トンネル効果の透過率はどこから来るのか
― 講義ノート (6)(7)(8)(9) の導出をたどる(学部 2・3 年生向け)
シミュレーターは透過率を
という式で描いています.出てくるのは境界条件 4 本の連立一次方程式だけで,
難しい数学は要りません.ノートの流れに沿って,途中を省かずに追います.
結論を先に
障壁の中でも波動関数は 0 になりません.
では指数関数的に減衰する解
になるだけで,反対側にわずかに残った振幅の 2 乗がそのまま透過率になります.
厚い障壁では
―― 指数の肩で効くので,障壁がほんの少し厚くなるだけで桁が変わります.
0. 設定
ノート (6) の設定です.x 軸に沿って動く質量 m の粒子に,
高さ ,厚み L の箱型ポテンシャルを置きます.
古典的には
なら必ず跳ね返されます.量子論ではどうなるかを,時間に依らない Schrödinger 方程式
を領域ごとに解いて調べます.
1. まず直感で(30 秒版)
波動関数が満たすのは
です.右辺の符号だけで解の顔つきが決まります.
- (障壁の外):
と が逆符号 → 振動する().
- (障壁の中):同符号 → 指数関数().
減っていくけれど,0 にはならない.
障壁が有限の厚みしかなければ,減衰の途中で外に出てしまいます.
出たところの振幅の 2 乗が透過率です.ノートの欄外に「本質的にはしみ出し効果と同じ!」
と書いてあるのは,まさにこのことです.
2. 領域ごとに解いてつなぐ ― ノート (6)
2.1 3 つの領域の一般解
,
と置きます.
(1)
なぜ右側に左向きの波を置かないのか
にはもう波を跳ね返すものが何もないからです.
「左から粒子を撃ち込んだ」という状況設定そのものが,この 1 行に入っています.
逆に言えば,右向き・左向きの両方を残すと別の物理(両側から撃つ実験)を解くことになります.
2.2 つなぐ条件は 4 本
が有限の跳びしか持たないので, と
は と
でつながっていなければなりません.
(2)
2.3 解く ― 後ろから前へ
未知数は
の 5 つ,式は 4 本.全体の大きさは決まらないので, と置いて
後ろから前へ遡ると,連立を解かずに済みます.まず (2) の 3・4 本目を足し引きして
(3)
同じく 1・2 本目を足し引きして を で書き,
(3) を入れると
(4)
ノートは同じものを
の形で書いています.
を / に直しただけで,同じ式です.
2.4 透過率と反射率
,
です.(4) の絶対値を取り,
と
を使うと,驚くほどきれいにまとまります.
(5)
分母が共通で,分子が分母の 2 つの項そのものになっています.だから
が一目で分かる ――
ノートの欄外の「確かに 」はこれです.
確率が保存しているという,答えが正しいことの何よりの証拠です.
なぜ振幅比の 2 乗でよいのか
透過率は本来,確率の流れの比(透過波の流れ ÷ 入射波の流れ)で定義される量です.
いまは障壁の左右でポテンシャルが等しく,波数 k,つまり波の進む速さが共通なので,
流れの比がそのまま振幅比の 2 乗になります.左右で高さの違う段差では
透過側と入射側の波数の比が因子として付くので,この一致は当たり前ではありません.
最後に ,
を入れます.ここで
と が消えるのが効いて,
(6)
これがシミュレーターのタブ ① が描いている式です.
3. エネルギーが障壁より高いとき ― ノート (7)
では
になります.
ここで解き直す必要はありません.
すなわち を (6) にそのまま入れるだけです.
(7)
と合わせると,マイナスが 2 回出て打ち消し合い,
(8)
古典論との一番大きな違いはここ
古典的には なら 100 % 通ります.
ところが (8) は一般に ―― 山を越えられるのに跳ね返される.
逆に ,
つまり
のときだけ
に戻ります(共鳴透過).
障壁の厚みが障壁内の半波長の整数倍になり,2 つの境界からの反射波がちょうど打ち消し合う条件です.
