マテリアル計算科学入門 — 目次 第V部 分子から固体へ / 第14章

第14章イオン結晶における電子状態

前章では,イオン結晶を「点電荷の集まり」とみなし,Madelung定数を用いて静電エネルギーを計算した.そこでは電子は原子核のまわりに丸く固まった球としてしか現れず,「どの電子がどのエネルギー準位にいるか」という問いは扱わなかった.本章ではこの最後の一歩を踏み出す.すなわち,イオン結晶の電子状態——価電子帯・伝導帯・バンドギャップ——が,どのような物理的要因の積み重ねで決まるのかを,NaCl を題材に定量的に追いかける.

本章の中心にあるのは一つの素朴な疑問である.Na の最外殻は 3s,Cl の最外殻は 3p であり,同じ主量子数なら $s$ 軌道のほうが $p$ 軌道より低いはずである.それどころか,自由なイオンについて実測値を並べると Na$^+$ の 3s 準位のほうが Cl$^-$ の 3p 準位より低い.にもかかわらず,実際の NaCl 結晶では Cl-3p が価電子帯(下),Na-3s が伝導帯(上)になる.なぜ順序がひっくり返るのか. 答えは第13章で計算した Madelung ポテンシャルそのものにある.本章では,(a) 自由イオン → (b) Madelung ポテンシャル → (c) 静電分極 → (d) 軌道の重なり,という4段階を順に積み上げ,$-1.5$ eV から出発して実験値 $8.5$ eV にたどり着く道筋を,すべて数式で確かめる.

本章は本書の最終章でもある.最後の節では,第1章で掲げた「どんな元素を,どのように並べたら,どんな性質が出てくるのか」という問いに対して,ここまでの14章で何が言えるようになったかを総括し,この先に学ぶべきことを示す.

この章で学ぶこと
  • $N$ 個の原子を並べると第11章の永年方程式の解が $N$ 本になり,$N\to10^{23}$ でほぼ連続になること(Hückel鎖の厳密解 $E_j=\alpha+2\beta\cos\frac{j\pi}{N+1}$ と,準位間隔 $\sim10^{-22}$ eV の評価)
  • 価電子帯・伝導帯・バンドギャップの定義,VBM/CBM,分子の HOMO–LUMO ギャップとの対応
  • Fermi準位の位置による金属・半導体・絶縁体の分類と,金属と縮退半導体の違い
  • 自由イオンでは $E_g=A-I=-1.53$ eV と符号が逆転していること
  • Madelungポテンシャル $U=\dfrac{A_M \ee^2}{4\pi\eps R_0}$ による準位の押し上げ・押し下げと $E_g=A-I+2U$
  • 静電分極による縮小(Born の分極エネルギー,Thomas–Fermi遮蔽)と,軌道の重なりによるバンド形成
  • イオン半径 → $1/R_0$ → Madelungポテンシャル → バンドギャップという因果の連鎖と,アルカリハライドの傾向
  • NaCl のバンド分散図で VBM が Cl-3p 的,CBM が Na-3s 的であること
前提:第11章(永年方程式,Coulomb積分 $\alpha$・共鳴積分 $\beta$,結合性/反結合性軌道),第13章(Madelung定数と静電エネルギー),第10章(HOMO・LUMO と分子軌道ダイアグラム),第2章(軌道エネルギーと量子数).行列の固有値問題と三角関数の加法定理は付録Aを参照.

注意:本章での記号 $U$ について

本章では,講義資料および P. A. Cox の教科書(文献[1])にならって,Madelungポテンシャルエネルギーの大きさを $U$ と書く.第9章・第11章で Coulomb 積分を $U$ と書いたのとは別の量なので混同しないでほしい.本章では Coulomb 積分は登場せず,共鳴積分 $\beta$ のみが 14.1 節と 14.5 節に現れる.

14.1 分子から固体へ — 準位が帯になる

量子力学は,口うるさく「エネルギーや運動量は飛び飛びの値しかとれない」と教える物理学であった.水素原子のエネルギー準位 $E_n=\epsilon_{1s}/n^2$(第2章)も,二原子分子の結合性・反結合性軌道 $\alpha\pm\beta$(第11章)も,確かに離散的である.ところが固体の教科書を開くと,電子のエネルギーは「バンド(帯)」という連続的な塗りつぶしで描かれている.飛び飛びだったはずのものが,なぜ連続になるのか.

なぜ?:離散と連続は矛盾しないのか

結論を先に言えば,固体でもエネルギー準位は厳密には離散である.ただし,$1\ \mathrm{cm^3}$ の結晶には $10^{22}$〜$10^{23}$ 個の原子が入っており,準位の本数も同じだけある.それらが数 eV の幅に詰め込まれるので,隣り合う準位の間隔は $10^{-22}$ eV 程度になる.室温の熱エネルギー $k_BT\approx 0.026$ eV に比べて $10^{20}$ 倍以上も小さい.この隔たりが桁違いすぎるので,実用上は連続とみなしてよい,というだけのことである.「量子力学が破れた」わけではない.

14.1.1 原子を1個,2個,3個…と増やしていく

まず,第11章で扱った永年方程式が,原子数を増やすとどうなるかを追いかけよう.第11章では,2つの原子軌道 $\chi_1,\chi_2$ の線形結合 $\phi=c_1\chi_1+c_2\chi_2$ を試行関数とし,変分法から永年方程式

$$ \begin{equation} \begin{pmatrix} \alpha-E & \beta \\ \beta & \alpha-E \end{pmatrix} \begin{pmatrix} c_1 \\ c_2 \end{pmatrix} = \begin{pmatrix} 0 \\ 0 \end{pmatrix} \label{eq:14-secular-2} \end{equation} $$

を得た(ここでは簡単のため重なり積分を $S=0$ と置いた Hückel 近似を用いる).$\alpha=\braket{\chi_1|\Ham|\chi_1}$ は Coulomb 積分,$\beta=\braket{\chi_1|\Ham|\chi_2}$ は共鳴積分で,$\beta \lt 0$ である.解は $E=\alpha\pm\beta$ の2本,すなわち結合性軌道 $\alpha+\beta$ と反結合性軌道 $\alpha-\beta$ であった.

では原子を $N$ 個,一直線に等間隔で並べたらどうなるか.各原子が1つずつ軌道 $\chi_n$($n=1,\dots,N$)を出し,隣り合う原子の間だけに共鳴積分 $\beta$ が働くとする(最近接近似).試行関数を

$$ \phi=\sum_{n=1}^{N} c_n \chi_n $$

と置いて変分すると,永年方程式は $N\times N$ の三重対角行列の固有値問題になる.

$$ \begin{equation} \begin{pmatrix} \alpha-E & \beta & & & \\ \beta & \alpha-E & \beta & & \\ & \beta & \alpha-E & \ddots & \\ & & \ddots & \ddots & \beta \\ & & & \beta & \alpha-E \end{pmatrix} \begin{pmatrix} c_1 \\ c_2 \\ c_3 \\ \vdots \\ c_N \end{pmatrix} = \bm{0} \label{eq:14-secular-N} \end{equation} $$

$N=2$ とすれば,これは第11章の永年方程式 \eqref{eq:14-secular-2} そのものである.式 \eqref{eq:14-secular-N} を成分ごとに書き下せば,$n=1,\dots,N$ に対して

$$ \begin{equation} \beta c_{n-1} + (\alpha-E)c_n + \beta c_{n+1} = 0, \qquad c_0 \equiv 0,\quad c_{N+1}\equiv 0 \label{eq:14-recurrence} \end{equation} $$

という漸化式になる.両端に「存在しない原子」の係数をゼロと置くのが境界条件である.

導出:$N$ 原子鎖の準位を厳密に解く

式 \eqref{eq:14-recurrence} は定数係数の3項漸化式なので,三角関数を試してみる.

$$ c_n = \sin(n\theta) $$

と置いてみよう($\theta$ は未知の実数).これは自動的に $c_0=\sin 0=0$ を満たす.左辺に代入すると

$$ \beta\bigl[\sin((n-1)\theta)+\sin((n+1)\theta)\bigr] + (\alpha-E)\sin(n\theta) = 0 . $$

ここで三角関数の和積公式

$$ \sin(A-B)+\sin(A+B) = 2\sin A\cos B $$

を $A=n\theta$, $B=\theta$ に適用すると $\sin((n-1)\theta)+\sin((n+1)\theta)=2\sin(n\theta)\cos\theta$ であるから,

$$ \bigl[\,2\beta\cos\theta + \alpha - E\,\bigr]\sin(n\theta) = 0 . $$

これがすべての $n$ で成り立つには,角括弧の中がゼロでなければならない.すなわち

$$ E = \alpha + 2\beta\cos\theta . $$

次に,もう一方の境界条件 $c_{N+1}=0$ から $\theta$ が決まる.

$$ \sin\bigl((N+1)\theta\bigr)=0 \quad\Longrightarrow\quad (N+1)\theta = j\pi ,\qquad j=1,2,\dots,N . $$

($j=0$ は $c_n\equiv0$ で無意味,$j=N+1$ 以上は既出の解の重複になる.)したがって固有値は

$$ \begin{equation} E_j = \alpha + 2\beta\cos\!\left(\frac{j\pi}{N+1}\right), \qquad j=1,2,\dots,N \label{eq:14-chain-levels} \end{equation} $$

と,$N$ 本の準位がぴたりと求まる.対応する係数は $c_n^{(j)}\propto\sin\!\left(\dfrac{jn\pi}{N+1}\right)$ である.

式 \eqref{eq:14-chain-levels} は驚くほど素直な式である.$N$ の値を入れて確かめてみよう.$\beta \lt 0$ なので,$\cos$ が大きい($j$ が小さい)ほど $E$ は低い.

例題14.1 $N=1,2,3,4$ の場合を書き下す

問題:式 \eqref{eq:14-chain-levels} を用いて $N=1,2,3,4$ の準位を求め,第11章の結果と一致することを確かめよ.

解答:$E_j-\alpha = 2\beta\cos\dfrac{j\pi}{N+1}$ を計算すればよい.

準位の本数が原子数 $N$ とぴたり一致し,しかも幅が $\pm2|\beta|$ の範囲に収まっていく様子が見てとれる.

