波束の広がり σ(t) はどこから来るのか

― Ehrenfest の定理と同じ道具だけで導く(学部 2・3 年生向け)

投げ上げた粒子のシミュレーターで,軌道のまわりの「ぼやけ」を σ(t)=σ02+(ℏt2mσ0)2 という式で描いています.この式がどこから来るのかを,順を追って導きます. 使う道具は Ehrenfest の定理を導いたときとまったく同じで,新しい数学は要りません.

結論を先に ポテンシャルが位置の 1 次までなら(一様重力場はまさにこれ), 運動量の広がり σp は時間によらず一定で,位置の広がりだけが 「速度が決まっていない分」だけ時間とともに増えていきます(位置と運動量に初期相関がない場合.相関があると,しばらく縮んでから広がることもあります).しかも 導出の途中で力の項がきれいに消えるので,重力は広がり方に一切影響しません.

0. 設定

質量 m の粒子が,一様な力を受けて動いているとします.ハミルトニアンは

H= p22m +V(x) , V(x) =Fx (F は定数.V の傾きで,力は −F)

投げ上げの問題なら x を鉛直方向 y と読み替えて V=mgy,つまり F=mg です (力は −∂V∂y=−mg,下向き). 水平方向は F = 0 の特別な場合なので,以下の話にそのまま含まれます.

「ぼやけ」として測りたいのは,位置の標準偏差です.

σx(t)2 ≡ ⟨x2⟩ − ⟨x⟩2

1. まず直感で(30 秒版)

波束は,位置も運動量も 1 つの値に決まっていません.不確定性原理は, 幅 σ0 に構えた波束が持つ運動量のばらつきに 下限を与えます.等号が成り立つ最小不確定性の Gauss 波束なら

Δp= ℏ2σ0 ⇒ Δv= Δpm = ℏ2mσ0

だけの速度のばらつきを持ちます.速度が Δv だけ不確かなら, t 秒後の位置は Δv⁢t だけ余計に不確かになります. もとの幅 σ0 とこの分は 独立な原因なので,標準偏差は二乗和で足されて

σ(t)2 = σ02 + (Δv⁢t)2 = σ02 + (ℏt2mσ0)2

これで答えは出ています.ただし「二乗和でよいのか」「重力は本当に効かないのか」は この議論では分かりません.そこをきちんとやるのが次の節です.

2. きちんと導く ― Ehrenfest の道具だけで

2.1 使うのはこの 1 本だけ

時間を陽に含まない演算子 A^ について,期待値の時間変化は

(1) ddt ⟨A^⟩ = iℏ ⟨ [H^, A^] ⟩

A^ = x^ と p^ に対してこれを使ったものが,まさに Ehrenfest の定理でした. 同じ式を x^2, p^2, x^p^+p^x^ にも使う,というのが今回やることです.

2.2 必要な交換子

[x^,p^]=iℏ だけから,次が出ます(手を動かして確かめてみてください).

A^ [H^,A^] 使った関係
x^ −iℏ⁢p^m [p^2,x^]=−2iℏp^
p^ +iℏF [x^,p^]=iℏ
x^2 −iℏ⁢x^p^+p^x^m [p^,x^2]=−2iℏx^
p^2 +2iℏFp^ [x^,p^2]=2iℏp^
x^p^+p^x^ −2iℏ⁢p^2m+2iℏFx^ 上の 2 つを組み合わせる

2.3 5 本の方程式

(1) に入れると,こうなります.

(2) d⟨x⟩dt = ⟨p⟩m d⟨p⟩dt = −F  ← Ehrenfest の定理 d⟨x2⟩dt = ⟨xp+px⟩m d⟨p2⟩dt = −2F⟨p⟩ d⟨xp+px⟩dt = 2⟨p2⟩m−2F⟨x⟩

ここが今回の急所です.右辺に ⟨x3⟩ のような,より高次の量が出てきません. 5 本で閉じているので,そのまま解けてしまいます (V が 2 次までのときだけ起きる幸運です.後述).

2.4 「ゆらぎ」に書き直す

知りたいのは平均のまわりのばらつきなので,次の 3 つを定義します.

