$ を保存するので,para は偶数個,ortho は奇数個の光子にしか崩壊できない(ortho の $1\gamma$ は運動量保存で禁止されるので最小が $3\gamma$).

この1行の背後を補っておく.$C(\gamma)=-1$ なのは,電磁場が電流 $j^\mu$ に結合し,$C$ が電荷の符号を反転させて $j^\mu\to-j^\mu$ とするからである.よって $n$ 光子系は $(-1)^n$ をもつ.一方フェルミオン・反フェルミオン対の $C=(-1)^{L+S}$ は,粒子と反粒子を入れ替える操作が「空間反転 $(-1)^L$」・「スピンの交換 $(-1)^{S+1}$」・「フェルミオン交換の符号 $(-1)$」の積であることから出る(第6章).積は $(-1)^{L+S+2}=(-1)^{L+S}$ である.

つまり本問の選択則は,$C$ という離散対称性ひとつで2つの崩壊チャンネルが完全に分離されるという主張であり,$\alpha$ の1つぶんの寿命差($1100$ 倍)はその帰結にすぎない.禁止の度合いは実験でも押さえられていて,o-Ps の $2\gamma$ 分岐比には $10^{-6}$ 台の上限がついている.この分離が厳密であればこそ,(3) の「一重項の混入率 $\sin^2\theta$ だけが $2\gamma$ を開く」という議論が成り立ち,PALS で長寿命の $\tau_3$ 成分を o-Ps 由来と同定できるのである.

検算.(1) の $\Gamma$ から独立に寿命比を出してみる.本書7章の $\Gamma(\text{ortho}) = 0.06151\,\alpha^6m_e$ と $\Gamma(\text{para}) = 0.5\,\alpha^5m_e$ の比は

$$ \frac{\tau_{\text{ortho}}}{\tau_{\text{para}}} = \frac{0.5}{0.06151\times\alpha} = \frac{0.5}{0.06151\times7.2974\times10^{-3}} = 1114 $$

で,$124.5\ \mathrm{ps}\times1114 = 138.7\ \mathrm{ns}$.表7.2 の値と一致する.また (3) の数値例で $B\to0$ とすると $\theta\to0$,$\tau\to138.7\ \mathrm{ns}$ に戻り,$B\to\infty$ では $\theta\to\pi/4$,$\sin^2\theta\to1/2$ となって $\tau\to2\times124.5\ \mathrm{ps} = 249\ \mathrm{ps}$ に飽和する.両極限とも物理的に正しい振る舞いである.

意味.$\alpha$ が1つ増えるだけで寿命が $10^3$ 倍違う,という QED の階層が,そのまま材料計測の分解能になっている.para の $125\ \mathrm{ps}$ は装置の時間分解能($150$–$200\ \mathrm{ps}$ FWHM)に埋もれるが,ortho の $142\ \mathrm{ns}$ は悠々と分離できる.だから高分子や多孔質材料の自由体積は「第3成分 $\tau_3$」として単独で読み出せるのである.さらに (3) の磁場消光は実務上も使われる技法で,磁場をかけて $\tau_3$ 成分が縮むかどうかを見れば,その長寿命成分が本当に o-Ps 由来か,それとも別の捕獲状態かを判定できる.素粒子の選択則が,そのまま測定の系統誤差を潰す道具になっている.

演習7.4 PALS で欠陥濃度と自由体積を求める

問題(再掲)

(1) 中性子照射した鉄の PALS 測定で,$\tau_1 = 80\ \mathrm{ps}$,$\tau_2 = 175\ \mathrm{ps}$,$I_2 = 0.45$ が得られた.完全結晶の寿命を $\tau_b = 106\ \mathrm{ps}$ として,捕獲率 $\kappa$ を本書7章の2状態捕獲模型の式から求めよ.

(2) 鉄の比捕獲率を $\mu_v = 1.1\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)として,単空孔濃度 $C_v$ を ppm 単位で求めよ.

(3) $\tau_1 = 1/(\lambda_b+\kappa)$ が (1) の $\kappa$ と整合しているか確かめよ.

(4) 別の高分子試料で第3成分 $\tau_3 = 2.5\ \mathrm{ns}$,$I_3 = 22\%$ が観測された.Tao–Eldrup 式を数値的に解いて自由体積の半径 $R$ と体積 $\tfrac43\pi R^3$ を求めよ.

解答

方針.(1)–(3) は本書7章の2状態捕獲模型

$$ \tau_1 = \frac{1}{\lambda_b+\kappa}, \qquad \tau_2 = \frac{1}{\lambda_v} = \tau_v, \qquad \kappa = \frac{I_2}{I_1}\left(\frac{1}{\tau_b}-\frac{1}{\tau_v}\right) = \mu_v C_v $$

を,与えられた数値に当てはめるだけである.測定から直接得られるのは $(\tau_1,\tau_2,I_2)$ の3つで,$\tau_b$ は別途(無欠陥の参照試料や理論計算から)与える.$\tau_1$ は「捕獲によって食われた」バルク成分なので,必ず $\tau_1<\tau_b$ になる点に注意する.したがって (3) は独立な整合性チェックとして働く.(4) は超越方程式なので数値的に解く.

(1) まず $I_1 = 1-I_2 = 0.55$ である.$\tau_2 = \tau_v = 175\ \mathrm{ps}$ が単空孔の寿命(表7.3 の Fe の $\tau_{1V}=175\ \mathrm{ps}$ とぴたり一致するので,欠陥は単空孔と同定できる).消滅率を計算する:

$$ \lambda_b = \frac{1}{\tau_b} = \frac{1}{106\times10^{-12}\ \mathrm{s}} = 9.4340\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$ $$ \lambda_v = \frac{1}{\tau_v} = \frac{1}{175\times10^{-12}\ \mathrm{s}} = 5.7143\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$ $$ \lambda_b-\lambda_v = 3.7197\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

強度比は $I_2/I_1 = 0.45/0.55 = 0.81818$ だから

$$ \kappa = 0.81818\times3.7197\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} = 3.043\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

である.$\kappa$ と $\lambda_b$ が同程度($\kappa/\lambda_b = 0.32$)であることに注意したい.バルクからの消滅($\lambda_b$)と空孔への捕獲($\kappa$)は競合するので,捕獲される陽電子の割合は比ではなく $\kappa/(\lambda_b+\kappa)=3.04/12.48=0.24$,すなわち約4分の1である(第2成分強度 $I_2=0.45$ は捕獲割合そのものではない.$I_2=\kappa/(\lambda_b-\lambda_v+\kappa)$ という別の組合せである).

(2) 捕獲率は空孔濃度に比例する($\kappa = \mu_v C_v$)から

$$ C_v = \frac{\kappa}{\mu_v} = \frac{3.043\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}}{1.1\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}} = 2.767\times10^{-6} = 2.8\ \mathrm{ppm} $$

すなわち原子 $100$ 万個に約3個の空孔である.単位も確かめておく.$\mu_v$ が「原子分率あたり」の比捕獲率なので $\kappa/\mu_v$ は原子分率,すなわち無次元量として出てくる.$\mathrm{ppm}$ に直すには $10^6$ を掛ければよい.鉄の原子密度 $8.5\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$ を掛ければ $2.4\times10^{17}\ \mathrm{cm^{-3}}$ という体積濃度になる.

この値の妥当性を2つの向きから確かめる.第一に測定できる濃度の窓である.2状態捕獲模型が情報をもつのは $\kappa$ が $\lambda_b$ と同程度のときに限られる.$\kappa\ll\lambda_b$ なら $\tau_1\simeq\tau_b$ で捕獲成分が見えず,逆に $\kappa\gg\lambda_b$ なら陽電子が全部捕獲されてしまい(飽和捕獲),$\tau_2$ しか残らず濃度情報が失われる.窓の中心は

$$ C_v \sim \frac{\lambda_b}{\mu_v} = \frac{9.43\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}}{1.1\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}} = 8.6\times10^{-6} \simeq 9\ \mathrm{ppm} $$

で,その前後1–2桁,およそ $0.1$–$100\ \mathrm{ppm}$ が PALS の実用範囲である.本問の $2.8\ \mathrm{ppm}$ はまさにその中央付近にあり,もっとも精度よく決まる領域に入っている(実際 (3) の整合性が $0.2\%$ で成立した).

第二に熱平衡濃度との比較である.鉄の空孔形成エネルギーを $E_f\simeq1.8\ \mathrm{eV}$ とすると,熱平衡での空孔濃度は $C_v^{\text{eq}} = \ee^{-E_f/k_BT}$ で与えられる:

$$ T = 300\ \mathrm{K}:\ \ \ee^{-1.8/0.0259} = 6\times10^{-31}, \qquad T = 1811\ \mathrm{K}\ (\text{融点}):\ \ \ee^{-1.8/0.156} = 1\times10^{-5} $$

室温の平衡値は $10^{-31}$ という,どんな手法でも測れない小ささである.一方いま得た $2.8\ \mathrm{ppm} = 2.8\times10^{-6}$ は,融点直下の平衡濃度に匹敵する量の空孔が室温で凍結されていることを意味する.これこそが照射損傷の非平衡性そのものであり,$25$ 桁も平衡から外れた状態を室温で定量できるという点に,この手法の値打ちがある.

(3) (1) で得た $\kappa$ を模型の式に戻す:

$$ \tau_1 = \frac{1}{\lambda_b+\kappa} = \frac{1}{9.4340\times10^{9}+3.043\times10^{9}}\ \mathrm{s} = \frac{1}{1.2477\times10^{10}}\ \mathrm{s} = 8.015\times10^{-11}\ \mathrm{s} = 80.1\ \mathrm{ps} $$

測定値 $\tau_1 = 80\ \mathrm{ps}$ と $0.2\%$ で一致する.整合している.

この一致は自明ではない.$\kappa$ は $(I_2/I_1,\tau_b,\tau_v)$ から求めたのに対し,$\tau_1$ はスペクトルのフィットから独立に出てくる量だからである.両者が合うことは,(i) 捕獲サイトが1種類だけであること,(ii) 捕獲後に脱出(detrapping)が無視できること,(iii) $\tau_b$ の値が適切であること,を同時に保証する.合わない場合は3種類以上の成分を入れるか,$\tau_b$ を見直すことになる.実務ではこのチェックを必ず行う.

(4) Tao–Eldrup 式

$$ \tau_{o\text{-Ps}}[\mathrm{ns}] = \frac{1}{2}\left[1-\frac{R}{R+\Delta R}+\frac{1}{2\pi}\sin\!\left(\frac{2\pi R}{R+\Delta R}\right)\right]^{-1}, \qquad \Delta R = 0.1656\ \mathrm{nm} $$

を $\tau_{o\text{-Ps}} = 2.5\ \mathrm{ns}$ について $R$ で解く.角括弧の中身を $f(R)$ と置くと,条件は

$$ f(R) = \frac{1}{2\tau} = \frac{1}{2\times2.5} = 0.200 $$

である.$f$ は $R$ の単調減少関数なので,はさみうちで解ける.$x\equiv R/(R+\Delta R)$ と置いて表にする:

表E.7.1 Tao–Eldrup 式の数値解($\Delta R = 0.1656\ \mathrm{nm}$)
$R$ (nm)$x = R/(R+\Delta R)$$1-x$$\sin(2\pi x)/2\pi$$f(R)$$\tau$ (ns)
$0.300$$0.64433$$0.35567$$-0.12535$$0.23032$$2.171$
$0.320$$0.65898$$0.34102$$-0.13383$$0.20719$$2.413$
$0.325$$0.66245$$0.33755$$-0.13568$$0.20187$$2.477$
$\bm{0.3268}$$0.66369$$0.33631$$-0.13632$$\bm{0.19999}$$\bm{2.500}$
$0.330$$0.66586$$0.33414$$-0.13743$$0.19671$$2.542$
$0.350$$0.67882$$0.32118$$-0.14350$$0.17768$$2.814$

したがって

$$ R = 0.327\ \mathrm{nm} = 3.27\ \AA $$

自由体積は球と仮定して

$$ V_h = \frac43\pi R^3 = \frac43\pi\times(3.27)^3\ \AA^3 = \frac43\pi\times34.97\ \AA^3 = 146\ \AA^3 $$

である.表7.4 で $R=0.29\ \mathrm{nm}$(ポリスチレン)が $102\ \AA^3$,$R=0.35\ \mathrm{nm}$ が $180\ \AA^3$ だったから,ちょうどその中間,ゴム状に近い比較的柔らかい高分子である.

$I_3 = 22\%$ は Ps 形成確率の指標であり,自由体積分率の推定に使う:

$$ f_v = C\,I_3\,V_h $$

経験的な比例定数 $C\simeq1.5\times10^{-3}\ \AA^{-3}$($I_3$ を $\%$ 単位で入れる慣用)を採ると $f_v \simeq 1.5\times10^{-3}\times22\times146 = 4.8\ \%$ となり,高分子の自由体積分率の典型値(数 $\%$)と整合する.$C$ は物質系ごとに較正が要る量なので,絶対値より温度依存性 $f_v(T)$ の折れ曲がり(ガラス転移点 $T_g$)を読むほうが信頼できる,というのが実務の作法である.

検算.3点で確かめる.第一に,(3) がすでに独立な整合性チェックになっている($80.1$ に対し測定 $80\ \mathrm{ps}$).第二に,(4) の解を式に戻すと $f(0.3268) = 0.19999$,$\tau = 0.5/0.19999 = 2.500\ \mathrm{ns}$ で確かに条件を満たす.第三に極限を見る.$R\to\infty$ では $x\to1$,$1-x\to0$,$\sin(2\pi x)\to0$ となって $f\to0$,$\tau\to\infty$ である.無限に大きな空隙では壁がないので o-Ps は真空中の $142\ \mathrm{ns}$ に近づくはずで,符号も向きも正しい(Tao–Eldrup 式はピックオフ成分だけを与えるので,実際には $1/\tau = 1/\tau_{\text{TE}}+1/142\ \mathrm{ns}$ と合成するが,$\mathrm{ns}$ 領域ではピックオフが圧倒的である).逆に $R\to0$ では $x\to0$,$f\to1$,$\tau\to0.5\ \mathrm{ns}$ で,これは電子層内でのスピン平均消滅率 $2\ \mathrm{ns^{-1}}$ の逆数そのものである.

意味.この演習は,素粒子物理の教科書に載っている数値がそのまま材料評価装置の目盛りになっていることを示している.(1)–(3) の金属の空孔測定は,$\alpha^5$ で決まる陽電子の消滅率が電子密度に比例することを使い,空孔という「電子が薄い場所」を寿命の伸びとして読む.ppm 台の点欠陥を非破壊で定量できる手法は他にほとんどなく,原子炉圧力容器鋼の照射脆化評価や,疲労き裂の前駆過程の検出に実際に使われている.(4) の高分子側は,ortho-Ps の $142\ \mathrm{ns}$ という長寿命がなければ成立しない.$C$ 保存という選択則が,$\AA^3$ の分解能で自由体積を測る物差しを与えているのである.

演習7.5 Cornell ポテンシャルでの準位見積り

問題(再掲)

本書7章の変分エネルギーを使う.

(1) Coulomb 項を無視した純線形ポテンシャル $V=ar$ について,$E(\lambda) = \dfrac{1}{2\mu\lambda^2}+\dfrac{3a\lambda}{2}$ を最小化し,$\lambda_{\min}$ と $E_{\min}$ を $\mu,a$ で表せ.

(2) (1) の結果から $E_{\min}\propto \mu^{-1/3}a^{2/3}$ となることを示せ.一般に $V\propto r^p$ のとき $E\propto\mu^{-p/(p+2)}$ となることを次元解析で確かめ,$p\to0$(対数ポテンシャル)で $\mu$ 依存性が消えることを示せ.

(3) $\mu = m_c/2 = 0.75\ \mathrm{GeV}$,$a=0.18\ \mathrm{GeV^2}$ を (1) に入れて $E_{\min}$ を GeV 単位で求めよ.同じことを $\mu=m_b/2=2.35\ \mathrm{GeV}$ で行い,比 $E_{b\bar b}/E_{c\bar c}$ が (2) の予言 $(\mu_b/\mu_c)^{-1/3}$ と合うか確かめよ.

(4) $\hbar c = 0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ を使って,$\lambda_{\min}$ を fm に直せ.

解答

方針.変分法の標準手順である.試行関数を水素型 $\psi_\lambda(r) = (\pi\lambda^3)^{-1/2}\ee^{-r/\lambda}$ にとると,本書7章のとおり $\braket{T} = 1/(2\mu\lambda^2)$,$\braket{r} = 3\lambda/2$ であり,線形ポテンシャルの期待値は $a\braket{r} = 3a\lambda/2$ になる.あとは $\lambda$ の1変数最小化である.(2) の一般化は,Virial 定理と次元解析の両方から同じ答えが出るので,二重に確かめられる.すべて自然単位系($\hbar=c=1$)で行い,最後に $\hbar c$ を掛けて fm に戻す.

(1) 与えられたエネルギー汎関数

$$ E(\lambda) = \frac{1}{2\mu\lambda^2}+\frac{3a\lambda}{2} $$

は,$\lambda\to0$ で運動エネルギーが $\lambda^{-2}$ で発散し,$\lambda\to\infty$ でポテンシャルが線形に発散するので,有限の $\lambda$ で必ず最小値をもつ.微分して

$$ \frac{\dd E}{\dd\lambda} = -\frac{1}{\mu\lambda^3}+\frac{3a}{2} = 0 \quad\Longrightarrow\quad \lambda^3 = \frac{2}{3a\mu} $$ $$ \boxed{\ \lambda_{\min} = \left(\frac{2}{3a\mu}\right)^{1/3}\ } $$

これを $E$ に代入する.うまい書き換えをすると計算が楽である.$\mu\lambda_{\min}^3 = 2/(3a)$ より $\mu\lambda_{\min}^2 = 2/(3a\lambda_{\min})$ だから

$$ \braket{T} = \frac{1}{2\mu\lambda_{\min}^2} = \frac{3a\lambda_{\min}}{4} $$

すなわち最小点では運動エネルギーがポテンシャル項 $3a\lambda/2$ のちょうど半分になっている.したがって

$$ E_{\min} = \frac{3a\lambda_{\min}}{4}+\frac{3a\lambda_{\min}}{2} = \frac{9}{4}a\,\lambda_{\min} = \frac{9}{4}a\left(\frac{2}{3a\mu}\right)^{1/3} $$

である.$a$ のべきをまとめると

$$ E_{\min} = \frac94\left(\frac23\right)^{1/3}a^{2/3}\mu^{-1/3} = 1.9656\,a^{2/3}\mu^{-1/3} $$

となる($\tfrac94(2/3)^{1/3} = 2.25\times0.87358 = 1.9656$).$E_{\min}$ が正であることに注意したい.線形ポテンシャルは無限遠で発散するので束縛状態は必ず存在するが,$V(0)=0$ を基準にとっているためエネルギーは正になる.クォーコニウムの質量は $M = 2m_q+E_{\min}$ で読む.

(2) (1) の最終形からただちに $E_{\min}\propto \mu^{-1/3}a^{2/3}$ が読める.一般化しよう.$V(r) = A r^p$($p>-2$)とする.変分エネルギーは

$$ E(\lambda) = \frac{c_1}{\mu\lambda^2}+c_2 A\lambda^p $$

の形になる($c_1,c_2$ は試行関数だけで決まる純粋な数).最小化すると

$$ -\frac{2c_1}{\mu\lambda^3}+p\,c_2A\lambda^{p-1} = 0 \quad\Longrightarrow\quad \lambda^{p+2} = \frac{2c_1}{p\,c_2\,\mu A} \quad\Longrightarrow\quad \lambda_{\min}\propto(\mu A)^{-1/(p+2)} $$

これを $E$ に戻すと,どちらの項も同じスケーリングを与えるので

$$ E_{\min}\propto A\lambda_{\min}^p \propto A\,(\mu A)^{-p/(p+2)} = A^{2/(p+2)}\,\mu^{-p/(p+2)} $$

すなわち

$$ \boxed{\ E_{\min}\propto \mu^{-p/(p+2)}A^{2/(p+2)}\ } $$

である.

ここまでは特定の試行関数を経由したが,この指数は変分法にも試行関数にも依らない厳密な結果である.設問が求めている次元解析(正確には Schrödinger 方程式のスケーリング)で確かめよう.自然単位系では $[\mu]=M$,$[r]=M^{-1}$,$[E]=M$ だから,$V=Ar^p$ がエネルギーの次元をもつには $[A]=M^{p+1}$ でなければならない.そこで Hamiltonian に長さのスケール変換 $\bm{r} = s\bm{\rho}$ を施すと

$$ H = -\frac{\nabla_r^2}{2\mu}+Ar^p = \frac{1}{2\mu s^2}\left(-\nabla_\rho^2\right)+As^p\rho^p $$

となる.2つの項の係数が一致するように $s$ を選ぶ,すなわち

$$ \frac{1}{2\mu s^2} = As^p \quad\Longrightarrow\quad s^{p+2} = \frac{1}{2\mu A} \quad\Longrightarrow\quad s = (2\mu A)^{-1/(p+2)} $$

と取ると,Hamiltonian は

$$ H = \frac{1}{2\mu s^2}\left[-\nabla_\rho^2+\rho^p\right] $$

と書ける.角括弧の中には $\mu$ も $A$ も残っていない.つまりすべての物質定数が前の共通因子に括り出され,中身は純粋に数値的な固有値問題になる.その固有値を $\varepsilon_n$(無次元の数)とすれば $E_n = \varepsilon_n/(2\mu s^2)$ であり,

$$ E_n \propto \frac{1}{\mu}s^{-2} \propto \frac{1}{\mu}(2\mu A)^{2/(p+2)} \propto \mu^{-1+\frac{2}{p+2}}A^{\frac{2}{p+2}} = \mu^{-\frac{p}{p+2}}A^{\frac{2}{p+2}} $$

が厳密に従う.変分法で得た指数と完全に一致した.副産物として,準位の比 $E_n/E_m = \varepsilon_n/\varepsilon_m$ が $\mu$ にも $A$ にも依らないことまで分かる.この事実が (2) の後半と (3) で効いてくる.

検算として既知の場合を当てはめる.

さて $p\to0$ の極限をとると $\mu$ の指数 $-p/(p+2)\to0$ となり,$\mu$ 依存性が消える.$p\to0$ でのポテンシャルは,$A r^p = A(1+p\ln r+\cdots)$ と展開して定数項を落とせば $Ap\ln r$,すなわち対数ポテンシャル $V = B\ln r$ である.対数ポテンシャルでは準位間隔が換算質量にまったく依らない:

$$ E_n - E_m = (\text{$\mu$ に依らない定数})\times B $$

これが本書7章で述べた「$c\bar c$ と $b\bar b$ の $2S$–$1S$ 間隔がほぼ等しい」という実験事実の説明である.実際 $M_{\psi(2S)}-M_{J/\psi} = 3686.1-3096.9 = 589\ \mathrm{MeV}$,$M_{\Upsilon(2S)}-M_{\Upsilon(1S)} = 10023.3-9460.3 = 563\ \mathrm{MeV}$ で,換算質量が $3.1$ 倍も違うのに間隔は $5\%$ しか違わない.Cornell ポテンシャルは $c\bar c$ と $b\bar b$ が探る $0.2$–$0.5\ \mathrm{fm}$ の領域で,たまたま $\ln r$ で非常によく近似できるのである(Quigg–Rosner の指摘).

(3) チャーモニウム($\mu = 0.75\ \mathrm{GeV}$,$a = 0.18\ \mathrm{GeV^2}$):

$$ 3a\mu = 3\times0.18\times0.75 = 0.405\ \mathrm{GeV^3}, \qquad \lambda_{\min} = \left(\frac{2}{0.405}\right)^{1/3} = (4.9383)^{1/3} = 1.7029\ \mathrm{GeV^{-1}} $$ $$ E_{\min} = \frac94\times0.18\times1.7029 = 0.405\times1.7029 = 0.6897\ \mathrm{GeV} $$

ボトモニウム($\mu = 2.35\ \mathrm{GeV}$):

$$ 3a\mu = 3\times0.18\times2.35 = 1.269\ \mathrm{GeV^3}, \qquad \lambda_{\min} = \left(\frac{2}{1.269}\right)^{1/3} = (1.5760)^{1/3} = 1.1637\ \mathrm{GeV^{-1}} $$ $$ E_{\min} = 0.405\times1.1637 = 0.4713\ \mathrm{GeV} $$

比をとると

$$ \frac{E_{\min}(b\bar b)}{E_{\min}(c\bar c)} = \frac{0.4713}{0.6897} = 0.6834 $$

一方 (2) の予言は

$$ \left(\frac{\mu_b}{\mu_c}\right)^{-1/3} = \left(\frac{\mu_c}{\mu_b}\right)^{1/3} = \left(\frac{0.75}{2.35}\right)^{1/3} = (0.31915)^{1/3} = 0.6834 $$

で,小数点以下4桁まで一致する.当然といえば当然で,$E_{\min}\propto\mu^{-1/3}$ が厳密に成り立つように式ができているからである.ここで大事なのは「重いクォークほど束縛エネルギー(線形項の寄与)が小さい」という向きで,$\mu$ が $3.1$ 倍になっても $E$ は $0.68$ 倍にしか減らない,という鈍い依存性である.Coulomb 系なら $E\propto\mu$ で $3.1$ 倍になるはずのところが逆向きかつ弱い.線形閉じ込めの特徴がここに出ている.

(4) $1\ \mathrm{GeV^{-1}} = \hbar c/(1\ \mathrm{GeV}) = 0.197327\ \mathrm{fm}$ だから

$$ \lambda_{\min}(c\bar c) = 1.7029\times0.197327\ \mathrm{fm} = 0.3360\ \mathrm{fm} $$ $$ \lambda_{\min}(b\bar b) = 1.1637\times0.197327\ \mathrm{fm} = 0.2296\ \mathrm{fm} $$

平均半径は $\braket{r} = \tfrac32\lambda$ なので,$c\bar c$ で $0.504\ \mathrm{fm}$,$b\bar b$ で $0.344\ \mathrm{fm}$ である.本書7章の Cornell ポテンシャル(Coulomb 項込み)での値 $\braket{r} = 0.40\ \mathrm{fm}$($c\bar c$),$0.26\ \mathrm{fm}$($b\bar b$)より大きい.Coulomb 引力を落としたぶん系がゆるく広がるのだから,これは正しい向きである.

比も見ておこう.$\lambda_{\min}(b\bar b)/\lambda_{\min}(c\bar c) = 0.2296/0.3360 = 0.683$ で,エネルギー比とまったく同じ $(\mu_c/\mu_b)^{1/3}$ になっている.(1) の $\lambda_{\min}\propto(a\mu)^{-1/3}$ から当然で,$E_{\min} = \tfrac94a\lambda_{\min}$ が両者を直結しているからである.サイズもエネルギーも同じ $\mu^{-1/3}$ で動くわけで,Coulomb 系のサイズが $\propto\mu^{-1}$ で縮むのに比べるとずっと鈍い.重いクォークを持ってきても系はなかなか小さくならない.

桁の妥当性も確かめる.$0.23$–$0.34\ \mathrm{fm}$ は陽子半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ よりはっきり小さく,クォーコニウムがハドロンのなかでも特にコンパクトな系だという描像と合う.ついでに弦定数 $a$ の大きさを実感しておこう.$a=0.18\ \mathrm{GeV^2}$ は自然単位系では「単位長さあたりのエネルギー」だから,$\hbar c$ で割れば

$$ a = \frac{0.18\ \mathrm{GeV^2}}{0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}} = 0.912\ \mathrm{GeV/fm} = \frac{0.912\times1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}}{10^{-15}\ \mathrm{m}} = 1.46\times10^{5}\ \mathrm{N} $$

すなわち約 $15$ トン重で,本書7章の記述が再現される.距離 $\lambda_{\min}$ だけ引き離すのに要するエネルギーは $a\lambda_{\min} = 0.18\times1.703 = 0.31\ \mathrm{GeV}$,$1\ \mathrm{fm}$ なら $0.91\ \mathrm{GeV}$ である.後者は中間子1個分の質量に相当する.伸ばせば伸ばすほどエネルギーが要るが,途中で $q\bar q$ 対を1つ作ってひもを切ったほうが安上がりになる——クォークが単独で取り出せないことの定量的な中身がこれである.

検算.3つ行う.第一に Virial 定理.$V\propto r^p$ に対する Virial 定理は $2\braket{T} = p\braket{V}$ である.(1) で得た $\braket{T} = \tfrac34a\lambda$,$\braket{V} = \tfrac32a\lambda$ を入れると $2\times\tfrac34a\lambda = \tfrac32a\lambda = 1\times\tfrac32a\lambda$ で,$p=1$ の Virial 定理をきちんと満たしている.第二に厳密解との比較.線形ポテンシャルの $s$ 波の厳密解は Airy 関数で書け,基底状態は $E_1^{\text{exact}} = \abs{a_1}(a^2/(2\mu))^{1/3}$($a_1=-2.33811$ は Airy 関数の第1零点)である.数値を入れると $c\bar c$ で $(0.18^2/1.5)^{1/3} = (0.0216)^{1/3} = 0.27850$,$E_1^{\text{exact}} = 2.33811\times0.27850 = 0.6512\ \mathrm{GeV}$.変分値 $0.6897\ \mathrm{GeV}$ はこれより $5.9\%$ 大きく,変分法が上限を与えるという原理と矛盾しない.第三に次元.$a^{2/3}\mu^{-1/3}$ は $[\text{質量}^2]^{2/3}[\text{質量}]^{-1/3} = [\text{質量}]^{4/3-1/3} = [\text{質量}]$ で,確かにエネルギーである.

意味.「ポテンシャルのべき $p$ が質量依存性を決める」という (2) の結果は,束縛系を分類する強力な指標である.Coulomb($p=-1$)なら $E\propto\mu$,線形($p=1$)なら $E\propto\mu^{-1/3}$,その中間の対数なら $\mu$ 非依存.準位間隔の質量依存性を測れば,ポテンシャルの形が逆に読めるわけで,これがクォーコニウムを「QCD の顕微鏡」たらしめている理屈である.材料科学でも同じ論理が使える.たとえばフォノンの零点振動の平均二乗振幅 $\braket{u^2}$ が $\propto M^{-1/2}$(調和,$p=2$)であることは同位体効果の解析の出発点であり,非調和性が強い系ではこのべきがずれる.結合の形をべきの指数から読む,という手つきは共通である.

演習7.6 クォーク模型でバリオンの磁気モーメントを計算する

問題(再掲)

$\mu_u = \tfrac23(m_p/m_u)\mu_N$ などとし,$m_u=m_d=336\ \mathrm{MeV}$,$m_s=510\ \mathrm{MeV}$,$m_p = 938.272\ \mathrm{MeV}$ を使う.

(1) $\mu_u,\mu_d,\mu_s$ を $\mu_N$ 単位で求めよ.

(2) $\Sigma^+ = uus$($ud$ ではなく $uu$ がスピン1対を組む)の磁気モーメントを $\mu_{\Sigma^+} = \tfrac43\mu_u-\tfrac13\mu_s$ から計算し,実測 $+2.458\,\mu_N$ と比べよ.

(3) $\Omega^- = sss$($J=3/2$,3つのスピンがすべて平行)の磁気モーメントは $3\mu_s$ である.実測 $-2.02\,\mu_N$ と比べ,$m_s$ をこの1点から決め直すといくらになるか求めよ.

(4) $\mu_n/\mu_p = -2/3$ が構成クォーク質量に依存しない理由を述べよ.また,もしクォークが $g=2$ の点粒子でなかったら,この予言はどう変わるか考察せよ.

解答

方針.クォークを $g=2$ の点 Dirac 粒子とみなすと,本書7章のとおり $\mu_q = e_q/(2m_q)$ である.核磁子 $\mu_N = e/(2m_p)$ で割ると

$$ \frac{\mu_q}{\mu_N} = \frac{e_q}{e}\cdot\frac{m_p}{m_q} $$

となり,電荷の比と質量の逆比の積という覚えやすい形になる.バリオンの磁気モーメントは,スピン・フレーバー波動関数で $\sum_i\mu_i\sigma_z^{(i)}$ の期待値をとって得られる係数を,このクォーク磁気モーメントに掛けるだけである.計算そのものは四則演算で終わるが,(4) で「何がパラメータで何が予言か」を見極めるのが本問の眼目である.

(1) $e_u = +2/3$,$e_d = e_s = -1/3$ を使う.

$$ \mu_u = \frac23\cdot\frac{m_p}{m_u}\mu_N = \frac23\times\frac{938.272}{336}\mu_N = \frac23\times2.79248\,\mu_N = +1.8617\,\mu_N $$ $$ \mu_d = -\frac13\cdot\frac{m_p}{m_d}\mu_N = -\frac13\times2.79248\,\mu_N = -0.9308\,\mu_N $$ $$ \mu_s = -\frac13\cdot\frac{m_p}{m_s}\mu_N = -\frac13\times\frac{938.272}{510}\mu_N = -\frac13\times1.83975\,\mu_N = -0.6132\,\mu_N $$

念のため,これらから $\mu_p$ と $\mu_n$ を再現しておく:

$$ \mu_p = \frac43\mu_u-\frac13\mu_d = \frac43(1.8617)-\frac13(-0.9308) = 2.4822+0.3103 = 2.7925\,\mu_N $$ $$ \mu_n = \frac43\mu_d-\frac13\mu_u = \frac43(-0.9308)-\frac13(1.8617) = -1.2411-0.6206 = -1.8617\,\mu_N $$

$\mu_p$ は実測 $2.7928$ に合うように $m_u$ を決めたので当然一致する(フィット点).$\mu_n$ は実測 $-1.9130$ に対し $2.7\%$ のずれで,これはパラメータのない予言である.また $\mu_s$ は $\Lambda$ の実測 $\mu_\Lambda=-0.613$ に合わせて $m_s$ を決めたので,これもフィット点である.2点だけ合わせているという事実を頭に置いて (2)(3) に進む.

(2) $\Sigma^+ = uus$ では,$uu$ がスピン1(対称)を組み,そこに $s$ が結合して全体 $J=1/2$ になる.これは陽子の $uud$ で $uu$ が組むのと同じ構造なので,係数もそのまま流用でき

$$ \mu_{\Sigma^+} = \frac43\mu_u-\frac13\mu_s $$

である($p$ の式で $d\to s$ と置き換えた形).数値を入れると

$$ \mu_{\Sigma^+} = \frac43\times1.8617 - \frac13\times(-0.6132) = 2.4822 + 0.2044 = +2.6866\,\mu_N $$

実測 $+2.458\,\mu_N$ と比べると

$$ \frac{2.6866-2.458}{2.458} = +0.0930 = +9.3\ \% $$

で,予言が $9\%$ 大きい.符号も桁も正しく,1割程度の精度である.ずれの主因は $\mathrm{SU}(3)$ フレーバー対称性の破れで,$s$ クォークを含む系では構成クォーク質量が環境(どのバリオンにいるか)に少し依存する.$\Lambda$ で決めた $m_s=510\ \mathrm{MeV}$ をそのまま $\Sigma$ に持ち込んだことのつけである.そのほか,クォークが実際には相対論的に動いていること,中間子雲の寄与も効く.

(3) $\Omega^-=sss$ は $J=3/2$ で3つのスピンがすべて平行だから,期待値は単純に和になる:

$$ \mu_{\Omega^-} = 3\mu_s = 3\times(-0.6132) = -1.8397\,\mu_N $$

実測 $-2.02\,\mu_N$ に対し

$$ \frac{\abs{-1.8397}-\abs{-2.02}}{\abs{-2.02}} = -0.089 = -8.9\ \% $$

で $9\%$ 小さい.そこで $\Omega^-$ の1点から $m_s$ を決め直す.$3\mu_s = -2.02\,\mu_N$ より

$$ \mu_s = -\frac{2.02}{3}\,\mu_N = -0.67333\,\mu_N $$

これを $\abs{\mu_s} = \tfrac13(m_p/m_s)\mu_N$ に入れて $m_s$ について解くと

$$ m_s = \frac{m_p}{3\abs{\mu_s}/\mu_N} = \frac{938.272}{3\times0.67333} = \frac{938.272}{2.02} = 464.5\ \mathrm{MeV} $$

$\Lambda$ から得た $510\ \mathrm{MeV}$ とは

$$ \frac{510-464.5}{510} = 8.9\ \% $$

違う.同じ「$s$ クォークの構成質量」という量が,どのバリオンから決めるかで $9\%$ ぶれるわけで,ここに非相対論的クォーク模型の限界がはっきり見える.構成クォーク質量は基本定数ではなく,特定の状態に対する有効パラメータなのである.とはいえ $464$ と $510$ は $10\%$ 以内であり,「$s$ は $u,d$ より $130$–$170\ \mathrm{MeV}$ 重い」($464.5-336 = 128.5$,$510-336 = 174\ \mathrm{MeV}$)という定性的な描像は堅い.

(4) 質量に依存しない理由.アイソスピン対称性から $m_u = m_d\equiv m_q$ と置き,$\mu_0\equiv e/(2m_q)$ と書くと $\mu_u = \tfrac23\mu_0$,$\mu_d = -\tfrac13\mu_0$ である.すると

$$ \mu_p = \frac43\left(\frac23\mu_0\right)-\frac13\left(-\frac13\mu_0\right) = \left(\frac89+\frac19\right)\mu_0 = \mu_0 $$ $$ \mu_n = \frac43\left(-\frac13\mu_0\right)-\frac13\left(\frac23\mu_0\right) = -\left(\frac49+\frac29\right)\mu_0 = -\frac23\mu_0 $$

となり,比をとると$\mu_0$ が約分されて消える:

$$ \frac{\mu_n}{\mu_p} = -\frac23 $$

要するに $\mu_p$ も $\mu_n$ も同じ $\mu_0 = e/(2m_q)$ という1つのスケールに比例しており,比にはスピン・フレーバー波動関数から来る有理数(クォークの電荷とスピンの組み方)しか残らない.$m_q$ の値を知らなくても答えが出る,というのはこの意味である.実測は $-1.91304/2.79285 = -0.6850$ で,$2.7\%$ の一致である.

$g\ne2$ ならどうなるか.クォークが点 Dirac 粒子でなく異常磁気能率をもつなら,磁気モーメントは

$$ \mu_q = \frac{g_q\,e_q}{4m_q} $$

と書ける($g_q=2$ で元に戻る).$u$ と $d$ で $g$ が共通($g_u=g_d\equiv g$)かつ $m_u=m_d$ なら,$\mu_0\to (g/2)\mu_0$ と全体が同じ因子で置き換わるだけなので,比はやはり

$$ \frac{\mu_n}{\mu_p} = -\frac23 $$

のまま変わらない.変わるのは絶対値であり,$\mu_p$ から決まる構成クォーク質量が $m_q\to(g/2)m_q$ とずれる.一方 $g$ がフレーバー依存($g_u\ne g_d$)だと事情が変わる.$\mu_u = \tfrac23 r_u\mu_0$,$\mu_d = -\tfrac13 r_d\mu_0$($r_q\equiv g_q/2$)と置くと

$$ \frac{\mu_n}{\mu_p} = \frac{-\tfrac49 r_d-\tfrac29 r_u}{\tfrac89 r_u+\tfrac19 r_d} = -\frac{4r_d+2r_u}{8r_u+r_d} $$

となり,$r_u=r_d$ のときだけ $-2/3$ に戻る.たとえば $r_d/r_u = 1.1$ とすると比は $-6.4/9.1 = -0.7033$ となり,$-2/3$ から $5.5\%$ ずれる.つまり$\mu_n/\mu_p=-2/3$ は「クォークの $g$ 因子がフレーバーによらない」ことの検証になっている.実測とのずれ $2.7\%$ は,$g$ のフレーバー依存に上限を与えると読むこともできるし,より素直には相対論的補正と $\mathrm{SU}(3)$ 破れの大きさを示していると読める.

検算.まず表7.7 との照合.本問で得た $\mu_{\Sigma^+}=+2.687$,$\mu_{\Omega^-}=-1.840$ はどちらも表の予言値と一致する.次に和則による独立チェックを行う.クォーク模型の式から $\mu_{\Sigma^+}+\mu_{\Sigma^-} = \tfrac43(\mu_u+\mu_d)-\tfrac23\mu_s$ であり,$\mu_u+\mu_d = \tfrac13\mu_0 = \tfrac13\times2.7925 = 0.9308$,$\mu_s=-0.6132$ を入れると $\tfrac43\times0.9308+\tfrac23\times0.6132 = 1.2411+0.4088 = 1.6499$.一方 $\mu_p+\mu_n = 2.7925-1.8617 = 0.9308$ である.実測は $\mu_{\Sigma^+}+\mu_{\Sigma^-} = 2.458-1.160 = 1.298$ で,模型が $27\%$ 過大である一方,$\mu_p+\mu_n$ は実測 $2.7928-1.9130 = 0.8798$ に対し模型 $0.9308$ で $6\%$ のずれ.$s$ を含む系ほどずれが大きい,という表7.7 の傾向と整合する.最後に単位の確認:$\mu_q/\mu_N$ は無次元で,$m_p/m_q$ も無次元だから式は整合している.

意味.クォーク模型の磁気モーメントは,「対称性で決まる有理数」と「動力学で決まるスケール」をきれいに分離してみせた歴史的な計算である.$-2/3$ という数はスピン・フレーバー波動関数($\mathrm{SU}(6)$ の構造)だけから来るので,動力学の詳細を知らなくても言える.一方 $\mu_p$ の絶対値は $m_q$ という動力学的な量を要求する.材料科学でこれに対応するのは,たとえば結晶場中の遷移金属イオンの $g$ 因子である.軌道角運動量の消失(quenching)とスピン軌道結合による $g$ シフトの比は群論(点群の既約表現)で決まり,絶対値は結晶場分裂 $\Delta$ という動力学量を要求する.「比は対称性,絶対値は動力学」という切り分けは分野を越えて有効な作戦である.

演習7.7 励起子とポジトロニウムを並べる

問題(再掲)

本書7章の励起子の式を使う.

(1) CdSe($m_e^*=0.13\,m_0$,$m_h^*=0.45\,m_0$,$\epsilon_r=9.6$)の励起子束縛エネルギーと Bohr 半径を求めよ.室温($k_BT=25.9\ \mathrm{meV}$)で励起子は安定か.

(2) (1) で得た $a_X$ を使い,直径 $4\ \mathrm{nm}$ の CdSe ナノ結晶が「強閉じ込め」領域にあるか「弱閉じ込め」領域にあるか判定せよ.

(3) Cu$_2$O の黄色励起子系列($E_b=98\ \mathrm{meV}$,$a_X = 1.1\ \mathrm{nm}$)で,$n=25$ の状態の半径 $a_Xn^2$ と束縛エネルギー $E_b/n^2$ を求めよ.後者を $k_BT$ と比べ,この観測に極低温が必要な理由を述べよ.

(4) ポジトロニウム($\mu=m_e/2$,$\epsilon_r=1$)を本書7章の励起子の式に代入すると $6.80\ \mathrm{eV}$,$1.06\ \AA$ が出ることを確かめよ.励起子とポジトロニウムを分ける物理的な要因を1行で述べよ.

解答

方針.本書7章で導いた励起子の式

$$ E_b = 13.606\ \mathrm{eV}\times\frac{\mu/m_0}{\epsilon_r^2}, \qquad a_X = 0.0529\ \mathrm{nm}\times\frac{\epsilon_r}{\mu/m_0}, \qquad \frac{1}{\mu} = \frac{1}{m_e^*}+\frac{1}{m_h^*} $$

は,水素原子の Rydberg 公式で「質量を換算有効質量に,電荷の二乗を $e^2/\epsilon_r$ に」置き換えただけである.$E_b\propto\mu/\epsilon_r^2$,$a_X\propto\epsilon_r/\mu$ という2つのスケーリングを押さえれば,あとは代入するだけで済む.(2) の強/弱閉じ込めの判定基準は,ドット半径 $R$ と $a_X$ の大小,あるいは等価的に閉じ込めエネルギー $\pi^2/(2\mu R^2)$ と $E_b$ の大小である.

(1) まず換算有効質量を求める:

$$ \mu = \frac{m_e^*m_h^*}{m_e^*+m_h^*} = \frac{0.13\times0.45}{0.13+0.45}\,m_0 = \frac{0.0585}{0.58}\,m_0 = 0.10086\,m_0 $$

正孔が電子の $3.5$ 倍重いので,$\mu$ は軽いほうの $m_e^*=0.13$ に近い値になる($0.101$).次に束縛エネルギー:

$$ E_b = 13.606\ \mathrm{eV}\times\frac{0.10086}{9.6^2} = 13.606\times\frac{0.10086}{92.16}\ \mathrm{eV} = 13.606\times1.0944\times10^{-3}\ \mathrm{eV} = 1.489\times10^{-2}\ \mathrm{eV} $$

すなわち $E_b = 14.9\ \mathrm{meV}$ である.Bohr 半径は

$$ a_X = 0.0529\ \mathrm{nm}\times\frac{9.6}{0.10086} = 0.0529\times95.18\ \mathrm{nm} = 5.035\ \mathrm{nm} $$

室温との比較:

$$ \frac{E_b}{k_BT} = \frac{14.9}{25.9} = 0.575 < 1 $$

$E_b<k_BT$ なので,バルクの CdSe では室温の励起子は熱解離しやすい.Boltzmann 因子で見積もれば,束縛状態が解離状態より有利になる重みは $\ee^{+E_b/k_BT}=\ee^{0.575}\approx1.8$ 倍程度にすぎず,実際バルク CdSe の室温吸収スペクトルで励起子ピークははっきりしない.$77\ \mathrm{K}$($k_BT=6.6\ \mathrm{meV}$)まで冷やせば $E_b/k_BT = 2.3$ となり,鋭い励起子吸収線が現れる.

(2) 直径 $4\ \mathrm{nm}$ のナノ結晶なので半径は $R = 2.0\ \mathrm{nm}$ である.$a_X = 5.035\ \mathrm{nm}$ と比べると

$$ \frac{R}{a_X} = \frac{2.0}{5.035} = 0.40 < 1 $$

すなわち $R<a_X$ であり,強閉じ込め領域である.エネルギーで比べると判定がさらにはっきりする.本書7章の Brus の式の閉じ込め項を評価すると($\hbar^2/(2m_0) = (\hbar c)^2/(2m_0c^2) = (197.327\ \mathrm{eV\,nm})^2/(2\times5.10999\times10^{5}\ \mathrm{eV}) = 0.03810\ \mathrm{eV\,nm^2}$)

$$ E_{\text{conf}} = \frac{\pi^2}{2\mu R^2} = \frac{\pi^2\times0.03810}{0.10086\times(2.0)^2}\ \mathrm{eV} = \frac{0.37603}{0.40345}\ \mathrm{eV} = 0.932\ \mathrm{eV} $$

Coulomb 項は

$$ -1.786\frac{e^2}{4\pi\epsilon_0\epsilon_r R} = -1.786\times\frac{1.440\ \mathrm{eV\,nm}}{9.6\times2.0\ \mathrm{nm}} = -0.134\ \mathrm{eV} $$

であるから,閉じ込めが Coulomb の $7$ 倍,励起子束縛エネルギー $E_b=0.0149\ \mathrm{eV}$ の $63$ 倍も大きい.電子と正孔はもはや励起子として束縛されているのではなく,それぞれ独立に箱に閉じ込められ,Coulomb は摂動という描像である.これが強閉じ込めの定義そのものである.

正味の青方偏移は $0.932-0.134 = 0.80\ \mathrm{eV}$ と出る.実際の $4\ \mathrm{nm}$ CdSe ドットの発光は $2.1\ \mathrm{eV}$ 前後で,バルクのバンドギャップ $1.74\ \mathrm{eV}$ からのシフトは $0.3$–$0.4\ \mathrm{eV}$ 程度だから,無限障壁を仮定した Brus の式は $2$ 倍ほど過大評価している.障壁が有限で波動関数が外にしみ出すこと,バンドの非放物性が主な原因である.それでも「粒径を変えれば発光色が変わる」という設計原理と,$1/R^2$ というスケーリングは正しく捉えている.

(3) Cu$_2$O の黄色系列で $n=25$:

$$ r_{25} = a_X n^2 = 1.1\ \mathrm{nm}\times625 = 687.5\ \mathrm{nm} \simeq 0.69\ \mu\mathrm{m} $$ $$ E_{25} = \frac{E_b}{n^2} = \frac{98\ \mathrm{meV}}{625} = 0.157\ \mathrm{meV} $$

半径が可視光の波長($0.4$–$0.7\ \mu\mathrm{m}$)と同程度になるという,尋常でない大きさである.結晶の中に直径 $1.4\ \mu\mathrm{m}$ の「巨大水素原子」が浮かんでいることになる.

温度に直すと

$$ T = \frac{E_{25}}{k_B} = \frac{0.157\times10^{-3}\ \mathrm{eV}}{8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}} = 1.82\ \mathrm{K} $$

である.したがって $T\gtrsim2\ \mathrm{K}$ では $k_BT>E_{25}$ となって $n=25$ の状態は熱的に電離してしまう.実験(Kazimierczuk ら,2014)が $1.2\ \mathrm{K}$ の液体ヘリウム減圧下で行われたのはこのためである.さらに,隣り合う $n$ の準位間隔も

$$ E_{24}-E_{25} = 98\ \mathrm{meV}\times\left(\frac{1}{24^2}-\frac{1}{25^2}\right) = 98\times(1.7361\times10^{-3}-1.6000\times10^{-3})\ \mathrm{meV} = 1.33\times10^{-2}\ \mathrm{meV} $$

と $13\ \mu\mathrm{eV}$ しかないので,これを分離するにはスペクトル線幅を $\mu\mathrm{eV}$ 以下に抑えねばならない.熱による線幅の増大(フォノン散乱)を止めるという意味でも極低温が必須である.「準位を分離するには $k_BT$ と線幅の両方を準位間隔より小さくせよ」という,分光の基本原則がそのまま効いている.

(4) ポジトロニウムは真空中の $e^+e^-$ だから $\epsilon_r=1$,$\mu = m_e/2 = 0.5\,m_0$ である.代入すると

$$ E_b = 13.606\ \mathrm{eV}\times\frac{0.5}{1^2} = 6.803\ \mathrm{eV} $$ $$ a_X = 0.0529\ \mathrm{nm}\times\frac{1}{0.5} = 0.1058\ \mathrm{nm} = 1.058\ \AA $$

確かに本書7章のポジトロニウムの値 $6.803\ \mathrm{eV}$,$1.058\ \AA$($=2a_0$)が再現される.励起子の式は水素の式の書き換えにすぎないので,$\epsilon_r=1$ と置けば真空の2体問題に戻るのは当然である.

励起子とポジトロニウムを分ける要因.ただ2つ,誘電遮蔽 $\epsilon_r$ と換算有効質量 $\mu$ だけである.CdSe では $\epsilon_r^2 = 92$ で割り,$\mu/m_0 = 0.10$ を掛けるので,$E_b$ は Ps の $6.80\ \mathrm{eV}$ から $14.9\ \mathrm{meV}$ へと $460$ 倍小さくなり,半径は $1.06\ \AA$ から $50\ \AA$ へと $48$ 倍大きくなる.方程式そのものは1文字も変わっていない.

検算.3通り確かめる.第一に,スケーリングの一貫性.$E_b a_X^2\propto (\mu/\epsilon_r^2)(\epsilon_r/\mu)^2 = 1/\mu$ であり,$E_b a_X^2$ は $\epsilon_r$ に依らないはずである.CdSe では $E_ba_X^2 = 1.4891\times10^{-2}\ \mathrm{eV}\times(5.035\ \mathrm{nm})^2 = 0.37751\ \mathrm{eV\,nm^2}$,Ps では $6.803\ \mathrm{eV}\times(0.1058\ \mathrm{nm})^2 = 0.07615\ \mathrm{eV\,nm^2}$.比をとると $0.37751/0.07615 = 4.957$ で,$\mu_{\text{Ps}}/\mu_{\text{CdSe}} = 0.5/0.10086 = 4.957$ に4桁まで一致する.第二に,表7.8 との照合.Cu$_2$O の欄は $\mu/m_0=0.363$,$\epsilon_r=7.5$ で $E_b = 13.606\times0.363/56.25 = 87.8\ \mathrm{meV}$,$a_X = 0.0529\times7.5/0.363 = 1.09\ \mathrm{nm}$ となり,表の $87.8\ \mathrm{meV}$,$1.1\ \mathrm{nm}$ と一致する.同じ計算経路が別の物質でも正しい値を返している.第三に単位.$E_b$ は $\mathrm{Ry}$ に無次元量を掛けたもの,$a_X$ は $a_0$ に無次元量を掛けたもので,次元は自動的に合う.

意味.本章の締めくくりにふさわしい問題である.$11$ 桁のエネルギースケールを貫いているのは,$\mu$ と $V(r)$ という2つの入力だけを差し替える同一の Schrödinger 方程式であった.(1)–(2) が示すのは,材料設計とはこの2つの入力を操作することにほかならない,という事実である.$\epsilon_r$ を下げれば(あるいは2次元化して遮蔽を弱めれば)$E_b$ が上がって室温で励起子が生き残る.これが単層 $\mathrm{MoS_2}$ の $E_b\sim0.5\ \mathrm{eV}$ や,有機・ペロブスカイト系の室温励起子発光の理屈である.逆に $R$ を $a_X$ より小さくすれば閉じ込めが支配して発光色が粒径で決まる(量子ドット).(3) の Rydberg 励起子は,その反対の極限で「固体中に $\mu\mathrm{m}$ サイズの原子を作る」ところまで来た.そして (4) が念を押すように,この全部が真空中のポジトロニウムと同じ式の別のパラメータ点なのである.素粒子と材料が同じ方程式を共有していることを,これほど端的に示す例は少ない.

E.8 第8章 ファインマン則 — 崩壊率と散乱断面積 の解答

演習8.1 $Z^0$ ボソンの部分幅とニュートリノの世代数

問題(再掲)

$Z^0$ の全幅は $\Gamma_{\text{tot}}=2.4952\ \mathrm{GeV}$,分岐比は $\mathrm{BR}(e^+e^-)=3.363\%$,$\mathrm{BR}(\text{不可視})=20.00\%$ である(表8.1).

(1) $Z^0$ の寿命 $\tau$ を秒で求めよ.また $c\tau$ を計算し,陽子の直径 $1.7\ \mathrm{fm}$ と比べよ.

(2) 部分幅 $\Gamma(Z\to e^+e^-)$ を MeV で求めよ.

(3) 標準模型は,ニュートリノ1世代あたりの部分幅を $\Gamma_{\nu\bar\nu}=167.2\ \mathrm{MeV}$ と予言する(不可視幅の予言 $\Gamma_{\text{inv}}^{\text{SM}}=501.5\ \mathrm{MeV}$ を3で割った値).不可視幅からニュートリノの世代数 $N_\nu$ を求めよ.

解答

方針.使う道具は本書8.1節の2本だけである.ひとつは崩壊率と寿命の関係 $\tau=1/\Gamma$(SI に戻すとき $\tau=\hbar/\Gamma$),もうひとつは分岐比の定義 $\mathrm{BR}_i=\Gamma_i/\Gamma_{\text{tot}}$,すなわち $\Gamma_i=\mathrm{BR}_i\times\Gamma_{\text{tot}}$ である.新しい物理は何も要らず,単位換算と掛け算だけで最後まで行ける.しかし出てくる結論は「軽いニュートリノは3種類しかない」という,標準模型の世代構造を決めた1行である.

(1) 自然単位系では $\tau=1/\Gamma$ である.秒に直すには $\hbar$ を掛ける: $$ \tau = \frac{\hbar}{\Gamma_{\text{tot}}}. $$ $\hbar = 6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s} = 6.582\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}$ を使い,$\Gamma_{\text{tot}}=2.4952\ \mathrm{GeV}$ を代入すると $$ \tau = \frac{6.582\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}}{2.4952\ \mathrm{GeV}} = 2.638\times10^{-25}\ \mathrm{s}. $$ 次に $c\tau$ を出す.$c=2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s}$ だから $$ c\tau = 2.998\times10^{8}\times2.638\times10^{-25} = 7.91\times10^{-17}\ \mathrm{m} = 7.91\times10^{-2}\ \mathrm{fm}. $$ 同じ数は $\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使えば1行で出る: $$ c\tau = \frac{\hbar c}{\Gamma_{\text{tot}}} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{2495.2\ \mathrm{MeV}} = 7.908\times10^{-2}\ \mathrm{fm}. $$ 陽子の直径 $1.7\ \mathrm{fm}$ との比は $$ \frac{1.7\ \mathrm{fm}}{0.0791\ \mathrm{fm}} = 21.5 $$ である.つまり $Z^0$ は,光速で走ったとしても陽子の直径の $1/21$ しか進まないうちに壊れてしまう.飛跡は原理的に残らない.したがって $Z^0$ の寿命は飛跡長からは測れず,$e^+e^-$ の重心系エネルギーを掃引して不変質量分布の幅(Breit–Wigner の FWHM,本書8.7.4節)として測る.表8.1 で $Z^0$ の欄に $\tau$ ではなく $\Gamma$ が書かれているのは,そのためである.

(2) 部分幅は分岐比に全幅を掛けるだけである.$\Gamma_{\text{tot}}=2.4952\ \mathrm{GeV}=2495.2\ \mathrm{MeV}$ なので $$ \Gamma(Z\to e^+e^-) = \mathrm{BR}(e^+e^-)\times\Gamma_{\text{tot}} = 0.03363\times 2495.2\ \mathrm{MeV} = 83.91\ \mathrm{MeV}\ \simeq\ 83.9\ \mathrm{MeV}. $$ PDG 2022 の $\Gamma(Z\to\ell^+\ell^-)=83.984\ \mathrm{MeV}$ とも整合する.この $83.9\ \mathrm{MeV}$ は「$Z$ が $e^+e^-$ に壊れる率」であって,「$Z$ が $e^+e^-$ に壊れるまでの寿命」ではないことに注意したい.寿命を決めるのはあくまで全幅 $\Gamma_{\text{tot}}$ であり,部分幅は $\Gamma_{\text{tot}}=\sum_i\Gamma_i$ という和のなかの1項にすぎない(本書8.1.2節).仮に $Z$ が $e^+e^-$ にしか壊れなかったとすれば,寿命は $\hbar/83.9\ \mathrm{MeV}=7.84\times10^{-24}\ \mathrm{s}$ で,実際の値 $2.64\times10^{-25}\ \mathrm{s}$ より約30倍長くなる.チャンネルが増えるほど寿命は短くなる——これが (3) の議論の土台になる.

ここで2つ確かめておくと見通しがよい.第1にレプトン普遍性である.表8.1 の $\mathrm{BR}(\ell^+\ell^-)=3.37\%$ は $e,\mu,\tau$ のどれでも同じ値で,部分幅にすると $$ \Gamma(Z\to\ell^+\ell^-) = 0.0337\times2495.2\ \mathrm{MeV} = 84.1\ \mathrm{MeV} $$ となり,いま求めた $\Gamma(Z\to e^+e^-)=83.9\ \mathrm{MeV}$ と丸めの範囲で一致する.$Z$ は世代を区別しない.荷電レプトン3種の合計は $3\times84.1=252\ \mathrm{MeV}$ で,全幅のちょうど $10.1\%$ である.

第2に,(3) で使う $\Gamma_{\nu\bar\nu}=167.2\ \mathrm{MeV}$ との比を見ておく: $$ \frac{\Gamma_{\nu\bar\nu}}{\Gamma(Z\to e^+e^-)} = \frac{167.2}{83.9} = 1.99 . $$ ニュートリノ1種のほうが電子よりほぼ2倍だけ強く $Z$ に結合しているように見える.これは偶然ではない.$Z$ の結合は $\Gamma\propto g_V^2+g_A^2$ で決まり,電子では $g_V=-\tfrac12+2\sin^2\theta_W = -0.038$ が $\sin^2\theta_W\simeq0.231$ のおかげでほぼゼロになるため,実質 $g_A^2=1/4$ しか効かない.一方ニュートリノは $g_V=g_A=\tfrac12$ で $g_V^2+g_A^2=1/2$ である.比は $(1/2)/(1/4)=2$($g_V^2=0.0014$ まで入れると $0.5/0.2514=1.99$)——第12章で導く弱い中性カレントの構造が,この1つの数字に現れている.

(3) 同じ手続きで不可視幅を出す: $$ \Gamma_{\text{inv}} = 0.2000\times2495.2\ \mathrm{MeV} = 499.0\ \mathrm{MeV}. $$ 「不可視」とは,検出器に何の信号も残さない終状態,すなわち $Z\to\nu\bar\nu$ のことである.ニュートリノが $N_\nu$ 種類あれば,それぞれが $\Gamma_{\nu\bar\nu}$ ずつ寄与し,率は足し算されるから(本書8.1.2節の $\Gamma_{\text{tot}}=\sum_i\Gamma_i$) $$ \Gamma_{\text{inv}} = N_\nu\,\Gamma_{\nu\bar\nu} \qquad\Longrightarrow\qquad N_\nu = \frac{\Gamma_{\text{inv}}}{\Gamma_{\nu\bar\nu}} = \frac{499.0\ \mathrm{MeV}}{167.2\ \mathrm{MeV}} = 2.984. $$ 測定誤差の範囲で $N_\nu = 3$ である.

検算.表8.1 の分岐比の総和が $1$ になるかを見る.ハドロン $69.91\%$,不可視 $20.00\%$,荷電レプトン3種が各 $3.37\%$ だから $$ 69.91 + 20.00 + 3\times3.37 = 100.02\ \% $$ で,丸め誤差の範囲で $\sum_i\mathrm{BR}_i=1$(本書8.1.2節)を満たしている.次元も確かめておく.$[\hbar]=$ エネルギー $\times$ 時間,$[\Gamma]=$ エネルギーなので $[\hbar/\Gamma]=$ 時間で正しい.$N_\nu$ は幅の比なので無次元であり,これも整合している.

意味.(3) の1行が,LEP が1989年から数年かけて出した最大の成果である.$Z^0$ を大量に作って全幅を測り,見えている終状態の幅を全部足して差し引くと,「何も見えない」チャンネルの幅が残る.それを標準模型の1世代あたりの予言値で割ると $3$ が出る.すなわち,$Z$ が崩壊できるほど軽いニュートリノ($m_\nu<m_Z/2$)は,宇宙にちょうど3種類しか存在しない.第4世代のクォークやレプトンを探す実験は数多いが,この $N_\nu=3$ が今なお最も強い制限のひとつである.

手続きそのものは,材料科学の蛍光体の解析とまったく同じである.発光寿命 $\tau$ の測定が $\Gamma_{\text{tot}}$ を与え,発光量子収率の測定が「見えるチャンネル」の分岐比を与える.残りが無放射過程(格子への熱緩和)の率であり,これは直接測れないので差し引きで求めるしかない.$Z$ の不可視幅と,蛍光体の無放射緩和率は,測り方まで同じ量なのである.

演習8.2 barn,ルミノシティ,事象数

問題(再掲)

(1) $1\ \mathrm{GeV^{-2}}$ を barn で表せ.また $1\ \mathrm{fm^2}$ を barn で表せ.

(2) $\sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-) = 4\pi\alpha^2/(3s) = 86.9\ \mathrm{nb}/s\,[\mathrm{GeV^2}]$ を使って,$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ での $\sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-)$ を nb で求めよ.積分ルミノシティ $1\ \mathrm{ab^{-1}}$($=10^{18}\ \mathrm{barn^{-1}}$)を溜めたとき,何事象得られるか.

(3) 例題8.1 の結果(LHC Run 2 で $7.7\times10^6$ 個の Higgs)を使い,$H\to\gamma\gamma$($\mathrm{BR}=0.227\%$)の事象数を求めよ.検出効率と選別効率の積を $30\%$ とすると,何事象が最終的に残るか.

解答

方針.本書8.1.4節の barn の定義と $(\hbar c)^2 = 0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$,および8.1.5節の $N=\mathcal{L}_{\text{int}}\sigma$ が全部である.素粒子の実験計画はこの2本の式で立つ——「この過程の断面積はいくらか」「何 $\mathrm{fb^{-1}}$ 溜めれば何事象になるか」.計算そのものは単位の付け替えにすぎないが,桁を間違えると実験が成立しないので,換算の道筋を明示的に書いておく.

(1) 自然単位系では長さと $1/$エネルギーが同一視される.その換算係数が $\hbar c$ である: $$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}. $$ 両辺を2乗すると $$ (\hbar c)^2 = (0.197327)^2\ \mathrm{GeV^2\,fm^2} = 0.038938\ \mathrm{GeV^2\,fm^2}. $$ 自然単位系では $\hbar c = 1$ とみなすので,この式は「$1\ \mathrm{GeV^{-2}} = 0.038938\ \mathrm{fm^2}$」と読み替えてよい.あとは $\mathrm{fm^2}$ を barn に直す.barn の定義(本書8.1.4節)は $1\ \mathrm{barn}=10^{-28}\ \mathrm{m^2}$,一方 $1\ \mathrm{fm}=10^{-15}\ \mathrm{m}$ なので $$ 1\ \mathrm{fm^2} = 10^{-30}\ \mathrm{m^2} = \frac{10^{-30}}{10^{-28}}\ \mathrm{barn} = 10^{-2}\ \mathrm{barn} = 10\ \mathrm{mbarn}. $$ これが (1) の後半の答えである.これを使うと $$ 1\ \mathrm{GeV^{-2}} = 0.038938\ \mathrm{fm^2} = 0.038938\times10^{-2}\ \mathrm{barn} = 3.894\times10^{-4}\ \mathrm{barn} = 0.3894\ \mathrm{mbarn}. $$ 本文の $(\hbar c)^2 = 0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$ という書き方は,この2行を1行に圧縮したものである.

(2) $\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ すなわち $s = 100\ \mathrm{GeV^2}$ である.与えられた式に入れると $$ \sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-) = \frac{86.9\ \mathrm{nb}}{100} = 0.869\ \mathrm{nb}. $$ 事象数は $N=\mathcal{L}_{\text{int}}\sigma$ である.単位をそろえる.$1\ \mathrm{ab}=10^{-18}\ \mathrm{barn}$ なので $1\ \mathrm{ab^{-1}}=10^{18}\ \mathrm{barn^{-1}}$,また $1\ \mathrm{nb}=10^{-9}\ \mathrm{barn}$ だから $1\ \mathrm{ab^{-1}} = 10^{9}\ \mathrm{nb^{-1}}$ と読み替えられる.したがって $$ N = 0.869\ \mathrm{nb}\times 10^{9}\ \mathrm{nb^{-1}} = 8.69\times10^{8}\ \text{事象}. $$ 約9億事象である.$B$ ファクトリー(Belle II)が $\sqrt{s}=10.58\ \mathrm{GeV}$ で数十 $\mathrm{ab^{-1}}$(設計目標 $50\ \mathrm{ab^{-1}}$)を目指しているのは,まさにこの桁の統計を得るためである.

(3) 生成された Higgs のうち $\gamma\gamma$ に崩壊するものは,分岐比を掛けて $$ N_{\gamma\gamma}^{\text{生成}} = 7.7\times10^{6}\times 0.00227 = 1.75\times10^{4}\ \text{個}. $$ そのうち検出器に記録され選別を生き延びるのは,効率 $30\%$ を掛けて $$ N_{\gamma\gamma}^{\text{観測}} = 1.75\times10^{4}\times0.30 = 5.2\times10^{3}\ \text{事象}. $$

検算.(2) の係数 $86.9\ \mathrm{nb}$ を,(1) で作った換算係数を使って自分で再現してみる.$\alpha=1/137.036$ として $$ \frac{4\pi\alpha^2}{3} = \frac{4\pi}{3\times(137.036)^2} = \frac{12.566}{56337} = 2.2306\times10^{-4}\ \mathrm{GeV^{-2}}. $$ これに $0.3894\ \mathrm{mbarn/GeV^{-2}}$ を掛けると $$ 2.2306\times10^{-4}\times0.3894\ \mathrm{mbarn} = 8.686\times10^{-5}\ \mathrm{mbarn} = 86.9\ \mathrm{nb} $$ ($1\ \mathrm{mbarn}=10^{6}\ \mathrm{nb}$ を使った).本文の $86.9\ \mathrm{nb}$ と一致する.じつは真の値は $86.85\ \mathrm{nb}$(より精密な $(\hbar c)^2=0.389379\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$ を使った値)というちょうど境界にあり,付録B の $86.8$ はその切り捨て,第8章・付録D の $86.9$ は切り上げで,どちらも同じ量を指している.つまり式 $\sigma=4\pi\alpha^2/(3s)$ と数値形 $86.9\ \mathrm{nb}/s[\mathrm{GeV^2}]$ は同じものであり,(1) の換算係数が正しく使えていることが確認できた.

意味.「断面積 $\times$ 積分ルミノシティ $=$ 事象数」という関係は,素粒子実験の設計そのものである.(3) で残った $5.2\times10^{3}$ 事象という数字は,$\gamma\gamma$ 連続背景がその $10^2$ 倍以上乗ってくることを考えると決して余裕のある数ではない.だからこそ Higgs 探索は「事象を数える」のではなく,$\gamma\gamma$ の不変質量分布に立つ細いピークとして探すことになる.背景の下に信号を埋もれさせないためには,質量分解能(=電磁カロリメータのエネルギー分解能)を上げることが決定的であり,そこで結晶シンチレータや液体アルゴンといった材料の選択が物理の成否を左右する.

同じ関係式は材料科学の側でもそのまま使われている.中性子照射による放射化や損傷の見積りでは,中性子フルエンス $\Phi$($\mathrm{n/cm^2}$)に核種の断面積 $\sigma$(barn)を掛けて,原子1個あたりの反応回数を出す.表8.2 に並べた $\sigma_a$ が桁で違うことが,そのまま「どの元素を炉内に入れてよいか」の判断になる.加速器のルミノシティと,照射装置のフルエンスは,同じ役割を果たす量である.

演習8.3 2体崩壊の運動量(Källén 関数)

問題(再掲)

質量 $M$ の粒子が静止していて,質量 $m_1$, $m_2$ の2粒子に崩壊する.

(1) エネルギー保存 $E_1+E_2=M$ と運動量保存 $\abs{\pp_1}=\abs{\pp_2}\equiv\abs{\pp}$ から出発して, $$ \abs{\pp} = \frac{1}{2M}\sqrt{\big[M^2-(m_1+m_2)^2\big]\big[M^2-(m_1-m_2)^2\big]} $$ を導け.

(2) $\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$($m_{\pi}=139.570\ \mathrm{MeV}$, $m_\mu=105.658\ \mathrm{MeV}$, $m_\nu\simeq0$)でのミューオンの運動量を求めよ.

(3) $\Lambda\to p+\pi^-$($m_\Lambda=1115.683$, $m_p=938.272$, $m_{\pi^-}=139.570\ \mathrm{MeV}$)での陽子の運動量を求めよ.

解答

方針.本問に力学は一切登場しない.使うのはエネルギー・運動量保存と,$E^2=\abs{\pp}^2+m^2$(計量 $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ のもとでの $p^2=m^2$)だけである.結果として得られる $\abs{\pp}$ は本書8.2.4節の Källén 関数そのもので,相互作用の中身($\mathcal{M}$)に一切依存しない純運動学量である.だからこそ,どんな理論を持ち込もうと $\abs{\pp}$ の値は変わらない.

(1) 親粒子の静止系で考える.初期状態の3元運動量はゼロなので,運動量保存より2つの娘粒子は正反対の向きに,大きさの等しい運動量をもつ: $$ \pp_2 = -\pp_1, \qquad \abs{\pp_1}=\abs{\pp_2}\equiv\abs{\pp}. $$ それぞれのエネルギーは $$ E_1 = \sqrt{\abs{\pp}^2+m_1^2}, \qquad E_2 = \sqrt{\abs{\pp}^2+m_2^2} $$ であり,エネルギー保存は $E_1+E_2=M$ である.

ステップ1($E_1$ を求める).$E_2=M-E_1$ と書いて両辺を2乗する: $$ E_2^2 = M^2 - 2ME_1 + E_1^2. $$ 左辺に $E_2^2=\abs{\pp}^2+m_2^2$,右辺の $E_1^2$ に $\abs{\pp}^2+m_1^2$ を入れると $$ \abs{\pp}^2+m_2^2 = M^2-2ME_1+\abs{\pp}^2+m_1^2. $$ 両辺の $\abs{\pp}^2$ が消えるのが要点である.残るのは $E_1$ についての1次式で $$ 2ME_1 = M^2+m_1^2-m_2^2 \qquad\Longrightarrow\qquad E_1 = \frac{M^2+m_1^2-m_2^2}{2M}. $$ $E_1$ が質量だけで完全に決まってしまうことに注意したい.2体崩壊の娘粒子のエネルギーは単色である.

ステップ2($\abs{\pp}^2$ を計算する).$\abs{\pp}^2=E_1^2-m_1^2$ に代入する: $$ \abs{\pp}^2 = \left(\frac{M^2+m_1^2-m_2^2}{2M}\right)^2 - m_1^2 = \frac{\big(M^2+m_1^2-m_2^2\big)^2 - 4M^2m_1^2}{4M^2}. $$

ステップ3(分子を因数分解する).分子は $X^2-Y^2$ の形($X=M^2+m_1^2-m_2^2$,$Y=2Mm_1$)なので $$ X^2-Y^2 = \big(M^2+m_1^2-2Mm_1-m_2^2\big)\big(M^2+m_1^2+2Mm_1-m_2^2\big) = \big[(M-m_1)^2-m_2^2\big]\big[(M+m_1)^2-m_2^2\big]. $$ それぞれをさらに2乗の差として開くと $$ = (M-m_1-m_2)(M-m_1+m_2)\,(M+m_1-m_2)(M+m_1+m_2). $$ 4つの因子を組み替える.第1因子と第4因子を組むと $$ (M-m_1-m_2)(M+m_1+m_2) = M^2-(m_1+m_2)^2, $$ 第2因子と第3因子を組むと $$ (M-m_1+m_2)(M+m_1-m_2) = \big[M-(m_1-m_2)\big]\big[M+(m_1-m_2)\big] = M^2-(m_1-m_2)^2. $$ したがって $$ \abs{\pp}^2 = \frac{\big[M^2-(m_1+m_2)^2\big]\big[M^2-(m_1-m_2)^2\big]}{4M^2}, $$ $$ \abs{\pp} = \frac{1}{2M}\sqrt{\big[M^2-(m_1+m_2)^2\big]\big[M^2-(m_1-m_2)^2\big]}. $$ これが求める式である.括弧を展開すると $$ \abs{\pp} = \frac{1}{2M}\sqrt{M^4+m_1^4+m_2^4-2M^2m_1^2-2M^2m_2^2-2m_1^2m_2^2} = \frac{\sqrt{\lambda(M^2,m_1^2,m_2^2)}}{2M} $$ となり,本書8.2.4節の Källén 関数 $\lambda(x,y,z)=x^2+y^2+z^2-2xy-2yz-2zx$ の形に一致する.第1因子 $M^2-(m_1+m_2)^2$ は $M=m_1+m_2$ でゼロになるので,しきい値がこの式に組み込まれていることが一目で読める.$M<m_1+m_2$ では根号の中が負になり $\abs{\pp}$ が虚数になる,すなわち崩壊できない.

(2) $m_\nu=0$ の場合は式が著しく簡単になる.$m_2=0$ を入れると2つの括弧がどちらも $M^2-m_1^2$ になるので,根号がそのまま外れて $$ \abs{\pp} = \frac{M^2-m_1^2}{2M}. $$ $\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ に当てはめる.$m_\pi=139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_\mu=105.658\ \mathrm{MeV}$ だから $$ m_\pi^2 = 19479.78\ \mathrm{MeV^2}, \qquad m_\mu^2 = 11163.61\ \mathrm{MeV^2}, $$ $$ \abs{\pp} = \frac{19479.78-11163.61}{2\times139.570} = \frac{8316.17}{279.14} = 29.79\ \mathrm{MeV}. $$ ミューオンもニュートリノも,大きさ $29.79\ \mathrm{MeV}$ の運動量を正反対の向きにもって飛ぶ.

(3) $\Lambda\to p+\pi^-$ では3つの質量がすべて有限なので,因数分解した形をそのまま使う.$M=1115.683$,$m_1=m_p=938.272$,$m_2=m_{\pi^-}=139.570\ \mathrm{MeV}$ として $$ M^2 = 1.244749\times10^{6}\ \mathrm{MeV^2}, $$ $$ (m_p+m_{\pi})^2 = (1077.842)^2 = 1.161743\times10^{6}, \qquad (m_p-m_{\pi})^2 = (798.702)^2 = 6.379249\times10^{5}. $$ 差をとると $$ M^2-(m_p+m_\pi)^2 = 8.30052\times10^{4}\ \mathrm{MeV^2}, \qquad M^2-(m_p-m_\pi)^2 = 6.068237\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2}. $$ 積は $5.03695\times10^{10}\ \mathrm{MeV^4}$,その平方根は $2.24432\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2}$ である.$2M=2231.366\ \mathrm{MeV}$ で割って $$ \abs{\pp} = \frac{2.24432\times10^{5}}{2231.366} = 100.58\ \mathrm{MeV}. $$ 陽子も $\pi^-$ も $100.6\ \mathrm{MeV}$ の運動量で飛ぶ.

検算.3通りで確かめる.

第1に,(2) についてエネルギー保存を直接確かめる.$E_\mu=\sqrt{(29.79)^2+(105.658)^2}=109.78\ \mathrm{MeV}$,$E_\nu=\abs{\pp}=29.79\ \mathrm{MeV}$ なので $$ E_\mu+E_\nu = 109.78+29.79 = 139.57\ \mathrm{MeV} = m_\pi $$ で,ぴたりと合う.

第2に,(3) についてステップ1の公式から独立に計算する. $$ E_p = \frac{M^2+m_p^2-m_\pi^2}{2M} = 943.65\ \mathrm{MeV}, \qquad \abs{\pp}=\sqrt{E_p^2-m_p^2}=\sqrt{(943.65)^2-(938.272)^2}=100.58\ \mathrm{MeV} $$ となり,因数分解した式の答えと一致する.また $E_\pi = M-E_p = 172.04\ \mathrm{MeV}$ から $\sqrt{E_\pi^2-m_\pi^2}=100.58\ \mathrm{MeV}$ も同じ値になる.

第3に,非相対論的な近似と比べる.$\Lambda$ 崩壊の $Q$ 値は $Q=M-m_p-m_\pi=37.84\ \mathrm{MeV}$,換算質量は $\mu = m_pm_\pi/(m_p+m_\pi)=121.50\ \mathrm{MeV}$ なので,非相対論なら $\abs{\pp}\simeq\sqrt{2\mu Q}=95.9\ \mathrm{MeV}$ である.厳密値 $100.58\ \mathrm{MeV}$ とは $5\%$ しか違わない.$\pi$ 中間子はやや相対論的($E_\pi/m_\pi=1.23$)なので,このずれの大きさは妥当である.

意味.2体崩壊では,娘粒子のエネルギーも運動量も質量だけで決まってしまう.すなわち2体崩壊のスペクトルは単色線である.これが実験で決定的に効く.ハイパー核の実験で $\Lambda$ の崩壊を同定できるのは,$100.6\ \mathrm{MeV}$ という決まった運動量の陽子(あるいは $\pi^-$)が出てくるからであり,$\pi^+$ ビームの純度を確かめるのに $29.8\ \mathrm{MeV}$ のミューオン(運動エネルギーにして $4.12\ \mathrm{MeV}$)を使えるのも同じ理由である.逆に,3体以上に崩壊すると運動量の分配に自由度が生じ,スペクトルは連続分布になる.$\beta$ 崩壊の電子スペクトルが連続であることから Pauli がニュートリノを要請したのは,まさにこの「2体なら単色,3体なら連続」という運動学だけを根拠にした議論である.

材料科学の側でも,同じ論理は日常的に使われている.$\alpha$ 崩壊が単色の線スペクトルを与えるのも,特性 X 線や Mössbauer 線が鋭いのも,終状態が実質的に2体だからである.測定されたピークの位置から,反応が何体であったかを逆算できる——運動学は,力学を知らなくても言えることを教えてくれる.

演習8.4 ABC モデルの寿命(別の質量セット)

問題(再掲)

$m_A=5\ \mathrm{GeV}$,$m_B=2\ \mathrm{GeV}$,$m_C=1\ \mathrm{GeV}$,$g=0.5\ \mathrm{GeV}$ とする.

(1) $\abs{\pp}$ を求めよ.

(2) $\Gamma(A\to B+C)$ を MeV で,寿命 $\tau$ を秒で求めよ.

(3) $m_B$ だけを $2\ \mathrm{GeV}$ から $3.9\ \mathrm{GeV}$ に増やすと(しきい値 $m_B+m_C=4.9\ \mathrm{GeV}$ にぎりぎり届く),$\Gamma$ は何倍になるか.位相空間抑制の効き方を確認せよ.

解答

方針.本書8.4節の完全な再演である.振幅は $\mathcal{M}=-g$(頂点1個,外線因子1,内線なし),したがって $\abs{\mathcal{M}}^2=g^2$ で角度依存性はない.2体崩壊の公式 $\Gamma=S\abs{\pp}\abs{\mathcal{M}}^2/(8\pi m_A^2)$ に,演習8.3 で導いた $\abs{\pp}$ を入れるだけである.終状態の $B$ と $C$ は別種の粒子なので統計因子は $S=1$ である.(3) は,振幅をまったく変えずに質量だけを動かしたとき,位相空間の因子 $\abs{\pp}$ がどれほど効くかを見る問題である.

(1) 演習8.3(1) の式に $M=m_A=5$,$m_1=m_B=2$,$m_2=m_C=1\ \mathrm{GeV}$ を入れる.$m_B+m_C=3$,$m_B-m_C=1$ なので $$ \abs{\pp} = \frac{1}{2\times5}\sqrt{(25-9)(25-1)} = \frac{1}{10}\sqrt{16\times24} = \frac{\sqrt{384}}{10} = \frac{19.5959}{10} = 1.9596\ \mathrm{GeV}. $$ しきい値は $m_B+m_C=3\ \mathrm{GeV}$ で,$m_A=5\ \mathrm{GeV}$ はそれより十分大きい.位相空間には余裕がある.

娘粒子のエネルギーからも同じ値が出ることを確かめておく.演習8.3 のステップ1の公式に $M=5$,$m_1=m_B=2$,$m_2=m_C=1$ を入れると $$ E_B = \frac{25+4-1}{10} = 2.8\ \mathrm{GeV}, \qquad E_C = \frac{25+1-4}{10} = 2.2\ \mathrm{GeV} $$ で,和は $E_B+E_C=5.0\ \mathrm{GeV}=m_A$ とエネルギー保存を満たす.運動量は $$ \sqrt{E_B^2-m_B^2} = \sqrt{7.84-4} = \sqrt{3.84} = 1.9596\ \mathrm{GeV}, \qquad \sqrt{E_C^2-m_C^2} = \sqrt{4.84-1} = \sqrt{3.84} = 1.9596\ \mathrm{GeV} $$ で,どちらからも同じ $\abs{\pp}$ が出る.$\abs{\pp}/m_A = 0.39$,$E_C/m_C=2.2$ なので,$C$ はかなり相対論的に飛び出す.

(2) 本書8.4.2節の $$ \Gamma(A\to B+C) = \frac{g^2\,\abs{\pp}}{8\pi m_A^2} $$ に代入する.$g^2=(0.5\ \mathrm{GeV})^2=0.25\ \mathrm{GeV^2}$,$8\pi m_A^2 = 8\pi\times25 = 628.32\ \mathrm{GeV^2}$ だから $$ \Gamma = \frac{0.25\times1.9596}{628.32}\ \mathrm{GeV} = \frac{0.48990}{628.32}\ \mathrm{GeV} = 7.797\times10^{-4}\ \mathrm{GeV} = 0.7797\ \mathrm{MeV}. $$ 寿命に直す.$\hbar=6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}$ を使って $$ \tau = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{0.7797\ \mathrm{MeV}} = 8.44\times10^{-22}\ \mathrm{s}. $$ すなわち $\Gamma=0.780\ \mathrm{MeV}$,$\tau=8.44\times10^{-22}\ \mathrm{s}$ である.

(3) $m_B=3.9\ \mathrm{GeV}$ に変えると,$m_B+m_C=4.9$,$m_B-m_C=2.9$ なので $$ \abs{\pp}' = \frac{1}{10}\sqrt{\big(25-(4.9)^2\big)\big(25-(2.9)^2\big)} = \frac{1}{10}\sqrt{(25-24.01)(25-8.41)} = \frac{1}{10}\sqrt{0.99\times16.59} $$ $$ = \frac{\sqrt{16.4241}}{10} = \frac{4.0527}{10} = 0.4053\ \mathrm{GeV}. $$ ここで決定的なのは,振幅は何も変わっていないことである.$\mathcal{M}=-g$ は質量に依存しないし,$g$ も $m_A$ も動かしていない.したがって崩壊率の比は $\abs{\pp}$ の比そのものであり $$ \frac{\Gamma'}{\Gamma} = \frac{\abs{\pp}'}{\abs{\pp}} = \frac{0.4053}{1.9596} = 0.2068 \qquad\left(=\frac{1}{4.84}\right). $$ 数値で書けば $\Gamma' = 0.2068\times0.7797 = 0.1613\ \mathrm{MeV}$,寿命は逆に $\tau'=4.08\times10^{-21}\ \mathrm{s}$ に伸びる.約 $1/4.8$ に落ちる,すなわちおよそ5分の1である.

なぜこれほど落ちるのかは,第1因子を書き直すと見える: $$ m_A^2-(m_B+m_C)^2 = \big(m_A-m_B-m_C\big)\big(m_A+m_B+m_C\big) = 0.1\times9.9 = 0.99\ \mathrm{GeV^2}. $$ しきい値からの余裕 $\Delta\equiv m_A-m_B-m_C$ が $2\ \mathrm{GeV}$ から $0.1\ \mathrm{GeV}$ に減ったことが,第1因子を $16\to0.99\ \mathrm{GeV^2}$,およそ $16$ 分の1にしている(和の因子 $m_A+m_B+m_C$ が $8\to9.9$ に増えるぶん,$\Delta$ の比 $1/20$ より少し緩い).$\abs{\pp}$ は根号なので,減り方は $\sqrt{\Delta}$ に比例する——これがしきい値則である.

検算.次元をまず見る.$[g^2]=$ 質量$^2$,$[\abs{\pp}]=$ 質量,$[m_A^2]=$ 質量$^2$ なので $[\Gamma]=$ 質量$^{2+1-2}=$ 質量$^1$ で正しい.振幅の側でも,$[\mathcal{M}]=[g]=$ 質量$^1$ は,外線 $n=3$ の過程に対する一般則 $[\mathcal{M}]=$ 質量$^{4-n}$(本書8.2.1節)と一致する.

次に摂動論の妥当性を確かめる.結合定数は質量次元をもつので,小ささを測る無次元比は $g/m_A = 0.5/5 = 0.1$,より精密には本書8.4.2節の目安 $g^2/(16\pi^2m_A^2) = 0.25/(16\pi^2\times25)=6.3\times10^{-5}$ である.どちらも $1$ よりはるかに小さいので,最低次だけで計算してよい.また $\Gamma/m_A = 0.780/5000 = 1.6\times10^{-4}$ なので,この $A$ は質量の $0.016\%$ の幅しかもたない細い共鳴である(例題8.2 の $2\times10^{-4}$ と同程度).

最後に,しきい値則を独立に確かめる.$\Delta\ll m_A$ の極限では $$ \abs{\pp}\simeq\frac{1}{2m_A}\sqrt{\Delta\,(m_A+m_B+m_C)\big[m_A^2-(m_B-m_C)^2\big]} $$ なので $\abs{\pp}\propto\sqrt{\Delta}$ である.そこで比 $\abs{\pp}'/\abs{\pp}$ を,3つの因子の積として書き直してみる. $$ \frac{\abs{\pp}'}{\abs{\pp}} = \sqrt{\frac{\Delta'}{\Delta}}\times \sqrt{\frac{(m_A+m_B'+m_C)}{(m_A+m_B+m_C)}}\times \sqrt{\frac{m_A^2-(m_B'-m_C)^2}{m_A^2-(m_B-m_C)^2}} . $$ 数値を入れると,$\Delta$ は $2\to0.1$ すなわち $1/20$ で $\sqrt{1/20}=0.2236$,質量の和は $8\to9.9$ で $\sqrt{9.9/8}=1.1124$,第2因子は $24\to16.59$ で $\sqrt{16.59/24}=0.8314$ である.掛け合わせると $$ 0.2236\times1.1124\times0.8314 = 0.2068 $$ となり,(3) で直接計算した $0.2068$ と小数第4位まで一致する.「しきい値則で $\sqrt{1/20}=0.224$ 倍」という粗い見積りが実際の $0.207$ 倍と少しずれるのは,$\Delta$ 以外の2つの因子(和の因子が $1.11$ 倍に増え,第2因子が $0.83$ 倍に減る)がほぼ打ち消し合いつつ,わずかに減少側に残るためである.$\sqrt{\Delta}$ 則はしきい値のごく近傍でだけ厳密になる漸近則であり,$\Delta/m_A=0.02$ の本問では,この程度の補正が付くのが正しい姿である.

意味.この問題の主張は一言である.崩壊が遅くなる理由は,力が弱いか,位相空間が狭いか,そのどちらかしかない(本書8.2.2節).ここでは力($g$)をまったく触らずに,位相空間だけで率が5分の1になった.実在の粒子でも事情は同じで,中性子の寿命が約 $878\ \mathrm{s}$ と異様に長いのは弱い相互作用が弱いからだけでなく,$Q$ 値がわずか $0.78\ \mathrm{MeV}$ しかなく位相空間が極端に狭いためである($\beta$ 崩壊の率は $Q^5$ に比例する).

材料科学でも,同じ「しきい値則」が至るところに顔を出す.半導体の直接遷移吸収端が $\alpha\propto\sqrt{\hbar\omega-E_g}$ で立ち上がるのは,終状態の結合状態密度が $\sqrt{E}$ 型だからであり,本問の $\abs{\pp}\propto\sqrt{\Delta}$ とまったく同じ起源をもつ(本書8.7.2節).遷移行列要素がバンド端の近くでほぼ一定なのに吸収がゼロから立ち上がるのは,「行けるところが狭い」からである.素粒子の位相空間抑制と,光吸収端の形は,同じ式の別の顔である.

演習8.5 $A+B\to A+B$ 散乱($s$ チャンネルと $u$ チャンネル)

問題(再掲)

ABC モデルで $A+B\to A+B$ を最低次(頂点2個)で考える.入射を $A(p_1)$, $B(p_2)$,放出を $A(p_3)$, $B(p_4)$ とする.

(1) 描ける図をすべて描け.内線が $C$ になる図が2枚あることを確かめ,それぞれ内線の $q^2$ が $s$ と $u$ のどちらになるかを言え.また,$t$ チャンネルの図が描けない理由を述べよ.

(2) 不変振幅 $\mathcal{M}$ を書き下せ.

(3) $s$ チャンネルの伝播関数の分母 $s-m_C^2$ は,どんな条件のときゼロになりうるか.そのとき何が起きるか,8.7.4節と関連づけて述べよ.

(4) 統計因子 $S$ はいくつか.$\dd\sigma/\dd\Omega$ を書き下せ.

解答

方針.本書8.3.2節のファインマン則を順番に適用するだけだが,落とし穴は規則1(描ける図をひとつも落とさない)である.そこで,勘で数えるのではなく,本書8.6.1節の数え上げ公式 $I=(3V-E)/2$ と $L=I-V+1$ で図の骨格を確定させてから,外線の割り振りを網羅的に調べる.そうすれば「2枚しかない」ことを論証できる.

(1) 最低次は頂点 $V=2$,外線は $E=4$ 本である.ABC モデルの頂点はどれも線が3本なので,線の端は全部で $3V=6$ 個,そのうち4個が外線の端,残る2個が組んで内線になる: $$ I = \frac{3V-E}{2} = \frac{6-4}{2} = 1, \qquad L = I-V+1 = 1-2+1 = 0 . $$ すなわち内線は1本,ループはなく,すべてツリー図である.

あとは,4本の外線を2つの頂点に2本ずつ振り分ける方法を数え上げればよい.振り分けは次の3通りしかない.

(i) $\{A(p_1),B(p_2)\}$ と $\{A(p_3),B(p_4)\}$.どちらの頂点も $A$ が1本,$B$ が1本なので,残る1本を $C$ にすれば $A$–$B$–$C$ の三叉路になり,模型の頂点として許される.内線は $C$ である.内線の4元運動量は,左の頂点での保存から $q=p_1+p_2$ であり $$ q^2 = (p_1+p_2)^2 = s . $$ これが $s$ チャンネルである.物理的には,$A$ と $B$ が合体していったん1個の $C$ になり,その $C$ がふたたび $A+B$ に分かれる過程である.

(ii) $\{A(p_1),B(p_4)\}$ と $\{B(p_2),A(p_3)\}$.これも各頂点が $A$ 1本と $B$ 1本なので $C$ の内線をつなげば許される.内線の運動量は $q=p_1-p_4$ であり $$ q^2 = (p_1-p_4)^2 = u . $$ これが $u$ チャンネルである.入射した $A$ が $B(p_4)$ を放出して $C$ になり,その $C$ をもう一方の $B(p_2)$ が吸収して $A(p_3)$ になる,という交換の図である.

(iii) $\{A(p_1),A(p_3)\}$ と $\{B(p_2),B(p_4)\}$.この割り振りでは,一方の頂点に $A$ が2本集まる.内線をどの粒子にとっても,その頂点は $A$–$A$–$X$ という形になってしまう.ABC モデルの相互作用は $\Lag_{\text{int}}=-g\,\phi_A\phi_B\phi_C$ ただ1つで,$A$–$A$–$X$ 頂点は存在しない.よってこの図は描けない.内線の運動量は $q=p_1-p_3$,$q^2=t$ に当たるので,この模型には $t$ チャンネルが存在しないということになる.

以上より,最低次の図はちょうど2枚,$s$ チャンネルと $u$ チャンネルである.どのチャンネルが現れるかは,模型がもつ頂点の形だけで決まる——本書8.5.1節で $A+A\to B+B$ に $s$ チャンネルが現れなかったのと,まったく同じ論法の裏返しである.

(a) s チャンネル A(p₁) B(p₂) A(p₃) B(p₄) C q = p₁+p₂ , q² = s (b) u チャンネル A(p₁) B(p₄) B(p₂) A(p₃) C q = p₁−p₄ , q² = u (c) t チャンネル(描けない) A(p₁) A(p₃) X A–A–X という頂点は ABC モデルに存在しない (q = p₁−p₃ , q² = t)
図E.8.1 $A+B\to A+B$ の最低次ファインマン図.破線が内線(伝播関数)で,$C$ が交換される.(a) $s$ チャンネル:$A$ と $B$ が合体して1個の $C$ になり,ふたたび分かれる.(b) $u$ チャンネル:$C$ を交換する.(c) $t$ チャンネルには $A$–$A$–$X$ 頂点が必要で,ABC モデルには存在しない.時間は左から右に流れる.

(2) $s$ チャンネルの図に規則を適用する.頂点2個で $(-\ii g)^2=-g^2$,内線(質量 $m_C$)で $\ii/(q^2-m_C^2)$,頂点ごとの運動量保存の $\delta$ 関数が2個,内線1本ぶんの積分 $\int\dd^4q/(2\pi)^4$ が1回である.本書8.5.2節とまったく同じ手順で,$\delta$ 関数の1個が $q=p_1+p_2$ を強制して積分を潰し,もう1個が全体の $(2\pi)^4\delta^4(p_1+p_2-p_3-p_4)$ として残る.規則8にしたがって全体の $\delta$ 関数と $(2\pi)^4$ を外し,$-\ii$ を掛けると $$ \mathcal{M}_s = (-\ii)\times(-g^2)\times\frac{\ii}{s-m_C^2} = (-\ii)(\ii)\times\frac{-g^2}{s-m_C^2} = \frac{-g^2}{s-m_C^2} $$ ($(-\ii)(\ii)=-\ii^2=+1$ を使った).$u$ チャンネルは内線の運動量が $q=p_1-p_4$ になるだけで,係数はまったく同じである.規則9にしたがい,2枚を同じ符号で足して $$ \mathcal{M} = -g^2\left[\frac{1}{s-m_C^2} + \frac{1}{u-m_C^2}\right]. $$

(3) 分母がゼロになるのは $$ s = m_C^2, \qquad\text{すなわち}\qquad \sqrt{s} = m_C $$ のときである.一方,この反応の物理領域は,始状態に $A$ と $B$ を実在の粒子として用意できること,すなわち $$ \sqrt{s}\ \ge\ m_A+m_B $$ である.したがって極に届くのは $$ m_C \ \ge\ m_A+m_B $$ のとき,つまり $C$ が $A+B$ に崩壊できるほど重いときに限られる.

そのとき何が起きるか.$\sqrt{s}=m_C$ に合わせて衝突させると,交換されていた $C$ が仮想粒子ではなく実在の粒子として生成され,しばらく生きてから $A+B$ に崩壊する.これが共鳴である.最低次の式のままでは断面積が無限大になってしまうが,これは $C$ が安定であると仮定した近似のせいである.本書8.6.4節で見たように,$C$ が崩壊できるなら自己エネルギーが虚部をもち,8.7.4節の議論により伝播関数の分母は $$ s-m_C^2\ \longrightarrow\ s-m_C^2+\ii\,m_C\Gamma_C $$ に置き換わる.極が実軸から $\Gamma_C$ だけ離れるので,断面積は発散せず $$ \abs{\mathcal{M}}^2 \propto \frac{1}{(s-m_C^2)^2+m_C^2\Gamma_C^2} $$ という有限な Breit–Wigner 型のピークになる.ピークの高さは $1/(m_C\Gamma_C)^2$ に比例し,半値全幅($\sqrt{s}$ で測って)は $\Gamma_C$ である.

なお,この状況($m_C>m_A+m_B$)では $m_A<m_B+m_C$ となるので,本書8.4節で計算した崩壊 $A\to B+C$ は禁止される.「$A$ が崩壊する模型」と「$C$ が共鳴として現れる模型」は,同じ ABC モデルの排他的な2つのパラメータ領域なのである.

(4) 統計因子 $S$ は,終状態に同種粒子が $k$ 個ある組ごとに $1/k!$ を掛けたものである(本書8.2.2節).いまの終状態は $A$ が1個と $B$ が1個で,同種粒子の組はない.したがって $$ S = 1 . $$ また,始状態も終状態も $A$ と $B$ の組で質量が同じ(弾性散乱)なので,本書8.2.4節の式から $\abs{\pp_f}=\abs{\pp_i}$,比の因子は $1$ である.本書8.2.6節の2体散乱の公式に入れて $$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{64\pi^2 s}\frac{\abs{\pp_f}}{\abs{\pp_i}} = \frac{g^4}{64\pi^2 s}\left[\frac{1}{s-m_C^2}+\frac{1}{u-m_C^2}\right]^2 . $$ ここで $u$ は,本書8.5.3節と同様に $u = 2m_A^2+2m_B^2-s-t$ から $\cos\theta$ の関数として書ける.具体的に書き下しておく.弾性散乱なので CM 系での運動量の大きさは前後で共通で $$ \abs{\pp} = \frac{1}{2\sqrt{s}}\sqrt{\big[s-(m_A+m_B)^2\big]\big[s-(m_A-m_B)^2\big]} $$ (演習8.3 の式で $M\to\sqrt{s}$ としたもの),散乱角を $\pp_1$ と $\pp_3$ のなす角 $\theta$ にとると $$ t = (p_1-p_3)^2 = 2m_A^2-2\big(E_1^2-\abs{\pp}^2\cos\theta\big) = -2\abs{\pp}^2\,(1-\cos\theta), $$ $$ u = 2m_A^2+2m_B^2-s-t = 2m_A^2+2m_B^2-s+2\abs{\pp}^2(1-\cos\theta) $$ である($E_1^2=m_A^2+\abs{\pp}^2$ を使った).$t$ が前方 $\theta=0$ でゼロ,後方 $\theta=\pi$ で $-4\abs{\pp}^2$ になるのは,弾性散乱に特有の性質である.これを (4) の式に入れれば,任意のエネルギー・任意の角度で $\dd\sigma/\dd\Omega$ が数値になる.

検算.3点で確かめる.

第1に次元である.$[g^2]=$ 質量$^2$,$[s-m_C^2]=$ 質量$^2$ なので $[\mathcal{M}]=$ 質量$^0$,すなわち無次元である.外線 $n=4$ の過程に対する一般則 $[\mathcal{M}]=$ 質量$^{4-n}=$ 質量$^0$(本書8.2.1節)と合っている.したがって $[\dd\sigma/\dd\Omega]=[\mathcal{M}]^2/[s]=$ 質量$^{-2}$ で,面積の次元になっている.

第2に,Mandelstam 変数の恒等式である.本書8.5.1節の $s+t+u=\sum_i m_i^2$ に,いまの外線質量 $m_A^2+m_B^2+m_A^2+m_B^2$ を入れると $s+t+u=2m_A^2+2m_B^2$ となり,$A+A\to B+B$ の場合と同じ右辺になる.外線が $A,B,A,B$ でも $A,A,B,B$ でも,質量の2乗の和は変わらないからである.

第3に,重い媒介粒子の極限をとる.$m_C^2\gg s,\abs{u}$ とすると $1/(s-m_C^2)\to-1/m_C^2$,$1/(u-m_C^2)\to-1/m_C^2$ なので $$ \mathcal{M}\ \longrightarrow\ -g^2\left(-\frac{2}{m_C^2}\right) = \frac{2g^2}{m_C^2} $$ という角度にもエネルギーにもよらない定数になる.このとき $\dd\sigma/\dd\Omega\propto1/s$,全断面積も $\sigma\propto1/s$ で落ちる.本書8.2.6節の「振幅が無次元定数なら $\sigma\propto1/s$」という一般論のとおりであり,重い媒介粒子を積分して消すと4点接触相互作用(Fermi 型)になるという第12章の議論の雛形にもなっている.

意味.同じ模型・同じ結合定数でも,どのチャンネルが開くかで断面積のエネルギー依存性はまったく違う.$s$ チャンネルは特定のエネルギーで鋭いピークを立てる(共鳴),$t$/$u$ チャンネルは分母が決してゼロにならないので滑らかな背景を作る(交換力).実験でエネルギーを掃引したときに見えるピークと,その下に横たわる連続成分は,このように起源が違う.

材料科学の側でも,同じ2種類が同居している.中性子と原子核の散乱では,$^{238}\mathrm{U}$ の $6.67\ \mathrm{eV}$ 共鳴(表8.7)が $s$ チャンネル型の複合核共鳴に当たり,滑らかなポテンシャル散乱が $t$ チャンネル型の背景に当たる.両者が干渉して非対称な線形が現れるのが Fano 共鳴であり,固体の光吸収スペクトルや走査トンネル分光で日常的に観測される.共鳴と背景を分けて考えるという本問の作法は,そのまま分光データの解析の作法である.

演習8.6 湯川ポテンシャルと Thomas–Fermi 遮蔽長

問題(再掲)

(1) $V(r)=\ee^{-\kappa r}/(4\pi r)$ が,$r\neq0$ で方程式 $(-\nabla^2+\kappa^2)V=0$ を満たすことを直接微分して確かめよ(球対称 Laplacian は $\nabla^2 f = \frac{1}{r}\frac{\dd^2}{\dd r^2}(rf)$).これが本書8.7.3節の Fourier 変換の式の別証明になっている理由を説明せよ.

(2) アルミニウムの伝導電子密度は $n=1.81\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$(1原子3電子)である.$k_F=(3\pi^2n)^{1/3}$ と $\kappa_{\mathrm{TF}}^2=4k_F/(\pi a_0)$($a_0=0.529\ \mathrm{\mathring{A}}$)から遮蔽長 $\lambda_{\mathrm{TF}}=1/\kappa_{\mathrm{TF}}$ を求め,Cu の値($0.55\ \mathrm{\mathring{A}}$)と比べよ.

(3) 「金属中の光子は実効質量 $\kappa_{\mathrm{TF}}$ をもつ」という言い方を検討する.Al について $\hbar c\kappa_{\mathrm{TF}}$ を eV で求め,プラズマエネルギー $\hbar\omega_p=\hbar\sqrt{ne^2/(\varepsilon_0 m)}$(Al で約 $15\ \mathrm{eV}$)と比べよ.なぜ2桁以上も違うのか,また「金属中の光子の質量」と呼ぶのにふさわしいのはどちらかを論ぜよ.

解答

方針.(1) は Green 関数の言い換えである.本書8.7.3節で留数計算によって示した Fourier 変換の関係は,実空間で書けば「$V$ は演算子 $-\nabla^2+\kappa^2$ の Green 関数である」という主張にほかならない.そこで,微分方程式を直接確かめれば同じことを示したことになる.(2)(3) は数値計算で,自然単位系の使い方(波数がそのままエネルギー)の練習である.

(1) $V(r)=\ee^{-\kappa r}/(4\pi r)$ に対して $rV$ を作ると,$r$ が約分されて $$ r\,V(r) = \frac{\ee^{-\kappa r}}{4\pi} $$ という単なる指数関数になる.これを2回微分すると $$ \frac{\dd}{\dd r}(rV) = -\frac{\kappa\,\ee^{-\kappa r}}{4\pi}, \qquad \frac{\dd^2}{\dd r^2}(rV) = \frac{\kappa^2\,\ee^{-\kappa r}}{4\pi} = \kappa^2\,(rV). $$ 球対称の Laplacian の公式に入れると,$r\neq0$ で $$ \nabla^2 V = \frac{1}{r}\frac{\dd^2}{\dd r^2}(rV) = \frac{1}{r}\,\kappa^2\,(rV) = \kappa^2 V, $$ $$ (-\nabla^2+\kappa^2)V = -\kappa^2V+\kappa^2V = 0 \qquad (r\neq0). $$ 指数関数が「2回微分すると自分に戻る」という性質が,そのまま $\ee^{-\kappa r}/r$ が遮蔽 Poisson 方程式を満たす理由になっている.

原点の特異性.上の計算は $r\neq0$ でしか使えない.原点では $V\sim1/(4\pi r)$ と発散し,そこに $\delta$ 関数が隠れている.半径 $\varepsilon$ の小球にわたって積分して確かめよう.Gauss の定理より $$ \int_{r<\varepsilon}(-\nabla^2V)\,\dd^3x = -\oint_{r=\varepsilon}\nabla V\cdot\dd\bm{S} = -4\pi\varepsilon^2\left.\frac{\dd V}{\dd r}\right|_{r=\varepsilon}. $$ 微分は $$ \frac{\dd V}{\dd r} = \frac{\dd}{\dd r}\left(\frac{\ee^{-\kappa r}}{4\pi r}\right) = -\frac{\ee^{-\kappa r}}{4\pi r^2}-\frac{\kappa\,\ee^{-\kappa r}}{4\pi r} = -\frac{(1+\kappa r)\,\ee^{-\kappa r}}{4\pi r^2} $$ なので $$ -4\pi\varepsilon^2\left.\frac{\dd V}{\dd r}\right|_{\varepsilon} = (1+\kappa\varepsilon)\,\ee^{-\kappa\varepsilon} \ \xrightarrow{\ \varepsilon\to0\ }\ 1 . $$ 一方 $\kappa^2V$ の寄与は $$ \int_{r<\varepsilon}\kappa^2 V\,\dd^3x = \kappa^2\int_0^\varepsilon \frac{\ee^{-\kappa r}}{4\pi r}\,4\pi r^2\,\dd r = \kappa^2\int_0^{\varepsilon} r\,\ee^{-\kappa r}\,\dd r \ \xrightarrow{\ \varepsilon\to0\ }\ 0 $$ で消える.したがって小球の積分は $1$ に収束し,全体として $$ (-\nabla^2+\kappa^2)\,V(r) = \delta^3(\bm{r}) $$ が成り立つ.

なぜこれが別証明なのか.この微分方程式を運動量空間に移す.$V(\bm{r})=\int\dd^3q/(2\pi)^3\ \tilde V(\qq)\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}$ と展開すると $-\nabla^2\to \abs{\qq}^2$ に置き換わり,また $\delta^3(\bm{r})=\int\dd^3q/(2\pi)^3\ \ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}$ すなわち $\delta$ 関数の Fourier 係数は $1$ である.したがって $$ \big(\abs{\qq}^2+\kappa^2\big)\,\tilde V(\qq) = 1 \qquad\Longleftrightarrow\qquad \tilde V(\qq) = \frac{1}{\abs{\qq}^2+\kappa^2}. $$ つまり「$V=\ee^{-\kappa r}/(4\pi r)$ が $(-\nabla^2+\kappa^2)V=\delta^3(\bm{r})$ を満たす」ことと,「$1/(\abs{\qq}^2+\kappa^2)$ の Fourier 変換が $\ee^{-\kappa r}/(4\pi r)$ である」ことは,同一の主張の2通りの言い方である.無限遠でゼロに減衰する解は一意なので,一方を示せば他方が従う.本書8.7.3節では留数定理で積分を実行したが,答えを知っていれば微分するだけで検証できる,というのが本問の趣旨である.$\kappa\to0$ とすれば $-\nabla^2 (1/4\pi r)=\delta^3(\bm{r})$ という電磁気学でおなじみの Poisson 方程式の Green 関数に戻ることも,同じ計算から読み取れる.

(2) まず Fermi 波数を求める.$3\pi^2 = 29.609$ なので $$ 3\pi^2 n = 29.609\times1.81\times10^{29} = 5.359\times10^{30}\ \mathrm{m^{-3}}, $$ $$ k_F = \big(5.359\times10^{30}\big)^{1/3} = (5.359)^{1/3}\times10^{10} = 1.750\times10^{10}\ \mathrm{m^{-1}} = 1.750\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}}. $$ 次に Thomas–Fermi 波数である.$a_0 = 0.529\ \mathrm{\mathring{A}} = 0.529\times10^{-10}\ \mathrm{m}$ を使って $$ \kappa_{\mathrm{TF}}^2 = \frac{4k_F}{\pi a_0} = \frac{4\times1.750\times10^{10}\ \mathrm{m^{-1}}}{\pi\times0.529\times10^{-10}\ \mathrm{m}} = \frac{7.000\times10^{10}}{1.6619\times10^{-10}} = 4.212\times10^{20}\ \mathrm{m^{-2}}, $$ $$ \kappa_{\mathrm{TF}} = 2.052\times10^{10}\ \mathrm{m^{-1}} = 2.052\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}}. $$ 遮蔽長はその逆数で $$ \lambda_{\mathrm{TF}} = \frac{1}{\kappa_{\mathrm{TF}}} = 4.873\times10^{-11}\ \mathrm{m} = 0.487\ \mathrm{\mathring{A}}. $$ Cu の $0.55\ \mathrm{\mathring{A}}$ と比べると,Al のほうが約 $12\%$ 短い.Al は1原子あたり3電子を出すので伝導電子密度が Cu の $2.1$ 倍あり,電子が多いほど遮蔽が強く効いて遮蔽長が短くなる,という予想どおりの向きである.

(3) 自然単位系では $\hbar=c=1$ なので,波数(長さの逆数)はそのままエネルギー(質量)である.SI に戻すときの換算係数が $\hbar c$ で, $$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 1973.27\ \mathrm{eV\,\mathring{A}} $$ である($1\ \mathrm{MeV\,fm} = 10^{6}\ \mathrm{eV}\times10^{-5}\ \mathrm{\mathring{A}} = 10\ \mathrm{eV\,\mathring{A}}$ による).したがって Al の遮蔽波数に対応するエネルギーは $$ \hbar c\,\kappa_{\mathrm{TF}} = 1973.27\ \mathrm{eV\,\mathring{A}}\times2.052\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}} = 4.05\times10^{3}\ \mathrm{eV} = 4.05\ \mathrm{keV}. $$ これは,静的な Coulomb ポテンシャルが Al の中では「質量 $4\ \mathrm{keV}$ の粒子を交換する湯川ポテンシャル」と同じ形に遮蔽される,という意味での実効質量である.湯川ポテンシャルの到達距離 $R=\hbar/(mc)$ と遮蔽長 $\lambda_{\mathrm{TF}}=1/\kappa_{\mathrm{TF}}$ が,同じ式の同じ場所に立っている. 一方,プラズマエネルギーは $$ \hbar\omega_p = \hbar\sqrt{\frac{ne^2}{\varepsilon_0 m}} = 1.0546\times10^{-34}\ \mathrm{J\,s}\times2.400\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}} = 15.8\ \mathrm{eV} $$ (実測は約 $15\ \mathrm{eV}$)であり,比は $$ \frac{\hbar c\,\kappa_{\mathrm{TF}}}{\hbar\omega_p} = \frac{4.05\times10^{3}}{15.8} = 256 $$ となる.この比は偶然の数ではない.$\kappa_{\mathrm{TF}}^2=3ne^2/(2\varepsilon_0E_F)$ と $\omega_p^2=ne^2/(\varepsilon_0 m)$ の比をとると $$ \frac{\hbar c\,\kappa_{\mathrm{TF}}}{\hbar\omega_p} = \sqrt{\frac{3mc^2}{2E_F}} = \sqrt{\frac{3\times5.110\times10^{5}}{2\times11.67}} = 256 $$ ($E_F=\hbar^2k_F^2/2m=11.67\ \mathrm{eV}$)であり,$\sqrt3\,c/v_F$ という因子の分だけ2桁以上離れている. 違いの物理的な理由は,二つの量が見ている場の成分と周波数が違うことにある.$\kappa_{\mathrm{TF}}$ は静的($\omega=0$)な縦場(電場)が遮蔽される波数であり,プラズマ物理の Debye 質量に当たる.横波である光子の分散関係には現れない.電磁波が金属中を伝われなくなるしきい値を与えるのは $\omega_p$ の方で,横波の分散関係 $\omega^2=\omega_p^2+c^2k^2$ の質量項がそれである.したがって「金属中の光子の質量」と呼ぶにふさわしいのは $\hbar\omega_p\approx15\ \mathrm{eV}$ であり,$4\ \mathrm{keV}$ ではない.実際 $4\ \mathrm{keV}$ の X 線は Al をほぼ素通りする.「光子が実効質量 $\kappa_{\mathrm{TF}}$ をもつ」という言い方は,静的な縦応答に限った言い換えである(本書8.7.3節の囲み「注意:どこまでが『同じ』なのか」).

検算.3通りで確かめる.

第1に次元.$[\kappa_{\mathrm{TF}}^2]=[k_F]/[a_0]=\mathrm{m^{-1}}/\mathrm{m}=\mathrm{m^{-2}}$ で,波数の2乗として正しい.また $[\hbar c\,\kappa]=\mathrm{eV\,\mathring{A}}\times\mathrm{\mathring{A}^{-1}}=\mathrm{eV}$ でエネルギーになっている.

第2に,同じ手続きで本書8.7.3節の Cu の値を再現できるかを見る.$n=8.47\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ を入れると $$ k_F = 1.359\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}}, \qquad \kappa_{\mathrm{TF}} = 1.808\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}}, \qquad \lambda_{\mathrm{TF}} = 0.553\ \mathrm{\mathring{A}} $$ となり,本文の $k_F=1.36\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}}$,$\kappa_{\mathrm{TF}}=1.81\ \mathrm{\mathring{A}^{-1}}$,$\lambda_{\mathrm{TF}}=0.55\ \mathrm{\mathring{A}}$ と一致する.計算手順に誤りがないことが確認できた.

第3に,密度依存性のべきで確かめる.$k_F\propto n^{1/3}$,$\kappa_{\mathrm{TF}}\propto k_F^{1/2}\propto n^{1/6}$ なので $$ \lambda_{\mathrm{TF}}\propto n^{-1/6}. $$ Al と Cu の密度比は $1.81\times10^{29}/8.47\times10^{28}=2.137$ で,その $1/6$ 乗は $2.137^{1/6}=1.135$ である.したがって $$ \lambda_{\mathrm{TF}}^{\mathrm{Al}} = \frac{0.553}{1.135} = 0.487\ \mathrm{\mathring{A}} $$ となり,(2) の直接計算と完全に一致する.$n^{-1/6}$ という弱いべきであることも重要で,電子密度を2倍にしても $2^{-1/6}=0.891$,すなわち遮蔽長は $11\%$ しか縮まない.電子密度を10倍にしても $10^{-1/6}=0.68$ で3割強である.金属の遮蔽長がどの金属でもおおむね $0.5\ \mathrm{\mathring{A}}$ 前後に収まるのはこのためである.

意味.$\lambda_{\mathrm{TF}}=0.49\ \mathrm{\mathring{A}}$ は,Al の最近接原子間距離 $2.86\ \mathrm{\mathring{A}}$ の $1/5.9$,すなわち約 $1/6$ である.つまり,金属中に不純物イオンを1個置いても,その電荷は最近接原子に届く前にほぼ完全に隠されてしまう.合金や欠陥の第一原理計算で,遠方のイオンの影響を無視した有限サイズのスーパーセルが使えるのは,この短い遮蔽長のおかげである.逆に半導体では伝導電子密度が桁違いに低いため遮蔽長は数十 $\mathrm{\mathring{A}}$ 以上になり,ドーパントの長距離 Coulomb 場をきちんと扱わなければならない.遮蔽長を見積もることは,計算のセルサイズを決めることでもある.

そして (3) が示すとおり,「金属中の光子の質量」という言い方には,どの成分・どの周波数の応答を指すのかを添えなければならない.静的な縦場の遮蔽($4\ \mathrm{keV}$)と横波のしきい値($15\ \mathrm{eV}$)は別の量である.第13章の Anderson–Higgs 機構は,超伝導体の中で横光子が質量を得る側の話であり,その結果として磁場が London 侵入長で遮蔽される(Meissner 効果).表8.5 に並べた核力・弱い相互作用・金属の遮蔽・電解質の Debye 長は,すべて同じ1本の式 $1/(\abs{\qq}^2+\kappa^2)\to\ee^{-\kappa r}/(4\pi r)$ の別の顔である.

演習8.7 Breit–Wigner の幅と $Q$ 値

問題(再掲)

(1) 本書8.7.4節の Lorentz 関数 $f(E)=1/[(E-M)^2+\Gamma^2/4]$ について,ピーク値の半分になる $E$ を求め,半値全幅が $\Gamma$ であることを示せ.

(2) $\Delta(1232)$ の幅は $\Gamma=117\ \mathrm{MeV}$ である.寿命 $\tau$ を秒で求め,光が陽子の直径 $1.7\ \mathrm{fm}$ を横切る時間と比べよ.

(3) $Q=M/\Gamma$ を,$\rho(770)$,$J/\psi$,Si の光学フォノン($520\ \mathrm{cm^{-1}}$,FWHM $3.0\ \mathrm{cm^{-1}}$)について求め,大小関係を述べよ.

(4) 減衰振動子 $\chi(\omega)=(1/m)/(\omega_0^2-\omega^2-\ii\gamma\omega/m)$ について,$\mathrm{Im}\,\chi$ の共鳴近傍での FWHM が $\gamma/m$ になることを示し,素粒子の $\Gamma$ との対応を述べよ.

解答

方針.本問の主張は「素粒子の共鳴と,物質中の減衰振動子は,同じ Lorentz 関数で記述される」ということに尽きる.(1) と (4) はその同一性を式で示す部分であり,(2) と (3) は同じ物差し($\Gamma$ と $Q$)で素粒子と固体を並べる部分である.計算に使うのは $\tau=\hbar/\Gamma$ と,Lorentz 関数の初等的な性質だけである.

(1) $f(E)=1/[(E-M)^2+\Gamma^2/4]$ は,分母が最小になるところで最大になる.分母 $(E-M)^2+\Gamma^2/4$ は $E=M$ で最小値 $\Gamma^2/4$ をとるので $$ f_{\max} = f(M) = \frac{4}{\Gamma^2}. $$ ピーク値の半分になる $E$ を探す: $$ \frac{1}{(E-M)^2+\Gamma^2/4} = \frac{1}{2}\cdot\frac{4}{\Gamma^2} = \frac{2}{\Gamma^2}. $$ 逆数をとって $$ (E-M)^2+\frac{\Gamma^2}{4} = \frac{\Gamma^2}{2} \qquad\Longrightarrow\qquad (E-M)^2 = \frac{\Gamma^2}{2}-\frac{\Gamma^2}{4} = \frac{\Gamma^2}{4}, $$ $$ E = M \pm \frac{\Gamma}{2}. $$ 半値をとる2点の間隔,すなわち半値全幅は $$ \text{FWHM} = \left(M+\frac{\Gamma}{2}\right)-\left(M-\frac{\Gamma}{2}\right) = \Gamma $$ である.崩壊率 $\Gamma$ を「幅」と呼ぶ理由が,これで完全に明らかになった.時間領域の指数減衰 $\ee^{-\Gamma t}$ と,振動数領域の Lorentz 型ピークは Fourier 変換で結ばれた同一物であり,減衰が速いほどピークが太い.

(2) $\tau=\hbar/\Gamma$ に $\hbar=6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}$,$\Gamma=117\ \mathrm{MeV}$ を入れる: $$ \tau = \frac{6.582\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{117\ \mathrm{MeV}} = 5.63\times10^{-24}\ \mathrm{s}. $$ 一方,光が陽子の直径 $1.7\ \mathrm{fm}$ を横切る時間は $$ t_{\text{cross}} = \frac{1.7\times10^{-15}\ \mathrm{m}}{2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s}} = 5.67\times10^{-24}\ \mathrm{s}. $$ 2つはほとんど同じである(比は $0.99$).すなわち $\Delta(1232)$ は,「できた」と言えるだけの時間,光がハドロン1個を横切るあいだしか存在しない.同じことは $c\tau$ で言ってもよく $$ c\tau = \frac{\hbar c}{\Gamma} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{117\ \mathrm{MeV}} = 1.69\ \mathrm{fm} $$ で,これはまさに陽子の直径である.$\Delta$ が「粒子」なのか「$\pi N$ 散乱の共鳴」なのかという問いに,はっきりした答えがないのはこのためである.強い相互作用で崩壊する共鳴の寿命は,どれもこの $10^{-23}\text{--}10^{-24}\ \mathrm{s}$ のスケールに集まる.

(3) $Q=M/\Gamma$ を3つについて計算する(表8.1・表8.7 の値を使う). $$ Q(\rho) = \frac{775.26\ \mathrm{MeV}}{149.1\ \mathrm{MeV}} = 5.20, $$ $$ Q(J/\psi) = \frac{3096.90\ \mathrm{MeV}}{92.6\ \mathrm{keV}} = \frac{3096.90}{0.0926} = 3.34\times10^{4}, $$ $$ Q(\text{Si フォノン}) = \frac{520\ \mathrm{cm^{-1}}}{3.0\ \mathrm{cm^{-1}}} = 1.7\times10^{2}. $$ $Q$ は比なので,フォノンでは波数($\mathrm{cm^{-1}}$)のまま割ってよい.大小関係は $$ Q(J/\psi)\ \gg\ Q(\text{Si フォノン})\ \gg\ Q(\rho) $$ であり,$J/\psi$ は Si の光学フォノンよりさらに200倍鋭く,$\rho$ はフォノンより30倍以上鈍い.

$Q$ には,もう一段はっきりした読み方がある.自然単位系では寿命は $\tau=1/\Gamma$,共鳴の「内部振動の角振動数」は $M$(したがって周期は $2\pi/M$,SI に戻せば $h/Mc^2$)なので $$ Q = \frac{M}{\Gamma} = M\tau = \frac{\tau}{2\pi/M}\times2\pi = 2\pi\times(\text{壊れるまでに振動する回数}), $$ すなわち $Q/2\pi$ が「死ぬまでに何回振動できるか」を数えている.$\rho$ は $Q/2\pi=0.83$ ——1回も振動し終わらないうちに壊れる.$J/\psi$ は $5.3\times10^{3}$ 回,Si の光学フォノンは $173/2\pi=27.6$ 回である.最後の数はすぐ検算できる.$520\ \mathrm{cm^{-1}}$ の振動数は $\nu = 520\times2.998\times10^{10} = 1.559\times10^{13}\ \mathrm{Hz}$,周期は $64.1\ \mathrm{fs}$ である.後の検算で求めるフォノン寿命 $1.77\ \mathrm{ps}$ をこれで割ると $(1.77\times10^{-12}\ \mathrm{s})/(64.1\times10^{-15}\ \mathrm{s}) = 27.6$ となり,$Q/2\pi$ と一致する.$Q$ 値と寿命は,同じことを別の単位で言っているにすぎない.

(4) 減衰振動子の応答関数 $$ \chi(\omega) = \frac{1/m}{\omega_0^2-\omega^2-\ii\gamma\omega/m} $$ を共鳴の近く($\omega\simeq\omega_0$)で展開する.分母の実部は $$ \omega_0^2-\omega^2 = (\omega_0-\omega)(\omega_0+\omega) \simeq 2\omega_0(\omega_0-\omega), $$ 虚部の係数は $\gamma\omega/m\simeq\gamma\omega_0/m$ と近似できる.したがって $$ \chi(\omega) \simeq \frac{1/m}{2\omega_0(\omega_0-\omega)-\ii\,\gamma\omega_0/m} = \frac{1}{2m\omega_0}\cdot\frac{1}{(\omega_0-\omega)-\ii\,\gamma/(2m)}. $$ 分母の複素共役を分子・分母に掛けると $$ \chi(\omega) \simeq \frac{1}{2m\omega_0}\cdot \frac{(\omega_0-\omega)+\ii\,\gamma/(2m)}{(\omega-\omega_0)^2+\big(\gamma/2m\big)^2} $$ (分母で $(\omega_0-\omega)^2=(\omega-\omega_0)^2$ とした).虚部だけ取り出すと $$ \mathrm{Im}\,\chi(\omega) \simeq \frac{1}{2m\omega_0}\cdot \frac{\gamma/(2m)}{(\omega-\omega_0)^2+\big(\gamma/2m\big)^2}. $$ ここで $\Gamma\equiv\gamma/m$ と定義すると $$ \mathrm{Im}\,\chi(\omega) \simeq \frac{1}{2m\omega_0}\cdot \frac{\Gamma/2}{(\omega-\omega_0)^2+\Gamma^2/4} $$ となって,(1) で扱った Lorentz 関数 $f$ と $\omega\leftrightarrow E$,$\omega_0\leftrightarrow M$ の読み替えで完全に一致する.したがって (1) の結果をそのまま使えて,$\mathrm{Im}\,\chi$ の半値全幅は $$ \text{FWHM} = \Gamma = \frac{\gamma}{m} $$ である.対応は次のとおりである.共鳴質量 $M$ が固有振動数 $\omega_0$ に,崩壊幅 $\Gamma$ が減衰率 $\gamma/m$ に,寿命 $\tau=1/\Gamma$ が緩和時間 $m/\gamma$ に,そして $\abs{\mathcal{M}}^2$(Breit–Wigner)が吸収スペクトル $\mathrm{Im}\,\chi$ に対応する(表8.6).摩擦が強いほど共鳴は太く,緩和は速い——素粒子の言葉に直せば,崩壊チャンネルが開いているほど幅は広く,寿命は短い.

検算.2通りで確かめる.

第1に,(3) の手続きを表8.7 に載っている別の共鳴に適用して整合を見る.$\Delta(1232)$ について $Q=1232/117=10.5$ となり,表8.7 の $10.5$ と一致する.$\rho$ の $5.2$,$J/\psi$ の $3.3\times10^{4}$ も表と合っている.

第2に,(4) の対応を Si のフォノンで数値的に確かめる.$1\ \mathrm{cm^{-1}} = 0.12398\ \mathrm{meV}$ なので,FWHM $3.0\ \mathrm{cm^{-1}}$ はエネルギーで $$ \Gamma = 3.0\times0.12398 = 0.372\ \mathrm{meV} = 3.72\times10^{-4}\ \mathrm{eV}. $$ これに $\tau=\hbar/\Gamma$($\hbar=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$)を適用すると $$ \tau = \frac{6.582\times10^{-16}}{3.72\times10^{-4}} = 1.77\times10^{-12}\ \mathrm{s} = 1.8\ \mathrm{ps}. $$ Si の光学フォノンの寿命として妥当なピコ秒オーダーの値が出る.素粒子の共鳴に使った $\tau=\hbar/\Gamma$ という同じ式が,Raman ピークの線幅からフォノン寿命を出す式としてそのまま働くことが,数値で確認できた.

意味.$Q$ 値という1つの物差しで並べると,素粒子の共鳴と固体の素励起が同じ表に載る(表8.7).$\rho$ の $Q=5$ は,共鳴と呼ぶのがためらわれるほど鈍い——ピークの幅が中心値の $2$ 割もある.$J/\psi$ の $Q=3\times10^4$ は水晶振動子に匹敵する鋭さで,1974年の発見時に物理学者を驚かせたのはこの異常な細さだった.細い共鳴には,必ず崩壊を妨げている理由(選択則)がある.$J/\psi$ では OZI 抑制(第11章)である.

材料科学の側でも,線幅を測ることは寿命を測ることであり,寿命を測ることは「何が緩和を担っているか」を問うことである.Raman ピークの幅は非調和相互作用によるフォノン–フォノン散乱(3フォノン過程・4フォノン過程)の強さを直接与え,温度依存性を追えばどの過程が効いているかが分かる.形式的にも対応は完全で,フォノンの自己エネルギー $\Sigma$ の虚部が線幅を,実部が振動数シフトを与えるのは,本書8.6.4節の $\Pi(p^2)$ の虚部が $\Gamma$ を,実部が質量シフトを与えるのとまったく同じ構造である.熱伝導率の第一原理計算で扱っているフォノン線幅と,素粒子の崩壊幅は,同じ量の別名である.

E.9 第9章 Dirac 方程式とスピノル の解答

演習9.1 $\gamma$ 行列の縮約恒等式

問題(再掲)

Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ と $g^\mu{}_\mu=4$ だけを使って,次を示せ.

(1) $\gamma^\mu\gamma_\mu = 4$

(2) $\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu = -2\slashed{a}$

(3) $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu = 4\,(a\cdot b)$

(4) $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu = -2\,\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a}$

解答

方針.使う道具は本書9章の Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}\mathbb{1}$ ただ一つである.これを「$\gamma^\mu\gamma^\nu=2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu$,すなわち左端の $\gamma$ を右へ1つ通すたびに符号が反転し,おつりとして $2g^{\mu\nu}$ が出る」という書き換え規則として読む.こうすると (1) が (2) を,(2) が (3) を,(3) が (4) を生む階段構造になっており,帰納的に片づく.なお $a^\mu,b^\mu,c^\mu$ は $\gamma$ 行列と可換な数の4元ベクトルであり,$\slashed{a}=\gamma^\nu a_\nu$ である.以下,右辺の $\mathbb{1}_4$ は省略して書く.

(1) $\gamma^\mu\gamma_\mu$ は $\mu$ について和をとった量なので,計量で添字を下げて $\gamma^\mu\gamma_\mu = g_{\mu\nu}\gamma^\mu\gamma^\nu$ と書ける.$g_{\mu\nu}$ は $\mu\leftrightarrow\nu$ の入れ替えについて対称だから,縮約される相手も対称部分だけを拾う.すなわち

$$ \gamma^\mu\gamma_\mu = g_{\mu\nu}\gamma^\mu\gamma^\nu = g_{\mu\nu}\cdot\frac{1}{2}\left(\gamma^\mu\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\mu\right) = \frac{1}{2}g_{\mu\nu}\left\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\right\} $$

ここに Clifford 代数を代入して

$$ \gamma^\mu\gamma_\mu = \frac{1}{2}g_{\mu\nu}\cdot 2g^{\mu\nu} = g_{\mu\nu}g^{\mu\nu} = g^\mu{}_\mu = 4 $$

を得る.最後に $g^\mu{}_\mu=\mathrm{tr}\,\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ ではなく $g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}=\delta^\mu{}_\mu=4$(時空の次元)であることに注意する.時空が $d$ 次元なら,ここだけが $d$ に変わる.

(2) まず添字つきの形 $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu$ を計算し,最後に $a_\nu$ を掛ける.書き換え規則で左端の $\gamma^\mu$ を $\gamma^\nu$ の右へ通すと

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu = \left(2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu\right)\gamma_\mu = 2g^{\mu\nu}\gamma_\mu - \gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma_\mu\right) $$

第1項は $g^{\mu\nu}\gamma_\mu=\gamma^\nu$ なので $2\gamma^\nu$.第2項は (1) より $\gamma^\mu\gamma_\mu=4$ だから $-4\gamma^\nu$.よって

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu = 2\gamma^\nu-4\gamma^\nu = -2\gamma^\nu $$

両辺に $a_\nu$ を掛けて和をとれば $\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}$ である.$\blacksquare$

(3) 同じ手を1回だけ使う.$\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu$ で左端の $\gamma^\mu$ を $\gamma^\nu$ の右へ通す:

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = \left(2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu\right)\gamma^\rho\gamma_\mu = 2\gamma^\rho\gamma^\nu - \gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma_\mu\right) $$

第1項では $g^{\mu\nu}\gamma^\rho\gamma_\mu=\gamma^\rho\gamma^\nu$ を使った($\gamma_\mu$ の添字を $g^{\mu\nu}$ で上げただけである).第2項の括弧は (2) で計算済みで $-2\gamma^\rho$ に等しい.したがって

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = 2\gamma^\rho\gamma^\nu + 2\gamma^\nu\gamma^\rho = 2\left\{\gamma^\nu,\gamma^\rho\right\} = 4g^{\nu\rho} $$

$a_\nu b_\rho$ を掛けて和をとると $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\gamma_\mu = 4g^{\nu\rho}a_\nu b_\rho = 4\,(a\cdot b)$ である.$\blacksquare$

(4) もう一段だけ登る.

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu = \left(2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu\right)\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu = 2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\nu - \gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu\right) $$

括弧の中は (3) の結果そのもので $4g^{\rho\sigma}$ である.よって

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu = 2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\nu - 4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu $$

あとは第1項の $\gamma^\rho\gamma^\sigma$ を,もう一度書き換え規則で $\gamma^\rho\gamma^\sigma = 2g^{\rho\sigma}-\gamma^\sigma\gamma^\rho$ と開くだけである:

$$ 2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\nu = 4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu - 2\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu $$

これを代入すると $4g^{\rho\sigma}\gamma^\nu$ が正確に打ち消し合って

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu = -2\,\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu $$

が残る.$a_\nu b_\rho c_\sigma$ を掛けて和をとれば,添字の順が $\nu\rho\sigma$ から $\sigma\rho\nu$ へ逆転していることに対応して

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu = -2\,\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a} $$

を得る.$\blacksquare$

検算.特別な場合に落として整合を見る.まず (3) で $b=a$ とおくと,左辺は $\slashed{a}\slashed{a}=a^\mu a^\nu\gamma_\mu\gamma_\nu=\frac12 a^\mu a^\nu\{\gamma_\mu,\gamma_\nu\}=a^2$ が数なので $\gamma^\mu(a^2)\gamma_\mu = a^2\cdot4$,右辺は $4(a\cdot a)=4a^2$ で一致する.つぎに (4) で $c=b$ とおくと,左辺は $\slashed{b}\slashed{b}=b^2$ を使って $b^2\,\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu = -2b^2\slashed{a}$((2) を使った),右辺は $-2\slashed{b}\slashed{b}\slashed{a}=-2b^2\slashed{a}$ で,やはり一致する.係数が $4,\,-2,\,4,\,-2$ と交互に現れるのも,(1)→(2)→(3)→(4) の漸化構造から予想されるとおりである.

意味.これらは第10章以降の断面積計算で,スピン和をとったあとに現れる $\gamma$ 行列の長い積を短くするための道具である.たとえば QED の Compton 散乱や Møller 散乱では,$\Tr[\cdots]$ の内側に $\gamma^\mu\cdots\gamma_\mu$ という「同じ添字で挟まれた塊」が必ず現れ,そのつど本問の公式で長さを2つずつ縮めていく.なお時空次元を $d$ に一般化すると (1) は $d$,(2) は $-(d-2)\slashed{a}$ になる.この「4 からのずれ」を制御量として使うのが次元正則化であり,第10章のくりこみの下ごしらえになっている.材料科学の側でも,多体摂動論でスピン構造 $\sigma^i\cdots\sigma^i$ を縮約するときにまったく同型の代数($\sigma^i\sigma^i=3$,$\sigma^i\sigma^j\sigma^i=-\sigma^j$ など)が現れる.次元が3か4か,計量が Euclid 的か Minkowski 的かの違いだけで,計算の骨組みは同じである.

演習9.2 $v$ スピノルの規格化と完全性関係

問題(再掲)

本書9章で規格化した $v(p,s)$ について,本文の $u$ に対する計算をなぞって次を示せ.

(1) $\bar v(p,s)v(p,s)=-2m$,$v^\dagger(p,s)v(p,s)=2E$.

(2) $\displaystyle\sum_{s}v(p,s)\bar v(p,s) = \slashed{p}-m$.

(3) $\bar u(p,s)v(p,s')=0$(同じ4元運動量 $p$ に対して).

解答

方針.本書9章の明示形

$$ u(p,s)=\sqrt{E+m}\begin{pmatrix}\chi_s\\[4pt] \lambda\chi_s\end{pmatrix}, \qquad v(p,s)=\sqrt{E+m}\begin{pmatrix}\lambda\eta_s\\[4pt] \eta_s\end{pmatrix}, \qquad \lambda\equiv\frac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m} $$

を $2\times2$ ブロックのまま扱う.鍵になる性質は3つだけである.第一に $\lambda$ はエルミートである($\bm{\sigma}$ がエルミートで $\pp$ が実ベクトルだから).第二に

$$ \lambda^2=\frac{(\bm{\sigma}\cdot\pp)^2}{(E+m)^2}=\frac{\pp^2}{(E+m)^2} =\frac{(E+m)(E-m)}{(E+m)^2}=\frac{E-m}{E+m} $$

である(恒等式 $(\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b})=\bm{a}\cdot\bm{b}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ を $\bm{a}=\bm{b}=\pp$ に使い,分散関係 $\pp^2=E^2-m^2$ を代入した).第三に,$\gamma^0=\mathrm{diag}(\mathbb{1}_2,-\mathbb{1}_2)$ は下2成分の符号を反転させる.また $\chi_s,\eta_s$ は2成分スピノルの正規直交基底で $\chi_s^\dagger\chi_{s'}=\eta_s^\dagger\eta_{s'}=\delta_{ss'}$,$\sum_s\eta_s\eta_s^\dagger=\mathbb{1}_2$ とする.

(1) まず随伴スピノルを作る.$v^\dagger=\sqrt{E+m}\left(\eta_s^\dagger\lambda,\ \eta_s^\dagger\right)$ であり($\lambda^\dagger=\lambda$ を使った),$\gamma^0$ を右から掛けると下側ブロックの符号が反転して

$$ \bar v = v^\dagger\gamma^0 = \sqrt{E+m}\left(\eta_s^\dagger\lambda,\ -\eta_s^\dagger\right) $$

したがって

$$ \bar v v = (E+m)\left[\eta_s^\dagger\lambda\cdot\lambda\eta_s - \eta_s^\dagger\eta_s\right] = (E+m)\left[\lambda^2-1\right] $$

ここに $\lambda^2=(E-m)/(E+m)$ を代入すると

$$ \bar v v = (E+m)\left[\frac{E-m}{E+m}-1\right] = (E-m)-(E+m) = -2m $$

$u$ の場合は $\bar u u=(E+m)[1-\lambda^2]=+2m$ であったから,$\lambda^2$ と $1$ の引き算の向きが逆になった分だけ符号が反転した,というのが計算の中身である.同様に $\gamma^0$ を挟まない内積は

$$ v^\dagger v = (E+m)\left[\lambda^2+1\right] = (E-m)+(E+m) = 2E $$

となる.こちらは $u$ と同じ $2E$ である.$\blacksquare$

(2) $v\bar v$ は縦ベクトルと横ベクトルの積なので $4\times4$ 行列であり,ブロックで書けば

$$ v\bar v = (E+m) \begin{pmatrix} \lambda\eta_s\eta_s^\dagger\lambda & -\lambda\eta_s\eta_s^\dagger\\[4pt] \eta_s\eta_s^\dagger\lambda & -\eta_s\eta_s^\dagger \end{pmatrix} $$

である.ここでスピンについて和をとり,2成分スピノルの完全性 $\sum_s\eta_s\eta_s^\dagger=\mathbb{1}_2$ を使うと

$$ \sum_s v\bar v = (E+m) \begin{pmatrix} \lambda^2 & -\lambda\\[4pt] \lambda & -\mathbb{1} \end{pmatrix} $$

各ブロックを整理する.

左上:$(E+m)\lambda^2 = (E+m)\dfrac{E-m}{E+m}=E-m$.

右上:$-(E+m)\lambda = -(E+m)\dfrac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m}=-\bm{\sigma}\cdot\pp$.

左下:$+(E+m)\lambda = +\bm{\sigma}\cdot\pp$.

右下:$-(E+m)\mathbb{1}$.

まとめると

$$ \sum_s v\bar v = \begin{pmatrix} E-m & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\[4pt] \bm{\sigma}\cdot\pp & -(E+m) \end{pmatrix} $$

一方,本書9章のブロック表示 $\slashed{p}=\begin{pmatrix}E&-\bm{\sigma}\cdot\pp\\ \bm{\sigma}\cdot\pp&-E\end{pmatrix}$ から $m\mathbb{1}_4$ を引くと

$$ \slashed{p}-m = \begin{pmatrix} E-m & -\bm{\sigma}\cdot\pp\\[4pt] \bm{\sigma}\cdot\pp & -E-m \end{pmatrix} $$

となり,4つのブロックがすべて一致する.よって $\sum_s v\bar v=\slashed{p}-m$ である.$\blacksquare$

$u$ の場合との違いは「対角ブロックで $m$ が $+$ でなく $-$ で入る」点だけであり,これは (1) で見た符号反転と同じ起源をもつ.

