第2章ビリアル定理と化学結合
前章では,多電子系のSchrödinger方程式と,それを現実の物質に対して解くための第一原理計算の枠組みを概観した.本章では,その方程式から導かれる厳密な帰結の一つであるビリアル定理を主役に据える.ビリアル定理は,系の運動エネルギーとポテンシャルエネルギーの間の関係を,原子に働く力だけを使って拘束する普遍的な定理であり,波動関数の詳細を一切知らなくても成り立つ.この定理を使うと,「化学結合が形成されるとき,電子の運動エネルギーとポテンシャルエネルギーはそれぞれどう変化するのか」という素朴だが深い問いに,系によらない一般的な答えを与えることができる.本章の後半では,この一般則を水素分子のDFT計算の数値で検証し,さらに分子が解離する極限で現れるスピン分極——磁性の芽——についても考察する.ここで身に付ける「エネルギー分解で結合を読む」という見方は,第3章以降で金属の凝集や磁性を論じるときの基本的な道具になる.
- Löwdinの座標スケーリング法により,ビリアル定理 $2T+U=\sum_n \bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$ を,変数変換の1ステップまで含めて導出する
- 力がゼロの状態(平衡構造・孤立原子)で成り立つ関係 $E=-T=U/2$ を導く
- 凝集の一般則「結合するなら運動エネルギーは必ず増え,ポテンシャルエネルギーは必ず減る」を証明し,水素分子のDFT計算で数値的に検証する
- 解離極限でスピン分極状態が安定化する機構を2準位模型で理解する
- バルク系に対するビリアル定理 $2T+U=3pV$ をGaussの定理を用いて導く
2.1 化学結合をエネルギー分解で理解する
2個の水素原子を近づけると,水素分子 H2 が形成され,系の全エネルギーは孤立原子2個のときより約 4.75 eV だけ低くなる(零点振動を除いた電子的な結合エネルギーの実験値).この「エネルギーが下がるから結合する」という説明は正しいが,それだけでは結合の機構を理解したことにはならない.全エネルギー $E$ は運動エネルギー $T$ とポテンシャルエネルギー $U$ の和
\begin{equation} E = T + U \label{eq:2-etu} \end{equation}であるから,結合形成に伴う変化 $\Delta E = \Delta T + \Delta U \lt 0$ の内訳には,論理的には次の3通りの可能性がある.
| シナリオ | 運動エネルギー $\Delta T$ | ポテンシャルエネルギー $\Delta U$ |
|---|---|---|
| (a) | 増加(不安定化) | 減少(安定化) |
| (b) | 減少(安定化) | 増加(不安定化) |
| (c) | 減少(安定化) | 減少(安定化) |
初等的な教科書でしばしば見かけるのは,「電子が2つの原子核の間に広がる(非局在化する)ことで運動エネルギーが下がり,それが結合の起源である」という説明である.箱の中の粒子で箱の幅を2倍にすれば運動エネルギーが $1/4$ になる,という類推からすれば,もっともらしく聞こえる.この説明が正しければ,シナリオは (b) か (c) のはずである.
ところが本章で証明するビリアル定理によれば,平衡構造にある分子や固体では,答えは必ず (a) である.すなわち,結合が形成されるとき運動エネルギーは孤立原子のときより必ず増加し,ポテンシャルエネルギーは結合エネルギーの2倍だけ必ず減少する.非局在化の直感がどこで破綻するのか,そして両者はどう整合するのか——これが本章を貫く問いである.
2.1.1 記法と単位系
本章でも第1章で導入したHartree原子単位系($\hbar=m_e=e=4\pi\varepsilon_0=1$)を用いる.エネルギーの単位は Hartree(記号 Ha)で,$1\ \mathrm{Ha} = 27.2114\ \mathrm{eV}$,長さの単位は Bohr半径 $a_0 = 0.529177\ \text{Å}$ である.実験や計算例と比較する場面では,慣例に従いエネルギーを eV,距離を Å で併記する.
対象とする系は,$N$ 個の電子(座標 $\rr_1,\dots,\rr_N$)と $M$ 個の原子核(電荷 $Z_n$,座標 $\bm{R}_1,\dots,\bm{R}_M$)からなる.第1章で述べたBorn–Oppenheimer(断熱)近似の下で,核座標 $\{\bm{R}_n\}$ はパラメータとして固定し,電子系のHamiltonianを運動エネルギー部分とポテンシャル部分に分けて書く:
\begin{equation} \hat{H} = \hat{T} + \hat{U}, \qquad \hat{T} = -\frac{1}{2}\sum_{i=1}^{N}\nabla_i^2 , \label{eq:2-hsplit} \end{equation} \begin{equation} \hat{U} = \sum_{i \lt j}\frac{1}{\abs{\rr_i-\rr_j}} \;-\; \sum_{i=1}^{N}\sum_{n=1}^{M}\frac{Z_n}{\abs{\rr_i-\bm{R}_n}} \;+\; \sum_{n \lt n'}\frac{Z_n Z_{n'}}{\abs{\bm{R}_n-\bm{R}_{n'}}}. \label{eq:2-udef} \end{equation}$\hat{U}$ は電子間反発・電子-核引力・核間反発の3種類のCoulomb項の和である.核間反発は電子波動関数には作用しない定数だが,全エネルギーには寄与するので $\hat U$ に含めておく(こうしておくと後の議論が簡潔になる).規格化された基底状態 $\Psi$ に対する期待値を
\begin{equation} E = \braket{\Psi|\hat{H}|\Psi} = T + U, \qquad T = \braket{\Psi|\hat{T}|\Psi},\quad U = \braket{\Psi|\hat{U}|\Psi} \label{eq:2-expect} \end{equation}と書く.$E$,$T$,$U$ はいずれも核配置 $\{\bm{R}_n\}$ の関数である(断熱ポテンシャル面上の量).
物理的意味
ポテンシャル $\hat U$ の3つの項はすべて距離の $-1$ 乗に比例するCoulomb相互作用である.この「$-1$ 乗」という共通のべきが,次節のスケーリング解析でビリアル定理の係数(運動エネルギーの2倍とポテンシャルの1倍)を決める.もし相互作用が距離の $n$ 乗のべき型ポテンシャルなら,同じ論法で $2T = n\braket{V}$ 型の関係が得られる(章末の演習2.2).
2.2 座標スケーリングとビリアル定理の導出
この節が本章の理論的な山場である.これから行うことを先に見取り図として示しておく.
- 電子と核のすべての座標を一様に $s$ 倍だけ「伸縮」させる変換(座標スケーリング)を定義し,それに合わせて波動関数を変形しても規格化が保たれることを,置換積分のヤコビアンを明示して証明する.
- スケールされた波動関数に対して,運動エネルギーの期待値が $s^2$ 倍,Coulombポテンシャルの期待値が $s^1$ 倍でスケールすることを,積分変数の変換で1行ずつ証明する.これにより全エネルギーの試行値が $E(s)=s^2T(s)+s\,U(s)$ という簡潔な形になる.
- $s=1$ でスケール前の真の基底状態に戻ることから,変分原理により $E(s)$ は $s=1$ で停留する.この停留条件を連鎖律で丁寧に展開し,原子に働く力 $\bm{F}_n=-\partial E/\partial\bm{R}_n$ を導入すると,ビリアル定理 $2T+U=\sum_n\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$ が得られる.
この導出はLöwdin(1959)によるもので,分子にも固体にも通用する一般的なものである.まず,必要になる2つの数学的道具を準備する.
数学ノート:多重積分の変数変換とヤコビアン
1変数の置換積分では,$x=g(\bar{x})$ と置くと $\dd x = g'(\bar{x})\,\dd\bar{x}$ となり,微小区間の「伸び縮み」の割合 $g'$ が積分測度に掛かる.多変数ではこの伸縮率が行列になる.$n$ 個の変数の組 $\bm{x}=(x_1,\dots,x_n)$ から $\bar{\bm{x}}=(\bar{x}_1,\dots,\bar{x}_n)$ への滑らかな1対1変換に対し,ヤコビ行列を $J_{ij} = \partial \bar{x}_i/\partial x_j$ と定義すると,体積要素は $$\dd^n\bar{x} = \abs{\det J}\,\dd^n x$$ と変換される.$\det J$ は「変換によって微小体積が何倍になるか」を表す量である.
本章で使うのは最も簡単な場合,すなわち全座標の一様なスケーリング $\bar{x}_i = s\,x_i$($s\gt 0$,$i=1,\dots,n$)である.このときヤコビ行列は $J = s\,\bm{1}_n$(単位行列の $s$ 倍)なので,行列式は対角成分の積で $$\det J = s^n$$ となる.したがって $n=3N$ 個の座標(電子 $N$ 個 × 3成分)を一斉に $s$ 倍すると $$\dd\bar{v} \equiv \dd^3\bar{r}_1\cdots\dd^3\bar{r}_N = s^{3N}\,\dd^3 r_1\cdots \dd^3 r_N = s^{3N}\,\dd v, \qquad\text{すなわち}\qquad \dd v = s^{-3N}\,\dd\bar{v}$$ である.1粒子あたりでは $\dd^3\bar{r}_i = s^3\,\dd^3 r_i$ であり,これを $N$ 個掛け合わせたものと理解してもよい.
数学ノート:変分原理と停留条件
Hamiltonian $\hat H$ の規格直交な固有関数系を $\{\Psi_k\}$,対応する固有値を $E_0 \le E_1 \le E_2 \le \cdots$ とする(最低固有値 $E_0$ が基底状態エネルギー).任意の規格化された状態 $\Phi$ は完全系で展開できる: $$\Phi = \sum_k c_k \Psi_k, \qquad \braket{\Phi|\Phi} = \sum_{k,k'} c_k^* c_{k'} \braket{\Psi_k|\Psi_{k'}} = \sum_k \abs{c_k}^2 = 1 .$$ 2番目の等号では固有関数の規格直交性 $\braket{\Psi_k|\Psi_{k'}}=\delta_{kk'}$ を使った.この $\Phi$ でエネルギー期待値を計算すると $$\braket{\Phi|\hat H|\Phi} = \sum_{k,k'} c_k^* c_{k'} E_{k'} \braket{\Psi_k|\Psi_{k'}} = \sum_k \abs{c_k}^2 E_k \;\ge\; \sum_k \abs{c_k}^2 E_0 = E_0 .$$ 不等号では,各項の係数 $\abs{c_k}^2 \ge 0$ と $E_k \ge E_0$ を使った.つまりどんな試行関数で計算してもエネルギー期待値は真の基底状態エネルギーを下回らない(Rayleigh–Ritzの変分原理).
ここから本章で使う停留条件が従う.パラメータ $s$ で連続的に変形される規格化された試行関数の族 $\Phi_s$ があり,ある値(ここでは $s=1$)でちょうど真の基底状態に一致するとする.このとき $E(s)\equiv\braket{\Phi_s|\hat H|\Phi_s}$ は,すべての $s$ で $E(s)\ge E_0$ かつ $E(1)=E_0$ を満たす.すなわち $s=1$ は関数 $E(s)$ の最小点であり,$E(s)$ が微分可能なら1変数微積分の基本事項として $$\left.\frac{\dd E}{\dd s}\right|_{s=1} = 0$$ が成り立つ.導関数の値が正でも負でも $s=1$ の近傍に $E_0$ より低い値が存在してしまい,変分原理に矛盾するからである.
2.2.1 スケーリング変換と規格化の保存
これから,電子座標と核座標を同時に伸縮するスケーリング変換を定義し,それに伴う波動関数の変形が規格化を保つことを示す.
定義:座標スケーリングとスケールされた波動関数
スケール因子 $s \gt 0$ に対し,スケールされた座標を \begin{equation} \bar{\rr}_i = s\,\rr_i \quad (i=1,\dots,N), \qquad \bar{\bm{R}}_n = s\,\bm{R}_n \quad (n=1,\dots,M) \label{eq:2-scaling} \end{equation} と定義する.核配置 $\{\bar{\bm R}_n\}=\{s\bm{R}_n\}$ に対するHamiltonianの規格化された厳密な基底状態を $\Psi(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\})$ と書く.このとき,スケールされた波動関数を \begin{equation} \Psi_s(\rr_1,\dots,\rr_N) = s^{3N/2}\,\Psi(s\rr_1,\dots,s\rr_N;\{s\bm{R}\}) \label{eq:2-psis} \end{equation} と定義する.
定義 \eqref{eq:2-psis} の構造を言葉で確認しておこう.$\Psi_s$ は,「核を $s$ 倍に伸縮した配置 $\{s\bm{R}\}$ での真の基底状態」を用意し,その電子座標を $s$ 倍で読み替えて($\rr_i \mapsto s\rr_i$),元の核配置 $\{\bm{R}\}$ の系の試行関数として使う,という二段構えになっている.$s=1$ ではどちらの操作も恒等変換なので,$\Psi_{s=1}$ は核配置 $\{\bm{R}\}$ での真の基底状態そのものである.$s\ne 1$ では $\Psi_s$ は真の固有状態ではないが,後で見るように規格化された反対称な関数なので,変分原理の試行関数としての資格をもつ.核座標も一緒にスケールしておくことが,最終的に「原子に働く力」を定理に登場させる仕掛けである.
