Lagrange の未定乗数法はなぜ効くのか
― 拘束条件つきの極値から,永年方程式・共有結合まで(マテリアル計算科学 第 11 回)
「ある条件を守りながら,何かを最小にする」.物理はこの形の問題ばかりです.
与えられた電子数のもとでエネルギーを最小に,
与えられたエネルギーのもとでエントロピーを最大に,
与えられた時間で作用を最小に.
これを解く道具が Lagrange の未定乗数法です.
ここでは,まず「なぜあれで解けるのか」を絵で納得したうえで,
分子 AB のエネルギー期待値に適用して永年方程式を導きます.
結論を先に
拘束条件つきの極値では,目的関数の等高線と,拘束の曲線がちょうど接します.
接するとは「2 つの勾配が平行」ということで,その比例定数が未定乗数です.
そしてこの未定乗数は,ただの計算の道具ではありません ――
分子軌道の問題では,エネルギー準位の半分(E = 2ε)という物理量そのものになります.
1. 絵で見る ―― なぜ「接する」のか
2 変数の関数 f(x, y) を,条件 g(x, y) = 0 のもとで最小にしたいとします.
g = 0 は平面上の 1 本の曲線なので,その曲線の上だけを歩いて,いちばん低いところを探す問題です.
歩いている途中で,f がまだ変化しているなら ―― まだ下げる余地があります.
下げようがなくなるのは,曲線に沿って動いても f が変わらなくなったときです.
曲線に沿った方向を t とすると,これは
(1)
ということです.ところが,拘束曲線に沿って歩いても g は 0 のままなので,
も
いつでも成り立っています.つまり ∇f も ∇g も,どちらも t に垂直.
2 次元で同じ方向に垂直なベクトルは平行しかありません(∇g ≠ 0,つまり拘束曲線がその点でなめらかで,つぶれていないことが前提です).だから
(2)
この λ が未定乗数です.「未定」なのは,値が最初から分かっていないから ――
解いてはじめて決まる量だからです.
図 1.等高線と拘束曲線が接するところ.
背景の色が f の値(青いほど小さく,赤いほど大きい),その上の細い線が等高線,
緑の太線が拘束条件 g = 0.赤い点をスライダーで曲線に沿って動かすと,
接した瞬間に 2 本の矢印が平行になり,そこが曲線に沿って f が停留する点 ―― 最小(最大)の候補になります.
2. 3 番目の式が,拘束条件を呼び戻す
(2) は 2 本の式ですが,未知数は x, y, λ の 3 つ.1 本足りません.
足りない 1 本は拘束条件そのもの g = 0 です.
この 3 本をまとめて自動的に出す仕掛けが,次の関数です.
(3)
ここが仕掛けです
―― λ で微分すると,拘束条件そのものが戻ってきます.
だから「拘束つきの 2 変数問題」を「拘束なしの 3 変数問題」に丸ごと置き換えられる.
これが未定乗数法の全部です.λ を「もう 1 つの変数」として扱う,というだけの発想が効きます.
符号は好みです
と書く教科書も多くあります.
λ の符号が変わるだけで,答えは同じです.
講義ノートでは
と引く形を使っているので,以下それに合わせます.
3. 例題 ―― 分子 AB のエネルギーを最小にする
ここからが本題です.原子 A, B の原子軌道 ψA, ψB を混ぜて,
分子軌道をつくります(LCAO 近似).
(4)
決めたいのは 2 つの係数だけです.決め方は「エネルギーがいちばん低くなるように」
―― 変分原理です.使う積分は 3 種類.
| 記号 | 定義 | 意味 |
| S |
|
重なり積分.2 つの軌道がどれだけ空間的に重なっているか(0 ≦ S ≦ 1) |
| αA, αB |
など |
クーロン積分.結合する前の,原子の電子準位にあたる量(負). には相手の核による引力も入っています |
| β |
|
共鳴積分.電子が A と B を行き来する効果(ふつう負) |
係数が実数()とすると,
展開はすぐに終わります.
(5)
(6)
なぜ「= 2」なのか
結合性軌道に入る電子が 2 個だからです.Ψ を「電子 2 個ぶんの密度」に規格化しています.
したがって
は電子 1 個あたりのエネルギー ―― つまり分子軌道の準位で,
2 電子ぶんの合計はその 2 倍になります.