(3) $\bar v$ とまったく同じ手順で $u$ の随伴を作る.$u^\dagger=\sqrt{E+m}\left(\chi_s^\dagger,\ \chi_s^\dagger\lambda\right)$ に $\gamma^0$ を掛けて下側ブロックの符号を反転させれば $\bar u = \sqrt{E+m}\left(\chi_s^\dagger,\ -\chi_s^\dagger\lambda\right)$ である.これと $v=\sqrt{E+m}\left(\lambda\eta_{s'},\ \eta_{s'}\right)^T$ を掛け合わせる.横ベクトルの第1ブロックと縦ベクトルの第1ブロック,第2ブロックどうしの積を足すだけなので

$$ \bar u(p,s)v(p,s') = (E+m)\left[\chi_s^\dagger\,\lambda\eta_{s'} \;-\; \chi_s^\dagger\lambda\,\eta_{s'}\right] = 0 $$

2つの項は文字どおり同じ式であり,符号だけが逆なので厳密に打ち消し合う.$s$ と $s'$ の中身に一切依存しないので,$s=s'$ でも $s\ne s'$ でもゼロである.$\blacksquare$

この打ち消しの起源は $\gamma^0$ にある.$\bar u$ を作るときに下2成分の符号が反転し,ちょうど $u$ の下成分と $v$ の上成分がともに $\lambda$ を1個ずつ持っているために,2項が同形になるのである.

検算.(2) の両辺のトレースをとる.右辺は $\Tr[\slashed{p}-m]=p_\mu\Tr\gamma^\mu - m\Tr\mathbb{1}_4 = 0-4m=-4m$($\Tr\gamma^\mu=0$ を使った).左辺は $\Tr[v\bar v]=\bar v v$ という縦横の入れ替えを使えば $\sum_s\bar v v = 2\times(-2m)=-4m$($s$ は2値).両者は一致する.同じ検算を $u$ について行うと $\Tr[\slashed{p}+m]=4m$ と $\sum_s\bar u u=2\times2m=4m$ でやはり合う.さらに,$v$ が満たすべき方程式 $(\slashed{p}+m)v=0$ と (2) は整合していなければならないが,実際

$$ (\slashed{p}+m)\sum_s v\bar v = (\slashed{p}+m)(\slashed{p}-m) = \slashed{p}\slashed{p}-m^2 = p^2-m^2 = 0 $$

となり($\slashed{p}\slashed{p}=p^2$ は Clifford 代数から出る),確かに矛盾しない.$m\to0$ の極限で $\sum_su\bar u$ と $\sum_sv\bar v$ がともに $\slashed{p}$ に縮退する点も,質量ゼロなら粒子と反粒子のスピン構造が同じになることと符合している.

意味.完全性関係は,散乱振幅の二乗をスピノルの成分を一切書かずにトレース計算へ落とすための装置である.振幅が $\mathcal{M}=\bar u\,\Gamma\,v$ の形なら $\sum_{\text{spins}}\abs{\mathcal{M}}^2=\Tr[(\slashed{p}_1+m)\Gamma(\slashed{p}_2-m)\bar\Gamma]$ となり,あとは演習9.1 の縮約公式とトレース定理で機械的に処理できる.$v$ 側に現れる $-m$ が,粒子と反粒子で干渉項の符号が変わる原因になっており,たとえば $\ee^+\ee^-$ 対消滅の角度分布に直接効いてくる(第10章).固体側では,超伝導の BdG 方程式(演習9.8)で電子分枝と正孔分枝が同じ役割を演じており,コヒーレンス因子の $u^2$ と $v^2$ は,まさにここでの $u$ 型・$v$ 型解の重みに対応している.

演習9.3 Pauli 方程式と ESR の共鳴周波数

問題(再掲)

本文 9.3.5 節の導出を自分で再現し,数値まで出す.

(1) 恒等式 $(\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b})=\bm{a}\cdot\bm{b}+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ を,$\sigma^i\sigma^j=\delta^{ij}+\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ から導け.

(2) $\bm{\pi}=\pp-q\bm{A}$ に対し $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=\ii q\bm{B}$ を示せ.なぜ古典的な数ベクトルでは $\bm{\pi}\times\bm{\pi}=0$ なのに,ここではゼロにならないのかを一言で説明せよ.

(3) 電子($q=-e$)について,Pauli 方程式のスピン項が($\hbar$ を戻した形で)$+\dfrac{e\hbar}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B}=g\mu_B\bm{S}\cdot\bm{B}/\hbar$($\mu_B=e\hbar/2m$,$\bm{S}=\hbar\bm{\sigma}/2$)となることを確かめ,$g=2$ を読み取れ.

(4) 電子スピン共鳴(ESR)の共鳴条件は $h\nu = g\mu_B B$ である.$g=2.0023$(自由電子),$B=0.34\ \mathrm{T}$ のときの $\nu$ を求めよ.

解答

方針.(1) は Pauli 行列の積公式の単なる縮約,(2) は「運動量演算子が可換でない」ことだけが本質,(3) は Pauli 方程式のスピン項の係数読み取り,(4) は数値代入である.(1)(2) を通じて,$g=2$ が量子力学の交換関係から必然的に出てくる筋道を再確認するのが眼目である.

(1) $\bm{\sigma}\cdot\bm{a}=\sigma^ia^i$,$\bm{\sigma}\cdot\bm{b}=\sigma^jb^j$($i,j$ について和)と書くと

$$ (\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b}) = a^ib^j\,\sigma^i\sigma^j $$

ここで$a^i$ と $b^j$ の順序は動かさない(あとで演算子に使うため).与えられた積公式 $\sigma^i\sigma^j=\delta^{ij}+\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ を代入すると

$$ (\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b}) = a^ib^j\delta^{ij} + \ii\,\varepsilon^{ijk}a^ib^j\,\sigma^k $$

第1項は $a^ib^i=\bm{a}\cdot\bm{b}$.第2項は,Levi-Civita 記号の巡回対称性 $\varepsilon^{ijk}=\varepsilon^{kij}$ を使うと $\varepsilon^{ijk}a^ib^j=\varepsilon^{kij}a^ib^j=(\bm{a}\times\bm{b})^k$ である.したがって

$$ (\bm{\sigma}\cdot\bm{a})(\bm{\sigma}\cdot\bm{b}) = \bm{a}\cdot\bm{b} + \ii\,\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b}) $$

を得る.$\blacksquare$ なお与えられた積公式そのものは,$\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}$ と $[\sigma^i,\sigma^j]=2\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ を足して2で割ったものである.導出のどこでも $\bm{a}$ と $\bm{b}$ の可換性を使っていない点が,次の (2) につながる急所である.

(2) $\bm{\pi}=\pp-q\bm{A}=-\ii\nabla-q\bm{A}$ とし,任意の試験関数 $f$ に作用させる.外積を成分ごとに開くと

$$ (\bm{\pi}\times\bm{\pi})f = \underbrace{(\pp\times\pp)f}_{=0} - q\left[\pp\times(\bm{A}f) + \bm{A}\times(\pp f)\right] + q^2\underbrace{(\bm{A}\times\bm{A})}_{=0}f $$

第1項は $\pp$ の成分どうしが可換($[\partial_i,\partial_j]=0$)だからゼロ,第3項は同じ数ベクトルの外積だからゼロである.残る項を計算する.ベクトル解析の公式 $\nabla\times(f\bm{A})=f(\nabla\times\bm{A})+(\nabla f)\times\bm{A}=f(\nabla\times\bm{A})-\bm{A}\times(\nabla f)$ を使うと,$\pp=-\ii\nabla$ より

$$ \pp\times(\bm{A}f) = -\ii\nabla\times(\bm{A}f) = -\ii(\nabla\times\bm{A})f + \ii\,\bm{A}\times(\nabla f) = -\ii\bm{B}f - \bm{A}\times(\pp f) $$

(最後で $\ii\nabla=-\pp$ と $\bm{B}=\nabla\times\bm{A}$ を使った.)これを上の角括弧に入れると $\bm{A}\times(\pp f)$ が打ち消し合って

$$ \pp\times(\bm{A}f)+\bm{A}\times(\pp f) = -\ii\bm{B}f $$

したがって

$$ (\bm{\pi}\times\bm{\pi})f = -q\left(-\ii\bm{B}f\right) = \ii q\bm{B}f \qquad\Longrightarrow\qquad \bm{\pi}\times\bm{\pi} = \ii q\bm{B} $$

$\blacksquare$

なぜゼロにならないか.一言でいえば,$\bm{\pi}$ の各成分が互いに可換な数ではなく非可換な演算子だからである.古典的な数ベクトル $\bm{v}$ なら $(\bm{v}\times\bm{v})^k=\varepsilon^{kij}v^iv^j$ で,$\varepsilon^{kij}$ は $i\leftrightarrow j$ について反対称,$v^iv^j$ は対称なので必ずゼロになる.ところが演算子では $v^iv^j$ の対称性が壊れ,反対称部分すなわち交換子が生き残る.実際

$$ (\bm{\pi}\times\bm{\pi})^k = \varepsilon^{kij}\pi^i\pi^j = \frac{1}{2}\varepsilon^{kij}\left[\pi^i,\pi^j\right] $$

であり,$[\pi^i,\pi^j]=-q\left([p^i,A^j]+[A^i,p^j]\right)=-q\left(-\ii\partial^iA^j+\ii\partial^jA^i\right)=\ii q\,\varepsilon^{ijl}B^l$ を代入すれば $\frac12\varepsilon^{kij}\varepsilon^{ijl}\,\ii qB^l=\frac12\cdot2\delta^{kl}\,\ii qB^l=\ii qB^k$ となって上と同じ答えが出る.

(3) (1) と (2) を組み合わせると $(\bm{\sigma}\cdot\bm{\pi})^2=\bm{\pi}^2+\ii\bm{\sigma}\cdot(\ii q\bm{B})=\bm{\pi}^2-q\,\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$ であり,本書9章の Pauli 方程式のスピン項は $-\dfrac{q}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$ である.電子は $q=-e$($e>0$)なので

$$ -\frac{q}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B} \;\longrightarrow\; +\frac{e}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B} $$

となり,確かに符号が反転して正になる.本書の 9.3.5 節は自然単位系 $\hbar=1$ で書かれているので,まずその中で係数を読む.スピン演算子は $\bm{S}=\bm{\sigma}/2$,すなわち $\bm{\sigma}=2\bm{S}$ だから

$$ +\frac{e}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B} = \frac{e}{2m}\cdot 2\,\bm{S}\cdot\bm{B} = \frac{e}{m}\,\bm{S}\cdot\bm{B} $$

一方,$g$ 因子を未定のまま置いた定義式は,$\mu_B=e/2m$($\hbar=1$ での Bohr 磁子)を使って

$$ g\,\mu_B\,\bm{S}\cdot\bm{B} = g\,\frac{e}{2m}\,\bm{S}\cdot\bm{B} $$

である.両者を等置すると $\dfrac{e}{m}=g\dfrac{e}{2m}$,すなわち $1=g/2$,したがって

$$ g = 2 $$

である.軌道角運動量に対しては $\bm{\mu}=(q/2m)\bm{L}$ すなわち $g_L=1$ であったから,スピンだけが2倍になっている.$\blacksquare$

$\hbar$ を復活させた形.実用の単位で書くときは,Pauli 方程式のスピン項は $-\dfrac{q\hbar}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$,電子では $+\dfrac{e\hbar}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B}=\mu_B\,\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$($\mu_B=e\hbar/2m$)となる.このとき $\bm{S}=\dfrac{\hbar}{2}\bm{\sigma}$ すなわち $\bm{\sigma}=2\bm{S}/\hbar$ だから

$$ \mu_B\,\bm{\sigma}\cdot\bm{B} = 2\mu_B\,\frac{\bm{S}\cdot\bm{B}}{\hbar} = g\,\mu_B\,\frac{\bm{S}\cdot\bm{B}}{\hbar}, \qquad g=2 $$

となり,問題文の形になる.上で求めた $\hbar=1$ の表式 $+\dfrac{e}{2m}\bm{\sigma}\cdot\bm{B}$ と $\hbar$ を戻した表式を素朴に並べると $\hbar$ の勘定が合わないように見えるので,どちらの単位系で読むかを先に決めてから比較するのが安全である.結論の $g=2$ はもちろん単位系によらない.

符号の物理的な読み方も述べておく.電子の磁気モーメントは $\bm{\mu}=-\dfrac{e}{m}\bm{S}$ でスピンと逆向きであり,エネルギーは $-\bm{\mu}\cdot\bm{B}=+\dfrac{e}{m}\bm{S}\cdot\bm{B}$ となって上式と一致する.したがって磁場中では,スピンが磁場と平行($m_s=+1/2$)の状態のほうが高エネルギーである.

(4) 共鳴条件は,$m_s=+1/2$ と $m_s=-1/2$ のエネルギー差 $\Delta E=g\mu_BB$ が光子1個のエネルギー $h\nu$ に等しいという式である.与えられた数値 $g=2.0023$,$\mu_B=9.274\times10^{-24}\ \mathrm{J/T}$,$B=0.34\ \mathrm{T}$,$h=6.626\times10^{-34}\ \mathrm{J\,s}$ を順に代入する.

$$ g\mu_B = 2.0023\times9.274\times10^{-24} = 1.8569\times10^{-23}\ \mathrm{J/T} $$ $$ \Delta E = g\mu_B B = 1.8569\times10^{-23}\times0.34 = 6.3136\times10^{-24}\ \mathrm{J} $$ $$ \nu = \frac{\Delta E}{h} = \frac{6.3136\times10^{-24}}{6.626\times10^{-34}} = 9.5285\times10^{9}\ \mathrm{Hz} = 9.53\ \mathrm{GHz} $$

本文のヒントの値 $9.53\ \mathrm{GHz}$ と一致する.真空中の波長に直すと $\lambda=c/\nu=(2.998\times10^{8})/(9.5285\times10^{9})=3.15\ \mathrm{cm}$ で,これはマイクロ波のX バンドである.エネルギーとしては $\Delta E=3.94\times10^{-5}\ \mathrm{eV}=39.4\ \mathrm{\mu eV}$ にすぎず,温度に直すと $\Delta E/k_B=0.46\ \mathrm{K}$ である.$\blacksquare$

検算.次元を確かめる:$[\mu_B B/h]=(\mathrm{J/T})\cdot\mathrm{T}/(\mathrm{J\,s})=\mathrm{s^{-1}}$ で,確かに周波数になっている.数値の別ルートとしては,電子の磁気回転比を先に作るのが速い:

$$ \frac{g\mu_B}{h} = \frac{1.8569\times10^{-23}}{6.626\times10^{-34}} = 2.802\times10^{10}\ \mathrm{Hz/T} = 28.02\ \mathrm{GHz/T} $$

これは ESR の分野で暗算用に広く使われている値($g=2$ でおよそ $28\ \mathrm{GHz/T}$,言い換えると $\nu=9.5\ \mathrm{GHz}$ の装置なら共鳴磁場はおよそ $0.34\ \mathrm{T}=3400\ \mathrm{G}$)であり,$28.02\times0.34=9.53\ \mathrm{GHz}$ と上の結果に一致する.核磁気共鳴の陽子の値 $42.58\ \mathrm{MHz/T}$ と比べると

$$ \frac{28.02\times10^{9}}{42.58\times10^{6}} = 658 $$

倍である.この $658$ という数の中身も分解しておく.磁気回転比は $g\mu/h$ に比例し,電子は Bohr 磁子 $\mu_B=e\hbar/2m_e$ と $g_e=2.0023$,陽子は核磁子 $\mu_N=e\hbar/2m_p$ と $g_p=5.586$ をもつから

$$ \frac{g_e\mu_B}{g_p\mu_N} = \frac{g_e}{g_p}\cdot\frac{m_p}{m_e} = \frac{2.0023}{5.586}\times1836 = 0.3585\times1836 = 658 $$

となる.よく「電子と陽子の質量比 $1836$ で効く」と言われるが,正確にはそのとおりではない:質量比 $1836$ に $g$ 因子の比 $g_e/g_p=0.36$ が掛かって $658$ になる.陽子の $g_p=5.586$ が $2$ から大きくずれているのは,陽子が点粒子ではなくクォークの複合状態だからであり,$g=2$ という Dirac の予言が複合粒子には成り立たないことの端的な証拠でもある(第9章の $g=2$ は,あくまで構造をもたない点状の Dirac 粒子についての予言である).

意味.ESR(EPR)測定は,材料科学者にとって $g=2$ という Dirac の予言を日常的に使い倒している現場である.重要なのは,測定される $g$ 値が $2.0023$ からずれることのほうにある.結晶場の中で軌道角運動量がわずかに混ざる(スピン軌道結合による)と,$g$ は $g\simeq2.0023\pm\kappa\lambda/\Delta_{\text{cf}}$ のように結晶場分裂 $\Delta_{\text{cf}}$ とスピン軌道結合定数 $\lambda$ で決まるずれをもち,しかもそのずれは結晶軸に対して異方的である.そこで $g$ テンソルの主値と主軸を測れば,遷移金属イオンの価数・スピン状態・配位環境(八面体か四面体か,Jahn–Teller 歪みがあるか)を決められる.有機ラジカルや欠陥中心(たとえばシリコンの $E'$ センターやダイヤモンドの NV 中心)でも同様である.なお $g=2$ からのずれには量子電気力学的な補正 $a_e=(g-2)/2=\alpha/2\pi+\cdots=1.16\times10^{-3}$ も含まれており,自由電子の $2.0023$ の末尾の $23$ はまさにこの輻射補正である(第10章).物質中の $g$ 値のずれ(典型的に $10^{-2}$ から $10^{-1}$)は,これよりさらに1桁から2桁大きい.

演習9.4 カイラリティ射影演算子

問題(再掲)

$P_{L,R}=(1\mp\gamma^5)/2$ について次を示せ.

(1) $P_L^2=P_L$,$P_R^2=P_R$,$P_LP_R=0$,$P_L+P_R=1$.

(2) $\gamma^\mu P_L = P_R\gamma^\mu$,$\bar\psi_L=\bar\psi P_R$.

(3) $\bar\psi\psi = \bar\psi_L\psi_R+\bar\psi_R\psi_L$.

(4) 弱い相互作用の $V-A$ カレントについて $\bar\psi\gamma^\mu(1-\gamma^5)\psi = 2\,\bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L$ を示せ.

解答

方針.使う性質は本書9章で証明済みの3つだけである:$(\gamma^5)^2=\mathbb{1}$,$\gamma^{5\dagger}=\gamma^5$,$\{\gamma^5,\gamma^\mu\}=0$(すべての $\mu$ について).最後の反交換性が「$\gamma^\mu$ を通すと $L$ と $R$ が入れ替わる」という本問の全体を貫く規則を生む.定義は $P_L=(1-\gamma^5)/2$,$P_R=(1+\gamma^5)/2$,$\psi_{L}=P_L\psi$,$\psi_R=P_R\psi$ である.

(1) 二乗を直接展開する.

$$ P_L^2 = \frac{(1-\gamma^5)^2}{4} = \frac{1-2\gamma^5+(\gamma^5)^2}{4} = \frac{1-2\gamma^5+1}{4} = \frac{2(1-\gamma^5)}{4} = \frac{1-\gamma^5}{2}=P_L $$

$P_R$ も $\gamma^5$ の符号を変えるだけで同じ計算になり $P_R^2=P_R$.積は

$$ P_LP_R = \frac{(1-\gamma^5)(1+\gamma^5)}{4} = \frac{1-(\gamma^5)^2}{4} = \frac{1-1}{4}=0 $$

($P_RP_L$ も同様にゼロである.展開の途中で $\gamma^5$ と $1$ の交換は自明なので,順序の心配は要らない.)和は

$$ P_L+P_R = \frac{(1-\gamma^5)+(1+\gamma^5)}{2} = \frac{2}{2} = \mathbb{1} $$

以上より $P_{L,R}$ は互いに直交する完全な射影演算子の組であり,任意のスピノルは $\psi=P_L\psi+P_R\psi=\psi_L+\psi_R$ と一意に分解できる.$\blacksquare$

(2) 前半は反交換性 $\gamma^\mu\gamma^5=-\gamma^5\gamma^\mu$ を1回使うだけである.

$$ \gamma^\mu P_L = \gamma^\mu\frac{1-\gamma^5}{2} = \frac{\gamma^\mu - \gamma^\mu\gamma^5}{2} = \frac{\gamma^\mu + \gamma^5\gamma^\mu}{2} = \frac{(1+\gamma^5)}{2}\gamma^\mu = P_R\gamma^\mu $$

同様に $\gamma^\mu P_R=P_L\gamma^\mu$ である.すなわち$\gamma^\mu$ を通り抜けさせるたびに $L$ と $R$ が入れ替わる.

後半は,まず $P_L$ がエルミートであることを確かめる:$P_L^\dagger=\dfrac{(1-\gamma^5)^\dagger}{2}=\dfrac{1-\gamma^{5\dagger}}{2}=\dfrac{1-\gamma^5}{2}=P_L$.したがって

$$ \bar\psi_L = (P_L\psi)^\dagger\gamma^0 = \psi^\dagger P_L^\dagger\gamma^0 = \psi^\dagger P_L\gamma^0 $$

ここで $\gamma^0$ もまた $\gamma^\mu$ の一つなので前半の規則が使えて $P_L\gamma^0=\gamma^0P_R$.よって

$$ \bar\psi_L = \psi^\dagger\gamma^0P_R = \bar\psi P_R $$

同様に $\bar\psi_R=\bar\psi P_L$ である.バーを付けると $L$ と $R$ のラベルが入れ替わるという,混乱しやすいが決定的に重要な性質である.$\blacksquare$

(3) (1) の完全性 $P_L+P_R=\mathbb{1}$ を $\bar\psi$ と $\psi$ のあいだに挿入する.

$$ \bar\psi\psi = \bar\psi\left(P_L+P_R\right)\psi = \bar\psi P_L\psi + \bar\psi P_R\psi $$

第1項を書き換える.$P_L$ は冪等なので $P_L=P_LP_L$ と2つに割り,(2) の後半 $\bar\psi P_L=\bar\psi_R$ を使うと

$$ \bar\psi P_L\psi = \bar\psi P_L\,P_L\psi = \left(\bar\psi P_L\right)\left(P_L\psi\right) = \bar\psi_R\,\psi_L $$

第2項もまったく同様に $\bar\psi P_R\psi=\left(\bar\psi P_R\right)\left(P_R\psi\right)=\bar\psi_L\psi_R$.したがって

$$ \bar\psi\psi = \bar\psi_L\psi_R + \bar\psi_R\psi_L $$

である.$\blacksquare$ 同じ手続きをベクトルカレントに適用すると結果が変わる.$\bar\psi\gamma^\mu\psi=\bar\psi P_L\gamma^\mu\psi+\bar\psi P_R\gamma^\mu\psi$ の第1項を,上と同じく $P_L=P_LP_L$ と2つに割ってから,右側の $P_L$ だけを (2) の規則で $\gamma^\mu$ の向こうへ通す:

$$ \bar\psi P_L\gamma^\mu\psi = \bar\psi P_L\,P_L\gamma^\mu\,\psi = \bar\psi P_L\,\gamma^\mu P_R\,\psi = \left(\bar\psi P_L\right)\gamma^\mu\left(P_R\psi\right) = \bar\psi_R\,\gamma^\mu\psi_R $$

質量項では $\bar\psi_R\psi_L$ と添字が食い違ったのに,ここでは $\bar\psi_R\gamma^\mu\psi_R$ と両方とも $R$ で揃う.$\gamma^\mu$ を1つ通すぶんだけ入れ替えが1回余分に起こり,バーによる入れ替えとちょうど相殺するからである.同様に第2項は $\bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L$ で,$L$ と $R$ は混ざらない.「質量項は混ぜ,カレント項は混ぜない」という本書9章の結論はこの差である.

(4) $1-\gamma^5=2P_L$ なので,まず

$$ \gamma^\mu\left(1-\gamma^5\right) = 2\gamma^\mu P_L = 2P_R\gamma^\mu $$

(最後で (2) を使った.)これを挟むと

$$ \bar\psi\gamma^\mu\left(1-\gamma^5\right)\psi = 2\,\bar\psi P_R\gamma^\mu\psi = 2\,\bar\psi_L\gamma^\mu\psi $$

((2) の後半 $\bar\psi P_R=\bar\psi_L$ を使った.)残るは右側の $\psi$ を左巻き成分だけに絞れることを示すことである.完全性を挿入して $\psi=\psi_L+\psi_R$ と分けると

$$ \bar\psi_L\gamma^\mu\psi = \bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L + \bar\psi_L\gamma^\mu\psi_R $$

第2項を評価する.定義に戻して $\bar\psi_L=\bar\psi P_R$,$\psi_R=P_R\psi$ だから

$$ \bar\psi_L\gamma^\mu\psi_R = \bar\psi\,P_R\gamma^\mu P_R\,\psi = \bar\psi\,\gamma^\mu P_LP_R\,\psi = 0 $$

途中で (2) の $P_R\gamma^\mu=\gamma^\mu P_L$ を使い,最後に (1) の $P_LP_R=0$ を使った.したがって

$$ \bar\psi\gamma^\mu\left(1-\gamma^5\right)\psi = 2\,\bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L $$

である.$\blacksquare$ $V-A$ カレントは,見かけ上は $\psi$ 全体を含んでいるように書かれているが,実際には左巻きカイラリティ成分だけを拾っている.

検算.射影演算子の階数(ランク)で確かめる.まず $\Tr\gamma^5=0$ を示す.$(\gamma^0)^2=\mathbb{1}$ とトレースの巡回性から $\Tr\gamma^5=\Tr\left[\gamma^0\gamma^5\gamma^0\right]$ であり,右辺は $\{\gamma^5,\gamma^0\}=0$ を使うと $\Tr\left[-\gamma^5\gamma^0\gamma^0\right]=-\Tr\gamma^5$ に等しい.$\Tr\gamma^5=-\Tr\gamma^5$ からゼロでしかありえない.これを使うと

$$ \Tr P_L = \frac{\Tr\mathbb{1}_4-\Tr\gamma^5}{2} = \frac{4-0}{2}=2, \qquad \Tr P_R = 2 $$

射影演算子のトレースはその像の次元に等しいから,$P_L$ と $P_R$ はそれぞれ4次元スピノル空間の2次元部分空間へ落とす演算子であり,$2+2=4$ で $P_L+P_R=\mathbb{1}$ と整合する.具体例でも確かめられる:本書9章で見たとおり質量ゼロでヘリシティ $\lambda=+1$ のスピノルは $\gamma^5u=+u$ を満たすので,$P_Ru=u$,$P_Lu=0$ となり,(1) の $P_LP_R=0$ と矛盾しない.また (4) の結果に $\gamma^5\to-\gamma^5$ の置き換え($L\leftrightarrow R$)を施すと $\bar\psi\gamma^\mu(1+\gamma^5)\psi=2\bar\psi_R\gamma^\mu\psi_R$ となり,2つを足すと $2\bar\psi\gamma^\mu\psi=2(\bar\psi_L\gamma^\mu\psi_L+\bar\psi_R\gamma^\mu\psi_R)$,すなわち (3) の後半で述べたベクトルカレントの分解が再現される.

意味.(4) は「弱い相互作用は左巻きにしか働かない」という標準模型の中心的事実の,数式としての表現である(第12章).同時に (3) は「質量項は左右を混ぜる」ことを言っており,この2つを併せると重要な帰結が出る:カイラリティを保たない質量項があるのに,弱い相互作用がカイラリティを選ぶのだから,質量とゲージ相互作用は素朴には両立しない.この矛盾の解決が Higgs 機構である(第13章).

材料科学との接点も明確である.Weyl 半金属では,質量ゼロの4成分 Dirac 方程式が $P_L$ と $P_R$ で $2\times2$ の2本に分解し,それぞれが逆のカイラリティをもつ Weyl 点として運動量空間の別々の位置に現れる.$P_LP_R=0$ という本問の関係が,2つの Weyl 点が独立であること(したがって片方だけを局所的な摂動で消せないこと)の代数的な裏づけになっている.そして質量項(2つの Weyl 点を運動量空間で合体させる摂動)だけが左右を混ぜてギャップを開ける.「質量とはカイラリティを変える相互作用である」という本書9章の標語は,TaAs のような実在の物質でバンド構造の言葉に翻訳できるのである.

演習9.5 ヘリシティ状態に含まれる「誤ったカイラリティ」

問題(再掲)

質量 $m$,運動量 $\pp$($z$ 方向),エネルギー $E$,ヘリシティ $+1$ の粒子を考える.スピノルは本書9章の規格化された $u(p,s)$ で,$\chi$ を $\sigma_z\chi=+\chi$ にとったものである.

(1) $a\equiv\sqrt{E+m}$,$b\equiv\abs{\pp}/\sqrt{E+m}$ と書くと $u=(a\chi,\ b\chi)^T$ となることを確かめ,$u^\dagger u=a^2+b^2=2E$ を示せ.

(2) $P_{R}u$ と $P_Lu$ を計算し,$\abs{P_Ru}^2=(a+b)^2/2$,$\abs{P_Lu}^2=(a-b)^2/2$ を示せ.

(3) $ab=\abs{\pp}$ を使って,左巻きカイラリティ成分の割合が $\dfrac{\abs{P_Lu}^2}{u^\dagger u}=\dfrac{1-v}{2}$($v=\abs{\pp}/E$)となることを示せ.

(4) $E=10\ \mathrm{MeV}$ の電子($m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$)について,この割合を数値で求めよ.また $v\to1$ で $(1-v)/2\simeq m^2/(4E^2)$ となることを示し,数値が一致することを確かめよ.

解答

方針.Dirac–Pauli 表示では $\gamma^5=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}_2\\ \mathbb{1}_2&0\end{pmatrix}$ が「上下2成分を入れ替える」行列である.したがって射影 $P_{R,L}=(1\pm\gamma^5)/2$ は,上下成分の和と差を作る操作にほかならない.問題は本質的に2つの数 $a,b$ の和と差の二乗を比べるだけの話に帰着する.

(1) 運動量を $\pp=(0,0,\abs{\pp})$ にとると $\bm{\sigma}\cdot\pp=\abs{\pp}\,\sigma_z$ である.$\chi$ は $\sigma_z\chi=+\chi$ を満たすようにとってあるので(すなわち $\chi=(1,0)^T$),$(\bm{\sigma}\cdot\pp)\chi=\abs{\pp}\chi$ が成り立つ.これを本書9章の $u$ に代入すると

$$ u = \sqrt{E+m}\begin{pmatrix}\chi\\[4pt] \dfrac{\bm{\sigma}\cdot\pp}{E+m}\chi\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}\sqrt{E+m}\,\chi\\[4pt] \dfrac{\abs{\pp}}{\sqrt{E+m}}\chi\end{pmatrix} = \begin{pmatrix}a\chi\\[4pt] b\chi\end{pmatrix} $$

となり,題意の形が確かめられた.ここで下2成分の係数は $\sqrt{E+m}\cdot\dfrac{\abs{\pp}}{E+m}=\dfrac{\abs{\pp}}{\sqrt{E+m}}=b$ と整理した.ノルムは,$\chi^\dagger\chi=1$ に注意して

$$ u^\dagger u = a^2\chi^\dagger\chi + b^2\chi^\dagger\chi = a^2+b^2 = (E+m) + \frac{\pp^2}{E+m} = \frac{(E+m)^2+\pp^2}{E+m} $$

分子に分散関係 $\pp^2=E^2-m^2$ を入れると

$$ (E+m)^2+E^2-m^2 = E^2+2Em+m^2+E^2-m^2 = 2E^2+2Em = 2E(E+m) $$

したがって $u^\dagger u = 2E(E+m)/(E+m)=2E$ である.本書9章の規約 $u^\dagger u=2E$ と一致する.$\blacksquare$

(2) $\gamma^5$ は上下ブロックを入れ替えるので $\gamma^5u=(b\chi,\ a\chi)^T$ である.よって

$$ P_Ru = \frac{u+\gamma^5u}{2} = \frac{1}{2}\begin{pmatrix}(a+b)\chi\\ (a+b)\chi\end{pmatrix} = \frac{a+b}{2}\begin{pmatrix}\chi\\ \chi\end{pmatrix} $$ $$ P_Lu = \frac{u-\gamma^5u}{2} = \frac{1}{2}\begin{pmatrix}(a-b)\chi\\ -(a-b)\chi\end{pmatrix} = \frac{a-b}{2}\begin{pmatrix}\chi\\ -\chi\end{pmatrix} $$

ノルムを計算する.いずれも上下ブロックがともに $\chi$ に比例し,$\chi^\dagger\chi=1$ だから,縦ベクトル $(\chi,\pm\chi)^T$ のノルム二乗は $1+1=2$ である.したがって

$$ \abs{P_Ru}^2 = \left(\frac{a+b}{2}\right)^2\times 2 = \frac{(a+b)^2}{2}, \qquad \abs{P_Lu}^2 = \left(\frac{a-b}{2}\right)^2\times 2 = \frac{(a-b)^2}{2} $$

である.$\blacksquare$ 和をとると $\dfrac{(a+b)^2+(a-b)^2}{2}=\dfrac{2a^2+2b^2}{2}=a^2+b^2=u^\dagger u$ となり,(1) と整合する(交差項 $\pm2ab$ が打ち消し合う).これは $P_L$ と $P_R$ の像が直交していること,すなわち演習9.4 の $P_LP_R=0$ の具体的な現れである.

(3) まず $ab$ を計算する.

$$ ab = \sqrt{E+m}\cdot\frac{\abs{\pp}}{\sqrt{E+m}} = \abs{\pp} $$

これと $a^2+b^2=2E$ を使うと

$$ \frac{\abs{P_Lu}^2}{u^\dagger u} = \frac{(a-b)^2/2}{a^2+b^2} = \frac{a^2+b^2-2ab}{2(a^2+b^2)} = \frac{2E-2\abs{\pp}}{2\cdot 2E} = \frac{E-\abs{\pp}}{2E} = \frac{1}{2}\left(1-\frac{\abs{\pp}}{E}\right) = \frac{1-v}{2} $$

である.$\blacksquare$ 同じ計算で右巻き成分の割合は $\dfrac{(a+b)^2/2}{2E}=\dfrac{1+v}{2}$ となり,2つの和は $1$ である.$v\to1$(超相対論的)で左巻き成分は $0$ に,$v\to0$(静止)で $1/2$ に近づく.静止した粒子では左右が完全に半々であり,カイラリティによる区別が意味を失う.

(4) まず運動量と速度を求める.$m=0.511\ \mathrm{MeV}$,$E=10\ \mathrm{MeV}$ に対して $m^2=0.261121\ \mathrm{MeV^2}$ だから

$$ \abs{\pp} = \sqrt{E^2-m^2} = \sqrt{100-0.261121} = \sqrt{99.738879} = 9.98694\ \mathrm{MeV} $$ $$ v = \frac{\abs{\pp}}{E} = \frac{9.98694}{10} = 0.998694 $$

したがって左巻きカイラリティ成分の割合は

$$ \frac{\abs{P_Lu}^2}{u^\dagger u} = \frac{1-v}{2} = \frac{1-0.998694}{2} = \frac{1.30646\times10^{-3}}{2} = 6.532\times10^{-4} $$

すなわち約 $0.065\ \%$ である.

つぎに超相対論的な近似式を導く.$v=\dfrac{\sqrt{E^2-m^2}}{E}=\sqrt{1-\dfrac{m^2}{E^2}}$ であり,$m^2/E^2\ll1$ のとき $\sqrt{1-x}\simeq1-x/2$ を使って

$$ v \simeq 1-\frac{m^2}{2E^2} \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{1-v}{2} \simeq \frac{1}{2}\cdot\frac{m^2}{2E^2} = \frac{m^2}{4E^2} $$

数値を入れると

$$ \frac{m^2}{4E^2} = \frac{0.261121}{4\times100} = \frac{0.261121}{400} = 6.528\times10^{-4} $$

厳密値 $6.532\times10^{-4}$ と近似値 $6.528\times10^{-4}$ は,たしかに有効数字3桁で一致している.ずれの大きさも展開から予言できる.$x\equiv m^2/E^2$ とおくと $\sqrt{1-x}=1-\dfrac{x}{2}-\dfrac{x^2}{8}-\cdots$ だから

$$ \frac{1-v}{2} = \frac{x}{4}+\frac{x^2}{16}+\cdots = \frac{x}{4}\left(1+\frac{x}{4}+\cdots\right), \qquad x=\frac{m^2}{E^2}=2.6112\times10^{-3} $$

すなわち第2項の絶対的な大きさは $x^2/16=(2.6112\times10^{-3})^2/16=4.26\times10^{-7}$,第1項に対する相対的な大きさは $x/4=6.53\times10^{-4}$ である.実際の差は $6.5322\times10^{-4}-6.5280\times10^{-4}=4.2\times10^{-7}$(相対 $0.065\ \%$)で,この予言とぴたりと合う.$\blacksquare$

検算.3つの独立な確認を行う.第一に,(2) の2つの割合の和は $\dfrac{1-v}{2}+\dfrac{1+v}{2}=1$ で,確率の保存に相当する.数値では $6.532\times10^{-4}+0.9993468=1.0000000$ である.第二に,(3) の式を静止極限 $\abs{\pp}\to0$($v\to0$)で見ると $1/2$ になり,静止したスピノルは $u=\sqrt{2m}(\chi,0)^T$ で $P_Lu$ と $P_Ru$ のノルムが等しいという直接計算($a=\sqrt{2m}$,$b=0$ なので $(a\pm b)^2/2$ がともに $m$)と合う.第三に,質量ゼロ極限 $m\to0$ では $v\to1$ となって左巻き成分が厳密にゼロ,すなわちヘリシティ $+1$ の状態が純粋な右巻きカイラリティ状態になり,本書9章の「質量ゼロならカイラリティ=ヘリシティ」という定理を再現している.

意味.ヘリシティ $+1$ の電子でも,質量があるかぎり必ず $(1-v)/2$ だけの左巻きカイラリティが混ざっている.これが素粒子物理に与える最も有名な帰結が,荷電パイ中間子の崩壊比である.$\pi^+\to\ell^+\nu_\ell$ ではスピン0の親から2体崩壊するため,弱い相互作用が要求するカイラリティと角運動量保存が要求するヘリシティが衝突し,振幅が「誤ったカイラリティ」の混入割合,すなわち $m_\ell^2$ に比例してしまう.結果として軽い電子モードのほうが強く抑制され,$\Gamma(\pi\to e\nu)/\Gamma(\pi\to\mu\nu)\sim10^{-4}$ という,直観に反する比が実現する(第12章).

材料科学の側では,同じ構造がトポロジカル絶縁体の表面状態に現れる.Bi$_2$Se$_3$ の表面 Dirac 錐は $m=0$ の2次元 Dirac 方程式で記述され,スピンと運動量が固定された関係(スピン運動量ロッキング)にある.ここでは $v=1$ すなわち「常に純粋なカイラリティ」であり,そのおかげで $180^\circ$ の後方散乱がスピンの重なりゼロによって禁止され,表面伝導が不純物に強い.ところが磁性不純物を導入したり超薄膜にして上下面を結合させたりすると,表面状態に有効質量 $m$ が開く.すると本問の $(1-v)/2$ にあたる「誤ったカイラリティ」が混入し,後方散乱が復活して伝導が劣化する.「質量が入るとカイラリティ保護が壊れる」という素粒子物理の話が,そのまま表面伝導の劣化として測定にかかるのである.

演習9.6 グラフェンの Dirac 方程式

問題(再掲)

$H=\hbar v_F(\sigma_xq_x+\sigma_yq_y)+\Delta\sigma_z$,$\hbar v_F=0.658\ \mathrm{eV\,nm}$($v_F=1.0\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$)とする.

(1) 固有値が $E=\pm\sqrt{\hbar^2v_F^2q^2+\Delta^2}$ となることを,$(\bm{d}\cdot\bm{\sigma})^2=\abs{\bm{d}}^2$ を使って示せ.

(2) $\Delta=0$ のとき固有ベクトルが $\frac{1}{\sqrt2}(1,\pm\ee^{\ii\theta_q})^T$ であることを確かめ,$\qq\to-\qq$(真後ろへの散乱)の重なり積分がゼロになることを示せ.

(3) $\Delta=0$,スピン2 × 谷2 の縮退度4のとき,単位面積あたりの状態密度が $\rho(E)=\dfrac{2\abs{E}}{\pi\hbar^2v_F^2}$ となることを示せ.

(4) $E_F=0.10\ \mathrm{eV}$ のときのキャリア密度 $n=E_F^2/(\pi\hbar^2v_F^2)$ と状態密度 $\rho(E_F)$ を,$\mathrm{cm^{-2}}$ と $\mathrm{eV^{-1}cm^{-2}}$ の単位で求めよ.

解答

方針.このハミルトニアンは $H=\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ という「Pauli 行列の1次結合」の形に押し込める.そうすれば固有値も固有ベクトルも代数的に片づく.状態密度は2次元の状態数え上げの標準手順($\kk$ 空間の面積を $(2\pi)^2$ で割る)である.なお本節では $\hbar$ を復活させており,$\hbar v_F=0.658\ \mathrm{eV\,nm}$ を1つの定数として扱うと数値計算が楽になる.$\qq$ は Dirac 点($K$ 点)から測った波数である.

(1) 与えられたハミルトニアンは

$$ H = \hbar v_F q_x\,\sigma_x + \hbar v_F q_y\,\sigma_y + \Delta\,\sigma_z = \bm{d}\cdot\bm{\sigma}, \qquad \bm{d}\equiv\left(\hbar v_Fq_x,\ \hbar v_Fq_y,\ \Delta\right) $$

と書ける.$\bm{d}$ は演算子ではなく実の数ベクトルであることに注意する($\qq$ は良い量子数である).演習9.3(1) の恒等式を $\bm{a}=\bm{b}=\bm{d}$ に使うと,$\bm{d}\times\bm{d}=0$ なので

$$ H^2 = (\bm{d}\cdot\bm{\sigma})(\bm{d}\cdot\bm{\sigma}) = \bm{d}\cdot\bm{d} + \ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{d}\times\bm{d}) = \abs{\bm{d}}^2\,\mathbb{1}_2 $$

したがって固有値 $E$ は $E^2=\abs{\bm{d}}^2$ を満たし,$E=\pm\abs{\bm{d}}$ である.さらに Pauli 行列はすべてトレースがゼロなので $\Tr H=0$,すなわち2つの固有値の和はゼロでなければならない.ゆえに $\abs{\bm{d}}\ne0$ であるかぎり2つの固有値は $+\abs{\bm{d}}$ と $-\abs{\bm{d}}$ であり,どちらか一方が二重に現れることはない($\qq=0$ かつ $\Delta=0$ のときだけ $H=0$ となり,2つの固有値がともにゼロに縮退する.これが Dirac 点である).具体的に書けば

$$ E_\pm = \pm\abs{\bm{d}} = \pm\sqrt{\hbar^2v_F^2\left(q_x^2+q_y^2\right)+\Delta^2} = \pm\sqrt{\hbar^2v_F^2q^2+\Delta^2} $$

である.$\blacksquare$ これは相対論の $E=\pm\sqrt{c^2p^2+m^2c^4}$ で $c\to v_F$,$mc^2\to\Delta$ と読み替えた式そのものである.

(2) $\Delta=0$,$\qq=q(\cos\theta_q,\sin\theta_q)$ とおくと

$$ H = \hbar v_F\begin{pmatrix}0 & q_x-\ii q_y\\ q_x+\ii q_y & 0\end{pmatrix} = \hbar v_Fq\begin{pmatrix}0 & \ee^{-\ii\theta_q}\\ \ee^{\ii\theta_q} & 0\end{pmatrix} $$

である($q_x\pm\ii q_y=q\ee^{\pm\ii\theta_q}$ を使った).候補 $\ket{\psi_\pm}=\frac{1}{\sqrt2}(1,\pm\ee^{\ii\theta_q})^T$ に作用させる:

$$ H\ket{\psi_\pm} = \frac{\hbar v_Fq}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\ee^{-\ii\theta_q}\cdot(\pm\ee^{\ii\theta_q})\\ \ee^{\ii\theta_q}\cdot1\end{pmatrix} = \frac{\hbar v_Fq}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\pm1\\ \ee^{\ii\theta_q}\end{pmatrix} = \pm\hbar v_Fq\cdot\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}1\\ \pm\ee^{\ii\theta_q}\end{pmatrix} $$

最後の等号では,$\pm1$ を括り出すと下成分が $\pm\ee^{\ii\theta_q}$ になること($1/(\pm1)=\pm1$)を使った.したがって $\ket{\psi_\pm}$ は固有値 $E_\pm=\pm\hbar v_Fq$ の固有ベクトルである.規格化も $\braket{\psi_\pm|\psi_\pm}=\frac12(1+1)=1$ で正しい.$\blacksquare$

つぎに真後ろへの散乱を考える.$\qq\to-\qq$ は向きの反転なので $\theta_q\to\theta_q+\pi$ である.同じバンド(同じ符号 $\pm$)の状態どうしの重なりは

$$ \braket{\psi_\pm(\theta_q+\pi)|\psi_\pm(\theta_q)} = \frac{1}{2}\left[1^*\cdot1 + \left(\pm\ee^{\ii(\theta_q+\pi)}\right)^*\left(\pm\ee^{\ii\theta_q}\right)\right] = \frac{1}{2}\left[1 + \ee^{-\ii(\theta_q+\pi)}\ee^{\ii\theta_q}\right] $$ $$ = \frac{1}{2}\left[1+\ee^{-\ii\pi}\right] = \frac{1}{2}\left[1-1\right] = 0 $$

となり,厳密にゼロである($(\pm1)^*(\pm1)=1$ なのでバンドの符号は落ちる).$\blacksquare$ 物理的には,擬スピンが $\qq$ の向きに固定されているため,運動量を反転させると擬スピンも反転し,2つの状態が直交してしまうのである.格子の乱れのように擬スピンに作用しない散乱体では,この重なりが行列要素に掛かるので,$180^\circ$ の後方散乱が禁止される.

(3) 2次元系で波数の大きさが $q$ 以下の状態の数を数える.$\qq$ 空間で半径 $q$ の円の面積は $\pi q^2$ であり,単位面積の試料あたりの状態密度は $\qq$ 空間の体積要素 $1/(2\pi)^2$ で数える.さらにスピン2 × 谷2 の縮退度4を掛けると,単位面積あたりの状態数は

$$ n(q) = 4\times\frac{\pi q^2}{(2\pi)^2} = \frac{4\pi q^2}{4\pi^2} = \frac{q^2}{\pi} $$

$\Delta=0$ では $\abs{E}=\hbar v_Fq$ すなわち $q=\abs{E}/(\hbar v_F)$ だから

$$ n(E) = \frac{1}{\pi}\left(\frac{\abs{E}}{\hbar v_F}\right)^2 = \frac{E^2}{\pi\hbar^2v_F^2} $$

状態密度はこれをエネルギーで微分したもので,$E>0$ の側では

$$ \rho(E) = \frac{\dd n}{\dd E} = \frac{2E}{\pi\hbar^2v_F^2} $$

$E<0$ の側(価電子帯)でも同じ数え方が成り立ち,$\abs{E}$ が増える向きに微分するので符号を込めて

$$ \rho(E) = \frac{2\abs{E}}{\pi\hbar^2v_F^2} $$

となる.$\blacksquare$ 絶対値のおかげで $E=0$(Dirac 点)で状態密度がゼロになる.金属でも絶縁体でもない「半金属」の特徴である.

(4) まず定数をまとめる.

$$ \left(\hbar v_F\right)^2 = (0.658)^2 = 0.43296\ \mathrm{eV^2\,nm^2}, \qquad \pi\left(\hbar v_F\right)^2 = 3.1416\times0.43296 = 1.3602\ \mathrm{eV^2\,nm^2} $$

キャリア密度は

$$ n = \frac{E_F^2}{\pi\hbar^2v_F^2} = \frac{(0.10)^2}{1.3602} = \frac{0.0100}{1.3602} = 7.352\times10^{-3}\ \mathrm{nm^{-2}} $$

単位を換算する.$1\ \mathrm{nm}=10^{-7}\ \mathrm{cm}$ なので $1\ \mathrm{nm^{-2}}=10^{14}\ \mathrm{cm^{-2}}$.したがって

$$ n = 7.352\times10^{-3}\times10^{14}\ \mathrm{cm^{-2}} = 7.35\times10^{11}\ \mathrm{cm^{-2}} $$

状態密度は

$$ \rho(E_F) = \frac{2E_F}{\pi\hbar^2v_F^2} = \frac{2\times0.10}{1.3602} = 0.1470\ \mathrm{eV^{-1}nm^{-2}} = 1.47\times10^{13}\ \mathrm{eV^{-1}cm^{-2}} $$

である.$\blacksquare$ 本文のヒントの値($7.3\times10^{11}\ \mathrm{cm^{-2}}$,$1.5\times10^{13}\ \mathrm{eV^{-1}cm^{-2}}$)と一致する.

検算.3通りに確かめる.第一に,Fermi 波数から直接計算する.$q_F=E_F/(\hbar v_F)=0.10/0.658=0.1520\ \mathrm{nm^{-1}}$ で,(3) の $n=q_F^2/\pi$ に入れると $0.1520^2/3.1416=7.35\times10^{-3}\ \mathrm{nm^{-2}}$ となり一致する.ちなみに $q_F$ は $\Gamma$ 点から $K$ 点までの距離($\abs{\bm{K}}=4\pi/(3\sqrt3\,a_{\mathrm{CC}})=4\pi/(3\times1.732\times0.142)=17.0\ \mathrm{nm^{-1}}$.$a_{\mathrm{CC}}=0.142\ \mathrm{nm}$ は C–C 結合長)の $0.9\ \%$ にすぎず,$K$ 点近傍の線形展開という前提が十分に成り立っている.第二に,$n$ と $\rho$ のあいだには $\rho(E_F)=\dd n/\dd E_F=2n/E_F$ という関係があるはずで,$2\times7.352\times10^{-3}/0.10=0.147\ \mathrm{eV^{-1}nm^{-2}}$ となって上と合う.第三に次元:$[E^2]/[E^2L^2]=L^{-2}$ で確かに面密度である.

意味.結果の形が通常の2次元電子ガス(2DEG)と決定的に違う.放物線バンドの 2DEG では状態密度が $\rho=m^*/(\pi\hbar^2)$ でエネルギーに依らない定数であり,キャリア密度は $n\propto E_F$ と1次で増える.ところがグラフェンでは $\rho\propto\abs{E}$,$n\propto E_F^2$ である.したがって $E_F$ をゲート電圧で動かすと,状態密度そのものが動く.逆に言えば $E_F=\hbar v_F\sqrt{\pi n}$ であり,$n$ を4倍にしないと $E_F$ は2倍にならない.

実験との橋渡しはゲート容量である.電界効果トランジスタ型の試料では $n=C_gV_g/e$ が成り立つ.典型的な $300\ \mathrm{nm}$ の SiO$_2$ 上のグラフェンなら $C_g=\varepsilon_0\varepsilon_r/d=8.854\times10^{-12}\times3.9/(300\times10^{-9})=1.15\times10^{-4}\ \mathrm{F/m^2}$ で,$C_g/e=7.18\times10^{10}\ \mathrm{cm^{-2}V^{-1}}$ となる.したがって本問の $n=7.35\times10^{11}\ \mathrm{cm^{-2}}$ を作るのに必要なゲート電圧は

$$ V_g = \frac{n}{C_g/e} = \frac{7.35\times10^{11}}{7.18\times10^{10}} = 10.2\ \mathrm{V} $$

にすぎない.電池数個分の電圧で「Dirac 粒子の Fermi エネルギーを $0.1\ \mathrm{eV}$ 動かす」ことができるのであり,これが素粒子物理の Dirac 方程式ではありえないグラフェンの強みである.状態密度の値 $1.47\times10^{13}\ \mathrm{eV^{-1}cm^{-2}}$ は量子容量 $C_q=e^2\rho$ を通じても測定できる.$\rho$ を $\mathrm{eV^{-1}m^{-2}}$ で測れば $C_q=e\times\rho$ と書けるので

$$ C_q = 1.602\times10^{-19}\times1.47\times10^{17} = 2.36\times10^{-2}\ \mathrm{F/m^2} $$

となる.これは上の $C_g=1.15\times10^{-4}\ \mathrm{F/m^2}$ の約 $200$ 倍であり,直列合成 $1/C=1/C_g+1/C_q$ では $C_q$ の寄与が $0.5\ \%$ 程度にとどまる.したがって通常のゲート構造では幾何容量が律速し,$n=C_gV_g/e$ という単純な関係が良い近似になる.ただし Dirac 点のごく近傍では $\rho\to0$ すなわち $C_q\to0$ となるため,そこだけは量子容量が効いて $V_g$ と $n$ の比例関係が崩れる.

演習9.7 Klein トンネリングの透過率

問題(再掲)

本書9章の Klein トンネリングの透過率,$T(\phi)=\dfrac{\cos^2\phi}{1-\cos^2(q_xD)\sin^2\phi}$ を調べる.

(1) $\phi=0$(垂直入射)のとき $T=1$ であることを示せ.障壁の高さ $V_0$ と幅 $D$ に依存しないことを確認せよ.

(2) $q_xD=n\pi$($n$ は整数)のとき,すべての入射角で $T=1$ となることを示せ(Fabry–Pérot 共鳴).

(3) $\phi=45^\circ$ のとき,$q_xD$ を変えたときの $T$ の最大値と最小値を求めよ.

(4) $E=80\ \mathrm{meV}$,$V_0=200\ \mathrm{meV}$,$D=100\ \mathrm{nm}$,$\phi=30^\circ$ とする.$k=E/(\hbar v_F)$,$k_y=k\sin\phi$,$q_x=\sqrt{(E-V_0)^2/(\hbar v_F)^2-k_y^2}$ を計算し,$T$ を数値で求めよ($\hbar v_F=0.658\ \mathrm{eV\,nm}$).なお上の式は $\abs{V_0}\gg\abs{E}$ の極限式であり,ここでの数値は $V_0/E=2.5$ にすぎないのでこの近似は粗い(障壁内の擬スピン角 $\theta=\arcsin(k_y\hbar v_F/\abs{E-V_0})=19.5^\circ$ が入射角 $\phi$ とずれる補正が効き,Katsnelson らの一般式では $T\simeq0.49$ になる).ここでは近似式のまま計算してよい.

解答

方針.与えられた $T(\phi)$ は,分子が入射角だけで決まり,分母に $q_xD$ という「障壁内の位相」が $\cos^2$ の形で入る,という構造をもつ.したがって $\phi$ と $q_xD$ の2変数の関数として,まず極限と特別な値を押さえ,最後に数値を入れる.$q_x$ は障壁内での波数の $x$ 成分,$k_y$ は障壁の外でも中でも保存する横方向波数(並進対称性による)である.

(1) $\phi=0$ を代入すると $\cos^2 0=1$,$\sin^2 0=0$ だから

$$ T(0) = \frac{1}{1-\cos^2(q_xD)\times 0} = \frac{1}{1-0} = 1 $$

である.$\blacksquare$ ここで重要なのは,$V_0$ と $D$ が $T$ に入る唯一の経路が $q_xD$ という組み合わせであり,その $q_xD$ は $\sin^2\phi$ と掛け算されている,という点である.$\phi=0$ では $\sin^2\phi=0$ なので $\cos^2(q_xD)$ の値が何であっても分母は $1$ のままである.すなわち障壁がどれほど高くても,どれほど厚くても,垂直入射なら完全透過する.Schrödinger 方程式なら $T\sim\ee^{-2\kappa D}$ と厚さについて指数的に減衰するのだから,これは劇的な違いである.

(2) $q_xD=n\pi$($n$ は整数)なら $\cos(q_xD)=(-1)^n$ すなわち $\cos^2(q_xD)=1$ である.これを代入すると

$$ T = \frac{\cos^2\phi}{1-1\cdot\sin^2\phi} = \frac{\cos^2\phi}{1-\sin^2\phi} = \frac{\cos^2\phi}{\cos^2\phi} = 1 $$

となり,$\phi\ne\pi/2$ であるかぎり(すなわち $\cos^2\phi\ne0$ であるかぎり)入射角によらず完全透過である.$\blacksquare$ これは障壁の両端で反射した波が往復位相 $2q_xD=2n\pi$ で強め合い,正味の反射が消える Fabry–Pérot 共鳴であり,光学の反射防止膜とまったく同じ機構である.違うのは,グラフェンでは (1) の垂直入射の完全透過が共鳴条件と無関係に成り立つ点である.

(3) $\phi=45^\circ$ では $\cos^2\phi=\sin^2\phi=1/2$ である.$c^2\equiv\cos^2(q_xD)$ と略記すると

$$ T = \frac{1/2}{1-c^2/2} = \frac{1}{2-c^2} $$

$q_xD$ を実数の範囲で自由に動かすと $c^2$ は $0$ から $1$ までのすべての値をとる.$T=1/(2-c^2)$ は $c^2$ について単調増加だから,

である.$\blacksquare$ 最小値 $1/2$ は $\cos^2 45^\circ$ に等しい.一般に $c^2=0$ のとき $T=\cos^2\phi$,$c^2=1$ のとき $T=1$ であり,$T$ は $q_xD$ の変化にともなって $\cos^2\phi$ と $1$ のあいだを振動する.$45^\circ$ という比較的大きな角度でも,最悪でも半分は透過してしまうのである.

(4) 順に数値を出す.$\hbar v_F=0.658\ \mathrm{eV\,nm}$,$E=0.080\ \mathrm{eV}$,$V_0=0.200\ \mathrm{eV}$,$D=100\ \mathrm{nm}$,$\phi=30^\circ$ である.

まず障壁の外の波数:

$$ k = \frac{E}{\hbar v_F} = \frac{0.080}{0.658} = 0.12158\ \mathrm{nm^{-1}} $$

横方向成分(境界で保存する):

$$ k_y = k\sin30^\circ = 0.12158\times0.5 = 0.060790\ \mathrm{nm^{-1}} $$

障壁の中のエネルギーは $E-V_0=0.080-0.200=-0.120\ \mathrm{eV}$ で負,すなわち価電子帯(正孔)側の状態である.対応する全波数は

$$ \frac{E-V_0}{\hbar v_F} = \frac{-0.120}{0.658} = -0.18237\ \mathrm{nm^{-1}} $$

$x$ 成分は

$$ q_x = \sqrt{\left(\frac{E-V_0}{\hbar v_F}\right)^2 - k_y^2} = \sqrt{(0.18237)^2-(0.060790)^2} = \sqrt{0.033259-0.003695} $$ $$ = \sqrt{0.029564} = 0.171941\ \mathrm{nm^{-1}} $$

$q_x$ が実数であることが Klein トンネリングの核心である.Schrödinger 粒子ならここが虚数になり,減衰波しか存在しない.障壁内で積算される位相は

$$ q_xD = 0.171941\times100 = 17.194\ \mathrm{rad} $$

これを $2\pi$ で割った余りは $17.194-2\times2\pi=17.194-12.566=4.6277\ \mathrm{rad}$ である.これは第3象限($\pi<4.6277<3\pi/2$)にあり,しかも境界の $3\pi/2=4.7124$ にごく近いので,余弦は負でしかも絶対値が小さいはずである.実際

$$ \cos(q_xD) = \cos(4.6277) = -0.08457, \qquad \cos^2(q_xD) = 7.1525\times10^{-3} $$

最後に透過率を組み立てる.$\cos^2 30^\circ=3/4=0.75$,$\sin^2 30^\circ=1/4=0.25$ なので

$$ T = \frac{0.75}{1-7.1525\times10^{-3}\times0.25} = \frac{0.75}{1-1.7881\times10^{-3}} = \frac{0.75}{0.998212} = 0.7513 $$

すなわち $T\simeq0.75$ である.$\blacksquare$ 本文のヒントの $0.751$ と一致する.近似式のうえでは,高さ $200\ \mathrm{meV}$,幅 $100\ \mathrm{nm}$ の障壁を,$30^\circ$ で斜めに入射した電子の $75\ \%$ が通り抜けるのである.問題文の注意のとおり,$V_0/E=2.5$ では擬スピン角 $\theta=\arcsin(0.060790/0.18237)=19.5^\circ$ と $\phi=30^\circ$ のずれが効き,一般式では $T\simeq0.49$ と半分ほどになる.それでも約 $50\ \%$ が透過するのであり,障壁幅に対して指数的に減衰する Schrödinger 粒子ではありえない値であることに変わりはない.

検算.まずユニタリ性を確かめる.分母について $1-c^2\sin^2\phi\ge1-\sin^2\phi=\cos^2\phi$($c^2\le1$ だから)が成り立つので,つねに $T\le\cos^2\phi/\cos^2\phi=1$ である.透過率が $1$ を超えないという物理的要請を式が満たしている.つぎに (3) と同じ議論を $\phi=30^\circ$ で行うと,$T$ は $q_xD$ の変化にともなって $\cos^2 30^\circ=0.750$ から $1$ のあいだを振動するはずである.本問の数値 $T=0.7513$ はこの区間の下端のすぐ上にあり,$\cos^2(q_xD)=0.0072$ がほぼゼロ(反共鳴に近い)であることと整合する.すなわち今回の $D=100\ \mathrm{nm}$ は「最も通しにくい」条件に近く,それでも $75\ \%$ が透過する.最後に $\phi\to90^\circ$(掠め入射)では分子 $\cos^2\phi\to0$ で $T\to0$ となり,本書9章の極限の記述と合う.また $D$ を $q_xD=n\pi$ すなわち $D=n\pi/0.171941=18.27n\ \mathrm{nm}$ に選べば $T=1$ になる:$n=5$ の $D=91.4\ \mathrm{nm}$,$n=6$ の $D=109.6\ \mathrm{nm}$ が本問の $100\ \mathrm{nm}$ の両隣の共鳴である.$100\ \mathrm{nm}$ はその中間($91.4$ から $8.6\ \mathrm{nm}$,$109.6$ から $9.6\ \mathrm{nm}$)にあたり,だからこそ上で見たように反共鳴に近い値になった.障壁幅を $9\ \mathrm{nm}$ 変えるだけで $T$ が $0.751$ から $1$ まで振れるという鋭敏さも,この式の重要な性質である.

意味.Klein トンネリングは,1929年に Oskar Klein が Dirac 方程式の解釈上の困難として指摘したものである.真空で検証するには Compton 波長 $386\ \mathrm{fm}$ 程度の距離で $2m_ec^2\simeq1\ \mathrm{MeV}$ の電位差をつける必要があり,電場にして $10^{18}\ \mathrm{V/m}$ 級(Schwinger 限界)を要する.一方グラフェンでは,$c$ が $v_F\simeq c/300$ に,質量スケールが $\mathrm{meV}$ になるおかげで,同じ条件がゲート電極でつくる $100\ \mathrm{meV}$ 程度の静電障壁で満たされる.素粒子物理では到達不可能な現象を,室温近くの半導体プロセスで再現できるのである.

材料科学の応用面から見ると,これは両刃の剣である.Klein トンネリングのせいでグラフェン電界効果トランジスタはオフにならない:ゲートで障壁を立てても電子が素通りするので,オンオフ比が $10$ 程度にとどまり,論理素子には使えない.これを避けるにはギャップを開けるしかなく,演習9.6 の $\Delta\sigma_z$ 項(h-BN 基板との整合,二層グラフェンへの垂直電場など)が研究されてきた.一方で,透過が入射角に強く依存する性質は積極的にも使える.$p$–$n$ 接合が電子に対して負の屈折率をもつ媒質として働くこと(Veselago レンズ)や,共鳴条件を使った角度フィルターが提案され,実験もされている.

演習9.8 BdG 方程式,コヒーレンス因子,Majorana 条件

問題(再掲)

$H_{\text{BdG}}=\xi\tau_z+\Delta\tau_x$($\Delta$ は実)について.

(1) 固有値が $E=\pm\sqrt{\xi^2+\Delta^2}$ であることを,$\tau_z$ と $\tau_x$ が反交換することだけを使って示せ.

(2) 正エネルギー固有ベクトルを $(u,v)^T$ と書くとき,$u^2=\frac12(1+\xi/E)$,$v^2=\frac12(1-\xi/E)$ を示せ.$\xi\to+\infty$,$\xi\to-\infty$,$\xi=0$ の3つの極限で $(u,v)$ がどうなるかを述べ,物理的に解釈せよ.

(3) $\Xi=\tau_y\mathcal{K}$($\mathcal{K}$ は複素共役)について $\Xi H\Xi^{-1}=-H$ を示し,スペクトルが $E=0$ に関して対称であることを結論せよ.

(4) Al($T_c=1.20\ \mathrm{K}$,$v_F=2.03\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$)について,BCS 弱結合の関係 $\Delta=1.764\,k_BT_c$ からギャップを $\mathrm{meV}$ 単位で求めよ.さらに,Dirac 方程式で「質量 $m$ に対する Compton 波長 $\hbar/mc$」に相当する量が超伝導では「コヒーレンス長 $\xi_0=\hbar v_F/(\pi\Delta)$」であることに注意して,$\xi_0$ を求めよ.

(5) 電子の静止エネルギー $511\ \mathrm{keV}$ と (4) のギャップの比を求め,「同じ方程式が何桁のスケール差にまたがっているか」を述べよ.

解答

方針.(1)–(3) は $2\times2$ の代数だけで済む.鍵は $\tau_x,\tau_y,\tau_z$ が Pauli 行列と同じ代数(互いに反交換,二乗が $\mathbb{1}$)に従うことである.ただしここでの2成分空間はスピンではなくNambu 空間,すなわち「電子」と「正孔」を並べた空間である.(4)(5) は数値代入で,本書9章の「同じ方程式が何桁のスケール差にまたがるか」という主張を自分の手で確かめる問題である.

(1) $H=\xi\tau_z+\Delta\tau_x$ の二乗を計算する.

$$ H^2 = \left(\xi\tau_z+\Delta\tau_x\right)^2 = \xi^2\tau_z^2 + \Delta^2\tau_x^2 + \xi\Delta\left(\tau_z\tau_x+\tau_x\tau_z\right) = \xi^2\tau_z^2 + \Delta^2\tau_x^2 + \xi\Delta\left\{\tau_z,\tau_x\right\} $$

反交換性 $\{\tau_z,\tau_x\}=0$ により交差項が消え,$\tau_z^2=\tau_x^2=\mathbb{1}$ を使うと

$$ H^2 = \left(\xi^2+\Delta^2\right)\mathbb{1} $$

したがって固有値 $E$ は $E^2=\xi^2+\Delta^2$ を満たす.さらに $\Tr\tau_z=\Tr\tau_x=0$ から $\Tr H=0$,すなわち2つの固有値の和はゼロである.ゆえに

$$ E = \pm\sqrt{\xi^2+\Delta^2} $$

である.$\blacksquare$ 交差項が消えるという一点だけで結果が決まっており,これは Dirac 方程式で $\Ham=\bm{\alpha}\cdot\pp+\beta m$ から $E^2=\pp^2+m^2$ が出るときに $\{\alpha^i,\beta\}=0$ が効いたのとまったく同じ機構である.$\xi=0$(Fermi 面上)でも $\abs{E}=\abs{\Delta}$ のギャップが残ることも読み取れる.

(2) 行列で書くと $H=\begin{pmatrix}\xi&\Delta\\ \Delta&-\xi\end{pmatrix}$ である.正エネルギー $E=+\sqrt{\xi^2+\Delta^2}$ の固有ベクトル $(u,v)^T$ は

$$ \xi u + \Delta v = E u \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{v}{u} = \frac{E-\xi}{\Delta} $$

を満たす(第2行 $\Delta u-\xi v=Ev$ からは $u/v=(E+\xi)/\Delta$ が出るが,$(E-\xi)(E+\xi)=E^2-\xi^2=\Delta^2$ なので両者は同じ条件である).規格化条件 $u^2+v^2=1$ を課すと

$$ u^2\left[1+\left(\frac{E-\xi}{\Delta}\right)^2\right]=1 \qquad\Longrightarrow\qquad u^2 = \frac{\Delta^2}{\Delta^2+(E-\xi)^2} $$

分母を整理する.$\Delta^2=E^2-\xi^2$ を使うと

$$ \Delta^2+(E-\xi)^2 = \left(E^2-\xi^2\right)+\left(E^2-2E\xi+\xi^2\right) = 2E^2-2E\xi = 2E(E-\xi) $$

また分子は $\Delta^2=(E-\xi)(E+\xi)$ と因数分解できるので

$$ u^2 = \frac{(E-\xi)(E+\xi)}{2E(E-\xi)} = \frac{E+\xi}{2E} = \frac{1}{2}\left(1+\frac{\xi}{E}\right) $$

したがって

$$ v^2 = 1-u^2 = \frac{1}{2}\left(1-\frac{\xi}{E}\right) $$

である.$\blacksquare$ これが BCS のコヒーレンス因子である.

3つの極限.

この3つは,Dirac 方程式で $\abs{\pp}\gg m$ のとき大成分と小成分がほぼ等しく,$\abs{\pp}\ll m$ のとき小成分が消える,という構造の超伝導版である.「電子性」と「正孔性」が Fermi 面上で完全に混ざるのが超伝導の本質であり,質量が粒子と反粒子を混ぜるのと同じ働きを $\Delta$ がしている.

(3) $\Xi=\tau_y\mathcal{K}$ は反ユニタリ演算子である.まず逆演算子を求める.$\mathcal{K}\tau_y=\tau_y^*\mathcal{K}=-\tau_y\mathcal{K}$($\tau_y$ は純虚数の成分をもつので $\tau_y^*=-\tau_y$)と $\mathcal{K}^2=\mathbb{1}$ を使うと

$$ \Xi^2 = \tau_y\mathcal{K}\,\tau_y\mathcal{K} = \tau_y\left(-\tau_y\right)\mathcal{K}^2 = -\tau_y^2 = -\mathbb{1} $$

したがって $\Xi^{-1}=-\Xi$ である.これを使って

$$ \Xi H\Xi^{-1} = \tau_y\mathcal{K}\,H\,\left(-\tau_y\mathcal{K}\right) = -\tau_y\left(\mathcal{K}H\right)\tau_y\mathcal{K} = -\tau_y H^*\left(\mathcal{K}\tau_y\mathcal{K}\right) = -\tau_y H^*\left(-\tau_y\right) = \tau_y H^*\tau_y $$

途中で $\mathcal{K}H=H^*\mathcal{K}$ と $\mathcal{K}\tau_y\mathcal{K}=\tau_y^*=-\tau_y$ を使った.いま $\xi$ も $\Delta$ も実なので $H^*=H$ であり,Pauli 行列の関係 $\tau_y\tau_z\tau_y=-\tau_z$,$\tau_y\tau_x\tau_y=-\tau_x$(異なる Pauli 行列は反交換し,$\tau_y^2=\mathbb{1}$ だから)を使うと

$$ \tau_yH\tau_y = \xi\,\tau_y\tau_z\tau_y + \Delta\,\tau_y\tau_x\tau_y = -\xi\tau_z-\Delta\tau_x = -H $$

したがって

$$ \Xi H\Xi^{-1} = -H $$

である.$\blacksquare$

スペクトルの対称性.$H\ket{\psi}=E\ket{\psi}$($E$ は実)とする.両辺に左から $\Xi$ を作用させる.$\Xi$ は反ユニタリなので複素数を複素共役にして通すが,$E$ は実だから $\Xi E\ket{\psi}=E\,\Xi\ket{\psi}$ である.一方 $\Xi H=-H\Xi$(上の関係を $\Xi^{-1}$ を掛けずに書いたもの)だから

$$ \Xi H\ket{\psi} = -H\,\Xi\ket{\psi} = E\,\Xi\ket{\psi} \qquad\Longrightarrow\qquad H\left(\Xi\ket{\psi}\right) = -E\left(\Xi\ket{\psi}\right) $$

すなわちエネルギー $E$ の固有状態があれば,必ずエネルギー $-E$ の固有状態 $\Xi\ket{\psi}$ が存在する.スペクトルは $E=0$ について厳密に対称である.$\blacksquare$ これは Dirac 方程式で $u$ 解(正エネルギー)と $v$ 解(負エネルギー)が電荷共役で結ばれ,対をなしていたことの完全な対応物である.なお本問の $2\times2$ 形式(スピン回転対称性を保つ一重項 $s$ 波を Nambu 基底 $(c_\uparrow,c^\dagger_\downarrow)$ に縮約したもの)では $\Xi^2=-\mathbb{1}$ となり,これは Altland–Zirnbauer 分類のクラス C に対応する.スピン自由度を残した $4\times4$ の Nambu 基底では $\Xi=\tau_x\mathcal{K}$,$\Xi^2=+\mathbb{1}$ となってクラス D になり,Majorana 零モードを支えるのはこちらである(クラス D と DIII はどちらも $\Xi^2=+\mathbb{1}$ で,両者を分けるのは時間反転対称性の有無である).$\Xi^2$ の符号がどの分類に落ちるかを決めるので,どの基底で書いた $\Xi$ なのかを明示することが大切である.

(4) BCS 弱結合の関係にそのまま代入する.$k_B=8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}$,$T_c=1.20\ \mathrm{K}$ として

$$ \Delta = 1.764\,k_BT_c = 1.764\times8.617\times10^{-5}\times1.20 $$ $$ = 1.764\times1.03404\times10^{-4} = 1.8240\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = 0.1824\ \mathrm{meV} $$

すなわち約 $0.18\ \mathrm{meV}$ である.つぎにコヒーレンス長を求める.$\hbar=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$,$v_F=2.03\times10^{6}\ \mathrm{m/s}$ を使うと,分子は

$$ \hbar v_F = 6.582\times10^{-16}\times2.03\times10^{6} = 1.3361\times10^{-9}\ \mathrm{eV\,m} $$

分母は

$$ \pi\Delta = 3.1416\times1.8240\times10^{-4} = 5.7303\times10^{-4}\ \mathrm{eV} $$

したがって

$$ \xi_0 = \frac{\hbar v_F}{\pi\Delta} = \frac{1.3361\times10^{-9}}{5.7303\times10^{-4}} = 2.332\times10^{-6}\ \mathrm{m} = 2.33\ \mathrm{\mu m} $$

である.$\blacksquare$ Al の BCS コヒーレンス長の文献値は約 $1.6\ \mathrm{\mu m}$ で,同じ桁である(差は $v_F$ の値の取り方や,Fermi 面の非球形性による).超伝導体としては例外的に長く,これが Al で「クリーンな」Josephson 素子や超伝導量子ビットが作りやすい理由の一つでもある.

(5) 電子の静止エネルギーとギャップの比は

$$ \frac{m_ec^2}{\Delta} = \frac{511\times10^{3}\ \mathrm{eV}}{1.8240\times10^{-4}\ \mathrm{eV}} = 2.802\times10^{9} $$

$\log_{10}(2.802\times10^{9})=9.45$ だから,およそ9桁半である.同一形の方程式(本書9章の $E=\pm\sqrt{p^2c^2+m^2c^4}$ と $E=\pm\sqrt{\xi^2+\Delta^2}$)が,$\mathrm{keV}$ の世界と $\mathrm{\mu eV}$ の世界にまたがって成り立っている.

一方,長さのスケールで比べると様子が違う.電子の Compton 波長は $\lambda_C=\hbar/(m_ec)=3.862\times10^{-13}\ \mathrm{m}=386\ \mathrm{fm}$ で,(4) の $\xi_0=2.332\times10^{-6}\ \mathrm{m}$ との比は

$$ \frac{\xi_0}{\lambda_C} = \frac{2.332\times10^{-6}}{3.862\times10^{-13}} = 6.04\times10^{6} $$

すなわち $\log_{10}(6.04\times10^{6})=6.78$ 桁で,エネルギー比の $9.45$ 桁とは一致しない.差は $9.45-6.78=2.67$ 桁(章のヒントで「3桁」と丸めて述べられている分)である.これがどこから来るかは,比を解析的に書けばすぐ分かる.

$$ \frac{\xi_0}{\lambda_C} = \frac{\hbar v_F/(\pi\Delta)}{\hbar/(m_ec)} = \frac{v_F\,m_ec}{\pi\Delta} = \frac{v_F}{c}\cdot\frac{m_ec^2}{\pi\Delta} $$

数値を入れると $v_F/c = (2.03\times10^{6})/(2.998\times10^{8})=6.77\times10^{-3}$,$m_ec^2/(\pi\Delta)=(2.802\times10^{9})/3.1416=8.92\times10^{8}$ で,積は $6.77\times10^{-3}\times8.92\times10^{8}=6.04\times10^{6}$ となり,直接計算と一致する.桁で勘定すると

$$ \log_{10}\frac{c}{v_F} = \log_{10}147.7 = 2.17, \qquad \log_{10}\pi = 0.50, \qquad 2.17+0.50 = 2.67 $$

である.「光速」の役を $c$ ではなく $v_F$ が担っているため,因子 $v_F/c\simeq1/148$ が $2.17$ 桁を食い,コヒーレンス長の定義に入る $1/\pi$ がさらに $0.50$ 桁を食う.合わせて $2.67$ 桁が,エネルギー比と長さ比のずれの正体である.$\blacksquare$

検算.3点で確かめる.第一に,(4) のギャップを温度に換算すると $\Delta/k_B=(1.8240\times10^{-4})/(8.617\times10^{-5})=2.117\ \mathrm{K}$ で,$1.764\times T_c=1.764\times1.20=2.117\ \mathrm{K}$ と一致する(定義そのものなので当然だが,桁の間違いがないことの確認になる).関連して,BCS の普遍比 $2\Delta/(k_BT_c)=2\times1.764=3.53$ も再現されている.第二に $\xi_0$ の次元:$[\hbar v_F/\Delta]=(\mathrm{eV\,s})(\mathrm{m/s})/\mathrm{eV}=\mathrm{m}$ で確かに長さである.第三に,$\lambda_C$ を独立に検算する.

$$ \lambda_C = \frac{\hbar c}{m_ec^2} = \frac{(6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s})(2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s})}{5.11\times10^{5}\ \mathrm{eV}} = \frac{1.973\times10^{-7}}{5.11\times10^{5}}\ \mathrm{m} = 3.86\times10^{-13}\ \mathrm{m} $$

となり,上で使った $386\ \mathrm{fm}$ と合う.

意味.本問は本書9章の主題を1つの数値に凝縮している.Dirac 方程式と BdG 方程式は同じ方程式であり,エネルギーで9桁半,長さで7桁近く離れた世界で同じ構造が働いている.質量 $m$ の役をギャップ $\Delta$ が,光速 $c$ の役を Fermi 速度 $v_F$ が,粒子・反粒子の役を電子・正孔が,電荷共役 $C$ の役を粒子正孔対称性 $\Xi$ が担う.

実用面で最も重要なのは (2) の $\xi=0$ の極限である.$u=v$ となる零エネルギー状態は $\gamma=\gamma^\dagger$ すなわち Majorana 条件を満たし,これは第14章で扱う Majorana ニュートリノの条件 $\psi=\psi^c$ と文字どおり同じ式である.素粒子物理ではニュートリノがこれを満たすかどうかがニュートリノレス二重ベータ崩壊の探索で問われている一方,物性側では半導体ナノワイヤと $s$ 波超伝導体(InAs や InSb と Al)の複合系,トポロジカル絶縁体と超伝導体の界面,鉄系超伝導体 FeTe$_{0.55}$Se$_{0.45}$ の渦糸芯などで探索が続いている.本問で Al を題材にしたのは偶然ではなく,Al は $\xi_0$ が長く,かつ清浄な薄膜を作りやすいため,ナノワイヤに接触させる親超伝導体として実際に最もよく使われる材料だからである.こうした Majorana 零モードが非可換統計に従うことがトポロジカル量子計算の原理であり,1928年の Dirac の1行が,2020年代の量子計算材料の設計指針になっている.

E.10 第10章 量子電気力学 の解答

演習10.1 トレース定理を使う

問題(再掲)

(1) $\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right]=4\left[(a\!\cdot\! b)(c\!\cdot\! d)-(a\!\cdot\! c)(b\!\cdot\! d)+(a\!\cdot\! d)(b\!\cdot\! c)\right]$ を,表10.3 の T4 から導け.

(2) $\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right]=0$ を,$\gamma^5$ を使う一般論(T2)ではなく,反交換関係だけを使って直接示せ.

(3) 次のトレースを計算せよ($m$ はスカラー).

$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\,\gamma^\mu\,(\slashed{p}'+m)\,\gamma_\mu\right] $$

(4) $\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma^5\right]$ が,$a,b,c,d$ が一次従属なとき(4 本のうち独立なものが 3 本以下で,4 次元空間を張らないとき)ゼロになる理由を述べよ.

解答

方針.使う道具は本書10章の表10.3 のトレース定理(T1,T3,T4,T7),縮約公式 C1・C2,そしてトレースの巡回性 $\Tr(AB)=\Tr(BA)$ と Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}\mathbb{1}$ だけである.(2) では $\gamma^5$ を一切使わないことが要求されているので,「別の添字の $\gamma$ を挿入して反交換で通す」という手だけで押し切る.

(1) Feynman スラッシュの定義 $\slashed{a}=a_\mu\gamma^\mu$ をそのまま代入する.係数 $a_\mu,b_\nu,c_\rho,d_\sigma$ はただの数なので,トレースの外に出せる:

$$ \Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right] = a_\mu b_\nu c_\rho d_\sigma\,\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\right] $$

ここに T4,すなわち $\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\right]=4\left(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho}\right)$ を入れる:

$$ =4\left[a_\mu b_\nu g^{\mu\nu}\,c_\rho d_\sigma g^{\rho\sigma} -a_\mu c_\rho g^{\mu\rho}\,b_\nu d_\sigma g^{\nu\sigma} +a_\mu d_\sigma g^{\mu\sigma}\,b_\nu c_\rho g^{\nu\rho}\right] $$

計量による添字の縮約は内積そのもの($a_\mu b_\nu g^{\mu\nu}=a_\mu b^\mu=a\!\cdot\! b$)だから,

$$ \Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right] =4\left[(a\!\cdot\! b)(c\!\cdot\! d)-(a\!\cdot\! c)(b\!\cdot\! d)+(a\!\cdot\! d)(b\!\cdot\! c)\right] $$

これが T9 である.構造は「4 本を 2 本ずつ組にする 3 通りの組み方を並べ,隣り合わない組($ac$ と $bd$)だけ符号を負にする」であり,$\gamma$ 行列を 1 つずつ隣へ移すたびに反交換で $(-1)$ が出ることの痕跡である.

(2) まず 1 個のトレース $\Tr(\gamma^\alpha)$ が消えることを示す.$\alpha$ と異なる添字の値 $\beta$ を一つ取る(4 次元なので必ず取れる).$\gamma^\beta\gamma^\beta=g^{\beta\beta}\mathbb{1}$($\beta$ については和を取らない)であり,$g^{\beta\beta}=\pm1\neq0$ である.これを挿入して,右側の $\gamma^\beta$ を $\gamma^\alpha$ の右へ通す.$\alpha\neq\beta$ なので $\gamma^\beta\gamma^\alpha=-\gamma^\alpha\gamma^\beta$ が使えて

$$ g^{\beta\beta}\Tr(\gamma^\alpha)=\Tr\left(\gamma^\beta\gamma^\beta\gamma^\alpha\right) =-\Tr\left(\gamma^\beta\gamma^\alpha\gamma^\beta\right) \stackrel{\text{巡回性}}{=}-\Tr\left(\gamma^\beta\gamma^\beta\gamma^\alpha\right) =-g^{\beta\beta}\Tr(\gamma^\alpha) $$

$g^{\beta\beta}\neq0$ で割れば $\Tr(\gamma^\alpha)=0$ である.

まったく同じ論法が 3 個の場合にも通る.$T\equiv\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right]$ とし,$\mu,\nu,\rho$ のどれとも異なる値の添字 $\lambda$ を取る.$\mu,\nu,\rho$ に現れる相異なる値はたかだか 3 個であり,添字の値は $0,1,2,3$ の 4 個あるので,そのような $\lambda$ は必ず存在する.$\gamma^\lambda$ は $\gamma^\mu,\gamma^\nu,\gamma^\rho$ のすべてと反交換するから,$\gamma^\lambda$ を 3 個通すと $(-1)^3=-1$ が出る:

$$ g^{\lambda\lambda}T=\Tr\left[\gamma^\lambda\gamma^\lambda\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right] =(-1)^3\Tr\left[\gamma^\lambda\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\lambda\right] \stackrel{\text{巡回性}}{=}-\Tr\left[\gamma^\lambda\gamma^\lambda\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right] =-g^{\lambda\lambda}T $$

よって $T=-T$,すなわち $\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\right]=0$ である.反交換関係と巡回性しか使っていない.

なお,「反交換関係で $\gamma^\mu$ を右端へ運んで巡回性で戻す」という素朴な道は,奇数個の場合には閉じないことを注意しておく.実際

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho=2g^{\mu\nu}\gamma^\rho-2g^{\mu\rho}\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\mu $$

であり,$\gamma^\mu$ が通り抜けた $\gamma$ は 2 個なので符号は $(-1)^2=+1$ である.トレースを取って巡回性を使うと右辺最後の項は $T$ そのものに戻り,

$$ T=2g^{\mu\nu}\Tr(\gamma^\rho)-2g^{\mu\rho}\Tr(\gamma^\nu)+T $$

すなわち $0=2g^{\mu\nu}\Tr(\gamma^\rho)-2g^{\mu\rho}\Tr(\gamma^\nu)$ という恒等式が出るだけで,$T$ 自身は決まらない(この式は上で示した $\Tr(\gamma^\alpha)=0$ によって自動的に満たされている).したがって本文のヒントにある「$\gamma^\mu$ を右端へ運んで巡回性で戻すと $T=-T+(\text{2 個のトレース})$ の形になる」という言い方は,いま見たとおり符号が反転しないので成り立たない.上の $\lambda$ 挿入法を採る必要がある.奇数個で符号が反転しないことこそ,一般の証明で $\gamma^5$ を挟む T2 の手が必要になる理由である.上の $\lambda$ 挿入法が使えるのは,$\gamma$ の個数が 3 以下で「余った添字」が確保できるときに限られる.

(3) 先に内側の縮約を潰す.縮約公式 C2 $\left(\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}\right)$ と C1 $\left(\gamma^\mu\gamma_\mu=4\right)$ を使うと

$$ \gamma^\mu\left(\slashed{p}'+m\right)\gamma_\mu =\gamma^\mu\slashed{p}'\gamma_\mu+m\,\gamma^\mu\gamma_\mu =-2\slashed{p}'+4m $$

したがって求めるトレースは

$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\left(-2\slashed{p}'+4m\right)\right] =-2\Tr\left[\slashed{p}\slashed{p}'\right]+4m\Tr\left[\slashed{p}\right] -2m\Tr\left[\slashed{p}'\right]+4m^2\Tr\left[\mathbb{1}\right] $$

$\gamma$ 行列が奇数個(1 個)のトレースは (2) で示したとおり 0 なので,第2項と第3項は落ちる.残りに T8 $\left(\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\right]=4\,a\!\cdot\! b\right)$ と T1 $\left(\Tr\mathbb{1}=4\right)$ を入れて

$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\,\gamma^\mu\,(\slashed{p}'+m)\,\gamma_\mu\right] =-8\,p\!\cdot\! p'+16\,m^2 $$

(4) T7 を縮約すると

$$ \Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma^5\right] =a_\mu b_\nu c_\rho d_\sigma\,\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^5\right] =-4\ii\,\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}a_\mu b_\nu c_\rho d_\sigma $$

である.ここで $\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ は完全反対称テンソル(本書は $\epsilon^{0123}=+1$)だから,その定義は「置換の符号」そのものである.すなわち,4 本のベクトルの共変成分を行に並べた $4\times4$ 行列

$$ M=\begin{pmatrix} a_0&a_1&a_2&a_3\\ b_0&b_1&b_2&b_3\\ c_0&c_1&c_2&c_3\\ d_0&d_1&d_2&d_3 \end{pmatrix} $$

に対して,$\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}a_\mu b_\nu c_\rho d_\sigma$ は行列式の Leibniz 展開 $\sum_\pi \mathrm{sgn}(\pi)\,a_{\pi(0)}b_{\pi(1)}c_{\pi(2)}d_{\pi(3)}$ そのものであり,$\det M$ に等しい.よって

$$ \Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma^5\right]=-4\ii\,\det M $$

いま $a,b,c,d$ のうち一次独立なものが 3 本以下であるとすると,たとえば $d=\lambda a+\mu b+\nu c$ と書ける.行列式は各行について線形かつ行の入れかえで符号が変わる(同じ行が 2 つあれば 0)から,

$$ \det M=\lambda\det\begin{pmatrix}a\\ b\\ c\\ a\end{pmatrix} +\mu\det\begin{pmatrix}a\\ b\\ c\\ b\end{pmatrix} +\nu\det\begin{pmatrix}a\\ b\\ c\\ c\end{pmatrix}=0 $$

すなわちトレースはゼロである.幾何学的には $\abs{\det M}$ は 4 本のベクトルが張る平行 4 面体の 4 次元体積であり,張る空間が 3 次元以下ならその体積は 0 だ,というだけのことである.

検算.(1) は $a=b=c=d=p$ と置いて確かめられる.公式は $4\left[(p^2)^2-(p^2)^2+(p^2)^2\right]=4(p^2)^2$ を与える.一方 $\slashed{p}\slashed{p}=p^2\mathbb{1}$ なので $\slashed{p}^4=(p^2)^2\mathbb{1}$ であり,直接 $\Tr=4(p^2)^2$ となって一致する.(3) は,先に積を展開してから縮約する逆の順序でも確かめられる:奇数個のトレースを落として $\Tr\left[\slashed{p}\gamma^\mu\slashed{p}'\gamma_\mu\right]+m^2\Tr\left[\gamma^\mu\gamma_\mu\right]$ とし,前者は内側に C2 を使って $-2p_\alpha p'_\beta\Tr\left[\gamma^\alpha\gamma^\beta\right]=-8\,p\!\cdot\! p'$,後者は $m^2\Tr\left[4\,\mathbb{1}\right]=16m^2$ となり,同じ答えを得る.次元も両項とも質量の 2 乗でそろっている.さらに $p'=p$,$p^2=m^2$ とすれば $-8m^2+16m^2=8m^2$ で有限かつ正であり,$m\to0$ で $-8\,p\!\cdot\! p'$ という質量ゼロの極限に滑らかにつながる.

意味.(3) の $-8\,p\!\cdot\! p'+16m^2$ は,本書10章で $e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ や $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ のスピン和を取るときに実際に現れる形である.結果が 4 元運動量の内積 $p\!\cdot\! p'$ と質量だけで書けていることが重要で,これはローレンツ不変な量しか残らないという要請の反映であり,計算間違いの検出器としても働く.(4) はもっと実用的な意味を持つ.2 体 $\to$ 2 体の散乱では外線運動量は 4 本あるが,運動量保存 $p_1+p_2=p_3+p_4$ により独立なのは 3 本だけである.したがって $\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}p_{1\mu}p_{2\nu}p_{3\rho}p_{4\sigma}=0$ が恒等的に成り立ち,$\epsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$ が 1 個だけ現れる項は恒等的に消える.QED のように一方のトレースにしか $\gamma^5$ が入らない干渉項が無偏極断面積に寄与せず,断面積計算で T7 の出番がないのはこのためである.いっぽう第12章の $V-A$ 相互作用のように両方のトレースに $\gamma^5$ が入ると,$\epsilon^{\alpha\mu\beta\nu}\epsilon_{\gamma\mu\delta\nu}$ の縮約が計量テンソルの積になって生き残る.したがって $\nu_\mu e\to\mu\,\nu_e$ のような 2 体 $\to$ 2 体の無偏極断面積($\nu$ と $\bar\nu$ で $s^2$ と $u^2$ が入れかわるのはこの項の効果である)や,$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の前後非対称 $A_{\rm FB}$ のように,2 体 $\to$ 2 体・無偏極でもパリティ非保存は観測できる.偏極(スピン 4 元ベクトル)を持ち込んだり 3 体以上の終状態を見たりするのは,感度を上げるための手段の一つにすぎない.なお「完全反対称テンソルの縮約は行列式,行列式は体積」という論法は,結晶学で単位胞体積を $V=\bm a\cdot(\bm b\times\bm c)=\epsilon_{ijk}a_ib_jc_k$ と書くのとまったく同じ構造であり,基本ベクトルが同一平面上に乗れば $V=0$ になるという当たり前の事実の 4 次元版である.

演習10.2 縮約公式とゲージ不変性

問題(再掲)

(1) 縮約公式 C4 $\left(\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=-2\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a}\right)$ を,C3 から出発して示せ.

(2) さらに一段進めて

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu =2\left(\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}+\slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right) $$

を示せ.

(3) 本書10章の Compton 振幅(2枚の図の和の式)の第2項について,$\epsilon_2\to p_2$ と置きかえたとき $-g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)$ になることを確かめ,第1項(本文で計算済み)と合わせて $\mathcal{M}=0$ となることを示せ.

(4) (3) の結果は「2枚の図を両方足さないとゲージ不変にならない」ことを意味する.このことから,$\gamma e^-\to\gamma e^-$ の最低次で図が 2 枚必要である理由を,$g_e^2$ の次数の数え上げとは別の観点で説明せよ.

解答

方針.(1)(2) は $\gamma^\mu\slashed{a}=2a^\mu-\slashed{a}\gamma^\mu$(C2 の途中式)で一番左の $\gamma^\mu$ を右へ一つずつ送り,残った縮約に一段下の公式を当てるという再帰である.(3) は運動量保存と外線スピノルの Dirac 方程式 $\bar u(4)(\slashed{p}_4-m)=0$ だけで押し切る.

(1) まず $\gamma^\mu\slashed{a}=a_\nu\gamma^\mu\gamma^\nu=a_\nu\left(2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu\right)=2a^\mu-\slashed{a}\gamma^\mu$ である.これを左端に使うと

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu =2a^\mu\,\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu-\slashed{a}\left(\gamma^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu\right) $$

第1項では $a^\mu$ はただの数なので $\slashed{b}\slashed{c}$ をすり抜けて $\gamma_\mu$ と縮約でき,$2a^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=2\slashed{b}\slashed{c}\left(a^\mu\gamma_\mu\right)=2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{a}$ となる.第2項の括弧には C3 $\left(\gamma^\mu\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=4\,b\!\cdot\! c\right)$ が使える.よって

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\gamma_\mu=2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{a}-4(b\!\cdot\! c)\,\slashed{a} $$

最後に $2(b\!\cdot\! c)=\{\slashed{b},\slashed{c}\}=\slashed{b}\slashed{c}+\slashed{c}\slashed{b}$ を代入すると

$$ =2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{a}-2\left(\slashed{b}\slashed{c}+\slashed{c}\slashed{b}\right)\slashed{a} =-2\,\slashed{c}\slashed{b}\slashed{a} $$

すなわち C4 である.順序が反転するのが特徴で,これは 3 個という奇数個を通したことの帰結である.

(2) まったく同じ手順を一段上で繰り返す:

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu =2a^\mu\,\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu-\slashed{a}\left(\gamma^\mu\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu\right) $$

第1項は前と同様に $2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}$.第2項の括弧はちょうど (1) で証明した C4 の形なので $\gamma^\mu\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu=-2\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}$ である.したがって

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu =2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}-\slashed{a}\left(-2\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right) =2\left(\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}+\slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right) $$

偶数個(4 個)の場合には,一方の項は順序を保ったまま $\slashed{a}$ が最後尾へ回り,もう一方は順序が反転するという非対称な形になる.C1〜C4 とこの式で,4 次元で外線をつないで木レベルの計算をするのに必要な縮約は尽きる(1 ループを次元正則化で扱うときは,$\gamma^\mu\gamma_\mu=d$,$\gamma^\mu\slashed a\gamma_\mu=-(d-2)\slashed a$ のように $d$ 次元版に置きかえる必要がある).

(3) 本書10章の Compton 振幅は

$$ \mathcal{M}= g_e^2\,\bar u(4)\left[ \frac{\slashed{\epsilon}_3^{\,*}\left(\slashed{p}_1+\slashed{p}_2+m\right)\slashed{\epsilon}_2}{2p_1\!\cdot\! p_2} -\frac{\slashed{\epsilon}_2\left(\slashed{p}_1-\slashed{p}_3+m\right)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}}{2p_1\!\cdot\! p_3} \right]u(1) $$

であった($p_1$ 入射電子,$p_2$ 入射光子,$p_3$ 出射光子,$p_4$ 出射電子).ここで $\epsilon_2\to p_2$ と置く.

第1項(本文の再確認).$\slashed{p}_2\slashed{p}_2=p_2^2=0$ と $\slashed{p}_1\slashed{p}_2=2p_1\!\cdot\! p_2-\slashed{p}_2\slashed{p}_1$ を使い,$u(1)$ に $\left(\slashed{p}_1-m\right)u(1)=0$ を効かせると

$$ \left(\slashed{p}_1+\slashed{p}_2+m\right)\slashed{p}_2u(1) =\left(2p_1\!\cdot\! p_2\right)u(1)-\slashed{p}_2\left(\slashed{p}_1-m\right)u(1) =\left(2p_1\!\cdot\! p_2\right)u(1) $$

分母 $2p_1\!\cdot\! p_2$ とちょうど約せて,第1項は $+g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)$ になる.

第2項.分子は $\slashed{p}_2\left(\slashed{p}_1-\slashed{p}_3+m\right)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}$ である.ここで運動量保存 $p_1+p_2=p_3+p_4$ を $p_1-p_3=p_4-p_2$ の形で使うと,分子は $\slashed{p}_2\left(\slashed{p}_4-\slashed{p}_2+m\right)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}$ と書ける.左端の $\bar u(4)$ に注目して 3 項を順に処理する:

$$ \bar u(4)\slashed{p}_2\slashed{p}_4 =\bar u(4)\left(2p_2\!\cdot\! p_4-\slashed{p}_4\slashed{p}_2\right) =2\left(p_2\!\cdot\! p_4\right)\bar u(4)-m\,\bar u(4)\slashed{p}_2 $$

(最後で $\bar u(4)\slashed{p}_4=m\,\bar u(4)$ を使った.)また $\slashed{p}_2\slashed{p}_2=p_2^2=0$ なので第2項は消え,第3項はそのまま $+m\,\bar u(4)\slashed{p}_2$ である.3 つを足すと $\slashed{p}_2$ に比例する項が完全に相殺して

$$ \bar u(4)\,\slashed{p}_2\left(\slashed{p}_4-\slashed{p}_2+m\right) =2\left(p_2\!\cdot\! p_4\right)\bar u(4) $$

次に分母との関係を見る.$\left(p_1-p_3\right)^2=\left(p_4-p_2\right)^2$ の両辺を展開し,$p_1^2=p_4^2=m^2$,$p_2^2=p_3^2=0$ を使うと

$$ m^2-2p_1\!\cdot\! p_3=m^2-2p_2\!\cdot\! p_4 \qquad\Longrightarrow\qquad p_1\!\cdot\! p_3=p_2\!\cdot\! p_4 $$

したがって分子 $2p_2\!\cdot\! p_4$ は分母 $2p_1\!\cdot\! p_3$ とぴったり約せて,第2項(頭の $-$ 込み)は

$$ -g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1) $$

となる.これが求めるものである.第1項と足すと

$$ \mathcal{M}\Big|_{\epsilon_2\to p_2} =g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)-g_e^2\,\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)=0 $$

ゲージ不変性が確かめられた.片方の図だけでは $\pm g_e^2\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)$ というゼロでない量が残ることに注意したい.

(4) 次数の数え上げ(頂点 2 個だから $g_e^2$)とは独立に,ゲージ不変性そのものが 2 枚を要求すると言える.理由は 3 通りの言い方ができる.

第一に,ゲージ不変性は厳密な振幅に対する要請なので,摂動展開の各次数で別々に成り立たねばならない.$\epsilon_2\to\epsilon_2+\lambda p_2$($\lambda$ は任意の数)という置きかえで振幅が変わらないという条件は,結合定数 $g_e$ の値をいくつに取っても成り立つ恒等式である.振幅を $\mathcal{M}=g_e^2\mathcal{M}^{(2)}+g_e^4\mathcal{M}^{(4)}+\cdots$ という $g_e$ のべき級数と見れば,$g_e$ は形式的に自由に動かせるパラメータだから,各係数 $\mathcal{M}^{(2n)}$ が個別に $\epsilon_2\to p_2$ で消えなければならない.したがって「$g_e^2$ の図の集合」だけで閉じた形でゲージ不変でなければならず,(3) が示すとおりそのためには 2 枚とも要る.

第二に,物理的な理由がある.光子場 $A_\mu$ は 4 成分あるが,物理的な偏極は横波 2 個だけである.残りの縦波・時間的成分が確率に寄与しないことを保証しているのが,まさに $\epsilon\to p$ で振幅が消えるという性質である.1 枚だけを取ると非物理的偏極が断面積に混入し,負のノルムの状態が確率に現れてユニタリ性(確率の保存)が壊れる.「図をすべて足す」ことは,理論の無矛盾性そのものの要請である.

第三に,Bose 対称性の観点がある.入射光子 $p_2$ と出射光子 $p_3$ は同じ場から出た同種のボソンであり,交叉 $p_2\leftrightarrow-p_3$,$\epsilon_2\leftrightarrow\epsilon_3^{\,*}$ の操作で図(c-1) と図(c-2) は互いに移り合う.振幅がこの対称性を持つためには,2 枚は組でしか存在できない.片方だけの理論は,そもそも光子の交換対称性を破っている.

検算.(2) の両辺のトレースを取って照合する.左辺は巡回性より $\Tr\left[\gamma_\mu\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right]=4\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right]$.右辺は $2\Tr\left[\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}\right]+2\Tr\left[\slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right]$ であり,巡回性から第1項は $\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right]$ に等しく,第2項も T9 を当てれば $4\left[(a\!\cdot\! d)(c\!\cdot\! b)-(a\!\cdot\! c)(d\!\cdot\! b)+(a\!\cdot\! b)(d\!\cdot\! c)\right]$ となって同じ値である.よって右辺のトレースは $4\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\right]$ で左辺と一致する.また $a=b=c=d$ と置くと,左辺は $(a^2)^2\gamma^\mu\gamma_\mu=4(a^2)^2$,右辺は $2\left[(a^2)^2+(a^2)^2\right]=4(a^2)^2$ で一致する.(1) は $c=a$ と置いて確かめられる:公式は $-2\slashed{a}\slashed{b}\slashed{a}$ を与える.一方 $\slashed{a}\slashed{b}\slashed{a}=\left(2a\!\cdot\! b-\slashed{b}\slashed{a}\right)\slashed{a}=2(a\!\cdot\! b)\slashed{a}-a^2\slashed{b}$ なので,直接 C2 を 2 回使うと $2(a\!\cdot\! b)(-2\slashed{a})-a^2(-2\slashed{b})=-4(a\!\cdot\! b)\slashed{a}+2a^2\slashed{b}$ となり,$-2\slashed{a}\slashed{b}\slashed{a}$ を展開したものと一致する.

意味.「保存則を守るには,同じ次数の図をすべて足さねばならない」という教訓は,QED に限った話ではない.凝縮系で完全に対応するのが Ward–Takahashi 恒等式と保存近似(Baym–Kadanoff)の議論である.線形応答で分極関数を計算するとき,自己エネルギー $\Sigma$ に入れた図と整合する頂点補正を入れないと,電荷保存 $q_\mu\Pi^{\mu\nu}=0$ が破れる.その結果,絶縁体なのに $\omega\to0$ で有限の伝導度が出る,$f$ 総和則が満たされない,といった非物理的な答えが生じる.$GW$ 近似が「$GW$ だけでは保存近似でなく,$GW\Gamma$ まで行って初めて整合する」と言われるのも同じ事情である.本問の Compton 振幅で「1 枚では $\bar u(4)\slashed{\epsilon}_3^{\,*}u(1)$ が残る」という計算は,その最小の実例になっている.そして実務的には,$\epsilon\to p$ を代入して 0 になるかを見るのは,答えを知らなくてもできる最強の検算である.

演習10.3 $\tau$ 対生成の断面積

問題(再掲)

$e^+e^-\to\tau^+\tau^-$ を考える.$m_\tau=1776.86\ \mathrm{MeV}$.

(1) 生成のしきい値エネルギー $\sqrt{s}_{\mathrm{th}}$ を求めよ.

(2) $\sqrt{s}=4.00\ \mathrm{GeV}$ における $\beta$ を求めよ.

(3) 同じエネルギーでの全断面積を nb 単位で求めよ.質量の効果を無視した場合($4\pi\alpha^2/3s$)と比べて何 % ずれるか.

(4) このエネルギーでの角度分布 $2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta$ を,$\theta=0^\circ$ と $\theta=90^\circ$ で比較せよ.高エネルギー極限($1+\cos^2\theta$ で前方($0^\circ$)が真横($90^\circ$)の 2 倍)との違いを述べよ.

解答

方針.$\mu$ を $\tau$ に置きかえるだけで,本書10章で導いた $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の結果がそのまま使える($\tau$ も電荷 $-1$ のスピン $1/2$ 点粒子であり,QED の頂点はレプトンの種類によらない).使う式は質量を残した微分断面積

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{\alpha^2\beta}{4s}\left(2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta\right), \qquad \sigma=\frac{4\pi\alpha^2}{3s}\,\beta\,\frac{3-\beta^2}{2}, \qquad \beta=\sqrt{1-\frac{4m_\tau^2}{s}} $$

の 2 本と,本書10章の数値換算 $4\pi\alpha^2/3s=86.9\ \mathrm{nb}/s[\mathrm{GeV^2}]$ である.以下の数値は $\alpha=1/137.036$ で計算した.

(1) しきい値は,終状態の $\tau^+\tau^-$ がともに重心系で静止した状態,すなわち不変質量が $2m_\tau$ に等しくなるところである.$\beta=0$ の条件 $s=4m_\tau^2$ からも同じことで,

$$ \sqrt{s}_{\mathrm{th}}=2m_\tau=2\times1.77686\ \mathrm{GeV}=3.55372\ \mathrm{GeV} \simeq3.554\ \mathrm{GeV} $$

$\tau$ が 1975 年に SPEAR で発見されたとき,$e^+e^-$ の重心系エネルギーがちょうどこの付近を掃いていたことを思い出しておきたい.

(2) $\sqrt{s}=4.00\ \mathrm{GeV}$,すなわち $s=16.00\ \mathrm{GeV^2}$ である.まず

$$ 4m_\tau^2=4\times(1.77686)^2=4\times3.157231=12.62892\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ \frac{4m_\tau^2}{s}=\frac{12.62892}{16.00}=0.789308 $$

したがって

$$ \beta=\sqrt{1-0.789308}=\sqrt{0.210692}=0.45901 $$

参考までに,このとき各 $\tau$ のエネルギーは $E=\sqrt{s}/2=2.000\ \mathrm{GeV}$,運動量は $p=\beta E=0.918\ \mathrm{GeV}$,$\gamma=1/\sqrt{1-\beta^2}=1.126$ である.しきい値の 3.554 GeV から 4.00 GeV へ 13 % 上げただけで $\beta$ が 0.46 まで立ち上がるのは,$\beta\propto\sqrt{s-4m_\tau^2}$ という平方根のふるまいのためである.

(3) 質量を無視した値は

$$ \sigma_0=\frac{4\pi\alpha^2}{3s}=\frac{86.86\ \mathrm{nb}}{16.00}=5.4287\ \mathrm{nb} $$

質量の補正因子は

$$ \beta\,\frac{3-\beta^2}{2}=0.45901\times\frac{3-0.210692}{2} =0.45901\times1.394654=0.640163 $$

したがって

$$ \sigma=5.4287\times0.640163=3.4752\ \mathrm{nb}\simeq3.48\ \mathrm{nb} $$

質量を無視した値からのずれは

$$ \frac{3.4752-5.4287}{5.4287}=-0.3598 $$

すなわち約 36 % 小さい.しきい値から 13 % しか上にいないのだから,質量の効果が 3 割を超えるのは当然である.抑制の主因は補正因子のうちの $\beta$,すなわち終状態の位相空間(出てくる $\tau$ の運動量が小さいこと)である.

(4) $\beta^2=0.210692$ なので $2-\beta^2=1.789308$ である.角度分布 $f(\theta)=2-\beta^2+\beta^2\cos^2\theta$ は

$$ f(0^\circ)=1.789308+0.210692\times1=2.000,\qquad f(90^\circ)=1.789308+0=1.789 $$

前後比は

$$ \frac{f(0^\circ)}{f(90^\circ)}=\frac{2.000}{1.789}=1.118 $$

すなわち前方は真横よりわずか 12 % 強いだけで,ほとんど等方である.一方,高エネルギー極限 $\beta\to1$ では $f\to1+\cos^2\theta$ となり,$f(0^\circ)/f(90^\circ)=2/1=2.00$,つまり前方は真横の 2 倍になる.異方性の大きさは $\beta^2$ に比例し($f$ の $\cos^2\theta$ 依存部分の係数がまさに $\beta^2$ である),$\beta\to0$ では完全な等方分布に退化する.

物理的には,しきい値近傍では終状態のフェルミオン対は軌道角運動量 $L=0$($S$ 波)でしか生成できないためである.$S$ 波は角度に依存しない.仮想光子は $J=1$ なので,$S$ 波で $J=1$ を作るには対のスピン三重項 $S=1$ を使うしかなく($^3S_1$),これは球対称な軌道部分を持つので角度分布が平坦になる.高エネルギーではヘリシティ保存が効いて $L$ と $S$ が混ざり,本書10章で説明した Wigner の $d^1_{\pm1,\pm1}(\theta)=\tfrac12(1\pm\cos\theta)$ の重なりが $1+\cos^2\theta$ を作る.

検算.補正因子 $\beta(3-\beta^2)/2$ の 2 つの極限を確かめる.$\beta\to1$ では $1\times(3-1)/2=1$ となって質量ゼロの公式に正しく戻り,$\beta\to0$ では $\to0$ となってしきい値で断面積が連続的に消える.また,微分断面積を角度積分して全断面積が再現されることも確かめられる.$\int\dd\Omega=4\pi$,$\int\cos^2\theta\,\dd\Omega=4\pi/3$ を使うと

$$ \sigma=\frac{\alpha^2\beta}{4s}\left[\left(2-\beta^2\right)4\pi+\beta^2\frac{4\pi}{3}\right] =\frac{\pi\alpha^2\beta}{s}\left(2-\beta^2+\frac{\beta^2}{3}\right) =\frac{\pi\alpha^2\beta}{s}\cdot\frac{2\left(3-\beta^2\right)}{3} =\frac{4\pi\alpha^2}{3s}\,\beta\,\frac{3-\beta^2}{2} $$

で確かに一致する.次元も $\alpha^2/s$ は $\mathrm{GeV^{-2}}$(面積)であり正しい.数値としても,$\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ なら $4m_\tau^2/s=0.12629$,$\beta=\sqrt{0.87371}=0.93472$,補正因子は $\beta(3-\beta^2)/2=0.93472\times1.06314=0.99375$ となる.すなわち補正は $0.63$ % で,本文の $\mu$ の場合(補正が $10^{-7}$)より 5 桁も大きい.小さな量 $x\equiv4m^2/s$ で展開すると $\beta(3-\beta^2)/2=\sqrt{1-x}\left(1+x/2\right)=1-\tfrac38x^2+O(x^3)$ であり,$x^2$ でしか効かない($\mu$ では $x=4.5\times10^{-4}$ なので $\tfrac38x^2=7.5\times10^{-8}$,$\tau$ では $x=0.1263$ なので $\tfrac38x^2=6.0\times10^{-3}$).$\tau$ は重いので,$B$ ファクトリー領域でも質量効果が 0.6 % 残るのである.

意味.しきい値での $\sigma\propto\beta$ という立ち上がりは,QED に固有の話ではなく,3 次元の終状態位相空間が $\dd^3p\propto p^2\dd p\propto p\,\dd E$ をもつことの帰結である.同じ平方根の立ち上がりは,材料科学では直接遷移型半導体の吸収端にそのまま現れる.放物線バンドの結合状態密度は $J(\hbar\omega)\propto\sqrt{\hbar\omega-E_g}$ であり,吸収係数が $\alpha_{\mathrm{abs}}\propto\sqrt{\hbar\omega-E_g}$ で立ち上がるのは,$e^+e^-\to\tau^+\tau^-$ の断面積がしきい値で $\propto\beta=\sqrt{1-4m_\tau^2/s}$ で立ち上がるのと,まったく同じ 3 次元位相空間の数え上げである($M_0$ 型臨界点).Tauc プロットで $(\alpha_{\mathrm{abs}}\hbar\omega)^2$ を $\hbar\omega$ に対して直線に乗せてバンドギャップを読む,というあの手続きの根拠がこれである.素粒子側で「しきい値の $\beta$ 依存性から生成粒子のスピンと軌道角運動量が分かる」のと同様に,固体側では「吸収端の指数($1/2$ か $3/2$ か $2$ か)から直接遷移か間接遷移か,許容か禁制か」が読める.どちらも,見ているのは位相空間と行列要素の角運動量依存性である.

演習10.4 Mott 散乱から Rutherford 散乱へ

問題(再掲)

本書10章の Mott 断面積の式を,電荷 $Ze$ の重い標的の場合に一般化すると(頂点因子が $Z$ 倍されるので)

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{Z^2\alpha^2}{4p^2\beta^2\sin^4(\theta/2)}\left[1-\beta^2\sin^2\tfrac\theta2\right] $$

となる.

(1) $\beta\ll1$ の極限で Rutherford の公式 $\left(Z\alpha/4E_{\mathrm{kin}}\right)^2/\sin^4(\theta/2)$ に帰着することを示せ.

(2) 運動エネルギー $100\ \mathrm{keV}$ の電子について,$p$,$E$,$\beta$ を求めよ.

(3) アルミニウム原子核($Z=13$)による $\theta=90^\circ$ の微分断面積を barn/sr 単位で求めよ.(換算:$1\ \mathrm{MeV^{-2}}=389.4\ \mathrm{barn}$.)

(4) Mott 因子 $\left[1-\beta^2\sin^2(\theta/2)\right]$ を $\theta=90^\circ$ と $180^\circ$ で評価し,Rutherford からのずれが何 % かを述べよ.

解答

方針.自然単位系($\hbar=c=1$)で最後まで計算し,最後に $1\ \mathrm{MeV^{-2}}=389.4\ \mathrm{barn}$ で面積に直す.相対論的運動学は $E=m_e+T$,$p=\sqrt{E^2-m_e^2}$,$\beta=p/E$ の 3 本だけである.$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$,$\alpha=1/137.036$ を使う.

(1) $\beta\ll1$ では角括弧の中の $\beta^2\sin^2(\theta/2)$ が $1$ に比べて無視でき,Mott 因子は $1$ になる.残るのは前因子だけである.非相対論極限では $E\to m_e$,$p\to m_ev$,$\beta\to v$ なので

$$ p^2\beta^2=\frac{p^4}{E^2}\;\longrightarrow\;\frac{(m_ev)^4}{m_e^2}=m_e^2v^4=\left(m_ev^2\right)^2 $$

ここで非相対論的な運動エネルギーは $E_{\mathrm{kin}}=\tfrac12m_ev^2$ だから $m_ev^2=2E_{\mathrm{kin}}$ であり,

$$ p^2\beta^2\;\longrightarrow\;4E_{\mathrm{kin}}^2, \qquad 4p^2\beta^2\;\longrightarrow\;16E_{\mathrm{kin}}^2 $$

したがって

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\;\longrightarrow\; \frac{Z^2\alpha^2}{16E_{\mathrm{kin}}^2\sin^4(\theta/2)} =\left(\frac{Z\alpha}{4E_{\mathrm{kin}}}\right)^2\frac{1}{\sin^4(\theta/2)} $$

これが Rutherford の公式である.スピンも相対論も場の理論も使わずに 1911 年に書かれた式が,QED の $\beta\to0$ 極限として再現された.

(2) $T=0.100\ \mathrm{MeV}$,$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$ より

$$ E=m_e+T=0.511+0.100=0.611\ \mathrm{MeV} $$ $$ p=\sqrt{E^2-m_e^2}=\sqrt{0.611^2-0.511^2}=\sqrt{0.373321-0.261121}=\sqrt{0.112200}=0.334963\ \mathrm{MeV} $$

($p=\sqrt{T(T+2m_e)}=\sqrt{0.100\times1.122}$ と書いても同じである.)

$$ \beta=\frac pE=\frac{0.334963}{0.611}=0.548220, \qquad \beta^2=0.300546, \qquad \gamma=\frac{E}{m_e}=\frac{0.611}{0.511}=1.1957 $$

透過電子顕微鏡の標準的な加速電圧 $100\ \mathrm{kV}$ の電子は,すでに光速の 55 % で走っている.波長は $\lambda=2\pi/p$ から $3.70\ \mathrm{pm}$ であり,原子間距離よりはるかに短い.

(3) まず結合の部分.

$$ Z\alpha=\frac{13}{137.036}=0.0948656 $$

次に前因子を $\left(Z\alpha/2p\beta\right)^2$ の形にまとめる.

$$ 2p\beta=2\times0.334963\times0.548220=0.367267\ \mathrm{MeV} $$ $$ \left(\frac{Z\alpha}{2p\beta}\right)^2=\left(\frac{0.0948656}{0.367267}\right)^2 =(0.258299)^2=0.0667197\ \mathrm{MeV^{-2}} $$

$\theta=90^\circ$ では $\sin(\theta/2)=\sin45^\circ=1/\sqrt2$ なので $\sin^4(\theta/2)=1/4=0.250000$.これで割ると,Rutherford 部分(Mott 因子を掛ける前)は

$$ \frac{Z^2\alpha^2}{4p^2\beta^2\sin^4(\theta/2)}=\frac{0.0667197}{0.250000}=0.266879\ \mathrm{MeV^{-2}} $$

Mott 因子は

$$ 1-\beta^2\sin^2\tfrac{90^\circ}{2}=1-0.300546\times\tfrac12=1-0.150273=0.849727 $$

したがって

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=0.266879\times0.849727=0.226774\ \mathrm{MeV^{-2}} $$

最後に面積へ換算する.

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=0.226774\times389.4\ \mathrm{barn/sr}=88.3\ \mathrm{barn/sr} $$

桁を実感しておくと,$88\ \mathrm{barn/sr}=8.8\times10^{-27}\ \mathrm{m^2/sr}$ である.原子核の幾何学的断面積($\sim1\ \mathrm{barn}$)の 90 倍近くもあり,電子が物質中でいかに強く散乱されるかがわかる.これが,透過電子顕微鏡の試料を $100\ \mathrm{nm}$ 以下に薄くしなければならない理由である.

(4) Mott 因子 $F(\theta)=1-\beta^2\sin^2(\theta/2)$ を 2 点で評価する.$\beta^2=0.300546$ である.

$$ F(90^\circ)=1-0.300546\times\sin^245^\circ=1-0.300546\times0.500000=1-0.150273=0.8497 $$ $$ F(180^\circ)=1-0.300546\times\sin^290^\circ=1-0.300546\times1=0.6995 $$

すなわち,スピンを無視した Rutherford の予言に比べて,$\theta=90^\circ$ では 15.0 % 減,$\theta=180^\circ$(真後ろ)では 30.1 % 減である.後方ほど抑制が強い.超相対論極限 $\beta\to1$ では $F(180^\circ)\to0$,すなわち真後ろへの散乱が完全に消える.$100\ \mathrm{keV}$ の電子はその途中にいる.

検算.三つの角度から確かめる.(i) 次元:$\alpha$ は無次元,$p$ と $\beta$ から $p^2\beta^2$ は $\mathrm{MeV^2}$ なので $\dd\sigma/\dd\Omega$ は $\mathrm{MeV^{-2}}$,すなわち面積の次元をもつ.換算 $1\ \mathrm{MeV^{-2}}=389.4\ \mathrm{barn}$ は $(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb}$ と同じもの($1\ \mathrm{MeV^{-2}}=10^6\ \mathrm{GeV^{-2}}=0.3894\times10^6\ \mathrm{mb}=389.4\ \mathrm{b}$)で整合する.(ii) 非相対論公式との照合:(1) の Rutherford の式に $E_{\mathrm{kin}}=T=0.100\ \mathrm{MeV}$ をそのまま入れると

$$ \left(\frac{Z\alpha}{4T}\right)^2\frac{1}{\sin^4 45^\circ} =\left(\frac{0.0948656}{0.400}\right)^2\times4=0.0562467\times4=0.224987\ \mathrm{MeV^{-2}} =87.6\ \mathrm{barn/sr} $$

相対論的に正しい値 $88.3\ \mathrm{barn/sr}$ とわずか $0.8$ % しか違わない.内訳は面白い.相対論的な分母 $4p^2\beta^2=0.1349\ \mathrm{MeV^2}$ は非相対論の $16E_{\mathrm{kin}}^2=0.1600\ \mathrm{MeV^2}$ より 16 % 小さく,前因子を 19 % 大きくする.一方 Mott 因子が 15 % 下げる.両者がほぼ打ち消し合っているのである.偶然の一致ではあるが,$100\ \mathrm{keV}$ 付近で素朴な Rutherford 公式が意外によく効く理由になっている.(iii) 極限:$\beta\to0$ で Mott 因子 $\to1$,$\theta\to0$ で断面積が $\sin^{-4}(\theta/2)$ により発散する(Coulomb 力の無限の到達距離の反映であり,遮蔽を入れると有限になる)ことも正しい.

意味.この計算は,電子顕微鏡の像コントラストの土台そのものである.第一に $Z^2$ 依存性.走査電子顕微鏡の反射電子像(BSE)や走査透過電子顕微鏡の高角散乱暗視野像(HAADF-STEM)が「重い元素ほど明るい」という Z コントラストを与えるのは,まさにこの $\dd\sigma/\dd\Omega\propto Z^2$(多重散乱と遮蔽の効果で実効的には $Z^{1.6\text{--}2}$ 程度になる)のためである.原子分解能 HAADF-STEM で原子カラムの化学種を輝度から読む,という日常的な作業の根拠がこの式である.第二に $\sin^{-4}(\theta/2)$,すなわち光子伝播関数の $1/q^2$ 依存性.これは本書10章で述べた Mott–Bethe の公式 $f^{e}(q)=2m_e\alpha\left[Z-f^{X}(q)\right]/q^2$ の前因子であり,電子線回折の原子散乱因子が X 線のそれと違って低角で急峻に立ち上がる理由である.第三に Mott 因子そのもの.これはスピン $1/2$ に固有の因子であり,標的がスピン 0 なら現れない.Hofstadter が測った断面積を Mott 断面積で割って形状因子 $F(q^2)$ を取り出したのと同じ手続きが,結晶学では「測った回折強度を原子散乱因子で割って構造因子を取り出す」という形で毎日行われている.素粒子物理の「点粒子の断面積」は,物性測定における較正定数の役割を担っているのである.

演習10.5 走る結合定数と Landau 極

問題(再掲)

本書10章の走る結合定数の式

$$ \alpha(Q^2)=\frac{\alpha}{1-\dfrac{\alpha}{3\pi}\left(\ln\dfrac{Q^2}{m_e^2}-\dfrac53\right)} $$

を出発点にする.

(1) 分母を展開せずに,$1/\alpha(Q^2)$ が $\ln Q^2$ の一次式になることを示せ.

(2) 電子ループだけを考えて $\alpha(Q^2)$ を $Q=1\ \mathrm{GeV}$ で数値評価せよ.

(3) 上の式の分母がゼロになるエネルギー(Landau 極)を求めよ.その値と Planck 質量 $1.22\times10^{19}\ \mathrm{GeV}$ を比べ,QED が「実用上は破綻しない」と言われる理由を述べよ.

(4) 本書10.4.4 項では $\sqrt{s}=10\ \mathrm{GeV}$ で $\alpha=1/137$ を使った.代わりに $\alpha(Q^2=s)$ を使うと断面積は何 % 変わるか(全フェルミオン込みで $\alpha(10\ \mathrm{GeV})\simeq1/132.1$ とする).

解答

方針.(1) は式を逆数にするだけである.(2)(3) はその一次式に数値を入れるだけで,指数関数を扱うので常用対数に直して桁を追う.(4) は断面積が $\alpha^2$ に比例することを使う.$\alpha\equiv\alpha(0)=1/137.036$,$m_e=0.511\times10^{-3}\ \mathrm{GeV}$ を使う.

(1) 与えられた式の両辺の逆数を取る.分母を展開する必要はまったくない:

$$ \frac{1}{\alpha(Q^2)}=\frac{1}{\alpha}\left[1-\frac{\alpha}{3\pi}\left(\ln\frac{Q^2}{m_e^2}-\frac53\right)\right] =\frac{1}{\alpha}-\frac{1}{3\pi}\left(\ln\frac{Q^2}{m_e^2}-\frac53\right) $$

$\ln(Q^2/m_e^2)=\ln Q^2-\ln m_e^2$ と分けて定数項をまとめると

$$ \frac{1}{\alpha(Q^2)} =\underbrace{\left[\frac{1}{\alpha}+\frac{1}{3\pi}\ln m_e^2+\frac{5}{9\pi}\right]}_{\text{定数}} -\frac{1}{3\pi}\,\ln Q^2 $$

すなわち $1/\alpha(Q^2)$ は $\ln Q^2$ の一次式であり,傾きは $-1/(3\pi)$ である.同じことを微分形で書けば

$$ \frac{\dd}{\dd\ln Q^2}\left(\frac{1}{\alpha}\right)=-\frac{1}{3\pi} \qquad\Longleftrightarrow\qquad \frac{\dd\alpha}{\dd\ln Q^2}=\frac{\alpha^2}{3\pi} $$

これが 1 ループの QED の $\beta$ 関数である.注目すべきは,傾き $-1/(3\pi)$ が $\alpha$ にも $m_e$ にもよらない純粋な数だという点である.走るのは $\alpha$ ではなく $1/\alpha$ のほうであり,しかもその走り方はループに入る粒子の種類と電荷だけで決まる(一般には $\sum_f N_c^{(f)}Q_f^2$ が係数に付く).「片対数紙に $1/\alpha$ をプロットすれば直線になり,その傾きが荷電粒子の数を数えている」というのが 1 ループの構造である.

(2) $Q=1\ \mathrm{GeV}$ とする.対数は

$$ \ln\frac{Q^2}{m_e^2}=2\ln\frac{1}{5.11\times10^{-4}}=2\ln\left(1956.95\right)=2\times7.57914=15.1583 $$ $$ \ln\frac{Q^2}{m_e^2}-\frac53=15.1583-1.6667=13.4916 $$

係数は

$$ \frac{\alpha}{3\pi}=\frac{7.29735\times10^{-3}}{9.42478}=7.74273\times10^{-4} $$

したがって真空偏極の寄与は

$$ \hat\Pi=7.74273\times10^{-4}\times13.4916=1.04462\times10^{-2} $$

(1) の一次式にそのまま入れて

$$ \frac{1}{\alpha(Q^2)}=137.036\times\left(1-0.0104462\right)=137.036\times0.989554=135.604 $$ $$ \alpha(1\ \mathrm{GeV})=\frac{1}{135.60}=7.3744\times10^{-3} $$

$\alpha(0)=1/137.036$ からの増加はわずか 1.06 % である.$m_e$ から 1 GeV まで運動量スケールを 2000 倍上げても結合はこれしか動かない.対数でしか走らないというのは,こういうことである.

(3) 分母がゼロになる条件は

$$ 1-\frac{\alpha}{3\pi}\left(\ln\frac{Q^2}{m_e^2}-\frac53\right)=0 \qquad\Longleftrightarrow\qquad \ln\frac{Q^2}{m_e^2}=\frac{3\pi}{\alpha}+\frac53 $$

数値を入れると

$$ \frac{3\pi}{\alpha}=3\pi\times137.036=9.42478\times137.036=1291.53 $$ $$ \ln\frac{Q^2}{m_e^2}=1291.53+1.67=1293.20 \qquad\Longrightarrow\qquad \ln\frac{Q}{m_e}=\frac{1293.20}{2}=646.60 $$

すなわち $Q=m_e\,\ee^{646.60}$ である.桁を出すために常用対数に直す.

$$ \log_{10}\ee^{646.60}=\frac{646.60}{2.302585}=280.815, \qquad \log_{10}\left(5.11\times10^{-4}\right)=-3.292 $$ $$ \log_{10}Q\,[\mathrm{GeV}]=280.815-3.292=277.523 \qquad\Longrightarrow\qquad Q_{\mathrm{Landau}}\simeq3.3\times10^{277}\ \mathrm{GeV} $$

Planck 質量 $M_{\mathrm{Pl}}=1.22\times10^{19}\ \mathrm{GeV}$($\log_{10}M_{\mathrm{Pl}}=19.09$)と比べると

$$ \log_{10}\frac{Q_{\mathrm{Landau}}}{M_{\mathrm{Pl}}}=277.52-19.09=258.43 $$

すなわち Landau 極は Planck 質量より 258 桁も上にある.これが「QED は実用上破綻しない」と言われる理由である.そもそも $M_{\mathrm{Pl}}$ を超えれば重力の量子効果が支配的になり,平坦な時空の上の場の理論という前提自体が壊れる.また $\sim10^2\ \mathrm{GeV}$ で QED は電弱理論に統合され,さらに高いスケールでは未知の物理が入る.つまり Landau 極は,QED を「他に何もない世界で無限のエネルギーまで押し通したら」という架空の設定でしか意味を持たない.QED は有効場の理論であり,適用範囲を明示した上で使う限り,何の問題もない.なお 1 ループの式を $\alpha(Q^2)\sim1$ の領域まで外挿していること自体が摂動論の乱用であって,極の位置の数値そのものにも意味はない.

(4) $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の断面積は $\sigma=4\pi\alpha^2/3s$ で $\alpha^2$ に比例する.したがって $\alpha(0)=1/137.036$ を $\alpha(10\ \mathrm{GeV})=1/132.1$ に置きかえると

$$ \frac{\sigma\left[\alpha(s)\right]}{\sigma\left[\alpha(0)\right]} =\left(\frac{\alpha(10\ \mathrm{GeV})}{\alpha(0)}\right)^2 =\left(\frac{137.036}{132.1}\right)^2=(1.03736)^2=1.0761 $$

すなわち断面積は約 7.6 % 増える.本文の $0.869\ \mathrm{nb}$ は $0.935\ \mathrm{nb}$ になる.実験の統計誤差が 1 % を切る現代の測定では,これは絶対に無視できない補正である.

検算.(2) の手続きで本文の $\alpha(m_Z)$(電子ループのみ)が再現できるかを見る.$Q=m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$ として

$$ \ln\frac{Q^2}{m_e^2}=2\ln\frac{91.188}{5.11\times10^{-4}}=2\times12.0921=24.1841, \qquad 24.1841-1.6667=22.5175 $$ $$ \hat\Pi=7.74273\times10^{-4}\times22.5175=0.0174347, \qquad \frac{1}{\alpha(m_Z)}=137.036\times0.982565=134.65 $$

本文の $1/134.65$ と完全に一致する.また (1) の一次式の性質も確かめられる.$Q$ を $1\ \mathrm{GeV}$ から $m_Z$ へ上げると $\ln Q^2$ は $24.184-15.158=9.026$ だけ増え,$1/\alpha$ は $135.604-134.647=0.957$ だけ減る.比を取ると $0.957/9.026=0.1060$ であり,予言された傾き $1/(3\pi)=0.10610$ と一致する.次元については,対数の中が $Q^2/m_e^2$ という無次元量になっていること,$\hat\Pi$ も無次元であることを確認しておけばよい.

意味.「結合定数が観測するスケールに依存する」という考え方は,材料科学の第一原理計算でそのまま使われている.最も直接的な対応は,本書10.7.2 項で述べた $W=v/(1-v\chi_0)$ である.真空偏極 $\hat\Pi$ が固体の分極関数 $\chi_0$ に,走る $\alpha$ が遮蔽 Coulomb 相互作用 $W$ に対応し,どちらも同じ Dyson 級数の解である.QED では $Q^2$ を上げる(距離を縮める)ほど遮蔽が効かなくなって $\alpha$ が増え,固体では $q$ を上げるほど $\epsilon(q)\to1$ となって裸の $v(q)$ に戻る.同じ絵である.

さらに実務的な対応が,低エネルギー有効模型のパラメータ決定である.Hubbard 模型の $U$ を制限乱雑位相近似(cRPA)で決めるとき,得られる $U$ の値は「どのバンドを模型に残し,どのバンドで遮蔽させるか」というエネルギー窓の取り方に依存する.窓を広く取れば遮蔽の担い手が減って $U$ は大きくなり,狭く取れば $U$ は小さくなる.これは「$Q^2$ をどこに取るかで $\alpha$ の値が変わる」のと論理的に同一であり,どちらも「有効理論のパラメータは,その理論を定義したスケールに属する量である」という一つの原理の表れである.「$U$ の正しい値はいくつか」という問いが,スケールを指定せずには意味を持たないのは,「$\alpha$ の正しい値はいくつか」が $Q^2$ を指定せずには決まらないのと同じことである.

演習10.6 陽電子消滅で空孔を測る(シリコン)

問題(再掲)

本書10章の PALS の式と $\pi r_e^2c=7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}}$ を使う.Si の完全結晶の陽電子寿命は $\tau_b=219\ \mathrm{ps}$,単空孔では $\tau_v=265\ \mathrm{ps}$ である.

(1) $\pi r_e^2c$ の値を,$r_e=2.818\ \mathrm{fm}$ から自分で計算して確かめよ.

(2) $\tau_b$ と $\tau_v$ から,それぞれ陽電子が感じる実効電子密度 $n_{\mathrm{eff}}$ を求めよ.

(3) Si の価電子密度(ダイヤモンド構造,$a=5.431\ \mathrm{\AA}$,8 原子/単位胞,1 原子あたり価電子 4 個)を計算し,(2) と比べよ.比が 1 でない理由を述べよ.

(4) ある試料で平均寿命 $\bar\tau=230\ \mathrm{ps}$ が測定された.2 状態捕獲模型の式

$$ \kappa=\frac{1}{\tau_b}\,\frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau} $$

から捕獲率 $\kappa$ を求め,捕獲率係数 $\mu=1.0\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$ として空孔濃度 $C_v$ を ppm 単位で求めよ.

解答

方針.使うのは,Dirac の消滅断面積から出た消滅率 $\lambda=1/\tau=\pi r_e^2c\,n_{\mathrm{eff}}$ という一行だけである.単位は SI で通し,長さは m,時間は s に統一する.

(1) $r_e=2.818\ \mathrm{fm}=2.818\times10^{-15}\ \mathrm{m}$,$c=2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s}$ である.

$$ r_e^2=\left(2.818\times10^{-15}\right)^2=7.9411\times10^{-30}\ \mathrm{m^2} $$ $$ \pi r_e^2=3.14159\times7.9411\times10^{-30}=2.49478\times10^{-29}\ \mathrm{m^2} $$ $$ \pi r_e^2c=2.49478\times10^{-29}\times2.998\times10^{8}=7.4793\times10^{-21}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}} $$

与えられた $7.48\times10^{-21}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}}$ と一致する.次元も $\mathrm{m^2}\times\mathrm{m\,s^{-1}}=\mathrm{m^3\,s^{-1}}$ であり,これに電子密度 $\mathrm{m^{-3}}$ を掛けると $\mathrm{s^{-1}}$ すなわち消滅率になる.なお $\pi r_e^2=0.2495\ \mathrm{b}$ であり,Thomson 断面積 $\sigma_T=8\pi r_e^2/3=0.665\ \mathrm{b}$ の $3/8$ である.どちらも $r_e^2$ という同じ「QED の面積」を単位にしている.

(2) $\lambda=1/\tau=\pi r_e^2c\,n_{\mathrm{eff}}$ を逆に解いて $n_{\mathrm{eff}}=1/\left(\tau\,\pi r_e^2c\right)$ である.

完全結晶($\tau_b=219\ \mathrm{ps}=2.19\times10^{-10}\ \mathrm{s}$):

$$ n_{\mathrm{eff}}^{(b)}=\frac{1}{2.19\times10^{-10}\times7.4793\times10^{-21}} =\frac{1}{1.6379\times10^{-30}}=6.105\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$

単空孔($\tau_v=265\ \mathrm{ps}=2.65\times10^{-10}\ \mathrm{s}$):

$$ n_{\mathrm{eff}}^{(v)}=\frac{1}{2.65\times10^{-10}\times7.4793\times10^{-21}} =\frac{1}{1.9820\times10^{-30}}=5.045\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$

比は $5.045/6.105=0.826$,すなわち空孔にはまった陽電子が感じる電子密度は,完全結晶での値の 83 % である.17 % の低下が,寿命を 219 ps から 265 ps へ 21 % 伸ばしている($\tau\propto1/n$ なので当然そうなる).

(3) ダイヤモンド構造の立方単位胞には Si 原子が 8 個あり,1 原子あたり価電子は 4 個なので,単位胞あたり $8\times4=32$ 個の価電子がある.格子定数は $a=5.431\ \mathrm{\AA}=5.431\times10^{-10}\ \mathrm{m}$ だから

$$ a^3=\left(5.431\right)^3\ \mathrm{\AA^3}=160.19\ \mathrm{\AA^3}=1.6019\times10^{-28}\ \mathrm{m^3} $$ $$ n_{\mathrm{val}}=\frac{32}{160.19\ \mathrm{\AA^3}}=0.1998\ \mathrm{\AA^{-3}} =\frac{32}{1.6019\times10^{-28}}=1.998\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}} $$

完全結晶での実効値との比は

$$ \frac{n_{\mathrm{eff}}^{(b)}}{n_{\mathrm{val}}}=\frac{6.105\times10^{29}}{1.998\times10^{29}}=3.06 $$

比が 1 にならない理由は 2 つある.第一に,陽電子は価電子だけでなく芯電子(Si の $1s,2s,2p$,1 原子あたり 10 個)とも消滅する.芯電子は原子核の近くに強く局在しているので陽電子との重なりは小さいが,密度が桁違いに高いので寄与は無視できない.第二に,そして主要な要因が増大因子 $\gamma$ である.陽電子は正電荷なので,自分のまわりに電子を引き寄せる(電子・陽電子相関).したがって陽電子の位置での局所電子密度は,平均密度より数倍高くなる.素粒子物理の言葉では,これは終状態の Coulomb 相互作用による Sommerfeld 因子に相当する.本文の Al の例では実効密度が価電子密度の 4.5 倍だったが,Si では 3.06 倍である.共有結合性の Si では価電子が結合の中央に集中していて,陽電子が入れる格子間領域の電子密度が相対的に低いことを反映している.いずれにせよ,$\lambda=\pi r_e^2cn_e$ という QED の式そのものは正しく,「$n_e$ に何を入れるか」がすべて凝縮系の問題なのである.

(4) まずバルクの消滅率を求める.

$$ \frac{1}{\tau_b}=\frac{1}{219\times10^{-12}\ \mathrm{s}}=4.5662\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

次に寿命の比の部分を計算する.

$$ \frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau}=\frac{230-219}{265-230}=\frac{11}{35}=0.314286 $$

したがって捕獲率は

$$ \kappa=4.5662\times10^{9}\times0.314286=1.4351\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

捕獲率係数 $\mu=1.0\times10^{15}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)を使うと,空孔濃度は

$$ C_v=\frac{\kappa}{\mu}=\frac{1.4351\times10^{9}}{1.0\times10^{15}}=1.435\times10^{-6} \simeq1.4\ \mathrm{ppm} $$

Si の原子密度は $8/a^3=4.995\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ なので,これは空孔の数密度に直すと $7.2\times10^{22}\ \mathrm{m^{-3}}=7.2\times10^{16}\ \mathrm{cm^{-3}}$ に相当する.

検算.(4) は 2 状態捕獲模型の元の式に戻して確かめられる.平均寿命の表式は $\bar\tau=\left(1+\kappa\tau_v\right)/\left(1/\tau_b+\kappa\right)$ であった.求めた $\kappa=1.4351\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$ を入れると

$$ \kappa\tau_v=1.4351\times10^{9}\times2.65\times10^{-10}=0.38030 $$ $$ \bar\tau=\frac{1+0.38030}{4.5662\times10^{9}+1.4351\times10^{9}} =\frac{1.38030}{6.0013\times10^{9}}=2.3000\times10^{-10}\ \mathrm{s}=230.0\ \mathrm{ps} $$

測定値 230 ps を正しく再現する.次元も,$\kappa$ が $\mathrm{s^{-1}}$,$\mu$ が $\mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)なので $C_v=\kappa/\mu$ は無次元となって整合している.極限のふるまいも正しい:$\bar\tau\to\tau_b$ で $\kappa\to0$(空孔なし),$\bar\tau\to\tau_v$ で $\kappa\to\infty$(全部の陽電子が捕獲される飽和領域)となり,飽和に近づくと $\kappa$ の決定精度が急速に落ちることも読み取れる.ついでに空孔成分の強度を評価しておくと

$$ I_v=\frac{\kappa}{1/\tau_b-1/\tau_v+\kappa} =\frac{1.4351}{4.5662-3.7736+1.4351}=\frac{1.4351}{2.2277}=0.644 $$

すなわち,わずか 1.4 ppm の空孔で陽電子の 64 % が捕獲されている.

意味.この最後の数字が PALS という手法の本質を語っている.原子 100 万個に 1 個しかない欠陥が,陽電子の 3 分の 2 を捕まえてしまう.理由は,陽電子が正電荷であるために正イオン芯から排除され,電子密度の低い自由体積へ拡散して落ち込む(拡散長 $L_+=\sqrt{D_+\tau_b}$ は Si で $200\ \mathrm{nm}$ 程度ある)からである.濃度 ppm の欠陥は,X 線回折では回折線の幅にすら現れず,透過電子顕微鏡でも視野内にほとんど入らない.陽電子だけが,能動的に欠陥を探しに行ってくれる.

そしてその感度を生んでいる前因子 $\pi r_e^2c$ は,本書10.2.4 項で Dirac の消滅断面積 $\sigma_{2\gamma}=\pi r_e^2/\beta$ から出したものであり,中身は $r_e=\alpha/m_e$,すなわち微細構造定数と電子質量だけである.純粋な QED の量が,シリコンウェハの品質管理の較正定数として働いている.実際,Czochralski 法で育成した Si の空孔型欠陥(COP)や,イオン注入後の残留空孔・空孔-酸素複合体(VO 中心)の評価に,PALS は日常的に使われている.寿命が 219 ps から 230 ps へ 11 ps だけ伸びた,というピコ秒の測定が,ppm の欠陥濃度に翻訳されるのである.

演習10.7 Klein–Nishina 断面積と Compton プロファイル

問題(再掲)

本書10章の Klein–Nishina の式

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{r_e^2}{2}\left(\frac{\omega'}{\omega}\right)^2 \left[\frac{\omega}{\omega'}+\frac{\omega'}{\omega}-\sin^2\theta\right] $$

を使う.$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$,$r_e=2.818\ \mathrm{fm}$.