原子数Nを増やしたときのHückel準位の分裂とバンドの形成.N=1,2,3,4,10 の準位の位置と,N→10^23 で幅 4|β| の帯になる様子を示す.
図14.1 1次元 $N$ 原子鎖の Hückel 準位.式 \eqref{eq:14-chain-levels} を実際に計算して描いた.準位の本数は原子数 $N$ に等しく,いずれも $\alpha\pm2|\beta|$ の幅に収まる.$N$ が増えるほど準位は密になり,$N\to10^{23}$ で幅 $W=4|\beta|$ の連続的な「帯」に見えるようになる.準位はバンドの上端・下端近くで混み合うことにも注意(1次元系の状態密度が band edge で発散することの現れ).

14.1.2 バンド幅と準位間隔 — 「ほぼ連続」を数値で確かめる

式 \eqref{eq:14-chain-levels} で $\theta=j\pi/(N+1)$ は $0$ から $\pi$ の間をほぼ埋め尽くす.$\cos\theta$ は $+1$ から $-1$ まで動くから,準位は

$$ \alpha-2|\beta| \;\le\; E \;\le\; \alpha+2|\beta| $$

の範囲に収まる($\beta\lt0$ を使った).この幅をバンド幅(band width)と呼び,

$$ \begin{equation} W = 4\abs{\beta} \label{eq:14-bandwidth} \end{equation} $$

である.バンド幅は原子数 $N$ によらず,隣接原子間の共鳴積分 $\beta$ だけで決まる.これは非常に重要な結論である.第11章で学んだとおり $\beta$ は2つの原子軌道の重なりが大きいほど絶対値が大きくなるから,原子間距離が短く,軌道が広がっているほどバンドは広い.この事実は 14.5 節で「バンド形成がバンドギャップを縮める」という話につながる.

次に,隣り合う準位の間隔を評価しよう.$j$ を1つ増やすと $\theta$ は $\Delta\theta=\pi/(N+1)$ だけ増える.$E(\theta)=\alpha+2\beta\cos\theta$ を $\theta$ で微分すると $\dd E/\dd\theta = -2\beta\sin\theta$ だから,

$$ \begin{equation} \Delta E \simeq \abs{\frac{\dd E}{\dd\theta}}\Delta\theta = 2\abs{\beta}\sin\theta \cdot \frac{\pi}{N+1} \simeq \frac{2\pi\abs{\beta}\sin\theta}{N} . \label{eq:14-level-spacing} \end{equation} $$

バンドの中央($\theta=\pi/2$,$\sin\theta=1$)でもっとも間隔が広く,バンドの上端・下端($\sin\theta\to0$)では間隔がさらに詰まる.図14.1 で $N=10$ の準位が上下で混み合っているのはこのためである.

例題14.2 準位間隔は本当に $10^{-22}$ eV か

問題:$1\ \mathrm{cm^3}$ の結晶に $N=1.0\times10^{23}$ 個の原子が一列に並んでいるとみなし,$\abs{\beta}=2.0$ eV としてバンド中央の準位間隔 $\Delta E$ を求めよ.また室温($300$ K)の熱エネルギー $k_BT$ と比べよ.

解答:式 \eqref{eq:14-level-spacing} で $\sin\theta=1$ とおくと

$$ \Delta E = \frac{2\pi \times 2.0\ \mathrm{eV}}{1.0\times10^{23}} = \frac{12.57\ \mathrm{eV}}{1.0\times10^{23}} = 1.3\times10^{-22}\ \mathrm{eV}. $$

一方,室温の熱エネルギーは

$$ k_BT = (1.381\times10^{-23}\ \mathrm{J\,K^{-1}})\times(300\ \mathrm{K}) = 4.14\times10^{-21}\ \mathrm{J} = \frac{4.14\times10^{-21}}{1.602\times10^{-19}}\ \mathrm{eV} = 2.6\times10^{-2}\ \mathrm{eV}. $$

比をとると

$$ \frac{k_BT}{\Delta E} = \frac{2.6\times10^{-2}}{1.3\times10^{-22}} = 2.0\times10^{20}. $$

すなわち,室温のゆらぎ1回分のエネルギーの中に,$10^{20}$ 本もの準位が入っている.個々の準位を区別することは原理的にも実験的にも不可能であり,連続とみなすほかない.

注意:「連続」は近似であって,真実ではない

バンド図の塗りつぶしは,$10^{23}$ 本の線を描ききれないための便宜である.実際,ナノ粒子や量子ドットのように原子数が $10^3$〜$10^5$ 程度に減ると,式 \eqref{eq:14-level-spacing} の $\Delta E$ は meV 程度まで大きくなり,離散性が光吸収スペクトルにはっきり現れる.これが量子サイズ効果(quantum size effect)である.「固体=連続」は,原子数が十分大きいときにだけ成り立つ近似だと心得ておこう.

14.1.3 周期境界条件 — 端をなくす

ところで,上の計算では鎖の両端で $c_0=c_{N+1}=0$ という境界条件を課した.これは「端がある」有限の鎖の扱いである.しかし現実の結晶で表面の効果を考えたくないとき,あるいは無限に広い結晶を有限個の原子で代用したいときには,別の便利な境界条件を使う.

定義:周期境界条件(Born–von Kármán 境界条件)

格子定数 $a$ の1次元結晶を $N$ 個の単位胞で打ち切り,$N$ 番目の右隣が1番目に戻る(鎖を輪にする)とみなす.すなわち波動関数に

$$ \begin{equation} \phi(x+Na) = \phi(x) \label{eq:14-pbc} \end{equation} $$

を課す.周期境界条件(periodic boundary condition)と呼ぶ.「1つの格子分だけずらしても構造がぴったり重なる」という結晶の並進対称性を,有限系の計算の中で壊さずに保つための工夫である.

周期境界条件のもとでは,係数を $c_n=e^{ikna}$(進行波)と置くのが自然になる.式 \eqref{eq:14-recurrence} に代入すると(境界の項がなくなるので,すべての $n$ について同じ形が成り立つ)

$$ \beta e^{ik(n-1)a} + (\alpha-E)e^{ikna} + \beta e^{ik(n+1)a} = 0 $$

となり,両辺を $e^{ikna}\ (\ne 0)$ で割ると

$$ \beta e^{-ika} + (\alpha-E) + \beta e^{ika} = 0 . $$

Euler の公式 $e^{ika}+e^{-ika}=2\cos ka$ を使えば,ただちに

$$ \begin{equation} E(k) = \alpha + 2\beta\cos(ka) \label{eq:14-bloch-dispersion} \end{equation} $$

を得る.境界条件 \eqref{eq:14-pbc} は $e^{ikNa}=1$ を要求するので,許される波数は

$$ \begin{equation} k = \frac{2\pi m}{Na},\qquad m=0,\pm1,\pm2,\dots \label{eq:14-kquantize} \end{equation} $$

と離散的である.式 \eqref{eq:14-kquantize} からわかるとおり,$k$ の刻み幅は $2\pi/(Na)$ で,$N$ が大きいほど細かくなる.ただし $k$ と $k+2\pi/a$ は式 \eqref{eq:14-bloch-dispersion} で同じエネルギーを与えるので,独立な $k$ は $-\pi/a \lt k \le \pi/a$ の範囲に $N$ 個だけある.ここでも準位の総数は原子数 $N$ に一致する.

物理的意味:$E(k)$ こそが「電子バンド図」

式 \eqref{eq:14-bloch-dispersion} は,エネルギーを波数 $k$ の関数として表したものである.これを $k$ の関数としてグラフに描いたものが電子バンド図(electronic band structure)にほかならない.第1章で「第一原理計算から求まる物理量」として挙げた電子バンド図の正体は,じつは第11章の永年方程式を $N$ 個の原子に拡張しただけのものである.$-\pi/a \lt k\le\pi/a$ という $k$ の許される範囲は,固体物理学で第一Brillouinゾーン(first Brillouin zone)と呼ばれる.本書ではこれ以上立ち入らないが,14.8 節で触れるように,ここから先が「固体物理学」の入口である.

14.2 価電子帯・伝導帯・バンドギャップ — 金属・半導体・絶縁体の分類

14.2.1 3つの用語の定義

バンドができたら,次は電子を詰めていく.第7章で学んだ Pauli の排他原理により,1本の準位(空間軌道)には最大2個(上向きスピンと下向きスピン)しか入れない.基底状態では,エネルギーの低い準位から順に詰めていくことになる.

定義:価電子帯・伝導帯・バンドギャップ

物理的意味:バンドギャップは HOMO–LUMO ギャップと本質的に同じもの

第10章で分子のHOMO(最高被占軌道)とLUMO(最低空軌道)を学び,そのエネルギー差 HOMO–LUMO ギャップが分子の色や反応性を左右することを見た.VBM は「固体の HOMO」,CBM は「固体の LUMO」であり,バンドギャップはHOMO–LUMO ギャップの固体版にほかならない.違いは,分子では HOMO も LUMO も1本ずつの離散準位であるのに対し,固体ではそれぞれが $10^{23}$ 本の準位からなる帯の縁になっている,という点だけである.分子と固体は別世界ではなく,同じ理論の $N$ が違うだけである——これが第V部を貫く主題である.

エネルギー 伝導帯 (電子が詰まっていない) 価電子帯 (電子が詰まっている) Eg(バンドギャップ) CBM(伝導帯下端) VBM(価電子帯上端) EF 拡大すると…(模式) 間隔 ≈ 10⁻²² eV(厳密には離散)
図14.2 価電子帯・伝導帯・バンドギャップの定義.塗りつぶされた帯を拡大すれば,そこには $10^{23}$ 本の離散準位が並んでいる.準位間隔は約 $10^{-22}$ eV(例題14.2)で,室温の熱エネルギー $k_BT\approx0.026$ eV の $10^{-20}$ 倍にすぎない.

14.2.2 Fermi準位による分類 — 金属・半導体・絶縁体

電子をエネルギーの低い順に詰めていったとき,「ちょうど詰め終わったところ」の高さをFermi準位(Fermi level)$E_F$ と呼ぶ.より正確には,有限温度で電子がその準位を占める確率がちょうど $1/2$ になるエネルギーが $E_F$ である.バンド図における $E_F$ の位置によって,物質は次のように分類される.