先頭の因子 $s^{3N/2}$ は規格化を保つために付けられている.実際に確かめよう.規格化積分は
\begin{align} \int \abs{\Psi_s(\rr_1,\dots,\rr_N)}^2 \,\dd v &= s^{3N}\int \abs{\Psi(s\rr_1,\dots,s\rr_N;\{s\bm{R}\})}^2 \,\dd v . \label{eq:2-norm1} \end{align}ここでは定義 \eqref{eq:2-psis} を代入し,$\abs{s^{3N/2}}^2 = s^{3N}$ を積分の外に出しただけである.次に積分変数を $\bar{\rr}_i = s\rr_i$ に変換する.上の数学ノートで示したとおり,$3N$ 次元の一様スケーリングのヤコビアンは $s^{3N}$ なので,$\dd v = s^{-3N}\dd\bar{v}$ である.積分範囲は全空間から全空間へ移るので変わらない.したがって
\begin{align} \int \abs{\Psi_s}^2 \,\dd v &= s^{3N}\, s^{-3N} \int \abs{\Psi(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\})}^2 \,\dd\bar{v} \notag\\ &= \int \abs{\Psi(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\})}^2 \,\dd\bar{v} = 1 . \label{eq:2-norm2} \end{align}1行目でヤコビアン因子 $s^{-3N}$ が前置因子 $s^{3N}$ とちょうど相殺し,2行目では $\Psi$ が(核配置 $\{s\bm{R}\}$ に対する)規格化された波動関数であることを使った.因子 $s^{3N/2}$ のおかげで,$\Psi_s$ はどんな $s$ に対しても規格化されていることが確かめられた.また,$\Psi$ が電子座標の入れ替えについて反対称なら,すべての座標を同じ倍率で読み替えた $\Psi_s$ も明らかに反対称である.これで $\Psi_s$ は正当な試行関数である.
2.2.2 運動エネルギーは $s^2$ でスケールする
これから,スケールされた波動関数 $\Psi_s$ に対する運動エネルギーの期待値が,スケール前の値のちょうど $s^2$ 倍になることを示す.直感的には,波動関数を空間的に $1/s$ に「圧縮」すると勾配が $s$ 倍急峻になり,勾配の2乗に比例する運動エネルギーは $s^2$ 倍になる,ということである(図2.2).
証明に移る.運動エネルギーの期待値に定義 \eqref{eq:2-psis} を代入すると
\begin{align} \braket{\Psi_s|\hat{T}|\Psi_s} &= s^{3N}\int \dd v\; \Psi^*(s\rr_1,\dots,s\rr_N;\{s\bm{R}\}) \left(-\frac{1}{2}\sum_{i=1}^{N}\nabla_i^2\right) \Psi(s\rr_1,\dots,s\rr_N;\{s\bm{R}\}) . \label{eq:2-kin1} \end{align}ここで $\nabla_i^2$ は元の座標 $\rr_i=(x_i,y_i,z_i)$ に関する微分である.合成関数の微分(連鎖律)により,$\bar{x}_i = s x_i$ を通して
\begin{align} \frac{\partial}{\partial x_i}\Psi(s\rr_1,\dots) = \frac{\partial \bar{x}_i}{\partial x_i}\,\frac{\partial \Psi}{\partial \bar{x}_i} = s\,\frac{\partial \Psi}{\partial \bar{x}_i} \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{\partial^2}{\partial x_i^2}\Psi = s^2\,\frac{\partial^2 \Psi}{\partial \bar{x}_i^2} \label{eq:2-chainrule-x} \end{align}が成り立つ($y,z$ 成分も同様).したがってLaplacianは
\begin{equation} \nabla_i^2 = \frac{\partial^2}{\partial x_i^2}+\frac{\partial^2}{\partial y_i^2}+\frac{\partial^2}{\partial z_i^2} = s^2\left( \frac{\partial^2}{\partial \bar{x}_i^2}+\frac{\partial^2}{\partial \bar{y}_i^2}+\frac{\partial^2}{\partial \bar{z}_i^2} \right) = s^2\,\bar{\nabla}_i^2 \label{eq:2-laplacian} \end{equation}とスケールされた座標での Laplacian $\bar{\nabla}_i^2$ に置き換わる.これを式 \eqref{eq:2-kin1} に代入し,さらに積分変数を $\bar\rr_i = s\rr_i$ に変換する($\dd v = s^{-3N}\dd\bar{v}$,規格化のときと同じ置換)と,
\begin{align} \braket{\Psi_s|\hat{T}|\Psi_s} &= s^{3N}\,s^2 \int \dd v\; \Psi^*(s\rr_1,\dots;\{s\bm{R}\}) \left(-\frac{1}{2}\sum_{i=1}^{N}\bar{\nabla}_i^2\right) \Psi(s\rr_1,\dots;\{s\bm{R}\}) \notag\\ &= s^{3N}\,s^2\,s^{-3N} \int \dd \bar{v}\; \Psi^*(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\}) \left(-\frac{1}{2}\sum_{i=1}^{N}\bar{\nabla}_i^2\right) \Psi(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\}) \notag\\ &= s^2\;T(s) . \label{eq:2-kinscale} \end{align}1行目ではLaplacianのスケーリング \eqref{eq:2-laplacian} で出た $s^2$ を積分の外に出し,2行目で置換積分を実行した(ヤコビアン $s^{-3N}$ が再び前置因子 $s^{3N}$ と相殺する).最後の行に現れた
\begin{equation} T(s) \equiv \int \dd\bar{v}\;\Psi^*(\bar\rr_1,\dots;\{s\bm{R}\})\,\hat{T}_{\bar{r}}\,\Psi(\bar\rr_1,\dots;\{s\bm{R}\}) \label{eq:2-Ts-def} \end{equation}は,核配置 $\{s\bm{R}\}$ の系の真の基底状態における運動エネルギー期待値である.積分変数の名前は何でもよいので,これはスケール操作とは無関係に定義される「核配置の関数としての運動エネルギー」を,配置 $\{s\bm{R}\}$ で評価した値にほかならない.$s=1$ では $T(1)=T$(元の配置での運動エネルギー)である.以上で
運動エネルギー期待値は $s^2$ 倍でスケールする: $\braket{\Psi_s|\hat{T}|\Psi_s} = s^2\,T(s)$
が示された.
2.2.3 Coulombポテンシャルは $s^1$ でスケールする
次に,同じ計算をポテンシャル項について行う.鍵となるのは,Coulombポテンシャル \eqref{eq:2-udef} が座標全体の一様スケーリングに対して次数 $-1$ の同次関数であること,すなわちすべての座標を $1/s$ 倍すると値が $s$ 倍になることである.3種類の項それぞれについて確認しよう.$\rr_i = \bar\rr_i/s$,$\bm{R}_n = \bar{\bm{R}}_n/s$ を代入すると:
\begin{align} \frac{1}{\abs{\rr_i-\rr_j}} &= \frac{1}{\abs{\bar\rr_i/s-\bar\rr_j/s}} = \frac{1}{\frac{1}{s}\abs{\bar\rr_i-\bar\rr_j}} = \frac{s}{\abs{\bar\rr_i-\bar\rr_j}} , \label{eq:2-uee} \\[4pt] \frac{Z_n}{\abs{\rr_i-\bm{R}_n}} &= \frac{Z_n}{\abs{\bar\rr_i/s-\bar{\bm{R}}_n/s}} = \frac{s\,Z_n}{\abs{\bar\rr_i-\bar{\bm{R}}_n}} , \label{eq:2-uen} \\[4pt] \frac{Z_n Z_{n'}}{\abs{\bm{R}_n-\bm{R}_{n'}}} &= \frac{s\,Z_n Z_{n'}}{\abs{\bar{\bm{R}}_n-\bar{\bm{R}}_{n'}}} . \label{eq:2-unn} \end{align}いずれの行でも,共通因子 $1/s$ をベクトルの差から外に出し,絶対値の性質 $\abs{c\,\bm{a}}=\abs{c}\,\abs{\bm{a}}$ を使っただけである.したがって和をとった $\hat U$ 全体について
\begin{equation} \hat{U}\bigl(\{\bar\rr_i/s\},\{\bar{\bm{R}}_n/s\}\bigr) = s\,\hat{U}\bigl(\{\bar\rr_i\},\{\bar{\bm{R}}_n\}\bigr) \label{eq:2-uhomog} \end{equation}が成り立つ.これがCoulomb相互作用の同次性である.
この性質を使って期待値を計算する.定義 \eqref{eq:2-psis} を代入し,積分変数を $\bar\rr_i = s\rr_i$ に置換すると
\begin{align} \braket{\Psi_s|\hat{U}|\Psi_s} &= s^{3N}\int \dd v\; \abs{\Psi(s\rr_1,\dots,s\rr_N;\{s\bm{R}\})}^2\; \hat{U}\bigl(\{\rr_i\},\{\bm{R}_n\}\bigr) \notag\\ &= s^{3N}\,s^{-3N}\int \dd \bar{v}\; \abs{\Psi(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\})}^2\; \hat{U}\bigl(\{\bar\rr_i/s\},\{\bar{\bm{R}}_n/s\}\bigr) \notag\\ &= s\int \dd \bar{v}\; \abs{\Psi(\bar\rr_1,\dots,\bar\rr_N;\{s\bm{R}\})}^2\; \hat{U}\bigl(\{\bar\rr_i\},\{\bar{\bm{R}}_n\}\bigr) \notag\\ &= s\;U(s) . \label{eq:2-potscale} \end{align}各行で行ったことを述べる.1行目:$\hat U$ は微分を含まない掛け算演算子なので,期待値は $\abs{\Psi_s}^2$ との積の積分である.2行目:置換積分を行った.被積分関数中の $\rr_i$ はすべて $\bar\rr_i/s$ に書き換わる.また元の核配置は恒等式 $\bm{R}_n = (s\bm{R}_n)/s = \bar{\bm{R}}_n/s$ により $\bar{\bm{R}}_n/s$ と書き直した(これは固定された数値の書き換えにすぎない).3行目:同次性 \eqref{eq:2-uhomog} で因子 $s$ を外に出した.4行目:残った積分は,核配置 $\{s\bm{R}\}$ の真の基底状態におけるポテンシャル期待値であり,これを $U(s)$ と定義した($U(1)=U$).以上で
ポテンシャル期待値は $s^1$ 倍でスケールする: $\braket{\Psi_s|\hat{U}|\Psi_s} = s\,U(s)$
が示された.
物理的意味
運動エネルギーが $s^2$,ポテンシャルが $s^1$ という異なるべきでスケールすることが,量子力学系の「大きさ」を決める本質である.系を縮めれば($s\gt1$)Coulomb引力のエネルギー利得は $s$ 倍にしかならないのに,運動エネルギーの損は $s^2$ 倍で効く.逆に広げれば($s\lt1$)運動エネルギーは下がるが引力の利得も失う.両者の妥協点として有限の大きさ(原子ならBohr半径程度)が決まる.古典力学ではこの妥協が存在せず,電子は核に落ち込んでしまう.原子が潰れない理由は,しばしば「量子力学的な運動エネルギーの圧力」と呼ばれる,このスケーリング則の非対称性にある.
2.2.4 停留条件からビリアル定理へ
これで全エネルギーの試行値が組み立てられる.前小節までの結果 \eqref{eq:2-kinscale}, \eqref{eq:2-potscale} を合わせると
\begin{equation} E(s) \equiv \braket{\Psi_s|\hat{H}|\Psi_s} = \braket{\Psi_s|\hat{T}|\Psi_s} + \braket{\Psi_s|\hat{U}|\Psi_s} = s^2\,T(s) + s\,U(s) \label{eq:2-es} \end{equation}を得る.ここで強調すべき点が2つある.第一に,$E(s)$ は「核配置 $\{\bm{R}\}$ のHamiltonianを,試行関数 $\Psi_s$ で挟んだ期待値」であり,変分原理により常に真の基底状態エネルギー $E$ 以上である.第二に,$s$ 依存性は露わな因子 $s^2$, $s$ だけでなく,$T(s)$,$U(s)$ の引数(核配置 $\{s\bm{R}\}$)を通しても入っている.この「隠れた」$s$ 依存性を丁寧に扱うことが,力の項を生む.
$s=1$ で $\Psi_s$ は真の基底状態に一致するから,数学ノート(変分原理と停留条件)より
\begin{equation} \left.\frac{\dd E(s)}{\dd s}\right|_{s=1} = 0 . \label{eq:2-stationary} \end{equation}この停留条件を計算する.まず積の微分則で式 \eqref{eq:2-es} を微分すると
\begin{align} \frac{\dd E(s)}{\dd s} = 2s\,T(s) + s^2\,\frac{\dd T(s)}{\dd s} + U(s) + s\,\frac{\dd U(s)}{\dd s} . \label{eq:2-des1} \end{align}次に $\dd T(s)/\dd s$ を連鎖律で展開する.$T(s)$ は核配置 $\bar{\bm{R}}_n = s\bm{R}_n$ を通してのみ $s$ に依存するので,核の番号 $n$ と直交座標成分 $p\in\{x,y,z\}$ について和をとって
\begin{align} \frac{\dd T(s)}{\dd s} = \sum_{n=1}^{M}\sum_{p} \frac{\partial T}{\partial \bar{R}_{np}}\, \frac{\partial \bar{R}_{np}}{\partial s} = \sum_{n,p} \frac{\partial T}{\partial \bar{R}_{np}}\, R_{np} . \label{eq:2-chainT} \end{align}2番目の等号では,$\bar{R}_{np} = s\,R_{np}$ を $s$ で微分して $$\frac{\partial \bar{R}_{np}}{\partial s} = \frac{\partial (s R_{np})}{\partial s} = R_{np}$$ となることを使った($R_{np}$ は $s$ に依存しない定数であることに注意).$U(s)$ についても全く同様に
\begin{equation} \frac{\dd U(s)}{\dd s} = \sum_{n,p}\frac{\partial U}{\partial \bar{R}_{np}}\,R_{np} \label{eq:2-chainU} \end{equation}である.これらを式 \eqref{eq:2-des1} に代入すると
\begin{align} \frac{\dd E(s)}{\dd s} = 2s\,T(s) + U(s) + \sum_{n,p}\left( s^2\,\frac{\partial T}{\partial \bar{R}_{np}} + s\,\frac{\partial U}{\partial \bar{R}_{np}} \right) R_{np} \label{eq:2-des2} \end{align}となる.ここで $s=1$ と置く.このとき $\bar{\bm{R}}_n = \bm{R}_n$,$T(1)=T$,$U(1)=U$ なので,停留条件 \eqref{eq:2-stationary} は
\begin{equation} 2T + U + \sum_{n,p} \frac{\partial (T+U)}{\partial R_{np}}\,R_{np} = 0 \label{eq:2-des3} \end{equation}となる.最後の項に現れた $T+U$ は,核配置の関数として見れば断熱ポテンシャル面 $E(\{\bm{R}\})$ そのものである(式 \eqref{eq:2-expect}:各配置での真の基底状態による期待値の和).そこで原子 $n$ に働く力を
\begin{equation} \bm{F}_n = -\frac{\partial E}{\partial \bm{R}_n} = -\frac{\partial (T+U)}{\partial \bm{R}_n}, \qquad F_{np} = -\frac{\partial (T+U)}{\partial R_{np}} \label{eq:2-force} \end{equation}で定義すると(これは構造最適化や分子動力学で使われる力と同じものである),式 \eqref{eq:2-des3} は
\begin{equation} 2T + U - \sum_{n,p} F_{np}\,R_{np} = 0 \notag \end{equation}と書ける.成分の和をベクトルの内積 $\sum_p F_{np}R_{np} = \bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$ にまとめれば,求める定理に到達する.
