マテリアル計算科学入門 — 目次 第III部 多電子系・スピン・全エネルギー / 第9章

第9章交換エネルギーの登場 — 全エネルギーの内訳

第7章では,多電子系の波動関数が電子の入れ替えで符号を変えねばならず,その要請を満たす最も簡単な形が Slater行列式(Slater determinant)であることを学んだ.第8章では Born–Oppenheimer近似により「原子核を止めたときの電子の全エネルギー」を計算すればよいという立場を確立した.本章ではその全エネルギー $\braket{\psi|\Ham|\psi}$ を Slater行列式に対して最後まで手で展開する.すると電子間 Coulomb 反発の項のほかに,古典物理に対応物のない負の項——交換エネルギー(exchange energy)——が現れる.交換エネルギーは同じ向きのスピンをもつ電子どうしの間にだけ働き,系を安定化させる.Hund の第1規則も,遷移金属酸化物の高スピン状態も,磁性という現象そのものも,根はすべてこの項にある.最後には PySCF に全エネルギーを内訳ごとに出力させ,変分計算・摂動計算・実験値と突き合わせる.

この章で学ぶこと
  • スピン軌道 $\chi_i(\xx)=\phi_i(\rr)\bm{\alpha}(\sigma)$,$\bar{\chi}_i(\xx)=\phi_i(\rr)\bm{\beta}(\sigma)$ の記法
  • ハミルトニアンを1電子項 $h_1,h_2$ と2電子項 $1/r_{12}$ に分ける書き方
  • Slater行列式の期待値を4項に展開し,スピン積分が $1,1,0,0$ になる仕組み
  • Coulomb積分 $U_{11}=\braket{\chi_1\bar{\chi}_1|r_{12}^{-1}|\chi_1\bar{\chi}_1}$ と交換積分 $J_{12}=\braket{\chi_1\chi_2|r_{12}^{-1}|\chi_2\chi_1}$ の定義と符号
  • 交換積分が同一スピン間でのみ残ること($\braket{\alpha|\beta}=0$ がすべてを決める)
  • 3つの電子配置の比較と,三重項が一重項より低い理由
  • Fermiホール,Hundの第1規則,遷移金属酸化物の高スピン/低スピンと結晶場分裂の競合
  • PySCF の --decompose-total-energy による内訳と,変分法・摂動法・実験値との比較,電子相関エネルギーの定義
前提:第7章(Slater行列式,スピン関数 $\bm{\alpha},\bm{\beta}$ の直交規格性),第8章(Born–Oppenheimer近似),第3章・第4章(変分法・摂動論による He の全エネルギー).積分記号は付録A,PySCF の使い方は付録B を参照.

9.1 スピン軌道 $\chi$ の記法

9.1.1 出発点:第7章で得た Slater行列式

第7章で,$N$ 個の電子をもつ原子・分子の全電子波動関数が,次の Slater行列式で表されることを学んだ.

$$ \begin{equation} \psi(\xx_1,\xx_2,\cdots,\xx_N)=\frac{1}{\sqrt{N!}} \begin{vmatrix} \phi_1(\xx_1) & \phi_2(\xx_1) & \cdots & \phi_N(\xx_1)\\ \phi_1(\xx_2) & \phi_2(\xx_2) & \cdots & \phi_N(\xx_2)\\ \vdots & \vdots & \ddots & \vdots\\ \phi_1(\xx_N) & \phi_2(\xx_N) & \cdots & \phi_N(\xx_N) \end{vmatrix}. \label{eq:9-slater-general} \end{equation} $$

ここで $\xx_1$ は電子1の空間座標 $\rr_1=(r_1,\theta_1,\varphi_1)$ とスピン座標 $\sigma_1$ をひとまとめにした記号である.行列式の行は電子の番号(1行目が電子1,2行目が電子2),列は量子数(1列目が量子数1,2列目が量子数2)に対応している.この対応を取り違えると以下の計算がすべて狂うので,最初に確認しておいてほしい.

注意:$\phi_i$ の添字は「電子の番号」ではない

式 \eqref{eq:9-slater-general} の $\phi_1,\phi_2,\cdots$ の添字は量子数(軌道の種類)のラベルであって電子の番号ではない.電子の番号は $\xx_1,\xx_2,\cdots$ の側にある.行列式は行の入れ替えで符号を変えるので,電子1と電子2を入れ替えると $\psi$ の符号が反転する.これが Pauli の排他原理の数学的表現であった(第7章).

本章では話を最も簡単な $N=2$,すなわちヘリウム原子($Z=2$)に絞る.第7章の結果によれば,He の基底状態($1s$ 軌道に上向きスピンと下向きスピンが1個ずつ)の全電子波動関数は

$$ \begin{equation} \psi(\xx_1,\xx_2)=\frac{1}{\sqrt{2}} \begin{vmatrix} \phi_{1s}(\rr_1)\bm{\alpha}(\sigma_1) & \phi_{1s}(\rr_1)\bm{\beta}(\sigma_1)\\ \phi_{1s}(\rr_2)\bm{\alpha}(\sigma_2) & \phi_{1s}(\rr_2)\bm{\beta}(\sigma_2) \end{vmatrix} =\phi_{1s}(\rr_1)\phi_{1s}(\rr_2)\cdot\frac{1}{\sqrt{2}} \Bigl(\bm{\alpha}(\sigma_1)\bm{\beta}(\sigma_2)-\bm{\beta}(\sigma_1)\bm{\alpha}(\sigma_2)\Bigr) \label{eq:9-he-slater} \end{equation} $$

となる.$2\times2$ の行列式は $\left|\begin{smallmatrix}a&b\\c&d\end{smallmatrix}\right|=ad-bc$ なので,展開して共通因子 $\phi_{1s}(\rr_1)\phi_{1s}(\rr_2)$ をくくり出せば右辺が得られる.空間部分が対称,スピン部分が反対称という「一重項」の構造がはっきり見えている.

9.1.2 空間とスピンをまとめて書いてしまおう

これから期待値を計算していくのだが,そのたびに $\phi_{1s}(\rr_1)\bm{\alpha}(\sigma_1)$ と空間部分・スピン部分を分けて書き続けるのは面倒である.物理学者は面倒を嫌う.難しそうな数式を書き連ねるより,本質を一目で掴めるよう記号を整えるほうがはるかに重要なのだ.そこで両者をまとめた記号を導入する.

定義:スピン軌道

空間軌道 $\phi_i(\rr)$ にスピン関数を掛け合わせたものを スピン軌道(spin orbital)と呼び,$\chi$(カイ)で表す.量子数 $i$ の空間軌道に上向きスピンが入っている場合を

$$ \begin{equation} \chi_i(\xx)=\phi_i(\rr)\,\bm{\alpha}(\sigma), \label{eq:9-chi-def} \end{equation} $$

同じ空間軌道に下向きスピンが入っている場合を

$$ \begin{equation} \bar{\chi}_i(\xx)=\phi_i(\rr)\,\bm{\beta}(\sigma) \label{eq:9-chibar-def} \end{equation} $$

と書く.カイの上にバーがあればダウンスピン,と覚えればよい.$\chi_i$ と $\bar\chi_i$ は空間部分は同じ $\phi_i$ で,スピン部分だけが違う.

φ₁(r) × α(σ) アップ = χ₁(x) バー無し x =(空間座標 r,スピン座標 σ)をまとめた記号 1本の空間軌道 → スピン軌道2本 → 電子を1個ずつ He 基底状態は n = 1 に χ₁ と χ₁ が1個ずつ 同じ φ₁(r) × β(σ) ダウン = χ₁(x) バー有り n = 1
図9.1 スピン軌道の記法.同じ空間軌道 $\phi_1(\rr)$ でも,掛けるスピン関数が $\bm{\alpha}$ なら $\chi_1$,$\bm{\beta}$ ならバー付きの $\bar\chi_1$ と書く.1本の空間軌道からスピン軌道が2本つくられ,そこに電子を1個ずつ入れられる.

この記法を使うと,He 原子の全電子波動関数 \eqref{eq:9-he-slater} は

$$ \begin{equation} \psi(\xx_1,\xx_2)=\frac{1}{\sqrt{2}} \begin{vmatrix} \chi_1(\xx_1) & \bar\chi_1(\xx_1)\\ \chi_1(\xx_2) & \bar\chi_1(\xx_2) \end{vmatrix} =\frac{1}{\sqrt{2}}\Bigl(\chi_1(\xx_1)\bar\chi_1(\xx_2)-\bar\chi_1(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\Bigr) \label{eq:9-he-chi} \end{equation} $$

と,実にすっきり書ける.中身は式 \eqref{eq:9-he-slater} とまったく同じで,ただ書き換えただけである.以後,この章で扱う 2 電子系の波動関数はすべて

$$ \begin{equation} \psi(\xx_1,\xx_2)=\frac{1}{\sqrt{2}}\Bigl(\chi_a(\xx_1)\chi_b(\xx_2)-\chi_b(\xx_1)\chi_a(\xx_2)\Bigr) \label{eq:9-he-expand} \end{equation} $$

という形をしている.違うのは $\chi_a,\chi_b$ に何を選ぶか(どの軌道の,どちら向きのスピンか)だけである.この形さえ押さえておけば,以下の長い計算はすべて同じ手順の繰り返しになる.

9.1.3 スピン軌道の直交規格性

計算に入る前に,スピン軌道どうしの積分がどうなるかを整理しておく.$\int \dd\xx$ は「空間について $\dd^3r$ で積分し,スピンについて $\dd\sigma$ で和(積分)をとる」という意味である.空間軌道は規格直交系 $\int\phi_i^*(\rr)\phi_j(\rr)\,\dd^3r=\delta_{ij}$ をなし,スピン関数も第7章で見たとおり

$$ \braket{\alpha|\alpha}=\braket{\beta|\beta}=1,\qquad \braket{\alpha|\beta}=\braket{\beta|\alpha}=0 $$

を満たす.したがって,たとえば

$$ \begin{equation} \int \dd\xx\,\chi_1^*(\xx)\,\bar\chi_1(\xx) =\underbrace{\int \phi_1^*(\rr)\phi_1(\rr)\,\dd^3r}_{=1}\times\underbrace{\int \bm{\alpha}^*(\sigma)\bm{\beta}(\sigma)\,\dd\sigma}_{=\braket{\alpha|\beta}=0}=0 \label{eq:9-ortho-spin} \end{equation} $$

となる.空間部分が同じでも,スピンが違えば重なりはゼロである.この一見あたりまえの事実が,以下の計算で「どの項が生き残り,どの項が消えるか」をすべて決定する.式 \eqref{eq:9-ortho-spin} は本章で何十回も使うので,しっかり頭に入れておいてほしい.

例題9.1 スピン軌道の直交規格性

$\displaystyle\int \dd\xx\,\chi_1^*(\xx)\chi_1(\xx)$,$\displaystyle\int \dd\xx\,\bar\chi_1^*(\xx)\bar\chi_1(\xx)$,$\displaystyle\int \dd\xx\,\chi_1^*(\xx)\chi_2(\xx)$,$\displaystyle\int \dd\xx\,\chi_1^*(\xx)\bar\chi_2(\xx)$ の値をそれぞれ求めよ.

解答:いずれも空間積分とスピン積分の積に分解する.(1) $\left(\int\phi_1^*\phi_1\dd^3r\right)\braket{\alpha|\alpha}=1\cdot1=1$.(2) $\left(\int\phi_1^*\phi_1\dd^3r\right)\braket{\beta|\beta}=1\cdot1=1$.(3) $\left(\int\phi_1^*\phi_2\dd^3r\right)\braket{\alpha|\alpha}=0\cdot1=0$(空間部分が直交して消える).(4) $\left(\int\phi_1^*\phi_2\dd^3r\right)\braket{\alpha|\beta}=0\cdot0=0$(空間もスピンも直交し,二重に消える).