定義:バンド図から見た金属・半導体・絶縁体

電子 ホール(正孔) EF 金属 EF がバンドの中 ギャップなし EF 半導体(真性) EF はギャップの中央付近 熱励起でキャリアが生じる EF Eg 大 絶縁体 NaCl はここ(Eg = 8.5 eV) EF(伝導帯の中) Eg 小 縮退半導体 ギャップはあるが 金属のようにふるまう
図14.3 Fermi準位 $E_F$ の位置による4つの分類.金属では $E_F$ がバンドを横切り,真性半導体・絶縁体では $E_F$ がギャップの中に落ちる.縮退半導体はギャップをもちながら $E_F$ が伝導帯に食い込んでおり,バンド図の見た目も電気伝導も金属に近い.

14.2.3 余談:金属と縮退半導体は何が違うのか

「$E_F$ が伝導帯の中にあるなら,それは金属と呼べばよいのではないか」と思うかもしれない.実際,電気伝導だけを測っても両者を区別することはむずかしい.しかし電子状態としては明確な違いがある.整理しておこう.

表14.1 金属と縮退半導体の比較.キャリア密度の数値は代表的な値のオーダーである(文献[2][5]).
観点金属 (metal)縮退半導体 (degenerate semiconductor)
バンド構造バンドギャップがない.バンドが部分的に占有されている(バンドが重なる,または部分占有)有限のバンドギャップ $E_g$ をもつ.ただし $E_F$ が伝導帯(または価電子帯)の中にある
状態密度 $g(E_F)$$E_F$ での状態密度が有限で大きい$E_F$ は伝導帯の中にあり,$g(E_F)$ は有限.ただし金属より小さいことが多い
キャリアの起源もともとの価電子そのもの(内因性)ドナー/アクセプターなど不純物が供給した電子・ホール(外因性)
キャリア密度非常に高い.$10^{22}$–$10^{23}\ \mathrm{cm^{-3}}$高いが金属より低い.$10^{19}$–$10^{21}\ \mathrm{cm^{-3}}$
キャリア密度の温度依存性温度が上がってもほぼ一定縮退しているため,温度が上がってもほぼ一定(非縮退の半導体とはここが違う)
電気伝導高い導電率(抵抗率は小さい)金属に近い高い導電率
抵抗率 $\rho$ の温度依存性温度上昇とともにほぼ単調に増加(正の温度係数).格子振動(フォノン)による散乱が支配的同じく温度上昇とともにほぼ単調に増加(正の温度係数).主にフォノン散乱が支配的
見分け方—ドープ量を変えるとキャリア密度と $E_F$ が動く.光吸収端の測定でギャップの存在がわかる(Burstein–Moss シフト)

なぜ?:抵抗率の温度依存性が「正」なのはなぜか

非縮退の半導体では,温度を上げると熱励起でキャリア数 $n$ が指数関数的に増える($n\propto e^{-E_g/2k_BT}$)ので,抵抗率は温度上昇とともに下がる(負の温度係数).これが「半導体らしさ」の代表的な指標である.ところが縮退半導体では,キャリアはすでに不純物から供給されて縮退しており,温度を上げても $n$ はほとんど変わらない.すると残るのは,格子振動(フォノン)が激しくなって電子が散乱されやすくなる効果だけである.散乱が増えれば移動度 $\mu$ が下がり,$\rho=1/(ne\mu)$ は上がる.金属とまったく同じ機構で,抵抗率は温度とともに増える.「抵抗率の温度係数が正だから金属である」とは言えないのはこのためである.

注意:金属か絶縁体かは「元素」ではなく「構造」で決まることがある

同じ元素の組み合わせでも,原子の並び方(結晶構造)が変わればバンドギャップが開いたり閉じたりする.たとえばペロブスカイト型酸化物の薄膜では,基板からのエピタキシャル歪みによって金属—絶縁体転移が誘起されることが第一原理計算で示されている(文献[7]).第1章で述べた「どんな元素をどう並べたら,どんな性質が出るか」という問いの「どう並べたら」の部分が,まさにここで効いてくる.

14.3 NaCl の問い — 本章の中心問題

ここからが本章の主題である.もっとも単純なイオン結晶である NaCl(岩塩,食塩)を取り上げ,そのバンドギャップがどこから来るのかを考える.

14.3.1 素朴な予想と,それが外れること

Na の電子配置は $\mathrm{[Ne]}3s^1$,Cl は $\mathrm{[Ne]}3s^23p^5$ である.イオン結合により Na は 3s 電子を1個失って Na$^+$($\mathrm{[Ne]}$ の閉殻)になり,Cl は 3p に電子を1個受け取って Cl$^-$($\mathrm{[Ar]}$ の閉殻)になる.したがって NaCl 結晶の価電子帯・伝導帯を作るのは,Na の 3s 軌道と Cl の 3p 軌道である.

では,どちらが下(価電子帯)で,どちらが上(伝導帯)だろうか.第2章で学んだ軌道エネルギーの一般則を思い出すと,同じ主量子数 $n$ の中では

$$ \epsilon_{ns} \lt \epsilon_{np} \lt \epsilon_{nd} $$

である($s$ 軌道は原子核の近くに侵入できる確率が高く,内殻電子の遮蔽を受けにくいため).この一般則をそのまま当てはめれば,Na-3s のほうが Cl-3p より低いことになる.つまり Na-3s が価電子帯,Cl-3p が伝導帯——というのが素朴な予想である.

ところが,実験で得られる NaCl のバンド構造はこの予想とまったく逆である.価電子帯は Cl-3p 的,伝導帯は Na-3s 的なのである(14.7 節の図14.8 を見よ).この事実は化学的には当然に思える.「Cl$^-$ は電子を8個もっていて安定,Na$^+$ は電子を手放して空っぽ.だから電子が詰まっているのは Cl 側,空いているのは Na 側」——直感的にはその通りである.しかしエネルギー準位の高低として見ると,これは決して自明ではない.

14.3.2 問いを定量的な形に直す

「準位が高い・低い」を曖昧なままにせず,測定できる量で言い換えよう.ある準位から電子を1個取り去るのに必要なエネルギーが,その準位の結合エネルギー(binding energy)である.すると,

実験値は(文献[3][5])

$$ A(\mathrm{Cl}) = 3.613\ \mathrm{eV},\qquad I(\mathrm{Na}) = 5.139\ \mathrm{eV} $$

である.結合エネルギーが大きいほど電子は深く束縛されており,電子のエネルギー準位としては低い.$I(\mathrm{Na}) \gt A(\mathrm{Cl})$ であるから,

$$ \epsilon(\text{Na-}3s) = -I = -5.139\ \mathrm{eV} \;\lt\; \epsilon(\text{Cl-}3p) = -A = -3.613\ \mathrm{eV} $$

となり,やはりNa-3s のほうが低い.素朴な予想は,定量的にも裏づけられてしまう.しかし現実は逆である.

なぜ?:この章で答えるべき問い

孤立したイオンで測れば Na-3s のほうが低いのに,なぜ NaCl 結晶では Na-3s が伝導帯(上),Cl-3p が価電子帯(下)になるのか.

答えは「結晶になったから」である.孤立イオンと結晶内のイオンでは,電子が感じる静電ポテンシャルがまったく違う.その差を作っているのが,第13章で計算したMadelungポテンシャルである.以下 14.4 節・14.5 節で,この効果を4段階に分けて定量的に積み上げていく.

数学ノート:結合エネルギー軸と電子エネルギー軸

固体の電子構造の文献では,縦軸に結合エネルギーをとり,下に行くほど値が大きくなるように(上下反転して)描く流儀がしばしば用いられる.P. A. Cox の図3.1(本章の図14.6 のもとになった図)もこの流儀である.結合エネルギー $B$ と電子のエネルギー準位 $\epsilon$ の関係は

$$ \epsilon = -B $$

であるから,結合エネルギー軸を上下反転させれば,電子のエネルギー準位の軸と同じ意味になる.すなわち,どちらの流儀でも「図の上にあるほど電子のエネルギーが高い」.本書では両方の情報を図に書き込んで混乱を避ける.

14.4 (a) 自由イオンの段階と (b) Madelungポテンシャル中のイオン

NaCl のバンドギャップを,次の4段階に分けて組み立てる.これは P. A. Cox の教科書(文献[1])の図3.1 が示している道筋であり,本章で言いたいことのすべてがここに凝縮されている.

  1. (a) 自由イオン:Na$^+$ と Cl$^-$ が真空中にばらばらに浮かんでいる段階.
  2. (b) 格子の Madelungポテンシャル中のイオン:イオンを結晶の格子点に並べ,まわりのイオンが作る静電ポテンシャルの影響を入れる段階.
  3. (c) 静電分極による補正:電子を1個動かしたときに周囲のイオンが応答する(分極する)効果を入れる段階.
  4. (d) 軌道の重なりによるバンド形成:離散準位が幅をもった帯に広がる段階.

14.4.1 (a) 自由イオン — ギャップが「逆転」している

まず,真空中に Na$^+$ と Cl$^-$ が1個ずつあるとする.NaCl 結晶が電気を通すためには,エネルギーの低い Cl$^-$ の電子を1個取り去って,それを Na$^+$ のところに持っていかなければならない.すなわち

$$ \begin{equation} \mathrm{Na^+} + \mathrm{Cl^-} \;\longrightarrow\; \mathrm{Na(g)} + \mathrm{Cl(g)} \label{eq:14-charge-transfer} \end{equation} $$

という電荷移動を起こす必要がある.この反応に必要なエネルギーが,この段階での「バンドギャップ」に相当する.

導出:反応 \eqref{eq:14-charge-transfer} に必要なエネルギー

2つの素過程に分けて考える.

過程1:Cl$^-$ から電子を1個引き抜く.

$$ \mathrm{Cl^-} \longrightarrow \mathrm{Cl} + e^- ,\qquad \Delta E_1 = +A . $$

電子親和力 $A$ は「中性 Cl が電子を受け取るときに放出するエネルギー」として定義されるから,その逆過程では $+A$ のエネルギーを与える必要がある.$A(\mathrm{Cl})=3.613$ eV.