右辺の量 $\sum_n \bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$ はビリアル(virial)と呼ばれる.以上の導出で得られたものを整理しよう.運動エネルギーの2倍とポテンシャルエネルギーの和という,波動関数の内部構造に踏み込んだ量が,原子の位置と原子に働く力という「構造情報」だけで決まってしまう.導出に使ったのは,(i) Coulomb相互作用が距離の $-1$ 乗であること,(ii) 変分原理,の2つだけである.近似は一切入っていないから,これは多電子Schrödinger方程式の厳密な帰結である.
数学ノート:ビリアルは座標原点の取り方によらない
右辺の $\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$ は原点の位置に依存するように見える.原点を $\bm{a}$ だけずらすと $\bm{R}_n \to \bm{R}_n+\bm{a}$ となるからである.しかし,全エネルギーは系全体の並進に対して不変,すなわち任意の $\bm{a}$ に対して $E(\{\bm{R}_n+\bm{a}\}) = E(\{\bm{R}_n\})$ が成り立つ.この両辺を $\bm{a}$ で微分して $\bm{a}=\bm{0}$ と置くと $$\bm{0} = \frac{\partial}{\partial \bm{a}}E(\{\bm{R}_n+\bm{a}\})\Big|_{\bm{a}=0} = \sum_n \frac{\partial E}{\partial \bm{R}_n} = -\sum_n \bm{F}_n ,$$ つまり力の総和はゼロである(Newtonの第三法則の現れ).したがって $$\sum_n (\bm{R}_n+\bm{a})\cdot\bm{F}_n = \sum_n \bm{R}_n\cdot\bm{F}_n + \bm{a}\cdot\underbrace{\sum_n \bm{F}_n}_{=\,\bm{0}} = \sum_n \bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$$ となり,ビリアルは原点の選び方によらない.左辺の $2T+U$ が原点に依存しないことと整合している.
物理的意味
この定理は古典力学のClausiusのビリアル定理(周期運動の時間平均に対する $2\overline{T} = -\overline{\sum_i \rr_i\cdot\bm{F}_i}$)の量子力学版・分子固体版にあたる.古典版では粒子の軌道に沿った時間平均が必要だったが,量子版では定常状態の期待値がその役割を果たす.また,力 $\bm{F}_n$ は,厳密な基底状態に対してはHellmann–Feynmanの定理により「核 $n$ が感じる静電気力」(電子密度と他の核が作る電場から受けるCoulomb力)に一致することが知られている(Feynman, 1939;定理の証明と実際の計算法は第16章16.2節で扱う).つまりビリアル定理の右辺は,原理的には電子密度 $\rho(\rr)$ だけから計算できる量である.
2.3 平衡構造と孤立原子の極限
前節のビリアル定理は任意の核配置で成り立つ一般的な関係である.ここからは,その右辺(ビリアル)が消える特別な状況,すなわちすべての原子に働く力がゼロの状況に注目する.この条件を満たすのは,物理的に重要な次の2つの場合である.
- 平衡構造:分子や結晶の構造最適化が終わり,断熱ポテンシャル面 $E(\{\bm{R}\})$ が極小(または停留)になった配置.極小点の定義そのものから $\bm{F}_n = -\partial E/\partial\bm{R}_n = \bm{0}$($n=1,\dots,M$)である.
- 孤立原子の極限:原子どうしを無限に引き離した状態.原子間の相互作用が消えるので互いに及ぼす力はゼロであり,また各原子が球対称なら自分自身の電子雲から核が受ける力も対称性からゼロである.原子が1個($M=1$)で核を原点に置いた場合は $\bm{R}_1=\bm{0}$ なので,力がゼロでなくてもビリアルは自明に消える.
2.3.1 力がゼロのときの $E$,$T$,$U$ の関係
いずれの場合も右辺の各項が個別にゼロなので,ビリアル定理は
\begin{equation} 2T + U = 0 \label{eq:2-zeroforce} \end{equation}という,核座標も力も含まない純粋なエネルギーの関係式に退化する.これと全エネルギーの定義 \eqref{eq:2-etu} を連立させれば,$E$,$T$,$U$ の3つの量が互いに完全に決まってしまう.実際に解いてみよう.
\begin{align} U &= -2T, \label{eq:2-u-from-t}\\[4pt] E = T + U &= T + (-2T) = -T , \label{eq:2-e-eq-mt}\\[4pt] T = -\frac{U}{2} \quad\Longrightarrow\quad E = T + U &= -\frac{U}{2} + U = \frac{U}{2} . \label{eq:2-e-eq-uhalf} \end{align}各行で行ったことを述べる.1行目:式 \eqref{eq:2-zeroforce} を $U$ について解いただけである.2行目:この $U=-2T$ を $E=T+U$ に代入し,$T-2T=-T$ とまとめた.3行目:今度は式 \eqref{eq:2-zeroforce} を $T$ について解いて $T=-U/2$ とし,これを $E=T+U$ に代入して $-\tfrac12 U + U = \tfrac12 U$ とまとめた.以上をまとめると,力がゼロの状態では次の3者の関係が厳密に成り立つ.
物理的意味
この関係は驚くほど強い.第一に,運動エネルギーは常に正($T\gt 0$,なぜなら $T=\tfrac12\int\abs{\nabla\Psi}^2\,\dd v \ge 0$ で,等号は $\Psi$ が定数のときだけ)であるから,$E=-T\lt 0$ となり,力がゼロで束縛された系の全エネルギーは必ず負である.第二に,$E=-T$ という等式は「全エネルギーを下げる」ことと「運動エネルギーを上げる」ことが同義であると言っている.安定化すればするほど電子は速く動く.第三に,$U=2E$ より,ポテンシャルエネルギーの下がり幅は全エネルギーの下がり幅のちょうど2倍である.安定化の「原資」はすべてポテンシャルエネルギーが供給し,その半分が運動エネルギーの増加として払い戻される,という構図になっている.次節ではこの構図をそのまま化学結合の一般則に翻訳する.
数学ノート:指数関数を含む動径積分
原子の期待値計算では $\int_0^\infty r^k e^{-ar}\,\dd r$ という形の積分が繰り返し現れる($k$ は $0$ 以上の整数,$a\gt 0$).この値は部分積分を繰り返さなくても,次の「パラメータ微分」の技法で一度に求まる.出発点は基本の積分
$$\int_0^\infty e^{-ar}\,\dd r = \left[-\frac{1}{a}e^{-ar}\right]_0^\infty = \frac{1}{a}$$である($a\gt0$ なので $r\to\infty$ で $e^{-ar}\to 0$).この等式の両辺を $a$ で $k$ 回微分する.左辺では積分と微分の順序を交換でき,$\partial^k e^{-ar}/\partial a^k = (-r)^k e^{-ar}$ であるから
$$\int_0^\infty (-r)^k e^{-ar}\,\dd r = \frac{\dd^k}{\dd a^k}\left(\frac{1}{a}\right) = \frac{(-1)^k\,k!}{a^{k+1}} .$$右辺は $\dd(a^{-1})/\dd a = -a^{-2}$,$\dd^2(a^{-1})/\dd a^2 = 2a^{-3}$,… という規則を $k$ 回繰り返した結果である.両辺を $(-1)^k$ で割れば
$$\boxed{\ \int_0^\infty r^k e^{-ar}\,\dd r = \frac{k!}{a^{k+1}}\ }$$を得る.よく使う値は $k=1$ で $1/a^2$,$k=2$ で $2/a^3$ である.また球対称な関数 $f(r)$ の全空間積分は,立体角積分が $\int \dd\Omega = 4\pi$ となることから $\int f(r)\,\dd^3 r = 4\pi\int_0^\infty f(r)\,r^2\,\dd r$ と書ける.
例:水素原子での明示的な検証
水素原子の基底状態(1s軌道)は,原子単位系で
$$\psi_{1s}(\rr) = \frac{1}{\sqrt{\pi}}\,e^{-r}, \qquad r = \abs{\rr}$$である.まず規格化を確認しておく.上の数学ノートを使って
$$\int \abs{\psi_{1s}}^2\,\dd^3 r = \frac{1}{\pi}\cdot 4\pi\int_0^\infty r^2 e^{-2r}\,\dd r = 4\cdot\frac{2!}{2^3} = 4\cdot\frac{2}{8} = 1 .$$運動エネルギー.期待値は $T=-\tfrac12\int\psi^*\nabla^2\psi\,\dd^3 r$ だが,部分積分(Greenの第一恒等式)を使うと勾配の2乗の形になる:
$$-\frac12\int \psi^*\nabla^2\psi\,\dd^3 r = -\frac12\left[\oint_{\infty} \psi^*\nabla\psi\cdot\dd\bm{S} - \int \abs{\nabla\psi}^2\,\dd^3 r\right] = \frac12\int \abs{\nabla\psi}^2\,\dd^3 r .$$無限遠の面積分は,$\psi\propto e^{-r}$ が指数関数的に速く $0$ に近づくので消える(球面の面積は $r^2$ でしか増えない).球対称関数の勾配は動径方向のみで $\nabla\psi = (\dd\psi/\dd r)\,\hat{\bm{r}}$ であり,
$$\frac{\dd\psi_{1s}}{\dd r} = -\frac{1}{\sqrt\pi}e^{-r} \qquad\Longrightarrow\qquad \abs{\nabla\psi_{1s}}^2 = \frac{1}{\pi}e^{-2r} .$$したがって
$$T = \frac12\cdot\frac{1}{\pi}\cdot 4\pi\int_0^\infty r^2 e^{-2r}\,\dd r = 2\cdot\frac{2!}{2^3} = 2\cdot\frac14 = \frac12\ \mathrm{Ha} .$$ポテンシャルエネルギー.核電荷 $Z=1$ の引力ポテンシャル $-1/r$ の期待値は,掛け算演算子なので密度との積の積分でよい:
$$U = -\int \frac{\abs{\psi_{1s}}^2}{r}\,\dd^3 r = -\frac{1}{\pi}\cdot 4\pi\int_0^\infty r\,e^{-2r}\,\dd r = -4\cdot\frac{1!}{2^2} = -1\ \mathrm{Ha} .$$($r^2/r = r$ となり $k=1$ の積分になった.)検算.まず全エネルギーは
$$E = T + U = \frac12 - 1 = -\frac12\ \mathrm{Ha} = -13.606\ \mathrm{eV}$$で,水素原子のイオン化エネルギーの実測値と一致する.そして
$$2T + U = 2\cdot\frac12 + (-1) = 0, \qquad -T = -\frac12 = E, \qquad \frac{U}{2} = \frac{-1}{2} = -\frac12 = E$$となり,\eqref{eq:2-zeroforce} と本節の主要結果が数値として確かに成り立っている.$M=1$,$\bm{R}_1=\bm{0}$ なのでビリアルが自明にゼロになる,という状況の具体例である.
2.3.2 一般のべき型ポテンシャル:$2\braket{T} = n\braket{V}$
ビリアル定理の係数「$2$ と $1$」がどこから来たのかを,より一般的な視点から見ておこう.2.1節の物理的意味ボックスで予告したように,鍵はポテンシャルが距離の何乗であるかという1点だけである.ここでは話を最も簡単にするため,外部ポテンシャル $\hat V$ の中を動く1個の粒子を考える(核座標のスケーリングは不要で,力の項は現れない).$\hat V$ が次数 $n$ の同次関数である,すなわち任意の $\lambda\gt 0$ に対して
\begin{equation} V(\lambda\rr) = \lambda^{n}\,V(\rr) \label{eq:2-homog-n} \end{equation}を満たすとする.Coulombポテンシャル $-Z/r$ なら $-Z/(\lambda r) = \lambda^{-1}(-Z/r)$ なので $n=-1$,等方調和ポテンシャル $\tfrac12 k r^2$ なら $\tfrac12 k(\lambda r)^2 = \lambda^{2}\cdot\tfrac12 kr^2$ なので $n=2$ である.