まとめると,スピン軌道 $\chi_1,\bar\chi_1,\chi_2,\bar\chi_2,\ldots$ はたがいに規格直交系をなす.異なる2本の重なりが消える理由は「空間が違う」か「スピンが違う」かのどちらか(あるいは両方)である.

9.2 ハミルトニアンを1電子項と2電子項に分ける

9.2.1 2電子系の電子ハミルトニアン

第8章の Born–Oppenheimer近似により,原子核を固定したときの電子ハミルトニアンを考えればよい.原子核の電荷を $+Z\ee$,電子を2個とすると,くどいようだがあらためて全部書き下せば

$$ \begin{equation} \Ham=\frac{\hat{p}_1^{\,2}}{2m}+\frac{-Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_1} +\frac{\hat{p}_2^{\,2}}{2m}+\frac{-Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_2} +\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}} \label{eq:9-ham-full} \end{equation} $$

となる.ここで $\hat{p}_i^{\,2}/2m=-(\hbar^2/2m)\nabla_i^2$ は電子 $i$ の運動エネルギー,第2項と第4項は電子 $i$ と原子核との引力,最後の項が電子1と電子2の間の Coulomb 反発である.He 原子なら $Z=2$ である.

この式を毎回書くのは大変なので,記号を導入して縮める.

定義:1電子ハミルトニアンと2電子演算子

電子 $i$ だけに作用する部分をまとめて 1電子ハミルトニアン(one-electron Hamiltonian)$h_i$ と書く:

$$ \begin{equation} h_1=\frac{\hat{p}_1^{\,2}}{2m}+\frac{-Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_1} =-\frac{\hbar^2}{2m}\nabla_1^2-\frac{Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_1},\qquad h_2=-\frac{\hbar^2}{2m}\nabla_2^2-\frac{Z\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{r_2}. \label{eq:9-h1-def} \end{equation} $$

2電子間の相互作用は,$4\pi\eps$ などの定数まで含めて記号 $1/r_{12}$ で表すことにする:

$$ \begin{equation} \frac{1}{r_{12}}\;\equiv\;\frac{\ee^2}{4\pi\eps}\frac{1}{\abs{\rr_1-\rr_2}}. \label{eq:9-r12-def} \end{equation} $$

これらを使うと,式 \eqref{eq:9-ham-full} は

$$ \begin{equation} \Ham=h_1+h_2+\frac{1}{r_{12}} \label{eq:9-ham-short} \end{equation} $$

と書ける.だいぶ書くのが楽になった.

注意:$1/r_{12}$ は「長さの逆数」ではない

式 \eqref{eq:9-r12-def} の $1/r_{12}$ は係数 $\ee^2/4\pi\eps$ を含んだエネルギーの次元をもつ演算子であり,純粋な距離の逆数 $1/\abs{\rr_1-\rr_2}$ ではない.原子単位系の教科書(Szabo–Ostlund 原著など)では $\ee^2/4\pi\eps=1$ で区別が消えるが,本書はSI単位系なので,係数を省略記号に押し込んでいることを覚えておいてほしい.

9.2.2 何を計算するのか

いよいよハミルトニアン \eqref{eq:9-ham-short} の期待値,すなわち全エネルギー

$$ E=\braket{\psi|\Ham|\psi}=\iint \dd\xx_1\,\dd\xx_2\;\psi^*(\xx_1,\xx_2)\,\Ham\,\psi(\xx_1,\xx_2) $$

を求める.$\psi$ には式 \eqref{eq:9-he-chi} の Slater行列式を入れる.$\Ham$ は3つの項の和なので,期待値も

$$ \braket{\psi|\Ham|\psi}=\braket{\psi|h_1|\psi}+\braket{\psi|h_2|\psi}+\braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} $$

と3つに分けて1つずつ計算すればよい.その前に $\psi$ が規格化されている($\braket{\psi|\psi}=1$)ことを確認しよう.期待値の計算はこれを前提にしているし,何よりこの作業が以下の長い計算のウォーミングアップにちょうどよい.

なぜ?:わざわざ規格化を確かめるのか

「$1/\sqrt{2}$ を付けたのだから規格化されているに決まっている」と思うかもしれない.しかし以下の計算はすべて「2項の差」×「2項の差」を4項に展開し,空間積分とスピン積分を分離する手続きの繰り返しである.$\braket{\psi|\psi}$ はその最も単純な例(演算子が $1$)であり,ここで手順を体に入れておけば $h_1$ も $1/r_{12}$ も機械的に処理できる.急がば回れ,だ.

9.3 規格化の確認 — 4項展開のウォーミングアップ

He 基底状態 \eqref{eq:9-he-chi} を複素共役側と合わせて書き下す($\psi^*$ は各スピン軌道を複素共役にしたもの).

$$ \begin{equation} \braket{\psi|\psi}=\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\; \frac{1}{\sqrt{2}}\Bigl(\chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_1^*(\xx_2)-\bar\chi_1^*(\xx_1)\chi_1^*(\xx_2)\Bigr) \cdot\frac{1}{\sqrt{2}}\Bigl(\chi_1(\xx_1)\bar\chi_1(\xx_2)-\bar\chi_1(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\Bigr). \label{eq:9-norm-start} \end{equation} $$

括弧を展開する.$(A-B)(C-D)=AC+BD-AD-BC$ の形になるので,$1/\sqrt{2}\times1/\sqrt{2}=1/2$ を前に出して

$$ \begin{align} \braket{\psi|\psi} &=\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\Bigl[\; \chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_1^*(\xx_2)\,\chi_1(\xx_1)\bar\chi_1(\xx_2) +\bar\chi_1^*(\xx_1)\chi_1^*(\xx_2)\,\bar\chi_1(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\Bigr]\notag\\ &\quad-\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\Bigl[\; \chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_1^*(\xx_2)\,\bar\chi_1(\xx_1)\chi_1(\xx_2) +\bar\chi_1^*(\xx_1)\chi_1^*(\xx_2)\,\chi_1(\xx_1)\bar\chi_1(\xx_2)\Bigr] \label{eq:9-norm-four} \end{align} $$

4つの項が現れた.ここがヤマ場である.次に各項を $\xx_1$ を含む部分と $\xx_2$ を含む部分でくくり直す.$\xx_1$ と $\xx_2$ は独立なので,二重積分は2つの1重積分の積に分解できる.

$$ \begin{align} \braket{\psi|\psi} &=\frac{1}{2}\underbrace{\left[\int \dd\xx_1\,\chi_1^*(\xx_1)\chi_1(\xx_1)\right]}_{\braket{\alpha|\alpha}\,\text{を含む}=1} \underbrace{\left[\int \dd\xx_2\,\bar\chi_1^*(\xx_2)\bar\chi_1(\xx_2)\right]}_{\braket{\beta|\beta}\,\text{を含む}=1}\notag\\ &\quad+\frac{1}{2}\underbrace{\left[\int \dd\xx_1\,\bar\chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_1(\xx_1)\right]}_{=1} \underbrace{\left[\int \dd\xx_2\,\chi_1^*(\xx_2)\chi_1(\xx_2)\right]}_{=1}\notag\\ &\quad-\frac{1}{2}\underbrace{\left[\int \dd\xx_1\,\chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_1(\xx_1)\right]}_{\braket{\alpha|\beta}\,\text{を含む}=0} \underbrace{\left[\int \dd\xx_2\,\bar\chi_1^*(\xx_2)\chi_1(\xx_2)\right]}_{\braket{\beta|\alpha}\,\text{を含む}=0}\notag\\ &\quad-\frac{1}{2}\underbrace{\left[\int \dd\xx_1\,\bar\chi_1^*(\xx_1)\chi_1(\xx_1)\right]}_{=0} \underbrace{\left[\int \dd\xx_2\,\chi_1^*(\xx_2)\bar\chi_1(\xx_2)\right]}_{=0} \label{eq:9-norm-factor} \end{align} $$

各因子の値は例題9.1 と式 \eqref{eq:9-ortho-spin} から読み取れる.空間部分はどれも $\int\phi_{1s}^*\phi_{1s}\dd^3r=1$ で,値を決めるのはスピン積分である.前半2項は $\braket{\alpha|\alpha}\braket{\beta|\beta}=1\cdot1=1$,後半2項は $\braket{\alpha|\beta}\braket{\beta|\alpha}=0\cdot0=0$.したがって

$$ \begin{equation} \braket{\psi|\psi}=\frac{1}{2}\cdot1\cdot1+\frac{1}{2}\cdot1\cdot1-\frac{1}{2}\cdot0\cdot0-\frac{1}{2}\cdot0\cdot0=\frac{1}{2}+\frac{1}{2}=1. \label{eq:9-norm-result} \end{equation} $$

確かに規格化されている.教訓は2つ.第一に,Slater行列式の期待値は必ず4項($N$ 電子なら $(N!)^2$ 項)に展開される.第二に,生き残るのはスピン積分がゼロにならない項だけである.この2点さえ意識していれば,以下の計算はもう怖くない.

9.4 1電子項の期待値

9.4.1 $h_1$ の項

本番に入る.まず $h_1$ の期待値を計算する.9.3節と同じ手順で,違いは真ん中に $h_1$ が挟まっていることだけ.見通しをよくするため $\xx=(\rr,\sigma)$ と分けて書く.

$$ \begin{align} \braket{\psi|h_1|\psi} &=\int \dd\rr_1\dd\rr_2\,\dd\sigma_1\dd\sigma_2\; \frac{1}{2}\Bigl(\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)-\bar\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\Bigr)\notag\\ &\qquad\times h_1\Bigl(\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1(\rr_2,\sigma_2)-\bar\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\chi_1(\rr_2,\sigma_2)\Bigr) \label{eq:9-h1-start} \end{align} $$

決定的に重要なのは,$h_1$ は電子1の座標 $\rr_1$ にしか作用しない点である.$\nabla_1^2$ も $1/r_1$ も $\rr_2$ を含まないので,$h_1$ は $\rr_2$ に依存する因子をすり抜ける.これを使って括弧を展開し,$\xx_1$ の積分と $\xx_2$ の積分に分けると次の4項を得る.

$$ \begin{align} \braket{\psi|h_1|\psi} &=\frac{1}{2}\int \dd\rr_1\dd\rr_2\dd\sigma_1\dd\sigma_2\Bigl[\; \chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\,h_1\,\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\; \underbrace{\bar\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\bar\chi_1(\rr_2,\sigma_2)}_{\braket{\beta|\beta}=1}\notag\\ &\qquad\qquad+\bar\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\,h_1\,\bar\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\; \underbrace{\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\chi_1(\rr_2,\sigma_2)}_{\braket{\alpha|\alpha}=1}\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\,h_1\,\bar\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\; \underbrace{\bar\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\chi_1(\rr_2,\sigma_2)}_{\braket{\beta|\alpha}=0}\notag\\ &\qquad\qquad-\bar\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\,h_1\,\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\; \underbrace{\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\bar\chi_1(\rr_2,\sigma_2)}_{\braket{\alpha|\beta}=0}\;\Bigr] \label{eq:9-h1-four} \end{align} $$

第3・第4項は電子2 の積分がスピンの直交性 $\braket{\alpha|\beta}=\braket{\beta|\alpha}=0$ で消える.しかもこれらは電子1 の側でも $\braket{\chi_1|h_1|\bar\chi_1}=\left(\int\phi_1^*\hat h\phi_1\dd^3r\right)\braket{\alpha|\beta}=0$ となり二重にゼロである.残るのは第1・第2項だけで,

$$ \begin{equation} \braket{\psi|h_1|\psi}=\frac{1}{2}\braket{\chi_1|h_1|\chi_1}+\frac{1}{2}\braket{\bar\chi_1|h_1|\bar\chi_1} \label{eq:9-h1-result} \end{equation} $$

となる.ここで $\braket{\chi_1|h_1|\chi_1}\equiv\int\dd\xx_1\,\chi_1^*(\xx_1)h_1\chi_1(\xx_1)$ と略記した.