過程2:Na$^+$ に電子を1個与える.

$$ \mathrm{Na^+} + e^- \longrightarrow \mathrm{Na} ,\qquad \Delta E_2 = -I . $$

イオン化エネルギー $I$ は「中性 Na から電子を1個奪うのに必要なエネルギー」だから,その逆過程では $I$ のエネルギーが放出される.すなわち $\Delta E_2=-I$.$I(\mathrm{Na})=5.139$ eV.

両者を足すと,

$$ \begin{equation} E_g^{(a)} = \Delta E_1 + \Delta E_2 = A + (-I) = A - I . \label{eq:14-gap-a} \end{equation} $$

数値を入れると

$$ E_g^{(a)} = 3.613 - 5.139 = -1.526 \simeq -1.53\ \mathrm{eV}. $$

物理的意味:負のギャップは何を意味するか

$E_g^{(a)}=-1.53\ \mathrm{eV}\lt0$ という結果は,「電荷移動にエネルギーが要らないどころか,むしろ $1.53$ eV のエネルギーが得られる」ことを意味する.つまり真空中では,$\mathrm{Na(g)}+\mathrm{Cl(g)}$(中性原子のペア)のほうが $\mathrm{Na^+}+\mathrm{Cl^-}$(イオンのペア)よりエネルギー的に安定なのである.

バンド図の言葉に直せば,Na-3s 準位(伝導帯になるはずのもの)が Cl-3p 準位(価電子帯になるはずのもの)より下にきてしまっている——ギャップの符号が逆転している状態である.この段階では NaCl は「絶縁体」どころか,まともな電子構造にすらなっていない.

注意:それでも NaCl はイオン結晶である

「では NaCl は本当はイオン結晶ではないのか」と早合点してはいけない.式 \eqref{eq:14-gap-a} は孤立した1組のイオンについての話である.実際の結晶では,無数のイオンが規則正しく並ぶことで巨大な静電安定化(Madelungエネルギー,第13章)が働く.それが $-1.53$ eV の不利を軽々と覆すのである.次の (b) の段階が,まさにその効果を入れる操作にあたる.

14.4.2 (b) 格子の Madelungポテンシャルを入れる

次に,イオンを NaCl 型の格子点に並べる.すると状況は一変する.結晶の内部では,あるイオンは第1近接・第2近接・…のすべてのイオンから静電ポテンシャルを受けるからである.

NaCl 型構造では,Na$^+$ のまわりの第1近接(6個)はすべて Cl$^-$,第2近接(12個)はすべて Na$^+$,…と符号が交互に並ぶ.第13章で学んだとおり,この無限和は Madelung 定数 $A_M$ を用いてまとめられる.陽イオン(Na$^+$)の格子点における静電ポテンシャルは

$$ \begin{equation} \varphi_+ = -\frac{A_M\,\ee}{4\pi\eps R_0} \label{eq:14-madelung-phi} \end{equation} $$

である(最近接が負電荷なので全体として負).ここで $R_0$ は最近接イオン間距離,$A_M$ は Madelung 定数で,NaCl 型構造では

$$ A_M = 1.7476 $$

である(第13章,文献[2]).同様に,陰イオン(Cl$^-$)の格子点では符号が逆になり $\varphi_-=+A_M \ee/(4\pi\eps R_0)$ である.

電子の電荷は $-\ee$ だから,格子点にいる電子の静電ポテンシャルエネルギーは,式 \eqref{eq:14-madelung-phi} を用いて $V=(-\ee)\varphi$ で与えられる.そこで

$$ \begin{equation} U \;\equiv\; \frac{A_M\,\ee^2}{4\pi\eps R_0} \label{eq:14-madelung-U} \end{equation} $$

と定義すると,Na$^+$ サイトにいる電子は $V_+=(-\ee)\varphi_+=+U$,Cl$^-$ サイトにいる電子は $V_-=(-\ee)\varphi_-=-U$ だけエネルギーがずれることになる.

物理的意味:電子は何を感じているのか

言葉で書けば次のとおりである.

要するに,電子の力学的エネルギーが上がる=結合エネルギーが低くなる(電子を取り去りやすくなる)という関係を押さえておけばよい.「電子が結合するほど,結合エネルギーは大きい」のである.

Na⁺ サイト:まわりは Cl⁻(負のポテンシャル) Cl⁻ Cl⁻ Cl⁻ Cl⁻ Na⁺ 電子は斥力を受けて押し出される Cl⁻ サイト:まわりは Na⁺(正のポテンシャル) Na⁺ Na⁺ Na⁺ Na⁺ Cl⁻ 電子は引力を受けて引き寄せられる Na-3s の電子エネルギー:+U だけ上がる (=結合エネルギーは I → I − U に下がる) Cl-3p の電子エネルギー:−U だけ下がる (=結合エネルギーは A → A + U に上がる) エネルギー準位の移動:
図14.4 Madelungポテンシャル中で電子が受ける力.Na$^+$ サイトの電子は周囲の Cl$^-$ から斥力を受けて力学的エネルギーが上がり(結合エネルギーは下がり),Cl$^-$ サイトの電子は周囲の Na$^+$ から引力を受けて力学的エネルギーが下がる(結合エネルギーは上がる).この2つのずれが逆向きであることが決定的である.

14.4.3 $E_g = A - I + 2U$ の導出

図14.4 のずれを,測定量である $A$ と $I$ の言葉に翻訳しよう.

導出:結晶内で「見かけの」電子親和力とイオン化エネルギーはどう変わるか

Cl$^-$ 側. 結晶内で Cl$^-$ の電子はエネルギーが $-U$ だけ低くなった.低くなった分だけ,電子を取り去るのに余分なエネルギーが要る.したがって「Cl$^-$ から電子を1個引き抜くのに必要なエネルギー」(=見かけの電子親和力)は

$$ \begin{equation} A \;\longrightarrow\; A + U . \label{eq:14-A-shift} \end{equation} $$

Na$^+$ 側. 結晶内で Na$^+$ サイトの電子はエネルギーが $+U$ だけ高くなった.高くなった分だけ,電子を取り込んでもエネルギーの得が少ない.すなわち「Na$^+$ に電子を1個入れたときに放出されるエネルギー」(=見かけのイオン化エネルギー)は

$$ \begin{equation} I \;\longrightarrow\; I - U . \label{eq:14-I-shift} \end{equation} $$

合成. 置き換え \eqref{eq:14-A-shift},\eqref{eq:14-I-shift} を使って,式 \eqref{eq:14-gap-a} の導出をそっくりなぞればよい.電荷移動 $\mathrm{Na^+}+\mathrm{Cl^-}\to\mathrm{Na}+\mathrm{Cl}$ に必要なエネルギーは

$$ E_g^{(b)} = \underbrace{(A+U)}_{\text{Cl}^-\text{から引き抜く}} + \underbrace{\bigl(-(I-U)\bigr)}_{\text{Na}^+\text{に入れる}} = A + U - I + U $$

すなわち

$$ \begin{equation} E_g^{(b)} = A - I + 2U . \label{eq:14-gap-b} \end{equation} $$
$$ \begin{equation} \boxed{\;E_g = A - I + 2U ,\qquad U=\frac{A_M\,\ee^2}{4\pi\eps R_0}\;} \label{eq:14-gap-master} \end{equation} $$

なぜ?:なぜ $U$ ではなく $2U$ なのか

$U$ が2回出てくるのは,ずれが両側で逆向きに起こるからである.Cl-3p は $U$ だけ下がり,Na-3s は $U$ だけ上がる.両者の差であるギャップは,その両方が積み上がって $2U$ だけ広がる.片方だけの効果ではないことに注意してほしい.図14.4 下部の2本の矢印が逆向きに描かれているのは,このためである.

例題14.3 NaCl の Madelungポテンシャル $U$ を計算する

問題:NaCl 型構造の Madelung 定数 $A_M=1.7476$,NaCl の最近接距離 $R_0=2.82\ \text{Å}$,および $\dfrac{\ee^2}{4\pi\eps}=14.400\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$ を用いて $U$ を求めよ.

解答:式 \eqref{eq:14-madelung-U} に代入する.

$$ U = A_M\cdot\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\cdot\frac{1}{R_0} = 1.7476 \times \frac{14.400\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}}{2.82\ \text{Å}} . $$

分子を先に計算すると $1.7476\times14.400 = 25.165\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$.これを $2.82\ \text{Å}$ で割って

$$ U = \frac{25.165}{2.82}\ \mathrm{eV} = 8.924 \simeq 8.92\ \mathrm{eV}. $$

検算のヒント:この $8.92$ eV という値は,第13章で求めた NaCl の Madelung エネルギー(イオン1対あたり $-A_M\ee^2/4\pi\eps R_0=-8.92$ eV)の絶対値とまったく同じである.実験的な格子エネルギー(約 $7.9$ eV)よりやや大きいのは,まだ短距離斥力の項を入れていないためである.

例題14.4 (b) の段階のバンドギャップ

問題:例題14.3 の結果を用いて $E_g^{(b)}$ を求め,実験値 $8.5$ eV と比較せよ.

解答:式 \eqref{eq:14-gap-b} に代入する.

$$ \begin{align} E_g^{(b)} &= A - I + 2U \nonumber\\ &= 3.613 - 5.139 + 2\times 8.924 \nonumber\\ &= -1.526 + 17.848 \nonumber\\ &= 16.32\ \mathrm{eV}. \end{align} $$

実験値 $8.5$ eV のおよそ2倍である.今度は大きすぎる.しかし,符号が正しく反転したこと,そして数 eV ではなく十数 eV という「絶縁体らしい」桁になったことは大きな前進である.残りの (c)(d) は,この過大評価を削る方向にはたらく.