光学でいえば,半波長の厚みをもつ層が反射に関して見えなくなるのと同じです(Fabry–Pérot 共鳴).
よく引き合いに出される反射防止コーティングは 1/4 波長の厚みを使う別の条件なので,厚みの条件までは重なりません.
共鳴が起こるエネルギーは .
シミュレーターの既定値( eV,
nm, 電子)なら
10.376, 11.504, 13.384 eV です.タブ ① の T–E 曲線でこの山が見られます.
4. 厚い障壁の近似とガモフ因子 ― ノート (8)
4.1 sinh を指数関数で置き換える
なら
.
さらに (6) の分数が 1 よりずっと大きいので,括弧の中の 1 も落とせて
(9)
最後の等号でノートは前係数まで落としています.「T は指数位で値が決まるので」という
一文がそれです.どれくらい乱暴なのか,数値で見てみます.
| bL |
T(厳密 (6)) |
前係数つき (9) |
誤差 |
|
| 1 | 3.78×10−1 | 4.55×10−1 | +20 % | 1.35×10−1 |
| 2 | 6.00×10−2 | 6.15×10−2 | +2.5 % | 1.83×10−2 |
| 3 | 8.30×10−3 | 8.33×10−3 | +0.3 % | 2.48×10−3 |
| 5 | 1.53×10−4 | 1.53×10−4 | +0.006 % | 4.54×10−5 |
| 8.87 | 6.59×10−8 | 6.59×10−8 | < 10−6 | 1.96×10−8 |
前係数を残した (9) は で 0.3 % 以内.
一方いちばん右の裸の は 3 倍ほどずれ続けます
―― これは前係数
が定数(この例では 3.36)だからで,bL をいくら大きくしても消えません.
「桁が合えばよい」ときだけ使える近似だ,と割り切って使うのが正解です.
シミュレーターが両方を併記しているのはこのためです.
桁で効くことの実例 ― 走査型トンネル顕微鏡
金属探針と試料の隙間を L と見なし,障壁の高さから電子のエネルギーを引いた
を金属の仕事関数(4 eV 程度)とすると,
nm−1 です.
トンネル電流は
に比例するので,隙間が 0.1 nm 縮むだけで電流は 8 倍 ―― ほぼ一桁 ―― 増えます.
走査型トンネル顕微鏡が原子 1 個分の凹凸を見分けられるのは,この指数の肩のおかげです.
4.2 山型ポテンシャルへ ― ガモフ因子
ノート (8) の後半がうまい所です.障壁が箱型でなくても,
細い箱の重ね合わせと見て,透過率を掛け算していけばよいと考えます.
指数の肩では掛け算が足し算になるので,
(10)
これがガモフ因子です(WKB 近似の結果と一致します).
積分区間は となる部分,
つまり古典的には入れない領域だけです.
⚠ この「掛け算」は直感であって,厳密な散乱の計算ではありません
薄い箱を並べると境界のたびに反射波が立ち,それらの位相が干渉するので,本当は
です ―― 厳密にやるなら透過率ではなく転送行列(散乱行列)を掛けていくことになります.
ここで足し合わせているのは,各区間で振幅が
だけ減る,その指数の肩だけです.境界での反射の位相と前係数
(4.1 の
にあたるもの)は,この議論では捨てています.
それでも肩の部分は半古典的に解いた WKB の答えと一致し,桁を決めるのはその肩です.
5. 応用:α 崩壊 ― ノート (9)
ガモフ因子の一番有名な使い道です.α 粒子は原子核の中では核力で閉じ込められ,
外では Coulomb 斥力を受けます.以下, は α 粒子の質量,
は α 粒子が出たあとに残る娘核の原子番号,
は核の半径(ここまで反射率として使ってきた R とは別の記号です)とします.
Coulomb 項の分母が 4π ではなく 2π なのは,α 粒子の電荷 2e が分子に入っているからです.
古典的な折り返し点 は
で決まります.
これを使うと根号の中が
という簡単な形になり,
と置換すれば積分できます.