9.4.2 $h_2$ の項と合計

$h_2$ も同様である.今度は $h_2$ が $\rr_2$ にだけ作用するので,電子1 側の積分がスピン積分を与える立場に変わるが,生き残る項の構造は同じで

$$ \begin{equation} \braket{\psi|h_2|\psi}=\frac{1}{2}\braket{\chi_1|h_2|\chi_1}+\frac{1}{2}\braket{\bar\chi_1|h_2|\bar\chi_1} \label{eq:9-h2-result} \end{equation} $$

が得られる.$h_1$ と $h_2$ は式 \eqref{eq:9-h1-def} のとおり変数名の違いしかないまったく同じ形の演算子で,積分変数の名前は結果に影響しないので

$$ \braket{\chi_1|h_1|\chi_1}=\braket{\chi_1|h_2|\chi_1},\qquad \braket{\bar\chi_1|h_1|\bar\chi_1}=\braket{\bar\chi_1|h_2|\bar\chi_1} $$

が成り立つ.さらに $\chi_1$ と $\bar\chi_1$ は空間部分が同じ $\phi_1$ であり,$h$ はスピンに作用しないから,

$$ \braket{\chi_1|h|\chi_1}=\left(\int\phi_1^*\hat h\phi_1\dd^3r\right)\braket{\alpha|\alpha} =\left(\int\phi_1^*\hat h\phi_1\dd^3r\right)\braket{\beta|\beta}=\braket{\bar\chi_1|h|\bar\chi_1} $$

となる.この共通の値に名前を付けよう.

定義:1電子積分 $h_{ii}$

$$ \begin{equation} h_{11}\equiv\int \dd\xx_1\;\chi_1^*(\xx_1)\,h_1\,\chi_1(\xx_1),\qquad h_{22}\equiv\int \dd\xx_1\;\chi_2^*(\xx_1)\,h_1\,\chi_2(\xx_1). \label{eq:9-h11-def} \end{equation} $$

$h_{ii}$ は「軌道 $i$ に電子を1個だけ置いたときの運動エネルギーと核引力の和」で,電子間反発を含まない.スピンに依存しないので $\chi_i$ でも $\bar\chi_i$ でも同じ値になる.

以上をまとめると,He 基底状態の1電子項の期待値は

$$ \begin{equation} \braket{\psi|h_1+h_2|\psi} =\frac{1}{2}h_{11}+\frac{1}{2}h_{11}+\frac{1}{2}h_{11}+\frac{1}{2}h_{11}=2h_{11} \label{eq:9-h-total} \end{equation} $$

$1/2$ が4つ集まって $2h_{11}$ になった.電子が2個あってどちらも同じ $1s$ 軌道にいるのだから,1電子分のエネルギーの2倍——長々と計算した甲斐がないほど当たり前の答えだが,その当たり前を数式が正しく吐き出したことこそが重要である.

例題9.2 $h_{11}$ を水素様軌道で評価する

He 原子($Z=2$)の $1s$ 軌道として,遮蔽を無視した水素様の $1s$ 軌道

$$\phi_{1s}(\rr)=\frac{1}{\sqrt{\pi}}\left(\frac{Z}{a_0}\right)^{3/2}e^{-Zr/a_0}$$

を用いるとき,$h_{11}$ の値を求めよ.ただし $a_0=\eps h^2/(\pi m \ee^2)$,$\epsilon_{1s}=-m\ee^4/(8\eps^2h^2)=-13.606\ \mathrm{eV}$ である.

解答:$\phi_{1s}$ は「核電荷 $Z$ の水素様原子」の厳密な基底状態解なので $h_1$ の固有関数であり,第2章より固有値は $Z^2\epsilon_{1s}$,すなわち $h_1\phi_{1s}=Z^2\epsilon_{1s}\phi_{1s}$.したがって

$$h_{11}=\int\phi_{1s}^*h_1\phi_{1s}\dd^3r\cdot\braket{\alpha|\alpha}=Z^2\epsilon_{1s}\int\abs{\phi_{1s}}^2\dd^3r=Z^2\epsilon_{1s}=4\times(-13.606)=-54.424\ \mathrm{eV}.$$

よって式 \eqref{eq:9-h-total} より $2h_{11}=-108.848\ \mathrm{eV}$.これは第3章・第4章で「電子間反発を無視したときの He の全エネルギー $8\epsilon_{1s}$」として登場した値そのものである.9.10節でこの値を基準に電子間反発を測る.

なぜ?:ここまでは古典物理でも書ける

$2h_{11}$ には Slater行列式の「反対称性」の痕跡がまったく残っていない.単純な積 $\phi_{1s}(\rr_1)\phi_{1s}(\rr_2)$ でも同じ答えになる.反対称性が効くのは2電子演算子 $1/r_{12}$ の期待値だけであり,ここからが本章の核心である.

9.5 2電子項の期待値 — Coulomb積分と交換積分

9.5.1 2電子積分の記法の約束

$1/r_{12}$ は電子1 と電子2 の両方の座標に依存するので,その期待値は両方について積分する 2電子積分(two-electron integral)になり,$h_1$ のように2つの1重積分の積へは分解できない.ここで記号の並び順について厳格な約束を決めておく.

定義:2電子積分の並び順(物理屋の記法)

4本のスピン軌道 $\chi_a,\chi_b,\chi_c,\chi_d$ に対して

$$ \begin{equation} \braket{\chi_a\chi_b\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_c\chi_d} \equiv\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\;\chi_a^*(\xx_1)\,\chi_b^*(\xx_2)\;\frac{1}{r_{12}}\;\chi_c(\xx_1)\,\chi_d(\xx_2) \label{eq:9-2e-notation} \end{equation} $$

と定義する.すなわち,ブラ・ケットそれぞれの左側が電子1,右側が電子2である.並び順を $\braket{\xx_1\xx_2|1/r_{12}|\xx_1\xx_2}$ と覚えるとよい.これを間違えると Coulomb積分と交換積分を取り違えることになるので,細心の注意を払ってほしい.

注意:他書との記法の違い

本書と講義で使う記号は次のとおりである.

ところが Szabo–Ostlund をはじめ多くの教科書はCoulomb積分を $J$,交換積分を $K$ と書く.文字 $J$ の意味が正反対なので,他書を併読するときは必ず定義を確認すること.本書が $U$ を使うのは,第13章・第14章で固体の Hubbard $U$(同一サイト上の電子間反発)と自然につながるからである.$\braket{ab|cd}$(物理屋)と $[ac|bd]$(化学屋)の2流儀があることも知っておくとよい.本書は前者で通す.

9.5.2 4項への展開

では計算しよう.He 基底状態 \eqref{eq:9-he-chi} に対し

$$ \begin{align} \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} &=\int \dd\rr_1\dd\rr_2\dd\sigma_1\dd\sigma_2\; \frac{1}{2}\Bigl(\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)-\bar\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\Bigr)\notag\\ &\qquad\times\frac{1}{r_{12}}\Bigl(\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1(\rr_2,\sigma_2)-\bar\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\chi_1(\rr_2,\sigma_2)\Bigr) \label{eq:9-r12-start} \end{align} $$

である.括弧を展開して4項に分ける.$1/r_{12}$ は両方の座標にまたがるので,積分を分離せず2電子積分の形にまとめる.

$$ \begin{align} \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} &=\frac{1}{2}\int \dd\rr_1\dd\rr_2\dd\sigma_1\dd\sigma_2\Bigl[\; \chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\,\frac{1}{r_{12}}\,\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1(\rr_2,\sigma_2)\notag\\ &\qquad\qquad+\bar\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\,\frac{1}{r_{12}}\,\bar\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\chi_1(\rr_2,\sigma_2)\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\,\frac{1}{r_{12}}\,\bar\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\chi_1(\rr_2,\sigma_2)\notag\\ &\qquad\qquad-\bar\chi_1^*(\rr_1,\sigma_1)\chi_1^*(\rr_2,\sigma_2)\,\frac{1}{r_{12}}\,\chi_1(\rr_1,\sigma_1)\bar\chi_1(\rr_2,\sigma_2)\;\Bigr] \label{eq:9-r12-four} \end{align} $$

式 \eqref{eq:9-2e-notation} の記法を使って,この4項を書き直す.上から順に

$$ \frac{1}{2}\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\bar\chi_1},\quad \frac{1}{2}\braket{\bar\chi_1\chi_1\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\bar\chi_1\chi_1},\quad -\frac{1}{2}\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\bar\chi_1\chi_1},\quad -\frac{1}{2}\braket{\bar\chi_1\chi_1\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\bar\chi_1} $$

となる.第1項と第2項は等しい.$\rr_1\leftrightarrow\rr_2$,$\sigma_1\leftrightarrow\sigma_2$ と積分変数の名前を入れ替えれば $1/r_{12}=1/r_{21}$ は不変なので,第2項の被積分関数が第1項に一致するからである.第3項と第4項も同様.したがって $\frac12+\frac12=1$ となり,

$$ \begin{equation} \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} =\underbrace{\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\bar\chi_1}}_{\text{Coulomb積分(Coulomb項 }U)} -\underbrace{\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\bar\chi_1\chi_1}}_{\text{交換積分(交換項 }J)} \label{eq:9-r12-result} \end{equation} $$

を得る.Hartree–Fock近似(波動関数を Slater行列式1個で表すこと)を採用すると,厄介な電子間反発のエネルギーには2種類の項が現れる.これが本章で最も重要な発見だ.

9.5.3 2つの積分の意味

2つの項の違いは,ケット側で $\chi_1$ と $\bar\chi_1$ の順序が入れ替わっているかだけである.しかしこのわずかな違いが,まったく異なる物理をもたらす.

定義:Coulomb積分と交換積分

Coulomb積分(Coulomb integral):

$$ \begin{equation} U_{11}\equiv\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\bar\chi_1} =\iint \dd\rr_1\dd\rr_2\;\abs{\phi_1(\rr_1)}^2\,\frac{\ee^2}{4\pi\eps\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\abs{\phi_1(\rr_2)}^2 \;\;(\gt0) \label{eq:9-u11-def} \end{equation} $$

スピン積分は $\braket{\alpha|\alpha}\braket{\beta|\beta}=1$ で消え,残るのは電子密度 $\abs{\phi_1}^2$ どうしの古典的な静電反発そのもの.正の値をとり系を不安定化させる.

交換積分(exchange integral):

$$ \begin{equation} J\equiv\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\bar\chi_1\chi_1} =\iint \dd\rr_1\dd\rr_2\;\phi_1^*(\rr_1)\phi_1(\rr_1)\,\frac{\ee^2}{4\pi\eps\abs{\rr_1-\rr_2}}\,\phi_1^*(\rr_2)\phi_1(\rr_2)\times\braket{\alpha|\beta}\braket{\beta|\alpha} \label{eq:9-k-spin} \end{equation} $$

被積分関数に現れるのは電子密度ではなく2本の軌道の重なり密度である.式 \eqref{eq:9-r12-result} のとおりマイナス符号を伴って入るので,反発どころか系を安定化させる.古典電磁気学に対応物のない,波動関数の反対称性に由来する純粋に量子力学的な項である.