2.2節とまったく同じ手順を踏む.厳密な基底状態を $\psi$ とし,スケールされた試行関数を
\begin{equation} \psi_s(\rr) = s^{3/2}\,\psi(s\rr) \label{eq:2-psis-1p} \end{equation}と定義する(電子1個なので前置因子は $s^{3\cdot 1/2}=s^{3/2}$).規格化が保たれることは \eqref{eq:2-norm2} と同じ計算で確かめられる.運動エネルギーについても \eqref{eq:2-kinscale} と同じ計算がそのまま通用し,今度は核座標依存性がないので $T(s)$ は定数 $T$ に置き換わる:
\begin{equation} \braket{\psi_s|\hat T|\psi_s} = s^2\,T . \label{eq:2-kin-1p} \end{equation}ポテンシャルの期待値は,置換 $\bar\rr = s\rr$(ヤコビアン $\dd^3 r = s^{-3}\dd^3\bar r$)により
\begin{align} \braket{\psi_s|\hat V|\psi_s} &= s^{3}\int \abs{\psi(s\rr)}^2\,V(\rr)\,\dd^3 r \notag\\ &= s^{3}\,s^{-3}\int \abs{\psi(\bar\rr)}^2\,V(\bar\rr/s)\,\dd^3 \bar r \notag\\ &= s^{-n}\int \abs{\psi(\bar\rr)}^2\,V(\bar\rr)\,\dd^3 \bar r = s^{-n}\,\braket{V} . \label{eq:2-pot-1p} \end{align}1行目は定義 \eqref{eq:2-psis-1p} の代入,2行目は置換積分,3行目では同次性 \eqref{eq:2-homog-n} を $\lambda = 1/s$ として使った($V(\bar\rr/s) = s^{-n}V(\bar\rr)$).したがって試行エネルギーは
\begin{equation} E(s) = s^2\,T + s^{-n}\,\braket{V} \label{eq:2-es-1p} \end{equation}となる.$s=1$ で真の基底状態に戻るから停留条件を課すと
\begin{align} \left.\frac{\dd E}{\dd s}\right|_{s=1} &= \left[2s\,T - n\,s^{-n-1}\braket{V}\right]_{s=1} = 2T - n\braket{V} = 0 \label{eq:2-stat-1p} \end{align}を得る($s^{-n}$ の微分は $-n s^{-n-1}$).すなわち
Coulomb系では $n=-1$ なので $2T = -\braket{V}$,すなわち $2T+U=0$ となり,力がゼロの場合の関係 \eqref{eq:2-zeroforce} が再現される.さらに $\braket{T}+\braket{V}=E$ と連立して $\braket{T}$,$\braket{V}$ を $E$ で表すと
\begin{align} \braket{V} = \frac{2}{n}\braket{T} \quad\Longrightarrow\quad E = \braket{T}+\frac{2}{n}\braket{T} = \frac{n+2}{n}\braket{T} \quad\Longrightarrow\quad \braket{T} = \frac{n}{n+2}E,\quad \braket{V} = \frac{2}{n+2}E \label{eq:2-tv-of-e} \end{align}が得られる(最後は $\braket{V}=E-\braket{T}=E-\tfrac{n}{n+2}E=\tfrac{2}{n+2}E$).代表的な場合を表にまとめる.
| ポテンシャル | 次数 $n$ | ビリアル比 | $\braket{T}$ | $\braket{V}$ |
|---|---|---|---|---|
| Coulomb $\;-Z/r$ | $-1$ | $2\braket{T}=-\braket{V}$ | $-E$ | $2E$ |
| 線形閉じ込め $\;\kappa r$ | $1$ | $2\braket{T}=\braket{V}$ | $E/3$ | $2E/3$ |
| 調和振動子 $\;\tfrac12 kr^2$ | $2$ | $\braket{T}=\braket{V}$ | $E/2$ | $E/2$ |
物理的意味:調和振動子との対比
調和振動子では $\braket{T}=\braket{V}=E/2$ であり,全エネルギーを下げれば運動エネルギーも下がる.ところがCoulomb系では $\braket{T}=-E$ であり,全エネルギーを下げると運動エネルギーは増える.この符号の違いは $n+2$ の符号,つまり $n=-1$ と $n=2$ の違いだけから来ている.「安定化すると運動エネルギーが増える」という一見奇妙な性質は,Coulomb相互作用($n=-1$)に固有のものである.次節で導く化学結合の一般則は,物質がCoulomb相互作用でできているという事実の直接の帰結にほかならない.なお $n=-2$ は $n+2=0$ となり式 \eqref{eq:2-tv-of-e} が破綻する特異な場合で,これは引力 $-c/r^2$ が強すぎると粒子が原点に落ち込んでしまう(基底状態が存在しない)という有名な事情に対応している.運動エネルギーの $s^2$ とポテンシャルの $s^{2}$ が完全に釣り合ってしまい,スケーリングに対してエネルギーが下がり続けられるからである.
2.4 凝集の一般則
いよいよ本章の中心命題に進む.ここで比較するのは,力がゼロである2つの状態である.
- 平衡状態(添字 eq):分子や結晶が構造最適化された配置.エネルギーを $E_{\mathrm{eq}}$,運動エネルギーを $T_{\mathrm{eq}}$,ポテンシャルエネルギーを $U_{\mathrm{eq}}$ と書く.
- 孤立原子の集合(添字 at):同じ組成の原子をばらばらに無限遠まで引き離した状態.$E_{\mathrm{at}}$,$T_{\mathrm{at}}$,$U_{\mathrm{at}}$ は構成原子すべてについての和である.
どちらも力がゼロなので,前節の主要結果がそれぞれに対して独立に成り立つ:
\begin{align} E_{\mathrm{eq}} &= -T_{\mathrm{eq}} = \frac{U_{\mathrm{eq}}}{2}, \label{eq:2-eq-state}\\[4pt] E_{\mathrm{at}} &= -T_{\mathrm{at}} = \frac{U_{\mathrm{at}}}{2} . \label{eq:2-at-state} \end{align}ここが議論の要である.ビリアル定理は,平衡状態と孤立原子という2つの異なる力ゼロ状態に同時に適用でき,しかも両者は同じ電子数・同じ原子核の集合からできている.だから両者の差をとることに意味がある.
2.4.1 凝集エネルギーの3つの等価な表式
凝集エネルギー(結合エネルギー,解離エネルギー)$E_{\mathrm{coh}}$ は,ばらばらの原子を集めて平衡構造を作るときに放出されるエネルギーとして,正の量になるように
\begin{equation} E_{\mathrm{coh}} \equiv -\bigl(E_{\mathrm{eq}} - E_{\mathrm{at}}\bigr) = E_{\mathrm{at}} - E_{\mathrm{eq}} \label{eq:2-ecoh-def} \end{equation}と定義される.結合が形成される(平衡構造の方が安定である)ことは $E_{\mathrm{coh}}\gt 0$ と同値である.この定義に \eqref{eq:2-eq-state}, \eqref{eq:2-at-state} を代入して,運動エネルギーだけの表式とポテンシャルエネルギーだけの表式を導く.まず $E=-T$ の形を使うと
\begin{align} E_{\mathrm{coh}} &= E_{\mathrm{at}} - E_{\mathrm{eq}} \label{eq:2-ecoh-T1}\\ &= \bigl(-T_{\mathrm{at}}\bigr) - \bigl(-T_{\mathrm{eq}}\bigr) \label{eq:2-ecoh-T2}\\ &= T_{\mathrm{eq}} - T_{\mathrm{at}} . \label{eq:2-ecoh-T3} \end{align}1行目は定義 \eqref{eq:2-ecoh-def} そのもの,2行目で両方の項に $E=-T$ を代入し,3行目で符号を整理した(マイナス同士が打ち消して順序が入れ替わる).次に $E=U/2$ の形を使うと
\begin{align} E_{\mathrm{coh}} &= E_{\mathrm{at}} - E_{\mathrm{eq}} \label{eq:2-ecoh-U1}\\ &= \frac{U_{\mathrm{at}}}{2} - \frac{U_{\mathrm{eq}}}{2} \label{eq:2-ecoh-U2}\\ &= \frac{1}{2}\bigl(U_{\mathrm{at}} - U_{\mathrm{eq}}\bigr) . \label{eq:2-ecoh-U3} \end{align}ここでも代入と共通因子 $1/2$ のくくり出しをしただけである.3つの表式を並べる.
結合形成に伴う変化量を $\Delta T \equiv T_{\mathrm{eq}}-T_{\mathrm{at}}$,$\Delta U \equiv U_{\mathrm{eq}}-U_{\mathrm{at}}$,$\Delta E \equiv E_{\mathrm{eq}}-E_{\mathrm{at}} = -E_{\mathrm{coh}}$ と書き直すと,上の3式は
\begin{equation} \Delta T = +\,E_{\mathrm{coh}}, \qquad \Delta U = -\,2E_{\mathrm{coh}}, \qquad \Delta E = \Delta T + \Delta U = E_{\mathrm{coh}} - 2E_{\mathrm{coh}} = -E_{\mathrm{coh}} \label{eq:2-deltas} \end{equation}という,極めて明快な形になる.最後の等式は3つの式が互いに無矛盾であることの検算になっている.ここから直ちに次の定理が従う.
定理:凝集の一般則
平衡構造にある任意のCoulomb系(分子・クラスター・固体)について,結合が形成されている($E_{\mathrm{coh}}\gt 0$)ならば必ず
$$T_{\mathrm{eq}} \gt T_{\mathrm{at}} \qquad\text{かつ}\qquad U_{\mathrm{eq}} \lt U_{\mathrm{at}}$$である.すなわち電子の運動エネルギーは孤立原子のときより必ず増加し,ポテンシャルエネルギーは凝集エネルギーのちょうど2倍だけ必ず減少する.逆に $E_{\mathrm{coh}}\lt 0$(結合しない)ならすべての不等号が逆転する.
証明:$E_{\mathrm{coh}} = T_{\mathrm{eq}}-T_{\mathrm{at}} \gt 0$ から直ちに $T_{\mathrm{eq}}\gt T_{\mathrm{at}}$.また $E_{\mathrm{coh}} = \tfrac12(U_{\mathrm{at}}-U_{\mathrm{eq}})\gt 0$ の両辺を2倍して移項すれば $U_{\mathrm{eq}} \lt U_{\mathrm{at}}$.$\square$
2.1節に掲げた3つのシナリオのうち,成り立ちうるのは (a) だけであった.しかもこの結論は,系が水素分子であろうと鉄の結晶であろうとタンパク質であろうと,また結合がイオン結合であろうと共有結合であろうと金属結合であろうと,まったく変わらない.使ったのはCoulomb相互作用の $1/r$ 依存性と変分原理だけだからである.
2.4.2 素朴な直観はなぜ誤りなのか
それでは,「電子が2つの核の間に非局在化するので運動エネルギーが下がる」という説明はどこが間違っているのだろうか.この問いには3つの角度から答える必要がある.
(i) 最適化されていない波動関数はビリアル定理を破る.まず,変分的に最適化されていない試行関数を使うと,$2T+U=0$ は成り立たないことを確認しよう.次の恒等式が本質を突いている.
導出:スケーリングだけでエネルギーは必ず下がる
力ゼロの状況(平衡構造)で,規格化された試行関数 $\Phi$ を用意し,その期待値を $t=\braket{\Phi|\hat T|\Phi}\gt 0$,$u=\braket{\Phi|\hat U|\Phi}$ とする.$\Phi$ に対して2.2節と同じスケーリング(電子座標と核座標をそろえて $s$ 倍する)を施した族 $\Phi_s$ を考えると,\eqref{eq:2-kinscale}, \eqref{eq:2-potscale} と同じ計算により試行エネルギーは
$$W(s) = s^2 t + s\,u$$となる.これは $s$ の2次関数だから,頂点(最小点)は初等的に求まる:
$$\frac{\dd W}{\dd s} = 2st + u = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad s^* = -\frac{u}{2t} .$$$t\gt0$ なので $\dd^2W/\dd s^2 = 2t \gt 0$,確かに最小である($u\lt 0$,すなわち正味で引力的な系ならば $s^*\gt0$ で物理的に意味がある).最小値は
$$W(s^*) = (s^*)^2 t + s^* u = \frac{u^2}{4t^2}\,t - \frac{u}{2t}\,u = \frac{u^2}{4t} - \frac{u^2}{2t} = -\frac{u^2}{4t} .$$したがって,スケーリングによって得られるエネルギー利得は
$$W(1) - W(s^*) = t + u + \frac{u^2}{4t} = \frac{4t^2 + 4tu + u^2}{4t} = \frac{(2t+u)^2}{4t}\ \ge\ 0$$である(2行目で通分し,3行目で完全平方に因数分解した).等号が成り立つのは $2t+u=0$,すなわち $\Phi$ がビリアル定理を満たすときに限る.逆に言えば,ビリアル定理を満たさない試行関数は,単に空間的に伸縮させるだけで必ずエネルギーを下げられる.なお最適化後の状態では $$2\,\braket{T}_{s^*} + \braket{U}_{s^*} = 2(s^*)^2 t + s^* u = s^*\bigl(2s^* t + u\bigr) = 0$$ となり,スケーリングの最適化はビリアル定理を自動的に成立させる.
この事実が素朴な議論の急所である.「原子軌道をそのまま足し合わせて分子軌道を作る」という最も単純なLCAO(原子軌道の線形結合)試行関数は,原子軌道の空間的な広がり(たとえば $e^{-\zeta r}$ の指数 $\zeta$)を孤立原子の値 $\zeta=1$ に固定している.この関数は $2t+u\ne 0$ を満たすので,まだ変分的に最適ではない.実際に $\zeta$ を変分パラメータとして最適化すると,水素分子では平衡距離で $\zeta\simeq 1.2$ 程度まで大きくなる,すなわち電子雲は原子のときより核に向かって収縮する.この収縮によって運動エネルギーは増え,核との引力エネルギーはさらに深くなり,最終的に $\Delta T\gt 0$,$\Delta U\lt 0$ という一般則の通りの結果に落ち着く.指数を固定した素朴な計算だけを見て「運動エネルギーが下がった」と結論するのは,変分計算の途中経過を最終結果と取り違えていることになる.