そして (6) を使うと,割り算が消えて
と,ただの 2 次式になります.
4. 未定乗数法を当てる
(7)
3 つの偏微分を 0 と置きます.
(8)
(9)
(10)
(8)(9) を cA, cB について整理して行列で書くと,
(11)
5. 永年方程式 ―― なぜ行列式を 0 と置くのか
(11) には,いつでも
という解があります.でもそれは拘束条件 (6) の
を満たしません ―― Ψ が消えてしまい,電子がどこにもいないことになる.
欲しいのは「自明でない解」です.
逆行列があると,自明な解しか残らない
もし行列 M に逆行列があれば,Mc = 0 の両辺に M−1 を掛けて
c = 0 が確定してしまいます.だから逆行列があってはいけない.
逆行列が無い条件は det M = 0 ―― これが永年方程式です.
幾何で言えば:(8) と (9) はそれぞれ原点を通る直線です.ふつう 2 直線は原点でしか交わりません.
行列式が 0 になる瞬間,2 本が重なって 1 本になり,交点が「直線まるごと」に化けます.
そこではじめて,原点以外の解が生まれます.
(12)
展開すると ε の 2 次方程式になります.
(13)
(14)
これは一般化固有値問題です
(11) は Hc = 2ε Sc と書けます(H はハミルトニアン行列,S は重なり行列).
原子軌道を n 個並べれば n×n になり,分子軌道が n 本出てきます.
第一原理計算のプログラムが実際に解いているのは,まさにこの式です.
6. 水素分子の場合 ―― 結合性と反結合性
同種の原子なら .
(14) の根号の中は
ときれいに平方になり,
(15)
係数は (11) の 1 行目に戻して求めます(1 行目は
でくくれる形になるので,
,つまり 2 つの根が重なっていないことが前提です).
のとき
,
のとき
.
拘束条件 (6) で大きさをそろえると,
(16)
未定乗数 ε の正体
ここで になります.
つまり ε は分子軌道のエネルギー準位(の半分)そのものでした.
「拘束条件の強さ」として導入した補助変数が,物理量そのものだったのです.
解析力学の一般化力(拘束力),熱力学の化学ポテンシャルも,まったく同じ構図をしています.
7. ギャップの式から読めること
結合性と反結合性の隔たりを計算します.(15) の差を取ると
(17)
講義スライドとの違い(1 か所)
スライド 14 では
となっていますが,通分を最後まで進めると分母の 2 が約分され,(17) のように分母は
になります
(分母が半分になるぶん,Δε の値はスライドの 2 倍です).
数値で確かめると,α = −13.6, β = −9, S = 0.5 のとき
εa − εb = −4.600 − (−7.533) = 2.933,
(17) の値も 2.933,スライドの式では 1.467 になります.
スライド 16 の
や,Δεc = −β の方は (17) と整合していますので,結論はそのままで大丈夫です.
ここから 3 つのことが読めます.
- |β| が大きいほどギャップが開く.
β は電子が A ↔ B を行き来する効果なので,
原子が近づいて軌道がよく重なるほど,結合は強くなる.
- 内殻の電子は,ふつう結合に使えない.
深い準位ほど軌道が原子核に強く縛られて広がらず,S も β も 0 に近づきます.
するとギャップがほぼ 0 になり,結合性・反結合性の両方に電子が入って
下がった分と上がった分が打ち消し合う ―― 得がありません.
- 準位差はイオン結合ぶん.
S = 0 とすると (14) から
.
直角三角形の斜辺の形です
(Δε は根の差 εa − εb なので,
図2の読み取り値の「ギャップ 2εa − 2εb」は,この 2 倍です).
共有結合度とイオン結合度は「足して 100 %」ではありません
(共有結合ぶん),
(イオン結合ぶん)と置くと,
(S = 0 のとき).
共有結合度 と
イオン結合度 は,
2 乗して足すと 1 になります.だから「共有 71 %・イオン 71 %」と出ても矛盾ではありません
(どちらも 1/√2 = ちょうど半々のとき).
準位差を開くと,共有結合ぶんの得はどう痩せるか
S = 0 として (14) の低い方の根を書くと
です.準位差が に比べて大きいとき,根号を展開すると,深い方(ここでは B)の準位を基準にして
―― 電子 2 個ぶんでは
しか下がりません.準位差を開くほど,共鳴でかせげる得は痩せていくということで,次の §8 の「100 % のイオン結合に共有結合ぶんの得はない」は,その行き着く先です.