Coulomb積分 U「電子雲どうし」の静電反発(古典的)|χa(r₁)|²|χb(r₂)|²1 / r₁₂ で反発∬ |χa(r₁)|² (1/r₁₂) |χb(r₂)|² dr₁dr₂交換積分 J「重なり密度どうし」の相互作用(量子的)重なり密度χa*χbχaχb∬ χa*(r₁)χb(r₁) (1/r₁₂) χb*(r₂)χa(r₂) dr₁dr₂
図9.2 Coulomb積分($U\gt0$,不安定化)と交換積分($-J\lt0$,安定化)の模式図.Coulomb積分は電子密度どうしの古典的な静電反発で,スピンの向きに無関係である.交換積分の被積分関数は2本の軌道の重なり密度 $\chi_a^*\chi_b$ を含むので,軌道が空間的に重なっていなければ小さく,スピンが逆向きならスピン積分によって厳密にゼロになる.

例題9.3 並び順を間違えるとどうなるか

$\braket{\chi_1\bar\chi_1|1/r_{12}|\bar\chi_1\chi_1}$ を,定義 \eqref{eq:9-2e-notation} にしたがって空間積分とスピン積分に分解して書き下せ.また,これを誤って $\braket{\chi_1\bar\chi_1|1/r_{12}|\chi_1\bar\chi_1}$ と同じものだと思ってしまうと,He の全エネルギーはどう変わるか述べよ.

解答:定義よりブラの左が電子1・右が電子2,ケットも同様なので

$$\braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\bar\chi_1\chi_1} =\iint\dd\xx_1\dd\xx_2\;\chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_1^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\bar\chi_1(\xx_1)\chi_1(\xx_2)$$ $$=\left[\iint\dd\rr_1\dd\rr_2\,\phi_1^*(\rr_1)\phi_1(\rr_1)\frac{\ee^2}{4\pi\eps\abs{\rr_1-\rr_2}}\phi_1^*(\rr_2)\phi_1(\rr_2)\right]\braket{\alpha|\beta}\braket{\beta|\alpha}.$$

電子1 の座標に $\chi_1^*$ と $\bar\chi_1$,電子2 の座標に $\bar\chi_1^*$ と $\chi_1$ が来ている点に注意.空間積分は正の有限値だが,スピン積分が $0\times0=0$ なので全体がゼロになる.これを Coulomb積分と取り違えると $U_{11}-U_{11}=0$,すなわち「He の電子間反発はゼロ」というとんでもない結論になる.並び順は死活問題なのだ.

9.6 交換積分は同一スピン間でのみ残る

9.6.1 He 基底状態では交換積分は消える

いま計算しているのは $n=1$ に上向きと下向きが1個ずつ入った He の基底状態である.式 \eqref{eq:9-r12-four} の交換項(第3・第4項)だけを抜き出す.

$$ -\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\; \underset{\alpha}{\chi_1^*(\xx_1)}\,\underset{\beta}{\bar\chi_1^*(\xx_2)}\,\frac{1}{r_{12}}\,\underset{\beta}{\bar\chi_1(\xx_1)}\,\underset{\alpha}{\chi_1(\xx_2)} $$ $$ -\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\; \underset{\beta}{\bar\chi_1^*(\xx_1)}\,\underset{\alpha}{\chi_1^*(\xx_2)}\,\frac{1}{r_{12}}\,\underset{\alpha}{\chi_1(\xx_1)}\,\underset{\beta}{\bar\chi_1(\xx_2)} $$

$1/r_{12}$ はスピンに作用しないので,スピン積分は素通しで実行できる.$\sigma_1$ については $\braket{\alpha|\beta}$,$\sigma_2$ については $\braket{\beta|\alpha}$ が現れる(第2式では逆).いずれにせよ

$$ \braket{\alpha|\beta}=\braket{\beta|\alpha}=0 $$

であるから上の2式はどちらもゼロになる.つまり He 基底状態では交換積分が生き残らず,式 \eqref{eq:9-r12-result} は

$$ \begin{equation} E_{\text{(i)}}=\braket{\psi|\Ham|\psi}=2h_{11}+U_{11} \label{eq:9-egs} \end{equation} $$

これが He 原子の基底状態の全エネルギーである.1電子エネルギーの2倍に,$1s$ 軌道内の2電子の Coulomb 反発 $U_{11}$ が足されただけの素直な式である.

9.6.2 では交換積分はいつも消えるのか

ここで当然の疑問が湧く.「じゃあ交換積分はいつもゼロになるんじゃないか?」——そうではない.上でゼロになったのは $\chi_1$ と $\bar\chi_1$ のスピンが逆向きだったからである.2電子のスピンが同じ向きなら,スピン積分は $\braket{\alpha|\alpha}\braket{\alpha|\alpha}=1$ となり,交換積分は堂々と生き残る.

定理:交換積分が残る条件

交換積分 $\braket{\chi_a\chi_b|1/r_{12}|\chi_b\chi_a}$ は,$\chi_a$ と $\chi_b$ のスピンが同じ向きのときだけゼロでない.逆向きなら,空間積分がどれほど大きくてもスピン積分 $\braket{\alpha|\beta}\braket{\beta|\alpha}=0$ で厳密にゼロになる.一方 Coulomb積分 $\braket{\chi_a\chi_b|1/r_{12}|\chi_a\chi_b}$ はスピンの向きに関係なく常に残る(同じスピン軌道どうしのスピン積分は必ず $1$ になるため).

したがって同じ向きのスピンをもつ電子の組が多いほど,交換積分による安定化 $-J$ をたくさん受け取れる.これが「スピンを揃えると得をする」という磁性の起源そのものである.次節で3つの電子配置を実際に計算して確かめる.

なぜ?:Pauli の排他原理と交換積分の関係

「Pauli の排他原理は同じスピン軌道に2個入れないという禁止の規則だ」と習ったはずである.交換積分はその同じ原理の裏の顔である.反対称な波動関数は,同じスピンの2電子が同じ場所に来る確率をゼロにする.近づけない=平均距離が大きい=Coulomb 反発が小さくてすむ.その「得をした分」を定量化したのが $-J$ である.禁止の規則が結果的にエネルギーの利得を生む——量子力学の面白さがよく現れている場面である.

9.7 3つの電子配置を比較する

ここからは同じ2電子系について3つの電子配置を取り上げ,全エネルギーを最後まで計算して並べる.道具はすべて9.3〜9.6節で準備済みで,手順は同じ繰り返しである.

9.7.1 配置(ii):1電子励起状態(両方アップスピン,三重項)

今度は1個の電子が $n=2$ に励起され,かつ2つのスピンの向きが揃っている状態を考える.占有スピン軌道は $\chi_1=\phi_1\bm\alpha$ と $\chi_2=\phi_2\bm\alpha$ で,Slater行列式は

$$ \begin{equation} \psi(\xx_1,\xx_2)=\frac{1}{\sqrt2} \begin{vmatrix} \phi_1(\rr_1)\bm\alpha(\sigma_1) & \phi_2(\rr_1)\bm\alpha(\sigma_1)\\ \phi_1(\rr_2)\bm\alpha(\sigma_2) & \phi_2(\rr_2)\bm\alpha(\sigma_2) \end{vmatrix} =\frac{1}{\sqrt2}\Bigl(\chi_1(\xx_1)\chi_2(\xx_2)-\chi_2(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\Bigr) \label{eq:9-triplet-wf} \end{equation} $$

となる.バーが1つも付いていない,すなわち両方アップスピンである.

1電子項.9.4節と同じ手順で展開する.

$$ \begin{align} \braket{\psi|h_1|\psi} &=\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\Bigl[\; \chi_1^*(\xx_1)h_1\chi_1(\xx_1)\;\underbrace{\chi_2^*(\xx_2)\chi_2(\xx_2)}_{=1}\notag\\ &\qquad\qquad+\chi_2^*(\xx_1)h_1\chi_2(\xx_1)\;\underbrace{\chi_1^*(\xx_2)\chi_1(\xx_2)}_{=1}\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_1^*(\xx_1)h_1\chi_2(\xx_1)\;\underbrace{\chi_2^*(\xx_2)\chi_1(\xx_2)}_{\braket{\phi_2|\phi_1}=0}\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_2^*(\xx_1)h_1\chi_1(\xx_1)\;\underbrace{\chi_1^*(\xx_2)\chi_2(\xx_2)}_{\braket{\phi_1|\phi_2}=0}\;\Bigr]\notag\\ &=\frac{1}{2}\braket{\chi_1|h_1|\chi_1}+\frac{1}{2}\braket{\chi_2|h_1|\chi_2} =\frac{1}{2}h_{11}+\frac{1}{2}h_{22} \label{eq:9-triplet-h} \end{align} $$

注目してほしい.今回は第3・第4項が消えた理由がスピンではなく空間にある.$\chi_1$ も $\chi_2$ も同じ $\bm\alpha$ をもつのでスピン積分は $1$ だが,空間軌道の直交性 $\braket{\phi_1|\phi_2}=0$ で消えたのである.同じ「ゼロ」でも理由が違う.$h_2$ も同様に $\frac12 h_{11}+\frac12 h_{22}$ なので,合計は

$$ \braket{\psi|h_1+h_2|\psi}=h_{11}+h_{22}. $$

$h_{11}$ は $n=1$ の,$h_{22}$ は $n=2$ の1電子エネルギーである.

2電子項.9.5節と同じく4項に展開する.

$$ \begin{align} \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} &=\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\Bigl[\; \chi_1^*(\xx_1)\chi_2^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\chi_1(\xx_1)\chi_2(\xx_2)\notag\\ &\qquad\qquad+\chi_2^*(\xx_1)\chi_1^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\chi_2(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_1^*(\xx_1)\chi_2^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\chi_2(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_2^*(\xx_1)\chi_1^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\chi_1(\xx_1)\chi_2(\xx_2)\;\Bigr] \label{eq:9-triplet-r12} \end{align} $$

今回は現れるスピン積分がすべて $\braket{\alpha|\alpha}\braket{\alpha|\alpha}=1$ で,ひとつもゼロにならない.第1・第2項,第3・第4項がそれぞれ積分変数の入れ替えで等しいので,$\frac12+\frac12=1$ となって

$$ \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} =\underbrace{\braket{\chi_1\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\chi_2}}_{U_{12}} -\underbrace{\braket{\chi_1\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_2\chi_1}}_{J_{12}} $$

となる.今度はちゃんと交換積分が残った.以上を合わせて

$$ \begin{equation} E_{\text{(ii)}}=h_{11}+h_{22}+U_{12}-J_{12} \label{eq:9-triplet-e} \end{equation} $$

である.ここで $U_{12},J_{12}$ を次のように定義した.

$$ U_{12}\equiv\braket{\chi_1\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\chi_2},\qquad J_{12}\equiv\braket{\chi_1\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_2\chi_1}\;(\gt0). $$

9.7.2 配置(iii):1電子励起状態(スピンが逆向き)

最後に,1個が $n=1$ にアップ,もう1個が $n=2$ にダウンで入った状態を考える.占有スピン軌道は $\chi_1=\phi_1\bm\alpha$ と $\bar\chi_2=\phi_2\bm\beta$ である.

$$ \begin{equation} \psi(\xx_1,\xx_2)=\frac{1}{\sqrt2} \begin{vmatrix} \phi_1(\rr_1)\bm\alpha(\sigma_1) & \phi_2(\rr_1)\bm\beta(\sigma_1)\\ \phi_1(\rr_2)\bm\alpha(\sigma_2) & \phi_2(\rr_2)\bm\beta(\sigma_2) \end{vmatrix} =\frac{1}{\sqrt2}\Bigl(\chi_1(\xx_1)\bar\chi_2(\xx_2)-\bar\chi_2(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\Bigr) \label{eq:9-mixed-wf} \end{equation} $$

配置(ii) との違いは,スピンの向きだけである.