(ii) 「運動エネルギーが下がる」段階は確かに存在する——ただし平衡距離より遠方で.ビリアル定理が $\Delta T \gt 0$ を要求するのは,力がゼロの平衡点においてだけである.原子間距離 $R$ が平衡値からずれていれば力はゼロではなく,右辺のビリアルが効いてくる.二原子分子について,その効果を厳密に書き下してみよう.
導出:二原子分子のビリアル定理
2個の原子核を結ぶ線分の中点を原点に選び,核の位置を
$$\bm{R}_1 = -\frac{R}{2}\,\hat{\bm{z}}, \qquad \bm{R}_2 = +\frac{R}{2}\,\hat{\bm{z}}, \qquad R = \abs{\bm{R}_2 - \bm{R}_1}\gt 0$$とする.全エネルギーは分子の並進・回転で不変だから,核間距離 $R$ だけの関数 $E(R)$ である.核2に働く力を連鎖律で計算する:
$$\bm{F}_2 = -\frac{\partial E}{\partial \bm{R}_2} = -\frac{\dd E}{\dd R}\,\frac{\partial R}{\partial \bm{R}_2} = -\frac{\dd E}{\dd R}\,\frac{\bm{R}_2-\bm{R}_1}{R} = -\frac{\dd E}{\dd R}\,\hat{\bm{z}} .$$ここで $R=\abs{\bm{R}_2-\bm{R}_1}$ の勾配が単位ベクトル $(\bm{R}_2-\bm{R}_1)/R = \hat{\bm{z}}$ になることを使った(距離関数の勾配は相手から自分へ向かう単位ベクトル).同様に $\bm{F}_1 = +(\dd E/\dd R)\hat{\bm{z}}$ である(2つの力は大きさが等しく向きが逆,力の総和はゼロ).したがってビリアルは
$$\sum_n \bm{R}_n\cdot\bm{F}_n = \left(-\frac{R}{2}\right)\left(+\frac{\dd E}{\dd R}\right) + \left(+\frac{R}{2}\right)\left(-\frac{\dd E}{\dd R}\right) = -R\,\frac{\dd E}{\dd R}$$となる.よって二原子分子に対するビリアル定理は
\begin{equation} 2T(R) + U(R) = -R\,\frac{\dd E}{\dd R} \label{eq:2-diatomic-virial} \end{equation}である.これを $E(R)=T(R)+U(R)$ と連立して $T$,$U$ を $E$ で表そう.$U = E - T$ を代入すると
$$2T + (E - T) = -R\frac{\dd E}{\dd R} \qquad\Longrightarrow\qquad T(R) = -E(R) - R\,\frac{\dd E}{\dd R},$$さらに $U = E - T$ に戻して
$$U(R) = E - \left(-E - R\frac{\dd E}{\dd R}\right) = 2E(R) + R\,\frac{\dd E}{\dd R}$$を得る(Slaterの関係式,1933年).$R=R_{\mathrm{eq}}$ では $\dd E/\dd R=0$ なので $T=-E$,$U=2E$ となり,2.3節の結果に帰着する.
いま結合エネルギー曲線を $B(R) \equiv E_{\mathrm{at}} - E(R)$ と定義する($B\gt0$ が結合,$B(\infty)=0$,$B(R_{\mathrm{eq}})=E_{\mathrm{coh}}$).$\dd E/\dd R = -\dd B/\dd R$ に注意して,運動エネルギーの孤立原子からの変化を計算すると
\begin{align} \Delta T(R) \equiv T(R) - T_{\mathrm{at}} &= \Bigl[-E(R) - R\frac{\dd E}{\dd R}\Bigr] - \bigl(-E_{\mathrm{at}}\bigr) \label{eq:2-dTR1}\\ &= \bigl(E_{\mathrm{at}} - E(R)\bigr) + R\,\frac{\dd B}{\dd R} \label{eq:2-dTR2}\\ &= B(R) + R\,\frac{\dd B}{\dd R} = \frac{\dd}{\dd R}\Bigl[R\,B(R)\Bigr] . \label{eq:2-dTR3} \end{align}1行目では $T(R)$ に上の導出結果を,$T_{\mathrm{at}}=-E_{\mathrm{at}}$ に \eqref{eq:2-at-state} を使った.2行目で $-\dd E/\dd R = +\dd B/\dd R$ を代入し,3行目で $B$ の定義を使ったうえで,積の微分則を逆向きに読んで $B + R B' = (RB)'$ とまとめた.同様に
\begin{equation} \Delta U(R) \equiv U(R) - U_{\mathrm{at}} = -2B(R) - R\,\frac{\dd B}{\dd R} \label{eq:2-dUR} \end{equation}である($U(R)=2E+RE'$ と $U_{\mathrm{at}}=2E_{\mathrm{at}}$ から同じ手順で得られる).検算として $\Delta T + \Delta U = -B = E(R)-E_{\mathrm{at}} = \Delta E$ となり,確かに整合している.
結果 \eqref{eq:2-dTR3} は美しい.$\Delta T(R)$ は結合エネルギー曲線そのものではなく,$R\,B(R)$ という量の微分で決まる.したがって:
- $R\to\infty$ では $B\to0$ かつ $B$ は $R$ の減少とともに増えるので $\dd B/\dd R \lt 0$,しかも $R$ が大きいので $R\,\dd B/\dd R$ の項が $B$ より優勢になる.ゆえに $\Delta T \lt 0$:遠方では運動エネルギーは確かに減少する.
- $R = R_{\mathrm{eq}}$ では $\dd B/\dd R = 0$ なので $\Delta T = B(R_{\mathrm{eq}}) = E_{\mathrm{coh}} \gt 0$.
- その間のどこかに $\Delta T=0$ となる距離 $R^{*}$ がある.それは $R\,B(R)$ が最大になる点,すなわち $\dd(RB)/\dd R=0$ の解である.
つまり,「非局在化による運動エネルギーの低下」は結合が生まれ始める遠距離領域では実在する現象であり,素朴な直観はそこでは正しい.しかし原子がさらに近づき,電子雲が核へ向かって収縮する段階に入ると運動エネルギーは反転して増加に転じ,平衡点では必ず正になる.両者は矛盾せず,$R$ の関数として順に起こる別々の段階を見ているにすぎない.この描像を初めて詳しく解析したのはRuedenberg(1962)で,結合形成を「非局在化による運動エネルギー低下」と「軌道収縮による運動エネルギー回復」の2段階に分ける見方は今日の結合論の標準になっている.
(iii) 「箱の中の粒子」の類推が破れる理由.箱の幅を2倍にすると基底状態のエネルギーが $1/4$ になる,という計算では,ポテンシャルの形(箱の壁)は外から与えられていて動かない.しかし分子では,電子が動けばそれが作る場も変わるし,何より核との引力ポテンシャルの「井戸」は核の位置に固定された深い穴であって,電子が広い領域に薄く広がることは引力エネルギーの損失を意味する.実際にエネルギーを下げる主役は,2つの核の引力ポテンシャルが重なり合う結合領域に電子密度を集め,同時に各核の近傍に密度を収縮させて深いポテンシャルの底を稼ぐことである.箱の類推は「ポテンシャルが固定された系」の話であり,Coulomb系ではその前提が成り立たない.この違いは,2.3.2節で見た $n=2$(外から固定された調和ポテンシャル)と $n=-1$(粒子自身が作るCoulomb場)の違いに対応している.
2.5 水素分子の結合機構
前節の一般則は厳密な定理だが,抽象的でもある.ここでは最も単純な共有結合である水素分子 H2 について第一原理計算(密度汎関数法によるスピン分極計算)の数値を並べ,一般則が実際の計算でどう現れるかを確認する.以下の数値はすべてHartree原子単位系で,平衡核間距離は $R_{\mathrm{eq}} = 0.750\ \text{Å}$(実験値 $0.741\ \text{Å}$)である.
2.5.1 凝集エネルギーの計算
凝集エネルギーを求めるには,分子の全エネルギーと,参照状態である孤立原子の全エネルギーの両方が必要である.ここで注意すべき点が一つある.孤立水素原子は電子を1個しか持たないので,上向きスピンと下向きスピンの占有数が等しくないスピン分極状態にある.したがって参照エネルギーはスピン分極を許した計算で求めなければならない.計算値は次の通りである.
| 系 | 全エネルギー(Ha) | 備考 |
|---|---|---|
| H2 分子($R=R_{\mathrm{eq}}$) | $-1.16581$ | 閉殻(スピン非分極) |
| H 原子(スピン分極) | $-0.49914$ | 正しい参照状態(厳密値 $-0.5$) |
| H 原子(スピン非分極) | $-0.45781$ | 誤った参照状態 |
| スピン分極エネルギー(H原子1個あたり) | $0.04133$ Ha $=1.12$ eV | |
正しい参照状態を使って凝集エネルギーを計算する.定義 \eqref{eq:2-ecoh-def} に $E_{\mathrm{at}} = 2\times E(\mathrm{H})$,$E_{\mathrm{eq}} = E(\mathrm{H}_2)$ を代入して
\begin{align} E_{\mathrm{coh}} &= 2\,E(\mathrm{H}) - E(\mathrm{H}_2) \label{eq:2-h2-ecoh1}\\ &= 2\times(-0.49914) - (-1.16581) \label{eq:2-h2-ecoh2}\\ &= -0.99828 + 1.16581 = 0.16753\ \mathrm{Ha} \label{eq:2-h2-ecoh3}\\ &= 0.16753 \times 27.2114\ \mathrm{eV} = 4.56\ \mathrm{eV} . \label{eq:2-h2-ecoh4} \end{align}各行は,定義の適用,数値の代入,算術,Ha から eV への換算($1\,\mathrm{Ha}=27.2114\,\mathrm{eV}$)である.実験値 $4.75$ eV に対して $0.19$ eV(約4%)の過小評価で,交換相関汎関数の近似に由来する典型的な誤差の大きさである.
数学ノート:スピン非分極の参照状態を使うとどうなるか
もし誤ってスピン非分極のH原子($-0.45781$ Ha)を参照に使うと,$E_{\mathrm{coh}} = 2\times(-0.45781)+1.16581 = 0.25019$ Ha $= 6.81$ eV となり,実験値を $2.1$ eV も過大評価してしまう.この差 $0.08266$ Ha はちょうど2原子分のスピン分極エネルギー $2\times0.04133$ Ha に等しい.開殻の孤立原子を参照に使う場合,スピン分極を許すかどうかは凝集エネルギーの値を数 eV も左右する.この点は2.6節の解離の議論に直結する.
2.5.2 エネルギー分解と一般則の検証
同じ計算から,全エネルギーを運動エネルギー成分とポテンシャルエネルギー成分に分けて取り出すことができる.結合形成に伴う変化は
\begin{equation} \Delta E_{\mathrm{kin}} = +3.61\ \mathrm{eV}, \qquad \Delta E_{\mathrm{pot}} = -8.17\ \mathrm{eV}, \qquad \Delta E_{\mathrm{tot}} = 3.61 - 8.17 = -4.56\ \mathrm{eV} \label{eq:2-h2-decomp} \end{equation}であった(いずれも孤立原子2個を基準とした差).まず読み取るべきは符号である.運動エネルギーは増加($\Delta E_{\mathrm{kin}}\gt0$),ポテンシャルエネルギーは減少($\Delta E_{\mathrm{pot}}\lt0$)しており,これは2.4節の一般則,すなわちシナリオ (a) と完全に一致する.しかも運動エネルギーの増加は $3.61$ eV と,凝集エネルギー $4.56$ eV に匹敵する大きさである.「結合すると電子が広がって運動エネルギーが下がる」という描像がいかに実態からずれているかがわかる.
次に比を検算する.ビリアル定理の予言 \eqref{eq:2-deltas} は $\Delta T = +E_{\mathrm{coh}}$,$\Delta U = -2E_{\mathrm{coh}}$,すなわち比 $-\Delta U/\Delta T = 2$ である.
| 量 | ビリアル定理の予言 | 計算値 |
|---|---|---|
| $\Delta T$ | $+E_{\mathrm{coh}} = +4.56$ eV | $+3.61$ eV |
| $\Delta U$ | $-2E_{\mathrm{coh}} = -9.12$ eV | $-8.17$ eV |
| $\Delta E$ | $-E_{\mathrm{coh}} = -4.56$ eV | $-4.56$ eV |
| $-\Delta U/\Delta T$ | $2$ | $8.17/3.61 = 2.26$ |
符号と大きさの桁は完全に一致するが,比は $2$ からおよそ13%ずれている.この不一致は計算の誤りではなく,Kohn–Sham法におけるエネルギー分解の定義に由来する.第10章で詳しく学ぶように,Kohn–Sham法が直接計算する運動エネルギーは,相互作用しない参照系の運動エネルギー $T_s$ であって,真の多電子系の運動エネルギー $T$ ではない.両者の差
\begin{equation} T_c \equiv T - T_s \;\ge\; 0 \label{eq:2-tc-def} \end{equation}は相関運動エネルギーと呼ばれ,Kohn–Sham法では交換相関エネルギー $E_{xc}$ の中に埋め込まれている.つまり計算が出力する「運動エネルギー」は $T_s$,「ポテンシャルエネルギー」は $U + T_c$ に相当し,ビリアル定理が語る $T$ と $U$ そのものではない.$T_c$ は電子が互いを避け合うことで生じる分だけ正なので,この付け替えは $\Delta T$ を過小に,$\Delta U$ を過大(絶対値を小さく)に見せる.実際,ずれの大きさは
$$\Delta T_c \simeq 4.56 - 3.61 = 0.95\ \mathrm{eV} = 0.035\ \mathrm{Ha}$$で,これは H2 の相関エネルギーと同程度の大きさであり,上の解釈と矛盾しない.このほか,有限個の基底関数で展開している場合には,基底関数系がスケーリング変換 $\phi(\rr)\to s^{3/2}\phi(s\rr)$ について閉じていないため,変分解が厳密にはビリアル定理を満たさないという事情もある(2.4.2節の導出を思い出そう:変分空間にスケーリングの自由度が含まれていなければ,$2t+u=0$ は保証されない).いずれの補正も符号の結論を変えるものではない.