物理的意味:中心問題への答え

ここで 14.3 節の問いに正面から答えよう.結晶内での準位(電子のエネルギー)は

$$ \epsilon(\text{Cl-}3p) = -A - U = -3.613 - 8.924 = -12.54\ \mathrm{eV}, $$ $$ \epsilon(\text{Na-}3s) = -I + U = -5.139 + 8.924 = +3.79\ \mathrm{eV} $$

となる.自由イオンでは $-3.61$ eV と $-5.14$ eV でわずか $1.5$ eV しか離れておらず,しかも順序は逆だった.ところが $U=8.92$ eV という桁違いに大きなずれが両側に逆向きにかかった結果,順序は完全にひっくり返り,しかも $16$ eV も開いてしまった.

すなわち——Cl-3p が価電子帯(下),Na-3s が伝導帯(上)になるのは,原子の軌道エネルギーの一般則のせいではなく,結晶が作る Madelungポテンシャルのせいである.これが本章の中心的な結論である.第13章で「イオン結晶を安定化させる静電エネルギー」として計算した量が,そのまま「イオン結晶を絶縁体にする」量でもあったわけである.

数学ノート:$\ee^2/4\pi\eps = 14.400\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$ の由来

SI 単位で計算しておこう.$\ee=1.602177\times10^{-19}$ C,$\eps=8.854188\times10^{-12}\ \mathrm{F\,m^{-1}}$ より

$$ \frac{\ee^2}{4\pi\eps} = \frac{(1.602177\times10^{-19})^2}{4\pi\times8.854188\times10^{-12}} = \frac{2.56697\times10^{-38}}{1.112650\times10^{-10}} = 2.30708\times10^{-28}\ \mathrm{J\cdot m}. $$

これを eV と Å に直す.$1\ \mathrm{J}=1/(1.602177\times10^{-19})\ \mathrm{eV}$,$1\ \mathrm{m}=10^{10}\ \text{Å}$ だから

$$ 2.30708\times10^{-28}\ \mathrm{J\cdot m} = \frac{2.30708\times10^{-28}}{1.602177\times10^{-19}}\times10^{10}\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}} = 14.400\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}} . $$

この $14.400\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$ は静電エネルギーの暗算に極めて便利な数値である.「$1\ \text{Å}$ 離れた $+e_0$ と $-e_0$ の相互作用エネルギーは $-14.4$ eV」と覚えておくとよい.

14.5 (c) 静電分極による補正と (d) 軌道の重なりによるバンド形成

(b) の段階の $16.3$ eV は,実験値 $8.5$ eV のほぼ2倍である.どこを直せばよいのか.(b) では2つの大きな仮定を置いていた.

  1. イオンを動かない点電荷とみなした.電子を1個移動させても,まわりのイオンは何の反応もしないと仮定した.→ これを直すのが (c).
  2. 電子は各イオンに閉じ込められたままで,隣のイオンの軌道と重ならないと仮定した.→ これを直すのが (d).

14.5.1 (c) 静電分極 — 周囲が応答する

Cl$^-$ から電子を1個取り去り,それを Na$^+$ に移したとしよう.移した瞬間,その場所のイオンの電荷が変わる.すると,まわりのイオンの電子雲がその変化に応じて歪む——これが静電分極(electrostatic polarization)である.

物理的意味:ドミノ倒しのように伝わる

もう少していねいに追ってみよう.もともとの結晶では,各イオンは対称な環境にいるので局所的な双極子モーメントをもたない.ところが電子を1個動かすと,その場所の電荷分布が変わり,そこの双極子モーメントが局所的に消える(あるいは新しく生じる).その影響は,隣のイオンを分極させ,隣の隣を分極させ……とドミノ倒しのように周囲に伝わっていく.

結果として何が起こるか.

Na-3s が下がり,Cl-3p が上がる.両者は近づく.すなわち,静電分極はバンドギャップを縮める方向にはたらく.HOMO–LUMO ギャップが小さくなった,と言い換えてもよい.

この効果の大きさを,粗い連続体モデルで見積もってみよう.電荷 $q$ を比誘電率 $\varepsilon_r$ の媒質中の半径 $a$ の空洞に置いたときの静電的な安定化エネルギーは,Born の式

$$ \begin{equation} W = -\frac{q^2}{8\pi\eps a}\left(1-\frac{1}{\varepsilon_r}\right) \label{eq:14-born-polarization} \end{equation} $$

で与えられる(文献[2]).電子が移動する速さに比べてイオンの動きは遅いので,ここで使うべきは電子分極だけが応答する高周波誘電率 $\varepsilon_\infty$ である(NaCl では屈折率 $n=1.53$ より $\varepsilon_\infty=n^2=2.34$).

例題14.5 静電分極による補正の大きさを見積もる

問題:式 \eqref{eq:14-born-polarization} で $q=\ee$,$a\simeq R_0=2.82\ \text{Å}$,$\varepsilon_\infty=2.34$ とし,NaCl の分極補正の大きさを見積もれ.

解答:まず前因子を計算する.

$$ \frac{\ee^2}{8\pi\eps a} = \frac{1}{2}\cdot\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\cdot\frac{1}{a} = \frac{1}{2}\times\frac{14.400}{2.82}\ \mathrm{eV} = \frac{1}{2}\times 5.106 = 2.553\ \mathrm{eV}. $$

次に括弧の中は

$$ 1-\frac{1}{2.34} = 1 - 0.4274 = 0.5726 . $$

したがって

$$ \abs{W} = 2.553 \times 0.5726 = 1.462\ \mathrm{eV}. $$

電子側(Na$^+$ に来た電子)とホール側(Cl$^-$ に残った正孔)の両方でこれが起こるので,ギャップの縮小はおよそ

$$ 2\abs{W} = 2.92 \simeq 3\ \mathrm{eV} $$

となる.より丁寧な計算(Mott–Littleton 法,文献[11])では 4 eV 程度の縮小が得られる.したがって

$$ E_g^{(c)} \simeq 16.3 - 4 \simeq 12\ \mathrm{eV} $$

となる.この値は概算であり,有効数字1〜2桁の目安にすぎないことを強調しておく.

数学ノート:分極率と誘電率のつながり

式 \eqref{eq:14-born-polarization} に現れた誘電率は,個々のイオンの分極率(polarizability)$\alpha_{\mathrm{pol}}$ から作られる量である.電場 $\bm{E}_{\mathrm{loc}}$ の中でイオンに誘起される双極子モーメントは $\bm{p}=\alpha_{\mathrm{pol}}\bm{E}_{\mathrm{loc}}$ で定義される.単位体積あたり $n$ 個のイオンがあるとき,両者を結ぶのが Clausius–Mossotti の関係式

$$ \begin{equation} \frac{\varepsilon_\infty-1}{\varepsilon_\infty+2} = \frac{n\,\alpha_{\mathrm{pol}}}{3\eps} \label{eq:14-clausius-mossotti} \end{equation} $$

である.式 \eqref{eq:14-clausius-mossotti} からわかるとおり,分極率の大きいイオン(大きくてやわらかいイオン,たとえば I$^-$,Cs$^+$)ほど $\varepsilon_\infty$ が大きく,式 \eqref{eq:14-born-polarization} の括弧 $(1-1/\varepsilon_\infty)$ も大きくなる.すなわちやわらかいイオンからなる結晶ほど分極補正が大きく,バンドギャップが縮む.14.6 節で見るイオン半径の効果と同じ向きの傾向である.

14.5.2 余談:固体内の静電遮蔽(Thomas–Fermi 遮蔽)

「周囲が応答して静電相互作用を弱める」という現象は,イオン結晶に限った話ではない.とりわけ自由電子がたくさんいる金属の中では,この効果が劇的に効く.真空中の Coulomb ポテンシャル

$$ \phi(r) = \frac{1}{4\pi\eps}\frac{q}{r} $$

は,金属中では

$$ \begin{equation} \phi(r) = \frac{1}{4\pi\eps}\frac{q}{r}\,e^{-k_0 r} \label{eq:14-thomas-fermi} \end{equation} $$

のように指数関数で減衰する形に変わる.式 \eqref{eq:14-thomas-fermi} の右辺に現れた $e^{-k_0r}$ の因子が本質で,これをThomas–Fermi 遮蔽(Thomas–Fermi screening)という(詳しくは Kittel『固体物理学入門』第14章,文献[2]).$1/k_0$ を遮蔽長(screening length)と呼び,$k_0$ は

$$ \begin{equation} k_0^2 = \frac{\ee^2\,g(E_F)}{\eps} \label{eq:14-tf-k0} \end{equation} $$

で与えられる.$g(E_F)$ は単位体積あたりの Fermi 準位における状態密度である.自由電子模型では $g(E_F)=3n/(2E_F)$($n$ は電子密度)となる.

例題14.6 銅の遮蔽長を評価する

問題:銅の伝導電子密度 $n=8.5\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$,Fermi エネルギー $E_F=7.0$ eV として,遮蔽長 $1/k_0$ を求めよ.

解答:まず状態密度は

$$ g(E_F)=\frac{3n}{2E_F} = \frac{3\times 8.5\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}}{2\times 7.0\times1.602\times10^{-19}\ \mathrm{J}} = \frac{2.55\times10^{29}}{2.243\times10^{-18}} = 1.137\times10^{47}\ \mathrm{J^{-1}m^{-3}} . $$

これを式 \eqref{eq:14-tf-k0} に入れると

$$ k_0^2 = \frac{(1.602\times10^{-19})^2 \times 1.137\times10^{47}}{8.854\times10^{-12}} = \frac{2.917\times10^{9}}{8.854\times10^{-12}} = 3.30\times10^{20}\ \mathrm{m^{-2}} , $$ $$ k_0 = 1.81\times10^{10}\ \mathrm{m^{-1}}, \qquad \frac{1}{k_0} = 5.5\times10^{-11}\ \mathrm{m} = 0.55\ \text{Å}. $$

遮蔽長は原子1個分よりも短い.金属の中では,電荷の作る Coulomb ポテンシャルは隣の原子に届く前に消えてしまうのである.イオン結晶の分極補正が数 eV にとどまるのに対し,金属では Madelung 的な長距離相互作用そのものが成立しないのはこのためである.