1電子項.展開すると

$$ \begin{align} \braket{\psi|h_1|\psi} &=\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\Bigl[\; \chi_1^*h_1\chi_1\;\underbrace{\bar\chi_2^*\bar\chi_2}_{\braket{\beta|\beta}=1} +\bar\chi_2^*h_1\bar\chi_2\;\underbrace{\chi_1^*\chi_1}_{\braket{\alpha|\alpha}=1}\notag\\ &\qquad\qquad-\chi_1^*h_1\bar\chi_2\;\underbrace{\bar\chi_2^*\chi_1}_{\braket{\beta|\alpha}=0} -\bar\chi_2^*h_1\chi_1\;\underbrace{\chi_1^*\bar\chi_2}_{\braket{\alpha|\beta}=0}\;\Bigr]\notag\\ &=\frac{1}{2}\braket{\chi_1|h_1|\chi_1}+\frac{1}{2}\braket{\bar\chi_2|h_1|\bar\chi_2}=\frac{1}{2}h_{11}+\frac{1}{2}h_{22} \label{eq:9-mixed-h} \end{align} $$

(簡略のため座標引数は省略した.各項の後半はすべて電子2 の座標についての積分である.)今回は消える理由がふたたびスピンである.$h_2$ も同様で,合計は配置(ii) と同じく $h_{11}+h_{22}$ になる.

2電子項.4項に展開すると

$$ \begin{align} \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} &=\frac{1}{2}\iint \dd\xx_1\dd\xx_2\Bigl[\; \chi_1^*(\xx_1)\bar\chi_2^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\chi_1(\xx_1)\bar\chi_2(\xx_2)\notag\\ &\qquad\qquad+\bar\chi_2^*(\xx_1)\chi_1^*(\xx_2)\frac{1}{r_{12}}\bar\chi_2(\xx_1)\chi_1(\xx_2)\notag\\ &\qquad\qquad-\underset{\alpha}{\chi_1^*(\xx_1)}\underset{\beta}{\bar\chi_2^*(\xx_2)}\frac{1}{r_{12}}\underset{\beta}{\bar\chi_2(\xx_1)}\underset{\alpha}{\chi_1(\xx_2)}\notag\\ &\qquad\qquad-\underset{\beta}{\bar\chi_2^*(\xx_1)}\underset{\alpha}{\chi_1^*(\xx_2)}\frac{1}{r_{12}}\underset{\alpha}{\chi_1(\xx_1)}\underset{\beta}{\bar\chi_2(\xx_2)}\;\Bigr] \label{eq:9-mixed-r12} \end{align} $$

第1・第2項では $\braket{\alpha|\alpha}$ と $\braket{\beta|\beta}$(あるいはその逆)が現れていずれも $1$ だが,第3・第4項では $\braket{\alpha|\beta}=0$ と $\braket{\beta|\alpha}=0$ が現れる.つまり交換項は消える.よって

$$ \braket{\psi\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\psi} =\braket{\chi_1\bar\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\bar\chi_2}=U_{12} $$

となり Coulomb積分だけが残る.空間部分は配置(ii) の $U_{12}$ と同じ($\abs{\phi_1}^2$ と $\abs{\phi_2}^2$ の静電反発)なので,同じ記号を使ってよい.したがって

$$ \begin{equation} E_{\text{(iii)}}=h_{11}+h_{22}+U_{12} \label{eq:9-mixed-e} \end{equation} $$

である.

9.7.3 3つを並べる

結果を並べてみよう.

$$ \begin{equation} \begin{aligned} \text{(i)\ }\;&n=1\text{ に }\uparrow\downarrow: &\quad E_{\text{(i)}}&=2h_{11}+U_{11}\\ \text{(ii)\ }&n=1\text{ に }\uparrow,\;n=2\text{ に }\uparrow: &\quad E_{\text{(ii)}}&=h_{11}+h_{22}+U_{12}-J_{12}\\ \text{(iii)}&\;n=1\text{ に }\uparrow,\;n=2\text{ に }\downarrow: &\quad E_{\text{(iii)}}&=h_{11}+h_{22}+U_{12} \end{aligned} \label{eq:9-three-compare} \end{equation} $$
(i) 基底状態(一重項)n = 2n = 1E = 2h₁₁ + U₁₁(ii) 励起・スピン平行(三重項)n = 2n = 1E = h₁₁ + h₂₂ + U₁₂ − J₁₂(iii) 励起・スピン反平行n = 2n = 1E = h₁₁ + h₂₂ + U₁₂E(ii) − E(iii) = −J₁₂ < 0 → スピンが揃うほうが低い
図9.3 3つの電子配置と全エネルギー.配置(ii) と (iii) は空間軌道の使い方がまったく同じで,違いはスピンの向きだけ.それでもエネルギーが $J_{12}$ だけ違う.この差を生むのが交換積分である.

配置(ii) と (iii) を見比べてほしい.使う空間軌道は $\phi_1,\phi_2$ で同じ,したがって $h_{11},h_{22},U_{12}$ も同じ値である.にもかかわらず,

$$ \begin{equation} E_{\text{(ii)}}-E_{\text{(iii)}}=-J_{12}\lt0 \label{eq:9-exchange-gap} \end{equation} $$

すなわちスピンを揃えた配置(ii) のほうが $J_{12}$ だけ低い.古典的な静電エネルギーの立場からは,スピンは電荷分布に影響しないのでこの2つを区別する理由は何もない.それでもエネルギーが違うのは,波動関数の反対称性が「同じスピンの電子どうしを遠ざける」という純粋に量子力学的な効果を生むからである.

例題9.4 He の $1s^12s^1$ 三重項と一重項の分裂を見積もる

He 原子の $1s^12s^1$ 配置について,遮蔽を無視した水素様軌道(核電荷 $Z=2$)を使って三重項と一重項のエネルギー差を見積もれ.水素様軌道に対する積分の値は

$$U_{11}=\frac{5}{8}Z,\qquad U_{12}=\frac{17}{81}Z,\qquad U_{22}=\frac{77}{512}Z,\qquad J_{12}=\frac{16}{729}Z \quad[\text{Hartree}]$$

で与えられる($1\ \mathrm{Hartree}=2\abs{\epsilon_{1s}}=27.212\ \mathrm{eV}$).実測値と比較せよ.

解答:$Z=2$ を代入すると $J_{12}=32/729=0.043896\ \mathrm{Hartree}=1.195\ \mathrm{eV}$.式 \eqref{eq:9-exchange-gap} より,三重項と一重項のエネルギー差は

$$\Delta E=E(\text{一重項})-E(\text{三重項})=2J_{12}=2.389\ \mathrm{eV}.$$

($2$ 倍になるのは,正しい一重項が配置(iii) の行列式そのものではなく,$n=1\!\uparrow,n=2\!\downarrow$ と $n=1\!\downarrow,n=2\!\uparrow$ の対称な組み合わせだからである.この組み合わせでは交換項が $+J_{12}$ として入るので,三重項の $-J_{12}$ との差が $2J_{12}$ になる.第7章の一重項・三重項の議論を参照.)

実測では He の $1s2s\ {}^3S$ が基底状態から $19.820\ \mathrm{eV}$,$1s2s\ {}^1S$ が $20.616\ \mathrm{eV}$ なので,分裂は $0.796\ \mathrm{eV}$.見積りが3倍ほど大きいのは遮蔽を無視して $Z=2$ としたためで,実際の $2s$ は $1s$ 電子に遮蔽されてもっと広がり重なりが小さい.それでも三重項のほうが低いという定性的結論と $1\ \mathrm{eV}$ 前後というスケールは正しく捉えられている.交換積分がなければ分裂は $0$ になることを思えば上出来である.

9.8 交換エネルギーの物理的意味

9.8.1 なぜ同じスピンだと安定化するのか — Fermiホール

式 \eqref{eq:9-exchange-gap} は導けたが,「なぜ」そうなるのかを物理的に理解しておきたい.鍵は,2電子を同時に見つける確率密度にある.配置(ii)(両方アップスピン)の波動関数 \eqref{eq:9-triplet-wf} について,電子1 を $\rr_1$ に,電子2 を $\rr_2$ に見つける確率密度は

$$ \begin{equation} P(\rr_1,\rr_2)=\abs{\psi}^2=\frac{1}{2}\abs{\phi_1(\rr_1)\phi_2(\rr_2)-\phi_2(\rr_1)\phi_1(\rr_2)}^2 \label{eq:9-pair-density} \end{equation} $$

である(スピン部分は共通の $\bm\alpha(\sigma_1)\bm\alpha(\sigma_2)$ なので絶対値2乗すると $1$ になり,消える).ここで $\rr_1=\rr_2=\rr$ とおいてみよう.

$$ \begin{equation} P(\rr,\rr)=\frac{1}{2}\abs{\phi_1(\rr)\phi_2(\rr)-\phi_2(\rr)\phi_1(\rr)}^2=0 \label{eq:9-fermi-hole} \end{equation} $$

厳密にゼロである.同じ向きのスピンをもつ2電子は同じ場所に絶対に来られない.Pauli の排他原理の最も直接的な現れである.完全に一致していなくても,近いほど $P$ は小さい.すなわち各電子のまわりには,同じスピンの電子が入り込めない「穴」がついて回る.これを Fermiホール(Fermi hole,交換ホール)と呼ぶ.一方,配置(iii) では差がスピン部分に押し込まれるので $P(\rr,\rr)\neq0$ となり,逆向きスピンの電子どうしは平気で同じ場所に来られる.

Fermiホール:同じスピンの電子の対相関関数.横軸は2電子間の距離 r(k_F r で目盛る),縦軸は g(r).逆向きスピンは g=1 の水平線,同じ向きのスピンは r=0 で 0 から立ち上がり k_F r が 4 程度で 1 に近づく.
図9.4 Fermiホール.相対距離 $r$ の関数として,片方の電子のまわりにもう片方を見つける確率(対相関関数 $g(r)$)を描いた.同じ向きのスピンでは $g(0)=0$ となり,各電子のまわりに同スピン電子が排除された「穴」ができる.曲線は一様電子ガスに対する厳密な交換の結果 $g_{\uparrow\uparrow}(r)=1-\left[3j_1(k_Fr)/(k_Fr)\right]^2$ で,$k_Fr\simeq4$ 程度で $1$ に漸近する.同スピン電子は平均距離が大きいので Coulomb 反発が小さくてすむ.

物理的意味:交換エネルギーはなぜ安定化するのか

電子どうしは Coulomb 反発するので離れているほどエネルギーが低い.ところが同じ向きのスピンをもつ電子は,Pauli の排他原理のおかげで勝手に互いを避ける.この「無料で得られる回避行動」の分だけ反発が小さくてすむ.その節約分を定量化したのが $-J$ であり,だから符号が負(安定化)になる.逆向きスピンには Fermiホールがなく,実際の避けあいは Slater行列式1個では表現できない.その表せない部分こそが電子相関であり,9.10節で定義する電子相関エネルギーの正体である.