2.5.3 何が起きているのか:軌道の収縮と密度の再配置
数値の背後にある実空間の描像を見ておこう.H2 の最低Kohn–Sham軌道(結合軌道)を核間軸に沿って断面で描き,孤立原子の1s軌道を単純に足し合わせて規格化したものと比べると,図2.4のようになる.
分子の軌道は,単なる原子軌道の足し算より核の近くで鋭く,外側で速く減衰する.これは2.4.2節で述べた指数 $\zeta$ の増大($\zeta\simeq1\to1.2$)そのものである.勾配が急峻になるので運動エネルギーは上がり,同時に電子密度が核に近づくので $-Z/r$ という深いポテンシャルの底を稼ぎ,ポテンシャルエネルギーはそれ以上に下がる.
もう一つの標準的な可視化が差電子密度である.分子の電子密度から,同じ位置に置いた孤立原子の密度を単純に足したものを引く:
\begin{equation} \Delta\rho(\rr) = \rho_{\mathrm{H}_2}(\rr) - \sum_{n=1}^{2}\rho_{\mathrm{H}}^{\mathrm{atom}}(\rr-\bm{R}_n) \label{eq:2-diffdens} \end{equation}この量は,結合形成によって電子がどこからどこへ移ったかを直接示す.全空間で積分すればゼロ(電子数は保存する)なので,必ず正の領域と負の領域が対になって現れる.
物理的意味:結合の正味の描像
以上を1文にまとめると,共有結合とは「電子密度を2つの核の引力が重なる領域と各核の直近に集め,その代償として運動エネルギーを支払う取引」である.支払う運動エネルギーが $+E_{\mathrm{coh}}$,得るポテンシャルエネルギーが $-2E_{\mathrm{coh}}$ で,差し引き $-E_{\mathrm{coh}}$ が手元に残る.この収支は水素分子でも金属結晶でも変わらない.第3章以降で扱う自由電子ガスや遷移金属の凝集も,同じ枠組みで読むことができる.
2.6 解離極限とスピン分極
ここまでは平衡構造の話であった.今度は逆に,水素分子をゆっくり引き伸ばして2個の水素原子に解離させる過程を追う.この過程で起こる現象は,化学結合論としても磁性の理論としても重要である.結論を先に述べると,ある臨界距離を越えるとスピン分極した(磁気モーメントを持つ)状態の方が安定になる.これは孤立水素原子が磁気モーメント $1\,\mu_{\mathrm{B}}$ を持つことの必然的な帰結だが,その「切り替わり」の機構を理解すると,遷移金属がなぜ強磁性になるのかという問題への見通しが一気に開ける.
2.6.1 2準位強束縛モデル
まず,結合軌道と反結合軌道がどのように生まれ,そのエネルギー差が距離とともにどう変わるかを,可能な限り単純な模型で押さえる.2つの水素原子(サイト1と2)にそれぞれ1s軌道 $\chi_1$,$\chi_2$ が1つずつあるとし,これらを規格直交系とみなす($\braket{\chi_i|\chi_j}=\delta_{ij}$.実際には重なり積分があるが,それを対称直交化で取り除いた基底だと思えばよい).1電子Hamiltonian $\hat h$ の行列要素を
\begin{equation} \braket{\chi_1|\hat h|\chi_1} = \braket{\chi_2|\hat h|\chi_2} = \varepsilon_0, \qquad \braket{\chi_1|\hat h|\chi_2} = \braket{\chi_2|\hat h|\chi_1} = -t \qquad (t\gt 0) \label{eq:2-tb-elements} \end{equation}と書く.$\varepsilon_0$ はサイトエネルギー(その原子軌道1個だけのエネルギー),$t$ は飛び移り積分(transfer integral,hopping integral)である.2つのサイトは等価なので対角要素は等しく,また実関数を使えば非対角要素も対称になる.符号 $-t$($t\gt0$)は慣例で,こうしておくと後述の対称な組み合わせが低エネルギーになる.行列で書けば
\begin{equation} h = \begin{pmatrix} \varepsilon_0 & -t \\ -t & \varepsilon_0 \end{pmatrix} . \label{eq:2-tb-matrix} \end{equation}数学ノート:永年方程式($2\times2$ の固有値問題)
分子軌道を原子軌道の線形結合 $\phi = c_1\chi_1 + c_2\chi_2$ と展開し,$\hat h\phi = \varepsilon\phi$ の両辺に左から $\chi_1^*$,$\chi_2^*$ を掛けて積分する.規格直交性 $\braket{\chi_i|\chi_j}=\delta_{ij}$ を使うと,連立1次方程式
$$ \begin{cases} (\varepsilon_0-\varepsilon)\,c_1 - t\,c_2 = 0\\[2pt] -t\,c_1 + (\varepsilon_0-\varepsilon)\,c_2 = 0 \end{cases} $$が得られる.$c_1=c_2=0$ という自明解以外の解を持つためには,係数行列が逆行列を持ってはならない.すなわち行列式がゼロでなければならない.これを永年方程式(secular equation)という:
$$\det\begin{pmatrix} \varepsilon_0-\varepsilon & -t \\ -t & \varepsilon_0-\varepsilon\end{pmatrix} = (\varepsilon_0-\varepsilon)^2 - (-t)(-t) = (\varepsilon_0-\varepsilon)^2 - t^2 = 0 .$$($2\times2$ 行列の行列式は「たすき掛け」$ad-bc$ である.)左辺は $A^2-B^2=(A-B)(A+B)$ と因数分解できるので
$$\bigl(\varepsilon_0-\varepsilon-t\bigr)\bigl(\varepsilon_0-\varepsilon+t\bigr)=0 \qquad\Longrightarrow\qquad \varepsilon = \varepsilon_0 - t \ \ \text{または}\ \ \varepsilon = \varepsilon_0 + t .$$したがって2つの固有値は
\begin{equation} \varepsilon_{b} = \varepsilon_0 - t \qquad(\text{結合軌道}), \qquad \varepsilon_{a} = \varepsilon_0 + t \qquad(\text{反結合軌道}) \label{eq:2-tb-eigenvalues} \end{equation}である.固有ベクトルも求めておこう.$\varepsilon = \varepsilon_0 - t$ を第1式に代入すると
$$\bigl(\varepsilon_0-(\varepsilon_0-t)\bigr)c_1 - t\,c_2 = t\,c_1 - t\,c_2 = 0 \qquad\Longrightarrow\qquad c_1 = c_2 ,$$規格化条件 $c_1^2+c_2^2=1$ と合わせて $c_1=c_2=1/\sqrt2$.同様に $\varepsilon=\varepsilon_0+t$ では $-t c_1 - t c_2=0$ より $c_1=-c_2$,規格化して $c_1=1/\sqrt2$,$c_2=-1/\sqrt2$.すなわち
\begin{equation} \phi_{b} = \frac{1}{\sqrt2}\bigl(\chi_1+\chi_2\bigr), \qquad \phi_{a} = \frac{1}{\sqrt2}\bigl(\chi_1-\chi_2\bigr) . \label{eq:2-tb-vectors} \end{equation}$\phi_b$ は2つの原子軌道が同符号で重なるので核間領域で振幅が大きく,$\phi_a$ は逆符号なので核間の中点で節(振幅ゼロの面)を持つ.節があるということは波動関数がそこで急に符号を変えるということであり,勾配が大きく運動エネルギーが高い.HOMO(最高被占軌道)と LUMO(最低空軌道)のエネルギー差,すなわちギャップは
\begin{equation} \Delta_{\mathrm{gap}} = \varepsilon_a - \varepsilon_b = 2t \label{eq:2-tb-gap} \end{equation}である.
2.6.2 飛び移り積分の指数的減衰
$t$ は2つの原子軌道の「重なり」の大きさで決まるので,原子を引き離せば急速に小さくなる.定量的には,水素の1s軌道 $\chi(r) = \sqrt{\zeta^3/\pi}\,e^{-\zeta r}$ どうしの重なり積分が
\begin{equation} S(R) = \braket{\chi_1|\chi_2} = e^{-w}\left(1 + w + \frac{w^2}{3}\right), \qquad w \equiv \zeta R \label{eq:2-overlap} \end{equation}と閉じた形で書けることが知られている($R$ は Bohr 単位).$t$ もこれと同じ指数因子 $e^{-\zeta R}$ を持ち,大きな $R$ では多項式因子を含めて
\begin{equation} t(R) \;\propto\; R^{2}\,e^{-\zeta R} \qquad (R\to\infty) \label{eq:2-t-decay} \end{equation}のように振る舞う.指数関数の減衰は多項式の増大を圧倒するので,$t$ は実質的に指数関数的にゼロへ向かう.$\zeta\simeq1$ として数値を入れてみると,$R=0.75\ \text{Å}=1.42\,a_0$ では $S=0.75$ と非常に大きいのに,$R=3\ \text{Å}=5.67\,a_0$ では $S=0.060$,$R=5\ \text{Å}=9.45\,a_0$ では $S=0.0032$ しかない.すなわち $2.5$–$5\ \text{Å}$ の範囲で HOMO–LUMO ギャップ $2t$ は実質的に閉じてしまう.この「ギャップが閉じる」ことが,次に述べるスピン分極を可能にする条件である.
2.6.3 スピン分極が起こる条件
電子は2個ある.占有の仕方には次の2通りがある.
- スピン非分極(閉殻)状態:両方の電子が同じ空間軌道 $\phi_b$ に,上向きスピンと下向きスピンで入る.軌道エネルギーの和は $2(\varepsilon_0-t)$.磁気モーメント $m = n_\uparrow - n_\downarrow = 0$.
- スピン分極状態:2個とも上向きスピンにする.Pauliの原理により同じ空間軌道には入れないので,1個は $\phi_b$,もう1個は $\phi_a$ に入る.軌道エネルギーの和は $(\varepsilon_0-t)+(\varepsilon_0+t) = 2\varepsilon_0$.磁気モーメント $m=2$.
軌道エネルギーの観点だけで見れば,分極状態は
\begin{equation} \Delta E_{\mathrm{orb}} = 2\varepsilon_0 - 2(\varepsilon_0-t) = 2t \label{eq:2-orb-cost} \end{equation}だけ損をする.これはちょうどギャップの大きさである.ではなぜ分極が起こりうるのか.答えは,上の数え方が電子間相互作用を無視しているからである.2個の電子が同じ空間軌道 $\phi_b$ を共有すると,同じ場所に居続けることになりCoulomb反発が大きい.一方,$\phi_b$ と $\phi_a$ に分かれて入れば,互いに異なる空間分布を占めることができ,しかもスピンが平行なのでPauliの原理によって同じ点に来ることが禁じられる(交換孔).この結果,Coulomb反発と交換相関エネルギーが下がる.この利得を最も簡単に表すには,密度汎関数法の局所スピン密度近似が示唆する形
\begin{equation} \Delta E_{xc}(m) = -\frac{1}{4}\,I\,m^{2} \label{eq:2-stoner-gain} \end{equation}を使えばよい.$I$ はStoner パラメータと呼ばれる正の定数で,交換相互作用の強さを表す.$m$ の偶数乗しか現れないのは,すべてのスピンを反転させても系のエネルギーは変わらないという対称性による.$m=2$(完全分極)では $\Delta E_{xc} = -I$ となる.両者を足すと
\begin{equation} \Delta E_{\mathrm{pol}} \equiv E_{\mathrm{pol}} - E_{\mathrm{nonpol}} = 2t - I \label{eq:2-pol-balance} \end{equation}である.したがって
という判定条件が得られる.交換による利得がHOMO–LUMOギャップを上回れば分極する,という直感的にも納得しやすい形である.$t$ は距離とともに指数関数的に減衰するので,十分に引き伸ばせばこの条件は必ず満たされる.
2.6.4 数値による確認
模型が実際の計算とどう対応するかを,数値で確かめよう.核間距離 $r=3\ \text{Å}$ における H2 の計算結果は次の通りである(単位 Ha).
| 状態 | $E_{\mathrm{kin}}$ | $E_{\mathrm{pot}}$ | $E_{\mathrm{tot}}$ |
|---|---|---|---|
| スピン非分極 | $0.8231$ | $-1.7306$ | $-0.9076$ |
| スピン分極 | $0.9634$ | $-1.9148$ | $-0.9514$ |
| 差(分極 - 非分極) | $+0.1403$ | $-0.1842$ | $-0.0438$ |
eV に直すと $\Delta E_{\mathrm{kin}} = +3.82$ eV,$\Delta E_{\mathrm{pot}} = -5.01$ eV,$\Delta E_{\mathrm{tot}} = -1.19$ eV である.スピン分極は確かに $1.19$ eV だけ系を安定化させており,しかもその内訳は運動エネルギーの増加をポテンシャルエネルギーの減少が上回るという,2.4節の凝集の一般則とまったく同じパターンになっている.運動エネルギーが増えるのは,節を持つ反結合軌道 $\phi_a$ を占有するからである(図2.6).ポテンシャルエネルギーが下がるのは,2個の電子が異なる空間軌道に分かれて互いを避けられるようになるからである.