(11)
⚠ ここは近似のそろえ方に注意
ノートは
として
と落とし,3 項目だけ
として残しています.
しかし
なので,
この 2 つは
同じ次数です.そろえて残すと係数が 2 倍になります.
指数の肩なので,この違いはそのまま効きます.実際の α 崩壊の
では,ノートの形は積分を 32 〜 59 % 過大評価します.上の形なら 1 〜 4 % の過小評価に収まります.
展開は「どの次数まで残すか」をそろえる ―― という良い練習問題になっています.
6. シミュレーターは何を計算しているか
タブ ① は上の (6)(8) をそのまま評価しています.タブ ② はもっと素朴で,
時間依存 Schrödinger 方程式を数値的に解いて波束をぶつけているだけです.
| やっていること | 中身 |
| 内部単位 | nm / eV / fs( eV·fs,
eV·nm2).数値が 1 前後に収まり桁あふれしない |
| 時間発展 | 分割演算子法(split-step Fourier 法).運動エネルギーは波数空間,ポテンシャルは実空間で掛ける |
| 端の処理 | 吸収層を置き,外へ出た確率を左右それぞれに積算 |
| 比べる相手 | 波束の運動量分布で平均した
|
波束と単一エネルギーは一致しない ― これは誤差ではない
(6) はひとつのエネルギーに対する答えです.ところが波束は必ずエネルギーの幅を持ちます
(位置を局在させた代償です).だから実測の透過確率は
ではなく,
運動量分布で重み付けした
と比べるべきものです.T が E について指数関数的に変わるので,
幅の中で高エネルギー側が圧倒的に効き,平均は中心値より大きく出ます
( のトンネル領域での話です.
では T が共鳴で振動するので,
共鳴の山の上では逆に平均のほうが小さくなります).
波束の空間的な幅を広げる ―― つまりエネルギーの幅を狭める ―― ほど,両者は近づきます.
7. 数値で確かめる
導出はすべて手計算なので,独立に数値で確かめてあります.
(2) の 4 本を から素直に解いた複素振幅と,
ノートの閉じた形を比べたものです.
| 確かめたこと | 一致 |
| 境界条件を直接解いた vs (4)(3 通りの k, b, L) |
相対差 < 1×10−15 |
| 同 vs (5) |
相対差 < 1×10−15 |
| 厳密(< 10−16) |
| (5) → (6) の書き換え | 相対差 < 5×10−16 |
| (7) の解析接続 → (8) | 完全一致 |
| 共鳴 で |
12 桁 |
| (11) の閉じた形 vs 数値積分 | 相対差 < 2×10−11 |
ノートの数値との差について
ノートは ,
,
としています.ここで
と は
eV のトンネルの例,
のほうは,数値から逆算すると
eV ―― つまり式 (8) を使う
の別の例と見られます
(どちらも eV,
nm).
トンネルの例のほうは で,
ここに並べても意味がありません.CODATA の値を使うと
,
,
です.差の出どころは
という丸めだけで, にすると 0.4 % の違いです.
それが
で 5 % に, では の傾きを通して 10 % に増幅されます.
指数の肩や三角関数の中身は,有効数字をひとつ多めに持つ ―― という教訓です.
8. まとめ
- 各領域で Schrödinger 方程式を解き, と
の連続条件 4 本でつなぐ.それだけ (1)(2).
- と置いて後ろから遡れば,連立を解かずに
が出る (3)(4).
- 絶対値を取ると分母が共通の形になり,
が一目で分かる (5)(6).
- は
を代入するだけ.
が に変わり,共鳴透過が現れる (7)(8).
- 厚い障壁では .
細かく切って掛け算すれば,緩やかに変わる障壁ならどんな形にも使えるガモフ因子になる
(厳密には転送行列を掛けるべきだが,指数の肩はこれで決まる) (9)(10).
- それを Coulomb 障壁に当てると α 崩壊の寿命が出る (11).
1 本の式が,実験室の電子から原子核まで通用します.