9.8.2 Coulomb積分の大小関係

次に Coulomb積分どうしの大小を考える.まずCoulomb積分はスピンの向きにいっさい関係しない.効くのは2つの電子雲がどれだけ「濃く重なっているか」だけである.講義では次の順序が示された.

$$ \begin{equation} \braket{\chi_1\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\chi_2}\lt \braket{\chi_1\bar\chi_1\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_1\bar\chi_1}\lt \braket{\chi_2\bar\chi_2\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_2\bar\chi_2} \qquad\text{すなわち}\qquad U_{12}\lt U_{11}\lt U_{22} \label{eq:9-u-order} \end{equation} $$

確実に言えるのは左端の不等号である.2電子を別々の軌道に分けて置く($U_{12}$)ほうが,同じ軌道に2個詰め込む($U_{11}$,$U_{22}$)より電子雲の重なりが小さく反発も小さい.上の軌道ほど大きく広がるので,$\phi_1$ と $\phi_2$ の重なりは $\phi_1$ どうしより小さい.よって $U_{12}\lt U_{11}$,$U_{12}\lt U_{22}$.同じ軌道に2個詰めるときに余分に払うこのエネルギーを 対形成エネルギー(pairing energy)と呼び,$P$ で表す.

注意:$U_{11}$ と $U_{22}$ の大小は系による

式 \eqref{eq:9-u-order} の右側 $U_{11}\lt U_{22}$ は,Szabo–Ostlund が例に用いる H$_2$ 分子の最小基底($\phi_1$=結合性,$\phi_2$=反結合性軌道)で成り立つ関係である.反結合性軌道は節をはさんで各原子上に振幅が集中するため,自己反発がむしろ大きくなる.これに対し原子の $1s,2s$ 軌道のように上の軌道が大きく広がる場合は逆になる.実際,水素様軌道(核電荷 $Z$)の厳密値は

$$ \begin{equation} U_{11}=\frac{5}{8}Z,\qquad U_{12}=\frac{17}{81}Z\simeq0.210Z,\qquad U_{22}=\frac{77}{512}Z\simeq0.150Z\quad[\mathrm{Hartree}] \label{eq:9-hydrogenic-u} \end{equation} $$

であり $U_{22}\lt U_{12}\lt U_{11}$ となる.普遍的に成り立つのは「別の軌道に分けたほうが反発が小さい」($U_{12}$ が最小)という部分だけで,$U_{11}$ と $U_{22}$ の大小は軌道の広がり方しだいで入れ替わる.以下で本質的に使うのは $U_{12}\lt U_{11},U_{22}$ だけなので心配は要らない.

交換積分も同様で,$J_{12}$ は重なり密度に効くので軌道が広がれば小さくなる.水素様軌道では $J_{12}=(16/729)Z\simeq0.0219Z$ Hartree と,$U$ たちより1桁小さい.交換エネルギーは Coulomb エネルギーの「補正」程度の大きさだが,配置の順序を決めるにはそれで十分である.

9.8.3 Hund の第1規則

ここまでの議論を,化学で習った経験則と結びつけよう.

定理(規則):Hund の第1規則

縮退した軌道に電子を配置するとき,全スピン角運動量が最大になる配置(できるだけスピンを揃え,できるだけ別々の軌道に入れる)が最も安定である.

根拠:(1) 別々の軌道に入れると Coulomb 反発が $U_{11}$ から $U_{12}$ に下がる(対形成エネルギーを払わずにすむ).(2) スピンを揃えると平行スピン対の数だけ交換安定化 $-J$ を受け取れる.この2つが Hund の第1規則の中身である.

化学の授業では「フントの規則:縮退した軌道にはスピンを平行にして1個ずつ入れる」と丸暗記させられたはずである.本章の計算は,その規則が式 \eqref{eq:9-three-compare} から必然的に出てくることを示している.暗記事項が計算結果に変わった瞬間である.

9.8.4 遷移金属酸化物の高スピン・低スピン

交換エネルギーが最も劇的に姿を現すのが,遷移金属酸化物である.八面体配位の結晶場の中では,$d$ 軌道の5重縮退が解けて,下側3本の $t_{2g}$ と上側2本の $e_g$ に分裂する.この分裂の大きさを 結晶場分裂(crystal field splitting)$\Delta$ と呼ぶ(第12章で対称性の観点からあらためて扱う).

いま $d^4$ 配置(たとえば Mn$^{3+}$ や LaMnO$_3$ の Mn)を考える.電子の詰め方には2通りある.

低スピンは電子1個を $e_g$ から $t_{2g}$ へ下ろして $-\Delta$ の得をするが,代償として (a) 対形成エネルギー $P$ を払い,(b) 平行スピン対が6組から3組に減って交換安定化を $3J$ 失う.大雑把には

$$ E_{\text{低スピン}}-E_{\text{高スピン}}\simeq -\Delta + P + 3J $$

となり,$\Delta\lt P+3J$ なら高スピンが安定,$\Delta\gt P+3J$ なら低スピンが安定になる.結晶場分裂と交換分裂の競合が,スピン状態を決めているのである.

高スピン(t₂g³ eg¹)低スピン(t₂g⁴)egt₂gΔegt₂gΔΔ < P + 3J なら E(高スピン) < E(低スピン)
図9.5 八面体配位 $d^4$ 配置の高スピン状態(平行スピン対6組,$P$ を払わない)と低スピン状態(3組,$P$ を払う).低スピンは結晶場分裂 $\Delta$ の分だけ得をするが交換安定化を失う.この競合でスピン状態が決まる.

物理的意味:材料科学における交換エネルギー

$\Delta$ は金属–酸素間の距離や結合角に敏感である.圧力や基板からのエピタキシャル歪みで結晶構造をわずかに変えるだけで $\Delta$ と $P+3J$ の大小がひっくり返り,スピン状態が変わることがある.そうなれば磁性も電気伝導も光学応答も一変する.ペロブスカイト型酸化物の歪み誘起金属–絶縁体転移は,この競合を利用した材料設計の代表例である(文献[8]).本章の $-J_{12}$ というたった1つの項が,磁石が磁石である理由であり,遷移金属酸化物の多彩な物性の源でもある(第14章で再登場する).

9.9 一般の電子配置の全エネルギー

9.9.1 一般公式

ここまで3通りの配置を計算してきたが,毎回4項に展開するのは骨が折れる.これまでの結果を眺めると,次の一般則が見えてくる.

定理:Slater行列式の全エネルギー(Slater–Condon則)

$N$ 本のスピン軌道 $\chi_a\,(a=1,\ldots,N)$ を占有した Slater行列式に対して,全エネルギーは

$$ \begin{equation} E=\sum_{a=1}^{N}h_{aa} +\frac{1}{2}\sum_{a=1}^{N}\sum_{b=1}^{N}\left[\braket{\chi_a\chi_b\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_a\chi_b}-\braket{\chi_a\chi_b\left|\frac{1}{r_{12}}\right|\chi_b\chi_a}\right] \label{eq:9-general-e} \end{equation} $$

で与えられる.$a=b$ の項は Coulomb項と交換項が完全に打ち消すので,和を $a\lt b$ に制限して

$$ \begin{equation} E=\sum_{a}h_{aa}+\sum_{a\lt b}\left[U_{ab}-J_{ab}\right],\qquad U_{ab}\equiv\braket{\chi_a\chi_b\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\chi_a\chi_b},\quad J_{ab}\equiv\braket{\chi_a\chi_b\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\chi_b\chi_a} \label{eq:9-general-e2} \end{equation} $$

と書くこともできる.ただし $J_{ab}$ は $\chi_a$ と $\chi_b$ のスピンが平行なときだけゼロでない(9.6節の定理).

使い方は拍子抜けするほど簡単だ.

  1. 占有しているスピン軌道をすべて書き出し,それぞれの $h_{aa}$ を足す.
  2. スピン軌道から2本を選ぶすべての組について,$U_{ab}$ を足す.
  3. そのうちスピンが平行な組についてだけ,さらに $J_{ab}$ を引く.

例題9.5 一般公式で配置(i)〜(iii) を再現する

式 \eqref{eq:9-general-e2} を使って,9.7節の3つの配置のエネルギーを求め,直接計算の結果と一致することを確かめよ.

解答:(i)($\chi_1,\bar\chi_1$):1電子項 $2h_{11}$.組は $(\chi_1,\bar\chi_1)$ の1つで Coulomb項 $U_{11}$,スピン反平行なので交換項 $0$.$E=2h_{11}+U_{11}$(式 \eqref{eq:9-egs} と一致).

(ii)($\chi_1,\chi_2$):1電子項 $h_{11}+h_{22}$.組は $(\chi_1,\chi_2)$ で $U_{12}$,両方 $\alpha$ で平行なので $-J_{12}$ も入る.$E=h_{11}+h_{22}+U_{12}-J_{12}$(式 \eqref{eq:9-triplet-e}).

(iii)($\chi_1,\bar\chi_2$):1電子項 $h_{11}+h_{22}$,組は $U_{12}$ のみでスピン反平行なので交換項なし.$E=h_{11}+h_{22}+U_{12}$(式 \eqref{eq:9-mixed-e}).

4項展開を何ページも書いた結果が3行で再現できた.もちろん一般公式そのものが4項展開から導かれるので,9.3〜9.7節の労力は無駄ではない.背後で何が起きているかを知っているからこそ,安心して公式を使えるのである.

9.9.2 7つの電子配置

Szabo–Ostlund(文献[2],問題2.23)には,2本の空間軌道に電子を詰める7通りの配置について「以下の行列式のエネルギーを目の子で確かめよ」という問題が載っている.せっかく一般公式を得たので,7つを一気に片付けよう.

21(a)(b)(c)(d)(e)(f)(g)
図9.6 2本の空間軌道(下:$n=1$,上:$n=2$)に電子を詰めた7通りの配置.(a)〜(d) は2電子系,(e)(f) は3電子系,(g) は4電子系.Szabo–Ostlund『新しい量子化学(上)』問題2.23 による.

各配置に対して式 \eqref{eq:9-general-e2} の手順を適用した結果を,表9.1 にまとめる.

表9.1 図9.6 の7つの電子配置の全エネルギー.「平行スピン対」は占有スピン軌道から2本選ぶ組のうちスピンが平行なものの数で,これがそのまま $-J_{12}$ の係数になる.
配置占有スピン軌道電子数Coulomb項の組(全ペア数)平行スピン対全エネルギー
(a)$\chi_1,\chi_2$2$U_{12}$(1組)1$h_{11}+h_{22}+U_{12}-J_{12}$
(b)$\chi_1,\bar\chi_2$2$U_{12}$(1組)0$h_{11}+h_{22}+U_{12}$
(c)$\chi_1,\bar\chi_1$2$U_{11}$(1組)0$2h_{11}+U_{11}$
(d)$\chi_2,\bar\chi_2$2$U_{22}$(1組)0$2h_{22}+U_{22}$
(e)$\chi_1,\bar\chi_1,\chi_2$3$U_{11}+2U_{12}$(3組)1$2h_{11}+h_{22}+U_{11}+2U_{12}-J_{12}$
(f)$\chi_1,\chi_2,\bar\chi_2$3$U_{22}+2U_{12}$(3組)1$h_{11}+2h_{22}+U_{22}+2U_{12}-J_{12}$
(g)$\chi_1,\bar\chi_1,\chi_2,\bar\chi_2$4$U_{11}+U_{22}+4U_{12}$(6組)2$2h_{11}+2h_{22}+U_{11}+U_{22}+4U_{12}-2J_{12}$

導出:配置(g) を丁寧に数える

最も複雑な (g) で数え方を確認する.占有スピン軌道は $\chi_1,\bar\chi_1,\chi_2,\bar\chi_2$ の4本.