例:模型パラメータの推定
模型 \eqref{eq:2-pol-balance} を使って,計算値から $I$ と $t$ を逆算してみよう.まず $r\to\infty$ の極限では $t\to0$ なので $\Delta E_{\mathrm{pol}}\to -I$ である.一方,解離した2個の水素原子のスピン分極エネルギーは1原子あたり $0.04133$ Ha であったから,分子1個あたりでは
$$I \simeq 2\times 0.04133\ \mathrm{Ha} = 0.08266\ \mathrm{Ha} = 2.25\ \mathrm{eV} .$$次に $r=3\ \text{Å}$ での実測値 $\Delta E_{\mathrm{pol}} = -1.19$ eV を \eqref{eq:2-pol-balance} に入れると
$$2t(3\,\text{Å}) = I + \Delta E_{\mathrm{pol}} = 2.25 - 1.19 = 1.06\ \mathrm{eV}$$と,この距離でのHOMO–LUMOギャップが $1$ eV 程度と見積もられる.さらに,スピン分極が起こり始める臨界距離 $r_c$ は $2t(r_c)=I=2.25$ eV を満たす距離であり,$t$ が指数関数的に減衰することを考えると $3\ \text{Å}$ よりやや短い距離,実際の計算では約 $2.5\ \text{Å}$ になる.3つの数値がすべて無矛盾に収まっていることは,この単純な模型が本質を捉えていることの傍証である.
2.6.5 スピンを制限した計算はなぜ解離できないのか
スピン分極を許さない(閉殻を強制する)計算,すなわち制限付きHartree–Fock法やスピン非分極のKohn–Sham計算は,解離極限で深刻な誤差を生じる.理由は波動関数の形にある.両方の電子を同じ空間軌道 $\phi_b$ に入れると,2電子の空間部分は
\begin{align} \Phi(\rr_1,\rr_2) &= \phi_b(\rr_1)\,\phi_b(\rr_2) \notag\\ &= \frac{1}{2}\bigl[\chi_1(\rr_1)+\chi_2(\rr_1)\bigr]\bigl[\chi_1(\rr_2)+\chi_2(\rr_2)\bigr] \notag\\ &= \frac{1}{2}\underbrace{\bigl[\chi_1(\rr_1)\chi_2(\rr_2)+\chi_2(\rr_1)\chi_1(\rr_2)\bigr]}_{\text{共有結合的:H}\cdot+\cdot\text{H}} + \frac{1}{2}\underbrace{\bigl[\chi_1(\rr_1)\chi_1(\rr_2)+\chi_2(\rr_1)\chi_2(\rr_2)\bigr]}_{\text{イオン的:H}^+ + \text{H}^-} \label{eq:2-rhf-expand} \end{align}となる.1行目は閉殻の仮定,2行目は \eqref{eq:2-tb-vectors} の代入,3行目は括弧を展開して4つの項を「2つの電子が別々の原子にいる項」と「同じ原子に2個とも乗っている項」に分類しただけである.どんなに原子を引き離しても,この波動関数は50%のイオン的成分 H$^+$+H$^-$ を含み続ける.H$^-$ を作るには電子親和力を超えるエネルギーが必要なので,解離極限のエネルギーが実際より大幅に高くなる.
実際,スピン非分極のエネルギー曲線は $r\to\infty$ で $2\times(-0.45781) = -0.91562$ Ha に漸近する.正しい極限 $2\times(-0.49914)=-0.99828$ Ha との差は $0.08266$ Ha $=2.25$ eV で,これは上で求めた $I$ そのものである.$r=3\ \text{Å}$ での非分極エネルギー $-0.9076$ Ha が既に漸近値に近いことも,この曲線がほとんど平坦になっていることを示している.
物理的意味:対称性のジレンマ
これを直すのがスピン分極(非制限)計算である.上向き電子を原子1に,下向き電子を原子2に局在させれば,イオン的成分は消えてエネルギーは正しい極限に達する.ただし代償がある.得られた解は $\hat{S}^2$ の固有状態ではなく,一重項と三重項の混合になってしまう.真の基底状態は一重項なので,これは対称性の破れである.「対称性を保てばエネルギーが悪くなり,エネルギーを良くすれば対称性が壊れる」というこの状況をLöwdinは対称性のジレンマと呼んだ.平均場近似(Hartree–Fock法やKohn–Sham法)が本質的に抱える限界であり,静的相関(強相関)の問題として現代でも活発に研究されている.実用上は,解離やラジカル,遷移金属の磁性を扱うときは必ずスピン分極計算を行う,と覚えておけばよい.
先取り:Stoner条件
いま導いた判定条件 $I\gt 2t$ は,固体の磁性を支配するStoner条件の分子版である.固体では準位が連続的なバンドをなすので,離散的なギャップ $2t$ の代わりに Fermi 準位における状態密度 $\bar{D}(E_F)$(スピン1本あたり,原子1個あたり)が現れる.モーメント $m$ を作るには,$\downarrow$ チャンネルから $\uparrow$ チャンネルへ電子を移さなければならない.$\uparrow$ 側に $x$ 個移すとその Fermi 準位は $x/\bar{D}$ だけ上がり,$\downarrow$ 側は $x/\bar D$ だけ下がるので,次の1個を移すのに必要なエネルギーは $2x/\bar D$ である.$x=0$ から $m/2$ まで積分すると
$$\Delta E_{\mathrm{band}} = \int_0^{m/2}\frac{2x}{\bar D}\,\dd x = \frac{1}{\bar D}\left(\frac{m}{2}\right)^2 = \frac{m^2}{4\bar{D}(E_F)}$$となる.これが $2t$ に相当する「損」である.交換の利得 \eqref{eq:2-stoner-gain} と足し合わせると
$$\Delta E(m) = \frac{m^2}{4\bar D} - \frac{I m^2}{4} = \frac{m^2}{4}\left(\frac{1}{\bar D} - I\right)$$となり,これが負になる条件,すなわち
$$\bar{D}(E_F)\, I \gt 1$$が Stoner 条件である.「Fermi 準位の状態密度が大きい(=準位が密で,ギャップが小さい)ほど磁性が出やすい」という点で,分子の $I\gt2t$ とまったく同じ物理を語っている.Fe,Co,Ni が強磁性であるのは,狭い3dバンドのために $\bar D(E_F)$ が大きいからである.バンド構造と状態密度については第13章で詳しく扱う.
2.7 バルク系のビリアル定理
ここまでは分子を念頭に置いてきたが,ビリアル定理の導出には系の大きさや周期性についての仮定は一切入っていない.したがって固体にもそのまま適用できる.ただし固体では「原子に働く力」を一つひとつ数え上げるのは現実的でないので,右辺のビリアルを圧力という巨視的な量に書き換えたい.この節ではその書き換えを行い,
$$2T + U = 3pV$$という,固体物理でよく使われる形を導く.$p$ は圧力,$V$ は体積である.
2.7.1 表面に働く力を圧力で表す
設定を明確にする.無限に広がる完全結晶から,体積 $V$,表面 $S$ の大きな塊を切り出したものを考える.塊の中の原子はすべて理想的な格子点に固定し,格子定数は必ずしも平衡値ではないとする(圧縮または引張された状態).
このとき,塊の内部にある原子に働く力はゼロである.なぜなら,完全な周期構造の中では各原子のまわりの環境が反転対称性を含む結晶点群の対称性をもち,力ベクトルはその対称操作で不変でなければならないので,$\bm{F}_n = \bm{0}$ 以外にありえないからである(より素朴には,周りから四方八方に等しく引かれるので正味の力が消える).力がゼロでない原子は,片側に隣人がいない表面近傍の原子だけである.ゆえにビリアルの和は表面の原子についての和に帰着する:
\begin{equation} \sum_{n=1}^{M}\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n = \sum_{n\in S}\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n . \label{eq:2-bulk-surfsum} \end{equation}次に,表面の微小な面積要素 $\dd\bm{S}$(大きさが面積,向きが外向き法線)に属する原子たちに働く力の合計を考える.これらの原子は,内部の原子から外向きに押されている.もし塊を体積 $V$ に保つために外から圧力 $p$ を加えているなら,外部が面積要素に及ぼす力は $-p\,\dd\bm{S}$(内向き)であり,原子が静止しているためには内部から受ける力がこれと釣り合わなければならない.すなわち
\begin{equation} \sum_{n\in \dd\bm{S}}\bm{F}_n = p\,\dd\bm{S} . \label{eq:2-bulk-pdS} \end{equation}ここで $p=-\dd E/\dd V$ は通常の(熱力学的な)圧力の定義であり,圧縮された系では $p\gt0$ である.表面近傍の原子はすべてほぼ同じ位置 $\bm{R}$ にあるとみなせるので,面積要素からのビリアルの寄与は $\bm{R}\cdot(p\,\dd\bm{S})$ となる.塊が巨視的に大きければ,表面の厚み(数原子層)は塊の大きさに比べて無視でき,和を面積分に置き換えられる:
\begin{equation} \sum_{n\in S}\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n \;\simeq\; p\oint_S \bm{R}\cdot \dd\bm{S} . \label{eq:2-bulk-integral} \end{equation}2.7.2 Gaussの定理と $\nabla\cdot\bm{R}=3$
数学ノート:Gaussの定理(発散定理)
滑らかなベクトル場 $\bm{A}(\rr)$ と,閉曲面 $S$ で囲まれた領域 $V$ について
$$\oint_S \bm{A}\cdot\dd\bm{S} = \int_V \bigl(\nabla\cdot\bm{A}\bigr)\,\dd^3 r$$が成り立つ.ここで $\dd\bm{S}$ は外向き法線方向の面積要素,$\nabla\cdot\bm{A} = \partial A_x/\partial x + \partial A_y/\partial y + \partial A_z/\partial z$ は発散である.直感的には,領域を微小な立方体に分割したとき,隣り合う立方体の境界面を通る流れは打ち消し合い,最後に外側の表面を通る正味の流れだけが残る,ということを言っている.左辺は「表面から流れ出る総量」,右辺は「内部の湧き出しの総和」である.
本節で必要なのは $\bm{A}(\rr)=\rr$,すなわち位置ベクトルそのものを場とみなした場合である.$\rr=(x,y,z)$ の発散を成分ごとに計算すると
$$\nabla\cdot\rr = \frac{\partial x}{\partial x} + \frac{\partial y}{\partial y} + \frac{\partial z}{\partial z} = 1 + 1 + 1 = 3 .$$各項で,たとえば $\partial x/\partial x = 1$,$\partial y/\partial x = 0$ のように,独立変数の偏微分は自分自身に対して $1$,他に対して $0$ である.$3$ という数はもちろん空間の次元数であり,$d$ 次元なら $\nabla\cdot\rr = d$ となる.したがって
$$\oint_S \rr\cdot\dd\bm{S} = \int_V 3\,\dd^3 r = 3V .$$検算(球の場合).半径 $a$ の球面上では $\rr$ は面に垂直で大きさ $a$,面積要素は $a^2\dd\Omega$ だから $$\oint_S \rr\cdot\dd\bm{S} = \int a\cdot a^2\,\dd\Omega = a^3\cdot 4\pi = 3\cdot\frac{4}{3}\pi a^3 = 3V$$ となり,確かに一致する.
準備が整った.式 \eqref{eq:2-bulk-integral} の面積分にGaussの定理を適用すると
\begin{align} \sum_{n}\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n &\simeq p\oint_S \bm{R}\cdot \dd\bm{S} \label{eq:2-bulk-g1}\\ &= p\int_V \bigl(\nabla\cdot\bm{R}\bigr)\,\dd^3 r \label{eq:2-bulk-g2}\\ &= p\int_V 3\,\dd^3 r \label{eq:2-bulk-g3}\\ &= 3\,p\,V . \label{eq:2-bulk-g4} \end{align}1行目は表面の和を面積分に置き換えたもの,2行目でGaussの定理を使い,3行目で $\nabla\cdot\bm{R}=3$ を代入し,4行目で定数 $3$ を積分の外に出して $\int_V\dd^3 r = V$ とした.これをビリアル定理の右辺に代入すれば,目的の関係が得られる.
まず整合性を確認しよう.平衡状態では圧力がゼロ($p = -\dd E/\dd V = 0$,これは $E(V)$ が極小であることと同じ)なので右辺が消え,$2T+U=0$ という2.3節の関係に戻る.すなわちバルクの式は有限系の結果を圧力ゼロでない場合へ拡張したものになっている.なお,同じ関係は第16章16.3節で応力テンソル $\sigma_{\alpha\beta}$ のトレースとして再導出される.そこでの記号では $U\to E_{\mathrm{C}}$(全Coulombエネルギー),$p\to P$,$V\to\Omega$(単位胞体積)であり,$2T+E_{\mathrm{C}}=3P\Omega$ が本節の結果に対応する.応力テンソルは,この等方的な関係を「方向ごと」に分解した異方的な一般化になっている.
物理的意味
$2T+U=3pV$ は,系を圧縮したときに何が起こるかを教えてくれる.圧縮すると $p\gt0$ なので $2T+U\gt0$,すなわち運動エネルギーの寄与がポテンシャルより相対的に大きくなる.2.2節で見た「$T$ は $s^2$,$U$ は $s^1$ でスケールする」という非対称性を思い出せば当然で,系を縮めるほど運動エネルギーが急速に増えて圧力を押し返す.この圧力は電子の量子力学的なゼロ点運動に由来し,白色矮星を支える縮退圧と同じ起源をもつ.逆に引き伸ばすと $p\lt0$(張力)となり $2T+U\lt0$ になる.物質が壊れずに引っ張りに耐えるのはこの負の圧力の範囲内である.