静電分極のドミノ倒し的な伝播(模式)と,Thomas-Fermi遮蔽によるクーロンポテンシャルの減衰.右のグラフでは,裸のクーロンポテンシャル 14.400/r(実線)が,遮蔽後は 14.400 e^(-k0 r)/r(破線)で急速に小さくなる.
図14.5 (1) 静電分極がドミノ倒しのように伝わる様子(模式).(2) Thomas–Fermi 遮蔽による Coulomb ポテンシャルの減衰.曲線は $\phi=14.400/r$(実線)と $\phi=14.400\,e^{-k_0r}/r$(破線,$k_0=1.818\ \text{Å}^{-1}$)を実際に計算して描いた.$r=1\ \text{Å}$ で $14.4$ eV あったポテンシャルが,遮蔽後は $2.3$ eV にまで落ちる.

14.5.3 (d) 軌道の重なりによるバンド形成

最後の仕上げが,本章の 14.1 節でやったことである.(c) までの段階では,Cl-3p も Na-3s も1本の鋭い準位として扱ってきた.しかし実際には隣り合うイオンの軌道はわずかに重なり合っており,共鳴積分 $\beta\ne0$ がはたらく.すると 14.1 節で見たとおり,$N$ 個のイオンが集まれば準位は $N$ 本に分裂し,幅 $W=4\abs{\beta}$ の帯(バンド)になる.

これは第11章で学んだ結合性軌道・反結合性軌道への分裂の「$N$ 原子版」である.2原子分子で $\alpha$ の準位が $\alpha+\beta$(下)と $\alpha-\beta$(上)に割れたのと同じ機構が,$N$ 個の原子の間で一斉に起こる.

なぜ?:バンドができるとギャップは必ず縮むのか

バンドは中心のエネルギー(もとの原子準位)を中心にして上下に広がる.したがって

VBM が上がり CBM が下がるのだから,両者の差であるバンドギャップは必ず縮む.しかも,軌道の重なりが大きいほど($\abs{\beta}$ が大きいほど)バンドは広く,ギャップの縮みも大きい.原子間距離が短い物質,あるいは空間的に広がった軌道をもつ物質ほどギャップが小さくなるのは,この効果による.

これを式にまとめておこう.価電子帯の幅を $W_v$,伝導帯の幅を $W_c$,それぞれの帯の中心が (c) の段階の準位に一致するとすれば,

$$ \begin{equation} E_g^{(d)} = E_g^{(c)} - \frac{W_v}{2} - \frac{W_c}{2} \label{eq:14-gap-d} \end{equation} $$

となる.NaCl の場合,Cl-3p からなる価電子帯の幅は $W_v\simeq1.8$ eV と狭い(Cl$^-$ どうしは互いに離れており,3p 軌道はコンパクトなので $\abs{\beta}$ が小さい).一方 Na-3s からなる伝導帯は,3s 軌道が空間的に大きく広がっているので $W_c$ は 5 eV 程度と広く,CBM は中心から $2.7$ eV ほど下がる.したがって

$$ E_g^{(d)} \simeq 12.0 - 0.9 - 2.7 \simeq 8.4\ \mathrm{eV} $$

となり,実験値 $8.5$ eV とよく一致する.

注意:(c) と (d) の数値はおよその値である

(a) と (b) の数値($-1.53$ eV と $16.32$ eV)は,$A$,$I$,$A_M$,$R_0$ という実測値・幾何学量だけから決まる確定した数値である.これに対して (c) の分極補正(約 4 eV)と (d) のバンド幅($W_v\simeq1.8$ eV,$W_c\simeq5$ eV)は,モデル依存性の大きいおおよその見積りであって,有効数字1桁程度の精度しかない.文献によって数値が異なるのはこのためである.本章で学ぶべきは個々の数値ではなく,4段階の各々が,どちらの向きに,どれくらいの桁でギャップを動かすかという筋道である.

14.6 4段階のまとめとイオン半径依存性

14.6.1 4段階を1枚の図と表にまとめる

ここまでの議論を一望しよう.次の図14.6 が,本章のすべてである.

NaClの価電子帯および伝導帯の算出:自由イオン,Madelungポテンシャル,静電分極,バンド形成の4段階.バンドギャップは (a) −1.53 eV,(b) 16.3 eV,(c) 約 12 eV,(d) 約 8.5 eV と変わる.
図14.6 NaCl のバンドギャップができるまでの4段階.P. A. Cox 文献[1] 図3.1 の内容にもとづき,本書の数値で作図した.縦軸は結合エネルギーで,下ほど値が大きい(=電子が深く束縛されている=電子のエネルギーが低い).(a) $-1.53$ eV → (b) $16.3$ eV → (c) 約 $12$ eV → (d) 約 $8.5$ eV.(a)(b) は実測値から確定する数値,(c)(d) はおよその値である.
表14.2 NaCl のバンドギャップの4段階分解.エネルギーはすべて eV 単位.準位の値は電子のエネルギー(真空準位を 0 とし,束縛されているほど負)で示した.
段階入れた効果Cl-3p 準位Na-3s 準位$E_g$実験値との比
(a)自由イオン($A$ と $I$ のみ)$-3.61$$-5.14$$-1.53$符号が逆
(b)+ Madelungポテンシャル $\pm U$$-12.54$$+3.79$$+16.32$約 1.9 倍
(c)+ 静電分極(約 $-4$)約 $-11.0$約 $-1.0$約 $12$約 1.4 倍
(d)+ 軌道の重なり(バンド形成)VBM 約 $-10.2$CBM 約 $-1.7$約 $8.5$ほぼ一致
実験値(文献[1][2])8.5—

物理的意味:どの項が主役か

表14.2 をもう一度眺めてほしい.$E_g\approx8.5$ eV という値を作っている最大の項は,圧倒的に $2U=17.85$ eV である.$A-I=-1.53$ eV も,分極補正 $-4$ eV も,バンド形成 $-3.6$ eV も,いずれも $2U$ の1/4以下の脇役にすぎない.つまり

イオン結晶のバンドギャップの大きさを決めているのは,Madelungポテンシャル $U$ である.

そして $U=A_M\ee^2/(4\pi\eps R_0)$ は $1/R_0$ に比例する.この単純な事実から,次項で見る「イオン半径が大きいほどバンドギャップが小さい」という化学的傾向がただちに導かれる.

14.6.2 イオン半径とバンドギャップの相関

因果の連鎖を書き下すと,次のようになる.

イオン半径 大 → $R_0$ 大 → $1/R_0$ 小 → Madelungポテンシャル $U$ 小 → バンドギャップ $E_g$ 小

イオン半径 小 → $R_0$ 小 → $1/R_0$ 大 → Madelungポテンシャル $U$ 大 → バンドギャップ $E_g$ 大

周期表を思い出そう.アルカリ金属イオンでも,ハロゲン化物イオンでも,原子番号が大きくなると電子殻が1つ増えるのでイオン半径は大きくなる(Li$^+ \lt$ Na$^+ \lt$ K$^+ \lt$ Rb$^+ \lt$ Cs$^+$,F$^- \lt$ Cl$^- \lt$ Br$^- \lt$ I$^-$).したがってアルカリハライドでは,周期表を下に行くほどバンドギャップが小さくなると予想される.実際そのとおりである.

例題14.7 LiF・NaCl・KI を比べる

問題:次の最近接距離(文献[2])を用いて,3つのアルカリハライドについて $U$ と $E_g^{(b)}=A-I+2U$ を計算し,実験値と比較せよ.

LiF:$R_0=2.013\ \text{Å}$,$A(\mathrm{F})=3.401$ eV,$I(\mathrm{Li})=5.392$ eV
NaCl:$R_0=2.82\ \text{Å}$,$A(\mathrm{Cl})=3.613$ eV,$I(\mathrm{Na})=5.139$ eV
KI:$R_0=3.533\ \text{Å}$,$A(\mathrm{I})=3.059$ eV,$I(\mathrm{K})=4.341$ eV

解答:まず $A_M\cdot(\ee^2/4\pi\eps)=1.7476\times14.400=25.165\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$ を一度計算しておけば,あとは $R_0$ で割るだけである.

考察:$E_g^{(b)}$ はどれも実験値の 1.6〜2.1 倍と過大評価だが,大小の順序は完全に正しい(LiF $\gt$ NaCl $\gt$ KI).しかも $1/R_0$ に対してほぼ直線的に並ぶ(図14.7).(c)(d) の補正は,この直線をほぼ平行に下へずらす役割をしている.

アルカリハライド(KI,NaCl,LiF)のバンドギャップと 1/R0 の相関.(b) の計算値(青の破線)と実験値(赤の実線)がほぼ平行に並ぶ.
図14.7 アルカリハライドのバンドギャップと $1/R_0$ の相関.青(破線)は式 \eqref{eq:14-gap-b} による (b) の段階の計算値,赤(実線)は実験値(LiF 約 14 eV,NaCl 8.5 eV,KI 約 6.3 eV).両者は約 1.6〜2 倍の差をもって平行に並んでおり,(c) の静電分極と (d) のバンド形成による補正が,どの物質でも同じ向き・同程度に効いていることがわかる.

物理的意味:もうひとつの傾向 — イオン化エネルギーと電子親和力の差

式 \eqref{eq:14-gap-master} には $2U$ のほかに $A-I$ という項もある.アルカリ金属を固定してハロゲンを変えると(LiF, LiCl, LiBr, LiI),$A$ が小さいハロゲンほど $A-I$ が小さくなり $E_g$ も小さくなる.逆にハロゲンを固定してアルカリ金属を変えると,$I$ が大きい金属(周期表の上のほう)ほど $A-I$ が小さくなる……が,同時に $R_0$ も小さくなって $2U$ が大きくなる.$2U$ の効き方のほうが圧倒的に大きいので,結局周期表の上に行くほど $E_g$ が大きいという傾向が勝つ.じっさい,実験データを $1/R_0$ に対してプロットすると,フッ化物・塩化物・臭化物・ヨウ化物がそれぞれ別の直線に乗りながら,全体として1つの傾向を描く(文献[1]).