σx2 = ⟨x2⟩−⟨x⟩2  … 位置の広がり σp2 = ⟨p2⟩−⟨p⟩2  … 運動量の広がり C = 12⟨xp+px⟩−⟨x⟩⟨p⟩  … 位置と運動量の相関

(2) を使って微分すると(⟨x⟩, ⟨p⟩ の項がちょうど打ち消し合います):

(3) dσp2dt = −2F⟨p⟩ − 2⟨p⟩⁢ (−F) = 0
(4) dCdt = ⟨p2⟩m −F⟨x⟩ − ⟨p⟩2m +F⟨x⟩ = σp2m
(5) dσx2dt = 2Cm
⚠ ここを見てください (3) でも (4) でも,F を含む項がきれいに打ち消し合っています. つまり ゆらぎの方程式には力がまったく現れません. 重力があってもなくても,波束の広がり方は同じです. 力が効くのは ⟨x⟩, ⟨p⟩(=中心の運動)だけ,というのがここで分かります.

2.5 解く

(3) → (4) → (5) の順に,ただ積分するだけです.

(6) σp2(t) = σp02  (一定) C(t) = C0+σp02tm σx2(t) = σ02+ 2C0tm+ σp02t2m2

最後に初期状態を決めます.最小不確定性の Gauss 波束(実数の包絡線を持つ,ふつうの Gauss)なら, 位置と運動量に初期相関はなく C0=0 で, σp0=ℏ2σ0 です.これを (6) に入れると

(7) σ(t)= σ02+ (ℏt2mσ0)2

第 1 節の直感どおりの式が,今度はきちんと出ました. 「二乗和で足してよい」のは (6) で C0=0 だったから,というのが答えです. 逆に,はじめから広がりつつある/縮みつつある波束(C0≠0)なら 真ん中の交差項が残り,しばらく縮んでから広がることもあります.

3. 式を読む

3.1 いつから広がり始めるか

(7) は,t が小さいうちはほぼ σ0 のまま, ある時刻を境に直線的に伸びます.その境目は

τ= 2mσ02ℏ (この時刻で σ=2⁢σ0 )

この τ の桁がすべてを決めます.

状況σ0 τ=2mσ02/ℏ
電子1 nm1.7×10−14 s(17 fs)
陽子1 nm3.2×10−11 s
1 g の物体1 µm1.9×1019 s ≈ 宇宙年齢の 40 倍

1 g の物体を 1 µm の精度で置いたなら,その波束が目に見えて広がるまで宇宙年齢の 40 倍かかります. これが「日常のものが古典力学に従うように見える」ことの正体です. 量子力学が間違っているのではなく,広がるのが遅すぎるのです.

3.2 σ0 の選び方にはトレードオフがある

(7) の 2 つの項は σ0 について逆向きに効きます. 狭く構えれば第 1 項は小さいが第 2 項が大きい.広く構えればその逆.したがって, ある時刻 T での広がりを最小にする構え方が存在します. σ02 について微分して 0 と置けば

(8) σ0best = ℏT2m ⇒ σ(T)min = ℏTm

このとき τ=T ちょうどになります.つまり最適な構え方とは, 「広がり始める時刻」が「着地する時刻」に一致するように構えることです. 下の図で σ0 を動かして確かめてみてください.

左:σ(t) の伸び方(点線は 2 つの極限 σ0 と Δv·t). 右:着地時の広がり σ(T) が σ0 でどう変わるか(両対数).谷の底が (8) です.

3.3 質量を変えるとどうなるか

(8) は σ(T)∝1m です.質量を 106 倍軽くしても,ぼやけは 103 倍にしかなりません. 効き方がこれだけ緩やかなので,日常の物体と電子のあいだの膨大な質量差がそのまま 「古典的に見えるかどうか」の差になります.

粒子m [kg] σ(T) σ(T)/R 見え方
野球ボール0.1451.0×10−17 m 10−16完全に古典的(原子核より小さい)
微粒子10−91.2×10−13 m 10−12完全に古典的(原子 1 個より小さい)
C601.2×10−243.6 µm 3.5×10−5古典的(ぼやけは飛距離の 10−5)
電子9.1×10−314.1 mm 0.040軌道は見えるがぼやける
電子の 10−6 倍9.1×10−374.1 m 40もはや軌道ではない

v0 = 1 m/s, θ = 45° のとき T = 144 ms, 到達距離 R = 10.2 cm.σ0 は (8) の最適値.