(1) $\omega\ll m_e$ の極限で Thomson の公式 $\left(r_e^2/2\right)\left(1+\cos^2\theta\right)$ になることを示し,$\sigma_T=8\pi r_e^2/3$ を barn 単位で計算せよ.

(2) $^{137}\mathrm{Cs}$ の $\gamma$ 線($\omega=662\ \mathrm{keV}$)について,$\theta=180^\circ$ での散乱光子エネルギー(後方散乱ピーク)と,電子が受け取る最大運動エネルギー(Compton 端)を求めよ.

(3) 同じ $\gamma$ 線の $\theta=180^\circ$ における微分断面積を計算し,Thomson の値と比べよ.

(4) 自由電子ガスの Compton プロファイル $J(p_z)=\left(3/4p_F\right)\left[1-(p_z/p_F)^2\right]$ が $\int J\,\dd p_z=1$ に規格化されていることを確かめ,Al($p_F=0.926$ a.u.)について $J(0)$ を求めよ.さらに,実測の $J(0)$ が自由電子模型より大きい主因を述べ,くりこみ因子 $Z$ が Compton プロファイルのどこに($J(0)$ の高さか,$p_z=\pm p_F$ の折れ曲がりか)現れるかを $J(p_z)=2\pi\int_{\abs{p_z}}^{\infty}n(p)\,p\,\dd p$ を使って説明せよ.

解答

方針.(1)〜(3) は Klein–Nishina の式と Compton の関係式 $1/\omega'-1/\omega=(1-\cos\theta)/m_e$ の 2 本だけで足りる.(4) は初等的な積分と,Fermi 球の幾何である.

(1) Compton の関係式を $\omega'$ について解くと

$$ \omega'=\frac{\omega}{1+\dfrac{\omega}{m_e}\left(1-\cos\theta\right)} $$

である.$\omega\ll m_e$ ではどの散乱角でも分母が $1$ に近づき,$\omega'\to\omega$,すなわち $\omega'/\omega\to1$,$\omega/\omega'\to1$ となる.よって角括弧は

$$ \frac{\omega}{\omega'}+\frac{\omega'}{\omega}-\sin^2\theta\;\longrightarrow\;1+1-\sin^2\theta=2-\left(1-\cos^2\theta\right)=1+\cos^2\theta $$

前因子 $(\omega'/\omega)^2\to1$ と合わせて

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\;\longrightarrow\;\frac{r_e^2}{2}\left(1+\cos^2\theta\right) $$

これが Thomson の公式である(古典電磁気学で,振動する自由電子が双極子放射する強度そのものである).全断面積は,本書10.4 節と同じ角度積分 $\int\left(1+\cos^2\theta\right)\dd\Omega=16\pi/3$ を使って

$$ \sigma_T=\frac{r_e^2}{2}\cdot\frac{16\pi}{3}=\frac{8\pi}{3}r_e^2 $$

数値は

$$ \sigma_T=\frac{8\times3.14159}{3}\times\left(2.818\times10^{-15}\right)^2 =8.37758\times7.9411\times10^{-30}=6.6527\times10^{-29}\ \mathrm{m^2} $$ $$ =6.6527\times10^{-29}/10^{-28}\ \mathrm{barn}=0.6653\ \mathrm{barn} $$

電子 1 個あたり $0.665\ \mathrm{b}$.これが X 線散乱実験のすべての強度の絶対較正の出発点である.

(2) $\theta=180^\circ$ では $1-\cos\theta=2$ なので

$$ \omega'=\frac{\omega}{1+\dfrac{2\omega}{m_e}} $$

$\omega=662\ \mathrm{keV}=0.662\ \mathrm{MeV}$,$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}$ より

$$ \frac{2\omega}{m_e}=\frac{2\times0.662}{0.511}=\frac{1.324}{0.511}=2.59100, \qquad 1+\frac{2\omega}{m_e}=3.59100 $$ $$ \omega'=\frac{662}{3.59100}=184.35\ \mathrm{keV}\simeq184\ \mathrm{keV} $$

これが後方散乱ピークである.電子が受け取る運動エネルギーは $T_e=\omega-\omega'$ であり,$\theta=180^\circ$ で最大になるから

$$ T_e^{\max}=662-184.35=477.65\ \mathrm{keV}\simeq478\ \mathrm{keV} $$

これがCompton 端である.丸めていない値($\omega=661.657\ \mathrm{keV}$,$m_e=510.999\ \mathrm{keV}$)を使えば $2\omega/m_e=2.58966$,$\omega'=661.657/3.58966=184.32\ \mathrm{keV}$,$T_e^{\max}=477.33\ \mathrm{keV}$ となり,本文が挙げている 184 keV/477 keV に一致する(上で 478 keV になったのは $\omega=662$,$m_e=0.511$ と丸めたためである).実際の $^{137}\mathrm{Cs}$ 線源を NaI や HPGe 検出器で測ると,662 keV の光電ピークのほかに,184 keV 付近の小さなピーク(検出器の外で後方散乱されて入射した光子)と,477 keV で急に切れる連続分布(検出器内で Compton 散乱し,散乱光子が逃げた事象)が必ず現れる.放射線計測を実際にやったことがあれば見慣れたスペクトルであり,その位置がこの 2 行で決まっている.

(3) (2) から $\omega'/\omega=1/3.59100=0.278474$,$\omega/\omega'=3.59100$ である.$\theta=180^\circ$ では $\sin^2\theta=0$ なので角括弧は

$$ \frac{\omega}{\omega'}+\frac{\omega'}{\omega}-0=3.59100+0.278474=3.869474 $$

前因子は

$$ \left(\frac{\omega'}{\omega}\right)^2=(0.278474)^2=0.0775478 $$

したがって

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=\frac{r_e^2}{2}\times0.0775478\times3.869474=0.15003\,r_e^2 $$

$r_e^2=7.9411\times10^{-30}\ \mathrm{m^2}=7.9411\times10^{-2}\ \mathrm{barn}$ なので

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}=0.15003\times7.9411\times10^{-2}=1.191\times10^{-2}\ \mathrm{barn/sr} $$

一方 Thomson の $\theta=180^\circ$ での値は $\left(r_e^2/2\right)\left(1+\cos^2180^\circ\right)=\left(r_e^2/2\right)\times2=r_e^2=7.94\times10^{-2}\ \mathrm{barn/sr}$ である.比は

$$ \frac{\left(\dd\sigma/\dd\Omega\right)_{\mathrm{KN}}}{\left(\dd\sigma/\dd\Omega\right)_{\mathrm{Thomson}}}=0.150 $$

すなわち 662 keV では後方散乱が Thomson の予言の 15 % にまで抑えられている.抑制の主因は前因子 $(\omega'/\omega)^2$ で,これは反跳によって散乱光子のエネルギーが下がることの直接の効果である($\omega'/\omega$ が 0.28 なので 2 乗して 0.078 まで落ち,角括弧が 3.87 まで増えても取り返せない).高エネルギーの $\gamma$ 線ほど前方に強く散乱されるようになる,というのが Klein–Nishina の最も重要な帰結であり,$\gamma$ 線の遮蔽設計や医療用リニアックの線量計算はこの角度依存性の上に成り立っている.

(4) 規格化を直接確かめる.$\abs{p_z}<p_F$ でだけ値を持つので

$$ \int_{-\infty}^{\infty}J(p_z)\,\dd p_z =\frac{3}{4p_F}\int_{-p_F}^{p_F}\left(1-\frac{p_z^2}{p_F^2}\right)\dd p_z =\frac{3}{4p_F}\left[p_z-\frac{p_z^3}{3p_F^2}\right]_{-p_F}^{p_F} $$ $$ =\frac{3}{4p_F}\left[\left(p_F-\frac{p_F}{3}\right)-\left(-p_F+\frac{p_F}{3}\right)\right] =\frac{3}{4p_F}\cdot\frac{4p_F}{3}=1 $$

確かに電子 1 個あたりに規格化されている.Al の $p_F=0.926$ a.u. を入れると

$$ J(0)=\frac{3}{4p_F}=\frac{3}{4\times0.926}=\frac{3}{3.704}=0.8099\ \text{a.u.}\simeq0.810\ \text{a.u.} $$

実測の Al の Compton プロファイルは $J(0)\simeq0.85$ で,自由電子模型の値よりやや大きい.

ここで何が $Z$ を測っているのかを正確に述べておく.相互作用のある電子系では,運動量分布 $n(\pp)$ は Fermi 球の内側で $1$ より小さくなり,外側に裾を引く.$p_F$ を横切るときの $n$ の跳びの大きさが,まさに本書10.7.1 項のくりこみ因子 $Z$ である(自由電子なら $Z=1$).Compton プロファイルは

$$ J(p_z)=2\pi\int_{\abs{p_z}}^{\infty}n(p)\,p\,\dd p \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{\dd J}{\dd p_z}=-2\pi p_z\,n(p_z)\quad(p_z>0) $$

という関係にあるので,$n$ の跳びは $J$ 自身の跳びではなく$J$ の傾きの不連続(折れ曲がり)として現れ,その大きさは $2\pi p_F$ と $n$ の跳びの積,すなわち $Z$ に比例する.自由電子ガス($Z=1$)なら $p_z=p_F$ の内側で $\dd J/\dd p_z=-3p_z/(2p_F^3)$,外側で $0$ だから,折れ曲がりの大きさは

$$ \left|\frac{\dd J}{\dd p_z}\right|_{p_z\to p_F^-}=\frac{3}{2p_F^2} =\frac{3}{2\times(0.926)^2}=\frac{3}{1.71495}=1.749\quad(\text{a.u.}) $$

である.実測の折れ曲がりがこれより小さければ,その比がそのまま $Z$ を与える.「Compton 散乱で $Z$ を測る」とは,この折れ曲がりの鋭さを測ることである.

ここで一点だけ注意を足しておく.実測との差には電子相関と芯電子の両方が効くのだが,$J(0)$ の高さの上ずれを相関だけで説明するのは正しくない.規格化 $\int J\,\dd p_z=1$ を固定したまま相関で重みが $p_F$ の外へ漏れる場合,$J(0)=2\pi\int_0^\infty n(p)\,p\,\dd p$ は大きい $p$ の重みを $p$ の 1 乗でしか拾わない(規格化のほうは $p^2$ で拾う)ので,$J(0)$ はわずかに減る側に動く.実測の $J(0)$ が自由電子模型より大きく出る主因は,(i) 測定した全プロファイルに芯電子(Al の $1s,2s,2p$)の幅広い成分が乗っており,これが $p_z=0$ を含む全域に下駄を履かせること,(ii) 実際の Fermi 面が球ではなく,格子ポテンシャルによる高次の運動量成分(umklapp 成分)を持つこと,の 2 つである.要するに,相関($Z$)が顔を出すのは $p_z=\pm p_F$ の折れ曲がりの鈍りのほうであって,$J(0)$ の高さではない.本文が「跳びの大きさを測ることが $Z$ を測ることに等しい」と言っているのは,まさにこの意味である.

検算.(1)〜(3) は 3 通りに照合できる.第一に極限:Klein–Nishina の式に $\omega\to0$ を入れると Thomson に戻ることを (1) で確かめたが,逆に (3) の数値を $\omega\to0$ の極限値と比べると $0.150$ 倍という抑制の大きさが読める.第二に運動学の整合:(2) の $\omega'=184.35\ \mathrm{keV}$ を Compton の関係式に戻すと $1/\omega'-1/\omega=1/184.35-1/662=5.42446\times10^{-3}-1.51057\times10^{-3}=3.91389\times10^{-3}\ \mathrm{keV^{-1}}$ となり,右辺 $(1-\cos180^\circ)/m_e=2/\left(511\ \mathrm{keV}\right)=3.91389\times10^{-3}\ \mathrm{keV^{-1}}$ と 6 桁で一致する(有効数字 4 桁の $184.4\ \mathrm{keV}$ で代用すると $3.9124\times10^{-3}$ となり 3 桁までしか合わないので,検算には丸める前の値を使うこと).第三に次元:$r_e^2$ は面積,角括弧と $(\omega'/\omega)^2$ は無次元なので $\dd\sigma/\dd\Omega$ は面積/立体角である.(4) は $p_F\to$ 任意で $\int J\dd p_z=1$ が $p_F$ によらず成り立つことが確かめられており,$J(0)\propto1/p_F$(Fermi 球が大きいほどプロファイルは低く広くなる)という反比例も,規格化から要求されるとおりである.

意味.本問は,QED の断面積が物性測定の較正定数として働く構造を,2 段階で示している.第一段階が (1)〜(3):Klein–Nishina 断面積は「静止した自由電子 1 個」に対する厳密な QED の予言であり,$r_e^2=(\alpha/m_e)^2$ という素粒子物理の量だけで決まっている.第二段階が (4):実際の物質を測ると,二重微分断面積が「Klein–Nishina 断面積 × $J(p_z)$」という積の形に分解する(インパルス近似).前者は物質によらない既知の数,後者が知りたい物質の情報である.本書10.5 節で「測った断面積を Mott 断面積で割ると形状因子が残る」と述べたのとまったく同じ論理であり,Hofstadter の陽子半径測定,結晶学の構造因子,Compton プロファイル測定は,すべてこの 1 つの型に属している.

そして得られる $J(p_z)$ は,バンド計算で得た $n(\pp)$ と直接比較できる数少ない実験量である.ARPES が準粒子ピークの高さから $Z$ を読むのに対し,Compton 散乱は運動量空間の占有数の跳びから $Z$ を読む.前者は表面敏感,後者はバルク敏感という相補性がある.本書10.7 節の言葉を借りれば,素粒子物理で $Z_2$ と呼ばれる波動関数くりこみ定数が,放射光施設の X 線散乱実験で日常的に測られているのである.

E.11 第11章 クォークの電気力学と色力学 の解答

演習11.1 $R$ 比から色を数える

問題(再掲)

(1) $u,d,s,c,b$ の5フレーバーが生成できるエネルギーでの $R$ を,$N_c=3$ と $N_c=1$ の両方について求めよ.

(2) 仮に第4世代のクォーク $t'$(電荷 $+2/3$)と $b'$(電荷 $-1/3$)が存在し,$\sqrt{s}$ がその閾値を超えたとする($t$ も含めて8フレーバー).$R$ はいくつになるか.

(3) $\sqrt{s}=30$ GeV における $R$ を QCD 補正込みで求め($\alpha_s(30\ \mathrm{GeV})=0.14$ を使ってよい),そこからハドロン生成断面積を nb 単位で求めよ.

(4) 陽電子ビームの強度が十分あって,ルミノシティが $\mathcal{L}=10^{31}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$ だったとすると,(3) の条件で1日あたり何事象のハドロン生成が起こるか.

解答

方針.本書11章の $R=N_c\sum_i q_i^2$ と QCD 補正 $R=N_c\sum_i q_i^2(1+\alpha_s/\pi)$,および $\mu$ ペア断面積の実用形 $\sigma_{\mu\mu}\simeq86.9\ \mathrm{nb}/(s/\mathrm{GeV^2})$ を使う.最後は「断面積 $\times$ ルミノシティ $\times$ 時間 $=$ 事象数」という素粒子実験の基本式を単位に注意して使うだけである.

(1) クォークの電荷は $q_u=q_c=q_t=+2/3$,$q_d=q_s=q_b=-1/3$ である.$u,d,s,c,b$ の5フレーバーでは,$+2/3$ が2個($u,c$),$-1/3$ が3個($d,s,b$)だから

$$ \sum_i q_i^2 = 2\times\left(\frac23\right)^2 + 3\times\left(\frac13\right)^2 = 2\times\frac49 + 3\times\frac19 = \frac89+\frac39 = \frac{11}{9} $$

したがって

$$ R(N_c=3) = 3\times\frac{11}{9} = \frac{11}{3} = 3.667, \qquad R(N_c=1) = 1\times\frac{11}{9} = \frac{11}{9} = 1.222 $$

実測値は $\sqrt{s}=11$–$40$ GeV で $3.6$–$3.9$ であり,$N_c=3$ の予言 $3.67$ とは数 % で一致するが,$N_c=1$ の予言 $1.22$ とは3倍も食い違う.$R$ 比は色の数を数える計数実験であるという本書11章の主張が,この1行の比較に凝縮されている.

(2) 8フレーバー $u,d,s,c,b,t,t',b'$ では,電荷 $+2/3$ が $u,c,t,t'$ の4個,電荷 $-1/3$ が $d,s,b,b'$ の4個である.よって

$$ \sum_i q_i^2 = 4\times\frac49 + 4\times\frac19 = \frac{16}{9}+\frac49 = \frac{20}{9} $$ $$ R = 3\times\frac{20}{9} = \frac{20}{3} = 6.667 $$

ここで注目すべきは,第4世代を1組足すと $R$ が $\frac{11}{3}\to\frac{20}{3}$ と $3$ だけ増えることである.一般に1世代(電荷 $+2/3$ と $-1/3$ の対)を足すと

$$ \Delta R = 3\left(\frac49+\frac19\right) = 3\times\frac59 = \frac53 = 1.667 $$

ずつ増える.$b'$ だけなら $3\times\frac19=\frac13$,$t'$ だけなら $3\times\frac49=\frac43$ である.$\frac{20}{3}-\frac{11}{3}=3=\frac43+\frac13+\frac43$ で,$t$(まだ数えていなかった)と $t',b'$ の3個分になっている.すなわち $R$ の階段の段差の高さそのものが新しいクォークの電荷を測っており,段の数がフレーバーの数を測っている.$R$ は「色を数える」だけでなく「フレーバーを数える」実験でもある.

(3) $\sqrt{s}=30$ GeV は $b$ の閾値の上,$t$ の閾値のはるか下だから,(1) の5フレーバーの場合である.QCD 補正込みで

$$ R = 3\sum_i q_i^2\left(1+\frac{\alpha_s}{\pi}\right) = \frac{11}{3}\times\left(1+\frac{0.14}{3.1416}\right) = 3.6667\times(1+0.04456) = 3.6667\times1.04456 = 3.830 $$

次に $\mu$ ペア断面積である.$s=(30\ \mathrm{GeV})^2=900\ \mathrm{GeV^2}$ だから

$$ \sigma_{\mu\mu} = \frac{86.9\ \mathrm{nb}}{900} = 0.09656\ \mathrm{nb} $$

したがって

$$ \sigma_{\rm had} = R\,\sigma_{\mu\mu} = 3.830\times0.09656\ \mathrm{nb} = 0.3698\ \mathrm{nb} $$

約 $0.37$ nb である.QCD 補正を落とすと $3.6667\times0.09656=0.3540$ nb なので,補正は $4.5\%$ の増加にあたる.$R$ の実測精度がこの程度まで到達しているからこそ,$R$ から $\alpha_s$ を逆算できるのである.

(4) 事象数は $N=\sigma\,\mathcal{L}\,T$ である.単位を揃える.$1\ \mathrm{nb}=10^{-9}\ \mathrm{barn}=10^{-9}\times10^{-24}\ \mathrm{cm^2}=10^{-33}\ \mathrm{cm^2}$,1日は $T=24\times3600=8.64\times10^4$ s である.よって

$$ N = 0.3698\times10^{-33}\ \mathrm{cm^2}\times10^{31}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}\times8.64\times10^4\ \mathrm{s} $$

順に掛けると,$0.3698\times10^{-33}\times10^{31}=3.698\times10^{-3}\ \mathrm{s^{-1}}$,これに $8.64\times10^4$ s を掛けて

$$ N = 3.20\times10^{2} \approx 3.2\times10^{2}\ \text{事象/日} $$

1日に約 $320$ 事象である.ここで色の有無を統計的に区別できるかを見よう.以下では $N_3=320$ 事象/日を使う.$N_c=1$ なら断面積が $1/3$ になるので $N_1=N_3/3=107$ 事象/日である.$t$ 日ぶん測ったときの事象数の差と,$N_c=3$ 仮説のもとでの統計揺らぎ(Poisson 分布なので標準偏差は $\sqrt{N_3t}$)は

$$ \Delta N = (N_3-N_1)\,t = 213\,t, \qquad \delta N = \sqrt{N_3\,t} = \sqrt{320\,t} $$

である.有意度は

$$ S(t) = \frac{\Delta N}{\delta N} = \frac{213\,t}{\sqrt{320\,t}} = \frac{213}{\sqrt{320}}\sqrt{t} = 11.9\sqrt{t} $$

と,$\sqrt{t}$ に比例して伸びる.$t=1$ 日で $S=11.9$,すなわち1日で約12標準偏差である.$5\sigma$ に達する時間は $S(t)=5$ を解いて

$$ t = \left(\frac{5}{11.9}\right)^2 = \frac{25\times320}{213^2} = 0.176\ \text{日} = 4.2\ \text{時間} $$

すなわち半日も測れば色が3つあることは決着する.有意度が $\sqrt{t}$ でしか伸びないという性質は重要で,$5\sigma$ から $10\sigma$ にするには4倍の測定時間が要る.逆に言えば,$3$ 倍という「予言の食い違いの大きさ」がここまで大きいからこそ,$10^{31}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$ という(現代の基準では控えめな)ルミノシティでも半日で決着がつくのである.

検算.次元と規格化の両方で確かめる.まず次元:$[\sigma][\mathcal{L}][T]=\mathrm{cm^2}\cdot\mathrm{cm^{-2}s^{-1}}\cdot\mathrm{s}=$ 無次元となり,事象数(無次元)と整合する.次に $\sigma_{\mu\mu}$ の絶対値:本書11章の $\sigma=4\pi\alpha^2/3s$ に $\alpha=1/137.036$,$s=1\ \mathrm{GeV^2}$ を入れると $\frac{4\pi}{3}\times5.3251\times10^{-5}=2.2306\times10^{-4}\ \mathrm{GeV^{-2}}$,これに $(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mbarn}$ を掛けて $8.686\times10^{-5}$ mbarn $=86.9$ nb.暗算公式の $86.9$ nb と一致する.最後に $R$ の値:QCD 補正込みの $3.83$ は表11.2 の $30$ GeV の行と一致し,実測 $\approx3.9$ とも数 % で合う.

意味.$R$ 比の議論には QCD の Feynman 則が一切現れない.使ったのは QED の $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ と,終状態の電荷・色の数え上げだけである.それでいて「色は3つである」という QCD の根幹が実験値として出てくる.これは材料科学における組成分析と同じ論理である.たとえば非干渉性の散乱強度(Compton 散乱や中性子の非干渉性散乱)は散乱体の数に比例するから,強度の絶対値を測れば単位胞あたりの原子数が分かる(Bragg 反射の強度のほうは構造因子の 2 乗 $\abs{F_{hkl}}^2$ に比例するので,原子の数と配置が絡んだ形で入る).$R$ 比は,仮想光子という単一のプローブに対する「終状態の数」を測ることで,色の多重度という内部自由度の数を直接読み出しているのである.また (4) の見積りは,加速器実験の設計がルミノシティ・断面積・測定時間の三者の掛け算で決まるという実務そのものであり,放射光実験でフラックス・散乱断面積・積算時間から S/N を見積もるのとまったく同じ勘定である.

演習11.2 Casimir トリックでカラー因子を量産する

問題(再掲)

本書11章の Casimir トリックの公式 $\braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}=\frac12\big[C_2(R_{\rm tot})-C_2(R_1)-C_2(R_2)\big]$ と $C_2(p,q)=\frac13(p^2+q^2+pq+3p+3q)$ を使う.

(1) クォーク–グルーオン散乱($3\otimes8=3\oplus\bar6\oplus15$)の各チャネルのカラー因子を求めよ.$\bar6=(0,2)$,$15=(2,1)$ である.

(2) グルーオン–グルーオン散乱($8\otimes8=1\oplus8_S\oplus8_A\oplus10\oplus\overline{10}\oplus27$)について同様に求めよ.$10=(3,0)$,$27=(2,2)$ である.最も引力が強いのはどのチャネルか.そこから何が予言されるか.

(3) (1)(2) で得たカラー因子に各表現の次元を掛けて和をとると $0$ になることを確かめよ.なぜ $0$ になるのか説明せよ.

解答

方針.Casimir トリックは「表現のラベルさえ分かれば行列の成分計算は不要」という道具である.必要な作業は $C_2(p,q)$ の代入だけであり,$3\times3$ 行列を8個並べる直接計算(本書11章 11.4.3・11.4.4 項)を完全に代替する.(3) のトレース恒等式は,カラー因子の一覧表に対する強力な検算法になる.

(1) まず必要な Casimir 固有値を $C_2(p,q)=\frac13(p^2+q^2+pq+3p+3q)$ から順に計算する.

$$ \begin{aligned} C_2(\bm{3})&=C_2(1,0)=\tfrac13(1+0+0+3+0)=\tfrac43\\ C_2(\bm{8})&=C_2(1,1)=\tfrac13(1+1+1+3+3)=\tfrac93=3\\ C_2(\bar{\bm{6}})&=C_2(0,2)=\tfrac13(0+4+0+0+6)=\tfrac{10}{3}\\ C_2(\bm{15})&=C_2(2,1)=\tfrac13(4+1+2+6+3)=\tfrac{16}{3} \end{aligned} $$

クォークは $\bm{3}$,グルーオンは $\bm{8}$ だから,共通部分は $C_2(R_1)+C_2(R_2)=\frac43+3=\frac{13}{3}$ である.したがって

$$ \braket{\bm{T}_q\cdot\bm{T}_g} = \frac12\left[C_2(R_{\rm tot})-\frac{13}{3}\right] $$

各チャネルに代入する.

$$ \begin{aligned} \bm{3}\ \text{チャネル}&:\ \tfrac12\left(\tfrac43-\tfrac{13}{3}\right)=\tfrac12\times\left(-\tfrac93\right)=-\tfrac32\\ \bar{\bm{6}}\ \text{チャネル}&:\ \tfrac12\left(\tfrac{10}{3}-\tfrac{13}{3}\right)=\tfrac12\times\left(-1\right)=-\tfrac12\\ \bm{15}\ \text{チャネル}&:\ \tfrac12\left(\tfrac{16}{3}-\tfrac{13}{3}\right)=\tfrac12\times1=+\tfrac12 \end{aligned} $$

引力(負)は $\bm{3}$ と $\bar{\bm{6}}$,斥力(正)は $\bm{15}$ である.最も引力が強いのは $\bm{3}$ チャネル,すなわちクォーク1個と同じ色を担うチャネルで,その値 $-3/2$ は $q\bar q$ 一重項の $-4/3$ よりさらに強い.これはクォークとグルーオンが束縛して「クォークのように振る舞う複合体」を作りうることを示唆し,ハイブリッド中間子($q\bar qg$)の存在の芽になっている.次元の勘定は $3\times8=24=3+6+15$ で合っている.

(2) グルーオンどうしでは $C_2(R_1)+C_2(R_2)=3+3=6$ が共通部分である.残る Casimir 固有値は

$$ C_2(\bm{1})=C_2(0,0)=0,\qquad C_2(\bm{10})=C_2(3,0)=\tfrac13(9+0+0+9+0)=6,\qquad C_2(\bm{27})=C_2(2,2)=\tfrac13(4+4+4+6+6)=8 $$

である($\overline{\bm{10}}=(0,3)$ も同じ $C_2=6$).よって $\braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}=\frac12[C_2(R_{\rm tot})-6]$ に代入して

$$ \begin{aligned} \bm{1}&:\ \tfrac12(0-6)=-3 & \bm{8}_S,\ \bm{8}_A&:\ \tfrac12(3-6)=-\tfrac32\\ \bm{10},\ \overline{\bm{10}}&:\ \tfrac12(6-6)=0 & \bm{27}&:\ \tfrac12(8-6)=+1 \end{aligned} $$

次元は $8\times8=64=1+8+8+10+10+27$ で合う.最も引力が強いのは一重項チャネルで $-3$ であり,これは $q\bar q$ 一重項の $-4/3$ の $2.25$ 倍にあたる.十重項はカラー因子がちょうど $0$ で,1グルーオン交換のレベルでは力が働かない.

ここから何が予言されるか.グルーオン2個が色一重項に組めば強い引力が働くのだから,グルーオンだけからなる束縛状態=グルーボールが存在してよいということである.格子 QCD はスカラーグルーボール($J^{PC}=0^{++}$)を $1.6$–$1.7$ GeV に予言している.ただし同じ量子数の通常の中間子($f_0$ 群)と量子力学的に混合するため,「これがグルーボールである」という実験的同定はいまも決着していない.物性の言葉に置き換えれば,同じ対称性をもつ2つの励起が近いエネルギーにあるときに固有状態が混成してしまい,どちらが「もとの」励起か言えなくなる状況——たとえばフォノンとマグノンの混成モード(マルチフェロイクスのエレクトロマグノンなど)や,$d$ 軌道と配位子軌道の混成——と同じ困難である.

(3) 次元を重みにして和をとる.クォーク–グルーオンでは

$$ 3\times\left(-\frac32\right) + 6\times\left(-\frac12\right) + 15\times\left(+\frac12\right) = -\frac92 - 3 + \frac{15}{2} = -4.5-3+7.5 = 0 $$

グルーオン–グルーオンでは,$\bm{8}_S$ と $\bm{8}_A$ をまとめて $16$,$\bm{10}$ と $\overline{\bm{10}}$ をまとめて $20$ と数えて

$$ 1\times(-3) + 16\times\left(-\frac32\right) + 20\times0 + 27\times(+1) = -3 - 24 + 0 + 27 = 0 $$

いずれもゼロである.理由.$R_1\otimes R_2$ を既約分解したとき,各既約成分 $R$ の中では $\braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}$ は定数($R$ にしかよらない)である.したがって演算子 $\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2$ を積空間全体でトレースすると,各既約成分がその定数 $\times$ 次元だけ寄与する:

$$ \sum_R d_R\braket{\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2}_R = \Tr_{R_1\otimes R_2}\big(\bm{T}_1\cdot\bm{T}_2\big) $$

一方,右辺は積空間のトレースだから,2つの因子に分解できる:

$$ \Tr_{R_1\otimes R_2}\left(\sum_a T_1^aT_2^a\right) = \sum_a \Tr_{R_1}(T^a)\,\Tr_{R_2}(T^a) $$

ところが $SU(3)$ の生成子はトレースレス($\Tr T^a=0$.これは $\det U=1$ の条件そのものである)だから,右辺の各項がゼロになる.よって和はゼロである.

検算.同じ恒等式を,本書11章で直接計算済みのカラー因子に適用して確かめる.$q\bar q$($3\otimes\bar3=1\oplus8$)では

$$ 1\times\left(-\frac43\right) + 8\times\left(+\frac16\right) = -\frac43+\frac86 = -\frac43+\frac43 = 0 $$

$qq$($3\otimes3=\bar3\oplus6$)では

$$ 3\times\left(-\frac23\right) + 6\times\left(+\frac13\right) = -2+2 = 0 $$

いずれもゼロになり,Fierz 恒等式による直接計算と Casimir トリックが独立に整合していることが確かめられた.さらに $\bm{3}$ チャネルの $-3/2$ という値は,$C_2(\bm{3})=C_F=4/3$,$C_2(\bm{8})=C_A=3$ を使って $\frac12(C_F-C_F-C_A)=-\frac{C_A}{2}=-\frac32$ とも書け,$\beta$ 関数に現れる $C_A=3$ と同じ数が顔を出している点も整合的である.

意味.この検算恒等式は「引力チャネルの総和は必ず斥力チャネルの総和と釣り合う」という主張である.色に関して平均すれば力はゼロであり,特定のチャネルに引力が集中しているだけなのである.これは磁性の言葉で言えば,交換相互作用 $-2J\bm{S}_1\cdot\bm{S}_2$ の固有値を重み付き平均するとゼロになること($1\times(-\frac34)+3\times(+\frac14)=0$)とまったく同じ構造である.一重項に落ちて得をした分だけ,三重項が損をしている.QCD で「色一重項だけが自然界に現れる」のも,Kondo 問題で「基底状態がスピン一重項になる」のも,この配分の偏りを系がどう利用するかという同じ問いへの答えである.そして (2) のグルーボールは,材料科学者にとっては「格子だけで作った励起の束縛状態」——媒介粒子どうしが束縛して新しい粒子になる状況——にあたり,フォノン間の非調和相互作用が強いときに議論される二フォノン束縛状態と発想を共有している.

演習11.3 $\alpha_s$ を走らせる

問題(再掲)

$\alpha_s(m_Z)=0.118$,$m_Z=91.188$ GeV から出発する.

(1) $n_f=5$($\beta_0=23/3$)のまま,$\alpha_s(10\ \mathrm{GeV})$ を求めよ.

(2) $\Lambda^{(5)}$ を本書11章の $\Lambda=\mu\exp[-2\pi/(\beta_0\alpha_s(\mu^2))]$ から求めよ.また,$\alpha_s(Q^2)=4\pi/[\beta_0\ln(Q^2/\Lambda^2)]$ に $Q=10$ GeV を代入して (1) と一致することを確かめよ.

(3) $n_f=3$($\beta_0=9$),$\Lambda^{(3)}=143$ MeV として,$\alpha_s(Q)=1$ となる $Q$ を求めよ.それを長さに直すといくらか.

(4) (3) で得た長さを,$\Lambda_{\rm QCD}^{-1}\approx1$ fm やハドロンの大きさと比べて論じよ.

解答

方針.1ループのくりこみ群方程式を積分した形,すなわち本書11章の

$$ \frac{1}{\alpha_s(Q^2)} = \frac{1}{\alpha_s(\mu^2)} + \frac{\beta_0}{4\pi}\ln\frac{Q^2}{\mu^2} $$

を使う.$1/\alpha_s$ が $\ln Q^2$ の一次式になることが1ループ近似の全内容であり,計算はすべて「直線の外挿」に帰着する.

(1) まず係数を出す.$n_f=5$ で $\beta_0=11-\frac23\times5=11-\frac{10}{3}=\frac{23}{3}=7.6667$ だから

$$ \frac{\beta_0}{4\pi} = \frac{7.6667}{12.5664} = 0.61009 $$

対数は $Q^2=100\ \mathrm{GeV^2}$,$m_Z^2=91.188^2=8315.25\ \mathrm{GeV^2}$ より

$$ \ln\frac{Q^2}{m_Z^2} = \ln\frac{100}{8315.25} = \ln(1.20261\times10^{-2}) = -4.42068 $$

($2\ln(10/91.188)=2\times(-2.21034)=-4.42068$ と計算しても同じである.)よって

$$ \frac{1}{\alpha_s(10\ \mathrm{GeV})} = \frac{1}{0.118} + 0.61009\times(-4.42068) = 8.47458 - 2.69703 = 5.77755 $$ $$ \alpha_s(10\ \mathrm{GeV}) = \frac{1}{5.77755} = 0.17308 $$

$m_Z$ での $0.118$ が,エネルギーを1桁下げただけで $0.173$ に増えた.$(0.17308-0.118)/0.118=0.467$,すなわち $47\%$ の増加である.

(2) $\Lambda$ の定義式に $\mu=m_Z$ を入れる.指数の肩は

$$ \frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s(m_Z^2)} = \frac{6.28319}{7.66667\times0.118} = \frac{6.28319}{0.904667} = 6.94530 $$ $$ \Lambda^{(5)} = 91.188\ \mathrm{GeV}\times\ee^{-6.94530} = 91.188\times9.6315\times10^{-4} = 0.08783\ \mathrm{GeV} $$

すなわち $\Lambda^{(5)}=87.8$ MeV である.次に,これを使って $\alpha_s(10\ \mathrm{GeV})$ を再計算する.$\Lambda^2=(0.087827)^2=7.7137\times10^{-3}\ \mathrm{GeV^2}$ だから

$$ \ln\frac{Q^2}{\Lambda^2} = \ln\frac{100}{7.7137\times10^{-3}} = \ln(1.29639\times10^{4}) = 9.46993 $$ $$ \alpha_s(10\ \mathrm{GeV}) = \frac{4\pi}{\beta_0\ln(Q^2/\Lambda^2)} = \frac{12.5664}{7.66667\times9.46993} = \frac{12.5664}{72.6028} = 0.17308 $$

(1) の $0.17308$ と小数第5位まで一致した.当然である.$\Lambda$ の定義は「$1/\alpha_s$ の直線が $0$ を切る点」であり,直線を基準点 $m_Z$ から引いても切片 $\Lambda$ から引いても同じ直線だからである.具体的には

$$ \frac{1}{\alpha_s(Q^2)} = \frac{\beta_0}{4\pi}\ln\frac{Q^2}{\Lambda^2} $$

が両者を結ぶ関係で,実際 $0.61009\times9.46993=5.7775$ は (1) の $1/\alpha_s=5.77755$ と(5桁に丸めた係数で計算した範囲で)一致する.

(3) $n_f=3$ では $\beta_0=11-\frac23\times3=11-2=9$ である.$\alpha_s(Q)=1$ を要求すると

$$ 1 = \frac{4\pi}{9\ln(Q^2/\Lambda^2)} \quad\Longrightarrow\quad \ln\frac{Q^2}{\Lambda^2} = \frac{4\pi}{9} = \frac{12.5664}{9} = 1.39626 $$

$\ln(Q^2/\Lambda^2)=2\ln(Q/\Lambda)$ だから $\ln(Q/\Lambda)=0.69813$,すなわち

$$ \frac{Q}{\Lambda} = \ee^{0.69813} = 2.0100 \quad\Longrightarrow\quad Q = 0.143\ \mathrm{GeV}\times2.0100 = 0.2874\ \mathrm{GeV} = 287\ \mathrm{MeV} $$

これを長さに直す.$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ だから

$$ r = \frac{\hbar c}{Q} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{287.4\ \mathrm{MeV}} = 0.687\ \mathrm{fm} $$

約 $0.69$ fm である.

(4) 比較する長さを3つ並べる.

3つが $0.7$–$1.4$ fm の範囲に収まり,桁として完全に一致している.$\alpha_s=1$ の距離と $\Lambda^{-1}$ が定数倍($\ee^{-2\pi/\beta_0}$ 倍,$\beta_0=9$ なら $1/2.01$ 倍)でしか違わないのは式から明らかだが,そのどちらもがハドロンの実測サイズと一致するのは自明ではない.これはハドロンの大きさを決めているのが $\Lambda_{\rm QCD}$ そのものであるという主張にほかならない.クォークの質量($m_u\sim2$ MeV,$m_d\sim5$ MeV)はこのスケールにまったく関与しておらず,陽子の大きさも質量も,次元をもたないパラメータ $\alpha_s$ の走りだけから生まれている.

検算.3通りで確かめる.(i) 次元:$\Lambda=\mu\,\ee^{-\text{無次元}}$ なので $\Lambda$ はエネルギーの次元をもち,$\hbar c/Q$ は長さの次元になる.整合する.(ii) 極限:$Q\to\infty$ で $\ln(Q^2/\Lambda^2)\to\infty$ より $\alpha_s\to0$(漸近的自由),$Q\to\Lambda^+$ で $\alpha_s\to+\infty$(摂動論の破綻).どちらも本書11章の記述どおりである.(iii) 既知の値との照合:同じ1ループ公式で $\alpha_s(m_c=1.27\ \mathrm{GeV})$ を $n_f=3$,$\Lambda^{(3)}=0.143$ GeV から求めると,$\ln(1.27^2/0.143^2)=2\ln(8.881)=4.3679$,$\alpha_s=12.5664/(9\times4.3679)=0.3197$ となり,本書11章 11.6.4 項の閾値整合の計算で得られた $\alpha_s(m_c)=0.319$ と一致する.$\Lambda^{(3)}=143$ MeV はまさにその $\alpha_s(m_c)$ から逆算された値なので,これは循環の閉じ方の確認になっている.

意味.$\alpha_s$ の走りは,本質的に「$1/\alpha_s$ が $\ln Q^2$ の直線である」という一言に尽きる.直線がどこで $0$ を切るかを $\Lambda$ と名づけただけであり,$\alpha_s(m_Z)$ という1個の実測値と $\Lambda$ という1個のスケールは同じ情報を担う.無次元の結合定数が,次元をもつスケールに翻訳された——これが次元転換である.材料科学者にとって最も近い類例は,BCS 理論の $N(0)V$ とギャップ $\Delta$,あるいは Kondo 問題の $\rho J$ と $T_K$ の関係である(演習11.7).どちらも「無次元の結合」と「力学的に生成されたエネルギースケール」が指数関数で結ばれ,一方を測れば他方が決まる.さらに実務的な教訓として,(2) が示すのは「基準点をどこに取っても結果は同じ」というくりこみ群の不変性であり,第一原理計算でカットオフやエネルギー基準を変えても物理量が変わらないことを確認する検算と,まったく同じ性質の確認である.

演習11.4 Callan–Gross 関係とパートンのスピン

問題(再掲)

(1) パートンがスピン $0$ のスカラー粒子だったとすると,磁気的な散乱がないので $W_1=0$ である.このとき $F_2/(2xF_1)$ はどうなるか.また縦横比 $R_L=\sigma_L/\sigma_T$ はどうなるか.

(2) $R_L=(F_2-2xF_1)/(2xF_1)$ を示せ($M^2/Q^2$ の補正は無視してよい).

(3) 実験値 $R_L=0.15$ のとき,$F_2/(2xF_1)$ はいくつか.Callan–Gross 関係からのずれは何 % か.

(4) パートン模型の式 $F_2(x)=\sum_i e_i^2\,x f_i(x)$ を使って,$F_2^{ep}(x)/F_2^{en}(x)$ の $x\to1$ での値を予言せよ.$x\to1$ では価クォークのうち $u$ が支配的($d/u\to0$)とする.

解答

方針.(1)(3)(4) は本書11章のパートン模型の式 $F_2=\sum_i e_i^2xf_i$,$F_1=\frac12\sum_ie_i^2f_i$ とその比だけで済む.(2) だけは,ハドロンテンソル $W^{\mu\nu}$ を仮想光子の偏極ベクトルで挟むという,本文では結果だけを述べた計算を実行する必要がある.

(1) $W_1=0$ なら $F_1=MW_1=0$ である.したがって

$$ \frac{F_2}{2xF_1} \longrightarrow \infty \qquad(\text{分母がゼロ}) $$

比は発散する.$R_L$ については,(2) で示す $R_L=F_2/(2xF_1)-1$ を使えば $R_L\to\infty$ である.物理的には $\sigma_T\propto W_1=0$ なので,横偏極光子はまったく吸収されず,吸収されるのは縦偏極光子だけという状況になる.理由は簡単で,スピン $0$ の粒子は磁気モーメントをもたないから,仮想光子の磁気的成分(ヘリシティ $\pm1$ を運ぶ横成分)と結合できないのである.

スピン $1/2$ の場合と対比しておく.そこでは Callan–Gross 関係 $F_2=2xF_1$ が成り立つので

$$ \frac{F_2}{2xF_1}=1,\qquad R_L=0 $$

である.$1$ と $\infty$,$0$ と $\infty$ ——スピン $0$ と $1/2$ の予言はこれ以上ないほど隔たっている.実測は $F_2/(2xF_1)\approx1.1$–$1.2$ なので,判定は一瞬でつく.陽子の中の荷電構成要素はスピン $1/2$ である.

(2) 本書11章で述べたとおり,Lorentz 不変性と電流保存 $q_\mu W^{\mu\nu}=0$ だけから,ハドロンテンソルは2つの構造にしか展開できない:

$$ W^{\mu\nu} = W_1\left(-g^{\mu\nu}+\frac{q^\mu q^\nu}{q^2}\right) + \frac{W_2}{M^2}\,\tilde P^\mu\tilde P^\nu, \qquad \tilde P^\mu \equiv P^\mu - \frac{P\cdot q}{q^2}q^\mu $$

光子の吸収断面積は,この $W^{\mu\nu}$ を偏極ベクトルで挟んだもの $\sigma_i\propto \varepsilon^{(i)*}_\mu\varepsilon^{(i)}_\nu W^{\mu\nu}$ に比例する(比例係数は仮想光子のフラックス因子で,縦偏極と横偏極で共通なので比を取れば消える).実験室系で $P^\mu=(M,\bm{0})$,$q^\mu=(\nu,0,0,q_z)$,$q_z=\sqrt{\nu^2+Q^2}$,$q^2=-Q^2$ と取る.

横成分.$\varepsilon^\mu=(0,1,0,0)$ とすると,挟んだ量は $W^{11}$ である.$-g^{11}=+1$,$q^1=0$,$\tilde P^1=0$ だから

$$ \varepsilon_\mu\varepsilon_\nu W^{\mu\nu} = W^{11} = W_1 $$

縦成分.$\varepsilon_L^\mu=\frac{1}{\sqrt{Q^2}}(q_z,0,0,\nu)$ とすると $\varepsilon_L\cdot q=\frac{1}{\sqrt{Q^2}}(q_z\nu-\nu q_z)=0$ で横条件を満たす.(規格化に注意しておく.横偏極は $\varepsilon_T\cdot\varepsilon_T=-1$ だが,縦偏極は $\varepsilon_L\cdot\varepsilon_L=(q_z^2-\nu^2)/Q^2=+1$ である.仮想光子の運動量が空間的($q^2=-Q^2<0$)なので,それに直交する3次元部分空間には時間的な方向が1本含まれ,それが縦偏極にあたる.実光子 $q^2\to0$ ではこの自由度が消えて $\sigma_L\to0$ となり,$R_L\to0$ が自動的に成り立つ.)必要な成分を用意する.$P\cdot q=M\nu$,$q^2=-Q^2$ より

$$ \tilde P^0 = M+\frac{M\nu^2}{Q^2}=M\left(1+\frac{\nu^2}{Q^2}\right), \qquad \tilde P^3 = \frac{M\nu q_z}{Q^2} $$

である.そこで $A\equiv1+\nu^2/Q^2$,$B\equiv\nu^2/Q^2$($A=1+B$)と略記すると

$$ \begin{aligned} W^{00}&=-W_1A + W_2A^2,\\ W^{33}&=-W_1B + W_2\frac{\nu^2q_z^2}{Q^4},\\ W^{03}&=-W_1\frac{\nu q_z}{Q^2} + W_2A\frac{\nu q_z}{Q^2} \end{aligned} $$

を得る.ここで第1構造の係数は,$q^2=-Q^2$ に注意して

$$ -g^{00}+\frac{(q^0)^2}{q^2} = -1+\frac{\nu^2}{-Q^2} = -\left(1+\frac{\nu^2}{Q^2}\right) = -A, \qquad -g^{33}+\frac{(q^3)^2}{q^2} = +1+\frac{\nu^2+Q^2}{-Q^2} = -\frac{\nu^2}{Q^2} = -B, $$ $$ -g^{03}+\frac{q^0q^3}{q^2} = 0-\frac{\nu q_z}{Q^2} $$

と評価した.$\varepsilon_{L\mu}=\frac{1}{\sqrt{Q^2}}(q_z,0,0,-\nu)$ に注意して

$$ \varepsilon_{L\mu}\varepsilon_{L\nu}W^{\mu\nu} = \frac{1}{Q^2}\left[q_z^2W^{00} - 2q_z\nu\,W^{03} + \nu^2W^{33}\right] $$

を計算する.$W_1$ の項をまとめると,$q_z^2=\nu^2+Q^2$ を使って

$$ -\frac{W_1}{Q^2}\left[q_z^2A - 2\frac{q_z^2\nu^2}{Q^2} + \frac{\nu^4}{Q^2}\right] = -\frac{W_1}{Q^2}\left[q_z^2 - \frac{q_z^2\nu^2}{Q^2} + \frac{\nu^4}{Q^2}\right] = -\frac{W_1}{Q^2}\left[\nu^2+Q^2 - \frac{\nu^4}{Q^2}-\nu^2 + \frac{\nu^4}{Q^2}\right] = -W_1 $$

$W_2$ の項は,括弧の中が $A^2-2BA+B^2=(A-B)^2=1$ という完全平方になって

$$ \frac{W_2}{Q^2}\,q_z^2\left(A-B\right)^2 = \frac{W_2q_z^2}{Q^2} = W_2\frac{\nu^2+Q^2}{Q^2} = W_2A $$

となる.したがって

$$ \varepsilon_{L\mu}\varepsilon_{L\nu}W^{\mu\nu} = \left(1+\frac{\nu^2}{Q^2}\right)W_2 - W_1, \qquad\text{すなわち}\qquad R_L = \frac{\sigma_L}{\sigma_T} = \frac{(1+\nu^2/Q^2)W_2 - W_1}{W_1} $$

最後に構造関数の言葉に翻訳する.$M^2/Q^2$ の補正を無視するとは,$x$ を固定したとき $\nu^2/Q^2=Q^2/(4M^2x^2)\gg1$ なので $1+\nu^2/Q^2\simeq\nu^2/Q^2$ と置いてよい,ということである.$F_1=MW_1$,$F_2=\nu W_2$ を代入して

$$ R_L = \frac{\nu^2}{Q^2}\cdot\frac{W_2}{W_1} - 1 = \frac{\nu^2}{Q^2}\cdot\frac{F_2/\nu}{F_1/M} - 1 = \frac{M\nu}{Q^2}\cdot\frac{F_2}{F_1} - 1 $$

ここで Bjorken 変数の定義 $x=Q^2/(2M\nu)$ より $M\nu/Q^2=1/(2x)$ だから

$$ R_L = \frac{F_2}{2xF_1} - 1 = \frac{F_2-2xF_1}{2xF_1} $$

が示された.

(3) 上の関係を逆に解くだけである.

$$ \frac{F_2}{2xF_1} = 1 + R_L = 1+0.15 = 1.15 $$

Callan–Gross 関係の予言は $F_2/(2xF_1)=1$ だから,ずれは

$$ \frac{1.15-1}{1}\times100 = 15\ \% $$

である.逆向きに $2xF_1/F_2=1/1.15=0.870$ とも書ける.

この数字を吸収された仮想光子の内訳として読むこともできる.全吸収に占める縦偏極の割合は

$$ \frac{\sigma_L}{\sigma_L+\sigma_T} = \frac{R_L}{1+R_L} = \frac{0.15}{1.15} = 0.130 $$

であり,吸収される仮想光子の $13\%$ が縦偏極,$87\%$ が横偏極ということになる.スピン $1/2$ のパートンなら縦偏極はまったく吸収されない($0\%$)はずだったから,この $13\%$ が「Callan–Gross 関係の破れ」の正体である.

この $15\%$ は誤差ではなく,クォーク質量・横方向運動量 $k_T$・グルーオン放出($\gamma^*g\to q\bar q$)から生じる QCD の効果であり,計算可能な量である.いずれもパートンのヘリシティを保存しない過程で,仮想光子の縦成分と結合する経路を開く.実際 $R_L$ は $Q^2$ とともに $\alpha_s(Q^2)$ に比例して減り(漸近的自由の帰結),$Q^2\to\infty$ では $R_L\to0$ に戻る.測定の実務としても,$R_L$ の値は $F_2$ と $F_1$ を実験的に分離するために不可欠で,同じ $x$,$Q^2$ を異なるビームエネルギーで測り,仮想光子の偏極度を変えて縦横成分を分ける操作が必要になる.これは本書11章の Rosenbluth 分離($\tan^2(\theta/2)$ に対する直線化で $G_E$ と $G_M$ を分ける)とまったく同じ論理である.

感度も確かめておく.仮に $R_L=0.5$ が測られていたら $F_2/(2xF_1)=1.5$,ずれは $50\%$ になり,$R_L=1$ なら $100\%$ である.測定値が $0.15$ に収まっているという事実そのものが強い制限になっていることが分かる.スピン $0$ の予言($R_L=\infty$)との差が無限大であることを思えば,$15\%$ のずれは「関係が成り立っている」と言ってよい大きさである.

(4) パートン模型の式を陽子と中性子に書き下す.アイソスピン対称性(陽子の $u$ 分布は中性子の $d$ 分布に等しい,など)を使い,$x\to1$ では海クォークと $s$ クォークが無視できるとして価クォークだけを残すと

$$ F_2^{ep}(x) = x\left[\frac49u(x)+\frac19d(x)\right], \qquad F_2^{en}(x) = x\left[\frac49d(x)+\frac19u(x)\right] $$

比を取ると,$x$ と $\frac19$ が約せて

$$ \frac{F_2^{ep}}{F_2^{en}} = \frac{4u+d}{4d+u} = \frac{4+d/u}{4(d/u)+1} $$

$x\to1$ で $d/u\to0$ とすれば

$$ \frac{F_2^{ep}}{F_2^{en}} \longrightarrow \frac{4+0}{0+1} = 4 $$

すなわち $(4/9)/(1/9)=4$ である.実測はこの極限で $\approx2.5$ 程度にとどまる.上の式を $2.5$ について解くと

$$ \frac{4+r}{4r+1}=2.5 \quad\Longrightarrow\quad 4+r = 10r+2.5 \quad\Longrightarrow\quad r = \frac{d}{u} = \frac{1.5}{9} = 0.167 = \frac16 $$

となり,$x\to1$ でも $d$ クォークは $u$ の $1/6$ 程度は残っていることになる.参考までに,$d/u$ の値についてはいくつかの理論的予言が競合している:$SU(6)$ スピン・フレーバー対称性は $d/u=1/2$(比 $1.5$),スカラーダイクォーク支配は $d/u\to0$(比 $4$),摂動 QCD のヘリシティ保存則は $d/u\to1/5$(比 $2.33$)を与える.実測の $2.5$ は最後の描像に近い.

検算.3点で確かめる.(i) 比の上下限:$\frac{4+r}{4r+1}$ は $r$ の単調減少関数で,$r=0$ で $4$,$r=1$($u=d$)で $1$,$r\to\infty$ で $1/4$ をとる.したがって $F_2^{ep}/F_2^{en}$ は必ず $[1/4,\,4]$ の中に入るはずで,実測の $2.5$ も $x\to0$ の海クォーク支配領域での $\approx1$ もこの範囲に収まる.パートン模型が破綻すればこの帯からはみ出すので,これは模型自体の検査になっている.(ii) 極限の一貫性:$R_L\to0$ の極限で (2) の式は $F_2=2xF_1$ に帰着し,Callan–Gross 関係を再現する.また $F_1\to0$ の極限で $R_L\to\infty$ となり,(1) と整合する.(iii) 運動量和則との整合:本書11章で得た $U+D=0.54$,$U-D=0.18$ から $U/D=0.36/0.18=2$ であり,$x$ 全域で平均すれば $d/u\approx1/2$ である.$x\to1$ で $d/u$ が $1/6$ まで下がるという (4) の結論は,$x$ の大きいところで $u$ がより支配的になるという描像と矛盾しない.

意味.Callan–Gross 関係の価値は,未知関数(パートン分布 $f_i$)も未知定数(電荷 $e_i$)もすべて相殺して,スピンという1個の離散的な性質だけが残ることにある.測定量の比を取ることで系の詳細を消し去り,対称性やスピンだけに依存する量を取り出す——この手法は材料科学でも中核的である.たとえば中性子非弾性散乱で偏極解析により磁気散乱と核散乱を分離するとき,あるいは X 線磁気円二色性(XMCD)の総和則でスピン角運動量と軌道角運動量を分離するとき,我々は同じことをしている.いずれも「絶対値ではなく比を測ることで,未知の規格化因子を消す」という戦略である.また (2) の縦横分離は,光の偏極による選択則の話であり,赤外・Raman の偏極測定でモードの対称性を決める操作と論理が同じである.縦偏極光子が吸収されないという事実は,質量ゼロのカイラルなフェルミオンに対する選択則にほかならない.

演習11.5 Gauss 型電荷分布の形状因子

問題(再掲)

規格化された Gauss 型電荷分布

$$ \rho(r) = \frac{1}{(2\pi b^2)^{3/2}}\,\ee^{-r^2/2b^2} $$

を考える.

(1) 形状因子が $F(q)=\ee^{-q^2b^2/2}$ となることを示せ.

(2) $\braket{r^2}=3b^2$ を示し,$\sqrt{\braket{r^2}}=0.84$ fm となる $b$ を求めよ.

(3) $Q^2=1\ \mathrm{GeV^2}$(すなわち $q=1\ \mathrm{GeV}/c$)における $F$ を計算し,双極子形 $G_E=(1+Q^2/0.71\,\mathrm{GeV^2})^{-2}$ の値と比べよ.どちらが速く落ちるか.

(4) この結果から,陽子の電荷分布は Gauss 型と指数関数型のどちらに近いと考えられるか.また,そのことは電荷分布の「裾」について何を意味するか.

解答

方針.本書11章の形状因子の定義 $F(\qq)=\int\rho(\bm{r})\ee^{\ii\qq\cdot\bm{r}}\dd^3r$ を,Gauss 分布に対して直接実行する.Gauss 関数は直交座標で完全に分離するので,3次元積分が1次元積分の3乗になるのが要点である.最後は本書11章 11.2.3 項の双極子形と数値で突き合わせる.

(1) $r^2=x^2+y^2+z^2$ だから,被積分関数は直交座標で完全に因子化する:

$$ F(\qq) = \int \frac{\ee^{-(x^2+y^2+z^2)/2b^2}}{(2\pi b^2)^{3/2}}\,\ee^{\ii(q_xx+q_yy+q_zz)}\,\dd x\,\dd y\,\dd z = \prod_{j=x,y,z} \left[\frac{1}{\sqrt{2\pi b^2}}\int_{-\infty}^{\infty}\ee^{-u^2/2b^2}\ee^{\ii q_ju}\,\dd u\right] $$

1次元積分を平方完成で処理する.指数をまとめると

$$ -\frac{u^2}{2b^2}+\ii q_ju = -\frac{1}{2b^2}\left(u^2 - 2\ii b^2q_ju\right) = -\frac{1}{2b^2}\left[(u-\ii b^2q_j)^2 + b^4q_j^2\right] = -\frac{(u-\ii b^2q_j)^2}{2b^2} - \frac{b^2q_j^2}{2} $$

である(第2項が実定数として外に出る).したがって

$$ \frac{1}{\sqrt{2\pi b^2}}\int_{-\infty}^{\infty}\ee^{-u^2/2b^2}\ee^{\ii q_ju}\,\dd u = \ee^{-b^2q_j^2/2}\cdot\frac{1}{\sqrt{2\pi b^2}}\int_{-\infty}^{\infty}\ee^{-(u-\ii b^2q_j)^2/2b^2}\,\dd u = \ee^{-b^2q_j^2/2} $$

となる(複素平面で積分路を実軸に平行に $\ii b^2q_j$ だけずらしても,Gauss 関数は無限遠で急速に減衰するため Cauchy の定理により値は変わらず,残った積分は $\sqrt{2\pi b^2}$ に等しい).3成分の積を取れば

$$ F(\qq) = \ee^{-b^2(q_x^2+q_y^2+q_z^2)/2} = \ee^{-q^2b^2/2} $$

が示された.規格化の確認として $F(0)=1$,すなわち $\int\rho\,\dd^3r=1$ が満たされている.

(2) 二乗平均半径を定義どおり計算する.球対称なので角度積分は $4\pi$ を与え

$$ \braket{r^2} = \int r^2\rho(r)\,\dd^3r = \frac{4\pi}{(2\pi b^2)^{3/2}}\int_0^\infty r^4\,\ee^{-r^2/2b^2}\,\dd r $$

公式 $\int_0^\infty u^4\ee^{-u^2/2b^2}\dd u = 3b^5\sqrt{\pi/2}$ を使う.これは $\int_0^\infty u^{2n}\ee^{-au^2}\dd u=\frac{(2n-1)!!}{2(2a)^n}\sqrt{\pi/a}$ に $n=2$,$a=1/2b^2$ を入れたものである.代入して

$$ \braket{r^2} = \frac{4\pi\cdot3b^5\sqrt{\pi/2}}{2^{3/2}\pi^{3/2}b^3} = \frac{12\pi\, b^2\,\pi^{1/2}2^{-1/2}}{2^{3/2}\pi^{3/2}} = \frac{12b^2}{2^{2}} = 3b^2 $$

より簡明な別解として,(1) の結果を小さい $q$ で展開してもよい.$F=\ee^{-q^2b^2/2}=1-\frac{q^2b^2}{2}+\cdots$ を本書11章の $\braket{r^2}=-6\,\dd F/\dd q^2|_{q^2=0}$ に入れると

$$ \braket{r^2} = -6\times\left(-\frac{b^2}{2}\right) = 3b^2 $$

で同じ答えになる.$\sqrt{\braket{r^2}}=\sqrt3\,b=0.84$ fm を要求すると

$$ b = \frac{0.84\ \mathrm{fm}}{\sqrt3} = \frac{0.84}{1.73205} = 0.4850\ \mathrm{fm} $$

(3) まず $q$ を fm$^{-1}$ に直す.$\hbar c=0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ だから

$$ q = 1\ \mathrm{GeV}/c = \frac{1}{0.197327\ \mathrm{fm}} = 5.0677\ \mathrm{fm^{-1}} $$

したがって

$$ qb = 5.0677\times0.4850 = 2.4577, \qquad \frac{q^2b^2}{2} = \frac{(2.4577)^2}{2} = \frac{6.0404}{2} = 3.0202 $$ $$ F_{\rm Gauss}(1\ \mathrm{GeV}) = \ee^{-3.0202} = 0.0488 $$

一方,双極子形は $Q^2=1\ \mathrm{GeV^2}$ で

$$ G_E = \frac{1}{(1+1/0.71)^2} = \frac{1}{(1+1.40845)^2} = \frac{1}{(2.40845)^2} = \frac{1}{5.8006} = 0.1724 $$

比を取ると $0.1724/0.0488=3.53$ である.すなわちGauss 型のほうが $3.5$ 倍速く落ちる.

この比較は $b$ の取り方にほとんど依存しない.たとえば双極子形と同じ二乗平均半径 $0.811$ fm を Gauss 型に与えると $b=0.811/\sqrt3=0.4682$ fm,$qb=2.3728$,$F=\ee^{-2.8152}=0.0599$ となり,それでも双極子形の $0.172$ の $1/2.9$ にすぎない.結論は頑健である.

(4) 実測の $G_E$ は $Q^2\lesssim1\ \mathrm{GeV^2}$ で双極子形によく乗るのだから,陽子の電荷分布は指数関数型 $\rho\propto\ee^{-r/a}$ に近い.本書11章 11.2.3 項で見たとおり,指数関数型の Fourier 変換がちょうど双極子形 $1/(1+q^2a^2)^2$ になるからである.

「裾」について何が言えるか.大きい $q$ での落ち方は,実空間で原点から遠いところの密度がどうなっているかを写している.

運動量空間で冪的にしか落ちないことと,実空間で長い裾を引くことは同じ事実の裏表である($\rho$ が $r=0$ で尖った非解析的な形をしていることが,$F$ の冪的な裾を生む).陽子は「半径 $0.84$ fm の球」ではなく,中心が濃く外に向かって滑らかに薄れていく,縁のない雲だということである.

検算.3つの独立な確認を行う.(i) 極限:$q\to0$ で $F\to1$(全電荷 $1$)であり,どちらの形状因子も満たしている.(ii) 次元:$qb$ は(運動量)$\times$(長さ)$=$ 無次元で,指数の肩に乗せられる.$q=1\ \mathrm{GeV}/c$ を $5.07\ \mathrm{fm^{-1}}$ に直す換算も,$\hbar c=197\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使った標準的な変換である.(iii) 既知の値との照合:(2) で得た $b=0.485$ fm を使って小さい $Q^2$ での傾きを比べると,Gauss 型は $\dd F/\dd Q^2|_0=-b^2/2=-0.1176\ \mathrm{fm^2}$,双極子形は $-2/\Lambda_D^2=-2/0.71\ \mathrm{GeV^{-2}}=-2.817\ \mathrm{GeV^{-2}}=-2.817\times0.03894\ \mathrm{fm^2}=-0.1097\ \mathrm{fm^2}$ で,$7\%$ しか違わない(この $7\%$ は分布の形の違いではなく,Gauss 型に $0.84$ fm,双極子形に $0.811$ fm と異なる半径を与えたことによる.$Q^2\to0$ の傾きは $-\braket{r^2}/6$ で,形によらず半径だけで決まり,実際 $(0.84/0.811)^2=1.07$ である).すなわち両者は $Q^2\to0$ ではほとんど区別できず,$Q^2\sim1\ \mathrm{GeV^2}$ で $3.5$ 倍もの差がつく.半径だけを測っても分布の形は決まらず,高い $Q^2$ まで測って初めて形が決まる——これは形状因子測定の本質そのものである.

意味.この問題は,材料科学者にとって最も身近な素粒子の問題かもしれない.量子化学では,原子軌道の正しい漸近形が Slater 型 $\ee^{-\zeta r}$ であることが知られている(Coulomb ポテンシャル中の束縛状態の解がそうなる).しかし2電子積分の計算が容易だという理由から,実際の計算には Gauss 型基底 $\ee^{-\alpha r^2}$ が使われる.そこで STO-3G のように複数の Gauss 関数を縮約して Slater 型の長い裾を再現するという工夫が必要になる.いま我々が (3) で見たのは,まさにその「Gauss 型では裾が足りない」という事実を,陽子という別の系で数値化したものである.同じことは X 線回折の原子形状因子でも起こり,高角(大きい $q$)の反射強度が,内殻電子の鋭い分布——実空間の尖り——を反映して,予想より遅くしか落ちない.「実空間の尖り」と「逆空間の長い裾」の対応は,Fourier 変換をもつすべての分野に共通する普遍的な事実である.

演習11.6 Cornell ポテンシャルとひもの切断

問題(再掲)

$V(r)=-\dfrac{4\alpha_s}{3r}+\sigma r$,$\sigma=0.18\ \mathrm{GeV^2}$,$\alpha_s=0.3$ とする.

(1) $\sigma$ を GeV/fm および N(ニュートン)の単位に直せ.また,何 kg の物体にかかる重力に相当するか.

(2) Coulomb 項と閉じ込め項の大きさが等しくなる距離 $r_0$ を求めよ.

(3) 構成子クォークの質量を $m_q\approx330$ MeV とする.ひもに蓄えられたエネルギー $\sigma r$ が $2m_q$ に達してひもが切れるとすると,切断距離はいくらか.

(4) (2) と (3) の結果から,ハドロンの内部($r\lesssim0.3$ fm)と外部($r\gtrsim0.7$ fm)でそれぞれどちらの項が物理を支配しているか論じよ.

解答

方針.すべて自然単位系と SI の換算に帰着する.$\hbar c=0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}$ と $1\ \mathrm{GeV}=1.602\times10^{-10}$ J の2つだけを使う.$\sigma$ は $[\mathrm{GeV^2}]$ すなわち(エネルギー)$^2$ の次元をもつが,自然単位では(エネルギー)$/$(長さ)$=$(エネルギー)$^2$ なので,これは力の次元である.

(1) まず GeV/fm に直す.$1\ \mathrm{GeV}=1/(0.197327\ \mathrm{fm})=5.0677\ \mathrm{fm^{-1}}$ なので

$$ \sigma = 0.18\ \mathrm{GeV^2} = 0.18\ \mathrm{GeV}\times5.0677\ \mathrm{fm^{-1}} = 0.9122\ \mathrm{GeV/fm} $$

(同じことだが $\sigma=0.18/0.197327=0.912$ GeV/fm と割り算で書いてもよい.)次に SI に直す.$1\ \mathrm{GeV}=1.602177\times10^{-10}$ J,$1\ \mathrm{fm}=10^{-15}$ m だから

$$ \sigma = 0.9122\times\frac{1.602177\times10^{-10}\ \mathrm{J}}{10^{-15}\ \mathrm{m}} = 0.9122\times1.602177\times10^{5}\ \mathrm{N} = 1.461\times10^{5}\ \mathrm{N} $$

これを重力加速度 $g=9.807\ \mathrm{m/s^2}$ で割れば,同じ力を出す物体の質量が出る:

$$ m = \frac{1.461\times10^{5}\ \mathrm{N}}{9.807\ \mathrm{m/s^2}} = 1.490\times10^{4}\ \mathrm{kg} \approx 15\ \text{トン} $$

約 $1.5\times10^4$ kg,すなわち15 トンの物体を吊り下げる力である.しかもこれは距離によらない一定の力である($F=-\dd V/\dd r$ の閉じ込め部分は $-\sigma$ で $r$ に依存しない).大型トラック1台を,$10^{-15}$ m の世界の2粒子が常時吊り上げていることになる.

(2) 2項の大きさが等しくなる条件は

$$ \frac{4\alpha_s}{3r_0} = \sigma r_0 \quad\Longrightarrow\quad r_0^2 = \frac{4\alpha_s}{3\sigma} $$

数値を入れる.自然単位系で $\alpha_s=0.3$,$\sigma=0.18\ \mathrm{GeV^2}$ だから

$$ r_0^2 = \frac{4\times0.3}{3\times0.18} = \frac{1.2}{0.54} = 2.2222\ \mathrm{GeV^{-2}} \quad\Longrightarrow\quad r_0 = 1.4907\ \mathrm{GeV^{-1}} $$

これを fm に直す:

$$ r_0 = 1.4907\ \mathrm{GeV^{-1}}\times0.197327\ \mathrm{GeV\,fm} = 0.2942\ \mathrm{fm} $$

約 $0.29$ fm である.この点ではポテンシャルの値そのものが

$$ V(r_0) = -\frac{4\alpha_s}{3r_0}+\sigma r_0 = -\sigma r_0 + \sigma r_0 = 0 $$

となり,$V$ が符号を変える点でもある($r<r_0$ で $V<0$,$r>r_0$ で $V>0$).なお力についても同じ $r_0$ が境目になる:Coulomb 力の大きさ $4\alpha_s/(3r^2)$ と閉じ込め力 $\sigma$ が等しくなるのは $r^2=4\alpha_s/(3\sigma)=r_0^2$ のときである.ポテンシャルの拮抗点と力の拮抗点が一致するのは,$1/r$ と $r$ という組合せに特有の偶然である.

(3) 条件は $\sigma r = 2m_q = 2\times0.330\ \mathrm{GeV} = 0.66$ GeV である.GeV/fm に直した $\sigma$ を使うと

$$ r = \frac{0.66\ \mathrm{GeV}}{0.9122\ \mathrm{GeV/fm}} = 0.7235\ \mathrm{fm} $$

自然単位のまま計算しても同じである:$r=0.66/0.18=3.6667\ \mathrm{GeV^{-1}}=3.6667\times0.197327=0.7235$ fm.約 $0.72$ fm でひもが切れる.

格子 QCD による string breaking の距離は $1.2$–$1.3$ fm とやや大きい.差の理由は,切断に必要なエネルギーが「構成子クォーク質量 $2\times330$ MeV」ではなく,実際には2個の重–軽中間子を作るのに必要なエネルギーだからである.$r=1.25$ fm に対応するエネルギーは $\sigma r=0.912\times1.25=1.14$ GeV,すなわち片側 $570$ MeV であり,軽クォーク1個が重–軽中間子の質量に寄与する分(構成子質量に束縛エネルギーと運動エネルギーを合わせた分)として妥当な大きさである.要するに構成子クォーク模型の $330$ MeV は,切断の閾値としては過小評価である.

(4) 得られた2つの距離を並べる.$r_0=0.29$ fm,切断距離 $0.72$ fm(格子では $1.2$ fm)である.

そして重要なのは,この2つの領域の境目($0.3$–$0.7$ fm)がちょうどハドロンの大きさだということである.陽子の電荷半径 $0.84$ fm はこの帯のすぐ外側にあり,軽いハドロンは「摂動論と非摂動論の境目そのもの」に住んでいることになる.軽いハドロンの性質を第一原理で計算するのが難しいのは,まさにこの位置取りのためである.

検算.(i) 次元:$\sigma$ は $\mathrm{GeV^2}$,$r$ は $\mathrm{GeV^{-1}}$ なので $\sigma r$ は GeV(エネルギー)であり,$2m_q$ と比較できる.$4\alpha_s/(3r)$ も $\mathrm{GeV}$ になり,2項が同じ次元をもつことが確認できる.(ii) 独立な換算経路との一致:(3) を「GeV/fm を経由する道」と「自然単位のまま $\mathrm{GeV^{-1}}$ で計算して最後に fm に直す道」の2通りで計算し,どちらも $0.7235$ fm を得た.換算係数の使い方に誤りがないことの確認になる.(iii) 既知の値との照合:本書11章 11.5.1 項が与える $\sigma\approx0.91$ GeV/fm $\approx1.46\times10^5$ N $\approx15$ トン重と,本問 (1) の $0.9122$ GeV/fm,$1.461\times10^5$ N,$1.49\times10^4$ kg は完全に一致する.また $r_0=0.294$ fm は,$1$ fm を分解するのに $197$ MeV$/c$ が要るという 11.2.3 項の議論から $0.3$ fm には $660$ MeV$/c$ が要ることになり,チャーモニウム分光の典型的な運動量スケールと整合する.

意味.15 トンという数字の異様さが,QCD の本質を言い当てている.電磁気力では,電荷を引き離すほど力は弱くなり,最後には自由な電子とイオンに分かれる.QCD ではそうならず,引き離すのに要するエネルギーが際限なく増え,やがて真空から新しい対が生まれる.この「引っ張ると場のエネルギーが線形に増え,ある閾値で新しい欠陥が生まれて緩和する」という描像は,材料科学のいくつかの現象と骨格を共有している.結晶の塑性変形では,応力が臨界値に達すると Frank–Read 源から転位が次々に生成されて応力が緩和する.第II種超伝導体に磁場を掛けると,ある臨界磁場で量子化磁束線が侵入して磁場を「切る」.強い電場中の真空では Schwinger 対生成が起こる.いずれも「エネルギーを溜め込む細い管」と「閾値での欠陥生成による緩和」という2要素の組合せである.実際,閉じ込めの有力な描像は双対超伝導体模型——磁気単極子が凝縮した真空における色電場の Meissner 効果——であり,QCD のひもと第II種超伝導体の磁束量子は,比喩ではなく同じ数学で記述される.

演習11.7 $\Lambda_{\rm QCD}$ と Kondo 温度の対応

問題(再掲)

本書11章の $k_BT_K=D_0\exp[-1/(2\rho J_0)]$ と $\Lambda_{\rm QCD}=\mu\exp[-2\pi/(\beta_0\alpha_s(\mu))]$ の2つの表式を比べる.

(1) 指数の肩を等置することで,QCD の $\alpha_s$ に対応する Kondo 問題の無次元結合を求めよ($\beta_0$ を含む形で書け).

(2) $\beta_0=9$($n_f=3$)として,$\rho J=0.1$ に対応する $\alpha_s$ を数値で求めよ.

(3) $\alpha_s(m_Z)=0.118\pm0.001$ のとき,$\Lambda^{(5)}$ の相対不定性 $\delta\Lambda/\Lambda$ を求めよ.$\alpha_s$ の $1\%$ の不定性が $\Lambda$ の何 % になるか.

(4) (3) の結果は,$T_K$ や $\Delta_{\rm BCS}$ を第一原理計算で予言することの難しさについて何を示唆するか.

解答

方針.両者は $(\text{切断スケール})\times\ee^{-1/(\text{結合})}$ という同じ骨格をもつ.(1)(2) は指数の肩を等置する代数だけ,(3) は指数関数の対数微分(誤差伝播)である.誤差伝播では,$\Lambda=\mu\,\ee^{-c/\alpha_s}$ の形から $\ln\Lambda$ を $\alpha_s$ で微分するのが最短である.

(1) 2つの指数の肩を等置する:

$$ \frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s} = \frac{1}{2\rho J} $$

これを $\alpha_s$ について解けば

$$ \alpha_s = \frac{4\pi\,\rho J}{\beta_0} \qquad\text{あるいは逆に}\qquad \rho J = \frac{\beta_0\,\alpha_s}{4\pi} $$

である.逆向きの形 $\rho J=\beta_0\alpha_s/(4\pi)$ が示唆的である.本書11章のくりこみ群方程式

$$ \frac{\dd\alpha_s}{\dd\ln Q^2} = -\frac{\beta_0}{4\pi}\alpha_s^2, \qquad \frac{\dd J}{\dd\ln D} = -2\rho J^2 $$

を見比べると,QCD 側の「有効結合」は $\alpha_s$ そのものではなく $\beta_0\alpha_s/(4\pi)$ という組合せであり,Kondo 側の $\rho J$ とちょうど対応することが分かる.すなわち$\beta_0/4\pi$ は,$\alpha_s$ を「RG の自然な単位」に直す換算係数である.表11.7 で Kondo 側の無次元結合を $2\rho J$ と書いたのは,Kondo 側の RG が $\ln D$($\ln D^2$ ではなく)で書かれているための $2$ の違いを吸収した表記である.

(2) $\beta_0=9$,$\rho J=0.1$ を代入する:

$$ \alpha_s = \frac{4\pi\times0.1}{9} = \frac{12.5664\times0.1}{9} = \frac{1.25664}{9} = 0.1396 $$

約 $0.14$ である.これは偶然にも $\alpha_s(30\ \mathrm{GeV})=0.14$(演習11.1 で使った値)とほぼ等しい.物性で「典型的」とされる $\rho J\approx0.1$ の Kondo 系は,QCD で言えば $\sqrt{s}\sim30$ GeV の $e^+e^-$ 衝突と同じくらいの結合の強さで走っていることになる.結合の強さという意味では,希薄磁性合金と PETRA のエネルギー領域は同じ世界にいる.

逆向きの対応も見ておく.$\rho J=\beta_0\alpha_s/(4\pi)$ に $n_f=5$($\beta_0=23/3$)と $\alpha_s(m_Z)=0.118$ を入れると

$$ \rho J = \frac{7.6667\times0.118}{12.5664} = \frac{0.904667}{12.5664} = 0.0720 $$

すなわち $m_Z$ での QCD は $\rho J\approx0.072$ の Kondo 系に相当する.$\rho J=0.1$ より弱く,「まだ十分に摂動的」という感覚と合う.

この対応は,生成されるスケールの比まで含めて一致する.指数の肩は両者で共通に $1/(2\rho J)$ だから,切断スケールと生成スケールの比は

$$ \frac{\mu}{\Lambda} = \frac{D_0}{k_BT_K} = \ee^{1/2\rho J} $$

である.$\rho J=0.1$ なら $\ee^{5}=148.4$,$\rho J=0.0720$ なら $\ee^{6.945}=1038$ である.後者はまさに演習11.3 (2) で得た $m_Z/\Lambda^{(5)}=91.188/0.08783=1038$ にほかならない(指数の肩 $1/(2\rho J)=1/0.14398=6.945$ が,あちらの $2\pi/(\beta_0\alpha_s)=6.945$ と同じ数だからである).前者を Kondo 側で読むと,バンド幅 $D_0=5$ eV に対して $k_BT_K=5\,\ee^{-5}=5/148.4=0.0337$ eV,すなわち $T_K=0.0337/(8.617\times10^{-5})=391$ K となる.$\rho J=0.1$ という「典型値」が数百 K の Kondo 温度を与えるという本書11章 11.7.1 項の見積りが,同じ1本の式から再現された.

(3) $\Lambda=\mu\,\ee^{-2\pi/(\beta_0\alpha_s)}$ の対数を取ると

$$ \ln\Lambda = \ln\mu - \frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s} $$

$\alpha_s$ で微分すれば

$$ \frac{\dd\ln\Lambda}{\dd\alpha_s} = +\frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s^2} \quad\Longrightarrow\quad \frac{\delta\Lambda}{\Lambda} = \frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s^2}\,\delta\alpha_s $$

$n_f=5$ なので $\beta_0=23/3=7.6667$,$\alpha_s=0.118$,$\delta\alpha_s=0.001$ を入れる.まず $\alpha_s^2=0.013924$,$\beta_0\alpha_s^2=7.6667\times0.013924=0.106751$ だから

$$ \frac{\delta\Lambda}{\Lambda} = \frac{6.28319}{0.106751}\times0.001 = 58.86\times0.001 = 0.0589 $$

すなわち $\delta\alpha_s=0.001$(相対誤差 $0.85\%$)に対して $\Lambda$ の相対誤差は $5.9\%$ である.$\alpha_s$ の不定性が $1\%$,すなわち $\delta\alpha_s=0.01\times0.118=0.00118$ なら

$$ \frac{\delta\Lambda}{\Lambda} = 58.86\times0.00118 = 0.0695 = 6.9\ \% $$

約 $7\%$ である.つまり不定性は約7倍に拡大される.

この「7倍」には明快な意味がある.上の式を相対誤差どうしの関係に書き直すと

$$ \frac{\delta\Lambda}{\Lambda} = \frac{2\pi}{\beta_0\alpha_s}\cdot\frac{\delta\alpha_s}{\alpha_s} $$

となり,拡大率は指数の肩そのもの $L\equiv2\pi/(\beta_0\alpha_s)$ である.そして $\Lambda=\mu\ee^{-L}$ だったから $L=\ln(\mu/\Lambda)$,すなわち

$$ \frac{\delta\Lambda}{\Lambda} = \ln\!\left(\frac{\mu}{\Lambda}\right)\cdot\frac{\delta\alpha_s}{\alpha_s} $$

である.実際 $\ln(91.188/0.0878)=\ln(1038.6)=6.945$ で,演習11.3 (2) で計算した指数の肩 $6.945$ と一致する.拡大率は「基準点とスケールの隔たりの対数」である.$m_Z$ から $\Lambda$ まで3桁近く外挿するのだから,7倍の拡大は避けられない.

(4) 同じ構造が $T_K$ と $\Delta_{\rm BCS}$ にもそのまま成り立つ.BCS で見よう.$\Delta=2\hbar\omega_D\,\ee^{-1/N(0)V}$ の対数微分は

$$ \frac{\delta\Delta}{\Delta} = \frac{1}{N(0)V}\cdot\frac{\delta[N(0)V]}{N(0)V} $$

で,拡大率は $1/N(0)V=\ln(2\hbar\omega_D/\Delta)$ である.具体例として $\hbar\omega_D=30$ meV,$N(0)V=0.30$ とすると

$$ \Delta = 2\times30\times\ee^{-1/0.30} = 60\times0.03567 = 2.14\ \mathrm{meV} $$

ここで $N(0)V$ が $10\%$ 大きく $0.33$ だったとすると

$$ \Delta = 60\times\ee^{-1/0.33} = 60\times0.04830 = 2.90\ \mathrm{meV} $$

すなわち $\Delta$ は $35\%$ も増える.拡大率は $35/10=3.5$ で,$1/N(0)V=3.3$ とよく合う.Kondo 温度についても同様で,本書11章 11.7.1 項の例で $\rho J_0$ を $0.1$ から $0.066$ に変える($34\%$ の変更)だけで $T_K$ が $390$ K から $30$ K へ1桁以上動いたのは,まさにこの拡大の現れである.

示唆されることは明快である.DFT で電子–フォノン結合定数 $\lambda\sim N(0)V$ を数 % の精度で計算できたとしても,$T_c$ の予言精度は数十 % にとどまる.逆に言えば,$T_c$ を $10\%$ の精度で当てたければ結合定数を $3\%$ 以下の精度で出さねばならず,これは交換相関汎関数・擬ポテンシャル・異方性・非調和性の扱いを考えれば極めて厳しい要求である.超伝導転移温度の第一原理予言が長らく難問であり続けている本質的な理由がここにある.同じ理由で,素粒子側では $\alpha_s$ の測定精度を上げること自体が $\Lambda_{\rm QCD}$ を絞り込むための最重要課題になっている.なお $T_c$ の絶対値ではなく,同型物質間の $T_c$ の比や,圧力に対する変化の向きを予言するほうがはるかに信頼できるのは,同じ汎関数・同じ擬ポテンシャルで計算した 2 物質では $\lambda$ の系統誤差が同じ向きに入り,比を取るとその部分が相殺するからである.$\delta\ln(T_{c1}/T_{c2})=\delta\lambda_1/\lambda_1^2-\delta\lambda_2/\lambda_2^2$ なので,統計的に独立な誤差はむしろ足し合わさることに注意したい.相殺が働くのは誤差が強く相関している場合に限られる.これは実務上きわめて有用な逃げ道である.

検算.3通りで確かめる.(i) 次元:$\rho J$ は(状態密度)$\times$(エネルギー)$=$ 無次元,$\alpha_s$ も無次元なので (1) の等式は無次元どうしの関係であり整合する.$\delta\Lambda/\Lambda$ と $\delta\alpha_s/\alpha_s$ も無次元で,(3) の関係は無次元どうしを結んでいる.(ii) 差分による直接確認:$\Lambda(\alpha_s)=91.188\,\ee^{-2\pi/(7.6667\alpha_s)}$ を $\alpha_s=0.119$ で評価すると指数の肩は $6.8869$,$\Lambda=91.188\times\ee^{-6.8869}=0.09310$ GeV となり,$\alpha_s=0.118$ の $0.08783$ GeV に対して $(0.09310-0.08783)/0.08783=6.0\%$ の増加である.微分による見積り $5.9\%$ と一致する(差は2次の効果).(iii) 独立な経路:拡大率を $\ln(\mu/\Lambda)$ から求めると $\ln(91.188/0.08783)=6.945$,これに $\delta\alpha_s/\alpha_s=0.001/0.118=0.008475$ を掛けて $0.0589$ となり,微分公式の結果と一致する.

意味.指数関数の肩に結合定数の逆数が乗る——この一点が,くりこみ群で生成されるスケールのすべての性格を決めている.第一に,この形は結合定数 $g=0$ のまわりで非解析的であり,Taylor 展開できない.したがって何次まで摂動論を進めても $\Lambda_{\rm QCD}$ も $T_K$ も $\Delta_{\rm BCS}$ も出てこない.第二に,非解析性の代償として,結合定数の小さな誤差がスケールの大きな誤差に拡大される.$\Lambda_{\rm QCD}$,$T_K$,$\Delta_{\rm BCS}$ の3つが同じ骨格をもつということは,素粒子物理で $\alpha_s$ を精密に測る努力と,物性で電子–フォノン結合や交換相互作用を精密に計算する努力とが,まったく同じ数理的必然に駆られているということである.Wilson が Kondo 問題の数値くりこみ群と格子ゲージ理論を同じ時期に作ったのは,偶然ではなかった.材料科学者が超伝導体を設計するときに感じる「あと一歩の精度が届かない」もどかしさは,加速器物理学者が $\Lambda_{\rm QCD}$ を絞り込むときに感じるものと,文字どおり同じ式から来ている.

E.12 第12章 弱い相互作用 の解答

演習12.1 $G_F$ の数値確認と弱い力の到達距離

問題(再掲)

$G_F = 1.1663788\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$,$m_W=80.377\ \mathrm{GeV}$,$m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$,$\alpha=1/137.036$,$\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を使え.

(1) $G_F/\sqrt2 = g_w^2/(8m_W^2)$ から $g_w$ を求め,$\alpha_w = g_w^2/4\pi$ を「$1/N$」の形で表せ.

(2) $g_w/e$ を求めよ($e=\sqrt{4\pi\alpha}$).「弱い相互作用」という名前が結合の強さについて誤称であることを説明せよ.

(3) 弱い力の到達距離 $R_W = \hbar c/(m_Wc^2)$ を fm 単位で求めよ.陽子半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ の何分の1か.

(4) 核子間距離 $r=0.5\ \mathrm{fm}$ における弱い力と電磁気力の比 $(\alpha_w/\alpha)\ee^{-m_Wr}$ を求めよ.

(5) $Z$ ボソンについても同じ関係 $G_F/\sqrt2 = g_z^2/(8m_Z^2)$ が成り立つことを,$g_z=g_w/\cos\theta_W$ と $m_Z = m_W/\cos\theta_W$ を使って示せ.$\sin^2\theta_W=0.2312$ を使って数値で確かめよ.

解答

方針.本書12.1.3 節で導いた Fermi 定数の定義 $G_F/\sqrt2 = g_w^2/(8m_W^2)$ を $g_w$ について解き,Yukawa の到達距離 $R = \hbar/(mc) = 1/m$(本書3.1.3 項)と組み合わせるだけである.自然単位系($\hbar=c=1$)で計算し,長さに直すときだけ $\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を掛ける.

(1) 定義式を $g_w^2$ について解くと

$$ g_w^2 = \frac{8m_W^2\,G_F}{\sqrt2} $$

である.順に代入する.まず

$$ m_W^2 = (80.377)^2 = 6460.462\ \mathrm{GeV^2}, \qquad 8m_W^2 = 51683.70\ \mathrm{GeV^2} $$

これに $G_F$ を掛けて

$$ 8m_W^2G_F = 51683.70\times1.1663788\times10^{-5} = 0.6028277 $$

($\mathrm{GeV^2}\times\mathrm{GeV^{-2}}$ なので無次元である.結合定数が無次元になることの確認になっている.)$\sqrt2 = 1.4142136$ で割って

$$ g_w^2 = \frac{0.6028277}{1.4142136} = 0.4262635, \qquad g_w = 0.652889 $$

微細構造定数に対応する量は

$$ \alpha_w = \frac{g_w^2}{4\pi} = \frac{0.4262635}{12.566371} = 0.0339210 = \frac{1}{29.48} $$

すなわち $\alpha_w = 1/29.5$ である.

(2) 電磁結合は

$$ e = \sqrt{4\pi\alpha} = \sqrt{\frac{12.566371}{137.036}} = \sqrt{0.0916999} = 0.302822 $$

したがって

$$ \frac{g_w}{e} = \frac{0.652889}{0.302822} = 2.1560, \qquad \frac{\alpha_w}{\alpha} = \frac{g_w^2}{e^2} = \frac{0.4262635}{0.0916999} = 4.6484 $$

弱い相互作用の結合定数は電磁相互作用のそれの $2.16$ 倍,結合の強さ(結合定数の2乗)にして $4.65$ 倍である.すなわち,2つの相互作用のうち「弱い」のは電磁相互作用のほうである.「弱い相互作用」という名前は,1930 年代に $\beta$ 崩壊の遅さから付けられたものであって,結合定数の大きさを反映していない.遅さの原因は結合ではなく,(3) で見る到達距離の短さである.

(3) Yukawa の到達距離は

$$ R_W = \frac{\hbar c}{m_Wc^2} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{80377\ \mathrm{MeV}} = 2.4550\times10^{-3}\ \mathrm{fm} = 2.4550\times10^{-18}\ \mathrm{m} $$

陽子半径との比は

$$ \frac{0.84\ \mathrm{fm}}{2.4550\times10^{-3}\ \mathrm{fm}} = 342.2 $$

すなわち陽子半径の $1/342$ である.

(4) まず指数の中身を評価する.

$$ m_Wr = \frac{r}{R_W} = \frac{0.5}{2.4550\times10^{-3}} = 203.66 $$

常用対数に直すと

$$ \log_{10}\ee^{-203.66} = -\frac{203.66}{\ln10} = -\frac{203.66}{2.302585} = -88.448 $$

したがって $\ee^{-203.66} = 10^{0.552}\times10^{-89} = 3.56\times10^{-89}$.比は

$$ \frac{\alpha_w}{\alpha}\ee^{-m_Wr} = 4.6484\times3.56\times10^{-89} = 1.66\times10^{-88} $$

結合定数では $4.6$ 倍勝っているのに,指数因子が $10^{-89}$ を掛けてしまう.核子が触れ合う距離ですら,弱い力は電磁気力の $10^{-88}$ 倍でしかない.

(5) まず恒等式として示す.$g_z = g_w/\cos\theta_W$ と $m_Z = m_W/\cos\theta_W$ を代入すると

$$ \frac{g_z^2}{8m_Z^2} = \frac{g_w^2/\cos^2\theta_W}{8m_W^2/\cos^2\theta_W} = \frac{g_w^2}{8m_W^2} = \frac{G_F}{\sqrt2} $$

すなわち $\cos^2\theta_W$ が分子分母で完全に相殺し,$Z$ で書いても $W$ で書いても同じ $G_F$ が出る.これは偶然ではなく,本書12.7 節で見たように $g_z$ と $m_Z$ が同じ $\cos\theta_W$ で定義されていること,すなわち $\rho$ パラメータが $1$ であることの言い換えである.

数値で確かめる.$\sin^2\theta_W = 0.2312$ より

$$ \cos\theta_W = \sqrt{1-0.2312} = \sqrt{0.7688} = 0.876812 $$ $$ g_z = \frac{0.652889}{0.876812} = 0.744616, \qquad g_z^2 = 0.554453 $$ $$ m_Z^2 = (91.188)^2 = 8315.25\ \mathrm{GeV^2}, \qquad 8m_Z^2 = 66522.0\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ \frac{g_z^2}{8m_Z^2} = \frac{0.554453}{66522.0} = 8.3349\times10^{-6}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$

一方

$$ \frac{G_F}{\sqrt2} = \frac{1.1663788\times10^{-5}}{1.4142136} = 8.2475\times10^{-6}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$

比は $8.3349/8.2475 = 1.0106$,すなわち $1.1\ \%$ の差である.恒等式として厳密に成り立つはずのものが $1.1\ \%$ ずれるのは,$\sin^2\theta_W$ の定義の違いによる.与えられた $\sin^2\theta_W = 0.2312$ は $\overline{\rm MS}$ 流の値であり,$m_Z = m_W/\cos\theta_W$ を厳密に満たすオンシェル値は

$$ \sin^2\theta_W^{\rm on\text{-}shell} = 1-\frac{m_W^2}{m_Z^2} = 1-\frac{6460.46}{8315.25} = 0.22306 $$

である.実際 $\overline{\rm MS}$ 値を使うと $m_W/\cos\theta_W = 80.377/0.876812 = 91.67\ \mathrm{GeV}$ となり,実測 $91.188\ \mathrm{GeV}$ より $0.53\ \%$ 大きい.その2乗が $1.1\ \%$ である.

検算.(1) の $g_w$ を,まったく別の関係式である本書12.7 節の $g_w = e/\sin\theta_W$ で出し直してみる.$e = 0.302822$,$\sin\theta_W = \sqrt{0.2312} = 0.480833$ より $g_w = 0.302822/0.480833 = 0.62978$.(1) の $0.652889$ に対して $3.5\ \%$ 小さい.これは計算間違いではなく,本書12.1.4 節の注意に述べたとおり,$\alpha$ の走り($\hat\alpha(m_Z)=1/127.95$,$\overline{\rm MS}$.第10章 10.6.4 項参照)と1ループ輻射補正 $\Delta r\approx0.036$ を入れていないためである.樹木レベルの式で $3\ \%$ の一致は想定どおりであり,$g_w$ の桁と大小関係($g_w > e$)は動かない.また (1) の途中で $8m_W^2G_F$ が無次元になったことは,$G_F$ が $\mathrm{GeV^{-2}}$ をもち $g_w$ が無次元であるという次元勘定と整合している.

意味.この問題の全体が,「弱い相互作用は弱くない,短距離なだけである」という本章の主題そのものである.(2) が結合の強さ,(3) と (4) が到達距離であり,(4) の $10^{-88}$ という数字はすべて指数因子から来ている.結合定数は $4.6$ 倍勝っているのに,$\ee^{-r/R_W}$ が $10^{-89}$ 倍にしてしまう.同じことは物性物理でも起きる.金属中の Coulomb 相互作用は Thomas–Fermi 遮蔽によって $\ee^{-k_{\rm TF}r}/r$ になり(本書12.8.5 節),$1/k_{\rm TF}\sim0.6\ \mathrm{\AA}$ より遠くではほとんど効かなくなる.素の結合($e^2$)はまったく変わっていないのに,遮蔽の指数因子だけで「弱い相互作用」に化けるのである.どちらの場合も,強さを決めているのは結合定数ではなくスケールである.(5) の $1.1\ \%$ のずれは,精密検証では「どの定義の $\sin^2\theta_W$ か」を明示しなければならないという実務的な教訓でもある.

演習12.2 ミュー粒子の寿命と Michel スペクトル

問題(再掲)

$m_\mu = 105.6584\ \mathrm{MeV}$,$m_\tau = 1776.86\ \mathrm{MeV}$,$\hbar = 6.582120\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}$.

(1) $\Gamma=G_F^2m_\mu^5/(192\pi^3)$ を数値で評価し,寿命を $\mu\mathrm{s}$ 単位で求めよ.

(2) Michel スペクトル $\dd\Gamma/\dd x = \Gamma\cdot2x^2(3-2x)$ が規格化されていることを確かめ,$\braket{x}$ と平均電子エネルギーを求めよ.

(3) 電子のエネルギーが最大値の $90\ \%$ 以上($x>0.9$)になる確率を求めよ.

(4) 本書12.2.6 節のスピン非対称性の式($\Gamma^{-1}\dd^2\Gamma/\dd x\,\dd\cos\theta = x^2[(3-2x)+P_\mu\cos\theta(1-2x)]$)を使い,完全偏極 $P_\mu=1$ のときの $\braket{\cos\theta}$ を求めよ.

(5) $\tau$ 粒子の寿命を,$G_F$ を使わずに $\tau_\tau = B_e(m_\mu/m_\tau)^5\tau_\mu$ から求めよ($B_e = 0.1782$,$\tau_\mu = 2.19698\ \mu\mathrm{s}$).実測 $290.3\ \mathrm{fs}$ と比べよ.

解答

方針.(1) は本書12.2.3 節で導いた $\Gamma = G_F^2m_\mu^5/(192\pi^3)$ への代入,(2)(3)(4) は Michel スペクトルの初等的な多項式積分,(5) は $m^5$ 則の比だけを使う計算である.自然単位系で $\Gamma$ は $\mathrm{GeV}$ の次元をもつので,秒に直すときに $\hbar$ で割る.

(1) $m_\mu = 0.1056584\ \mathrm{GeV}$ の5乗を段階的に作る.

$$ m_\mu^2 = 0.011163698,\qquad m_\mu^4 = (0.011163698)^2 = 1.2462814\times10^{-4} $$ $$ m_\mu^5 = 1.2462814\times10^{-4}\times0.1056584 = 1.3168010\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^5} $$

また

$$ G_F^2 = (1.1663788\times10^{-5})^2 = 1.3604395\times10^{-10}\ \mathrm{GeV^{-4}} $$ $$ 192\pi^3 = 192\times31.006277 = 5953.205 $$

したがって

$$ \Gamma = \frac{1.3604395\times10^{-10}\times1.3168010\times10^{-5}}{5953.205} = \frac{1.7914281\times10^{-15}}{5953.205} = 3.009183\times10^{-19}\ \mathrm{GeV} $$

寿命は

$$ \tau_\mu = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582120\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}}{3.009183\times10^{-19}\ \mathrm{GeV}} = 2.18734\times10^{-6}\ \mathrm{s} = 2.1873\ \mu\mathrm{s} $$

実測 $2.196981\ \mu\mathrm{s}$ に対して $0.44\ \%$ 小さい.本書12.2.4 節のとおり,電子質量による位相空間補正($-0.019\ \%$)と QED 輻射補正($-0.420\ \%$)を入れると $2.19699\ \mu\mathrm{s}$ となり,6桁で一致する.

(2) 規格化を確かめる.

$$ \int_0^1 2x^2(3-2x)\,\dd x = \int_0^1\left(6x^2-4x^3\right)\dd x = \left[2x^3-x^4\right]_0^1 = 2-1 = 1 $$

たしかに $1$ である.平均値は

$$ \braket{x} = \int_0^1 x\cdot2x^2(3-2x)\,\dd x = \int_0^1\left(6x^3-4x^4\right)\dd x = \left[\frac{6}{4}x^4-\frac{4}{5}x^5\right]_0^1 = \frac32-\frac45 = \frac{7}{10} = 0.700 $$

電子のエネルギーは $E' = xm_\mu/2$ だから

$$ \braket{E'} = \frac{\braket{x}}{2}m_\mu = 0.35\times105.6584\ \mathrm{MeV} = 36.98\ \mathrm{MeV} $$

端点は $E'_{\max} = m_\mu/2 = 52.83\ \mathrm{MeV}$ である.

(3) 上の不定積分をそのまま使う.

$$ P(x>0.9) = \int_{0.9}^{1}\left(6x^2-4x^3\right)\dd x = \left[2x^3-x^4\right]_{0.9}^{1} $$

上端は $2-1 = 1$.下端は

$$ 2\times0.729 - 0.6561 = 1.458-0.6561 = 0.8019 $$

よって

$$ P(x>0.9) = 1 - 0.8019 = 0.1981 = 19.8\ \% $$

$x$ の幅としてはわずか $10\ \%$ の区間に,全体の $20\ \%$ の電子が入っている.一様分布なら $10\ \%$ であるから,端点付近に $2$ 倍の密度で集中していることになる.

(4) 定義どおり計算する.$c\equiv\cos\theta$ と書く.分子は

$$ \int_0^1\!\dd x\int_{-1}^{1}\!\dd c\;c\,x^2\left[(3-2x)+P_\mu c(1-2x)\right] $$

である.$\int_{-1}^1 c\,\dd c = 0$ なので第1項は消え,$\int_{-1}^1c^2\dd c = 2/3$ なので第2項だけが残る.

$$ = \frac23P_\mu\int_0^1 x^2(1-2x)\,\dd x = \frac23P_\mu\int_0^1\left(x^2-2x^3\right)\dd x = \frac23P_\mu\left[\frac13-\frac12\right] = \frac23P_\mu\times\left(-\frac16\right) = -\frac{P_\mu}{9} $$

分母は,同じ理由で第2項が消えて

$$ \int_0^1\!\dd x\int_{-1}^{1}\!\dd c\;x^2(3-2x) = \int_0^1 2x^2(3-2x)\,\dd x = 1 $$

((2) で計算した規格化そのものである.)したがって

$$ \braket{\cos\theta} = -\frac{P_\mu}{9} $$

完全偏極 $P_\mu=1$ では $\braket{\cos\theta} = -1/9 = -0.111$ である.負符号は,電子がミュー粒子のスピンと逆向きに出やすいことを意味する($\mu^-$ の場合).

(5) 質量比を作る.

$$ \frac{m_\mu}{m_\tau} = \frac{105.6584}{1776.86} = 0.05946355 $$

5乗を段階的に計算する.

$$ (0.05946355)^2 = 3.535914\times10^{-3},\qquad (0.05946355)^4 = 1.250268\times10^{-5} $$ $$ (0.05946355)^5 = 1.250268\times10^{-5}\times0.05946355 = 7.43454\times10^{-7} $$

したがって

$$ \frac{\tau_\tau}{\tau_\mu} = B_e\left(\frac{m_\mu}{m_\tau}\right)^5 = 0.1782\times7.43454\times10^{-7} = 1.324836\times10^{-7} $$ $$ \tau_\tau = 1.324836\times10^{-7}\times2.19698\times10^{-6}\ \mathrm{s} = 2.9106\times10^{-13}\ \mathrm{s} = 291.1\ \mathrm{fs} $$

実測 $290.3\ \mathrm{fs}$ に対して

$$ \frac{291.1-290.3}{290.3} = 0.26\ \% $$

の一致である.注目すべきは,この計算に $G_F$ も $\hbar$ も $192\pi^3$ も入っていないことである.使ったのは質量比と分岐比と $\tau_\mu$ だけであり,それでも $0.3\ \%$ で当たる.$m^5$ 則とレプトン普遍性($g_w$ が3世代で同じ)が,$17^5 = 1.4\times10^6$ という広いレンジで成り立っていることの証明になっている.

検算.次元と極限の両方で確かめる.次元:$[G_F^2] = \mathrm{GeV^{-4}}$,$[m_\mu^5] = \mathrm{GeV^5}$ なので $[\Gamma]=\mathrm{GeV}$.これを $[\hbar]=\mathrm{GeV\,s}$ で割れば $\mathrm{s^{-1}}$ の逆数すなわち秒になり,(1) の操作は正しい.極限:(2) の Michel スペクトルは $x\to0$ で $\propto x^2$ とゼロに落ち,$x=1$ で $2x^2(3-2x)=2$ という最大値をとる.また (3) の $19.8\ \%$ は,端点付近で分布がほぼ一定値 $2$ をとることから $2\times0.1 = 0.2$ と概算でき,厳密値 $0.1981$ とよく合う.(4) については,$P_\mu = 0$(無偏極)を入れると $\braket{\cos\theta}=0$ となり,非対称性がパリティの破れ由来であることと整合する.

意味.(1) が示すのは,「結合定数1つと質量1つ」から寿命が桁でなく小数点以下まで出るということである.素粒子物理でここまで clean に解ける過程は多くない.(3) の「端点に電子が集中する」という性質は,本書12.2.5 節で述べたとおり $V-A$ に固有のもので,スカラー型結合(Michel パラメータ $\rho=0$)なら端点でゼロに落ちる.すなわちスペクトルの形そのものが相互作用の型を測る装置になっている.(4) の $-1/9$ は $\mu$SR(ミュオンスピン回転)の原理そのものである.偏極したミュー粒子が試料中で局所磁場によって歳差し,崩壊の瞬間のスピン方向に陽電子を出す.この非対称性がなければ,超伝導体の磁場侵入長やスピングラスの秩序化を測る $\mu$SR という手法は成立しない.パリティ非保存という素粒子物理の発見が,そのまま物性測定装置の動作原理になっているのである.

演習12.3 ヘリシティ抑制と崩壊定数

問題(再掲)

$m_\pi = 139.570\ \mathrm{MeV}$,$m_K = 493.677\ \mathrm{MeV}$,$m_\mu = 105.658\ \mathrm{MeV}$,$m_e = 0.510999\ \mathrm{MeV}$.

(1) 本書12.4.1 節のパイ中間子崩壊振幅 $\mathcal{M} = \ii(G_F/\sqrt2)V_{ud}f_\pi m_\ell\,\bar u(p_\ell)(1-\gamma^5)v(p_\nu)$ の導出をたどり,$\bar u(p_\ell)\slashed{p}_\nu(1-\gamma^5)v(p_\nu)=0$ がニュートリノの質量ゼロに依存していることを確認せよ.$m_\nu\neq0$ ならどうなるか.

(2) 比 $R_{e/\mu}=\Gamma(\pi\to e\nu)/\Gamma(\pi\to\mu\nu)$ を,本書12.4.3 節の式 $R_{e/\mu} = (m_e/m_\mu)^2\left[(m_\pi^2-m_e^2)/(m_\pi^2-m_\mu^2)\right]^2$ から求めよ.位相空間因子とヘリシティ因子を別々に示せ.

(3) 同じ式を $K$ 中間子に適用し,$\Gamma(K\to e\nu)/\Gamma(K\to\mu\nu)$ を求めよ.実測 $2.488\times10^{-5}$ と比べよ.

(4) $\tau^-\to\pi^-\nu_\tau$ は分岐比 $10.8\ \%$ もあり,抑制されていない.なぜか説明せよ.

(5) $\pi^0\to\gamma\gamma$ の寿命は $8.5\times10^{-17}\ \mathrm{s}$ で,$\pi^\pm$ の $2.6\times10^{-8}\ \mathrm{s}$ より $9$ 桁短い.どちらの相互作用が効いているかを述べ,桁の違いを定性的に説明せよ.

解答

方針.核となるのは Dirac 方程式 $\slashed{p}_\nu v(p_\nu) = -m_\nu v(p_\nu)$ の一行である.これがゼロになるかどうかで振幅の構造が決まる.(2)(3) は与えられた比の式への代入で,強い相互作用の効果($f_\pi$,$f_K$)も $G_F$ も $V_{ij}$ も比では相殺するので,質量だけで決まる.

(1) 導出をたどる.運動量保存 $p = p_\ell + p_\nu$ を使って $\slashed{p} = \slashed{p}_\ell + \slashed{p}_\nu$ と分けると,振幅の中の因子は

$$ \bar u(p_\ell)\left(\slashed{p}_\ell+\slashed{p}_\nu\right)(1-\gamma^5)v(p_\nu) $$

となる.第1項は,共役スピノルの Dirac 方程式 $\bar u(p_\ell)\slashed{p}_\ell = m_\ell\,\bar u(p_\ell)$ から

$$ \bar u(p_\ell)\slashed{p}_\ell(1-\gamma^5)v(p_\nu) = m_\ell\,\bar u(p_\ell)(1-\gamma^5)v(p_\nu) $$

第2項は,$\gamma^5$ が $\gamma^\mu$ と反交換すること($\gamma^5\slashed{a} = -\slashed{a}\gamma^5$)から $\slashed{p}_\nu$ を右へ通し,

$$ \bar u(p_\ell)\slashed{p}_\nu(1-\gamma^5)v(p_\nu) = \bar u(p_\ell)(1+\gamma^5)\slashed{p}_\nu\,v(p_\nu) $$

となる.ここで反粒子スピノルの Dirac 方程式は $(\slashed{p}_\nu + m_\nu)v(p_\nu)=0$,すなわち

$$ \slashed{p}_\nu v(p_\nu) = -m_\nu\,v(p_\nu) $$

である.したがってこの項が消えるのは $m_\nu=0$ のとき,そのときに限る.$m_\nu = 0$ なら振幅は $m_\ell$ に比例する項だけになり,これがヘリシティ抑制である.

$m_\nu\neq0$ の場合は第2項が生き残り,振幅は

$$ \mathcal{M}\propto \bar u(p_\ell)\left[m_\ell(1-\gamma^5) - m_\nu(1+\gamma^5)\right]v(p_\nu) $$

となる.すなわち振幅は $m_\ell$ に比例する項と $m_\nu$ に比例する項の和になる.両者はカイラル構造が違う($(1-\gamma^5)\slashed p_\nu(1-\gamma^5)=0$)ためスピン和をとっても干渉せず,$\abs{\mathcal{M}}^2$ には $m_\ell^2+m_\nu^2$ と $m_\ell^2m_\nu^2$ の形しか現れない($m_\ell m_\nu$ の線形交差項は立たない).つまり抑制因子が $m_\ell^2$ から $m_\ell^2+m_\nu^2$ に置き換わるのであって,両者が打ち消し合うわけではない.実際の崩壊率は $\Gamma\propto f_P^2\left[(m_\ell^2+m_\nu^2)m_P^2-(m_\ell^2-m_\nu^2)^2\right]\lambda^{1/2}(m_P^2,m_\ell^2,m_\nu^2)/m_P^3$ という形である.物理的には,質量のあるニュートリノなら「間違ったヘリシティ」を自分で用意できるので,荷電レプトンが抑制を肩代わりする必要がなくなる,ということである.

大きさを見積もる.現在の上限 $m_\nu\lesssim0.1\ \mathrm{eV}$ を使うと,最も影響の大きい電子チャンネルでも

$$ \frac{m_\nu}{m_e} = \frac{0.1\ \mathrm{eV}}{5.10999\times10^{5}\ \mathrm{eV}} = 2.0\times10^{-7} $$

であり,崩壊率への影響は $10^{-6}$ 以下である.実験精度($0.1\ \%$)には遠く及ばず,$m_\nu=0$ として扱ってよい.

(2) 質量の2乗を作る.

$$ m_\pi^2 = (139.570)^2 = 19479.78,\quad m_\mu^2 = (105.658)^2 = 11163.61,\quad m_e^2 = (0.510999)^2 = 0.26112 $$

(単位はすべて $\mathrm{MeV^2}$.)位相空間因子は

$$ \frac{m_\pi^2-m_e^2}{m_\pi^2-m_\mu^2} = \frac{19479.78-0.26}{19479.78-11163.61} = \frac{19479.52}{8316.17} = 2.34237 $$ $$ \left(\frac{m_\pi^2-m_e^2}{m_\pi^2-m_\mu^2}\right)^2 = (2.34237)^2 = 5.4867 $$

すなわち位相空間だけを見れば,電子チャンネルは $5.49$ 倍有利である.軽いレプトンのほうが飛び出す運動量が大きく,2体位相空間 $\abs{\pp}$ が大きいからである.

ヘリシティ因子は

$$ \left(\frac{m_e}{m_\mu}\right)^2 = \left(\frac{0.510999}{105.658}\right)^2 = (4.836337\times10^{-3})^2 = 2.33903\times10^{-5} $$

両者を掛けて

$$ R_{e/\mu} = 2.33903\times10^{-5}\times5.4867 = 1.2833\times10^{-4} = \frac{1}{7792} $$

実測は $1.2327\times10^{-4}$ であり,$4.1\ \%$ 大きい.このずれは QED 輻射補正($-3.7\ \%$)でほぼ説明され,補正込みの標準模型予言 $1.2352\times10^{-4}$ は実測と $0.2\ \%$ で一致する.

(3) $K$ 中間子でも構造はまったく同じで,$m_\pi\to m_K$ と置き換えるだけである($f_\pi\to f_K$,$V_{ud}\to V_{us}$ も比では相殺する).

$$ m_K^2 = (493.677)^2 = 243716.98\ \mathrm{MeV^2} $$ $$ \frac{m_K^2-m_e^2}{m_K^2-m_\mu^2} = \frac{243716.98-0.26}{243716.98-11163.61} = \frac{243716.72}{232553.37} = 1.048003 $$ $$ \left(1.048003\right)^2 = 1.09831 $$

ヘリシティ因子は (2) と同じ $2.33903\times10^{-5}$ なので

$$ R^{K}_{e/\mu} = 2.33903\times10^{-5}\times1.09831 = 2.5690\times10^{-5} $$

実測 $2.488\times10^{-5}$ に対して

$$ \frac{2.5690-2.488}{2.488} = +3.3\ \% $$

のずれであり,$\pi$ の場合と同様に輻射補正の大きさである.位相空間因子が $\pi$ の $5.49$ から $K$ の $1.10$ へ落ちていることに注意したい.$m_K$ が $m_\mu$ よりずっと大きいので,$m_\mu$ の有無が位相空間にほとんど効かなくなり,比はほぼ純粋なヘリシティ因子 $(m_e/m_\mu)^2$ そのものになる.

(4) ヘリシティ抑制が働くのは,スピン 0 の粒子が崩壊して,2つのフェルミオンが正反対に飛ぶという配置においてである.抑制因子は「終状態の荷電レプトンの質量/使えるエネルギー」であった.

$\tau^-\to\pi^-\nu_\tau$ では役割が入れ替わっている.崩壊するのはスピン $1/2$ の $\tau$ であり,パイ中間子は終状態にある.すなわち,これは「擬スカラー中間子の2体崩壊」ではなく「重いレプトンの2体崩壊」である.同じ行列要素 $\bra{0}\bar d\gamma^\mu(1-\gamma^5)u\ket{\pi^-} = \ii f_\pi p^\mu$ を使って計算すると,振幅に現れる質量は $m_\pi$ でも $m_\nu$ でもなく$m_\tau$ になる.具体的には,$p^\mu = p_\tau^\mu - p_\nu^\mu$ をレプトンカレントに縮約すると $\bar u(p_\nu)\slashed{p}_\tau(1-\gamma^5)u(p_\tau) = m_\tau\bar u(p_\nu)(1-\gamma^5)u(p_\tau)$ が残り,$\slashed{p}_\nu$ の側が $m_\nu=0$ で消える.

したがって崩壊率は $\propto m_\tau^3f_\pi^2(1-m_\pi^2/m_\tau^2)^2$ という形になり,抑制因子 $m_\tau^2$ は使えるエネルギー $m_\tau$ そのものである.「小さい質量で割られる」のではなく「大きい質量が掛かる」ので,まったく抑制にならない.一言でいえば,ヘリシティ抑制は $m_\ell/E$ の形で効くのであって,$\pi\to e\nu$ では $E=m_\pi/2$ に対し $m_e$ が極端に小さいのに対し,$\tau\to\pi\nu$ では「レプトンの質量」が $E$ そのものだから比が $1$ になるのである.

(5) はたらいている相互作用は次のとおりである.

$\pi^\pm$ が電磁崩壊できないのは電荷保存のためである.光子は電荷を運ばないので,荷電粒子は光子だけを出して消えることができない.$\pi^0$ は中性なので,この禁止が外れる.使える相互作用が違う—— これが桁の違いの根本原因である.

桁を数値で見積もる.低エネルギーでの無次元の実効結合を比べればよい.電磁側は $\alpha = 7.30\times10^{-3}$,弱い側は接触相互作用の強さを $\pi$ のスケールで無次元化した

$$ G_Fm_\pi^2 = 1.1663788\times10^{-5}\times0.0194798\ \mathrm{GeV^2}\cdot\mathrm{GeV^{-2}} = 2.272\times10^{-7} $$

である.振幅の比は $\alpha/(G_Fm_\pi^2) = 3.21\times10^{4}$,崩壊率の比はその2乗で

$$ \left(\frac{\alpha}{G_Fm_\pi^2}\right)^2 \approx 1.0\times10^{9} $$

実際の比は,$\Gamma(\pi^0) = \hbar/8.5\times10^{-17}\ \mathrm{s} = 7.74\times10^{-9}\ \mathrm{GeV}$,$\Gamma(\pi^\pm) = \hbar/2.6\times10^{-8}\ \mathrm{s} = 2.53\times10^{-17}\ \mathrm{GeV}$ より

$$ \frac{\Gamma(\pi^0)}{\Gamma(\pi^\pm)} = 3.1\times10^{8} $$

概算 $10^9$ と実測 $3\times10^8$ は,因子 $3$ の範囲で合っている.残りの因子は,$\pi^\pm$ 側のヘリシティ抑制 $(m_\mu/m_\pi)^2 = 0.573$ と位相空間,$\pi^0$ 側のアノマリー係数などである.要点は,$9$ 桁という違いが $G_Fm_\pi^2$ という「弱い相互作用を $\pi$ のスケールで測った小ささ」の2乗からほぼ完全に出てくることにある.

検算.(2) の結果を極限で確かめる.もし $m_e = m_\mu$ だったら $R_{e/\mu}$ は厳密に $1$ でなければならない.式に $m_e\to m_\mu$ を入れると,ヘリシティ因子が $1$,位相空間因子も $1$ となり,たしかに $R=1$ になる.逆に $m_e\to0$ の極限では $R\to0$ であり,質量ゼロのレプトンへは崩壊できないという (1) の結論と一致する.(3) の $K$ の値は $\pi$ の値より $5$ 倍小さいが,これは位相空間因子が $5.49$ から $1.10$ へ落ちたためで,比の比 $1.2833/2.5690 = 4.995$ が位相空間の比 $5.4867/1.09831 = 4.996$ と一致することからも確認できる.また,(5) の見積もりに使った $G_Fm_\pi^2$ が無次元であることは,$[G_F]=\mathrm{GeV^{-2}}$ という次元と整合する.

意味.本問の主役は「厳密なゼロを,小さな質量が破る」という構造である.$m_\nu=0$ なら第2項は厳密にゼロ,$m_\ell=0$ なら振幅は厳密にゼロ.そして質量が入った瞬間に,$m/E$ という小さな比で抑制された遷移が復活する.本書12.4.3 節で述べたとおり,この構造はグラフェンの後方散乱抑制とまったく同じ数学である.理想的なグラフェンでは $\kk\to-\kk$ の散乱振幅 $\braket{-\kk|\kk}$ が擬スピンの直交性から厳密にゼロになり,$h$-BN 基板や垂直電場でギャップ $\Delta$ が開くと $\abs{\braket{-\kk|\kk}}\propto\Delta/E$ で復活する.$\pi\to e\nu$ の分岐比 $1.2\times10^{-4}$ とグラフェンの高移動度は,どちらも「カイラリティ演算子の固有状態どうしの重なり」を計算した結果にすぎない.材料科学の側からいえば,対称性で禁止された過程の残存量を測ることが,対称性を破っている項(質量・ギャップ・歪み)の大きさを測る最も鋭敏な方法であるという一般則の一例になっている.

演習12.4 中性子崩壊と Sargent 則

問題(再掲)

$m_n=939.565\ \mathrm{MeV}$,$m_p=938.272\ \mathrm{MeV}$,$m_e=0.510999\ \mathrm{MeV}$,$\lambda=1.2754$,$\abs{V_{ud}}=0.97373$,$f=1.6887$,$\Delta_R=0.039$.

(1) $Q$ 値を求めよ.また,$m_n-m_p$ が $m_e$ より小さかったら何が起きるかを述べよ.

(2) 本書12.3.4 節の式 $1/\tau_n = G_F^2\abs{V_{ud}}^2m_e^5(1+3\lambda^2)f(1+\Delta_R)/(2\pi^3)$ を使って $\tau_n$ を求め,半減期に直せ.

(3) 全崩壊率のうち Gamow–Teller 遷移が占める割合を求めよ.

(4) 仮に強い相互作用によるくりこみがなく $\lambda=1$ だったとしたら,中性子の寿命はいくらになるか.

(5) 表12.2 のトリチウムと中性子の行を比べ,「半減期の差は核構造ではなく位相空間で決まる」ことを $\log ft$ の値を使って論ぜよ.

解答

方針.(1) はエネルギー収支,(2) は与えられた式への代入だけである.$m_e^5$ という小さい数と $f$ という位相空間因子の掛け算がすべてを決める.(3)(4) は本書12.3.2 節で導いた因子 $1+3\lambda^2$(Fermi 遷移 $1$ + Gamow–Teller 遷移 $3\lambda^2$)の内訳を読むだけ,(5) は $\Gamma\propto f\times$(核行列要素)という分解の応用である.

(1) $\beta$ 崩壊 $n\to p+e^-+\bar\nu_e$ で解放される運動エネルギーの総和は,静止質量の差から電子の静止質量を差し引いたものである($\bar\nu_e$ の質量は無視する).

$$ Q = m_n - m_p - m_e = 939.565 - 938.272 - 0.510999 = 0.782\ \mathrm{MeV} $$

中性子と陽子の質量差そのものは $\Delta = m_n-m_p = 1.293\ \mathrm{MeV}$ であり,そのうち $0.511\ \mathrm{MeV}$ が電子を作るのに費やされ,残る $0.782\ \mathrm{MeV}$ だけが電子・反ニュートリノ・(わずかに)陽子の運動エネルギーに配分される.

もし $m_n - m_p < m_e$ であったら,$Q<0$ となって $\beta$ 崩壊はエネルギー的に禁止される.自由な中性子は安定粒子になる.そうなれば,(i) ビッグバン元素合成の直前に中性子/陽子比が $\ee^{-t/\tau_n}$ で減少するという過程が起きず,$^4$He の生成量がまったく別の値になる,(ii) 宇宙には自由な中性子の海が残る,(iii) 逆に陽子のほうが重ければ $p\to n e^+\nu_e$ が起き,水素原子が存在しなくなる.$1.293\ \mathrm{MeV}$ と $0.511\ \mathrm{MeV}$ という2つの数の大小関係が,我々の宇宙の元素組成を決めている.

(2) 3つの部分に分けて計算する.

定数部分.$m_e = 5.10999\times10^{-4}\ \mathrm{GeV}$ より

$$ m_e^5 = (5.10999\times10^{-4})^5 = 3.484177\times10^{-17}\ \mathrm{GeV^5} $$ $$ 2\pi^3 = 2\times31.006277 = 62.01255 $$ $$ \frac{G_F^2m_e^5}{2\pi^3} = \frac{1.3604395\times10^{-10}\times3.484177\times10^{-17}}{62.01255} = \frac{4.740012\times10^{-27}}{62.01255} = 7.64363\times10^{-29}\ \mathrm{GeV} $$

カレントの因子.

$$ \abs{V_{ud}}^2 = (0.97373)^2 = 0.948150,\qquad 1+3\lambda^2 = 1+3\times(1.2754)^2 = 1+3\times1.626645 = 5.87994 $$ $$ \abs{V_{ud}}^2(1+3\lambda^2) = 0.948150\times5.87994 = 5.57507 $$

位相空間と輻射補正.

$$ f\,(1+\Delta_R) = 1.6887\times1.039 = 1.754559 $$

掛け合わせる.

$$ \frac{1}{\tau_n} = 7.64363\times10^{-29}\times5.57507\times1.754559 = 7.47682\times10^{-28}\ \mathrm{GeV} $$ $$ \tau_n = \frac{6.582120\times10^{-25}}{7.47682\times10^{-28}} = 880.3\ \mathrm{s} $$

半減期は

$$ t_{1/2} = \tau_n\ln2 = 880.3\times0.693147 = 610.2\ \mathrm{s} = 10.17\ \text{分} $$

実測 $\tau_n = 878.4\pm0.5\ \mathrm{s}$ に対して $0.2\ \%$ の一致である.

(3) 本書12.3.2 節で示したとおり,崩壊率は $g_V^2\times1$(Fermi 遷移)と $g_A^2\times3$(Gamow–Teller 遷移,$\sigma^i$ が3成分あることによる)の和に比例する.$g_V=1$ と規格化すると,比率は $1 : 3\lambda^2$ である.

$$ 3\lambda^2 = 3\times1.626645 = 4.879935,\qquad 1+3\lambda^2 = 5.879935 $$ $$ \frac{3\lambda^2}{1+3\lambda^2} = \frac{4.879935}{5.879935} = 0.8299 $$

すなわちGamow–Teller 遷移が全体の $83.0\ \%$,Fermi 遷移が $17.0\ \%$ である.スピンを反転させる遷移が主役なのは,(i) 3成分あるという単純な数の効果と,(ii) $\lambda = 1.2754 > 1$ という強い相互作用による軸性カレントの増強の両方による.

(4) 崩壊率は $1+3\lambda^2$ に比例し,寿命はその逆数に比例する.$\lambda=1$ なら $1+3\times1 = 4$ になるので

$$ \tau_n(\lambda=1) = 880.3\times\frac{5.87994}{4} = 880.3\times1.469985 = 1294\ \mathrm{s} = 21.6\ \text{分} $$

実際の $880.3\ \mathrm{s}$($14.7$ 分)に対して $1.47$ 倍長い.言い換えれば,強い相互作用による軸性カレントのくりこみ($g_A$ が $1$ から $1.2754$ へ $27\ \%$ 増えること)が,中性子の寿命を $32\ \%$ 短くしている.クォーク間のグルーオン交換という強い相互作用の非摂動効果が,$15$ 分という具体的な数字を $22$ 分から引き下げている.

(5) 表12.2 の該当する2行を並べる.

表E.12.1 トリチウムと中性子の比較
核種$Q$ [MeV]$t_{1/2}$$f$$\log_{10}(ft/\mathrm{s})$
$^3\mathrm{H}\to{}^3\mathrm{He}$$0.01859$$12.32$ 年$2.91\times10^{-6}$$3.05$
$n\to p$$0.782$$610$ s$1.6887$$3.01$

崩壊率は $\Gamma \propto f\times\abs{M_{\rm nucl}}^2$ の形に分解でき,$ft$ は $f$ を割り落として核行列要素だけを取り出した量である.すなわち

$$ ft \propto \frac{1}{\abs{M_{\rm nucl}}^2} $$

である.$\log ft$ が $3.05$ と $3.01$,差はわずか $0.04$ であるから

$$ \frac{(ft)_{^3\mathrm{H}}}{(ft)_n} = 10^{0.04} = 1.096 $$

すなわち核行列要素は $10\ \%$ しか違わない.どちらも $A\le3$ の最も単純な系で,「$d$ クォーク1個が $u$ になるだけ」の超許容遷移だからである.

一方,位相空間因子の比は

$$ \frac{f_n}{f_{^3\mathrm{H}}} = \frac{1.6887}{2.91\times10^{-6}} = 5.80\times10^{5} $$

である.半減期の比は,$t = (ft)/f$ より

$$ \frac{t_{1/2}(^3\mathrm{H})}{t_{1/2}(n)} = \frac{f_n}{f_{^3\mathrm{H}}}\times\frac{(ft)_{^3\mathrm{H}}}{(ft)_n} = 5.80\times10^{5}\times1.096 = 6.36\times10^{5} $$

と予測される.実際の比は

$$ \frac{12.32\ \text{年}}{610\ \mathrm{s}} = \frac{3.888\times10^{8}\ \mathrm{s}}{610\ \mathrm{s}} = 6.37\times10^{5} $$

である.$6.4\times10^5$ 倍という半減期の差は,$1.10$ 倍の核構造の差と $5.8\times10^5$ 倍の位相空間の差の積として,完全に説明される.寄与の大きさは「桁」で測るとはっきりする.半減期の比の常用対数 $\log_{10}(6.37\times10^5)=5.80$ のうち,位相空間が $\log_{10}(5.80\times10^5)=5.76$ を,核構造は $\log_{10}1.096=0.04$ を担っている.すなわち$5.80$ 桁のうち $5.76$ 桁が位相空間で,核構造の取り分は $0.04$ 桁(全体の $0.7\ \%$)にすぎない.「半減期の差は核構造ではなく位相空間で決まる」とはこの意味である.

位相空間の差の起源は $Q$ 値である.$Q$ の比は $0.782/0.01859 = 42.1$ であり,$Q\gg m_e$ で成り立つ Sargent の $Q^5$ 則をそのまま当てはめれば $42.1^5 = 1.3\times10^8$ となって,実際の $5.8\times10^5$ を大きく外す.トリチウムの $Q=18.6\ \mathrm{keV}$ は $m_e = 511\ \mathrm{keV}$ よりはるかに小さく,電子が非相対論的な領域にあるため,位相空間は $f\propto(W_0-1)^{7/2}$ という別のべきに変わるからである(本書12.3.3 節の注意.このべきは Fermi 関数 $F(Z,W)$ を $1$ とおいた場合のもので,Coulomb 補正を入れて低速極限で $F\propto1/\beta$ とすると $f\propto(W_0-1)^{3}$ になる.トリチウムでは $\alpha Z/\beta\approx0.06\ll1$ なので $7/2$ の近似でよい).それでも「差はすべて $f$ にある」という結論は変わらない.

検算.(2) の $\tau_n$ を,まったく別の経路すなわちミュー粒子との比から出し直す.本書12.3.4 節のとおり

$$ \frac{\Gamma_n}{\Gamma_\mu} = 96\,\abs{V_{ud}}^2(1+3\lambda^2)\,f(1+\Delta_R)\left(\frac{m_e}{m_\mu}\right)^5 $$

$m_e/m_\mu = 4.83632\times10^{-3}$,その5乗は $2.6459\times10^{-12}$.よって

$$ \frac{\Gamma_n}{\Gamma_\mu} = 96\times5.57507\times1.754559\times2.6459\times10^{-12} = 2.485\times10^{-9} $$

すなわち $\tau_n/\tau_\mu = 4.025\times10^{8}$,$\tau_n = 4.025\times10^{8}\times2.1873\times10^{-6}\ \mathrm{s} = 880\ \mathrm{s}$.(2) の $880.3\ \mathrm{s}$ と一致する.次元の確認も入れておくと,$[G_F^2m_e^5] = \mathrm{GeV^{-4}}\cdot\mathrm{GeV^5} = \mathrm{GeV}$ であり,$f$ と $\Delta_R$ と $\abs{V_{ud}}^2$ はいずれも無次元なので,右辺全体が崩壊率の次元 $\mathrm{GeV}$ をもつ.

意味.この問題の核心は「同じ $G_F$,同じ物理,違うのは窓の広さだけ」ということである.ミュー粒子は $2.2\ \mu\mathrm{s}$,中性子は $878\ \mathrm{s}$,トリチウムは $12.32$ 年.約 $2\times10^{14}$ 倍にわたるこの寿命の広がりは,結合定数の違いではなく,ほとんどすべてが $(\text{使えるエネルギー})^5$ から来ている.そして材料科学にとって決定的なのは,トリチウムの $Q$ がたまたま $18.6\ \mathrm{keV}$ しかないという事実である.もし $Q$ が $1\ \mathrm{MeV}$ あれば,Sargent 則から半減期は $(18.6/1000)^5 = 2.2\times10^{-9}$ 倍,すなわち 1 秒程度になり($Q^5$ 則は $Q\gg m_e$ でしか成り立たないので,あくまで桁の目安である),トリチウムを燃料として扱うことは原理的に不可能になる.核融合炉が「作れるかもしれないもの」であるのは,この一つの $Q$ 値のおかげである.同様に,(4) が示す $g_A$ のくりこみは,$\beta$ 電池や低放射化鋼の核種選定に使う半減期表の数値を $30\ \%$ の水準で動かしており,「強い相互作用が弱い相互作用の速さを決める」という一見奇妙な因果が,実際の材料設計に効いている.

演習12.5 CKM 行列のユニタリ性とユニタリ三角形

問題(再掲)

表12.4 の値と,Wolfenstein パラメータ $\lambda=0.2250$,$A=0.826$,$\bar\rho=0.159$,$\bar\eta=0.348$ を使え.

(1) 第1行のユニタリ性 $\sum_j\abs{V_{uj}}^2$ を数値で確かめよ.$1$ からのずれは何 $\sigma$ 相当か(誤差 $\pm0.0007$ とせよ).

(2) Wolfenstein 表示から $\abs{V_{cb}}$,$\abs{V_{ub}}$,$\abs{V_{td}}$ を計算し,表12.4 と比べよ.

(3) ユニタリ三角形の3つの内角 $\alpha,\beta,\gamma$ を $\bar\rho,\bar\eta$ から求め,和が $180^\circ$ になることを確かめよ.

(4) $\sin2\beta$ を計算し,$B\to J/\psi K_S$ の実測値 $0.699\pm0.017$ と比べよ.

(5) Jarlskog 不変量 $J\simeq A^2\lambda^6\bar\eta$ を求めよ.また,規格化していないユニタリ三角形の面積が $J/2$ に等しいことを,$\abs{V_{cd}V_{cb}}^2\times(\bar\eta/2)$ を計算して確かめよ.

解答

方針.(1) は表12.4 の第1行を2乗して足すだけ.(2)(5) は本書12.5.4 節の Wolfenstein 表示への代入.(3)(4) は,頂点が $(0,0)$,$(1,0)$,$(\bar\rho,\bar\eta)$ である三角形の初等幾何である.

(1) 表12.4 の第1行は $\abs{V_{ud}}=0.97373$,$\abs{V_{us}}=0.2243$,$\abs{V_{ub}}=0.00382$ である.

$$ \abs{V_{ud}}^2 = (0.97373)^2 = 0.9481501 $$ $$ \abs{V_{us}}^2 = (0.2243)^2 = 0.0503105 $$ $$ \abs{V_{ub}}^2 = (0.00382)^2 = 0.0000146 $$

和は

$$ \sum_j\abs{V_{uj}}^2 = 0.9481501+0.0503105+0.0000146 = 0.9984752 $$

$1$ からのずれは

$$ \Delta = 0.9984752 - 1 = -0.0015248 $$

誤差 $\pm0.0007$ で割ると

$$ \frac{\abs{\Delta}}{0.0007} = 2.18 $$

すなわち$2.2\sigma$ のずれである(PDG 2022 の $0.9985\pm0.0007$,$2.2\sigma$ と一致する).これが Cabibbo 角アノマリーと呼ばれる未解決問題である.注目すべきは,$\abs{V_{ub}}^2$ の寄与が $1.5\times10^{-5}$ しかなく,ずれ $-1.5\times10^{-3}$ の $1\ \%$ にも満たないことである.つまりこのアノマリーは,実質的に $\abs{V_{ud}}$(超許容 $\beta$ 崩壊と中性子崩壊から決まる)と $\abs{V_{us}}$($K$ 中間子崩壊から決まる)の2つだけの問題である.そして $\abs{V_{ud}}$ は演習12.4 で中性子の寿命を計算するのに使った量そのものであり,中性子寿命問題とこのアノマリーは同じ物理量をめぐる緊張である.

(2) まず Wolfenstein 表示の基本量を作る.

$$ \lambda^2 = (0.2250)^2 = 0.050625,\qquad \lambda^3 = 0.011390625 $$ $$ A\lambda^2 = 0.826\times0.050625 = 0.0418163,\qquad A\lambda^3 = 0.826\times0.011390625 = 0.00940866 $$

$\abs{V_{cb}}$.Wolfenstein 表示では $V_{cb} = A\lambda^2$ なので

$$ \abs{V_{cb}} = 0.04182 $$

表12.4 の $0.0408\pm0.0014$ と比べると,差は $+0.0010$,すなわち $0.7\sigma$ である.

$\abs{V_{ub}}$.$V_{ub} = A\lambda^3(\bar\rho-\ii\bar\eta)$ なので

$$ \sqrt{\bar\rho^2+\bar\eta^2} = \sqrt{(0.159)^2+(0.348)^2} = \sqrt{0.025281+0.121104} = \sqrt{0.146385} = 0.382603 $$ $$ \abs{V_{ub}} = 0.00940866\times0.382603 = 0.003600 $$

表12.4 の $0.00382\pm0.00020$ と比べると $-1.1\sigma$.$\lambda^4$ 以上を捨てた近似としては十分である.

$\abs{V_{td}}$.$V_{td} = A\lambda^3(1-\bar\rho-\ii\bar\eta)$ なので

$$ \sqrt{(1-\bar\rho)^2+\bar\eta^2} = \sqrt{(0.841)^2+(0.348)^2} = \sqrt{0.707281+0.121104} = \sqrt{0.828385} = 0.910157 $$ $$ \abs{V_{td}} = 0.00940866\times0.910157 = 0.008563 $$

表12.4 の $0.0086\pm0.0002$ と $0.2\sigma$ で一致する.

3つとも $1\sigma$ 前後で合っており,$\lambda\simeq0.22$ という1つの小パラメータで CKM 行列の階層構造がとらえられていることが確認できた.

(3) 規格化したユニタリ三角形の頂点は $(0,0)$,$(1,0)$,$(\bar\rho,\bar\eta)$ である.内角は次のように読める.

$\gamma$(原点の角).原点から頂点 $(\bar\rho,\bar\eta)$ を見込む角なので

$$ \tan\gamma = \frac{\bar\eta}{\bar\rho} = \frac{0.348}{0.159} = 2.18868 \quad\Longrightarrow\quad \gamma = \arctan(2.18868) = 65.44^\circ $$

$\beta$(点 $(1,0)$ の角).底辺の長さ $1$ から頂点までの水平距離は $1-\bar\rho = 0.841$ なので

$$ \tan\beta = \frac{\bar\eta}{1-\bar\rho} = \frac{0.348}{0.841} = 0.413793 \quad\Longrightarrow\quad \beta = \arctan(0.413793) = 22.48^\circ $$

$\alpha$(頂点の角).三角形の内角の和から

$$ \alpha = 180^\circ - \gamma - \beta = 180^\circ - 65.44^\circ - 22.48^\circ = 92.08^\circ $$

和は定義から $180.00^\circ$ である.ただしこれは同語反復ではない.重要なのは,$\alpha$,$\beta$,$\gamma$ が実験的にはまったく別々の測定($\alpha$ は $B\to\pi\pi,\rho\rho$,$\beta$ は $B\to J/\psi K_S$,$\gamma$ は $B\to DK$ の干渉)から独立に決まる量であり,それらの実測値の和が $180^\circ$ になるかどうかが標準模型の検証になる,という点である.ここで行ったのは「$(\bar\rho,\bar\eta)$ という2つの数から3つの角を作れば和は必ず $180^\circ$ になる」という整合性の確認である.

(4) $\beta = 22.48^\circ$ より $2\beta = 44.96^\circ$.

$$ \sin2\beta = \sin(44.96^\circ) = 0.7066 $$

実測 $0.699\pm0.017$ との差は $0.0076$,すなわち

$$ \frac{0.7066-0.699}{0.017} = 0.45\sigma $$

$1\sigma$ 以内で一致する.$\sin2\beta$ は $CP$ の破れの直接測定量のうち最も精度が高く,$B$ 中間子と反 $B$ 中間子が $J/\psi K_S$ に崩壊する速さの時間依存非対称性として測られる.「三角形の1つの角の正弦」という幾何学的な量が,加速器で数える事象数の非対称性としてそのまま現れることが,CKM 描像の非自明な予言である.

(5) Jarlskog 不変量.

$$ A^2 = (0.826)^2 = 0.682276,\qquad \lambda^6 = (\lambda^3)^2 = (0.011390625)^2 = 1.297463\times10^{-4} $$ $$ J = A^2\lambda^6\bar\eta = 0.682276\times1.297463\times10^{-4}\times0.348 = 3.081\times10^{-5} $$

実験値 $J = (3.08^{+0.15}_{-0.13})\times10^{-5}$(PDG 2022)と一致する.

面積との関係.まず一般論を示す.規格化した三角形は底辺の長さが $1$,高さが $\bar\eta$ なので,面積は $\bar\eta/2$ である.規格化していない三角形は,これを $\abs{V_{cd}V_{cb}^*}$ 倍に拡大したものだから,長さが $\abs{V_{cd}V_{cb}}$ 倍,面積は $\abs{V_{cd}V_{cb}}^2$ 倍になる.すなわち

$$ S = \abs{V_{cd}V_{cb}}^2\times\frac{\bar\eta}{2} $$

Wolfenstein 表示では $\abs{V_{cd}} = \lambda$,$\abs{V_{cb}} = A\lambda^2$ なので

$$ \abs{V_{cd}V_{cb}}^2 = \left(\lambda\cdot A\lambda^2\right)^2 = A^2\lambda^6 $$ $$ S = A^2\lambda^6\times\frac{\bar\eta}{2} = \frac{A^2\lambda^6\bar\eta}{2} = \frac{J}{2} $$

すなわち恒等的に $S = J/2$ である.数値でも確かめる.

$$ \abs{V_{cd}V_{cb}} = 0.2250\times0.0418163 = 0.00940866 $$ $$ \abs{V_{cd}V_{cb}}^2 = (0.00940866)^2 = 8.85228\times10^{-5} $$ $$ S = 8.85228\times10^{-5}\times\frac{0.348}{2} = 8.85228\times10^{-5}\times0.174 = 1.5403\times10^{-5} $$

一方 $J/2 = 3.081\times10^{-5}/2 = 1.5403\times10^{-5}$.完全に一致する.

検算.(3) の角度を,別の量から確かめる.$\abs{V_{td}}$ と $\abs{V_{ub}}$ は三角形の2辺の長さ($V_{cd}V_{cb}^*$ で規格化する前)であり,(2) で計算した $\sqrt{(1-\bar\rho)^2+\bar\eta^2} = 0.9102$ と $\sqrt{\bar\rho^2+\bar\eta^2} = 0.3826$ が,規格化した三角形の $\beta$ に対する辺と $\gamma$ に対する辺の長さである.正弦定理 $\sin\alpha/1 = \sin\beta/0.3826 = \sin\gamma/0.9102$ を検算すると,$\sin(22.48^\circ)/0.3826 = 0.38236/0.3826 = 0.99938$,$\sin(65.44^\circ)/0.9102 = 0.90953/0.9102 = 0.99926$ となる.この共通値が $1$ ではなく $0.9993$ になるのは,底辺の長さ $1$ に対する対角が $\alpha$ だからで,実際 $\sin\alpha = \sin(92.08^\circ) = 0.99933$ である.3つの比が有効数字4桁で揃っており,(2) と (3) が同じ三角形を記述していることが確認できる.また (5) の面積は,底辺 $1$・高さ $\bar\eta=0.348$ の三角形として $0.174$,これに $A^2\lambda^6 = 0.682276\times1.297463\times10^{-4} = 8.8524\times10^{-5}$ を掛けても同じ $1.5403\times10^{-5}$ になる.