1電子項:$2h_{11}+2h_{22}$.Coulomb項:4本から2本を選ぶ組は $\binom{4}{2}=6$ 通り.

合計 $U_{11}+U_{22}+4U_{12}$.交換項:6組のうちスピンが平行なのはアップどうしの $(\chi_1,\chi_2)$ とダウンどうしの $(\bar\chi_1,\bar\chi_2)$ の2組のみ(残り4組はすべて反平行).よって $-2J_{12}$.合計:$E_{(g)}=2h_{11}+2h_{22}+U_{11}+U_{22}+4U_{12}-2J_{12}$ で,表9.1 と一致する.

表9.1 は暇なときにじっくり眺めてみるとよい.(a) と (b) を比べれば $-J_{12}$ の分だけ (a) が低く,これは Hund の第1規則そのものである.(a) と (c) を比べると

$$ E_{(a)}-E_{(c)}=(h_{22}-h_{11})+(U_{12}-U_{11})-J_{12} $$

となり,軌道エネルギー差 $h_{22}-h_{11}$(正)と $U_{12}-U_{11}$(負)+交換安定化 $-J_{12}$(負)の綱引きになる.9.8.4項の結晶場分裂と交換分裂の競合がそのまま現れている.$h_{22}-h_{11}$ が小さい(軌道が縮退に近い)ほど (a) が有利,というのが Hund 則の適用条件である.

9.10 PySCFによる全エネルギーの分解と手計算の答え合わせ

9.10.1 全エネルギーを内訳ごとに出力させる

ここまではすべて紙の上の話だった.今度は計算機に同じ内訳を吐き出させよう.こういう面倒な数値計算こそ機械にやらせるべきである.付録B の PySCF 用スクリプトに --decompose-total-energy を付けると,全エネルギーが Kinetic (T),Nuc-elec (V_ne),Hartree (U)=Coulomb項,Exchange (J)=交換項,Nuc-nuc (V_nn)=核間反発(原子1個なら $0$)の5つに分解される.まず水素原子(電子1個)を計算する.

python3 calc_pyscf.py --xyz XYZ_H.xyz --spin 1 --basis 6-31g --decompose-total-energy

コード9.1 水素原子の全エネルギー分解(電子1個なので非制限 Hartree–Fock 法 UHF を使う)

Method       : UHF
Total Energy : -13.557608 eV
<S^2>        : 0.750000
Multiplicity : 2.0

MO energies (Hartree / eV), Alpha (Beta も同一):
   MO  1:  -0.498233   -13.5576
   MO  2:   0.460935    12.5427

Total-energy decomposition:
  Kinetic  (T)     :   13.874179 eV
  Nuc-elec (V_ne)  :  -27.431787 eV
  Hartree  (U)     :    8.554058 eV
  Exchange (J)     :   -8.554058 eV
  Nuc-nuc  (V_nn)  :    0.000000 eV
  Sum              :  -13.557608 eV

コード9.2 水素原子の出力(抜粋)

注目すべきは Hartree項と Exchange項がぴたりと打ち消しあってゼロになっていることである($8.554058-8.554058=0$).電子が1個なのだから電子間反発は存在しないはずで,それが正しく再現されている.

物理的意味:自己相互作用の完全な相殺

式 \eqref{eq:9-general-e} の二重和の $a=b$ の項は「電子 $a$ が自分自身とつくる静電エネルギー」という,物理的にあってはならない量(自己相互作用,self-interaction)である.ところが交換項はまったく同じ式であり,マイナス符号を伴って引かれる:

$$\braket{\chi_a\chi_a\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\chi_a\chi_a}-\braket{\chi_a\chi_a\left|\tfrac{1}{r_{12}}\right|\chi_a\chi_a}=0.$$

つまり Hartree–Fock 法では交換項が自己相互作用を厳密に打ち消す.これは同法の大きな美点である.逆に近似的な交換汎関数を使う密度汎関数法では相殺が不完全になり,自己相互作用誤差という悩みの種になる.

注意:PySCF の "Exchange (J)" は符号込み

出力の Exchange が $-8.554058$ と負である点に注意.PySCF は交換項に負号まで含めて報告する.一方,本書の $J_{ab}$ は式 \eqref{eq:9-general-e2} のとおり正の量で $-J_{ab}$ の形で入る.すなわち「PySCF の Exchange」$=-\sum^{\text{平行スピン対}}J_{ab}$(自己項 $a=b$ を含む)という対応になる.

9.10.2 ヘリウム原子の内訳

続いてヘリウム原子(電子2個,閉殻)を計算する.

python3 calc_pyscf.py --xyz XYZ_He.xyz --spin 0 --basis 6-31g --decompose-total-energy

コード9.3 ヘリウム原子の全エネルギー分解(閉殻なので制限 Hartree–Fock 法 RHF)

Method       : RHF
Total Energy : -77.692872 eV
<S^2>        : 0.000000
Multiplicity : 1.0

MO energies (Hartree / eV):
   MO  1:  -0.914127   -24.8747
   MO  2:   1.399859    38.0921

Total-energy decomposition:
  Kinetic  (T)     :   77.697348 eV
  Nuc-elec (V_ne)  : -183.333788 eV
  Hartree  (U)     :   55.887135 eV
  Exchange (J)     :  -27.943567 eV
  Nuc-nuc  (V_nn)  :    0.000000 eV
  Sum              :  -77.692872 eV

コード9.4 ヘリウム原子の出力(抜粋)

今度は打ち消さない.正味の電子間反発エネルギーは

$$ \begin{equation} U+J\;(\text{PySCF の表記})=55.887-27.944=27.944\ \mathrm{eV} \label{eq:9-hf-decomp} \end{equation} $$

である.本章の記号でいえば,これがまさに $U_{11}$ そのものである.式 \eqref{eq:9-egs} の $E_{(i)}=2h_{11}+U_{11}$ に現れた $U_{11}$ が,$27.944\ \mathrm{eV}$ という具体的な数値になった.

導出:なぜ Hartree項が $U_{11}$ の2倍になるのか

He は $\chi_1,\bar\chi_1$ の2本を占有する.式 \eqref{eq:9-general-e} の二重和で $a,b$ が独立に走るとすると,Coulomb項は

$$\frac{1}{2}\Bigl[(\chi_1,\chi_1)+(\chi_1,\bar\chi_1)+(\bar\chi_1,\chi_1)+(\bar\chi_1,\bar\chi_1)\Bigr]=\frac{1}{2}\times4U_{11}=2U_{11}$$

(4つとも空間部分が同じ $\phi_1$ なので値は等しい).交換項はスピンが平行な $(\chi_1,\chi_1)$,$(\bar\chi_1,\bar\chi_1)$ の2つだけ残って $-U_{11}$.合計 $2U_{11}-U_{11}=U_{11}$ で,9.5節の直接計算と一致する.数値でも Hartree項 $2U_{11}=55.887$,Exchange項 $-U_{11}=-27.944\ \mathrm{eV}$ と完全に一致している.

例題9.6 PySCF の出力から $h_{11}$ と軌道エネルギーを読み解く

コード9.4 の出力から,(1) $h_{11}$,(2) 最低軌道の軌道エネルギー $\epsilon_1=h_{11}+U_{11}$,(3) 軌道エネルギーの和が全エネルギーと一致しないこと,をそれぞれ確認せよ.

解答:(1) Kinetic と Nuc-elec を足して占有スピン軌道の本数 2 で割る:

$$2h_{11}=T+V_{ne}=77.697-183.334=-105.636\ \mathrm{eV}\ \Longrightarrow\ h_{11}=-52.818\ \mathrm{eV}.$$

例題9.2 の水素様軌道(遮蔽なし)の $-54.424\ \mathrm{eV}$ より少し高い.Hartree–Fock 軌道は電子間反発のせいで外側に広がり,核引力が弱まっているからである.

(2) $E=2h_{11}+U_{11}=-105.636+27.944=-77.693\ \mathrm{eV}$ で Total Energy と一致.軌道エネルギーは「1電子エネルギー+他電子からの反発」なので $\epsilon_1=h_{11}+U_{11}=-52.818+27.944=-24.875\ \mathrm{eV}$.出力の MO 1($-24.8747\ \mathrm{eV}$)と一致する.Koopmans の定理により $-\epsilon_1$ は第1イオン化エネルギーの近似値で,He の実測値 $24.587\ \mathrm{eV}$ とよく合う.

(3) $2\epsilon_1=-49.749\ \mathrm{eV}$ に対し全エネルギーは $-77.693\ \mathrm{eV}$.差は $2\epsilon_1-E=(2h_{11}+2U_{11})-(2h_{11}+U_{11})=U_{11}=27.944\ \mathrm{eV}$ で,電子間反発を二重に数えているためである.

注意:軌道エネルギーの和は全エネルギーではない

$\epsilon_a=h_{aa}+\sum_b(U_{ab}-J_{ab})$ には他電子との相互作用がすべて含まれる.全軌道について足すと電子対 $(a,b)$ の相互作用が両側から数えられ,二重計上になる.正しくは $E=\sum_a\epsilon_a-\sum_{a\lt b}(U_{ab}-J_{ab})$.この「二重数えの補正」は密度汎関数法でも共通に現れる.バンド構造を見て「占有バンドのエネルギーを全部足せば全エネルギー」と早合点しないこと(第14章).

水素原子とヘリウム原子の全エネルギー内訳を示す棒グラフ.左が H,右が He で,運動エネルギー T,核引力 V_ne,Hartree項 U,交換項 J,合計の5本の棒を eV で示す.H では U+J=0,He では U+J=27.94 eV.
図9.7 6-31G 基底による H 原子と He 原子の全エネルギー内訳(単位 eV,左右で縦軸のスケールが異なる).H では Hartree項 $U$ と交換項 $J$ が厳密に打ち消しあうが,He では正味 $U+J=27.94\ \mathrm{eV}=U_{11}$ の電子間反発が残る.全エネルギーは巨大な正の運動エネルギーと巨大な負の核引力の差として得られ,電子間反発はその中では相対的に小さい.

9.10.3 4つの見積りを並べる

ここからが本章のクライマックスである.He の電子間反発について,私たちは4通りの見積りを手にした.基準は例題9.2 の「電子間反発を無視したときの全エネルギー」

$$E(h_1+h_2\ \text{のみ})=2h_{11}=8\epsilon_{1s}=8\times(-13.606)=-108.848\ \mathrm{eV}$$

である.ここから実際の全エネルギーがどれだけ持ち上がるかが電子間反発の大きさを表す.

表9.2 He 原子の全エネルギーと電子間反発の見積り.基準は $8\epsilon_{1s}=-108.848\ \mathrm{eV}$,「差」は $E-8\epsilon_{1s}$,最終列はその方法の軌道で $\braket{1/r_{12}}$ を直接評価した値.
方法由来全エネルギー $E$ [eV]差 $E-8\epsilon_{1s}$ [eV]$\braket{1/r_{12}}$ 直接評価 [eV]
1次摂動論第4章:$E=(2Z^2-\tfrac54 Z)\epsilon_{1s}$$-74.833$$+34.015$$34.015$(差と一致)
変分法($\zeta=Z-\tfrac{5}{16}$)第3章:$E=2\epsilon_{1s}\left(2-\tfrac{5}{16}\right)^2$$-77.490$$+31.358$$28.700$
Hartree–Fock / 6-31G本章:PySCF(コード9.4)$-77.693$$+31.155$$27.944\;(=U_{11})$
実験値($I_1+I_2$)He の第1・第2イオン化エネルギーの和$-79.005$$+29.843$$\simeq25.7$

全エネルギーの列を上から下へ眺めてほしい.$-74.833\to-77.490\to-77.693\to-79.005$ と,変分原理どおり近似がよくなるほど実験値に向かって単調に下がっている.1次摂動論は変分原理を満たす保証がないので高いままだが,変分法は $\zeta$ を最適化した分だけ低く,Hartree–Fock 法は軌道の形そのものを最適化するのでさらに低い.おぉ,という感じである.