注意:イオン結合性が低い物質には使えない

ここまでの議論は「電子が完全に Cl 側へ移り,イオンが点電荷とみなせる」という強いイオン結合性を前提としている.イオン結合性が低い物質,たとえば遷移金属化合物や共有結合性の強い半導体では,この描像は破綻する.図14.7 に Ag 塩(AgCl,AgBr)を加えると,アルカリハライドの直線から大きく外れて下に落ちることが知られている(文献[1]).Ag$^+$ の 4d 電子が Cl の 3p 軌道と強く混成し,価電子帯の性格が変わってしまうからである.結晶構造も格子欠陥もイオン結晶とは違う挙動を示す.モデルの適用範囲を意識することは,計算科学において何よりも大切である.

14.7 NaCl のバンド図と波動関数

4段階の議論で得た結論——「VBM は Cl-3p 的,CBM は Na-3s 的」——を,第一原理計算の結果と突き合わせて確かめよう.式 \eqref{eq:14-bloch-dispersion} で見たとおり,電子バンド図とはエネルギーを波数 $k$ の関数として描いたものである.3次元結晶では $k$ も3成分をもつベクトル $\bm{k}$ になるので,対称性の高い特別な点($\Gamma$,X,K,L,W など)を結ぶ折れ線に沿って $E(\bm{k})$ を描くのが慣例である.

NaCl の電子バンド図(模式) エネルギー (eV) −4 −2 0 4 8 10 Γ X U|K Γ L W X VBM CBM 計算値 Eg 価電子帯(幅 約 1.8 eV) 波動関数はどこに広がっているか CBM(伝導帯下端)= Na-3s 的 Na サイトを中心に,大きく広がった球状の分布 VBM(価電子帯上端)= Cl-3p 的 Cl サイトに強く局在した,節をもつダンベル形 (Na サイトにはほとんど分布がない) Na Cl 波動関数 + −
図14.8 (左)NaCl の電子バンド図の模式.価電子帯は Cl-3p 由来の3本のバンドからなり,$\Gamma$ 点に VBM がある.伝導帯の最下端(CBM)も $\Gamma$ 点にあり,NaCl は直接遷移型のギャップをもつ.(右)VBM と CBM の波動関数の模式.VBM は Cl サイトに局在した $p$ 型(ダンベル形,節をもつ),CBM は Na サイトを中心に大きく広がった $s$ 型(球形,節がない)である.

物理的意味:波動関数の形がすべてを語る

図14.8 右の2枚を見比べてほしい.

4段階の議論で予言したとおりの姿である.第10章で分子軌道を可視化したときと同じことを,固体でやっているだけなのだと理解してほしい.

注意:DFT はバンドギャップを過小評価する

図14.8 のバンド図は密度汎関数理論(DFT)にもとづく第一原理計算の模式であるが,実際の局所密度近似(LDA)や一般化勾配近似(GGA)による計算では NaCl のバンドギャップは 5〜6 eV 程度と,実験値 $8.5$ eV より 3 eV ほど小さく出る.これはバンドギャップ問題(band gap problem)と呼ばれる DFT の系統的な欠点であり,交換相関汎関数の近似に由来する.ハイブリッド汎関数や $GW$ 近似といった,より高級な手法を使えば改善される.計算値が実験値と合わないとき,それが物質の問題なのか手法の問題なのかを見分けられることが,計算科学の実務では決定的に重要である.詳しくは 14.8 節で紹介する参考書に進んでほしい.

例題14.8 バンド幅から共鳴積分を逆算する

問題:NaCl の価電子帯の幅を $W_v=1.8$ eV とする.式 \eqref{eq:14-bandwidth} の1次元模型で近似して,Cl-3p 軌道どうしの共鳴積分 $\abs{\beta}$ を見積もれ.伝導帯の幅を $W_c=5.0$ eV としたときの $\abs{\beta}$ とも比べよ.

解答:$W=4\abs{\beta}$ より $\abs{\beta}=W/4$ である.

$$ \abs{\beta_v} = \frac{1.8}{4} = 0.45\ \mathrm{eV}, \qquad \abs{\beta_c} = \frac{5.0}{4} = 1.25\ \mathrm{eV}. $$

伝導帯側の共鳴積分は価電子帯側の約 2.8 倍である.第11章・第5章で学んだとおり,共鳴積分の大きさは重なり積分の大きさとほぼ並行して動く.Na-3s 軌道が Cl-3p 軌道よりずっと空間的に広がっていることが,この差の理由である.(注:実際の NaCl は3次元で最近接数が6なので,1次元模型の $W=4\abs{\beta}$ は $W=2z\abs{\beta}$($z$ は最近接数)と読み替えるべきである.その場合 $\abs{\beta_v}=W_v/12=0.15$ eV となる.ここでは桁の感覚をつかむことが目的である.)

14.8 本書のまとめと,この先へ

14.8.1 第1章の問いに答える

本書は第1章で,「どんな元素を,どのように並べたら,どんな性質が出てくるのか」を演繹的に説明できるようになることを目標に掲げた.14章を終えたいま,この問いに対して何が言えるようになったかを振り返ろう.

出発点は,第I部の水素原子の Schrödinger 方程式であった.3つの量子数 $n,l,m$ が現れ,電子の定員が $2n^2$ となり,そこから周期表の構造が出てきた(第2章).しかし電子が2個以上になると方程式は厳密に解けなくなる.そこで第II部では,近似解を求める2つの道具——変分原理(第3章)と摂動論(第4章)——を手に入れ,試行関数として何を使うべきかを重なり積分の手計算から突き止め(第5章),Gauss 型基底 STO-3G が実用的な近似であることを厳密解との比較で確かめた(第6章).

第III部では電子を多数扱うための枠組みを整えた.Fermi 粒子である電子の波動関数は反対称でなければならず,それを保証するのが Slater 行列式である(第7章).原子核を止めて電子だけを解いてよいという Born–Oppenheimer 近似が,全エネルギーとポテンシャルエネルギー曲面という概念を成立させ,構造最適化を可能にした(第8章).Slater 行列式でハミルトニアンの期待値をていねいに計算すると,古典的な Coulomb 項に加えて交換エネルギーという量子力学固有の項が現れ,Hund の規則の起源になっていた(第9章).そして第10章では,これらの理論が実際のソフトウェアの中でどう動いているかを,Molcalc と PySCF を使って自分の手で確かめた.

第IV部では化学結合そのものに切り込んだ.変分原理から導かれる永年方程式が,Coulomb 積分 $\alpha$・共鳴積分 $\beta$・重なり積分 $S$ という3つの積分で結合の強さを表現し,結合性軌道と反結合性軌道への分裂を説明した(第11章).さらに,どの軌道とどの軌道が結合できるかは対称性が決めており,群論の指標表を使えば共鳴積分がゼロになるかどうかを計算せずに判定できることを学んだ(第12章).

第V部で舞台は固体に移った.第13章では,分子間にはたらく van der Waals 力を連成振動子モデルから $-C/R^6$ として導き,イオン結晶では Madelung エネルギーという長距離の静電エネルギーが結合を支配していることを示した.そして本章では,原子を $N$ 個並べると永年方程式の解が $N$ 本になってバンドを作ること,そのバンドギャップの大きさを決めているのが Madelung ポテンシャル $U$ であることを,NaCl について数値まで確かめた.

いま,こう答えることができる.「Na と Cl を岩塩型に並べれば,$R_0=2.82\ \text{Å}$ という距離から $U=8.92$ eV という Madelung ポテンシャルが決まり,$E_g=A-I+2U$ に静電分極とバンド形成の補正を加えて約 $8.5$ eV のバンドギャップをもつ無色透明な絶縁体になる」——元素($A$ と $I$)と並べ方($A_M$ と $R_0$)だけから,性質($E_g$)が出てきたのである.これが第1章で掲げた「演繹的な説明」の,ささやかだが本物の実例である.

本書の道筋 — 水素原子から NaCl のバンドギャップまで 第I部(1–2章) 水素原子の Schrödinger 方程式 量子数 → 周期表 第II部(3–6章) 変分原理・摂動論 基底関数 STO-3G 第III部(7–10章) Slater行列式・交換エネルギー Born–Oppenheimer・実践計算 第IV部(11–12章) 永年方程式 → α, β, S 対称性・点群・指標表 第V部(13–14章) van der Waals 力・Madelung N原子 → バンド → Eg Eg = A − I + 2U +(静電分極)+(バンド形成) 元素(A, I)と並べ方(AM, R₀)から,性質(Eg)が出る この先へ 固体物理学 1・2 Bloch の定理・逆格子 Brillouin ゾーン・フォノン 密度汎関数理論(DFT) Kohn–Sham 方程式 交換相関汎関数・SCF 第一原理計算ソフトウェア VASP / Quantum ESPRESSO OpenMX・pymatgen
図14.9 本書14章の総括マップと,この先に学ぶべき3つの方向.

14.8.2 次に学ぶべきこと

本書で扱えたのは,計算科学の入口のさらに手前である.ここから先に進むための3つの方向を挙げておく.

この先へ:3つの方向

  1. 固体物理学 1・2:本章では1次元の Hückel 鎖しか扱わなかった.3次元の周期系をきちんと扱うには,Bloch の定理(周期ポテンシャル中の波動関数は $\psi_{\bm{k}}(\bm{r})=e^{i\bm{k}\cdot\bm{r}}u_{\bm{k}}(\bm{r})$ の形をとる),逆格子,Brillouin ゾーンという3点セットが必要である.図14.8 の横軸に現れた $\Gamma$,X,L といった記号の意味も,そこではじめて理解できる.フォノン(格子振動)や Fermi 面,有効質量もこの延長線上にある.教科書は Kittel(文献[2])が定番である.
  2. 密度汎関数理論(DFT):第9章までで見たとおり,多電子系を波動関数で扱うと計算量が爆発する.これを電子密度 $\rho(\bm{r})$ の汎関数に置き換えるのが DFT であり,その中心方程式が Kohn–Sham 方程式である.未知の部分はすべて交換相関汎関数 $E_{xc}[\rho]$ に押し込められ,その近似(LDA,GGA,ハイブリッド汎関数)の選択が計算精度を左右する.14.7 節で触れたバンドギャップ問題の正体も,ここにある.Parr–Yang(文献[4])が標準的な教科書である.
  3. 実際の第一原理計算ソフトウェア:理論を知っただけでは材料は作れない.VASP,Quantum ESPRESSO,OpenMX といった平面波・局在基底のコードを実際に動かし,収束テスト(カットオフエネルギー,$k$ 点メッシュ)を自分の手で回すことが不可欠である.pymatgen(文献[10])や PySCF(文献[12])のような Python ライブラリを使えば,大量の物質を自動で計算するハイスループット計算も可能になる.実際,逆ペロブスカイト構造の新規半導体の探索(文献[8]),結合解析による物性の理解(文献[9]),エピタキシャル歪みによる金属—絶縁体転移の予測(文献[7])など,本書で学んだ考え方はそのまま研究の現場で使われている.付録Bを出発点にしてほしい.