(図 2 の読み取り値「安定化エネルギー」は中性の原子 2 個が基準なので,ここの「深い方の準位を基準」とは基準が違います.)
8. 100 % イオン結合に,なぜ共有結合の得がないのか
電子が全部 B に行ってしまった状態を入れてみます.
,
なら拘束条件 (6) を満たします.このとき
(18)
この模型では,孤立した原子 B の準位とまったく同じ
β の項に が掛かっているので,
片方の係数が 0 になった瞬間,共鳴積分の効果が丸ごと消えます.
共鳴による安定化はゼロです ―― この 2 軌道の模型では,
100 % のイオン結合に共有結合ぶんの得はありません.
ただし,現実の NaCl のようなイオン結合が安定なのは,主にイオンどうしの静電引力
(結晶なら Madelung エネルギー)によるもので,その寄与はこの模型には入っていません.
ここで言えるのは「共鳴積分による得が消える」ところまでです.
逆に言えば ―― 「電子がどちらの原子から来たのか分からない」ことそのものが,結合のエネルギー源です.
講義ノートの言葉を借りれば,粒子は「かくれんぼ」をしているときにいちばん安定している,ということになります.
9. 数値で確かめる
ここまでの式を,シミュレーターに載っているコードそのもので確かめました
(35 項目,すべて通過).
| 確かめたこと | 結果 |
| (14):2 次方程式の解が行列式 (12) の根になっているか |
|D(ε)| < 8×10−15 |
| (15):同種原子の閉じた式 (α±β)/2(1±S) と一致するか |
相対差 < 10−12 |
| (2):解の点で ∇(½⟨Ψ|H|Ψ⟩) と ∇⟨Ψ|Ψ⟩ が平行か(外積 = 0) |
|∇F| < 2×10−14,外積 < 5×10−14 |
| (6):解が拘束条件 ⟨Ψ|Ψ⟩ = 2 を満たし,E = 2ε になるか |
相対差 < 10−10 |
| (16):係数が 1/√(1±S) になるか |
相対差 < 10−10 |
| 楕円上を 2000 点+三分探索して数値的に見つけた最小点が,解析解と一致するか(4 例) |
位置・エネルギーとも 10−8 以下で一致 |
| (18):cA = 0, cB = √2 で E = αB になるか |
厳密に一致(本当の最小はさらに 0.26 eV 低い) |
| (17):Δε = (Sα−β)/(1−S²)(スライド 14 の式は 2 倍ずれ) |
実測 2.9333 = (17) の値 |
| 共有結合度・イオン結合度が √(Δε_c² + Δε_i²) = Δε(S = 0,Δε = ε_a − ε_b)を満たすか |
相対差 < 10−12 |
| S(R) = e−R(1+R+R²/3) の逆解き(波動関数の絵に使う核間距離) |
往復誤差 < 2×10−16,S = 0.7529 → R = 1.400 a₀ |
| β > Sα にすると,低い方の解が ψA − ψB(反結合の形)に入れ替わるか |
入れ替わることを確認(β = −2, Sα = −6.8 eV) |
10. まとめ
- 拘束条件つきの極値では,目的関数の等高線と拘束の曲線が接します.
接する = 勾配が平行 = (2).
- と置くと,
が
拘束条件を自動的に呼び戻す.これが未定乗数法の全部です (3).
- 分子軌道に当てると,2 つの係数についての連立方程式が出ます (11).
- 自明でない解が要るので逆行列があってはならない ⇒ 行列式 = 0 ⇒ 永年方程式 (12).
- 根は 2 つ. のふつうの場合は,低い方が結合性軌道,高い方が反結合性軌道 (15)(16).
( になると,低い方の解が ψA − ψB の形に入れ替わります ―― §9 の最後の行.)
- 未定乗数 ε は,分子軌道のエネルギー準位の半分でした(E = 2ε).
- ギャップは 共有結合ぶん (−β) とイオン結合ぶん (|αA−αB|/2) の直角三角形
((14) で S = 0 とした形).
片方の係数が 0 になった瞬間 β の効果が消えるので,
100 % のイオン結合には共有結合ぶんの得がありません (18).