注意:「差」は $\braket{1/r_{12}}$ そのものではない

表9.2 の「差」を電子間反発だと思いたくなるが,厳密にそう言えるのは1次摂動論の行だけである.1次摂動論は0次の軌道($Z=2$ の水素様 $1s$)をまったく変えずに $1/r_{12}$ の期待値を足すので,$E-8\epsilon_{1s}=\braket{\phi_t|1/r_{12}|\phi_t}=\tfrac54Z\ \mathrm{Hartree}=34.015\ \mathrm{eV}$ がそのまま電子間反発になる.

これに対し変分法や Hartree–Fock 法では,電子間反発を入れたことで軌道自体が変形する(He なら $\zeta=2\to27/16$ と広がる).広がれば核引力が弱まり運動エネルギーも下がるので,「差」にはその効果も混ざる.変分法では $\braket{1/r_{12}}=\tfrac58\zeta=1.0547\ \mathrm{Hartree}=28.700\ \mathrm{eV}$ が真の電子間反発で,差の $31.358\ \mathrm{eV}$ とは $2.7\ \mathrm{eV}$ ずれる.講義スライドが 6-31G の行に挙げた $27.94\ \mathrm{eV}$(式 \eqref{eq:9-hf-decomp} の $U+J$)も,差 $31.155\ \mathrm{eV}$ ではなく直接評価値である.混同しないよう本書では列を分けた.

最終列も $34.015\to28.700\to27.944\to25.7$ と実験値に向かって単調に下がる.軌道を最適化するほど電子どうしは上手に互いを避けるようになり,反発エネルギーが下がるという分かりやすい描像である.

9.10.4 電子相関エネルギー

それでも Hartree–Fock 法は実験値に届かない.$-77.693$ 対 $-79.005\ \mathrm{eV}$,差は $1.312\ \mathrm{eV}$.一部は基底関数(6-31G)の不完全さで,基底を無限に大きくした極限(Hartree–Fock 極限)では $-77.870\ \mathrm{eV}$ になる.それでもなお $1.135\ \mathrm{eV}$ の差が残り,これは基底をいくら増やしても埋まらない.

定義:電子相関エネルギー

厳密な(非相対論的)全エネルギーと,完全基底での Hartree–Fock 全エネルギーの差を 電子相関エネルギー(electron correlation energy)と呼ぶ:

$$ \begin{equation} E_{\text{corr}}\equiv E_{\text{exact}}-E_{\text{HF}}\;(\lt0). \label{eq:9-corr-def} \end{equation} $$

He では $-79.005-(-77.870)=-1.135\ \mathrm{eV}$($\simeq-0.042\ \mathrm{Hartree}$).変分原理より $E_{\text{HF}}\geq E_{\text{exact}}$ なので必ず負になる.

その正体は何か.Slater行列式1個で表せる避けあいは Fermiホール,すなわち同じスピンの電子どうしの避けあいだけである.逆向きスピンも実際には Coulomb 反発で互いを避けている(Coulombホール)が,この効果は行列式1個では表現できない.表現できない分だけエネルギーを高く見積もる——それが電子相関エネルギーである.

物理的意味:$1.1\ \mathrm{eV}$ は小さいか大きいか

$E_{\text{corr}}=-1.135\ \mathrm{eV}$ は全エネルギー $-79\ \mathrm{eV}$ の 1.4% にすぎない.しかし化学結合のエネルギーは典型的に $1$〜$5\ \mathrm{eV}$,相転移や吸着のエネルギーは $0.1\ \mathrm{eV}$ 以下である.「わずか1.4%」が,化学や材料科学の扱うエネルギースケールそのものなのだ.だからこそ Hartree–Fock 法を超える方法(配置間相互作用,高次摂動,密度汎関数法)が要る.逆に本章の $E=\sum_a h_{aa}+\sum_{a\lt b}(U_{ab}-J_{ab})$ は全エネルギーの 98.6% を正しく与える出発点であり,この骨格の上に相関の補正を載せるのが現代の第一原理計算の基本構造である.

9.11 まとめと演習

9.11.1 この章のまとめ

9.11.2 演習問題

演習9.1 配置(f) と (g) を自力で導く

図9.6 の配置(f)($n=1$ にアップ1個,$n=2$ にアップとダウン1個ずつ)と配置(g)(両方の軌道が二重占有)について,9.9.1項の3ステップ(1電子項を足す/全ペアの Coulomb項を足す/平行スピン対の交換項を引く)を最初から適用して全エネルギーを導き,表9.1 と一致することを確かめよ.

ヒント:(f) の占有スピン軌道は $\chi_1,\chi_2,\bar\chi_2$ の3本.ペアは $\binom{3}{2}=3$ 組で,$(\chi_1,\chi_2)$,$(\chi_1,\bar\chi_2)$,$(\chi_2,\bar\chi_2)$.空間軌道の組から Coulomb積分の添字を決め(前2つは $U_{12}$,最後は $U_{22}$),そのうちスピンが平行なのは $(\chi_1,\chi_2)$ の1組だけであることに注意する.(g) は「導出:配置(g) を丁寧に数える」を隠して自力で再現するとよい.

演習9.2 水素原子で自己相互作用が相殺することを式で示す

電子1個の系について式 \eqref{eq:9-general-e} の二重和を書き下し,Hartree項と交換項が恒等的に打ち消すことを示せ.またコード9.2 の Hartree項 $8.554058\ \mathrm{eV}$ を,解析値 $\frac12\cdot\frac58 Z$ Hartree($Z=1$)と比較せよ.

ヒント:占有スピン軌道は $\chi_1$ の1本だけなので二重和は $(a,b)=(\chi_1,\chi_1)$ の1項のみ.この項では Coulomb積分と交換積分が同一の式になる.解析値は $0.3125\ \mathrm{Hartree}=8.504\ \mathrm{eV}$ で,6-31G の $8.554\ \mathrm{eV}$ との差 $0.05\ \mathrm{eV}$ が基底関数の不完全さである.

演習9.3 配置(e) と (f) はどちらが低いか

表9.1 の配置(e) と (f) のエネルギー差 $E_{(f)}-E_{(e)}$ を $h_{11},h_{22},U_{11},U_{22}$ で表し,どちらが安定かを論じよ.式 \eqref{eq:9-hydrogenic-u} の水素様軌道($Z=3$)で数値でも確かめよ.

ヒント:$U_{12}$ と $J_{12}$ の項は共通なので消え,$E_{(f)}-E_{(e)}=(h_{22}-h_{11})+(U_{22}-U_{11})$ となる.水素様軌道では $h_{11}=Z^2\epsilon_{1s}$,$h_{22}=Z^2\epsilon_{1s}/4$.$Z=3$(Li)で数値を入れると $h_{22}-h_{11}$ の正の寄与が $U_{22}-U_{11}$ の負の寄与を圧倒する.すなわち Li の基底配置は $1s^22s^1$(配置(e) 型)であり,これは周期表の構成原理そのものである.

演習9.4 Hund の第1規則を交換積分の数で説明する

3重に縮退した軌道($t_{2g}$ や $p$ 軌道)に電子を3個入れる.(A) 3個ともスピンを揃えて別々の軌道に入れる配置,(B) 1本に2個,残り1本に1個入れる配置について,式 \eqref{eq:9-general-e2} で全エネルギーを書き下し差を求めよ.ただし異軌道間の Coulomb積分を $U'$,交換積分を $J'$,同一軌道内の Coulomb積分を $U$,$h_{aa}$ はすべて $h$ とせよ.

ヒント:(A) の占有は $\chi_1,\chi_2,\chi_3$ でペア3組がすべて異軌道・平行 → $3U'-3J'$.(B) の占有は $\chi_1,\bar\chi_1,\chi_2$ で,$(\chi_1,\bar\chi_1)$ → $U$,$(\chi_1,\chi_2)$ → $U'-J'$,$(\bar\chi_1,\chi_2)$ → $U'$.差は $E_{(B)}-E_{(A)}=(U-U')+2J'\gt0$ となり (A) が低い.$U\gt U'$ と $J'\gt0$ の両方が効いていることを確認せよ.

演習9.5 PySCF でリチウム原子を計算する

Li 原子($1s^22s^1$)について --spin 1 を指定して 6-31G の分解計算を行い,Hartree項と Exchange項に本章の $U_{11},U_{12},J_{12}$ がどう混ざって入っているかを式 \eqref{eq:9-general-e} にもとづいて説明せよ.また $\abs{\text{Exchange}}/\text{Hartree}$ を求め,He の場合($27.944/55.887=0.500$)と比較せよ.

ヒント:Li の占有スピン軌道は $\chi_1,\bar\chi_1,\chi_2$ の3本(配置(e) 型).Hartree項は $\frac12\sum_{a,b}U_{ab}$,Exchange項は $-\frac12\sum_{a,b}^{\text{平行}}J_{ab}$ で,自己項 $a=b$ も忘れずに数えること.閉殻の He では交換項がちょうど Hartree項の半分になったが,開殻の Li では比が変わる.

9.11.3 参考文献

  1. 原田 義也『量子化学(上巻)』裳華房(2007)— He 原子と Slater行列式,交換積分の丁寧な議論.本章の水準に合う日本語の標準的教科書.
  2. A. Szabo, N. S. Ostlund(大野 公男ほか訳)『新しい量子化学 — 電子構造の理論入門(上)』東京大学出版会(1987)— 原著 Modern Quantum Chemistry, Dover (1996). 第2章に本章の一般公式と問題2.23(図9.6・表9.1)がある.
  3. P. Atkins, J. de Paula, Atkins' Physical Chemistry, 11th ed., Oxford University Press (2018) — 多電子原子のスペクトル項と Hund の規則.
  4. シュライバー・アトキンス『無機化学(上)』第6版,東京化学同人(2016)— 結晶場分裂と高スピン/低スピン,対形成エネルギー.
  5. C. Kittel『固体物理学入門(上)』第8版,丸善(2005)— 交換相互作用と強磁性.
  6. P. A. Cox『固体の電子構造と化学』技報堂出版(1989)— 遷移金属酸化物における交換分裂と結晶場分裂の競合.
  7. R. G. Parr, W. Yang『原子・分子の密度汎関数法』シュプリンガー・フェアラーク東京(1996)— 交換相関ホールと電子相関エネルギー.
  8. Y. Mochizuki et al., Phys. Rev. Materials 2, 125001 (2018) — エピタキシャル歪みによる遷移金属酸化物の金属絶縁体転移.9.8.4項の実例.
  9. Q. Sun et al., "PySCF: the Python-based simulations of chemistry framework", WIREs Comput. Mol. Sci. 8, e1340 (2018) — コード9.1〜9.4 で使った計算プログラム.
  10. J. C. Slater, "The Theory of Complex Spectra", Phys. Rev. 34, 1293 (1929) — 行列式波動関数と一般公式(Slater–Condon則)の原論文.
  11. NIST Atomic Spectra Database, NIST — 例題9.4 の He $1s2s\ {}^3S,{}^1S$ 準位およびイオン化エネルギーの実測値.