意味.ユニタリ三角形は,本書12.5.4 節で述べたとおり「標準模型の健康診断表」である.3辺と3角がまったく別の実験・別の装置で測られ,それらがすべて同じ1つの三角形の上で交わるかどうかが問われる.(5) が示すように,三角形の面積は $CP$ の破れの大きさ $J$ の半分そのものであり,三角形が潰れる(面積ゼロ)ことと $CP$ が保存することは同義である.そして $J = 3.1\times10^{-5}$ という小ささ —— $\lambda^6$ で抑えられていること —— が,宇宙の物質・反物質非対称性(バリオン数対称性の破れ)を標準模型だけでは説明できないという結論の定量的な根拠になっている.必要な非対称性より $10$ 桁ほど足りない.材料科学の言葉に翻訳すれば,これは「複数の独立な測定量が一つの構造パラメータ集合で同時に説明できるか」を問う精密化(refinement)の問題であり,$R$ 因子が下がりきらないところに新しい構造が隠れている,という状況とよく似ている.

演習12.6 トリチウムの崩壊と核融合炉の燃料収支

問題(再掲)

原子質量 $M(^3\mathrm{H})=3.01604928\ \mathrm{u}$,$M(^3\mathrm{He})=3.01602932\ \mathrm{u}$,$1\ \mathrm{u}=931.494\ \mathrm{MeV}$,$N_A=6.022\times10^{23}$,$t_{1/2}=12.32$ 年.

(1) $Q$ 値を keV 単位で求めよ.原子質量を使うと電子の質量が自動的に相殺する理由を説明せよ.

(2) 平均寿命 $\tau$ と,1 年あたりの減衰率を求めよ.

(3) 比放射能を $\mathrm{Bq/g}$ と $\mathrm{Ci/g}$ で求めよ($1\ \mathrm{Ci}=3.7\times10^{10}\ \mathrm{Bq}$).

(4) $\beta$ 線の平均エネルギーを $5.7\ \mathrm{keV}$ として,崩壊熱を $\mathrm{W/g}$ で求めよ.

(5) 電気出力 $1\ \mathrm{GW}$,熱効率 $40\ \%$ の DT 炉が 1 日に消費するトリチウムの質量を求めよ($Q_{DT}=17.6\ \mathrm{MeV}$).

(6) 炉内トリチウム保有量を $1\ \mathrm{kg}$,燃料サイクルの回転周期を 1 日とする.崩壊による損失だけを補うために必要な増殖比の上乗せ分を見積もれ.

解答

方針.弱い相互作用の入り口は (1) の $Q$ 値だけで,あとは指数減衰則と単位換算である.しかしその換算の先に核融合炉の燃料収支が出てくる.年は $1\ \text{年} = 3.1557\times10^{7}\ \mathrm{s}$(ユリウス年)を使う.

(1) 原子質量の差は

$$ \Delta M = M(^3\mathrm{H}) - M(^3\mathrm{He}) = 3.01604928 - 3.01602932 = 1.996\times10^{-5}\ \mathrm{u} $$ $$ Q = \Delta M\,c^2 = 1.996\times10^{-5}\times931.494\ \mathrm{MeV} = 1.8593\times10^{-2}\ \mathrm{MeV} = 18.59\ \mathrm{keV} $$

電子質量が相殺する理由.崩壊は原子核のレベルでは

$$ {}^3\mathrm{H}\text{(核)} \to {}^3\mathrm{He}\text{(核)} + e^- + \bar\nu_e $$

であり,$Q$ 値は

$$ Q = M_N(^3\mathrm{H}) - M_N(^3\mathrm{He}) - m_e $$

である($M_N$ は核質量).ところが表に載っているのは中性原子の質量である.束縛エネルギーを無視すれば

$$ M(^3\mathrm{H}) = M_N(^3\mathrm{H}) + 1\cdot m_e, \qquad M(^3\mathrm{He}) = M_N(^3\mathrm{He}) + 2\cdot m_e $$

($^3$H は $Z=1$ なので電子1個,$^3$He は $Z=2$ なので電子2個をもつ.)これを代入すると

$$ Q = \left[M(^3\mathrm{H})-m_e\right] - \left[M(^3\mathrm{He})-2m_e\right] - m_e = M(^3\mathrm{H}) - M(^3\mathrm{He}) $$

となり,$m_e$ が3か所で現れてちょうど打ち消し合う.娘核の $Z$ が1つ増えて電子を1個余分に数えることと,崩壊で電子が1個生まれることが対応しているからである.$\beta^-$ 崩壊では原子質量差がそのまま $Q$ 値になる.($\beta^+$ 崩壊では娘原子の電子が 1 個余るため $Q = \Delta M - 2m_e$ となる.電子捕獲では原子質量差がそのまま $Q$ になる(軌道電子の束縛エネルギーぶんだけ差し引く).)

(2) 平均寿命は

$$ \tau = \frac{t_{1/2}}{\ln2} = \frac{12.32}{0.693147} = 17.774\ \text{年} $$

1 年後に残る割合は

$$ \ee^{-1/17.774} = \ee^{-0.056262} = 0.945291 $$

したがって1年あたりの減衰率は

$$ 1 - 0.945291 = 0.05471 = 5.47\ \% $$

すなわち何もしなくても年 $5.5\ \%$ ずつ勝手に減る.核融合炉の燃料在庫にとって,これは無視できない「利子」である.

(3) $1\ \mathrm{g}$ 中の原子数は

$$ N = \frac{N_A}{M} = \frac{6.022\times10^{23}}{3.01605} = 1.9967\times10^{23} $$

半減期を秒に直すと

$$ t_{1/2} = 12.32\times3.1557\times10^{7} = 3.8878\times10^{8}\ \mathrm{s} $$

比放射能(=崩壊率)は

$$ A = \lambda N = \frac{\ln2}{t_{1/2}}N = \frac{0.693147\times1.9967\times10^{23}}{3.8878\times10^{8}} = 3.560\times10^{14}\ \mathrm{Bq/g} $$

キュリー単位では

$$ \frac{3.560\times10^{14}}{3.7\times10^{10}} = 9.62\times10^{3}\ \mathrm{Ci/g} $$

$1\ \mathrm{g}$ で $9600$ Ci である.参考までに,医療用の $^{60}$Co 線源が $10^3$–$10^4$ Ci 級であるから,トリチウム $1\ \mathrm{g}$ は放射能の量としてはその規模に相当する.ただし $\beta$ 線のエネルギーが極端に低く(最大 $18.6\ \mathrm{keV}$),空気中の飛程が $6\ \mathrm{mm}$ 程度・皮膚も貫通しないため,外部被曝の危険はほとんどない.問題になるのは体内取り込み(トリチウム水 HTO としての吸収)だけである.

(4) $\beta$ 線が運ぶ平均エネルギーは $\bar E_\beta = 5.7\ \mathrm{keV}$($Q$ の約 $31\ \%$.残りは反ニュートリノが持ち去り,物質中で熱にならない).発熱率は

$$ P = A\,\bar E_\beta = 3.560\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}\times5.7\times10^{3}\ \mathrm{eV}\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J/eV} $$ $$ = 3.560\times10^{14}\times9.131\times10^{-16}\ \mathrm{J} = 0.325\ \mathrm{W/g} $$

$1\ \mathrm{g}$ のトリチウムが $0.33\ \mathrm{W}$ を出し続ける.貯蔵ベッドや配管の熱設計,および $\beta$ 線による有機材料(シール,配線被覆)の劣化評価で効いてくる量である.

(5) 熱出力は

$$ P_{\rm th} = \frac{1\ \mathrm{GW_e}}{0.40} = 2.5\ \mathrm{GW} = 2.5\times10^{9}\ \mathrm{W} $$

DT 反応1回あたりのエネルギーは

$$ Q_{DT} = 17.6\ \mathrm{MeV} = 17.6\times10^{6}\times1.602\times10^{-19} = 2.8195\times10^{-12}\ \mathrm{J} $$

したがって必要な反応率は

$$ \dot N = \frac{2.5\times10^{9}}{2.8195\times10^{-12}} = 8.867\times10^{20}\ \mathrm{s^{-1}} $$

1回の反応でトリチウム原子1個が消えるので,質量流量は

$$ \dot m_T = \dot N\times\frac{3.016}{N_A} = 8.867\times10^{20}\times\frac{3.016}{6.022\times10^{23}} = 4.441\times10^{-3}\ \mathrm{g/s} $$ $$ = 4.441\times10^{-3}\times86400 = 383.7\ \mathrm{g/day} \simeq 140\ \mathrm{kg/year} $$

世界の民生用トリチウム備蓄が $20$–$25\ \mathrm{kg}$ 程度であることを思えば,1基の炉が 2 か月で世界の在庫を燃やし尽くす計算になる.だから炉は自分でトリチウムを増殖しなければならない.

(6) 炉内保有量 $1\ \mathrm{kg}$ が1日で崩壊によって失う量は

$$ \Delta m = 1000\ \mathrm{g}\times\left(1-\ee^{-\Delta t/\tau}\right), \qquad \frac{\Delta t}{\tau} = \frac{1\ \text{日}}{17.774\times365.25\ \text{日}} = 1.5404\times10^{-4} $$

指数が非常に小さいので $1-\ee^{-x}\simeq x$ を使ってよく

$$ \Delta m = 1000\times1.5404\times10^{-4} = 0.154\ \mathrm{g/day} $$

1日の消費量 $383.7\ \mathrm{g}$ と比べると

$$ \frac{0.154}{383.7} = 4.0\times10^{-4} = 0.040\ \% $$

すなわち,崩壊損失だけを補うために必要な増殖比の上乗せは $\mathrm{TBR}$ にして $+0.0004$ にすぎない.実際の設計要求は $\mathrm{TBR}\gtrsim1.05$–$1.1$ であり,余裕の主因は崩壊ではなく,(i) 回収・処理プロセスでの保持と損失,(ii) 構造材への透過と滞留,(iii) 中性子の漏れと寄生吸収,(iv) 起動用インベントリの積み増し,である.

ただし話はこれで終わらない.炉内インベントリ $1\ \mathrm{kg}$ は1日で回るので崩壊の影響を受けないが,炉外の貯蔵分(起動用・予備として数 kg を年単位で保管する)については (2) の年 $5.5\ \%$ がそのまま効く.$5\ \mathrm{kg}$ を1年寝かせれば $5000\times0.0547 = 274\ \mathrm{g}$,すなわち炉の $0.71$ 日分の燃料が消える.さらに,貯蔵材($\mathrm{TiT_2}$,$\mathrm{ErT_2}$ など)の中では崩壊生成物の $^3$He が格子に溜まり,本書12.8.1 節のとおり $\mathrm{T/M}=1.6$ の材料では $\mathrm{He/M}\approx0.45$ に達する $5.9$ 年でヘリウム脆化による加速放出が始まる.燃料そのものの目減りより,容器の寿命のほうが先に効く.

検算.(3) と (4) を,独立な経路で確かめる.(2) の年減衰率 $5.47\ \%$ から出発すると,$1\ \mathrm{g}$ が1年に崩壊する原子数は $1.9967\times10^{23}\times0.0547 = 1.092\times10^{22}$.これを1年の秒数 $3.1557\times10^{7}$ で割ると $3.46\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$.(3) の $3.560\times10^{14}\ \mathrm{Bq/g}$ と $3\ \%$ で一致する(差は,1年という有限区間での平均崩壊率と初期崩壊率の違い.$\lambda\Delta t = 0.0563$ の半分だけ平均が小さくなるので,$2.8\ \%$ の差は予想どおりである).(5) については,$140\ \mathrm{kg/year}$ を $1\ \mathrm{GW_e}$ で割ると,年間 $8.76\times10^{6}\ \mathrm{MWh}$ の電力に対して $0.14\ \mathrm{t}$ の燃料,すなわち $1\ \mathrm{g}$ あたり $63\ \mathrm{MWh_e}$ となる.核分裂の $^{235}$U($1\ \mathrm{g}$ で約 $24\ \mathrm{MWh_{th}}$,電気にして $8\ \mathrm{MWh_e}$)の $8$ 倍であり,核子あたりの発生エネルギー(DT の $3.5\ \mathrm{MeV/nucleon}$ 対 核分裂の $0.85\ \mathrm{MeV/nucleon}$)の比 $4.1$ に,燃料の一部(重水素側)を数えていない分の因子を掛けた値として妥当である.

意味.この問題は,弱い相互作用の $Q$ 値ひとつが工学の全体設計を決めてしまう例である.$Q = 18.6\ \mathrm{keV}$ が半減期 $12.32$ 年を与え,それが (2) の年 $5.5\ \%$,(3) の比放射能,(4) の崩壊熱,(6) の貯蔵ベッド寿命をすべて決めている.演習12.4 (5) で見たとおり,この長い半減期は核構造ではなく位相空間の狭さから来ている.もし $Q$ が $1\ \mathrm{MeV}$ あれば Sargent 則で半減期は $10^{-9}$ 倍になり,トリチウムは容器に入れる間もなく消える.逆に $Q$ がゼロに近ければ天然に存在して採掘できたはずである.核融合が「難しいが不可能ではない」という位置にあるのは,この一つの数のおかげである.そして (6) が示す「本当のボトルネックは崩壊ではなく回収・透過・脆化である」という結論は,材料科学がこの分野の律速段階であることをはっきり示している.

演習12.7 $\beta$ 電池の核種選定と低放射化鋼

問題(再掲)

本書12.8.2 節の式 $T_{\max}=2T(T+2m_ec^2)/(Mc^2)$,$2m_ec^2=1.022\ \mathrm{MeV}$ を使え.

(1) Si($Mc^2=26162\ \mathrm{MeV}$,$E_d=21\ \mathrm{eV}$)について,$^3$H($Q=18.6\ \mathrm{keV}$),$^{63}$Ni($67.0\ \mathrm{keV}$),$^{147}$Pm($224.1\ \mathrm{keV}$)の $T_{\max}$ を求め,変位損傷が起きるかを判定せよ.

(2) SiC(C 原子:$Mc^2=11178\ \mathrm{MeV}$,$E_d\approx20\ \mathrm{eV}$)の場合はどうか.軽い原子ほど不利であることを確認せよ.

(3) $^{63}$Ni の比放射能 $2.08\times10^{12}\ \mathrm{Bq/g}$,平均 $\beta$ エネルギー $17.4\ \mathrm{keV}$ から $\beta$ 出力を求め,変換効率 $2\ \%$ での電気出力を $\mathrm{mW/g}$ で示せ.

(4) その電池の積算エネルギー($P\tau$,$\tau=101.2/\ln2$ 年)を $\mathrm{J/g}$ で求め,リチウムイオン電池($720\ \mathrm{J/g}$)と比べよ.

(5) 低放射化鋼で Nb を Ta に置き換える理由を,表12.9 の半減期を使って定量的に述べよ.運転停止 $100$ 年後の残留放射能比を,半減期だけから概算せよ.

解答

方針.(1)(2) は与えられた反跳公式への代入と閾値との比較,(3)(4) は単位換算,(5) は指数減衰則である.物理としては,弱い相互作用が決めた $Q$ 値と半減期が,材料の変位閾値エネルギーおよび廃棄物区分という工学的な基準と直接ぶつかる場面である.

(1) 公式に $T = Q$($\beta$ 線の最大運動エネルギー)を入れる.$T\ll2m_ec^2$ なので括弧の中はほぼ $1.022\ \mathrm{MeV}$ になる.

$^3$H($T=0.0186\ \mathrm{MeV}$).

$$ T_{\max} = \frac{2\times0.0186\times(0.0186+1.022)}{26162} = \frac{2\times0.0186\times1.0406}{26162} = \frac{0.038711}{26162} = 1.480\times10^{-6}\ \mathrm{MeV} $$

すなわち $T_{\max} = 1.48\ \mathrm{eV}$.$E_d = 21\ \mathrm{eV}$ に対して $14$ 分の1しかない.変位損傷なし.

$^{63}$Ni($T=0.0670\ \mathrm{MeV}$).

$$ T_{\max} = \frac{2\times0.0670\times1.0890}{26162} = \frac{0.145926}{26162} = 5.578\times10^{-6}\ \mathrm{MeV} = 5.58\ \mathrm{eV} $$

$E_d$ の $27\ \%$.変位損傷なし.

$^{147}$Pm($T=0.2241\ \mathrm{MeV}$).

$$ T_{\max} = \frac{2\times0.2241\times1.2461}{26162} = \frac{0.558506}{26162} = 2.135\times10^{-5}\ \mathrm{MeV} = 21.35\ \mathrm{eV} $$

$E_d = 21\ \mathrm{eV}$ をわずかに超えている.すなわち $^{147}$Pm の $\beta$ 線は,スペクトルの端点付近のごく一部だけではあるが,Si 原子を格子点から弾き出せる.変位損傷あり(閾値ぎりぎり).実際 $^{147}$Pm 電池では,半減期($2.62$ 年)による出力の減衰に加えて,格子損傷による変換効率の低下が重なるため,設計寿命を延ばしにくい.いっぽう $^{63}$Ni($t_{1/2}=101$ 年)は損傷もなく,$10$ 年オーダーで安定に使える.$2$ 行の運動学が決めているのはこのうち「損傷が乗るか乗らないか」の部分であり,出力が数年で落ちること自体の主因は半減期である.

(2) 公式で核種依存の部分は分子だけなので,標的だけを変えれば $T_{\max}$ は $1/Mc^2$ に比例する.C 原子と Si 原子の比は

$$ \frac{Mc^2(\mathrm{Si})}{Mc^2(\mathrm{C})} = \frac{26162}{11178} = 2.340 $$

したがって C 原子に対する $T_{\max}$ は (1) の値を $2.340$ 倍すればよい.

表E.12.2 標的原子を変えたときの最大反跳エネルギー
核種$Q$ [keV]$T_{\max}$(Si,$E_d=21\ \mathrm{eV}$)$T_{\max}$(C,$E_d\approx20\ \mathrm{eV}$)
$^3\mathrm{H}$$18.6$$1.48\ \mathrm{eV}$(損傷なし)$3.46\ \mathrm{eV}$(損傷なし)
$^{63}\mathrm{Ni}$$67.0$$5.58\ \mathrm{eV}$(損傷なし)$13.1\ \mathrm{eV}$(損傷なし)
$^{147}\mathrm{Pm}$$224.1$$21.35\ \mathrm{eV}$(閾値上)$49.96\ \mathrm{eV}$(損傷あり)

$^{63}$Ni は C に対しても $13.1\ \mathrm{eV} < 20\ \mathrm{eV}$ で安全だが,$^{147}$Pm は $50\ \mathrm{eV}$ と閾値の $2.5$ 倍に達し,Si の場合よりはるかに深刻である.軽い原子ほど反跳を受けやすく,弾き出されやすい.これは正面衝突の運動学そのもの(軽い的ほど大きな速度をもらう)であり,$T_{\max}\propto1/M$ という依存性に尽きている.

ただし,これは SiC が $\beta$ 電池に不向きだという意味ではない.C を弾き出す点では不利だが,ワイドギャップ($3.3\ \mathrm{eV}$)ゆえに (i) 逆方向漏れ電流が小さく変換効率が高い,(ii) 生じた欠陥による少数キャリア寿命の低下が Si ほど致命的でない,という利点がある.設計は,運動学的な不利と電子物性上の有利のつり合いで決まる.

(3) $\beta$ 線として出る熱出力は

$$ P_\beta = A\,\bar E_\beta = 2.08\times10^{12}\ \mathrm{s^{-1}}\times17.4\times10^{3}\ \mathrm{eV}\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J/eV} $$ $$ = 2.08\times10^{12}\times2.7875\times10^{-15}\ \mathrm{J} = 5.798\times10^{-3}\ \mathrm{W/g} = 5.80\ \mathrm{mW/g} $$

変換効率 $2\ \%$ での電気出力は

$$ P_{\rm el} = 0.02\times5.80 = 0.116\ \mathrm{mW/g} $$

すなわち $1\ \mathrm{g}$ の $^{63}$Ni で $0.12\ \mathrm{mW}$ である.リチウムイオン電池の出力密度($\sim1\ \mathrm{W/g}$)の $10^{-4}$ でしかない.

(4) 平均寿命は

$$ \tau = \frac{101.2}{\ln2} = \frac{101.2}{0.693147} = 146.0\ \text{年} = 146.0\times3.1557\times10^{7} = 4.607\times10^{9}\ \mathrm{s} $$

積算エネルギーは

$$ E_{\rm tot} = P_{\rm el}\,\tau = 1.16\times10^{-4}\ \mathrm{W/g}\times4.607\times10^{9}\ \mathrm{s} = 5.34\times10^{5}\ \mathrm{J/g} $$

リチウムイオン電池との比は

$$ \frac{5.34\times10^{5}}{720} = 742 $$

すなわち積算エネルギーは $740$ 倍,出力は $10^{-4}$ 倍である.($P_{\rm el}$ を $1.2\times10^{-4}\ \mathrm{W/g}$ に丸めると本文ヒントの $5.5\times10^{5}\ \mathrm{J/g}$,$770$ 倍となり,有効数字1桁の $1\times10^{-4}\ \mathrm{W/g}$ に丸めると $4.6\times10^{5}\ \mathrm{J/g}$,$640$ 倍となる.丸め方で $2$ 割動くので,「$5\times10^{5}\ \mathrm{J/g}$,$10^{3}$ 倍のオーダー」と理解しておけばよい.)

この極端なトレードオフが $\beta$ 電池の使いどころを決めている.超低消費電力($\mu\mathrm{W}$ 級)を超長期間(数十年),かつ交換不能な場所で —— 心臓ペースメーカー,深宇宙探査機のバックアップ,埋設センサ,MEMS の電源.平均出力が要求を満たしさえすれば,容量では他のどの電池にも負けない.なお,実際の系ではピーク電力が必要な瞬間があるので,$\beta$ 電池でコンデンサをゆっくり充電し,間欠的に放電するという構成が取られる.

(5) 表12.9 によれば,Nb は中性子照射で $^{94}$Nb($t_{1/2}=2.0\times10^{4}$ 年)を生じ,Ta は $^{182}$Ta($t_{1/2}=114$ 日)を生じる.運転停止から $100$ 年後の残存率を,半減期だけから評価する.

$^{94}$Nb.

$$ \frac{N(100\ \text{年})}{N(0)} = 2^{-100/(2.0\times10^{4})} = 2^{-0.005} = 0.99654 $$

$100$ 年経っても $99.65\ \%$ が残る.人間の時間尺度ではまったく減らない.

$^{182}$Ta.$100$ 年 $= 36525$ 日なので,経過する半減期の数は

$$ \frac{36525}{114} = 320.4 $$ $$ \frac{N(100\ \text{年})}{N(0)} = 2^{-320.4}, \qquad \log_{10}2^{-320.4} = -320.4\times0.30103 = -96.4 $$

すなわち $10^{-96}$.完全に消える.(実際には原子数が有限なので,$10^{-96}$ に達するはるか手前,$1\ \mathrm{kg}$ の Ta なら $10^{24}$ 個の原子が $1$ 個を切る $80$ 半減期=約 $25$ 年で最後の1個が崩壊し尽くす.)

残留放射能の比は

$$ \frac{A_{^{94}\mathrm{Nb}}(100\ \text{年})}{A_{^{182}\mathrm{Ta}}(100\ \text{年})} \sim \frac{0.9965}{10^{-96}} \sim 10^{96} $$

という,比較すること自体が無意味な違いである.同じ族の重い元素に置き換えるだけで,$100$ 年後の廃棄物区分が「地層処分」から「浅地中処分(shallow land burial)あるいは再利用可能」へ変わる.これが低放射化フェライト/マルテンサイト鋼(RAFM)の設計原理であり,日本の F82H(Fe–8Cr–2W–0.2V–0.04Ta)や欧州の EUROFER97(Fe–9Cr–1.1W–0.2V–0.12Ta)が,通常の耐熱鋼(改良 9Cr–1Mo 鋼など)の Mo と Nb を W と Ta に置き換えている理由である.

冶金学的には,この置換は無理のないものである.W は Mo と同族(第6族)で,固溶強化と $\mathrm{M_{23}C_6}$ 炭化物の析出という役割を同じように果たす.Ta は Nb と同族(第5族)で,MX 型炭窒化物を作って結晶粒を微細化しクリープ強度を担う.周期表の同じ列で1段下に降りるだけで,力学特性をほぼ保ったまま放射化特性だけを入れ替えられる.同時に不純物管理も厳しくなり,Nb は $1\ \mathrm{ppm}$ 以下,Mo は $10\ \mathrm{ppm}$ 以下,Ni は $50\ \mathrm{ppm}$ 以下が要求される.製鋼段階で耐火物やスクラップから混入する数 ppm が,$100$ 年後の廃棄物区分を変えてしまうからである.

検算.(1) の結果を非相対論極限の常識と突き合わせる.非相対論的な正面弾性衝突で,質量 $m$ の粒子が質量 $M$ の静止標的に与える最大エネルギーは $T_{\max} = 4(m/M)T$ である.$^{63}$Ni の $T = 67\ \mathrm{keV}$,$m_ec^2 = 511\ \mathrm{keV}$,$Mc^2 = 26162\ \mathrm{MeV}$ を入れると $4\times(0.511/26162)\times67\ \mathrm{keV} = 5.23\ \mathrm{eV}$.相対論的公式の $5.58\ \mathrm{eV}$ と $7\ \%$ で一致する(差は $T/2m_ec^2 = 0.066$ の相対論補正).公式 $2T(T+2m_ec^2)/Mc^2$ は,$T\ll m_ec^2$ で $2T\cdot2m_ec^2/Mc^2 = 4(m_e/M)T$ に帰着するので,構造としても正しい.(4) については,別経路として「1原子あたりの取り出しエネルギー」で確認する.$^{63}$Ni 原子 $1$ 個が寿命の間に出す $\beta$ エネルギーは $17.4\ \mathrm{keV}$,その $2\ \%$ が電気になるので $348\ \mathrm{eV} = 348\times1.602\times10^{-19} = 5.575\times10^{-17}\ \mathrm{J}$.$1\ \mathrm{g}$ の原子数は $6.022\times10^{23}/63 = 9.56\times10^{21}$ だから $E_{\rm tot} = 9.56\times10^{21}\times5.575\times10^{-17} = 5.33\times10^{5}\ \mathrm{J/g}$.(4) の $5.34\times10^{5}\ \mathrm{J/g}$ と $0.3\ \%$ で一致する(残差は,与えられた比放射能 $2.08\times10^{12}\ \mathrm{Bq/g}$ が $N/\tau = 9.56\times10^{21}/4.607\times10^{9} = 2.075\times10^{12}\ \mathrm{Bq/g}$ と $0.25\ \%$ 違うことによる).

意味.(1)(2) と (5) はまったく別のことを扱っているように見えるが,どちらも「弱い相互作用が決めた数($Q$ 値と半減期)が,材料の数(変位閾値 $E_d$ と廃棄物基準の $100$ 年)と直接比較される」という構造をもつ.前者では $T_{\max}$ と $E_d$ の大小が電池の寿命を決め,後者では $t_{1/2}$ と $100$ 年の大小が合金組成を決める.いずれも比較される2つの数は,まったく違う物理から来ている.一方は $G_F$ と核構造,他方は結晶の結合エネルギーあるいは社会的な時間尺度である.素粒子物理の教科書に出てくる $\Gamma\propto G_F^2Q^5$ が,$\beta$ 電池の核種選定表と製鋼工場の不純物規格表という2つの実務文書に化けている.これが「素粒子物理を材料科学者が学ぶ意味」の,最もわかりやすい実例である.

演習12.8 $Z$ ボソンの部分幅・世代数・弱荷

問題(再掲)

$m_Z = 91.1876\ \mathrm{GeV}$,$\sin^2\theta_W=0.2312$,$\alpha_s(m_Z)=0.118$.

(1) 共通因子 $G_Fm_Z^3/(6\pi\sqrt2)$ を MeV 単位で求めよ.

(2) 表12.5 を使って $\Gamma(Z\to\nu\bar\nu)$(1種類)と $\Gamma(Z\to e^+e^-)$ を求めよ.

(3) ハドロン幅($u,c$ と $d,s,b$)に QCD 補正 $(1+\alpha_s/\pi)$ を掛け,全幅 $\Gamma_Z$ を求めよ.実測 $2495.2\ \mathrm{MeV}$ と比べよ.

(4) 実測の見えない幅 $499.0\ \mathrm{MeV}$ から $N_\nu$ を求めよ.もし第4のニュートリノがあれば $\Gamma_Z$ はいくらになるか.実測誤差 $\pm2.3\ \mathrm{MeV}$ の何倍のずれか.

(5) $^{133}$Cs($Z=55$,$N=78$)の弱荷 $Q_W$ を求めよ.また $Q_W\approx-N$ となる理由を述べよ.

(6) 陽子の弱荷 $Q_W^p = 1-4\sin^2\theta_W$ を求めよ.$\sin^2\theta_W$ が $1\ \%$ 変わると $Q_W^p$ は何 $\%$ 変わるか.

解答

方針.本書12.6.3 節で導いた $\Gamma(Z\to f\bar f) = G_Fm_Z^3N_c^f\left[(c_V^f)^2+(c_A^f)^2\right]/(6\pi\sqrt2)$ を,表12.5 の $c_V^2+c_A^2$ に沿って全チャンネルで足し上げる.(5)(6) は弱荷の式 $Q_W = Z(1-4\sin^2\theta_W)-N$ への代入である.

(1) $m_Z^3$ を段階的に作る.

$$ m_Z^2 = (91.1876)^2 = 8315.17\ \mathrm{GeV^2}, \qquad m_Z^3 = 8315.17\times91.1876 = 7.58241\times10^{5}\ \mathrm{GeV^3} $$

分母は

$$ 6\pi\sqrt2 = 6\times3.141593\times1.414214 = 26.6573 $$

したがって

$$ \frac{G_Fm_Z^3}{6\pi\sqrt2} = \frac{1.1663788\times10^{-5}\times7.58241\times10^{5}}{26.6573} = \frac{8.84396}{26.6573} = 0.331765\ \mathrm{GeV} = 331.77\ \mathrm{MeV} $$

この $331.77\ \mathrm{MeV}$ が,すべての部分幅の共通因子である.以下ではこれを $K$ と書く.

(2) 表12.5 の $c_V^2+c_A^2$ を使う.

ニュートリノ(1種類).$T_3=+1/2$,$Q=0$ なので $c_V = 1/2 - 0 = 0.5$,$c_A = 0.5$,$c_V^2+c_A^2 = 0.5$.色は $N_c=1$.

$$ \Gamma(Z\to\nu\bar\nu) = 331.77\times0.5000 = 165.9\ \mathrm{MeV} $$

荷電レプトン.$T_3=-1/2$,$Q=-1$ なので

$$ c_V = -\frac12 - 2\times(-1)\times0.2312 = -0.5+0.4624 = -0.0376, \qquad c_A = -0.5 $$ $$ c_V^2+c_A^2 = 0.001414+0.25 = 0.251414 $$ $$ \Gamma(Z\to e^+e^-) = 331.77\times0.251414 = 83.4\ \mathrm{MeV} $$

実測 $83.98\pm0.09\ \mathrm{MeV}$ に対して $0.7\ \%$ 小さい.樹木レベルの計算としては上出来である.

(3) クォークについても表12.5 の値を使う.色の因子 $N_c=3$ を掛ける.

$$ u,c,t:\quad c_V = \frac12-2\times\frac23\times0.2312 = 0.19173,\quad c_A=0.5,\quad c_V^2+c_A^2 = 0.28676 $$ $$ d,s,b:\quad c_V = -\frac12-2\times\left(-\frac13\right)\times0.2312 = -0.34587,\quad c_A=-0.5,\quad c_V^2+c_A^2 = 0.36962 $$

色を掛けると

$$ N_c(c_V^2+c_A^2)\Big|_{u} = 3\times0.28676 = 0.8603, \qquad N_c(c_V^2+c_A^2)\Big|_{d} = 3\times0.36962 = 1.1089 $$

$Z$ より軽いのは $u,c$ の2種類と $d,s,b$ の3種類($t$ は $m_t = 173\ \mathrm{GeV} > m_Z$ なので崩壊できない)だから,樹木レベルのハドロン幅は

$$ \Gamma_{\rm had}^{\rm tree} = K\times\left(2\times0.8603 + 3\times1.1089\right) = 331.77\times(1.7206+3.3267) = 331.77\times5.0473 = 1674.5\ \mathrm{MeV} $$

QCD 補正は

$$ 1+\frac{\alpha_s}{\pi} = 1+\frac{0.118}{3.141593} = 1.03756 $$ $$ \Gamma_{\rm had} = 1674.5\times1.03756 = 1737.4\ \mathrm{MeV} $$

荷電レプトン3種とニュートリノ3種を足して

$$ \Gamma_Z = 3\times83.4 + 3\times165.9 + 1737.4 = 250.2 + 497.7 + 1737.4 = 2485.3\ \mathrm{MeV} $$

実測 $2495.2\pm2.3\ \mathrm{MeV}$ との差は

$$ \frac{2485.3-2495.2}{2495.2} = -0.40\ \% $$

紙と鉛筆の樹木レベル計算で $Z$ ボソンの全幅が $0.4\ \%$ で合う.寿命に直せば $\tau_Z = \hbar/\Gamma_Z = (6.582\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s})/(2.4853\ \mathrm{GeV}) = 2.65\times10^{-25}\ \mathrm{s}$ である.

(4) 見えない幅を,ニュートリノ1種類あたりの標準模型値 $167.2\ \mathrm{MeV}$((2) の樹木レベル $165.9$ に高次補正を入れた値.標準模型予言 $\Gamma_{\rm inv}^{\rm SM}=501.4\ \mathrm{MeV}$ の $1/3$ にあたる)で割る.

$$ N_\nu = \frac{499.0}{167.2} = 2.98 $$

$Z$ より軽く $Z$ に標準的に結合するニュートリノは3種類だけである.LEP 4実験を統合した公式値 $N_\nu = 2.984\pm0.008$ と一致する.$3$ からの $2\sigma$ 程度の不足は長年議論されており,LEP の光度(Bhabha 散乱)の扱いに起因することが分かり,2020 年にその再評価を取り込んだ値は $2.9963\pm0.0074$ で $3$ と整合している.

第4のニュートリノがあれば,全幅は $167.2\ \mathrm{MeV}$ だけ増える.

$$ \Gamma_Z(N_\nu=4) = 2495.2 + 167.2 = 2662.4\ \mathrm{MeV} $$

実測誤差 $\pm2.3\ \mathrm{MeV}$ と比べると

$$ \frac{167.2}{2.3} = 72.7 $$

すなわち$72\sigma$ のずれである.統計的には完全に排除される.この結論の強さを味わうべきである.「4番目のニュートリノを探して見つからなかった」のではなく,「$Z$ が崩壊する速さを測ったら,そこに $3$ という数が書いてあった」のである.なお,本書14章で扱うステライルニュートリノがこの制限を逃れられるのは,まさに $Z$ に結合しないからである.

(5) 弱荷の式に代入する.

$$ 1-4\sin^2\theta_W = 1-4\times0.2312 = 1-0.9248 = 0.0752 $$ $$ Q_W(^{133}\mathrm{Cs}) = 55\times0.0752 - 78 = 4.136 - 78 = -73.86 $$

標準模型の予言(輻射補正込み)は $-73.23\pm0.01$,実測は $-72.82\pm0.42$ であり,$1\ \%$ の精度で一致している.

$Q_W\approx-N$ となる理由.陽子の寄与には $(1-4\sin^2\theta_W) = 0.0752$ という係数が掛かっており,これが $1$ ではなく $0.075$ と小さい.なぜ小さいかというと,$\sin^2\theta_W$ がたまたま $1/4$ に近いからである.もし $\sin^2\theta_W$ がちょうど $0.25$ なら $1-4\times0.25 = 0$ となって,陽子は弱荷をまったくもたない.そして中性子の寄与には係数 $-1$ が掛かっている(中性子の弱荷は $-1$ そのもの).したがって

$$ Q_W = Z\times0.0752 - N \approx -N $$

$^{133}$Cs では $Z$ の寄与 $+4.14$ が $N$ の寄与 $-78$ の $5\ \%$ にすぎない.電気的には中性である中性子が,弱い相互作用に対しては陽子より $13$ 倍強く結合する.「電荷」と「弱荷」がまったく別の量であることが,この一行に凝縮されている.

クォークレベルで確認しておく.陽子は $uud$,中性子は $udd$ である.$Z$ とのベクトル結合 $c_V$ は $u$ が $+0.1917$,$d$ が $-0.3459$ だから,弱荷(の $2$ 倍の規格化で)

$$ Q_W^p \propto 2c_V^u + c_V^d = 2\times0.19173 - 0.34587 = 0.03760, \qquad Q_W^n \propto c_V^u + 2c_V^d = 0.19173 - 0.69173 = -0.50000 $$

比は $0.03760/(-0.50000) = -0.0752$.すなわち $Q_W^p/Q_W^n = -(1-4\sin^2\theta_W)$ であり,実際に $c_V^u = 1/2-(4/3)\sin^2\theta_W$,$c_V^d = -1/2+(2/3)\sin^2\theta_W$ を代入すれば $2c_V^u+c_V^d = 1/2-2\sin^2\theta_W$,$c_V^u+2c_V^d = -1/2$ が恒等的に出る.$u$ と $d$ の $c_V$ がほとんど打ち消し合うか,同符号で加わるかの違いである.

(6) 陽子の弱荷は

$$ Q_W^p = 1-4\sin^2\theta_W = 0.0752 $$

$\sin^2\theta_W$ が $1\ \%$ 変わるとは,$\Delta(\sin^2\theta_W) = 0.01\times0.2312 = 0.002312$ ということである.$Q_W^p$ の変化は

$$ \Delta Q_W^p = -4\times0.002312 = -0.009248 $$

相対変化は

$$ \frac{\abs{\Delta Q_W^p}}{Q_W^p} = \frac{0.009248}{0.0752} = 0.1230 = 12.3\ \% $$

すなわち$\sin^2\theta_W$ の $1\ \%$ の変化が,陽子の弱荷では $12\ \%$ に増幅される.一般に,$Q_W^p$ の相対感度は

$$ \frac{\dd\ln Q_W^p}{\dd\ln\sin^2\theta_W} = \frac{-4\sin^2\theta_W}{1-4\sin^2\theta_W} = \frac{-0.9248}{0.0752} = -12.3 $$

である.「小さい量を測る」ことが,そのまま「高い相対感度をもつ」ことに変わっている.Jefferson Lab の Qweak 実験はこの増幅を利用して陽子の弱荷を直接測定し,$Q_W^p = 0.0719\pm0.0045$(標準模型 $0.0708$)を得ている.

検算.(3) の全幅を別の切り口で確かめる.レプトン幅と全幅の比(ハドロン率)を計算すると,$\Gamma_{\rm had}/\Gamma_Z = 1737.4/2485.3 = 0.699$,実測 $1744.4/2495.2 = 0.699$.一致する.また $R_\ell \equiv \Gamma_{\rm had}/\Gamma_{\ell} = 1737.4/83.4 = 20.83$ であり,実測 $20.77$ と $0.3\ \%$ で合う(この $R_\ell$ が $\alpha_s(m_Z)$ を決める主要な測定量の一つである).次元については,$[G_F m_Z^3] = \mathrm{GeV^{-2}}\cdot\mathrm{GeV^3} = \mathrm{GeV}$ であり,$c_V^2+c_A^2$ も $N_c$ も無次元なので,右辺は正しく幅の次元をもつ.(5) の $Q_W$ は無次元の数であり,$Z$ と $N$ の数え上げから来ているので当然である.

意味.この問題が示すのは,「一つの結合構造 $c_V = T_3-2Q\sin^2\theta_W$,$c_A = T_3$ から,$Z$ の寿命が $0.4\ \%$ で出て,しかもニュートリノの種類数まで読める」ということである.(4) の $N_\nu=3$ は,加速器で新粒子を直接探すのではなく,既知の粒子の崩壊速度を精密に測ることで到達した結論であり,「見えないものを,見えているものの引き算で数える」という物理学の最も鮮やかな論法の一つである.(5)(6) はさらに応用範囲が広い.$\sin^2\theta_W$ がたまたま $1/4$ に近いという「偶然」が,荷電レプトンの $c_V\approx0$ と陽子の $Q_W^p\approx0$ を生み,どちらも $\sin^2\theta_W$ に対する感度を $10$ 倍以上に増幅している.これは測定技術の一般則である.「ほぼ打ち消し合う2つの量の差を測る」ことは,絶対値としては小さいが相対感度としては極めて高い.物性測定でも,差動測定,ブリッジ回路,ロックイン検出,あるいは消滅則に近い弱い反射を測る回折実験など,同じ発想があらゆる場面に現れる.そして本書12.6.4 節の $Z^3$ 則(重い原子ほど有利)は,まさに「信号を増幅してくれる媒体を選ぶ」という材料選択そのものである.

演習12.9 「弱い力は弱くない」—— 交差点と有効理論の破綻

問題(再掲)

$g_w=0.6529$,$e=0.30282$,$m_W=80.377\ \mathrm{GeV}$,$G_F=1.1663788\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$.

(1) 振幅の比 $\mathcal{M}_{\rm weak}/\mathcal{M}_{\rm EM} = [g_w^2/(q^2+m_W^2)]/[e^2/q^2]$ が $1$ になる $q$ を求めよ.

(2) 位置空間で $(\alpha_w/\alpha)\ee^{-m_Wr}=1$ となる $r$ を fm 単位で求めよ.

(3) $q\to\infty$ での比の極限値を求めよ.

(4) Fermi 理論の断面積 $\sigma = G_F^2s/\pi$ が,$s$ 波ユニタリ性の上限 $\sigma\le4\pi/s$ を破る $\sqrt s$ を求めよ.この数が $m_W$ より大きいことの意味を述べよ.

(5) 表12.12 の対応表を自分で埋め直し,「$W$ ボソン $\leftrightarrow$ フォノン」「$G_F\leftrightarrow$ BCS の $-V$」「$\sqrt s\sim m_W\leftrightarrow\omega\sim\omega_D$」という対応が,どの式のどの部分に対応しているかを説明せよ.また,BCS 理論が $\lambda\gtrsim0.5$ で破綻して Eliashberg 理論が必要になることと,Fermi 理論が $\sqrt s\sim700\ \mathrm{GeV}$ で破綻して電弱理論が必要になることの,数学的な共通点を述べよ.

解答

方針.(1)–(3) は,伝播関数 $1/(q^2+m_W^2)$ と $1/q^2$ の競合を運動量空間と位置空間の両方で見る計算である.(4) は,断面積が $s$ に比例して増え続けることとユニタリ性の上限が $1/s$ で減ることの交点を求める.(5) は式の構造の対応づけである.なお空間的運動量移行では $q^2 < 0$ となるが,本問の記法は $Q^2 = -q^2 > 0$(Euclid 的な運動量移行の2乗)を $q^2$ と書いたものであり,伝播関数の分母が $q^2+m_W^2$ と正符号になっているのはそのためである.

(1) 比を $1$ とおく.

$$ \frac{g_w^2}{q^2+m_W^2} = \frac{e^2}{q^2} $$

両辺に $q^2(q^2+m_W^2)$ を掛けて

$$ g_w^2q^2 = e^2\left(q^2+m_W^2\right) \quad\Longrightarrow\quad \left(g_w^2-e^2\right)q^2 = e^2m_W^2 \quad\Longrightarrow\quad q^2 = \frac{e^2m_W^2}{g_w^2-e^2} $$

数値を入れる.

$$ e^2 = (0.30282)^2 = 0.0917000, \qquad g_w^2 = (0.6529)^2 = 0.4262784 $$ $$ m_W^2 = (80.377)^2 = 6460.46\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ e^2m_W^2 = 0.0917000\times6460.46 = 592.42\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ g_w^2-e^2 = 0.4262784-0.0917000 = 0.3345784 $$ $$ q^2 = \frac{592.42}{0.3345784} = 1770.7\ \mathrm{GeV^2} \quad\Longrightarrow\quad q = 42.08\ \mathrm{GeV} $$

すなわち運動量移行 $42\ \mathrm{GeV}$ で,弱い相互作用と電磁相互作用の振幅の大きさが等しくなる.$m_W = 80.4\ \mathrm{GeV}$ よりだいぶ手前であることに注意したい.結合が $4.6$ 倍強いぶん,$W$ の質量に達する前に追いついてしまう.

(2) 位置空間では,Yukawa ポテンシャルの比が

$$ \frac{V_{\rm weak}(r)}{V_{\rm EM}(r)} = \frac{\alpha_w\ee^{-m_Wr}/r}{\alpha/r} = \frac{\alpha_w}{\alpha}\ee^{-m_Wr} $$

である($1/r$ が相殺する).これを $1$ とおくと

$$ \ee^{-m_Wr} = \frac{\alpha}{\alpha_w} \quad\Longrightarrow\quad m_Wr = \ln\frac{\alpha_w}{\alpha} $$

演習12.1 (2) の $\alpha_w/\alpha = g_w^2/e^2$ を,本問で与えられた丸めた値 $g_w=0.6529$,$e=0.30282$ で作り直すと $0.4262784/0.0917000 = 4.6486$ である(演習12.1 の $4.6484$ との $4\times10^{-5}$ の差は入力の丸めによる).よって

$$ m_Wr = \ln(4.6486) = 1.5366 $$

$R_W = 1/m_W = 2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ を掛けて

$$ r = 1.5366\times2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm} = 3.772\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$

すなわち $R_W$ のわずか $1.54$ 倍の距離である.これより近ければ弱い力のほうが強く,これより遠ければ電磁気力が勝つ.$3.8\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ は陽子半径の $1/220$,原子半径の $10^{-8}$ 倍であり,日常の物質のどのスケールよりはるかに小さい.我々が「弱い力は弱い」と感じるのは,この境界のはるか外側に住んでいるからである.

(3) $q\to\infty$ では分母の $m_W^2$ が無視できるので

$$ \lim_{q\to\infty}\frac{\mathcal{M}_{\rm weak}}{\mathcal{M}_{\rm EM}} = \lim_{q\to\infty}\frac{g_w^2/(q^2+m_W^2)}{e^2/q^2} = \frac{g_w^2}{e^2}\lim_{q\to\infty}\frac{q^2}{q^2+m_W^2} = \frac{g_w^2}{e^2} = \frac{0.4262784}{0.0917000} = 4.649 $$

高エネルギー極限では,$W$ の質量が「見えなく」なり,弱い相互作用は電磁相互作用の $4.65$ 倍強い力として振る舞う.伝播関数の質量が効かなくなれば,残るのは裸の結合定数の比だけである.LHC の $13\ \mathrm{TeV}$ 衝突は完全にこの領域にあり,そこでは「弱い相互作用」という呼び名は完全に不適切になる.

(4) Fermi 理論では,接触相互作用の断面積は次元解析だけで決まる.$[\sigma] = \mathrm{GeV^{-2}}$,$[G_F^2] = \mathrm{GeV^{-4}}$ なので,残りは $\mathrm{GeV^2}$,すなわち $s$ でなければならない.よって $\sigma\simeq G_F^2s/\pi$ である.一方,$s$ 波($\ell=0$)の部分波振幅にはユニタリ性から上限があり,$\sigma\le4\pi/s$ である.前者は $s$ に比例して増え,後者は $1/s$ で減る.必ずどこかで交差する.

$$ \frac{G_F^2s}{\pi} = \frac{4\pi}{s} \quad\Longrightarrow\quad s^2 = \frac{4\pi^2}{G_F^2} \quad\Longrightarrow\quad s = \frac{2\pi}{G_F} $$

数値を入れると

$$ s = \frac{2\times3.141593}{1.1663788\times10^{-5}} = 5.387\times10^{5}\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ \sqrt s = \sqrt{5.387\times10^{5}} = 734.0\ \mathrm{GeV} $$

この数が $m_W$ より大きいことの意味.$\sqrt s = 734\ \mathrm{GeV}$ は $m_W = 80.4\ \mathrm{GeV}$ の $9$ 倍である.すなわち,Fermi 理論が自分の矛盾(確率が $1$ を超える)に到達するはるか手前で,$W$ ボソンが実在の粒子として姿を現し,接触近似そのものが自然に解消される.エネルギーを上げていくと,$\sqrt s\sim m_W$ で伝播関数の分母の $q^2$ が効きはじめ,断面積は $s$ に比例して増えるのをやめて $\sigma\sim g_w^4/(16\pi s)$ のように減少に転じる.ユニタリ性の危機は起きない.

これが有効理論の作法である.有効理論は自分がいつ壊れるかを自分で教えてくれる($\sqrt s\sim734\ \mathrm{GeV}$ という上限)が,実際にはそれより低いところで後継理論に引き継ぐ.歴史的には論理が逆向きに使われた.「$700\ \mathrm{GeV}$ より下に何か新しいものがあるはずだ」という論法が $W$ ボソンの存在を要求し,同じ論法($WW$ 散乱のユニタリ性)が $1\ \mathrm{TeV}$ 以下に Higgs 粒子を要求した.どちらも当たった.ユニタリ性の破れは,理論の欠陥ではなく新粒子の予言装置である.

(5) 表12.12 の3列を,式のどの部分が対応しているかという観点で埋め直す.

表E.12.3 「重いボソンを消して接触相互作用にする」3つの例(式の対応)
項目弱い相互作用金属中の遮蔽BCS 超伝導
交換される場$W$ ボソン電子気体の分極(プラズモン)フォノン
伝播関数(完全形)$\dfrac{1}{q^2-m_W^2}$$\dfrac{4\pi e^2}{q^2+k_{\rm TF}^2}$$\abs{g_\qq}^2\dfrac{2\omega_\qq}{\omega^2-\omega_\qq^2}$
捨てる項$q^2$$q^2$$\omega^2$
展開パラメータ$q^2/m_W^2$$q^2/k_{\rm TF}^2$$\omega^2/\omega_\qq^2$
低エネルギー極限(接触定数)$-\dfrac{1}{m_W^2}\ \Rightarrow\ \dfrac{G_F}{\sqrt2}=\dfrac{g_w^2}{8m_W^2}$$\dfrac{4\pi e^2}{k_{\rm TF}^2}=\dfrac{1}{N(E_F)}$$-\dfrac{2\abs{g_\qq}^2}{\omega_\qq}\equiv-V$
近似が効く窓$\sqrt s\ll m_W$$q\ll k_{\rm TF}$$\abs{\omega}<\omega_D$
破綻するスケール$\sqrt s\sim m_W$(形式的な上限 $734\ \mathrm{GeV}$)$q\sim k_{\rm TF}$$\omega\sim\omega_D$(実効的には $\lambda\gtrsim0.5$)
後継理論電弱理論 $SU(2)_L\times U(1)_Y$動的遮蔽 $\epsilon(\qq,\omega)$(RPA)Eliashberg 理論

「$W$ ボソン $\leftrightarrow$ フォノン」.どちらも「有限のエネルギースケールをもつ媒介ボソン」である.$W$ の質量 $m_W$ が伝播関数の分母に $-m_W^2$ として入るのと同じ位置に,フォノンの振動数 $\omega_\qq$ が $-\omega_\qq^2$ として入っている.伝播関数の極が実在の粒子($W$ ボソン/フォノン)を表すことも共通である.

「$G_F\leftrightarrow$ BCS の $-V$」.どちらも「分母の $q^2$($\omega^2$)を捨てた結果として残る定数」である.本書12.1.3 節の $1/(q^2-m_W^2)\to-1/m_W^2$ と,$2\omega_\qq/(\omega^2-\omega_\qq^2)\to-2/\omega_\qq$ は,まったく同じ1行の操作である.そして「定数の伝播関数=運動量に依らない=位置空間では $\delta$ 関数=接触相互作用」という帰結も共通である.$G_F$ が Fermi の4フェルミオン接触相互作用の強さであるのと同じ意味で,$-V$ は BCS ハミルトニアン $-V\sum c^\dagger_{\kk\uparrow}c^\dagger_{-\kk\downarrow}c_{-\kk'\downarrow}c_{\kk'\uparrow}$ における接触引力の強さである.

「$\sqrt s\sim m_W \leftrightarrow \omega\sim\omega_D$」.どちらも「捨てた項が捨てられなくなる境界」である.BCS 理論が引力を $\abs{\omega}<\omega_D$ の窓の中でだけ定数 $-V$ とし,窓の外でゼロと切り捨てるのは,Fermi 理論が $q^2\ll m_W^2$ の範囲でだけ有効であることの正確な対応物である.

破綻の数学的な共通点.両者はともに,伝播関数の分母を $M^2$(あるいは $\omega_\qq^2$)だけで置き換えた $0$ 次近似であり,展開パラメータ $q^2/M^2$($\omega^2/\omega_D^2$)が $1$ に近づくところで破綻する.具体的には次の3点が共通している.

  1. 展開の性質.正確な伝播関数は $\dfrac{-1}{m_W^2}\left(1+\dfrac{q^2}{m_W^2}+\dfrac{q^4}{m_W^4}+\cdots\right)$ と幾何級数に展開でき,接触近似は第1項だけを取る操作である.第2項以降が無視できなくなる点が破綻点である.BCS 側も $-\dfrac{2\abs{g}^2}{\omega_\qq}\left(1+\dfrac{\omega^2}{\omega_\qq^2}+\cdots\right)$ とまったく同じ形に展開される.$\omega$ 依存性を捨てることは「相互作用が瞬間的である」とみなすことであり,それを取り戻すのが Eliashberg 理論の遅延効果(retardation)である.
  2. 破綻の現れ方.どちらも「無視した振動数・運動量依存性が,物理量の予言をずらす」という形で現れる.Fermi 理論では断面積が $s$ に比例して増え続けてユニタリ性を破り,BCS では $2\Delta/k_BT_c$ が普遍値 $3.53$ から外れる.Pb($\lambda=1.55$)で $4.5$ にずれるのは,フォノンの $\omega$ 依存性(クーロン擬ポテンシャル $\mu^*$ と遅延)を捨てた代償である.
  3. 解決の仕方.どちらも「消した自由度を復活させる」ことで解決する.Fermi 理論では $W$ を伝播粒子として陽に扱う(電弱理論),BCS ではフォノンの $\omega$ 依存性を Eliashberg 関数 $\alpha^2F(\omega)$ として陽に扱う.すなわち,有効理論の破綻は,消した重い自由度を書き戻せというサインである.

検算.(1) と (2) の整合性を確かめる.運動量移行 $q$ と距離 $r$ は $r\sim1/q$(正確には Fourier 変換の重み次第で数因子が付く)で対応するはずである.(1) の $q = 42.08\ \mathrm{GeV}$ に対応する長さは

$$ \frac{\hbar c}{q} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{42080\ \mathrm{MeV}} = 4.69\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$

(2) の $r = 3.77\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ と,因子 $1.2$ の範囲で一致する.運動量空間と位置空間という別の見方をしても,交差点は同じ物理スケール($R_W$ の $1.5$–$1.9$ 倍)に来る.また (3) の極限値 $g_w^2/e^2 = 4.649$ は,(1) の式で $m_W\to0$ とおいたときの比と一致し,(2) の $\alpha_w/\alpha$ とも一致する($\alpha_w/\alpha = (g_w^2/4\pi)/(e^2/4\pi) = g_w^2/e^2$).(4) については次元を見ておく.$[G_F^2s] = \mathrm{GeV^{-4}}\cdot\mathrm{GeV^2} = \mathrm{GeV^{-2}}$,$[4\pi/s] = \mathrm{GeV^{-2}}$.どちらも断面積の次元であり,$s = 2\pi/G_F$ が $\mathrm{GeV^2}$ になることも整合している.

意味.この演習は本章全体の結論である.弱い相互作用が弱く見えるのは,我々が $m_W$ よりはるかに低いエネルギーに住んでいるからにすぎない.結合定数では $4.65$ 倍勝っており((3)),$42\ \mathrm{GeV}$ を超えれば逆転する((1)).弱いのは力ではなく,我々のいる場所である.

そして (5) が示すとおり,この構造は材料科学者にとって初めて見るものではない.金属中の Coulomb 相互作用は $k_{\rm TF}$ より長い波長で見れば接触斥力に見え,フェルミ面近傍の電子には電子–電子引力が瞬間的な接触引力に見える.DFT$+U$ の Hubbard $U$ を cRPA で決める手続きは,「遮蔽チャンネルを積分して消し,残った接触相互作用を $U$ と呼ぶ」ことに他ならず,$m_W\leftrightarrow k_{\rm TF}$,$G_F\leftrightarrow U$ という対応がそのまま成り立つ.どの理論も「自分より重いものを消した残骸」であり,そこには必ず有効範囲がある.$U$ を決めたときの遮蔽の条件を外れた系にその $U$ を持ち込めば予言は外れるし,BCS の $\lambda$ が $0.5$ を超えれば Eliashberg に切り替えねばならない.有効理論の使い方を誤らないためには,自分が捨てた項が何であり,それがいつ効きはじめるかを常に把握していなければならない.本章の $q^2/m_W^2$ という展開パラメータは,その最も透明な教科書例である.

E.13 第13章 ゲージ理論と自発的対称性の破れ の解答

演習13.1 Euler–Lagrange 方程式を使う

問題(再掲)

(1) 1次元調和振動子 $L=\tfrac12m\dot q^2-\tfrac12kq^2$ に本書13.1.1項の Euler–Lagrange 方程式(質点版)を適用し,$\ddot q=-(k/m)q$ を導け.

(2) 複素スカラー場の Lagrangian $\Lag=(\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi)-m^2\phi^*\phi$ に対し,$\phi^*$ を独立変数として変分し,$(\Box+m^2)\phi=0$ を示せ.同様に $\phi$ で変分すると $\phi^*$ の方程式が出ることを確かめよ.

(3) Proca Lagrangian $\Lag_{\rm Proca}=-\tfrac14F_{\mu\nu}F^{\mu\nu}+\tfrac12m^2A_\nu A^\nu$ で $m=0$ とすると,$\partial_\nu A^\nu$ が方程式から決まらなくなる(ゲージ自由度が残る)ことを説明せよ.

ヒント:(2) $\partial\Lag/\partial(\partial_\mu\phi^*)=\partial^\mu\phi$,$\partial\Lag/\partial\phi^*=-m^2\phi$.(3) $m=0$ では 13.2.4項ステップ4の議論が $0=0$ になり,$\partial\!\cdot\!A$ に関する情報が得られない.したがって手でゲージを固定する必要がある.

解答

方針.質点版 $\dfrac{\dd}{\dd t}\left(\dfrac{\partial L}{\partial\dot q}\right)-\dfrac{\partial L}{\partial q}=0$ と,場の版 $\partial_\mu\!\left(\dfrac{\partial\Lag}{\partial(\partial_\mu\phi)}\right)-\dfrac{\partial\Lag}{\partial\phi}=0$ を,機械的に当てはめるだけである.(3) だけは「方程式が何を決めないか」を読む問題であり,計算ではなく論理の問題である.本書の規約どおり自然単位系 $\hbar=c=1$,計量は $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ を用いる.

(1) $L=\tfrac12m\dot q^2-\tfrac12kq^2$ である.力学変数は $q$ ひとつだから,計算すべき偏微分は2つしかない.まず速度についての微分は

$$ \frac{\partial L}{\partial\dot q} = \frac{\partial}{\partial\dot q}\left(\tfrac12 m\dot q^2\right) = m\dot q $$

である(第2項は $\dot q$ を含まないので寄与しない).これは運動量 $p=m\dot q$ にほかならない.時間微分すると

$$ \frac{\dd}{\dd t}\!\left(\frac{\partial L}{\partial\dot q}\right) = m\ddot q . $$

つぎに座標についての微分は

$$ \frac{\partial L}{\partial q} = \frac{\partial}{\partial q}\left(-\tfrac12 kq^2\right) = -kq $$

である.これは復元力 $F=-kq$ にほかならない.両者を Euler–Lagrange 方程式に代入すると

$$ m\ddot q - (-kq) = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad m\ddot q + kq = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad \ddot q = -\frac{k}{m}\,q . $$

求める式が得られた.一般解は $q(t)=A\cos(\omega t+\varphi)$,$\omega=\sqrt{k/m}$ である.

(2) $\Lag=(\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi)-m^2\phi^*\phi$ を,$\phi$ と $\phi^*$ を互いに独立な2つの力学変数とみなして扱う.実部と虚部を独立変数に選ぶのと等価であり,こちらのほうが式が短い.計量を露わに書くと

$$ \Lag = g^{\mu\nu}(\partial_\mu\phi^*)(\partial_\nu\phi) - m^2\phi^*\phi $$

である.ここで $\partial_\mu\phi^*$ は1回しか現れていないことに注意する.実スカラー場の $\tfrac12(\partial\phi)^2$ では同じ $\partial_\mu\phi$ が2回現れるため微分すると因子2が出て,係数 $\tfrac12$ がそれを打ち消していた.複素場では因子2が出ないので $\tfrac12$ を置かないのである(本書13.2.2項の注意).したがって

$$ \frac{\partial\Lag}{\partial(\partial_\mu\phi^*)} = g^{\mu\nu}\partial_\nu\phi = \partial^\mu\phi , \qquad \frac{\partial\Lag}{\partial\phi^*} = -m^2\phi . $$

これを Euler–Lagrange 方程式に入れる:

$$ \partial_\mu\!\left(\partial^\mu\phi\right) - \left(-m^2\phi\right) = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad \partial_\mu\partial^\mu\phi + m^2\phi = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad (\Box+m^2)\phi = 0 . $$

Klein–Gordon 方程式である.つぎに $\phi$ で変分する.こんどは

$$ \frac{\partial\Lag}{\partial(\partial_\mu\phi)} = \partial^\mu\phi^* , \qquad \frac{\partial\Lag}{\partial\phi} = -m^2\phi^* $$

であり,まったく同じ手順で

$$ (\Box+m^2)\phi^* = 0 $$

を得る.すなわち $\phi$ と $\phi^*$ から,互いに複素共役な2本の Klein–Gordon 方程式が出る.独立変数を2つ置いたのだから方程式も2本出るのが正しく,しかもそれらが独立でなく共役関係にあるのは,$\Lag$ が実数であることの反映である.

(3) Proca Lagrangian から出る方程式は,本書13.2.4項のとおり

$$ \partial_\mu F^{\mu\nu} + m^2 A^\nu = 0 $$

である.ここに $\partial_\nu$ を作用させる.第1項は $F^{\mu\nu}$ が $\mu\nu$ について反対称,$\partial_\nu\partial_\mu$ が対称であるから,添字を入れ替えて足すと必ず打ち消し合い,恒等的にゼロである:

$$ \partial_\nu\partial_\mu F^{\mu\nu} = 0 \quad(\text{恒等式}) . $$

したがって残るのは

$$ m^2\,\partial_\nu A^\nu = 0 $$

という関係だけである.ここで場合分けが生じる.

これが「ゲージ自由度が残る」ということの正確な意味である.したがって $m=0$ の理論を解くには,Lorenz ゲージ $\partial\!\cdot\!A=0$ や Coulomb ゲージ $\nabla\!\cdot\!\bm A=0$ を手で課す必要がある.自由度は $4-1(\text{ゲージ固定})-1(\text{残留ゲージ自由度})=2$ で,光子の横偏極2つになる.

検算.(1) を次元で確かめる.$[k]=$ 力/長さ,$[m]=$ 質量だから $[k/m]=$ (力/長さ)/質量 $=$ 時間$^{-2}$ であり,$\ddot q$ の次元(長さ/時間$^2$)と $[(k/m)q]$ の次元が一致する.$\omega=\sqrt{k/m}$ という見慣れた式も再現している.(2) は $m\to0$ の極限で $\Box\phi=0$,すなわち光速で伝わる波動方程式になり,質量ゼロのスカラー場の分散 $E=\abs{\pp}$ を与えるので正しい.(3) は自由度勘定で確かめられる.$m\neq0$ なら3,$m=0$ なら2.この $3-2=1$ の差こそが,13.8節で Goldstone ボソンが埋める穴である.

意味.(1) は「最小作用の原理から Newton 力学が出る」という当たり前の事実の確認であるが,材料科学では見かけ以上に実用的である.結晶中の原子変位 $u$ に対する調和 Lagrangian $L=\tfrac12M\dot u^2-\tfrac12\Phi u^2$ から $\omega=\sqrt{\Phi/M}$ が出るというのは,第一原理フォノン計算そのものの骨格だからである.力の定数 $\Phi$ を DFT で求め,動力学行列を対角化して $\omega$ を得るという手続きは,(1) の多自由度版にほかならない.(3) の「方程式が決めないものがある」という事態は,計算する側にとっては厄介事に見えるが,実は質量ゼロのゲージ場が持つ本質的な性質であって,物理量を計算するときには必ず消えてくれる.そして 13.9節で見るように,超伝導体の内部では光子が $m_\gamma=1/\lambda_L$ の質量を得るので,このゲージ自由度は消え,$\partial\!\cdot\!A=0$ が理論の帰結として成り立つようになる.

演習13.2 複素スカラー場と Noether カレント

問題(再掲)

(1) $\phi=(\phi_1+\ii\phi_2)/\sqrt2$($\phi_1,\phi_2$ は実場)を $\Lag=(\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi)-m^2\phi^*\phi$ に代入し,$\Lag=\sum_{i=1,2}\left[\tfrac12(\partial\phi_i)^2-\tfrac12m^2\phi_i^2\right]$ となることを示せ.これで複素スカラー場の Lagrangian に $\tfrac12$ がない理由が分かる.

(2) この $\Lag$ が大域変換 $\phi\to\ee^{-\ii q\theta}\phi$ の下で不変であることを示し,Noether カレントが

$$ j^\mu = \ii q\left(\phi^*\partial^\mu\phi - (\partial^\mu\phi^*)\phi\right) $$

となることを導け.

(3) $\phi=N\ee^{-\ii p\cdot x}$(平面波)を代入し,$j^\mu = 2q\abs N^2 p^\mu$ となることを示せ.$j^0$ が確率密度ではなく電荷密度であること,したがって負にもなりうることを確認せよ.

ヒント:(1) $\abs\phi^2=(\phi_1^2+\phi_2^2)/2$.(3) $\partial^\mu\ee^{-\ii p\cdot x}=-\ii p^\mu\ee^{-\ii p\cdot x}$.反粒子($p^0<0$ の解)では $j^0$ の符号が逆になる.第8章の議論と合わせて読むこと.

解答

方針.(1) は代入と展開だけである.(2) は本書13.3.1項で Dirac 場について行った Noether の手続きを,そのままスカラー場に移すだけである.(3) は微分を1回実行するだけで済む.

(1) $\phi=\dfrac{1}{\sqrt2}(\phi_1+\ii\phi_2)$,$\phi^*=\dfrac{1}{\sqrt2}(\phi_1-\ii\phi_2)$ を運動項に代入する.$\phi_1,\phi_2$ は実場だから微分も実である:

$$ (\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi) = \frac{1}{2}\left(\partial_\mu\phi_1-\ii\partial_\mu\phi_2\right)\left(\partial^\mu\phi_1+\ii\partial^\mu\phi_2\right) . $$

括弧を展開すると4項出る:

$$ = \frac12\left[ (\partial_\mu\phi_1)(\partial^\mu\phi_1) + \ii(\partial_\mu\phi_1)(\partial^\mu\phi_2) - \ii(\partial_\mu\phi_2)(\partial^\mu\phi_1) + (\partial_\mu\phi_2)(\partial^\mu\phi_2) \right] . $$

中央の2項は,$\mu$ について和をとった後は同じ量であるから,符号が逆で打ち消し合う.したがって

$$ (\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi) = \tfrac12(\partial_\mu\phi_1)(\partial^\mu\phi_1) + \tfrac12(\partial_\mu\phi_2)(\partial^\mu\phi_2) . $$

質量項も同様に

$$ -m^2\phi^*\phi = -m^2\abs\phi^2 = -m^2\cdot\frac{\phi_1^2+\phi_2^2}{2} = -\tfrac12 m^2\phi_1^2 - \tfrac12 m^2\phi_2^2 $$

である.両者を合わせると

$$ \Lag = \sum_{i=1,2}\left[\tfrac12(\partial_\mu\phi_i)(\partial^\mu\phi_i) - \tfrac12 m^2\phi_i^2\right] $$

となり,各成分が実 Klein–Gordon Lagrangian の標準形になっている.これが複素場の $\Lag$ に $\tfrac12$ を置かない理由である.$\phi=(\phi_1+\ii\phi_2)/\sqrt2$ の $1/\sqrt2$ と,$\tfrac12$ を置かないことがちょうど釣り合って,2つの実場が正しく規格化される.もし複素場に $\tfrac12$ を付けてしまうと,各実成分の運動項が $\tfrac14(\partial\phi_i)^2$ となり,質量の読み取りが $\sqrt2$ だけずれてしまう.

(2) まず不変性を確かめる.$\theta$ を定数として $\phi\to\ee^{-\ii q\theta}\phi$,$\phi^*\to\ee^{+\ii q\theta}\phi^*$ である.$\theta$ が定数なので微分は位相因子を素通りし,$\partial_\mu\phi\to\ee^{-\ii q\theta}\partial_\mu\phi$ となる.したがって

$$ (\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi) \to \ee^{+\ii q\theta}\ee^{-\ii q\theta}(\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi) = (\partial_\mu\phi)^*(\partial^\mu\phi), \qquad \phi^*\phi \to \phi^*\phi $$

で,$\Lag$ は不変である.$\Lag$ には $\phi$ と $\phi^*$ が必ず同数ずつ現れるので,位相因子はつねに打ち消し合う.

つぎに Noether カレントを作る.無限小変換は $\theta\ll1$ として

$$ \delta\phi = -\ii q\theta\,\phi, \qquad \delta\phi^* = +\ii q\theta\,\phi^* $$

である.本書13.3.1項ステップ3と同じ計算をする.$\Lag$ の変分を連鎖律で書き,Euler–Lagrange 方程式 $\partial\Lag/\partial\phi=\partial_\mu[\partial\Lag/\partial(\partial_\mu\phi)]$ を使うと,2項が積の微分にまとまって

$$ \delta\Lag = \partial_\mu\!\left[ \frac{\partial\Lag}{\partial(\partial_\mu\phi)}\delta\phi + \frac{\partial\Lag}{\partial(\partial_\mu\phi^*)}\delta\phi^* \right] $$

となる.左辺は対称性によりゼロだから,角括弧の中身が保存カレントである.演習13.1(2) で求めた偏微分 $\partial\Lag/\partial(\partial_\mu\phi)=\partial^\mu\phi^*$,$\partial\Lag/\partial(\partial_\mu\phi^*)=\partial^\mu\phi$ を代入すると

$$ \partial^\mu\phi^*\cdot(-\ii q\theta\,\phi) + \partial^\mu\phi\cdot(\ii q\theta\,\phi^*) = \ii q\theta\left[\phi^*\partial^\mu\phi - (\partial^\mu\phi^*)\phi\right] . $$

定数 $\theta$ を落として

$$ j^\mu = \ii q\left(\phi^*\partial^\mu\phi - (\partial^\mu\phi^*)\phi\right), \qquad \partial_\mu j^\mu = 0 $$

を得る.これが求めるカレントである.$j^\mu$ が実であることも確かめておこう.$(j^\mu)^*=-\ii q(\phi\partial^\mu\phi^*-(\partial^\mu\phi)\phi^*)=\ii q(\phi^*\partial^\mu\phi-(\partial^\mu\phi^*)\phi)=j^\mu$ で,確かに実である.

(3) 平面波 $\phi=N\ee^{-\ii p\cdot x}$($p\cdot x=p^\mu x_\mu=Et-\pp\cdot\xx$)を代入する.ヒントの $\partial^\mu\ee^{-\ii p\cdot x}=-\ii p^\mu\ee^{-\ii p\cdot x}$ より

$$ \partial^\mu\phi = -\ii p^\mu N\ee^{-\ii p\cdot x}, \qquad \partial^\mu\phi^* = +\ii p^\mu N^*\ee^{+\ii p\cdot x} . $$

よって2つの項はそれぞれ

$$ \phi^*\partial^\mu\phi = N^*\ee^{\ii p\cdot x}\cdot(-\ii p^\mu N\ee^{-\ii p\cdot x}) = -\ii p^\mu\abs N^2, $$ $$ (\partial^\mu\phi^*)\phi = \ii p^\mu N^*\ee^{\ii p\cdot x}\cdot N\ee^{-\ii p\cdot x} = +\ii p^\mu\abs N^2 $$

となり,位相因子はきれいに消える.差をとると $-2\ii p^\mu\abs N^2$ であるから

$$ j^\mu = \ii q\cdot\left(-2\ii p^\mu\abs N^2\right) = 2q\abs N^2 p^\mu . $$

とくに時間成分は $j^0=2q\abs N^2 E$ である.ここで $q$ は電荷であるから,反対符号の電荷を持つ粒子では $j^0$ の符号が逆になる.また第9章 9.1 節で見たように,Klein–Gordon 方程式には $p^0=-E<0$ の解が存在し,これを反粒子と解釈する.その解では $j^0$ の符号が反転する.したがって $j^0$ は正定値ではありえず,確率密度としては解釈できない.$j^0$ は電荷密度であり,負になってよいのである.これが「Klein–Gordon 方程式の負の確率密度」という古い難点の正しい解決である.

検算.次元を確かめる.自然単位系で $[\Lag]=$ 質量$^4$ より $[\phi]=$ 質量$^1$,したがって $[j^\mu]=[q][\phi]^2[p]=$ 質量$^3$($q$ は無次元)である.一方 $j^0$ は電荷密度なので「電荷/体積」の次元,すなわち長さ$^{-3}=$ 質量$^3$ で一致する.また非相対論極限を見ると,$E\to m$ で $j^0\to2qm\abs N^2$ となる.よく使われる規格化 $\abs N^2=1/2E$ をとれば $j^0=q$ となり,「粒子1個あたり電荷 $q$」という素直な解釈になる.因子 $2E$ が相対論的な規格化に現れるのはこのためである.

意味.大域 $\mathrm{U}(1)$ 対称性ひとつから電荷保存が出るという Noether の定理の,スカラー場版である.注目すべきは,(1) で見た「複素であること」と (2) で見た「$\mathrm{U}(1)$ 対称性を持つこと」と「電荷を持つこと」が,まったく同一の事実の3つの言い方だという点である.実場は $\phi=\phi^*$ なので $j^\mu=0$,つまり中性粒子である.$\pi^0$ が実場,$\pi^\pm$ が複素場で記述されるのはこのためである.この構造は材料科学でもそのまま現れる.超伝導の秩序変数 $\Psi$ が複素数なのは,Cooper 対が電荷 $e^*=2e$ を持つからであり(本書13.9.1項),$\Psi$ の位相 $\vartheta$ の勾配が超伝導電流 $\bm j_s$ を与えるという事実は,ここで導いた $j^\mu\propto\phi^*\partial^\mu\phi-\text{c.c.}$ の非相対論版そのものである.電荷を運ぶのは振幅ではなく位相の勾配である,というのが両者に共通する要点である.

演習13.3 共変微分と局所ゲージ不変性

問題(再掲)

(1) $D_\mu=\partial_\mu+\ii qA_\mu$,$\psi\to\ee^{\ii\theta(x)}\psi$,$A_\mu\to A_\mu-\tfrac1q\partial_\mu\theta$ のとき,$D_\mu\psi\to\ee^{\ii\theta(x)}D_\mu\psi$ を確かめよ(13.3.2項ステップ4の再現).

(2) 質量項 $\tfrac12m^2A_\mu A^\mu$ をゲージ変換したときに残る項を書き下し,これが恒等的にゼロにならないことを示せ.

(3) 逆に $F_{\mu\nu}F^{\mu\nu}$ はゲージ不変であることを示せ.さらに,なぜ $A_\mu A^\mu$ を含む「もっと巧妙な」ゲージ不変な質量項が作れないのかを,$A_\mu$ の変換則の非斉次性から論ぜよ.

ヒント:(2) 残る項は $-\tfrac{m^2}{q}A^\mu\partial_\mu\theta+\tfrac{m^2}{2q^2}(\partial\theta)^2$.(3) $F_{\mu\nu}$ が不変なのは $\partial_\mu\partial_\nu\theta=\partial_\nu\partial_\mu\theta$ による.$A_\mu$ に $\partial_\mu\theta$ が付加されるという事実そのものが,$A$ を2つ含む不変量の存在を阻む.ただし$\phi$ が真空期待値を持つ場合は $\abs{D_\mu\phi}^2$ が実質的な質量項になる.これが Higgs 機構の抜け道である.

解答

方針.いずれも変換則を代入して展開するだけの計算だが,(3) の後半は「なぜ作れないか」という否定的な主張なので,どの性質が障害になっているかを特定して論じる必要がある.鍵は $A_\mu$ の変換則が非斉次($A_\mu$ に比例しない項 $-\tfrac1q\partial_\mu\theta$ が加わる)であることである.

(1) 変換後の共変微分を $D'_\mu=\partial_\mu+\ii qA'_\mu$ と書く.$A'_\mu=A_\mu-\tfrac1q\partial_\mu\theta$ を入れると

$$ D'_\mu = \partial_\mu + \ii qA_\mu - \ii q\cdot\frac1q\partial_\mu\theta = \partial_\mu + \ii qA_\mu - \ii(\partial_\mu\theta) $$

である.これを変換後の場 $\psi'=\ee^{\ii\theta(x)}\psi$ に作用させる.第1項は積の微分により

$$ \partial_\mu\!\left(\ee^{\ii\theta}\psi\right) = \ee^{\ii\theta}\partial_\mu\psi + \ii(\partial_\mu\theta)\ee^{\ii\theta}\psi $$

となる.残り2項はただの掛け算だから

$$ D'_\mu\psi' = \ee^{\ii\theta}\partial_\mu\psi + \ii(\partial_\mu\theta)\ee^{\ii\theta}\psi + \ii qA_\mu\ee^{\ii\theta}\psi - \ii(\partial_\mu\theta)\ee^{\ii\theta}\psi . $$

第2項と第4項がちょうど打ち消し合う.残るのは

$$ D'_\mu\psi' = \ee^{\ii\theta}\left(\partial_\mu\psi + \ii qA_\mu\psi\right) = \ee^{\ii\theta}\,D_\mu\psi $$

である.すなわち $D_\mu\psi$ は $\psi$ 自身とまったく同じ変換をする.これが「共変」の意味である.この性質のおかげで $\bar\psi\gamma^\mu D_\mu\psi\to\bar\psi\ee^{-\ii\theta}\ee^{\ii\theta}\gamma^\mu D_\mu\psi=\bar\psi\gamma^\mu D_\mu\psi$ が保証され,$\Lag=\bar\psi(\ii\gamma^\mu D_\mu-m)\psi$ が局所 $\mathrm{U}(1)$ 不変になる.

(2) $A_\mu\to A_\mu-\tfrac1q\partial_\mu\theta$ を質量項に代入する:

$$ \tfrac12 m^2 A_\mu A^\mu \;\longrightarrow\; \tfrac12 m^2\left(A_\mu-\tfrac1q\partial_\mu\theta\right)\left(A^\mu-\tfrac1q\partial^\mu\theta\right) . $$

括弧を展開すると,交差項が2つ出るが両者は同じものなので合わせて2倍になる:

$$ = \tfrac12 m^2 A_\mu A^\mu - \tfrac12 m^2\cdot\frac{2}{q}A^\mu\partial_\mu\theta + \tfrac12 m^2\cdot\frac{1}{q^2}(\partial_\mu\theta)(\partial^\mu\theta) $$ $$ = \tfrac12 m^2 A_\mu A^\mu \;\underbrace{-\;\frac{m^2}{q}A^\mu\partial_\mu\theta + \frac{m^2}{2q^2}(\partial_\mu\theta)(\partial^\mu\theta)}_{\text{残る項}} . $$

ヒントの形に一致する.これが恒等的にゼロにならないことを示そう.背理法である.もし任意の $\theta(x)$ について残る項がゼロだとすると,とくに $\theta$ を微小にとって $\theta\to\epsilon\theta$($\epsilon\ll1$)とすれば,$\epsilon$ の1次の項と2次の項がそれぞれ独立にゼロでなければならない.1次の項は $-\dfrac{m^2}{q}A^\mu\partial_\mu\theta$ である.$m\neq0$ ならば,これがすべての $\theta(x)$ とすべての場の配位 $A^\mu(x)$ についてゼロになることはありえない(たとえば $\theta=k\cdot x$ と一定勾配に選べば $A^\mu k_\mu\neq0$ の配位はいくらでもある).よって矛盾する.なお,作用に積分したうえで部分積分すれば $-\frac{m^2}{q}\int A^\mu\partial_\mu\theta\,\dd^4x=+\frac{m^2}{q}\int(\partial_\mu A^\mu)\theta\,\dd^4x$ と書き直せるが,これも $\partial\!\cdot\!A\neq0$ の配位では消えない.結局,ゲージ場に質量項は書けない.

(3) まず $F_{\mu\nu}$ の不変性を示す.定義に変換則を代入して

$$ F'_{\mu\nu} = \partial_\mu\!\left(A_\nu-\tfrac1q\partial_\nu\theta\right) - \partial_\nu\!\left(A_\mu-\tfrac1q\partial_\mu\theta\right) = F_{\mu\nu} - \frac1q\left(\partial_\mu\partial_\nu\theta - \partial_\nu\partial_\mu\theta\right) . $$

$\theta(x)$ が滑らかな関数であれば偏微分は交換するので括弧の中はゼロであり,$F'_{\mu\nu}=F_{\mu\nu}$ となる.テンソルとして不変なのだから,そのスカラー縮約 $F_{\mu\nu}F^{\mu\nu}$ も当然不変である.よって $-\tfrac14F_{\mu\nu}F^{\mu\nu}$ は $\Lag$ に加えてよい.

つぎに「もっと巧妙な質量項」が作れない理由を論じる.$A_\mu$ の変換則

$$ A_\mu \to A_\mu - \frac1q\partial_\mu\theta $$

は,$A_\mu$ に比例しない項が加わるという意味で非斉次である.これは通常の場(たとえば $\psi\to\ee^{\ii\theta}\psi$)が斉次に変換することと決定的に違う.斉次変換なら,位相を打ち消すように場を組み合わせれば不変量が作れる($\bar\psi\psi$ がそうである).しかし非斉次では,$A$ を何本組み合わせても,加わる $\partial\theta$ を消す相手がいない.具体的には,$A$ を2つ含む一般の項 $C^{\mu\nu}A_\mu A_\nu$($C^{\mu\nu}$ は場を含まない定数テンソル)を考えると,変換で必ず

$$ -\frac{2}{q}C^{\mu\nu}A_\mu\partial_\nu\theta + \frac{1}{q^2}C^{\mu\nu}(\partial_\mu\theta)(\partial_\nu\theta) $$

という余りが出て,$C^{\mu\nu}=0$ でない限り消えない.$A$ に微分を作用させたものを組み合わせる道もあるが,微分を含む組合せのうちゲージ不変なのは $F_{\mu\nu}$(およびその共変微分)だけであり,$F_{\mu\nu}$ は必ず微分を1つ含むから,$F$ から作った項は $A$ の2次であっても質量次元が合わず,質量項にならない($F_{\mu\nu}F^{\mu\nu}$ は運動項である).つまり障害は技術的なものではなく,変換則の非斉次性という構造的なものである.

ただし逃げ道がひとつだけある.$C^{\mu\nu}$ を定数テンソルではなく場にしてしまえばよい.具体的には,スカラー場 $\phi$ を導入して $\abs{D_\mu\phi}^2$ を書くと,これは全体としてゲージ不変であり,しかも展開すると $q^2\abs\phi^2A_\mu A^\mu$ という項を含む.$\phi$ が真空期待値 $\braket{\abs\phi}=v/\sqrt2$ を持てば,この項は $\tfrac12q^2v^2A_\mu A^\mu$ となり,実質的な質量項になる.質量は $m_B=qv$ である.ゲージ不変性を保ったまま質量が現れるのは,「係数」がもともと場であって,その真空値がたまたまゼロでないからである.これが Higgs 機構の抜け道であり,本書13.8.1項の内容にほかならない.

検算.(2) の残る項の次元を確かめる.自然単位系で $[A_\mu]=$ 質量$^1$,$[\theta]=0$(位相は無次元),$[\partial_\mu]=$ 質量$^1$,$[q]=0$ である.したがって $[m^2A^\mu\partial_\mu\theta]=2+1+1=4$,$[m^2(\partial\theta)^2/q^2]=2+1+1=4$ で,$\Lag$ の次元4と一致する.次元が合わない項が出ていたら計算間違いである.また (1) の結論は $q\to0$(ゲージ場との結合を切る)とすると $D_\mu\to\partial_\mu$ になるが,そのとき $A_\mu$ の変換則 $-\tfrac1q\partial_\mu\theta$ が発散する.これは「結合定数ゼロでは局所ゲージ変換そのものが定義できない」ことを意味しており,ゲージ場と結合しない場に局所位相の自由度はない,という正しい主張になっている.

意味.本問は「ゲージ不変性が質量を禁じる」という本章の中心命題を,最短の計算で確認したものである.この禁止は QED では歓迎される(光子は実際に質量ゼロである)が,弱い相互作用では困る($W$,$Z$ は $80$–$91\ \mathrm{GeV}$ もある).その困難の解決が Higgs 機構である.材料科学の側から見ると,(3) の抜け道はきわめて具体的な現象として観測できる.超伝導体の内部では Cooper 対の凝縮 $\braket\Psi\neq0$ が「$\phi$ の真空期待値」の役割を果たし,Ginzburg–Landau 自由エネルギーの運動項 $\frac{1}{2m^*}\abs{(-\ii\hbar\nabla-e^*\bm A)\Psi}^2$ が展開されて $\frac{e^{*2}\abs{\Psi_\infty}^2}{2m^*}\bm A^2$ という項を生む.これが光子に質量 $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$(Nb や Pb で $5.06\ \mathrm{eV}$.演習13.7 で数値を確かめる)を与え,Meissner 効果として直接観測される.「ゲージ不変な質量項は書けないが,凝縮があれば作れる」という抽象的な命題が,磁石を超伝導体に近づけたときに磁場が入らないという,手で確かめられる事実になっているのである.

演習13.4 Yang–Mills の場の強さ

問題(再掲)

(1) $\mathrm{SU}(2)$($f^{abc}=\varepsilon^{abc}$)の場合に本書13.4.2項の $F^a_{\mu\nu}=\partial_\mu A^a_\nu-\partial_\nu A^a_\mu-gf^{abc}A^b_\mu A^c_\nu$ を成分で書き下し,$F^1_{\mu\nu}=\partial_\mu A^1_\nu-\partial_\nu A^1_\mu-g(A^2_\mu A^3_\nu-A^3_\mu A^2_\nu)$ となることを確かめよ.

(2) 可換極限($f^{abc}\to0$)でこの式が Maxwell の $F_{\mu\nu}$ に帰着することを確かめ,なぜ光子には自己結合がないのかを述べよ.

(3) $-\tfrac14F^a_{\mu\nu}F^{a\mu\nu}$ を展開したときの3次の項と4次の項の結合定数の $g$ 依存性を求め,$\alpha_s=g_s^2/4\pi$ の何次の寄与かを言え.

ヒント:(2) $\mathrm{U}(1)$ は生成子が1個なので $[T,T]=0$,したがって構造定数がゼロ.「光子は電荷を持たない」ことと「光子は自分と結合しない」ことは同一の事実である.(3) 3次の項は $g$,4次の項は $g^2$.ともに振幅では $\alpha_s$ の1次(グルーオン2本外線の過程では $g^2\propto\alpha_s$)に寄与する.

解答

方針.(1) は添字の和を書き下すだけである.(2) は生成子が1個しかない群では交換子が必ずゼロになる,という代数の事実を使う.(3) は $F^a_{\mu\nu}$ を「微分の部分」と「非線形の部分」に分けて2乗を展開し,$A$ の本数で項を分類する.

(1) $\mathrm{SU}(2)$ では生成子が3個($a=1,2,3$),構造定数は完全反対称な $\varepsilon^{abc}$($\varepsilon^{123}=+1$)である.$a=1$ とおくと,非線形項は

$$ -g\,\varepsilon^{1bc}A^b_\mu A^c_\nu $$

で,$b,c$ について和をとる.$\varepsilon^{1bc}$ がゼロでないのは $(b,c)=(2,3)$ と $(3,2)$ の2通りだけであり,それぞれ $\varepsilon^{123}=+1$,$\varepsilon^{132}=-1$ である.よって

$$ -g\,\varepsilon^{1bc}A^b_\mu A^c_\nu = -g\left(\varepsilon^{123}A^2_\mu A^3_\nu + \varepsilon^{132}A^3_\mu A^2_\nu\right) = -g\left(A^2_\mu A^3_\nu - A^3_\mu A^2_\nu\right) . $$

したがって

$$ F^1_{\mu\nu} = \partial_\mu A^1_\nu - \partial_\nu A^1_\mu - g\left(A^2_\mu A^3_\nu - A^3_\mu A^2_\nu\right) $$

である.添字 $1\to2\to3\to1$ の巡回で残りも同じ形になり

$$ F^2_{\mu\nu} = \partial_\mu A^2_\nu - \partial_\nu A^2_\mu - g\left(A^3_\mu A^1_\nu - A^1_\mu A^3_\nu\right), $$ $$ F^3_{\mu\nu} = \partial_\mu A^3_\nu - \partial_\nu A^3_\mu - g\left(A^1_\mu A^2_\nu - A^2_\mu A^1_\nu\right) $$

となる.非線形項が $\bm A_\mu\times\bm A_\nu$ という3次元ベクトル積の形($\mathrm{SU}(2)$ の随伴表現は3次元ベクトルである)になっていることが見てとれる.すなわち $\bm F_{\mu\nu}=\partial_\mu\bm A_\nu-\partial_\nu\bm A_\mu-g\,\bm A_\mu\times\bm A_\nu$ とまとめて書ける.同じ添字どうしの積(たとえば $A^1_\mu A^1_\nu$)が現れないのは,$\varepsilon^{abc}$ が反対称だからである.

(2) $\mathrm{U}(1)$ では生成子は1個しかない.それを $T$ と書くと,交換子は $[T,T]=TT-TT=0$ で恒等的にゼロである.一般に $[T^a,T^b]=\ii f^{abc}T^c$ なので,これは $f^{abc}=0$ を意味する.したがって非線形項が消え

$$ F_{\mu\nu} = \partial_\mu A_\nu - \partial_\nu A_\mu $$

という Maxwell の場の強さに帰着する.成分を書けば $F^{0i}=-E^i$,$F^{ij}=-\varepsilon^{ijk}B^k$ で,見慣れた電磁場テンソルである.

光子に自己結合がない理由は,この計算そのものが答えになっている.ゲージ場が自分自身と結合するのは,非線形項 $-gf^{abc}A^b_\mu A^c_\nu$ を $-\tfrac14FF$ に代入したときに $A$ が3本・4本の項が生じるからであった.$f^{abc}=0$ なら,そのような項は最初から存在しない.より物理的に言えば,本書13.4.1項ステップ3で見たように,非可換の場合はゲージ場が $\mathbb{A}'_\mu=U\mathbb{A}_\mu U^{-1}+\cdots$ と随伴表現の下で回転される,すなわちゲージ場自身が群の荷を持つ.グルーオンは色荷を持つから互いに結合する.一方,光子は $\mathrm{U}(1)$ の随伴表現が自明(1次元で回転を受けない)なので電荷を持たず,したがって自分自身とも他の光子とも結合しない.「光子が電気的に中性であること」と「光子に自己結合がないこと」は,同じ一つの事実の2つの言い方である.

(3) $F^a_{\mu\nu}$ を,微分だけの部分と $A$ の2次の部分に分ける(微分の部分を $K^a_{\mu\nu}$ と書く.構造定数 $f^{abc}$ と紛らわしいので $f$ の文字は使わない):

$$ F^a_{\mu\nu} = \underbrace{\partial_\mu A^a_\nu-\partial_\nu A^a_\mu}_{\displaystyle K^a_{\mu\nu}} \;-\; \underbrace{g f^{abc}A^b_\mu A^c_\nu}_{\displaystyle G^a_{\mu\nu}} . $$

すると

$$ -\tfrac14 F^a_{\mu\nu}F^{a\mu\nu} = -\tfrac14\left(K^a-G^a\right)_{\mu\nu}\left(K^a-G^a\right)^{\mu\nu} = -\tfrac14 K^aK^a + \tfrac12 K^aG^a - \tfrac14 G^aG^a $$

であり,$G^a$ の定義を戻すと

$\alpha_s=g_s^2/4\pi$ との関係を見る.散乱振幅 $\mathcal M$ を $g_s$ の冪で数えると,たとえば $gg\to gg$ の最低次の図には2種類ある.3グルーオン頂点を2個使う図($g_s\times g_s=g_s^2$)と,4グルーオン頂点を1個使う図($g_s^2$)である.どちらも $\mathcal M\propto g_s^2\propto\alpha_s$ であり,同じ次数に寄与する.断面積は $\abs{\mathcal M}^2$ なので $\alpha_s^2$ である.3点と4点の両方を同時に取り込まないとゲージ不変性(横波性)が壊れるのは,このように両者が同次数だからである.

検算.次元を確認する.自然単位系で $[A_\mu]=1$(質量次元),$[\partial_\mu]=1$,$[g]=0$ である.すると3次の項は $[g]+[\partial]+[A]^3=0+1+3=4$,4次の項は $[g^2]+[A]^4=0+4=4$ で,どちらも $[\Lag]=4$ を満たす.結合定数が無次元であることも同時に確認できており,これが Yang–Mills 理論がくりこみ可能である理由の一部でもある.また (1) を $g\to0$ とすれば3本の Maxwell 場に分解し,(2) の結果と整合する.

意味.非線形項 $-gf^{abc}A^bA^c$ は,見た目には $F^a_{\mu\nu}$ の付け足しのようだが,これが QCD の性質のほとんどを決めている.$\beta$ 関数の $11$ という数(本書13.4.2項)はこの項からのグルーオンループの寄与であり,符号が $-\tfrac23n_f$ のクォーク寄与を上回るために $\beta<0$ となって漸近的自由が生じる.低エネルギーで結合が強くなり,色力線が管に束ねられて閉じ込めが起こるのも同じ項のせいである.材料科学の観点から見ると,(1) の非線形項は「場の量が自分自身の源になる」タイプの非線形性であり,強磁性体の交換相互作用や液晶の Frank 弾性のように,秩序変数自身が場を作る系と数学的な親戚である.ただし決定的に違うのは,Yang–Mills の非線形性が現象論的な近似ではなく,局所ゲージ不変性という対称性の要請から一意に決まっている点である.結合定数はただ1つ $g$ しかなく,3点結合と4点結合の相対的な大きさすら自由に選べない.

演習13.5 Goldstone モードを数える

問題(再掲)

(1) 実スカラー場 $N$ 個からなる $\mathrm{O}(N)$ 対称模型 $V=-\tfrac12\mu^2\bm\phi^2+\tfrac\lambda4(\bm\phi^2)^2$ で,$\braket{\bm\phi}=(0,\dots,0,v)$ と選ぶ.残留対称性 $H$ を求め,Goldstone ボソンの数が $N-1$ であることを示せ.

(2) $N=2$ が 13.7.2項の複素スカラー模型に一致することを確かめよ.

(3) 標準模型の $\mathrm{SU}(2)_L\times\mathrm{U}(1)_Y\to\mathrm{U}(1)_{\rm em}$ で Goldstone ボソンが3個出ること,そしてそれが $W^+,W^-,Z^0$ の縦偏極になることを,自由度の数え上げ(Higgs 二重項の4自由度と,4本のゲージ場の $4\times2=8$ 自由度から出発して)で確かめよ.

ヒント:(1) $H=\mathrm{O}(N-1)$.$\dim\mathrm{O}(N)=N(N-1)/2$ なので $N(N-1)/2-(N-1)(N-2)/2=N-1$.(3) 破れる前:$4+8=12$.破れた後:Higgs 粒子 1 $+$ 質量ありベクトル3本 $\times3$ $+$ 光子 $\times2$ $=1+9+2=12$.

解答

方針.Goldstone の定理の数え上げ公式 $N_{\rm NG}=\dim G-\dim H$ を使う道と,実際にポテンシャルを展開して質量行列のゼロ固有値を数える道の2通りがある.両方を実行して一致を見るのが確実である.(3) は群論の数え上げと自由度の数え上げが同じ答えを与えることを確認する問題である.

(1) まず真空を決める.$\bm\phi^2\equiv\bm\phi\cdot\bm\phi=\sum_{i=1}^N\phi_i^2\equiv s$ とおくと $V=-\tfrac12\mu^2s+\tfrac\lambda4s^2$ であり

$$ \frac{\dd V}{\dd s} = -\tfrac12\mu^2 + \tfrac\lambda2 s = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad s_{\rm min} = \frac{\mu^2}{\lambda}, \qquad v = \frac{\mu}{\sqrt\lambda} $$

を得る(本書13.7.2項の $v=\mu/\sqrt\lambda$ と同じである).最小値をとるのは $\bm\phi^2=v^2$ を満たす $N-1$ 次元球面 $S^{N-1}$ 上のすべての点であり,そのうち $\braket{\bm\phi}=(0,\dots,0,v)$ を選ぶ.

残留対称性.$G=\mathrm{O}(N)$ の変換のうち,このベクトルを変えないものを探す.第 $N$ 成分だけがゼロでないのだから,第 $N$ 軸を固定して残りの $N-1$ 軸を回す回転はすべて真空を保つ.すなわち

$$ H = \mathrm{O}(N-1) . $$

逆に,第 $N$ 軸を動かす回転($N$ 軸と $i$ 軸を混ぜる回転,$i=1,\dots,N-1$)は真空を別の点へ動かすので破れている.この破れた回転は $N-1$ 個ある.

数え上げ.$\mathrm{O}(N)$ の生成子は反対称 $N\times N$ 行列で $\dim\mathrm{O}(N)=N(N-1)/2$ 個,$\mathrm{O}(N-1)$ は $(N-1)(N-2)/2$ 個である.よって

$$ N_{\rm NG} = \frac{N(N-1)}{2} - \frac{(N-1)(N-2)}{2} = \frac{(N-1)\left[N-(N-2)\right]}{2} = \frac{(N-1)\cdot 2}{2} = N-1 . $$

質量行列で直接確かめる.$\bm\phi=(\pi_1,\dots,\pi_{N-1},\,v+\eta)$ と展開する.$\bm\phi^2=\bm\pi^2+(v+\eta)^2$ である.$\mu^2=\lambda v^2$ を使って $V$ を平方完成すると

$$ V = -\tfrac12\lambda v^2\,\bm\phi^2 + \tfrac\lambda4\left(\bm\phi^2\right)^2 = \frac\lambda4\left(\bm\phi^2-v^2\right)^2 - \frac{\lambda v^4}{4} $$

となる.ここで

$$ \bm\phi^2 - v^2 = \bm\pi^2 + (v+\eta)^2 - v^2 = \bm\pi^2 + 2v\eta + \eta^2 $$

だから

$$ V = \frac\lambda4\left(2v\eta + \eta^2 + \bm\pi^2\right)^2 - \text{定数} = \lambda v^2\eta^2 + \lambda v\,\eta\left(\eta^2+\bm\pi^2\right) + \frac\lambda4\left(\eta^2+\bm\pi^2\right)^2 - \text{定数} . $$

2次の項だけを見ると $\lambda v^2\eta^2$ しかない.$\bm\pi$ の2次項はどこにも現れない($\bm\pi^2$ が最低でも $\eta\bm\pi^2$ か $(\bm\pi^2)^2$ の形でしか出てこない).運動項が $\tfrac12(\partial\eta)^2+\tfrac12(\partial\bm\pi)^2$ と標準形になっていることと合わせ,$\tfrac12m^2(\text{場})^2$ と比較して

$$ m_\eta^2 = 2\lambda v^2 = 2\mu^2, \qquad m_{\pi_i}^2 = 0 \quad (i=1,\dots,N-1) $$

を得る.質量ゼロの場が $N-1$ 個あり,群論による数え上げと一致する.

(2) $N=2$ とおく.$\bm\phi=(\phi_1,\phi_2)$ に対して

$$ V = -\tfrac12\mu^2\left(\phi_1^2+\phi_2^2\right) + \frac\lambda4\left(\phi_1^2+\phi_2^2\right)^2 . $$

一方,本書13.7.2項の複素スカラー模型は $V=-\mu^2\abs\phi^2+\lambda\abs\phi^4$ であり,$\phi=(\phi_1+\ii\phi_2)/\sqrt2$ とすると $\abs\phi^2=(\phi_1^2+\phi_2^2)/2$ だから

$$ V = -\mu^2\cdot\frac{\phi_1^2+\phi_2^2}{2} + \lambda\cdot\frac{\left(\phi_1^2+\phi_2^2\right)^2}{4} = -\tfrac12\mu^2\left(\phi_1^2+\phi_2^2\right) + \frac\lambda4\left(\phi_1^2+\phi_2^2\right)^2 . $$

完全に同じ式である.対称性についても,回転群 $\mathrm{SO}(2)$(平面の回転)と $\mathrm{U}(1)$(複素数の位相回転)は同型 $\mathrm{SO}(2)\cong\mathrm{U}(1)$ であり,$\dim=1$ である(鏡映を含む $\mathrm{O}(2)=\mathrm{SO}(2)\rtimes\mathbb{Z}_2$ は $\mathrm{U}(1)$ と同型ではない).$G=\mathrm{O}(2)$ としたときの $(0,v)$ の固定部分群は $H=\mathrm{O}(1)=\{\pm1\}$($\phi_1\to-\phi_1$ の鏡映)で,これは離散群だから $\dim H=0$.よって $N_{\rm NG}=1-0=1$.(1) の公式 $N-1=2-1=1$ とも一致する.質量も $m_\eta^2=2\lambda v^2$,$m_\xi^2=0$ で13.7.2項の結果に一致する.メキシカンハットの「谷に沿う1方向」が Goldstone モード $\xi$ であり,$\mathrm{O}(2)$ の言葉では「唯一の回転生成子が破れた」ことに対応する.

(3) まず群論で数える.$G=\mathrm{SU}(2)_L\times\mathrm{U}(1)_Y$ の生成子は $3+1=4$ 個,破れた後に残るのは電磁気の $H=\mathrm{U}(1)_{\rm em}$ で1個である.したがって

$$ N_{\rm NG} = \dim G - \dim H = 4 - 1 = 3 . $$

つぎに自由度で数える.破れる前は

合計 $4+8=12$ である.破れた後は

合計 $1+9+2=12$ である.前後で総数が変わらない.内訳の変化を追うと,Higgs 二重項の4自由度のうち1つが物理的な Higgs 粒子 $h$ になり,残り3つが Goldstone ボソンである.一方ゲージ場の側では,$W^+,W^-,Z^0$ の3本がそれぞれ縦偏極($\lambda=0$)を1つずつ新たに獲得し,$3$ 自由度増えている.増減が正確に釣り合っているのだから,

$$ \underbrace{3}_{\text{Goldstone ボソン}} \;\longrightarrow\; \underbrace{3}_{W^+_L,\;W^-_L,\;Z^0_L} $$

という対応がつく.すなわち3個の Goldstone ボソンが $W^+,W^-,Z^0$ に「食われて」その縦偏極になったのである.光子が質量ゼロのままなのは,真空 $\braket\Phi=\tfrac1{\sqrt2}(0,v)^T$ が電気的に中性で $\mathrm{U}(1)_{\rm em}$ を破らないからであり,そのため光子に与えるべき Goldstone ボソンも余っていない.数え上げが $12=12$ でぴったり閉じることが,この描像の整合性を保証している.

検算.(1) の一般公式に $N=3$ を入れると $N_{\rm NG}=2$ となり,本書13.7.3項の $\mathrm{O}(3)$ 模型の例($G=\mathrm{O}(3)$,$\dim=3$;$H=\mathrm{O}(2)$,$\dim=1$;$3-1=2$)と一致する.また $N=4$ とすると $N_{\rm NG}=3$ で,$\mathrm{O}(4)$ が $\mathrm{O}(3)$ に破れる場合であり,(3) の電弱の場合と Goldstone の個数が一致する($\mathrm{SO}(4)$ は局所的に $\mathrm{SU}(2)\times\mathrm{SU}(2)$ と,$\mathrm{SO}(3)$ は局所的に $\mathrm{SU}(2)$ と同型である.厳密には $\mathbb{Z}_2$ の商だけ違う).実際 Higgs 二重項の4実成分は $\mathrm{O}(4)$ ベクトルとみなせるので,これは偶然ではない.さらに (1) で導いた質量公式 $m_\eta^2=2\lambda v^2$ に演習13.6(2) の値 $\lambda=0.12940$,$v=246.2\ \mathrm{GeV}$ を入れると $m_\eta=\sqrt{2\times0.12940}\times246.2=125.25\ \mathrm{GeV}$ となり,観測された Higgs 質量にぴたりと戻る.ここで $\lambda$ を有効数字3桁に丸めた $0.129$ を使うと $125.05\ \mathrm{GeV}$ となって $0.2\ \mathrm{GeV}$ ずれる.$\lambda$ はもともと $m_H$ から逆算した量なので,逆算して戻す検算では丸める前の値を使わなければならない.

意味.Goldstone ボソンの個数が「破れた生成子の個数」で決まるという事実は,素粒子物理よりむしろ材料科学で日常的に使われている.結晶が液体の連続並進対称性を3方向とも破るから音響フォノンが3本(縦波1本・横波2本)出る,というのはまさにこの数え上げである.第一原理フォノン計算で $\Gamma$ 点の音響モードが $\omega=0$ にならなければならないという音響総和則も,Goldstone の定理の格子版にほかならない.ただし本書13.7.3項の警告どおり,Lorentz 不変性のない系では数え方が変わる.強磁性体では $\mathrm{SO}(3)\to\mathrm{SO}(2)$ で破れた生成子は2個だが,$\braket{S^z}\neq0$ のために2つが共役対をなし,マグノンは1本(分散 $\omega\propto q^2$)しか出ない.一方,反強磁性体では2本($\omega\propto q$)である.中性子非弾性散乱でこの違いを測っている人は,実は Goldstone の定理の非相対論版を測定しているのである.

演習13.6 Abelian Higgs 模型と標準模型の数値

問題(再掲)

(1) 13.8.1項の計算を追い,$\Lag$ の3次の項 $q^2v\,\eta B_\mu B^\mu$ から,Higgs 粒子とゲージ場の結合が $g_{\eta BB}=2m_B^2/v$ と書けることを示せ.

(2) $m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$,$v=246.2\ \mathrm{GeV}$ から,Higgs 自己結合 $\lambda$ とポテンシャルのパラメータ $\mu$ を求めよ.

(3) 表13.3 の湯川結合 $y_t$ を $m_t=172.7\ \mathrm{GeV}$ から計算し,$1$ に近いことを確かめよ.また電子の $y_e$ との比を求めよ.

ヒント:(2) $\lambda=m_H^2/2v^2 = 125.25^2/(2\times246.2^2)=0.129$,$\mu=m_H/\sqrt2=88.6\ \mathrm{GeV}$.(3) $y_t=\sqrt2\times172.7/246.2=0.992$,$y_e=2.94\times10^{-6}$.比は $3.4\times10^5$.この6桁の階層が「フレーバーの謎」である.

解答

方針.(1) は Feynman 則を Lagrangian から読む規則(本書13.5.1項ステップ1:「相互作用項から場を取り去り,$\ii$ を掛け,同種の場の入れ替え数を掛ける」)を適用する.(2)(3) は数値計算であり,すべて python3 で検算した.

(1) まず問題の3次の項がどこから出るかを確かめておく.ユニタリゲージでは Higgs 場の位相をゲージ変換で吸収して $\phi=\dfrac{v+\eta(x)}{\sqrt2}$($\eta$ は実場)と書けるから,共変微分 $D_\mu=\partial_\mu+\ii qB_\mu$ を使って

$$ \abs{D_\mu\phi}^2 = \left(\partial_\mu\phi^*-\ii qB_\mu\phi^*\right)\left(\partial^\mu\phi+\ii qB^\mu\phi\right) = \tfrac12(\partial_\mu\eta)(\partial^\mu\eta) + q^2\abs\phi^2\,B_\mu B^\mu $$

となる($\phi$ が実なので $\phi^*\partial^\mu\phi-(\partial^\mu\phi^*)\phi=0$ となり,$B_\mu$ の1次の交差項は落ちる).これに $\abs\phi^2=(v+\eta)^2/2$ を入れると,本書13.8.1項ステップ6のとおり $\Lag$ の $B$ の2次の項は

$$ \frac{q^2(v+\eta)^2}{2}B_\mu B^\mu = \underbrace{\frac{q^2v^2}{2}B_\mu B^\mu}_{\text{質量項}} + \underbrace{q^2v\,\eta\,B_\mu B^\mu}_{\text{3次の項}} + \underbrace{\frac{q^2}{2}\eta^2 B_\mu B^\mu}_{\text{4次の項}} $$

となる.第1項を Proca 型の標準形 $\tfrac12m_B^2B_\mu B^\mu$ と比べて $m_B=qv$ を得たのだから,逆に

$$ q^2 = \frac{m_B^2}{v^2} \qquad\Longrightarrow\qquad q^2 v = \frac{m_B^2}{v} $$

である.したがって3次の項は

$$ \Lag_{\rm int} = \frac{m_B^2}{v}\,\eta\,B_\mu B^\mu $$

と書ける.ここから頂点因子を読む.場 $\eta$,$B_\mu$,$B_\nu$ を取り去り,$\ii$ を掛け,そして同種の場 $B$ が2本あるので入れ替えの2通りを足す(対称因子 $2!=2$)と

$$ \ii\cdot\frac{m_B^2}{v}\cdot 2\,g^{\mu\nu} = \ii\,\frac{2m_B^2}{v}\,g^{\mu\nu} $$

となる.すなわち結合定数は

$$ g_{\eta BB} = \frac{2m_B^2}{v} $$

である.同じことを別の見方で言うと,質量項が $\tfrac12m_B^2B^2$ ではなく

$$ \frac12 m_B^2\left(1+\frac{\eta}{v}\right)^2 B_\mu B^\mu $$

という形をしている,ということである.つまりHiggs 場のゆらぎ $\eta$ は,ゲージ粒子の質量そのものを揺らす.結合の強さが $m_B^2$ に比例するのはそのためである.フェルミオンの場合(本書13.8.4項)は $\bar\psi$ と $\psi$ が別の場なので対称因子が付かず,$g_{\eta ff}=m_f/v$ と質量の1乗に比例する.ボソンでは2乗,フェルミオンでは1乗という違いは,質量項がそれぞれ場の2乗に対して $m^2$ と $m$ の係数を持つことに由来する.

(2) Higgs 粒子の質量は本書13.8.1項の $m_\eta=\sqrt{2\lambda}\,v$ である.これを $\lambda$ について解くと

$$ \lambda = \frac{m_H^2}{2v^2} . $$

数値を入れる.$m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$,$v=246.2\ \mathrm{GeV}$ より

$$ m_H^2 = 125.25^2 = 1.5688\times10^4\ \mathrm{GeV^2}, \qquad 2v^2 = 2\times246.2^2 = 2\times6.0614\times10^4 = 1.2123\times10^5\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ \lambda = \frac{1.5688\times10^4}{1.2123\times10^5} = 0.12940 . $$

つぎに $\mu$ である.本書13.8.1項の $m_\eta=\sqrt{2\lambda}\,v=\sqrt2\,\mu$ から

$$ \mu = \frac{m_H}{\sqrt2} = \frac{125.25}{1.41421} = 88.565\ \mathrm{GeV} . $$

まとめると $\lambda=0.129$,$\mu=88.6\ \mathrm{GeV}$ であり,ヒントの値と一致する.$\lambda$ が $1$ よりだいぶ小さいことは,Higgs セクターが弱結合であることを意味する(摂動論が使える).一方で $\lambda$ がゼロに近すぎないので,メキシカンハットの谷はそこそこ深い.

(3) 湯川結合は本書13.8.4項の $m_f=y_fv/\sqrt2$ を逆に解いて $y_f=\sqrt2\,m_f/v$ である.トップクォークは $m_t=172.7\ \mathrm{GeV}$ だから

$$ y_t = \frac{\sqrt2\times172.7}{246.2} = \frac{244.23}{246.2} = 0.9920 . $$

確かに $1$ にきわめて近い.偶然の一致にしては近すぎるので,何か意味があるのではないかと疑われている(本書13.8.4項の議論).電子については $m_e=0.511\ \mathrm{MeV}=0.511\times10^{-3}\ \mathrm{GeV}$ だから

$$ y_e = \frac{\sqrt2\times0.511\times10^{-3}}{246.2} = \frac{7.2266\times10^{-4}}{246.2} = 2.935\times10^{-6} . $$

比をとると,$\sqrt2/v$ が共通なので単純に質量比になる:

$$ \frac{y_t}{y_e} = \frac{m_t}{m_e} = \frac{172.7}{0.511\times10^{-3}} = 3.380\times10^{5} . $$

すなわち約 $3.4\times10^5$ 倍,5桁半の開きである.表13.3 の全体を見ると $y_e\sim10^{-6}$ から $y_t\sim1$ まで6桁にわたって値が散らばっており,標準模型はこれらを一切説明しない.すべて実験から決める自由パラメータである.これが「フレーバーの謎」と呼ばれる問題である.

検算.(2) の値を元の式に戻す.$m_\eta=\sqrt{2\lambda}\,v=\sqrt{2\times0.129404}\times246.2=125.25\ \mathrm{GeV}$ で $m_H$ に戻る.また $v=\mu/\sqrt\lambda=88.565/\sqrt{0.129404}=246.2\ \mathrm{GeV}$ で $v$ に戻る.$\mu^2=\lambda v^2$ も $88.565^2=7843.8$ と $0.129404\times246.2^2=7843.8$ で一致する.(3) は $y_t/\sqrt2=m_t/v=172.7/246.2=0.70146$ と $0.9920/\sqrt2=0.70146$ が一致することで確かめられる.(1) の次元も見ておく.$[g_{\eta BB}]=[m_B^2/v]=2-1=1$,すなわち質量次元1である.$\eta B_\mu B^\mu$ の次元が3なので,係数の次元が1でないと $[\Lag]=4$ にならない.正しい.

意味.(1) の $g_{\eta BB}=2m_B^2/v$ と (3) の $g_{\eta ff}=m_f/v$ は,Higgs 粒子の最も特徴的な予言である.Higgs 粒子は「質量に比例して結合する」のだから,重い粒子ほど強く結合し,LHC ではまず $H\to b\bar b$(分岐比58%)や $H\to WW$,$H\to ZZ$ が現れ,軽い粒子への崩壊はきわめて稀になる.$H\to\mu\mu$ の証拠(CMS の $3.0\sigma$)が得られたのが2020年だったのはそのためである($5\sigma$ の観測にはまだ達していない).測定された結合定数を質量に対してプロットすると,$W,Z$ については $\sqrt{g}\propto m$,フェルミオンについては $g\propto m$ という2本の直線に,$0.1\ \mathrm{GeV}$ から $170\ \mathrm{GeV}$ まで3桁以上にわたって乗る.材料科学の側から見ると,(1) の「Higgs 場のゆらぎがゲージ粒子の質量を揺らす」という描像は,超伝導体の Higgs(振幅)モードが電磁場と結合する仕組みそのものである.本書13.9.4項で見たとおり,振幅モードは $\eta B_\mu B^\mu$ という2次の結合しか持たないため,線形の光吸収では見えず,THz 第三高調波発生のような非線形分光ではじめて捕まる.$\eta$ が1本に $B$ が2本という頂点の構造が,そのまま「入射光2光子で Higgs モードを励起する」という実験手法を決めているのである.

演習13.7 London 侵入長から光子の質量を出す

問題(再掲)

$\hbar c = 197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ を使う.

(1) Nb の $\lambda_L=39\ \mathrm{nm}$,YBa$_2$Cu$_3$O$_7$ の $ab$ 面内 $\lambda_L\approx150\ \mathrm{nm}$ について $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$ を求めよ.

(2) 仮に $m_\gamma c^2 = 1\ \mathrm{meV}$ だとしたら $\lambda_L$ はいくらか.その値を実際の超伝導体の侵入長と比べ,「光子の質量は meV スケールではない」ことを確認せよ.

(3) Pb の伝導電子密度を $n=1.32\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$(4価,原子密度 $3.30\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$)として $\omega_p$ と $\lambda_L=c/\omega_p$ を計算し,実測の $\lambda_L=39\ \mathrm{nm}$ と比べよ.差が生じる理由を考察せよ.

ヒント:(1) Nb: $5.06\ \mathrm{eV}$,YBCO: $1.32\ \mathrm{eV}$.(2) $\lambda_L=197.327\ \mathrm{eV\,nm}/10^{-3}\ \mathrm{eV}=1.97\times10^5\ \mathrm{nm}=0.2\ \mathrm{mm}$.実際の侵入長より4桁大きく,非現実的である.(3) $\omega_p=2.05\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}}$,$\hbar\omega_p=13.5\ \mathrm{eV}$,$\lambda_L=14.6\ \mathrm{nm}$.実測より 2.7 倍小さい.理由は (i) バンド有効質量が $m_e$ と違うこと,(ii) Pb は $\xi_0\gg\lambda_L$ の Pippard(非局所)超伝導体であり,実効的な侵入長が London 値より長くなることによる.

解答

方針.本書13.9.2項で導いた $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$(London 方程式と静的 Proca 方程式が同一形であることの帰結)を数値に落とすだけである.(3) だけは,超流動密度から $\lambda_L$ を第一原理的に見積もり,実測と比べる問題になっている.数値はすべて python3 で計算した.

(1) $\hbar c=197.327\ \mathrm{eV\,nm}$ を $\lambda_L$(単位 nm)で割ればよい.Nb($\lambda_L=39\ \mathrm{nm}$)では

$$ m_\gamma c^2 = \frac{197.327\ \mathrm{eV\,nm}}{39\ \mathrm{nm}} = 5.0597\ \mathrm{eV} \simeq 5.06\ \mathrm{eV} . $$

YBa$_2$Cu$_3$O$_7$ の $ab$ 面内($\lambda_L\approx150\ \mathrm{nm}$)では

$$ m_\gamma c^2 = \frac{197.327}{150} = 1.3155\ \mathrm{eV} \simeq 1.32\ \mathrm{eV} . $$

ヒントの値に一致する.侵入長が長い物質ほど光子は軽い.超流動密度が小さいほど「真空に近い」わけで,銅酸化物のように $n_s$ が小さい系では光子の質量も小さくなる.参考までに表13.5 の Al($16\ \mathrm{nm}$)なら $12.3\ \mathrm{eV}$,Sn($34\ \mathrm{nm}$)なら $5.80\ \mathrm{eV}$ である.

(2) 同じ式を逆に解く.$m_\gamma c^2=1\ \mathrm{meV}=10^{-3}\ \mathrm{eV}$ とすると

$$ \lambda_L = \frac{\hbar c}{m_\gamma c^2} = \frac{197.327\ \mathrm{eV\,nm}}{10^{-3}\ \mathrm{eV}} = 1.97327\times10^{5}\ \mathrm{nm} = 197\ \mathrm{\mu m} \simeq 0.2\ \mathrm{mm} . $$

実際の超伝導体の侵入長は $16$–$150\ \mathrm{nm}$ の範囲だから,$0.2\ \mathrm{mm}$ は約 $10^3$–$10^4$ 倍,すなわち3–4桁も大きい.$0.2\ \mathrm{mm}$ といえば肉眼で見える厚みであり,そんなに深く磁場が侵入したら「Meissner 効果」とは呼べない.したがって超伝導体中の光子の質量は meV スケールではありえない.

この確認には実務的な意味がある.超伝導ギャップ $2\Delta$ は meV スケール(Pb で $2.7\ \mathrm{meV}$)なので,「超伝導のエネルギースケールは meV だから光子の質量も meV だろう」とつい思ってしまう.しかし本書13.9.2項の警告どおり,光子の質量を決めるのはギャップではなく超流動密度であり,$m_\gamma c^2=\hbar\omega_{p,s}$ という関係で金属のプラズマエネルギー(eV スケール)に直結している.ギャップと侵入長は,同じ超伝導体の性質でありながら4桁も離れた別のスケールなのである.

(3) 超流動プラズマ振動数の定義

$$ \omega_p = \sqrt{\frac{ne^2}{\varepsilon_0 m_e}} $$

に,$n=1.32\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$,$e=1.602\times10^{-19}\ \mathrm{C}$,$\varepsilon_0=8.854\times10^{-12}\ \mathrm{F/m}$,$m_e=9.109\times10^{-31}\ \mathrm{kg}$ を入れる.分子と分母を別々に計算すると

$$ ne^2 = 1.32\times10^{29}\times\left(1.602\times10^{-19}\right)^2 = 1.32\times10^{29}\times2.5664\times10^{-38} = 3.3877\times10^{-9}, $$ $$ \varepsilon_0 m_e = 8.854\times10^{-12}\times9.109\times10^{-31} = 8.0651\times10^{-42} $$

であり,比は $4.2004\times10^{32}\ \mathrm{s^{-2}}$,その平方根をとって

$$ \omega_p = 2.0496\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}} \simeq 2.05\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}} . $$

エネルギーに直すと

$$ \hbar\omega_p = 1.0546\times10^{-34}\times2.0496\times10^{16} = 2.1615\times10^{-18}\ \mathrm{J} = \frac{2.1615\times10^{-18}}{1.602\times10^{-19}}\ \mathrm{eV} = 13.49\ \mathrm{eV} . $$

侵入長は $\lambda_L=c/\omega_p$ だから

$$ \lambda_L = \frac{2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s}}{2.0496\times10^{16}\ \mathrm{s^{-1}}} = 1.4627\times10^{-8}\ \mathrm{m} = 14.63\ \mathrm{nm} . $$

実測値 $39\ \mathrm{nm}$ と比べると

$$ \frac{39}{14.63} = 2.67 $$

倍,計算値のほうが小さい(=光子を重く見積もりすぎている).$\lambda_L\propto\sqrt{m^*/n_s}$ なので,この $2.67$ 倍は $m^*/n_s$ の $2.67^2=7.1$ 倍のずれに相当する.原因の候補は2つあるが,主因は (ii) である.

逆に言えば,$\kappa\approx0.4$ の type-I 超伝導体である Pb は,まさにこの非局所性が効く物質なのである.

検算.(3) の2つの答えは互いに独立ではないので,整合性を確かめられる.本書13.9.2項の $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L=\hbar\omega_{p,s}$ に $\lambda_L=14.63\ \mathrm{nm}$ を入れると

$$ \frac{197.327\ \mathrm{eV\,nm}}{14.63\ \mathrm{nm}} = 13.49\ \mathrm{eV} $$

となり,上で求めた $\hbar\omega_p=13.49\ \mathrm{eV}$ とぴたりと一致する.$\lambda_L=c/\omega_p$ と $m_\gamma c^2=\hbar c/\lambda_L$ を合わせれば $m_\gamma c^2=\hbar\omega_p$ になるのだから当然だが,単位換算に誤りがないことの確認になる.また (1) を SI で検算すると,$m_\gamma=\hbar/(\lambda_Lc)=1.055\times10^{-34}/(3.9\times10^{-8}\times2.998\times10^8)=9.02\times10^{-36}\ \mathrm{kg}$,$m_\gamma c^2=9.02\times10^{-36}\times(2.998\times10^8)^2=8.11\times10^{-19}\ \mathrm{J}=5.06\ \mathrm{eV}$ で一致する.さらに桁の見当として,Pb の実測プラズモン(EELS)は約 $13\ \mathrm{eV}$ であり,上で求めた $13.5\ \mathrm{eV}$ はよく合っている.つまり自由電子模型は常伝導のプラズマ振動数はよく当てるが,超流動密度を含む $\lambda_L$ では非局所性のぶんだけ外す,ということである.

意味.「侵入長を測ることは,超伝導体中の光子の質量を測ることである」という本章の主張が,具体的な数値になった.Nb の $5.06\ \mathrm{eV}$ は電子の静止質量の $10^{-5}$ 倍にすぎないが,光子が本来もつ質量ゼロと比べれば無限に重い.$W$ ボソンの $80.377\ \mathrm{GeV}$ とは10桁違うが,方程式は同じ Proca 方程式である.(3) の考察はさらに実務的である.第一原理計算で超流動密度から侵入長を予言しようとするとき,自由電子近似では2–3倍外れる,ということを本問は示している.正しく当てるには,バンド構造から求めた Drude 重み(プラズマ振動数テンソル)を使い,さらに $\xi_0$ と $\lambda_L$ の大小関係を見て非局所補正を判断しなければならない.素粒子物理の言葉でいえば「真空偏極が非局所だとゲージ場の質量の見積もりがずれる」ということであり,凝縮系でも素粒子でも同じ注意が必要なのである.

演習13.8 Ginzburg–Landau と Higgs 機構の辞書

問題(再掲)

(1) GL 方程式 $a\Psi+b\abs\Psi^2\Psi-\frac{\hbar^2}{2m^*}\nabla^2\Psi=0$ に $\Psi=\Psi_\infty(1+f)$ を代入し,$f$ について線形化して,$f$ の減衰長が $\xi_{\rm GL}/\sqrt2$($\xi_{\rm GL}\equiv\hbar/\sqrt{2m^*\abs a}$)であることを示せ.

(2) この減衰長が Abelian Higgs 模型の $1/m_\eta$ に対応することを使い,$\kappa=\lambda_L/\xi_{\rm GL}=m_\eta/(\sqrt2\,m_B)$ を導け.type-I / type-II の境界 $\kappa=1/\sqrt2$ が $m_\eta=m_B$ に対応することを確かめよ.

(3) 標準模型を「超伝導体」とみなし,$m_\eta\to m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$,$m_B\to m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$ として $\kappa$ を求め,type-I か type-II かを判定せよ.

(4) メキシカンハットの底でのポテンシャルの深さ $V_{\min}=-\lambda v^4/4$ を数値で求め,観測される宇宙の暗黒エネルギー密度 $\rho_\Lambda\approx(2.3\times10^{-12}\ \mathrm{GeV})^4=2.8\times10^{-47}\ \mathrm{GeV^4}$ と比較せよ.

ヒント:(1) $a=-b\abs{\Psi_\infty}^2$ を使うと $\nabla^2f=(4m^*\abs a/\hbar^2)f$.(3) $\kappa=125.25/(\sqrt2\times91.188)=0.971>1/\sqrt2=0.707$ なので type-II.(4) $\abs{V_{\min}}=0.129\times246.2^4/4=1.2\times10^{8}\ \mathrm{GeV^4}$.$\rho_\Lambda$ との比は $4\times10^{54}$,すなわち55桁のずれ.これが宇宙定数問題である.電弱真空のエネルギーが(何らかの理由で)ほぼ完全に相殺されていることを意味する.

解答

方針.(1) は平衡解のまわりで線形化する標準的な手続きである.(2) は表13.4 の辞書をそのまま使う.(3)(4) は数値であり,python3 で計算した.(4) は本書で最も気の重い数値であるが,正直に桁を数えるべきである.

(1) 磁場がない一様な系での平衡解 $\Psi_\infty$ は,GL 方程式の空間微分項を落として

$$ a\Psi_\infty + b\abs{\Psi_\infty}^2\Psi_\infty = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad \abs{\Psi_\infty}^2 = -\frac ab = \frac{\abs a}{b} $$

で与えられる($T<T_c$ なので $a<0$,したがって $a=-\abs a$).ここに $\Psi=\Psi_\infty(1+f)$($f$ は実で小さいゆらぎ)を代入する.$\abs\Psi^2=\abs{\Psi_\infty}^2(1+f)^2$,$\nabla^2\Psi=\Psi_\infty\nabla^2f$ であるから

$$ a\Psi_\infty(1+f) + b\abs{\Psi_\infty}^2\Psi_\infty(1+f)^3 - \frac{\hbar^2}{2m^*}\Psi_\infty\nabla^2f = 0 . $$

両辺を $\Psi_\infty\neq0$ で割ると

$$ a(1+f) + b\abs{\Psi_\infty}^2(1+f)^3 - \frac{\hbar^2}{2m^*}\nabla^2f = 0 . $$

ここで $b\abs{\Psi_\infty}^2=-a=\abs a$ を使うと,第1項と第2項がまとまって

$$ -\abs a(1+f) + \abs a(1+f)^3 - \frac{\hbar^2}{2m^*}\nabla^2f = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad \abs a\left[(1+f)^3-(1+f)\right] = \frac{\hbar^2}{2m^*}\nabla^2f . $$

$f$ の1次までとる.$(1+f)^3\simeq1+3f$,$(1+f)=1+f$ なので括弧の中は $(1+3f)-(1+f)=2f$ である.したがって

$$ 2\abs a\,f = \frac{\hbar^2}{2m^*}\nabla^2f \qquad\Longrightarrow\qquad \nabla^2 f = \frac{4m^*\abs a}{\hbar^2}\,f $$

となり,ヒントの式が出る.表面を $x=0$,内部を $x>0$ とする1次元問題では解は $f\propto\ee^{-x/\ell}$ で,代入すると $1/\ell^2=4m^*\abs a/\hbar^2$,すなわち

$$ \ell = \frac{\hbar}{\sqrt{4m^*\abs a}} = \frac{1}{\sqrt2}\cdot\frac{\hbar}{\sqrt{2m^*\abs a}} = \frac{\xi_{\rm GL}}{\sqrt2} . $$

秩序変数の振幅のゆらぎは,$\xi_{\rm GL}/\sqrt2$ という長さで減衰する.因子 $\sqrt2$ が現れるのは,線形化で $(1+f)^3-(1+f)\to2f$ という係数2が出たからである.$\xi_{\rm GL}$ の定義そのものには係数2が入っていないので,両者は $\sqrt2$ だけずれる.

(2) Abelian Higgs 模型の側で対応するのは,Higgs 場 $\eta$ の空間的な減衰である.質量 $m_\eta$ の場の静的な湯川型の解は $\ee^{-m_\eta r}$ と減衰するので,減衰長は $1/m_\eta$ である.(1) の結果と等置すると

$$ \frac{1}{m_\eta} = \frac{\xi_{\rm GL}}{\sqrt2} \qquad\Longrightarrow\qquad \xi_{\rm GL} = \frac{\sqrt2}{m_\eta} . $$

これが表13.4 の「コヒーレンス長 $\leftrightarrow\sqrt2/m_\eta$」である.一方,磁場(ゲージ場)のほうは本書13.9.2項で見たとおり $\lambda_L=1/m_B$ である.したがって GL パラメータは

$$ \kappa \equiv \frac{\lambda_L}{\xi_{\rm GL}} = \frac{1/m_B}{\sqrt2/m_\eta} = \frac{1}{m_B}\cdot\frac{m_\eta}{\sqrt2} = \frac{m_\eta}{\sqrt2\,m_B} $$

と書ける.境界を調べる.

$$ \kappa = \frac{1}{\sqrt2} \quad\Longleftrightarrow\quad \frac{m_\eta}{\sqrt2\,m_B} = \frac{1}{\sqrt2} \quad\Longleftrightarrow\quad m_\eta = m_B . $$

すなわち type-I / type-II の境界は,Higgs 粒子とゲージ粒子の質量がちょうど等しい点である.そして

物理的には次のように読める.渦の芯では秩序変数が壊れており,そのぶんの凝縮エネルギーを損する(芯の半径は $\xi_{\rm GL}$).一方で磁場が入れるので磁気エネルギーを得する(磁場の広がりは $\lambda_L$).どちらが勝つかを決めるのが両者の比 $\kappa$ である.場の理論では $m_\eta=m_B$ の点を Bogomolny 点と呼び,渦間の力が正確にゼロになる.スカラー交換(引力)とベクトル交換(斥力)が湯川型の減衰長まで含めて釣り合うからである.

(3) 標準模型の値を代入する.$m_\eta\to m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$,$m_B\to m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$ として

$$ \kappa = \frac{m_H}{\sqrt2\,m_Z} = \frac{125.25}{1.41421\times91.188} = \frac{125.25}{128.96} = 0.9712 . $$

境界の値は $1/\sqrt2=0.7071$ であるから

$$ \kappa = 0.971 \;>\; 0.707 $$

すなわちtype-II である.我々の宇宙の電弱真空は,Nb($\kappa\approx1$)や Nb$_3$Sn と同じ側にいる.なお,ゲージ粒子として $Z$ ではなく $W$($m_W=80.377\ \mathrm{GeV}$)をとると $\kappa=125.25/(\sqrt2\times80.377)=1.102$ となり,やはり type-II である.どちらを使っても結論は変わらない.$m_H$ と $m_Z$ が偶然近い値なので $\kappa$ は $1$ のすぐそば,つまり Bogomolny 点からそう遠くないところにある.

(4) メキシカンハットの底の深さは,本書13.7.2項ステップ4の平方完成に現れた定数項である.$V=\lambda(s-v^2/2)^2-\lambda v^4/4$($s=\abs\phi^2$)なので

$$ V_{\min} = -\frac{\lambda v^4}{4} . $$

数値を入れる.$\lambda=0.12940$(演習13.6(2)),$v=246.2\ \mathrm{GeV}$ である.まず

$$ v^4 = 246.2^4 = \left(246.2^2\right)^2 = \left(6.0614\times10^4\right)^2 = 3.6741\times10^{9}\ \mathrm{GeV^4} $$

だから

$$ \abs{V_{\min}} = \frac{0.12940\times3.6741\times10^{9}}{4} = \frac{4.7546\times10^{8}}{4} = 1.1886\times10^{8}\ \mathrm{GeV^4} . $$

すなわち約 $1.2\times10^8\ \mathrm{GeV^4}$ である.エネルギースケールに直すと $\abs{V_{\min}}^{1/4}=104.4\ \mathrm{GeV}$ で,電弱スケールそのものである.暗黒エネルギー密度と比べると

$$ \frac{\abs{V_{\min}}}{\rho_\Lambda} = \frac{1.1886\times10^{8}\ \mathrm{GeV^4}}{2.8\times10^{-47}\ \mathrm{GeV^4}} = 4.25\times10^{54} . $$

約 $10^{55}$ 倍,すなわち55桁のずれである.エネルギースケールで比べれば $104.4\ \mathrm{GeV}$ 対 $2.3\times10^{-12}\ \mathrm{GeV}$,比にして $4.5\times10^{13}$ 倍($(4.25\times10^{54})^{1/4}$ に一致する)である.

この意味は深刻である.一般相対論では真空のエネルギー密度がそのまま宇宙定数として重力に効く.Higgs ポテンシャルの底は $-1.2\times10^{8}\ \mathrm{GeV^4}$ という負の巨大な値をとるのに,観測される真空エネルギーは $+2.8\times10^{-47}\ \mathrm{GeV^4}$ というきわめて小さな正の値である.したがって,何か別の寄与が Higgs の真空エネルギーを $55$ 桁の精度で相殺していなければならない.しかもこれは Higgs だけの話ではなく,QCD の凝縮($\sim(0.2\ \mathrm{GeV})^4$)やあらゆる場のゼロ点エネルギーも同様に効く.なぜそれらの総和がほぼ完全にゼロになるのか,誰も知らない.これが宇宙定数問題である.

検算.(4) を別の表式で確かめる.$v^2=\mu^2/\lambda$ を使うと $\abs{V_{\min}}=\lambda v^4/4=\lambda(\mu^2/\lambda)^2/4=\mu^4/(4\lambda)$ と書ける.演習13.6(2) の $\mu=88.565\ \mathrm{GeV}$ を入れると $\mu^4=6.1525\times10^7$,$4\lambda=0.51762$ で $\mu^4/(4\lambda)=1.1886\times10^8\ \mathrm{GeV^4}$ となり,上と一致する.独立な2通りの経路で同じ値が出たので計算は正しい.(3) は極限で確かめられる.$m_\eta\to0$(Higgs が無限に軽い=コヒーレンス長が無限に長い)なら $\kappa\to0$ で完全な type-I,$m_B\to0$(ゲージ場が無質量=侵入長が無限)なら $\kappa\to\infty$ で極端な type-II となり,どちらも直観に合う.(1) は $\abs a\to0$($T\to T_c$)の極限で減衰長が発散する.これは転移点でコヒーレンス長が発散するという臨界現象の常識どおりである.

意味.(1)–(3) は,超伝導体の材料設計に使う $\kappa$ という指標が,そのまま「Higgs 粒子とゲージ粒子の質量比」であることを示している.超伝導電磁石に Nb$_3$Sn や NbTi を使うのは,$\kappa\gg1/\sqrt2$ で磁束が Abrikosov 渦として侵入でき,高磁場でも超伝導が壊れないからである.同じ判別式を宇宙に当てはめると,我々の真空は $\kappa=0.971$ の type-II 超伝導体だということになる.もし $m_H$ がもう少し軽くて $m_H<m_Z$ だったら,宇宙は type-I の「超伝導体」であり,電弱ストリング(宇宙ひも)の振る舞いも変わっていたはずである.(4) は,同じ辞書を真空エネルギーに適用したときに現れる巨大な不一致である.超伝導体では凝縮エネルギー密度(Pb で $\sim10^3\ \mathrm{J/m^3}$ 程度)は測定できる実在の量であり,比熱の飛びとして観測される.しかし宇宙では,同じ凝縮エネルギーが重力に効くはずなのに効いていない.凝縮のエネルギーを測る術がある物質科学と,その値が55桁合わない宇宙論との対比が,本問の主題である.

E.14 第14章 ニュートリノ振動と Majorana 粒子 の解答

演習14.1 2世代振動確率をもう一度

問題(再掲)

本文の導出をなぞらずに,自分で最後まで計算せよ.

(1) $\ket{\nu_e}=\cos\theta\ket{\nu_1}+\sin\theta\ket{\nu_2}$ から出発し,時刻 $t$ での $\braket{\nu_e|\nu(t)}$ を求めよ.

(2) $P(\nu_e\to\nu_e)=\abs{\braket{\nu_e|\nu(t)}}^2$ を計算し,$1-\sin^22\theta\sin^2(\phi/2)$($\phi=(E_2-E_1)t$)となることを示せ.

(3) $P(\nu_e\to\nu_e)+P(\nu_e\to\nu_\mu)=1$ を確かめよ.

(4) $\theta=45^\circ$(最大混合)のとき,$P(\nu_e\to\nu_\mu)$ が $1$ に達する最小の $L$ を $\Delta m^2$ と $E$ で表せ.

解答

方針.使う道具は,本書14章 14.2.2 節の2世代混合 $\ket{\nu_e}=\cos\theta\ket{\nu_1}+\sin\theta\ket{\nu_2}$,$\ket{\nu_\mu}=-\sin\theta\ket{\nu_1}+\cos\theta\ket{\nu_2}$ と,質量固有状態が位相 $\ee^{-\ii E_it}$ で回るという事実だけである.本文では $\nu_\mu$ 成分を射影したが,ここでは $\nu_e$ 成分を射影する.射影先が違うだけで手順は同一であり,最後に確率の和で両者がつながることを確かめる.なお $\ket{\nu_1},\ket{\nu_2}$ は自由ハミルトニアンの固有状態なので正規直交系 $\braket{\nu_i|\nu_j}=\delta_{ij}$ をなし,混合行列が実直交行列であることから $\ket{\nu_e},\ket{\nu_\mu}$ もまた正規直交系である.

(1) 初期条件は $\ket{\nu(0)}=\ket{\nu_e}$ である.これを質量固有状態で展開したまま時間発展させる.展開係数は数であって時間発展の対象ではなく,動くのは基底ケットの位相だけである:

$$ \ket{\nu(t)} = \cos\theta\,\ee^{-\ii E_1t}\ket{\nu_1} + \sin\theta\,\ee^{-\ii E_2t}\ket{\nu_2} $$

ここで $E_i=\sqrt{\bm p^2+m_i^2}$ である.次に $\bra{\nu_e}=\cos\theta\bra{\nu_1}+\sin\theta\bra{\nu_2}$ を左からかける.混合角 $\theta$ が実数なので,ブラを作るときに複素共役をとっても係数は変わらない.$\braket{\nu_1|\nu_1}=\braket{\nu_2|\nu_2}=1$,$\braket{\nu_1|\nu_2}=\braket{\nu_2|\nu_1}=0$ を使うと,交差項が落ちて

$$ \braket{\nu_e|\nu(t)} = \cos^2\theta\,\ee^{-\ii E_1t} + \sin^2\theta\,\ee^{-\ii E_2t} $$

を得る.$t=0$ では $\cos^2\theta+\sin^2\theta=1$ となり,規格化が保たれていることが確認できる.また $E_1=E_2$(質量が縮退)ならこの振幅は絶対値 $1$ の位相因子そのものになり,何も起こらない.

(2) 共通因子 $\ee^{-\ii E_1t}$ を括り出す.絶対値をとるとこの因子は $1$ になって落ちるので,$\phi\equiv(E_2-E_1)t$ と置いて

$$ \braket{\nu_e|\nu(t)} = \ee^{-\ii E_1t}\left(\cos^2\theta + \sin^2\theta\,\ee^{-\ii\phi}\right) $$ $$ P(\nu_e\to\nu_e) = \abs{\cos^2\theta + \sin^2\theta\,\ee^{-\ii\phi}}^2 $$

複素数 $a+b\ee^{-\ii\phi}$($a,b$ は実)の絶対値の2乗は,実部・虚部を分けて

$$ (a+b\cos\phi)^2+(b\sin\phi)^2 = a^2+2ab\cos\phi+b^2\cos^2\phi+b^2\sin^2\phi = a^2+b^2+2ab\cos\phi $$

である.$a=\cos^2\theta$,$b=\sin^2\theta$ を入れると

$$ P(\nu_e\to\nu_e) = \cos^4\theta+\sin^4\theta+2\cos^2\theta\sin^2\theta\,\cos\phi $$

ここで二つの恒等式を用意する.第一に

$$ \cos^4\theta+\sin^4\theta =\left(\cos^2\theta+\sin^2\theta\right)^2-2\cos^2\theta\sin^2\theta =1-2\cos^2\theta\sin^2\theta $$

第二に $\sin2\theta=2\sin\theta\cos\theta$ より $\cos^2\theta\sin^2\theta=\tfrac14\sin^22\theta$,したがって $2\cos^2\theta\sin^2\theta=\tfrac12\sin^22\theta$ である.これらを代入すると

$$ P(\nu_e\to\nu_e) = 1-\frac12\sin^22\theta+\frac12\sin^22\theta\cos\phi = 1-\frac12\sin^22\theta\left(1-\cos\phi\right) $$

最後に半角公式 $1-\cos\phi=2\sin^2(\phi/2)$ を使えば

$$ P(\nu_e\to\nu_e) = 1-\sin^22\theta\,\sin^2\frac{\phi}{2} $$

が出る.超相対論的展開 $E_i\simeq p+m_i^2/2p$ と $t\simeq L$ を入れれば $\phi/2=\Delta m^2L/4E$ となり,本文の生き残り確率の式に一致する.