2.7.3 ビリアルと凝集エネルギーの関係
バルクのビリアル $3pV$ は,体積を変えながら積分すると凝集エネルギーそのものを与える.立方晶を仮定して格子定数を $a$,平衡値を $a_{\mathrm{eq}}$ とし,対数的な変数
\begin{equation} x \equiv \ln\frac{a}{a_{\mathrm{eq}}} \label{eq:2-xdef} \end{equation}を導入する($x=0$ が平衡,$x\to\infty$ が原子をばらばらに引き離した極限).体積は $V=a^3$ だから
\begin{equation} V = a_{\mathrm{eq}}^3 e^{3x} = V_{\mathrm{eq}}\,e^{3x} \qquad\Longrightarrow\qquad \frac{\dd V}{\dd x} = 3V_{\mathrm{eq}}e^{3x} = 3V \label{eq:2-dvdx} \end{equation}である($a = a_{\mathrm{eq}}e^{x}$ を3乗し,指数関数の微分 $\dd e^{3x}/\dd x = 3e^{3x}$ を使った).連鎖律と圧力の定義 $p=-\dd E/\dd V$ より
\begin{equation} \frac{\dd E}{\dd x} = \frac{\dd E}{\dd V}\cdot\frac{\dd V}{\dd x} = (-p)\cdot(3V) = -3pV \qquad\Longrightarrow\qquad 3pV = -\frac{\dd E}{\dd x} . \label{eq:2-pv-dedx} \end{equation}したがって $2T+U=3pV$ の右辺は,対数体積変数に関するエネルギーの傾きにほかならない.これを $x=0$ から $\infty$ まで積分すると
\begin{align} \int_0^\infty 3pV\,\dd x &= -\int_0^\infty \frac{\dd E}{\dd x}\,\dd x \label{eq:2-pvint1}\\ &= -\bigl[E(x)\bigr]_0^\infty = E(0) - E(\infty) \label{eq:2-pvint2}\\ &= E_{\mathrm{eq}} - E_{\mathrm{at}} = -E_{\mathrm{coh}} . \label{eq:2-pvint3} \end{align}1行目は \eqref{eq:2-pv-dedx} の代入,2行目は微積分学の基本定理,3行目は $x=0$ が平衡構造,$x\to\infty$ が孤立原子の集合に対応することと,凝集エネルギーの定義 \eqref{eq:2-ecoh-def} を使った.$3pV$ を対数体積で積分した面積が,符号を除いて凝集エネルギーに等しい.平衡より膨張した領域では張力が働く($p\lt0$)ので積分は負になり,$E_{\mathrm{coh}}\gt0$ と整合する.この関係は,凝集エネルギーへの寄与を軌道角運動量成分($s$,$p$,$d$)ごとに分解して「どの電子が結合を担っているか」を調べる解析の出発点にもなる.遷移金属では $d$ 電子が引力的($3pV\lt0$),$sp$ 電子が反発的($3pV\gt0$)に働くことが知られている.
2.8 まとめと演習
2.8.1 本章のまとめ
- ビリアル定理.座標スケーリング $\Psi_s=s^{3N/2}\Psi(s\rr;\{s\bm{R}\})$ と変分原理の停留条件から,多電子系に対する厳密な関係 $2T+U=\sum_n\bm{R}_n\cdot\bm{F}_n$ が導かれる.近似は一切用いていない.導出に使ったのは,運動エネルギーが $s^2$,Coulombポテンシャルが $s^1$ でスケールするという2つの事実だけである.
- 力がゼロの状態.平衡構造と孤立原子ではビリアルが消え,$E=-T=U/2$ という強い関係が成り立つ.これはCoulomb相互作用($1/r$,同次次数 $n=-1$)に固有の性質で,一般のべき型ポテンシャルでは $2\braket{T}=n\braket{V}$,調和振動子($n=2$)なら $\braket{T}=\braket{V}=E/2$ となる(2.3.2節の記号で,$\hat V$ は1粒子の外部ポテンシャル).
- 凝集の一般則.$E_{\mathrm{coh}} = T_{\mathrm{eq}}-T_{\mathrm{at}} = \tfrac12(U_{\mathrm{at}}-U_{\mathrm{eq}})$.結合が形成されるならば,運動エネルギーは必ず $+E_{\mathrm{coh}}$ だけ増加し,ポテンシャルエネルギーは必ず $-2E_{\mathrm{coh}}$ だけ減少する.物質の種類にも結合の種類にもよらない普遍則である.
- 素朴な直観との折り合い.「非局在化で運動エネルギーが下がる」という描像は,平衡距離より遠方($\Delta T(R)=\dd[RB(R)]/\dd R\lt0$ の領域)では正しい.しかし原子が近づいて軌道が核へ収縮する段階で符号が反転し,平衡点では必ず $\Delta T\gt0$ になる.ビリアル定理を満たさない試行関数は,単に空間的に伸縮させるだけで $(2t+u)^2/4t$ だけエネルギーを下げられる.
- 水素分子.$E_{\mathrm{coh}}=0.1675$ Ha $=4.56$ eV(実験 $4.75$ eV).エネルギー分解は $\Delta E_{\mathrm{kin}}=+3.61$ eV,$\Delta E_{\mathrm{pot}}=-8.17$ eV で,符号は一般則の通りである.結合軌道は原子軌道の単純な重ね合わせより核に向かって収縮し,差電子密度は結合領域での密度増加を示す.
- 解離とスピン分極.2準位模型の固有値は $\varepsilon_0\mp t$,ギャップは $2t$ で,$t$ は距離とともに指数関数的に減衰する.交換の利得 $I$ がギャップ $2t$ を上回るとスピン分極状態が安定になる($I\gt2t$).これは固体のStoner条件 $\bar D(E_F)I\gt1$ の分子版である.スピンを制限した計算は解離極限で $50\%$ のイオン的成分を含み続けるため,正しい極限に達しない.
- バルク系.表面原子に働く力を圧力で表しGaussの定理($\nabla\cdot\bm{R}=3$)を使うと $2T+U=3pV$ を得る.平衡($p=0$)では $2T+U=0$ に戻る.また $3pV=-\dd E/\dd x$($x=\ln(a/a_{\mathrm{eq}})$)であり,その積分が凝集エネルギーを与える.
注意:Kohn–Sham法でのエネルギー分解
本章のビリアル定理は真の多電子波動関数の運動エネルギー $T$ とポテンシャルエネルギー $U$ についての厳密な関係である.ところが実際の計算で標準的に用いられるKohn–Sham法(第10章)が直接与えるのは,相互作用しない参照系の運動エネルギー $T_s$ であり,真の運動エネルギーとの差 $T_c = T-T_s\ \ge 0$(相関運動エネルギー)は交換相関エネルギー $E_{xc}$ の中に繰り込まれている.したがって計算出力の「運動エネルギー」「ポテンシャルエネルギー」をそのままビリアル定理に当てはめると,2.5.2節で見たようにビリアル比が $2$ からずれる.厳密なビリアル分解を行うには,$E_{xc}$ から $T_c$ を分離するという(一般には難しい)補正が必要である.ただし本章で導いた符号に関する一般則は,この補正では覆らない.また,有限基底で展開している場合には,基底関数系がスケーリング変換について閉じていないという別の誤差要因も加わる.数値計算の結果をビリアル定理で検証するときは,この2点を頭に置いておく必要がある.
2.8.2 次章への橋渡し
本章で得た「凝集はポテンシャルエネルギーの利得を運動エネルギーの損で買う取引である」という見方は,次章以降でも繰り返し使う.第3章では最も単純な多電子系である自由電子ガスを扱い,Pauliの排他律だけから生じる巨大な運動エネルギー(縮退圧)を計算する.それは本章で「$s^2$ でスケールする項」と呼んだものの具体的な姿であり,金属の凝集を考えるときに常に相手取ることになる反発項でもある.さらに第4章では,その運動エネルギーを電子密度だけの汎関数として書き下す試み(Thomas–Fermi模型)に進み,密度汎関数理論への道を開く.
2.8.3 演習問題
演習2.1:水素様イオンとスケーリングの最適化
核電荷 $Z$ の水素様イオン(電子1個)を考える.試行関数として
$$\psi_\zeta(\rr) = \sqrt{\frac{\zeta^3}{\pi}}\;e^{-\zeta r} \qquad(\zeta\gt0)$$を用いる.
- $\psi_\zeta$ が規格化されていることを確かめよ.
- 2.3.1節の例と同じ手順で $T(\zeta)=\zeta^2/2$,$U(\zeta)=-Z\zeta$ を示せ.
- $E(\zeta)=T+U$ を $\zeta$ について最小化し,$\zeta=Z$,$E=-Z^2/2$ を得よ.
- $2T(\zeta)+U(\zeta) = \zeta(\zeta-Z)$ を示し,これが $\zeta=Z$ のときに限りゼロになることを確認せよ.すなわちビリアル定理は変分的に最適な $\zeta$ に対してのみ成り立つ.
ヒント:(2) では2.3.1節の数学ノートの公式 $\int_0^\infty r^k e^{-ar}\dd r = k!/a^{k+1}$ を $a=2\zeta$ として使う.(4) は 2.4.2節の導出ボックスと同じ状況で,$W(1)-W(s^*)=(2t+u)^2/4t$ の具体例になっている.
演習2.2:べき型ポテンシャルのビリアル比
2.3.2節で導いた一般関係 $2\braket{T}=n\braket{V}$ を,具体例で確かめる.
- 1次元調和振動子($V=\tfrac12\omega^2 x^2$,原子単位で質量 $1$)の基底状態 $\psi(x)=(\omega/\pi)^{1/4}e^{-\omega x^2/2}$ について $\braket{x^2}=1/(2\omega)$ を示し,$\braket{V}=\omega/4$ を得よ.エネルギーが $E=\omega/2$ であることから $\braket{T}=\omega/4=\braket{V}$ となり,$n=2$ の場合の予言と一致することを確認せよ.
- ポテンシャルが $V=\kappa r$(線形閉じ込め,$n=1$)のとき $\braket{T}=E/3$,$\braket{V}=2E/3$ となることを式 \eqref{eq:2-tv-of-e} から導け.
- $n=-2$,すなわち $V=-c/r^2$ の場合に式 \eqref{eq:2-tv-of-e} が意味を失う理由を,$E(s)=s^2T+s^2\braket{V}$ という形から説明せよ.
ヒント:(1) の $\braket{x^2}$ はGauss積分 $\int_{-\infty}^{\infty} x^2 e^{-\omega x^2}\dd x = \tfrac12\sqrt{\pi/\omega^3}$ と $\int_{-\infty}^{\infty} e^{-\omega x^2}\dd x=\sqrt{\pi/\omega}$ の比で求まる.(3) では $E(s)$ が $s^2$ に比例するので,$T+\braket{V}\lt0$ ならば $s\to\infty$ でエネルギーがいくらでも下がることに注意する.
演習2.3:運動エネルギーが増加に転じる距離
二原子分子の結合エネルギー曲線をMorse型
$$B(R) = D_e\left[2e^{-\alpha(R-R_{\mathrm{eq}})} - e^{-2\alpha(R-R_{\mathrm{eq}})}\right]$$で近似する($B(R_{\mathrm{eq}})=D_e$,$B(\infty)=0$ を確認せよ).
- 2.4.2節の結果 $\Delta T(R)=\dd[R\,B(R)]/\dd R$ を用いて,$\Delta T=0$ となる距離 $R^{*}$ が満たす方程式を導け.$u\equiv e^{-\alpha(R-R_{\mathrm{eq}})}$ と置くと $u = (2\alpha R-2)/(2\alpha R-1)$ となることを示せ.
- 水素分子のパラメータ $D_e=4.75$ eV,$R_{\mathrm{eq}}=0.741\ \text{Å}$,$\alpha=1.94\ \text{Å}^{-1}$ を代入し,この方程式を数値的に(たとえば逐次代入法で)解いて $R^{*}$ を求めよ.$R^{*}$ が平衡距離より外側にあることを確認せよ.
- $R\gt R^{*}$ で $\Delta T\lt0$,$R\lt R^{*}$ で $\Delta T\gt0$ となることを確かめ,図2.3の描像と対応づけよ.
ヒント:(1) では $\dd B/\dd R = 2\alpha D_e(u^2-u)$ を使い,$B+R\,\dd B/\dd R=0$ を $u$ について整理する.$u=0$ は $R\to\infty$ の自明解なので除く.(2) では $R^{*}$ の初期値を $1.5\ \text{Å}$ として,得られた値を再び右辺に代入する操作を数回繰り返せば収束する.
演習2.4:バルクのビリアルと体積弾性率
立方晶の固体について,$x=\ln(a/a_{\mathrm{eq}})$,$3pV=-\dd E/\dd x$ という2.7.3節の結果を使う.体積弾性率は $B_0 = V\,\dd^2E/\dd V^2$ で定義される(平衡体積 $V_{\mathrm{eq}}$ での値).
- $\dd/\dd x = 3V\,\dd/\dd V$ であることを示せ.
- これを2回使って $\dd^2E/\dd x^2 = 9V\,\dd E/\dd V + 9V^2\,\dd^2E/\dd V^2$ を導け.
- 平衡では $\dd E/\dd V=0$ であることから $$B_0 = \frac{1}{9V_{\mathrm{eq}}}\left.\frac{\dd^2 E}{\dd x^2}\right|_{x=0}$$ を示せ.すなわち $E$–$x$ 曲線の曲率から体積弾性率が直接読み取れる.
- $3pV$ を $x$ の関数としてプロットすると,原点付近の傾きが $-9V_{\mathrm{eq}}B_0$ になることを示せ.
ヒント:(2) では積の微分に注意する:$\dd/\dd x\,(3V\,\dd E/\dd V) = 3V\,\dd/\dd V\,(3V\,\dd E/\dd V)$ を展開する.(4) は $3pV=-\dd E/\dd x$ を $x$ で微分して (3) を使えばよい.
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