― Ehrenfest の定理と同じ道具だけで導く(学部 2・3 年生向け)
投げ上げた粒子のシミュレーターで,軌道のまわりの「ぼやけ」を という式で描いています.この式がどこから来るのかを,順を追って導きます. 使う道具は Ehrenfest の定理を導いたときとまったく同じで,新しい数学は要りません.
質量 m の粒子が,一様な力を受けて動いているとします.ハミルトニアンは
投げ上げの問題なら x を鉛直方向 y と読み替えて ,つまり です (力は ,下向き). 水平方向は F = 0 の特別な場合なので,以下の話にそのまま含まれます.
「ぼやけ」として測りたいのは,位置の標準偏差です.
波束は,位置も運動量も 1 つの値に決まっていません.不確定性原理は, 幅 に構えた波束が持つ運動量のばらつきに 下限を与えます.等号が成り立つ最小不確定性の Gauss 波束なら
だけの速度のばらつきを持ちます.速度が だけ不確かなら, t 秒後の位置は だけ余計に不確かになります. もとの幅 とこの分は 独立な原因なので,標準偏差は二乗和で足されて
これで答えは出ています.ただし「二乗和でよいのか」「重力は本当に効かないのか」は この議論では分かりません.そこをきちんとやるのが次の節です.
時間を陽に含まない演算子 について,期待値の時間変化は
= と に対してこれを使ったものが,まさに Ehrenfest の定理でした. 同じ式を , , にも使う,というのが今回やることです.
だけから,次が出ます(手を動かして確かめてみてください).
| 使った関係 | ||
|---|---|---|
| 上の 2 つを組み合わせる |
(1) に入れると,こうなります.
ここが今回の急所です.右辺に のような,より高次の量が出てきません. 5 本で閉じているので,そのまま解けてしまいます (V が 2 次までのときだけ起きる幸運です.後述).
知りたいのは平均のまわりのばらつきなので,次の 3 つを定義します.
(2) を使って微分すると(, の項がちょうど打ち消し合います):
(3) → (4) → (5) の順に,ただ積分するだけです.
最後に初期状態を決めます.最小不確定性の Gauss 波束(実数の包絡線を持つ,ふつうの Gauss)なら, 位置と運動量に初期相関はなく で, です.これを (6) に入れると
第 1 節の直感どおりの式が,今度はきちんと出ました. 「二乗和で足してよい」のは (6) で だったから,というのが答えです. 逆に,はじめから広がりつつある/縮みつつある波束()なら 真ん中の交差項が残り,しばらく縮んでから広がることもあります.
(7) は,t が小さいうちはほぼ のまま, ある時刻を境に直線的に伸びます.その境目は
この の桁がすべてを決めます.
| 状況 | ||
|---|---|---|
| 電子 | 1 nm | 1.7×10−14 s(17 fs) |
| 陽子 | 1 nm | 3.2×10−11 s |
| 1 g の物体 | 1 µm | 1.9×1019 s ≈ 宇宙年齢の 40 倍 |
1 g の物体を 1 µm の精度で置いたなら,その波束が目に見えて広がるまで宇宙年齢の 40 倍かかります. これが「日常のものが古典力学に従うように見える」ことの正体です. 量子力学が間違っているのではなく,広がるのが遅すぎるのです.
(7) の 2 つの項は について逆向きに効きます. 狭く構えれば第 1 項は小さいが第 2 項が大きい.広く構えればその逆.したがって, ある時刻 T での広がりを最小にする構え方が存在します. について微分して 0 と置けば
このとき ちょうどになります.つまり最適な構え方とは, 「広がり始める時刻」が「着地する時刻」に一致するように構えることです. 下の図で を動かして確かめてみてください.
左:σ(t) の伸び方(点線は 2 つの極限 σ0 と Δv·t). 右:着地時の広がり σ(T) が σ0 でどう変わるか(両対数).谷の底が (8) です.
(8) は です.質量を 106 倍軽くしても,ぼやけは 103 倍にしかなりません. 効き方がこれだけ緩やかなので,日常の物体と電子のあいだの膨大な質量差がそのまま 「古典的に見えるかどうか」の差になります.
| 粒子 | m [kg] | 見え方 | ||
|---|---|---|---|---|
| 野球ボール | 0.145 | 1.0×10−17 m | 10−16 | 完全に古典的(原子核より小さい) |
| 微粒子 | 10−9 | 1.2×10−13 m | 10−12 | 完全に古典的(原子 1 個より小さい) |
| C60 | 1.2×10−24 | 3.6 µm | 3.5×10−5 | 古典的(ぼやけは飛距離の 10−5) |
| 電子 | 9.1×10−31 | 4.1 mm | 0.040 | 軌道は見えるがぼやける |
| 電子の 10−6 倍 | 9.1×10−37 | 4.1 m | 40 | もはや軌道ではない |
v0 = 1 m/s, θ = 45° のとき T = 144 ms, 到達距離 R = 10.2 cm.σ0 は (8) の最適値.
ノート (11) で導いた条件は「波束の広がりの範囲で,力 −∂V/∂x が高々 1 次の式で書けるほど V がなだらかであれば, 波束の運動は Newton の運動方程式に従う」でした. これは
という近似が要る,という意味です.ところが一様重力場では がどこでも定数なので,この近似は近似ですらありません. 両辺が最初から等しい.つまり
「軽い粒子は軌道が曲がる/ずれる」のではありません.中心は最後まで Newton どおりで, その中心のまわりの雲が太くなるのです.シミュレーターで質量を下げていくと, 赤い放物線がずっと雲の真ん中に居続けるのはこのためです.
2 通りの言い方ができます.どちらも同じことです.
上の導出は手計算なので,独立に数値で確かめてあります. Schrödinger 方程式を分割演算子法(split-step Fourier 法)で直接解き, 波動関数から , を測って (6) と比べたものです. わざと ,, 初期相関 (チャープした波束)にしてあります.
| t | 数値 | = 式 (6) | 差 | 数値 |
|---|---|---|---|---|
| 0.5 | 0.84755517 | 0.84755517 | 2×10−11 | 0.96168833 |
| 1.0 | 1.16203363 | 1.16203363 | 7×10−11 | 0.96168833 |
| 2.0 | 1.85341166 | 1.85341166 | 2×10−10 | 0.96168833 |
| 3.0 | 2.57185495 | 2.57185495 | 3×10−10 | 0.96168833 |
10 桁一致しています.右端の列にも注目してください. が 小数点以下 8 桁まで動いていません.力が働いているのに運動量の広がりは まったく変わらない,という (3) がそのまま見えています.
東京理科大学 望月研究室 / 講義ノート (11)「Ehrenfest の定理」より. 数値検証は split-step Fourier 法(自然単位,dt = 10−4,格子 8192 点)による. 数式はブラウザ標準の MathML で組んでいます(外部ライブラリ・通信は一切ありません).