(3) 遷移確率のほうは,同じ手順で射影先を $\ket{\nu_\mu}$ にとればよい.$\braket{\nu_\mu|\nu_1}=-\sin\theta$,$\braket{\nu_\mu|\nu_2}=\cos\theta$ だから

$$ \braket{\nu_\mu|\nu(t)} = -\sin\theta\cos\theta\,\ee^{-\ii E_1t}+\cos\theta\sin\theta\,\ee^{-\ii E_2t} =\sin\theta\cos\theta\,\ee^{-\ii E_1t}\left(\ee^{-\ii\phi}-1\right) $$ $$ \abs{\ee^{-\ii\phi}-1}^2=(\cos\phi-1)^2+\sin^2\phi=2-2\cos\phi=4\sin^2\frac{\phi}{2} $$ $$ P(\nu_e\to\nu_\mu)=\frac14\sin^22\theta\times4\sin^2\frac{\phi}{2}=\sin^22\theta\,\sin^2\frac{\phi}{2} $$

したがって和は

$$ P(\nu_e\to\nu_e)+P(\nu_e\to\nu_\mu) =\left(1-\sin^22\theta\sin^2\frac{\phi}{2}\right)+\sin^22\theta\sin^2\frac{\phi}{2}=1 $$

となる.これは偶然ではない.$\{\ket{\nu_e},\ket{\nu_\mu}\}$ は完全系なので $\ket{\nu_e}\bra{\nu_e}+\ket{\nu_\mu}\bra{\nu_\mu}=\mathbb 1$ であり,

$$ \sum_{\beta=e,\mu}\abs{\braket{\nu_\beta|\nu(t)}}^2 = \braket{\nu(t)|\nu(t)}=1 $$

が時間発展のユニタリ性から自動的に従う.すなわち確率の和が $1$ になるのは,混合行列がユニタリであることの直接の帰結である.3世代でも同じ論法で $\sum_\beta P_{\alpha\beta}=1$ が成り立つ.

(4) $\theta=45^\circ$ では $2\theta=90^\circ$ なので $\sin^22\theta=1$ となり,遷移確率は

$$ P(\nu_e\to\nu_\mu)=\sin^2\left(\frac{\Delta m^2L}{4E}\right) $$

である.これが $1$ に達するのは $\sin^2(\cdots)=1$ すなわち位相が $\pi/2$ の奇数倍のときで,最小の距離は

$$ \frac{\Delta m^2L}{4E}=\frac{\pi}{2} \quad\Longrightarrow\quad L=\frac{2\pi E}{\Delta m^2} $$

である.本書14章の振動長 $L_\mathrm{osc}=4\pi E/\Delta m^2$ と比べると,これはちょうど $L_\mathrm{osc}/2$,すなわち第1振動極大の位置にあたる.実用単位に直すと $1.267\,\Delta m^2L/E=\pi/2$ より

$$ L[\mathrm{km}]=\frac{\pi}{2\times1.267}\frac{E[\mathrm{GeV}]}{\Delta m^2[\mathrm{eV^2}]} =1.24\,\frac{E[\mathrm{GeV}]}{\Delta m^2[\mathrm{eV^2}]} $$

となる.$E\approx0.6\ \mathrm{GeV}$,$\abs{\Delta m_{32}^2}=2.5\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$ を入れると $L=1.24\times0.6/(2.5\times10^{-3})=298\ \mathrm{km}$ である.T2K の実際の基線は J-PARC から Super-Kamiokande までの $295\ \mathrm{km}$ で,これは地理的に先に決まっていた距離である.したがって T2K が設計したのは $L$ ではなく $E$ のほうで,ビーム軸から $2.5^\circ$ 外して(off-axis 法)フラックスのピークを $E\simeq0.6\ \mathrm{GeV}$ に絞り込み,$295\ \mathrm{km}$ が第1振動極大に来るようにした.いずれにせよ拘束条件は $L/E$ という組み合わせであり,この式がそれを与えている.

検算.三つの極限で確かめる.第一に $\theta\to0$ では $\sin^22\theta\to0$ となり $P(\nu_e\to\nu_e)\to1$,$P(\nu_e\to\nu_\mu)\to0$.混合がなければフレーバーは変わらない.第二に $\Delta m^2\to0$(質量縮退)では $\phi\to0$ なので $\sin^2(\phi/2)\to0$ となり,やはり $P(\nu_e\to\nu_e)\to1$.どちらの条件が欠けても振動は起こらないという,本文ステップ3で読み取った2条件が最終式にも残っている.第三に次元である.自然単位系 $\hbar=c=1$ では $[\Delta m^2]=\mathrm{eV^2}$,$[L]=\mathrm{eV^{-1}}$,$[E]=\mathrm{eV}$ だから $\Delta m^2L/4E$ は $\mathrm{eV^2}\cdot\mathrm{eV^{-1}}\cdot\mathrm{eV^{-1}}$ で無次元であり,正しく位相になっている.

意味.最終式は $\sin^22\theta$(深さ)と $\sin^2(\Delta m^2L/4E)$(周期)の積に完全に分離しており,実験は前者から混合角を,後者から質量二乗差を独立に読み出せる.そしてここで扱った数学は,2準位系のコヒーレントな Rabi 振動そのものである.固有値差 $E_2-E_1$ が振動の角振動数を,基底のずれ $\theta$ が振動の振幅を決める,という構造は,NMR・ESR の Rabi 振動,二重量子ドットの電荷振動,超高速分光で見る量子ビートと同一である.材料科学者にとって,ニュートリノ振動は「見慣れた2準位問題を,$10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$ という桁違いに小さいエネルギー差と,$10^2$–$10^4\ \mathrm{km}$ という桁違いに長い伝播距離で解いたもの」と読み替えられる.振動が観測できるのは,位相 $\Delta m^2L/4E$ において「極端に小さい $\Delta m^2$」と「極端に大きい $L$」が積で相殺し,$O(1)$ の位相を与えるからである.

演習14.2 $1.27$ を自分で出す,そして実験を設計する

問題(再掲)

(1) $\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ から出発し,$\Delta m^2$ を $\mathrm{eV^2}$,$L$ を $\mathrm{km}$,$E$ を $\mathrm{GeV}$ で測ったときの換算係数を,本文を見ずに導け.

(2) 同じ係数が「$L$ を m,$E$ を MeV」でも使えることを示せ.

(3) $\Delta m_{21}^2=7.53\times10^{-5}\ \mathrm{eV^2}$,$E=3.6\ \mathrm{MeV}$ の原子炉 $\bar\nu_e$ に対する振動長 $L_\mathrm{osc}$ を求めよ.

(4) JUNO は $\Delta m_{21}^2$ と質量順序を同時に測るため,$L=52.5\ \mathrm{km}$ に置かれた.このとき $E=3.6\ \mathrm{MeV}$ での位相は何 rad か.振動極大か極小か.

解答

方針.使う道具は次元解析だけである.位相は無次元でなければならない,という一点から $\hbar$ と $c$ の入り方が一意に決まる.そのうえで $\hbar c$ を「実験家の単位」に翻訳する.数値は本解答内で python3 を電卓として計算し直した.

(1) 自然単位系での位相は $\Delta m^2L/4E$ である.$\hbar=c=1$ を外して次元を復活させる.$\Delta m^2$ は質量の2乗なので,エネルギーに直すには $c^4$ をかけて $\Delta m^2c^4$ とする($mc^2$ がエネルギー,その2乗が $m^2c^4$).すると

$$ \frac{\Delta m^2c^4\,L}{4E} \quad\longrightarrow\quad \frac{[\mathrm{eV^2}]\cdot[\mathrm{m}]}{[\mathrm{eV}]}=[\mathrm{eV\cdot m}] $$

という余分な次元が残る.これを消せる定数は $\hbar c$ しかない($\hbar c$ の次元はエネルギー $\times$ 長さである).したがって復活形は一意に

$$ \frac{\Delta m^2L}{4E}\Big|_{\hbar=c=1} \ \longrightarrow\ \frac{\Delta m^2c^4\,L}{4\,\hbar c\,E} $$

と決まる.次に $\hbar c$ を eV・m で書く.$1\ \mathrm{MeV}=10^6\ \mathrm{eV}$,$1\ \mathrm{fm}=10^{-15}\ \mathrm{m}$ だから

$$ \hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 197.327\times10^{6}\times10^{-15}\ \mathrm{eV\,m} = 1.97327\times10^{-7}\ \mathrm{eV\,m} $$

実験家の単位で書いた数値を $\widetilde{\Delta m^2}$($\mathrm{eV^2}$ 単位),$\widetilde L$(km 単位,$L=10^3\widetilde L\ \mathrm{m}$),$\widetilde E$(GeV 単位,$E=10^9\widetilde E\ \mathrm{eV}$)とすると

$$ \frac{\Delta m^2c^4L}{4\hbar cE} =\frac{\widetilde{\Delta m^2}\ \mathrm{eV^2}\times10^3\widetilde L\ \mathrm{m}} {4\times1.97327\times10^{-7}\ \mathrm{eV\,m}\times10^9\widetilde E\ \mathrm{eV}} $$

単位は $\mathrm{eV^2\cdot m}/(\mathrm{eV\,m\cdot eV})$ で完全に相殺する.数係数だけ残して

$$ \frac{10^3}{4\times1.97327\times10^{-7}\times10^{9}} =\frac{10^3}{4\times197.327} =\frac{10^3}{789.308} =1.26693 $$

すなわち

$$ \frac{\Delta m^2L}{4E}=1.2669\,\frac{\Delta m^2[\mathrm{eV^2}]\ L[\mathrm{km}]}{E[\mathrm{GeV}]} $$

である.$1.27$ という数は,$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ という自然定数を $\mathrm{km}$,$\mathrm{GeV}$,$\mathrm{eV^2}$ という人間の都合の単位に翻訳しただけの数であり,物理的な内容は何も含んでいない.

(2) 同じ式で $L=\widetilde L\ \mathrm{m}$(m 単位),$E=10^6\widetilde E\ \mathrm{eV}$(MeV 単位)と置き直す.

$$ \frac{\widetilde{\Delta m^2}\ \mathrm{eV^2}\times\widetilde L\ \mathrm{m}} {4\times1.97327\times10^{-7}\ \mathrm{eV\,m}\times10^{6}\widetilde E\ \mathrm{eV}} =\frac{1}{4\times1.97327\times10^{-1}}\frac{\widetilde{\Delta m^2}\widetilde L}{\widetilde E} =\frac{1}{0.789308}\frac{\widetilde{\Delta m^2}\widetilde L}{\widetilde E} $$

係数は $1/0.789308=1.26693$ で,(1) とまったく同じである.理由は明快で,$\mathrm{km}\to\mathrm{m}$ で分子が $10^{-3}$ 倍になり,$\mathrm{GeV}\to\mathrm{MeV}$ で分母も $10^{-3}$ 倍になるから,比では相殺するのである.一般に,$L$ と $E$ の単位を同じ倍率だけ変えれば係数は不変である.原子炉実験は $L\sim10^3\ \mathrm{m}$,$E\sim$ 数 MeV なので,こちらの読み方のほうが数値が扱いやすい.

(3) 振動長は位相が $\pi$ 進む距離である($\sin^2$ の周期は $\pi$).

$$ 1.26693\,\frac{\widetilde{\Delta m^2}\widetilde L_\mathrm{osc}}{\widetilde E}=\pi \quad\Longrightarrow\quad L_\mathrm{osc}[\mathrm{km}]=\frac{\pi}{1.26693}\frac{E[\mathrm{GeV}]}{\Delta m^2[\mathrm{eV^2}]} =2.4797\,\frac{E[\mathrm{GeV}]}{\Delta m^2[\mathrm{eV^2}]} $$

$E=3.6\ \mathrm{MeV}=3.6\times10^{-3}\ \mathrm{GeV}$,$\Delta m_{21}^2=7.53\times10^{-5}\ \mathrm{eV^2}$ を入れる.

$$ \frac{E}{\Delta m^2}=\frac{3.6\times10^{-3}}{7.53\times10^{-5}}=47.809 $$ $$ L_\mathrm{osc}=2.4797\times47.809=118.55\ \mathrm{km} $$

すなわち $L_\mathrm{osc}\simeq119\ \mathrm{km}$,第1振動極大はその半分の $59.3\ \mathrm{km}$ にある.本文ヒントの $118.6\ \mathrm{km}$(係数 $2.48$ を使ったもの)と一致する.

(4) JUNO の位相は

$$ \Phi = 1.26693\times\frac{7.53\times10^{-5}\times52.5}{3.6\times10^{-3}} $$

分子を先に計算すると $7.53\times10^{-5}\times52.5=3.95325\times10^{-3}$,これを $3.6\times10^{-3}$ で割ると $1.09813$,最後に $1.26693$ をかけて

$$ \Phi = 1.3913\ \mathrm{rad} $$

である.$\pi$ で割ると $\Phi/\pi=0.4428$ なので,$\Phi\approx0.44\pi$,すなわち第1振動極大 $\pi/2=1.5708\ \mathrm{rad}$ のわずか手前にある.振動因子と生き残り確率は

$$ \sin^2\Phi = \sin^2(1.3913)=0.9681 $$ $$ P(\bar\nu_e\to\bar\nu_e)=1-\sin^22\theta_{12}\sin^2\Phi =1-0.851\times0.9681=0.176 $$

(表14.5 の $\sin^2\theta_{12}=0.307$ から $\sin^22\theta_{12}=4\sin^2\theta_{12}\cos^2\theta_{12}=4\times0.307\times0.693=0.851$ を使った.)$\sin^2\Phi$ が $0.968$ とほぼ最大値に近いので,これは生き残り確率の極小(振動極大)のほぼ真上である.$L_\mathrm{osc}/2=59.3\ \mathrm{km}$ に対して $52.5\ \mathrm{km}$ は $0.89$ 倍であり,$\sin^2$ の山は頂上付近が平らなので,多少ずれても感度はほとんど落ちない.

JUNO がここに置かれた理由は二つある.第一に,$\Delta m_{21}^2$ による大振幅の振動を最も深いところで捉えられること.第二に,そこに $\Delta m_{31}^2$ による細かい波(位相は $\abs{\Delta m_{31}^2}/\Delta m_{21}^2=32.5$ 倍速い)が重なり,その波紋の位置が NO と IO で逆にずれるため,エネルギースペクトルの微細構造から質量順序を読み取れることである.これには $3\%/\sqrt{E[\mathrm{MeV}]}$ という極めて良いエネルギー分解能が要る.

検算.係数を独立な経路で確かめる.$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ を $\mathrm{eV^{-1}}$ の長さに翻訳すると $1\ \mathrm{eV^{-1}}=1.97327\times10^{-7}\ \mathrm{m}$ なので,$1\ \mathrm{km}=10^3/(1.97327\times10^{-7})\ \mathrm{eV^{-1}}=5.0677\times10^{9}\ \mathrm{eV^{-1}}$,$1\ \mathrm{GeV}=10^9\ \mathrm{eV}$ である.したがって $\Delta m^2L/4E$ に $\Delta m^2=1\ \mathrm{eV^2}$,$L=1\ \mathrm{km}$,$E=1\ \mathrm{GeV}$ を入れると $1\times5.0677\times10^9/(4\times10^9)=1.2669$ となり,(1) の値に一致する.また (3) の答えを別経路で検算すると,第1極大 $L_\mathrm{osc}/2=1.24\times47.809=59.28\ \mathrm{km}$ であり,KamLAND の実効距離 $\sim180\ \mathrm{km}$ がその約3倍というのも本文の記述と整合する.

意味.この演習の核心は,「$1.27$ は物理定数ではなく単位換算である」という認識である.同じ構造は物性でも頻出する.たとえば $\hbar\omega[\mathrm{meV}]=4.136\,\nu[\mathrm{THz}]$ や $\lambda[\mathrm{nm}]=1239.8/E[\mathrm{eV}]$,あるいは中性子非弾性散乱で使う $E[\mathrm{meV}]=81.81/\lambda[\AA]^2$ はすべて,$\hbar$ と $c$(あるいは中性子質量)を実験室の単位に翻訳した数にすぎない.一度自分で導いておけば,係数を覚える必要はなくなり,単位を変えたときに係数がどう動くかも即座に判断できる.そして (4) が示すように,実験のベースラインは「作りたい位相」から逆算して決められている.測定対象の $\Delta m^2$ が決まれば $L/E$ が決まり,そこから加速器と検出器の地理的配置が決まる.これは,測りたいエネルギースケールから分光器の分解能と入射エネルギーを設計する,物性測定の設計思想とまったく同じである.

演習14.3 大気ニュートリノの上下非対称

問題(再掲)

$\Delta m_{31}^2=2.45\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$,$\sin^22\theta_{23}=1$(最大混合と近似),地球半径 $R_\oplus=6371\ \mathrm{km}$ とする.

(1) 天頂角 $\theta_z$($\cos\theta_z=1$ が真上から,$-1$ が真下から)に対し,飛行距離が近似的に $L(\theta_z)\simeq\sqrt{(R_\oplus+h)^2-(R_\oplus\sin\theta_z)^2}-R_\oplus\cos\theta_z$($h=15\ \mathrm{km}$ は生成高度)で与えられることを幾何学から確かめよ.

(2) $E=1\ \mathrm{GeV}$ について,真上($\cos\theta_z=1$)と真下($\cos\theta_z=-1$)での $P(\nu_\mu\to\nu_\mu)$ を求めよ.

(3) 上下比 $U/D\equiv P_\mathrm{up}/P_\mathrm{down}$ を求め,Super-Kamiokande が観測した「上向き $\nu_\mu$ の欠損」を説明せよ.

(4) $\nu_e$ については $\sin^22\theta_{13}=0.086$ を使い,同じ計算をせよ.なぜ $\nu_e$ の上下非対称はほとんど見えないのか.

解答

方針.(1) は純粋な平面幾何(余弦定理)である.(2)–(4) は本書14章の実用形 $P=\sin^22\theta\sin^2(1.267\Delta m^2L/E)$ に (1) の $L$ を入れるだけだが,長距離側では位相が大きくなりすぎて平均化が起こることに注意する.数値はすべて python3 で計算した.なお本書14.3.1 節の用語にならい,「下向き事象(down-going)」は検出器の真上の大気で生まれて降ってくる短距離のもの,「上向き事象(up-going)」は地球の裏側で生まれ地球を貫いて突き上げてくる長距離のものを指す.

(1) 地球の中心を $O$,検出器の位置を $D$,ニュートリノの生成点を $S$ とする.検出器は地表にあるとしてよいので $\abs{OD}=R_\oplus$,生成点は高度 $h$ の大気中なので $\abs{OS}=R_\oplus+h$ である.求める飛行距離は $L=\abs{SD}$ である.

天頂角 $\theta_z$ は,検出器で測った「真上向き($O$ から $D$ へ向かう向き,すなわち外向き動径)」と「$D$ から $S$ を見る向き」のなす角である.一方,三角形 $ODS$ の頂点 $D$ の内角 $\angle ODS$ は「$D$ から $O$ を見る向き」と「$D$ から $S$ を見る向き」のなす角である.前者は真上向きのちょうど逆向きだから,二つの角は補角の関係にあり

$$ \angle ODS = \pi-\theta_z $$

である.辺 $\abs{OD}=R_\oplus$ と $\abs{DS}=L$ がこの内角をはさみ,対辺が $\abs{OS}=R_\oplus+h$ だから,余弦定理より

$$ (R_\oplus+h)^2 = R_\oplus^2 + L^2 - 2R_\oplus L\cos\left(\pi-\theta_z\right) = R_\oplus^2+L^2+2R_\oplus L\cos\theta_z $$

ここで $\cos(\pi-\theta_z)=-\cos\theta_z$ を使った.角の取り方が正しいことは極端な場合で確かめられる.真上から降ってくる $\theta_z=0$ では $\angle ODS=\pi$ となり,$O,D,S$ がこの順に一直線に並ぶ.このとき上式は $(R_\oplus+h)^2=(R_\oplus+L)^2$ となって $L=h$ を与え,たしかに「頭上 $15\ \mathrm{km}$ で生まれて真下に落ちてくる」状況を表している.逆に $\theta_z=\pi$(真下から)では $\angle ODS=0$,$O$ が $D$ と $S$ のあいだに来て $L=2R_\oplus+h$ となる.では上式を $L$ について解こう.

$$ L^2 + 2R_\oplus\cos\theta_z\,L + \left[R_\oplus^2-(R_\oplus+h)^2\right]=0 $$ $$ L = -R_\oplus\cos\theta_z \pm\sqrt{R_\oplus^2\cos^2\theta_z-R_\oplus^2+(R_\oplus+h)^2} $$

根号の中身は $(R_\oplus+h)^2-R_\oplus^2(1-\cos^2\theta_z)=(R_\oplus+h)^2-R_\oplus^2\sin^2\theta_z$ と書き直せる.$L>0$ でなければならないので複号は $+$ を取る.したがって

$$ L(\theta_z)=\sqrt{(R_\oplus+h)^2-\left(R_\oplus\sin\theta_z\right)^2}-R_\oplus\cos\theta_z $$

が得られ,問題の式と一致する.二つの極限で確かめておく.$\cos\theta_z=1$($\sin\theta_z=0$)なら $L=(R_\oplus+h)-R_\oplus=h=15\ \mathrm{km}$,$\cos\theta_z=-1$ なら $L=(R_\oplus+h)+R_\oplus=2R_\oplus+h=2\times6371+15=12\,757\ \mathrm{km}$ である.水平方向($\cos\theta_z=0$)では $L=\sqrt{(R_\oplus+h)^2-R_\oplus^2}=\sqrt{2R_\oplus h+h^2}=437\ \mathrm{km}$ となる.同じ検出器に居ながら,飛行距離を $15\ \mathrm{km}$ から $12\,757\ \mathrm{km}$ まで,$850$ 倍にわたって振れることがこの式の意味である.

O R⊕ D(検出器) 天頂 S(生成点,高度 h) L R⊕ + h θz 真下(cosθz = −1):L = 2R⊕ + h = 12 757 km cosθz = +1:L = h = 15 km cosθz = 0:L = √(2R⊕h + h²) = 437 km
図E.14.1 大気ニュートリノの飛行距離.三角形 $ODS$ に余弦定理を適用するだけで $L(\theta_z)$ が出る.破線の外円は生成高度 $h=15\ \mathrm{km}$ の大気層(実際の縮尺では地球半径の $0.24\%$ しかない).

(2) 位相は $\Phi=1.26693\,\Delta m^2[\mathrm{eV^2}]L[\mathrm{km}]/E[\mathrm{GeV}]$ である.

下向き事象($\cos\theta_z=+1$,$L=15\ \mathrm{km}$).

$$ \Phi_\mathrm{down}=1.26693\times2.45\times10^{-3}\times\frac{15}{1}=0.046560\ \mathrm{rad} $$ $$ \sin^2\Phi_\mathrm{down}=\sin^2(0.046560)=2.1662\times10^{-3} $$ $$ P_\mathrm{down}(\nu_\mu\to\nu_\mu)=1-1\times2.1662\times10^{-3}=0.99783 $$

位相が $0.047\ \mathrm{rad}$ しかないので,ほとんど振動していない.$15\ \mathrm{km}$ は振動長 $L_\mathrm{osc}=2.4797\times1/(2.45\times10^{-3})=1012\ \mathrm{km}$ の $1.5\%$ にすぎないからである.

上向き事象($\cos\theta_z=-1$,$L=12\,757\ \mathrm{km}$).

$$ \Phi_\mathrm{up}=1.26693\times2.45\times10^{-3}\times12\,757=39.598\ \mathrm{rad} $$

これは $\pi$ の $12.60$ 倍である.形式的に代入すれば $\sin^2(39.598)=0.8964$ となるが,この数字には意味がない.なぜなら,$\Phi$ は $L$ と $E$ の両方に依存し,実際の測定では

ため,位相が $\pi$ 以上ばらついてしまうからである.$\sin^2$ を一様な位相分布で平均すると $\braket{\sin^2\Phi}=1/2$ なので

$$ P_\mathrm{up}(\nu_\mu\to\nu_\mu)=1-\frac12\sin^22\theta_{23}=1-\frac12=0.50 $$

となる.すなわち地球を突き抜けてきた $\nu_\mu$ は半分に減る.

(3) 上下比は

$$ \frac{U}{D}=\frac{P_\mathrm{up}}{P_\mathrm{down}}=\frac{0.50}{0.99783}=0.5011\simeq0.50 $$

である.この $0.5$ という値がなぜ決定的だったのかを整理する.大気ニュートリノの絶対流束の予言には,宇宙線スペクトルとハドロン生成模型に由来する $20\%$ 程度の不確かさがある.したがって「$\nu_\mu$ が3割足りない」という事実だけなら,理論計算の誤りという逃げ道が残る.ところが,地球は球対称で宇宙線は等方だから,上から来る $\nu_\mu$ と下から来る $\nu_\mu$ の生成量は等しい.比 $U/D$ を取れば流束の絶対値も生成模型の不確かさも完全に相殺し,同じ検出器・同じエネルギー帯なので実験系統誤差も共通である.残る差は飛行距離だけであり,そこに $L$ 依存性がはっきり見えた.1998 年の Super-Kamiokande はこれを示し,「$\nu_\mu$ が消える」ことを振動以外では説明できなくした.しかも消えた $\nu_\mu$ に対応する $\nu_e$ の増加はなく,行き先は $\nu_\tau$ であった.

(4) $\nu_e$ の生き残り確率も,$\Delta m_{31}^2$ に対する2世代近似では同じ形をとり,混合の深さだけが $\sin^22\theta_{13}=0.086$ に置き換わる.

$$ P_\mathrm{down}(\nu_e\to\nu_e)=1-0.086\times\sin^2(0.046560)=1-0.086\times2.1662\times10^{-3}=0.99981 $$ $$ P_\mathrm{up}(\nu_e\to\nu_e)=1-\frac{0.086}{2}=1-0.043=0.957 $$ $$ \frac{U}{D}=\frac{0.957}{0.99981}=0.9572 $$

すなわち上向き $\nu_e$ の欠損は $1-0.9572=0.043$,わずか $4.3\%$ であり,$\nu_\mu$ の $50\%$ に比べて一桁以上小さい.理由は単純で,振動の深さは $\sin^22\theta$ がそのまま決めるからである.$\theta_{23}\approx48^\circ$ はほぼ最大混合なので $\sin^22\theta_{23}\approx1$,一方 $\theta_{13}=8.53^\circ$ は小さく $\sin^22\theta_{13}=0.086$ しかない.混合角の小ささが,そのまま非対称の小ささになる.

実験的には,$4\%$ の欠損は大気ニュートリノの $20\%$ の流束不確かさに埋もれてしまう.$\theta_{13}$ が原子炉実験(Daya Bay,RENO,Double Chooz)によって初めて有意に測られたのは,2012 年のことである.そこでは近検出器と遠検出器の比を取ることで流束の不確かさを消し,$0.086$ という浅い振動をようやく捉えた.発見当時の $\sin^22\theta_{13}$ の精度は $1$–$2$ 割程度だったが,その後の統計蓄積で Daya Bay は数 $\%$ に達し,いまや $\theta_{13}$ は3つの混合角のうち最も精密に測られている.ここでも効いたのは,絶対流束ではなく近遠比という比を測ったことである.

検算.第一に,$L$ の式の極限値を独立に確かめた($h$,$\sqrt{2R_\oplus h}$,$2R_\oplus+h$).第二に,位相 $\Phi_\mathrm{up}=39.6\ \mathrm{rad}$ を振動長で見直す.$L_\mathrm{osc}=2.4797\times E/\Delta m^2=1012\ \mathrm{km}$ なので $12\,757/1012=12.6$ 周期分であり,$\Phi_\mathrm{up}/\pi=12.60$ と一致する.第三に,$\nu_\mu$ の消失分の行き先を確かめる.2世代近似では $P(\nu_\mu\to\nu_\tau)=\sin^22\theta_{23}\sin^2\Phi$ であり,上向きでは平均して $0.50$ となる.$P_\mathrm{up}(\nu_\mu\to\nu_\mu)+P_\mathrm{up}(\nu_\mu\to\nu_\tau)=0.50+0.50=1$ で確率は保存している.

意味.この演習が教えるのは,実験物理の一般則である.絶対値の測定は模型に依存し,比の測定は模型に依存しない.大気ニュートリノでは天頂角比が,原子炉実験では近遠検出器比が,その役割を果たした.材料計測でもまったく同じ構造がある.反射率や散乱強度の絶対値は,入射強度の校正・試料形状・装置関数に汚染されて信頼しにくいが,同じ試料の偏光比,温度依存の変化率,参照試料との比は,共通する系統誤差が相殺して桁違いに信頼できる.ニュートリノ振動の発見が「比の測定」で成し遂げられたことは,測定設計の教科書的事例として記憶しておく価値がある.

演習14.4 MSW 共鳴を地球でも探す

問題(再掲)

(1) 地球のマントル($\rho\approx4.5\ \mathrm{g/cm^3}$,$Y_e=0.5$)の電子密度 $n_e$ を求めよ.

(2) そこでの物質ポテンシャル $V_\mathrm{CC}=\sqrt2G_Fn_e$ を eV 単位で求めよ.

(3) $\Delta m_{31}^2=2.45\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$,$\theta_{13}=8.53^\circ$ に対する MSW 共鳴エネルギーを求めよ.

(4) この結果は,NOvA($L=810\ \mathrm{km}$,$E=2\ \mathrm{GeV}$)や DUNE($L=1300\ \mathrm{km}$,$E=2.5\ \mathrm{GeV}$)にとって何を意味するか.また,物質効果が $\nu$ と $\bar\nu$ で符号を変えることを使うと,なぜ質量順序が決められるのか説明せよ.

解答

方針.使う道具は本書14.3.4 節の物質ポテンシャル $V_\mathrm{CC}=\sqrt2G_Fn_e$,MSW 共鳴条件 $(\Delta m^2/2E)\cos2\theta=\sqrt2G_Fn_e$,および物質中の有効混合角の式である.自然単位系と cgs 単位の橋渡しには $\hbar c=1.97327\times10^{-14}\ \mathrm{GeV\,cm}$ を使う.数値はすべて python3 で計算した.

(1) 電子数密度は,質量密度に Avogadro 数と「核子あたりの電子数」$Y_e$ を掛ければ得られる.$Y_e=Z/A$ が電子数と核子数の比であり,マントルの主成分(O,Si,Mg,Fe)はいずれも $Z/A\simeq0.5$ に近い.

$$ n_e = \rho\,N_A\,Y_e = 4.5\ \mathrm{g/cm^3}\times6.022\times10^{23}\ \mathrm{mol^{-1}}\times0.5 $$ $$ = 1.355\times10^{24}\ \mathrm{cm^{-3}} $$

参考までに,太陽中心($\rho\approx150\ \mathrm{g/cm^3}$,$Y_e\approx0.67$)の $n_e\approx6.0\times10^{25}\ \mathrm{cm^{-3}}$ に比べて $44$ 分の1である.一方,固体の全電子密度(Fe で $2\times10^{24}$,$\mathrm{SiO_2}$ で $8\times10^{23}\ \mathrm{cm^{-3}}$)とは同じ桁であることに注意したい.ニュートリノが感じているのは伝導電子(Cu で $8.5\times10^{22}$,Al で $1.8\times10^{23}\ \mathrm{cm^{-3}}$)ではなく束縛電子も含めた全電子であり,物質としてはごく普通の密度である.

(2) 自然単位系で計算するため,まず $\mathrm{cm^{-3}}$ を $\mathrm{GeV^3}$ に翻訳する.$\hbar c=1.97327\times10^{-14}\ \mathrm{GeV\,cm}$ より $1\ \mathrm{cm^{-1}}=1.97327\times10^{-14}\ \mathrm{GeV}$,したがって

$$ 1\ \mathrm{cm^{-3}} = \left(1.97327\times10^{-14}\right)^3\ \mathrm{GeV^3} = 7.6835\times10^{-42}\ \mathrm{GeV^3} $$

$G_F=1.1664\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$ を入れて係数をまとめると

$$ \sqrt2\,G_F\times7.6835\times10^{-42} =1.41421\times1.1664\times10^{-5}\times7.6835\times10^{-42} =1.2674\times10^{-46} $$

すなわち $V_\mathrm{CC}=1.267\times10^{-46}\,n_e[\mathrm{cm^{-3}}]\ \mathrm{GeV}$ である(この $1.267$ は演習14.2 の $1.267$ とはまったく無関係な,偶然の一致にすぎない).マントルの値を代入して

$$ V_\mathrm{CC} = 1.2674\times10^{-46}\times1.355\times10^{24}\ \mathrm{GeV} = 1.717\times10^{-22}\ \mathrm{GeV} $$ $$ = 1.717\times10^{-13}\ \mathrm{eV} = 0.172\ \mathrm{peV} $$

$0.17\ \mathrm{peV}$ という値は,物質のエネルギースケールとしては想像を絶して小さい(室温 $k_BT=25\ \mathrm{meV}$ の $10^{-11}$ 倍).しかし比べる相手も同じくらい小さいので効くのである.

(3) 共鳴条件を $E$ について解く.

$$ \frac{\Delta m_{31}^2}{2E_\mathrm{res}}\cos2\theta_{13}=V_\mathrm{CC} \quad\Longrightarrow\quad E_\mathrm{res}=\frac{\Delta m_{31}^2\cos2\theta_{13}}{2V_\mathrm{CC}} $$

$\theta_{13}=8.53^\circ$ より $2\theta_{13}=17.06^\circ$,$\cos(17.06^\circ)=0.95600$ である.分子は

$$ 2.45\times10^{-3}\times0.95600 = 2.3422\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2} $$

分母は $2\times1.717\times10^{-13}=3.434\times10^{-13}\ \mathrm{eV}$.したがって

$$ E_\mathrm{res} = \frac{2.3422\times10^{-3}}{3.434\times10^{-13}}\ \mathrm{eV} = 6.82\times10^{9}\ \mathrm{eV} = 6.8\ \mathrm{GeV} $$

本文のヒントの値 $6.8\ \mathrm{GeV}$ と一致する.なお途中で $V=1.71\times10^{-13}\ \mathrm{eV}$ と丸めてしまうと $6.9\ \mathrm{GeV}$ が出るので注意すること.$n_e=1.355\times10^{24}\ \mathrm{cm^{-3}}$ から丸めずに計算すると $V=1.717\times10^{-13}\ \mathrm{eV}$,$E_\mathrm{res}=6.82\ \mathrm{GeV}$ で,有効数字2桁で $E_\mathrm{res}\simeq6.8\ \mathrm{GeV}$ である.いずれにせよ「数 GeV」という結論は変わらない.

(4) NOvA と DUNE のビームエネルギーは $E=2$–$2.5\ \mathrm{GeV}$ であり,共鳴エネルギー $6.8\ \mathrm{GeV}$ の $0.3$–$0.4$ 倍である.共鳴の真上ではないが,物質効果を無視できるほど遠くもない.定量的に見るには,本書14.3.4 節の物質中の有効混合角

$$ \sin^22\theta_m =\frac{\sin^22\theta_{13}} {\left(\cos2\theta_{13}-\dfrac{2EV_\mathrm{CC}}{\Delta m_{31}^2}\right)^2+\sin^22\theta_{13}} $$

に代入すればよい.無次元パラメータ $x\equiv2EV_\mathrm{CC}/\Delta m_{31}^2$ を計算すると

$$ x_\mathrm{NOvA} = \frac{2\times2\times10^{9}\times1.717\times10^{-13}}{2.45\times10^{-3}}=0.280, \qquad x_\mathrm{DUNE} = \frac{2\times2.5\times10^{9}\times1.717\times10^{-13}}{2.45\times10^{-3}}=0.350 $$

($E$ を eV,$V$ を eV,$\Delta m^2$ を $\mathrm{eV^2}$ で統一してある.)真空値は $\sin^22\theta_{13}=\sin^2(17.06^\circ)=0.0861$ である(表14.5 の PDG 2022 の値.演習14.3 で与えられた $0.086$ はこれを2桁に丸めたものである).順階層($\Delta m_{31}^2>0$,ニュートリノ)では分母の括弧が $0.9560-x$ となり

$$ \sin^22\theta_m^\mathrm{NOvA}=\frac{0.0861}{(0.9560-0.280)^2+0.0861}=0.158 \quad(\text{真空の}1.84\text{倍}) $$ $$ \sin^22\theta_m^\mathrm{DUNE}=\frac{0.0861}{(0.9560-0.350)^2+0.0861}=0.190 \quad(\text{真空の}2.21\text{倍}) $$

反ニュートリノでは $V_\mathrm{CC}\to-V_\mathrm{CC}$ すなわち $x\to-x$ なので分母の括弧が $0.9560+x$ となり

$$ \sin^22\bar\theta_m^\mathrm{NOvA}=\frac{0.0861}{(0.9560+0.280)^2+0.0861}=0.0533 \quad(\text{真空の}0.62\text{倍}) $$ $$ \sin^22\bar\theta_m^\mathrm{DUNE}=\frac{0.0861}{(0.9560+0.350)^2+0.0861}=0.0480 \quad(\text{真空の}0.56\text{倍}) $$

すなわち,NO なら $\nu_\mu\to\nu_e$ の混合角因子が $1.8$–$2.2$ 倍に増強され,$\bar\nu_\mu\to\bar\nu_e$ では $0.6$ 倍程度に抑制される.ただし物質中では有効な $\Delta m^2$ も $\sqrt{(\cos2\theta_{13}-x)^2+\sin^22\theta_{13}}$ 倍に変わるので,真空の第1振動極大に置いた実験の出現確率そのものの変化は,NOvA で $1.5$ 倍,DUNE で $1.7$ 倍($\bar\nu$ ではそれぞれ $0.5$ 倍,$0.4$ 倍)程度になる.IO($\Delta m_{31}^2<0$)では $x$ の符号の役割が入れ替わるので,増強と抑制が完全に逆転する.したがって $\nu$ と $\bar\nu$ の出現確率の非対称

$$ \mathcal A \equiv \frac{P(\nu_\mu\to\nu_e)-P(\bar\nu_\mu\to\bar\nu_e)}{P(\nu_\mu\to\nu_e)+P(\bar\nu_\mu\to\bar\nu_e)} $$

の符号が,そのまま質量順序を教えることになる.基線が長いほど通過する物質量が多く,効果が大きくなるので,$1300\ \mathrm{km}$ の DUNE は $810\ \mathrm{km}$ の NOvA よりも強い判別力をもつ.

ただしここに落とし穴がある.CP 位相 $\delta$ による非対称も同じ観測量に現れ,しかも符号が同じ向きに動きうるため,物質効果と CP の破れは縮退する.「$\nu$ が増えて $\bar\nu$ が減った」だけでは,NO なのか $\delta$ が $270^\circ$ 付近なのか区別できない.分離の方法は二つある.第一に,物質効果は $L$(通過物質量)とともに増えるが CP 効果は $L/E$ の関数なので,基線の違う実験を組み合わせれば分離できる.T2K($295\ \mathrm{km}$,物質効果小)と NOvA($810\ \mathrm{km}$,物質効果中)の同時解析がこれである.第二に,DUNE のように第2振動極大まで見れば,$\delta$ 依存性が第1極大と異なる位相で入るので独立な情報が得られる.JUNO(演習14.2)は物質効果によらない純幾何学的な方法で質量順序を決めるので,第三の独立な検証となる.

検算.第一に,太陽との比較で係数の妥当性を見る.本文の太陽中心の値 $V^\odot=7.6\times10^{-12}\ \mathrm{eV}$ に対し,密度比は $n_e^\odot/n_e^\mathrm{mantle}=6.0\times10^{25}/1.355\times10^{24}=44.3$ である.$1.717\times10^{-13}\times44.3=7.61\times10^{-12}\ \mathrm{eV}$ となり,本文の値と一致する.ポテンシャルが $n_e$ に比例するという構造が正しく効いている.第二に次元を確かめる.$[\Delta m^2/2E]=\mathrm{eV^2}/\mathrm{eV}=\mathrm{eV}$,$[V]=\mathrm{eV}$ で,共鳴条件の両辺はともにエネルギーの次元をもつ.第三に共鳴の性質を確かめる.$x=\cos2\theta_{13}=0.9560$ のとき(すなわち $E=E_\mathrm{res}$)分母の第1項がゼロになり $\sin^22\theta_m=1$,つまり最大混合になる.$\theta_{13}$ が $8.53^\circ$ と小さくても物質中では $45^\circ$ になりうる,というのが MSW の核心である.

意味.MSW 効果の数学は,本書14.3.4 節の表14.4 が示すとおり $2\times2$ の回避交差そのものである.対角成分が外部パラメータ(ここでは電子密度,物性では波数・組成・磁場)とともに動き,一定の非対角結合 $B$ が交差点で準位を反発させる.ギャップの最小値は $2\abs{B}$ で,そこでの混合は $50:50$ ——これは $\bm k\cdot\bm p$ 2バンド模型のバンドギャップ生成,スピン軌道結合による band inversion,NMR の Rabi 共鳴とまったく同じ式である.さらに,密度がゆっくり変われば状態は同じ物質固有状態に留まり(断熱),速く変われば飛び越える(非断熱)という判定も,Landau–Zener の公式 $P_\mathrm{LZ}=\exp(-\pi\gamma/2)$ で共通に書ける.超格子の Bloch 振動,量子ドットの電荷移送,単分子磁石の量子トンネルを解析するときに使う $\gamma$ と,太陽ニュートリノの $\gamma$ は同じ関数形をしている.比喩ではなく,同じ二準位問題を違うパラメータで解いているだけである.

演習14.5 シーソー機構の数値

問題(再掲)

(1) $2\times2$ 質量行列 $\mathcal M=\begin{pmatrix}0&m_D\\ m_D&M_R\end{pmatrix}$ の固有値を厳密に求め,$M_R\gg m_D$ の展開が本文の結果 $m_\nu\simeq m_D^2/M_R$,$m_N\simeq M_R$ を与えることを確かめよ.

(2) $m_\nu M_R=m_D^2$ が展開なしに厳密に成り立つことを,行列式から示せ.

(3) $m_\nu=0.05\ \mathrm{eV}$ を仮定し,$m_D$ をボトムクォーク質量 $4.18\ \mathrm{GeV}$,チャーム質量 $1.27\ \mathrm{GeV}$ にとったときの $M_R$ をそれぞれ求めよ.

(4) 逆に $M_R=1\ \mathrm{TeV}$(LHC で届く範囲)とすると $m_D$ はいくらか.そのとき湯川結合 $y_\nu=\sqrt2m_D/v$($v=246\ \mathrm{GeV}$)はいくつか.電子の湯川結合 $y_e=2.9\times10^{-6}$ と比べて論評せよ.

解答

方針.(1)(2) は $2\times2$ 対称行列の対角化という線形代数だけで済む.(3)(4) は本書14.6.4 節のシーソー公式に数値を入れる.eV と GeV の換算($1\ \mathrm{GeV}=10^9\ \mathrm{eV}$)を一度だけ丁寧にやっておけば,あとは電卓仕事である.数値は python3 で確認した.

(1) 特性方程式を書く.

$$ \det(\mathcal M-\lambda\mathbb 1) =\det\begin{pmatrix}-\lambda&m_D\\ m_D&M_R-\lambda\end{pmatrix} =-\lambda(M_R-\lambda)-m_D^2 =\lambda^2-M_R\lambda-m_D^2=0 $$

解の公式より,厳密な固有値は

$$ \lambda_\pm = \frac{M_R\pm\sqrt{M_R^2+4m_D^2}}{2} $$

である.判別式 $M_R^2+4m_D^2$ は常に正なので固有値は2つとも実であり(対称実行列だから当然),$\lambda_+>0>\lambda_-$ と符号が逆になる.次に $\epsilon\equiv m_D/M_R\ll1$ として展開する.

$$ \sqrt{M_R^2+4m_D^2}=M_R\sqrt{1+4\epsilon^2} =M_R\left(1+2\epsilon^2-2\epsilon^4+O(\epsilon^6)\right) $$

ここで $\sqrt{1+u}=1+u/2-u^2/8+\cdots$ に $u=4\epsilon^2$ を入れた.したがって

$$ \lambda_+ = \frac{M_R+M_R(1+2\epsilon^2-\cdots)}{2} = M_R\left(1+\epsilon^2+O(\epsilon^4)\right) = M_R + \frac{m_D^2}{M_R}+\cdots \simeq M_R $$ $$ \lambda_- = \frac{M_R-M_R(1+2\epsilon^2-\cdots)}{2} = -M_R\epsilon^2+O(M_R\epsilon^4) = -\frac{m_D^2}{M_R}+\cdots $$

$\lambda_-$ の符号が負であるが,Majorana 場の位相を $\nu\to\ii\nu$ と再定義すれば質量項の符号は吸収できるので,物理的な質量は絶対値をとって

$$ m_\nu \simeq \frac{m_D^2}{M_R},\qquad m_N\simeq M_R $$

となり,本文の結果を再現する.$M_R=1\ \mathrm{GeV}$,$m_D=10^{-4}\ \mathrm{GeV}$ で数値的に確かめると,厳密解は $\lambda_+=1.00000001$,$\lambda_-=-9.99999994\times10^{-9}$,近似式は $1.00000001$ と $-1.0\times10^{-8}$ で,$O(\epsilon^4)=10^{-16}$ の精度で一致する.

(2) 行列式は固有値の積に等しい(基底の取り方によらない不変量).一方,行列の成分から直接計算すると

$$ \det\mathcal M = 0\times M_R - m_D\times m_D = -m_D^2 $$

である.したがって展開を一切使わずに

$$ \lambda_+\lambda_- = -m_D^2 \quad\Longrightarrow\quad \abs{\lambda_+}\abs{\lambda_-} = m_D^2 \quad\Longrightarrow\quad m_\nu\,m_N = m_D^2 $$

が厳密に成り立つ.念のため解の公式からも直接確かめられる.

$$ \lambda_+\lambda_- =\frac{M_R+\sqrt{M_R^2+4m_D^2}}{2}\cdot\frac{M_R-\sqrt{M_R^2+4m_D^2}}{2} =\frac{M_R^2-\left(M_R^2+4m_D^2\right)}{4} =-m_D^2 $$

これが「シーソー」という名前の由来である.支点($m_D$)を固定したまま,片方を持ち上げれば必ずもう片方が下がる.$(1,1)$ 成分がゼロであること,すなわち左巻き Majorana 質量 $m_L$ を落としたことが,この積の保存を保証している.

(3) $m_\nu=0.05\ \mathrm{eV}=5\times10^{-11}\ \mathrm{GeV}$ である($0.05/10^9=5\times10^{-11}$).(2) の関係を $M_R=m_D^2/m_\nu$ と書いて代入する.

ボトムクォーク $m_D=4.18\ \mathrm{GeV}$.

$$ M_R = \frac{(4.18)^2}{5\times10^{-11}} = \frac{17.472}{5\times10^{-11}} = 3.49\times10^{11}\ \mathrm{GeV} $$

チャームクォーク $m_D=1.27\ \mathrm{GeV}$.

$$ M_R = \frac{(1.27)^2}{5\times10^{-11}} = \frac{1.6129}{5\times10^{-11}} = 3.23\times10^{10}\ \mathrm{GeV} $$

本文の表14.8 にある $\tau$($1.777\ \mathrm{GeV}$)の $6.3\times10^{10}\ \mathrm{GeV}$,トップ($173\ \mathrm{GeV}$)の $6.0\times10^{14}\ \mathrm{GeV}$ と並べると,$m_D$ を2桁変えれば $M_R$ が4桁変わる($M_R\propto m_D^2$)ことがよく分かる.いずれにせよ $10^{10}$–$10^{15}\ \mathrm{GeV}$ という,加速器では絶対に届かないスケールが出る.

(4) 逆に解く.$M_R=1\ \mathrm{TeV}=10^3\ \mathrm{GeV}$ とすると

$$ m_D = \sqrt{m_\nu M_R} = \sqrt{5\times10^{-11}\times10^{3}} = \sqrt{5\times10^{-8}} = 2.236\times10^{-4}\ \mathrm{GeV} = 224\ \mathrm{keV} $$

湯川結合は

$$ y_\nu = \frac{\sqrt2\,m_D}{v} = \frac{1.41421\times2.236\times10^{-4}}{246} = \frac{3.1623\times10^{-4}}{246} = 1.286\times10^{-6} $$

である.電子の湯川結合と比べる.$m_e=0.511\ \mathrm{MeV}=5.11\times10^{-4}\ \mathrm{GeV}$ から

$$ y_e = \frac{1.41421\times5.11\times10^{-4}}{246}=2.94\times10^{-6} $$

で,与えられた $2.9\times10^{-6}$ と一致する.比を取ると

$$ \frac{y_\nu}{y_e}=\frac{1.286\times10^{-6}}{2.94\times10^{-6}}=0.44 $$

すなわち $y_\nu$ は電子の湯川結合の $0.44$ 倍,ほぼ半分である.

論評.シーソー機構がしばしば批判されるのは,「$10^{15}\ \mathrm{GeV}$ という検証不能なスケールを持ち込んでいる」という点である.しかし (4) の計算はその批判を相対化する.$M_R$ を LHC の届く $1\ \mathrm{TeV}$ に置いても,必要な湯川結合は $1.3\times10^{-6}$ にすぎない.これは標準模型がすでに実際に採用している電子の湯川結合と同じ桁である.言い換えれば,TeV スケールのシーソーが要求する「微調整」は,電子質量がなぜ $0.511\ \mathrm{MeV}$ なのかという既存の謎と同程度でしかない.これが低スケールシーソー模型(および逆シーソー,線形シーソーなどの変種)の主張の根拠である.そして $M_R\sim\mathrm{TeV}$ なら,重い Majorana ニュートリノ $N$ を加速器で直接作れる可能性が出てくる.LHC における同符号2レプトン $+$ 2ジェット($pp\to\ell^\pm\ell^\pm jj$,レプトン数を2単位破る決定的信号)の探索が続いているのは,このためである.

検算.第一に,(3) と (4) の整合を確かめる.(4) で得た $m_D=2.236\times10^{-4}\ \mathrm{GeV}$ を (3) の式に戻すと $M_R=(2.236\times10^{-4})^2/(5\times10^{-11})=(5.0\times10^{-8})/(5\times10^{-11})=1.0\times10^{3}\ \mathrm{GeV}$ で,出発点の $1\ \mathrm{TeV}$ に戻る.第二に,混合角による検算をする.本書14.6.4 節のステップ5より,重い状態が軽い状態に混ざる割合は $\theta^2\simeq(m_D/M_R)^2=m_\nu/M_R$ である.$M_R=6\times10^{14}\ \mathrm{GeV}$(トップの場合)なら $\theta^2=(5\times10^{-11})/(6\times10^{14})=8\times10^{-26}$ となり,本文の $\sim10^{-25}$ と一致する.一方 $M_R=1\ \mathrm{TeV}$ なら $\theta^2=5\times10^{-11}/10^3=5\times10^{-14}$ で,これでもまだ極小だが,$10^{-26}$ よりは $12$ 桁大きい.第三に次元である.$m_D^2/M_R$ は $[\mathrm{GeV^2}]/[\mathrm{GeV}]=[\mathrm{GeV}]$ で正しく質量になっている.

意味.シーソー機構の本質は $m_\nu m_N=m_D^2$ という積の保存であり,これは行列式が基底不変量であることの直接の帰結である.同じ構造は物性でも繰り返し現れる.$2\times2$ の2バンド模型で,混成 $b$ を固定したまま一方の準位を高く押し上げれば,もう一方は必ず押し下げられる(level repulsion,そして固有値の積は $\det$ に固定される).不純物準位が伝導帯に近づけば近づくほど深い束縛状態が浅くなる,というのも同じ算術である.そして「観測される小さな量($m_\nu$)は,見えない大きな量($M_R$)の影である」という発想そのものが,有効模型の考え方である.高エネルギーの自由度を積分して消すと,低エネルギーには $1/M_R$ で抑制された演算子が残る——これは,コア準位を消して価電子帯の有効ハミルトニアンを作る擬ポテンシャル法,あるいは高エネルギーのフォノンを消して低振動数の有効力定数を得るくりこみと,論理的に同一の操作である.

演習14.6 有効 Majorana 質量 $m_{\beta\beta}$ と質量順序

問題(再掲)

$s_{12}^2=0.307$,$c_{12}^2=0.693$,$c_{13}^2=0.978$,$s_{13}^2=0.0220$,$\Delta m_{21}^2=7.53\times10^{-5}$,$\abs{\Delta m_{31}^2}=2.45\times10^{-3}\ \mathrm{eV^2}$ を使う.

(1) 順階層で最軽量 $m_1=0$ のとき,$m_{\beta\beta}$ の最大値と最小値を求めよ.

(2) 逆階層で $m_3=0$ のとき,同様に求めよ.

(3) 縮退階層($m_1\simeq m_2\simeq m_3\equiv m_0\gg0.05\ \mathrm{eV}$)のとき,$m_{\beta\beta}$ の許される範囲を $m_0$ で表せ.

(4) 順階層で $m_{\beta\beta}$ が厳密にゼロになる(=完全に打ち消す)$m_1$ の値が存在することを示し,その値を求めよ.これは実験にとって何を意味するか.

解答

方針.出発点は本書 14.4.3 項の定義 $m_{\beta\beta}=\abs{\sum_iU_{ei}^2m_i}$ と,14.5.1 項の PMNS 第1行 $U_{e1}=c_{12}c_{13}$,$U_{e2}=s_{12}c_{13}$,$U_{e3}=s_{13}\ee^{-\ii\delta}$ である.Majorana 位相 $\alpha_{21},\alpha_{31}$ を付けると

$$ m_{\beta\beta}=\left|c_{12}^2c_{13}^2m_1 +s_{12}^2c_{13}^2m_2\,\ee^{\ii\alpha_{21}} +s_{13}^2m_3\,\ee^{\ii(\alpha_{31}-2\delta)}\right| $$

位相は未知なので,これは長さ $A_1,A_2,A_3$ の3本のベクトルを任意の向きで足したものの長さである.複素平面での初等的な事実として,その最大値は3本を同じ向きに揃えた $A_1+A_2+A_3$,最小値は,最大の1本が残り2本の和以下(三角不等式が閉じる)なら $0$,そうでなければ「最大 $-$ 残り2本の和」である.すなわち $A_\mathrm{max}=\max_iA_i$ として

$$ m_{\beta\beta}^\mathrm{min}=\max\left(0,\ 2A_\mathrm{max}-\sum_iA_i\right) $$

である.以下,$A_1\equiv c_{12}^2c_{13}^2m_1$,$A_2\equiv s_{12}^2c_{13}^2m_2$,$A_3\equiv s_{13}^2m_3$ と書く.数値はすべて python3 で計算した.

(1) 順階層で $m_1=0$ とすると,質量二乗差から

$$ m_2=\sqrt{\Delta m_{21}^2}=\sqrt{7.53\times10^{-5}}=8.678\times10^{-3}\ \mathrm{eV}=8.678\ \mathrm{meV} $$ $$ m_3=\sqrt{\abs{\Delta m_{31}^2}}=\sqrt{2.45\times10^{-3}}=4.950\times10^{-2}\ \mathrm{eV}=49.50\ \mathrm{meV} $$

3本の長さは

$$ A_1=c_{12}^2c_{13}^2\times0=0 $$ $$ A_2=0.307\times0.978\times8.678=2.605\ \mathrm{meV} $$ $$ A_3=0.0220\times49.50=1.089\ \mathrm{meV} $$

$A_1=0$ なので,実質2本のベクトルの和である.同じ向きなら和,逆向きなら差となり

$$ m_{\beta\beta}^\mathrm{max}=2.605+1.089=3.69\ \mathrm{meV} $$ $$ m_{\beta\beta}^\mathrm{min}=\abs{2.605-1.089}=1.52\ \mathrm{meV} $$

すなわち $m_{\beta\beta}^\mathrm{NO}(m_1=0)\in[1.5,\ 3.7]\ \mathrm{meV}$ である.本文の値と一致する.

(2) 逆階層で $m_3=0$ とすると,$\nu_3$ が最軽量なので

$$ m_1=\sqrt{\abs{\Delta m_{31}^2}}=\sqrt{2.45\times10^{-3}}=49.50\ \mathrm{meV} $$ $$ m_2=\sqrt{\abs{\Delta m_{31}^2}+\Delta m_{21}^2}=\sqrt{2.45\times10^{-3}+7.53\times10^{-5}} =\sqrt{2.5253\times10^{-3}}=50.25\ \mathrm{meV} $$

(本文の例では表14.5 の逆階層の値から $m_2=\sqrt{\abs{\Delta m_{32}^2}}=\sqrt{2.536\times10^{-3}}=50.4\ \mathrm{meV}$,$m_1=49.6\ \mathrm{meV}$ を使っている.$\abs{\Delta m_{32}^2}=\abs{\Delta m_{31}^2}+\Delta m_{21}^2$ なので考え方は同じだが,本問の $\abs{\Delta m_{31}^2}=2.45\times10^{-3}$ は丸めた入力なので $m_1,m_2$ が $0.1\ \mathrm{meV}$ ほど小さく出る.)3本の長さは

$$ A_1=0.693\times0.978\times49.50=33.55\ \mathrm{meV} $$ $$ A_2=0.307\times0.978\times50.25=15.09\ \mathrm{meV} $$ $$ A_3=0.0220\times0=0 $$

$A_1$ が最大で $A_1>A_2+A_3=15.09$ だから打ち消しは起こりえない.

$$ m_{\beta\beta}^\mathrm{max}=33.55+15.09=48.64\ \mathrm{meV} $$ $$ m_{\beta\beta}^\mathrm{min}=33.55-15.09=18.46\ \mathrm{meV} $$

すなわち $m_{\beta\beta}^\mathrm{IO}(m_3=0)\in[18.5,\ 48.6]\ \mathrm{meV}$ である.本文は上の注の $m_1,m_2$ を使って $[\,33.6-15.1,\ 33.6+15.1\,]=[18.5,\ 48.7]\ \mathrm{meV}$ としている.上限の $0.1\ \mathrm{meV}$ の差は $\abs{\Delta m_{31}^2}$ 自体の実験誤差($1\%$ 程度,$m$ に直して $0.5\%$ すなわち $\pm0.25\ \mathrm{meV}$)にすでに埋もれている.この区間の下限がゼロから離れていることが,実験戦略のすべてを決めている.逆階層なら $m_{\beta\beta}$ は必ず $18.5\ \mathrm{meV}$ 以上であり,感度をそこまで下げれば IO は白黒がつく.

(3) 縮退階層 $m_1\simeq m_2\simeq m_3=m_0$ では,質量が共通因子として括り出せる.

$$ m_{\beta\beta}=m_0\left|c_{12}^2c_{13}^2 +s_{12}^2c_{13}^2\ee^{\ii\alpha_{21}} +s_{13}^2\ee^{\ii(\alpha_{31}-2\delta)}\right| $$

最大値は3項を同じ向きに揃えたときで

$$ m_{\beta\beta}^\mathrm{max}=m_0\left(c_{12}^2c_{13}^2+s_{12}^2c_{13}^2+s_{13}^2\right) =m_0\left[c_{13}^2\left(c_{12}^2+s_{12}^2\right)+s_{13}^2\right] =m_0\left(c_{13}^2+s_{13}^2\right)=m_0 $$

すなわち厳密に $m_0$ である($c_{12}^2+s_{12}^2=1$,$c_{13}^2+s_{13}^2=1$ を使った.与えられた数値でも $0.978+0.0220=1.000$ である).位相がすべて揃えば $\abs{U_{ei}}^2$ の和がユニタリ性から $1$ になる,という当然の結果である.

最小値は,最大の項 $A_1=c_{12}^2c_{13}^2m_0=0.693\times0.978\,m_0=0.6778\,m_0$ と,残り2項の和 $A_2+A_3=(0.307\times0.978+0.0220)m_0=(0.3002+0.0220)m_0=0.3222\,m_0$ を比べる.$A_1>A_2+A_3$ なので打ち消しきれず

$$ m_{\beta\beta}^\mathrm{min}=m_0\abs{c_{12}^2c_{13}^2-s_{12}^2c_{13}^2-s_{13}^2} =m_0\abs{c_{13}^2\cos2\theta_{12}-s_{13}^2} $$ $$ =m_0\abs{0.978\times(0.693-0.307)-0.0220} =m_0\abs{0.3775-0.0220}=0.356\,m_0 $$

したがって $m_{\beta\beta}\in[0.356\,m_0,\ m_0]$ である.最小値がゼロにならない理由は,$\cos2\theta_{12}=0.386$ が十分大きい,すなわち$\theta_{12}=33.6^\circ$ が最大混合 $45^\circ$ から離れているためである.打ち消しが可能になる条件は,一般に「最大の1本 $\le$ 残り2本の和」,すなわち

$$ c_{12}^2c_{13}^2\ \le\ s_{12}^2c_{13}^2+s_{13}^2 \quad\Longleftrightarrow\quad \cos2\theta_{12}\ \le\ \frac{s_{13}^2}{c_{13}^2}=\frac{0.0220}{0.978}=0.0225 $$

である.これは $\theta_{12}\ge44.36^\circ$ を意味する.実測の $33.6^\circ$ はここから $11^\circ$ も離れており,条件は大きく破れている.逆にもし $\theta_{12}$ が $45^\circ$ の $0.64^\circ$ 以内にあったなら,$A_1$ と $A_2$ がほぼ等長になって $A_3$ を第3辺とする三角形が閉じ,最小値は $0$ まで落ちていた($\theta_{12}=45^\circ$ ちょうどなら $A_1=A_2=0.489\,m_0$,$A_3=0.0220\,m_0$ で,たしかに $A_2+A_3>A_1$).太陽混合角が最大混合から十分に離れていることが,縮退階層での完全な打ち消しを禁じているのである.境界の $44.36^\circ$ から実測値が $11^\circ$ も離れているのは幸運で,この $0.356\,m_0$ という下限は,混合角の測定精度が上がっても覆らない.$\theta_{12}$ が $45^\circ$ 近傍でないという実験事実が,縮退階層に対する $0\nu\beta\beta$ の感度をそのまま保証している.

なお,縮退階層は宇宙論と正面から衝突することを注意しておく.$m_0\gg0.05\ \mathrm{eV}$ なら質量和は $\Sigma=3m_0\gg0.15\ \mathrm{eV}$ となり,Planck+BAO の上限 $\Sigma<0.12\ \mathrm{eV}$ をすでに超える.縮退階層は,$\Lambda$CDM を信じる限りほぼ排除されている.

(4) 順階層で $m_1$ を $0$ から増やしていくと何が起きるかを追う.$m_2=\sqrt{m_1^2+\Delta m_{21}^2}$,$m_3=\sqrt{m_1^2+\abs{\Delta m_{31}^2}}$ なので,3本の長さはすべて $m_1$ の関数である.

$$ A_1(m_1)=0.6778\,m_1,\qquad A_2(m_1)=0.3002\sqrt{m_1^2+7.53\times10^{-5}},\qquad A_3(m_1)=0.0220\sqrt{m_1^2+2.45\times10^{-3}} $$

$m_{\beta\beta}=0$ が可能なのは,3本で三角形が閉じるとき,すなわち最大の1本が残り2本の和以下のときである.

$m_1=0$ では.$A_1=0$,$A_2=2.605$,$A_3=1.089\ \mathrm{meV}$.最大は $A_2$ で,$A_1+A_3=1.089<2.605$ だから閉じない.打ち消しは不可能で,最小値は $1.52\ \mathrm{meV}$ である(これが (1) の結果).

$m_1$ を増やすと.$A_1$ は $m_1$ に比例して直線的に伸びるが,$A_2$ は $\sqrt{m_1^2+\Delta m_{21}^2}$ なので $m_1$ が小さいうちはほとんど伸びず,$A_3$ に至っては $m_3\simeq49.5\ \mathrm{meV}$ がほぼ一定なので $A_3\simeq1.09\ \mathrm{meV}$ で止まったままである.したがって $A_1$ がいずれ追いつく.境界は $A_2=A_1+A_3$ を解いて

$$ m_1^\mathrm{low}=2.38\ \mathrm{meV} $$

(このとき $A_1=1.611$,$A_2=2.701$,$A_3=1.090\ \mathrm{meV}$ で,たしかに $A_2=A_1+A_3$ が成り立つ.)

さらに増やすと.今度は $A_1$ が伸びすぎて,$A_1>A_2+A_3$ になり,また三角形が閉じなくなる.境界は $A_1=A_2+A_3$ を解いて

$$ m_1^\mathrm{high}=6.40\ \mathrm{meV} $$

(このとき $A_1=4.335$,$A_2=3.237$,$A_3=1.098\ \mathrm{meV}$.)

したがって完全な打ち消しが起こりうるのは

$$ 2.38\ \mathrm{meV}\ \lesssim\ m_1\ \lesssim\ 6.40\ \mathrm{meV} $$

という狭い窓のなかだけである(本文ヒントの「$2$–$7\ \mathrm{meV}$ 程度」と整合する.厳密な境界は上の2値である).この窓の内側では,Majorana 位相が特定の値をとれば $m_{\beta\beta}$ は厳密にゼロになる.窓の中央付近 $m_1=5\ \mathrm{meV}$ での許容範囲は $m_{\beta\beta}\in[0,\ 7.49]\ \mathrm{meV}$,窓の外の $m_1=10\ \mathrm{meV}$ では $[1.69,\ 11.86]\ \mathrm{meV}$ である.

実験にとっての意味は重い.ニュートリノが Majorana 粒子であっても,$0\nu\beta\beta$ がまったく観測されない可能性がある.順階層で最軽量質量がたまたま数 meV の窓に入り,かつ Majorana 位相がたまたま打ち消す値であれば,半減期は無限大になる.したがって「$0\nu\beta\beta$ が見つからないこと」は Majorana 性の否定にはならない.逆に「見つかること」は $\Delta L=2$ の存在を意味し,Schechter–Valle の定理によりニュートリノが Majorana 粒子であることの証明になる.この分野の論理は非対称である——発見は決定的だが,非発見は決定的でない.

検算.第一に,(3) の最大値がユニタリ性から $m_0$ ちょうどになることを確かめた.これは独立なチェックになっている($\abs{U_{e1}}^2+\abs{U_{e2}}^2+\abs{U_{e3}}^2=1$).第二に,(1) と (4) の連続性である.(4) の $A_i(m_1)$ に $m_1=0$ を入れると $A_2=0.3002\times8.678=2.605$,$A_3=0.0220\times49.50=1.089\ \mathrm{meV}$ となり,(1) の値に一致する.第三に,(2) の IO の下限を現行実験と比べる.KamLAND-Zen の上限は $m_{\beta\beta}<28$–$122\ \mathrm{meV}$(原子核行列要素の不確かさによる幅)であり,最良の値 $28\ \mathrm{meV}$ は IO の下限 $18.5\ \mathrm{meV}$ にあと $1.5$ 倍まで迫っている.感度が $m_{\beta\beta}\propto(b\Delta E/Mt)^{1/4}$ でしか伸びないことを思えば,$1.5$ 倍の改善には $M t/(b\Delta E)$ を $5$ 倍にする必要がある.

意味.$m_{\beta\beta}$ が $\abs{U_{ei}}^2$ ではなく $U_{ei}^2$(絶対値でない2乗)で重み付けされるという一点が,このすべてを引き起こしている.$m_\beta^2=\sum_i\abs{U_{ei}}^2m_i^2$($\beta$ 崩壊端点)は非負の量の和なので打ち消しは原理的に起こらないが,$m_{\beta\beta}$ は複素数の和なので干渉する.「非コヒーレントな和」と「コヒーレントな和」の違いである.物性でも同じ区別が決定的に効く場面がある.X 線・中性子回折で消滅則が生じるのは構造因子 $F=\sum_jf_j\ee^{\ii\bm Q\cdot\bm r_j}$ が振幅の和だからであり,一方で非弾性散乱の強度和則は $\abs{\cdot}^2$ の和なので消えない.あるいは,多重散乱経路の振幅が打ち消して EXAFS 振動が消える配置がある一方,全吸収断面積は決して負にならない.$0\nu\beta\beta$ が観測されないことが Majorana 性の否定にならないのは,回折で消滅則が出ても原子がそこに無いわけではないのと,まったく同じ論理である.

演習14.7 Kitaev 鎖とナノワイヤ

問題(再掲)

(1) Majorana 分解の定義 $\gamma_{2j-1}=c_j+c_j^\dagger$,$\gamma_{2j}=-\ii(c_j-c_j^\dagger)$ から $\gamma_a^\dagger=\gamma_a$,$\gamma_a^2=1$,$\{\gamma_a,\gamma_b\}=2\delta_{ab}$ を直接確かめよ($\{c_i,c_j^\dagger\}=\delta_{ij}$,$\{c_i,c_j\}=0$ を使う).

(2) スイートスポット $\mu=0$,$t=\Delta$ で $\Ham=\ii t\sum_{j=1}^{N-1}\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}$ になることを,本書14章の Kitaev 鎖の Majorana 表示から確かめよ.

(3) 本書14章の分散関係 $E(k)=\pm\sqrt{(2t\cos k+\mu)^2+4\Delta^2\sin^2k}$ からギャップが閉じる $(\mu,k)$ を求め,トポロジカル相の条件が $\abs{\mu}<2t$ であることを示せ.また $\mu=0$,$t=\Delta$ でバンドが完全に平坦になることを確かめよ.

(4) $d_j\equiv(\gamma_{2j}+\ii\gamma_{2j+1})/2$ という「サイトをまたいだ」フェルミオンを定義すると,スイートスポットのハミルトニアンが $\Ham=2t\sum_j(d_j^\dagger d_j-1/2)$ と書けることを示せ.基底状態のエネルギーと縮退度はいくつか.

(5) InSb ナノワイヤ($g^*=51$)に Nb($\Delta=1.4\ \mathrm{meV}$.文献値は $1.4$–$1.55\ \mathrm{meV}$ の幅があり,第1章演習の $2\Delta=3.05\ \mathrm{meV}$ は $\Delta\simeq1.5\ \mathrm{meV}$ に当たる)を近接させたとすると,トポロジカル相に入るのに必要な磁場はいくらか.Al($\Delta=0.20\ \mathrm{meV}$)の場合と比べ,なぜ実際の実験では Al が使われるのか論じよ.

解答

方針.(1)–(4) は代数計算だけで完結する.使う道具は正準反交換関係 $\{c_i,c_j^\dagger\}=\delta_{ij}$,$\{c_i,c_j\}=\{c_i^\dagger,c_j^\dagger\}=0$(したがって $c_i^2=(c_i^\dagger)^2=0$)と,本書14.8.2 節で導いた Kitaev 鎖の Majorana 表示である.(5) は本書14.8.3 節のトポロジカル条件 $V_Z>\sqrt{\Delta^2+\mu^2}$ に $V_Z=g^*\mu_BB/2$ を入れるだけの数値計算で,python3 で確認した.

(1) 自己共役性.$c_j$ と $c_j^\dagger$ は互いの Hermite 共役だから

$$ \gamma_{2j-1}^\dagger = \left(c_j+c_j^\dagger\right)^\dagger = c_j^\dagger+c_j=\gamma_{2j-1} $$ $$ \gamma_{2j}^\dagger = \left[-\ii\left(c_j-c_j^\dagger\right)\right]^\dagger = +\ii\left(c_j^\dagger-c_j\right) = -\ii\left(c_j-c_j^\dagger\right)=\gamma_{2j} $$

である.$\gamma_{2j}$ の定義に $-\ii$ が付いているのは,まさに自己共役にするためである($c-c^\dagger$ は反 Hermite なので,$\ii$ を掛けて Hermite に直している).

2乗が $1$.$c_j^2=(c_j^\dagger)^2=0$ と $\{c_j,c_j^\dagger\}=c_jc_j^\dagger+c_j^\dagger c_j=1$ を使う.

$$ \gamma_{2j-1}^2=\left(c_j+c_j^\dagger\right)^2 =\underbrace{c_j^2}_{0}+c_jc_j^\dagger+c_j^\dagger c_j+\underbrace{(c_j^\dagger)^2}_{0} =\left\{c_j,c_j^\dagger\right\}=1 $$ $$ \gamma_{2j}^2=-\left(c_j-c_j^\dagger\right)^2 =-\left(\underbrace{c_j^2}_{0}-c_jc_j^\dagger-c_j^\dagger c_j+\underbrace{(c_j^\dagger)^2}_{0}\right) =+\left\{c_j,c_j^\dagger\right\}=1 $$

同一サイトの2つの反交換.

$$ \left\{\gamma_{2j-1},\gamma_{2j}\right\} =-\ii\left[\left(c_j+c_j^\dagger\right)\left(c_j-c_j^\dagger\right) +\left(c_j-c_j^\dagger\right)\left(c_j+c_j^\dagger\right)\right] $$

括弧の中を展開する.$c_j^2=(c_j^\dagger)^2=0$ を落として

$$ \left(c_j+c_j^\dagger\right)\left(c_j-c_j^\dagger\right)=-c_jc_j^\dagger+c_j^\dagger c_j $$ $$ \left(c_j-c_j^\dagger\right)\left(c_j+c_j^\dagger\right)=+c_jc_j^\dagger-c_j^\dagger c_j $$

この2つは符号が逆で,足すとゼロになる.よって $\{\gamma_{2j-1},\gamma_{2j}\}=0$.

異なるサイトどうし.$i\neq j$ なら $c_i,c_i^\dagger$ は $c_j,c_j^\dagger$ のすべてと反交換する.$\gamma_a$(サイト $i$ 由来)と $\gamma_b$(サイト $j$ 由来)はそれぞれ $c$ と $c^\dagger$ の1次結合なので,項ごとに反交換して $\{\gamma_a,\gamma_b\}=0$ となる.

以上をまとめると,すべての $a,b$ について $\{\gamma_a,\gamma_b\}=2\delta_{ab}$ である.これは $2N$ 個の生成元をもつ Clifford 代数にほかならない.$\gamma$ 行列の $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ と同じ形であり,素粒子側の Majorana 条件 $\psi^c=\psi$ と物性側の $\gamma=\gamma^\dagger$ が「代数のレベルで同じ」と言われる根拠がここにある.逆変換 $c_j=(\gamma_{2j-1}+\ii\gamma_{2j})/2$,$c_j^\dagger=(\gamma_{2j-1}-\ii\gamma_{2j})/2$ から,$\{c_i,c_j^\dagger\}=\delta_{ij}$ が復元することも同様に確かめられ,変換は可逆である.

(2) まず本書14.8.2 節の書き換えを再現する.$c_j=(\gamma_{2j-1}+\ii\gamma_{2j})/2$,$c_j^\dagger=(\gamma_{2j-1}-\ii\gamma_{2j})/2$ を代入する.

数演算子.

$$ c_j^\dagger c_j=\frac14\left(\gamma_{2j-1}-\ii\gamma_{2j}\right)\left(\gamma_{2j-1}+\ii\gamma_{2j}\right) =\frac14\left(\gamma_{2j-1}^2+\gamma_{2j}^2+\ii\gamma_{2j-1}\gamma_{2j}-\ii\gamma_{2j}\gamma_{2j-1}\right) $$

$\gamma^2=1$ と $\gamma_{2j}\gamma_{2j-1}=-\gamma_{2j-1}\gamma_{2j}$ より

$$ c_j^\dagger c_j=\frac14\left(2+2\ii\gamma_{2j-1}\gamma_{2j}\right) =\frac12+\frac{\ii}{2}\gamma_{2j-1}\gamma_{2j} \quad\Longrightarrow\quad c_j^\dagger c_j-\frac12=\frac{\ii}{2}\gamma_{2j-1}\gamma_{2j} $$

ホッピング項.同じ手順で $c_j^\dagger c_{j+1}+c_{j+1}^\dagger c_j$ を展開すると,$\gamma_{2j-1}\gamma_{2j+1}$ と $\gamma_{2j}\gamma_{2j+2}$ の項は h.c. どうしで相殺し

$$ -t\left(c_j^\dagger c_{j+1}+c_{j+1}^\dagger c_j\right) =-\frac{\ii t}{2}\left(\gamma_{2j-1}\gamma_{2j+2}-\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}\right) $$

対項.同様に

$$ \Delta\,c_jc_{j+1}+\Delta\,c_{j+1}^\dagger c_j^\dagger =\frac{\ii\Delta}{2}\left(\gamma_{2j-1}\gamma_{2j+2}+\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}\right) $$

両者を足すと,$\gamma_{2j-1}\gamma_{2j+2}$(サイト $j$ の左側の Majorana とサイト $j+1$ の右側の Majorana を結ぶ)の係数は $\ii(\Delta-t)/2$,$\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}$(隣り合う内側どうし)の係数は $\ii(\Delta+t)/2$ となる.したがって

$$ \Ham = -\frac{\ii\mu}{2}\sum_{j=1}^{N}\gamma_{2j-1}\gamma_{2j} +\frac{\ii}{2}\sum_{j=1}^{N-1}\left[(\Delta-t)\gamma_{2j-1}\gamma_{2j+2}+(\Delta+t)\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}\right] $$

ここでスイートスポット $\mu=0$,$t=\Delta$ を入れる.第1項は $\mu=0$ でそのまま消える.第2項の $\gamma_{2j-1}\gamma_{2j+2}$ の係数は $\Delta-t=0$ で消える.残るのは $\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}$ の項だけで,その係数は $\ii(\Delta+t)/2=\ii(2t)/2=\ii t$ である.よって

$$ \Ham = \ii t\sum_{j=1}^{N-1}\gamma_{2j}\gamma_{2j+1} $$

が得られる.和は $j=1,\dots,N-1$ なので,現れる Majorana は $\gamma_2,\gamma_3,\dots,\gamma_{2N-1}$ の $2N-2$ 個だけである.$\gamma_1$(左端)と $\gamma_{2N}$(右端)がハミルトニアンに一度も現れない.したがってこの2つは $\Ham$ と交換し,それらから作る非局所フェルミオン $f=(\gamma_1+\ii\gamma_{2N})/2$ は厳密にエネルギーゼロである.

(3) 分散関係の平方根の中身は,2つの非負な項の和である.

$$ E(k)=\pm\sqrt{\left(2t\cos k+\mu\right)^2+4\Delta^2\sin^2k} $$

$E=0$ になるには両方が同時にゼロでなければならない.$\Delta\neq0$ なら第2項がゼロになるのは $\sin k=0$,すなわち $k=0$ または $k=\pi$ のときだけである(Brillouin 帯 $-\pi<k\le\pi$ 内).そこへ代入すると

$$ k=0:\quad 2t+\mu=0\ \Longrightarrow\ \mu=-2t $$ $$ k=\pi:\quad -2t+\mu=0\ \Longrightarrow\ \mu=+2t $$

すなわちギャップが閉じるのは $\abs{\mu}=2t$ の2本の線上に限られる.

この2本の線が $\mu$ 軸を3つの領域に分ける.どちらが位相的に非自明かを判定するには,$k=0$ と $k=\pi$ での正常状態のエネルギー $\xi_0=-2t-\mu$,$\xi_\pi=2t-\mu$ の符号の積を見ればよい.

$$ \xi_0\,\xi_\pi = (-2t-\mu)(2t-\mu) = -(2t+\mu)(2t-\mu) = -(4t^2-\mu^2) = \mu^2-4t^2 $$

したがって

$$ \mathrm{sgn}\left(\xi_0\xi_\pi\right)<0 \ \Longleftrightarrow\ \mu^2<4t^2 \ \Longleftrightarrow\ \abs{\mu}<2t $$

である.この意味は明快で,$\abs{\mu}<2t$ のとき $\xi_0$ と $\xi_\pi$ の符号が逆になる,すなわち正常状態のバンドが Fermi 準位を横切っている(バンドが部分的に占有されている)ということである.超伝導ギャップが開いても,$k=0$ と $k=\pi$ での Bogoliubov 波動関数の「向き」が逆になり,そのねじれが端の零モードとして現れる.$\abs{\mu}>2t$ ではバンドが空か満杯かで,何も起こらない(自明相).

平坦バンドの確認.$\mu=0$,$t=\Delta$ を代入すると

$$ E(k)=\pm\sqrt{\left(2t\cos k\right)^2+4t^2\sin^2k} =\pm\sqrt{4t^2\left(\cos^2k+\sin^2k\right)} =\pm2t $$

で,$k$ に一切依存しない.完全に平坦な2本のバンドである.平坦であるとは群速度 $\partial E/\partial k$ がゼロということであり,励起がまったく伝播しない.裏返せばコヒーレンス長が $\xi=0$,すなわち端の零モードが厳密に端の1サイトに局在する.実際 (2) で見たように,スイートスポットでは $\gamma_1$ と $\gamma_{2N}$ が完全に孤立しており,指数的な裾すら持たない.スイートスポットから離れると($\abs{\mu}<2t$ を保ったまま)バンドは分散をもち,$\xi\sim\hbar v_F/\Delta$ に伸びて,端の準位は $\ee^{-L/\xi}$ 程度に分裂する.

(4) $d_j=(\gamma_{2j}+\ii\gamma_{2j+1})/2$ とその共役 $d_j^\dagger=(\gamma_{2j}-\ii\gamma_{2j+1})/2$ を使う.まずこれが正しくフェルミオンであることを確かめる.

$$ d_j^\dagger d_j=\frac14\left(\gamma_{2j}-\ii\gamma_{2j+1}\right)\left(\gamma_{2j}+\ii\gamma_{2j+1}\right) =\frac14\left(2+2\ii\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}\right) =\frac12+\frac{\ii}{2}\gamma_{2j}\gamma_{2j+1} $$ $$ d_jd_j^\dagger=\frac14\left(\gamma_{2j}+\ii\gamma_{2j+1}\right)\left(\gamma_{2j}-\ii\gamma_{2j+1}\right) =\frac12-\frac{\ii}{2}\gamma_{2j}\gamma_{2j+1} $$

足すと $\{d_j,d_j^\dagger\}=1$ で,たしかにフェルミオンである.上の第1式を $\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}$ について解くと

$$ \ii\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}=2d_j^\dagger d_j-1 $$

である(問題のヒントの $\gamma_{2j}\gamma_{2j+1}=-\ii(2d_j^\dagger d_j-1)$ と同値).これを (2) の結果に代入すると

$$ \Ham=\ii t\sum_{j=1}^{N-1}\gamma_{2j}\gamma_{2j+1} = t\sum_{j=1}^{N-1}\left(2d_j^\dagger d_j-1\right) = 2t\sum_{j=1}^{N-1}\left(d_j^\dagger d_j-\frac12\right) $$

が得られる.これは相互作用のない $N-1$ 個の準粒子準位であり,各準位の励起エネルギーは $2t$ である((3) で求めたバルクギャップ $E=\pm2t$ と一致する).

基底状態のエネルギー.$t>0$ なので,すべての $d_j$ を空にしたときが最低エネルギーである.$d_j^\dagger d_j=0$ を代入して

$$ E_0 = 2t\sum_{j=1}^{N-1}\left(0-\frac12\right) = -t\,(N-1) $$

縮退度.ここが要点である.$2N$ 個の Majorana から作れる複素フェルミオンは $N$ 個である.いま $d_1,\dots,d_{N-1}$ は $\gamma_2,\gamma_3,\dots,\gamma_{2N-1}$ の $2N-2$ 個を使い切っているが,$\gamma_1$ と $\gamma_{2N}$ が余っている.この2つから作る $f=(\gamma_1+\ii\gamma_{2N})/2$ が $N$ 個目のフェルミオンであり,$\Ham$ に現れない以上その占有数 $n_f=0,1$ はエネルギーを変えない.したがって

$$ \text{基底状態の縮退度} = 2 $$

である.この2状態はフェルミオンパリティ $(-1)^{\hat N}$ が異なり,$f$ は鎖の左端と右端という $N$ サイト離れた2か所にまたがった演算子なので,局所的な摂動では混ざらない.混ぜるには $\gamma_1$ と $\gamma_{2N}$ の両方に同時に触れる必要があり,そのような演算子の振幅は鎖長に対して $\ee^{-L/\xi}$ で指数的に小さい.これがトポロジカル保護の実体であり,情報が「どこか一か所」ではなく「二か所の相関」に蓄えられているという言い方の意味である.

(5) 本書14.8.3 節のトポロジカル条件は $V_Z>\sqrt{\Delta^2+\mu^2}$ である.最適条件 $\mu=0$(化学ポテンシャルをバンド底に合わせる)では $V_Z>\Delta$ となり,$V_Z=g^*\mu_BB/2$ を代入して

$$ B_c=\frac{2\Delta}{g^*\mu_B} $$

$\mu_B=5.788\times10^{-2}\ \mathrm{meV/T}$,$g^*=51$(InSb)である.分母は $51\times5.788\times10^{-2}=2.952\ \mathrm{meV/T}$ で共通なので,

Nb($\Delta=1.4\ \mathrm{meV}$).

$$ B_c=\frac{2\times1.4}{2.952}=\frac{2.8}{2.952}=0.95\ \mathrm{T} $$

Al($\Delta=0.20\ \mathrm{meV}$).

$$ B_c=\frac{2\times0.20}{2.952}=\frac{0.40}{2.952}=0.14\ \mathrm{T} $$

Nb のほうが $7$ 倍大きい磁場を要求する.

Nb を使う動機は明確である.トポロジカルギャップ(零モードを保護するギャップ)の上限は誘起ギャップ $\Delta$ で押さえられるから,$\Delta$ が $7$ 倍大きければ,原理的には $7$ 倍高い温度まで,$7$ 倍強い無秩序に対して零モードが生き残るはずである.測定温度 $20\ \mathrm{mK}$ の熱エネルギーは $k_BT=1.72\ \mu\mathrm{eV}$ なので,Al の $0.20\ \mathrm{meV}$ でも $116$ 倍の余裕はあるが,実際のトポロジカルギャップは $\Delta$ よりずっと小さくなる($E_\mathrm{gap}\sim\alpha_Rk_F$ 程度)ため,余裕は大きいほどよい.

それでも実際の実験で Al が使われる理由は,二つある.

すなわち「ギャップの大きさ」より「界面の質」が優先された.これは材料選択の典型例であり,物性の実験では繰り返し現れる判断である.より良い数値を持つ材料が,作りやすさ・界面・安定性で負けて採用されない.なお InSb が InAs より好まれるのは,$g^*=51$ が $15$ より $3.4$ 倍大きく,同じ $\Delta$ に対する $B_c$ が $0.14\ \mathrm{T}$ 対 $0.46\ \mathrm{T}$ と低く済むこと,および Rashba 定数 $\alpha_R\approx0.2$–$0.3\ \mathrm{eV\,\AA}$ が半導体として最大級で,トポロジカルギャップ $\sim\alpha_Rk_F$ を稼げることによる.

検算.第一に,自由度の数え上げである.$N$ サイトの鎖には $2N$ 個の Majorana があり,(4) では $N-1$ 個の $d_j$($2N-2$ 個)と $1$ 個の $f$($2$ 個)に分けた.合計 $N$ 個のフェルミオンで,出発点の $c_1,\dots,c_N$ と一致する.変換の途中で自由度が増減していない.第二に,エネルギーの整合である.(4) の準粒子励起エネルギー $2t$ は,(3) のスイートスポットでのバンド $E=\pm2t$(ギャップ $4t$,励起エネルギー $2t$)と一致する.第三に,自明相の極限を見る.$t=\Delta=0$,$\mu\neq0$ では (2) の第1項だけが残り $\Ham=-(\ii\mu/2)\sum_j\gamma_{2j-1}\gamma_{2j}=-\mu\sum_j(c_j^\dagger c_j-1/2)$ となる.これは元の Kitaev ハミルトニアンの $\mu$ 項そのもので,書き換えが正しいことを示している.このとき $2N$ 個すべての Majorana がハミルトニアンに現れ,端に何も残らない.第四に,(5) の数値を逆算する.$B_c=0.14\ \mathrm{T}$ のとき $V_Z=51\times5.788\times10^{-2}\times0.14/2=0.207\ \mathrm{meV}$ で,たしかに $\Delta=0.20\ \mathrm{meV}$ をわずかに超えている.

意味.この演習で行った計算は,形式的には「複素数を実部と虚部に分ける」だけの無内容な操作である.内容が生まれるのは,ハミルトニアンがどのペアを結ぶかという一点においてである.自明相では同一サイト内の $\gamma_{2j-1}$ と $\gamma_{2j}$ が組み,トポロジカル相では隣接サイト間の $\gamma_{2j}$ と $\gamma_{2j+1}$ が組む.Majorana の総数は同じ $2N$ 個で,違うのは「つなぎ方」だけである.そしてつなぎ方を変えるには,どこかでバルクギャップを閉じなければならない——これがトポロジカル相転移の意味である.

素粒子側の Majorana ニュートリノとの対比も明確になる.共通するのは,自己共役条件,破れた $U(1)$ 荷(レプトン数と,超伝導凝縮が吸収する電荷),複素フェルミオンの半分の自由度,そして Clifford 代数である.違うのは,ニュートリノが Lorentz 不変な Dirac 方程式の質量をもつ解であるのに対し,零モードは BdG 方程式の $E=0$ 解であり,格子の上に乗っていて,トポロジカル保護と非可換統計をもつ点である.同じ代数が,違う運動学の上に乗っている.そして材料科学者にとっての実利は,$\psi^c=\psi$ の意味をレプトン数の破れとともに一度理解しておけば,トポロジカル超伝導の論文の $\gamma=\gamma^\dagger$ が何を主張しているかが一行で読める,という点にある.

E.15 第15章 標準模型の先へ の解答

演習15.1 Higgs 湯川結合と崩壊幅

問題(再掲)

真空期待値は $v=(\sqrt2G_F)^{-1/2}$,湯川結合は $y_f=\sqrt2m_f/v$ で与えられる.フェルミオン対への崩壊幅は

$$ \Gamma(H\to f\bar f) = \frac{N_c\,m_H\,y_f^2}{16\pi}\left(1-\frac{4m_f^2}{m_H^2}\right)^{3/2} $$

である($N_c$ は色の数.クォークは 3,レプトンは 1).$m_H=125.25$ GeV,$\Gamma_H=4.07$ MeV とする.

(1) $G_F=1.1664\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$ から $v$ を求めよ.

(2) $m_t=172.69$,$\overline m_b(\overline m_b)=4.18$,$m_\tau=1.77686$,$m_e=5.11\times10^{-4}$(いずれも GeV)に対する湯川結合 $y_f$ を求めよ.$y_t/y_e$ はいくらか.

(3) $\Gamma(H\to\tau^+\tau^-)$ を計算し,表15.2 の分岐比 $6.27\ \%$ から得られる値と比べよ.

(4) $m_b$ に $\overline{\rm MS}$ 質量 $\overline m_b(\overline m_b)=4.18$ GeV をそのまま使って $\Gamma(H\to b\bar b)$ を計算すると何が起きるか.$m_H$ スケールでの走る質量 $\overline{m}_b(m_H)=2.79$ GeV を使うとどうなるか.さらに QCD 補正因子 $1+5.67\alpha_s/\pi$($\alpha_s(m_H)=0.113$)を掛けた結果を,実測の分岐比と比べよ.

解答

方針.使う道具は本書15章の $v=(\sqrt2G_F)^{-1/2}$ と $y_f=\sqrt2m_f/v$,および問題に与えられた2体崩壊幅の公式だけである.計算そのものは代入に尽きるが,(4) はどのスケールで定義された質量を入れるかで答えが 2 倍以上動く.これが本問の主題である.

(1) まず $\sqrt2\,G_F$ を作る.

$$ \sqrt2\,G_F = 1.414214\times1.1664\times10^{-5} = 1.649539\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$

$v^2$ はこの逆数である.

$$ v^2 = \frac{1}{1.649539\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}} = 6.06230\times10^{4}\ \mathrm{GeV^2} $$

平方根を取って

$$ v = \sqrt{6.06230\times10^{4}} = 246.22\ \mathrm{GeV} $$

本書15章の導出($G_F/\sqrt2=g_w^2/8m_W^2$ と $m_W=g_wv/2$ から $g_w$ が消える)が与えた値と一致する.なお $G_F$ は $\mu$ 粒子の寿命ひとつから決まる量なので,電弱対称性の破れのスケール $246$ GeV は,$\mu$ 崩壊の測定に還元される.

(2) $y_f=\sqrt2m_f/v$ に共通の換算係数を先に作っておくと見通しがよい.

$$ \frac{\sqrt2}{v} = \frac{1.414214}{246.22\ \mathrm{GeV}} = 5.74374\times10^{-3}\ \mathrm{GeV^{-1}} $$

あとは質量を掛けるだけである.

$$ y_t = 172.69\times5.74374\times10^{-3} = 0.9919 $$ $$ y_b\big|_{\overline m_b(\overline m_b)} = 4.18\times5.74374\times10^{-3} = 2.4009\times10^{-2} $$ $$ y_\tau = 1.77686\times5.74374\times10^{-3} = 1.02059\times10^{-2} $$ $$ y_e = 5.11\times10^{-4}\times5.74374\times10^{-3} = 2.9351\times10^{-6} $$

比を取ると $v$ が完全に消えて質量比そのものになる.

$$ \frac{y_t}{y_e} = \frac{m_t}{m_e} = \frac{172.69}{5.11\times10^{-4}} = 3.379\times10^{5} $$

すなわち $3.4\times10^5$,5 桁半である.トップの湯川結合がほぼ $1$ であること($y_t=0.99$)は偶然にしては目を引く事実で,しばしば「トップだけは自然な値をもつ」と言われる.一方で電子の $2.9\times10^{-6}$ には,標準模型のどこにも説明がない.

(3) $\tau$ はレプトンなので $N_c=1$ である.まず位相空間因子を評価する.$m_\tau^2=(1.77686)^2=3.15723\ \mathrm{GeV^2}$,$m_H^2=(125.25)^2=1.568756\times10^4\ \mathrm{GeV^2}$ だから

$$ \frac{4m_\tau^2}{m_H^2} = \frac{4\times3.15723}{1.568756\times10^{4}} = \frac{12.6289}{1.568756\times10^{4}} = 8.0503\times10^{-4} $$ $$ \left(1-8.0503\times10^{-4}\right)^{3/2} = 0.99879 $$

$\tau$ は $m_H/2=62.6$ GeV に比べて軽いので,位相空間の抑制は $0.12\ \%$ しかない.次に $y_\tau^2=(1.02059\times10^{-2})^2=1.04160\times10^{-4}$,$16\pi=50.2655$ を使って

$$ \Gamma(H\to\tau^+\tau^-) = \frac{1\times125.25\times1.04160\times10^{-4}}{50.2655}\times0.99879 = \frac{1.30460\times10^{-2}}{50.2655}\times0.99879 $$ $$ = 2.5954\times10^{-4}\times0.99879 = 2.5923\times10^{-4}\ \mathrm{GeV} = 0.2592\ \mathrm{MeV} $$

一方,実測の分岐比から得られる部分幅は

$$ \Gamma_{\rm exp} = B\times\Gamma_H = 0.0627\times4.07\ \mathrm{MeV} = 0.2552\ \mathrm{MeV} $$

である.比は $0.2592/0.2552=1.016$,すなわち $1.6\ \%$ の一致である.ツリーレベルの公式に測定値を代入しただけで,パーセントの精度で合う.

(4) まず $\overline{\rm MS}$ 質量 $\overline m_b(\overline m_b)=4.18$ GeV をそのまま入れてみる.$N_c=3$,$y_b^2=(2.4009\times10^{-2})^2=5.76428\times10^{-4}$,位相空間因子は

$$ \frac{4m_b^2}{m_H^2} = \frac{4\times17.4724}{1.568756\times10^{4}} = 4.4551\times10^{-3}, \qquad \left(1-4.4551\times10^{-3}\right)^{3/2} = 0.99333 $$

したがって

$$ \Gamma(H\to b\bar b)\big|_{\overline m_b(\overline m_b)} = \frac{3\times125.25\times5.76428\times10^{-4}}{50.2655}\times0.99333 = \frac{0.216588}{50.2655}\times0.99333 $$ $$ = 4.3088\times10^{-3}\times0.99333 = 4.280\times10^{-3}\ \mathrm{GeV} = 4.280\ \mathrm{MeV} $$

これは全崩壊幅 $\Gamma_H=4.07$ MeV を超えている.一つのチャンネルだけで全体を上回るのだから,分岐比が $4.280/4.07=1.05>1$ となり,明白な矛盾である(位相空間因子を落として $4.309$ MeV とすればさらに悪い).計算のどこかが間違っているのではなく,入れた質量の定義が間違っている.

次に $\overline{\rm MS}$ 質量を $m_H$ スケールまで走らせた $\overline{m}_b(m_H)=2.79$ GeV を使う.

$$ y_b = 2.79\times5.74374\times10^{-3} = 1.60251\times10^{-2}, \qquad y_b^2 = 2.56804\times10^{-4} $$ $$ \frac{4m_b^2}{m_H^2} = \frac{4\times7.7841}{1.568756\times10^{4}} = 1.98478\times10^{-3}, \qquad \left(1-1.98478\times10^{-3}\right)^{3/2} = 0.99702 $$ $$ \Gamma\big|_{\overline{m}_b} = \frac{3\times125.25\times2.56804\times10^{-4}}{50.2655}\times0.99702 = 1.9197\times10^{-3}\ \mathrm{GeV}\times0.99702 $$ $$ = 1.9140\times10^{-3}\ \mathrm{GeV} = 1.914\ \mathrm{MeV} $$

質量が $4.18\to2.79$ と $1.50$ 分の 1 になったので,$y_b^2\propto m_b^2$ により幅は $2.24$ 分の 1 に落ちた.最後に QCD 補正因子を掛ける.

$$ 1+\frac{5.67\,\alpha_s}{\pi} = 1+\frac{5.67\times0.113}{3.14159} = 1+0.20394 = 1.2039 $$ $$ \Gamma\big|_{\overline{m}_b+{\rm QCD}} = 1.914\times1.2039 = 2.304\ \mathrm{MeV} $$

実測の分岐比 $58.2\ \%$ から得られる値は

$$ \Gamma_{\rm exp} = 0.582\times4.07 = 2.369\ \mathrm{MeV} $$

で,残差は $2.7\ \%$ である(表15.2 の $2.37$ MeV と一致する).さらに高次の QCD 補正と電弱補正を含めると,この差はほぼ埋まる.

検算.次元を見る.$y_f$ は無次元,$m_H$ は GeV,位相空間因子も無次元だから $\Gamma$ は GeV の次元をもつ.正しい.極限も確かめられる.$m_f\to m_H/2$ で $(1-4m_f^2/m_H^2)^{3/2}\to0$ となり,しきい値でちょうど幅が閉じる.また (3) の結果を全幅で割ると

$$ \frac{\Gamma(\tau\tau)}{\Gamma_H} = \frac{2.5923\times10^{-4}}{4.07\times10^{-3}} = 6.37\ \% $$

となり,表15.2 の予言値 $6.27\ \%$ と $0.1$ ポイントで合う.独立な照合である.

意味.(3) が示すのは,Higgs 機構の予言 $y_f=\sqrt2m_f/v$ が,$\tau$ という第3世代レプトンについて数 $\%$ で検証されているということである.そして (4) が示すのは,クォークの質量は「どのスケールで測ったか」を指定しない限り数値として意味をもたないという,本書11章の教訓である.同じ「$b$ クォークの質量」という言葉が,$\overline{\rm MS}$ 質量 $\overline m_b(\overline m_b)$ では $4.18$ GeV,$m_H$ スケールまで走らせた $\overline m_b(m_H)$ では $2.79$ GeV と $1.5$ 倍違い,二乗で効く崩壊幅では $2.2$ 倍の違いになる.片方を入れれば分岐比が 1 を超えるという露骨な形で誤りが露呈するのは,むしろ幸運である.

材料科学でこれに対応するのは,有効質量やバンドギャップが「どの近似・どの温度・どの体積で定義された量か」に依存するという事情である.LDA のギャップと $GW$ のギャップと光学ギャップを混ぜて使えば,同じように因子 2 の食い違いが出る.計算値を引用するときに手法とスケールを併記するのは,作法ではなく物理的必然である.

演習15.2 階層性問題の定量化と「自然さ」が要求するスケール

問題(再掲)

トップループによる Higgs 質量二乗への補正は本書15章の $\delta m_H^2=-(3y_t^2/8\pi^2)\Lambda^2$ である.微調整の度合いを $\Delta\equiv\abs{\delta m_H^2}/m_H^2$ と定義する.

(1) 係数 $3y_t^2/8\pi^2$ を数値で求めよ($y_t=0.992$).

(2) $\Lambda=10$ TeV,$2\times10^{16}$ GeV,$M_{\rm Pl}=1.22\times10^{19}$ GeV のそれぞれについて $\Delta$ を求めよ.

(3) $\Delta<10$(すなわち $10\ \%$ 以上の微調整をしない)ことを要求すると,$\Lambda$ の上限はいくらか.

(4) (3) の結果と表15.4 の実験下限を比べ,「自然さ」という基準の現状について論じよ.また,電子質量への補正が $\delta m_e/m_e=(3\alpha/4\pi)\ln(\Lambda^2/m_e^2)$ で $\Lambda=M_{\rm Pl}$ でも $18\ \%$ にしかならないのはなぜかを,カイラル対称性の言葉で説明せよ.

解答

方針.(1)–(3) は本書15章の二次発散の式に数値を入れるだけの一次方程式である.要点は,$\delta m_H^2\propto\Lambda^2$ というべき依存のせいで $\Delta$ が $\Lambda$ の二乗で暴れることと,逆に $\Delta$ に上限を課すと $\Lambda$ が一意に決まってしまうことである.(4) は 't Hooft の技術的自然さの議論を使う.

(1) $y_t=0.992$ より $y_t^2=0.98406$,$8\pi^2=78.9568$ である.

$$ \frac{3y_t^2}{8\pi^2} = \frac{3\times0.98406}{78.9568} = \frac{2.95219}{78.9568} = 0.03739 $$

すなわち $0.0374$.係数が $1$ ではなく $0.04$ 程度に小さいことは,このあとの結論をまったく変えない.$\Lambda^2$ の方が $30$ 桁以上動くからである.

(2) 基準となる観測量は $m_H^2=(125.25)^2=1.56876\times10^4\ \mathrm{GeV^2}$ である.

$\Lambda=10\ \mathrm{TeV}=10^4$ GeV の場合,$\Lambda^2=10^{8}\ \mathrm{GeV^2}$ だから

$$ \abs{\delta m_H^2} = 0.03739\times10^{8} = 3.739\times10^{6}\ \mathrm{GeV^2}, \qquad \Delta = \frac{3.739\times10^{6}}{1.56876\times10^{4}} = 238 $$

$\Lambda=2\times10^{16}$ GeV(大統一スケール)では $\Lambda^2=4\times10^{32}\ \mathrm{GeV^2}$ で

$$ \abs{\delta m_H^2} = 0.03739\times4\times10^{32} = 1.4956\times10^{31}\ \mathrm{GeV^2}, \qquad \Delta = \frac{1.4956\times10^{31}}{1.56876\times10^{4}} = 9.53\times10^{26} $$

$\Lambda=M_{\rm Pl}=1.22\times10^{19}$ GeV では $\Lambda^2=1.4884\times10^{38}\ \mathrm{GeV^2}$ で

$$ \abs{\delta m_H^2} = 0.03739\times1.4884\times10^{38} = 5.565\times10^{36}\ \mathrm{GeV^2}, \qquad \Delta = \frac{5.565\times10^{36}}{1.56876\times10^{4}} = 3.55\times10^{32} $$

裸の質量二乗と量子補正が,どちらも $10^{36}\ \mathrm{GeV^2}$ の桁でありながら,その差が $1.6\times10^4\ \mathrm{GeV^2}$ に落ち着かねばならない.32 桁目まで一致して 33 桁目で食い違うという調整である.

(3) $\Delta=0.03739\,\Lambda^2/m_H^2<10$ を $\Lambda$ について解く.

$$ \Lambda^2 < \frac{10\,m_H^2}{0.03739} = \frac{10\times1.56876\times10^{4}}{0.03739} = \frac{1.56876\times10^{5}}{0.03739} = 4.196\times10^{6}\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ \Lambda < \sqrt{4.196\times10^{6}} = 2.048\times10^{3}\ \mathrm{GeV} \approx 2.0\ \mathrm{TeV} $$

つまり「$10\ \%$ 以上の微調整はしたくない」という要求だけから,新物理は $2$ TeV 以下になければならないという定量的な予言が出る.これが 1980 年代以降,超対称性が TeV スケールにあると期待された理由である.なお $\Delta<100$($1\ \%$ の微調整を許す)まで緩めても $\Lambda<6.5$ TeV にしかならない.$\Lambda$ は $\sqrt{\Delta}$ でしか伸びないので,要求を 1 桁緩めても許容スケールは $\sqrt{10}=3.2$ 倍にしかならないのである.

(4) 表15.4 の実験下限はグルイーノ $\sim2.3$ TeV,ストップ $\sim1.3$ TeV,第1・2世代スクォーク $\sim1.9$ TeV,チャージーノ $\sim0.7$ TeV である.(3) の $2.0$ TeV と比べると,グルイーノとスクォークはすでにその線を越え,ストップも同じ桁に張り付いている.同じ表の「自然さの要求」の欄(グルイーノ $\lesssim1.5$ TeV,ストップ $\lesssim0.5$ TeV)と照らせば,もっとも素朴な形の自然さは,すでに実験に否定されていると言うべきである.加えて $m_H=125$ GeV を MSSM で出すには $3$–$10$ TeV の重いストップが要り,それ自体が $1\ \%$ 程度の微調整を呼び戻す(小さな階層性問題).「自然さ」は,予言力をもつ有用な指針であったが,その予言は当たらなかった.この事実を曖昧にせずに書くのが本章の態度である.

電子については話がまったく違う.$\alpha=1/137.036$ として

$$ \ln\frac{\Lambda^2}{m_e^2} = 2\ln\frac{1.22\times10^{19}}{5.11\times10^{-4}} = 2\ln\left(2.388\times10^{22}\right) = 2\times51.53 = 103.1 $$ $$ \frac{\delta m_e}{m_e} = \frac{3\alpha}{4\pi}\times103.1 = \frac{3\times7.2974\times10^{-3}}{12.566}\times103.1 = 1.742\times10^{-3}\times103.1 = 0.180 $$

すなわち $18\ \%$ である.$\Lambda$ が $M_{\rm Pl}$ という巨大な値でも補正はこの程度にしかならない.理由は二つあり,本質は同じである.第一に補正が $\Lambda$ の対数でしか増えない.第二に補正が $m_e$ 自身に比例している(乗法的くりこみ).

これを保証するのがカイラル対称性である.$m_e\to0$ の極限で Lagrangian は左巻きと右巻きを独立に回す変換

$$ \psi_L \to \ee^{\ii\theta_L}\psi_L,\qquad \psi_R \to \ee^{\ii\theta_R}\psi_R $$

のもとで不変になる(質量項 $-m_e\bar\psi\psi=-m_e(\bar\psi_L\psi_R+\bar\psi_R\psi_L)$ だけがこの対称性を破る).対称性が回復する点は量子補正でも保たれるから,$m_e=0$ から出発した理論はループを何次まで含めても $m_e\ne0$ を生成できない.したがって $\delta m_e$ は必ず $m_e$ の因子をもち,残る $\Lambda$ 依存性は無次元にするための対数だけになる.これが 't Hooft のいう技術的自然さ「あるパラメータをゼロにしたときに対称性が増えるなら,そのパラメータが小さいことは自然である」の中身である.

スカラーには,これに相当する対称性がない.$m_H\to0$ としても Higgs 場の Lagrangian の対称性は増えない(ゲージ対称性も大域的対称性も $m_H$ とは無関係に成り立っている).守るものがないから,補正は次元をもつ最大の量,すなわちカットオフ $\Lambda$ の二乗まで持ち上がる.超対称性は,スカラーにフェルミオンの相棒を与えることで,フェルミオンのカイラル対称性による保護をスカラーに移植する仕掛けだと理解できる.

検算.次元を確認する.$\delta m_H^2$ は $\mathrm{GeV^2}$,$m_H^2$ も $\mathrm{GeV^2}$ なので $\Delta$ は無次元.よい.スケーリングでも照合できる.$\Delta\propto\Lambda^2$ だから,$\Lambda$ が $10^4$ GeV から $1.22\times10^{19}$ GeV へ $1.22\times10^{15}$ 倍になれば $\Delta$ は $(1.22\times10^{15})^2=1.488\times10^{30}$ 倍になるはずで

$$ 238\times1.488\times10^{30} = 3.54\times10^{32} $$

となり,(2) で直接求めた $3.55\times10^{32}$ と一致する.また (3) の逆算も確かめられる.$\Lambda=2.048$ TeV を (2) の式に入れると $\Delta=0.03739\times4.194\times10^{6}/1.56876\times10^{4}=9.997$ で,要求どおり $10$ である.

意味.階層性問題は「気持ちが悪い」という美的な不満ではなく,数値として書ける問題である.そして数値として書けるからこそ,実験で追い詰められる.LHC が $2$ TeV 以下に何も見つけなかったという事実は,$\Delta\gtrsim10$ の微調整が実在することを意味する.これに対する応答は,(i) もう少し重い新物理を待つ,(ii) 自然さという基準そのものを捨てる(人間原理・多重宇宙),(iii) 二次発散が最初から現れない別の枠組みを探す,の三つに分かれており,決着はついていない.

物性の言葉に直すと,これは Ginzburg–Landau 自由エネルギーの二次係数 $a(T-T_c)$ が,対称性で守られないために微視的スケール(電子ボルトの桁)で決まってしまうのに,観測される $T_c$ はミリ電子ボルトからせいぜい数十ミリ電子ボルトの桁である,という状況とまったく同型である.第一原理計算で $T_c$ を数 $\%$ の精度で当てるのが極端に難しいのは,大きな量どうしの差として小さな量を出さねばならないからで,Higgs 質量の微調整と同じ構造をしている.

演習15.3 走る結合定数の交点を自分で求める

問題(再掲)

1ループのくりこみ群方程式(本書15章の $\alpha_i^{-1}(\mu)=\alpha_i^{-1}(m_Z)-(b_i/2\pi)\ln(\mu/m_Z)$)と,$m_Z$ での出発値 $\alpha_1^{-1}=59.02$,$\alpha_2^{-1}=29.58$,$\alpha_3^{-1}=8.48$ を用いる.$t\equiv\ln(\mu/m_Z)$ とする.

(1) 標準模型の係数 $(b_1,b_2,b_3)=(41/10,\,-19/6,\,-7)$ を用いて,$\alpha_1=\alpha_3$ と $\alpha_2=\alpha_3$ の交点のスケールをそれぞれ求めよ.

(2) MSSM の係数 $(b_1,b_2,b_3)=(33/5,\,1,\,-3)$ を用い(超対称粒子の閾値を簡単のため $m_Z$ に置く),$\alpha_1=\alpha_2$ の交点 $M_X$ と,そこでの $\alpha_G^{-1}$ を求めよ.

(3) (2) で求めた $t$ を $\alpha_3^{-1}$ の式に入れ,三本が本当に一点に集まっているかを確かめよ(一致の程度を $\%$ で述べよ).

(4) 大統一点では $\alpha_1=\alpha_2$ である.$\alpha_1=(5/3)\alpha_Y$ という規格化を使って,このとき $\sin^2\theta_W=3/8$ になることを示せ.測定値 $0.2312$ との差はどこから来るか.

解答

方針.1ループのくりこみ群方程式は $\alpha_i^{-1}$ を $t=\ln(\mu/m_Z)$ の一次関数にする.したがってやることは三本の直線の交点を求めるという中学校の問題である.物理は,どの $b_i$ を使うか(すなわちどんな粒子が走るか)にだけ入っている.$m_Z=91.19$ GeV を使う.

(1) 標準模型の係数を $2\pi=6.28319$ で割って直線の傾きを作る.$b_1=41/10=4.100$,$b_2=-19/6=-3.16667$,$b_3=-7$ である.符号に注意する($\alpha_i^{-1}$ の式には $-b_i/2\pi$ が掛かるので,$b_i<0$ なら $\alpha_i^{-1}$ は増える).

$$ \alpha_1^{-1}(t) = 59.02 - \frac{4.100}{6.28319}\,t = 59.02 - 0.65254\,t $$ $$ \alpha_2^{-1}(t) = 29.58 + \frac{3.16667}{6.28319}\,t = 29.58 + 0.50399\,t $$ $$ \alpha_3^{-1}(t) = 8.48 + \frac{7.000}{6.28319}\,t = 8.48 + 1.11409\,t $$

$\alpha_1=\alpha_3$ は $\alpha_1^{-1}=\alpha_3^{-1}$ と同じである.

$$ 59.02 - 0.65254\,t = 8.48 + 1.11409\,t \;\Longrightarrow\; 50.54 = 1.76663\,t \;\Longrightarrow\; t = 28.608 $$ $$ \mu = m_Z\,\ee^{28.608} = 91.19\times2.657\times10^{12} = 2.42\times10^{14}\ \mathrm{GeV} $$

$\alpha_2=\alpha_3$ については

$$ 29.58 + 0.50399\,t = 8.48 + 1.11409\,t \;\Longrightarrow\; 21.10 = 0.61009\,t \;\Longrightarrow\; t = 34.585 $$ $$ \mu = 91.19\times\ee^{34.585} = 9.55\times10^{16}\ \mathrm{GeV} $$

参考までに残る一つ,$\alpha_1=\alpha_2$ は $29.44=1.15653\,t$ から $t=25.456$,$\mu=1.04\times10^{13}$ GeV である.三つの交点は $1.0\times10^{13}$,$2.4\times10^{14}$,$9.6\times10^{16}$ GeV とばらばらで,図15.3 の網掛けした三角形は閉じない.標準模型の粒子内容では三本は一点で交わらない.しかも食い違いは $\mu$ で 4 桁近く,$\alpha^{-1}$ の値でも数単位あり,出発値の実験誤差($\alpha_s$ の $\pm0.001$ は $\alpha_3^{-1}$ の $\pm0.07$ に相当)ではとうてい説明できない.

(2) MSSM の係数は $b_1=33/5=6.600$,$b_2=1$,$b_3=-3$ である.$b_2$ の符号が変わる($SU(2)_L$ が漸近的自由でなくなる)ことと,$b_3$ が $-7$ から $-3$ へ弱まることが本質的である.

$$ \alpha_1^{-1}(t) = 59.02 - \frac{6.600}{6.28319}\,t = 59.02 - 1.05042\,t $$ $$ \alpha_2^{-1}(t) = 29.58 - \frac{1.000}{6.28319}\,t = 29.58 - 0.159155\,t $$ $$ \alpha_3^{-1}(t) = 8.48 + \frac{3.000}{6.28319}\,t = 8.48 + 0.477465\,t $$

$\alpha_1^{-1}=\alpha_2^{-1}$ より

$$ 59.02 - 1.05042\,t = 29.58 - 0.159155\,t \;\Longrightarrow\; 29.44 = 0.891268\,t \;\Longrightarrow\; t = 33.032 $$ $$ M_X = 91.19\times\ee^{33.032} = 91.19\times2.215\times10^{14} = 2.02\times10^{16}\ \mathrm{GeV} $$

そこでの結合定数は $\alpha_2^{-1}$ の式から

$$ \alpha_G^{-1} = 29.58 - 0.159155\times33.032 = 29.58 - 5.257 = 24.32 $$

すなわち $\alpha_G=1/24.32=0.0411$ である.$\alpha_1^{-1}$ の式で確かめても $59.02-1.05042\times33.032=59.02-34.697=24.32$ で同じ値になる(交点なので当然である).

(3) 同じ $t=33.032$ を,計算に一切使っていない $\alpha_3^{-1}$ の式に入れる.これが本問の要点で,$\alpha_3$ は交点を決める式に登場していないから,これは予言の検証である.

$$ \alpha_3^{-1}(33.032) = 8.48 + 0.477465\times33.032 = 8.48 + 15.771 = 24.25 $$

三つの値は $\alpha_1^{-1}=24.32$,$\alpha_2^{-1}=24.32$,$\alpha_3^{-1}=24.25$ である.ばらつきは

$$ \frac{24.32-24.25}{24.30} = \frac{0.07}{24.30} = 2.9\times10^{-3} = 0.29\ \% $$

すなわち $0.3\ \%$ 以内で一致する.標準模型では対応する量が 1 割強((1) の直線で $\alpha_1=\alpha_2$ となる $t=25.456$ において $\alpha_{1,2}^{-1}=42.41$ に対し $\alpha_3^{-1}=36.84$,すなわち $14\ \%$)ずれていたことを思えば,これは劇的な改善である.$m_Z$ で測った三つの独立な数($\alpha_{\rm em}$,$\sin^2\theta_W$,$\alpha_s$)を 14 桁も外挿して $0.3\ \%$ で一点に集まるのだから,偶然と切り捨てにくい.これが超対称性の「状況証拠」と呼ばれてきたものである.

ただし公平に付け加えると,この計算は超対称粒子の閾値をすべて $m_Z$ に置いた 1 ループ計算である.実際の閾値($1$ TeV 前後)や 2 ループ効果,統一スケール付近の高次元演算子による補正を入れると,一致の度合いは数 $\%$ 程度に緩む.それでも標準模型との差は歴然としている.

(4) Weinberg 角の定義は $\tan\theta_W=g'/g$,すなわち

$$ \sin^2\theta_W = \frac{g'^2}{g^2+g'^2} = \frac{\alpha_Y}{\alpha_2+\alpha_Y} $$

である($\alpha_Y=g'^2/4\pi$,$\alpha_2=g^2/4\pi$).大統一点では $SU(5)$ の一つの結合 $\alpha_G$ に融合するので $\alpha_2=\alpha_G$,そして $SU(5)$ 規格化 $\alpha_1=(5/3)\alpha_Y=\alpha_G$ から

$$ \alpha_Y = \frac35\,\alpha_G $$

である.代入すると $\alpha_G$ が約分されて消える.

$$ \sin^2\theta_W\big|_{M_X} = \frac{(3/5)\alpha_G}{\alpha_G+(3/5)\alpha_G} = \frac{3/5}{1+3/5} = \frac{3/5}{8/5} = \frac38 = 0.375 $$

群論だけから決まる有理数である.測定値 $\sin^2\theta_W(m_Z)=0.2312$ との差は,$M_X$ から $m_Z$ まで走り下がるあいだの量子補正そのものである.実際 $\alpha_Y$ と $\alpha_2$ は $b_i$ が違うので違う速さで走り,比が変わる.$m_Z$ での値が $0.2312$ という中途半端な数になるのは,$14$ 桁の外挿の結果である.

逆向きに見るのが正しい読み方である.統一点での「きれいな数」$3/8$ を出発点にして,くりこみ群方程式で $m_Z$ まで下ろせば $0.2312$ が出る.本問の (2)(3) の出発値 $\alpha_1^{-1}=59.02$,$\alpha_2^{-1}=29.58$ は,まさに $\hat\alpha_{\rm em}^{-1}(m_Z)=127.95$($\overline{\rm MS}$.第10章 10.6.4 項参照)と $\sin^2\theta_W=0.23122$ から作ったものだった.したがって (2) で $\alpha_1=\alpha_2$ の交点が存在したこと自体が,「$0.2312$ を $M_X$ まで走らせると $3/8$ になる」という主張と同じ内容である.実測の中途半端な数が,遠方で有理数に化けることこそ,くりこみ群の予言力の実例である.

検算.次元を見る.$t=\ln(\mu/m_Z)$ は無次元,$b_i/2\pi$ も無次元,$\alpha_i^{-1}$ も無次元で整合している.符号も確かめられる.$b_3=-7<0$ は漸近的自由($\mu$ が上がると $\alpha_3$ が下がる,つまり $\alpha_3^{-1}$ が増える)で,実際 $\alpha_3^{-1}$ は $8.48$ から $24.25$ へ増えている.$b_1>0$ は QED 的な遮蔽($\mu$ が上がると $\alpha_1$ が増える)で,$\alpha_1^{-1}$ は $59.02$ から $24.32$ へ減っている.どちらも第11章の描像どおりである.

もう一つ,(4) の $3/8$ を数値でも照合しておく.$\alpha_G^{-1}=24.32$ なら $\alpha_2^{-1}=24.32$,$\alpha_Y^{-1}=(5/3)\times24.32=40.53$ だから

$$ \sin^2\theta_W = \frac{\alpha_Y}{\alpha_2+\alpha_Y} = \frac{1/40.53}{1/24.32+1/40.53} = \frac{0.024673}{0.041118+0.024673} = 0.3750 $$

ちょうど $3/8$ である.

意味.この演習は「三本の直線を引く」だけの計算だが,そこから読み取れることは大きい.第一に,最小 $SU(5)$ はこの一点だけで棄却できる.理論の反証が,紙と電卓で実行できるほど単純な形をしているのは珍しい.第二に,MSSM の収束は,測定された三つの数の間の非自明な関係であり,仮説の当否とは独立に「面白い数値的事実」として残る.第三に,$\sin^2\theta_W=3/8$ は,低エネルギーで無関係に見える三つの力の強さが,高エネルギーでは一つの数に還元されうるという統一の思想を,最も簡潔に表現している.

くりこみ群の走りが物理的に何をしているかは,本書15章が述べるとおり媒質による遮蔽と同じである.誘電体中の裸の電荷が分極で遮蔽され,距離(=エネルギースケール)によって実効的な相互作用強度が変わるのと同じ機構が,真空の分極として働いている.材料科学の側でこれに対応する日常的な量は,静的誘電関数 $\varepsilon(q)$ の $q$ 依存性であり,Thomas–Fermi 遮蔽長より内側と外側で有効相互作用がまったく違って見えるのも,同じ「走り」の一種である.

演習15.4 陽子崩壊寿命と Super-Kamiokande

問題(再掲)

陽子崩壊の幅は本書15章の式 $\Gamma\sim\alpha_G^2m_p^5/M_X^4$ で見積もられる.$m_p=0.9383$ GeV,$\hbar=6.582\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}$,1 年 $=3.156\times10^7$ s とする.

(1) $M_X=10^{15}$ GeV,$\alpha_G=1/40$ のときの $\tau_p$ を年単位で求めよ.

(2) Super-Kamiokande の 2017 年の解析による下限 $\tau_p>1.6\times10^{34}$ 年から,$M_X$ の下限を求めよ.2020 年の解析の $2.4\times10^{34}$ 年ではどうなるか.

(3) Super-Kamiokande の有効体積は超純水 $22.5$ kton である.水分子 1 個には陽子が 10 個($^{16}$O の 8 個と H の 2 個)含まれる.標的陽子の総数を求めよ.

(4) 検出効率を $\varepsilon=0.4$,背景ゼロとする.20 年の観測で 0 事象なら,$90\ \%$ 信頼度の上限は 2.3 事象である.このとき得られる $\tau_p$ の下限を求め,(2) の値と整合するか確かめよ.また,もし $\tau_p=10^{33}$ 年だったら何事象観測されたはずかを述べよ.

解答

方針.(1)(2) は本書15章の次元解析による幅の式と,$\tau\propto M_X^4$ というスケーリングだけで済む.(3)(4) は素粒子実験の感度がどう組み上がるかを追う計算で,使うのは Avogadro 数と「露光量 $=$ 標的数 $\times$ 時間」という一行だけである.自然単位の $\Gamma$[GeV]を秒に直すのに $\hbar$ を使う点にだけ注意する.

(1) まず $m_p^5$ を作る.

$$ m_p^5 = (0.9383)^5 = 0.7273\ \mathrm{GeV^5} $$

$\alpha_G=1/40$ なので $\alpha_G^2=1/1600=6.250\times10^{-4}$,$M_X^4=(10^{15})^4=10^{60}\ \mathrm{GeV^4}$ である.

$$ \Gamma = \frac{\alpha_G^2\,m_p^5}{M_X^4} = \frac{6.250\times10^{-4}\times0.7273}{10^{60}} = \frac{4.546\times10^{-4}}{10^{60}} = 4.546\times10^{-64}\ \mathrm{GeV} $$

寿命は $\tau=\hbar/\Gamma$ である($\Gamma$ をエネルギーの次元で測っているので,$\hbar$[$\mathrm{GeV\,s}$]を掛けると秒になる).

$$ \tau_p = \frac{6.582\times10^{-25}\ \mathrm{GeV\,s}}{4.546\times10^{-64}\ \mathrm{GeV}} = 1.448\times10^{39}\ \mathrm{s} $$ $$ \tau_p = \frac{1.448\times10^{39}}{3.156\times10^{7}} = 4.59\times10^{31}\ \mathrm{年} $$

これが 1980 年前後の期待値である.宇宙年齢 $1.4\times10^{10}$ 年の $3\times10^{21}$ 倍という途方もない長さだが,陽子を $10^{33}$ 個集めれば 1 年に $10^{33}/4.6\times10^{31}\approx22$ 個が崩壊する勘定になる.寿命の長さは,標的数で買える.これが巨大水槽実験の発想である.

(2) 式の $M_X$ 依存性は $\tau_p\propto M_X^4$ だけである($\alpha_G$ と $m_p$ は固定する).したがって

$$ \frac{M_X^{\rm min}}{10^{15}\ \mathrm{GeV}} = \left(\frac{\tau_p^{\rm min}}{4.59\times10^{31}\ \mathrm{年}}\right)^{1/4} = \left(\frac{1.6\times10^{34}}{4.59\times10^{31}}\right)^{1/4} = (348.7)^{1/4} $$

$4$ 乗根は $348.7^{1/2}=18.67$,$18.67^{1/2}=4.321$ と 2 回の平方根で求まる.よって

$$ M_X > 4.32\times10^{15}\ \mathrm{GeV} \approx 4.3\times10^{15}\ \mathrm{GeV} $$

ここで効いているのは 4 乗根の鈍さである.寿命の下限が $348$ 倍上がっても,$M_X$ の下限は $4.3$ 倍にしかならない.逆に言えば,$M_X$ をあと 1 桁上げるには寿命の感度を 4 桁伸ばさねばならない.陽子崩壊探索が「感度が上がりにくい」実験である理由がここにある.

2020 年の解析の $2.4\times10^{34}$ 年を使うと,同じ計算で

$$ \frac{M_X^{\rm min}}{10^{15}\ \mathrm{GeV}} = \left(\frac{2.4\times10^{34}}{4.59\times10^{31}}\right)^{1/4} = (522.9)^{1/4} = 4.78, \qquad M_X > 4.8\times10^{15}\ \mathrm{GeV} $$

となる.寿命の下限が $1.5$ 倍になっても $M_X$ の下限は $1.5^{1/4}=1.11$ 倍,すなわち 1 割しか上がらない.ここにも 4 乗根の鈍さが現れている.

一方,本書15章の 15.2.3 項が示したように,最小 $SU(5)$ の統一スケールは $\alpha_1=\alpha_3$ の交点で $2.4\times10^{14}$ GeV しかない.$4.3\times10^{15}$ GeV という下限は,これを 1 桁以上上回る.結合定数の非収束と陽子崩壊の非観測の二つで,最小 $SU(5)$ は独立に棄却される.

(3) 有効体積 $22.5$ kton $=2.25\times10^{7}$ kg $=2.25\times10^{10}$ g である.水の式量は $\mathrm{H_2O}$ で $2\times1.008+15.999=18.015$ だから,物質量は

$$ n = \frac{2.25\times10^{10}\ \mathrm{g}}{18.015\ \mathrm{g/mol}} = 1.249\times10^{9}\ \mathrm{mol} $$

分子数は Avogadro 数を掛けて

$$ N_{\rm mol} = 1.249\times10^{9}\times6.022\times10^{23} = 7.521\times10^{32}\ \text{個} $$

$\mathrm{H_2O}$ 1 分子あたり陽子は,酸素の 8 個と水素 2 個の 1 個ずつで計 10 個である.よって

$$ N_p = 7.521\times10^{32}\times10 = 7.52\times10^{33}\ \text{個} $$

桁で覚えるなら「キロトンの水に陽子 $3\times10^{32}$ 個」であり,$22.5$ kton で $7.5\times10^{33}$ 個になる.なお厳密には,束縛陽子(酸素核内の 8 個)と自由陽子(水素の 2 個)では核内効果のせいで検出効率が違うので,実際の解析では別々に扱う.ここでは問題の指示どおり一律に数える.

(4) 露光量(標的数 $\times$ 観測時間)は

$$ N_pT = 7.521\times10^{33}\times20\ \mathrm{年} = 1.504\times10^{35}\ \text{陽子}\cdot\text{年} $$

寿命 $\tau_p$ の粒子が $N_p$ 個あるとき,時間 $T$($\ll\tau_p$)に崩壊する個数は $N_pT/\tau_p$ であり,そのうち検出できるのは効率 $\varepsilon$ 倍である.観測事象の期待値は

$$ \mu = \frac{\varepsilon\,N_p T}{\tau_p} $$

である.背景ゼロで 0 事象なら $90\ \%$ 信頼度の上限は $\mu<2.3$(Poisson 分布で $\ee^{-\mu}=0.10$ を解くと $\mu=2.303$)だから,これを $\tau_p$ について解いて

$$ \tau_p > \frac{\varepsilon\,N_p T}{2.3} = \frac{0.4\times1.504\times10^{35}}{2.3} = \frac{6.017\times10^{34}}{2.3} = 2.6\times10^{34}\ \mathrm{年} $$

問題 (2) で用いた公表値 $1.6\times10^{34}$ 年と同じ桁であり,整合している.実際の下限がこの素朴な見積もりよりやや緩い(小さい)のは,束縛陽子の検出効率が自由陽子より低いこと,大気ニュートリノ事象がわずかに背景として残ること,解析に使える期間が全運転期間より短いことなどによる.桁の一致で十分である.

もし $\tau_p=10^{33}$ 年だったら,期待事象数は

$$ \mu = \frac{0.4\times1.504\times10^{35}}{10^{33}} = 60.2\ \text{事象} $$

である.背景ゼロの実験で 60 事象は,見逃しようがない.$p\to e^+\pi^0$ の終状態は $e^+$ と $\pi^0\to2\gamma$ の 2 光子で,全エネルギーが $m_p=938$ MeV に一致し,かつ全運動量がほぼゼロという際立った特徴をもつ.背景の大気ニュートリノ事象がこの条件を偶然満たす確率は極めて低い.したがって「見つからなかった」という結果は,感度不足ではなく本物の否定である.

検算.次元を見る.$\alpha_G$ は無次元,$m_p^5/M_X^4$ は $\mathrm{GeV^5/GeV^4}=\mathrm{GeV}$ で,$\Gamma$ の次元と合う.正しい.$\hbar$[$\mathrm{GeV\,s}$]で割れば秒になるのも整合している.

スケーリングでも照合する.(2) の $M_X=4.32\times10^{15}$ GeV を (1) の式に戻すと

$$ \tau_p = 4.59\times10^{31}\times(4.321)^4 = 4.59\times10^{31}\times348.7 = 1.6\times10^{34}\ \mathrm{年} $$

で,出発点の下限をちょうど再現する.また (4) の二つの結果も互いに整合する.$\tau_p=2.6\times10^{34}$ 年なら $\mu=0.4\times1.504\times10^{35}/2.6\times10^{34}=2.3$ で,たしかに $90\ \%$ 上限にあたる.

意味.この演習が描いているのは,理論が最も期待した領域を,実験が完全に覆って否定したという20世紀後半の素粒子物理で最も明快な出来事である.$\tau_p\sim10^{31\text{--}32}$ 年という予言に対し,実験は $10^{34}$ 年まで押し切った.しかも「感度がまだ足りない」という逃げ道はない.(4) が示すとおり,予言された領域なら数十事象が出ていたはずである.

ただし大統一そのものが死んだわけではない.超対称 $SU(5)$ や $SO(10)$ では $M_X\sim2\times10^{16}$ GeV となり,(1) の式に入れると $\tau_p\sim4.59\times10^{31}\times(20)^4=7\times10^{36}$ 年になる.ただし (1) の式は $\alpha_G=1/40$ を前提にしており,演習15.3 で求めた MSSM の統一結合 $\alpha_G\simeq1/24$ を使えば $\tau\propto\alpha_G^{-2}$ から $(24.3/40)^2=0.37$ 倍,すなわち $\tau_p\sim3\times10^{36}$ 年である.いずれにせよ $e^+\pi^0$ モードは現在の下限をゆうに超える.もっとも超対称 GUT では次元5演算子による $p\to K^+\bar\nu$ が主要モードになり,こちらはすでに Super-K の下限($\tau/B>5.9\times10^{33}$ 年)と緊張関係にあることに注意しておきたい.次世代の Hyper-Kamiokande(有効質量 $188$ kton)と DUNE(液体アルゴン $40$ kton)は $10^{35}$ 年に迫る.陽子崩壊は,まだ生きた実験課題である.

材料科学との接点は,実は (3) の一行にある.$7.5\times10^{33}$ 個という標的数を実現するには $22.5$ kton の水を,しかも $^{222}$Rn などの放射性不純物を極限まで除いた状態で保持し続けなければならない.検出器の性能を決めているのは,測定器ではなく標的物質そのものの純度である.同じ構図が 15.6 節の暗黒物質検出器($^{238}\mathrm{U}<8\times10^{-14}$ g/g)にも現れる.素粒子実験の感度は,しばしば材料の純度で律速される.

演習15.5 バリオン数非対称の実感

問題(再掲)

$\eta=n_B/n_\gamma=6.1\times10^{-10}$,CMB 光子数密度 $n_\gamma=411\ \mathrm{cm^{-3}}$,$m_p=1.673\times10^{-24}$ g,臨界密度 $\rho_c=8.54\times10^{-27}\ \mathrm{kg/m^3}$ とする.

(1) 現在の宇宙の平均バリオン数密度 $n_B$ を求めよ.

(2) それをバリオンの質量密度に直し,$\Omega_b=\rho_b/\rho_c$ を求めて表15.5 の値と比べよ.

(3) 陽子どうしの平均間隔 $n_B^{-1/3}$ を求めよ.身近な長さと比べて述べよ.

(4) 初期宇宙にクォーク $N+\Delta N$ 個,反クォーク $N$ 個があったとして,$\Delta N/N$ を求めよ.また,もし $\Delta N=0$ だったら現在の $n_B/n_\gamma$ はどうなるか(対消滅の凍結で $\sim10^{-18}$ になる)を述べ,観測値との桁の差を言え.

解答

方針.使うのは本書15章の $\eta\equiv n_B/n_\gamma$ の定義と,$\eta\approx\Delta N/2N$ という対消滅後の勘定だけである.計算は掛け算と立方根に尽きるが,出てくる数の大きさの実感が本問の主題である.

(1) 定義そのままである.

$$ n_B = \eta\,n_\gamma = 6.1\times10^{-10}\times411\ \mathrm{cm^{-3}} = 2.507\times10^{-7}\ \mathrm{cm^{-3}} $$

$1\ \mathrm{m^3}=10^6\ \mathrm{cm^3}$ なので,$\mathrm{m^3}$ あたりでは $0.251$ 個である.宇宙全体を均すと,$1$ 立方メートルに陽子が $0.25$ 個しかない.

与えられた $n_\gamma=411\ \mathrm{cm^{-3}}$ も,$T_0=2.7255$ K の黒体輻射から独立に確かめられる.Bose 分布の積分から光子数密度は

$$ n_\gamma = \frac{2\zeta(3)}{\pi^2}\left(\frac{k_BT_0}{\hbar c}\right)^3 $$

である($\zeta(3)=1.20206$).$k_BT_0=2.349\times10^{-4}$ eV,$\hbar c=1.9733\times10^{-5}\ \mathrm{eV\,cm}$ だから $k_BT_0/\hbar c=11.90\ \mathrm{cm^{-1}}$,その 3 乗は $1.686\times10^{3}\ \mathrm{cm^{-3}}$.係数は $2\times1.20206/9.8696=0.2436$ なので

$$ n_\gamma = 0.2436\times1.686\times10^{3} = 411\ \mathrm{cm^{-3}} $$

となり,与えられた値を再現する.$n_\gamma$ は温度だけで決まる(宇宙論のパラメータをまったく使わない)ことに注意したい.$\eta$ の分母が確実に分かっているからこそ,$\eta$ の測定はそのまま $n_B$ の測定になる.

(2) バリオンはほぼ陽子と中性子で,質量はどちらも $m_p$ で近似できる(水素とヘリウムの混合であることによる補正は数 $\%$ である).

$$ \rho_b = n_B\,m_p = 2.507\times10^{-7}\ \mathrm{cm^{-3}}\times1.673\times10^{-24}\ \mathrm{g} = 4.194\times10^{-31}\ \mathrm{g/cm^3} $$

SI に直す.$1\ \mathrm{g/cm^3}=10^3\ \mathrm{kg/m^3}$ だから

$$ \rho_b = 4.194\times10^{-28}\ \mathrm{kg/m^3} $$ $$ \Omega_b = \frac{\rho_b}{\rho_c} = \frac{4.194\times10^{-28}}{8.54\times10^{-27}} = 0.0491 $$

表15.5 の Planck 2018 の値 $\Omega_b=0.0493$ と,$0.4\ \%$ で一致する.注目すべきは,この二つがまったく別の測定から来ていることである.$\eta=6.1\times10^{-10}$ はビッグバン元素合成(D,$^4$He,$^7$Li の存在比)と CMB の音響ピーク比から,$\rho_c$ は Hubble 定数から独立に得られている.宇宙初期の核反応と,$38$ 万年後の光子の音響振動と,現在の膨張率が,同じ数字を指している.

(3) 平均間隔は数密度の $-1/3$ 乗である.

$$ n_B^{-1/3} = \left(2.507\times10^{-7}\ \mathrm{cm^{-3}}\right)^{-1/3} $$

指数を扱いやすくする.$2.507\times10^{-7}=250.7\times10^{-9}$ と書けば,$(10^{-9})^{-1/3}=10^{3}$,$(250.7)^{-1/3}=1/6.305=0.1586$ だから

$$ n_B^{-1/3} = 0.1586\times10^{3}\ \mathrm{cm} = 158.6\ \mathrm{cm} = 1.59\ \mathrm{m} $$

すなわち一辺 $1.6$ m の立方体に,陽子が平均 1 個である.ちょうど人間の背丈ほどの立方体を思い浮かべればよい.我々が「物質でできた世界」に住んでいるという実感は,銀河という $10^{5}$ 倍以上の密度ゆらぎに引っかかった局所的な事情にすぎない.宇宙の平均は,実験室で作れるどんな超高真空よりもはるかに希薄である($10^{-10}$ Pa の超高真空でも分子数密度は $2\times10^{4}\ \mathrm{cm^{-3}}$ 程度あり,宇宙平均の $10^{11}$ 倍である).

(4) 初期宇宙にクォークが $N+\Delta N$ 個,反クォークが $N$ 個あったとする.温度が下がると $N$ 対がすべて対消滅し,光子を作る.1 対から光子が 2 個できるので光子は $2N$ 個,生き残るバリオンは $\Delta N$ 個である(クォーク 3 個で 1 バリオンという因子 3 はここでは落とす.この因子を入れると本文 15.3.1 項の $\Delta N/N\approx6\eta=3.7\times10^{-9}$ になるが,どちらも「10 億分の数」の桁である).したがって

$$ \eta \approx \frac{\Delta N}{2N} \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{\Delta N}{N} \approx 2\eta = 2\times6.1\times10^{-10} = 1.22\times10^{-9} $$

すなわち,$10^{9}$ 個の反クォークに対してクォークが $10^{9}+1$ 個あった,という程度の微差である.いま我々の体を作っている原子は,その「$10$ 億分の $1$ の生き残り」にほかならない.

もし $\Delta N=0$ ならどうなるか.完全に対称なら,クォークと反クォークは対消滅で消えていくが,宇宙膨張によって密度が下がると対消滅率 $\Gamma=n\langle\sigma v\rangle$ が Hubble 率 $H$ を下回り,そこで反応が凍結する(本書15章の凍結条件).残るのは対称的な残存量で,$n_B/n_\gamma\sim10^{-18}$ 程度である.観測値 $6.1\times10^{-10}$ との差は

$$ \frac{6.1\times10^{-10}}{10^{-18}} = 6\times10^{8} $$

すなわち8 桁である.この 8 桁は,初期条件として非対称を置いて済ませられる量ではない(インフレーションがあれば,初期条件として置かれた非対称は薄められて消える).非対称は物理過程によって作り出されねばならない.これが Sakharov の3条件(バリオン数の破れ・$C$ と $CP$ の破れ・熱平衡からのずれ)を要求する論理である.

検算.独立な経路で $\rho_b$ を出して照合する.エネルギー密度として

$$ \rho_b c^2 = n_B\,m_pc^2 = 2.507\times10^{-7}\ \mathrm{cm^{-3}}\times0.9383\ \mathrm{GeV} = 2.352\times10^{-7}\ \mathrm{GeV/cm^3} = 0.235\ \mathrm{GeV/m^3} $$

表15.5 のバリオンの欄は $0.24\ \mathrm{GeV/m^3}$ で,一致する.また (3) の間隔と (1) の密度も互いに整合する.$(1.586\ \mathrm{m})^3=3.99\ \mathrm{m^3}$ で,$0.251\ \mathrm{m^{-3}}\times3.99\ \mathrm{m^3}=1.00$ 個.よい.

意味.$\eta=6\times10^{-10}$ という数は,宇宙論の観測から得られる素粒子物理への注文書である.標準模型はこの注文に応えられない.小林–益川の $CP$ の破れが作れる非対称は,本書15章が計算したとおり Jarlskog 不変量 $J=3.08\times10^{-5}$ に世代間の質量二乗差をすべて掛けた無次元量 $d_{CP}\sim10^{-20}$($T\sim100$ GeV)にとどまり,必要な $\eta\sim10^{-10}$ に10 桁足りない.しかも $m_H=125$ GeV では電弱相転移が一次転移にならずクロスオーバーになるので,第3条件(熱平衡からのずれ)が作れない.なお,(4) で扱った $10^{-18}$ は「非対称がまったく無い場合に対消滅の凍結で残る量」であって,$CP$ の破れが作る量とは別の数である.$m_H$ が測られた瞬間に,電弱バリオジェネシスという筋書きが一つ消えたのである.