なぜ?:計算科学を学ぶ意味

本書を通じて繰り返し現れたのは,「厳密には解けない問題を,どう賢く近似するか」という主題であった.変分原理も,摂動論も,Born–Oppenheimer 近似も,Hückel 近似も,Madelung の点電荷モデルも,すべてがそうである.近似には必ず適用範囲があり,その外側では答えを間違える(14.6 節の Ag 塩の例,14.7 節の DFT のバンドギャップ問題).

計算機は式を解いてくれるが,どのモデルを使うべきかを決めるのは人間である.本書で身につけてほしかったのは,コードの使い方ではなく,この判断のための物理的な感覚である.$14.4\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$ という数字を覚えておいて,目の前の物質のバンドギャップの桁を暗算で見積もれること.計算結果が出たときに「その値はおかしい」と気づけること.そういう感覚こそが,計算科学における最大の武器になる.

14.9 まとめと演習

14.9.1 この章のまとめ

14.9.2 演習問題

演習14.1 $N=6$ の原子鎖

式 \eqref{eq:14-chain-levels} を用いて,$N=6$ の1次元鎖の6本の準位を $\alpha$ と $\beta$ で表せ.また $\abs{\beta}=2.5$ eV としてバンド幅を求め,6本の準位のうちバンド中央付近の隣り合う2本の間隔を計算し,式 \eqref{eq:14-level-spacing} の近似値と比べよ.

ヒント:$\theta_j=j\pi/7$($j=1,\dots,6$)に対して $\cos\theta_j$ を計算する.$\cos(\pi/7)=0.9010$,$\cos(2\pi/7)=0.6235$,$\cos(3\pi/7)=0.2225$ であり,$j=4,5,6$ はこれらの符号を反転したものになる($\cos(\pi-x)=-\cos x$).バンド幅は式 \eqref{eq:14-bandwidth} から $4\times2.5=10$ eV.中央付近($j=3$ と $j=4$)の差は $2\abs{\beta}\times(0.2225+0.2225)$,近似式は $2\pi\abs{\beta}\sin(\pi/2)/(N+1)$ である.両者が数割の精度で一致すればよい.

演習14.2 KBr のバンドギャップを見積もる

KBr は NaCl 型構造をとり,最近接距離は $R_0=3.30\ \text{Å}$ である.$A(\mathrm{Br})=3.364$ eV,$I(\mathrm{K})=4.341$ eV として,(b) の段階のバンドギャップ $E_g^{(b)}=A-I+2U$ を求めよ.実験値は約 7.4 eV である.過大評価の倍率を NaCl(実験値 8.5 eV に対し 16.3 eV)や KI(実験値 6.3 eV に対し 13.0 eV)と比べ,傾向を論ぜよ.

ヒント:$A_M\times14.400=25.165\ \mathrm{eV\cdot\text{Å}}$ をまず作り,$R_0$ で割って $U$ を得る.$A-I$ は負の小さな値になる.倍率がどの物質でも 1.8〜2.1 の狭い範囲に収まることを確かめ,「(c) と (d) の補正がギャップにほぼ比例している」と解釈できるかどうかを考えてみよ.

演習14.3 圧力をかけるとバンドギャップはどうなるか

NaCl に静水圧をかけ,$R_0$ が 10 % 縮んだとする.(b) の段階の $E_g$ はどれだけ変化するか.またこの結果から,「イオン結晶に圧力をかけると透明になりやすいか,それとも色がつきやすいか」を論ぜよ.実際の物質では (d) のバンド形成の効果も同時に変化するが,それはギャップをどちらに動かすか,あわせて考察せよ.

ヒント:$U\propto1/R_0$ だから $R_0\to0.9R_0$ で $U\to U/0.9=1.111U$.$2U$ は $17.85\to19.83$ eV になる.$A-I$ は変わらない.一方 (d) については,距離が縮むと軌道の重なりが増えて $\abs{\beta}$ が大きくなり,バンド幅 $W=4\abs{\beta}$ が広がることを思い出す.式 \eqref{eq:14-gap-d} を見よ.2つの効果は逆向きにはたらく.

演習14.4 LiF の静電分極補正

LiF の高周波誘電率は $\varepsilon_\infty=1.92$,最近接距離は $R_0=2.013\ \text{Å}$ である.式 \eqref{eq:14-born-polarization} を用いて分極によるギャップの縮小を見積もり,例題14.7 で求めた $E_g^{(b)}=23.0$ eV から差し引け.実験値 約 14 eV との差はどれだけ残るか.その残りは何が担っていると考えられるか.

ヒント:$\ee^2/(8\pi\eps R_0)=\tfrac12\times14.400/2.013$ を先に計算する.括弧は $1-1/1.92$.得られた $\abs{W}$ を2倍したものがギャップの縮小の目安である.NaCl の場合(例題14.5)と比べて,$\varepsilon_\infty$ が小さい(=分極しにくい)ぶん括弧が小さくなる一方,$R_0$ が小さいぶん前因子は大きくなることに注意.残差については (d) のバンド形成を考えよ.

演習14.5 遮蔽長を計算する

電子密度 $n=2.0\times10^{28}\ \mathrm{m^{-3}}$ の金属について,自由電子模型の Fermi エネルギー $E_F=\dfrac{\hbar^2}{2m}\left(3\pi^2 n\right)^{2/3}$ を計算し,次に式 \eqref{eq:14-tf-k0} から Thomas–Fermi 遮蔽長 $1/k_0$ を求めよ.銅の場合(例題14.6,$0.55\ \text{Å}$)と比べ,電子密度が低いほど遮蔽が弱くなることを確かめよ.

ヒント:$\hbar=1.0546\times10^{-34}\ \mathrm{J\,s}$,$m=9.109\times10^{-31}$ kg.$3\pi^2 n=5.92\times10^{29}\ \mathrm{m^{-3}}$ となり,その $2/3$ 乗は $7.04\times10^{19}\ \mathrm{m^{-2}}$.$E_F\approx4.3\times10^{-19}\ \mathrm{J}=2.7$ eV が得られるはずである.$g(E_F)=3n/(2E_F)$ を使う.答えは $1/k_0\approx0.70\ \text{Å}$.

演習14.6 金属と縮退半導体を見分ける

ある試料の電気抵抗率を測ったところ,室温で $10^{-4}\ \Omega\,\mathrm{cm}$ と低く,温度を上げると単調に増加した.この測定だけでは,試料が金属なのか縮退半導体なのかを判定できない.表14.1 を参考に,両者を区別するための実験を3つ提案し,それぞれ何がどう違うと予想されるかを述べよ.

ヒント:(1) 光吸収スペクトルを測る——ギャップがあれば吸収端が現れる.さらに縮退半導体では伝導帯の下部が電子で埋まっているため吸収端が高エネルギー側にずれる(Burstein–Moss シフト).(2) Hall 効果でキャリア密度を測る——表14.1 のキャリア密度のオーダーが違う.(3) 組成(ドープ量)を変えてキャリア密度や $E_F$ が動くかを見る.ほかにも,光電子分光で $E_F$ 近傍の状態密度を直接見る,第一原理計算でバンド構造を計算してギャップの有無を確かめる,といった方法が考えられる.

14.9.3 参考文献

  1. P. A. Cox『固体の電子構造と化学』技報堂出版(原著:The Electronic Structure and Chemistry of Solids, Oxford University Press, 1987)第3章.本章の4段階の議論(図3.1)はこの本による.
  2. C. Kittel『固体物理学入門(上・下)』丸善(原著:Introduction to Solid State Physics, Wiley).Madelung 定数と格子定数は第3章,バンド理論は第7章,Thomas–Fermi 遮蔽と誘電関数は第14章を参照.
  3. P. Atkins, J. de Paula, Atkins' Physical Chemistry, Oxford University Press.イオン化エネルギー・電子親和力のデータ表,および図14.1 に相当する「原子数を増やすとバンドができる」図の出典.
  4. R. G. Parr, W. Yang『原子・分子の密度汎関数法』シュプリンガー(原著:Oxford University Press, 1989).14.8 節で挙げた DFT の標準的な教科書.
  5. シュライバー・アトキンス『無機化学(上)』東京化学同人.イオン半径,格子エネルギー,アルカリハライドの性質.
  6. 原田 義也『量子化学(上巻)』裳華房.Hückel 法と永年方程式の詳細(例題14.1 の $N=4$ 鎖はブタジエンの $\pi$ 電子系に相当する).
  7. Y. Mochizuki, H. Sato, H. Akai et al., "Metal–insulator transition induced by epitaxial strain", Phys. Rev. Materials 2, 125001 (2018).
  8. Y. Mochizuki et al., "Theoretical exploration of new semiconductors based on antiperovskites", Phys. Rev. Materials 4, 044601 (2020). バンドギャップを指標にした新規半導体の第一原理探索.
  9. Y. Mochizuki et al., "Chemical bonding analysis with COHP/COBI", J. Phys. Chem. C 125, 7959 (2021). 本章の共鳴積分 $\beta$ に対応する量を第一原理計算から取り出す方法.
  10. S. P. Ong et al., "Python Materials Genomics (pymatgen): A robust, open-source python library for materials analysis", Comput. Mater. Sci. 68, 314 (2013). Madelung 定数やバンド構造の解析に使える.
  11. N. F. Mott, R. W. Gurney, Electronic Processes in Ionic Crystals, Oxford University Press (1940). 14.5 節の静電分極補正(Mott–Littleton 法)の古典的原典.
  12. Q. Sun et al., "PySCF: the Python-based simulations of chemistry framework", WIREs Comput. Mol. Sci. 8, e1340 (2018).