4. Ehrenfest の定理との関係 ― ここが一番面白いところ

ノート (11) で導いた条件は「波束の広がりの範囲で,力 −∂V/∂x が高々 1 次の式で書けるほど V がなだらかであれば, 波束の運動は Newton の運動方程式に従う」でした. これは

⟨ dVdx (x) ⟩ ≃ dVdx (⟨x⟩)

という近似が要る,という意味です.ところが一様重力場では dVdy=mg がどこでも定数なので,この近似は近似ですらありません. 両辺が最初から等しい.つまり

一様重力場では,Ehrenfest の定理は近似ではなく厳密 d⟨p⟩dt=−mg が厳密に成り立ちます.さらに ⟨p⟩=md⟨y⟩dt を使うと d2⟨y⟩dt2=−g となり,平均位置の加速度は質量によりません. したがって どんなに軽い粒子でも,平均の位置はぴったり古典的な放物線の上にあります. 質量を軽くして変わるのは「軌道」ではなく「軌道のまわりのぼやけ」だけです.

「軽い粒子は軌道が曲がる/ずれる」のではありません.中心は最後まで Newton どおりで, その中心のまわりの雲が太くなるのです.シミュレーターで質量を下げていくと, 赤い放物線がずっと雲の真ん中に居続けるのはこのためです.

なぜ重力は広がりに効かないのか

2 通りの言い方ができます.どちらも同じことです.

一般の V ではどうなるか (2) が 5 本で閉じたのは V が 2 次までだったからです.たとえば V∝x3 だと d⟨p2⟩dt に ⟨x2p+⋯⟩ が現れ, その式にはさらに高次が現れ…と無限に続いて閉じません.そこで「広がりが小さいので ⟨V′(x)⟩≃V′(⟨x⟩) としてよい」という近似が必要になります.これがノート (11) の条件そのものです. ポテンシャルが位置の 2 次までで書けるとき(自由粒子・一様な力・調和振動子と,それらを足し合わせたもの)だけが,近似なしで済む特別な場合です.

5. 数値で確かめる

上の導出は手計算なので,独立に数値で確かめてあります. Schrödinger 方程式を分割演算子法(split-step Fourier 法)で直接解き, 波動関数から σx, σp を測って (6) と比べたものです. わざと m≠1,g≠0, 初期相関 C0≠0(チャープした波束)にしてあります.

t σx 数値 σx = 式 (6) 差 σp 数値
0.50.847555170.84755517 2×10−110.96168833
1.01.162033631.16203363 7×10−110.96168833
2.01.853411661.85341166 2×10−100.96168833
3.02.571854952.57185495 3×10−100.96168833

10 桁一致しています.右端の列にも注目してください.σp が 小数点以下 8 桁まで動いていません.力が働いているのに運動量の広がりは まったく変わらない,という (3) がそのまま見えています.

6. まとめ

  1. 期待値の式 (1) を x2, p2, xp+px にも使うと, ゆらぎだけで閉じた 3 本の方程式 (3)(4)(5) が得られる.
  2. その方程式に力は現れない.だから重力は広がりに効かない.
  3. 解くと σ(t)2=σ02+(ℏt2mσ0)2. 中身は「初めの幅」と「速度が決まっていない分 × 時間」の二乗和.
  4. 広がり始めるのは τ=2mσ02/ℏ から.1 g の物体では宇宙年齢の 40 倍.
  5. 一様重力場では Ehrenfest の定理が厳密なので,中心は質量によらず古典的な放物線. 質量が変えるのは,そのまわりのぼやけの太さだけ.

東京理科大学 望月研究室 / 講義ノート (11)「Ehrenfest の定理」より. 数値検証は split-step Fourier 法(自然単位,dt = 10−4,格子 8192 点)による. 数式はブラウザ標準の MathML で組んでいます(外部ライブラリ・通信は一切ありません).