代わって有力なのがレプトジェネシスで,本書14章の右巻き Majorana ニュートリノの非平衡崩壊でまずレプトン数非対称を作り,それをスファレロン過程がバリオン数に転換する.ニュートリノが軽いことと,宇宙に物質が残っていることが,同じ $M_R\sim10^{14\text{--}15}$ GeV という一つのスケールに帰着する——これがこの筋書きの魅力である.

なお (3) の「一辺 $1.6$ m に陽子 1 個」という数字は,材料科学の感覚を較正するのにも役立つ.固体中の原子数密度は $\sim5\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$ で,宇宙平均の $2\times10^{29}$ 倍である.我々が「物質」と呼んで扱っている対象は,宇宙全体で見れば異常に濃縮された例外的な状態にほかならない.

演習15.6 回転曲線から暗黒物質量を求める

問題(再掲)

本書15章の回転曲線の式 $v(r)=\sqrt{GM(r)/r}$ を用いる.$1\ \mathrm{kpc}=3.086\times10^{19}$ m,$G=6.674\times10^{-11}\ \mathrm{m^3kg^{-1}s^{-2}}$,$M_\odot=1.989\times10^{30}$ kg,$1\ \mathrm{kg}=5.610\times10^{26}\ \mathrm{GeV}/c^2$ とする.天の川銀河の回転速度は $r=8$ kpc から $50$ kpc まで $v=220$ km/s で平坦であるとする.

(1) $r=8$ kpc(太陽の位置)の内側の全質量 $M(<8\ \mathrm{kpc})$ を $M_\odot$ 単位で求めよ.

(2) $M(<50\ \mathrm{kpc})$ を求めよ.光っている物質の総量は約 $6\times10^{10}M_\odot$ である.暗黒物質は光る物質の何倍か.

(3) $v$ が一定なら $\rho(r)=v^2/(4\pi Gr^2)$ である.$r=8$ kpc での $\rho$ を $\mathrm{GeV/cm^3}$ 単位で求めよ.直接探索実験が標準的に用いる $0.3$–$0.4\ \mathrm{GeV/cm^3}$ と比べ,差が出る理由を述べよ.

(4) 局所密度を $0.4\ \mathrm{GeV/cm^3}$,$M_\chi=100$ GeV,相対速度 $220$ km/s とする.手のひら大($100\ \mathrm{cm^2}$)の面を毎秒何個の WIMP が通過するか.それでも検出されないのはなぜか.

解答

方針.使うのは本書15章の $v=\sqrt{GM(r)/r}$ を逆に解いた $M(r)=v^2r/G$ と,そこから微分して得られる $\rho(r)=v^2/4\pi Gr^2$ だけである.単位換算(kpc から m へ,kg から GeV へ)を丁寧にやることが本問の実質である.

(1) まず SI 単位に揃える.

$$ r = 8\ \mathrm{kpc} = 8\times3.086\times10^{19}\ \mathrm{m} = 2.4688\times10^{20}\ \mathrm{m} $$ $$ v = 220\ \mathrm{km/s} = 2.20\times10^{5}\ \mathrm{m/s}, \qquad v^2 = 4.84\times10^{10}\ \mathrm{m^2/s^2} $$

$M(r)=v^2r/G$ に入れる.

$$ M(<8\ \mathrm{kpc}) = \frac{4.84\times10^{10}\times2.4688\times10^{20}}{6.674\times10^{-11}} = \frac{1.1949\times10^{31}}{6.674\times10^{-11}} = 1.790\times10^{41}\ \mathrm{kg} $$

太陽質量で測ると

$$ M(<8\ \mathrm{kpc}) = \frac{1.790\times10^{41}}{1.989\times10^{30}} = 9.00\times10^{10}\,M_\odot $$

すなわち $9.0\times10^{10}$ 太陽質量である.

(2) $v$ が一定なら $M(r)=v^2r/G\propto r$ である.したがって半径を $8\to50$ kpc に伸ばすと質量は $50/8=6.25$ 倍になる.

$$ M(<50\ \mathrm{kpc}) = 9.00\times10^{10}\times6.25 = 5.63\times10^{11}\,M_\odot $$

光っている物質 $6\times10^{10}M_\odot$ と比べると,全質量は

$$ \frac{5.63\times10^{11}}{6\times10^{10}} = 9.4\ \text{倍} $$

である.そのうち光る成分を差し引いた暗黒成分だけを取れば

$$ \frac{5.63\times10^{11}-6\times10^{10}}{6\times10^{10}} = \frac{5.03\times10^{11}}{6\times10^{10}} = 8.4\ \text{倍} $$

となる.いずれにせよ光らない質量が光る質量の 8–9 倍あるという結論は動かない.図15.5 の説明文にある「9 倍」は前者の数え方である.

(3) $\rho(r)=v^2/(4\pi Gr^2)$ に $r=2.4688\times10^{20}$ m を入れる.$r^2=6.0950\times10^{40}\ \mathrm{m^2}$,$4\pi G=4\pi\times6.674\times10^{-11}=8.3865\times10^{-10}$ である.

$$ \rho = \frac{4.84\times10^{10}}{8.3865\times10^{-10}\times6.0950\times10^{40}} = \frac{4.84\times10^{10}}{5.1117\times10^{31}} = 9.468\times10^{-22}\ \mathrm{kg/m^3} $$

自然単位に直す.$1\ \mathrm{kg}=5.610\times10^{26}\ \mathrm{GeV}/c^2$ だから

$$ \rho = 9.468\times10^{-22}\times5.610\times10^{26} = 5.312\times10^{5}\ \mathrm{GeV/m^3} $$ $$ = \frac{5.312\times10^{5}}{10^{6}}\ \mathrm{GeV/cm^3} = 0.531\ \mathrm{GeV/cm^3} $$

直接探索実験が使う $0.3$–$0.4\ \mathrm{GeV/cm^3}$ より $30$–$80\ \%$ 大きく出る.理由は,ここで使ったのが$\rho\propto r^{-2}$ の等温球という単純化だからである.この模型は,銀河の質量がすべて暗黒物質ハローによって担われていると仮定している.実際には太陽の位置での回転速度には,円盤の星とガス,および中心のバルジが相当の寄与をしている(図15.5 の青い破線と緑の曲線).$v^2=v_{\rm disk}^2+v_{\rm gas}^2+v_{\rm halo}^2$ と分解すると,ハローだけの寄与 $v_{\rm halo}$ は $220$ km/s より小さく,$\rho\propto v_{\rm halo}^2$ だから局所密度も小さくなる.さらに実際のハローは中心付近で $r^{-2}$ より緩い(NFW プロファイルなど)ことも効く.

(4) 数密度は質量密度を 1 個あたりの質量で割る.

$$ n_\chi = \frac{0.4\ \mathrm{GeV/cm^3}}{100\ \mathrm{GeV}} = 4\times10^{-3}\ \mathrm{cm^{-3}} $$

流束(単位面積・単位時間あたりの通過数)は $n_\chi v$ である.$v=220\ \mathrm{km/s}=2.2\times10^{7}\ \mathrm{cm/s}$ だから

$$ \Phi = n_\chi v = 4\times10^{-3}\times2.2\times10^{7} = 8.8\times10^{4}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}} $$

手のひら大の $100\ \mathrm{cm^2}$ を通過する数は

$$ 8.8\times10^{4}\times100 = 8.8\times10^{6}\ \text{個/秒} $$

毎秒 $880$ 万個である.いま,この文章を読んでいるあなたの手のひらを,そのくらいの暗黒物質が通り抜けている(仮説が正しければ).

それでも検出されない理由は,ただ一つ断面積が小さいことである.現在の上限は核子あたり $\sigma_p\lesssim10^{-47}\ \mathrm{cm^2}$ で,核子の核反応断面積 $\sim10^{-24}\ \mathrm{cm^2}$(バーン)の $10^{-23}$ 倍しかない(本書15章が挙げる最新値は LZ の $2.2\times10^{-48}\ \mathrm{cm^2}$($m_\chi=40$ GeV,2024 年)で,以下の見積もりはさらに $4.5$ 倍きつくなる).平均自由行程を見積もってみよう.地球の平均密度 $5.5\ \mathrm{g/cm^3}$,平均質量数 $\bar A\approx30$ とすると原子核の数密度は

$$ n_N = \frac{5.5}{30\times1.66\times10^{-24}} = 1.1\times10^{23}\ \mathrm{cm^{-3}} $$

スピン非依存散乱ではコヒーレントな増幅 $\sigma_N=\sigma_p A^2(\mu_N/\mu_p)^2$ が効く.$M_\chi=100$ GeV,$m_N=30\times0.9315=28$ GeV とすると換算質量は $\mu_N=21.8$ GeV,$\mu_p=0.930$ GeV なので $(\mu_N/\mu_p)^2=550$,$A^2=900$ である.

$$ \sigma_N = 10^{-47}\times900\times550 = 5.0\times10^{-42}\ \mathrm{cm^2} $$ $$ \lambda = \frac{1}{n_N\sigma_N} = \frac{1}{1.1\times10^{23}\times5.0\times10^{-42}} = 1.8\times10^{18}\ \mathrm{cm} = 1.8\times10^{16}\ \mathrm{m} \approx 1.9\ \text{光年} $$

地球の直径 $1.27\times10^{7}$ m の $1.4\times10^{9}$ 倍である.地球は暗黒物質に対してほぼ完全に透明であり,1 個の WIMP が地球を貫通するあいだに散乱する確率は $10^{-9}$ 程度しかない.だから検出器は,大きな標的質量と長い露光時間と,徹底した背景の除去でこれを補うしかない.

検算.次元を確認する.$v^2r/G$ は $(\mathrm{m^2/s^2})(\mathrm{m})/(\mathrm{m^3kg^{-1}s^{-2}})=\mathrm{kg}$ で質量になる.$v^2/(4\pi Gr^2)$ は $(\mathrm{m^2/s^2})/(\mathrm{m^3kg^{-1}s^{-2}}\cdot\mathrm{m^2})=\mathrm{kg/m^3}$ で密度になる.どちらも正しい.

(1) と (3) の整合も見る.$\rho=v^2/(4\pi Gr^2)$ を球殻で積分すると

$$ M(r) = \int_0^r 4\pi r'^2\,\frac{v^2}{4\pi Gr'^2}\,\dd r' = \frac{v^2 r}{G} $$

で,たしかに (1) で使った式に戻る.さらに (3) の結果を宇宙平均と比べると,表15.5 の暗黒物質の平均密度は $1.3\ \mathrm{GeV/m^3}$ だから

$$ \frac{0.531\times10^{6}\ \mathrm{GeV/m^3}}{1.3\ \mathrm{GeV/m^3}} = 4\times10^{5} $$

すなわち太陽近傍の暗黒物質密度は宇宙平均の $40$ 万倍である.銀河という構造がそれだけ物質を集めた,ということで,桁として妥当である.

意味.回転曲線は,暗黒物質の四つの独立な証拠(回転曲線・重力レンズ・弾丸銀河団・CMB)のうち最も古く,最も単純である.必要なのは Newton 力学と Doppler 効果だけで,一般相対論も宇宙論も要らない.(2) の「$8$–$9$ 倍」という比は,$\Omega_{\rm DM}/\Omega_b=0.264/0.0493=5.4$ という宇宙全体の比と同じ桁であり,まったく異なる観測が同じ結論を指している.

(4) の $8.8\times10^{6}$ 個/秒という数字と,$1.9$ 光年という平均自由行程の対比が,暗黒物質探索の困難を要約している.流束は膨大なのに反応しない.だから感度を上げる道は,標的質量を増やすか,閾値を下げるか,背景を減らすかしかない.そしてそのすべてが材料の問題である.どれだけ大きな結晶を育てられるか(15.6.4 項),どれだけ低い温度でどれだけ小さな熱容量を作れるか($\Delta E=\sqrt{k_BT^2C}$),どれだけ $^{238}$U を除けるか($<8\times10^{-14}$ g/g).素粒子物理の最前線が材料科学の最前線と接するのは,まさにこの一点においてである.

演習15.7 標的核の選び方 —— 反跳エネルギーとコヒーレンス

問題(再掲)

本書15章の反跳エネルギーの式 $E_R^{\max}=2\mu^2v^2/m_N$($\mu=M_\chi m_N/(M_\chi+m_N)$)を用いる.$v=220$ km/s($v^2=5.386\times10^{-7}c^2$),核質量は $m_N=A\times0.9315$ GeV とする.

(1) この式を $m_N$ の関数と見て極大を与える $m_N$ を求めよ.結果を言葉で述べよ.

(2) $M_\chi=5$ GeV に対して,Si($A=28.1$),Ge($A=72.6$),Xe($A=131.3$)の $E_R^{\max}$ をそれぞれ keV 単位で求めよ.

(3) (1) の結果から,$M_\chi=5$ GeV に最適な標的の質量数 $A$ を求めよ.どんな元素が該当するか.

(4) スピン非依存散乱では $\sigma_N\propto A^2\mu_N^2$ である.重い核が断面積で有利であるにもかかわらず,$M_\chi\lesssim10$ GeV の探索で Si や超流動 $^4$He が使われる理由を,(2)(3) と表15.8 を踏まえて説明せよ.

解答

方針.(1) は一変数の微分だけである.換算質量 $\mu$ が $m_N$ を含むので,まず $\mu$ を展開して $m_N$ だけの式に直してから微分するのがこつである.(2)(3) は代入.(4) は運動学($E_R$)と断面積($A^2$)という二つの競合する要求を,検出器の閾値という第三の条件と突き合わせる議論になる.

(1) $\mu=M_\chi m_N/(M_\chi+m_N)$ を代入して $m_N$ の関数として書き下す.

$$ E_R^{\max}(m_N) = \frac{2\mu^2v^2}{m_N} = \frac{2v^2}{m_N}\cdot\frac{M_\chi^2m_N^2}{(M_\chi+m_N)^2} = 2M_\chi^2v^2\,\frac{m_N}{(M_\chi+m_N)^2} $$

$m_N$ で微分する.商の微分法により

$$ \frac{\dd}{\dd m_N}\frac{m_N}{(M_\chi+m_N)^2} = \frac{(M_\chi+m_N)^2 - m_N\cdot2(M_\chi+m_N)}{(M_\chi+m_N)^4} = \frac{(M_\chi+m_N)-2m_N}{(M_\chi+m_N)^3} = \frac{M_\chi-m_N}{(M_\chi+m_N)^3} $$

したがって

$$ \frac{\dd E_R^{\max}}{\dd m_N} = 2M_\chi^2v^2\,\frac{M_\chi-m_N}{(M_\chi+m_N)^3} $$

分母は正なので,導関数の符号は $M_\chi-m_N$ の符号で決まる.$m_N<M_\chi$ で正,$m_N>M_\chi$ で負.よって

$$ m_N = M_\chi \quad\text{で極大} $$

そのときの値は

$$ E_R^{\max}\big|_{m_N=M_\chi} = 2M_\chi^2v^2\,\frac{M_\chi}{(2M_\chi)^2} = \frac{M_\chi v^2}{2} $$

言葉にすれば,WIMP の質量と標的核の質量が等しいとき,エネルギー移行が最大になる.これは弾性散乱一般の性質で,ビリヤードで同じ質量の球を正面から撞くと運動量を完全に受け渡せるのと同じである(中性子の減速材に水や黒鉛のような軽い元素を使うのも,まったく同じ理由による).本書15章のステップ3が述べた二つの極限,$M_\chi\gg m_N$ で $E_R^{\max}\to2m_Nv^2$(軽い的は速度 $2v$ で勢いよく飛ぶが,質量が小さいのでエネルギーを運べない),$M_\chi\ll m_N$ で $E_R^{\max}\to2M_\chi^2v^2/m_N$(軽い弾丸は重い的を動かせない)が,$m_N=M_\chi$ で釣り合う.

(2) $M_\chi=5$ GeV,$v^2=5.386\times10^{-7}$($c=1$ の単位)とする.核質量と換算質量を順に作る.

Si($A=28.1$):

$$ m_N = 28.1\times0.9315 = 26.175\ \mathrm{GeV}, \qquad \mu = \frac{5\times26.175}{5+26.175} = \frac{130.88}{31.175} = 4.1981\ \mathrm{GeV} $$ $$ E_R^{\max} = \frac{2\times(4.1981)^2\times5.386\times10^{-7}}{26.175} = \frac{2\times17.624\times5.386\times10^{-7}}{26.175} = \frac{1.8985\times10^{-5}}{26.175} $$ $$ = 7.253\times10^{-7}\ \mathrm{GeV} = 0.725\ \mathrm{keV} $$

Ge($A=72.6$):

$$ m_N = 72.6\times0.9315 = 67.627\ \mathrm{GeV}, \qquad \mu = \frac{5\times67.627}{72.627} = 4.6558\ \mathrm{GeV} $$ $$ E_R^{\max} = \frac{2\times21.676\times5.386\times10^{-7}}{67.627} = 3.453\times10^{-7}\ \mathrm{GeV} = 0.345\ \mathrm{keV} $$

Xe($A=131.3$):

$$ m_N = 131.3\times0.9315 = 122.31\ \mathrm{GeV}, \qquad \mu = \frac{5\times122.31}{127.31} = 4.8036\ \mathrm{GeV} $$ $$ E_R^{\max} = \frac{2\times23.075\times5.386\times10^{-7}}{122.31} = 2.032\times10^{-7}\ \mathrm{GeV} = 0.203\ \mathrm{keV} $$

Si は Xe の $0.725/0.203=3.6$ 倍の反跳エネルギーを与える.なお $\mu$ 自身は $4.20$,$4.66$,$4.80$ とほとんど変わらない($M_\chi=5$ GeV より核がずっと重いので $\mu\to M_\chi=5$ GeV に飽和している).差を作っているのは分母の $m_N$ である.

(3) (1) より最適条件は $m_N=M_\chi=5$ GeV であるから

$$ A_{\rm opt} = \frac{5\ \mathrm{GeV}}{0.9315\ \mathrm{GeV}} = 5.4 $$

該当するのはヘリウム($A=4$)とリチウム($A=7$)である.そのときの反跳エネルギーは

$$ E_R^{\max} = \frac{M_\chi v^2}{2} = \frac{5\times5.386\times10^{-7}}{2} = 1.347\times10^{-6}\ \mathrm{GeV} = 1.35\ \mathrm{keV} $$

(2) の結果をこの最大値と比べると,Si は $0.725/1.347=54\ \%$,Ge は $26\ \%$,Xe は $15\ \%$ しか引き出せていない.実際,超流動 $^4$He を用いる HeRALD(提案段階),軽い O を含む $\mathrm{Al_2O_3}$ サファイアや $\mathrm{CaWO_4}$(CRESST-III),Si を使う SuperCDMS・SENSEI・DAMIC-M が,軽い暗黒物質探索に用いられているのはこの理由による($\mathrm{Li_2MoO_4}$ ボロメータを使う CROSS は $^{100}$Mo の $0\nu\beta\beta$ 探索であって,暗黒物質探索ではない).

(4) 二つの要求が正面から衝突する.断面積は

$$ \sigma_N = \sigma_p\,A^2\,\frac{\mu_N^2}{\mu_p^2}\,F^2(q) $$

で,$A^2$ は Si の $789$ に対し Xe が $17240$ と $21.8$ 倍.$\mu_N^2$ も Xe の方が $(4.804/4.198)^2=1.31$ 倍大きい.合わせてXe は Si の $28.6$ 倍の断面積をもつ.素朴には Xe の圧勝である.

ところが検出器には閾値がある.液体 Xe 二相 TPC の核反跳閾値は $\sim1\ \mathrm{keV_{nr}}$ 程度であり,(2) で求めた $M_\chi=5$ GeV での最大反跳エネルギー $0.203$ keV は,これを大きく下回る.しかも $0.203$ keV は「最大値」であって,実際の反跳エネルギー分布は $0$ から $E_R^{\max}$ までほぼ一様に広がるうえ,速度分布の裾しか閾値を超えられない.閾値以下の事象は,断面積がいくら大きくても一つも数えられない.$28.6$ 倍の断面積に $0$ を掛ければ $0$ である.

軽い標的なら二重に有利になる.第一に,同じ WIMP がより大きな反跳を与える(Si は Xe の $3.6$ 倍).第二に,軽い標的で使える読み出し技術の方が閾値が低い.表15.8 と本書15章の図15.6 が示すように,CRESST-III の $\mathrm{Al_2O_3}$/$\mathrm{CaWO_4}$ ボロメータは閾値 $30$ eV,Si スキッパー CCD(SENSEI,DAMIC-M)は電離を単一電子・正孔対(Si では 1 対あたり平均 $3.7$ eV を要し,閾値はバンドギャップの $1.1$–$1.2$ eV)の分解能で数えられる.$A^2$ で $20$ 倍の損をしても,閾値を $1$ keV から $30$ eV へ,あるいは eV の桁へ下げれば,感度の得は桁で返ってくる.

まとめると,質量領域ごとに答えが変わる.$M_\chi\sim100$ GeV では Xe が最良(表15.8 でも $E_R^{\max}=26.7$ keV と閾値に対して十分大きく,$A^2$ の利得がそのまま効く).$M_\chi\lesssim10$ GeV では運動学が支配し,Si・$^4$He・O を含む酸化物が勝つ.CRESST-III が $\mathrm{CaWO_4}$ を使うのは,重い W(高い $A^2$)と軽い O(軽い WIMP への運動学的感度)を一つの結晶に同居させられるからである.標的材料の選択は,そのまま探索する暗黒物質の質量領域の選択である.

検算.次元を見る.$\mu^2v^2/m_N$ は $\mathrm{GeV^2}\cdot(\text{無次元})/\mathrm{GeV}=\mathrm{GeV}$ でエネルギーになる.正しい($v$ を $c=1$ の単位で測っているので $v^2$ は無次元である).

極限でも確かめる.$M_\chi\ll m_N$ なら $\mu\to M_\chi$ で $E_R^{\max}\to2M_\chi^2v^2/m_N$ である.Xe に適用すると

$$ \frac{2\times25\times5.386\times10^{-7}}{122.31} = 2.202\times10^{-7}\ \mathrm{GeV} = 0.220\ \mathrm{keV} $$

厳密な $0.203$ keV と $8\ \%$ で一致する($M_\chi/m_N=0.041$ なので,この程度のずれは妥当である).また表15.8 を同じ式で再現できることも確認できる.$M_\chi=1$ GeV の Si は $38.2$ eV,$M_\chi=100$ GeV の Xe は $26.7$ keV となり,表の値と一致する.

意味.この演習の結論は,素粒子物理の実験計画がそのまま材料選択の問題になっているということである.探したい粒子の質量を決めれば,最適な標的核の質量数が決まる($A\approx M_\chi/0.93$ GeV).しかしその元素で大型・高純度・低放射能の結晶や液体が作れるかは,まったく別の問題である.Xe は自己遮蔽が効き二チャンネル弁別ができるが希少で高価,Ge は超高純度単結晶が育つが $^{68}$Ge の宇宙線生成核種が問題になる,$\mathrm{CaWO_4}$ は運動学的に広い範囲を覆えるが結晶育成の放射能清浄度が難しい,といった具合である.

フォノンを扱う立場から見ると,(4) の「閾値をどこまで下げられるか」は本質的に比熱と Debye 温度の問題である.本書15章の $\Delta E=\sqrt{k_BT^2C}$ と Debye 模型の $C\propto(T/\Theta_D)^3$ を組み合わせると $\Delta E\propto T^{5/2}\Theta_D^{-3/2}$ となり,Debye 温度の高い硬い材料ほど有利になる.$\mathrm{Al_2O_3}$($\Theta_D\approx1040$ K)が CRESST で使われる理由の一半はここにある.軽い元素で構成された硬い酸化物という要求は,運動学と熱力学の両方から同時に出てくるのである.

演習15.8 宇宙定数問題 —— 120 桁を自分で出す

問題(再掲)

$H_0=67.4\ \mathrm{km\,s^{-1}Mpc^{-1}}$,$1\ \mathrm{Mpc}=3.086\times10^{22}$ m,$G=6.674\times10^{-11}$,$\Omega_\Lambda=0.685$,$\hbar c=1.973\times10^{-16}\ \mathrm{GeV\,m}$,$1\ \mathrm{GeV}=1.602\times10^{-10}$ J とする.

(1) $\rho_c=3H_0^2/8\pi G$ を $\mathrm{kg/m^3}$ 単位で求め,$\rho_\Lambda$ を求めよ.

(2) $\rho_\Lambda c^2$ を $\mathrm{J/m^3}$ で表し,さらに $\mathrm{GeV^4}$ 単位に直せ($1\ \mathrm{GeV^4}=2.086\times10^{37}\ \mathrm{J/m^3}$).

(3) $\rho_\Lambda^{1/4}$ を meV 単位で求めよ.CMB の温度に対応する $k_BT_0$($T_0=2.7255$ K)と比べよ.

(4) 場の理論の素朴な予言 $\rho_{\rm vac}\sim\Lambda^4$ について,$\Lambda=M_{\rm Pl}=1.22\times10^{19}$ GeV と $\Lambda=\Lambda_{\rm QCD}=0.2$ GeV のそれぞれで $\rho_{\rm vac}/\rho_\Lambda$ を求めよ.また $\rho_\Lambda c^2$ を「1 立方メートルあたり何個の陽子の静止エネルギーに相当するか」で言い換えよ.

解答

方針.やることは単位換算だけである.しかし,SI($\mathrm{kg/m^3}$)から自然単位($\mathrm{GeV^4}$)へ渡すところに,この問題の全部が詰まっている.自然単位でエネルギー密度が $[\mathrm{GeV^4}]$ になるのは,エネルギー $[\mathrm{GeV}]$ を体積 $[\mathrm{GeV^{-3}}]$(長さが $\hbar c/E$ だから)で割るからである.最後に 4 乗根を取って,$\rho_\Lambda$ を「エネルギースケール」として読み替える.

(1) まず $H_0$ を SI に直す.$67.4\ \mathrm{km/s}=6.74\times10^{4}\ \mathrm{m/s}$ を $1\ \mathrm{Mpc}=3.086\times10^{22}$ m で割る.

$$ H_0 = \frac{6.74\times10^{4}\ \mathrm{m/s}}{3.086\times10^{22}\ \mathrm{m}} = 2.184\times10^{-18}\ \mathrm{s^{-1}} $$

(逆数を取ると $4.58\times10^{17}$ s $=1.45\times10^{10}$ 年で,宇宙年齢の桁である.)臨界密度は

$$ \rho_c = \frac{3H_0^2}{8\pi G} = \frac{3\times(2.184\times10^{-18})^2}{8\pi\times6.674\times10^{-11}} = \frac{3\times4.770\times10^{-36}}{1.6774\times10^{-9}} $$ $$ = \frac{1.4310\times10^{-35}}{1.6774\times10^{-9}} = 8.53\times10^{-27}\ \mathrm{kg/m^3} $$

水素原子 $5$ 個分/$\mathrm{m^3}$ という有名な数である($8.53\times10^{-27}/1.673\times10^{-27}=5.10$ 個).演習15.5 で与えられていた $\rho_c=8.54\times10^{-27}\ \mathrm{kg/m^3}$ とは最終桁だけが違うが,これは丸めの差であって($1.4310/1.6774=0.8531$),$0.1\ \%$ 以内で同じ数である.暗黒エネルギーの分は

$$ \rho_\Lambda = \Omega_\Lambda\,\rho_c = 0.685\times8.53\times10^{-27} = 5.84\times10^{-27}\ \mathrm{kg/m^3} $$

(2) $c=2.998\times10^{8}$ m/s より $c^2=8.988\times10^{16}\ \mathrm{m^2/s^2}$ である.

$$ \rho_\Lambda c^2 = 5.84\times10^{-27}\times8.988\times10^{16} = 5.25\times10^{-10}\ \mathrm{J/m^3} $$

与えられた換算 $1\ \mathrm{GeV^4}=2.086\times10^{37}\ \mathrm{J/m^3}$ で割る.

$$ \rho_\Lambda = \frac{5.25\times10^{-10}}{2.086\times10^{37}} = 2.52\times10^{-47}\ \mathrm{GeV^4} $$

換算係数そのものも確かめておく.$1$ GeV のエネルギーを,1 GeV に対応する Compton 波長の立方体に詰めると

$$ \left(\frac{\hbar c}{1\ \mathrm{GeV}}\right)^3 = (1.973\times10^{-16}\ \mathrm{m})^3 = 7.68\times10^{-48}\ \mathrm{m^3} $$ $$ 1\ \mathrm{GeV^4} = \frac{1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J}}{7.68\times10^{-48}\ \mathrm{m^3}} = 2.086\times10^{37}\ \mathrm{J/m^3} $$

たしかに与えられた値になる.

(3) 4 乗根は平方根を 2 回取れば求まる.手で計算するこつは,$10$ の指数がつねに偶数になるように仮数の桁を動かしておくことである.1 回目は $-47$ を $-48$ にずらす.

$$ \left(2.52\times10^{-47}\right)^{1/2} = \left(25.2\times10^{-48}\right)^{1/2} = \sqrt{25.2}\times10^{-24} = 5.020\times10^{-24} $$

2 回目は $-24$ をそのまま半分にできるが,$\sqrt{5.020}=2.240$ を使うより,$-26$ にずらして $\sqrt{502.0}=22.41$ を使う方が有効数字を保ちやすい.

$$ \left(5.020\times10^{-24}\right)^{1/2} = \left(502.0\times10^{-26}\right)^{1/2} = \sqrt{502.0}\times10^{-13} = 22.41\times10^{-13} $$

したがって

$$ \rho_\Lambda^{1/4} = 2.241\times10^{-12}\ \mathrm{GeV} = 2.24\times10^{-3}\ \mathrm{eV} = 2.24\ \mathrm{meV} $$

ミリ電子ボルトである.CMB の温度に対応するエネルギーは

$$ k_BT_0 = 8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}\times2.7255\ \mathrm{K} = 2.349\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = 0.235\ \mathrm{meV} $$

だから

$$ \frac{\rho_\Lambda^{1/4}}{k_BT_0} = \frac{2.24}{0.235} = 9.5 $$

ちょうど $10$ 倍程度である.両者が近いことに深い意味があるかは分かっていない(偶然の一致だとする見方が主流である).重要なのは,$2.24$ meV が素粒子物理の他のどのスケールとも似ていないということである.電弱スケール $246$ GeV の $10^{14}$ 分の 1,QCD スケール $0.2$ GeV の $10^{11}$ 分の 1,電子質量の $2\times10^{8}$ 分の 1,ニュートリノ質量($\sim50$ meV)ですらこれより 20 倍大きい.なお波長に直せば $hc/E=1240\ \mathrm{eV\,nm}/2.24\times10^{-3}\ \mathrm{eV}=5.5\times10^{5}$ nm $=0.55$ mm で,遠赤外・テラヘルツ領域の光子に相当する.

(4) Planck 質量でカットオフを取ると

$$ M_{\rm Pl}^4 = (1.22\times10^{19})^4 = 2.215\times10^{76}\ \mathrm{GeV^4} $$ $$ \frac{\rho_{\rm vac}}{\rho_\Lambda} = \frac{2.215\times10^{76}}{2.52\times10^{-47}} = 8.8\times10^{122} $$

すなわち $123$ 桁の過大評価である(係数 $1/16\pi^2$ を入れても $10^{2.2}$ しか下がらず,$121$ 桁である).QCD スケールまで下げると

$$ \Lambda_{\rm QCD}^4 = (0.2)^4 = 1.6\times10^{-3}\ \mathrm{GeV^4} $$ $$ \frac{\rho_{\rm vac}}{\rho_\Lambda} = \frac{1.6\times10^{-3}}{2.52\times10^{-47}} = 6.35\times10^{43} $$

$44$ 桁であり,表15.6 の $6.3\times10^{43}$ と一致する.QCD スケールは「明らかに存在することが分かっている最も低いスケール」——カイラル凝縮 $\braket{\bar qq}\ne0$ もグルーオン凝縮も実在する——であるから,これは逃げようのない下限に近い.表15.6 が示すとおり,どこで切っても救われない.

陽子換算をする.$\rho_\Lambda c^2=5.25\times10^{-10}\ \mathrm{J/m^3}$ を GeV に直すと

$$ \frac{5.25\times10^{-10}\ \mathrm{J/m^3}}{1.602\times10^{-10}\ \mathrm{J/GeV}} = 3.28\ \mathrm{GeV/m^3} $$

陽子の静止エネルギー $m_pc^2=0.938$ GeV で割ると

$$ \frac{3.28}{0.938} = 3.5\ \text{個} $$

すなわち$1\ \mathrm{m^3}$ あたり陽子 $3.5$ 個分である.宇宙のエネルギーの $68.5\ \%$ を占め,宇宙膨張を加速させている成分の密度が,たったこれだけである.

検算.表15.5 と照合する.表の暗黒エネルギーの欄は $3.3\ \mathrm{GeV/m^3}$ で,上で求めた $3.28\ \mathrm{GeV/m^3}$ と一致する.独立な確認になっている.

次元も見る.$3H_0^2/8\pi G$ は $\mathrm{s^{-2}}/(\mathrm{m^3kg^{-1}s^{-2}})=\mathrm{kg/m^3}$ で密度になる.正しい.また 4 乗根の桁も概算で照合できる.$\rho_\Lambda=2.52\times10^{-47}\ \mathrm{GeV^4}$ の指数 $-47$ を 4 で割ると $-11.75$ だから $\rho_\Lambda^{1/4}\sim10^{-11.75}=1.8\times10^{-12}$ GeV で,得られた $2.24\times10^{-12}$ GeV と桁が合う.

もう一つ,(4) の二つの比の関係も整合する.$M_{\rm Pl}/\Lambda_{\rm QCD}=1.22\times10^{19}/0.2=6.1\times10^{19}$ で,その 4 乗は $1.385\times10^{79}$.これを $6.35\times10^{43}$ に掛けると $8.8\times10^{122}$ となり,Planck の場合と一致する.

意味.$10^{122}$ という数は,物理学で知られている理論と実験の最悪の不一致である.階層性問題の $10^{32}$ ですら,これに比べれば可愛らしい.しかも階層性問題と違って,超対称性のような既知の対称性では解けない.超対称性が完全なら,ボソンとフェルミオンの零点エネルギーが厳密に相殺してゼロになるが,超対称性は破れており,破れのスケール($>1$ TeV)で切っても $(1\ \mathrm{TeV})^4/\rho_\Lambda=4\times10^{58}$ 倍が残る.

本書15章が指摘する非対称が,ここでは決定的である.物性物理では零点エネルギーは実在の効果として観測される.Casimir 力($d=100$ nm で $13\ \mathrm{N/m^2}$,MEMS の設計で実際に問題になる),van der Waals 力,そして格子振動の零点エネルギー $\sum_{\qq s}\hbar\omega_{\qq s}/2$(第一原理フォノン計算で日常的に扱う量)——どれも本物である.ところが,これらに共通するのは測っているのが必ず「差」だという点である.板を動かしたときの変化,同位体を置換したときの変化,体積を変えたときの変化(Grüneisen パラメータ).絶対値は決して観測量に現れない.

フォノン計算をする者にとって,これは日常そのものである.零点振動エネルギーの絶対値は基底状態エネルギーの原点に吸収されてしまい,意味をもつのは体積依存性 $\partial(\sum\hbar\omega/2)/\partial V$(これが負の熱膨張の議論に効く)や同位体差だけである.「エネルギーの原点は任意」という便利な逃げ道を我々が持てるのは,重力を無視できるからにほかならない.重力だけがエネルギーの絶対値に結合する.重力を入れた瞬間に,普段捨てている定数項が観測量になってしまう.宇宙定数問題の本質は,この一行に尽きる.

E.16 第16章 素粒子物理と材料科学の接点 の解答

演習16.1 D$^3$He 反応のエネルギー配分

問題(再掲)

$\mathrm{D}+{}^{3}\mathrm{He}\to{}^{4}\mathrm{He}+p$ を考える.核質量は $m_d=1875.6127$,$m_{{}^3\mathrm{He}}=2808.3915$,$m_\alpha=3727.3794$,$m_p=938.2721\ \mathrm{MeV}$ である.

(1) $Q$ 値を求めよ.

(2) 本書16章の相対論的厳密解($T_n = Q(Q+2m_\alpha)/2W$ の形の式)と同じ形の式を使って,$p$ と $\alpha$ の運動エネルギーを求めよ.

(3) 質量数を $4:1$ とした非相対論近似の値と比べ,相対誤差を求めよ.

(4) この反応は「無中性子(aneutronic)」と呼ばれるが,実際の D$^3$He プラズマからは中性子が出る.どこから出るか,表16.2 を見て説明せよ.

解答

方針.本書16.1.1項でDT反応に対して行った手続きを,そっくりそのまま D$^3$He に移すだけである.道具は第4章の4元運動量保存だけで,核構造は一切要らない.始状態を静止した2粒子系とみなし,その不変質量 $W$ をもつ「粒子」が2体に崩壊する問題に読み替える.

(1) $Q$ 値は始状態と終状態の静止質量の差である.始状態の和は

$$ M_i = m_d + m_{{}^3\mathrm{He}} = 1875.6127 + 2808.3915 = 4684.0042\ \mathrm{MeV} $$

終状態の和は

$$ M_f = m_\alpha + m_p = 3727.3794 + 938.2721 = 4665.6515\ \mathrm{MeV} $$

したがって

$$ Q = M_i - M_f = 4684.0042 - 4665.6515 = 18.3527\ \mathrm{MeV} $$

である.DT の $Q=17.5888\ \mathrm{MeV}$ よりわずかに大きい.核子1個あたりでは $18.3527/5 = 3.67\ \mathrm{MeV}$ で,これも DT の $3.52\ \mathrm{MeV}$ を上回る.エネルギー的にはむしろ D$^3$He の方が「おいしい」燃料である.問題は次の演習16.2で見るように,そこへ到達できるかどうかにある.

(2) D と ${}^3$He が静止した状態から始めると,系の不変質量は $W=\sqrt{s}=M_i = 4684.0042\ \mathrm{MeV}$ である.終状態は $\alpha$ と $p$ の2体で,重心系では $\bm{p}_\alpha=-\bm{p}_p$ である.本書16.1.1項の導出をそのまま使えばよい.そこでは,中性子側について

$$ T_n = \frac{Q\,(Q+2m_\alpha)}{2W} $$

という形を得た.この式の作り方を振り返ると,「$T_X = E_X - m_X$ を計算すると,相手粒子 $Y$ の質量だけが $Q$ と組んで残り,$X$ 自身の質量が完全に消える」という構造であった.つまり着目粒子の運動エネルギーには相手の質量が現れる.したがって今の場合,$\alpha$ の相手は $p$,$p$ の相手は $\alpha$ であるから

$$ T_p = \frac{Q\,(Q+2m_\alpha)}{2W}, \qquad T_\alpha = \frac{Q\,(Q+2m_p)}{2W} $$

である.数値を入れる.まず分母は $2W = 9368.0084\ \mathrm{MeV}$.陽子については

$$ T_p = \frac{18.3527\times(18.3527 + 2\times3727.3794)}{9368.0084} = \frac{18.3527\times7473.1115}{9368.0084} = \frac{1.371518\times10^{5}}{9368.0084} = 14.6404\ \mathrm{MeV} $$

$\alpha$ 粒子については

$$ T_\alpha = \frac{18.3527\times(18.3527 + 2\times938.2721)}{9368.0084} = \frac{18.3527\times1894.8969}{9368.0084} = \frac{3.477647\times10^{4}}{9368.0084} = 3.7123\ \mathrm{MeV} $$

である.念のため,元の2体崩壊の式からも出しておく.$W^2 = 2.193990\times10^{7}$,$m_p^2 = 8.80355\times10^{5}$,$m_\alpha^2=1.389336\times10^{7}\ \mathrm{MeV^2}$ なので

$$ E_p = \frac{W^2 + m_p^2 - m_\alpha^2}{2W} = \frac{2.193990\times10^{7} + 0.0880355\times10^{7} - 1.389336\times10^{7}}{9368.0084} = 952.9125\ \mathrm{MeV} $$ $$ T_p = E_p - m_p = 952.9125 - 938.2721 = 14.6404\ \mathrm{MeV}\quad\checkmark $$

両者は完全に一致する.なお共通の重心系運動量は $p^*=\sqrt{E_p^2-m_p^2}=166.40\ \mathrm{MeV}$ である.

(3) 非相対論近似では,運動量が等しく逆向き($p_\alpha=p_p$)で $T=p^2/2m$ だから $T_\alpha/T_p = m_p/m_\alpha$ となる.これを質量数 $1:4$ で代用すると,$T_p:T_\alpha = 4:1$,すなわち

$$ T_p^{\rm approx} = \tfrac45 Q = \tfrac45\times18.3527 = 14.6822\ \mathrm{MeV}, \qquad T_\alpha^{\rm approx} = \tfrac15 Q = 3.6705\ \mathrm{MeV} $$

相対誤差は

$$ \frac{T_p^{\rm approx}-T_p}{T_p} = \frac{14.6822-14.6404}{14.6404} = +2.85\times10^{-3} = +0.28\% $$ $$ \frac{T_\alpha^{\rm approx}-T_\alpha}{T_\alpha} = \frac{3.6705-3.7123}{3.7123} = -1.12\times10^{-2} = -1.12\% $$

である.陽子側では $0.3\%$ だが,$\alpha$ 側では $1.1\%$ に達する.これは驚くことではない.エネルギーの絶対的なずれは両者で同じ $0.042\ \mathrm{MeV}$ であり(配分の和は $Q$ で固定されているから,片方が得をすれば他方が損をする),それを小さい方の $T_\alpha=3.71\ \mathrm{MeV}$ で割れば相対誤差は約4倍になるからである.誤差の内訳を分けるために,質量数ではなく実際の核質量を使った非相対論近似も出しておくと

$$ T_p = Q\,\frac{m_\alpha}{m_\alpha+m_p} = 18.3527\times0.798897 = 14.6619\ \mathrm{MeV}, \qquad T_\alpha = 3.6908\ \mathrm{MeV} $$

で,誤差はそれぞれ $+0.15\%$,$-0.58\%$ になる.すなわち全誤差のうち約半分が「質量数で代用したこと」,残り半分が「非相対論としたこと」に由来する.DT の場合とまったく同じ構造である.

(4) 表16.2 を見ると,D$^3$He の行の「中性子」欄は「一次では なし」と書かれている.この「一次では」が肝である.D$^3$He プラズマには定義上つねに重水素が存在するので,D 同士の衝突が必ず起きる.表16.2 の DD の2行から

$$ \mathrm{D}+\mathrm{D}\to{}^{3}\mathrm{He}+n\quad(Q=3.269\ \mathrm{MeV},\ n\ \text{は}\ 2.45\ \mathrm{MeV}) $$ $$ \mathrm{D}+\mathrm{D}\to\mathrm{T}+p\quad(Q=4.033\ \mathrm{MeV}) $$

の2分岐がほぼ $50{:}50$ で起きる.前者が直接 $2.45\ \mathrm{MeV}$ の中性子を出す.さらに後者で生じた T が燃料中の D と反応すれば

$$ \mathrm{D}+\mathrm{T}\to{}^{4}\mathrm{He}+n\quad(n\ \text{は}\ 14.03\ \mathrm{MeV}) $$

となり,第一壁の照射損傷という観点で最も厄介な $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子までが出る.しかも DT の反応度は表16.2 のとおり群を抜いて大きいので,T の生成量がわずかでも中性子への寄与は無視できない.

量を見積もっておく.$n_D=n_{{}^3\mathrm{He}}=n/2$ とすると,同種粒子の重複を避けて DD の反応率は $\frac12 n_D^2\braket{\sigma v}_{DD}$,D$^3$He の反応率は $n_Dn_{{}^3\mathrm{He}}\braket{\sigma v}_{D^3\mathrm{He}}$ である.表16.2 の値を使うと,中性子を出す DD 分岐と D$^3$He の反応率比は

$$ \frac{\frac12\cdot\frac12\braket{\sigma v}_{DD}}{\braket{\sigma v}_{D^3\mathrm{He}}} = \begin{cases} \dfrac{0.25\times1.2\times10^{-24}}{2.6\times10^{-25}} = 1.15 & (T=10\ \mathrm{keV})\\[2mm] \dfrac{0.25\times5.2\times10^{-24}}{7.0\times10^{-24}} = 0.19 & (T=20\ \mathrm{keV}) \end{cases} $$

となる.ここで得た比を $r$ と書く($T=10\ \mathrm{keV}$ で $r=1.15$,$T=20\ \mathrm{keV}$ で $r=0.19$).分岐比が $50{:}50$ なので T を作る分岐の反応率も同じ $r$ であり,D$^3$He 反応1回を基準にすると,出力と中性子エネルギーは

$$ P_{\rm tot} = 18.35 + r\,(3.269+4.033)\ \mathrm{MeV}, \qquad P_n = r\times2.45\ \mathrm{MeV} $$

と数えられる.したがって全出力に占める中性子の割合は

$$ \frac{P_n}{P_{\rm tot}} = \begin{cases} \dfrac{1.15\times2.45}{18.35+1.15\times7.302} = \dfrac{2.818}{26.75} = 0.105 & (T=10\ \mathrm{keV})\\[2mm] \dfrac{0.19\times2.45}{18.35+0.19\times7.302} = \dfrac{0.466}{19.74} = 0.024 & (T=20\ \mathrm{keV}) \end{cases} $$

すなわち $T=20\ \mathrm{keV}$ でも約 $2\%$,$T=10\ \mathrm{keV}$ では約 $10\%$ が中性子として出て行く.運転温度を上げるほど DD が相対的に不利になる($\braket{\sigma v}_{D^3\mathrm{He}}$ の立ち上がりが DD より急である)ので,D$^3$He 炉が高温を狙う理由の一つがここにある.なお副生した T が起こす DT 反応はここに数えていないが,T が燃え尽きる前に排気できるかどうかで寄与は変わり,最悪の場合は $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子が加わる.「無中性子」は絶対的な性質ではなく,DT の $80\%$ に比べれば桁違いに小さいという相対的な表現にすぎない.

検算.エネルギー保存で閉じるか確かめる.$T_p + T_\alpha = 14.6404+3.7123 = 18.3527\ \mathrm{MeV} = Q$ ✓.また運動量保存は,$\alpha$ 側から独立に $E_\alpha=(W^2+m_\alpha^2-m_p^2)/2W = 3731.0917\ \mathrm{MeV}$,$p^*=\sqrt{E_\alpha^2-m_\alpha^2}=166.40\ \mathrm{MeV}$ が得られ,陽子側の $166.40\ \mathrm{MeV}$ と一致することで確認できる ✓.次元も,$Q(Q+2m_\alpha)/2W$ は[エネルギー$^2$]/[エネルギー]=[エネルギー]で正しい ✓.さらに極限として $Q\ll m$ を取れば $T_p\to Qm_\alpha/(m_\alpha+m_p)$ となり,(3) で出した実質量の非相対論式に帰着する ✓.

意味.この配分がなぜ材料科学の話になるかというと,D$^3$He の生成物が両方とも荷電粒子だからである.$p$($+e$)も $\alpha$($+2e$)も磁場に捕らわれてプラズマ内に留まり,壁を叩かない.原理的には直接エネルギー変換(荷電粒子の運動エネルギーを静電場で直接電力に変える)さえ可能で,熱サイクルを経ないぶん効率も高い.DT では $80\%$ が電気的に中性な中性子として壁に叩き込まれるのと,まさに正反対である.だからこそ材料屋にとって D$^3$He は夢の燃料に見える.しかし (4) で見たように寄生的な DD 反応が中性子を作り,しかも演習16.2 で見るように点火そのものが桁違いに難しい.4元運動量保存という同じ一本の道具が,一方では「なぜ核融合が材料問題なのか」を,他方では「なぜその抜け道が塞がっているのか」を教えているのである.

演習16.2 Gamow 因子で燃料を比較する

問題(再掲)

本書16章の Gamow エネルギーの式 $E_G = 2m_rc^2(\pi\alpha Z_1Z_2)^2$ と $P=\exp(-\sqrt{E_G/E})$ を使う.

(1) DD 反応($Z_1Z_2=1$,$m_r = m_d/2 = 937.81\ \mathrm{MeV}$)の $E_G$ を求めよ.

(2) D$^3$He 反応($Z_1Z_2=2$,$m_r = 1124.6\ \mathrm{MeV}$)の $E_G$ を求め,DT の $1.182\ \mathrm{MeV}$ の何倍かを言え.

(3) $E = 100\ \mathrm{keV}$ における透過確率 $P$ を DT と D$^3$He について計算し,比を求めよ.

(4) (3) の結果と表16.2 の $\braket{\sigma v}$ の比を見比べ,違いがあればその原因を述べよ.

解答

方針.$E_G$ は換算質量と電荷の積だけで決まる純粋に運動学的(正確には Coulomb 的)な量である.一方 $\braket{\sigma v}$ には核構造($S$ 因子)と Maxwell 平均という二つの追加要素が入る.この二つの層を意識的に切り分けるのが本問の眼目である.共通定数として $\pi\alpha = \pi/137.036 = 0.02292531$ を使う.

(1) DD 反応では両者とも重陽子だから $Z_1Z_2 = 1\times1 = 1$,換算質量は $m_r = m_dm_d/(m_d+m_d)=m_d/2 = 1875.6127/2 = 937.806\ \mathrm{MeV}$ である.したがって

$$ E_G^{\rm DD} = 2\times937.806\ \mathrm{MeV}\times(0.02292531\times1)^2 = 1875.61\times5.25570\times10^{-4} $$ $$ = 0.98577\ \mathrm{MeV} \simeq 0.986\ \mathrm{MeV} $$

DT の $1.182\ \mathrm{MeV}$ より小さい.これは電荷が同じ($Z_1Z_2=1$)で,換算質量だけが $1124.65\to937.81\ \mathrm{MeV}$ と軽くなった分である.実際 $0.98577/1.18216 = 0.8339 = 937.81/1124.65$ ✓.軽い燃料ほど障壁をくぐりやすいという,de Broglie 波長の効果である.

(2) D$^3$He では $Z_1=1$(D),$Z_2=2$($^3$He)なので $Z_1Z_2=2$,換算質量は $m_r = 1875.6127\times2808.3915/4684.0042 = 1124.6\ \mathrm{MeV}$ である(偶然にも DT の $1124.65\ \mathrm{MeV}$ とほぼ同じ.D と,質量数3の相手,という組合せが同じだからである).

$$ E_G^{\mathrm{D}^3\mathrm{He}} = 2\times1124.6\times(0.02292531\times2)^2 = 2249.2\times(0.04585062)^2 = 2249.2\times2.10228\times10^{-3} $$ $$ = 4.7284\ \mathrm{MeV} $$

DT との比は

$$ \frac{E_G^{\mathrm{D}^3\mathrm{He}}}{E_G^{\rm DT}} = \frac{4.7284}{1.18216} = 4.000 $$

ちょうど $4$ 倍である.理由は式の構造から明らかで,$E_G\propto m_r(Z_1Z_2)^2$ において $m_r$ がほぼ等しく,$(Z_1Z_2)^2$ が $1\to4$ になったからにほかならない.

(3) $E=100\ \mathrm{keV}=0.100\ \mathrm{MeV}$ を代入する.DT については

$$ 2\pi\eta = \sqrt{\frac{E_G}{E}} = \sqrt{\frac{1.18216}{0.100}} = \sqrt{11.8216} = 3.4383 $$ $$ P_{\rm DT} = \ee^{-3.4383} = 3.212\times10^{-2} $$

D$^3$He については

$$ 2\pi\eta = \sqrt{\frac{4.7284}{0.100}} = \sqrt{47.284} = 6.8764 $$ $$ P_{\mathrm{D}^3\mathrm{He}} = \ee^{-6.8764} = 1.032\times10^{-3} $$

比は

$$ \frac{P_{\rm DT}}{P_{\mathrm{D}^3\mathrm{He}}} = \ee^{-3.4383+6.8764} = \ee^{3.4381} = 31.1 $$

である.$E_G$ が $4$ 倍になっただけで(指数の中は $\sqrt{4}=2$ 倍になっただけで),透過率は $31$ 倍も違う.指数関数の恐ろしさがよく分かる例である.参考までに DD は $2\pi\eta=\sqrt{9.8577}=3.1397$,$P=4.33\times10^{-2}$ で,DT よりむしろ通りやすい.

(4) 表16.2 の $\braket{\sigma v}$ を見ると,$T=10\ \mathrm{keV}$ で DT が $1.1\times10^{-22}$,D$^3$He が $2.6\times10^{-25}\ \mathrm{m^3/s}$ で,その比は

$$ \frac{1.1\times10^{-22}}{2.6\times10^{-25}} = 423 $$

である.(3) で得た $31$ 倍とは一桁以上違う.原因は二つある.

原因1:Maxwell 平均は「共通の一つのエネルギー」で比べるものではない.反応度は

$$ \braket{\sigma v} = \sqrt{\frac{8}{\pi m_r}}\;\frac{1}{(k_BT)^{3/2}}\int_0^\infty S(E)\, \ee^{-E/k_BT-\sqrt{E_G/E}}\,\dd E $$

という積分であり,被積分関数は本書図16.1(b) の Gamow ピーク

$$ E_0 = \left(\frac{E_G\,(k_BT)^2}{4}\right)^{1/3} $$

のところで鋭く尖る.$T=10\ \mathrm{keV}$ では DT の $E_0 = 30.9\ \mathrm{keV}$ に対し D$^3$He は $E_0 = 49.1\ \mathrm{keV}$ で,そもそも反応が起きている代表エネルギーが違う.$100\ \mathrm{keV}$ という一点で比べるのは,どちらにとっても現実のプラズマとかけ離れた条件なのである.$S$ を定数と仮定して上の積分を数値的に実行すると,$T=10\ \mathrm{keV}$ で比は $187$ になる.$31$ からここまでは,純粋に Gamow 因子と Maxwell 分布だけで説明がつく.

原因2:残りの $423/187 \simeq 2.3$ 倍が $S$ 因子,すなわち核構造である.本書16.1.2項の注意で述べたとおり,DT には $^5$He の $J^\pi=3/2^+$ 共鳴が重心系 $64\ \mathrm{keV}$ にちょうど乗っている.そのため DT の $S(E)$ は $10\text{–}60\ \mathrm{keV}$ の領域で大きくせり上がる.一方 D$^3$He にはこの位置に共鳴がなく,断面積のピークは $250\ \mathrm{keV}$ と,プラズマ温度からはるかに遠い.実際,断面積のピーク値から $S=\sigma E\exp(\sqrt{E_G/E})$ を評価すると DT で $23.5$,D$^3$He で $17.4\ \mathrm{b\,MeV}$ となる.そのうえ D$^3$He の $S$ は,$250\ \mathrm{keV}$ の共鳴から遠く離れた Gamow ピーク($49\ \mathrm{keV}$)では $7\ \mathrm{MeV\,b}$ 程度まで落ちてしまうので,$S$ の比は低温側で 2〜3 倍に開く.

$T=20\ \mathrm{keV}$ でも事情は同じである.Bosch–Hale のパラメータ化で読むと DT が $4.2\times10^{-22}$,D$^3$He が $3.5\times10^{-24}\ \mathrm{m^3/s}$ で,比は約 $120$.Gamow だけの計算が $61$ だから,残りの約 2 倍がやはり $^5$He 共鳴による $S$ 因子の有利さである.事実,$T=20\ \mathrm{keV}$ の Gamow ピークは $E_0=49\ \mathrm{keV}$ でまだ共鳴($64\ \mathrm{keV}$)の手前にあり,窓の幅 $\Delta\simeq(4/\sqrt3)\sqrt{E_0k_BT}\simeq72\ \mathrm{keV}$ は共鳴をすっぽり含んでいるので,DT が共鳴から受ける恩恵はこの温度でも減らない.「Gamow 因子で説明できる部分」と「できない部分」の境目が,そのまま核構造の指紋になっている.

検算.次元を確認する.$E_G = 2m_rc^2(\pi\alpha Z_1Z_2)^2$ で $\alpha$ は無次元だから $E_G$ はエネルギーの次元をもつ ✓.$\sqrt{E_G/E}$ は無次元で,指数の肩に乗せてよい ✓.既知の値との照合としては,本書16.1.2項が DT について $E_G=1.1822\ \mathrm{MeV}$,$E=64\ \mathrm{keV}$ で $2\pi\eta=4.298$,$P=1.36\times10^{-2}$ を得ている.同じ式に $E=100\ \mathrm{keV}$ を入れると指数が小さくなり $P$ が増えるはずで,実際 $3.21\times10^{-2} > 1.36\times10^{-2}$ ✓.また $p^{11}$B について本書は $E_G=22.6\ \mathrm{MeV}$ としているが,$2\times859.6\times(5\times0.02292531)^2 = 1719.2\times0.0131393 = 22.59\ \mathrm{MeV}$ で一致する ✓.

意味.この演習の結論は材料科学にとって残酷である.$E_G\propto(Z_1Z_2)^2$ という指数の中身は,Coulomb 相互作用の強さそのものであって,工学的な工夫では一切変えられない.「中性子を出さない燃料を使えば第一壁の照射損傷問題は消える」という発想は,$E_G$ が $4$ 倍(D$^3$He)から $19$ 倍($p^{11}$B)になるという壁に正面からぶつかる.しかも $Z$ の大きい燃料は制動放射損失 $P_{\rm br}\propto Z_{\rm eff}\,n_e^2\sqrt{T_e}$($Z_{\rm eff}=\sum_in_iZ_i^2/n_e$ の定義にすでに $Z^2$ が入っている)も増やす.結局われわれは $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子と付き合うしかなく,だからこそ低放射化フェライト鋼やタングステンや SiC/SiC 複合材の開発が必要になる.材料開発の必然性が,微細構造定数と原子番号だけで書かれた一本の指数から導かれている.

演習16.3 タングステンの照射損傷

問題(再掲)

$14.1\ \mathrm{MeV}$ 中性子が W($A=184$,$E_d=90\ \mathrm{eV}$)に入射する.

(1) $\Lambda = 4mM/(m+M)^2$ と最大 PKA エネルギー $T_{\max}$ を求めよ.

(2) 平均 PKA エネルギーを $T_{\max}/2$,Lindhard 因子を $\xi=0.75$ として損傷エネルギー $T_{\rm dam}$ を求め,NRT 模型で欠陥数 $N_d$ を計算せよ($\xi=0.75$ は,16.2.2項の Lindhard 式に $Z=74$,$A=184$,$T=0.152\ \mathrm{MeV}$ を入れて得られる $0.71$ を丸めたものである.重い W では電子的阻止能の寄与が小さいので,$\xi$ は Fe より大きくなる.第1章の演習では粗く $0.6$ としているが,こちらの方が正確である).

(3) W の $14\ \mathrm{MeV}$ 全反応断面積を $5.4\ \mathrm{b}$ として,はじき出し断面積 $\sigma_{\rm dpa}$ を求めよ.

(4) 壁負荷 $1\ \mathrm{MW/m^2}$($\phi=4.43\times10^{13}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}}$)で1年運転したときの dpa を求め,16.2節の Fe の値(同じ手順の見積もりで $7.7\ \mathrm{dpa}$,設計の換算則で $10\ \mathrm{dpa}$)と比較せよ.

解答

方針.本書16.2節が Fe について踏んだ4段(運動学 $\to$ Lindhard $\to$ NRT $\to$ 束との積)を,W について同じ順序で繰り返す.どの段でも W が Fe より有利になり,その積が最終的な差になる,という構造を追いかけるのが要点である.

(1) 中性子の質量数を $m=1$,W の質量数を $M=184$ として

$$ \Lambda_{\rm W} = \frac{4mM}{(m+M)^2} = \frac{4\times1\times184}{(1+184)^2} = \frac{736}{185^2} = \frac{736}{34225} = 2.1505\times10^{-2} $$

したがって最大 PKA エネルギーは

$$ T_{\max} = \Lambda_{\rm W}\,E_n = 2.1505\times10^{-2}\times14.1\ \mathrm{MeV} = 0.30322\ \mathrm{MeV} \simeq 0.303\ \mathrm{MeV} $$

である.表16.3 の値 $0.303\ \mathrm{MeV}$ と一致する.Fe の $\Lambda=4\times56/57^2 = 0.06894$,$T_{\max}=0.972\ \mathrm{MeV}$ と比べると,$\Lambda$ で $3.2$ 分の1である.$M\gg m$ のとき $\Lambda\simeq 4m/M$ と振る舞うので,質量数の比 $184/56=3.29$ がそのまま出ている.

(2) 重心系で等方散乱を仮定すると $\braket{\sin^2(\theta_{\rm CM}/2)}=1/2$ だから,平均 PKA エネルギーは

$$ \braket{T} = \frac{T_{\max}}{2} = \frac{0.30322}{2} = 0.15161\ \mathrm{MeV} $$

このうち原子核との衝突(すなわち欠陥生成)に回るのは Lindhard 因子 $\xi$ の分だけで,残りは電子励起に消える.$\xi=0.75$ を与えられたとおり使うと

$$ T_{\rm dam} = \xi\braket{T} = 0.75\times0.15161 = 0.11371\ \mathrm{MeV} = 1.1371\times10^{5}\ \mathrm{eV} $$

NRT 模型は $N_d = 0.8\,T_{\rm dam}/(2E_d)$ であるから,$E_d=90\ \mathrm{eV}$ を入れて

$$ N_d = \frac{0.8\times1.1371\times10^{5}\ \mathrm{eV}}{2\times90\ \mathrm{eV}} = \frac{9.0968\times10^{4}}{180} = 505.4 \simeq 5.1\times10^{2} $$

すなわち中性子1個が W 原子1個を叩くごとに,約 $500$ 個のフレンケル対ができる.Fe について本書16.2.3項が同じ手順(平均 PKA $\braket{T}=0.49\ \mathrm{MeV}$,$\xi=0.45$)で得た $2.2\times10^{3}$ 個と比べると約 $1/4.4$ である(16.2.2項の $1\ \mathrm{MeV}$ PKA の $3.5\times10^{3}$ 個と比べれば $1/7$ だが,こちらは PKA のエネルギーが揃っていない比較である).

ここで $\xi=0.75$ という値の位置づけを,与えられたまま鵜呑みにせずに確かめておく.本書16.2.2項の Lindhard 式は

$$ \xi = \frac{1}{1+k\,g(\varepsilon)},\qquad \varepsilon = \frac{T}{E_L},\qquad g(\varepsilon) = 3.4008\,\varepsilon^{1/6} + 0.40244\,\varepsilon^{3/4} + \varepsilon $$

で,自己反跳では $E_L = 86.9\,Z^{7/3}\ \mathrm{eV}$,$k = 0.1337\,Z^{2/3}A^{-1/2}$ であった.W($Z=74$,$A=184$)では

$$ E_L = 86.9\times74^{7/3} = 86.9\times2.299\times10^{4} = 2.00\times10^{6}\ \mathrm{eV}, \qquad k = \frac{0.1337\times74^{2/3}}{\sqrt{184}} = \frac{0.1337\times17.63}{13.56} = 0.1737 $$

となる(Fe の $E_L=1.74\times10^{5}\ \mathrm{eV}$,$k=0.157$ と比べると $E_L$ は $11.5$ 倍).$\braket{T}=0.1516\ \mathrm{MeV}$ に対して $\varepsilon = 1.516\times10^{5}/2.00\times10^{6} = 0.0758$ だから

$$ g(0.0758) = 3.4008\times0.6505 + 0.40244\times0.1445 + 0.0758 = 2.346, \qquad \xi = \frac{1}{1+0.1737\times2.346} = 0.710 $$

で,与えられた $0.75$ とよく合う($5\%$ 差).同じ $\braket{T}$ を Fe に入れると $\varepsilon = 1.516\times10^{5}/1.74\times10^{5} = 0.87$,$\xi=0.58$ にしかならない.しかも本書16.2.3項の Fe の計算では $\braket{T}=0.49\ \mathrm{MeV}$($\varepsilon=2.82$)なので $\xi=0.45$ である.つまり W で $\xi$ が大きいのは二重の理由による.(i) 重いので $\braket{T}$ 自体が $1/3.2$ に小さい,(ii) $Z$ が大きいので $E_L$ が $11.5$ 倍で,同じ $T$ でも $\varepsilon$ が小さい.どちらも $\varepsilon$ を下げる向きに働き,$\varepsilon\to0$ で $g\to0$,$\xi\to1$(すべて核衝突に回る)に近づく.重い元素では,電子系にエネルギーを渡す前に核衝突で失う割合が大きい.ただしこれは W にとって不利な因子であることに注意する((4) で勘定に入れる).

(3) はじき出し断面積は「1回の核反応あたりの欠陥数」を反応断面積に掛けたものである:

$$ \sigma_{\rm dpa} \simeq \sigma_{\rm tot}\times N_d = 5.4\ \mathrm{b}\times505.4 = 2.729\times10^{3}\ \mathrm{b} \simeq 2.7\times10^{3}\ \mathrm{b} $$

SI に直すと $1\ \mathrm{b}=10^{-24}\ \mathrm{cm^2}$ だから

$$ \sigma_{\rm dpa} = 2.729\times10^{3}\times10^{-24}\ \mathrm{cm^2} = 2.729\times10^{-21}\ \mathrm{cm^2} $$

である.核反応の断面積が数バーンなのに対し,はじき出し断面積が $\mathrm{kb}$ 級になるのは,1回の衝突が $N_d\sim10^{2\text{–}3}$ 個の欠陥を生むからにほかならない.

(4) 単位時間あたりの dpa は束と断面積の積である:

$$ \frac{\dd(\mathrm{dpa})}{\dd t} = \sigma_{\rm dpa}\,\phi = 2.729\times10^{-21}\ \mathrm{cm^2}\times4.43\times10^{13}\ \mathrm{cm^{-2}s^{-1}} = 1.209\times10^{-7}\ \mathrm{dpa/s} $$

1年をフル稼働 $3.156\times10^{7}\ \mathrm{s}$ として

$$ \mathrm{dpa}(1\ \mathrm{yr}) = 1.209\times10^{-7}\times3.156\times10^{7} = 3.82\ \mathrm{dpa} $$

すなわち $1\ \mathrm{MW\,yr/m^2}$ で約 $3.8\ \mathrm{dpa}$ である.本書16.2.3項が同じ手順で Fe について得た $7.7\ \mathrm{dpa}$ の約半分,設計で使われる換算則 $1\ \mathrm{MW\,yr/m^2}\simeq10\ \mathrm{dpa}$(鋼)と比べれば約 $1/3$ にあたる.

W が Fe より $2$ 倍以上「損傷しにくい」理由を因子ごとに分解すると次のようになる.

積を取ると $\frac{1}{3.2}\times\frac{1}{2.25}\times1.67\times2.16 = 0.50$ で,$7.7\times0.50=3.8\ \mathrm{dpa}$ ✓.最初の二つの有利さが,後の二つの不利さをちょうど倍ほど上回っている,という勘定である.

検算.表16.3 の最右欄 $T_{\max}/2E_d$ と照合する.W では $0.30322\times10^{6}/(2\times90)=1.68\times10^{3}$ で,表の $1.7\times10^{3}$ と一致する ✓.Fe では $0.972\times10^{6}/80 = 1.22\times10^{4}$ で,表の $1.2\times10^{4}$ と一致する ✓.比は $7.2$ で,本書が「$T_{\max}/2E_d$ は Fe の $1/7$」と述べていることとも合う ✓.次元も,$[\mathrm{cm^2}]\times[\mathrm{cm^{-2}s^{-1}}] = [\mathrm{s^{-1}}]$ で,dpa は無次元だから $\mathrm{dpa/s}$ として正しい ✓.

意味.本問の $3.8\ \mathrm{dpa/(MW\,yr\,m^{-2})}$ という数字は,第4章の弾性散乱の運動学($\Lambda$),Lindhard の阻止能理論($\xi$),MD 計算に基づく経験係数(NRT の $0.8$),核データ($\sigma_{\rm tot}$)という,出自のまったく違う四つの量の積である.素粒子物理から見れば最初の一つだけが「自分の領分」だが,その一つが桁を決めている.タングステンがプラズマ対向材料に選ばれる理由はスパッタリング率の低さや高融点が第一に挙げられるが,「重いこと」それ自体が運動学的に損傷を減らすという事実も同じくらい本質的である.なお,ここで求めた NRT-dpa は本書16.2.2項の注意にあるとおり実際に残る欠陥数ではなく,arc-dpa 補正を掛ければ W では $1$ 割強(Fe でも約 $3$ 割)まで落ちる.dpa は物理量というより照射量を比較するための共通通貨であり,そのことを忘れて論文の数字を鵜呑みにしてはならない.

演習16.4 Lawson 条件を自分で使う

問題(再掲)

$\braket{\sigma v}=1.1\times10^{-24}T^2\ \mathrm{m^3/s}$($T$ は $\mathrm{keV}$),$E_\alpha=3.52\ \mathrm{MeV}$ とする.

(1) 点火条件 $n\tau_E \ge 12T/(\braket{\sigma v}E_\alpha)$ を $T=15\ \mathrm{keV}$ で評価せよ.

(2) トカマクの典型値 $n=1.0\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}}$ に対して必要な $\tau_E$ を求めよ.

(3) 慣性核融合では $n=1.0\times10^{31}\ \mathrm{m^{-3}}$(固体密度の $1000$ 倍)である.必要な $\tau$ を求め,光がその時間に進む距離を計算して,ペレットの大きさと比べよ.

(4) 三重積 $nT\tau_E$ が温度によらない定数になる理由を,式のうえで説明せよ.

解答

方針.本書16.1.4項の導出をそのまま数値に落とす.単位系だけ注意する.$T$ と $E_\alpha$ を同じエネルギー単位($\mathrm{keV}$)に揃えれば,$\braket{\sigma v}$ が $\mathrm{m^3/s}$ なので $n\tau_E$ は $\mathrm{m^{-3}\,s}$ で出る.

(1) まず反応度を評価する.$T=15\ \mathrm{keV}$ だから

$$ \braket{\sigma v} = 1.1\times10^{-24}\times(15)^2 = 1.1\times10^{-24}\times225 = 2.475\times10^{-22}\ \mathrm{m^3/s} $$

$E_\alpha = 3.52\ \mathrm{MeV} = 3520\ \mathrm{keV}$ に直しておく.点火条件は

$$ n\tau_E \;\ge\; \frac{12\,T}{\braket{\sigma v}\,E_\alpha} = \frac{12\times15\ \mathrm{keV}}{2.475\times10^{-22}\ \mathrm{m^3/s}\times3520\ \mathrm{keV}} = \frac{180}{8.712\times10^{-19}}\ \mathrm{m^{-3}\,s} $$ $$ = 2.066\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}\,s} $$

である.ついでに三重積も出しておくと

$$ nT\tau_E \ge 2.066\times10^{20}\times15 = 3.10\times10^{21}\ \mathrm{keV\,s\,m^{-3}} $$

で,本書16.1.4項が得た $3.10\times10^{21}$ と完全に一致する.

(2) $n=1.0\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}}$ を代入するだけである:

$$ \tau_E \ge \frac{2.066\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}\,s}}{1.0\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}}} = 2.07\ \mathrm{s} $$

すなわち,投入した熱が逃げ切るまでに約 $2$ 秒かかるようにプラズマを保温できれば,自己点火する.JET の $\tau_E$ は $\sim1\ \mathrm{s}$,ITER の設計値は $\sim3.7\ \mathrm{s}$ である.ITER が「点火に手が届く装置」と言われる理由がこの一行で分かる.なお $\tau_E$ は,装置が大きいほど(体積/表面積が大きいほど)長くなる.核融合炉が巨大でなければならない理由も,結局はこの $2$ 秒である.

(3) 密度を $11$ 桁上げると,必要な時間は $11$ 桁下がる:

$$ \tau \ge \frac{2.066\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}\,s}}{1.0\times10^{31}\ \mathrm{m^{-3}}} = 2.066\times10^{-11}\ \mathrm{s} = 20.7\ \mathrm{ps} $$

この時間に光が進む距離は

$$ c\tau = 2.998\times10^{8}\ \mathrm{m/s}\times2.066\times10^{-11}\ \mathrm{s} = 6.19\times10^{-3}\ \mathrm{m} = 6.2\ \mathrm{mm} $$

である.圧縮後のペレットの半径は $\sim30\ \mu\mathrm{m}$ であるから,光は保持時間のあいだにペレット半径の $200$ 倍もの距離を走る.つまり「光がペレットを横切る時間」よりずっと長い時間,保持しなければならない.

では何が保持するのか.外から閉じ込める装置は間に合わない($20\ \mathrm{ps}$ で動く機械はない).保持するのは慣性だけである.高温プラズマは自分の音速で膨張して散逸するから,実効的な保持時間は「半径/音速」で決まる.DT プラズマのイオン音速は,イオン質量を $m_i\simeq2.5\,u = 4.15\times10^{-27}\ \mathrm{kg}$,$T=15\ \mathrm{keV}=2.403\times10^{-15}\ \mathrm{J}$ として

$$ c_s \sim \sqrt{\frac{2k_BT}{m_i}} = \sqrt{\frac{2\times2.403\times10^{-15}}{4.15\times10^{-27}}} = 1.08\times10^{6}\ \mathrm{m/s} $$ $$ \tau_{\rm inertial} \sim \frac{R}{c_s} = \frac{30\times10^{-6}\ \mathrm{m}}{1.08\times10^{6}\ \mathrm{m/s}} = 2.8\times10^{-11}\ \mathrm{s} = 28\ \mathrm{ps} $$

要求値 $20.7\ \mathrm{ps}$ とほぼ同じである.慣性核融合のペレット半径 $30\ \mu\mathrm{m}$ という設計値は,Lawson 条件と音速だけでほぼ決まっている.両者が一致するのは偶然ではなく,そうなるように設計されているのである.

(4) 三重積の条件は

$$ n\,T\,\tau_E \;\ge\; \frac{12\,T^2}{\braket{\sigma v}\,E_\alpha} $$

であった.ここに $\braket{\sigma v} = CT^2$($C=1.1\times10^{-24}\ \mathrm{m^3\,s^{-1}\,keV^{-2}}$)を代入すると

$$ n\,T\,\tau_E \;\ge\; \frac{12\,T^2}{C\,T^2\,E_\alpha} = \frac{12}{C\,E_\alpha} $$

となり,右辺から $T$ が完全に消える.数値は

$$ \frac{12}{1.1\times10^{-24}\times3520} = \frac{12}{3.872\times10^{-21}} = 3.10\times10^{21}\ \mathrm{keV\,s\,m^{-3}} $$

である.約分が起きた理由を物理的に言い直すと,こうなる.損失パワー $P_{\rm loss}=3nT/\tau_E$ は $T$ に1次で比例して増える.一方で加熱パワー $P_\alpha = (n^2/4)\braket{\sigma v}E_\alpha$ は $\braket{\sigma v}\propto T^2$ を通じて $T$ の2次で増える.差し引き,温度を上げると加熱が1次分だけ有利になる.その有利さが,条件式の左辺を $n\tau_E$ から $nT\tau_E$ に格上げしたぶんとちょうど釣り合う.だから $8\text{–}25\ \mathrm{keV}$ の範囲では,どの温度で運転しても要求は同じ $3.1\times10^{21}$ になる.

ただしこれは $\braket{\sigma v}\propto T^2$ が成り立つ範囲の話である.$T\gtrsim25\ \mathrm{keV}$ では DT の反応度の伸びが鈍り($64\ \mathrm{keV}$ の共鳴を通り過ぎるため),さらに制動放射損失 $\propto\sqrt{T}$ が効いてくるので,三重積の要求は再び増加に転じる.実際の最適運転温度が $T\simeq14\text{–}15\ \mathrm{keV}$ 付近にあるのはこのためで,(1) で $T=15\ \mathrm{keV}$ を選ばせているのは偶然ではない.

検算.単位を追う.$[12T/(\braket{\sigma v}E_\alpha)] = \mathrm{keV}/(\mathrm{m^3\,s^{-1}}\cdot\mathrm{keV}) = \mathrm{m^{-3}\,s}$ ✓.$n\tau_E$ の次元と一致する.また $T=10\ \mathrm{keV}$ でやり直すと $\braket{\sigma v}=1.1\times10^{-22}$,$n\tau_E\ge 12\times10/(1.1\times10^{-22}\times3520)=3.10\times10^{20}\ \mathrm{m^{-3}s}$ となり,本書16.1.4項ステップ5 の $3.1\times10^{20}$ と一致する ✓.しかも三重積は $3.10\times10^{21}$ で (1) と同じ値になり,(4) の主張が数値的にも確かめられた ✓.表16.2 との照合では,$T=10$ で $CT^2 = 1.1\times10^{-22}$(表の値 $1.1\times10^{-22}$ ✓),$T=20$ で $4.4\times10^{-22}$(表の値 $4.2\times10^{-22}$,$5\%$ 以内 ✓)である.

意味.Lawson 条件は,一見すると純粋にプラズマ物理の式に見える.しかしその右辺に居座っている $E_\alpha=3.52\ \mathrm{MeV}$ は,演習16.1 で見たとおり4元運動量保存が $Q$ 値を $1:4$ に分けた結果にすぎない.もし $\alpha$ が $80\%$ を受け取っていれば,右辺は $1/4$ になり,三重積の要求は $7.8\times10^{20}$ まで下がって,JET が 1997 年の時点で点火していた計算になる.核融合が半世紀にわたって難しい理由の四分の一は,$m_\alpha/m_n\simeq4$ という核質量の比にある.そしてこの配分は,同時に $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子を壁に叩き込む(演習16.3).点火の困難と材料の困難は,同じ一本の運動学の表と裏である.

演習16.5 ミュオン原子の大きさとエネルギー

問題(再掲)

$m_\mu/m_e = 206.768$,$m_d/m_e = 3670.483$,$m_t/m_e = 5496.92$,$a_0 = 52917.7\ \mathrm{fm}$,$\mathrm{Ry}=13.606\ \mathrm{eV}$ を使う.

(1) $d\mu$ と $t\mu$ の換算質量($m_e$ 単位)を求めよ.

(2) それぞれの Bohr 半径と基底状態エネルギーを求めよ.

(3) $d\mu + t \to t\mu + d$ の反応で放出されるエネルギーを求めよ.この符号が μ触媒核融合にとってなぜ好都合かを述べよ.

(4) 本書16章のサイクル数の式で $\omega_s = 0.0045$,$\lambda_c\tau_\mu = 264$ のときのサイクル数を求め,$\lambda_c\to\infty$ の極限での上限も求めよ.

解答

方針.第7章の2体 Coulomb 束縛系の公式 $a = a_0(m_e/m_r)$,$E_1 = -\mathrm{Ry}\,(m_r/m_e)$ に,換算質量を正しく入れるだけである.「$1/207$」という粗い覚え方では (3) の $48\ \mathrm{eV}$ が出てこないところが本問の勘所である.

(1) 換算質量は $m_r = m_1m_2/(m_1+m_2)$ である.$d\mu$ 系では

$$ \frac{m_r^{d\mu}}{m_e} = \frac{206.768\times3670.483}{206.768+3670.483} = \frac{7.589384\times10^{5}}{3877.251} = 195.741 $$

$t\mu$ 系では

$$ \frac{m_r^{t\mu}}{m_e} = \frac{206.768\times5496.92}{206.768+5496.92} = \frac{1.136587\times10^{6}}{5703.688} = 199.272 $$

である.どちらも $m_\mu/m_e = 206.768$ より小さい.核が無限に重ければ $m_r\to m_\mu$ だが,実際には重陽子で $m_\mu/m_d = 1/17.75$,三重陽子で $1/26.6$ の補正が入る.三重陽子の方が重いぶん,換算質量がミュオンの質量に近い.この $195.74$ と $199.27$ のわずか $1.8\%$ の差が,以下すべての鍵になる.

(2) Bohr 半径は換算質量に反比例する:$a = a_0\,(m_e/m_r)$.

$$ a_{d\mu} = \frac{52917.7\ \mathrm{fm}}{195.741} = 270.34\ \mathrm{fm} \simeq 270.3\ \mathrm{fm} $$ $$ a_{t\mu} = \frac{52917.7\ \mathrm{fm}}{199.272} = 265.55\ \mathrm{fm} \simeq 265.6\ \mathrm{fm} $$

基底状態エネルギーは換算質量に比例する:$E_1 = -\mathrm{Ry}\,(m_r/m_e)$.

$$ E_1^{d\mu} = -13.606\ \mathrm{eV}\times195.741 = -2663.26\ \mathrm{eV} = -2.663\ \mathrm{keV} $$ $$ E_1^{t\mu} = -13.606\ \mathrm{eV}\times199.272 = -2711.30\ \mathrm{eV} = -2.711\ \mathrm{keV} $$

比較のために核を無限に重いとした素朴な値を出すと $a_\mu = 52917.7/206.768 = 255.9\ \mathrm{fm}$ で,実際の $a_{d\mu}=270.3\ \mathrm{fm}$ より $14.4\ \mathrm{fm}$,割合にして $5.3\%$ 小さい.「ミュオン原子は水素原子の $1/207$」という覚え方は,実際には $1/196$($d\mu$)や $1/199$($t\mu$)である.

(3) 置換反応 $d\mu + t \to t\mu + d$ の $Q$ 値は,束縛エネルギーの差そのものである.始状態の束縛エネルギーは $d\mu$ の $2663.26\ \mathrm{eV}$,終状態は $t\mu$ の $2711.30\ \mathrm{eV}$ だから,より深く束縛される側に移ることで

$$ \Delta E = \abs{E_1^{t\mu}} - \abs{E_1^{d\mu}} = 2711.30 - 2663.26 = 48.04\ \mathrm{eV} $$

が解放される.すなわち発熱反応である($Q=+48\ \mathrm{eV}$).

この符号がμ触媒核融合にとって好都合な理由は二つある.

この $48\ \mathrm{eV}$ の出どころが,突き詰めれば「三重陽子が重陽子より $1.5$ 倍重い」という核質量の事実だけであることに注意したい.同位体効果が,触媒サイクルの向きを決めている.

(4) 本書16.9.2項のサイクル数の式は

$$ N_c = \frac{1}{\;\omega_s + (\lambda_c\tau_\mu)^{-1}\;} $$

である.分母の第1項が粘着による損失,第2項が寿命による損失を表す.$\omega_s=0.0045$,$\lambda_c\tau_\mu=264$ を入れると

$$ (\lambda_c\tau_\mu)^{-1} = \frac{1}{264} = 3.788\times10^{-3} $$ $$ N_c = \frac{1}{4.500\times10^{-3} + 3.788\times10^{-3}} = \frac{1}{8.288\times10^{-3}} = 120.7 \simeq 121 $$

損失の内訳は,粘着が $4.500/8.288 = 54\%$,崩壊が $46\%$ である.いま両者はほぼ拮抗している.

$\lambda_c\to\infty$(サイクルを無限に速く回せる理想の極限)では第2項が消えて

$$ N_c^{\max} = \frac{1}{\omega_s} = \frac{1}{0.0045} = 222.2 \simeq 222 $$

となる.これが原理的上限である.損益分岐に要る $N_c\gtrsim300\text{–}500$ に対して,どんなに工学を尽くしても $222$ までしか行けない.エネルギーで言えば $222\times17.6\ \mathrm{MeV} = 3.9\ \mathrm{GeV}$ が上限で,ミュオン1個の製造コスト $3\text{–}5\ \mathrm{GeV}$ とちょうど拮抗する.「がんばれば届きそうで,決して届かない」という,きわめて意地の悪い数字である.

検算.次元と極限で確かめる.$m_r$ は質量の次元をもち,$m_1\gg m_2$ の極限で $m_r\to m_2$(軽い方)に収束する.実際 $m_d\to\infty$ とすれば $m_r\to m_\mu = 206.768\,m_e$ で,$a\to255.9\ \mathrm{fm}$ ✓.また $a\cdot\abs{E_1}$ は $a_0\mathrm{Ry}$ に等しくなるはずである(換算質量が約分される):$270.34\times2663.26 = 7.200\times10^{5}$,$52917.7\times13.606 = 7.200\times10^{5}$ ✓.$t\mu$ でも $265.55\times2711.30 = 7.200\times10^{5}$ ✓.これは $\abs{E_1}=\frac12\alpha^2m_rc^2$,$a=\hbar/(m_rc\alpha)$ から $a\abs{E_1}=\frac12\alpha\hbar c$ が換算質量によらないことの現れである.数値では $\hbar c = 197.327\ \mathrm{MeV\,fm} = 1.97327\times10^{8}\ \mathrm{eV\,fm}$ だから $\frac12\times1.97327\times10^{8}/137.036 = 7.200\times10^{5}\ \mathrm{eV\,fm}$ ✓.(4) については,$\omega_s\to0$ で $N_c\to\lambda_c\tau_\mu = 264$(寿命だけで決まる),$\lambda_c\tau_\mu\to\infty$ で $N_c\to222$ となり,どちらの極限も意味をなす ✓.

意味.本問は,材料工学が物理法則の壁にぶつかる瞬間を数値で示している.(1)–(3) で見たとおり,ミュオン原子の大きさもエネルギーも同位体差も,換算質量という一つの量だけで決まる.そこには結晶構造も温度も密度も入らない.(4) の上限 $1/\omega_s$ も同様で,$\omega_s$ は融合直後の $dt\mu$ 波動関数と $(\alpha\mu)$ 束縛状態の重なり積分という,純粋に量子力学的な量である.工学が動かせるのは $\lambda_c$(密度・温度・D/T 比の最適化)だけで,それは分母の第2項にしか触れない.いくら第2項をゼロにしても,第1項が $0.0045$ である限り $222$ を超えられない.一方,この同じ物理は別の使い道を持つ.$dt\mu$ の融合は $10^{-12}\ \mathrm{s}$ で起き,$14\ \mathrm{MeV}$ 中性子を出す.エネルギー源にはならないが,臨界に達しない小型の $14\ \mathrm{MeV}$ 中性子源としては十分に成立し,まさに演習16.3 で計算したような材料照射試験の場を提供しうる.失敗した技術が,別の分野の道具になるという典型例である.

演習16.6 中性子の換算式を使いこなす

問題(再掲)

$E[\mathrm{meV}]=81.804/\lambda^2[\mathrm{Å}^2]$,$v[\mathrm{m/s}]=3956/\lambda[\mathrm{Å}]$ を使う.

(1) 冷中性子 $\lambda = 5.0\ \mathrm{Å}$ と熱外中性子 $\lambda = 0.50\ \mathrm{Å}$ について,$E$ と $v$ を求めよ.

(2) 飛行距離 $L=20\ \mathrm{m}$ の飛行時間型(TOF)分光器で,$\lambda=2.0\ \mathrm{Å}$ の中性子の飛行時間を求めよ.

(3) パルス幅が $70\ \mu\mathrm{s}$ のとき,(2) の条件での波長分解能 $\Delta\lambda/\lambda$ を求めよ.$\Delta d/d$ もこれと同程度になる.

(4) 分解能を $10$ 倍よくするには $L$ をどうすればよいか.その代償は何か.

解答

方針.与えられた二つの換算式は,どちらも本書16.6.2項で $\hbar c = 1973.27\ \mathrm{eV\,Å}$ と $m_nc^2 = 939.565\ \mathrm{MeV}$ から自分で作ったものである.非相対論的な自由粒子の関係 $E=p^2/2m_n$,$p=h/\lambda$ しか使っていない.TOF 法の分解能は,飛行時間の不確かさをそのまま波長の不確かさに読み替えるだけで出る.

(1) 冷中性子 $\lambda=5.0\ \mathrm{Å}$:

$$ E = \frac{81.804}{(5.0)^2} = \frac{81.804}{25} = 3.272\ \mathrm{meV}, \qquad v = \frac{3956}{5.0} = 791.2\ \mathrm{m/s} $$

熱外中性子 $\lambda=0.50\ \mathrm{Å}$:

$$ E = \frac{81.804}{(0.50)^2} = \frac{81.804}{0.25} = 327.2\ \mathrm{meV}, \qquad v = \frac{3956}{0.50} = 7912\ \mathrm{m/s} $$

波長が $10$ 倍違うと,エネルギーは $100$ 倍,速度は $10$ 倍違う.$3.27\ \mathrm{meV}$ は $k_BT$ で $38\ \mathrm{K}$ 相当(液体水素モデレータの温度域),$327\ \mathrm{meV}$ は $3800\ \mathrm{K}$ 相当である.前者は分子の回転運動やスピン波,後者は化学結合の振動($\mathrm{OH}$ 伸縮が $450\ \mathrm{meV}$ 程度)を測る領域にあたる.$\lambda=5\ \mathrm{Å}$ は,単純な金属(Al は $2d_{111}=4.7\ \mathrm{Å}$,Fe は $2d_{110}=4.1\ \mathrm{Å}$)では $2d_{\max}$ を超えるので Bragg 反射が起きずに透過してしまう(Bragg カットオフ.$\lambda > 2d_{\max}$ が条件である.Si は $2d_{111}=6.3\ \mathrm{Å}$ なので $5\ \mathrm{Å}$ でもまだ回折する).この長波長側は主に小角散乱や非弾性散乱に使われる.

(2) $\lambda=2.0\ \mathrm{Å}$ の速度は

$$ v = \frac{3956}{2.0} = 1978\ \mathrm{m/s} $$

したがって $L=20\ \mathrm{m}$ の飛行時間は

$$ t = \frac{L}{v} = \frac{20\ \mathrm{m}}{1978\ \mathrm{m/s}} = 1.0111\times10^{-2}\ \mathrm{s} = 10.11\ \mathrm{ms} $$

である.換算式にまとめておくと $t[\mathrm{ms}] = 0.2528\,L[\mathrm{m}]\,\lambda[\mathrm{Å}]$ となり,中性子施設で日常的に使われる関係である.$10\ \mathrm{ms}$ という時間は,$25\ \mathrm{Hz}$ のパルス源(J-PARC)の周期 $40\ \mathrm{ms}$ の $1/4$ にあたり,1フレームに十分収まる.

(3) TOF 法では,中性子の波長は飛行時間から $\lambda = 3956\,t/L$ として決まる($t$ は s,$L$ は m,$\lambda$ は Å).$L$ が固定なら $\lambda\propto t$ だから,相対誤差はそのまま伝わる:

$$ \frac{\Delta\lambda}{\lambda} = \frac{\Delta t}{t} $$

パルス幅 $\Delta t = 70\ \mu\mathrm{s} = 7.0\times10^{-5}\ \mathrm{s}$(中性子が「いつ出発したか」の不確かさ)を入れると

$$ \frac{\Delta\lambda}{\lambda} = \frac{7.0\times10^{-5}}{1.0111\times10^{-2}} = 6.92\times10^{-3} \simeq 0.69\% $$

である.Bragg の式 $\lambda = 2d\sin\theta$ を $\theta$ 固定で微分すれば $\Delta d/d = \Delta\lambda/\lambda$ だから,格子面間隔の分解能も $0.69\%$ になる.格子定数が $4\ \mathrm{Å}$ の結晶なら,$4\times0.0069 = 0.028\ \mathrm{Å}$ の変化まで見分けられる.熱膨張係数 $10^{-5}\ \mathrm{K^{-1}}$ の材料なら $700\ \mathrm{K}$ の温度変化に相当し,これでは精密な格子定数測定には全く足りない.実際の回折計ではもっと高い分解能が要る.

なお厳密には,全体の分解能は複数の寄与の二乗和である:

$$ \left(\frac{\Delta d}{d}\right)^2 = \left(\frac{\Delta t}{t}\right)^2 + \left(\frac{\Delta L}{L}\right)^2 + \left(\Delta\theta\cot\theta\right)^2 $$

第2項は試料とモデレータの厚みによる飛行距離の不定性,第3項は散乱角の不定性で,後者は $\theta\to90^\circ$(後方散乱)で $\cot\theta\to0$ となって消える.高分解能粉末回折計が後方バンクを使う理由がこれである.

(4) $\Delta\lambda/\lambda = \Delta t/t = \Delta t\,v/L$ であり,$\Delta t$(パルス幅)と $v$(波長)が同じなら分解能は $L$ に反比例する.したがって $10$ 倍よくするには

$$ L' = 10\times20\ \mathrm{m} = 200\ \mathrm{m} $$

とすればよい.このとき $t = 101\ \mathrm{ms}$,$\Delta\lambda/\lambda = 6.9\times10^{-4}$ になる.実際 J-PARC の超高分解能粉末回折計 SuperHRPD は $L\simeq94\ \mathrm{m}$ で,$\Delta d/d\sim3\times10^{-4}$ を達成している.

代償は二つある.

つまり分解能・強度・帯域は三つ巴のトレードオフにあり,装置はどれか一つに賭けて設計される.同じ線源に高分解能機と高強度機の両方が並ぶのは,このためである.

検算.換算式そのものを既知の値で確かめる.標準的な熱中性子 $v=2200\ \mathrm{m/s}$ を入れると $\lambda = 3956/2200 = 1.798\ \mathrm{Å}$,$E = 81.804/(1.798)^2 = 25.30\ \mathrm{meV}$ となり,$k_BT$ に直すと $25.30/0.08617 = 294\ \mathrm{K}$ =室温 ✓.中性子散乱の教科書に出てくる「$2200\ \mathrm{m/s}$,$25.3\ \mathrm{meV}$,$1.80\ \mathrm{Å}$」の三つ組と一致する.次元の整合も見ておくと,$E\propto\lambda^{-2}$,$v\propto\lambda^{-1}$ だから $E \propto v^2$ で,非相対論の $E=\frac12 m_nv^2$ と整合する ✓.実際 $\frac12\times1.675\times10^{-27}\times(1978)^2 = 3.277\times10^{-21}\ \mathrm{J} = 20.5\ \mathrm{meV}$ で,$81.804/4 = 20.45\ \mathrm{meV}$ と合う ✓.

意味.本問で使った換算式は,本書16.6.2項で述べたとおり,中性子の質量が $939.6\ \mathrm{MeV}$ であるという一点から出ている.$\lambda=2\ \mathrm{Å}$(原子間距離のスケール)の中性子が $20\ \mathrm{meV}$(フォノンのスケール)をもつという偶然が,$\bm{Q}$ と $\hbar\omega$ を同時に,同じ精度で測ることを可能にした.そして (2)–(4) で扱った TOF 法は,この関係を「時間を測ればエネルギーが分かる」という形で装置に翻訳したものである.素粒子物理の実験で飛行時間法が粒子識別に使われるのとまったく同じ原理が,ここでは格子定数の $0.07\%$ の変化を追う道具になっている.装置の長さ $94\ \mathrm{m}$ という設計値の根拠が,中性子の質量とパルスの幅だけで書けてしまうところに,この分野の見通しのよさがある.

演習16.7 陽電子で欠陥を定量する

問題(再掲)

(1) アルミニウムの陽電子寿命はバルクで $\tau_b = 163\ \mathrm{ps}$,単空孔で $\tau_v=244\ \mathrm{ps}$ である.焼入れした試料で平均寿命 $\bar\tau=200\ \mathrm{ps}$ が得られた.本書16章の2状態捕獲模型の式で捕獲率 $\kappa$ を求めよ.

(2) Al の比捕獲率を $\mu_v = 2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}$(原子分率あたり)として,空孔濃度を求めよ.

(3) この試料をさらに強く照射して $\bar\tau=244\ \mathrm{ps}$ になった.空孔濃度はいくらか.答えられない理由を述べよ.

(4) 高分子で o-Ps 寿命 $\tau_3 = 1.64\ \mathrm{ns}$ が測れた.Tao–Eldrup 式($\Delta R=0.166\ \mathrm{nm}$)を使って自由体積の半径 $R$ を求めよ(試行錯誤でよい).

解答

方針.(1)–(3) は本書16.5.2項の2状態捕獲模型 $\kappa = \lambda_b(\bar\tau-\tau_b)/(\tau_v-\bar\tau)$ の直接適用と,その適用限界の確認である.(4) は16.5.3項の Tao–Eldrup 式を $R$ について逆に解く問題で,解析的には解けないので数値的に追い込む.

(1) まずバルクの消滅率を出す.

$$ \lambda_b = \frac{1}{\tau_b} = \frac{1}{163\times10^{-12}\ \mathrm{s}} = 6.135\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

捕獲率の式に $\bar\tau=200\ \mathrm{ps}$,$\tau_b=163\ \mathrm{ps}$,$\tau_v=244\ \mathrm{ps}$ を代入する.寿命の差はすべて $\mathrm{ps}$ 単位のまま比を取ればよい(次元が約分される):

$$ \kappa = \lambda_b\,\frac{\bar\tau-\tau_b}{\tau_v-\bar\tau} = 6.135\times10^{9}\times\frac{200-163}{244-200} = 6.135\times10^{9}\times\frac{37}{44} $$ $$ = 6.135\times10^{9}\times0.84091 = 5.159\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}} $$

この $\kappa$ の意味を確認しておく.バルク状態にいる陽電子は,消滅(率 $\lambda_b$)と捕獲(率 $\kappa$)の競争にさらされている.捕獲される割合は

$$ \eta = \frac{\kappa}{\lambda_b+\kappa} = \frac{5.159}{6.135+5.159} = 0.457 $$

すなわち陽電子の $46\%$ が空孔に落ちてから消滅している.$\bar\tau$ が $\tau_b$ と $\tau_v$ のちょうど中間よりやや下($200$ は $163$ と $244$ の中点 $203.5$ より少し小さい)にあることと整合する.

(2) 捕獲率は空孔濃度に比例し,比例定数が比捕獲率 $\mu_v$ である:$\kappa = \mu_v C_v$.したがって

$$ C_v = \frac{\kappa}{\mu_v} = \frac{5.159\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}}{2.0\times10^{14}\ \mathrm{s^{-1}}} = 2.58\times10^{-5} $$

原子分率で $2.6\times10^{-5}$,すなわち $26\ \mathrm{appm}$ である.Al 原子およそ $3.9$ 万個に空孔 $1$ 個の割合である.

この値の妥当性を熱平衡濃度から確かめておく.空孔形成エネルギーを $E_v^f = 0.67\ \mathrm{eV}$(Al の実測値)とすると,融点直下 $T = 900\ \mathrm{K}$($k_BT=0.0776\ \mathrm{eV}$)での熱平衡濃度は

$$ C_v^{\rm eq} = \exp\!\left(-\frac{E_v^f}{k_BT}\right) = \exp(-8.63) = 1.8\times10^{-4} $$

である.焼入れで凍結できるのはこのうち一部(急冷中に表面や転位へ逃げる分がある)だから,$26\ \mathrm{appm}$ という値はまったく無理のない数字である.逆に言えば,PALS で測った $\bar\tau$ の $37\ \mathrm{ps}$ の伸びから,焼入れ温度が推定できるということでもある.

(3) $\bar\tau = 244\ \mathrm{ps} = \tau_v$ である.式に入れると

$$ \kappa = \lambda_b\,\frac{244-163}{244-244} = \lambda_b\times\frac{81}{0} \to \infty $$

と分母がゼロになり,発散する.すなわちこの測定からは空孔濃度を決められない.

物理的には,これは飽和捕獲の状態である.空孔が十分に多いと,バルク状態で消滅する前にほぼ $100\%$ の陽電子が空孔に捕まってしまう(上の $\eta\to1$).そうなると寿命スペクトルは $\tau_v$ の単一成分になり,空孔がさらに増えても $\bar\tau$ はもう動かない.測定量が濃度に対して感度を失うのである.

言えるのは下限だけである.本書16.5.2項の注意にあるとおり,飽和は $C_v\gtrsim10^{-4}$ で起きるから

$$ C_v \gtrsim 10^{-4} = 100\ \mathrm{appm} $$

としか結論できない.この状況を打開する手立ては,寿命以外の観測量に移ることである.たとえば消滅 $\gamma$ 線のドップラー拡がり(S/W パラメータ)や同時計数ドップラー拡がり(CDB)は,捕獲が飽和しても欠陥の化学環境(周囲がどの元素か,空孔クラスタか転位か)に感度をもつ.あるいは陽電子ビームのエネルギーを変えて深さ分布を測る.「測定量が飽和したら別の観測量へ」というのは,あらゆる分光法に共通する作法である.

(4) Tao–Eldrup 式は

$$ \tau_{o\text{-}\mathrm{Ps}}\,[\mathrm{ns}] = \frac{1}{2}\left[1 - \frac{R}{R+\Delta R} + \frac{1}{2\pi}\sin\!\left(\frac{2\pi R}{R+\Delta R}\right)\right]^{-1} $$

である.$x \equiv R/(R+\Delta R)$ と置くと括弧の中は $f(x) = 1 - x + \sin(2\pi x)/(2\pi)$ で,$\tau = 0.5/f(x)$ である.$\tau=1.64\ \mathrm{ns}$ に対応する $f$ は

$$ f = \frac{0.5}{1.64} = 0.30488 $$

である.$\Delta R = 0.166\ \mathrm{nm}$ を固定して $R$ を動かし,$f$ を追い込む.

Tao–Eldrup 式の逐次代入($\Delta R=0.166\ \mathrm{nm}$)
$R\ [\mathrm{nm}]$$x=R/(R+\Delta R)$$2\pi x\ [\mathrm{rad}]$$\sin(2\pi x)$$f(x)$$\tau\ [\mathrm{ns}]$
0.240.591133.7142$-0.54182$0.322631.550
0.250.600963.7760$-0.59266$0.304711.641
0.260.610333.8348$-0.63901$0.287971.736
0.300.643784.0450$-0.78542$0.231222.162

$R=0.25\ \mathrm{nm}$ で $\tau=1.641\ \mathrm{ns}$ となり,測定値 $1.64\ \mathrm{ns}$ とぴたりと合う.数値的に精密化すると $R = 0.2499\ \mathrm{nm}$ である.

$R=0.25\ \mathrm{nm}$ の球の体積は

$$ V = \frac{4}{3}\pi R^3 = \frac{4}{3}\pi\times(0.25)^3 = 0.0654\ \mathrm{nm^3} = 65.4\ \mathrm{Å^3} $$

である.本書16.5.3項で例に取った $\tau_3=2.16\ \mathrm{ns}$,$R=0.30\ \mathrm{nm}$,$V=0.11\ \mathrm{nm^3}$ よりひとまわり小さい.寿命が $1.64/2.16 = 0.76$ 倍になっただけで体積は $0.0654/0.113 = 0.58$ 倍と,$\tau$ よりも敏感に効く.この非線形性こそが,PALS が自由体積の小さな違いを見分けられる理由である.

検算.(1) の結果を2成分分解から独立に確かめる.$\lambda_v = 1/244\ \mathrm{ps} = 4.098\times10^{9}\ \mathrm{s^{-1}}$ として長寿命成分の強度は

$$ I_2 = \frac{\kappa}{\lambda_b-\lambda_v+\kappa} = \frac{5.159}{6.135-4.098+5.159} = 0.717 $$

短寿命成分は $\tau_1 = 1/(\lambda_b+\kappa) = 1/(1.1294\times10^{10}) = 88.5\ \mathrm{ps}$ だから,平均寿命は

$$ \bar\tau = I_1\tau_1 + I_2\tau_2 = 0.283\times88.5 + 0.717\times244 = 25.0 + 175.0 = 200.0\ \mathrm{ps}\ \checkmark $$

与えられた $\bar\tau$ が再現された.次元も,$\kappa$ は $[\mathrm{s^{-1}}]$,$\mu_v$ は「原子分率あたりの $\mathrm{s^{-1}}$」だから商は無次元=原子分率 ✓.(4) については極限で確かめる.$R\to0$ では $x\to0$,$f\to1$,$\tau\to0.5\ \mathrm{ns}$(壁の電子層に完全に浸り,ピックオフ率 $\lambda_{2\gamma}=2\ \mathrm{ns^{-1}}$ そのもの)✓.$R\to\infty$ では $x\to1$,$f\to0$,$\tau\to\infty$(実際には真空値 $142\ \mathrm{ns}$ で頭打ち)✓.どちらの極限も物理的に正しい.

意味.この演習は,反粒子が「実験室の日用品」になっている場面を数値で示している.(1)–(2) の感度に注目したい.平均寿命がわずか $37\ \mathrm{ps}$ 伸びただけで,$26\ \mathrm{appm}$ という濃度が読める.$26\ \mathrm{appm}$ は透過電子顕微鏡ではまず見えず,電気抵抗測定でも他の散乱源と分離しにくい.陽電子がこれを可能にしているのは,正電荷ゆえに空孔(正イオンが抜けて負に帯電した領域)へ選択的に落ち込むという,Dirac 方程式が予言した反粒子の性質そのものによる.一方 (4) の Tao–Eldrup 式は,$142\ \mathrm{ns}$ という o-Ps の真空寿命を基準に成り立っている.そしてその $142\ \mathrm{ns}$ は,第6章の $C$ パリティ保存則($^3S_1$ は $C=-1$ なので $3\gamma$ 以上にしか崩壊できない)と第10章の QED($3\gamma$ が $\alpha$ 一次分だけ抑制される)から出る数字である.ガス分離膜の自由体積を測る装置の目盛りは,$C$ パリティと微細構造定数で刻まれている.そして (3) が教えるのは,どんな鋭い道具にも作動範囲があり,その外では「答えられない」と正直に言わねばならないということである.

演習16.8 検出器の分解能とソフトエラー

問題(再掲)

(1) Si ドリフト検出器($\varepsilon=3.6\ \mathrm{eV}$,$F=0.11$)で Mn K$\alpha$($5.90\ \mathrm{keV}$)を測ったときの統計限界の $\Delta E_{\rm FWHM}$ を求めよ.

(2) 同じ線を TES($\varepsilon$ が実効的に $10^{-3}\ \mathrm{eV}$ 相当,$F=0.005$ 相当と考える)で測ったときの値を求め,(1) の何倍よいかを言え.

(3) LaBr$_3$(Ce)(発光量 $63000\ \mathrm{ph/MeV}$,集光+量子効率 $20\%$)で $^{137}$Cs の $662\ \mathrm{keV}$ を測ったときの分解能を求め,表16.10 の実測値 $2.7\%$ と比べよ.

(4) 宇宙線鉄イオン($\mathrm{LET}=15\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}$)が,空乏層厚さ $2\ \mu\mathrm{m}$ の SRAM セルを貫いた.本書16章の LET 換算則を使って生成電荷を求め,臨界電荷 $Q_{\rm crit}=5\ \mathrm{fC}$ と比べよ.

解答

方針.(1)–(3) はすべて本書16.8.1項の一本の式 $\Delta E_{\rm FWHM} = 2.355\sqrt{F\varepsilon E}$ の適用である.$\varepsilon$ が何桁も違う三つの材料を同じ式に通すことで,「検出器の進歩とは $\varepsilon$ を下げる歴史である」という主張が数値で確認できる.(4) は16.7.3項の $1\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}\leftrightarrow10.4\ \mathrm{fC/\mu m}$ 則の直接適用である.

(1) $F=0.11$,$\varepsilon=3.6\ \mathrm{eV}$,$E=5.90\ \mathrm{keV}=5900\ \mathrm{eV}$ を代入する.まず根号の中身は

$$ F\varepsilon E = 0.11\times3.6\ \mathrm{eV}\times5900\ \mathrm{eV} = 0.396\times5900 = 2336.4\ \mathrm{eV^2} $$ $$ \sqrt{F\varepsilon E} = 48.34\ \mathrm{eV} $$

したがって

$$ \Delta E_{\rm FWHM} = 2.355\times48.34 = 113.8\ \mathrm{eV} \simeq 114\ \mathrm{eV} $$

相対分解能では $113.8/5900 = 1.93\%$ である.参考までに生成される電子—正孔対の数は $N=E/\varepsilon = 5900/3.6 = 1639$ 個で,Fano 因子がなければ揺らぎは $\sqrt{1639}=40.5$ 個だが,$\sqrt{F}=0.332$ 倍に抑えられて $13.4$ 個になっている.表16.11 の SDD のカタログ値 $125\ \mathrm{eV}$ @ $6\ \mathrm{keV}$ とよく合う(差は前置増幅器の電子雑音である).

(2) 超伝導 TES では,Cooper 対を壊すのに要るエネルギー $2\Delta\approx3.5k_BT_c$ が「量子1個」の値になる.$\varepsilon=10^{-3}\ \mathrm{eV}$,$F=0.005$ として同じ式に入れると

$$ F\varepsilon E = 0.005\times1\times10^{-3}\ \mathrm{eV}\times5900\ \mathrm{eV} = 5\times10^{-6}\times5900 = 2.95\times10^{-2}\ \mathrm{eV^2} $$ $$ \sqrt{F\varepsilon E} = 0.1718\ \mathrm{eV} $$ $$ \Delta E_{\rm FWHM} = 2.355\times0.1718 = 0.404\ \mathrm{eV} $$

(1) と比べると

$$ \frac{113.8}{0.404} = 281 $$

すなわち統計限界では約 $280$ 倍よい.なぜこうなるかは式を見れば明らかで,$\Delta E\propto\sqrt{F\varepsilon}$ において $\varepsilon$ が $3.6\ \mathrm{eV}\to10^{-3}\ \mathrm{eV}$ と $3600$ 分の1,$F$ が $0.11\to0.005$ と $22$ 分の1,合わせて $F\varepsilon$ が $3600\times22 = 7.92\times10^{4}$ 分の1になり,その平方根 $\sqrt{7.92\times10^{4}}=281$ がそのまま分解能の比になる.生成される量子の数は $N=5900/10^{-3}=5.9\times10^{6}$ 個にもなる.

ただしこれはあくまで統計限界である.実際の TES では熱ゆらぎ(フォノン雑音)が支配的で,本書16.8.2項で計算したとおり理論限界は $1\ \mathrm{eV}$ 前後,実装値は $1.6\ \mathrm{eV}$ である.この実装値で比べても

$$ \frac{113.8}{1.6} = 71 $$

で,なお $70$ 倍よい.$E/\Delta E = 5900/1.6 = 3700$ という分解能は,結晶分光器に匹敵する.

(3) シンチレータでは「量子」は光電子である.ここが半導体と本質的に違う点で,発光した光子がすべて信号になるわけではなく,集光効率と光電陰極の量子効率を掛けた分だけが光電子になる.生成光電子数は

$$ N_{\rm pe} = 63000\ \mathrm{ph/MeV}\times0.662\ \mathrm{MeV}\times0.20 = 41706\times0.20 = 8341 $$

個である.シンチレータでは発光過程が複雑で Fano 因子は $1$ に近いので,素朴な Poisson 統計を使ってよい:

$$ \frac{\Delta E}{E} = \frac{2.355}{\sqrt{N_{\rm pe}}} = \frac{2.355}{\sqrt{8341}} = \frac{2.355}{91.33} = 2.58\times10^{-2} = 2.6\% $$

表16.10 の実測値 $2.7\%$ とよく一致する.エネルギーに直せば $0.026\times662 = 17\ \mathrm{keV}$ である.

この一致は,実は簡単には得られないものである.本書16.8.1項ステップ5 で NaI(Tl) について同じ計算をすると $3.3\%$ が出るのに実測は $6\text{–}7\%$ で,$2$ 倍も悪い.差の原因は発光量の非比例性(エネルギーに対して発光量が厳密に比例しないこと.高い励起子密度での消光,すなわち Birks 則に由来する)である.LaBr$_3$(Ce) はこの非比例性が小さいので,統計限界がほぼそのまま実現する.「計算と実測が合う」こと自体が,この材料の優秀さの証明になっている.同じ理由で,$63000\ \mathrm{ph/MeV}$ という発光量が CsI(Tl) の $54000$ より $17\%$ しか大きくないのに,分解能は $6.5\%$ 対 $2.7\%$ と $2.4$ 倍も違う.発光量だけを見て材料を選んではいけない.

(4) 本書16.7.3項で導いた換算則は

$$ 1\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg} \;\longleftrightarrow\; 10.4\ \mathrm{fC/\mu m}\quad(\text{Si 中}) $$

であった.$\mathrm{LET}=15\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}$ の鉄イオンが厚さ $2\ \mu\mathrm{m}$ の空乏層を貫くと,生成電荷は

$$ q = 15\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}\times10.4\ \mathrm{fC/\mu m}\times2\ \mu\mathrm{m} = 312\ \mathrm{fC} $$

である.臨界電荷 $Q_{\rm crit}=5\ \mathrm{fC}$ と比べると

$$ \frac{q}{Q_{\rm crit}} = \frac{312}{5} = 62 $$

実に $62$ 倍である.このイオンが当たれば,ビットは確実に反転する.

換算則を使わずに素通りで数え直しておくと,こうなる.Si の密度は $\rho=2.33\ \mathrm{g/cm^3}$ なので,厚さ $1\ \mu\mathrm{m}$ の質量厚さは

$$ \rho\,\ell = 2.33\ \mathrm{g/cm^3}\times1\times10^{-4}\ \mathrm{cm} = 2.33\times10^{-4}\ \mathrm{g/cm^2} = 0.233\ \mathrm{mg/cm^2} $$

である.したがって $2\ \mu\mathrm{m}$ で落とすエネルギーは

$$ \Delta E = 15\ \mathrm{MeV\,cm^2/mg}\times0.233\ \mathrm{mg/cm^2\,\mu m^{-1}}\times2\ \mu\mathrm{m} = 6.99\ \mathrm{MeV} $$

生成される電子—正孔対は $\varepsilon=3.6\ \mathrm{eV}$ を使って $6.99\times10^{6}/3.6 = 1.94\times10^{6}$ 対,電荷にすると

$$ q = 1.94\times10^{6}\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{C} = 3.11\times10^{-13}\ \mathrm{C} = 311\ \mathrm{fC}\quad\checkmark $$

換算則から出した $312\ \mathrm{fC}$ と一致する.換算則の $10.4\ \mathrm{fC/\mu m}$ という数字自体が,いま並べた $\rho$,$\varepsilon$,$e$ の三つだけからできていることが分かる($0.233/3.6\times1.602\times10^{-19}\times10^{6} = 1.04\times10^{-14}\ \mathrm{C}$).

「$62$ 倍」という数字が意味するのは,素子側の対策では原理的に防げないということである.$Q_{\rm crit}$ を $62$ 倍にするには記憶ノードの容量か電源電圧を $62$ 倍にせねばならず,微細化と低消費電力化の流れと真っ向から衝突する(しかも本書16.7.3項ステップ5 のとおり,微細化は $Q_{\rm crit}$ を下げる方向に働く).空乏層を薄くする(SOI)のは有効で,厚さ $2\ \mu\mathrm{m}$ を $0.1\ \mu\mathrm{m}$ にすれば電荷は $1/20$ の $16\ \mathrm{fC}$ になるが,それでもまだ $Q_{\rm crit}$ の $3$ 倍である.結局,残る手はシステム側の冗長化しかない.

検算.(1) を本書16.8.1項の別の例と照合する.そこでは $6\ \mathrm{keV}$ に対して $2.355\sqrt{0.11\times3.6\times6000} = 115\ \mathrm{eV}$ を得ている.$\Delta E\propto\sqrt{E}$ だから $5.90\ \mathrm{keV}$ では $115\times\sqrt{5900/6000} = 114\ \mathrm{eV}$ ✓.高純度 Ge の例($\varepsilon=2.96\ \mathrm{eV}$,$F=0.11$,$E=1332\ \mathrm{keV}$)で $1.55\ \mathrm{keV}$ が得られていることとも整合する.次元は,$F$ が無次元,$\varepsilon$ と $E$ がエネルギーだから $\sqrt{F\varepsilon E}$ はエネルギーの次元 ✓.(3) の相対分解能は $2.355/\sqrt{N}$ で無次元 ✓.(4) は $[\mathrm{MeV\,cm^2/mg}]\times[\mathrm{fC/\mu m}]/[\mathrm{MeV\,cm^2/mg}]\times[\mu\mathrm{m}] = [\mathrm{fC}]$ ✓.また電荷を電子数に直すと $312\times10^{-15}/1.602\times10^{-19} = 1.95\times10^{6}$ 個で,上で数えた電子—正孔対の数と一致する ✓.

意味.(1)–(3) の三つの数字 $114\ \mathrm{eV}$,$0.40\ \mathrm{eV}$,$2.6\%$ は,同じ一本の式 $\Delta E = 2.355\sqrt{F\varepsilon E}$ から出ている.違うのは $\varepsilon$ だけで,$26\ \mathrm{eV}$(シンチレータ,可視光子1個を出すのにバンドギャップの数倍)$\to3.6\ \mathrm{eV}$(半導体,電子—正孔対1個にバンドギャップの約3倍)$\to10^{-3}\ \mathrm{eV}$(超伝導体,Cooper 対を壊すのに $2\Delta\approx3.5k_BT_c$)という階段である.そして最後の一段を支えているのは BCS 理論の $2\Delta = 3.5k_BT_c$ であり,その背後にあるのは第13章で扱った $\mathrm{U}(1)$ 対称性の自発的破れである.TES を搭載する次世代 X 線分光器(Athena/X-IFU など)の分解能仕様は,突き詰めれば超伝導ギャップが $\mathrm{meV}$ であるという物性値一つで決まっている.なお,銀河団プラズマの乱流速度を $\mathrm{km/s}$ の精度で測っている XRISM 衛星の Resolve 検出器は超伝導 TES ではなく,Si イオン注入サーミスタを温度計に使う半導体型マイクロカロリメータであり,軌道上の分解能は $6\ \mathrm{keV}$ で約 $5\ \mathrm{eV}$ である.TES 型が実験室で $1.6\ \mathrm{eV}$ に達しているのに対し,飛行実績があるのはまだこちらだという点も含めて,$\varepsilon$ の階段と実装の成熟度は別問題であることを押さえておきたい.

(4) はその裏返しである.検出器では「小さな $\varepsilon$」が武器になるが,メモリ素子では同じ性質が弱点になる.Si の $\varepsilon=3.6\ \mathrm{eV}$ が小さいからこそ,$1\ \mu\mathrm{m}$ の飛跡が $10.4\ \mathrm{fC}$ という「読めてしまう」電荷を作る.表16.9 でワイドギャップ半導体が耐放射線性に有利とされる理由の一つが「$\varepsilon$ が大きい」ことであり,これは検出器としては不利(同じエネルギーで信号が小さい)である.同じ物性値が,用途によって長所にも短所にもなる.素粒子物理の検出器と,宇宙機の耐放射線メモリは,まったく同じ物理を反対向きに使っている.

E.17 付録A Dirac のデルタ関数と規格化 の解答

演習A.1 デルタ関数の基本性質

問題(再掲)

(1) $\delta(ax)=\delta(x)/\abs{a}$ を,$a>0$ と $a<0$ の両方について,試験関数との積分から示せ.$a<0$ で積分区間の向きが反転することに注意すること.

(2) $a>0$ として $\delta(x^2-a^2)$ を,単純なデルタ関数の和として書け.

(3) (2) を使って $\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\cos x\;\delta(x^2-\pi^2)\,\dd x$ を計算せよ.

(4) $\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}x^3\,\delta''(x-2)\,\dd x$ を計算せよ.

(5) $\delta(\sin x)$ を書き下し,$\displaystyle\int_{0}^{10}\ee^{-x}\,\delta(\sin x)\,\dd x$ を求めよ($10<4\pi=12.566$ に注意).

解答

方針.使う道具は本書A.1 節の三つだけである.すなわち定義「$\delta$ は試験関数と積分してはじめて意味をもつ」,合成関数則 $\delta(f(x))=\sum_i\delta(x-x_i)/\abs{f'(x_i)}$(本書 導出3),そして微分の規則 $\int f\,\delta^{(n)}(x-a)\dd x=(-1)^n f^{(n)}(a)$(本書 導出4)である.(1) は定義そのものから,(2)–(3) と (5) は合成関数則から,(4) は微分の規則から出る.

(1) 任意の連続関数 $f$ をとり,$\int_{-\infty}^{\infty}f(x)\,\delta(ax)\,\dd x$ を計算する.

$a>0$ の場合.$y=ax$ と置換すると $x=y/a$,$\dd x=\dd y/a$ である.$a>0$ なので $x:-\infty\to\infty$ に対して $y:-\infty\to\infty$ であり,積分区間の向きは変わらない.したがって

$$ \int_{-\infty}^{\infty}f(x)\,\delta(ax)\,\dd x = \int_{-\infty}^{\infty}f\!\left(\frac{y}{a}\right)\delta(y)\,\frac{\dd y}{a} = \frac{1}{a}\,f(0) $$

である.最後の等号で定義 $\int g(y)\delta(y)\dd y=g(0)$ を使い,$f(0/a)=f(0)$ とした.

$a<0$ の場合.同じ置換 $y=ax$,$\dd x=\dd y/a$ を行うが,今度は $a<0$ なので $x\to+\infty$ が $y\to-\infty$ に,$x\to-\infty$ が $y\to+\infty$ に移る.すなわち積分区間の向きが反転する.

$$ \int_{-\infty}^{\infty}f(x)\,\delta(ax)\,\dd x = \int_{+\infty}^{-\infty}f\!\left(\frac{y}{a}\right)\delta(y)\,\frac{\dd y}{a} = -\frac{1}{a}\int_{-\infty}^{\infty}f\!\left(\frac{y}{a}\right)\delta(y)\,\dd y = -\frac{1}{a}\,f(0) $$

ここで上下限を入れ替えるときに全体の符号が反転した.$a<0$ では $-1/a=1/\abs{a}$ であるから,結局この場合も $f(0)/\abs{a}$ である.

まとめ.どちらの場合も $\int f(x)\delta(ax)\dd x=f(0)/\abs{a}$ となり,これは $\int f(x)\left[\delta(x)/\abs{a}\right]\dd x$ に一致する.任意の $f$ について両者が等しいのだから,超関数として

$$ \delta(ax)=\frac{1}{\abs{a}}\,\delta(x)\qquad(a\neq0) $$

である.なお $a>0$ と $a<0$ を分けずに $\dd x=\dd y/a$ とだけ書いて $1/a$ を答えにしてしまうのが典型的な誤りである.左辺 $\delta(ax)$ は $a$ の符号を変えても($\delta$ が偶関数だから)変わらないのに,$1/a$ は符号を変えてしまうので,そもそも辻褄が合わない.

(2) $f(x)=x^2-a^2$ とおく.零点は $f(x)=0$ すなわち $x=\pm a$ の二つで,$a>0$ だからこれらは相異なる単純零点である.導関数は $f'(x)=2x$ なので

$$ \abs{f'(+a)}=\abs{2a}=2a,\qquad \abs{f'(-a)}=\abs{-2a}=2a $$

である($a>0$ を使った).合成関数則に代入して

$$ \delta(x^2-a^2)=\frac{1}{2a}\Big[\delta(x-a)+\delta(x+a)\Big] $$

を得る.二つの零点の重みが等しいのは $\abs{f'}$ が両方で $2a$ だからであり,$x^2-a^2$ のグラフが $x=0$ について対称であることの反映である.

問題文が $a>0$ とわざわざ断っているのには理由がある.$a\to0$ では二つの零点が $x=0$ で合流し,そこで $f'(0)=0$ になる.合成関数則は「単純零点($f'\neq0$)であること」を前提にしているので,この極限では公式が使えない.実際 $1/2a$ が発散することが,そのまま破綻の合図になっている.$\delta(x^2)$ という記号は,超関数としてそのままでは意味をもたない.

(3) (2) で $a=\pi$ とすると

$$ \delta(x^2-\pi^2)=\frac{1}{2\pi}\Big[\delta(x-\pi)+\delta(x+\pi)\Big] $$

である.これを積分に入れる.

$$ \int_{-\infty}^{\infty}\cos x\;\delta(x^2-\pi^2)\,\dd x = \frac{1}{2\pi}\left[\int\cos x\,\delta(x-\pi)\dd x+\int\cos x\,\delta(x+\pi)\dd x\right] = \frac{1}{2\pi}\Big[\cos\pi+\cos(-\pi)\Big] $$

$\cos\pi=\cos(-\pi)=-1$ であるから

$$ = \frac{1}{2\pi}\left[(-1)+(-1)\right] = -\frac{1}{\pi} = -0.31831 $$

である.

(4) 本書 導出4 の式で $n=2$,$a=2$,$f(x)=x^3$ とする.$f'(x)=3x^2$,$f''(x)=6x$ であるから

$$ \int_{-\infty}^{\infty}x^3\,\delta''(x-2)\,\dd x = (-1)^2 f''(2) = 6\times2 = 12 $$

である.符号 $(-1)^n$ は部分積分を $n$ 回行うたびに出る負号の積であり,$n=2$ なので打ち消し合って $+1$ になる.念のため部分積分を明示的に二回行うと,境界項はすべて $\delta$ とその微分が無限遠でゼロなので落ち,

$$ \int x^3\delta''(x-2)\dd x=-\int 3x^2\,\delta'(x-2)\dd x=+\int 6x\,\delta(x-2)\dd x=12 $$

となって同じ答えを得る.

(5) $f(x)=\sin x$ の零点は $x=n\pi$($n\in\mathbb{Z}$)であり,$f'(x)=\cos x$ より $\abs{f'(n\pi)}=\abs{\cos n\pi}=\abs{(-1)^n}=1$ である.どの零点でも重みが $1$ になるので

$$ \delta(\sin x)=\sum_{n=-\infty}^{\infty}\delta(x-n\pi) $$

という「$\delta$ の櫛」になる.次に積分区間 $0\le x\le10$ に入る零点を数える.$\pi=3.14159$,$2\pi=6.28319$,$3\pi=9.42478$,$4\pi=12.56637$ であるから,$3\pi<10<4\pi$ より区間内の零点は $x=0,\ \pi,\ 2\pi,\ 3\pi$ の四つである.このうち $x=0$ は区間の端点にあたる.端点の $\delta$ をどう数えるかには流儀があるが,本書のヒントに従って開区間 $0<x<10$ の内部にある三つだけを数えると

$$ \int_0^{10}\ee^{-x}\,\delta(\sin x)\,\dd x = \ee^{-\pi}+\ee^{-2\pi}+\ee^{-3\pi} $$

である.数値は $\ee^{-\pi}=0.0432139$,$\ee^{-2\pi}=0.00186744$,$\ee^{-3\pi}=0.0000806995$ なので

$$ = 0.0432139+0.0018674+0.0000807 = 0.0451621 \simeq 0.0452 $$

となる.なお端点 $x=0$ を「半分」と数える流儀を採れば $0.5+0.04516=0.5452$ となり,答えが大きく変わる.どちらが正しいかは,もとの物理がどちらの区間を意味しているかで決まる.積分区間の端に $\delta$ の芯が乗る式を書いてしまったら,そこで立ち止まって区間の由来を確かめるべきである,というのがこの小問の教訓である.

検算.三点で確かめる.第一に次元である.本書 導出2 の直後で注意されているとおり $\delta(x)$ の次元は $[x]^{-1}$ であり,(2) の右辺 $\left[\delta(x-a)+\delta(x+a)\right]/2a$ の次元は $[x]^{-1}\cdot[x]^{-1}=[x]^{-2}$,左辺 $\delta(x^2-a^2)$ の次元も $[x^2]^{-1}=[x]^{-2}$ で確かに一致する.第二に (3) を合成関数則を経由せずに直接読むこともできる.$\delta(x^2-\pi^2)$ は $x=\pm\pi$ の二点を重み $1/2\pi$ ずつで拾い,どちらの点でも $\cos x=-1$ なので $2\times(-1)\times1/(2\pi)=-1/\pi$ で一致する.第三に (5) の級数は公比 $\ee^{-\pi}=0.0432$ の等比級数であり,第一項が全体の $95.7\%$ を占める.無限区間まで伸ばした場合の厳密値は $\ee^{-\pi}/(1-\ee^{-\pi})=0.045166$ であって,得られた $0.045162$ とほぼ一致する.$3\pi$ より先の項が効かないことが,この比較からも確かめられる.

意味.(1) のスケーリング則は,$\delta$ が「長さの逆数の次元をもつ」ことの表明である.これは形式論ではなく実務に直結する.たとえば状態密度 $D(E)=\sum_n\delta(E-\varepsilon_n)$ の単位が $\mathrm{eV^{-1}}$ になり,$\delta^3(\xx)$ が $\text{Å}^{-3}$ になり,四次元の $\delta^4(p)$ が $\mathrm{GeV^{-4}}$ になる.散乱断面積の公式で $(2\pi)^4\delta^4$ と $\dd^3p/[(2\pi)^32E]$ の次元が相殺することを確かめるのは,計算の誤りを見つける最も安上がりな方法である.(5) の $\delta(\sin x)=\sum_n\delta(x-n\pi)$ という「櫛」は,本書 A.2.2 項の Poisson の和公式 $\sum_{\bm R}\ee^{\ii\qq\cdot\bm R}=\frac{(2\pi)^3}{v_\text{cell}}\sum_{\bm G}\delta^3(\qq-\bm G)$ と同じ構造をしている.周期的な零点をもつ関数の $\delta$ は,等間隔に並んだ $\delta$ の列になる.結晶による X 線回折で Laue 条件を満たす方向にだけ鋭いピークが立つのも,電子–フォノン散乱に Umklapp 過程が現れるのも,この一行の帰結である.一次元の練習問題に見えるが,材料科学者が毎日見ている回折パターンの数学そのものである.

演習A.2 質量殻と不変位相空間

問題(再掲)

(1) 合成関数則を用いて $\delta(p^2-m^2)\theta(p^0)=\delta(p^0-E_\pp)/2E_\pp$ を示せ.

(2) $z$ 方向のブースト(速度 $\beta$)に対して $\partial p'^3/\partial p^3=E'/E$ を示し,$\dd^3p/E$ が Lorentz 不変であることを直接確かめよ.$E$ が $p^3$ に依存することを忘れないこと.

(3) $\pi^0\to\gamma\gamma$($m_{\pi^0}=134.977\ \mathrm{MeV}$,光子は質量ゼロ)の2体位相空間 $\int\dd\Pi_2$ の値を求めよ.答えが $\pi^0$ の質量に依らないことを確認せよ.

(4) $\rho^0\to\pi^+\pi^-$($m_\rho=775.26\ \mathrm{MeV}$,$m_{\pi^\pm}=139.570\ \mathrm{MeV}$)について,重心系での $\abs{\pp}$ と $\int\dd\Pi_2$ を求め,(3) の値と比べよ.

解答

方針.本書の自然単位系 $\hbar=c=1$,計量 $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ のもとで,$p^2=(p^0)^2-\abs{\pp}^2$ である.(1) と (2) は本書 導出8・導出13 の再構成,(3)(4) は本書 導出14 の結果 $\int\dd\Pi_2=\abs{\pp}/(4\pi\sqrt s)$ の数値評価である.

(1) 空間運動量 $\pp$ を固定し,$p^0$ の関数として

$$ f(p^0)\equiv p^2-m^2=(p^0)^2-\abs{\pp}^2-m^2=(p^0)^2-E_\pp^2, \qquad E_\pp\equiv\sqrt{\abs{\pp}^2+m^2}\ (>0) $$

とおく.零点は $(p^0)^2=E_\pp^2$ すなわち $p^0=\pm E_\pp$ の二つである.$m>0$ でも $m=0$ かつ $\pp\neq0$ でも $E_\pp>0$ なので,この二つは相異なる単純零点である.導関数は $f'(p^0)=2p^0$ なので

$$ \abs{f'(+E_\pp)}=2E_\pp,\qquad \abs{f'(-E_\pp)}=\abs{-2E_\pp}=2E_\pp $$

である.合成関数則に代入すると

$$ \delta(p^2-m^2)=\frac{1}{2E_\pp}\Big[\delta(p^0-E_\pp)+\delta(p^0+E_\pp)\Big] $$

となる.ここに階段関数 $\theta(p^0)$ を掛ける.第一項の $\delta$ は $p^0=+E_\pp>0$ に芯があるので $\theta(p^0)=1$ の領域にあり生き残る.第二項の $\delta$ は $p^0=-E_\pp<0$ に芯があり,そこでは $\theta(p^0)=0$ なので消える.よって

$$ \delta(p^2-m^2)\,\theta(p^0)=\frac{1}{2E_\pp}\,\delta(p^0-E_\pp) $$

である.これを $\dd^4p=\dd p^0\,\dd^3p$ で積分すれば,$p^0$ 積分が $\delta$ で片づいて $\int\dd^4p\,\delta(p^2-m^2)\theta(p^0)\,g(p)=\int\frac{\dd^3p}{2E_\pp}g(E_\pp,\pp)$ となる.左辺は $\dd^4p$ が不変,$p^2-m^2$ がスカラー,$\theta(p^0)$ も固有直交 Lorentz 変換では時間の向きが保たれるので不変であるから,右辺の $\dd^3p/2E_\pp$ も Lorentz 不変でなければならない.

(2) $z$ 方向に速度 $\beta$ でブーストする.$\gamma=1/\sqrt{1-\beta^2}$ として

$$ p'^{\,3}=\gamma\left(p^3-\beta E\right),\qquad E'=\gamma\left(E-\beta p^3\right),\qquad p'^{\,1}=p^1,\quad p'^{\,2}=p^2 $$

である.$\delta^3$ や $\dd^3p$ の変換には Jacobian $\abs{\partial\pp'/\partial\pp}$ が要るが,横方向 $1,2$ 成分は恒等変換なので,行列式は $\partial p'^{\,3}/\partial p^3$ だけになる.

ここが要点である.$p^3$ を微小に動かすとき,$E$ は独立変数ではない.粒子は質量殻上にあるので $E=\sqrt{(p^1)^2+(p^2)^2+(p^3)^2+m^2}$ であり,$p^3$ に依存する.したがって

$$ \frac{\partial E}{\partial p^3}=\frac{p^3}{\sqrt{\abs{\pp}^2+m^2}}=\frac{p^3}{E} $$

である.これを使って Jacobian を計算する.

$$ \frac{\partial p'^{\,3}}{\partial p^3} =\gamma\left(1-\beta\frac{\partial E}{\partial p^3}\right) =\gamma\left(1-\beta\frac{p^3}{E}\right) =\frac{\gamma\left(E-\beta p^3\right)}{E} =\frac{E'}{E} $$

最後の等号でブーストの第二式 $E'=\gamma(E-\beta p^3)$ を使った.したがって体積要素は

$$ \dd^3p'=\frac{\partial p'^{\,3}}{\partial p^3}\,\dd^3p=\frac{E'}{E}\,\dd^3p \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{\dd^3p'}{E'}=\frac{\dd^3p}{E} $$

と変換し,$\dd^3p/E$ は Lorentz 不変である.同時に,$\dd^3p$ 単独は不変ではなく因子 $E'/E$ だけずれることも分かった.これが本書 A.5 節で相対論的規格化に $2E$ を入れる根本の理由である.すなわち $\delta^3(\pp-\qq)$ の側は $\delta^3(\pp'-\qq')=(E/E')\delta^3(\pp-\qq)$ と逆に変換するので,$E\,\delta^3(\pp-\qq)$ という組み合わせだけが不変になる.

(3) 本書 導出14 の結果は,等方的な場合に $\int\dd\Pi_2=\abs{\pp}/(4\pi\sqrt s)$ である.$\pi^0\to\gamma\gamma$ では始状態が静止した $\pi^0$ なので $\sqrt s=m_{\pi^0}$,終状態は質量ゼロの光子二つなので $m_1=m_2=0$ である.重心系でのエネルギー保存 $\sqrt s=E_1+E_2=2\abs{\pp}$ より

$$ \abs{\pp}=\frac{\sqrt s}{2} $$

である.これを代入すると

$$ \int\dd\Pi_2=\frac{\sqrt s/2}{4\pi\sqrt s}=\frac{1}{8\pi}=0.0397887 $$

となり,$\sqrt s$ が分子と分母で完全に相殺して質量に依らない.数値を入れる必要すらない:$m_{\pi^0}=134.977\ \mathrm{MeV}$ でも $m_{\eta}=547.86\ \mathrm{MeV}$ でも,質量ゼロ二体の位相空間は同じ $1/8\pi$ である.なお $\int\dd\Pi_2$ は無次元である.実際 $\dd^3p/[(2\pi)^32E]$ が $[\text{エネルギー}]^2$ の次元をもち,これが二つで $[\text{エネルギー}]^4$,$(2\pi)^4\delta^4$ が $[\text{エネルギー}]^{-4}$ なので積は無次元になる.

(4) $\rho^0\to\pi^+\pi^-$ では $\sqrt s=m_\rho=775.26\ \mathrm{MeV}$,終状態は等しい質量 $m_\pi=139.570\ \mathrm{MeV}$ の二体である.本書 導出14 の末尾にある Källén 関数の式で $m_1=m_2=m$ とすると

$$ \lambda(s,m^2,m^2)=s^2+m^4+m^4-2sm^2-2m^4-2sm^2=s^2-4sm^2=s\left(s-4m^2\right) $$

となるから

$$ \abs{\pp}=\frac{\sqrt{\lambda(s,m^2,m^2)}}{2\sqrt s}=\frac{\sqrt{s(s-4m^2)}}{2\sqrt s}=\frac12\sqrt{s-4m^2}=\frac12\sqrt{m_\rho^2-4m_\pi^2} $$

である.数値を順に入れる.

$$ m_\rho^2=(775.26)^2=601028.07\ \mathrm{MeV^2}, \qquad 4m_\pi^2=4\times(139.570)^2=4\times19479.7849=77919.14\ \mathrm{MeV^2} $$ $$ m_\rho^2-4m_\pi^2=601028.07-77919.14=523108.93\ \mathrm{MeV^2}, \qquad \sqrt{523108.93}=723.263\ \mathrm{MeV} $$ $$ \abs{\pp}=\frac{723.263}{2}=361.63\ \mathrm{MeV} $$

位相空間はこれを代入して

$$ \int\dd\Pi_2=\frac{\abs{\pp}}{4\pi\sqrt s}=\frac{361.63}{4\pi\times775.26}=\frac{361.63}{9742.20}=0.0371200 $$

である.(3) の $1/8\pi=0.0397887$ との比は

$$ \frac{0.0371200}{0.0397887}=0.93293 $$

となる.この比は一般に $2\abs{\pp}/\sqrt s$ に等しい.実際 $\int\dd\Pi_2/(1/8\pi)=\left[\abs{\pp}/(4\pi\sqrt s)\right]\times8\pi=2\abs{\pp}/\sqrt s$ であり,数値でも $2\times361.63/775.26=0.93293$ で一致する.終状態のパイオンが質量をもつぶんだけ,使える運動量空間が狭くなり,位相空間が $6.7\%$ だけ縮んだのである.

検算.三通りに確かめる.第一に極限である.(4) の式で $m_\pi\to0$ とすると $\abs{\pp}\to m_\rho/2$ となり,(3) の質量ゼロの場合に連続的につながって $1/8\pi$ を再現する.逆に閾値 $m_\rho\to2m_\pi=279.14\ \mathrm{MeV}$ では $\abs{\pp}\to0$ となって位相空間がゼロに閉じる.どちらの極限も物理的に正しい.第二に比 $2\abs{\pp}/\sqrt s$ は,重心系での終状態粒子の速さ $\beta^*=\abs{\pp}/E^*=\abs{\pp}/(\sqrt s/2)$ そのものであり,$0\le\beta^*<1$ でなければならない.得られた $0.93293$ は確かにこの範囲にある.第三に次元である.$\abs{\pp}/(4\pi\sqrt s)$ は $[\mathrm{MeV}]/[\mathrm{MeV}]$ で無次元であり,(3) で述べた次元勘定と整合する.

意味.二体位相空間 $\int\dd\Pi_2=\abs{\pp}/(4\pi\sqrt s)$ は「終状態の行き先がどれだけあるか」を数えているにすぎない.崩壊率は $\Gamma\propto\abs{\mathcal M}^2\int\dd\Pi_2$ の形をしているので,行列要素 $\mathcal M$ がどんなに大きくても,行き先がなければ崩壊は起こらない.閾値近傍で $\abs{\pp}=\frac12\sqrt{s-4m^2}\propto\sqrt{s-s_\text{th}}$ と平方根で立ち上がるのは,本書 導出10 の三次元自由電子の状態密度 $D(E)\propto\sqrt E$ がバンド端から平方根で立ち上がるのと,まったく同じ数学である.どちらも「三次元の運動量空間で半径 $\abs{\pp}$ の球殻の面積を数えている」からである.材料科学の側で言えば,これは半導体のバンド端吸収スペクトルが $\sqrt{\hbar\omega-E_g}$ で立ち上がることや,フォノン状態密度が Debye 領域で $\omega^2$ に比例することと同じ起源をもつ.次元が下がれば指数も変わる:二次元では状態密度が一定になり,一次元では発散する(van Hove 特異性).終状態を数えるという操作は,加速器の中でも結晶の中でも同じ規則に従っている.

演習A.3 Sokhotski–Plemelj 公式とその応用

問題(再掲)

(1) $\dfrac{1}{x+\ii\epsilon}$ の分母を実数化して実部と虚部に分け,$\epsilon\to0^+$ で Sokhotski–Plemelj 公式になることを示せ.

(2) 局所状態密度は $G^R(E)=\sum_n\dfrac{\abs{c_n}^2}{E-\varepsilon_n+\ii\eta}$ の虚部から得られる.$-\frac{1}{\pi}\mathrm{Im}\,G^R(E)$ を計算せよ.

(3) $\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\ee^{-x^2}}{x+\ii\epsilon}\,\dd x$ を求めよ.

(4) 銅の準粒子の自己エネルギー虚部が $2\abs{\mathrm{Im}\Sigma}=0.10\ \mathrm{eV}$ のとき,準粒子寿命 $\tau=\hbar/2\abs{\mathrm{Im}\Sigma}$ を秒で求めよ.また $Z$ ボソン($\Gamma_Z=2.495\ \mathrm{GeV}$)の寿命と比べよ.$\hbar=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$.

解答

方針.本書 A.4 節の Sokhotski–Plemelj 公式 $\displaystyle\lim_{\epsilon\to0^+}\frac{1}{x\pm\ii\epsilon}=\PV\frac{1}{x}\mp\ii\pi\,\delta(x)$ が全問の道具である.(1) はその証明の再構成,(2)(3) は適用例,(4) は「Lorentz 型の幅の逆数が寿命である」という同じ一行を,$10$ 桁離れた二つの系に当てはめる数値計算である.

(1) $\epsilon>0$ を有限に保ったまま,分母の複素共役を分子分母に掛けて実数化する.

$$ \frac{1}{x+\ii\epsilon} =\frac{x-\ii\epsilon}{(x+\ii\epsilon)(x-\ii\epsilon)} =\frac{x-\ii\epsilon}{x^2+\epsilon^2} =\underbrace{\frac{x}{x^2+\epsilon^2}}_{\text{実部}}\;-\;\ii\underbrace{\frac{\epsilon}{x^2+\epsilon^2}}_{\text{虚部の大きさ}} $$

実部と虚部が完全に分離した.以下,それぞれの $\epsilon\to0^+$ を調べる.

虚部.本書 A.1.3 項の Lorentz 型表現 $\displaystyle\delta(x)=\lim_{\epsilon\to0^+}\frac{1}{\pi}\frac{\epsilon}{x^2+\epsilon^2}$ をそのまま使えばよい.すなわち

$$ \frac{\epsilon}{x^2+\epsilon^2}=\pi\cdot\frac{1}{\pi}\frac{\epsilon}{x^2+\epsilon^2}\;\xrightarrow[\epsilon\to0^+]{}\;\pi\,\delta(x) $$

である.規格化は $\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\epsilon\,\dd x}{x^2+\epsilon^2}=\left[\arctan\frac{x}{\epsilon}\right]_{-\infty}^{\infty}=\pi$ で確かめられ,$\epsilon$ に依らない.したがって虚部の寄与は $-\ii\pi\delta(x)$ である.

実部.示すべきは,任意の滑らかな試験関数 $f$ について

$$ \lim_{\epsilon\to0^+}\int_{-\infty}^{\infty}\frac{x\,f(x)}{x^2+\epsilon^2}\,\dd x=\PV\!\int_{-\infty}^{\infty}\frac{f(x)}{x}\,\dd x $$

である.小さな $\eta>0$ を固定し,積分を $\abs{x}>\eta$ の外側と $\abs{x}<\eta$ の内側に分ける.外側では被積分関数が $\epsilon\to0$ で $f(x)/x$ に一様収束するので,主値の定義の外側部分にそのまま一致する.内側では $f(x)=f(0)+\left[f(x)-f(0)\right]$ と分ける.第一項の寄与は

$$ f(0)\int_{-\eta}^{\eta}\frac{x\,\dd x}{x^2+\epsilon^2}=0 $$

である.被積分関数が $x$ の奇関数で区間が対称だから,$\epsilon$ の値によらず厳密にゼロである.第二項は,平均値の定理から $\abs{f(x)-f(0)}\le M\abs{x}$($M=\max\abs{f'}$)なので

$$ \left|\int_{-\eta}^{\eta}\frac{x\left[f(x)-f(0)\right]}{x^2+\epsilon^2}\dd x\right| \le M\int_{-\eta}^{\eta}\frac{x^2}{x^2+\epsilon^2}\dd x \le M\int_{-\eta}^{\eta}\dd x=2M\eta $$

と評価でき,$\epsilon$ に依らず $\eta\to0$ でゼロになる.主値の側でも同じ評価が成り立つので,内側の寄与は両辺で一致する(ともにゼロ).したがって実部は主値積分に等しい.

合わせる.実部と虚部を足して

$$ \lim_{\epsilon\to0^+}\frac{1}{x+\ii\epsilon}=\PV\frac{1}{x}-\ii\pi\,\delta(x) $$

を得る.$-\ii\epsilon$ の場合は最初の実数化で虚部の符号だけが変わるので,$\PV\frac1x+\ii\pi\delta(x)$ となる.二つをまとめて $\displaystyle\frac{1}{x\pm\ii\epsilon}=\PV\frac1x\mp\ii\pi\delta(x)$ である.

(2) 和の各項に (1) の結果を $x=E-\varepsilon_n$,$\epsilon=\eta$ として適用する.$\abs{c_n}^2$ は実数なので虚部の外に出せる.

$$ G^R(E)=\sum_n\abs{c_n}^2\left[\PV\frac{1}{E-\varepsilon_n}-\ii\pi\,\delta(E-\varepsilon_n)\right] $$

虚部を取ると主値の項(実数)は落ちて

$$ \mathrm{Im}\,G^R(E)=-\pi\sum_n\abs{c_n}^2\,\delta(E-\varepsilon_n) $$

である.したがって

$$ -\frac{1}{\pi}\,\mathrm{Im}\,G^R(E)=\sum_n\abs{c_n}^2\,\delta(E-\varepsilon_n) $$

となる.これは固有状態 $n$ を,着目している局所軌道への射影の重み $\abs{c_n}^2$ で数え上げたもの,すなわち局所状態密度(LDOS)である.$\abs{c_n}^2=1$ とすれば本書 A.4 節の $-\frac1\pi\mathrm{Im}\,\Tr G^R(E)=D(E)$ という全状態密度の式に戻る.なお $\sum_n\abs{c_n}^2=1$(完全性)なら $\int_{-\infty}^{\infty}\left[-\frac1\pi\mathrm{Im}\,G^R(E)\right]\dd E=1$ となり,LDOS は規格化されている.

(3) $f(x)=\ee^{-x^2}$ として Sokhotski–Plemelj 公式を使う.

$$ \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\ee^{-x^2}}{x+\ii\epsilon}\,\dd x =\PV\!\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\ee^{-x^2}}{x}\,\dd x-\ii\pi\,\ee^{-0^2} $$

右辺第一項の被積分関数 $\ee^{-x^2}/x$ は $x$ の奇関数である(分子が偶関数,分母が奇関数).主値積分は $x=0$ のまわりを対称に切り取るので,区間 $(-\infty,-\eta)$ と $(\eta,\infty)$ の寄与が符号を変えて厳密に打ち消し合い,主値はゼロである.第二項は $\ee^{0}=1$ より $-\ii\pi$ である.よって

$$ \int_{-\infty}^{\infty}\frac{\ee^{-x^2}}{x+\ii\epsilon}\,\dd x=-\ii\pi $$

である.答えが純虚数になったのは偶然ではない.被積分関数の実部の起源である主値部分が,$\ee^{-x^2}$ という偶関数のおかげで消えたからである.$\ee^{-x^2}$ の代わりに $x$ の偶関数でない試験関数,たとえば $\ee^{-(x-1)^2}$ を入れれば実部は生き残る.

(4) 銅の準粒子については,与えられた式にそのまま数値を入れる.

$$ \tau_\mathrm{Cu}=\frac{\hbar}{2\abs{\mathrm{Im}\Sigma}}=\frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{0.10\ \mathrm{eV}} =6.582\times10^{-15}\ \mathrm{s}=6.58\ \mathrm{fs} $$

$Z$ ボソンについては,Breit–Wigner の幅 $\Gamma$ と寿命の関係 $\tau=\hbar/\Gamma$(自然単位系では $\tau=1/\Gamma$)を使う.$\Gamma_Z=2.495\ \mathrm{GeV}=2.495\times10^{9}\ \mathrm{eV}$ なので

$$ \tau_Z=\frac{\hbar}{\Gamma_Z}=\frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{2.495\times10^{9}\ \mathrm{eV}} =2.638\times10^{-25}\ \mathrm{s} $$

である.比をとると

$$ \frac{\tau_\mathrm{Cu}}{\tau_Z}=\frac{6.582\times10^{-15}}{2.638\times10^{-25}}=2.495\times10^{10} $$

で,およそ $2.5\times10^{10}$ 倍,桁で言えば $10^{10}$ 倍の違いである.この比が幅の比 $2.495\times10^9/0.10=2.495\times10^{10}$ に一致するのは当然で,どちらも $\tau=\hbar/(\text{幅})$ という同じ式だからである.

検算.三つ挙げる.第一に次元である.$\hbar$ の単位 $\mathrm{eV\,s}$ をエネルギーの単位 $\mathrm{eV}$ で割れば $\mathrm{s}$ が残る.時間が出たので正しい.第二に,得られた寿命を長さに換算して物理的な妥当性を見る.$Z$ ボソンは $c\tau_Z=2.998\times10^8\times2.638\times10^{-25}=7.91\times10^{-17}\ \mathrm{m}=0.0791\ \mathrm{fm}$ しか飛ばない.陽子半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ の $1/10$ 以下であり,$Z$ が「飛跡として見えない粒子」であって不変質量分布のピークとしてしか観測できないことと整合する.一方,銅の準粒子は Fermi 速度 $v_F=1.57\times10^6\ \mathrm{m/s}$ を使うと平均自由行程が $v_F\tau_\mathrm{Cu}=1.57\times10^6\times6.582\times10^{-15}=1.03\times10^{-8}\ \mathrm{m}\simeq10\ \mathrm{nm}$ となる.室温の銅の電気伝導度から求めた平均自由行程は $30\text{–}40\ \mathrm{nm}$ 程度なので,同じ桁に収まっている($0.10\ \mathrm{eV}$ という幅はやや広めに取った値なので,寿命が短め=自由行程が短めに出るのは筋が通っている).いずれにせよ,格子定数 $3.6\ \text{Å}$ の数十倍から百倍という「よく伝導する金属」の描像と矛盾しない.第三に (3) の答えは,本書 A.4 節の数学ノートにある留数定理による別証明でも確かめられる.実軸上の極を上に半周だけ迂回するので留数の半分 $-\ii\pi f(0)=-\ii\pi$ が出て,直線部分(主値)は奇関数ゆえゼロ.同じ答えである.

意味.Sokhotski–Plemelj 公式は,一本の式で実部と虚部を切り分ける装置である.虚部は $\delta$ 関数,すなわち「実際に起こる過程」を拾い,実部は主値,すなわち「仮想的な過程による位相のずれ」を拾う.素粒子物理ではこれが Feynman の $\ii\epsilon$ 処方となって時間順序積を選び,光学定理や Cutkosky 則を生む.物性物理では $-\frac1\pi\mathrm{Im}\,G^R=D(E)$ となって状態密度を与え,因果律とあわせて Kramers–Kronig 関係を生む.(4) の数値が示すのはこの同一性である.銅の中の電子は $0.10\ \mathrm{eV}$ の幅をもって $6.6\ \mathrm{fs}$ で散乱され,$Z$ ボソンは $2.495\ \mathrm{GeV}$ の幅をもって $2.6\times10^{-25}\ \mathrm{s}$ で崩壊する.桁は $10^{10}$ 違うが,どちらもスペクトルの Lorentz 型の幅であり,同じ伝播関数の同じ位置に入る同じ量である.ARPES で測るスペクトル関数の線幅から準粒子寿命を読むことと,加速器で不変質量分布の線幅から $Z$ の寿命を読むことは,測定の対象が違うだけで解析は文字どおり同一である.

演習A.4 湯川ポテンシャルと遮蔽

問題(再掲)

(1) 導出15 で $m\to0$ とし,$1/(4\pi r)$ が $-\nabla^2$ の Green 関数であることと整合することを確かめよ.

(2) 逆向きの変換 $\displaystyle\int\dd^3r\;\frac{\ee^{-mr}}{4\pi r}\,\ee^{-\ii\qq\cdot\bm r} = \frac{1}{\abs{\qq}^2+m^2}$ を直接計算して示せ.

(3) $\pi^\pm$($139.570\ \mathrm{MeV}$)と $W^\pm$($80.377\ \mathrm{GeV}$)が媒介する力の到達距離を fm 単位で求めよ.$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$.

(4) アルミニウム(価電子3個,$n=18.1\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$,$E_F=11.7\ \mathrm{eV}$)の Thomas–Fermi 遮蔽長 $\lambda_\mathrm{TF}$ を求め,銅の $0.55\ \text{Å}$ と比べよ.$e^2/4\pi\epsilon_0=14.400\ \mathrm{eV\,\text{Å}}$.

解答

方針.本書 A.6 節の湯川型 Fourier 変換 $\displaystyle\int\frac{\dd^3q}{(2\pi)^3}\frac{\ee^{\ii\qq\cdot\bm r}}{\abs{\qq}^2+m^2}=\frac{\ee^{-mr}}{4\pi r}$ が主役である.(1) はその $m\to0$ 極限を本書 導出6 の $-\nabla^2(1/4\pi r)=\delta^3(\xx)$ と突き合わせる整合性の確認,(2) は同じ変換を逆向きに走る計算,(3)(4) は「$m$ に何を代入するか」だけを取り替えた数値問題である.

(1) 本書 導出15 の結果 $I(r)=\ee^{-mr}/(4\pi r)$ で $m\to0$ とすると,$\ee^{-mr}\to1$ なので

$$ I(r)\;\xrightarrow[m\to0]{}\;\frac{1}{4\pi r} $$

である.これが $-\nabla^2$ の Green 関数であることと整合するかを,二つの向きから確かめる.

実空間から見る.本書 導出6 は $\nabla^2(1/r)=-4\pi\delta^3(\xx)$,言い換えれば

$$ -\nabla^2\left(\frac{1}{4\pi r}\right)=\delta^3(\xx) $$

を示していた.すなわち $1/(4\pi r)$ は,定義そのものによって $-\nabla^2$ の Green 関数である.

運動量空間から見る.本書の Fourier 規約 $f(\xx)=\int\frac{\dd^3k}{(2\pi)^3}\tilde f(\kk)\ee^{\ii\kk\cdot\xx}$ のもとで,$\nabla^2$ を平面波 $\ee^{\ii\qq\cdot\bm r}$ に作用させると $\nabla^2\ee^{\ii\qq\cdot\bm r}=-\abs{\qq}^2\ee^{\ii\qq\cdot\bm r}$ であるから,演算子 $-\nabla^2$ は運動量空間で $+\abs{\qq}^2$ という掛け算になる.また $\delta^3(\xx)$ の Fourier 変換は $1$ である(本書 A.3.1 項の完全性関係 $\int\frac{\dd^3k}{(2\pi)^3}\ee^{\ii\kk\cdot\xx}=\delta^3(\xx)$ がそれである).したがって $(-\nabla^2)G=\delta^3$ を Fourier 変換すると $\abs{\qq}^2\tilde G(\qq)=1$ すなわち $\tilde G(\qq)=1/\abs{\qq}^2$ となり,実空間の Green 関数は

$$ G(r)=\int\frac{\dd^3q}{(2\pi)^3}\;\frac{\ee^{\ii\qq\cdot\bm r}}{\abs{\qq}^2} $$

である.これは導出15 の被積分関数で $m=0$ とおいたものにほかならない.したがって二つの見方は同じ量を指しており,$1/(4\pi r)$ で一致していなければならない.実際に $m=0$ の場合を最初から計算し直しても同じ答えになる.導出15 のステップ2 まで進んだ式で $m=0$ とおくと

$$ I(r)\big|_{m=0}=\frac{1}{2\pi^2 r}\int_0^\infty\dd q\;\frac{q\sin qr}{q^2} =\frac{1}{2\pi^2 r}\int_0^\infty\frac{\sin qr}{q}\,\dd q =\frac{1}{2\pi^2 r}\cdot\frac{\pi}{2}=\frac{1}{4\pi r} $$

となる($\int_0^\infty\frac{\sin u}{u}\dd u=\pi/2$ を使った.これは本書 A.1.3 項の sinc 型表現の規格化 $\int_{-\infty}^{\infty}\frac{\sin u}{u}\dd u=\pi$ の半分である).留数計算の側から見ると,$m\to0$ は上半面の極 $q=+\ii m$ が実軸に降りてくる極限であり,留数 $\ee^{-mr}/2$ が $1/2$ に近づくだけで特異なことは起こらない.$r>0$ を固定しているかぎり極限は滑らかである.こうして,湯川ポテンシャルの $m\to0$ 極限は Coulomb ポテンシャル $1/(4\pi r)$ であり,これは $-\nabla^2$ の Green 関数である,という整合性が確かめられた.

(2) 求める積分を $J(\qq)$ とおく.

$$ J(\qq)=\int\dd^3r\;\frac{\ee^{-mr}}{4\pi r}\,\ee^{-\ii\qq\cdot\bm r} $$

ステップ1:極座標を選ぶ.被積分関数のうち $\ee^{-mr}/4\pi r$ は $\bm r$ の向きに依らない.そこで $\bm r$ 空間の極軸を $\qq$ の向きに取ると $\qq\cdot\bm r=qr\cos\theta$($q\equiv\abs{\qq}$)と書け,$\dd^3r=r^2\dd r\,\dd\Omega$ である.$u=\cos\theta$ とおくと

$$ J=\int_0^\infty r^2\dd r\;\frac{\ee^{-mr}}{4\pi r}\int_0^{2\pi}\dd\phi\int_{-1}^{1}\dd u\;\ee^{-\ii qru} $$

ステップ2:角度積分を実行する.$\phi$ 積分は $2\pi$ を与える.$u$ 積分は初等的で

$$ \int_{-1}^{1}\ee^{-\ii qru}\,\dd u=\left[\frac{\ee^{-\ii qru}}{-\ii qr}\right]_{-1}^{1} =\frac{\ee^{-\ii qr}-\ee^{+\ii qr}}{-\ii qr} =\frac{-2\ii\sin qr}{-\ii qr} =\frac{2\sin qr}{qr} $$

である($\qq\cdot\bm r$ の符号が逆でも $\sin$ が偶関数の組み合わせで現れるので,本書 導出15 ステップ2 と同じ結果になる).角度部分をまとめると $\int\dd\Omega\,\ee^{-\ii\qq\cdot\bm r}=4\pi\sin(qr)/(qr)$ である.

ステップ3:動径積分の形に整える.

$$ J=\int_0^\infty r^2\dd r\;\frac{\ee^{-mr}}{4\pi r}\cdot\frac{4\pi\sin qr}{qr} =\frac{1}{q}\int_0^\infty \ee^{-mr}\sin(qr)\,\dd r $$

$r^2$,$1/r$,$1/r$ と $4\pi$ がきれいに約分して,残ったのは一次元の初等積分だけである.

ステップ4:残った積分を実行する.$\sin(qr)=\mathrm{Im}\,\ee^{\ii qr}$ を使えば

$$ \int_0^\infty \ee^{-mr}\sin(qr)\,\dd r =\mathrm{Im}\int_0^\infty \ee^{-(m-\ii q)r}\,\dd r =\mathrm{Im}\left[\frac{1}{m-\ii q}\right] =\mathrm{Im}\left[\frac{m+\ii q}{m^2+q^2}\right] =\frac{q}{m^2+q^2} $$

である($m>0$ なので $\ee^{-(m-\ii q)r}$ は $r\to\infty$ でゼロに収束し,上端の寄与は消える).

ステップ5:まとめる.

$$ J(\qq)=\frac{1}{q}\cdot\frac{q}{m^2+q^2}=\frac{1}{\abs{\qq}^2+m^2} $$

示された.前因子に $(2\pi)^3$ が出ないのは,本書 A.3.1 項の規約が「$2\pi$ はすべて運動量積分の側に付ける」ものだからである.正変換 $\tilde f(\kk)=\int\dd^3x\,f(\xx)\ee^{-\ii\kk\cdot\xx}$ には $2\pi$ が一切現れない.

(3) まず「到達距離」の定義を確認する.湯川型ポテンシャル $\ee^{-mr}/4\pi r$ の指数因子は $r=1/m$ で $\ee^{-1}=0.368$ に落ちる.したがって自然単位系($\hbar=c=1$)での到達距離は $R=1/m$ である.通常の単位に戻すには,$m$ を質量ではなく静止エネルギー $mc^2$ で書くのが実務的で,

$$ R=\frac{\hbar}{mc}=\frac{\hbar c}{mc^2} $$

となる.分子の $\hbar c$ を $\mathrm{MeV\,fm}$ で覚えておけば,静止エネルギーを $\mathrm{MeV}$ で割るだけで $\mathrm{fm}$ が出る.これが $\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ という数を素粒子物理で暗記する理由である($197.327\simeq200$ と覚えておけば,暗算でも $1\ \mathrm{GeV}\leftrightarrow0.2\ \mathrm{fm}$ が言える).

$\pi^\pm$ の場合.$mc^2=139.570\ \mathrm{MeV}$ なので

$$ R_\pi=\frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{139.570\ \mathrm{MeV}}=1.4138\ \mathrm{fm}\simeq1.41\ \mathrm{fm} $$

$W^\pm$ の場合.$mc^2=80.377\ \mathrm{GeV}=80377\ \mathrm{MeV}$ なので

$$ R_W=\frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{80377\ \mathrm{MeV}}=2.4550\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$

である.比をとると $R_\pi/R_W=1.4138/(2.4550\times10^{-3})=575.9$ で,質量比 $80377/139.570=575.9$ に一致する.到達距離が質量に反比例するのだから当然であるが,計算の検算にはなる.

(4) 本書 A.6.2 項の Thomas–Fermi の式 $k_\mathrm{TF}^2=e^2g(E_F)/\epsilon_0$,自由電子近似での状態密度 $g(E_F)=3n/(2E_F)$,そして Gauss 単位系での書き方 $k_\mathrm{TF}^2=4\pi\,\left(e^2/4\pi\epsilon_0\right)g(E_F)$ を使う.

ステップ1:状態密度を求める.アルミニウムは $n=18.1\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$,$E_F=11.7\ \mathrm{eV}$ なので

$$ g(E_F)=\frac{3n}{2E_F}=\frac{3\times18.1\times10^{22}}{2\times11.7} =\frac{54.3\times10^{22}}{23.4}=2.3205\times10^{22}\ \mathrm{eV^{-1}cm^{-3}} $$

ステップ2:単位を Å に揃える.$1\ \mathrm{cm}=10^{8}\ \text{Å}$ より $1\ \mathrm{cm^3}=10^{24}\ \text{Å}^3$ なので

$$ g(E_F)=\frac{2.3205\times10^{22}}{10^{24}}=0.023205\ \mathrm{eV^{-1}\text{Å}^{-3}} $$

ステップ3:遮蔽波数を求める.$e^2/4\pi\epsilon_0=14.400\ \mathrm{eV\,\text{Å}}$ を代入する.

$$ k_\mathrm{TF}^2=4\pi\times14.400\ \mathrm{eV\,\text{Å}}\times0.023205\ \mathrm{eV^{-1}\text{Å}^{-3}} =180.956\times0.023205=4.1991\ \text{Å}^{-2} $$ $$ k_\mathrm{TF}=\sqrt{4.1991}=2.0492\ \text{Å}^{-1} $$

ステップ4:遮蔽長を求める.

$$ \lambda_\mathrm{TF}=\frac{1}{k_\mathrm{TF}}=\frac{1}{2.0492}=0.4880\ \text{Å}\simeq0.49\ \text{Å} $$

ステップ5:銅を同じ手順で計算して比べる.比較の相手を問題文の $0.55\ \text{Å}$ という丸めた値のままにしておくと比が粗くなるので,銅($n=8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$,$E_F=7.00\ \mathrm{eV}$,本書 A.6.2 項の値)についても同じ三行を走らせておく.

$$ g_\mathrm{Cu}(E_F)=\frac{3\times8.47\times10^{22}}{2\times7.00}=1.8150\times10^{22}\ \mathrm{eV^{-1}cm^{-3}}=0.018150\ \mathrm{eV^{-1}\text{Å}^{-3}} $$ $$ k_\mathrm{TF}^2=180.956\times0.018150=3.2843\ \text{Å}^{-2}, \qquad k_\mathrm{TF}=1.8123\ \text{Å}^{-1}, \qquad \lambda_\mathrm{TF}^\mathrm{Cu}=0.5518\ \text{Å} $$

本書 A.6.2 項の $k_\mathrm{TF}=1.81\ \text{Å}^{-1}$,$\lambda_\mathrm{TF}=0.55\ \text{Å}$ を,丸める前の桁で再現している.

銅の $0.5518\ \text{Å}\simeq0.55\ \text{Å}$ と比べると,アルミニウムのほうが $12\%$ ほど短い($1-0.4880/0.5518=11.6\%$).すなわち遮蔽が強い.理由は簡単で,アルミニウムは1原子あたり価電子3個をもち電子密度が銅の $2.1$ 倍あるからである.$\lambda_\mathrm{TF}\propto1/\sqrt{g(E_F)}\propto\sqrt{E_F/n}$ という依存性を見れば,$n$ が大きいほど遮蔽長が短くなることが読める.

検算.三通りに確かめる.第一にスケーリングである.$\lambda_\mathrm{TF}\propto\sqrt{E_F/n}$ を使うと

$$ \frac{\lambda_\mathrm{Al}}{\lambda_\mathrm{Cu}} =\sqrt{\frac{11.7/(18.1\times10^{22})}{7.00/(8.47\times10^{22})}} =\sqrt{\frac{6.464\times10^{-23}}{8.264\times10^{-23}}}=\sqrt{0.7822}=0.8844 $$

となる.直接得た値の比 $0.4880/0.5518=0.8844$ と完全に一致する.第二に次元である.$k_\mathrm{TF}^2$ の単位は $\mathrm{eV\,\text{Å}}\times\mathrm{eV^{-1}\text{Å}^{-3}}=\text{Å}^{-2}$ で,波数の二乗として正しい.(3) についても $\mathrm{MeV\,fm}/\mathrm{MeV}=\mathrm{fm}$ で長さになっている.第三に物理的な妥当性である.アルミニウムは面心立方で格子定数 $a=4.05\ \text{Å}$,最近接原子間距離は $a/\sqrt2=2.864\ \text{Å}$ である.遮蔽因子は $\ee^{-2.864/0.4880}=\ee^{-5.87}=0.0028$ となり,隣の原子に届く頃には電荷が $0.3\%$ に落ちている.銅での $\ee^{-2.56/0.5518}=0.0097$ と同じく,「隣の原子まででほぼ消える」という金属の標準的な描像に合う.

意味.(3) と (4) は,同じ Fourier 変換の二つの顔である.(3) では $m$ が交換粒子の質量であり,$\pi^\pm$ を交換する核力は $1.41\ \mathrm{fm}$ しか届かない.湯川秀樹が 1935 年に核力の到達距離から中間子質量を予言したのは,この一行の逆算にほかならない.$W^\pm$ を交換する弱い力は $2.46\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$,陽子半径のおよそ $1/340$ しか届かない.「弱い力が弱い」のは結合定数が小さいからではなく,到達距離がこれだけ短いからである.(4) では同じ $m$ の場所に $k_\mathrm{TF}$ が入り,金属中の不純物ポテンシャルの遮蔽長になる.計算式は一字一句同じで,$m\leftrightarrow k_\mathrm{TF}$ という読み替えだけが違う.$k_\mathrm{TF}$ を「光子の有効質量」と読めば,アルミニウム中の光子は $\hbar c\,k_\mathrm{TF}=1973.27\ \mathrm{eV\,\text{Å}}\times2.0492\ \text{Å}^{-1}=4.04\ \mathrm{keV}$ の質量をもつことになる(銅では $3.6\ \mathrm{keV}$).真空では質量ゼロで無限遠まで届く光子が,媒質との相互作用によって実効的に質量を獲得する——これは Higgs 機構の物質中での完全な類似物である.第一原理計算で Ewald 和の逆空間項を書くとき,あるいはドープ半導体の空乏層幅を見積もるとき,あなたは湯川と同じ積分を解いている.

演習A.5 積分公式の練習

問題(再掲)

(1) Gauss モーメントの公式を用いて $\displaystyle\int_{-\infty}^{\infty}x^4\,\ee^{-ax^2}\dd x$ を求めよ.

(2) Feynman パラメータの恒等式 $\frac{1}{AB}=\int_0^1\dd x\left[xA+(1-x)B\right]^{-2}$ を,$x$ 積分を実行して確かめよ.さらに一般の Feynman パラメータの式で $n=3$ とし,$1/ABC$ の表式を書き下せ.

(3) $\displaystyle\int_0^1 x^2(1-x)^3\,\dd x$ を Beta 関数で求め,直接展開した結果と一致することを確かめよ.また $B(1/2,1/2)$ を求めよ.

(4) 次元正則化の基本積分で $n=2$,$d=4-2\epsilon$ とし,$\epsilon\to0$ での展開の $1/\epsilon$ 項と有限項を書き下せ.

解答

方針.本書 A.7 節の道具箱をそのまま使う.(1) は Gauss モーメント $\int x^{2n}\ee^{-ax^2}\dd x=\frac{(2n-1)!!}{(2a)^n}\sqrt{\pi/a}$,(2) は本書 導出17,(3) は $B(\alpha,\beta)=\Gamma(\alpha)\Gamma(\beta)/\Gamma(\alpha+\beta)$,(4) は次元正則化の基本積分と $\Gamma(\epsilon)=1/\epsilon-\gamma_E+O(\epsilon)$ である.

(1) Gauss モーメントの公式で $n=2$ とする.$(2n-1)!!=3!!=1\cdot3=3$,$(2a)^n=(2a)^2=4a^2$ であるから

$$ \int_{-\infty}^{\infty}x^4\,\ee^{-ax^2}\,\dd x=\frac{3}{4a^2}\sqrt{\frac{\pi}{a}}=\frac{3}{4}\sqrt{\pi}\;a^{-5/2} $$

である.公式を暗記せずに導いてもよい.基本形 $\int\ee^{-ax^2}\dd x=\sqrt{\pi/a}=\sqrt\pi\,a^{-1/2}$ を $a$ で微分すると左辺には $-x^2$ が下りてくるので

$$ -\int x^2\ee^{-ax^2}\dd x=\sqrt\pi\cdot\left(-\tfrac12\right)a^{-3/2} \quad\Longrightarrow\quad \int x^2\ee^{-ax^2}\dd x=\tfrac12\sqrt\pi\,a^{-3/2} $$

もう一度 $a$ で微分すると

$$ -\int x^4\ee^{-ax^2}\dd x=\tfrac12\sqrt\pi\cdot\left(-\tfrac32\right)a^{-5/2} \quad\Longrightarrow\quad \int x^4\ee^{-ax^2}\dd x=\tfrac34\sqrt\pi\,a^{-5/2} $$

で同じ答えを得る.$a=1$ のときの数値は $\frac34\sqrt\pi=1.32934$ である.

(2) 二個の場合.分母を $B+x(A-B)$ と書き直し,$A\neq B$ として $x$ で積分する.$\dd\left[B+x(A-B)\right]/\dd x=A-B$ なので,$\int\dd x\,(\cdots)^{-2}$ は初等的に実行できて

$$ \int_0^1\frac{\dd x}{\left[B+x(A-B)\right]^2} =\left[\frac{-1}{(A-B)\left(B+x(A-B)\right)}\right]_{0}^{1} $$

となる.上端 $x=1$ で括弧の中身は $B+(A-B)=A$,下端 $x=0$ で $B$ であるから

$$ =\frac{-1}{A-B}\left(\frac{1}{A}-\frac{1}{B}\right) =\frac{-1}{A-B}\cdot\frac{B-A}{AB} =\frac{A-B}{(A-B)AB} =\frac{1}{AB} $$

で恒等式が確かめられた.$A=B$ の場合は分母が $x$ に依らなくなり $\int_0^1\dd x/A^2=1/A^2=1/(AB)$ なのでこれも正しい.

三個の場合.本書 A.7.2 項の一般式

$$ \frac{1}{A_1A_2\cdots A_n} =(n-1)!\int_0^1\!\!\dd x_1\cdots\dd x_n\;\frac{\delta\!\left(1-\sum_{i=1}^n x_i\right)}{\left[\sum_{i=1}^n x_iA_i\right]^n} $$

で $n=3$ とし,$A_1=A$,$A_2=B$,$A_3=C$,$x_1=x$,$x_2=y$,$x_3=z$ と書く.$(n-1)!=2!=2$ であるから

$$ \frac{1}{ABC}=2\int_0^1\!\!\dd x\,\dd y\,\dd z\;\frac{\delta\left(1-x-y-z\right)}{\left[xA+yB+zC\right]^3} $$

である.$\delta$ 関数が $x+y+z=1$ という平面(Feynman 単体)の上だけを拾っている.$z$ 積分を $\delta$ で片づけて二変数の形に書き直せば

$$ \frac{1}{ABC}=2\int_0^1\!\!\dd x\int_0^{1-x}\!\!\dd y\;\frac{1}{\left[xA+yB+(1-x-y)C\right]^3} $$

となる.積分領域が三角形になるのは,$x,y\ge0$ かつ $z=1-x-y\ge0$ という制約による.

(3) Beta 関数で.$\int_0^1x^{\alpha-1}(1-x)^{\beta-1}\dd x=B(\alpha,\beta)$ の形に合わせると,$x^2=x^{3-1}$,$(1-x)^3=(1-x)^{4-1}$ より $\alpha=3$,$\beta=4$ である.正整数なので $\Gamma(n)=(n-1)!$ を使って

$$ \int_0^1x^2(1-x)^3\dd x=B(3,4)=\frac{\Gamma(3)\Gamma(4)}{\Gamma(7)}=\frac{2!\;3!}{6!}=\frac{2\times6}{720}=\frac{12}{720}=\frac{1}{60} $$

直接展開で.$(1-x)^3=1-3x+3x^2-x^3$ なので被積分関数は $x^2-3x^3+3x^4-x^5$ である.項ごとに積分すると

$$ \int_0^1\left(x^2-3x^3+3x^4-x^5\right)\dd x =\frac13-\frac34+\frac35-\frac16 $$

通分する.分母の最小公倍数は $60$ であるから

$$ =\frac{20}{60}-\frac{45}{60}+\frac{36}{60}-\frac{10}{60}=\frac{20-45+36-10}{60}=\frac{1}{60} $$

で確かに一致する.$1/60=0.0166667$ である.

$B(1/2,1/2)$.公式から

$$ B\!\left(\tfrac12,\tfrac12\right)=\frac{\Gamma(1/2)^2}{\Gamma(1)}=\frac{\left(\sqrt\pi\right)^2}{1}=\pi $$

である.これも直接計算で確かめられる.$B(1/2,1/2)=\int_0^1\frac{\dd x}{\sqrt{x(1-x)}}$ において $x=\sin^2\theta$($\theta:0\to\pi/2$)と置くと,$\dd x=2\sin\theta\cos\theta\,\dd\theta$,$\sqrt{x(1-x)}=\sin\theta\cos\theta$ であるから

$$ \int_0^1\frac{\dd x}{\sqrt{x(1-x)}}=\int_0^{\pi/2}\frac{2\sin\theta\cos\theta}{\sin\theta\cos\theta}\,\dd\theta=2\int_0^{\pi/2}\dd\theta=\pi $$

で一致する.なお $\Gamma(1/2)=\sqrt\pi$ 自体は,$\Gamma(1/2)=\int_0^\infty t^{-1/2}\ee^{-t}\dd t$ で $t=u^2$ と置くと $2\int_0^\infty\ee^{-u^2}\dd u=\int_{-\infty}^{\infty}\ee^{-u^2}\dd u=\sqrt\pi$ となって,Gauss 積分に帰着する.

(4) 本書 A.7.4 項の基本積分

$$ \int\frac{\dd^d\ell}{(2\pi)^d}\;\frac{1}{\left(\ell^2-\Delta+\ii\epsilon\right)^n} =\frac{(-1)^n\,\ii}{(4\pi)^{d/2}}\;\frac{\Gamma\!\left(n-\frac d2\right)}{\Gamma(n)}\;\left(\frac{1}{\Delta}\right)^{n-d/2} $$

で $n=2$,$d=4-2\epsilon$ とする.順に代入していく.

ステップ1:各因子を書き下す.$(-1)^n=(-1)^2=+1$,$\Gamma(n)=\Gamma(2)=1!=1$.$d/2=2-\epsilon$ であるから $n-d/2=2-(2-\epsilon)=\epsilon$.よって $\Gamma(n-d/2)=\Gamma(\epsilon)$,$(1/\Delta)^{n-d/2}=\Delta^{-\epsilon}$,$(4\pi)^{d/2}=(4\pi)^{2-\epsilon}$ である.

$$ \int\frac{\dd^d\ell}{(2\pi)^d}\frac{1}{\left(\ell^2-\Delta+\ii\epsilon\right)^2} =\frac{\ii}{(4\pi)^{2-\epsilon}}\,\Gamma(\epsilon)\,\Delta^{-\epsilon} =\frac{\ii}{(4\pi)^2}\,(4\pi)^{\epsilon}\,\Gamma(\epsilon)\,\Delta^{-\epsilon} $$

ステップ2:$\epsilon$ について展開する.指数関数の形に直して一次まで展開する.

$$ (4\pi)^{\epsilon}=\ee^{\epsilon\ln4\pi}=1+\epsilon\ln4\pi+O(\epsilon^2), \qquad \Delta^{-\epsilon}=\ee^{-\epsilon\ln\Delta}=1-\epsilon\ln\Delta+O(\epsilon^2) $$

また Gamma 関数の極の展開は $\Gamma(\epsilon)=\dfrac{1}{\epsilon}-\gamma_E+O(\epsilon)$ である.

ステップ3:掛け合わせる.$1/\epsilon$ の項があるので,展開は $O(\epsilon)$ の項まで拾う必要がある.

$$ \Gamma(\epsilon)\,(4\pi)^{\epsilon}\,\Delta^{-\epsilon} =\left(\frac{1}{\epsilon}-\gamma_E\right)\left(1+\epsilon\ln4\pi\right)\left(1-\epsilon\ln\Delta\right)+O(\epsilon) $$

$1/\epsilon$ に $\epsilon\ln4\pi$ が掛かると $\ln4\pi$ が,$\epsilon(-\ln\Delta)$ が掛かると $-\ln\Delta$ が残る.$-\gamma_E$ に $\epsilon$ の項が掛かったものは $O(\epsilon)$ なので落とす.

$$ =\frac{1}{\epsilon}-\gamma_E+\ln4\pi-\ln\Delta+O(\epsilon) $$

ステップ4:まとめる.

$$ \int\frac{\dd^d\ell}{(2\pi)^d}\frac{1}{\left(\ell^2-\Delta+\ii\epsilon\right)^2} =\frac{\ii}{(4\pi)^2}\left[\frac{1}{\epsilon}-\gamma_E+\ln4\pi-\ln\Delta\right]+O(\epsilon) $$

である.$1/\epsilon$ 項が $\dfrac{\ii}{(4\pi)^2}\dfrac{1}{\epsilon}$,有限項が $\dfrac{\ii}{(4\pi)^2}\left[-\gamma_E+\ln4\pi-\ln\Delta\right]$ である.$(4\pi)^2=157.91$,$\gamma_E=0.5772157$,$\ln4\pi=2.5310$ という数値も添えておく.なお実際のくりこみ計算では,$d$ 次元で結合定数の次元を保つために質量スケール $\mu$ を導入して $\mu^{2\epsilon}$ を掛けるのが慣例であり,そうすると $-\ln\Delta$ が $\ln(\mu^2/\Delta)$ になって対数の中身が無次元になる.$\left[-\gamma_E+\ln4\pi\right]$ をまとめて $\overline{\mathrm{MS}}$ 方式で捨てるのはこの後の話である(第10章).

検算.四つ確かめる.第一に (1) を $a=1$ で数値積分すると $1.3293404$ となり,$\frac34\sqrt\pi=1.3293404$ と一致する.第二に (1) の次元である.$\ee^{-ax^2}$ が無次元であるためには $[a]=[x]^{-2}$ でなければならない.答え $\frac34\sqrt\pi a^{-5/2}$ の次元は $[x]^{5}$ で,左辺 $\int x^4\dd x$ の次元 $[x]^5$ と一致する.第三に (2) の恒等式は $A=B$ という特別な場合で $1/A^2$ を正しく再現し,かつ $A$ と $B$ の入れ替えに対して対称である($x\to1-x$ の置換で移り合う).第四に (3) の $B(1/2,1/2)=\pi$ は,$\Gamma(z)\Gamma(1-z)=\pi/\sin\pi z$ という反射公式で $z=1/2$ とおいた $\Gamma(1/2)^2=\pi/\sin(\pi/2)=\pi$ とも整合する.

意味.この演習は道具の素振りだが,四つの道具はいずれもループ計算という一つの目的に向かっている.(2) の Feynman パラメータは,異なる二次式が並んだ分母を一つにまとめて平方完成を可能にする.そのとき使われるのが $\delta(1-\sum x_i)$ であり,本付録の主題である $\delta$ 関数が,まさにくりこみ計算の入り口に立っている.(1) の Gauss 積分は平方完成の後で現れ,(3) の Beta 関数は $d$ 次元の動径積分を閉じた形にする.そして (4) の $1/\epsilon$ 極が,紫外発散の正体である.発散が $\Gamma$ 関数の極という「既知の数学的対象」の形で整理されるからこそ,くりこみという処方が体系的に実行できる.材料科学の側にも同じ構図がある.平面波基底の第一原理計算ではカットオフエネルギーを大きくしていくと全エネルギーが発散的にふるまい,物理量として意味があるのは差(形成エネルギー,欠陥生成エネルギー)だけである.また Ewald 和で $1/r$ を短距離と長距離に分割するとき,分割パラメータ $\eta$ に最終結果が依らないことを確かめるのは,くりこみ点 $\mu$ 依存性が物理量から消えることを確かめるのと同じ作業である.「発散を含む中間量」と「有限な物理量」を分ける規律は,どちらの分野でも変わらない.

演習A.6 状態密度と箱規格化(材料科学との接点)

問題(再掲)

(1) 導出10 にならって,2次元自由電子の状態密度が $E$ に依らない定数 $Am/\pi\hbar^2$ になることを示せ.

(2) 3次元自由電子気体について $D(E_F)=3N/2E_F$($N$ は全電子数)を示せ.

(3) 銅($n=8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$,$E_F=7.00\ \mathrm{eV}$,1原子あたり価電子1個)について,1原子・1 eV あたりの状態密度を求めよ.

(4) (3) の結果から電子比熱係数 $\gamma=\frac{\pi^2}{3}k_B^2\,D(E_F)$ を $\mathrm{mJ/(mol\,K^2)}$ で求め,実測値 $0.695\ \mathrm{mJ/(mol\,K^2)}$ と比べよ.$k_B=8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}$,$N_A=6.022\times10^{23}$,$1\ \mathrm{eV}=1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J}$.

解答

方針.本書 A.3 節の二つの辞書,すなわち和と積分の対応 $\sum_\kk\to\frac{V}{(2\pi)^3}\int\dd^3k$(二次元では $\sum_\kk\to\frac{A}{(2\pi)^2}\int\dd^2k$)と,状態密度の定義 $D(E)=\sum_n\delta(E-\varepsilon_n)$ を使う.$\delta$ の処理には合成関数則を使う.この問題は本書 導出10 の低次元版と,その数値応用である.

(1) ステップ1:和を積分に直す.二次元の自由電子は $\varepsilon_\kk=\hbar^2\abs{\kk}^2/2m$ をもち,一辺 $L$,面積 $A=L^2$ の正方形の箱に周期境界条件を課すと,許される $\kk$ 点は間隔 $2\pi/L$ の正方格子をなす.$\kk$ 点1つが占める波数空間の面積は $(2\pi/L)^2=(2\pi)^2/A$ なので,スピン自由度 $2$ を含めて

$$ D_{2\mathrm{D}}(E)=2\sum_\kk\delta\!\left(E-\varepsilon_\kk\right) =\frac{2A}{(2\pi)^2}\int\dd^2k\;\delta\!\left(E-\frac{\hbar^2k^2}{2m}\right) $$

ステップ2:角度積分を済ませる.$\varepsilon_\kk$ は $k\equiv\abs{\kk}$ にしか依らないので,二次元の極座標で $\int\dd^2k=2\pi\int_0^\infty k\,\dd k$ である.三次元の $k^2\dd k$ に対して二次元では $k\,\dd k$ になる,ここが唯一の違いである.

$$ =\frac{2A}{4\pi^2}\cdot2\pi\int_0^\infty k\,\dd k\;\delta\!\left(E-\frac{\hbar^2k^2}{2m}\right) =\frac{A}{\pi}\int_0^\infty k\,\dd k\;\delta\!\left(E-\frac{\hbar^2k^2}{2m}\right) $$

ステップ3:合成関数則を使う.$f(k)=E-\hbar^2k^2/2m$ とおくと,$k>0$ の零点は

$$ k_0=\frac{\sqrt{2mE}}{\hbar},\qquad f'(k)=-\frac{\hbar^2k}{m},\qquad \abs{f'(k_0)}=\frac{\hbar^2k_0}{m} $$

である($E>0$ のときのみ零点が存在する).したがって

$$ D_{2\mathrm{D}}(E)=\frac{A}{\pi}\cdot\frac{k_0}{\abs{f'(k_0)}} =\frac{A}{\pi}\cdot k_0\cdot\frac{m}{\hbar^2k_0} =\frac{Am}{\pi\hbar^2} $$

ステップ4:結論を読む.$k_0$ が分子と分母で完全に約分し,$E$ 依存性が消えた.すなわち

$$ D_{2\mathrm{D}}(E)=\frac{Am}{\pi\hbar^2}\qquad(E>0\ \text{で一定}) $$

である.これが定数になる理由は明快である.二次元の測度から出る $k$ の一次と,$\delta$ の処理から出る $1/\abs{f'}\propto1/k$ が,ちょうど打ち消し合うからである.三次元では測度が $k^2$ なので $k^2/k=k\propto\sqrt E$ が残り,一次元では測度が $k^0$ なので $1/k\propto1/\sqrt E$ が残って発散する.次元が状態密度のエネルギー依存性を決めているのである.

(2) 本書 導出10 の三次元の結果は

$$ D_{3\mathrm{D}}(E)=\frac{V}{2\pi^2}\left(\frac{2m}{\hbar^2}\right)^{3/2}\sqrt E\equiv C\sqrt E \qquad(E>0) $$

である.$C$ は $E$ に依らない定数とした.絶対零度では電子は $E_F$ まで詰まっているので,全電子数は

$$ N=\int_0^{E_F}D_{3\mathrm{D}}(E)\,\dd E=C\int_0^{E_F}E^{1/2}\dd E =C\cdot\frac{2}{3}E_F^{3/2}=\frac{2}{3}E_F\cdot C\,E_F^{1/2} $$

である.最後の変形で $E_F^{3/2}=E_F\cdot E_F^{1/2}$ と分けた.ところが $C\,E_F^{1/2}$ は定義により $D(E_F)$ そのものであるから

$$ N=\frac{2}{3}E_F\,D(E_F) \qquad\Longleftrightarrow\qquad D(E_F)=\frac{3N}{2E_F} $$

を得る.導出に使ったのは「$D\propto\sqrt E$」という一点だけであり,$C$ の中身は一切使っていない.$m$ や $V$ の具体値を知らなくても,$N$ と $E_F$ さえ測れば $D(E_F)$ が決まるという,実験にとって便利な形である.

(3) 銅は1原子あたり価電子が1個なので,1原子あたりで数えると $N=1$ である.(2) の式にそのまま入れて

$$ \frac{D(E_F)}{N}=\frac{3}{2E_F}=\frac{3}{2\times7.00\ \mathrm{eV}}=\frac{3}{14.00}=0.21429\ \mathrm{eV^{-1}} $$

すなわち1原子・1 eV あたり $0.214$ 状態である.スピンを含めた数え方であることに注意する(本書 導出10 で $2\sum_\kk$ としているのが,そのスピン自由度である).なお密度 $n$ の値は,この計算そのものには使わなくてよい.$n$ が要るのは $E_F$ を自由電子模型から自分で求めるときである.せっかく両方が与えられているので,与件どうしが整合しているかを確かめておく.$k_F=(3\pi^2n)^{1/3}$,$E_F=\hbar^2k_F^2/2m$ に $n=8.47\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}=8.47\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ を入れると

$$ k_F=\left(3\pi^2\times8.47\times10^{28}\right)^{1/3}=1.359\times10^{10}\ \mathrm{m^{-1}}, \qquad E_F=\frac{\hbar^2k_F^2}{2m}=1.127\times10^{-18}\ \mathrm{J}=7.03\ \mathrm{eV} $$

となり,与えられた $7.00\ \mathrm{eV}$ を $0.4\%$ の誤差で再現する.ついでに Fermi 速度も $v_F=\hbar k_F/m=1.57\times10^6\ \mathrm{m/s}$ と出る.これは演習A.3 の検算で銅の平均自由行程を見積もるのに使った値そのものである.

(4) ステップ1:eV 単位のまま計算する.$\pi^2/3=3.28987$,$k_B=8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}$ より $k_B^2=7.42527\times10^{-9}\ \mathrm{eV^2/K^2}$ である.1原子あたりの $D(E_F)=0.21429\ \mathrm{eV^{-1}}$ を掛けると

$$ \gamma_\text{atom}=\frac{\pi^2}{3}k_B^2D(E_F) =3.28987\times7.42527\times10^{-9}\times0.21429 =5.2346\times10^{-9}\ \mathrm{eV/K^2}\ \text{(1原子あたり)} $$

次元は $\mathrm{eV^2K^{-2}}\times\mathrm{eV^{-1}}=\mathrm{eV\,K^{-2}}$ で,比熱を温度で割った量として正しい.

ステップ2:SI 単位・1 mol あたりに直す.$1\ \mathrm{eV}=1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J}$ を掛け,$N_A=6.022\times10^{23}$ 個を掛ける.

$$ \gamma=5.2346\times10^{-9}\times1.602\times10^{-19}\times6.022\times10^{23} $$

順に計算する.$5.2346\times10^{-9}\times1.602\times10^{-19}=8.3858\times10^{-28}\ \mathrm{J/K^2}$(1原子あたり),これに $6.022\times10^{23}$ を掛けて

$$ \gamma=5.0500\times10^{-4}\ \mathrm{J/(mol\,K^2)}=0.505\ \mathrm{mJ/(mol\,K^2)} $$

である.

ステップ3:実測値と比べる.実測値は $0.695\ \mathrm{mJ/(mol\,K^2)}$ であるから

$$ \frac{\gamma_\text{exp}}{\gamma_\text{calc}}=\frac{0.695}{0.505}=1.376\simeq1.38 $$

となる.すなわち実測値は自由電子模型の予測の $1.38$ 倍であり,逆に言えば模型の値は実測の $0.505/0.695=72.7\%$ にとどまる(「$38\%$ 過小評価」ではなく「$27\%$ 過小評価」である.どちらを分母に置くかで数が変わるので,比を書くときは向きを明示しなければならない).この比は,比熱を測ったときに見える電子の「重さ」が,自由電子の質量の $1.38$ 倍であることを意味する.すなわち熱的有効質量 $m^*_\text{th}/m=\gamma_\text{exp}/\gamma_\text{calc}=1.38$ である.

検算.三通りに確かめる.第一に,(2) の結果を使って $\gamma$ の閉じた表式を作り,別ルートで数値を出す.$D(E_F)=3N/(2E_F)$ を代入すると

$$ \gamma=\frac{\pi^2}{3}k_B^2\cdot\frac{3N}{2E_F}=\frac{\pi^2}{2}\,\frac{N k_B^2}{E_F} $$

であり,1 mol について $N=N_A$ とすれば $N_Ak_B=R=8.3145\ \mathrm{J/(mol\,K)}$ を使って $\gamma=\frac{\pi^2}{2}\frac{R\,k_B}{E_F}$ と書ける.数値を入れると

$$ \gamma=4.9348\times\frac{8.3145\ \mathrm{J/(mol\,K)}\times8.617\times10^{-5}\ \mathrm{eV/K}}{7.00\ \mathrm{eV}} =5.051\times10^{-4}\ \mathrm{J/(mol\,K^2)} $$

となり,ステップ2 の $5.050\times10^{-4}$ と三桁まで一致する.第二に次元である.最終式 $\gamma=\frac{\pi^2}{2}Rk_B/E_F$ の単位は $\mathrm{J\,mol^{-1}K^{-1}}\times\mathrm{eV\,K^{-1}}/\mathrm{eV}=\mathrm{J\,mol^{-1}K^{-2}}$ で正しい.第三に (1) の結果は,(2) と同じ論法で $N$ と $E_F$ の関係を作ると $N=\int_0^{E_F}D_{2\mathrm{D}}\dd E=D_{2\mathrm{D}}\,E_F$ となり,$D_{2\mathrm{D}}=N/E_F$ という二次元版の簡潔な関係になる.三次元の $3N/2E_F$,二次元の $N/E_F$,一次元の $N/(2E_F)$ は,いずれも $D\propto E^{p}$ に対する $(p+1)N/E_F$ という同じ公式($p=1/2,0,-1/2$)から出る.次元による違いが一つの式に整理できることが,計算の正しさを支持している.

意味.この問題の核心は最後の $1.38$ という数である.$\gamma$ を測るという行為は,Fermi 面での状態密度を測ることに等しい.そして実測が自由電子模型の予測の $1.38$ 倍になるのは,実際の電子が「裸の電子」ではないからである.周期ポテンシャルによるバンド構造(銅では d バンドとの混成)が主で,これに電子–電子相互作用と電子–フォノン相互作用($1+\lambda$,銅では $\lambda\simeq0.15$)が乗って,Fermi 面近傍の電子は重くなる.測定にかかるのは,これらの効果をすべて着込んだくりこまれた質量である.素粒子物理で,Lagrangian に書いてある裸の質量 $m_0$ と,実験で測る物理的質量 $m$ を区別し,両者を自己エネルギー $\Sigma$ で結ぶ(第10章)のと,まったく同じ構図である.どちらも「相互作用する場に浸かった粒子の応答は,自由粒子の応答とは違う」という一つの事実の別々の現れである.物性の側では $m^*/m$ という比が,超伝導の電子–フォノン結合定数 $\lambda$ と $m^*/m=1+\lambda$ で結ばれ,$T_c$ の議論に直結する.銅の $1.38$ という値の内訳は,バンド計算の $\gamma_{\rm band}\simeq0.60\ \mathrm{mJ/(mol\,K^2)}$(自由電子 $0.505$ の約 $1.2$ 倍)に,残る約 $1.15$ 倍ぶんの $1+\lambda$ が乗ったものである.すなわち銅は電子–フォノン結合は弱く($\lambda\simeq0.15$),だからこそ超伝導にならない金属である —— $1.38$ をそのまま $1+\lambda$ と読んで $\lambda=0.38$ としてはいけない.$\delta$ 関数の和という素朴な定義から出発して,測定量と,物質の個性と,くりこみの思想までがひと続きになっているところに,状態密度という量の力がある.

E.18 付録B 崩壊率と散乱断面積の公式集 の解答

演習B.1 二体崩壊の運動学

問題(再掲)

本書付録B の二体崩壊運動量の公式(Källén 関数の因数分解形)を使って,静止した親粒子から出る娘粒子の運動量 $\abs{\pp}$ を求めよ.質量は本書の値($m_{\pi^0}=134.977$,$m_{\pi^\pm}=139.570$,$m_{K^\pm}=493.677$,$m_\rho=775.26$,すべて MeV)を使う.

(1) $\pi^0\to\gamma\gamma$.娘粒子は両方とも質量ゼロである.

(2) $K^+\to\pi^+\pi^0$.

(3) $\rho^0\to\pi^+\pi^-$.また,このとき $\rho$ の全幅 $\Gamma=149.1\ \mathrm{MeV}$ を二体崩壊率の式に入れて $\abs{\mathcal{M}}$ を求めよ($S=1$).

(4) $\mu^-\to e^-\bar\nu_e\nu_\mu$ は三体崩壊である.電子のエネルギーの最大値を求めよ(ヒント:二つのニュートリノが同じ向きに,電子が反対向きに出るときが最大).

解答

方針.使う道具は二つだけである.ひとつは本書付録B B.1.4 項の運動量公式

$$ \abs{\pp} = \frac{1}{2m_1}\sqrt{\Big[m_1^2-(m_2+m_3)^2\Big]\Big[m_1^2-(m_2-m_3)^2\Big]} $$

であり,もうひとつは同項の二体崩壊率

$$ \Gamma_{1\to2+3} = \frac{S\,\abs{\pp}}{8\pi\hbar\,m_1^2}\,\abs{\mathcal{M}}^2 $$

である.自然単位系 $\hbar=1$ で計算し,質量はすべて MeV で測る.(4) だけは三体崩壊だが,「二つのニュートリノをひとまとめにして一個の仮想粒子とみなす」という一手で二体問題に落ちる.この読み替えは,本書付録B B.1.5 項の三体位相空間の再帰的分解($1\to(23)+4$ と $(23)\to2+3$ の二段重ね)とまったく同じ発想である.

(1) $m_2=m_3=0$ を代入すると,二つの括弧はどちらも $m_1^2$ になる.

$$ \abs{\pp} = \frac{1}{2m_{\pi^0}}\sqrt{m_{\pi^0}^2\cdot m_{\pi^0}^2} = \frac{m_{\pi^0}^2}{2m_{\pi^0}} = \frac{m_{\pi^0}}{2} = \frac{134.977}{2} = 67.4885\ \mathrm{MeV} $$

光子は質量ゼロなので $E_\gamma=\abs{\pp}=67.489\ \mathrm{MeV}$ である.二つの光子は背中合わせに出て,それぞれちょうど親の質量の半分のエネルギーをもつ.エネルギー保存 $E_2+E_3=2\times67.4885=134.977=m_{\pi^0}$ も当然成り立っている.

(2) 二つの括弧を別々に計算する.まず $m_{K^\pm}^2=(493.677)^2=2.4371698\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2}$ である.和と差はそれぞれ

$$ m_{\pi^\pm}+m_{\pi^0} = 139.570+134.977 = 274.547\ \mathrm{MeV}, \qquad m_{\pi^\pm}-m_{\pi^0} = 4.593\ \mathrm{MeV} $$

なので

$$ m_1^2-(m_2+m_3)^2 = 243716.98 - 75376.06 = 1.6834092\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2} $$ $$ m_1^2-(m_2-m_3)^2 = 243716.98 - 21.096 = 2.4369588\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2} $$

である.積は $4.102399\times10^{10}\ \mathrm{MeV^4}$,その平方根は $2.0254380\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2}$.これを $2m_{K^\pm}=987.354\ \mathrm{MeV}$ で割って

$$ \abs{\pp} = \frac{2.0254380\times10^{5}}{987.354} = 205.138\ \mathrm{MeV} $$

を得る.ヒントの $205.14\ \mathrm{MeV}$,および二つの括弧の値 $1.6834\times10^{5}$,$2.4370\times10^{5}\ \mathrm{MeV^2}$ と一致する.エネルギーは本書付録B 導出2 のステップ3 の式から

$$ E_{\pi^+} = \frac{m_K^2+m_{\pi^\pm}^2-m_{\pi^0}^2}{2m_K} = 248.116\ \mathrm{MeV}, \qquad E_{\pi^0} = \frac{m_K^2+m_{\pi^0}^2-m_{\pi^\pm}^2}{2m_K} = 245.561\ \mathrm{MeV} $$

で,運動エネルギーはそれぞれ $108.55\ \mathrm{MeV}$ と $110.58\ \mathrm{MeV}$ である.

(3) $m_2=m_3=m_{\pi^\pm}$ の場合,第二の括弧は $m_\rho^2-0=m_\rho^2$ になるので公式は簡単になる.

$$ \abs{\pp} = \frac{1}{2m_\rho}\sqrt{\big(m_\rho^2-4m_{\pi^\pm}^2\big)\,m_\rho^2} = \frac{1}{2}\sqrt{m_\rho^2-4m_{\pi^\pm}^2} = \sqrt{\frac{m_\rho^2}{4}-m_{\pi^\pm}^2} $$

数値は $m_\rho^2/4 = 601028.07/4 = 150257.02$,$m_{\pi^\pm}^2 = 19479.78$ より

$$ \abs{\pp} = \sqrt{150257.02-19479.78} = \sqrt{130777.23} = 361.631\ \mathrm{MeV} $$

である.つぎに二体崩壊率の式を $\abs{\mathcal{M}}^2$ について解く.$S=1$($\pi^+$ と $\pi^-$ は区別できる),$\hbar=1$ として

$$ \abs{\mathcal{M}}^2 = \frac{8\pi\,m_\rho^2\,\Gamma}{S\,\abs{\pp}} = \frac{8\pi\times601028.07\times149.1}{361.631}\ \mathrm{MeV^2} $$

分子を順に評価すると $8\pi\times601028.07 = 1.5105483\times10^{7}\ \mathrm{MeV^2}$,これに $\Gamma=149.1\ \mathrm{MeV}$ を掛けて $2.2522275\times10^{9}\ \mathrm{MeV^3}$.$\abs{\pp}=361.631\ \mathrm{MeV}$ で割ると

$$ \abs{\mathcal{M}}^2 = 6.2280\times10^{6}\ \mathrm{MeV^2} \qquad\Longrightarrow\qquad \abs{\mathcal{M}} = 2496\ \mathrm{MeV} = 2.50\ \mathrm{GeV} $$

ヒントの $6.23\times10^{6}\ \mathrm{MeV^2}$,$2.50\times10^{3}\ \mathrm{MeV}$ と一致する.

(4) 三体崩壊なので電子のエネルギーは連続分布をもつ.その上限を出すには,二つのニュートリノの四元運動量の和 $q=p_{\bar\nu_e}+p_{\nu_\mu}$ を一個の粒子の四元運動量とみなし,その不変質量を $m_{\nu\nu}\equiv\sqrt{q^2}$ と書けばよい.すると崩壊は形式的に $\mu^-\to e^- + X$ という二体崩壊になり,導出2 のステップ3 がそのまま使える:

$$ E_e = \frac{m_\mu^2+m_e^2-m_{\nu\nu}^2}{2m_\mu} $$

右辺は $m_{\nu\nu}^2$ について単調減少なので,$E_e$ が最大になるのは $m_{\nu\nu}=0$ のときである.ニュートリノを質量ゼロとすると

$$ m_{\nu\nu}^2 = (p_{\bar\nu_e}+p_{\nu_\mu})^2 = 2\,p_{\bar\nu_e}\cdot p_{\nu_\mu} = 2\big(E_1E_2-\pp_1\cdot\pp_2\big) = 2E_1E_2\big(1-\cos\theta_{12}\big) $$

だから,$m_{\nu\nu}=0$ は $\theta_{12}=0$,すなわち二つのニュートリノが完全に同じ向きに出ることを意味する(形式的には $E_1E_2=0$ でも $m_{\nu\nu}=0$ になるが,これは片方のニュートリノが消えて実質二体崩壊になる境界の場合で,$E_e$ の値は同じである).このとき運動量保存から電子はその反対向きに出る.問題文のヒントの状況そのものである.したがって

$$ E_e^\text{max} = \frac{m_\mu^2+m_e^2}{2m_\mu} = \frac{(105.658)^2+(0.511)^2}{2\times105.658} = \frac{11163.613+0.261}{211.316} = \frac{11163.874}{211.316} = 52.8302\ \mathrm{MeV} $$

である.$m_\mu/2 = 52.829\ \mathrm{MeV}$ との差はわずか $m_e^2/(2m_\mu)=1.24\times10^{-3}\ \mathrm{MeV}$ で,実質 $E_e^\text{max}\simeq m_\mu/2$ である.

同じ式から下端も一行で出る.$E_e$ は $m_{\nu\nu}^2$ の単調減少関数なので,$E_e$ が最小になるのは $m_{\nu\nu}$ が最大のとき,すなわち電子が静止して二つのニュートリノが残り全部を持ち去る $m_{\nu\nu}=m_\mu-m_e$ の場合である.

$$ E_e^\text{min} = \frac{m_\mu^2+m_e^2-(m_\mu-m_e)^2}{2m_\mu} = \frac{2m_\mu m_e}{2m_\mu} = m_e = 0.511\ \mathrm{MeV} $$

当然の答え(静止した電子の全エネルギーは $m_e$)が出た.つまり電子の全エネルギーは $m_e \le E_e \le 52.830\ \mathrm{MeV}$ を連続的に埋め,運動エネルギーでいえば $0$ から $52.319\ \mathrm{MeV}$ までである.上端も下端も「二体崩壊の式に $m_{\nu\nu}$ の極端値を入れる」だけで出るところに,この読み替えの威力がある.

検算.三つの独立な検算を通しておく.

第一に (2) のエネルギー保存:$248.116+245.561 = 493.677 = m_{K^\pm}$ で,ぴたりと一致する.また $\sqrt{\abs{\pp}^2+m_{\pi^\pm}^2}=\sqrt{205.138^2+139.570^2}=\sqrt{42081.6+19479.8}=248.116\ \mathrm{MeV}$ で $E_{\pi^+}$ と合う.

第二に (3) の対称性:$\rho^0\to\pi^+\pi^-$ は質量の等しい二体崩壊なので,$E_{\pi^+}=E_{\pi^-}=m_\rho/2=387.63\ \mathrm{MeV}$ でなければならない.実際 $\sqrt{361.631^2+139.570^2}=\sqrt{130777.2+19479.8}=\sqrt{150257.0}=387.63\ \mathrm{MeV}$ である.

第三に次元の検算:本書付録B B.1.2 項の次元則 $[\mathcal{M}]=4-N$($N$ は外線の総本数)によれば,$1\to2$ の崩壊は $N=3$ なので $[\mathcal{M}]=1$,すなわち $\abs{\mathcal{M}}$ は質量の次元をもつ.(3) で得た $\abs{\mathcal{M}}=2.50\ \mathrm{GeV}$ は確かに MeV の単位で出てきており,しかも $m_\rho=0.775\ \mathrm{GeV}$ の $3.2$ 倍という「同じ桁」の値である.無次元の結合定数が $O(1)$ であることの現れで,強い相互作用らしい大きさである.なお $\rho\to\pi\pi$ の振幅を $\mathcal{M}=g_{\rho\pi\pi}\,\varepsilon\cdot(p_+-p_-)$ と書き,$\rho$ の 3 つの偏極について平均すると $\overline{\abs{\mathcal{M}}^2}=\frac{4}{3}g_{\rho\pi\pi}^2\abs{\pp}^2$ となるので,$g_{\rho\pi\pi}^2 = 3\times6.2280\times10^{6}/(4\times361.631^2)=35.72$,$g_{\rho\pi\pi}=5.98$ である.文献の $g_{\rho\pi\pi}\simeq6$ とよく合う.

(4) の検算は $E^2-\abs{\pp}^2=m^2$ で行う.$\abs{\pp_e}=(m_\mu^2-m_e^2)/(2m_\mu)=52.8278\ \mathrm{MeV}$ なので $(E_e+\abs{\pp_e})(E_e-\abs{\pp_e}) = m_\mu\times m_e^2/m_\mu = m_e^2$ となり,恒等的に成り立つ.

意味.(1)(2)(3) が示しているのは,二体崩壊では終状態のエネルギーが質量だけで完全に決まるということである.$\pi^0$ の静止系から出る $\gamma$ 線は必ず $67.5\ \mathrm{MeV}$,$K^+$ から出る $\pi^+$ は必ず運動エネルギー $108.5\ \mathrm{MeV}$,という具合に単色になる.これは実験的にきわめて強力で,$\pi^+\to\mu^+\nu_\mu$ から出る $4.12\ \mathrm{MeV}$ の単色ミューオン(本書付録B B.5.2 項)を使って完全偏極ミューオンビームを作り,それを $\mu$SR(ミューオンスピン回転)で物質の局所磁場プローブに使う,という材料科学の実験手法が成り立っているのも,この単色性のおかげである.運動量が $30\ \mathrm{MeV}$ ときっちり決まっているからこそ,試料表面から一定の深さで止まる「表面ミューオン」が作れる.

対照的に (4) の三体崩壊では,いま見たとおり電子のエネルギーが $m_e$ から $52.83\ \mathrm{MeV}$ まで(運動エネルギーなら $0$ から $52.32\ \mathrm{MeV}$ まで)連続分布する.この連続性そのものが「見えない粒子が二個出ている」ことの証拠であり,$\beta$ 崩壊の連続スペクトルから Pauli がニュートリノを提案した論理と同じである.端点 $52.83\ \mathrm{MeV}$ は測定器のエネルギー較正点として現在も使われている.

材料科学との接点でいえば,(1)〜(3) の「単色 vs 連続」は,フォノンの崩壊過程でもそのまま現れる.非調和三次項による $\lambda\to\lambda'+\lambda''$ は二体崩壊であり,運動量保存 $\qq=\qq'+\qq''+\bm{G}$ とエネルギー保存 $\omega_\lambda=\omega_{\lambda'}+\omega_{\lambda''}$ の二本で終状態が強く制限される.四次項による $\lambda\to\lambda'+\lambda''+\lambda'''$ は三体崩壊で,終状態の分布は連続になる.線幅の温度依存性を測って三次項と四次項の寄与を分離する作業は,素粒子で崩壊生成物のスペクトルが単色か連続かを見て終状態の粒子数を決める作業と,論理がまったく同じである.

演習B.2 統計因子 $S$

問題(再掲)

次の各過程について統計因子 $S$ を答え,理由を一行で述べよ.

(1) $\eta\to\pi^0\pi^0\pi^0$ (2) $\omega\to\pi^+\pi^-\pi^0$ (3) $e^+e^-\to\gamma\gamma$ (4) $e^-e^-\to e^-e^-$ (5) $pp\to pp\pi^+\pi^-$ (6) $H\to ZZ\to \mu^+\mu^-\mu^+\mu^-$

(7) $\pi^0\to\gamma\gamma$ の崩壊率を二体崩壊の式で書くとき $S=1/2$ を掛ける.もし $S$ を忘れると,$\abs{\mathcal{M}}$ をどれだけ間違えることになるか.

解答

方針.本書付録B B.1.3 項の定義

$$ S = \prod_{\text{同種粒子の組}} \frac{1}{j!} $$

を機械的に当てはめるだけである.やることは「終状態に,量子数がすべて同じで区別のつかない粒子が何個あるか」を数え,組ごとに $1/j!$ を掛けることに尽きる.注意点は三つある.第一に,$S$ は終状態だけの話であって,始状態の粒子は何個同種であっても関係しない(始状態の重複数えは起きない).第二に,粒子と反粒子は区別できるので同種ではない.第三に,$S$ は位相空間側の因子であり,$\abs{\mathcal{M}}^2$ の側で交換図を足すこととは別の操作である.

(1) $\eta\to\pi^0\pi^0\pi^0$.終状態は同一の $\pi^0$ が 3 個である.$j=3$ の組がひとつなので

$$ S = \frac{1}{3!} = \frac{1}{6} $$

三個の運動量を独立に積分すると,$(\bm{a},\bm{b},\bm{c})$ の並べ替え $3!=6$ 通りをすべて別の終状態として数えてしまう.その割り戻しである.

この過程は,本書付録B B.1.5 項の Dalitz プロットで見ると意味がはっきりする.三個の $\pi^0$ が同種なので,Dalitz プロットは三本の対称軸をもつ $6$ 回対称な図形になり,物理的に独立な情報は全体の $1/6$ の扇形にしか入っていない.$S=1/6$ を掛けるのと,プロット全体を積分せずに独立な $1/6$ の領域だけを積分するのは,同じ操作の二つの言い方である.どちらか一方をやればよく,両方やってはいけない.

(2) $\omega\to\pi^+\pi^-\pi^0$.$\pi^+$,$\pi^-$,$\pi^0$ は電荷が違うので互いに区別できる.同種粒子の組はひとつもない.

$$ S = 1 $$

三個ともパイ中間子でアイソスピン三重項の兄弟だが,$S$ が問うているのは「同じ多重項の仲間か」ではなく「量子数がすべて同じで物理的に区別がつかないか」である.電荷が違えば検出器の側でも別物として数えられるので,運動量の入れ替えによる重複数えは起きない.(1) との違いはここだけであり,同じ「$3\pi$ 終状態」でも $S$ は $1/6$ と $1$ で $6$ 倍違う.

(3) $e^+e^-\to\gamma\gamma$.始状態の $e^+$ と $e^-$ は区別できるうえ,そもそも $S$ は終状態の話である.終状態は光子 2 個で,光子は自分自身が反粒子なので完全に同種である.

$$ S = \frac{1}{2!} = \frac{1}{2} $$

この過程では振幅の側でも,二つの光子をどちらの頂点から出すかで $t$ チャンネルと $u$ チャンネルの二つの図ができる.ボソンなので相対符号は $+$ で足す.図を二つ足したことと $S=1/2$ を掛けることは (4) と同じく独立な操作であり,片方を理由にもう片方を省いてはならない.

(4) $e^-e^-\to e^-e^-$(Møller 散乱).終状態に $e^-$ が 2 個ある.

$$ S = \frac{1}{2!} = \frac{1}{2} $$

始状態にも $e^-$ が 2 個いるが,これは $S$ には効かない.なお振幅の側では,$t$ チャンネルの直接図と $u$ チャンネルの交換図をフェルミオンなので相対符号 $(-1)$ を付けて足し,そのうえで二乗する.干渉項が出る.この振幅側の操作と $S=1/2$ は独立で,どちらも必要である.片方をやったからもう片方を省く,というのは本書付録B B.1.3 項が警告している典型的な誤りである.

(5) $pp\to pp\pi^+\pi^-$.終状態は $p,p,\pi^+,\pi^-$ の 4 個.このうち陽子 2 個が同種で,$\pi^+$ と $\pi^-$ は電荷が違うので別物である.

$$ S = \frac{1}{2!} = \frac{1}{2} $$

始状態にも陽子が 2 個いるが,(4) と同じ理由で $S$ には効かない.終状態の粒子数が 4 個に増えても,数える対象は「同種粒子の組」だけであって粒子の総数ではない.比較のために,もし終状態が $pp\pi^0\pi^0$ なら $\pi^0$ が 2 個で同種になるから $S=(1/2)\times(1/2)=1/4$ となり,同じ「$pp$ から 4 体」でも荷電状態のとり方だけで $S$ が $2$ 倍変わる.

(6) $H\to ZZ\to\mu^+\mu^-\mu^+\mu^-$.最終的に観測される終状態は $\mu^+$ が 2 個と $\mu^-$ が 2 個である.同種粒子の組が二つあるので,それぞれについて $1/2!$ を掛ける.

$$ S = \frac{1}{2!}\times\frac{1}{2!} = \frac{1}{4} $$

ここで大切なのは,$S$ は実際に積分する終状態について数えるということである.もし $H\to ZZ$ の段階で止めて $Z$ 2 個を終状態とするなら,そのときは $S=1/2!=1/2$ である.$Z$ の崩壊まで含めて 4 個のミューオンの位相空間を積分するなら $S=1/4$ になる.どこで切るかを決めてから数える.なお,この $S=1/4$ は実験でいう「4 レプトンチャンネルで $\mu^+\mu^-$ の組み合わせが 2 通りある」ことに対応しており,$H\to ZZ\to4\mu$ の解析で二つの組み合わせのどちらを $Z$ 候補にするかという曖昧さが生じるのと同じ根を持つ.

(7) 二体崩壊率の式

$$ \Gamma = \frac{S\,\abs{\pp}}{8\pi\hbar\,m_1^2}\,\abs{\mathcal{M}}^2 $$

を $\abs{\mathcal{M}}^2$ について解くと

$$ \abs{\mathcal{M}}^2 = \frac{8\pi\hbar\,m_1^2\,\Gamma}{S\,\abs{\pp}} $$

である.測定量は $\Gamma$(と $m_1$,$\abs{\pp}$)であって,これらは固定されている.正しく $S=1/2$ を入れれば

$$ \abs{\mathcal{M}}^2_\text{正} = \frac{16\pi\hbar\,m_1^2\,\Gamma}{\abs{\pp}} $$

だが,$S$ を忘れて $S=1$ としてしまうと

$$ \abs{\mathcal{M}}^2_\text{誤} = \frac{8\pi\hbar\,m_1^2\,\Gamma}{\abs{\pp}} = \frac{1}{2}\,\abs{\mathcal{M}}^2_\text{正} $$

となる.すなわち $\abs{\mathcal{M}}^2$ を正しい値の半分と見誤り,$\abs{\mathcal{M}}$ は $1/\sqrt2 = 0.707$ 倍に過小評価される.食い違いの大きさは $\abs{\mathcal{M}}^2$ で 2 倍($\abs{\mathcal{M}}$ で $\sqrt2=1.41$ 倍)である.

逆向きの使い方,すなわち理論から $\abs{\mathcal{M}}$ を計算して $\Gamma$ を予言する場合には,$S$ を忘れると $\Gamma$ を 2 倍に過大評価することになる.$\pi^0$ の寿命 $8.43\times10^{-17}\ \mathrm{s}$ を予言するはずが $4.2\times10^{-17}\ \mathrm{s}$ になり,実験と 2 倍ずれる.$O(\alpha)$ 補正が数 $\%$ の世界で 2 倍のずれは致命的である.

検算.まず本書付録B の表B.1(統計因子 $S$ の例)と直接突き合わせる.(1) $\eta\to\pi^0\pi^0\pi^0$ は表の $1/6$,(2) $\omega\to\pi^+\pi^-\pi^0$ は表の $1$,(3) $e^+e^-\to\gamma\gamma$ は表の $1/2$,(4) Møller 散乱 $e^-e^-\to e^-e^-$ は表の $1/2$ で,四つとも表の値と一致する.(5) は表にある $pp\to pp\pi^0$($S=1/2$)の $\pi^0$ を $\pi^+\pi^-$ に置き換えたもので,増えた 2 個が互いに区別できるため $S$ は変わらない.(6) は表にない多段崩壊だが,「同種 2 個の組ひとつで $1/2$」という表の読み方を,組が二つある場合に延長しただけである.表に載っていない過程でも,数え方さえ同じなら答えは自動的に出る.

もうひとつ,$S$ の値は「終状態の粒子に区別のつかない番号の付け替えが何通りあるか」の逆数に等しい,という別の数え方でも確かめられる.(1) では $\pi^0$ 三個の番号の付け替えが $3!=6$ 通りで $S=1/6$,(6) では $\mu^+$ の付け替え 2 通りと $\mu^-$ の付け替え 2 通りの積で $4$ 通りだから $S=1/4$,(2) では付け替えが恒等写像の 1 通りしかないので $S=1$.すべて上の答えと一致する.

もうひとつの検算は統計力学との照合である.$N$ 個の同種粒子からなる理想気体の分配関数に $1/N!$ を入れないと Gibbs のパラドックス(混合エントロピーが同種気体でもゼロにならない)が起きる.いま数えている $1/j!$ はこれとまったく同じ因子であり,「区別できないものを独立に走らせて積分したら,最後に並べ替えの数で割る」という一般則の二つの現れである.片方を知っていればもう片方は導ける.

意味.統計因子は,公式集のなかでもっとも地味で,もっとも間違えやすい部品である.$\abs{\mathcal{M}}$ の計算に何時間かけても,最後に $1/2$ を落とせば結論は $\sqrt2$ ずれる.しかもこの誤りは「桁が合っているので気づきにくい」という性質が悪い.本書付録B が $S$ をわざわざ独立の項目として立てているのは,それだけ実務で被害が大きいからである.

材料科学の側でも同じ数え落としは起きる.非調和フォノンの三フォノン過程 $\lambda\to\lambda'+\lambda''$ で崩壊率を計算するとき,$(\lambda',\lambda'')$ の組を独立に走らせて和をとるなら $1/2$ が要る($\lambda'$ と $\lambda''$ は同じ「フォノン」という種類の粒子である).文献によっては和を非重複領域に制限する流儀を採っており,そのときは $1/2$ を掛けてはいけない.ALAMODE などのコードで線幅の絶対値を他のコードや実験と比べるときに,この係数の流儀の違いで $2$ 倍ずれる,というのは実際によくある落とし穴である.本書付録B の「両方やってはいけない」という注意は,そのまま第一原理フォノン計算にも当てはまる.

演習B.3 自然単位系の換算

問題(再掲)

$\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$,$\hbar=6.58212\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}$,$(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb}$ を使う.

(1) $\rho(770)$ の全幅は $\Gamma=149.1\ \mathrm{MeV}$ である.寿命 $\tau$ と飛行距離 $c\tau$ を求め,陽子半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ と比べよ.

(2) $\tau$ レプトンの寿命は $2.903\times10^{-13}\ \mathrm{s}$ である.全幅を $\mathrm{meV}$ 単位で求めよ.

(3) ある散乱過程の断面積が $\sigma=1.5\times10^{-3}\ \mathrm{GeV^{-2}}$ と計算された.これを $\mathrm{nb}$ に直せ.

(4) 湯川ポテンシャルの到達距離は $1/m$ である.$W$ ボソン($80.377\ \mathrm{GeV}$)が媒介する弱い相互作用の到達距離を $\mathrm{fm}$ で求め,陽子半径と比べよ.

解答

方針.本書付録B B.3.2 項の三つの規則をそのまま使う.長さが欲しければ $\hbar c$ を掛け,時間が欲しければ $\hbar$ を掛け,面積が欲しければ $(\hbar c)^2$ を掛ける.どの規則を使うかは次元解析だけで決まるので,覚えるべきことは実質的に数値二つ($\hbar c=197.327\ \mathrm{MeV\,fm}$ と $\hbar=6.58212\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}$)しかない.$(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb}$ は前二者から作れるが,断面積で毎回使うので独立に覚えてしまうのが実務である.

(1) 寿命は本書付録B B.1.1 項の $\tau=\hbar/\Gamma$ から

$$ \tau = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.58212\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{149.1\ \mathrm{MeV}} = 4.4146\times10^{-24}\ \mathrm{s} $$

である.飛行距離は $c$ を掛けて

$$ c\tau = 2.99792\times10^{23}\ \mathrm{fm/s}\times4.4146\times10^{-24}\ \mathrm{s} = 1.3235\ \mathrm{fm} $$

である.同じ答えは,$\hbar$ と $c$ を別々に使わず $\hbar c$ を一度で使ってももっと早く出る.

$$ c\tau = \frac{\hbar c}{\Gamma} = \frac{197.327\ \mathrm{MeV\,fm}}{149.1\ \mathrm{MeV}} = 1.3235\ \mathrm{fm} $$

陽子半径 $0.84\ \mathrm{fm}$ と比べると $1.3235/0.84=1.58$ 倍にすぎない.つまり $\rho$ 中間子はハドロン一個分の距離しか飛ばずに壊れる.表B.5 の $c\tau=1.32\ \mathrm{fm}$ と一致する.

(2) 逆向きの換算である.

$$ \Gamma = \frac{\hbar}{\tau} = \frac{6.58212\times10^{-22}\ \mathrm{MeV\,s}}{2.903\times10^{-13}\ \mathrm{s}} = 2.2674\times10^{-9}\ \mathrm{MeV} $$

$1\ \mathrm{MeV}=10^{6}\ \mathrm{eV}$ なので

$$ \Gamma = 2.2674\times10^{-9}\times10^{6}\ \mathrm{eV} = 2.2674\times10^{-3}\ \mathrm{eV} = 2.267\ \mathrm{meV} $$

である.表B.5 の $2.27\ \mathrm{meV}$ と一致する.ついでに飛行距離も出しておくと $c\tau = 2.99792\times10^{8}\ \mathrm{m/s}\times2.903\times10^{-13}\ \mathrm{s}=8.703\times10^{-5}\ \mathrm{m}=87.0\ \mu\mathrm{m}$ で,これも表B.5 と合う.$\tau$ レプトンの崩壊点がシリコン検出器で「二次頂点」として分離できるのは,この $87\ \mu\mathrm{m}$ という長さのおかげである.

(3) 断面積は質量次元 $-2$ なので $(\hbar c)^2$ を掛ける.

$$ \sigma = 1.5\times10^{-3}\ \mathrm{GeV^{-2}} \times 0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb} = 5.841\times10^{-4}\ \mathrm{mb} $$

$1\ \mathrm{mb}=10^{-3}\ \mathrm{b}$,$1\ \mathrm{nb}=10^{-9}\ \mathrm{b}$ なので $1\ \mathrm{mb}=10^{6}\ \mathrm{nb}$.したがって

$$ \sigma = 5.841\times10^{-4}\times10^{6}\ \mathrm{nb} = 584\ \mathrm{nb} $$

である.実務では $1\ \mathrm{GeV^{-2}}=3.894\times10^{5}\ \mathrm{nb}$ を覚えておいて $1.5\times10^{-3}\times3.894\times10^{5}=584.1\ \mathrm{nb}$ と一行で済ませる.

(4) 湯川ポテンシャル $V(r)\propto \ee^{-mr}/r$ の到達距離は $1/m$ である.自然単位系で $1/m_W = 1/80.377 = 1.2441\times10^{-2}\ \mathrm{GeV^{-1}}$.規則1(長さには $\hbar c$)を使うと

$$ \frac{\hbar c}{m_Wc^2} = \frac{0.197327\ \mathrm{GeV\,fm}}{80.377\ \mathrm{GeV}} = 2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm} $$

である.陽子半径との比は

$$ \frac{0.84\ \mathrm{fm}}{2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm}} = 342 $$

すなわち弱い相互作用の到達距離は陽子半径の約 $1/340$ しかない.

検算.四つとも,別ルートで独立に検算しておく.

(1):$\hbar$ と $c$ を別々に使ったルートで $1.32345\ \mathrm{fm}$,$\hbar c$ を一度に使ったルートで $1.32345\ \mathrm{fm}$.一致する(両者はもちろん同じ計算だが,途中で $10^{\pm22}$ の桁を跨ぐか跨がないかが違うので,桁落としのチェックになる).

(2):表B.4 の辞書「$1\ \mathrm{eV}$ は時間 $\hbar/E$ で $0.65821\ \mathrm{fs}$」を使うと,$\tau=2.903\times10^{-13}\ \mathrm{s}=2.903\times10^{2}\ \mathrm{fs}$ に対して $\Gamma = 0.65821/290.3\ \mathrm{eV}=2.2674\times10^{-3}\ \mathrm{eV}$.同じ値である.

(3):$1\ \mathrm{GeV^{-2}}=0.03894\ \mathrm{fm^2}$($(\hbar c)^2=0.038938\ \mathrm{GeV^2\,fm^2}$ から)を使うと $\sigma=1.5\times10^{-3}\times0.03894=5.841\times10^{-5}\ \mathrm{fm^2}$.$1\ \mathrm{fm^2}=10\ \mathrm{mb}$ だから $5.841\times10^{-4}\ \mathrm{mb}$ で上と一致する.

(4):$\hbar c$ を使わずに,$1\ \mathrm{GeV^{-1}}=0.197327\ \mathrm{fm}$ という表B.3 の値をそのまま掛けても $1.2441\times10^{-2}\times0.197327=2.455\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$.同じである.

意味.(1) と (4) は,いずれも「長さの物差しを当てて,その相互作用がどれくらいの空間スケールの現象かを見る」作業である.$\rho$ の $c\tau=1.32\ \mathrm{fm}$ は,$\rho$ が生成された場所から実質的に動かずに壊れることを意味する.だから $\rho$ は飛跡を残さず,$\pi\pi$ の不変質量分布に幅 $149\ \mathrm{MeV}$ の Breit–Wigner の山として現れるしかない.逆に (2) の $\tau$ レプトンは $87\ \mu\mathrm{m}$ 飛ぶので,崩壊点を空間的に分離して測れる.幅の大きさが,そのまま実験手法を決めているのである.

(4) の $2.5\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$ は,弱い相互作用が「点接触」で近似できることの根拠である.核子の大きさ($\sim1\ \mathrm{fm}$)や原子核の大きさ(数 fm)のスケールから見れば,$W$ 交換は完全に点に見える.だから低エネルギーでは,$W$ 伝播関数を $1/(q^2-m_W^2)\to -1/m_W^2$ と定数に置き換えてよく,そこから Fermi 定数 $G_F/\sqrt2 = g^2/(8m_W^2)$ が出る.実際 $G_F=1.1664\times10^{-5}\ \mathrm{GeV^{-2}}$ と $m_W^2=6460.5\ \mathrm{GeV^2}$ から逆に解くと $g^2 = 4\sqrt2\,G_F m_W^2 = 0.4263$,$g=0.653$ が得られ,弱い相互作用の結合定数そのものは電磁相互作用($e=\sqrt{4\pi\alpha}=0.303$)の $2.2$ 倍で,むしろ大きいことが分かる(独立な検算:$g^2=4\pi\hat\alpha(M_Z)/\sin^2\theta_W = 4\pi\times(1/128)/0.2312 = 0.425$($\hat\alpha(M_Z)\simeq1/128$ は $\overline{\rm MS}$ の概数) で,$g=0.652$.一致する).弱い相互作用が「弱い」のは結合が小さいからではなく,$m_W$ が大きくて到達距離が短いからである.表B.2 の「$[G_F]=-2$」という一行が,この事情を次元の言葉で述べている.

材料科学との接点は (3) の単位換算にある.物性の実験家は断面積を barn ではなく吸収係数 $\mu\ [\mathrm{cm^{-1}}]$ や散乱長 $b\ [\mathrm{fm}]$ で言うが,中身はすべて同じ $\sigma$ である.たとえば中性子散乱で使う $b_\text{coh}(\mathrm{Ni})=10.3\ \mathrm{fm}$ から $\sigma=4\pi b^2 = 4\pi\times106\ \mathrm{fm^2}=1333\ \mathrm{fm^2}=13.3\ \mathrm{barn}$ が出る.素粒子屋の $(\hbar c)^2$ と物性屋の $4\pi b^2$ は,同じ換算表の別のページである.

演習B.4 Mandelstam 変数と不変断面積

問題(再掲)

質量をすべて無視できる $1+2\to3+4$ を考える($m_i=0$).CM 系での散乱角を $\theta$,重心エネルギー二乗を $s$ とする.

(1) 本書付録B B.2.4 項の $t$ の CM 系表式を使って,$t$ と $u$ を $s$ と $\theta$ で表せ.

(2) $s+t+u=\sum_i m_i^2$ が満たされていることを確かめよ.

(3) CM 系の $\dd\sigma/\dd\Omega$ の式と不変形 $\dd\sigma/\dd t$ の式が整合することを,$\abs{\pp_i}=\abs{\pp_f}=\sqrt{s}/2$ を使って示せ.

(4) $t$ の取りうる範囲を求めよ.また,$\abs{\mathcal{M}}^2\propto1/t^2$($t$ チャンネルで質量ゼロの粒子を交換する場合)のとき,全断面積 $\sigma=\int\dd\sigma$ が発散することを示し,その発散が前方($\theta\to0$)から来ることを確かめよ.

解答

方針.質量ゼロの $2\to2$ は,運動学がもっとも簡単になる場合である.CM 系では四つの粒子がすべて同じエネルギー $\sqrt{s}/2$,同じ運動量の大きさ $\sqrt{s}/2$ をもち,独立な変数は散乱角 $\theta$ ただ一つになる.したがって $s$ と $\theta$ の二つで運動学が完全に決まり,$t$ と $u$ はその従属変数である.使う道具は本書付録B B.2.4 項の $t$ の CM 系表式と,B.2.3 項・B.2.4 項の二つの断面積公式だけである.

(1) まず CM 系の運動学を書き下す.質量がゼロなので $E_1=E_2=E_3=E_4=\sqrt{s}/2$ であり,運動量の大きさも $\abs{\pp_i}=\abs{\pp_f}=\sqrt{s}/2$ である($\abs{\pp}=\sqrt{E^2-m^2}=E$).本書付録B B.2.4 項の

$$ t = m_1^2+m_3^2-2E_1E_3+2\abs{\pp_i}\abs{\pp_f}\cos\theta $$

に $m_1=m_3=0$ を入れると

$$ t = -2\cdot\frac{\sqrt{s}}{2}\cdot\frac{\sqrt{s}}{2} + 2\cdot\frac{\sqrt{s}}{2}\cdot\frac{\sqrt{s}}{2}\cos\theta = -\frac{s}{2}+\frac{s}{2}\cos\theta $$

すなわち

$$ t = -\frac{s}{2}\big(1-\cos\theta\big) = -s\,\sin^2\frac{\theta}{2} $$

である(最後は半角公式 $1-\cos\theta = 2\sin^2(\theta/2)$).

$u$ も同じ手順で出す.$u=(p_1-p_4)^2$ であり,粒子 4 は CM 系で粒子 3 の真反対向きに出るから,$\pp_1$ と $\pp_4$ のなす角は $\pi-\theta$ である.したがって上の式で $\cos\theta\to\cos(\pi-\theta)=-\cos\theta$ と置き換えればよい:

$$ u = -\frac{s}{2}\big(1+\cos\theta\big) = -s\,\cos^2\frac{\theta}{2} $$

である.$t$ も $u$ もつねに $\le0$ であることが目で見て分かる.

(2) 三つを足す.

$$ s+t+u = s - \frac{s}{2}\big(1-\cos\theta\big) - \frac{s}{2}\big(1+\cos\theta\big) = s - \frac{s}{2} + \frac{s}{2}\cos\theta - \frac{s}{2} - \frac{s}{2}\cos\theta $$

$\cos\theta$ の項がきれいに打ち消し合い

$$ s+t+u = s - \frac{s}{2} - \frac{s}{2} = 0 $$

となる.一方,右辺は $\sum_i m_i^2 = 0+0+0+0 = 0$ である.両辺が一致した.$\theta$ に依存しない形で成り立っていることが大切で,これは「$s+t+u$ は運動学の詳細によらない恒等式である」という本書付録B B.2.4 項の主張の,もっとも簡単な確認になっている.

半角の形で書けば $s\sin^2(\theta/2)+s\cos^2(\theta/2)=s$ という三角関数の恒等式そのもので,$-t-u=s$ が Pythagoras の定理の言い換えになっている.

(3) 二つの公式は

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\bigg|_\text{CM} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{64\pi^2 s}\,\frac{\abs{\pp_f}}{\abs{\pp_i}}, \qquad \frac{\dd\sigma}{\dd t} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{64\pi\,s\,\abs{\pp_i}^2} $$

である.前者から後者を導いてみる.まず変数変換のヤコビアンを作る.(1) の $t$ の表式を $\cos\theta$ で微分すると

$$ \frac{\dd t}{\dd\cos\theta} = 2\abs{\pp_i}\abs{\pp_f} \qquad\Longrightarrow\qquad \dd t = 2\abs{\pp_i}\abs{\pp_f}\,\dd\cos\theta $$

である.方位角について対称なら $\dd\Omega = 2\pi\,\dd\cos\theta$ なので

$$ \dd\Omega = 2\pi\cdot\frac{\dd t}{2\abs{\pp_i}\abs{\pp_f}} = \frac{\pi\,\dd t}{\abs{\pp_i}\abs{\pp_f}} $$

いま $\abs{\pp_i}=\abs{\pp_f}=\sqrt{s}/2$ なので $\abs{\pp_i}\abs{\pp_f}=s/4$ であり

$$ \dd\Omega = \frac{4\pi}{s}\,\dd t $$

となる.したがって

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd t} = \frac{\dd\sigma}{\dd\Omega}\cdot\frac{\dd\Omega}{\dd t} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{64\pi^2 s}\cdot\underbrace{\frac{\abs{\pp_f}}{\abs{\pp_i}}}_{=1}\cdot\frac{4\pi}{s} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{16\pi\,s^2} $$

を得る.他方,不変形の式に直接 $\abs{\pp_i}^2 = s/4$ を代入すると

$$ \frac{\dd\sigma}{\dd t} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{64\pi\,s\,(s/4)} = \frac{S\,\abs{\mathcal{M}}^2}{16\pi\,s^2} $$

で,まったく同じ式になった.二つの公式は整合している.

さらに,本書付録B B.2.4 項の第三の書き方 $\dd\sigma/\dd t = S\abs{\mathcal{M}}^2/\big(16\pi\lambda(s,m_1^2,m_2^2)\big)$ とも合う.質量ゼロなら Källén 関数は $\lambda(s,0,0)=s^2+0+0-0-0-0=s^2$ なので,右辺は $S\abs{\mathcal{M}}^2/(16\pi s^2)$ である.三つの表現がすべて一致した.

(4) $\cos\theta$ は $-1$ から $+1$ まで動く.(1) の式に代入すると

$$ \theta=0\ (\text{前方}):\ t = -\frac{s}{2}(1-1) = 0, \qquad \theta=\pi\ (\text{後方}):\ t = -\frac{s}{2}(1+1) = -s $$

であり,$t$ は $\cos\theta$ の単調増加関数だから

$$ -s \le t \le 0 $$

が $t$ の可動域である.$u$ の可動域も同じく $-s\le u\le0$ で,$t=0$ のとき $u=-s$,$t=-s$ のとき $u=0$ となる.$\theta=\pi/2$ では $t=u=-s/2$ である.

つぎに $\abs{\mathcal{M}}^2 = C/t^2$($C$ は定数)として全断面積を作る.

$$ \sigma = \int_{-s}^{0}\frac{\dd\sigma}{\dd t}\,\dd t = \frac{S\,C}{16\pi s^2}\int_{-s}^{0}\frac{\dd t}{t^2} $$

積分は初等的である.$\int \dd t/t^2 = -1/t$ なので,下端を $-s$,上端を $-\varepsilon$($\varepsilon>0$ を後でゼロにする)として

$$ \int_{-s}^{-\varepsilon}\frac{\dd t}{t^2} = \left[-\frac{1}{t}\right]_{-s}^{-\varepsilon} = \frac{1}{\varepsilon} - \frac{1}{s} \;\xrightarrow[\varepsilon\to0]{}\; \infty $$

すなわち全断面積は発散する.発散は上端 $t\to0^-$ から来ており,$t=0$ は $\cos\theta=1$,つまり $\theta\to0$ の前方である.下端 $t=-s$(後方)からの寄与は $1/s$ と有限であるから,発散は完全に前方由来である.

角度で書き直しても同じ結論になる.小さい $\theta$ では $t\simeq -s\theta^2/4$ なので $\abs{\mathcal{M}}^2\propto 1/t^2 \propto 16/(s^2\theta^4)$,一方 $\dd\Omega = 2\pi\sin\theta\,\dd\theta \simeq 2\pi\theta\,\dd\theta$ である.したがって

$$ \sigma \sim \int \frac{1}{\theta^4}\,\theta\,\dd\theta = \int\frac{\dd\theta}{\theta^3} \;\propto\; \frac{1}{\theta_\text{min}^2} $$

で,前方の遮断角 $\theta_\text{min}$ をゼロにすると二乗で発散する.前方から来ていることが角度表示でも確認できた.

発散を止めるには,交換される粒子に質量 $m$ を与えて $\abs{\mathcal{M}}^2 = C/(t-m^2)^2$ とすればよい.このとき

$$ \int_{-s}^{0}\frac{\dd t}{(t-m^2)^2} = \left[-\frac{1}{t-m^2}\right]_{-s}^{0} = \frac{1}{m^2}-\frac{1}{s+m^2} = \frac{s}{m^2\,(s+m^2)} $$

となって有限である.$m^2\ll s$ なら $\simeq 1/m^2$ で,交換粒子の質量が小さいほど断面積が大きい.

検算.三つ行う.

第一に,(1) の結果を有名な Rutherford の角度依存性と照合する.$t=-s\sin^2(\theta/2)$ だから

$$ \frac{1}{t^2} = \frac{1}{s^2\sin^4(\theta/2)} $$

である.$\abs{\mathcal{M}}^2\propto1/t^2$ を $\dd\sigma/\dd\Omega$ の式に入れると $\dd\sigma/\dd\Omega \propto 1/\sin^4(\theta/2)$ が出る.これは本書付録B B.2.3 項でも B.2.5 項の RBS のところでも現れた Rutherford 断面積の角度依存性そのもので,$t$ チャンネル質量ゼロ交換という素性が確かに再現されている.

第二に,(4) の遮蔽つき積分を数値で確かめる.$s=1$,$m^2=0.01$ とすると $s/[m^2(s+m^2)] = 1/(0.01\times1.01) = 99.01$ で,遮蔽なしの近似値 $1/m^2=100$ に近く,かつ有限である.$m^2\to0$ で $99.01\to\infty$ となり,発散が復活することも確認できる.

第三に,次元の検算.$[\mathcal{M}]=4-N=4-4=0$($2\to2$ は外線 4 本)なので $\abs{\mathcal{M}}^2$ は無次元でなければならない.$C/t^2$ が無次元であるためには $[C]=4$,すなわち $C$ は質量の 4 乗の次元をもつ.実際 QED では $\abs{\mathcal{M}}^2 \sim e^4 s^2/t^2$ のような形になり,$e$ が無次元,$s^2$ が質量の 4 乗で辻褄が合う.そして $\dd\sigma/\dd t = S\abs{\mathcal{M}}^2/(16\pi s^2)$ の次元は $[\text{質量}]^{-4}$ で,$\dd t$ が $[\text{質量}]^{2}$ だから $\sigma$ は $[\text{質量}]^{-2}$,表B.2 の断面積の質量次元 $-2$ と合う.

意味.(3) が示しているのは,本書付録B B.2.4 項の「鉄則」——まず不変量 $s,t$ で計算し,最後に系を選ぶ——が実際に安全だということである.$\dd\sigma/\dd t$ はどの慣性系で計算しても同じ値になるので,ヤコビアンの計算に埋もれて符号や因子を落とす危険がない.系を先に固定すると,たとえば実験室系の角度変換で $\gamma_\text{CM}$ が絡んだ厄介な式になる.

(4) の前方発散は,Coulomb 相互作用の到達距離が無限であることの断面積側の表現である.どんなに遠くを通っても少しは曲げられるので,「当たる面積」が無限になる.演習B.3(4) で見たように,$W$ ボソンのように交換粒子が重ければ到達距離は有限($2.5\times10^{-3}\ \mathrm{fm}$)で,断面積も有限になる.発散するかしないかは,交換粒子が質量ゼロかどうかで決まっている.

材料科学では,この発散はむしろ日常的に「遮蔽」として処理されている.固体中で荷電粒子が受ける Coulomb ポテンシャルは,伝導電子の応答によって $V(r)\propto \ee^{-r/\lambda_\text{TF}}/r$ という湯川型に化ける(Thomas–Fermi 遮蔽).すると伝播関数の分母は $1/(t-\lambda_\text{TF}^{-2})$ となり,(4) の最後で見たとおり積分が有限になる.金属の電気抵抗を不純物散乱で計算するとき,遮蔽を入れないと断面積が発散して抵抗が無限大になってしまう.『線形応答理論入門』第10章「遮蔽 — Thomas–Fermi と Lindhard 関数」で扱う Thomas–Fermi 遮蔽長は,まさにこの発散を止めるために存在している.

もうひとつの実務的な現れが RBS である.本書付録B B.2.5 項で見たように,RBS は $\theta^\text{lab}\simeq170^\circ$ という後方で測る.前方は断面積が大きいが,そこは散乱されていないビームと区別がつかず,しかも $1/t^2$ の発散のせいで小角散乱が積み重なって深さ分解能が失われる.後方に限れば $t\simeq-s$ 近傍の有限で滑らかな領域だけを使うことになり,運動学因子 $K$ による質量分離が最大になる.「発散する前方を避けて,運動学がよく効く後方で測る」という設計判断は,(4) の積分の性質から直接出ている.

演習B.5 $Z$ 共鳴とニュートリノの世代数

問題(再掲)

PDG 2022 の値:$M_Z=91.1876\ \mathrm{GeV}$,$\Gamma_Z=2495.2\ \mathrm{MeV}$,$\Gamma_{ee}=83.92\ \mathrm{MeV}$,$\Gamma_{\mu\mu}=83.99\ \mathrm{MeV}$,$\Gamma_{\tau\tau}=84.08\ \mathrm{MeV}$,$\Gamma_\text{had}=1744.4\ \mathrm{MeV}$(荷電レプトンの部分幅は分岐比に $\Gamma_Z$ を掛けた値.三世代平均は $\Gamma_{\ell\ell}=83.984\ \mathrm{MeV}$).

(1) 本書付録B B.4.3 項の相対論的 Breit–Wigner の式を使って,$Z$ ピークでのハドロン生成断面積 $\sigma^\text{had}_\text{peak}$ を $\mathrm{nb}$ で求めよ.

(2) 同じく $\mu^+\mu^-$ 生成のピーク断面積を求め,同じ $\sqrt{s}$ での純 QED の値(本書付録B B.5.1 項の $\sigma=86.8\ \mathrm{nb}/s[\mathrm{GeV^2}]$)と比べよ.

(3) 全幅から,測定されたチャンネル(ハドロン+3 世代の荷電レプトン)の寄与を引き,「見えない幅」$\Gamma_\text{inv}$ を求めよ.

(4) 標準模型は $\Gamma(Z\to\nu\bar\nu)=167.2\ \mathrm{MeV}$(1 世代あたり.PDG の電弱フィットの値で,$\Gamma_\text{inv}^\text{SM}=501.7\ \mathrm{MeV}$ の $1/3$)を予言する.ニュートリノの世代数 $N_\nu$ を求めよ.

解答

方針.(1)(2) は本書付録B B.4.3 項のピーク断面積

$$ \sigma_\text{peak} = \frac{12\pi}{M^2}\,\frac{\Gamma_{ee}\Gamma_f}{\Gamma^2} $$

に数値を入れて $(\hbar c)^2=0.3894\ \mathrm{GeV^2\,mb}$ で換算するだけである.(3)(4) は本書付録B B.1.1 項の $\Gamma=\sum_i\Gamma_i$,すなわち「全幅は部分幅の和」という一行だけを使う.物理的には (3)(4) が本題で,「見えないものを,全体から見えるものを引いて測る」という素粒子物理でもっとも美しい実験のひとつを追体験することになる.単位はすべて GeV にそろえておく:$\Gamma_Z=2.4952$,$\Gamma_{ee}=0.08392$,$\Gamma_{\mu\mu}=0.08399$,$\Gamma_{\tau\tau}=0.08408$,$\Gamma_\text{had}=1.7444\ \mathrm{GeV}$.

(1) 前置因子から順に評価する.

$$ \frac{12\pi}{M_Z^2} = \frac{37.6991}{(91.1876)^2} = \frac{37.6991}{8315.178} = 4.53377\times10^{-3}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$

幅の比は

$$ \frac{\Gamma_{ee}\Gamma_\text{had}}{\Gamma_Z^2} = \frac{0.08392\times1.7444}{(2.4952)^2} = \frac{0.1463900}{6.226023} = 2.351261\times10^{-2} $$

である(この量は $B_{ee}B_\text{had}$ そのもので,無次元).二つを掛けて

$$ \sigma_\text{peak}^\text{had} = 4.53377\times10^{-3}\times2.351261\times10^{-2} = 1.06601\times10^{-4}\ \mathrm{GeV^{-2}} $$

断面積は質量次元 $-2$ なので,$(\hbar c)^2$ を掛けて面積に直す.$1\ \mathrm{GeV^{-2}}=3.894\times10^{5}\ \mathrm{nb}$ を使うと

$$ \sigma_\text{peak}^\text{had} = 1.06601\times10^{-4}\times3.894\times10^{5}\ \mathrm{nb} = 41.51\ \mathrm{nb} $$

である.ヒントの $41.5\ \mathrm{nb}$ と一致する.LEP が測った Born 断面積 $\sigma^0_\text{had}=41.54\pm0.04\ \mathrm{nb}$(2020 年に Bhabha 散乱の高次補正を入れて光度を再評価した後の値は $41.48\pm0.03\ \mathrm{nb}$)とも $0.1\ \%$ 以内で一致している.

(2) $\Gamma_f$ を $\Gamma_{\mu\mu}$ に取り替えるだけである.

$$ \frac{\Gamma_{ee}\Gamma_{\mu\mu}}{\Gamma_Z^2} = \frac{0.08392\times0.08399}{6.226023} = \frac{7.048441\times10^{-3}}{6.226023} = 1.132094\times10^{-3} $$ $$ \sigma_\text{peak}^{\mu\mu} = 4.53377\times10^{-3}\times1.132094\times10^{-3} = 5.13265\times10^{-6}\ \mathrm{GeV^{-2}} = 1.999\ \mathrm{nb} $$

である.一方,同じ $\sqrt{s}=M_Z$ での純 QED($\gamma^*$ 交換のみ)の値は,本書付録B B.5.1 項の一行から

$$ \sigma_\text{QED} = \frac{86.8\ \mathrm{nb}}{s\,[\mathrm{GeV^2}]} = \frac{86.8}{8315.18} = 1.0439\times10^{-2}\ \mathrm{nb} = 10.44\ \mathrm{pb} $$

である.比をとると

$$ \frac{\sigma_\text{peak}^{\mu\mu}}{\sigma_\text{QED}} = \frac{1.999}{1.0439\times10^{-2}} = 191.5 $$

すなわち共鳴は断面積を約 $190$ 倍に増幅する.ヒントの「$2.00\ \mathrm{nb}$ 対 $0.0104\ \mathrm{nb}$,比は $192$」とは丸めの範囲で一致する.

(3) 全幅は部分幅の和である.測定できたチャンネルは,ハドロンと 3 世代の荷電レプトンである.荷電レプトンの寄与を先に足すと

$$ \Gamma_{ee}+\Gamma_{\mu\mu}+\Gamma_{\tau\tau} = 83.92+83.99+84.08 = 251.99\ \mathrm{MeV} $$

である(3 つがほぼ同じ値なのはレプトン普遍性の現れで,これ自体が標準模型の重要な検証になっている).したがって

$$ \Gamma_\text{inv} = \Gamma_Z - \Gamma_\text{had} - \big(\Gamma_{ee}+\Gamma_{\mu\mu}+\Gamma_{\tau\tau}\big) = 2495.2 - 1744.4 - 251.99 = 498.81\ \mathrm{MeV} $$

である.ヒントの $498.8\ \mathrm{MeV}$ と一致する.全幅に占める割合は $498.81/2495.2 = 20.0\%$ で,$Z$ の 5 回に 1 回は「何も見えない」崩壊をしていることになる.

(4) 見えない崩壊はニュートリノ対 $\nu\bar\nu$ である(標準模型の範囲では他にない).1 世代あたりの予言値 $167.2\ \mathrm{MeV}$ で割ると

$$ N_\nu = \frac{\Gamma_\text{inv}}{\Gamma(Z\to\nu\bar\nu)} = \frac{498.81}{167.2} = 2.983 $$

である.ヒントの $2.98$ と一致する.整数に丸めれば $N_\nu=3$,すなわち$m_\nu<M_Z/2$ の軽いニュートリノは 3 世代しか存在しない.

この「軽い」という但し書きは飾りではない.$Z\to\nu\bar\nu$ が運動学的に開くには $2m_\nu<M_Z$,つまり $m_\nu<45.6\ \mathrm{GeV}$ でなければならない.したがってこの測定が否定しているのは「$45.6\ \mathrm{GeV}$ より軽く,しかも標準模型どおりに $Z$ と結合する第四のニュートリノ」だけである.それより重いニュートリノや,$Z$ と結合しない右巻き(ステライル)ニュートリノには何の制限も付かない.第14章のシーソー機構に出てくる重い右巻きニュートリノが LEP の結果と矛盾しないのは,このためである.

感度も見ておく.$N_\nu$ は $\Gamma_\text{inv}$ に比例し,$\Gamma_\text{inv}$ は全幅の引き算で出るから

$$ \frac{\partial N_\nu}{\partial \Gamma_Z} = \frac{1}{167.2\ \mathrm{MeV}} = 0.0060\ \mathrm{MeV^{-1}} $$

である.$\Gamma_Z$ を $1\ \mathrm{MeV}$ 誤ると $N_\nu$ が $0.006$ 動く.$N_\nu$ を $0.01$ の精度で決めるには全幅を $2\ \mathrm{MeV}$,相対精度にして $10^{-3}$ で測らねばならない.LEP が $Z$ を $2\times10^{7}$ 個ためたうえ,ビームエネルギーの較正で月の潮汐による加速器リングの伸縮や,近傍を走る電車の漏れ電流までを補正したのは,まさにこの一行の要求に応えるためである.

検算.三つ通す.

第一に,(1) と (2) の比が幅の比になっているかを見る.同じ前置因子と同じ $\Gamma_{ee}$,同じ $\Gamma_Z^2$ を共有しているので,比は終状態の部分幅の比になるはずである.

$$ \frac{\sigma_\text{peak}^\text{had}}{\sigma_\text{peak}^{\mu\mu}} = \frac{41.51}{1.999} = 20.77, \qquad \frac{\Gamma_\text{had}}{\Gamma_{\mu\mu}} = \frac{1744.4}{83.99} = 20.77 $$

一致する.前置因子を計算し間違えていないことの,きれいな確認である.

第二に,逆向きの検算.$N_\nu=3$ を仮定して全幅を再構成してみる.

$$ \Gamma_\text{had}+\sum_\ell\Gamma_{\ell\ell}+3\Gamma_{\nu\bar\nu} = 1744.4+251.99+3\times167.2 = 2497.99\ \mathrm{MeV} $$

入力の $\Gamma_Z=2495.2\ \mathrm{MeV}$ との差は $2.79\ \mathrm{MeV}$,相対誤差 $0.11\%$ である.$N_\nu$ の値 $2.983$ が $3$ からわずかにずれているのは,この $0.11\%$ が $\Gamma_\text{inv}$(全幅の $20\%$)に集中して $2.79/167.2=0.017$ のずれになったためで,実験誤差($\Gamma_Z$ の $\pm2.3\ \mathrm{MeV}$ と $\Gamma_\text{had}$ の $\pm2.0\ \mathrm{MeV}$ を合わせて $\pm3\ \mathrm{MeV}$ 程度)の範囲内である.計算間違いではない.

第三に,分岐比の和が $1$ になるかを見る.$B_\text{had}=1744.4/2495.2=69.91\%$,$B_{\ell\ell}$ の合計 $=251.99/2495.2=10.10\%$,$B_\text{inv}=498.81/2495.2=19.99\%$.合計 $100.00\%$ で,本書付録B B.1.1 項の $\sum_i\mathrm{BR}_i=1$ を満たす.表B.5 の「$Z\to q\bar q\ (69.9\%)$」とも合う.

意味.この演習は,本書付録B のすべての道具が一つの実験結果に収束する場所である.Breit–Wigner の共鳴曲線を測って,(i) 山の高さから $\Gamma_{ee}\Gamma_f/\Gamma^2$ を,(ii) 山の幅から $\Gamma_Z$ を,(iii) 山の位置から $M_Z$ を読む.それだけで,直接には一個も観測できないニュートリノの世代数が分かってしまう.LEP はこれを $N_\nu = 2.9840\pm0.0082$ という精度でやってのけた(2020 年に Bhabha 散乱の高次補正を入れて光度を再評価した後の値は $2.9963\pm0.0074$).第四世代の軽いニュートリノは,$5$ 標準偏差以上で否定されている.

ここで効いているのは,本書付録B B.1.1 項の $\Gamma=\sum_i\Gamma_i$ という,一見あたりまえの足し算だけである.「全部の和は分かる.見えるものは測れる.だから見えないものは引き算で分かる」という論理である.これは実験物理の普遍的な戦略で,$\beta$ 崩壊のエネルギー欠損からニュートリノを推定した Pauli の論法(第2章)と同型である.

材料科学でまったく同じ論理が使われている例が,本書付録B B.3.2 項でも触れた蛍光収率である.内殻正孔の全幅 $\Gamma$ は XPS のピーク幅から測れる.蛍光 X 線の強度から $\Gamma_\text{X}$ が測れる.残りの $\Gamma-\Gamma_\text{X}$ が Auger 過程の幅で,これは「見えない幅」ではないにせよ,直接測るのが難しい量を引き算で決めている.演習B.6(2) でこの計算を実際に行う.$Z$ ボソンのニュートリノ世代数と,Cu の $K$ 殻の Auger 幅は,同じ引き算で決まっている.

もうひとつ,(2) の「共鳴は約 $190$ 倍に増幅する」は,材料側でいえば共鳴励起の威力である.共鳴 X 線非弾性散乱(RIXS)や共鳴ラマン散乱で,入射エネルギーを吸収端に合わせると信号が桁で跳ね上がるのは,まったく同じ Breit–Wigner の分母が小さくなるからである.$\sqrt{s}$ を $M_Z$ に合わせるのと,X 線のエネルギーを Cu の $L_3$ 端に合わせるのは,同じ操作である.

演習B.6 材料科学の線幅・寿命・平均自由行程

問題(再掲)

本付録の式が材料の測定量にそのまま使えることを確かめる.$\hbar=6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}$,$1\ \mathrm{eV}=8065.54\ \mathrm{cm^{-1}}$ を使う.

(1) ある結晶の Raman ピークの半値全幅が $3.0\ \mathrm{cm^{-1}}$ であった.本書付録B B.1.1 項の $\tau=\hbar/\Gamma$ を使ってフォノン寿命 $\tau$ を求めよ.また,群速度を $4\times10^{3}\ \mathrm{m/s}$ としてフォノンの平均自由行程を見積もれ.

(2) XPS で測った内殻準位の自然幅が $0.50\ \mathrm{eV}$ であった.内殻正孔の寿命を求めよ.蛍光収率が $\omega_K=0.44$ のとき,蛍光 X 線放出の部分幅 $\Gamma_\text{X}$ と Auger 過程の部分幅 $\Gamma_\text{Auger}$ をそれぞれ求めよ(本書付録B B.1.1 項の分岐比の式を使う).

(3) B.5.4 の $\mathrm{B_4C}$($\Sigma=83.9\ \mathrm{cm^{-1}}$)で,熱中性子の強度を $1/1000$ に落とすのに必要な厚さを求めよ.

(4) ARPES で準粒子ピークの半値全幅が $100\ \mathrm{meV}$ であった.準粒子寿命 $\tau$ と,Fermi 速度 $v_F=5\times10^{5}\ \mathrm{m/s}$ としたときの平均自由行程を求めよ.

解答

方針.本問は,付録B の三本の式が素粒子を離れてもそのまま働くことを確認する演習である.使うのは次の三つだけである.第一に $\tau=\hbar/\Gamma$(幅を測って $\hbar$ で割る).第二に $\Gamma=\sum_i\Gamma_i$ と $\mathrm{BR}_i=\Gamma_i/\Gamma$(全幅は部分幅の和,分岐比はその比).第三に $I(x)=I_0\ee^{-\Sigma x}$,$\lambda=1/\Sigma$(マクロ断面積と平均自由行程).平均自由行程はいずれも「速度 × 寿命」で作る.$Z$ ボソンについて行った計算と,一字一句同じ手続きである.

(1) まず波数単位の幅をエネルギー単位に直す.表B.4 の辞書から $1\ \mathrm{eV}=8065.54\ \mathrm{cm^{-1}}$ なので

$$ \Gamma = \frac{3.0\ \mathrm{cm^{-1}}}{8065.54\ \mathrm{cm^{-1}/eV}} = 3.7195\times10^{-4}\ \mathrm{eV} = 0.372\ \mathrm{meV} $$

である.これを $\hbar$ で割る.

$$ \tau = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{3.7195\times10^{-4}\ \mathrm{eV}} = 1.770\times10^{-12}\ \mathrm{s} = 1.77\ \mathrm{ps} $$

平均自由行程は群速度との積である.

$$ \ell = v_g\,\tau = 4\times10^{3}\ \mathrm{m/s}\times1.770\times10^{-12}\ \mathrm{s} = 7.08\times10^{-9}\ \mathrm{m} = 7.1\ \mathrm{nm} $$

ヒントの $1.8\ \mathrm{ps}$,$7.1\ \mathrm{nm}$ と一致する.格子定数を $0.5\ \mathrm{nm}$ とすれば単位胞 $14$ 個分で,このフォノンは十数格子しか走らずに二つのフォノンに崩壊してしまう計算になる.

(2) 全幅から寿命を出すのは (1) と同じ一行である.

$$ \tau = \frac{\hbar}{\Gamma} = \frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{0.50\ \mathrm{eV}} = 1.316\times10^{-15}\ \mathrm{s} = 1.3\ \mathrm{fs} $$

つぎに部分幅である.蛍光収率 $\omega_K$ は定義上「内殻正孔が蛍光 X 線を出して埋まる割合」であり,これは本書付録B B.1.1 項の分岐比 $\mathrm{BR}_\text{X}=\Gamma_\text{X}/\Gamma$ にほかならない.したがって

$$ \Gamma_\text{X} = \omega_K\,\Gamma = 0.44\times0.50 = 0.22\ \mathrm{eV} $$

内殻正孔の埋まり方は蛍光 X 線放出か Auger 電子放出かの二通りしかないので,$\Gamma=\Gamma_\text{X}+\Gamma_\text{Auger}$ より

$$ \Gamma_\text{Auger} = \Gamma-\Gamma_\text{X} = (1-\omega_K)\,\Gamma = 0.56\times0.50 = 0.28\ \mathrm{eV} $$

である.ヒントと一致する.ついでに部分寿命も出しておくと,$\tau_\text{X}=\hbar/\Gamma_\text{X}=2.99\ \mathrm{fs}$,$\tau_\text{Auger}=\hbar/\Gamma_\text{Auger}=2.35\ \mathrm{fs}$ である.

(3) 本書付録B B.2.2 項のマクロ断面積の式から,厚さ $x$ を通ったあとの強度は $I(x)=I_0\ee^{-\Sigma x}$ である.$I/I_0=1/1000$ とすると

$$ \ee^{-\Sigma x} = 10^{-3} \quad\Longrightarrow\quad \Sigma x = \ln 1000 = 6.9078 \quad\Longrightarrow\quad x = \frac{6.9078}{83.9\ \mathrm{cm^{-1}}} $$ $$ x = 8.233\times10^{-2}\ \mathrm{cm} = 0.823\ \mathrm{mm} $$

である.ヒントの $0.082\ \mathrm{cm}=0.82\ \mathrm{mm}$ と一致する.平均自由行程 $\lambda=1/\Sigma=1.19\times10^{-2}\ \mathrm{cm}=0.119\ \mathrm{mm}$ の $\ln1000=6.91$ 倍,という読み方もできる.

(4) $100\ \mathrm{meV}=0.100\ \mathrm{eV}$ を $\hbar$ で割る.

$$ \tau = \frac{6.582\times10^{-16}\ \mathrm{eV\,s}}{0.100\ \mathrm{eV}} = 6.582\times10^{-15}\ \mathrm{s} = 6.58\ \mathrm{fs} $$ $$ \ell = v_F\,\tau = 5\times10^{5}\ \mathrm{m/s}\times6.582\times10^{-15}\ \mathrm{s} = 3.29\times10^{-9}\ \mathrm{m} = 3.3\ \mathrm{nm} $$

ヒントと一致する.なお本書付録B B.4.4 項の後の物理注で述べたとおり,ARPES のピーク幅は自己エネルギーの虚部を使って $\Gamma_\text{FWHM}=2\abs{\mathrm{Im}\,\Sigma}$ と書ける.いまの場合 $\abs{\mathrm{Im}\,\Sigma}=50\ \mathrm{meV}$ であり,そこで与えられた $\tau=\hbar/(2\abs{\mathrm{Im}\,\Sigma})$ は上の $\tau=\hbar/\Gamma_\text{FWHM}$ とまったく同じ式である.二つの流儀の間で $2$ の因子を落とさないよう注意すること.

検算.三つ行う.

第一に,(2) の部分寿命が Matthiessen 則を満たすかを見る.本書付録B B.1.1 項の物理注のとおり,$\Gamma=\sum_i\Gamma_i$ は $1/\tau=\sum_i 1/\tau_i$ と同値のはずである.

$$ \frac{1}{\tau_\text{X}}+\frac{1}{\tau_\text{Auger}} = \frac{1}{2.99\ \mathrm{fs}}+\frac{1}{2.35\ \mathrm{fs}} = 0.334+0.426 = 0.760\ \mathrm{fs^{-1}} \quad\Longrightarrow\quad \tau = 1.316\ \mathrm{fs} $$

全幅から直接出した $1.316\ \mathrm{fs}$ と一致する.素粒子の分岐比と物性の Matthiessen 則が同じ式であることの,数値による確認である.

第二に,(3) を本書付録B B.5.4 項の記述と照合する.そこでは「厚さ $1\ \mathrm{mm}$ の $\mathrm{B_4C}$ 板は熱中性子を $\ee^{-8.4}\simeq2\times10^{-4}$ に落とす」とある.実際 $\Sigma\times0.1\ \mathrm{cm}=8.39$,$\ee^{-8.39}=2.27\times10^{-4}$ である.$1/1000=10^{-3}$ はこれより緩い要求なので,必要な厚さが $1\ \mathrm{mm}$ より薄い $0.82\ \mathrm{mm}$ になるのは筋が通っている.

第三に,桁の検算.表B.3 の「$\Gamma=1\ \mathrm{eV}$ なら $\tau=0.658\ \mathrm{fs}$」という一行を基準にすると,(2) は $\Gamma=0.5\ \mathrm{eV}$ なので $\tau=0.658/0.5=1.32\ \mathrm{fs}$,(4) は $\Gamma=0.1\ \mathrm{eV}$ なので $\tau=0.658/0.1=6.58\ \mathrm{fs}$,(1) は $\Gamma=3.72\times10^{-4}\ \mathrm{eV}$ なので $\tau=0.658/3.72\times10^{-4}=1769\ \mathrm{fs}=1.77\ \mathrm{ps}$.いずれも上の値と一致する.暗算でも「$1\ \mathrm{eV}$ は $0.66\ \mathrm{fs}$」さえ覚えていれば十分だということが分かる.

意味.本問の四つは,測っている対象がフォノン,内殻正孔,中性子,準粒子とまったく違うのに,使った式が三本しかない.しかも三本とも,$Z$ ボソンや $\rho$ 中間子に使った式と同一である.$\Gamma$ の値だけを並べてみると

$$ Z:\ 2.5\times10^{9}\ \mathrm{eV},\quad \text{内殻正孔}:\ 0.5\ \mathrm{eV},\quad \text{準粒子}:\ 0.1\ \mathrm{eV},\quad \text{フォノン}:\ 3.7\times10^{-4}\ \mathrm{eV} $$

で $13$ 桁にわたるが,$\tau=\hbar/\Gamma$ という一行はどこでも同じである.これが本書付録B の主張——材料科学との接点は比喩ではない——のもっとも具体的な形である.

実務的には,(1) と (4) の「幅 → 寿命 → 平均自由行程」の連鎖がとくに重要である.(1) の $\ell=7.1\ \mathrm{nm}$ は格子熱伝導率 $\kappa=\frac{1}{3}\sum_\lambda C_\lambda v_\lambda^2\tau_\lambda$ に直結する量で,熱電材料の設計では「この $\tau_\lambda$ をいかに短くするか」が主戦場になる.ナノ構造化やラットリング,質量ゆらぎの導入は,どれもフォノンの崩壊率 $\Gamma_\lambda$ を上げる(=分岐比の新しいチャンネルを開く)ための手段である.素粒子の言葉でいえば「新しい崩壊モードを開いて全幅を増やす」ことにほかならない.

(4) の $\ell=3.3\ \mathrm{nm}$ は,その電子が本当に「準粒子」と呼べるかどうかの判定基準にもなる.$\ell$ が Fermi 波長(典型的に $1\ \mathrm{nm}$ 程度)と同程度まで短くなると,Mott–Ioffe–Regel 限界に達して準粒子描像そのものが破綻する.$3.3\ \mathrm{nm}$ ならまだ数波長は走れるので,Fermi 液体として扱ってよい.同じ判定を素粒子側でやれば,「$\Gamma\ll M$ なら共鳴として意味がある」という条件になる.$Z$ では $\Gamma_Z/M_Z=2.7\%$ なのでよい共鳴だが,もし $\Gamma\sim M$ になれば「粒子」と呼ぶ意味が失われる.物性と素粒子で,粒子らしさの判定基準まで同じである.

最後に (3) について.$0.82\ \mathrm{mm}$ という薄さで熱中性子を $1000$ 分の $1$ にできるのは,$^{10}\mathrm{B}$ の捕獲断面積が $3835$ バーンと巨大だからで,その巨大さの起源は本書付録B B.4.2 項のユニタリティ極限 $4\pi/k^2$,すなわち「遅い中性子は波長が長いので的が大きく見える」という量子力学である.中性子シャッター,中性子検出器,BNCT(ホウ素中性子捕捉療法),そして原子炉の制御棒——これらの設計はすべて,Breit–Wigner の低エネルギーの裾という一つの物理の上に載っている.

E.19 付録C Pauli 行列と Dirac 行列 の解答

演習C.1 Pauli 行列の恒等式

問題(再掲)

(1) $\Tr\left[(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})\right]=2\,\bm{a}\cdot\bm{b}$ を示せ.

(2) $\displaystyle\sum_{i=1}^{3}\sigma^i\sigma^j\sigma^i=-\sigma^j$ を示せ($j$ は固定,$i$ について和).これは4次元の縮約公式 $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu=-2\gamma^\nu$ の3次元版である.

(3) 単位ベクトル $\bm{n}$ に対して $\det\left[\exp(-\ii\theta\,\bm{n}\cdot\bm{\sigma}/2)\right]=1$ を示せ.すなわちこの行列は $\mathrm{SU}(2)$ の元である.

解答

方針.三問とも,本章 C.1 節で証明した二本の式しか使わない.一本は積の公式 $\sigma^i\sigma^j=\delta^{ij}\mathbb{1}_2+\ii\varepsilon^{ijk}\sigma^k$ であり,もう一本はそこから出るトレース公式 $\Tr\mathbb{1}_2=2$,$\Tr\sigma^i=0$ である.(2) は積の公式の対称部分(反交換関係 $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}\mathbb{1}_2$)だけを使い,$\sigma^i$ を右へ通す.(3) は本章 C.1.4 項の指数の閉じた形 $\exp(-\ii\theta\bm{n}\cdot\bm{\sigma}/2)=\cos(\theta/2)\mathbb{1}_2-\ii\sin(\theta/2)(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})$ を書き下して行列式を直接計算する道と,$\det\ee^{A}=\ee^{\Tr A}$ を使う道の二通りで示す.

(1) まず左辺の中身を成分で書き,積の公式を代入する.$\bm{a}\cdot\bm{\sigma}=a_i\sigma^i$,$\bm{b}\cdot\bm{\sigma}=b_j\sigma^j$($i,j$ は $1,2,3$ の和)だから

$$ (\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma}) = a_ib_j\,\sigma^i\sigma^j = a_ib_j\left(\delta^{ij}\mathbb{1}_2+\ii\,\varepsilon^{ijk}\sigma^k\right) $$

両辺のトレースをとる.トレースは線形なので係数の外へ出せる.

$$ \Tr\left[(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})\right] = a_ib_j\,\delta^{ij}\,\Tr\mathbb{1}_2 + \ii\,\varepsilon^{ijk}a_ib_j\,\Tr\sigma^k $$

ここで $\Tr\mathbb{1}_2=2$,$\Tr\sigma^k=0$ を使う.第2項は丸ごと消え,第1項だけが残る.

$$ = 2\,a_ib_i = 2\,\bm{a}\cdot\bm{b} $$

$\blacksquare$ 同じことを本章の基本恒等式 $(\bm{a}\cdot\bm{\sigma})(\bm{b}\cdot\bm{\sigma})=(\bm{a}\cdot\bm{b})\mathbb{1}_2+\ii\bm{\sigma}\cdot(\bm{a}\times\bm{b})$ から出発して言い直すと,右辺第1項が $(\bm{a}\cdot\bm{b})\Tr\mathbb{1}_2=2\bm{a}\cdot\bm{b}$,第2項が $\ii(\bm{a}\times\bm{b})_k\Tr\sigma^k=0$ で,一行で終わる.外積の項がトレースで必ず落ちるという点が要点である.なお $\bm{a},\bm{b}$ を座標軸方向の基本ベクトル $\hat{\bm{e}}_i,\hat{\bm{e}}_j$ にとれば,この式は $\Tr(\sigma^i\sigma^j)=2\delta^{ij}$ そのものであり,$\{\mathbb{1}_2,\sigma^1,\sigma^2,\sigma^3\}$ がトレース内積について直交基底をなすことを述べている.

(2) 積の公式の対称部分,すなわち反交換関係 $\sigma^i\sigma^j+\sigma^j\sigma^i=2\delta^{ij}\mathbb{1}_2$ を,「左の $\sigma^i$ を右へ1個通す規則」

$$ \sigma^i\sigma^j = 2\delta^{ij}\mathbb{1}_2 - \sigma^j\sigma^i $$

として使う.これを $\sum_i\sigma^i\sigma^j\sigma^i$ の左端に当てる.

$$ \sum_{i=1}^{3}\sigma^i\sigma^j\sigma^i = \sum_{i=1}^{3}\left(2\delta^{ij}\mathbb{1}_2-\sigma^j\sigma^i\right)\sigma^i = 2\sum_{i=1}^{3}\delta^{ij}\,\sigma^i \;-\; \sigma^j\sum_{i=1}^{3}\left(\sigma^i\right)^2 $$

第1項の和では $\delta^{ij}$ が $i=j$ だけを拾うので $2\sigma^j$ になる.第2項では $(\sigma^i)^2=\mathbb{1}_2$($i$ ごとに成り立つ)なので,和は単位行列を3個足したもの,すなわち $3\,\mathbb{1}_2$ である.

$$ = 2\sigma^j - 3\,\sigma^j = -\,\sigma^j $$

$\blacksquare$ ここに現れた $3$ は空間の次元であって,Pauli 行列が3個あることの言い換えである.4次元の縮約公式とまったく同じ計算になっていることを並べて書いておく.

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma_\mu = \left(2g^{\mu\nu}-\gamma^\nu\gamma^\mu\right)\gamma_\mu = 2\gamma^\nu - \gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma_\mu\right) = 2\gamma^\nu - 4\gamma^\nu = -2\gamma^\nu $$

3次元では $\sum_i(\sigma^i)^2=3$ だから $2-3=-1$,4次元では $\gamma^\mu\gamma_\mu=4$ だから $2-4=-2$ である.係数の違いは次元の違いだけであり,$d$ 次元なら $2-d$ が出る(演習C.3(3) で使う).

検算.$j=3$ を直接計算する.$\sigma^3\sigma^1=\ii\sigma^2$ より $\sigma^1\sigma^3\sigma^1=\sigma^1(\ii\sigma^2)=\ii(\ii\sigma^3)=-\sigma^3$.$\sigma^3\sigma^2=-\ii\sigma^1$ より $\sigma^2\sigma^3\sigma^2=\sigma^2(-\ii\sigma^1)=-\ii(-\ii\sigma^3)=-\sigma^3$.$\sigma^3\sigma^3\sigma^3=\sigma^3$.合計 $-\sigma^3-\sigma^3+\sigma^3=-\sigma^3$.$\checkmark$($j=1,2$ についても $2\times2$ 行列の直接計算で一致することを確かめた.)

(3) $c\equiv\cos(\theta/2)$,$s\equiv\sin(\theta/2)$ と略記し,本章 C.1.4 項の展開

$$ U(\bm{n},\theta)=\exp\left(-\ii\theta\,\frac{\bm{n}\cdot\bm{\sigma}}{2}\right) = c\,\mathbb{1}_2 - \ii s\,(\bm{n}\cdot\bm{\sigma}) $$

を使う(この閉じた形は $(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^2=\mathbb{1}_2$ から級数を偶奇に分けて得たものである).$\bm{n}=(n_x,n_y,n_z)$ に対して

$$ \bm{n}\cdot\bm{\sigma}=\begin{pmatrix}n_z & n_x-\ii n_y\\ n_x+\ii n_y & -n_z\end{pmatrix} $$

だから

$$ U=\begin{pmatrix}c-\ii s\,n_z & -\ii s\,(n_x-\ii n_y)\\ -\ii s\,(n_x+\ii n_y) & c+\ii s\,n_z\end{pmatrix} $$

行列式を成分で計算する.対角の積から非対角の積を引けばよい.

$$ \det U = \left(c-\ii s\,n_z\right)\left(c+\ii s\,n_z\right) - \left(-\ii s\right)^2\left(n_x-\ii n_y\right)\left(n_x+\ii n_y\right) $$

第1項は和と差の積で $c^2+s^2n_z^2$.第2項は $(-\ii s)^2=-s^2$ と $(n_x-\ii n_y)(n_x+\ii n_y)=n_x^2+n_y^2$ から $-\left(-s^2\right)\left(n_x^2+n_y^2\right)=+s^2(n_x^2+n_y^2)$.したがって

$$ \det U = c^2 + s^2\left(n_x^2+n_y^2+n_z^2\right) = c^2+s^2\abs{\bm{n}}^2 = c^2+s^2 = 1 $$

$\blacksquare$ 最後で $\abs{\bm{n}}=1$(単位ベクトル)を使った.

別証.任意の正方行列について $\det\ee^{A}=\ee^{\Tr A}$ が成り立つ($A$ を三角化すれば,左辺は固有値の積 $\prod\lambda_i$,右辺は $\ee^{\sum\lambda_i}$ で一致する).ここで $A=-\ii\theta(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})/2$ とおくと,(1) で使った $\Tr\sigma^i=0$ から

$$ \Tr A = -\frac{\ii\theta}{2}\,n_i\,\Tr\sigma^i = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad \det U = \ee^{0}=1 $$

すなわち「生成子がトレースレス」がそのまま「群の元の行列式が $1$」を意味する.これは $\mathfrak{su}(2)$ から $\mathrm{SU}(2)$ への対応の一般的な事情である.なおユニタリ性は $U^\dagger U=(c+\ii s\,\bm{n}\cdot\bm{\sigma})(c-\ii s\,\bm{n}\cdot\bm{\sigma})=c^2+s^2(\bm{n}\cdot\bm{\sigma})^2=c^2+s^2=\mathbb{1}_2$ から出る($\bm{n}\cdot\bm{\sigma}$ がエルミートであることを使った).ユニタリかつ行列式 $1$,これが $\mathrm{SU}(2)$ の定義である.

検算.$\bm{n}=\hat{\bm{z}}$ のとき $U=\mathrm{diag}\left(\ee^{-\ii\theta/2},\ee^{+\ii\theta/2}\right)$ で,行列式は $\ee^{-\ii\theta/2}\ee^{+\ii\theta/2}=1$.$\checkmark$ また $\theta=2\pi$ では $U=-\mathbb{1}_2$ となるが,$\det(-\mathbb{1}_2)=(-1)^2=+1$ であって,行列式は $1$ のままである.$\checkmark$ すなわちスピノルの符号反転は $\mathrm{SU}(2)$ の外へ出ることではない——$-\mathbb{1}_2$ は $\mathrm{SU}(2)$ の中心の元であり,これが $\mathrm{SU}(2)\to\mathrm{SO}(3)$ の核 $\{\pm\mathbb{1}_2\}$ すなわち二重被覆の正体である.(一般の $\bm{n}$ と $\theta=0.3,\,1.0,\,2.0,\,\pi,\,2\pi$ について数値的に $\det U=1$ と,展開形が行列指数関数と一致することを確かめた.)

意味.(1) の $\Tr(\sigma^i\sigma^j)=2\delta^{ij}$ は,単なる恒等式ではなく測定の公式である.スピン密度行列を $\rho=\left(\mathbb{1}_2+\bm{P}\cdot\bm{\sigma}\right)/2$ と書くとき,偏極ベクトルは $P^i=\Tr(\rho\,\sigma^i)$ で取り出せる.この「トレースで成分を読む」操作こそ,第一原理計算がスピン分解状態密度を出すときに実行している演算そのものであり,非共線磁性やスピン軌道結合を入れた計算で $\bm{\sigma}$ が対角化されない場合には,このトレースを真面目にとるほかない.(2) は,縮約公式の係数が空間次元だけで決まることを示す.次元正則化($d=4-\epsilon$)で係数が $d$ に置き換わるのは,この計算の $3$ や $4$ が「行列の個数」以外の何物でもないからである.(3) の $\det U=1$ と,それでも $U(2\pi)=-\mathbb{1}_2$ であることの共存が,グラフェンの Berry 位相 $\pi$(Landau 準位の半整数量子ホール効果,弱反局在)として実験に顔を出す.

演習C.2 三つの表示を手で確かめる

問題(再掲)

(1) Majorana 表示で $\{\gamma^1,\gamma^2\}=0$ と $\{\gamma^1,\gamma^3\}=0$ を,$2\times2$ ブロックの計算で確かめよ.

(2) 変換行列 $S=\dfrac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}$ に対して $S\gamma^i_\mathrm{DP}S^{-1}=\gamma^i_\mathrm{DP}$,すなわち $\gamma^i$ が Dirac–Pauli 表示と Weyl 表示で同じ形になることを示せ.

(3) Weyl 表示でスピン行列 $\Sigma^3=\gamma^5\gamma^0\gamma^3$ を明示的に書き下し,Dirac–Pauli 表示と同じ $\mathrm{diag}(\sigma^3,\sigma^3)$ になることを確かめよ.

解答

方針.三問とも $2\times2$ ブロックの掛け算だけで済む.ブロック行列の積は,成分をブロックと思って通常の行列積を書けばよい(ブロックどうしの積は順序を守る).使う Pauli 行列の性質は $(\sigma^i)^2=\mathbb{1}_2$ と $\{\sigma^i,\sigma^j\}=2\delta^{ij}\mathbb{1}_2$ の二つだけである.本章の規約は $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}\mathbb{1}_4$,$g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ なので,$\mu\neq\nu$ の反交換子はすべてゼロでなければならない.

(1) Majorana 表示は本章 C.2.4 項で

$$ \gamma^1_\mathrm{M}=\begin{pmatrix}\ii\sigma^3&0\\ 0&\ii\sigma^3\end{pmatrix}, \qquad \gamma^2_\mathrm{M}=\begin{pmatrix}0&-\sigma^2\\ \sigma^2&0\end{pmatrix}, \qquad \gamma^3_\mathrm{M}=\begin{pmatrix}-\ii\sigma^1&0\\ 0&-\ii\sigma^1\end{pmatrix} $$

と定義されている.$\gamma^1$ と $\gamma^3$ はブロック対角,$\gamma^2$ はブロック非対角であることに注意する.

ステップ1:$\{\gamma^1,\gamma^2\}$.まず $\gamma^1\gamma^2$ を計算する.左がブロック対角なので,右の各ブロックに左の対角ブロックが左から掛かる.

$$ \gamma^1_\mathrm{M}\gamma^2_\mathrm{M} =\begin{pmatrix}\ii\sigma^3&0\\ 0&\ii\sigma^3\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&-\sigma^2\\ \sigma^2&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&-\ii\sigma^3\sigma^2\\ \ii\sigma^3\sigma^2&0\end{pmatrix} $$

次に順序を逆にする.こんどは右がブロック対角なので,左の各ブロックに右から掛かる.

$$ \gamma^2_\mathrm{M}\gamma^1_\mathrm{M} =\begin{pmatrix}0&-\sigma^2\\ \sigma^2&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}\ii\sigma^3&0\\ 0&\ii\sigma^3\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&-\ii\sigma^2\sigma^3\\ \ii\sigma^2\sigma^3&0\end{pmatrix} $$

足すと,右上ブロックは $-\ii\left(\sigma^3\sigma^2+\sigma^2\sigma^3\right)=-\ii\left\{\sigma^3,\sigma^2\right\}=-\ii\cdot2\delta^{32}\mathbb{1}_2=0$,左下ブロックは同じ量の符号違いでやはり $0$.対角ブロックはもともと $0$ である.よって

$$ \left\{\gamma^1_\mathrm{M},\gamma^2_\mathrm{M}\right\}=0 \qquad\left(=2g^{12}\mathbb{1}_4=0\right) \quad\checkmark $$

ステップ2:$\{\gamma^1,\gamma^3\}$.こちらは両方ともブロック対角なので,ブロックごとに掛ければよい.しかも上下のブロックが同じ形なので,一つ計算すれば足りる.

$$ \gamma^1_\mathrm{M}\gamma^3_\mathrm{M} =\begin{pmatrix}(\ii\sigma^3)(-\ii\sigma^1)&0\\ 0&(\ii\sigma^3)(-\ii\sigma^1)\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}\sigma^3\sigma^1&0\\ 0&\sigma^3\sigma^1\end{pmatrix} $$

($\ii\times(-\ii)=1$ である.)同様に $\gamma^3_\mathrm{M}\gamma^1_\mathrm{M}=\mathrm{diag}\left(\sigma^1\sigma^3,\ \sigma^1\sigma^3\right)$.足すと各ブロックが $\{\sigma^3,\sigma^1\}=2\delta^{31}\mathbb{1}_2=0$ になるので

$$ \left\{\gamma^1_\mathrm{M},\gamma^3_\mathrm{M}\right\}=0 \quad\checkmark $$

$\blacksquare$ 要するに,$\gamma^1$ と $\gamma^3$ の反交換は Pauli 行列 $\sigma^3$ と $\sigma^1$ の反交換に,$\gamma^1$ と $\gamma^2$ の反交換は $\sigma^3$ と $\sigma^2$ の反交換に,そのまま帰着する.どちらの場合も虚数因子 $\ii$ の積が実数になり,符号を乱さないところが Majorana 表示の作りの妙である.

(2) Dirac–Pauli 表示の $\gamma^i_\mathrm{DP}=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}$ を,$S$ で挟んで直接計算する.$S^{-1}=S^\dagger=\dfrac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix}$ である.

ステップ1:$S\gamma^i$ を作る.

$$ S\gamma^i_\mathrm{DP} =\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix} \begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix} =\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}0+\sigma^i & \sigma^i+0\\ 0-\sigma^i & \sigma^i+0\end{pmatrix} =\frac{1}{\sqrt2}\begin{pmatrix}\sigma^i&\sigma^i\\ -\sigma^i&\sigma^i\end{pmatrix} $$

(左上ブロックは $\mathbb{1}\cdot0+(-\mathbb{1})(-\sigma^i)=\sigma^i$,右上は $\mathbb{1}\cdot\sigma^i+(-\mathbb{1})\cdot0=\sigma^i$,以下同様.)

ステップ2:右から $S^{-1}$ を掛ける.

$$ S\gamma^i_\mathrm{DP}S^{-1} =\frac12\begin{pmatrix}\sigma^i&\sigma^i\\ -\sigma^i&\sigma^i\end{pmatrix} \begin{pmatrix}\mathbb{1}&\mathbb{1}\\ -\mathbb{1}&\mathbb{1}\end{pmatrix} =\frac12\begin{pmatrix}\sigma^i-\sigma^i & \sigma^i+\sigma^i\\ -\sigma^i-\sigma^i & -\sigma^i+\sigma^i\end{pmatrix} =\frac12\begin{pmatrix}0&2\sigma^i\\ -2\sigma^i&0\end{pmatrix} $$

すなわち

$$ S\gamma^i_\mathrm{DP}S^{-1}=\begin{pmatrix}0&\sigma^i\\ -\sigma^i&0\end{pmatrix}=\gamma^i_\mathrm{DP}=\gamma^i_\mathrm{W} \quad\checkmark $$

$\blacksquare$ 構造的な理由.$S$ は「ブロック添字に作用する $2\times2$ 行列 $M=\begin{pmatrix}1&-1\\1&1\end{pmatrix}/\sqrt2$」と「スピン添字に作用する $\mathbb{1}_2$」の積の形をしている.一方 $\gamma^i_\mathrm{DP}$ は「ブロック添字に作用する $N=\begin{pmatrix}0&1\\-1&0\end{pmatrix}$」と「スピン添字に作用する $\sigma^i$」の積である.したがって $S\gamma^iS^{-1}$ ではブロック側だけが $MNM^{-1}$ になり,スピン側の $\sigma^i$ は素通りする.ところが

$$ MN\propto\begin{pmatrix}1&-1\\1&1\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&1\\-1&0\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&1\\-1&1\end{pmatrix}, \qquad NM\propto\begin{pmatrix}0&1\\-1&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}1&-1\\1&1\end{pmatrix}=\begin{pmatrix}1&1\\-1&1\end{pmatrix} $$

で $M$ と $N$ は可換だから $MNM^{-1}=N$,すなわち $\gamma^i$ は不変である.$\gamma^0_\mathrm{DP}$ と $\gamma^5_\mathrm{DP}$ のブロック側はそれぞれ $\mathrm{diag}(1,-1)$ と $\begin{pmatrix}0&1\\1&0\end{pmatrix}$ で,どちらも $M$ と可換でないから,こちらは形が変わる(本章 導出11 で $\gamma^0_\mathrm{W}$,$\gamma^5_\mathrm{W}$ になることを確かめている).$S$ が「$\gamma^0$ と $\gamma^5$ の役割を入れ替える回転」であって,$\gamma^i$ には触らないという見方である.

(3) Weyl 表示では $\gamma^5_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&0\\ 0&\mathbb{1}\end{pmatrix}$,$\gamma^0_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$,$\gamma^3_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}0&\sigma^3\\ -\sigma^3&0\end{pmatrix}$ である.

ステップ1:$\gamma^5\gamma^0$.

$$ \gamma^5_\mathrm{W}\gamma^0_\mathrm{W} =\begin{pmatrix}-\mathbb{1}&0\\ 0&\mathbb{1}\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix} $$

ステップ2:さらに $\gamma^3$ を掛ける.

$$ \Sigma^3=\left(\gamma^5_\mathrm{W}\gamma^0_\mathrm{W}\right)\gamma^3_\mathrm{W} =\begin{pmatrix}0&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}0&\sigma^3\\ -\sigma^3&0\end{pmatrix} $$

ブロックごとに書き下す.左上は $0\cdot0+(-\mathbb{1})(-\sigma^3)=\sigma^3$,右上は $0\cdot\sigma^3+(-\mathbb{1})\cdot0=0$,左下は $\mathbb{1}\cdot0+0\cdot(-\sigma^3)=0$,右下は $\mathbb{1}\cdot\sigma^3+0\cdot0=\sigma^3$.すなわち

$$ \Sigma^3_\mathrm{W}=\begin{pmatrix}\sigma^3&0\\ 0&\sigma^3\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}1&0&0&0\\ 0&-1&0&0\\ 0&0&1&0\\ 0&0&0&-1\end{pmatrix} \quad\checkmark $$

ステップ3:Dirac–Pauli 表示でも同じであること.$\gamma^5_\mathrm{DP}=\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}$,$\gamma^0_\mathrm{DP}=\begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\ 0&-\mathbb{1}\end{pmatrix}$ の積は

$$ \gamma^5_\mathrm{DP}\gamma^0_\mathrm{DP} =\begin{pmatrix}0&\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix}\begin{pmatrix}\mathbb{1}&0\\ 0&-\mathbb{1}\end{pmatrix} =\begin{pmatrix}0&-\mathbb{1}\\ \mathbb{1}&0\end{pmatrix} $$

——ステップ1 とまったく同じ行列である.$\gamma^3$ も (2) で見たとおり両表示で同形なので,$\Sigma^3_\mathrm{DP}=\mathrm{diag}(\sigma^3,\sigma^3)=\Sigma^3_\mathrm{W}$.$\blacksquare$

検算.$\left(\Sigma^3\right)^2=\mathrm{diag}\left((\sigma^3)^2,(\sigma^3)^2\right)=\mathbb{1}_4$ であり,$\Tr\Sigma^3=1-1+1-1=0$.固有値が $\pm1$ でトレースがゼロだから,固有値 $+1$ と $-1$ が2個ずつ——粒子の $2$ 状態と反粒子の $2$ 状態に対応する.$\checkmark$ また $\Sigma^3$ はエルミートで,$\Sigma^3/2$ の固有値が $\pm1/2$ になり,スピン $1/2$ を正しく与える.(三つの表示すべてについて Clifford 代数 $\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\}=2g^{\mu\nu}$ が全 $16$ 組で成り立つこと,$S$ がユニタリで $S\gamma^0_\mathrm{DP}S^{-1}=\gamma^0_\mathrm{W}$,$S\gamma^5_\mathrm{DP}S^{-1}=\gamma^5_\mathrm{W}$,$S\gamma^i_\mathrm{DP}S^{-1}=\gamma^i_\mathrm{DP}$ となること,$\gamma^5_\mathrm{M}=\mathrm{diag}(\sigma^2,-\sigma^2)$ が純虚数であることを,$4\times4$ 行列で数値的に確認した.)

意味.(3) の結論——スピン行列は表示によらない——は当然といえば当然である.$\Sigma^3$ は物理量(角運動量の $z$ 成分の2倍)であり,Pauli の基本定理が保証するように,表示の変更はユニタリ変換 $\Gamma\to S\Gamma S^{-1}$ にすぎないからである.たまたま $\Sigma^3$ が $S$ と可換だったので見た目まで同じになった,というのが正確な言い方である.物性の言葉に直せば,これは「基底の取り替えは物理を変えない」という当たり前の事実の相対論版である.たとえば同じバンド構造を Bloch 基底で書くか Wannier 基底で書くかは自由だが,スピン期待値やバンドギャップは変わらない.(1) の Majorana 表示は,$\ii\gamma^\mu$ が実行列になるため Dirac 方程式が実係数になり,$\psi=\psi^*$ という Lorentz 不変な条件を課せる表示である.超伝導体の Bogoliubov 準粒子が満たす $\gamma^\dagger=\gamma$(Majorana 零モード)と,同じ Clifford 代数 $\{\gamma_a,\gamma_b\}=2\delta_{ab}$ の別の実現になっている.

演習C.3 縮約公式の拡張

問題(再掲)

(1) $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu$(間に5個)を計算せよ.

(2) (1) の結果を使って $\gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu$ を $a,b,c,d$ のスラッシュで書け.

(3) $d$ 次元で $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu=4g^{\nu\rho}-(4-d)\gamma^\nu\gamma^\rho$ を導け.

解答

方針.本章 C.3 節の導出13 と同じ道具,すなわち Clifford 代数を「$\gamma^\mu$ を右へ1個通す規則」

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu = -\gamma^\nu\gamma^\mu + 2g^{\mu\nu}\mathbb{1} $$

と読み替えた式だけで,全部が出る.鍵になるのは,左端の $\gamma^\mu$ を $\gamma^\nu$ の右へ1回だけ通して,残りを一段低い公式に帰着させる漸化式である.$X$ を任意の $\gamma$ の積として

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu X\gamma_\mu =\left(-\gamma^\nu\gamma^\mu+2g^{\mu\nu}\right)X\gamma_\mu =-\gamma^\nu\left(\gamma^\mu X\gamma_\mu\right)+2X\gamma^\nu $$

である(第2項では $g^{\mu\nu}$ が数なので $X$ をすり抜け,$g^{\mu\nu}\gamma_\mu=\gamma^\nu$ を使った).これを1回使うたびに,挟まれた $\gamma$ の個数が1個減る.

(1) 上の漸化式で $X=\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau$(3個)とおく.

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu = -\gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu\right) + 2\,\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\,\gamma^\nu $$

括弧の中は「間に3個」の場合であり,本章の縮約公式 $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma_\mu=-2\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu$ を添字を読み替えて($\nu\to\rho$,$\rho\to\sigma$,$\sigma\to\tau$)使えばよい.

$$ \gamma^\mu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu = -2\,\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho $$

代入して符号をそろえる.

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu = -\gamma^\nu\left(-2\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho\right) + 2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma^\nu $$

すなわち

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu = 2\left(\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma^\nu + \gamma^\nu\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho\right) $$

$\blacksquare$ 二つの項の構造を読んでおく.第1項 $\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma^\nu$ は「$\gamma^\nu$ を順序そのままで最後尾へ回した」形,第2項 $\gamma^\nu\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho$ は「$\gamma^\nu$ を先頭に残し,残り3個の順序を逆転させた」形である.挟む $\gamma$ の個数が偶数($0,2,4$ 個)のときは結果が数または偶数個の積になり,奇数($1,3,5$ 個)のときは奇数個の積になる,という偶奇の規則もここで見えている.

別形との関係.文献によっては同じ量を $2\left(\gamma^\tau\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma+\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu\gamma^\tau\right)$ と書く.これは上の答えと同じ行列である.理由は次のとおりである.積の順序をすべて逆にする写像 $T$($T(AB)=T(B)T(A)$,$T(\gamma^\mu)=\gamma^\mu$)を考えると,定義関係 $\gamma^\mu\gamma^\nu+\gamma^\nu\gamma^\mu=2g^{\mu\nu}$ は左右対称なので $T$ は Clifford 代数の反自己同型として矛盾なく定義できる.左辺に $T$ を施すと $\gamma_\mu\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu\gamma^\mu$,すなわち添字を $(\nu,\rho,\sigma,\tau)\to(\tau,\sigma,\rho,\nu)$ と逆順にした同じ形の量になる.一方右辺に $T$ を施すと二つの項が入れ替わるだけで不変である.よって右辺は添字の逆順置換で不変でなければならず,$(\nu,\rho,\sigma,\tau)\to(\tau,\sigma,\rho,\nu)$ を代入した $2\left(\gamma^\sigma\gamma^\rho\gamma^\nu\gamma^\tau+\gamma^\tau\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\right)$ は元の右辺に等しい.これが別形の正体である.

検算.$\nu=\rho=\sigma=\tau$(和をとらない一つの値に固定)とする.$(\gamma^\nu)^2=g^{\nu\nu}\mathbb{1}=\pm\mathbb{1}$ なので $(\gamma^\nu)^4=(g^{\nu\nu})^2\mathbb{1}=\mathbb{1}$ であり,左辺は $\gamma^\mu\gamma_\mu=4$ を使って

$$ \gamma^\mu\left(\gamma^\nu\right)^4\gamma_\mu = \gamma^\mu\gamma_\mu = 4\,\mathbb{1} $$

右辺は $2\left[(\gamma^\nu)^4+(\gamma^\nu)^4\right]=2(1+1)\mathbb{1}=4\mathbb{1}$.一致する.$\checkmark$(さらに,$4\times4$ の Dirac–Pauli 行列を用いて $(\nu,\rho,\sigma,\tau)$ の全 $4^4=256$ 通りについて左辺と右辺の行列が一致すること,および上の別形とも一致することを数値的に確かめた.)

(2) (1) の両辺に $a_\nu b_\rho c_\sigma d_\tau$ を掛けて縮約する.左辺は,$\slashed{a}=a_\nu\gamma^\nu$ の定義から

$$ a_\nu b_\rho c_\sigma d_\tau\,\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma_\mu = \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu $$

右辺の第1項 $2\gamma^\rho\gamma^\sigma\gamma^\tau\gamma^\nu$ には $b_\rho c_\sigma d_\tau a_\nu$ が掛かるので $2\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a}$,第2項 $2\gamma^\nu\gamma^\tau\gamma^\sigma\gamma^\rho$ には $a_\nu d_\tau c_\sigma b_\rho$ が掛かるので $2\slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}$.したがって

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\gamma_\mu = 2\left(\slashed{b}\slashed{c}\slashed{d}\slashed{a} + \slashed{a}\slashed{d}\slashed{c}\slashed{b}\right) $$

$\blacksquare$ 添字が「どのベクトルに属するか」を追うだけの作業だが,ここで順序を取り違えるのが実際の計算での典型的な誤りである.第1項は $a$ が最後尾,第2項は $a$ が先頭で残りが逆順と覚える.

検算.$a=b=c=d$ とおくと,左辺は $\slashed{a}\slashed{a}=a^2$(本章 C.2.6 項)を2回使って

$$ \gamma^\mu\slashed{a}\slashed{a}\slashed{a}\slashed{a}\gamma_\mu = \left(a^2\right)^2\gamma^\mu\gamma_\mu = 4\left(a^2\right)^2\mathbb{1} $$

右辺は $2\left[(a^2)^2+(a^2)^2\right]=4(a^2)^2\mathbb{1}$.一致する.$\checkmark$(乱数の4元ベクトル $a,b,c,d$ を入れて $4\times4$ 行列として両辺が一致することも確かめた.)

(3) $d$ 次元では,計量のトレースだけが変わる:$g^\mu_{\ \mu}=g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}=d$.したがって本章 導出13 のステップ1 は

$$ \gamma^\mu\gamma_\mu = \frac12 g_{\mu\nu}\{\gamma^\mu,\gamma^\nu\} = g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}\,\mathbb{1} = d\,\mathbb{1} $$

となる.これを出発点に,同じ手順を踏む.

ステップ1:$\gamma$ を1個挟んだ場合.漸化式で $X=\mathbb{1}$ とすればよい.

$$ \gamma^\mu\gamma^\rho\gamma_\mu = -\gamma^\rho\left(\gamma^\mu\gamma_\mu\right)+2\gamma^\rho = -d\,\gamma^\rho + 2\gamma^\rho = -(d-2)\,\gamma^\rho $$

($d=4$ で $-2\gamma^\rho$ に戻る.$\checkmark$)

ステップ2:$\gamma$ を2個挟んだ場合.漸化式で $X=\gamma^\rho$ とする.

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = -\gamma^\nu\left(\gamma^\mu\gamma^\rho\gamma_\mu\right) + 2\gamma^\rho\gamma^\nu = -\gamma^\nu\left[-(d-2)\gamma^\rho\right] + 2\gamma^\rho\gamma^\nu $$

すなわち

$$ = (d-2)\,\gamma^\nu\gamma^\rho + 2\,\gamma^\rho\gamma^\nu $$

ステップ3:$\gamma^\rho\gamma^\nu$ を $\gamma^\nu\gamma^\rho$ の形にそろえる.これが問題の要求する形へ持っていく最後の一歩である.反交換子を作って書き換える.

$$ 2\gamma^\rho\gamma^\nu = 2\left\{\gamma^\nu,\gamma^\rho\right\} - 2\gamma^\nu\gamma^\rho = 4g^{\nu\rho}\mathbb{1} - 2\gamma^\nu\gamma^\rho $$

代入すると

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = (d-2)\gamma^\nu\gamma^\rho + 4g^{\nu\rho}\mathbb{1} - 2\gamma^\nu\gamma^\rho = 4g^{\nu\rho}\mathbb{1} + (d-4)\,\gamma^\nu\gamma^\rho $$

$(d-4)=-(4-d)$ だから

$$ \gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = 4g^{\nu\rho}\mathbb{1} - (4-d)\,\gamma^\nu\gamma^\rho $$

$\blacksquare$ $d=4$ ではきれいに第2項が落ち,$4g^{\nu\rho}$ という数だけが残る.4次元でだけこの公式が行列でなくなるのは,反交換子がちょうど二つの項をまとめきるからである.

検算.$g_{\nu\rho}$ を掛けて $\nu,\rho$ を縮約する.左辺は $\gamma^\nu\gamma_\nu=d$ を2回使って

$$ g_{\nu\rho}\,\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu = \gamma^\mu\left(\gamma^\nu\gamma_\nu\right)\gamma_\mu = d\,\gamma^\mu\gamma_\mu = d^2\,\mathbb{1} $$

右辺は $g_{\nu\rho}g^{\nu\rho}=d$ と $g_{\nu\rho}\gamma^\nu\gamma^\rho=\gamma^\nu\gamma_\nu=d$ から

$$ 4d - (4-d)\,d = 4d - 4d + d^2 = d^2 $$

一致する.$\checkmark$ もう一つ,$d=4$ に戻すとどちらも $16$ で,本章の $\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma_\mu=4g^{\nu\rho}$ を縮約した $4\cdot4=16$ と合う.$\checkmark$

意味.(3) の $(4-d)\gamma^\nu\gamma^\rho$ という項は,次元正則化で $d=4-\epsilon$ とおいたときの $\epsilon\,\gamma^\nu\gamma^\rho$ である.ループ積分は $1/\epsilon$ の極をもつから,この「$\epsilon$ に比例する余分な項」が極と掛かって有限の寄与を残す.$\epsilon\to0$ だからと言って落としてしまうと,第10章のくりこみ定数が合わなくなる.次元正則化の計算でつまずく人の大半は,この一項の扱いを誤っている.(1)(2) の5個・4個の縮約は,第10章の Compton 散乱や第11章のグルーオン交換のように,頂点が3個以上ある図の分子計算で必要になる.素朴に $4\times4$ 行列の積を書けば $\mu$ について4回の和と各項 $4^5$ 回の掛け算が要るところ,公式一本で1行に片づく——これが縮約公式を覚える理由である.

演習C.4 トレースを実際に計算する

問題(再掲)

(1) $\Tr\left[\slashed{p}_1\slashed{p}_2\slashed{p}_3\slashed{p}_4\right]$ を内積 $p_i\cdot p_j$ で書け.

(2) $\Tr\left[(\slashed{p}+m)\gamma^\mu(\slashed{p}'+m)\gamma^\nu\right]$ を計算せよ(レプトン・テンソル).

(3) $\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\slashed{a}\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right]$ を計算せよ.これは $\mu$ 粒子崩壊 $\mu^-\to e^-\bar\nu_e\nu_\mu$ の計算(第12章)で現れる形である.

解答

方針.使う道具は本章 C.4 節の表C.5 に尽きる.すなわち $\Tr\mathbb{1}=4$,奇数個の $\gamma$ のトレースはゼロ,$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=4g^{\mu\nu}$,$\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)=4\left(g^{\mu\nu}g^{\rho\sigma}-g^{\mu\rho}g^{\nu\sigma}+g^{\mu\sigma}g^{\nu\rho}\right)$,$\Tr(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu)=0$,$\Tr(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\gamma^\rho\gamma^\sigma)=-4\ii\varepsilon^{\mu\nu\rho\sigma}$(本書の規約 $\varepsilon^{0123}=+1$)である.スラッシュはすべて $\slashed{a}=a_\alpha\gamma^\alpha$ と成分に開いてから公式を当て,最後に内積に戻す.(3) だけは,先に $(1-\gamma^5)$ を右へ集めてまとめる前処理が要る.

(1) 四つのスラッシュを成分に開く.

$$ \Tr\left[\slashed{p}_1\slashed{p}_2\slashed{p}_3\slashed{p}_4\right] = p_{1\alpha}p_{2\beta}p_{3\gamma}p_{4\delta}\,\Tr\left(\gamma^\alpha\gamma^\beta\gamma^\gamma\gamma^\delta\right) $$

$\gamma$ が4個のトレース定理を代入する.

$$ = 4\,p_{1\alpha}p_{2\beta}p_{3\gamma}p_{4\delta} \left(g^{\alpha\beta}g^{\gamma\delta}-g^{\alpha\gamma}g^{\beta\delta}+g^{\alpha\delta}g^{\beta\gamma}\right) $$

各項で計量が添字を上げて内積を作る.$g^{\alpha\beta}p_{1\alpha}p_{2\beta}=p_1\cdot p_2$ という具合である.

$$ = 4\left[(p_1\!\cdot\!p_2)(p_3\!\cdot\!p_4)-(p_1\!\cdot\!p_3)(p_2\!\cdot\!p_4)+(p_1\!\cdot\!p_4)(p_2\!\cdot\!p_3)\right] $$

$\blacksquare$ 3項の構造は,4個の添字を2個ずつペアにする3通りの組み方($(12)(34)$,$(13)(24)$,$(14)(23)$)に対応し,符号は本章 図C.4 のとおり「弧の交差回数の偶奇」で決まる.真ん中のペアリングだけが交差1回で負号をもつ.

検算.$p_1=p_2=p_3=p_4=p$ とおくと,右辺は $4\left[(p^2)^2-(p^2)^2+(p^2)^2\right]=4(p^2)^2$.左辺は $\slashed{p}\slashed{p}=p^2\mathbb{1}$ を2回使って $\Tr\left[(p^2)^2\mathbb{1}\right]=4(p^2)^2$.一致する.$\checkmark$

もう一つ,四つを別々にとった数値例で確かめる.$p_1=(2,1,0,0)$,$p_2=(3,0,1,0)$,$p_3=(1,0,0,1)$,$p_4=(5,1,1,1)$ とすると,計量 $g=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$ のもとで内積は

$$ p_1\!\cdot\!p_2=6,\quad p_3\!\cdot\!p_4=4,\quad p_1\!\cdot\!p_3=2,\quad p_2\!\cdot\!p_4=14,\quad p_1\!\cdot\!p_4=9,\quad p_2\!\cdot\!p_3=3 $$

である(たとえば $p_1\!\cdot\!p_2=2\cdot3-1\cdot0-0\cdot1-0\cdot0=6$).右辺に入れると

$$ 4\left[6\cdot4-2\cdot14+9\cdot3\right] = 4\left[24-28+27\right] = 4\cdot23 = 92 $$

一方,Dirac–Pauli 表示の $4\times4$ 行列で $\slashed{p}_1\slashed{p}_2\slashed{p}_3\slashed{p}_4$ を作ってトレースをとると,やはり $92$(虚部は丸め誤差の範囲でゼロ)である.$\checkmark$ 真ん中の項の負号を落とすと $4(24+28+27)=316$ になってしまうので,この検算は符号規則の確認として実用的である.

(2) まず括弧を展開して4項に分ける.

$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\gamma^\mu(\slashed{p}'+m)\gamma^\nu\right] = \Tr\left[\slashed{p}\gamma^\mu\slashed{p}'\gamma^\nu\right] + m\,\Tr\left[\slashed{p}\gamma^\mu\gamma^\nu\right] + m\,\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{p}'\gamma^\nu\right] + m^2\,\Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\nu\right] $$

ステップ1:奇数個を落とす.第2項と第3項は $\gamma$ が3個であり,本章 C.4.1 項の「奇数個のトレースはゼロ」から消える.これは表示によらない一般的な事実($\gamma^5$ を挿入して符号を反転させ,巡回性で戻す)であって,展開のたびに計算量が半減する.

ステップ2:$\gamma$ が4個の項.成分に開いて (1) と同じ手順を踏む.

$$ \Tr\left[\slashed{p}\gamma^\mu\slashed{p}'\gamma^\nu\right] = p_\alpha p'_\beta\,\Tr\left(\gamma^\alpha\gamma^\mu\gamma^\beta\gamma^\nu\right) = 4\,p_\alpha p'_\beta\left(g^{\alpha\mu}g^{\beta\nu}-g^{\alpha\beta}g^{\mu\nu}+g^{\alpha\nu}g^{\mu\beta}\right) $$

順に読むと,第1項が $p^\mu p'^\nu$,第2項が $-(p\cdot p')g^{\mu\nu}$,第3項が $p^\nu p'^\mu$ である.

$$ = 4\left[p^\mu p'^\nu + p^\nu p'^\mu - g^{\mu\nu}\left(p\!\cdot\!p'\right)\right] $$

ステップ3:$m^2$ の項を足す.$m^2\Tr(\gamma^\mu\gamma^\nu)=4m^2g^{\mu\nu}$ を加えると,$g^{\mu\nu}$ の係数が $-(p\cdot p')+m^2$ にまとまる.

$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\gamma^\mu(\slashed{p}'+m)\gamma^\nu\right] = 4\left[p^\mu p'^\nu + p^\nu p'^\mu - g^{\mu\nu}\left(p\!\cdot\!p'-m^2\right)\right] $$

$\blacksquare$ これが本章 C.4.5 項のレプトン・テンソルである.$\mu\leftrightarrow\nu$ について対称であり,実数である($\varepsilon$ を含まない).

検算.$g_{\mu\nu}$ を掛けて縮約する.右辺は $g_{\mu\nu}g^{\mu\nu}=4$ を使って

$$ 4\left[2\left(p\!\cdot\!p'\right)-4\left(p\!\cdot\!p'-m^2\right)\right] = -8\left(p\!\cdot\!p'\right)+16m^2 $$

左辺は,先に縮約公式 $\gamma^\mu\slashed{p}'\gamma_\mu=-2\slashed{p}'$,$\gamma^\mu\gamma_\mu=4$ を使ってトレースの中を潰すと

$$ \Tr\left[(\slashed{p}+m)\left(-2\slashed{p}'+4m\right)\right] = -2\,\Tr\left[\slashed{p}\slashed{p}'\right] + 4m^2\,\Tr\mathbb{1} = -8\left(p\!\cdot\!p'\right) + 16m^2 $$

($\gamma$ が奇数個の交差項は再び消える.)一致する.$\checkmark$ もう一つ,本章 C.4.5 項で確かめたカレント保存 $q_\mu L^{\mu\nu}=0$($q=p'-p$,$p^2=p'^2=m^2$)も同じ式から従う.($\mu,\nu$ の全 $16$ 組について,$4\times4$ 行列のトレースと右辺が乱数入力で一致することを数値的に確認した.)

(3) この形の急所は,二つの $(1-\gamma^5)$ の間に挟まる $\gamma$ の個数の偶奇である.本章 C.4.6 項の注意にあるとおり,機械的に $(1-\gamma^5)^2=2(1-\gamma^5)$ を当てはめてはいけない.

ステップ1:$(1-\gamma^5)$ を右へ運ぶ.$\gamma^5$ は任意の $\gamma^\mu$ と反交換するので,スラッシュ1個を通り抜けるたびに符号が変わる.

$$ (1-\gamma^5)\,\slashed{a} = \slashed{a}\,(1+\gamma^5), \qquad (1+\gamma^5)\,\gamma^\nu = \gamma^\nu\,(1-\gamma^5) $$

したがって被トレース量は

$$ \gamma^\mu(1-\gamma^5)\slashed{a}\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b} = \gamma^\mu\slashed{a}\,(1+\gamma^5)\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b} = \gamma^\mu\slashed{a}\,\gamma^\nu\,(1-\gamma^5)(1-\gamma^5)\,\slashed{b} $$

となる.左の $(1-\gamma^5)$ は $\slashed{a}$ と $\gamma^\nu$ の2個を通り抜けたので符号が2回反転して元に戻り,右の $(1-\gamma^5)$ と隣り合った.ここではじめて冪等性が使える.

$$ (1-\gamma^5)^2 = 1 - 2\gamma^5 + (\gamma^5)^2 = 2\left(1-\gamma^5\right) $$

($(\gamma^5)^2=\mathbb{1}$ を使った.)よって

$$ T^{\mu\nu}\equiv\Tr\left[\gamma^\mu(1-\gamma^5)\slashed{a}\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right] = 2\,\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\,\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right] $$

ステップ2:$\slashed{b}$ の右へ回す.残った $(1-\gamma^5)$ を $\slashed{b}$ の右へ通すと $(1-\gamma^5)\slashed{b}=\slashed{b}(1+\gamma^5)$ なので

$$ T^{\mu\nu} = 2\,\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\,\gamma^\nu\slashed{b}\right] + 2\,\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\,\gamma^\nu\slashed{b}\,\gamma^5\right] $$

と,$\gamma^5$ を含まない項と含む項に分かれた.

ステップ3:$\gamma^5$ を含まない項.(2) のステップ2 と同じ計算である($p\to a$,$p'\to b$ と読み替え,$\mu$ が先頭に来る順序の違いは $\Tr(\gamma^\mu\gamma^\alpha\gamma^\nu\gamma^\beta)$ の添字順に反映する).

$$ \Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\gamma^\nu\slashed{b}\right] = a_\alpha b_\beta\,\Tr\left(\gamma^\mu\gamma^\alpha\gamma^\nu\gamma^\beta\right) = 4a_\alpha b_\beta\left(g^{\mu\alpha}g^{\nu\beta}-g^{\mu\nu}g^{\alpha\beta}+g^{\mu\beta}g^{\alpha\nu}\right) $$ $$ = 4\left[a^\mu b^\nu - g^{\mu\nu}\left(a\!\cdot\!b\right) + a^\nu b^\mu\right] $$

ステップ4:$\gamma^5$ を含む項.トレースの巡回性で $\gamma^5$ を先頭に回してから公式を当てる.

$$ \Tr\left[\gamma^\mu\gamma^\alpha\gamma^\nu\gamma^\beta\gamma^5\right] = \Tr\left[\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\alpha\gamma^\nu\gamma^\beta\right] = -4\ii\,\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta} $$

したがって

$$ \Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\gamma^\nu\slashed{b}\gamma^5\right] = -4\ii\,\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta}a_\alpha b_\beta $$

ステップ5:まとめる.ステップ3・4 を2倍して足す.

$$ T^{\mu\nu} = 8\left[a^\mu b^\nu + a^\nu b^\mu - g^{\mu\nu}\left(a\!\cdot\!b\right) - \ii\,\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta}a_\alpha b_\beta\right] $$

$\blacksquare$ 全体の因子が $8$($4$ の2倍)になっているのは,ステップ1 の冪等性でちょうど $2$ が出たからである.もし $(1-\gamma^5)$ の間に挟まる $\gamma$ が奇数個であったなら,二つの射影が $(1+\gamma^5)(1-\gamma^5)=0$ となって丸ごと消えていた——本問で生き残るのは,$\slashed{a}$ と $\gamma^\nu$ の2個,すなわち偶数個だからである.

検算.三通りで確かめる.
(i) 縮約.$g_{\mu\nu}$ を掛けると,$\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta}$ は $\mu\leftrightarrow\nu$ について反対称なので対称な $g_{\mu\nu}$ と縮約してゼロになり,

$$ g_{\mu\nu}T^{\mu\nu} = 8\left[2\left(a\!\cdot\!b\right)-4\left(a\!\cdot\!b\right)\right] = -16\left(a\!\cdot\!b\right) $$

一方,ステップ1 の途中式 $T^{\mu\nu}=2\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\gamma^\nu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right]$ を直接縮約すると,縮約公式 $\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu=-2\slashed{a}$ から

$$ 2\,\Tr\left[\gamma^\mu\slashed{a}\gamma_\mu(1-\gamma^5)\slashed{b}\right] = -4\,\Tr\left[\slashed{a}\slashed{b}\right] + 4\,\Tr\left[\slashed{a}\gamma^5\slashed{b}\right] = -16\left(a\!\cdot\!b\right) + 0 $$

(第2項は $\Tr(\gamma^5\gamma^\alpha\gamma^\beta)=0$ による.)一致する.$\checkmark$
(ii) $a=b$ の極限.$\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta}$ は $\alpha\leftrightarrow\beta$ について反対称だから,対称な $a_\alpha a_\beta$ と縮約してゼロ.よって $T^{\mu\nu}=8\left[2a^\mu a^\nu-g^{\mu\nu}a^2\right]$ となり,実数の対称テンソルに戻る.パリティを破る項が消えるのは,二つのカレントが同じベクトルで作られていて向きの区別がなくなるからである.$\checkmark$
(iii) 数値.Dirac–Pauli 表示の $4\times4$ 行列と,$\varepsilon^{0123}=+1$ の 4 階完全反対称記号を明示的に作り,乱数の $a,b$ について $\mu,\nu$ の全 $16$ 組を比較したところ,左辺と右辺の差の最大は $1.8\times10^{-15}$(倍精度の丸め誤差)であった.$\checkmark$ 本文のヒントに示された答えと符号まで一致する.

意味.最後の $-\ii\varepsilon^{\mu\alpha\nu\beta}a_\alpha b_\beta$ の項が,$V-A$ 相互作用のパリティ非保存を担う本体である.$\varepsilon$ は空間反転で符号を変える擬テンソルだから,この項を含む断面積は「左右を区別する」.非偏極の断面積では,もう一方のカレントから来る $\varepsilon$ と組んで $\varepsilon\varepsilon$ となり,本章 C.6 節の縮約公式で $g$ の積に化けて消える(符号規約の誤りが効かない).しかし $\varepsilon$ が1個だけ残る干渉項——$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の前後非対称度や,ニュートリノ散乱の角度分布——では符号が観測量を直接決める.本書の規約 $\varepsilon^{0123}=+1$,$\gamma^5=\ii\gamma^0\gamma^1\gamma^2\gamma^3$ を計算の前に固定しておかねばならない理由である.材料科学の側では,$\gamma^5$ を含むトレースが $\varepsilon$ を生むという同じ構造が,磁気円二色性(XMCD)の信号——左右円偏光の吸収差,すなわちパリティを区別する量——として現れる.

演習C.5 射影演算子

問題(再掲)

(1) $\Tr\left[\Lambda_+(p)\,\Sigma(s)\right]=1$ を示せ.これは $\Lambda_+\Sigma(s)$ が1次元部分空間への射影であることを意味する.

(2) $u(p,s)\bar u(p,s)=(\slashed{p}+m)\dfrac{1+\gamma^5\slashed{s}}{2}$ で $s\to-s$ としたものと足し合わせて,完全性関係 $\displaystyle\sum_s u\bar u=\slashed{p}+m$ が再現されることを確かめよ.

(3) ヘリシティのスピンベクトル $s^\mu_\mathrm{hel}=\left(\abs{\pp}/m,\;(E/m)\hat{\pp}\right)$ について,$E\gg m$ の極限で $\Sigma(s)\,u(p,s)\to P_R\,u(p,s)$ となることを示せ.すなわち正ヘリシティ=右巻きカイラリティである.

解答

方針.本章 C.5 節の定義 $\Lambda_+(p)=(\slashed{p}+m)/2m$,$\Sigma(s)=(1+\gamma^5\slashed{s})/2$,$P_R=(1+\gamma^5)/2$ と,スピン4元ベクトルの二条件 $s\cdot s=-1$,$s\cdot p=0$ を使う.(1) はトレース定理の当てはめだけ,(2) は $\Sigma(s)+\Sigma(-s)=\mathbb{1}$ という一行,(3) は Dirac 方程式 $\slashed{p}\,u=m\,u$ を使って $\slashed{s}$ を $\slashed{p}/m$ で置き換える極限操作である.

(1) 定義どおりに積を作り,展開する.

$$ \Lambda_+(p)\,\Sigma(s) = \frac{\slashed{p}+m}{2m}\cdot\frac{1+\gamma^5\slashed{s}}{2} = \frac{1}{4m}\left(\slashed{p} + \slashed{p}\,\gamma^5\slashed{s} + m\,\mathbb{1} + m\,\gamma^5\slashed{s}\right) $$

4項それぞれのトレースをとる.

第1項:$\Tr\slashed{p}=p_\mu\Tr\gamma^\mu=0$($\gamma$ が1個,奇数個なのでゼロ).

第2項:$\gamma^5$ を別扱いにして数えると,$\slashed{p}$ で1個,$\slashed{s}$ で1個,合わせて $\gamma$ が2個である.すなわち「$\gamma^5$ + $\gamma$ が2個」のトレースであり,本章のトレース定理が直接使える形にするには $\gamma^5$ を左端へ回せばよい.

$$ \Tr\left(\slashed{p}\,\gamma^5\slashed{s}\right) = p_\mu s_\nu\,\Tr\left(\gamma^\mu\gamma^5\gamma^\nu\right) = -\,p_\mu s_\nu\,\Tr\left(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu\right) = 0 $$

($\gamma^5$ を $\gamma^\mu$ の左へ通すと符号が1回変わる.最後に本章のトレース定理 $\Tr(\gamma^5\gamma^\mu\gamma^\nu)=0$ を使った.)

第3項:$m\,\Tr\mathbb{1}=4m$.これだけが生き残る.

第4項:$m\,s_\nu\Tr\left(\gamma^5\gamma^\nu\right)=0$($\gamma^5$ と奇数個の $\gamma$ なのでゼロ).

したがって

$$ \Tr\left[\Lambda_+(p)\,\Sigma(s)\right] = \frac{4m}{4m} = 1 $$

$\blacksquare$ なぜこれが「1次元への射影」を意味するのか.本章 導出20 のステップ3 で示したとおり,$s\cdot p=0$ のおかげで $\Lambda_+$ と $\Sigma(s)$ は可換である.可換な二つの射影演算子の積はふたたび射影演算子であり,射影演算子のトレースはその像の次元(必ず非負整数)に等しい.いま計算した値が $1$ だから,$\Lambda_+\Sigma(s)$ の像は1次元,すなわち $u(p,s)$ が張る直線そのものである.$\Lambda_+$ は「運動量 $p$ の正エネルギー」で2次元に絞り,$\Sigma(s)$ が「スピンが $s$ 向き」でさらに半分に絞る,という二段階の絞り込みになっている.

検算.同じことを次元の数え上げで確かめる.$\Tr\Lambda_+=2$ であり,(2) で示す $\Sigma(s)+\Sigma(-s)=\mathbb{1}$ から

$$ \Tr\left[\Lambda_+\Sigma(s)\right]+\Tr\left[\Lambda_+\Sigma(-s)\right]=\Tr\Lambda_+=2 $$

である.二つの項は $s\to-s$ で入れ替わるだけで対等だから,それぞれが $1$ でなければならない.$\checkmark$ さらに静止系 $p^\mu=(m,\bm{0})$,$s^\mu=(0,0,0,1)$ をとって Dirac–Pauli 表示の $4\times4$ 行列で数値計算すると,$s\cdot s=-1$,$s\cdot p=0$ が成り立ち $\Tr\left[\Lambda_+\Sigma\right]=1.000$ が得られた.$\checkmark$

(2) スピン射影の定義に $s\to-s$ を代入する.$\slashed{s}=s_\mu\gamma^\mu$ は $s$ について線形なので $\slashed{(-s)}=-\slashed{s}$ であり

$$ \Sigma(-s) = \frac{1+\gamma^5\left(-\slashed{s}\right)}{2} = \frac{1-\gamma^5\slashed{s}}{2} $$

したがって二つを足すと $\gamma^5\slashed{s}$ の項が相殺する.

$$ \Sigma(s)+\Sigma(-s) = \frac{1+\gamma^5\slashed{s}}{2}+\frac{1-\gamma^5\slashed{s}}{2} = \frac{2}{2}\,\mathbb{1} = \mathbb{1}_4 $$

これを本章の $u\bar u$ の式に入れる.$\slashed{p}+m$ は共通因子として外に出せるので

$$ u(p,s)\bar u(p,s) + u(p,-s)\bar u(p,-s) = \left(\slashed{p}+m\right)\Sigma(s) + \left(\slashed{p}+m\right)\Sigma(-s) $$ $$ = \left(\slashed{p}+m\right)\left[\Sigma(s)+\Sigma(-s)\right] = \left(\slashed{p}+m\right)\mathbb{1} = \slashed{p}+m $$

$\blacksquare$ 左辺は,スピンの2状態($s$ 向きと $-s$ 向き)についての和にほかならない.すなわち $\sum_{s=1,2}u\bar u=\slashed{p}+m$ という完全性関係が再現された.同じ計算で $v$ についても

$$ \left(\slashed{p}-m\right)\Sigma(s)+\left(\slashed{p}-m\right)\Sigma(-s)=\slashed{p}-m $$

が出る.

検算.射影の言葉で確かめる.$\Lambda_+\Sigma(s)$ と $\Lambda_+\Sigma(-s)$ は,(1) よりどちらもトレース $1$ の射影演算子であり,互いに直交する($\Sigma(s)\Sigma(-s)=\left[1-(\gamma^5\slashed{s})^2\right]/4=0$,本章 導出20 のステップ1 で $(\gamma^5\slashed{s})^2=\mathbb{1}$ を示した).直交する二つの1次元射影の和はトレース $2$ の2次元射影であり,それが $\Lambda_+$ にほかならない($\Tr\Lambda_+=2$).$2m$ を掛け戻せば $\slashed{p}+m$ である.$\checkmark$ 静止系での数値計算でも,$(\slashed{p}+m)\Sigma(s)+(\slashed{p}+m)\Sigma(-s)$ と $\slashed{p}+m$ が $4\times4$ 行列として一致した.$\checkmark$

(3) まずスピンベクトルの二条件を確認しておく.$p^\mu=\left(E,\abs{\pp}\hat{\pp}\right)$,$s^\mu_\mathrm{hel}=\left(\abs{\pp}/m,\,(E/m)\hat{\pp}\right)$ に対して

$$ s\cdot s = \frac{\abs{\pp}^2}{m^2}-\frac{E^2}{m^2} = \frac{\abs{\pp}^2-E^2}{m^2}=\frac{-m^2}{m^2}=-1, \qquad s\cdot p = \frac{\abs{\pp}}{m}E - \frac{E}{m}\abs{\pp} = 0 $$

($E^2=\abs{\pp}^2+m^2$ を使った.)二条件が満たされるので,$\Sigma(s)$ は射影演算子であり $\Lambda_+$ と可換である.$\checkmark$

ステップ1:極限で $s^\mu\to p^\mu/m$.$E\gg m$ では

$$ \abs{\pp} = \sqrt{E^2-m^2} = E\sqrt{1-\frac{m^2}{E^2}} \simeq E - \frac{m^2}{2E} $$

だから $\abs{\pp}\to E$ である.すなわち

$$ s^\mu_\mathrm{hel} = \frac{1}{m}\left(\abs{\pp},\,E\hat{\pp}\right) \;\longrightarrow\; \frac{1}{m}\left(E,\,E\hat{\pp}\right) = \frac{p^\mu}{m} $$

となる.ずれの大きさを見積もっておくと

$$ s^\mu - \frac{p^\mu}{m} = \frac{\abs{\pp}-E}{m}\left(1,\,-\hat{\pp}\right) \simeq -\frac{m}{2E}\left(1,\,-\hat{\pp}\right) $$

で,$m/E$ の1次で消える.

ステップ2:$\gamma^5\slashed{s}$ を置き換える.スラッシュは線形なので $\slashed{s}\to\slashed{p}/m$,したがって

$$ \gamma^5\slashed{s} \;\longrightarrow\; \frac{\gamma^5\slashed{p}}{m} $$

ステップ3:Dirac 方程式を使う.これを $u(p,s)$ に作用させる.運動量空間の Dirac 方程式 $\slashed{p}\,u(p,s)=m\,u(p,s)$(本書C章の Dirac 方程式を平面波に当てたもの)より

$$ \gamma^5\slashed{s}\,u(p,s) \;\longrightarrow\; \frac{1}{m}\gamma^5\slashed{p}\,u(p,s) = \frac{1}{m}\gamma^5\left(m\,u\right) = \gamma^5 u(p,s) $$

ここで $\gamma^5$ が $\slashed{p}$ の左にあることが効いている(右にあれば $\slashed{p}$ を先に $u$ へ作用させられない).

ステップ4:まとめる.

$$ \Sigma(s)\,u(p,s) = \frac{1+\gamma^5\slashed{s}}{2}\,u(p,s) \;\longrightarrow\; \frac{1+\gamma^5}{2}\,u(p,s) = P_R\,u(p,s) $$

$\blacksquare$ 左辺は「ヘリシティが $+$ の状態を取り出す射影」,右辺は「右巻きカイラリティを取り出す射影」である.$u(p,s)$ はそもそも $\Sigma(s)u=u$ を満たす状態だから,結論は $P_Ru\to u$,すなわち高エネルギーの正ヘリシティ状態はほぼ純粋な右巻きカイラリティ状態であると読める.

検算.質量が有限のときのずれを,まず解析的に押さえ,つぎに数値で確かめる.運動量を $+z$ 方向にとると,Dirac–Pauli 表示の正ヘリシティ・スピノルは

$$ u = \sqrt{E+m}\begin{pmatrix}\chi_+\\ \dfrac{\abs{\pp}}{E+m}\chi_+\end{pmatrix}, \qquad \chi_+=\begin{pmatrix}1\\0\end{pmatrix} $$

である($\left\|u\right\|^2=(E+m)+\abs{\pp}^2/(E+m)=2E$).Dirac–Pauli 表示では $\gamma^5$ が上下ブロックを入れ替えるので,逆カイラリティ成分は上下ブロックの差で決まり

$$ P_L u = \frac{1-\gamma^5}{2}u = \frac{\sqrt{E+m}}{2}\left(1-\frac{\abs{\pp}}{E+m}\right)\begin{pmatrix}\chi_+\\ -\chi_+\end{pmatrix}, \qquad \left\|P_Lu\right\|^2 = \frac{\left(E+m-\abs{\pp}\right)^2}{2\left(E+m\right)} $$

となる.$\abs{\pp}^2=E^2-m^2=(E+m)(E-m)$ を使って分子を因数分解すると

$$ \left(E+m-\abs{\pp}\right)^2 = (E+m)^2-2(E+m)\abs{\pp}+(E+m)(E-m) = 2(E+m)\left(E-\abs{\pp}\right) $$

だから,混合率は近似ではなく厳密に

$$ \frac{\left\|P_Lu\right\|^2}{\left\|u\right\|^2} = \frac{2(E+m)\left(E-\abs{\pp}\right)}{2(E+m)\cdot 2E} = \frac12\left(1-\frac{\abs{\pp}}{E}\right) \;\simeq\; \frac{m^2}{4E^2}\quad(E\gg m) $$

である.これは本章 C.5.4 項のカイラリティ混合率の式そのものであり,$\left\|\Sigma(s)u-P_Ru\right\|/\left\|u\right\|=\left\|P_Lu\right\|/\left\|u\right\|$($\Sigma(s)u=u$ かつ $P_L=1-P_R$ による)が振幅のずれ $\simeq m/2E$ を与える.以下は電子($m=0.511\ \mathrm{MeV}$)についてこれを $4\times4$ 行列で数値確認したものである.

正ヘリシティ電子における $\Sigma(s)u$ と $P_Ru$ のずれ
$E$$\left\|\Sigma(s)u-P_Ru\right\|/\left\|u\right\|$$m/2E$逆カイラリティ成分の確率$\tfrac12\left(1-\abs{\pp}/E\right)$
$10\ \mathrm{MeV}$$2.556\times10^{-2}$$2.555\times10^{-2}$$6.532\times10^{-4}$$6.532\times10^{-4}$
$100\ \mathrm{MeV}$$2.555\times10^{-3}$$2.555\times10^{-3}$$6.528\times10^{-6}$$6.528\times10^{-6}$
$1\ \mathrm{GeV}$$2.555\times10^{-4}$$2.555\times10^{-4}$$6.528\times10^{-8}$$6.528\times10^{-8}$
$10\ \mathrm{GeV}$$2.555\times10^{-5}$$2.555\times10^{-5}$$6.528\times10^{-10}$$6.528\times10^{-10}$

第2列と第3列,第4列と第5列がそれぞれ一致している.$\checkmark$ 第4列と第5列は上で示したとおり厳密に等しい関係であり,表の一致はその確認である.第2列と第3列のほうは近似で,$E=10\ \mathrm{MeV}$ では $2.556\times10^{-2}$ と $2.555\times10^{-2}$ で相対差 $0.03\ \%$ が残るが,$E=100\ \mathrm{MeV}$ 以上では表示桁で一致する($m/E$ の高次項が効かなくなるため).$E=1\ \mathrm{GeV}$ での $m^2/4E^2=6.528\times10^{-8}$ とも合う.$\checkmark$ どの $E$ でも $\Sigma(s)u=u$ は厳密に成り立っている(ヘリシティ射影は質量があっても正確な射影である)ことも確かめた.ずれているのはカイラリティのほうだけである.$\checkmark$

意味.ヘリシティ(スピンと運動量の相対的な向き)は速度が有限なら観測者に追い越されて符号が変わる——Lorentz 不変でない.カイラリティ($\gamma^5$ の固有値)は Lorentz 不変だが,質量項が左巻きと右巻きを混ぜるので保存量ではない.質量ゼロの極限でだけ両者が一致し,どちらも良い量子数になる.弱い相互作用はカイラリティの左巻き成分にしか働かないので,この $m/E$ のずれが観測量に直接効く.最も鮮やかな例が $\pi^-\to\ell^-\bar\nu_\ell$ の比 $\Gamma(\pi\to e\nu)/\Gamma(\pi\to\mu\nu)=1.23\times10^{-4}$ である(本章 C.5.4 項).材料科学の側では,同じ構造が演習C.6 のギャップ付き Dirac 模型に現れる.$\Delta$(=質量)が有限だと擬スピンが面外へ倒れ,$q$ を上げて $\hbar v_Fq\gg\Delta$ にすると面内へ戻る——「$E\gg m$ でカイラリティが良い量子数になる」ことの物性版である.

演習C.6 二準位系の数値計算(材料)

問題(再掲)

単層 MoS$_2$ の $K$ 点近傍は,副格子擬スピン $\bm{\sigma}$ を使って

$$ H(\bm{q}) = \hbar v_F\left(\sigma^x q_x+\sigma^y q_y\right) + \Delta\,\sigma^z, \qquad \hbar v_F = 3.51\ \mathrm{eV}\,\AA,\quad \Delta = 0.83\ \mathrm{eV} $$

と書ける($2\Delta$ が $K$ 点でのバンドギャップ).

(1) $\bm{d}(\bm{q})$ を読み取り,$E_\pm=d^0\pm\abs{\bm{d}}$ を使って $q=0.10\ \AA^{-1}$ でのバンドギャップ $2\abs{\bm{d}}$ を求めよ.

(2) 伝導帯の固有状態における擬スピンの面外成分 $\braket{\sigma^z}=\Delta/\abs{\bm{d}}$ を,$q=0$,$q=0.10$,$q=0.50\ \AA^{-1}$ について求めよ.

(3) $q\to\infty$ で $\braket{\sigma^z}\to0$ になることを示し,これがグラフェン($\Delta=0$)の擬スピン面内固定に対応することを説明せよ.

解答

方針.本章 C.1.3 項の系「任意のエルミート $2\times2$ 行列は $H=d^0\mathbb{1}_2+\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ と一意に書け,固有値は $E_\pm=d^0\pm\abs{\bm{d}}$」を当てるだけである.$\braket{\sigma^z}$ のほうは,演習C.1(1) で使ったトレース公式 $\Tr\sigma^i=0$,$\Tr(\sigma^i\sigma^j)=2\delta^{ij}$ から導く.数値はすべて自分で計算し,有効数字を明示する.

(1) 与えられたハミルトニアンを $H=d^0\mathbb{1}_2+\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ の形と見比べる.$\sigma^x,\sigma^y,\sigma^z$ の係数がそのまま $\bm{d}$ の成分であり,単位行列の項はないので

$$ d^0 = 0, \qquad \bm{d}(\bm{q}) = \left(\hbar v_F q_x,\;\hbar v_F q_y,\;\Delta\right) $$

したがって

$$ \abs{\bm{d}} = \sqrt{\left(\hbar v_Fq_x\right)^2+\left(\hbar v_Fq_y\right)^2+\Delta^2} = \sqrt{\left(\hbar v_Fq\right)^2+\Delta^2}, \qquad q\equiv\sqrt{q_x^2+q_y^2} $$

である(面内では $q$ の向きによらない.等方的な Dirac コーンである).固有値は $E_\pm=\pm\abs{\bm{d}}$ で,バンドギャップは $E_+-E_-=2\abs{\bm{d}}$ となる.

数値.$q=0.10\ \AA^{-1}$ を入れる.まず面内成分の大きさを作る.

$$ \hbar v_F q = 3.51\ \mathrm{eV}\,\AA \times 0.10\ \AA^{-1} = 0.351\ \mathrm{eV} $$

二乗して足す.

$$ \left(\hbar v_Fq\right)^2 = 0.351^2 = 0.123201\ \mathrm{eV^2}, \qquad \Delta^2 = 0.83^2 = 0.6889\ \mathrm{eV^2} $$ $$ \abs{\bm{d}} = \sqrt{0.123201+0.6889} = \sqrt{0.812101} = 0.901166\ \mathrm{eV} $$

よってギャップは

$$ 2\abs{\bm{d}} = 1.80233\ \mathrm{eV} \simeq 1.80\ \mathrm{eV} $$

$K$ 点($q=0$)のギャップ $2\Delta=1.66\ \mathrm{eV}$ と比べると $0.142\ \mathrm{eV}$ 広い.相対的には $8.6\ \%$ の増加である.すなわち$K$ 点から少し離れるだけで,バンド間の遷移エネルギーは目に見えて上がる.光吸収スペクトルの立ち上がりが $K$ 点の値でシャープに切れず,高エネルギー側に裾を引くのはこのためである.

(2) まず $\braket{\sigma^z}=\Delta/\abs{\bm{d}}$ を導いておく.伝導帯($E_+=+\abs{\bm{d}}$)の固有状態 $\ket{+}$ は $\left(\hat{\bm{d}}\cdot\bm{\sigma}\right)\ket{+}=+\ket{+}$($\hat{\bm{d}}\equiv\bm{d}/\abs{\bm{d}}$)を満たす.$\hat{\bm{d}}\cdot\bm{\sigma}$ は固有値 $\pm1$ をもつので,$\ket{+}$ への射影演算子は

$$ \ket{+}\bra{+} = \frac{\mathbb{1}_2+\hat{\bm{d}}\cdot\bm{\sigma}}{2} $$

と書ける($\left(\hat{\bm{d}}\cdot\bm{\sigma}\right)^2=\mathbb{1}_2$ より冪等,トレースは $1$).期待値をトレースで計算する.

$$ \braket{\sigma^i} = \Tr\left[\ket{+}\bra{+}\sigma^i\right] = \frac12\left[\Tr\sigma^i + \hat d_j\,\Tr\left(\sigma^j\sigma^i\right)\right] = \frac12\left[0 + \hat d_j\cdot 2\delta^{ji}\right] = \hat d_i $$

すなわち擬スピンの期待値ベクトルは $\hat{\bm{d}}$ そのものである(Bloch 球の上でちょうど $\hat{\bm{d}}$ の指す点).$z$ 成分をとれば

$$ \braket{\sigma^z} = \hat d_z = \frac{\Delta}{\abs{\bm{d}}} $$

ここで使ったのは演習C.1(1) のトレース公式だけである.

数値.三点で計算する.

$q=0$:$\hbar v_Fq=0$ なので $\abs{\bm{d}}=\Delta=0.83\ \mathrm{eV}$.

$$ \braket{\sigma^z} = \frac{0.83}{0.83} = 1.000 $$

$q=0.10\ \AA^{-1}$:(1) で求めた $\abs{\bm{d}}=0.901166\ \mathrm{eV}$ を使う.

$$ \braket{\sigma^z} = \frac{0.83}{0.901166} = 0.921029 $$

$q=0.50\ \AA^{-1}$:あらためて計算する.

$$ \hbar v_Fq = 3.51\times0.50 = 1.755\ \mathrm{eV}, \qquad \left(\hbar v_Fq\right)^2 = 3.080025\ \mathrm{eV^2} $$ $$ \abs{\bm{d}} = \sqrt{3.080025+0.6889} = \sqrt{3.768925} = 1.941372\ \mathrm{eV} $$ $$ \braket{\sigma^z} = \frac{0.83}{1.941372} = 0.427533 $$

まとめると次のとおりである.

ギャップ付き Dirac 模型(単層 MoS$_2$,$\hbar v_F=3.51\ \mathrm{eV}\,\AA$,$\Delta=0.83\ \mathrm{eV}$)
$q\ [\AA^{-1}]$$\hbar v_Fq\ [\mathrm{eV}]$$\abs{\bm{d}}\ [\mathrm{eV}]$ギャップ $2\abs{\bm{d}}\ [\mathrm{eV}]$$\braket{\sigma^z}$面内成分 $\sqrt{\braket{\sigma^x}^2+\braket{\sigma^y}^2}$
$0$$0$$0.8300$$1.660$$1.0000$$0.0000$
$0.10$$0.351$$0.9012$$1.802$$0.9210$$0.3895$
$0.50$$1.755$$1.9414$$3.883$$0.4275$$0.9040$
$1.00$$3.510$$3.6068$$7.214$$0.2301$$0.9732$
$5.00$$17.550$$17.5696$$35.139$$0.0472$$0.9989$

(下2行は (3) の傾向を見るために付け加えたものである.なお $q=1\ \AA^{-1}$ 以上は Brillouin ゾーンのスケールを超えており,$\kk\cdot\pp$ 有効模型の適用範囲の外である.外挿として読むこと.)

(3) $\abs{\bm{d}}=\sqrt{\left(\hbar v_Fq\right)^2+\Delta^2}$ は $q$ の単調増加関数であり,$q\to\infty$ で $\hbar v_Fq$ が $\Delta$ を圧倒するので

$$ \abs{\bm{d}} = \hbar v_Fq\sqrt{1+\left(\frac{\Delta}{\hbar v_Fq}\right)^2} \;\longrightarrow\; \hbar v_Fq $$

したがって

$$ \braket{\sigma^z} = \frac{\Delta}{\abs{\bm{d}}} \simeq \frac{\Delta}{\hbar v_Fq} \;\longrightarrow\; 0 \qquad (q\to\infty) $$

減り方は $1/q$ である(表の $q=0.50\to1.00\to5.00$ で $0.4275\to0.2301\to0.0472$ と,ほぼ $q$ に反比例して落ちている).

グラフェンとの対応.グラフェンでは $\Delta=0$ なので,$\bm{d}=\hbar v_F(q_x,q_y,0)$ となり,$z$ 成分ははじめから存在しない.すなわちすべての $q$ で $\braket{\sigma^z}=0$,擬スピンは厳密に面内に固定され,$\bm{q}$ の向きにぴったり張り付いて回る.$\bm{q}$ を Dirac 点のまわりに一周させると $\hat{\bm{d}}$ も面内で一周し,Bloch 球上では赤道を一周する.赤道が張る立体角は $2\pi$(半球)であり,スピン $1/2$ の Berry 位相は立体角の半分だから $\pi$ になる——これがグラフェンの Berry 位相 $\pi$ の幾何学的な正体である.

ギャップがあると,$\hat{\bm{d}}$ の軌跡は赤道ではなく北極を囲む小円になり,張る立体角が $2\pi\left(1-\braket{\sigma^z}\right)$ に縮む.Berry 位相はその半分の $\pi\left(1-\braket{\sigma^z}\right)$ である.数値を入れると,$q=0.10$ では $\pi\times(1-0.9210)=0.0790\pi$ とほとんどゼロ,$q=0.50$ では $0.5725\pi$,$q\to\infty$ では $\pi$ に漸近する.すなわち$q$ を上げるほどグラフェンの $\pi$ に近づく.$\blacksquare$

検算.三通りで確かめる.
(i) 次元.$\hbar v_F$ は $\mathrm{eV}\,\AA$,$q$ は $\AA^{-1}$ なので積は $\mathrm{eV}$ となり,$\Delta$ と足せる.$\checkmark$ $\braket{\sigma^z}$ はエネルギーの比で無次元.$\checkmark$
(ii) 上限.$\abs{\bm{d}}\ge\Delta$ が常に成り立つので $\braket{\sigma^z}=\Delta/\abs{\bm{d}}\le1$ である.$\sigma^z$ の固有値は $\pm1$ しかないから,期待値が $1$ を超えないのは必然である.$q=0$ でちょうど $1$ になり,このとき状態は擬スピン基底の片方($\hat{\bm{d}}$ が北極を向く状態)に $100\ \%$ 落ち込む.$\checkmark$ ——ここで「副格子」はグラフェン型 honeycomb 模型の A/B 副格子になぞらえた言い方であって,MoS$_2$ の $K$ 点では実際の2状態は Mo の $d_{z^2}$ と $\left(d_{x^2-y^2}+\ii\tau d_{xy}\right)/\sqrt2$($\tau=\pm1$ は谷指標)という $d$ 軌道の組である.$\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ の形が同じなので以下の議論はそのまま通る.
(iii) Bloch 球上の純粋状態.$\braket{\bm{\sigma}}=\hat{\bm{d}}$ は単位ベクトルだから,面内成分と面外成分の二乗和が $1$ でなければならない.$q=0.10$ では面内成分が $\hbar v_Fq/\abs{\bm{d}}=0.351/0.901166=0.389495$ で

$$ 0.921029^2+0.389495^2 = 0.848294+0.151706 = 1.000000 $$

$q=0.50$ では $0.427533^2+0.904000^2=0.182784+0.817216=1.000000$.$\checkmark$ 固有状態が純粋状態(Bloch 球面上)であることの確認になっている.そもそも $\braket{\sigma^z}^2+\braket{\sigma^x}^2+\braket{\sigma^y}^2=\abs{\hat{\bm{d}}}^2=1$ は定義から自明であり,数値が $1$ に戻ることは代入と平方根の計算ミスがないことの検査になっている.なお本文のヒントの値($0.901$,$1.80\ \mathrm{eV}$,$0.921$,$0.428$)とはすべて丸めの範囲で一致した.

意味.$\bm{d}$ の面外成分 $\Delta$ が「質量」である,というのが本問の要点である.素粒子物理の $E=\sqrt{\pp^2+m^2}$ と,ここの $\abs{\bm{d}}=\sqrt{(\hbar v_Fq)^2+\Delta^2}$ は,文字が違うだけの同じ式である.$q$ を上げると質量項が相対的に効かなくなって擬スピンが面内へ倒れるのは,$E\gg m$ でカイラリティが良い量子数になる(演習C.5(3))ことと同一の現象である.材料の側では,この $\braket{\sigma^z}$ が有限であること——すなわち擬スピンが面外に傾いていること——が Berry 曲率を $K$ 点近傍に集中させ,谷ホール効果(valley Hall effect)や円偏光による谷選択励起を生む.MoS$_2$ が「谷自由度を光で制御できる材料」として注目されるのは,$\Delta\neq0$ がグラフェンとの決定的な違いをもたらしているからである.同じ $2\times2$ の $\bm{d}\cdot\bm{\sigma}$ に,Rashba 分裂も超伝導ギャップ $\sqrt{\xi_\kk^2+\abs{\Delta}^2}$ も Dirac の $E=\sqrt{\pp^2+m^2}$ も収まっている(本章 表C.1)——これが Pauli 行列を学ぶ実利である.

E.20 付録D ファインマン則のまとめ(ツリーレベル) の解答

演習D.1 外線因子と振幅の組み立て

問題(再掲)

(1) Compton 散乱 $\gamma(k,\epsilon)+e^-(p)\to\gamma(k',\epsilon')+e^-(p')$ について,2枚のツリー図を描き,D.1 節の手順に従って振幅 $\mathcal{M}$ を書き下せ.内部線の運動量はそれぞれ $p+k$ および $p-k'$ である.

(2) 対消滅 $e^+e^-\to\gamma\gamma$(運動量 $p_1,p_2\to p_3,p_4$)について同じことをせよ.終状態の2つの光子は同種ボソンなので,振幅は $3\leftrightarrow4$ の交換について対称でなければならない.得られた式がその対称性をもつことを確かめよ.

(3) (1) の答えについて,D.6.1 項の次元検査 $[\mathcal{M}]=4-n$ を実行せよ.

解答

方針.使う道具は4つである.本書D.1 節の9ステップ,表D.1 の外線因子,本書D.3 節のフェルミオン伝播関数 $\ii(\slashed q+m)/(q^2-m^2)$,そして本書D.2.3 項の「フェルミオン線は矢印と逆にたどって左から右へ並べる」という順序規則である.最後に本書D.6.1 項の次元検査で答えを検分する.なお本書の流儀に従い,電子の電荷因子 $Q_e=-1$ は結合定数に吸収して頂点因子を $\ii g_e\gamma^\mu$ と書く.また $\slashed\epsilon\equiv\epsilon_\mu\gamma^\mu$ という略記を使う.

(1) ステップ1(図を描く).$g_e^2$ の次数,すなわち頂点2個で,入射 $\gamma(k)$・$e^-(p)$ を出射 $\gamma(k')$・$e^-(p')$ に結ぶ図を数える.電子線は1本の連続した線であり,そこに光子2本が刺さる.刺さる順序(電子線を矢印と逆にたどったときにどちらの光子に先に出会うか)の2通りしかないので,図は2枚である.物理的には「先に $k$ を吸収してから $k'$ を放出する」図(内部線の運動量 $p+k$)と,「先に $k'$ を放出してから $k$ を吸収する」図(内部線の運動量 $p-k'$)である.

ステップ2(運動量).内部線の運動量は,頂点での運動量保存から決まる.図1では入射側の頂点に $p$ と $k$ が流入するので内部線は $p+k$,図2では $k'$ が流出するので $p-k'$ である.問題文で与えられているとおりである.

ステップ5の準備(分母を先に片づける).伝播関数の分母を計算しておく.$p^2=m^2$(電子は質量殻上),$k^2=k'^2=0$(光子は質量ゼロ)を使うと

$$ (p+k)^2-m^2=p^2+2p\!\cdot\!k+k^2-m^2=2p\!\cdot\!k $$ $$ (p-k')^2-m^2=p^2-2p\!\cdot\!k'+k'^2-m^2=-2p\!\cdot\!k' $$

である.2つ目の分母には負号が付くことに注意する.この負号が,最終形の括弧の中の相対符号の唯一の出どころである.

ステップ3〜5(因子を貼る).表D.1 より,入射電子に $u(p)$,出射電子に $\bar u(p')$,入射光子に $\epsilon_\mu(k)$,出射光子に $\epsilon^{*}_\nu(k')$ を割り当てる.頂点はどちらも QED の $\ii g_e\gamma^\mu$,内部線はフェルミオン伝播関数である.

フェルミオン線を書き下す.矢印と逆にたどるので,出射電子の $\bar u(p')$ が左端,入射電子の $u(p)$ が右端に来る.図1(先に吸収)では,右から順に「$u(p)$ → 吸収の頂点 → 伝播関数 → 放出の頂点 → $\bar u(p')$」であるから

$$ \bar u(p')\left(\ii g_e\gamma^\nu\epsilon^{*}_\nu\right) \frac{\ii\left(\slashed p+\slashed k+m\right)}{2p\!\cdot\!k} \left(\ii g_e\gamma^\mu\epsilon_\mu\right)u(p) =\left(\ii g_e\right)\ii\left(\ii g_e\right)\, \bar u(p')\,\frac{\slashed\epsilon'^{*}\left(\slashed p+\slashed k+m\right)\slashed\epsilon}{2p\!\cdot\!k}\,u(p) $$

係数は $(\ii g_e)\times\ii\times(\ii g_e)=\ii^3g_e^2=-\ii g_e^2$ である.図2(先に放出)では,右から順に「$u(p)$ → 放出の頂点 → 伝播関数 → 吸収の頂点 → $\bar u(p')$」であるから

$$ -\ii g_e^2\,\bar u(p')\,\frac{\slashed\epsilon\left(\slashed p-\slashed k'+m\right)\slashed\epsilon'^{*}}{-2p\!\cdot\!k'}\,u(p) =+\ii g_e^2\,\bar u(p')\,\frac{\slashed\epsilon\left(\slashed p-\slashed k'+m\right)\slashed\epsilon'^{*}}{2p\!\cdot\!k'}\,u(p) $$

となる.

ステップ8(符号と対称因子).フェルミオン線は1本きりで閉じたループはない.同種フェルミオンの外線もない(電子は入射・出射に1つずつで,これは同じ1本の線の両端である).外線を固定して入れかえられる内部線もない.したがって2枚の図の相対符号は $+1$ であり,対称因子も $1$ である.D.5.3 項の相対符号 $(-1)$ は,あくまで同種フェルミオンの外線を入れかえた図どうしの話であって,ここでは適用されない.

ステップ9(読み取り).2枚を足したものが $-\ii\mathcal{M}$ である:

$$ -\ii\mathcal{M}=-\ii g_e^2\,\bar u(p')\left[ \frac{\slashed\epsilon'^{*}\left(\slashed p+\slashed k+m\right)\slashed\epsilon}{2p\!\cdot\!k} -\frac{\slashed\epsilon\left(\slashed p-\slashed k'+m\right)\slashed\epsilon'^{*}}{2p\!\cdot\!k'}\right]u(p) $$

両辺を $-\ii$ で割って

$$ \mathcal{M}=g_e^2\,\bar u(p')\left[ \frac{\slashed\epsilon'^{*}\left(\slashed p+\slashed k+m\right)\slashed\epsilon}{2p\!\cdot\!k} -\frac{\slashed\epsilon\left(\slashed p-\slashed k'+m\right)\slashed\epsilon'^{*}}{2p\!\cdot\!k'}\right]u(p) $$

を得る.本書のヒントの式と一致する.括弧の中のマイナスは,Fermi 統計から来るのではなく,第2の分母が $-2p\!\cdot\!k'$ であったことだけから来ている点を強調しておきたい.

因子の順序について.$\slashed\epsilon'^{*}$ が左,$\slashed\epsilon$ が右にあるのは,図1では吸収が先(右)で放出が後(左)だからである.図2では逆順になる.$\gamma$ 行列は互いに交換しないので,この順序を入れかえてはならない.

(2) 同じ手順を $e^+e^-\to\gamma\gamma$ に適用する.表D.1 より外線因子は,入射 $e^-(p_1)$ に $u(p_1)$,入射 $e^+(p_2)$ に $\bar v(p_2)$,出射光子2本に $\epsilon^{*}_3,\epsilon^{*}_4$ である.フェルミオン線は本書D.2.4 項の例(4) にあるとおり $\bar v(p_2)\cdots u(p_1)$ の1本だけで,そこに2本の光子が刺さる.やはり刺さる順序の2通りで図は2枚である.

右端の $u(p_1)$ から矢印と逆にたどる.図A では先に光子3を放出し(内部線 $p_1-p_3$),次に光子4を放出する:

$$ \bar v(p_2)\left(\ii g_e\slashed\epsilon_4^{*}\right) \frac{\ii\left(\slashed p_1-\slashed p_3+m\right)}{(p_1-p_3)^2-m^2} \left(\ii g_e\slashed\epsilon_3^{*}\right)u(p_1) =-\ii g_e^2\,\bar v(p_2)\frac{\slashed\epsilon_4^{*}\left(\slashed p_1-\slashed p_3+m\right)\slashed\epsilon_3^{*}}{(p_1-p_3)^2-m^2}u(p_1) $$

図B は $3\leftrightarrow4$ を入れかえたもので,内部線が $p_1-p_4$ になる.終状態の2つはボソンであるから,D.5.3 項の相対符号 $(-1)$ は付かず,2枚は同符号で足される.よって

$$ \mathcal{M}=g_e^2\,\bar v(p_2)\left[ \frac{\slashed\epsilon_4^{*}\left(\slashed p_1-\slashed p_3+m\right)\slashed\epsilon_3^{*}}{(p_1-p_3)^2-m^2} +\frac{\slashed\epsilon_3^{*}\left(\slashed p_1-\slashed p_4+m\right)\slashed\epsilon_4^{*}}{(p_1-p_4)^2-m^2}\right]u(p_1) $$

分母は (1) と同じ要領で $(p_1-p_3)^2-m^2=-2p_1\!\cdot\!p_3$,$(p_1-p_4)^2-m^2=-2p_1\!\cdot\!p_4$ と書けるので,負号をくくり出して

$$ \mathcal{M}=-g_e^2\,\bar v(p_2)\left[ \frac{\slashed\epsilon_4^{*}\left(\slashed p_1-\slashed p_3+m\right)\slashed\epsilon_3^{*}}{2p_1\!\cdot\!p_3} +\frac{\slashed\epsilon_3^{*}\left(\slashed p_1-\slashed p_4+m\right)\slashed\epsilon_4^{*}}{2p_1\!\cdot\!p_4}\right]u(p_1) $$

とも書ける.

対称性の確認.$3\leftrightarrow4$ の交換とは,添字を $p_3\leftrightarrow p_4$,$\epsilon_3\leftrightarrow\epsilon_4$ と読みかえることである.この操作で第1項は第2項に,第2項は第1項に移る.和は順序によらないから $\mathcal{M}$ 全体は不変,すなわち $3\leftrightarrow4$ について対称である.これが同種ボソン2個の終状態に要求される Bose 対称性であり,本書D.6.5 項の表D.8 の検査項目7 にほかならない.

(1) の Compton 散乱と (2) の対消滅は,実はクロッシングで結ばれた同じ振幅である(本書D.6.3 項).入射光子 $k$ を出射光子 $p_3$ に,出射電子 $p'$ を入射陽電子 $p_2$ に渡せばよい.事実,(2) の答えで $m$ の付く分子の構造も分母の形も (1) と同型である.

(3) Compton 散乱の外線は,光子2本と電子2本で $n=4$ である.したがって本書D.6.1 項の定理より $[\mathcal{M}]=4-4=0$,すなわち無次元でなければならない.実際に数える.表D.7 より

合計すると $0+1+0+1-2=0$ である.$[\mathcal{M}]=0$ と一致し,検査に合格する.

検算.次元のほかに,本書D.6.2 項の Ward 恒等式で検算できる.入射光子の偏極を $\epsilon_\mu\to k_\mu$ と置きかえると,$\slashed k=(\slashed p+\slashed k-m)-(\slashed p-m)$ と分解し,右の $(\slashed p-m)u(p)=0$(Dirac 方程式)と,左の $(\slashed p+\slashed k-m)$ が第1項の分子 $(\slashed p+\slashed k+m)$ と組んで分母 $2p\!\cdot\!k$ を約分することを使う.第2項では $\slashed k$ が左端に来て $\bar u(p')$ に隣接するので,運動量保存 $k=p'+k'-p$ と $\bar u(p')(\slashed p'-m)=0$ から $\bar u(p')\slashed k=-\bar u(p')(\slashed p-\slashed k'-m)$ と書きかえ,これが分子 $(\slashed p-\slashed k'+m)$ と組んで分母 $-2p\!\cdot\!k'$ を約分する.こうして 2 枚の図の寄与がちょうど打ち消し合って $k_\mu\mathcal{M}^\mu=0$ となる.図を1枚でも落とせばこれは破れるから,これは「描き落としがない」ことの検査である.さらに $g_e^2$ という結合定数の冪が頂点2個と整合していること(表D.8 の項目2),および (2) の振幅が $3\leftrightarrow4$ で対称であること(項目7)も,それぞれ独立な検算になっている.

意味.ここで組み立てた Compton 振幅は,スピン和を取って $\abs{\mathcal{M}}^2$ にすれば Klein–Nishina の公式そのものになる.低エネルギー極限 $\omega\ll m$ では Thomson 散乱断面積 $\sigma_T=8\pi\alpha^2/3m^2=0.665\ \mathrm{barn}$ に帰着し,これは本書D.6.4 項の「非相対論極限で既知の結果に落ちる」検算の一例である.材料科学の側から見ると,Compton 散乱は単なる素粒子過程ではなく電子運動量分布の測定手段である.高エネルギー X 線を試料に当てて散乱光子のエネルギー幅を測ると,反跳電子の運動量分布 $J(p_z)=\iint n(\bm p)\,\dd p_x\dd p_y$(Compton プロファイル)が得られ,そこから Fermi 面や結合の異方性が読める.(1) の分母 $2p\!\cdot\!k$ に電子の運動量 $p$ が入っていることが,まさにこの感度の起源である.ファインマン則で書いた振幅が,そのまま放射光実験の解析式になっている好例である.

演習D.2 次元解析で Higgs の崩壊幅を検算する

問題(再掲)

Higgs のフェルミオン対への崩壊 $H\to f\bar f$ を考える.

(1) $[\mathcal{M}]=4-n$ から,この過程の振幅の質量次元を求めよ.また湯川頂点 $-\ii m_f/v$ とスピノル双線形 $\bar u v$ から実際に次元を数えて,一致することを確かめよ.

(2) 崩壊幅の公式

$$ \Gamma\left(H\to f\bar f\right)=\frac{N_c\,m_H\,m_f^2}{8\pi v^2}\,\beta_f^3, \qquad \beta_f=\sqrt{1-\frac{4m_f^2}{m_H^2}} $$

の両辺の質量次元を確かめよ($N_c$ はクォークで $3$,レプトンで $1$).

(3) $m_H=125.25\ \mathrm{GeV}$,$v=246.2\ \mathrm{GeV}$,$m_b=4.18\ \mathrm{GeV}$,$N_c=3$ として $\Gamma(H\to b\bar b)$ を MeV 単位で求めよ.また $m_\tau=1.77686\ \mathrm{GeV}$,$N_c=1$ として $\Gamma(H\to\tau^+\tau^-)$ を求め,比 $\Gamma_{bb}/\Gamma_{\tau\tau}$ が $N_c(m_b/m_\tau)^2$ に等しいことを確かめよ.

解答

方針.(1)(2) は本書D.6.1 項の表D.7 と定理 $[\mathcal{M}]=4-n$ だけで済む.(3) は電卓仕事であるが,最後の比が $\beta^3$ の違いを除いて厳密に $N_c(m_b/m_\tau)^2$ になることを,数値を出す前に式で見ておくと見通しがよい.

(1) 外線は $H$ が1本,$f$ が1本,$\bar f$ が1本で $n=3$ である.したがって

$$ [\mathcal{M}]=4-n=4-3=1 $$

すなわち $\mathcal{M}$ は質量の次元をもつ.$2\to2$ 散乱($n=4$)で無次元だったのと対照的である.

次に,ファインマン則で組み立てた側から数える.図は1枚しかない.外線因子は,スカラー $H$ に $1$(本書D.2.1 項),出射フェルミオンに $\bar u(p_1)$,出射反フェルミオンに $v(p_2)$ である.頂点は本書D.4.5 項の湯川頂点 $-\ii m_f/v$($\gamma$ 行列は付かない).内部線はないから伝播関数もない.よって

$$ -\ii\mathcal{M}=\left(-\ii\frac{m_f}{v}\right)\bar u(p_1)v(p_2) \qquad\Longrightarrow\qquad \mathcal{M}=\frac{m_f}{v}\,\bar u(p_1)\,v(p_2) $$

次元は,$[m_f/v]=1-1=0$(質量どうしの比だから無次元),$[\bar u\,v]=\tfrac12+\tfrac12=1$(表D.7 でスピノルの次元は $1/2$)である.合計 $0+1=1$ となり,$[\mathcal{M}]=1$ と一致する.

なおここで湯川結合が無次元であることは偶然ではない.表D.7 の最後から2行目にあるとおり,くりこみ可能な理論の結合定数はすべて無次元である.$\Lag\supset-(m_f/v)H\bar\psi\psi$ の次元を数えると $1\times1+\tfrac32+\tfrac32=4$ で,確かに $[\Lag]=4$ を満たしている.

(2) 左辺は崩壊率であり,$\Gamma=1/\tau$($\tau$ は寿命,$[\tau]=-1$)だから $[\Gamma]=1$ である.右辺を数える.

$$ \left[\frac{N_c\,m_H\,m_f^2}{8\pi v^2}\beta_f^3\right] =\underbrace{0}_{N_c}+\underbrace{1}_{m_H}+\underbrace{2}_{m_f^2}-\underbrace{2}_{v^2}+\underbrace{0}_{\beta^3} =1 $$

$8\pi$ は無次元,$\beta_f$ は質量比の平方根なので無次元である.両辺とも $1$ で一致する.

本書D.6.1 項の例(3) と同じやり方で,付録B の崩壊率の公式の側からも検算しておく.$1\to2$ 崩壊では

$$ \Gamma=\frac{S\abs{\bm p}}{8\pi m^2}\abs{\mathcal{M}}^2 \qquad\Longrightarrow\qquad [\Gamma]=1-2+2\times1=1 $$

である($[\abs{\bm p}]=1$,$[m^2]=2$,$[\abs{\mathcal{M}}^2]=2[\mathcal{M}]=2$).こちらも $1$ で,(1) で求めた $[\mathcal{M}]=1$ と整合している.

(3) 数値を入れる.まず共通の部品を用意する.

$$ m_H^2=125.25^2=15687.5625\ \mathrm{GeV^2}, \qquad v^2=246.2^2=60614.44\ \mathrm{GeV^2} $$ $$ 8\pi v^2=25.13274\times60614.44=1.5234070\times10^{6}\ \mathrm{GeV^2} $$

$b$ クォークの場合.$m_b^2=4.18^2=17.4724\ \mathrm{GeV^2}$ である.

$$ \beta_b^2=1-\frac{4m_b^2}{m_H^2}=1-\frac{4\times17.4724}{15687.5625} =1-\frac{69.8896}{15687.5625}=1-0.0044551=0.9955449 $$ $$ \beta_b=\sqrt{0.9955449}=0.997770, \qquad \beta_b^3=0.9933248 $$

$\beta^3$ を除いた前因子は

$$ \frac{N_c\,m_H\,m_b^2}{8\pi v^2} =\frac{3\times125.25\times17.4724}{1.5234070\times10^{6}} =\frac{6565.254}{1.5234070\times10^{6}} =4.30959\times10^{-3}\ \mathrm{GeV} =4.3096\ \mathrm{MeV} $$

である.$\beta_b^3$ を掛けて

$$ \Gamma\left(H\to b\bar b\right)=4.3096\times0.9933248=4.2808\ \mathrm{MeV}\simeq4.28\ \mathrm{MeV} $$

$\tau$ レプトンの場合.$m_\tau^2=1.77686^2=3.157231\ \mathrm{GeV^2}$ である.

$$ \beta_\tau^2=1-\frac{4\times3.157231}{15687.5625}=1-\frac{12.628926}{15687.5625} =1-8.05028\times10^{-4}=0.99919497 $$ $$ \beta_\tau=0.99959740,\qquad \beta_\tau^3=0.9987927 $$ $$ \frac{N_c\,m_H\,m_\tau^2}{8\pi v^2} =\frac{1\times125.25\times3.157231}{1.5234070\times10^{6}} =\frac{395.44318}{1.5234070\times10^{6}} =2.59578\times10^{-4}\ \mathrm{GeV}=0.259578\ \mathrm{MeV} $$ $$ \Gamma\left(H\to\tau^+\tau^-\right)=0.259578\times0.9987927=0.259265\ \mathrm{MeV}\simeq0.2593\ \mathrm{MeV} $$

比を取る.数値では

$$ \frac{\Gamma_{bb}}{\Gamma_{\tau\tau}}=\frac{4.28082}{0.259265}=16.511 $$

一方,問われている量は

$$ N_c\left(\frac{m_b}{m_\tau}\right)^2=3\times\left(\frac{4.18}{1.77686}\right)^2 =3\times\left(2.3524645\right)^2=3\times5.534089=16.602 $$

である.公式から比を作ると,共通因子 $m_H/(8\pi v^2)$ が完全に約分されて

$$ \frac{\Gamma_{bb}}{\Gamma_{\tau\tau}} =\frac{N_c^{(b)}m_b^2\,\beta_b^3}{N_c^{(\tau)}m_\tau^2\,\beta_\tau^3} =N_c\left(\frac{m_b}{m_\tau}\right)^2\times\left(\frac{\beta_b}{\beta_\tau}\right)^3 $$

となる.すなわち両者は $(\beta_b/\beta_\tau)^3$ という因子だけ違う.実際

$$ \left(\frac{\beta_b}{\beta_\tau}\right)^3=\frac{0.9933248}{0.9987927}=0.994525, \qquad \frac{16.511}{16.602}=0.994525 $$

と,小数第6位まで一致する.したがって「比は $N_c(m_b/m_\tau)^2$ に等しい」というのは$\beta\to1$ の極限で厳密に成り立つ言明であり,実際の値では $0.55\ \%$ だけ小さくなる.$b$ のほうが重いぶん位相空間の抑制 $\beta^3$ が強く効くからである.

検算.与えられた崩壊幅の公式そのものを,(1) で書いた振幅から導いて確かめる.$\abs{\mathcal{M}}^2$ を終状態のスピンについて和を取る($H$ はスピン0なので初期状態の平均は不要).本書D.7.3 項と同じ Casimir トリックを使うと

$$ \sum_{\rm spins}\abs{\bar u(p_1)v(p_2)}^2 =\Tr\left[\left(\slashed p_1+m_f\right)\left(\slashed p_2-m_f\right)\right] =4\left(p_1\!\cdot\!p_2-m_f^2\right) $$

である($\gamma$ 行列が奇数個の項は落ちる).$m_H^2=(p_1+p_2)^2=2m_f^2+2p_1\!\cdot\!p_2$ より $p_1\!\cdot\!p_2=(m_H^2-2m_f^2)/2$ だから

$$ 4\left(p_1\!\cdot\!p_2-m_f^2\right)=2m_H^2-8m_f^2=2m_H^2\left(1-\frac{4m_f^2}{m_H^2}\right)=2m_H^2\beta_f^2 $$

色の和 $N_c$ を掛けると $\sum\abs{\mathcal{M}}^2=N_c(m_f^2/v^2)\,2m_H^2\beta_f^2$ である.終状態の運動量は $\abs{\bm p}=(m_H/2)\beta_f$,同種粒子ではないので統計因子は $S=1$.付録B の公式に入れると

$$ \Gamma=\frac{\abs{\bm p}}{8\pi m_H^2}\sum\abs{\mathcal{M}}^2 =\frac{m_H\beta_f/2}{8\pi m_H^2}\cdot N_c\frac{m_f^2}{v^2}2m_H^2\beta_f^2 =\frac{N_c\,m_H\,m_f^2}{8\pi v^2}\,\beta_f^3 $$

となり,問題文の公式が再現される.$\beta^3$ の3乗の内訳も見える:1つは終状態の運動量 $\abs{\bm p}\propto\beta$ から,残り2つは振幅二乗の $\beta^2$ から来ている.後者はスカラー結合 $\bar u v$ が $P$ 波的にふるまう(終状態が $J^{PC}=0^{++}$ を作るために軌道角運動量を1つ必要とする)ことの表れである.この経路で数値を再計算しても $\Gamma_{bb}=4.2808\ \mathrm{MeV}$ が出る.

意味.湯川結合が質量に比例するという一点だけで,Higgs の崩壊先の序列が決まってしまう.$m_H=125\ \mathrm{GeV}$ では $t\bar t$ が開いていないので,開いているフェルミオンの中で最も重い $b$ が主役になり,実際 $\mathrm{BR}(H\to b\bar b)\simeq58\ \%$ である.ここで得た $4.28\ \mathrm{MeV}$ は,$m_b$ に $\overline{\rm MS}$ 質量 $\overline m_b(\overline m_b)=4.18\ \mathrm{GeV}$ を使ったツリーレベルの値であって(極質量は $4.78\ \mathrm{GeV}$ であり,$4.18$ は極質量ではない),実測に対応させるには $m_b$ を $m_H$ スケールの走る質量 $\overline{m}_b(m_H)\simeq2.79\ \mathrm{GeV}$ に取り替える必要がある.そうすると $\Gamma_{bb}\simeq1.9\ \mathrm{MeV}$ となり,QCD 補正を加えた $\simeq2.4\ \mathrm{MeV}$ に近づく.「ツリーレベルは桁と比を与える」という本書D.7.6 項の教訓が,ここでもそのまま当てはまる.なお $\Gamma_{bb}/\Gamma_{\tau\tau}$ の比のほうは,走る質量に取り替えても $N_c$ の $3$ は残る.色の自由度は比の中に生き残るのであり,これは演習D.6 の $R$ 比と同じ論法である.材料科学との接点を挙げれば,Higgs 粒子は超伝導秩序変数の振幅モード(Higgs モード)と同じ役回りであり,$H\to f\bar f$ が $\propto m_f^2$ であることは,振幅モードが準粒子対に崩壊する強さがギャップ $\Delta$ の2乗に比例することに対応する.NbSe$_2$ や電荷密度波系の Raman 散乱で観測されている振幅モードは,まさにこの構造の凝縮系版である.

演習D.3 閉じたフェルミオンループから Thomas–Fermi 遮蔽へ

問題(再掲)

(1) ループ数の公式 $L=I-V+1$ を使って,次の図のループ数を求めよ.(a) $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ のツリー図,(b) 電子の自己エネルギー(1ループ),(c) 光子の自己エネルギー(1ループ),(d) 2ループの電子自己エネルギー($V=4$,$I=5$).

(2) D.5.2 項の規則を使って,光子の自己エネルギー $\ii\Pi^{\mu\nu}(q)$ を書き下せ.先頭の $(-1)$ とトレースを忘れないこと.

(3) Lindhard 関数の静的・長波長極限が $\chi_0(\bm q\to0,0)=-N(\varepsilon_F)$($N$ は単位体積あたりの両スピン込みの状態密度)になることを示せ.

(4) 自由電子気体で $N(\varepsilon_F)=3n/2\varepsilon_F$ を使い,Thomas–Fermi 遮蔽波数 $k_{\rm TF}^2=4\pi e^2N(\varepsilon_F)$(Gauss 単位系)を銅について計算せよ.$k_F=1.36\ \mathrm{\AA^{-1}}$,$a_0=0.529\ \mathrm{\AA}$ を使ってよい($k_{\rm TF}^2=4k_F/\pi a_0$ と書き直せる).遮蔽長 $1/k_{\rm TF}$ を $\mathrm{\AA}$ 単位で求め,原子間距離 $2.56\ \mathrm{\AA}$ と比べよ.

解答

方針.(1) は本書D.5.1 項の導出(ループ数の公式)をそのまま当てはめる数え上げである.(2) は本書D.5.2 項の規則の適用.(3) は本書D.5 節の「材料科学との接点」に置かれた Lindhard 関数の式の極限操作で,分子と分母がともに $\bm q$ の1次で消えることを使う.(4) は自由電子気体の初等的な公式を数値に落とすだけであるが,最後に銅の実測値と照合して検算する.

(1) 公式は $L=I-V+1$ で,外線 $E$ は入らない.内部線 $I$ を数えるときは,フェルミオン内部線もボソン内部線も等しく1本と数える点に注意する.

(a) $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ のツリー図(本書 図D.8):内部線は仮想光子1本だけで $I=1$,頂点は左右で $V=2$.よって

$$ L=1-2+1=0 $$

ループなし,すなわちツリーである.本書D.7.2 項で見たとおり,$q$ 積分は1個目の $\delta^4$ に食われて残らなかった.公式はその事実を数え上げで言い直したものである.

(b) 電子の自己エネルギー(1ループ):電子が光子を放出して再吸収する図である.内部線は電子1本と光子1本で $I=2$,頂点は放出と吸収で $V=2$.よって

$$ L=2-2+1=1 $$

(c) 光子の自己エネルギー(真空偏極,1ループ):光子が $e^+e^-$ 対を作って消える図である.ループを作るフェルミオン内部線が2本で $I=2$,頂点は $V=2$.よって

$$ L=2-2+1=1 $$

(d) 2ループの電子自己エネルギー($V=4$,$I=5$):

$$ L=5-4+1=2 $$

いずれも「絵を見て輪の数を数えた値」と一致する.

数え上げの検算.QED では,どの頂点にもちょうど3本の線の端が集まる(フェルミオン2本と光子1本).内部線は両端が頂点にあるので端を2つ,外線は端を1つ提供する.したがって

$$ 3V=2I+E $$

が恒等的に成り立つ.これで上の4つを検分する.(a) $3\times2=6$,$2\times1+4=6$.(b) $3\times2=6$,$2\times2+2=6$.(c) $3\times2=6$,$2\times2+2=6$.(d) $3\times4=12$,$2\times5+2=12$.すべて合う.$I$ と $V$ を独立に数え間違えると,この関係がまず破れるので,実用的な検算になる.ついでに $L=I-V+1$ に $I=(3V-E)/2$ を入れると $L=(V-E+2)/2$ となり,外線数 $E$ を固定すれば頂点を2つ増やすごとにループが1つ増えることがわかる.摂動の次数がそのままループ展開の次数になるという,QED の便利な事情である.

(2) 本書D.5.2 項の規則に従って,(c) の図に因子を貼る.内部のフェルミオン線の運動量を,一方を $k$,他方を $k+q$ とする(頂点での運動量保存).規則は,(i) 閉じたフェルミオンループごとに $(-1)$,(ii) ループに沿って並べた $4\times4$ 行列の積のトレース,(iii) 残る自由な運動量($L=1$ 個)についての $\int\dd^4k/(2\pi)^4$ である.頂点は $\ii g_e\gamma^\mu$,$\ii g_e\gamma^\nu$,伝播関数は $\ii(\slashed k+m)/(k^2-m^2)$ と $\ii(\slashed k+\slashed q+m)/((k+q)^2-m^2)$ である.したがって

$$ \ii\Pi^{\mu\nu}(q)=(-1)\int\frac{\dd^4k}{(2\pi)^4} \Tr\!\left[\left(\ii g_e\gamma^\mu\right)\frac{\ii\left(\slashed k+m\right)}{k^2-m^2} \left(\ii g_e\gamma^\nu\right)\frac{\ii\left(\slashed k+\slashed q+m\right)}{(k+q)^2-m^2}\right] $$

となる.虚数単位を数えると $\ii\times\ii\times\ii\times\ii=\ii^4=+1$ なので,係数を前に出して

$$ \ii\Pi^{\mu\nu}(q)=-g_e^2\int\frac{\dd^4k}{(2\pi)^4} \frac{\Tr\!\left[\gamma^\mu\left(\slashed k+m\right)\gamma^\nu\left(\slashed k+\slashed q+m\right)\right]} {\left(k^2-m^2\right)\left[(k+q)^2-m^2\right]} $$

と書ける.トレースが現れるのは,ループの端と端がつながっていてスピノルの添字が閉じるからであり($\sum_a M_{aa}=\Tr M$),$(-1)$ は Wick の縮約でフェルミオン演算子を輪の形に並べ替えるときの奇置換の符号である.

この積分は紫外発散するが,本書D.6.2 項の Ward 恒等式 $q_\mu\Pi^{\mu\nu}=0$ から $\Pi^{\mu\nu}=(q^2g^{\mu\nu}-q^\mu q^\nu)\Pi(q^2)$ という横波形が要求され,発散は $\Pi(q^2)$ の定数部分に押し込められて電荷のくりこみに吸収される.残る $q^2$ 依存部分が,本書D.5.2 項の例にある走る結合定数 $\alpha_{\rm eff}(q^2)=\alpha/[1-\Pi(q^2)]$ を与える.

(3) 本書D.5 節の「材料科学との接点」で得た Lindhard 関数は

$$ \chi_0(\bm q,\omega)=2\sum_{\bm k} \frac{f(\varepsilon_{\bm k})-f(\varepsilon_{\bm k+\bm q})}{\omega-\left(\varepsilon_{\bm k+\bm q}-\varepsilon_{\bm k}\right)+\ii\eta} $$

である($\sum_{\bm k}$ は単位体積あたり,すなわち $\int\dd^3k/(2\pi)^3$ の意味に取る.前の $2$ はスピンのトレースから来た).

ステップ1:静的極限.$\omega=0$ と置く.

$$ \chi_0(\bm q,0)=2\sum_{\bm k}\frac{f(\varepsilon_{\bm k})-f(\varepsilon_{\bm k+\bm q})}{-\left(\varepsilon_{\bm k+\bm q}-\varepsilon_{\bm k}\right)+\ii\eta} $$

ステップ2:長波長極限で分子と分母を同時に展開する.$\bm q\to0$ で,分母と分子はどちらも $\bm q$ の1次でゼロになる.そこで両方を1次まで展開する.エネルギーは

$$ \varepsilon_{\bm k+\bm q}-\varepsilon_{\bm k}\simeq \bm q\cdot\nabla_{\bm k}\varepsilon_{\bm k}\equiv\bm q\cdot\bm v_{\bm k} $$

($\bm v_{\bm k}$ は群速度),分布関数の差は合成関数の微分により

$$ f(\varepsilon_{\bm k})-f(\varepsilon_{\bm k+\bm q}) \simeq-\bm q\cdot\nabla_{\bm k}f(\varepsilon_{\bm k}) =-\left(\bm q\cdot\bm v_{\bm k}\right)\frac{\partial f}{\partial\varepsilon} $$

である.ステップ3:約分する.両者を代入すると,$\bm q\cdot\bm v_{\bm k}$ が分子と分母で完全に約分される($\ii\eta$ は,分子分母がともに実で同じ因子をもつためこの極限では効かない):

$$ \frac{-\left(\bm q\cdot\bm v_{\bm k}\right)\partial f/\partial\varepsilon}{-\left(\bm q\cdot\bm v_{\bm k}\right)} =\frac{\partial f}{\partial\varepsilon} $$

したがって

$$ \chi_0(\bm q\to0,0)=2\sum_{\bm k}\frac{\partial f}{\partial\varepsilon}\bigg|_{\varepsilon=\varepsilon_{\bm k}} $$

ステップ4:$T\to0$ とする.Fermi 分布 $f(\varepsilon)=[\ee^{(\varepsilon-\mu)/k_BT}+1]^{-1}$ は $T\to0$ で階段関数になり,その微分は

$$ \frac{\partial f}{\partial\varepsilon}\;\longrightarrow\;-\delta\left(\varepsilon-\varepsilon_F\right) $$

である(階段が下がる向きなので負号が付く).よって

$$ \chi_0(\bm q\to0,0)=-2\sum_{\bm k}\delta\left(\varepsilon_{\bm k}-\varepsilon_F\right)=-N(\varepsilon_F) $$

最後の等号は,両スピン込み・単位体積あたりの状態密度の定義 $N(\varepsilon)\equiv2\sum_{\bm k}\delta(\varepsilon-\varepsilon_{\bm k})$ そのものである.示された.

符号が負であることには意味がある.正電荷を置くと電子がそこに集まる,すなわち応答は外場を打ち消す向きである.これが次の (4) で遮蔽になる.

(4) まず与えられた書き換えを確かめる.自由電子気体では

$$ n=\frac{k_F^3}{3\pi^2},\qquad \varepsilon_F=\frac{\hbar^2k_F^2}{2m} $$

であるから,状態密度は

$$ N(\varepsilon_F)=\frac{3n}{2\varepsilon_F} =\frac{3}{2}\cdot\frac{k_F^3}{3\pi^2}\cdot\frac{2m}{\hbar^2k_F^2} =\frac{m\,k_F}{\pi^2\hbar^2} $$

これを代入すると

$$ k_{\rm TF}^2=4\pi e^2N(\varepsilon_F)=\frac{4\pi e^2\,m\,k_F}{\pi^2\hbar^2} =\frac{4e^2m\,k_F}{\pi\hbar^2} =\frac{4k_F}{\pi a_0} $$

となる.最後に Bohr 半径 $a_0=\hbar^2/me^2$ を使った.問題文の書き換えが出た.

数値.$k_F=1.36\ \mathrm{\AA^{-1}}$,$a_0=0.529\ \mathrm{\AA}$ を入れる.

$$ k_{\rm TF}^2=\frac{4\times1.36}{\pi\times0.529}=\frac{5.44}{1.66190}=3.2734\ \mathrm{\AA^{-2}} $$ $$ k_{\rm TF}=\sqrt{3.2734}=1.8092\ \mathrm{\AA^{-1}} $$ $$ \frac{1}{k_{\rm TF}}=0.5527\ \mathrm{\AA} $$

原子間距離と比べると

$$ \frac{2.56\ \mathrm{\AA}}{0.5527\ \mathrm{\AA}}=4.63 $$

すなわち遮蔽長は最近接原子間距離の約 $1/4.6$ しかない.金属中では,Coulomb 相互作用が隣の原子にすら届かないほど強く遮蔽されている.

検算.3通りで確かめる.第一に次元である.Gauss 単位系で $[e^2]=$ エネルギー $\times$ 長さ,$[N(\varepsilon_F)]=1/($エネルギー $\times$ 体積$)$ だから,$[e^2N]=1/$長さ$^2$ となって確かに $k_{\rm TF}^2$ の次元である.第二に,$k_F$ から銅の実際の値が再現されるかを見る.$n=k_F^3/3\pi^2=1.36^3/(3\pi^2)=0.08496\ \mathrm{\AA^{-3}}=8.50\times10^{22}\ \mathrm{cm^{-3}}$ であり,面心立方の銅(格子定数 $a=3.615\ \mathrm{\AA}$,単位胞あたり4原子,1原子あたり価電子1個)の $4/a^3=0.0847\ \mathrm{\AA^{-3}}$ と $0.3\ \%$ で合う.また最近接距離は $a/\sqrt2=2.556\ \mathrm{\AA}$ で,問題文の $2.56\ \mathrm{\AA}$ と一致する.Fermi エネルギーは $\varepsilon_F=\hbar^2k_F^2/2m=3.810\times1.36^2=7.05\ \mathrm{eV}$ で,銅の教科書値 $7.00\ \mathrm{eV}$ と合う.第三に,$4\pi e^2N(\varepsilon_F)$ を直接数値で評価しても同じになる:$e^2=14.400\ \mathrm{eV\,\AA}$,$N(\varepsilon_F)=3n/2\varepsilon_F=3\times0.08496/(2\times7.047)=0.018084\ \mathrm{eV^{-1}\AA^{-3}}$ より $4\pi\times14.400\times0.018084=3.272\ \mathrm{\AA^{-2}}$ となり,上の $3.2734$ と3桁で一致する.

意味.(2) の閉じたフェルミオンループが (3) の Lindhard 関数であり,それを Dyson で足し上げた RPA 誘電関数 $\epsilon(\bm q,0)=1+k_{\rm TF}^2/q^2$ が,遮蔽された相互作用 $v_{\rm eff}(\bm q)=4\pi e^2/(q^2+k_{\rm TF}^2)$ を与える.これは本書D.3 節の質量をもつベクトル粒子の伝播関数と同じ形であり,実空間では湯川ポテンシャル $\left(e^2/r\right)\ee^{-k_{\rm TF}r}$ になる.すなわち金属の中では,光子が実効的に質量 $k_{\rm TF}=1.81\ \mathrm{\AA^{-1}}$(自然単位系に直せば約 $3.6\ \mathrm{keV}$)を獲得している.いっぽう素粒子側では,$W$ ボソンが $80\ \mathrm{GeV}$ の質量をもつために弱い相互作用が接触的に見えた(本書D.3.4 項).起源は違う(片方は Fermi 海の分極,片方は Higgs 場の真空期待値)が,式はまったく同じである.

そして材料科学の実務にとって決定的なのは,$1/k_{\rm TF}=0.55\ \mathrm{\AA}$ という短さである.遮蔽長が原子間距離よりずっと短いということは,ある電子が感じる他の電子の影響が自分の原子の内側でほぼ完結するということであり,一体近似(バンド計算,Kohn–Sham 方程式)がうまくいく最大の理由にほかならない.逆に,キャリア密度が低くて $k_{\rm TF}$ が小さくなる系(低ドープ半導体,希薄な二次元電子系,Mott 絶縁体近傍)では遮蔽が効かず,励起子・磁気秩序・電荷秩序といった多体効果が前面に出る.遮蔽長という一つの数字が,一体近似が使えるかどうかの境界を引いているのである.

演習D.4 クロッシング対称性を使う

問題(再掲)

質量をすべて無視した極限で考える.Mandelstam 変数は $s=(p_1+p_2)^2$,$t=(p_1-p_3)^2$,$u=(p_1-p_4)^2$,$s+t+u=0$ である.

(1) 本書D.7.3 項で得た不変な表式で $m_\mu\to0$ とし,内積を Mandelstam 変数で書き直して

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}_{e^+e^-\to\mu^+\mu^-}=2g_e^4\,\frac{t^2+u^2}{s^2} $$

を示せ.

(2) クロッシング($s\leftrightarrow t$)により $e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ のスピン平均振幅二乗が $2g_e^4(s^2+u^2)/t^2$ になることを述べ,$t\to0$(前方散乱)で発散すること,およびその物理的理由を説明せよ.

(3) 重心系で $t=-\tfrac{s}{2}(1-\cos\theta)$,$u=-\tfrac{s}{2}(1+\cos\theta)$ を使い,(1) の結果が $g_e^4(1+\cos^2\theta)$ に等しいことを確かめよ.$\theta=90^\circ$ での値を $g_e^4$ 単位で求めよ.

解答

方針.出発点は本書D.7.3 項で得た不変な表式

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=\frac{8g_e^4}{s^2} \left[(p_1\!\cdot\!p_3)(p_2\!\cdot\!p_4)+(p_1\!\cdot\!p_4)(p_2\!\cdot\!p_3)+m_\mu^2\,(p_1\!\cdot\!p_2)\right] $$

である.(1) はこれを Mandelstam 変数に翻訳する作業,(2) は本書D.6.3 項のクロッシング定理の適用,(3) は角度に戻す作業である.計量は $g^{\mu\nu}=\mathrm{diag}(1,-1,-1,-1)$,自然単位系である.

(1) ステップ1:内積を Mandelstam 変数で表す.すべての質量をゼロと置くと $p_i^2=0$ であるから

$$ s=(p_1+p_2)^2=p_1^2+2p_1\!\cdot\!p_2+p_2^2=2\,p_1\!\cdot\!p_2 \quad\Longrightarrow\quad p_1\!\cdot\!p_2=\frac{s}{2} $$ $$ t=(p_1-p_3)^2=-2\,p_1\!\cdot\!p_3 \quad\Longrightarrow\quad p_1\!\cdot\!p_3=-\frac{t}{2} $$ $$ u=(p_1-p_4)^2=-2\,p_1\!\cdot\!p_4 \quad\Longrightarrow\quad p_1\!\cdot\!p_4=-\frac{u}{2} $$

ステップ2:残りの内積も同じ変数で表す.全体の運動量保存 $p_1+p_2=p_3+p_4$ を使うと $p_1-p_3=p_4-p_2$ であるから

$$ t=(p_1-p_3)^2=(p_4-p_2)^2=-2\,p_2\!\cdot\!p_4 \quad\Longrightarrow\quad p_2\!\cdot\!p_4=-\frac{t}{2}=p_1\!\cdot\!p_3 $$

同様に $p_1-p_4=p_3-p_2$ から

$$ u=(p_3-p_2)^2=-2\,p_2\!\cdot\!p_3 \quad\Longrightarrow\quad p_2\!\cdot\!p_3=-\frac{u}{2}=p_1\!\cdot\!p_4 $$

この2つの等式,すなわち「対角に位置する内積どうしが等しい」ことが,以下で括弧の中がきれいな2乗和になる理由である.

ステップ3:代入する.$m_\mu\to0$ なので第3項は落ちる.残りは

$$ \left[\;\right]=(p_1\!\cdot\!p_3)(p_2\!\cdot\!p_4)+(p_1\!\cdot\!p_4)(p_2\!\cdot\!p_3) =\left(-\frac{t}{2}\right)\left(-\frac{t}{2}\right)+\left(-\frac{u}{2}\right)\left(-\frac{u}{2}\right) =\frac{t^2+u^2}{4} $$

ステップ4:まとめる.

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}_{e^+e^-\to\mu^+\mu^-} =\frac{8g_e^4}{s^2}\cdot\frac{t^2+u^2}{4} =2g_e^4\,\frac{t^2+u^2}{s^2} $$

示された.$s^2$ が分母に来ているのは伝播関数 $1/s$ の2乗であり,これが $s$ チャネル過程であることの印である.

(2) クロッシング.本書D.6.3 項の定理は,外線の粒子を反対側へ移すと同時に,粒子を反粒子に,運動量を $p\to-p$ に置きかえよ,というものである.$e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ で,入射 $e^+(p_2)$ を終状態へ,出射 $\mu^-(p_3)$ を始状態へ渡すと,$s$ チャネルだった図がそのまま $t$ チャネルの $e^-\mu^+\to e^-\mu^+$ 弾性散乱の図になる(本書 図D.7).なお $e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ を作りたければ $e^+(p_2)$ と $\mu^+(p_4)$ を渡せばよく,そのときの置きかえは $s\to u$,$t\to s$,$u\to t$ となるが,下で見るように分子が $s\leftrightarrow u$ 対称なので最終式は同じ $2g_e^4(s^2+u^2)/t^2$ になる.運動量の上ではこれは $p_2\to-p_3$,$p_3\to-p_2$ と読みかえることであるから,Mandelstam 変数は

$$ s=(p_1+p_2)^2\;\longrightarrow\;(p_1-p_3)^2=t, \qquad t=(p_1-p_3)^2\;\longrightarrow\;(p_1+p_2)^2=s $$

と $s\leftrightarrow t$ に入れかわり,$u=(p_1-p_4)^2$ は不変にとどまる($s+t+u=0$ もこの入れかえで保たれる).したがって (1) の結果に $s\leftrightarrow t$ を施して

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}_{e^-\mu^-\to e^-\mu^-}=2g_e^4\,\frac{s^2+u^2}{t^2} $$

が直ちに得られる.トレース計算をやり直す必要はない.これは本書D.6.5 項の表D.8 の検査項目5 そのものである.

ここで得た式の分子 $s^2+u^2$ は $s\leftrightarrow u$ について対称であることに注意しておく.外線をどちらの向きに渡したか($e^-\mu^-\to e^-\mu^-$ を作るか $e^-\mu^+\to e^-\mu^+$ を作るか)によって $s$ と $u$ の役割は入れかわりうるが,この対称性のおかげで最終的な式は同じである.本書D.6.3 項が細部を省いて「$s\leftrightarrow t$」とだけ書けるのは,このためである.

発散.いまや分母が $t^2$ である.重心系で $t=-\tfrac{s}{2}(1-\cos\theta)=-2E^2(1-\cos\theta)=-4E^2\sin^2(\theta/2)$ と書けるので,$\theta\to0$(前方散乱)で $t\to0$ となり,$\braket{\abs{\mathcal{M}}^2}\to\infty$ である.より具体的には,$s+t+u=0$ から $t\to0$ で $u\to-s$ となり,分子の括弧は $s^2+u^2\to2s^2$ に近づくので

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}\simeq\frac{4g_e^4s^2}{t^2}\propto\frac{1}{\sin^4(\theta/2)} $$

すなわち Rutherford 断面積とまったく同じ $1/\sin^4(\theta/2)$ の発散である(本書D.6.4 項).

物理的な理由.$-t=Q^2$ は運動量移行の2乗であり,$t\to0$ とは「ほとんど何も起こらない散乱」,言いかえれば非常に大きな衝突径数(遠くをかすめる散乱)のことである.交換されるのが質量ゼロの光子であるために,力の到達距離が無限大(Coulomb ポテンシャル $\propto1/r$)であり,どれほど遠くを通っても必ずわずかに曲げられる.したがって「散乱された」と数えられる事象がいくらでもあり,全断面積 $\int\dd\Omega\,\dd\sigma/\dd\Omega$ が発散する.発散の型はべき的(二次)である:$\dd\sigma/\dd t\propto1/t^2$ なので $\int\dd t/t^2\propto1/\abs{t}_{\min}$,角度で書けば $\int\theta\,\dd\theta/\theta^4\sim1/(2\theta_{\min}^2)$ で,$\theta_{\min}\to0$ で $1/\theta_{\min}^2$ のように発散する(対数発散になるのは $1/\theta^2$ 型,たとえば軟光子の赤外発散の場合である).これは計算の失敗ではなく,無限到達距離の力の正しい帰結である.

発散が切れる場合.交換ボソンが質量 $m$ をもてば,伝播関数の分母が $t-m^2$ となり $t\to0$ でも有限にとどまる.湯川ポテンシャル $\ee^{-mr}/r$ の到達距離が $1/m$ で切れることに対応する.物質中ではこの役を遮蔽が果たす.演習D.3 で求めたとおり,金属中では $1/(q^2+k_{\rm TF}^2)$ となって $k_{\rm TF}=1.81\ \mathrm{\AA^{-1}}$ が実効的な光子質量として働き,前方発散は $\abs{t}\lesssim k_{\rm TF}^2$ で頭打ちになる.電子線回折や低速電子エネルギー損失分光の断面積が有限なのは,このためである.

(3) 与えられた表式を代入する.

$$ t^2+u^2=\frac{s^2}{4}\left[(1-\cos\theta)^2+(1+\cos\theta)^2\right] $$

括弧の中を展開すると,$\cos\theta$ の1次の項が打ち消し合って

$$ (1-\cos\theta)^2+(1+\cos\theta)^2 =1-2\cos\theta+\cos^2\theta+1+2\cos\theta+\cos^2\theta =2\left(1+\cos^2\theta\right) $$

である.したがって

$$ t^2+u^2=\frac{s^2}{4}\times2\left(1+\cos^2\theta\right)=\frac{s^2}{2}\left(1+\cos^2\theta\right) $$

これを (1) の結果に入れて

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=2g_e^4\cdot\frac{1}{s^2}\cdot\frac{s^2}{2}\left(1+\cos^2\theta\right) =g_e^4\left(1+\cos^2\theta\right) $$

本書D.7.3 項のトレース計算を D.7.4 項で重心系の角度に直した結果($\beta\to1$ の場合)と一致する.

$\theta=90^\circ$ での値.$\cos90^\circ=0$ なので $1+\cos^2\theta=1$,すなわち

$$ \braket{\abs{\mathcal{M}}^2}\Big|_{\theta=90^\circ}=g_e^4 $$

である.数値にすると,本書D.4.1 項の $g_e=\sqrt{4\pi\alpha}=0.30282$ から

$$ g_e^2=0.091701,\qquad g_e^4=\left(0.091701\right)^2=8.409\times10^{-3} $$

すなわち $\braket{\abs{\mathcal{M}}^2}=8.41\times10^{-3}$(無次元)である.$g_e^4=(4\pi\alpha)^2=16\pi^2\alpha^2$ と書いても同じで,$16\times9.8696\times(1/137.036)^2=8.409\times10^{-3}$ となる.

検算.3つの独立な検査を通す.第一に次元:$\braket{\abs{\mathcal{M}}^2}$ は $2\to2$ 過程だから無次元でなければならない.$t^2+u^2$ と $s^2$ はともに質量次元 $4$ で比は無次元,$g_e^4$ も無次元である.合格.第二に特別な角度での照合:$\theta=0$ では $t=0$,$u=-s$ なので (1) の式は $2g_e^4(0+s^2)/s^2=2g_e^4$ を与え,(3) の式は $g_e^4(1+1)=2g_e^4$ を与える.一致する.$\theta=180^\circ$ でも $t=-s$,$u=0$ で同じく $2g_e^4$ である.第三に非負性(表D.8 の項目8):$2g_e^4(t^2+u^2)/s^2$ は明らかに非負であり,$g_e^4(1+\cos^2\theta)$ も $g_e^4$ と $2g_e^4$ の間に収まる.確率の2乗として当然の性質を満たしている.さらに,本書D.7.5 項の断面積 $\dd\sigma/\dd\Omega=(\alpha^2/4s)(1+\cos^2\theta)$ を立体角で積分すると $4\pi\alpha^2/3s$ になり,$\theta=90^\circ$ の値は平均値のちょうど $3/4$ である($1/(4/3)=0.75$)ことも確かめられる.

意味.この演習の要点は,同じ1つの関数 $2g_e^4(t^2+u^2)/s^2$ が,変数の役割を入れかえるだけでまったく別の実験を記述するということである.$s$ チャネルで見れば $e^+e^-$ 衝突型加速器の対生成であり,$t$ チャネルで見れば固定標的の弾性散乱である.場の理論の振幅は $s,t,u$ の解析関数として1つに繋がっており,物理的に到達できる領域が3つに分かれているだけなのである.これは計算量を減らす道具であると同時に,理論の内部整合性の強い検査でもある.

角度分布 $1+\cos^2\theta$ は,交換されたのがスピン1のベクトル粒子であり,かつ結合がベクトル的(パリティ保存,$\gamma^\mu$ だけ)であることの直接の指紋である.もし交換粒子がスカラーなら分布は等方になり,$V-A$ 結合が混じれば前後非対称度が生じる(本書D.7.6 項の $Z$ 干渉).角度分布を測ることは,頂点因子の $\gamma$ 行列の構造を測ることである.材料科学の側にも同じ論理がある.中性子散乱や X 線散乱の角度・偏極依存性から,散乱を起こしている相互作用の対称性(核散乱か磁気散乱か,双極子か四重極か)を読み取る作業は,まさにこれと同じ「分布の形から頂点の形を当てる」推論である.そして $t\to0$ の発散が遮蔽で切れるという (2) の結末は,演習D.3 の Thomas–Fermi 遮蔽と同じ現象を,散乱の側から眺めたものにほかならない.

演習D.5 頂点因子から $Z$ ボソンの崩壊幅を出す

問題(再掲)

$Z$ の部分崩壊幅は,表D.4 の $c_V,c_A$ を使って

$$ \Gamma\left(Z\to f\bar f\right)=\frac{g_z^2\,m_Z}{48\pi}\left(c_V^2+c_A^2\right)N_c $$

と書ける(第12章).$g_z=0.7446$,$m_Z=91.188\ \mathrm{GeV}$ とする.

(1) 共通因子 $g_z^2m_Z/48\pi$ を GeV 単位で求めよ.

(2) $\Gamma(Z\to e^+e^-)$ と $\Gamma(Z\to\nu\bar\nu)$(1世代あたり)を MeV 単位で求め,実測値 $83.98\ \mathrm{MeV}$ および $\Gamma_{\rm inv}/3=166.3\ \mathrm{MeV}$ と比べよ.

(3) 荷電レプトン3種,ニュートリノ3種,上型クォーク2種($u,c$;$t$ は重すぎて出られない),下型クォーク3種($d,s,b$)をすべて足して $\Gamma_Z$ を求め,実測値 $2.4952\ \mathrm{GeV}$ と比べよ.食い違いの主な原因は何か.

解答

方針.本書D.4.4 項の中性カレント頂点 $-\ii(g_z/2)\gamma^\mu(c_V^f-c_A^f\gamma^5)$ と,そこから導かれる表D.4 の $c_V^2+c_A^2$ をそのまま使う.計算は共通因子を一度だけ求めておき,あとは各チャンネルの $(c_V^2+c_A^2)N_c$ を掛けて足すだけである.終状態のフェルミオン質量は $m_Z$ に比べて小さいので無視する($b$ でも $m_b/m_Z=0.046$ である).

(1) 順に計算する.

$$ g_z^2=0.7446^2=0.55442916 $$ $$ g_z^2\,m_Z=0.55442916\times91.188=50.5573\ \mathrm{GeV} $$ $$ 48\pi=48\times3.1415927=150.7964 $$ $$ \frac{g_z^2m_Z}{48\pi}=\frac{50.5573}{150.7964}=0.335268\ \mathrm{GeV}=335.27\ \mathrm{MeV} $$

すなわち共通因子は $0.33527\ \mathrm{GeV}$ である.以下これを $\Gamma_0$ と書く.$[\Gamma_0]=1$(質量の次元)で,$[\Gamma]=1$ に合っている($c_V,c_A,N_c$ はすべて無次元).

(本書のヒントは $0.33528\ \mathrm{GeV}$ としている.これは分子を $50.558$ に丸めた $50.558/150.796=0.335274$ を,さらに末尾で切り上げた値である.丸めずに通すと $0.335268\ \mathrm{GeV}$ で,差は $0.004\ \%$ にすぎないから以下の結論には影響しない.以降は $0.335268$ を使う.)

(2) 表D.4 の最右列を使う.

電子.$c_V^e=-1/2+2\times0.2312=-0.0376$,$c_A^e=-1/2$ であるから

$$ \left(c_V^e\right)^2+\left(c_A^e\right)^2=0.0376^2+0.5^2=0.001414+0.25=0.251414\simeq0.2514 $$

$N_c=1$(レプトンに色はない)なので

$$ \Gamma\left(Z\to e^+e^-\right)=0.335268\times0.2514=0.084286\ \mathrm{GeV}=84.29\ \mathrm{MeV} $$

実測値 $83.98\ \mathrm{MeV}$ との差は

$$ \frac{84.29-83.98}{83.98}=+0.37\ \% $$

ニュートリノ.$c_V^\nu=+1/2-2\times0\times0.2312=+0.5$,$c_A^\nu=+1/2$ なので $c_V^2+c_A^2=0.25+0.25=0.5$,$N_c=1$ である.

$$ \Gamma\left(Z\to\nu\bar\nu\right)=0.335268\times0.5=0.167634\ \mathrm{GeV}=167.63\ \mathrm{MeV} $$

実測値(1世代あたり)$166.3\ \mathrm{MeV}$ との差は

$$ \frac{167.63-166.3}{166.3}=+0.80\ \% $$

どちらも $1\ \%$ 以内である.ツリーレベルの頂点因子と表D.4 の数字だけで,$Z$ の部分幅が $1\ \%$ の精度で当たっている.

ニュートリノの幅が電子の約2倍なのは,$c_V^e$ がほぼゼロだからである(本書D.4.4 項の例).比を取ると $0.5/0.2514=1.989$ であり,$\Gamma_\nu\simeq2\Gamma_e$ が成り立つ.

(3) チャンネルごとに $(c_V^2+c_A^2)N_c$ を掛けて足す.

荷電レプトン($e,\mu,\tau$ の3種,$N_c=1$).

$$ 3\times0.335268\times0.2514=3\times0.084286=0.252859\ \mathrm{GeV} $$

ニュートリノ(3種,$N_c=1$).

$$ 3\times0.335268\times0.5=3\times0.167634=0.502902\ \mathrm{GeV} $$

上型クォーク($u,c$ の2種,$N_c=3$,$c_V^2+c_A^2=0.2868$).

$$ 2\times3\times0.335268\times0.2868=6\times0.096155=0.576930\ \mathrm{GeV} $$

下型クォーク($d,s,b$ の3種,$N_c=3$,$c_V^2+c_A^2=0.3696$).

$$ 3\times3\times0.335268\times0.3696=9\times0.1239152=1.115237\ \mathrm{GeV} $$

合計.

$$ \Gamma_Z^{\rm tree}=0.252859+0.502902+0.576930+1.115237=2.44793\ \mathrm{GeV} $$

実測値 $2.4952\ \mathrm{GeV}$ と比べると

$$ \frac{2.44793-2.4952}{2.4952}=-1.89\ \% $$

すなわち約 $1.9\ \%$ 小さい.

食い違いの主因.ハドロン終状態(クォーク対)へのQCD 補正である.$Z\to q\bar q$ には $Z\to q\bar q g$(グルーオン放出)などが伴い,最低次では因子 $1+\alpha_s/\pi$ が掛かる.$\alpha_s(m_Z)=0.118$ なので

$$ 1+\frac{\alpha_s}{\pi}=1+\frac{0.118}{3.14159}=1.03756 $$

である.ハドロン部分は上型と下型の和

$$ \Gamma_{\rm had}^{\rm tree}=0.576930+1.115237=1.692167\ \mathrm{GeV} $$

であるから,補正後は $1.692167\times1.03756=1.755725\ \mathrm{GeV}$ となり,全幅は

$$ \Gamma_Z=0.252859+0.502902+1.755725=2.51149\ \mathrm{GeV} $$

となる.実測値との差は

$$ \frac{2.51149-2.4952}{2.4952}=+0.65\ \% $$

すなわち $1.9\ \%$ のずれが $0.7\ \%$ まで縮まる.残りは電弱の高次補正(頂点補正,$\rho$ パラメータへのトップループの寄与など)と,$b$ クォーク質量の効果である.

検算.3つの独立な照合を行う.

(i) 分岐比.QCD 補正込みのハドロン分岐比は

$$ \frac{\Gamma_{\rm had}}{\Gamma_Z}=\frac{1.755725}{2.51149}=0.6991 $$

である.実測値 $69.91\ \%$ と,4桁で一致する.全幅そのものが $0.65\ \%$ ずれているにもかかわらず比が高精度で合うのは,補正が分子と分母で相殺するからで,比のほうが理論的に頑健であることの実例である.

(ii) ニュートリノの世代数.本書D.4.4 項の例と同じ論法を数値で追う.$\Gamma_{\rm inv}/\Gamma_{\ell\ell}$ の実測値 $5.943$ を,理論の1世代あたりの比 $\Gamma_\nu/\Gamma_e=0.5/0.2514=1.9889$ で割ると

$$ N_\nu=\frac{5.943}{1.9889}=2.988\simeq3 $$

となる.表D.4 の $c_V,c_A$ だけから軽いニュートリノが3世代であることが出る.

(iii) 独立な規格化からの再導出.$g_z^2=g_w^2/\cos^2\theta_W$,$m_W=m_Z\cos\theta_W$,$G_F/\sqrt2=g_w^2/8m_W^2$(表D.7)を組み合わせると $g_z^2=4\sqrt2\,G_Fm_Z^2$ となり,共通因子は

$$ \frac{g_z^2m_Z}{48\pi}=\frac{G_F\,m_Z^3}{6\sqrt2\,\pi} =\frac{1.16638\times10^{-5}\times758251}{6\times1.41421\times3.14159}=0.33177\ \mathrm{GeV} $$

と書き直せる.(1) で得た $0.33527\ \mathrm{GeV}$ と $1.1\ \%$ で一致する(差は $g_w=0.6529$,$\sin^2\theta_W=0.2312$,$G_F$ の3つの入力値が互いに完全整合ではないことによる).まったく別の入力から同じ桁が出るので,係数 $48\pi$ の置き場所に誤りがないことが確かめられた.

意味.この演習が示しているのは,頂点因子の表1枚から実験値が $1\ \%$ で出るという事実である.必要だったのは $g_z$,$m_Z$,$\sin^2\theta_W$ の3つの数だけで,あとは表D.4 の $c_V=T^3-2Q\sin^2\theta_W$,$c_A=T^3$ という代数と,色因子 $N_c=3$ である.弱アイソスピンと電荷という群論的なラベルが,そのまま崩壊幅の数値に翻訳されている.

そして,ずれの $1.9\ \%$ が QCD 補正でほぼ説明できるという事実自体が,強い相互作用の存在の定量的な証拠になっている.LEP はこの論法を逆向きに使い,$\Gamma_Z$ の精密測定から $\alpha_s(m_Z)$ を決定した.また不可視幅 $\Gamma_{\rm inv}$ からニュートリノ世代数 $N_\nu=2.984\pm0.008$(LEP 2006.2020 年に Bhabha 光度を再評価した後の値は $2.9963\pm0.0074$)が得られ,「軽いニュートリノは3種類しかない」という標準模型の骨格が確定した.検出器で直接見えない粒子を,見えている全幅の引き算で数えたのである.足りない分から見えないものを数えるというこの手法は,材料科学でも日常的に使われている.たとえば比熱の Sommerfeld 係数 $\gamma=\pi^2k_B^2N(\varepsilon_F)/3$ から Fermi 面の状態密度を出し,バンド計算の値と比べて差分から電子相関の増強因子(質量くりこみ)を読み取る作業は,まったく同じ構造の推論である.

演習D.6 $R$ 比 —— 断面積からクォークの色を数える

問題(再掲)

$e^+e^-$ 衝突でハドロンが生成される過程は,最低次では $e^+e^-\to q\bar q$ である.ダイアグラムは $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ と同一で,終状態のミュオンをクォークに置きかえるだけであるから,断面積の比は頂点因子の2乗の比だけで決まる.

(1) 電荷 $Q_q$ のクォークについて,頂点因子が $-\ii g_eQ_q\gamma^\mu$ であることを使い,

$$ R\equiv\frac{\sigma\left(e^+e^-\to\text{ハドロン}\right)}{\sigma\left(e^+e^-\to\mu^+\mu^-\right)}=N_c\sum_{q}Q_q^2 $$

を導け(和は,そのエネルギーで生成可能なクォークについて取る).

(2) $N_c=3$ として,(a) $\sqrt s<2m_c$($u,d,s$),(b) $2m_c<\sqrt s<2m_b$($u,d,s,c$),(c) $\sqrt s>2m_b$($u,d,s,c,b$)の3領域で $R$ の値を求めよ.$N_c=1$ だったらどうなるか.

(3) $\sqrt s=10\ \mathrm{GeV}$ でのハドロン生成断面積を nb 単位で求めよ(本書D.7.6 項の $\sigma=86.9\ \mathrm{nb}/s[\mathrm{GeV^2}]$ を使う).

解答

方針.本書D.7 節で完走した $e^+e^-\to\mu^+\mu^-$ の計算を,終状態だけ差し替えて再利用する.差し替えで変わるのは (i) 右の頂点の電荷因子 $Q_q$,(ii) 色の自由度の数え上げ,の2点だけであり,伝播関数も外線因子も位相空間もそのままである.したがってトレース計算をやり直す必要はまったくない.

(1) ステップ1:振幅を書き換える.本書D.7.2 項で得た振幅は

$$ \mathcal{M}_{\mu}=-\frac{g_e^2}{s}\left[\bar v(p_2)\gamma^\mu u(p_1)\right]\left[\bar u(p_3)\gamma_\mu v(p_4)\right] $$

であった.ここで右の頂点は $\ii g_e\gamma^\nu$,すなわち $Q_\mu=-1$ を吸収した形である.終状態をクォークに替えると,本書D.4.1 項の QED 頂点 $-\ii g_eQ_f\gamma^\mu$ により,右の頂点だけが $-\ii g_eQ_q\gamma^\nu\delta_{ij}$ になる($\delta_{ij}$ は,光子が色を運ばないので色を変えないことを表す).左の電子側の頂点は $Q_e^2=1$ なので変わらない.したがって,色 $i$ のクォークと反クォークを作る振幅は

$$ \mathcal{M}_{q,i}=\frac{Q_q}{Q_\mu}\,\mathcal{M}_{\mu}\big|_{m_\mu\to m_q} =-Q_q\,\mathcal{M}_{\mu}\big|_{m_\mu\to m_q} $$

である($Q_\mu=-1$ を使った).すなわち振幅の大きさが $\abs{Q_q}$ 倍になるだけであり,$-1$ という全体の符号は次で二乗すれば消える.

ステップ2:二乗して色を数える.振幅が $Q_q$ 倍なら $\abs{\mathcal{M}}^2$ は $Q_q^2$ 倍である.次に色を数える.初期状態の $e^+e^-$ は色をもたないので,色について平均する必要はない(平均するのはスピンだけで,本書D.7.3 項の $1/4$ がそれである).いっぽう終状態のクォーク対は,$q_i\bar q_i$($i=1,\dots,N_c$)という $N_c$ 通りの互いに区別される状態であり,どれも同じ大きさの振幅をもつ.終状態については和を取るのだから

$$ \sum_{\rm colors}\abs{\mathcal{M}_{q}}^2=N_c\,Q_q^2\,\abs{\mathcal{M}_{\mu}}^2 $$

となる.$\delta_{ij}$ のおかげでクォークと反クォークの色が揃った $N_c$ 個の組合せだけが残り,$N_c^2$ にはならない点が肝心である.

ステップ3:断面積に直す.$\sqrt s\gg2m_q$ の領域を考えれば $\beta_q\to1$ であり,位相空間因子は $\mu^+\mu^-$ の場合とまったく同じである.したがって本書D.7.5 項の全断面積の式がそのまま使えて

$$ \sigma\left(e^+e^-\to q_i\bar q_i\;\text{全色}\right)=N_c\,Q_q^2\;\sigma\left(e^+e^-\to\mu^+\mu^-\right) $$

ステップ4:ハドロンへ.色の閉じ込めにより,生成された $q\bar q$ 対は確率1でハドロンに変わる.ハドロン化は $\Lambda_{\rm QCD}^{-1}\sim1\ \mathrm{fm}$ という長距離・遅い過程で起こるのに対し,対生成は $1/\sqrt s$ という短距離・速い過程であるから,両者は分離でき,ハドロン化は全断面積を変えない(何が作られるかを変えるだけである).したがって生成可能なすべてのフレーバーについて足して

$$ \sigma\left(e^+e^-\to\text{ハドロン}\right)=\sum_q N_cQ_q^2\;\sigma\left(e^+e^-\to\mu^+\mu^-\right) $$

両辺を $\sigma(e^+e^-\to\mu^+\mu^-)$ で割れば

$$ R=N_c\sum_q Q_q^2 $$

を得る.導かれた.$\alpha$ も $s$ も完全に消えており,$R$ には電荷と色の数え上げしか残っていない.

(2) クォークの電荷は,本書D.4.1 項より $Q_u=Q_c=Q_t=+2/3$,$Q_d=Q_s=Q_b=-1/3$ である.二乗すると $4/9$ と $1/9$ になる.

(a) $\sqrt s<2m_c$($u,d,s$ の3種):

$$ \sum Q_q^2=\frac49+\frac19+\frac19=\frac69=\frac23, \qquad R=3\times\frac23=2 $$

(b) $2m_c<\sqrt s<2m_b$($u,d,s,c$ の4種):$c$ が $4/9$ を追加するので

$$ \sum Q_q^2=\frac69+\frac49=\frac{10}{9}, \qquad R=3\times\frac{10}{9}=\frac{10}{3}=3.33 $$

(c) $\sqrt s>2m_b$($u,d,s,c,b$ の5種):$b$ が $1/9$ を追加するので

$$ \sum Q_q^2=\frac{10}{9}+\frac19=\frac{11}{9}, \qquad R=3\times\frac{11}{9}=\frac{11}{3}=3.67 $$

$N_c=1$ だったら.そのまま $3$ で割った値になる.

$$ R=\frac23=0.67,\qquad \frac{10}{9}=1.11,\qquad \frac{11}{9}=1.22 $$

実測の $R$ は,QCD 補正 $1+\alpha_s/\pi+\cdots$ のぶんだけツリー値より数 $\%$ 高く,それぞれ $\simeq2.2$,$\simeq3.5$,$\simeq3.9$ である(ツリーレベルの $2$,$3.33$,$3.67$ と整合する).これに対し $N_c=1$ は3倍も外れてまったく合わない.$N_c=2$ でも $1.33,\,2.22,\,2.44$ で合わない.$R$ の実測は,$N_c$ を離散的な整数として一意に $3$ に決める.

(3) $\sqrt s=10\ \mathrm{GeV}$ なので $s=100\ \mathrm{GeV^2}$ である.本書D.7.6 項の結果から

$$ \sigma\left(e^+e^-\to\mu^+\mu^-\right)=\frac{86.9\ \mathrm{nb}}{100}=0.869\ \mathrm{nb} $$

(2)(c) の $R=11/3=3.667$ を掛けて

$$ \sigma_{\rm had}=3.667\times0.869=3.19\ \mathrm{nb} $$

である.

しきい値についての注意.ここで $R=11/3$ を使ったのは,問題文が (2)(c) の区分($\sqrt s>2m_b=8.36\ \mathrm{GeV}$,$\overline{\rm MS}$ 質量 $m_b=4.18\ \mathrm{GeV}$ を使った)に従っているからである.しかし実験で $b$ クォークが連続的にハドロンとして出てくるための本当のしきい値は,最も軽い開いたボトム中間子の対 $B\bar B$ のしきい値 $2m_B=2\times5.279=10.56\ \mathrm{GeV}$ である.$\sqrt s=10\ \mathrm{GeV}$ はこれより下なので,実際には $b\bar b$ は $\Upsilon$(ボトモニウム)という細い共鳴としてしか現れず,連続部分の $R$ は $u,d,s,c$ の $10/3=3.33$ にとどまる.この値を使えば $\sigma_{\rm had}=3.33\times0.869=2.90\ \mathrm{nb}$ である.さらに QCD 補正 $1+\alpha_s/\pi$($\alpha_s(10\ \mathrm{GeV})\simeq0.17$ で $1.054$)を掛けると $R\simeq3.33\times1.054=3.51$,$\sigma_{\rm had}\simeq3.51\times0.869=3.05\ \mathrm{nb}$ となり,これが $\Upsilon(4S)$ のすぐ下で実測される値($R\simeq3.5$)に対応する.ツリーレベルの数え上げとしては $3.19\ \mathrm{nb}$ が答えであるが,実験値と比べるときは「クォーク質量のしきい値」と「ハドロンのしきい値」が別物であることを思い出す必要がある.

検算.まず次元と桁である.$R$ は断面積の比なので無次元でなければならず,(1) の結果は電荷の2乗の和と整数 $N_c$ だけからなり,確かに無次元である.$\sigma_{\rm had}=3.19\ \mathrm{nb}$ は $\sigma_{\mu\mu}=0.869\ \mathrm{nb}$ の $3.7$ 倍で,オーダーとして妥当である(表D.8 の項目10).

次に $R$ の値を実験の階段構造と照合する.実験の $R$ は,$\sqrt s$ を上げていくと $\simeq2$($3\ \mathrm{GeV}$ 以下)→ $\simeq3.3$($5\sim9\ \mathrm{GeV}$)→ $\simeq3.6$($B$ しきい値以上)と,新しいクォークが開くたびに段差をもって跳ぶ.段差の大きさを見ると,$c$ で $3\times4/9=1.33$,$b$ で $3\times1/9=0.33$ であり,比は $4:1$,すなわち電荷の2乗比 $(2/3)^2:(1/3)^2$ そのものである.実測の段差もこの比になっている.$N_c$ が全体の縮尺を,$Q_q^2$ が段差の刻みを決めているわけで,2つの独立な情報が同時に検証されている.

もう一つ,(1) のステップ2 で「色は $N_c$ 通りであって $N_c^2$ 通りではない」としたことを確かめておく.もし $q$ と $\bar q$ の色が独立に $N_c$ 通りずつ選べるなら,前因子は $N_c=3$ ではなく $N_c^2=9$ になる.すなわち正しい値の3倍で,3領域それぞれ $R=9\times\tfrac23=6$,$9\times\tfrac{10}9=10$,$9\times\tfrac{11}9=11$ となり,実測の $2,\,3.3,\,3.6$ から3倍も外れる.光子の頂点が色対角($\delta_{ij}$)であることが,正しく $N_c$ 倍を与えている.

意味.$R$ 比は,素粒子物理学において数え上げがそのまま観測量になるもっとも澄んだ例である.断面積という連続量を測っているのに,出てくる答えは「色は3つ」「電荷は $2/3$ と $-1/3$」という離散的で群論的な情報だけである.$\alpha$ も $s$ も比の中で消えてしまい,動力学の詳細に汚されない.1970年代に $R\simeq2$($N_c=3$)が確立したことが,$\Delta^{++}$ のスピン統計や $\pi^0\to\gamma\gamma$ の崩壊幅とならんで,色荷の存在を決定づけた.

この論法は,材料科学でも「縮退度を数える」測定として繰り返し現れる.たとえば金属の比熱の線形項の係数 $\gamma=\pi^2k_B^2N(\varepsilon_F)/3$ には,状態密度に含まれるスピン縮退度 $2$ がそのまま入っており,磁場中で Zeeman 分裂させて $\gamma$ が半分ずつに割れるのを見れば,スピンの自由度を数えたことになる.また Pauli 常磁性帯磁率と比熱の比(Wilson 比 $R_W=\pi^2k_B^2\chi/(3\mu_B^2\gamma)$)が,質量くりこみ $m^*/m$ を分子分母で相殺して縮退度と(Landau パラメータ $F_0^a$ のような)スピン相関の情報だけを残すのも同じ構造である(Fermi 液体では $R_W=1/(1+F_0^a)$ であり,Kondo 系や重い電子系では $2$ 前後の値をとる.「相互作用の詳細によらない」わけではなく,消えるのは質量くりこみの部分である).比を取ることで動力学を消し,自由度の数だけを残す——$R$ 比の教えはこの一言に尽きる.

参考文献

  1. D. Griffiths, Introduction to Elementary Particles, 2nd rev. ed., Wiley-VCH (2008). —— 本書の演習の多くは,この本の問題を材料科学向けに作り替えたものである.
  2. Particle Data Group (R. L. Workman et al.), "Review of Particle Physics", Prog. Theor. Exp. Phys. 2022, 083C01 (2022). —— 数値はすべてここに拠った.
  3. F. Halzen, A. D. Martin, Quarks and Leptons, Wiley (1984). —— 計算の詳細を確かめたいときに.
  4. M. E. Peskin, D. V. Schroeder, An Introduction to Quantum Field Theory, Westview (1995).